2005/09/06

第41号

「政策だ!策略だ!」と、衆議院選挙の論戦が激しい。
と言いたいところだが、選挙後の経済見通しの話題はまったくなく、その報道もない。消費税増税の話とかでは個別企業の役には立たない。結論から言えば、郵政改革・消費税率改定などをきっかけに再び不況に突入する。もう少し正確に言えば、中堅中小企業は不況から脱出した「覚え」はなく一貫して急降下じり貧状態であったのだが、大手企業は海外進出と体制整備(本来の意味でのリストラ)を行って(シューペンター理論によると)取扱商品変更と言えるほどの多国籍化を図ったため回復基調に乗り上げることができたのだ。この間、政府は平成恐慌脱出のさしたる対策を打つ訳でもなく、民間個別企業の屋台骨を揺り動かしての自力努力によるものである。
選挙結果にかかわらず、郵政改革により、日本の金融をアメリカ経済の利益のために操作されることとなり、日本政府の経済保護政策弱体化、貿易自由化による産業構造変化、ドルによる為替レート調整によるアメリカの利益操作となることは、間違いのないところなのである。日本はアメリカに食い潰されるが、そのうちアメリカ自身も破綻する前に債務を踏み倒す作戦のようである。これに対するナショナリズム精神論による日本経済保護策は、何の役にも立たない。
消費税率改定その他増税のインパクトは、コンビニのペットボトル125円の値下げなどにみられるようなデフレ基調に、一挙に加速をかけることになるであろうが、その現象の裏に存在する個人消費の激減によって、国内経済が回らなくなるのである。日本のGDPは約500兆円。衣食住に関わると概算できるものは300兆円。この衣食住関連部分の個人消費が激減するのである。極論ではあるが、「ほぼ衣食住は必ず付いて回るから、300兆円のGDPになったとしても、一人当たりの数字にすれば、EUよりも多いから大丈夫だ。」との悲観論まで出る始末だ。
このような経済動向を見越して、勝ち組にたどり着いた多国籍大手企業では、先行組のソニーをはじめとして、自動車もうけ頭のトヨタ、デジタル産業のキヤノンなど、「日本人社長」のこだわりをなく、本社をアメリカに移転させることを検討し始めることにしたのだ。その決定的な理由は円決済での為替差損(アメリカドルは安定)である。多国籍企業にとって日本政府の経済構造政策が役に立たなくなったことによるものだ。法人税が昔に比べ安くなったものの、法人税だけのことに限れば、日本にいる必要性はわずかである。現在、円からドルやユーロへの買い替えが盛んである。
通常の経済不況であるだけで、企業・個人ともに、伸びるか:落ちるかとの「不況は経済格差を生む」法則がある。努力の積み重ねだけで勝ち組参入は無理。大胆な作戦と戦略は不可欠。個別企業内部だけで考えていても無理である。まして、中堅中小企業においては、未だ平成恐慌の真っ最中である。やはりここは、「高付加価値製品と高水準サービス商品」でもって、完成商品(made in Japan)の多国籍展開をすることが肝要であり、その実験場として国内市場が有望というふうに考えることである。この際その体制を、個別企業において作り上げることは、郵政民営化による国際金融経済体制での事業活躍の柱となる。これを促進するための技術教育、開発体制整備、新商品開発文化、その人材と労働力の受皿となる街づくり等の公共事業(厚生労働省、文部科学省、通商産業省)が大切なのである。
経済の変化スピードは速いので、個別企業内で目前のことに集中してばかりいると、突然、社会から見放される。だから、総務部門の役割が重要だ。


国際経済社会の中で日本が孤立の道を歩んでいる。WTOその他の国際経済機関において、日本の提案が通らない。大きな話ならマスコミで、おなじみだが、次は、身近な話からのインテリジェンス。多くの方がご存知のIT部門の工業技術のこと。最近は国際基準に採用されなければ、国内においても商品開発に取り入れることができなくなった。
それを踏まえての話。今から15年前、TRON(トロン)というパソコンOSソフト(ソフト操縦のソフト)が東京大学の日本人によって開発された。漢字の国に当然ぴったりのもの。開発者は無料で世界に配布しようとした。結果から振り返れば、良い意味の理屈だとしても無料であれば皆喜ぶとの世間体を基盤にした独善的判断であった。とりわけ日本人特有の考え方とも言えず、社会共同体経済秩序に寄与しようとの思考もなく、せいぜい技術の「住み分け」論の思考程度の発想であった。早速、アメリカから貿易障壁として訴えられた。日本政府は、アメリカ政府が怖いからアメリカの言いなりになった。それからは、WindowsやMS?DOSの独壇場となったのだが、これらのOSソフトの性能は劣り、日本のTRONが優秀であることは紛れもない事実である。ところが、アメリカにヘリ下ることのないヨーロッパ諸国でさえも、アメリカの「貿易障壁」論に賛成をするのである。アメリカのビルゲイツやアメリカ政府の利権のために「TRONが潰された」と負け犬のように吠えているのは日本だけであった。なぜそうなるのか?
生鮮食料品などの大量消費商品の一つひとつに貼り付けて、使い捨て使用できるICタグ(長さ0.3ミリのチップにアンテナ付)が日立で開発された。1個5円。無線電波ゲートを通過するだけで、瞬時に1個ずつの品質・産地・生産者・消費期限・その他データをパソコンに読みとることができる。開発のきっかけは、ほとんどよく似たタグをアメリカが35円で開発していたのだが、それは貿易摩擦を防ぐためアメリカからWTO協定によるISO(アイソ)へ提案されていたのだが、これより安く性能がいいタグをと日本政府の後押しで日立が(勝ち組思考)開発したのだ。ところが、国際経済秩序を「乱すための行為」だとして、技術論理も無しに、日立のICチップは非難され採用されず、国際経済から追放されてしまった。またもや、日立などは「日本つぶした」とNHK特集の番組でも負け惜しみを言っていた。
ところが、フィンランドの携帯電話会社ノキアは携帯電話のOSをすべて無料公開し、これに搭載できるソフトを一般公募することによって、日本も含め世界中から約3000件の新ソフトが寄せられ、日本をはじめ幾つもの開発商品として売り出されているのだ。日本のTRONも無料公開であったのに、成功と失敗は何によるのであろうか?
よく似た事例はほかにもあるが、これらは決して時節柄ではない。
その答えは、世界経済を動かしているのは、アングロサクソン系やヨーロッパ大陸系なのだが、これらの国が現在に辿り着いた背景には、単なる国際軍事力とか権力を振り回していたことによるものではなく、国際社会においても如何に社会共同体を形成して、その社会共同体秩序維持を加速させる科学技術や新商品が如何に大切で、如何に莫大な経済効果があるのかを熟知しているからなのである。経済学からすれば、正解かつ常識のことである。要するに、自由・平等の経済民主主義なのだ。
あれこれ理由をつけても、社会共同体を形成していない国の経済は停滞し、豊かさや自由平等が少なくなることを熟知しているのである。生まれたときから社会共同体の教育を受けているので、世間体(世間をお騒がせして…の発想)を克服しているのである。日本の文部科学省教育は曲がりなりにも社会共同体秩序(自由平等とか基本的人権による)形成教育ではあるが、大手企業の多くは世間体重視の体制と教育であるから、その様な境遇の技術者には、彼らに技術を拒否される意味すら理解できないのである。感覚的に、国際経済社会の主流の人たちは、前近代的な世間体重視の企業とは肌が合わない。単純な人海戦術やジャパンな精神論の相手などをする気もない。自由平等に基づく経済活動のスタンスもない者は野蛮人と思っている。それは、頭が良くてもダメ、安くてもダメ、便利でもダメで、社会共同体の文化・習慣・教育・価値観に受け入れられなければ売れもしないとの原理原則と成功法則(最近、この分野の研究を文化経済学という)からきたものである。技術水準・価格・利便性は、社会共同体秩序の混乱に利用されると判断されれば、優秀であるほど野蛮人による脅威と映るのである。彼らの中国、日本など東南アジアに対する見解がこれである。
こんなことは、中堅中小企業の事業主であれば、元よりよく分かっていることであるが、日本の工業技術者の多くは、サラリーマンであるがためなのか、世間体思考一辺倒なので、闇雲に安ければよい、闇雲に便利であればよいとして、無料や住み分けならよいとして、社会共同体に受け入れられる製品かどうかを判断することが不可能なようだ。だから、WTOの秩序とか、世界各国の貿易障壁と言われても、日本の(勝ち組思考の)IT技術関係者には「とりあえず理解不能」なのだが、中堅中小企業であっては、国際経済社会の中で事業展開を進めて、社会共同体の原理原則に基づいて事業展開をして、十分に多国籍展開をしているのである。社会共同体を形成し、その社会共同体秩序維持を加速させるベクトルを働かせることによる「高付加価値製品や高水準サービス」の開発作業(例、ベンツの車は強いといっても事故相手車にもケガを負わせないための工夫も欠かさない)を展開すれば、日本の大手企業発の技術も国際経済の中心になることは間違いない。現在のように完成物一辺倒に頼らなくても、技術を商品として売ることも出来るようになるのだ。北欧系中小企業の技術はノキアにとどまらず多国籍展開には強力なものがある。
現に日本の中堅中小企業の技術のいくつかは世界の中心になっている。社会共同体秩序に順応することができた技術者の多くは、日本企業を離れ外国企業で仕事をしている。
WTOの主流を形成する側からすれば、経済社会発展を促す社会共同体なのか、それとも、単なる金銭や当座の勝ち組利益をもとめる前近代的な世間体による発想なのかの選択の問題なのである。「携帯電話でのTRON搭載」とか「日本はユビキタスだ!」と言ってみても、しばらくすれば、WTO体制によって、このままでは彼らの周辺工業技術に押し組まれてしまうのは目に見えている。今や、社会共同体の視点というのは、日本の社会や経済にとって、孤立・沈没であるのか、それとも国際社会での「蓬莱島」の将来であるのかへの、不可欠な課題となっているのである。


国民年金保険料の徴収事務が大混乱をしている。地方においては保険料回収のために、電話や訪問が相次いでいるが、大都市においてはその逆である。個人あて納付関係書類を打ち出しても約一週間後に届くのがザラである。納付期限を過ぎてから到達するのも、今や当たり前。減免措置をPRするも、通常の納付書が到達してから1ヵ月もたってから、減免承認の通知が届いたりもする。減免が認められなかったと思って、良識ある人は工面して支払った人も数多い。社会保険事務所に苦情を言っただけでは、あしらわれているようだ。強気の人や社会保険労務士が詰め寄ると、すぐさま「納付期限から2年2ヵ月の時効期間がありますから、大丈夫です。」と開き直れとの業務指示でも出ているかのようだ。社会保険の行政方針は、ここまで社会通念から外れている。そもそも公的事業や公共事業と言うのは、国民の支持があって成り立つものであるが、今や国民の支持のない国民年金となっているから、「ズタズタの事務とペテンによる運用」と言われてもしかたがない。国民年金は昭和34年の国会可決時点から赤字破たんは分かりきっていた制度(過去のメルマガ参照)なので、国民は不満や文句を言わざるを得ないのであり、もとより協力できる状態にないのだ。