2023/05/09

第253号:
誘惑されても 翻弄されない&騙されない

<コンテンツ>
今この瞬間を、歴史上どう判断すればいいのか
  ・Art域労働の成果や品物の販路は何処
  ・この瞬間!コロナ明けで経済が戻る、表面現象
“だまし”のターゲットにされない技術の柱=特集
  ・相手方が、共感するまでに至る、その意思表示に努める。
  ・個々人の自律を、阻害するに至った日本の経済政策
  ・相手方の思考パターン その見当をつける技術
  ・相手の論理思考は多種多様性=概念表
       (概念表の注釈:多種多様性に係る要素)
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230509】
     『頑張り屋さんのための心が晴れる本』



§今この瞬間を、歴史上どう判断すればいいのか
Art域労働が、およそ150年に渡る、世界的経済構造の崩壊後に、世界経済を救う。これには間違いは無い。それは、様々な表現でもって進みつつあるが、表面現象の概ねは、“機械論的世界観から生命論的世界観へ”との概念を伴い、過去への回帰ではない。
新時代を切り開く、歴史的チャンスだ。
Art
域の労働&仕事は、すべての産業と職種・職業で通用する


¶Art域労働の成果や品物の販路は何処
①例えて言えば、「外へ飛び出し、道(路)に出る、次に世界にSNS配信することからだ。」ここに例示するバイオリニストは、ウクライナから来た少女だ。ロシア音楽の教育を受けた(今ウクライナではロシア音楽は禁止だ)。ウクライナのリズムではなさそうだが、音楽は世界を超えて新しい演奏世界を開いている。
https://www.youtube.com/@KarolinaProtsenkoViolin
②作品を例示して、世界に直に売り込む。さらに企業にも売り込むことだ。Art域労働は、あらゆる産業・業種・職種で活躍が可能だ。(人事教育用語の改善、生きがい、系列、忍者とか、英語圏で通じる日本語といった】文化の違いこそ、最大の商品利潤が見込まれる事は、フランス市民革命の時代から指摘されている(スタール夫人1776年生)。日本の“留袖”の黒染めは、東欧のキリスト教修道院の女性に人気だ、本物の黒の生地がないから。
日本料理に使う、“本物の料理器具”は、その使い勝手とともに人気だ。(日本料理の人気は、ヘルシー、煮込むなどの手間が少ない、盛り付けが綺麗、片付けは簡単といった項目)。家庭でも料理したいとの人気は欧米に多い。技術革新にもArt域労働は欠かせず、先端産業を促進する動機付け要素でもあるからだ。そういったシナリオも大事だが、衣食住や生きがいの根本に係る商品は根強い。
③独立起業にしろ非正規・正規は問わず、Art域契約方式をとることだ。労働者なのか、自由業なのか、自営業なのか、そういった事は後ほど労働法一般で決めれば良い。まずは、旧来の経済構造に合わせたシステムに、成ろうとしてはいけない。それは、日本には、あなたをまだまだ“羊飼いの群れ”に組み込もうとする“縦社会派”が多いからだ。
④大樹の陰となると、“過去の金融投資型企業”では経営採算が取れないから、あなたは、とどのつまり、“使い捨て”をされる。今月号の特集「ダマされない技術」で以ってしても、未熟であれば、“あなたが乗せられるにはひとたまりもない。”と思った方が間違いない。それは、詐欺的マルチ商法の如く、組織的に、あなたに襲いかかるから、同調圧力に弱い人ほど悲劇が待っている。加えて、心身ともに“手負いの狼”と言った詐欺師は、「腹に一物、背中に荷物」の状態だ。だから、ことに家族(親子)・親戚といった、過去旧来文化の人間関係には気を付ける必要がある。その悲劇とは、「単なる悲惨ではなく、社会構造から起因している“同一パターン悲惨”の形象。」である。
⑤“Art域契約方式”を優先し、少なくとも、昔の旧来の契約方式は避けることである。国内の学校教育方式とか、いわゆる“家元制度とその習い事教室”方式で、いくら優秀で褒められていても、“あなたの腕前”に対しては、買う側からすれば魅力は無い。気分が良くても単に褒められ育てられただけの井の中の蛙だ。その彼彼女らの動機は=単に団体組織の収益と&組織への奉仕協力に過ぎない。やがて旧来の方式は崩壊するに至る。それは偏に、顧客や望む人たちに、とにかく、“心の希望を与える成果品”を供給していないからだ。
Art域労働とか芸術労働と言われる強みは、こうかどうかである。パフォーマンスに、その類の希望はない。スキルやマニュアル、機械やIT機器にも、それはない。そして希望が込められているもの広がる。戦前の、「李香蘭(リ・シャンラン)」は、個人レッスンでロシア音楽の教育を受けた。そのロシアの発声(歌い方)にもかかわらず、日本国内では大ヒット(当時中国で知る人は少ない)した。そういったリズムや歌い方が日本にはなかった、それは未だ日本でも少ない、だが今も人気はある。
https://youtu.be/iqtpH41rw0g

⑥起業する資金は、金融機関や“縦社会派”といった人物からの誘いや誘惑を受けないことである。今日まで、数多くの“志ある方”が、乗せられ騙され悲劇に落とされてしまった。資金を貸す側の狙いは、連帯対保証人の、あなたの代理人からの返済だ。「独立するには開業資金が必要。」といった、とても納得しやすい“嘘話“なのだ。「開業資金は退職金では不足すれば融資を受ける。」これも幻想なのだ。それでもって実際に成功した人は数少ない。これらは、戦後一貫した貸金原則だ。すなわち、あなたの起業には、“身の丈にあった”起業が重要なのである。「商店を経営するなら、住む場所は店の一角」である。「製造や工房ならば、工場の片隅」|だ。あるいは、外へ飛び出し、「「道(路)に出る、次に世界にSNS配信」なのである。これが、商品経済が支配的になる時代からの、数百年に渡る世界中の原則なのである。ここで間違い、あなたは“感覚と欲望と“で以て、物事を行なうから、金融機関や“縦社会派”といった人物から詐欺られるのである。正直者は、詐欺師に狙われないし、詐欺師は正直者を避ける。
⑦その、“Art域契約方式”はこれだ。決して、羊に飼育されてはいけない。
(URL)アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
https://soumubu1.blogspot.com/2021/03/blog-post.html#227-11
Art域労働の積算単価方式(現状では、“謝礼や委託”といった名目でごまかされ、国の公共事業“技術者”積算単価にも及ばない報酬を強いられるままだ。)


¶この瞬間!コロナ明けで経済が戻る、表面現象
今、広告宣伝などへの新規投資や、新規事業に投資注入するのは、事業経営者としては“大変な愚か者”である。もう数ヶ月先に世界経済体制に異変が起こり、結末の予想できない崩壊が始まろうとしているからだ。その崩壊は一気に日本経済に降りかかり、むしろ日本が崩壊のしわ寄せをひとえに被ることになりかねないからだ。
中堅企業だとしても、根拠や科学的分析もなく、つい先日まで売れていた商品の類を、再び、“額に汗をかけば売れるのだ”との錯覚に陥って、販売努力の強化に走る企業は少なくない。それは、筆者周辺の動きにとどまらず、TVのコマーシャルにも表れている。銀行などからの融資が出来たとして上昇機運が高まっても、旧来経験での気運上昇は、事業の墜落を迎える。融資成功は銀行マンの成績が上がるから、会社も銀行から接待してもらって嬉しいだろうが このご時世では、“その融資は銀行の命を縮める”ことにもなっているのだ。TVでは、立派な広告をと期待して金をかけている姿もよくわかる。そこには広告代理店だけが喜んでいる姿が存在しているだけだ。確かに、昔のイメージで以て販売強化の立派な広告を打てば、昔ながらの教育や勉強しかしてこなかった、“羊飼いの群れ”の社員らは、その瞬間は喜ぶだろう。経営者の空元気も、そんな社員にとっては喜びの瞬間ではある。
とはいっても根底的に、日本社会全般に、“焦りの色彩”は繰り返す波のようにはびこって行きつつある。それは、先ほど述べた「社員の瞬間的喜び」があったとしても、ただちにそれが、“焦りの色彩”に転換するといった、“売り上げが伸びない&在庫が急増する”といった現実を吹き飛ばすことになる訳もない。“空回りと空笑”は現実に、さらに露(あらわ)となるからだ。とにかく、現場の最先端で働く人たちの表情は、どんどん“暗く神経質な顔立ちと歩き方”に至っている。
残念ながら、眺めるほどに、服装もやつれており、たとえ生活が苦しいながらも毅然とした身なり!ではないのである。筆者自身が物心つき、半世紀以上に渡り、経済ショックを洞察してきたが、それらに比べは全くもってひどい。今まで洞察してきた状況と現在とは、“比較に及ばない”のである。また地方は各戸毎に資産があるからスピードは微妙に遅い。が、筆者が毎日見る大阪中心部は劇的陥落の様相である。
昭和大恐慌とか、敗戦直後(流通や金融の断絶)といった、過去の“激突的不況での現象”から学ぶ中での重要な注意点は、次のごとくである。
①誘惑に翻弄されては、たとえ防げたとしても時間と信用の無駄だ。
②“感覚と欲望と“でもって、誘惑してくる詐欺師を遮断する。
③自己責任と喚起した上で誘引して来る、ならず者排除だ。
投資FXそしてNISAとiDeCoは危険だ。


§“だまし”のターゲットにされない技術の柱=特集
そこで今回のメルマガでは、誘惑されても→翻弄されない&騙されない。そして、そういった人たちからターゲットにされない技術と技能の柱を特集することとした。そういった人たちは、もっぱら社外にいる訳でもなく、社内にも存在する。加えて経済危機となると、平気で家族や身内そして親族にも表れる。そこでは悪徳金融業者などが、“連帯保証人”の制度を利用して狙いをかけるから、決して連帯保証人に、今は成ってはけない。あなた自身でなければ、“あなたの印鑑証明”を直ちに廃止すればよいのだ。ちなみに筆者は、ことがあれば印鑑証明を1通だけもらい、交付と同時にその場で”その印鑑証明”の廃止手続きを完了させる。


相手方が、共感するまでに至る、その意思表示に努める。

①語れるのであれば、気持ちを語る。それは、根拠や裏付けをまとめるといった代物ではない。
②“感覚と欲望と”で以て、物事を行なおうとすれば、いとも簡単に必然的に“恐怖と狡知(=こうち:悪賢い知恵)”を駆使する行為が始まってしまう。
③さらに“不注意による軽率さ”が益々、語り手と受け手双方の気持ちを曇らせる。
④こういった一連の流れが、世に悪徳と迷信を蔓延(=はびこらせること)となる。
⑤例えそれは、(その小さな)社会内の一体性を保ち、強制し服従させるに適するかもしれないが、その行った物事の効果が、厚生(物資付与)あるいは現世的幸福に直接貢献を超えるまで、至るなり及び叶うといった訳はないのだ、妄想錯覚してはいけない。

★肝心な事は、5つの上記注意ポイントを、社会共同体として行政機関が個々人に向けて、重要視する思考文化を発信し、またシステムとして維持温存させていく行為が、とても重要不可欠になっているとの事柄なのだ(要するに不作為、場合によっては逆を産む犯罪を行っているようだ。)。
こういった理念は、1688年のイギリス名誉革命の理念から始まる。“社会という制度”を、“自由平等”を充実させるため、造り貫いているのである。そして、そこでの民主主義とは、“権力も金も悪知恵も無い弱い者集団”の、“自由平等”の理念とも矛盾をしない、社会を造り充実するための“民主主義とは単なる武器“に過ぎないとの位置づけである。日本の如く、刑法でもって犯罪の構成要件を立証して取り締まるとの方法だけでは、マルチなどの犯罪者や全体主義者(宗教団体を含む)の政治家からは、社会も個々人を守ることはできない。(余談:こういった“自然法と理性が重視”される思考文化の温存が、イギリスには未だ“憲法”と称するものを必要としない理由の解明が出来るヒントなのかもしれない)。~ということだ。
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以上までは、1688年:イギリス名誉革命の実務理論の構成柱を築いたジョン・ロックの、晩年にまで至る著作などに現れている彼なりの論理構成を、筆者の私が現代風に翻訳編集したものである。
そこでの基盤ともいえる文化的道徳は、今から250年ぐらい前の、経済学の父と言われる、“アダム・スミスの「国富論(1776年)」”や(その国富論の基盤である)倫理学書『道徳感情論』へと引き継がれている。
1775年のアメリカ独立戦争にも多少なりとも引き継がれている。
1789年のフランス革命には、正直なところ、1688年イギリス名誉革命でのジョン・ロックの論理構成が、どのように引き継がれたかまでは、どうも確認しづらい。(ちなみにジョン・ロックは、イギリス国教会系の神学校教授であった)。
このジョン・ロックのカトリックは、当時のローマカトリックとは別派の教義(当時はそんなものといった時代)を用いて、農民への虐待統制を図っていた。そのことから、革命期に農民の反撃抗争での虐殺惨事を招いたとされる。このフランスの惨事から、イギリスの“保守”が生まれ(エドマンド・バークらの立憲主義?)、これを日本では、「本来の保守」だと言われるものになっている。

いわゆる“モラハラ”の本質は、飼育と調教である。

> “モラハラ”は、パワハラやセクハラよりも一段と知能犯である。ハラスメント(=継続的なイジメ嫌がらせ行為)は、教育訓練とか仕付(しつけ)とは異なり、その特徴は、教育訓練とか仕付であった事を、『動機や根拠を裏付けたる証拠を立て、ことごとく加害者は、証明できない。といった特徴がある。

よって、“モラハラ”の唯一の目的は、“飼育と調教”へ向けられた権利侵害なのだ。その意思表示を行っているのだ。したがって、刑法に定める緊急避難と正当防衛でもって、(憲法に定める基本的人権として)被害者は自らの心身を守る権利を持っている。家庭とか職場において“モラハラ”が行われた場合は、(自力救済には非ず)警察の介入する刑事事件であり、更に民法による加害者の賠償責任が生じる。ことに職場であれば事業主の監督責任や職場環境整備責任が問われ、加害者同様に賠償責任が生じる。

すなわち、自由平等の社会以前の、古代や封建時代の不法行為だ。


個々人の自律を、阻害するに至った日本の経済政策

(それらは、個人と社会制度との直結を促さず~自律や自己規律を阻害。
そして、同調圧力や権力の介入機会を、排除しないからである。)
イ)雇用調整助成金の企業への給付、企業ごとの職業訓練制度(過去のように、失業給付や職業訓練を、職業安定機関は個人に向け直に実施する体制を要するのだ)。では、(ここからは後に示すURLから引用)『どんな目論見で、雇用調整助成金の制度は作られたのか!それは、時の電機労連などの大手労働組合が、オイルショックなどによる急激な組合員減少(実は社員現象)のショックを和らげるために、当時の労働省と交渉取引をした産物の制度なのである。社員=労働組合員だから組合費は会社が集め、その労働組合員の現象を防ぐことで、労組幹部の利益と安定を図り、ひいては企業の安定に資するというわけだ。』~このコロナ禍&経済危機の中、大手労働組合は、まったく静かである。続きは、このURL(2020/12/08号へ)。【雇用調整助成金】は毒まんじゅう!
https://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post_8.html#224-14
ロ)育児休暇や介護休暇、それらにまつわる助成制度と運用。
ハ)セクハラやパワハラその他職場トラブルなどの、厚生労働行政機関での、“苦情受付から事案防止のための介入”といったものでは、根底からの解決が上滑りとなる。それは、行政政策の柱を、“個人の自律育成”に置いていないからである。依存させ→妥協でなく示談を図る。裁判や紛争解決機関での国家資格:代理人の介入を避けたがる実態は少なくない。
ニ)住宅ローンによって、個人に自己責任の箍(たが)をハメてしまうる制度。
(ロ、ハ、ニは、紙面の関係で解説を省略。)


¶相手方の思考パターン その見当をつける技術
語りかける相手の論理思考パターンは多種多様である。 そのパターンはどんなものであるかを察知して、相手方のパターンに合わせて語りかけるとか、相手のパターンにより受け止める内容には差異があることを、よく踏まえて話をする。これが、限られた脳容量や時間であっても、あなたの脳も気力も疲れないようにする手法である。
  • あくまでも後に示す概念表は、おおよその羅針盤的なものであり、あくまでも相手方が表した“身振りや言語その他”を、受け止める側の“感覚や行為・体験”の範囲(下の図のど説く模倣)で読み取ろうとするのであって、且つ、受け止める側の認知が可能となる範囲内といった代物に過ぎないとの技能力の制限がある。

  • まして、相手方は外に表現した“身振りや言語その他”の範囲内で以て制限されているのだから、その限られた範囲内での“感覚や行為・体験”に、そもそも過ぎないといった前提並びに注意が必要なのだ。相手方が隠していたとか、ある種演技をしていたともなれば、受け止める側に、極めて高度な“正確に見抜く能力”でもなければ、見当をつけること自体が極めて困難になるわけだ。その能力が“共感Empathy力(共感作用・共感精度)なのである。例えば、言語能力が長けていても、共感Empathy力が欠けている発達障害(自閉症スペクトラムASD…社会性の発達の遅れなど)があれば、先ほど来述べる「見当をつける!」こと自体が不能な行為である。{参考資料}大人と子どもの発達障害と脳検査
    https://www.nonogakko.com/hir/

  • この概念表に基づいて相手方の思考パターンの見当がつけば、時折り休憩その他一息入れたところで、相手方の気持ちを話してもらう。その気持ちと、あなたが共感Empathyするものでもって、あなたの見当とを即座に照らし合わせて診れば、その相手方の論理構成を、あなたは的を外さずに認識することができること(数々の啓発本に記されている結論のみどおり)となる。そのことで、あなたが決定的に相手方に近づく“要素やヒント”が収集できることとにもなる。なお勘違いしてはいけない事は、要素は法律法令などで示す要件とは異なる。要件とは、あくまで法律法令等システムの“柱”に過ぎない(又は行政システムの“柱”などにしか使われない)からだ。(民事訴訟とかの要件事実とは=戦後になって裁判官の“判断マニュアル”として導入されたもの。刑法とか労働基準法などの取締法では、構成要件と言っている。)

  • したがって、巷の啓発本に見受けられるような、『そういった行動を見ればソレ。ああいった行動を見るとアレ。』といった具合に判断をすること自体が、とても危険な行為であることは、肝に銘じるべきある。そんな様々な危険な行為とか不能な行為を、見分け避ける手法として、
     ①直面談と併せて相互に書面を作成し交換する行為。(準備書面)
     ②相手方に対し、複数の人物がインタビューする行為。
     ③相手方に対し(実質的に)何度もインタビューするとか
      角度を変えてインタビューをする行為。
     ④意思表示の裏付けとなる証拠・証人を相互に確認する行為。
    等々、を人類は発見発明してきたである。それは端的に言えば、「相手方にしても、受け止める側にしろ、頭脳に意識されていない項目や本質が無数に存在する。」といった事情からなのだ。

  • (補足ではあるが)、こういった危険な行為とか不能な行為を、見分け解消するための手法が、まだまだICT機器とか、AI人工知能(チャットボットなど)にあっては欠落している。だから、錯覚錯誤、基礎知識の不認識による瑕疵、欺罔(ぎもう)して詐欺(サギ)犯罪に使うなどといった事に至り、=⇒人類の進化を後退させることとなる。要するに、基本的人権の破壊とか自由の侵害(=自由な判断を阻害・欠落させる)に至る訳だ。それは、個人情報の流出とか、良心(善の心とは異なる)の毀損といった程度、そして流行語類の事件程度のものではない=個々人の無思考とか無認知といった、“究極の奴隷状態”に個人を人類を陥れる道具に成り得るのだ。

¶相手の論理思考は多種多様性=概念表
水準 概 念 おおまかな説明 その注意点
動物とか野獣
ではないだけ
相対比較
による
損得判断
何事も、同じもしくは類似のモノと比較して、「メリット><デメリット」でもって、それを金銭はじめ何らかの目の前の価値量で判断する。
1次元の、点的思考(X軸のみ)

目標とか方針に関係なく判断する。よって、
将来計画崩壊を招来している。
古代とか封建時代に
蔓延していた唯一の論理
感情的な
三段論法
とか
恣意的
三段論法
でもあり、

“感覚と欲望“に翻弄される。
感情的とは理性が無い、又は失って、理性的根拠も裏付けもない状況。
これを3段=AはB、BはC。だとすればAはCに違いない=とする思考。
日本の裁判官は訓練された、“合理的三段論法”の思考で養成されて、
事件の要件を整理して法律条文に当てはめるといった具合である。
“感覚と欲望と”での三段論法ともなれば、いとも簡単に必然的に“恐怖と狡知(=こうち:悪賢い知恵)”を駆使する行為が始まる。
2次元の平面思考(X軸・Y軸)

感情的だと、
理性無く、その時点の(理屈や証拠の伴うなりし)、自分の好みや思いつきとかを示す。
無意識のうちに、“恐怖と狡知(こうち)”を駆使する行為に至る。
官民共に官僚主義者にも蔓延している。
市民革命や、
文明と共に柱に。
客観的
合理的
な論理構成
・客観的とは、第三者から観れば当事者の説明が無くとも解る物事の様。
・合理的とは、筋道が道理に叶うとか無駄なく能率的に物事を進める様。
の思考を貫いている論理構成のこと。
注釈Ⅵのカントの指摘を参照)
3次元の思考(X・Y・Z)の範囲内だ。

社会(共同体)とか思考(現代哲学)において、法や法令の論理を構成する思考パターン。
自由平等|の社会形成と共に
人間の理性思考と論理構成
弁証法的
論理構成

ヘーゲルの整理発見した弁証法。
以降~
(現世は神の予定調和から造られた概念=から離れ、
近代文明や機械化等の世界へと進化。
思考方法の重要な契機の弁証法。

~観念思考とその反対思考との対立・その矛盾を通して、
~時間変化と共に、より高い段階のアイディア認識や思考に至る思考方法。

~それぞれの優位な部分を取り入れ発展させ合わせる。だが発展すれば、新たな反対思考が産まれ矛盾を産む。して、更に高い段階の認識や思考に至る過程を踏む思考の連続系だ。
【“中庸”、“中正の道”、“正しい中間”ではない】“中立”には両人の間に立つとの物理的な法的概念が在る。
4次元の思考(X・Y・Z+time)

目標や方針に基づき、将来に向けて運営するとか規律を立てながら発展成功を成すといった場合に、大いに役立つ思考方法。

好いとこ取りや“折衷案“とは異なる。
①相対する矛盾を通じ更なる高い段階へ進む。②時間変化と共に発展するとの差異がある。
物理、数学が、
科学だとの偏狭思考
物理や
数学的な

抽象思考に依存しやすい思考。
形骸的な学歴が弊害
かといっても、物理は≒古典力学に留まる程度の人物が圧倒的に多い。
カオス理論(2008年立証)とか量子力学(2012年立証)を鑑み及ぶまでに至る思考パターンは滅多にない。
アイザック・ニュートンは、「神の被造物の法則を探る」ことを科学とした。客観的合理的論理構成の走りだ。
質量的機械機能的思考枠

・カオス理論とは:「風が吹けば桶屋が儲かる」
の例え概念。
・量子力学とは:「光は波であり粒である」の概念。
未来や、想定外、に
備える人間的な労働
Art域労働
芸術労働

スキルや
パフォーマンスでは治まらない。
生命論的思考に併せ希望を産む
その法則や、製品サービスは、明確になりつつある。参考URLを参照=
ルネサンスが巨匠を産み出せなかった根拠&原因は、科学的法則性思考の欠如であったとされる。
はっきり言える事は、5次元の思考
(X・Y・Z+time+結合Connect)だ。

パフォーマンス
では、
[ひと目で凄い]技巧が優先。
その技巧を凝らす程に刹那感と孤独が増し加わる性格がある。

参考URL
アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=Art%E5%9F%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D#227-11
天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
https://soumubu1.blogspot.com/2021/09/after.html#233-08
3つの労働分野=労働分野 Art域 スキル技能 パフォーマンス職人技
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=%EF%BC%95%E6%AC%A1%E5%85%83#208-08
Art域労働=芸術労働の要件要素には、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=%EF%BC%95%E6%AC%A1%E5%85%83#208-20
頭脳労働のメカニズムの解明
https://soumubu1.blogspot.com/2013/12/blog-post.html#09

(概念表の注釈:多種多様性に係る要素)
それぞれの思考パターンは、その人に典型的な姿で現れるのではない。それは、マダラのように入り混じって象徴的に表現される。さらに水準の高い段階の思考パターンに進むほどに、知っていても名称だけとか、使っていても使い慣れていないとかで、中身や内実が受け止める側に伝わらないこととなる。流暢に言語の会話を交わしていても、全く中身のない内実もある訳だ。裁判官の判決文だとしても、司法研修所では「高校生に判る文章書け」と教育訓練されているにもかかわらず、明解に論述できていないことも多々あるのである。

Ⅰ.この概念表では、思考パターンの各段階が下のほうに行くに従っておおむね水準が高くなる。その高くなるという意味は、複雑に絡み合っているところの“思考の対象”となる物事を、上手に整理することができるというものだ。したがって、この概念表を念頭に置くことで、複雑な絡み合いを煩わしく感じるほど頭脳を酷使しなくなる。よって、限られた脳容量とか期限時刻が在っても、“脳や気力も疲れにくくなる”
のである。
Ⅱ.物事の視野を広げて別世界を観ていく準備をすることは重要だ。細かな情景でも、「達人は一手間かけている。」と言われるが、それが何なのか。そして、洞察力の真髄は、“素人とは異なる場所を観ている”とのことだ。が、それは何れの部分か。~そこで、脳神経作用を酷使すれば、セロトニンが不足するのは当然なのだ

★1.感覚と行為(体験)で知る、外部状況

★2.脳内の知覚による、内部(高度思考パターンによる整理)状況
この、2つを区別することによって、“血圧や体温”を一定に保つようになっていることが脳科学で解明されている。そのことによって、進化や人類の英知の基盤作用となる自己(個人)が、形成されているという訳だ。

★3.情報量は多いが、整理整頓されていない。
相手の細かい表情、声の様子、仕草などといったものを、受け取る側が脳内で各々に模倣して理解を尽くす、といった共感(共感作用+共感精度)。これが成されていない場合、情報量は多いが、要素がつかめない。もちろん聞いた話の要件すらも、ツマミ食いをするだけで把握が出来ていない。

先ずは全体像の要素をつかむ。~そのためには、
証拠や根拠では無くて。気持ちを話してもらうことである。
だが、証拠、証拠と、証拠ばかりを追い求めれば知が収斂(しゅうれん)する。
それでは視野を広げることにはならない。別世界を見る準備にもならない。

成長する知の樹木 次々と知識を習得する 「器」の作り方の例示
Ⅲ.Art域の創造とか芸術的作業ともなれば、自律・自由のもとに個性が宿り、自己が形成され、それが、受け手側に希望が湧くにいたることにつながり。互いの共感とともに希望をもたらす行為が、“物事”にて搬入されることとなるといった作用だ。
Ⅳ.そこで、“自由”とは、(幸せ、満足、厚生との関連も含め)『“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」とされ、そして、「“満足”とは=様々な集団の内部での、他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明を達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。』
         引用元=総務部メルマガ224号 2020/12/08発行
https://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post_8.html#224-04
 これが、現在最新の社会学や哲学において解明された内容である。もちろん論理構成は、社会科学とか精神科学(=昔で言う人文科学)であるから理性的なものである。これらは、“感覚と欲望“であるとか感情論といったものをも整理したうえでの、人類英知の成果なのだ。
Ⅴ.人間にとって、文化を経ることで形成された概念が、意欲や活力を産むのである。ただし、“活力”とはいっても、アインシュタインが“活力”自体を解明し、それは単なる「エネルギー交換」だとの文明的科学技術的な発見をするまでの幻想概念に過ぎなかった。したがって、“活力”の用語も、次第に使われなくなる運命にあった概念の一つには変わりはなかった。

Ⅵ.注釈Ⅵカントの指摘 哲学者カント(1724年~1804年)は、たとえ良かれと思ってものレトリックや詭弁について批判をしている。レトリックとは、日本では“修辞”と訳され、要するに、「言葉を適切に用い飾り立てることで、人を説得あるいは誤魔化す術として使われている。日本で有名なレトリックは、「漢字での“人(ジン)”とは、支え合う二人といった構成で出来ているから、人間は支え合うものだ。」と言った“縦社会を誤魔化す説句だ”。もとより、この“人(ジン)”の漢字は象形文字での、“歩く姿”である。こういった解り易いがために、主観的に物事を言い換えるためレトリックを使っている。詭弁とはレトリックの一部で、一般辞書にあるとおりだ(省略)。そこでカントは、「いくら分かりやすいといっても、キリスト教の聖書の内容を誤解させている。」と、当時のドイツ:カトリックの神父らを徹底して批判した。カントは、ドイツ:カトリック団体のから攻撃を受けたが、これを貫いた(これだけで、「カント」は反キリストだと決めつけた)。すなわち、レトリック=“修辞”は、客観的合理的論理構成とは真逆に用いられる中世の文化そのものなのだ。
1789年のフランス革命では、「迷信を聞くな!」が革命民衆の合言葉であった。イギリスではカトリック教会の神父が、旧約聖書の“膨大なStories”から、都合の良い部分だけツマミ食いして他人を抑え込む、“縦の人間関係”を、物語集『デカメロン』(Decameron)を用い批判している。日本でも、「嘘も方便」とのことでの、“嘘Stories”も、ここ数十年は滅多と聞かなくなった


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230509】
①『頑張り屋さんのための心が晴れる本』
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので、記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで毎月の掲載号と同じ)
https://amzn.asia/d/gcKBq2R
(むらおかコメント)
この本はHSP(HighlySensitivePerson)日本語では「とても繊細な人」と訳されているようだ。未だ精神科では病気とは考えられず、性格の異種と考えられている。だが、著者の私からすれば、これから日本を再興させるArt域労働に、実はとても適した人物性格かと推察される。ではなぜ、今になって注目視されているのかといえば、『私からすれば、ここ10数年で著しくなった(政治や宗教団体らの)全体主義によって、“日本の縦社会”の縛りが強化された結果だと考える。
職場や家庭における瓦解的摩擦の人間関係への癒しとかが、社会問題化するぐらい少なくなり、典型的なことになると、HSP「とても繊細な人」がパワハラの対象にされていると考えられるからだ。この本でも示すように、職場での人間関係が注目される。それは、職場や労使の紛争事案の政府統計を見ても納得する。
このHSPが病気と認定されないことから、具体的な病状況に対応してくれる体制はほとんどない。これに対して、この本の著者は医師の立場から、“現場受け入れ手法を極めて具体的に”書籍にまとめたのだ。すなわち、HSP「=とても繊細な人」からすれば、医師の代わりに、病院に通わずとも解決の一歩に資する具体策だとも考えられる。
日本再興の鍵となる“Art域労働”にとって、HSP「とても繊細な人」は、とても有能な人物に間違いはない。労働契約は、正規・非正規を問わず、パートタイマーでも良いし、1週3日の出勤でもよいし、とにかく仕事の質量そして顧客要望に応える能力がある人物たちなのだ。上司の言うことを聞かない、同僚などに歯向かうからといっても、彼彼女らは発達障害とは全く違うのだ。(診断も無く、発達障害者と決めつけ切り捨てする人物は、インテリだとしても極めて多い様相だ。
(出版社コメント)
大丈夫!あなたもう十分頑張っている。あとは癒されるだけ。
精一杯努力しているのに、何故かいつも空回りしてしまう。いつも自分だけが責任の重い仕事を押し付けられてしまう気がしている。他人の感情の起伏に人一倍敏感でいつも気を遣ってしまう。人に仕事を振るのが苦手で最後は自分で対応してしまう。本当はヘトヘトでギリギリな状態なのに、周りに気づいてもらえない……。など、仕事にプライベートに頑張りすぎてしまい、実は心の中が疲れ切ってしまっている人に向けて。心に沁みる言葉やもっと楽に生きるためのヒントやワークを紹介。イライラもモヤモヤも心地よいほどに溶けてゆく、読むだけで心が軽くなる頑張り屋さんのための究極の一冊(画像を含む)

2023/04/04

第252号:確実に人材資源を発見

<コンテンツ>
これから2年間は、人材資源の発見・確保
あなた自身の、“自己自我“もイノベーションの対象
一段と優れた“労働全般能力”を、持っていないとは、~
AIを始めテクノロジー機能の、“活用分野・手法&役割”
DXを事業に導入する、仕事&事業(大半は空回りする)の内実
ICT産業革命“地域での抜本的集団教育”
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230404】


§これから2年間は、人材資源の発見・確保
ここが重要だ。2年間という意味は、2025年に日本経済の底が来て、その悲惨さから上向きに、新形態&新構造で成長するからだ。ICT産業革命は一気に進む。

今と比べ思いつかない方向で“意味を持って進展“するからだ。その時期に縦社会(西洋風な「羊飼いの群れ(他律的な自己)」とは異なる社会構造で活躍できる人材がポイントになる。受験勉強一辺倒で“傾向と対策”しか得意な思考パターンでは役に立たない。その主力はArt域労働を身に付ける人物だ。

いわゆるアート、Art域労働とは何なのか

ここ最近、新時代を切り開く事業の最前線に立ち、実際に成果を上げている経営者が強調している柱は、“事業や商品の柱にアートが必要だ”といった認識である。ところで、その柱とは何なのか。それを経営に取り入れることとは、一段優れた“労働全般能力”を持つ人的資源を育成・確保することにつながっていりという訳だ。
http://soumubu1.blogspot.com/search?q=Art#227-11

Art域労働の法律的な契約(民事法)要件

それは、次の通りと設定される。(著作権等は労働契約の要件ではない)
イ)アートArt域労働とは取引には造形物理的要素や解釈要素を含み、
ロ)「労働全般能力の発揮によって形成する、
ハ)有形無形財産の貸与を約する契約」であり,若しくは、
ニ)アートの「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約」である。
ホ)時間制所有権譲渡や委任契約であれば正当報酬には成らない。
ヘ)様々なアートArt作品を形成する芸術的素質は、美しく良いもの且つ希望を感じさせるものの法則性をつかみ、作品への法則的技巧を行い、より共感性の高い疑似的再現を実行する。
ト)正しくこれがパフォーマンスPerformance職人技とは異なる部分となる。
チ)Art域労働の品物価格=見積積算単価(例)http://soumubu1.blogspot.com/#251-09

そこで、資源となる人物を発見する努力を重ね、声をかけてさえすれば、著しく好反応が返ってくる。だが、声をかけた候補者が、中身が“傾向と対策”といった思考パターンに浸っているならば、その人は「モゴモゴ」言って、あなたから逃げる。必ず食事を共にしてみれば、表面を取り繕う人は、あなたから勝手に去っていく。それは、あなたを未知世界の人間だと錯覚し、危険を感じて、その候補者は避難するからだ。
そういった人材資源の発見・確保には、若干の経費がかかるかもしれない。でも、現行の営業経費よりは割安だ。そして、人物を、“金銭で釣る”ことだけは、絶対にしてはいけない。人物を金銭で釣れば、その人は必ず腐敗する。その後に“腐って化石”にでもなれば、事業の足を引っ張る岩盤になる、その岩盤は、現在日本の各分野に散在する、まるで“家元制度の癌病巣”といったところだ。
年齢や性別そして現在の現職業能力に関係なく、対等に付き合ってみて探すことである。一方!TVその他で派手に空回りしている人材紹介会社は、何の役にも立たない。バブル成長期とか恐怖の嵐の下では、人材と言っても、「役に立たないものほどよく売れる」って訳だ。むしろ後で述べるが、次に示すような人物こそが、これからの社会では貴重なのだ。「羊飼いの群れ(他律的な自己)」に適合するよう育てられた人物や思考パターンの持ち主は、これからの日本経済の成長にとって重要とは言えない。むしろ、発展途上の海外での出稼ぎに「羊飼いの群れ(他律的な自己)」は適合していて、そこでの仕事も豊富にある。
  • 自律した高学歴主婦の短時間社員(1日3時間×週3日出勤)
  • HSPとか貴重な感覚の持ち主(パワハラ被害者とか“表面イイ子”)
  • HSP参考イメージ https://tak-affili.com/work-suitable-for-hsp
  • “HSP”は病気や精神疾患ではない。「羊飼いの群れ(他律的な自己)」の羊の枠を超えたハイレベルhigh-levelな人物だ。

個々人の自律Autonomyに必要なもの

具体的には、新たな物語Storyを作る方式で、

  • 従前より異なった、より良いストーリーの形で
  • 整理され創り上げられた、
  • 個々人の、基準Standardまたはベースライン である。
  • そこでも、やはり、自己中心的思考パターンではなく、
  • 他者との関係を再評価することが重要視される。
  • SNS起因のナルシストに陥るのも、自己中心的思考パターンに固執するところに原因が在るとされているようだ。
― 発想や着想を生む行動パターン 感動や希望に加え危険回避策 ― (総務部メルマガ2019/10/08号から引用)
http://soumubu1.blogspot.com/2019/10/#210-05

§あなた自身の、“自己自我“もイノベーションの対象
いよいよ、世界的な金融システムの崩壊が起こり、その後のICT産業革命に基づく、新時代の経済構造や社会文化環境を迎える。その中で、個別企業における新規事業や新商品などの開発には、現在よりも一段優れた“労働全般能力”を持つ人的資源を育成・確保することが重要である。それは、その人的資源は金融投資よりも飛び抜けて重要な要件だ。
自己中心の思考を改めて、他者との関係を再評価する思考の組立が重要となる。それは“自己啓発”といった、自己中心を柱とした手法では、これから通用するイノベーションの域には到達しない。いわゆる縦社会(西洋風には「羊飼いの群れ(他律的な自己)」という)からの脱出が必要となる。
このたび崩壊を迎える金融システムの範囲は、「労働力(=労働全般能力の一部)」といった形態の“労働力の切り売り”を構造基盤に考えられてきた経済構造の仕組みである。要するに本来、「社員」と言われる者は、その「労働力(=労働全般能力の一部)」を管理監督する者またはその候補者といった概念である。そして日本の場合は、従業員募集目的のためには、聞こえが良いように「社員募集」と銘打っただけのことである。よって、その実は“労働力”従業員の員数確保である。「社員」の給与は月給制で、欠勤控除をするとしても、毎月定額から欠勤時間数を按分して差し引くのである。“労働力”従業員の賃金では、月決め支払日に就労した時間分の時間給を掛けて合計しただけのものである。その余の賃金論理や理屈は、そもそもが「その場しのぎ言語」であり、原理原則は“賃金”というものが誕生して以来世界共通だ。(その概念は労働基準法通り、なお雇用保険法の賃金定義は異なる主旨だ。)
すなわち、飛び抜けて重要とされる要件である人的資源とは、本来「社員」と言われる者またはその候補者といった概念である。くれぐれも、求人広告会社とか人材紹介会社、などの口車に乗せられて、人的資源確保での的を外したり、おだてられて“高い買い物”に走るのは避けなければならない。「優秀かつ変な人材」を1人でも掴まされると、企業内で安穏悪影響は甚大なのである。

正規社員・けれど短時間の働き方

  • 今や、高学歴&主婦に人気は、一日3時間、週3日出勤労働である。
  • その程度のシフトとなれば、だらだら労働が敬遠され、労働密度は高い。
  • 家事労働や子育てを負わされる女性は、時間や時刻の融通が人気だ。
  • 高度なスキルと人員不足解消には、ICTテクノロジーが活躍する。
  • そのテクノロジーが無かった時代、人徳と親切が“人員確保”をした。
  • 量販店・百貨店とか労働集約サービスでは、ICT technologyが期待。

ついでに解説をすれば、「非正規を、社員化する」といった対策は、根本的に現場を知らない人たちの妄想だ。今述べたとおり、「社員」と「“労働力”従業員」とは、役割も期待される労働の中身も全くの別物なのである。日本では高度経済成長前、実のところ大手企業が中小企業を吸収する形で企業規模を拡大した。が、現実的着想は、吸収した企業の社長が「社員」となったという実態をモデル(例えば=有名な:秋北バス事件判例等)であったのだ。そしてこういったイメージは、現実の経営課題には有効であるから、形態は別としても中身は温存し継続していたというわけだ。


§一段と優れた“労働全般能力”を、持っていないとは、~
これとは全く正反対の、このままでは、“労働力にも成り得ない”人たちが、AI人工知能その他として、ICT産業革命の中で用いられる。テクノロジー諸道具に、翻弄されたりとか視野狭窄とか疑似偏狭障害といった、頭脳・心理状況に陥っている場合だ。そこには陥らない対策政策を、個別企業でも施すことが重要なのだ。そのままでは、本来のイノベーションを推進するには、その底流で障害となるわけだ。これでは戦前日本の、どうしようもない封建的隷属労働集団の存在となってしまう。それを放置したために著しい経済成長が阻害されたのが日本の歴史だった。ここは、冷静な思考でもって将来にわたって危惧される状況の対処が重要だ。日本政府のデジタル対策や、デジタル庁には、この危惧すら全くない。それは、次に挙げる3項目である。これはテクノロジー技術?の定着しつつある国や地域の世界的傾向とされているようだ。

縦社会(西洋風:「羊飼いの群れ(他律的な自己)」:副作用の深刻化の危惧

スマホ認知症~スマホでもって、たいがい即座に、狭窄した情報が検索できる。そのことから脳の記憶に残らない。すると様々な物事をいくつも思い出させる、極めて有効便利な人間頭脳の能力が退化してしまう。一気に拡散しつつある『Chat-GPT』にもその懸念がある。
SNS起因のナルシストの急増~その昔、「“禁欲”は霊的向上」と言われた。が、現代の禁欲生活は、SNS起因のナルシストに陥らせる。「いいね!」などを様々に工夫して集めると、すぐに気持ちよさが伴い、なぜか自分が“偉くなったって錯覚する”訳だ。昔からチヤホヤされると、社内でもよく似た事になる。ところがこのIT機器によるナルシストの究極は、自己知あるいは自己の破壊を招き、心と身体の破壊(自殺)にもつながると言われているのだ。
③“データ労働プロレタリアート”(ドイツ語:Proletariat)~データばかりを扱う労働の専任職スキルに固執する傾向。その背景とは、ちょっと小難しいことや煩わしい事は、AI流に機器が裁いてくれるけれど、どうしても人間しかできない少々複雑なデータ回収とか入力が、専任化して非人間化しまったわけだ。加えてなおさら、この作業の専任者ばかりを育成しようとする程度の職掌や分業に固執する。さも専門職のようにもてはやすけれど、所詮は限定したスキルに基づく労働力の“買い取りと切り売り”と言う訳。電算機導入初期の頃に発生し、様々な労災事故が発生した。さらに現在の非正規労働と変遷していった訳だが、その延長線上にあるイメージ。こういった働き方の場だ。こういった人たちとか集団も、“社会的な・お荷物”にならざるを得ない。合理的なように見えても、極めて労働効率や完成納得性は低く利潤を消耗するシステムを温存してしまう。

§AIを始めテクノロジー機能の、“活用分野・手法&役割”
イ)自己知(私とは何?とか、「自我」) ~新たな物語を作る方式で、従前より異なった、より良いストーリーの形で、その蓄積を追い求めることが大切とされる。

ロ)英 知 ~インフォメーション情報のデータではなく、経験知。その経験知の水準に近づくには、プロセスを知りインテリジェンスIntelligenceの情報として集積していくことである。ことに、カオス理論(2008年に証明)の活用に近づくには、「あの失敗したときに、やはり、あれをしておけばよかった」といった“反省と後悔”の英知の蓄積が有効であるとされる。

ハ)学 習 ~項目のフィードバックや丸暗記は厳禁。IT機器で数多くの多角度とか深さで学習し整理まとめあげることでの、効率学習となる。Chat-GPTでは危険。(未熟で幼稚なIT機器により情報が分断されている状況。だから、とりわけ“他とか他者”との関係的な理解を含めることが重要となる)。

ニ)自 律 ~日本の行政機関が行政目的として使用する、“個々人の自立”とは全く意味が違う。「自分で自分を律する法(決まり)を自らのうちに作る」といったAutonomyの概念だ。IT機器で、数多くの多角度とか深さで調べ整理まとめあげることが出来る。(未熟で幼稚なIT機器により情報が分断されている状況から。だから“他とか他者”との関係的な理解を含めることが重要となる)。

ホ)啓 発 ~啓発は“啓蒙”と混同されてイメージされている場合が多い。啓発も啓蒙も、個々人毎の能力開発に主眼を置いてしまう。すると、その中身とか内容の社会的効果や事業といった物事の役割を失わせてしまう。近年の“自己啓発”は、ことさらに個人相手に商品とか習い事を売りつけ→代金回収に主眼を置くだけの流行に過ぎない。(未熟で幼稚なIT機器により情報が分断されている。だから“他とか他者”との関係的な理解を含めることが重要となる。)★注意しなければならないことは、「当初は甘く勧誘し、クレジットで料金全額を回収した途端に、無理難題の啓発を付加して、あきらめさせる」といった昔から英会話教室などによくある手法だ。そうしなければ、“自己啓発業者”の経営収益自体が持たないからだ。

ヘ)以上、イ)~ホ)の項目は、個別企業や国の、職業訓練=労働力育成政策としての、“肝”である。
ト)今話題の『Chat-GPT』には大きな限界がある。実に便利である。が、それは新聞とか活字出版物と同様に過去の蓄積内容を超えないことである。加えて“現われる回答”は、過去の間違いを引きずっているかもしれない。あるいは、業界であったり学術団体とか政府内の省庁によって各々の言語を解釈が異なっている事情まで処理ができないのが現状である。さらに突っ込んで話せば、
縦社会(西洋風には「羊飼いの群れ(他律的な自己)」といった思考方法とかパターンを踏襲(とうしゅう)しているから、その前提で利用しない限り、とんでもなく根本的な、的外れを起こすことも否めないのだ。
例えば、日本でよく知られる仏教の『自我からの離脱』であれば、名称などの知識情報は存在しても、そういった基盤の思考パターンとか論理構成は含まれていない
或いは、物事の認識や説明で用いる『客観的・合理的』といった証明方法(:詳細は省略)は、いわゆる哲学の英米流とフランス流で異なるのだが、そういった“方法論を含む思考基盤”も“お構いなし”の様相だ。
むしろ、知識偏重主義(主知主義の行き着く先)といった、“都合の良い知識の拾い集め”かもしれない。
よって極度の根本的な注意を払って読まない限り、失敗や間違い・損失を招来することが当然のこととなる。
加えて近年の、スマホやタブレットなどによる、安易な表面的かつ言語の範囲でしか現れ出ない情報を用いてしまい、『予見欠落・瑕疵重複・単純錯誤・レトリックなど』と言った、ことに“他とか他者”との関係的な理解を含めることのない、=擬似発達障害などを撒き散らしてしまうことも否めない。
###「私」とか、観(見)る、分かち合いShare、自律そして立場といった用語は、“総務部メルマガ”の過去号で分析整理し、次のURLで飛ぶと示している。
・科学の発展は、用語の概念の発展として現れる。
http://soumubu1.blogspot.com/2020/10/blog-post.html#222-10
・好機をつかんだら、毅然と実行するための参考事項を
http://soumubu1.blogspot.com/2021/07/blog-post.html#231-09

信頼できる、優れたメディアとは? どんなもの

メディアやジャーナリズムと称するモノから、次の様に選んで整理してみる。
A)自己知としての、新たな物語作りに効果がある。
B)情報は、あなた自身が集めるもの、その道具として有効で効果がある。
C)経験知は、そもそも集合知であり、横に連携した具体性の要素でもって形成される。(ちなみに、この総務部メルマガのブログは、Intelligenceとか経験知の集積にトップの右端に検索エンジンを付けている。検索エンジン付きブログは未だに珍しい)。


§DXを事業に導入する、仕事&事業(大半は空回りする)の内実
  • 「役に立たないものほどよく売れる」、これは、自動車のホンダ創業者の本田宗一郎の名言である。だがそれは、当初:ホンダ・カブの実用バイクからスタートしたものの、金銭的大収益を上げたのは、“機能的”ではない乗用車であったのだ。が、本田宗一郎自身は、そのうちの“機能的”ではない乗用車は「役に立たないもの」と考えていた。このことは有名な話である。時は:高度経済成長末期のバブルにかかった時代であった。すなわちその教訓は、金融資本投資の大量投入と闇雲な個人消費を煽る経済政策の時節時の話なのだ。
  • DX=デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation)は、現行の経済産業省の定義では、米国その他G7各国で施行され成功してている物とは全く異なる代物だ、加えて似ても似つかぬ概念なのである。
  • DX=Digital Transformationの誤訳(メルマガ2021/11/09引用)
    http://soumubu1.blogspot.com/2021/11/blog-post.html#235-17
  • 高度経済成長末期とは違い、現在の経済恐慌の後に成長すると期待される産業や業種に、大々的にそれを導入する資金的余裕は無い。政府の補助金をつけても、根本的に投資資金は枯渇している。加えて言えば、過去の電子計算機導入時期の場合には、販売促進費なる事業主個人へのバックリベートが相当大きく存在した。が、今はそんな事は期待できない。むしろ今現在は、様々な甘い汁を吸ってきた個別企業が、その(ディープステート等?からの)“甘い蜜を多く吸えた”、その額の順に経営破たんをしているのである。
  • 実際に、DXを事業に導入するには、とても現場をよく知る人物が携わらなければ動かない。(そもそも現在も、完璧な給与計算パッケージソフトすら未だにないのが現状なのだ)。では、どのようにすればいいのかといえば、実態現場を知る人に、“他とか他者”との関係的な理解を含めるSE教育などの教育訓練を職業安定所が、徹底して施すことが重要なのである。
  • “甘い蜜を多く吸えた”経験とかに浸りきった民間業者に、そういったDX先進諸外国レベルの教育訓練の実施を期待すること自体が間違いである。この数年:コロナの時代には、日本政府のデジタルシステム不具合に対抗して、少なくない地方自治体の担当者は、様々なシステムを独自開発した。場合によってはSNSネットに存在するフリー(無料)ソフトで以て便利な給付金PCシステムを作ったケースがある。DXを民間事業に投入する、そのための人的資源の底上げを労働行政で行った方が早い、それは諸外国の成功事例にもある。日本のデジタル政策は、「新自由主義者の求める“甘い蜜・委託事業”の公共事業や補助金政策」を、即刻に辞めた方が良い。もとより、新自由主義者自身には、受注したところで、委託事業の完成能力は無いし、そういった高いレベルのDXに見合った人物が確保できるわけでもないのだ。

§ICT産業革命“地域での抜本的集団教育”
多くの人々の労働能力育成を大幅に阻み、無策無法の労働政策の成り行きとして、挙句、“データ労働プロレタリアート”といった、労働能力(スキル)が低い人たちが急増する。それは当然の成り行きだ。こういった人たちが、日本社会の中で差別的扱いをされることは必至である。個々人に向けられた“視野の狭い努力”を煽る形態を促進する“自己啓発”では、何らかの“資格優先”思考(志向)“がはびこることとなり、経済現場における個別(企業)事業活動での、“デジタルテクノロジーすら”も有益に活用することが不能な環境も招いてしまうことになる。
その差別的扱いの象徴として、次のような「評価表現」がはびこる。現在でも、「AI人工知能に取って代わられる職業」と揶揄される、様々な国家資格や専門職業群に、実体として現存し蔓延っている、“データ労働(力)”らが差別されるわけである。
  • とんま(頓馬=は当て字)~のろま、まぬけ等々
  • 間抜け~することに抜かりがある様子など
  • 無知(智)~知識とか知恵などの無い様相
となれば、労働の質量の劇的逓減を招来し、この面からも日本では構造的インフレが続くこととなる。一度落ち込んだ労働の質量逓減は、持ち直しには数十年は掛かる。
ICT産業革命における労働の質量逓減に対抗する有効な対策は、最小:地域経済圏単位(例えば中学校区)ないしは市町村自治体範囲での、“地域の抜本的集団教育”を行うことである。そういった成功事例は、米国のシリコンバレーとかスウェーデンなどに散在し、無名の無数の“地域での抜本的集団教育”といった萌芽は、市民革命による文明Civilizationの形成後に、世界中の最小地域経済圏単位ごとで行われていたようだ。そしてそれが現在に至る地域経済や地場産業の、“労働質量の供給元”となってきた元祖のようだ。(戦後日本では、金融資本投下といった経済政策により“地域の抜本的集団教育”は、影を潜めた。だが、こういった大手企業で用いられた“羊飼い方式”の労働力教育訓練も、ここに来て限界に至ってしまった)。
地場産業の背景には、固有文化価値商品を作る、①労働全般能力集団と、②その教育訓練システムがある。特産品や名物が在っても、この労働全般能力集団などが地域に無ければ、地場産業は生まれない。地域活性で失敗するのは、ここの見落としに原因が在る。経済センサス(統計)などでの、(産物ではなく)地元の人的労働能力を確認することだ。原料は遠方からでも取り寄せが利く」。


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230404】
 今月、あなたに紹介できる本は、いまひとつのものばかりで、ありません。

2023/03/07

第251号:恐慌後の経営は、科学根拠と計算で

<コンテンツ>
世界経済大転換の「天王山」は、いつ?
 ・別の角度から見る、世界経済の動き、
 ・日本で公式には、およそ18万社程度の倒産を!
 ・日本経済の底は2025年!!
 ・日本政府の経済政策は、
 ・日銀を倒産へ? → “新Japan Bank”中央銀行
商品や消費財の、今の価格決定方式の変化!
供給物(商品ほか)の価格決定権方式は、数学計算ではない
「価格決定権」方式 = これが、その決定要件の解説表
価格決定思考の、巷の空理空論を防ぐこと
自由市場経済の初期、その発展を支え促した思考
 ★著作権の世界の認識(労働の報酬ではない)
 ★Art域労働の品物価格=見積積算単価(例)

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230307】
 『自己啓発の罠、AIに心を支配されないために』


§世界経済大転換の「天王山」は、いつ?
その「天王山」は、この春の終わりから夏にかけての時期だ。この7月からアメリカの政府予算の上限規制が行われる。アメリカ主導:G7各国のウクライナをはじめとする経済・外交にかかる資金も止まる。これが世界経済の不均衡バランスを更に激変させる。
その「天王山」の影響を目前にして、日本は、統一地方選挙が行われ、その後の体制を見計らってから日銀が新政策を執行する。新しい総裁の許(もと=日銀はこの漢字を使う)に、日銀は緊縮に向かうが、それまでは金利上昇をつづけ、その緊縮方針が何時の時点になるのか、夏か秋か年末か、その実施の瞬間が、中小・中堅に至る注目ポイントという訳だ。
そこで表面だって目に見え予想される事は、金地金相場の暴落、急激な円安への為替変動、単なる物価高現象ではない本来のインフレ政策である。この「天王山」といった表現の奥に潜む本質的な物事の解説は、今月のところは省略して後日に示す。
別の角度から見る、世界経済の動き、
簡単に言えば、アメリカの国家予算増額の制限が法律によって、この夏:7月~9月に行われる。それは確定している。これを初めとしてG7各国は軒並み財政制限(意識的バブル経済崩壊)に陥る。すなわちウクライナ向けの戦費も予算も底をつき、“いわゆる金融経済の循環”が止まるわけだ。ことに軍事や武器に集中しているものだから、予算や債務を消化するほど、“破壊・殺戮・インフラ崩壊・産業設備崩壊”が、進展するわけだ
★注目は、G7各国の現状である超マイナス経済は更に下落進行する。
G7主導のグローバリゼーションも徹底して崩壊する。日本の岸田政権は、林外相を、過日のG20外相会合で欠席をさせた。それは日本が中国との無意味な対立を激化させないための布石だ。
片や、G7外の各国は資源国とか労働力国が多いことから、現状から更に経済成長するという見通しだ。ここにウクライナ戦争の背景もあり、金地金の相場とか為替相場も、ここを背景に上下している訳だ。相場のチャート分析など関係ない。
日本で公式には、およそ18万社程度の倒産を!
政府はいよいよ迫る。日本の金融恐慌は、そのように予測されている。こういった程度の予測をシンクタンクとか識者は、挙って語っている。要するにバブル経済を崩壊させることになっている訳だ。
ところが、休業とか廃業の道を選び、“倒産の法的手続き”を取らない中小零細企業は、どの程度あるのか、これは統計にも現れず予測がつかない。実のところは、まだ資金が存在するからこそ“倒産の法的手続き”を行って、債務を消す手段で、倒産の方法に出るのである。~こういった手法を“学者”は想像もできないし、評論家や新聞・TVといったマスコミ記者の記事には出てこない。
さらに細かい手法を示せば、“倒産の法的手続き”を掛ける法人は、何年度も粉飾決算をし、それで融資を受けている場合が多いから、法人税の“遡り修正”を目一杯行って還付金を入手するケース(その多くは税理士や弁護士報酬に充当する)が多い。

日本経済の底は2025年!!
いずれの変革が始まるとしても、そうとなる。アニメや映画ではないから、
  • 変革の開始時期の政策切り替えは何事にも停滞をもたらし“どん底”を迎えることとなる。
  • 次に大転換するための新施策が実行され、効果が出てくるまでは、“底が続く”のである。
  • 何事もそうで、奇跡が起こるわけでもなく、劇場型に変化変換するわけでもない。
  • 少なくとも、何らかの効果が表れるのでは、このメルマガで示したように、それぞれ個々の品物の価格設定&提供体制を、個別企業ごとに組み替えて、身の丈にあった経営と共に、人的知的資源を蓄えることである。
  • 時代や社会の変化が訪れるといって借金や融資を受け入れると墜落・倒産を招来するから、互いに仲間同士で注意しあうことである。
  • そして、常日頃に文句ばっかり言う“文句言い”は、その間ずっと威勢よく、文句ばっかり言い続けるだけだ。社内でも仲間内でも、“文句言い”は、SNSやマスコミでも、持てはやされるが、具体的政策など建議する能力は無い。
  • だから、そういった文句の類を題材に話し合ったとしても、時間の無駄どころか、焦点の核心を無意識のうちに、ずらして的を外すことになる。
  • ★要は、個人も個別企業も自治体も政府も、何事も目の前の現実に対応できる具体的な新転換策なのである。“文句”ではなくって、実践と行動だ。

日本政府の経済政策は、
今の仕組みの下では世界経済に振り回されるだけだ。だから日本国内を集約して、何かの抜本的政策を行うとしても、その政府に主体的な力がない、それは能力的にも金銭的にもである。たとえ、何らかの方向性が出たところで、具体的な足も無いのだ。その要諦は量子力学で言う、「光は、波であり・粒である」だ。もちろん、いまどきの対策の流行は、古典的物理学でもない。
すなわち、例えば、返済期間99年の借金棚上げの「経済政策または投資資金バラマキ」を実施したところで、様々な“浪費型利権集団”に投資資金を、再び食い潰されてしまうだけのことである。それは第二次世界大戦後での、先進各国の歴史が証明しているし、“食いつぶし”集団の再生産に過ぎない。日本の戦後経済復興においてもその傾向が強かった。
日銀を倒産へ? → “新Japan Bank”中央銀行
世間で言う“デフレ経済?”と言われるものから、世間では“インフレ経済?”と言われるものに切り替わる。現象だけ見て簡単に言うとすれば、「一方で物価高への誘導&他方で物価安への誘導」である。

本質は昔ながらの単純な、「インフレ政策&資産食いつぶし&増税政策」なのである。したがって、企業経営の要諦は、過去を捨ててイノベーションでもって、本当に売れる商品や消費財を用意して、売り上げを増加させることである。
今後は、決して“現在商品の販路拡大”とか“流通コスト削減”ではない。まして世間で言う“デフレ経済?”と言われる時期の経営手法では、“まがい物”(検査ミスで言い逃れ?)ばかりであるから、信用失墜=廃業を免れないのである。

よく例に出る話は、トヨタは織物機械メーカーであったが突然自動車に切り替えた。今そのトヨタは、自動車とは何らの関連も無さそうな分野に進出するとの噂もある。日産(財閥)も、元は化学肥料から始まり、日本の産業のためなら何でもしてきたし、今は自動車なのだ。細かく歴史を振り返れば、日本の産業というものは逆転&大転換の繰り返しなのである。
そして衰退産業は、軒並み何の業種でも、全く同一パターンでの衰退である。商店街あるいは商業も、全国の高度経済成長期における商工中金が融資で支えたが、ここでも商店街の衰退は全国同一パターンである、それは商業史の研究を見れば一目瞭然なのだ。
今この瞬間、日本は、ICT産業革命の真っ只中である。封建時代に終止符を打ち、近代文明Civilizationを打ち立てた、=“200数十年前の時代”を振り返り、個人の自由と自律のエネルギーで以て、ICT機器とか新抜本的SNSを使いこなして、新しい社会システムを構築した方が早い。そこでは、“200数十年前”と同様に、(戦後のような労働力の統率ではなく)人間の労働全般能力が“物を言い”、「自由・平等(利権犯罪規制)の社会システム」を得るための武器である民主主義も、改めて新しい発明が成され、ICT機器や抜本的SNSが使用されることになる訳だ。
その時にお荷物になるのが、日本政府が行っている似非「デジタル化?」と言う代物だ。日本政府のデジタル化は=DX:Digital Transformationと言われてるものとは似ても似つかない。とりわけICT=Information and Communication Technologyといっても日本では、肝心のコミュニケーション(“会話の中で会話を通して、新鮮な気付きを得る”といった行為)は丸ごと抜かれている。だから、似非「デジタル化?」は、廃物であり、その追加改修の発注も無駄散財なゴミ同然だから、不要である。まさに日本の似非「デジタル化?」
とは利権欲しさ上意下達=全体主義なのだ。


§商品や消費財の、今の価格決定方式の変化!
戦後に始まり変質した今の“金融投資経済システム”は、G7経済崩壊と共に改めないことには、累積赤字が蓄積され、更なる→破綻と踏み倒しを招来するばかりである。日本もそうだが、企業が生き残るためには“合併後繰り返す”しかないと戦後一貫して認識されていた現象が、実は当該の“金融投資経済システム”では益々負担を招来するシステムでしかなかった。これが本質だったのだ。見出しのには、“迷信”の文字が入る。
さらに付け加えれば、世間で言う“新自由主義”というものは、新自由主義の経済学者が説いたものではなく、それを口にする輩らの、単純な刑事事件(詐欺・横領・脅迫・と恐喝など)の隠蔽工作に過ぎないことも明らかなのだ。犯罪人の逃げ口上とか理屈なのであり、彼らの行為には刑事法上の犯罪が必ず存在している。だから、ある意味そのチェックや訴追だけで大概が解決する程度って訳なのだ。
ICT産業革命とともに、適正な価格決定は、事業継続&適正利潤が確保の重要な課題となっている。何でもかんでも、適当に価格決定をするという経済構造はなくなっている。背景で全体主義などの権力と結託するとか、まやかし(詐欺罪すれすれ)を繰り返すことの繰り返しで、招くは事業後退とか、挙句の犯罪を自ら招来するしかないカラクリになるのだ。それは自由市場でも商業でもない犯罪で、通常は誰も行わないことだ。
また、その道の人から起業を煽られる際に、よく惑わされることは、(どうも世界共通である様なのだが)、“3分の1”とか“30%×3”といった“価格決定の屁理屈”の類である。
“3分の1”とは、仕入れ価格3分の1。+経費や確報値3分の1。
 そして、+利潤や利益が3分の1といった似非概念である。
 もちろん。分かりやすいが、全く不正確で似非だ。
もっとひどいと、“30%×3”である。起業で心が浮たち血が上り、
 金貸しとかに乗せられ、騙され資金を注ぎ込むタイプだ。
 退職金や貯金などを素人の“取らぬ狸の皮算用”でもって、
 残り10%に欲が絡み(利益と錯覚し)白昼夢を見るのだ。
経済経営学や経理では、取引は供給物(商品ほか)と扱われる。
 但しその中で「役務の提供」と言われるモノについては全て根拠無しだ。
 ・その人物に支払う賃金の3倍を、その役務提供の価格とする。
  それらはあくまで大雑把、なぜか分かり易いから流行している。
  (計算例)時給1,000円の労働者によって会社の役務提供は。
       1,000円×3倍=3,000円→これが役務提供料金/時間
         ……そこには根拠も無ければ、経験則もない。
 ・ちなみに経営コンサルタント業の企業(事業経験)では、
    40%が人件費、後60%が事務所を含めPR費用である。
 ・様々な国家資格者は、団体が定める報酬規定を念頭にする。
  (ただし独占禁止法のカルテルに当たるから表向き規定は無い)
過去の価格決定方式は、まるっきり“迷信に基づく”方式と何ら差は無いから、そもそも経営管理とか利潤の確保といったものは成就できない。これが日本の商習慣なのである。この現行:価格決定方式の、“改革と変更”を要するわけである。
ところで、学者の多くは、
個別企業や労働現場の実態=とりわけ価格決定や見積もりについて全く無知であるから、彼らの説くところの学説はほとんど空理空論とならざるを得ない。
私の過去に発表した“文化価値商品”の価格決定論は世界初と評されたが、実のところは実際に見積もりを行っている個別企業のやり方を論文にしたに過ぎないのだ。


§供給物(商品ほか)の価格決定権方式は、数学計算ではない
それは、“身の丈にあった経営”を徹底して行うことである。
常に黒字を保てるように、そのための人材を確保し、供給する品物でもって利益を生み出し、資金繰りがつく。=これが“身の丈にあった経営”なのである。
インフレ政策だから金利は上昇する。よって借金は減らすことであり、余分な在庫や設備は消すことである。イノベーションを現実対応でもって徹底し、未来志向での解決を繰り返すことに尽きるのだ。

日本の経済産業省とか財務省は、ほぼ全ては利権がらみである。
したがって経済政策も、次の表に掲げる③配給(委託)品ばかりに目が向いている。
もちろん彼らの行う、似非「デジタル化?」とは、マイナンバーを初めIT機器でもって、文句を言わない人間のロボットrobot化を焦点に、そのことばかりを目論んでいる。だから、政治も全体主義を徹底しようとするのだ。ことに日本は、“岸信介ら”の、ソ連スターリンの計画経済を見習った社会主義経済を成功させた実績がある。だから、官僚たちはその前例成功実績に従うわけである。
読者のあなたは、うかつに乗せられてはいけない。
余談かもしれないけれど、革新政党や左派と言われる人たちも、過去の“日本経済成功?”の成功体験しかない訳だから、議会選挙での票数の欲しさに落ちた。学者と言う人たちも同類だから、政府の仕切る大学や研究補助金で安穏と暮らしたい人物は少なくないのだから。
それこそ、国連憲章第1条で定める民族自決権でもって、他国に侵害されない幸せが得られるかどうかの安全保障でもあるのだ。
その日本での具体策が、次の表に示す①本来の商品での“価格決定権を確保する”、国際ルールに従った具体的手立てなのである。(長文を避けるため表記した)


§「価格決定権方式」=これが、その決定要件の解説表

供給物資の種類 その経済圏単位 仕入れ・加工の差異 流通(交通)の違い
①本来の商品
(利潤の額・率ともに確保できる。)★文化文明(恋愛・宗教観・芸術観)のArt域全般労働での3分野の自由性が担保されることが肝
世界に広がる自由市場(ICT機器など媒体介在する)それは、過去と現在を取り持つ連携(同盟)にはこだわらない。 過去と現在を取り持つ“起源・方法・手立て”にとらわれない。
自然法の成り行き。【価格見積りは】
顧客購買力で決定

人的将来投資の源
ブランド化している
=歴史・伝統・印象

そして、極め手は、
お金持ち顧客リストの、熟成&醸成を進めること。
②消費財
(生活関連物資で、利潤までは無い
そのパフォーマンスの技能は、地域の“宝”であり、外部からの業種参入障壁
生活圏の範囲での(例:中学校区単位)諸:ネットワーク

実に文化は中学校区ごとに異なる。
地産地消での協力
【価格見積りは】
仕入と人件費そして経費・投資の、原価積上げ方式による域内無数の団体や“絆”とかの集合
生業とか、なりわいとの、流通範囲内。
それを基盤に成立、持続可能の流通システム。路面電車や遊歩道にリヤカーとかが活躍する交通。
③配給(委託)品
民間の量販店とか事実上の国策国営企業が受け持つ。
スキル労働で充足
(学校教育とか職業訓練の限定的役割)
配給が目論める。限定地区への職人タイプのSE=職業訓練修得者の公的配置。 その人材の:比率の高さが決め手。(福祉・保険の充実) “より安値+運送費”
“市場&新規参入”
の規制をすることが
ポイント。
【価格見積りは】
原価積み上げと
利権合算の方式
現実投資に見合う目論見、及びその権力機構が根幹。
“憲法25条の給付”
全ての生活部面
での社会福祉・社会保障・公衆衛生向上増進の給付品や役務や現金を給付
給付や役務の予算を目論む。マニアに基づいた就労者のスキルに依存。上意下達の官僚機構が差配し官僚利権の温存は否めず。 “国の積算単価”
すべてが積算単価の積み上げ方式。
予算とか積算単価に含まれない項目は扱われない。
自由・平等のための社会が認めた、権力(国や自治体その他)の運営に依る。

§価格決定思考の、巷の空理空論を防ぐこと
とにかく、計算表を作って数字を書き込んではいけない。なぜなら、先ほど述べたように、日本人の価格決定方式は、まるっきり“迷信水準”であるから、その古代思考方式の表記をしてはいけないのである。数字を並べれば科学的に見做し得るといった着想は詐欺師と同じだ。また自己欺瞞をして、自らに言い聞かせているに過ぎない。訳のわからぬ先輩から言われても褒められても、ICT産業革命の中では排除されるべき存在の方式なのだ。
さて、ここから思考手順を箇条書きにしてみる。
成功している経営者も、実際に行っているものの、その成功した価格決定要領を文章にしたとか学術発表されたことはない。筆者が初めて学術発表に耐える個条書きを記してみる。
イ)同じような品物を、国内や海外の他人らは、どんな風に売っているか。
ロ)試しに真似て価格設定して推測し、不都合不具合を探り、反省改善。
ハ)実務改善実践から、改めて解説表に示した方式を行ってみる。
ニ)すると実践的実務的に、全体の費用や価格の流れやコツが現れる。
ホ)その流れやコツをふまえて、仕入れ・人件費・その他経費を診る。
ヘ)取引は、誘引から先ず交換の意思から契約行為が開始され契約成立。次に代金支払いへと至る。この微妙な順に沿って交換が行われる。決して通貨(若しくは貨幣)と品物の物々交換が、納得して“同時に価格が決まり”、交換が成立する訳ではない。この各々のステップと過程がとても重要だ。実際に、営業や販売で成功している人は、こうやっている。
ト)①本来の商品にあっては、ブランドと顧客名簿でもて、価格決定権を行使できて、価格決定権を確保している。
チ)すなわち、この表に示す商品だけが、誰もが認める利潤を確保する。
リ)これこそが自由市場主義経済の本旨であり、その余は自由平等のための社会が認めた権力による利潤の確保に依る訳である。その権力に認められない利潤は犯罪であり、不正利潤確保には必ず刑事犯罪を伴っている。凡その学問的研究は、古典経済学で既に確立している。

利は仕入れにあり』は、→現代では「利潤はイノベーションにあり」となる。
次に『倹約(ケチではない)は→『次のイノベーション投資に充当』である。
(イノベーションとは、シューペンタ―の発見を復習)
★現在日本での、取引交換の契約成立の要件とは、★
申し込む側の意思と、承諾する側の意思の合致でもって成立


§自由市場経済の初期、その発展を支え促した思考
19世を迎えるに至り、自由平等のために“社会”といったものを市民革命で開発したフランスを柱として欧州では、「見る物だけを分析と経験によって発見出来るものだけを信じる」といった文化・文明が形成されていった。ことに市民革命で商業や事業経営が自由になり、経営者の団結権(株式会社や有限会社)が確立されたフランスなどでは、急速に自由市場経済が発展していった。スタール夫人やハインリヒ・ハイネなどは経済・経営学が存在・充実していない中でも社会分析を充実させていった。

先ほど述べた「見る物だけを分析と経験によって発見出来るものだけを信じる」に対して、★当時のドイツ方面では『物事の起源とか方法あるいは手立てにおいて、伝統的であり、過去と現在との同盟(固い連携?)の決め事』が強調されていたようだ。(後に紹介する書籍:哲学史の変奏曲の80~82ページ)
このフランスとドイツとの差異について、現在のイノベーション(経済学者シューペンターの発見)を知る者にとっては、次に示すスタール夫人の、最も利潤を産むとする科学的学説は、イノベーションの萌芽と受け止めてこそ妥当である。だからこそ市民革命後のフランスは、一躍経済発展をして、ナポレオン率いるところの今で言う国民国家を形成するに至ったわけなのである。
すなわち、大切なことなので繰り返し述べるが、今や日本も、文化・文明の大転換に匹敵する現在、個別企業も個人もイノベーションを推し進めるには
 「見る物だけを分析と経験によって発見出来るものだけを信じる」であり
 ×『物事の起源とか方法あるいは手立てにおいて、
伝統的であり、過去と現在との同盟(固い連携?)の決め事』
~といった要件は徹底排除を要するのだ。その道具にICTは使える。

【スタール(1766年~1817年)ルイ16世の財務大臣の娘】
『どんなジャンルであれ天才の出現は極めて稀な現象であるので、現代の国民それぞれに、もし自国の財宝しか与えられないとすれば、その国民は貧しさから抜けきれないだろう。さらに思想(観念)の流通は、あらゆる商業のうち、最も確実に利潤を生む』、『しかし、この仕事から本当の利益を引き出すためには、フランス人がするように翻訳しているもののすべてに自国語の色合いを加えてはならない。仮にそうすることによって手に触れるもの全てを金に変えることが出来たとしても、そのために栄養が少なくなってしまうと言う結果を招くことが避けられないだろう。自分の思考にとって新鮮な感じに食物を見出すことができないだろう』(後に紹介する書籍:哲学史の変奏曲の100ページから引用)
スタール夫人の父は、フランス:ルイ16世の財務大臣であったスイスの財政家ジャック・ネッケルである。そのネッケルが財務大臣を罷免される危険が迫った瞬間、“経済政策の最悪化を危惧した農民や市民”による、1789年フランス市民革命が火蓋を切った7月14日のバスチーユ占領が行われるきっかけに登場する人物である。そしてスタール夫人は、深夜ナポレオンを突然訪問することは度々で、その場合、いつも顔パスであったとのことだ。

【ハイネ(1797年~1856年)詩人、職業はジャーナリスト】
『天才のみが、新しい思想のために新しい言葉を持つ。』、
『天才は学問の世界に活動の場を持たない。』、
『天才の活動は、芸術の領域にふさわしい。』
(後に紹介する書籍:哲学史の変奏曲の100ページから引用)その他ハイネの多様な社会科学に関わる経歴はNetを参照。

哲学史の変奏曲―文学と哲学、伊東道生【著】晃洋書房(2015/08発売)
https://amzn.asia/d/73yDYRP

【哲学者:カントの名言・はじめての幸福概念分析】
『人はさまざまの仕方で幸福でありうるが、自己流の幸福観念は無い。幸福観念は人権概念によって整えられた国家体制の産物である。タヒチ島の幸福は、人間の代わりに羊や牛の方が相応しい。』

【ゲーテ(1749年~1832年)の名言・処世術】
『理屈をこねるな。生きよ。ルールに従え。全力を尽くせ。戦え。あえて成せ。そうすればあなたは赦(ゆる)される。善は赦(ゆる)され、悪は呪われる。』

著作権の世界の認識(労働の報酬ではない)
著作権の社会的認識は、その作品などの販売組織における売買取引の価格安定性を高めることに、実際の目的がある。労働能力の一部である“労働力”あるいは労働全般能力を発揮発揮するArt域労働といった能力発揮には、いずれにしろ労働価値を優先させ保護する概念として、著作権は用いられてはいない。それは、先進国などの労働団体や個人の契約交渉においても、仕事の派生的事象としてしか取り上げられるに過ぎない様が現在までの傾向である。
はっきり言えば、先進諸国の芸術家たちが加わる労働組合の、業種別交渉における賃金や労働条件の根拠として、著作権が用いられる事はないのである。著作権は制作者(労働者を含む)の「生活費用や利益の確保のため」と“いった風な似非話”が、よく持ち出されるが、そういった主張をするのは出版・版権とか録音原盤権などを主張する販売者(販売組織)だけが、独り主軸となっているだけなのだ。ちなみに料理や飲食の世界に著作権は無い。現旧:社会主義国にも著作権は無い。そもそも、著作権の無い方が、いわゆるイノベーションを率先するには、抑圧や制限をする勢力を排除出来て都合がよいといった事情なのだ。
《実演家の権利に関する法制度及び契約等に関する調査研究報告書》
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/chosakuken/pdf/h27_chosa_hokokusho.pdf#search=%27%E8%B2%B8%E4%B8%8E+%E5%8A%B4%E5%83%8D+%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%B3%95%27

Art域労働の品物価格=見積積算単価(例)
『Art域労働』の詳細は、このメルマガ画面・右最上の検索機能でどうぞ


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20230307】
『自己啓発の罠、AIに心を支配されないために』
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので、記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)

①自己啓発の罠、AIに心を支配されないために
マーク・クーケルバーク 2022/10/26:青土社
(むらおかコメント)
この本の、とりわけ(解決策第二部)を読んでみて、この本の著者は、「何が言いたいんだろう?」と受け止めた方は、スマホ認知症やPCの偏った使い方の認知症に陥っているかもしれない。もしくは、従前から知識偏重主義に陥っていて、論理構成の組み立てが出来ていないのかもしれない。だから、くどいようだけれど、この本を読んだところで、本の内容を応用することも出来ない。だとしても、今の受験制度によって大学入学に合格し、卒業している人は少なくない。それも国立有名大学だったりもするが、残念ながら、第一線のエリートにはなり得ていない。中堅・大手企業になればなるほど、さすがに企業は人物を見抜いていて、早期退職をさせている。今回は厳しいコメントをするが、時節柄:曖昧なコメントをする訳にもいかない。そういった人たちは、能力が子供時代から身に着いていないから、少なからずサイコパス傾向であったり、DVとかモラル・ハラスメント常習者の可能性も極大である。
もとよりこの本は、様々な現象や事象の寄せ集めであったり、関連する統計資料の寄せ集めではない。実に、人類に係る長い歴史の英知をおしなべて知る著者が、『いわゆる自己啓発といった強迫観念を持つ人たち』とか、『現代に現れ出た新型禁欲主義者』に陥っている人たちへの警告である。加えて、著者の言う「AIに心を支配されないために」の処方箋のひとつと考えられる。ないしは、それにまつわる思考のヒントを数多く与えてくれる本だ。
それは戦前のナチス・ドイツによる“敷かれたレールを走る人生”であるとか、近年話題となっている“予定調和”→極端に言えば≒うつ病と治癒を何度も繰り返し挙句は統合失調症に至るといった社会病理現象への対処法のヒントもありそうだ。ちなみに、ナチス・ドイツによる“敷かれたレールを走る人生”の基盤には公然と大々的な覚醒剤(日本人が発見したヒロポンが原料)の普及が介在したが。現代は、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンと、流行る薬物に違いはある?が。

(出版社の紹介)
私たちは自己啓発に夢中だ。自己啓発の文化は、古典、宗教、資本主義などから生まれたが、今日では人工知能、ソーシャルメディア、ビッグデータという新しいテクノロジーが自己啓発の意味を書き換えている。それは数千億規模の産業だが、私たちを決して幸せにしてくれない。むしろそのせいで私たちは落ち着きを失い、不安になり、自暴自棄になっている。本書は自己啓発がなぜこれほどまでに有害になったのかを分析し、自己啓発の罠から抜け出すための新しい自己の概念と社会変革がなぜ必要なのかを具体的に示す。
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