2018/09/04

第197号:何処も 笛吹けど踊らず、それともブラック企業の蔓延か

<コンテンツ>
合理一貫性&事実一致性で見抜かなければ、「旨い話」に乗せられる。
経済経営学の原点とは、物事を見抜くこと&アイディア創造にある。
  ・Art域労働=芸術能力要素育成と賃貸型賃金形態を折り込む
子供たちの読解力が低下しているという話
  【AI等の甘い未来予測には、大間違いがある!】
「働き方改革」が平成30年6月29日、可決成立。迷走する政省令の作業へ。
   問題点のポイント そのポイントは、何を意味するのか。
   ……実務家とか識者からすれば、実のところはこうだ
   【長時間労働の是正】
   【中小企業の割増賃金猶予措置】
   【年次有給休暇の時期指定付与】
   【労働時間の、状況把握】
   【勤務時間インターバル】
   【その他、高度プロ、フレックス、産業医、同一労働同一賃金】


§合理一貫性&事実一致性で見抜かなければ、「旨い話」に乗せられる。
実体経済は深刻である。
ありとあらゆる投資は進まず、新商品の開発は停滞し、豊かさを実感することはできない状況だ。これを実体経済の不況というわけだ。
これは世界的に進んでいることも確かであるが、大枠で見れば生産性を増やし→供給を増やし→豊かさを増加させることで→さらに生産性を増やすといった好循環の、真逆の悪循環を起こしているからである。
マヤカシやウップンばらし、世界中が、こればかりである。
〔 日本で言うならば、〕

★ここ5年余りであまりにも就労者が減ってしまったから失業者が減っているだけのこと。
★雇用不安政策を激しくしたものだから、消費の低下、賃金ダウンにより商品供給しても需要する購買力がない。賃上げ要求も起こらないのが現実の末路だ。
★法人税や所得税の税収ダウン、社会保険料収入の制度的低下で国家財政は回らなくなった。
★国債の不正流用で紙幣流通量を増やし物価高を狙ったが失敗、株価を保ったが、円$崩壊の危機は先送りで激烈となっている。
★ウップン溜まって目先に走り、マヤカシにも乗せられ、生活不安を煽られて甘いスローガンに乗る人が増える。そんなレールに乗せられるから、新商品の開発は停滞し、生産性は落ち→供給は減り→豊かさも減る。あげく、人間の最も大切な再生産である子作り子育てまで落ち込む。

ところが、経済や経営学の視点から見れば
ICT産業革命の転換点であるから、社会や経済の病的現象は生じる。ところが、実際に病気になったり、熱病になってしまっては没落・崩壊してしまう。~全体主義といったことになる。
そこでの、個別企業や個人の解決策は、
儲かる一方で、損をするといった封建時代の迷信では無い。傾向と対策では限度がある。

「誰もが経済成長し豊かになるための理由と方策」といったものを考える、この経済経営学の原点に帰る必要がある。
#1いわゆる時代の支配者の論理代弁、また知ったかぶりぶりして冗舌にはなるが、話はTVと同じ。
#2これに抵抗する運動のための論理構成、それが単なるウケ狙い論理であることに気がつかない。
#3政権執着のためのマヤカシ理屈、生活が最も不安な階層に受ける甘いスローガンを思いつくだけ。
#4ただひたすら世間のウップンを表象する迷信や世間に蔓延る気のない話、
……およそこういったものの類は、一目で経済経営学ではない。
さてそれは、
不思議なのか偶然なのか、そういったエセ論理は、合理一貫性があるものの、事実一致性が欠けるのである。このポイントで見分けられる。

≪ 少し解説すれば ≫、
ガリレオでお馴染みの天動説と地動説が解りやすい。天動説はローマカトリックで考えぬいた挙句の学問的であり合理一貫性が貫かれていた。ところがガリレオは望遠鏡をのぞいて星の動きを研究したところ、それが事実と一致しなかったのである。「事実と一致しない」と言っただけで、その瞬間、未だガリレオは地動説を口にするには至っていなかった。ガリレオは宗教裁判(ほぼ迷信や世間体)にかけられた!という次第である。
この合理一貫性&事実一致性が世界で意識付けされたのは
ニュ―ルンベルク裁判である。ナチスドイツ戦犯容疑の将校が共通して力説するのは、「私はユダヤ人を貨車に詰め込む指図や命令をしただけで、ユダヤ人虐殺には関わっていない」との主張だった。確かにこれは筋の通った話であり、容疑とされる言動だけを見れば合理一貫性がある。ところが裁判官は、「その戦犯被告は、貨車の目的地は強制収容所であり、虐殺の目的で貨車に詰め込み移送をしているものであることを、被告自身が知っていたから有罪である」との法廷法理の判決を下した。「知っていながら」とは民法で言う悪意のことである。すなわち、ナチスドイツの戦犯容疑など弁護の論理構成はことごとく成り立たなかったのであった。このニュールンベルク裁判の法廷法理は、直後の日本の東京裁判に影響を与え、たとえ弁護人が雄弁に語ったとしても事実一致性に欠けることで、弁護が成り立たなかったのである。これこそが事実に基づいて物事を見破るということである。今で言う証拠万能主義を排除した「客観的合理的」ふうな概念となる。


§経済経営学の原点とは、物事を見抜くこと&アイディア創造にある。
(長々とお持たせしました)次に示す一覧表は、その例示である。
新商品、経営管理、仲介販売、学問、芸術などといった、「労働の成果が個々人に対し影響を与える」こととなる。最も利潤率の高い労働(Art域労働)を分析したものである。哲学とは、父母子といったふうな人間が3人寄れば、意思疎通に必要となる一般向け論理である。それとは違い芸術や宗教(但し団体教義に非ず)は個々人に対し影響を与える論理学では解明できない分野である。むしろArt域芸術労働と市場取引は、「自由がなければ恋愛はできない。自由のない恋愛は、単なるDVドメスティックバイオレンスそのものである」と言われる倫理観に近似している。新商品、経営管理、仲介販売その他は、“哲学”を用いて対応ができるわけがない。
ここまで見抜いて、アイディアを創造し→個々人に対しその所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を生じさせる、これが本物と言われるものである。
学問をする者はここまで必要である。ゴタゴタ事物を並べ整理整頓するだけでは職人技パフォーマンスにすぎない。“人事評価”の英文訳は performance!要するに品評会である。
先日の9月2日京都で、筆者が経済系学会に出した書面発言用 discussion paper のPDFがこれである。
20180902_discussion_paper.pdf
この学会でも総括議論は、ジョン・ロックの労働権所有、その市場性と市場から排除される労働権、職能資格能力主義の曖昧論調の弊害などにも及んだ。この discussion paper は極度に難解なことは確かである。けれども読者のみなさんご安心を、大学や大学院教授といっても、職人技パフォーマンスには長けていても、こういった社会人学者の議論にはついていけない先生方は多い。これが今の官僚たちに翻弄されてきた大学教育の姿だ。ところどころでもピンとくる社会人の貴方とは異なるところだ。

Art域労働=芸術労働の要件要素には、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
Art域労働の、定義、特徴、その現象 Art域 スキル パフォーマンス
無意識におけるパターンの認知作用により、
そして、Art域労働の行為は、目的意識的に計画的である。がしかし 無意識におけるドラスティックな進化でなく革命的な行為であって、 他人に対し、それも個々人ひとり一人ごとに、影響を与える。 ×有意識
その創造力、発明発見、創作とは、他人に対し その所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を 生じさせるところの、共感Empathy →共鳴を与える。(神経科学) ×秘匿性
五次元思考~X・Y・Z+Time+Connect結合~で以て、 脳科学や神経科学で解明されている共感作用&共感精度であって × ×非共感
「音」による空間表現、「絵」などによる色彩表現、「詩」など時系列表現を、論理学では解明できない分野の方法を用いて
細かな物質的モノゴトの配慮を用い、形態とは意識され難い作用を、 もっぱら個々人に対して大量に与えている行為、その存在を認識。 × ×希少性
このArt域労働が、従前は明瞭行為ではなかったし、この労働価値は貨幣に限られた交換には値しないとされてきた労働能力であった。 ×銭目的
世界経済の再生には、Art域労働が重要なカギを持つ。 個別企業では先ず幅広く薄く進めるだけでも事業業績が伸びる。 それは、スキーマに最も作為されない中高年女性労働がカギになる。 × ×隠匿性
既に、人手不足解消とか、素早いフィードバックでの早期利益を確保 それは、行動の前に完璧な知識を求めず、新規商品開発に向かう。 × ×希少性
10 市場主義・資本主義の要とは、次の3要件となる。 ①自由平等思想、 ②自由の基盤である自由市場、 ③自由に横行できる、(個人番号等で)捕捉されない貨幣制度。 × ×非市場
11 遊休使用価値商品に、貨幣価値を超える交換価値を蘇らせる。 交換価値の無い建造物にも、使用価値の蘇りを可能とする。 ×銭目的
「―」は労働過程で考慮がない。 「×」は、その該当する労働過程では否定をする。

Art域労働=芸術能力要素育成と賃貸型賃金形態を折り込む

例えば、
(労働時間とは別建ての月額2,000円~)


パートタイマーといえども、
年間や月決めの給与手当に、
Art域労働の貸借契約要件を含める。


他人や社会への共感作用と共感精度
の程度を正当な労働能力と認め、
その職能資格給を支払う。


≪色彩表現≫服装は絵画、アクセサリーはアクセント装飾、それらはデザイン力向上
 ≪空間表現≫音楽リズムは話し上手、リズムと拍子は異なり、歌が仕事の品質を高める
  ≪時系列表現≫詩は共感の物語、それは品物の意味を語る。コンテンツの芸術的表現
    (表現の展開は、地味に、地味に、そして最後は艶やかにまとめる、それが基本方式)


§子供たちの読解力が低下しているという話
実際に使用されたテスト問題がこれだ!その一部と結果を示している。
さて、これを、あなたのお子さんは、職場の若手は?
~すぐに正解は出せたでしょうか?
______
これについてのさまざまな原因は、学習塾での一辺倒な受験勉強、スマホやネットで能力低下、ゲームばかりで本も読まなくなった、大人に混じり話を聞いていない、といった様々な仮説とか実験結果が出ている。けれども決定的なところまでは分かっていない。
そこで私が思うのは

【AI等の甘い未来予測には、大間違いがある!】
★スキルやパフォーマンスの労働力発揮にまつわる、非人間的な悪夢到来!
それは、スキルやパフォーマンスの労働分野がAI人工知能に取って代わられるのではない。
VR仮想現実、電子DATA通貨、資料蓄積加工機能、3D端末製作機などで、生身の人間が有機的AI人工知能人物身体として養殖される時代こそが先に来る。人間活動の最も重要な再生産である子供も、VR結婚~親から子への“転移”&幼少子育て~基礎教育に至るまで、個々の家庭内で有機的AI人物両親が養殖する。
有機的AI人物身体は、生きる上では「満足や厚生」に満たされる。学問のつまみ喰いも大いに利用され、そんな人物身体の大量生産を促す官僚主義も現れる。そこには、幸福を知る由もなく、幸福を体験する由もない。愛を要しないから、愛を知る人にはなれない。
(これらを、ナチスドイツの初歩的実験との結合?させれば?)

これらは因みに、脳科学や神経科学という知識が「もろ刃のやいば」でもって人間性を絶たれるからである。AI投資額に比べ、人間の人物変質経費は、安くってコンパクトで家庭的なので、社会問題化せず進行する。
だが、これらに抗して、「人間性たるカギは、『愛を知る人』のArt域労働による」との学説がある。…それは後日。
「自由がなければ恋愛はできない。自由のない恋愛は、単なるDVドメスティックバイオレンスそのものである」と言われる倫理観とも、真っ向から対立する。

§「働き方改革」が平成30年6月29日、可決成立。迷走する政省令の作業へ。

ところが、シビアに問題点のポイント見てみると
民間経営者・企業や労働者を代表する諸団体の切望や解決策に耳もかさず、内容と裏付け根拠のない「人気取り話題」を提供しただけに、「働き方改革」の形成は終わっている。だから、多数決で国会成立を押し切れたのだが、実務専門家や研究に携わる学識経験者はこぞって、内容そのものを相手にすることはなかった。同一賃金同一労働も話題から消えた。

問題点のポイント そのポイントは、何を意味するのか。
1.近頃は影の薄くなった人事部門や総務部門は、「働き方改革」を、閑散となった部門の仕事ネタ程度に扱っていることは否めない。ことに大手企業は、それに掛る暇さと、部門の影の薄さはは否めない。
2.個別企業でボロボロ吹き出る人事労務の制度矛盾やトラブルに対し、この「働き方改革」を通じては、あまりにもの幼さから、識者は実務経験や研究成果での対応をしていない。躍起になっているのは、行政官僚も資格者も人事担当者も素人ばかりである現実は否めない。
3.そういった個別企業における人事や総務部門の実施主体の弱みが生んでいる事態は、すなわち輪をかけて社内のモチベーションを下げる事例と傾向が多発している。これも肩書きがあっても、やはり素人のなせる業である。
4.要するに、年功序列型賃金、職能資格賃金といった過去の人事体系改革に現れた、個別企業各々のモチベーション意欲や改革改善といった、前向きの体系施策が働いていないのである。それは形骸化の目立つ素人企画だから、収益性、生産性、労働意欲、効率性といった経営4要素の足を引っ張る結果となることは否めない。

……実務家とか識者からすれば、実のところはこうだ
「『働き方改革』では、混乱しか招かなかった」といったふうな認識が、なみなみと底流に流れているのである。
それは、行政側の労働基準や職業安定その他の行政最前線職員にも共通している。
だから、
実力ある経営側の評論家も、労働現場の肝を握る労組幹部も、ジャーナリストもが
「とにかく『名前と内容が違う』と言い放っている。法案では影の薄い『多様な働きかた』の美辞麗句の裏では、正社員の減少、非正規の急増、所得格差の拡大、不毛な労働による過労死などで、『世の中の安定した生活や生きがいまで奪っている』との認識」これを、一般社会にも持ってしまった。
そういった現状が、出来上がってしまったと見るのが妥当なのである。
従前の人事制度が労働問題大改革の時代に比べ、全くと言っていいほど経営者側の賛同が少ない。多くの有能な識者の賛同はおろか反応すら少ない。確かに、野党とか労働組合というものは、「文句と不毛な批判」の表現方法が常である。
その真意を読み取り、経営者側との合意調整を従来から行政機関は成してきた!
しかしながら、
今回ばかりは低迷する日本経済の先頭を走る一部大手企業、+政府歳出と公共事業に群がるハイエナ企業に、エールを送ってもらう演出を首相官邸が行っただけにしか見えないのである。ここに、“大本営”如くの日本全体のモチベーション崩壊を誘発した責任がある。
「アホくさ!」といった経営者や労働者の心理は、経済改革とか発展の足を止める。

それでは以下に、法改正の主要項目ごとに、筆者の見通しをコメントしてみる。
最後尾までの期間がわかりやすいように、便宜上、平成年号使用。

【長時間労働の是正】
施行日は、大手企業は平成31年4月1日、中小企業は平成32年4月1日である。
そこへ、いわゆる3年間の“施行猶予期間”が加わることで、事実上3年間延長だ。
さらに現下の労働基準監督官の行動は、“刑事訴追を前提にせよ”といった本省からの指示で、事実上、行政監督の動きは停止してしまっている。
したがって、
よほどの理不尽な、あるいは死亡につながらない限り、本省とか労働局の「監督官に対する臨検許可」が下りない状況のようだ。ただそれは、労働者の意欲減退の毒を産む。
すなわち、長々と法改正の中身を分析することがなくとも、結論は明確だ。

“現状通り”であり、“監督署のトラブル対策は“金銭解決で済ませよう”なのである。
長時間労働時間を悪用、残業賃金不払い利用した、「商品とか業務のダンピング」が横行して、企業間の値下げ競争は激しくなる。
個別企業は正当な利潤率を確保できない社会問題は激化する。

【中小企業の割増賃金猶予措置】
施行日は、平成35年4月1日である。それまでに多くの中小企業は淘汰される。
月60時間を超える時間外労働の割増率が50%となる。週1の割合で設けなければならない法定休日の休日労働は除かれる。その他の休日とされるものは時間外労働の割増率50%に含めることとなっている。休日とは暦日の午前0時から24時までの24時間が労働から除外をされている日を指す。なお法定休日は企業横断して定めることを要する。

【年次有給休暇の時期指定付与】
施行日は、大手も中小企業ともに、平成31年4月1日である。
本人の有休請求とか企業の計画的付与を行えば、この5日の付与義務は消える。
ただし、有休買取は労基法違反であるとの法定法理が貫かれるから、実際に有給で労働者を休ませなければならない。パートや短時間労働者にも適用なのだが。
 #お正月休みがなかった会社は、この期間に5日の付与義務消化~といった発想での法解釈が可能だ。
 #稼働率の低いシーズンに5日付与、“仕事は通年の如くこなす”といった着想も。
 #“とりあえず職場に存在していることだけ=出勤だけで売り上げ”といった,前時代的労働集約型の事業は、「改革の必要」がある。
 #民法でいう「委任」とか、いわゆる委託契約の形で当座はしのげるとしても、その場合の品質低下による発注先との契約終了の覚悟は必要である。

【労働時間の、状況把握】
施行日は、大手・中小とも、平成31年4月1日である。
労働基準法による労働時間の把握義務は、過去にも無かったし今後もない。
労働基準監督官も、把握義務があるかのような話をしてきたし、素人風の社会保険労務士有資格者までが、義務があるかのような話をした。
裁判所の考え方は、
「会社は就業規則などで、労働者に始業終業の時刻把握やタイム打刻を指揮命令しているから、少なくともその分の賃金支払い義務がある」といったものだ。そして、「会社の指揮命令に基づく労働の有無が、黙認も含めて裁判所で容認されれば賃金支払い義務(会社の債務決定)がある」との審判を下す。
★だが今回の労働時間把握は、労働安全衛生法改正にて行われる。
現実には、監督所内でも安全衛生の課題は事務的に済まされる。

したがって、根本的な監督署の人員その他での体制整備が行われない限り実効性は弱い。2019年度から、「働き方改革推進支援センター」の予算枠内で、中小企業への支援体制として社労士や中小企業診断士を常駐させるとしている。ところが、ここで選ばれる専門家は、過去からの慣習・実体として事業主に“甘くささやく程度”のものとされているから、監督行政を行う訳では無い。もちろん、労働基準監督の如く専門的教育を受けた水準ではないから、彼らに力は無い。

ただし、使用者や管理職が、意味もわからず闇雲にタイム打刻を労働者に対し、指揮命令した場合は、それを「労働時間把握には該当しない」と会社が主張出来ないのは、自業自得としか言いようがない。
☆反面、書面にて残業禁止命令を3回通告をすれば、賃金支払の必要を無くす措置もある。

【勤務時間インターバル】
施行日は、平成31日4月1日。これは義務ではなく努めなければならないとの努力。
1日の一労働が6時間を超える場合、途中に休憩を入れる、これは休憩時間だけのこと。
労働日と翌日の労働日との間に、休息時間を設ける=インターバル。
諸外国労働法制の休息時間は11時間程度である。
「一労働日の残業終了時刻から、翌日の早出開始時刻の休憩時間」である。
「労働時間等の設定改善に関する特別措置法」の改正で対処されることになるがその中身もこれから決めていこうというもの。

一般の企業も労働者も労働組合までが、日本ではほとんど知らない休息時間の事柄である。

ケースA 某バス会社の実際に行っていた方式
・勤務シフトによると、1日目の終業時刻は23時50分、2日目の始業時刻は0時10分=この間の休息時間20分となっていた。
ケースB 夜討ち朝駆け
・深夜11時ごろに残業を終えた、翌朝7時には早出した=休息時間8時間となる。
ただし、倫理観の在る企業では既に、昔も今も休息時間を確保している。
……休息時間は、労働基準法に記載されることなく、“インターバル”といった名称で、突然あやふや浮上した意味不明のものである。

【その他、高度プロ、フレックス、産業医、同一労働同一賃金】
こういったところの法律改正は、
筆者からすれば“倫理観とかフェア公正手続き”から対処する視点が重要だと考えられる。
「高度プロ」は、それ以前の初歩的事態=採決寸前に厚労大臣が苦し紛れに「業務の裁量あり」と言い放ったものだから、政省令がどのように落ち着くのかは、相当の混迷が予想される。
≪倫理≫とは、
禁止や戒めの項目といった色合いが強いが、実は職業能力水準や基本的労働能力確保、日常生活水準維持の為のベースとなる手段でもある。
≪フェア公正手続≫とは、
違法行為を犯す(そのほとんどはなんらかの刑事訴追につながる)ダンピングとか、不公正競争や口利き優先といった事態を、排除する社会共同体維持または排除手段であって、あれこれと理屈を並べるといった善悪や倫理問題では無い。
それをあたかも、全体主義者たちは昔も今も、
「考え方の自由」だとか「自由の選択」の上にある事柄だと言いくるめるが、
あるいは、その言いくるめに乗せられてしまっていること自体が、それは単純なる社会秩序の破壊に過ぎないのである。それは、無節操な違法業者たちの横暴を防ぐといった、世界初の穀物取引所の規則であり、17世紀フランス市民革命当初からの資本主義や市場経済を維持するための保守的思考である。