2008/06/10

第74号

 <コンテンツ>
 今年の年末に向けて経済が一挙に
 とにかく世界も日本も変わる。
 個別企業で確保しなければならないこと
 人材を育て、→産業を創造し、普遍的展開をするところには、
 テーラーシステム(科学的管理法)は
 ちなみに、訓練もしくは訓練の過程において
 封建時代の産業構造に近い中国経済の根本的大問題
 自主性自発性を重視する教育は、ひとえに文化である。
 過日、デンマークの小学校教師から話をインタビューした。
 フィンランド教育方法の情報も入って来た。
 ある文化経済学者の、知識を学ばせるとは、
 ある宇宙物理学者は、本当の科学者の見分け方
 世の中には「一風変わった」ソフト開発会社がある。
 さて、こう見てくると、
 (労働契約法の解説は休ませていただきます。)


¶今年の年末に向けて経済が一挙に
落ち込み、年末には社会不安が激しくなるとの見通しが、共通の認識となってきた。先行き不安が世界に漂っている。はたして、「21世紀の産業革命」の起爆剤と云われる低炭素エネルギー転換、IT情報活用、流通・交通などに期待はかかるが、不安解消とまでは至らない。

¶とにかく世界も日本も変わる。
さて、これに対し個別企業にあっては、如何に対応するかが重要な課題である。
その方向は、「高付加価値製品or高水準サービス」の商品提供がカギとなる。
それも、中国、ロシア、ブラジルなどのブリクス諸国の“お金持ち”、あるいはEUの中間富裕層向けが、どうもマーケティングの標的なのである。アメリカ経済への、現在までの大量製品の大量消費マーケットは、転換を図らざるを得ないようである。

¶個別企業で確保しなければならないこと
は、「高付加価値製品or高水準サービス」の商品を提供するための人材確保である。このような人手が少ないのであれば、まずは自前で育成するしかない!のである。幸いなことに、日本の文化が背景となって、こういった人材育成や確保の土壌は、未だ存在している。ただし、ハッキリ、注意しなければならないのは、今の学校教育を受けた高校生や大学生は、知識偏重・記憶偏重者が多く、受験予備校などで「考える能力」の芽を摘まれてしまっているから、抜本的に能力修正をしなければならない作業である。

あなたの個別企業でも、業務改善や危機管理を行ない、マーケティングの向上、品質サービス向上が図られれば経営が改善すると分かってはいても、この知識偏重・記憶偏重者が多いところに足を引っ張られ、目先のことさえできない原因があるのだ。彼等の、「教えてもらえば、出来ます!」といった答えは、意欲のなさというよりは、やり方を考える能力の未熟さの現れなのである。このメルマガを書いている私も、これを読んでいるあなた自身も、このことをよく考えてみる必要に迫られているのだ。


¶人材を育て、→産業を創造し、普遍的展開をするところには、
どうもひとつの共通点が存在するようである。封建時代には、お殿様が経済発展や豊かさの追及を抑え込んでまで地位を守った。それが市民革命を経て資本主義を形成するとともに、先進国人類は社会共同体というものを作り上げた。社会共同体を通して自由と民主主義を担保し、自由な経済活動を展開して来た。おそらくここまでは、誰しもが否定しない事実である。
こういった社会共同体の共通したものに、「自発性自主性に重点をおいた教育」の存在がある。日本の高度経済成長を支えた人材育成は、TWI訓練とかOJTの真髄である、「やって見せて、やらせて見せて、ほめなければ、人は動かじ。(旧海軍:山本五十六)」、これも当時の海軍としては、「自発性自主性」なのである。

¶テーラーシステム(科学的管理法)は
アメリカで開発され、ヨーロッパに広がり、当時のソ連のレーニンが導入し、いまの北欧にも広まった。(だが中国は外れた)。この管理法の真髄は、生産作業をする際に、
作業計画を企画・設計・計画する人物と、
もっぱら考えることなく作業に勤しむ人物とに
はっきりと分離をしたことである。(職人:これらを統合して順次考え順次作業する作業方式) この管理方式を支える教育訓練が、アメリカのハーバード大学で開発され、その開発初期過程で留学していたのが、旧海軍の山本五十六であった。当時海軍は石炭で動く小型戦艦から、大型重油戦艦を動かすために、有能な技能者を大量に人材開発し、近代化したのであった。とはいえ、海軍基地ごとの艦隊派閥争いの解消までは、できなかったようではあるが。
(この艦隊ごとの派閥は、呉海軍基地に舞鶴艦隊が居れば、横須賀艦隊は入港拒絶といったような類、この解消法が連合艦隊として同一行動を取らせることだったが、所詮は海軍内での自慢話にすぎなかった)。


¶ちなみに、訓練もしくは訓練の過程において
自主性自発性を重点におくことは無い。だからといって、プレッシャーを加えながらの教育は、目先の効果も期待できない。たとえば、JR西日本の日勤教育は有名であるが、プレッシャー管理や同じ文章を何度も何度も書きうつさせても、効果はないのである。マニュアルなどの決まりは守るかもしれないが、想定外事態での対応とか、新規・創造的な仕事はできず、「やることはやってます!」と、すなわち最小限の決まりごと以上のことはしない、いや決まりごとさえもできない!となるのが関の山なのである。おそらく、封建時代の産業構造とか、職人の世界であれば、結構これは大規模に組織的に行うことができるのかも知れない。しかしながら、これではグローバル社会や、ブリクス諸国に負けてしまうという。と云うだけに留まらず、個別企業でそれを目指したとしても、産業資本の絶対額や労働力人口絶対数で、事業展開競争のスタートラインに立つ資格要件すら、日本系では整わないのである。

¶封建時代の産業構造に近い中国経済の根本的大問題
は、改革解放政策を行っても、大半の中国労働者には技能向上が見られなかったのである。その理由は共産党員の家庭に生まれなければ、最高教育は受けられず出世の道も閉ざされるという、人材育成制度前提の社会構造に問題があるのだ。だから、海外資本の投資総額に限ってしか経済成長できないのだ。インドもよく似たことが言える。カースト制度がある限り、いくら教育を受けたとしても、重要ポストに就くことには限界があるといった身分制度、これでは意欲がわくことはない。


¶自主性自発性を重視する教育は、ひとえに文化である。
抜け駆け、詐欺、暴力、強迫、差別などが横行するといった文化水準の国家では、豊かなところは存在しないのが事実である。また、世間体の義理人情に浸り、豊かさから離れ悲劇に埋没するなかで、センチメンタルな感動に酔いしれて、つつましい生活を美徳とするのも、それも確かに文化である。
そして、社会不安が激しくなると必ず、「物質的豊かさは精神的豊かさを破壊する!」という輩が現れるが、経済学的にみると、「精神的豊かさの保障は物質的豊かさをリードする!」のが正しいのである。
それなりの高度な教育を行ない、理性をはぐくむことによる文化なのである。いくつかの具体例を紹介しよう。

¶過日、デンマークの小学校教師から話をインタビューした。
「デンマークのエンジニアひとりは中国の1,000人、インドの1,000人に等しい。これがデンマークの教育です」。
これが開口一番の第一声であった。続けて、
「人口は540万人の小さな国だから、農業、畜産、ハイテク、ノウハウを輸出。小学年の期間、試験は無い、1学級20人程度、一方通行授業はなく課題を解く方式、教師と生徒は同じ目線でニックネームで呼び合う」。
すなわち、デンマークでは、基礎的な能力を徹底して磨きあげることを重視している。
「デンマークでは、18歳になれば大人であり、親元からも追い出す。民主主義は実行するもの。大人になるまでに、できるようにする!」と最後に力説したのは特徴的であった。

¶フィンランド教育方法の情報も入って来た。
その方法は「混合教育」、すなわち、理科の授業の時に国語の話をする、数学の授業のときに音楽の話をする、国語の時間に数学の話をする、といったように、物事を関連させて常に考えるようにさせる教育訓練を子供の時から行うのだ。大人になってから想定外の事態に対応できるように小学年から教育をする。それも、生徒全体のレベルを上げることに重点をおいている。エリート少人数教育は効果がないと踏んでいる。

¶ある文化経済学者の、知識を学ばせるとは、
「『真似をさせる』とか『暗記させる』ことだと、かつて錯覚していたとして、覚えさせるのは試験対策などにはそれなりに有効であるが、言葉の意味や文脈を考えないで暗記してみても実際には直ぐに忘れ、加えて、考えない癖がついて、柔軟な思考力や的確な判断力の育成を妨げる。当たり前のことで、学校秀才が役に立たない理由」。
だと説明している。たとえば効果的な方法として、情報やまとまった考え方などは、
「意味を自分なりに解釈した上で、誰かと(例えば、友人や知り合いと)対話をしてこそ、より深く理解できる。人に話しかけ、理解を求めて、言葉やスピーチの意味を相手に分かるように説明するのだ。相手に意味が通じれば、その言葉やスピーチをめぐって両者が情報を共有することが出来る。情報の共有によって、話しかけた自分の‘意味を理解する力量’は深まるだけではない。さらには、聞き手である相手の「意味を理解する能力」にも影響する。相手の潜在的な能力が開発されて、この言葉やスピーチに関係した、さまざまな領域での会話をはずませる前提がきり拓かれるのだ」。
と解説している。いわゆるケースメソッド方式の学習方法は、知識を学ぶにも応用できるというわけだ。

¶ある宇宙物理学者は、本当の科学者の見分け方
を示した。次のような話題が見てとれるかどうかとのことだ。「科学は100%ではない。科学には限界がある」と、科学ではわからない要素を話す人とのことである。加えて、いざとなれば弱者味方も必要要件とのことである。


¶世の中には「一風変わった」ソフト開発会社がある。
一般IT系企業をスピンアウトした技術者ばかりを、友達ルートで採用している。その会社には、理工学系一流国立大学といわれる出身者ばかりだ。経営者は経済学部出身で、「一風変わり者」をうまく活用している。現在、株式会社総務部で開発中の「有給休暇管理ソフト」も、この会社にプログラム分野を任せている。多くのソフト開発企業といえば、実に主力はIT系技能者であって、技術者ではないところに特徴がある。残念ながら多くの企業が体力勝負で、管理職も若年層が多く、その多くが「太陽に向かって走れ!」式の未熟さ管理で蔓延しているのである。だから、技術系の有能な者ほど、嫌気をさして離脱するといった構造だ。ここに、これから将来の利益の源泉が見えてきている。


¶さて、こう見てくると、
おぼろげながらにも、人材育成の方向性が見えてくる。
標準型作業を行なうための労働者であっても、いかに想定外に対応できるかは重要なのである。
労働力人口が少なければ、個々全員の基礎的な能力を磨きあげることが大切である。
議論やスピーチが、知識を習得する上では重要な学習技術である。
確かに、ひとつの産業等を起こす人物は数万人に1人、数百人の陣容を動かす人物は500人に1人などと、昔からよく言われる。ところが、これらの人物は産業界だけでなく政治、芸術、社会貢献などのそれぞれの分野からも、人材確保として取りあっているのだ。20歳代の社会貢献とか社会実業家も、結果現象であり、人材育成方法ではない。
☆想定外対応教育、☆磨きあげられた基礎能力、☆知識習得技術の教育基盤の上に、
数万人に1人~500人に1人といった人材を抱えられるかどうかが、個別企業の勝負となる。
ブリクス諸国で通用する人材を、今さらエリート教育として養成しても仕方がないのである。


(労働契約法の解説は休ませていただきます。)


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