2006/05/08

第49号

ところで、6月いっぱいは、各省庁や自治体への陳情のシーズン。
陳情と言っても、とりたてて政治団体が陳情書を作って持って行くような、形式的パフォーマンスではない。個別企業その他の新規事業が、自らの事業が世の中(特に社会共同体にプラス)の役に立つ部分があるのなら、行政に意見をいえば、結構聞いてくれるということなのだ。国でも市でも、個別企業の事業規模や影響力に応じて、意見交換程度であっても、結構有効である。全て我が事のために行っている事業は論外で、反対に各省庁や自治体の政策と一致すれば話がまとまる。
誰に話に行くのかといえば、役所の建物の中の行政職員であり政策構想担当者である。その人は役所に入って聞けば分かる。役人は国家公務員法と地方公務員法によって秘密事項と定められているもの以外は、聞かれれば答えなければならない義務もあるのだ。決して議員ではなく議員を通せば成り立つ話も政治的影響でつぶれる場合がある。あくまでも行政官は政策構想の立場から話を聞くことになっているから、世の中の役に立つことや大義名分が必要なのである。
6月いっぱいということは、8月末ごろまでに来年度の政策構想を行政内部の担当者が決めて、これに基づき9月からヒアリング作業を開始するスケジュールをとっていることが多いためだ。来年度構想に間に合わせるためには、遅くとも6月中ということなのだ。
どんなものがあるかといえば、助成金の多くが、このような陳情から出発している。(TVでおなじみの国会議員の汚職は、利権が絡んでからの不正をしているときの話)。たとえば、人事総務の分野でいえば、変形労働、事業場外みなし労働、女子深夜労働解禁などの法律の不合理を対処して来た法改正も、もとはといえば、6月までの陳情(意見交換)からなのだ。世のため人のためになっていると自負しているだけではなく、いっそのことその部分は行政と一体となって事業を進めるのも、今の時代社会の要請なのである。社会共同体の発展に資するのはNPOやNGOだけに限られないのだ。


「高付加価値製品&高水準サービス」の二つの商品提供が、日本経済を再び盛り上げるとのことが、社会に広まって行くにつれ、日本が花形商品流行の世界的最先端であることが認識されるようになった。このため、海外移転ブームは収まることとなり、真の意味での国際分業体制が整いつつある。海外移転ブームに一喜一憂した企業は、今度は、これまた「コンサルタント先生」の国内立地メリット論を鵜呑みにすることとなっている。今では、「中国台頭・日本空洞化」の話は消えてなくなった。そのとき銀行からの根拠のない経済話に乗ってしまって、不良債権を積み増しした個別企業も少なくない。それがまたぞろ、財務省の景気回復の「掛け声」(数字のからくり)ムードに流されて、設備投資をしている企業も少なくない。日本経済の豊かさが目に見えて失われて行くにもかかわらず、数字のマジックによって投資を繰り返す人たちが後を絶たないのだが、経営者としては素人なので、本人は没落させられて行く対象である自覚がないようである。「お人好し経営者」には、バブルだ→中国進出だ→次はインドだ!(インドは日本を相手にしていない)→その後アフリカ(国連常任理事国必要論)だ!などと、次々と白昼夢の上映が続いている。


ところで、景気回復の掛け声とともに先行投資ブームの先頭に立っている花形産業がいくつかあるが、急激な人手不足を発生させている。IT産業といわれる企業では、ソフト開発者不足により、技能者の長時間不規則労働がこの春から続出しているようだ。1日4時間、1ヵ月100時間を突破しているのが通常となっている。この業界は技術者・技能者養成手法が未熟であるところに特徴があるので、仕事のできる人に業務が集中してしまっている。「人に任せるより、自分でやった方がよい!」、こうやって職人的に仕事を抱えるのだが、育成途中の労働者には業務を回すすべを知らないのも実情である。今や、IT関連の個別企業では、社員の2%の精神疾患休職者を抱えることを、経営者は覚悟するようだ。自殺者が出ると企業イメージがダウンするから、これは避けようと心がける。しかしながら、SEやプログラマーは純真な人が多いから、「なんとか仕事を消化しよう」とか、「なんとか自分で解決しよう」と心理的内面処理するものだから、精神疾患を多発する。ストレス障害、パニック障害は上司が見ても発見できない。表向き平静を装っているので、彼らの精神疾患は専門家でなければ、そのサインを発見できない。ときとして、その上司がすでに精神疾患になっているケースも数多い。目先が気になり、他人が気になり、計画が立てられず、やる気がなくなり、納期や上役に恐怖を感じ、職場内は異様な雰囲気である。このような現象は中小のソフト開発会社ではなく、大手企業で多発と思われる。綿密さを追求するがゆえに方向違いは酷い状況を招いているようだ。末端現場は共通して、仕事の振り分けや人事管理が未熟であるから、ほとんど中高生なみの精神論でもって、管理が行われているのが実態。精神疾患の回復は3年とも言われる。「一人前に育った技能者が、次々と討ち死に!」している。このままでは、「ある日突然欠勤する」のはラッキー、「なんで欠勤するのか!と怒ってマンションにいけば、自殺!」という恐怖がよぎる時代がやってくる。


ところで、旧来の人事管理哲学では弊害を生む時代になった。個別企業内で、「これが良いことだ」と決め事をすると、文書や規則に縛られてしまう錯覚が先走り、中間管理職を含めて中高生なみなものだから、そう受け取ってしまうのである。旧来の人事労務管理方式が通用しないことに気がついていないのである。この傾向は、IT産業に限ったことではない。花形企業でチヤホヤされている企業にも数多く発生している。IT産業に顕著に事例が出現するのは、IT産業に集中して資本が投下されているからであって、技術機器を数多く使用する、現代に応じた業務や人事管理が行われている個別企業には共通しているのである。上司より部下が優秀、上司は部下の仕事を把握できない、部下の意欲により業績が左右、このような特徴をもつ業種での業務管理は、現場でのディスカッション、強制を排して共感と自由による意思統一、業務計画・分担と改善活動の繰り返しがポイントとなってくる。旧来の社会適合性とか「しつけ」でもって業務管理を進めると、末端現場では中高生なみの管理に陥ってしまい、これでは上手くいかないものだから精神論が出たりハラスメントが続出することとなるのである。末端現場の作業に個別企業の将来の命運がかかっている業種なので、ここは早急に研究・改善をしなければならない、ということだ。


こんなおかげで、個別労働紛争のあっせん事件は、この春から急増中である。個別企業の管理者としても、いっそのこと「あっせん申請」でもって、それを契機に個別企業内に良いショックをもたらし、業務改善を行ないたいところなのである。その理由は(言っては悪いのだが)、「正直、中高生なみの管理監督者に、説明するのも疲れた」といったところ、だからである。個別企業内の具体的解決の期待をよそに、白黒はっきりつけようという裁判や労働審判は好まれない。「労働者側は、白黒はっきりつけたいはずだ!」と、そう思うかもしれないが、この4月から開始の労働審判の件数は、さほど伸びているように思われないのだ。