2022/12/26

号外:来年1月号、状況激変につき配信延期

思わぬ、年末から年始にかけての、経済状況が激変する。
ところが、御めでたいことに、日本では情報収集とか取材が極めて困難になることから、毎月10日直前火曜日深夜の配信を、
=来月に関しては<1月6日に変更>をします。
一般的に世界は新年を迎えるといっても、ほぼ通常通り動いている。新年で止まってしまうのは日本ぐらいだ。クリスマス(世界では12月25日とは限らない)、国慶節とか旧正月、イスラム圏は夏の犠牲祭といったところが、日本の新年のような状況との事のようである。

例年になく日本では、今年に限れば、年末年始にかけ世界の様々な状況が経済に影響する可能性がある。

①金融市場が年末年始にかけ激変する可能性が大きい。
過日、日銀は日本独自の金融政策を転換し、金利上昇に転換をした。日本政府とは別に日銀の独立性を示したが、政府と日銀の金融政策がまとまらなくなった訳だ。住宅ローン初め金利が大きく変わり、今や死に体に近い大手を始めとした個別企業に与える影響は大きい。堅実な中堅・中小企業にとっては、さほど直接影響はないが、一気にマーケットの状況は変化する。アベノミクスと称する経済政策が、四分五列に崩壊したことから日銀は独自に舵を切ったのだ。

②世界の工場といわれる中国。ここに来て一気にコロナによる工場の操業停止が相次いでいる。半導体工場とか電気自動車工場を初めとし。そう、先進国は中国から多くの日常消費材を輸入しているから、相次ぐ操業停止は労働者層や貧困層を直撃する。中国の産業恐慌が、→先進各国大都市の生活恐慌を激発させる。この寒空の食糧危機だ。ミサイルが日本に飛んでくるのではなく、中国も不本意ながら日本向けの経済物資:出荷停止なのである。43兆円もかけて、廃棄される旧式米国武器を高値で買うどころではない。ちなみに自衛隊は現場装備不足、隊員定員割れ、セクハラ蔓延、原発は無防備であり、故郷や生活や国を守れるどころの話では無い。

③ウクライナをめぐって、ロシア冬将軍の動きが活発だ。
ウクライナを真面目に応援する諸国は、軒並み物資不足と経済危機に陥って、ウクライナ支援どころではない。ウクライナ側は、武器・弾薬・医薬品の欠乏などで、ほぼ軍隊は崩壊。全土に渡ってエネルギー不足に陥っている。16歳以上を招集するなど末期状況だ。アメリカ軍側もロシア軍優勢と言っている参謀情報も多い。ウクライナは、“グローバル金融投資経済"と“現物市場経済”の間の、表のせめぎ合いを表していると考えて観ていくことが妥当だ。

④(メルマガ読者向けの専用記事)
今年は、個々人の生活格差が一気に広がった。円安・株式・FXとか投資などといったものに対して、本当の経済経営の学問的無知のために、極めて多くの人が財産・資金を失った。“円安ドル高”は、3月7日の1ドル=115円から~10月21日の1ドル=150円への変動は、中間層と言われる人たちの明暗を分けた。本当に経済経営学を学んだ人たちは、この相場30%増にあって、細目に変化する為替差損を見逃さず、投資額を40%も増やし、10月21日直後にドル預金を全て日本円通貨預金に預け替えた。この人たちはバクチをしない。「政府の相場介入」のマスコミの流す情報は信用しない。何事も学術でもって大局的に判断していた。“FXだの円安金利差”などと浮かれた人は儲け損ね、突如沈黙を続けている。そして、現在の政府に国税を納付したくない中間層らは、“ふるさと納税”と称する自治体への年内寄付に奔走しているようだ。昔ながらの=寄付金数万円の寄付は、中間層の余裕がなくなり、過去のような“ふるさと納税”は下火のようだ。寄付金額のプレゼントの還元率といっても、日本経済の将来兆候からすれば高級品だ。“大儀は、ふるさと納税”、本音は節税だとしても、今の日本の憲法の理念は、「まずは生きていくこと」なのである。筆者も生活防衛には役立った。日常的に学び研究して、本当に経済学経営学が身にしみて、直に身近に役に立った。

⑤来年は、「良い年」になりそうにない。社会も世の中も激変する。
まずは旧来のものが崩壊してしまって、もう機能しない状況だからだ。新しい時代へ向けての、_文化→経済活動→社会体制_が必要(=人類の進歩)とされるわけだ。戦後に生まれて以降の経験しか知らない人は、どうしても過去を振り返ってしまい、過去にしがみつき、戦前とか明治維新以降の美談?に期待を寄せてしまうものだ。狭い経験の積み重ねだけで生きてきた人は、どうしても現実離れをする。なので、周囲の人からは相手にされないし、失敗をするのは当然なのである。現代は、“自由平等のために社会を形成”するといった体制にある。よって、生活や暮らしに身近な細かい物事ならば、相当多くの部分で現在の法律(刑事法や民事法)が守ってくれる。ただ日本の体制とか社会制度は崩壊状態に陥ったので、新しい時代に向けて、新たな_文化→経済活動→社会体制_へと、身近な目の前で細々とみんなで開発発展させることが重要なのだ。いまどき依存症に陥れば、うつ病などの精神疾患にかかってしまうのが当然だ。

来年1月6日の、月刊:総務部メルマガ第249号をお楽しみに

2022/12/06

第248号:その道のプロは、異口同音に語る。

<コンテンツ>
言うことを聞けば、融資:投資をしてやる!が自滅
年内と正月明けまでに、経済危機への準備を固める
新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20221206】
 _ICT機器を十二分に活用できる、知の樹木_


§言うことを聞けば、融資:投資をしてやる!が自滅
その昔、“陰謀と隠蔽”を繰り返す王侯貴族支配に対して、1789年:フランス市民革命が起こされた。当時の商工業者(労働者はほとんど居ない)が柱となって、お馴染みのルソー、ディドロ、ロベスピエールらが有名人ある。その時に、今の社会の柱も形成された。窃盗(他人の占有物を盗む)とか不法行為(無契約での賠償制度)といった現在の民事法の柱も出来た。(それまでは旧約聖書が柱でカトリック神父が介在、ことに当時フランスではローマの言うことは聞かず独自論理の展開をしていた)。~そしてフランス市民革命により自由平等のための文明Civilizationの制度が導入された。ここに用いるCivilizationとは、Civilityが先に使用されていた言語で、この段落の冒頭に述べた、“陰謀と隠蔽”に対して市民は「礼儀正しく」と、当時戦う様子の名残ともいえるのだ。同時に、先に述べたお馴染みの有名人は、「迷信を聞くな~」と力説していたのである。以上は現在日本の話ではなくて、233年前のフランスでの社会形成(文明Civilization)の歴史話である。

今回の経済危機とは、今述べた文明Civilizationとされる経済社会構造から続いてきた基盤が、一気に崩壊・自滅する事態となり、「その道のプロは、異口同音に語る」に至っているわけだ。では、そのように語ってはいない人たちは何者かといえば、それは、①専門家でもなければプロでもない者、②崩壊する勢力や集団から生きる糧を受けている者、マスコミその他の宣伝の中で“無難に他者らと同調”しようと錯覚する者といったところなのだ。

~その急速に、一気に崩壊・自滅する事態に至った原因とは、
高利金貸し業者や貴族らからの借入で“世界金融システムを回した”ところに原因があるとの学説が際立って強い。アメリカを先頭に(それも中国をも含め)不自然かつ非経済的な融資に走った。それは借入金書面(IOU)を担保に融資を受けるモノから、次々と新手のカラクリで以て返済を先送りするモノに至るまで目白押しだ。また、世界の貴族は闇での融資を世界向けに行った、そこで、トービン税(金融取引税の一種)の導入機運が世界的に高まったが、そこにコロナ感染パニックが不思議にも舞い込んできた訳だ。また、そういった融資を受けたい国々は、貴族向け接待所とかカジノを設置する訳だ。新自由主義と称する事実上の無政府状態よりも、そちらの接待所とかカジノが手っ取り早いというわけなのである。こういった事こそ、統計数値とかAI人工知能ではわからない。現地のふとした画像とかインタビューからきっかけをつかむのだ。(「客観的証拠ばかりを追いかけていては、事実関係の知識が収斂してしまう」というのは、学問とか科学を貫く際の、旧来からの戒めでもある)。

★その、フランス革命から一貫する社会構造とは、次のものだ。
『俺の言うことを聞け、融資:投資をしてやる!』が崩壊・自滅をした訳だ。だから、過去にしがみつく無知無能な輩は、“武力略奪の植民地”に復古を新アイディアと錯誤するし、いちおう頭脳明晰な日本の官僚たちは、“増税して金を集め”、“お友達に事業利益の高い金食い産業”に向けた公共事業(IT≠デジタル化産業や軍事資本主義産業?)にて発注をするのである。
明治維新前に長州五傑の最年少だった伊藤博文は江戸時代のうちにイギリス留学している。それから明治の1868年以来150年ほど、官僚という集団はそうやって結束し私腹を肥やす夢を追い続けて来たといった訳なのである。そこでは一般指名競争入札は形だけ。日本は、アメリカ軍事産業から、ほぼ中古品に型落ちした武器などを買わされる。アメリカからすれば、文句を言わない庶民には余力があると見なされるから。
~このように観れば、ほぼ誰もが納得するわけだが、ここに経済の学問的本質が見えるわけだ。いつものように、くどいようだけど、学問で成功するということは、一般の人が「何だ、そんなの知ってる!」という反応が肝心なのだ。理論物理学者のアインシュタインも同様のことを信条としていたとのこと、加えて自分自身を芸術家と位置づけていたとのことだ。(研究書籍:『アインシュタインの思考哲学』本年夏に邦訳が出版された)。


§年内と正月明けまでに、経済危機への準備を固める
さて、経済危機が、次々と押し寄せている。
恐慌の種類といっても、金融恐慌→産業恐慌→生活恐慌
といった具合に、種類とその順序、それぞれに及ぼす影響が異なるのだ。だから、マスコミとかプロでは無い輩の、曖昧な言葉の使い方に翻弄されてはいけない。
★そして、次に列挙する項目を中心に、改めて見直し実行も要するのだ。

≪行頭の“●”をクリックすると、各コーナーに飛びます≫
●“経済危機でも役立つ経営手法”の具体例はこれ。
●【虎の巻1】事業経営の柱を“Art域労働”に転換
●地に足をつけ、6分野、先んじてイノベーション
●「人をケアcareする」サービスのイノベーション
●新商品を、新顧客に提供を成功した、成功の概念表
●ICT産業革命で生み出された飛躍的便利な手段
●IT機器やネットに頼りすぎると、大きく道を間違えてしまう
●言語を劣化させない経済的意味と、そのチェックポイント
●若年層が保つ、世界を先駆する:最先端倫理学を、まとめてみた
●個別企業や個人の立ち居振る舞いのヒント(再掲載)
●何事も、科学的視点がなければ~
●天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
●自らの心の移ろいを、科学的分析的にたどってみる方法
●【発想や着想を生む行動パターン感動や希望に加え危険回避策】

今は金融恐慌であるが、産業恐慌はこの2月末から本格的になると筆者はみている。毎年の2月不況がそのまま転落して行くのだろう。なお、例年通り年末は、通常の国債発行のため物価は上がる。そして来年2月には数千品目の値上げが発見されている。

来年は、いったん金融システムが停止するから、実体のある産業や事業しか残らない。すなわち、実体のない企業などにぶら下がっている中堅中小企業とか労働者は窮地に陥る。だから今から準備が必要だ。
“都市”というものは、地域からの物資や労働力の流入があるから存在することとなり、そのための労働者や中小零細企業が集積することによって商業流通が成り立つということになっている。昔から、戦争・疫病・災害でもって、“都市”というものが崩壊したことがない。それは、“ある程度科学的な宗教観”や“進化に資する慣わし”によって維持されてきたものが存在したことによる。そして、先ほど来述べる文明Civilizationの制度が導入されたことにより、自由平等の充実とともに“自然・精神・社会の各分野の科学”の発展と、“その科学に基づく技術”の確立によって成長をしてきた。これからは、“陰謀と隠蔽”に紛れた“デジタル化"とか“型落ち武器購入”といった産業政策では失敗して損をすることは明らかである。

なので、ICT産業革命の進展と共に、地方経済再生と。そこには、
①対立を避けて。
②様々な事業や企業の経営者が。
③技能者(より科学的な視点を持つ職人)
を組織することなのである。本来はそのために、職業安定所は職人層への“科学的視点”と“ICTを使った意思疎通能力”の教育訓練が喫緊なのである。職人に当てはまらない[専ら労働力]の人たちへの緊急対策は、このメルマガ前項で述べた=本人の海外への出稼ぎを5年間ほど緊急実施する程度しか手はないのである。それはしゃにむに、大手企業などから解雇されたといっても、そういった“マニュアル型労働力”では、きわめて残念ながら経済の足を引っ張るだけである。

(以下、参考URL)
「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
日本人の海外への出稼ぎ、即:民間でできる雇用対策
そして、加えて、昔からのコトワザで、
「リーダーや預言者の言った通りになったことがない。
しかしながら、リーダーや預言者がいなかったら何もない」。

とされている。だがこれからの未来は、経済の豊さ(満足)と幸せ(自由な人間関係)が重視されることとなり、これからは
「リーダーの役目は、新しいリーダーを創ること。から」
と変化する。“陰謀と隠蔽”にしがみ付く者は、リーダーを排除し潰しにかかる。

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・“経済危機でも役立つ経営手法”の具体例はこれ。
#A 事業を軌道に乗せる(5段階かつ5分野にわたる)5つのステップ
#B 事業活動の課題(問題点)は4分野だけ。その他は派生的なもの
#C 社会共同体は“ICT機器とともに”各種各分野に形成される
#D 学問的知識や学術と法律を、知っていれば自信とアイディアが出る
#E 具体的な新商品や新サービスは、“固有文化価値”で仕上げる
#F 経営方針、トラブルやクレームへの対応は、物事を混同すると混乱する
#G 「工業生産的思考パターンや習慣(システム)は、まったく通じない
#H 地域経済の利害関係者をまわって、「良い事」を探し回ること
#I 地域経済とか個別企業内での“イガミ合い”の起る原因、それをどう解決するか
#J そして決定打は、あなたが、あなたの習慣を変えること。

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・【虎の巻1】事業経営の柱を“Art域労働”に転換
①別企業の事業経営の柱を、“Art域労働”に転換するヒント
#ものづくり、小売サービス、農林水産その他全般に共通。
②あなたが社内を超えて“価値観の似ている人”や仲間を得るヒント
#その人の世界観などを早く把握、期待ハズレ確率低下。
“債権債務に縛られ+資本投資を前提にした計画経営”は世界で崩壊。これが、“世界経済危機”の経済学的本質だ。労働全般能力の一部分ごとに、“労働力として切り売りで細切れに使用”するから、利潤構造の崩壊が始まったのだ。
その1 Art域労働のウォーミングアップ
その2 意気込みとは、どのようなもの
その3 知恵の発揮、その具体的方法
その4 物理的な、能力向上方法
その5 Art域労働の、姿勢や・やり方
その6 Art域労働を、拡張する日常イベント
その7 日常の心得(その心の持ち方)
その8 日常の行動とはどんなもの
・【虎の巻2】“価値観の似ている人”や仲間を得る科学的道具

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・地に足をつけ、6分野、先んじてイノベーション
その狙い目、そして喫緊の6分野
【さっさと辞める商品やサービス】経済危機の津波の後まで考える。
「さて、大洪水よ、来たれ」の覚悟では自殺も同じ。
混乱しても、診て、手を打つのは、経営の4分野だけでよい。
経営の川上から川下の、収益性・生産性・労働意欲・効率性のみ。
(その余の問題点は、混乱期は、他人任せでよい)
日本の地域経済とか地元中小企業には、長年培われた文化開発熟成の能力がある。それは決して大手や金融資本に翻弄され、“全面思考停止”または“サラリーマン経営者の上意下達(じょういかたつ)の報酬確保と苦痛回避”といった依存症文化ではない。

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「人をケアcareする」サービスのイノベーション
この分野のイノベーションは、すでに10年以上も前に成功の法則が確立している。ところが、この間、日本経済がイノベーションから無縁の政策にさらされ、あげくにグローバル経済は破綻したというわけだ。そこで、約10年前の2013年4月8日に作成したものを、現代ICT技術の活用および、神経科学や行動経済学などで進化した項目を付け加え、加筆修正をする。イ)~チ)の9項目のうちから、ただひとつでも具体化をすれば、顧客増加とか収益に影響することは保証する。その理由は単純で、多くの事業主とか経営管理者が、ありもしない金融とか投資といった幻想の経済政策に惑わされてしまっているから、あなただけが実行すれば、はっきり目立つというわけだ。またはされたままでICT産業革命の運気をある頃としても、それは猿真似に過ぎない。

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新商品を、新顧客に提供を成功した、成功の概念表
ここが、社会主義計画経済あるいは、日本政府計画経済とは異なる概念だ。これは、世界各国に共通するものだが、日本の地元経済(取引は多国籍も含め)で成功している事例ともまったく共通しているものだ。
まだ、ICT産業革命の真っ最中であるから、これから有効かつ効率的なICTとか告知イノベーションが確立されていくわけだ。現実には、日本のICT機器導入は、概ね失敗が続き、IT業者に翻弄されているだけで、人類進歩の域には達していない。もちろん利益モデルに至っていない。日本政府のデジタルとかIT機器の扱いは前近代的人海戦術かつ不良品の水準だから、ICT産業革命の足を引っ張る姿である。実行した分だけ不良債権の山積みである。また契約も、追加の乱発で「あとから水増し」となる業者収益方式だ。マイナンバーを初めとして“経費増と受益者負担増”の繰り返しである。日本のIT業界では、SEとプログラマー各々の教育をする体制も、35年以上も、IT業界や経済団体の指摘もされ、筆者自身も育成の説明に加わっていたが、IT人材不足と言われながらも政策は行われず、体制は全く整えられていない。

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ICT産業革命で生み出された飛躍的便利な手段
☆目前の課題に対応できる学問を、「基礎から順に学ぶのは無駄だ」
☆「膨大な情報量からパターンを見つけられさえすればよい」
【人間が下に向かって野蛮化している思考パターン】
【上に向かって人間は野蛮化している思考パターン】
☆根拠として扱われないものの、論理構成を支える証拠かもしれないのだ
【精神を持った生物だから素早く決定できる】
【エキスパートの高度専門知識判断】
【チェスの偉大なチャンピオンも直観力】
☆「相手の目を見て世間話をすること」

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・IT機器やネットに頼りすぎると、大きく道を間違えてしまう
【ネットだけでは、とんでもない勘違い】
【普遍的な原理原則、知ると知らないで大違い】
【管理が先か作業が先か?のジレンマその答えは簡単】
【脳に負担をかけないための、紙チェックリスト】
【仕事への横やり、それを見抜く方法と解決】
【最も要領の良い、作業時間の計画手法】
【思考の反復が脳を変える。だからネガティブは避ける】
今や日本政府のデジタル関係は、極度の低品質・モノによっては不良品と判断されても仕方のないようなシステムが、それも次々と乱立している。お題目ネットワークと言っても、全くバラバラで統一性もなく、その分野に無知な人物だけが、「ネットワークに期待する」と言うものだ。ことに、社会の制度に関わるものだから、第一に円滑な社会制度を運営促進するための仕組み+、第二にIT機器の機械的作用の導入が必要なところ、そういった結合を図るときに、第一の仕組みが理解予想できない状況なのである。したがって、何かにつけても膨大な予算をつぎ込んでも、まともに動くシステムが完成しないわけだ。
国民の一般多数は会社や自宅にあるパソコンの不具合やトラブルさえ対応できない水準だ。スマホも、話す・見る・メールなどする程度で、その人の「仕事や目的のために、機器を使いこなしている」といったことは稀である。従来に比べ生産性も効率性も極めて低く、その根本原因はIT機器を使用する前の、物事や情報についての整理整頓とか★★★何で構成が成り立っていないところに原因がある。ことに、日本の学校教育では簡潔な文章を書く教育訓練がなされていないから、メールを書けばほぼ“インスピレーション・ゲーム”の水準であるから、さらに生産性効率性が落ちるのである。
そこで、仕事をする上での重要な前提を、いくつか紹介することとした。

≪小さな見出しをクリックすると、オリジナル記事へ飛びます≫
フェイクニュースとか、フェイクの「お話」に騙されない!!
言語を劣化させない経済的意味と、そのチェックポイント
(これは各国言語に共通とされる)
スマホの普及と“言葉を曖昧にせざるを得ないマーケティング”によって、意思疎通やコミュニケーションに不具合が生じるだけではなく、商品生産の流通にまで不都合が生まれている。芸術やArt域労働は、日本での製品やサービスの商品価値の根幹を形成する。
芸術やArt域労働の3大分野は、次の通りの働きを商品の価値形成を持っている。
これからの経済活動に資する人物を見抜くには
・「頼りになる人物」に成りえない人物を見抜く、歴史のヒント
・その2分野の①=彼らの、理念と生きる目的=
・その2分野の②=彼らの、思考方法や行動のパターン=

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若年層が保つ、世界を先駆する:最先端倫理学を、まとめてみた
・そもそも倫理とは、いまどき、どう整理されているか
・スロートら現代の、感情主義的倫理学と、
 新アリストテレス主義的:徳倫理学との学問比較すると

・肌感覚で、中高老年と壮年若年と女性本来を比較してみた
(コラム4)「心のない乾いた眼差し」の名言の由来
①極めて重要なポイントは、能力水準保持・向上に関わる作用である。
~倫理を嫌がる人らが、このポイントの骨を抜き、形骸化させる。
②倫理は具体的行動基準であるから、「〇〇しよう」とか「〇〇される」
→といった表現で差し支えなく、実際の行動を効果的に導く道具である。
③具体的な言葉表現や規範で表され、その表現の独り歩きを前提とする。
#道徳となると生活習慣に根ざすイメージMental‐imageという作用だ。
道徳での善悪基準は近年、“人類の進歩進化“に資するか否かである。

科学の発展は、用語の概念の発展として現れる。
・知とか知識見る分かち合いイメージ神話啓蒙(思想)
 自律 理性力(理性) イデオロギー 立場 ジェンダー 思春期

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個別企業や個人の立ち居振る舞いのヒント(再掲載
今ウクライナの事態(ロシアへの制裁、欧米とロシアの対決など)も併せ、世界経済のグローバル経済は激変する状況。欧米とロシアの対決で、グローバル経済圏は一旦停止し、再編されることとなる。それは、アメリカ主導の経済・サプライチェーンから離脱する道が、煩わしい交易経費や国際協調の付合いを免れるだけでも有意義だと考える節もある。生産者と消費者が揃わなければ、経済は成り立たない。
今一度、次の表を見ていただきたい。01/04号の総務部メルマガ記事の再掲載。

≪小さな見出しをクリックすると、オリジナル記事へ飛びます≫
何事も、科学的視点がなければ~
渦巻きに飲み込まれ、騙されていては、転落沈没からは這い上がれない。
科学とは、「いつでも、どこでも、だれでも、その法則が当てはまる」という仕組みだ。
これがなければ、物事の見極めがつかない。物事の見極めがつかなければ、周囲から自分自身は潰されてしまう。
何事も事業化をしようと思えば、“いまどき流行のエビデンス?”ではなくて、科学的裏付けが必要なのだ。自然・精神(人文)・社会の分野をまたがる(Transformational)科学的裏付けがあれば、失敗の確率は極めて低い。人間は3人以上(夫婦と赤ちゃん)が寄れば、学問で言う哲学が必要となり、普段に行っている。物事の事業化には科学が必要となり、労働基準法で言う10人以上が寄る事業所の就業規則作成義務も、それは、“科学的組織的”な政策戦略なのだ。

このメルマガは、科学的視点を徹底して尽くし作成している。判らない事は、分からないと書くか、ないしは何も記載しない。イデオロギーは他人のものを紹介することはあっても、良心に基づいてイデオロギーの自由が保障されるとはいうものの、科学的根拠がないから取り上げ記すことは無い。物理学者のニュートンは、「神の被造物の法則性を明らかにする」ことを科学と定義し、「神と科学のどちらを優先するのか?」といったカトリックの愚問を封じ込めた。ありえなくなった。この経済経営とかの分野でも、「進化は善とみなされ、退化は悪となる」のだ。

科学的視点、その有無をチェックするには~
先ずとりあえずは“合理一貫性”が貫かれているかどうか、
そして“事実一致性”が用意されているか否かである。例えば、官民を問わず官僚主義者が観念で以って政策をごり押し、事実との不一致を、「現場の部下の運用能力の無さだ」として、具体的手立てを示せない官僚の無能さを表す姿も、そもそもが“事実一致性”の欠落している表れなのである。
具体的有効手立てを示すことができなければ、BIG-dataも、AI人工知能も、デジタル統計化も、何ら一切が科学的視点とは言えない代物なのである。

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天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
①発見のきっかけ~から、⑥知恵の法則まで
個別企業が、コロナ禍を耐え忍び、
“Afterコロナ”の核と担い手となるのは天才の存在である。
そこから生まれる商品(Art域労働による固有文化価値を含むモノとコト)なのである。
もちろん、それは多品種少量で、ICT産業革命の波に乗っている、莫大な金融投資といった新型コロナ:パンデミックで崩壊してしまった産業構造ではない。出来上がった商品は、洗練され真髄を得たマーケティング(発注者に媚を売る捏造ではない)&販促方式ならば売れる。ここでいう商品とは、後述する⑤項目で示す“経済学の商品定義”のことであり、

≪小さな見出しをクリックすると、オリジナル記事へ飛びます≫
自らの心の移ろいを、科学的分析的にたどってみる方法
それは、フェイクニュースに流されたり、知っているだけの知識なので他人から丸めこまれないために。加えて恐怖から、心にもないことを言い聞かせてしまう“自己欺瞞や洗脳からの被害”に合わないために。その初期から、その危険性を自らで発見できる優れ手法だ。やはり科学(自然・人文・社会の3分野を横断的に)といったものは、人類を段階的に発展させていった発見や手法の素であるから、これをより上手に使いこなせれば経済経営ばか
科学の発展は、用語の概念の発展として現れる。
・知とか知識 見る 分かち合い イメージ 神話 啓蒙(思想)
 自律 理性力(理性) イデオロギー 立場 ジェンダー 思春期
さて、前述近年の科学的思考(史)と人文科学(近年は「精神Mind科学」との概念へ)の飛躍的発展示す、そこで使われる用語概念を表にしてみた。

≪小さな見出しをクリックすると、オリジナル記事へ飛びます≫
【発想や着想を生む行動パターン感動や希望に加え危険回避策】
【実行すら困難な、戒め!説教】
__行動科学や行動経済学そして脳科学や神経科学等の知見から、
有効とされている習慣、その身近なものをまとめた__
(筆者の前向きコメント)

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20221206】
 _ICT機器を十二分に活用できる、知の樹木_

今月の推薦図書はありません。
そこで、この時期の知的インテリジェンス情報収集のための、お勧め画像です。極めて古典的な文献を漁ってみても、ICT機器に翻弄されない有益情報の整理の概念をした概念図が見当たらないです。私が以前に、それなりに整理して作り上げた概念図を再び紹介します。この枝と葉の部分|、及び毛根や根っこ部分はAIに置き換えることができます。幹の部分を置き換えることは相当期間無理でしょう。量子コンピューターが出来たとしても、枝葉や毛根や根っこ部分だけ。それも、人間の専門的知識や教養(専門外の横断または深層知識とか?)が無ければ、泣く子も枝葉も、生やし張ること自体に気がつきませんね。これからの豊かな経済と幸せを確保するには、従前の人たち気づかず、ありが無理だと思っている、ちょっとした創意工夫が、とても重要(新商品や新サービスの要)となりうるのだ。現に、よく似た商品でも売れ行きの違う状況にしても、そこに原因が存在しているから。
http://soumubu1.blogspot.com/2021/12/#236-05

2022/11/08

第247号:すべての迷信を排せば、希望と夢が湧く

<コンテンツ>
国内には流されない、世界経済やウクライナの情報
“希望とか将来の夢”は、現象の有無ではなく、創るか否かだ。
“総務部門”の役割は、一気に変化し一変する
日本人の海外への出稼ぎ、即:民間でできる雇用対策
【緊急課題】日本のあらゆる場所にはびこる“女性奴隷化”
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20221108】
 ①英語の語源大全:365日、頭と心がよろこぶ100の驚き


§国内には流されない、世界経済やウクライナの情報
今月号のメルマガ、最終校正を11月8日の夜に行っているが、アメリカ議会の中間選挙の様相によっては米国ドル相場が、このメルマガ配信中にも大暴落するか分しれない状況なのだ。その選挙状況によって暴落という意味は、そもそも暴落しても当然な、アメリカ“経済金融実態”があるということなのだ。さらにこれが、アメリカを始めとするグローバル経済圏と、これに対抗する現物資源経済圏(ロシア、インド、インドネシアなど)との、“つばぜり合い”につながっていく動きである。
日本のマスコミなどはこういった世界経済の情報を流さない。
また、今述べた2つの経済圏の、“つばぜり合い”の現れに、ウクライナ戦争がある。そう考えるのが、さまざまな経済や動きを見るには妥当なのだ。
  • ロシアからのドイツなど向けのパイプラインはロシア所有物だが、これが爆破攻撃をされた。イギリス政府がこの攻撃を行ったと認めた。
  • ウクライナ側のミサイルやロケット弾などの弾薬物資は製造が追いついていないことは確かだ。
  • ロシア軍は真冬になるまで、敢えて有利なように待機しているとの情報。
  • そこへ、アメリカは極東空軍のF15部隊を沖縄から撤収させるという。
  • 加えて、アメリカ国防省の発表は、「中国のミサイル標的は、東京の横田基地や座間基地だ。」と発表した。

 このメルマガ筆者の私は、政治は嫌いだし話題を避ける方だが、ここまでの動きになると世界経済や世界交易基盤の大異変であるから、全く触れないわけにはいかない。
  • 戦後の日本が、国交のない中国とか北朝鮮そしてロシアとの密貿易で経済成長したことは事実だ。
  • 密貿易を国に制限され、ことに関西経済が停滞したのも事実だ。
  • その後、貿易より金融経済に走ったらために、Made in Japanを支えた技術力が落ちていって、日本の経済順位が落ち込んだのも事実だ。
@ここにきて、日本経済や社会にマイナスを及ぼす、様々な暴露とかニュースが飛び交っている。日本の多くの人は、正直で真に受ける人が多いから、“美徳を実践する”善なる社会傾向ではあるが、その分“希望とか将来の夢”までも失いかねない側面も強いということだ。だが、「奴隷になれ」と言われれば奴隷に、「幸せも満足も我慢しろ」と言われれば飢餓や短命や紛争もいとわない。そこで今回は、その部分についてのインテリジェンスを、個別企業にも個々人に対しても、自然・精神・社会の分野にわたる科学的根拠を押さえ上で提供することとした。テクニックや方策だけで、未来を開くどころか対策も成し遂げられない見通しだからだ。


§“希望とか将来の夢”は、現象の有無ではなく、創るか否かだ。
マスコミとか宗教団体とか素朴短絡な熱情的政治(金銭含む)等で、誰かに仕切ってもらって、気づかずだとしても、依存症に陥っている場合にあっては、“希望とか将来の夢”が生まれる訳は無い。依存症だと、そんな提示された範囲内で選択をするだけのことである。選択とは=自由とは全く無縁な思考に過ぎない。ただ、これは犯罪ではないから、刑法で取り締まられる訳がないから、これが普通だと思っている人が多い。
 封建時代とか古代には、今の時代から思えば、生きるのに精一杯の生活経済実態からして、“希望とか将来の夢”は無きに等しい。おそらく、人々がそれを自覚する初期の段階は、自由市場経済(=初期の状態の名称で、しばらくして資本主義と呼ばれ方が変わる)が広がるとともに、人々は“希望とか将来の夢”を持ったり自覚したりするようになったと思われる。しばらくして生産が進むと、
「貨幣(通貨ではない)があれば、『少なくても束の間でも自由が得られる。』」
ことを知り、市民革命や独立戦争などで以て、自由平等のための“社会”を創り上げた。それが文明Civilizationなのであり、現在まで進展し続けている。“社会と文明Civilization”によって、様々な科学も経済制度も発展を遂げると伴に“希望とか将来の夢”は、だれでもが持てるように、持つことが当たり前となってきた。
だが、市民革命による文明Civilizationや社会形成より前は、洗脳とかマインドコントロールMind Controlは権力者統治の重要な柱であり当たり前のことだった。市民革命前の公認された哲学といえば、「自由抑圧、時の権力者のための口から出まかせ、“言語を勝手に歪める”とか、当たり前というわけだ。それは当時のモンテーニュを始め哲学書とか、シェイクスピアの戯曲とかデカメロン物語に出てくる当時の情景に現れている。だから、フランス市民革命では、「迷信は聞くな!!」が、合言葉だった。この市民革命で経営者の団結権.(株=式会社・有限会社)を形成したのである。ちなみに、労働者の団結権は世界的にもっともっと後であるから念のため。
そして現代社会では、“洗脳とかマインドコントロールMind Control”は犯罪である。ただ、こういった刑法の構成要件が整わないからといっても問題無いわけではない。洗脳とは恐怖を感じさせると伴に思考を転換させる脅迫罪である。マインドコントロールMind controlは、暗示性の高い状態に持ち込まれるとはいうものの、詐欺罪を構成している。話題の“T教会系”ともなれば、欺罔と恐喝でもって金品や労役の収奪・詐取が本質の団体に過ぎない。
いわゆる封建時代といった、文明Civilizationより前の手法で活躍(=単なる無法者・違法行為)しようとする権力者は、その権力者の手先とか+“能力も取柄も無く”汚れ仕事しかありつけない偽者の@エリートなどを使って、細目にせっせと依存的傾向の人たちを誘惑して、過去に横行した奴隷を蘇らせるようとしているわけだ、他になんらの世界観や事業欲や金銭欲、そして政治欲深があるわけでもない。暴力団やハングルの世界では堂々とやっている行為・常識だ。

☆その解決策とは、要するに、“希望とか将来の夢”を創るには、
探し求め、きっかけをつかむことによって、気づいた個々人から、過去に関するすべての迷信を取り去ってしまえば、さらに尽力を尽くせば、自ずと“希望”が生まれ、具体的な実行手立てを建て“夢”を行うようになる。
文化は歴史とともに進展し、現在最新の冷静かつ誠実な世界観や哲学では、「“善”とは人類進化に資するもの。」との共通社会認識になっている。情熱的ではあっても決して熱情的ではない。昔の公序良俗とは、“男女関係の仲”といった明治からの考え、これは戦後にすたれて、現在は“正当正常な経済関係”が公序良俗の柱へと浸透している。

そしてさらに、現在、債権債務(それ後から金払うわ)システムの金融資本経済が破綻・崩壊するに至って、さらに一挙に文化は変わりつつある。過去の迷信系の文化を排除し、見切りをつけて、個々人が新しい文化に乗り換えたと同時に、“希望とか将来の夢”と行動は芽生えてくるのである。誰かに仕切ってもらって依存する文化の持ち主は急減しつつある。もとより歴史においては、文化が変われば、→経済構造や経済活動が変わる、→そして政治体制を変えることになるのだ。決して、始めに政治が変わって、次に経済や文化が大きく変わったことは歴史上も無かった、クーデターや陰謀と言う無法行為を除いてはだ。

ところで現在、“語り手の都合にあわせて言語を勝手に歪める”、これは封建時代を迷信と虚偽と世間体で、復古や過去を維持するために、全世界で使われていた、あるいは封建時代に引き戻すためのテクニックでもある。周囲に同調し世間に合わせようと“言語を勝手に歪める”、併せて数十秒後に話を作り替えてしまう態度の常習。→指摘されれば「それもこれも、同じことを言いたいのです。」と、言い逃れ・釈明をする常習。これはディベートといった概念とも逸脱しており、こんな人物に対して、まともに議論するとか打ち負かすことは、よほどの訓練でも“受けていない限り“出来ない。こういった、“言語を勝手に歪める”人物は、概ね権力を笠に着て物事を語る“枯れ木にシガミ付く色あせた葉っぱ”だから、例え新芽であるとしても、通常の良識ある人が、“いわゆる希望”を共に語ることなどできる訳もない。加えて、権力を笠に着ていけば、「信義誠実」といった言葉は知っていても、その認識や自覚が当人には無いのである。

アントニーとクレオパトラのバカップル逸話(悲劇から晩年のロマンス劇)
ほっておけば、無規範・無秩序・無連帯(アノミー状態)ともなれば、人間は諦めるしかない。そして多くの人が、せいぜい同じようなことを考える。それがシェイクスピア戯曲の創作当時にヒットした所以の逸話であったのだ。
『希望もないが、絶望もない。享楽的人生に身をゆだね、救いを放棄し、うらやましいほどの解き放たれた堕落を楽しむ。』と言った、アントニーとクレオパトラのバカップル。こんな実現しそうにもない白昼夢に、少しでも近づけないかと、努力はしないけれど・心がけると言うわけだ。こういったことを最初に気づいて戯曲に表現したのが、イギリスの戯曲家=シェイクスピアである。そして今の日本でも、この心境に陥っている人は少なくない。

希望と言うものは、“大破局”の後にも残っている。ところが、そもそも価値の感覚が無ければ、悲劇はありえない。ということは…
『全く何らの希望もない人は、
自分自身の希望の無いこと時によって、悲惨とか悲劇から救われている。』
悲惨な事と悲劇との違いは、悲劇の原因が社会や共同体の、“制度とか悪事”に原因しているから、多くの人が同様の被害を受けており、→すなわち、共感できる悪事による被害を、直に肌身で認識しているかから、“劇”といったイメージが加わると考えて妥当なのだ。
人間が作り上げる“悪”ならば、自然環境から生まれる“悪”よりも、治癒することが可能だと思い込んでいる、=こういった、いわゆる迷信の類がはびこっている、というわけだ。


§“総務部門”の役割は、一気に変化し一変する
弊社(株式会社総務部)の役割にしても、大きく変化している。
弊社設立は1990年・およそ33年も前だ。中身を変えている。
ところが、日本は全般的に、機械化は進んだ。が、それだけだ。雇用慣行をICT産業革命向けに改革していないから、むしろ封建時代復古傾向(放ったらかし)なので、計算や数値把握がモタツイテおり、その分のIT等の設備費に処理人手の手間がかさんでいる。(給与計算やシフト管理に、有休把握など、これらは弊社からすれば、“現場や労基法のマトリクス計算も知らない水準だから、まともなものはない。)

今現在と将来に、総務部門に求められるものとは次の項目が挙げられる。
こういった肝心なことへの着想と処理が出来ていない個別企業は結構多い。だから、「総務部門はいらない。」との暴論に説話が出てくる。そんなニーズに、IT業者の誘引が、「なんでもデジタルでできますよ~。」などと、具体的根拠は無くソフトや機器導入の誘引をかけてくる。現在の日本のデジタル技術と、利用する担当者の能力では、(最終利潤との比較検討をすれば)大半のIT機器は金食い虫なのである。「アメリカには総務部門という会社組織は無いですよ。」と、若輩の総務担当者は誘惑をかけられる、あまりに無知だから。加えて、スマホのせいか名実ともに近視眼的思考パターンがはびこり、大概効率はガタ落ちである。

第一項目
総務部門は、個別企業の戦略的な情報を集め、経営方針(事業方針)の柱に活かすことだ。いまどき、単なる長期の総務経験では役立たない。裏打ちする根拠が必要だ。

第二項目
前項のために、その具体策を世界に探し求め、より早く導入する。
国内の同業他社の成功事例は、まず役に立たない。
組織や周辺内外の、あらゆる過去の迷信を取り去ることとだ。
そうしてしまわないと、前項:第一項目の課題は進まない。表面の形態・行動基準を並べただけでは、旧態依然の中身が継承されてしまう。

【日本の失敗教訓は】
職能資格とか職能給を導入したポーズを採っても、中身の実態は年功序列給制度のままだったといった、圧倒的個別企業数だ。だから成果主義も大失敗をしてしまった。変革改善の“胆”が解らないからだ。ポーズだけ付けて、余剰なコンサル料金分は、経営者や管理職に、こそっとバックペイを渡した。大手の系列子会社では、実に多かった。(これが、人気のある、話のよく解るコンサルだった。)
極めつけは、野放しと成り行き任せ。
過去の迷信に従って、全体主義の真似(実はそれしか知識はなかった)
ばかりだった。すなわち、
①習俗、嗜好、観念など、社会生活の中でも目に触れない事柄に関し、
②最も自発的で、最も捉えがたい要素が見られる事柄につき、
③究極は、生活様式、振舞い、意見の多様性等を拒絶させるよう。
ソフトタッチで、そのような組織運営をした、乃至は放任した。そのことから→その結果は、技術者、管理職の仕事が、各自の責任で成されなくなる事態を招き、社員から末端従業員に至るまでのサラリーマン化を招来した。(ソ連:スターリンと同じ手法だ。)そのおかげで、Made in Japan の発展・育成・継続に大失敗した。近頃の若者が全く付いて来ない現象の原因がそれだ。
“希望とか将来の夢”が枯れはて、枯れ木にシガミ付く色あせた“葉っぱ“は、どれだけ新芽であっても、迷信で生きているものなのだ。

第三項目
総務部門は、一社単独の専用部門に留まる必要はない。
<地域密着・地元経済・他国企業へ展開といった近い将来の経済構造>にあっては、地域ごとの総務部門が重要だ。その地域の働き手の育成とか教育も、もとより地域ごとの方式は成功を収めている。
★倫理自体が、労働能力全般を活用する、職業水準レベルの向上維持のための申し合わせ(ルール)に発育する様になる。そこでは、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる」にまでになり、そんな職業能力文化について共通解釈に達する。アメリカのシリコンバレーでは、そういった経験を積んでいる。そう、あくまで、国家は情報提供に限らないと、差配すれば崩壊を招く。
これからの総務部門は地域経済単位に対するサービス機関だ。「競合他社との競争があるではないか?!」といった懸念。それは、(よくよく考えれば)時代遅れの懸念であり、今の日本は、そんな猜疑心では共倒れとなる。そんなことを言っている時代や立ち回りではない。
商品展開は、地域経済単位(例示=中学校区単位)を越えてこそ利潤が確保できる。これが商品経済学の経済学原則だ。地域経済単位内で商品の利潤確保を図ろうとすることは、事実上も経済学問上でも妄想だ、実行するから累積赤字が増し加わる。それは、過去の通産省や金融機関に乗せられた事業経験とか、悪徳金融業者の美味い話に引きずられたからだ。

第四項目
IT機器とかデジタル活用の目的は、そもそも刻々と変化するポイント情報を、より早く細く把握するためである。そういった重要なポイント情報はどんな個別企業でも数個程度である
経費を削減などは、そのついでにするわけだ。総務部門メンバー面々は、もっと現場を助けるサービスの質と量が大切だ。
また、“早く細く”を要しない情報は手書き(早い)の紙面で手渡すことだ。
結果的に見落としや抜け落ちがない為に。経営の“機密事案”を、ネットで流す=そういった“間抜け”に仕事は任せられないし。やはり、現場最前線の状況は、現地に行って診てインタビュー調査をし、話し相手の目を見て共感(共感作用+共感制度)で納めなければ、インフォメーション情報収集ではでは発見すら出来ない。

日常の総務部門に関係する、主な国家資格者の本来役割
①税理士…個別企業からすれば、年貢取立人ではなく
     民間の納税権と国の徴税権との、適正均衡制度を担う公民
②社会保険労務士…資源国ではないから、社会権は経済基盤だ。
     事業主や労働者の双方の、社会権の維持・質的向上を担う公民
③行政書士…住民らの地方自治権などに係る制度につき
         その維持と質の向上に、携わって担う公民
それぞれの資格者は、その質の維持につき特別の責任を負う公民である。
決して、安かろう悪かろう外注業者とか出来高制・計算業者ではない

会計帳簿などの作成を、自治体が代行
ちなみに、EU諸国の地方自治体には、中小零細事業主への経営支援策として、希望すれば事業者の会計諸帳簿を自治体機関が代行作成してくれる制度が存在する。それは、実質的実体的な地方自治を向上するためだ。帳簿作成や会計事務が不得意な事業主や職人(欧州経済では中小企業は少ない)には、本来の仕事に専念してもらおうといった目的は、自治につながるとの理由なのだ。
別に、日本でも、民間事業者や民間人の会計帳簿は誰が作成して構わなく、法令の規制は無い。なので、地方自治体が“(仮称)会計計算センター”を設けて、村内・町内・市内の住民会計を行っても何ら差し支えは無い。むしろ不得意な住民の会計代行での、正確な経営や家計での住民判断は、自治に有効な第一歩だ。希望により、困窮世帯の家計簿も作って診てあげればいい。そうすれば適切な根拠をもって、住民自治と住民サービスは向上する。無理矢理にデジタル化を推し進め、そのIT機器設備代金を個々の住民に負担させることも無い。もちろん希望者だけの任意制度で良い。
(この半世紀余、日本では、脱税行為に事業主の関心は、とっても薄い)


§日本人の海外への出稼ぎ、即:民間でできる雇用対策
 いくら有能であっても、従来の型にはまった“労働力といったスキル“を発揮してもらうだけでは、少なくとも今から5年程度は、日本の企業が雇用して=仕事をしてもらえる余裕は無い。今のところ、経済危機のどん底は2024年と予測されており、この秋から転落が始まる。その面では、“雇用調整助成金の毒饅頭(まんじゅう)”で以て、このコロナによる数年間の、産業へのさらに輪をかけた技術や技能の後退による再起不能状態を抱えたわけだから。すなわち、実は30年を越え従来から引きずっていたのだが、“金融や投機への金融投資”に向けられたために、世界に売れる製品やサービスのMade in Japan供給が崩壊・停止してしまっているからだ。
そこで、非正規・正規にかかわらず
“海外への出稼ぎ”が、緊急対応として有効である、それも積極的に。
マニュアル定型労働力こそ、海外出稼ぎには向いている。

そして従来から、このメルマガで紹介する、Art域労働(芸術を含む)は、
国内にあって地元密着地域経済の、経済単位(例示=中学校区単位)から、
多国籍への展開が可能なのである。
http://soumubu1.blogspot.com/2021/03/blog-post.html#227-11

今更になって、巷では雇用の流動化などとの話題を持ち出しているが、
①能力もセンスも喪失した企業への雇用と正規社員へのバラマキ、
②大手労働組合の組合員減少(解雇)阻止をして→組合費の確保といった、
雇用調整助成金の(法制密約:裏)目的。これに因る、事業経営や人心の退廃を、十分承知の上で、実行したのだから。さすがサラリーマン社長たちは沈黙を続ける。
☆☆そう、通常の雇用保険の失業給付ないしは緊急延長+新たな時代に対応した職業訓練政策で以て対応すれば、今のような閉塞した労働雇用環境は少なくとも避けられたはずなのだ。こんな労働問題や方策でも、こんな判り切ったことも与野党共に指摘をしなかったわけだ。左右と宗教団体の絡む全体主義者は、保身の道に迷い込んで、挙句は八方塞になったという訳だ。今般の雇用調整助成金にかこつけてのバラマキだけで、今現在で特別会計借入金返済に30年を要するといわれている。給付日額は減らし収束させるものの、12月~3月まで減額継続する検討をしている。
(厚労省:令和4年12月以降の雇用調整助成金の特例措置等について)
https://www.mhlw.go.jp/stf/r412cohotokurei_00001.html
そこで、非正規・正規にかかわらず、“海外への出稼ぎ”が、緊急方針として有効なのである、それも積極的に。巷の話によると、西ドイツとかオーストラリアでは人手不足。東南アジア中東諸国の一般人には、マニュアル定型労働力程度のスキルの持ち合わせはない。賃金も日本円に換算すれば、ひと月手取り30万円程度のようだ。出稼ぎ先現地のインフレ防衛策とかをマニュアル享受すれば、中高年でも凡そ5年間は何とかなる。そしてオーストラリアなど南半球は今から夏が始まる。
とはいっても、それを個々人の個別に任せれば、“井の中の蛙”でショックやノウハウの持ち合わせがない“マニュアル癖”によって、出稼ぎに行くとしても生活苦に陥ることも考えられる。なので、ここで個別企業も率先して、将来の再雇用や先任権(採用優先順位)を与え、サポートするわけである。そしてその間に、あなたの国内個別企業は将来の道を開けばよいという企画。計画だ。ここで、今までの海外との交流実績が、発揮される?!という訳だ。(交流実績がなくとも、仲介者はそれなりに存在)
加えて、これからのインドネシアやインドの将来像といえば、何らかの資金投資による、“幸福とは縁のなさそうな、+パッとしない物資文化”のイメージ市場が始まるのだから、日本国内に留まることでの、ローン支払いや社会保障切り下げでの生活も避けられる。それは、グローバル経済に慣れ親しみ甘んじてきた、“マニュアル定型労働力程度のスキルしか持ち合わせがない”といった非正規・正規の人らには救いの手であるのだ。

インドネシアやインドは、熱くって少々不衛生だ
だが、日本のような有害化学物質とか、日本並みの込み入った不正温存制度は少ないから、言葉は解らなくても、十分に意思疎通は可能だ。
気付けば、日本のエアコンがあるではないか。水道衛生技術始め画一的物資供給概念も、日本から出稼ぎに行く個々人の近代化概念と共に身体に根付いているから、日本の高度成長期や後の停滞期を振り返り思い出して工夫さえすれば、たとえ“井の中の蛙”だとしても、そんな人物が出稼ぎすれば、現地の現場も周囲もみるみる改善できることとなる。不衛生は、水とトイレの物理的習慣であるから、心配はない。

~こういったことは、この来月・来年に迫った緊迫の下では、国の職業安定行政や職業安定職員に、その着想やノウハウが無いことから、到底、成し遂げられるわけもない。それでも、「とりあえずはハローワークの失業給付」ってなことを頭によぎらせれば、数十年在籍の社員であっても、一度解雇すれば“散り散りバラバラ”になる事態、それこそ明治維新始まって以来の激変なのであるから、経営する側も甘い妄想は禁物なのだ。
こういった予測は、筆者の50年の経験、=元々の専門である:労働力需給を、終戦直後からの実態を当事者に聞き・調べ・研究した結果からは至極当たり前のこととして提供しているのである。(現在でも人手不足解消に手間暇がかかるが、その原因は<人買い禁止の法制度でありながら>素人の幼さによるからに過ぎない。)


【緊急課題】日本のあらゆる場所にはびこる“女性奴隷化”
これが、経済も社会も急転落させる、日本での最重要原因である。
男or男の真似をする女が、弱い立場の女にシワ寄せを繰り返すからだ。亭主関白は、先進国でのどの国でも貧困家庭程、すさまじい。
国も家庭も、急転落に歯止めをかける、その文化的ポイントは
足元の隅々から、片っ端から、この“女性奴隷化”を止めることである。
文化が変われば→経済システムが変わる。経済システムが変われば→政治システムも変わる、これが歴史だ。政治家の口走る、「政治が変われば社会が変わる。」は、内情をよく知って歴史研究をすれば、歴史上でそういとった事例はないとすぐわかる。その理屈は、あくまで左右の全体主義者の妄想であって、彼等の居心地がよい欲望に過ぎないのである。加えてラッキーなことは、“文化は足元から広がる。”ことだ。

___この後に示す枠内の、2017年9月に発表した学術論文
「一人前の労働者論」の裏に妻の隷属を内在する虚構性」
これは筆者が、2017年9月に発表した学術誌掲載論文である。先進国と日本は文化差異がある所、日本では家事労働の類ではなく、家庭奴隷なのだとの学説趣旨である。だから先進国とかの手法導入だけでは、経済後退や挙句:家庭破壊とかとかを免れない。奴隷制度との類似と差異をも解明したものであった。
当時も現在も、学者の視線さえ冷ややかである。話を聞いて目が輝くのは一般人が圧倒的に多い。だからこのメルマガでは敢えて、5年前の論文を原文のまま掲載する。そして5年後の今は、経済危機の下で、“女性奴隷化”は、あらわに見えるようになった。日本では女性が“奴隷化”されているとの状況事実を、女性論を論ずる際に見過ごした為に、さらに、これからも急転落する“女性奴隷化”によって、日本経済・個別経営の急転落が引き起こされる背景が存在、といった危険が待っているのだ。____(2022/11/08記)

すなわち、あの手この手で言いがかりをつけ、個々に女性を奴隷化して何かとしわ寄せしている。ことに女性には、巧みな理屈や言葉でもって、少なからぬ女性をペテンにかけている実態だ。同僚を踏み台にして出世でもしようとする女性の行為は、「女性が女性への差別」を行っている形式をとる。それは、よく表現される「貧乏人が貧乏人を生んでいる。」といった悪循環の形式と同様だ。女性差別のキツイ職場ほど、女性は労働組合に救済を求めてきた、日本での戦争集結以後の歴史がある。
だから、何かにつけ女性を、“奴隷化”しないこと、適正・公正・公平を貫くことである。でないと、差別されるとか貧乏にされた、=人間はどうしても“弱い立場にある者に対してしわ寄せ”をする。それを“知っていて”、不適正・不公正・不公平を行えば、=すなわち“知っていて”の行為では、悪意が存在するのである、これは法律上も同様の判断を行う。
近頃にわかに、「家庭○○」の大切さとか名称を名乗っている有名団体、実にその内容は、女性の奴隷化だったり・女性や子どもの虐待を潜在化させることを目的とする集団(旧統一教会など)の存在も表面化してきた。一部の政治家を取り込み法律改正や制定を持ちかけ(いわゆる詐欺行為)、さらに取り込んだ政治家の弱みを握りコントロールする(恐喝まがい)の手口(これはカルト集団に共通のもの)である。
厚生労働省の官僚たちは、与野党その他の意見も聞いて、日本経済発展のために女性差別とかハラスメントの排除を企画している。それは世界の流れに乗っての動きに過ぎないと批判をされた。だが、全会一致を旨としていたものの、(旧統一教会系の)反対議員に厚労省は横槍を入れられ続けている。それは地方自治体の議会でも同じ策略が激しかったようだ、もしかすれば潜行して今でも。

左右や宗教団体を問わず、全体主義は、
気付かれないよう統制、規範化、画一化をやる。
だから注意を要する。統一教会系も偽装から始めるのだ。
①習俗、嗜好、観念など社会生活の中でも目に触れない事柄に
②最も自発的で、最も捉えがたい要素が見られる事柄について
③究極は、生活様式、振る舞い、意見の多様性などを拒絶させるようにと。
……そして技術者、管理職の仕事が、各自の責任でなされなくなる事態に。

ところで、ところで、筆者が研究したところ、何かにつけ社会とか政治運動とか言うものは、
①何かの利益とか権益に固執する保守層の類
②権力者の“鼻を折りたい”とか“闘う目的”に終始
③現実に、人類文化の進歩や人類進化(哲学的善)を進める
の3つに、大まかには分けられるようだ。ここで①の保守層の類は頑なに旧来通りの制度を一歩も譲らない。次に②の行動や戦いをすることに意義とか生きがいを感じて、改善や暫定改革にも乗り気でない。最後に③は、決して①と②の中間にあるわけではなく、現実肉体的な物事を取り上げ着実に実行や政策に移していく人たちのことである。

・ついでにエピソードを話せば、19世紀イギリスで女性差別問題を最初に取り組んだのが、“フェビアン協会”であった。“映画マイフェアレディ”の原作や実在の人物が、女性問題の解決に関わっていた訳だ。先ほど話した③の人たちであるが、②の人たちは都合よく「フェミニズム」の用語を語り出して、徒党を組んで、先に述べた③の人たちとは異なる主張を繰り返している。トランスジェンダーとかLGBTとかいった用語あるいは主張は、その人によっての異なる概念に翻弄させられてしまうから注意が必要だ。くどいけれども、運動の歴史では、“映画マイフェアレディ”の“フェビアン協会”の源流が女性差別解消の世界的第一歩なのである、その分、日本でもポピュラーではある、でもほとんど深いところは知られていなだ。

「一人前の労働者論」の裏に妻の隷属を内在する虚構性」
現代の日本は奴隷制は禁止され、社会の表に現れない。だが此処に、労働能力全般が発揮されず、疎外による家庭破壊、消費財の新商品開発の重大な原因が発見された。
Ⅴ-1.「一人前の労働者論」の裏側歴史的変遷やプロセスはさておき、大手企業のサラリーマン社長や管理職の妻は隷属的であり、その妻の労働も含めて、その会社での地位と報酬が保障されていることは否めない。大手の社内結婚はそれを念頭に置いていた。現在でも、IT機器での業務処理、日報や出張等経費計算、車で送迎その他を家庭の妻に業務配分をしている。妻は(無能力)秘書その他代替に無給で使われている。中小企業の管理職にはあり得ない。ここに、労働者の報酬や地位を考えるにあたっての重要要素がある。現在日本で奴隷制に近似した状況は既婚女性に多いDV被害者でもある。主要先進国におけるDV被害は、低所得夫婦関係に多いことが分かっている。だが企業規模の大きさ、地位や報酬にかかわりなく、社会構造として既婚女性が奴隷扱いをされている。これは夫婦揃って一人前の慣習概念で実は、その主人の「労働力」という使用価値から抽出される労働価値は低いものと判断される。確かに、労働の価値は、①時間をかけて発達し、②人格と関連していることから、その発達実績又は人格形成の過程は、奴隷扱いされるDV被害者と一体となっていることから、そうでない男性労働者と比べて訓練啓発又は社会適応能力が低くならざるを得ない現実が多い。とにかく妻は制度に縛られ、生涯を家庭に縛られやすい。これが雇用や労働契約とは異なる基盤である。そこに労働能力向上の意欲は生じない、とりわけ、意思疎通能力や集団統制能力における欠陥が見受けられる。端的に言えば、ICT産業革命の時代には、そういった労働者は事業運営に差し支えるのである。市民革命で、「国王や家長個人よりも、国民や兄弟が集団になった方が強くなりうる」ことが発見されたが、この歴史自体が全く認識出来ないので、正常なチームワークが形成出来ない人格なのである。むしろ夫婦とも人格が死んだ状態だ。未婚女性や男性のDV被害者は、社会規範や婚姻制度を悪用して隷属状態に陥れられる根拠がないので、隷属の程度差と考えられるケースが稀にはある。ところが、婚姻関係を誓い、届け出る段になると、「奴隷女に子供を産ませれば、女性は子供を守るために服従する」といった奴隷再生産、「食事など保護をあてがわれるのだから、服従は当然のことである」といった理念を、未だ公言する男性やその親世代が存在する。「家族代表は戸主(男)の役目、妻は主張出来ない」といった虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)も、廃止された旧民法の「家制度」や長子相続といった家族統制時代(100年に満たない期間)の名残にすぎない慣習である。

Ⅴ-2.奴隷制判断基準:C.ペイトマンの研究を基礎にした解説次のような特徴が見られれば、感情や感覚は別として奴隷制と判断できる。もちろん、刑法その他の村岡利幸「固有文化価値を生み出す労働価値とその交換の仕組み」11違反であるし、民事法上は奴隷契約も成立していないのである。1.身体から精神に至る人格や権利の所属は、生涯に渡って主人に在る。2.奴隷を納得する意思が在り得ないから、奴隷契約自体が成立しない。3.精神的物理的に強制された事態で、さらに事態を貶められ続ける。4.無能力だと刻印され、原則的に刻印され続け、人格は死んだ状態である。5.主人と奴隷の隷属関係は、契約の如き時間差なく瞬間同時に成立する。(契約とは、一方の申し込み相手方の承諾で成立との時間差が必ず存在する。)その主人と奴隷の思想習慣(システム)は共に、感情を虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)にすり替える特徴がある。すなわち、いつの間にか感情を押し殺し、何事も世間の理屈で納得し、尽くさせ尽くす思考である。そこで、「絶対的支配下」(ジョン・ロック)、「奴隷を望む人はまともな精神状態ではない」(ルソー)、「自由の放棄だ」(ジョン・スチュアート・ミル)と、市民革命以降の政治、哲学、経済学者はこぞって、“馬鹿げている”としている制度ではある、が現存する。

Ⅴ-3.奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド各国に徐々に形成されていった「雇用主の4基準」の共通点は次の通りである。19世紀末に当時の先進国と言われる国で確立された様相。1.王政や家長制度ではない使用者との契約で、雇用主に絶対権力はない。2.雇用契約期間を短く、制度上も事実上も、奴隷のような生涯契約はない。3.労働の使用に関する契約で、雇用主に人格や労働占有の権利はない。4.奴隷のように保護や生存は保障せず、主として通貨で賃金を支払う。ただこの時点でも当時は、少女が徒弟制度(現行では労働基準法違反)の一部になることは考えられないとされていた。現行日本の労働法体系からは、いささか想像できない余地もあるが、当時は労働(雇用employment)契約と奴隷制を法的に区分する必要があって社会的論争があった。米英欧州の資本主義国における離婚制度論議(妻の無能力coverture扱い)と相まっての論争が行われた時代でもあった。それでも、雇用契約が形骸化して奴隷制が内在される事態も生まれた。奉公人制度、英国の(主人と召使いの)職人法などである。そのため、近年の労使関係は、各国で司法決着が図られている。1.雇用契約の前提には、当事者相互が人格を持ち、財産所有者であることの認識を要する。(契約は、①一方の申し込み、②相手方の承諾で、③時間差を持って成立すること。)2.雇用契約で、労働と何が交換されるのかの印(しるし)を明示した。「労働力の所有権を、就労の時間と場所と内容(職種など)の雇用期間」である。3.高賃金であるとして、スコットランド炭鉱労働者に雇用主の名入り首輪を着けさせていたが、そういった様々な奴隷制の名残が違法とされた。4.雇用契約は、主人と召使の如くの「主人の人格所有権」は認めない。5.人格に関わる売却契約は不能、それは必然的に隷属を形成するとした。(近世まで、夫が妻の肉体と能力を一体財産として保有すると考えた。)ここに掲げた1~5は、順に大まか歴史的な各国の経済的司法的な過程である。「雇用主の4基準」の形成前に奴隷制が禁止された例はある。日本では、江戸当初に徳川政権が外様大名の経済力を激減させるため、戦利品である居住民の持ち帰りを禁止、奉公人制度を実施、売買その他の経済的奴隷制の特徴的な事象を根絶した。アメリカ南北戦争は、南部の奴隷所有者の奴隷所有権を剥奪し、財産権をなくし、雇用契約を実施した。だが一方イギリスでは19世紀後半に初めて、「親指の太さを超える鞭で妻を打ってはならない」とする刑法改革を制定、これは当時ヨーロッパの妻の状12態を物語っている。すなわち、「実質奴隷」とする司法的奴隷禁止状態にすぎないとする(共感的)論理や論争は、延々と今日まで続いていることも実態である。

Ⅴ-4.日本での奴隷制の実態を直視ブラック企業で働けば、奴隷なのか奴隷を監督する者なのか、といった姿がある。ではその何が問題なのか、それは正義感や感情論ではなく、疑似奴隷は職業能力がなく、それは企業にとっても、経営マイナスにしかならないからである。はっきり言って、ブラック企業は利益率が低く、長期安定など無理である。だけども、冷静に物事を見極め、改善を図れば、この環境でも好転する。根本的な奴隷制ではない。マルクスやエンゲルスが主張した、女性の隷属は「家庭外へ働きに出る」ことで解消するといった論説は、日本の典型例を見ればはっきりしているように、女性が主人に隷属の状況であれば、社会進出に役立ってはいなかったことを示している。女性の社会進出は、スキル(労働力)の提供といった普通の方式ではなく、根底に固有文化価値を牽引するアートArt域の能力が、日常業務に少しでもいいから反映をさせることで、その商品価値(販売価格)は跳ね上がり、労働価値の報酬が確保できる。とりわけ女性の場合は、日本独自の「企業と個人の賃金決定方式」の危険性から、雇用といった労働力の社会進出にこだわる必要はない。それは、ICT産業革命とも相まって、意味ある仕事で短時間高収入が期待できる(総務部メルマガ7月号参照)。ただし、請負契約の完成品名目でスキル(労働力)を買いたたかれる懸念、極度のダンピングがあるから、併せて警戒や注意が必要となる。いわゆるテレビその他の「芸能界」の例である。よって保育所が増えれば良い、夫婦共に労働時間が減れば良い、出産やLGBTに優しい職場環境といった風な「傾向と対策」により導いたとする知恵のない政策に乗っても、相当の時間と労力の無駄が出るということだ。女性にしてみたら出産と育児が終わってから実施する様なものだ。過去から何十年たっても、同じことを言っているだけで、この30年間変化はない。この30年とは、派遣業でもって一部の女性労働者の時間給が倍増し、かつ男性上司の隷属から脱出できたことである。だが、男女雇用機会均等法と派遣法で女性のパート化を(4倍)に増やしたと厚生労働省も認めている。社会のなかで、隷属状態に置かれているのか、法的にいう労働者に当たるのか、これを分析することによって男女個々人と家族のあり方の変化の見通しが見えてきた。とはいっても、世の中にはそうでない人もいて、全体主義者は、自己中心的手法で、地位と報酬を一人占めしようとする、そんな人物の集団にすぎない。おのずと過去の美しい象徴を口にして、不意打ちとは罠で策を実行する。いつの時代のどこの国の実態なのかは知らないが、合理一貫性と事実一致性のない話ばかりである。しかしそれは、労働価値の発揮が抑圧され、具体的に発揮がプロデュースされないから、人々のエネルギーが有り余っている状況でもある。

Ⅴ-5.労働の損失、一転して経済再生都市部も地方も、地域経済単位(中学校区程度)での活発化により、個人や家庭の経済再生が図れるだろう。事実、地域経済単位の活発化は、ICT機器によって促されている。一カ所から全国津々浦々の小売りまで差配するとして、世界各地の安価な原材料を回収するばかりでは、意味のない仕事であることは歴然としている。この地域経済単位での活発化がポイントとなる。最終消費財が消費されて、原材料からの商品とその変遷が初めて完結することから、それは重要である。決して地方経済と都市一極集中の二元論を、イメージでは解決出来ない。芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働、その担い手となる新型女性労働の人々」といった人格は、意味のない仕事に携わる望みはない。それは、大手企業官僚よりも、地域集団になった経済活動が強くなり得るとの、今の経済背景だからである。日本女性の隷属からの解放と相まって、労働参加の主体的実態が認められるから、村岡利幸「固有文化価値を生み出す労働価値とその交換の仕組み」13この論文での展望が夢物語ではないことが解明できた。OECDは日本経済再生の勧告として女性労働を、先ほど論述した日本女性の隷属からの解放を含めて、改革する必要があるとしている。勧告書をみたところOECDは少子化にこだわっていない。社会から引退する老年女性労働者対策は年金カテゴリーとの考え方も、質問してみてわかった。これで、個々の中小企業単位での利益率の高い固有文化価値の供給が実現出来、それは世界経済展開への連携による経済再生と豊かさの伴う成長となる。連携とは、今の外国人訪日とは異なる現象が、「G7諸国の人たちが観光に来る。」といった、経済再生という現象結果に現れる。個々の企業は、アートArt域労働と新型女性を、目的と意識を明言して、労働契約をし、よく話し合いながら、女性の登用を繰り返せば時代の波に一気に乗れる。この専門的アドバイスは、筆者の長年の成功パターンからのものである。
次のURLから原文のまま引用(国際文化政策第8号、国際文化政策学会編)
http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20221108】
・英語の語源大全:365日、頭と心がよろこぶ100の驚き!

(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので、記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)

①『英語の語源大全:365日、頭と心がよろこぶ100の驚き!』
清水建二(著):三笠書房 発売日:2022/01/27

(むらおかコメント)
インフォメーションやインテリジェンス、これを“情報”と勝手な概念に言い換えてしてみたり、イノベーションとかトランスフォーメーションtransformationとなれば、通産省や経産省が元の用語の意味とは全く見ても似つかない概念に変えてみたり。身近なものでは希望=Hopeと訳し思考の混乱も何のそのという訳だ。
まして、言語の数だけ宗教が存在するといった研究がなされる中、ほぼ各々好き勝手に言語を翻訳するとか歪める状況が蔓延している。キリスト教圏だとしてもエルベ河を挟んで東は“各国の正教”とは思考が異なる、にもかかわらずだ。日本では、キリスト教の前提やベースを学ばないものだから、日本の法制度に社会制度を誤って解釈したり捉えたりしている人が圧倒的である。日本人のよく知るキリスト教といえば、仏教色もかかったローマ・カトリックの話ばかりで歪められている。
加えて、日本は一神教ではなく多神教だと思い込んでいる人は多いが、実は浄土真宗とか天皇制国家神道は明治以降一神教が組み込まれているという現実が存在する。(参照=アノミー論とか、小室直樹の宗教言論など)
こう考えると、大きな壁にぶち当たるので、とりあえずは英語圏外来語のオリジナルな使用原理を確かめて、有名そうな?正しそうな誤った翻訳を見抜いて、より真理に近づく教養を広める手法の方が手っ取り早い。これから一気に文化や経済は激変する。国内外の様々な迷信から、あなたも翻弄をされないためにもだ。
哲学者カントは、ドイツのカトリックに向けて、「無知な民衆に解りやすくするための例示は、結果として聖書を歪曲している。」と批判したために、ドイツの神父らから大攻撃を受けた。現代もそうだが、“語り手の都合にあわせて言語を勝手に歪める”、これは封建時代を迷信と虚偽との世間体で維持するために、全世界で使われていた、あるいは封建時代に引き戻すためのテクニックとして現在でも使われる。
「神は細部に宿る」(確か、レオナルド・ダヴィンチとかモーツァルトの名言だったかな)とのことわざの通り、次代に必要な研究ヒントは、過去次代の思い込みや怠惰な姿の奥底に、密かに宿ることが多いのではないかと思う。

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できる人は知っている、語源は教養の宝庫!
イギリス南部をイングランド(England)と呼ぶのはなぜ?
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2022/10/04

第246号:“Art域労働”ならば打開出来る

<コンテンツ>
“Art域労働”ならば、その転換:虎の巻
着手してから3年内の目処、5年内に軌道に乗るコツ
【虎の巻1】事業経営の柱を“Art域労働”に転換
  その1 Art域労働のウォーミングアップ
  その2 意気込みとは、どのようなもの
  その3 知恵の発揮、その具体的方法
  その4 物理的な、能力向上方法
  その5 Art域労働の、姿勢や・やり方
  その6 Art域労働を、拡張する日常イベント
  その7 日常の心得(その心の持ち方)
  その8 日常の行動とはどんなもの
【虎の巻2】“価値観の似ている人”や仲間を得る科学的道具


“Art域労働”ならば、その転換:虎の巻

①別企業の事業経営の柱を、“Art域労働”に転換するヒント
 #ものづくり、小売サービス、農林水産その他全般に共通。
②あなたが社内を超えて“価値観の似ている人”や仲間を得るヒント
 #その人の世界観などを早く把握、期待ハズレ確率低下。
“債権債務に縛られ+資本投資を前提にした計画経営”は世界で崩壊。これが、“世界経済危機”の経済学的本質だ。労働全般能力の一部分ごとに、“労働力として切り売りで細切れに使用”するから、利潤構造の崩壊が始まったのだ。
 自由市場経済(資本主義経済の元の名称)での不具合=利潤激減となる原因は簡単なものだ。とにかく徹底して、労働全般能力に基づいて、個々人の労働全般能力を高めて行くといった、事業や事業経営の利潤醸成の向上基盤にベクトルを合わせなかったからだ。
 ★なのに、ICT機器本来の経営効率化とか、労働全般の意欲向上とか、その能力向上効率化といった有効的機能から逸脱し離反した機械化=目前のみの事業内コスト削減に走ったことも原因している。だが何よりも、本来的に高利潤を生み出すところの“Art域労働”=芸術性(周囲に希望を生み出す様)について、似非:合理化に乗せられ、ことごとく“職人技だと非難し、一括り”に否定したからだ。そして、残念ながら経済学の未発達も影響して、★パフォーマンス(凄いと!評価されてるが、広がりがない)だとか、より無味乾燥なスキル(切り売りされた労働力の手順帳?)ばかりを水準低下に押し留めたことだ。★その結果が、やりがい生き甲斐の喪失、うつ症状やうつ病の増発、自らのカラに閉じこもる自己防衛、そして極め付はサラリーマン経営者や管理を問わず、官僚主義の自己保身といった哀れな結末なのだ。この今からの“経済危機”の津波から、とっとと離れるには、個々人から、経営現場から“Art域労働”を柱にした事業経営に転換することだ。
 今から押し寄せる“経済危機”を、あなたが自由市場経済を守りKeepながら乗り越えるには、地元地域経済に根ざして“Art域労働”を柱にした事業経営を展開することだ。これがなければ守りKeepは、まったくもって不可能である。
 そうでなければ、隷属的かつ無権利労働者未満の独立自営業型に転落するとか、官民問わず何らかの事業機関の配給事業(ここでは、商品形態には至らない物資品)にて、一生を身を粉にして終わるしかない。
 現在に至る日本政府の経済産業政策とか労働政策の柱は、そこに焦点を絞って転換しつつある。それが今からの“経済危機”を通しての、成り行きまかせの政策の本質(具体的詳細は省略)なのだ。この10月から施行の「労働者生産協同組合はキレイごと」でしかない。知恵も意欲もない官僚の政策放棄だ。それを、あなたも、若者らの誰もが肌で感じとっている訳だ。
 加えて、次代の経済発展市場としては、OECDあたりからも期待されている、中国・インド・インドネシアへの将来像といえば、何らかの資金投資による、“幸福とは縁のなさそうな、+パッとしない物資文化”のイメージだ。そんな知恵と政策しか湧きようがないのだ。~イメージすらできなければ、希望や夢が湧くわけもない。
 幸い、ICT機器のおかげで、かろうじて現状:日本の教養教育水準であれば、ICT産業革命を通して、“Art域労働”を柱にした労働全般能力の向上、→そして安定した効果的発揮によって、官僚や役人には知恵も意欲も無いから、
≪地元経済に足をつけた、多国展開の高利潤事業経営≫が成り立つ。


着手してから3年内の目処、5年内に軌道に乗るコツ

 そこで、尽力を要する最大の問題は、
個々人的にも地元経済や社会にとっても、いかに早く軌道に乗せるかである。何十年も昔のような、“額に汗しても、追いつつかない。あるいは、“中国式デジタル化とか、日本式デジタル化”では、あまりにも効率が悪すぎる。
 その多国展開の高利潤事業経営の先駆けはすでに始まっている。
 そういった事業経営の拡張が世界的マーケットで期待をされている状況だ。ただし、今日までの金融資本投資に基づく“債権債務に縛られた計画経営”しか学んでおらず→思いつかない人たち(ことに官民の官僚主義者)にとっては意味不明なのだろう。
 現状にしがみ付くだけの無能な議員や政党、無知の極みの官僚や公務員、そしてそれらに依存する学者や知識人ならびにジャーナリスト?にとっては、目前の、≪高利潤事業経営≫を目の当たりにしても、ことに日本では、“井の中の色眼鏡”を通してしか見えない人ばかりだから、第一次世界大戦前の事業経営手法のままを貫いているのだ。そう、そういった人たちには現実が見えていないのだ。したがって、彼らの取り仕切るデジタル化とかDX=Digital Transformation(経産省はDXの用語翻訳からして錯誤改竄した)自体が、大局的前提からすれば、時代錯誤→貧困経済招来なのだ。ただし、所詮、全体主義者とかナショナリズムらの目標ならば、経済発展ではなく幸福でもなく、彼らは政治思想と貧乏の定着にあるのだから。
 なお筆者が、“Art域労働”とか、その契約行為とか価格決定にまつわる経済理論を発見し整理したのは、規模は小さくとも経済経営とか能力開発手法の研究に、先に挙げたDX=Digital Transformationなどを、IT機器で気づかず知らないうちに実行していたからだ。
 例えば、芸術性(周囲に希望を生み出す様)と耽美主義(審美主義と言い換え)の明確な違い。パフォーマンス(凄い!と評価されているが広がりが無い)だとか、より無味乾燥なスキル(切り売りされた労働力の手順帳?)ばかりの逓減水準といった、且つ、この3つそれぞれが全く異なった制度的質量だとの分析も、IT機器によって多くのインテリジェンスIntelligenceを分析することが出来たからだ。


【虎の巻1】事業経営の柱を“Art域労働”に転換

その1 Art域労働のウォーミングアップ

・次代の新世界での立ち居振る舞いは、ICT産業革命がArt域労働に有利に資することで意味効果を成している。だとすると、次のような習慣で各自のウォーミングアップが流行しているだろう。☆自他共に、自分自身に好印象を持ってもらおうと、声の発声は音階で言う“Faファ”の声を使って、挨拶とか会話をしているだろう。これは、音楽学とか心理学でも証明されており、一部の量販店ではこの理論を利用している。

・あるいは、現在でも既に導入されているが、好印象とその後のプライバシーを守り保持する量販店の接客では、「挨拶はするが、顧客からのプライベートに関する会話が持ち込まれない限り、天候や疾患の会話は厳禁」としている。実際、このコツを導入すると、顧客から接客員が信頼されることになるわけだ。この接客や会話の成功事例は、筆者だけでも何カ所もの業務上アドバイスを行った事例を持っている。本来のICT産業革命が進展するにつれ、縦型社会とか権威重視あるいは論争習慣が薄れていくに従って、こういった傾向が広まることは間違いない。こんなふうに実際にやってみて、“Art域労働”ウォーミングアップするわけだ。

・「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(社会学者ジンメル)」に到達するまでに、文化についての学問的共通解明に達している。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではないのだ。

・☆加えて、そうなれば、すでに心理学で解明されている通り、1対1の会話の場合、相手方と「①言葉を合わせる(また、さり気に復唱する)。→②仕草を合わせる。動きのリズムを合わせる。→③相手方と細かく呼吸を合わせる」といった3段階で、仲良くなる習慣も流行っている訳だ。★これが、IT機器やネットでは不可能なのだ。これが自然に身につけば、“Art域労働”に関わる意思疎通も格段と精度を増すことになる。話し方教室などどうでもよくなる。

・物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という
(総務部メルマガ 2021/04/06)
http://soumubu1.blogspot.com/2021/04/blog-post.html#228-10

その2 意気込みとは、どのようなもの

・ありふれた物事の中で、創造するとは、まずは1ヵ所だけでも現代の非凡(自然素材活用とか木製自動車その他の例)にしてみることだ。
https://soumubu1.blogspot.com/2021/04/blog-post.html#228-08

・非対称的な動きとか不安定さで、周囲の動きと目を引く。

・たぶん、遺伝子は、「楽な方を選べ、固執するな」と叫ぶから。生き残りさえすれば幸福かどうかは問題ではない。現代における哲学の善悪とは、進化に資するものであれば“善”となる。

・内なる自分を変えることが重要となり。他人にどう見られたいか?ではなく、適切な理想像を描く。例えば、自分が理想とする人物が取りそうな行動をとることで、実際にそのような人物になれる」という、“アズイフ As if”という証明された心理学理論が用いられる。(確かに筆者も、独立起業する前には、有名女性歌手の行動パターンを取り入れた)。
・もとよりコミュニケーションとは、“会話の中で会話を通して、新鮮な気付きを得る”といった行為であるから、本来のコミュニケーションもIT機器やネットでは不可能なのである。ズームZoomにしても電話会議と同様で、“切り売りされた労働力”の制限内におけるスキル・マニュアルでしかなく、ほとんど無意味だと知れ渡る。コミュニケーションを補完するものとして、昔の大阪商人は電話が用いられたが、ズームZoomとはそういった類だ。★(注意)確かに感情のコントロールで“幸せの増幅”が変化するわけだが、“債権債務に縛られた資本投資を前提にした計画経営”の上に成り立った人間関係では、互いに、この種の意思疎通やコミュニケーションは、無理無意味を生むだろう。

その3 知恵の発揮、その具体的方法

・学校教育は、世間の型にはまるための考え方を教える。だが、そもそも素晴らしい仕事の作品は、型にハメられてはいない。学校では、資格や学歴そして学位を持って社会の一部になれ!と学ばせる。たとえ、学校でも勉強してスキルを身につけたとしても、一般社会に出れば似通った仕事しかできていない。
・学校は、自主的に考えて動けるようになる方法を教えない。だがこれを自力で見つけた人物とは、自分だけの新しいやり方を自力で見つけた人に限り、斬新で画期的な品物を生み出す。色々な事に疑問を持って作業を進めると、ここで述べたような作業方法で以て仕事を豊かにする。

・ちょっとした改善を加えると新しいモノとか仕事が生まれる。まず小さなアイデアから始めて大きく育てることだ。どんな商品でも、部分的な機能追加を重ねて成長してきている。実は、みんなが不具合だとか不都合だと指摘する箇所や要素に、“良い特徴”が潜んでいる。過去の習慣や価値観で判断するから、不具合とか不都合と決め付けられていることが多い。たとえば、先祖のお墓とか墓石は不要とされるように、変化はすざましくなった。(筆者の家系は1300年ほど続いているようだが、昔からお墓は作らない。周辺とは異なり昔から火葬だ)。

・Art域労働のアイデアは、古典に学べば、多くの利用価値とか発見がある。要するに、映画演劇その他興行においても、作品とか商品は、とにかく古典的手法に学んでいる。意外とYouTubeやInstagramではそれがない。アイザック・ニュートンは、先人のおかげで、人よりも時代の遠くの景色を見られたと自覚していた。モーツァルトは音楽の細かいところが作品の中で大切だと言った。世阿弥は、「舞の途中で、静止した“0.2秒ほどの間”を取ること」が大切だと教えている。

・そういった問題を見つけるには洞察力などが重要だ。普通の人が見逃すようなささいなところにチャンスを見出す作業だ。何かに注意を向け続ける能力は、集中を邪魔する周辺からのノイズを無視することだ。それには自分を律する(自律Autonomy)必要がある。だからこそ成功する人は多忙では無い結果を過ごしている。

その4 物理的な、能力向上方法

・行動科学などの実証研究によると
①鍛錬の序では、
 念頭に総合的なリズミカルさで好奇心を持ち、
②上手く描けない、弾けない、歌えない等は、
 細かな筋肉未発達にもよる。
 手指や身体に関する間違いも、
 ストレッチ体操で一気に改善したりする。
③鍛錬は睡眠の前=内容を忘れないうちに寝ること、
 脳の機能は出力重視であるから、
④目覚めれば、ヤッテみる&話してみる&マトメてみることが
 大切なフィードバック行為の習慣である、
⑤その練習期間は、短くて済むものでも21日間、長きを要するものは66日間、
 これはどちらか何れの期間だとの神経科学の研究結果だ。
 その間に連続2日サボると習得は困難とされている。

・ Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと
(総務部メルマガ 2021/04/06)
http://soumubu1.blogspot.com/2021/04/blog-post.html#228-09

・【共感を応用する行動】。
「①言葉を合わせる(また、さり気に復唱する)。→
②仕草を合わせる。動きのリズムを合わせる。→
③相手方とピッタリ細かく呼吸を合わせる。」
といった3段階で、先ずは友達のように気が合うことになる。
けれども、その行動を行う者の内面に、「腹に一物(詐欺とか恐喝)、背中に荷物(ノルマや負い目)」が存在すれば、まず相手方が共感することがない。また一般的な社会教訓では、「詐欺師は、腹に邪心のある者を狙い、詐欺師は正直者を敬遠するものだ」と。★だが詐欺や恐喝は金銭の大小にかかわらず犯罪だ、それは自由平等のための社会共同体を破壊するからだ。
・【好印象の共感を、会話の相手に抱いてもらうために】、は、挨拶から会話から全て、☆音楽の“Fa音”の発声をする・それを貫くことだ。好印象の共感を発散している人物の声は、必ず“Fa”である。それは、言語が異なる場合でも世界人類の共通である。おそらく、人類が言語を持つ何十万年も前からの先天的遺伝子の為だろう。後天的遺伝子は700万年を経て身に付く(遺伝子は先祖のもので、親の遺伝子ではない)のだから、室町時代の能・狂言にも演じられてもいるから、
“Fa”には根拠がある。
  “Me音”は、ただ単に印象が暗いだけだ。
    “Re音”は無関心を共感させる。
      “Do音”は落胆を共感させる。
反対に、“Fa#音”は詐欺や誘惑の共感に受け取れられかねない。

~様々な職業に使われる音楽の音階、今の経済危機以前の時代に活躍した人が、それこそ、何れの音の発声をしていたかを思い浮かべてみるのも面白い。明治大正の録音録画を聞けば、現代とはっきり異なっていることがわかる。

その5 Art域労働の、姿勢や・やり方

・チャンスをつかまない限り、誰かに指図されて、“Art域労働”はできない。仮に、形式的に誰かの下にあっても、チャンスをつかむことである。精神科医で心理学者のユングは、「自分が今何を行っているのかを、よく知れば、それは象徴(シンボルSymbol)となる」と語っている。すなわち、心理では形式的な立場はどうでも良いということを立証しているのだ。そして、自分自身を進化させるのは、自分で自らをどう望んでいるかいるかに因る。だからこそ自分でコントロールできる、結局は自分次第という訳である。

・自らの仕事の方向を設定すること、それは“光の波”で方向を示す様のことである。だがその方向に向かうシナリオは無いから、その時の状況や環境に“よく順応して”一つずつの細かな実績の粒を押さえていくことだ。それはまるで、量子力学における、「光は波であり、粒である」という原理に似ている。成功する人物は、計画に判然とした時間を費やしはしない。とにかく実行し、問題が起きたら何かの創意と工夫で臨機応変に対処してしまうわけだ。

・設計図、戦略図、シナリオ、楽譜といった類や方法では、“メリハリとか、リズムの落ち着き度合い、間や間合いなど“といったものは、書き記すことができない。だから素人とか“巷のお稽古事教室”の多くは、この書き記していない内容を無視する。それどころか気づきもしていない。ここに、書き記すことができない事柄の欠落によって、Art域とか芸術性が存在し得ない物事に陥るのだ。それは、ものづくりやサービス全般、事業経営管理に農林水産そして家族や友人との人間関係に至るまで、不変の法則である。ここでも量子力学における、「光は波であり、粒(~前述の書き記すことの不能事項)である」という原理に似ている。☆“Art域労働”とか芸術性と、素人や技能との差異=決め手はこういったことだ。
さらなる例を示す。例えば音楽を例にとれば、ピアノ・オルガンといった楽器(音階が平均律)と、これとは異なるバイオリンなどの弦楽器とか人の歌声(音階は純正律)は、同じドレミファでも和音でも音の高さヘルツHzが異なる。高校生あたりの少なくない優等生が、ピアノに合わせて歌を歌ったり合唱をマスターしたとしても、彼彼女らは素人集団の中で違和感音を発声するとか、高音旋律や低音旋律で濁音を発声する。それは彼彼女らは学んでいないからだ。(音感が成長している子は純正律の音階や和音を自然と歌う、自らで素晴らしいか否かを判断し)。

・仕事は、作業内容よりも、仕事場の環境の影響を大きく受ける。オフィスは適当に作ってもらわずに、本人が自発的に造ること。その環境の雰囲気が何よりも大切で、事務所の雰囲気ならば⇒事務所らしい考え方、町工場の雰囲気ならば⇒町工場らしい考え方しか出てこない。だから地元の考え方も大きな影響を受けているのである。
すなわち地方ごとの地元特産品は、その地元の労働全般能力と関連する環境に支えられている。★だから商品とは=、地元や地域ごとに含まれる結果の価値が異なり、そのことで利潤の差異が生まれる、これは経済学における商品の原則であって価格決定論(=原則を無視して消費財品まで商品と錯覚するから採算が合わない)なのだ。≪“有名で高利潤の特産品”も、地元の原材料で成り立っているのではなく、“地元の労働全般能力の集積”で成り立っているのが事実だ≫~だから、地元には、ビジョンの実現に向けて後押ししてくれる仕事場が大切である。ルールを守ることよりも潜在能力を高く評価して伸ばしてくれる職場が重要だ。保身に逃げたらクビになり、リスクを取ったら昇進するような職場が良い。そんな職場が地元に数ヵ所も在れば、地元や地元経済は大いに成長する。アメリカのシリコンバレーの成長は、個別企業にとどまらず、業界がまとまり、自治体(サンタクララ郡)がリードした。こういったまちづくり政策を支える研究者も大学院卒のブレーンなどで固められていた。このやり方が成功し、その後にシリコンバレーはベンチャーキャピタルの投資先にもなった。まちづくりには、決して企業資金が先行した訳ではなかった。実に、日本でも、先々の大正2年から始まった、大阪市の「大:大阪」の都市政策も同じだった(池上四郎の都市計画:京大学術出版会)。

・レオナルド・ダ・ヴィンチは、「哀れな事は師を凌駕することのない弟子だ」と語っている。大切な事は、スキルとかパフォーマンスを学ぶ事よりも、師などから“姿勢ややり方”を吸収することが大切なのだ。それは日本に伝わる、“守・破・離”に通ずる理念である。それを解説すれば、“姿勢ややり方”を含めて、師から学び、成長して師の水準を破り、あらゆる師の拘りから大きく成長して離れるという論理構成なのである。要するに、“家元制度”とか、“親孝行者、親を超えず“とか、“無能な師は、弟子を潰す”といった、★日本の芸能界や習い事教室に横行する悪行から離れることが肝心なのである。

・旧態依然の企業経営、これも即座に通用しなくなる。
「リーダーは弟子を作るのではなく別のリーダーを増やす」といった理念が重要だ。加えて、「リーダーの任務は事実を突き止めること。そのためには質問が大切で、見習い時代のときのような質問が大切だ」と先駆的な企業では奨励しているのである。たとえ、アメリカにおける有名百貨店の手法であっても、“債権債務に縛られた資本投資を前提にした計画経営”の許では、近年の“グローバル経済崩壊“ではひとたまりもなかった。やはり、商品経済が主流となり自由市場が活発になるに至った、この450年ほどの底流に流れる法則は原則こそが、やはり重要なのである。だから、アダム・スミスから始まった経済学にも裏打ちされた法則性を保つ、“Art域労働”が大切である。新自由主義(ただし、学説の大半は弟子を改ざんし、他人が作り替えた偽物)も同様ある。

・クリエイティブな人物で、次代を表現表象する芸術家に共通する特徴とは、表現表象を制限を回避する方法を見つけ出す能力である。どうしても社会や組織は既存のものにしがみつきたがる。公務員、専門家、経営者が、「そんな事が出来る訳がないだろう」と述べる場合は、「そんなのは面倒」と考えているからである。既存しがみつく彼らは、自らの邪心となれば金がなくても無謀でも、なぜか実行するときは無理強いもしてしまう、にもかかわらずだ。クリエイティブな人は実験的なことをして新しい世界を開こうとする。が、それはクリエイティブな生き方を歩む宿命なのである。全く気にせず、「感情のコントロールで“幸せの増幅”は変化するから」と、ここでも気楽に障害を回避しよう。

その6 Art域労働を、拡張する日常イベント

・ミシガン州立大学の研究によると、1901年~2005年夏にノーベル賞受賞した科学者の生活調査が行われた。これを「総合活動セット」と言い、科学者としての成功と芸術に興味が直結するのは、イノベーションに役立つ頭脳の部位が芸術の影響受けて育つとの結果からだった。この逆も成り立ち、科学に興味を持つと科学的な考え方を芸術の豊かさに持ち込むとのことだ。レオナルド・ダ・ヴィンチにも同様のことが成り立つ。自動車のジャガーの流線型は、当時不適切とされた常識を無視して、航空機の原則を車に適応した。そもそも芸術性とは、絵(平面表現)、彫り物(立体に触れる表現)、音楽(空間把握表現)、詩(時系列表現)を柱にして、受け手に希望や夢を抱かせる(共感Empathy =共感作用+共感精度)といった仕組みなのである。だから、単なるメカニックには留まらず、凄いものを見聞きさせて⇒単に人を驚かせ、⇒して酔いしれ耽(ふけ)らせる(耽美主義・審美主義)にハメ込むに留まるパフォーマンスといった類の薄っぺらな物では無いのである。

・仕事のプロセスを公開すれば、有益な芸術家は協力してくれ技術技能的なスキルは周りからの助けでカバーできる。加えて、それは単に理解されようとしても、決して盗まれる心配も有り様が無いのだ。もちろん、他からコミュニケーションでの気づきを得ていれば、更にあなたは発展進化する訳だからだ。“食器のスプーンが設計出来れば、都市設計までできる。”ということ!!。自分で制御できるスケールでアイデアを探求し、そこから無限に拡張できる可能性を追求することである。発想のスケールは、そのままあなたの功績と規模になる。筆者の経験からしても、数人の個別企業であっても、10万人を超える集団であっても、仕事と目指す結果の“方向性と中身は同じであり、規模の差は技術的スキルの違いだけ。”なのである。繰り返すが、技術技能的なスキルは周りからの助けでカバーできる。

・クリエイティブな人は実験的なことをして新しい世界を開こうとするが、それはクリエイティブな生き方を歩む宿命なのである。あなたの周囲に居る 技術技能的なスキルの範囲内に固執する人からは、理解をされず反対される。けれど、“見る目を持つ人物とか、同じ価値観(共感Empathy=共感作用+共感精度)を持つ人とかは、即座にあなたを見抜いてしまう。筆者の場合は、満25歳前から様々なスカウトを受けた。が、体力が無く後に病気と分かるけれど、もとより“組織の中で無駄な時間を過ごしたくなかった”し、内心は“とにかく朝から学校にも働きにも行きたくなかった”との思考だったのだ。だから色々様々考え、高校生の期間、横に寝てTV番組と読書で経済学を独学し、“一日6時間以内週4日しか「稼働」しない”ことと心得て半世紀余、現在も落ち着いている。(昔ながら、人を子分にしようと目論む、中堅企業や大企業は、病弱というだけで、途中で付き合いを断ってきた訳だ。)

・目標は“大志(野望)を持て”と言うけれど、クリエイティブで“Art域労働”に踏み込んだ仕事をしてしまっている人物にとっては、どうも、その“大志(野望)を持て”というのは綺麗事にしか感じられないようだ。筆者の場合は、自分の仕事が結果的に回り回って、「何十万人くらいの人たちに影響を与えるのかな?」という着想があって、大志なんか持ったことがない。そのあたりは、繊細な域に達する芸術家とは全く違うようだ。行った仕事が社会の見本となって広まっていけば、「わざわざ、しんどい疲れることを自分でしなくても済む。」って訳だし、「投資なんかしなくていいし、永続的需要があり、生活には困らないかなぁ(労働者やサラリーマンはいずれお払い箱になる)。」という感覚だ。ちなみに、近江商人の末裔には、ほゞ口づたえで「商売の原則は、①世間よし → ②買い手よし → ③売り手よし。」の順位付け順番で、教えられる。(巷で流行する“三方よし“は、丁稚などの末端従業員マニュアルでしかない。)そして、ピカソをはじめすごい芸術家は、他人に思いを馳せ、一般の人に向けて影響を及ぼし、世界的にも有名に至る。その経過で、ピカソは実に27回ほどの事実婚歴を持ち、フランス共産党員であった事を隠すこともなかった。多くの人が現実的目標を立てるが、“現実的目標”は過当競争が激しいから達成は難しいのだ。「個人や組織でも大志(野望)は歩めるし活用できる。個人や組織に大志が欠けている原因は内側にある。」と結論付けられている。
   
自由市場で成功した仕事の多くは、時空を飛び越えて“思いもしない組み合わせ”とか、時空を超えて“対立物の統一”(ヘーゲル哲学の様) を果たしている。それは、五次元の思考様相(X・Y・Z+time+Connect)である。新商品や新サービスの開発も、ほぼ共通してこの原理だった。昔ながらに古くて頭の固い人向けに例を挙げれば、精神科医・心理学者のフロイトは診断を通し、「ひどい惨事と気楽な楽しみの組み合わせ」だと、音楽家マーラーを診断し、その仕事を診断表現をしている。ちなみに、小説では=悲惨な出来事×滑稽なシーン。映画では⇒長くゆっくりとしたシーン×大きな衝撃とか、最良の時代×最悪の時代とか、希望の春×絶望の冬といった具合だ。色彩⇒青い海に×オレンジ色の浮き輪のコントラストとか。あるピアニストは、「ピアノ初心者は大胆なコントラストを怖がる傾向、それは使う音域を狭くすれば、観客にミスを気づかれないと逃げるから、が、演奏の生命力と深みを失う。」と指摘する。異常な物の隣に異常なものを置けば、両方とも正常に見える法則の裏返しだと理解してしまうと、~それはいまいち=あなた自身のスキルに制限された着想だ。☆対立物の統一とか五次元思考をしばし思い浮かべ、、まずは実践してみると、あなたの仕事とかは一段と“Art域労働”に変化し、深みを帯びる。そして成功する仕事をする人物は、先に説明したように“間とか間合い”をあえて設け、相手や受け取る人に共感Empathy=共感作用+共感精度の“希望を、語る・受け止める”チャンスを用意している。~またそれは、スキルとかパフォーマンスでしか仕事を取り組めない人との関係で、住み分けをすることにもなり、現場での不毛な競争に巻き込まれることも無いのだ。さらに、五次元の思考パターンは、あなたが枠にハメられ我慢している思考様相を打ち破ることになるから、“あなたの弱みを強みに変える”こととなる。

・2021年発行のロンドン芸術カレッジ||研究者の著作“天才はしつこい”からそのまま引用をすれば、「今すぐ未来をつくる」との項目において、異なる業界に持って行けるスキルとは、「☆リーダーシップ。創造的思考。☆コミュニケーション能力。☆イノベーション能力。」であり、未来の仕事に必要だとしている。更に食いっぱぐれの無い職業とは(カッコ内は著者の解説)、「経営スキルを持った看護師(国家資格) 、創造的思考を持った資産運用家(時代の最適合能力) 、企業能力を持った管理職(事実を突き止め裏打ちされた法則性)」だと、一般企業向け職業9経験も含め、英米における現在の結論を示している。

その7 日常の心得(その心の持ち方)

・様々な物事を深く見詰める力を身につける。深く観察することで見落としも減る。それには、立場を変えて体験してみることであり、今現在の常識(常識=皆がやっていること)とは異なる場所の異なる深さの価値観を、“潜伏して混じって体験して”見詰めてみることだ。世界の観光地の観光旅行するのとは違って、日本には紹介されず陽の当たりもしない地で、“一緒に衣食住で暮らしてみる”という様の体験だ。上辺を見に行くのではなく、ネットやスマホで薄っぺらい情報を得るのではなく、少しでも体験して深く理解しようとすることが、本当の意味で見るということだ。特に、壮年・若年と女性本来の人たちに、次世代で活躍するためには、本当の意味で見てほしいと考える。この際、中高老年は後回しだ。次のURLは、≪肌感覚で、中高老年 と 壮年若年と女性本来を 比較してみた≫もの(総務部メルマガ 2022/04/5)である。
http://soumubu1.blogspot.com/2022/04/blog-post.html#240-10
・人物にしても企業団体にしても、人はまず自分の感情をもとに判断し、その後に頭の中で考えている。そして、そこに、より明確な個性が存在しているのであれば、人々の記憶に残りやすくなる。企業団体にしても、人から好かれる理由は、取引条件とか価格や経理内容ではなく、その企業の個性に対してなのである。その個性を明瞭に発揮するポイントは、日常的な個性のPR行動ではない。仕事や事件に対し批判をされる前に、自ら自分にメスを入れることである。そこでのコツは、①漠然としすぎている物事、②ゴチャついた物事、③退屈な物事、④見ている人を混乱させている箇所、仕事のメッセージが明確になっていない箇所を未然に点検チェックして、☆大胆に仕事の編集組み替えをする決断能力だ。未然に気をつけていなければ、個性にも能力にも固定イメージを持たれてしまう。★見つからないように発見されないようにする心配や努力行為の必要性は時間的にも無い。☆発見される痕跡も残り組み替えされていない跡が残っていても、個性を理解されていればこそ、更により深く理解されるに至る。それがICT産業革命後のスタイル、生きている様が好まれる未来姿なのだ。今現在にでも通用する“信頼される判断基準”の常識は、この経済危機で通用しなくなる。★ 隠蔽とか愚昧(ぐまい=愚かで物の道理がわからない様)の説明を繰り返すことでは、ICT時代では“全く相手にしない”との態度をとられることとなるからだ。

・あなたや個別企業の役割とか個性にレッテルが貼られてしまって、そこから身動きがとれなくなっている場合、別の次の活躍の場に出られるように、☆あなたの役割を広げる行動を始めることである。そう決断するだけでも、既に状況を踏み出しているし、そのための解決能力を磨いて想像力を働かせるだけでも変化が生まれる。すなわち、「立場が低いことでチャンスがもらえないなら、あなたの役割を広げればよい。★決して上からの手助けは求めない!!それは、あなたの上とか周囲は現状に満足しているし、あなたの立場の低いことにも満足しているからだ。あなたにとって、★現状の役割を果たしているパフォーマンスとかスキルは、別の次の活躍の場へと連れて行くわけがない。そういった事は普遍的法則で、地元経済でも同じだ。
・あなたの選択した一つ一つが、あなたの将来を形成する。あなたにとって何が重要かをはっきりさせていることが大切であって、次にそれが、仕事や成果(作品)の核となるようにすることが大切だ。あなたの土台となるテーマが定まっていると、答えを持っていない場合でも決断を下しやすくなる。成功する人物は、計画に判然と時間の費をしない。とにかくテーマに基づいて実行し、朝起きた時でも・問題が起きた場合でも、何かで臨機応変に対処できるわけだ。まるで、量子力学における、「光は波であり粒である。」という原理に似ている。ことに、テーマを文面にまとめ(一つの機能スキルも実行し)ていると、あなたの仕事や同じプロジェクトに関連している人にも意識してもらいやすくなる。そのテーマを書いた文面が、軌道の逸脱を自他共に防いでくれる。常に傍にいて助言や支援をしてくれる友達役が生まれるようなものだ。そして何よりも、自信を持って“ブレも無く”なれることである。

・何かの仕事やプロジェクトにいったん着手したら、一気に作り上げる気概が重要だ。素晴らしいアイデアだとしても、計画と準備に時間をかけていれば、エネルギーと情熱を失って、挙句に新鮮さも失われ頓挫してしまうのが当然の成り行き法則である。「一心不乱に取り組み、頭は冴えて、自意識も持たないといった能力発揮状態(これを「フロー」と呼ぶ)」に自らを意識的に持ち込むことが大切だ。このフロー状態に入るには、適切な環境に身をおく必要がある。フローを阻む煩わしい情報とか、PC・スマホ・テレビ等での粗雑情報は遮断すること。焦って作業していても、興奮して寝不足状態としても、あなたの能力を吸い取る人物と接しても、このフロー状態には入れない。著者は相当昔から経営者や経営管理者に、月に丸3日を独りで過ごせる場所に移動する旅などを推奨してきた、そのことで少なくとも大局的に物が見られるようになり、計画的な立ち居振る舞いも身に着いて、周囲の人たちとも一丸協調して効率的に動けるようになるというわけだ。

その8 日常の行動とはどんなもの

・自我とかプライドが関係しない領域だったら、人々に助けを求めやすい。助けを求める能力も重要な一つである。そしてほとんどの人は押し売りが苦手だから、セールスプロモーション(自己宣伝)をする場合でも、自分は何もさしだするかを見つけ、それを差し出すことに全力集中する。「相手のために何ができるだろう?」と、ほとんどの人が自分の仕事や取り組みについて説明するけれど、☆もっとも重要な事は、「私がなぜ取り組んでいるか。」を話すことがとても大切なのだ。セールストークとかプレゼンテーションの様に話そうとするから、自分が営業マンに似て惨めになるのだ。

・「天才とは、頭の中にあるイメージを現実にできる人のこと。これ以外に定義がない。」と言われている。一般の人は自分の発想が真実・潜在能力を発揮する前に諦める。ところが、クリエイティブな仕事で成功する人物は、最も優れた才能を持つわけでもなく、実現できるまで粘る人なのだ。×「粘り強いかどうかは生まれ持った性格。」というのは全くの間違いである。むしろ、“全くうまくいかないときにも平静であり続ける”能力と言われており、粘り強さの能力は意識して育むことができることが分かっている。それは、感情をコントロールできるか、段取りとか計画を冷静に建てる素養を、哲学や社会学を学ぶことで認識しているかどうかに関わるとのことだ。~そんな哲学や社会学に関わる余裕のない人がコンサルタントと称する職業専門家に依存するわけだ。ただし、自らを試すことでしかわからないケースもたくさんある。
心理学者アブラハム・マズローの欲求5段階説は有名だが、どう見ても日本の誰か学者が、都合よく端折り、自らのイデオロギーを組み込んだとしか思えない。 “マズローの欲求のピラミッド”は有名だが、彼の著作はそれ以上に内容豊かなもののことだ。人間の動機づけ理論(未日本語訳)によれば、「他人の意見に気を取られることなく、自分が1番満足できる生き方をすることだ。『音楽家なら音楽を作り、画家ならを描き、詩人なら書くことが、結局の幸せを得る日だ 』」とマズローは述べた。マズローは、アスリート、哲学者、科学者そして芸術家その他幅広い必要調べた。フェミニストで平和活動家の女性の例もあるという。その基本には、自分が一番重視するものを突き詰め、作業を進めている。世間から徹底した批判を浴びたが冷静に苦境に耐え、ノーベル平和賞受賞の際も冷静だったとのことだ。すなわち、現在も日本国内各所で紹介されているようなマズローの学説は、どのように見ても日本における、単に高度経済成長期に都合よく語られた珍説の疑い強いのだ。
【同じく、心理学者ユングの心理学。】現在、スピリチャル?の流行もあり、ユング派精神科医も少なくない中で、日本国内の多くの識者と称する人は、ユングが自分の思想を形成するきっかけにもなった「黄金の華の秘密」の著書を読んでいない。ユングは当時ドイツのトリックにおける、“流行していた教義”を批判し、改めて新約聖書の解説も著するなどして、深層心理・分析心理学を打ち立てたのである。その場合、キリスト教の新約聖書をふまえておかなければ理解できない箇所が盛りだくさん存在するにもかかわらず、そこでユング心理学を錯覚している学者や医師は少なくないのである。「認められることや受賞を求めてしまうと、世間の注目を集めるには役立つが、長きに渡る満足感や自尊心などは得られない。」と心理学者マズローの言いたいのではないか。マズローとユングは、ほぼ10年代に活躍した心理学者である。
【加えてアドラーは、】フロイトとかユングと並び現代パーソナリティ理論や心理療法を確立。しかしながら、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、極めて現実対応可能な精神医学的対応と実践的理論に精通していた。ストックホルム経済大学系で、フロイト理論(ファック)とかユング理論(ショッピング)といった風に評されることもあるが、アドラーは「意思疎通と気づき効果」なのかも。~アドラーは、その後の社会における実務的心理学、教育学などに影響している。

・クリエイティブな人が、何にも縛られていないときに創造性が生まれるというのは嘘である。また完成させなければという圧力を常に背負っている。これが実際に調査された方。さらに、締め切りがあると、人間の思考は1つのことに集中する。

・脳は常に再生を続け、人が年老いても学ぶ力を存分に持つとのことは、神経科学者によって証明済みである。何歳であっても、クリエイティブな考え方をすることで脳の構造が考えられると、近似のテクノロジーも示している。その脳の特徴を、神経可塑性と名付けられている。新しい視点を身につけることで、脳は形を変え続けるというわけだ。

・過去の自分と決別したいためには、自らイメージを付け直すことが有効だ2自分像をくっきりと描いてさえいれば、何者にだってなれると話す有名人は多い。けれども、自分の足で歩くには、反抗心とタフさそして決断力を育む必要があるとも言う。自分の性格の隠れていた部分を表に出すように色々な事を学ぶことで意欲が掻き立てられ、様々な考え方人と出会うきっかけにもなる。したがってそれは、自分の環境に特別大きな変化が起きるタイミングで、新しい考え方と動き方を見つけることがとても大切なことなのだ。

主な参考または根拠となった文献___

T.ウェブレン 1899 『有閑階級の理論』筑摩書房
J.R.コリンズ 1950 『集団行動の経済学』明治大学出版
S.フラー 2009 『ナレッジマネジメントの思想』 新曜社
ジョフ コルヴァン 2010『究極の鍛錬』サンマーク出版
K.ハイルマン 2013 『脳は創造する』 新風書房
L.ドイヨル 2015 『必要の理論』 勁草書房
A.エリクソン 2016『超一流になるには才能か努力か』文芸春秋社
金森修 2016 『科学思想史』岩波書店
J.デセティ 2016 『共感の社会神経科学』勁草書房
J.ガナシア 2017『人工知能の損実を話そう』早川書房
C.ペイトマン 2017『社会契約と成契約』岩波書店
ロッド・ジャドキンス 2022 CCCメディアハウス
『天才はしつこい 突き抜けた成果を生み出す80の思考』
【平凡な人が非凡になるには】(ロッド・ジャドキンスをYouTube解説)
https://www.youtube.com/watch?v=VLoJ1a2YNxk
§事業&実務に、直に役立つ科学法則、“美”を整理
https://www.youtube.com/watch?v=VLoJ1a2YNxk

§【虎の巻2】
“価値観の似ている人”や仲間を得る科学的道具(表6-1)


経済破綻で、とにかく社会や人間関係は混乱する。
そういった中で、“価値観の似ている人”や仲間を得ることがとても大切になる。
その場合、食事をしたり、長年付き合ったりして後に判断するわけにはいかない。
“価値観が似て、仲間になりうる”人物の見分け方のヒントになる科学的学説の一部を紹介する。元の研究は極めて難解であるから、気になる方はその書籍を手にとってみれば良い。けれど、経済破綻で急ぐ活用を要するし、“騙されたり裏切られたり”して損害を出すわけにはいかない時節なのだ。
★今回は、集団を形成し、ある程度の理念などで運営する場合において、
その人たちの論理構成とか世界観は次の表が多くのヒントを与えてくれる。
世界中探せば、それなりにタイムリーに役立つ科学的学説は存在するものだ。

例えば、“詐欺や恐喝行為”の反省をすることが無い日本で今話題の団体は、
「社会構成主義(あるいは解釈優先主義)」であり、その団体の先端で、“詐欺や恐喝行為”で甘い汁を吸っている犯罪者が取り仕切っている輩。これが一目瞭然になる。次に掲げる表と解説を読んでみれば、彼らの中身と将来がよく理解できる様になるのだ。科学の力はすざましい。そしてそれに携わる研究者・学者の尽力努力の成果がみんなで共有(分かち合いShare)できる時代だ。

表6-1 4つの世界観パラダイムの主要な要素
___質的研究をはじめるための30の基礎スキル おさえておきたい実践の手引き
J.クレスウェル 新曜社2022/05/25から引用 ___ 実証主義とはどんなもの?________
要するに、現実的に物事を解決しようとする科学者的な考え方を重視する人たちと言って良い。☆科学とは「何時でも何処でも誰でも使える法則性」のことでで、自然、人文(精神)、社会といった分野を問わない論理構成の思考パターンである。アイザック・ニュートンは科学の定義を「神により作られた被造物の法則を知る学問と明確に述べた。すなわち、この世の秘蔵物のうち法則性が明確になった部分のみについて科学と言うのであって、「この世のすべてを科学では解決できない。」 とのレトリック(他人を騙す語り方)を語る人物は、学問も教養もないというわけだ。
__科学は、社会運営技術のうちの1つの柱としての道具であり、民主主義とともに自由平等の実現ための社会そのものの形成要素になっているのである。実証主義者は、科学的言語の使用や開発に努め、社会共同体における言語の共通化に努める姿勢が不可欠と考えている。
http://soumubu1.blogspot.com/2021/07/blog-post.html#231-09
またそれは、自由平等のための社会を形成した人類史の過程での、現代:文明Civilizationと共に形成されてきた論理構成や思考パターンでもある。世界中での初等教育(幼稚園や保育)から高等教育(大学や大学)における基盤である。物事を認識することで価値観を形成し、具体的な指針や行動においては、科学的な視点を最重要としている。個々人のそれは、浅い認識→深い認識→発展を促す認識といった発展過程であり、日本で言う昔ながらの「守・破・離」を認識論の基本としている。したがって、日常話す言語も科学的で裏付けも存在するものを好み、決して個々人によって意味とか用い方の異なる言語の使用は、「はっきり間違い」だと考える。

批判論理を信奉するとは、________
現実といったものを、社会・政治的、そして文化的事象によって形作られると考えている。したがって、物事の理解の仕方が主観的な、好きだとか苦痛がないとか差し支えないとの感情的表現による、様々な視点によって形作られている。その視点は法則性を持つ観点というものでもなく、その人が認識するところの社会的、政治的そして文化的な規範によって形成されている。
 まずは批判論理を信奉すること、これが起因して抑圧された人々に影響を与える何らかの権力の問題に取り組むとする人が多い。それは、“現実的に解決のために“原因を探るといった論理構成が弱く、解決は各々の権力者の行うことだとしての、ある種の依存性が強い。筆者の経験からすれば、残念ながら“批判理論の信奉者”は、具体的な解決策各論の論議にすらも、頑固に参加をしてくれない(「私たちは権力者とは手を組まない。」という理屈の)人が多い。


社会構成主義(あるいは解釈優先主義)とは、__
 個人は、それぞれにより異なる視点を持っている。
なので、それらの複数の視点を明らかにすることが必要だと考えている。だからこそ、できるだけ個々の意見とか視点に近づきたいと考えていて、現場の調査とかデータ収集とかに、→現地に出かけるといった良心(=両親とは哲学用語で“善”とは異なる)の強い傾向がある。
 その場合、実証主義者のようなインタビュー調査という形式手法が、結論を導くにしろ稀になる傾向がある。すなわち社会構成主義者は、彼ら自身の価値とかバイアスを伝えることを重視している。それは、何らかの研究者にはあらずとも、一般のミーティングとか井戸端会議における世間話などでも貫かれている。
__多くの社会構成主義者は権威とか常識(みんなが行っている事)を、無批判に内容もよく確かめずに信用してしまい、さらにその解釈は自ら確かめることなく、責任を感じずに用いてしまうことが社会構成主義者の特徴だ。よって、現地の現場の経験者とか実践者に近づき、その場所や状況を収集するものの、社会構成主義者個々人の独自の言語スタイルを使用することが大きな特徴となる。実証主義者が科学的言語の使用や開発に努め、社会共同体における言語の共通化に努める姿勢とは、彼らには真逆であり得るのである。すなわち、その社会構成主義者会話させるにあたっては、彼独自の使用する言語とか文脈の意味を、注意深く幾度も確かめないと、大きな誤解を生じる。彼彼女らは直ちに、先ほどとは正反対の発言をしても、意味や気持ちの取り違えだと平気で説明することを厭(いと)わない。



(社会活動) 参加型の信念を持つ人は、___
現実では政治的である。
政治的な自覚は薄いけれど、人種、社会階層、ジェンダーその他そういった物事の組み合わせの中で、現実というものが構成されている。参加型の信念の人たちは、何らかの話題を話したり、研究を行う行為といった物事とは、そういったテーマの専門的集団とともに、“共同的に政治的に取り組む物事なのだ。“と考えている。かといって、参加したとしても、先頭に立って先駆的に、それなりの言行を実践する訳では無い。
___そういったテーマの専門的集団の主催者や研究者と一緒になって同様に、研究対象となっている人々の価値を高めるとか.はたまた“人格等を沈める。”といった変化に役立ちたいと考えている参加者なのである。それは、参加者自らが力をつけること、連帯して行動することによって自分たちの置かれた不利な状況を変えていこうとする良心的(=良心的とは哲学用語で“善”とは異なる)な考え方には変わりはない。だが、参加型である限り、無知や教養の無さは残念なことに、「(法改正を除き)悪法の制定とか法の改悪に、非科学的(全体主義とかナショナリズム)な錯誤を起こしてしまいやすい傾向が強い。
_____なお、宗教団体、全体主義とかナショナリズムなどの政治団体といったものが、非科学的なものであり、徐々にではあるが、「もしかして、“幸せと満足”とは程遠い存在であるかもしれない。」といった認識は、ICT機器の活用によって、ようやく多くの人々に認識されるようになっている。


【共感性&文化差異を、巡り廻り、移ろう行動基準】 
人間の内心は、~2021/01/05日、総務部メルマガで公開した有効な手法だ。
http://www.soumubu.jp/intelligence/20210103_koudoukijun.jpg

◆この時期にメルマガを書くにあたっての補足原稿
ICT産業革命でもって社会や経済が発展を成し遂げる背景には、地元密着地方経済が、地元に足をつけて~世界の市場に展開する。そこでは、先ほどの(表6・ 1)に示すような4つの世界観が入り乱れたコミュニケーションを通過して広がるのである。__昔~従来の全体主義とかナショナリズムといったいずれか単独の論理構成では、コミュニケーションが図れない。すでに日本国内の現実でさえ、年代とかジェンダーその他で意思疎通に困難を抱えている。その主要な原因が、各々の年代とかジェンダーその他で、流行なのか教育なのか断定はできないところの、“世界観 ”の相違から意思疎通(コミュニケーションなど)が不能になっている事実と、それが原因でもあることは否めない。
 そういったコミュニケーションの原状を、無理矢理にITやコンピューター言語などで解決できると考えるのが、そもそも妄想であり勘違いなのである。人類の共同体を通しての進化や発展とは、機械的な無機物の単純な要素で以て進んだ訳では無い。むしろ言語の数だけ個々に宗教観が生まれたことを典型に、“文化→経済→政治”といった順に近代以降の文明Civilizationは形成されているのである。
__こういったことを無視して、全体主義とかナショナリズムとかに、溺れ浸っている人物が妄想・錯覚をし、中ITやコンピューター言語などで解決しようとするわけだ。
 その結果、労働全般能力とか、その一部を切り売りする労働力といったものを、ITまたはICT機器といった機械やロボットなどの制御化(支配下)システムで、がんじがらめに縛り付けてしまっている。だから、商業における顧客との意思疎通とか、製造業における顧客ニーズの洞察的把握とか、家族関係の崩壊に至るまでの、いわゆる人間関係における共感 Empathy(共感作用と共感精度)が、ことごとく破壊されているのである。
すなわち、意思疎通と共感の崩壊と劣化によって、あらゆる価値を生み出す効率の低下とか質的劣化(価値や利潤低下)を招来して、商品交換の質量が逓減に至るところとなり、経済の後退を招いているのである。
__いくらITとかデジタル化をとなえたとしても、労働能全般力とか一部を切り売りする労働力の段階での、“能力の劣化”を招くようなICT化を行う=ないしはロボット化をなして、システムを超える価値を制限し⇒生じさせないようにする中身では、社会や経済は“文化→経済→政治”に至るまで貧困化に向かうばかりなのである。そこで、左右や宗教団体に関わる=全体主義とかナショナリズムといった、無知無能力者と道連れには、あなただけでも貧困にならないために、ICT産業革命時代の“質量豊富な意思疎”のヒントを、ここに提供する。 ★こういった、科学的研究成果を、念頭に置いているか否かだけで、無用なストレスとか落胆絶望そして迷信とかレトリック(他人を騙す語り方)に翻弄されない様になる。「なぜ、あの人は、あんな酷い事を口にするのだろう。」と、悩むこともなくなり、感情もコントロールするとこ平静さも期待できる。

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20221005】
 今月、あなたに紹介できる本は、いまひとつのものばかりで、ありません。