2013/03/05

第131号

<コンテンツ>
 今月は、通常月の2倍を超える分量です。
 面白そうな小見出しから読んでいただいても、
 多くのヒントを得ていただけるでしょう。

日本経済の行方は混沌としていて、
円安誘導政策で、日本経済を立て直そうとする幻想は、
生活必需品の物価高は秋から顕著
日本経済と縁を切りつつある中国
どこを探したところで良い話の存在する訳がない。
日本で初めて、職業能力=自己診断&向上の無料ゲーム誕生
改正:高年齢者雇用安定法の=駆け込み相談
ビジネスはタイミング、その主要な中身は、
もう一つは、仕事のできる人材がいなくなったこと
混沌とした状況なら、根本的な所から考えれば答えが出て来る。
  *今の不況原因は、商品の価値を「使用価値」に固持するから
  *なぜ便利な経営手法や学説が広まらないのか。
  *これからも売れる商品には特色がある
  *商品価値の「固有価値」理論の果たす役割
  *〔補足A〕昭和27年、職業安定法の施行規則改正で…
  *〔補足B〕固有価値の萌芽(Intrinsick vertue)
豊かな経済再生の、個別企業具体策
ビジネス創造性(芸術性)育成と鍛錬のポイント


§日本経済の行方は混沌としていて、
どちらにどう向かっているのか、不透明としか言いようがない。TVやマスコミは、ICT産業革命により経営危機を喰って、ポピュリズム(大衆迎合)に陥って、安上がりで視聴率の高い番組、売れさえすれば良い新聞雑誌に狂奔している。したがって、読めば読むほど、見れば見るほど、社会や経済の行方から遠ざかってしまう。ただはっきり言えることは、前も今も政権が代わったとしても、いずれも今の財務官僚あっての経済政策なのである。華々しく派手な話も、財務官僚がブレーキをかけるからうやむやになっている事柄が目立ってきたのは、読者のみなさんもご存じの通り。


§円安誘導政策で、日本経済を立て直そうとする幻想は、
幻想自体が見えなくなってきた。円安で輸出が伸びるかと思えば、幻想ばかりの話だけ、実際の数字が伸びていない。むしろ、輸入品や食料品の値上がりが相次いでいる。その影響は、輸出品の原材料である輸入品のコストが上昇し、円安になったところで輸出品の値上げをせざるを得なくなる…こういった構図は目に見えている。日本は加工立国であり、技術立国を目指したが失敗した。家電企業からリストラされた有能な日本人技術者たちは、今やサムスン(韓国)、ハイアール(中国)で大活躍している。工業製品で重要な物は「金型」であるが、その金型職人は海外へ海外へと異動している。
加えて、今年夏の参院選挙が過ぎれば、金融庁は金融機関に対して「貸しはがしOK!」の通達を出すと言われている。金融業界ならだれもが知っていることだ。今日現在の銀行員は、貸しはがしリスト作成のための情報収集である。中小企業金融円滑化法の終了とは、この動きの口実にすぎないのが実態である。だから、中堅・一般企業も貸しはがしの対象である。某信用調査会社の話によると、きわめて多くの中堅中小企業は、これまでの貯金を食い潰して生きているとしている。不動産をはじめその他投資にしても、過去に経験したように、本年8月12日までの現金回収が生死の分かれ目を決める。8月のお盆休みを過ぎれば急落することは目に見えている。そんなことが分からない経済学者は、評論家であり学者ではない。


§生活必需品の物価高は秋から顕著
になってくる。これは財務省も予想しているところだ。その前に、さまざまの法改正で労働者の手取り収入が、この4月1日分から5%前後マイナスとなる模様だ。益々、景気は落ち込む。こういった経済状況見通しを認識した上で、経営管理が必要なのである。
多くの人が好まない近江商人は、企業は残さず人材を残す。会社や商店などは、浮き上がったり沈んだりする道具としか思っていない。「会社組織に執着する近江商人はニセモノです」。すなわち、「いちど死んで、次に復活する」といった発想である。ただし、本当に企業を潰すのではなく、一挙に有能な社員に入れ替え、事業転換する、現実的方法だ。だからこそ、日本で商品経済が芽を出したころであろう鎌倉時代の末期から、戦国時代、江戸時代の大不況、昭和大恐慌といった長い歴史を乗り越えてきているのである。ある有名な財政学者から、私に学術的証明を依頼されたが、それは幼少の頃からの家系と地域の会話による伝承なのであるから、祖父母・両親・当事者の共通センス&哲学としか言いようがない。話は経済に戻って…。


§日本経済と縁を切りつつある中国
中国が、日本に対して経済封鎖をかけてきていることなど、全く報道されない。尖閣諸島関連のジャパン熱病でワクワクする話ばかりをマスコミが流す。お人好し・現実知らず(記者の多くは現地取材しない)のマスコミたちは、「日本がいなかったら、中国経済が困るだけだ」といまだに話す時がある。もう半年前から事態は変化し、中国に対してドイツがユーロ安を武器に進出、中国への資金投資と技術協力は今やドイツである。中国からすれば、日本にはもう用事がない。だから尖閣諸島に関しても、アメリカを警戒しながらギリギリまで挑発して来る。ついでの話だが、北朝鮮もドイツと経済協力に入ったから、「日本経済なんかあてにしない!」といった状況に入っている。こういったニュースは、日本のマスコミ以外から次々と入って来る。


§どこを探したところで良い話の存在する訳がない。
そんなことすら分からない経済学部卒業者が蔓延、日本の高等教育の弱点がさらけだされている。だが所詮、日本の企業は大企業を先頭にそのほとんどが、経済・経営・法律関連の大学院卒を採用拒絶していたから、欧米の企業とは落差が激しい。なぜ採用しなかったのか?それは能力のない社長を先頭に管理職が大学院卒にとってかわられるからにすぎない。ではどうすれば良いかは、根本的なところから考えれば答えが出て来る。それは、これからの文章を読めば解る。解らなければ、経営管理のセンスがないから、転職した方が良い。
Aエコノミクスに公共事業の期待をする人も多いが、まさに無知の象徴である。生産もせず、能力低下を起こす労働者、そこに架空財源を作り借金をする。これをめぐって「おこぼれ(利権?)」争奪に躍起になる。国内は乞食まがいの様相である。大手企業は海外へと身売り状態の出稼ぎ。こんな余波を受けて、業務改善・新規事業・優良企業までが余波を受けている。多くの企業は貯金の食いつぶしをしている。
…いまや有能労働者集団事業で無い限り、企業組織維持を図ろうとすると経営は破綻する。人も事業も「死ななければ復活しない」との心がまえ(本当に死ななくても良い)が必要となっている。現代日本には、そういった心構えを持つ経営者は激減している。


§日本で初めて、職業能力=自己診断&向上の無料ゲーム誕生
2月6日、株式会社総務部は、自己で職業能力と向上のための診断ゲームを開発した。現在無料版をFacebookで配信中。企業をおしなべて絶対評価と能力向上ポイントをマンガで作成している。「ゆとり世代」をターゲットに、彼らが教育されるのを嫌がることなく、自らの方向を学べるように設計されている。こういった情報能力関連のゲーム教育は日本での開発は初めて。

  チャレンジ「自分らしさ」
   第1弾 コミュニュケーション力
    http://www.soumubu.jp/appli/fb01/
    (スマホにも対応)http://bit.ly/THrYiY
   第2弾 仕事実行力編
    http://www.emotion-jp.net/check/soumubu/fb02/
    (スマホにも対応)http://bit.ly/ZeqwI2
   第3弾 「仕事能力アップ力」
    http://fbapp.jp/soumubu/fb03/jump.php
    (スマホにも対応)http://bit.ly/ZFdDqC

ゆとり世代の「学びたいけど教えられたくない」といった要望に応じた「職業教育」である。2月6日の発表後1ヵ月で、ほぼ口コミを通じ5万人以上に広がりつつあると推測。
「ゆとり世代」での、ひねてしまった子、ミエで暮らしている子、目的も夢もない子…この子たちが変化成長するよう仕込み、その効果は顕著である。芸術的要素も組み入れたことから、占いや性格診断の領域は超えている。従来の診断ゲームのように過去の分析と欠点の指摘ではなく、肯定的に自己診断し将来の能力向上と希望に真剣に取り組みたくなるような設計である。無料でPCでも試すことができる。若い子たちの採用、物になる若者の発見に役立つ。そもそも、光っている子は3ヵ月経てば何をやらしても格好は付ける素質があることに着目したもの。(それを潰すのは中間管理職かもしれない)。「ゆとり世代」の対策と叫ばれても、実態は排除とイジメが多い中、先進国基準での自己開発のひとつとしても日本初。春には、診断による適性相場賃金、職業能力向上の具体策、タイプ別セイフティネットを付け加えた詳細正確な自己診断開発アプリの発売を予定している。

===あなたの「自分らしさ」診断アプリ===
   第1弾 コミュニュケーション力
    http://www.soumubu.jp/appli/fb01/
    (スマホにも対応)http://bit.ly/THrYiY
   第2弾 仕事実行力編
    http://www.emotion-jp.net/check/soumubu/fb02/
    (スマホにも対応)http://bit.ly/ZeqwI2
   第3弾 「仕事能力アップ力」
    http://fbapp.jp/soumubu/fb03/jump.php
    (スマホにも対応)http://bit.ly/ZFdDqC

§改正:高年齢者雇用安定法の=駆け込み相談
3月31日までの手続きがせまり、相談が急増。役所の説明は労働契約法との関連を解説しないものだから、手抜かりの個別企業も多い。満65歳まで定年を延長するのであれば、さほど問題はない。退職金もマイナンバー制導入とともに影響が出ることなど忘れ去られている。過去の総務メルマガに解説をしている。手抜かりがないかチェックが必要。
  §〔緊急課題2〕改正高年齢者雇用安定法のQ&A
    http://soumubu1.blogspot.jp/2013_01_01_archive.html
  §4月1日、労働法改正にまつわる質疑
    http://soumubu1.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html
  §改正労働契約法と効率的労働力確保
    http://soumubu1.blogspot.jp/2012_10_01_archive.html
  §高年齢者雇用安定法、その改正の意味するところ
    http://soumubu1.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html#11
  ・労働契約法=解説ドキュメント
    http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou-kaisei-kaisetsu.doc


§ビジネスはタイミング、その主要な中身は、
「ビジネスチャンス」+「ビジネス時刻」である。これを間違えれば、「没」なのである。今の日本の多くの企業が、
 1.チャンスがころがっているのに気付かない
 2.ビジネス時刻が、会議や根回しをしている間に過ぎてしまう
この二つの原因でタイミングを失っている。人材、投資、時間、貯金、総てが「没」。


§もう一つは、仕事のできる人材がいなくなったことである、特に大手企業から。仕事が出来ないとは、誰かに言われたことは出来るのかもしれないが、自分で新たに切り開く能力がないことを意味する。そのため、混沌とした経済社会状況の中であれば、自ら事態を切り開く仕事を行うのが本来ではあるが、誰からも大局的指図をされないため、毎日を安穏と暮らし、毎日を惰性で過ごしているのが実態である。ビジネスは惰性では成り立たない。


§混沌とした状況なら、根本的な所から考えれば答えが出て来る。
│なお、相当専門的なので、面白そうな小見出し、項目から読んでください。
│読む順序がバラバラでも大丈夫。あなたを納得させんが為にレトリック(修辞学)
│は使っていませんから。

今の不況原因は、商品の価値を「使用価値」に固持するから
である。使用価値とは、簡単にいえば商品の機能や数量そのものの価値を指す。商品を使うときの雰囲気や状況あるいは人間関係といったことなどは無視する考え方である。現在EUでは経済論議とともに哲学や社会学がない論議されているが、「人々の内心(注:良心や思想などのこと)を解放するために経済や商品が存在する」とまで訴えられているが、事実これがEU統合の柱となっている。
(1)現在の「いわゆる不況」の原因は、従来のような過剰設備による反動から来たものではない。日本の経済発展の社会状況を度外視して、使用価値にばかり焦点を当て商品を開発する理念だから、いつまでたっても個人消費の拡大が出来ないのである。だから何時までも景気低迷をおこしている。
(2)世界規模で見た場合では、たとえ不均衡に経済が発展するものだとしても、日本をはじめとした経済先進国にあっては個人消費の伸びが決定的に重要となる。発展途上国には経済先進国の資金や技術が投入されることで、数字での世界経済は成長だけはするかもしれない。しかしながら、経済先進地域にあって経済発展はおろか経済的豊かさが後退する可能性が高い。
(3)経済的豊かさとは、「個人消費と生活満足度が有機的に結合してこそ実現するもの」なのであって、とりわけ世界の経済先進地域においては、経済的豊かさにおいて、経済発展の原動力になっていると考えられる。この経済先進地域とは、日本国内での比較的に経済の豊かさを保つ地域(それは地方の中核都市であり、大都市圏に点在する地域)と考えられる。これらの地域は日本全体や流通経済圏全域ではなく、その内の局所的地域である。そこでは経済的豊かさこそが原動力となり追及され、確かにその傾向は少なくとも経済発展を果たしている。
(4)日本国内の「失われた10年×2回」が過ぎた現在、国内景気を回復させるには内需を回復させることだけでも十分可能である。そのことは、今や経済専門家の共通認識である。なにも無理して海外進出する必要は無い。ところが、国の経済政策担当者や多くの経営者が、ここまで認識しているにもかかわらず、国内景気回復の兆しは見えず、日本が失われた10年の3回目に突入しつつあるのはなぜなのであろうか。
(5)ややもすれば、「気力と熱意」ばかりを発揮するあまり従来型の政策や、伸るか反るかの事業経営を推進することの危険さに気がつかず、益々危機を深めつつある現象である。「通貨供給量が増えれば、金回りが良くなって、みんなが物を買う」といった「おとぎ話」では、現実の事業経営や経済政策は失敗する。「一方で儲かる者がいれば、他方で損をする者がいる」といったレトリックは、自給自足経済時代の「世間体」を優先する時代の代物で、経済学の学問ではない。
(6)そういった景気や経済のことを、抽象的には理解が出来ても、国の政策、個別企業の事業経営において、具体的な打つ手が明瞭にならない原因はどこにあるのであろうか。それは、いつまでたっても経済を論ずるにあたって、むやみに「使用価値論」をこじつけ、使用価値(効用価値等)と交換価値の交換へと、論理を教条的に進めるからであると考えられる。また、その原因を探るためには、なぜ人々は商品を購入するのか、なぜ物資が不足していても購入されない現象が出るのか、なぜ値下げしたからといって販売量が頭打ちとなるのかといった、数々の疑問にも、それも同時にこたえられる事が肝要である。
(7)経済先進国の販売の伸び、決してこれは、「経済のサービス化」であるとか人間の余暇・文化・芸術への関心の高まりなどと言われる経済現象の類の物事が原動力となって、個人消費の拡大がなされているとは考えられない。この経済現象は結果であって、むしろ個人消費の拡大に資するイノベーションが、もっぱら使用価値を超越した固有価値の創造にかかっていると考えられる。使用価値に何らかの価値を付加した、いわゆる「付加価値」論といったものではない。巷にあって、経済外的付加価値論として有名なものが、実態は詐欺行為であったり、陰湿な人間関係のしがらみを悪用した販売であったり、弱い立場の購入者に法外価格で売りつけることその他の横行である(8)したがって、不況からの脱却を大量生産型の技術革新、市場確保そして設備投資に求める定説は、百歩譲ったとしても、それだけでは不十分と言わざるを得ない。すなわち、先ほど述べたような経済外的付加価値論が織り交ぜられる実態が現状だからである。独占禁止法による規制、コンプライアンスの呼びかけ、企業の社会的責任などが注目されようとも、現実に水面下では、こんな風に無視されているケースが後を絶たない。
(9)大量生産するための技術面イノベーションは、その多くが商品の原材料や素材の柱となる、使用価値の部分にかかわっている。だから、原材料が安価で供給されるようなイノベーションが行われたとしても、むしろ最終消費商品の価格が上昇し、そのことで商品の利益を純増させているのが現状である。それは、大量生産の規模で事業の勝負をかける経営管理というものは、経済活動の牽引要素、経済波及効果、経済開発対象地域か否かといった事項を、「どんぶり勘定」方式で観察する習慣であるから、個人消費の実態分析に困難を極めている。もちろん、それぞれの商品を、どんな人が欲しがり、どの地域で良く売れ、地域ごとの販売価格差の善し悪し、地域ごとの採算割れ、現商品の将来展開調査といった物事は、ことごとく無視される実状にある。そもそも、「物事が存在するところに初めて真理が成り立つのであり、真理を発見した後になって実践を予定するとしても、既にそこには真理そのものが存在しない」といった基本命題すらも無視される。「金融資本の投下決定者の了承さえ採ればよい」、それが大量生産規模の事業経営での現在の実態なのである。
(10)ここで、今一度個人消費の拡大について考えてみる。
One 今や従前と同様の商品を提供したとしても、これに対する消費者の購買意欲は増加しない状態である。だからといって価格の値下げを断行すれば一時の販売量増加が認められたとしても交換価値の増加が図れるわけではない。そればかりか、むしろ売れ残り商品として交換価値がさらに激減し廃棄されるのが現実の姿である。こうやって自ら、売れたかも知れない商品が、売れなくなる道を招来する。
Two あるいは、単に賃金増加や福祉的に消費者の購買力増加策を行ったとしても、購買意欲が伴わなければ貯蓄が増えるだけで個人消費にはつながらない。「欲しくてたまらない商品を入手するために一生懸命働く」といった購買意欲は、やはり稀薄になるのである。若年層や子育ての世代にあっての商品購買意欲は著しく低下しており、その現象は「不要不急のものは買わずに貯蓄に回す」傾向が強い。ところが、これを将来不安に対する貯蓄説とも主張されている。だが、それでは国民年金保険料支払い拒否や厚生年金加入敬遠などの非効率的非安全な社会への思索傾向との辻褄が合わない。仮に、そういった意識の中にあっても、欲しくてたまらない商品であるならば、カードやローンで入手している若年層の姿が見られることに整合した正しい分析にはならない。やはりそこには購買意欲の希薄さが現れているのである。
Three さらに、貯蓄が増えたからと言って、また民間生産者側の資金需要は在ったとしても、売上高増加を目論むことが出来る投資先は見当たらない。そのことから、金融機関も当然のことながら不良債権リスクの高い資金貸付を見合わせている。消費者の「福祉(賃金水準)向上」、個別企業の「経営管理のイノベーション&商品技術のイノベーション」及び金融機関の投資による売上増加見通しすらが、有機的に結合しないベクトルが現状なのである。それは、中小企業も然りである。
(11)現代経済や現代生活とは遊離していることにも気づかず、「商品は使用価値(限界効用)のみが交換価値に転換される」といった、そんな視点やドグマに縛られているからこそ、個人消費を取り巻く矛盾若しくは不整合性が解明できないジレンマと考えられる。使用価値(あるいは限界効用)に付加される曖昧もことした「付加価値」の視点を取り止めて、商品の固有価値としての論理を当てはめている事例では、個人消費拡大のための着想・発想が次々と、経営の現場では組織的に生まれて出でている。それらは経済や経営の学問からは逸脱していると言われるところの、アイパッドiPad、キンドル、ノキア1100、プレタマルシェ、DVDレンタル、カーシェアリング、テトラパック、ICTサイトその他である。
(12)ちなみに、1929年の世界大恐慌の後に売り出された商品、すなわち、現代では当たり前の商品は、アメリカでは低価格小型自動車、スポーツカー、IBM計算機(初期は手回し)、電気洗濯機、トースター、冷蔵庫、当時の日本ならば洋服、洋食、キャベツ、金属洗面器等などであった。だからここでも、「物事が存在するところに初めて真理が成り立つのであり、真理を発見した後になって実践を予定するとしても、既にそこには真理そのものが存在しない」のであった。だから「使用価値(あるいは限界効用)」や「付加価値」にこだわってはいけない。
(13)よって、個別企業の、「経営管理のイノベーション&商品開発のイノベーション」を進め、今の社会に適合した「高固有価値製品や高固有価値サービス」を、商品の固有価値として科学的に持たせることが注目されるのである。この方法を個別企業の経営に当てはめれば、適切な安定した価格決定も行われ、これにより業績拡張と利益増をはかることが出来る可能性が担保される。ことに「労働蓄積+労働能力+労働力発揮」が有機的セットで行われる事業システムが、固有価値を生み出す源泉(ここが従来の労働価値説とは異なる)である。このことを自覚認識することで、正当かつ適正な賃金や報酬を維持することが出来る。「商品交換が活発化し+賃金も適正化され=具体的内需拡大」が図られる。それは、このことを自覚認識した経済グループ単位の範囲から率先して成り立たせることができる。これは、地域であり、地場産業であり、都市部の一角であり、ICTでネットされたグループである。

なぜ便利な経営手法や学説が広まらないのか。
(1)それは、アメリカにおいてさえ、NPOといったスポンサー付きの経済学研究は所詮、そのNPO理事たちの(もしかすれば素人)思考水準に、研究程度を落とさなければならない。
(2)日本では明確に、政府の審議会であれば官僚の思考水準に、大学等研究機関であれば「教授会や理事会」の思考水準に、研究程度を一致させなければならないからだ。
(3)日本の出版社の多くも、話題になって売れさえすれば良いとの出版方針である。そういった思考水準の質・創造性・世間体といった中身を、見直す必要があるはずだが。…残念ながら、われわれ経営者はそう考えざるを得ない。
(4)機能や数量といった商品の使用価値とか限界価値ばかりに目を向けていれば、「より少ない財の消費」を追及する商品を多種多様に生産・販売し、結果的には安値を強いられる経済循環に陥らざるを得なかった。
(5)加えて、個別企業の販売営業マンに良識があれば、「よりよい品を、より安く売って来る」あげく、経済循環が出来なくなり、今や、「お金」がないから買えませんといった消費低迷の結末を迎えた。「より少ない財の消費」は、労働生産能力や賃金・報酬といった個人の消費購買力までを抑えることとなった。
(6)どうしても、機能や数量の商品価値(使用価値とか限界価値)を追求すると、巨額の金融資本の先行きに翻弄される。ところが、近年のヒット商品、例えば、アイパッドiPad、キンドル、ノキア1100、カーシエアなどは、商品の固有価値を追求し、売り手と買い手が協力して商品価値を作り、その関係は売り手と買い手の創造的和解(reconciliation)の関係を形成している。数百年前、世界各地で商品経済が広まりつつあった時代の商品価値は、固有価値であった。買い手も売り手も、その商品に、「意欲・感動・希望」といった価値を3セットで見いだした。
(7)ところが、日本の大手企業は、コスト削減で利益率上昇ばかりを狙ったために、商品開発・技術蓄積が破たん=Made in Japanは見向きもされなくなった。仕事の出来る経営幹部や技術者は、この15年ほどの間にリストラされた。
(8)だから日本は社会主義の計画経済と同様の道をたどった。中国部品でもA級品はあるようだが、日本製より高品質ながら価格も高い品物が存在しているが、まず知られていない、当の中国も高品質製品の量産意思が無い。
(9)なので、 こういった原因 & 事情を克服しさえすれば日本文化に基づくMade in Japan製品とサービスを再び世界は買ってくれることになる。

これからも売れる商品には特色がある
(1)従来から売れる商品というものは、次のいずれかに該当(重複該当する場合もある)している。 
  (1) とにかく価格が安いこと
  (2) とにかく機械的かつ合理的であること
  (3) いわゆる本物、もしくは本物指向
  (4) 健康、遊びに関連していることこの4項目のうち、(1)と(2)が工業文化の支配的な工業文化型商品であった。
(3)と(4)は生活文化型商品、生活文化型が支配的になろうとする意図が存在する。生活文化型商品はいずれも、その商品を入手して使用することでもって、そこでの人間関係を改めて充実させることにはなる。
(2)すなわち、(3)と(4)は命と健康の維持範囲を超えて人間同士のコミュニケーションや意思疎通をより充実させる意味が込められる商品である。工業文化型商品は使用すれば経年劣化を起こすとして「商品価値」を換算するならば時と共に低下をしていく、若しくは廃棄される。生活文化型商品は、固有価値が高いほど「使い込んでいく」ことにより、(流通するかは別として)その価値量は増加していく。数少ないが、商品として流通する場合は高値を呼ぶ。例えば、大量生産の安いギターはスクラップにしかならないが、高級なギターは購入時よりも経年使用頻度が高くなれば価値価格は高くなっている。

商品価値の「固有価値」理論の果たす役割
(1)商品には使用価値(若しくは限界効用)、及び交換価値の2つの側面の価値があるとされて来た。ところが、この使用価値よりも広い商品価値として、交換価値とは別に商品価値が存在し、交換価値として取引される世界が生活文化型商品や感性文化型商品の世界である。もちろん固有価値の存在を認識することから、「サービスと言われるものの業態」にも法則性論理性を認める萌芽が生まれてくる。
(2)現在までの経済社会の学術理論では、一方では、使用価値の範囲に限定しての交換価値が、価格決定要素として重要な位置を占めて来た。それは、労働価値説から労働力価値説(労働ではなく抽象的労働力投入時間価値)へと変遷であった。そしてさらには、今や政府や厚生労働省の日本型賃金決定理論基盤の共通認識となり、主要労使団体や主要政党の間での理念的概念の隔たりも無くなるに至った。この日本型賃金決定理論が現実の重層下請における発注価格を左右している。それは、労働者派遣価格や偽装請負価格以前の、いわゆる大手企業の外注工賃や構内下請価格に影響していた。〔補足A〕
(3)他方では、そういった、いわゆる古典派経済学に反発してなのか、効用価値から限界効用理論へとの方向に、「商品価値理論」(その商品価値を分析するのではなく取引価格決定理論なのだが)も理論変遷して来た。ところが、日本では近代経済学と言われている ケインズ、スラッファは、
(そもそも近代経済学とかマルクス経済学とかに色わけすることなど世界では行われていない)著作の中で労働価値増殖を認めていることが知られていない。〔注1:ピエロ・スラッファ『商品による商品の生産』1960年を参照〕。ケインズの著作『雇用・利子及び貨幣の一般理論』の題名の頭に「雇用」が冠されて、効用理論の教科書と言われる著書マーシャルの『経済学原理』(この著作は版を重ねるごとに理論発展する)で、高水準の賃金が生産能率(当時の能率とは現代用語よりも幅広い意味)を向上させると考えており、その意味で労働価値増殖を認識していたのである。
(4)最近の研究では、古典派経済学の集大成とされるマルクスは、その著書『資本論』の中においてさえ、商品価値=労働力価値説とは言っていないことが判明しつつある。いよいよ資本論研究者の中での論争も決着しつつある。
(5)ここ数年のアメリカにおける非資本主義運動のひとつの論理には、「貨幣による資本投下を唯一経済活動と考えることでは、いつの時代もどこの場所でも大規模生産優先に取りつかれている社会制度にあっては、労働時間で換算する“抽象的な労働力”を必要とし、労働時間換算だけでは換算することができない具体的な農業や職工業の具体的な労働価値を、社会通念労働者の労働時間賃金換算からはみ出てしまう具体的労働価値切り捨てるまでに至っている」、との理論(あくまで村岡の理解)も研究発表されている。グローバル経済を展開するアメリカ経済内部での、「ウォール街占拠運動(我々が99%)」などにおける、非資本主義運動の彼らは、伝統的階級闘争を否定して、“社会構造と哲学や価値観の変化を求める”としているようである。〔注2:モイシェ・ポストン(シカゴ大学)『支配・労働・時間』筑摩書房2012年10月翻訳出版〕。
(6)ところが、現場実務や実践的な商品価格決定や労働価格決定の世界では、こういった経済理論では解決は付けられようがなかった。しかしながら、商品生産が活発になり始めた時期、すなわち、産業革命が始まる直前の社会を紐解いて、固有価値の商品理論が存在することが発見・研究(池上惇京大名誉教授)がなされたのである。固有価値といった商品価値を最初に思いついたのは、ニコラス・バーボン(マルクスの資本論に「老バーボン」として登場)である。〔補足B〕
(7)こういった発見・研究の理論成果から、商品価値=固有価値及び交換価値との分析が明瞭に可能なのである。生活文化型商品や感性文化型商品の商品価値は固有価値であり、実際その世界での商品取引で固有価値が交換価値として明瞭に通用しているのである。それは、イタリア経済の生活文化型商品群、北欧経済の生活文化型商品群(これらイタリアと北欧の経済経営理論は、現在米英の理論とは分離区別され研究されている)においても、明瞭に商品価値(固有価値や交換価値)が解明できるのである。
(8)すなわち、固有価値とは、「需要者の購買・使用・保存の過程に具現化される意欲・感動・希望といった行動を生じさせるための商品に仕込まれた価値である」と定義づけられるのである。だが、固有価値といっても、まったく新たな価値形成ではなく、従来から世界各地で新商品、新規事業、新サービス、ベンチャーと言われる、もとより生活や感性に密着した商品群に含まれていたものである。曖昧極まりない「付加価値?」と言われる商品価値の一部でもあったし、「曖昧な付加価値論(寡占的価格や詐欺的商法)」に陥らないことによって形成されている商品価値でもあった。工業技術的イノベーションに基づく新製品や技術革新としての商品原価引き下げと、従来商品の販売価格との差益増大とは意味が異なる。
(9)現在の傾向は、「便利になったから高価格は当然」とするレトリックが受け入れられる社会になりつつあり、その最たる事例は、日本の携帯電話通信料金にみられる、設備投資の費用は少なくてすむにもかかわらず、通話料が異常な高値である、といった販売価格戦力とは異なることを意味している。
(事実、中国・インド・東ヨーロッパ大陸では、当初から光ファイバー敷設ではなく基地局増設やレーザー通信150メガが、設備費で進行している)。とりわけ、工業文化型イノベーションでは、商品を入手する側の希望といった要素が欠落しているところに特徴がある。
(10)したがって、この「固有価値」の理論解明がなされたことによって、生活文化型商品の産業展開、改められたマーケティング手法の基礎、商品の価格決定などに影響する。また、それ以上に、後の章で導入する、商品の受注販売活動の転換、商品開発の方法、職業訓練の方法へと、経済の豊かさを具体的現実的な事業行動にする理論開発や具体的経営手法の基礎が開かれていったのである。加えてこれこそが、市民生活や街づくりの世界を一躍させ、豊かさの経済としての事業行動を推し進める事(作戦)の具体化になる。
(余談:孫子の兵法と並ぶ呉子の兵法。呉子は心理的兵法とされ、「気=気力」、「地:地の利=条件」、「事=作戦」、「機=力量モーメント」が記されている)。

〔補足A〕昭和27年、職業安定法の施行規則改正で…
イ)欧米では労働者供給事業として扱われていた外注工賃や構内下請を、日本では労働者供給の範囲から除外し、それぞれの「親方」を請負事業主と形付けてしまった。当時の労働省内部の法改正構想では、それを目的としていたわけではなかったようだが、それこそ民間企業の知恵と工夫は労働者供給を民法に規定する「請負」と変質させてしまったのである。
ロ)日本経済の特徴である、中小企業の重層下請といった特徴の根本は、この職安法の法令改正にある。大手企業の協力会系中小企業は、こうして発生し現在も継続されている。
ハ)また、今も流行りの異業種交流とは、そもそもこの大手企業の下請協力会が、専属下請から切り離される経済社会状況のなかで、「異業種交流会」と呼び名を変更したことが始まりであり、それとは違った意味で「異業種交流会」の表面的言葉の意味合いに期待して離合集散するところの異業種交流とも、その認知が経営学でも進みつつある。
ニ)しかしながら、そこには当時の社会契約論や経済理論の未熟さが感じ取れるのである。日本経済の中小企業論、中小企業政策論の社会制度(法律制度)との関わりを研究した文献は少ない。大手企業協力会社の商品価格理論と、地場産業や街で活躍する生活文化型事業(その大半が商工業者ともいわれる)の商品価格理論との隔たりは、とりわけ経営学では認知されて来たものの、そこまでの解明はされなかった。

〔補足B〕固有価値の萌芽(Intrinsick vertue)
(ア) 発見した足跡はニコラス・バーボン(1640~1698)の『交易論』(久保芳和他訳、1966年3月、東京大学出版会)といわれる。バーボンは、マルクスの資本論にも登場する。これを美術評論家でもあったジョン・ラスキン(1819~1900)が固有価値(intrinsic value)と整理し、命名・理論化した。さらにこれを日本の池上惇京大名誉教授(1933~)が『文化と固有価値の経済学』(岩波書店、2003年)等でラスキンの固有価値論を再構成して固有価値論の経済学的基礎を築いた。ニコラス・バーボンは医師であり、土地銀行(Land bank:イギリス独特の土地制度によるもの)の経営者でもあった。その著書の『交易論』1690年著のなかの、「商品の価値と価格について」p16の項。
(イ) ジョン・ロック(1632~1704)はオックスフォード大学の英国聖公会神学校教授の職から、その後日本でも良く研究されているように、イギリス名誉革命後の政治経済宗教システムの構築に深くかかわった人物である。その著者『ロック政治論集』(山田園子他訳、2007年6月、法政大学出版局)の著述、p294「労働」1693年著の項、p314「売買」1695年著の項。
(ウ) これらを合わせると、次のことが言える。そのバーボンは、Intrinsick vertueとの名称や概念で固有価値発見の萌芽を表現していた。当時の英語はIntrinsickのスペル。現代のintrinsicとは異なり、まだvertueという言葉自体も存在しなかった。イギリス名誉革命当時のジョン・ロックとバーボン両者の著述から、
  (1) 市場での価格こそを公平正義ととらえ、
  (2) (程度の差こそ有れ)貪欲的経済政策を排し、
  (3) 労働が指揮され分配されることによる価値
の3点政策を推奨していることがうかがえる。
(エ) 当時、この両者は書簡のやりとりも頻繁に行っている。両者ともがローマ・カトリックの影響を受けた絶対王政の国王支配のもとでの重商主義や重農主義とは論理展開が異なる。例えば、バーボンは1666年のロンドン大火の翌年に世界初の火災保険引受会社を設立、1688年からの名誉革命前夜の時代にあって、当時の絶対王政経済理論では奇異であった「現物支給・原状復旧」あるいは火災外の損害全般を扱い、ロンドン初の消防隊(当時は保険会社が運営)をも組織した。
(オ) ロックはオックスフォード大学の英国聖公会神学校教授の職業倫理を重んじ、絶対王政の国王支配の理論的要であったローマ・カトリックの理念である王権神授説あるいは、教会権力、カトリックの無謬性、法律、通商、労働その他について彼らローマ・カトリックとの論理的違いを、旧約聖書、新約聖書を用いて展開している。その集大成が『統治二論』(1690年から数版が発行)である。重ねて絶対王政に商業経済利益を独占させない点において、ローマ・カトリックとは際立つ経済政策や国家形成の理論となっている。当時のイギリス社会状況である、反カトリックの聖書論議(ロックの文献には必ず聖書論が重ねられ、ロックの社会契約論理解には反カトリックの聖書認識が必要)が不可欠であった時代を考慮すると、現代や日本とは異なる価値概念であった。
(カ) 加えて、これらは名誉革命直後の反カトリック政治経済社会をイギリス国内で完成しなければならない必要性があった。若しくはカトリックを利用した絶対王政の多くが商品経済の利益を独占していたことから、それをイギリスでは排除しなければならない経済重要性とも相まってしている。
(キ) ジョン・ロックの社会契約論及び、これらの経済政策(経済価値観)との一体関連で当時の Intrinsick vertue を認識する必要かあると考えられる。だから、Intrinsick vertueの意味合いには、「本来に具わっている、光り輝くもの(天使)」のイメージが考えられ得る。経済学はそこまで発展してなかったのではあるが。
(ク) その深淵にはエリザベス1世の前夜、当時はフランス若しくはスペインの属国になることを迫られた政治背景の中、イングランド地方中心の民族独立機運を確保する必要があった。そこでエリザベス1世は、英国絶対王政単独ではなく、領主・地主、商業・商人界、海運交易の海賊(後に英国海軍主力)をも協力し統一してスペインやフランスと戦う道を選んだ。ローマ・カトリックの収奪機構から英国を永久脱出させるために、エリザベス1世は財産権その他を英国に取り戻す宗教改革を推し進めた。その後、一旦はローマ・カトリックの影響を受けた絶対王政に戻ったものの名誉革命とその後の社会経済体制の改革により、ローマ・カトリックの宗教経済支配から英国は完全に永久脱出した。
(ケ) その名誉革命の準備と完成段階での社会経済にかかわる理論こそが、その後に影響を及ぼしたフランス革命やアメリカ独立戦争の歴史の表舞台に注目するにとどまらず、次々と商品経済を活発にさせたイギリス産業革命前夜の経済政策理論の基礎を確立したことにも注目する必要がある。
(コ) そして後の続く、アダム・スミス、リカード、マルクス、マーシャル、ケインズへと、その研究が待たれる。


§豊かな経済再生の、個別企業具体策
それは、【固有価値を創造するシステム形成】につながる。
(1)教育にあたって、およそ働くといった概念で括るところの人たち(経営管理部門、技術部門、技能部門、一般労働部門その他を問わず)の現代的モチベーションへの取り組みを念頭に置く必要がある。それは、個別企業が取り組む必要あるいは、もしかすれば政府の施策や社会共同体の援助を要するのかも知れない。世界的な到達点は、
  (1) 仕事そのものが楽しいこと(共同体意識や意義ある仕事)、
  (2) 仕事の達成感がある(自己計画性と自己コントロール)、
  (3) プライベートの生活が充実している、この3つが共通概念化してきているところである。
おそらく共通概念は、いわゆる優良企業と言われる順に現実のものとされるだろう。だがそれより先の人間発達や教育については、はっきりいって未知である。
(2)ただ現在有力な方法と考えられる多くは、創造性を養うには、芸術や芸術性との関連が重要視されている。また、何よりも感動・希望とともに創造性の労働能力の向上や蓄積は楽しいからである。
  イ)それは「意欲・感動・希望」の有機的結合した3要件は固有価値商品の柱でもあり、少なくとも芸術作品の柱と考えられる。
  ロ)財貨に頼る物質的満足から、物質や人間関係の障害から内心の自由を解放する過程でも、「意欲・感動・希望」の有機的結合は効果があると考えられる。
  ハ)美術にしても音楽にしても、およそ500年前から芸術論議は盛んであったが、それが経済として成り立つはずの美術や音楽が、世界各地では成り立った地域と成り立たなかった地域とに分かれている。
  ニ)工業デザインは、19世紀、英国のモリスらが美術を庶民に普及する理論と行動から、現代先進国を中心に花開いている事例である。
  ホ)映画産業も芸術が花開いている事例である。
これらは芸術を他産業その他に利用することを目標としているのでもない。このように、固有価値商品をより密着により広く普及させる機能としての「芸術」に関する研究が待たれている。
(3)商品に固有価値を持たせるという作業は、芸術と同じで、技巧や人工物の機能や数量として寄せ集めるものではない。一般に分かり易い表現をすれば、次のような言い方ができる。「毎朝食べる味噌汁のようなもの」。固有価値のある「ものづくり」は、出汁(だし)を利かしているので、様々な味噌や合わせ味噌その他技術を行使して、買い手が満足(意欲・感動・希望)するような「もの」を作っているのである。あるいは、買い手に改めて付け加えてもらったら更に満足価値が高まるような「もの」である。使用価値だけの品物は、出汁(だし)が効いていない味噌汁のようなもので、味噌の種類や合わせ味噌の方法を駆使しても、せいぜい口にしたときの感触に限られ、後味や買い手の希望に応ずることができないという風に言える。実にこれは美術品でも音楽でも同様のことが言える。
(4)ところが、およそ海外移転させられるような部品製造は、それは芸術ではなく工芸品であり、ただの味噌だけのようなもので、出汁(だし)が効いていないものである。したがって、もちろん直ぐ他人に真似をされるし、他の「ものづくり」や商品への技術転用が効くだけの出汁(だし)も無いのである。その出汁(だし)の部分は、「人をケアするサービスの仕事のイノベーションと教育要点」でも同様である。そして、出汁(だし)の部分を念頭に置くから、初めて「ものづくりのイノベーション手法」にまとめることもできる。
http://www.soumubu.jp/documents/innovation_121009.doc
(5)さらに、「事業経営は芸術である」と言われる事も、事業としての固有価値をクライアントに提供しているからである。決して事業経営は技巧や人工物の機能や数量の寄せ集めでは成り立たない。(日本の音楽産業は経済には未熟なので)差し障りのない例えは、聞かせる音楽ではなく、「楽しみに行く音楽」は、もちろん興行収入で高値安定している。反面、「芸術」と言われはするが日本のクラシック音楽の大半は、「他人に聞かせるための自慢が先立つ演奏=聞きに行く音楽」となっているから経済として成り立たない。主催者も音楽家も最低限の生活が成り立たず、やはり貧乏だから結局は堕落の道を歩んでいるのが現実だ。貧乏だから芸術性と引き換えにパトロンの世話にもならざるを得ない。世界的にはクラシックその他の音楽でも、「クライアントを盛り上げ楽しませる=楽しみに行く音楽」との位置づけならば経済として成り立ちつつある、これが世界の流れだ。AKB48が注目されるのも、その興行アイディアに、「楽しみに行く音楽」の要素が含まれているからだ。今日本の老人層に流行っているのが、「合唱の会」とか「うたごえサークル」などの参加型音楽であるが、ここでも主催者や参加者同士の、「歌の上手さ」が自慢され始めると翌月から一挙に衰退するらしい。
(6)さらに、日本の音楽の例にとってまとめると、歌手や楽器を、機能や数量として寄せ集めても成り立たないが、
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  歌手や楽器を使う業態
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  A類 顧客の求めるものを提供する作業=カラオケ、コンサート
      など、(販売員、案内、調理サービス、配膳サービス、曲芸師)
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  B類 来訪者の要望や状況を聴き&それに応対する作業=合唱の会や
      コーラス会、文化サロンや文化教室など、
      (外科内科医類系、歯科医、弁護士、教師、指南役、理容師、美容師)
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  C類 その時間帯と場所に特定の人間関係を形成し顧客ニーズを満足
      させる作業=参加型音楽、うたごえ喫茶(来店者が調和して歌う)
         (精神科医、芸術家、疑似体験提供、エステティシャン)
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といった各々のまとめ方の特徴にまで掘り下げて考えることができる。商品の領域に到達しているものは、使用価値ではなく固有価値として歌手や楽器を活かす具体的手法をもっている。それが発達していなければ、歌手や音楽が商品として成り立っていない。自称芸術家のほんの一部は、「芸術は金銭にまみれるべきでない!」と力説するが、そう言ったところで実は商品交換できる水準に至っていない中身であることが多い。音楽は、「勉強?」なんかしなくとも、まずリズムが良ければ、誰もがそれに乗せられる。
(7)また、飲食・販売に絞ると、
  第一:店の見た目、
  第二:温かいもてなし、
  第三:新鮮高品質の順番に、
店舗運営の方針を展開している個別企業は伸びている。これは、日本においても同じだ。
接客接遇労働といっても、商品提供の現象面の「形」は、およそ3つ存在する。
(あえて、重複して記載)
  ア.顧客の求めるものを提供する作業
   …販売員受付案内、調理サービス、配膳サービス、コンサート
  イ.来訪者の要望・状況を聴き、それに応対する作業
   …外科内科医類系、弁護士、指南役業、歯科医、理容師、音楽教室、コーラスの会、絵画教室、文化サロンや文化教室
  ウ.その時間帯と場所に特定の人間関係を形成し顧客ニーズを満足させる作業
   …精神科医類系、芸術家、疑似体験提供、美容師、歌声喫茶、芸術空間
(8)様々な論理的解明よりもまして、教育やモチベーションそして「芸術」などが、実際に固有価値商品への効果が発揮され、生活文化型商品の普及にあっては、そこには創造性(芸術性)を併せもっている事実があり、確実に商品価値を増殖させている事実の存在である。こういった事実の存在を念頭において、この章では固有価値商品を創造するシステムを説明する。
(9)この多くのシステムも、個別企業に既に導入実証されている。おそらくそれは、現代の商品経済には当たり前の認識となっているような事柄でも、自給自足経済時期には考えられなかった事であるように、さまざまの成功事例が積み重なった後に、初めて「昔からの当たり前」のように認識される制度(=システム)であろうと考えられる。


§ビジネス創造性(芸術性)育成と鍛錬のポイント(1)端的に言えば、創造性(芸術性)を養うことで、人間は豊かになり、労働能力は増し、経済が発展する基盤となる。いちばん大切なことは、その創造性(芸術性)を養う人間発達・人材育成を、個人的消極的なものから自発的積極的なものへ転換することである。そして、この創造性(芸術性)は、それを養うための行動障害さえ取り除けば、人類は自発的自覚的に養うことを活発に行うのである。
(2)だが、ことに日本の経済活動においては、創造性(芸術性)を働かせる労働が「日陰もの」に位置づけられている。そのため、創造性や芸術性に関して数多くの誤解や錯綜が飛び交っている。日本における論理的な芸術論ともなれば、1954年に岡本太郎が発表した『今日の芸術』(光文社)くらいで、その後に出版されたものは見あたらない、若しくは感覚的すぎて意味するところが他人に伝わらない。
(3)芸術活動も盛んな各国地域にはさまざまな芸術論も存在しているが、共通していることは次のような用語でもって芸術に関わる能力について検討されている。そういった人たちの芸術論ともなれば、言葉(何らかの記号)を杜撰(ずさん)に用いない。次に様々な主題を一つひとつ順に扱い、混ぜる事をしない。何故、日本の需要者の間ではこういった芸術論の水準が低いのか原因はつかめていないが、言葉の杜撰さと様々な主題の混同が延々と繰り返されていることは間違いない、これが足を引っ張っている原因の1つではある。
(4)例えば、次のような分析は、欧米では当たり前のことなのだ。☆芸術の定義を、=供給者と需要者との間に創造され、「意欲・感動・希望」を一体セットで提供している如何なるもの。…とすれば、簡単に事実というものが整理出来る。
  教育&訓練、3つの分野
  A.スキル(技能)skill 見れば・聞けば、意欲は出る desires, will
  B.パフォーマンス(芸当、曲芸、技巧)performance 芸当や技巧があれば、人間は感動する  impressions
  C.アート(創造、芸術)art 芸術になると人に希望を抱かせる hopes
(5)ところが、日本では世間体が優先され、社会共同体が根付いていないから整理されなかったと思われる。むしろ、世間体を維持するためのレトリック(修辞学・詭弁学)が幅を効かせたために、言葉の杜撰(ずさん)さと様々な主題の混同が延々と繰り返されて、ほとんどの才能者の芽が摘み取られ、本物とは縁遠い「芸術家」がはびこってしまったと思われる。ここに着目して、個別企業での教育&訓練を工夫すれば、努力が報われることは確実だ。
(6)教育で名高い「山本五十六」の言葉、実は続きがあると先ほどFacebookで教えてもらった。山本五十六は、海軍からのハーバード大学留学で、これを学んだのです。当時は研究段階で、山本五十六は大型艦船と戦闘に、この教育方法を編み出した。ポンポン蒸気船程度の艦船から、ディーゼルエンジン艦船や艦砲操作術向上によって日本は大戦艦を動かせた。ところが、アメリカも、戦時中はヨーロッパと太平洋の両戦線で、兵員3交代勤務(前線・移動・休暇)であったため、アメリカ国内は人手不足。経済活動低下を防ぐため、このような教育を女性に施し、アメリカ経済を格段に向上させたのだ。(男女同一賃金は、このときの政策が世界最初)。では日本国内は、実施したのは海軍の大型艦船、国鉄鷹取工場くらいしか記録には無い。一般人徴用、女子挺身隊と、日本の人海戦術には目を見張るが、国内生産力は伸びなかった。昭和30年前後、朝鮮特需の後になって、労働省の外郭団体「日科連」がA項目のみ導入し、大々的に国内導入して、高度経済成長を迎えることが出来た。B項目、C項目の手抜きをしなければ、今の日本は少しはマシだったかもしれない。
  A項目「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
  B項目「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
  C項目「やっている姿を感謝で、見守って、信頼せねば、人は実らず」
                               山本五十六