2012/12/04

第128号

<コンテンツ>
インフレでもデフレでも、景気は回復しない。
個別企業の組織崩壊、その人事的兆候とは
今年から、仕事の劣化が顕著な様相を!
職業能力&人材育成の方向転換、時は急ぐ!
巷の経済学では解明出来ない経済の話
4月1日、労働法改正にまつわる質疑
   ・期間契約は、「5年を超えて更新しない」といった記載の効力?
   ・5年以内なら、本人さえ納得すれば期間満了では?
   ・いっそ、期間の途中で30日分を払って解雇するのは?
   ・まだ5年以上も法改正の猶予期間があるのでは?
   ・65歳までの再雇用、その後の契約更新は無期に転換するのか?
   ・パートなら、5年を超えても同意してくれ、大丈夫?
   ・パートなのだから、賃金格差、通勤手当無しは当然?
   ・どこの国でも、法律を造る側のすることは、すなわち


§インフレでもデフレでも、景気は回復しない。
そもそも、インフレーションとかデフレーションといった名称は、流通している経済財に対する通貨供給量との関係である。これは高校生の教科書にも載っていることで、インフレ政策をとっても景気が回復しないのは、1970年代のスタフグレーション説以後、毎度のことである。選挙になれば、まさに受け狙いだ!
インフレとは=巷に大量の通貨量を供給して商品交換を誘導すること
デフレとは=少量の通貨に供給を減らし商品交換するといった現象のこと
を指す。すなわちインフレとは、輪転機を回すなどして紙幣を大量増発すれば、流通経済における経済財総量は急激に増えないから、一つの商品に対して通貨供給量を水増しすることとなり表面化も値上がり、といったカラクリとなるのだ。インフレ政策でいちばん収益をあげるのは、国家財政である、だからインフレ政策を=大衆課税と言う。この大衆課税の常套手段は、輪転機で紙幣を印刷するよりももっと手際よく、国債という紙切れ一枚で大量の紙幣を供給したことにする手段を使っている。国債のほとんどは民間銀行が引き受けさせられている。国債の9割は国内の金融機関が保有、金融機関は政府の厳しい監督下で自由に国債を売却できない。今話題となっている「日銀買い取り」というのは、行政機関が国債を発行して、自ら当該国債を買い取る仕組みのことである。今や誰もが、そんな「子供銀行」並みに馬鹿げた破綻招来の道は、誰もが見抜いている。
日本政府は、朝鮮戦争による軍需特需以降、この方式を続けてきた。
が、バブル崩壊とともに行き詰まり、そのまま行き詰まりを無視して続けたことで、現在の国家財政危機を招いている。その本質は、財務省に集まった大衆課税収益を、公共事業その他の名目で民間企業に対して発注・配分することである。この公共事業のおこぼれ目当てに、様々な民間業者は群がってきて、確かに「一瞬の潤?」は味わうことが出来る。まさに日本の過去は、こういった手法の社会主義計画経済そのものであったのだ。
今から思えば、行き詰まった1990年ごろの最後のチャンスに、社会主義実体経済から離脱する「手が打たれれば」良かったのであるが、行き詰まりを無視して続けたことは、日本国内の民間個別企業の成長を阻害し、技術・技能を「切磋琢磨」しない社会づくりにつながった。その後の規制緩和と言っても、経済学的に破綻した社会主義国と同様に、「金融をいじくっただけ」なのである。社会主義国も、社会主義経済的に金融破綻したし、もちろん日本も金融破綻したし、その破綻ぶりは何れも資本主義的ではなかった。
因って、
日本経済は世界から見放された、日本の商品を買ってくれる人はいなくなった。決して円高不況になったのではない。ところでドイツは、水面下で独り勝ち、EU金融危機によるユーロ安で、史上最大の輸出を続けている。かつ今、デフレと言われている現象は、国内製品を新興国からの輸入品で代替したことによる価格破壊も影響しているのだ。この12月は経済経営が大切で、うかうかと選挙の世論操作やTVやマスコミに誤魔化されてはいけない。


§個別企業の組織崩壊、その人事的兆候とは
この秋、元住友銀行の元行員からの複数の内部報告を聞く機会があった。みずほ銀行の内部を描いたノンフィクション小説も存在するが、別々の複数方から住友銀行内部の当時の実態を、それも、それなりの役職経験者から直に聞けることは滅多にない。それは、人事労務管理の仕事には、極めて貴重なものであった。
その、当時の内部実態の要点は、
1.主に課長職以下の行員の発言と、実行する内容が食い違ってきた。
2.ヤクザへの融資が増える、そのために偽装書類を部下に作成させる。
3.「立場上やむを得なかった」と、ひとりが言い逃れし、それが拡散・蔓延。
すなわちこれが、当時住友銀行が内部から組織崩壊していった兆候と言うのだ。後日、住友銀行内部では、「投資先の間違いであった」との反省の弁を多くの行員が口にしたとのことだが、後の祭りであったとのこと。だが当時から、ほとんどの行員から、「立場上やむを得なかった」との発言がいまだに消えることは無いとのことだ。
元住友銀行の元中枢行員の話は、
「一旦、転落し始めてしまうと、もう取り返しがつかない」という証そのものであった。彼らが当時を振り返り、今も悔やんでいるとして口にしたことは、「立場上やむを得なかった」の発言が持ち込まれた時点で、その場で芽の小さいうちに食い止めなかったことだった、と言う内容だ。カネボウが崩壊したとき、当時の社長は、「10年前に兆候は見えていた。命の危険を感じたが、それでもあのときに手を打っていたらと思っている」と、後日手記にしたことを思い出す。
加えて現代、3・11の地震・津波・原発事故の後に、
そもそもが、予見はあったが、「もとより計画外」の事柄を、何か責任の所在があやふやな風に、「想定外」といった言葉を、誰もが繰り返している。確かに、「所詮はサラリーマンの如きだから」と、その責任を問わずに甘く対処しても良いかもしれない。だが、基本的に必要なのは、「敗軍の将、兵をかたらず」といった責任ある姿勢・態度(決して原因究明をしないということではない)の、実際に仕事のできる人間である。しかしながら、その多くは、取り返しがつかない。
因って、個別企業で、
こういった兆候を貴方が発見すれば、芽の小さいうちに対処しなければ、後日危険がやってくる。1回の人生の中で何度もあるようなものではないから、社長に進言し、社長補佐して、早急対処が求められる。「敗軍の将、兵をかたらず」と社長に責任転化をしたとしても、その前にサラリーマンは「兵」であり、敗軍となれば浮き上がることが出来る確率は、「1000に3つ」程度だ。


§今年から、仕事の劣化が顕著な様相を!
ことに、首都圏・関東方面での、業務水準の劣化を肌で感じる。ICTシステムも、本来は業績向上を念頭におくべきところ、組織維持のために各種ICT機器を活用するといった具合だ。ICT機器による効率低下が直に影響して、労働者は表面だけを取り繕い、方針が末端まで通らない事態も招いている様相である。もちろん、提供する商品の価値増殖などとは反対の方向に動いている現象は、次々と散見している。労働者が価値増殖出来ていないのだから、賃金水準の下がるのは、原因は別として確かに自然なのである。金銭的インセンティブで動く正規社員も激減しているようだ。所詮、「動機づけ」といったものは、仕事が単純作業であれば効果もあるのだが、創造したり高度な判断を要する作業では、「動機づけ」を持ち込めば仕事の足を引っ張る。
東南アジアへの進出と言っても、一時もてはやされた日本的労務管理は、今や口先だけになっている様相だ。日本的労務管理は、ほぼ世界的に崩壊してしまったようだ。インドネシアからの報告では、インドネシア金属労連という労働組合が大活躍中?との事である。その労働組合の主力は、電器・自動車などの日系企業であり、組合員構成の80%以上を占めているとのこと。日系企業もインドネシア現地では、日本的労務管理の理念は実行されていないとの報告がなされており、極めて激しい交渉と争議が繰り返されるとのこと。現地調査の最中、ある日系企業がデモで工場を囲まれて日本人幹部を含む従業員450人が帰宅を阻止され、二晩続きの交渉の末やっと会社側の全面譲歩で解決するという事態に遭遇したそうだ。「ジャカルタ日本クラブ」(現地商工会議所のようなもの)でも、争議激化には頭が痛い様子とのインタビューを採っている。
ソニーとパナソニック、この2社の株価評価がこの秋にガタ落ちした。この秋に出版された、「リバース・イノベーション」(ダイヤモンド社)の研究書籍では、ソニーが中国向けに「型落ち」した製品を販売した結果、一挙にサムスンに追いぬかれたと分析している。この本の著者は、貧困国の市場を斜陽技術のゴミ捨て場のように見たのは誤りで、安さだけでは新興国市場の期待はつかめない。「それなりの性能が必要であり、それを提供するためには全く新しい技術が要る」といった主旨の分析をしているのだ。こういった分析の材料企業にされているぐらい、ソニーは能力低下を起こしたのだろうか? それとも、こんな分かりきっていることをサボったのであろうか?
こういった風潮を見てとって、短絡的な考えに走り、「新興国で通用するグローバル経済」に傾く発想も強まっている。果たして経済原則である、「お金がなければ、まして新興国など経済成長も豊かさも不可能」といったことを忘れているのだろうか。親が子供の教育にかける期待も変化したとの調査もあるが、「出稼ぎのために教育する社会」は、必ず滅びるのが歴史の必然である。
http://www.benesse.co.jp/newsrelease/20120911_004.html


§職業能力&人材育成の方向転換、時は急ぐ!
今、必要な能力は創造性:創造力だ。
人間の職業能力には、次の三つの分野がある。
 分野1:スキル skill
   技能がある、それを見れば・聞けば、意欲は出る desires, will
 分野2:パフォーマンス performance
   芸当や技巧があれば、感動する impressions
 分野3:アート art
   芸術になると人に希望を抱かせる hopes
この三つのいずれかに重点を置き、二つを有機的に結合させて、人類は職業能力を発揮するようにしてきたのだ。このことで、人類は朝から晩まで休むことなく、飢餓と隣り合わせで働き詰めることから解放された。それは現代でも、また個々人でもあてはまることなのだ。
そして現代は、この日本の地に足につけて国内にも海外にも、将来を望むなら、第三の「創造力」に相当の重点をおいての能力向上である、それも仕事においても芸術的に!なのである。そのわけは、周囲に希望、活気、啓発その他を与えるのは芸術だからである。貴方だけの意欲的働き、感動的働き、今やこれでは周囲は動かない、家族ももちろんだ。だがその原因も解決も、個人ではなんともしがたい種類の事柄であることも間違いない。では私が何をいいたいかといえば、貴方の労働・労働力こそを、固有価値(意欲&感動&希望)のある商品として提供していただきたい、そこに解決の道があるとの結論である。
そのために、貴方の足手まといを減らす目的で、私たちは次のようなサービスを開発した。
(料金表の次の、=改善コンサルティング=と=1日講座=の2つ)
http://www.soumubu.jp/price/index.html#new
(A)貴方の知恵を支えるために=改善コンサルティング
(B)総務人事部門の事務員が、貴方の足手まといにならないように=1日講座
この二つを、私が思い切って推奨する理由は、
このメルマガの後に触れることになるが、日本国内で流行している旧来の経営管理方式、あるいは旧来の経営についてのアイディア、これを実行・継続することを進めると、今の個別企業が「安泰」どころか、転落しかねないからだ。日本の経済・社会状況はそこまでの危機に瀕しているし、その奈落の渦に何れの個別企業も巻き込まれようとしているからだ。
そして加えて注意点、
個別企業は、あくまでもクライアント・利用者を相手にしている。より連携が顧客と深くなれば質・量ともに充実し、それが息の長い経営に役立つのである。こういった目的とは別に教育や研究を施しても、何の役にも立たないし、自分の役にたつどころか能力劣化を起こすのが通常である。いわゆる資格マニアがそうだ。だから、クライアント・利用者と接触することが、教育・訓練・創造力開発には重要なヒントや刺激になる。例えば日本では、通信関係、在宅医療外注、健康医薬品その他、販売や配送をマニュアル化して外注したために、製品やサービスの質・量は向上せず、新商品開発に失敗、クレーム増加で評判低下などを招いている。あとで述べるが、携帯電話のノキアは、その国ごとにクライアントになると予想出来る人たちの生活・経済を、必ず肌で感じる方法で調査に入っている。サムスンも日本家電業界の傲慢さから生まれる間隙を突いたかと思えば一挙に売り上げを伸ばした。
要するに、
スキル(技能)、パフォーマンス(芸当・技巧)、アート(芸術・創造性)の三方面の何れにしろ、クライアント・利用者と接触が不可欠なのである。それは本当の意味でのコミュニケーションであり、面談していてもコミュニケーションの拒絶(マニュアル、見世物自慢の芸当など)があっては意味がないのだ。本来の職業能力向上のコツは、「行動特性のパターン化と普及」である。それは三方面での教育テクニックは、それぞれ独自に歩んで行くものだ。それを、「マニュアル化」と偽証して、手抜き作業を展開したから経済・技術・創造性は破綻したのだ。(その背景には、商品の価値を公共事業と同じく使用価値や効用価値と、官僚たちが規定してしまったところにも原因がある)。


§巷の経済学では解明出来ない経済の話
すなわち、個別企業の経営活動や普段生活の豊かさに、身近ではあるけれども、マスコミ業界の好きな巷の経済学ではないから、世の中に広まっていない経済の話である。マスコミ業界の好きなテーマには、過去の経済成長の「夢をもう一度」との白昼夢とか、金融政策さえ打てば景気が上向くとする終戦直後時代の方式とか、そういったものが含まれている。EUなどでの次世代経済議論の的となっている、「環境配慮を追求することで経済成長を招く」といった考え方、成長が止まった現代の「成熟すれば成長もついて来る」といった発想などは、マスコミ業界や記者たちは、どうも、そういった経済の話が嫌いなようだ。
   不動産業者は、契約成立件数の数をあげるために、
   商取引において、取引の一方が、もう一方に比べて
   出会い系サイトは、自分の個人情報を
   同一商品における販売価格の差異化は、
   別の地方からきた商売人は、地元の商売人よりも、
   流通の習慣や流通の障害から脱出して直接商品提供
   世界の先進諸国においては、伝統産業と言われる
   労働市場(労働需給システム)がオープンな国は、
   否応なく決断を迫られる事態が生じないよう、前もって判断
   肥った女性、歯並びの悪い女性は、
   チャイルドシートよりも子供の成長に合わせたシートベルト
   景気の良い時代には、値段が安く仕組みも簡単な便利商品は、
   アメリカのER(救急救命機関)の実際の調査によると、
   石炭は化石燃料の中で最も安価で、まだ大量に存在するし、
   携帯電話のノキア1100型は農漁村地帯を中心に、
   世界の経済学者(日本の経済学者は異質)の一般的考え方は、
   なお、もう一段と深い部分の研究をしたい方は

(A)不動産業者は、契約成立件数の数をあげるために、
貸主や売り手に、賃料とか販売価格の値下がりを誘導する。高値で契約成立を行なおうとすれば、時間がかかり、時間をかけた割には成立件数が伸び悩むから、貸主や売り手に利益の圧縮を求める経営方針となる。

(B)商取引において、取引の一方が、もう一方に比べて、
たくさんの情報を持っている。(経済学用語=情報の非対称性という)この情報の非対称性に因って成り立っていたビジネスが、インターネットに因って致命的な打撃を受けている。医療健康、法務行政、不動産取引、学術教育など。

(C)出会い系サイトは、自分の個人情報を
見ず知らずの人と交換しあう、インターネットで最も成功している会員制ビジネスである。今から5年前のデータでも、アメリカは4000万人のメンバー登録、実に全人口の16%に及ぶ。ICT産業革命のおかげで、クー・クラックス・クランのようなもの。日本でのビジネス宗教などといったものも衰退しつつある。

(D)同一商品における販売価格の差異化は、
巷の経済学では議論されない。差異化が発生する主な条件は、
  (1)高価格を払ってでもほしいと思う顧客の存在する商品
  (2)その商品は転売されることなく、利ザヤを抜かれることを売り手が止められる商品

(E)別の地方からきた商売人は、地元の商売人よりも、
顧客を騙すことが多い。たぶん地元の商売人は自分の評判を気にしているとの分析だ。地方に進出する大手流通業者の商品は、都市部に比べて価格は高い、がそれだけではなさそうだ。

(F)流通の習慣や流通の障害から脱出して直接商品提供
を顧客に行うことで、著しい経済効果が生まれる。例えばソニーの電子書籍構想は、出版業界とソニーが手を組んだ裏で、出版業界が電子書籍構想の進展を妨害したとされる説が有力だ。同じ電子書籍構想でもキンドルは成功しているが、当初から従来の流通習慣や流通障害を排除して事業展開をしていた。多くの人が今でも、業界各社が連携すれば、かならず経済発展するとの錯覚をしている。

(G)世界の先進諸国においては、伝統産業と言われる
旧来の職人芸に頼っている産業は、ほとんどは採算割れをしている状況のようだ。そこに、顧客の持っている不便さを解消するとか、ニーズを調査しストレートに提供形態を改めると、一挙に需要を増やしている。例えば、アメリカのボストン交響楽団やニューヨークフィルなど9つのシンフォニーオーケストラ(民間事業)が行ったことは、顧客の調査を行った。結果、駐車場を充実させ、前奏曲の時代背景や作曲家の生涯を解説し、チケット払い戻しを迅速にするとか、友達無料招待券、ポピュラーな曲目の挿入その他を行った。すると、売れ行き30%増しとか、通常チケットの5倍の演奏会、ものに因っては20倍の実験結果を得た。アメリカのオーケストラは会員制で支えられているが、会員数を700人から1000人に増やした楽団も現れた。

(H)労働市場(労働需給システム)がオープンな国は、
窃盗、強盗、詐欺、恐喝、横領といった財産にまつわる犯罪に対して、人々は魅力を持たなくなる。日本のように正規と非正規の格差が激しいとか、産業業種を異動する垣根が高いといった労働市場が閉鎖的な状態は、決してオープンとはいえない。派遣労働や偽装請負に多くみられる単純作業の繰り返しで職業能力の身につかない集団を形成すれば、労働市場は益々閉鎖的になる。

(I)否応なく決断を迫られる事態が生じないよう、前もって判断
を、仕事の中で繰り返すといった経営管理法が重視されている。今や、決断をしなければならない事態=その決断に至るプロセスの途中で解決しておかなければならない課題を放置したツケが回ってきた結果、という風に受け取る時代になってきた。小さな失敗や計画のズレが発生すれば、その問題が小さいうちに判断して、修正・解決することで、リスクを抱える「決断行為」そのものを回避するようになった。
バブル経済以前のオーソドックスな経営管理法は、本気で事業展開をする場合は、資本金5億円以上の会社を設立する。それ以下は基本的にアンテナ事業である。その投資した5億円を、初期に定めた計画に沿って予算消化して行く経営管理方式であった。その予算消化の必要に迫られマーケティング理論が確立したのだ。初期の計画を実行することのみが経営管理では重視され、軌道修正すること自体が否定された。もちろん、間違いを認めることも許されなかった。計画をやりきることが良い経営陣と評価され、成功すれば意思の強い人だと精神論がもてはやされ、成功しなければ、「運が悪かった」と慰める運命論者だった。
だから個人的なそこでの危険な損害を回避するために、日本では、同年代・同期は、精神論と運命論が入り乱れる、「同類で慰め合い助け合う」人間関係が、家族の絆よりも重視される社会であったのだ。家族よりも会社人間関係が危険を回避する仕組みであったから、家族が二の次扱いを受けたのも当然であった。これが「家族のために働く!」ことの本質であった。だが、こういった官僚的・社会主義的な管理が、経済の足を引っ張った時代であったし、家庭崩壊の主要な社会的原因であったとされている。

(J)肥った女性、歯並びの悪い女性は、
それだけで男性に比べて悪い境遇を押しつけられる。また女性は相対的に稼ぎの少ない分野(能力があっても例えば医者でも一般医、企業法務、一般公務員、企業会計など)で働く傾向があり、家庭や子供のために仕事を離れるとか、楽な仕事に行く傾向は強い。先進国各地の分析によると、小売りや旅客輸送は、利便、簡単注文、親切、関連情報を重視する個別企業が伸びている。また、飲食・販売に絞ると、第一:店の見た目、第二:温かいもてなし、第三:新鮮高品質の順に、店舗展開方針を決定している個別企業は伸びている。

(K)チャイルドシートよりも子供の成長に合わせたシートベルト
の方が安全で安価だ。水道水にフッ素化合物を加えることで歯科医療費は激減した。カーシェアリングは、都市部において集中的に営業所を展開することで成功した。DVDレンタルは、一両日中に配送するシステムで成功した。良く分析すると、そこにはクライアントの後援や協力といった、商品価値増殖作業の(買い手と売り手にまたがる)分散が存在している。

(L)景気の良い時代には、値段が安く仕組みも簡単な便利商品は、
みんなでそれを馬鹿にする。高血圧・高コレステロールを安い薬で抑えることで心臓病での死亡率は激減した。初期の心臓病治療薬は激安商品である。日本が開発した老化防止のコエンザイムQ10の酸化型と還元型のいずれもが安価な商品である。活性酸素を除去する水素(H2)気体そのものはさらに安い。数10ccの砂糖水を夕刻に飲むだけで、夕食の食欲が減退しダイエット効果は著しい。初期の糖尿病は、発見後数ヵ月間の糖分遮断で治る。傷病を予防する医療行為は民間医療保険会社も歓迎するようになった。高齢者予防医療に、室内段差の解消、毛足の長いカーペット排除、高齢者の足の爪きり、心疾患患者の体重を毎日把握などが広まりつつある。すなわち、問題が起きる前にそれを防ぐやり方だと、長い目で見ればとても安くつくことが多い。

(M)アメリカのER(救急救命機関)の実際の調査によると、
訴える症状の中で危険度の高いものは、息苦しさ、血栓、熱、感染症といったもので、危険度の低いものは胸の痛み、めまい、しびれ、精神科的症状だとの結果がある。

(N)石炭は化石燃料の中で最も安価で、まだ大量に存在するし、
技術開発のおかげで窒素酸化物処理法も進展している。ちなみに日本には、製鉄など工業に適した石炭の埋蔵は多い。日本の大陸棚拡張申請を国連が認めたため、日本のメタンハイドレート、レアメタルの採掘権領海が拡張された。今や日本は、次世代の資源大国になりつつある。窒素肥料(硝酸塩肥料)は農業生産量を一気に引き上げた、そして極めて安価な肥料であった。二酸化炭素濃度の高い温室での植物栽培では、植物の成長度合いは高まり、吸収する水量も節約出来る。

(O)携帯電話のノキア1100型は農漁村地帯を中心に、
インド、南アジア、ラテンアメリカ、アフリカといった貧しい国々に、最初の5年で2億5000万台を販売した。さまざまな機能は切り捨て、農村のニーズをとらえることはもちろんだが、なによりも経済、農産物や漁獲量の生産性向上と、旧態流通による腐敗・廃棄の無駄を解消する効果を生み出すことに、ノキア1100型は設計されている。

(P)世界の経済学者(日本の経済学者は異質)の一般的考え方は、
現代のようにストックが増加すれば分配方法を変更することを自然と考えるものである。ただし、現時点の経済危機は、いわゆる循環の繰り返しと見ている経済学者は少なく、18世紀から始まった産業革命以来の危機と見ているか、若しくは、「商品」が生産され流通が活発になって以来の450年ぶりの危機と見ているか、といった人が多い。共通しているのは、ICT産業革命の真っただ中であり、日本の戦後の高度経済成長時代や終戦直後の金融・公共事業政策の間尺では対策がとれないとの認識である。

(Q)なお、もう一段と深い部分の研究をしたい方は、
   ☆彡東洋経済新報社の、「ヤバイ経済学」
   ☆彡東洋経済新報社の、「超ヤバイ経済学」
   ☆彡日本経済新聞出版社の、「ザ・ディマンド=爆発的ドーム需要創出術」
   ☆彡朝日新聞出版社の、「BCC流競争戦略=加速経営のための条件」
などが研究入門としては、おすすめ書籍である。

さて以上、
ここに挙げた事例は、読者の固定概念を崩すために拾い集めたものの一例である。つい十数年前まで活躍していた、世界の有名企業のビジネスモデルのほとんどは、1929年の世界大恐慌の後に開発されたものである。だから、どうしてもそんなイメージに固まりやすく、読者の先輩や知識人の多くは、同じようにどっぷりつかった固定概念に染まった色眼鏡をとおして、貴方に語りかけているわけだ。そんなスタンスのままでは、真剣に頑張るほど崩壊のスピードをはやめていったのだ。
そう、世界恐慌前に活躍した企業も、戦後に活躍していた企業も、もちろん日本でMade in Japanで風を切っていた企業も、それまでのビジネスモデルは破綻若しくは崩壊してしまった。ほんのわずかに企業名を残すのみなのである。


§4月1日、労働法改正にまつわる質疑
労働契約法、高年齢者雇用安定法改正について、よくある質問に回答をする。

期間契約は、「5年を超えて更新しない」といった記載の効力?
そういった契約やその旨の就業規則改正の効力はあるのかとの質問ですが。端的にいえば、そのような記載を行ない、誰が何を言っても、どんな事態になっても、「5年を超えて更新しない」ことを実行すれば、たしかにそれは有効ではあります。問題は、労務管理の実態からは現場では不可能、若しくは経営者や人事部門の目の届かないところでは実行していない可能性が高い実状なのです。中小企業は管理能力がないから不可能と決めつけるのは実態無視であり、大手企業であっても人事のいうことを聞いていない事例が多いのも事実です。もとより、そういった「5年を超えて更新しない」といった記載が、組織として履行出来るのであれば、なにもわざわざ法律で有期労働契約の規制に介入して来ることすらありえないのです。

5年以内なら、本人さえ納得すれば期間満了では?
雇用の期間契約の会社側の目的が、人手が余ったとか都合良く解雇出来るとか、「期間満了で丁度良いから!」といった行為が労働契約法第19条で、今年の8月10日から禁止されました。その場合、3回目以降の契約更新を8月10日以降に迎える場合、期間契約が自動更新されます。本人の働く意思がなければ出社しないので差し支えないのですが、「いやだ」とか「困る」といった口頭の意思表示だけで、法律は労働者を守ります。加えて、後日に代理人からの意思表示が行われたのだとしても、法律は労働者を守ります。5年以内と言っても、次回の契約更新の際に解雇したい場合は、社員と同じように普通解雇の客観的合理的かつ社会相当的理由が必要になります。理由が、「期間満了で丁度良いから!」といったものではないことを、証拠だてて証明する必要があるのです。

いっそ、期間の途中で30日分を払って解雇するのは?
解雇する場合は、客観的合理的かつ社会相当的理由が必要になります。30日分を支払えば解雇出来るというのは、社員でも契約社員でも、それは合法的ではありません。労働契約法では、期間残余の労働者の逸失利益(賃金100%)の支払いを求めています。加えて、そういった解雇は無効ですから、先程述べましたように契約期間が自動更新される場合もあり得るのです。なお、終期契約を結んでおれば、逸失利益の支払い問題は避けることが出来ます。

まだ5年以上も法改正の猶予期間があるのでは?
安易な解雇をするための期間契約の場合は、来年の4月1日から5年を経過する前に、3回目の契約更新を迎えて自動更新されますから、猶予期間というもの自体が存在しません。まして、今年の8月10日以降に3回目の更新を迎えてしまったのであれば、もう既に自動更新されています。その場合、60歳以上の定年などの定めがなければ、「死亡するまで」自動更新することになっています。辞めてもらうには、就業規則の具体的な解雇条項に該当するような客観的合理的社会相当的理由がある場合、もう一つは会社から懇願して退職に同意していただく場合しか、現在でも道は残っていません。

65歳までの再雇用、その後の契約更新は無期に転換するのか?
再雇用制度を、60歳を過ぎて1年間の期間契約を繰り返す会社が多いようです。60歳から5年間の労働契約も許されていますから、65歳以降の契約更新が1年ごとといった会社も少なくありません。いずれにしても、期間契約には変わりがありませんから、客観的合理的社会相当的理由がなければ、3回目の更新から自動更新となります。加えて、来年4月1日から始まって6年目に突入したときは、無期労働契約に転換するのです。無期契約とは、定年や再雇用の年齢その他の定めがあればその時点まで、決めていなければ、「死亡するまで」の期間をさします。
ですからその場合に、6年目が定年や再雇用年齢を過ぎている場合とか、それが無期契約に転換するので、「死亡するまで」は客観的合理的社会相当的理由がなければ解雇することは出来ません。なお、注意をいただきたいのは、60歳定年や65歳の再雇用年齢を過ぎている労働者を多数抱えている場合には定年や再雇用年齢の年齢制限自体が、慣習により就業規則の効力を失っていますから、念の為。ここでも、会社から懇願して退職に同意していただく場合しか、道は残っていないのです。厚生労働省から施行通達が出されていますが、今述べたような事態に至ることを、彼らは既に予見しているようです。

パートなら、5年を超えても同意してくれ、大丈夫?
大丈夫と考える場合の法的根拠はありません。ひたすら会社から懇願して同意していただくしかないのです。すなわち、パート労働者といえども法的に対処するとの意思も持てば、いつでも申し入れをして無期労働契約に転換をすることも出来ますし、実態としてはいつでも自由に退職出来る状況が出来ているということです。現代は経済成長の時代ではありませんから、最も会社にとってマイナスなことは、予見出来ない事態や不安定な計画のもとに経営管理を行うことです。大概のリスクは、後日になって膨大な累積となったところで請求がまわってきます、それも法律を伴って。経営上の一般債務がそうですが、労働債務も同じようにまわってきます。

パートなのだから、賃金格差、通勤手当無しは当然?
今年8月10日から、社員と同じ仕事をしているにも関わらず、期間の定めがあることによって労働条件を低くすることが禁止されました。ここでの要件は、「社員と同じ仕事」ということです。ほぼフルタイムの期間労働契約者が対象とされます。通勤手当の不支給が典型的なものとされています。法律で、正規社員と非正規社員の格差は五項目余にわたって認めるとしていますが、それにあてはまらなければ賃金格差とされます。確かに、訴えがなければ支払う必要もないのですが、例えば退職時にまとめて過去2年分(ただし平成24年8月10日の法制定日後のみ)を請求出来ますから、目に見えない労働債務を抱えることになるのです。また正規社員との格差は、「ダラダラ仕事をしている社員」との差が最低基準となりますから、チェックしなければならないのは非正規の期間労働契約の従業員だけではないのです。

どこの国でも、法律を造る側のすることは、すなわち
政治家・首長・官僚・公務員といった人たちが考えることは、たとえ彼らがどれだけいいことをしたつもりでも、今回の労働法改正がほとんどオール与党であったとしても、実際の民間企業=個別企業の中で、人々の利益や建前その他インセンティブにどのように反応するかを想定(計画や予見も含め)すらしていないのです。昭和27年の職安法施行規則改正、昭和61年労働者派遣法、昭和61年男女雇用機会均等法、平成9年職安法改正、平成11年労働者派遣法改正その他、厚生労働省の官僚が思いもしなかった事態ばかりを生んできたのです。

2012/11/06

第127号

<コンテンツ>
大手企業のサラリーマン経営者
そういったサラリーマン経営者の姿勢が、
根低から生活文化に根ざす老舗は、ちょっと違う
さて、中堅・中小企業での方策は!
  【愛は眼差しと仕草、と言うけれど?】
  【顧客と接する社員みんなが出来るパターン化】
  【そこで、商品の価値=固有価値】
  【商品経済自体が、人類の発明したシステムである】
法改正に現場対処が出来ない人たち
  【労働関係法は商品や業務の品質に関わる!】
  【法律効果が無理解だから人件費増に!】
  【法令のみでは現場と対立を起こす!】
  【やっかいなのは中間管理職が抵抗するとき!】


§大手企業のサラリーマン経営者
の大半は、自社の技術開発を進め、「その技術を売却して保身を図ろう!」との作戦が、どうしても頭によぎっている。今のアメリカでは、確かに流行する手法でもあり、それを免罪符にする経営指南役も少なくない。その形態は、製品を得るのではないから、業務提携、M&Aをその他の形をとる。合併であれば、法的には存続会社に吸収されるのであり対等合併など存在しない。吸収合併されれば、取締役から社員に至るまでお払い箱である。だがそこで、サラリーマン経営トップだけは、「技術売却」の報酬としてポストが用意されるといったような仕組みである。大手企業の多くは、高度経済成長の先が見えてきた1960年代後半からは、合併に因って企業の存続を図ってきた。
いわゆる、こういったサラリーマン経営者は頭が良いけれど、頭の使い道が分からない。
どうも、大手企業では世界共通して、「旧態依然の成功体験が忘れられない」とか、銀行からの借入金で回しているような会社の取締役会では、「目の前の利益だ!」と叫んでいるようだ。日本は追い付くどころか、日系大手企業はおしなべて、欧米の勝ち組企業に太刀打ち出来なくなっている。日本の企業に技術力があるというのは昔の話、今や何らかの高い技術は存在するけれど、世界の市場が相手にしてくれないのである。日本の技術・技能の特徴は、他の商品に転用出来ない状況であり、その未熟さが未だ改善出来ないのである。それは、この失われた20年間に人件費コストを下げることばかり考え、技術・技能体系の未熟さからの脱出を図らなかったからである。「円高により不況になった」との大手企業の弁解は嘘で、その根拠は海外生産さえすれば円高の影響を受けなかったはずだからである。要するに、日本の技術・技能より劣るかも知れないとひいき目に見たとしても、欧米の勝ち組企業が、日本の大手企業の進出予定市場を、ことごとく取ってしまったということである。もはや、一部の素材産業を除いて大手企業が持ち直す見通しはなくなった。
これは何も、パナソニックその他の劇的なニュースが流れたからそう結論づけるのでは全くない。経団連も、私から言わせれば、「笛吹けど、会員の大手企業は踊らず」どころか、踊りたくとも、サラリーマン経営者やそれを支えてきた管理職や組織硬直が原因して、踊るつもりも体力もなくなっているとみた方が妥当なのだ。
(経団連:事業競争力を左右するビジネスモデルの変容と多様化で懇談)
 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2012/1018_05.html
(経団連:「『失われた20年』と成長戦略の評価」テーマに説明を聞く)
 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2012/1018_06.html
何年も前から破綻の兆候は現われているが、日本国内の大手企業でもほぼ共通して、「目の前の利益だ!」と役員会では怒号が飛び交っているという「ウワサ」である。(ただし、筆者は噂話を掲載しない。)


§そういったサラリーマン経営者の姿勢が、
「挙動・まなざし・仕草」ににじみ出て来るものだから、開発担当者は本気で技術開発をするわけがない。(まして技術系社員は、企業よりも学術団体への忠誠心が強い)。管理職の中でも部長クラスは、まだ将来展望が気にかかるから鋭意尽力をするがが、中間管理職のほとんどは、今や「言われたことをするだけ」の人物が圧倒的に多く、旧態依然にしがみついている。この失われた20年ほどの内に、彼らは人件費削減の手法に長けるようになり、肝心の自身や企業の技術・技能をないがしろにするばかりだった。だから彼らは、「何でも分かっているつもり(実は自己欺瞞)」だが、ウダツ(梲)は上がらない。うつ病・労働力毀損の蔓延、新型うつ病のレジスタンス運動もその結果である。むしろ、そうなる素養の人物を中間管理職に抜擢・確保してきたのが現実であって、彼らが「保身の塊」と抱き合わせの存在であることを見抜けなかった総務人事担当者の失策といっても過言ではない。(やがて、こういった労働に関わる課題を、EUや北欧の諸国は克服しつつある)。
だから、これが結論だ。
益々大手企業は、窮地に陥る道を進まざるを得ず、今さらどうしようもない。大手企業での改革や革新を進めようとしても、こういった中間管理職が抵抗勢力となって身動きがとれないし、中間管理職自身は転職しても使いものにならないことを良く知っているから、一段と社内抵抗を激しくしているのである。加えて、創造的労働・効率的労働の弊害となることが分っている学歴重視、無休(有休はマイナス考課)重視の人事体系も、紆余曲折の議論も生じず、大手企業では脈々と続けられている。さて、こういうふうに物事・組織を観るのは歪な思考ではなく、「帝王学」の定石であるから念のため。だから筆者は、そんな大手企業に就職したとしても、意思さえあれば、頭の使い方を良くして、大手企業を退職することを推奨しているのである。


§根底から生活文化に根ざす老舗は、ちょっと違う
例えば、資生堂のように、
顧客に接する社員の意識から改革を図って、抵抗勢力を抑えようとしている企業は稀である。
(経団連:企業価値の向上に向けて~リーダーの役割とは?経営改革を振り返る/資生堂の前田会長が講演)
 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2012/1011_10.html
資生堂は、筆者(むらおか)が在籍している大学院のスポンサー格の一つであるが、商品価値を使用価値論では論ぜず、現在解明されるに至った固有価値論を一貫して唱えてきた企業であった。にも関わらず、曖昧な経済論理に振り回されるなどして打撃を受けた時代もあったようだが、商品価値=固有価値論の顧客重視を柱に貫いたからこそ、方向転換の舵をとることができたのである。蛇足だが、筆者が中小企業政策ではなく、経済政策としての商品価値=固有価値論、そして価格決定メカニズムを解明できたのは、資生堂の経営者からの情報が大いに役立っている。
大阪ガスも、
天然ガスのエネルギー転換を具体化する事業へと舵を取ろうとしている。天然ガスに因って発電をする方向ではあるが、大規模施設の集積集中発電ではなく、「スマートグリッド&個別分散型」の発電である。ちなみに経済発展・産業革命の定石の話(論理)だが、18世紀の産業革命で、当時の蒸気機関は大型過ぎてエネルギー効率も悪かったものだから鉱山の排水程度にしか使われていなかった。これを、ギルド徒弟制度から放り出されたワット(蒸気機関自体は彼の発明ではない)が、グラスゴー大学に招かれ、そこでコンパクトな蒸気機関小型化に成功して、工場に分散設置、船舶や鉄道動力車に活用出来るようにして、これにより産業革命の基盤を作ったのである。ちなみに、経済学者のアダム・スミスもグラスゴー大学。そして今、ドイツの電力産業といえば、元来原発は輸出専門であったし、風力や太陽光は大規模事業化が可能な土地柄であったものであり、電力産業といえば中小農村の再生エネルギー産業なのである。ドイツはユーロ安の追い風で、さらに高収益をあげており、経済成長ばかりでなくゆたかさを追求しようという訳である。そのドイツの発電機メーカー世界第二位のシーメンスは、風力や太陽光発電の大規模発電機メーカーに成長した。大阪ガスは、時代の波に乗れるかどうかの岐路であるだろう。
ちなみに、東京電力は、
典型的な工業向け商品と工業文化一辺倒の企業であり、今そこでは、若手人材が流出し続けている事態に歯止めがかからず、残りの若手で何とか間に合わそうとの制度を導入せざるをえないほど窮地に陥っているようだ。
 http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/kigyo/20121031.htm


§さて、中堅・中小企業での方策は!
その参考になる、欧米の「勝ち組企業?」の例をいくつか紹介すると次のようになる。
(1)商圏を集中し密度をあげて便利さと使い道を増強(カーシェアリング)
(2)顧客の欲しがる情報を集中して提供(情報配信、携帯、健康ケアー)
(3)顧客が観たいと思っているうちの配送速度(DVDレンタル)
(4)流通の習慣や障害から脱出し顧客に直接販売(電子書籍)
(5)伝統的企業体質の影響を受けない事業展開(エスプレッソ)
(6)有能な「職人」の行動特性をパターン化・社内普及(教育事業)
(7)店の見た目、温かいもてなし、新鮮高品質(小売、飲食チェーン)
(8)平均的顧客重要の神話といった思い込みから脱却(交響楽団)
(9)顧客の利便、注文、親切、関連情報を先取り(旅客、小売)
こういったビジネスプランや事業転換についての切り口であれば、中堅・中小企業であれば切り替えることが出来るのである。業務改善のコツとして導入するだけでも売り上げは変わってくる。
そこで、「最も肝心なこと」は、
 A.これを進めるための理念確立と理念を現場で具現化する手法、
 B.人員と事業を推進する体制を造ること
である。要するに、中堅・中小企業では、この「最も肝心なこと」がやり易いということである。やりやすいけれど、やっていない現実があるならば、これを総務人事部門が責任をとって、組織的に推進すれば良いことである。キーポイントとなる人材がほしいならば、先ほど述べたような、(条件1)事業に意思や意欲をもち、(条件2)頭の使い方を良くした大手企業退職社員を採用すれば良いのである、中国、韓国その他の海外企業に取られないうちに。その責任セクションは総務人事部門である。別個に企画室とか推進本部などを作ったとしても、やはり総務人事部門のように足元が固まっているわけがない。
大手企業も、「最も肝心なこと」らしきものに挑戦をしているのだが、実行するための社内体制がとれないのが現実だ。その原因の解明は可能だが、責任を取らされるか貧乏くじを引かされるから、「原因解明が出来ない」形式をとって、「笛吹けど、踊らず」を自然現象の様に言いくるめているにすぎない。そして、大手企業のサラリーマン経営者は線が弱いから、イノベーションや技術の売却に走るのも無理もないことなのである。

【愛は眼差しと仕草、と言うけれど?】
その意味は、物事をやり遂げることはテクニックではない!ということだ。先ほど述べたような「勝ち組企業?」の例を、テクニックとして導入しようとするのは間違いである。諸事情が重なるので、その調整をすれば良いだけ!と考えるのもテクニックに走っているから間違いである。もっとひどくなれば、「営業トーク」とか「文章の書き方」といったテクニックよりも近視眼的な「手練手管」の種類を求めようとするが、こんな人物は責任者から外すしかない。創造性の芽が無いから、そういったセミナーや書籍が氾濫し、それを流行と勘違いまでしてしまうのである。テクニックに走る人材は、頭が良いのだろうけれど、頭の使い方は決定的に悪い。
中堅・中小企業では、ややもすれば、ここで、「愛」とか「情熱」といった言葉だけが飛び出すが、「愛情を持って!」といった業務命令など役には立たない。まして、日本において「愛」という概念は各自が千差万別、欧米のように愛を5~6種類にも分類しているわけではない(自己中心愛、博愛、友愛、自己犠牲愛、慈悲、Amoreなど)。だから、「愛」の言葉を業務命令に使えば、バラエティーに富んだバラバラの業務を実行しましょう!ということと同じなのだ。しかも、「愛」であるからバラエティーに富んだ方法も包容しなければならない。余談だが、「愛」の最初の日本語訳(室町時代)は「大事にする」であって、英語のLoveである。だから、日本人の「アイ、ラブ、ユー」は、I like you というのが妥当らしい。

【顧客と接する社員みんなが出来るパターン化】
を図り、全社員に定着させることが重要なのである。そうするから、生業や個人商店から→事業となるのだ。例えば、現代・今の瞬間に、日本社会で親切さを表現するには、
「お客様が世間話を持ち掛ければ、仕事の話を止めて、その世間話をする」
ことで、顧客は親切さを実感する実証法則がある。だが、これを社内に書面通達だけで指示したとしても実行不能である。朝のミーティングで徹底したとしても、やはり一部の社員は顔がこわばっている。まして、ウロウロして先延ばしにしていると、この実証法則も社会状況が変わって通用しなくなるのも事実だ。
また、「美しさを追求する」といったところで、先ほどの「愛」とか「情熱」の話と同じである。
ではどうすれば良いのかであるが、ここでもテクニックに走ってはいけないのだ。
人間の理解方法は、
 One  書面の理解が得意
 Two  論議の理解が得意
 Three ビジュアルの理解が得意
の大まかな3種に大別される。学校教育は書面理解が中心なので成功率は30%にも満たない。ゆとり世代(18歳~27歳の1200万人)には、議論やビジュアルが導入されている。一番効果が高いといわれているのは、演劇(ビジュアル)だとの学説は強い。
確かに、一般社員向けの教育効果の高い事例は世界的に見て、パターン化した題材での「社内外でのイベント」が重要視されている。社長が営業イベントで先陣を切るのも、社外講師の漫談セミナーも、店頭での実演販売も、社内での典型事例の実施(や演出)も、複雑な作法作業をパターン化して、「社内外でのイベント」を通じて教育しているのだ。
そして、「社内外でのイベント」を拡張・継続させる仕掛けが、事業では必要となる。

【そこで、商品の価値=固有価値】
に注目すれば、その拡張・継続させる仕掛けの論理的(答え)選択肢が見えて来るのである。社内でのノウハウ蓄積の術との共通項も多い。研究報告はこちら。
 http://www.soumubu.jp/new.html
 http://www.soumubu.jp/documents/innovation_121009.doc
きわめて簡単にいえば、商品の価値に、「意欲・感動・希望」を持たせることでもある。
今までの商品価値論の使用価値だけでは、「意欲・感動」しかなく、肝心の「希望」がなかったのである。商品に花火をつければ感動は巻き起こるが、顧客に商品を提供するor顧客が商品を手に入れたことでの、「希望」は出てこない。
そしてこの「希望を持たせる」といった価値は、経済成長だけでは実現せず、いわゆる「豊かさ」と併存していることが発見される。そして、この「豊かさ」を容易に醸し出すことが出来るのが芸術でもある。
 I. スキル Skill に接すれば、意欲 Desire, Will は出るものだ。
 II. パフォーマンス Performance があれば感動 Impression はするものだ。
 III.アート Art になれば、人に希望 Hope を抱かせる。
 IV. (注:ここで言う私の芸術とは、技巧の上手下手を問わず、人に希望を与えることができる術を重視しているもの。その決定的な特徴に、その術が無ければ希望といった感情作用が形成されえないところがある)。
仕事(作業)がこなせる人物だ!といっても、それが曲芸師であれば、何れ機械やICTに取って代わられるだけである。商品の価値に、「意欲・感動・希望」を持たせることは、小さいながらも芸術的要素である。曲芸は、あくまでも珍しい見世物だから、見せてしまえば真似をされ、いくら素晴らしくでも何れは見捨てられる。だが、芸術的仕事の代替は効かない。
☆3ヵ月ほど前に翻訳出版された、『ザ・ディマンド:爆発的ヒットを生む需要創出術』(日本経済新聞出版社、A・J・スライウォツキー著)でも、この20年を振り返り
 (イ)「提供する側と顧客側とに共通する感情」といった表現で、商品の価値=固有価値の最大重要要素である「希望」を同義語で紹介している。この本の著者は、機能性とは別の「感情的訴求力」という言葉を使っている。
 (ロ)提供側と顧客側の希望がずれた場合には、顧客側の「受容する希望」についてだけ交換がなされ、製品とサービスを一体としてとらえ、爆発的ヒット商品の検証を行っている。
 (ハ)提供する側が希望を持っていたとしても、提供側と顧客側の希望のずれを、摺り合わせることで、ヒットする商品ポイントがあると言っている。
 (ニ)そして、大きな事業展開を成しえた企業では、社員には顧客と一体感が生じるような「希望」が持てるように、かつ臨場感のある組織運営を行っていることを十数社に渡って紹介している。
 (ホ)まさに曲芸師の見世物ではなく、人に希望を持たせる芸術家たちと共通したビジネス作法を紹介しているのである。
 (ヘ)金銭、地位などに因って、社員の意欲を釣ろうという爆発的ヒット企業はないとも言っている。

【商品経済自体が、人類の発明したシステムである】
それは自然に出来たシステムではなかった。そして、商品の価値=固有価値であって、機能や物質(の使用価値)では無い。
ちなみに、中国は商品経済では無い。日本の公共事業発注も官僚の行政指導も商品経済では無い。だから、彼らは200年前のリカードの使用価値論に頼るし、その延長線上にあるパレートParetoやスラッファSraffaといった流行的な経済理論に頼ろうとする。資本投下を唯一の拠り所としてきた大手企業も、資本投下を得るために流行的な経済理論を信奉しているから、商品経済システムに沿うことが出来ない。だから、日本の商品は相手にされなくなった。円安になっても、もはやガラクタ品が売れるわけ無い。
生活文化の豊かさを追求する事業は、誰もが成長有望と見るようになったが、資本投下を得るために経営者が舵を切らざるを得なくなれば、商品経済システムから脱落するしかない。それを未然に防ぐには、最終末端販路を海外の富裕層に向ける方針だけでよいのだ。アジアの非富裕層地域や国内に市場を求めれば、日本の官僚が長年実行してきた社会主義▲計画経済を再び蔓延させることになる、それも、豊かさとは無縁かつ、今度は経済低成長の▲計画経済▲に抑圧されてである。
だから、みんな、頑張ろう!


§法改正に現場対処が出来ない人たち
それは、今般の労働契約法その他の法律(全般的に)の改正といった、経営管理で最も気をつけなければならない社会環境の変化についてもそうである。経営というのは、経営環境の変化に応じて如何にコントロールをして行くかといった技法でもある。だからそれに長けた人物が、経営者、営業部門、製造部門、総務部門、その他専門部署を担っているのである。だからと言って、各部門とも外部環境に翻弄されてしまえば経営は成り立たない。
大手企業のサラリーマン経営者は450年ぶりの経済変化に翻弄されている。営業部門も売り上げさえあげれば何とかなるとの過去の金融政策に翻弄された不毛な営業活動が多い。社会の後追いや政治目的による法改正を信奉して、「個別企業の経営環境まで迎合」させようとする総務部門も多い。間の悪いことに、専門家は社会的地位に惑わされて、翻弄されているにも関わらず、なぜか「私は正義だ!」と極度の勘違いすら起こしている。

【労働関係法は商品や業務の品質に関わる!】
ことなど、まったく考えたこともなく、法改正をそのまま社内規則に導入するようとする人たちがいる。現場や正当な経営方針と相容れるわけがないから周囲の反発が激しいと判断するやいなや、一挙に、「非合法な方法を秘密で行う」方策を求めるようになる。頭が良くても、頭の使い道が悪ければ、大概このようになってしまう。労働法改正を社内に順応させようとするには、品質にブレーキが掛かる事柄を明確にし、その上で品質にブレーキがかからない制度を創造する方法が定石である。それはこのメルマガで先ほど述べた概念であり、創造さえすれば理想と言うわけではない。創造をビジネスとする企業もあれば専門家も存在することだし。

【法律効果が無理解だから人件費増に!】
労働契約法の改正は人件費、すなわち人件費の対品質効果である。
(労働契約法=解説ドキュメント)
 http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou-kaisei-kaisetsu.doc
労働者派遣法改正や高年齢者雇用安定法の改正は、大手企業若しくは大手企業の真似をしていたその他企業、並びに高齢者積極活用企業に限って重大な問題なのだ。
 11/2 厚労省審議会が妥当と答申した雇用確保措置指針(案)
 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002nhdh-att/2r9852000002nhi9.pdf
如何なる企業であっても、現行の採用雇用制度を、この労働契約法改正(一部は本年8月10日施行、あと来年4月1日施行予定)の文言だけを解釈して、とりあえず「労働契約法に抵触しない」との目標で採用システムや社内体制・規則を改定した場合、人件費の無駄遣い、教育訓練企業の重複、賃金債務(賃金トラブル)招来システムの形成となる。
むしろ、事業を縮小する個別企業であれば、労働契約法改正に伴う社内制度の改定を、行わない!方がベターである、といったことも理解不能なのである。数10人~数千人の従業員を抱えて(秩序立てて)動かすわけであるから、実施部隊であるライン幹部や中間管理職に説明出来ないのであれば、総務人事部門がごり押しすることは危険なのである。ただし、あくまでも事業を縮小する個別企業に限定していることなのだが。
一部の労働組合は、労働契約法の改正で有期雇用の制度が変わることに因って、従来からの正社員とは別に、B級社員が形成されると主張している。その論理からすれば、現在の有期労働契約を繰り返している労働者に加えて、現在のA級正社員をも順次B級社員に転落させられるとの説につながって行く。だが、そんなことをしてしまえば、個別企業の商品は売り上げ大幅ダウン、日本経済は世界の誰からも相手にされないことになっていく。彼らは、自分が何を言っているのか分からないのだろうが、経済の豊かさの後退を望んでいると、受け取られかねないのである。そういった理屈は、ほとんど無政府主義者のような論理展開なのだが、たとえ大学の法学部教授であっても事業経営に与える法律効果が理解出来ていないことによるものだ。

【法令のみでは現場と対立を起こす!】
誰しも、いくら経営方針に反対する社員であっても、法令をそのまま現場に持ち込まれては対立せざるを得ない。機械的に、事務的に、WEBなどでの情報の表面を社内に持ち込もうとすれば対立を起こすのは当たり前だ。その場合、多くの総務人事部門の監督職若しくは、監督職程度の能力しかない人物(男女問わず)は、そこで「強い権力」を欲しがり、総務人事部門の情報すら操って権力をもちたがる。そうすれば、周辺の人たちからは益々嫌がられ、面従腹背のお世辞にさらされるしかない。要は阿呆や馬鹿にされるのだ。もちろん現場のモラルは下がる一方、先ほど述べたような、「意欲・感動・希望」を与えられるヒット商品など、全社的に提供出来るわけがない。最近テレビで騒がれている大手企業もその類、筆者はそれを直接目の当りにもしてきた。
そこで多くのサラリーマンは、社内の多くの人の意見を聞いた振りをして、闇雲に「適当な合意点」をまとめて、お茶を濁すのである。やっぱり頭が良い?から、「話をまとめたような書面」の作成は上手ではある。でもそれは、合理的思考訓練を受けている外資系ビジネスマン、有能な弁護士、有能なコンサルタントには一目瞭然、見破られてしまう。でもお茶を濁すのは、中間管理職としてのサラリーマンであるから、社内での保身に役立つからなのである。そういった人ならば、社会人向け大学院、基礎理論の読書をして、ほんのちょっとでいいからビジネスでの創造性訓練をした方が良い。

【やっかいなのは中間管理職が抵抗するとき!】
いよいよ勘所である。新しい時代の経営戦略、業務改善とワンセットになった制度改革・規則変更は、あなたが有能であれば、たぶん経営トップは賛同もしてくれるし、「総論賛成!」である。そして、部長クラスは、あなたのプランに、にわかに賛成するかどうかは別として、抵抗はしない。…これはどの企業でも共通している。
問題は、中間管理職(課長)である。
 (ア)中間管理職が了承すれば、末端まで組織としてそれなりに動く。
 (イ)中間管理職の心を打つ方針であれば、中間管理職が末端まで方針を徹底する、それは中間管理職の希望にも適うからである。
 (ウ)反対に、中間管理職が(表情に表すことなく)反対をすれば、末端では非合法・方針と正反対の動きが、水面下で行われる。
 (エ)…これが組織運営・組織運営論の普通の姿なのである。
 (オ)中間管理職が無言の反対をすれば、部長クラスは手足が動かないから、部長も難色を示す。
 (カ)部長が納得したかでは無く、中間管理職の心を打つ話を部長が出来るようにする創造的な具体的手立てが必要である。
 (キ)難色は示しても部長は反対しない、だからといって押し通せば組織は分解する。
 (ク)必ず経営者は組織分解を阻止するから、押し通した貴方は追放(左遷)される。
ここでよく勘違いする事柄は、
「中間管理職その他の意見を聞いてまとめれば、間違ったとしても前に進む」といった、全く根拠のない甘い誘惑に乗ってしまうことである。未熟な総務人事部門の監督職たちは、「追放(左遷)される恐怖感」から、甘い誘惑にも乗りやすいのである。では、管理職はどうすれば良いのか!
 A.総務人事部門の担当者であっても、自社の顧客の需要観察をしっかりする。
 B.営業部門・製造(業務)部門などのライン中間管理職の奥底を良く推察する。
 C.今後のビジネスプランを邁進するための制度を、自社用に創造する。
 D.ライン中間管理職の教育は、総務人事部門が企画と責任を取って行う。
 E.決定的アプローチは、会社の最前線で顧客と接している人たちに行う。
……こういった項目、最初はどうしても深く取り組むことは出来ない。でも、業務改善のコツとして使うことは可能で、現在の状況から一挙に前進することは確かである。それは筆者が接している企業では何件も実証がされている。
しかしながら深く取り組むには、さらなる勉強が必要である。有給休暇が余っていれば毎週大学院に通うことも出来る。管理職であれば勉強の時間と質はコントロール出来る。欧米のヒット商品を生む企業のようになりたいのであれば、大学院レベルの経済・経営・社会制度・心理学などの勉学は欠かせない。(スウェーデンなどは管理職の博士号まで大学院に設置した)。
だがそこまでしなくても、今の危機的状況から一歩踏みだし、貴方の会社を浮かび上がらせることは可能なのだ。

2012/10/09

第126号

<コンテンツ>
2015年(平成27年)は「社会転換」の節目である。
そもそも、「国民の支え」のない経済や社会の改革とは
その上での、「政府の経済政策だ!」
したがって、表の経済は、劇的に経営環境が変わる!
改正労働契約法と効率的労働力確保
  【募集・面接・採用から】
  【能力の絶対評価システム】
  【労働契約書(雇用契約書)の交換】
  【就業規則の整備は来年3月31日までに】
  【業務改善…固有価値による商品価値の増殖】


§2015年(平成27年)は「社会転換」の節目である。
大手マスコミのニュースは、消費税論議や外交問題に人気取りの話題を集中させているが、経済社会を下支えする社会保障(年金その他)、消費税・所得税徴収の基盤となるマイナンバー制度の動き、その他の報道が少ない。社会保障・税一体改革関連では次のようなものが8月22日に公布された。
平成26年4月からの消費税8%(国6.3%、地方1.7%)
平成27年10月から消費税10%(国7.8%、地方2.2%)
平成27年10月に厚生年金・共済の一元化
平成28年10月から短時間労働者への社会保険拡大
  …週労働時間20時間、標準報酬7.8万円、1年以上の雇用見込者
こういった政府の施策に連なって、民間経済その他も2015年前後に「転換の焦点」を設定する動きが増えている。
同じく、経営管理の四分野
(収益、生産、労働意欲、効率)に影響を及ぼす改正労働契約法(有期雇用の縮小政策)は、1999年の労働者派遣法による非正規労働者拡大政策の大転換を促すものだが、ほとんど報道されない。期間契約をコマ切れに結ぶ雇い方は今年8月10日に法律で禁止となり、3回目以降の期間契約は自動更新され、一方的契約解除は無効となって賃金支払の義務が生じる。来年4月1日には、期間契約という理由で賃金・通勤手当その他福利厚生などで差別することが禁止されることになる。また、来年4月1日の労働契約成立からカウントして6年目に突入(平成30年4月1日超過)する期間契約は、無期契約(定年若しくは65歳前日、定年の定めが無ければ死亡の日まで)に自動的変更が法律でなされる。(これには、来年の4月1日までにパート就業規則などの変更をしないと何らかのリスクが発生する)。


§そもそも、「国民の支え」のない経済や社会の改革とは、
すなわち、上からの改革は「上滑り」を押すのが、歴史的に見て通例である。そういった上からの改革を充実させるためには、資金・投資が必要であって、要するに改革をする人たち(勢力)を金銭で組織しない限り、「上滑り」(=掛け声だけで終わるか&財力を持つ勢力に振り回される)を起こしてしまうのである。それは、個別企業内の改革も同じことで、社員の支えが無ければ「上滑り」することは定石である。そのことを、経営者や経営者の参謀部門が踏まえておれば、およその改革は成功する。
500年ぶりの経済危機と言われる中で、歴史上の産業革命は重要ポイントである。そして、現在はICT産業革命の真っただ中である。さて、時代を現代社会に塗り替えた産業革命(発展途上国には今からの国もある)を歴史分析しても、産業発展・新商品増産とともに弊害も生じている。それは、その多くが上からの改革を必要としたようだが、「国民の支え」が生かされない場合の多くが、その産業発展などのバランスを失って、経済破綻を招く危険性の高いことが研究されてきている。
端的な例は日本の産業革命である。
日清戦争前後か始まり日露戦争後に完了し、その後の経済発展につながったとされるが、政府や官僚の一面的経済展開によって国際経済のバランスを失速させ、国際経済から袋叩きにされたのが太平洋戦争であった。そこには、「国民の支え」がなかったので、軍部と官僚が融合してしまったために、経済活動の多面的展開が出来なかったとする説である。戦後も、アメリカによる産業再編が進められたが、「アメリカ様になびく官僚」の一面的経済展開によって、現代日本の加工工業立国は破綻してしまった現状を迎えているとの説である。
その説によれば、イギリス、アメリカ、西ヨーロッパ大陸(EU)では、産業革命による大工業制と併せ職人工業制が「国民の支え」のもとに育成されているとするのである。それらの職人工業制も現代ではICTに裏打ちされた利益率の高い産業としての存在である。したがって、アメリカのドル通貨の価値下落、EUの経済危機が、金融危機として取り沙汰されるが、結構それなりに経済は豊かなのである。
確かに、イギリスの産業革命の基盤的思考は、コモン・センスである。
(ただしコモン・センスは、研究者の間では、日本語訳となった「常識」が翻訳間違いとされている)。
そのコモン・センスの概念を産業や経済的側面から理論整理をしたケイムズ卿(1696~1782)によると、「富と徳が二つ併せて実現され得るとの理念のもとに奢侈(しゃし)・貧困(ひんこん)・怠惰(たいだ)・隷属(れいぞく)を排除し、産業振興のために、勤勉な産業の担い手を生み出し、国民各層が勤労の精神と技術を持ち、社会制度の改革と人間主体の形成が必要である」との趣旨である。併せてケイムズ卿のコモン・センスに関わり、「しかも商業が発展し富裕になるにつれて、人間が奢侈と快楽に溺れ、公共精神を失うとすれば、人間主体の産業教育による形成だけでは不十分であり、公共精神を回復させる何らかの手段が必要となるであろう。」との解説(田中秀夫『文明社会と公共精神』51p)がされているのである。決して、「裕福になれば、人間は堕落する」とする幼稚な倫理観ではない。「禁欲は霊的向上を促す」とするのは、もう遠い昔の話というのだ。
アメリカ独立と産業成長の基盤的思考も、
これこそが『コモン・センス』(en:Common Sense)という本を書いたトマス・ペイン(1737年~1809年)に代表されるものである。1775年のアメリカ独立戦争のさなかの1776年にこの本は出版され、3ヵ月で12万部が普及しアメリカ独立戦争の「国民の支え」としての理論支柱となった。その理論の経済面は、「イギリス経済から離脱し独立、アメリカが自由貿易をすれば合衆国経済は発展する」と説いたものである。それは、先に示したスコットランドのケイムズ卿の理論整理を継承したものである。ちなみにアメリカという国は、イギリスの哲学が現在の共和党を中心に根強い状況なのではあるが、実に独立や経済発展に関わる哲学はスコットランドやピューリタンに起源をもつ傾向(例えば草の根民主主義、ボランティア精神、NPO活動がそれ)を「意識的に温存」しているのである。この、「意識的に温存」がアメリカの民主主義や経済政策の特異な本質である。それは巷で流布されている「ユダヤ資本」とは比較にならないほどに影響力がある。そこには、アメリカの歴史的には、イギリスのジョン・ロックの社会契約論よりも約半世紀ほど以前に、「マイノリティーに注目する社会観」が定着していたとされる。
実際の先進国の経済活動というものは、
正確にいえば、国民が時の政権を支持し、その支持のもとに経済活動を支えたという形ではない。それは、経済活動の先駆的な人や個人や個別企業が、国家政策とは別の旺盛な経済活動を行ない、一般人とは先行して「富と徳」を手に入れ、財や資産を築いていった歴史であった。だから、先進国と言われる国のほとんどでは、「文化が変わり→経済活動が変わり→政治が変わる(革命)」といったパターンになっているのだ。さて、日本の場合、そのようにはなっていない。強いて研究してみても、せいぜい江戸時代末期までの兆候である。とにかく現代日本では、批判をするか落胆するか、あげく無気力・無関心となって、本格的な経済活動(事業経営や改革)を行おうとする人物が少なすぎる。とりわけ団塊の世代以降に、そういった人物の少ない傾向が強く、個別企業の内部でも同様の現象が起きているからこそ、経営や事業発展の弊害ですらあるのだ。経済活動を、ささやかな「身の回りの収入額」や「会社経営=生業」のことだと思っている人も、若年層を中心に圧倒的である。それはどういった因果なのかは不明であるが、現在日本の反政府勢力(国民のほとんど)は、人情的:無政府主義者を抱え込んでいる姿と関連づけざるを得ない。いわゆる、「批判はするが、自分ではしない」といったもので、それも左派と名乗る人たちに根強い。だから、どうしたら幸せになるかの政策も考えない。見た目に政策が有るような政党でも現場実践は皆無に近いのだ。さらに、この人たちの貧困が進み、「貧すれば、鈍する」ことになり、「これこそが、今の大阪で起こっている(維新の)ことだ!」と分析する学者も現れた。
だから、今の日本社会では、
努力すれば実現するにも関わらず、国民の間でも、掛け声だけを口をする人が多い。したがって、一般人より先に「富と徳」を手に入れることが可能にも関わらず、その道を選択しない人が多い。結論をいえば、有能であるならば、大手企業を離脱して能力を発揮出来る。中堅中小企業であるならば、「少々の能力と度胸」で、社長と仲間になって、事業を伸ばすことが出来る。実にそういった世界は、マスコミもたまに取り上げているように、日本にも存在するのだ。


§その上での、「政府の経済政策だ!」
と、我々は深読をみして物事を考えなければ、個別企業の経営はおぼつかないのも事実だ。冒頭に示した2015年の節目とした「社会転換」に対応出来なければ、残る道は個別企業の終息に向けて軟着陸(会社整理・解散)するしかない。おしなべて、事業や経営というものは、その国の経済・政治・文化にまたがる経営環境に適合させる、「腕前と体制」ともいえる。そういう能力を持った人物こそが、管理職と言われる人たちだ。
=インフレ政策と所得増加=
が話題になっているが、注意が必要である。高度経済成長時代やバブル経済時代のインフレ政策は、政府と労働団体の暗黙の了解のもとに、「(おもに年末に)通貨供給量を増やせば、翌年の春闘で賃金相場を引き上げる」ことでバランスを保ちながら、成長させてきた政策だった。だが今回政府が、インフレ政策と言っている代物は、インフレ政策ではなくて、単なる「通貨量の増加」であって、「円:通貨」を水ぶくれさせるだけのことである。だから、政府にだまされてはいけない。加えて、ほんの一部の政治家や学者を除いて、口をそろえて、「今、市場に資金を流しても、貯蓄をするだけで、産業への投資や消費に回るはずがない」と力説していたところが、この数日に、9年半ぶりの日銀政策決定会合に大臣の出席や、「インフレ+所得増加」発言が出てきた、その変わり身の早さなのだ。
もちろん、その発言には、その実現の可能性や実行力が見えないのだ。その本質は、アメリカからの圧力で、アメリカが通貨を市場にダブつかせる「量的緩和」に足並みをそろえていると観ざるを得ない。所得増加と言っても、大手企業:お抱えの労働組合では賃金相場引き上げの能力は無い。だとすると、この政府が経済政策を実行したとすれば、実行直後の混乱時期を過ぎたその後は、住宅関連の値上がり、食糧などの基礎生活消費財の値上がり、所得の横ばい(実質目減り)を招くばかりである。個人消費は低迷するから、またもや経済失速である。金融機関その他には資金がダブつき、海外の投機資金に流れる。名目的に値上がりするのは、「金の地金」に限られる。円高から円安に向かったとしても、技術で立ち遅れた自動車や家電が復活することは見込めない。むしろ安く買えていた海外商品の価格が高くなる。
さて、その実行時期は、通例から考えると、今年の年末前後である。


§したがって、表の経済は、劇的に経営環境が変わる!
1.ビジネスモデル…収益性
2.サプライチェーン(昔で言う「仕入れ」)…生産性
3.変化に対応出来る社内体制…労働意欲
4.変化に対応する労働力の確保…効率性
といった経済四分野での対応が、個別企業では急を要するのだ。社会や法律改正の前に、経済・仕入れ・取引関係が変化する。内心で良いのだから薄々にでも、「劇的変化」の感じられないような管理職ならば、次代の個別企業には余剰人員である。

☆第一に重要なのは、
「変化に対応出来る社内体制…労働意欲」に関わる対応である。
すなわち、時代に応じて改革・改善をする人材と対応策実行である。人材が社内に存在しなければ外部導入であり、実行を妨げる要素を徹底排除することである。その勘所とコツは、「社員の支え」を形成することにある。「社員の支え」が形成されなければ、体制固めに膨大な資金が掛かるか、社内改革は滑りを起こすだけである。

☆第二に重要なのは、
改善改革の実行で、「変化に対応する労働力の確保…効率性」に関わるものである。
さし迫る課題は、改正労働契約法も踏まえた労働力確保をどうするかである。何を置いても、経済活動に占める商品の役割は圧倒的で、その商品の価値は労働によって生み出される。労働集約型の個別企業では、労働力の確保ノウハウに掛かる重要課題である。
労働を軽視する経済学者や新自由主義と言われる経済学者は、近代経済学であっても労働により価値が生み出されていることを発見していない。当メルマガ8月号でも、個別企業の労働力についての解説を行った。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2012_08_01_archive.html
そして、今月のメルマガでは、就業規則等(社内規則)や労働契約を後に解説する。

☆第三に重要なのは、
「ビジネスモデル…収益性」である。
それは、まずは売り上げにつながる商品開発と販売・流通の体制である。それも、ICT産業革命に沿う必要がある。商品が売れなくなるとか、経済が行き詰まると、その原因の矛先を生産性に求めようとするが、これは経済学を学ばなかった素人の自然な流れである。日本経済であれば、自動車も家電製品もが、売れなくなった原因を究明することなく、生産性による人件費のコストダウン(偽装請負=労働者派遣、外国人労働者等)や Just in time やカンバン方式に、一面的依存をしてしまった幼児性である。先進国の経済体制は、人類が目的意識的に創造してきた成果なのである。なすがままに、自然現象に左右されていては実現しなかったのである。それは、世界有数の災害多発列島であるにも関わらず、経済社会を築いた日本であるからこそ、(東北地震や原発事故を念頭に)、今なお一層に意識して考えなければならないことなのだ。
この分野の改革改善には、社内人材の労働意欲と労働力の効率性も不可欠である。

☆第四に重要なのが、
「サプライチェーン(昔で言う「仕入れ」)…生産性」である。
ところが、ICT産業革命や、世界的な経済構造の変化により、産業を国内に止めておく時代ではなくなったのだ。だがそれは、必ずしも本社や工場を海外に移転させなければならないということではなく、世界に目を向ける視点で展望が開ける時代になったということだ。本社さえ日本国内に置いておけば、どこの国に工場を設立しようが差し障りはない。ついての話だが、日本国の法人税額は海外工場を展開したとしても税額変化はなく、巷の話は事実ではない。消費税は、海外との流通では、輸出収入ともに不必要である。もっと踏み込めば、国内仕入れを「円:通貨」以外の地域通貨(現在の法律では自由に発行出来る)や商品券で行えば生産性は向上、その仕入れ経費額は少なくない。そして、あなたも気づいているように、日本国内の労働市場環境は、「安い労働力と言うのは、労働の質も悪い」時代に変換せざるを得ないから、人件費の一方的コスト削減の買い手市場は閉ざされたのである。


§改正労働契約法と効率的労働力確保
有能かつ価値を生む労働・労働力によって、価値増殖した商品を扱うことこそが、個別企業が発展する定石である。たとえ取引する商品が日本国民向けに販売していたとしても、現在国際化しつつある日本では、規模の大小を問わず自ずとグローバル展開するのである。その商品の表現方法を変えれば、「高固有価値製品&高水準サービス」商品の提供である。高付加価値製品では、顧客目線からすれば曖昧さが残るから、「高固有価値製品」なのである。確かに日本には技術があるが、しかし技術があっても、具体的に取引される商品に転用する能力が少ないから、イコール売れないといった事態も自然なのである。
こういった定石が今日を含め、労働契約の期間契約形式が、民法や労働契約法の趣旨とは裏腹に人件費コストダウンの手段として利用されたことは否めない事実であった。とりわけ大手企業は、それによって得た資金を新商品開発や技術開発に振り向けなかった点に、今日の経営破綻の原因がある。そこで、改正労働契約法は、元来の法律の趣旨(私的自治&所有権)とは裏腹であった人件費コストダウンの道を、日本国内においては閉ざしたのである。すなわち、「期間契約の繰り返しで、契約期日満了を契機に解雇がしやすかった実態」及び、「期間契約を理由に不合理な労働条件格差」を、客観的合理的実態に沿って抑制することになったのである。
これに対する課題と対策の方向を、私ども株式会社総務部は、次の通り提言した。
 http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou_120928.doc
これに伴い、個別企業の具体的課題は、

【募集・面接・採用から】
変更する必要がある。期間契約であるとしても、解雇は非常に難しい法制度になったのだから、将来「お荷物」となる労働者はいらない。むしろ、個別企業ごとで予定している、「高固有価値製品&高水準サービス」に資する労働者かどうかを、採用時点で判断する必要がある。それを判断する手法は、既に開発されている。今までは、期間契約の労働者は、コスト削減かもしれないが、価値増殖をする労働者かどうかが優先選考基準とならざるを得ない。
期間契約にしろ、無期契約にしろ、改正労働契約法や社会保険関係法令の改正により、社員と比べて人件費コストに差をつけることが出来なくなるからだ。加えて、個別企業ごとに統一的基準でもって、効率的な面接をするために、新時代に適した「面接票」を活用する効果は大きい。なによりも、「数打ち当たれば良い」といった認識は改める必要がある。1970年代まで、大手企業の採用方法は、「何人か残ればよい」としてきたが、もうそれは昔の悪習慣である。
仮に、この20年ほどの習慣から人材派遣会社に、人件費削減目的で労働者派遣を依頼したとする。しかしながら、派遣社員に対しても期間契約の法制度が適用されるわけだから、コスト削減の方法として従来のような期待は持てない。また、「業務請負」の形態をとるとしても、実態が偽装請負であれば同じことである。あるいは、本来の「業務請負」であるとしても、その目的に合致した人材派遣会社の存在は稀なのが、日本の産業構造の現実態である。

【能力の絶対評価システム】
を導入することは、一挙に労働力の効率性を見直すことになる。またその適切な「能力絶対評価システム」の活用方法は、個々人の能力向上の具体的きっかけにもなる。それは採用時点、定期的、昇進昇格、定年延長時点で既に必要とされるものである。
従来のシステムは、能力の相対評価システムであった。この相対評価が役割を果たした前提は、「中卒・高卒の者が、有能な中間管理職によって能力評価をされる」といった戦前の前近代的社会背景を予定していたのである。ところが戦後67年、今や若手や部下に有能な能力またはその萌芽を持つ者が多数存在する場合には、絶対評価を柱にしない限り組織が崩壊するのである。それはただ単に、「同一能力であれば若者に仕事させれば給料が安上がりだ」と行ったリストラ策ではない。
とりわけ、熾烈な企業間競争を行う業界にあっては、能力絶対評価システムを導入して、有能かつ効率的な仕事の推進体制を形成する必要がある。カルテル、トラストその他独占禁止法に違反する行為であっても、行政が企業を保護(護送船団方式、指名競争入札)してくれる時代は終わったのである。業界団体を形成して、行政や社会に影響を及ぼすことを企む時代は終わった。

【労働契約書(雇用契約書)の交換】
労働契約も民法上の契約であるから、「申し込みの意思と、承諾の意思、この二つの合致によって契約が成立する」ことに変わりはない。ところが、通例、契約時点の契約内容を当事者が忘れてしまうのであるから、これをはっきりさせて置く必要がある。それは一方的通知ではなく、労働者の確認を得ておくためには「労働契約書」の形式が効果的なのである。民法上は、書面があるから契約が成立するといった根拠にはならないが、書面が作成されて当事者の署名などがあるといった当時の意思表示の証拠として有効である。契約解除(自己都合退職、解雇)であったり、仕事内容の変更や労働条件の変更の場合には、手続きの重要な材料となる。
煩雑だからとの理由で口頭で十分に対応が出来ると考えたとしても、個別企業の末端部においては、そこまで契約手続きをこなせる管理職は少ないのが現状である。トラブルになれば、その当時どういったやりとりがなされていたのかを、客観的合理的に説明するのには無駄な時間がかかりすぎる。なによりも、客観的合理性がなければ、紛議紛争解決としては立場がきわめて弱い。むしろ現代の管理職には、もっと重要な仕事が待っているのだ。加えて今時は、正社員であっても仕事内容を正確に押さえるために「社員労働契約書」なるものも作成する中堅・中企業が増加している。
 http://www.soumubu.jp/download/template/template2/yobo/rodokeiyaku.html

【就業規則の整備は来年3月31日までに】
期間契約の労働者用に作成している就業規則(パート、期間雇用、嘱託など)は、全面的見直しが必要となる。退職金の有無を明示している企業は多いが、その他の労働条件、例えば、
1.定年を定めていない就業規則はきわめて多い。
2.賃金規則は、改正労働契約法に基づいて整備を急がなければならない。
3.通勤手当その他の労働条件の差が問題なのである。
4.とくに重要なのは、「ダラダラ正社員と期間契約社員の比較」
がチェックポイントである。
ダラダラ正社員を基準に、期間契約者の労働条件を合わせると言うわけであるから、法律にもとづく合理的格差となっているかのチェックが必要である。来年の4月1日までにパート就業規則などの変更をしないと何らかのリスクが発生する。
★国家資格を持っている人物が作成した就業規則だからと言って安心は出来ない。その道の専門家のチェックは重要である。
★企業を終息に向かわせる個別企業では、残った営業権や財産の労使による「食い合い」であるから、とにかく穏便さを優先する作戦も必要とされ、その場合は就業規則を、無闇に変更する必要はない。

【業務改善…固有価値による商品価値の増殖】
期間契約の労働者を採用する場合だとしても、個別企業の、
 イ)企業業としての固有価値、
 ロ)商品の固有価値、
 ハ)人材・労働者の固有価値
を明確にして採用する必要がある。これを、明確にして採用しないということは、当初から余剰人員を抱えることを意味する。もちろん、配置もその必要があり、いまや裁判所でさえも、客観的合理的理由が存在すれば、整理解雇も容認する時代なのである。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2012_09_01_archive.html(参照:整理解雇の項)
これが2015年以降の日本の経済社会転換である。
その固有価値(絵図面)とは
 http://www.soumubu.jp/documents/koyuukachi_ezu.doc
☆併せて、高固有価値製品のものづくり、高水準サービス(人のcare)への、
そういった仕事をこなせるかどうか、教育訓練の成果が見込めるかどうか、の見極めが大切なのである。人柄や人物が良いとの判断だけでは無理である。少しばかり能力が劣っていても、まじめな人物の方が成長をすることは解明されているが、見極めの基準があれば、よりはっきり判断できるのである。それは、面接時点でも同様である。
★とかく、長い目で教育をする=目的意識的に能力開発をしないことであるから、そのほとんどが後日のトラブル原因になっている。部下を抱えた中間管理職の中には、会社の経費で「自分の子分」を持ちたがるものが少なくないから、何かと能力開発を差し置いて、新採用者を矯正しようとする。だが、これからの日本では、これが余剰人員となる経済システムになるのだ。要するに、「上司の言う事を聞くだけの従業員」は経営の余剰になっている。
個別企業の経営目的にあった、事実と一貫性に基づいた合理的な労働・労働力の確保が必要となるのだ。この、「合理的」といった概念は、金銭的な概念や機械的な概念ではないので、念の為。
巷では、出世目的や収入増加目的をそそり、能力自己改造を図るとの期待にあふれた、ノウハウ本やアプリが流行している。だがそのほとんどは、耳ざわりの良い叱咤激励に終始する程度で、具体的な能力開発が図れるような代物ではない。なんといっても、実際の業績につながる職業能力の開発は、実際の業務を目の前にして、その成功率を伸ばして行く勘所とコツを伝授するしかない。個人の内面を対象にした程度の、知識や空虚な熱意ではないのだ。実際に、企業としての動きにまで形作り、「当たる商品」(マーケティングに限定できない)まで仕上げる必要があるのだ。それも、如何に小さな企業といえども、将来をにらんで組織的に、イノベーションを推進する体制を造るしかないのだ。そのイノベーションとはこれだ。
 http://www.soumubu.jp/documents/innovation_121009.doc

2012/09/04

第125号

<コンテンツ>
日本に漂う「流浪の民」
「流浪の民」の票がなければ政治ビジネスはやっていけない。
今突然、「流浪の民」の戦意高揚を煽るマスコミ・TV
大切なのは、「流浪の民」から離別することである。
売上は固有価値が有る商品にあり、利は仕入れにある。
  1.商品開発(固有価値)と新時代の事業理念が第一歩。
  2.整理解雇は、経営再生方針があれば自由にできる。
  3.国内は通貨「円」の決済を避ける。
  4.部品納入は、大手のコストダウンに応じない。
  5.有形無形の帳簿外資産
高年齢者雇用安定法、その改正の意味するところ
個別企業の力量というものは、


§日本に漂う「流浪の民」
古今東西、時代の変換期に「流浪の民」が出るのは、ある面では仕方がない。およそ1990年からを「失われた10年」と評していたが、さらに2000年からは「失われた20年」、そして30年目に入った。この20年間の統計では、ぜいたく品が値下がりを続けているのに対して、生活必需品が値上がりを続けている。雑駁ではあるが、ぜいたく品と生活必需品を「どんぶり勘定」するカラクリから、物価の安定現象が生まれているのである。「流浪の民」は、それに気づく余裕もない。日本経済は世界から見限られ、国民の生活水準は貧困化しているのは明白だが、やはり「流浪の民」が故なのか、現実を認めたくない性格があらわである
昔から、「人民が貧困化すれば、ある時点で耐えかねて人民は立ち上がる」と主張した人がいたが、それは非科学的であり主観的である。最近は経営者側の中にも、「経済が立ち行かなくなれば、思い切った経営改革に経営者は立ち上がる」という人も現われているが、それも根拠はない。また、「30代以下の若者が甦るならば、日本経済は活気づく」と主張し、そのための税制改革、若年層への公的扶助、無能高齢者の整理解雇で、日本再生が図れるとしている。これが評論家に至ると、思いつきや聴きかじったことを経営再建の「伝家の宝刀」かのように紹介しているが、その中身たるや付和雷同そのものである、まるで受け狙いのように。


§「流浪の民」の票がなければ政治ビジネスはやっていけない。
だから政治家は、出来もしない経済支援策だとか経済政策の、「打ち上げ花火」を口にするのである。でも官僚は、その「打ち上げ花火」が上がったところで、実行段階ではやらせないし、骨抜きにするなどして政治家を説きふせる。所詮それは、「流浪の民」からの集票目的であるから「実務者協議」に名を借りて引っ込めている。だが、官僚は淡々と税金で自らが生き延びるための手段を講じている。あげく、「流浪の民」は、それに翻弄され続けているのである。
日本の経済復興にしろ経済再建にしろ、個別企業向けの経済政策は真剣に議論された例がない。それは、政府、官僚、政党も、また地方自治体の首長までもが同様である。例えば、数々の問題提起を、何個か拾いあげれば次の通りだ。現在の政府統計などを大まかに把握しただけでも、こういった実現可能な対策が、巷の学者その他から提案もされている。実にこれらの提言は納得のいくものである。
 イ)大手企業が日本を見捨てないようにするには、民間が主導権を持つ経済復興基金を造り、そこに向けて寄付控除で免税となるよう民間資金を集めれば、大手企業、中堅企業、中小企業は日本に地に足をつけて事業計画を立てることになるから、法人税や社会保障負担の小手先修正の議論に持ち込もうとすること自体が、「流浪の民」向けの話なのだ。
 ロ)年金問題の根本は、戦後に米ソ対立が激しくなった時代に日本を西側のヒロインに祭りあげるために、財源の見通しが全くないのに国民皆年金を推し進めた昭和34年前後にある。だから議論が不可欠なのは、国民年金と国民健康保険の保険料徴収と国庫負担であるはず(官僚OBまでも主張)なのに、そういった本質的課題を避けているのである。
 ハ)公務員制度改革ならば、公務員の給与を減らし行政の委託費を増加させている現状に知らん顔するのではなく、各々の行政改革の企画立案部門の設置と専門公務員養成を行ない、大臣や地方自治体の首長が「行政手続法」に基づいて、公務員の行政指導及び許認可業務の公平・透明性を確保すれば、大半の公務員制度改革は方がつく。これに抵抗するのは利権にまみれた官僚たちであり、意外や公務員の労働組合の幹部には官僚の友達が少なくないのである。
 ニ)個人消費を引き上げ経済を活性化させるには、「最低賃金引き上げ+絶対的能力評価による整理解雇+Wワークの一元把握(現労基法どおり)」を行って、Made in Japan 製品の復活を適正シンプルに行えば良いだけである。日本の労働市場における定年制も年功序列型能力育成も崩壊してしまった。
 ホ)社会保障制度の美名のもとに進められている財政再建、財政学(国の財政理論学)の専門家からすれば、「高齢者の保有財産&死亡時の国債払戻&相続対策の組み合わせ」でもって、危機的状況は回避できるとのことだ。国債を持っているのは民間銀行だから危機に脅かされるのであって、これを個人若しくはその相続人が保有するようにすれば極めて国家財政は安定的になるのだ。


§今突然、「流浪の民」の戦意高揚を煽るマスコミ・TV
そこに、意識的か無意識になのかは解らないが、「流浪の民」の戦意高揚でマスコミやTVが外交問題を焚きつけている。まるで社会的地位がネット社会で落ちたことを、ここでマスコミは挽回したいがためという風に。そもそも、中国共産党の先鋭と推測される尖閣諸島の動き、北朝鮮の中国下請方針を受けて東アジアでの地位挽回のための韓国大統領の竹島上陸、本人はさほど気にもしていなさそうな中国大使公用車の日の丸窃盗への外務省の狂気、これらがにわかに浮上してきた。現時点は日本の経済政策の岐路であるが、ここでの「政治的スタンドプレー」としか言いようがない。先日早朝TVの「森林を中国人が買う?」話にしても、筆者も目をこらして見ていたが、それは水資源や軍事基地隣接地の商談がまとまったとの話ではなく、その山林に植林された樹木もあるから買ってほしいとの所有者の声のみであったし、中国経済停滞と歩調を合わせたロシア&日本での商い中断にしか見えなかった。
例えば、中国国内で反日運動が起こったときには、「中国共産党政権の安定のためのガス抜きである」と論評し続けているマスコミやTVは、今突然、「流浪の民」の戦意高揚を煽る自身の行動をどのように論評するつもりなのだろうか?


§大切なのは、「流浪の民」から離別することである。
今ここで「流浪の民」となって共に一喜一憂しないように気をつける必要があるのだ。根拠を持っていえることは、「貧乏になれば怠惰になる」と江戸時代の二宮尊徳も説いていたように、貧乏を避けることである。それは、精神的にも、知的にも、物質的にも、金銭的にもなのだが、精神的に貧乏になると一挙に右へならえと金銭的にも貧乏になるという法則そのものだ。そして、個々人・個別企業の努力も大切だが、実際には個人では手におえない事柄もあるわけで、また知恵の回らない事もあるわけで、経済的に流浪しないように、「自らの腹固め」が決定的に大切である。あまりにも日本人の多くは、「流浪の民」との付き合いが深く、「流浪の民」との共同生活を善とする個人主義否定にまで至るなど、少なからぬ人たちが既に「流浪の民」となって漂っているのだ。特に、ゆとり世代より年上の年代から団塊の世代には至らないまでの年代の間《28歳から60歳》に、「流浪の民」は圧倒的に存在するようだ。何をやるにも中途半端、直ぐ弁解がましくなり、「自らの腹固め」が弱いがゆえに、生活態度から始まって「流浪の民」なのである。この世を支配する者は、「流浪の民」を手玉にとることはあっても、「流浪の民」を救済したとの歴史事実は存在しない。これは歴史の常識であり、それを踏まえて研究する経済・経営学でも前提条件となっていることは間違いない。


§売上は固有価値が有る商品にあり、利は仕入れにある。
とにもかくにも巷では、マイナーな感情的話題が多く、意味不明な経済政策や経営小話が漂っているわけだから、しっかりした「原理原則、基礎理論、それに加えて、どうしてそうなったのかの歴史背景」をみた上で、個別企業の経営には当たらなければならない。仮に誰かが経済政策や、あなたの企業向けの経営小話を投げかけてきた場合、この「原理原則、基礎理論、そして、なぜそうなるに至ったのかの歴史背景」を質問してみればよいのである。この三項目に答えられない人物は、たぶん、聴きかじり者と判断してよい。ただし、ここがあなたの知恵の見せどころで、「なぜ、その話を聴きかじってきたのだろうか?」と、あくまでも反発をせずに、その人物の心裡分析を行なえばよいのである。
まずは売上高を上げなければならない。そして、「利は仕入れ」を現代風に翻訳すれば、売り上げを見越して利益を出そうと思えば、いわゆる「サプライチェーンを考える」ということである。現代の仕入れというのはサプライチェーンの形態にまで発展している。ただし、現在の大手企業担当者の間で流行しているような、商品の固有価値を考慮せずに、あたかも「サプライチェーン」をコスト削減の道具として、あるいは何でもかんでも「サプライチェーン」に頼ってしまう傾向、こういった「流浪の民」的なサプライチェーン運用では、「利は仕入れ」にあることにはならない。さてそして、そういった固有価値の価格を形成する要素は次の三つである。未だ横行している「原価積み上方式」は、自ら若しくは先端営業マンがダンピングを行う自暴自棄の行為である。
 イ)地域文化に醸成された幼少からの熟練された労働能力。
 ロ)その職業に関わって鍛錬された労働力としての職業能力。…前項の労働能力と相まって具現化・商品化を成し遂げる
 ハ)地域や地場産業で有機的ネットワーク化されたイノベーション能力&体制。…需要者の企業への頼りがい、ブランド性、地場産業性といった現象である。
 http://www.soumubu.jp/documents/koyuukachi.doc

1.商品開発(固有価値)と新時代の事業理念が第一歩。
「高固有価値&高水準サービス」を提供することである。筆者も昔は「高付加価値」と推奨していた。だが、それでは営業販売の先端社員たちの動きが乱れて、クライアントに個別企業が提供をする商品の価値が伝わらない原因になっていることが判明したのである。すなわち高付加価値には、「どうせ詐欺的なもの」とか「ペテンに掛けて売っても良い」といった販売員の無理解が抜けきらないのである。固有価値の説明はこちらのURL。
 http://www.soumubu.jp/new.html
固有価値とは要するに、その商品やその会社の「取り得」と、従来から言われてきたものである。だがそれでは曖昧であるから、末端の商品開発の販売も注意散漫になり、成功率や歩留まりが極めて低いことに陥るので、学問としての固有価値論やその価格決定理論を確立させたものなのだ。イタリアに、ピエロ・スラッファという、後輩でありながらケインズ理論に大影響を与えた経済学者がいたが、イタリア企業の経営管理手法に少なからぬ影響を与えている、ただし理論は超極めて難解な表現なのだが、勘どころとしてイタリア企業の経営者は、中小企業が圧倒的に多いのだが、この固有価値をつかんでいるようだ。
ちなみにこの夏、大阪府外郭の産業支援NPO団体の紹介で、日本の高度経済成長を支え各社で活躍した技術者(年齢は既に70歳前後)を170人ほど組織している団体の主要幹部のみなさん、十数人と大論戦を行う機会を得た。商品の固有価値論を展開し、あまりにも大手各社の商品が機能や量といった使用価値論ばかりに目を向け、顧客の「意欲・感動・希望」にこたえる商品開発を行ってこなかった歴史の問題提起をしたのだ。この会合の参加者はその当事者である。それをしてこなかった技術者に直接問題提供した。その問題提起は、技術者といえども一挙に感情爆発する人物が何人も続出するなど、本質をついた大論戦となったのである。だが私が一言、「技術者のみなさんの、血のにじむ努力が、なぜ商品に活かされず、なぜ労働が報われなかったのか、その解答である問題提起だと、固有価値論をとらえてください」と語っただけで、さすが技術者であるからこそ納得が早かった。(後]■感情をあらわにした方の反省の弁が組織内であったとの報告)。要するに、日本経済を第一線で支えた技術者たちは、商品の固有価値論にもとづく、真のマーケティングや商品開発理論が、スンナリと浸透するぐらいに、当時も今も大手企業の商品開発方針に疑問を持ちつつも尽力を注いできた人たちなのだ。だが結果は、異口同音に、「このザマだから…」であった。

2.整理解雇は、経営再生方針があれば自由にできる。
だからといって、思慮の浅い整理解雇を推奨しているわけではない。現在の法体系や判例にもとづくのであれば、新時代に向けて「高固有価値&高水準サービス」を提供するための経営方針を確立し、これにもとづく整理解雇を裁判所は合理的であるとして、これを容認しているのである。その要件とは、
  第一位重要要件:新時代に向けての経営計画
  第二位重要要件:従業員への、代表を通しての誠実説明義務
  第三位重要要件:常用労働者の解雇回避努力、希望退職募集など
  第四位重要要件:解雇者の合理的人選=新しい時代の評価制度
むしろ、「解雇を自由にしろ!」と主張する人の少なからずの者は、目先の利益やコストダウンしか念頭にないから、口先では上手なことを言っても裁判官に見抜かれているから、会社の裁判敗訴率が81%となっているのである。私から言わせれば、真剣に経営再生を考え、次に知恵を借りて来れば、「整理解雇や解雇自由の法改正の元気な主張」など不要なのである。事実、多くの経営再生の相談を受けるが、経営方針すらも考えていない経営者や管理職に限って、「会社の解雇権自由」を力説しているし、タレント学者は悪知恵が働くから異文化の北欧その他の例を探し出してきているにすぎない(詳細は前メルマガ123号など)。
後で述べるが、高年齢者雇用安定法が改正され、満65歳までの雇用が義務づけられる法改正が行われても、日本の職業能力育成制度、そして定年制度は崩壊してしまっているのである。

3.国内は通貨「円」の決済を避ける。
現物報酬、地域通貨、商品券その他での決済をするということである。
中小企業には帳簿に載っていない資産がある、また、目に見えないように資産を溜め込んできたのが従来から経営方針であった。この資産を活用した場合には通貨「円」での決済をしないことだ。例えば手始めに、同業者でも異業種でも、会合を持って知恵を交換し合ったりするのは「現物報酬」の一種であり、ここでも通貨「円」での決済はしていない。販売促進や他社の知恵を借りるとかその他の場合に、「商品券でお礼をする」のは中小企業経営とっては当然のことであるが、これも通貨「円」での決済をしていない。良く成果をあげる社員に現物報酬(ガソリン、ビール券、会社の商品、社宅その他)も、課税対象外で通貨「円」での決済をしていない取引は数多くある。その他たくさん知恵を出せばいくらでもある、もちろん消費税も掛からない。
これらは中小企業では当たり前の行為であるが、大企業では実行出来ない。あえて具体例は避けるが、異常な日本の税額課税に対して、少しでも経営を防衛するためである。次々と財務省に利益を吸い上げられることはないのだ。近年は、「推譲」と言ってみたり「贈与経済」と言われたりするが、国家に「巾着(きんちゃく)」を握られない企業経営というのは、世界では自然なことなのである。
さらに、これを発展させれば、地方であれば信用金庫や信用組合が「地域通貨」を発行することもできる。日本では地域通貨の発行が自由である。とりわけ地方では、一度大都市を経由した商品が高額であるからこそ、人件費も含めサプライチェーンを地元でのより安価な商品に切り替えられる効果がある。それは海外から石油やメタンガスそして原発燃料処理代金を、国内の安価なエネルギーへと切り替えられる効果でもある。なによりも外国為替の変動による損を押しつけられることがないようにするためである。通貨発行権は財務省の大衆課税の手段として使われている。そればかりか、外国為替は国際貿易利益の黒字を削り赤字を減らす手段として使われ、常に損をするのが日本なのである。だから地域通貨発行は、日本民族運動となり得る。

4.部品納入は、大手のコストダウンに応じない。
そこは腹をくくって、商品提供が継続的に出来なくなる可能性をはらむダンピング(無謀なコストダウンの要求)であるから、出荷しなければ良い。その腹を固めなければ、過去に次々と「身売り」に陥っていった企業の二の舞である。大手企業側の内実は、中小企業からのサプライチェーン(=良い商品の仕入れ)が止まってしまえば、経営をやっていけないのが実態である。韓国の電気メーカーも同様である。だから無謀なコストダウンの要求には応じてはいけないし、個別企業の経営再生を考えて整理解雇手法も取り入れるなどして、「技術と人材」を守らなければ、それは数年のうちに元も子もなくなるのである。目先の資金に困るのであれば、それは別の解決方法があるのであって、何も「身売り」することは無い。当社も、「身売り」の危機を何度も救ったケースを持っているが、「身売りをすることは無い」の一言だ。今現在サプライチェーンの一員として生き残っている部品工場は、様々な手を尽くすことによって必ず生きていける。
特に、部品製造というものは芸術品と同じで、毎朝食べる味噌汁のようなものである。部品製造会社は、出汁を利かしているので、様々な味噌や合わせ味噌その他技術を行使して、買い手が満足するような商品を作っているのである。実にこれは美術品でも音楽でも同様なのだ。海外移転させられるような部品は、それは芸術ではなく工芸品であり、ただ味噌だけのようなもので、出汁が効いていないのである。だから直ぐ他人に真似をされるし、他の部品や商品への技術転用が効くだけの出汁も無いのである。その出汁の部分は、「人をケアするサービスの仕事のイノベーションと教育要点」(メルマガ123号:§固有価値重視からの、「サービス」手法)とも良く似ている。
 
http://soumubu1.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
また味噌の部分であっても、「ものづくりのイノベーション手法」(メルマガ123号:§固有価値重視からの、「ものづくり」手法)とまとめられる。
 
http://soumubu1.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
そしてこれらは、多くの現役の部品製造会社では、既にそれを実行しているのだ。言い方を変えれば、頭の使い方は能率的ではないかもしれないが、「合理的」な頭の使い方なので成功する確率が高いのである。(今から若者は、能率的な頭の使い方が良いと思っているから失敗が多い)。それが成功しない問題は何かといえば、総合的・徹底的に実行するテクニックが未だ導入されていないことに原因がある。
「事業経営は芸術である」と言われるのは、事業としての固有価値(意欲・感動・希望)をクライアントに提供しているからである。反面、「芸術」と言われはするがクラシック音楽の大半は、「他人に聞かせるための自慢が先立つ演奏=聞きに行く音楽」となっているから経済として成り立たない。主催者も音楽家も最低限の生活が成り立たず、やはり貧乏だから結局は堕落の道を歩んでいるのが現実だ。貧乏だから芸術性と引き換えにパトロンの世話にもならざるを得ない。だが、そんなクラシックでもその他の音楽の中でも、「クライアントを盛り上げ楽しませる=楽しみに行く音楽」は経済として成り立ちつつある、これが世界の流れだ。美術にしても音楽にしても、およそ500年前から芸術論議は盛んであったが、世界では経済として成り立つはずの美術や音楽が、成り立った地域と成り立たなかった地域とに分かれている。工業デザインは、19世紀、英国のモリスらが美術を庶民に普及する理論と行動から、現代に花開いている事例である。音楽でいえば、聞かせる音楽ではなく、「楽しみに行く音楽」とは次のURLのようなものだ。もちろん興行収入は高値安定している。
 http://www.youtube.com/watch?v=OFu91jzli6o&feature=related
 http://www.youtube.com/watch?v=YQJTuRJS8OI
AKB48が注目されるのも、その興行アイディアに、「楽しみに行く音楽」の要素が含まれているからだ。今日本の老人層に流行っているのが、「合唱の会」とか「うたごえサークル」などの参加型音楽であるが、ここでも主催者や参加者同士の、「歌の上手さ」が自慢され始めると翌月から一挙に衰退するらしい。

5.有形無形の帳簿外資産
これを、いわゆる生活必需商品、生活文化型商品へと投入することである。先ほどの通貨問題でも述べたが、日本の中堅中小企業では、目に見えないように資産を溜め込んできたのが従来から経営方針であった。何も在庫をガラス張りにすることの結果、取引先や従業員の豊かさを犠牲にすることはないのである。新日本製鉄が在庫管理に手をつけたのは昭和42年(1967年)の高度経済成長の先が見えてからである。1997年の職安法改正は、管理職や技術者の棚卸し、すなわち、賃金も安いが能力も悪い若年層の職業紹介を活発化させ、一方では合理的だとは思えないリストラ(早期退職制度)を進めたがために、Made in Japan の商品技術が低下した。二度目の[失われた10年]を職安法改正は準備したし、その後日本は人件費切り下げのコスト競争でしか外貨を稼がなくなり、あげく2008年からは家電・自動車の例のように外貨の柱をなくしたのである。だが、大手企業や政府機関には集約されていないが、中堅・中小の工場や事業所、大きな個人家屋の中には、物理的遊休資産が散在している。人間の頭の中には、個々人ばらばらにではあるが「知恵・知識」が国中に散在している。夕方には、お稽古ごとに励み、目先の金銭にもならないのに努力する文化が散在しており……これも日本特有(外国では滅多に例がない)の知的資産なのである。
固定資産や流動資産は税務署に提出する帳簿に記載されるが、減価償却の終わった設備その他の固定資産、知恵・技術・ノウハウ・ネットワークといた流動資産を、要するに棚卸しをしてみることである。そこから、有形無形の資産を転用して生活必需商品、生活文化型商品を開発することができるのである。出来るというよりは開発のきっかけ造りには着実な方法ということである。さきほどのメルマガ123号:§固有価値重視からの、「ものづくり」手法で紹介した、「ものづくりのイノベーション手法」の、経営学や企業経理の分野からの視点でもある。
 
http://soumubu1.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
現代は、起業・開業しても、雇用の増加にはつながらない。むしろ安易な開業は旧態依然の同業者の真似をするだけであるから、同業者が増えダンピングが横行することを招来するにすぎない。
なによりも、「流浪の民」に精神的にも物理的にも陥る前に。


§高年齢者雇用安定法、その改正の意味するところ
この法律の実態的目的は、厚生年金保険の支給開始年齢を65歳に引き上げたために、定年年齢が満60歳であるところ、満60歳から満65歳に到達する間の、「団塊の世代」の雇用を確保することに目的があった法律である。したがって、民法や労働契約法がストレートに適用される法律ではなかった。
平成18年4月1日から、満62歳までの雇用継続を求めたものが、現在の実態的目的の実質的な開始であった。その後平成19年4月1日から満63歳、平成22年4月1日から満64歳、そして平成25年4月1日以降は満65歳と段階的に年齢の引き上げを行っている。ところが、企業規模や労働組合の有無状況その他の様子に合わせて経過措置を設けていた。したがって、個別企業その他の「知恵や努力」によって、全員が雇用継続されていたわけではなかった。すなわち、その経過措置は労働組合との労働協約(契約行為)や就業規則に規定を定めることによって、民事法的・労働契約法(平成19年12月5日施行)の適用を受ける制度なのである。その結末は、一部で訴訟が提起はされはしたものの、「団塊の世代」の雇用を軟着陸させるには効果があったとされている。
そして今回、この経過措置が総て外されて、原則的に満65歳までの全員の雇用継続が措置されるものである。改正法の施行は平成25年4月1日である。それまでに就業規則の変更を行う必要があるが、それは単純な事務作業となる。実態的目的が、「団塊の世代」の雇用継続や厚生年金問題で混乱を避けることであったから、今回の改正で実態的目的も終息に向かっている。
現在の課題は、この法律の法改正の範囲を越えてしまっている。合理的理由が十分に認められれば整理解雇は容認される。=不合理な解雇事件(雇止めの形態をとったとしても)は、やはりリスクが伴う。また、「定年を過ぎた後の悠々自適の人生」は、実態としてそのほとんどは存在しない社会になってしまったことから、定年年齢や年金支給開始といった労働市場の節目は無くなっている。これに加えて、労働契約法の改正で労働市場は、
 (1)5年未満の期間を定める契約の者(絶対6年目に突入しない)
 (2)期間契約や終期契約の労働条件で65歳まで働く者
      (1988年ぐらいまでは、一般社員として採用していた層)
 (3)正社員としての人事・給与体系で働く者
      (非常に限られた人たちで、管理職や独自専門職に限定)
 (4)業務請負(定型作業の外注)若しくはアウトソーシング(専門家集団)
  …といった労働市場が形成されることになる。
労働契約法=解説ドキュメント
 http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou-kaisei-kaisetsu.doc
 http://www.soumubu.jp/documents/kaikonokenkyuu-seminar.doc
したがって、来年4月1日向けての個別企業の課題は、
 1.これからの時代に通用する経営方針での労働力確保
 2.同じく、その採用方法、能力評価方法、人材育成方法
 3.なかでも能力評価は、過去の評価制度が足を引っ張る。
…というものだ。本質的には、満65歳までの継続雇用制度を設けたところで、能力評価が伸びない場合は整理解雇の対象となる時代の到来であり、「終身雇用が着想した定年制度」とか、「義務教育修了者を初歩から育てた訓練制度」といったものから、早く抜け出した個別企業が主役になる時代なのである。


§個別企業の力量というものは、
新しい時代の商品の価値創造(固有価値)を担い得る「一人前の人材」を、何人集めるかによって決定されることになる。この能力は、筆者も研究途中ではあるが、たぶん、満18歳までに「能力の芽」は形作られており、これを価値創造ができる一人前に育てられるか、これこそが国家プロジェクトになるべきものであると考える。ではそれまでは、個々に「心尽くし、精神を尽くし、思索を尽くし、力を尽くし」て、それぞれが「流浪の民」から脱出するしか方法は無いのである。
工業デザイナーの概念を導いた、モリス(英国の学者・実践者)が、「人間は感情の起伏がなければ生きていけない」と主張し、美術面での芸術を工業デザイナーに取り入れた。同じように、人間が価値創造を行う活動と平行併設して、生活の中に様々な芸術を取り入れ、それもまた経済活動にまで育成させ、社会を構成する必要と需要を産み育てるしかない。その始まりは世界約1億人の富裕層に向けての商品開発でもある。確かに、それはなかなか無理だという話も分かるが、だからアジア新興国の中間層市場だという話も分かるが、それでは「流浪の民」が増えるばかりで堕落と刹那と滅亡がまん延する日本でしかない。極端な話:ルネッサンス以前に逆戻りしてしまうかもしれないのだ。日本での姥捨山、ヨーロッパでの魔女や魔女狩りによる人口調整、これによく似た話は大昔の話ではなくなりつつある。現に経済成長をしている中国大陸で筆者は正に、それをあの中国で目の当たりに見てきたからだ。欧米やロシアでは、社会不安の極致には、「この子だけはと、赤子を抱えた母親が、翌日になればその赤子を煮て食べていた!」との喩えを、子供の頃から肝に命じている、だからその意味で彼らははっきりしているのである。

2012/08/07

第124号

<コンテンツ>
日本国内へアジア諸国並みの経済と生活水準を招来
政府の経済政策に至っては無能
大手企業軒並み海外脱出の方針
クール・ジャパン戦略(ボトルネック)が急浮上
新しい商品価値創造(固有価値)なら打開できる!
中堅・中小企業への期待と成長要因
労働契約法=改正特集=
 ・改正労働契約法で個別企業が、社会が変化
   ★その1:5年で期限のない契約に転換___
   ★その2:雇止め(期間満了=解雇)制限___
   ★その3:有期契約者の不合理労働条件禁止___
 ・改正事項と経営重点4分野との関係
 ・改正法の逐条解説の出版やセミナー
新時代の、「新能力評価表」の試用版を作成
厚生労働省、窓口の臨時職員の危険


§日本国内へアジア諸国並みの経済と生活水準を招来
事態は極めて深刻だ。既に、工業国としては孤立した島国、工場廃墟と放射能汚染。日本国民は、あまりにもお人好しが多すぎる。窮乏の末に摩擦を起こす、「貧すれば、鈍する」ことは目に見えている。
マスコミは刺激的なリストラや企業買収の話以外、オリンピックだ、消費税だ、政局だと言って取り上げられない中で、各所で日本経済の行方の討論会?が行われている。表向きはまるで、「高校生の弁論大会」の様相、すなわち、「主体的力&ベクトル」が存在しない話ばかりなのだ。このままでは、アジア諸国並みの経済水準・生活水準にまで落ちてしまう。それに反対する海外諸国も大手企業も見当たらないばかりか、事実上それを望む海外からの発言は目白押しである。「中国での経済進出は、中国一般庶民並みの生活の受け入れ!として跳ね返って来る!」と揶揄されたとしても、それが的外れな指摘とは言えないのである。インド、インドネシア、インドシナ半島といった経済進出先の国々が、自国だけのGDP増加を期待しての思惑を認識した上での議論が必要なのだ。日本のGDPは下がる、国内預金は流出する、労働力も流れる。これが日本を取り巻く関係諸国の思惑であることは、マスコミ関係者以外の議論を研究すれば直ぐ分かることである。なのに、こういったニュースがTVや新聞では報道もされなければ、議論もされない。
経団連は7月19日と20日に、「夏季フォーラム2012」を開くなどして方向性を打ち出している。政府も、「日本再生戦略」をまとめている。念のため、各政党の政策もチェックしたが、総てが共通の視点しか持ち合わせていない。私から言わせれば、日本経済が復興の道を歩み始めているのであれば、この人たちの議論を信頼もするが、現実は益々落ち込んできたのである。もちろん、この人たちは異なる意見を持つ有能な人の話を聞く姿勢がない。実は、ここが大問題なのだ。結果は若年層の無気力に現われている。
先ほど紹介した経団連「夏季フォーラム2012」の議長総括が、経団連タイムスに掲載されている。要点は、「海外から買いに来てくれることもなく、国内では売れないから、海外に売りに行きたいなあ~」。そして、「新しい日本を創る決定打もないので相場的にお茶を濁しておきましょうか」と、筆者には聞こえて来る。詳しく知りたい方は…と言いたいところだが、夏季フォーラム2012の内容を読む価値はない。経団連は講師を招き、「従来の先端技術への挑戦との常識が通用しない」こと、そこで「デジタル設計思想やデジタル製造工程に立ち遅れ」であることを指摘はしているものの、何故、大手企業が軒並み崩壊しつつあるのかの原因には踏み込めず、イノベーションのカギとなる「ビジネスモデルと知的マネジメント」の展望はないと講師は言っている。(講師も展望の話なると精神論に転換する)。
ちなみに、東京大学経営研究センターの議論を紹介した書籍でも、
日本の技術者の水準の低さ、すなわち
A.技術を現場に落としこむ技能(多様性・一回性)の弱さ。
B.開発のプロセスを短期・効果的に進める技能の弱さ。
C.原材料、素材、基礎技術を組み合わせる技能の弱さ。
が指摘されているが、そもそも、こういった技能の学術解明さえなされようとしないのが日本の技術水準なのであると指摘している。そしてここでも、「大手企業の組織硬直」を技術水準低下の原因としているが、ただやはり、その解決となると、その道の専門家ではないから仕方がないのだが、「気」だとか「教育」だとかの精神論に陥っている。


§政府の経済政策に至っては無能
(政治問題は語りたくないが、ワラをもつかむ気持ちの人のため解説)
もう言い古された、「国際競争力のある製品が日本で創出されるような税制や、中小企業の海外進出を支援する政策を進める」とか、「製造業だけでなくサービス業や農林水産業も考慮しなければならない」といった、今や時代錯誤のことを打ち出している。受け狙いでいうことがなければ、政府は経団連の会合などで、アジア経済基地として「例えば津波避難ビルの建設」だとか「新型インフルエンザの予防ワクチン事前接種対策」とか、話が飛べば「経済成長のための課題は政治とメディアだ」(仙谷)、「GDPが下降気味なのでGNIを考える」と、全く何を言い出しているか分からない。政府の、「日本再生戦略」も、読むだけ時間の無駄であり、その無駄が何かを取り繕うと資料を並べているにすぎない。
ちなみに、アジア新興国の中で増加している中間所得層は、日本が家電製品を輸出していることなど、既に「知らない!」といった実態なのに、この中間所得層に日本製品を売ろうというのだ。先ほどの東大経営研究センターの著書の中でも、「中国で、1台4万円の高級電動自転車を2台組み合わせれば、平らな中国では電気自動車が8万円で販売される。こうなれば日本の電気自動車は中国進出出来ない」と言い切っているのだ。認識不足も甚だしい。
また、海外進出のターゲットはアジア新興国としているが、中国、インドシナ諸国、インド、インドネシアなどの国々は、「共産党」を名乗る勢力の多い地域で、現に「共産党」市長が存在するなど行政機関を配下に抑えている地域も多い。そんな地域に日本人を進出させて、(日本の「ゆとり世代」の若者も扱えないのに)、予想するような企業活動ができると思っているのだろうか。


§大手企業軒並み海外脱出の方針
素材産業以外の大手企業は軒並み崩壊の一途をたどっている。
数多くの大手企業は、もはや組織のしがらみ、守旧的部下の怠慢によって改革が出来ない状態にある。改革のために投資する金融機関も投資家もいない。また、投資がなければ金がなければ動こうとしない管理職が圧倒的である。その意味で仕事ができる管理職は出向やリストラで社内を去っており、連れ戻すには、管理職の抵抗が激しい。だから技術部門のイノベーションすら難しい。だからトップの社長が力説しようが、経団連で決めようが、まして政府が戦略を決めようが、それを実行できる組織体系と意欲組織はもう既に存在しない現状だ。改革をやっていると主張する大企業でも、実は五十歩百歩である。残るは、「大手企業」の地位から「完全離脱」するしかない。
だから、大手企業は海外脱出しようとする。
日本の家電製品の関連企業は崩壊の一途である。故松下幸之助の経営理念を数年前に排除した家電メーカーは、その後一挙に身売りが始まり、惨憺たる末路である。日立の経営陣は、「このままでは破綻してしまう危険」を社外に訴えながらも、今一つ切り開くすべもない…と思われる講演をしている。
自動車のトヨタが販売台数を回復させたといっても、肝心の売上金額やどの国の所得なのかは発表されない。むしろトヨタは再びリコール問題である。世界的にはヨーロッパと中国に負けている。日本のリチウム電池は、現時点が花盛りで、もうすぐ中国に生産を奪われる見通しである。
大手企業は再生エネルギー分野から手を引いた。あげく日本の電力の高価格を理由に工場海外移転を進めている。(所詮、電力産業は地産地消の業態であるが…)
経団連「夏季フォーラム2012」の議長総括は、経団連タイムスにA4判1枚程度の記事が掲載されたが、そこから映し出されるものは、海外脱出=今の商品でも売れる国への実質移転である。移転をすれば日本のGDP(国内総生産)は増えない。移転先のGDPが増えるだけである。技術を持った大手企業の海外移転は、もう既に活発になっているのだが、生産現場の技術者の海外企業からの引き抜きを加速する。家電メーカーの生産技術者は、土日に海外出張してレクチャーするだけで30~50万円の報酬がもらえるようだ。リストラをされても、給与が上積みされて海外企業は採用する、ただし期間は短い。定年退職しても数百万円の年収を保障して海外企業が採用する。
海外脱出とは、闇の部分にこういう組織崩壊現象を含んでいるということだ。(…だから部品メーカーは、値引きして部品納入してはいけない、海外に工場移転してはいけない。→後段の「中小企業への期待と成長要因」を参照)。


§クール・ジャパン戦略(ボトルネック)が急浮上
自動車、家電など、一挙に外貨を稼げなくなった産業の代わりに、「クール・ジャパン」を経済産業省は急浮上させている。政府と言っても、決して一枚岩ではないし、経営の現実を知らないので限界はあるものの、着目すべきものがある。同じ経済産業省の中小企業庁が主張する海外進出一辺倒と比べれば、光り輝いている。
ところが、世界の消費者は、「金があっても買わない!」に変化しているから、これからの商品価値には、「意欲・感動・希望」の3要素(固有価値)が整っていなければ売れない。特に「クール・ジャパン」=(日本発ファッション、食、アニメ、ライフスタイル雑貨、伝統工芸品等)は世界で人気としている商品群である。その方向で政策の補強をしない限りは、「クール・ジャパン」といっても文化商品を買ってもらうのではなく、文化が販売促進材料になっているだけである。文化とは、出来上がった商品ではなく、そういう商品を作り出すコミュニティと教育(社会及び学校)と生活水準の有機的結合のことである。企業も報告されているが、まるで大手企業が工業製品の変わりにアジアに売りに行っているだけの哀れな姿しか見えてこない。
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seisan/cool_japan/pdf/012_02_00.pdf

そこで、円高対策の本質的議論を一言。
円高対策をするのであれば、1985年9月のプラザ合意時点の、1ドル240円を目標とすべきなのだ。日本の「失われた10年」×2=20年、これは、プラザ合意からの突然の円高により国内生産物が円高で売れなくなり外貨が稼げなくなった歴史である。加えて、これに対抗する具体策を国内では取ることが出来なかったし、禁じ手である人件費コスト削減で乗り切ろうとする大手企業が出てきたものだから、21世紀からはMade in Japanの技術力低下(技術ではなく人海戦術で乗り切る)及び購買力低下を招いてしまったのである。したがって、クール・ジャパン戦略そのものの弱点は先ほど述べた通りだが、外貨を稼ごうとするときに通貨問題は避けては通れないのである。夢ではあるかもしれないが、「1ドル240円」を目標とすべきなのである。本来、円高対策というのは、こういう政策のことを言うのである。


§新しい商品価値創造(固有価値)なら打開できる!
世界的に消費経済は、消費者に金銭余裕があっても買わない時代に入っている。もちろん中国市場もそうだ。これに対する答えは、筆者が繰り返し説明している、「意欲・感動・希望」の3要素(固有価値)の、商品価値が存在する商品である。それは政府に頼らずとも、民間企業自力で展開もできることとなる。あくまでもターゲットは、世界1億人の富裕層である。この商品価値創造が大手企業には出来ないのだ。むしろ、そうでない商品を、政府や金融機関の当時のもとに大規模な扱いをしてきたから、商品価値の転換をすること自体が、大手企業にとっては不自然な行為なのである。大手企業は全般的に、旧態依然の怠慢的な改革に終始している。また、社内コンセンサスの末就任した経営陣だから、社内抵抗される改革はやらないのだ。マーケティングと称して一瞬成功したかに見えても、いずれも長続きしていない。
確かに、大手企業の仲間でも、ほんの一握りの会社は、新しい商品価値創造(固有価値)の萌芽を迎えているが、【経済恐慌から「守りを固める体制づくり」】(総務部メルマガ昨年8月号で詳細に説明)である、
 1.財務基盤(在庫の流れを編成し直すことも含め)
 2.事業基盤(設備の大胆な削減、長期人件費削減)
 3.売り上げ基盤(総務部メルマガ7月号の「ものづくり」手法など)
の三つを整えることが重要なのであるが、結局大手企業はそれをしなかった。
さてその原因は、この新しい商品の価値、すなわち「固有価値-使用価値=の価値部分を、従来は無視」してきたから、一足飛びに価格に反映できないことにあったからだ。では彼らは何に価値があると説明したかといえば、200年ほど前の経済学者のアダム・スミスやリカードの「商品価値=使用価値論」だとか、100年ほど前に起源をもつ「効用価値学説」だった。
この商品の固有価値についての、固有価値の源泉、商品価格決定には、3要素がある。(この学説は6月21日に、国際文化経済学会に報告済み)。
 イ)地域文化に醸成された幼少からの熟練された労働能力。
 ロ)その職業に関わって鍛錬された労働力としての職業能力。
   …前項の労働能力と相まって具現化・商品化を成し遂げる
 ハ)地域や地場産業で有機的ネットワーク化されたイノベーション能力&体制。
   …需要者の企業への頼りがい、ブランド性、地場産業性といった現象である。
……固有価値論で考えれば、今までの原価積み上げ方式の見積もりではなく、市場での相場決定方式で、買い手に信用してもらえる見積書が用意できるのである。付加価値論では、抽象的で曖昧(だから価格が定まらないことに)になる。
先ほど述べた、東京大学経営研究センターの、日本の技術者の水準の低さ、A~Cも、この3要素の中で、(ロ)の項目を柱にするものの、(イ)とか(ハ)の項目で補強すれば、容易に水準をあげることが可能である。(事例として、「新能力評価表」を後段で紹介する)。すなわち、これが暗黙知、コンテクスト、キュレーションなどと呼ばれるものである。韓国のサムソンなどが導入している、「デジタル設定」とか「デジタル製造ライン」はこういったことからの発明である。


§中堅・中小企業への期待と成長要因
たとえ、アジア諸国並みの経済状態になったとしても、やはり優良企業や富裕層は存在する。
さてそこで今日、意外と有利な企業形態は、中堅・中小企業なのある。早速、最終消費財を扱う業種では、新しい商品価値創造(固有価値)を導入して、見積もりも行ない、販売努力をすれば、事実売り上げも生産性もが向上している。信用金庫や信用組合は、新しい商品価値創造(固有価値)企業に融資すれば間違いはない。
とにかく、今は海外に工場移転などしないことである。
中小企業庁の海外進出の呼びかけは相手にしないことである。技術力が自慢の個別企業であるならば、買いに来るまで待っていることが肝心要である。とりわけ中国には進出しないことである。地産地消を基盤に海外に売り込むことだ。環境を背景に地場商品を世界に売り込むことである、もちろん東北地震で被害を受けた江戸時代からの輸出海産物産品も有効である。部品メーカーは値引きをして納入してはいけない。合法的に不良債権を消す手だては存在する。国内では通貨「円」を使用しない取引や価値交換(地域通貨や商品券も)を増やすことだ。そういった外貨を稼げる商品は、あなたの身近な手の届くところにある。かの本田宗一郎は敗戦と同時に1年間仕事をせず無収入の中で考えをまとめた。
仮に対中国貿易ひとつをとってみても歴史は語っている。
日中に国交が無い時代、中国のことを「中共」と呼んでいたが、大阪は対「中共」の密貿易で朝鮮戦争以降に大儲けをした。「中共」から買いに来るわけで、国交回復以降は、中国は堂々と買いにきた。「中国のみなさん買ってください」と、現地に頭を下げて工場を造る必要もなかった。ところが、今はどうか。中国投資をしても利益が帰ってこない。「公司」の形をとれば中国人の参加が義務づけられるし、日本人は個人営業が出来ない仕組み、これがある限り日本は外貨を稼げない。
北朝鮮貿易でもこれに良く似たことであった。旧ソ連との貿易は、海上での物々交換が盛んであった。近隣各国は買いにやってきた、仕事をさせてくれとやってきた。海外に工場移転など「身売り」などしてはいけないのだ。


§労働契約法=改正特集=
日本的労務管理に終止符が打たれた。労働市場もグローバル基準となる枠組み。
この法改正の立法の効果は、日本の経済水準をアジア新興国並みに後退させようとしているから、法律改正の建前や理想とは反対の社会制度を生み出さざるを得ない。結論は、労働者の階層が4分割されることになる。筆者のように、現実問題に長年携わり研究していると、そういったことは容易に判断がつく。統治能力のない厚生労働省の、その戦後に何度も法改正の目論みが外れた歴史を見れば一目瞭然だ。それが日本における労働法や労働問題の本質といえばそれまでだが。
要するに、非正規労働者や格差や差別の解消であれば、労働契約法ではなく、本命は職業安定法での解決である。労働者派遣法改正も経済後退を加速させる時期だから本命ではなくなった。それは、「就労可能な生活保護の受給者を、自治体発注の委託事業に雇用吸収率を設けて就労させる」といった解決策のたとえ話のようなものだ。1986年の男女雇用機会均等法は女性の非正規労働の爆発的増大させたが、それは専門家からすれば自明の理であった。
2012年8月3日、労働契約法改正が参議院で可決成立した。改正事項は、期間の定めのある労働契約(法律では有期労働契約と言っている)に関連する三項目。有期労働契約をめぐっての、法律的に「不合理」と認められてきた社会問題に対して解決を図るというのが建前である。この場合の「合理的」とは特別用語であって、法秩序維持や社会正義(自由・平等)の立場による道理や筋道のような概念(詳細説明は略)を指すから、素人考えでは危険である。しかしながら、法律が制定されたからには社会制度であるから、知っておかなければ個別企業の経営管理も業務運営も出来ない。
☆施行は、
良く分からない政府の動きではあるが、どうも施行されるのは来年4月1日の見通しが強い。施行は、公布の日と公布から1年以内との二つに分かれている。


改正労働契約法で個別企業が、社会が変化
近年日本の労働市場の大変化は…
1986年:労働者派遣法と男女雇用機会均等法
1987年:労働基準法改正(週40時間労働制)
1997年:職業安定法改正(管理職の流動化)
1999年:労働者派遣法改正(非正規社員の増加)
2013年:改正労働契約法の施行(予定)
…といった節目で動いている。これを経営管理の視点から考えるにあたり、行政法だ、民事法だ、取締法だと区分けして考えるのは愚かである。
非正規労働者は今1500万人を超えているが1986年まで、パートなどは日本国内で約300万人程度であった。1986年から女性労働力の社会進出が一挙に増加(多くは非正規)した。次が1997年と1999年の職安法&派遣法の改正である。これはセットで効果が生じ、中高年管理職の若年層との入れ替え(リストラに注目が集まり表面化しなかった)&、非正規社員急増の引き金を引いたことである。そして今回は、2013年からの労働契約法改正と称する有期労働契約者の法的扱いの確定である。冒頭で述べた通り、日本経済を後退させようとする背景では、労働者の階層が4分割することになる。はっきりいえば、「格差は固定化し、格差社会への諦めが漂う」時期を迎える、その後はどうなるか分からないが…。
改正事項は三つ、
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-31.pdf
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-34.pdf
これを段ごとに簡単に述べる。なお、労働契約法では、「使用者」に対して「労働者」との用語を使用しているが、言葉の定義は、「使用者」とは労働基準法の事業主より広い意味であり、「労働者」とは事業場に就労しない者をも含む。したがって、労働者の専属制・指揮命令・実質的賃金といった視点で物事を押さえる注意が必要である。(改正法の詳細解説や逐条解説では、全容を誤解し易い)。

その1:5年で期限のない契約に転換___
5年を経過した期間契約(期間契約又は終期契約)は、自動的に期間の定めがない労働契約に転換することになった。ただし、これは当該労働者が6年目に突入した場合に、「契約期間を終身雇用に」と申し込んだ場合であり、申し込みがなければ終身雇用に転換することは無い。もちろん使用者が、6年目に突入した者の申し込みを放置しておけば、自動的に承諾したことになって賃金支払いも必要になる。「申し込みによって終身雇用に転換する日」とは、採用した日(採用通知した日、最初に就労した日の何れでもない)から5年後の応答日である。たとえていえば誕生日と同じで、その日は5年間と1日であるから、6年目に突入した日となる。労働基準法第14条第二項の「雇止めの予告」を30日前に行わなかったとか、採用日からの日にちの計算(民法で規定されている)を間違えば大変なことになる。そこで、地域のコミュニティーユニオン(個人加盟労働組合)が介在して来ることは大いに考えられる。空白期間を設けて雇用継続としない方法も可能だが、実務的にそれが可能なのは自治体などの臨時職員だけ、実際の民間ではそんな余裕も有用性もない。したがって、個別企業の雇用形態を抜本的に変えざるを得ないことになる。
すなわち、従業員の身分構成を
 (1)5年未満の期間を定める契約の者(絶対6年目に突入しない)
 (2)期間契約や終期契約の労働条件で65歳まで働く者
       (1988年ぐらいまでは、一般社員として採用していた層)
 (3)正社員としての人事・給与体系で働く者
       (非常に限られた人たちで、管理職や独自専門職に限定)
 (4)業務請負(定型作業の外注)若しくはアウトソーシング(専門家集団)
  …といった労働力市場が形成されることになる。
おそらく、(1)で採用された者の中から適切人物(有能とは限らない)を(2)に組み込んでいくことになる。それは、アルバイト等を数多く雇用する会社が今でも行っているが、アルバイト中の有能なものを社員にスカウトするのに良く似ている。
ところが、(3)の正社員と言われる者たちは、独自ルートで採用することになるだろう。決して江戸時代の商業の奉公人制度のように、丁稚~手代~番頭の順に出世する制度にはならない。「のれん分け」など全体の1%もなかった制度であったし、丁稚から手代に採用される率は半数程度であったという研究もある。ところが、不思議なことに現在の商法は「丁稚~手代~番頭」を念頭に置いているのだが。
(4)の業務請負はSOHOといった形から海外へのOEMのイメージだ。SOHOの類や個人請負は、専属制・指揮命令・実質的賃金といった視点で労働契約法の適用になるから注意が必要である。ところで、アウトソーシングは詳細専門的シンクタンクを併用する水準まで進むと思われる。いわゆるコンサルタントといった職業は、経験にもとづく量産化推進を受け持つ職業であるから、海外新興国では需要があるかもしれないが、国内ではミニ:シンクタンクにとってかわられるであろう。(ちなみに当社はミニ:シンクタンクである)。
読者のあなたには、唐突な解説に読めるだろうから、信じられない内容かもしれないが、世界経済状況や日本経済の後退からすれば想定範囲内である。むしろ、率先して個別企業の従業員構成を変えていかなければ企業経営は持たない時代に入る。ただし従業員構成を変えても時間切れになるかもしれない。
☆施行日は、
公布の日から1年以内の政令で定める日とされている。施行日が初日の有期労働契約から6年目に入ったかどうかが計算される。ただし、それ以前の期間契約は及び、労働者本人からの「申し込みの無いもの」は適用されない。

その2:雇止め(期間満了=解雇)制限___
いわゆる、ダラダラと満期がくれば雇用契約書を書き換える程度で契約を繰り返しておれば、ある満期の期日で契約終了(雇止め)することが出来なくなる。今日までは、裁判や事件に持ち込まれない限り継続雇用を否認することもできたが、これからは事業主に労働契約法で債務として負わされることになった。
すなわち、「期間満了=首」と言い渡した場合、通常の解雇と同様に、客観的合理的な理由の存在や社会通念上相当と認められなければ、「期間満了=首」には出来ないと法定となった。まして、継続的に雇用されるとの期待感を事業主側の誰か(管理職等)が持たせていたとすれば、なおさら「期間満了=首」は出来ないことも法定された。少なくない企業が、1ヵ年ごとの契約を自動的に更新しているケース、派遣会社が派遣契約解除を恐れて3ヵ月ことに契約を自動更新するケース、こういった期間契約の運用は出来なくなる。
ただし、これも契約満了期日の前後に、当該労働者が契約を申し込んだ場合だけであり、申し込みがなければ契約は終了する。ところが、労働基準法第14条第二項の規定により、使用者は「雇止めの予告」を30日前にしなければならないとの規定があるので、使用者側は無視を決め込むわけにはいかない仕組みになっている。したがって、ここでも地域のコミュニティーユニオン(個人加盟労働組合)が介在して来ることも大いに考えられる。
よって、
面接採用方法の改善、有能者の定着対策、能力評価といった具体策を迫られる。
 (A)このうち面接採用については、前号のメルマガ7月号で、
    「これからの面接技法 (商品価値の増量と販売)」にて説明した。
 (B)具体的な有能者の定着対策は、とりあえず次の対策が考えられる。
    1.毎日のミーティングを軸に業務推進、仕事第一の人間関係を維持
    2.OJT教育、ラインとは別の教育責任者が、採用14日内に採否する
    3.雇用契約、就業規則、信義則を重視していないと債務を負わされる
    ……これも固有価値での業務改善と一体でなければ、上滑を起こす。
 (C)能力評価について、
    このメルマガで後述する、新時代対応の「新能力評価表」の記事で一部を解説。
☆施行日は、
公布の日から1年以内とされている。施行日が初日の有期労働契約から「雇止め(期間満了=解雇)制限」が適用される。ただし、それ以前の「雇止め(期間満了=解雇)制限」及び、施行以後でも「申し込みの無いもの」は、従前の判例どおり4年目突入で期間の定めのない労働契約と類推適用されることは変わりない。

その3:有期契約者の不合理労働条件禁止___
期間を定めて契約している労働者の労働条件が、いわゆる不合理なものであってはいけないと法定した。「合理的」とか「不合理」は、辞書にでてくるような道理や筋道とは趣が違い、あくまでも現行の法秩序維持や社会正義(この場合、自由・平等)の立場による道理や筋道を指すから、注意が必要である。これは従来労働判例を法律で定めたものだ。いわゆる「社員と同じ仕事」をしているのに賃金の安い、という労働条件が禁止となる。ただし、つぎの理由による労働条件の差は差し支えないとした。
 (A)業務の内容に合理的差異のあること
 (B)業務内容の変更できる範囲に合理的差異があること
 (C)業務に伴う責任に合理的差異のあること
 (D)業務に責任の範囲に合理的差異のあること
 (E)配置転換のできる範囲に合理的差異があること
 (F)その他の事情を考慮した合理的な差異のあること
……すなわち、正規社員と非正規社員の違いがあるからには、こういった明確な仕事の差異が付いているはずだと法律は要請しているのだ。よって、非正規労働者に、正規社員と同じように仕事をさせた場合には、賃金・労働時間・福利厚生その他で差があれば賠償させられることになった。
ここには裁判や斡旋手続、労働組合が関与することになるであろうが、ひとたび事件が起こった場合は個別企業全体の労働条件是正が必要となってくる。したがって、非正規労働者には、業務内容限定、責任範囲に限定、就労場所限定の労働契約が不可欠であり、またその契約は変更の合意が出来ない限りは、従来の労働条件の総てを変更出来ないことと法定されたのだ。この契約合意を無視して曖昧不明確に働かせれば正規社員と同じ賃金を支払えという根拠を定めた法律なのである。
そうすると、早急な非正規労働者と正規社員の業務内容チェックが必要となる。
☆施行日は、
公布の日から1年以内の政令で定める日とされている。ただし、それ以前の期間契約者と期間の定めのない契約の者(社員等)との、労働条件の相違には適用されない。しかし、それ以前のケースでも裁判が起これば敗訴の確率は高い。


改正事項と経営重点4分野との関係
経営管理には4分野だけ(売り上げ、生産性、労働意欲、業務効率)の重点がある。
現下の経済危機の状況からすると、リストラも組み込んでおかないと、企業の存続自体が危ぶまれるから、抜本策を打っておかなければならない。労働契約法改正は、4つのうちの労働意欲、業務効率の2の改革と関連しているということだ。
だから仮に、おとなしい労働者、文句を言わない労働者の定着を望んだとすれば、より高度且つ固有価値をもつ労働が日本国内で求められる中、労働意欲や業務効率の改善に資することとは矛盾するから、「主体的力&ベクトル」が存在しないどっちつかずの人材を育成することとなって、現在の大手企業病の如く企業存続危機を招来してしまうことになる。
また、ただ単に改正労働契約法の各条項の表面だけを遵守しようとすること、それは経営管理において非現実的な行為でしかなく、そんなものはコンプライアンスという代物でもなんでもなくなる。(現実を知らない法律家や実務家の特徴は、「法令遵守がコンプライアンスだ!」と説明するところ)。


改正法の逐条解説の出版やセミナー
は、もうすぐ目白押しとなる。経営を取り巻く環境、特に今は経済危機の状況を良く把握した上で出版やセミナーを行う必要がある。国家資格を持っているだけの人、法令の専門家といううたい文句の人たちでは、経営者や管理職の間に大きな誤解を生む解説自体が想定出来ない。経営管理の視点から考えれば、民事法である労働契約法だけの逐条解説に終始すれば、真に愚かである。
確かに、聴講者が良く理解できる話に水準を落としテーマを絞ると集客人気は上昇する、これが出版・セミナー業界の定石である。だがここで、今の日本が新興国並みの経済水準に後退する時点では、「貧乏人が貧乏人を造る!」との有名な経済原則が当てはまるのである。残念ながら今の日本で労働問題に詳しい専門家は非常に少ない。
だから、出版やセミナーで改正労働契約法の内容を勉強するのはゴールではなく、個別企業ごとに改正労働契約法の内容を受けての業務遂行体制を研究する取り組みのほうが重要なのである。今回はそれだけ個別企業の経営管理に直結している法改正である。
素人資格者や素人専門家の話題が出たついでに、
労働組合運動の現実や実態に遭遇することの少ない人のために、次の映像を紹介する。
http://www.zenroren.gr.jp/jp/shokai/taikai/26taikai/index.html
「全労連」という労働組合の全国団体である。ほかにも全国団体は、「連合」と「全労協」の主なものが2団体ある。実に、この団体傘下にある労働組合が、裁判闘争によって労働判例を次々と生み出している。この団体参加の組合の役員には、自称「日本共産党員」が数多い。1980年の労働者派遣法成立の引き金を引いた労組も、「派遣切問題」の勢力も、旧労働省の労組=全労働も、文部省と戦う全教(旧日教組反主流派)も、この「全労連」の傘下だ。ただ単に、平和のうちに、労働判例や法令改正が行われていると思っていたら、それは大きな認識の間違いである。
ここでも、労働問題の実態を知らない弁護士や社会保険労務士の中には、的外れな仕事をする人も後を絶たないのだ。今やICT産業革命の時代、そういった労働組合の一端を映像で見てみよう。そこには社会保険事務所の職員、JAL乗務員、大阪の学校教員など、団体交渉で遭遇した労組幹部も映像に出て来るかも…。


§新時代の、「新能力評価表」の試用版を作成
一般社員、現業職を対象に作成した。これは商品の価値を固有価値論で分析することにより、「新能力評価表」とすることが可能となったものである。付加価値論、使用価値論、効用価値論からは開発不能である。
もう少し解説すると、従来の評価表には前提条件があった。昭和30年前後から大手企業中心に前近代的な社会教育や職業教育に代わって、「新入社員教育」その他が実施された。ほとんどの中小企業も、そういった「新入社員教育」を行うことを真似した、ただし具体的な中身には曖昧若しくは欠落項目が多すぎたが、大手企業を理想とはしていた。それが今や、日本ではほぼ完璧にそのシステムが崩壊しているのである。
それは、中学校や高校を卒業したものに対して、採用後に個別企業が「いわゆる社会人としての能力」を教育訓練することを含んでいた。ところが、そもそも、その従来評価の源流は、大手企業においては約150年前のロバート・オーエン(イギリスの空想的社会主義者)が実験的に設立した紡績工場での「生産性競争の評価概念」にあり、中小企業においては江戸時代の「奉公人制度の評価概念」にあるのだ。
これが、従来の評価表と、はっきり異なる点は、
 1.キラッと光る有能な人物なら、即発見できる。
    (経営者が、直に社員を選べる手段:シートである)
 2.上司を超える能力者を発見できる。
    (従来は上司評価なので、埋れてしまうのは必然な方式だった)
 3.採用前、実務に付く前でも、潜在能力の測定が出来る。
    (一般職や現業職は、潜在能力があれば、数週間で実績が出る)
【具体例を示すと】
 (ア)熟練技能力=作業プロセスを短期・効果的に進める技能もあり、更に高度な仕事を遂行しうる熟練をもっている。(5得点)
 (イ)理解判断力=教わったことを原理原則と基本の考え方に分類整理するとともに、何故そういうやり方になったのかの経験を聴くようにしている。(7得点)
 (ウ)処理力=仕事には優先順位と段取りとがあり、毎週、毎日の仕事準備は、この優先順位決めから始めることだ。(7得点)
……というように、各項目は5択、絶対評価の表現で回答(9項目)するのだ。能力は就職前でも測定に変わりはない。口先だけ、解かったような事をいう人物も見通せる。
さらに、能力評価9項目の合計点数に、
7,000円を乗じると、その人物の概ねの適正賃金総額の見当をつけることができるようになった。…上記の例なら、3項目で19点×7,000=133,000円/月額。適正人件費だ!
加えて、調査方法の原則は、
本人記入式だから、従来のような評価者訓練等の組織的導入時間も取らないのである。(仕事スタイルの「自分らしさ」を自らが選ぶ方式)。
とはいえ、形は従来と似通ったものではあるが、(「試用版」の実測テストによると)、自らで特定を進むにつれて、さらなる上位の能力概念、反対の下位の能力概念もイメージすることができるようになるなど、抜本的な違いが実感できるとのことだ。
なお、全社的な導入にあたっては、
(整理解雇の人選にも使用可能だが)、組織運営上の注意が必要であり、実施には独特の社内意思統一が重要である。従来型と同様であると勘違いして安易に実施をすると危険を招く、とりわけ、大企業病に陥っている企業は組織崩壊を起こす可能性は高い。
さてその「試用版」の導入要望については別途(すなわち、むやみな導入は危険なため)連絡をいただきたい。一般向けには、前述したように社会教育システムが崩壊していることから、「携帯ゲーム版」の作成準備をしているところだ。


§厚生労働省、窓口の臨時職員の危険
素人相談員による弊害は行政の怠慢である。
近年は、労働基準監督署や年金事務所(旧社会保険事務所)に、臨時職員が数多く配置されている。ところが、この臨時職員たちは準公務員の身分はあるが、各々の法律や制度を熟知しているわけではない。
労働基準監督署
の主な取扱事項は、最低基準となる労働条件がどういったものかである。ところが、まず最初に電話を取る者は相談員である。きわめて簡単なことを聞くのであれば事足りるかもしれないが、複雑な事案には全く対応する能力がないのだ。
WEBで様々調べたあげく、監督署に確認を取ろうといったような事案であれば、まず応えられない。この場合に困ったことは、「複雑な事案です」と質問する際に前置きをしたとしても、「どういったことでしょう」と言って内容を聞きたがる。電話をかけた方は、解っている人かなと思ったり、またはまずはこの人に話さないことには詳しい人には電話をつないでもらえないと錯覚してしまうので、複雑事案の内容を話していくことになる。そうするとこれに対する返答が、実は間違っている回答が相談員の自覚がなしに多発しているのだ。多くの人は間違ったことを聞いても、「そんなもんか」と返答内容を受け入れてしまう。質問する側も相談員も、回答の間違いの自覚がないから、その場は納得してしまい不具合は発覚しない。
「正確な内容が知りたいから監督官に電話を代わってほしい」と話しても、電話を代わらない相談員もいる。こういった相談員の対応には、数多くの元労働基準監督官や元労働基準監督署長が苦情を言っている。中には、「私は社会保険労務士です」とか「労働局の職員だ」と言って国家資格や準公務員身分を傘に、質問する側に圧力的対応をする者もいる。筆者も立て続けに実害に遭遇したので、労働局と霞が関の本省監督課に長々と苦情を申し立てたぐらいだ。(本省監督課は、「意見として聞いておきます」の一言、不具合発生の自覚は弱い)。
その原因は、経済構造が激変し、労働契約スタイルも変化に富んでいることから、終戦直後から積み重ねられた労働基準法の扱い(通達内容)を熟知していなければ、バラエティーに富んだ相談や質問内容には対応出来ないでいることである。電話番であれば単なる電話番に徹するとか、全国1本の集中相談センターにするとか、相談員が毎日の問い合わせ事例を持ち寄りディスカッションするなどの具体策が必要である。
社会保険の手続
においても、臨時職員が間違った対応をする。困ってしまうのは、その者が臨時職員であることを名乗らないし、平然と一般職員の仕草をしていることである。強いて言えば、臨時職員は書籍を見ながら対応するといった不自然さで発見するしかない。
事の原因だが、保険料の算定、給付の有無といった内容であっても、旧厚生省の「通ちょう」や「手引き」などの解説自体が、元々あえて曖昧に作ってあるので問題が大きくなる。何十年もの社会保険の歴史の中で、制度がめまぐるしく変わっているから、その変遷の歴史を知る者であれば間違いには気づくが、テキストやWEBの知識だけでは、「間違っている回答でも納得」をしてしまうのである。元はといえば社会保険の場合は、「制度が悪い」の一言に尽きる。昭和34年、財源見通しゼロにもかかわらず、皆年金制度の道を開く強行を行ったことに起因する。社会保険は全国各地で「適当に扱う運営」だから、国1本の集中相談センターを開設することも出来ない。「金なし、理論なし」だから酷い臨時職員が現れるのは自然かもしれない。ここでも、「私は社会保険労務士です」と名乗る者ほど、「通ちょう」や「手引き」の文言にこだわる傾向がある。

すなわち、とりあえずの企業リスク回避を、
監督署と年金事務所に限っていえば、電話口に出てきた人物の回答は正しいとは限らないから、まずは複数の監督署と事務所に聞いてみることである。何か腑に落ちない点があれば、とことん追求してみることである。行政機関は、誤りがあっても指摘しない限り自ら是正はしない。だから、国民が損をしていても還付請求が行政に出されない限り返金はしない。特に、旧厚生省機関の態度たるや、「法律を知らない者が悪い」との姿勢であったが、どうもそれは現在もひしひしと慇懃無礼(いんぎんぶれい)さを伴って感じるのである。
還付請求の時効は過去2年にさかのぼるから、個別企業での再度の点検チェックを推奨する。

2012/07/10

第123号

<コンテンツ>
大幅リストラと&人員削減の段階がきた!
マスコミ&官僚たちが隠す、EU各国の経営
官僚の経済政策で個別企業は日本もろとも沈没
海外進出は、企業も人も身売り状態
固有価値論での、商品価値増量の広がり
これからの面接技法 (商品価値の増量と販売には)
固有価値重視からの、「ものづくり」手法
固有価値重視からの、「サービス」手法
労働者派遣法:政省令骨格(10月1日施行)
=書評=『職場学習の探求-企業人の成長を考える実証研究』


§大幅リストラと&人員削減の段階がきた!
外貨が日本に入ってこない状況、そして個人消費の落ち込みは、いよいよ国内消費の低迷に拍車を掛けている。そこに消費税増税であるから、個別企業で自己防衛に入らない企業はない。
その最も初歩的な自己防衛は、
イ)「銀行を経由する決済はしないこと」及び、
ロ)「如何なる借金も返さないこと。」である。
乱暴な表現ではあるが、「とても意味深い」内容ではあるが、なかなか出来ない個別企業も多いのである。がんばってこの2項目に取り組んだ上で、経営計画を策定するしか残る道はない。とはいえ、下請けに甘んじてきた個別企業では、これ自体もきわめて難しい。海外市場の需要に幻想を抱いて海外進出した下請け企業も然りである。(経済学者の多くが語るように、円高不況が原因で海外に進出した事実はない、あくまでも海外での需要の期待の幻想である)。
だとすると、本当に残念なことだが、
本当の意味でのリストラと、人員削減(主に正社員)の準備を開始すべき時期になってしまった。安定的な経営を目指すならば、早ければこの秋、遅くとも来年の春が、その時期である。とりわけ人件費については、
(ア)不採算部門の人件費分はカット
(イ)その後に、常用社員を整理解雇して採算を合わせるか
(ウ)それとも早いうちから非正規社員を大量導入して採算を合わせるか
の選択となる。(例えば、欧州は正規社員の解雇、米国は非正規への切り替えと、それぞれの社会状況に応じて人員削減が行われている)。
リストラと人員削減は
次の順序で行われなければ、法的にも問題がある。それは訴訟が提起されて敗訴すれば、財産差し押さえのリスクを招くということである。
1.まずは中長期の経営計画である。単なる赤字だけで整理解雇は出来ない。
2.従業員との話し合いが最も大切で、誠実説明義務がある。(誠実説明義務=簡単にいえば、聞かれた質問にはすべて答えること)。
3.人員削減を避けるため臨時従業員の解雇である。(この場合長期パートなどは法的には含まれない)。
4.整理解雇者の合理的人選。(そのための客観的人事評価が必要である)。
すなわち、
早くも消費税が引き上げられる増税方針で需要の落ち込みが、現在の落ち込み状況からさらに進むのである。不採算・不安定部門整理と売れ筋商品の商品価値増量(あとで述べる固有価値論=要するに他に無い取り得のこと)を、早速、まずは経営計画に取り込み合わせて取り組む必要があるのだ。
一部には消費税の課税されない方法(海外経由)による流通ルートも始まっている。売り上げパーセントからすれば重要であるが、もっと抜本的なところが必要となるのだ。最終消費者相手の場合、日本銀行券を使わない売り上げを考えることも必要だ。給与の現物支給も、課税対象とならない方法はいくらでもある。しかしながら、企業の固有価値、商品の固有価値、人材の固有価値を得る以外に抜本的な道はない。それも外貨が日本に入るような仕組みの上での話である。


§マスコミ&官僚たちが隠す、EU各国の経営
彼らは、「EU財政危機」という常套句を連呼して危機感をあおるだけである。EU各国の財政立て直しや個別企業の、本当の具体的な動きを取り上げようとしない。それを取り上げたならば、財務官僚たちが行おうとしている政策が頓挫することは、まず間違いないのである。
EU加盟国は軒並み財政再建を具体的に
行っている。年金の年齢繰上げ支給、公務員大幅削減など、それはギリシャ、スペイン、イタリア、ポルトガルのみならずドイツもフランスも各国が行っている。加えて財政立て直しはイギリスにもアメリカにも波及している。要するに具体的重大論議となっているのである。そのうえで、これに対する労働組合や社会運動、あるいはネットのSNSによる自然発生的な運動は激烈となっている。ゼネストが何回も繰り返されている状況だ。これが各国の政権交代を起こしている原因なのだ。マスコミも官僚も、そういったことを言わないのは、もしも言ってしまって具体的大論議になれば、いかに無策であるかがはっきりしてくるからだ。
EU各国の個別企業の人員削減も激しい
のが今の動きである。解雇規制緩和や雇用保障制度縮小といった動きとともに、次々と人員削減が打ち出されている。これに対して(毎度のことではあるが、生半可な反対運動ではなく)、ロックアウトや暴動といった流血事件が相次いでいる。ドイツでさえGIメタル、オペル、エアバスでも大争議が発生し、労使の一進一退の激突である。すなわち経済主体である民間企業での譲歩と和解が繰り返され、その結果を政府が秩序立てているという方式である。
だが、日本のマスコミは、
まるでこの厳しい激突が無いかのように報道して、静かな財政再建が行われているかのような印象を与えている。だが、こういった激突を外務省や官僚たちが知らないはずはない。すなわち、日本で報道されれば政権交代も必至、富裕層増税や大手企業優遇税制廃止なども必至になるということだ。もちろん、今年度から始まった増税、消費税10%引き上げなど、根底から飛んでしまうのである。その状況はアメリカでも同じことである。すなわち、グローバル経済全体が厳しい激突の中から新しい経済秩序が形成されようとしているのである。問題はその新しい経済秩序の貧乏クジを日本が引いてしまうことである。


§官僚の経済政策で個別企業は日本もろとも沈没
要は、官僚たちの経済政策で日本も、個別企業も成長し豊かになればいいのであるが、それは望めない。今や世界中が労使激突している中、確かに日本が静かなのはよいことである。ところが、「静かさ」を求めた挙げ句が、(官僚の狙いは、「静かさ」を口実に、常套句にして、日本経済を操ることだ)この十数年の動きは、
・個別企業の技術技能低下 →
・商品競争力の低下 →
・日本製品を日本に買いに来てくれない →
・仕方がないから海外に出稼ぎにくしかない →
・出稼ぎに行ってもGDPは海外現地国のもの →
・海外が日本に頼る用事はなくなった →3
・日本は外貨を稼げない、次々と日本の地位は下がっていく。
……となってしまったのである。古今東西歴史の中で、戦争や殺人は論外として、論争や激突の無くなった静かな国は衰退するしかなかった。天災や戦争で国がつぶれた例はなく、その時点で回復力がなく国が潰れたのであった。とにかく、「本命の論議」をすれば横槍を入れてごまかそうとする、そのキーパーソンは官僚なのだ。(欧米&中東では、歴史的に公務員は奴隷の仕事であったから、経済に口出しはさせない)。
結局は、「国破れて官僚は残る」
といった基本戦略の上に、官僚はあれこれと政策誘導しているに過ぎないし、その作戦に多くの国会議員や政治家はのせられてしまい抜け出せないでいるのだ、はじめは「官僚を利用する!」と息巻いていた政治家ほど…。おまけに、大阪市のように大量の官僚ブレーン(経済界無視)が送り込まれ官僚グループ同士の代理戦争にまで政治が利用されるに至っている。太平洋戦争中のように、陸軍と海軍が主導権を争って国益を考えなかった様相にも似ている。すなわち、経済政策などの後に、どこのどの官僚が付いているかを見る必要がある。
だから、もちろん肝心の経済政策は
ことごとく消滅して行き、新エネルギー政策も消滅して行き、残りは介護や保健といった高齢者の貯蓄を食いつぶすような政策とか、国内の空工場や土地を中国資本へ販売促進をする政策、後進国水準の観光政策ばかりが目立っている。経済規模や経過は異なるが、これではまるでギリシャ政府の政策の柱の二の舞なのだ。
「外貨を稼ぐ以外にない」にも関わらず、官僚はこれを放棄する政策に転じた。(3月30日、経団連:定時総会)


§海外進出は、企業も人も身売り状態
海外進出の悲劇を裏付ける企業の意識調査(帝国データバンク)が出た
http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/keiki_w1205.html
そもそも、日本人の海外進出は、
欧米や華僑のように現地に骨をうずめる意思も無いし、出稼ぎに行ったが帰るに帰れず丸裸になるケースが多い。まして、日本の企業や労働者の培ってきた固有価値を否定して、海外でどの様な価値を生み出そうというのかの中身がない。「新たな海外需要展開」に幻想抱き、努力もせず「国内市場の縮小」を受け入れる、これではまさに、前門の虎、後門の狼である。KEIRETSU型の海外進出時代は、もう終わっているのだ。自動車も家電も、いわゆる技術水準が落ちたために日本に買いに来てくれることがないから、現地に行ってニーズをつかみ生産しなければ相手にされない…といった事態なのである。他の輸出産業もほぼ同様であり、技術水準の高い企業の中には海外から日本に帰ってきているところもある。近ごろは官僚を見習って、行き先で分かったようなことを説明するのが流行している、これが海外進出の本質だ。中小企業庁も海外進出を中小企業に呼びかけているが、中小企業の安楽死を進めているようなものである。
そもそも、海外に出ていった産業とは
大まかには、(1)ゴム、(2)ガラス、(3)ダイカスト、(4)プラスチックの順である。アルミ精錬(13工場)は日本の電気料金が高いから相当昔に無くなっている。ところが、品質は低下していても、実際に需要のある商品の固有価値を形成するには問題がないのだ。日本の企業が、いくら機能や品質向上に励み、そこに労働・労働力をつぎ込んでも商品交換されない(売れない)から、莫大な無駄を抱え込んでいただけなのであった。中小企業庁が、この無駄となった労働・労働力に手をつけて経済政策を行っていたら、日本の様相も変わっていた。EUはこういった経済政策に手をつけていたから日本ほどの窮地に陥ってはいない。ちなみに、見た目だけの中国のプラスチック部品の特徴は、不純物が多いことに原因があって透明または白色の部品はない。
それでも海外進出したいと考えるのであれば、
原材料を加工して様々な素材を生産する=素材産業であれば有望である。とりわけ、それなりの技術を持つ大手企業であれば、それは数十年間なら有効であろう。だがこれも進出国のGDP増加に役立つだけである。中小企業は資本も技術もないから、せいぜい数年のうちに資産を吸い取られてしまっておしまいである。ではどうすればいのか…。
[地方の自然産業、衣食住関連が国内経済の支え]
となることは間違いない。個別企業が海外向けに、生活・感性文化の永続性のある高価格高級品の輸出をするのである。自社の技術で作る商品は別産業かもしれないし、なによりも確実な固有価値による商品を提供することができる。そこでの高級品(高固有価値や高水準サービス)は、自動化一辺倒をするより、ICTで支えた手作りが安いコストで作れる。安易に機械化できるということは新興国が真似をすることであり、高度な機械化は投資に見合った売り上げが確保出来ない。また、そうでなければ経済循環しない。(経済循環しないから、今の景気のように、だぶつく資金が金融に回ることになる)。
……冒頭の話に戻るが、
だから、国内に踏みとどまるならば、大幅リストラや人員整理が(法的にも)許されるのである。ここで日本の戦時中の話が思い出される。“終戦の約半年前から始まった大空襲、米軍機は400万枚以上の空襲日程を書いた宣伝ビラを投下し、予定通りに大空襲が行われた”(ジャーナリスト保坂正康) アメリカ軍の情報を知りながらも、そこで避難せずに被災地に留まった大勢の人たちは、何をどう判断したのであろうか? 学童疎開対象外でも疎開していた人が存在したことも事実だ。


§固有価値論での、商品価値増量の広がり
(経営者たちの経験哲学
や信念から、経済の法則に)
この6月に京都で開催された、国際文化経済学会に筆者は研究レポートを出した。
http://www.soumubu.jp/new.html
固有価値と、その価格決定に関する研究レポート。国際的な学術団体は学者でなくても気軽に受け入れてもらえる。日本の学術界は極めて閉鎖的、民間一般からすれば、あきれた経済学論争や何が目的の研究か意味不明な論述、とりわけ総務人事採用問題を大学の先生は知らない。そんな非実務的な研究ばかりしているので、一石を投じる効果を期待したものである。聞くところによると、日本人学者は英語の国際論文だと、それが気になって読むそうだ。(私の指導教授の皆さんが言っていました)。筆者の私がいい格好したいのではない。英語の専門用語で質問がくれば、筆者には分からないし。
その注目をされているポイントは、
商品の固有価値についての、固有価値の源泉、商品価格決定に及ぶ要素として、
(ア)地域文化に醸成された幼少からの熟練された労働能力。
(イ)その職業に関わって鍛錬された労働力としての職業能力。
   …前項の労働能力と相まって具現化・商品化を成し遂げる。
(ウ)地域や地場産業で有機的ネットワーク化されたイノベーション能力&体制。
   …需要者の企業への頼りがい、ブランド性、地場産業性といった現象である。
この3つが、どうも世界で初めての学説らしい。各国からも注目されているようだ。
どういうことかと言うと、
「商品に付加価値をつける」といった付加価値論では、抽象的で曖昧で、驚くべきは経済的商品価値とは言い難いものまでが想定されていることである。賭博の要素、投機の要素、詐欺まがいの要素その他、事業として市場流通として、それでは欠陥理論である。そこで、固有価値として、正当な商品流通を構成する価値の源泉と評価を出来る限り可能にしたということだ。
で、今までの使用価値論による原価積み上げ方式の見積もりではない。それだと(イ)の部分の70%しか評価されず、創造的価値を生み出す職業であれば20%にも至らないかもしれない。自由市場での相場決定方式で、買手に信用してもらえる見積書が用意できることになるのである。商品製造や業務遂行で、どこにどんな労力を投入すれば、価格の向上、と言っても実際に売れる仕組みが出来るのである。
なので、固有価値による経済復興が、この論理と見積もりと流通でもって、個別企業ごとに計画できるようになるのである。学問の効用である不毛な努力・労力が減るのである。


§これからの面接技法 (商品価値の増量と販売には)
真に残念ながら、みんなが幸せになる時代は遠くなった。個別企業を、イノベーションの風土、良い人材の塊りにするしかない。良い人材とは、…それは、企業目的や取扱商品によって判断基準が異なる。現代の経済危機を乗り越えるとは、個別企業の固有価値を前面に出した「高固有価値製品&高水準サービス」の商品提供で活路を開くということだ。個別企業の経営の安定、それを支える労働者、人材の能力開発育成と確保、その事業目的や経営方針に資するのが良い人材なのだ。イエスマンは、雇う側の気分はよいかもしれないが、半人前でも腹の中では待遇要求して来る。既に日本経済は、親方日の丸の時代は過ぎたのでイエスマンは要らない。この経済危機の最中でも、人手が無いといった企業もあり、面接に来てくれないとして、あせった挙句、次のような避けたい人材を雇い、後日、お荷物になり、トラブルを抱え、多額の解決金を要するケースは絶えない。そこで、
【採用面接で避けるべき人材のチェックポイント】
(まず、採用通知を送る前に、もう一度チェック)
1.服装が雑であり、おしゃれ感がない。
2.履歴書に空白期間がある、経歴を宙で説明できない。
3.表情が暗い、劣等感が強く顕著に現れている。
4.業務の突っ込んだ説明をしても質問がない。返事もしない。
(次は、採用後、14日以内の試用期間にチェック)
5.OJT教育(やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめても)
  を行なっても、教えている内容を聞いていない。
6.1週間ほど経っても、仕事のことで自分の意見を表わさない。
7.勝手に世間話をする、好きなことにしか興味を示さない。
8.会社の商品やサービスについて、興味を示さない。
9.労働契約書面(社員、無期、有期)に表示されたこと以上のことは即時拒否する。
10. 遅刻、欠勤、借金など、いっさいの事情を口にしない。
採用通知後の注意:
大まかにでも客観的合理的理由と裏づけ証拠をそろえないと、訴訟で示談金を払わされることがあるから、感情的に解雇することは避けること。


§固有価値重視からの、「ものづくり」手法
使用価値や効用価値を重視したから、日本経済も大手企業も経営破綻した。
固有価値重視から、「ものづくり(消費財の固有価値)のイノベーション手法」を検討した。固有価値とは、いわゆる他にない取り得のこと、個別企業の固有価値、商品の固有価値、人材の固有価値といった具合である。
個別企業の売り上げは、ひとえに売れる商品を作ること。
それを使用価値(機能とか数量)ばかりに目を向けて、商品の価値・固有価値を疎かにしたから売れない。発明や新開発をしても売れないのは、それが使用価値の範囲でしかなく、使用価値さえ優れていれば売れると錯覚していたからです。「よいものをより安く」これは資源欠乏時代の話であり、日本人の能力や文化をものづくりに反映させ、高固有価値商品を供給するには、この「よいものをより安く」のイメージはマイナス効果となる。
(1)製品の1ヵ所だけを変えて、非凡にする。
   (木製自動車の例その他)
(2)重要な改善のツボは、
   「他社と違う、他地域と違う」ところにある。
(3)固有価値の新鮮さをアピールするイベントを行う。
   (店先の実演販売、半製品を店先で完成する)
(4)商品の容器や容量を変える。
   (土地柄、一人暮しや核家族用の量、保存法)
(5)製品(家電、衣料、水、木製自動車、食品、住居)
   原材料の成分を変える。その地方特産品を商品の成分に使うことでの固有価値は生まれない。
(6)顧客の「その商品を買うに至る旅」をよく見る。
   顧客が前に何を買い、途中で何を買い、考え直して買った物は? といった、顧客の過去の不満足を調べる。(長持ち製品、使い捨て商品のメリハリ)
(7)真実を現す色にする。
   「独自の色彩:それとも:ぼんやり灰色か?」のような色決め
(8)経験を集めたい、体験を集めたい=に応える製品。
   そしてメソッドバッジ(技能章)機能の用意も忘れずに。
(9)常に非凡な商品・製品を設計してみる。


§固有価値重視からの、「サービス」手法
固有価値重視の「人をケアcareするサービス業のイノベーションと教育要点」を検討した。これは、現場で如実に売り上げに関わる課題である。
原則は、=[スタッフに教育をするから、スタッフの仕事に笑顔が生まれる]。
これは、素人であったり中途半端な教育しか受けていない場合、お客様に対して笑顔が出ないということである。
イ) 相手の悩み解決手助けならば、スタッフが選択を非常にうまく導いていくシステム化
ロ) ワインを楽しむことを阻んで来たあらゆる障害を、スタッフが取り除くシステム化
ハ) 顧客一般の恐れる要因を、スタッフが排除・軽くするためのシステム化
ニ) 医療ならば治療するのではなく、病気を直す方向に変えていくシステム化
ホ) お客は自分の好みを知っている、スタッフはワインを知っていると割切るシステム化
ヘ) お客は、「常に沢山を学びたいが、教えられるのは嫌いだ」と割切るシステム化
ト) 知識は押し付けるのではなく、顧客と重要ポイントを一緒に発見するシステム化
チ) お客の技能習得の焦りには、「ゆっくり出ても大丈夫です、手元は遅くで」のシステム化
……サービス職種により、イ)~チ)を選択・具体化して行き、時おり、イ)~チ)を循環させて内省(ないせい:深く自己を省みる)を繰り返す。
☆最終消費者に買っていただくには、
商品価値を増量、それは生活文化型商品の固有価値を高め、その(人をケアcareする)サービスをシステム化することによって、安価に供給する方向である。方向をそちらへ仕事のやり方を変えることが肝要。変化に、たいした経費はかからない。工業文化型の商品では、技術や機能を付加しても、売れない → そして末路は値引き合戦に至る。


§労働者派遣法:政省令骨格(10月1日施行)
改正された労働者派遣法の、施行の詳細基準が政省令として固まった。概ね予想通りの内容ではあるが、「法的性格に派遣労働者の保護」が加えられたため、トラブルの未然防止に力が入れられている。検討された資料は次の通りで、これが官僚たちによって厚生労働省の文書として出回ることになるのだ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002eolv-att/2r9852000002eou9.pdf
実際の準備は、10月1日の施行を前に出される正式文書を見てから、具体的な対策を立てれば差支えがない。今の段階で言えることは、労働者派遣という方法は歴史的に役割を終えたとの認識と、労働者派遣という人海戦術に頼った企業では技術水準を落としてしまい回復不能になったとの認識、その上で次の経営計画・事業方針を考えなければ不良債権が積み増しされるばかりということである。労働者派遣会社が、アウトソーシング事業や業務請負事業に事業転換することは、まず不可能である。


§=書評=『職場学習の探求-企業人の成長を考える実証研究』
 (生産性出版:2012年3月発行)
ベンチャー企業や中堅企業、大手企業で成功した事業部では、学術的研究がなされなかったものの、経験的に認識されている結論がいくつかある。これは、東京大学経営学の大学院生たちがリクルート会社の大手企業の採用調査データをもとに分析を図ったもので、主に学卒新入社員を対象としたものだ。学者の研究であるから、研究根拠をインフォメーション情報に頼っていることもあり、この書籍からだけでは、実際に活用するのは難しい、というよりも経営管理に携わる者からすれば、思考パターンが違うから読みづらいのである。
筆者の経験や認識から合わせてみると、次の定石の学問的裏付けができたことになる。
(1)チームの組織効率の向上を念頭に、チーム内の知識流通サイクルを早めて、それをメンバーが内省(ないせい:深く自己を省みる)を行うことが、職場学習の向上に役立つ。
(2)OJTは、担当の課長や係長もしくは先輩同僚が単独で行うのではなく、別途にOJT指導員を選任して複数で行えば、訓練成果が高くなる。
(3)商品や業務のイノベーションを行おうとする風土は、それに巻き込まれた人材の育成を促すことになる。
(4)個別企業における協調性や規律性の水準が高い人物は、意外にも、「将来の独立起業志向」及び「他人への信頼感・信頼関係づくり」の2つを併せもっている。すなわち、将来目的がある人間は、その実現の成否は別として、現在所属する組織に積極的にまとまる傾向があるとのこと。
これら4項目は、
確かにベンチャー企業家や中堅企業経営者の、情熱的名言と同義である。ところが、こういった人たちが倒産やスキャンダルに巻き込まれてしまうと、この立派な情熱的名言は消え去るかもしくは揶揄されるのが常であった。やはり、それなりの学問的裏付けがないために、世間一般の人には真価がつかめてないのである。ここでも、経営者たちの経験哲学や信念が、経済の法則になった。
-(ここからは、書評から1歩踏み出して…)
イノベーションや新規事業を展開する際に、運良く「真価をつかめる人材」が集まればよいのだが、ほぼ間違いなく至難の業である。世の中に何人ぐらいそんな人がいるかとの研究は、古今東西にあるにはあるが、おおむね数万人にひとりの人材と指摘している。ましてそれが企業経営ばかりに向かうのではなく、芸術家、主婦、街の研究家、趣味、公務員その他に分散されるのだから、ほぼ集めることは不可能である。だからこそ確実に行うとすれば、教育訓練が必要なのである。
ちなみに、「真価をつかめる人材」とは、10代後半でも粗削りながらも、先ほどの4項目は理解するし、今までにいくつかを既に実行しているような人物である。
経済学でノーベル賞候補となった唯一の日本人、故:森嶋通夫ロンドン大学教授の説に、「大学入試問題は、『人間には神が必要か?』の1問だけでよい。外国語や数学はどうでもよい。こういう人たちが大学教育の対象だ」という趣旨のものがあるが、「真価をつかめる人材」とはそういうことなのである。したがって、この4項目は、この時代の変わり目のときには実行してみる価値があるのだ。
ところが、組織効率向上よりも組織の温存、知識流通サイクルよりも情報制限、内省よりも責任転嫁、部下は教育よりも有能者なら排除、イノベーションよりも既得権益、表面的忠誠を誓う社員への安堵感、横の人間関係よりも同僚競争システムといった具合に、日本の個別企業の教育訓練は水準の低下の一途をたどり、国際比較で次々と墜落していくありさまなのである。「真価をつかめる人材」と連絡をつける方法は存在し、その人たちは時間単位でも案件単位でも協力してくれるにもかかわらず…。

2012/06/05

第122号

<コンテンツ>
5月連休明けから消費が落ち込み。
商品価値(固有価値intrinsic value)を増量
  <固有価値を見積書に書き込む>
  <増量した価値を交換するためには>
  <加えて、固有価値には人を動かす起動力>
固有価値を説明!すなわち営業で、
日本の経済担当官僚や、企業エリートの誤認
付加価値の好きな人ほど脇が甘い!
  <中国人の作った、Made in Japan>
  <中国人の営林事業 in Japan>
  <代金を払わない習慣の国々>
市場経済を柱とする営業活動をする
  [地方の自然産業、衣食住関連が国内経済の支え]
  [東西ともにヨーロッパ人はMade in Japan]
  [大企業の、つい先日までの得意な分野]
生活保護、芸人Kの不正受給問題で、
労働者派遣法:改正の法的分析
  <今日まで裁判所の判決は>
  <労働側の弁護士たちは>
  <労働組合の闘争方針も>
  「労働契約申し込み:みなし制度」

§5月連休明けから消費が落ち込み。
長年培われた感覚は、政府データよりも優先させるのが経営者である。この春以降の短期アルバイト募集量は激減しているが、5月連休明けから消費が一挙に落ち込んでいる。こういったインテリジェンス情報こそが必要とされるのだ。個別企業の経営や経済活動にタイムリーな情報は、意識的に出されないから、精神的能力に経営者は頼らざるを得なかったのだ。それは、3.11地震津波原発情報しかり、北朝鮮ミサイル発射情報しかり、総てが終わり、対策方針変更が無理な時期に発表されたのと同じだ。政府発表や公式発表を待っていれば、必ず経営危機を迎える。
現実には仕事がないのに、政府やマスコミからの情報が出されないため、あれこれ手を替えて売り先を探すことに全力を挙げる事業主も数多い。
こんな努力は裏目に出る可能性が高いにも関わらず、
単なる精神論で仕事があると息巻く経営はダンピングが前提の話にも関わらず、
周囲にそれは見透かされているにも関わらず、
借入金が積み上がるばかりにも関わらず、
先行情報やインテリジェンス情報が読めないばかりに、不幸にも見捨てられざるを得ない事態に陥りつつあるのだ。経済危機・世界的恐慌だから多くの企業が潰れるが、資産まで人手に渡れば、大変だ。


§商品価値(固有価値 intrinsic value)を増量
すれば売れる。それが、高額な商品の順に売れ始めることは、経済学では解明されている。今を経済恐慌と言わず、なんと言うのか? ここでも無知と迷信での、付加価値論が花盛りだ。売れないという理由は、ひとえに「買い手にとって役に立たないから」の一言に尽きる。

<固有価値を見積書に書き込む>
ことができなければ、買い手に認めてもらえず、社会的に認めてもらえなければ代金として回収できないという原理だ。だからこそ、意味不透明な付加価値論の範囲から、固有価値というものに光をあて、それを引き出して説明・見積りすることが打開策なのだ。そして、これが現に代金として買い手に認められている事実である、そこでは営業・見積りで常習化している。

<増量した価値を交換するためには>
その固有価値が認められるがための努力が必要で、それは流通する社会による。日本文化の商品は、日本では固有価値を持って流通しているように。そして、日本文化商品が海外に出て、その固有価値が受け入れられれば、加算された固有価値(使用価値と固有価値は結合しているので一概に区分は出来ないが)を認識しての新価格が運賃を加算されて、海外では高値で売れるのだ。国内の地方商品が都市部で高く売れることも同様の経済論理である。(確かに、この経済原理の学問分野は、やっと花が開きつつある段階だ)。
人間が努力しても実らないならば閉塞感がはびこる。付加価値論というのは、人間の努力を無視する論理であるから、閉塞感に行き着く。

<加えて、固有価値には人を動かす起動力>
である「意欲、感動、希望の結合」が、必然的に存在している。これが存在しているから、「一生懸命働いて価値ある商品を買おう!」という意欲につながるのだ。この三つの結合は、商品が経済活動での地位を得始めたころの17世紀、ニコラス・バーボンというイギリスの商人(元は毛皮商、世界初の火災保険会社創設)が、世界で最初に書いた商品論(固有価値:「本来具わっている、光り輝くもの」当時の英語は intrinsic virtue)が最初だ。


§固有価値を説明!すなわち営業で、
「私どもならこういう価値が、他と比べてございます」と説明出来ることである。
これが現代経済学の最先端理論で、アダム・スミスの自由経済より数段も発展している。だから今は、やたら動き回るよりも、商品価値を増量し、増殖した価値を説明出来るような、会社での能力の蓄積が必要なのである。
(説明しても、それに協力しない従業員は、整理解雇も法的に可能)。
付加価値とかの用語での結局、訳の分からない説明では、社内にもお客にも伝わらない。見積り対象や学者の研究課題にもならない「付加価値」論の理屈を、訳も分からず唱えているようでは、部下にも相手にも伝わらない。固有価値は、説明出来る価値であり、見積りも出来る。付加価値の場合、全く価値が増殖していない場合もある。
イタリアの経営は、固有価値を重視しているから、
国家経済が傾きかけていても、なんのその豊かに楽しくやっているのはそのためだ。
☆固有価値を詳しく知りたい方はこのURL(勘が良ければ、気付く部分が)
http://www.soumubu.jp/documents/koyuukachi_ezu.doc

価値を増量するとは、「今までの使用価値にプラス固有価値」の外見を表す。(実態は使用価値と一体な固有価値となる)。
そして、その固有価値が認められるか否かは、それが流通する社会による。地理的な社会でもあり、ICTでつながる社会でもある。
ちなみに、公共事業の入札価格、大手企業の発注価格、基礎食品価格、工業素材品価格などは、使用価値部分しか価格がつかない、それは経済学でいう商品ではないからだ。パート労働者も、賃金労働を商品と見ると、具体的作業の使用価値部分だけの価格である。
…だから、固有価値論での商品価格や商品交換を考えれば、
販売に直結した業務改善、社員の能力価値の高め方、そして、どんな人たちに、どんな商品を、どの地方に売ればOKなのかの、こういった戦略の正確な見通しを付けることができる。これからの時代の経営方針の基盤理論となるのである。
それだけでなく、価値増量は新たな資本投下によらない。既存する資産による増量で、固有価値の大部分が可能なのだ。それは、古い在庫、売れ残り品、工芸能力、リサイクル、知的労働、地方特産品、遊休資産その他、過去に資金投入をしてしまった資産でもある。これが、固有価値の価格形成をしている。
そう、このほとんどが帳簿には現われていないから、税金の掛かる対象ではないのだ。


§日本の経済担当官僚や、企業エリートの誤認
これまで述べたような未成熟な経済原理、あるいは現場から乖離した経済原理で、今の恐慌や経済危機を乗り切ることが出来ない。この使用価値とは交換価値であり、それは投下労働力の量によって決定されるとする…スミス、リカードの古典派経済学の商品論そのものである。そこに交換価値が貨幣に変わり資本主義が形成されたとのマルクス経済学説がもてはやされた。(この理論は、極めて分かりやすいから、日本でも官僚、大手企業のエリートの多くが信奉している)。ところが、ここ数年になって、マルクスの資本論等に、そんな交換価値説など説明されておらず、西欧哲学に未熟な日本人の誤読・誤解であると解明する学説が急浮上している。そうだとすれば、日本の経営者や学者が、経済学説では世界で非常識と言われている由縁も、ここで解明されるかもしれない。
こういった古典派経済学に対して、今や風前の灯であるオーストリア学派と言われる人たちが、効用価値論を主張した。一時期は大いにもてはやされたものだが、所詮は前述のように歴史的制約を受けた未熟な使用価値・投下労働説に対抗した程度の学説であった。加えて、効用価値説というのは、「消費者の行動は予算の制約のもとで効用を最大にするよう消費する、だからものの価値を効用で測る」とした内容で、これは商品価値論ではなくて消費趨勢分析学であった。だから、学問的には比較検討に値しないとされたし、いちばん役に立たなかったことは、個別企業での商品開発のどの部分に注力すれば価値や交換利益が生まれるのかといった法則性が見いだされないので、個別企業での経営や業務命令に役に立つ代物ではなかったのが決定的欠点であった。
こんな歴史的事情から、官僚や公務員には「商品価値論」は不要とされ、企業エリートも商品取引の原理を「より良い財をより安く」とする使用価値論や効用価値論に内心執着したことから、市場経済の法則が働かなくなったと考えられる。すなわち、その端的な表現が、「親方日の丸」であった。「親方日の丸」は、市場取引を前提とした商品価値論の経済法則をことごとく無視した。ものを販売する側にしても、「より良い財をより安く」するのが善だと勘違いし、生産価格を下回る取引を行ない、総じて日本経済は豊かさを失った。
では日本では、どんな経済法則が働いていたのかといえば、資本投下による計画、官僚による統制(規制)による経済法則であった。東京一極集中とか、「東京に行かなければ情報は入らない」といった表現だ。すなわち、公共事業の情報、資産・土地払い下げ、大型研究開発費、大型委託事業、天下り情報その他、こういった仕事のための情報である。
もちろん、市場経済を柱とする個別企業は、市場経済の情報は政府統計資料に勝るものはないし、地元情報は東京にいく必要もないから、そういったことはなかった。


§付加価値の好きな人ほど脇が甘い!
使用価値論や投下労働価値説の論理水準であれば、付加価値論といった意味不明なことを言い出すのは、自然の成り行きである。だから、今日の販売不振対策として意味不明な付加価値を付加して販売しようとして、さらなる管理経費・付加価値企画費用がかかりすぎる結果となるのだ。本当に経済学部の卒業かと疑いたくもなる。
今や、中国製品と日本製品の費用価格は同程度水準に迫ってきている。日本製品には開発経費や本社経費を加算しなければならないから製造原価や生産価格が跳ね上がってしまうことになる。日本製品が売れなくなる原因はここにあると考えられるが、その背景には使用価値や効用価値ばかりを追及している経営システムがあるということが、現在の経済学研究成果の到達点のようだ。円高はショックではあるが、織物その他の素材産業のように、原材料等の購入価格が安くなるから、日本製品の輸出追風になってもよさそうなのに…。

<中国人の作った、Made in Japan>
デフレは行き着くところに来たものだから、日本の大手企業はノウハウが無いから海外逃亡しかない。だとすると、これから工場の空家が続出、そこに中国企業が工場進出してくる。家電製品自体は、真似して作る(開発費や本社経費不要)なら、Made in China も Made in Japan も国内価格は同じになるとのことだ。そこで、中国人の作った、Made in Japan ブランドが出回ることになるのだ。

<中国人の営林事業 in Japan>
日本の森林は固有価値の宝庫である。ところで、日本の森林を中国人が買っている。森林に固有価値があるということの自覚がないものだから、生活に困った森林所有者は次々と中国人に土地を売り、政府も固有価値に無頓着なので何らの対策も行わない。とにかく、中国には木材が無いのでロシアからの輸入だ。使用価値や効用価値程度の理解でしかないから、素人は勢い水資源や軍事占領の心配をしてしまうのだが、その前に中国人の営林事業が始まることを考える必要がある。数年ですっかり、日本の自然風景は変わるであろう。

<代金を払わない習慣の国々>
アジア進出一辺倒の風潮にしても、
中国、インド、インドネシアといった国民の、代金を払わない習慣、日本に資産が運搬されない構造、こんな事業に何時までも付き合っていくわけにはいかない。
そんなことになる要因に、日本の投資家やエリート経営者が内面で信奉する「商品販売の価値論」(使用価値や効用価値程度の理解)がはびこっており、これが日本経済の足を引っ張っているともいえる。さらに、恐ろしいことには、そんなリスクに多くの人が陥って抜け出せなくなっていることである。


§市場経済を柱とする営業活動をする、
その決め手は、「商品を交換するイニシアチブを握る」ことだ。ここに営業活動の意識を向けるべきであって、情報システムや物流機能の枝葉で経営を惑わされないことが重要である。こうやって、日々の営業活動や経営管理に要する気苦労、時間的空回り、物理的無駄を排除して、(節約できた時間でイノベーションに取り組み)、徹底した経営効率化を図ることこそが、日本経済の成長と豊かさの、重要な課題項目である。ただ単に、「がんばりましょう」と意味なく、やる気なく淡々と仕事をしている官僚たちとは異なる。

[地方の自然産業、衣食住関連が国内経済の支え]
となることは間違いないのである。海外向けでは、生活・感性文化の永続性の有る高価格高級品が輸出の柱になる。そこでの高級品(高付加価値や高水準サービス)は、自動化一辺倒をするより、ICTで支えた手作りが安いコストで作れる。首都圏とは別の場所での市場経済を柱とする経営を、一生懸命やった方が経済活性化につながるといえる。すなわち、首都圏向けの市場経済を東京の外からでも参加することは十分可能であり、ICT産業革命の波に乗り、東京向け物流会社に配達してもらえば十分なのである。(首都圏の物流拠点は、既に東京の郊外である)。

[東西ともにヨーロッパ人は Made in Japan]
が好きである。もう少し細かくいえば、Made in Japan 商品を、ヨーロッパ庶民は作りたがり、ヨーロッパ富豪は純正商品を持ちたがる。東西欧州は、商習慣・商道徳が存在し、行商人スタイルだから生活・感性文化の永続性の有る高価格高級品を販売したとしても、集金が可能だ。だから、ヨーロッパから買い付けに来てもらうには極東新幹線建設という着想である。その建設も、エネルギーを買うといえば、ロシアが線路を作ってくれそうである。

[大企業の、つい先日までの得意な分野]
を活かそうとするのであれば、それは日本優位の素材産業である。大手企業が原産地に海外進出して、その産油国や原産国での工業化の波に乗ることができる。とにかく、資本投下があっての繁栄であったところ、その資本投下がなくなったのだから、過去の繁栄にしがみついていても仕方がない。


§生活保護、芸人Kの不正受給問題で、
元財務官僚の女性国会議員に、高級官僚の本性を見た。冷血!とはこういう姿である。
人間的な気持ちとゆとりのある社会経済の共同体(自由平等)は、そもそも日本の高級官僚の保身には都合がわるいものである。戦前がその歴史だったから、日本の場合は憲法で公務員の横暴を規制しているのが特徴なのだ。
れっきとして、生活保護も社会経済共同体を(自由平等のために)維持する歴史的教訓からの手段である。経済や商品価格を市場に任せる原則もそうだが、会社営業・職業自由も、失敗したときの救済制度も、家制度を廃止したのも、すべて自由平等につながる社会共同体の仕組みなのである。そうしないと、市場経済は発展せず、経済成長の豊かさも阻害されるといった近代・現代史からの教訓によるところの制度なのである。
事情は違うが、同じ不況のドイツでは、自由・平等・自律の社会を守るため、現在貧困対策制度(日本の生活保護に該当)の傘下に10%の国民を保護している。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19613704.pdf
官僚と大手企業と多国籍企業が一体となれば、企業経営の自由がなくなる。これが法的枠組み、目先のメリット論とは次元の違うところ。公務員給与7.8%カット、生活保護10%カットなどで、お茶を濁してもいけない。
さんざん、生活保護の改善点を
私も昔から、指摘し行動もしているが、サボってきたのは官僚、とくに財源を握る財務官僚が厚労省に予算誘導しているではないか! 大阪市にホームレスや生活保護者が流入するよう糸を引いているのは官僚ではないか。生活保護法を、ヤクザと選挙の集票手段へと、制度をゆがめていたのは財務官僚ではないか。マスコミ記者個々人も、記者会見ネタばかりでなく、特ダネ報道の勇気を持つべきである。


§労働者派遣法:改正の法的分析
改正の項目的要点は、従前のメルマガで説明した通りである。裁判その他に与える影響を研究してみると、「法的性格に派遣労働者の保護」を加えたこととなる。これは間違いなく、訴訟事件の弁論論述内容に変化をきたすであろうし、裏付けの証拠収集にも変化が出て来る。

<今日まで裁判所の判決は>
行政法である職安法や労働者派遣法に関し違反行為があったとしても、私的な労働契約が締結されたとの判断はしなかった。その理由は、契約とはあくまでも、個々契約者の「自由・平等・自律」を前提としたものであり、日本においては、「契約の申込意思があり、申込に対する承諾の意思があり、この両者の意思が合致したときに契約締結となる」ことを基本的要件としてきたからだ。もちろんこれが、社会共同体の秩序の基本になるものだから、これに反する判決を上級審は是正してきた。ただし派遣先が派遣労働者に、雇用期待を持たせたとか採用介入した場合においては、不法行為(契約当事者外の迷惑行為)として損害賠償を課すことにしていた。

<労働側の弁護士たちは>
その典型的な論理において:派遣労働者の悲惨さを訴えて労働者派遣法または派遣契約の無効を主張するなど、まるで憲法論議かと思える論戦を行った。契約が無効となれば賃金支払義務も無効となるといった弱点に、彼ら弁護士は無頓着であった。派遣労働者関係の裁判事件が関西で多いのは、M弁護士の活躍であるが、この論理そのものであったのだ。おかげで、経営側は大助かりであった。

<労働組合の闘争方針も>
勉強不足なのか? 組合経営が苦しいのか? 意外にも金銭解決に応じるところが少なくない。先に述べた、契約の申込、承諾の意思、その意思の合致に関わるところの、派遣先の採用への関与、派遣先の賃金額介入などの事実が明確な場合は、経営側が解決金を持って走ったところ、金銭和解解決ができたのであった。裁判所も、あまりにも「労働側が金銭和解に固執」するものだから、経営側に金銭解決を裁判所が無理強いしたと思われる事例も数多い。これが紛争トラブルの内実であり、法改正要綱や改正法解釈には現われることのない、実務経験なのである。概していえば、労働側の自滅によって改正の程度が小規模となった。
さてこれからの課題は、労働組合側がどこまで、
 1.派遣先との労働契約の合意事実を追求する方針に転換?
 2.労働者保護の充実を、如何に裁判での訴額に表現?
といったところである。とにかく裁判では、労働側の一風変わった思考によって、経営側にラッキーな結果が生まれていた。…しかしながら、これからは行政の動きも変化する。

「労働契約申し込み:みなし制度」
労働局などの行政機関は、この10月1日から3年後の、「労働契約申し込み:みなし制度」を実施することになるが、従前の労働行政からすれば、この3年後が制度の完成時期である。それまでに、地ならしを行うのが従前の労働行政方式であるからだ。
ちなみに、日雇派遣は事実上弾圧を厚労省は完遂した。その後の経済状況や、この春以降の短期アルバイトの激減も相まって、日雇派遣禁止制度は完成してしまっている。
ところで、厚労省本省の行政方針変化は、都道府県労働局担当者の人事異動で現われる。リーマンショックの後、派遣業担当者の人事異動は頻繁であったし、行政指導内容も変化したが、それを個々の派遣先は知る由もなかった。肝心の派遣元企業のほとんどは目先に走る経営方針であるから、そういった重要な情報も把握すらしていなかったし、多分今後もすることはないだろう。
とりあえず、労働者派遣のシステムは、時代的には終わったのである。