2006/12/04

第56号

<セクハラの労働関係紛争>
は、平成19年4月1日から労働局の調停制度の対象となる。男女雇用機会均等法の改正によるものだが、ほとんど報道されていない事柄だ。当事者の一方からの申請で調停が開始される。平成19年3月31日までの制度では、申請の相手方当事者が同意しないことには、あっせんが開始されることはない。一方の当事者が同意・出席しなくとも調停案が作成され受諾を勧告されることになる。いずれかが受諾を拒否した場合には調停を打ち切ることになる。ただし、その後に訴訟が提起された場合、調停案受諾拒否はかなりの影響を受けることは間違いない。
セクハラに対する社会の目が厳しくなるとともに、男女ともに就業環境整備や労働能力育成の障害を排除することが社会の要請となってきたことで、あっせん制度から調停制度へと移行されたものと思われる。また、裁判制度では迅速・現実的な解決に時間を要することから、都道府県労働局雇用均等室が受け付け、紛争調整委員会で調停をすることとなっている。今回の改正では、虚偽の報告を行った場合などで過料(20万円以下)も創設された。話のついでだが、来年の通常国会でパートタイム労働法を改正し、パートの紛争解決にも調停制度や過料の行政罰を導入しようとの動きも出てきている。


<パートの厚生年金案>
が突然降って湧いて飛び出して来た。流通業界とか中小企業、その他パートを抱える業界経済団体などから反発の声が出されたが、政府が経済政策の上で期待している個別企業たちは、その時代やその時の制度に合わせて七変化する能力を養っていることも事実なのだ。
例を挙げれば、バブル経済の人手不足の時代に、主婦を中心としたパートの活用事例が開発された。典型的なものは、10時から16時までの時間にパートを集めようとしても人手不足、片や設備投資を行ったために操業時間増加に迫られた工場において、4時間パート三交替で12時間操業を実現した事例があった。朝夕のパートは時間単価を引き上げ応募者に魅力を持たせ、かつ主婦の年収で扶養範囲内を確保した。人間は1日4時間以上働くと能力が落ちると言い切る外食チェーン企業も存在したくらいで、この事例の工場は生産性と収益性が一挙に跳ね上がった。
パートの時間単価は、年間130万円問題に左右される。すなわち年間52週×週5日×1日6時間という計算から大きくはみ出すことのない範囲で、賃金相場が決まるという背景も追い風にしたのだ。現象面で有名となっているパートタイマーの管理職制度も活用事例のひとつだ。弁当やサンドウィッチ製造の女性深夜労働解禁も然り、それは当時の中高年女性の社会進出でもあったのだ。
今回のパートの厚生年金政府案だとすれば、1日4時間×5日の1週間平均20時間未満は厚生年金対象外となるから、「高付加価値製品や高水準サービスの商品」の提供を裏付ける能力の高い労働力等を促進・育成する個別企業も増加することだろう。高付加価値産業育成には賢明な政策ではあるが、ただしそれを政策目的とした痕跡は政府案にはない。それどころか、時間単価の安いパート人件費から合計1万円前後の保険料負担などが生じるとなれば、それだけでは正直者が馬鹿をみるだけのことである。1年未満の短期雇用は除外となれば、シーズンごとの生産調整や9ヵ月単位の雇用を回転させる事業所もあるかも知れない。
今から約20年前、関西のある超大手飲食系食品メーカーは6ヵ月雇用と、その合間に雇用保険失業給付90日の受給をセットにしたパート採用の繰り返しを組織的に行っていた事案があった。これに対し、安定所は求人募集などを盾に圧力をかけて表沙汰になることを抑え込んだのだが、果たして現在は、そのようなことを抑え込める自信があるのだろうか?
ところで、厚生年金保険も労働基準も共に、法律の上では特定された事業所で1日何時間働いたか?を念頭においているわけではない。すなわち、当該労働者が1暦日において何時間働いたか?当該労働者が何日出勤したか?となっているのだ。午前中はA事業所+午後はB事業所とであれば、1日の労働時間や出勤日数は通算されるのである。個別事業所がA+Bで働いていることを知らなかったとしても紛議となれば、契約不履行または不法行為で何らかの損害を賠償しなければならないのは必至である。そのような事件がそのうち発生するのは間違いない。
年金支給額の削減+低賃金労働者の厚生年金から排除+株価の上昇=厚生年金収支黒字化と、社会保険庁の「努力?」が実を結んだと思った矢先に、目先に走った政府の年金案?。これはジレンマではなく、国家の年金制度を必要とする社会政策理念、年金制度成立の前提条件、年金制度維持の基本要件、ある程度の年金制度経緯の知識などを語れる専門家を、旧厚生省や政府が排斥して来た結果でもあるのだ。
ところで、総務人事部門が企業での対応策を考えるにあたり、「悪法も法なり」として「遵守が脱法か」の両極端な想定しか出来ない混迷は、コンプライアンス理念とは無縁な発想であるので、念のため。社会保険料などのコスト減として称して、偽装請負業者の口車にのってしまうのも、知恵と工夫と将来性のない話なのだ。

一方、着々と実施に向かって、2008年10月に全国単位の公法人「全国健康保険協会」を設立する準備が進められている。14日には全国健康保険協会設立に向けた初会合も行われた。その後は同協会の支部が都道府県単位で新しい健康保険を運営することになるのだ。現在、政管健保は約3,600万人加入の最大健康保険組織(健保組合に相当)で社会保険庁が財政運営をしている。法改正実施によって、現行は全国一律の保険料率(8.2%の労使折半)は、都道府県ごとに地域の医療費を反映した保険料率といった具合に変更される。厚生労働省が2003年度の医療給付費等実績をもとに各都道府県ごとに保険料率を試算したところ、最高保険料率は北海道の8.7%、最低保険料率は長野県の7.6%とのことだ。


<労働審判制度>
なるものは、厚生労働省があっせん制度などを整備するなかで、司法関係者があわてて個別労働関係紛争解決の司法システムを2006年4月1日からスタートさせたといっても過言ではない。ところが、早くも立法趣旨とは裏腹に形骸化が始まっているようだ。労働審判の「調停手続き」において、従来からの裁判所の和解?を押しつける姿勢を引き継いでしまったようだ。
審判員は労働委員会などの斡旋委員とは異なり、労使の委員はそれぞれの当事者の味方をしてはいけないことになっている。裁判機能であるから、労使何れであっても中立公正を維持しなければならないとの制度設計。ところが、この制度に悪ノリをして適当に迅速に進行させようとするものだから、3回の審判日の日程のうち2回目で、無理矢理「調停成立」を図ろうとする審判の傾向が色濃く出ている。
どういうことかというと、例えば、使用者出身の審判員は会社側に対して、「なんという違法状態だ。なんという経営姿勢なのか!」などと詰めより厳しく迫る。例えば、労組出身の審判員も労働者に対して、「調停をまとめるならこの程度。君にも非があるんじゃないの!」といった具合があるようだ。
労働審判制度に至るまでには、労働裁判所構想、労働参審制、訴訟手続き見直しなどの議論の経緯が存在した上でのことであるから、決して、「労働審判の制度が始まったばかりで理想通りにいかない」との見解も通用するものではない。最も重要なことは、現実に紛争当事者がこのように受け取っているとのインテリジェンスが次々と聞こえてくること自体が問題であり、制度的問題があるのは間違いないと見て差し支えないのだ。従って、当事者が審判代理人(弁護士などの職業専門家)を立てて審判申し立てを行ったとしても、対決的感情の発生や対決的解決とならざるを得ないのだ。
また少なからず、このように無理矢理合意を急ぐあまりの「調停姿勢」であるから、「調停合意の調書」が作成されたとしても、会社としては労働者を職場復帰させるのは難しい。労働者も職場に戻りにくい状態に陥るケースが多いようである。いくら「調停」と言っても、「いわゆる取引」がそこに持ち込まれれば、人事労務管理を踏まえた上での、「前向き解決」は難しくなるのである。だからこそ、厚生労働省は紛争調整委員会のあっせん制度を平成13年に設置して、このような労働分野の裁判制度の形骸を改善するひとつの制度として個別紛解法のあっせん制度を設けたのである。そもそも、司法関係者の多くは、実態の後追いが目立ち、労働紛争現場から遊離しているのではないかとも感じざるを得ないのである。ところで、私が厚生労働省の肩を持つと思われたとしても、私は厚生労働省の回し者ではないので、念の為。


<「労働契約法」>
は壮大な新時代に見合った社会制度として、厚生労働省が来年の通常国会に向けて、個別的労働関係ないし労働契約に関する主要な問題点(いわゆる判例法理)を整備しようとしている。要するに、当事者の合意に基づく労働契約の成立基準・ルールを設定し、当事者の自己決定と契約履行を促し、それでも対決に至った場合には司法救済を控えさせるという制度的流れではあるが、この中途に、紛争調整委員会のあっせん制度などを設置して紛争の解決をしようとする、一連の枠組み作りなのだ。とりわけ、労働者の流動が激しく、加えてそのための中間管理職を配置することが難しい経営組織にとっては、紛争解決システムとして非常に活用しやすい。経営者の後継者問題に絡む人事紛議に対しても大いに効果を発揮している。これらの法整備と制度設計は、一層のグローバル経済・社会を控えて、社会秩序を安定させる紛争解決制度としての壮大な計画でもあるのだ。国際比較においても、諸外国でも例を見ない立法制度となることも間違いない。
ところで、日本の人事労務管理方式や労働条件決定システムは、世界の先進諸国が導入したいと願っているくらいに、一流なのだ。それは話が逆さまで、「世界の先進国の制度を日本に導入しよう?」ではないのかと認識されている方が居られるのかもしれないが、そうではない。日本の社会制度などは、確かに多くの先進国の中で下位だったり先進国の埒外だったりするが、人事労務管理については、世界では超一流なのである。この現状において、「自律的労働時間制度」の論議の持つ意味とは、white-collar exemption(ホワイトカラー時間外賃金支払免除・2004年6月施行)の実例とされるアメリカでは時間外割増賃金が150%をはじめとして他にも日本とは著しく制度が大きく異なる国の事例である。議論となっている年収基準は、400万円基準は早くから認められず、情報によると700万円基準、1075万円基準が浮かび上がっているのである。ちなみに日本の平均給与は、1997年が467万円、2005年が437万円、この数値(内実を含む)との整合性が、今や労働分野の研究者・学者の間で取りざたされているのである。また、「金銭解決制度」を導入しているのはドイツだけ、その適用事例もほんのわずかとのこと、もちろんドイツの労働制度は「賃金決定権を産別労組がもっており企業にはない」など、日本とは極端に異なる社会制度なのだ。

2006/11/06

第55号

いよいよ、2007年を迎えるに当たって、いわゆる「2007年問題」にどう対応するかが、課題となってきた。
ところが、識者によって、2007年問題の見通しがバラバラであるから、どのような具体的対策をとれば良いのかの方針が策定出来ないのである。
そこで、先ず、いくつかの2007年問題に対する要因あるいは仮説を紹介してみる。
そもそも2007年問題とは、CSK社長の有賀氏が持ち出した言葉で、その当時は、
(1)団塊の世代の60歳定年によるマーケティング変化
(2)日本の人口が2007年から(ただし、2005年から)減少に向かう
(3)大学全員入学時代
(4)新築ビル完成
などのマーケティングに関するものであった。団塊世代の主力商品、スーツ、ネクタイ、雑誌、飲み屋の消費が減少するとのエピソードまで出て来た。それは無理もないことで、日本の消費経済の全てのマーケティングは団塊の世代の消費傾向、ベビーブーム、小学校入学とともに学校設備、受験とともに大学増設、「中教審答申」、団塊世代の就職、ブライダルと出産、住宅建設、団塊の第二次ベビーブーム、そして60歳定年を迎えた人たちの退職金目当てというように、社会と共に変化できたからだ。

労働市場においては、
・昭和22年から24年生まれの団塊の世代人口680万人
・そのうちの520万人が被雇用者で
・次々と定年を迎えるのは214万人
というふうに見られるのだ。見ようによっては、たいした数ではない。また、年間退職者数は130?140万人であるが、実際にはプラス10万人程度の影響ではないかと見ているシンクタンクもある。
しかしながら、当初は、2007年問題を単なる労働人口減少と見てしまい、大して技術開発もせず、大して工場の機械化をしてこなかった個別企業にとっては、顔を青ざめさせるような話と映ったようだ。だが、このような「戦前の満州進出」と同程度の人海戦術経営の発想は、経済学的な分析によって、短期間のうちに消滅して行った。日本経済が大まかながらも、高付加価値製品&高水準サービス商品の提供に進んだのも、日本の文化水準が(経済学習得者も含め)、高いからであった。

ところで、原点に返っての当事者の意識はどうなっているのだろうか。多くの経営者からすれば、団塊の世代は2007年からは定年で自然退職することになるから、退職金の財源措置さえしておけば、「待ちに待った2007年問題」であったのだ。
労働者からすれば、モーレツ社員と言われながら精神力と強気を保ってできた後の、いよいよ60歳定年であったのだ。そこに年金問題が水を差した。団塊の世代にとって年金は、「老後のための蓄えの役割」と厚生省から説明されて来たから、社会保険のある正社員にとどまり保険料が高くとも支払いを続け、そろそろリタイア設計を考え始めた時点での年金減額改正であった。
そして、企業が必要とする人材については、実のところ、とりたてて政府に継続雇用などの措置を取ってもらわなくとも、日本で定年制度を導入した昭和30年代から、必要な人材は定年後も雇っていたのだ。

次に、年金財源ひっ迫のために、政府主導で高齢者雇用継続の措置がとられた。継続雇用措置年齢が
・平成19年3月31日までは62歳
・平成22年3月31日までは63歳
・平成25年3月31日までは64歳
・そして4月以降は65歳
となっている。ただし、ほとんどの企業で、2006年4月1日から3年すなわち2009年3月31日まで(中小企業は5年、すなわち2011年)の間は、事実上の緩和措置となっている。突然降ってわいたような政策に対して、継続雇用制度で年齢延長を派手に謳っていても、運用でゼロを追求する企業も多い。継続措置をとる者は、ABCDEの五段階評価のうちABCに限るとか、直近三ヵ年の健康診断で異常が認められなかった者に限るとかで、定年退職しても年金支給開始年齢までに(雇用保険失業給付の穴埋めを考慮しても)一定期間の空白が生じる手法となっている。はたして訴訟を提起された場合、このような手法を裁判所が違法とするかもしれない危険もはらんでいるようであるが、結構、さほど研究もせずに継続措置をしている企業も多い。

何れにしろ、技能者といわれる人たちを中心に、相当多くの定年退職者が発生することは間違いなさそうだ。だが、年金受給開始までの収入見通しや、年金政策の不安から、何らかの形で働く団塊の世代は多いものとみられる。
主婦の立場であっては収入を補うためにパートに出たいと希望する人も多いであろう。
妻の年金分割権が始まるとはいえ、熟年離婚の増える見通しもない。
働く事しか知らない世代であるから、メンタルヘルスの必要性からも、働き続けるしか生きがいを見いだせないのではないかとの観測もある。
団塊状態であっても、
何れの方向性にしろ組織性の弱い者から退職していること、
比較的技能が低い者から退職して行くこと、
とは言っても保有能力には企業間格差が見られるのである。

最も大きく重要な変化は、
団塊の世代における非正規雇用への切り替えを引き金に、一挙に非正規雇用がどの世代にも浸透して、日本の雇用形態が一転して様変わりする第一歩になることである。今年の労働白書でも、パート・アルバイト、契約社員、派遣社員などの非正規雇用が拡大傾向にあると報告している。団塊の世代の賃金原資が減少することから、「団塊の世代一人分の賃金で、二人の雇用して、人手不足解消?」との、計画を練りに練っている個別企業も現れているのである。団塊の世代を受け皿として、新たなビジネスチャンスも生じるが、社会基盤の大変化として、十分研究して、事に取り掛かる必要がある。

いわゆる「暗黙知」とか、ノウハウの属人的蓄積問題がある。
団塊の世代が退職してしまうと、このような技能発揮システムが消滅してしまうので、生産維持、技能継承が出来なくなるのではないかとの危惧である。しかしながら、「暗黙知」や「技能継承」問題は、長期的な別要因から生じているとするのが、もっぱらの分析結果である。すなわち、これらの問題を分析しなかったが故に、生産技術開発が遅れ、商品開発に生かされず、比較的には付加価値・利益率の少ない事業にしがみついていたとする研究結果なのである。したがって、このような低水準の経営管理は、日本経済のこれからの主力となる経営管理システム方式から除外されたといったところなのだ。



◇◇◇ コンプライアンスに関するインテリジェンス ◇◇◇
グローバル経済・社会への転換、社会変化に対する意識変化などで、日本の社会のあり方、個別企業運営のあり方、身近な社会共同体のあり方が、様々な混乱を引き起こしている。その現象が、勝ち負け格差構造、ニート、いじめ自殺、世界史不履修、飲酒運転といったような混乱・事件ではないかと見た方が妥当だ。これに対して、良識ある人たちは、コンプライアンスでもって新しい時代への秩序を切り開こうとしているといったところだ。だが半面、社会激変が進行する中での、高学歴エリートたちに刹那的・無気力さが蔓延し、ホリエモン、村上ファンドなどの経済犯+倫理事件のような「爆竹炸裂現象」ともなっている。エピソードをあげればキリがないくらいに、政府省庁、裁判所、個別企業、町内会自治会に至るまでが、旧来組織が形骸化・運営かじ取りの失敗を引き起こしているのが現状である。社会(社会共同体)の新しい適正なあり方への再編成が進んでいるなかで、再編成されずに淀みが生じているところに世間体が持ち込まれ、数々の倫理観欠如事件に陥ったと見ても良いのではないだろうか。加えて、生半可にコンプライアンスを、「法令遵守」とか、「法令等遵守」あるいは、「法令・倫理遵守」などのように文字通り解釈し、実務上意味不明な綺麗事で済まそうとするものだから、統治能力欠落、形骸組織優先、世間体優先、自浄作用喪失と、ますます裏目に出て混乱を招いているようだ。

そもそもの、コンプライアンスの底流基本理念とは?
大雑把な話になるが、1950年前後、第二世界大戦の教訓から「自由と民主主義」の理念に「基本的人権が不可欠」であることが確立した。1960年代のアメリカでの公民権運動やベトナム反戦運動の影響を受けて、日本でも1960年代後半から70年代にかけて「社会共同体のあるべき姿(社会合理性)」が論じられ団塊の世代以降に定着した。「公正としての正義」とか、ゲーム理論や合理的選択理論の手法による「新社会契約論」とかいわれるようなものである。1980年代に至ると、いわゆる「手続主義の法パラダイム」が取り入れられるようになり、自由平等や権利に関する手続の正当性・相当性が重要視されるようになった。このような一連の社会共同体の理念構造がコンプライアンスの底流に流れている。
ところが、これを無視して法令文言などを杓子定規に進めるものだから、形式は装う(面従腹背も含む)が、倫理的な間違いを起こしてしてしまうのである。法律家の人たちが使用するリーガルマインド(残念ながら素人には説明してくれない)は、コンプライアンスと、ほぼ同義語なのである。
とりわけアメリカでは、訴訟社会(日本と違い訴訟は弁護士を通じて行う制度)となってしまった現場から、法律を知らない状況に置かれることは少ないとして、手続を取らなかった者に法的責任を負わせるまで進んでしまっている。日本においては従来、社会合理性などの判断はもっぱら司法の独占分野とされ、少数精鋭の裁判官・検事・弁護士でもって維持(日本では一般人も訴訟ができる制度)する仕組みが戦後続けられて来たが、「手続主義の法パラダイム」とか法律の周知徹底の流れを汲んで、現在の司法改革に至っている。すなわち、一般国民を社会合理性などの判断について社会参加させるかどうかが、司法改革の重要論点であったものであり、一定程度参加の方向となったのである。行政における、経済活動分野についても然り、社会合理性の適否について一般国民に参加(公正取引委員会など)を促している。公益通報者保護法(内部告発)もそのひとつの手段だ。人事労務分野においても、就業規則の合理・合法性と周知徹底を図ることと同時に、労働契約法を制定して社会合理性と手続相当性の下支えをして、コンプライアンスを徹底させようというねらいなのである。すでに紛争調査委員会も機能しており、労働契約法制定とともに、機能強化が図られる予定だ。
そもそも、コンプライアンス自体を社会制度の運用に取り入れる考え方は、経済活動において競争をすることによって人々のエネルギーを集中することが経済発展につながると理念づけ、その競争が正当に公正に行われるためには、コンプライアンスに基づいて法律や倫理観が機能することで保たれると、コンプライアンスを機能づけているのである。たとえ競争によって、「物事の比較行為が始まると紛争も増加する」といった社会傾向も覚悟の上なのである。WTOその他の国際経済活動の正当性や公正性といわれるところには、コンプライアンスが基盤となって働いているから、日本国内と言わず、個別企業の経済活動において重要視しなければ、たとえ優秀な技術開発や製品であっても経済から排除されることになる、といった具合だ。
よって、コンプライアンス → コーポレートガバナンス → CRSの順序での取り組みが行われる論理展開となる。さて、その後はじめて、具体的な規則・規律、法令等の手法を使用するといった具合になるのだ。個別企業といえども社会や経済を扱うには、外来語の流行を追うばかりでは混迷を極め、コンプライアンスの底流理念の理解に至っては、話は戻って高校時代の世界史履修が不可欠なのである。

2006/10/10

第54号

偽装請負事件が、ほぼ連日報道され、ここにきて大きな話題となっている。新聞などのマスコミ報道が踏み込んでいない、人事総務部門の専門領域インテリジェンスを提供する。
今回、一挙に表舞台に出て来た「クリスタルグループ」とは、昭和61年当時は「綜合サービス」という名前の京都市南区で営業していた会社が、事実、七変化している企業体なのである。昭和61年労働者派遣法施行の際に、派遣事業許可手続きの依頼方が私にあったが、その仕事を断った企業である。当時から京都七条職業安定所管内でも内偵が進んでおり問題視されていた企業。オーナーのH氏は滋賀県の長者番付で一番である。ただし、滋賀県や京都だからと言っても近江商人とは関係がないようだ。昨年3月東京地裁判決で、ニコン熊谷事件、ネクスターという会社とニコン両方の業務請負や労働者派遣での安全配慮義務の責任が言い渡され、衝撃の走った事件の、このネクスターもクリスタルグループである。
クリスタルグループに限らず、この類の業務請負業者の受注トークは、「ややこしいことは、ウチがやります」と言って、発注責任者にすりよってくるので、ついつい誘惑に乗ってしまい、腐れ縁ができてしまうといったところだ。昭和48年、昭和55年、バブル崩壊を通じての生産部門における重要な経営課題は、如何に下請け企業との縁を断ち切るかであった。工場閉鎖をしてまでも腐れ縁を断ち切るリストラが相次いだ。このような日本経済の教訓が、発注企業の資材課あたりの現場末端では、教訓として生かされていないことも、今回の偽装請負事件は表している。業務請負会社に発注企業から社員を出向させる手法も昭和61年当時から誰もが知っていたものであるが、出向目的が経営管理や教育訓練に限定されることのみならず、業務請負会社の経営戦略に丸々乗ってしまって腐れ縁ができることを懸念して、産業構造の合理性から発注側が敬遠した対策でもあった。
ところで、今回一連の偽装請負事件の背景を見るときには、平成16年3月に製造業の労働者派遣が部分解禁になった時点から約2年半の出来事であることを見落としてはならない。厚生労働省の計画としては、平成19年3月から製造業の労働者派遣を全面解禁するに当たって、それまでにどうしても悪質業者を叩いておく必要があったとみた方が良い。平成16年の部分解禁に伴う法改正を研究した専門家の間では、3年以内にいずれかの企業が「血祭り」にあげられることは予測されていた。こういった場合に、最も悪質な発注企業と受注企業が、その対象にされやすいのだが、やはり社会で納得性の高い企業が選ばれたと言える。
確かに、民間大手企業や国交省までに調査が入っていることからしても、全労連系の大掛かりな内部告発運動が起こされているようだ。しかしながら、その人たちが言うような格差反対闘争の影響を受けて、この時期に厚生労働省が動いたわけではない。全労連系の民間労組は、次々と職場の目前の身近な事件を大々的に取り上げて行く方針に、昨年から闘争方針大転換を打ち出しているので、今後もこの傾向は続くと見た方が良い。
労働法の専門分野からの検討も必要だ。マスコミのニュース記事だけでは、企業内対策に具体性が持てない。製造部門に限らず、今回取りざたされる業態は、労働者派遣事業許可、業務請負、偽装請負(実態は労働者派遣)、偽装派遣(実態は労務供給、偽装請負と間違う人もいる)、業とする出向(労務供給に該当)に分類される。人事総務部門はこの違いを現場に徹底しておく必要がある。無知が故に「御社に迷惑がかからないようにしますから」とささやかれ持ち上げられ、いざとなれば法的責任を取らされたといったところも、今回の事件の特徴である。業としない労働者派遣であれば、たとえ数千人規模だろうと事業許可を受ける必要は無い。業としない出向だと確信しても多人数となれば違法性は免れない。請負派遣の区分の大臣告示を研究すれば、相当の専門家でない限りますます複雑怪奇になってくるのが当然なのだ。労働分野扱い可能の弁護士は、労使合わせて100人程度と推定されるが、その中で職業安定分野となれば滅多と存在しないのも現実である。が、キーポイントは「進捗管理をどの会社の社員が行っているか?」のチェック項目に尽きるのだ。このキーポイントは厚生労働省もわかっているが、政策的に表だって表明していない。
脱法行為と違法行為は異なる。脱法行為とは表面や外形的には禁止行為に当たらないが、禁止を免れる目的で行われ実質的な内容は、違反している行為である。違法行為とは法秩序からみて是認されない行為で、法律上の制裁を課せられる行為が典型である。とりわけ脱法行為として、問題とされるのは社会合理性(その一部に違法性阻却事由も含む)の有無である。すなわち、労働力需給に関わる事業においては、その地方において事実上の労働力需給機能を運営することで、労働者と企業の双方に雇用不安解消や適材適所の能力配置に資するなどの効果を与えているかどうかである。いくら雇用機会や労働力需給に関わる美辞麗句を並べたとしても、その実結果が、コストダウンや格差構造にしか現れてなければ、その業務請負会社の社会合理性を誰もが認めるわけがない。「発注側資材担当者」も業務請負側営業担当者も、胸を張って、良心に基づいて、「社会の役に立っている。」と言えない事情がある限りは、脱法行為と判断されるのは時間の問題なのである。平成9年の職安法と労働者派遣法の改正より後は、「行き着くところまで脱法行為を繰り返すさ!」と豪語する業務請負会社が急増したが、今回一連の偽装請負事件に巻き込まれた人たちは、この類の業務請負会社にからまれていた結果である。この類の「魔の手」が現業現場に襲いかかってきても、赤ちょうちんで一杯でも飲まされようものなら現場の資材担当者たちには気付きようがないので、人事総務部門の役割はきわめて重要なのだ。


社会保険庁解体後の新組織の形態について、民間会社とする方針を自民党が固めたとの報道が10月1日に走った。同日から、社会保険(健康保険と厚生年金セットの同時手続き)の加入・喪失、新規適用、諸給付に関係する添付書類の種類が全国統一された。
そもそも各々の社会保険事務所によって異なる添付書類が存在していたこと自体が、制度としての不思議であった。地元地域の雇用不安を解消するための保険である雇用保険とは目的が違う社会保険であるので、社会保険事務所ごとの適用運営に差異のあることは不合理な話である。十数年前までは使用する用紙が東京と大阪で異なっていたぐらいであった。さらに健康保険組合に至っては都道府県管轄かつ運営独自色も強いので、健保組合となれば、事実上別方式となっているのである。本質は添付書類や届け出用紙が異なっているのではなく、社会保険の運用自体が微妙に異なっているという法治国家ではあるまじき実態であり、結局は個々の事業所が程よく振り回され被害も受けているのだ。
社会保険事務所は、何かにつけ末端職員に至るまで、法治国家という意識やコンプライアンス感覚が非常に薄い。昔から社会保険運営族?の方針が、著しく法律に違反さえしなければ問題がないと認識しているのではないかと考えられる事例が次々と発生し続けているのだ。社会保険は強制適用となっているが、保険加入・新規適用に手を抜いているのは行政監察の指摘のとおりである。給付もまたしかりで、再審査請求に持ち込まれ社会保険事務所が正され解決するケースも後を絶たない。
このような社会保険の体質は戦前から引き継がれているものだから、民間の感覚からすれば、なぜ書類ひとつ統一出来ないのかといったところである。社会保険業務のコンピューター処理も民間の感覚からすれば、極めてずさん状態と思わざるを得ない状態だ。ところが、ここにきての添付書類の種類統一は、いよいよ社会保険庁解体?が動く兆しと判断できるのだ。
これだけのことでもマスコミ報道からは予想すらも出来ないのだが、引き続くどんでん返しが待っている。社会保険の職員の中には、「社会保険に都合の悪いことを書けばニュースソースを流さない」と強気の発言をする者も存在するくらいにマスコミが蚊帳の外に置かれているのは間違いない。そこで、信頼できる消息筋からのインテリジェンス。現在の社会保険改革の走行実態は、社会保険運営族?の論理パターンを借りると、民営化しようが解体しようが、政府が保険者として手放さないものは、(1)保険料の調定、(2)保険料の徴収、(3)保険給付請求の受理、(4)保険給付の決定であり、その手段として被保険者の権利義務確定業務に、引き続き社会保険運営族が直接携わるというものだ。すでに、このような方針は言葉を変えて、社会保険庁の関係団体には、お知らせ済みなのである。…したがって、民営化とか解体といっても、要はルーティンワークをただアウトソーシングするにしかすぎないのだ。加えて、規制改革・民営化と称する動きから判るように、官僚や公務員が民間に出向いて株式会社を作る手法が、その実主流なのだから、幾度ものどんでん返しが仕掛けられているのだ。現役の社会保険官僚にとっては、ちょっと痛かゆい程度の民営化・解体!ではあるものの、社会保険労務士という子飼いの制度すら蚊帳の外扱いにしてまでもの右往左往には、社会保険官僚の並々ならぬ決意がうかがえる。

2006/09/04

第53号

「景気回復か?」と世論誘導されているかもしれない中、社会で個別企業で、「何を信じ?何に向かって?…」と表現されるような不安がたちこめている。
毎日マスコミで流される事件ニュース。社会問題として、社会の秩序は如何に、社会の基盤が成り立つのだろうかと不安が募るばかりである。個人も家庭も、社会不安からひいては温暖化現象に至るまで、現行社会共同体のあり方で対処対応できるのかどうかの疑問なのである。「どちらが正しいか、如何に調整するか、どちらに重点を置くか?」のような二元論を基礎に考察すること自体に疑問がもたれ、すなわち新しい社会共同体の創造形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程が適切に進行しているかどうかに対する疑問であり、これが人間関係日々再構築の現象として表われているのである。
この社会不安が個別企業の日常業務運営や職場人間関係に影響を及ぼしているから、これに対する解決の糸口や不安解消に役立つインテリジェンスが、今最も求められるのである。
いくつかのインテリジェンスを拾い上げてみた。

《社会合理性と(社会・人文・自然)科学のインテリジェンス》
ここ数ヵ月間、トラブル発生の増加が肌で感じられる。「景気回復?」に伴う企業の事業活動が活発になって来るからこそ摩擦も多くなる。「犬も歩けば棒に当る」から、対処方法を現代風の柱に置き換えなければ、トラブル増加を招く。「さあこれから頑張ろう」という矢先に、職場トラブルで出鼻をくじかれたと、地団駄を踏むことになるのである。
それには、個別企業の中であって、豊かに発展するための筋道としての合理性(社会性を帯びるから社会合理性であるが)に光を見出して追求することが大切で、それを基盤にした科学的創意工夫が重要となる。にもかかわらず、「豊かさかor効率か」とか「金銭かor失業か」「あの方針かorこの方針か」などの二者択一の二元論が、自他共に納得しやすいものだから、二元論の範囲の中でのみ知恵を働かせるものだから、社会合理性に反する結果になっていることにも気がつかず、個別企業内の誰からも「そっぽを向かれる」ことになる現象がはびこっている。(ただし、それを客観的に見れば、実は「そっぽを向かれる」ことで企業は安定しているが、ただし日本経済とともに沈没)。これは、「高付加価値製品や高水準サービス」商品の開発にも同様に言えることで、グローバル社会においては社会合理性がきわめて重要なのである。
手練手管で解決できる事柄ではないからこそ、やはりここは、高い学歴・教養を誇る日本であるからこそ、現実を科学的に分析すれば打開の糸口が見えてくる。例えばここに身近な科学的研究例がある。労働者が「給料が安い」などと不平・不満を発言するとき、本質は上司との人間関係や業務運営トラブルなのである。これを、その言葉通りに真に受けて給料を引き上げようものなら、「札束で顔のほうを叩くな!」と労働者は激怒することになる。もうひとつ、「労働基準監督署に訴えてやる!」との発言の裏に、実は給料引き上げの金銭要求があるのだ。これは日本全国共通の労働者意識であり、ここにプロならではの判断がある。素人では労働分野で科学的ではないために初動から失敗するのである。まして、「規則違反で処分だ!」と権限を振り回せば、それはアフガンや北朝鮮に通じるものがある。さらに進むと、「戦後日本の教育が悪いから=教育改革だ!」などと、足が地から離れた経営管理放棄の議論までが持ち出される始末である。

《社員や若者の意識把握のインテリジェンス》
このほど、「日本人の働き方調査」が発表された。厚生労働省の外郭団体が行った調査であるが、この手の調査は初めて。そこで浮かび上がって来たことを平たく述べるとこうだ。
自らを押し殺して安定を求めるのが正社員。
確かに正社員は安定しているが労働時間は長く休みもない。仕事の不安や悩みが多い割には仕事内容や収入の満足度は少ない。職業能力として、in-servant が秀でることを特に要求される。
派遣社員や契約社員は、意外にも仕事内容や収入に満足し、労働時間や休日もエンジョイできる。それなりに豊かな人生をおくっている。割り切っているだけ?と思いきや、職業技能が意外と高水準であることも事実。
だから、この調査から分かることは、
旧来の正社員を中心とした社内秩序を押し付けると、正社員は切れやすくなり、派遣や契約社員は労働意欲低下となることである。昔の職場を思い出し頭に浮かぶ理想をいだけば結果は最悪となり、加えて、「トラブル発生+労働生産性低下」がダブルで個別企業に襲いかかってくる。この種の社内基盤崩壊が起こる。それに対する対策のつもりで、成果主義とか労働契約をトレンドのように導入するものだから、必然的にトラブル発生+労働生産性低下のダブルパンチに、またもや見舞われることになるのだ。ちなみに、生活保護は四人家族で月額20万円弱である。フリーターやニートが金銭収入課題的には「無理して働いても仕方がない!」と思っているのではないかと判断しがちであるが、どうもそこには団塊の世代や「我慢強い正社員」からの一方的感情論および偏見が大いに存在していそうだ。
よって、ここから個別企業が一刻も早く脱出し、社内基盤や社内秩序(社会合理性)を形成することが成長戦略となる。本来、改善制度の導入のコツは正社員や派遣・契約社員の意識把握から始まり、個別企業の中で社会合理性を形成することにある。ここに焦点を当てるために社会・人文科学や教養が動員されるのである。いくらお猿が「数値や書面」の衣装を着ても、お猿に変わりはない。

《グローバル時代の個別企業内社会秩序基盤のインテリジェンス》
近代法律制度のもとにある民間企業においては、(1)約束を守ること、(2)仕事は良心に基づくこと、(3)良心に基づく自由保障の三つの柱が、個別企業内社会基盤となっている。これを逸脱する場合に国家権力が発動されることとなる。それは、警察の捜査かもしれないし、労働者の内部告発かもしれない。
公務員の場合は、法律や通達で仕事を行うことが原則。公務員間の約束、公務員の良心(良心を表明しなくても良い自由に限定)、良心に基づく自由の保障などは無い。だから、「支配権と、それに対する注意義務」で、すべてを解決しようとするのである。公務労働は、公務員個人の良心を否定してまでも遂行させるから、初年度有給休暇20日等の高水準労働条件を保障するという理屈である。
日本において、この公務員方式の概念を盲目的に導入、若しくは世間体を守るために真似をして来たところに、それは確かに、昭和大恐慌からの60年余にわたる右肩上がり経済成長(戦時中も経済成長)を成し遂げる社会基盤になったのではあるが、その導入・真似を平成恐慌が終結しようとしている今日もなお引きずっているところにトラブル増加企業の企業内部原因がある。日本の社会・経済は、グローバルの真っただ中に、存在しているのだ。

《個別企業内の職場トラブル解決のためのインテリジェンス》
あらゆる企業で中間管理職が削減され、職場トラブル解決業務能力が持たされない中で、これからも職場トラブルが多発し、それが職場で解決出来ないときには社会事件やテロとなって勃発することは避けられない。そこで、職場内トラブルにも焦点を当てた紛争調整委員会なる公共事業が始められているのだ。
そこで、
「話し合い解決方法に至るステップ及び順序」
あっせん、職場内自主解決、団体交渉など、いずれにしろ合意調整に至るステップ及びその順序をどのように踏めば、合意調整の道が開かれるのかをまとめてみた。解雇事案ではなく、労働条件変更、成果・評価をめぐるトラブル、業務分担混乱がその中心的議題である。
1.合意調整に乗る意思が、双方にあるのかどうか(合意調整の小さな芽は育つか?)
2.論点・争点についての大よその整理が、労使双方暗黙のうちに存在するかどうか
3.妥協の条件となる「忌憚のない双方の意見表明」を交渉過程で経過したこと
4.「調停」可能な事項は整理されているか(代替措置を含む現行意思共通点)
5.わざと対決的思考に揺れ戻るなどの交渉リバウンドを体験したか
6.和解に向けた「共同行為や共同作業」の提案が双方から出されたか(将来措置中心)
7.合意内容をまとめる作業にあたり、関係者らを納得させる理由や大義をかき集めたか
8.「必要ならまたどうぞ」とのことで、合意調整を強制することのなかったこと
さて、注意ポイントとしては、妥協の最中に取引を持ち込むと合意は成り立たない。持ち込めば、「ほんなら、裁判に行こか!(関西弁)」となってしまう。
あるいは、交渉過程で、闇雲に事件に関する出来事を並べたてることは、目先の現象に振り回されることになり、ひいては感情的議論を呼ぶことになる。だからそのようなことを言い立てる人物には発言をさせないことが重要。
合意を破壊するような言葉が、交渉過程で出たときの対処法は、初心の合意調整に乗る意思が現れたときのエピソードを、すかさず話題とすること。決して、この瞬間に議論を吹きかけるとか、事実確認作業を行ってはならない。この瞬間の沈黙も嵐を呼ぶ。
個別企業内、職場内での合意調整テクニックが求められている昨今であるが、日本ではこの分野の研究開発が皆無であることも現実。これらの著者の約30年余にわたる経験・学習・研究成果を、ぜひとも多くの方に試していただき、研究を積み上げ発展させていただければと考える。
なお、あっせん機関(紛争調整委員会など)とは、職場内での話し合いが当事者のみでは、今述べたが促進されないから、第三者たるあっせん員やあっせん代理人を介在させて、合意調整を促進させようとする制度であるから、念のため。

《解決実績の高い「あっせんや和解」のインテリジェンス》
労働分野や労働法で用いられる Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米から導入されたものである。もともとはラテン語から来たもので、あっせんは「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくもので、とりわけ戦後導入された概念は、この意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質(公務員用や世間体向き)したものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は労働分野での意味とは異なって使われている。とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることに至っては、「和睦や和議」(本来持っていない概念)にも用いるようになったのである。もともと日本に Reconciliation(和解)の概念はなかったのである。
Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解には加えて将来措置をどうするかを含むものであるが、将来措置の有無に調停と和解との差異がある。Reconciliation を Conciliation でもって Consult(とりなす)のであって、Mediation のときには Conciliationでもって Mediate(とりなす)ということになるのである。このような概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
ところで、日本において、ひとたび職場のトラブルが裁判所に持ち込まれれば、法律の「裁判規範」の側面が使われる。しかしながら、個別企業内やあっせん機関(紛争調整委員会)においては、同じ法律の「行為規範」の側面が使われる。遠山信一郎中央大学教授の月刊社会保険労務士7月号の表現を借りれば、「行為規範は、いわば『主人公の行為規範』ともいうべきもので、労働者が主人公となって自分の裁判を行使する場面、使用者が主人公となって労務管理をする場面、行政機関が主人公となって労働行政を行う場面で、それぞれ行動・活動する規範として働きます」となる。例をあげると、ある労働者が解雇されたとしても、事業主が労働基準法18条の2の規定に反していることに気がついた段階で、当該解雇を事業主が無効にする場面、これが「行為規範」の作用しているケースである。もちろんのこと、事業主が無効とするために裁判を待つ必要はない。解雇した労働者との和解も不要。事業主が無効とすれば、元から何も無かった事になるのだ。これは、考えてみれば当たり前のことなのだが、一般人の無知や労働裁判形骸化を良いことに、専門弁護士でもないのに一角の「法律家?」と称して「裁判規範風理屈」を振りまく素人がいるから混乱を招くのだ。
裁判制度なのかあっせん制度か、対決的解決なのか合意調整解決かの二者択一の二元論とは異なり、その両方を兼ね備える新社会共同体の形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程、とりわけ、その変更プロセスが可視範囲となれば、新社会共同体が形成段階であっても安定することになる。「あっせん代理人」の活用による、Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の解決も、ひとつの新社会共同体安定へのプロセスなのである。ついでだが、現在のような Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念を先駆的に導入したアメリカが典型的なのであるが、労働紛争は、「労使関係」だけに限定せず「労働者間の紛争」も含める法体系となっており、日本のように事業主に間接責任を負わせるのではなく、直接責任を事業主に負わせることをも、社会合理性としている。

国民年金をめぐる社会保障制度のニュースが駆けめぐっている。社会保険庁が事実上、時間給労働者大半の厚生年金からの排除方針を実施していることから、厚生年金も崩壊し続けているのである。雇用制度を絡めて年金制度を社会合理性の視点から見直してみることも、これからの研究課題となる。何が言いたいかと言えば、
どんな国を作りたいのかと考えるのではなく、「どんな社会(共同体)が重要か」の視点が、社会共同体の変更プロセスを可視範囲とする手法提案なのである。もちろん目の前の個別企業内・職場での動きが最優先なのである。

2006/08/07

第52号

社会保険事務局・社会保険事務所の国民年金にかかる指揮命令系統を使っての組織的不祥事には、「新人事評価不良職員」とか、「業務命令違反者」とかのレッテルを貼られれば、将来発足する「ねんきん事業機構」と「全国健康保険協会」などへの採用がされないのではないかとの職員の不安が背景にあったものと思われる。すなわち、国会議員の年金情報をマスコミにリークしたのは社会保険職員であると決めつけ、「閲覧で処分を受けた職員は辞めさせろ」の圧力をかけて、「業務目的外閲覧による処分を重視しつつ勤務成績等に基づき公正な任用・採用を行う」などとする採用方向が固まりつつある中での「不良職員は採用拒否されるぞ!」との脅しの暗示が併用された組織的不祥事の疑い。国民年金の不正事務に関する「2000人懲戒処分」がなされれば、今や、社会保険庁内は、「不採用に脅かされ不正を行ったうえでの懲戒処分なのか?」をはじめとした、切った張ったの殺伐とした状況になることには間違いない。
社会保険庁の適用怠慢は、約3年前に当メルマガ(2003/09/09)に掲載した通りにその後も継続しており、例えば、いまだ非正規労働者を主力とする業務請負業者への適用促進は方針として出されていない。その数は全国で100万人強と推定される。この業務請負業界は、ほぼ全員が低賃金労働者であり、責任感のない事業主も多いことから、社会保険庁としては保険料回収に魅力がない!と、社会保険庁がこの30年ほど行って来た裏技行政から、そう判断せざるを得ない。パートタイマーは適当に書類審査、そこで今回の事件である。であるから、国民年金の事務不祥事で有名になった大阪社会保険事務局管内における職員のモラル&モラール低下のはなはだしさは肌で感じられていた。春からの被保険者加入状況調査は、大阪の主力社会保険事務所では単なる形式だけといった様子。
・源泉徴収納付書と人数を合わせるだけで、昔のような踏み込んだ調査なし。
・パートは居ないと言えば、それで調査は終わり。
・事業主が社会保険庁批判の抗議をすれば、調査時間短縮?
・調査期日を3回程度先送りの申し立てをすれば調査自体が消滅。
・「調査に来るな!捜査令状を持ってこい!」と暴言をはいた事業所にも調査消滅。
・VTRや写真撮影に逃げ惑う調査官、定時刻になれば調査終了。
・手土産を、労働保険の調査は必ず拒否するが、社会保険は持って帰る。
・未加入者は事業主届出をさせるので、届出保留しておき、そのうち退職。
このような大阪での腐敗混乱は、「大阪の長期不適切温床」の存在に関係することでもあるが、このままでは全国に波及・増加することになるかもしれない。「悪貨は良貨を駆逐する」。
ところで、厚生労働省本省が関与する労働者派遣事業のスタッフには加入促進を義務づけ、労働局も調査対象としている(「注目DATA」に関連記事)。この例が示すとおり、社会保険庁には、今や政策能力もなく実行する職員も居なくなった程度は通り越し、「倫理感を当該行政組織が破壊し続ける」と言わざるを得ない。
中坊公平の住専整理回収機構のときのように、約20,000人弱の職員のうち、トップから300人程度を裁判官、検察、弁護士、民間人、警察官などに入れ替えることでもすれば、社会保険庁や「ねんきん事業機構」の倫理感を回復することができるのかもしれない。


離職票発行手続きにおける退職労働者本人欄の署名押印については、本人との連絡が取れない場合は、事業所の代表者印鑑を押すことで運用されて来た。ほぼ全国的にこのような基準で行われている。ところが、この7月から大阪の安定所では本人記載欄への本人署名押印を義務づけ、連絡が取れないなどの場合は詳細な報告を求めることとなった。その理由として不適正な事件の急増が挙げられている。たとえば、本人の知らぬ間に自己都合退職の離職票が届けられるとか、退職届の偽造、退職していないのに離職票が届いたとの極端な事例もあるとのこと。従来からこのような問題が指摘されており、この動きは全国に波及する可能性が高い。7月26日現在、厚生労働省雇用保険課は、原則は「本人欄は本人が記載」との認識を示しており、間違いがあった場合は失業手当受給段階で本人が異議申し立てをすれば、ことは足りるとしている。
なお、退職届の偽造は有印私文書偽造となり、一度安定所に提出すれば公文書となるので返却はされない。離職票に本人署名押印欄があるので、これに手を加えると有印公文書偽造となる。失業給付の段階で、失業者本人からの失業給付を受給する安定所に対する「異議申し立て」によって、離職票発行を安定所の適用課が事業所に対して調査を行うこととなっている。この手の事件は単純な偽造程度から複雑な労使主張対立のものまで多岐にわたるが、単純な段階で違法アドバイスを行っている者は、意外にも社会保険労務士(不正には専門的知識が必要)の中に存在する。平成15年の、大阪西安定所管轄の事件で、ある社会保険労務士Aが会社の犯意に応じ偽造を教唆、訴訟になれば会社は一転して社会保険労務士Aの単独犯を主張、民事裁判は労使の和解が成立したが、有印公文書偽造の刑事訴追とAに対する損害賠償は未だ残っている。
この大阪でのニュースは、個別企業の現場では、いよいよトラブルが続出している現実を示すものだ。


国際労働機関(ILO)の報告によると、職場での暴力は欠勤や病欠、生産性の低下につながるとしている。威張り散らすことやセクシャルハラスメントも含まれる。欧州、開発途上国などでは増加傾向にあるとのことだが、一方、アメリカ、イギリスでは、物理的暴力が減少傾向にあるとしており、アメリカでは職場での殺人件数が93年の1000件から10年後の03年には630件に減少、イギリスでも、職場の暴力発生件数が、95年の130万件から03年の85万件に減少。増加傾向と減少傾向の差がどこにあるかは、最終的には研究を待たなければならないが、アメリカにはADR(労働問題の裁判外調整機関)、イギリスには仲裁局(労働問題の合意調整機関)の存在に注目しても良いのではないかと思われる。また、アメリカ、イギリスでは解決が必要とされる労働紛争には労使紛争に加え労働者間紛争も含まれている。これに対してフランスやドイツでは労働裁判所の制度が主流であり、発展途上国では労使紛争解決への理解や意識がまだまだ弱いのが現実である。


日本経済は内需・豊かさ・個人消費の脆弱さに加え、まだまだ「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供(日本沈没での、唯一個別企業の浮き輪)に、力を注ぎきれていない為に、景気回復とはいいながら危険な側面が現れてきている。景気回復論調とは異なる点をいくつか挙げてみると、
(1)アメリカの経済先行き不安で輸出の伸び低迷
(2)外資資金引揚げで株安により設備投資に陰り
(3)石油高騰で消費者物価上昇、医療費、介護料などの負担増で、個人消費の減退
(4)日本企業の外資系多国籍企業への転換、財界総理の経団連会長までが外資系(御手洗氏)
(5)世界中がアメリカ経済やドルの先行き不安を予想、日本経済への打撃の可能性
といったところである。これらを見据えて、小企業といえども個別企業の戦略を組み立てなければ、大手企業や時代に翻弄されるばかりなのである。「聞き心地の良い話」には注意が必要であるし、経済指標数値や金融は結果であり、豊かさの反映でもないのである。
とりわけ、内需・豊かさ・個人消費による抜本的な景気回復の立ち遅れは、格差や貧困の問題に現れ出ている。6月30日に発表した労働力調査によると、1953年の調査以来初めて、雇用者数は、5500万台に乗った、にもかかわらずである。
(1)OECDの05年2月公表、日本の貧困率は15.3%、先進国ではアメリカ17.1%に次ぐとのこと。
(2)国民生活基礎調査04年、世論調査でも「生活が苦しい」と答えた世帯は55.8%。
(3)日本銀行調査05年、貯蓄ゼロの世帯比率は23.8%
(4)生活保護世帯100万戸突破、年収が生活保護未満の収入者は最近のNHK調査400万人と推定
(5)総務省統計局の可処分所得の対前年比は、05年平均はマイナス0.8、だが06年1?4月はマイナス4.0、2.7、5.9、4.6と減少率が急増
加えて、職場や現場での現象は、熟練技能継承の停止、技術者養成の遅れ、職場での士気低下、指揮命令系統の崩壊、業務上精神疾患の増加、商品の品質低下、リコール激増、基本的安全管理の欠如が、特に大手企業でこれらが目立っている。
このような現象は、確かに世界的に起こっているものである。だからと言って、個別企業で、仕方がないとか身を任せて漂うのでは無為無策である。これでは経済学や歴史学を学び研究することを否定するもので、振り返ってみると、
(1)産業革命と機械打ち壊し運動、
(2)19世紀イギリスで工場法が制定、
(3)第一次大戦後アメリカのニューディール政策、
(4)第二次大戦後の連合国(国連)の枠組みなど、
(5)今、歴史構造が変わる動きが起こっていることは間違いがない。
物事を見据える必要のある個別企業の人事総務担当者は、研究者とまではいかないまでも、これを見過ごすことは致命的落度となる。そこで、物事を冷静に判断するための比喩的情報提供。…最低賃金引上運動(英国、ドイツ、スイス、スウェーデン、エストニア、リトアニア、スロバキア、ポーランド、韓国、タイ、ベトナム、ニュージーランド)、クールビズ要求(英国の労組)、新雇用法反対(フランス)、不安定雇用規制(イタリア)、日曜労働拡大反対(スイス)、労働条件をサービス労働者の出身国に合わせることを反対(EU諸国)、解雇自由・スト禁止などの労働法制改悪反対(オーストラリア)、労働時間弾力化反対(EU諸国)、労働法制改悪反対(EU諸国)、委託・外注化反対闘争(カナダ、メキシコ)、労働法改悪反対闘争(メキシコ)、契約社員制度廃止(フィリピン)、医療制度改悪反対(タイ)、年金改悪反対闘争(英国、ベルギー、ポルトガル)、社会保険制度改悪反対闘争(ギリシャ)、民営化反対闘争(インド)、郵政事業民営化反対闘争(EU諸国)など。


ところで、経済のグローバル化と言いながら、見落とされがちなのが実際の社会制度の内容である。グローバル化の先頭を走っているアメリカの場合、契約書など法的効力を持つ文書とか法令の中に、曖昧な文言が用いられていると、憲法上の自由の行使を抑制する傾向を生じることもあるとして、社会制度だけではなく社会習慣として、曖昧な部分が「文面上違憲無効」とされる。用語として使われるのは、Vagueness=法令の文言が「あまりにも一般的・抽象的なため、その命じる又は禁止する内容を一般人が読んで判断しえない」との概念である。本来の契約書や法令は効率的合理的なものであると考えられており、それにもかかわらず契約や法制度の制定に曖昧な文言が存在するため、一層の混乱や当事者関係の複雑性を生じる場合には、解釈の違いとか事情変化の問題と位置づけずに、もとより無効と考えてしまう概念である。
したがって、日本の個別企業の、経済商習慣、就業規則、その他社内規定においても、グローバルな社会制度への対応と人材育成が必要となってくる。旧態依然の意識や感覚では、物事は通用せず、いわゆる「曖昧さ」は、いくら日本的経営とか、日本の社会風土とかの弁明を付け加えたとしても、個別企業の経済の足を引っ張り、個別企業を社会不適合に陥らせることは間違いない。

2006/07/03

第51号

このメルマガをブログにまとめました。読者の方には今までと同じように、毎月1回メールも配信します。
ブログ画面上の検索用の小窓がありますので、ここに探したい単語を入力すると、一挙に検索できるようになりました。
また、現在、引き続き読者が増加しつつあることから、総務部メルマガに対するコメントもブログで受け付けることが出来るようにいたしました。貴重なご意見をいただき改善を図っていきたいと思います。何れの執筆者もジャーナリスト団体に所属はしておりますが、取材力量に限度がありますから、いただいたコメント全てに応対することが出来ないことを、ご了承いただきたく存じます。
 → http://www.soumubu.jp/blog1/blogger.html


今や日本の「大手企業+多国籍企業」といわれる人たちを除けば、経営者も労働者も、自らの利益や権利を守るためには、誰もが国家に頼らざるを得ない時代になっている。
この理屈を盾に、日本政府の官僚は力を蓄えつつあるようだ。しかしながら、国家公務員については、行政機関深部に影響力を持つ国公労
連(省庁別労働組合の連合体)が存在しており、この労働組合が人員削減どころか、先進国水準並みの公務員増員を掲げており、旧来の行政改革とは趣に大差のあることに注意が必要だ。政策課題が一致をすれば、高級官僚と国公労連は、労使協調どころか労使一丸となって進めている。高級官僚と国公労連幹部には、自民党後援会もあれば共産党後援会もあり、大学の同窓生も多い。現在の高級官僚が退いたとしても、場合によっては今以上に優秀な人材を国公労連幹部から補充することもできるのだ。この特殊事情が国鉄労働組合、全電通労働組合、全逓信労働組合などとは根本的に異なる。ちなみに、旧社会党・民主党後援会も存在するようだが、市民権はほぼなさそうだ。
「官僚の力が増している」とか、「国家公務員削減問題」のマスコミや識者論評の奥底にある、このような事情を見落とすと大きな勘違いとなるのだ。毎日のようにマスコミから流される社会不安の話題に同情してばかりはいられない。「大手企業+多国籍企業」などは、ニューヨークやシンガポールなどと日本を脱出した方が、極端に考えれば、利益や権利を守ることができる。
それにもまして、グローバル社会では、「ジャップ」が一番、信用されない。


日本経済、はてさて、果たして安心できるのだろうか。
いわゆる踊り場は過ぎたようだが、良い話ばかりでもなく、何処に危険があるのかとの話もない。経済成長との実感は未だ薄く、「豊かさ」まで行きつけるかとの見通しもない。そこで、ほとんどのマスコミ記者は飛び付かないが、実績には定評のある人たちで交わされているインテリジェンスをまとめてみた。

(1)日本国内の浮遊マネーからすれば、「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品は、世界的に売れることは分かっている。ところが投資先がない。だから、村上ファンド然り、マネーゲームや株式に回らざるを得ない。だとしても、2008年まで、新経済への設備投資は続くこととなり、その意味では好景気との見方が強い。

(2)例えば、スウェーデンは高品質の武器輸出国。日本製機関銃のように打てばビスが緩んでくるようなことはない。日本としては、日本文化に根ざした「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品生産を経済活動の主力としたい。しかしながら、その新経済を支える良質労働力が不足なのだ。その意味から、国を挙げての2007年問題であり、必死のフリーターやニート解消施策なのである。新経済を支える労働力が余っていれば、高齢者とフリーターといっても、ほったらかしにしておくのが経済の常識。「年寄りと役立たずは不要」との政策は完全にはずれた。皮肉にも橋本元総理は静かに逝った(7月1日)。

(3)「大手企業+多国籍企業」は日本を脱出した方が利益や権利が拡大する。かといって、made in japan を売り物にするしかないので、日本文化に根ざした優秀な労働力でもって、世界に通用する商品をつくらざるを得ない。だから、その効率を考えて日本に拠点をおくのだ。適当に売れる商品であれば、中国、インド、その後はアフリカ諸国が販売するからだ。中国や海外進出だ!と踊らされた個別企業は、やっぱり馬鹿を見た。

(4)製造・サービス・流通などの実物経済への投資と、「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品を、世界各地へ販売したいところだ。だが、これが低迷すれば、国内マネーはマネーゲームや株式に回る。現在、世界的には経済低迷傾向だから、オイルマネーもマネーゲームや株式に回る。そこで要注意は、アメリカ経済がクラッシュ(現在が危険状態)、加えて、北京オリンピック特需後の中国経済縮小は、一挙に日本へのマネー流入となる。その時期は2008年がポイントとなる。

(5)マネー流入のひとつの形は、大型ファンドによる、日本の有能な労働力を企業ごとM&Aする方法。一挙に escalation する。

(6)もうひとつの形だが、実物経済の上向きが期待出来ないと判断すれば、意外にも再びバブルの発生。その判断はオイルマネーが行ない、バブルの引き金を引く。今度ばかりは日本政府にコントロール出来ないかもしれない。それには宮沢元総理もびっくりとか。もちろんその後に、不良債権が山積みされる。

これらのインテリジェンスは意外なようだが、良くみれば現実味がある。事実、国際的な市場の厳しさとは、こういうものだ。ある意味、日本政府やマスコミに登場する人たちが、これらをハッキリと言わないことも、納得ができる。
だから、個別企業では2008年をメドに、新経済に向けた資産(特に企業としての、ヒト・情報・ノウハウ・モノ)蓄積を図ることと、次に、その後の異変を迎える準備が必要となるのである。新経済で重要な位置をしめる情報やノウハウの蓄積対策においては、「高学歴(判断力・分析力)者さえ雇えれば…」と考えていては、よほどの素人発想で、投資先は有能な人材を育成する「具体的人事管理の手立て」である。それも、北欧の能力開発先進国を大いに見習うことが急務である。とりわけ、海外投資や不良債権は、個別企業が新経済のもとで安定するまでは、極めて危険である。

2006/06/05

第50号

この4月から急激に、個別企業内における、事件、業務事故、うつ病、いじめ、いやがらせ事件が多発している。景気回復といわれる中での仕事の増加と言いたいところであるが、もう少し鋭く分析する必要がある。それは、新しい業態もしくはシステムによる仕事が増加したために発生していると見ることが妥当である。要するに、新業態・新システムを企画立案して実施したが、
(1)実施側には、業務遂行とか事故防止などのノウハウがまだまだ蓄積されておらず、
(2)実施に当たっての労働者の能力水準が担保されていないから高学歴者に仕事が偏る、
(3)新業態・新システムに投入する労働者の教育訓練が見切り発車の状態で、原因はここから来ている。
原因が分かったとしても、事故などが起こったときの契約上の損害、不測の事故への損害は、賠償しなければならず、前述の三つのポイントへの根本対策をとらない限り、その経済的時間的負担は大きくのしかかる。せっかくの新業態・新システムも、ただでさえ保守的な意見にさらされている状態であるから、とん挫せざるを得ない。「時期の早い遅いの問題だ」との意見にごまかされてはならない。
それは、今から50年前の高度経済成長の走りの時代にも、当時の新業態・新システムを導入して、次々と労災事故が多発した。事故を起こしたためにトラブル発生→損害の賠償→資金ショート倒産を多くの企業で招いた。当時は労働組合の実力行使が行われた。対策の遅れた事業所は無くなっていった。そして、現代では、信用失墜情報、公的機関への通報、目に見えない損失増などがパソコンや携帯電話によってもたらされることとなっている。
ところが、素人の担当者は、「規則の整備」であるとか、「コミュニケーション充実」などが防止・改善の本命と、すぐさま、錯覚してしまうのだが、そこには根本的な解決と事業の発展はない。素人の典型事例は、日本の身近に存在する安全性が世界で50位以下の航空会社、20年前から整備不良と言われて、知る人は乗らない国策航空会社を見れば良く分かる。昭和34年国会成立当初より資金破綻を覚悟してスタートした国民皆年金を運営している国営生命保険も、また然りである。


パソコン、POS、携帯などのIT機器を駆使して、新業態や新事業を進める場合には、従来の時間管理に加えて、従事者のスキル向上管理が重要となってきた。これから個別企業を豊かに且つ経済成長に導くには、人事部門が当該スキル向上管理を強化することが重要となった。従来から人事部門は労働基準法の労働時間に関する趣が強かったために時間管理にほとんどのエネルギーを費やし、新入社員教育を除いてはスキル管理を現場やラインに任せきりであった。ところが、新業態・新システムでは現場やラインでのスキル管理の容量が膨大となり手に負えなくなるとともに、業務との「衝突・摩擦」が続出し、結果、スキル未熟が業務遂行の足を引っ張ることとなっているのだ。だからこそ、人事総務部門が業務従事者のスキル向上のための管理(コントロール)を行って、新業態や新事業にマッチした体制を推進する必要があるのだ。
とりわけ、IT産業といわれる事業所で著しいのだが、やがてほとんどの業種に広がる。IT技術活用選択での、「広げるか低成長か」の豊かさや経済成長の選択となるからだ。IT機器を使って大量の情報を集積しての新業態や新事業においては、それぞれの職種や業種方面ごとの「判断力と分析力」が必要となる。ところが、まだまだ人事総務部門で、これに手が付けられることはなく、そのしわ寄せ理屈として、ただ単なる「高学歴者依存」に持ち込まれている。確かに、理論としては、「判断力と分析力」は高度な経済経営理論に基づく経験とノウハウには及ばないのは確かだが、それを持ち合わせる人材が極めて少ないものだから、これまたIT機器に依存しようとする悪循環が生まれているのが現実なのである。
さて、スキル向上管理のイメージが出てこなければ、具体的な方策が生まれてこない。現在成功して共通している項目をいくつかあげると、
(1)WEB掲示板を使い、部署やセクションを超えたOJTを促進
(2)正解のない未知分野に最新事例のケースメソッド
(3)能力開発やスキル向上の個別データ管理グループの存在
(4)技術革新に対応する外部教育やセミナー
(5)独自の社内資格認定グループミーティングを行っている
(6)上司の育成指導が(1)のデータ管理と相まって実施
といったところである。この6つの項目全体をマネジメントするのが人事総務部門という具合だ。
このような具体策を実施しないとか、形骸化しているにもかかわらず、単に「Knowledge Managementなんてなこと」を会社から強調し過ぎると、あるナショナルセンターの主張する「労働契約法と労働時間法制改悪のねらいは、8時間労働制を掘り崩し、“労使自治”を打ち出のコヅチにして、首切り・賃下げを自由化し、これまで勝ちとってきた判例の水準を崩壊させ、労働組合の組織化を妨害し、社会的地位を低下させるものだ」といった社会制度の呼びかけに、労働者は心情的賛同を持つのである。この組合が想定しているのは、「労働者は長時間で、コキ使え」であるとか、「労働者に浮かび上がるチャンスは不要、再起不能は運が悪いとアキラメロ!」といった経営者の姿勢。これを地で行くような個別企業であれば、一昔前のように集団的労使関係を形成してドンパチ戦うことが企業経営の安定?に寄与?するのかもしれない。ただし、これからの日本の経済社会においては、そんな個別企業は害悪というのが一般的な認識であるから、誰も味方をしてくれない。四菱自動車然り、外資系ハゲタカファンド、日系ハイエナファンドが短命な理由もここにある。表面的には合法でも、Hも逮捕、Mも逮捕と、社会はまだまだ真実を見抜き、良識的である。


話は飛んで、こう考えてみれば、日本は経済環境の大転換や変化の真っ最中。にもかかわらず、マスコミでのニュースが少ないところにも、取材能力の著しい低下が原因しているではないだろうか。それとも、(ある程度曖昧さが当然な)優良情報の速攻提供に対する、「まだ確定してない」とのクレームに、記者たちはビビッているのだろうか。行政機関のスポークスマンに成り下がったとの評価もある。仮に、人事総務担当者の目線を鋭くしたところで、個別企業の事業を進めるためのインテリジェンス:ニュースが、なんといっても少なすぎる。もしかすれば、ニュース配信事業自体が、新業態・新システムを待っているのかもしれない。ところで、筆者は、過去の話ばかりにとらわれないための具体策として、この数十年間、新聞を購読しない。


個別的労働関係紛争の増加に伴って、都道府県労働局に紛争調整委員会が設置された。これは、個別の企業内において、従来のように紛争解決能力を持ち合わせる余裕がないことや、労働裁判が形骸化していることから、政府の公共事業として行われているのだ。近年、世界の先進諸国では、集団的労使関係よりも個別的労使関係のトラブルが問題となっており、様々な解決方法がある中で、アメリカ・イギリスは日本と同じような方式での解決を図ろうとしているのだ。ADRといわれるが、国によってその趣旨は様々であるが、合意調整を図れるものなら裁判に持ち込まれ対決状態になる前に解決しようという目的は共通している。労働分野や労働法で用いられるConciliation(斡旋)とかReconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米とも共通のものである。もともとはラテン語から来たもので、斡旋は(何と何か別として)「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくものであるから、戦後導入されたものは、ほぼこの意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質してしまったものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は意味が異なって使われており、とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることとなり、いわゆる和解とは別概念である「和睦や和議」にも用いるように変質してしまっているのである。Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解にもっぱら必要な将来措置を含まないところに差異がある。ReconciliationをConciliationでもってConsult(とりなす)のであって、MediationのときにはConciliationでもってMediate(とりなす)ということになるのである。この概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
来年4月からの司法制度改革にあわせて、労働分野において、個別的労働紛争の和解を促進するために、あっせん代理人制度が充実される。いよいよ、そのための国家試験が6月17日の午後に行われる。社会保険労務士であることが受験資格であるが、訴訟代理人とは仕事の内容が異なり、法律家との位置付けでもない。第2回目は11月末の予定だが、本年度の受験申込者は2回合わせて9000人弱となっている。今のところ、合格率は、せいぜい20?25%の見通し(筆者)ではあるが、来年4月からの紛争解決制度充実のために、関係者一同は(筆者も含めて)50%合格のために、能力強化の万策を尽くしている最中である。ただし、主催者の厚生労働省は、「合格者が1000人でもかまわない」と明言しており、巷で横行する俗説のような最初の試験を易しくすることはあり得ず、会社に現在勤務中の有能な人材(将来あっせん代理人として活躍)にも期待する態度を表しているのだ。焦点の労働法制は、現在論議中の「労働契約法」であり、労働基準法の使用従属の関係にとどまらず、経済的従属関係の個別的労使関係も含めての、いわゆる公共事業としての労働安定政策を進めようとしている。この4月から実施の労働審判が今ひとつ関心を呼ばないのとは対照的だ。数千人のあっせん代理人を配置しての個別労働紛争解決制度強化は世界に類を見ない高水準政策で、文化経済学の面から、「高付加価値製品と高水準サービス商品」提供の経済政策基盤をつくる政策として、ますます重要になってくると思われる。

2006/05/08

第49号

ところで、6月いっぱいは、各省庁や自治体への陳情のシーズン。
陳情と言っても、とりたてて政治団体が陳情書を作って持って行くような、形式的パフォーマンスではない。個別企業その他の新規事業が、自らの事業が世の中(特に社会共同体にプラス)の役に立つ部分があるのなら、行政に意見をいえば、結構聞いてくれるということなのだ。国でも市でも、個別企業の事業規模や影響力に応じて、意見交換程度であっても、結構有効である。全て我が事のために行っている事業は論外で、反対に各省庁や自治体の政策と一致すれば話がまとまる。
誰に話に行くのかといえば、役所の建物の中の行政職員であり政策構想担当者である。その人は役所に入って聞けば分かる。役人は国家公務員法と地方公務員法によって秘密事項と定められているもの以外は、聞かれれば答えなければならない義務もあるのだ。決して議員ではなく議員を通せば成り立つ話も政治的影響でつぶれる場合がある。あくまでも行政官は政策構想の立場から話を聞くことになっているから、世の中の役に立つことや大義名分が必要なのである。
6月いっぱいということは、8月末ごろまでに来年度の政策構想を行政内部の担当者が決めて、これに基づき9月からヒアリング作業を開始するスケジュールをとっていることが多いためだ。来年度構想に間に合わせるためには、遅くとも6月中ということなのだ。
どんなものがあるかといえば、助成金の多くが、このような陳情から出発している。(TVでおなじみの国会議員の汚職は、利権が絡んでからの不正をしているときの話)。たとえば、人事総務の分野でいえば、変形労働、事業場外みなし労働、女子深夜労働解禁などの法律の不合理を対処して来た法改正も、もとはといえば、6月までの陳情(意見交換)からなのだ。世のため人のためになっていると自負しているだけではなく、いっそのことその部分は行政と一体となって事業を進めるのも、今の時代社会の要請なのである。社会共同体の発展に資するのはNPOやNGOだけに限られないのだ。


「高付加価値製品&高水準サービス」の二つの商品提供が、日本経済を再び盛り上げるとのことが、社会に広まって行くにつれ、日本が花形商品流行の世界的最先端であることが認識されるようになった。このため、海外移転ブームは収まることとなり、真の意味での国際分業体制が整いつつある。海外移転ブームに一喜一憂した企業は、今度は、これまた「コンサルタント先生」の国内立地メリット論を鵜呑みにすることとなっている。今では、「中国台頭・日本空洞化」の話は消えてなくなった。そのとき銀行からの根拠のない経済話に乗ってしまって、不良債権を積み増しした個別企業も少なくない。それがまたぞろ、財務省の景気回復の「掛け声」(数字のからくり)ムードに流されて、設備投資をしている企業も少なくない。日本経済の豊かさが目に見えて失われて行くにもかかわらず、数字のマジックによって投資を繰り返す人たちが後を絶たないのだが、経営者としては素人なので、本人は没落させられて行く対象である自覚がないようである。「お人好し経営者」には、バブルだ→中国進出だ→次はインドだ!(インドは日本を相手にしていない)→その後アフリカ(国連常任理事国必要論)だ!などと、次々と白昼夢の上映が続いている。


ところで、景気回復の掛け声とともに先行投資ブームの先頭に立っている花形産業がいくつかあるが、急激な人手不足を発生させている。IT産業といわれる企業では、ソフト開発者不足により、技能者の長時間不規則労働がこの春から続出しているようだ。1日4時間、1ヵ月100時間を突破しているのが通常となっている。この業界は技術者・技能者養成手法が未熟であるところに特徴があるので、仕事のできる人に業務が集中してしまっている。「人に任せるより、自分でやった方がよい!」、こうやって職人的に仕事を抱えるのだが、育成途中の労働者には業務を回すすべを知らないのも実情である。今や、IT関連の個別企業では、社員の2%の精神疾患休職者を抱えることを、経営者は覚悟するようだ。自殺者が出ると企業イメージがダウンするから、これは避けようと心がける。しかしながら、SEやプログラマーは純真な人が多いから、「なんとか仕事を消化しよう」とか、「なんとか自分で解決しよう」と心理的内面処理するものだから、精神疾患を多発する。ストレス障害、パニック障害は上司が見ても発見できない。表向き平静を装っているので、彼らの精神疾患は専門家でなければ、そのサインを発見できない。ときとして、その上司がすでに精神疾患になっているケースも数多い。目先が気になり、他人が気になり、計画が立てられず、やる気がなくなり、納期や上役に恐怖を感じ、職場内は異様な雰囲気である。このような現象は中小のソフト開発会社ではなく、大手企業で多発と思われる。綿密さを追求するがゆえに方向違いは酷い状況を招いているようだ。末端現場は共通して、仕事の振り分けや人事管理が未熟であるから、ほとんど中高生なみの精神論でもって、管理が行われているのが実態。精神疾患の回復は3年とも言われる。「一人前に育った技能者が、次々と討ち死に!」している。このままでは、「ある日突然欠勤する」のはラッキー、「なんで欠勤するのか!と怒ってマンションにいけば、自殺!」という恐怖がよぎる時代がやってくる。


ところで、旧来の人事管理哲学では弊害を生む時代になった。個別企業内で、「これが良いことだ」と決め事をすると、文書や規則に縛られてしまう錯覚が先走り、中間管理職を含めて中高生なみなものだから、そう受け取ってしまうのである。旧来の人事労務管理方式が通用しないことに気がついていないのである。この傾向は、IT産業に限ったことではない。花形企業でチヤホヤされている企業にも数多く発生している。IT産業に顕著に事例が出現するのは、IT産業に集中して資本が投下されているからであって、技術機器を数多く使用する、現代に応じた業務や人事管理が行われている個別企業には共通しているのである。上司より部下が優秀、上司は部下の仕事を把握できない、部下の意欲により業績が左右、このような特徴をもつ業種での業務管理は、現場でのディスカッション、強制を排して共感と自由による意思統一、業務計画・分担と改善活動の繰り返しがポイントとなってくる。旧来の社会適合性とか「しつけ」でもって業務管理を進めると、末端現場では中高生なみの管理に陥ってしまい、これでは上手くいかないものだから精神論が出たりハラスメントが続出することとなるのである。末端現場の作業に個別企業の将来の命運がかかっている業種なので、ここは早急に研究・改善をしなければならない、ということだ。


こんなおかげで、個別労働紛争のあっせん事件は、この春から急増中である。個別企業の管理者としても、いっそのこと「あっせん申請」でもって、それを契機に個別企業内に良いショックをもたらし、業務改善を行ないたいところなのである。その理由は(言っては悪いのだが)、「正直、中高生なみの管理監督者に、説明するのも疲れた」といったところ、だからである。個別企業内の具体的解決の期待をよそに、白黒はっきりつけようという裁判や労働審判は好まれない。「労働者側は、白黒はっきりつけたいはずだ!」と、そう思うかもしれないが、この4月から開始の労働審判の件数は、さほど伸びているように思われないのだ。

2006/04/03

第48号

公益通報者保護法、労働審判法、新会社法、総合法律支援法(司法支援センター)など、社会の仕組みを変える制度が相次いで実施される。


ウィニーをはじめ情報漏洩事件において、その他の情報漏洩事件の対策に直接かかわっている経験からすると、ここには、いくつかの致命的共通点が見られる。
・情報をCDなどに取り込み事業場から手で持ち出していること。
・手で持ち出すことに対して、それを感知・防止する出入り口設備などがないこと。
・機密情報であること自体を理解していないので、気軽に持ち出すこと。
・個人情報の、開示可能先と漏洩開示禁止先の区分が周知されていないため、善意で開示。
・パソコン熟練者の、ウィニーなどを使いこなせると過信している重大な過失事故であること。
である。
パソコンを使えない者は情報漏洩に手を染めていないのは確かである。問題はパソコンの熟練者に対して、パソコンの技能・熟練より以前の、ごく初歩的基本的情報取扱の教育訓練がされていないところにある。一部のパソコン熟練者は「情報取扱訓練を免除されている」と錯覚している者さえいた。パソコンの使えない者も熟練者も次のような初歩
的基本的教育訓練が必要である。
1.いわゆる業務を遂行する過程で知り得る一切の情報につき、機密資料としての区分、機密資料名の具体的列記及び機密資料の守秘期 間などの機密若しくは秘密である旨を明示するなどして漏洩又は不当開示をしてはならない物を示し教育訓練すること。
2.いわゆる個人情報につき、これを取り扱う者に対して漏洩又は不当開示をしないための措置を、具体的に示し教育訓練すること。
3.法律上、個人情報を開示しても良い相手とその方法を明確にするなどの措置を示し教育訓練すること。
4.機密情報若しくは個人情報が漏洩又は不当開示がなされないように、これらの情報を取り扱う者(この場合、派遣労働者や外注業者の従事者も含む)に対して、就業規則整備、誓約書提出、その他契約などの方法で、担保措置をとり、その具体的内容を教育訓練すること。
5.施設、設備、機器並びにネットワーク環境等についての漏洩又は不当開示防止の措置を示し、それらの具体的な取扱を教育訓練すること。
以上のことの教育訓練後に、ここで初めて、誓約書など(例:無料ダウンロードHP)を提出させることが効果を生む。また、単に短い文章の「情報は漏らしません」とする程度の誓約書では、何れが機密情報や個人情報であることを、「知らなければ漏らしても構わない」ことを意味するものとなるのである。
得てしてパソコン熟練者ほど、内容を読まずに署名をしている。とりわけ、弁護士や経営コンサルタントの作成した規定には、漏洩や開示に関わる施設、設備、機器並びにネットワーク環境等について定められているものはほとんどなく、この部分を事故原因とする漏洩が大半を占めているのである。


近ごろ、製造現場などでは、業務請負や人材派遣が、品質悪化等を顕在化させているとして見直しが迫られている。made in Japan を支える技術の伝承とか安全性確保がなされなくなっている現場の実情を踏まえると安定した正社員の雇用を増やすことに傾きつつある。政府も2004年11月10日の参議院の「経済・産業・雇用に関する調査会」で経済産業省経済産業政策局長が、「コストだけで派遣を増やしたというのは、…強い製造業を作るという意味ではマイナスだ…強い競争力を持つためには終身雇用に戻した方がいい」と答弁していて、今もその考えに変わりは無い。業務請負よりも定年延長が、出荷製品には有効なのだ。(ただし、新卒正社員採用増加の動きとは別物)。
1986年に、初めて業務請負という形態が開発されたが、品質と地域密着の労働力需給に基盤をおいていたところに急成長の理由があった。それが一転して1997年ごろ(橋本内閣の時代の政策で終身雇用に終止符を打つための政策材料に派遣業界が話のダシにされた)から業務請負会社はコストと人工(にんく)の頭数に終始(=人材派遣と変わらない低品質)ばかりを追求したがために、「安かろう悪かろう」との社会評価を受けてしまったのだ。その結果の矛盾とホコロビだらけの業務請負と派遣業界は、果たして社会のニーズにこたえられるだろうか?


個別的労使紛争をどう解決するかの潮流は変わってきている。昔のように労働組合が関与する傾向(企業別組合方式と中間管理職の活躍)はますます低下傾向にある。
アメリカやイギリスでは、個別的労使紛争に対する制度的充実がADR方式で図られているが、このほど日本のADRの主力をなす紛争調整委員会のあっせん代理人の「研修(その後の国家試験=特定社会保険労務士)」に本年度分約9300人の応募があった。あっせん代理人の能力水準や試験合格率はともかくとして人口比率での研修応募者の人数は多い。人口は、アメリカ:2億8000万人、イギリス:6000万人だが、あっせん専門の代理人制度は両国ともに無い。これは、世界に先駆けての人事労務最先進国の日本における大実験である。一挙に数千人の代理人が出現し制度が充実することとなる。来年度以降は個別企業の人事・総務担当者に広がることが予想される。司法の場では労働審判も始まっている。
最近アメリカでは、人事労務に関するMBA取得者が急増しているようだ。個別的労使紛争激増に対して需要が急増しているのだ。じつは、ペンシルバニア大学、ダートマス・カレッジ、ミシガン大学が、アメリカMBAのトップ3とのこと(ハーバード、MIT、スタンフォードは研究重視型)だが、研究科によると、ペンシルバニアとミシガンで人事労務MBAが置かれているとのこと。就労先は大手企業、公務員、労働組合にわたり、女性の比率が多いとのこと。カリキュラムの内容、労使関係(labor relations or collective bargaining)や人事労務(human resource management or personnel)の重要性は、彼らなりに日本のものを学んだことは間違いないとのことである。
日本においても、昨年あたりから個人加盟の労働組合(コミュニティーユニオン)が、個別労使紛争を取り扱う発想が出て来た。それまでは、「組合員を増やす目的に沿って個別労使紛争のトラブルを扱う」としていたのだが、一転、「組合員増加よりも個々の要求実現が重要」との着想が発生し、 それまでの企業内組合一辺倒とか、 それまでの「企業内組合を階級的組合に変える方針」に対する理論的な徹底批判がされてきているのである。ここまでなら昔からあった話だが、47都道府県に組織があり政党までが絡んでいるから、注目に値するのだ。折しも、この4月1日から内部告発者保護法が施行されているが、この法律のきっかけとなった勢力と個別労使紛争への進出勢力は重なっていることを忘れてはならない。加えてこの動きは、先進国での潮流でもあるのだ。

2006/03/06

第47号

職業用語にはノウハウがある。今は、時代と経済の大きな変わり目であるから、使用する用語の概念に注目が集まってきている。
同じ漢字(チャイニーズキャラクター)であっても、時代や用いる目的によって意味が異なる。とりわけ、業界用語とその持つ意味は、その業界の専門的な職業ノウハウを凝縮した概念である。便利ではあるが使い道を間違うと大失敗を引き起こしてしまう。人事総務部門にも、相当多くのノウハウが含められている。
例えば…役所に提出する書類も、申請、申立、届出と、意味も作業内容も異なる。「申請」とは、法令に基づき行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。「申立」とは項目を明示して申出て、その項目についての認否、可否、有無などの対応や行政処分をすることを予想してのものをいう。「届出」とは、一定の事項の通知をする行為(申請を除く)で、法令により直接に当該通知が義務づけられているものをいう。
また、労働紛争分野における「和解」の考え方は、戦後日本に制度導入されたもので(Reconciliation)の概念が強く、もっぱら妥協の前提となる紛争当事者双方の主張・意見・意思などを、取り成す者が聞き取る等し→その過程において、代替措置からはじまり将来措置に及ぶまでの、当事者間の自発自覚的妥協形成をすることを意味する。同じ労働紛争分野の「調停」(導入された概念=Mediation)は、もっぱらとりなす(調停)者が聞き取り→共通点を発見して取り成し妥協を図るシステムで、調停成立にはある程度の「取引の要素」も含まれるので和解とは性格を異にする。和議、和睦は調停の段階である。法律面では、「民法上の和解」に和解や調停に加え示談も含まれる。裁判での和解は「訴訟上の和解」であるから、民法上の和解とは意味が異なる。だから、それぞれ和解と言っても、それに至る方法からもが、異なるのである。
あるいは、賃金体系の用語であれば、次の通りとなる。日給月給(出勤日数X日額)の賃金形態は、1日単位の仕事で、ほぼ毎日出勤して作業をする労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。月給制(月額?欠勤分を控除)は、出勤するのは当然だが、それにもまして、1日単位ではなく、1年、5年、10年とノウハウの蓄積をして熟練度を発揮してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。完全月給制(欠勤控除無し)は、出勤や時間にとらわれず、社会科学・人文科学・自然科学での技術の向上を期待し、ノウハウの蓄積と発揮を繰り返してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。時間給(就労時間X時間給)は、出勤が日によっても週によっても異なり、またシフトも異なり、反面さまざまな融通をきかせざるを得ないところの人たちのために使用される賃金体系とその呼び名ある。業務の態様や遂行体制から、時間給制の導入が必要にもかかわらず、賃金制度選択ミスで月給制をベースに賃金計算を行えば、日々の不合理が積み重なる(所定時間外?)だけでなく、賃金締め切り日には矛盾(法定休日?)が集積、それは労働基準法上の時間外割増賃金支払い義務(2年に遡る賃金不払い)となる。素人の選択ミスが、自覚のない労基法違反を積み重ねることとなり、さらに事業方針との不合理を生むのである。もちろん、ひとつの事業所に、時間給制、日給月給制、月給制、完全月給制の人たちが混ざり合っていても、今どきは、その方が効率的なのである。総務人事部門は、「餅屋は餅屋」、その専門家なのである。


戦後ずっと日本の経済は、供給が需要を上回っていたので、問題は供給サイドではなく需要サイドにある。この基盤に不良債権が積み上がったので、これが平成恐慌の原因であった。不良債権処理が一段落ついたとしても、そういった状態で供給側重視の規制緩和を進めれば、需要サイドがそのままなので景気は良くならない。むしろ、今の政策はデフレ圧力を強め景気を悪化させている。供給側が物を作っても売れないから、ますます価格破壊せざるを得ない。
事実、今までの構造改革とは「口先」だけだったから、日本経済のデフレは強まり平成恐慌は尾を引いている。ちなみに、昭和大恐慌の当時には、供給と需要のバランスを変える経済政策が行われた。科学的管理法(テーラーシステム)の大々的導入や大正ロマン時代に庶民があこがれた商品の普及、これにより恐慌から8年後の昭和12年には恐慌から完全脱出した。(ただし、日中戦争と戦争継続のため、贅沢禁止令もこの年に施行)。
おまけに、今の政府の経済政策が金融や株にばかり目を向けたために、肝心の経済の豊かさ分野に手をつけようとしないから、需要サイドがそのままなのだ。政府の経済中枢が、「改革の旗手?」は株式分割と粉飾決算の「金融詐欺師」だったことすらが、見抜けなかった。実はライブドアのホリエモンの手法がアメリカでは20年間で75件もの合併を繰り返し業界大手になったワールドコムの手法と酷似していたのだ。それは経済金融担当学者大臣の恐慌脱出作戦?に振り回されていたからだ。なぜ、こんなにお粗末なのかの原因のひとつに、在日アメリカ商工会議所の影が見え隠れしているとのストーリーも浮かび上がってきている。
さらにくわえて、日本経済も回復しつつあるかに見えるが、これも、政府が超緊縮政策と名のる財政支出と増税を同時に行いたいがための、「口から出まかせ」の色合い(統計の取り方)が見えてきた。ここが日銀の動向を見るポイントである。多くのエコノミストが指摘するように景気は本格的な回復にはほど遠い。雇用情勢改善?有効求人倍率が1.00になったというが、内実はパートなど非正規労働者に対する求人増によるものである。しかもこれが著しい地域格差の拡大を伴い北海道、東北、四国、九州、沖縄には地域社会の崩壊をもたらす厳しい失業情勢とのこと。厚生労働省は、全国7つの失業多発地域に、特別の失業対策を行うとの意向を、最近、持たざるを得なくなった。
確かに、日本政府の無力をよそに、海外市場のおかげで、それなりに回復できた部分もあった。ところが、国際経済環境も激変してきており、今まで日本の景気回復を支えてきたアジア経済が、最近は日本を素通りするようになった。日本の貿易収支の黒字は急速に縮小に向かっている。これまでのような輸出拡大によって国内景気が支えるという状況ではない。すでに多くの外資系金融機関はアジアの拠点を、治安の悪化した東京から香港・シンガポールに移している。日本の大手多国籍企業もニューヨークの本社移転を常に念頭においているのである。
だとすると、個別企業が地に足のついた事業を行うには、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供、これを世界に向けて多国籍展開することが大切との結論になる。幸いなことに、そのための基盤となる文化や労働力は、日本国内に存在するので、この成長路線に乗るための人材確保とノウハウ確立が、人事総務部門の重要な仕事となるのである。


人間関係動向調査のいくつかを見てみると、最近の職場内における、それなりの特徴が見受けられる。
仕事をする上では、小グループながらも「仲間思考で和気あいあいと進めたい」との職業観念が強く、それなりに職場の人間関係形成には成功している人が多い。これが満足感を高めている要因となっている。その背景には、日本での高校・大学の教育は、そのほとんどが一般従業員教育で、専門職業教育をしてこなかったところにある。したがって、学校とほぼ同様に、良好な職場人間関係形成を阻害する人(能力は無視)たちは排除される。表面に見える現象はゆるやかな仲間意識の強さだが、本質はそこにはない。
そして、この職場人間関係重視だから、多数の人たちは個別企業の事業活動の基盤にはなりえず、事業活動強化の経営方針を打ち出したとしても、この職場人間関係の土台の上にしか成り立たないのである。だから、もともと「新商品を思いついても事業展開ノウハウがなければ事業は成功しない」のであるが、この職場人間関係と衝突する確率の高くなるものが「利益率の高い新商品や事業展開」であるから、総務人事部門の尽力を必要とするのである。
さらにまた、お題目を唱える程度の年俸制や成果主義も、このような職場人間関係の土台に乗る内容部分は有効だが、有能なフロンティアははじき出される。とくに経営管理、商品開発、研究開発の部門の中枢人材には特別対策をとらなければ、見た目「こぼれ落ち」ている。だから、どのような名称の人事政策を流行させるかはともかく、個別企業内での職場人間関係の程度によって事業展開は制限され、中枢人材の特別対策の度合いには、厳重注視が必要となるのだ。
ところで、多くの人が職場人間関係を重視するのだが、統計の上からの判断では、一部の中枢を除き、賃金や処遇などでは満足感をもっていない労働者が多い。このため、土壌としてはハングリー精神を発揮しやすい。が、人間関係を重視なので根気強く仕事をする傾向は薄い。ところが、いわゆる「家庭生活」は全般に満足度が高いので、根気のないところに加え、ハングリー精神もやわらいで、これがまた職場での「波風も立たない程の無風の業務成績」に結びついていると思われる。だから小規模一発主義の行動パターンが目立つことになる。
日本の個別企業は、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供を至上命令として、この体制を個別企業で作り上げるしかないので、ここにも、人事総務部門の大きな役割が待っている。仲間意識の強い現象が表面に漂っているので錯覚しやすいが、くれぐれも、集団主義や組織主義の時代の手法は、そのすべてがマイナス効果となる。

2006/02/06

第46号

個人と会社のトラブル解決のシステム
は4月1日から一変する。詳細な制度の解説は後として、全体の概要は次の通り。

あっせん・・・・・・
白黒の判定は別にして、円満な解決を図りたい場合。
労使のいずれからでも、あっせん申請をすることができる。有能な者・仕事をする者とのトラブルで、解雇とか制裁処分も出来ないとのジレンマに陥るトラブルがある。こういったときに事態を打開することができる。トラブルが、会社組織の「示し」をつけざるを得ないとき、感情的になってしまったりしたとき、これらの段階に来たときは、うってつけの制度である。決して、トラブル金額の少ない事件に限られるものではない。ただし、労働基準法などを下回る和解は無効にされるので注意が必要だ。

労働審判・・・・・・
白黒の判定を3?4カ月以内に求めたい場合。
イメージは「訴訟上和解付き労働裁判時間短縮版」である。労働者にとっては、結構単純なトラブル内容に決着をつけたいときの非常に有利な制度である。解雇事件で、必ずしも職場復帰したくない場合には、通常訴訟の四分の一程度の期間で判断が示されるから、労働者にとってはとても便利だ。片や、個別企業にとっては、少々大変なこととなる。いわゆる短期決戦。一挙に証拠提出をしなければならず、証拠調べに職権事実調査が導入されることから、今までの裁判と比べ緊張の連続となる。加えて、労働審判から通常訴訟への移行のことを考えると、アメリカのように弁護士の人海戦術で対応しなければならないから、弁護士費用は増加する。(現行でも、着手金70万円以上は用意しないと、経営側一流弁護士は確保できない。50万円の弁護士では負ける)。ところで労働審判がらみ事件で、中にはマーケティングを行っており、雇用保険失業手当の給付期間中であれば、訴訟を起こす労働者も増えるのではないかとの目論見を立てている弁護士もいる。しかしながら、この目論見は紛争現場を知らない弁護士の幻想で、期間の短い裁判が訴訟の動機になることは少ない。簡易裁判や少額訴訟が労働審判へ流れてくる程度である。

通常訴訟・・・・・・
差別事件、大型解雇事件、判例もないような事件に最適。
通常、労働者側から訴訟が提起される。自由法曹団などの東大京大在学中の司法試験合格組の粒ぞろいが、労働者側の代理人についているので、実のところ経営側は苦しい闘いを強いられる。いわゆる「事件内容に関係なく、弁護士能力で勝負がつく」といったところだ。このような事件には、経営側にも言い分が存在するのであるから、丁々発止、両者が真正面から取り組まざるを得ない。下手に妥協をして和解をしてしまうことで、労務管理問題にとどまらず、競合会社との受注販売競争のネタに使われることもあるので、弁護士任せにはできない事件である。
そして、訴訟となると個別企業から訴えを提起するのは難しいのだ。
したがって、トラブルの小さいうちにあっせん制度で解決することが肝要となる。そのために紛争調整委員会が設置されている理由もあるのだ。東京を除けば労働委員会でもあっせん申請が可能であるから、紛争調整委員会と労働委員会のそれぞれの特徴を生かすこともできるわけだ。とりわけ、あっせんは、「正直者が馬鹿を見ない」というふうな人事労務管理を貫く方向からすれば、個別企業にとっては非常に有効に活用できる制度だ。コンプライアンスを個々の労働者に対して進める企業にとっては、あっせん制度も活用できる。ただし、解決テクニックに高度さを求められるので、有能なあっせん代理人に依頼しなければならない。平成19年4月からは、あっせん代理人を個別企業に雇用常駐させることも可能となる。筆者の考えではあるが、日本の社会や経済の将来を見たとき、白黒決着で争っている場合ではなく、合意調整決着に努めることだ。それは個別企業のうちにこそ、その社会性と経済性が存在すると考えるのだ。

ところで、労働組合と会社とのトラブル
解決で、この3月1日から法制度が一部変更となる。労働争議の有無にかかわらず社会保険労務士が、団体交渉や労働組合対策に参入できるようになったのだ。
団体交渉に出席する弁護士は、まずいない。その理由は専門分野ではないから自信がないのだ。労働法の専門弁護士であっても、その多くは民事裁判実務に習熟しているほどに現場から離れているので、団体交渉の論点がダイジェスト版になってしまう。このダイジェスト版が交渉のみならず裁判になったときの敗訴要因となっているのだ。
また、労使いずれの側にも示談屋や事件屋が存在し、個別企業を食い物にする労務屋も数は少なくなったとはいえ、労使双方からしても彼らは邪魔者であることに変わりがない。そこで、社会保険労務士の場合、業務に関する倫理的罰則が定められているために、あからさまにトラブルを助長する労務屋のような仕事はできない。したがって、示談屋・労務屋・事件屋の排除に、相当役立つものと考えられる。実際に紛争に絡んで食い物にされた個別企業は非常に多い。これの被害防止に道を開くものだ。
なお、概して労働組合役員は労働諸法令について知識が少ないために、交渉の際にごり押しをしてくるケースがあるが、ここへ顧問社会保険労務士を引っ張り出してくれば、その程度の不毛な紛議防止程度には役立つことにはなる。
立法者は補助的にこの点に気づいている様ではあるが、いずれにしろ、現場に根ざしている社会保険労務士の役割を充実させることで、紛争激化の防止には大きな効果をもたらす。ただし、社会保険労務士といっても、労使紛争の仕事が一人前にできる者に依頼しなければならないことはもちろんである。一人前か否かを即座に見分けることは、明解な対策が出るか:それとも「ふぅーむ。大事ですな。」といって声を潜めるかで判断できる。
筆者(社会保険労務士の資格保有)個人には、全国主要都市の団体交渉などに対応できる社会保険労務士情報が集中しているので、お問い合わせはメールでどうぞ。


個別的労働トラブル主要 労働判例
今まで、労働判例の解釈は専門的な法律用語がちりばめられていたために、なかなか分かりづらいものがありました。個別労働紛争が続出しそうな雰囲気の中で、裁判などではどのように判断されるのかを前もって知っておくことは、とても重要です。そこで、法律学的には若干問題かも知れませんが、平易な言葉と短い文章で解説を試みました。次のURL:ダウンロードのページの左下のボタンを押して、中に入れます。
 http://www.soumubu.jp/download/


「経済は金融と株ではない」は経済学の基礎。
経済学の役目は、あらゆるすべての人が豊かな生活を送るためにはどうすれば良いか、を考えることなのである。「一方で儲かる人もいれば一方では損をする人が居る」とのストーリーは、経済学を否定するものなのである。封建時代を脱出する時点から、経済学はこのようにして、社会共同体の豊かさや発展のために、役割を果たしてきたのである。
ライブドア事件は、ただの嘘つき・詐欺といったところが事件の本質で、融資その他のために粉飾決算を行わざるを得ない事情とは無縁のものである。法律はマニュアル書ではないのにマニュアル書あつかいしたところに、この男の社会に対する無知が現れてしまったのだが。ある法科大学院の教授が「この人は証券取引法よく調べ知っているようだが、ウソをついてはいけないことは知らないようだ」と言っていた。
とりわけ、経済の根幹である豊かさを破壊していた非社会性に、もっとマスコミをはじめとして注目する必要がある。それは、ライブドアが詐欺まがいで乗っ取った個別企業の社員の、賃金大幅切り下げとかの労働条件の一気に切り下げや大量解雇などによって、せっかくの優良企業の足腰を弱めてしまった事柄に対してである。個別企業や労働者の豊かさを次々と破壊していったところに弁護の余地がなく、「胡散臭さ」はここから滲み出ているのだ。もちろん、労働基準法や労働組合法違反を繰り返している。証券取引法は調べるが労働法は調べた様子はない。最近の裁判では経済犯や経済秩序破壊に対して公序良俗が適用されるようになってきたが、豊かさの破壊に対してはライブドア事件が契機となるのであろうか。
グローバル経済だから、このような事件に巻き込まれたのではない。
このような男の存在を生み出してしまった日本の社会共同体の弱さを反省することが大切。他の豊かさを奪って自己だけが肥え太ることを許してしまい経済発展の足を引っ張ることになったのは、封建時代や全体主義にはびこっていた世間体であるから、これを社会共同体に組み換えたのだ。この男のやったことは世間体に基づくもので経済後退や豊かさの破壊であったとの分析・認識が必要である。個別企業中にも、この男のような者が「元気に!」飛び回っているから厳重注意である。

2006/01/09

第45号

新年あけましておめでとうございます。
数字の上で経済回復したかのように見えるが、デフレ真っ最中は誰もが認めるところ。ところで、経済は金融や財政学だけではない。個人消費拡大政策による税収増加見込みの話題がない。いずれにしろ、日本経済の豊かさは今後の課題である。
本年もよろしくお願い致します。


製造業に於いて、業務請負から労働者派遣への転換が進んでいる。
製造業派遣が法律で認められて、この3月で1年を迎える。この3年間は、とりわけ不法・不正な派遣元業者を追いつめることに政府の政策重点が置かれている。請負要件を整えずに業務請負と称して労働者派遣を行っている業者を根絶したうえで、製造業派遣の全面解禁を実施しようとの(甘い)考えに基づくものだ。ただ、目先の行政指導で転換をしたところで、いずれにしてもその場シノギだから、そのしわ寄せはコストや品質不良となって発注元にのしかかってくる。中には労働者派遣に切り替えるとともに約23%の社会保険料等の負担分を派遣料金に上乗せして、将来リスクを回避する発注元も存在もするが、その数はまだまだ少ない。
発注元が、にわか仕立てに作成した「労働者派遣基本契約書」によって、出向(職安法違反)、直接雇用(職安法違反)、請負などが余計に混同したケースもある。大手有名企業でも多く存在している。とりあえず、労働局の職業安定課に言われるままに労働者派遣に切り替えようとした結果である。
もとより、口八丁手八丁だけで事業を行っている偽装請負業者ならば、この2?3年は労働者派遣に切り替えて、時が過ぎるのを待とうという次第である。彼等の言う「一期一会」は、「二度と会う機会はないから、適当にその場をしのぐ」類のものである。このような取引関係のもとに、発注元企業の安定した発展は存在しえない。そこには偽装請負業者に、発注元企業現場担当者が弱みを握られているとか、誘惑に乗せられてしまった状態が見受けられる。そして、これらの同一線上に、不祥事温存とかコンプライアンス・個別企業の社会的責任においてのマイナス面が存在し、ある日一挙に吹き出すこととなるのは最近よくみられる現象である。
良く考えてみれば、今から25年前、第二次オイルショックを契機に、日本の多くの製造業は「下請け企業と腐れ縁」を断ち切るために、工場閉鎖までした。今や偽装請負の経済的必要悪も無くなりつつあり、「腐れ縁」を断ち切ったうえで、グローバル化に向けての労働力確保方策が必要となった。


近年、安全・安心な社会の崩壊は日本経済の重要基盤を揺るがしつつある。昔のよき時代に比べて3倍にも達する刑法犯認知件数の警察庁関係の分析は、平成3年ごろからの不法滞在外国人急増、その次期平成14年ごろからの失業・雇用不安を原因としている。その対策として一般には、ニューヨーク市の「割れ窓理論」が有名ではあるが、その背後の街路清掃や早朝ごみ回収などを、失業対策事業として行ったことはほとんど知られていない。要するに失業・雇用不安の解消であった。警察官増員の話題もよく出るが、ニューヨークは警察だけでは手におえる状況ではなかった。日本も同様に警察だけで手におえるものではない。
ところで、身近なところの対策としてであるが、割れ窓、ごみ放置、落書きなどに狙われることから、犯罪多発する場所に共通点があるという。
要約するとこういうことだ。
共通するのは「入りやすく・みえにくい」場所。そこへ、ロープ1本、窓側の点灯だけでも大きな防止効果がある。最近の小学生傷害事件発生現場では、やはり、ごみ放置や落書き場所が存在する。今までの、いわゆる不審者をどこで見かけたかに関心を払っていたことは間違いだった。効果が出るのは、犯罪の発生しやすい場所を無くすこと。そうだからこそ様々な犯罪抑止運動が効果を発すると、現実的に考えることである。
ところで、落書きについては、百本ものスプレー缶を車に積み、広域に落書きをする少数の犯罪者の仕業である。被害に遭う場所は、「入りやすい」に加えて、市街地では「弱い者いじめ現象」となっている。銀行やデパートなどの、「ちょっと強いところ」に落書きは少ない。被害者は落書きを消せば「仕返しをされる」と思い込んでいるケースが多いので、被害者では落書きが消せない。落書き犯は、この足元を見て、「書かれた相手は、おとなしく泣き寝入りするだろう。」とタカをくくっている。だから、街ぐるみ一丸となって、落書きなど、一斉に対応する必要があるのだ。
以上が専門家の分析である。ところで、ひょっとすれば、これは企業内の不祥事にも共通することかもしれない。今にも増して、アングロサクソン系のグローバル社会が浸透して来れば、事業所内やその周辺地域での犯罪増加もさることながら、それにも増して従業員の業務遂行過程での犯罪増加が見込まれるからである。日本が既に選択し終えたグローバル化であるから、いまさらグローバル化を拒絶するわけにはいかないこともあり、犯罪発生率に歯止めのかかっている欧米での「犯罪機会論」(人は機会がなければ犯罪を起こさない)を学ぶ必要があるだろう。(事実、犯罪の原因は犯罪者の性格や境遇にあるとした「犯罪原因論」では効果が上がらなかった)。犯罪に限らず、精神論・道徳や愛を語るだけでは社会荒廃を追い越すことはできない。何らかの日本独自のパラダイム転換こそが、再び日本を豊かな国に導くのである。


特定社会保険労務士の制度は、個別労働紛争の合意調整のための専門的代理人として、平成19年4月1日から始まる。この制度は、事実上、個別労働紛争の合意調整分野においては、ほぼ弁護士と同じ権限・業務をもつもの、とまでの評価も出るくらいだ。今年6月17日には国家試験が実施される。この特定社会保険労務士についての関心が、個別企業の人事・総務の専門職や担当者の間で高まっている。やはり、書類作成が中心なせいか、街で開業している社会保険労務士では意外にも関心が少ない。個別企業の現役で社会保険労務士試験に合格した人たち、その数は6?7万人、の間で関心が高くなっているのだ。それも、あちらこちらでの現役部・課長での話題であることから、単なる資格マニアの人気ではなさそうだ。
この現象のひとつに、 「特定社会保険労務士完全攻略マニュアル」(日本法令)の書籍の売れ行きがある。主要都市の大型書店では平積み、B5判の大きさだから目立っている。労働省出身で日本の賃金問題研究の第一人者である学者の孫田良平先生も「単なる特定社労士用の知識に止らず、労働問題についての心得、労働相談労働紛議さらに日常の問題についても、本質、現象、形態として理想まで暗示され解く示唆を書かれていることは大へん類書にない特色と感じます。技術論を当然とするノウハウでなく、背後にある人間としての労使に配慮されていることにより、本書が広く読まれ実践されることを期待しています。」と、この本に向けてコメントを寄せた。
労働紛争解決といえば、もっぱら白黒の判定決着をつけることに重点を置き、労働判例の紹介本ばかりであるが、これでは個別企業内職場での「話し合い解決」手法には、あまり役に立たなかった。ところがこの本は国家資格の攻略本ではあるが、紛争の合意調整解決の法的裏付けも含めて、労働問題のあっせん機関の活用やあっせん解決ノウハウなど、これらを日本で初めて解説したものとなっているところに特徴がある。
日本の社会構造が、「労使を問わず、権利を主張する者は浮かばれ、黙っている者は底に沈む」へと近年の法体系変更によって整備されつつあることから、どうやら、ここに一般個別企業の人たちにも関心が高まっている理由があると思われる。
http://www.horei.co.jp/book/shinkan/shousai/17nenn/12/71967.htm