2009/07/07

第87号

<コンテンツ>
80年前の昭和大恐慌、よく似た失敗の再来か?
我が個別企業だけが浮き上がるしかない!
ネットワーク通信は本当の意味のリストラに
労働関係法令改正の動き、最近の雑感


80年前の昭和大恐慌、よく似た失敗の再来か?
大恐慌=構造的経済危機突入の兆しが出てきている。経済成長とか豊かさは、最終的には個々人の生活に帰結するから、すなわち個人消費の動向が危うい。今の経済状況は借金で食い繋いでいる。先食いしているわけだから、最終的に帰結する個々人の生活が大事になるのだ。この経済問題が大事な時期にもかからず、たまに流れて来る言い訳めいた経済指標やマスコミの経済ニュースに踊ってはいけないのだ。一部の統計数値で、経済学を無視した景気底打ちなど判断できるわけがないのだ。
決定的なのは失業率である。
統計数値の取り方が時代や国によって違うが、 最新の失業率は5.2%(完全失業者は347万人分)である。先進各国との比較をするには、ここに雇用調整助成金の受給者を加えて計算する必要がある。その数は現在230万~250万人分であるから、合計すると失業率は9%近くになる。そこで、先進各国と比較した場合、アメリカやカナダは9%前後、フランス、イタリアは7%前後であるから、日本が決して安定しているわけではないことが分かる。その雇用調整助成金の受給申請には、未だ長い行列が続いている。景気対策緊急融資は、少しでも返済見通しのある個別企業には相当行きわたらせたようだが、問題は返済見通しの無い個別企業と抱えている労働者等である。
そして、こういった大型財政出動に借金を重ねるだけで、新しい時代にあった個別企業の具体的な再生施策を、未だ議論にするには至っていないことも確かだ。ついこの間まで立派に見える経営方針を唱えていた人たちは、時代背景とか経済背景が変化した途端に、これまた非現実的方針を、「毎日、惰性のように繰り返すだけ」になっている人が目につく。今日からでも商品構成を変化させなければならないのに、ただ、「単なる安売り作戦」に終始しているのがその典型である。極端なのが違法行為、創意と工夫の無さの現象である。
経済を下支えするには、
最終消費である個々人の生活に資金を投入するしかない。ただしそれは、将来の経済復興に向けての仕組みを作り、打撃を受けた個々人がその仕組みに乗れるための資金投入であることは当然である。決して、「只飯」を食わせるわけではなく、「只飯」を食わせる慈善事業(東京:山谷、大阪:釜ヶ崎その他)はこの世には一つたりとも無いのである。ところが景気対策資金は、発展途上国へのOECDの如く、北朝鮮への食糧支援の如く、この日本でも途中で「中抜き」が横行しているのである。
経済対策の予算は、
物事の本質が分からない官僚が立案し、官僚にはチェックのすべもないものだから、手の込んだ「中抜き」が景気対策予算全般に横行することとなり、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の如くに、それなりの経済対策を打ったつもりなのだが、意に反して「派遣切り」や精神疾患・虚弱者の切り捨てといった現象が現われてしまうのだ。 官僚たちは「決まっている解答を解く能力」にたけている優等生としてチヤホヤされ育ったが、「中抜き」の力を発揮する者は、「正解のない解答」を解く能力にたけているのだ。こういった「中抜き」の能力を持つ人たちが社会的評価を受けたりすることはまれで、むしろ優等生たちからは排斥されていた存在なのである。この人たちをアドバイザーとして各々の主幹課に配置すれば、「中抜き」は相当解消される。ただし、「中抜き」をさせろと金融系が暗に圧力をかけ、微少の議員が暗躍することも確かだが。
以上、こういったものが経済分析と言えるものなのだ。文学部出身の新聞記者が書く経済娯楽三面記事とはわけが違う。


我が個別企業だけが浮き上がるしかない!
今の経済状況を見ていると、政権交代の有無にかかわらず、構造的経済危機を迎えることには間違いない。この450年ぶりの金融危機やICT革命を迎えるにあたり、旧態依然として集団同士の争い、組織同士の争いが未だ繰り返されるとすれば、主な政治や経済に関わる集団から有能な政策(それを考える人材)が湧き出て来るはずもないのである。派閥争いが起これば、その渦中の人たちの能力低下(馬鹿やアホになる)となるのは数千年前からの名言にある。自由経済・民主主義は集団ではなく個人の力で発展してきたことは歴史の事実である。確かに支えた人たちはいるが、集団なるものは支えなかった。発展する経済を広げるための、「新しい集団」を作ったのが歴史の真実である。
だとすると、現時点では、個人が、個別企業が、
起死回生に向かって突き進むしかないのである。とかく、サラリーマン生活が長いと、同調者が増えるまで、怖くてなにも出来ないといった癖が強くなるが、この「怖くて何も出来ない…」が命取りとなる時代である。書類送検されたカネボウの経営者も、(命の危険を感じたが)「10年前に手を打っておけばよかった」と語ったそうだが、これも集団が怖くて出来なかった典型である。本当の意味のリストラをするから、労働紛争が生じるのである。今や紛争を避けてばかりいる個別企業は、借金増、給与遅配、売上じり貧を迎えている。誰もが未経験の変化に直面しているから、経験主義は無能なのだ。もちろんこうなると、思考能力がない者は法律違反を繰り返さざるを得ず、コンプライアンスや環境に関心が薄いとして、個別企業内外から見切りをつけられることになる。有能な個人のほとんどは、こうなる前に心をこめて思考するが、そんな個別企業に見切りをつけて人生を切り替えもしているのだ。
「座して沈没を待つ!」とは、
思考しない者にとって、既に企業戦略を間違えたからには、決して投げ槍とか刹那的ではないかもしれない。


ネットワーク通信は本当の意味のリストラに
不可欠なものと言われている。ネットワーク通信を使った産業革命が到来するのは間違いない。昔の産業革命(大工業)は100年位かかっているが、今や10年は1年、一挙に進むこととなる。
そもそも産業革命とは、生産された財物の消費者である市場の激変によってもたらされたものである。画一標準的な商品が売れなくなったことから多品種少量生産となったが、実際は画一標準商品に毛の生えたような多品種少量であった市場が閉塞したのである。そして、金融資本が利回りを求めて信用経済膨張(架空経済)に至り、金融危機となり、一挙に信用収縮を進めているのである。
従来の閉塞市場は、今や「最終消費地を一国単位から世界単位」に変化させ、一品注文生産と思えるような多品種少量生産でもって市場開拓をすることになる。これは、ある意味、そこまでの人類発展段階に到達したとの分析評価もできるのである。
そうだからこそ、ネットワーク通信が需要予測から最終消費に至るまで必要となってきているのである。その意味でIT革命と言われているものが、ICT(コミュニケーション)革命とトレンドが変わってきているのである。経済産業省はIT、総務省はICTといった語句表現の好き嫌いといった次元ではない。
コンピューターといえば、
IBMが興し衰退→マイクロソフトが普及させ停滞→次にグーグルが取って変わろうとしている。個別企業が自前でサーバーとかハードディスクを保有する時代は終わった。(暗号技術発展は、実はアメリカ政府が暗号を禁止していたところ、解禁と同時に発展したもの)。
販売市場にあっては、多品種少量生産といえども、個別企業同士の陣取り合戦から規格競争(ブランド性)に変化しつつある。このことは設備投資不要と言われるサービス業系の中小企業に至るまで、ネットワーク通信を使って超大型サーバーと通信を行ない、ネットワークに蓄積をする時代になるということなのである。
そもそもネットワークの語源は、
アメリカにおいて、会社ごとの固定電話網(別会社だと電話がつながらない)の意味であった。だから、ネットワークの良い電話会社と契約しないと、電話先の量が限られるから、その会社の固定電話網の作用地域が問題になったのだ。それから様々な経緯をたどり、直近の注目点はネットワーク技術の飛躍が再来することである。数年前の日米半導体摩擦問題により、日本は半導体技術を水面下で韓国に移した。このために韓国の半導体は現在、世界で優位に立っている。その日米半導体摩擦が解決に向かうので、再び日本は表立って半導体に乗り出すので、新しい技術開発で日本は半導体優位となり、これがネットワーク技術水準を飛躍させることが確実になっている。先日の日本政府の半導体向け大型投資は、そういう意味であって、社会主義政策の再来ではないのだ。
個別企業の、「高付加価値製品や高水準サービス」の提供は、
1.提供するための事業内外の作業組織
2.適切な労働力の確保と労働時間の割り振り
3.業務遂行のための物理的精神的技術体系
究極はこの三要素の取り組み如何である。
その結果が、個別企業の収益性、事業生産性、労働意欲、作業効率となって現れるのである。この「益・産・意・効」の四分野のどれに問題点があるかを絞るのが経営診断のコツなのだが、今から本当のリストラをする場合に、この究極の三要素にネットワーク通信が不可欠であるという意味である。


労働関係法令改正の動き、最近の雑感
労働時間、派遣業、職業(就業)能力向上などにまつわる法律改正が目白押しである。国会動向によって政策が停滞しているように思えるのは、マスコミがそう書いているだけで、現実の動きは早くも大きく旋回している。すなわち、平成18年度から以降の労働政策は、規制緩和の余波が存在していても、厚生労働省は海底での規制強化方向を着々と進め、オバマ大統領当選をきっかけに、一挙に「規制姿勢」をあらわに出して、いよいよ法的規制を(法律制定前に)定着させようと動いているのだ。だから、マスコミに翻弄されていると目をくらまされてしまうという訳だ。
(この際、法律案、法令、通達の詳細説明は省略して、本質を解説)
労働時間短縮は、
今回の経済危機によって残業が削減されていることから、統計数字に現れる長時間労働は解消されているとしている。ただ、統計の取り方がお粗末なだけで、労働時間のアンバランスな実態には変わりがない。統計に現れないから、政策的な手立ては打たれることがない。そこで、労働基準監督官が労働時間是正の監督指導に入る、「個別企業:監督官」の肉薄戦にステージが移っている。その結果が、7月2日の舛添厚生労働大臣の、「日本では労働法が遵守されてない」との嘆き発言である。こういった現象の奥底にある本質は、月60時間5割増賃金の法令施行前に、時間外労働を「月60時間未満」の状況に、実態を持ち込もうとしている政策誘導だ。
派遣業など労働力需給市場は、
社会問題になった日雇派遣が典型的、日雇派遣には政策的な弾圧が繰り返され、ほぼ厚生労働省の考えている程度にまで縮小されつつある。製造ラインの派遣は、選挙結果にかかわらず大幅に縮小される見通しだ。その代替えとして、請負条件を満たした業務請負、並びに職業紹介事業である。そもそもの政策的な目的から1997年(1999年派遣法緩和はではない)に始まった「賃金コスト抑制政策」はほぼ完了したから、それなりに派遣事業の形態には、もはやすることが無くなったのである。これからの日本経済を見越して、職業能力に重点をおいた労働力の企業間異動に政策が移りつつある。厚生労働省は、民間活力だ何だとか言ったとしても、職業安定所よりも規模の大きな派遣会社は作らせなかったし、先日からは派遣会社が倒産したとしても、所詮は職業安定政策の一環として民間事業所に、「仕事をさせてやる」と許可したにすぎないから、要するに派遣業者は必要なくなってきたということとしているのだ。これを背景にして労働者派遣法の改正が進められるのである。
職業(就業)能力向上は、
将来の日本経済再興に合わせて、改めて、日本の労働者の能力向上政策を図ろうとすることにはなったようだ。ところが、セーフティネットに名を借りた予算措置はしたものの、直球の予算組はほとんどないことで、本当に何から如何に着手すれば良いのかが分からないといった状況のようだ。ただ、日本の死活問題として、職業能力向上政策を位置づけようとしていることは確かである。日本の賃金水準低下政策は終了して、次は「職業能力の向上が所得の拡大につながり、消費が増えて経済が活発になる」と労働政策(労働白書21年版)は位置づけている。この理念から、この能力向上に向けて帰結するところの日本型雇用システム、賃金・評価システム、新産業雇用創出分野を政策的に再考して行くことにしている。個別労働紛争の解決機関(労働局:紛争調整委員会)を整備して、労働者の集団的管理から個別的管理への移行させているのも典型だ。具体的な政策展開案はこれからのようだが、人海戦術で経済を成り立たせようとする戦略は、戦後約65年をもって終焉することとなった。大げさにいえば、労働政策は戦後の日米経済同盟関係に、見切りをつけようと動いているのだ。
さて、この20年余の労働政策は、
法律施行前に、事前に規制を完了した実態を作り上げてしまうとの方策を採用してきたし、これからも当分の間この方策は継続される。したがって、個別企業における人事労務政策は、法律が施行される日時からでは遅いのである。すなわち、行政裁量権を大いに発揮して政策誘導を進め、旧労働省職員(行政改革を免れた)の組織力を以って実態形成を進めているのだ。最近は、厚生労働省の非正規職員に人事部門経験者や社会保険労務士を雇入れ、事業のアウトソーシング先に社会保険労務士会を動員しているのが特徴である。
ときに、個別企業の対応が遅いが為に、貧乏クジを引かされる法律も存在するのだ。安全策はその逆で、ある。