2011/09/06

第113号

<コンテンツ>
ほとんどの中小企業も海外進出を迫られるのか?
個別企業にとって役立つ、時代の経過
労働コスト削減が、有能幹部も人材も削減、結果、競争力減退
海外進出、その実態は奈落の底がほとんど
だから、生活文化型商品産業ならば、
王制復古や熱狂思想は癒し系と同じ

未来を担う若者たちの意識変遷
今の若者は洗脳、マインドコントロール、カルトを拒絶
おそらく、ここが「新型うつ病」の発生原因
学卒求人に対しても、今年から変化が

・筆者が取材を受けた。(9月1日朝 読売TV放映)
 http://www.youtube.com/watch?v=CiX6ENU-i2M


§ほとんどの中小企業も海外進出を迫られるのか?
といった空洞化リスクの経済論議が浮上してきた。それはこの8月2日、アメリカの国債がデフォルトをやっとのことで回避したかに見えた直後の円高や金地金が高騰によって、大規模投資型産業や模倣型工業製品産業しか視野にない経済評論家や経済学者が、マスコミで言い始めたからだ。マスコミや金融会社から贔屓にされてきたこの人たちは、まるで自らのTVや新聞での出演を守り通すのが、第一目的のような姿に映ってしまう。政府もこれにのってしまったようだ。
生活文化型商品産業や地場産業と結合した量産体制&流通体制でもって、世界の1億人富裕層を相手に、日本経済を組み立てるといった方向性があることすら、考えることが出来ないのかもしれない。リーマンショックの直後に、TVで有名なN教授は、それまでの自らの経済学的考えを反省して退いたのであるが、どちらかといえば、N教授の学んだ経済理論が狭すぎたと言っても過言ではなかったのだ。このN教授の態度は立派だが、筆者も驚き・他山の石と考えて、この4月から大学院に通い始めたのだ。世の中、政策の貧困、哲学の貧困、生活の貧困といったところ、貧すれば鈍するそのものだ。
円はドルに対して、76円台に突入したが、それよりも驚くべきことは金地金が1グラム5,000円を突破しそうになったことだ。1944年ブレトンウッズ協定でドルが世界の基軸通貨となった。1971年のニクソン・ショックとはドルと金地金の交換が停止され、ドルの大量印刷や米国債大量発行の開始である。2008年リーマンショックに続く今年8月5日は、初めての米国債格下げとなったことだ。世界経済基盤の大変化であり、個別企業の経営管理や、個人の家庭生活にまで変化が現れることは、従前の歴史から想定できる。
地震・津波・原発事故が来ることは想定出来なかったというけれども、不測の事態が起こったとしても社会や経済を立て直すためにも経済学や経営学が存在している。数千年の昔から、「災害で潰れた都市はない、政治がしっかりしていないところに災害がきたから潰れた」と伝えられ、それは世界各地の教訓となっている。


§個別企業にとって役立つ、時代の経過
昭和20年は終戦、
ファシズム終焉・米ソ対立での構造転換による経済発展。とりわけ戦前の労働意欲減退、労働生産性低迷を解決するために、労働市場改革と科学的管理法や近代教育が導入された。
昭和47年には、
田中角栄の『日本列島改造論』が出され、国内・地方への経済インフラ充実が急速に図られた。高度経済成長の完成が最終的に行われた。48年オイルショック、55年オイルショックにより、拡大一辺倒から合理的・効率的生産も導入されるに至った。48年は土光臨調の行政改革を官僚に突きつけたものの失敗に終わっている。
昭和61年に前川リポート、
不況とインフレが同時進行するスタグフレーションを終息させる経済政策は常に先送りをされていた。そこで内需拡大の経済政策、新興国からの輸入急増を進めることが始められた。意識的にバブル経済を引き起こし、平成2年(1990年)に終息させたのもこの時期。失われた10年の第1回の始まりである。
平成9年は、
職安法改正と2年後の労働者派遣法改正での、労働コスト削減が始まった。
といったことが歴史年表的には節目が付けられる。だが、個別企業の経営管理役立つのは、その歴史的経過である。ここでも、歴史の波に乗った企業は成功し、乗れなかった企業は消滅した。
平成20年と23年、
リーマンショックと、引き続く米経済債券金融システムの崩壊が始まって、グローバル経済の中で日本が転落している。金融主導の米国市場の需要増が世界経済を主導してきたが、米金融が危機になって世界経済が大打撃を受けることとなった。
昭和61年からの内需拡大政策は、すそ野の中小企業から広範に行っていた半製品調達を、海外の新興国からの輸入に切り替えた。このため採算性の低い下請けから脱出する中小企業が増えてきた。これは新興国からの輸入急増による中小企業単位の削減でもあった。下請協力会も異業種交流会と名称を一新して技術開発を目指すこととなった。女性の社会進出を労働者派遣業システムが支えた。平成2年には、総務部門のアウトソーシング企業が初めて創設(株式会社総務部)され、NHKは特別番組で平成4年に金型製造、IBM人事制度とともに紹介、アウトソーシング業態が一挙に広まった。こういった経過から、中小企業=採算性の低い下請け企業といったイメージから脱却する中小企業が増え、事業規模の大きさ=優良企業といった個別企業のイメージも変化していった。
平成9年からは、大手企業の人件費削減が進められた。これは、昭和55年オイルショックから外注管理が徹底していた中小企業には影響はなかった。当時ほとんどニュースにならなかった職安法改正と労働者派遣法改正は、大手企業のホワイトカラー中高年の人件費削減を職安法の職業紹介システムが、製造部門の人件費削減が派遣社員導入によって、それぞれ一挙に進んだ。ところが、ここには大きな落とし穴があった。


§労働コスト削減が、有能幹部も人材も削減、結果、競争力減退
そもそも労働者派遣業の構想(昭和54年)にしても熟練労働者や女性労働者の就労機会確保が政策の狙いであった。業務請負(昭和61年誕生)も熟練技能者集団が仕事の完成を目的にして受注することにより単純パート労働の生産工程での弊害と雇用不安を解消することが構想であった。ところが、平成9年(1997年)からの労働力需給の規制緩和政策(その始まりは職安法改正、そして2年後の労働者派遣法改悪)は、利回り優先の金融資金の横行(新自由主義)に利用され、日本の製造業現場から技能や技術を排除する労働形態を蔓延させた。それが日本製品の品質低下と高水準サービス排除を引き起こし、日本企業の没落と個人消費の購買力低下の悪循環を蔓延させるに至ったのである。これは格差社会や不安定雇用労働者の増大に留まっている論議どころの事態ではなかった。実に、規制緩和とは法令を甘くするに留まらず、現場での法令違反を取り締まらなかったことが実態であった。したがって、高付加価値製品や高水準サービスを行ってきた企業自身が窮地に陥ってしまったのだ。
はっきり言えることは、日本企業の国際競争力が低下し空洞化を起こしたために日本経済が没落の一途を辿ったのではない。利回り優先の金融資金によって、高付加価値製品や高水準サービスといった経営の、その企業の柱となっていた経営幹部が、大手企業や中堅企業を問わず隅に追いやられ企業外に出された。これによって日本の企業経営管理ノウハウや人材育成ノウハウが日陰ものとされたのだから、イノベーション、経営の倫理的合理性、技術革新が無視されるようになって、日本企業の国際競争力が一挙に失われてしまったところに原因があって、その結果、日本企業の国際的役割低下といった現象が現れているのだ。


§海外進出、その実態は奈落の底がほとんど
したがって、今までのような海外進出を行ったとしても、既に国際競争力を失っている企業であれば、投資の見返りどころか無駄になる。まして海外進出した途端に技術を売り渡してしまう者も出て来る始末で、今日明日の生活の糧すら失ってしまう。「同じ日本人より先に売って金にする」といった退廃的精神の持ち主は、大概が新興国に弄ばれて、捨てられているのが現実だ。投資した資材や資金は現地への無償プレゼント、残ったものを回収することすら出来ないのだ。日本政府も外交が下手だけど、こういった日本人は自らを奴隷として売っているのと同じだ。
だが、これを冷静に科学的にみた場合、大手企業が、こういった奴隷的日本人を養う力量すら失った状態、そこまで大手企業が疲弊したと観るべきなのである。その疲弊ぶりは、国内でのイメージとは裏腹に、海外では多国籍巨大企業の傘下に入るとか、合併の名のもとに吸収されるとかの事例が相次いでいることからもうかがえる。
海外赴任や海外就職の労働者は現地に移民する姿勢がなければ、チヤホヤされたか舞い上がったかは知らないが、こういった時代には相手にされない。それこそ、アメリカに移民してきた多くの人たちのように、先祖はヨーロッパの○○○○出身ですといった具合だ。イギリス人は大英帝国を築く際に多くの植民地を取得していったが、実に権威と名誉をぶら下げて植民地に住みついて、原住民の自治組織を作っていったのだ。フランス人も目立たないように植民地に住みつき、徹底して資源・物資をかき集めフランス本土に送った。アメリカ人は、目立って植民地を確保出来なかったから、資金と軍事力にものを言わせて多国籍企業展開を図った。さて、日本人は今更ながら海外に行って、一体何ができると思っているのだろうか?
空洞化リスクには、こういったものも含まれている、閉鎖的日本人のポピュリズムでは、予想だに出来ないのだ。


§だから、生活文化型商品産業ならば、
地場産業と結合した量産体制&流通体制でもって、世界の1億人富裕層を相手に、日本経済を組み立てるといった方向性が有望であるのだ。経済産業省の官僚が経済政策として打ち出しているのも、そういった方向からである。
もちろん、今後の日本の人口減少や経済構造の変化を考えた上のことである。日本国内に対する投資であるとか経済インフラの整備充実が、今後見込まれないことははっきりしている。生活文化型商品産業で事業を展開するには、生活や感性の文化は欠かせないが、利回り優先の金融資金に依存して経営を行ってきた大手企業の多くは、この生活や感性の文化をほとんど持ち合わせてないのが現実である。だから、そんな大手企業と系列下請中小企業は、自らを奴隷として海外に身売りするしか、事実上経営を続ける道は残っていないのである。
ことに、生活文化型商品産業は地場産業と結合が重要である。まして、地場産業に敵対的態度をとってきた大手企業であれば、なおさら産業転換は難しい。いくら生活だと唱えてみても、単なる食品供給では生活文化型産業とはいえない。昔の配給制度や食糧事務所は、現在のMcハンバーガーとかY牛丼に民営化され、衣替えされている過ぎないことに気づく必要がある。
地場産業と結合その他の条件がそろわないとしても、各類型のアウトソーシング業態で事業を展開することも可能である。専門家集団としての特殊チームが、非科学的水準の低い分野を引き受けて、各地の生活文化型商品産業の量産体制&流通体制を作り上げることなどは、直ぐにでも行なえることのひとつだ。生活文化型商品の萌芽は各地で出ているから、広範囲に集め→広範囲に還元すれば良いことでもある。
生活文化型商品にも、高付加価値製品&高水準サービスは重要であり、生活文化という姿勢がポイントなのである。サービス(含む)を提供する際に、金子みすゞ、相田みつを、オノ・ヨーコとかを朗読することは感性を組み入れることとなり、コンテクスト(Context)は生活文化を組み入れることになるのだ。
筆者が取材を受けた。(9月1日朝 読売TV放映)
http://www.youtube.com/watch?v=CiX6ENU-i2M
「変わった社名特集」の放映を見て、時代を感じた。それは社名とその由来だ。
株式会社 総務部……機能(工業文化)系の社名
株式会社 △□○(みよまる)……生活文化系
株式会社 ギュギュギュギュギュイーン……感性文化系、であると。
(前号メルマガで生活文化型商品を解説)


§王制復古や熱狂思想は癒し系と同じ
だが、日本の現状を憂慮してかも知れないが、古典的思考の真髄や本質を勝手に解釈、ただ短絡的に昔の日本的経営を賛美するとか、古来日本の思想にもとづく経営姿勢の論議であるとか、「維新?」の熱病的イメージを持ち出すとか、創業者や創業当時の社是社訓を引き出すとか、その他根拠のない事柄を心のよりどころにするといった傾向が、経済界では大流行になりつつある。まるで新自由主義者が10数年前に、アダム・スミスの思考を都合よく歪曲して崇拝した思索と方法は同じである。思索には一貫性と事実一致性の両視点が不可欠であるが、この両視点も歴史背景も無視して、古典的語句を断片的に利用するにすぎない。
これは、イノベーション、技術革新、経営の倫理的合理性を忘れてしまったか、あるいは無視を決め込んでいる現在主流の経営幹部に対する、「受けを良くするため」の現代的ポピュリズム(視聴者読者への迎合)と診るべきである。仮にも、無難な線を選択した学説なのかもしれないが、それは人類の英知である科学的分析とは無縁であり、迷信や世間体で人心を惑わす手法と言っても過言ではない。
とりわけ、グローバル展開と言われる時代にあっては、その曲がりなりにも社会共同体(自由平等を現世のものとするための手段)を形成する思索が主流となっている。これと相反する世間体であるとか個人を集団にひれ伏させる組織優先生活などを選択するわけにはいかない。グローバル基準のイノベーションには、社会共同体形成を妨害する勢力への徹底抗戦といった大義名分も含まれているとの認識が必要である。


§未来を担う若者たちの意識変遷
(1)戦争世代の青年たちは、高度経済成長を迎え邁進した時期に物質経済的な豊かさを渇望し、怒涛のごとき集団行動が正義であると考えていたと言える。
(2)その後団塊の世代が青年の頃は貪欲で物質優先の社会経済に不合理を見いだし、矛盾解消や不正防止あるいは企業活動の社会合理性を主張する中での、生活の豊かさや生きざまを集団として追求することを正義として主張したと言える。
(3)そして今の中若年層たちは、企業組織を守るためと称して個人の基本的人権や自由が侵害され、様々な美名や大義名分の虚構に対する刹那と貧困化と病を抱えているようなもの、もちろんそこに正義を実感しているとは思えないと言えるのである。
注目を要するのは、正社員における、産業別にメンタルヘルスに問題を抱えている存在率が高いのは、医療福祉が76.6%、次いで情報通信業の73.0%、製造業の67.9%といった事態である。情報通信産業は対策をとっているにも関わらず正社員の1ヵ月以上休職が圧倒的に多い。


§今の若者は洗脳、マインドコントロール、カルトを拒絶
文化的背景や労働意欲の向上には、規則や社内納得性よりもリーダーシップが大きな影響を及ぼす。ここをシビアに分析してみると、幸いなことに、過去に何気なく受け入れられてきた洗脳、マインドコントロール、カルトといった、これら世間体の上に立脚した手法が、中若年層は見破り拒絶するに至っている。
洗脳とは:精神的物理的に脅迫して、その状況で新しい思想を納得したかのように植えつけること。「友達がなくなるぞ」とか「皆のひんしゅくをかうぞ!」と繰り返す程度でも洗脳は成り立ち、職場内でもリーダーシップと称して相当横行している。
マインドコントロールとは:様々な感情の揺さぶり行為を用いて、感情が揺さぶられたところで、特異な記憶や思想を生じさせること。日本では広く何気なく行われている。
カルトとは:道理も合理的な理由もなく、他人を精神的物理的に抑圧すること。洗脳、マインドコントロールがカルト集団の構成員末端にまで浸透しているとは限らない。(これがカルトとの境界線を曖昧にしている)社会一般であれば避難をすることで自己防衛できるのだが、職場内での権力欲的「仕切り」のグループ、陰湿な宗教活動、経営者の宗教的支配などに遭遇し、多数の被害を受けているのが現代若年層の特徴でもある。
幸いなことに日本の教育水準の高さのおかげで若年層に至るほど、文化や意欲を崩壊させる、こういった手練手管のチェックも出来つつある。真実を追求するための、「論理構成の一貫性及び事実との一致性」を意識してのものの見方も訓練養成されつつある。


§おそらく、ここが「新型うつ病」の発生原因
洗脳、マインドコントロール、カルトといった手法は、大なり小なり、従来から理想とされた工業文化型商品産業を前提とした、人事労務管理手法の中に含まれていたのである。洗脳というイメージは、広辞苑に「新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること」と掲載されているほどに、日本では非難をされるものではなかった。企業でも労働組合その他でも、昔は良くやっていたのだ。マインドコントロールは、体育会系企業の主要な管理手法である。カルトは、企業が官僚化すれば、事実上の監督職(職場ボスを含む)が保身のために(猿でも)使う手口である。
上意下達による人事労務管理の論理は崩壊、工業文化型商品産業の経営管理論は全面見直しを迫られている。いくら従業員の声に耳を傾けるとして論理構成の組み換えを行ったとしても、肝心の若者たちにその応対意思がないのである。終戦直後あたりの社是社訓に表されているような古典的経営哲学をいくら力説しても、それでは若者が働かなくなるから、労働意欲の面から一挙に事業縮小せざるを得なくなる。王政復古そのものの様にファンダメンタル的教条主義を愛好することも、事実、経営者の間で流行している。が、これこそカルトや洗脳と受け止められ、これではイノベーションに頭打ちを招くことは明らかである。
事態はそればかりではない。新型うつ病の特徴は、若年層に発生、自分自身への愛着、回避と他人非難、うつ病診断に超協力的、治療薬は部分的効果である、とされている。その他現象面としては、人事異動をすれば治るケースが多い。週末には元気になる人も多い。正社員に発症が多い。うつ病の知識が豊富といったものである。
すなわち、墜落しつつある工業文化型商品産業に、内部から精神的に抵抗して、「医学的なうつ病」と称してサボタージュやレジスタンスが、山猫ストの様に発生していると見た方が妥当なのだ。
1.筆者も、いくつもの個別企業の現象面を見ていると、
2.従来型の業務遂行をだらだら行っている職場に、
3.まず最初に返事や賛成はするがサボるものが出始める、
4.サボりが蔓延する中で中間管理職がムキになる、
5.賢そうな若者から順にうつ病の診断書を持ってくる、
6.人事部門としては診断書が出れば対応するしかない、
7.ラインの業務改善が進むと急に新型うつ病がなくなる、
といったステップが一般的のようだ。辞めたらしまいといった意識の強い派遣や非正規社員に、新型うつ病はめったにない。


§学卒求人に対しても、今年から変化が
筆者は、30年以上も労働力需給、いわゆる募集採用から退職までの個別企業のシステムにかかる仕事をしてきた。ところが、この春からに限っては急激な変化が生まれている。求人側は、良い学生を採用しようと、この際躍起になっている。ところが、大学3回生あたりから就職活動を始めるにあたって、“学生が企業を選ぶ”傾向が圧倒的である。
昔から、就職がいやで大学院に進学・逃避した者はいるのだが、有名無名の大学を問わず、自分にマイナスになる会社への就職はしない、生活のためであれば派遣社員や非正規で十分と考えているのだ。学生の側から、採用担当者をチェック、企業の将来性をチェック、コンプライアンスに反する仕事のチェック、職場の精神的圧迫の存在をチェックしているとのことだ。洗脳、マインドコントロール、カルトを拒絶する新鮮な感覚でこれを行っている。
これに対して企業側は、生活のために就職するだろうと、根拠もなくタカをくくっている。それが採用担当者の表情に現れるから、益々有能な学生から敬遠される。昔バブルの頃は、ゼミの学生をひとり捕まえ、1万円の交通費でゼミごと学生を説明会に釣ってきた。就職応募者数で人事採用部門は誉められた。今は、有能な学生をと命じられても集められないのが現実だ。学生のランクを下げて集めはするが、そこに会社の将来を確信して仕事をしている人事採用部門は存在しない。…大学進学率は約50%だから、カッコはなんとでもつけられる。
マスコミも厚生労働省も、こういった変化に気づいていない。
それは、若者は苦労してない、ハングリーにかける、生活が豊かになった、といった現代的ポピュリズムに安住しているから、こういった数千年前からのレトリックを使い続けているのだ。地位を保つには大衆の評判がなによりも最優先であるから、彼らなりの保身という就活に必死なのだ。