2024/04/09

第264号:新しい次代の波に乗る

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
【新時代の波その1】
公平公正な手順が、結果や善悪より優先
【新時代の波その2】
スマホ情報を見ているようで、チャンスに気づかない
【新時代の波その3】
新価値観の戦略→戦術→アクション
【新時代の波その4】
地元密着:地産地消などのビジネス基盤の創り方
天才を見つける、又、潜在能力を発見するには?
音楽家:デヴィッド・バーンの、実践:芸術Artの、生涯作から抜き出し
(能力育成に資するための、メルマガ記事掲載に当たっての解説)
 ・経済経営の社会科学的視点から、著作より抜き出した部分へ
令和6年10月からの社会保険適用拡大


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
NISAは、売り逃げる能力が無いならば、早く売り逃げること。
 さて、新経済の波、イノベーションの準備は進んでいるか。
  4月以後、為替や経済影響の多い事件が多発。罠には警戒。
「一時的に円高になっても、最後は円安に向かう」


【新時代の波その1】
公平公正な手順が、結果や善悪より優先

事業とか企業には、自ずと社会一般への職業倫理(遂行のための技術技能水準維持を含め)が求められる。
今般の製薬会社事件では、その職業倫理の欠落が露呈した。殊に、「原材料の品質とか危険性」、あるいは「隠蔽体質の停止機能の常備」、そして「事故が起こった時の初動や対処」、であり、それは一般的初歩の危機管理プログラム・メニューだ。戦後に食品や医療系で事件事故起こした企業はいくつもある。が、キューピーマヨネーズのように、自らの責任が明確ではないにもかかわらず、即刻全品回収を行い、歴史的にも絶大な信頼を得たのだ。この製薬会社は、30年余り前に筆者の私を本社に招いたことがある、だが、中堅幹部数十人の前で話をしたけれど、関係は私から断った。
ちなみに、近江商人の末裔に伝わる心得は、第一に「世間よし。」である。次に「買い手よし。」、最後に「売り手よし。」が倫理として確立されている。(有名な三方よしは、奉公人用マニュアル)
そして、危機をチャンスとばかりに、「災い転じて福となす。」その経営力は、いわゆる老舗であれば当然のことでもある。


【新時代の波その2】
スマホ情報を見ているようで、チャンスに気づかない

学歴や地位を問わず、目の前のチャンスに気がつかない人が多い。その理由は、科学的に物事や成功・失敗の事例を学ぶ視点が無いからだ。その視点を気付かせてくれるのが、経済学や経営学の良さである。それは、チャンスと技術を一気に拡張してくれる。
気分が良くなる話とか、“持ち上げてくれる話題”ばかりに乗せられていると、他人やインテリ詐欺師の罠にはまるばかりである。学者・識者・医者・大学教授であっても、「金銭欲」が出てくれば、“現代の太鼓持ち”を演じる、それは日本の江戸時代でも然り、であった。「猜疑心が強く自己中心」の人物ほど、インテリ詐欺師のカモにされている。
ここ数年目立つインテリ詐欺師の特徴は、
物事を色んな言語や言葉を駆使して
“物事を分解・分類”してごまかし煙に巻く手法だ。
未だ錯覚して、科学を「物理学と数学」で説明・煙に巻く輩、
「IT技術でマーケティング」とか「量子コンピューター」とかを持ち出して、
実のところは経済・経営に活用を出来そうにもない水準だとかである。
そして強調した特徴は、聞いたこともないような、
びっくり仰天する“名詞”の言語を並び出すことだ
(決して彼彼女らは簡単明瞭な説明ができない)。
【前月号総務部メルマガで、詳細な理論をどうぞ】
 科学的に扱えば手間暇が掛からない
 https://soumubu1.blogspot.com/2024/02/#262-04
【確かに、この本の動画解説は、社会科学や精神科学を生かしたもの、ではある。】
 https://youtu.be/DchgkmQJhzU?si=ZGjThsZzGOqH0zuw
(参考)田中宇の国際ニュース解説会員版 2024年3月31日から引用
ウクライナ戦争の構図が長期化し、欧州が自滅して米国が孤立主義(米州主義)に転換すると、欧米が世界から搾取しなくなり、露中イランなど多くの非米諸国はすごく発展しやすくなる。
(欧米の搾取に比べたら中国の搾取はずっと少ない。今後の多極型世界では小国がいろんな大国と取引でき、搾取する大国を忌避できる。多極型世界は、戦後の日本のような八方美人の平和主義国にこそ住みやすいのに全然気づいてない大馬鹿)。
プーチンを筆頭に、非米側は、表向きだけウクライナを早く和平させようとしつつ、実際は、欧米が和平を拒否しているのを見て「ずっとやってろ。さっさと自滅しな」と思っている。
https://www.rt.com/news/594515-austin-ukraine-danger-america/


【新時代の波その3】
新価値観の戦略→戦術→アクション
新しい次代の波に乗るには、新しい価値観が、不可欠である。
戦略=
経済の時代の波に乗る事を選択する。経済活動や経営とは、事業となれば、それはそれなりに戦略を立てる必要がある。気持ちや気分は、さて置いて。冷静に戦略を組む。もちろん、科学的に扱えば、手間暇が掛からない。AI&ITは科学的とは限らない。とっさの勘所は熟練した人間の方が未来も予見でき、何よりも人間の方が早い。)物理学と数学を、科学的だと信じる宗教観の人は、意外にも多い。↓
https://soumubu1.blogspot.com/2024/02/blog-post.html#262-04
戦術=
今や、世界金融資本主導経済(メディチ家的企業)が破綻し、崩壊をしてしまった。今日では、主に地域密着型経営&地産地消といったスタートから再開する選択が妥当である。なおさら地場産業であったとしても然りだ。有能・適切かつ地域文化に適合した人材の確保、→その衣食住を支える体制にしても、衣食住の地産地消が重要だからである。(“円”ではなく、地域通貨の利便性と萌芽はここ。)
確かに、これからなおも、相変わらず海外資本は、日本に投資をしてくる。が、その実は日本各地域や事業の植民地化である。その植民地の許に事業経営を行っても意味は無い。社会学的に言えば、「貧乏人が貧乏人を作る。」だけであり、成長の要に対抗して「女性が女性を差別する。」に過ぎない。格言=戦術の失敗は、戦略の崩壊に直結する。
アクション=
それは、チャンスをつかむ効率の高い行動アクションを、いかに低コストで効果的なものを、数多く行えるかが基本だ。これからは、社員やスタッフに至るまで共感Empathyとともに、率先して行動アクションをしてくれ、需要者にも共感Empathyを伝えてくれるかが、これからの新経済のカギとなる。そこにArt域労働は欠かせない。AIとかSNSや電話でのメカニックなものは、敬遠される。“芸術性には希望”が在る。
<よくある失敗の防止>
 戦略とアクションを、同時に一緒に論じてはいけない。
  戦術とも、アクションを、同時に一緒に論じてはいけない。
   戦略と戦術を激論して決めてから後、アクションを決める。
    社内で、戦略と戦術に共感Empathyを持たれていない場合、
         前線で動くアクション分野からの反論としての、物議に至る訳だ。
     “戦略・戦術・アクション・閃き”の組み直し。強いると損害激大だ。


【新時代の波その4】
地元密着:地産地消などのビジネス基盤の創り方

結局のところ、数百年に渡る“世界金融資本主導経済(メディチ家的企業)”は破綻し崩壊してしまった。日本で言えば、1880年代後半(明治20年ごろ)から始まった産業革命と共に導入された“金融資本主導(英国などからの多額の借金)から始まり”、そして今、崩壊したという訳だ。
ここに、「明治維新始まって以来の大転換」と言われる所以がある。そして次世代には、AIその他の新技術革新でもって、新しい自由市場経済に向けた、“商品”毎の固有文化価値を含めての、商品流通の原則地元密着:地産地消から、再スタートするという訳だ。

実にグローバル経済は不採算であったし、“金融資本主導”とは、彼らがマーケティングという手練手管を小手先に=累積赤字の山を盛った。~に過ぎなかったのだ。加えてなお且つ“官民の官僚主義者”は、旧来の習慣でしか生きて行けないから、“経済外的裏金”に頼る人生(新自由主義の本質)に固執(刑法犯罪)せざるを得ないだけのである。

これから価値観は異なる。金融資本の文化傘下のビジネスは崩壊した。よって、中堅中小企業の、経営の“イメージ&基盤”が変わるのである。過去の成功体験は通用しない(世論の話題の製薬会社に向かう対応)。
そこで、社会や経済の科学的根拠のある項目を掲載する。そして、各地各人で実行してみて、成功のコツを各自発見していく訳だ。闇雲は無駄どころか実害を産む。
地元経済最小単位で経済が回り、採算も向上する。“地産地消”は金融危機にさらされても強い。その経済単位からは外に利潤が出ていかない。“流出を減らそう”との動きも、地方自治体単位で多々には在るが、まだまだ功を奏してはいない。
ことに衣食住の物品交換経済は、主に“地域密着型経営&地産地消”が決定的に重要な収益方法となる。その名称や形態は、“無農薬”“地元産”“ビーガン”“自然派”“フリーマーケット”“NPO”と、何でもよい。「地産地消」と「生産者消費者」の合体であればよい。~不正や犯罪の思考が、鎌首(かまくび)をもたげるのは、もとより採算が合わないとか、功を奏していないと成っているからだ。スーパーマーケットなる業態は、“地域独占”を認められているからこそ、成り立っている訳で、農水産物等の“身近な食”に拘わる商品は、もとより“配給品”なので単独での採算は割れている業態なのだ。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-09
地場や地域の海外交易で成功する起点は、地元経済最小単位が担うこととなる。(大都市内に含む)経済最小単位での蓄積こそが、隣接経済最小単位や大都市、海外の都市や海外生産者や店舗への進出の、(細やかであっても)基盤なのである。だから、海外取引先も、相手方から来訪しやって来る、こちらから海外現地へ行かなくっても来るのだ。商社の役割はここに在る、なぜか近江商人は、室町時代前夜から、こういった商人役割を知っていた。
その、経済最小単位は、現在の全国1万ヵ所の“中学校区”だ、現実に、適切な商圏であり経済圏として符合するようだ。その起点や基盤からの、国内の需要地域との交易の実際は(海外地域であっても)、SNS等の直取引ばかりか、専門商社や総合商社が、“手間暇の効率”さえよければ、アウトソーシングも出来るから心配も無い。更に、これからの時代は、金融資本系や内外政府の邪魔者(横槍)が入りづらくなる時代になるからである。~そして、ついでに、地方自治体の役人と政治家は(官民の官僚主義者でなければ、商売人でなくても適切)、ここまでの各項目に則しての、“入れ替え”は要する。……自らの保身優先の論理を、地方公務員法を無視してまで吐露(とろ)して平然としている輩だから。
実際に、地場や地元経済単位の柱は、原材料ではない。その考え方は、昔も現在も変わらぬ:地元の労働全般の職業能力集積・育成である。半世紀前の昔、「一村一品運動」なる政策が、九州から全国的に流行った時期があったが、誤って地元の農林水産物を柱にしたため、ことごとく成功しなかった。ちなみに、各地の昆布加工商品、辛子明太子始め、いずれも原料は地元産の原材料ではない、北回り航路だ。その商品を創り上げる労働能力全般の地元力である。
経済単位毎の文化の存在地域活性主体は労働力の質量集積だ。そこでの文化がマトマッテいるからこそ、Art域の労働全般力も発揮され、“他地域・他国へ行き”の商品利益率や流通(交通)効率も高まるという訳だ。ちなみに、日本でも、バブル崩壊後の画一企画商品の大量軌道生産繁栄前までは、それこそ相当量の“IT機器投資”が付随間接費として予算投入が成されない限り、近江商人の“商取引理念と発祥地人材重視”は実効性が強いから続いた。江戸時代の二宮尊徳の経済思考基盤も近江商人だった。更に今も、実に、“近江商人発祥地(湖沿岸を除く琵琶湖東部)”と“大阪の谷町&船場(この隣接2ヵ所が言語と文化を継ぐ)”~で育った人材は、確かに老若男女問わず、現在に於いても商業的勘定と算段の判断は、IT機器やAIに比べ仕事が速い。(ユダヤ人ではないが、家庭だんらんの話題は、今もなお商売と仕事の会話だし。)
商品はその経済最小単位から隣接・他の経済単位に(江戸時代からチラシ、今はAIやNetの手助けを含め)流れる。経済最小単位の、全国1万ヵ所の“中学校区”は、適切な商圏であり経済圏である。その訳は、①ほぼ世界同時に商品経済が拡大し~支配的となる過程の、“市(朝市)”とか、②寺院や教会で“市(朝市)”が立ち始めた経緯とか、そういった世界各地の経済史から予見できる(アプリオリ)事柄である。後の項でも述べるが、Net始め巷の起業アドバイスとか金融関係者の“借入融資の誘引”の夢物語は、金融業者由来などの絵空理屈なのだ。実際に資金や資本金さえあれば、どんな事業でも成功すると錯覚する者は、高学歴から順に比率が多い。だが、“上手の金融資本”に乗せられて、累積赤字不良債権企業合併で延命政府(国税・国債)の後始末の末路なのだ。
“Art域労働・芸術労働”は何がしかの希望を価値として産みだす。だから、地元経済単位毎の経済分野のリーダーだ。「物事は、リーダーの言ったとおりに成った試しは無い。」だが、「リーダーが居なければ何も無かった。」そのコトワザの通りだ。……よく観れば、大概が地場産業のキッカケだ。また、いま流行りのインバウンドは、“文化と住民の人”を観に来るのだ。ちなみに、何もない観光立国のフィンランドは、観光産業の胆(きも)は、“居住している人”であることを発見して、大成功しているのだ。インバウンドは観光産業へのインフラ投資先を間違ってはいけない、“人”が生えるインフラ整備なのだ。
新しい時代の常識:対:古い時代の常識、その比較(3ヵ月前記事)はこちら
https://soumubu1.blogspot.com/2024/01/blog-post.html#261-06
ふるさと納税は、もしかすれば、そういった学習の場かもしれない。大都市に地方税を結束集中させるといった魅力が、一気に意味を成さないでいる。オリンピックやカジノの誘致(巨額の中抜き利権優先と経済効果の無さ)に対する世論の動向だと思われる。地方へのふるさと納税傾向への現れだ。
現在の「価格決定権方式」=これが、その決定要件の解説表。すなわち、スーパーの生鮮野菜とか、行政機関の厚生事業物資は、もとより“配給品”なので、そもそも採算が合わない構造になっている。全体主義=旧商工省の岸信介が戦前戦後に持ち込んだ、ソ連スターリン計画経済そのものだ。(この下のURLを観察参照)
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-09
現在やそれ以前からの、過去の価格決定方式は、まるっきり、“迷信に基づく”方式と何ら差は無い。だから、“商工会議所”の経営指導(中小企業診断士制度など)を始めとして、そもそも日本における経営管理とか利潤の確保といったものは成就できなかった。これが日本の商習慣なのである。なので、これらの現行:価格決定方式の、“改革と変更”を要するわけである。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-07
世界金融資本主導のグローバル経済(メディチ家的企業)が破綻し、崩壊をしてしまった今日では、主に地域密着型経営&地産地消といったスタートから再開する選択が妥当である。そこでは、自然(日本流Common law)と“商品”→商品流通へと成り立つ。(グローバル初め不自然な金融資本の融資傘下は不採算と累積赤字だ。)
日本が学ぶべきは、幸福追求のイタリア経済の姿から(5年余前の記事)
イタリアは人口6000万人余、約8000の市町村数である。全体主義者経済のオコボレでしかない日本経済よりも、具体的な動きとなり、抑圧ではなく実現の原動力がある。イタリアに実質的経済赤字は無い。それは、金融ショックの被害を受けにくい。そこで、日本経済再生を、幸福と厚生を異なる概念と意識して、5年ほど前に「イメージを描いてみた(メルマガ記事)」~は、次のURLへ
https://soumubu1.blogspot.com/2017/12/blog-post.html#188-02

§天才を見つける、又、潜在能力を発見するには?
巷の心理学とか哲学の、面白・おかしい本といった類では、世間の人気を話題に論議をするだけでは、留まっていても仕方がない。まずは、目の前の人物が、今やっていることで、その人物の現状を見ることだ。

①さて。あなたや、その人は、例えば現在、次の表の、どの場所や分野の職業をしていますか。まずは、その人の現状をつかんで、興味や好きかもしれない範囲を広げてみる。
Art域労働・芸術労働記憶力不要:思考力 パフォーマンスPerformance(経験法則の積み重ね) スキルSkill(他人が企画したマニュアル実行
事業経営者及びArt域労働・芸術労働イノベーション担当局 経営者の秘書総務部長
社内の専門職・専任職行政書士
製造・制作工房部門Art域労働・芸術労働の補助や、その作業者
弁護士 税理士 弁理士 司法書士 士業に定める事務補助
経営コンサルタント 経営諸分野の各種講師 資料収集整理作業者
特定社会保険労務士 他の社会保険労務士 士業の補助事務職
SE:システムエンジニア プログラマー Dataの整理や入力
学問法則と創造性 経験法則の確立担保教育 科学的管理法の教育
②ここに示した、思考力の3分野。これは、「守→破→離」の3段階を順次、階段を昇るようにクリアするものではない。スキルSkillとパフォーマンスPerformanceは、いわゆる労働力として、あくまで報酬は賃金によって支払われる者。場合によっては、だまされてタダ働きとなる者もいる。
Art域労働・芸術労働は、思考力を磨いた上にあって、次に新しいものを創造するところの、労働全般能力によるものである。記憶力や受験勉強のような訓練頭脳は関係ない。必要であれば記憶は勝手に着いて来るから。それが人間の脳であるから。そういった記憶力の手間暇はIT機器やAI人工知能(対象は過去の記憶のみに限定だから)で充分に役立つ。
④Art域労働・芸術労働とは、記憶力で以て、単に数字や言語そして記号といった物を覚えて、学校の試験の成績が良いとしても、それらは何の関係もない。むしろ、小学4年ごろから、受験勉強や部活で思考力が育まれなかったとすれば、Art域労働・芸術労働は無理である。(遊んでいた子なら、取りかえせる。)
スキルSkill(他人が企画したマニュアル実行)
パフォーマンス(経験法則の積み重ね)
(四次元X・Y・Z・Time+結合Connect)
Art域労働・芸術労働
(五次元X・Y・Z・Time+結合Connect)
⑤Art域労働・芸術労働の創る商品価値には、人間に光をさす“何らかの希望”が含まれている訳だからだ。これをパフォーマンス(経験法則の積み重ね)だと間違えれば“審美・耽美”の“刹那的:凄さ”の世界に落ちるかもしれない。ここに示す、サルバドール・ダリ(Salvador Dali 1904年5月11日~1989年1月23日)の、このような作品は、短なるパフォーマンス(経験法則の積み重ね)の“耽美”の“刹那的:凄さに過ぎない。
⑥天才に近い人物は、現状の日本においては、とにかく変わり者とみられている。いわゆる同調圧力といったものを、本人は感じないほどに、児童ながらも若年ながらも、好きな事とか思うところの事柄を実行している。決して、めげてしまって閉じこもってはいない、うつ症状やめげて閉じこもる場合は、精神疾患に近いわけだ。小学校高学年でもなれば、大人の言動の本質を見抜いている。ただそういった天才に近い人物は、思考の範囲の広さが大勢の人物とは異なるから、大人の方がコミュニケーションを取りづらいだけのことである。要するに、天才に近い子や人物は、いかに能力を導いて磨きあげるかに将来がかかっている。ただ、どうしても思考力が鋭いから、視野が狭くなりがちではある。だから、優しそうな詐欺師に結構騙されている。次の図は、天才に近い人材に育つ可能性の特徴を整理したものである。


§音楽家:デヴィッド・バーンの、実践:芸術Artの、生涯作から抜き出し
(能力育成に資するための、メルマガ記事掲載に当たっての解説)

ここに紹介するデヴィッド・バーンの著作は、いわゆるArtとか芸術(ともに正確な邦訳はなく、その言語さえも時代とともに意味が変わり、解釈する個々人によって意味が異なる)=と言われわれる状況にあっても、全般にわたって、個々の状況や現象を表現しようとした現時点での著者の最新力作である。デヴィッド・バーン著作からの抜き出し部分は、四角い枠の中に、邦訳本から引用した。
アメリカでは、いろいろ調べたところ、“固有文化価値”といった価値概念について、その研究が遅れており、その価値の価格決定メカニズムばかりか、固有文化価値に係る“労働の全般的能力”の把握を始めた労働価値自体が広く考慮されていない。そこで、私が考えるに、「金融投資」に係る具体的手法を中心に、マーケティングとか報酬決定が思考されているに過ぎないようだ。したがって、単なる通貨で以ての価値判断がなされる社会の様相が強く、シンパシーや物資や労力の寄与は、強調されるのであろうが実質とか効率は伴わないようだ。
そういった社会の共通価値判断が横行しているためか、労働の種類は、スキルSkill(他人が企画したマニュアルを実行する能力)乃至はパフォーマンスPerformance(経験法則の積み重ね)の範囲に、労働というものを整理して納め切らないとの概念が強いようだ。Art域労働とか芸術労働といった、スキルSkillやパフォーマンスPerformanceとは次元の異なる具体的要素(五次元X・Y・Z・Time+結合Connect)が、どうも科学的に自覚化されていないのである。したがって自ずと、Art域労働芸術労働が、審美(耽美)主義との区別がつかない“ぼんやりした概念”のようだ。すなわち共感Empathyといった、日本での世阿弥(離見の見その他)などでなじみのある芸術概念も、アメリカあたりでは無さそうだ。
近頃は音楽業界にもマーケティング思考が話題となっているが、そのマーケティングといった販売戦略は、この度の“世界金融資本体制の崩壊”とともに消え去ろう(マーケティングは不適切金融融資の隠れ蓑の道具)としているにもかかわらずだ。
過去アメリカでは、1937年あたりから芸術家教育を、失業対策事業として実施した。いわゆる芸術分野における体験教育を行ったことから、それは終戦後のアメリカの文化を一躍発展させることに寄与して、戦後アメリカの経済成長に重要な役割を果たした。デヴィッド・バーンは、その終戦後のアメリカにおける芸術文化の成長とともに実績を築き上げた人物だ。日本でもその影響を受けた人はとても多いと言われている。その社会の根幹となった失業対策事業、詳しくは次のURLをどうぞ。彼の成長の背景を知ることも深い理解をする上で有効だ。
https://www.artpedia.asia/federal-art-project/


デヴィッド・バーンDAVID BYRNE(出版社解説から引用)
1952年5月14日生まれ。1974年にニューヨークでトーキング・ヘッズ結成。1991年の解散までにオリジナルアルバム8枚、ライヴアルバム2枚を発表。ソロとしても活動し、ブライアン・イーノ、X-Press2、ファットボーイ・スリムらとの共作をはじめ、現在までに多くの作品をリリースしている。1987年には坂本龍一らと映画『ラストエンペラー』の音楽を手がけアカデミー賞作曲賞を受賞。2018年に発表した『アメリカン・ユートピア』はブロードウェイでもパフォーマンスされ、スパイク・リー監督により映画化された。また、レコードレーベル「ルアカ・ボップ」を創設する一方、フォトグラファー、映画監督としても活動し、世界各地でのインスタレーションなど数多くの視覚芸術作品を発表している。

¶経済経営の社会科学的視点から、著作より抜き出した部分へ
かつてツアーは、主にマーケティングの一種と考えられていた__記事になって人を集めオーディエンスを構築することで、大衆にもっとたくさんのレコードを買わせるための手段の一つだと。そういう効果もあるが、ツアーはそれ自体が収入源にもクリエイティブな試みにもなれるものだ。ぼくたちは「ツアーでお金を失ってもレコードの売り上げで埋め合わせできるから大丈夫」という昔からの嘘を聞かされてきたが、それはもはや誰にとっても楽しくない。ミュージシャンにとって演奏は心理的にも肉体的にも楽しいことだから、現金だけが魅力というわけではない。ただ悲しいことに、つまりそれは僕たちを比較的簡単に微々たる報酬で演奏するよう入学できるということだ。ミュージシャンはいい仕事だが、だからといってそれで破産していいわけがない。(前掲書籍221頁から引用)
音楽がどんなフォーマットで届けられようと、僕たちが大切にする体験、僕たちが価値を置くものは、やはりはかない無形のものなのだ。広告主たちは常に、音楽の快感や喜びや驚きを瓶に詰めたり、香水、靴、ジーンズ、車といった触れられる物体にくっつけたりできるかのように僕たちを誘惑してきた__しかしそんな事はあり得ないのだ。それは不安定な獣であり、そこも魅力のうちである。(前掲書籍268頁から引用)
アーティストは過去に生きるのをやめて新しい資金調達の形を探すべきだと言われることがある__要は企業による支援、ライブコンサート、キックスターター、コマーシャルへの楽曲ライセンス提供などだ。しかし、そこで見当たる選択肢のすべてが、芸術分野における自由で活気に満ちた長期的な生活の実現を促している訳ではない。ファンの支援を受けるキックスターターのキャンペーンは、継続的な音楽のキャリアではなく、ある1つのプロジェクトの資金を集めるように設計されている。僕は企業のライブに出演したりコンバースやマウンテンビューやレッドブルやBMWから資金提供を受けるアーティストたちを悪く思っている訳ではない。__人がしなければいけないことをするまでだ。しかし根本的には、メディチ家的企業スポンサーシップ方式は実際に作られている音楽とその人の人生に与える影響に対して…(前掲書籍271頁から引用)
……むらおかコメント=書籍筆者は、ここで今のマーケティングの本質を語っている。キックスターターとは“最初に資金を段取りする専任職”のこと。メディチ家的企業とは“資金を金融融資で賄う”特徴を述べている。
音楽はなんのために(前掲書籍298~303頁から引用)
ある音楽は本当に他の音楽より良いのだろうか?
誰が決めるのか?音楽は僕たちにどんな影響を与えるのだろうか?高級芸術への愛と経済的な成功や地位とを結びつけることを前提とした音楽の利用は、時に露骨に行われている。
この戦術は特定の人々に、自分たちは歓迎されていないと感じさせる一つの方法でもある。
「ここはあなた方の文化的空間ではないのだから」というメッセージを(彼らは)感じ取っているのだ。これを「音楽の虫よけスプレー」と呼ぶ人もいる。これは社会的空間を作り出し、管理するために音楽を利用するやり方の一つだ。
自分自身の楽しみや自己表現のために演奏を学ぼうというものではない__純粋にあなたやあなたの哀れな友人が作りそうないかなる音楽よりも、クラシックに高い価値を置くことを学習させるものだ。
高級芸術を好む人々に道徳的な鋭敏さが割り当てられているのは、一般に社会階級が基準になっているのだと結論づけている。
……むらおかコメント=前掲書籍の著者は、現場に極めて疑問を持ち、次に挙げるような文章を散在させている。この著者の真意や心を知るには、誤解のないよう、少なくとも邦訳には目を通す必要がある。ただ、著者の違法とする本質の見当は察することができるであろう。
ミラーニューロン(前掲書籍345頁ら引用)
UCLAの研究では、僕たちは音楽をいかに受け取り感じるかには、ミラーニューロンが深く関与していると当てられている。…(略)…UCLAの研究グループは、僕たちの全てのコミュニケーション手段___聴覚的、音楽的、言語的、視野的なもの___の根底には、運動や筋肉の活動があると主張している。こうした動きの背後にある意図を読み取ったり直感したりすることで、僕たちはその根底にある感情とつながる。僕たちの身体的状態と感情的状態は分離できない___片方を感知することによって、もう片方を推定することができるのだ。
……むらおかコメント=ここに引用した文章は、共感Empathy(この言葉自体は1901年に造語として使用開始)について、神経科学の作用を具体的に、音楽などの演奏者と聞き手の動きを記述している。デヴィッド・バーンは、このように共感Empathyとコミュニケーションを科学的に理解して演奏しているのだ。
認知科学者のダニエル・レヴィティンが指摘する通り、あまりにもたくさんその通りになりすぎると(以前と全く同じことが起こると)、僕たちは退屈してしまい気が逸(はず)れてしまう。小さな変化は僕たちの注意を引きつけるのと同時に、その語りにとって重要な音楽的瞬間に注意を集める役割を果たす。(前掲書籍346頁引用)
……むらおかコメント=これと同じことが、日本では世阿弥が、それを教えとしており、それは能や狂言に引き継がれている。加えて近年の脳科学などにおいて、有名芸術作品全般の、脳への刺激が定説となっている。不完全だと脳が補う習性=あるべきところのリズムやメロディーがない、不協和音が入るなど不完全さをあえて使うといった事で、ここに鑑賞する人毎に希望を創造する作用との事。作品のストーリーやコンテキストを先に知らせると、鑑賞したときに疑似体験をするという。脳は人の顔に敏感、観客や演奏家の顔を見て…微笑んで、涙が流れて、みつめ合って歌うと…その数秒の瞬間で、内は解き放たれる、…というわけだ。さらには、細かい空白は、=在るところに無さそうなのは、脳への小さなストレス…(規則的に、完全に、リズムやメロディーを入れず。又はハミングを入れて焦点をぼかせるとか。)…の脳は喜び、ここでも鑑賞する人毎に希望を創造するとのことだ。(なお、私むらおかは、講演、仕事での説明、私的な演奏趣味などで実験済みである)
音楽は社会的な接着剤である--それは家族、国家、文化、様々なコミュニティーをひとつにまとめている。しかし、音楽はそれ引き裂くこともできる。音楽は時に善の力のように見えるのと同じだけ、国粋主義的なプライドを膨らませ、けんか腰の戦争の挑発を煽るのに利用されることもある。このようにコミュニティーや国家に適応される他に、音楽は自分たちを超越した世界、霊や神々の目に見えない領域、さらにもしかしたら死者たちの世界とぼくたちを結びつける宇宙的電信でもあるのだ。それは僕たちを肉体的に健やかにもできるし、酷く病ませることもできる。それはぼくたちにあまりにもたくさんのことをするので、単純に「ああ、音楽ならどんな種類でも好きだよ」とは言えないのだ。(前掲書籍346~347頁引用)
……むらおかコメント=デヴィッド・バーンは、この書籍で、「音楽とは、いったい何のために使われ利用されてきたのか。」の問題提起をしている。一貫した彼の主張は、CDを初め音楽機器もそうだが、様々な消費財商品を買わせるために、音楽は利用された。」というものだ。音楽作家や演奏者は経済的に社会的に地位が低いばかりか、音楽家として、その創造性や創造力は、ことごとく無視されてきたと述べている。
また彼デヴィッド・バーンの述べる、「けんか腰の戦争の挑発を煽るのに利用され」とは、ナチスドイツに自らを売り込み、その地位に着いた=ヘルベルト・フォンカラヤン(1908年~1989年)が有名である。評論家からは“作品の芸術的内容を軽視”していると批判されるも、カラヤンは公私ともに芸術ではなく、“審美主義・耽美主義”の特有な美学(美意識)を貫いたとされる。
確かに芸術全般にわたっての歴史は、時の権力や金銭に物を言わせて、ことごとく芸術家は利用されてきたのも確かである。だが、私むらおかが思うに、作品に、「鑑賞する人毎に希望を創造する作用を」、価値として吹き込んだがための物が、“芸術性”あるいは“芸術作品”足りうるものとなり、今日に至っていると考えられるのだ。
ここに、拝金主義とは異なり、これからの新時代の“新しい価値観”として、経済成長や社会発展に資する根幹があると考える。単に労働力を、“質と量で計測”して価値を認める、この250年程前からの自由経済市場のではなくて。

§令和6年10月からの社会保険適用拡大
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大
現在、厚生年金保険の被保険者数が101人以上の企業等で週20時間以上働く短時間労働者(パート、アルバイトなど)は、厚生年金保険・健康保険(社会保険)の加入対象となっている。この短時間労働者の加入要件が拡大され、令和6年10月から51人以上の企業等で社会保険加入が義務化される。ただ、この春から夏にかけての世界経済の激変によって、金融恐慌・生活恐慌が生じた場合、適応拡大が延期される可能性がある。ないしは、個別企業でのパート雇用の形が変わるかもしれない。個別企業の防衛策として一斉に、主婦層に人気のある“1日3時間週3日”労働のパートとか、高齢者で中心の、1週20時間未満労働が増えるかもしれない。すると個別企業の具対策は変わってくることは否めない。そこで、今回の記事では、とても長年にわたり厚労省が蓄積した、複雑怪奇な制度の資料を次の下のとおり掲載する。

この社会保険の法制度(日本独自のもので、日本からGHQ占領軍に要望して憲法25条として根拠を設けたもの)を柱に、制度の枝葉にわたり関係制度を視ながら、理解することを要する難解ものだ。社労士試験に合格しても間違うし、ただ頭脳明晰と言うだけでの我流では、瑕疵(かし)が後を絶たない代物であるから注意を要する。

短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(令和6年10月施行分)
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.files/QA0610.pdf
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(その2)(令和4年10月施行分)
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.files/QA0410.pdf
(参考)日本年金機構:
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大のご案内
https://www.nenkin.go.jp/oshirase/topics/2021/0219.html


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240409】
今月、お勧めできる書籍は有りません。

2024/03/05

第263号:イノベーションの体勢造りを

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
目前の経済危機、これをチャンスにする。
自由市場経済の根底を支える、アダム・スミスの発見と発明
経済外的強制に晒される、異常な人物育成は今も
人間の職業能力他:の発展経路と開発過程(解明)
統合失調症を始め、精神疾患多発とは、何なのだ?
  回復法の名称は「(当時)自己技法」と名付けていた

§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
【NISA】は高値売り逃げが肝。経済学に精通し自信と経験が無ければ近寄らないのが得策。日銀は今、上場企業の株を大量に保有しているから、ここで一気に売り逃げを狙う。その流れ先が素人NISAに偏るのは当然、株価が暴落する前に、同じく高く売り逃げることは投資家も狙っている。
事業行き詰まり。破産(借金踏み倒し)せず、腕とコネで続けられる。
その仕事を要する人が居るから。工夫とイノベーションでしのげる。
③価値観の変化共感・自由・快楽を文化の中に見出す長寿をEnjoy


§目前の経済危機、これをチャンスにする。
 たとえ、ゾンビ企業 Zombie company(世界共通語)だとしても、イノベーションをすれば、事業も会社も存続できる。その訳は、“何らかの社会での役割”、と“その仕事を要する人”が実際に居るからである。物事の視る角度を変えれば、公共事業や役所の現業部門は、ゾンビ企業と同様の運営なのだ。そう!!、切羽詰まれば役所流にやれば潰れないとの着想だ。中堅・大手企業も、要するにそういうことである。金融資本が、「もう貸す金がない。」とか、「貸付利息が目標に達しないなら融資止める。」と言っているだけ。破産手続き=要は“借金踏み倒し”、中小は続ければ良い。
 すなわち“価値観を切りかえれば良い”だけだ。ちなみに、先進国の鉄道や路面電車の交通公共機関は、近隣自治体の共同事業に切り替えることで、民営よりも、“結果の総事業費”が少なくなった。上水道事業も自治体運営だと安く、既存の民間払い下げ水道事業を、自治体が買い戻し運営している流れだ。
 ところが、これでは、個々の事業採算は合うかもしれないけれど、金融資本のイニシアチブによる経済牽引は出来なくなるから、途端に国内経済が落ち込む。昔からのコトワザの、「この世はリーダーの言った通りには成らないが、リーダーが居なければ、“もとから何も無い”。」と言うとおりだ。まして「新自由主義の隠れ蓑を口実」に、事業・融資・経済活動を、実のところは、汚職を始め手抜きの“刑事法犯罪塗(まみ)れ”にしてしまい、あげくは世界の金融資本体制を自滅崩壊させてしまった。だから、経済崩壊の危機は止まらない。そして、そこでの弱者&(自立ではなく)“自律Autonomy”の出来ない人たちの「死亡・病・貧乏・空腹」は免れないと地獄がやってくる。また、世界の社会主義国(日本の政策)の内実も実態も、さほど変わらないようである。
 さて、ラッキーにも、事業規模が、小さいとか、オーナー経営事業とか、とりわけ小零細企業であれば、価値観転換は即座だ。イノベーションも、工夫程度の小規模でも、即刻効果が現れる。それが、本号メルマガ:次のコンテンツの、経済学の父アダム・スミスの“発見”で、一気に成長した、現存の“自由市場経済”の過去からの歴史発展を見れば一目瞭然だ。それまでの封建時代の、“商業や職人”の経営手法や言い伝えでは、科学的な根拠に至らず、実践効果ばかりか併せて理解もされなかった。
何よりも、経済・経営危機を目前に、イノベーション体勢造りとは、
どういった“人物”を、経営者が抱えるか、場合によっては別会社
経営者と職場で以って、“人”を育てる。
  軽い精神疾患(汚名の人物は、キマジメだから、
   育てるには、意外と会社では好都合である。
    これからの時代、周囲の刺激になる異質人物なのだ。
工夫や細目なイノベーションは、
 ~社外社内へ広く行ない、習慣の如く繰り返すことが重要だ。
例えば、1日3時間・1週3日の、パート出勤時間。
さらに高学歴で子育てや介護を両立させたい女性は、
自律し自由を求めるから、大いにイノベーション戦力になる、
まして彼女らには、世間で人気ある働き方だ、これもイノベーション
残念だが、“守旧派”=イエスマンで、会社に抱きついて、「依存すれば何とかなる。」を“旨”とする、“怠惰な者”は、過去の経験しか知らないし、男女ともに“類”を呼び、“組やインフォーマル・ネット関係”を作る。“勤勉理念”は保身(=特徴は縦社会と知識偏重思考)に引っ張られ、今やそれは怠惰の新バージョンでしかない。そこに教育とか訓練、あるいは、様々にコミュニケーション(伝達・共有)を図っても、“怠惰な者”は価値観を変えようとしない。そして、この丸4年の感染症:経済停止その他を過ごしても、それでも価値観を時代に即応させなかった人は多い。やはり従来のように過去にしがみ付く心理が、メンタル面では強い。さらには物理的にも、何がしかの予防医療:副反応(旧来の“副作用”と同じ)?を被った人たちは、沈黙をしている。が、家庭生活と労働時間と体力の折り合いを、長寿のEnjoyを、いったいどう取り持つのだろうか。
価値観の変化 共感・自由・快楽(幸せ)を文化の中に見出す

話題?の人手不足とは、各社の実態は使用者の、“ごり押し・使い捨て”が、アリアリとしている職場だから人手不足を起こすのだ。たとえ誰か就職したとしても、現場の監督職が理不尽だとか、新人を子分に従えようとする“おつぼね”が、さらに弱い新人にむけ、“嘘・マウント・いじめで暗躍”している。これが離職多発の主原因だ。
賃金の低さは確かに、地元ハローワークでの最低水準を走っているかもしれないが、新人は低賃金を覚悟して応募するから、離職や拒絶原因ではない。さらに、日本にはストレートにものを言わない、世襲習慣があるから、言葉通りを受け取らないことだ。

「こんな低賃金でやってられるか」と話すケースは、
その人の職場での“自由・平等・同胞愛”が侵害されている場合だ。
そこに、賃金アップをすれば、逆効果となり、彼女・彼は、重ねて怒る。
「労働基準監督署に訴えてやる」と言う者は、
もう少し賃金を上げて欲しいと願う=表示表現方法だ。
だから賃上げ改善を行えば安定・定着して働いてくれる。


§自由市場経済の根底を支える、アダム・スミスの発見と発明
“労働という概念”は、経済学の父と言われるアダム・スミスによって、「その生産に用いた労働の質量によって捉える。」といった経済学的発見によって、人類が労働を効率的に扱えるようになった。それは、自由市場や資本主義といった制度の底流に不可欠な、“交換体系”という表象空間の内部の決して表面からは見えない商品の基底(もとぞこ)である、使用価値や需要その他に基礎付けられない”“絶対的計算単位”というわけだ。この、一見抽象的と思われる、“質または量”で計測できる労働だ。
このアダム・スミスの発見と発明によって、それまでの封建的な経済外的強制や略奪による経済構造にあっても、“人々の価値観”の変化の基盤を作った。

(ア)資本を、自由に大量に投資する有効性(自由市場経済)、
(イ)物資その他を“商品形態”で自由流通(交通)させる方式、
(ウ)衣食住に関わる物資の“再生産”と、消費財のコントロール、
(エ)人間の“労働力計画=(子供を産み育てる)再生産”、
(オ)産業や社会機能整備のための“インフラ再生産”へと導かれる訳だ。
(カ)併せて貨幣(通貨ではない)が、農民・市民・労働者の、“細やかで束の間の自由”を手に入れる道具手段となり、“生きる意欲“をわきたたせる基盤となり、一気に価値観の変化へと至ったわけだ。

それまでは、商品価値は“食物を中心として全商品を含めて、
a.の表面とか、その商品が占める立ち位置よって、極めて曖昧な幻想原理的めいた物々交換に基づき(現在も続く=1個が数千万円もする宝石ダイヤモンドの取引のごとく)、その交換自体が需要に基づいて生じると幻想的に考えられていた。
b.なお、古代や中世にあって横行していたのが、商品交換ではなくて、武力や王権等による略奪や窃盗である。自由・平等・同胞愛のための社会の制度形成(フランス市民革命など)の中で、窃盗とは他人の所有物ではなく、他人の占有物を盗み取ることだと法律で定められ、併せて経営者の団結権(株式会社や有限会社)も法定され認められるに至った。
c.同年代日本での馴染みある、“お話”にあるところの、江戸時代:元禄期の商人=紀伊国屋文左衛門の儲け話といった類なのだ。
d.現代からすれば、希少価値とか季節物その他=捏造・騙し混在の類(現在でも極めて小さい市場規模業界で通用)であった。ちなみに、日本国内の中小零細企業は、未だこの程度の商取引価値観に留まっているようだ。
e.また、スーパーマーケットの業界は、その産業成り立ちの経緯からしても、大手中小問わず、地域経済政治(大店法に併せて商圏の確定、野菜など採算品の取り扱い義務など)と共に存立する、“物資配給事業”の事業域に留まってしているとしか考えられない、全く以って“岸信介らが導入したソ連計画経済”の名残としか受け止められない。
現代の“貨幣(通貨ではない)経済活動分野”は
労働価値生産 投機 賭博 の3つだ
繰り返すがアダム・スミスの時代とは、食物が重要な最も基礎的な対象であり、食物を中心として全商品を含む、“交換(商取引に至らず)”を目の前にして、アダム・スミスは冒頭の、「その生産に用いた労働の質量によって捉える。」と経済学的発見を成した訳だ。時は、重商主義と重農主義の、王国経済政策の大論争だ。
それに比べ現代では、芸術やArt域労働が含まれた“固有文化価値商品”が流通している。固有文化価値商品とは、「マニュアルや企画書に基づく労働の“スキルSkill”とか」、「複雑重複した労働の“パフォーマンスPerformance”とは」次元は異なる。
②その“固有文化価値商品”なるものは、個々の人物が相互に表現し、相互に受け止める“共感Empathy”を盛り込んだ、物やサービスの表象空間の内部が決して表面からは見えない使用価値や、その需要その他に基礎付けられている商品なのだ。
③共感といった概念は、その道の専門家の研究によると、アダム・スミスも、それを持っていたことを、アダム・スミスの記録から読み取ったとしている。“Empathy”という概念の語句は、1904年に造語され、この時点で同情Sympathyとか“同調”との区分が明確にされた。筆者の私が思うに、日本の“世阿弥”も、「能=胡蝶の舞」とか「離見の見」の教えからすると、共感の概念を感じ取っていたようだ。“共感Empathy”とのことで、科学的に解明され→概念の型や習慣にと形成されることによって、芸術作品は浮かび立ち、耽美・審美との分離も明確になった。
④この“共感Empathy”を盛り込んだことにより、“芸術には不可欠な希望や意欲を湧き立たせる”Art域の労働が意識的に、(“単なる手作り”とか“写実”)とは異なり、組み込まれ増幅されたりする。
⑤自由市場経済を基盤にした商品が自由流通する以前の、殊に“自由・平等・同胞愛”のための社会の基盤形成(文明Civilization)が、充実していない時代、またはその基盤が崩壊してしまった状況(全体主義とかカルトやセクト集団の存在)にあっては、“固有文化価値商品”は、ナチスのように独裁者の意向には沿わないとして、“退廃”と決め付けられ、弾圧されるかゴミ扱いされる訳だ。その場合、「耽美物・審美物」が、“芸術だ!!”と言い変えられおだてられ言い包(くる)められ、“権威披露や同調誘引・販売促進”などに用いられているに過ぎないのだ。
⑥よって、その場合の労働能力全般は“骨抜きにされ”、賃労働とか請負代金といった、名称の如何を問わず買い叩かれる。ばかりか「芸術家は金銭価値のない代物だ。」へと、“囲いこまれ納得せざるを得ない風習”に、芸術家はハメ込まれてしまうわけだ。労働能力全般ではなく無視され、労働力の煩わしさのみで、“報酬は高くなる”との労働力法則のみで以て、不正不当な経済効果にさらされているに過ぎないのだ、Art域労働・芸術家は頑張ろう。

§経済外的強制に晒される、異常な人物育成は今も
日本の伝統的組織的教育訓練とか精神修練”の肝(きも)は、実は“4世紀ごろからのキリスト教:(今のカトリック)修道院”で発展定着した方式なのである。その古くは日本の戦国時代に、カトリック・イエズス会が日本に持ち込み、織田信長らが戦の戦闘技法、築城新方式、鉄砲隊三段撃ち技法等と共に、(おそらく当人は闇雲に便利だとの類で)取り入れた、“修道院や神学校”での“師弟の指導関係”である。それは絵画の装飾様式(狩野派の“城内ふすま絵”)、お茶会(千利休)方式、芸事全般や寺社での手洗い設備、神道その他にも、更には日本の伝統と錯覚もする“作法や思考の型”へとも広まっていった、その詳細は、師弟共々の当事者研究が待たれる。
さて鎖国は終わり、明治維新の折にはカトリックの病院運営方式等も、急ぎ“文明?開化”と勘違いさせられ、海軍病院・陸軍病院はじめ医療機関では見習っていった。=その組織運営機能は、“豪華な院長室の設置”でのカリスマ雰囲気醸成、“院長巡回”と称する礼拝式行列でカリスマを霊性錯覚させる手段として、今も残る。映画やテレビ番組の「白い巨塔(大阪大学医学部病院がモデル)」がイメージとしては身近だ。
それらは日本の様々な職人に伝わる、親方との師弟関係とは全く異質だ。ちなみに、哲学者ミシェル・フーコー(1926年~1984年)は、ギリシアローマの哲学その他教育に見るような、
・“教育の主体は自己自身に配慮”、
・“真理を体得し事実を得ることを重視”、
・“古代なりその時代の「自己の技法」の体得”、
・“指導関係の明確な第一特徴は目標設定”、
・“弟子は目標に照らし知識と能力を持った者を師と選び入門”、
・“弟子の生涯指針となる綿密な行動や振る舞いの規則”、
・“この規則を弟子が体得し終えたときの時点に指導関係は解消”、
・かくて、“この弟子は、師自身の「師」にまで成る”
・~と言った根本的違いを、(あたかも邦楽や踊りその他の日本伝統風に近似したもの感を)哲学者フーコーはギリシアローマの古代に発見していたのだ。

これとは対照的な別世界に、“当該4世紀来のキリスト教修道院”がある。
【次に引用した、各項目を読んで、
日本流の、西洋クラシックのピアノ等楽器や声楽の育成、
茶道その他芸事での修練との共通点、ハット思い浮かべた方は
多いと思う。それは、単に師範も気付いていないだけだ。】
こういった修道院方式には、指導関係における終着は無い。
イ)師に依存し服従すること自体を自己目的化させる、すなわち「自己放棄」。
ロ)師は能力によって選ばれるのではなく、いかに卑劣な師に対しても絶対服従することに意味があるとする。聖なる行いの時間、師は聖となる。
ハ)こうした依存状態を乗り越え、「脱却し得る」など思うのは傲慢とされる。
ニ)依存や服従状態は永遠に続く。この絶対服従関係の中で、師に対して絶えず自身の内面を包み隠さず告白せねばならない。
ホ)それは外的な行動原理の習得ではなく、師と霊性に縛り付けられる。
ヘ)(その余は略)
ト)哲学者デカルトは、「霊的修練で自己自身に働きかける必要は無い。認識の明証性を研ぎ澄ますことで世界の真理に到達する。」と、これらに終止符を打った。《イ)~ト)項はフーコーの研究書籍から抽出。》
チ)“窃盗・暴行・詐欺・淫乱・粗暴・悪徳が横行”する世間体(=社会ではない)にあっては、そんな修道院の役割が、確かに在ったのかもしれない。が、修道院での精神疾患を患う事例とか“フランス:カトリックの堕落や反旗”そしてカトリック聖職者の僻地(当時はイギリスなど、今はアフリカ)への“排除島流し“などは相当多くが記録されている。それらの根本的解決は、イギリス名誉革命、アメリカ独立戦争、フランス市民革命といった、自由・平等のための“社会という制度”の充実拡大=文明Civilizationを待たなければならなかった訳だ。


§人間の職業能力他:の発展経路と開発過程(解明)
これは、すでに哲学その他の分野で科学的に解明されている。巷で流される“幻想や言い訳的な説明”といったものは、個々人を何らかの目的組織の内に不合理に縛り付けるものでしかない。そこには“自由な経済活動”とか、“自由・平等・同胞愛”に基づく社会共同体といったものを、個人の自律Autonomyの基盤を実現させない思惑が存在するのである。そんな巷で言葉を発する個人は、それを良かれと思って話しかける場合であっても、その根拠とそれを教えた者の動機には“悪徳と怠惰”の高度テクニックがあるかもしれないのである。世の中には、“金銭と社会的地位”さえもらえれば、あらゆる手練手管を集積組み合わせる~経営コンサルタントと称する輩も存在するのだ。
能力や思考の発展経路と開発過程は次のとおりだ。
st=最初に現場の真理を把握
  nd=認識(知るのみならず実践に生かせる)ある。
    rd=科学的に思考する
      th=型や習慣にハメ込む
        ~といった体験・思考経路だ。
技芸(古代ギリシャ等でのArtの意味)の実践こそが、科学に先立ち、科学的認識の可能性の次元を条件づける。中世ルネッサンス期には巨匠が産まれなかった。その原因は、科学に基づく教育訓練が成されなかったとの学説は確定している。
科学は、それ自身では何も生み出さない。先ず初めに在るのは、多少とも盲目的な行為であって、その誤りを修正するところから“実際に定まった真理”が生じる。
自由とは、自ら実践・実行すべきもの。それは制度や法によって他人らが与えるモノではない。
ところで、「規律とか規格」といった思考が強いと、イノベーションを生み出さない。ここに極めて曖昧な概念の“本能”といった言語がコミュニケーションに持ち込まれてしまうと、“真理・認識・科学”といった思考力の根幹をなす概念が破壊されてしまう。“本能”(フランス語instinct)という概念の言葉は、哲学者ミシェル・フーコーの発見によれば、19世紀に入ってから以降、司法との関わりの中で、“個人の規律への介入”を目論む一部の精神医学が、「正常と異常の中間地帯」を本能として概念付けたものに過ぎない。司法や社会ではすでに死語になっている(Wikipediaでも混乱の様相は激しい)。脳科学や神経科学の分野でも、“本能”の論理構成はあまりにも矛盾し根拠が成り立っていないことから学説として相手にしていない。日本でも今や、マウントを採りたいから、知ったかぶりの学問を披露するための、“幻想や言い訳的な説明”のレトリックに使用されるにすぎない。

§統合失調症を始め、精神疾患多発とは、何なのだ?
哲学者ミシェル・フーコー(1926年~1984年)は、
「人間は個別化され、検索させられるに過ぎない。自然は調査される。」
と述べ、現代社会へのアプローチとか、先駆的哲学でもって心理学や精神医学に、大きな波紋を投げかけている。論理展開は、世界金融資本の崩壊地滑りが始まった頃から、このメルマガに210号(2019/10/08)で、“予定調和”を取り上げていた。経済崩壊初期の、個々人の気分障害への“目前具体策”などを取り上げ、その構造的社会劣化を起こしかけない、=“ポピュリズム”、“新自由主義”の裏での刑事犯罪や合わせて全体主義に傾くとか、筆者ながらに記事を書いた。この執筆当時“COVID-19ウイルス”が、カンボジア辺りで発症し、翌年2020年1月に中国武漢でウイルスは漏れ(らされ)、現在の劇場的な経済危機を迎えた訳だ。
https://soumubu1.blogspot.com/2019/10/blog-post.html#210-01
そこで、この4年半の間に顕著になった、精神疾患とか疾患めいた名称の流布についてまとめてみた(根拠となった研究や引用論文掲載は省略)。ADHD、アスペルガーその他、精神疾患の名称は50を超えている。うつ症状とか統合失調症は早期に治癒するとか、新型うつ病は人間関係改善で即座に消滅することも分かった。一方では、心理学?”辺りから生じた統計調査に端を発したと揶揄される様々な病状の懸念は、HSP(Highly Sensitive Person)その他が話題となっていることも否めない。また、「精神医学」と「心理学」を分ける垣根は法程度であることも否めない。資格や研究団体の異なり等の違いで学術には役立つ訳だ。
病状?の懸念は、HSP(Highly Sensitive Person:日本語訳は無い)、スマホ認知症(眼球の視野、脳や思考や視野狭窄)、発達障害ADHDなどに見られるケースでは、今の社会で人間は個別化され検索されることから、統計的分類で異なる人たちは、異常(何かの精神の病気の疑い)ではないかと偏見や勘違いする素人に引きずられ、レッテルを貼られ、集団から排除される傾向にある。病気を個性と勘違いして病院に行かない者もいる。統計?分類をして心理学の話題に載せようとする執筆本も少なくない。~結果、若年層を始め、区別・検索・分類するばかりで、具体策を考え出すための分析すら行っていないのが通例だ。無駄な論理構成も羅列され、思考エネルギーを消耗するばかり、心身ともに疲れる(統合失調、うつ状況、カンシャク等)要因だ。
「色々な人が居るから~」との、非科学的無知・無思考な言葉も、前掲の、“本能”の用語を使用する場合と同じく、“幻想や言い訳的な説明”のレトリックに使おうとする、そうやってその場のマウントを採りたい見え張り者も多い。それは、その場の会話の茶を濁すばかりか“自由・平等・同胞愛”の社会共同体志向の柱をも傾かせることになる。ある時、この手の者にインタビューしてみると、本人は権力志向で意欲を抑圧するというわけでもなく、安易に「これで、この場がまとまった。」と自慢している、すなわち、言語を記号のやりとりとしか把握できず、その場の“合意形成をバラバラに”していることに気がつかないのだ。~これでは事業経営を瓦解させる行為だ、この場合に、“イノベーションのチャンス”が到来していることも解らず、何のその見栄張りの“マウントを採り”なのだった。
若者や壮年層には現在、会話をしていても共感Empathy能力の弱い人が少なくない。言語で掲示されない限り悲しみや喜び等の心の動向を読み取り解せない人がいる。本人は、“会話とは質疑応答”の“形式と内容の中身”にある固執するものだと錯誤している。コミュニケーション(言葉の原義は“他人と共有”)で以って、相互に“ヒントの分かち合いShare・共有”をするものだとは思っていない。もちろん無思考で思考力は劣り、学歴が高い場合には虚栄心のためか、形而上学とか知識(量的)偏重に走る若者も多い。
統合失調症は、早期発見とか、施設入院が短いケースでは、意外にも早期に回復するようだ。これは筆者の人付き合いとか仕事の経験でもそう感じている。ところで、17世紀末には、現在日本の“施設入院治療”とは全く異なる方法で、当時は“理性回復”との考え方で、「医学哲学論第二版」をフィリップ・ピネル(1745年~1826年)フランスの精神科医が、共同生活実験を行い、その出版をもしていたのだ。ピネルは1789年からのフランス市民革命前夜の“百科全書派”との親交が深い。右の絵は患者を解放するピネル。
統合失調症を、少なめの投薬・入院保護せずして、治療回復を進める柱は、先ほど来から紹介する、ミシェル・フーコーが、その整理を行い方向性を発見している。で筆者私は、大阪市に現存の“ホームレス支援施設”との実践方向性と近似し、私も何故かいつの間にか仕事柄:実践していたことも痛感した。】
回復法の名称は「(当時)自己技法」と名付けていた(その病人を主体と表現)
①主体の行動習慣の確立を何よりも重視する。
②主体の心理の内在的理解に興味を示さない。
③主体自らが容認であると声に出して認めること。
④表面的にであっても規範に即した行動が取れるよう求める。
⑤可視的行動様式としての習慣の確立を何よりも追求。
⑥主体の自発性、自律性Autonomyが更に拡大するように試練を掛け導く。自律性とは自分の行動・欲望を自分で制御規範が出来る性質や特性の意味。
⑦自律Autonomyとは、自分を律する法(決まり)を自らの内に作り、そして実行。“自立Independence”あるいはself helpとは異なる。近代初期に、科学的理論の根底として形成された概念。社会共同体に在っての“相互依存関係”の中で主たるべく振舞う事の意味。
そもそも(筆者コメント)、“主体が生きていくため”ではなく、自由・平等・同胞愛から外れた規格化をされた社会化にあって、主体を規格化へと強いたことから、(情報の整理統合も出来ずに)精神疲労を多発し統合失調症を発症!!したのではないのか?精神分析とは精神疾患患者の管理手段としての道具。主体(個人)を個別化標準化して管理しようとする、そこに間違いがあるのではないか!?ところで昔から、精神保護施設では“遺産相続争い”の被害者とか配偶者の、“異常?”を口実に、隔離とか抹殺といった噂話が絶えない、筆者自身も危うく、その被害者に。また配偶者の精神疾患を理由とする離婚請求が出来るとする誤解も、未だ根強い。
“施設入院(保護)治療”の発祥とは19世紀後半の機械産業における無過失責任事故多発(労災が典型)を起しそうな懸念人物?を、医師が「何かをしかねない。」“異常と決めつけ”、精神科医師らが司法判断に先駆け“異常と決めつけ”隔離したことに端を発するとの説が有力なのだ。今の日本でも、会社に提出する診断書に精神科医は、そういった歴史との関係の有無は定かではないが、“うつ症状”としか書かない医師が多い。使用者が疾病の実態を知るには、“プライベート侵害”になるから、投与されている薬を知るしかない、うつ病治療の投薬とは違うから。ところが知ったところで、証拠不十分で解雇は不当と判決されるだけだ。

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240305】
 今月、お勧めできる書籍は有りません。

2024/02/06

第262号:全科学の裏付けで、淡淡冷静

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
経済危機の嵐は3月末か! 危険の罠に陥らない、11項目選
日の丸自動車輸出~不況到来か!!
科学的に扱えば、手間暇が掛からない(AI&ITは勿論)
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20240206】

§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
国際信頼低迷の大手企業は、円安での輸出促進しかなく、株安も覚悟
ダウンロードのページセキュリティ&トラブル防止レベルの引上げ完了
http://www.soumubu.jp/download/
近時、PC含めSecurity要求が高まり、Download制限が増える傾向です。

§経済危機の嵐は3月末か! 危険の罠に陥らない、11項目選
(総務部メルマガ、昨年11月の内容を再掲載↓URLをクリック)
(ア)どこの誰に頼まれようが、連帯保証人にはならない。
実印は肌身から離さない。家内でも机の上に置き放たない。
(イ)ニーズに基づく実態の動きが無ければ、一切投資しない。
(ウ)ニーズの奥のシーズ(種)を見つけて、その後に商品化する。
(エ)世界経済の物資や労働力の動きに、敏感に注意する。
(オ)工夫して商品単価値上げを避け、割安感値引き感を出す。
(カ)YouTubeとかのSNSとか、メール配信に頼っても伸びない。
(キ)人間関係は、“好みが共通の人”とは喧嘩になるから避ける。
(ク)「思考・意識・思想が一致すれば売れる」ってことは無い。
(ケ)貧困・失業原因は、一方に悪徳&他方に怠惰が伴うから。
(コ)世間体で生きている人とは、“無思考”で要注意にも無関心。
『思考が弱いと、判断や予見の的外れ、が多くなる。』
 この11項目は、すべては、これこそがイノベーションを知る補足説明である。金融の投資をして経済が回るという時代は、すでに崩壊した。だから目前の需要が重要なのだ。世間体で無思考・依存症は金融投資経済の残存物、そのシキタリは瓦解した。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/11/blog-post.html#259-01


§日の丸自動車輸出~不況到来か!!
イ)それは海外生産を含め、今や日本経済での、主力産業が自動車とされる巷では、劇的な事件である。~どっぷりと“日の丸思考”に浸かっているサラリーマン等にとっては、ダイハツと言い、トヨタと言い、何の話なのか、“狐や狸に一杯食わされている”程度の話で、意味も予見できず呆然としている訳だ。実際の行政処分の実態内容からしても。もとより影響は海外輸出等が焦点なのだ。固有価値文化商品や技術技能価値でもって、多国籍展開を目指す将来立国への、日本=“外貨増収交易戦略”を“横やり”で突かれた体だ。“半植民地日本”の、脇の甘さの露呈である。~読者の貴方がかかわる中堅中小企業の事業戦略(間接・直接の多国籍展開)には、欠かせない重要変化の要素だ。それは、この時期、“戦略的失敗”に翻弄されれば、経営や人生の「苦労は無駄」&「尽力は累積赤字」として跳ね返ってくる。
ロ)様々な議論で、「安全だとか大したことない。」とか言われているが、それこそ極めて甘い“日の丸温泉のぬるま湯”から抜け出せない思考状態(本質も真理も把握不能)である。注意しなければいけない表面現象は、
朝9時前からの国交省の“トヨタ立ち入り調査”。=前日夕刻までに国交省は、記者クラブに“立入検査レジュメ”を渡して取材報道を促して、特ダネではないことだ。
国交大臣が、その風体からは予見できそうもない“ガバナンスの問題?”と明言していることだ。
さらにダイハツの出荷停止後に、状況を見極めていたかのようにトヨタの立ち入りが生じている。それは折しも、世界寒波で欧米北欧での電気自動車 Battery Electric Vehicle が軒並み立ち往生する中で、トヨタの量産型ハイブリッド車がバカ売り切れの状況の中で、出てきた動き・出来事ということだ。
ハ)さてそれは、何の前触れなのか。18年弱前の昔に筆者が指摘(当時、NHK特集からヒントを得て調査)した日立の半導体チップの、国際基準から排除事件。日立は、思考的に構造的に、日本の大手方式での無駄が多すぎて、イノベーションが出来ない構造の中、世界&グローバル経済の中で、日の丸:大手企業の組織運営で通例の思考力が逓減して、自由市場経済では禁じ手である、「目的のためには手段を選ばず。」といった(技術?)手練手管手段が、その方面の国際機関から排除されたもの(当時のメルマガ)だった。折しも、その時点から、日の丸:半導体出荷が激減、その半導体不況が始まり未だ回復できないでいるわけだ。~ここが根本原因ってことだが、全く誰も気付かず、世間でも指摘はなかった。
ニ)この記事(当時のメルマガ)の執筆当時、国際経済機関では、「いくら優秀有能でも、北朝鮮製技術と製品は、使えない。」って話題が、当時に在ったことを思い出した。
半導体やチップとか、その他部品の国際基準でも、そもそも
日本製が採用されない根本原因なのだ。次の、ホ)段落で述べるとおり。「自由・平等・同胞愛」のための社会の経済では、ルール違反者を行政機関で以て叩き潰す権利が在るのだ。以下は、
《2005/09/06発行 私が執筆した“総務部メルマガ 第41号”》
https://soumubu1.blogspot.com/2005/09/blog-post.html
ということは、当時とそのままで、同じく“日の丸思考”が是正されずに、「日本の特異体質」などと、未だに学者自体が現場を知らないこともありゴマかされているということなのである。
ホ)くどいようだが、先進国初めとして世界経済では、いくら日本企業が有能であったとしても、“自由・平等・同胞愛のための社会”の先進国世界基準に於いては、“根本で信用されていない”=という典型なのだ。だから彼らは勿論の如く、自国の自由平等の権利を守るために、「前提である理念やルール」を破る勢力を叩き潰す、正統な権力を有すると考えるのだ。“自由取引市場(資本主義)”、“経営者の団結(株式会社など:フランス市民革命)”そして“自由・平等・同胞愛のための社会”といった機構・制度は、明文化されたものではないが、“法の支配”だ(ちなみにフランスは自由平等が、イギリスでは法の支配となる)。それらは封建時代などから力ずくで脱却した近代の文明Civilizationそのものである。彼らからすれば、日本向けには、「文明Civilizationを開花したではないか!と正統主張を言う訳だ。(ここで言う文明が無いならば、未開地、未開人と彼らは見做す。)
 話を少し広げれば、戦前の、軍国日本・ナチスドイツ・ファシズムイタリア(3国同盟)が、目的のためには手段を選ばぬ蛮行を“経済×政治×軍事暴力”といった、先ほど来述べた“前提やルール”を破った手段であったことからこそ、第二次世界大戦時に“連合軍”が形成され、国際連合に至り(ならず者3国などを抱え込んで)秩序を保っているのだ。太平洋戦争前夜に、日本が“ABCD”経済包囲をされてしまったのも、満州とか東南アジアへの進出前提やルール破りに他ならなかったからだ。その当時、未熟ながらも日本が“自由・平等・同胞愛”に基づいて政策行使をしていたとすれば、“占領軍が自ら自国の経済的利益のために日本援助”をしたとしても、連合軍は日本を、叩きつぶし占領するまでにはしなかったわけだ(なお、日本は未だ国連の“敵国対象”扱いのままだ)。
https://koumu.in/articles/20210701n

日本では、“自由・平等・同胞愛”が、ないがしろにされるまま。
北欧・欧米と比べ遥かに、人物の能力育成&集約・蓄積は劣る。
官民ともに官僚機構と保身が優先、非正規労働の使い捨て、企業成長&利益も後回し。~経済を牽引するイノベーション企業集団は成り立つ訳もない。上司は有能な人物の芽を摘むばかりだ。
ヘ)ついでに社会教養めいた話。
“先ほど来述べた前提やルール”とは、~資本主義の不備を追求する社会主義、~労働者が階級独裁をする共産主義といった人たちにも、さらに強く前提やルールへと政治志向がされているのが通例だ。だから、現在の複雑な世界経済・政治枠組み・軍事情勢において、様々な政治勢力の離散野合=“組み合わせの底流”に在るところの権利主張というわけだ。(ちなみにウクライナ全土も、細かい諸派の主義者の離散融合状態なのだ。)

日本国内にしても、それを踏まえて、今や日本経済の分岐点である今、融資とか銭金にまつわる、その他=お付き合いする企業や人物に向けての、信頼を寄せる要件で、“要注意の警戒”が必要となるのだ。国交大臣の言う意外な発言、「企業ガバナンス」とは順に、H・D・T・各社内ばかりか、日本全体の“自由・平等・同胞愛”の事柄だと、大半の人がピンと閃かないほどに、世界社会からの経済攻撃であることにも気づかない。だから、原因追及もおざなりで、多くの人と事業が犠牲となり離散するのだろう。中には、イノベーションのきっかけとして伸びるところもある。私どもは、そのイノベーションを応援する。

“自由・平等・同胞愛”を下支えする経済政策がこれだ。
細かい事例は日本でも実証済みである。英才教育をしても、有能な人材ほど海外からスカウトされ渡航してしまう。優秀な学校成績を収めたとしても、起業能力は疑問だ。スマホ認知症とか、思考力が無い、それでは、労働価値生産は無理なのだ。日本では、終戦直後同様に、“自由・平等・同胞愛”を下支えに、地域経済から豊かな経済成長を招来して、固有価値文化商品や技術技能価値でもって、多国籍展開するしかない。
金融・銀行(地銀・信金&信組)
バングラディシュではグラミン銀行が地域経済向けに成功している。
明治政府の英国からの借金立国前、日本にも地域経済の芽生え。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/02/blog-post.html#250-09
医療(健康保険)・公衆衛生・社会保障(憲法25条関連)
個々人の病気の不安、感染症対策の無能、病気は自己責任解決不能だ。
介護制度(社会保障、雇用保障等)
増えつつあるのが、老人を施設に軟禁して働かざるを得ない事態だ。
早く死ぬのを待つ労働者の家族で、いったい何を以って暮らせるのか?
……これが、“自由・平等・同胞愛“の基盤形成に重要な3つなのである。
§戦後の日本経済を支えた基盤の崩壊(総務部メルマガ本年1月号)
https://soumubu1.blogspot.com/2024/01/blog-post.html#261-05


§科学的に扱えば、手間暇が掛からない(AI&ITは勿論)
ところが科学といっても、巷の定義では、“思惑を絡めての玉石雑多の混合”であり、汚しているのか、褒めて居るのか、誤解と気付かずに流布しているのか、意味不明だ。そこで、最もシンプルに、人生や経営に役立つ定義を考えてみた。
科学とは、『いつでも、どこでも、だれでもが、使える法則を使う。』
ことである。その人の感じや感情、アイディア、学説の段階は科学ではない。そして科学的思考には、先程の定義を追求する“思考の目的と形”が必要なのだ。

ちなみに、イギリスの物理学者ニュートンは当時、科学のことを、「神の被造物(万物)の法則性を知ること」とした。ニュートンは、神や宗教と科学が対立するとはせず、一体と考えていた。自由平等といった概念でおなじみのジョン・ロックは、ニュートンの友達で、当時の英国王立協会で二人は、1688年の名誉革命でも活躍した。それらの成果は1775年のアメリカ独立戦争とか、1789年のフランス市民革命の理論支柱ともなったわけだ。これらは、今の日本国憲法の柱ともなっている。

よって、「科学は数学とか物理の話」。あるいは「科学は人間の心や気持ちを否定する話」。~これらは間違った解釈で、こういった話こそが、他人を詐欺る行為に使う道具話法なのだ。ところで、ニュートンの“万有引力の法則”は、ニュートンの学説発表から約200年後に証明された。ついでに、アインシュタインが、「“活力”とはエネルギーの転換作用のひとつであること。」を発見したことで、今や「活力」という言葉は死語となった。

また、科学ならば裏付けは:必ず存在している。そして科学として、最も注意が必要な要素は、裏付けの中心的なものが“証拠”なのだ。が、それは、幾つもの証拠を集めて、「その集まった分だけの“証拠の統計”とか、“証拠の傾向や優位性”」で以て結論(証拠第一主義)を出しているのではない原理の在ることだ。
科学的な論拠技法は、『人類が過去から培った法則から、考え抜いて思考を深め、そこから新しいモノを創造する。』といった技法や手法である。そしてそこでの論拠の裏付けとしてのみの証拠を使用することになっている。そうしなければ、間違いとか、期待ハズレとか、また司法や法令の世界では冤罪を生むからだ。(ここでも今話題のD社T社は未熟な間違いをしている。)
良い話とか好い思いつきに安易に“飛び付かない”予防方法とは、猜疑心で物事を判断するのではなく、先ずはこの根拠技法の有無でチェックして診ることである。欧米や現代日本の司法や行政などでも、同じ技法や手法が使われている。哲学の常套におけるアプリオリ(ラテン語)の概念に似ている定番技法なのだ。(参考=日本の裁判の訴状や答弁書は同じ技法や手法)
詐欺師はズル賢い極だから、“猜疑心の強い人ら程に騙しやすい”といったノウハウを持っている。~詐欺にしても似非科学にしろ、科学的論拠技法は、あえて使っていない|。

加えて、第二次世界大戦後に定着した科学的論理構成の必要要件がある。
それは、“合理一貫性”および“事実一致性”の2つである。ナチスの戦争犯罪を追及した、1946年のニュルンベルク裁判で、ナチス論拠の特徴(彼らのコトゴトク事実や事実関係に白を切る主張など)を論理崩壊させ、後に科学的論拠として確立した。
“合理一貫性”とは、話の筋が通り道理が通っていることであり、
“事実一致性”とは実際に生じた事実(事実関係)と一致している
とのことである。例を挙げれば、ローマでの「地動説と天動説の論争」だ。そこで、当時カトリックの論拠は極めて合理的説明を成した=道理や筋の通った“合理一貫性”だったそうだ。これに対し、ガリレオは、「それでも地球は動いている。」として、天動説は事実と違うと主張したわけだ。すなわちカトリックの論拠には、“事実一致性”が無かったわけだ。なお、後になって、天文学者のコペルニクスが地動説を唱えた。ガリレオは地動説を主張したわけではないから、念のため。
学問的法則=科学的な論拠技法や哲学のアプリオリ
  主に学術に携わる研究研鑽で用いられてきた。
経験的法則=体験と作業結果
  職人的作業の体験的蓄積や研鑽から見出されている。
いずれにしても、自由・平等の拡充をするための“社会”たる制度。その制度に併せて共に、身分・階級・職域を超える自由平等形式での科学は、その研究・研鑽・蓄積の方法も発展させながら展開し続けているのだ。
田中宇の国際ニュース解説無料版2024年1月19日から(引用)
近現代の200年間、欧米は、合理性を重視していたがゆえに発展し、世界を支配し続けてきた。合理性や科学的な正しさが欧米の強さであり、アジアなど他の地域は不合理で非科学的だから発展できず、欧米に支配される弱者に成り下がった。
近年の神経科学や脳科学の発展により、精神科学(≒旧来の人文科学の範疇であるとされてきた、様々な科学分野(人間の内面(言語、思想、芸術感覚)が創り出したモノを研究する分野)の発展が著しい。とりわけ、自由市場経済の主軸となる“商品”(≠配給品や政府給付物)における、“Art域労働とかArt域芸術作業”の要件の科学的解明が(“共感”作用も解明から)著しく進展している。これらは、物理や数学的解釈では解明できない要件部分であって、より効率的かつ育成期間が短縮可能“固有文化価値”が確立されつつあるわけだ。これも「科学的分析&イノベーション」の追求によるところが多い。
そこでは、審美主義や耽美主義と大きく差異をつけている進展がある。

Art域芸術 Art域労働
審美主義や耽美主義
未熟若年概念
共感Empathyを起こす 凄い・目的は注目対象になる 映(は)える
希望への光明:深みと広さ
光明が自然拡散する要件
・物理的な数量の追求が宿命
・金銭投資増殖の対象手段
盛 る
自由・平等・同胞愛が基軸
~科学的法則性を活用
様々・固有文化価値を形成
・実は虚栄心の満足=繁忙
・威厳いげん保持努力が不可欠
・独り占めと孤独追求=不安感
マウント取る
 同調を求める
技術水準をレベルアップ。
あらゆる科学的思考と実践
科学的な育成をしない。
技術ではなく技能(鍛錬)に頼る
提供先・仲介・
依頼人の混同

 ヨーロッパ中世の早々から始まったルネサンスRenaissance。この時期において、なぜ巨匠が生まれなかったのか?この問いに対し、『科学的に育成しなかったからだ。』と言われて久しい年月が過ぎている。
さて、これからの経済需要は、文化価値商品(固有文化価値)といったもの(製品および服務サービス)が重要になると言われてからも長い。
 公的な援助とかパトロンや同調支援がなければ、ほとんどの芸術域に携わる人たちの生活は大変である。経済危機となれば苦しいどころではなくなる。
 文化価値商品は、「権威や価値流通の代替え」の道具にしか使われなかった。それは、直に利益蓄積に役立つ物資ではなかったからだ。兎に角いざとなったら後回しにされた。
 確かに、お金持ちでなくてもArt域芸術に対するニーズは存在している。一般消費財商品においても、Art域労働が織り込まれれば売れ行きは良い。だがなぜ、そういった人材が育たないのか?芸術家に多いのは、「金儲けとは違う。」と言いながら、実のところは貧困を弁護口実とされるほどに、自由市場経済での経済学の科学的研究が待たれるだけだと思われる。
 より安定したArt域労働や芸術作業を続けようと思えば、大手資本の販売促進とかPR目的の番組その他に頼らざるを得なかった現実は否めない。あるいは裏世界での非人間的扱いを受け、経済学って言うところの商品ではありえなかった。“自由・平等・同胞愛“が重視されない世間体では、そういった人たちの能力や労働が、正当にも人間的にも相手にされないのである。
 そこで、神経科学や脳科学の発展により解明できた、育成とか技術・技能、そして“需要の形成”に係る物事を、科学的に整理してみた。お師匠さんの通りに技術技能を磨いても、需要は極めて限られている。Art域芸術などの需要の決め手は、徹底的に“共感Empathy”の受け手や観客との交換作用(ルネッサンスと同時期の“世阿弥”の研究も注目)である。ここが抜けてしまえば、芸術はすべて審美主義とか耽美主義といった安易な方向に陥ってしまう=芸術やArtの本来の目的から外れる。今や、受け手や観客は、審美主義とか耽美主義を、感覚で認識できるほどになっており、国語辞典やネットでも、芸術とは異なることだと解説している。

 さて、芸術家やArt域労働に携わる人は、そのことを自覚している。だが、経済的に成り立つ術(すべ)の予見が建たないのである。★商人とか経済学者は、「そこに需要がある。」と判断できれば、研究をするしマーケットの形成をするものだ、自由主義経済もこれだけ倫理的非難を受けながらも、自由が欲しかったから発展させてきた訳だから。

 では、封建制度やその名残を守り抜いている集団世界では、どうだったかといえば、「大した市場にもならない金持ちに高値で売るだけ。」といった特殊世界だったわけだ。端的に言えば、「芸術とは関係ない使い道が芸術以外にも使い物ある。」と、自由を開花させる人間には在らざる事もするわけだ。
 日本の城の天守閣の襖で有名な狩野派の絵は、九州のカトリック・イエズス会の絵画学校で教えられ、技法は当時のまま変えずに今にも受け継ぐという文化なのである。ヨーロッパで油絵などの絵画が役立ったのは、戦乱などいざとなる場合に、キャンバスから切り取り、腹に巻いて逃げ、資産財産を守る(貴族などの世界に流通ルートがあった)ための役割を果たした。それは、「少量の貨幣(通貨とは別役目)でささやかな自由を得られる。」といった、貨幣の如くの自由を得るための役割すらArt芸術にはなかった経済制度の時代だから。
そして、Art芸術において、“共感Empathy”の働きが解明されるにつれ、広く深い自由を得ることを出来ることが、かつ、“芸術等が、ただの余暇の類ではなく”生活の中で目的化されるにつれ、Art域芸術Art域労働は、堅固な社会的地位を築くことになると思われる。
↓アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=%E3%83%91%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9#182-18

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20240206】
①『君の心を強くする世界のすごい人のことば50』単行本(ソフトカバー)
 -2023/5/10 齋藤孝(著)
(むらおかコメント)
今や、働く人誰もがイノベーションを必要とする。
イノベーションを開発・発見した
シューペンターの定義は次のとおりだ。
新商品とは、
1.新しい財貨、新しい原材料などの発見
2.新しい生産方式の開発・導入
3.新しい市場の開拓
4.新しい原材料、新しい半製品(いわゆる文明基礎商品)の発見
5.新しい事業組織を開発形成(社内・社内・ネットワークにわたり)
とすると、あなたに関係する職場や事業所全体で、個々人のイノベーションが求められわけだ。まだまだ日本では、イノベーションは一部の人間がするだけだと勘違いしている人が多い。それは、新オーナーから経営トップ、一般社員からパートタイマーまでが、そう思い込んでいる場合が多い。
それを断ち切るためには、今回紹介する書籍を全員に配布して、イノベーション能力の底上げと、イノベーションの機運を醸成し、上下タテヨコナナメさらには無関係な人までが自由にディスカッションできる状況が必要なのだ。イノベーションのきっかけは、商品を買ってもらう人や使ってもらっている人達と常日頃から接触する、最前線の人たちの話が、一番のヒントになる。「客に言われた」とか、「客には勧められない」とか、注文をクローズしようと思うけれど生産や配送が間に合わない。といったようなこともイノベーションのヒントだ。例えばAmazonが成功した最初の第一歩は、“翌日配達”なのである。これもイノベーションだった。
イノベーションは、難しくいえば五次元世界の商品開発である。
https://soumubu1.blogspot.com/2019/08/blog-post.html#208-08
フィンランドは、世界有数の学校教育(実は五次元思考X・Y・Z+time+Connect)を一般化した。音楽授業の話題が、理科の話となり~数学の話になったり、芸術の話になったりする具合だそうだ。恐らく無自覚のうちに五次元世界の水平展開授業になっている。1クラス20人まで・大学院卒教諭が張り付く。専門性が求められるとその教諭が張り付く、もちろん大学卒だ。一般父母らは「記憶力に頼らず高度な段階まで学べる」といった評判だ。まるで日本の受験勉強など無意味と言わんばかりだ。
だが、こういった教育訓練をしようとしても、現在の個別企業であれば、もう一度基本的な教養的思考(哲学や世界観)が必要となっている。それは、若年層ばかりか定年間際の熟練経験者までもが、“スマホ認知症”に陥っているからだ。思い切って、上下の差、年齢差、セクション区分関係なしに、この本の各項目ごとに、毎日短時間勉強会をやっていることもひとつのアイディアだ。“正論をもって思考する”ことで、「生きる意欲や自信」を持たせることができる。今やのんびりとはしていられない。
加えて、メルマガ今回号でも取り上げた通り、「目的のためには手段を選ばず」といった(自由・平等・同胞愛を充実させるための社会に反する)悪徳思考は、世界経済基準から叩かれ除外される嵐が吹いている。日本は戦前戦後の消費財への輸出、半導体輸出、そして今回のエンジン自動車輸出と、事あるごとに国際自由市場から排除される訳だ。~仮に有能であっても安価であっても、日本初めとして隣りの極東二国は、アンフェアであり危険であるから警戒され窮地に陥るわけだ。“自由・平等・同胞愛”を基軸とする国際自由市場の形成からすれば、自由平等を維持するためには、正当な権利として“不正?アンフェア企業”を槍玉に挙げるわけだ。その根は、ジャニーズ、宝塚歌劇、吉本松本、裏金政治に至るまで、実に共通思考なのである。
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全く関係ない話に飛ぶが、今回紹介の書籍を出版する会社は、“立ち読み”のできるAIサイトを設けている。これもある種のイノベーション。筆者は、読む書籍の全てを購入していては、金銭と収納場所がなくなるから、図書館で現物を確かめてから購入している。私が読む本は一般人的に人気が無いから、それでもよかったが、この下に示すURLの「試し読み一覧」は、確かに便利、場合によれば買わなくて済む。こういったものがデジタル社会の産物だ。政府のやる事は官僚の保身だ。
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