2024/04/09

第264号:新しい次代の波に乗る

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
【新時代の波その1】
公平公正な手順が、結果や善悪より優先
【新時代の波その2】
スマホ情報を見ているようで、チャンスに気づかない
【新時代の波その3】
新価値観の戦略→戦術→アクション
【新時代の波その4】
地元密着:地産地消などのビジネス基盤の創り方
天才を見つける、又、潜在能力を発見するには?
音楽家:デヴィッド・バーンの、実践:芸術Artの、生涯作から抜き出し
(能力育成に資するための、メルマガ記事掲載に当たっての解説)
 ・経済経営の社会科学的視点から、著作より抜き出した部分へ
令和6年10月からの社会保険適用拡大


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
NISAは、売り逃げる能力が無いならば、早く売り逃げること。
 さて、新経済の波、イノベーションの準備は進んでいるか。
  4月以後、為替や経済影響の多い事件が多発。罠には警戒。
「一時的に円高になっても、最後は円安に向かう」


【新時代の波その1】
公平公正な手順が、結果や善悪より優先

事業とか企業には、自ずと社会一般への職業倫理(遂行のための技術技能水準維持を含め)が求められる。
今般の製薬会社事件では、その職業倫理の欠落が露呈した。殊に、「原材料の品質とか危険性」、あるいは「隠蔽体質の停止機能の常備」、そして「事故が起こった時の初動や対処」、であり、それは一般的初歩の危機管理プログラム・メニューだ。戦後に食品や医療系で事件事故起こした企業はいくつもある。が、キューピーマヨネーズのように、自らの責任が明確ではないにもかかわらず、即刻全品回収を行い、歴史的にも絶大な信頼を得たのだ。この製薬会社は、30年余り前に筆者の私を本社に招いたことがある、だが、中堅幹部数十人の前で話をしたけれど、関係は私から断った。
ちなみに、近江商人の末裔に伝わる心得は、第一に「世間よし。」である。次に「買い手よし。」、最後に「売り手よし。」が倫理として確立されている。(有名な三方よしは、奉公人用マニュアル)
そして、危機をチャンスとばかりに、「災い転じて福となす。」その経営力は、いわゆる老舗であれば当然のことでもある。


【新時代の波その2】
スマホ情報を見ているようで、チャンスに気づかない

学歴や地位を問わず、目の前のチャンスに気がつかない人が多い。その理由は、科学的に物事や成功・失敗の事例を学ぶ視点が無いからだ。その視点を気付かせてくれるのが、経済学や経営学の良さである。それは、チャンスと技術を一気に拡張してくれる。
気分が良くなる話とか、“持ち上げてくれる話題”ばかりに乗せられていると、他人やインテリ詐欺師の罠にはまるばかりである。学者・識者・医者・大学教授であっても、「金銭欲」が出てくれば、“現代の太鼓持ち”を演じる、それは日本の江戸時代でも然り、であった。「猜疑心が強く自己中心」の人物ほど、インテリ詐欺師のカモにされている。
ここ数年目立つインテリ詐欺師の特徴は、
物事を色んな言語や言葉を駆使して
“物事を分解・分類”してごまかし煙に巻く手法だ。
未だ錯覚して、科学を「物理学と数学」で説明・煙に巻く輩、
「IT技術でマーケティング」とか「量子コンピューター」とかを持ち出して、
実のところは経済・経営に活用を出来そうにもない水準だとかである。
そして強調した特徴は、聞いたこともないような、
びっくり仰天する“名詞”の言語を並び出すことだ
(決して彼彼女らは簡単明瞭な説明ができない)。
【前月号総務部メルマガで、詳細な理論をどうぞ】
 科学的に扱えば手間暇が掛からない
 https://soumubu1.blogspot.com/2024/02/#262-04
【確かに、この本の動画解説は、社会科学や精神科学を生かしたもの、ではある。】
 https://youtu.be/DchgkmQJhzU?si=ZGjThsZzGOqH0zuw
(参考)田中宇の国際ニュース解説会員版 2024年3月31日から引用
ウクライナ戦争の構図が長期化し、欧州が自滅して米国が孤立主義(米州主義)に転換すると、欧米が世界から搾取しなくなり、露中イランなど多くの非米諸国はすごく発展しやすくなる。
(欧米の搾取に比べたら中国の搾取はずっと少ない。今後の多極型世界では小国がいろんな大国と取引でき、搾取する大国を忌避できる。多極型世界は、戦後の日本のような八方美人の平和主義国にこそ住みやすいのに全然気づいてない大馬鹿)。
プーチンを筆頭に、非米側は、表向きだけウクライナを早く和平させようとしつつ、実際は、欧米が和平を拒否しているのを見て「ずっとやってろ。さっさと自滅しな」と思っている。
https://www.rt.com/news/594515-austin-ukraine-danger-america/


【新時代の波その3】
新価値観の戦略→戦術→アクション
新しい次代の波に乗るには、新しい価値観が、不可欠である。
戦略=
経済の時代の波に乗る事を選択する。経済活動や経営とは、事業となれば、それはそれなりに戦略を立てる必要がある。気持ちや気分は、さて置いて。冷静に戦略を組む。もちろん、科学的に扱えば、手間暇が掛からない。AI&ITは科学的とは限らない。とっさの勘所は熟練した人間の方が未来も予見でき、何よりも人間の方が早い。)物理学と数学を、科学的だと信じる宗教観の人は、意外にも多い。↓
https://soumubu1.blogspot.com/2024/02/blog-post.html#262-04
戦術=
今や、世界金融資本主導経済(メディチ家的企業)が破綻し、崩壊をしてしまった。今日では、主に地域密着型経営&地産地消といったスタートから再開する選択が妥当である。なおさら地場産業であったとしても然りだ。有能・適切かつ地域文化に適合した人材の確保、→その衣食住を支える体制にしても、衣食住の地産地消が重要だからである。(“円”ではなく、地域通貨の利便性と萌芽はここ。)
確かに、これからなおも、相変わらず海外資本は、日本に投資をしてくる。が、その実は日本各地域や事業の植民地化である。その植民地の許に事業経営を行っても意味は無い。社会学的に言えば、「貧乏人が貧乏人を作る。」だけであり、成長の要に対抗して「女性が女性を差別する。」に過ぎない。格言=戦術の失敗は、戦略の崩壊に直結する。
アクション=
それは、チャンスをつかむ効率の高い行動アクションを、いかに低コストで効果的なものを、数多く行えるかが基本だ。これからは、社員やスタッフに至るまで共感Empathyとともに、率先して行動アクションをしてくれ、需要者にも共感Empathyを伝えてくれるかが、これからの新経済のカギとなる。そこにArt域労働は欠かせない。AIとかSNSや電話でのメカニックなものは、敬遠される。“芸術性には希望”が在る。
<よくある失敗の防止>
 戦略とアクションを、同時に一緒に論じてはいけない。
  戦術とも、アクションを、同時に一緒に論じてはいけない。
   戦略と戦術を激論して決めてから後、アクションを決める。
    社内で、戦略と戦術に共感Empathyを持たれていない場合、
         前線で動くアクション分野からの反論としての、物議に至る訳だ。
     “戦略・戦術・アクション・閃き”の組み直し。強いると損害激大だ。


【新時代の波その4】
地元密着:地産地消などのビジネス基盤の創り方

結局のところ、数百年に渡る“世界金融資本主導経済(メディチ家的企業)”は破綻し崩壊してしまった。日本で言えば、1880年代後半(明治20年ごろ)から始まった産業革命と共に導入された“金融資本主導(英国などからの多額の借金)から始まり”、そして今、崩壊したという訳だ。
ここに、「明治維新始まって以来の大転換」と言われる所以がある。そして次世代には、AIその他の新技術革新でもって、新しい自由市場経済に向けた、“商品”毎の固有文化価値を含めての、商品流通の原則地元密着:地産地消から、再スタートするという訳だ。

実にグローバル経済は不採算であったし、“金融資本主導”とは、彼らがマーケティングという手練手管を小手先に=累積赤字の山を盛った。~に過ぎなかったのだ。加えてなお且つ“官民の官僚主義者”は、旧来の習慣でしか生きて行けないから、“経済外的裏金”に頼る人生(新自由主義の本質)に固執(刑法犯罪)せざるを得ないだけのである。

これから価値観は異なる。金融資本の文化傘下のビジネスは崩壊した。よって、中堅中小企業の、経営の“イメージ&基盤”が変わるのである。過去の成功体験は通用しない(世論の話題の製薬会社に向かう対応)。
そこで、社会や経済の科学的根拠のある項目を掲載する。そして、各地各人で実行してみて、成功のコツを各自発見していく訳だ。闇雲は無駄どころか実害を産む。
地元経済最小単位で経済が回り、採算も向上する。“地産地消”は金融危機にさらされても強い。その経済単位からは外に利潤が出ていかない。“流出を減らそう”との動きも、地方自治体単位で多々には在るが、まだまだ功を奏してはいない。
ことに衣食住の物品交換経済は、主に“地域密着型経営&地産地消”が決定的に重要な収益方法となる。その名称や形態は、“無農薬”“地元産”“ビーガン”“自然派”“フリーマーケット”“NPO”と、何でもよい。「地産地消」と「生産者消費者」の合体であればよい。~不正や犯罪の思考が、鎌首(かまくび)をもたげるのは、もとより採算が合わないとか、功を奏していないと成っているからだ。スーパーマーケットなる業態は、“地域独占”を認められているからこそ、成り立っている訳で、農水産物等の“身近な食”に拘わる商品は、もとより“配給品”なので単独での採算は割れている業態なのだ。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-09
地場や地域の海外交易で成功する起点は、地元経済最小単位が担うこととなる。(大都市内に含む)経済最小単位での蓄積こそが、隣接経済最小単位や大都市、海外の都市や海外生産者や店舗への進出の、(細やかであっても)基盤なのである。だから、海外取引先も、相手方から来訪しやって来る、こちらから海外現地へ行かなくっても来るのだ。商社の役割はここに在る、なぜか近江商人は、室町時代前夜から、こういった商人役割を知っていた。
その、経済最小単位は、現在の全国1万ヵ所の“中学校区”だ、現実に、適切な商圏であり経済圏として符合するようだ。その起点や基盤からの、国内の需要地域との交易の実際は(海外地域であっても)、SNS等の直取引ばかりか、専門商社や総合商社が、“手間暇の効率”さえよければ、アウトソーシングも出来るから心配も無い。更に、これからの時代は、金融資本系や内外政府の邪魔者(横槍)が入りづらくなる時代になるからである。~そして、ついでに、地方自治体の役人と政治家は(官民の官僚主義者でなければ、商売人でなくても適切)、ここまでの各項目に則しての、“入れ替え”は要する。……自らの保身優先の論理を、地方公務員法を無視してまで吐露(とろ)して平然としている輩だから。
実際に、地場や地元経済単位の柱は、原材料ではない。その考え方は、昔も現在も変わらぬ:地元の労働全般の職業能力集積・育成である。半世紀前の昔、「一村一品運動」なる政策が、九州から全国的に流行った時期があったが、誤って地元の農林水産物を柱にしたため、ことごとく成功しなかった。ちなみに、各地の昆布加工商品、辛子明太子始め、いずれも原料は地元産の原材料ではない、北回り航路だ。その商品を創り上げる労働能力全般の地元力である。
経済単位毎の文化の存在地域活性主体は労働力の質量集積だ。そこでの文化がマトマッテいるからこそ、Art域の労働全般力も発揮され、“他地域・他国へ行き”の商品利益率や流通(交通)効率も高まるという訳だ。ちなみに、日本でも、バブル崩壊後の画一企画商品の大量軌道生産繁栄前までは、それこそ相当量の“IT機器投資”が付随間接費として予算投入が成されない限り、近江商人の“商取引理念と発祥地人材重視”は実効性が強いから続いた。江戸時代の二宮尊徳の経済思考基盤も近江商人だった。更に今も、実に、“近江商人発祥地(湖沿岸を除く琵琶湖東部)”と“大阪の谷町&船場(この隣接2ヵ所が言語と文化を継ぐ)”~で育った人材は、確かに老若男女問わず、現在に於いても商業的勘定と算段の判断は、IT機器やAIに比べ仕事が速い。(ユダヤ人ではないが、家庭だんらんの話題は、今もなお商売と仕事の会話だし。)
商品はその経済最小単位から隣接・他の経済単位に(江戸時代からチラシ、今はAIやNetの手助けを含め)流れる。経済最小単位の、全国1万ヵ所の“中学校区”は、適切な商圏であり経済圏である。その訳は、①ほぼ世界同時に商品経済が拡大し~支配的となる過程の、“市(朝市)”とか、②寺院や教会で“市(朝市)”が立ち始めた経緯とか、そういった世界各地の経済史から予見できる(アプリオリ)事柄である。後の項でも述べるが、Net始め巷の起業アドバイスとか金融関係者の“借入融資の誘引”の夢物語は、金融業者由来などの絵空理屈なのだ。実際に資金や資本金さえあれば、どんな事業でも成功すると錯覚する者は、高学歴から順に比率が多い。だが、“上手の金融資本”に乗せられて、累積赤字不良債権企業合併で延命政府(国税・国債)の後始末の末路なのだ。
“Art域労働・芸術労働”は何がしかの希望を価値として産みだす。だから、地元経済単位毎の経済分野のリーダーだ。「物事は、リーダーの言ったとおりに成った試しは無い。」だが、「リーダーが居なければ何も無かった。」そのコトワザの通りだ。……よく観れば、大概が地場産業のキッカケだ。また、いま流行りのインバウンドは、“文化と住民の人”を観に来るのだ。ちなみに、何もない観光立国のフィンランドは、観光産業の胆(きも)は、“居住している人”であることを発見して、大成功しているのだ。インバウンドは観光産業へのインフラ投資先を間違ってはいけない、“人”が生えるインフラ整備なのだ。
新しい時代の常識:対:古い時代の常識、その比較(3ヵ月前記事)はこちら
https://soumubu1.blogspot.com/2024/01/blog-post.html#261-06
ふるさと納税は、もしかすれば、そういった学習の場かもしれない。大都市に地方税を結束集中させるといった魅力が、一気に意味を成さないでいる。オリンピックやカジノの誘致(巨額の中抜き利権優先と経済効果の無さ)に対する世論の動向だと思われる。地方へのふるさと納税傾向への現れだ。
現在の「価格決定権方式」=これが、その決定要件の解説表。すなわち、スーパーの生鮮野菜とか、行政機関の厚生事業物資は、もとより“配給品”なので、そもそも採算が合わない構造になっている。全体主義=旧商工省の岸信介が戦前戦後に持ち込んだ、ソ連スターリン計画経済そのものだ。(この下のURLを観察参照)
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-09
現在やそれ以前からの、過去の価格決定方式は、まるっきり、“迷信に基づく”方式と何ら差は無い。だから、“商工会議所”の経営指導(中小企業診断士制度など)を始めとして、そもそも日本における経営管理とか利潤の確保といったものは成就できなかった。これが日本の商習慣なのである。なので、これらの現行:価格決定方式の、“改革と変更”を要するわけである。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-07
世界金融資本主導のグローバル経済(メディチ家的企業)が破綻し、崩壊をしてしまった今日では、主に地域密着型経営&地産地消といったスタートから再開する選択が妥当である。そこでは、自然(日本流Common law)と“商品”→商品流通へと成り立つ。(グローバル初め不自然な金融資本の融資傘下は不採算と累積赤字だ。)
日本が学ぶべきは、幸福追求のイタリア経済の姿から(5年余前の記事)
イタリアは人口6000万人余、約8000の市町村数である。全体主義者経済のオコボレでしかない日本経済よりも、具体的な動きとなり、抑圧ではなく実現の原動力がある。イタリアに実質的経済赤字は無い。それは、金融ショックの被害を受けにくい。そこで、日本経済再生を、幸福と厚生を異なる概念と意識して、5年ほど前に「イメージを描いてみた(メルマガ記事)」~は、次のURLへ
https://soumubu1.blogspot.com/2017/12/blog-post.html#188-02

§天才を見つける、又、潜在能力を発見するには?
巷の心理学とか哲学の、面白・おかしい本といった類では、世間の人気を話題に論議をするだけでは、留まっていても仕方がない。まずは、目の前の人物が、今やっていることで、その人物の現状を見ることだ。

①さて。あなたや、その人は、例えば現在、次の表の、どの場所や分野の職業をしていますか。まずは、その人の現状をつかんで、興味や好きかもしれない範囲を広げてみる。
Art域労働・芸術労働記憶力不要:思考力 パフォーマンスPerformance(経験法則の積み重ね) スキルSkill(他人が企画したマニュアル実行
事業経営者及びArt域労働・芸術労働イノベーション担当局 経営者の秘書総務部長
社内の専門職・専任職行政書士
製造・制作工房部門Art域労働・芸術労働の補助や、その作業者
弁護士 税理士 弁理士 司法書士 士業に定める事務補助
経営コンサルタント 経営諸分野の各種講師 資料収集整理作業者
特定社会保険労務士 他の社会保険労務士 士業の補助事務職
SE:システムエンジニア プログラマー Dataの整理や入力
学問法則と創造性 経験法則の確立担保教育 科学的管理法の教育
②ここに示した、思考力の3分野。これは、「守→破→離」の3段階を順次、階段を昇るようにクリアするものではない。スキルSkillとパフォーマンスPerformanceは、いわゆる労働力として、あくまで報酬は賃金によって支払われる者。場合によっては、だまされてタダ働きとなる者もいる。
Art域労働・芸術労働は、思考力を磨いた上にあって、次に新しいものを創造するところの、労働全般能力によるものである。記憶力や受験勉強のような訓練頭脳は関係ない。必要であれば記憶は勝手に着いて来るから。それが人間の脳であるから。そういった記憶力の手間暇はIT機器やAI人工知能(対象は過去の記憶のみに限定だから)で充分に役立つ。
④Art域労働・芸術労働とは、記憶力で以て、単に数字や言語そして記号といった物を覚えて、学校の試験の成績が良いとしても、それらは何の関係もない。むしろ、小学4年ごろから、受験勉強や部活で思考力が育まれなかったとすれば、Art域労働・芸術労働は無理である。(遊んでいた子なら、取りかえせる。)
スキルSkill(他人が企画したマニュアル実行)
パフォーマンス(経験法則の積み重ね)
(四次元X・Y・Z・Time+結合Connect)
Art域労働・芸術労働
(五次元X・Y・Z・Time+結合Connect)
⑤Art域労働・芸術労働の創る商品価値には、人間に光をさす“何らかの希望”が含まれている訳だからだ。これをパフォーマンス(経験法則の積み重ね)だと間違えれば“審美・耽美”の“刹那的:凄さ”の世界に落ちるかもしれない。ここに示す、サルバドール・ダリ(Salvador Dali 1904年5月11日~1989年1月23日)の、このような作品は、短なるパフォーマンス(経験法則の積み重ね)の“耽美”の“刹那的:凄さに過ぎない。
⑥天才に近い人物は、現状の日本においては、とにかく変わり者とみられている。いわゆる同調圧力といったものを、本人は感じないほどに、児童ながらも若年ながらも、好きな事とか思うところの事柄を実行している。決して、めげてしまって閉じこもってはいない、うつ症状やめげて閉じこもる場合は、精神疾患に近いわけだ。小学校高学年でもなれば、大人の言動の本質を見抜いている。ただそういった天才に近い人物は、思考の範囲の広さが大勢の人物とは異なるから、大人の方がコミュニケーションを取りづらいだけのことである。要するに、天才に近い子や人物は、いかに能力を導いて磨きあげるかに将来がかかっている。ただ、どうしても思考力が鋭いから、視野が狭くなりがちではある。だから、優しそうな詐欺師に結構騙されている。次の図は、天才に近い人材に育つ可能性の特徴を整理したものである。


§音楽家:デヴィッド・バーンの、実践:芸術Artの、生涯作から抜き出し
(能力育成に資するための、メルマガ記事掲載に当たっての解説)

ここに紹介するデヴィッド・バーンの著作は、いわゆるArtとか芸術(ともに正確な邦訳はなく、その言語さえも時代とともに意味が変わり、解釈する個々人によって意味が異なる)=と言われわれる状況にあっても、全般にわたって、個々の状況や現象を表現しようとした現時点での著者の最新力作である。デヴィッド・バーン著作からの抜き出し部分は、四角い枠の中に、邦訳本から引用した。
アメリカでは、いろいろ調べたところ、“固有文化価値”といった価値概念について、その研究が遅れており、その価値の価格決定メカニズムばかりか、固有文化価値に係る“労働の全般的能力”の把握を始めた労働価値自体が広く考慮されていない。そこで、私が考えるに、「金融投資」に係る具体的手法を中心に、マーケティングとか報酬決定が思考されているに過ぎないようだ。したがって、単なる通貨で以ての価値判断がなされる社会の様相が強く、シンパシーや物資や労力の寄与は、強調されるのであろうが実質とか効率は伴わないようだ。
そういった社会の共通価値判断が横行しているためか、労働の種類は、スキルSkill(他人が企画したマニュアルを実行する能力)乃至はパフォーマンスPerformance(経験法則の積み重ね)の範囲に、労働というものを整理して納め切らないとの概念が強いようだ。Art域労働とか芸術労働といった、スキルSkillやパフォーマンスPerformanceとは次元の異なる具体的要素(五次元X・Y・Z・Time+結合Connect)が、どうも科学的に自覚化されていないのである。したがって自ずと、Art域労働芸術労働が、審美(耽美)主義との区別がつかない“ぼんやりした概念”のようだ。すなわち共感Empathyといった、日本での世阿弥(離見の見その他)などでなじみのある芸術概念も、アメリカあたりでは無さそうだ。
近頃は音楽業界にもマーケティング思考が話題となっているが、そのマーケティングといった販売戦略は、この度の“世界金融資本体制の崩壊”とともに消え去ろう(マーケティングは不適切金融融資の隠れ蓑の道具)としているにもかかわらずだ。
過去アメリカでは、1937年あたりから芸術家教育を、失業対策事業として実施した。いわゆる芸術分野における体験教育を行ったことから、それは終戦後のアメリカの文化を一躍発展させることに寄与して、戦後アメリカの経済成長に重要な役割を果たした。デヴィッド・バーンは、その終戦後のアメリカにおける芸術文化の成長とともに実績を築き上げた人物だ。日本でもその影響を受けた人はとても多いと言われている。その社会の根幹となった失業対策事業、詳しくは次のURLをどうぞ。彼の成長の背景を知ることも深い理解をする上で有効だ。
https://www.artpedia.asia/federal-art-project/


デヴィッド・バーンDAVID BYRNE(出版社解説から引用)
1952年5月14日生まれ。1974年にニューヨークでトーキング・ヘッズ結成。1991年の解散までにオリジナルアルバム8枚、ライヴアルバム2枚を発表。ソロとしても活動し、ブライアン・イーノ、X-Press2、ファットボーイ・スリムらとの共作をはじめ、現在までに多くの作品をリリースしている。1987年には坂本龍一らと映画『ラストエンペラー』の音楽を手がけアカデミー賞作曲賞を受賞。2018年に発表した『アメリカン・ユートピア』はブロードウェイでもパフォーマンスされ、スパイク・リー監督により映画化された。また、レコードレーベル「ルアカ・ボップ」を創設する一方、フォトグラファー、映画監督としても活動し、世界各地でのインスタレーションなど数多くの視覚芸術作品を発表している。

¶経済経営の社会科学的視点から、著作より抜き出した部分へ
かつてツアーは、主にマーケティングの一種と考えられていた__記事になって人を集めオーディエンスを構築することで、大衆にもっとたくさんのレコードを買わせるための手段の一つだと。そういう効果もあるが、ツアーはそれ自体が収入源にもクリエイティブな試みにもなれるものだ。ぼくたちは「ツアーでお金を失ってもレコードの売り上げで埋め合わせできるから大丈夫」という昔からの嘘を聞かされてきたが、それはもはや誰にとっても楽しくない。ミュージシャンにとって演奏は心理的にも肉体的にも楽しいことだから、現金だけが魅力というわけではない。ただ悲しいことに、つまりそれは僕たちを比較的簡単に微々たる報酬で演奏するよう入学できるということだ。ミュージシャンはいい仕事だが、だからといってそれで破産していいわけがない。(前掲書籍221頁から引用)
音楽がどんなフォーマットで届けられようと、僕たちが大切にする体験、僕たちが価値を置くものは、やはりはかない無形のものなのだ。広告主たちは常に、音楽の快感や喜びや驚きを瓶に詰めたり、香水、靴、ジーンズ、車といった触れられる物体にくっつけたりできるかのように僕たちを誘惑してきた__しかしそんな事はあり得ないのだ。それは不安定な獣であり、そこも魅力のうちである。(前掲書籍268頁から引用)
アーティストは過去に生きるのをやめて新しい資金調達の形を探すべきだと言われることがある__要は企業による支援、ライブコンサート、キックスターター、コマーシャルへの楽曲ライセンス提供などだ。しかし、そこで見当たる選択肢のすべてが、芸術分野における自由で活気に満ちた長期的な生活の実現を促している訳ではない。ファンの支援を受けるキックスターターのキャンペーンは、継続的な音楽のキャリアではなく、ある1つのプロジェクトの資金を集めるように設計されている。僕は企業のライブに出演したりコンバースやマウンテンビューやレッドブルやBMWから資金提供を受けるアーティストたちを悪く思っている訳ではない。__人がしなければいけないことをするまでだ。しかし根本的には、メディチ家的企業スポンサーシップ方式は実際に作られている音楽とその人の人生に与える影響に対して…(前掲書籍271頁から引用)
……むらおかコメント=書籍筆者は、ここで今のマーケティングの本質を語っている。キックスターターとは“最初に資金を段取りする専任職”のこと。メディチ家的企業とは“資金を金融融資で賄う”特徴を述べている。
音楽はなんのために(前掲書籍298~303頁から引用)
ある音楽は本当に他の音楽より良いのだろうか?
誰が決めるのか?音楽は僕たちにどんな影響を与えるのだろうか?高級芸術への愛と経済的な成功や地位とを結びつけることを前提とした音楽の利用は、時に露骨に行われている。
この戦術は特定の人々に、自分たちは歓迎されていないと感じさせる一つの方法でもある。
「ここはあなた方の文化的空間ではないのだから」というメッセージを(彼らは)感じ取っているのだ。これを「音楽の虫よけスプレー」と呼ぶ人もいる。これは社会的空間を作り出し、管理するために音楽を利用するやり方の一つだ。
自分自身の楽しみや自己表現のために演奏を学ぼうというものではない__純粋にあなたやあなたの哀れな友人が作りそうないかなる音楽よりも、クラシックに高い価値を置くことを学習させるものだ。
高級芸術を好む人々に道徳的な鋭敏さが割り当てられているのは、一般に社会階級が基準になっているのだと結論づけている。
……むらおかコメント=前掲書籍の著者は、現場に極めて疑問を持ち、次に挙げるような文章を散在させている。この著者の真意や心を知るには、誤解のないよう、少なくとも邦訳には目を通す必要がある。ただ、著者の違法とする本質の見当は察することができるであろう。
ミラーニューロン(前掲書籍345頁ら引用)
UCLAの研究では、僕たちは音楽をいかに受け取り感じるかには、ミラーニューロンが深く関与していると当てられている。…(略)…UCLAの研究グループは、僕たちの全てのコミュニケーション手段___聴覚的、音楽的、言語的、視野的なもの___の根底には、運動や筋肉の活動があると主張している。こうした動きの背後にある意図を読み取ったり直感したりすることで、僕たちはその根底にある感情とつながる。僕たちの身体的状態と感情的状態は分離できない___片方を感知することによって、もう片方を推定することができるのだ。
……むらおかコメント=ここに引用した文章は、共感Empathy(この言葉自体は1901年に造語として使用開始)について、神経科学の作用を具体的に、音楽などの演奏者と聞き手の動きを記述している。デヴィッド・バーンは、このように共感Empathyとコミュニケーションを科学的に理解して演奏しているのだ。
認知科学者のダニエル・レヴィティンが指摘する通り、あまりにもたくさんその通りになりすぎると(以前と全く同じことが起こると)、僕たちは退屈してしまい気が逸(はず)れてしまう。小さな変化は僕たちの注意を引きつけるのと同時に、その語りにとって重要な音楽的瞬間に注意を集める役割を果たす。(前掲書籍346頁引用)
……むらおかコメント=これと同じことが、日本では世阿弥が、それを教えとしており、それは能や狂言に引き継がれている。加えて近年の脳科学などにおいて、有名芸術作品全般の、脳への刺激が定説となっている。不完全だと脳が補う習性=あるべきところのリズムやメロディーがない、不協和音が入るなど不完全さをあえて使うといった事で、ここに鑑賞する人毎に希望を創造する作用との事。作品のストーリーやコンテキストを先に知らせると、鑑賞したときに疑似体験をするという。脳は人の顔に敏感、観客や演奏家の顔を見て…微笑んで、涙が流れて、みつめ合って歌うと…その数秒の瞬間で、内は解き放たれる、…というわけだ。さらには、細かい空白は、=在るところに無さそうなのは、脳への小さなストレス…(規則的に、完全に、リズムやメロディーを入れず。又はハミングを入れて焦点をぼかせるとか。)…の脳は喜び、ここでも鑑賞する人毎に希望を創造するとのことだ。(なお、私むらおかは、講演、仕事での説明、私的な演奏趣味などで実験済みである)
音楽は社会的な接着剤である--それは家族、国家、文化、様々なコミュニティーをひとつにまとめている。しかし、音楽はそれ引き裂くこともできる。音楽は時に善の力のように見えるのと同じだけ、国粋主義的なプライドを膨らませ、けんか腰の戦争の挑発を煽るのに利用されることもある。このようにコミュニティーや国家に適応される他に、音楽は自分たちを超越した世界、霊や神々の目に見えない領域、さらにもしかしたら死者たちの世界とぼくたちを結びつける宇宙的電信でもあるのだ。それは僕たちを肉体的に健やかにもできるし、酷く病ませることもできる。それはぼくたちにあまりにもたくさんのことをするので、単純に「ああ、音楽ならどんな種類でも好きだよ」とは言えないのだ。(前掲書籍346~347頁引用)
……むらおかコメント=デヴィッド・バーンは、この書籍で、「音楽とは、いったい何のために使われ利用されてきたのか。」の問題提起をしている。一貫した彼の主張は、CDを初め音楽機器もそうだが、様々な消費財商品を買わせるために、音楽は利用された。」というものだ。音楽作家や演奏者は経済的に社会的に地位が低いばかりか、音楽家として、その創造性や創造力は、ことごとく無視されてきたと述べている。
また彼デヴィッド・バーンの述べる、「けんか腰の戦争の挑発を煽るのに利用され」とは、ナチスドイツに自らを売り込み、その地位に着いた=ヘルベルト・フォンカラヤン(1908年~1989年)が有名である。評論家からは“作品の芸術的内容を軽視”していると批判されるも、カラヤンは公私ともに芸術ではなく、“審美主義・耽美主義”の特有な美学(美意識)を貫いたとされる。
確かに芸術全般にわたっての歴史は、時の権力や金銭に物を言わせて、ことごとく芸術家は利用されてきたのも確かである。だが、私むらおかが思うに、作品に、「鑑賞する人毎に希望を創造する作用を」、価値として吹き込んだがための物が、“芸術性”あるいは“芸術作品”足りうるものとなり、今日に至っていると考えられるのだ。
ここに、拝金主義とは異なり、これからの新時代の“新しい価値観”として、経済成長や社会発展に資する根幹があると考える。単に労働力を、“質と量で計測”して価値を認める、この250年程前からの自由経済市場のではなくて。

§令和6年10月からの社会保険適用拡大
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大
現在、厚生年金保険の被保険者数が101人以上の企業等で週20時間以上働く短時間労働者(パート、アルバイトなど)は、厚生年金保険・健康保険(社会保険)の加入対象となっている。この短時間労働者の加入要件が拡大され、令和6年10月から51人以上の企業等で社会保険加入が義務化される。ただ、この春から夏にかけての世界経済の激変によって、金融恐慌・生活恐慌が生じた場合、適応拡大が延期される可能性がある。ないしは、個別企業でのパート雇用の形が変わるかもしれない。個別企業の防衛策として一斉に、主婦層に人気のある“1日3時間週3日”労働のパートとか、高齢者で中心の、1週20時間未満労働が増えるかもしれない。すると個別企業の具対策は変わってくることは否めない。そこで、今回の記事では、とても長年にわたり厚労省が蓄積した、複雑怪奇な制度の資料を次の下のとおり掲載する。

この社会保険の法制度(日本独自のもので、日本からGHQ占領軍に要望して憲法25条として根拠を設けたもの)を柱に、制度の枝葉にわたり関係制度を視ながら、理解することを要する難解ものだ。社労士試験に合格しても間違うし、ただ頭脳明晰と言うだけでの我流では、瑕疵(かし)が後を絶たない代物であるから注意を要する。

短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(令和6年10月施行分)
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.files/QA0610.pdf
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(その2)(令和4年10月施行分)
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.files/QA0410.pdf
(参考)日本年金機構:
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大のご案内
https://www.nenkin.go.jp/oshirase/topics/2021/0219.html


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240409】
今月、お勧めできる書籍は有りません。