2008/12/09

第80号

<コンテンツ>
マスコミや出版界では、100年に一度の経済危機と大騒ぎ
一挙に人員削減・整理解雇が! 年末までに100万人が失職!
そこで個別企業で、何をどうすればよいのか
政府でしか出来ない:雇用対策、本当の公共事業とは
残業代引上げの労基法改正:解説 平成22年4月1日施行
労働市場・需給調整行政が明らかに変化


¶マスコミや出版界では、100年に一度の経済危機と大騒ぎ
昭和大恐慌以来の恐慌と言われ始めた。出版業界も、日本経済が崩壊するとか、経済危機などの言葉を表紙に並べて、皮肉にも、出版業界自身も経済危機の様相なのである。自費出版の陰には、お金を出せばビジネス書であっても、老舗のK社は700万円、新書で有名になったT社のグループは1,000万円、日経新聞によく広告の出るN社は600~1,000万円を支払えば、全国有名書店に配本するとの誘いをかけて来る(200ページ本の初版1,000部:製造原価は300万円止まり)。著作者の買い取り増刷どころではない。すべての本が、こういった類とまでは言わないが、出版社や出版業界のノウハウを信頼した上での情報の集積としてのビジネス書といった有り様は昔話、ここにきて信頼できる情報の宝庫との書籍イメージは崩壊をしてしまったようだ。
あるジャーナリストは、日本の新聞社やテレビなどはジャーナリズムではないという。本来のジャーナリズムと言うのは、自らの信条や主観に一貫性を貫き、それを読者などに踏まえてもらった上で、事象を報じるに留まらず、一歩踏み込んで解説や批評を加えるものだと主張する。確かに、グローバルのジャーナリズムはそうなっている。今時の日本の新聞・テレビ記者は、「通信員」が圧倒的に多く、マスコミは通信社に脱落したと話す。だから、単なる通信員なのに、それを覆い隠したいがため、「客観報道?」という耳ざわりのよい言葉を持ち出し、観念的幼稚なマスコミ理論をまぶしているにすぎないと指摘しているのだ。グローバルなジャーナリズムは、自らの立場を明確にする記者が多く、保守かリベラルか、政府寄りか市民寄りか、権力寄りか反権力かの如く、「客観報道?」など不可能と考えているのだ。多くの人がマスコミの「客観報道?」情報に翻弄されたくないと思っているのだ。まして、文学部出身者の経済記者たちの、職業的裏付けに疑問を抱き、彼らの「読み物として面白いだけ」の根拠の薄い観念的記事に危険を感じているのだ。



¶一挙に人員削減・整理解雇が! 年末までに100万人が失職!
この11月から進んでいる。厚生労働省は3万人云々と発表したが、どう見ても調査方法に瑕疵・欠陥がある。有識者の間では、年末までに100万人が失職するのではと予想している人が多い。大手企業の経営破たんニュースどころではなく、何れにしろ、少なくとも、「まる3年間」は経済急降下なのである。
昭和大恐慌と違って、高度に発達した日本だから食糧問題は起こらないようだ。生活のためにどんな仕事でも就く若者が少ないから、労働力のミスマッチは激しくなる。この30年間ほどは、「母性愛」が注目される時代(:現代社会学理論)だからこそ、その裏返しなのか親子殺人や夫婦間トラブルなどの社会問題が顕在化、家族を基盤とする社会の崩壊を予測する学者もいる。昭和大恐慌時代の農家の娘の身売り話は、現代ではOLの身近な風俗への流入として既に始まっている。さらにこれから、社会秩序の混乱で、企業内秩序や職制秩序が混乱、職場での縄張り争いとなり、それは「いじめ・嫌がらせ」の現象となって表面化するのが、この恐慌の特徴だろう。放置すれば、個別企業の業務運営能力の崩壊だ。
こういった余波を、個別企業は受けるのだ。



¶そこで個別企業で、何をどうすればよいのか
が重要なテーマとなって来る。何といっても、この年末に考えなければならないテーマは、事業継続と人員削減なのだ。売り上げグラフを見て、資金繰り表を見て、先月までの試算表を見ていては、事業継続など辞めてしまいたくなる結論しか出てこない。一昔前に流行した、「従業員の生活のために!」との発想では、「そんな取引はしない!」とか「そんなための商品いらない!」と言われる。今や、それは事業継続の理由としては受け入れられない。
直面の現実を見れば、個別企業での課題は、経済が立ち直ったときに、すぐさま読み取り、打って出るための人材育成と体制固めなのである。すなわち、
第一弾は、今働いている人物の中から開拓力のある人材を探し出し(イノベーション力の人材は第二弾)、今のうちに“その時打って出る”ための人材に育てることである。
年齢、性別などは関係ない。少しだけの経験の者で十分である。
「属人的能力」はエクセルで分解・分析できるまで学問(:文化経済学)は発達している。
さあ、「これからはイノベーションだ!」といっても、
装置産業
(鉄鋼、資源、農業、観光、ホテル、総合病院、スーパーなど装置が主要な設備の産業)と
受注型産業
(建設、教育、飲食、医療、文化、技術、法律事務サービスなどは出向く産業)とでは、
業態と教育訓練内容は全く異なるのである。

“開拓力のある人材”に、
※個別企業の現在もっている技術、ノウハウ、技能を計画的に叩き込むこと
が必要である。
次に、恐慌後の次世代に不可欠な
※コミュニケーション能力を商品開発力と共に育てて行く。
(第76号=8月5日=メルマガで紹介のフィンランド方式は中堅中小企業には最適)
そのための軍資金に、
早々と「雇用調整助成金」とか、「中小緊急雇用安定助成金」も申請、「キャリア形成促進助成金」の受給も計画し、政府からもらえる助成金は大いに活用すればよい。

“開拓力が身に付きそうにない人物”は、
整理解雇を、早めに決断するしかない。
ただし、相手のあることと見ておく必要があり、「整理解雇の四要件(検索)」を整え、合法的に進め、賠償金、補償金、解決金などの労働債務を背負うようなリスクを避けることである。裁判になれば、判決は2年分の年収を覚悟しなければならない。(弁護士費用:70万円の着手金プラスαは別だ)。
ワークシェアリング、
短時間正社員への労働契約切り替え
などを進めていっても差し支えないのだ。
むしろ法人組織自体は何とでも出来るから、事業継続の一点にベクトルを集中する必要があるのだ。



¶政府でしか出来ない:雇用対策、本当の公共事業とは
派遣、業務請負、期間工その他余剰労働力に対して、今こそ、国家が職業能力育成開発を行うことが重要なのである。それを民間の個別企業にさせるのは酷、国家の責任放棄である。
例えば、雇用保険の失業手当を支給する際は、1日5時間の職業能力開発教育を受けさせれば、恐慌後の次世代経済にかならず役立つ。それこそ
※朝の挨拶ができない(業務上意思疎通を朝から)
※業務上文書が書けない、
※業務用信書の宛名が書けない、
※パソコンが使えない、
※インターネットができない、
※報告・連絡・相談ができない といったことに対する、
職業やコミュニケーションの基礎能力の開発から行えばよい。
※職業能力評価基準を政府が整えつつあるので、これをモバイルやパソコンと共に、教育すればよいのである。
※足し算、※引き算、※九九算・掛算
のできない若者には、小学校や私塾と協力して訓練することだ。
仕事は団体戦であるから、個人の人生に、国が意欲を持たせる手を打つことも要るのだ。
こういった基礎的職業訓練を国家が行えば、日本経済や日本文化の基礎力は一段と引き上げることができる。北欧諸国などでは何年も前からやっている。
その後に失業対策として、「環境、介護、福祉などの公的就労事業」を行えばよいのではないか。
民間が雇用保険料とか所得税その他を納付しているのだから、こういった財源の使い道こそ重要なのである。新しい日本経済のインフラも整備できる。
「金を渡すだけ」の失業対策、「金を貸すだけ」の政策融資は、人間の意欲を減退させ、刹那・堕落を煽り、危機の根本解決先送りの末に、切羽詰まった破局を招くだけなのだ。官僚たちが保身と権益を前提とした経済政策を進めるのであれば、日本は沈没し荒廃してしまう。



¶残業代引上げの労働基準法改正:解説 平成22年4月1日施行
12月5日、参議院で、投票総数230票、賛成217票で可決された。
とりわけ重要な時間外労働の割増率等についての解説は次の通り。
改正条文
「第三十七条第一項に次のただし書を加える。
 ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。」
……の解説。
時間外労働として法律でカウントされるのは、1週間40時間を超える労働時間である。これは事業場ごとに扱われ、合法的に時間外労働を労働者に依頼するためには36協定が必要であり、重要なポイントなのだが、就業規則や労働契約に「時間外労働の規定」を盛り込んでおかなければ、労働者の義務とはならないことである。正確にいえば、自動的に残業命令を出せば不法行為となり損害賠償の対象にもなり得るのだ。ただし、義務と規定されても強制労働はさせることができない。
ところで、この事業場は、個別企業が「事業場の範囲」を定めることが可能な部分がある。場所的に労働者が働く所在地が一つであれば事業場は一つである。注目は、この事業場は場所が異なるのであれば、事業主が個々に独立した事業場とするかしないかを決めることができるのである。事業主が決めた事業場の範囲に基づいて法律が適用される。すると、10人未満の事業場も発生することとなり、就業規則その他労働基準法の適用方法が変わって来る。ただし、中小企業主に対する「60時間」の経過措置(3年後に検討)は、個別企業単位の人数であって、事業場の人数ではないから、事業場を分割したとしても経過措置は受けられない。
さらに、特例措置対象事業場、すなわち常時使用する労働者が10人未満であって、商業、映画演劇、理美容、倉庫、保健衛生、社会福祉、接客娯楽、飲食の業種であれば、18歳以上の者は1週間44時間を超える部分からが時間外労働としてカウントされる緩和措置がある。したがって、1ヵ月60時間といっても、この場合は実際75時間を超えてから150%の割増賃金といった具合なのだ。

改正条文
「第三十七条第二項の次に次の一項を加える。
 使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、第一項ただし書の規定により割増賃金を支払うべき労働者に対して、当該割増賃金の支払に代えて、通常の労働時間の賃金が支払われる休暇(第三十九条の規定による有給休暇を除く。)を厚生労働省令で定めるところにより与えることを定めた場合において、当該労働者が当該休暇を取得したときは、当該労働者の同項ただし書に規定する時間を超えた時間の労働のうち当該取得した休暇に対応するものとして厚生労働省令で定める時間の労働については、同項ただし書の規定による割増賃金を支払うことを要しない。」
……の解説。
60時間を超えた部分の時間について、別途に休日を与えた場合は、その時間分の割増賃金(150%分)を支払わなくてもよいことになる。休日であるから、午前零時から24時までを労働させない暦日の所定労働時間に休ませなければならない。この休日には時間外労働ができない。有給休暇の取得とは別途に休日を与えなければならないということである。別途の休日は、60時間を超えた賃金計算期間内に与えるのが原則となるだろうが、実際に与える方法は施行規則や厚生労働省の通達を見て判断することになる。
影響としては、業務遂行と労働時間の詳細管理が必要となり、生産性や効率性の向上が不可欠、働き方に変化が生まれることになる。高付加価値製品や高水準サービス提供の商品構成で恐慌から経済を脱出させようとする戦略と一致する法改正であるのだ。

改正条文
「附則に次の一条を加える。
第百三十八条 中小事業主(その資本金の額又は出資の総額が三億円(小売業又はサービス業を主たる事業とする事業主については五千万円、卸売業を主たる事業とする事業主については一億円)以下である事業主及びその常時使用する労働者の数が三百人(小売業を主たる事業とする事業主については五十人、卸売業又はサービス業を主たる事業とする事業主については百人)以下である事業主をいう。)の事業については、当分の間、第三十七条第一項ただし書の規定は、適用しない。」
……の解説。
中小事業主であれば、月60時間超過時間外でも125%のままでよいという規定である。150%が実施されるとしても、3年後の平成25年4月1日の話である。中小事業主の定義は、ここにあるように、
資本金の額又は出資の総額が、
3億円以下で常時使用する労働者の数が300人以下
小売業又は5,000万円以下で労働者の数が50人以下
卸売業は1億円以下で労働者の数が100人以下
サービス業は5,000万円以下で労働者の数が100人以下
に該当すれば中小事業主となる。一旦、何れにも該当しなくなれば、あとで資本金減資とか人員削減に至ったとしても150%が適用される。
ここで注意しなければならないのは、事業場ごとの人数ではなくて、企業全体の人数としていることである。昔、1日8時間労働制から1週間40時間労働制に労働基準法が改正されたときには、事業場の人数によって週46時間や週44時間の経過措置があったから、多くの中小企業で、事業所(事業場)の分割が行われた。その後週40時間なれば、再び事業所を結合していたのである。今回は、“事業場”ではないことから、分割するのであれば法人を分割しなければならないことになる。特例措置対象事業場をはじめとして、法人分割が得策と判断する事業主も出て来るのである。

条文
「  附 則 (施行期日)
第一条 この法律は、平成二十二年四月一日から施行する。」
……の解説。
施行の日を法律で定めたことは珍しい。これは、改正内容の施行や下準備を、施行日から逆算方式で厚生労働省に実施させるところのものである。ややもすると、官僚に任せておくと業界団体などとの折衝などで、事実上の監督指導の緩和や猶予期間の設定を生むことになるかもしれないので、これを防止する意味でもあるのだ。



¶労働市場・需給調整行政が明らかに変化
派遣法改正に先立って、都道府県労働局の民間需給部門も一斉に動き始めた。現在の法令で実行できる指導を進めているようだ。「規制緩和」の波に乗って、現行法令の違反自体を見逃す傾向にあったかの様だったのが、一挙に風向きが切り替わったため、現行法令通りの適正水準まで引き上げようといった感がある。
そもそも、97年、99年の職安法・派遣法改正とともに、厚生労働省の民間需給部門(旧:民営職業紹介部門)は、提出書類中心の業務処理になってしまい、現在までそれが続いている。立ち入り調査の交通費までが削減されたとの情報もあったぐらいだから、多くの都道府県労働局の民間需給部門では、今、活気が生まれているようだ。
だが、労働局の職員は、長年に渡って現地調査を手控えていたために、昭和61年の派遣法施行当時と比べれば、立ち入り調査のノウハウ、質問技法、書類調査技法などの機能水準は低下しているのが現状のようだ。ただし、立ち入り調査に長けた職員も、OBとして未だ健在であることから、一挙に立ち入り調査ノウハウの向上は図られる。
今回の派遣法改正が労働市場の再編、とくに派遣先の労働力調達に大いに関係する。経済恐慌を控え、今から、「恐慌から立ち直る」ための労働市場政策に着手し出したといっても過言ではない。

2008/11/04

第79号

<コンテンツ>
《改正》労働者派遣法:取舵いっぱい:法案要綱
株価暴落は、いつ下げ止まるのか
81年前の昭和大恐慌のような状況?
昭和大恐慌から実体経済が立ち直ったのは
資源のない日本経済にあっては
個別企業での、もう少し具体的な話
個別企業に秩序を、柱を一本通して構築することが第一に重要!
(労働契約法の解説は休み)


¶《改正》労働者派遣法:取舵いっぱい:法案要綱
厚労省は、“派遣制度のあり方の根幹にかかわる問題にメスを加える”考えだ。
労働者派遣法改正の法案要綱が発表された。施行日は来年、平成21年10月1日からとしていることは、現時点から着々と行政指導の範囲で促進することを示している。改正法案要綱の内容は、マスコミなどで報道されている問題点を超え、規制緩和や新自由主義の名のもとに人材派遣会社が不安定雇用を助長しての「荒稼ぎ」と疑われていた利益部分を、ことごとく消滅させる内容だ。平成11年の派遣業規制緩和、そのずっと以前の状態にまで落ち着かせる狙い。
結束力の弱い派遣業者団体だから、これから人材派遣会社などはビジネスモデルとマーケティングの変更を余儀なくされる。すなわち、専門的技術や専門的技能の裏付けがあるアウトソーシングや、請負要件を満たした業務請負業に転換することを迫られるのだ。派遣業の規制は世界先進国の時流でもある。高付加価値製品や高水準サービス商品などを提供する労働力の裏付けを整備しての経済立国を目指す日本戦略でもあるようだ。個別企業の労働力政策は、一挙に変化する。
改正要綱の 主なもの は次の通り。
1.派遣先に厚生労働大臣が、賃金を低下させることなく労働契約の申込をするよう勧告するようになる。勧告に反することも自由ではあるが、ハローワークの恩恵が制限されることは間違いない。勧告するとしている対象は、港湾、建設、警備の禁止業務の派遣の場合、派遣会社以外の派遣の場合、派遣期間制限の規定に違反した派遣の場合、派遣法の脱法行為の恐れがある派遣の場合である。本人の訴えは、すぐさま派遣先の直雇用となる。
2.いわゆる対象業務26にあって、定年又は65歳まで終身雇用の派遣労働者を除いて、3年を超える期間を継続している派遣労働者に対しては、派遣会社が労働契約の申込をしなければならないこととなる。(そもそも、4年目突入の有期契約は終身雇用の扱い)。
3.派遣労働者を、履歴書や面接などで特定することが一部で認められる。ただし、その部分は、「期間を定めないで雇用される労働者」、すなわち定年又は65歳まで終身雇用する派遣労働者に限られる。実際には、いわゆる対象業務26のうちの、ほんの一部である。もちろんこの場合、年齢、又は性別を理由としての差別的取扱いを禁止されている。事実上の事前面接禁止。
4.派遣先は、特殊な場合を除き1年を経過する期間内に、以前働いていた労働者を再び派遣で受け入れられないこととなる。すなわち、同一人物を忙しいシーズンだけに来てもらうような派遣契約は出来なくなる。もちろん、不法行為となれば、非派遣期間の収入損害を賠償することにもなる。
5.派遣法違反をしていた派遣先に対して、あくまで行政処分または司法上の処分を行う前に指導又は助言をした上で、今は、是正勧告をすることになっているが、これからは指導や助言を要しないこととなる。すなわち、突然の是正命令となる。フライングや“言われてから改善”はできなくなる。
6.労災事故が起こった場合は、派遣先にも、必要な報告、文書の提出、出頭を命ずることとなる。派遣先事業場への立ち入り、関係者の質問、帳簿書類などの検査も実施する。不法行為を形成するに至るので、派遣先は、完璧に安全配慮義務が問われることとなる。
7.派遣会社が派遣実績総時間のうち“特定派遣先”に対して80%を超えて労働者派遣することが禁止される。80%以下となるよう特定の派遣先以外への新規開拓ができなければ、勧告の後、派遣事業の取り消しや廃止命令を受けることとなる。企業の第2人事部的な派遣会社は、猶予期間の後、廃業を迫られる。
8.日雇い労働者の形態で労働者派遣することが禁止となる。この法案要綱でいう日雇いとは、日々改めて雇用する者又は30日以内の期間を定めて雇用する者を指す。例えば今日と明日に来て欲しいと雇用すれば、これは2日間の「期間雇用」である。ただし、日雇い労働者の派遣は行政指導によって、現在も事実上実施することが難しくなっており、特殊な業務を除いて採算が合わなくなっている。日雇い派遣が許可される特殊な業務は、1号、2号、5号、6号、7号、8号、9号、10号、11号、12号、13号、16号、17号、18号、19号、20号、23号、25号の18個との見通しが強い。
9.人材派遣業会社は、事業所ごとにスタッフの賃金と派遣料金の差額であるマージン率の平均を発表させるとしている。多くの派遣会社が平均的な派遣料金を公表しているなかで、マージン率はスタッフの平均賃金を公表することとなる。派遣労働者を雇用する場合、募集や面接の段階で、賃金の見込額だけでなく、労働条件その他の待遇の説明も義務となる。こうなると、労働者の賃金・労働条件を向上確保し、半面に人材派遣業者の利益率を一方的に低下制限することにつながって行く。いくつかの地方自治体では、これが既に入札条件となっているところもある。加えて、派遣労働者の賃金を、派遣対象業務と同じ業務を行う派遣先社員の賃金相場を下回らないよう、賃金決定努力を課せられる。これによって、派遣会社のマーケットが縮小に向かうことが考えられる。
10.派遣労働者の希望に応じて、定年又は65歳まで終身雇用すること、職業紹介許可を持つ派遣元は就職紹介をすること、教育訓練を施すなどで終身雇用を推進することの3つの措置を、派遣会社は努力しなければならなくなる。努力措置といえども、1ヵ月から3ヵ月程度の細切れ雇用契約を反復更新することで成り立っている非技能系パートタイマーの派遣を規制することとなる。
11.紹介予定派遣を行う場合、派遣する前に、社員入社就職の業務内容、賃金その他の労働条件などを定めておかなければならないこととした。就職紹介を予定して派遣されている労働者の労働条件が、土壇場で変更されることによるトラブルを防ぐ狙いがある。
12.新たに一般派遣業の許可基準として、派遣業の取り消しや廃止命令を受けた法人の当時の執行役員、取締役その他支配力を有していた者が、取り消しや廃止命令から5年を経過していなければならないこととなった。5年を経過すれば事実上業界から手を引くことになる。これは、かのクリスタルグループの企業が、摘発を受ける度に新しい法人に作り替え処分を免れた。そのグループ企業の数が約70社も存在していたことからの教訓である。また、行政手続法を持ち出したのは、厚生労働大臣からの取り消しや廃止命令が行われる前に、自ら廃止届を提出して処分を免れようとする企業に対する防止策である。


¶株価暴落は、いつ下げ止まるのか
巷に関心を呼び起こすようなマスコミ報道が流れている。だが、実のところは、現在の経済状況について、専門家筋は何らかの「恐慌」状態に突入することは間違いないと見ている。
3年内までに株暴落と実体経済破たんの神出鬼没が繰り返され、落ちきってから、初めて成長の可能性が生まれるとするのが、経済学の常識だ。
この疑いのない見通しに対して、要するに
A.経済政策や金融対策を次々と実施しようとの人たちと、
B.「人間のばかげた行為」が原因だから落ちるところまで落ちろ!とする人たち
の二手に意見が分かれているのが根本のようだ。ただし、このA/B二手の人たちそれぞれは、心理状態むきだしで原則を貫くばかりでは政権や地位が脅かされることになるから、何らかの激変緩和政策を打ち出すことともなっている。「緊急経済対策」などは、その典型的なものである。
だとしても、今の経済状況の分析は、
経済専門家でも見通しがつかず、「これから先が分からない」と言い、
経済素人は、何が起こっているのか見当がつかず、「ワケが分からない」状態に陥り、
何かの専門性をもつ評論家は、専門家特有の心理的不安から、的外れながらも何か専門的なことを口にするにすぎないのだ。
町内の評論家も平穏な心を求めて、その人が得意とする趣味と専門分野が、「時代分析の話によく現れる」といった、心理的逃避現象や「我田引水」までが横行、これに陥った文学部出身のマスコミ記者も続出。そこまで人心も混乱しているのだ。


¶81年前の昭和大恐慌のような状況?
は再来しないとの話がある。確かに、それはその通り当然だ。当時の日本は農業中心、国内向け消費財産業は皆無に等しく、生産財産業革命が一段落した明治経済の延長線であった。当時は、今の日本の経済構造とは異なっていたのである。だから、当時の現象は、都市での経済破たんが農業経済を破壊、直に飢餓や貧困をもたらし、株式大暴落の金融危機、被害は地方や農村の保証人への取り立てとなって現われたのである。
今回の恐慌での現象は、
既に始まっている金融資産の大幅目減り、政府が緊急金融政策を実施する後の大幅増税、国民の長期借金返済生活である。恐慌に因る一発クラッシュ惨事は分散され神出鬼没の形態には出来たものの、今から始まる恐慌の展開は、まだまだ現象の予測不能なのである。本質は恐慌、これから繰りひろげられる現代的現象は81年前とは大きく異なるというわけだ。
ひょっとして恐慌という経済現象を学んだことのない人にとっては、この単なる現象だけで、天地のヒックリ返る思いになるのは間違いない。また、旧東側諸国の計画経済学者は、こぞって、「経済恐慌!だから何? 独占(寡占)資本主義が破たんして、独占資本を救うために国家が介入する“国家独占資本主義”になるだけだ! それは歴史の必然!」と、極めて冷ややかな反応ばかりである。
まるで社会現象が、“一喜一憂と冷淡”が織りなす下世話な世相にもなりかねない。


¶昭和大恐慌から実体経済が立ち直ったのは
昭和12年ごろの恐慌から8年後であった。それは、洋服、洋食、洗面器、弁当箱、キャベツ、リンゴなど、それまで存在しなかった内需向け消費財の商品が大量に出回ることによって、実態経済が回復していったのである。実に、日本の「社会」制度を左右する法律とか、「社会」保障の着想・第一歩は、戦前の、この時期だったのである。金融経済面での回復は戦後しばらくまでなされなかった。実態経済が回復の途端、昭和12年から、戦時計画経済に切り換えたため、成長は小幅にとどまり続けた。
戦後の経済民主化による輸出立国、人口増加政策、自動車、住宅政策、家電を柱とする高度経済成長政策に至ったのである。その後に経済をバブルさせ、はじかせ、不良債権の穴埋めをし、今の世界的な金融危機となり、経済恐慌を迎えることとなったのである。
従って、
今からの恐慌後に実体経済を立ち直らせるには、今までになかった新商品を、今度は世界的に売り出すことが肝要となるのである。歴史的所産を引き継ぐ都道府県の豊かで多様な地域性は経済民主主義の要となる。こういった社会の動きを、個別企業は見ていれば浮上できる。
決め手は、とにかく、直接・間接を問わず衣食住の生活関連商品マーケットが軸だ。
原則的には経済学者のシュウペンターが発見した新商品理論
 1.新しい財貨、新しい物の発見
 2.新しい生産方式の導入
 3.新しい市場の開拓
 4.新しい原材料、半製品の発見
 5.新しい(社内&社外)組織の実現
加えて、先進国や外国人客に売り込むには、文化経済に裏打ちされた新商品
 A.他社他店にない特色を出すこと
 B.取扱商品の絞り込み、販売地域の絞り込み
 C.他社とは変わった技術(技能ではない)を売ること
 D.高水準のサービス(非セルフ・非効率)を売ること
が、個別企業ごとで必要となるのだ。


¶資源のない日本経済にあっては
このような新商品(例:高付加価値製品&高水準サービス商品)を提供するための労働力の育成・確保に、成功のすべてがかかっている。
ということは、労働基準法(戦前は工場法)、職業安定法、健康保険や厚生年金その他の、昭和大恐慌からの脱却のために、戦後の高度経済成長政策を支えるために着想・制定されて来た法律も、時代に即することができるように、体系から根本的に見直す必要があることになるのだ。もちろん、商法をはじめとした会社法も然り。憲法や民法が変わることはないが、そこから派生した民事法の類は、改めて着想改訂されることとなる。労働契約法は出来たばかりで玉虫色であるので、そのまま。派遣法は、ここに来て、制度問題にメスが加えられる。
中小企業向け融資に不可欠とされる個人保証人制度も、その廃止が望まれる民事法のひとつだ。恐慌の時期だからこそ、個別企業の経営体力を蓄えるためにも、融資返済の3年間元本棚上げといった法律制定も着想(徳政令?)されるべきなのだ。
例えば、注目の年金制度(文化・価値観の変化を招く)
そもそも厚生年金は昭和17年当時、退職金が充実していないことを背景として、退職手切れ金の性格をもって制度化した。国民年金は、米ソ対立を背景に、日本国民の西側確保のため、財源確保の見通しの無いまま、無理強いで作った社会保障であった。いずれも今、既に破たん状態。そこに、この10月15日にアメリカ政府は確定拠出年金(401K)充実の規制改革を要求。このアメリカの「年次改革要望書」、実は在日アメリカ商工会議所の綿密なマーケティング調査が基本になっている。だから、今は悪評の401Kも、ここ数年内に資産が目減り仕切った所(実体は御破算)で新たな401Kとして再出発する可能性も高くなってくるという具合だ。
ただし、
従前からの新自由主義の名のもとでの規制緩和、これは単なる昔の焼き直しの発想であったし、失敗続きの原因でもあったことから、どうも新しい時代に即するという評価は、長い歴史に立ち返るほどに、今後はあり得えない代物とされる。


¶個別企業での、もう少し具体的な話
新自由主義の名のもとでの規制緩和とは、経済や社会秩序を維持する制度(法律など)が存在しても、制度を無視してやり放題=新自由といったもの。その展開パターンは、個人さえ納得すれば良いとする個人の新自由とか、未必の故意まがいの自己責任といった方式が実態であった。
この展開パターンに対して、どの法律制度も、誰もがストップをかけなかったことから、経済や社会の秩序が崩壊するとともに、経済構造がイビツになり → ゆがみが生じ → ストレスがかかり → 亀裂が入り、一挙に経済が崩壊したと分析し、教訓とすることだ。
よって、再び時代にあった経済や社会の秩序を、
“柱を1本通して構築”することが、最重要課題となるのだ。これは、個別企業の秩序、組織の構成、受注販売方式、生産方式、業務遂行・運営方式での話であり、政府や社会が行ってくれるというものではない。バブル崩壊後に慣れ親しんだところの、出来上がった企業秩序を長持ちさせるための調整具合とか妥協延命ではないのだ。もちろん、政府官僚の行って来た、社会主義経済模倣の計画経済でもない。

¶個別企業に秩序を、柱を1本通して構築することが第一に重要!
経営資源(人、物、金、情報、ノウハウ)を個別企業の外壁や間取りの如く、新しい時代へと組み直す、その実行は、今年内は二の次となるのだ。
企業は個人プレーではなく団体戦、その中で
総務部門は個別企業の経営情報を集積・加工し、経営戦略や方針草案を提起する舵取りセクション。
人事部門は個別企業を運転するのに必要な人材・労働力を確保・育成・配置するセクションなのある。

2008/10/07

第78号

金融危機・経済恐慌からの防衛対策特集(知人の方への転送可能)

<コンテンツ>
恐慌の防衛策
金融危機が恐慌に至った
不渡りで一番恐いのは
担保を捨て、無借金経営の覚悟
社会保険料未払いは利率14.6%の緊急融資
投資先、貸付金や未収金の
貴方の会社を銀行が切り捨てたサイン
連帯保証人の方の防衛対策
不動産差し押さえの防衛対策
預金差し押さえの防衛対策
止む無く、従業員を整理解雇するときの順序
賃金切り下げなど、労働条件の変更方法は
未払い賃金を残したまま破産する緊急策とは?
その他リスクの診断とコンサルタントのアドバイス

協会健保で変わる手続は
 (労働契約法の解説は休み)


¶恐慌の防衛策
数年前の平成不況どころではない!金融危機→恐慌が襲ってきそうだ。そのときの防衛策を考えてみた。もちろん、マスコミや出版物では、こういった情報が流れることは極めて少ない。
古今東西、時の政府が、その国の社会共同体の経済秩序を守る役割を果たすとは限らない。金融機関の欠損を補てんするための銀行の資金回収が、個別企業の資金繰りに影響を与えるのは当然のことである。
アメリカ政府の75兆円金融安定対策提案が、「日曜をはさんで一変!」。与党であるはずの共和党から反対が急増し下院の議会で否決、金曜ぎりぎりに骨抜きで修正可決。与党共和党下院は、最後まで反対票が上回った。この原因は、最終的な対策資金が、資本注入その他で5倍程度が必要(アメリカ政府の年間予算は400兆円弱)なこと、米英のキリスト教が「金融の仮想現実は偶像崇拝」と9月28日の日曜めざし反対した特殊事情からである。全世界同時パニックは避けられたが、恐慌の様相は神出鬼没の各地のクライシスへと変化、「もぐらたたきゲーム」がスタート、当りの確率は分散したが、やっぱり当たれば大変である。
日本国内では9月下旬に恐慌に向けての金融対策が必要となるところ、打つ手なしの論評ばかり。多くのマスコミ報道は、アメリカの金融安定化法案に世界中の人たちが、すがり付いていたかのようなニュースを流した。7日午前の閣僚懇談会で、初めて追加対策に意欲。
ところが、筋の良い経済学者たちからは、危機打開の切り札は別にあるとしている。それは、投資系企業および、いわゆる自前調達が可能な一定規模以上の多国籍企業はさておき、
3年間:元金返済棚上の緊急時限立法、すなわち、
「個別企業の銀行からの借入金元本を、3年間返済を猶予する法律制定」
が、緊急抜本的に恐慌を回避する手法とのことだ。ただし、利息については支払の厳格履行をさせ、金融機関の経営を安定させる。こういった経済基盤補強で、金融の乱高下から実体経済を安定させると。投機・投資による損は、もとより覚悟があったはずとする政策だ。すでに、多国籍大手企業は緊急の資本金増資や融資枠確保の手を打っている。
この手法に対して、日本国内の中堅中小企業の実体、経済構造をよく見極めたものだとする評価は高い。


¶金融危機が恐慌に至った
としても、それが100年に1度とでもいわれるからこそ、個別企業ごとに如何に経営を安定させるのか、社会共同体の経済秩序を守るのかが重要となるのである。旧態依然の経営管理方法に固執すれば、個別企業ごと吹き飛ばされる。仮に実体経済が堅調と言われていても、恐慌はその実体経済をも破壊してしまうのである。とりわけ、事件・事故・不渡りに遭遇するのは当たり前で、そのときの傷の浅さが恐慌対応策として効果を発揮する。それは、
・心の準備(過去の執着排除、物への固執停止、うつ病対策)
・資金の準備(緊急融資、元本返済棚上げ)
・新商品の準備(高付加価値・高水準サービス)
が大切なのである。経営者と総務担当者は、不渡り=倒産でないことを認識して、自社他社ともに、ショックによる個別企業崩壊の防衛策を考える必要がある。組織統制に主眼を置いた、「呉子の兵法」は、気力、経営環境、方針、力のモーメントの順に説いている。


¶不渡りで一番恐いのは
銀行の信用よりも仕入れ先の信用である。
「利は仕入れにある!」ことを思い出すことが重要だ。支払手形をやめて支払証書が仕入れ先の信用を築くことにもなる。とにかく、不渡りと聞いて、ショック状態となり、手形ジャンプなど、不渡り直行策の道を選ぶ企業が、あまりにも多いのだ。
自己破産と言うのは、その道にかかわる事件処理業者に報酬利益があるから、「いざというときの、おすすめ!」との誘いをするのが、事の本質である。自己破産をして立ち直る人は、きわめて少ない。長年サラリーマンとしての経験しかなく、その上つぶしがきかないといった人物のための、最終手段でしかないのだ。とくに経営者は、元来頭が良いのだが、自己破産をすると「自らを敗北者」と考え、自分で無能力者と決め込んでしまうのが常である。民事再生にしても、東京で申請件数の半分以下しか認められず、地方にいけば3分の1以下といった状況である。
民事再生の決定基準は、無担保債務の8割カット、残り2割の債務を3年以内に支払えるメドが存在するかどうかが分かれ目、だから民事再生にはその程度の効果しかないのである。
経済恐慌のときこそ、戦う必要があるのだ。セイフティーネットは、戦う上で障害のある人のためのもの、あくまで、ここに限定してこその社会共同体の支え合いであるのだ。権利の上にあぐらをかく者、権利があっても泣き寝入りする者が、恐慌の歴史のなかで救われたことはない。


¶担保を捨て、無借金経営の覚悟
とくにこの3年は、金融機関への元金返済棚上げが切り札。平常時でも資金繰りが無理であれば、金融機関への元金返済をストップすることが定石。だが、恐慌ともなれば、緊急資金手当ての確実な原資が問題なのだ。
さらに苦しくなれば、利息の支払いも停止をすることだ。間違っても利息の軽減を発想してはならない。銀行の延滞扱いは利息3ヵ月の未納、不良債権とは、6ヵ月以上利息支払いが停止された債権の中から、銀行から不良債権として取り扱う旨の通知が来てからのことを言うのだ。
要は、担保を捨てて返済を完了させ、無借金経営になることを目指すのが、金融危機に於いては重要なのだ。担保物件のない債権は、銀行から債権回収会社に、何十億円の債権だろうと、1債権当たり1千円で譲渡されているのだ。個別企業が、今や金融機関を怖がることはない。昔のような資本金注入といった役割を金融機関が果たす時代は、もう来ない。
すでに、数年前から金融庁の方針は、不良債権化懸念不動産の即刻処理が重点なのだ。
とりわけ、サラリーマン経験が長いと、金融機関その他からの書面を受け取っただけで、ショック状態に陥りやすい性格が形成されているので、冷静に判断して早まってはいけない。政府が動かなければ、合法的自力救済で個別企業を守ることだ。


¶社会保険料未払いは利率14.6%の緊急融資
恐慌には、緊急融資枠が不可欠である。社会保険料は毎月の人件費の23%を占める。年金問題で取りざたされている届出保険料の偽装、被保険者の無届けは犯罪である。ところが、保険料の支払い滞納は、踏み倒す意思がなければ犯罪ではない。14.6%単利ではあるが、事実上無担保資金に早変わりするのだ。同じ滞納でも、数ヵ月払えなかったものと、緊急融資枠に当てるものでは、気構えも段取りも異なる。
国家の社会保障制度であるから、保険料未納であっても、個人の健康保険の利用や年金額に何ら影響することも無い。この3年の間の金融恐慌対策として、保険料の銀行引き落としを止め(実際には、銀行に連絡せずに、社会保険事務所に引落口座の変更を出すこと)、事業経営の緊急事態に充てる資金と考えなければならない。そして、社会保険事務所には返済計画を提出することも欠かしてはならない。国税の執行官に比べ、社会保険料より税金徴収が優先するため、社会保険事務所調査官の権限が弱い分だけ、今でも社会保険事務所の調査能力は抜群の水準を誇っている。が、事実、社会保険事務所は倒産を呼び起こすような差し押さえをかけることは無い。おおまかな金融機関情報も踏まえた上で、社会保険事務所は最終版になった段階で差し押さえをかける。
具体的には、地元以外の社会保険労務士に一般的アドバイスを受けながら、社会保険事務所徴収課長と直接交渉をするのがベターである。銀行担当者より、よほどの誠意があるかもしれないからだ。


¶投資先、貸付金や未収金の
「すでに、点検チェックをしています!」といった答えが、社内の担当者から返ってくる。ところが、投資、貸付金、未収金は、そもそも相手方との妥協の産物であり、相手方と貴方の企業担当者は利害関係が一致しているから、未だこの状況が続いていると判断しなければならない。恐慌となれば、相手方との利害関係の基盤が激変するかもしれないので、その意味から見直さなければならないのである。ところで、果たして、何らかの一定基準でチェックがなされているかどうかが、もう一度最初からの点検チェック手法である。よくある例ではあるが、パソコン入力の好きな担当者が一覧表を作成しているだけで、何らの判断基準もないものだから、会議を行うほどに、「悪貨は良貨を駆逐する」ことになっているのだ。問題山積みで会議参加者を疲れさせ、無責任な者は罪のないことを確信するに至るのだ。
とくに注意しなければならないのは、経理部門社員が知らず知らずのうちに、相手先に情報を流してしまっていることである。これは、金融機関に対しても同じことで、銀行の担当者は情報収集のプロであり、経営トップから情報を引き出そうとの愚策を行うこともない。未収金を抱えている営業担当者も然りである。


¶貴方の会社を銀行が切り捨てたサイン
銀行から次のような話が出てくれば、銀行は貸付金の回収に入るばかりで、もはや会社は切り捨てられることを覚悟しておかなければならない。
おおむね次の順序だ。
・金利引き上げの要請
・元金返済額の増額要請
・「社債」の発行勧誘
・担保とは無関係の預金払い出し拒否
・M&Aを銀行から勧誘
といったところである。


¶連帯保証人の方の防衛対策
ほとんど金融機関が、中小企業の社長には個人保証を要求するが、上場企業の経営者に個人保証を要求することがない。
それはさておき、保証人の権利義務が発生するのは、回収する側から、「貸付期限の利益を喪失したので、ただちに全額を支払え」との内容証明郵便物が到達した時点からである。それまでの連帯保証人にかかる話は、他人に「お願い」しているのと同じ効果しか発生していないのだ。
さて、そういった内容証明が来た後は、相手とは「話さず、聞かず、払わず」の対策程度しか残っていない。相手方から、「5千円でも1万円でも?」との甘い言葉に乗って、少しでも払ってしまうと、支払いの意思を示してしまうことになるから要注意だ。とくに、債権回収会社とは話がまとまるまではいっさい払ってはならない。基本的な防衛対策は、次に説明する不動産や預金の防衛策を取るしかないのだ。連帯保証人になってもらった方へ防衛対策を説明するには、「取引銀行が何時倒産するか分からない御時世だから、不動産を共有名義するなどしてください!」と早めに頼みに行くことだ。訴訟になればどうしようと不安が走るかもしれないが、恐慌になれば、そもそもの経済原則に基づいて、担保物件以上に返済を迫られることはなく、差し押さえられたとしても競売に至るのは困難となることから、その道の専門家のアドバイスを受けながら事故処理交渉をすればよいことになる。ところで、80年ほど前の昭和大恐慌の時には、保証人であったがために転落していった事例が多かったが、今やそういったことは法律で或る程度の規制が掛けられており、身ぐるみ剥がされてしまうことはないのだ。


¶不動産差し押さえの防衛対策
一般的に、借入金返済延滞の発生で、会社と保証人の居住地の不動産登記の有無調査が開始される。不動産に多額の抵当権が設定されていれば、実際には競売申し立て不受理となり、競売にかかることは無い。不動産が共有名義となっている場合は、これも競売落札が難しいので、きわめて重要な防衛策と言えるのだ。結婚20年以上の配偶者に対しての居住用資産であれば、評価額2千万円までなら贈与しても無税となる。子供に一部贈与して共有財産とすることもできる。
意外と無担保且つ単独名義の不動産を内緒としている場合があるが、実は差し押さえのプロからすれば、絶好の差し押さえ物件なのだ。
取り立てる方の側は、あることないことの不安をあおりたて、示談に持ち込もうとする。ところが、元来の経済原則からすれば担保物件以上の貸付を行った金融機関に責任があるとされるのが社会共同体の法律の扱いだ。ここに金融機関の不当利益画策の意図が見られ、被害者は封建時代の世間体のような話術でもって、陥れられている。この世間体を利用してヤクザが介在するのが特徴である。


¶預金差し押さえの防衛対策
売掛金入金のための銀行口座は、すぐさま、実質的な差し押さえの対象となる。それ以外の預金差し押さえは、差し押さえる側が口座番号や口座名義を知っていなければ不可能である。居住地周辺の銀行に対しては、似通った口座名義で差し押さえがかけられるから要注意。同じ銀行であっても、居住地から離れた別支店の預金は発見されることが少ない。郵便貯金は全国27ヵ所のセンターに対して、いっせいに差し押さえをかけてくるので、ひとたまりもなく危険。こういった事は、会社名義、個人名義ともに共通する対策である。銀行からの差し押さえ対策は、
・売掛金入金口座を他銀行に移す
・売り上げ金のプールを別銀行口座に移す
・生命保険の入金口座を変える
・郵便貯金はやめる
・定期預金は保証人になっていない家族名義に変更して家から離れた銀行に移す
などの方法がある。銀行は、こういったことに対して、「詐害行為だ!」と言ってくるが、まず法的それが認められることはありえない。大きな声や脅し文句の世間体に負けてはならない。


¶止む無く、従業員を整理解雇するときの順序
部門、経費、人材のいずれにも共通することであるが、少しでも迷いがあるのであれば、実は不要なものと見るべきなのだ。そのコツは、「売れない商品の扱いをやめて、売り上げを落とす」と考えて、足を引っ張る商品を売らないことである。もともとが、いつの間にか売れない状況になるのではなく、売れていると確信できるものだけが必要なのである。恐慌の際は、確実堅実なところへの生産縮小と、チャンス発見が重要である。
労働法のトラブルは会社のリスクがきわめて高い。したがって、人員の整理解雇には順序がきわめて重要である。
・労働者に説明して了解を求める、誠実説明義務と協議した証拠が大切
・整理解雇が避けられない経営悪化状況と中長期再建計画が必要
・アルバイト・パートなど雇用者の削減、配置転換、希望退職の募集
・整理解雇者の人選は合理的(道理などが通った)基準によること
の4要件である。
ところが、意外と効果の高い方法としては、
・報酬の高い役員、生活余裕のある高齢者、不具合な人物の順位での退職交渉
・有能な役員や高齢者は、独立請負として仕事を発注
・その後に初めて、賃金の一律カット
といった方法と順序を取ることが、法的トラブルを防ぐコツである。
これも、ショック状態のまま、素人の独断で行うことが危険なことは言うまでもない。
前述したように、労働に関する債務処理の手抜きは、突然裁判所からのリスクとなってやってくるからである。


¶賃金切り下げなど、労働条件の変更方法は
法律や判例の側面から許されるのは、
・労働条件変更にあたっての高度の必要性
・労働者の被る不利益の程度
・変更後の就業規則の相当性
・従業員との協議や納得性
がクリアにされる場合だけである。ところが、こういった裁判判例の背景には、労働組合との争議が間違いなくからんでおり、労使トラブルを踏まえての、実際に応用できる解釈は、きわめて難しい分野なのである。恐慌ともなれば法律体系自体がひっくり返る社会状況であり、いわゆる法律家の多くが、個別企業の現場での紛争対応にたけているとは言えないので、法律や判例が実際には通用しないことが多いのだ。だからといって、無法者・ならず者が許されるという訳ではない。社会共同体の原則に基づいての判断が必要なのである。
3割の人件費カットは、3割の人員削減と同じ計算にはなるが、労働意欲の低下と経営者への依存心が高まるばかりで、恐慌に対しては足かせとなることを踏まえておかなければならない。手かせ足かせの従業員が増えるという訳だ。
事業縮小・戦線縮小を余儀なくされた場合は、労働条件変更どころではない。退職金の廃止も、手続きその他に不備があれば、裁判所の判決に基づき差し押さえがやってくる。恐慌の可能性寸前の今の時期に、退職金に手をつけるのは、突然のリスクを誘発するようなもの、時期的に危険である。
本当に危険な一時期を、個別企業と社員が一時的に耐え忍ぶために、労働時間短縮とそれに伴う賃金低下の協議同意を取り付けるのが、現実的得策である。この場合も、賃金規則変更などの手続きを労働契約法などに基づいて行うことが重要で、手続きに手抜かりがあると、これも裁判所の判決に基づく押さえの可能性を含むのだ。
この時期の差し押さえは、個別企業にショックを与えるから、たとえ1人の訴えであっても危険そのものである。


¶未払い賃金を残したまま破産する緊急策とは?
いよいよ経営が行き詰まるとか、営業譲渡といった場合には、合法的な国の助けを仰ぎ、個別企業自体が、切羽つまらないことが大切である。
破産状態時点前から半年間の未払い賃金は、国が建て替える制度がある。中堅中小企業であれば、今の賃金水準からすれば十分な金額である。元の賃金の8割が支給されるが、税金や社会保険料の支払いが免除となるので、実質収入は微妙に多くなる。退職金も支給対象である。また、破産後の事務処理のために残った人たち、すなわち総務部門などの給与計算や離職票の発行手続きに携わった人の賃金も保障されるという訳だ。
破産手続きの理念は、失敗した人に対するリセット制度であり、これに対応した国の制度が未払い賃金確保法であるから、この範囲の目的であれば合法的且つ社会共同体秩序の範囲内なのである。したがって、未払い賃金立て替えの手続きを、事業主が行う必要はなく、総務担当者でも可能であるし、残った従業員がお金を出し合って社会保険労務士に依頼してもよいのである。
ただし、労働者が給料なしで何ヵ月ぐらい働いてくれるかという問題がある。筆者の経験からすれば、賃金支払いのめどがなくとも3ヵ月程度は働きにくるケースが多く、専門家からの未払い賃金の説明があったとすれば、半年程度は十分働きに来てくれると思われる。
その後に、「同業他社」に就職する人なれば、労働者のパニック状態を防ぐことができ、経営者も「不毛な覚悟」をする必要もないのである。
この場合も、経営者も従業員も世間体に振り回され、パニックに陥ってはならない。


¶その他リスクの診断とコンサルタントのアドバイス
これだけの金融危機や恐慌の可能性が話題となっていても、旧態依然の体質、同業者間の常識、銀行からの誘惑・恐怖に振り回されている個別企業が多いのである。あまりにも、経営者のリサーチする情報が偏っているのである。世間体を利用して経営していた事業こそ、きわめて危険である。
個別企業の経営見通し、資金繰り見通しで危険を感じた段階から、思い切って、他業種・他分野のコンサルタントのアドバイスをもらうのが得策である。相談を受ける側の専門家のコツは、「半年で出来なければ失敗、取締役会は10回が限度」である。電話での予備相談であっても、「ならず者ではないコンサルタント」であれば、個別企業に十分なひらめきを与える。
とりわけ、年齢の若い経営管理者の人生にとっては、今回の経済状況(恐慌?)は、100年に1度のチャンスでもあるのだ。



¶協会健保で変わる手続は
この10月から、政管健保は「協会けんぽ」に変わりました(全国健康保険協会)。
健康保険への加入や保険料の納付手続は、従来と同様会社を通じて、社会保険事務所で、厚生年金と併せて手続き。
ただし、退職した場合の任意継続被保険者の手続は協会で直接行います。
10月1日以降に新たに入社した者や被保険者証の再交付手続では、全国健康保険協会名の新しい被保険者証が発行。
従前からの加入者は順次、協会名の新たな被保険者証へ切替え。
切替え手続は会社を通じて実施(任意継続被保険者は直接、自宅に郵送)。
被保険者証の切替えが完了するまで、現在の被保険者証を使用。
傷病手当金等の健康保険の給付申請は協会健保の各都道府県支部。
当面、協会健保の職員巡回等により、社会保険事務所に受付窓口を開設。
なお、健康保険の給付等の申請は、出向く必要はなく、郵送です。

2008/09/09

第77号

<コンテンツ>
二人続けて、内閣総理大臣突然の辞任、政変続きのイタリアもびっくり!?
個別企業をとりまく、経済・経営・労働市場の筆者の「占い」は次のとおりだ。
解説・労働契約法:労働契約の成立(第6条・第7条)と終了(退職)


¶二人続けて、内閣総理大臣突然の辞任、政変続きのイタリアもびっくり!?
 この背景にある経済や社会状況を、よく検討しておく必要がある。すなわち、目前に迫った世界的金融危機と経済不況期間の到来、日本社会はグローバル化=社会共同体のあり方も、「法手続主義」(何事も正当な手続きを必要とする法概念)を超えての変化が、この秋から巷にあふれることは間違いない。ところが誰しも、どういった具体的事象となって現れるかを確証できるシミュレーションを持ち得ないのである。ただひとついえることは、この数年間のコンプライアンス無視も含めた規制緩和や違法事業の横行といった状況の惰性では、個別企業は経営環境適応不全を起こしてしまうということである。アメリカ経済は金融危機、中国経済は(バブル崩壊ではなく)支払い遅延の不良債権化が問題となるのである。

¶個別企業をとりまく、経済・経営・労働市場の筆者の「占い」は次のとおりだ。
1.すでに、金融庁は無担保不良債権を、毎年度3月31日の年度末までに処分せよと言っている。その価格は何十億の債権でも、一律たったの壱千円だ。不良債権の絶対総額の多い銀行は、吸収・解散対象銀行となる。……こういったことを知らないで、いつまでも借金返済に苦しむ個別企業は、さほど生き残る必要がないと、これは誰もが思う時代が到来するのではないだろうか。これがマスコミの言う、焦げ付き担保の流動化、焦げ付き資産の流動化政策である。

2.日本政府がどのような政策を立てようと、日本経済は、「高付加価値製品&高水準サービス」商品の提供でしか、世界で生き残る道は無い。それも、国外の富裕層に直接販売をする方式が必要となる。商品を直送するか:訪日外国人販売となるかは販売テクニックの問題でしかない。(昔は韓国人が樋屋奇応丸を自国へ直送、今や中国人は正露丸やパンシロンを一杯詰めて帰国)。5億円以上の金融資産を持つ日本人は百数十万人程度と言われるが、同じ富裕層が、中国はその10倍と言われ、アジア・東欧・中東・南アメリカとなれば、その数は無限である。その多くが made in Japan を追い求めているのである。

3.日本は世界の金融経済で太刀打ちできる能力・実力はない。まして、金融経済に国籍は無いのである。ブルドックソース事件は、年間経常利益ほどの7億円を弁護士事務所に支払ってでも、企業防衛を果たそうとする日本文化の姿勢を世界に知らせた。これが、日本企業に対する投資にブレーキがかかり、東京はじめ日本への金融投資市場は、当分の間、活性化することもなくなった。日本の金融業界は海外へ進出することになるが、金融資金総額も小さく、まして軍事的背景のない金融資金など、世界で誰も相手にするわけがないからである。

4.「高付加価値製品&高水準サービス」商品の提供の目的に向けた、個別企業での人材確保(ただし、正社員採用ばかりが定石ではない)、人材育成(現行日本の教育では限界)、が重要となってくる。そういった意味での、「非正規労働者問題」である…方向は、「常用労働者」がキーポイントであり、(社員ではない)「常用労働者」とすることで、職人芸的技能と技術者を育てる施策が本命である。忠誠心や非効率温存のための正社員化を押し付けると、労働者は拒絶することに注意をする必要がある。

5.社会が変わり、文化が変わることから、それに適した自社の商品を、新商品に転換させることは定石である。新しい財貨やものの発見、新しい生産方式、新しい市場の開拓、新しい原材料・半製品の発見、新しい事業組織といった、経済理論の原点に立ち返る必要がある。究極的なものの考え方をすると、グローバル時代の到来とは、国内販売は国際販売のためのモニター市場の役割となるのでもある。

6.企業間競争が激しくなり、それまで蓄積した資金力を、(米国社会と同様)コンプライアンスに疎い会社は、労働者の公益通報や消費者の商品排斥によって、一挙に損害賠償や補償に回さざるを得なくなる。泣き寝入りは罪悪、正当な損害賠償請求!その基礎となる法律知識の宣伝・啓蒙や解決期間は、経済産業省や厚生労働省から、盛んに行われつつある。

7.「ひとつの大企業を育て、その組織力で事業を安定させる?」ことはできない。「大きな組織に所属すれば?」…、労働者の能力開発は頭打ち、自ずと年収も頭打ち、果ては年々収入が低下する法則が待っているのみだ。こういった社会経済環境に歯向かえば、個別企業は倒産、労働者はいずれ解雇となる。その時代の社会や経済の要望に合わせるためには、適切な事業転換と地域をひとまとめにした労働力移動が必要となる。そのための事業転換に関わる法整備、労働市場に関する法整備、労働紛争解決に関わる法整備などの基盤は、着々と整いつつある。その方向性世論づくりも経済産業省や厚生労働省あたりでは盛んである。

8.おそらく、政府や現社会制度からすれば、「セーフティーネットの網を張るから…」、これを活用することができない無能力者は救済されなくても良いといった発想になるであろう。社会制度や経済に無関心であれば、もちろん網目の間から落ちてしまうといったわけだ。日本人の数は救済される人数だけで十分とするとする「救済人数制限論」まで現れるかもしれない。「経済格差が学歴格差を生み、階級格差を作る」といった短絡思考は、救済人数制限論の裏返しでもある。アマルティア・センのケイパビリティーに似ているが、究極のセーフティーネットは北欧のような超高水準教育(デンマークやフィンランドを過去のメルマガで紹介)を施し、個人ごとの生産能力を高める教育をすることだとの考え方は、経済発展&豊かな日本を合わせて考える人たちの主流となるだろう。中国やインドの技術者1000人に匹敵する日本の技術者1人を育成できるかだ。

9.ところで、こういった新商品開発、企業間競争、事業転換、労働力移動、高水準教育は、時の政府や社会制度の変化を待つまでもなく、個別企業の中から、個別企業だけでも、十分に行なえることである。こういった個別企業の蓄積が、初めて政治に影響を与えることを歴史は物語っている。さて問題は、こういったことを成し遂げる逸材である人物を、逸材を、如何にして個別企業ごとに確保・育成するかである。高水準教育というものは、個々の事業所で来週からでも実施できるものだ。

10.社会の変化に伴い、民間経営者だけが事業の担い手になるとは限らない。今は世間の中に潜んでいるが、社会起業家と言われる逸材たちも、いよいよ日本でも活躍する時代が来る。NPO法人の流行とは異なり、「Everyone a chengemaker」との声が出て来るだろう。とはいえ、日本の中小・中堅企業は、事実上社会起業家と同様の役割を果たしていたり、経営者の報酬は社会起業家程度の収入かもしれないのである。

個別企業の作戦参謀である読者のあなたは、どのように「占い」ますか?時代を見据える力は、「まず、自らの考えを持つことから…」と言われる由縁である。



¶解説・労働契約法:労働契約の成立(第6条・第7条)と終了(退職)

 この第6条は、日本で初めて労働契約の成立について定めた法律条文である。労働契約法成立までは民法第623条に雇用契約の成立を定め、労働基準法13条、15条及び93条で、いわゆる公共の利益のために制限をかけているといった状況であったため、雇用契約と労働契約の区別も曖昧となっていた。そもそも、民法の規定だけであれば、「雇用に関する、申し込みの意思表示と承諾の意思表示の合致によって契約が成立する」との想定しかしておらず、労働の現場に適応しないものであった。
すなわち、(労働)契約締結においては、就職インタビュー、面接、採用に至るまでの交渉過程で、だんだんに合意が形成されて行くのは現実である。意思表示の合致の時点以前には、何らの債権債務も存在せず、合致時点以降は債権債務関係が存在するというような単純なものでもない。また退職をしても、秘密保持義務であるとか、競業禁止義務などは雇用関係が終了したからといって、こういった義務が消滅するものではない。したがって、契約締結前の段階から移行完了後に至る連続的な一連のプロセスを念頭において、この第6条が定められることになったのである。

第6条条文は、裁判官が判決を作成する際に用いる要件事実という手法(労働基準法の場合は構成要件)の通説を導入した。すなわち、
 「使用者に使用されて労働者が労働」すること、
 「これに対して使用者が賃金を支払うこと」、このことに関して、
 「労働者と使用者が合意すること」
が要件事実である。この3つの要件事実のうち、ひとつでも欠ければ労働契約が成立したことにはならない。たとえば、労働はするがお金を払わないとか、労働しなくてもお金を払うとか、労働者の代わりに友人が合意するとか、使用者の代わりに単なる従業員が合意したケースなどは、労働契約が成立したことにならない。

したがって、解雇や雇止めの紛争が生じたときには、最初に必ず、この3つの要件事実を確認して労働契約が成立しているかどうかを確かめなければならないのである。労働契約が成立していないのに、労働契約の解除である解雇あるいは退職は存在し得ないからだ。反対に労働契約が成立しておれば、使用者の都合で労働者が働けない場合は、その賃金を支払わなければならない(民法536条の危険負担の法理)ことになるのである。

解雇と言われるには、先ほどの雇用契約成立のための3つの要件事実にあって、
 「使用者が労働契約終了と主張した事実」があり、
 契約終了の合意がされていないこと
が補足される必要がある。解雇とは労働契約を将来に向かって解約する使用者側の一方的意思表示であるから、労働者及び使用者の合意がなされるとか、労働者からの一方的意思表示は解雇とはならない。

解雇権濫用とならないのは、今述べた一連の解雇に関する要件事実に加えて、労働契約法第16条に定める要件事実、すなわち
 解雇理由の客観性を基礎づける事実、
 解雇理由の合理性を基礎づける事実、
 解雇は社会通念上相当であること
の3つの要件事実が、使用者側から立証されなければならないことになるのである。

もとより労働契約の期間が定められている場合は、その契約満了期日が到来することによって契約が終了するから、解雇の要件事実が存在し得ることはない。すなわち、雇止めが有効となる要件事実が整わない場合は、形式は雇止めでもその実態によっては解雇同様に取り扱われて、解雇無効との判断が下される。雇止めが有効となる要件事実は、労働契約が成立の3つの要件事実に加えて、およそ
 「臨時的又は補助的業務を基礎づける事実」
 「労働契約の更新回数が少ないこと」
 「労働契約が通算して3年を超えていないこと」
 「更新手続の実態が存在したことを基礎づける事実」
 「労働者の継続雇用期待を排除したことを基礎づける事実」
 「労働者の継続雇用期待の防止をしたことを基礎づける事実」
といったことになる。
労働契約に関して紛争が生じた場合には、その7割方を要件事実でもって、今述べたような論理展開で判断して行くことになる。

ところで、注意しなければならないのは、労働基準法の適用範囲は事業所に使用される者を念頭においているが、労働契約法の適用範囲は第2条で、使用者に使用され賃金を支払われる労働者と使用する労働者に対して賃金を支払う者を念頭においているため、業務委託、外注、請負労働、インデペンデントなどの名称の如何に関わらず、第2条の定義に該当すれば、労働契約法の適用となる。就労場所も何所でもかまわない。
(第2条の適用範囲や定義については、後日のメルマガで解説)

第7条は、労働契約に際しての労働条件の提示についての規定である。就業規則が、労働契約の内容になるための、2つの要件が定められている。
 ひとつは、「合理的な労働条件が定められている就業規則」、
 2つ目は、「労働者に周知させていた場合」である。

合理的な:とは、労働契約法の9条から13条の内容である。また、これとは別に就業規則の変更にあたって注意しなければならない事柄は、労働者に対して誠実説明義務、合意納得努力義務の内容程度である。加えて、従業員代表者選出に不備がある場合は、誠実説明義務などと相まって、原則的には合理的と判定されないこととなる。

周知させていた:とは、既に、書面、パソコンで公開するとか、就業場所にいつでも張り付けまたは吊り下げられて何時でも見られる状態にあることをいう。こういったことが使用者から立証されなければならないことになっている。

第7条の但し書きは、就業規則よりも、労働者にとって良い条件は有効とする規定である。第12条は、就業規則よりも低い労働条件の労働契約内容は無効として、就業規則を適応させることを言っている。就業規則を上回る労働条件が、優先されるべきことは、労働契約施行前どおりの取り扱いとなる。

2008/08/05

第76号

<コンテンツ>
今年秋からの金融危機は、
フィンランドの基礎教育システムを研究
フィンランド教育の研究(社員教育の視点)
フィンランド国語教育=児童生徒の評価方法
解説・労働契約法:労働契約の原則(第3条)


かんぽの宿:偽装請負の公然

¶今年秋からの金融危機は、
今より一層の物価上昇と賃金引下げを招くこととなる。賃金引下げの理由や手続きをめぐって、個別企業との個別労働者の間では、トラブルが誘発される社会状況を生み出すこととなる。銀行の個別企業への融資が激減されている中で、従来の金銭解決というわけにはいかなくなって来た。
最低賃金をめぐる動きは、数年間で800円に近づき、1,000円を目指すことは間違いのない状況、労働市場が大きな変化を起こすことは間違いない。

最近の社会状況は、「泣き寝入りをすれば損をする」との契約思考が定着して来た現象に見られるように、解雇・条件変更の理由や手続きをめぐって、労働者が勉強していることも間違いない。解雇事件になれば、組合が介入すると正社員400万円、パート100万円との、ざっくりとした相場に変わりはない。紛争調整委員会などでは、対組合相場の半額程度が現在の相場であるようだが、労働者側の代理人や労働審判制度を背景にして、その額はセリ上がりつつある。とりわけ、労働集約型産業においては、労働力の仕入れ(採用・条件変更・退職)に際して、事件が多発しており、労働組合、紛争調整委員会に持ち込まれる割合が、この春から急増している。

そういった事件が発生したとき、会社側が法律やコンプライアンスに反するとなると、会社の主張に合理性(道理その他)は認められなくなり、誰もが会社の主張を信用しないといった社会状況なのである。とりわけ偽装請負は使用者側にとって分が悪い、会社の主張を受け入れてもらえない根拠の典型でもある。したがって、ある財閥系で、「お上の、お達しには全面服従」を営業方針に掲げる資本グループは、この初夏から、期間制限を超える派遣を直雇用に、偽装請負を派遣に一斉切り替え、これを一挙に経費をかけてでも行うとしている。大手メーカー関係も、この傾向にあるのだ。よって、それなりの賃金コスト切り下げも、もちろん行われるのである。



¶フィンランドの基礎教育システムを研究
銀行の融資激減によって、労働力の量に対しても資金投入ができなくなった場合は、労働力の質を向上するしかない。経済のグローバル化に伴って、「高付加価値製品」&「高水準サービス」の商品提供を生み出す経済構造が不可欠とされるなかで、日本の労働市場は、個々の労働者の、一層の労働能力水準向上が必要となっているのだ。はっきりいえば、今までの学校教育、小学校・中学・高校・大学、この学校教育の延長線上の社内教育はやめてしまって、目的意識的に、個別企業内で社員教育を行う必要があるのだ。独自教育でもって、画期的優秀な事業を維持している個別企業は事実存在するのだが、まだまだ、「芽」の状態にすぎない。
そもそも、会社の仕事というのは、個人戦ではなく団体戦である。有能なエリートがいたところで、組織は動かず、詰まるところは水準の低さにエリートも迎合しなければ、民間企業の仕事は進まないのである。民間企業は、あくまで自由契約思考で運営されており、公務員の支配:服従思考を持ちこむことはできないのだ。エリートが分かっていても、実際に仕事をする人たちが消化不良では、底辺に合わせざるを得ない。公務員の例であってさえ、戦時下の日本陸軍がそのものであり、海軍でも、その影響は一部に存在した。
現在、中国やインドが全土にエリートを養成・配置をしても、ゆがめない事実として、「労働者の手に職が付かない」といった非エリートの実状が原因して、資金投資=経済成長の構造範囲でしかなく、投資がなくなれば経済崩壊が必至との経済構造は、十数年たっても未だに存在しているのだ。日本の個別企業の中でも、短絡的に、「資金とエリートの人数」によって会社経営ができると考えている、エリートが少なからず存在するが、経済学や経営学をまともに教えてこなかった所に、こういった不幸なエリート?の原因があるのかもしれない。

フィンランドは、PISA(OECD学習到達度調査)で、おおむね学力世界一である。ビジネスに不可欠となる読解力、日本は15位(2006年の統計では57ヵ国・地域の15歳を対象)である。
フィンランドの基礎教育は、生徒間の比較や競争をさせない。
「底上げ手法」と「物事の関連性教育」の2つを、基本中の基礎においているようだ。この2つは、個別企業の団体戦において、「高付加価値製品」&「高水準サービス」の商品提供を生み出す上では、不可欠な能力を養うのは間違いなさそうだ。

昔の産業といえば、「資源があってそれを売る→売るためには加工する→窮乏のため選択の余地なく売れる」の前提に立っていた。経営資源は「人、物、金」と言われた時代だ。今現在は、世界中どこへ行っても、アフリカの奥地でさえ、こういった前提の経済は存在しない。ところが日本の教育といえば、昔の産業を想定して、そこでの職業生活を念頭においての教育が議論されている。個別企業内の教育でも、学校教育でも、こういった想定や念頭には大差がない。
フィンランドの基礎教育が注目されるのは、いろいろな理由があげられそうである。たとえば、
・細部にわたる「気遣い」は労働者の自発性に頼るしかない。
・商品を買う個人消費者は、労働者であり、労働者の文化内容に合わせなければならない。
・商品の信頼性のための規格やブランドは最低条件であり、買ってもらうには詳細な使用価値の情報交換が必要である。
・日本や日本人は、頑張ったところで利回り資金や投資(交換価値)には縁が薄く、その分野で舞台に上がれるわけがない、
といったところである。ただし、あとの理由づけは研究者や学者に任すしかない。

「図解フィンランド・メソッド入門」(経済界:税込1,500円)の入門解説本が出されているが、「底上げ手法」と「物事の関連性教育」の2つが、徹底してグループ内で行われていることを想定して、読んで行くことによって、フィンランド・メソッドの誤解は取り除かれ、個別企業への活用にもつながって行く。日本の教育界では、企業や学校を問わず、手法だけに目が向いている場合も多い。(学校教育界では、フィンランド・ブームとのことらしい)。手法だけをみて居れば、法科大学院の論述教育であったり、中間管理職の自己啓発セミナーに似通った版に見えてしまったりする。ところが、「底上げ手法」と「物事の関連性教育」の2つを基盤においているのだから、実物は、そうではないのである。

産業革命が起こったとき以来、規格品を生産することが目標であった。
この目標を大きく前進させたのがテーラーシステム(科学的管理法)の発明であった。そのために、ハーバード大学で開発された訓練方式が大いにもてはやされ、その基本となる、「やってみせて、やらせてみて、ホメた上で、教え込む」は、あくまでも、規格品を維持するための最低基準でしかないのだ。
フィンランドの基礎教育では、「混合教育」、すなわち、理科の授業の時に国語の話をする、数学の授業のときに音楽の話をする、国語の時間に数学の話をする、といったように、常に物事を関連させて考えるための教育訓練を子供の時から行うのだ。大人になってから想定外の事態に対応できるように小学生から教育をする。それも、「分らない生徒」のレベルを底上げすることに重点をおいている。フィンランドでは、エリート少人数教育は効果がないと踏んで、頭の良い子は集団グループ活動のなかで、ほっておくことで自ら、より成長するとしている。



¶フィンランド教育の研究(社員教育の視点)
とりわけ国語教育においては、団体戦の仕事に不可欠な、(1)発想力、(2)論理力、(3)表現力、(4)批判的思考力、(5)コミュニケーション力の5つを教え訓練している。5つの事柄が自由にできる能力を養うために、具体的な型や技も、教えているのだ。日本では、作文を教えても、物語、説明その他目的別の作成方法を教えることはない。そして、グループディスカッションすることで、グループ全体を底上げする能力を生徒自身が養っている。

(1)発想力
…人間の脳の機能に沿った思考法に基づいて、真ん中にテーマをおき、発想した事柄をカードに記しつなげて行く。ひとりで行っても発想力の訓練にはならないから、これをグループで行う。半面、分析力を養うためにもカードを使用する。これが創造の全体構想を練る力にもつながるという訳だ。携帯電話で有名なノキアの事業展開も、こういった発想力と同様らしい。「目標に向かって物事を達成する訓練ばかり」をして来た日本の受験勉強などとは、根本的に異なる能力分野を訓練している。

(2)論理力
…ディスカッションでの意見には、必ず理由を求められる。理由のない意見は相手にされない。
訓練にあっては、3つ以上の理由を問われ、3つ目の理由を考えることこそが客観的な論理力を向上させることにつながるとしている。ディスカッションの訓練では、相手が納得しないことを実感することを通して教育訓練するのだ。「雰囲気」や「味わい」とか「常識」といったものが、他人には通用しないとして、意思表示を明確に行う職務遂行能力を向上させようというわけだ。

(3)表現力
…言葉を巧みに使いこなす技術を習得させる教育である。
日本のような作文の書きっぱなしではない。まず最初に、言いたいことの重要な語句、いくつかを指定し、これを関連させて作文を作らせる技法だ。小説にしろ説明文にしろ作文技法は存在するのだが、日本では大学教育に至っても、まったく作文技法は教えていない。文章を不要とする職業とみなされれば、生涯、作文技法に出会うこともない。何かの職業に就いてから、その職種分野の作文技法を教わることになっているのが日本の原状。その理由は、仕事とは「言われたことだけ」をやるもので、自分で考え進んで行うものではないと、日本の昔は、そうして来たからだ。

(4)批判的思考力
…日本の学校教育ではこれを教えない。授業では合理的な物事しか教えていない。
だから、社会に出てから合理性と不合理性との区別がつかないのだ。思い込みを排除し、自分の発想・論理・表現の不完全さを気付く訓練でもある。「本当にそうなのかな?」と見直す訓練で、大量の情報から必要な情報だけを取り出し見極めるといったコミュニケーションの基本を身につけさせる。インターネットの情報洪水に巻き込まれて取捨選択判断ができない人が、日本に多いのは、ここに原因がある。取捨選択判断ができない人に限って、「情報制限」を主張しがちなのである。
他人の書いた作文を、設定を変えたり、同義語を使って書き直すなどの訓練もする。批判的思考力を養うことで、目的に沿った理由を考え、相手の意見の理由に応じて自分の意見の理由を調整する能力を身につけさせるのだ。

(5)コミュニケーション力
…ディスカッションの際に、ふざけた意見でもさえぎったりすること、怒ったり、泣いたりは禁物とのことである。不必要に前提をくつがえすための、「議論の蒸し返しも禁止」である。大人びた子供ほど、ディスカッションの、こういった「いわゆるルール」違反をやりたがるらしく、ここだけは先生の出番とのこと。
「自分が言われて嫌なことは、相手にも言わない」といった日本の世間体(&相手の内面や内心干渉)特有の発想は存在しない。「自分の意見を論理構成する前に、相手の意見を論理構成してみる」といった技法が、相手の立場になって考えるという意味である。相手の論理構成を踏まえた上で、自分の論理構成を調整するといったディスカッション方式である。フィンランドでは、「あまり特殊な例は挙げない方がいいんじゃないかな?」とか、「直感的な意見もいいけど、もう少し論理的に行った方がいいと思うよ?」といったアドバイスが、小学生から大人に対しても出されるのは、日常当然のことのようだ。
まさしく、ディスカッションの際に「物事の関連性教育」そのものを行っている。企業組織の一員であればコミュニケーションなどは不要であった時代から、コミュニケーション力を養い、組織を超えて物事の関連性をネットワークして行くことで、業務を進めて行く仕事スタイルに沿った教育訓練をしているのだ。



¶フィンランド国語教育=児童生徒の評価方法
フィンランドでは、国際社会において、自分ひとりで生きて行くことのできる人間を育てるために、コミュニケーション能力を身につけさせ、その訓練として、質問に答える場合は必ず理由を答えさせ、その理由の論述能力を評価の対象にしている。プロセス重視の教育における評価方法だ。
フィンランド国語教育における児童生徒の答えは、「児童生徒の示した意見」としてとらえられ、正解はない。生徒の示した意見の評価は、「意見そのものを評価するのではなく、根拠との関連において、あるいは根拠として挙げた事実の正当性について、評価すべきものだということです。意見そのものが正しいかどうかなど、誰にも評価できない--これが基本的な考え方です」(フィンランド国語教科書:小学5年生p.107)としている。さらに、「先生は、児童生徒の挙げた理由が適切かどうか、理由と意見がうまく関連付けされているかどうか、根拠として挙げた事実に間違いがないかどうかを重点的にチェックするのです」(同p.107~108)という具合だ。
ところで日本では、唯一、これとよく似た論述能力の教育訓練を教育機関として行っているのは、法科大学院であり司法研修所だけのようだ。たとえば人事総務部門での、「事件の事実があった。理由の事実が真実(合理的に道理をもって証明)である。その裏付証明の証拠がある」といった、解雇や懲戒処分における客観的合理的理由の論述構成がそうである。司法研修所での国語力は公立高校程度以上は求めないとのことであるが、最終的な一人前としての仕上げは、これを就職先弁護士事務所などの職人的教育訓練に託しているのが原状でもある。そういった論述能力をフィンランドでは、それなりに児童生徒の段階で、コミュニケーション能力の手法として身につけさせているのだ。

グローバル経済、もしかすれば日本が沈没するかもしれない瀬戸際に、個別企業だけでも浮かび上がるためには、こういった目的意識的な社員教育が、そこは重要なのである。フィンランドは、人口500万人強程度、この国が自前で国際的に活躍しようとすれば、こういった教育を徹底して行っているところの理由が解る。授業時間は日本より少ないうえに、遅刻やサボりも日本の2~3倍と、フィンランドの子供は学校嫌いなのかもしれないのだ。
学校嫌いの高卒ばかりを抱えていても、団体戦で勝負している個別企業であれば、フィンランド手法を参考にすると、明るく開けて来るのだ。そのきっかけづくりは、総務人事部門のあなたにかかっている。



¶解説・労働契約法:労働契約の原則(第3条)
この第3条について解説している書籍はほとんどない。解説できる人もほとんどいない。それは、法律学の視点に立ってしまうと、関連する判例が見当たらず、明確な自信を持った解説の仕様がないからである。したがって、法律家と自称すればするほど、解説するのが不可能となってくる。学術的姿勢、客観的視点の保持、強い良心による論述は難しくなってくるのが当たり前である。
ところが、労働や経営労務の最前線現場の担当者にとっては、現場の視点からの解説が必要なのである。そこで、この法律の成立をめぐっての数々の情報の中から取捨選択して、本当の所は何を念頭においているのかのヒントを、(あくまで著者の推測との建前で)提供する。
第3条は、政府案は3項目であったが、政府案の前の段階では、それ以上の項目が存在した。その後政府案3項目に民主党から2項目の修正が提案される形で、現在の合計5項目になったものである。

第1項は、
労使対等の原則での契約の締結解除である。これはもとより存在した。民法の自由契約の原則を引きついでいるもので、現在の憲法になって以来は、これに異議を唱える者は極めて数少ない。唱えたとすれば、社会的排除は覚悟しなければならない。

第2項は、
修正案が示されて加えられたもので、「実態に応じて均衡の考慮」である。実態に応じてとは、形式的な「申し込みと承諾の意思の合致」といった契約にとらわれず、実態を重視することにより、民法の雇用契約といった狭い範囲ではなく、いわゆる「労働契約」として広い範囲で取り扱うことを意味する。均衡考慮するということの念頭に置かれていたものは、パート労働法の内容である。要するに、パートや契約社員その他が、正社員との格差が実態として存在する場合について、この条文の内容(要件事実など)が重要になるのである。現在までに、目立った判例が出ていないことから、解説が少ないだけで、決してお飾りや基本理念の原則を述べた条項ではない。考慮しなかったとは、検討した事実が証明及び裏づけ証拠がないと想定する。

第3項は、
これも修正案により追加されたもの、「仕事と生活の調和」の配慮義務である。念頭においていたものは、たとえ労働基準法で、事業主が自由な労働時間設定ができるとしても、その時の社会に受け入れられないようなシフトやローテーションを組まないようにしなければならないとしているのである。例をあげると、〔始業時刻8時~終業時刻22時、休憩が12時から18時まで〕とか、〔当日の労働日の終業時刻が23時55分、翌日の労働日の始業時刻は午前零時5分〕といったようなものである。配慮しなかったとは、何らかの措置をしようとの努力もなかった状況を想定する。
現在、内閣府や厚生労働省で提案されている、「仕事と生活の調和」は、この労働契約法の話ではない。同一の語句を使ってはいるが、労働契約法を根拠とする表現はない。基準法、均等法、パート法などの名称は出ていても、労働契約法の名称は見当たらない。労働契約法の「仕事と生活の調和」を変質させ、「ワーク・ライフ・バランス」としているのだとの批判まで沸いている。
仮に労働契約法が行政関係の法令ではないとの言い分が出たとしても、現に、労働基準監督官は労働契約法の範囲であれば労働局のあっせん等を紹介し、都道府県労働局の紛争調整委員会、府県の労働委員会では労働契約法を取り扱い、紛争調整委員会では判例ならぬ合議あっせん案を提示する機能と権限を備えているのだ。あっせんや司法の現場では、労働契約が念頭においている仕事と生活の調和なのだ。

第4項は、
労働契約を遵守して、「信義に従い誠実に」権利と義務の行使を定めている。政府案の第2項が第4項に項目が繰り下げられたもの。信義に従いとは、いわゆるペテンにかけてはいけないということ。誠実にとは、聞かれたことはすべて説明する誠実義務とか、協議で一致した意思を守る義務とか、就業規則に定められた利益はくまなく適用する義務がある、などのことである。たとえば、有給休暇の存在に気が付いた者に限定して付与する実態、退職金規定の存在を知った者に限り退職金を支給する実態が、その他、労働条件の制度の存在を知られなければ情報公開しないといった手法と結果が、この第4項に反するのである。

第5項は、
労働者と使用者が、契約を超えての権利を、それぞれ超えて行使してはいけない、権利濫用は、定まった権利以上にあふれて用いることであり、職権濫用とは、職務権限以上の権利をあふれて用いることである。乱用とは、みだれることであり、あふれることではない。乱心・狂乱のみだれるのが乱用であり、その場合は、第3条第1項と第4項、第9条、第14条~第16条などが、主に用いられることとなる。第5項があることで、職権濫用が、不法行為として取り扱われるとか、民法第1条第3項の権利の濫用として裁判官の判断を待たなければならないなどのことを防止し、契約不履行として労使双方の不利益を早期に救済する効果をもつものとなった。

労働契約法は、労使が紛争したとしても、社会共同体の秩序を維持するためのルールを定めたものであるから、使用者側にとっても有利な側面をもっているのである。グローバル経済とか社会共同体に反する会社経営を行ないたい場合には、確かに、都合の悪い法律である。
労働契約法では賃金に関して、あまり触れず、第3条に象徴されるように、権利義務に力点をおいているのである。


¶かんぽの宿:偽装請負の公然
日本郵政が経営するかんぽの宿では、夜の10時ごろから朝の8時頃まで、職員を誰ひとりとしておいていない。すべてを警備会社に外注して、効率化を図っているというのだ。ところが、ここで事故が発生し、それをめぐって偽装請負の実態が判明した。
7月13日夜、ある宿泊客が、深夜11時頃にポットに入った飲料氷水を求めたところ、トイレの汚物入れポットに氷水を入れて、警備員が部屋に届けたのだ。翌14日の朝7時過ぎ、誰か職員が居るだろうとの期待から、氷水ポットを再び求めた。今度は、プラスチックの水差しを厨房から持ってきたと言って部屋に届けた。

そこで騒ぎになった。
これに対して、ルームサービスを警備員にさせること自体が、警備業法や労働者派遣法に反する行為であるとなったのだ。そこには、深夜以外は食堂もフロントも、たとえ夏休みシーズンを迎え、予備人員を配置しているとしても、人員が多すぎることは一目瞭然。
だとしても、なぜ深夜には「かんぽの宿」の職員が、誰ひとりとして常駐してないのか?といったことになった。エレベーターには、時給900円の契約社員の募集広告が張られているが、深夜時間帯の募集がない。見るからに業務効率は低いようで、まさに「お役所仕事」、民間宿泊施設のような、従業員の自主性に期待して業務効率を上げようといった優秀性は、まったく感じられない。

さて、ルームサービスといえば、客からの、何が出て来るか分からないような要望に対処する業務である。警備会社に外注することができたとしても、それをこなせる警備会社は存在するはずがない。こなす能力がある会社であれば、ホテル業務請負業となり警備業ではなくなる。そういったニュービジネスが生まれれば、ホテル業界の人材不足や業務改善の苦労は一挙に解決する。
まして、警備業は人の生命・安全や財産など守る業務であり、ルームサービスと併合して行うことは矛盾が生じ、業務遂行は不可能なのである。
そうすると、多種多様なルームサービスが分からない警備員が、派遣先である「かんぽの宿」の職員に聞くとか教育を受けることとなる→これが頻繁に発生する+サービス向上を図ろうとすると、職員が警備員に事実上指揮命令するといった実体なることは、十分に予見できることなのである。日本郵政の宿泊事業部責任者は、あっさりこのことを認めた。

確かに、全国を統括する宿泊事業部責任者が言うには、日本郵政の職員などが、外注先の警備員にルームサービスなどをするようになどとの、直接な指揮命令は行わないことにしたとのことであった。教育についても、直接教育することがないように、「かんぽの宿」ごとに警備員のリーダー格に教育を行うとしている。だとしても、ルームサービスのノウハウを持つ外注業者に依頼するのならともかく、ノウハウがないことを認識しているから教育を行うとしているであり、やはり、「かんぽの宿」の職員が、直接指揮命令することに何ら変わりがないと判断されるのは目に見えている。
宿泊事業部責任者は、いろいろな意見は聞いてくれるが、最後に一言、重要な話をした。
郵政が民営化になって5年以内に、個々の「かんぽの宿」の施設自体が他人に譲渡されるか廃止されるかとなっているので、(今更)改善も遵法も計画にはないというのだ。
これに対し、「かんぽの宿」を経営する日本郵政の本社を管轄する東京労働局は、警備員にルームサービスなど行わせ、派遣労働者として扱っている情報提供(7月16日)を受け付けたものの、その後の行政指導内容までは申し上げられないとしたようだ。官公庁とか外郭団体に対する派遣や偽装請負に関する行政指導は、昭和61年の派遣法成立以前から、厚生労働省は弱腰と言われているが、現在もそうなのだろうか?

民営化された後の、日本郵政本社からの意欲の低下と、将来失望による投げやり的偽装請負の継続、これでは公共宿泊施設の役割である、日本の観光産業の下支えは、一体、どのようになるのであろうか。もとより、簡易保険の余ったカネを使いたかっただけの話だったのだろうか。
「かんぽの宿」は、高齢者や庶民には人気の場所であったが、安かろう悪かろうの、あと5年の寿命を待つだけとなったのであろうか?
そこまでひどいサービス内容の施設であれば、誰が買い取っても、華やかに再生したように見せかけることができるかもしれないのだ。

2008/07/08

第75号

個別的労働関係の紛争が急増
5月から6月にかけて、解雇、労働条件切り下げ、就業態度などをめぐっての個別企業と労働者の紛争が急増している。労働組合関係のうわさをきいても、労働協約に関するトラブルではなく、個別的な労働者の相談や団体交渉が増加しつつあるとのことである。
紛争の真っただ中で、会社側のあっせん代理人or団体交渉員の視点から分析をしてみた。
いわゆる格差社会のワーキングプア転落への恐怖感から、労働者は反応している。
1.そのきっかけは、上司の強圧的態度、信義則違反の態度に起因する感情問題である。
2.理不尽・不利益条件変更や解雇問題でも、事件に結びつくことは少なく、金銭で落ち着く。
3.感情問題の深刻さの程度により、労働審判 → 紛争調査委員会 → 労組団交へ進化する。
4.「労基署に行く!」の発言の裏には金銭、労基署に行くのは比較的少ない。
5.精神的損害の金銭要求!の奥底には、上司や会社との感情問題が粘着している。
6.偽装食品表示、偽装請負などのニュースは追い風! 法律条文は口実事由となっている。
7.当事者の納得する和解解決には時間がかかり、労働者ひとりの問題域を超えることになる。
8.和睦、和議、示談、裁判での取引の手段は、中間管理職の企業精神を腐らせている。

最近取り沙汰されている労働者派遣業界においては、厚生労働省が日雇派遣を中心に弾圧を行っていることから、この系統の業者は「貧すれば鈍する」、トラブルを抱え込みやすい。その余波は発注企業にまで及んでおり、これが残念なことに、人事や総務部門には聞こえてこない現実でもある。
派遣業者でも、いくつかの業態パターンに分かれる。
いちばんトラブルを起こしやすいのは、アメリカ系発想の派遣会社である。その昔、ニューヨーク港に到着した移民に対して、架空の職業を1~2ドルで紹介し、汽車や馬車を乗り継ぎ現地に辿り着けば、何百人と騙された人の集まりだけ、といったような人身売買が、業界の始まりだった。これを州政府が賃金を支払わせるよう規制したのが、アメリカ系派遣会社である。したがって、派遣労働者のスキルとか能力にはおかまいなしであるから、トラブルが続出するのは当然のことである。日本的人事管理や日本的労働市場から生まれた純日本系派遣会社、ヨーロッパ系派遣会社などにあっては、格段にトラブルは少ないようだ。



ネットカフェやホームレス問題を取材!
大阪西成には、釜ヶ崎支援機構というNPO法人がある。
事実上、政府や自治体のホームレス支援、ネットカフェ難民問題を現場の最先端で取り組んでいる非営利民間団体である。
西成「三角公園」の隣にある、元職業安定所の労働出張所跡二階で、この団体の本年度総会が6月21日開かれた。
大阪市西成区の、「釜ヶ崎」といえば、
「釜ヶ崎にいけば、物も安いし、何とかなる!」
と、全国のホームレスに陥った人たちに、うわさされている地域だ。
一概にすべて「何とかなる」と言うわけでもないのだが、確かに自動販売機の缶ジュースは50円程度、三角公園周辺のキリスト教団体に行けば、1日1食は無料で食べられる。今時、炊き出しは流行していない。近所にあるスーパー:イズミヤも食料品は驚くほどに安い。

ところが、関西のほとんどの人であってもが、釜ヶ崎の名前は知っているものの、ほとんど、この周辺にすら足を踏み入れたことがない。
昔から、「ネクタイをしていると襲われる!」と言われるが、実際は、金持ち風:鼻高々とかオドオド:ビクビクしている人物が危ないだけである。
とくに雨の日は危険ではあるが、決して無法地帯ではない。アニメの「じゃりン子チエ」の舞台は、釜ヶ崎と南海電車の線路で隔てられた高架をくぐったところの街である。
釜ヶ崎に存在するホームレスなどの支援組織、関係団体、労働組合などは、様々な思惑なども絡み合い奇奇怪怪! ここに、南北朝鮮・日中台湾問題の国際情勢末端での悲劇も絡んで来る。
夜の9時半ともなれば、繁華街とは異なり、ほぼ通行人もいない、静かな状況。ただし、一旦事件が起こると、寝床から起きて来て、野次馬、投石、放火などの騒ぎになるのである。

さて、NPO釜ヶ崎支援機構総会での特徴的な話を取材。
昨年秋から、政府予算でネットカフェ難民と言われる100人に、インタビュー調査を行って、本年度末に結果発表に至ったとのこと。
数値で表せないインテリジェンス情報が、確かによく集められている。
この調査から、ネットカフェ難民主流の解明ができたとしている。
それは、
地方などから工場派遣などに働きに来た人が寮付の派遣に就職したが、高収入とは裏腹の過酷な労働と賃金、短期雇用契約による解雇の繰り返し、離職前の寮付住込派遣仕事から次の寮付住込派遣仕事の間の、「つなぎの瞬間」に、一時的なネットカフェ生活と思って、ネットカフェ、深夜のファミレス、お金がなければ路上生活をしているといった状況とのこと。
体が健康であれば、収入は概ね1ヵ月17~18万円の手取りはあるようだが、段ボールやブルーシートを手に入れる知恵すらなく、その方法も知らないとしている。

こんな話も。
釜ヶ崎とその周辺での支援対象となる人たちは、この1年余りに急激な変化しており、あまりにも社会で生きて行く知識が少なく、「ボクだけの話を聞いてくれ!」に象徴される若者が多く、社会での共同生活が出来ない人が増えていると分析。
人間関係構築能力欠如、→ 社会参加訓練欠如の末、→ 孤独志向に至っていると話していた。
現象としては、「もっと早く、声をかけて欲しかった」との感想を述べる30代の人が増えている様子だそうだ。半面、他人からの「ほどこし」は絶対受けないとする人たちも目立つとしている。
そういったことから、統合失調症などの精神疾患に陥っている人が急増とのことである。
強調されていた事柄は、
最近急速に30~40代の若年者にとっては、「ただ単に仕事、ただ単に援助金、ただ単に食事、ただ単に生活保護」といったような、旧来の標準パターンの流れで支援ケアすることは不可能で、何らかでも「心のケア」とか、「心の支え」に結びつくような支援が必要であるとの話。

釜ヶ崎に集まる人たちの取材と合わせて考えると、人手不足!人材不足!外国人労働力の輸入を!と言うより先に、釜ヶ崎を訪ねて来る、「まだしも日本文化を理解している」若者たちに、デンマークやスウェーデンのような、再教育や再訓練といった労働力確保施策の考え方も、ひとつの方法とヒラメいた。
その理由は、日本製品の背景には、日本文化があり、この文化を外国人が理解するには並大抵ではなく、ここのネットカフェには、「極めて日本文化にこだわっている」人たちが、窮乏しながらも生きているからである。



労働契約法の解説 (第5条:安全配慮義務)
「第5条 使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」
労働契約法に関する書籍や解説が数多く出されているが、この安全配慮義務を定めた条項の解説は少ないようだ。そもそもの事件は、安全配慮義務の概念が存在しなかった当時、昭和50年2月25日最高裁判決が出された。それは、自衛隊八戸駐屯地車両整備工場で起こった事故をめぐって、国が公務遂行の設置場所、施設・器具などの設置管理、上司の指示のもとにする公務管理にあたって、生命、健康などを危険から保護・配慮する義務(安全配慮義務)を負っているとしたものである。この判例には、通常表面に現れない考え方ではあるが、「法の支配」とは何か!との社会共同体の原則ともいえるべき思索概念が含まれていたのだ。
安全配慮の概念を信義則上に負う義務として認めたものの、不法行為責任損害賠償ではなく、契約不履行責任損害賠償を当てはめることで、消滅時効を10年間として延長し、不法行為の消滅時効3年を排除して、救済することを優先させた判例である。すなわち、時効についての条文を丸暗記した程度では、最高裁のこの判例が理解ができないのである。この判例によって、その後、雇用・労働関係に限らず、医療、学校、請負事業その他多方面に安全配慮義務の考え方が広まった。
労働契約法を制定した主要な立法目的は、労働関係に関する判例を整理して、法律に成文化し法廷法理となし、法律の基準として国内に周知することで、未然に労使間の紛争発生を防止し、不毛な判例解釈を排除することにあった。したがって、ことさら労働契約法の解説・学習に過去の判例を持ち出すも必要なく、法律家にあっては、如何に法的な解釈行うかが役割となってくるのである。個別企業の実務担当者やあっせん代理人にあっては、紛争発生を防止し、発生のときには当事者の納得が得られるような和解を促進し、そのために労働契約法を駆使することになるのである。労使対決を招くための口実たるべき法律構成になっていないのがこの労働契約法である。個別企業の担当者は、一部の法律家と称する者たちに、対決を促され、惑わされ、煽られてはいけないのである。
「労働契約に伴い、」…とは新たに契約を結ぶ段階から契約が終了する間のことを指す。
「労働者」…とはこの法律によれば、使用者に使用されて労働し賃金を支払われる者であり、正社員、契約社員、パートなどの名称や身分を問わず、サラリーマン以外に独立一匹狼(インディペンデント?)などの外注も専属性や時間拘束性があれば、該当することになる。
「生命、身体等の安全」…とは肉体的、精神的いずれもの安全を指し、負傷、疾病、被爆、第三者からの危険を問わず、予見できる状態も含むことを指す。
「必要な配慮をする」…のは使用者であって、労働者から指摘をされた上に配慮を怠れば、安全配慮義務とは別に不法行為責任を問われることにもなる。使用者が安全の指示をしたが、労働者が従わない場合でも、責任が使用者に負わされることになる。
安全配慮義務の条項は、訴訟での対決ばかりを念頭においてしまうと、条文を読んだ通りを超えての発想が浮かばず、今述べた程度の貧困な解釈内容になってしまう。今や事故やうつ病が発生したときに、その損害賠償をめぐって多額の金銭出費を強いられる現代において、会社方針に反して危険作業を繰り返す労働者を抑制する根拠となるのだ。個別企業の実務担当者からすれば、安全配慮を無視しがちな現場労働者とか中間管理職を業務現場から排除する法律根拠となるのだ。「それは安全配慮義務違反となるから、業務停止!」といった具合だ。安全配慮義務違反の指揮命令をしたとして中間管理職を懲戒処分にすることもできる。
そこには、これからの「日本経済を高付加価値製品or高水準サービスの商品提供」でもって、世界各地の富裕層に絞って輸出進出して行くなどの戦略上にあたっては、労働者の安全配慮を軽視するような企業内労働態様は害悪となり、ひとえに人材育成とノウハウ蓄積によらなければ企業の経済展開が成り立たない!といった背景根拠が存在するからである。ひいては、労働者の安全や消費者の安全を重視することになれば、ますます日本が得意とする技術開発・ソフト開発が進展することにもなるのだ。
人命軽視の文化を持つ中国・インド・ロシアにあっては、いくら投資したところで、こういった技術開発や経済発展は国家としての経済政策目標にはなりえないのだ。貧すれば鈍する!では、企業経営は成り立たない。暴力団の世界でも、貧すれば「覚せい剤や売春」に手を出し、鈍して「警察に弾圧」されるのだ。
専門的な話ではあるが、数10年前に労働組合運動あたりから、「就労拒否権」なる概念が持ち出されたが、時代の流れは「新たな権利の確立」よりも、自由平等のための「法の支配」に至ることになったのだ。



☆彡 有給休暇の管理ソフト ☆ミ
少し時期が遅れて7月末発売です。読者の方にはメールでお知らせします。
・社員のみならず出勤日数の少ないパートも個人ごとに対応。
・電話での、残日数や過去の消化日の問い合わせに、ひと目で処理。
・集計結果は給与計算データとなり、人件費計算に役立ちます。
・労働基準法バージョンですが、全日休、半日休の対応も可能。
・オプションはオーダーメイド。
(例1)全社員マスターのテキスト(CSV)取り込み
(例2)初期マスター設定を各社ごとに対応

2008/06/10

第74号

 <コンテンツ>
 今年の年末に向けて経済が一挙に
 とにかく世界も日本も変わる。
 個別企業で確保しなければならないこと
 人材を育て、→産業を創造し、普遍的展開をするところには、
 テーラーシステム(科学的管理法)は
 ちなみに、訓練もしくは訓練の過程において
 封建時代の産業構造に近い中国経済の根本的大問題
 自主性自発性を重視する教育は、ひとえに文化である。
 過日、デンマークの小学校教師から話をインタビューした。
 フィンランド教育方法の情報も入って来た。
 ある文化経済学者の、知識を学ばせるとは、
 ある宇宙物理学者は、本当の科学者の見分け方
 世の中には「一風変わった」ソフト開発会社がある。
 さて、こう見てくると、
 (労働契約法の解説は休ませていただきます。)


¶今年の年末に向けて経済が一挙に
落ち込み、年末には社会不安が激しくなるとの見通しが、共通の認識となってきた。先行き不安が世界に漂っている。はたして、「21世紀の産業革命」の起爆剤と云われる低炭素エネルギー転換、IT情報活用、流通・交通などに期待はかかるが、不安解消とまでは至らない。

¶とにかく世界も日本も変わる。
さて、これに対し個別企業にあっては、如何に対応するかが重要な課題である。
その方向は、「高付加価値製品or高水準サービス」の商品提供がカギとなる。
それも、中国、ロシア、ブラジルなどのブリクス諸国の“お金持ち”、あるいはEUの中間富裕層向けが、どうもマーケティングの標的なのである。アメリカ経済への、現在までの大量製品の大量消費マーケットは、転換を図らざるを得ないようである。

¶個別企業で確保しなければならないこと
は、「高付加価値製品or高水準サービス」の商品を提供するための人材確保である。このような人手が少ないのであれば、まずは自前で育成するしかない!のである。幸いなことに、日本の文化が背景となって、こういった人材育成や確保の土壌は、未だ存在している。ただし、ハッキリ、注意しなければならないのは、今の学校教育を受けた高校生や大学生は、知識偏重・記憶偏重者が多く、受験予備校などで「考える能力」の芽を摘まれてしまっているから、抜本的に能力修正をしなければならない作業である。

あなたの個別企業でも、業務改善や危機管理を行ない、マーケティングの向上、品質サービス向上が図られれば経営が改善すると分かってはいても、この知識偏重・記憶偏重者が多いところに足を引っ張られ、目先のことさえできない原因があるのだ。彼等の、「教えてもらえば、出来ます!」といった答えは、意欲のなさというよりは、やり方を考える能力の未熟さの現れなのである。このメルマガを書いている私も、これを読んでいるあなた自身も、このことをよく考えてみる必要に迫られているのだ。


¶人材を育て、→産業を創造し、普遍的展開をするところには、
どうもひとつの共通点が存在するようである。封建時代には、お殿様が経済発展や豊かさの追及を抑え込んでまで地位を守った。それが市民革命を経て資本主義を形成するとともに、先進国人類は社会共同体というものを作り上げた。社会共同体を通して自由と民主主義を担保し、自由な経済活動を展開して来た。おそらくここまでは、誰しもが否定しない事実である。
こういった社会共同体の共通したものに、「自発性自主性に重点をおいた教育」の存在がある。日本の高度経済成長を支えた人材育成は、TWI訓練とかOJTの真髄である、「やって見せて、やらせて見せて、ほめなければ、人は動かじ。(旧海軍:山本五十六)」、これも当時の海軍としては、「自発性自主性」なのである。

¶テーラーシステム(科学的管理法)は
アメリカで開発され、ヨーロッパに広がり、当時のソ連のレーニンが導入し、いまの北欧にも広まった。(だが中国は外れた)。この管理法の真髄は、生産作業をする際に、
作業計画を企画・設計・計画する人物と、
もっぱら考えることなく作業に勤しむ人物とに
はっきりと分離をしたことである。(職人:これらを統合して順次考え順次作業する作業方式) この管理方式を支える教育訓練が、アメリカのハーバード大学で開発され、その開発初期過程で留学していたのが、旧海軍の山本五十六であった。当時海軍は石炭で動く小型戦艦から、大型重油戦艦を動かすために、有能な技能者を大量に人材開発し、近代化したのであった。とはいえ、海軍基地ごとの艦隊派閥争いの解消までは、できなかったようではあるが。
(この艦隊ごとの派閥は、呉海軍基地に舞鶴艦隊が居れば、横須賀艦隊は入港拒絶といったような類、この解消法が連合艦隊として同一行動を取らせることだったが、所詮は海軍内での自慢話にすぎなかった)。


¶ちなみに、訓練もしくは訓練の過程において
自主性自発性を重点におくことは無い。だからといって、プレッシャーを加えながらの教育は、目先の効果も期待できない。たとえば、JR西日本の日勤教育は有名であるが、プレッシャー管理や同じ文章を何度も何度も書きうつさせても、効果はないのである。マニュアルなどの決まりは守るかもしれないが、想定外事態での対応とか、新規・創造的な仕事はできず、「やることはやってます!」と、すなわち最小限の決まりごと以上のことはしない、いや決まりごとさえもできない!となるのが関の山なのである。おそらく、封建時代の産業構造とか、職人の世界であれば、結構これは大規模に組織的に行うことができるのかも知れない。しかしながら、これではグローバル社会や、ブリクス諸国に負けてしまうという。と云うだけに留まらず、個別企業でそれを目指したとしても、産業資本の絶対額や労働力人口絶対数で、事業展開競争のスタートラインに立つ資格要件すら、日本系では整わないのである。

¶封建時代の産業構造に近い中国経済の根本的大問題
は、改革解放政策を行っても、大半の中国労働者には技能向上が見られなかったのである。その理由は共産党員の家庭に生まれなければ、最高教育は受けられず出世の道も閉ざされるという、人材育成制度前提の社会構造に問題があるのだ。だから、海外資本の投資総額に限ってしか経済成長できないのだ。インドもよく似たことが言える。カースト制度がある限り、いくら教育を受けたとしても、重要ポストに就くことには限界があるといった身分制度、これでは意欲がわくことはない。


¶自主性自発性を重視する教育は、ひとえに文化である。
抜け駆け、詐欺、暴力、強迫、差別などが横行するといった文化水準の国家では、豊かなところは存在しないのが事実である。また、世間体の義理人情に浸り、豊かさから離れ悲劇に埋没するなかで、センチメンタルな感動に酔いしれて、つつましい生活を美徳とするのも、それも確かに文化である。
そして、社会不安が激しくなると必ず、「物質的豊かさは精神的豊かさを破壊する!」という輩が現れるが、経済学的にみると、「精神的豊かさの保障は物質的豊かさをリードする!」のが正しいのである。
それなりの高度な教育を行ない、理性をはぐくむことによる文化なのである。いくつかの具体例を紹介しよう。

¶過日、デンマークの小学校教師から話をインタビューした。
「デンマークのエンジニアひとりは中国の1,000人、インドの1,000人に等しい。これがデンマークの教育です」。
これが開口一番の第一声であった。続けて、
「人口は540万人の小さな国だから、農業、畜産、ハイテク、ノウハウを輸出。小学年の期間、試験は無い、1学級20人程度、一方通行授業はなく課題を解く方式、教師と生徒は同じ目線でニックネームで呼び合う」。
すなわち、デンマークでは、基礎的な能力を徹底して磨きあげることを重視している。
「デンマークでは、18歳になれば大人であり、親元からも追い出す。民主主義は実行するもの。大人になるまでに、できるようにする!」と最後に力説したのは特徴的であった。

¶フィンランド教育方法の情報も入って来た。
その方法は「混合教育」、すなわち、理科の授業の時に国語の話をする、数学の授業のときに音楽の話をする、国語の時間に数学の話をする、といったように、物事を関連させて常に考えるようにさせる教育訓練を子供の時から行うのだ。大人になってから想定外の事態に対応できるように小学年から教育をする。それも、生徒全体のレベルを上げることに重点をおいている。エリート少人数教育は効果がないと踏んでいる。

¶ある文化経済学者の、知識を学ばせるとは、
「『真似をさせる』とか『暗記させる』ことだと、かつて錯覚していたとして、覚えさせるのは試験対策などにはそれなりに有効であるが、言葉の意味や文脈を考えないで暗記してみても実際には直ぐに忘れ、加えて、考えない癖がついて、柔軟な思考力や的確な判断力の育成を妨げる。当たり前のことで、学校秀才が役に立たない理由」。
だと説明している。たとえば効果的な方法として、情報やまとまった考え方などは、
「意味を自分なりに解釈した上で、誰かと(例えば、友人や知り合いと)対話をしてこそ、より深く理解できる。人に話しかけ、理解を求めて、言葉やスピーチの意味を相手に分かるように説明するのだ。相手に意味が通じれば、その言葉やスピーチをめぐって両者が情報を共有することが出来る。情報の共有によって、話しかけた自分の‘意味を理解する力量’は深まるだけではない。さらには、聞き手である相手の「意味を理解する能力」にも影響する。相手の潜在的な能力が開発されて、この言葉やスピーチに関係した、さまざまな領域での会話をはずませる前提がきり拓かれるのだ」。
と解説している。いわゆるケースメソッド方式の学習方法は、知識を学ぶにも応用できるというわけだ。

¶ある宇宙物理学者は、本当の科学者の見分け方
を示した。次のような話題が見てとれるかどうかとのことだ。「科学は100%ではない。科学には限界がある」と、科学ではわからない要素を話す人とのことである。加えて、いざとなれば弱者味方も必要要件とのことである。


¶世の中には「一風変わった」ソフト開発会社がある。
一般IT系企業をスピンアウトした技術者ばかりを、友達ルートで採用している。その会社には、理工学系一流国立大学といわれる出身者ばかりだ。経営者は経済学部出身で、「一風変わり者」をうまく活用している。現在、株式会社総務部で開発中の「有給休暇管理ソフト」も、この会社にプログラム分野を任せている。多くのソフト開発企業といえば、実に主力はIT系技能者であって、技術者ではないところに特徴がある。残念ながら多くの企業が体力勝負で、管理職も若年層が多く、その多くが「太陽に向かって走れ!」式の未熟さ管理で蔓延しているのである。だから、技術系の有能な者ほど、嫌気をさして離脱するといった構造だ。ここに、これから将来の利益の源泉が見えてきている。


¶さて、こう見てくると、
おぼろげながらにも、人材育成の方向性が見えてくる。
標準型作業を行なうための労働者であっても、いかに想定外に対応できるかは重要なのである。
労働力人口が少なければ、個々全員の基礎的な能力を磨きあげることが大切である。
議論やスピーチが、知識を習得する上では重要な学習技術である。
確かに、ひとつの産業等を起こす人物は数万人に1人、数百人の陣容を動かす人物は500人に1人などと、昔からよく言われる。ところが、これらの人物は産業界だけでなく政治、芸術、社会貢献などのそれぞれの分野からも、人材確保として取りあっているのだ。20歳代の社会貢献とか社会実業家も、結果現象であり、人材育成方法ではない。
☆想定外対応教育、☆磨きあげられた基礎能力、☆知識習得技術の教育基盤の上に、
数万人に1人~500人に1人といった人材を抱えられるかどうかが、個別企業の勝負となる。
ブリクス諸国で通用する人材を、今さらエリート教育として養成しても仕方がないのである。


(労働契約法の解説は休ませていただきます。)


有給休暇の管理ソフト開発
労働基準法バージョン、一般常用社員もパートも個人ごとにひと目で分かるもの
 ☆ミ 入力・出力の最終テスト中
 ☆彡 全日休、半日休の対応を追加

2008/05/06

第73号

<コンテンツ>
 松下電産の子会社との偽装請負関係者の労働者
 突然、外国人を労働力として受入れるとの動き
 中国と日本の経済関係はどうなる?
 解説・労働契約法:就業規則不利益変更(第10条)
 有給休暇の管理ソフト開発(日本初バージョン)


¶松下電産の子会社との偽装請負関係者の労働者
について、大阪高裁は4月25日、子会社との直接雇用が成立しているとの認定の判断を示した。
これは、一昨年来のクリスタルグループ偽装請負事件に関連するものであるが、今後の労働力調達方法に大きな影響を及ぼすことは間違いない。偽装請負を勧誘していたクリスタルグループの受注活動は、工場の資材課長等に対する利益供与とその弱みを握るといったうわさが絶えなかったが、そのクリスタルグループの悪質性ばかりではなく、違法契約の結果に対する判断が示されたものとして重要なのである。
判決内容は省略するが、
「業務請負でなく違法派遣労働だったことから当初から無効と認定」していることは、民法の雇用契約についての極めてオーソドックスな判断であり、基本的人権とか社会権よりも以前の判断基準(いわゆる社会契約論)なのである。
そのうえで、「無効にもかかわらず松下子会社で勤務し続け、派遣先から指揮命令を受けていた状況を踏まえると、法的に根拠づけるのは労働契約以外ない」としているところだ。これは、事態を重視する労働契約成立の判断として、従前からの労働基準法の解釈を踏まえたものであり、定着している判例法理である。要するに、
違法な契約は無効であり作業進捗管理を行っているものが直接の雇い主であるとの判断だ。
これは、厚生労働省の曖昧と言わざるを得ない行政指導を真っ向から否定したものとなった。厚生労働省の行政指導は聴き様によって、雇用が3年超えれば、その後に派遣先が新たに雇用を申し込み、それを受けて労働者が承諾の意思表示を表して、そこで初めて契約が成立するとの代物であるが、大阪高裁はこうした手続きとは無関係に実態としての契約が成立するとの考えを示したものだ。
会社は最高裁に28日付け上告したが、その場合、すぐさま棄却される場合は3ヵ月程度、判例が出されるには数年後となるが、こういった民法の契約法の原則が最高裁でも貫かれることについては間違いない。
したがって、その準備と覚悟は今から必要となる。
その理由は、派遣であれば社会保険料の費用負担が発生するが、業務請負の名称であれば社会保険事務所が保険加入の調査に入ることは稀である実態から、派遣法関連一体のものとしての実情がある。1999年まで派遣業務の専門性が強化されていたものの、これが原則解禁となり、一般単純労働までもが派遣の対象となったのである。そこでの単純労働力の安値乱売は、業務請負であれば社会保険の実態コストは不要なものだから、業務請負の装いなのだが、派遣先指揮命令(進捗管理)により派遣労働となっているのだ。この実態に対する大阪高裁の判断だったのだ。
ひいては日雇派遣は禁止となっても、業務請負の日雇は温存されているが、影響を受けざるを得ない。
なお、今回示された判断は、偽装出向(出向に名を借りた労働者供給)、偽装派遣(派遣に名を借りた労働者供給)についても同じで、違法性が明らかになれば直接雇用が命じられることとなる。
つい1年ほど前までの世論は、
経済成長・コスト削減のためには派遣やフリーター(業務請負に集中)の労働力も必要といったものが強かった。ところが、食品偽装がきっかけとなってコンプライアンス・違法性に対する関心が高まり、そこへ戦後最大の世界経済危機、スタグフレーション対策、中国オリンピック後の不良債権の大波などを期に、日本経済成長のためには個人所得増が不可欠との世論に変わって来たのだ。年収2百万円以下が3分の1程度に迫ったことは、社会経済の足をひっぱることが目に見え、社会不安の到来が懸念される世論と変わった。もとより、政治の世界も各党おしなべて内心は個人所得増加を決意している。
こういった経済背景や社会の動きが、司法判断に影響するだけでなく、労働者派遣法や労働契約法の運用にも影響してくるのである。



¶突然、外国人を労働力として受入れるとの動き
が表面化して来た。4月20日のサンデープロジェクト(テレビ朝日)に出演した自民党中川元幹事長の構想によると、日本国籍を最終的には取得(帰化)する意思があることを前提に、日本語をマスターしておれば、労働力として認めるというもの。「日本や日本文化が好きだという人を、日本人として受け入れても良い」といった主旨のようである。総理大臣も了承済とのことだ。外国人労働者受け入れを、この時期、自民党の大物が言い出したことに、「まさかあの人が?」との大きな反響が出ているようだ。この裏にはアメリカからの外圧、「中国人研修とは名ばかり。労働でありその実態は人身売買に等しい!」に反応したからとしか考えられない。厚生労働省は、これに真正面から反対の姿勢とも言われる。
国の富を作るのは人間の数であることは17世紀からの定石である。それも広い土地にではなく、高い人口密度が重要でもあるのだ。その場合唯一の問題は日本国籍を取得する外国人の日本語であるが、結果的には子供の代には問題がなくなるのである。日本国籍取得は外国人を誘うが、特定一民族の集団生活が形成され日本人に馴染まなければ問題が残る。ドイツの移民政策によるトルコ人集団の形成といった失敗例もある。また、外国人といえば東アジアの国々の人ともなりがちであるが、今や、ジャポニカに共感するフランス人、東ヨーロッパ人などのバランスを持った国籍取得政策も重要なのである。ブルーの瞳に金髪の日本人といったところだが、仏教の般若心経はブルーの瞳の僧侶が説いたことを知れば、受け入れ抵抗感も消滅するというもの。ある社会学者は、世間体や家父長制家族が日本社会の豊かさや経済発展の阻害となっているとして、一挙に価値の多様性を認め合う社会とするために、外国人労働力の自由化が必要と述べる。
国籍取得を視野に入れた外国人労働力の自由化は、個別企業のグローバル展開の追い風となるかもしれない。



¶中国と日本の経済関係はどうなる?
中国経済の話題までもがオリンピックに終始しているが、戦後初の世界金融危機を迎え、いま判明しているだけでもサブプライム関連だけでも95兆円の不良債権(IMF集計:日本のバブル崩壊は85兆円程度)の影響がどのように現れるかのシミュレーションがない。今や多くのマスコミ論調は、「日本は中国から大変な量の輸入をしており、輸入超過ともなっていて、中国には日本経済は語れない」などと言われている。
ところが、何事も決めつければ、社会科学は無縁の分析になってしまうので、いくつかの指摘をして正確な分析のために一石を投じる。
(1)中国に進出している外資企業には、
ある程度の海外輸出が事実上強制されていること。日本から進出した企業が、日本へ利益を送金するためには、生産物の日本への輸出が必要とされるからくりとなっているのだ。
(2)日本が輸入超過であるといっても、
日本から香港への輸出額を合算して判断しなければならない。それは、香港へ荷揚げされた日本の輸出品はトラックに積まれ、大陸をめがけて出荷されているからだ。
(3)中国経済は海外からの投資によってのみ成長
していると注意してみておく必要がある。中国自体の生産技術ノウハウ、効率的経済システム、技術開発力などの蓄積は弱く、「投資がなければ成長もできない!」といった統制経済特有の短絡的様相である。中国模造品、官僚の汚職、食品・衛生・社会不安といったエピソードは、これらの現象面であることを知っておく必要がある。「改革開放」の合言葉を隠れみのに、官僚が経済を牛耳って私腹を肥やし、反社会的行為を繰り返している実態に対して中国上層部に解決の道筋がないといったところだ。チベット問題しかり、毒練り込み餃子しかりである。
中国の改革開放は、天安門事件で政権が危うくなった途端に統制経済で以って改革開放の規模を収縮させた歴史がある。天安門事件は、学生以上に中堅一般市民が参加、ストライキや鉄道線路への座り込みが行われた一大政治危機、大手マスコミなどの報道した「学生運動」などではなかった。その後再び官僚主導の統制的成長を進めたが、数年前からは中国上層部は成長にブレーキをかける統制を実行している。オリンピック閉幕後をにらんでのことである。上海万博は、盛り上がっていないようだ。
そこに降って湧いて来たように、基軸通貨ドル経済圏の金融危機である。早速中国政府は、金(Gold地金)の確保に動き出したとのことである。金融危機で、アメリカの投資が減少することは、=中国経済のマイナス成長となるので、中国は、おそらく外資系企業に輸出増加を強制するであろう。中国系企業には、統制経済下のドップリ官僚体質、商品力で輸出する気力も能力もないからである。そうすると、日本国内でも、中国進出企業が中国製品を日本国内で売らんがため、中国ブームが益々あおられることになるかもしれない。(中国食料品の輸入減少は、ひとえに中国政府の輸出ストップによる)。
ところが、もとより中国経済はオリンピックに向けての「水ぶくれ経済」、何時バブルがはじけて、代金支払停止や延期が起こっても不思議はないのである。今でも官僚による数字水増し虚偽報告の経済指標、その時には不良債権の額は計算できない見通しなのだ。オリンピックに向けて、中国政府がことさら威信をかけているのは、こういった中国が「腹に一物、背中に荷物」に陥っており、自らだけのことに必死なのかもしれない。
さて、これを日本経済の輸出のチャンスとみるか、どうかである。日本政府の計画経済政策に慣れ親しい人にはチャンスの有無すらが、判らないのだが。こういった動きを既に織り込んで、関西や福岡の経済復興を目指して動き出している人たちも出て来た。ちなみに、この人たちの共通しているところは、投資=成長といった短絡的発想ではなく、グローバル水準からみれば、日本の高品質高水準を多国籍展開できる人材の育成・確保から始めようと計画している戦略である。官僚支配と武力行使(解放軍や地元ヤクザ)の中国統制経済に対する戦略として、的を射ているかもしれないのだ。もちろん、中国富裕層の絶対量増加と豊かさの水準引き上げを対中国経済の底流におくことは欧米各国の視点と異なるものではない。ただし日本の選択にあっては、日本国内から発送する「高付加価値製品と高水準サービスの商品展開」、すなわち、日本よりも絶対数の多い富裕層に向けてのmade in Japanの耐久高品質製品の直接出荷であるとかアニメ・グルメ・景観・文化といった癒しの観光などなどの高水準サービス商品なのである。これらは対中国一国経済に限られるものではないが、資本輸出総額の絶対量が少ない日本であり、覇権争いの大国に翻弄され続ける「利回り資本投資」に比べれば、日本の文化経済活用や豊かさへのはね返りに極めて安全で効果的な経済路線となるのである。政府官僚に依存することもなく、小零細企業の個別企業であっても即刻・身の丈サイズ・自力で展開できるから、この経済路線は「イケる」のである。
今や、個別企業は、直接的にも間接的にもグローバル世界経済につながっている戦略に焦点を当てて、その実現のための人事政策や賃金体系のバックアップを必要としている。
それが人事総務部門の最優先課題なのである。



¶解説・労働契約法:就業規則不利益変更(第10条)
今年3月1日施行の労働契約法によると、
(1)労働者への周知
(2)不利益の程度
(3)変更の必要性
(4)内容の相当性
(5)労働組合などの交渉状況
(6)その他変更に係る事情の内容
が、就業規則を不利益変更する場合においては、これらを問われることとなっている。不利益とは、あくまで個々の労働者にとって不利益かどうかが判断され、平均すれば不利益ではないといった内容や経営者の不利益は労働者の労働条件に跳ね返るといった論述は、一切想定されていない。「合理的なもの」の意味内容は、法曹界の特別用語で、道理にかなっているとの意味が強いものではあるが、未だ法科大学院や司法研修所で適切に解説されたものが存在しないようで、「経営の合理化」などで使用する場合の語意とは異なる。これら6つの要件には従来の判例から、不利益の内容についての誠実説明義務ではなく、不利益と利益の関係について、労働者の合意納得性が重要であることは、これからも変わりがない。注意が必要なのは、このポイントだ。
就業規則でもって労働者との契約を、代わりに行おうといった考え方を、「就業規則法理」と専門家の間では呼ばれている。その口火を切ったのは、秋北バス事件の最高裁判例。昭和32年4月1日の新就業規則55歳定年をめぐって、当初、仮処分や秋田地裁は、「同意のない就業規則変更は無効」とし。これが日本で初めての判断であったため、多くの労働組合が、この地裁判決を活用して闘争を行った。当時、数多くの労働組合用学習文献がこの内容で出版された。その後、最高裁判決で逆転、その理由として初めて就業規則法理の考え方が打ち出されたのである。ところが、昭和43年から平成20年までの間の40年間にわたり労働紛争の現場や労働裁判の場において、いわゆる労働側からの巻き返しである法的論理構成が展開され、その末に労働契約法の成立に盛り込まれたものである。ここに、労働者の合意納得性が重要であることのプロセスがある。
厚生労働省労働基準局長の通達(平成20年1月23日 基発第0123004号)によると、就業規則の変更手続の際に労働基準法の「…遵守の状況は、合理性判断に際して考慮され得るものであること」としていることから、きわめて注意が必要な事柄となっている。秋北バス事件の如く、労働組合に対して、2日後の午前10時までに意見書の提出を求めるなどの方式が、仮処分において、「甚だ形式的で所謂意見を聴く態をなしていない」(昭和32年6月27日仮処分決定)といった考え方を踏襲しているものと思われる。ところで、最高裁の判決には、原告らの「中堅幹部をもって組織する『輪心会』の会の多くは、本件就業規則条項の設定後、同条項は、後進に譲るためのやむを得ないものであるとして、これを認めている、というのである」と言ったくだりが存在するが、ここで「決して不合理なものということはできず、」とする、こういった後から付け足したかのような論述は、現在では認められないことに注意する必要がある。こういった解説を読んで会社で実行すれば経営側は、法手続主義のパラダイムの視点から、それだけでまず負ける。
ところで、秋北バス事件は、当時の地元新聞では「芳川事件」と報道された。事情があって、個人名称を使った方が地元では良く理解できたのかもしれない。一般の労働事件にあっては、労働組合は事件に何らかの絡みがあるのだが、この事件においては形跡がつかめない。せいぜい、秋北バス労働組合は、就業規則変更に、意見書の提出を拒否(当時流行の反対戦術)するなどの積極的反対姿勢をとり続けた程度であった。この就業規則変更で解雇された芳川さんは、元大館営業所長だった。本人は、「私は役員待遇であったはずだ!」と主張するほどの経営側人物であったようで、労働組合員ではなかった。この事件はもしかすると、秋北バス内部での経営陣争いが主だった問題点であったかもしれないのだ。それは、昭和18年の戦時下、地元の13社が統合させられた時代にまでさかのぼる。
秋北バスは秋田県北東部の主要な公共交通機関、秋田犬や比内鶏、キリタンポで有名な「大館市」に本社がある。筆者は2回に渡って現地調査をした。秋北バス事件の判例そのものは、労使対立や労働運動に利用され、元々の事件は時代の要請に翻弄された感も有り、当時の関係者のインタビューが取れないことで調査が困難につきあたったものの、この事件が労働契約法の第10条の解釈を、より有効に行うことができるのであろうと実感を得ている。
(秋北バス事件現地調査080415レポートを希望の方は、会社名、役職、氏名を明記のうえメールで連絡をどうぞ。メールで本文、当時の新聞記事、現在の写真などを送ります。)



¶有給休暇の管理ソフト開発、
 労働基準法バージョンを製作し、個別企業ごとのオプションのオーダーメード
 一般常用社員のみならず出勤日数の少ないパートも個人ごとにひと目で分かるものです。
 電話での、残日数や過去の消化日の問い合わせに対して、ひと目で分かります。
 集計結果は給与計算データとなり、人件費管理に役立つよう、賃金締切日とか任意特定期間の消化日数が計算できるようにします。
 皆様のご要望やニーズを、些細な事でも、お寄せいただければ幸いに存じます。
 http://www.soumubu.jp/info/kujo.html
☆ミ 第1次テスト版完成! 現在試行運転中
☆彡 専用サポートデスク準備中

2008/04/08

第72号

世界が経験する戦後初の金融危機
が、とうとうやってきた。日本だけの戦後ではバブル経済崩壊であったのだが、バブル経済を作り出し大蔵官僚が後始末から逃げたところに、中堅中小企業にとっては、平成恐慌となってしまったのであった。発振元のアメリカも、サブプライムローンに手を出さざるを得なかった経済戦略が存在したからと、冷静に見ておく必要がある。サブプライムローンが緑豊かな樹木の葉っぱと考えられていたところ、実は、黄色く枯れ虫食いでもあったのだ。このようなまがいものの葉っぱは、幹が腐っていたのである。
回復がどのように、何時頃なされるのかは、専門家の間でも分からない。
ところが、経済学からすれば、「アメリカドルの基軸通貨が揺らいで、信用不安が起きてしまった」と、幹に問題があったそれだけのことである。
では、今後の世界経済はどうなるのか、これもよくよく歴史を踏まえて考えれば、そうむずかしい予測でもない。

アメリカ経済圏…
アメリカドルの基軸通貨の役割を必死で守り、世界で生産される商品を為替レートでコントロールして、国際貿易を通じることでの経済を成り立たせようとする。そのためには、軍事力と大手多国籍資本の展開が必要となってくる。トヨタ、キヤノン、ソニーも、どうぞアメリカ国籍にいらっしゃいという訳だ。

ユーロ経済圏…
生活と生産の中心として、健全な経済発展をユーロ圏内でつくりあげようとする。ヨーロッパで戦争破壊がなければ経済は順調に進み、環境を経済に取りいれれば、さらなる経済資源となり、生活と生産が豊かに向上するというもの。アメリカ系多国籍企業に比べれば、きわめて知的レベルの高い事業展開を行うと自信をもっており、社会から非難されるような無謀なことはしない。世界中の経営管理手法を研究し、徹底して人材育成教育を行っている。ちなみに、トルコのように人種差別を行っている国を、人種差別がユーロ内経済秩序を破壊するとしてEUには加盟させないのだ。

ブリックスなど発展途上国…
中国、ロシア、インド、ブラジルなど農業、工業を発展させようとする戦略である。もう数10年すればアフリカ諸国がブリックスに入って来る。見ての通り、アメリカ経済圏やユーロ経済圏から続々と、資本や製品が投入され、これからの経済発展が見込まれるといったところだ。

さて、日本経済は、この三つのそれぞれに、
いろいろな業態でもって進出することになる。多国籍展開をしなければならない大手企業となれば、アメリカあたりに本社を移転させて、為替レートのコントロールのもとに世界中に事業展開することになる。高付加価値製品を武器にするならばブリックスに工場進出するか、Made in Japan の超高付加価値商品を日本から直接販売することとなる。
高水準サービスの提供をするならば、世界の金持ちを日本に呼び寄せ、さながら東のジパングとか、東の彼方の蓬莱島といったところだ。(スキーツアー、日本食、雪景色、緑や紅葉はサービスの重要資源、ギャンブルでは集客力がない)。ちなみに、EUの交流自由化は、ヒト、モノ、カネに加えて、サービスの四分野としている。
そこで、日本経済発展の方向性を裏付けるもの
これが、日本文化に基盤を持つ文化経済なのだ。日本独自の文化であるがゆえに、世界には類を見ない高水準の商品を供給することができるのだ。
とりわけ、企画・製造をした後、
日本の厳しい消費者(日本文化)に認知されて育成されるという訳だ。
その底流には、教養に重きをおいた(社会での)教育が行われて来たことであり、
こういった日本の文化経済の水準がある限り、日本国内の豊かさといったものは、ほぼ後退するどころか、前に進んでいくことは間違いなさそうなのである。生産価格が安いからとか、見た目は同じといった商品哲学で、なんでも海外で生産するとすれば、日本の技術や技能を衰退し、社会教育の基盤さえ衰退し、世界に進出する重要ポイントとなる文化経済も衰退しかねない。
一説には、日本の国民総生産は500兆円、これが今から始まる金融危機を経て10数年後には、300兆円まで落ち込むとのことである。300兆円というのは、パリ、ベルリンとまでは行かないが、今のヨーロッパなみの生活水準である。200兆円というのは、一般庶民や中堅中小企業には、さほど関係無い国民所得とみて良い。すなわち多国籍展開をしている大手の売り上げが国外に出てしまうことと、大型公共建設事業が無くなるといったところなのである。
とはいっても、中堅中小企業といえども、多国籍に向けて直接間接に展開をすることは間違いない。昔は、海外赴任といえばエリート管理職、今や海外単身赴任が管理職どころか監督職にまでおよび、経営能力水準の低い企業であれば、「名ばかり管理職?」にまで波及することも間違いない。たぶん、技術者は世界を行脚するが、技能者は国内にとどまる。日本の大手多国籍企業…もとより中東オイルマネー資本には及びもつかないことを忘れてはならない。
この金融危機の後の国内の事業展開?
に向けて、総務人事部門は今から準備をしておく必要があるのだ。とりわけ日本独自の文化に育まれた職務遂行能力や労働能力を、如何に標準化しノウハウ蓄積をするかが重要となって来る。(文化経済学の研究から)属人的といわれているノウハウ蓄積も科学的に解明されたことから後輩に伝達教授することも容易となり、IT技術を使えば膨大な質量も可能となる。これを日本社会全体で如何に実行・完成させるかが重要となるのだ。スウェーデン(実は精密武器の輸出国)は40歳過ぎの工作機械技能者に数年かけてSE教育を職業安定所が行っているが、これは大いに参考になりそうだ。今日本で騒ぎとなっている、子供の頃から英語を習って国際人(海外赴任で働く?)になりましょうといった珍奇・非現実的な教育論議とは、まるっきり次元が違う。
では、何からはじめるのか?
つい先日の発表によると、日本の労働者は約5000万人、そのうちの33.5%が非正規労働者とのことである。非正規労働者の中の77%が年収200万円未満とのことである。こういう統計数値だからという訳ではないのだが、日本の文化経済を支えるには、結果論として無理があることも事実だ。これを聞くと、一般素人は個別企業の管理職も労働組合も政府官僚も、「正社員を増加させれば何とかなる!」との発想するのだが、世界や日本の歴史の中で、そういったことはまったくない。むしろ、正社員!正社員!と主張することで思考停止を招いてしまい倒産・脱落となってしまうのが社会の現実である。まずは、今おろそかにされているOJTの基本、「やってみせて、言ってみて、やらせてみせて、出来たところをほめて、人を育てる!」に尽きるのである。
この土台のうえに、今流行の教育訓練が行われて初めて効果が発生して来たのが歴史である。これは自由経済のみならず社会主義経済でも共通であったし、差別や人権に問題のあった国では失敗をしたのが歴史であった。中国(人権無視)、インド(差別制度)の事例は、人口量の割には経済成長しない典型事例である。歴史が証明していることは、一般素人の思考とは正反対に、労働力の教育訓練から始めることが大切で、個別企業から独自に行ない、社会がそれを支えてくれる文化が必要であるということだ。
金融危機を克服し発展する、この順序は文化が変わり→経済が変わり→政治が変わるのであって、これが科学的法則なのである。
これは個別企業の事業展開においても同じことで、総務人事部門が活躍して文化が変わることに一役を買うことが大切なのである。
3月31日夜のNHK特集、「名ばかり管理職」を見て、ビジュアルに発見したことは、出演していた経営者の経営管理能力水準は、単なる監督職、すなわち経営者の能力も無ければ管理職能力もない事業主であったのだ。たぶん、学問的科学的裏付けのないビジネスコンサルタントや社会保険労務士が、この事業主の周りをうろついているとの憶測をしてしまうのは、果たして無謀な判断なのだろうか?


労働契約法の解説(出向)
労働契約法第14条には、「使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向命令が、その必要性、対象労働者の選定にかかる事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする。」とされている。
さて、非常に誤解の多い部分は、
「出向を命ずることができる場合」の内容解釈。出向とは、在籍出向であっても移籍出向であっても、現在の雇用契約に加えて、新たに出向先との雇用契約が結ばれることには変わりがないことから、やはり、「申し込みと承諾の意思の合致」が新たな出向先との間で必要になるのである。したがって、出向元、出向先、労働者本人の三者での、出向期間、出向中の地位、人や労働条件の協定が不可欠なのだ。とりわけ労働者本人の同意が存在して初めて、「出向を命ずることができる場合」となるわけである。三者協定書などで、こういった三者契約の裏付けがなされていない場合には、職安法第44条に違反する労働者供給に該当すると判断されても仕方がない。それは、三者がそろわず、個々に三つの契約がかわされたとすると、支配従属関係の存在が疑われるからだ。
本人同意のいらない出向を命じる場合には、
新日鉄事件(最高裁第二小法廷、平成15年4月18日)の判例によると、グループ会社の間でもって、いわゆる同一労働条件などの就業規則が整備されている場合であれば、グループ人事本部などが設けられており、この部署から出向を命じることができるとの解釈になる。すなわち、グループ会社間で、そのような就業規則などの整備とか出向規定を完備している場合であれば、本人の同意を得る必要はない。ただし、社会通念の人事異動の如く、グループの各会社を渡り歩く実態は、出向制度(規定)とは関係ないものとみなされる。
そもそも出向というのは、
資本関係のある関連会社での雇用安定のための人事調整、
関係会社への経営指導・技術指導、
関係会社での教育訓練をする・されることが目的、
これらのいずれかに該当しなければ、職業安定法第44条の労働者供給に該当し、契約交渉に当たった個人が会社を差し置いて、優先して罰することになっている。
とりわけ、労働契約法に出向が定められたからといって、この文面さえ守っておれば合法的であるといった認識は誤りなのである。知識偏重であり形式主義なのである。
なお、「権利を濫用したもの」とは、民法の一般規定とは異なり裁判官が独自判断するとの意味ではない。必要性、選定事情、その他事情について個々に要件事実の正否の判断を行うことで、権利の濫用を結論付けるという意味であって、労働契約法独自の解釈を行うことになっている。そして、「無効」とは、もとより無かったものとして取り扱うとの意味であり、雇用継続や賃金支払いはそのまま維持されるという解釈となっているのだ。

2008/03/04

第71号

労働契約法をめぐる宙に浮いた様な話は、役に立たない。
多くの弁護士さんたちの感想は、「従来からの判例が法律に定められただけのことで、今までと同じこと」といったものがかなり多く聞かれる。労働契約法についての出版物もまだまだ少なく、専門雑誌の記事を書き込めるだけの人物もほとんどいないといった状況である。施行直前になって出版される物いずれもが、せいぜい判例法理を交えた法律解説にとどまっている。苦心惨憺執筆してもマニアやオタクの類が、あまりにも多すぎる。個別企業が求めているものは、法律の施行で、何がどう変わるかの着想・予想・発想であり、経営管理の軌道修正を如何にどこまで行えば良いのかである。
そういった中で、
経団連あたりは、この労働契約法を重要視しているようだ。
そのポイントは
(1)労働契約法において、労働者と使用者の合意によって労働契約が成立するとの合意原則が明確化されたこと
(2)仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)という理念が盛り込まれ、いろいろな場面に影響し得ること
(3)法律は労使トップが反対しない理念的なものが盛り込まれ、これでは抜本的な改革は期待できない
(4)紛争に発展する前に、紛争の隙間を埋める経営者の努力が必要であること
といったところのようで、これからの人事制度や労務管理における貴重な示唆をしている。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoukeiyaku01/index.html
厚生労働省も、1月23日に労働契約法の解釈のための労働基準局長通達を出している。都道府県労働局の総合労働相談コーナーとか、紛争調整委員会における、いわゆる労働省職員の考え方を意思統一するものである。確かに、通達の執筆者は司法試験にも合格し、退官すれば即日弁護士登録のできるだろうと思われる有能な事務官による執筆であることは間違いない。とはいってもやはり行政機関からの文書、いくつかの点では裁判所の見解、法律家の見解、現場の合理性とは解釈を異にするものが含まれる。
あくまでも「厚生労働省さん」の考え方にしかすぎないのだ。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoukeiyaku01/dl/04.pdf



パート労働法は4月1日から施行される。
多くのセミナーやパンフレットなどが出されている。しかしながら、これらマニュアルめいた?受験参考書めいた?ものを読んでいるうちに、混乱して来ることは、否めない事実だ。
そこで、極めて本質的な要点を解説することにした。
(1)法律の対象者は、パートという名称にこだわらない。名称は異なっても、いわゆるパートと見なされる。契約社員、嘱託、アルバイト、臨時社員、準社員などであっても、「通常の労働者と同視する要件」に該当すれば、社員と見なされる。これがパート等の「等」の意味である。
(2)認識方法の視点を変えれば明確となる。社員と同じ仕事をさせておいて、身分をパート等にすることによって、賃金、賞与、退職金を値切っていることを、差別的取扱いとしているのだ。改正の趣旨はこの一点にすぎない。
(3)名称などで差別的取扱いをすることが制度として行われることがないための歯止めとして、教育や転換促進措置などの手段が設けられている。
(4)差別的取扱いとして紛争となれば、都道府県労働局の紛争調整委員会において調停がなされる。この調停は出席を拒むことができない。
これだけである。
なぜに、施行直前になって話題になっているのか?
どうやら、この答えは次のようなストーリーが推測される。
審議会メンバーを始め、政策や法律立案段階において、大手企業では社員と同じ仕事をさせるパートの存在がまれなことから、とりあえずの差別的取扱い改善の対象者数は、日本国全体では少ないのではないかとの誤算があった?のではないか。
中小の企業においては、社員もパートも混在常態、社員の定義・パートの定義など考えたこともない。
社員の給与は年齢給・パートの給与を仕事給などの賃金体系の発想も少ない。
たとえば、社員には愛社精神を求め、パートにはマニュアル通りの仕事を求めるといった概念を考えていることさえ少ないのである。いざ、ふたを開けてみれば、こういった大変な事態が浮かび上がって来た…といったところが実状のようだ。
政府側に近い学者の多くは、こんなことが分からない企業は、日本経済に不要だと思っているのである。
もとより、国会審議に関心の薄い中小零細の事業主、最近は国家に対する抵抗意識も縮小していることから関心もないせいか、それとも「どうせ」と言って、自棄のヤンバチなのか、今更あわててしまったのも否めない事実だ。
総務人事部門の企画立案が、これからの経営戦略や経営管理の考え方を整理していくうえで、極めて大切になってくるであろう。



中国に進出(予定)企業の基礎知識
毒入り冷凍食品の話題が渦巻く中、現代中国の組織や統治の論理構成が、日本とあまりにも異なることから理解不能・戸惑いの続発が起きている。こういったことを解決するためのインテリジェンスを提供。中国の改革解放直後、現地で500日強にわたって観光や視察では不可能な深層調査・体験した中国慣習に基づく解説である。日本と中国、大きく文化が違うとの認識は当然のこととして、その程度のことでは、中国からの冷凍食品の捜査発信情報は理解ができなくなるのである。
さてさて、ここからの文章は、憶測推測、そしてフィクションストーリーであるから、念のため。
毒入り餃子(現地では焼餃子を食べないので仕様が違う!)が報道されてから、中国政府担当局は
「日中友好に反対する者の可能性」との発表を行った。これを現地慣習から分析すると、
「既に実行犯は身柄を拘束したので、統治者としての責任は果たしたのだから、これ以上、日本は何を騒ぐのか!?」を意味する。警告発言を行ったことになるのである。中国政府担当局は既に話は解決モード。
したがって、「これ以上、日本が騒ぐのであれば、内政干渉である。中国側は役割を果たしたのだ!」という意思表示である。これに対し、もしも、国民の不満が湧き上がっていると日本政府が説明すれば、中国側から返ってくる答えは、「国民の声を抑えるのが、そちらの政府の仕事だろ!」となるだけなのだ。もとより、立法・行政・司法の三権分立の発想などない国であり、行政一本槍だから、組織の責任者だから抑え込んで統治するのが当たり前と本気で思っているのだ。三権分立など、日本人がいつも使う逃げ口上と真剣に思っている。現地ではこれが正義である。こういう慣習を理解すれば、その後の日本政府の対応と符合する。
もうひとつ忘れてはならない慣習がある。
いざとなれば、極めて強力強権的な情報収集を行う中国情報機関の存在、これも中国国内の慣習である。
おそらく、実行犯は知人友人親族の目前には二度と現われ出て来ることはないであろう。
地元警察が旧正月明けに捜査に入っても、もぬけの殻。まったく何も出て来ることもなく、その後の日本と中国の警察協議を重ねたところで、犯人不明・証拠不十分の道筋しか残されていない。こういった筋書き、これが中国の慣習なのだ。
ところが、日本国内は沈静化させられるどころではなく、問題は深刻化した。
すると、「日系企業で起こったことである!!」
と次に中国側は言い出して来たのである。すなわち、労務管理は日本が行っていた!仕入れ管理は日本が行っていた!危機管理は日本が行っていたのだから中国側の責任がない!との意思を示し、責任は日系企業と言っているのである。
これを言っている本人たちは、ここまで説明させるか?との気持ちで、自分達は日本に対して親切で言ってやっていると思っている。
もちろん、日系企業の敷地内は中国で治外法権ではないのだが、中国の慣習では法治国家という意識がなく、法律そのものは支配のための道具と思っているから、こういった発想が正しいとなるのである。これが中国での個別企業や人民政府の統治にまつわる経営環境なのだ。
ところで、中国食料品に関する恒常的協議会を日本と中国の両政府は持つこととしたのである。良く考えてみれば…原因究明と防止対策を中国側が行えば良いだけのことではないか?
と考える方は日本側に多い。が、そういった事実関係をはっきりさせて正常な社会を形成するといった慣習は中国には一切存在しないのである。世間体を利用して支配体制を築くのが正義とされるである。その優先順位は人民解放軍、地元闇集団、共産党組織、人民政府と言われている。
2月27日になって、「残留農薬ではない」こと、「毒物投入は中国国内では行われていない」などの主張を中国政府公安省(日本でいえば警察庁)は記者会見で示した。
現代中国の慣習は、政治的経済的な、統治のための結論が先にあって、それを国内外に如何に納得させるかが政府の責任であるといった論理なのである。今回の毒入り中国食料品に関わる断片的発言は、日本国内の教育基準の判断基準で理解することは出来ない。しかしながら、現代中国の慣習が、日本国内で表沙汰になった意味は大きい。本質が暴露されたといった具合だ。中国の慣習を理解せずに、中国進出や中国取引を行った個別企業はかなりの数にのぼる。そこでは、品質不良、製品未納、資産回収不能などの大きな火傷を負うしかなかった。これに反発したところで、中国外交部に集金と示談を持ち込まれるだけである。
これが中国に関わる経営、人間関係、労務管理を理解するポイントなのである。
この中国の慣習は彼らの表面では分からないが、面子で隠されている。彼らが決して見せたがらない最底辺の人々に発見のカギがある。



有給休暇の管理ソフト開発、
労働基準法バージョンを製作し、個別企業ごとのオプションのオーダーメード
一般常用社員のみならず出勤日数の少ないパートも個人ごとに一目で分かるものです。
電話での、残日数や過去の消化日の問い合わせに対して、ひと目で分かります。
集計結果は給与計算データとなり、人件費管理に役立つよう、賃金締切日とか任意特定期間の消化日数が計算できるようにします。
まだまだ皆様の些細なるご要望やニーズを、お寄せいただければ幸いに存じます。
http://www.soumubu.jp/info/kujo.html

2008/02/05

第70号

労働分野における、規制緩和のリバウンド

ガソリン税、年金問題、サブプライムに端を発する銀行融資減少、そこへ中国冷凍食品への対応と、政治課題が目白押しの中で、意外と労働分野における政策転換に関心が寄せられていない。
昨年11月28日に成立した労働契約法は3月1日の施行に向けて、ひたひたと準備が進められている。グローバル経済基準にあっての労働分野の契約思想を、法律と法定法理でもって、定着させようとするものだ。
ホワイトカラー・エグゼンプション制で話題になった労働基準法の改正は、今も継続審議となっており、月の時間外労働が80時間を超えた場合の割増率引き上げが成立する可能性もあり、早ければ、10月1日施行となるかもしれないのだ。
最低賃金法も改正され、徐々にではあるが、1時間1000円に限りなく引き上げられていく見通しである。日本経済の浮上のためには、賃金引き上げが不可欠といった主張は、実は与野党共通して認識されているのであって、要するにマニフェストに記載すると選挙で票が少なくなるだけの話の程度に過ぎないのだ。すなわち、最低賃金引き上げ反対を口にしなくとも、引き上げ反対運動をするわけでもないといった政治家の態度なのだ。最賃引き上げに反対のまともな学者は誰もいない。
したがって、数年後にかけて段階的に1000円に近づくことを想定して経営する必要があり、これは2年半後の銀行貸し出し金利の3%引き上げ(これに向けて銀行の貸し出しは昨年度対比-1.2%)の時期と重なると見て良い。

ところで、経団連の御手洗会長は、年末にリーダーのあるべき姿を
第一に、使命や役割を果たすためには、経営は基本的にトップダウンであるべきだ
第二に、「優れた決断力」を発揮することである
第三に、「私心がないこと」である
最後に、先見性をもつことである
とした一方で、この先10年を構想して、その目標を達成するには競争力一辺倒、成果主義偏重の姿勢を改める必要があるとしたのである。2007年度版の経営労働政策委員会報告においては、個別企業を支える正規従業員の確保と勤労意欲引き上げのための企業風土・公正・公平の処遇への道を選択するに至ったのだ。
これは労働分野を取り巻く理念としては、大転換なのでもある。
事実マスコミも、『日経ビジネス』オンラインが実施した世論調査は、「成果主義が仕事への意欲を低めている」との回答が41.4%、「高めている」(18.0%)の2倍以上に達したと報じている(「このままでは成果主義で会社がつぶれる」NBonline、2007年12月10日)。



日雇派遣労働者は競争力確保のための限りない労働力確保と賃金コスト削減のきっかけとなっていた。
日雇派遣は、引っ越し業界や梱包業界その他を支えつつあったのだが、フルキャストとグッドウィルは業務停止処分が行われ、厚生労働省は日雇派遣の業態をつぶしてしまうことにしたのには間違いがない。この2社ともに、労働局の指導のためか、現在あまりにも型にはまった業務改善を続けているのではあるが、手間がかかりすぎて、ほぼ採算面では赤字となっているのは間違いない。
そこへ、本年4月1日施行予定の厚生労働省令の告示が刻々と準備されており、グッドウィルについては主要事業所が1月18日から4ヵ月間の業務停止命令を受けているのだが、停止命令が解除された5月には、手足をがんじがらめにされ、業態は再起不能とされるのである。
準備されつつある省令は、読んでいるうちに惑わされそうになるが、日雇派遣が赤字転落するポイントは次の三つである。
第一は、集合場所からマイクロバスなどで工場へ移動する時間も賃金支払いが必要になること
第二は、日雇雇用保険、日雇健康保険の適用が義務づけられること
第三は、派遣先が1日1回以上、派遣契約書通りであるかどうかの巡回が義務づけられ、罰則適用がされること
そしてきわめて重要なのは、
日雇派遣労働者の定義がされ、日々又は30日以内の期間を定めて雇用される者としたことである。
日々とは毎日ごとに仕事の有無を確認し雇用契約されるものを指し、例えば、「今日明日の2日間きてくれ」とした場合は2日間の雇用契約である期間雇用となるのだ。そして、1ヵ月単位の事務系派遣であっても日雇派遣労働者となるケースが生まれるのだ。
製造派遣でトラブルを頻発させている派遣元業者も1ヵ月単位の派遣が多い。
イベント系はすべてがそうだ。したがって、その影響はきわめて広いのである。
ここから分析できることは、
グッドウィルなどの日雇派遣に名を借りて、細切れの派遣スタッフを導入するとして来た日本の労働分野の実態に対して、「規制緩和がリバウンド」することになるのだ。経団連が大きく方向転換したことも重要だが、個別企業において、グッドウィルが吸収したクリスタルグループに、苦々し思いをさせられ、煮え湯を飲まされた大手の経営者も少なくない。なので、グッドウィルの名が出て来ると、「大賛成」に回ってしまうといった状況だ。人材派遣業者団体も、いち早くフルキャストとグッドウィルを処分し態度を明らかにした。(ただし、一般マスコミの洞察力の甘いところは、この団体にも主要ポストに労働省OBが就職していることは書かないことなのだが)。
まさに、ホリエモン、村上ファンド、そして労働分野では「ジュリアナ東京」発祥のコムソン・グッドウィルなのである。
日雇派遣労働者の劣悪な労働条件の労働問題を超えて、社会問題として広く認知されてしまったのだ。



併せて、注目すべきが、ナショナルセンターの連合の動きである。
今年の春闘で連合は大手派遣会社に対して、組合員が存在しなくとも要求書を提出する動きに出るとのことである。組合員が存在しなくとも?といっても、組合員名簿を出していないケースも含まれるのは当然のことである。
また、連合本部は、傘下の連合加盟組合に対して、企業グループ内の派遣会社に対して団体交渉を申し入れるよう呼びかけている。この場合、親会社から組合員が出向しているわけであるから、団体交渉を拒否することは労働組合法上できないことになるのである。
昭和61年労働者派遣法の際には、ただ反対といっていたナショナルセンターだが、約20年を経て、この労働者の劣悪な実態をきっかけに、「業界交渉」に足がかりをつけることになった。
これには、労働組合運動の大ヒットの可能性をはらんでいると専門家筋は見ている。労働分野というのは、労使の物理的圧力と政策能力の対立構図そのものであることから、やはりここでも、「規制緩和のリバウンド」が生まれる可能性が大きいである。



そこに注目すべきことに、1月28日東京地裁の、
日本マクドナルドの店長を管理職扱いにして残業代を未払いしたのは違法であるとの判決のニュースが、日本国中を飛び交った。
マクドナルドだけで、その直営店店長は全国で約1,700人である。チェーン店展開で同じような業態をとるファストフード店やコンビニ、それ以外にも影響が出る。マスコミも気付かないからくりは、ここにもある。それは、アメリカ国籍企業が日本で事業展開する上で、日本政府にきわめて強くホワイトカラー・エグゼンプション実施要求を突き付けていることとの動向関係にも注目を要する。
東京地裁は訴訟を提起した直営店店長について
(1)アルバイトの採用権限はあるが、将来、店長などに昇格する社員を採用する権限がない
(2)一部の店長の年収は、部下よりも低額
(3)労働時間に自由がない
といったことを判決で指摘している。こういった事から、「経営方針などの決定に関与せず、経営者と一体的立場とは言えない」とし、
加えて、「店長の職務、権限は店舗内の事項に限られており、労働基準法の労働時間の枠を超えて事業活動することを要請されてもやむを得ないとは認められない」とのことを証明し、時間外労働の支払いを命じる判決の理由づけをした。
原告の高野さんは東京管理職ユニオンの組合員である。セメダイン管理職組合のときも東京管理職ユニオンであった。
おそらくセメダイン事件のときのように、この判決を受けて厚生労働省が一斉に動くことは間違いない。
さてそうなると、労働基準監督署の監督指導の対象となる事例を予想してみると、
・始業終業の時刻を超えて勤務を命じられ、金銭決裁権限を持たされていない事例
・昇進後も管理職手当の分を調整給から減らされるなどで給与総額がほぼ変わらない事例
・事業所の中で、管理監督をする者とした員数が半数を超えているとの事例
・もとよりサービス残業が多く、管理職に昇進した後も職務内容や労働時間が同様の事例
・早退遅刻の自由もなければ、部下の人事や評価の関与を禁止するとなっている事例
・派遣スタッフの採用配置は行うが、そのマニュアルに従うことを命じられている派遣会社の事例
・営業課長手当は付くが、契約締結や部下への指揮命令の権限が制限されている事例
・秘書とはいうものの、もっぱら庶務や経営者の身の回りの用務で早出残業する事例
・店長とはいうものの、採用・解雇・仕入・販売価格その他店舗管理はマニュアル通りとされている事例
・課長や次長の名刺であっても、実際の部下数名で管理監督する対象者がいない事例
などである。
1月29日、経団連の労働問題担当、草刈隆郎副会長(日本郵船会長)は、マクドナルドの東京地裁判決を受けて、
「名前(役職名)だけ与え、給料は安く、管理職の評価をしていないとすれば、モラルの問題だ」と、公然とマクドナルドを批判した。
労働基準監督署での申告か!紛争調整委員会の斡旋か!といった個別企業の事件のみならず、これが社会問題化することは間違いない。
ここにも、労働分野の、「規制緩和のリバウンド」が待ち構えているのである。



人事・総務部門に関わる関心事としては、
たしかに、ベンチャー企業が生き残るにも大変な日本社会であり、政府行政がほとんどベンチャーを応援しそうにない環境ではあるが、
天然資源の少ない日本経済にとって一番大切なのは労働力人口の増減問題よりも、
中小企業とて世界に売り出す高付加価値製品と高水準サービスの商品提供を支えるための
日本文化と文化経済を背景にした人材の育成・人材の集積を念頭におくことが重要課題なのである。
だから、競争力一辺倒、成果主義一辺倒の未熟な経営管理感覚では先行きが不安であり、
「企業発展や出世意欲」には関心のない人たち向けの賃金人事体系が必要とされ
半年後に迫る30年ぶりの、それもハイパワーのスタグフレーションとの予測だからである。



有給休暇の管理ソフト開発、長年にわたってお待たせいたしました。
もちろん、個人ごとの残日数が一目で分かるようになります。年度がわりに有休を発生する制度に適応させるなどのオプションもあります。梅雨明けに完成予定で、開発は最終段階に入っていますが、皆様の些細なるご要望やニーズも含めて寄せていただければ幸いに存じます。
http://www.soumubu.jp/info/kujo.html

2008/01/08

第69号

2008年のスタート、今年は良いことがありますように。

多くのマスコミは一斉に、2008年を“閉塞感”漂うとした論調で、この年始の論評をした。
OECD全加盟国30ヵ国中、日本人ひとり当たりの国民所得の順位は、平成12年は第2位だったものが、平成18年には18位に転落したと報道された。労働者派遣法と男女雇用機会均等法が施行された昭和61年当時、パートタイマー300万人と言われていたが、今や派遣労働者は321万人となり、パートタイマーなどは1500万人ほどに膨れ上がった。NHKによると、「貧困研究会」という名称の民間の政策研究会までが、大学教授らによって設立されたとのことである。社会は“閉塞感”が、ますます強くなると、記者たちは言いたいのだろうけれど、よくよく考えてみれば、社会はそうでは無い。
結論!:他人に寄り添ってこの世で生きている人間にとっては、もとより寄り添っているから、自力で何かしようという積極姿勢もなければ、もちろん打開した結果も存在しえないものだから、“閉塞感”が漂うだけは当然のことなのである。ほとんどが自己防衛本能に基づく発想にとらわれる。よく話題にされる終戦直後やバブル時代に、この人たちはどうだったかといえば、当時も他人に寄り添っていたのだから、時代の波に乗ったわけでもなければ、恩恵も受けなかったのである。そういえば、アメリカの労働経済学に、サラリーマン生活が長くなれば、他人への依存心が強まり、思い切った着想が弱くなるという学説があった。
1月1日、日本経団連(御手洗会長)は、多くのマスコミの閉塞感を横目に、近年になく、「成長創造 躍動の10年へ」のスローガンを打ち出し、同じOECDの国民所得転落の資料を使いながらも、“閉塞感”などのカケラもないのである。
仮にも、マスコミからすると、読者に迎合し、波風の立たない、読者視聴者の人気取りの編集戦略であったとすれば、極めて人気の高い、“閉塞感”論議なのである。ところが、“閉塞感”はそれだけではない。京都清水寺の平成19年の漢字、「偽」と真っ向から相矛盾する構図ではないだろうか。果たして、毎日流れるマスコミの“閉塞感”の信憑性は、いかがなものなのだろうか?


労働契約法は今年の3月1日に施行される予定で動いている。
何十年後には、労働問題の大きな転機として歴史に評価されることは間違いない。ただし、その転機の渦中にいる人たちはなかなか気付かないものである。
労働基準法が施行された昭和22年、当時は専門家を除いて、法律の存在にすら気がつかず、8時間労働や解雇に制限があるなどとは思いもよらなかった。
昭和63年、労働時間が1日8時間から、1週40時間へと労働基準法が変更されたが、これによって、スーパーや百貨店をはじめその他の営業時間が延長され、産業構造は変わった。今や1日8時間労働で物事を着想すれば、日常生活ですら適合できない社会になった。
そして、今年の労働契約法施行による変化は、会社や労働者の権利義務の白黒が、法律によって判定されることになり、契約による社会共同体(私的自治権と統治義務)が充実されようとしているのだ。もちろん、法律の条文通りに守ったからと言っても、信義則、権利濫用、公序良俗(公の秩序と善良の風俗)の民法の原則に反するのであれば、もとより通用することはなく、その手段方法が自由・平等(法曹界では、社会正義という)の目的性がなければ、誰も取り合うことは無いのである。このことを踏まえずに、自らの主張を行ったとしても、個別企業も労働者個人も共に認められることはなくなるのだ。裁判のみならず、あっせん機関および官公庁の対応も順次変化をしていく。
さてそこで、個別企業の現場から生まれる、いくつかの疑問を整理してみた。

「罰則なし」だから、
罰則がないから労働契約法の効果は無いと説明する学説がある。しかしながら、労働契約法は職場でのトラブルを未然に防止するための基準として立法されたものであるから、もとより罰則でもってどうこうするといった刑事・警察機能を持たせた法律ではないのである。そんなことより実際には、あっせん機関や裁判所などに持ち込まれて、未払い賃金や損害賠償を一挙に支払わされる方が、個別企業にとっては罰金よりもショックなのである。また、そこでの結果は従業員の労働意欲のさじ加減となって現れるのである。
多くの弁護士の論評は、「労働契約法が出来たからといって、何も変わることがない!」といったものが大半。しかしながら、この論理は訴訟が提起されてから、初めて裁判所で通用する代物であって、職場でのトラブル未然防止の着想はない。法案のたたき台を論じた審議会からの風の便りによると、「弁護士から、それも労働側も経営側も、トラブル未然防止の視点がなかった」とのことである。
加えて、労働契約法の条文に載っている、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」と、ここまでは具体的な判断基準として法律家であれば取り違えることはないのだが、その次の「その権利を濫用したもの」は、法律家でも間違いやすい内容なのである。すなわち、民法第1条の権利の濫用は、平たくいえば、濫用かどうかを裁判官が決めるというもの、これに対して、労働契約法に出て来る「その権利の濫用」の判断基準とは、裁判官の受け止め方で決めるのではなく、それぞれの条文に規定している具体的判断基準となる。
出向であれば、必要性、選定事情、その他事情に照らし合わせる具体性が求められ、そうなると裁判官の判断作業は過去の判例に従うことといったプロセスを踏ませる。
懲戒であれば、労働者の行為に対して、客観性・合理性・社会相当性を裁判官がチェックするように求めており、裁判官の裁量は極めて少ない。
解雇も同じく客観性・合理性・社会相当性をチェックすることで、権利の濫用の有無を判断するようになっている。
数ある法律の中でも、これらは独自累計を設定しているため、事業主が街の弁護士に相談した場合には、民法第1条の観念による間違ったアドバイスが予想され、それを受けて会社敗訴に陥ってしまうケースが続出しそうなのだ。あげくに、会社側弁護士が裁判官に説得されて、事業主に和解を強いることも、従来にも増して出没するかも知れず、よくよく洞察してみれば、それは当該弁護士の判断ミスということなのだ。

「就業規則優先か?労働契約優先か?」
少し専門的な解説をすれば、就業規則に記載してある規範や秩序でもって、職場内を統制することに重きをおく考え方が就業規則優先(就業規則法理)、これに対して自由対等な立場で労働契約を結んでいることが前提であることから、本人の同意がなければ、ことごとく拒否できるとするのが労働契約法理。これのどちらが理想ですかと何十年間も議論し、裁判所でも争われ続けているところだが、なかなか結論が出ないところに、今回の労働契約法はひとつの具体的仲裁的な法理を提起したのだ。
すなわち、一例をあげると、自分が知らないうちに、就業規則変更によって退職金規定がダウンされた場合、知らなかったし、期待をしていたことから、退職金ダウンを無効とするが労働契約法理である。では、説明してあれば良かったのか、払えない事情があれば良かったのか、就業規則変更に問題があったのか、などなどの疑問や会社の手抜かりが労働事件として訴訟が提起されている。こういったことをクリアすれば、職場内秩序の維持のためには就業規則を優先させることが必要ではないかとするのが就業規則法理である。
これを踏まえて、とりあえず労働契約法では具体的に定めた。不利益の程度、必要性、就業規則の相当性、交渉状況、就業規則変更事情をチェックしてみて、道理が通っている(これを法律用語で合理性という)のであれば、就業規則を優先させようとの決着をみたのである。したがって、チェック項目の欠落とか意味不明な説明であれば、不利益変更は無効とされる。無効とはもとより無かったこととする意味で、元通りの退職金や賃金などを支払わなければならないことになる。
さて、そうすると、個別企業の側からすれば、安易な思いつきではなく、代替措置や将来措置が具体的であり、従業員またはその代表らとの交渉を行ない、誠実な対応に徹底して、就業規則改訂を実施さえすれば、不利益変更は十分可能であるということである。ただし、これらに事業計画、敗者復活や努力実現の可能性、独断偏向の排除などの措置が付随し、交渉経過については、誠実説明義務ではなく、合意納得性が要求されることから、(専門家の力を借りるなどして)大規模に実施すれば良いということになる。
ただし、形式主義に陥らないように注意しなければならない。信義則、権利濫用、公序良俗のポイントが欠落するからだ。信義則の原則とは、簡単にいえば、ウソ、だまし、抜け駆け、ペテンにかけることを指し、一般的に形式主義を見破るポイントは、この信義則と言われている。(ちなみに公務員には民法の信義則は通用しませんから、真似をしないでください)。
不利益変更危険リスク:チェックポイントは、これらの具体的措置が整わなかった場合に、原状や原状であった就業規則に基づく損害賠償が必至、訴訟ともなれば6%の利息加算となることであり、ひとりに支払わされれば、全員に払わなくてはならなくなることである。


「均衡を考慮&仕事と生活の調和にも配慮」
とは、今時のワークライフバランスのことを言っている。信義則を守り労働契約を締結したとしても、その時代の時流のワークライフバランスに相反することは善くないという考え方のことである。したがって、訴訟が提起されれば、時代の潮流までも審理の対象として可能ということになり、労働裁判や薬害訴訟などでおなじみの、裁判所外圧力として機能する世論の力の類を、訴状や準備書面に持ち込む道を開いたことになるのだ。いわゆる、法律条文解釈に限定した血が通わない冷たい判決は駄目という法律の規定なのだ。国会の駆け引きの話でいけば、民主党による政府案復活である。
一例をあげると、
労使が望んだからと言っても、終業時刻午後11時50分、翌日の始業時刻午前零時10分の設定をし、2労働日だから問題ないとするのは、「いかがなもの?」としたのである。イギリスなどでは、次の労働日の始業時刻までに12時間程度の労働からの解放を義務づけているが、厚生労働省関係がこういった事例を紹介しているのである。厚生労働省には、こういった目論みが存在するのだ。あるいは、昼夜ニ交替勤務ともなれば、夜間に仮眠時間を与えないのは安全衛生のみならず、仕事と生活の調和の上でいかがなものかとなるのである。日雇い派遣は合法的に、たしかに行われているが、労働者派遣法による事業停止命令を行う背景も、こういったところに存在することを見ておかなければならない。
格差是正との関連での例え話をいくつか。
1週間や1日の労働時間を定めずに労働契約を結んだ場合は、1週40時間・1日8時間が原則となり、会社には労働者を働かせる権利があり、働かせなかった場合には賃金保障の義務がある。ところが、職務評価などが低いことを理由に、本人の同意を得た?として、1週間の労働時間をどんどん減らして行って、終いには1週間のうち4時間程度の労働契約としてしまい、退職に追い込むといった方法、この手の類が存在していることに、終止符を打つことになるのだ。
有期の雇用契約を結んでおきながら、仕事がある日だけ出勤させ、出勤しない日は賃金不払いとすることに、労働基準監督官が問題なしと指導した事例があるが、もとより契約不履行なのだが、これを一目瞭然でダメと判断できるようにした。
忙しい曜日と暇な曜日の差が激しいことから、労働者が時間外の改善を求めたところ、「暇な日は早く帰ってもいいけれど、その分の賃金は差し引く」などとの不正な対応も存在することから、民法536条の危険負担の法理が熟知されていないことも考慮し、ダメと判断できるようにもした。
こういった事例の際には、「本人の同意を得ています!」といった形式主義が使用者側から主張?されるが、だいたいの関係者は詭弁とは判っていても、あまりにも詭弁が反復継続されることから、信義則に反すると証明を繰り返し行うとなると一般素人には無理なこととなることから、均衡・仕事と生活調和としたのである。
いわゆるアンフェア・トリートメント(不公正な取扱い)、グローバル社会の負の部分に対抗するためである。また、現代の紛争解決潮流のひとつである、「手続主義の法パラダイム」(公正や正義というよりも、変更手続のプロセスを重視する時代潮流)を逆手にとって、「手続きを踏んでいますから!」を理由に不正を強制する行為に対しても、規制をかけることとなったのだ。

「足して二で割る:調停の偏重」
ところで、労働審判でもあっせん機関(紛争調整委員会や労働委員会)においては、日本における和解作業の未経験さから、裁判官その他が率先して、和議・和睦、その他取引を和解と勘違いしているきらいがあり、いわゆる双方の要求を足して二で割るといった機械論が横行しているのである。例えば、サービス残業の賃金不払いを、早期解決のために、この際200万要求したところ、会社は100万にしてくれと値切りに入る、ここに裁判官が200万と100万を足して300万とし、二で割って150万の調停案を押し付けるといった事例である。
労働審判において、経営側審判員や労働側審判員の発言などどこ吹く風で、労働問題には素人の裁判官が調停を振りかざしている事例の中には、こういったものが多いと言われている。紛争調整委員会では、熟練度の浅さに比して、足して二で割るが横行しているという。足して二で割ることを一貫して否定して来た労働委員会でも、最近はやったことがない公益委員も数多く存在し、斡旋制度の立法趣旨など聞いたことがなさそうな勉強不足である。
労働契約法は職場トラブルの未然防止に重点が置かれているが、おそらく紛争解決のひとつの基準として用いられることも間違いないから、足して二で割るような調停を出される前に、個別企業側から、あるいはその代理人側から、労働契約法各条項の立法趣旨の陳述や主張が、有利な展開を導くためのきわめて重要な根拠に用いられることは間違いない。ただし、裁判官やあっせん委員を「諭す」勢いの論述は、能力というよりも代理人という立場でなければ、なかなか実行できないことも、たしかな事実であるので、念の為。
さてこれは、社外に持ち出されたときの話であるが、これと同じことは社内でも発生する。社内では、中間管理職が調停めいた作業を行って来たところだが、「足して二で割る」手法も中間管理職としては使用不能であったところに、労働契約法の内容が持ち込まれて来ることも予想すると、トラブル未然予防が、唯一順調な企業発展の手法となるのだ。社会共同体の秩序破壊するような経営、例えば、堀江モン、村上ファンド、グッドウィル、フルキャスト、スタッフサービスなどなど、成り金思考など通用しないのだ。


ところで、この労働契約法、それほど世論は関心を持たず、大したニュースにもなっていない。
個別企業に、いかように影響するかの解説も行政側からは行われることはないと思われる。ここで述べたような、詳細な影響を行政側が話題にすれば、おそらく、世間の反発を買い、法案は流れてしまったことも予想される。ホワイトカラーの時間外賃金除外の法案部分などは、一斉にサービス残業請求運動が巻き起こったために、あっけなく流れた。賃金6ヵ月分程度の解雇問題解決、たしかに相場はその程度だけれども、労使反発で、その法案部分も流れた。労働側からすれば、今までの戦いを蓄積した内容も盛り込まれていたにも関わらず、労働側は成立自体に反対をし、表向きは徹底した批判姿勢を貫いた。
だがなぜ、経営側や政府側は、ここまで法律成立に努力したのか。
その背景や意図には何があるのか、そこはひとつ、考えておかなければならないポイントである。
昭和63年の労働基準法改正は、1日8時間労働の原則から1週40時間労働の原則へと変更することによって、産業構造の大転換が行われた。現在、日本経済の目指すところは技術立国。すなわち、「高付加価値製品と高水準サービス」の商品提供は、ほぼ誰もが認めるまでに至っている。そして、そのツガイとしての文化的生活やゆとりある豊かさが追及され、古代の自給自足生活に逆戻りしようという概念は否定された。日本の文化を守ること、文化経済学、教育への関心の高さといったことは、こういった世界の中での日本経済を安定させ、日本社会共同体の私的自治と統治義務が議論されることとなったのだ。
「一方が儲かり、他方が損をする」のは経済学の目指すところではなく、「双方ともに儲かるなどして豊かさが追及できるようにすることが、本来の経済学!」といった考え方も復活をして来た。OECDで国民所得第2位のうちは、勝者の論理として非経済学的な夢物語が信じられたとしても、第18位まで転落ともなれば、誰もが目を覚ます。
ところで、会社人間からすればショックとも思える、ひとつの視点が存在する。
会社人間が多いのは事実だが、果たして会社のために法律違反をして来た人を、あなたの会社でも守れるのか?といった現実問題だ。昔から、この人を会社は守って来た。が反面、守らなかった会社も存在し、そこでは下克上・裏切り・腐敗が横行し、企業としての将来や発展などは論外であった。大量の仕事を受注してはいても、社内では利益の食い合いといった地獄絵図である。これは経営・帝王学の定石であった。そして今や、日本で個別企業が、この人を守ることは、経済的にも社会的にも不可能になった。まして一連の偽装表示などの事件に関われば、連帯して職を失うこともあるのだ。そこで、着想の大転換!職場トラブルの未然防止が、個別企業の経営管理の下支えとして必要となり、これを国家戦略として用いなければならないほど、日本経済は技術立国へ向けての大転換を迫られているという観点なのである。
時代についていけない企業と人物は、いつの時代でも社会から排除される。
時代の先端を走る個別企業は、社会をリードしているし、社会共同体の秩序に相反するビジネスを展開することも、あり得ないのだ。
加えて、人件費の高い国は、技術が発達し機械化が進展するという経済理論は揺るぎのない事実なのだ。