2021/12/07

第236号:負け組集団:日本の姿

<コンテンツ>
新型コロナウイルスへの視点
やはり、病気と貧乏は一緒にやってきた
何事も、科学的視点がなければ~
科学的視点、その有無をチェックするには~
大転換にあたって、現代常識に至る歴史を振り返る
 ■産業革命前、人は夜二度寝をしていた
 ■文化の大量生産は鉄道が産んだ
 ■スマホ等流れる色や音には偏向bias
  【コラム 時間について、リズムについて】
 ■Art域・芸術とは何か、その中身
  【コラム ICT機器を用いた作業は、新思考は】
 ■私self とは、知の主体の場
  【コラム 山本五十六の名言、「やってみせ…」の全文】
 ■コミュニケーションとは何か
  【コラム 先ずは意味を他人に与える】
地域のエネルギー基盤 バイオマス暖房の事業を考察
  【コラム 彦根で準備の進む“木質ストーブの事例”】
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20211207】
   (今月の、お勧めはありません)。

新型コロナウイルスへの視点

科学とは、「いつでも、どこでも、だれでも、その法則が当てはまる」というものだ。医者と科学者はイコールではない。このワクチン自体が非科学的だとし毒性があるとの実証研究も国際論文に発表された。
そもそも、ワクチンメーカーは当初から、有効期間は3ヵ月としており、今もその期間に変更はない。
コロナ発症で風邪薬を飲むと重症化して危険だが、それは前号メルマガで書いた通りだ。風邪薬がウイルスには効かないこと自体も、元から当たり前の話だ。
総務部メルマガ:第235号:頼らない。地域・企業経済を立て直す
PCR検査を徹底停止している今、感染者?の数字は上がらない。科学的視点からすると、この第6波で死者が少なくなれば、コロナ禍の“明け”が早いとのことだ。
だが、権力延命や確保にコロナ禍を利用したい輩もいる。新コロナ蔓延を願い、インフレや食糧危機とか秩序崩壊で有権者が様々な貧困になれば、ファシズムや戦争に有利と好機を狙う、そんな輩も存在している。
明日は、経済統制→食糧危機、その上に太平洋戦争へと持ち込んだ、日米開戦の★12月8日だ。
自然抗体を獲得している人は相当数が存在すると思われる。その人たちは、抗体の定義通り、「発症しないか、しても極めて軽症」の通り、自覚は無くデルタ株とかに感染していた人は少なくないとのことだ。
何故、重症化回避に風邪薬厳禁などかの科学的裏付けのある話を広めないのか。


§やはり、病気と貧乏は一緒にやってきた
新型コロナ禍で、グローバル経済で以って回してきた世界経済は、サプライチェーンが分断されて崩壊状態だ。経済学とはほとんど関係のない“新自由主義”(学術名称のパクリ)なるものも、一気に吹っ飛んでしまった。

グローバルでしか回さざるを得なかった金融資本投資戦略も、投資先がなくなり、資金の行き先は株や投機へと流れた。加えてコロナ禍対策で湯水のごとく使われる国の借金膨張で、ますます経済危機となり、その崩壊に至った場合の桁違いの被害が迫っている。

日本は、大国には相手にされず見捨てられている。渦巻きに飲み込まれた如く、何もかもが転落している。日本の経済的独立や安全を放棄した“金権政治”の末路だ。そして、先を読むことに目ざとい“勝ち組”の人たちは、すでにほとんどが有能であればこそ海外に移住してしまった。

日本には“勝ち組”はもういない。勝ち組になりたくても成れない~成れないから~成れない恐怖に怯えて“自らの心身にも言い聞かせ”、家族&父母が総動員で日夜地獄を走り回るしかないのだ。賢者に言わせれば、「格差はなくなった」というわけだ。~要するに、日本は“負け組”ばかりの坩堝(ルツボ)になってしまったわけだ。明らかに社会といった“自由平等のための制度”は崩壊しつつある。日本の大手企業も、腐敗して日本経済の足を引っ張る輩の巣窟だ。

自らは勝ち組になれると錯覚して、“負け組”に実態転落したエリートを自認する人たちは、近視眼的になり、焦りも隠せずポピュリズムに走ると社会科学者は説明する。日本の新自由主義者の本音は、単なる裏の利権アサリで、「Woo~ウゥ~餌をくれ」と、たむろする野犬集団であることが解った、にもかかわらずだ。

世間の陰謀論者は、今も残る貴族階級をターゲットに攻撃をしているが、実は欧米を始め、「貴族の子供はせいぜい高卒」といった学歴の実態すらも知らない。金でもって、都合の良いエリートに何彼と企画実行させているだけだ。もとより、貴族からすれば“受験勉強をしての大卒等”とは、“負け組”なのである。歴史的には、フランス市民革命で以って人類は、貴族を政治から叩き出し、自由平等のための社会を形成し、そのための手段として民主主義を用い、自由市場経済(別名:資本主義)を形作った。自然・精神(人文)・社会の分野にわたり科学が発達し、更なる経済発展をもたらしたわけである。
「新しい資本主義」といっても、亜流の社会主義とは如何に違うのか意味不明である。持ち出すのであれば、自由・平等、基本的人権(世界で最初に憲法化された)と、“とにかく生きる制度”(欧米には類を見ない憲法25条による社会保障体制)なのではないのか。またもや始まった「国家官僚主導の社会主義計画」かと思いきや、「新しい資本主義」の話は消えてしまった。


§何事も、科学的視点がなければ~
渦巻きに飲み込まれ、騙されていては、転落沈没からは這い上がれない。
科学とは、「いつでも、どこでも、だれでも、その法則が当てはまる」という仕組みだ。
これがなければ、物事の見極めがつかない。物事の見極めがつかなければ、周囲から自分自身は潰されてしまう。

何事も事業化をしようと思えば、“いまどき流行のエビデンス?”ではなくて、科学的裏付けが必要なのだ。自然・精神(人文)・社会の分野をまたがる(Transformational)科学的裏付けがあれば、失敗の確率は極めて低い。人間は3人以上(夫婦と赤ちゃん)が寄れば、学問で言う哲学が必要となり、普段に行っている。物事の事業化には科学が必要となり、労働基準法で言う10人以上が寄る事業所の就業規則作成義務も、それは、“科学的組織的”な政策戦略なのだ。

このメルマガは、科学的視点を徹底して尽くし作成している。判らない事は、分からないと書くか、ないしは何も記載しない。イデオロギーは他人のものを紹介することはあっても、良心に基づいてイデオロギーの自由が保障されるとはいうものの、科学的根拠がないから取り上げ記すことは無い。物理学者のニュートンは、「神の被造物の法則性を明らかにする」ことを科学と定義し、「神と科学のどちらを優先するのか?」といったカトリックの愚問を封じ込めた。

先月のメルマガ235号に掲載した“地域の身近な経営経済策”に対して、この秋の衆議院選挙が終わるやいなや、何人もの経済学者からYouTubeで以って、次々と理論的裏付け証拠の提示をいただいた。そのいずれもが実態から拾いあげた現象である。ICT産業革命とは便利なもので、いちいち学術会議や研究会を開かなくて済むからだ。進化しつつある経営経済手法は、科学的視点なくしてありえなくなった。この経済経営とかの分野でも、「進化は善とみなされ、退化は悪となる」のだ。
http://soumubu1.blogspot.com/2021/11/blog-post.html#235-05


§科学的視点、その有無をチェックするには~
先ずとりあえずは“合理一貫性”が貫かれているかどうか、
そして“事実一致性”が用意されているか否かである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」と呟いたとされるが、呟いた証拠があるわけではない。カトリック教会は天動説を主張したとされ合理性に満ちていた。そして、ガリレオは地動説を唱えたわけではなく、事実とは異なることを示しただけだ。科学と宗教の対立という構図は、19世紀に作り上げられた物語とのことだ。だとしても、事実と一致するかどうかは決定的なポイントなのだ。

例えば、官民を問わず官僚主義者が観念で以って政策をごり押し、事実との不一致を、「現場の部下の運用能力の無さだ」として、具体的手立てを示せない官僚の無能さを表す姿も、そもそもが“事実一致性”の欠落している表れなのである。

具体的有効手立てを示すことができなければ、BIG-dataも、AI人工知能も、デジタル統計化も、何ら一切が科学的視点とは言えない代物なのである。彼ら官僚主義者は、目的通りの統計や数値データを作ることは得意だし、統計の数値を小数点以下のパーセンテージ(例=0.00%)まで示し、一般人に正確さの錯覚を与える術策もよく使う。あえてミスプリントのような誤字脱字を文章に忍ばせて、近視眼的なエリート自認者に指摘をさせる。大局的間違いを指摘されようとしても、「はい、時間きました」ってことで、会議終了をさせてしまう手法も、能力のうちと豪語する。こんな手法はすべて、江戸時代の封建官僚が創作したものだ、世界中共通して。

呆れる事は、科学的視点は無視され、政府のデジタル庁やデジタル化自体が、“マイナンバー”のみを目的としているのだ。これでは、将来に資する何の政策なのか整合していない。あげく、今や“ITゼネコン”投資での仕事の取り合いと利権配分がニュースにもなり表面化しているのだ。フェイク(偽物)とかアンフェアーやUnfair(不公平)には刑事犯罪が付きまとう。


§大転換にあたって、現代常識に至る歴史を振り返る
それらは、その常識ですら、その成り立ってきたプロセスを知らなければ応用できない。受験勉強ばかりで、遊ぶとかその他“体験学習”の素養が無ければ、“本当の意味での業績”を上げることはできない。

営利・非営利を問わず、ICT産業革命の中では、“本当の意味での業績”が特化されることとなる。“本当の意味での業績”、これは上司に上手く褒められ脅かされ、こき使われている実態とは違う。

“体験学習”の素養が無いとなると、その君は秘かにでも、小学校3年程度の児童教育からやり直せば何とかなる。思考パターンから組み立て直し、自ら訓練し直せばよいのだ。

総務部メルマガ:第230号:“ガセネタ”に乗らず、深く考える正攻法のヒント

産業革命前、人は夜二度寝をしていた
産業革命が定着する前の人間は、誰もが昼寝をした。夜は10時前には寝るとしても、深夜3時頃1時間ぐらい起きて、また寝るという二度寝をしていた。ナポレオン、エジソン、アインシュタイン、チャーチルと、一日に何度も昼寝をしていた。その都度に頭の整理ができてアイディアが出るというわけだ。これは神経科学の分野では解明されている。
「一晩7時間は寝ましょう」とか、「昼寝は、ほんの短時間で」といった話は、産業革命以後の“昼間労働時間一本勝負”を前提にした話だった。「労働者はコーヒーなどで頭をすっきりさせて」といった話になると、この手の話自体がICT産業革命時代ともなれば、お門違いなのだ。

昔は、深夜起きても“ブルーライト”といったメラトニンを抑制する光線は無かったから、昼夜逆転とか体内時計は狂わなかった。スマホ、PC、蛍光灯、LEDなどから発せられるブルーライトは、「昼間は起きろ」といった効果をもたらす、それが、心臓疾患や精神疾患や癌その他に悪影響があることが分かった。筆者の体験でも、白黒テレビとカラーテレビの違いだけでも、つけっぱなしで寝てしまった時の体調異変を覚えた。もちろん夜昼の逆転は思考能力の過労や“うつ症状”の発生に強い影響がある。

文化の大量生産は鉄道が産んだ
文化の大量生産は、世界中どの国でも、鉄道や交通(流通)運搬機関が充実することで生まれてきた。
古くはクリスマスプレゼントの文化だ。鉄道で物資が運搬される前は、アメリカでも“お正月”がクリスマスよりも重視されていたとのことだ。
日本のバレンタインデーのチョコレート文化もしかり。ただし、日本で初めて飴が製造されたとされる3月14日前後のホワイトデーの文化は未だに不発だ。

観光産業も世界中ほぼ同じ要件要素だ。主に鉄道、そこへ+バス路線など。鉄道路線の景勝地などが絵図とかテキストで紹介された。そもそも旅というのは商人とかエリート等に限られていた。旅人から訪問寄留がされる集落にとっては、貴重な情報源であり重要な交易のきっかけだったのである。浄土真宗の蓮如上人は布教と併せ非嫡出の子孫を残したエリートなのだ。
そこに大量交通機関ができることにより、ホテルや観光宿が立地されることで一気に観光客が増えた。世界中が同じ業態で、日本初の観光ツアー善光寺参りも然りだ。観光客は観光案内をキッカケに様々な事を調べ、→絵図とかテキストで紹介された場所に行き、→何かを記念(写真とかお土産)にして、→郷里に戻れば近所や職場で報告会を行う。これが、観光産業における世界的パターンの文化見聞なのである。
Intelligenceが高くなれば、観光地の人々の生活や社会意識が、観光のターゲットになる。フィンランドなどは裕福な観光客層を狙って、住民の社会意識に至るまでの文化をアピールして、高い利益率を保っている。
★文化的後進が激しければ低俗化方向へと進む→売春とか爆買となり、極めて低利益率のインバウンドと化している、日本なども。

スマホ等流れる色や音には偏向bias
スマホやパソコンで流される配色や音色は、必ず偏向biasが掛けられている。
カラーフィルムは標準の白人女性肌色(シャーリー:カード)を基準としたことで、感光フィルムの薬品配合比率よって、~地中海の人は緑、~中南米の人は赤、~アジア系の人は黄色、~黒人は黒といった肌の色が強調されざるを得なかった。音楽録音は、戦前など昔のレコードが、高い歌声や金管楽器の周波数しか録音できず、録音時間も限られ(近年のCDとかも)ていたといった技術的制約ではない。

デジタル画像の色とか構図はなんとでも変えることができる。だから警察機関の鑑識で使われるカメラは今でもフィルムだ。スマホは殊にブルーライトで目覚めるように組まれ、様々な偏向biasが掛けられている。音楽配信はリズムパターンを何通りかの調査をしてアプリが作られる。一説には、スマホにのめり込むようにリズムを偏向biasがされているという。(この時間とリズムについては後ほど詳しく解説する)。
さらに、今どきの技術にもかかわらずスマホでは低音部分が再生されないケースが多く、低音の音階が分からない人が存在する。
これらは技術の未熟品ではあっても、人類の進化に資することは間違いないが、欲望に基づく事業のために偏向biasが掛けられた品物かどうか、気を付けなければならない。
昔の人は、「欲とは実害の出る木」と例えた。それはシリコンバレーの著名な経営者が、自分の子供にはスマホとかを扱わせないことにも表れている。
http://soumubu1.blogspot.com/2019/08/blog-post.html#208-09


時間について、リズムについて

ニュートンらは絶対学派だ。当時編み出された機械的科学に頼った。

アインシュタインは相対的学派、今で言う自然・精神・社会の3分野を始めとしたあらゆる角度の科学から考察した。

クラシック音楽とか機械時計は、絶対学派で理解しようとし、かつ無理にでも考えついた基準に収め込もうとする。せいぜい“1/f:複雑系”を用いたとしても、やはり収め込もうとする。

これはリズムの関わる全ての人間行動にも当てはまる。戦後の松下電産であっても、ベルトコンベヤー流れ作業を円滑に進めるためにはと、「ソーラン節」の歌を憶えさせ踊りまで憶えさせた。=それは、当時の政府=人事院の公務員管理にまでにまで伝播した。

今でいうオールドジャズから始まる1920年からの動きは、
アインシュタインの相対性理論(1905年)とか、時間は伸び縮みする発見(1913年)といった、時間についての相対学派の提唱に影響を受け、伸び縮みするなどのリズムが世界で広く受け入れられるようになった。それは、文化や目新しさによる好き嫌いだと錯覚されがちだが、近年の神経科学の研究で、それは人間の持つ「脳内時計リズム」に合致することが判明した。そして、脳内時計は外部音楽の都合で伸び縮みすることも解かっている。
https://youtu.be/CWzrABouyeE

芸術全般に言えることだが、
①在るべきところが無いか不完全、②先に解説を聞いておくと疑似体験、③人の顔や表情に敏感、④細かい空白とか焦点をぼかす、これらは脳への刺激となり“脳が喜ぶ=時間が伸びる”こと(経験則)となる。これらは芸術やArt域作品には存在しても、耽美主義=審美主義の作品(⇒右の掲載絵は耽美の一例)にはない。その訳は、陶酔に(耽)ふける脳の幻惑しかもたらさないからである。もちろん、芸術に付きものの、内心が解き放たれたり希望が湧くことはない。

ちなみに、外部音楽の意図的都合は、歴史での大惨事を引き起こした。
戦前ドイツのアドルフ・ヒトラーは、
この「脳内時計リズム」の合致&スゥイングを「退廃だ!」と決め付け、その退廃展示場?を設け、暴行殺人で芸術全般を弾圧した。全体主義と戦意向上の曲、その演奏方式しか認めず、今の音楽演奏分野の一つとなっている“大音響設備でのPAシステム”も民族:優勢浄化を目的に創りあげた。ナチスの思想支配の道具に使える、「脳内時計リズム」を悪用した演奏法をも開発したのだ。
他方、アメリカのジョン・フィリップ・スーザは、ニュートンと同様に正確さを重んじ、単なる軍楽隊の行進曲や「古代からの鉦・太鼓」を、19世紀のバンド音楽の発展に貢献した。
https://youtu.be/mKqfMhzXOHA

Art域・芸術とは何か、その中身
映像・音楽・詩その他を用いて、“受け取る側に希望を抱かせる表現効果”である。その原理は記号認識とか言語処理ではなく、共感Empathy(共感作用&共感精度)が重要な媒体となる。感情移入とは異なるものだ。

それは、同じ素材を使っていたとしても、何らかの刺激による陶酔に(耽)ふける脳の幻惑しかもたらさない耽美主義=審美主義の作品とは全く異なる。単に機械的な物質的な把握をする程度では、共感Empathy(共感作用&共感精度)が未成熟であったりして、Art域・芸術と、耽美主義=審美主義との違いがわからない。
社会や経済制度の全体主義者は、支配権力者にとってコントロールできないものだから、Art域・芸術の多くを“退廃文化”だと決めつけて弾圧してきた。その歴史には、いわゆる退廃的な状態から“生まれ出た希望の表現”というだけのことであって、中身は退廃ではなく、“希望と共に進歩し進化する幸福作用”といった退廃克服の精神作用とも言えるのだ。

科学の発展とともにArt域・芸術は更に解明され、その解明された法則性は活用されて、
“いつでも・なんでも・誰でもが、共感Empathyとともに、Art域・芸術するように進歩する”
ことで幸福になる道を開くことになると予見される。

Art域・芸術では、古典的な物理学、相対的な物理学、量子力学その他が、無自覚のうちに活用されるといった「変な家元に縛られる芸能活動域」とは異なる。
無自覚の内であっても、現在進みつつある科学的解明によって、法則性は活用されて更なる進歩を迎える。それは、共感Empathy(共感作用&共感精度)に基づくわけだから,、狭い意味でのArt域・芸術の範囲を超えて、社会のあり方、事業経営、商業活動、職場での仕事、家庭内の作業にまで広がる。
アルゴリズムAlgorithmといったロボットの世界=「『計算可能』なことを計算する、形式的な(formalな)手続きのこと、あるいはそれを形式的に表現したもの(Wikipediaから引用)」とは全く異なる次元のものである。
ICT産業革命は、アルゴリズムAlgorithmといったロボットの世界の作業は、AI人工知能とか機械に任せて、
ありとあらゆる媒体を視野に入れ、
ありとあらゆる物事について、
“受け取る側に希望を抱かせる表現効果”を司る人類進歩を招来するわけだ。


ICT機器を用いた作業は、新思考は

旧来のような直線的思考ではこなせないようだ。
「『計算可能』なことを計算するアルゴリズムAlgorithm
とは異なる。インターネットひとつとってみても、
情報が早く・大量に・採取できることから、
①webはバラバラの実を寄せ集め
  ②媒体に、
   文章、画像、映像、音、音声・詩が現れ
    ③これを脳内での消化を要するわけであるから
     ~実際に効率よく進めるためには、
      自ら独自の「脳内時計リズム」
      が不可欠と考えられるのだ。
       (少なくとも筆者は、
        ICT機器を扱う作業ではそうしている)
      ④様々な通信とか連絡その他の情報器機は、
       人類の脳の情報収集や思考の回路を改造してきた。
          狼煙、手旗信号、ラッパ、電信電話、そしてwebに至るまでが
      ~それら手段は、人類の進化に資すれば“善”、退化となれば悪とされる。

私selfとは、知の主体の場
さて、私Selfとか、自律Autonomyは、ICT産業革命で、どう発展進化するか?
先月紹介した書籍、『発明は改造する、人類を。』で、
著者のアイニッサ・ラミレズは、イーグルマン(神経科学者)に取材している。
その中で、イーグルマンはインタビューに答えて
 ①ネットで時間を無駄にしやすい
  ②大量の情報で、脳の中は溢れかえる
   ③気が散りやすくなる、over working memory だ。
    ④ 類:昔ながらの狩猟採取での情報処理パターンとの整合性が取りにくい
     ⑤working memory とは作業記憶だ。さてその脳内保持には限界がある。
      (例)メモ、付箋、カレンダー記入、掲示板記入等の人目瞬時の工夫に因る。
         脳の“数秒の短期メモリ”と“数年の長期メモリ”
         をつなぎ合わせる作業記憶working memory。
      ⑥脳内保持限界の対処法として、memory を応用力にレベルUpすればいい。
       ⑦⇒「保持にまつわる物事のプロセス」も併せ記憶、それが応用力形成する。

この応用力形成が、世にいう
「体得」、「体験学習」だ。
日本の受験勉強では阻害されている。それは、科学的な根拠をもたない昔ながらの職人教育でもない。
 ☆こういった一連の記憶memoryが、
  その要件要素となって、
 「私self」という“知の主体である場”
     に蓄積できる。


 ~「私self」であったり、自律Autonomyが、形成できるか否かのポイントだ。

総務部メルマガ:イデオロギーの検索結果

山本五十六の名言、「やってみせ…」の全文

ハーバード大学で彼は、これを学んだ。1913年からアメリカで実証され定着された“体験教育”の全容を、当時の海軍に導入した。そのことで大型艦船の配備・運行もできた。同じく当時に導入したのは、国鉄の鷹取工場くらいだ。
一気にこれが広まるのは、戦後GHQが、日本での調達物資の歩留まり向上のために、日本の取引企業に伝授したことから始まる。
文部科学省が、1980年代から始めた教育方針にアメリカの“体験教育”が導入された。が、細かなノウハウとか教員の未熟さ、そして、「ゆとり教育」といった教育方針とは程遠い呼称で呼ばれてしまった。
経済界や保守派でも有識者多数が賛成したにもかかわらず文科省方針は崩壊した。(崩壊原因は諸説あるが、未だ研究は進んでいない)。だが、世界先端の職業教育の実績へと引き継がれ、DX=Digital Transformation(デジタルトランスフォーメーション)にまでつながっている。

コミュニケーションとは何か
近年、様々な研究が進められている。そこで筆者は、次のような最先端研究が、現代社会や経済には最も適しているのではないかと。よってここに紹介する。それは自らの立場を守ろうとする、保身の評論家や学者そして似非ジャーナリストの、誤魔化しのための言葉ではない。

①電子メールその他により、言語は今や、陶器のような形に作られた。
 テキスト:メッセージ(意図を内包した記号や記号の群れ)の会話で、気持ちは省かれる。

②戦後、日本の新聞や放送は、アメリカナイズされ、とても情報の形は便利になった。
 ~新聞の記事の書き方も変わった。
  ・短い文章を使う、最初のほうの段落は短く、生き生きした言葉、
  ・肯定文で書き否定文では書かない、といったものだ。
  ・これら教育訓練の有無は別として、これが自ずと定着化している。
  ・そうでない文章は、ことに説明をするにあたっては、煩わしいとして読まれない。

③煩わしい文章と受け止められる文章を書いた人たちは、
  そのほとんどが、テキスト:メッセージに走り、言語が陶器の形で用いられる。
  そうでない人は会話に専念するか、コミュニケーション自体を避けるようになる。

④コミュニケーションで、最も重要な事は
  「先ずは意味を他人に与える」&「何かの手がかりを受け取る」
  とされる。だから、テキスト:メッセージを繰り返しては意味がない。
 ~実際に面談し、様々な表情や臭いをも読み取り、共感した会話が不可欠だと。
 ところで、
 話とは意思表示をすることで、言語を並べるのではない。
 同義語が飛び交って、“意思表示や意味”が与えられる。
 もっぱら言語を使いながら意味を他人に伝えるけれど、
 伝えるには……
 「様々に、立体的に、時系列的に、手がかり気付きと結合(5次元)して行う。」

 「そんな言い方をしてない」とか「言った言わない」との言い争いは、
 “意思表示や意味”が何なのかを問い直せば解決する。
 この同義語の概念が無知な20~30代の人も教員も多い。
 スマホや電子メール等でのテキスト:メッセージ訓練の弊害だ。

⑤前項①~④といった整わない作業は“モールス信号”のデジタル版に過ぎないという。
 ロボットの開発には、莫大な予算と時間がかかる。
 それに比べ、人間の有機ロボットへの改造は極めて安上がりだ。
 (例示)中華人民:有機ロボット集団国家
      洗脳という恐怖心(失職とか感染)をあおられる中での訓練は極めて速い。

⑥スマホやPCそして蛍光灯などから発するブルーライトは、メラトニンを抑制。
 「昼間の光だ→昼間だから目を覚ませ」との作用を起こすと立証された。
 だとすると、好く動くといっても、有機ロボットは“無能×短命”、やはりコスト高だ。
 まして、うつ病×長時間労働=自殺に至らなくとも労災の、薄利ブラック企業だ。


「先ずは意味を他人に与える」
&「何かの手がかりを受け取る」
「様々に、立体的に、時系列的に、手がかり気付きと結合(5次元)して行う。」


§地域のエネルギー基盤 バイオマス暖房の事業を考察
地域の暖房エネルギーでは、ガスや石油は、補助エネルギーとすればよい。
原油その他化石燃料は、国際的な覇権争いの材料にされている。
新型コロナウイルスの感染で、グローバル経済の根幹をなしたサプライチェーンその他は、根本的に崩壊、なんらかに組み替えられることとなる。もちろんその過程には、無理を重ねて延命した金融資本投資とか社会構造に関わる“金銭的累積赤字”とか“負の社会構造&産みだした人類の退歩&退化といった負担が重くのしかかる事は否めない。

それは、バイオマスとその関連によって、大国の覇権に翻弄されないエネルギー確保の道の開始である。少なからずの技術は、既に北欧諸国やドイツなどで確立している。
それを日本国内各地の気候や文化に、詳細に適合させるノウハウで、更なる省エネを実現させるわけだ。
話題のコンパクトシティ構想だと多額の金銭投資を要し、またもや金融投資の失敗を生む。とにかく反省することが嫌いな日本だから。

人類の進化の歴史とか経済経営の学問的科学的教訓でもって照合して見ているわけだ。決してそれは、今の経済体制に悪乗りし暗躍するための理屈ではない。“いわゆる合理一貫性&事実一貫性”に貫かれたものである。
観念的な話であったり、経済史を覆す作り話であったり、権力維持のためには全体主義や計画経済を持ち込むのでは、決してない。ICT産業革命と言っても、決して「中華人民:有機ロボット集団国」を理想とするものでもない。

早い話が、今も全国各地に散在する“城下町など”といったものは、当時のコンパクトシティである。これを、ICT産業革命の波に乗せた“科学技術&ノウハウ蓄積”でもって最先端市街地に改善すれば良いだけのことである。周辺住宅地や近郊農林水産地域を結合させればよい。城下町は江戸時代のコンパクトシティ、だから基盤がしっかりしていることから現在の最新技術を導入すれば、結構役に立つ。「実害の出る木は育っていない」のコトワザを思い出す。

原発をはじめ大規模エネルギー製造(エネルギー転換)では、コストがかかりすぎる。電力問題で見れば、そもそも「電気とはエネルギー伝導手段」であるにもかかわらず、送電の電線その他によって、およそ製造した電気の半分のエネルギーが送電途中に失われているとのことだ。数十年前から伝導率の良い厳選素材とか、光線で送電するとか言われているものの、未だに口先ばかりで実験段階にも入っていない。

蒸気機関でもって、“水蒸気でタービンを回す”といった原理は、とにかく長い期間使われている。1776年にジェームズ・ワットが、1712年から英国バーミンガムの近くの炭鉱などで使われていた「ニューコメン蒸気機関」を、コンパクトに改良して、物の牽引機関(鉄道機関車、馬車→蒸気車)とか、工場の動力源(伝導は伝導ベルト)、水蒸気暖房や加工といったものを開発したのである。
“水蒸気でタービンを回す”といった発明自体は、西暦10年頃~70年頃にエジプトで発明されたとされている。ワットが蒸気機関を発明したとするのは間違いだ。とにかく、ジェームズ・ワットは、コンパクトにすることによって、一気に産業革命を促進したのだ。
原発も、原子力潜水艦がうごめいていることからすれば、都市部に設置すれば理想なのだが、そんな技術は未だ発表されたこともない。人の命や人生の犠牲の上に成り立つ原発。もちろん膨大資金と無理を貫くためのリベートの合算した金食い虫だ。くどいようだが送電途中でエネルギーの半分は消滅している

これからの10数年は、金銭に換算できないモノ(非課税)が重要だ。
国家財政の累積赤字とか借金が膨らめば、財産税・新円切替え・デフレ政策は当然だ。
総務部メルマガ:財産税の検索結果
現金とか資産をため込んでいれば、国家に狙われるのは当たり前。
それにもまして、愚かな若者達は、今どきNISA(ニーサ)とか非課税優遇制とか国債とか、バブル時代に多くのOLが騙された金融営業マンと同じ口調で、投資とやらに乗せられている。日本は戦争中でも、隣り組の会合に出席させられ、その“席には割り当てられた国債(終戦で価格ほぼゼロ)の申し込み”が置いてあり、同調圧力で買わされた。

その基軸産業となるのは、まず、エネルギーに関わるありとあらゆる“種のもの”
①金銭投資をすれば、技術を地域市場が未成熟だから累積赤字を生む。
②物価高騰の折、防寒・省エネ・熱排気・自然空調に徹する仕事。
③古民家は暖かいが“すきま風”加え“アルミサッシ”が大量に熱を外へ放射。
 最新の遮熱シートや塗料は日進月歩、電磁波を防ぐ古民家は蘇る。
④その地域の“風の流れ”に沿って窓や縁側(えんがわ)を移動改修する。
 道や階にこだわらず自然空調。日当たり良い縁側は健康増進だ。
⑤木質燃料は、日本には無尽蔵にある。腐るほどではなく=現に腐っている。
   多くの杉スギや檜ヒノキは、木造建築の躯体材料には使えない。
   そんな植林を国は推進。平成(1989年)になって国は手のひらを返した。
   低品質だから国産樹木は安値、大半は価値なく挙句は燃料の道だ。
   ~なので、重油の半額、最新技術ストーブとノウハウで、エネルギーは蘇る。
⑥以上は、年金受給高齢者の世帯でも、起業や雇用が可能だ。
 山林の営林能が途絶えないうちに、若者の投入も技術面では今のうちだ。
 【森林産業の決め手は道だ、山を知らない行政や土建屋の道路は崩れる】


彦根で準備の進む“木質ストーブの事例”

(ここは関ヶ原に近く、彦根以南の中山間地域が近江商人や近江牛発祥の地だ)

それぞれの地域のインフラや気候をよく考え、エネルギー事業に関わる基軸をよく考えればよい。その一つの例として、滋賀県彦根で準備の進む“木質ストーブの事例”を紹介する。

①現在、電力給電は充実しているが、
 都市ガスは市街地でさえ供給外れがあり、
 プロパンガスに頼っている。

②ここは完璧な北陸性気候だ。そのことは冬に
 湿気を多く含んだ空気の流れがある。

③湿気を多く含んだ空気では、体感温度は
 4~5℃の気温で、氷点下よりも激寒体感。

④石油やガスを燃焼すれば水蒸気を発生させる。

⑤市街地の民家は隙間の多い木造、
 加えて“アルミサッシ”の戸や窓の枠は
 屋内のかなりの熱を外へ放出する。

⑥冬の寒さには困っており、洗濯物は冬は
 乾かない。冬の衣服も着るときに冷たい。


そこで分かったことは、これだ
 ①物価高騰の折、基本は防寒・省エネなのだ。
  ②近代ストーブを発明したアメリカでも石油危機でストーブは広まった。
   ③彦根市の周辺山林の道路網は充実し、地産地消が可能だ。
    ④年金受給高齢者の世帯でも、起業や短時間雇用が見込める。
     ⑤創意工夫で、およそ木質燃料は石油や重油の半額価格。
      ⑥建築の躯体材料には使えない、植林された杉やヒノキは多い。
       ⑦家屋防寒の補修も施せば、さらに燃料効率上昇する。
        ⑧地方の時代、遠方まで燃料を出荷せずとも事業は安定する。


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20211207】
 ___今月の、お勧めはありません。
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)