2018/01/09

第189号:「働き方改革」の罠にハマれば、会社は損&労働者は貧乏になる

<コンテンツ>
「働き方改革」は、法律案は4月の通常国会
女性の募集&定着の最重要ポイント=それよりも第3の働きかた改善=
   【結論は】お局・同僚・上司からのイジメ嫌がらせ防止策として、次の規則を実施。
   ……加えて、福祉・介護といった事業場では
   【後学のため、女性進出先端の教職員の歴史的事実】
働き方改革の美辞麗句(扶養配偶者150万)可処分所得減額の直撃も
   【それではここで、計算式による根拠】
★★社会制度の手足をもぎ取る、もう一つ気掛かりな動き
   __「一気に、勤務社労士を排除したい!」との内閣府官僚の意向。
   __ことに、女性の勤務社労士は悲惨に晒される
   __間違いなく、労働に関する社会制度の空回りが発生
   ☆その抜本的対策として「全国社会保険労務士の職能Up委員会」
バージョンアップ=働き方改革の法律案から湧き出る、具体的な問題
   ①同一労働同一賃金、(その抜け穴)
   ②賃金引き上げと労働生産性向上、(その抜け穴)
   ③柔軟な働き方が行いやすい環境整備の罠
   ④女性・若者の人材育成、環境整備の美辞麗句
   ⑤病気の治療と仕事の両立で中高年に犠牲を強いる
   ⑥子育て・介護等と仕事の両立、障害者・高齢者就労の振りだけ
   ⑦雇用吸収力、付加価値の高い産業への労働力移動の妄想
   内閣府の全体主義官僚たちがまとめるストーリーは妄想と幻想
労務管理は、本を読んでも、何かの試験に合格しても、出来ません。
   それは、次のような自問自答してみることです。
   【決定的素質の課題】=知識偏重主義は止めること。
労働が価値を生むと言う(知っていれば便利な)経済学
   ①抽象的労働説(アメリカ20世紀初頭の制度)
   ②(アダム・スミスの)支配労働説があるが、
   ③日本の労働行政官、法曹関係者、労働組合幹部などに多いとらえ方
   ☆ことに極めて高い価値率を生み出す Art域労働 というものは、
   ところで、個人請負 independent contractor とは何の事?
【速報】マイナンバー 市町村税課からの通知には記載中止
   ≪では、これはいったい何を意味するのか≫
   すなわち市町村税務課での、個人収入把握を狙っていた国税庁からすれば、
   非常に多くの中小企業は、
   マイナンバーで、一儲けしようとした便乗業者は
   ≪年明けの、個別企業の動向は≫


§「働き方改革」は、法律案は4月の通常国会
に向けて、諸々の法案提出の準備に入っている。何らかの政権危機が起こらない限り、内閣府はその準備に入っている。ところが、躍起になっている内閣府に対して、各省庁官僚は一枚岩ではないようである。
ことに、権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に全体主義者は弱い。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突する。そのような状況が日増しに拡大しているようだ。こういった現象は、戦前戦後の実証研究により、学問的にも確立しているのである。
場合によっては、昨年から延期された「働き方改革」も、4月の通常国会はまた延期され、来年に飛ばされる可能性もなきにしもあらずだ。
なぜか、ほとんどマスコミが報道しないのだけれど、民間シンクタンクばかりか普通の政府筋も、働き方改革での所得減は4兆から8.5兆円も減るとの記事は流れている。
労働者一般の所得を増加させることで内需拡大となり日本経済が安定する政策は、国内のあらゆる経済学者の指摘もOECDの勧告もが一致して、いずれも共通して政府に訴えているところである、
働き方改革、「残業代が8.5兆円も減る」の衝撃
雇用者報酬の3%に相当、実質GDPも下押し
http://toyokeizai.net/articles/-/188466
安倍政権の働き方改革、(複数の政府筋)
残業抑制で4-5兆円の所得減 一時手当は効果に限界
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/11/4-5.php


§女性の募集&定着の最重要ポイント=それよりも第3の働きかた改善=
個別企業の大半は、人手不足だとか人手が足りないと言いながらも、具体的に何の手も打っていない。あげく「給料が安いから!」といった何の根拠もないストーリーで諦めているのが現実だ。だから、同業他社よりも、思いきったことを実行すれば数ヵ月もすれば解消する。しないから、いつまでたっても好転しない。だが、現代に見合った最初の一歩がある。理解できて実行能力のある固有企業だけが行えばよいのである。

【結論は】お局・同僚・上司からのイジメ嫌がらせ防止策として、次の規則を実施。
(イジメ嫌がらせの定義)を導入すること
第01条 イジメ嫌がらせとは、「他人の権利及び尊厳を侵害し、身体もしくは精神的な健康を害し、又は職業キャリアの将来性を損なう恐れのあるような労働条件の悪化を目的とする或いはそのような効果を及ぼすような反復的行為」をいう。
第02条 部下や後輩に私的意見や知的作業方法を押し付ける行為でもって、イジメ嫌がらせ行為を反復継続しようとしたときもイジメ嫌がらせ行為とする。
第03条 イジメ嫌がらせ行為でないことを証明するには、あらゆる加害容疑者は、「イジメ嫌がらせとは関係のない客観的な要素」によって正当化される行為であったことを合理的に説明し、物的証拠で、裏付けなければならない。この場合の客観的とは第三者が見て理解できるという意味である。

……加えて、福祉・介護といった事業場では
(虐待の定義)
虐待とは、他人を隷属させる又は社会的自立若しくは個人の自律をさせないために、他人を精神的物理的に強制もしくは強制しようとするとか他人を貶め続ける、または無能力だと刻印するなどしていわゆる人格を死んだ状態に持ち込む若しくは持ち込もうと反復継続する行為を言う。(任意事例)そういった行為の具体的に目に見える事例として、障害者虐待防止法、児童虐待防止法などの法令に例示されているものその他が挙げられるものである。
★要するに、中堅中小企業においては
人手不足の解消&定着して能力向上、=この部分が最重要なのである。女性労働者においては、正社員も短時間パートも、お局や同僚・上司からのイジメ嫌がらせによって辞職をするのである。賃金問題などの一般労働条件は応募段階で見極めているから、相当の労働契約変更申入でもしない限り、離職することはない。ただし新卒女性の中には結婚願望とか異性友達への関心が強い者もいるが、その多くは効果的な職業キャリアによって、離職は防ぐことができる。反対に、事業場での意味ある仕事とか職業キャリアの形成ビジョンがない場合は、不倫の横行するのが実態であるから、ここでも女性労働者の突然の離職を招いてしまう。

【後学のため、女性進出先端の教職員の歴史的事実】
終戦後の公立学校での女性教職員は、セクハラや不倫の対象にさらされていた。当時の女性教職員は、女性の職場自体が少なかったものだから、学歴もあるインテリ層の女性が大半を占めていた。すなわち、当時最大の女性人員数を誇る有数の事業所を全国展開していたのである。そのなかには、教員は男女平等で賃金も同一であることから、当時は男性上司に性的に取り入ることで出世を試みる女性もいた。こういった不合理に対する文部省の対策は、戦前の男尊女卑の尾を引く時代であるから、ほぼ何もなされてなかったし、隠蔽と女性教員の退職でことをおさめていた。そこに当時は労働組合(日本教職員組合)が、そういった女性教職員の側に立って労働組合への加入を勧誘していった。小中学校ごとに個別に、様々な不合理を是正させる中に、セクハラ・不倫・似非出世がことごとく取りざたされた。それにより、女性教職員は日教組に集まり、組合の強さを支えていたのは間違いなかった。そして、公立学校の少なからずの教職員を終戦直後に入れ替え、学校教育体制を確立するにあたっては、学歴もあるインテリ層の女性教職員が重要な役割を果たしたのであった。そこでの女性教職員は母親となり、現在は後期高齢女性である。
……いまは時代も異なっているが
今の時代の変わり目かつICT産業革命の真っ只中であるから、女性労働者の募集と定着は促進されるよう、「イジメ嫌がらせの排除と職業キャリアの形成ビジョン」が中堅中小企業の事業経営の決め手になる事は間違いない。大手企業は残念ながら、社会ビジョンを持ち得ない場合が相当多く存在するから、中堅中小企業のような「イジメ嫌がらせの排除と職業キャリアの形成ビジョン」には横やりが入って、大手企業の女性が事業経営の決め手に至るまでには時間がかかりすぎるのである。
ことに、女性労働などの経済社会進出課題については、こちらの研究論文の
「Ⅴ「一人前の労働者論」の裏に妻の隷属を内在する虚構性」を見ていただきたい。
http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf

§働き方改革の美辞麗句(扶養配偶者150万)可処分所得減額の直撃も
民間個別企業が「働き方改革?」に、真面目に取り組めば、「わが身の首を絞める余計な仕事をする」こととなる。
被扶養者である女性労働者の状況をよく見なければ、収入増になるかどうかわからない。
国民健康保険世帯の女性労働者の増収は、源泉徴収が家計の可処分所得を減額:直撃するケースに、個別企業の中のすぐ必要がある。
……ここでは、103万円の壁が150万に引き上げられたことの話である。
一見、無知な人にとっては喜べるような話ではあるが、実はここには罠が仕掛けてある。
社会保険の被扶養者の壁は、年収¥130万が予見された時点で、被扶養者から外される事である。
そのポイントは、
浮かれて=年収¥150万ギリギリで労働時間を設定した場合に、一気に社会保険料がかかってくるわけだ。
その保険料の支払い義務者は会社、本人からの半額控除はできるものの。
そして、
社員特典還元金などを含め月額¥88,000以上は毎月源泉徴収されるになるとされることになるわけである。
おまけに、ダブルワークとか投資とか別途収入を、あえて国に報告したい人は、マイナンバーの任意届出で丸裸になる。
収入底辺層の個人消費の底上げをして、内需拡大することが日本経済再生の道である事は、国内の経済学者もOECDの勧告も、全てが挙ってそれを指摘している。
にもかかわらず、このメルマガの後のほうに掲載するけれど、政府も民間シンクタンクも内需=個人消費の低迷を押し切ってでも「働き方改革」なのである。

【それではここで、計算式による根拠】
①平成30年分:源泉徴収税額表によると
 月額¥88,000以上の給与等金額から毎月源泉徴収行うこととなる。
②社会保険適用(中小企業は経過時間の問題)、週20時間を考慮すると
 週労働時間19.5h×4.29週=83.6h/月~は無難な制度
 週労働時間は20時間を将来に契約することであり、年平均の結果では無い。
③社会保険の被扶養者は、¥130万の予見が基準
 年収130万円の予見が立った時点で扶養家族から外れる。年末集計には非ず。
 すると、¥1,300,000÷12月÷83.6h=1,295円/時
 (昨年まで)¥1,030,000÷12月÷83.6h=1,026円/時
④パートタイマーの賃金相場は、扶養家族から外されない額=で実態は決まる。
 政府に盾付かない研究者は、賃金決定の根拠に触れないことを貫いてきた。
 よって、扶養家族外れは103万から130万となり、150万では無い。
 そのうちに、的外れな人手不足解消策として、
  1,026円/時→1,295円/時が流行するだろう。
  (ことに女性の人手不足解消とか業務効率は、賃金問題ではなく、
  お局や上司のハラスメント防止を職場で徹底することにあるのだが)
⑤ところがうっかり、¥1,300,000の甘い誘いにも誤って踊ってしまうと
 1,295円/時×83.6h/月=108,333円/月となり毎月¥1,610の源泉徴収
 もちろんこれは、翌年の住民税にも反映、凡そ3倍程度の税金支払になる。
 ¥88,000以上の給与等金額からの納税義務が、会社にはあるからだ。
 しかしながら、実際には、いわゆる一般庶民の小口の収入は、
 「税金よりも生活権優先」との理念から、徴収法は存在せず無税にしている。
 ★そうすると、世帯主が国民健康保険であれば、
 被扶養者の増収が、直ちに保険料の引上げ、その保険料負担はきつい。
⑥国や自治体に、自らの収入を丸裸にしたい人であっても、
 会社がマイナンバーの、本人からの任意届出を受け付けなければよい。
 安全管理措置のない会社は、その受付は法違反。本人の自由以前にだ。
 くれぐれも、個別企業も個人も、マイナンバーの扱いに義務や権利は無い。
 行政機関の窓口はいずれも、届出義務のないことをよく承知している。
 少なくない金融機関は、
 マイナンバー無届けの抜け道を様々、窓口で教えてくれるようになった。
 証券会社などの金融投機商品、
 これは不労所得だからといって、届出を納得する人が多いようである。

★★社会制度の手足をもぎ取る、もう一つ気掛かりな動き
端的に言えば、内閣府は行政公務員の削減と電子化といった妄想や幻想を振りまいて、厚労省の部門では、「シェアード会社」であれば、無資格で電子申請をできるようにしようとしている。現在の法律では、報酬の有無にかかわらず、行政機関への申請などを他人に依頼しようとするならば、その代理は有資格者でなければならないことになっている。それをなくそうとしているのだ。近代国家における有資格者というのは、業務水準が低下しないための倫理や制度を設けて、関係する社会制度の維持と質の向上に責任を持つ、有資格者という公民に社会として、独占禁止法を除外して業を営ませるシステムである。これでもって、公務員には手の届かない民間の奥底への指導を強め、行政の質の向上と行政経費の削減をはかっているものである。だから、有資格者に電子化などを求めればよいものを、無資格者に電子申請をさせる、といった本末転倒な珍説はありえないのである。
__大手のグループ企業に関わる、「シェアード会社」の実態は
①根本的に請負とか代理ができる知識や能力に欠けていること、だから業務を完成させることが能わない。すなわち、請負とか代理に至っていない。
②シェアード会社の事務は、基本的なところで依頼主のグループ会社からの指揮命令を受けている。かつ、その事務の進捗管理も依頼主のグループ会社が行う事は少なくない。すなわち、シェアード会社の契約が、労働者派遣契約となっている実態である。指揮命令を受ける労働者は派遣元事業所で働いていても、れっきとした労働者派遣だ。派遣法は派遣事業法ではないから法違反は形成されている。
③少なくない勤務社労士は、こういった「なりふり構わぬ金銭利益優先」に心ならずも関与させられている。社労士の取扱法令の職業能力発揮の場面で誇りを潰され能力否定されている。

___「一気に、勤務社労士を排除したい!」との内閣府官僚の意向。
ここにきて一部の勢力の影響のもとに内閣府は動いている。文言で、社会労働保険の無資格電子申請と認めては……と言っているようだが、規制緩和となれば日常的な基本的権利義務問題に関わる業務であることから、様々な分野での無資格業務の蔓延に至るのは目に見えている。彼らは「行政効率」とは名ばかりで、厚労省その他に蓄積されている技術を否定するばかりではなく、「なりふり構わぬ金銭利益優先」の社会制度に変質させることが目的であって、そのために権利行使の弱い勤務社労士を社内や目の前から排除する行動に出てきたことは否めない。平たく言えば、人事労務などの知識を持っている勤務社労士は、「ウザイから消えてくれ!」といった彼らの理屈である。

___ことに、女性の勤務社労士は悲惨に晒される
社労士に限らず、司法書士、弁護士などの資格を在職中に取得したとすれば、手練手管=手を変え品を変え女性を独立開業させようとする。だが、長年にわたり組織というものに馴染みサラリーパーソンを行ってきた人格が、経営者相手の独立起業でもって成功するわけがない。退職金をつぎ込んで開業したところで、代理人業務の根幹を外れたところが営業受注の中心にならざるを得ない。何が言いたいかと言えば、女性ということでの隷属を彼らは承知の上で、女性の勤務社労士は大手企業から排除されるのである。
お局は職業能力が希薄で強い者の味方だから、言うことを聞くから、せいぜい係長止まりで置いておくだけ。女性を差別は、女性を使って差別する方法が効率良い。「頭の良い女?」は、わざわざ危険を冒してまでセクハラをしなくとも、浮かれさせて独立起業で対処する。こういった事は大手企業では日常茶飯事だ。こういったことが、私たちの30年弱にわたる、外部から如実に見る現実の事例だ。それも、近年は日を追って激しくなっている。だから、緩和の動きが実行されれば、日本の大手企業のことだから、恣意的とか能力評価は度外視して、女性の勤務社労士は排除される。

___間違いなく、労働に関する社会制度の空回りが発生
すなわち隅々末端にまで行き渡る或いは維持と質の向上が担保されない制度に変質させようとする内閣府官僚の動きがある。そのアイデアの仕入れは、新自由経済とは異なり、戦前回帰を狙う全体主義者からである。それは、戦後の先進国諸国に定着した、「労働者の管理や教育を行うことで、国の経済成長を図る」といった経済政策に彼らは反対なのである。生産性低下、効率性激減、非正規労働者の欠勤率増加、あげくは日本育ち労働者の慢性スキル不足が定着してしまうこととなる。

その抜本的対策として「全国社会保険労務士の職能Up委員会」
といった情報蓄積のためのFacebookが設置された。
https://www.facebook.com/groups/196602264250546/
以下、呼びかけ文である。
───「全国社会保険労務士の職能Up委員会」───
戦後世界は、「労働を管理し教育することで、経済成長の基盤を作った」このことにより、20世紀初頭に導入したアメリカを始め、いわゆる先進国は大きく成長したのです。こういった人類の歴史的成果その他を踏まえて、法律論の狭い枠をも克服して、私は社労士の職業能力アップをする必要があると考えたわけです。
1.学問的理論的裏付けが重要で、
2.クライアントとの関係を強める学術も緊急に必要です。それも、急遽に。
~そこでFacebookで交流グループを設けました。少しレベルの高い、業務に活用できるものになればと願っています。社会保険労務士に重点を置いたそれなりに専門的独立交流を願っています。
けれど、社会保障とか個別企業で起こる問題ですから、どなたでも参加をできることにしました。
(Facebookの検索:全国社会保険労務士の職能Up委員会)


§バージョンアップ=働き方改革の法律案から湧き出る、具体的な問題
このメルマガ昨年末号の「働き方改革の8項目」を再度検討するけれど、
どう見ても彼ら内閣府の官僚たちが行う事は、彼らが考える政策のすべてが、他の公的支出分野とは切り離されて施行されていることである。では、それはなぜか=全体主義者らが専門教育のない者&教養のない者+職業経験の少ないインテリを、理屈と行動で惹き付けるためであって、粗野で無教養の人間を理屈の自発的代弁者に仕立てるためである。彼らは話し相手は、「全体的に一貫性が、頑丈で細かいところまでキチンと機能しているもの、その効果について判断を出せるもの」といった難しくとのイメージができないからである。ヒットラーのナチスドイツ、スターリンの計画経済と粛清、戦後も長年続いた東欧の全体主義の研究からの教訓そのものでもある。(マスコミはこの点の論述が弱い、また読者には理解できないだろうと、マスコミは手を抜いている)。
そういったことを踏まえて分析すると、社会の現実や実測に基づかない妄想幻想だということがはっきりしてくる。

①同一労働同一賃金、(その抜け穴)
これは事業所内だけのことで外注先や派遣労働者には及ばない。たとえ、春の3%の賃金引き上げだとしても、外注下請に転化してしまえば何の事は無い。だが、社員のスキル不足は、ますます蔓延するから、イノベーションconnectでの技術革新を進める基盤が崩れてしまう。すなわち、市場経済の面でもイノベーションの面でもマイナスに働く経営環境を迎えることになる。

②賃金引き上げと労働生産性向上、(その抜け穴)
過去百数十年にわたる世界の歴史で、実際に国家介入で賃金引き上げでもって、社会ビジョンが実現した事実はない。戦前のように、課長になれば平社員の倍額の年収を目指すことなのかもしれないが、当時の一般労働者の労働意欲は低迷極まるもの、戦争中にかけて経済は落ち込んでいった、それが「戦争でもやるか!」の暴論・暴発精神論を導いたのである。

③柔軟な働き方が行いやすい環境整備の罠
(テレワーク、副業兼業のPR。委任・準委任、労働時間等の混乱には無策である。すなわち、民法や労基法での実行担保や安定方法を全く考えていない。罠というのは個別企業が責めを負う危険があるという意味だ)。
アメリカの研究事例から言えば、個人請負 independent contractor は、ア)事業末端の複雑だから管理が難しい設備と維持費を個人に任せ、イ)主目的は社会保険・年金保険などの保険料の企業負担を削減できるというシロモノ思考だけの事である。ただ、日本においては、労働契約法により、労働基準法の適用はなくとも労働契約法の適用をされることになるのだが、そこを内閣府の全体主義的官僚たちは気づいていないのであろう。現行の労働契約法が適用されれば、使用者側に手抜かりがあれば失敗は目に見えている。ちなみに、アメリカの司法判断は「労働力」の取引において、「その労働力の所有権を、使用者に譲渡する契約」を行っているとしており、「仕事を実施する場所が、予め定められている」ことが判例の底流に流れているとの現実から、そういった個人請負 independent contractor に至っている社会制度だとのことを忘れてはならない。日本の厚労省シンクタンクの某人物Hは、協同組合法に定められている団体交渉権を企業交渉に使用すれば良いと推奨している、だが、その意味は全くもって不明である。

④女性・若者の人材育成、環境整備の美辞麗句
(問題提起も対策も現象だけを見た口先のみ、そのネタ元もマスコミで実態調査をしているとは考えられない。話題のリカレント教育は自前で行えとの考え方が雇用対策法改正要綱だ。個別企業の基盤整備や価値増殖に資する話は何もない)。
ほとんどの先進国とは異なり、日本とアメリカは効果的な労働者訓練を作り出す枠組みを持っていない。それは1997年の職安法改正、1997年の派遣法改正によってさらに顕著になった課題であり、その結果は大卒とか国家資格取得ブームにあっても、日本では職業能力の慢性的スキル不足を蔓延させることになった。過去の社内での旧型職人芸performance(曲芸)の養成システムも崩れ去っており、ましてArt域労働といったICT産業革命時代のクリエイティブ・顧客に希望と夢を与える、「労働能力全般労働」(=人格含有労働)に至っては、労働経済市場からは排除しようとしている。というよりも、彼らの眼中にはない。たとえ彼らは気づいていたとしても、専門教育のない者&教養のない者には理解できない事でもある。それは雇用対策法の改正で賃金を職務給に誘導し、賃金切り下げを図ろうとしていることにつながっている。

⑤病気の治療と仕事の両立で中高年に犠牲を強いる
(職業能力保有者が足りないから、病気治療で中高年の職業人の回転を向上させようと言う消極的域を脱していない)。
地域的な医療費コストの削減と健康保険制度の充実は、重病に至るまでの健康や疾病予防に役立つ事を全く考慮していない。そういった健康や疾病予防に効果のある安価な薬品類を健康保険の適用から外してしまっている。少しの医学知識があれば、安価で使い勝手があると判断できるのだが、そこまでの健康や疾病予防の知識が一般労働者には無い。マスコミのスキャンダラスな話題、例えばガンだの重篤な成人病の話に乗っているだけで具体策が何もないのに等しい。塩分調整による夕刻の疲労感回復、インフルエンザの感染遮断方法その他の簡易で安全な方法に彼らの関心は無い。さらに遠因的な問題から言えば、自動車通勤をしなくてもよい交通政策は、生産性、効率性、非正規労働者の欠勤率などに影響することが、アメリカのシリコンバレーにおける経済政策でも発見されたことである。オランダなどは、日本のイメージとは全く異なった独自のワークシェアリングとともに、渋滞通勤でなく自宅で就労といった政策を打ち出ている。

⑥子育て・介護等と仕事の両立、障害者・高齢者就労の振りだけ
(とにかく無策の職業教育:育成だったから、中高年の職業人の離職を防ぎ、無理な動員を維持するという付け焼き刃では無いのか。職業キャリア向上を阻害するイジメ嫌がらせ・ハラスメントの禁止といった思考習慣が必要であり、人間の成長発達を阻害するのが虐待禁止といった社会ビジョンをリードする突っ込んだ思考が全くない。だから、こういった課題に取り組む人材の動員が成し得ない原因がどこにあるのかが分かっていない)。まるで戦争中の労働者徴用制度そのものである。戦争中の徴用は、後進国日本の典型的な労働パターンであったのだが、2時間前後の徴用先への通勤等はあたりまえで=通勤手当を支給、妻や家族の扶養人数は無視して職務給・職階給(素人対象)だったから家族手当を設定、といった物で誤魔化したのである。こういった内閣府の全体主義的官僚思考が根底に流れている間は、やはり結果的には何もしないのに等しい。ちなみに大阪市内には、保育施設の定員割れが数多くある。保育士が足りない、職業キャリア向上を阻害するイジメ嫌がらせ・ハラスメントが蔓延しており、それは従前の経営姿勢から保育士が寄り付かないだけのことに、その原因がある。また、介護士不足は、「うばすてやま」の虐待介護を拒絶する介護士を応援する、虐待禁止といった社会ビジョンの欠落にある。さらには「痴呆の親を施設に送って金銭解決する」といった意見がまかり通っているが、こういった意見をさらにリードして、「軟禁や管理には虐待を辞さず」とする施設に、徳性がある介護士が就職するわけがない。

⑦雇用吸収力、付加価値の高い産業への労働力移動の妄想
(大量労働力雇用では付加価値は減る。リストラ促進なのか意味不明な妄想幻想にしか受け止められない。付加価値が高い産業は、地域開発ともに創造するものである)。
第二次世界大戦直前の、ヒットラー:ナチスドイツは、アウトバーン建設の際に、重機を使うと失業者雇用吸収人員を減らすことになるので、すべての土木工事をスコップだけで行わせた、人員吸収は高まったが→その費用は国債でまかない戦後の付けに回された。口先で理想は言いながらも、現実はナチスドイツと同じ道を歩もうとしているとしか考えられない。一方アメリカは20世紀初頭からの経済政策として「労働者の管理と教育による経済成長政策」を行った。これはアメリカが全体主義に陥らないようにするための経済政策としての社会ビジョンを明確にして開始したものであった。だからニューディール政策においても、労働者の教育訓練も視点に入れて実行した。賃金計算職業を専門家と位置づけ、その意味内容は「IBM手回し計算機」は当時、1929年世界大恐慌の不況によるリストラが相次ぐ中、事務機器業界で唯一IBMが無理を重ねて“技術者と職人”を抱えていたからこそ出来た発明品、これを操作できることでの(日本に現存する給料計算士になるもとは根本的に異なる)専門職業の養成としてなのであった。その労働市場施策の論理構成は「体験型学習」(手練手管で失敗した日本のゆとり教育の元祖)でもあり、海軍:山本五十六が導入した、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」そのもの(ただし、戦前日本は海軍と国鉄の一部工場でのみ実施)なのであった。さらにアメリカは1937年からの2年間では芸術家の失業対策を行い、シカゴの絵画、ハリウッド映画(バート・ランカスター、オーソン・ウェルズが有名)などといった、戦中から戦後のアメリカ文化の世界への経済政策の基盤も作り上げたのであった。
例えば:シリコンバレー、アメリカであっても大手企業は、「お荷物」
の存在には間違いない。確かに日本の大手企業のように抜本的なところからの改革は困難を極めているのである。それはひとえに、アメリカ大手企業の経営者層の問題である。ところが、例えば:シリコンバレーは元は果実の産地で出荷商品はドライフルーツであった。そこでの発展のビジネスモデルの肝心な部分は、様々な労働者の集積にあった。学園都市からの出発といった神話は、まったくもって飛んでもない誤認である。そのステップは、コアの力量→スピード取引→高度に専門的な労働者のプール→スムーズな流れ→能率的で営利的な生産過程といった労働や業務方針が徹底されたのである。そこへ投資家が参入することとなり、一般労働者が寄ってくることとなり、現在のような地域性のある百万人の産業都市群のシリコンバレーとなったのである。その後の経済政策においても試行錯誤の末、◎奇抜な起業は視野に入れず、◎自動車で通勤をしないよう、◎低価格住宅増築、◎規制のない不規則な広がりを許す開発を抑制、◎医療保険拡充と医療費低コスト化、引いては、※それらでもって生産性・効率性・非正規社員の欠勤率低下へと導いているのである。

内閣府の全体主義官僚たちがまとめるストーリーは妄想と幻想
どこをどう見てもそうとしか言いようがない。もちろん諸外国の経験や教訓を裏付け証拠にも出してこないし、政府機関が最も得意とする実測値から出た統計資料も裏付け証拠に出してこない。ことに、失業という概念にあっては、日本の統計では元来、★短時間労働者は「半失業者」、★農村での扶養状態とか親のスネかじり、これを「潜在的失業者」と考えていた。ところが、ここ数年は「半失業者」は失業率の数値低下に組み入れ失業率の数値を下げただけだ。それに「潜在的失業者」は、世の中の失業概念から消滅させてしまった。マスコミも、少なからず大学文学部卒に占領されてしまって、大卒であってもスキル不足に陥っているようだ。加えて、日本が「失われた10年」の1回目から、もう3回目に突入しているが、文学部出身のマスコミ記者では、様々な課題をどういった専門家にインタビューすれば良いのか、といった程度のスキルも不足しているようで、新聞などでは専門家の意見をインタビューした記事は年を追うごとに激減した。「労働需給分野」の専門コンサルタントは、当時から私ぐらいしか存在していないから、インタビューに来なくなったのは肌でよく感じる次第なのだ。


労務管理は、本を読んでも、何かの試験に合格しても、出来ません。
 では、その素質を磨くきっかけを、まずは紹介しましょう。
 (残念ながら、素質は無いかもしれません。そんな時は別の道を歩むことです!)
例えば、社会保険労務士の資格
その社会保険労務士の全国連合会は、月刊社労士11月号のp.4(引用)で、社労士会シンクタンクの初代所長が、
「労務管理に関する制度だけを見て労務管理ができるというわけではありません。しかし、社労士の方はそういう発想にはならず労働基準法はこうだから、労働契約後はこうだからという論理が先行し、『労働企業法を守れと指導するのが労務管理だ』という枠から離れられない、…省略」といった現状を指摘している。
じゃ、どうやって能力を磨くか。昔はほとんどアメリカへ勉強に行って、その先生の理論を見よう見まねで民間企業で行って、そのいいとこ取りを国や地方自治体の公務員に準用して、それでは組織的に動かないので、いわゆる「総務部門」を独立セクション(唯一日本だけの特徴)として設けて社内の労務管理に役立てようとしてきたわけだ。もちろん、その途中経過には「労務屋」という事件屋・示談屋が労使双方の団体に侵入してくるとか。
更には、程度の差はあっても互いに、労使ともに「自由・民主・平和」と公言する裏側で職場スパイ工作を行ってきた。こういった更々労務管理とは無縁の作戦が21世紀に入るまでの特徴だったのだ。

それは、次のように自問自答してみることです。
(大半の社労士も、こういった教育を受けないから、叱咤したところで理解できないのですね)
 1.知識習得型質問、学習したことの記憶を助けると質問、
   「従業員代表の選出が必要な場合は何でしたっけ?」
 2.理解能力養成型質問、学習したことの理解を助ける質問、
   「懲戒解雇と普通解雇はどこに差異があるの?」
 3.適応能力養成型質問、ある情報を違う場面に応用する質問、
   「整理解雇の四要件は恣意的解雇の排除に役立つのですか?」
 4.分析能力養成型質問、異なった事柄を明確に分類する質問、
   「あっせん案受諾と和解合意の違いは何ですか? 訴訟上の和解は?」
 5.統合能力養成型質問、創造力が必要な問題解決力養成質問、
   「部下に対するイジメ発見を向上させる方策は、
    どういう業務システム変更が考えられますか?
    例示してみましょう」。
 6.評価能力養成型質問、複数の基準で適切な判断を下す質問、
   「人事評価制度による労働条件の切り下げは、賃金、退職金、労働時間、
    労働強度、労働密度、職場人間関係その他労働契約に、どのようにかか
    わりますか?」

【決定的素質の課題】=知識偏重主義は止めること。
「知識は豊富だが、熟練して体系的に、考え方を学び応用できるまでに訓練することが出来ていない。そこへ出来ていない上に加齢による記憶力ダウンで加速的に能力低下を招いている」。これが知識偏重といわれるものです。
もう少し、その知識偏重をたとえて話しますと、
「世の中に悪人が増えれば増えるほど、私は努力しなくても善人と判断されるから、悪人を増やせば私は立派な人物になれる」と頭の中で真面目に(実は妄想)考えているのです。また、「善が生じるためには悪をしよう」との仮説を考えるまでにも至るのです。その場合、その当人はこれらを極端な話とは考えていません。
これによく似たことは、学者や街の法律家、巷の社会保険労務士の中にも見受けられるのです。


労働が価値を生むと言う(知っていれば便利な)経済学
ではその部分の経済学においては、

①抽象的労働説(アメリカ20世紀初頭の制度)
=労働力は市場で貨幣に転化することで価値を生産したと社会的に認められる。サービス業とかクリエイティブとかアート領域においても独自の価値を生むとする説。例えば、旧来の製造生産価格概念で考えると、商品価格は原材料3分の1+設備投資3分の1+残り全部が人件費や利潤となる。ところが、文化価値の高い商品は、その残り全部の割合が高いこととなる。フランスの例をとれば、原材料20%、設備投資30%、残りの人件費や利潤が50%を目安としており、そういった商品(付加価値とは見ない)であるからこそよく売れるとのことだ。現行日本の労働法全般に貫かれており、安全配慮義務、職場環境、職業安定、労災保険、解雇規制などの制度に具体化されている。そもそも民法の概念には無いものであり、個々の法律ごとに差異が生まれる起因となっている。近年は、経済学者の間でも、この抽象的労働説が近代経済学者やマルクス経済学者の間でも主流である。

②(アダム・スミスの)支配労働説があるが、
要するに奴隷を使っての労働価値である。いわゆるブラック企業は奴隷的であるかもしれないけれど、契約行為が存在するから奴隷ではない。江戸時代の奉公人制度も契約行為が存在するから、世界初の奴隷性を認めなかった制度ではある。だが、こういった状況に支配労働説が持ち込まれやすい。奴隷労働は、報酬や厚生が高額であっても成り立ち、奴隷を作る過失を犯すのは奴隷であることを見逃してはならない。公務員制度も契約行為ではなく「支配と服従」の論理が強くなると支配労働説となる。

③日本の労働行政官、法曹関係者、労働組合幹部などに多いとらえ方
これが「体化労働説(マルクスなど)」である。それは、指揮された労働力で生産物の価値が生まれ、最終消費の各段階でその価値が分割されるとする。抽象的労働説との大きな比較差異は、サービス業とかクリエイティブとかアート領域などの最終消費までの各段階市場で貨幣に転化することで価値を生産したと社会的には認めないといった論理のポイントである。民間個別企業の経営と行政の経済政策とが一致しないのは、お役所仕事にその原因があるのではなく、未だこういった「体化労働説(マルクスなど)」が根底にあるからである。さらに、戦前の商工省(=現在の経産省)は、このマルクス学説を変節させたエンゲルス→レーニン→スターリンの計画経済を導入したものであり、その立役者である岸信介の孫が率いる全体主義者の経済政策は、これそのものであることは否めない。それは、旧ソ連で戦前戦後を通じ70年余りも経済崩壊まで続けることができた実証済みの社会経済政策であるから、彼らにはとても魅力的なのだろう、ほんの一部の野党には正面から反対できない思考習慣があり、その方面の一部の学者にはアベノミクスをさらに上回る暴論珍説でもって活動空にハッパをかける経済学者も現れる始末なのである。興味のある方のみ、次のURLをどうぞ
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/407954
~こういった労働価値学説による理念の違いは企業経営や経済政策に如実に現れる。現行労働法の多くの基本理念は体化労働説とは齟齬することから、一般社会人からの疑問や質問・意見が多くなるのだろうと思われるのだ。さらに近年は、人間の人格と労働力を区別して労働力だけを労働価値学説の中で考えようとするから、非人間的な労働となり脱人間性だの疎外だのといったことになるとして、もっぱらの価値生産を労働力だけに限ることが原因:だから経済は豊さと成長をなくするのだとする労働説も確立されつつある。
http://www.soumubu.jp/koyukachi.pdf

ことに極めて高い価値率を生み出す Art域労働 というものは、
労働能力全般=人格も含め労働力を切り離すことなく働くことにより、より高度な労働価値が生み出されていると言う考え方だ。ヨーロッパや日本でも、それは目に見えない状態で相当存在していると思われる。そこに共通した具体的契約の形態は、
 ①「労働全般能力の発揮によって形成する、有形無形財産の貸与を約する契約」
 ②「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約」
 ③「もっぱら自然人のみが所有権を行使する請負契約」
といったものが、先進各国で見られるようになっている。
また、先ほどのURLで示した「固有文化価値を生み出す労働価値とその交換の仕組み」の論文は、シューペンターのイノベーションconnectに代表されるところの方向での裏付け証拠が次々と発表や出版がされるようになり、マーシャルの市場メカニズムである劣等企業群、優等企業群の混在へのアプローチへと影響を与えつつある。
さらにその方向は例えば、カオス(混沌?)理論とされる思考習慣は、叩き上げて経営者の帝王学であるが、イメージで言えば「風が吹けば桶屋が儲かる」を、全面否定するものである。専門教育・教養・職業経験のないインテリには理解することは困難なのである。カオス系のランダムは、「最も初期値の差異」で決定論的に定まるから、その初期値を認識すれば後の個々動向も、複雑な運動をたどるとしても古典的法則性が適用できるというものである。~ところでこれは完璧にマーシャルは市場原理&シューペンターのイノベーションconnectでの完全適応は、未だ経済学では立証されていない。しかし、5千年の歴史を持つという商業都市ベイルート、近江商人の思考習慣その他帝王学では使用されている考え方と、その多くは一致しているのである。

ところで、個人請負 independent contractor とは何の事?
 ①複雑だから管理が難しい設備と維持費を個人に任せ、
 ②主目的は社会保険・年金保険などの保険料を企業が削減できるというシロモノにすぎない。
これら先進各国で見られる動きは、厚労省のシンクタンクのある人物H氏が持ち出す、「中小零細企業の共同組合も団体交渉権を持つ」といったふうな解決口の背景が存在するものではなく、形式は似ていたとしても核心の労働価値説は異なっている。H氏の論理展開は様々な思考を混在させてしまっているに過ぎないのである。
まして、業務委託と称して、民法の委任や準委任を持ち出そうとする形式主義学説が内閣府あたりからは持ち出されている。形式主義学説を持ち出す場合、民法上の委任契約における、元来は無報酬を前提とした歴史的慣習の変形にすぎないことが起源であることを知らないでいるのだ。だから、委任や準委任契約には何らの保障もない、報酬を受け取る権利や支払う義務ともに原契約だけでは報酬の請求権自体が存在しないのである。また、「格」とか人格権といえば現代風で斬新な話に聞こえるが、それは報酬保護要件には成りうるが、実労働をしたモノの報酬には一切かかわりがない、如何なる権利義務をも保障していないのである。
再び繰り返すが、戦後の先進国諸国に定着した、「労働者の管理や教育を行うことで、国の経済成長を図る」といった経済政策に彼らは反対なのである。生産性低下、効率性激減、非正規労働者の欠勤率増加、あげくは日本育ち労働者の慢性スキル不足が定着してしまうこととなるのは容易に予見できることである。


§【速報】マイナンバー 市町村税課からの通知には記載中止
ある筋からの情報によると12月15日、総務省市町村税課は、都道府県の市区町村担当課に対して「事務連絡」を送達。
「事務連絡」は、行政機関内部文書で簡単に公開されないから、裏付け証拠の掲載は難しいのですが、
それによると、
市区町村が事業所に送る「特別徴収税額決定通知書」を、書面により送付する場合には当面マイナンバーの記載を行わないこととする、とのこと。
この「当面」とは条件が整うまでの数年間となるのが多くの場合の解釈のよう。ちなみに「当分の間」というのは、行政用語で50年間を指すので、それを超えることはないと思われる。
そういった判断の要因には、「経団連などいろんな団体から事業所の管理コストがかかる」といったような苦情があったようだ。

≪では、これはいったい何を意味するのか≫
世帯と家族個々人の収入の把握は、実は税務署ではなくて、市町村が行っている。

税務署には、「税は取りやすいところから取る」といった原則があるから、法律で家族と個人の収入把握を市町村にさせることとし、税務署の把握する税額と異なれば、税務署に通知する義務を市町村に負わせている、といった仕組みである。退職金とか金融商品の分離課税もそういった仕組みの上に乗っているから、市町村が知り得ない場合もあるわけだ。
また余談ではあるが、DV被害者とか身を隠さなければならない場合の措置も市町村が担っている。
例えばマイナンバーを利用していない現在でも、法的な手続きを済ませた人物の行政機関照会の機能(市町村と年金事務所など)では、該当人物には真っ赤なラインマーカーがパソコン画面で出るようになっている。他にもよく似た例では、認知症その他で意思能力のない人物の申請については、すべて市町村が内部処理をする。
地方自治体の目的は、第一に住民サービスであるから、マイナンバーによって生きていくための財物が納税執行で先取りされることとの矛盾には、具体的に対応するという住民サービスにかかる地方自治体の自治権が存在するといった憲法理念に基づくわけである。

すなわち市町村税務課での、個人収入把握を狙っていた国税庁からすれば、
目的達成は相当困難なことになった。税務関係書面は、16歳未満のマイナンバー届出は不要としている。それは特別代理人設定の手続きが必要であり、任意のマイナンバー制度では特別代理人の申立要件が適わないからである。国税庁の変化は、16歳未満の特別代理人設定にかかる苦情が寄せられた直後からの変化であったし、法的に我が身を守ることには長けている。
そして、現在もそうであるが、マイナンバーによる個人の収入管理を国が把握するまでもなく、実は大口の脱税行為を把握する方法は税務署が持っているのだ。(それはちょっとここでは書けない)。
今回は、国税庁の思惑とするところの、マイナンバーの手足がもぎとられたことに相当する。とにかく省庁あげて躍起になっているが、唯一国税庁だけであるから。

非常に多くの中小企業は、
個人情報の安全管理措置に不備があるから、マイナンバーを回収することをしていない。
もちろん、記入用紙は、個人番号未記載で差し支えないのだから。
そんなところに、個人番号の記載された「特別徴収税額決定通知書」を送りつけられても、迷惑な話なのである。
大手企業とか中堅企業では
外部業者に委託をして、マイナンバーを集めようとしたが、外注業者も無知では無いから、任意提出を受け付けるという形でしか実施していない模様である。

マイナンバーで、一儲けしようとした便乗業者は
およそは2015年年末までに消え失せてしまったようだ。いくらニーズを作ろうと似非マーケティングをしたところで、法的な違法性があらわになってくれば、それは金儲けといえども出来ない相談ではある。
一方、行政機関に入り込んでいるIT関連会社は、事情はそうでもなさそう。情報によると不具合が出るのはIT関連商品の常とのことで、それを見越して受注をすれば青天井というビジネススタイル。だから相当の瑕疵でもない限り、行政機関発注者ともどもに口をつぐむとかは大いに予想できること。ところが、今年の「マイナンバー情報連携運用?」については、行政機関発注側のミスがあったとの理由でもっても追加受注を受け大喜びのようだ。様々の限界や釈明はあるとしても、某システム技術者の話では、そういった事はコンピューターソフトの通例で、後からソフトを合併させるとか・複数企業で一本のソフトを作りあげるなど、相当困難だというのである。
そういった話を聞いていると、昔から「電子計算機を宗教信奉」するが如き国税庁と旧厚生省あたりが、省庁統制発想と予算獲得といった下心を、IT管理会社にくすぐられたのではないかと、私などは憶測してしまう。
そういえば、(高級キャリア官僚の中にそんなこと言ってる人もいましたね)新しいコンピューターが入れば、年金問題は解決するとか、健保の手続きは改善すると、旧厚生省官僚から何度聞かされ続けたことやら。片や雇用保険のコンピュータシステムは(昔、富士通が仮想職業安定所を実際に建築する意気込みもあったせいか)、行革で行政機能をズタズタにされることもなく運用されているのは立派なことだと思いますね。
そして昨日入ったニュース、昨年11月からの本格運用のサイバー対策副作用で業務に支障が続出
https://jp.reuters.com/article/idJP2018010801001395?il=0

≪年明けの、個別企業の動向は≫
おそらく、切り替えの早い個別企業は、マイナンバー回収はおろか、届出も保管もしなくても済むように対応準備を進めるだろう、これの本格的始まりだ。
とにかく余計で無駄な業務であるから。
①就業規則とか個人情報教育規定を作成してしまった会社も、その項目を廃止してしまえば余計な業務や作業をなくすことができるわけだ。
②マイナンバーの研修だの試験答案提出回収作業だの、現場では不平、不満たらたら。こういった余波?の影響受けて、マイナンバーを回収せず、困ったことには誤って!「マイナンバーを完璧に廃棄処分してしまったとすれば取返しはつきません」、すなわちマイナンバー事務は終了なのである。その上、確かに「安全管理措置」も空中分解することになる。
③個別企業の社長など三役はマイナンバーが大嫌い、社員にはマイナンバーを提出させて、自らは“ほっかむり”というのは出来ない。それは、経済学で150年以上も前に立証されていることで、名目にしろ株式会社にしてしまえば、「私的な株式も社会資本になってしまう」といった法則なのである。何しろ、この社会資本に基づき、一般人通念も法律や社会制度もが動いているわけなのだから。
ついでではあるが、
金融機関とか証券会社の金融商品を取り扱う会社は、あくまでも個別に企業の自主的に裁量でマイナンバーを導入との建前。だとしても、相当の売り上げ低迷とか業務の混乱を招いている様子だ。大金持ちを除いて一般庶民に対する金融商品とか、口座開設にはマイナンバーを必要とするとしているので、金融商品を取り扱う会社は庶民相手の小口商売が数での商売にブレーキがかかっているとのことだ。政府の言うことを聞いたおかげで、商売は左前、少しずつマイナンバーを使わなくても済む要望を一つずつの具体的にとりまとめ、業界団体は政府に出しつつある。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO25208580Y7A221C1PPD000?channel=DF280120166591