2010/04/06

第96号

<コンテンツ>
新年度を迎え、いよいよ具体策の発揮が、
新規事業仕込み人とか、総務人事部門担当など
地代rent、賃金wage、利潤profit、の視点から、
これからの時代、現実に通用する賃金の考え方
日本国内で理想として来た賃金。
 【給与】とは、
 【賃金】とは、
 高度経済成長は再び望めない今、
労働者派遣契約の成立要件
 現場実務からすれば労働者派遣を行う前提は、
 労働者派遣だとすれば、労働者の労働提供義務は
 この受領権限を超えた権限を派遣先が
 新自由主義・規制緩和での実態


新年度を迎え、いよいよ具体策の発揮が、
100年に一度と言われる経済危機による市場の激変に対して、必要な時期に突入した。個別企業は、経費削減の領域をはるかに超えて、抜本的というか、企業を一から立ち上げる気概での経営方針、それも即実行を迫られている。比較的市場の変化が遅く出て来る、「住」に関わる業種(ビル管理、警備業、マンション管理)でも、この新年度からの受注は1割から2割程度減少した。一般的中堅中小企業だと、6割減少の程度との実感が、識者の多くの意見のようだ。もちろん、個別企業ごとには、ゼロになったところもある。
すなわち、旧態依然とした事業であれば、収益減少まっしぐらであり、新しい経営方針で望んでいる場合にのみ、成功の道も存在する、といった岐路に立たされている。
これが現状である。さて、どこに需要の拡大を求めるか?
それは、個別企業ごとに異なるし、諸説アイディアが成功するかどうかは、ひとえに新規事業を仕込む能力がある「新規事業仕込み人」の有無にかかっている。中流層と従来日本で概念化していた人たちは、世界で約10億人いると推定されている。数年前、日本で1億円以上の貯蓄を持つ人は100万人、中国では4000万人いると報じられていた。由緒ある某スイス系銀行は、貯蓄は2億円以上の人だけがクライアントだとして、日本では半身の構えになりつつある。
今や、本質は、
組織体制、国政方向、安価な労働力の追求といった、「パイの配分方法」をめぐっての方針どころではないのだ。一昨年6月までの如くの世界経済の形は、縮小に向かいつつあり、それまでとは違う世界経済成長が構築・創造されなければ、いわゆる繁栄は見込まれないのだ。だから、中国の上海万国博覧会と言っても、現代版紫禁城、万里の長城、ピラミッド、バベルの塔などと本質が同じで、資本主義自由経済の発展とは異質の産物なのだ。今日のメシを食わんがために、緊急避難として中国貿易をするとしても、抜本的需要拡大ではないのだ。(現に中国経済は、官製バブル:汚職蔓延:富の一極集中が加速している)。


新規事業仕込み人とか、総務人事部門担当など
そこで、いわゆる専門的能力を持った人材が、個別企業にとっては、その有無が重要である。ところが、経営者は、こういった人たちを、「使いづらい」と、共通して悩んでいるのも現実。また、専門的能力を持った人材は、「どうして会社は、分からず屋なのか」と、憤慨している。
実に、こういった悩みや憤慨を解決するために、費やしている時間=
○瞑想の時間、
○ストレス解消の時間、
○解決研究の時間、
などに多大なエネルギーを割いている。おそらく、日本の場合であれば、経営者や管理職の仕事の6割が、これに掛かっていると思われる。
「運営の問題!」とか、「能力の問題!」とか、こう表現されるものがそうで、今までからナオザリにされている。経営コンサルティングの会社は、これに付き合うと利益激減を招くので、「社長の決断!」と言ったり、「あの社長は馬鹿!」と言ったり、「無能な担当者を変えろ!」と言って、コンサルタントが責任転嫁して、会社を切り捨てるのだ。(加えて、責任転嫁されても、会社は納得している始末でもある。)。
さてさて、こういった鬱憤晴らし的方針では、古今東西、前向きに進んだ例はない。
「良い人材を使いこなす!」として、
「人間は社会的動物」と冷静に考え、
この二つを進めた個別企業(これは部下を使いこなすとは混同してはいけないのだが)、唯一こういった個別企業でしか成功にはたどり着いていないのだ。
テーラーシステム(科学的管理法)と言われるものは、
20世紀に経済の豊かさをもたらし、人類の富の増加に大きく寄与したことは間違いない。ところが、最近の研究からすると、あらゆる立場の専門的能力を持った人材から強力な反発・憤慨を招来したことが歴史的事実である。皮肉にも、心理学の人文科学者、社会学の社会科学者たちからは、非科学的と決め付けられ、事実、日本のような文化水準の高い労働者の労働意欲減退(人間性の疎外)を招いてしまったのである。そこに、1999年以降の規制緩和による非正規社員、派遣労働者らの人件費削減は、テーラーシステム、フォードシステムの条件基盤となっていた賃金構造、すなわち、職人の仕事方法ではないから大幅に給料を優遇するといった条件基盤とは、全く逆のこととなってしまったのだ。
○中軸であるべき正社員の拝金意識へ溺れ、
○専門家分野社員の憤慨を招来し、
○現場作業者の人間疎外とテーラーシステムの条件基盤の崩壊、
これを一挙に解決することも、新規事業の仕込みに含まれるのだ。


地代rent、賃金wage、利潤profit、の視点から、
個別人間の労働意欲が、どういった意識に影響されるのか、といった研究は注目に値する。生産の三要素(中高校生時代の教科書)と、合わせて考える研究がある。この古典的経済学であり、今も通用している生産の三要素は…専門的にはアダムスミスの分析から始まるのだが、彼はスコットランドの経済学者、当時の絶対君主制での社会経済活動に対抗した意味での、「自由主義」経済の元祖(現在の新自由主義の先祖ではない)である。中国政府関係者などを除いて、経済学の父と全世界の経済学者は認めている存在である。
さて、その研究内容は、詐欺、脅迫、略奪、戦争などの経済外的強制の行為を除いて、専門分野での能力を発揮する人たちが、地代rent、賃金wage、利潤profitといった奥底にある三つの所得源泉によって、「知識生産」の方法や成果が異なると、発表しているのである。誤解を覚悟して簡単要約すると

★地代 rent
とは、学術団体、政府機関、政府系経済アドバイザー、OB会と名の付く集団などに蓄積された知識の集合体から、知識を借りるために賃貸料を払う概念としている。知識を土地のような蓄積物ととらえる人たちだ。弁護士、司法書士、税理士、行政書士、社会保険労務士が、国家行政や裁判所の方角を向いて仕事をしている場合が、そういった専門知識を発揮する典型である。現代では確かに、こういった専門分野の人たちは、(国家その他の)資格を持たなければ仕事が出来ない仕組みとなっており、知識の水準を維持するには、社会的には必要である。
だが、仕事の姿勢は地主と同様の発想で、個別企業に対して、「注意しなさい。過去の知識の通りにしなさい」ばかりであり、新規事業に対してただの、「油断するな!」の一言で終わってしまうのである。
こういう人が、コンプライアンスを紐とくから、経営の足を引っ張る。実務に携わる専門家からすれば、放任されれば自由な経済環境を好むとして、彼らとは対立関係に陥らざるを得ない。……して、彼らは国家その他の権力に頼ることになり、ますます権力の発想に擦り寄り、「地主は賃借人を信用しない」との原則を貫くのである。

★賃金 wage
とは、遂行された労働力の総量に応じて払う概念とされている。労働力であるから、後日、商品が消費市場で売れた結果の価格には左右されないことになっている。また、その人個人の、それまで過去の実績でもって賃金額は決定されるが、無能な専門家と比べて、(所詮は賃金であるから)はるかに多くを稼ぐことはない。
時間の許す限り、専門知識の研究開発に携わることは出来るが、必ず花咲き実るとは限らない。だから、地主の仕事姿勢とは異なり、作物を育てる農民イメージであると言われる。個別企業の中とか業界における専門家となるのには、資格などの必要はない。
専門知識や知的技能には関心があるが、その使われ方には、関心もこだわりも持たない。それどころか、専門知識や知的技能が導くところなら、パラドックスや難問に情熱を感じる人たちとなる。

★利潤 profit
とは、伝統的には、土地と労働への投資に対する見返りである。その決定は消費市場での価格である。近年、ナレッジマネジメントと呼びかけられるものの目的は、この見返りの効率的回収である。が、現実は、地代rent及び賃金wageの所得を当てにしている人たちからの反発・憤慨を受け、「ナレッジマネジメント」のシステムと言っても、ただ単純な「共通データベース」の構築でお茶を濁さざるを得ないのが現実だ。産学協同とか特許権活用が、個別企業で遅れがちである理由も、この反発・憤慨にある。
研究によると、利潤profit追求の専門知識を発揮する人たちは、まず、地代rent(資格)追求の傾向示す。利潤profitは、はじめ外形的には、地代rent(資格)所得や賃金wage所得を得ているように見えるが、「万が一のとき(Just in cace)」ではなく、「必要なとき(Just in time)」なのである。Time is money ではなく、Timing is momey なのである。
知識が利潤profitの源泉である場合は、新規事業を切り開き、新市場を形成することになる。それは、この日本でも、耳にタコが出来るほど言われている論理である。歴史的にも、元来中国やインドは、ヨーロッパに比べ政治的、経済的に発展した社会だったが、ヨーロッパの「科学革命」によるイノベーションの風土が育つとか、社会(共同体)という制度が中国やインドに定着しなかった背景には、地代rent重視の権力構造があったとの研究も紹介されている。
だとすれば、(ここからが筆者の意見だが)、
戦後日本で高度経済成長が止まり、その後グローバル化するなかでも、いつまでたっても実現出来なかった原因を、すなわち、その主体的原動力がどこにあるかを研究・見定めていないから、バブル崩壊後もお題目に終わっているのである。筆者は、スウェーデンにおける学界と経済界の共同提案による管理職博士号(Executive Ph D)であるとか、アメリカのアウトソーシング(Outsourcing=専門家チーム)などが、大きな主体的原動力としての可能性をもっていると考えている。
いくら、個別企業の中だけで、あるいは日本国内だけで、専門知識や知的技能を駆使したところで、やはり外部からの専門的利潤追求の専門家アプローチがなければ(18世紀:自由経済発祥、19世紀:産業革命のときのように)、大きな変革を迎えることは出来ないのだ。
変革の第一歩は、いつの時代でも、あるひとつの個別企業から始まる。
そして、貴方の会社だけが再生復活する。


これからの時代、現実に通用する賃金の考え方
とは何なのだろうか。そもそも賃金とは何かといった概念を論議規定化したところで、労働者はそのように働いてくれるわけではない。特に専門家として働く労働者の多くの人でも、その論議規定に耳を傾けることもしない。親や地域から人生観を教わり、毎日を生きているとすれば、その周辺からの分析と考え方を探ることは必要である。


日本国内で理想として来た賃金。
終戦直後の混乱期に、GHQ政策に対抗して導入されて賃金体系が、「電産型賃金」と言われるものである。これは、日本の電力供給を水力発電から火力発電に転換するために必要な人材確保をするためのものであった。ここに目的があったから、当時のGHQや政府の職能給一辺倒の考え方と大きく対決したのだ。当時の電力会社(日本発送電)は、GHQと戦うために、「電源スト」(ストは労組)である送電停止(停止作業は会社オペレーション)を行ない、この賃金体系を導入したのだ。会社も労組も、GHQ本部との交渉、逮捕の危険、国内逃亡を繰り返し、電産型賃金は全国に定着した。それは現代人事総務部門の担当者の仕事からは想像も出来ない。その後、電力会社は九つの電力会社体制になった。この賃金体系が銀行業界に広まり、そして全企業に波及し、いわゆる年功序列型賃金体系となったのである。実は、私の伯父は日本発送電の人事部におり、当時は、賃金対策委員会で企画から導入の仕事を行っていたから、生前私にこの話を彼は伝授したのである。中央労働委員会や日本政府は、「蚊帳の外」であったから、この事情は知らない。賃金問題の学者や研究者と言っても、ここまでのことは知らずに、単なる統計や資料の分析で、年功序列型賃金などを話題にしているにすぎない。
この年功序列型賃金も制度疲労を起こし、若手社員が能力を思う存分発揮出来るようにしようとの考えから、大阪の国光製鋼で、日本で初めて職能資格制度が賃金体系に導入された。ここには全国金属の労組があった。コンピュータで、賃金総額の積分計算ができたから、体系を組むことも可能となったのである。最近流行した成果主義とは、この職能資格制度の、ひとつの資格内での成果を評価しようとの目的で、制度疲労を解消しようとしたものである。だから、職能資格を超えて成果を評価しようとは想定していない。そして、現在の世界的・歴史的経済危機の中、大々的な市場変化にあって、国内外の需要を拡大するために、有能なパートや短時間社員への期待が高まり、改めて賃金体系が見直されつつある。

§【給与】とは、
一般的にはサラリーSalayのことがイメージされる。会社のために就職し、本来の素質はあるが能力がない者に対し、会社が職業訓練を施し、一人前として成長させて行くが、会社は成長期待に応じて報酬を支払っているものである。会社への大きな忠誠を誓うから、全身全霊を捧げる関係が通例であるから、家族手当、住宅手当、通勤手当、退職金(賃金理論上は手切れ金)といった、実態として発揮した能力や労働力とは無関係な報酬が支払われるのである。これが、日本での扱いである。

§【賃金】とは、
実際に発揮された能力とか労働力に対して支払われる賃金Wageを指す。日本では、戦前戦後を通じてイメージが悪かった(労務者)ことから、「賃金ではなく、職員に出世して給与がほしい」といった意識から、会社も「実態は賃金=名称は給与」として形をつけたものである。ただ、パートタイマー、派遣社員、契約社員といった人たちには、賃金という名称が使われている。賃金は時間制であっても、出来高制であっても、計算の仕方が違うだけで、賃金の本質に変わりはない。契約Guarantyとは根本的に異なる。昭和大恐慌の時代は、賃金とは言わず労銀と言っていた。
労銀であっても当時から、週給や月給は存在していた。慶応義塾大学の「工場管理」の426ページによると、(原文)「1日欠勤する時は週給は七分の一乃至六分の一を減給させられ、月給にありては1箇月中三日以上の欠勤に対しては、その欠勤1日につき、月給の30分の一を引くもある。又た一箇月の連続欠勤は月給の三分の一乃至二分の一を支給するもあれども、週給又は月給における定規条件なるものには、緩厳差がはなはだ大きいのである。」(現物は旧漢字)とある。ただし、当時の休日は2週間に1日とか、10日に1日であったのだが。

§高度経済成長は再び望めない今、
農村から都市への大量の労働異動もなく、世界10億人にMade in Japan製品を供給するとなると、その製品のバックヤードを支える産業や衣食住関連事業においても、賃金体系を考え直さざるを得ないのだ。
個別企業には、幾つもの事業体があるが、そこには必ず責任者、副責任者、参謀役の三人が不可欠である。この三人には給与Salayとすることが原則である。ひとりの管理者に対して、現代は、10人弱の作業者を配置することに所詮無理があるのであって、ICT化を進めれば、実は配置作業者を減少させることが重要となる。
賃金Wageを所得とする労働者は、契約した作業を超えて仕事することはなく、
契約作業を行ったから賃金Wage支払いは当然だと思っている。
だから、それを超えて期待をすればトラブルの原因となるし、賃金労働者の側も、契約を越えた作業をすれば同僚とのトラブルを招くことも知っている。これは、有能なパート社員であるほどその意識が強く、契約した作業遂行には責任をもっている。ここは、短時間社員とは異なる点だ。
新しい市場変化と、新しい時代とに適合した労働力配置や賃金体系、これが客観的合理的なものであれば、管理職博士号(Executive Ph D)とか、アウトソーシング(Outsourcing=専門家チーム)の応援も得ながら、今まで社内では解決出来なかった障壁を乗り換えて、新規事業の仕込み・新制度の、展開・定着も容易となってくるのである。


労働者派遣契約の成立要件
をめぐって、法曹界では論理の真っ盛りである。これは、松下PDPの最高裁判決で、黙示の労働契約は成立していなとする最高裁判例に対して、全国で約60件あるとされる偽装請負や偽装派遣に関係する訴訟に関わる議論である。諸説氾濫はしているが、労働者派遣業の成立から、1997年まで事業の推進に尽力して来た筆者からすれば、労働者派遣契約成立要件について、法律家たちの議論が不十分だと思われる点がある。折しも、労働者派遣法改正案は、3月29日国会提出されている。

§現場実務からすれば労働者派遣を行う前提は、
具体的事柄として、就労場所、業務内容、指揮命令者、派遣契約の人数、時間外労働の時刻などの項目が、実態として、
→ 派遣契約が成立する前に明確となっており、
→ それに基づいて派遣先が労働者派遣の申し込みを行ない、
→ 派遣元が承諾する。
→ それから、人物を探す、募集する
といったプロセスである。
もちろん、派遣元の契約誘引活動(営業・受注開拓)は否定されるものではない。
さきほどの具体的事柄の主なものが、労働者派遣契約の法定記載事項とされているものである。
法定記載事項は、労働者派遣契約書に記載する必要は無い。
契約自体は、口頭契約で成立する。
法定事項の派遣契約書の記載は、契約成立の要件ではない。
だが、法定記載事項として、何かの書面に記載・保管しておく必要があるとしているのだ。法定記載事項は、派遣先と派遣元が、各々記載・保管しておればよく、その書面を突き合わせたり、摺り合わせたりすることまで、法律では要求されていない。
したがって、書面に記載し保管するという義務よりも、具体的事柄の有無が、労働者派遣を形成する要件となっているのだ。

§労働者派遣だとすれば、労働者の労働提供義務は
派遣先に対しては無い。派遣労働者は、派遣元に対してのみ労働提供義務、誠実勤務義務、職務専念義務などを負っているのだ。
従って、労働者派遣は、派遣元が、自己の所有する労働者のもっている労働力を、労働者派遣契約に従って、派遣先に提供する契約である。すなわち、労働者個人ではなく、派遣元に提供される労働力を賃貸するレンタル契約と解釈して差し支えないのだ。
だから派遣先は、派遣契約の範囲内で、派遣元からの労働力の受領権限のみをもっているのだ。
派遣先は、単に労働力の賃借人として指揮命令(使用・収益)するにすぎない。
これが、経営側や厚生労働省の定説と言っても過言ではない。

§この受領権限を超えた権限を派遣先が
行使すれば、派遣先と派遣労働者の間に雇用関係を成立させることになる。受領権限を超えた事柄の申し込みを派遣先が行ない、派遣元が承諾すれば、労働者派遣ではなく、雇用契約が成立する。この雇用契約にあたって、派遣元が介在するから、派遣元は結果的に、「他人の執行に介入」することになってしまい労働者供給に該当するのだ。とりわけ、偽装請負や偽装派遣の営業マンが個人として、派遣先と派遣労働者双方の使者・代理人として介在すれば、黙示ではなく明確な雇用契約成立となり、これが労働者供給事業である。
具体的に解説すると、
1.労働力のレンタルであるから、個人の履歴書は必要ないことになる。
  (業務料金を支払うのであるから、労働力の鑑定書類は差し支えない)
2.労働者を特定して、派遣元が派遣契約を誘引すれば、職業紹介である。
3.労働者の履歴書や面接結果の採用は、直接雇用契約の成立である。
4.派遣先が有給休暇の指図、労働者を指名解雇の指示をすれば、直接雇用の証明である。
5.派遣の前提である具体的業務(法定記載事項など)を度外視して、「良い人がいますよ」は職業紹介。
6.それを、派遣先が受け入れれば労働者供給となる。
7.労働者供給にも関わらず、派遣契約の名を借りれば偽装派遣、派遣先通知書は労働者紹介状となる。
8.労働者供給となると、賃金を派遣元が払うのは代理支払にすぎず、「派遣元が払っている」とは詭弁にすぎない。

§新自由主義・規制緩和での実態
労働者派遣の法律が緩和されたとか、派遣法の法定書類作成不備が横行したに留まらず、次のような実態が現われ、これを厚生労働省が見逃してしまったところに、問題の本質があったのだ。
営業マンが、派遣労働者の意向を受けて派遣先に雇用の申し込みをする、派遣先は履歴書や面接の上で採用を承諾し、この営業マンを使者として労働者に使わす。ここで雇用契約が成立するが、「他人の就業に介入」することになるので労働者供給となる。労働者供給事業は違法であるから、某派遣契約書もしくは架空契約書の存在といった方法を利用し、労働者派遣であると装う。御丁寧に、派遣先通知書として、この供給した労働者の紹介状を交付する。派遣先は、派遣契約では無いにも関わらず、派遣料金を支払う。ところが、支払金額は労働力レンタル料金ではなく、紹介料を上乗せした時間給(例:賃金1,000円、支払1,500円)を支払っている。これは、ノンフィクションなのである。
こういった明確な労働者供給のもとで、明確に雇用契約が代理人・使者を通じて行われた場合は、「黙示の労働契約成立」といった論述では支えきれない。派遣契約や請負契約の書類不備=黙示の労働契約成立ではないと、それだけを言っているのが松下PDPの最高裁判例である。先ほどの具体的な解説や規制緩和で見逃されたノンフィクション実態は、労働者供給事業そのものである。松下PDPの最高裁判例は関係ない。
経済構造の大転換を迎え、大転換法律改正を控え、労働者派遣契約の成立要件から、現場実務や法規対策を、もう一度見直さなければならない必要があるのだ。