2006/09/04

第53号

「景気回復か?」と世論誘導されているかもしれない中、社会で個別企業で、「何を信じ?何に向かって?…」と表現されるような不安がたちこめている。
毎日マスコミで流される事件ニュース。社会問題として、社会の秩序は如何に、社会の基盤が成り立つのだろうかと不安が募るばかりである。個人も家庭も、社会不安からひいては温暖化現象に至るまで、現行社会共同体のあり方で対処対応できるのかどうかの疑問なのである。「どちらが正しいか、如何に調整するか、どちらに重点を置くか?」のような二元論を基礎に考察すること自体に疑問がもたれ、すなわち新しい社会共同体の創造形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程が適切に進行しているかどうかに対する疑問であり、これが人間関係日々再構築の現象として表われているのである。
この社会不安が個別企業の日常業務運営や職場人間関係に影響を及ぼしているから、これに対する解決の糸口や不安解消に役立つインテリジェンスが、今最も求められるのである。
いくつかのインテリジェンスを拾い上げてみた。

《社会合理性と(社会・人文・自然)科学のインテリジェンス》
ここ数ヵ月間、トラブル発生の増加が肌で感じられる。「景気回復?」に伴う企業の事業活動が活発になって来るからこそ摩擦も多くなる。「犬も歩けば棒に当る」から、対処方法を現代風の柱に置き換えなければ、トラブル増加を招く。「さあこれから頑張ろう」という矢先に、職場トラブルで出鼻をくじかれたと、地団駄を踏むことになるのである。
それには、個別企業の中であって、豊かに発展するための筋道としての合理性(社会性を帯びるから社会合理性であるが)に光を見出して追求することが大切で、それを基盤にした科学的創意工夫が重要となる。にもかかわらず、「豊かさかor効率か」とか「金銭かor失業か」「あの方針かorこの方針か」などの二者択一の二元論が、自他共に納得しやすいものだから、二元論の範囲の中でのみ知恵を働かせるものだから、社会合理性に反する結果になっていることにも気がつかず、個別企業内の誰からも「そっぽを向かれる」ことになる現象がはびこっている。(ただし、それを客観的に見れば、実は「そっぽを向かれる」ことで企業は安定しているが、ただし日本経済とともに沈没)。これは、「高付加価値製品や高水準サービス」商品の開発にも同様に言えることで、グローバル社会においては社会合理性がきわめて重要なのである。
手練手管で解決できる事柄ではないからこそ、やはりここは、高い学歴・教養を誇る日本であるからこそ、現実を科学的に分析すれば打開の糸口が見えてくる。例えばここに身近な科学的研究例がある。労働者が「給料が安い」などと不平・不満を発言するとき、本質は上司との人間関係や業務運営トラブルなのである。これを、その言葉通りに真に受けて給料を引き上げようものなら、「札束で顔のほうを叩くな!」と労働者は激怒することになる。もうひとつ、「労働基準監督署に訴えてやる!」との発言の裏に、実は給料引き上げの金銭要求があるのだ。これは日本全国共通の労働者意識であり、ここにプロならではの判断がある。素人では労働分野で科学的ではないために初動から失敗するのである。まして、「規則違反で処分だ!」と権限を振り回せば、それはアフガンや北朝鮮に通じるものがある。さらに進むと、「戦後日本の教育が悪いから=教育改革だ!」などと、足が地から離れた経営管理放棄の議論までが持ち出される始末である。

《社員や若者の意識把握のインテリジェンス》
このほど、「日本人の働き方調査」が発表された。厚生労働省の外郭団体が行った調査であるが、この手の調査は初めて。そこで浮かび上がって来たことを平たく述べるとこうだ。
自らを押し殺して安定を求めるのが正社員。
確かに正社員は安定しているが労働時間は長く休みもない。仕事の不安や悩みが多い割には仕事内容や収入の満足度は少ない。職業能力として、in-servant が秀でることを特に要求される。
派遣社員や契約社員は、意外にも仕事内容や収入に満足し、労働時間や休日もエンジョイできる。それなりに豊かな人生をおくっている。割り切っているだけ?と思いきや、職業技能が意外と高水準であることも事実。
だから、この調査から分かることは、
旧来の正社員を中心とした社内秩序を押し付けると、正社員は切れやすくなり、派遣や契約社員は労働意欲低下となることである。昔の職場を思い出し頭に浮かぶ理想をいだけば結果は最悪となり、加えて、「トラブル発生+労働生産性低下」がダブルで個別企業に襲いかかってくる。この種の社内基盤崩壊が起こる。それに対する対策のつもりで、成果主義とか労働契約をトレンドのように導入するものだから、必然的にトラブル発生+労働生産性低下のダブルパンチに、またもや見舞われることになるのだ。ちなみに、生活保護は四人家族で月額20万円弱である。フリーターやニートが金銭収入課題的には「無理して働いても仕方がない!」と思っているのではないかと判断しがちであるが、どうもそこには団塊の世代や「我慢強い正社員」からの一方的感情論および偏見が大いに存在していそうだ。
よって、ここから個別企業が一刻も早く脱出し、社内基盤や社内秩序(社会合理性)を形成することが成長戦略となる。本来、改善制度の導入のコツは正社員や派遣・契約社員の意識把握から始まり、個別企業の中で社会合理性を形成することにある。ここに焦点を当てるために社会・人文科学や教養が動員されるのである。いくらお猿が「数値や書面」の衣装を着ても、お猿に変わりはない。

《グローバル時代の個別企業内社会秩序基盤のインテリジェンス》
近代法律制度のもとにある民間企業においては、(1)約束を守ること、(2)仕事は良心に基づくこと、(3)良心に基づく自由保障の三つの柱が、個別企業内社会基盤となっている。これを逸脱する場合に国家権力が発動されることとなる。それは、警察の捜査かもしれないし、労働者の内部告発かもしれない。
公務員の場合は、法律や通達で仕事を行うことが原則。公務員間の約束、公務員の良心(良心を表明しなくても良い自由に限定)、良心に基づく自由の保障などは無い。だから、「支配権と、それに対する注意義務」で、すべてを解決しようとするのである。公務労働は、公務員個人の良心を否定してまでも遂行させるから、初年度有給休暇20日等の高水準労働条件を保障するという理屈である。
日本において、この公務員方式の概念を盲目的に導入、若しくは世間体を守るために真似をして来たところに、それは確かに、昭和大恐慌からの60年余にわたる右肩上がり経済成長(戦時中も経済成長)を成し遂げる社会基盤になったのではあるが、その導入・真似を平成恐慌が終結しようとしている今日もなお引きずっているところにトラブル増加企業の企業内部原因がある。日本の社会・経済は、グローバルの真っただ中に、存在しているのだ。

《個別企業内の職場トラブル解決のためのインテリジェンス》
あらゆる企業で中間管理職が削減され、職場トラブル解決業務能力が持たされない中で、これからも職場トラブルが多発し、それが職場で解決出来ないときには社会事件やテロとなって勃発することは避けられない。そこで、職場内トラブルにも焦点を当てた紛争調整委員会なる公共事業が始められているのだ。
そこで、
「話し合い解決方法に至るステップ及び順序」
あっせん、職場内自主解決、団体交渉など、いずれにしろ合意調整に至るステップ及びその順序をどのように踏めば、合意調整の道が開かれるのかをまとめてみた。解雇事案ではなく、労働条件変更、成果・評価をめぐるトラブル、業務分担混乱がその中心的議題である。
1.合意調整に乗る意思が、双方にあるのかどうか(合意調整の小さな芽は育つか?)
2.論点・争点についての大よその整理が、労使双方暗黙のうちに存在するかどうか
3.妥協の条件となる「忌憚のない双方の意見表明」を交渉過程で経過したこと
4.「調停」可能な事項は整理されているか(代替措置を含む現行意思共通点)
5.わざと対決的思考に揺れ戻るなどの交渉リバウンドを体験したか
6.和解に向けた「共同行為や共同作業」の提案が双方から出されたか(将来措置中心)
7.合意内容をまとめる作業にあたり、関係者らを納得させる理由や大義をかき集めたか
8.「必要ならまたどうぞ」とのことで、合意調整を強制することのなかったこと
さて、注意ポイントとしては、妥協の最中に取引を持ち込むと合意は成り立たない。持ち込めば、「ほんなら、裁判に行こか!(関西弁)」となってしまう。
あるいは、交渉過程で、闇雲に事件に関する出来事を並べたてることは、目先の現象に振り回されることになり、ひいては感情的議論を呼ぶことになる。だからそのようなことを言い立てる人物には発言をさせないことが重要。
合意を破壊するような言葉が、交渉過程で出たときの対処法は、初心の合意調整に乗る意思が現れたときのエピソードを、すかさず話題とすること。決して、この瞬間に議論を吹きかけるとか、事実確認作業を行ってはならない。この瞬間の沈黙も嵐を呼ぶ。
個別企業内、職場内での合意調整テクニックが求められている昨今であるが、日本ではこの分野の研究開発が皆無であることも現実。これらの著者の約30年余にわたる経験・学習・研究成果を、ぜひとも多くの方に試していただき、研究を積み上げ発展させていただければと考える。
なお、あっせん機関(紛争調整委員会など)とは、職場内での話し合いが当事者のみでは、今述べたが促進されないから、第三者たるあっせん員やあっせん代理人を介在させて、合意調整を促進させようとする制度であるから、念のため。

《解決実績の高い「あっせんや和解」のインテリジェンス》
労働分野や労働法で用いられる Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米から導入されたものである。もともとはラテン語から来たもので、あっせんは「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくもので、とりわけ戦後導入された概念は、この意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質(公務員用や世間体向き)したものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は労働分野での意味とは異なって使われている。とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることに至っては、「和睦や和議」(本来持っていない概念)にも用いるようになったのである。もともと日本に Reconciliation(和解)の概念はなかったのである。
Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解には加えて将来措置をどうするかを含むものであるが、将来措置の有無に調停と和解との差異がある。Reconciliation を Conciliation でもって Consult(とりなす)のであって、Mediation のときには Conciliationでもって Mediate(とりなす)ということになるのである。このような概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
ところで、日本において、ひとたび職場のトラブルが裁判所に持ち込まれれば、法律の「裁判規範」の側面が使われる。しかしながら、個別企業内やあっせん機関(紛争調整委員会)においては、同じ法律の「行為規範」の側面が使われる。遠山信一郎中央大学教授の月刊社会保険労務士7月号の表現を借りれば、「行為規範は、いわば『主人公の行為規範』ともいうべきもので、労働者が主人公となって自分の裁判を行使する場面、使用者が主人公となって労務管理をする場面、行政機関が主人公となって労働行政を行う場面で、それぞれ行動・活動する規範として働きます」となる。例をあげると、ある労働者が解雇されたとしても、事業主が労働基準法18条の2の規定に反していることに気がついた段階で、当該解雇を事業主が無効にする場面、これが「行為規範」の作用しているケースである。もちろんのこと、事業主が無効とするために裁判を待つ必要はない。解雇した労働者との和解も不要。事業主が無効とすれば、元から何も無かった事になるのだ。これは、考えてみれば当たり前のことなのだが、一般人の無知や労働裁判形骸化を良いことに、専門弁護士でもないのに一角の「法律家?」と称して「裁判規範風理屈」を振りまく素人がいるから混乱を招くのだ。
裁判制度なのかあっせん制度か、対決的解決なのか合意調整解決かの二者択一の二元論とは異なり、その両方を兼ね備える新社会共同体の形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程、とりわけ、その変更プロセスが可視範囲となれば、新社会共同体が形成段階であっても安定することになる。「あっせん代理人」の活用による、Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の解決も、ひとつの新社会共同体安定へのプロセスなのである。ついでだが、現在のような Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念を先駆的に導入したアメリカが典型的なのであるが、労働紛争は、「労使関係」だけに限定せず「労働者間の紛争」も含める法体系となっており、日本のように事業主に間接責任を負わせるのではなく、直接責任を事業主に負わせることをも、社会合理性としている。

国民年金をめぐる社会保障制度のニュースが駆けめぐっている。社会保険庁が事実上、時間給労働者大半の厚生年金からの排除方針を実施していることから、厚生年金も崩壊し続けているのである。雇用制度を絡めて年金制度を社会合理性の視点から見直してみることも、これからの研究課題となる。何が言いたいかと言えば、
どんな国を作りたいのかと考えるのではなく、「どんな社会(共同体)が重要か」の視点が、社会共同体の変更プロセスを可視範囲とする手法提案なのである。もちろん目の前の個別企業内・職場での動きが最優先なのである。