2020/11/03

第223号:季節も経済も、冬がやってくる

<コンテンツ>
それも厳しい冬が。したがって先見のある人は…
【日本の新型コロナ最新研究(東大など)では】
大阪都構想をめぐる住民投票は、何を表したのか。
新型コロナ禍などによる社会や経済基盤の変化の課題
テレワーク・リモートワークは、日本の大手企業を先頭に空回り
デジタル社会推進の政策は、老人総理の有名無実?
少子化対策で労働力を確保? 完ぺき的外れ
印鑑の廃止論議は、一体何を話しているんだろう?


§それも厳しい冬が。したがって先見のある人は…
これから、歴史的にも新型の社会が始まるのかを、ずっと見据えて、その準備をするためにじっとしていることだ。とにかく、金銭にこだわらない資産を蓄え、あわてたり騙されたりして散財しないことである。金銭資産は、金融危機回復時点に一気に課税されてなくなってしまう。
“とにかく表向きはじっとしていることだ、新型社会を担う価値生産をする人材を育てることだ”。
それ以上を望むといった、歴史の大波に対抗するような無謀なことは避ける!
新型コロナの感染は、この冬に向け新たな段階に入る。
そして、この冬は数年に一度の、寒い冬が日本にもやってくる予報だ。
【世界中が】
過去から積み上がった不良債権による金融危機を先送りし、それでも経済停滞は止まらない。そこへ重なったのが新型コロナの感染拡大である。金融危機はとりあえず2年半先程度に無理に先伸ばしをしたけれど、新型コロナ感染も3~4年は猛威を振るうと予測されている。金融危機も新型コロナ感染も、決してスケジュール調整をしたわけではないし、両方ともがまったくの先行き不明なのである。
【新型コロナ感染は】
スウェーデンが詳しいモニタリングをして、“冬が近づき家の中にいることで感染しやすくなった”と発表。これは重要な感染経路の裏付けである。すなわち、旅行や移動ではなく、家庭内の飛沫感染が一番怪しいということだ。スウェーデンの住宅事情は、新婚夫婦でも100平米の平家とかマンションに住むわけだから、日本の大都市部の家庭事情は極めて危険ということになる。今解明されている感染防衛は家庭内消毒というわけだが、マスコミやネットでの警告に頼っていて、果たして個々人の末端にまで充実するのであろうか。個人が聞きいくら努力しても充実するわけがない。
【経済は】
一番最初に行われる商品の交換、二番目に行われる代金の支払いといった原則にもかかわらず、第一番目の流通(交通)がシステム的に途絶えていることから危機に瀕しているのだ。問題解消のために各国は、いわゆる通貨を大量に増量(その多くはコンピューターでの数値計上)し、円滑さを伴わない経済活動を膨張させている。新型コロナ感染による停滞経済の部分の損害までも、通貨増量で補って対処しているのだ。おかげで、貨幣=現段階では金地金が主な貨幣でであるが、異様な高止まり(昨年の1.5倍強のグラム7,000円余り)だ。
これは、この百数十年続いた、“金融資本を投下して、資金回収をして再び投下する”といった経済システムは限度を来たし、一方では“資本投下方式の範囲内での新商品開発が停滞”してしまい、もう一方では“資金が有り余り投機に走る”という状態である。その移行期・崩壊期である。
したがって、旧態の金融資本を投下型の企業は崩壊する。
代わって歴史的にも新型の価値生産事業が誕生する。
そのことで、この経済危機は乗り越えられる。
 ↑ 商品が経済において支配的になりつつあった、約500年前からの流れなのである。
学問的に言えばそうなるのだが、これからの新たな人類が経験したことのないICT産業革命と共に進展する。だがしかし、新型コロナウイルス感染あるいは他のウイルスによる、旧態の生活や企業活動に固執した人や家族からが消え去ることは否めないだろう。例を挙げれば、天然痘とかヨーロッパのペストの如くである。
ウイルス感染などで人口が激減して初めて新しい人類の歴史が始まるといったストーリーは、「トンデモ話」に過ぎない。
☆歴史的にも新型の社会が形成され、新型の価値生産事業が誕生することでしか、克服できない。人類の七百万年は、メジャーな人たちが死亡して、マイナーな人たちが多くの子孫を残し反映したとの軌跡だと言われている。
これをあなたは幸運と見るのか、悲惨と見るのか、希望さえ持てば“自由の権利秩序”と“それを支える倫理”は改めてついてくるであろう。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020110201019&g=int


【日本の新型コロナ最新研究(東大など)では】
ウイルス肝炎の警戒ポイントは、幼稚園や保育園はじめ子供が運ぶウイルス感染とのこと。
なので、そんな施設の先生らからの定期的PCRが、先進自治体(東京都世田谷区が最初)から行われている。
新型コロナは、一人の発症者で60人に移すことも分かってきた。なので、安価な集団PCR検査で早期発見を目指すようになった。一人の隔離と治療で治すというわけだ。
…なので、この方法は保健所ではなく自治体から始まっている.地方自治体が保健所の指導を待っていれば、国の予算や体制を待っていれば、手遅れになってしまう訳だ。
そんなことが判ってきた、すなわち、
①発症の危険は、家庭感染が最も高いとのこと。
②家庭の対策が一番大事ということ。
③家の玄関に入る前に手洗い(手水のボトル器でも)。
④トイレする前に手洗い(水道水に残留塩素、検疫所も先ず使う)。
⑤食卓や食器に落ちる飛沫を常に消毒(次亜塩素酸契水溶液)。
⑥眼球からの感染は5秒。目の保護を忘れないこと。
コロナにインフルの体調異変には、直ちに温める、風邪薬は禁止!!
(インフルエンザ予防も、新型コロナも、予防法は同じです)。


§大阪都構想をめぐる住民投票は、何を表したのか。
ずっと筆者は政治には携わらないが、自治には参加する。政治のことについては専門的でもないから他人に話す事は無い。支持政党も無い、頼まれても選挙には行かない。
そこで、経済や経営などの筆者専門分野から、歴史の教訓を話す。
(論点は、大阪都構想推進賛成と大阪市廃止反対だった)。
大阪都構想推進派は、「策を弄し策に溺れたことで否決された」
と診ていい。ここで詳しくは述べないが、現場を見て実感した。マスコミ記者は、そのあたり取材できなかったのだろう、多くが言語を記号として用いる程度のセンスだから、言語以上に把握して報道できなかったのである。
正直、大阪市廃止反対勢力に勝つ自信はなかった。推進派を批判する理屈と粗探しに明け暮れたから、前回5年前とは違い、大阪維新への王手は打ち切れなかった。なので、投票終了後、私は大阪都構想推進派は勝った思った。ただ、投票日前日と当日には、維新は議員に“どぶ板選挙”を命じ、吉村知事は若者向けのインスタ動画配信に躍起になっていた。また投票日当日は街頭演説会までやっていたが、これらが何故か腑に落ちなかった。
しかし、反対多数確実の一報の後の23時の記者会見で、吉村知事が涙したことから、何があったのかを理解できた。
すなわち、大阪維新の会は、完璧な支持者リストを持っており、実際は高度な組織戦を行っているところ、終盤になって都構想推進賛成者のある程度が投票に行かないことが分かったのだ。慌てて賛成投票の“どぶ板選挙”で議員ら運動員は街中を自転車で走りまわった。当日は維新運動員は誰1人として投票所前の最後の運動をすることはなかった。入り口付近は反対の運動員ばかりだった。
賛成者が投票に行かなくなった訳は、維新が隠し続けていた、大阪市廃止に伴う新特別区4区設置に伴う218億円のコスト増のシミュレーションを、自民党が働きかけて、大阪市財務局が発表したこと(十分な説明は法律で義務づけられている)に端を発した。これを松井大阪市長は、“〇コスト増(対策は主に節約)と、×費用出費(対策は資金調達)”を取り違えて(事業経営センスのなさを表現)、毎日新聞を攻撃した。毎日新聞は、さらに洗いざらいを報道して松井大阪市長と対決した。朝日新聞とNHKは市長の珍説に惑わされ謝罪、赤旗も歯切れ悪く弁解に走り、218億円コスト増を報道しなくなった。自民党と平松元市長団体そしてれいわ新選組は更に追及し続けた。コストとは何か、費用出費とは何か、重要なポイントである“シミュレーションと捏造との明確な差異”を、経営感覚その他で肌身で知っていたかどうかの問題であった。
そこへ、大阪市財務局長が、記者会見を行って「捏造でした」と言わされたのだ。市長と副市長の4人でパワハラが行われたことは、松井市長の記者会見とその他取材を合わせれば、ほぼ明白となっていた。あげく、松井市長は謝罪しなかった。市長であれば部下の財務局長らが捏造したのであれば、率先して謝罪しなければならないところ、市長は謝罪しなかった。
~この態度を松井市長は取り続けたことから、賛成者のある程度が離反したのだ。その理由は簡単、タワーマンションその他に住む大手企業等の転勤族にとってみれば、維新の会長である松井大阪市長の態度に、“イザとなれば部下を切り捨て利用する”との姿を見たわけだ。
もとより、維新の彼らに集まる企業経営者は、順当で安定した経営とは言えない者ばかり。いわゆる、新自由主義は自由市場経済(=資本主義)ではないから、他人を利用することばかりで平気で裏切るし、昔ながらの経営者や大阪市の住民はそれをよく知っていた。お付き合いをすれば、時間と資金の浪費と割り切って防衛線を張っていた。それを、タワーマンションなどに住む大手企業の転勤族に代表される、大阪市の一時住まいには維新の本質が知り得なかったわけだ。そもそも大阪維新の会の結成には、当時の自民党議員の品行とは程遠い行いを重ねていた者たちが構成員だった、これが大阪維新の会の特徴である。
それは筆者も橋下市長時代、人の良い自民党支持者の人から頼まれて、維新の経済政策を頼まれて、不本意ながら建議したけれど、彼らは徹頭徹尾、自由市場経済(=資本主義)では無かったから、そのときに、よく理解していた。
★住民投票戦で組織力を持つ共産党の関係者と、同じく立憲民主党に近い連合だけが、218億円コスト増と、引き続く松井市長のパワハラと責任転嫁の追求はすることはなかった。大阪の自民党は今や、“世界一品行方正な自民党”と言われていて、終盤と当日に、このポイントを追求する大量の宣伝カーを投入することができた。片や共産党と立憲民主党は無言を最後まで貫いた、小学校の前で実際に見た。
筆者は、賛成派も反対派も、旧来の組織や組織力に頼ることで墓穴を掘ったことを見た。
開票の結果、
賛成が67万5829票、反対が69万2996票、反対が1万7,000票ほど上回り。賛否の割合を見ると、賛成が49.4%、反対が50.6%。当時大阪市長だった橋下徹氏の下で行われた2015年の住民投票でも、当時は新5特別区への再編案が反対が70万票ほどでその差は、1万7,000票ほどで否決。賛成派の敗因はひとえに、倫理や道徳のなさと横暴によるもの。反対派が果敢に戦っての勝利ではない。ほとんどの勝因は、無名の若い年齢層のボランティア活躍であり、もしかしたらそれは神の助けかもしれない。


§新型コロナ禍などによる社会や経済基盤の変化の課題
今、その課題の中でマヤカシだったり、見当違いだったり、まずは個別企業の利益率を激減させてしまう動きについてを指摘する。
●中には、IT関連などでの無用の長物を、あなたも騙されて買わされるかもしれない製品普及もある。便利だと思い込んでも、のめり込まされ、貴重な時間を浪費させられるケースもある。
●典型的なものは“スマホ”に弄ばれ意思疎通さえ間違わされる事態を経営管理でも招くことだ。★制度に問題ありと称されて、例によって“傾向と対策”で着想されたが故に、さらに非効率を招くことが明白な代物もある。知識偏重のゆえに“野蛮さが増加わった”経営管理を招くに陥ることもある。
~こういったマスコミ受けや世間受けをする話題の、その行き着くところは経済活動の後退でもあり、社会が不自由さの方向へ後戻りすることでもある。
先月も紹介したが、一人当たりのGDPは日本=4万ドル24位で、大阪府より少し小さい世界16位のフィンランドの約5万ドル(2019年IMF)の下である。2019年の幸福度ランクでは、世界156ヵ国中、日本は58位、前年の54位からランク落ちである。このデータ紹介者の分析によれば、日本の“選択の自由度”64位、“社会的寛容さ”92位などが足を引っ張っているとしている。はっきりと日本社会が不自由さに後戻りし野蛮化が進んでいるのだ。欧米に比べればマシとはいうものの、もともとの日本における自由平等に関する社会ランキングはトンデモなく低く、世界の底辺に位置している。社会も経済も哲学も、世界水準にからすれば日本は貧困のだ。
なので自ずと、表現は悪いかもしれないが、
◎豊かで発展の可能性のある仲間やネットワークの、“クラスターCluster創設”が望まれることになるのだ。

人類は文明Civilizationの進展によって自由市場(これが後に資本主義と称される)の社会体制や社会制度を基盤としている。それはスペイン風邪や世界大戦そして、今般の新型コロナ禍を経ても基本的に変わることはない。したがって、アダム・スミスあたりから今日までの250年の経済学とか経営学の発見や成果でもってプロセス的に分析することが、どのような方向に発展するかもシミュレーションが極めて有効かつ役に立つのである。
それはまた、未成熟な社会にあっての偶発的な不都合や事故を、技能に比べてはるかに有効な=学問的技術的効力で、偶発的な不都合や事故を無化しようとする試みである。
更に、ここ100年ほどの経済学や経営学の進展は、成長や豊かさそして発展をシミュレーションする科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)にまで成長している。


§テレワーク・リモートワークは、日本の大手企業を先頭に空回り
テクノロジーというかテクニックや手練手管で、これらをよく考えて実施されているわけではない。
特に有能かつ先進的な経営管理者や商品開発者そして技術開発者は、とうの昔から秘書やスタッフをつけて、テレワーク・リモートワークを行っている。ただし、団塊の世代以前によくあった“専業主婦”を私設秘書や送迎運転手やマッサージ師その他にコキ使った=典型的出世サラリーマンの姿は、経済学的視点からすれば、単に予算をケチられて、家族と共に1.5人~2人分の賃金が給与として支給されただけだから、念のため。
近代自由市場を支えた事業制度は、工場に労働力を集結させ手作業で製品を生産する「工場制手工業(マニュファクチュア)」の過程を経て、→次に工場において機械により製品を生産する「工場制機械工業」へと進んだ。常に大規模効果を追求したからである。そもそも事務とは経営や経理での判断を行う精神労働を指していた言葉だが、紙などの媒体による通信技術に対応して、画一的手続き集中処理といった書類処理等作業をこなしていく概念へと、現在は変化してしまった。これらの人手を要する作業は、今では“科学的管理法(テーラーシステム)”を典型とする、「企画計画担当と作業者を分離」する業務運営が当たり前となってしまった、でなければ、本来的には採算が合わないからだ。はっきり言えば、旧態依然の方法で採算を合わせられないような作業を、IT化したところで、採算の合うわけがない。
その上でのIT機器の導入は、“科学的管理法”に比べてはるかに安価で済ませられる作業に、本来的には限られている、その外は開発目的ならまだしも、趣味や見栄の領域に過ぎない(銀行融資の交渉には、銀行側に余裕のあるところを見せないとカネを貸してくれないからIT機器は必需品だ。が、昔の数百万円クラスの腕時計のように)。

●そう、あなたが気付いた様に、
いわゆる縦社会と称する事業制度では、デジタルでの働き方を徹底しようとすると、組織が矛盾を起こしてしまうのである。ちなみに、日本の医療業界であれば、頭脳明晰な医師をコキ使うからこそ矛盾が表面化していなかったけれども、単純な通りいっぺんの情報化をごり押しすることで、人手不足を招来し、判然としない不採算業種に転落してしまっている、これが現状だ。加えて、福祉や介護の分野にあっては、“科学的管理法(テーラーシステム)”以前の、全く科学的思考の無知な水準であるから、巷の繁華街での“水商売接客業”業務水準だから、福祉や介護の業務内容すらが野蛮化し後退している。だから不採算の山積み事業や職種に至るのである。10月25日夜のNHKスペシャルのコロナ禍での働き方の変化は、その現象を如実に表していた。ジョブ型雇用で人事の相対評価をしている通信会社とか、前近代的な業務管理法の病院が番組に登場していたが、働く人らにストレスが増し加わり業務低下を産み、かつ思考停止となっている事態にまでは切り込めていない。

◎日本では、サイバネティックスCybernetics(ウィナー提唱のアメリカのデジタル通信技術を開拓)の分野の存在は殆ど知られていない。いわゆるサイバネティックスとは、[自律的システム]としての情報処理テクノロジーである。日本の厚労省とか経産省あたりが持ち出す情報処理テクノロジーは、[他律的システム]なものばかりである。
日本の高等教育においては、「何らかの観念に基づく客観的合理的思考パターン(主に英米流)」を持つ人材の大量生産を進めたものだから(それだけ戦前教育は遅れていた)、→「混沌とした状況の底流から客観的合理的理由を見出す思考(仏流と一部アメリカ)」といったカオス理論(2008年立証)や量子力学(2012年立証)にあっては、未だ日本の人たちは聞いたこともなければ、そんな思考が苦手と思い込んでいる人が多い。この総務部メルマガのブログ検索はサイバネティックスになっていた、作成した時点では自覚がなかったけれど。
すなわち、サイバネティックスに情報テクノロジーを展開するから無限の広がりを持つのである。それには知識偏重主義・主知主義を徹底して排除し、現在日本の官僚などが好んでいるところの、偏狭な情報処理テクノロジー概念に陥らないことである。
使用するサイエンスに基づいたテクノロジーでもって知能が左右されるし、ICT産業革命の真髄のポイントはここにあることを予想すらできない日本の現状は否めない。
   【ウィナーの指摘】…邦題は『人間機械論-人間の人間的な利用』より引用
 「機械的知性そのものが人間の脅威になるのではない。 最終的には、
   他者を機械的に制御可能であると人間が考えるほどの脅威は他に存在しない」。

(図表とウィナーの指摘はこの著書p.122から引用)
★要するに結論は
現状で多くのみんなが理解納得するテレワーク・リモートワークを導入すれば、決定的に労働生産性、効率性は低下するということだ。大概の大手企業はもちろん、付加価値の高い高水準生産や高水準サービスを行っている中堅中小企業といえども、同じく低下してしまう。その失敗の道を踏み歩く現象は、“システム導入を無理矢理に強いていること”の様で現れる。
そもそも、そういった付加価値の高い高水準生産や高水準サービスとはいわゆる、「(今のところの概念は)アナログ?」によって、付加価値や利益の源泉が生じていると信じられているとの共通認識だ。デジタルで効率化や能率化は出来ても、新たな価値が生まれるとは誰も思っていない、そう、価値が生まれないの正解だ。
~けれども、前項で述べた、サイバネティックスCybernetics(ウィナー提唱)は、その「現アナログ」の分野に活用されるべき、新たな価値が生まれるデジタルがという意味でもあるのだ。

●そこまでの理解や着想が生まれなければ、
テレワーク・リモートワークとは、リストラの対象者に食い込み囲い込む手段でしかない。テレワーク・リモートワークを勧奨された人物の頭には希望退職が横切ってしまうに至るのだ。
したがって、テレワーク・リモートワークの圧倒的な姿は、“1週間に1日ないしは2日”の出社状態へと流れるのが自然である。
大手企業を筆頭に、会社を休むことは、たとえ有休であっても、“出世に差し障る”といった伝統である。過日、JRの運賃収入傾向が報道されたが、ピーク時に比べ首都圏は5~6割の回復、その他は7割余りの回復となっており、通勤や移動状況はコロナ前に戻りつつあるという、その裏付け証拠の指標が出てきたのだ。
そこへ表向きの理由が並べ建てられる。
ハンコを押しに出社するとか、管理職?は、部下への指示や監督のために出社するとか、旧態に戻ろう・戻ろうとする着想が出されることに至るのだ。まして、昔の大学受験勉強と同様に、今もなお傾向と対策の思考パターンで応えようとするから、互いに感情的になったり野蛮になったりしている。

◎そう考えれば、新型コロナ感染対策にテレワーク・リモートワークは使えない。
 なので、
 ①発症前感染者の早期発見とか、
 ②保育園や小中学校での感染対策、
 ③医学的にも科学的にも有効なフェイスシールド着用が~とか具体的であるのだ。
    (空中に漂うウイルス量では、まず感染しないことは分かっている)
けれども、無知・非科学的な思考の集団には、「役に立たない物ほどよく売れる、(本田宗一郎の)名言」といったことなのである。、それはマスクから始まり、流行の類のIT機器にまで及ぶ。
くれぐれも無駄かつ不毛な投資は、さらに経済の足を引っ張る。
http://soumubu1.blogspot.com/2020/07/20200727-face-shield-16face-shield-face.html


§デジタル社会推進の政策は、老人総理の有名無実?
現在のマスコミ報道や巷の話で言われる、政府が掲げるデジタル社会の中身とはマイナンバーのことである。
今、民間各社が、効率の良い機械化のために、IT機器を導入するなどしてデジタル化が進められようとしている。けれども、投資効率や資金不足そして悪徳IT企業に騙されるなどして、不具合とかトラブル停止の頻発している事態が、現状に過ぎない。そういった社会全般や民間民生のデジタル化の推進には、政府も経産省も関心は薄く、本腰ではない。
もっぱら、政府の関心は、IT販売業者のIT機器の売上向上を促進する程度で、社会に有効なICT知識の提供も無ければ、社会インフラに向けての役割調整の意思も政府には無い。彼らの関心事は、都合のよい情報独占が出来るマイナンバーと、官庁から発注するシステム発注案件と契約だけである。おそらく、デジタル社会まで考えが及ばないのだろう。
先ほどの、テレワーク・リモートワークの解説の中でも述べたように、典型的実態での考えが及ばない彼らの事例を解説すれば、彼らは、「サイバネティックスCyberneticsといった概念を持ち得ない」のである。さきほどの図表でも示したように、そのサイバネティックス:ICTシステムの様式は、彼らの“指示と表象によって予め固定される世界”ではないから。現政府の知識水準では、これが彼らの現状である、「想定できない動作や情報」を扱えない能力のために、過去の様式に固執し留まらざるを得ない事態を脱出できないのである。それは、将来=サイバネティックスの思考からすれば、単なる言い訳に過ぎない。そうやって、彼らは何年も飛躍することが出来ずにいるのだ。せいぜい“傾向と対策”の堂々巡りをくり返し、自ずと思考の野蛮化に向かうだけだ。
これは、未来人から見れば、、科学の発展を押さえつけていた封建的時代の出来事が、“自由そしてそのための平等の拡大”を目的とする社会という制度によって文明Civilizationを進展させてきた現在の社会体制や社会制度の範疇では、何年も先の未来人が感じとる陳腐そのもの、“まさか、なんで、考えられない”といった出来事となる様子と、よく似た出来事になるのである。
まして、マイナンバーしか考えていない政府の経済政策では、この総務部メルマガ9月号で解説した通り⇒【“デジタル社会”とは、金儲けで不用品を売りつけること】の記事に書いた一辺倒な思考パターンなのである。国や地方の行政機関においては、関係者みんなの合意を求める姿勢が必要なのだが、それでは学術や学問の自由を否定しかねない。、そんな行政の担当者に限っては、ただの無知無能だから、“合意を求める姿勢”が保てないと0思考するパターンに過ぎないのである。
http://soumubu1.blogspot.com/2020/09/blog-post.html#221-05

もちろん、補助金だ助成金だと言って、民間企業がウカツに乗せられていては、それでもって経営の足を大きく引っ張られる。ウカツにせよ、一度導入したIT機器システムは、途中で止めるわけにはいかない。これから更に酷くなる経済恐慌の嵐を乗り切るには、企業の主軸や核となる社員の労働意欲が最も大切である。それはアナログと言われようが何と言われようが、決定的に効果的有用であるし、そんな社員が従業員全体をマトメてくれるわけであるから。
経済破綻を迎え、手段を選ぶ余裕もない、“新自由主義”の企業とは、何のかんの言おうが、経済学の父アダム・スミスが「神の見えざる手」と言ったとの嘘(あのトヨタの社長)を言い出すが、結局は世界共通して、“政府公共部門事業を拡充し、その上で片っ端からオトモダチ業者に事業を分配する”ものでしかなかったということだ。加えて、ファシズムの場合は、裏金とか横領といった形で“顔役”への中間マージンの一部が還流するということだ。するとオトモダチ業者は進んで、個々の発注ごとに無理やり独特仕様を持ち込んで契約金額を引き上げマージン増量を行うこと(リベート増額を含む)となり、発注の入札価格自体も跳ね上がるというわけだ。
そのため政府のIT部門分野では、各省庁間でのシステムの汎用性が避けられ、各省庁ごとのデジタルシステムは連携が出来なくなる。そんな厚労省傘下の民間医療産業分野では、医学研究主導が危うくなり、現行進められている医療事業組織維持優先のコロナ対策とか、某S美容外科がコロナ患者収容施設を作ろうとするウワサ情報までが流れるなどの帰結を迎えるわけである。更に輪をかけて、ファシズムは“科学や学術”が嫌いだし、「サイエンスには反対、テクノロジーは使えるかもしれないが(ヒトラー)」と言い切るような集団に成っているのだ。科学が嫌いというのは、ファシズムの彼らには解からないから。すると、彼らの猜疑心が掻き立てられ、科学者学者を敵とみなすに至るという心理だ。テクノロジーは、不思議な技能だとしても目の前で見えるから、ファシズムの彼らは安心できるという訳だ、そんな程度なのだ。

★今どき欧州先進国では、民営化よりも自治体運営の方法で、低コスト高効率を実現しつつある。それは先ほど述べた、情報処理テクノロジー、自律的と他律的な融合を行う、ほんの少しの着想からだろう。本格的に、[自律的システム]と、[他律的システム]を有機的に融合させれば、交通(流通)、水道、電気、ガス、再生エネルギーは、飛躍的に進展する。でも所詮は、[自律的システム 情報処理テクノロジー]を知らなければ、ここでも彼らの知識偏重や主知主義の故に、“野蛮さが増加わった”運営(卑近な事例は:旧厚生省の年金や健保システム)を招来する。
政府が掲げる「地方のデジタル改革」は、どう見ても発想からして[他律的システム]の片肺飛行に陥っている。富士通あたりは「人口増減等の課題解決、都市の魅力等の向上のため、データの利活用を通じて街が抱える複数の課題を分野横断的に解決する「データ利活用型の街づくり」としてのスマートシティへの取り組み」とPRしているが、やはり[自律的システム]の欠落は否めない。
https://www.fujitsu.com/jp/solutions/industry/public-sector/local-government/data-use/smart-city/

他のスーパーシティ構想の取り組みは、旧態依然のIT機器を並べるだけで、不採算、効果薄、短期の抜本的設置し直しといったことなどが歴然と予見できる。旧態依然のIT企業は、何度も仕様をやり直し発注をしてもらえば、永遠の受注が狙えると画策する。それは今の、国のマイナンバーシステムやコロナ10万円給付システムが旧態依然のIT企業と契約され得ている実態からも判断できる。ズルい企業は、「いえいえ、高性能で本格的な、[自律的システム]を発注いただければいいんです」と、実は知っていながら知らんぷり、うそぶいている。もちろん、そんな旧態依然の企業受注は、議員や政治介入付きだ。(新型コロナ対策の10万円給付金でも、幾つもの地方では独自に超安価で優秀なNetシステムを作った)。
全国各地にスーパーシティの計画市町村が候補地として挙がっているが、中身がわからない。その経過は、AI人工知能と同じで、ITシステムの新しい展開商品名として“AI”と言い出したけれど、中身は人工知能とはほど遠かったりと、よって、これからイメージでも作ろうか?という次第のようだ。そういえば、中国の現況を見て、「人間の心身ともの腐敗は、テクノロジーの進歩」と表現した学者がいるそうだ。その一文だけで、筆者には恐ろしいイメージが浮かんでくる。


§少子化対策で労働力を確保? 完ぺき的外れ
老人総理の打ち出した政府の様々な少子化対策具体策は、現実的な労働力確保とは程遠い。
むしろ、一部富裕層とか大手企業のサラリーマン家族に限定しての対策としてしか思えない。
それは、戦前復古の戸主制度を支持者の顔色を伺うに固執するからである。ついでに、予算は少なくて済むものばかりだ。
今一番に焦点を当てなければならないのは、
シングルマザーの母子家庭への対策である。だらだらと一般的に予算をつぎこんでも効果は無い。恐慌や経済危機を迎えて、希望はあっても子供を設けて育てる自信がないのである。要するに、そういったことへの対策の起爆の引き金は、例えば次のとおりである。
【考え方の例示】
多くのシングルマザーは、DV男やマザコン男の被害者であって、通常の生活や苦労が辛抱できなかった女性ではない。むしろ希望を持って出産し子育てに飛び込むためにシングルマザーになっている。こういった現状はいくら調査をしても統計資料に現れる訳もなく、けれどその道の専門家やシングルマザーにインタビューすれば直ちに分かることである。政策や政権が保守本流であれば、たとえ批判にさらされたとしても冷静に対策を打つことができる。具体策とは
①シングルマザーと子供の保護施設のあることを周知する。
②シングルマザー保育児の保育所の入所要件緩和と、収入などの各種証明書省略。
③地方自治体の養育費代理請求制度を充実し、当事者個人に任せない。
~こういったことを、厚労省は促進すればよい。予算はかからない。
☆…職業能力とか創造性思考の育成は別建てで考えればよい。
それまでは経験のある高齢者に(年金財源不足で働かせるのではなく)活躍してもらうしかなく。
それも、縦型ではなく横型の組織でもって、新成長産業への“アナログ?などで的労働能力投入”を計画すればよい。先行投資型縦型組織は将来の採算が取れない。なので、アナログと言っても自律的情報テクノロジーでならばICT機械化が進む。

☆…国や自治体の政策は、民間やNPO団体を支援するための研究や情報提供を進めるだけでよい。分隔たりなく専門家や研究者そして経営者の育成の場を国や国の機関が提供すればよいだけである。そういった能力を官僚や公務員には期待することはできないから、公務員には事務補助さえしてもらえれば職員配属は正規職員や非正規職員ともに不要である。

★仮に、少子化対策として若年人口は増加したとしても、それは、それだけで日本の経済発展や豊かさにつながるものではない。画一的な生産を大量に行うとしても、それらは日本から近い所では東南アジア、遠い所ではアフリカ諸国に、その程度の生産技術や生産価格その他コストを比較してみても、日本は負けてしまうのである。若年人口は増加と合わせて子供たちを育成する肝は、創造的に思考する教育を進め、記憶力に頼らずカバーが出来る若年人口を一気に増加させることが重要となるのだ。
人間はだれでも、使う道具と用い方によって知能を向上できるとされている。加えて、対話(話をし合う人間の考えている事の差異)によるコミュニケーションに留まらず、日本語に特有な“共話という形式”を用いることで、共感(共感精度と共感作用)を質量ともに増やし、いわゆるクリエイティブ作業やコミュニケーションを充実させる必要があるのだ。
◎共話とは,「ひとつの発話を必ずしもひとりの話し手が完結させるのでなく,話し手と聞き手の二人で作っていくという考え方にもとづいた」(水谷,1993:6)話し方という説が有力だ。
https://www.10plus1.jp/monthly/2018/01/issue-03.php


§印鑑の廃止論議は、一体何を話しているんだろう?
老人総理大臣の言う印鑑廃止政策は、深いところをほとんど考えずに、テレワーク推進に関係して、「印鑑を押すためだけに出社する」といった、事実関係や理由もよく分からない発言に対して、単純に“傾向と対策”の思考パターンで言い出したと考えざるを得ない。
当の政策担当者の中からは、「押印廃止は、関係当事者間で決めるのが基本だ」との、そっけない話も流れている。すなわち、政府省庁においては、押印を定めている法令の有無とか、その必要性を現在確認している過ぎないのである。
実際、政府や自治体において、証明書その他は押印省略とか電子署名に切り替えているところも多く、税務申告とか婚姻離婚届とか不動産登記といった数少ない種類である。裁判所に提出する書面でも、昔のように数多く押印する必要はなくなった。むしろ昔は、様々な国家資格者が、依頼者の無知を逆手に営業活動をする役に立つよう、印鑑の押印の仕方を指南していたケースも非常に多かった。

■日本における契約行為は、「一方の申し込みの意思と、相手方の承諾の意思の、合致でもって成立する」わけである。なので一部の外国の様に書面が必要ではなく、口頭契約も有効なのである。そこで、“契約の証をするため”契約書面が作成されるだけなのだ。あくまでも、“証”であるから、契約書面という物は、契約の存在と内容とを裏付ける証拠物に過ぎない。細かくシビアに言えば、契約が存在したとの主張がなされたとして、その裏付けを証拠をもってしてのみ有効なのである。契約書面が掲示されても、関係者のいずれかが契約の存在を主張しなければ何の意味もない。

■ところが、実印が押されている場合は、訴訟その他に持ち込まれたとすれば、その実印が全くの無関係者が押印していたとしても、何らかの錯誤によって起こされたとしても、その契約書面内容は有効と裁判をその他は認めることが現状となっている。
そこで、詐欺や詐欺的商法あるいは法外価格で契約成立を目指そうとする者が、この実印を悪用するのである。実に、こういった企業や勢力の利権温床として、そういった違法や脱法契約の手段として実印が使われるのである。したがって、陰で印鑑廃止論者につきまとっている企業や勢力の存在もうかがい知ることができる。あわや数十億円を取られるとか、数十億円の借金をかぶせられる寸前というのは、筆者の経験では何度でもあることだ。

◎いま述べた実印の弊害をなくすには、アメリカの多くの州その他で用いられている司法判断を日本も導入すれば一挙に、そういった企業や勢力の利権温床を消し去ることができる。それは「世間相場の2倍を超える金額の契約行為は、本来的には違法となり無効とするといった考え方だ。
そうすれば、契約に関する十分な説明行為には実行されるし、裁判所に訴えれば契約無効となり返還の強制執行も容易になるというものである。また、アメリカの金融商品取引契約においては、書面で以って詐欺行為でないことを証明しなければ、契約無効とされる法律も存在している。
とにかく、印鑑押印廃止の議論に、実印の犯罪的利用が出されることは無いけれど、詐欺的野蛮的な契約行為を根絶するには、極めて有効な手段なのである。