2011/08/09

第112号

<コンテンツ>
形を変えて、新たな世界経済危機の波
経済恐慌から「守りを固める体制づくり」
この三つの守りを固める実行ポイントは、
現時点、日本ならではの経済環境
生活文化型商品産業へのシフト・育成の促進
緊急対策:適格退職年金制度の廃止(財務基盤)
【書評】『「新しい働き方」が出来る人の時代』(三笠書房)


§形を変えて、新たな世界経済危機の波
がやってきた。2008年のリーマンショック以来のものだ。報道はアメリカの国債がデフォルトと流すが、要するに米国債の一部が払い戻されない(不渡り)危機が8月2日に迫っていたのだ。リーマンショック(4ヵ月前に金融筋から投資引揚情報のみ)と異なり、2ヵ月前から危機の予測情報が流れ(日本の大手マスコミは無報道)たことと、その舞台がアメリカ議会であったことが、世界的に対策をとる余裕がほんの少しあったといえる。日本でも報道されたようにショックやクライシスは、かろうじて回避されたものの、やはり、経済分析数値の下落は如実に現われている。アメリカ政府もそうだが、経済悪化の時代には統計指標改善の名目で経済を良く見せようとするのは常套手段である。米国の失業率は9.2%程度と発表されるが、1993年の計算方法だと約20%前後のようだ。金融相場に良い影響が出るように金融界や政府は経済分析を行っていると疑われているが、にも関わらずこの経済分析数値だ。
株価や為替レートはそれなりに相場操作性があるから参考程度にしかならないが、相場操作性の低い金価格は急上昇、金先物も史上最高値だ。日本の金地金価格は1グラム当たり、リーマンショック半年前の3,400円程から、この1ヵ月ほどでも434円値上がり、8月9日現在は4,545円程に達している。ショックにならなかったからマスコミは今になって記事にはしているが、経済問題としては深刻な方向に転落しているのだ。
一説に、日本の地震・津波・原発がなかったとすれば、ドルの下落はさらに激しく、円相場1ドル60円程度になっていたとの予測がある。1ドル76円台までになった円相場を1ドル80円まで、史上最大資金での買い支えを日本単独ででも行わざるを得ないほど、日本経済へのボディブローは深刻なのだ。
リーマンショックの時点でさえ、2007年の経済数値水準に回復するのに、20~30年を要すると言われていたところへ、このアメリカ国債の債務問題である。ちなみに、有名な投機筋であったジョージ・ソロスは、これまでにも投機額を大幅に減らしてきたが、先月、自分のヘッジファンドをたたむとの情報だ。ところが、日本の大手も地銀もが、中堅・中小企業への貸付業務での営業マンの手間と煩わしい作業を「合理化?」したつもりで、多額のアメリカ国債を、そのまま保有しているのだ、貸出利息が手間いらずに稼げたといった理由で。
よって、「資金調達→資本投下→事業計画→資本回収」といった一辺倒な企業経営しか知らない人たちにとっては、顔を青ざめる事態となっているのだ。だが、黙々と上意下達・官僚的企業運営を行ってきた人たちにとっては、青ざめる事態に気づく由もない。


§経済恐慌から「守りを固める体制づくり」
ここに人事・総務部門の大仕事がある。日本経済は、間違いなく縮小均衡に向かって行く。ただしそれは、大手企業とその連携関係にある企業が主である。それは、大手以外の個別企業や圧倒的多くの個人は、既に縮小均衡を行っているからだ、自律的か他律的かを問わないが。それはミクロ経済を持ち出して合理的判断に基づいたとして行動を起こすことが予想される。すなわち、何とか販路拡大、海外進出、コスト削減、震災復興さえすれば持ちこたえられると夢みていた大手企業が、一斉にリストラ(本来的な意味で首切りだけではない)を行うということだ。現に、大手企業では工場閉鎖の時期をいつにするかの検討を水面下で入っているところも多い。
だから、この状況に対応する大仕事があるのだ。そのポイントは三つ。
1.財務基盤
 昔の人は銀行との付き合いしか思い浮かばないが、いま必要なのは現金を守る具体策である。在庫整理に留まらず現金を節約出来る大枠的な在庫の流れを編成し直すことである。新しい仕入と在庫編成を行うことが出来る人事と人員の配置である。負債を圧縮するのはもちろんであり、必要に迫られる程度では危機を脱することにはならないから積極性が発揮出来る人事を先取りすることである。
2.事業基盤
 設備を削減することである。それも大胆に行わなければ効果がないから、本社移転とか本社ビルの貸出は重要な検討課題である。工場移転や閉鎖も、いつ何時のことを考えておかなければならない。不得手な仕事を個別企業内で行うことも基盤を揺るがすから、いち早くアウトソーシングを行って効率を高めるとともに不毛消耗的な労働事件を未然防止する必要がある。すなわち、長期コストを削減することだ。
 ただし、アウトソーシングは、そもそも不得手な課業に関わることであるから、品質・納期・コストについて外部専門家(当社も人事業務専門であるから良く知っているのだが)に診断してもらわないと、外注業者に騙され乗せられているケースが後をたたない。とりわけ、給与計算などの場合は表面化していない不都合なケース(素人業者だから気づかない)が目立っており、社会保険労務士でも事業主責任をとらない者も実在をする。(当社の業務であるから良く知っているのだが)。
3.売り上げ基盤
 開発の根底に、人事総務部門もひと役買う必要がある。難しくいえば、「社会合理性との整合性を保った商品開発」である。すなわち、商品を小分けにすることによって小家族向けの商品開発をするが、単位当たりの利益率は向上しており、だとしても顧客から喜ばれている売り方である。少量販売のシステムを作って、単位当たりの利益率を向上させ売り上げを伸ばす方法である。「顧客ニーズに応じて」とは大義名分で、そこまで顧客は新商品を考えてくれるものではない。サービスや作業仕様書の業務改善を図り、顧客との連携で良い実績を残す姿勢である。こういった事は、右肩上がりの時代には金銭解決でごまかせたから必要なかった。
 だが、それが出来なくなった今、営業販売部門や渉外担当者の課題だとの発想になるのだが(ここまでは素人でも考える)、元来こういった方法は手間がかかるから営業部門等からの根強い抵抗とサボりが繰り返される現実が待っている。研修や教育を施したところで、営業販売部門は部門長を先頭に無関心を貫くから、そういって先送りしているうちに販売実績がダウンして倒産するのだ。営業販売部門に任せれば、単なる安売りに陥ってしまうだけでもある。そういった戦略での教育・訓練・採用に人事総務部門が主役となるわけだ。1929年の世界大恐慌の際、IBMは人材確保の人事制度を先行させ事務機器業界で優位に躍り出た。GEは、工業用大型発電機からミキサーや洗濯機などの小型家電の量産に入った。クライスラーは高速道路が整備されるのを見越してスポーツカーの生産を始めた。当時これらの商品すべて、顧客のニーズはなかったどころか、顧客は思いつきもしなかったのだ。だから、上からの経営方針を実施するためなので人事総務部門の役割なのだ。


§この三つの守りを固める実行ポイントは、
1929年の世界大恐慌から脱出した企業が、当時とった作戦の集大成である。
もちろん、従業員の賛同を得なければならない時代であるから、労働基準法、労働契約法に照らして合法的であるように人員配置や制度を駆使しなければならない。法律の条文にとらわれていると、時代変化についていけない硬直した考え方になってしまう。まして、「常識?」をもとに実は法律に書いていないような事柄を連想して法律だと錯覚するのは、専門家でも失敗するところであるから注意が必要だ。要するに、法律とは、立法趣旨をよく踏まえてから解釈するものであり、国側の秩序形成の道具であるから、字面を読んでいるだけでは個別企業の守りを固めるためには、資することがないのである。
まずは守りを固めるためにイノベーションを考え、将来の方向性も念頭に置きながらイノベーションを考え、中途半端な妥協や支出を伴う経過措置を根拠のない恐怖感から行動せず、成功のコツである明確なイノベーションの旗色を鮮明にして実行することである。
また、若干景気が伸びるときは回復基調のコントロール、減退するときは低成長のコントロール→との早い切り替えが出来る体制と能力養成も、人事総務部門が段取りと準備をしなければならない。これらは、社長ひとりの出来る仕事ではないからだ。この経済危機においては、個別企業の古い慣習が命取りになる。
こういった守りを固める方法は十分実施可能であり、それが出来ないような人材能力と組織的制約が存在する企業ようであれば、それは今の時代に耐えられないから、それこそ本来の意味でのリストラが必要である。銀行が事実上の株主となっている個別企業であっても、それなりの負債圧縮方法はあるから、もう銀行融資を恐れることは無い。
場違いや的外れな情報や学説は経済条件が異なるので注意が必要だ。筆者もさまざま調べてみたが以上の研究がいちばん高水準であった。今話題のドラッガー経営理論は1946年発表、これは端的にいえば、第二次大戦直後のアメリカで、「官僚的企業が上意下達一辺倒により立ち直れなかった企業が、上からマネジメントに関して官僚的意識を排除し近代経営を図ろう」というものだ。いまや官僚的事業経営が根本から問われているのだ。ICT産業革命の基盤であるサイバネティックス=コンピューター理論発明(ウィーナー)は1948年である。何れも世界経済恐慌から脱出してからのことであり、ここに現在の恐慌状態から脱出する理論はない。また、震災直後、日銀、経団連をはじめ、イノベーションという言葉が目立つようになったが、これは経済学者シューペンターの発見したものであり、いわゆる「起業家」という現代用語のベースにある経済理論である。まして、コーポレートガバナンスなどといった経営論は、株主・労働者・顧客の三者の間に仲介役として調停作業を行う経営者にすぎない!といった経営学からの痛烈有力な批判にさらされており、リーマンショックの後は突如として流行しなくなっている。日本でも昭和大恐慌のあと従来の発想による改善程度に終始し個別企業は、当時の文献や経営雑誌を見るに、今は忘れ去られ消滅していった


§現時点、日本ならではの経済環境
には、個別企業が自力で立ち向かうしか残されていない!といった状況である。震災・津波・原発の危機を克服するためには、再生の観点が重要であるにも関わらず、現実は官僚主導によるこれまでの路線が継続するところの、「復旧」に向けた政策が優先されている。日本の官僚は国民を見捨てる伝統をもっているから暗雲が漂っている。経済界も、「復旧ではなく再生だ」としているものの具体策に乏しい。「ものづくり大国日本は、環境・エネルギー・安全・安心が成長に向けたキーワード。民間が企業家精神とイノベーションを促進し成長実現して行く」という決意ではあるものの、政府や官僚に注文をつけるが現実は具体策がない。第三次空洞化を覚悟した、こういった論評は経済界から発信されている。だから、企業や個人などはミクロ経済の視点での合理的判断として、とりわけ大手企業とその系列は縮小均衡に陥らざるを得ないのだ。
思い余って、海外生産シフトは当たり前→、公的年金の基礎部分を消費税20%で賄い+報酬比例部分は民営化→法人税率を10年間で10%引き上げ。そうすれば民間設備投資と民間消費は拡大→失業率低下→貯蓄率向上といった、「社会保険料負担金部分を企業経営投資に回せば良い」とする経済政策案まで、某財界新聞に掲載される始末だ。(そこまで切羽詰まったのか!)
某地方公共団体の産業支援担当幹部も、大手には技術開発力がないと明言している。新産業や地場産業活性化などについても、「今までやってきて、成功すると思っているものはない」と。そして、経済政策・公共政策として何かをする予算もなく、枝葉どころかは「葉っぱ」を見せて、その世話役人件費に予算を浪費する程度になっている!と憂いているのだ。「上は予算ありきというが、私たちは金で動いてはいない!」と情熱を傾けているのだが……。


§生活文化型商品産業へのシフト・育成の促進
先月のメルマガでも述べているが、生活文化型商品産業への期待は非常に高い。経済理論的背景もさることながら、そういった経済発展を説く人にもそれを聞いた人たちにも、今の日本には珍しく元気がみなぎり意欲的である。
今の段階で、生活文化型商品の産業化の理屈を考えてみると
1.工業型商品産業への投資は、今後日本にはやって来ない。
2.日本では模倣型商品が工業化されており、即海外企業に取られる。
3.日本人の文化水準、教育水準などは他国に比べ極めて高い。
4.技能者、技術者、経営者、管理者はある程度そろっている。
5.この人材を生活文化のベクトルに組織し、ブラッシュアップ出来る。
6.創造性を育むのは実験、日本人は私財を投じても実験が好きだ。
7.典型事例が生まれれば、日本人の学ぶ真似る能力は抜群である。
8.生活文化型商品の原材料は帳簿非計上だが随所に眠っている。
といったところである。これからの研究と実験が、細部までの理屈を穴埋めしてくれるであろう。
現実には、生活文化型商品の職人芸は手作りでしかないとか、とにかく量産化は品質を低下させるなどの、工業型商品産業の弊害としか言いようのない反機械化論・反量産化論がまだまだ根強い中であったとしても。迷信や人目にとらわれていない限り、経済的豊かさは保障されることは間違いないのだ。


§緊急対策:適格退職年金制度の廃止(財務基盤)
平成24年3月31日で、この制度がなくなる。その額は中堅・中小企業で数千万から数10億円、これは先ほど述べた経済恐慌での守りを固める体制:財務基盤で、重要な作戦となる。この対策に失敗(移行先の保険料急増、解約返戻金で給付激減)している例が多く、ここでの問題点は2点ある。
1.現実は、退職金の減額を強いられる経済状況なのに、保険金不足発生や要資金対策が必要な事態。
2.保険会社を解約した解約返戻金だけでは、退職金は未払い状況。合併の際には労働債務として計上。
この意味を解説するとこうである。
(一)中小企業を除けば、新年金制度に移行するには保険料の増額を覚悟しなければならないのが一般的である。これを十分に保険会社は説明しないで記名押印を迫るケースが多く、総務担当者も分かっていない場合が多い。退職金減額には、経営幹部を中心に反対が多く、相談相手である保険会社の担当は保険金の多額回収が営業目的だからであり、いくら社長といえども追い詰められている。
(二)保険会社に支払った保険料は、企業に返還されることなく、その解約返戻金の受給者は労働者であることを条件に、適格退職年金が国会で成立し、優遇税制が適用されている。ところが、退職金制度は、個別企業が独自の裁量で定め、就業規則の一部として形成(周知届出)しているから、ここで定めた退職金額は労働者の退職する時点で労働債権、会社の労働債務となる。退職金規定を労働基準監督署に届けた記憶がなくとも、適格退職年金制度の場合は保険会社が届出事務を完了してくれている。ところが解約返戻金は、この退職金規定にもとづく退職金ではなく、単なる一時所得となり税制優遇にもならない。どういうことかというと、保険を解約しただけでは従業員が金銭を受け取るだけで、この金銭を退職金の一部又は全額に充当することに法律上は出来ないのだ。「そんな馬鹿な!」と言っても、そういったことを踏まえて国会決議をしているから、いまさら仕方がないわけで、この事実を保険会社の営業から知らされていない個別企業も多いのだ。とりわけ、旧Y生命の営業傘下でのトラブル発生が目立っている。トラブルが起きた事例では、保険会社の営業担当は、「大丈夫です!」とゴリ押しするが、保険会社の支店担当者クラスが来て、契約が成立しているのだから後の祭りだと説明をする態度が多い。結局、解約返戻金は、保険料を支払った個別企業からのプレゼントという訳だ。
要するに、労働者が退職する時には、解約返戻金を含めずに、退職金全額を支払わなければならないのが法律であり、時効は退職の日から5年間、訴訟を起こされれば会社は必ず敗訴する。
〓〓では、その対策は〓〓
まずは、労働契約法第9条に基づいて、納得説明義務を果たし、納得する筋道と手続きを行って退職金規定を変更するしかない。この場合、個々の労働者から同意書を取り付けても、労働契約法上は無効である。それもこの経済状況では、不利益変更を伴うのが自然かつ通常であって、とにかく難しいのだが「合法的・客観的・合理的」に退職金規定を変更するしかない。
次に支払われた解約返戻金は、労働者にお願いして、将来発生する退職金額の前渡金とする方法がある。これも前述の退職金規定変更と合わせて行わなければならない。加えて、労働者の自由意思による、会社との自由対等契約による同意が必要である。労働者個人の金銭(不当利得かもしれないが会社に返還請求する権利はない)だから、自由意思や自由対等であることの証拠となるような同意書が必要である。一筆取ったような代物では、後日訴訟になったときに、「無理矢理書かされた!」と原告から主張される可能性が高い、それは退職金請求の時効は5年間もあり職場での人間関係も切れるからだ。
〓〓実行力のある専門家に頼むこと〓〓
こういった芸当は、保険会社では無理、税理士は専門外、社会保険労務士は大半が実力を備えていない。ここでの重要課題は、従業員である労働者全般と納得説明義務を果たす協議を行うことである。大半の中堅中小企業では行ったことのない手法である。不利益変更と言っても、納得説明義務の果たされた協議→その結果としての納得した筋道と法的手続きであれば、現在の法体系では許容されることであり、これが欠けておれば企業側は敗訴する。弁護士に依頼したとしても、書類を作ってくれるが納得説明義務を果たす協議とその証拠書類までは作ってくれない。この話し合いをしなくてはならない、だから難しいのである。
どうしても専門家による協議の仕方の指導は不可欠で、紛争調整委員会にあっせん申請してでも協議を治める必要があるのだ。
確かに、訴えを起こした労働者にのみ退職金債務を履行すれば良いかもしれないが、そういった話は全従業員に漏れるので、その時点で労働意欲の激減を覚悟しなければならない窮地に陥る。さらに、訴訟となった場合は、不利益変更の従業員代表選出選挙まで蒸し返さされるのが通例だから……たとえ1名であったとしても、納得説明義務と法的手続き及び書証の不備を追及されることになるのだ。


§【書評】『「新しい働き方」が出来る人の時代』(三笠書房)
元Yahoo!の副社長セス・ゴーディンの著。ちなみに、ドラッガーの発明は筆者なりに端的にいえば、第二次大戦直後のアメリカで、「官僚的企業が上意下達一辺倒により立ち直れなかった企業が、上からマネジメントに関して官僚的意識を排除し近代経営を図ろう」というものだ。だから、戦後の社会に大いに受け入れられた。だが、現代のアメリカでは、ドラッガー理論が浸透してもなお、大量資本投下というものは官僚的要素とか、投資側の思惑がものをいうことに対する批判が続出している。この著作は、ドラッガーとは発想を異にしているベストセラーである。随所にサイバネティックス=コンピューター理論を発明したウィーナーの影響を受けていると思われる節がある。ウィーナーの職業は数学者であるが、自然科学者系に与えた社会学的影響は強いとされ、ウィーナーの「人間の社会が学習に基づいたものである」とか、「他人を行動に転換する通信文は人間だけが作れる」と分析し、さらには人間社会の将来について、「猿とタイプライター」という比喩で、コンピューターという言葉が出来る前に、「いつの日か、猿は一生懸命働いてシェイクスピアを作るだろうが、それまでに膨大なゴミの山が出来あがる」とか、「社会の福祉に不可欠なコミュニケーションが益々複雑化しその費用はかかるようになり…知的創造性が切り捨てられる」と60年前に言い当てていた。
この著作は、現代アメリカのICT産業革命が進行しつつある中、どういった働き方と事業組織がこれからの経済社会をけん引するかの示唆を与えている。そして、監訳者が、「(行動が自然に始まったときからが、)本当に恐い。特に、この日本の組織で働く者にとってみれば、大いなる冒険が始まる」と警告する本なのだ。

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