2021/06/08

第230号:
“ガセネタ”に乗らず、深く考える正攻法のヒント

<コンテンツ>
この混乱時のガセネタに乗せられないための、インテリジェンス
  ・東京オリパラ、強行しようが中止しようが感染爆発
  ・経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、
  ・ロンドンの金地金相場引き下げの機能が消失
  ・政府の借金は積み上がれば、憲法25条で定められた
  ・大阪の感染爆発の原因は、維新の議員が騒ぎ、知事が…
ICT産業革命に欠かせない認知心理学は確立していた
この国の感染防疫体制を潰したのは誰か、そのヤリ口とは
  ・国の感染防疫体制を潰したのは、この輩だ。
  ・ヤリ口を支える、医師の地位をめぐる背景
  ・異なる者たちの支配には“聖なるもの”が便利
  ・医療の危機の中心には、3つの価値観の錯綜がある
  ・医療関連に携わる人たちのほとんど共通点は
  【感染研と医系技官に寄生する輩にごまかされない】


§この混乱時のガセネタに乗せられないための、インテリジェンス

東京オリパラ、強行しようが中止しようが感染爆発
とにかく今までに予算を消化してしまったから、国民1人当たり3万円・平均世帯4人家族だと12万円の投資が実ることはなくなっている。主催者や周辺は冷静さを失い投下資金の切り替えも考慮しなかった。経済や社会を冷静に見る力を持たない輩に任せばこうなる。感染は東京オリパラに向け爆発する見通しだ。新型コロナのデルタ(インド)株は既に各地に散らばり、これから空中浮遊の霧で以って蔓延する。

厚労省は標本検査も追跡調査も行うつもりは無いから、自治体(幼稚園や学校)か個別企業で早期発見と隔離をするしかない。ワクチンは期待出来ず、むしろ大規模接種では、針の使い回しとか調剤ミスが多発(厚労省や医療機関には、製造や運輸業のような防止ノウハウが無い)している。
“他人を妬み、卑怯かつ姑息な輩”に、そもそも託したのが間違いだ。開催強行だと躍起になっている状況は、戦時中の日本陸軍で行われたような、参謀の反対意見や現場将校の直言を無視するばかりか、解任してまで作戦を遂行したことと同様の内実があるようだ。だから戦時中の陸軍と例えるジャーナリストも多い。ガダルカナル島での無補給での餓死者は多い。インパール作戦(1944年)は殆ど死亡、戦死者よりも餓死者だ。そのガダルカナル作戦(1942年8月)でも、海軍の輸送部隊は、(当時現役の海軍将校からインタビュー)最低速度で現地に向かい、陸軍のガダルカナル敗北の一報受けるや否や、米海軍潜水艦を避けながら最高速で日本に戻った。その時の海軍の危機内部への説明は、「海軍の艦船に輸送船を攻撃から防ぎ守るためである」であった。(海軍は同年6月のミッドウェー海戦で航空母艦4隻&航空機289機を喪失)。
尾身茂氏の、「今の感染状況で開催は普通はない」との分科会会長の東京オリパラに関する発言を額面の通りにとってはいけない。医系官僚システムに寄生する輩の延命策の下心。例えば、彼ら寄生する輩の“居場所の恒久保障”と、“その毎年の収益事業の見返り等の要求”があると見るのが妥当だ。尾身氏の経験だけは確かで、「病院を直接運営する機構の立ち上げのために、医師である私に白羽の矢が立ちました」と自ら述べるだけあり、国会映像のように関係者を恫喝する。医系官僚から天下りしただけあって、世間一般の国民やジャーナリストとは構想規模には格段の差がある。決して、情報受け手の観念で物事を理解判断してはいけない。

経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、
コロナ感染によるサプライチェーンの寸断による輸入価格不安定の状況から、源流にある政府の円安誘導による輸入品物価高政策となっている。輪をかけて、いよいよ、経済危機の前触れである穀物や原油の値上がりが始まり、異常気象の天候不順による実商品高も目立ってきた。経済恐慌の姿は、金融 → 産業 → 個人消費や生活と変遷をする。
外国と比べ日本は、地産地消の経済基盤の上に輸入品が流通していないから、産業から個人の生活に至るまでの打撃は大きい。本年1月~3月のGDPの数値でも、アメリカとか中国はプラスに転じた。が、日本はマイナスである、経済とのバランスとは口先だけである。Go Toキャンペーンもワクチン大規模摂取も、特定業界利権もしくは富の(微々たる)再分配だ。
これだけ経済の根本的な部分にテコ入れをせず、“自粛とGo Toキャンペーン”で人心を惑わすだけだから、経済転落するのは当然なのだ。経済や経営のことを判るはずもなく、“他人を妬み、卑怯かつ姑息な輩”だから、「もっと貧乏になれば、金と警察の言うことを聞く」と、全体主義者を真似しているのだろう。日本はギリシャのような観光立国には未だほど遠い、インバウンド収益は観光産業全体の17%に過ぎない。にもかかわらず昨年の年頭に、国境封鎖のコロナ対策をしなかったわけだ。

すなわち、円高誘導に切り替えて個人消費を増やす政策でもって、回復の兆しを開くことができる。Afterコロナの前から地方地域ごとの地元に根ざした経済や社会を切り開くわけである。中小企業の圧迫、企業の合併吸収、フルタイム社員の大量解雇が一気に進む。そういった中でも、まずは生きることが基本的人権が憲法に記された日本であるから、それを柱と基盤にしてチャンスを掴むわけだ。
日銀による大手企業株価の買い支えは政府の借金である。コロナ感染対策の緊急予算もすべて政府の借金である。Afterコロナとなれば、この政府借金返済の増税が始まる。増税とともに財産税(保有財産の10%~納付)も実行されると見てよい。MMT近代化論者も、“国家はつぶれない”だけは前提だから、政府借金解消のための増税その他を否定はしていない、政府財務省や経済の財政学者は、歴史上当たり前のこととして驚きもしない。すなわち、コロナ前の状況に戻ることはありえないから、各自で資産対策を図ることだ。インフレで通貨価値はなくなる。資産は動かせる限り人物育成と人材発見に回すことだ。

ロンドンの金地金相場引き下げの機能が消失
この夏から秋にかけて、意外な展開や新策略開始がない限り、これから金地金の相場は、年末にかけて上昇もしくは年末まで価格抑止が続いた後に急騰すると予測するのが自然だ。「バーゼル3のNSFR(紐付けなしの金地金の先物売りが事実上禁止)が予定通り適用される方向。そもそもドル・円の両方共への為替相場に安値圧力が強烈なため、この金地金の急騰へと直結している。中国政府は最近、中国国内の金融機関は金地金を購入することを許可し、これにより金地金相場は高くなる気配だ。ロシアも米ドルの弱体化を見越して金地金を買い込んでいる。

MMT論者は、こぞって借金や通貨(通貨と貨幣は異なる物)の増量で国家はつぶれないとは言っている、確かにそれは正しい。が、潰れない(保障を持つ)国家の国民が、いっそう積み重ねて働くことでもって経済の質量低下を補うこととなる。現在日本は、コロナ対策&経済危機対策と称して、借金を湯水を使うように積み上げる予算措置を行っている。財務省が説明する返済とは、全ては先送りだとし、すなわち生まれもしていない孫子の代まで借金を積み上げようというわけだ。

政府の借金は積み上がれば、憲法25条で定められた
具体的な社会福祉、社会保障及び公衆衛生の制度といった物事が削減される。厚生と携わる人の予算削減だ。憲法25条の文面は終戦直後に欧米よりも条文としては先駆的(日本側の要求)だが、それは85年ほど前に起きたことで、実物は戦後に積み上げられて行き、新自由主義で崩されつつある歴史なのである。
このAfterコロナでの、今度の経済転換は、ほとんどの人が体験したことのない1945年の終戦以来である。先ほど述べたように、回復の兆しを開く経済政策は、本当の意味でのICT産業革命を伴っている。“デジタル庁”とか“こども庁”は、今の政権の出入り業者に高額発注するだけの代物である、その方面の専門家の意見を聞くことなく知恵も集めないのはその証である
すでに、厚労省は国民の意識を試しているのか、

★1:国民皆保険のシステムは、新型コロナウイルス感染の疑いはあっても、体温が37.5℃以上の熱がなければ診察もなく保健所は医療を打ち切ることで、これを一部崩壊させた。
★2:臨床医療と公衆衛生は別物の制度であり指揮系統も敢えて異ならせているが、だとしてもウイルスを拡散する無症状感染者の追跡をしないとして、公衆衛生のイロハも故意に止めてしまった。
★3:おそらくワクチン接種も、集団免疫の70%が市町村ごとに斑マダラが出来てしまうのも当然のことである。自衛隊の大規模接種方式では、自治体によって斑マダラが出来ることは行政官僚なら誰もが知っている。沖縄県や北海道に自衛隊の大規模接種部隊を送らないことも、大規模摂取が口先キャンペーンであることを証している、大量の自衛隊が両県に駐屯しているにもかかわらず。
くどいようだけれど、ワクチンによる集団免疫は、70%をくまなく達成させなければならない。斑マダラがクラスター(ぶどうの房の如くの小規模感染)に至ってしまうからだ。
……だとしても、まずは生きることが基本的人権が憲法に記された日本であるから、それを柱と基盤にしてチャンスを手に入れる訳だ。「何よりも人目より人の意見よりも、第一に生きる権利」が、基本的人権なのだ。通貨はアテにならない。身近な地産地消のネットワーク(最小単位は、約9,300余効率の中学校区)である。

大阪の感染爆発の原因は、維新の議員が騒ぎ、知事が…
無症状感染者の追跡をしなかったことによる結果だ。一時はインドの死亡率を超えた。知事は他県の如く無症状者について、保育所を始め新型コロナ感染の主要ルートの感染検査を行わなかったからだ。無症状であれば検査をしないとしたことで、早期発見が出来ずに(1人は60人へと)感染行為を放置してしまった。沖縄と北海道は、観光客が訪れて感染を引き起こしてしまった。観光客はレンタカーその他で縦横無尽に出没するから、追跡調査は極めて困難なのだ。その国内旅行者の中心は中高年代層であり、分科会長の尾身発言は、政治の持つ嘘である。
大阪南港での、大規模ワクチン接種が6月7日から始まった。が、観光バスに定員いっぱいの高齢者を乗車させてピストン輸送を行っているローカルニュースのTV映像だ。同じく大阪の自衛隊の大規模接種も、のエスカレーター密着搭乗とか、1m間隔入り口の長蛇の列である。京都から大阪へ送迎する観光バスが紹介されていた。
新型コロナのアルファ(イギリス)株もデルタ(インド)株も、無症状感染者から出される息、そのマスクの隙間から出される目に見えない霧の中にウイルスが含まれているのだ。それは空気感染ではなく、空中浮遊をしている飛沫の霧だ。ちょうど大人の高さに漂うであろう、目に見えない無臭のタバコの煙や香水の如くにである。映像を見る限り、それを拡散させるだけの工業用換気扇や大型サーキュレーターは見られなかった。イギリス株のホテル同一階の別室感染がオーストラリアから報告されている。大規模接種会場には、国内の温度や風の流体力学の専門家を、1日1時間でいいから配置をする必要がある。
変異株ウイルスの知識のない高齢者が会場各所に詰め寄る、哀れ悲惨な光景だ。
ワクチン接種後数週間を経ないと、1回目も2回目も効果は生まれない。新型コロナの潜伏期間は5日と言われている。
そして、厚労省が発表したワクチン接種後の死亡例では、脳心疾患の病名が数多く並んでいる。すなわち、血液凝固の疑いがあるのだ。それは、日本では使わなくなって台湾に送ったアストラゼネカのワクチンと同一の不具合状況のようなのだ。さらに驚くことは、死因不明な場合の病理解剖もしていないようだ。ワクチン接種は、本人の法律で言う“自由意志による申し込みが重要であり、“大げさに見て懸念”があれば接種は先送りを要する。そのうち、“死亡に至ったことによる損害の請求事件”の訴訟提起も必至である。(国の支給は、一時金として4420万円を遺族に支給、後遺症で重度障害が発生した場合、年間で505万6800円の障害年金としている)。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784439.pdf


§ICT産業革命に欠かせない認知心理学は確立していた

20世紀を代表する心理学者ジャン・ピアジェ Jean Piaget(スイスの心理学者)を紹介する。ジャン・ピアジェは、1929年の国際連盟の時代から、現ユネスコ国際教育局長を1967年まで務めた。次に掲載したジャン・ピアジェの理念と柱は、世界各国で浸透したとされている。
ところが実際には、各国の心理学大先生に改ざんされたり、類似の柱を表現であっても似ても似つかぬ理念(理念のないことも含め)に書き換えられているのである。

IT Information technologyとか、AIとかDX 略称Digital Transformationと手を変え品を変え商業ベースで乱売されるシステム商品を使いこなせない人たちばかりなのだ。それは、他律的システムばかりで、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズの唱えている自律的システムにはなっていないのだ。他律的システムは現在中国が進める代物をイメージをすればよい。結論を話せば、、今から紹介するジャン・ピアジェの認知心理といった理念は全て抜け落ちているのである。

☆ここに紹介するジャン・ピアジェの理念と柱の如くに育った子供たちは、自律的システムを習得していることは間違いがない。たぶんアメリカで話題となっているギフテッド"Gifted"チルドレンはこの可能性が高い。また人事や労働能力の分野で有能と言われる人材も、ほぼこの理念と柱の如くの内容だけと、筆者は肌で感じる。

いわゆる大人は、_____
思考の社会化すなわち=社会に応じた論理の出現をさせている。そして混乱に対する活動の修正を行う。さらに良い均衡へと向かうには=特殊な抽象化そして一般化への傾向を強めていく。
ところが子供は、_____
観察と模倣によって学習をする。多くの学習は、その基本的価値について、遊ぶことと大人の仕事の分担によって学習を実行する。
「子供を自由のままにし、彼を自分で切り抜けるままにしなさい」そうすれば彼はひとりでよく学ぶだろう。子供の自律性(autonomie=autonomy)
最もよい計画を持つ人は最も富を得るだろう。最もよく人から認められるならば、その人は指導者になるだろう。

未熟とは観察の欠如または誤った学習の帰結ではない_____
【第一の原理】
個人が現実から作り出す表象が、我々が知覚することや心的に創り出すことを秩序立てる。ここで論理的手段に依存することを主張している。
【第二の原理】
それぞれの人間にとって、その段階的理論は、人類によって計画されたものでも、我々の周囲の人々によってそれらを課せられたたものでもなく、我々の固有な活動に基づく個人の構成の産物であるということだ。
【第三の原理】
この構成が、物質的でまた人間的な我々の環境との相互作用を通じてなされる、一つの永続的な再構成の産物と言う仮説を擁護する。
★それゆえ、どんな認識も、この原理に従って考察される。知的な働きによる当然の帰結である。

認識の4つの領域_____
①保存=
  表象の中に確かな安定性を保つ、論理思考を生み出す。
②因果的説明=
  理解しようという我々の意志による。説明は“なぜ?”という問いへの応答。
③数の構成=
  科学的論理構成に必要な、ひとつの要素を構成する。
④空間の構成=
  我々の行動のための根本的ひとつの次元
  空間の組織は事物の表象化を要しない。空間の中の自分の位置だ。
  この幾何は水平垂直の軸を前提にして、ユークリッド幾何学(距離:長さ、角度:面積、体積などの三次元概念)

★この“認識の4つの領域”については、各国の心理学大先生達が自己流に膨らませ様々な表現に書いている。思考発達段階説とかピアジェの発達段階説(認知発達段階説)とか、ジャン・ピアジェの理念と柱を解説するのではなく、各国の教育制度とか社会制度を織り交ぜて、新段階の学説を繰り広げてきたようだ。それは、ジャン・ピアジェの理念と柱に背いたものであって、“受け取る側の狭い思考に、解り良いからといって迎合させることは、真理を歪曲することだ”と哲学者カントが指摘したものと同じなのである。

さて、ここまで目を通した後に、_______
次に示す文部科学省の“子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題”をチェックしていただければ、認知心理学どころかジャン・ピアジェの理念と柱とは似ても似つかないことがわかる。先ほど述べた、学習にかかる第一から第三の原理、および認識の4つの領域とは大きくずれている。
これを現場の教員が無知無理解のままに、既存の教育指導要領の如くマニュアルとして用いたとすれば、それは不幸かつ“大人への成長が止まった”教育を招いた現実を深く把握理解できる。「義務教育は学校に通わせろとは言っていない、学校に行かせると害がある」と、今どき叫ぶ人には、根拠があるのだろう。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/053/shiryo/attach/1282789.htm


§この国の感染防疫体制を潰したのは誰か、そのヤリ口とは

新型コロナ感染は、経済危機に陥る寸前の状況に、その引き金を引いてしまった。
だからといって、引き金を引いただけで大した感染症ではないとするのは暴論だ。人類の歴史の中で、天災や戦争で都市や国家が崩壊した例は無いのは事実である。都市や国家が崩壊するには、その被害の復旧や救済の国家国民の意志意欲を“まとめ上げて組織化”できなかったことが原因となったことは間違いない。だから、具体的な防疫体制の復旧は経済の危機からの脱却と立て直しには不可欠である。新型コロナ感染対策をやり遂げたとする国々でも、イギリスやインドとかの変異株の発生で右往左往や浮き沈みをせざるを得ない。けれど、経済危機の脱却と立て直しは進みつつある。だが日本は転落の一途をたどっている。
一部の地方自治体は、まだ少ないけれど住民サービスの法的義務もあることから具体的に立ち向かいつつある。個別企業でも経済危機の中でも長期希望が持てる展開を進みつつあるところが増えてきた。地方も職域も“民間防衛”である。
★“潰したのは誰か、そのヤリ口”をハッキリ言わずに、単なる愚痴に近い批判、集票目的に感情を煽る批判、総理大臣はじめ元から無能な人物の追求ポーズといったものでは、発言した人物は目立つだけで、そんな水準では新型コロナ感染対策も経済危機の脱却と立て直しにも何ら効果は無い。むしろ、解決や進歩を進める道程を惑わす価値観やその対立を激化させる材料を振りまいているだけだ。ことわざ風に言えば、「正しくない人間に、材料を与え知恵を施せば、悪が復活する」ということだ。

国の感染防疫体制を潰したのは、この輩だ。
国立感染研とその系統の保健所の系統、及び厚労省の医系技官(臨床に関心の無い者も多い)の系統の二つである。彼らは、自分たちの地位とか存続のために、彼ら自身がなりふり構わず、国民とか最前線の臨床医師を犠牲にする姿に現れ、それすら省みない人物達だ。
その状況で彼らは、事実上医師免許しか頼りがなく、現場での臨床医療での能力もなく、臨床には関心もなく、学業成績の良さで医系技官に就職した輩ともなれば、厚労省内部での地位は激落しているからこそ、ここで彼らは象徴面で何とか維持し旧態依然からの組織を守ろうと画策しているからだ。能力もなく地位が激落していれば、科学的見地とか感染防疫をそっちのけで、しがらみに頼りのさばる道(戦略)を選ぶわけだ。
明治からの体質を温存し続ける寄生する彼ら輩は、本来的なエリートではなさそうであるから、科学的知見でもって他に比べての優秀さを誇るとか、国の感染防疫や医療のイニシアチブを持たされなかった。したがって、戦後も憲法25条の欧米よりも条文としては先駆的な、具体的に社会福祉、社会保障及び公衆衛生を制度として憲法に設けるといった、公務や責任からは外されたと推測する。筆者の経験と知るところでは、旧厚生省の政策は、「余計な事はするな」と言い聞かされてきた感がある。したがって、ことごとくが現状追認の姿勢を取らされ、寄生する彼ら輩は責任を逃れるような行動パターンとなっているのだ。政策立案には現場の動きをリードする課題も含まれるのだが、そのための科学的知見(自然科学、人文「精神Mind」科学、社会科学」の見識を持たされていない。現場サイドの話し方でいけば、建物や電算機を作ってもソフトが不備、体制におけるソフト(医療従事者の教育育成:生涯教育、最新医療と人員配置、様々なトラブル策)といったものが考えられないのである。このコロナ禍にあっても、医師の長時間労働追認の一方で法律や規則でガンジガラメとか、看護師資格者の離職や資格潜在化への無策など。次々と医療や感染防疫の総合科学的な進展が著しいにもかかわらず。
そもそも、そんな寄生する彼ら輩は、対立する勢力の間で行われる象徴的闘争では、価値観の解釈をめぐる対立の形をとる。自らの勢力に有利に働くように価値観を解釈するし、そこでの個人的立場は関係がなくなる。なにせ官僚の世界では、特定の“支配的価値観”をうまく操る能力が幅をきかせるのだ。彼らには、総理大臣に担当大臣を手玉に取ることは、あっさりできる。

ヤリ口を支える、医師の地位をめぐる背景
今世界的に見て、医師の地位は、医療の有する科学力に由来はしていない。
医療技術の進歩は、そのほとんどが科学者によるものだ。したがって現在の医療は、医師の手仕事から科学へと変化してしまっている。そして医師は、複合的な近代医療の歯車に過ぎない技能者と化している。
そこで医師たちは、実のところの技術面でその手を離れてしまった独占的医療体制を、象徴面で何とか維持しようとしているのだ。加えて、TVやNetには民間治療薬?が溢れかえり、その説明はほとんどを、“ヤブ医者”が行っている。あの街この街で開業する、“ヤブ医者”は、ほぼ居なくなってしまった。
国立感染研(保健所)と医系技官に寄生する彼ら輩は、昔とは変わり果てた医師の地位を手玉にとって、混乱する医師や医療集団に対して、ここぞとばかりに、彼らの象徴的支配体制を無理強いするわけだ。尾身茂の今の出身母体である地域医療機能推進機構の傘下には、昔で言う厚生年金病院、社会保険病院、船員病院など全国57病院を持つが、新型コロナ感染患者は今年になっても、ほぼずっと受け入れず、やっと今全病床の1割程(計150床程度)である。

異なる者たちの支配には“聖なるもの”が便利
彼らの実態が、そこまで落ちぶれると、世間体の世界では、“異なる者たちを統治するには聖なるものが不可欠”だとする中世暗黒の手法を見出してくる。だが、それは彼らが有能だったわけではない。
日本の病院システムはキリスト教のカトリックと共にやってきたが、ここでは神父たちが聖域活用手法を持ち込み、そのテクニックとして医師達を一般人から別世界へ分離・交流禁止し、実際に聖域場所を設け、象徴や祝祭事を介した行事をおこなった。その名残で、聖域を創るため、“医師の従者が検査技師や看護師であり事務員は召使”の扱い、民間企業とは別格の院長室の設置、TVでも馴染の院長回診(神父の行列と同じ)というわけだ。社会科学の視点からすれば、「事業に係る資産を世襲とするシステムで、自ずと封建制度が都合良いものとなる」カラクリと同じ訳だ。
中世カトリックの病院は神父が取り仕切っており、そこへ医師たちが徐々に浸透していったものだ。そもそも原始的病院は、悪臭が立ち込める疫病の巣窟であった。19世紀の病院での出産は病気感染を伴った。それらは医師は神父や聖職者と同じだから手とか器具を洗わないため=医師からの感染であった。とにかく病院は中世カトリック流に、社会不適格者を閉じ込める目的であったから、精神異常・身体障害者・感染症の恐れから防疫隔離する場所となったのだ。すなわち、彼ら医師たちは“海外伝来のカトリック病院”の実態から、自分たちに都合の良い物事を選びつまみ食いをしたわけだ。戦前の陸軍病院とて同じで、古来からの神道とは別物の国家神道まで編み出し聖域を設けた。
さらに、今年の総理大臣をはじめ、元より無能な人物を操るとか、言うことを聞かなくても首にはされない手法とか、対立する勢力の間を象徴的にうまく立ち回るとかの技法も、カトリックの神父たちから学びとったと考えるのが妥当なのだ。一方で傘下・支配下の医系技官や医療機関では、中途半端な学業成績者のプライドを操り、事務員や修道女(召使や神の奴隷?)如くの非効率的労務といったマネジメント以前の扱いを維持するのである。
(特徴的だと感じることがある)ギリシャ哲学は、人の言うことを聴かない政治体系でのものだから、人を誤魔化す修辞学やレトリックが発達した。あげくにギリシャはローマに負けるわけだが、ローマは合議制だから、良心Conscienceに基づくものであれば誰の意見でも聞こう(ローマ法の理念)となるのだ。そこでも、ローマカトリックは、ローマにあってギリシャ哲学を継続し普及し、カトリック独自の修辞学やレトリックをさらに発達させ、あげく中世暗黒時代に理屈・屁理屈(聖書の書き換えもなんのその)に磨きを掛けたのだ。1965年までカトリックの儀式はラテン語だった。日本には明治時代になると西洋修辞学として入ってきた。なお、日本でのキリスト教はローマカトリックの情報と論理構成ばかりで、カトリックと戦った国及びカトリック内部での論理構成は知られていない。

医療の危機の中心には、3つの価値観の錯綜がある
【第一 伝統的価値観(戦前の軍事防疫など)】
どの国家でも、様々な宗教団体と協力して、医学の名の許に卑しい身体でもっての人体実験を行い、ひいてはそれが他の人々の生命維持のためと表向きの大義名分を語る。戦前の大日本帝国陸軍等の医療は、国家神道?天皇の神と協調して、負傷兵員等の修理に処分(自決という殺人ほう助)に携わった。パイロット、航海士、機関士は墜落や沈没等で海に投げ出されても救助はしない大日本独自路線だ。
2020年1月からの新型コロナ感染対策で保健所は、体温37.5度以上の患者のみに限り入院隔離せしめるが、治療を怠り(薬が無いと偽り、実際に人体実験も)、感染把握に必須のPCRでの標本検査をせず感染蔓延を放置し、ワクチン接種に至るまで輸入手配などを怠っている。
伝統的価値観の厚労省生医系技官や医師からすれば、“夜の街”とか不注意の輩は卑しいといった戦前如くの観念で、的外れの対策を怠った事は否めない。(ちなみに今、日本のコロナ感染の防疫中心部隊は国立感染研だ。旧陸軍・関東軍731部隊(細菌兵器と生体実験)を管轄していた関東軍防疫給水部の東京拠点施設に現在も城?を構える。)
★新型コロナ感染で、この価値観で取り仕切ってきた医療機関が、まっ先に崩壊したのだ。新型コロナ感染受け入れ大病院のTV映像を見れば、異様である。潜在看護師(約7万人とも言われる)の活用なんかは眼中にない価値観が心中の実態のようだ。

【第二 産業優先・産業社会的価値観(唯物論的)】
安全重視の価値観である。欧米と比べ日本は戦後になって病院が厚生行政に定着をした。治療の内容は、痛みの根絶、病気治療、臓器不全の修復、寿命延長、病院産業発展というわけだ。これは現在日本の中高年以上の方の病院に対するイメージだ。しかしながら、病院の政策運営は戦前からのものを引き継いだことから、表象と金銭が産業優先に変わっただけである。
また、日本国中、いつでもどこでも同じ治療が行われる実態上=旧厚生省フランチャイズチェーン方式と揶揄される保険医制度と治療指針といったケースが多く見受けられるのだ。町の一般開業医などは、保険医療機関の制度によって充実安定することとなった。
ところが、こういった第二の価値観に
相対する“個人世界主義”が世界的にも広まっている、日本でも圧倒的だ。
半世紀前に叫ばれた唯物論は廃れてしまった。個人世界主義者は、自分自身の自己の充実感とか苦悩、自由に自己陶酔的に没頭する場合、「自分は大いなる世界のために務めを果たしているのだ」と感じるようだ。どこかに所属するとは考えないし、誰かに依存して生きることは、無意識の実態は在ったとしても、所属や依存の自覚は無い。彼らは新鮮な経験や活力の源泉を求め資するためだから。
★“個人世界主義”のエピソードを次に紹介すると。
・「社会保障のサービスを受けたらいいでしょ」は、口先とは矛盾するけれど彼ら“個人世界主義”の本音なのである。
・大いに親睦はするけれど、親睦だけで窮地に手は差し伸べない。
・友愛が求められる反面、快楽的祝祭的友愛のみが発展する。
・住民交流イベントは成功するが、高齢者の孤独死は増えている。
・本物の伝統を求めるが、伝統の併せ持つ面倒なしがらみが無い限りだ。
・世界や人道や環境の大義に取り組む本音は、自分という作品のためだ。

【第三 全人医療その他の医療産業へ】
この段階での健康政策方針は、総合的に見て「生命に充実を与える」といった用語に集落されている。それは、「健康でなければならない」とか、「充実して生きられるように保障する義務が医師にはある」といったこととなり、病院は病気を治すことに本質が在るといった範疇を越えつつあるのだ。傷病治療を超えて、幸福に向かって奉仕する科学技術を標榜する。
キリスト教でなくとも「身体と心と魂が一体である人間(全人)にキリストの愛をもって仕える全人医療の理念」には留まらず、言葉巧みに患者の心理や社会的側面なども含めて幅広く考慮しながら、個々人に合った総合的な疾病予防や診断・治療を行う医療へと医療産業が向かっている。
平均寿命の伸びる主な要因は、衛生状況の改善からである。
個人所得の向上は居住暖房の充実を促し、重ねて疾病率の低下を促す。すなわち、高度経済成長末期のイギリスの調査によると、死亡率とアルコール消費量は連動している。同じくイギリスの調査によると、管理職の呼吸器や消化器の癌は、他の職業と比べて10分の1との階層社会ならではの結果も存在している。
そういったことで傷病治療は、以前の患者個々人の価値観に左右されてきたの状態から、経済効率よりも充実感を大切にする医療へと傾斜し、全人医療と称して、従来イメージと比べて代替医療とか類似療法あるいは緩和医療や鍼療法というわけだ。戦前の伝統的価値観からすれば、“医師の従者が検査技師や看護師であり事務員は召使”の扱いだが、ここでは付き添い看護を高く評価し幸福に向かって奉仕?するようになり、その奉仕でさえ科学技術を用いようとしている。保養所のイメージ、高級介護施設のイメージ、家族その他との同棲静養までも全人医療案として出されている。ここには、現行の保険医制度が適用できない部分が、現状の疾病(概念としてはdisease)なのか傷病(illness)なのかの概念を超えて、全人といったような幅をきかせる。だから、新たな医療産業に向けての権力闘争を生じさせている。

医療関連に携わる人たちのほとんど共通点は
自らの職業を魅力的なもの乃至は聖職と考えて従事している男女である。そして宗教とは異なる信仰めいた考えを持っている。それは、今述べた3つの価値観の錯綜においても引き継がれている。だがこういった常識的な共通点も、感染研や医系技官に寄生する輩は操ろうとする。
①健康、延命、知識、教育は望ましいこと、絶対に達成すべき目標との思い込み信仰。
②医療や学校は、望ましいことを実現する、唯一の道筋だとの思い込み信仰。
③医療関連に従事する人々は信頼に足る人物で、医師や教師は有能で道徳的な人物との思い込み信仰。

そして多くの人たちが思い込もうとしている医療とは、小さな傷病から美容不具合まであらゆる問題を「科学的?」に解決できる、とされている。医療は、神経症、恐怖症、精神不調に至るまで、この権利を尊重させる正義の味方になっている。正義の味方ばかりか具体的に幸福を導くと拡大解釈もされている。

ところが現状の医学を厳しく詳しく見てみれば、科学が世界を説明する知識のプロジェクトとしての信憑性を既に失している。少なくとも医学によって充実感を増大させるには、ある程度役立つものの、残念ながら不完全で改良の余地を大きく残した道具になり果てている状況は否めない。間違ってはいけないのは医学が信憑性を失い、改良の余地を残した道具である状況から、医師の手仕事の濫用や類似治療を未然防止する意味から、医師や看護師は書類や法律でガンジガラメにされているのだ。すなわち医療の汎用化の動きに対抗して、医療の逆への運動まで生じている。

医師たちの中に、“患者との対人関係を独占”してしまおうとする行為とは、科学的実力が伴わないから、医師は立場とか地位に依存しなければならず、あげく「私の患者、他の方の患者ではない」と言い出して、電子カルテ化などに反対する価値観を持ち出し披露するわけだ。
また、看護師の「患者により添う」という口先の美辞麗句となった言説は、その実は業務の体裁を取り繕うことであるが、これは世界中の先進国での病院の中で発生している共通事項のようだ。看護師の地位や待遇が安定していない、あるいは不安定な医師からのシワ寄せを受けて看護師たちがいじめられている場合は、当たり前に「患者により添う」という口先の美辞麗句は浸透してくる現象だ。ここでも、表面的建前と実際実務との間に矛盾を生じている。

【感染研と医系技官に寄生する輩にごまかされない】
◎第三の全人医療その他の医療産業に向かっての流れの充実を図ることが、寄生する輩に再びごまかされない基盤である。
★「今の感染状況で開催は普通はない」との尾身茂分科会長の東京オリパラに関する発言を額面どおりとってはいけない。寄生する輩の延命策の下心、例えば、彼ら寄生する輩の居場所の恒久保障と毎年の収益事業の見返り等の要求があると見るのが妥当だ。さっそく、6月4日朝に厚労大臣は、これを公式意見として受け入れないと反駁している。
第一の伝統的価値観での医療機関は、新型コロナ感染によって崩壊した。
第二の産業優先・産業社会的価値観の医療機関は、Afterコロナに顕わとなる経済危機と共に崩壊する。

①第三の“全人医療その他の医療産業”に向かって、住民要望に応える全人医療経営。
②医師たちの、“患者との対人関係独占”では操られる。自治体や町での分かち合いShareである。知っていることを共有するのである。患者の秘密を守りながら、開業医も病院も、分かち合いShareは単独から開始できる。
③「患者により添う」という建前と実際実務を、ひとつずつ具体的一致させる障害を除いていくことだ。障害を取り除くことで、能力は向上し効率は良くなり、医師も看護師も共に地位や待遇が安定する。安定してからの改善では一向に進まない。意識改革の教育や議論を行っている時間は無いのだ。

その際に話題となる概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求する道具のひとつに過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明に達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。

2021/05/11

第229号:
巷の愚かな尽力は、その全てが累積赤字となる

<コンテンツ>
政府崩壊・社会混乱の状況で、視るべき思考すべき考えるポイント
COVID-19イギリス型変異株、感染と発症の特徴【取材のまとめ】
  ①科学的学問的な危険回避推測事項
  ②実際に発生した事態から分かったこと
  ③身近な医療関係のエピソード情報
情報が応用できない人の、その理由と原因は
情報が応用できない人は、結局=古代史思考だ
  ①絵文字から象形文字は発展したが、そこに留まり思考も止まった。
  ②過去・現在・未来を表現できる言語は、一部の古代人から拡散。
  ③知の組み立てのない作業は無駄=累積赤字や精神(気持ち)疾患へ。
どういったわけで、デジタル化は広まるのか。
デジタル庁のデジタル化は、自由経済を破壊する。
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210511】
 (紹介書籍)『まちづくり幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか』



§政府崩壊・社会混乱の状況で、視るべき思考すべき考えるポイント
 【その建議とともに、翻弄され巻き込まれる要素要因を今月号は解説する】

イ)厚労省の本省(霞が関)がCOVID-19でメルトダウン?したようだ。例の会食(送別会)の強行で感染が省内に広がり、厚労省本省(霞が関)や地方に広まり自宅待機が続出。リモートワークを拡大させているため業務が滞っているとのこと。ここに至っても、厚労省本省はPCR検査を実施しないようだ。筆者は40数年来にわたり彼らの仕事ぶりを知っているが、特に旧厚生省は戦前の内務省風潮に固執していて、崩壊を自ら招来していることの予測がつく。そもそも今の彼らに仕事をさせること自体が、COVID-19にかかる無策&放置でしかないのだ。プロからすれば、旧厚生官僚に手をつけられない全体主義者自体が無能なのである。

ロ)金地金の取引価格は1グラムが7,097円と史上最高の価格がついた。今日も昨年8月以来の高値更新となった。金地金は最も国際的経済状況を反映する。中国は国内の銀行が金地金の輸入を増やすことを認め、中国の国内ではドルよりも金地金での備蓄を奨励している。金地金は、株価のように高値売り逃げの機関投資家が釣り上げるものでもなく、日銀のような大手企業や年金の株取引価格の支えを行う(近頃はQEと呼ぶ)ような、かなり実体経済から隔離された金融システムへの資金注入でもない。円相場は米ドル相場とともに安値方向だ、日本政府の国民の所得剥奪が功を奏しているようだ、それは輸出関連企業の優遇策となり政権基盤の資金源につながっている(戦前ナチスドイツが成功した)。

ハ)オリンピックの費用は、国民1人当たり3万円。世帯として最も多い4人家族で12万円だ。オリンピックの協賛金や予算は散財消費をやり切ったとされる。確かに使いきった輩にとって、オリンピック中止となった折の損害賠償金額は地獄の如くにキツイ、命にも関わる。札束を見せびらかせて、札束で頬を叩いて(はたいて)、他人をアゴで使って野蛮と化した新自由主義者が、天国から地獄へ転落するからである。

ニ)要するに、政府機能は崩壊している。現政権の言うことを聞く者が激的に減った。もちろん各省庁内部の現場も「アホらしい!」とのことで動いていない。率先垂範すれば政権変更後に左遷されることでもあって。なので首相官邸が目新しい政策を打ち出しても、大半が実施されずに空中分解している。表面現象からすれば崩壊の察しはつく。官民いずれにしても官僚主義であろうがなかろうが、そこは同じだ。素人にとっては粉骨砕身しているとしか考えられず、いや釣れる一方なのである。

ホ)“やること成すこと”現政権は、必ず私利私欲につながり基づいている。またそんな輩でなければ寄っても来ないのである。さらに“社会主義者のようなスローガン”とか“狼の遠吠え・負け犬の威嚇”とその裏での卑怯な身内第一の優遇に警察捜査、これに益々狂奔しているわけだ。コロナ対策にしても何にしても、不透明な数十億円規模の予算執行には、総理大臣との面識ある者が露骨に絡んでいる。そういった金がらみの本質とは、“札束でしか他人を動かせない”程度の能力しかないという政権であるわけだ。もちろん官邸側近は“札束でしか動かない者ばかり”が集まり、責任感も社会道徳もない。

ヘ)すでに、今の政権には統治能力がない。統治能力のない人物を信用する人は誰もいない。外交安保、コロナワクチン、経済通商のいずれにしても、はっきりと先の展望が見えないときに、統治能力のない者を信用する人はだれもいない。「信用は貨幣を無用とする(ジンメル)」のが世界人類共通文化であり、銀行融資を始めとして信用の存在するところに“通貨の貸付”が舞い込んでくるわけだ。これは社会経済の原則だ。民間個別企業の契約や取引においても同じことが言える。

ト)そういった彼らが述べる投資とか先行経費は総て、Afterコロナには累積赤字となる。あなた自身も気をつけて、油断して餌食にされてはならない。テレワークにリモートワーク、彼らが振りまく=“地方経済策”とかコンパクトシティの幻想、デジタル庁にデジタル化、それらの総てがプロの目から見れば、成功に導いた経験を持つ者からすれば、言動の端緒を見るだけで幻想だとわかる、かつ「水準の高い詐欺師は自己欺瞞の塊」でもあるし。

チ)Afterコロナは、どう少なく見ても来年春までは続く。季節要因で感染流行は上下をして、大阪のように対策放棄(ゲノム:サンプリング調査を廃止の方向)となれば、数字に現れない高止まり実態が維持される。なおワクチン接種によって流行は収まりつつあるという統計は、未だいずれの国にも表れていない。Afterコロナのその時、以前の経済構造や個別企業の経営スタイルが復活することはない。むしろ、先日までのスタイルを遮二無二(しゃにむに)続ければ、これまたその分の累積赤字が個別企業に積み上がるだけなのだ。


§COVID-19イギリス型変異株、感染と発症の特徴【取材のまとめ】
今日5月11日現在の懸念事項を提供する。連休前後で状況は激変した。
 ①科学的学問的な危険回避推測事項、ないしは
 ②実際に発生した事態から分かったこと、
     の2つに分類して解説を行う。
 ③臨床での身近なエピソード
  最前線医師の情報も入ってきた。

ことに、筆者の専門分野から、個別企業での対策そして人事部門での具体策での視点から、かつ私はマスコミ企業に雇われる立場ではなく、ジャーナリスト(日本労働ペンクラブ)の一員から、この記事を提供する。

イギリス型変異株の感染に係る検査や調査は、
日本においては判断材料となるものが存在しない。
ちなみに、大阪は新型コロナ変異種による数字増加と受け止めてしまうような報道だが、大阪府の調査資料では、変異種の前から急増加状況であって、“変異種だから”増加といった判断の裏付け資料は存在していないと、ウイルス学専門家や学者は指摘している。何よりもゲノム解析で以っての標本調査(政府モニタリング調査)も実行していない。今余力の有る国立理化学研究所とか東京大学医科学研究所といった世界最高レベルの機関にも、国は調査どころか解析すら依頼をしていない。
首都圏への感染は、4月末からの連休後には一気に感染は広がりイギリス型変異株に制覇されたようだ。後で述べるような当該変異株の感染力と強さを知らせることもなく、それに見合った対策ではなく旧来の「3密」を繰り返したから、無防備同然になったからだ。

科学的学問的な危険回避推測事項
a.空中浮遊ウイルス(COVID-19に空気感染は希)。イギリス型変異株の毒性は1.6倍といわれる。すなわち、感染に至るとされる空中浮遊ウイルス吸引感染目安の1億個程のウイルス量は、イギリス型変異株では約半分余りということだ。このイギリス型変異株は従来比でも濃厚でなくとも感染する。なお、あのアベノマスク程度さえしてれば、厚労省は濃厚接触者とはしない定義だ。

 1.通勤ラッシュの電車内、
   現状の車内換気装置は完全ではない。
 2.電車バス、乗用車内は、後述の
   防塵型マスクとゴーグルを欠かせない。
 3.フィルター式空気清浄機の効果は
   特殊特定でない限り疑わしい。


b.有効な空気清浄方式は、金属酸化触媒とか光触媒。
  プラズマクラスターとかプラズマ放電。
  微粒子の電子吸着反応を利用した集塵方式などに限られる。

c.このうち、電子吸着反応の(商品名)LIGHTAIR空気清浄機〈ライトエア・イオンフロー50 エボリューション〉は部品交換もなく半永久的、そして安価である。筆者はもう7年以上使用している。

d.眼の粘膜からの感染も注意しなければならない。
メガネやフェイスシールドで防ぐには無理がある。どうしてもゴーグルは必要となる。

e.イギリス型変異株といえども、感染ルートは目鼻口と性器の4部位の粘膜である。
ただ変異株は少ないウイルス量で感染する。トイレのドアノブ等に付着するウイルスは、トイレ外その他の場所比で10倍のウイルス量とされる。それはCOVID-19に感染すれば、一番最初に内臓の朝の部分で大きな炎症を起こすことからだ。ことに性器粘膜への感染ルートを防ぐためトイレの前と、トイレ後の手洗いが重要となる。

f.COVID-19諸株の表面上の生存期間や生存条件には変わりない。
高温多湿がウイルスの伝染を減少させることにも変わりはない。
COVID-19諸株である限り、イギリス型変異株であったとしても、人工のワクチンを除いて、抗体あるいは“T細胞の機能”にも変わりはない。ちなみに、抗体とは(ワクチンを除いて)、いわゆる再感染しないか:感染しても極めて軽微な病状で治癒するもののことだ。数ヵ月(研究ではCOVID-19は6ヵ月)して抗体が消滅しても、ワクチンではなく自然に抗体を獲得した場合であれば、同一病原体が侵入してくれば、同じ抗体が直ちにつくられる。

g.最も効果的な対策は、無症状や発症を問わず、1人で60人にCOVID-19を感染させるとする感染者を、早期発見・早期隔離・早期治療するしかない。その費用総額はロックダウンと休業補償料よりも極めて少ない。蔓延してしまえば従来のCOVID-19諸株と同じくロックダウンの予防効果は無い。

h.従来のCOVID-19諸株もイギリス型変異株も、ワクチン接種によって感染者の増加や減少を裏付ける調査や結果の統計は、世界中どの国からも報告されていない。むしろCOVID-19自身の持つ季節変動する感染の動向に左右されているとのことだ。「ワクチンに期待する」との発言は政治家とかマスコミ社員に限られている。現在日本は、ワクチン確保や輸入の見通しはない。

実際に発生した事態から分かったこと
1.イギリス型変異株対応のマスクは原発事故処理のような防塵型、
=鼻や頬との間に隙間のできない性能の物でなければ意味がない。
アメリカ規格N95とか日本規格DS2でなくとも、一般用人は日本規格DS1でも概ね問題ない。労働安全法に定める防塵型⇒DS1規格の使い捨てマスクとか、同基準のフィルターのみ交換の防塵マスクは医療用よりも性能が高い。空中にミスト霧状で浮遊しているのが大半であるからDS1のフィルター基準でCOVID-19全般の吸引を防ぐことができるわけだ。
ゴーグルの代用には花粉症対策用のメガネは安全とは言えない。

2.巷でよく見かける医療用等のマスクを二重にすることで鼻や頬との間に隙間をなくすことは非常に無理がある。その部分の隙間をなくしたとしても極めて息苦しい。健康体であれば呼吸量の減少は(心肺機能等の障害を除き)さほど問題は無いとされる。が、アメリカ規格N95とか日本規格DS2のマスクならば息苦しさは減少される。なお、自覚症状の無い初期の肺炎でのマスクを二重に着けることは危険だ。酸素は欠乏しても苦しさの自覚は出ない、苦しさなど(思考障害、努力呼吸、頭痛、だるさを含む)が出た場合はすでに重篤だ。実際、酸素は吸入しても気分は良くならない。昔の中学校理科の教科書に書いていた「酸素は吸えば気分が良くなる」とは意味不明だ。

3.オーストラリアの事例では、ビルの換気装置によって、霧状ミストに混ざって空中浮遊するウイルスが、同一フロアの他室に運ばれ、未感染者の感染・発症源となったと判明した。

4.このウイルスは、目鼻口と性器の4部位粘膜から侵入し、血液を介して一番目に腸で炎症を起こし、次に下気道(声帯の奥)での炎症と増殖が肺全体へと広がる。そして唾液などにウイルスが混ざる。イギリス型変異株は増殖力も強い。下気道(声帯の奥)入口の繊毛運動による異物排除には、常に下気道入口の潤いが重要(乾くと繊毛運動が出来ない)だから、ウイルス消毒&ミストの対処は有効なのである。粘膜のウイルス消毒は、唯一イソジン等のポビドンヨード(濃度を薄めヤケドをさせない)だけである。なお、私は某大病院での院内大感染に巻き込まれ罹患したとき、遅々として改善すらしなかったところ、イソジン水溶液での鼻ウガイを2回で完治、その病院の医師の面々は驚き沈黙した。今般もイソジンの声帯奥へのスプレーは極めて有効だった。

5.空中浮遊するウイルス(空気感染とは異なる)は目に見えない塊だ。
霧状ミストは広域空間にまで広がる。広がるイメージとは、シャンプーや香水や喫煙どころか、離れた場所での「煙の匂いがする」に似た広まりが通例(ウイルスに匂いなし)である。したがって換気は瞬時に空気を入れ替える程度でなければ安全の保証は無い。室内の換気風速1.5メートル以上の換気を要すると言われている。
★換気とは、その霧状ミストを外に排出するという意味であり、かき混ぜて拡散させるとか、薄める(霧状ミストは薄まらず散らばるだけ)という意味では無い。
その霧状ミストはPM2.5被害の如く、降雨やシャワーでは消滅しない。

身近な医療関係のエピソード情報
COVID-19イギリス型変異株のエピソードが入ってくるようにもなった。
(公衆衛生と現場の医療(臨床医)には格段の差がある)
臨床の医療関係者は、従来までのマスクやシールドを全面的に抜本的に直ちに見直す状況だ。
(医療関係コロナ専門Netからの医師投稿情報ご紹介)
『大阪の某医療機関では、コロナ陽性の9割が変異型だと耳にしました。従来型に比べて感染しやすく、若者でも重症化しやすいそうです。おまけに感染性も長続きするのだとか。そのせいか、ノーマークの入院患者さんのコロナが後で発覚したとか、3回目のPCRでようやく陽性に出たとか、いろいろと危ない話を見聞きします』。
___ここまで___

ところで、意外にも
労働安全衛生法上の防御商品は、医療関係者も一般にも知られていない。医療用と銘打つ物よりも日本製品の技術レベルは、労働安全衛生関係の方が高い。この際、危険を避けるには人目を気にしてマスクをしているとか、形だけで機能が無しといったことではなく、真剣に防護対策の必要がある。
労働安全衛生法に基づく商品には、様々な便利そうな物が作られている。一般の人たちは、そういった安価で完全なものを知らないことから高い商品を買わされている。それも、高く買わされた割には安全な使い方すら知らされていないので、COVID-19イギリス型変異株のウイルスでの落とし穴も知らされていない。
とにかく、COVID-19イギリス型変異株に対しては、無症状者や子どものウイルス拡散者の早期発見、即刻隔離、早期治療でしか方法はない。従来程度での「3密」とか、従来の濃厚接触者の判断基準(とにかくマスク装着の有無)では間尺に合わない。
ちなみに、サージカルマスクの由来も、外科医の手術執刀中の、医師の口や鼻などからの細菌やウイルス落下を、手術を受ける患者に向けて防ぐための物である。なので、鼻や頬とマスクの間の隙間から、あえて細菌やウイルスを始め空気は自由に出入り出来るようにしてある。これでは空中浮遊する霧状ミストのウイルスを防げるわけがない。そして、「マスクだけでなく目も保護することに」と、先程紹介した医師も投稿し花粉症グッズを眼鏡屋さんで買ったそうだ。


§情報が応用できない人の、その理由と原因は
そういった人が集める情報は、知や知識(Intelligence)ではなく単なるデータ(=所与、Information、過去の事実、資料、数値)に過ぎない。またそのデータ収集こそが科学だと錯覚していたりする。科学とは、ぶっちゃけ簡単に言えば、“いつでも、どこでも、誰でもが、法則として実行できる論理構成である。
情報が応用できないのは唯一、その結果に至る論理構成のプロセス(過程、道程、手順、方法など)を知らないとか体験していない(知識偏重主義者)だからである。そんな彼らは、“正解として”解ったような気持ちになっているから、それでは実行は失敗に終わり、精神(気持ち)的にも耐えられず、したがって応用も応用能力の蓄積もができないのである。すなわち、職業経験の少ないインテリ=こんな者達が全体主義者らに理屈と行動で惹きつけられ、粗野で無教養の人間こそを理屈の自発的代弁者に仕立てあげ、組織や担当の口先ばかりの行動の任務者に持ち上げられる。それは連日テレビなどでも馴染みの者として浮かんでくるし、その輩は進んで汚れ仕事をもするから、持ち上げられこそすれ、祭りあげられることは全くなく、使い捨てにされる者たちなのだ。
そんな人物の思考とは、“いわゆる妬み”の訓練が施された結果であるから、人生の成功を、資格とか資格的地位に求めようとするする者が圧倒的多数にならざるを得ないのだ。
コロナ禍のアメリカでは、人間の能力の限界を見直す著作が時節柄かつ不思議にも複数が出版されている。典型的なのはスタンフォード大学の心理学教授キャロル・ドゥエックの固定型Mind setと成長型Mind setといった論だ。Mind setとは、心・精神(気持ち)・意識などの“持ち方”のことである。固定型の人物は基本的な能力や知能とか才能は固定的であると信奉している。成長型の人物は才能や能力は努力・良い指導とか粘り強さで増加することを実感している。少なくとも成長型の人物は賢くなれたと人生を歩んでいる。よく似た考えのポートランド大学のICT関連教授メラニー・ミッチェルは、人間の知能はIQ(人工知能)で測ったりするが、それは一種の尺度(得点が80以下かどうかだけが焦点)に過ぎず、「感情、言語、空間認識、論理、芸術性、社会性といった知能の様々な面も重要だ。AI研究者たちはこうした様々な違いをほとんど無視してきた」と断言している。

だとすると、絵画(美術)は色彩=鏡・面の表象、彫刻には:たなごころ、音楽は空間把握、詩Poemは時系列の思考パターンといったArt域労働にまつわる物事を、固定型の人物は排除とか無視無理解に陥らざるを得ない末路は否めない、加えてそれはデータ収集こそが科学だと錯覚していたりすると、その知識偏重は増幅せざるを得ない。
(ここで用いる用語の深い概念は、ぜひとも次のURLを参照)
http://soumubu1.blogspot.com/2020/10/#222-10
http://soumubu1.blogspot.com/2021/03/#227-11


§情報が応用できない人は、結局=古代史思考だ
そこには、結果に至る論理構成のプロセス(過程、道程、手順、方法など)を無視とか知らないとか、親たちのシツケとか教育でもって論理構成のプロセスが身に付いてないとの特徴がある。従来の教育者の論理は、ここでまでで終わっていたが、それでは“正解として”についてのみ、解ったような気持ちにさせるか、もしくは意思疎通目的とは間違って受験戦争などに巻き込まれ、その結果と思われる「アダルト・チルドレン」の“増産?に再生産?”を行ってしまったのである。そもそも人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子どもであり子育てであり、その安定した繰り返しである。
筆者は考えるに、どうも長い人類の歴史の中で、進化に資することのない間違った目的やプロセスで行われた教育は、その民族の衰退に滅亡を招来したと思われる。だが次に示すものは歴史研究や社会科学の中で歴史的事実として発見され科学的法則として確立されたものだ。その古代思考が現代によみがえって、思考が劣化しつつあると考えるのが妥当だ。

絵文字から象形文字は発展したが、そこに留まり思考も止まった。
人類の知恵とか進化に資する物は、エジプトや中国その他の絵文字から象形文字の類には、そのプロセス(過程、道程、手順、方法など)までは残っていない。その中身の信憑性とか伝える物事は差し置いて、プロセスを含むとなると紀元前6000年ごろからを記載する旧約聖書39編余りだけである。そのうちの5編はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通聖書である。
よって世界の民法(民事法)を学ぶ人の礎となっている旧約聖書の民数記がある。一神教とされる宗教は500~600年前にユダヤ教で発祥し、今や日本でも浄土真宗が明治になって崩壊の危機を迎えたが、(故:司馬遼太郎の学説では)一神教に至り現代まで終焉せずにいる。その旧約聖書には世界各地の神話めいた話も満載されており、日本の神話や言い伝えに類似した物語が数多くあるとのことである。「海彦山彦」の神話の言わんとする事はキリスト教やイスラム教との人類共通理念であると伺える。真言宗の祖である空海は長安で、景教(東アジアを横から極東に広まったキリスト教)を学びそれも真言宗に含めたとされる。
すなわち、絵文字から象形文字そして、単なるデータ(=所与、Information、過去の事実、資料、数値とか)に過ぎないものは、思考停止を招来し、その社会や集団に属するものは、思考パターンが後退せざるを得ないわけだ。
☆ところで、日本が諸外国と比べた優位性とは、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国語を吸収する言語能力があり、これらは中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(=ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)のである。なぜ、ここで筆者が中国を引き合いに出すかと言えば、既に日本経済は中国傘下、日本の製造業は東南アジアの下請けへと完璧に組み込まれようとしている政策に至っているからだ。(☆印からここまで総務部メルマガ3月号から引用)

現コロナ恐慌とAfterコロナ禍には、中国(=経済学者や社会学者が冷遇された)経済路線の傘下となり、親しく親中路線で政権維持と資金源確保のためだけに歩む。中国のようにデジタル化=日本のデジタル庁が、いかに日本と地域の経済&社会の破たんを招くプロセス(過程、道程、手順、方法など)を歩めば、それが危険であることを、歴史的事実に基づいて示す科学的法則性の紹介なのである。

過去・現在・未来を表現できる言語は、一部の古代人から拡散。
したがって結論は、“過去・現在・未来”を表現できる言語とか方言を使っていなければ、進化に資する情報を応用できるに至る論理構成のプロセス(過程、道程、手順、方法など)を、発見することも出来ないし、その経験体験を蓄積することなど不可能なのである。
その古代人とはインド・ヨーロッパ語族だ。紀元前6700年前後(今から7800~9800年前)に、“過去・現在・未来”を表現できる言語を用いて、メソポタミアに接見していたとされ、馬(=冬でも地表が凍っても馬はヒズメで氷を砕き、自ら草を食べる)とともに生き、馬の群れの素早い動きから、“過去・現在・未来”を言語として習得したとされている。その過去時制を伴う文化で牧畜、農業や鉄器などをいち早く育み、それらの文化と言語は世界中の民族が導入して、導入した民族は衰退や滅亡を防いだとされる。

日本語も英語と同様の過去現在未来の三つだと思われている。しかし、文法上、日本語に未来形の活用は無い。日本語は文脈で過去現在未来を判断(過去時制)するしかない。例えば万葉集を例にとれば、過去現在未来がよく分からない。=すべてが現在のようだとの受け取り方もできる。したがって、「五段活用」は欠かせない。日本語では、過去形は「~した」というように語尾を変化させる。中国語では現在形も未来形も「~する」と同形で、過去と未来の区別もあまりなく、時間を表す句を動詞の前に付けることによって時制を表す。したがって日本語も時間を表す句を動詞の前に付けるとか、語尾を「~する。~します。」とか「~した。~しました。」とか「~することになる。~することになります。」注意しなければならない。そして、それは日本語の表現構成全般に関わることとなる。文章には、5W1Hが欠かせないように。

知の組み立てのない作業は無駄=累積赤字や精神(気持ち)疾患へ。
そして、日本語の外国語を吸収する言語能力はあるけれど、“過去・現在・未来”の表現を確実にして、話すにしても物を書くにしても、その教育と訓練は重要なのである。
ちなみに、国語教育で有名だったフィンランドでは、その教育訓練が小学校4年生で徹底して行われる。(例)よくある学校からもらって帰ってくる保護者向けのプリントの文章(学校での水道使用など)を、簡潔でわかりやすい文章にと、グループ学習で作り直すのである。
日本では、法曹関係者の文章は、「高校卒業程度で理解できること」とかを目標に研修訓練をしているようだが、フィンランドのような内容についての研修の手順や方法は、それもマニュアル的にではあるが司法試験合格後とのことだ。でも、あなたも経験の通り法曹関係者の文章は一般人には難解である。また、行政機関各省庁から出される文章も、一般社会で用いる用語や文章構成ではなく、特殊専門的であるから訓練しなければ必ずと言っていいほど誤解する。要するに、フィンランドのような内容の国語教育は日本にはない。日本では受験用の国語教育が予備校で行われている。筆者は3年前まで、そんな得点優先の設問の読み方の存在すら知らなかったし、学歴を問わず大量文章等の把握能力の弱い人材の多い原因が、そこで初めて理解できた。

こういった社会現状があるからこそ、テレワーク、リモートワーク、電子メール、ZOOMなどの道具を使うほどに、意思疎通やコミュニケーションの効率低下となるのである。Afterコロナとなれば、仮にサプライチェーンが再構築できたとしても、一部の利益率の極めて薄い商品取引しか成り立たないのであるから、現状の現場水準の意思疎通やコミュニケーションには、今の現状と諸IT機器を道具並みにしか使えないのであるから、経費がかかりすぎるのである。話が飛ぶかもしれないけれど、終戦後日本でベルトコンベヤー式の流れ作業を導入して成功させるために、松下電器産業は作業者に北海道ニシン漁の“ソーラン節の歌と踊り”を教えこんだ。その松下電産の教訓と方法はそのまま紹介され、当時の人事院とか地方公務員の教育訓練にも導入された=要は、リズム感が整わなければ流れ作業ができないというポイントだ。

日本の国民や労働者の圧倒的多数は、知の組み立てが無いからIT機器をICT産業革命のために使うことが出来ない。パソコンはICT産業革命のための意味ある機械とはなっていない。さらに操作性に問題のあるスマホは軽量持ち運び便利なだけで、実態は短時間通話とゲーム程度を超えて使われていない。
記憶力が弱くても蓄積をすることで記憶力のカバーをするためのIT機器活用すら行なえず、記憶力をカバーできる創造性のキッカケとなる“妄想的閃き”ないしは“過去の蓄積に基づく妄想”の信憑性チェックその他にも、多くの人たちは活用できていないのである。仮に、今述べた活用が出来るようになったとしても、金融投資資本に振り回される:IT企業とその太鼓持ち学者は、「汎用形AIが、ほとんどのことで人間と同等か人間を上回る」と言い続けているが、子どもができる人間との会話とか、カメラで見たことを説明するとか、いくつかの事例から概念を学習するといった、AIが当初から目指した動の見通しすらも立たないのだ。
因みに、この総務部メルマガは、①過去19年間の配信内容を検索&フィードバックループのシステムとか、②ExcelによるArt域労働や作業を一定思考パターンによる解析(深層学習技術)を行い作成している。もうすぐカオス理論(=風が吹けば桶屋が儲かる)とか量子力学(=光は波であり粒である)といった法則性思考パターンも導入することとなるだろう。それは便利で簡単で“いつでも、どこでも、だれでも”が、法則として実行できる科学性を持つからだ。もちろん、キーポイント&キーワードは人力だ。

総じて言えば、GAFAをはじめITとかICT業者のほとんどは、購入とか導入採用をする意思決定者の持つ過去からの知識より生ずる錯覚を煽って、そこへ持ち込む作り話を散乱させるばかりである、それは売り上げ至上なのだから。ことに日本の省庁の場合は、政権維持とか省庁の存続を、その底流では何か良いものがないものかと血眼になっている。そこに“AI知能?”といった意味の不明な営業トークを持ち込まれ、売上からのキックバックやバックペイを裏から流すことによって、“事実上は予算を引上げ利ザヤを稼ぐこと”が優先とされているわけだ。加えて日本のIT業者には責任施工の商習慣がないことに欲をかき、発注者官僚のうっかりミスの誘惑や誘発を仕組み、追加工事の連続をさせるのだ。数百万から1,000万円で可能なソフト開発も、36億とか76億といった国の予算が執行される始末なのである。


§どういったわけで、デジタル化は広まるのか。
それは、私たちの生活は便利に煩わしくなく、豊かになるという幻想からである。
しかし、今の私利私欲に走る全体主義者の権力にとっての最大の目的はは、自分たちの支配にのみ有利なだけの記録社会だ。ICT産業革命なんかは理解もできずそれを牽引する意識もない。
これまで商取引は商品と現金が交換されれば、そこで完結した。その完結とは相手が特定されなくても支障はなかった。ところが、デジタル取引となると双方間の交換がなされれば記録され、その後に代金の集金と支払いが行われた記録もが別に残ることとなる。つまり私たちの一挙手一投足が、商い行為とは別に権力に記録されることになる社会だ。交換の記録と金銭移動の記録をそれぞれ行うことは物事を詳細に判断するデータとして、国民の誘導や個人の自由政権の手法にとっては重要である。それまでは商品交換移動と金銭移動を団子にしていたが、経済学上も論理としては交換と金銭を別概念と論じていたが、デジタル取引となると、これを別々に把握することとなり、これがデジタル化の目的となるのだ。経済学的な視点から言えば自由市場の担保が失われるわけだ。人間を“予定調和”のレールの上を走らせる超監視社会の下地が出来上がる。表面的には商品交換移動と金銭移動は、個別企業の帳簿に記載されている内容なのだが、デジタル化の目的とは、一挙手一投足把握する帳簿を国家が保有するということだ。それこそシンガポールのように、いつ何時でも個人の貯金残高までが他人に知られてしまう。中国の実施している“人物素行評価”を中国政府が把握するよりも日本はひどい。

さらに現在のデジタル化とは、共通化・標準化・統一化を伴う、まるで人間をロボット扱いする指向である。要する共通化・標準化・統一化の枠内の敷かれたレールの上を走る“予定調和”の人生=人間有機ロボットだ。本能的に自由を求めれば、うつ病を繰り返しあげく統合失調症に陥り、誘発的自殺となることも珍しくない。社会的排除が容認されやすい社会構造を作ることにもなる。彼らのデジタル化とはICT産業革命ではなく、“善とは=進化に資するもの”とすれば彼らに都合の良い社会構造を作り上げようとする悪の壮大な行程である。ICT機械ロボットを製造するには莫大な費用と時間がかかるが、人間有機ロボットはそんなに費用かからず“自動忖度”付きでもあるのだ。

ところが現実は、
デジタル化の入口となる、PCにスマホ、未だに何人が使いこなせるのか不明である。
そのつたない通信が。長時間労働の元凶となっている、すなわち、その根本課題とは、“それでは意思疎通やコミュニケーションが成り立たない”との実態なのだ。英語でのCommunicate、その言葉の原義は“他人と共有する”である、知っていることを共有するのである。スマホとはゲームや音楽に夢中になって、実態は通信だけ、メールだけという人は多い、
(過去記事)
テレワーク・リモートワークは、日本の大手企業を先頭に空回り
(総務部メルマガ:2020/11)



§デジタル庁のデジタル化は、自由経済を破壊する。
デジタル庁の進めるデジタル化はすべての行政への申請を100%デジタル化すると政府は説明している。
ところが国会議員が関係する政治団体が政治資金収支報告書をオンラインシステムを使って提出していたのは、2019年分はたったの1.13%。あの平井卓也デジタル改革担当大臣は「膨大な領収証のコピーをPDF化しなければならず、オンラインの方が作業量が多くなってしまう」という理由からオンライン申請をしていない。ところで、このシステムだけで36億円の国費が投入された、破格の高額だ。
マイナンバー制度をこれまでの「税・社会保障・災害対策」の3領域から、すべての領域のデータベースのキーコードとしてデジタル庁が管理しようというのが今回のマイナンバー制度改革。これはスタート時点の制度とは似て非なるものである。それは、地方自治体のシステムも、全国共通の仕組みに変える地方自治体(住民サービスの主体)市町村行政の破壊の第一歩だ。市町村を国の出先機関化させる画一化行政である。住民サービス水準を抑え込む行政機関の常套手段は、第一歩が画一的水準低下である。その過程で裕福とか充実した自治体に向けて批判がさらされるようにする手段も含んでいるわけだ。コロナ給付金の支給遅れを銀行口座とマイナンバーの紐付けがなかったことに原因を転嫁し、銀行口座との紐付義務付けを画策していた。が、それは頓挫した。しかし最終的な狙いは金融資産の把握である。

★現在最も狙われている領域が医療と教育だ。特に教育では生徒児童の成績のマイナンバーによる一元管理も浮上している。人間にとって最もセンシティブな情報をマイナンバーを使って紐付けようという構想だ。たとえそれが、世論や国民の反発が如何ほどかと探るためのアドバルーンの話だとしても、卑怯な手段を持って私利私欲に走る全体主義の卑怯者には変わりはない。
そして、何よりも、反発する多くの人の表現は、「アマゾンのほうが役に立つ」ってものだ。


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210511】
①地方の時代は、Afterコロナの経済の柱として持ち上げられ、再び幻想が。
 (紹介書籍)
 『まちづくり幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか』

コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。この5月号で紹介できるものは1冊だけ。

(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)

むらおかのコラム
【コロナ感染直前まで流行った、“地方再生”】

それは、単なる投資先を見つけ、無駄遣いをさせ、借金をさせるための典型的な幻想として、新型コロナウイルス感染による経済構造の崩壊とともに終焉してしまった。
筆者は、そういった幻想とまやかしとは違って、根本的な地方経済再生を、新製品や新サービスそして雇用の確保を柱にして地場産業としての道を、このメルマガでも従来から説明してきた。
確かに、原材料や半製品は遠くから持ち運んできても良いが、産業とか特産物に成り立ち得るのは、その地域や地場の労働能力全般(労働力を切り売りやたたき売りではない)なのである。日本古来の高級な筆の毛は多くは輸入品である。古い木造の戸建てに塗られる紅色塗料の弁柄(ベンガラ)はインドベンガル地方から輸入した赤色酸化鉄の加工品である。
Afterコロナに、コンパクトシティへの誘導政策が進められるとしても、いわゆる昔の城下町の如くに物資の仕入れを組み直すということだ。江戸時代の城下町にはICT産業革命が存在しなかったとのイメージだ。すなわち、そこまで商品生産や物流にエネルギー運搬その他の無駄遣いを抑制し、雇用と職業能力の飛躍的向上だけは避けて通れない。その事は避けられないのだ。
バラ色といったイメージは空理空論の嘘である。その事を通じても、どのような価値で以って利潤を獲得するかは、固有文化価値をベースに海外展開して新製品や観光などの新サービスといった方向か否かというわけだ。
大雑把に、
 a.今の3分の1の仕入れで以って、
 b.高い価値を生み出す人材に投資を行い、
 c.高価値高利潤の態勢づくりである。
空洞なデジタルシステム&ICTを使いこなせない思考パターン人物を、幾ら掛け合わせても、ICT産業革命は産まれない。
その自治体ごとの価値生産と仕入れは、本年6月1日に行う「経済センサス-活動調査(総務省統計局)」でもって見当はつく。
https://www.e-census2021.go.jp/

紹介するこの本では、それら幻想の典型的なものいくつかを暴露している。予算をつける為の理屈を考える人物ではなく、集票やまやかしの幻想を抱かせる人物ではなく、実際の政策提言を行う人物ならではの暴露である。
___パソナの淡路島事業___
廃校を利用したレストランやマルシェ、その他地方創生事業。本社そのものの移転ではなかったから納税自体は東京都だ。コロナでの就職氷河期対策として最大1,000人2年間を条件に受け入れとしたが、正社員の給与の7割である契約社員がベース。大学・大学院卒で16万6,000の初任給。そこから控除される金額が、淡路島居住のための寮費20,600円+食費39,600円=合計60,200円となり、残金は10万円を切る。さらに社会保険料や税金の自己負担分は5万円前後に至るから、淡路島の地元に落とされる金は見込めない。
★むらおかがコメントするに、
この30年余り、パソナと称する同様名称企業・同一事業は数え切れないほど解散と設立を繰り返してきた。その利益の源泉は投資の踏み倒しと労働者からのかすめ取りといった姿勢と言わざるを得ない。この同様名称企業・同一事業は、労働者派遣業許可制度開始の当初、スムーズに許可が取れそうにないとして、むらおかの自宅に押しかけてきたことからよく知っている。

___海外からのインバウンド事業___
平成元年の観光白書の数字からだと、国内旅行消費額は日本人観光客によるものが82.7%、訪日外国人旅行客によるものが17.3%なのだ。金額ベースでは、全体の26兆1000億円の市場のうち、インバウンドは4兆5,000億円に過ぎない。近隣日本人の日帰り旅行でも4兆7,000億の市場規模だ。この本の著者は、安くたくさんが地方を滅ぼすとしている。そして、地方は農林水産業における生産力があるから食品生産も可能で、風光明媚だからこそ観光産業も成立する、としている。
★むらおかがコメントするに、
ましてアメリカ、ドイツ、フランスなどからの長期滞在富裕層の需要にもかかわらず、そのターゲット政策は無い。中国経済にすり寄る今の親中派政府の政策では、日本の資産や労働能力を消耗させられるだけだ。

___成功事例を求める地方の病___
「予算があればどうにかなる」と、役所に出向いて予算をもらうことに時間を割く民間企業が多い地域は経済活動が低下する。それらの意思決定層は、「成功事例を学べば成功する」といった幻想、「成功事例を横展開すればみんなで幸せになれる」といった幻想、そして、毎年のような視察旅行。その墓標が、需要を上回る工業団地の造成とか、どこもかしこもリゾート開発の推進、さらには今日のワークとバケーションを組み合わせた“ワーケーション”というわけだ。この本に筆者は、全国各地でワーケーションということになれば、供給の過多で価格競争になり採算ベースで共倒れになると指摘している。
★むらおかがコメントするに、
これらの全てはが、意思決定者の過去の知識から生ずる錯覚を煽って持ち込まれる話ばかりなのである。ワーケーションの認知はあっても希望者は少ない。就労世帯の半数以上は共働きであり、受験熱も冷めない中で子どもが学校に通っている世帯の多いことを思い浮かべるだけで、?需要なんぞ見込めるわけがない!のである。テレワークも同じようなもので、事実や調査に基づかずに幻想を振りまく“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち(=検索キー:総務部メルマガ3月号)が煽っているに過ぎない、それは政治家・官僚&公務員・民間企業それぞれに散在している。たしかに、年金生活を迎えて地方の古民家改装生活は需要増加しているが、それとて“農林水産業生産力&食品生産”への期待や、街並みに花壇が多い現象に現れる(フランスや北欧も同様のようだ)⇒その地方の街の人間性が決め手なのである。コンパクトシティを閃いたと言ってもそれは幻想ではなく、いわゆる昔の城下町の如くに物資の仕入れを組み直すことが出来るかどうかでって、幻想を並べたててはいけない。

【紹介書籍】『まちづくり幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか』
https://www.amazon.co.jp/dp/4815609128/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_BAZRXVJ1NEEH1V9NH19Q

2021/04/29

総務部メルマガ第229号(5月4日発行予定分)
配信延期のお知らせ

  [翌週の5月11日深夜に配信いたします]

2002年5月8日の第1号配信以来、毎月10日以内の火曜日に発行をしてきましたが、今回ばかりは延期をいたします。「今だけ、銭だけ、いざ逃げるだけ」の思考パターンの持ち主は、総務部メルマガの読者対象ではありませんから。一週間お待ちいただきたく存じます。

①新型コロナウイルス感染により経済ばかりか社会そのものまで恐慌の余波を受けています。政府機能あるいは行政機関は深いところまで、金を積んでも動かないほどの体たらくで機能崩壊しています。大手マスコミなども、正確な情報に基づく報道から道を外した状況です。例えば、大阪は新型コロナ変異種による増加と受け止めてしまうような報道をしていますが、大阪府の調査資料では、変異種の前からの増加であって、“変異種だから”といった判断の裏付け資料は存在していないと、某ウイルス学専門家は指摘しているのです。現況の様な混乱状況で、取材と裏付け固めに、どうしても閃きと時間を要するのです。

②数年後になるかもしれないafterコロナ。その時に先日までの経済構造や個別企業の経営スタイルが復活することは無い。むしろ、先日までのスタイルを遮二無二(しゃにむに)続ければ、その分の累積赤字が個別企業に積み上がるだけである。それは、MMT理論で国家はつぶれない!としても、巨額の借金返済は民間に圧し掛かる。コロナ危機であっても“生きることは第一とする基本的人権”ならびに最低限の商品生産のための緊急資金は、現憲法制度のもとで捻出しなければならない。ではあっても、afterコロナの後には(いかなる国や自治体であろうと)返済が待っている。大阪府は従前から予算を削り、“人の意見だぶる”も聞かず、この1年間にわたって感染症や入院体制の対策を築かず、現在のような大阪府下の“入院待機者1万人越え”を招来、それは未必の故意なのである。

③コンパクトシティへの誘導政策が進められるとしても、いわゆる昔の城下町の如くに物資の仕入れを組み直すということだ。江戸時代の城下町にはICT産業革命が存在しなかったとのイメージだ。すなわち、そこまで商品生産や物流にエネルギー運搬その他の無駄遣いを抑制し、雇用と職業能力の飛躍的向上だけは避けて通れない。その事は避けられないのだ。バラ色といったイメージは空理空論の嘘である。その事を通じても、どのような価値で以って利潤を獲得するかは、固有文化価値をベースに海外展開して新製品や観光などの新サービスといった方向か否かというわけだ。大雑把に、a.今の3分の1の仕入れで以って、b.高い価値を生み出す人材に投資を行い、c.高価値高利潤の態勢づくりである。空洞なデジタルシステム&ICTを使いこなせない思考パターン人物を掛け合わせても、ICT産業革命は産まれない。その自治体ごとの価値生産と仕入れは、本年6月1日に行う「経済センサス-活動調査(総務省統計局)」でもって見当はつく。
https://www.e-census2021.go.jp/

以上。ひとつ、よろしくお願い申し上げます。代表取締役 村岡利幸

2021/04/06

第228号:前門の虎、後門の狼、更に刹那の波

<コンテンツ>
前門の虎=パンデミック、後門の狼=世界経済危機に対し、更に刹那の波
  ・現憲法の社会構成と行政法枠組を壊されている
  ・これに、中堅中小企業はどう、立ち向かうのか

GAFAに翻弄されない「ものづくり」=利潤利益率を確保
  ☆要するに、利潤利益率を確保する事業展開のポイント
  ・高度な固有価値製品の「ものづくり」
       =Art域労働版(2021年4月6日改訂)

  ・新型コロナ感染で崩壊後の、経済史的な打開策は
  ・消費財の固有文化価値商品「ものづくり」①~⑨の9個
 [コラム1]Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと
 [コラム2]物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という

「国民が働いて借金を返す」、それが“労働貨幣論”
  ・MMTへと、ワラをもつかむノメリ込み
 [コラム3]≪ゲオルク・ジンメル:Georg Simmel、1858年-1918年≫


§前門の虎=パンデミック、後門の狼=世界経済危機に対し、更に刹那の波
新型コロナ感染を何かにつけて、経験も無ければ実力もない輩の集団に任せるとか、“こんな輩”に牛耳ることを許したわけだから、今さら文句を云っても批判を繰り返しても、新型コロナ感染の打開の道は、開くわけでもない。

“こんな輩”にとっては、奇跡的に握った地位や権力の座、無能かつ、愚かな体面を晒すことなど苦とも思わない。彼らにとっては、生涯一度も出くわしそうにないチャンス。だから、その心理を順風満帆に育ったエリートや、誰かに依存しながら生きてきた一般大衆には理解ができない。むしろ彼の輩らは、騒ぎや混乱が拡大すれば、再びドサクサ紛れでのチャンスをつかもうと、必死で意気込むのだ。見ての通り“こんな輩”は利権と自己保身目的だ。

本来の帝王学においても、物事が上手くいかなければ、多くの人物の知恵を集め、より多くの人物の参画を組織し、肝心な微に入り細に至る部分での実績を蓄積する。それを通し全体の成功を収めるわけである。それは、“光は波であり粒である”といった人類数千年の経験則であって、現在は量子力学(アインシュタインが発端で2012年に証明)のイメージで語られるに至っている。ところが、無経験・無実力の“こんな輩”にとっては、それを聞いたこと無く、能力の幼稚さからも理解できず、まるっきり、(巷で読者もよく遭遇したことのある)詐欺行為で成り立つ経営者とか、高級サラリーマン層にも存在する“ちょい借り詐欺”師の類なのである。
日本の義務教育における、“社会科・公民科”教育の不十分さから、一般大衆は“こんな輩”を見抜けない、一般大衆のおぼこさが世間に蔓延していると見るのが正解だ。ひいては諸専門家も先頭に、おぼこい。大衆の無関心とか日本人の従順さではない。
だからこそ、公衆衛生(但し国立感染研は保身に走っている)の趣旨が理解できず、難しく表現すれば公衆衛生と臨床医学の、差異と共通点にも気がつかないのだ。たとえば、ワクチンは公衆衛生目的の手段にもかかわらず、感染しないとの誤った期待に騙される。そう、個々人の感染予防や重症化対策は、臨床医学実態として、結果としては感染も重症化も無防備状態と見るのが妥当だ。

現憲法の社会構成と行政法枠組を壊されている
それこそ、“こんな輩”の無血クーデターだ。
臨床医学は地方自治体(市町村や都道府県)を主体にした住民サービス促進体制に組み込まれている。だから厚労省&国立感染研は、地方自治体をバックアップする情報提供や治療指針掲示こそが重要なのだ。が、現状は情報隠蔽と治療等指針につき不作為(治療指針その他を示さない)である。その行政法枠組のもとであって東:世田谷区、和歌山県、広島県等での無症状者感染追跡が、おそらくは功を奏していると思われる。すなわち、新型コロナ対策の方向間違いとボタンのかけ違いは、相当の新型コロナ対策の無駄、根本的不毛と消耗を招いている。無経験無実力の“こんな輩”だから、建議をされても解らない、むしろ“こんな輩”は公衆衛生、臨床医学、地方自治といった舞台での有能有力者を敵扱いするわけだ。目立つためには、有能者の建議を絶対否定する。形勢が悪くなると口先だけ(野党や左派の言葉を盗み)、旧ソ連の語り口の如くに、違和感丸出しにだ。

すなわち、現憲法の許、国が交付金その他予算をちらつかせるのは行政手法体系の間違いだ。東京都庁や大阪府庁での地方自治や地方自治体を蔑ろにしての、知事が目立ちたいがための策略こそが間違いだ。それぞれの結果が感染増加なのである。地元有能専門家や各自治体足元の有能者の離反をも招来しているのでだ。“こんな輩”に媚びへつらい、協力してやっていけば、交付金とか予算等を沢山もらえると期待するのは、まるっきりの錯誤錯覚である。

これに、中堅中小企業はどう、立ち向かうのか
これに民間と圧倒的多数の中堅中小企業は、どう立ち向かうか。
①先ずは、“こんな輩”の話には乗らないこと、耳を傾けない。
②目先の職場と家庭は、飛沫消毒。その徹底を企業ごとに行う。
③感染ルートは、幼児&児童から両親や家族への感染が主流だ。
④飛沫感染予防の消毒、予防サプリや食料、重症化対策サプリ。
⑤Withコロナではなく、職場で安全衛生、家庭での食生活改善。
⑥もはや民間防衛、自治体、職場、自治会からの情報発信が柱。

この項目に沿った情報の具体化は、身近な医師とか産業医に話してみればよい。
新型コロナ感染は、幼児&児童の無症状者が先頭を切っている模様なのだ。
20201128HouseDisinfectionIllust.jpg(bp.blogspot.com)

発症しやすい体質とか生活習慣の情報も、厚労省からの発信ではなく、個別医師レベルに到達するようになった。新型コロナとその後の重症化に対応する特効薬や治療薬が、未だ無い段階でも、重症化=間質性肺炎に対する抗酸化物質(グルタチオン)とか、全身の血栓による臓器等多機能不全に対する抗血液凝固剤(ヘパリン、クエン酸トリナトリウム)といったサプリ域でも有効な情報も流れている。何も酸欠発見⇒酸素吸入といった病院対症療法に限らず、重症化の肺炎は発症9日目がピークだとか、全身の毛細血管の血栓による臓器多機能不全は発症早期に発生しているとかの、臨床先進治療医師の情報も、医師にも所属団体外からも個別に入るようにもなった。

私自身は、政治には飽き飽きして全く関心はない。
が、与党野党や無所属を問わず共に、せめて議員や首長に当選とかしたいのならば、あるいは民衆の支持を得たいならば、①~⑥といった中味を地道に、“どぶ板並みに”実践することだと思う(約半世紀の現職業センスから着想)。私自身は住民投票以外は政治には関心すら持っていない、けれど、保守×革新→与党×野党といった団体戦の時代は、とっくに終わった。


§GAFAに翻弄されない「ものづくり」=利潤利益率を確保
こういった4社など“プラットフォーム”に、“おんぶに抱っこ”になっていれば、いくら「高度な固有価値製品のモノづくり」だとしても、時間が経てば4社等に振り回されてしまう。
またそれは、この4社だけには限らず、同様の事業や機能、そして中国の“阿里巴巴Alibaba アリババ”その他であっても、“おんぶに抱っこ”であれば振り回される。
GAFAとは=グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェイスブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の4社のこと。世界中の多くのユーザーが4社のサービスをプラットフォームにしている。それは、商品やサービスとか情報を提供する基盤となる企業で、世界中の多くのユーザーが、4社の提供するサービスをプラットフォームとして利用しているわけだ。
そういった市場確保の業態は、当初は寡占・独占を打ち破る自由市場をうたって成長した経歴を持つのだが、創業経営者の変更や金融資本の投資そして国家が介入や結託をしてしまうと、見事に変質してしまう。

だから「高度な固有価値製品のモノづくり」を目指しても、“商品にタガをはめられ”=単なる労働力集積商品を強いられ、GAFAの仕入れで買い叩かれ、何の変哲もない商品水準に落とされたところで、あなたの会社とあなた自身が、彼らの歯車に変質されてしまうわけだ。当初は「高度な固有価値製品のモノづくり」として自由を求めたとしても、たとえ理想にしがみついたとしても、実態は変質させられてしまう。
歴史的に見ても、封建制度や土地から解放されて自由を求めたけれども、うかうかしてる間に事業そのものが“搾取と収奪”されるようになった歴史事実は、マルクスが資本論で証明した範囲においては正しいのだ。(ただし、後のエンゲルスの論理修正、ジンメルの論理確立、スターリンの捏造といったものが、今や学問的には発見確立されている)。近年のJustin Time生産システム(別名:リーン生産方式)も、トヨタ生産方式のカンバンと呼ばれる帳票(看板)を利用すること等から始められたが、当初の導入時には在庫を持たないから、「協力会社の金庫には現金がいっぱいになります」といった“口車を並べたてる事”からの促進が行われたのだ。(協力会社からすれば手形割引の慣習で不自由に晒され、トヨタ自体も手形割引事業を行っていたのが実態だ)。とにかく当時は、“口車や語り口を並べたてる事”で中堅中小企業経営者は“笑みの眉開く”だけで、良く知らずに導入した。
★ところが、コロナ感染で破綻した資本投資型の事業業態にしても、時折寸断する在庫を持たないサプライチェーンにしても、現代の自由市場経済(←資本主義経済の旧名)で向上したわけではない。
“いくつかに集積される金融資本”の総額は、集積されるから超多額には見えるが、その額は数えたり計算したりすることは不可能だけれど、全体の利潤利益率が低減をしていることは科学的論理としては間違いない。それは中国本土や北朝鮮の自由市場経済には現れない投資においても同様である。(中国などは資本主義経済理論の着想では分析できず、欧州などの貴族の投資先であることも、それを知る人自体が少ない)。

要するに、利潤利益率を確保する事業展開のポイント
地産地消=地元地域にしっかりと足をつけた「ものづくり」あるいは販売だ。
【解説】間違ってはいけないのは、原材料などの仕入れは地元外からやGAFAからでも良いが、最終完結する労働の投入の仕事場所が地元の地産地消であることだ。原材料が地元に有るからといって地産地消を組み立てた事業は、概ね失敗に至った。昔から、北海道昆布の地産地消は、富山、敦賀、大阪だ。辛子明太子の原材料は昔から北海道とか海外産で福岡製造の地産地消(が7割は北海道へ転送)だ。
すなわち、その地産地消の地域に集積した労働全般の能力が決め手なのだ。その法則は世界共通であり、単なる原材料調達先は世界をめまぐるしく変遷している。その変遷を支えるのがGAFAといった企業ではある。したがってGAFAなどの事業の行き着く先は、究極の市場拡大と利潤利益率の低減なのである。だから、市場拡大のためにGAFAなどは米中経済戦争の闇の主役になる必要もあり、併せて仕入れ価格の買い叩きは宿命であり、そうしなければ事業維持ができない。加えて管理体制とその維持費にも膨大な資金がかかるわけだ。石油会社にしろ、破綻に向かう新自由主義にしろ、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ(無意味な仕事、それにまとわる人物とは=次のURL)。


最も手堅い「ものづくり」、あるいは販売は、先ほどの意味での地産地消が原則なのである。衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるモノに限り伸びているのだ。広い意味の芸術性(Art域)を持つ“製品やサービス”は伸びている。これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”)に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神=人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになる。観光産業だとしても、それを支えるの「ものづくり」の原則は共通している。GAFAに翻弄されればインバウンドには低劣で低利潤利益率のセックス売春がはびこるばかりになるのだ。
老舗の観光立国での、「フィンランドには何もない?」の売り込みには、芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”を科学的に織り込み、観光客は人と自然に触れる体験に高い利潤利益率の「ものづくり」あるいは販売に触れるわけだ。「フィンランドの人の考え方はどんなもの?」とて、フィンランド観光担当局は意識していると言っている。地産地消とは、地元地域(最小単位は中学校区)から世界へ向けての多国籍展開を行う。これが今からの展開であり、それは世界的には常識的であり通例なのである。


高度な固有価値製品の「ものづくり」=Art域労働版(2021年4月6日改訂)
ちょうど今から8年前の、4月8日発行の当メルマガで、
リーマンショック後の日本経済破綻と「ものづくり」の打開策を書いた。
(総務部メルマガ2013/04/08号から引用)___
『日本は、今日の経済破たんを迎えた。政府の金融政策は効果がない、通貨貸出準備が整っているも個別企業に貸し出すだけの新商品がないのである。既存の商品は労働力商品も含め低下の一途をたどっている、この現象をデフレと称して「不況?」と呼んでいるにすぎない。そこで、固有価値商品に目を向け、且つ世界経済や世界市場に目を向けながら、日本国内のここ60年ほどの新商品開発の教訓を踏まえ、世界的成功している新商品開発をまとめたものが次の項に示したものである。そしてこれらは、もう既に導入した個別企業においての成功を繰り返しつつある』。
_____引用はココまで。

新型コロナ感染で崩壊後の、経済史的な打開策は
それは以下の通りだ。歴史の流れに逆らっていては、本当に労多く無駄な時間だ。
いわゆる封建時代は土地に縛られ自由も知らなかったが、都市に働きに出て、“賃金労働”といえども貨幣を道具として自由は増えた。自由平等を目指すことで経済活動は、貨幣を道具としての“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法(自由市場経済)である。
その際に、今日の話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」だ。そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であるとのことが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。
そして、☆「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明に達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではないのだ。
労働力の切り売りで厚生のみを得る“賃金労働”から、今後はArt域労働が幸せになる権利を拡充する。Art域労働の高利潤高利益率は、“賃金労働”の労働力での“煩わしい仕事をこなさなければならない場合に限られる”とは異なる。Art域労働で幸せを得て能力も伸びる志向は、ICT産業革命とともに進展させることが可能になった。その科学的学問的解明も次のURLの通りに示された。(専門学者によると、この“幸せになる権利”は、Art域労働の価格決定論とともに、世界的高水準の発見とのことだ)。


消費財の固有文化価値商品「ものづくり」①~⑨の9個
それは、地産地域の(地域の最小単位=中学校区単位の行政単位)、
地場経済圏、地方経済圏、民族文化その他に蓄積された、
「労働蓄積+労働能力+労働力発揮」といった労働価値に基づくところの、商品開発作業である。


製品の1ヵ所だけを変えて、現代の非凡(自然素材活用とか木製自動車その他の例)にしてみる。
(例=日本画と同じ手法でも異なるものに⇒)
絵画(美術)は色彩=心の鏡・表面の表象、彫刻には:手触り感のたなごころ(掌)。
音楽は空間把握、それは、Background MusicとかElaborately Produceとは違う。
詩Poemは時系列の思考パターンであり、その感情移入は、登場人物と自分あるいはリアルとバーチャルのプロセスである。
感情移入は、芸術(Art域)や道徳・理性力のトレーニングとなる。
ただし、非凡なだけの行為はイノベーションでも芸術(Art域)でもない。
https://soumubu1.blogspot.com/2021/03/blog-post.html


重要な改善の発見きっかけのツボは、「他社と違う、他地域と違う。」ところにある。ところが地産地域の商品開発作業は、各地域のオリジナルな中身である。
そもそも本来は地産地域を越えて交換されるから、物資が商品として成り立つのである。単なる違う機能を求めることはイノベーションではない。
単なる利便性とか単なる価格といった品物の背景には、必ず経済外要素の軍事力や安定交通ルートを要する。だがそれでは、自由市場経済の商品ではないのだ(配給物資とか計画経済物資)。


固有価値商品の新鮮さをアピールするイベントを行う。新鮮さとは自然を活用した生物だけのことではない。店先の実演販売、半製品を店先で完成する、その他の演出による買い手との意思疎通である。
要するにビジュアル映像では商品の新鮮さが伝わらない、匂いを醸し出すIT機器を備えても伝わらない。共感とコミュニケーションが決め手だ。テレワーク&リモートアクセスでは、限界があり空振りが多い、そして安物しか売れない。



←こんな配給物資は、もう売れない。
商品の容器や容量を変えてみる(土地柄、一人暮しや核家族向けの数量、保存法)。買い手の、「意欲・感動・希望」を探ることになる。
Art域労働の具現化には、受ける側に希望が呼び込まれる要件が必要となる。それには、容器や容量が重要ポイントとなる。
配給物資とか計画経済物資は、自由市場経済の商品とは異なった、大量輸送価格とかその荷造り運搬経費が前提となっている。


製品(家電、衣料、水、自動車、食品、住居など)の原材料とか成分を変えてみる。その地方特産品だからといって、その特産物を商品原材料に使うことでは、固有文化価値商品は生まれないのだ。カラシ明太子など水産加工品、昆布製品などすべて労働集約商品である。
繰り返すが、地産地域の商品開発のArt域労働やその作業は、地産地域のオリジナルであって、そういった物資が地産地域を越えて交換されるから商品として成り立っているのである。

GAFAなどによって流通する商品はArt域労働によるものではないから販売量や価格には限界がある。だから、Art域労働による固有文化価値商品は、地域を越えて高利潤利益率を保ちながら、仲介販売を介して、価値を具現化する仕組みとなっているのだ。
脳内の模倣Mimesisでもって、その固有の価値を共有するからこそ、
相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、その後の量的販売の道が開かれるわけだ。
こういった事は経営手法の基本であり、自由市場経済の商品の分析を成し得た経済学、および自由市場経済の仲介販売経験則を、科学的に分析した経営学が導く事柄である。


顧客が前に何を買い、途中は次に何を買い、また考え直して買った品物を調べてみるといった、「その商品を買うに至る顧客の旅」をよく見る。これも、自由市場経済の商品の仲介販売での経営手法である。配給物資とか計画経済物資とか、そしてGAFAに頼る仲介販売では、せいぜい購入履歴は残せても、「その商品を買うに至る顧客の旅」といった物事は集約できない。

そこは仲介販売においては、無駄な労力を省き高利潤高利益率を保つことを焦点に保つにもかかわらず。
仲介販売のArt域労働が、更に商品のストーリー(コンテクスト)を添える。それは⇒ホッ!とする効果であり、「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化をプロデュースしている。
長持ちとか丈夫さを、ことさら遮二無二持ち出す集団ではなく、仮に、「使い捨て商品」と名付けられるArt域労働による固有文化価値商品も、メリハリを持った商品ストーリーと「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化をプロデュースするのである。


真実を現す色にする。「独自の色彩:それとも:ぼんやり灰色か?」といったような色決めを行う。「絵画(美術)は色彩=心の鏡・表面の表象を加えることである。

脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)のである。
「真実を現す」とは、買い手の心の中にある事象であって、裁判所や研究機関といった団体の論理判断とか、地球自然現象の中にあるのではない。むしろ、そういった論理判断とか地球自然現象を話題とする話の内部には、配給物資とか計画経済物資とかの概念が、経済性という美名のもとに、真実を無視してしまった弊害商品として山のようにある。粗悪な部品や材料にこそ色を塗ることが然り。短命かつ安価な建築物を色彩でごまかしガラスなどの装飾物を用いて、[ひと目で凄いを追求する]ことも一種のPerformanceで、Art域ではない。


買い手が、経験をして知りたい、体験をして集めたいといった、「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化を、それが買い手の知識や認識に組み入れられるようにプロデュースされた商品であること。顧客の体験シリーズや旅(旅とはもとより「人生の旅」に近い概念で、決しては団体旅行パックなどではない)。加えてメソッドバッジ(技能章)といった如くのグッズも用意するところまで徹底することだ。
それは、Art域商品作り手の人物自身がArt域であり、その人の生き方がArt域だから、その固有文化価値を脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)というわけなのである。
GAFAが専ら扱う物品は、商品作り手の個を滅する⇒人間疎外の果てのスキルSkill(労働力技能)の品物である。人物自身のArt域ではなく、アイドル(偶像崇拝)の一形態を求める品物のPerformance(職人技巧)の提供に限定せざるを得ない。要するに、人間疎外のスキルの品物は原材料の意味でしかなく、アイドル(偶像崇拝)の一形態である品物(他人より有利な地位利益を得るための物資)では直ちに飽きが来てしまうのである。


[コラム1]Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと

例えば自転車に乗れるといった相当後日でも思い出すような習慣は、努力で以って獲得されない。「出来るようになった!」とは、細々とした初歩的鍛錬が成功し→その段階が脳内で高度計算処理され→リズミカルに脳内構成されたた間に→初めて「習慣」として獲得される。

そこに辛苦を伴う努力は無い。最低限の時間経過と、各の段階を経る必要があり、これをシャニムニ精神や努力を積み重ねたところで、「習慣」として獲得されはしないということだ。
それは一夜漬けの記憶といったものは習慣になり得ないということでもある。
芸術や技能の鍛錬を、世間で人々が、「能力がない!」と錯覚していることは、そのほぼすべてが、物理的障害によるものと言われている。鍛錬が成功しない原因を、無知な者ほど非論理的に非科学的に説明している。この物理的障害を見抜き排除することが、いわゆる現代で言うクリエイティブな労働(典型的にはArt域労働)の基盤なのだ。

行動科学などの実証研究によると、
①鍛錬の序では、念頭に総合的なリズミカルさで好奇心を持ち、
②上手く描けない、上手く弾けない歌えないなど、細かな筋肉未発達にもよる。
③鍛錬は睡眠の前=内容を忘れないうちに寝ること、
④脳の機能は出力重視であるから、
 目覚めればヤッテみる&話してみる&マトメてみることが
 大切なフィードバック行為であり、
⑤その期間は、短くて済むものでも21日間、長きを要するものは66日間、
 これはどちらかいずれの期間だとの研究結果だ。
 その間に連続2日サボると習得は困難とされている。

戦後の経済成長では、こんな例がある。
=終戦後、松下電器産業はベルトコンベヤー(テーラーシステムの応用)を導入したが、同時に“民謡=ソーラン節”の踊りを従事者に教え、今日で言うリズミカルさを身につけさせた。その後関西では、その踊りが職場の飲み会などで流行した。それは当時の人事院や公務員関係機関でも紹介がされたが、やはりそこでは実らなかったようであった。
(総務部メルマガ 2018/11/06 から引用・加筆)


常に非凡な商品・製品を設計してみること。
「思考の地図」といったような、別々のアイディアの結合をすることは、イノベーションの前段階である。それに便利な5次元の思考X・Y・Z+Time+Connectは、Art域労働に特有なもので、その労働形態そのものが、幸せを得る・幸せになる権利の実行そのものなのだ。そこでは常に新技術・空間把握・アイディアの3つが一体に企画され、可能な限りその作業は分離も分業もなされ、伝統産業に値すればこそ、この3つは重視されている。自由平等を追求するための社会にあっては、職業団体の倫理とは、常に職業能力水準向上を重要な課題と位置づけている。
さらに、美と善(=進化に資すること)はどこかでつながっている。それは“仕事が出来る人物”ならば肌で感じている。このこと自体も、先ほどの脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)のである。「芸術性のない事業は廃れていく」といったことも科学的論理は証明されてている。
だが、これらに対抗して、この新技術・空間把握・アイディアの3つを重視もすることのない組織が物事を仕切って差配していることが主要原因となって、芸術や道徳・理性とは相反する行為に陥っているのが現状だ。
自由平等が形骸化しつつある現状日本では封建的差別的行為が横行して、職業能力は劣化しつつある。加えて職業能力劣化とともに、経済外的な支配が横行し、更に能力劣化は進む。そこまで落ちればArt域な労働や生活からも遊離し、反社会勢力に転落するのは人類の歴史の常なのである。


[コラム2]物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という

認識とは知っただけではなく、実際に考えたり行ったり出来るという段階である。その実態は、最初からある程度のまとまりを帯びた全体像が一気に表れる目前の体験を、“認識するとか習得する”といった経過によって、「ワカッタ!」となり「デキタ!」となる。

要するに、浅い認識→深い認識→発展を促す認識といった発展経過である。いわゆる「守破離」が認識論の基本であることが哲学解明された。

学校で教えているような、過去の伝統的な認識論は、知覚の素材をバラバラの感覚で追い求め、それらの統合力を意味不明な精神?に依存して、またこれを主観的な形ある表象にまとめるという方法であった。
ところで、人口600万人のフィンランドでの基礎教育は、教師が国語の授業でも理科や社会や算数に話を飛ばすし、音楽や体育の授業に物理や国語の話を持ち出す。そういった教育方法で、人口比に対する有能能力者の比率を増加させている。イノベーション(その中心は物事の結合 Connect 思考)を意識的に論理的にフィンランドの文部省行政教育は行った。
さらにそれは、いわゆる“習い事”全般でも、芸術的基本要素である、“絵・音楽・詩”の3つを“殊にリズミカルに!“経験”することで、結合 Connect 充実させ、かつ広範囲・多人数が習得できるといったこととなる。ルネッサンスは学問的科学的な育成をしなかったがために巨匠を産まなかったというのが定説だ。
貨幣ばかりを優先させた金融資本主義ならでは、物事の認識過程を無視して、さらには分解作業過程を優先(例えばテーラーシステム)させたがために、労働成果物の劣化を招いたと考えられる。ポピュリズムが、その目的を実現するための手続き、過程、制度というものを無視するやり方に偏り、あらゆる制度、手続きというものを、むしろ目的の敵と錯誤して攻撃するといったことになるのも、貨幣ばかりを優先させた金融資本主義の産物といえるのだ。
(総務部メルマガ 2018/11/06 から引用・加筆)



§「国民が働いて借金を返す」、これが“労働貨幣論”
現在日本は、コロナ対策&経済危機対策と称して、借金を湯水を使うように積み上げる予算措置を行っている。財務省は説明する返済とは、全ては先送りだとし、すなわち生まれもしてない孫子の代まで借金を積み上げようというわけだ。

また、MMTを持ち出す人物らは、同じく湯水を使うように財政出動を口にするけれど、返済の話になれば、「国は倒産しない、財政は破綻しない」と叫ぶに過ぎず、答えない。たとえ叫ぶとしても、財政出動を国の会計で行えば、その穴埋めは必要だ。戦前日本の如く、米国その他から借金をして関東軍の中国侵略資金に、満州を拠点に麻薬ビジネスから略奪まで行って、国家財政に補填する」とも言わない。
いずれにしても、「国民が働いて借金を返す」ことになるのだ。
歴史的にも、“労働貨幣論”の幻想妄想を、本気に真に受けて制作導入したのが、正確に言えば各地のソビエトの中でも、ロシア領の旧ソ連だけであった。スターリンらは党内の経済学者を粛清して“労働貨幣論”を無理強いし政策破綻、その無茶苦茶をごまかすために“計画経済”なるものを、権力を背景に実行し、変質経済学まで組み立て輸出したのだ。ナチスのヒットラーは、スターリンの“計画経済”を真似したかったが諦めた。日本は、満州国での日本:商工省の連中が採用した。戦前戦後を通じて日本国内でも、その“計画経済”を真似て実施した。戦前は権力を使い、戦後はアメリカ資金を基にCIA手先が首相となり導入した(米ソ対立の反共防衛と称して)。なお、随伴結果として、国交のない中国や朝鮮半島との密貿易で、日本は関西地方を中心に潤いを得たことも確かだ。

★本来の話に戻れば、
貨幣は商品や資産その他の等価交換物であるとするのは、総ての経済学説に共通している。でも、現実には通貨コントロールによって相場を産み、あたかも価値量が変動したかのように見える。けれども為替相場やインフレ・デフレによって貨幣価値は等価交換の水準に、やはり近づく。そして、「国民が働いて借金を返す」となればそれは国民の労働を意味することとなる。借金返済を国民労働に限定しなければ、終戦後に日本政府が行ったような財産税(所有資産税率での通貨納税&現物納税)となるのが通例なのだ。日本政府は財産税の実施経験がある。ちなみにソ連崩壊のとき、全銀行預金はすべて国が没収した。そしてMMT論者もソ連の“計画経済”の如く無口だ。MMT論者が、話題にせず無口だからとしても、彼らの論理構成や理念に反駁しないわけにはいかない、噛み合わなくてもだ。
さて、そこで、以下徐々に詳しく、フィードバックを繰り返しながら見ていく。

MMTへと、ワラをもつかむノメリ込み
  1. MMTは現代貨幣理論Modern Monetary Theoryといった名称に概念付けられる場合が多い。が、その内情や理論の説明は、MMTを持ち出す人物によって異なる。それどころか、同一人物であっても途中から大変質している実態が通例だ。深くに渡って見識を持つ経済学者とか、科学的見識を持つ論者からのMMTに対する指摘や批判の度に、彼らは次々と内容変質する特徴がある。
  2. 科学とは、ひとことで簡単に試金石の如くに例えて説明すれば、「何時でも何処でも誰でも、法則性を持って説明ができ、聞いた他人も法則を活用できる」と自然・人文(精神)・社会の3分野を横断的に貫く類のモノの事である。
  3. YouTubeなどに流されるMMTの説明は、「これなら、聞いたことあるんだろう」と言わんばかりに、無知かつ愚か者をも誤魔化そうと目論むのか、複式簿記の帳簿概念あるいは会計学の一部の説明ばかりである。そして飛躍して、財政学(経済学の一分野)のつまみ食いに終始している。何千年も用いられる貨幣(江戸時代ならば:米が貨幣)の概念、貨幣と通貨の種類も役割も異なることなど、様々混同して説明している。
  4. 経済活動とは、貨幣を道具として“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法である。貨幣蓄積増進の重要手段として「通貨」は用いられ、「通貨」とはそれ自身は“経済価値のない紙幣・硬貨や電子マネーなどの器材”を用いることであったし、これも何千年と人類が用いてきた社会運営技術の方法や手段である。MMTを持ち出す人物にとっては、こういった歴史的経緯も含めた科学的視点それ自体を知らないようである。(仮に知っておれば、経済学とは異分野の会計や帳簿を話題にするより、無知な人の中途半端な誤理解こそが生じたかもしれない)。
  5. だから結果的に、深くに渡って見識を持つ経済学者とか、科学的見識を持つ論者からは、MMTが相手にされないのである。ただし、日本の権威主義的アカデミックな人からすれば、「無知かつ愚か者」の相手をしないことは、決して道徳的ないしは善(人類進化に資する行為)だとは、わたくし筆者は思わない。
  6. ところで、日本の巷で有名になった、MMTを押し出したであろう人物は彼だ。
    https://youtu.be/Tqo1yOR0AiM
  7. そして、経済史を専門とする某女性経済学者の著作によると、“百花繚乱”となった世界主要のMMTの数々を調べたそうだ。
     ★彼女は、次のように指摘している。
      「国家がどれだけ債務、つまり借金を増やしても大丈夫。
       (とは言うものの)実際は各国の事情を踏まえるべきなど、
        様々な条件をつけている。」。
     さらに、新自由主義について言及し、
      「(そもそもは)非営利がゆえに見過されてきた無駄を省き、
        自由な企業家精神を発揮させる」とし、
         あくまでも、倫理観を前提としたフリードリヒ・ハイエク
          などに示されるネオリベラリズムの範囲内で語られていると。
  8. ところが、日本における新自由主義者の特徴というものは、何のかんの言おうが、経済学の父アダム・スミスが「神の見えざる手」と言ったとの嘘(あのトヨタの社長)を思い出すが、結局は世界共通して、“政府公共部門事業を拡充し、その上で片っ端からオトモダチ業者に事業を分配する”ものでしかなかったということだ。日本の新自由主義者は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけの行為”であった。
  9. 新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれ、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実に視てよく知っている。
     ★そして、先程の某女性経済学者の指摘の通り、
      MMT入門と言いながらも現代貨幣理論は、
      続いて機能的財政論とか、今は責任ある積極財政論といった、
      戦前から使われている中味の政策に変化しているのだ。
      https://youtu.be/0QdKdlyrC1w
  10. MMTを持ち出す人物らは、経済学の父アダム・スミスが着想し、商品の価値尺度である労働時間を価値尺度としての貨幣概念(=労働貨幣論)を、無知無教養の人には分かりやすいと思ったのか、貨幣発生の根拠の無理解の上に生じた、社会にケチをつけたい批判者や、経済学者を粛清したソ連(スターリン計画経済前夜)と同じ乃至は同義語を語っているに過ぎないのだ。
  11. “労働貨幣論”は、ユートピアの象徴でありカール・マルクスによっても批判されけれど、現在MMTを持ち出す人物らは、経済学の中に“労働貨幣論”が存在したことすら無知のようだ。MMT現代的貨幣理論は、そこで、ことさら「難しいけれど銀行融資や帳簿や簿記はまだ馴染みがある」とでも錯覚したのだろうか、「銀行通帳の数字記載」をマネー貨幣だと強弁、そう錯覚させて、要するに国の借金、個人借金、“借金そのものは数字だ!後で国民が働いて返せば良い(納税の原資は労働)”といった、乱暴な見解に過ぎないのだ。
  12. この、「働いて返せば良い(納税の原資は労働)」が“労働貨幣論”そのものなのである。そして彼らは、返済の話になると、話題を変えて他のことを力説することに徹している。はっきり言って彼らが、どのように“労働貨幣論”ではないと否定しその証明を試みても、そんな主張をすれば単なる無法者でしかないという訳だ。“馴染みがある”として錯覚をするには、20世紀初頭のドイツと周辺で、当時の社会主義者から持ち出された“労働貨幣論”が、もっぱら身近な生活消費用商品と労働時間との関連で論議が語られ、その思考パターンと同列の水準なのだ。“労働貨幣論”が成り立たないことは、その当時に社会学者と称されているゲオルク・ジンメルが、「貨幣の哲学」の中で立証している。(ジンメルは、労働貨幣論批判で社会主義者から今でも攻撃をされているが、ドイツではジンメルが、マルクスの未完であった「資本論第3巻」の理論を整理完成させた経済学だと評価されている)。
  13. 最後に、総務部メルマガの過去記事(労働貨幣論を批判)も再掲載する。
    §その典型が、緊縮反対論の松尾教授、財政拡大論のMMT論である。(2019/06/04)
     総務部メルマガ第206号:威勢のよさと悪口に走る:リーダー
    §MMTは、歴史の歯車を逆転させる社会主義経済(2019/09/03)
     総務部メルマガ第209号:マスコミの話のすり替えに騙されない、その真実は

[コラム3]≪ゲオルク・ジンメル:Georg Simmel、1858年-1918年≫

ジンメルは社会学者ということにはなっているが、その学問を築くために極めて詳細な経済活動全般の研究を行っている。
ジンメルの研究スタイルは、あえて体系的な形式を用いることなく遂行していることから、英米をはじめとする“何らかの観念を仮設して、客観的合理的論理構成”を常とする学者たちからは受け入れられなかったようだ。当時の世界経済の中心はイギリスだったから、ことさらに必要以上に裏付け証拠をジンメルが持ち込まなかったスタイルが気に入られなかったようで、当時も経済学者とは認められなかった。むしろ心理学的な表現方法が著作に多かったせいかもしれない。

ところが、彼の著作物からは、今日で言う“行動経済学”に出てくるテーマやそのヒントが目白押しである。ジンメルの示したテーマやそのヒントの実証実験を、主にアメリカの大学で実施されたのではないかと憶測するくらいに共通類似している。行動経済学はダニエル・カーネマンらが切り開いた分野であるが、ダニエルは2002年のノーベル経済学賞の受賞者であっても、自らのことを心理学者だと言っている。

そして、行動経済学の成果は、細かい流れが目に見えて確実な効果を、古典派経済学に比べて生み出しつつある。(今月の総務部メルマガでも紹介)。行動経済学をあれこれとあさる前に、ジンメルの書籍は高価格だから図書館で借りるなどして読めば得るものは少なくない。ただし先ほど述べたが、英米方式の論理構成の形式ではないから、日本で「いわゆる受験勉強が得意だった人」には、体系的かつ文脈の底流に流れるジンメルの“合理一貫性&事実一致性”を取り入れることは、ちょっとばかり困難かもしれない。そういった研究スタイルもあり、歴史的にジンメルの学説は、ナチスドイツの右系全体主義(ハンス・フライヤー)とか欧州極左全体主義(ルカーチ・ジェルジュ)などに、“良いとこ取り&ツマミ食い”された形跡があるのだ。

ジンメルの「貨幣の哲学」は経済学の研究の彼の集大成である。
筆者がジンメルから感じ取るには、彼は物事を、「形式で固めた制度と、(上位目線から見た)傾向と対策によって、本来は自由な市場経済とか社会が歪められている」と言いたそうなのである。そのジンメルの著書「貨幣の哲学」なんかは、ジンメルの読者が、心の底から恋をしている人に向けて、読者のあなたが朗読した方が理解しやすい、とでも言いたそうな文体である。難しい用語は出てくるものの、話口調の論理構成の展開で成されている書籍だ。それは書籍や論文が体系や体裁を優先させるが故に、より真理に近い概念とか文脈や底流が伝達できないといった宿命に陥らないように為された、ジンメルの論理構成であるのだ。
(総務部メルマガ 2018/08/07 から引用・加筆)

2021/03/09

第227号:芸術性のない商品や事業は廃れる

<コンテンツ>
コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
芸術性のない商品や事業は廃れる=法則とは
 [コラム1]明治政府は維新直後から外貨を…
コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
 [コラム2]音楽の世界では、音声や弦楽器の…
現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
    ★それら人物の仕事とか職業とは、
    ★戦後日本の経営者(被害者)たちは、
人をケアするサービス 八策
      =Art域労働版に改訂(2021年3月9日)

 [コラム3]油絵具とキャンバスの発明…
アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
 [コラム4]芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激…
 [コラム5]20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術…
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】


§コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
そこで、倒産を招きかねない事態を回避する王道が重要なのだ。
王道の思考すらなければ、犠牲者として世間に翻弄され倒産や廃業の道を選ぶこととなるのだ。あなたに犠牲を強いて、利権や保身に走る輩は、その選択を「あんたの自由」と、嘯く(うそぶく)。
だが、「奴隷は解放を思い立つだけで、もう奴隷ではなくなる」
との趣旨の帝王学は世界に数多くある。要は、「王道を知り歩み始めれば、もう翻弄はされず、廃れない」わけだ。

直面する最重要課題=コロナ恐慌に係る、公式発表された調査やデータでは、
感染第1位は 家庭内感染(児童が運込む) 50~60%
 (保育園や幼稚園から持ち帰るウイルスに両親が感染)
感染第2位は 高齢者施設や事業場や病院 30~40%
感染第3位が 20時までと制限される飲食店  5%
 (家族連れの20時までの駆け込み利用は常態化)
感染第4位に マスコミ話題とされるなっている接客飲食店  1%未満
といったことが、その結果の主な内容である。

だとすると、これに応じた対策は取られるべきところ、ほぼ故意に成されていない。その怠慢は、何を示唆するのだろうか。最も重要な感染対策は、家庭内にウイルスを持ち込まない具体的手法の徹底だというのに。
(例示)http://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post.html
ちなみに、「飲食店の営業許可」は、「手洗い器」および「手洗い器」の設置を義務としている。飲食店を感染源ターゲットにするであれば、ここでの手洗い消毒を入店者に徹底させることは重要だ。手に付着しているウイルス除去が「三密」よりもはるかに重要具体手法のであるにもかかわらずだ。その効果は、店舗入口のアルコール消毒の比にならない。
加えて、少なくとも、団塊の世代より高齢の人たちは、幼少の頃から飲食店等での食事前手洗いを徹底されていたことを経験している世代だ。そこまで昔の保健所は感染や伝染の徹底抑え込みをしていた。また、多くの家では入口や便所近くに簡易な「水手水(ちょうず)」器機を備えていた。

すなわち、極めて身近で効果的な感染対策を呼びかけない姿勢は、
今となれば疑念が持たれ、国民を翻弄させていると言わざるを得ない。
ウイルスは若年層無症状者がバラまいていると認めながらも、もう1年間も指摘されていたにもかかわらず、やっと話題にのせようとしている。国は、東京世田谷区とか広島県や栃木県が独自で行ってから、モニタリング調査(無症状者の感染検査)に手をつけようという有り様だ。どうして幅広く意見と知恵を拒絶し続け、挙げ句はコロナウイルス感染対策を怠ったのか。市中がコロナ感染し切ってからで、国は遅きに失した。使い果たした国の資金は、インフレ政策という大衆課税や財産税(ある時点の保有財産により課税)でもって納税者からコロナ禍の後に回収するのは必至である。

感染を食い止めている主体は、住民個々の民間防衛に因ることは間違いない。
コロナ禍でも翻弄されず、成長軌道に乗る個別企業や個人は存在している。
今月のメルマガでは、実際に「100年ぶりに変わる」、経済構造を切り開く柱とヒントを、読者のあなたに建議する。


§芸術性のない商品や事業は廃れる。
これがはっきりと科学的にも学問的にも証明された。その芸術性とは、“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるのである。
科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
希望とは、受け止める:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景に現れるもの。
偽の芸術家は、ひたすら言葉遊びや権威を駆使して芸術だとアピールし、芸術とは技巧だと言い換えているのである。まるで、伝統的家元とか世襲や師事こそが芸術の源だと言わんばかりである。もちろん、芸術家とは自覚の有無は別として科学的であり、新技術もアイディアもさっさと取り入れる。

このような“製品やサービス”を提供される側に向けて、それを提供する側からすると、“意欲・感動・希望”を、プロデュースする個人には留まらずに、組織的にネットワーク的に、固有文化価値として“製品やサービス”に組み込んでいるわけである。
【“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるためには】
①“製品やサービス”の具現化過程において、必ず“意欲・感動・希望”
が伝わるように様々な技術(Art域労働)でもって、
②“製品やサービス”を受け止めた個々人それぞれが、
        表象を脳内だけでの模倣Mimesisを行い、
③“製品やサービス”に組み込まれた様々な“意欲・感動・希望”
        に共感Empathyするのである。
④“製品やサービス”の完成や完結に至るまでの原材料や半製品その他、
 次のURLに示すイノベーション5分野についても、“希望が呼び込まれて”いるための芸術的プロデュースと具現化の過程が組まれていなければならないのである。新自由主義者が持ち込んだ、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
 https://soumubu1.blogspot.com/2016/10/blog-post.html#174-04
(注意点)
・“意欲・感動・希望”の3つで1セットである。
 いずれか1つが欠ければ芸術性は成り立たない。2つ欠ければ市場流通しない。
・サービスや身体表現の表象を脳内だけで模倣Mimesisするからこそ、
 意思疎通し、意思共有(Share)をするのだ。
・脳内だけの模倣Mimesisでもって共有(Share)をするからこそ、
 相対して共感Empathyするに至る。(ミラーニューロン Mirror neuron)
・ここで使用される、共感Empathyは、1904年に発明された学術用語で、
 sympathyの(共に苦しむ)概念とは異なる。
・最新の科学発展の用語概念は、個々人で異なる、人それぞれの考えではない。
(次のURLを参照のこと)。
 https://soumubu1.blogspot.com/2020/10/#222-10

[コラム1]

明治政府は維新直後から外貨を獲得するために、陶器などの工芸品の輸出政策に力を入れた。いわゆる工芸産業に、維新で廃業となった刀職人や鎧職人を投入したのである。それらの製品は欧米の貴族に一躍人気となった美術品に成長した。
ところが、イギリスなどの工芸品を美術品の範囲から除外する当時の政策を日本も取り入れてしまったところ、一気に日本の美術工芸産業は廃れてしまったのである。
そういった背景を無視し、工芸品を民芸品とまで言い換えるとか、芸術や美術の概念から除外する動きとなった。職人たちはもっぱら技巧ばかりに走ることで、日本の工芸品が芸術性のない商品として劣化し廃れ現代に至るとの、美術に関わる有力な学説がある。例示=ビジネス教養としてのアート:岡田温司 京大名誉教監修 KADOKAWA

§コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
新型コロナウイルスの感染によって、原材料などを仕入れるサプライチェーンばかりか、“製品やサービス”を提供し売買を完結する流通(経済学説により交通ともいう)までが止まってしまった。

2008年リーマンショック以後の金融危機の始まりから、その危機の頂点を迎えようとした矢先からのコロナ恐慌開始である。もとより多額の“金融資本の投資と回収”は採算割れを既に起こしており、累積赤字→不良債権→企業合併→国家財政の投入を続けてきた経済である。新自由主義者は“金融資本の投資と回収”だけに目を向け、経済活動を通じての価値増殖などは行なってこなかったのだ。

にもかかわらず、2020年4月頃からの国家財政投入(QE)は、コロナ禍の収まりとともに通貨切り下げのインフレ政策、民間からの財産税徴収へと、道は目に見えているのだ。

【すなわち、要約すれば】
コロナ禍の以前から、“金融資本の投資と回収”だけを話題にした経済は、流通コスト・販売コスト・無益な流通販売組織への投資と運営費用や関係報酬・その制度維持費用といったもので、あらゆる場面での採算割れを起こしていたのである。採算割れ収支に加え金融機関への返済が上乗せされるのである。新自由主義者の経営というものは、こういった無益な実情を覆い隠して→その社内外にわたる枠組みを持ちこたえさせるための組織体制と、その策士たちの人員配置を行うばかりなのである。だから繰り返すが、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
経営や経営管理を行う人物からすれば、新自由主義者の経営の本質は見えている。だから、この3月末に向けての人員削減やリストラに、加速して至るのである。

だとしても、よく見てみれば
衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるものに限り伸びているのである。広い意味の芸術性を持つ“製品やサービス”は伸びている。
これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神:人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになるのである。
なかなか天才(=カントの定義では“感性的構想力で輝く”)は出てこない。けれども、筆者が研究者の成果を調べたところ、
☆日本が諸外国と比べた優位性とは、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力があり、これらは中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)のである。なぜ、筆者が中国を引き合いに出すかと言えば、既に日本経済は中国傘下、日本の製造業は東南アジアの下請けへと完璧に組み込まれようとしている政策に至っているからだ。

[コラム2]

音楽の世界では、音声や弦楽器の音階&和音(純正律)と、ピアノやアコーディオンなどの音階&和音(平均律)には差異があって、日本の幕末ごろヨーロッパでは大論争となっていた。
レコードなどの録音技術が発明されるや、曲を端折って録音時間内に納め、長い期間にわたり高音収録しか出来なかった技術の歴史もあって、世間一般では、そういった録音によるものが音楽だと受け止められ、とりわけ日本では歌唱音声は録音発声を真似られ、それがのど自慢だと勘違いされるに至っている。ところが世界中のICT動画配信によって、特殊ではない歌の発声法の存在の認知と広まり、楽器演奏コンサート録画での「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」体験練習とかが可能になってきた。

近年の“音楽自体は聴くもの”
といった傾向への傾きがあったものの、
a.スタジオで作り上げるデジタル等音楽
b.歌手自身や演奏者講演のArt域労働
c.電気的な音響拡声の
 編集をPA装置でし直したもの
d.聞かせるのではなく
 素人参加する歌と楽器
 のおよそ商業利権を無視した4パターンに発展しつつある。

§現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
新自由主義者が国家や自治体の行政機関あるいは民間企業の経営を牛耳るためには、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ。その人物は、前向きに捉え政治的な立ち回りをするポーズだけれど、何らかの行政機関や企業の本来業務にプラスになる物事には携わっているだろうとの見方が強いのだけれど。
実態をよく見てみれば、比較的他人より有利な地位で以って、露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけに、彼らは配置されているに過ぎないのだ。この“まったく無意味な仕事”に携わる人物の配置は、官民を問わず事業規模を問わず、新自由主義の経営に走り突き進むことで急増してきた。当初は一見、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられたけれども、実のところ経済や個別企業経営の成長率は低下した。まずは、
それら人物の仕事とか職業とは、
 ①新自由主義者の取り巻き役=何らかの管理職的肩書きの専従職
 ②他人を恫喝し抑圧をかける役=代理人の仕事(但し法が禁じる利益相反のプロ)
 ③トラブルや不祥事の尻拭い役=国家資格とは裏腹に事件屋や示談屋のスタイル
 ④架空証拠の捏造役=エビデンス作成学者とか捏造ライター
 ⑤幻影プロデューサー役=いかなるプランも幻想あるいは相対仮説で誤魔化す
そんなプロパガンダや幻想の専門業者(いまや電通が有名)

戦後は、生産性と労働者の収入は伸びてきたところ、この40年ほどの間に生産性は飛躍的に上昇するけれど、労働者の収入は平行線ないしは、この10年は減ってしまった。
すなわち、経営者が呼びかけるなどして労働者たちは機械を改良するなどして生産性を上昇させ収益が増加した。1970年代までは、増加した利潤の一部は賃金として労働者に再分配をされた。
ところが1980年代中ごろ(昭和55年オイルショック)からは労働者への再配分率は低下することとなった。
その増加した利潤の行き先は、大半が“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちに流れていくようになった。

経済や経営の成長とか豊かさのための資金が、金融投資とか資金繰りとの美名のもとに官民から個人家計に至るまで、“金利とか利ザヤを獲得”に流され、経済的価値増殖とか人的資本投資に向けられなくなったのである。日本の金融機関はこぞって、地元企業への投資ではなく米国債などに走り、「足しげく貸付営業に回るよりも、金利収入の方が低コストで収益が多い」と大合唱したのである。
そのために、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちが配置され、事業閉鎖され、事業移転され、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちは養われたのであった。それ以前によく在った、従前の従業員たちが労働者に呼びかけて事業再生を成し遂げているところはまれである。

新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれで、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実によく知っている。
新自由主義者とか新自由主義は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけ”であった。
あながち、岩波書店邦訳の著者=デヴィッド・グレーバー(昨年逝去した大学教授=:アナキスト)のネオリベラリズム分析だけは的を射ている。

戦後日本の経営者(被害者)たちは、
アメリカなどからの多額投資が行われ、その経済政策に乗れた人たちだった。日本はアメリカ経済の生産工場となり、それが日本全国に産業や工場が展開されるとともに、そのインフラとか労働力供給のために“商工中金”などが地方の中小業者に資金融資を行い、その結果に全国の都市と地方の経済産業基盤を渡らしたのである。
1985年(昭和55年オイルショック)の少し前あたりから、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられはじめ、それは、資金繰りに苦労する中堅企業の経営者に対して、「会社の金庫の中を現金でいっぱい!にしてあげますよ」といった、Just in systemその他の経営手法を紹介するといった演技での誘惑から開始された。
当時の私:筆者も、まさか経済や個別企業経営の成長率の低下に道を開くとは思わなかった。経営の資金繰りが、会社の金庫に現金が貯まるとか銀行預金通帳に残高が増えるといった現象が生まれ、そこに拝金主義と金融投資の誘惑につけこまれるとは予想だにしなかったのである。
1986年(昭和61年)12月からのバブル景気にあたる時期、昭和54年から準備された労働者派遣法の施行により結婚後の女性職域が拡大され、同年の男女雇用機会均等法の施行で女性労働条件が改善される基盤が形成された時期でもある。(いわゆる格差拡大は、1997年の職安法改正、1999年の労働者派遣法解改悪に端を発するわけだから、念のため)。


§人をケアするサービス 八策=Art域労働版に改訂(2021年3月9日)
「人をケアcareする」(サービス業の飛躍的イノベーション)といった固有価値商品を完成させる、世界各地で成功している実例である。
それは,次の通りだ。
“芸術性のない商品や事業は廃れる。との学説は、広い分野の研究者の成果により科学的に証明された。今から8年弱前に筆者は芸術性の重要性をWebで公表し、その後学術論文などで、その商品価格決定論、Art域労働の理念、Art域労働などの労働等契約論に至ったのである。海外の経済学者の評価は高いが、日本では、博士号もない奴は相手にされない、18世紀級のアカデミックだ。
そこで今般、コロナ克服&コロナ後に当たって、日本の地域経済の飛躍的発展のために不可欠な、“人をケアcareする”ことに関係する業態や業務を、具体的方法について考察をした。ICT産業革命の本旨が裏打ちされれば、効果はさらに充実する。

【質の高い多くのArt域労働業務の集中集積に不可欠な飛躍には】
Art域労働においての労働契約方式は次のとおり。
委託料とかギャラといった曖昧さを残せば産業成長しない。
Art域労働成果物の一分野や一部に存在する
著作権等では、契約安定に至らない。
 ①取引には成果物に造形物理的要素や解釈要素を含み、
 ②「労働全般能力(労働力を切り売りではなく)発揮によって形成する、
 ③有形無形財産の貸与を約する契約(契約)」となる。
  この取引3要件で初めて、相互に契約が安定する。
  若しくは、Art域労働の結果物を約する場合に限れば
 ④「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約(請負)」である。

イ)___
ケアcareされる側の悩み解決の手助けならば、
その解決方法の選択をArt域労働は非常にうまく導いていくこと。悩みを解決することでケアする仕事の、一番最初の作業は、その悩みに応じた解決方法をいくつか組み合わせるとか、いくつかの解決要素を選択することである。Art域労働にあっては解決方法の組み合わせと解決要素の選択=ケアcareされる側自らが選択する行為を導くこととなる。そうすると意欲・感動・希望といった固有価値を認識するに至り、ケアcareされる側の価値の実現にも協力する。解決の答えを提示することでは間違いであり、その仕事を相手は望んでいない。

ロ)___
新たに固有価値商品を楽しむことを阻んで来たあらゆる障害を、
Art域労働にあっては細かいところまで見つけて取り除くことだ。その障害が、どこにどのような形で阻んでいるかが、買い手にも売り手にも分からないのが現実である。だから、ケアcareされる側の買い手にも、楽しむことすらが分からない。売り手は的外れにも機能や数量をアピールしがちであるが、これがArt域労働にあっては大きな間違いとなる。この間違いによる無駄な労働力消耗の繰り返しは、極めて低質で多量に繰り返されている。無駄な労働力の発揮を重ねて、あげく疲れ果てて消耗し、仕事をこなした気分になっている人も多い。が、そういった業態と業務は廃れていく。障害を取り除く過程で、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現にArt域労働は協力するスタイル形成することである。

ハ)___
ケアcareされる側の買い手となるクライアントの恐れる要因を、
Art域労働で以って一般的な多数順に排除あるいは軽減することである。
スキルやフォーマンスに偏った売り手では、買い手が興味を持つ段階での「恐れる要因」が全く解らない。この「恐れる要因」をArt域労働で外していけば、ケアcareされる側の買い手が次々と試してくれることになる。
だが、試そうとするきっかけは買い手にも分からない。だから、従来の労働力スキル発想に頼るマーケティングよりも、Art域労働の形成に含まれる独特のサンプルインタビューこそが重要となる。「恐れる要因」がなくなりつつあるからこそ、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現に協力する。

ニ)___
例えば、医者(専門家)は治療するのではなく、
ケアcareされる側の病気を治そうとする人を、Art域労働で以って援助・手当(悪化予防・治療へのサポート)するといった方向に変えることである。
未開人や子供を納得させるには、医者や魔術師の奇跡や神話が手っ取り早い。だが無理に奇跡や神話で納得させて病気を直そうとすれば、ケアcareされる側のどんな大人も抵抗をする。病気の悪化予防や治療への、固有文化価値商品=意欲・感動・希望であればこそ、病人の大人は価値を認め、価値の実現に協力する。神話や呪いの類は科学的学問的ではなかった。科学的とは、“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”のことである。
傷病(Illness)と疾病(概念としてはDisease)の中で、疾病については、極めて文化や文明の絡む価値観で票か判断される。因みに、花粉症はシーズン疾病(disease)だが、PM2.5は通年傷病(illness)である。

ホ)___
ケアcareされる側の買い手は自分の好みを知っている、
Art域労働にあっては、ケアcareされる側の「好みに合う品と使い道」ならば知っていると割切ること。それは、ケアcareされる側が固有価値商品の意欲・感動・希望といったArt域労働の価値を認め、ケアcareされる側の買い手もArt域労働の価値の実現に協力する、そしてなによりも、代金支払いまで完結させるのは買い手のケアcareされる側の納得だからである。代金支払いよりも、商品交換が先に為されることは、経済学の常識だ、これが職業経験の無いインテリには解らない。

ヘ)___
ケアcareされる側の買い手は、常に沢山を学びたい。
が、「教えられるのは嫌いだ」と、Art域労働にあっては割り切って接することだ。学びたいとは、意欲・感動・希望のArt域労働が産みだす固有文化価値を繰り返し実感するからである。学び手の意欲(やる気)が残っていても、ケアcareされる側の感動や希望が失せてしまえば「学び」に文化価値を見出せない。意欲と感動だけではケアcareされる側の心身消耗を招くだけである。だから労働力スキルでは、AI人工知能の機械や装置に取って代わられるのが自然の成り行きである。まして、その「学び」である固有文化価値商品の商品交換を完成させるのは買い手のケアcareされる側の納得である。

ト)___
Art域労働にあってはケアcareされる側に知識を押し付けるのではなく、重要ポイントをケアcareされる側と一緒に発見するスタイルに徹することだ。
「知識を得たい」とは、学び手の頭脳の中にある真理に向けての、意欲・感動・希望を伴って、ケアcareされる側の知識の蓄積を重ねる行為である。知識とは、=自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること。ちなみに、“「私」とは知の主体である場だ”となる。
真理に向けて智識を重ねるためには重要ポイントの、少なくとも“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業が不可欠なのである。でなければケアcareされる側の頭脳の中に蓄積され応用に至ることはない。蓄積され応用に至ることがなければ生産的ではなくなるから、ケアcareされる側から望まれる商品として購入される量やチャンスは逓減する。無理やりスキルやフォーマンスに偏った売り方での知識を押し付けようとするから経済外的な行為(圧力、脅迫、詐欺など)となり、無駄な労働とか違法犯罪行為の発揮を重ね、非効率非生産的だから経営破たんを招くのである。

チ)___
芸事を教える場合、Art域労働といった作業のコツを伝える場合、
相手の技能習得の焦りには、Art域労働にあっては相手に、「ゆっくり出ても大丈夫です、手元は遅くで」
と、ケアcareされる側の焦りを取り除くことに集中することだ。
そして、Art域労働にあってはゆっくり確実に技能を説明する。ここでも技能説明に限っては、「言ってみて、やってみせて、やらせて見せて、ほめること」が大事である。

すなわち、“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業に加えて“直に面談しながらの体験学習”の、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、ケアcareされる側との一緒一体の作業行動が不可欠なのである。Elaborately‐Movement(複雑かつ速い動きの如く)といった意味のない曲芸は押し付けないことである。
有効な細かい配慮を要する芸術性(=モーツアルトの弁)は、ケアcareされる側が思いもつかない手元の複雑かつ速い動きその他への配慮だということを、ケアcareされる側が自らで発見するように、Art域労働の側から働きかけることなのである。その細かい芸術性をケアcareする過程を秘密にすること(秘伝扱い)は禁物である。ケアcareされる側がArt域労働からの働きかけで初めて気付き、固有文化価値を意欲・感動・希望を持ってArt域労働でもって習得することが可能となる。結果に至るプロセスを知ることが欠かせず、これが教養有無の決め手となり、教養や知の応用が出来る可否となる。
その後はケアcareされる側が自らが固有文化価値を実現あるいは増殖した上で、再び芸事を他へ伝え相互に共有(Share)し、固有文化価値を盛り上げることとなる。Communicateの各国いずれも言葉の原義は“他人と共有する”である、知っていることを共有(Share)するのである。
Art域労働=芸術性を持った芸事は、“狭い美術・音楽・文学”といった“Elaborately(日本語の概念が無い)なパフォーマンス”よりも宇宙規模で広大な経済=産業価値を産むこととなり、そこでは教える側と学ぶ側が、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、一緒一体の作業行動を行う体験となり、たとえ“個人レッスン風景”であったとしても、無限の広がりを持つ広い社会的作業であることは否定されない。

[コラム3]

油絵具とキャンバスの発明は、鏡などの透明な物とか、人肌の特徴を表現できる技術を実らせた。鏡の中に映る人影を描くことなど以前は考えられなかった。ところが、そういった写実に重点を置いた絵画も、写真の発明で写実表現から離れることができたのである。写実を伴わずに、脳内の模倣Mimesisでもって共有するからこそ、相対して共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、当時は科学的なことは解明されなかったけれども、イギリスの画家ターナーはパトロンを持たずに絵画とかエッチングで工房を営み生計を維持するに至ったのである。(人々の人気となる絵画等の構図の研究はイギリスから開始確立され、その後の大量販売の道も開かれた)。
音楽の楽譜を印刷して流通させたことは、音楽家や関係者の携わる産業を形成し、更には音楽への多数参加を促した。機械印刷楽譜が作られ残されることで音楽技術が進展し、芸術性発展に寄与することが出来るようになった。兎に角、楽譜の無い時代のメロディーは、ほぼ分からないものだから、真似すら出来ず=芸術的発展も望めなかったのである。
バッハは教会付きなので、お葬式が無いと生活苦しいと嘆いた。ベートーベンは機械印刷屋の楽譜販売で生計を維持できた。リストは最新開発ピアノを各地へ運び込むことで演奏活動に忙しかった。そのピアノを最新開発したセバスチャン・エラールは、旧来ピアノ製造業者から命を狙われ、パリからイギリスへ亡命した。

以上の「人をケアcareする」サービス業の事柄は、昔から良く語られた商業における要領とかコツ(近江商人の地域の伝承)に類似している。ところが、旧来の要領とかコツでは、科学的学問的ではなかったから広がりが弱かったのである。科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
だから拝金主義者とか新自由主義者からの誘惑とか横槍が入れば、ひとたまりもなく各々の個別企業でも崩壊していったのである。日本の文化は、中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)。
日本の文化優位性として、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力について、これらは中国や東南アジアその他の文化圏から日本への“製品やサービス”に対する需要についても、例えそれが日本への投資であっても、その意味では巨大な産業育成への可能性を秘めていると言うわけなのだ。「美しい日本」如きの幼児性では、挙句に空腹と防寒ためには媚びへつらう未文明Uncivilized体質では太刀打ちは出来ない。


§アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
すなわち、それを形成する芸術的要素は(従前のメルマガを加筆修正:2021年3月9日)
①美しく良いもの且つ、受ける側に希望を呼び込むもの、
②併せて、より共感Empathy性の高い疑似的再現を実行する
 といった法則性を使うことである。
③まさしくこれがパフォーマンスPerformance職人技とは異なる部分となる。
 技巧を凝らすElaborately Produce といった分野とArt域労働は別物である。
④その美しい良いものとは、人類の進化発展を通して安全安心の結果概念を
 感覚的に表しているものといえる。現代の善悪の善は“進化”に資するか否かである。
⑤Art域労働の分野は絵画や映像、メロディーラインを中心とした音楽、
 時系列の思考パターンを含む言語による詩Poemのといった文化を反映の3つが主である。
⑥そのうちの希望とは、美しいもの良いものを通して開ける方向性を指す感覚現象である。
:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景が鏡に写し出される訳だ。
⑦意欲とは、事物に対して行動を起こす前のイメージであり、
 感動は行動を起こした結果に得られる感覚(意識の一部)に過ぎない。だから、発生する時間的経緯プロセスに注意が必要である。希望とは鏡に写し出された後だ。
⑧「意欲・感動・希望」の3つがセットになった「労働力全般能力」の発揮と、それにより産み出された固有文化価値が、Art域労働には重要なのである。

[コラム4]

◎芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激による反応としての、模倣Mimesisや共感Empathyによって生み出された内面の心象風景が、鏡に写し出されるというわけだ。
右の画家=奈良美智の有名な画風は、見る人の内面の心象風景が、鏡に写り、
★子供の様な鋭さや狂気か、
☆優しさかを模倣共感させる、
といった心理テストさながらに感覚(意識の一部)に現れてくる。
よって、「アートの解釈に正解は無い、人によって人ごとに様々であり、その人の自由だ」といった曖昧模糊な会話が、いかに非科学的であり、学者が用いれば、表現が如何に人を煙に巻くためのトリックに過ぎないことがよくわかる。

◎江戸時代の日本人は、日本画のように世界を見ていたとのことだ。日本画には影がない、影が描かれることはない。とはいっても、日本の印刷技術の活用は世界の最高峰であった。三越の前身である越後屋は、「現金掛け値なし」「店前売り」という新販売方法の手段として、18世紀初め、大坂に40万枚の石版印刷チラシを配布した。その町人・庶民目当て大量印刷の挿絵付きチラシの配布は、店内から「あまりにも下品な商法である」との批判に晒されたが、チラシ配布が三越のブランド信用力につながったのである。1837年、越後屋は大塩平八郎の乱での店舗襲撃直後に、70万枚の石版印刷チラシを大坂と大坂発全国向け船便でもって配布した。大坂には挿絵画師、作詩師、石販印刷の技術が揃っていたのである。

したがって、金銭や物質そして権利といったものは、
社会や経済が安定した上での物事であり、
金銭・物質・権利から得られる物的価値は文化価値で醸成される性質の代物ではなく
=経済外的要因(権力、武力、レトリックなど)によって強いられやすく、
その程度の単なる物的価値交換の結果にすぎない。
20世紀に最高潮に達した「労働力」の取引一辺倒の影響受けて芸術分野やArt域労働は、
スキルSkill(技能)パフォーマンスperformance(職人技巧)に制限をされ、
固有文化価値は貶められてしまっている。
日本における家元制度とか学術団体制度あるいは資格者団体システムなどが、
「無能と怠惰」に柱を置かざるを得なくなり、
結果、保身に走るのは自然に後退する成り行き
かもしれない。もしくは、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちの配置によって
成り立っているのかもしれない。
土地を所有し&当主を世襲と法定すれば、
封建制度に行きつくことは当然の自然の成り行きである、人間の意識に因るモノではない。

⑨次の表は、3つの労働分野を比較思考しやすいようにだけ、並べたものである。
幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
Art域労働 スキルSkill(技能) パフォーマンス
創造構想する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
&労使関係システム
特許権、著作権、版権等
発明・時系列変化・組合せ
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係を含む希望)
生命維持性、人間阻害
(意欲・感動の2つ)
技巧を凝らす希少性
(意欲・希少性や複雑技巧)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用(使用)価値の
企画法則性に限る
発明・曲芸の領域の技巧性
審美追求主義の希少性
BigDataでの予定調和情報
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元 X・Y
もしくは 3次元 X・Y・Z
3次元 X・Y・Z
偶に 4次元 X・Y・Z+time
広義の芸術性=Art
有形無形の完成品
スキルSkill(技能)
企画による組織労働
Performance(職人技巧)
単独で労働される
幸せを得る 伸びる志向 厚生に限られ廃れる指向 技巧で廃れ殻に閉じ籠る
幸せの、厚生との差異
美と善はどこかで
つながっている
挙句、清算とかリストラ
その対処><抵抗運動>
技巧を凝らす
[ひと目で凄いを追求する]
=希少価値でもない
絵画
(美術)
絵画は色彩=鏡・面の表象
彫刻には:たなごころ
固有文化価値の滅失
Intrinsicが無い
Elaborately Picture
Intrinsicが無い
音楽 音楽は空間把握 Background Music Elaborately Produce
詩Poem 時系列の思考パターン 感情移入が出来ない Elaborately Ceremony
感情移入 感情移入の末に、見終わり聴き終わると心温まる心象が受け手に残存する
<感情移入のプロセス>
①登場人物と自分
②リアルとバーチャル
感情移入は、芸術や道徳・理性力トレーニング
感情移入の思考はない

むしろ感情移入は
非科学だと排除

他人や現実との関係は
そのほぼすべてを無視
感情移入ではなく、
[ひと目で凄い]技巧優先

技巧を凝らす程に刹那感
残虐悲惨な記録に留まる
人物自身 その人の生き方がArts 個を滅する⇒人間疎外 アイドル(偶像崇拝)
分業 社会的な分業の成熟の素にArt域労働全般が開花 精神科学や心理学を無視して量的分離を強行 子方や弟子は設けても、親方は分業はしない
企画と作業の分離 新技術・空間把握・アイディアの、3つを一体に 質的な分離を無視し、
空間把握も構想しない
空間把握は親方が行うが
新技術やアイディア拒絶
注=Elaborately(日本語の概念が無い)
⑩Art域労働=芸術労働の要件要素、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
Art域労働の、定義、特徴、その現象 Art域 スキル パフォーマンス
無意識におけるパターンの認知作用により、
そして、Art域労働の行為は、目的意識的に計画的である。がしかし、無意識におけるドラスティックな進化でなく革命的な行為であって、他人に対し、それも個々人ひとり一人毎に、影響を与える。 ×計画的
 でない
その創造力、発明発見、創作とは、他人に対しその所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を生じさせるところの、共感Empathy→共鳴を与える。(by神経科学) ×秘匿
5次元思考~X・Y・Z+Time+Connect結合~で以て、脳科学や神経科学で解明されている共感=共感作用&共感精度であって × ×非共感
「音」による空間表現、「絵」などによる色彩等表現、「詩」などの時系列表現を、論理学では解明できない分野の構想方法を用いて
細かな物質的モノゴトの配慮を用い、形態とは意識され難い作用(共感や希望)をも、もっぱら多数の受け手個々人に対し多様に与える行為、その存在を認識しながら。 × ×専ら
 希少性
このArt域労働が、旧来は明瞭行為ではなかったし、この労働価値は貨幣に限られた交換には値しないとされてきた。
Art域労働は労働全般能力でり存在である。
労働力は
労働の
一部分
×自慢
 と金銭目的
世界経済の再生には、Art域労働が重要なカギを持つ。個別企業でも、先ずは幅広く薄く進めるだけでも事業業績が伸びる。
それは、スキームSchematicに最も作為されない中高年女性労働がカギになる。
× ×隠匿性
既に、人手不足解消とか、素早いフィードバックでの早期利益を確保する、そのノウハウは、行動の前に完璧な知識を求めず、新規商品開発に向かうこと。 × ×専ら
 希少性へ
10 市場主義・資本主義の要とは、次の3要件。
①自由平等思想、その手段の民主主義
②自由の基盤は、自由市場、基本的人権
③自由に移動や販売横行できる、
(個人番号で)捕捉されない貨幣制度が要
×非市場
11 遊休使用価値商品に、貨幣価値を超える交換価値を蘇らせる。交換価値の無い建造物にも、使用価値の蘇りを可能とする。 ×自慢
 と金銭目的
「―」は労働過程での考慮がない。「×」は、その該当する労働過程では否定をする。


[コラム5]

20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術の発展は、1枚物からが大量に扱えるようになった。そして現在ではインターネットの“検索の窓”に至った。
CG、VR、AIといった技術進歩は著しい。例えば、画家ゴッホの画風をAI機器に記せば、デジタル写真をゴッホ画風の写真に、瞬時転換させることも容易となった。歌い方も演奏も瞬時に転換。死んだ詩も造れる。
しかしながら人間の意欲・感動・希望に関わる部分を、Art域労働で最初のオリジナルを感覚的閃きで構想し、新技術・空間把握・アイディアの3つを一体に仕上げることを、機械にさせるメドは全く立っていない。

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。だが、この3月本号メルマガで紹介できるものは見つからなかった。
巷では、昨年から多様な“コロナ後”についての書籍が大量に出版されている。しかしながらそれらは、旧態依然に繰り広げられた学説とか経営知識といった代物を、上の目線から「皆さんよくご存知でしょ」と言わんばかりに繰り返し、少し組み替えて新説めいた面持ちで、「だから頑張ろう!」との精神論を展開するばかりだ。
そこには出版社の販売促進の思惑や目論みが背景にあり、受験戦争の落とし子にこそ、そういった書籍の購買能力を持つ個人が多いことから、“読者のすでに知っている情報や知識を羅列”すれば、そんな購買能力者は安心を求め過去の自らを再確認するために購入する消費、といった編集戦略というわけだ。そんな編集書籍の執筆者は、そこまで深く熟考する人は稀なので、出版社からすれば“著作者とその予備群”は腐るほど存在する。そして片や、書籍を購入する、そういった本の購買能力者たちは、職業経験のないインテリだから、貴重な新しい情報よりも、過去の自らを再確認させてくれ、安心安堵できるという、空しい需要者層なのである。
こういった人たちは、今月のメルマガで特集しているような、生き方から仕事そして作品に至るまでArt域労働を行い人生に余裕を持った層とは異なる。角度を変え説明すれば、せいぜい執筆者層はパフォーマンスの能力、需要者層はスキル程度の能力に過ぎないのである。肝心なのは、Art域労働とか労働力全般を磨こうとしないのだ。退職金や年金(賃金理論では“手切れ金”と見做す)生活の後に、余命生活に入る人が多い、例え読書家であっても。
《以下の段落は毎月同じ》
筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで毎月号と同じ)