2021/06/08

第230号:
“ガセネタ”に乗らず、深く考える正攻法のヒント

<コンテンツ>
この混乱時のガセネタに乗せられないための、インテリジェンス
  ・東京オリパラ、強行しようが中止しようが感染爆発
  ・経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、
  ・ロンドンの金地金相場引き下げの機能が消失
  ・政府の借金は積み上がれば、憲法25条で定められた
  ・大阪の感染爆発の原因は、維新の議員が騒ぎ、知事が…
ICT産業革命に欠かせない認知心理学は確立していた
この国の感染防疫体制を潰したのは誰か、そのヤリ口とは
  ・国の感染防疫体制を潰したのは、この輩だ。
  ・ヤリ口を支える、医師の地位をめぐる背景
  ・異なる者たちの支配には“聖なるもの”が便利
  ・医療の危機の中心には、3つの価値観の錯綜がある
  ・医療関連に携わる人たちのほとんど共通点は
  【感染研と医系技官に寄生する輩にごまかされない】


§この混乱時のガセネタに乗せられないための、インテリジェンス

東京オリパラ、強行しようが中止しようが感染爆発
とにかく今までに予算を消化してしまったから、国民1人当たり3万円・平均世帯4人家族だと12万円の投資が実ることはなくなっている。主催者や周辺は冷静さを失い投下資金の切り替えも考慮しなかった。経済や社会を冷静に見る力を持たない輩に任せばこうなる。感染は東京オリパラに向け爆発する見通しだ。新型コロナのデルタ(インド)株は既に各地に散らばり、これから空中浮遊の霧で以って蔓延する。

厚労省は標本検査も追跡調査も行うつもりは無いから、自治体(幼稚園や学校)か個別企業で早期発見と隔離をするしかない。ワクチンは期待出来ず、むしろ大規模接種では、針の使い回しとか調剤ミスが多発(厚労省や医療機関には、製造や運輸業のような防止ノウハウが無い)している。
“他人を妬み、卑怯かつ姑息な輩”に、そもそも託したのが間違いだ。開催強行だと躍起になっている状況は、戦時中の日本陸軍で行われたような、参謀の反対意見や現場将校の直言を無視するばかりか、解任してまで作戦を遂行したことと同様の内実があるようだ。だから戦時中の陸軍と例えるジャーナリストも多い。ガダルカナル島での無補給での餓死者は多い。インパール作戦(1944年)は殆ど死亡、戦死者よりも餓死者だ。そのガダルカナル作戦(1942年8月)でも、海軍の輸送部隊は、(当時現役の海軍将校からインタビュー)最低速度で現地に向かい、陸軍のガダルカナル敗北の一報受けるや否や、米海軍潜水艦を避けながら最高速で日本に戻った。その時の海軍の危機内部への説明は、「海軍の艦船に輸送船を攻撃から防ぎ守るためである」であった。(海軍は同年6月のミッドウェー海戦で航空母艦4隻&航空機289機を喪失)。
尾身茂氏の、「今の感染状況で開催は普通はない」との分科会会長の東京オリパラに関する発言を額面の通りにとってはいけない。医系官僚システムに寄生する輩の延命策の下心。例えば、彼ら寄生する輩の“居場所の恒久保障”と、“その毎年の収益事業の見返り等の要求”があると見るのが妥当だ。尾身氏の経験だけは確かで、「病院を直接運営する機構の立ち上げのために、医師である私に白羽の矢が立ちました」と自ら述べるだけあり、国会映像のように関係者を恫喝する。医系官僚から天下りしただけあって、世間一般の国民やジャーナリストとは構想規模には格段の差がある。決して、情報受け手の観念で物事を理解判断してはいけない。

経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、
コロナ感染によるサプライチェーンの寸断による輸入価格不安定の状況から、源流にある政府の円安誘導による輸入品物価高政策となっている。輪をかけて、いよいよ、経済危機の前触れである穀物や原油の値上がりが始まり、異常気象の天候不順による実商品高も目立ってきた。経済恐慌の姿は、金融 → 産業 → 個人消費や生活と変遷をする。
外国と比べ日本は、地産地消の経済基盤の上に輸入品が流通していないから、産業から個人の生活に至るまでの打撃は大きい。本年1月~3月のGDPの数値でも、アメリカとか中国はプラスに転じた。が、日本はマイナスである、経済とのバランスとは口先だけである。Go Toキャンペーンもワクチン大規模摂取も、特定業界利権もしくは富の(微々たる)再分配だ。
これだけ経済の根本的な部分にテコ入れをせず、“自粛とGo Toキャンペーン”で人心を惑わすだけだから、経済転落するのは当然なのだ。経済や経営のことを判るはずもなく、“他人を妬み、卑怯かつ姑息な輩”だから、「もっと貧乏になれば、金と警察の言うことを聞く」と、全体主義者を真似しているのだろう。日本はギリシャのような観光立国には未だほど遠い、インバウンド収益は観光産業全体の17%に過ぎない。にもかかわらず昨年の年頭に、国境封鎖のコロナ対策をしなかったわけだ。

すなわち、円高誘導に切り替えて個人消費を増やす政策でもって、回復の兆しを開くことができる。Afterコロナの前から地方地域ごとの地元に根ざした経済や社会を切り開くわけである。中小企業の圧迫、企業の合併吸収、フルタイム社員の大量解雇が一気に進む。そういった中でも、まずは生きることが基本的人権が憲法に記された日本であるから、それを柱と基盤にしてチャンスを掴むわけだ。
日銀による大手企業株価の買い支えは政府の借金である。コロナ感染対策の緊急予算もすべて政府の借金である。Afterコロナとなれば、この政府借金返済の増税が始まる。増税とともに財産税(保有財産の10%~納付)も実行されると見てよい。MMT近代化論者も、“国家はつぶれない”だけは前提だから、政府借金解消のための増税その他を否定はしていない、政府財務省や経済の財政学者は、歴史上当たり前のこととして驚きもしない。すなわち、コロナ前の状況に戻ることはありえないから、各自で資産対策を図ることだ。インフレで通貨価値はなくなる。資産は動かせる限り人物育成と人材発見に回すことだ。

ロンドンの金地金相場引き下げの機能が消失
この夏から秋にかけて、意外な展開や新策略開始がない限り、これから金地金の相場は、年末にかけて上昇もしくは年末まで価格抑止が続いた後に急騰すると予測するのが自然だ。「バーゼル3のNSFR(紐付けなしの金地金の先物売りが事実上禁止)が予定通り適用される方向。そもそもドル・円の両方共への為替相場に安値圧力が強烈なため、この金地金の急騰へと直結している。中国政府は最近、中国国内の金融機関は金地金を購入することを許可し、これにより金地金相場は高くなる気配だ。ロシアも米ドルの弱体化を見越して金地金を買い込んでいる。

MMT論者は、こぞって借金や通貨(通貨と貨幣は異なる物)の増量で国家はつぶれないとは言っている、確かにそれは正しい。が、潰れない(保障を持つ)国家の国民が、いっそう積み重ねて働くことでもって経済の質量低下を補うこととなる。現在日本は、コロナ対策&経済危機対策と称して、借金を湯水を使うように積み上げる予算措置を行っている。財務省が説明する返済とは、全ては先送りだとし、すなわち生まれもしていない孫子の代まで借金を積み上げようというわけだ。

政府の借金は積み上がれば、憲法25条で定められた
具体的な社会福祉、社会保障及び公衆衛生の制度といった物事が削減される。厚生と携わる人の予算削減だ。憲法25条の文面は終戦直後に欧米よりも条文としては先駆的(日本側の要求)だが、それは85年ほど前に起きたことで、実物は戦後に積み上げられて行き、新自由主義で崩されつつある歴史なのである。
このAfterコロナでの、今度の経済転換は、ほとんどの人が体験したことのない1945年の終戦以来である。先ほど述べたように、回復の兆しを開く経済政策は、本当の意味でのICT産業革命を伴っている。“デジタル庁”とか“こども庁”は、今の政権の出入り業者に高額発注するだけの代物である、その方面の専門家の意見を聞くことなく知恵も集めないのはその証である
すでに、厚労省は国民の意識を試しているのか、

★1:国民皆保険のシステムは、新型コロナウイルス感染の疑いはあっても、体温が37.5℃以上の熱がなければ診察もなく保健所は医療を打ち切ることで、これを一部崩壊させた。
★2:臨床医療と公衆衛生は別物の制度であり指揮系統も敢えて異ならせているが、だとしてもウイルスを拡散する無症状感染者の追跡をしないとして、公衆衛生のイロハも故意に止めてしまった。
★3:おそらくワクチン接種も、集団免疫の70%が市町村ごとに斑マダラが出来てしまうのも当然のことである。自衛隊の大規模接種方式では、自治体によって斑マダラが出来ることは行政官僚なら誰もが知っている。沖縄県や北海道に自衛隊の大規模接種部隊を送らないことも、大規模摂取が口先キャンペーンであることを証している、大量の自衛隊が両県に駐屯しているにもかかわらず。
くどいようだけれど、ワクチンによる集団免疫は、70%をくまなく達成させなければならない。斑マダラがクラスター(ぶどうの房の如くの小規模感染)に至ってしまうからだ。
……だとしても、まずは生きることが基本的人権が憲法に記された日本であるから、それを柱と基盤にしてチャンスを手に入れる訳だ。「何よりも人目より人の意見よりも、第一に生きる権利」が、基本的人権なのだ。通貨はアテにならない。身近な地産地消のネットワーク(最小単位は、約9,300余効率の中学校区)である。

大阪の感染爆発の原因は、維新の議員が騒ぎ、知事が…
無症状感染者の追跡をしなかったことによる結果だ。一時はインドの死亡率を超えた。知事は他県の如く無症状者について、保育所を始め新型コロナ感染の主要ルートの感染検査を行わなかったからだ。無症状であれば検査をしないとしたことで、早期発見が出来ずに(1人は60人へと)感染行為を放置してしまった。沖縄と北海道は、観光客が訪れて感染を引き起こしてしまった。観光客はレンタカーその他で縦横無尽に出没するから、追跡調査は極めて困難なのだ。その国内旅行者の中心は中高年代層であり、分科会長の尾身発言は、政治の持つ嘘である。
大阪南港での、大規模ワクチン接種が6月7日から始まった。が、観光バスに定員いっぱいの高齢者を乗車させてピストン輸送を行っているローカルニュースのTV映像だ。同じく大阪の自衛隊の大規模接種も、のエスカレーター密着搭乗とか、1m間隔入り口の長蛇の列である。京都から大阪へ送迎する観光バスが紹介されていた。
新型コロナのアルファ(イギリス)株もデルタ(インド)株も、無症状感染者から出される息、そのマスクの隙間から出される目に見えない霧の中にウイルスが含まれているのだ。それは空気感染ではなく、空中浮遊をしている飛沫の霧だ。ちょうど大人の高さに漂うであろう、目に見えない無臭のタバコの煙や香水の如くにである。映像を見る限り、それを拡散させるだけの工業用換気扇や大型サーキュレーターは見られなかった。イギリス株のホテル同一階の別室感染がオーストラリアから報告されている。大規模接種会場には、国内の温度や風の流体力学の専門家を、1日1時間でいいから配置をする必要がある。
変異株ウイルスの知識のない高齢者が会場各所に詰め寄る、哀れ悲惨な光景だ。
ワクチン接種後数週間を経ないと、1回目も2回目も効果は生まれない。新型コロナの潜伏期間は5日と言われている。
そして、厚労省が発表したワクチン接種後の死亡例では、脳心疾患の病名が数多く並んでいる。すなわち、血液凝固の疑いがあるのだ。それは、日本では使わなくなって台湾に送ったアストラゼネカのワクチンと同一の不具合状況のようなのだ。さらに驚くことは、死因不明な場合の病理解剖もしていないようだ。ワクチン接種は、本人の法律で言う“自由意志による申し込みが重要であり、“大げさに見て懸念”があれば接種は先送りを要する。そのうち、“死亡に至ったことによる損害の請求事件”の訴訟提起も必至である。(国の支給は、一時金として4420万円を遺族に支給、後遺症で重度障害が発生した場合、年間で505万6800円の障害年金としている)。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784439.pdf


§ICT産業革命に欠かせない認知心理学は確立していた

20世紀を代表する心理学者ジャン・ピアジェ Jean Piaget(スイスの心理学者)を紹介する。ジャン・ピアジェは、1929年の国際連盟の時代から、現ユネスコ国際教育局長を1967年まで務めた。次に掲載したジャン・ピアジェの理念と柱は、世界各国で浸透したとされている。
ところが実際には、各国の心理学大先生に改ざんされたり、類似の柱を表現であっても似ても似つかぬ理念(理念のないことも含め)に書き換えられているのである。

IT Information technologyとか、AIとかDX 略称Digital Transformationと手を変え品を変え商業ベースで乱売されるシステム商品を使いこなせない人たちばかりなのだ。それは、他律的システムばかりで、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズの唱えている自律的システムにはなっていないのだ。他律的システムは現在中国が進める代物をイメージをすればよい。結論を話せば、、今から紹介するジャン・ピアジェの認知心理といった理念は全て抜け落ちているのである。

☆ここに紹介するジャン・ピアジェの理念と柱の如くに育った子供たちは、自律的システムを習得していることは間違いがない。たぶんアメリカで話題となっているギフテッド"Gifted"チルドレンはこの可能性が高い。また人事や労働能力の分野で有能と言われる人材も、ほぼこの理念と柱の如くの内容だけと、筆者は肌で感じる。

いわゆる大人は、_____
思考の社会化すなわち=社会に応じた論理の出現をさせている。そして混乱に対する活動の修正を行う。さらに良い均衡へと向かうには=特殊な抽象化そして一般化への傾向を強めていく。
ところが子供は、_____
観察と模倣によって学習をする。多くの学習は、その基本的価値について、遊ぶことと大人の仕事の分担によって学習を実行する。
「子供を自由のままにし、彼を自分で切り抜けるままにしなさい」そうすれば彼はひとりでよく学ぶだろう。子供の自律性(autonomie=autonomy)
最もよい計画を持つ人は最も富を得るだろう。最もよく人から認められるならば、その人は指導者になるだろう。

未熟とは観察の欠如または誤った学習の帰結ではない_____
【第一の原理】
個人が現実から作り出す表象が、我々が知覚することや心的に創り出すことを秩序立てる。ここで論理的手段に依存することを主張している。
【第二の原理】
それぞれの人間にとって、その段階的理論は、人類によって計画されたものでも、我々の周囲の人々によってそれらを課せられたたものでもなく、我々の固有な活動に基づく個人の構成の産物であるということだ。
【第三の原理】
この構成が、物質的でまた人間的な我々の環境との相互作用を通じてなされる、一つの永続的な再構成の産物と言う仮説を擁護する。
★それゆえ、どんな認識も、この原理に従って考察される。知的な働きによる当然の帰結である。

認識の4つの領域_____
①保存=
  表象の中に確かな安定性を保つ、論理思考を生み出す。
②因果的説明=
  理解しようという我々の意志による。説明は“なぜ?”という問いへの応答。
③数の構成=
  科学的論理構成に必要な、ひとつの要素を構成する。
④空間の構成=
  我々の行動のための根本的ひとつの次元
  空間の組織は事物の表象化を要しない。空間の中の自分の位置だ。
  この幾何は水平垂直の軸を前提にして、ユークリッド幾何学(距離:長さ、角度:面積、体積などの三次元概念)

★この“認識の4つの領域”については、各国の心理学大先生達が自己流に膨らませ様々な表現に書いている。思考発達段階説とかピアジェの発達段階説(認知発達段階説)とか、ジャン・ピアジェの理念と柱を解説するのではなく、各国の教育制度とか社会制度を織り交ぜて、新段階の学説を繰り広げてきたようだ。それは、ジャン・ピアジェの理念と柱に背いたものであって、“受け取る側の狭い思考に、解り良いからといって迎合させることは、真理を歪曲することだ”と哲学者カントが指摘したものと同じなのである。

さて、ここまで目を通した後に、_______
次に示す文部科学省の“子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題”をチェックしていただければ、認知心理学どころかジャン・ピアジェの理念と柱とは似ても似つかないことがわかる。先ほど述べた、学習にかかる第一から第三の原理、および認識の4つの領域とは大きくずれている。
これを現場の教員が無知無理解のままに、既存の教育指導要領の如くマニュアルとして用いたとすれば、それは不幸かつ“大人への成長が止まった”教育を招いた現実を深く把握理解できる。「義務教育は学校に通わせろとは言っていない、学校に行かせると害がある」と、今どき叫ぶ人には、根拠があるのだろう。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/053/shiryo/attach/1282789.htm


§この国の感染防疫体制を潰したのは誰か、そのヤリ口とは

新型コロナ感染は、経済危機に陥る寸前の状況に、その引き金を引いてしまった。
だからといって、引き金を引いただけで大した感染症ではないとするのは暴論だ。人類の歴史の中で、天災や戦争で都市や国家が崩壊した例は無いのは事実である。都市や国家が崩壊するには、その被害の復旧や救済の国家国民の意志意欲を“まとめ上げて組織化”できなかったことが原因となったことは間違いない。だから、具体的な防疫体制の復旧は経済の危機からの脱却と立て直しには不可欠である。新型コロナ感染対策をやり遂げたとする国々でも、イギリスやインドとかの変異株の発生で右往左往や浮き沈みをせざるを得ない。けれど、経済危機の脱却と立て直しは進みつつある。だが日本は転落の一途をたどっている。
一部の地方自治体は、まだ少ないけれど住民サービスの法的義務もあることから具体的に立ち向かいつつある。個別企業でも経済危機の中でも長期希望が持てる展開を進みつつあるところが増えてきた。地方も職域も“民間防衛”である。
★“潰したのは誰か、そのヤリ口”をハッキリ言わずに、単なる愚痴に近い批判、集票目的に感情を煽る批判、総理大臣はじめ元から無能な人物の追求ポーズといったものでは、発言した人物は目立つだけで、そんな水準では新型コロナ感染対策も経済危機の脱却と立て直しにも何ら効果は無い。むしろ、解決や進歩を進める道程を惑わす価値観やその対立を激化させる材料を振りまいているだけだ。ことわざ風に言えば、「正しくない人間に、材料を与え知恵を施せば、悪が復活する」ということだ。

国の感染防疫体制を潰したのは、この輩だ。
国立感染研とその系統の保健所の系統、及び厚労省の医系技官(臨床に関心の無い者も多い)の系統の二つである。彼らは、自分たちの地位とか存続のために、彼ら自身がなりふり構わず、国民とか最前線の臨床医師を犠牲にする姿に現れ、それすら省みない人物達だ。
その状況で彼らは、事実上医師免許しか頼りがなく、現場での臨床医療での能力もなく、臨床には関心もなく、学業成績の良さで医系技官に就職した輩ともなれば、厚労省内部での地位は激落しているからこそ、ここで彼らは象徴面で何とか維持し旧態依然からの組織を守ろうと画策しているからだ。能力もなく地位が激落していれば、科学的見地とか感染防疫をそっちのけで、しがらみに頼りのさばる道(戦略)を選ぶわけだ。
明治からの体質を温存し続ける寄生する彼ら輩は、本来的なエリートではなさそうであるから、科学的知見でもって他に比べての優秀さを誇るとか、国の感染防疫や医療のイニシアチブを持たされなかった。したがって、戦後も憲法25条の欧米よりも条文としては先駆的な、具体的に社会福祉、社会保障及び公衆衛生を制度として憲法に設けるといった、公務や責任からは外されたと推測する。筆者の経験と知るところでは、旧厚生省の政策は、「余計な事はするな」と言い聞かされてきた感がある。したがって、ことごとくが現状追認の姿勢を取らされ、寄生する彼ら輩は責任を逃れるような行動パターンとなっているのだ。政策立案には現場の動きをリードする課題も含まれるのだが、そのための科学的知見(自然科学、人文「精神Mind」科学、社会科学」の見識を持たされていない。現場サイドの話し方でいけば、建物や電算機を作ってもソフトが不備、体制におけるソフト(医療従事者の教育育成:生涯教育、最新医療と人員配置、様々なトラブル策)といったものが考えられないのである。このコロナ禍にあっても、医師の長時間労働追認の一方で法律や規則でガンジガラメとか、看護師資格者の離職や資格潜在化への無策など。次々と医療や感染防疫の総合科学的な進展が著しいにもかかわらず。
そもそも、そんな寄生する彼ら輩は、対立する勢力の間で行われる象徴的闘争では、価値観の解釈をめぐる対立の形をとる。自らの勢力に有利に働くように価値観を解釈するし、そこでの個人的立場は関係がなくなる。なにせ官僚の世界では、特定の“支配的価値観”をうまく操る能力が幅をきかせるのだ。彼らには、総理大臣に担当大臣を手玉に取ることは、あっさりできる。

ヤリ口を支える、医師の地位をめぐる背景
今世界的に見て、医師の地位は、医療の有する科学力に由来はしていない。
医療技術の進歩は、そのほとんどが科学者によるものだ。したがって現在の医療は、医師の手仕事から科学へと変化してしまっている。そして医師は、複合的な近代医療の歯車に過ぎない技能者と化している。
そこで医師たちは、実のところの技術面でその手を離れてしまった独占的医療体制を、象徴面で何とか維持しようとしているのだ。加えて、TVやNetには民間治療薬?が溢れかえり、その説明はほとんどを、“ヤブ医者”が行っている。あの街この街で開業する、“ヤブ医者”は、ほぼ居なくなってしまった。
国立感染研(保健所)と医系技官に寄生する彼ら輩は、昔とは変わり果てた医師の地位を手玉にとって、混乱する医師や医療集団に対して、ここぞとばかりに、彼らの象徴的支配体制を無理強いするわけだ。尾身茂の今の出身母体である地域医療機能推進機構の傘下には、昔で言う厚生年金病院、社会保険病院、船員病院など全国57病院を持つが、新型コロナ感染患者は今年になっても、ほぼずっと受け入れず、やっと今全病床の1割程(計150床程度)である。

異なる者たちの支配には“聖なるもの”が便利
彼らの実態が、そこまで落ちぶれると、世間体の世界では、“異なる者たちを統治するには聖なるものが不可欠”だとする中世暗黒の手法を見出してくる。だが、それは彼らが有能だったわけではない。
日本の病院システムはキリスト教のカトリックと共にやってきたが、ここでは神父たちが聖域活用手法を持ち込み、そのテクニックとして医師達を一般人から別世界へ分離・交流禁止し、実際に聖域場所を設け、象徴や祝祭事を介した行事をおこなった。その名残で、聖域を創るため、“医師の従者が検査技師や看護師であり事務員は召使”の扱い、民間企業とは別格の院長室の設置、TVでも馴染の院長回診(神父の行列と同じ)というわけだ。社会科学の視点からすれば、「事業に係る資産を世襲とするシステムで、自ずと封建制度が都合良いものとなる」カラクリと同じ訳だ。
中世カトリックの病院は神父が取り仕切っており、そこへ医師たちが徐々に浸透していったものだ。そもそも原始的病院は、悪臭が立ち込める疫病の巣窟であった。19世紀の病院での出産は病気感染を伴った。それらは医師は神父や聖職者と同じだから手とか器具を洗わないため=医師からの感染であった。とにかく病院は中世カトリック流に、社会不適格者を閉じ込める目的であったから、精神異常・身体障害者・感染症の恐れから防疫隔離する場所となったのだ。すなわち、彼ら医師たちは“海外伝来のカトリック病院”の実態から、自分たちに都合の良い物事を選びつまみ食いをしたわけだ。戦前の陸軍病院とて同じで、古来からの神道とは別物の国家神道まで編み出し聖域を設けた。
さらに、今年の総理大臣をはじめ、元より無能な人物を操るとか、言うことを聞かなくても首にはされない手法とか、対立する勢力の間を象徴的にうまく立ち回るとかの技法も、カトリックの神父たちから学びとったと考えるのが妥当なのだ。一方で傘下・支配下の医系技官や医療機関では、中途半端な学業成績者のプライドを操り、事務員や修道女(召使や神の奴隷?)如くの非効率的労務といったマネジメント以前の扱いを維持するのである。
(特徴的だと感じることがある)ギリシャ哲学は、人の言うことを聴かない政治体系でのものだから、人を誤魔化す修辞学やレトリックが発達した。あげくにギリシャはローマに負けるわけだが、ローマは合議制だから、良心Conscienceに基づくものであれば誰の意見でも聞こう(ローマ法の理念)となるのだ。そこでも、ローマカトリックは、ローマにあってギリシャ哲学を継続し普及し、カトリック独自の修辞学やレトリックをさらに発達させ、あげく中世暗黒時代に理屈・屁理屈(聖書の書き換えもなんのその)に磨きを掛けたのだ。1965年までカトリックの儀式はラテン語だった。日本には明治時代になると西洋修辞学として入ってきた。なお、日本でのキリスト教はローマカトリックの情報と論理構成ばかりで、カトリックと戦った国及びカトリック内部での論理構成は知られていない。

医療の危機の中心には、3つの価値観の錯綜がある
【第一 伝統的価値観(戦前の軍事防疫など)】
どの国家でも、様々な宗教団体と協力して、医学の名の許に卑しい身体でもっての人体実験を行い、ひいてはそれが他の人々の生命維持のためと表向きの大義名分を語る。戦前の大日本帝国陸軍等の医療は、国家神道?天皇の神と協調して、負傷兵員等の修理に処分(自決という殺人ほう助)に携わった。パイロット、航海士、機関士は墜落や沈没等で海に投げ出されても救助はしない大日本独自路線だ。
2020年1月からの新型コロナ感染対策で保健所は、体温37.5度以上の患者のみに限り入院隔離せしめるが、治療を怠り(薬が無いと偽り、実際に人体実験も)、感染把握に必須のPCRでの標本検査をせず感染蔓延を放置し、ワクチン接種に至るまで輸入手配などを怠っている。
伝統的価値観の厚労省生医系技官や医師からすれば、“夜の街”とか不注意の輩は卑しいといった戦前如くの観念で、的外れの対策を怠った事は否めない。(ちなみに今、日本のコロナ感染の防疫中心部隊は国立感染研だ。旧陸軍・関東軍731部隊(細菌兵器と生体実験)を管轄していた関東軍防疫給水部の東京拠点施設に現在も城?を構える。)
★新型コロナ感染で、この価値観で取り仕切ってきた医療機関が、まっ先に崩壊したのだ。新型コロナ感染受け入れ大病院のTV映像を見れば、異様である。潜在看護師(約7万人とも言われる)の活用なんかは眼中にない価値観が心中の実態のようだ。

【第二 産業優先・産業社会的価値観(唯物論的)】
安全重視の価値観である。欧米と比べ日本は戦後になって病院が厚生行政に定着をした。治療の内容は、痛みの根絶、病気治療、臓器不全の修復、寿命延長、病院産業発展というわけだ。これは現在日本の中高年以上の方の病院に対するイメージだ。しかしながら、病院の政策運営は戦前からのものを引き継いだことから、表象と金銭が産業優先に変わっただけである。
また、日本国中、いつでもどこでも同じ治療が行われる実態上=旧厚生省フランチャイズチェーン方式と揶揄される保険医制度と治療指針といったケースが多く見受けられるのだ。町の一般開業医などは、保険医療機関の制度によって充実安定することとなった。
ところが、こういった第二の価値観に
相対する“個人世界主義”が世界的にも広まっている、日本でも圧倒的だ。
半世紀前に叫ばれた唯物論は廃れてしまった。個人世界主義者は、自分自身の自己の充実感とか苦悩、自由に自己陶酔的に没頭する場合、「自分は大いなる世界のために務めを果たしているのだ」と感じるようだ。どこかに所属するとは考えないし、誰かに依存して生きることは、無意識の実態は在ったとしても、所属や依存の自覚は無い。彼らは新鮮な経験や活力の源泉を求め資するためだから。
★“個人世界主義”のエピソードを次に紹介すると。
・「社会保障のサービスを受けたらいいでしょ」は、口先とは矛盾するけれど彼ら“個人世界主義”の本音なのである。
・大いに親睦はするけれど、親睦だけで窮地に手は差し伸べない。
・友愛が求められる反面、快楽的祝祭的友愛のみが発展する。
・住民交流イベントは成功するが、高齢者の孤独死は増えている。
・本物の伝統を求めるが、伝統の併せ持つ面倒なしがらみが無い限りだ。
・世界や人道や環境の大義に取り組む本音は、自分という作品のためだ。

【第三 全人医療その他の医療産業へ】
この段階での健康政策方針は、総合的に見て「生命に充実を与える」といった用語に集落されている。それは、「健康でなければならない」とか、「充実して生きられるように保障する義務が医師にはある」といったこととなり、病院は病気を治すことに本質が在るといった範疇を越えつつあるのだ。傷病治療を超えて、幸福に向かって奉仕する科学技術を標榜する。
キリスト教でなくとも「身体と心と魂が一体である人間(全人)にキリストの愛をもって仕える全人医療の理念」には留まらず、言葉巧みに患者の心理や社会的側面なども含めて幅広く考慮しながら、個々人に合った総合的な疾病予防や診断・治療を行う医療へと医療産業が向かっている。
平均寿命の伸びる主な要因は、衛生状況の改善からである。
個人所得の向上は居住暖房の充実を促し、重ねて疾病率の低下を促す。すなわち、高度経済成長末期のイギリスの調査によると、死亡率とアルコール消費量は連動している。同じくイギリスの調査によると、管理職の呼吸器や消化器の癌は、他の職業と比べて10分の1との階層社会ならではの結果も存在している。
そういったことで傷病治療は、以前の患者個々人の価値観に左右されてきたの状態から、経済効率よりも充実感を大切にする医療へと傾斜し、全人医療と称して、従来イメージと比べて代替医療とか類似療法あるいは緩和医療や鍼療法というわけだ。戦前の伝統的価値観からすれば、“医師の従者が検査技師や看護師であり事務員は召使”の扱いだが、ここでは付き添い看護を高く評価し幸福に向かって奉仕?するようになり、その奉仕でさえ科学技術を用いようとしている。保養所のイメージ、高級介護施設のイメージ、家族その他との同棲静養までも全人医療案として出されている。ここには、現行の保険医制度が適用できない部分が、現状の疾病(概念としてはdisease)なのか傷病(illness)なのかの概念を超えて、全人といったような幅をきかせる。だから、新たな医療産業に向けての権力闘争を生じさせている。

医療関連に携わる人たちのほとんど共通点は
自らの職業を魅力的なもの乃至は聖職と考えて従事している男女である。そして宗教とは異なる信仰めいた考えを持っている。それは、今述べた3つの価値観の錯綜においても引き継がれている。だがこういった常識的な共通点も、感染研や医系技官に寄生する輩は操ろうとする。
①健康、延命、知識、教育は望ましいこと、絶対に達成すべき目標との思い込み信仰。
②医療や学校は、望ましいことを実現する、唯一の道筋だとの思い込み信仰。
③医療関連に従事する人々は信頼に足る人物で、医師や教師は有能で道徳的な人物との思い込み信仰。

そして多くの人たちが思い込もうとしている医療とは、小さな傷病から美容不具合まであらゆる問題を「科学的?」に解決できる、とされている。医療は、神経症、恐怖症、精神不調に至るまで、この権利を尊重させる正義の味方になっている。正義の味方ばかりか具体的に幸福を導くと拡大解釈もされている。

ところが現状の医学を厳しく詳しく見てみれば、科学が世界を説明する知識のプロジェクトとしての信憑性を既に失している。少なくとも医学によって充実感を増大させるには、ある程度役立つものの、残念ながら不完全で改良の余地を大きく残した道具になり果てている状況は否めない。間違ってはいけないのは医学が信憑性を失い、改良の余地を残した道具である状況から、医師の手仕事の濫用や類似治療を未然防止する意味から、医師や看護師は書類や法律でガンジガラメにされているのだ。すなわち医療の汎用化の動きに対抗して、医療の逆への運動まで生じている。

医師たちの中に、“患者との対人関係を独占”してしまおうとする行為とは、科学的実力が伴わないから、医師は立場とか地位に依存しなければならず、あげく「私の患者、他の方の患者ではない」と言い出して、電子カルテ化などに反対する価値観を持ち出し披露するわけだ。
また、看護師の「患者により添う」という口先の美辞麗句となった言説は、その実は業務の体裁を取り繕うことであるが、これは世界中の先進国での病院の中で発生している共通事項のようだ。看護師の地位や待遇が安定していない、あるいは不安定な医師からのシワ寄せを受けて看護師たちがいじめられている場合は、当たり前に「患者により添う」という口先の美辞麗句は浸透してくる現象だ。ここでも、表面的建前と実際実務との間に矛盾を生じている。

【感染研と医系技官に寄生する輩にごまかされない】
◎第三の全人医療その他の医療産業に向かっての流れの充実を図ることが、寄生する輩に再びごまかされない基盤である。
★「今の感染状況で開催は普通はない」との尾身茂分科会長の東京オリパラに関する発言を額面どおりとってはいけない。寄生する輩の延命策の下心、例えば、彼ら寄生する輩の居場所の恒久保障と毎年の収益事業の見返り等の要求があると見るのが妥当だ。さっそく、6月4日朝に厚労大臣は、これを公式意見として受け入れないと反駁している。
第一の伝統的価値観での医療機関は、新型コロナ感染によって崩壊した。
第二の産業優先・産業社会的価値観の医療機関は、Afterコロナに顕わとなる経済危機と共に崩壊する。

①第三の“全人医療その他の医療産業”に向かって、住民要望に応える全人医療経営。
②医師たちの、“患者との対人関係独占”では操られる。自治体や町での分かち合いShareである。知っていることを共有するのである。患者の秘密を守りながら、開業医も病院も、分かち合いShareは単独から開始できる。
③「患者により添う」という建前と実際実務を、ひとつずつ具体的一致させる障害を除いていくことだ。障害を取り除くことで、能力は向上し効率は良くなり、医師も看護師も共に地位や待遇が安定する。安定してからの改善では一向に進まない。意識改革の教育や議論を行っている時間は無いのだ。

その際に話題となる概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求する道具のひとつに過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明に達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。

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