2020/10/06

第222号:予め「知」の準備、パニックを防ぐ

<コンテンツ>
この秋、目に見える激変 パニックに巻き込まれても、落ち着いて
この冬季、新型コロナ感染:その特徴(医師&研究者から取材)
コロナをきっかけに、ここ10年ほどの需要が一変する
   ①【消費世代の将来変化】
   ②【最終消費地の変化】
   ③【国際的な消費行動】
   ④【新自由主義的価値観】
   ⑤【場所と人の組み合わせが大事】
自らの心の移ろいを、科学的分析的にたどってみる方法
  ・科学の発展は、用語の概念の発展として現れる。
    ・知とか知識 見る 分かち合い イメージ 神話 啓蒙(思想)
     自律 理性力(理性) イデオロギー 立場 ジェンダー 思春期
新しい経済構造での 仕事の仕方を考える
    【効率のいい働き方 ヒント】
    【心地良い働き方 ヒント】
    【上手な休み方 ヒント 】
    【人生を通しての貪欲な学び方 ヒント】


§この秋、目に見える激変 パニックに巻き込まれても、落ち着いて
この秋からの大手企業での人員削減は、45歳以上の管理職から始まる。ただ、それまでにも非正規労働者は、散々失職するが。コロナ感染収束後に一気に拡大するであろうし。新しい経済構造での働き方を、あなたも私も予見することが大切だ。
企業によって、新経済構造向けと、旧態構造崩壊とが、それぞれハッキリするだろう。「やれない理由は日本の風土にある」と、あえて思考停止する風潮は、激減するだろう。その理由は、旧態構造企業であるから、→先を争うように崩壊し、そういった意見を言う人が少なくなるからだ。
なお、金融危機は起こされない、
その分が将来の国の借金として山済み。
ほぼ3年後とされる返済期まで先延ばしがされた。

☆「中高年が起業するなら今のうち、ノウハウと客を持って、一人で逃げろ!」
と呼びかける専門家も出てきた。いわゆる、これからの日本は、同意見でも、水が合わない人材を集めても、足を引っ張られるだけである。
☆~コロナ感染後の新経済において、あなたの個別企業だけ、追い風を受けするようにすればよいのだ。地方自治体の課題は、それをバックアップすることである。国の課題は、向かい風から、個々人や個別企業を防衛することである。決して、「お友達の企業を優遇して国の経済を牽引する」といった、19世紀型の復古政策は、21世紀ではトンデモナイ話である。
ドサクサ紛れに金を中抜きすることは、自由の権利秩序と自由市場経済の倫理に反することだ。それは、個々の権利を守る社会的な制度の活用を、そこで使いづらくなるから、軽いピンチでも致命傷となることを自ら招来する。敗者復活の制度。新規融資制度。救命救急。
☆社会の制度を守って発展させてこそ、公助⇒共助⇒自助の日本が決めた憲法の法体系だ。
 そして、「捨てる神あれば、拾う神あり」となるわけだ。


§この冬季 新型コロナ感染:その特徴(医師&研究者から取材)
緊急に情報収集を行って求めたものは次のとおりだ。
あとで、過去メルマガ号外その他で提供した、新型コロナ感染の記事を閲覧した上で、個別企業や職場の方針や対策をしていただきたく。

①基礎疾患のある人が、
新型コロナ感染に要警戒である。
基礎疾患とは、次のURLによくまとめられている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200830-00195714/
国でこういった物を情報提供しないことには疑念が生じる。なお、医学界の研究発表は一般人には、ほぼ解読できない。よって、マスコミはじめ、次々と発表される数千に及ぶ論文の提出ととりさげには振り回される。

②新型コロナ感染は冬季に増加する。
その理由は、気温が低く湿度が低い気候は、いわゆる乾燥しているから飛沫状のウイルスが飛びやすい。したがって、室内の加湿は重要な役割を果たす。冬に乾燥する太平洋側の都市部などは環境が悪い。
そして、気温の低さはて、人体の免疫力3分野を、ともに下げて抵抗力を弱める。

③新型コロナ感染と、インフルエンザ感染は、少々複雑な関係だ。
・従来から、複数のウイルス感染は重なっても、
 発症するのは、そのうちのどれかだ、と分かっている。
・インフルエンザは、発症後自宅で自然治癒(ほぼ3日間)させれば、
 その間は、コロナに感染していてもコロナを発症しない。
 タミフルなどの特効薬を用いた場合、実験結果も無く、どうなるかわからない。
・新型コロナに感染した後に、その何らかの症状が現れ発症して、
 一般的風邪薬や解熱剤を飲まず、自宅自然治癒(およそ2日間)させるまで、
 ウイルスの性質上、インフルエンザは発症しない。
 ★ただし、その後のコロナ自然治癒後、体力が衰えており、インフルエンザが発症すれば極めて危険である。
  すなわち、45日ほど残存する新型コロナウイルスがどうなるかは、まったく予想がついていない。
 ★新型コロナもインフルエンザも、
  一般的な風邪薬や解熱剤を飲んでしまうと重症化したり発症が長引く。
  コロナは2日、インフルは3日といった自然治癒期間も長引く。
・新型コロナ感染、その後発症し自宅治癒の直後に始まる身体重症化。
 ウイルス攻撃のその活性酸素である免疫、
 この量の過剰を中和する抗酸化物質のタイミングは難しい。
【そもそもの予防方法】身体が、いわゆる酸化している状態を、
 前もって、抗酸化物質で中和することを推奨する研究者は多い。

④新型コロナもインフルエンザも共に、意外にも眼球の粘膜から
=裸眼に細かい飛沫(つば)が飛び込んで5秒間で感染する。
・ことに、冬季の乾燥状態では、湿気で飛び込む飛沫を防ぎづらい。
・眼球はマスクでは防衛できない。花粉症用でなくともメガネは有効。
・混雑した車両では眼球部分shieldのシールドShieldは有効。

☆COVID-19ウイルスの感染経路と消毒予防の最新情報(7/7総務部メルマガ)
http://soumubu1.blogspot.com/2020/07/blog-post.html#219-01


§コロナをきっかけに、ここ10年ほどの需要が一変する
その根拠は現在のところ明解に解明することはできないが、売れる方向は見えてきている。コロナが引き金を引いた。

【消費世代の将来変化】
世帯の35%弱を占める単身世帯、若年から高齢まで幅広いが、コロナの後も増え続ける単身世帯、その日常的商品動向には特徴的な変化があるとのことだ。
その中で目に付くものを拾い上げてみると

・炭水化物より乳製品(たんぱく質)が多い。おかずは買うが、ご飯は自炊。
・生鮮魚介類が減って、成分を凝縮したサプリメントが増加している。
・健康志向でマッサージ、セルフケア、ビューティーケア、スキンケアの増加。
・働く女性が増え、女性のファッション費は古着や制服に。20年間で半減。
・日常において、米、魚、お茶という和食は、たまに食べるおいしいもの。
・おにぎりと調理パンが中年男性で増加、米炊飯は減少、食事は家庭内。
・カップ麺は男性の各年齢で増加。サプリメントのような栄養設定の商品方向。
・カップ麺は、勝ち組とか金持ちになりたい人の、頑張るための補助食。
・肉と乳製品で健康需要を伸ばせると信じ、その支出は増えている。
・ドレッシング、つゆ・出汁で以って、味にこだわる。特に男性で増加。
・少ない洋服をクリーニングに出さず自宅で、高級洗剤で洗う。
・男女とも家事消耗品が増加=ラップ・ポリ袋、防虫剤、消臭剤、除湿剤。
・男性シニアの医薬品の増加=精神安定剤、睡眠剤、鎮痛剤、炎症用薬。
・中年男性の保健医療費の増加=医療歯科費、鍼灸費、マッサージ費など。

【最終消費地の変化】
従来、最大投資は住宅。
そのあり方も一気に変更してくるようだ。
それはやはり、交通の便の良いところ。
ベッドタウンと言う住宅密集地ではなく、農地や山林ばかりの田舎では無い。
地方都市やその郊外に、次のようなイメージやニーズを求めて、現役世代の家族世帯:需要予想だ。

・中心都市よりも、郊外のすぐ買い物にも行ける小さな都市に移住。
・在宅勤務を増やして給料を上げる、会社としても効率が良い。
・100坪の庭付きの一戸建てで郊外に住む。庭と緑で外出しなくて済む。
・自宅の中に家族用カフェを設け、全室Wi-Fi完備、巣ごもり対策。
・クリエイティブな職人たちは地方の家賃の安い家や店にやってくる。
・一世帯2住宅、そんな時代も始まっている。地方の価値ある古住宅。
・南向きの縁側と防寒リフォームで、老人の病は減り長生きする。
・路地に花が植えてあれば、安心感と温かみで年金生活者の移住。
・城下町の細道は、歩行者用の良い住環境に変わる。それ観光資源に。

【国際的な消費行動】
 消費の格差を考慮すれば、
  下流は物を志向、上流は事を志向
  男性は物を志向、女性は事を志向
若者は、3・11大震災、原発事故、各種天災をこの9年で経験していることもあって。
中古好きの若者の調査によると、お金がないから古着好きでいるのでは無い。
古着はおしゃれだから、可愛いから着ている。
若者は、新品購入意欲が弱く、中古でも、価値ある中古を気にしない価値観だ。
それと並行して、日本に来る中国人は爆買いから事の消費へとシフトしていった。後から成長してきた中国人に、事の消費へのシフトを日本は強いられた。今の日本では物は売れない、売れるのはサービスである。確かに、事の消費時代であることが日本でもようやく定着したが、それは比較的年収の高い階層の消費傾向に過ぎない。だとしても、中国人富裕層から見れば前述した日本の若者を観て見て、同じ体験をするのが事の消費であることに注目を要する。その心境はどんなものか計り知れないが。確かに、何もないフィンランドに訪れる各国観光客は、フィンランドの人の生活を見に行っている、フィンランドはそれを自覚して観光政策を行う。

【新自由主義的価値観】
仕事のできる収入の高い人間は、自己管理ができる人間であり、容姿や健康にも気を配る、肥満はありえないといった思考と結びついている。

スポーツは努力すれば報われることが多い、結果は分かりやすく琴線に結びつきやすいとの評価だ。(筆者は子供の頃から心臓が弱くスポーツは出来ない分らない)。加えて、現代のスポーツは、昔のように精神主義ではなく科学的である。
それは、自分の仕事を合理的かつ効果的に遂行することと、スポーツを重ねて見られる感覚になっているそうだ。故に、…「自分が努力して結果を出すだけでなく指導者になって組織全体の結果を出すことに関心が高い男性ほどスポーツ番組をよく見るといえる」とマーケティングの専門家は語る。
ところがところが、
このマーケティング専門家が語る新自由主義的価値観が変化するのである。
☆働く場合の技能や縦社会が横社会(ネットワークとかその他でつながる仲間)が変わるのだ。
テレワークとかリモートが叫ばれる中、現場のデジタルでは労働効率は飛躍的に向上しないが、何らかの変化程度は生じる。

★ただし、新自由主義的価値観にこだわり、新しい変化を受け入れられない人達は、家族もろとも不毛なIT機器投資を繰り返し、家族の資産が枯渇することになるだろう。

それは不景気にもかかわらず、
無意識のうちに新自由主義的価値観に溺れてしまったこと
で、過当競争真っ只中の立地に飲食店や観光業や物販で
起業してしまった人たちが、
この年末から来年2月にかけて消滅せざるを得ないことと、
その思考パターンは共通しているのである。

しかも、それは個別企業も同じで、
昔の成功体験や復古の決まりを持ち出す事は、
一気に個別企業の崩壊を招くことになるのである、
もちろん不良債権付きで。

☆☆したがって、☆☆

【場所と人の組み合わせが大事】
になってくる。共感(共感作用&共感精度)の伝わる手段は欠かせない。
コロナ後の利益率の高い商業=商店はこうした人の消費の側面が重要になる。
機能性重視の量産品を仕入れてきて、便利にタイムリーに、そして肝心の「買い手に希望を感じてもらう」商品にする方法もある。
そもそも、経済学的でも、次の原則だ。
=煩わしさを解消することが報酬額の量を決め、=
=相手に何故か何らかの希望が湧くから契約に至る。=

商業が活発化する500年前は、
朝市(当時の都市)での商人とは芸人であって、客を集めて物を売っていた。
現代もそういう要素は持っている。
これがヒント、コロナ後の利益率高い小売業(物販、飲食、観光などを含む)である。

機能性重視の量産品は、大手チェーンに集中する。だが、この業態の国際競争は激しく、日本は勝ち目が無い。現在の大手企業や大手メーカーが歩む道だ。

もちろん500年前とは異なるけれど、単なるパフォーマンスは飽きられる。

だから、相手に何故か何らかの希望を抱いてもらえる=芸術性を科学的に法則性(Art域労働:このメルマガを検索して参照)でもって商品の柱に据えることを要する。

室町時代、世阿弥は、芸術家であり興行主であった。

彼の名言には次のようなものもあるのだ

「京都で演じる中身は毎回少しずつ変えること、地方は年に1度程度だから同じことを演じる」

(参考資料)
 2020年6月30日朝日新聞出版発行
『コロナが加速する格差消費-分断される階層の真実』その他から。


§自らの心の移ろいを、科学的分析的にたどってみる方法
それは、フェイクニュースに流されたり、知っているだけの知識なので他人から丸めこまれないために。加えて恐怖から、心にもないことを言い聞かせてしまう“自己欺瞞や洗脳からの被害”に合わないために。その初期から、その危険性を自らで発見できる優れ手法だ。やはり科学(自然・人文・社会の3分野を横断的に)といったものは、人類を段階的に発展させていった発見や手法の素であるから、これをより上手に使いこなせれば経済経営ばかりか、日常家庭生活にまでに豊かさを増し加えることができるのである。

700年前ほどの人類の誕生からの共同体生活や分業への変遷、その後の社会という人間関係システムとしての文明Civilization進展による発展は、“他人との比較で中位よりも上”といった満足感を得るだけばかりか、「幸福感」を生み出し獲得する基盤となっている。とりわけ、近年の科学的思考(史)と人文科学(近年は、「精神Mind科学」との概念へ)の飛躍的発展の学術報告がなされている。

ところで、用語の概念が異なれば、相互に大変な誤解が生まれる。ことに日本の世の中には「今、自分の行っている行動は正しい」と言い切る“職業経験の少ないインテリ”が、公的行政機関にも民間企業の官僚主義者にも少なくないのである。学校教育でも用語の概念について学ぶ事は少なく、せいぜい辞書を自分で見るだけだ、著者が次々と改訂を行うにもかかわらずである。

心の移ろいや思考パターンの曖昧さは、これまでは、どうにもしようがないことで、長年の技能蓄積(人生経験?)でのみ、まるで風船の如くの道しるべ程度の存在として用いられてきた。なので、その分野の解析解明あるいは科学的分析などは諦められていた感があり、多くの人はそう受け止めている。むしろ、数千年にわたる過去からの哲学とか紛争解決学、更には現代社会その他の研究を担うべき学者&研究者の中に於いてさえである。

加えてそれは、“いわゆる野蛮人”は礼儀正しさCivilityを無視する、且つ横槍を目的とした言動=すなわち、「思いつきは自由だ、イデオロギーの自由だ!」といった力ずくの暴言によって、進められる。
【一方には】
=やたらAIとかDigital或いは“薬物や分泌物”とかを持ち出す自然科学?的な野蛮さ、
【もう一方には】
=分析できず理解し得ていない単なる頑固者(あげくは極左に極右や宗教カルトに流れやすい層の傾向との事だが)の単なる野蛮さとなる。
~この野蛮な愚かさに自信を持つと=「科学は嫌いサイエンスも嫌い、テクノロジーは使えるかもしれない」と開き直るに至り、
↑こういった二極分化へと偏り、その分断された野蛮人たちの構成と言動によって、ますます混乱させられることになったのは現代である。簡単に言えば暴力を使う事は減ったが、精神的には野蛮化しただけの事である、1989年頃以降はこういった風潮で、社会発展にまでは至っていないようだ。

さて、前述近年の科学的思考(史)と人文科学(近年は「精神Mind科学」との概念へ)の飛躍的発展示す、そこで使われる用語概念を表にしてみた。

科学の発展は、用語の概念の発展として現れる。

概念 曖昧さや未熟さによる害悪
知とか知識 自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること。
ちなみに、“「私」とは知の主体である場だ”となる。
知を共有する私がいるからこそ=多くの人が同じことを知り得ると思考展開する概念である。
★事実や事実関係を、理由として整理整頓しないから、理屈は証拠第一主義になる。すなわち根拠が形成できていない。
もっともな理由には結果に至るプロセスを知ることが欠かせず、これが教養有無の決め手となり、教養や知の応用が出来る可否となる=ことに気がつかない。
見る 何かを見るということは、感覚(意識のひとつ)の助けを借りて、何かを認識すること。認識とは、行動に応用できる水準に達している状況である。

「百聞は一見に如かず」は、近年の精神Mind科学の飛躍的発展によって、事物を結合Connectして考えることが5次元の思考X・Y・Z+Time+
Connectの思考練習にもなる。
それは商品開発の基礎的着想法でもある。
★観る、視る、診る、看るといったように、漢字の使い方とか見る方法の種類にこだわる、すなわち知識偏重主義ばかりが流行する。ことに日本では肝心の意識とか認識といった中身の議論や認識確保がされていない。文字の形象に固執しやすい。
したがって使い道が、常に道具や手段の使い道といったテクノロジーの範囲内へと限定されてゆき、思考が狭められていく。
もしかすれば、過去現在未来を明確に出来ない能力、そこには言語能力の低さも関わっているかもしれない。例えば:伝言を必ずしも過去形で示さないといったこと。
分かち合い
Share
欧米における“分かち合い”の意味とは、先ずは前提に共有があって、“共有と同時に分けっこ”といった概念の意味である。
英語ではShare、ドイツ語ではTeilen。(フランス語は、筆者では不明。よく似た言葉さえわからない)。 伝達する言葉も欧米では、英語ではCommunicate、ドイツ語ではMiteilen、フランス語はcommuniquent、そのいずれも言葉の原義は“他人と共有する”である、知っていることを共有するのである。
ここに至るには、英語やドイツ語は読めても、その文化や文明のあり方までは把握できなかった日本語翻訳では、むりがあった。近年の精神Mind科学」が飛躍的に発展したからこそ、今日、解明されたのである。概ね基礎理論の分野の学者はいずれも、言葉(記号)では概念を把握できなくとも、その知は持っている。
★欧米における、すなわちグローバルな共通概念を、翻訳その他間違った概念で、日本語の「仕事の分かち合い?」であるとか、「通信伝達?」といったものに提起をしてしまった。前提の共有といった文化や文明の概念が理解できなかったからのようだ。
ここのところ処に、根本的なデジタル化の進まない原因がある。
おそらく、旧通産省のイノベーションを、「技術刷新」としたか、おそらく敢えて間違えて翻訳したか、それともあまりにも無能の官僚だったか、の何れかであることは否めない。

ことにアメリカのデジタル通信技術を開拓した人たちは、ここで言う共有概念を基盤に展開していたようだ、その痕跡は先駆者たちがマニ教やグノーシスといった知識偏重主義・主知主義を徹底して批判していたことで推定できる。
イメージ
Mental-
image
感覚的印象が処理される、またはその処理された印象が創造の力を借りて呼び起こされる、そのときに進行する心理的エピソードといったものである。
ある一部分は話せたとしても、知とか知識のように共有することができない。したがって“分かち合い”も伝達も出来ない。
★個々人の意識の内に於いて見ているだけの事である。その中身を精神mind的に、どれだけ説明しようが共有できない。共有できないものを無理強いしようとするから、神話を使ったりする。けれども、共有できない。
日本では、漢字chinese characterまで動員して無理強いした戦時中の経験があった。
神話
Mythology
太古の想い描くことで、現社会全体のイメージを作るといった代物の妄想状況。神話は自己認識から逃げるための典型的手段に使われる。 ★イメージであるから心理的エピソードといったもの。伝達できないからこそ、個々バラバラの妄想かつ記号キャラクターである。
啓蒙(思想)
Aufklärung
啓蒙主義の萌芽は、「“私を神と、貸し借りなしの状態にして下さい”(神は創造物の土台、神の被造物の私がいるからこその神が存在)」である。=マイスター・エックハルト(1260年頃~1328年頃)は宗教裁判で有罪にはされなかった。
自称無神論者が教会に逆らって、近代啓蒙思想に至ったとは、歴史上の大ウソ話である。
ニュートンは、「神の被造物である、被造物の法則性を知る事」を科学とした、英国国教会の有力者だ。
哲学者、政治学者のジョン・ロックは、英国国教会の司祭で本職は神学校の教授である。
★日本においては、啓蒙(啓蒙思想)を、キリスト教と対立する西欧思想と勘違いしてしまったのか、思惑を持って間違えて翻訳した。 良心の英語はconscience、フランス語も同じだ。キリスト教の聖書に出てくる概念定義が輸入されたのだ。日本国憲法の良心conscienceである。
日本では、中国孟子の良心も輸入され、一般的に使用されている。 英語では、良識good sense。常識common sense。 英語のcommonはカトリックのcanonに対抗する、共に役立つが原義。それが日本では、みんなが知っていることとの意味とされている。
自律
Autonomy
自分で自分を律する法(決まり)を自らのうちに作る、そして実行する。
近代初期には、科学的理論の根底として形成された。
欧米での自律と自立は、
autonomyとかindependence あるいはself helpなどとの、様々な状況を表すことが仕様となる。自分でするautoの汎用といった概念だ。
理性力
(理性)
Reasoning
自分の立場を、意識的に度外視する論理的能力。概念が形成された能力では無い。それは、「他者にもそれぞれの立場がある」ことを理解する体験や訓練から身に付けることが出来るとされる。
“人は自分の立場を放棄できる”といった幻想を持ちやすいが、それは無理だ。自分たちの確信や信念が、やはり利益と結びついていることを批判的に自ら分析することが重要とされる。
★立場に凝りかたまり、“知らぬ間に「自分を神と言う神学的役割に置く」”といった錯覚は欧米にも存在(キリスト教など)し、取り立てて、日本の靖国思想が日本独自文化ではないことを結論づけている。

自分自身を、神学的役割に置くとなれば、“「私」とは知の主体である場”こととは対立してしまう。日本の神道においては概ね、神に至る行為は、死を選ぶこととされている。
イデオロギー
Ideology
実は何も知らないことを、まるで知っているかのように、人々とか他人に吹き込む概念である。その場合に、知っているつもりに自らをカバーするために、自らを“直ぐにもっともな理由”で擁護に走る結果ではある。
良心に基づいてイデオロギーを主張するからこそ、イデオロギーの自由が保障されるわけだ。
★イデオロギーの仮面をかぶることは許されない。
それは、悪意あるいは人を騙す事を目的として、あるいは、わずかな注意をして少し調べるなどすれば、そうではないと知ることが出来るにもかかわらず怠った(重過失)場合、それはイデオロギーではなく単なるペテンである。ペテンを使うに自由はない。
立場
Position
立場は、絶対的な客観とは無縁なもの。客観とは第三者が見てわかるもの。
自らの利己主義を通して、利他主義を考えることができる。自己意識は、最初から他者の意識と構造的に結びつき、社会的脈絡の中で他者からの評価に、自己意識も期待をしている。
立場を貫けば、自己欺瞞は避けられない。そこで神学的役割に執着する、ないしは神の世界が日常で、社会的脈絡のこの世を異常と思い込んでしまう。
倫理とは、善悪いずれにもなりうる行動の原則を、如何に体系的に根拠づけ、規範を形成しやすい方式だ。
仮に、“立場”は求めたとしても、絶対に到達ができない、ないしは奇妙な理想で終わる。或いは、戦時中の日本をはじめ世界各国の過去に流行した、“知らぬ間に「自分を神という神学的役割に置く」”ことになってしまう。

自分自身を、神学的役割に置くとなれば、“「私」とは知の主体である場”とは対立してしまう。巷に言う、“心や身体、その両方ともが生命を断絶する”ことになりかねない(日本神道では、立場を貫く事で神と成れば、死を死に至ることを意味する)。
ジェンダー
Gender
ジェンダーの思考土台は立場である。
現在は、進化の過程で有益であることがはっきりした価値を、善悪の判断基準とするようになった。それは、宗教や統治制度ではなく、生存に役立つものが善なのだ。何等かの立場に立つ男女比率を見比べたとしても、その理由を人間の身体に求めるのは馬鹿げた話で。精神分析の発達に因り、男か女かの特定が、良心的自由の拡大を阻害する明確要因となった。
★やはり、男女の社会的性差を論じていても 、心理学者フロイトに端を発する男女別精神分析に由来している事は否めない。
女性的または男性的な要素を、人間の身体に求めようとすることにだけ反対する思考は、社会での家父長的な推定とか宗教的神話に対抗できたとしても、それは重点的に敵視をする者の、単なる裏返しの立場に過ぎないと見られるなど、そんなイメージを招来する事になりやすい。
思春期
Puberty
性的な成熟に伴って産み出される性ホルモンのために、ホルモンバランスが引火することで生じる現象。
その現象は幾らかき集めたところで、思春期における法則など発見出来るわけ(定量性定性性)もなく、そういう思春期法則の裏付け証拠には成りもしない。
英語のPubertyはcommon lawでは男14歳 、女12歳としている。が、思春期とは無関係の言語である。
頑固者に対して、 “思春期? ”のような現象を「神経科学で説明した方が理解しやすいかもしれない」、それだけのことだと、多くの哲学者は語る。
★若者に対して、思春期の仕業として揶揄することは、明治以後の縦社会導入期において、若輩者の、 “思春期期間? ”を理由とした、年齢差の抑圧道具として使われてきた。
心理学者ユングは、フロイトの弟子とは言え、異なる心理学を開いた。さらにアドラーは創造力を重視する個人心理学の分野を開いた。
日本では、江戸時代に比べての、明治以降の女性の地位低下政策と共に、日本に持ち込まれた。江戸時代に思春期云々と語る人はいなかったようだ。


§新しい経済構造での 仕事の仕方を考える
そこで、フィンランドの具体的エピソードで、具体的な新たな思考ヒントになりそうなものを挙げてみる。フィンランドは21世紀に入り突如成功発展している。フィンランドの紹介は、何の根拠も示されず、「フィンランド人の性格は日本人とよく似ている」と表面的にレポートに記載する人が多いが、そんなことはどうでもいい話である。

経済基盤として日本と共通しているのは、天然資源が乏しく気候も厳しい、森林が多いし、ナチスドイツやソ連といった大国に翻弄された敗戦国で、極めて貧乏だったことだ。
それが現在は、一人当たりのGDPは約5万ドル(2019年IMF)世界16位、日本は4万ドル24位だ。経済成長率は高くもない。けれども、2019年の幸福度ランクでは、世界156ヵ国中1位である。日本は58位、前年の54位からランク落ちである。このデータ紹介者の分析によれば、日本の“選択の自由度”64位、“社会的寛容さ”92位などが足を引っ張っているとのことだ。そして、世界経済フォーラム(WEF)から指摘されていることは、「学校教育の長さでは世界屈指なのに、不十分な教育方法で技能の格差を拡大させている」と。

【効率のいい働き方 ヒント】
■それは時間や場所だけでは無い。オフィス内でも最近はフリーアドレスのスタイルを導入だ。フリーアドレスとは社員がそれぞれの席を持たず自由に席を選択できるスタイルのこと。30~40年前の日本では、机が与えられ、個室が与えられることが重要なステイタスだったし誘惑もあった。かといって有能な秘書が持てるわけでもない。未だそれは、コロナ感染の真っ只中にあっても尾をいている、特に首都圏の縦型企業は強い。

■最近の机の流行は電動で高さを上下調性できる机だ。長時間座って仕事をすることは健康に悪いという研究結果から生まれた。腰の負担を減らし効率を上げるためにも最近は立ってパソコンに向かう仕事が増えた。月に1度、マッサージ師が来て1人15分、勤務時間内にマッサージを受けることができる企業もある。ギックリ腰や腰痛などは、日頃使用しない筋肉の凝り塊だと確認されれば、積極的な運動やマッサージで改善する。

■フィンランドは法律制度を徹底的に追求するが、それは経営管理にとっても効率的であるからだ。就業時間を短くしただけでは効率上がらないことを深く理解しているから、ITを積極的に取り入れ、無駄な書類のプロセスを省く。その軌道に乗せれば後は単刀直入に進めていく。部下を信じて仕事を任せることにしているから、メールで部下が、上司へのccを避けることは通例だ。これまでのやり方やしがらみはドライに切り捨て、効率的にも費用的にも、良いと思ったことも導入することが通例。
日本のように読むだけで時間を取られ、文章も無教育で意味をなさないメール、それが非効率な部下の監視作業といった時間に掛けられる。

【心地良い働き方 ヒント】
★部下を信じて任せるから、部下に対し、メールにはccを入れないで欲しいと話すマネージャーが多い。
★「連絡先が分かっているなら、どうぞ直接連絡をとってください」といった姿勢が基本だから、上司が上役につないだり、わざわざ仲介とか紹介をすることはないのが原則だ。紹介する方もされる方も煩わしいことであり、首を突っ込んで何らかの利益を漁るといったこともない。
★マネージャーは相手を信頼して任せるから、真摯に技術的なことや経営のことを解りやすく話すことが当たり前となっている。
★創造的に思考するから、記憶力に頼らずカバーが出来ると考える(人口が550万人だ)。
★知人や友達同士の会話でも、悩み事を打ち明けても、互いに、「人生はそんなものよ」から始まり、決して対等平等の関係を侵害しないようにしている。
★採用は業務がハッキリした職種別採用が多い。もちろん勤務地や条件も明確にさせているため、本人の意思や希望に関係なく異動させることはない。同時に、仕事が一段落したところでの社内公募も多い。
★余計な会話、威圧的な会話といったものはなく、互いにじっと話を聞いている。「あなたの話を聞いていて、自分の話す番が来ることを待っているだけなの」といったことだ。これは、多くの人が低学年の学校教育で、次のような教育を受けているからだろう。(国際的なPISA基準)、それは日本の旧態依然とした文部省方針の=
  “日本の国語=文章の内容を読み取り理解する力”とは大きく異なる。
    読解力=
      自らの目標を達成し
      自らの知識と可能性を発展させ
      社会に参加するために
      テキストを理解し、利用し、評価し塾考し、これに取り組むこと。
すなわち、日本では、次のような視点が抜けているとされるのだ。
    a.自分の考えを他者に伝わるように根拠を示して説明すること
    b.テキストから情報を探し出すこと
    c.テキストの質と信憑性を評価すること

【上手な休み方 ヒント】
☆ブルーベリー摘みはいつも大量の蚊との戦い。無心になって出来るので、ある意味瞑想のようなものだと考えているようだ。
☆企業は6ヵ月から3ヵ月間、大学生や定職に就いていない人をインターンとして積極的に雇う。その人たちが、夏休みの代理の人材というわけだ。夏に大きな戦力になるのが学生達だ。
☆休暇中に仕事をカバーしてくれるインターンやチームメイト決めておく。その人が代わりにメールを読んだり答えてくれたりしてくれる。
☆休暇中はよくコテージに行く。「いろいろ便利なものが揃っているコテージは、コテージじゃない。やっぱり、明かりは白夜の自然な光のみ、水は近所から汲んできて、昔ながらの薪や炭使って簡単な料理をするのがいいのよね」といった意見が多い。
☆おすすめの休みの過ごし方も、専門家が推奨する効果的なの取り方を参考に考えている。すなわち、日本の様に旅行者に振り回されて疲れるだけとか、金銭をつぎ込むことだけが良い旅行や休暇とは考えていない。(つぎは専門家の推奨:例示)

 A.環境を変え、ほかのことを考えて仕事は忘れる。環境を変えると忘れやすい。
 B.休暇モードに気分を切り替えられるよう、仲間を見つける。
 C.休みの初めにガンバリ過ぎない。初めは休むこと、回復することを重視。
 D.デジタルデトックスをせめて1週間、携帯電話やタブレットから距離を取る。
 E.楽しい瞬間を写真などで保存する。適度な運動をする。
 F.自分にご褒美を与えつつも、規則正しい生活をする。

【人生を通しての貪欲な学び方 ヒント】
▲必要に応じてその時その時に、新スキルを学んで積み重ねの学びをしているスタイル。
▲継続的に行うから科学力+横断的な知識力+汎用的な知識力の一体的となったものとなっている。
▲再就職や転職において、年齢は全く関係ないとはされないようだが、教育とか知識力は、それをカバーしてくれ、公平にきちんと評価してくる土壌がある。
▲2人に1人は、転職の際に新たな専門や学位を得ている。熟練工は転職の際に職業安定所とかでSE資格などを学ぶ。
▲学びは、ピンチを乗り切る最大の切り札となる。いまの社会制度を工夫して、多くの人がそうだと思っている。
▲とりわけ、義務教育では、何かを学ぶかよりも、“物事はどうやって学ぶか”を重視した教育が行われている、すなわち生涯にわたって学ぶことを可能にする基盤を作っているのだ。創造的に思考するから、親からして記憶力に頼らずに、記憶作業のカバーができると考えている。
▲学ぶにあたってもネットとかにも膨大な情報は用意されているから、自分で決めて行動に移す人が多い。互いのアドバイスも、不満を言っても、「どうして?」、「情報もあるし、自分で調べて行動すればいいだけよ」となるようだ。日本のように、無責任にマニュアルに限定し、またそれを親切そうに教えるような業者はいない。
▲ことに資格教育となれば、フィンランドでは資格合格とともに独立経営の管理や会計のノウハウを教えてくれるところも多い。(保健や介護士資格では経営カリキュラムの必須単位もある) _____ フィンランドのヒントの話はここまで _____