2022/04/05

第240号:経営&人間関係、目前の不安を解く

<コンテンツ>
新型コロナ感染、ウクライナ戦争、これら人為的な経済危機
  (コラム1)産業や雇用でなく、疑似商業の形式が流行する!!
 ・人為的な経済危機は“世界規模から目前の暮らしまで
  (コラム2)その、「心のない乾いた眼差し」とは、何を意味するか
 ・ところが、過去の仕組みに戻らなければ、困る人がいる。
  (コラム3)ウクライナでは、核兵器・生物兵器・人身売買まで

若年層が保つ、世界を先駆する:最先端倫理学を、まとめてみた
 ・そもそも倫理とは、いまどき、どう整理されているか
 ・スロートら現代の、感情主義的倫理学と、
  新アリストテレス主義的:徳倫理学との学問比較すると

 ・肌感覚で、中高老年と壮年若年と女性本来を比較してみた
  (コラム4)「心のない乾いた眼差し」の名言の由来

同情Sympathyは、共感Empathyとは区別される
 使い分ければ、行動と人生が、自然と変わって行く

  (コラム5)悲劇的なものと、悲惨との違い

IT産業革命での経済の立て直し(DX)とは
  自律を促すことそして、そこでの共感の役割

  (コラム6)共感Empathyを重視、「短時間出社の正社員」で働く

ICT産業革命時代の=小売りの業態(五つの傾向)
 ☆これからの“AI”とか“デジタル”の活用原則。

ウクライナ戦争にしても何事も、よく見てみないと解らない
 ・人間の様々な理想や目的は別として、次に示すドキュメンタリー
  (コラム7)形式的国際法より、民族自決権や基本的人権と救済支援?
  (筆者コメント)情報の信憑性とその判断のテクニック

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20220405】


§新型コロナ感染、ウクライナ戦争、これら人為的な経済危機
新型コロナ感染と、ウクライナ戦争による、人為的な経済危機は“世界規模から目前の暮らしまでの経済構造”を組み替えてしまう。

それは日本人の受け止める歴史からすれば、【明治維新→終戦→今年秋までの激変の兆し」といった、三度目の大転換だ。
その過去の二度と同様に、もう従前の姿に戻ることは無い。

(コラム1)産業や雇用でなく、疑似商業の形式が流行する!!

【経営とか仕事の形態は、商売とか零細商業めいたものに】
経済破綻で、いったん事業規模は縮小。企業での雇用不能。国の失業保険や生活保護制度では追いつかない。戦前のように、失職すれば零細商業に走るしかない。時流に乗って雇用喪失はICT機器形式の零細商業もはやるが、その利益は微少だ。円安だから、労働に焦点を当てるのなら、海外:東アジア等への出稼ぎしかない。
【ニッチな仕事を商売のように、まず当座は身近に始める】
仕事は国内市場の間隙にある、“お客の煩わしい事”を引き受ける。
その煩わしさでの報酬は高い。発掘するところは、地元・足元だ。当座の海外市場といったものは、滅多にない。
人類学からすれば、西洋人や投資型事業は直線的結果を狙うが、非西洋では全体アプローチ型仕事の結果で納得が得られる。(例えば、今般のウクライナ戦争での両派経済志向の違いの如くだ)。そのチャンスは、個々に地元・足元多い。当座は、肌感覚の目前ニーズに限られる。


【単位経済圏(中学校区)から脱出して初めて、商品利潤を産む】
日本は、「アメリカよりも地域格差と特徴が、実に細かく多様である」と西武:堤清二は言った。日本全体は文化価値多様性だから、その商品性は、後の世界各地へのビジネスチャンス(異なる文化こそ商品価値を増す=フランス人:スタール)でもある。日本は経済再生を行い、日本円為替も円高基調にならない限り、海外からは投資は入らない。
日本の地元各地に沈下している“現生金融資産”も、経済再生の兆しが出て以降でしか或いは、地方自治体などの、“社会福祉地方債発行”でしか沈下資産は表面には出て来ない。現在の国や財務省は、あの手この手&財産税とかマイナンバーで、なんとか国庫にかき集めようとするが、遅々として進まない。(為替が一気に円安に進めば、一気に外貨預金や仮想通貨の増加実態だ。政府金融当局は直ちに円安為替に慌ててブレーキをかけたって訳だ)。

人為的な経済危機は“世界規模から目前の暮らしまで
の経済構造”を、ことごとく破壊してしまう。彼らにとっては、あたかも資本主義(自由市場主義)が広がり始めた時代に、経済成長を弾圧してでも、自らの“保身を選んだ封建領主”と同じパターンなのだ。
彼らは平気で、「心のない乾いた眼差し」と共に、平気で企業や家庭あるいは地域自治を破壊して、貧困と争いが起こっても、自分だけの保身が最優先であり、それが人類歴史の教訓だ。
その現在の人為的な経済危機は、“マルクスのブルジョア批判”よりも、もっと以前の時代に遡り、それは中世暗黒時代への転落といった次元の様相を示している。それは、ITやデジタル機器を悪用して、(農奴のような)デジタル奴隷の目論見は否めない。デジタルを悪用すれば、人手をかけずとも中世暗黒時代に戻れるというものだ。もとより教養とか良識の持ちあわせていない彼らが、「汚れ仕事でも何でもします」といった官僚主義者とかネオナチを使おうというわけだ。もちろん自由・自律・科学は否定され、政治も自治体も地域住民自治も、
「暗黒のデジタル奴隷」の防波堤の制度には成らないのかもしれない。
「心のない乾いた眼差し」の、“今だけ、金だけ、自分だけ”といった資本主義(自由市場主義)破壊者との戦いに至っているわけだ。
すなわち、「米:露の対立」や与野党間の争い。
よりも、もっと手前の前史への人為崩壊が生じているのである。マスコミの話題だから、似非識者が述べるからといって、それに乗せられ“おしゃべり”し、ディスカッションして、お茶を濁している場合では無いのだ。

だから“より有能な労働の効率的蓄積と発揮育成”で以て、
□地産地消とか、地元経済再生とか、海外先進地域との交易などを目指す。
□個別企業と家庭と地元経済単位とで、「自律を促す文化づくり」を実行し、
□経済経営を起こそうってわけだ。それがいちばん確実である。
□何もしなければ未来もない。
□愚痴だけで行動せず、投下資本を持つだけならば、詐欺られる.
□ぼーっとしてれば、お茶を濁され、踏み台にされるかしかない。

(コラム2)その、「心のない乾いた眼差し」とは、何を意味するか

先のない人達や、“社会的抑圧に生き&不誠実さ”の態度を表現・表象といったものを、英国のジョン・ロックは350年ほど前に表現した。
ここに至って日本は、すべてにわたって、不誠実さが蔓延している。
(政府予算執行の疑惑、個別企業の検査ミス、住民自治や自治会形骸化)
社会というものの制度の申し合わせ事項として、基本的には「誠実さ」といったものが重要視された。ところが、ここでの資本投下をして経済活動を発展させるといった19世紀産業革命の方式は、20世紀初頭に理念が確立し、戦時中に(ファシズムなど)の紆余曲折を経ても、戦後の高度経済成長を迎えた。それは様々な意味で高度成長したものの、グローバル経済と共に「新自由主義」と称する“今だけ、金だけ、自分だけ”といった実態は⇒「(ハイエクの学説とは別の)あらゆる社会共有資産を、個人のポケットにカキ集めようとする目的と手段と行為」に変質してしまった。
その20世紀初頭に整えられた理念や倫理は、“表面を美しい衣装で整えようとするも、『内実は理念が不正に・倫理は不誠実に置き換えられてしまった』ようだ。正義と誠実を掲げる人でさえ、「必要悪とか不都合を併せ持つものだ」との誤った悟りを開かざるを得ない。それは、人類700万年における英知と、経済成長の段階的発展に他ならないところの、社会制度のそれを、近視眼的に視て人間の協力と知恵を集積しないものに取り違えたから、一気に社会経済は崩壊してしまうこととなったと思われる
そこで、取り違えに気づかず、無理強いしてしまうと戦争が起こる。
★学者のサイエンスScienceに係る怠慢であり、全体主義者は科学者を攻撃するのは常であるが、与野党はどうでもいいけれど、「サイエンスScience」抜きに、経済・経営の活動や事業展開が不可能な新時代の到来にあたって、その理念や倫理は、整理されなければ、人類の後退・退化は避けられない。

ところが、過去の仕組みに戻らなければ、困る人がいる。
それは、(コラム2)「心のない乾いた眼差し」とはの項目でも解説したが、
過去の「明治維新→終戦」の二度ともに、
・ナショナリズムとか全体主義で以て、
・無理にでも、国家とか企業をまとめようと無理するあまりに、
・矛盾と感じながらも、「必要悪とか闇の部分」を抱えざるをえず、
・その世界で「汚れ仕事」ならば⇒成果があげられる⇒といった人物が、
・いつの間にやら、私利私欲と権力濫用(あふれ用いる)輩が現れ、
・それらは“不誠実さ”に陥った・保身を貫き通したわけだ。=保守では無い。

確実に言える事は、_____
彼らの頭脳とか思考パターンは、ほとんどが動物的と思慮されるから、
実際、極度に行き詰まり、「人類進歩のような、創造的芸術的(希望的)構想も、理解すらできない」という事実だ。★喫緊の例でいけば、

①今般のウクライナにおいて、
アメリカから大量の最新鋭武器の販売(対戦車携帯ミサイル等ビジネス)を受けながら、住民を盾に戦争を繰り広げる、ウクライナ政府軍の中の、諸ネオナチ(極右民族主義者)軍の如くである。
まるで、その住民への残酷さは戦時中沖縄の日本軍さながらの姿である。彼らネオナチは今、ほぼロシア軍に制圧されている。けれども、残ったネオナチは避難民に化けて逃げるか戦死するしかなく、通常ウクライナ政府軍の投降者のように降伏と帰郷の誓約書証明で出身地に戻れるわけでもない。ウクライナ軍のネオナチは、政府の言うことは聞かずに、アメリカ政府軍とロシア軍の、代理戦争を行っているわけだ。その主な戦闘員は外国からやって来たネオナチらである。そして、アメリカは戦争を煽ったのみ。なので、ロシアの不戦勝だ。ロシアへの経済制裁と呼びかけられはするものの、ロシア貿易収支は。意外にも、「ウクライナ戦争以降延び続けている」のが実態だ。国連での圧倒的多数の国がロシア非難だが、陰日なたにロシアと敵対しない国の統制する人口総計は、意外にも、世界人口の半数以上なのだ。

(コラム3)ウクライナでは、核兵器・生物兵器・人身売買まで

ロシア軍は、これらの犯罪捜査のため進軍が遅れたとの情報がある。
ウクライナ政府上層部のネオナチ(極右民族主義者)関係全般で、過去の核兵器・生物兵器・人身売買とかの犯罪の把握、家宅捜査に入っている。もちろん告発する見通しだ。これらもロシア軍の“非ナチ化”とのことだ。

A.ヨーロッパ最大の原発は、ウクライナ軍の武器弾薬庫になっていた。ロシア軍は攻撃に当たっては、原発の外の建物を破壊したに過ぎず、その原発にいたウクライナ軍はネオナチ達ではなかったようだ。その防衛に当たっていたウクライナ正規軍の男女合わせ285名は、“交戦せず、郷里に帰る”との誓約書を書いて全員が原発を離れ帰郷したとの情報だ。

B.ロシア軍はウクライナ国内で、30ヵ所中26ヵ所の生物兵器関係施設を押さえた。実際に現物を制圧したので。証拠を確定させるために家宅捜索という情報だ。

C.避難民の子供や女性の人身売買犯罪や未遂は、ロシア側情報に限らず、いわゆる西側報道でも流れている。詳細はネットでも流れている通り。家宅捜査の目的は、ネオナチ達が、どこまで、どの規模で、人身売買に絡んでいるかのようだ。人身売買はウクライナ戦争前から激しかった。

②日本国家予算に絡んでいる財源を、とにかく食いつぶして延命する政治家とかナショナリズムとか全体主義者は、日本の軍事産業育成による、政府予算の費用を水増しから~“おコボレ”をポケットに入れるしかない。
そして⇒、ナショナリズムとか全体主義者に取りいって出世を遂げた官民の官僚主義者たちは、後に述べる、「中高老年に支配的倫理思考」を語り&“その裏に内在する必要悪とか闇の部分”において、庶民常識(みんながやっていること)の裏をかき誠実でもって画策するのである。

ちなみに彼らが想定する、極めて高額な防衛システムと機材は、戦争オンチの国民庶民大衆が簡単に騙されやすく、その製品をイメージできる代物ばかりである。
■核兵器とか原発 ⇒
 それを使って交戦すれば、廃墟と化し貧困と破壊の原野が残るだけだ。
■1台10億円とかの陸上戦車 ⇒
 超高命中率の携帯ミサイル。アメリカ製品は単価$6,000程度。
 (熱誘導だから、それでもって破壊されたロシア戦車は500台を超えた)。
■ドローンを使って ⇒
 爆撃目的で照準を合わせて、その照準への各種爆発物の確実投下。
 (戦争の姿は、一般消費商品と同じく、コンパクトになった。
  今や長距離ミサイルと、ミサイル迎撃は時代遅れだ。)
■戦闘行為の中心は ⇒
 心理作戦と住民を盾にする“洗脳手法”による効率的な破滅に変化
 (住民への空爆は日本軍が世界初。住民を盾とするのも日本軍が正規軍初)。
___「心のない乾いた眼差し」と共に語られているモノばかりである。___


§若年層が保つ、世界を先駆する :最先端倫理学を、まとめてみた
そもそも倫理とは、いまどき、どう整理されているか
①極めて重要なポイントは、能力水準保持・向上に関わる作用である。
 ~倫理を嫌がる人らが、このポイントの骨を抜き、形骸化させる。
②倫理は具体的行動基準であるから、「〇〇しよう」とか「〇〇される」
 →といった表現で差し支えなく、実際の行動を効果的に導く道具である。
③具体的な言葉表現や規範で表され、その表現の独り歩きを前提とする。
 #道徳となると生活習慣に根ざすイメージMental‐imageという作用だ。
  道徳での善悪基準は近年、“人類の進歩進化“に資するか否かである。
 【精神(人文)文科学の発展は、用語の概念の発展として現れる。】
   https://soumubu1.blogspot.com/2020/10/#222-10


スロートら現代の、感情主義的倫理学と、
 新アリストテレス主義的:徳倫理学との学問比較すると

現在の中高老年はアリストテレスの「徳」を積むことしか教わっていない。
先ほど述べた、その20世紀初頭に整えられた理念や倫理は、社会経済の発展とともに機能不全を起こして→今や崩壊してしまった。にもかかわらず、ほぼ現在の中高老年は、ICT産業革命時代への段階的発展を「人間の協力と知恵」で以ては行ない得ないものだから、中高老年は表向き“その過去に学んだ理念や倫理”にしがみつかざるを得ない。くどいようだが、その実は“理念が不正に・倫理は不誠実に”となっている、にもかかわらずだ。新アリストテレス主義的だから、共通して若者や女性などの弱者に押し付ける態度に至ってしまう。そんな中高老年の処世術を学んだ者は、若くても中高老年だ。明治以降、政府等の教育機関で教わった、今の中高老年は、社会の中で後輩に、熱心に・新しい未来を信じ・家父長的に教え伝えた。それなりの宗教といえども、各々の教えとか教義とかも、さて置いて乃至は歪曲してでも、新アリストテレス主義的「徳を積む倫理」に馴染み、つい先日までのイニシアチブを保ってきた、それは否めない事態なのである。

すると更に、そこで記憶力を柱に出世した人は、過去にしがみつくしかない、だから保身に走る。幼少の頃から受験勉強にさらされ、官民問わずの官僚主義的な世界に就職し、訓練をされているわけだから、疑似洗脳状態には陥ってしまう。“本当に頭が良ければ”その場から脱出するが。でも、その「徳を積む倫理」一種の社会理念の崩壊を迎えた今日では、人間としては不自然な事柄ではなかったとの疑問が定着している。
実際、真実の「徳」を目指すには、世捨て人にでもならない限り、ほぼ無理な話だ。しがらみからは自由になれない。「ある意味それは不誠実を生む。」ものだから、そこで人類は進歩して、「自由のために社会を形成」することとし、「平等を受け入れ同胞を増やし」、「民主主義という制度を武器に使うことにした」と、これが世界で共通している近代社会の歴史なのだ。この歴史を洞察していれば、その時その場合の政治や社会の本質も、容易に見抜くことができるコツとなる。(世界各地は、この近代社会を導入することで、多方面の科学技術と併せて、繁栄の道を歩いているわけだ)。
__ て、新型コロナ感染とウクライナ戦争で、グローバル経済は崩壊したのだ。

肌感覚で、中高老年 と 壮年若年と女性本来を 比較してみた
項目 新アリストテレス主義的な 徳倫理学
(現在の中高老年に支配的倫理思考)
感情主義的な倫理学
(壮年若年と女性本来に萌芽)
現象
関心
人間固有の開花繁栄という形での、自己の人間的完成を中心に捉える。かつ自己の“人徳”は完璧さを理想とし、宗教や信仰よりも優先する。 具体的な他者に対して、いっそう直接的な関心を向けている。暖かい心情に基づく他者への思いやり(ケアとか配慮)に関心がある。
理想 賢慮といった思考ないし理性に関わる“徳”が中心的である。 思いやり(ケアとか配慮)という“心情に関わる事”が中心である。
本質 財源制約の似非合理的理屈の倫理
その思考で誠実に拘っても解はない
共感に基づくケア倫理
不誠実なことのみ避ければよい。
目標 他の生物には見られない人間独自の機能に基づく人間的繁栄という高邁な理念の実現を目指す。
したがって、卓越主義ないし完成主義とされ、そこにはエリート主義的な傾向も(多くの論者が指摘するように)、また見出される。

その20世紀初頭に整えられた理念や倫理は、“表面を美しい衣装で整えようとするも、内実は理念が不正に・倫理は不誠実にと、置き換えられてしまったようだ。正義と誠実を掲げる人でさえ、必要悪とか不都合を併せ持つものだと悟りを開かざるを得ない。
もっとも、ボトムアップ式である。
現実には存在せず、仮の想定としての倫理のあり方といったものは議論とか空理空論の対象とはしない。
人間的繁栄という敷居の高い抽象的な理念には、訴えない、陥らない。現に存在している具体的な生活世界、とりわけ感情が豊かに行き交う情緒的交流によって産出される具体的現実に軸足を置いて、徹頭徹尾に考察する。
その人間的交流の現場においてのみ、称賛すべきものとして浮かび上がってくる。
挙句 財源制約の似非合理的理屈の倫理
 誠実に拘っても解はない
だから彼らは、行き詰まって
全体主義にもナショナリズムにも走り、上からの大衆動員を図ろうとする。
その心理状況は、“引き回し“だ。
共感に基づくケア倫理
不誠実なことのみ避ければよい。
良い結果を予想できても
不正手続きを許さない方法論、
横つながりと共感が⇔代表を選ぶ

(コラム4)「心のない乾いた眼差し」の名言の由来

家父長的な態度と行動様式が、女性や少女の自律を妨げる。
そこでも、
「心のない乾いた眼差し」が“社会的抑圧に生き&不誠実さ”として浮き彫りになり、態度を表現・表象しているというわけだ。
「心のない乾いた眼差し」の名言は、宗教裁判における一連の裁判官や執行官ら加害者の“不誠実かつ良心のない心理状況”を、名誉革命当時のジョン・ロックが言葉に表現したものだ。
ジョン・ロックは、「心のない乾いた眼差し」の一つの対比例として、
次のようにいるしている。
『利己的理由から行為する(宗教裁判など)における加害者。
これに比べ、嫌がる子供を医師もしくは歯科医師のところに
連れていくことに動揺する親の顔』(「統治二論」)

「良心(内心)を保持し、良心の自由」は、「内心を表明しなくても良い」といった事柄から始まり、良心の自由は名誉革命で以て生まれ、以後現代までの社会基礎となっている。自由平等を拡張するために社会が形成され、その武器は民主主義だ、これはフランス市民革命で生まれた。けれども、現在に至っても共感Empathyが会得されない限り、「心のない乾いた眼差し」が“社会的抑圧に生き&不誠実さ”として浮き彫りになる。

★これまでは、共感と同情は区別できなかったから、“家父長的な態度と行動様式”が続き、それは女性や少女に限られるだけではなく、男性とか少年、他者・他民族にも向けられることになっていた。だから、
「戦争、同情は生まれても、共感は知らされず伝えられない様にするのだ」。
(ジョン・ロックとは、「統治二論」英国の名誉革命時代の政治哲学者)


§同情Sympathyは、共感Empathyとは区別される
 使い分ければ、行動と人生が、自然と変わって行く

  同情 Sympathy 共感 Empathy
第一
留意点
同情には、相手の世界を感じ受け止めることが要求されない。そういう点で共感とは異なる。
同情する側から一方的に、「かわいそうだ」とか「みじめだ」と同情する。相手自身が自らの状況をどのように感じていて、どのように理解しているかということを、同情する側は考慮しない。だから、錯誤して感情移入もする。
共感は、相手の視点からは世界がどう見えているかを、受け手の私が、感じ受け止めることを必要とされる。真意での感情移入はない。

共感(共感作用と共感精度)であるためには、相手の置かれている状況を、相手自身の行う監視に照らして、理解し感じで止めることが求められる。
第二
留意点
相手の苦しみに同情するとき、私たちは、相手の苦しみを感じるが、それが相手と全く同一の感情を抱くと感じたとすれば、それは単なる錯覚だ。
私達が相手に共感するとき、相手は自分とは異なる関心やニーズを持つ別個の存在だとの感覚を保持している。その感覚が相手を尊重する姿勢を生む訳だ。
共感では、共感が向けられた者と、共感する者との「分化」や「差異」を前提にする。
つまり共感とは、相手との一体感・一体化とか相手への同調といったものを要求しない。また意見やニーズの一致といった事も要求しない。相手との差異に配慮しつつ相手を感じ受け止めるということなのが共感である。
第三
留意点
同情の繰り返しとか、(仮に成熟した?)同情を持ったとしても、認知的能力や概念的能力が育つ訳ではない。同情はテクニックや技能の類である。

家庭などにおける家父長的な態度と行動様式が、女性や少女の自律を妨げる。
そこでは、「心のない乾いた眼差し」が“社会的抑圧&不誠実さ”として浮き彫りになる。
「心のない乾いた眼差し」の名言は、宗教裁判における一連の加害者の不誠実かつ良心のない心理状況をジョン・ロックが表現したもの。

★共感と同情が区別できなかったからこそ、“家父長的な態度と行動様式”は、女性や少女に立ち向かう。さらには、男性とか少年にも向けられる。
社会全般の教育そのものには、“家父長的な態度と行動様式”を排除する機能は、崩壊ないし喪失をしてしまっている。
成熟した共感は、個々人の“認知的能力や概念的能力”とも不可分である。それらと切り離された純然たる心情のような共感作用と精度は無い。
人生の初期とか共感が成熟するまでにおいては、確かに共感は「情動伝染」という形で生起する。(マイケル・スロートの言う共感誘発法として)
社会的なコミュニケーション場面において重要な精神機能である、人間の意思疎通や気づきには、三人(母・父・赤ちゃんだとしても)寄れば、多少の哲学をも必要とする。
要するに、
人間は、自分自身の声が他者によって共感的に受け止められるという体験を通じて、自分の声に自信を持てるようになり、さらには自分自身で思考し、次に意思決定することが出来るようになる。すなわち、初めて社会での他人との関係的な自律が可能になるわけである。共感は(自立ではなく)自律に必要な要件要素なのだ。

(コラム5)悲劇的なものと、悲惨との違い

『悲劇的なものの本質は、恐らく次のように規定されるであろう。ある運命はある人間の生命意志、性質、意味、価値に対して破壊的な方向持っていること-同時に、この運命がこの人間自身の内奧と必然性から生じているように感じられること。女性の運命が悲劇的なのは、通常、女性を亡ぼす依存関係そのものが女性の本質の根底にあるためである。屋根の瓦が落ちてきて、若くて前途有望な活力ある人間を殺したとする。それだけでは、悲惨ではあっても、未だ悲劇的ではない。どうしても、その人がこの人間の必然であり宿命でありながら、この必然や宿命の実現が彼の別の必然や宿命と方向が反対であったと感じられるとき、それは悲劇的になる』。
ゲオルク・ジンメル 「愛の断想/日々の断想」 1923年出版 から引用

§IT産業革命での経済の立て直し(DX)とは
  自律を促すことそして、そこでの共感の役割

女性や少女たちは、性差別主義的対応によって、自分自身の“声”を疑ったり、否定したりするようになるケースが多い。また少女たちは、自分自身が考えていることや、欲していることから引き離され、その結果、様々な他者との関係において、自己消失的・自己否定的・自己放棄的な状態に陥る可能性が大である。

人々を尊重せずに軽んじることは、不誠実そのものであるから、女性や少女たち自身からの視点に立って、彼女たちの発言や理解に耳を傾けなかったり、耳を傾けるのを拒んだりする行為も、不誠実な行為となる。少女や女性が抱く向上心に対して家父長的に、共感的な配慮や尊重をしない!といった態度こそに、この不誠実な行為が併せ行われるのであり、その根底には、「共感の欠如」が底流に流れているのだ。ここでも、共感せず不誠実に満ちた「心のない乾いた眼差し」が、家父長主義者には現れるわけである。

家庭の外で働く女性は、全体の仕事量として夫以上に多くの仕事をこなす場合が、結局は一般的だ。そういったことでは、女性が抱くニーズや向上心に対する共感や配慮が適切に働くことにはならない。
『女性は、外部でどのような役割を担っていようと、それとは無関係に、家庭への子育てと家事に関して第一義的に責任を負わなければならない』。
といった社会的期待や態度が、不誠実な仕組みと態度の継続そのものなのである。なぜ不誠実かといえば、その場合の夫は、愛すべき妻に対して極めて利己的な態度をとっており、やはり共感せず不誠実に満ちた「心のない乾いた眼差し」が現れざるを得ない。

だから結果としての“より有能な労働の効率的蓄積と発揮育成”で以て、
地産地消とか、地元経済再生とか、海外先進地域との交易などを目指すならば、個別企業と家庭と地元経済単位とで、「自律を促す文化づくり」を実行するしかないのだ。

(コラム6)共感Empathyを重視、「短時間出社の正社員」で働く

人材の確保とか労働契約の形は、海外との競争にも勝てる体制として、「短時間出社の正社員」で以て、思い切って人材を安定確保することだ。ことに経済発展よりも女性差別を優先させる政府政策であれば、クリエイティブな優良を目指す個別企業を創造するならば、女性短時間出社の制度で以て、結婚・家庭、出産・子育て、子離れ・介護といった生活要素を通して弾力的な労働時間設定をすれば、極めて効率的かつ創造的な女性労働を確保育成することができる。場合によっては、主婦の約割は夫がすればよい。
またそれらは、過去に日本での老舗と言われる優良企業では、育児や子育て期間中では、長期雇用:女性社員の一般的な働き方となっていた。男性社員の結婚相手として女子社員を採用していた企業には、結婚退職させるわけだから、そんな制度はなかった。
ことに地方経済においては、職住と町の暮らしは一体である利点が在るから、地元テレワークを含めて、順次ドラスティックDrasticに導入すればよい。そもそも、労働力を都市に集中させるといった明治・大正・昭和の強引な労働力統制こそが、ICT産業革命以降には通用&活用しない。それは今となっては、不合理な働き方だ。
【世界経済圏の激変で、根幹に据えるべき理念】から
https://soumubu1.blogspot.com/#239-12

【参考文献】
・マイケル・スロ-ト「ケアの倫理と共感」 copyright2007年 勁草書房
・ジョン・ロック「統治二論」 英国の名誉革命時代の政治哲学者
・ゲオルク・ジンメル 愛の断想/日々の断想 (岩波文庫)
 Georg Simmel, ドイツ出身の社会学者哲学者


§ICT産業革命時代の=小売りの業態(五つの傾向)
そこでは、地元の最小地域経済単位(中学校の校区)における、デジタルではなく、必ず人を介した、共感Empathy(共感作用&共感精度)が、実力を発揮する。
コロナ禍とウクライナ戦場によって、西欧米型グローバル経済は崩壊した。
その後の新しい経済構造の下では、いかなる状況であっても、“人”が顧客と向き合って知恵を出さない限り、「何がどのように売れるか」、といった、具体的実体が生まれない。ビックデータとかAIの集計結果では役に立たない。それは、ひとえに、ドラスティックでクリエイティブな“閃き!!”の世界である。売れる商品は、顧客が全体的に物事を捉えているから産まれるのであって、直線的なビックデータとかAIの集計では生まれない、産まれるのは消費財需要であって商品(価値の利潤を含む)ではない。
小売りが、デジタル展開に限られてしまい、そのデジタル一辺倒では、新商品開発を初めとするクリエイティブさとか、新規の顧客拡大は、まったく見込めない、そう、それは商品ではなく消費財だから。それどころか、一気に商売は先細りを起こしてしまう。あくまで、デジタル設備導入は目的や結果には無関係だ。それも実際のデジタル設備は、作業工程では後回し気味で、必要な箇所に適切なデジタルツールを導入するのみである。=これが、デジタル成功のコツである。GAFAといった成長の歴史を見れば解る。
「顧客の要望を認知する共感、&顧客の気持ちを受け止める感情的共感」
である。くれぐれも、IT業者や政府デジタル庁の餌食に、乗せられないことだ。
https://soumubu1.blogspot.com/2017/01/blog-post.html#177-06

  店舗の形 運営ソフトやノウハウ のイメージ
体験型ショールームの店舗 店から1キロ圏内の人に徹底して対応
顧客データ蓄積・顧客の個別管理充実
商品体験型の接客・相談・アドバイス
購入商品の操作や保守点検の実施
月払いなどの定額・会員制料金
店舗の在庫をなくす
~IT機器の操作方法や
 不具合の対応の店舗
デジタル体験型の店舗 店から1キロ圏内の人に徹底して対応
顧客データ蓄積・顧客の個別管理充実
商品体験型の接客・相談・アドバイス
購入商品の操作や保守点検の実施
月払いなどの定額・会員制料金
店舗の在庫をなくす
DIY(自作や修理)の
VR(バーチャル・リアリティ)
等の作業体験とか
衣類・靴その他での
“3Dフィッティング”とか
無人の新店舗 Amazon Go とか
   (下の表外のURL①)
中国のようなコンビニ
   (下の表外のURL②)
顧客データ蓄積・顧客の個別管理充実
月払いなどの定額・会員制料金
キャッシュレス、あるいは、
レジの無いキャッシュレス
徹底して、アナログの店舗 体験ツアー等の企画その他とか。
顧客データ蓄積・顧客の個別管理充実
商品体験型の接客・相談・アドバイス
購入商品の操作や保守点検の実施
月払いなどの定額・会員制料金
専門的アドバイス、
やカウンセリングを受け付ける

(ワークショップ、講習会も)
小売りと顧客体験の
一定部分の融合店舗
【よく在る事例】
・結構昔からある=グローサラント(grocerant)
 《grocery(食料品店)
 +restaurant(レストラン)からの造語》。
・市場とかスーパーの売り場にある食材を用い、
 飲食スペースを設け料理を提供。

【世界に向け、これから期待されるもの】
・様々な半製品や自然の恵みを組み合わせ
 新しい商品を、3D初めデジタルを活用して
 顧客の創造性を専門家が膨らませ
 顧客と共に仕上げ、
 ひとつの固有文化価値商品の形成へと
 ≪希望を含めば絵:音:詩が芸術化に≫
顧客は原材料を選び、
 専門家と一緒に加工する

専門家が
 顧客の補充もしてくれ、
  クリエイティブ体験と
   顧客の満足を保つ
https://www.youtube.com/watch?v=NrmMk1Myrxc&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=XdcxlGOGkw4&t=4s

これからの“AI”とか“デジタル”の活用原則。
「顧客の要望を認知する共感&顧客の気持ちを受け止める感情的共感」
といった職業能力を身に着け発揮してこそ、事業経営の物理的機械的な補いとしての、AIとかデジタル機器なのだ。そうすることで、顧客の体験として、顧客の参加意欲によって、単純作業のような行為は労働の一部として店舗に持ち込まれる。商品と言う原則からすれば、完成品を高値で売るだけ(邪道)が」小売りではない。すると、事業採算も合わせることができる。
顧客の、『“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)』との、商品経済原則が、店舗内の作業には漂うのである。これは20世紀になる前に解明されている経済の原則だ。
ただ所詮、知識偏重主義とか二元論的思考といった人物は、今述べたような深みのある商品の顧客対象にはならない。そんな人物は価値創造といった物事に興味を示さない。また、そういった人物は、習い事の世界では、その技術や技能習得の目的が、「他人よりも優位に立ちたいだけ」なのである場合が非常に多い。彼らは、創造性とか芸術性(何らかの希望を含む性質や機能)を感じず、楽しいとも思わない。表向きは顧客や参加者ではあっても、多くは通りすがり(リピート無し=旧来表現)で、彼らは関わりたいのは消費財だけである。消費財の循環だけでは価値増殖をしないから、いかなる経済構造や社会体制であっても、滅びる道しか歩む事はないのである。


§ウクライナ戦争にしても何事も、よく見てみないと解らない
一方の相手はロシアという所の、“ほぼ日本人が理解できない”思考パターンなのである。それは、極めて実力的で、実力しか頼りにせず、ロシアのインテリの行動規範とは、筆者の私が思うところ哲学者カント的思考パターンである。ロシアへの経済制裁、これに対するロシア側の「しっぺ返し」は、徹底している。
例えばそれを、身近で歴史的に見れば、大正時代の日本軍シベリア出兵。12万人も陸軍を送り、シベリアで村から民家に至るまで略奪・焼き討ちなどの蛮行を行った、その「ツケ」。日本政府側は未だタブーで話題にはしないが、当時の日本陸軍側将校当事者は多くの手記や証拠を残している。それを踏まえて、終戦後のソ連による日本軍抑留は行われたことは否めない。だが、ロシア側は、「日本軍のシベリア出兵・日本軍抑留」について、決着がついたとはしていない。それは、北方四島返還に影響をしている。

今般のウクライナ戦争において、日本国内のマスコミ報道などは、アメリカ政府の現地への大量の武器供給を抜きにして、ウクライナ戦争の戦況を議論してきた。だが近頃はアメリカの形勢が不利になるとともに、テレビや新聞を初めとして、報道内容が変質してきた。素人学者の愚かな分析とか憶測も一気に減少している。(それは、真実が露になると、コロナ専門家と称する非科学的発言の減少と類似している)、やはり根拠と裏付け証拠に基づく科学的指摘がおこなわれれば、「大本営発表」もどきの報道は、ヒトタマリもなくひるがえされる。

“ロシアへの経済制裁だ!!”として調子に乗って早々と制裁を打ち出した国とか個別企業は、次々と「しっぺ返し」にあっている。ほんの一握りの上層からのおコボレでも流れる状況でもなければ、「慌てると、アメリカの乞食は、貰いが少ない」のである。
①ロシアは、そんな企業と戦争終結後の取引をしない。
②仮に、密輸あるいは将来に取引が出来たとしても、ロシアは高額を提示する。
③ロシア領内に置いてきた資産は、すべてのヒト・モノ・カネをロシアが募集する。
~調子に乗って制裁を始めた企業は、検討もせず踏み込んだ訳で、後の祭り。
 ゆっくりじっくり、ロシアとの関係を築き、深い付合いをする企業はそのままだ。
 少なくともマスコミは、そういう報道をする必要がある。専門家も含め不誠実だ。

___日本では、政府もマスコミも、専門家モドキ?も含め、
こぞって日本の信頼感を低下させている。他を批判するばかりで、ある意味で敵からも信頼されなくなって、ただの文句言いとなり、見放される事は当然だ。そういった外交姿勢の一つひとつが、さらに円安を加速して日本の経済や財産価値を低下させる。
日本の新自由主義とか全体主義者は、円安になるほどポケットに裏金の入る仕組(現:消費税還元の仕組み)を作っているから、政権に就きさえすれば不況も物価高も、どうでもいいと思っている。今、日本企業のダンピング・検査手抜き・不良品寸前の製品ばかりが、円安の中でも売れるという状況では、そんな不誠実さにあっては大手も中小も問わず、個別企業は先細り経営になるばかりだ。そんな中で、日本のアニメ作品は、その中身にナショナリズムの思考がないから、唯一残る高評価商品とのことだ。

人間の様々な理想や目的は別として、次に示すドキュメンタリー
これらを視聴したうえで、日本民族・日本住民として、どこまで「心無い乾いた眼差し」で語れるのか、それを読者には、お願いしたい。
__双方!!憶測や批判ばかりを言ってないで、先ずはとにかく休戦政策だ。
これらの動画を、ウクライナやアメリカは、ロシアのプロパガンダだと言っている。

①ウクライナ・ドンバス2016ドキュメンタリー_
アンヌ=ロール・ボネル監督(odysee.com)
今般の、ロシア軍侵攻のきっかけとなった、およそ8年前の「ドンパス」での出来事。
現ウクライナ軍のアゾフ連隊が、当時ネオナチ集団として、政府に反対する地域の住民を襲った。この虐殺にウクライナ政府軍や現地警察は、ネオナチらを静止せず、誰も逮捕をしなかった。それは、目前の殺人や放火兵器使用の現行犯にもかかわらずだ。
それから8年ほど、黒い制服と覆面のネオナチらは、しばらくしてウクライナ政府の正規軍となり、政府反対の自治体を軍事攻撃し続けるに至った。地元の住民は自衛のために反撃しているという訳だ。
そして、2つの自治体がウクライナから独立するに至った。自国住民を、反政府というだけで、政府軍公認で攻撃し虐殺に入る。彼らネオナチらの蛮行は、ウクライナ政府から放置しつづけられた。仮に住民の反撃をロシアのスパイの仕業だと決めつけだとしても、反政府だとして自国民を虐殺することは、許されない。
https://odysee.com/@Mchan:1/donbass2016:8
こちらが、YouTube版
https://youtu.be/ln8goeR5Rs4

②2014年 オデッサの悲劇から8年(オデッサ住民のドンバス支援)
日本では流れない映像 その①
https://odysee.com/@JAFA:2/JAFA-3.26.2022-DONBASS-PRELUDE-TO-WAR:a

③ウクライナ on Fire アメリカのオリバーストーン監督。
日本では流れない映像 その②(残酷なため視聴するには注意を要す)
https://odysee.com/@jimakudaio:9/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC:6

~3月下旬から日本語字幕付きで、これらのドキュメンタリーなどが公開された。
それとともに、日本の世論も変化をしだして、マスコミも言うことが変わってきた。
公開される前は、もっぱら「ロシアのプロパガンダの映像だ」と揶揄されていたが、公開されるや否や、プロパガンダと決めつける専門家の発言はなくなった。国連がウクライナ戦争を、ロシア軍侵略と言わず「ロシア軍侵攻」と表現しているのも、こういった動画が影響しているといわれている。これらの動画は今般のウクライナ戦争前から存在・配給されていたが、日本の与野党は、ほぼ確認をしなかったのだろうか。確認もせず憶測推測・決めつけをしたのだろうか。それともこの録画を見ても、プロパガンダだと各々の政党は判断したのだろうか。

(コラム7)形式的国際法より、民族自決権や基本的人権と救済支援?

自国住民を、反政府というだけで、政府軍公認で軍事攻撃し虐殺に入る。
そのネオナチスらの蛮行は放置しつづけられた。仮に、反政府運動がロシアのスパイの仕業だとしても、自国民を反政府者として虐殺することは、許されない。

現代において、
『隣の家では、DVで妻や子供が虐待されている』
『その妻や子供は、お隣同士だから、私は互いに仲良くしている』
『今夜も、DVの虐待で妻や子供の泣き叫ぶ声が聞こえてくる』
そこで、さて、あなたは、
その家庭内のDV虐待に関して、お隣さんの家庭内虐待だからと言って、
「心無い乾いた眼差し」で、(隣国内の虐待として)助けに入った人物を非難できますか?
私だったらその前に、家宅侵入罪とか不退去罪などは忘れてしまって、直ちに助けに隣の家に入る。

3月下旬の、先ほどの日本語字幕入り動画が公開された時点の、あるウクライナに関するインテリジェンス情報を、学術として引用する。(著作権法の認める学術引用先=田中宇の国際ニュース解説 会員版(田中宇プラス)2022年3月28日)
https://tanakanews.com/
『ウクライナに侵攻したロシア軍は、ウクライナ側の軍勢(主に極右民兵団・アゾフ大隊)を掃討していき、戦闘は終わりつつある。これまで最も激しい戦闘が行われていたのはアゾフ大隊の中心地であるドネツク州のマリウポリだった。そこでは極右たちが市民を人間の盾にして市街地に立てこもった。市街を包囲した露軍が人道回廊を作ったのに、極右は市民が人道回廊を通って市外に避難することを許さず、事態が膠着していた。しかし露軍はしだいに人道回廊を機能させて人間の盾にされていた市民を避難させ、市民の避難後に露軍が極右を制圧し、市街地を少しずつ解放した。3月24日にはマリウポリの中心街や市役所から極右が排除され、露軍の占領下に入った。極右は市内の南部に退却し、そこを最後の拠点
として露軍に対抗しようとしている。中心街から極右が排除されたことで、マリウポリの戦闘は山を越えた』。
『ウクライナの空軍と海軍はすでに消滅し、地上軍も装備の多くを失って弱体化している。政治的にもゼレンスキー大統領がロシアへの譲歩を重ねている(彼は欧米向けの発言だけが好戦的だ)。ロシアはウクライナで非武装化と非ナチ化(極右の排除)という侵攻の目的を達成しつつある。露軍は今後、ウクライナの中でロシア系住民が多い東部2州(ドネツクとルガンスク)の安定化に力を入れていく。東部2州はすでにウクライナからの独立を宣言し、ロシアは2州を独立国として承認した。今後2州は住民投票をやってロシアに併合してもらうことを正式に希望する。それを受けてロシアは2州を併合する。ロシアは、2州を併合する形
でウクライナの国境線を変更し、すでに新たな国境線の近くにいる露軍がそれを防衛する』。
『いずれゼレンスキー政権のウクライナは国境線の変更を承認する。しかしその後も米国やNATOはロシアを敵視し続ける。露軍が東部2州以外のウクライナから出ていき、ウクライナの制空権をロシアが手放したら、すぐにNATO諸国がウクライナに戦闘機やミサイルを支援し、ロシアの傀儡に転向しそうだったゼレンスキーが再び米国の傀儡に戻ってロシアに宣戦布告する。ウクライナ各地で、隠れていた極右が出てきて再びロシア系などの住民を殺し始める。そうなるのを防ぐため、露軍は今後もずっとウクライナから撤兵できない。間もなく戦闘が終わり、露軍はウクライナに駐留する兵力数をかなり減らせるが、駐留自体はずっと続けざるを得ない』。

(筆者コメント)情報の信憑性とその判断のテクニック
ちなみに、こういった動画や画像の、裏付け証拠としての信憑性を判断するには、実際の戦争体験ではなくとも、集団とか組織ごとで関わる紛争闘争泥沼の経験が、小さくとも存在すれば判断力は身に付く。そういった場合、収集されてくる情報は、ほとんどが耳ざわりの良い、かつ素人が納得しやすい内容に造り替えられていることが圧倒的に多い。

だが、そういった耳ざわり性と素人納得性の高い情報は、上司を喜ばせるための偽情報とみた方がよい。また、相手の心境について、「気が狂っている」とか「精神病に違いない」など、極端な場合には医師の診断付となる情報も、その多くを偽情報とみた方がよい。そこには、紛争の引き金が何であったかを知る者の把握している“秘密のストーリー”の都合の悪さを隠蔽する動きがあると認識したほうが妥当である。そして、根拠のない話やウワサ話にたいしては、
 『それ誰に聞いた? 根拠を示せ』
これが、2,000年以上続く、ソロモン王の見極め方だ。
更に、正反対の2つの見方があると仮説を提起し、議論を持ち込む。実は一方が妄想だったという、不誠実な“お茶濁し”戦術だ。ほんと、官僚や公務員が、「笑顔で意見を押さえつける」作戦に、よく使う。不誠実が故のレトリック「話法」だ。

状況判断は、紛争闘争泥沼を目の当たりにしたことのない人とは異なる視点で以て、プロフェッショナルは“独特の手法で以て判断センスが良い”というわけだ。また、今般のコメディアン大統領の表情、あるいは、“心のない乾いた眼差し”といった、共感を呼び起こさない物事には、他にも不自然な点がないかと疑ってみて、正面ではなく斜め横とかハスかい(斜交い)に探ってみれば、多くの「嘘の作り話」を見破ることができるのだ。こういった心境性の判断とか、正面ではなく斜め横とかハスかい(斜交い)に探って診ることができなければ、もとよりリーダーと言う職業や立場は辞めた方が良い。(ご参考に)


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20220406】
今月の紹介は、有りません。
次の書籍は、倫理の歴史をまとめてはいますが、学術興味のある方はどうぞ。難しいです。
「ケアの倫理と共感」-出版社:勁草書房(2021/11/30) 発売日:2021/11/30
(著)マイケル・スロート (c)20007 (翻訳)早川正祐他
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので、記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)