2014/08/05

第148号

「すぐに始められる個別企業の立て直しのアイディア」
といった形式で、今回はインテリジェンスを提供する。

すぐに始められるとなれば、事業には制限がある。
日本経済、現場は極めて深刻である。
政府が失敗を認めた「骨太方針」
具体的な、個別企業の立て直しアイディア
 1.最も簡単で効率的な個別企業立て直しは、内需である。
 2.客の具体的要望を知れば、売り上げが上がる。
 3.老人介護と保育を見直せば、資産と資金が内需に回る。

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§すぐに始められるとなれば、事業には制限がある。
日本には海洋資源とか山林資源があっても開発を抑圧されている。もちろん金融資産もなく、経済学の信用論から分析すれば紙切れしかもっていない。よって、すぐに始められることは、日本人の創意工夫による労働&正当価格評価経済システムを作り上げることからの商品開発&流通システムでしかない。もちろん、目先の小さな利益のためにアイディアをつぶす輩もウジ虫のように経済社会には湧いてくる。この、「ウジ虫退治」を官僚に委ねると事業効率が悪くなるから、アイディアをつぶされないシステムも流通に含まなければならない。
すなわち、新技術は旧来技能者の失業を招き、専門技能者を常用化すれば初歩基本的技能を秘密にする性癖は、世界の先進商品開発国でも共通するからこそ、「ウジ虫退治」を官僚に任せるわけにはいかないのである。商品開発の通貨投資効率が高い北欧・西欧・南欧では、それぞれ特徴を持った「ウジ虫退治」の社会システムが組まれているのである。アメリカでは、草の根民主主義(運動)、お茶会(ティーパーティー)とかは、いわゆる「地の塩」(社会の腐敗を防ぐ教理)は名誉とされ、富を持つ者が非公式労働により社会の貧富を縮小させることは務めとされ、通貨で済ませる(寄付・献金を)することは「卑怯だけれども仕方がない」といった概念なのである。個別企業の立て直しを見据えたときに、経済社会におけるウジ虫の存在に配慮しない構成を着想することは愚か者でしかなく、家庭や社会を築けない者としての思考が底流にあるのだ。
今の日本における特徴だが、
「政治が変われば経済や生活も変わる」…と政治団体や(政治にかかわりたい)宗教団体は力説(して幹部が保身を)するが、そのスローガンは、富の再分配が課題であった昔に通用したもので、今の世界経済状況にあっては、嘘!そのものである。


§日本経済、現場は極めて深刻である。
輸出も内需も低下する一方である。かろうじて海外金融投資による利潤が伸びているだけにすぎない。海外進出と称する投資は赤字には計上されないから陰に隠れているものの、海外現地で製造した日本商品の売れ行きも暗雲がたちこめている。すなわち、旧態依然とした日本商品を、いくら焼きなおしてみても、国内外市場に持ち込んでも、売れていないのである。現地(国内外市場)からあがってくる報告は、殆どが「売れない理由」ばかりである。それを受け止める経営幹部は、事実上サラリーマン社長になっている。中小中間企業の経営者も、借入金や投資損を抱えて、事実上サラリーマン社長になっているケースもみられる。「売れない理由」に惑わされて、外交政策ごときで日本商品進出を諮ったところで、日本人出稼ぎや日本企業身売りになってしまうのがオチである。


§政府が失敗を認めた「骨太方針」
政府は、「骨太方針と日本最高戦略」改訂2014が閣議決定されたと話す。要するに、骨太方針は失敗したから改訂すると言っているにすぎない。ところが、政府が経団連で説明した主な内容を見てみると、上滑りする政策であることは経営者なら誰でもわかるものであった。要するに、官僚の保身に満ちた着想では、「経営の盛り上がり」は生まれないのである。まして、官僚によって労働者派遣法改正法案が骨抜きにされたから、政府も国会での改正案を廃案にしているのが事実である。与野党・財界労働界の発言をつまみ食いしただけの政策づくりは、官僚の手続き主義に名を借りた骨抜き法案と変質していることすら、誰もが指摘できないでいる。さらに大手マスコミ報道は、この手続き主義に名を借りた骨抜き手法に乗せられてしまって、報道の意味をなさないばかりか官僚たちの思うツボとなっている。


§具体的な、個別企業の立て直しアイディア
1.最も簡単で効率的な個別企業立て直しは、内需である。
国内の都市や地方を問わず、遊休資産の活用(リニューアル・リフォーム)は、実体経済を回復させる。すべてを通貨に頼らなくとも「粗利益」を挙げることができる。個別企業がこの遊休資産と直結することである。
寂れた街にはスーパーや生協を誘致すれば、直ちに旧市街地は活性化を生み、老人の街も解消される。食住が旧市街地では満たされないから軽4輪車社会(車社会ではない)となっている。職業は自転車や電気軌道で通勤は確保され・企業も交通費予算が削減できる。道路の通行量は減れば補修予算も減り、流通時間総量も減らすことができる。
すなわち、「予算もなく売れもしない投資」事業を当てにするのではなく、遊休資産の活用(リニューアル・リフォーム)に向けての事業展開に的を絞ることである。
こういった遊休資産活用に公共事業が関与することは内需拡大効率が高い。ところが、口を開けば「予算がない。財政赤字」と思い込んでいる地方自治体や職員ではあるが、遊休資産の活用の基礎・基調のプロジェクトその他の予算は、地方債(相続税非課税・利息通年支払い)を発行すれば、最初の第一歩も手をつけることができる。地方には、その目的に期待して地方債を購入する金銭資産が残っている。ただそれ以前に、既に役目を果たしたはずの事業に執着している企業などへの助成金を支給することが経済対策と思っている地方公共団体も少なくないのだが。

2.客の具体的要望を知れば、売り上げが上がる。
ひとことで言えば、客先の要望を理解するといった労働が、個別企業に組織されていないから立て直しができない。客先最前での労働を単純簡素化すれば人件費をカットして利益が上がると考えたのかもしれないが、そんな素人話は経済経営学において存在したことも無い。客先の要望を聞いて、それが量産できれば事業拡大につながることは確かである。ところが、発展途上国の如く「何もない」から「何でも良い」といった市場にあってのみ、そんな事業拡大でも通用する話なのである。「客先の要望を知る」ことを事業化するには、固有価値商品の売れる3要素(意欲・感動・希望)を分析できるシステムを個別企業に抱えなければならないのだ。このシステムがないから、労働者は昔の市場の幻想を持ったまま働くし、管理職は固執した考えを部下に押しつけるし、先輩は後輩を子分にしたがり、個別企業をそのものの「意欲・感動・希望」が剥がされてしまっていると見た方が妥当だ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142
だから、労働者は働く訳がないし、希望がなければ言われたこともやる気がないし、口先だけで自己防衛もするようになる。これは別に日本の特徴や貴個別企業の特徴でもなければなんでもなく、何千年も昔の書物にも書いてあることにすぎない。賃金体系を変えて金銭で人間の意欲をつり上げようとすると、不良商品や集金不能商品の続出につながる。評価システムを変えれば、客先の要望を知ることよりも、その評価の点数が高くなるような立居振舞い上手の労働者が残るだけである。これが非正規労働者にまで広がれば、無駄な労働への賃金支払額が加速するだけで、いわゆる、「客が買いたくない商品の山」の生産に、人件費を毎日投入していることになっているのだ。
ある外食チェーンは、店員の化粧を自由にしたところ人手不足を解消し、売り上げも伸びた。一歩進んで服装まで自由にした某販売チェーンもある。それは、販売員の自由さや労働意欲を重視したことによって、客先との「意欲・感動・希望」に関する「心や気持ちの入ったコミュニケーション」が成り立つことによって、客先の要望を理解するといったことなのである。固有価値商品の売れる3要素(意欲・感動・希望)が理論化されたことを除いては、経営学では30年以上も前からの常識(みんながやっていた考え方)であった。ところが日本では、個別企業の安楽死を行政が推し進めたものだから、常識(みんながやっていた考え方)を無視して、企業の安楽死が今も流行している。
客や受注があってはじめて、事業は成り立つ経営にも関わらず、理屈で飾りたてた手続を客に強いるとか、労働意欲を無くす社内システムを客に押しつけるとか、これにより次々と客離れを起こしていることにすら気づいていない個別企業は多い。ことに大学受験型思考では、相手(お客)の意見を聞く能力が否定され且つ物事を記号のように分類判断する訓練しか受けていないから、客先との「意欲・感動・希望」に関する「心や気持ちの入ったコミュニケーション」が成り立たないのである。これを「記号主義哲学」というが、管理職がそうだとすれば、企業内には記号主義的哲学に従う労働者しか残りはしない。相手(お客)の意見を聞く能力こそが重要であるとする「解釈主義哲学」の持ち主は、年齢を問わず管理職よりも有能さを発揮し、経営者とのノリも良いのだが、その有能(変人)さから妬みを招くので組織から排除されるのが常識(みんながやっていた考え方)である。だが、「解釈主義哲学」の持ち主は常識(みんながやっていた考え方)とは異なるが、近似の経済動向や経営手法、そして法規制から正当に身をかわす上で欠かせない、客観的合理的思考も「解釈の一部分」として認識しているので、事業規模が拡大したところで行政規制や刑事処分の招来を防ぐこともできるのである、早い話要領はよい。
今の日本の社会経済状況からすれば、安易な労働者の「社員化」を進めれば「記号主義哲学」の集団を作ってしまう。労働者の常用雇用化と「社員化」とは全く別の話である。先ほど述べた「解釈主義哲学」の持ち主が組織から排除されないための、解釈主義哲学者の雇用安定策を個別企業が取れるかどうかがカギである。すなわち、大手・中堅・中小企業を問わず、この一見変人と思えるような「解釈主義哲学」者の活躍の場を作るかどうかがカギであり、戦後一貫して日本の経済成長を支えて来た歴史は、「解釈主義哲学」者を個別企業が確保する率に左右されていたと言える。
ここで説明したアイディアは個別企業立て直しをしようと思うなら、するか否かの選択であり、それは経営の初歩的素質でもある。

3.老人介護と保育を見直せば、資産と資金が内需に回る。
特に60歳以上の女性労働を老人介護と保育に投入する。その手法は、町内密着&パートタイムによる労働方式である。フルタイム労働にしようとするから施設・集中設備に資金が回され、さらに人手不足が起こり悪循環を生じるのである。ことに老人介護は未然措置や予防をするには個々在宅の短時間労働による介護である。介護労働者の都合で仕事を分散させれば未然措置や介護予防ができない。早朝とか夕方の一時期に大量の人手を要するのである。介護や孫の育児時間を住民税や所得税の非課税扱い(課税控除申告制度)とすることで、非公式労働の非効率や人間関係毀損原因からの解放第一歩となる。
家族や近所の人の介護労働を集中させることで経済効率が非常に高くなる。そのためのICT技術である。老人介護と保育を旧市街地の空き家で行えば、若者も戻ってくるし子どもも増える。あくまで家族の希望により「同居家族の介護」への「内容×時間給賃金」の支払いを制度化(今のフィンランド)すれば、益々費用は削減される。賃金を払うのだから教育と訓練を同居介護労働にも厳格に適応させる。在宅介護を痴呆症未然段階からのシェアハウス(趣味を中心)に設ければ即効性は都市部から発生してくる。この場合の同居家族とは、諸外国のように血統ではなく、「3年以上の同居履歴」と考えれば社会問題も沈静化することができる。地方自治体の予算も、町内会や自治会を経由しての地方債(相続税非課税・利息通年支払い)でもって確保することができる。
すなわち、両親介護や保育育児への時間と金銭出費を抑制することで、新商品開発は衣食住部門での資金と購買力を得ることになるのである。これは、地方公共団体の条例が制定されるのを待つまでもなく、地元密着の中小零細企業ならでは事業化を直ちに進めることができる。ここで開発された衣食住関連新商品は、その殆どが固有価値商品として通用するものだから、この商品を海外へ向けてのマーケティングと市場化を進めることで、イタリア・フランスや北欧のようなブランドにもなる。地元密着していない地元ブランドは存在せず、昔を懐かしむ回帰商品では市場化も伝統化もできない。
地方公共団体の福祉部門が、町内の老人たちに行政の仕事を押しつけて、福祉事業をやったことにしているのが現状である。成果は上がっていないばかりか、住民からは敬遠されているのが実態だ。そもそも日本で福祉事業とは、民間が行い始めたものであり、地方公共団体よりも古い歴史をもっている。ここに個別企業立て直しの具体的仕事が盛りだくさん存在するのである。