2010/08/03

第100号

<コンテンツ>
重大事件:IMF(国際通貨基金)が干渉…
「失われた10年」の30年目が…
国の財政再建? そこには大きなジレンマが…
民間の経営者センスを発揮して
大量資本投資と事業規模では、もう負けている
「お客様は神様」と念じても…
要領無視:自分流仕事の人物
(メルマガ100号記念・納涼記事)
 猛暑を涼しくする発想=パラダイム転換



重大事件:IMF(国際通貨基金)が干渉…、
7月14日、消費税を15%にせよとの外圧を、日本政府に対してかけてきた。
これこそ、この10年の国内経済を左右する重大事件だ。
IMFといえば、米国ドル通貨を基軸とする要の機関であり、文書で要請してきたものだ。こういった動きは、国民の知らないところで起こっていたから、先の参議院選挙で、「唐突な争点」になったのだ。過去、隣の韓国などは、IMFからの干渉を受け、一挙に経済構造の激変を行わざるを得なくなり、地方の農民などが一挙に都市部に流入するなどして、現在のいわゆる格差社会に至ったのだ。当時も今も、韓国経済は厚みがないので、経済は国際化する一方であるが、国内経済は貧困化、結婚平均年齢が10年弱上昇、少子化を起こすなどの歪みを抱えてしまったことは、生々しい記憶である。
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16293420100714
http://www.imf.org/external/japanese/np/sec/pn/2010/pn1087j.pdf


「失われた10年」の30年目が…
消費税の日本での論議は、誤解を覚悟で二元論的に言えば、「社会福祉に使うか、政府の一般会計に使うか」である。たとえ、公務員人件費20%ダウン、年金の高額部分支給延期(死亡時払い?)、累進課税、租税特別措置廃止などの政策がアイディアとして出されても、消費税を15%(10%アップ)は、現在の日本経済には重大事件、多大な悪影響を与える。
日本の景気は、伸びている海外取引が超極薄利益にも関わらず、回復の兆しと言われるほど弱々しいのが現実だ。国内景気は、どの個別企業も、社員を→契約社員へ、良くて人件費の安い新卒を採用、パートは時間給切り下げ、交通費支給は打ち切り…というほどに事業規模が収縮の一途をたどっている。ただし、正確にいえば、未だに旧態依然の感覚や論理で事業を行っている個別企業が、事実上の終息に向かっていると見た方が正確で、バブル崩壊直後は、中小企業庁曰く、=中小企業の倒産が経済調節弁=といっていたものが、今や大小を問わず調節弁となってきたのだ。
「失われた10年」と日本は評されるが、1991年からすれば、2001年は2回目の、2011年から3回目の、「失われた10年」を迎える見通しだ。


国の財政再建? そこには大きなジレンマが…
ところが、日本の場合、ヨーロッパ先進国のように、もとより年金水準が高く、労働者派遣業を早期に規制するなどで、庶民の生活水準を向上させた上での国家財政赤字とは、根本的に異なることを、新聞・マスコミは無知そのものなので、報道すら不可能なようだ。日本の場合は、産業や事業の最終消費である個人消費が、この20年の「失われた10年」×2回=20年によって、日本の経済規模に比較して疲弊し切っているから、その状況はEU諸国とは全く異なるのだ。
そもそも、人間の幸福感は主観的(奈良時代=干物と乾燥チーズは豪華グルメであった)な問題であるが、経済は発展度合いにおける安定したバランス配分の比較問題である。
≫個別企業で警戒が必要なことは、
どうあがいてみても消費税引き上げ分が、人件費勘定へのシワ寄せ、個人の可処分所得の減少となり、個人消費を極度に落ち込ませ、益々経済活動が低迷することである。個別企業が目先のコスト対策として取る行動は、人件費部分の外注化、契約社員やパートへの労働力の切り替えなどを進め、目先の人件費を削減する方向の対策ばかりが予想される。ところが、この目先の対策は即:焼け石に水となる。
≫そこには大きなジレンマがある。
確かに、消費税を導入しなければ、国の財政の破たんは目に見えている。
片や、政権が崩壊するので消費税を導入しないとなれば、それでも国の財政破たんは目に見えている。要するに、何れにしろ、破たんするのだ。
この類をマスコミは不安を煽るが、破たんすると分かっていれば、もう「安心出来る」のであって、何とか別の道を考えれば良いだけである。
≫個々人の生活でも同じこと。
光熱費まで切り詰めて生活費を節約する…それならば、デフレ時代の緊急対策として、住んでいる賃貸マンションの家賃の値下げを交渉しに不動産業者に電話した方が、よほど家計出費は浮いて来る。持ち家ならば処分して、収入と家計の流れを変えれば、生活は楽になる。踏み倒しは不道徳ではあるが、個人の豊かな生活(経済)を追及することなくして、新しい時代の経済構造は論じることは出来ない。
生活保護や雇用保険などのセーフティーネットを使わずに、労働者がひとえに、個別企業に頼られても困るのだ。


民間の経営者センスを発揮して
だとしても、日本経済回復処方箋の結論は、既に出されている。
今や、「高付加価値製品&高水準サービス」を商品提供する戦略は、
常識的となり、具体的な実行が待たれるのみである。
大手、中小、零細を問わず、海外出荷(直取引)に打ち出るとか、中国人富豪などの個人をターゲットにすれば良いのである。
素材産業や Made in Japan の物づくり、
新しい感覚の、外国人向けの観光産業
(雪や緑などの資源に限らず日本は清潔、礼儀正しく、親切のノウハウを持つ)、
アンチ・エイジ医療・介護・静養、
新食材・新料理・飲食その他の高水準の加工・供給サービスである。
こういった業種の人材育成にこそ、国や自治体が直接人件費補助(月10万円×3年間=詳細はメルマガ90号・下記URL記事の中ほど)するなどすれば、新時代の産業基盤が出来上がるのである。
http://soumubu1.blogspot.com/2009/10/blog-post.html
雇用調整助成金や中小企業融資のバラマキでお茶を濁していてはいけないのだ。セーフティーネットの拡充、高齢者の介護や医療、戦略なき経済政策といった「従来型の政府官僚の主導」には、先行き破たんしかない。


大量資本投資と事業規模では、もう負けている
日本は、オイルマネー、中国朝貢経済、シンガポールその他には、資本でも規模でも、もう負けている。日本企業が多国籍展開をするには、こういった海外巨大事業体に寄り添うしかなさそうだ。すでに、中途半端な個別企業は、中国等の外資に飲み込まれ、このままでは中堅企業は(手ごろに)乗っ取られてしまう。
たとえ国の財政破たんが起きようとも、個別企業が経営出来る道を真剣に考えなければならない。すなわち、明治以来の国家・政府というものにぶら下がって生きてきた経営方法から、ICT時代、別の方法に事業を切り替えることである。商人の旧家に伝わる家訓などが、なぜ勉強になるかといえば、滅亡した一族(民族)が、それ以外の哲学を用いたからに他ならないからである。
…………………………………………
日本で利益率の高い事業を行うには、
文化経済向上、
職業能力向上、
中堅企業育成、
安全都市・治安確保、
社会経済への男女参加、
日本独自文化育成などで、
「ブランドの島国:JAPAN」にするしかない。
…………………………………………
だから、このための人事施策・労働力確保が必要なのだ。
日本の労働力の中心は、猛烈に突っ走った団塊の世代以上の戦後年代ではない。
何をどう、おだてようが、その後の年代は、「既に敷かれたレールを、順調に歩くこと」しか知らないのである。学校を卒業し社会に出た途端、踊って狂って造花が咲いたバブル経済を経験した年代は、社会での生活力さえ失いかけている。「金融資本の活躍をもう一度」とばかりに、一攫千金の白昼夢を見ている者も、まだいる。
まるで、その人たちは、
会社の将来見通し、極貧生活脱出の見通し、片想いの恋愛見通しが立たないときに、占いに走るようなものである。


「お客様は神様」と念じても…
そういった精神論や宗教めいた意思統一で、業績向上するような、おめでたい時代ではない。お客様の発言の通りに何でも引き受けるのは、消費者目線ではない。
いわゆる「お客様」自身が、本来的には、「有益な新たな高付加価値製品や高水準サービスである新商品」、これを考えることは無理な話なのである。それは、近年の経営学では、常識的な理論となっている、今流行りのドラッガー経営学よりも後の学問発展段階でもある。
もとより、実態が消費者目線(=商品は文化経済でもある)に立っていないから、せいぜい、カユイところに手が届く程度のことで、ドラスティックな抜本的商品には至っていない。
▼商品が行き渡っていない地域
(過疎地販売、高齢者宅への配達、WEB販売)とか、
▼商品の販売形態
(小分で売る、色彩、簡易品、超高級品など)の程度なのである。
あなたの身近な例だと、
巷のコンサルタント会社が売り込んで来る社員教育のプログラムは、既にみんながよく知る代物ばかりであり、ちょっと毛色の違ったテーマが入っている程度で、新しい時代の戦略に対応しているとする代物は皆無だ。その理由は、みんながよく知る代物でないと、担当者が無難に飛びついてくれず、安定した売り上げが見込めないだけのことなのだ。
(実は、この新時代の社員教育に政府や自治体の支援が必要!)
消費者目線を持たない企画は、無い物ねだりの商品開発に等しい。
だからこそ、新しい時代の戦略にマッチした新事業を立ち上げることが出来ないのだ。このように分析するのが正解なのであって、今の時代、うかつに動こうとしない資産旧家や叩上げの商売人には、肌で感じるところの、失敗敬遠のブレーキがかかっているのである。
新事業とか起業などと念じるだけが、今流行の素人発想であるから、何も起こるはずがない。銀行を通じての資本投下がないからといって何も出来ないのは、実は旧態依然商品の販売促進事業に慣れっこになっている現状の証でもあるのだ。
ドラスティックな抜本的商品は、海外にも直販できる。


要領無視:自分流仕事の人物
こういった人たちは、先行き不安の時代になると目立って来る。
ここに、労働紛争のある程度の発生原因が存在する。一般的に、労働者の面子や人権に関わる事件は労働基準監督署に相談に行って、直属上司の鼻をあかしてやろうとなる。経営者や会社に対する怨みを持てば、労働組合の威力を借りて怨みを晴らそうとする。「他人に同調を求めるのは愚かだ」とゲーテが語るように、社会共同体の原則である、「統治権と統治義務」及び「私的所有と注意配慮義務」のルールでもって、未然に労働紛争を防ぎ、紛争が事件となれば、早期解決するしかないのだ。
そもそも、ある程度成功した個別企業には、
物事をうまく処理する手続きやコツである「要領」というものが存在する。それを表現する手法に、マニュアル、社内規則とか訓練カリキュラムなどが存在している。ところが、要領を無視して自分流の仕事の進め方を進める人物を生み出しているのも、明確な原因は不明だが、現代日本の学校教育や社内教育なのでもあるのだ。
知識偏重で仕事をする人物は、大学出身者の中にも数多く存在し、この自分流仕事の人たちの範囲に含まれている。大学教育が、ここ15年ほどは、過去の「学ぶ」場から、「学習トレーニング」の場に変わっているので、輪をかけているかもしれない。
そもそも、その会社の「要領」等というのを軽蔑して、人の話を聞こうとしない現象が現れる。あくまでも本人は自分流仕事であって、たまたま自分流仕事の8割程度が「要領」と一致しているだけのことである。だから、ある程度以上の仕事の発育は無い。
会社の「要領」等との不一致が多いと、業務に差し支え、普通解雇の対象にさえなる。本人が努力すればするほど、「要領」から遊離した作業を行うことになり、本人は正しいと思っているから他人を批判するに至り、さらに職場トラブルの原因を作り出す。
うつ病や統合失調症の精神疾患も生み出す。
これに中間管理職が対応する能力がなければ、職場の同僚同士の争いと見えてしまうのだ。同僚同士の一方が相手方を押さえつけようとすると、職場カルトにも発展する。
≫対処療法としては、
◎仕事全体を把握させ、そこでの作業境界設定と他作業との関連を認知させる。加えて、
◎仕事とは、過去の積み重ねのノウハウの上に、初めて成功することを叩き込むしかない。それでもダメなら、
◎個人行動が規律違反になることを理解(就業規則の禁止条項の整備が必要)させるといった応急措置しかない。
新しい時代の戦略に転換する場合は、残念ながら必ずと言ってよいほど、日本の終戦後にノイローゼが多発したように、適応不全のために精神疾患者は出て来る。
≫イギリスの老人介護施設の例
が、抜本対策として参考になる。何故か、その施設の介護士には、次々とうつ病などの精神疾患が現れ、職業柄、安全衛生上で対策を必要とした。それまでは、ケア・マネージャーが介護士に対して細かく仕事の指図をしていた。そこで、ケア・マネージャーの職務を、介護士が分からないことを質問して来た場合にのみ、アドバイスさせることにした。ケア・マネージャーから綿密な作業指示をするのではなく、介護士に現在の担当老人のケア計画を立てさせ、それを実行させたのだ。すると、精神疾患の発生が激減したのだ。ところが、介護士の労働密度は、およそ1.5倍と高くなった。業務改善の事前予測でも、労働密度の向上は介護士の不満を生み、労働紛争になるのではと懸念されたが、きわめて順調に良く安定しているとのレポートだ。これは大いに研究価値のあるケース、日本でも局所的には巷によくあるものである。


(メルマガ100号記念・納涼記事)
猛暑を涼しくする発想=パラダイム転換
個別企業が立ち上がるには、総務人事部門の刺激が決定的だ。
仕事の素質能力向上に役立つ、新時代の戦略を現場で考える上で、気付いたものを羅列してみた。消費税の有無、財政再建可否のマスコミが仕掛けたジレンマの相手はしていられない。
【もちろん、科学的学術的裏付けのあるものばかりだ】。
☆ジャスト・イン・タイムからジャスト・イン・ケースへと、市場が変化するとともに、新しい時代の戦略には有効とされている。産業革命は市場の変化から起こる、それが今の、ICT産業革命である。
☆生産性の高い会社の働き方を現象面でみると、フィンランドでは午後3時に子供の習い事の送迎のために父親が退社するのはよくある話。隣の韓国は、経済規模、人材の質、職業教育の質などは薄っぺらいが、サムスンでは、社員が午後4時に退社、その後は能力向上の自己啓発のために通い、帰宅は夕刻6時である。
☆教育研究者(ベンジャミン・ブルーム)の調査によると、達人を生み出す家庭環境は、子供の育成支援を重視していたのみならず、両親は、強い職業倫理の会話、遊びよりも義務を果たす、目標を立て追及する、そして、「他者より秀でる、全力を尽くす、懸命に努力する、時間を建設的に使う、ということが何度も何度も強調されていた」としている。
☆戦後日本の多くの子供たちは、受験勉強をやりすぎて、知識増殖の思考パターン(知識偏重)に矯正されてしまったようだ。だから、自らの力で職業能力を向上させることは、もはや難しい。世界の優良企業の若手新入社員に対する最大の不満は、話すこと、書くこと、聞くことなどの意思疎通能力が低いことにある。
☆何らかの才能を持つ人物は、やることを探しあてたのではなく、やることが何かを知ることに努めたから、その才能が直接訓練されたのである。また、「この程度で十分」と思った時点で、才能は水準を下降し始めて行く。
☆苦労を重ね習得した職業知識は、新しい業務として開発された仕事では無用となる。苦労を重ね習得した技能でも、消費者や買い手のニーズに適合して発展しなければ、無用となる。ところが、その技能基盤の上に発明された商品は少なくない。ただしその技能とは、「習うより、慣れろ」といったものではなく、具体化された鍛錬のことである。
☆社会で一人前に通用する才能は、およそ10年間の鍛錬が必要と言われ、「1万時間説」とも通じているようだ。この10年は、少し上のレベルの作業を毎回達成するまで追及し、紙を一枚ずつ積み重ねるようにノウハウを蓄積する過程と言われる。方向が独り善がりだと元も子もない。同レベルの作業を繰り返すことは鍛錬にならない。そして、通用するまでが、おもしろくないから、目移りする人も多い。一人前でなければ無である。
☆有能な経営者や経営幹部の才能は、経済的意思決定のミスが少ないことに尽きる。実家が事業家であるなど、幼少の頃から、自然と確率や統計の意味を教わり、実社会における非合理な意思決定を回避している。旧家の商売人、商売人の民族などに育った子供は、幼少期から商習慣、習わし、商道徳による成功の体験、戒めとしての失敗ストーリーを教わっているから、高い確率で経営の才能が開花する。だから、大学院クラスで、これらを学ばせたいとするニーズは世界中で根強いようだ。
☆伝統技能の教育訓練方式に、「守・破・離」というのがある。「守る」とは、師匠や先輩に教えられた通りに作業を行なえるという段階である。「破る」というのは、教えられた技能が出来るようになった後、これを破壊して教えられなかった作業まで自分で習得する段階である。出来もしないうちから破壊するものではない。そして、「離れる」とは、習い・破壊した作業の概念から離れて、一段上の創造的な仕事に進むことである。すなわち、師を超えることが重要なのである。これは、明治の産業革命以来、上からの資本投下で産業育成を行ってきた場合の、宛がい扶持(あてがいぶち)に基づく教育方式とは異なる。
☆発明やイノベーションに、「ひらめき」が役だった例がない。これらは、何時間もの思考と研究の結果に成されるもので、素人を説得する手段として「ひらめきの結果」とか、逸話に仕立てて、善意に説明しているにすぎない。ワットは蒸気機関をコンパクトに改良したのだが、これがすごかった。
☆ビジネススクールでの管理職博士号の学位(スウェーデンなど)は世界的新しい試みだ。ハーバードビジネススクールのMBAは過去のものになっている。イタリアの経営管理は、家内工業的なのか、なかなか表に学術理論として出てこない。
☆新しい物が発明され、それが次第に普及することによって売れなくなる物が出る。そのことで損害を受ける人たちが発生する。この人たちに対して、一定の保護を与えるといった考え方が成り立つはずだが、これが経済規制である。片や特許権は過去に発明をした企業の利益を保護することで、商品の安定供給をはかっている。世界経済で、この整合性が問い直されている。(中国市場を始め世界に商品を売るコツが…)
☆著作権法は、出版社の利害から生まれたものであり、著作者の保護が優先されていた時代には、著作権保護期間は(アメリカ独立の当初は13年間と)短かった。
☆擬似科学とは、本当の科学的権威をもっている人々へのアクセスを制限することによって、擬似科学者が、知識の権力的な性質を模倣・悪用するものである。これは科学とは著しく異なる。知識に関するあらゆる科学的な主張は、(少なくとも原理的には)、例えば、計算、測定、討論によって提供される公に理解可能な言葉に翻訳可能である。政府官僚やマスコミ論調の論理展開の誤りを発見するための一つの方法でもある。
☆事実との一致性が真理の定義を定めるもの、これに対して論理の一貫性が真理の基準を提供する。例えば、工学は物理学に「概念的に依存」しており、一方物理学は工学的な実践の成功を「潜在的に支配している」と言われている。これは仕事というものを論理的に組み立てる場合でも同じことだ。精神論は、ICT産業革命では失敗する。頭脳明晰と評価されていても、この一致性と一貫性でもって、知識偏重主義者の理屈かどうかを見破ることが出来る。
☆修辞学の近年の評価は:修辞的に効果があるスピーチ力は、聴衆を感動させる話し手の能力にあるといわれている。別の人が全く同じことをスピーチしても、聴衆を感動させることは出来ないから、修辞学とはそういうものである。修辞学とは、古代ギリシャ文化に基づく、人を誤魔化すための、詭弁学?と並ぶ弁舌法である。貴方の知り合いの、権威ある高学歴の年寄りたちは、修辞学に凝り固まっているかもしれない。
☆戦後アメリカの裁判での判断基準は変化しつづけて来た。1950年代は自由と民主主義、1960年代後半になると正義と公正が加わる。1980年代からは、正義や公正の前に判断や決定に至る「正当なプロセス」の有無が必要とされる。近年なれば、相互に配慮し合うことが民主主義の必須とされ、これからは、「積極的相互配慮の創造」を求められる。正義、道徳、結婚(同性愛)とかの判断を、中立的立場では論じ得ない(多面的正義論)と、さらなる変化は続く。