2011/01/07

第105号

<コンテンツ>
最大の景気後退がやってくる。
緊縮&緊縮ばかりでは、企業も経済も後退
戦後における「第二の敗戦」
企業の利益活動を、グレーゾーンと錯覚
 ‥こんな逸話がある。
 ‥企業の経営理念や方針は時代によって変化
 ‥問題があるとすれば、総務人事部門に、
 ‥就業規則が実態的な経営方針に沿っていない。
 ‥1980年代から法手続きのパラダイム、
 ‥そして、現代は集団的合意の誠実形成


最大の景気後退がやってくる。
それは、バブル崩壊後の最大のもの、日本ではリーマンショックをしのぐものとなりそうだ。多くの経済見通しも、今年の3月の年度末までとしていたものを、今年上半期の6月まで景気後退との見通しに修正してきている。だが、何をどう分析しようが、日本経済の活路の先行きは、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を内外に進めるとの道であるとされる。「競争力のある企業が、若い労働力を獲得し、新市場・新商品を提供して、経済成長を図る」というのも原則である。とにかく、よく勉強して能力も身に付け、新しい内外経済ゾーンへの進出が不可欠である。
他企業はさておいてでも、貴方の企業だけは浮かびあがれば良いのである。


緊縮&緊縮ばかりでは、企業も経済も後退
★新しい経済構造あるいは経済中核に向けて浮上している巷の論理は、
「金を持ち、金を生み出す企業の改革」とされ、一時は500兆円経済であった日本が、現在の相当落ち込み(300兆円との説も)から、内需主導で600兆円規模に引き上げ安定させるといった対策案である。簡単に言えば、これはお金持ちに頼る政策でしかないから、これには次々と実現には疑問がもたらされている。
★新自由主義の政策は、リーマンショックと世に言われる信用恐慌、不況の長期化、格差拡大で、破たんしてしまった。その混乱の中で、それまで流行していた成果主義賃金とかコンピテンシーとかコーチングなどの人事管理手法は、瞬間のうちに消え去ってしまった。
★片や流行を追わない駅ナカの立ち食いソバ屋ですら、経済変化を見越して、安いのがとりえの小種類×低価格の品ぞろえを止め、味にも気を使う多種類メニューの高級立ち食いソバ屋となり、そこではきっちり若者が働き、新規事業展開を成功させている。
★今や鋭い経営学者からは、「株主・労働者・顧客などの利害関係者の仲裁役としての経営者はどうあるべきか」といった経営学の流行話は、お茶を濁す誤魔化し経営だと批判されている。コーポレートガバナンスと言うならば、個別企業の主要な決定事項の基本機能のあり方を、「決定→実行→統制」といった原点でとらえ直す必要があるとまで指摘されているのだ。要するに、投資・生産・付加価値配分を一体的動態的にとらえる経営方針に集中させる必要があると言われているのだ。ということは学問的にいえば、日本では有効な経営管理が欠落していると、この学者は分析しているのである。
★戦前と戦後の高度経済成長までは、日本政府はソ連型計画経済で官僚主導のもとに経済成長していた。とりわけ戦後は、米ソ対立から日本社会を豊かな経済の対共産圏防波堤にする命題があったから、アメリカからの莫大な投資によって金回りが良かった。東アジア諸国と比べ、一時は30年分の経済格差が開いたとの指摘もある。ところが現代では、対中国の経済防波堤など着想する気配もなくなった日本社会と位置づけられ、自国からも他国からも投資対象から外された日本社会であることの認識は、まだまだ一般認識が弱いのである。
★日本政府の財政赤字などは、大して深刻な問題となってはいない。政府内部はそう考えている。日銀の計算によると日本の民間企業の内部留保は206兆円ほどあるとされている。ここしばらく、マスコミにこの206兆円が取り上げられ、まるで政府が民間の206兆円から集金(増税)すれば、簡単に財政赤字解消といった論法だ。206兆円の多くは、余裕資金過多にある輸出系大手企業に蓄積されている。だとすると、企業従業員出身の雇われ経営者層は気弱だから反発は少ないとみている。民間企業の大手になるほど、すぐ金を払うひ弱さは、官僚たちによく知られていることである。また、大手企業の従業員は、長時間労働もいとわず、社畜(家畜)化した価値観をもっているから、不平不満を言うだけで、(過去のように、大手企業労組を隠れ蓑に)反発することもないと見ている。その例をあげれば、終戦直後の電気発電配電産業の如く、労使が結託しGHQと戦い、その矢面に労組の電源ストを実行したような時代ではないと思っている如くだ。場合によっては、検察特捜部を使って威嚇するぞ…と思わせれば良いと、官僚たちが思っているフシがある。こういった背景があってこそ、官僚勢力:対決:小沢グループの争いが、政治の世界では表面化しているとの見方も流れているのだ。


戦後における「第二の敗戦」
と確かに現代情況の分析が言われている。終戦直後と比べ物は溢れているが、精神力が疲弊しているとの意味では、その通り敗戦状態である。とにかく、就業者はサラリーマン化してしまって、経営者とか経営管理者といった骨のある人材が、社会の中で埋もれてしまっている状況なのだ。自営業者といえば、そのほとんどが半失業状態の個人請負労働者とまで言い切る、そういった学術統計分析も出されている。
活力を取り戻すための
個別企業の人材教育ポイントは、政府の失業対策のポイントでも同じだが、今大切なものは
1.一般的な知識能力ではなく、より専門的な職業能力向上であり
例として【成長分野等人材育成支援奨励金】
https://krs.bz/roumu/c?c=1767&m=736&v=56c5c109
2.チームワークを形成して業務を行なえる能力習得であり
3.チームを、組織を、事業を、経営を運営する能力習得である。
失業手当給付後の基金訓練のような初歩的訓練では意味がない。雇用調整助成金の対象となる訓練では、総じて時代遅れな訓練でしかないのだ。従来の教育訓練のほとんどが、自信と意欲をもって就労出来るような代物とはなっていない。また、チームワークは旧来概念の「協調性」とは異なることも念頭において教育訓練をする必要がある。
そういった意味では、北欧経済のような「高度成長と実質失業率の低下」モデルもヒントに、日本経済立て直しを主体的力量から考えることも重要となってくるのだ。(現在日本の失業率はヨーロッパ方式で計算すれば10%超、雇用調整助成金受給も基金訓練も失業者群である)。
だがしかし、
萎縮の道をたどらずに、まずは貴方の企業が浮かび上がっていなければ、それは元も子もないストーリーなのだ。


企業の利益活動を、グレーゾーンと錯覚
させられている実情がある。詐欺、横領、窃盗などとの刑法に違反しているわけでもないのに、なぜか非合法な企業の利益活動だと、経営者も社員も誤解をしている。挙げ句には、こういったグレーゾーンに踏み込んでいるからこそ、「金もうけ」が出来るのだと、誤解もはなはだしい認識で、この世を憂っている人たちも多いのだ。「生きて行くために」と、毎日を悔いながら仕事をしている人たちも少なくない。
だが、このグレーゾーンというものは、論理的にも法律的にも幽霊そのものなのだ。ちなみに社会というものは共同体の秩序を形成する。これは個別企業においても然り、経営目的に応じて職場秩序が形成される。ここに世間体がはびこると、無秩序がまん延することになり、企業の共同体の秩序崩壊あるいは経営目的の秩序混乱を招くこととなる。そもそも、コンプライアンスというのは、法律条文を形式的に守るのではなく、この社会共同体の秩序を維持形成するということなのである。世間体であれ単なる無法者であれ、これを抑止して秩序を維持するのがコンプライアンスでもあるのだ。そして法治国家とされるものも、「正しい法律のみが法とされる上での法の支配」のことなのである。悪法もまた法なりといった形式的法治国家は封建時代の代物、いわば世間体の理屈なのである。
とりわけ、経営目的に応じて職場(社会)秩序を形成する手続き(その最強のものは就業規則)を創意工夫により整備すれば、世にいうグレーゾーンといったものは存在しないことになるのである。無知や無理解によって、グレーゾーンといった錯覚が残るのかもしれないが、それは所詮は幻想であるから、しばらくすれば錯覚は消え去るものだ。なお、後学のためではあるが、英語で言う社会の語源はソキエタス(societas):目的が達成されるまでの戦時同盟のような概念である。
本当にグレーゾーンであれば、詐欺、横領、窃盗などであり、経営管理者には予見できたとして刑事的責任がかかって来るが、そういった「金もうけ」をしている企業は存在しないし、経済活動でもありえない。たまに、グレーゾーンと意気がっている輩の程度であるが、論理的に紐とけば、いとも簡単なレトリックにすぎない。


こんな逸話がある。
近江商人が、江戸からの帰りに北関東のある庄屋の屋敷を訪れ、娘に綺麗な反物(実は江戸での売れ残り)を勧めた。庄屋は、お金がないから買えないと断ったところ、近江商人は、「お代はまた今度でいいよ」と言って、その綺麗な反物を置いて帰った。庄屋の娘は、早速着物に仕立て愛用、そして1年が過ぎた。近江商人が再びやって来て、お代を請求・集金をして帰った。その直後に庄屋は怒って、「近江商人は強盗と同じだ」と言い振らした。だが、江戸:日本橋をはじめ各地で近江商人の分家の商いが流行り、呉服・反物を一手大量に扱うようになった。なぜなら、庄屋たちには、年貢徴収などの経済外的強制による取引感覚しか理解出来ず、経済的な商取引の世界での恩恵には預かっていなかったのである。
すなわち、
新しい経済構造に沿った経済活動は、確かに旧来経済構造から生じる感覚的倫理に反すると、世間体では錯覚することがある。これを愛着ある人から感情的に訴えられれば同感してしまうのも当然である。愛着もなければ利害関係の反する者からの要求であれば、不当だと感覚的反発をすることも当然なのである。新規事業だと意気込んでみても、「従前のやり方では大損をする」といった時代感覚をもっての深い洞察が、されていない場合が多い。だから、この逸話のように感覚的倫理に反すると思いこんでしまい、実行を躊躇、失敗を重複、部下の不作為などが重なったあげく、とうとう諦めざるを得ないことになるのである。


企業の経営理念や方針は時代によって変化
させる必要があり、経済構造の変化で組み直し、常日頃からの補正と修正を繰り返す必要がある。例えば、就業規則の類は、集団的人事管理方式を国家が強制(監督署への届け出など)する仕組みとなっているが、この就業規則を経営理念や経営方針に沿って常に改定していればこそ、時代にあった労務管理や業務管理を実施することが出来るものなのだ。個々人を個別管理するようでは産業育成に弊害が生ずることから、統一的就業内容や条件管理を導入させているのである。また、信義則や公序良俗に反するような事業を行ないたい場合は、徹底して法令違反を繰り返し、警察機関から逃げのびる経営理念・方針をもつことの結論が、論理上は導き出される。(ただし、日本国内で、そんな事業は実現不可能ではあるが…。)
経営理念や経営方針に沿った人物を獲得定着させるのであれば、就業規則の服務規定や解雇規定そして懲戒規定を変更すれば良いのである。多くの人が誤解していることは、個別企業に適する人とその個別企業に適さない人とを満遍なく雇用し続けなければならないと法律を誤解していることだ。必要であれば、大幅に就業規則を変更し従業員の入れ替えをすることも可能である。国家も個別企業が本当にそうしたいと思うのであれば、合法でさえあれば、そこから先は監督署に介入させることをしないことになっている。長時間労働の社員か、短時間労働社員か、仕事さえしてくれれば良い社員か、管理職に終日付き合って待機・はべらす社員か、すべて個別企業がどんな社員を選ぶかは自由である。


問題があるとすれば、総務人事部門に、
そういった管理の術が蓄積されていないことである。無ければ外部コンサルタントに知恵を借りれば良いにも関わらず、独善孤立しているところにある。これでは、ノウハウを積む以前の障壁であって、こういったケースは意外と大企業に多い。
先の話を繰り返すが、戦前と戦後の高度経済成長までは、日本政府はソ連型計画経済を官僚主導のもとで実施、とにかく戦後は、アメリカからの莫大な投資によって、政府主導で金回りが良かった。だから、個別企業の経営者は、ことに大手企業になるにしたがって、大して経営の知恵を出さずにすんだのである。言わば政府の言う通りにしていれば良かったし、政府とのつながりを密にしておれば良かったし、その範囲での努力であれば報われたのである。余計な知恵を巡らせれば損を招くことにもなった。おかげで、先ほども述べた通りだが、今や鋭い経営学者からは、「株主・労働者・顧客などの利害関係者の仲裁役としての経営者はどうあるべきか」といった経営学の話が、お茶を濁す誤魔化し経営と批判されるまでに至ったのだ。投資・生産・付加価値配分を一体的動態的にとらえる経営方針に集中させる必要があり、そのためのマニュアル(労働力管理の仕様書)としての就業規則形成、その他の制度が求められているのである。とりわけ就業規則は、周知義務が法定されていることから、経営や管理方針徹底に重要不可欠となっているのだ。ところが…。


就業規則が実態的な経営方針に沿っていない。
だから、あるいは、経営方針の個別企業内での集団的合意を形成する手続き(例えば従業員代表の意見書など)が、経営目的に応じて職場(社会)秩序の形成を念頭に進められていないものだから、なぜかグレーゾーンといった幽霊がはびこってしまうのである。無理解や物事を事あるごとに批判する意見が出て来るのは、集団を扱う限り避けられない現象である。が、現代社会にあって、こういった傾向に翻弄されるのは、唯一、集団的合意を形成する手続きが適切に実施されていないところに原因があるのだ。従業員代表意見書に留まらず、全従業員の集団ミーティング、業務改善基準書の整備、経営方針の徹底など、集団的合意の形成に重点をおいて管理手法を進めるところに、グレーゾーンの幽霊と、その幽霊に惑わされる従業員の退治の管理方策があるのだ。少数意見も取り入れた多数意見は、当初の多数意見とは異なっているのだ。


1980年代から法手続きのパラダイム、
すなわち、経営理念や方針の内容自体の正当性を問うよりも、内容を変更する手続きが正当に行われたかどうかが優先される(法手続きのパラダイム)社会となってきた。整理解雇の四要件においては誠実説明義務が最重要とされ、労働条件不利益変更の七要件では納得説明義務が最重要とされるのはこのためである。何が正しいことかの基準は、手続きの正当性が最重要となっているのだ。それは、「何が正義か?」の議論の前の判断基準だとされている。また、社是社訓の大半が創業者等の経験的信念に偏り、科学的に根拠づけられていないものであることから、実のところは社是社訓の正当性に疑問を持たれている個別企業も少なくない。だからこそ、法手続きのパラダイムが決定的に重要さをもつようになったのである。事実、いくら良いことを言ってもワンマン社長の個別企業は成功していない。


そして、現代は集団的合意の誠実形成
実際の社会運営で、経営目的に応じて職場(社会)秩序の形成を、集団的合意を誠実に形成しようとしたのかどうかが重要な要件となって来ている。また、なによりも、経営とは経済環境に合わせることが最重要ポイントであるから、個別企業の経営にとって今後不可欠な、チームワークやチームの運営の視点からすれば、集団的合意を誠実に形成することは、重要な利益の源泉であるのだ。ここ1~2年は法的にも「誠実に形成」する意思が認められなければ、信義則違反、公序良俗違反とされつつある。順次その方面の最高裁判決が目白押しである。
さて、貴方の会社の制度や規則は、新しい経済環境に向かって切り替えが進んでいますか。