2012/05/08

第121号

<コンテンツ>
総務部メルマガ、11年目に踏み込み
今日本は、「混沌とした社会」ではない
だから夢が必要! だから無謀な夢が。
夢を語り・実験してみればよい!
厚生年金基金の末路
Facebookには、懸念がある。
=書評=「イノベーションの達人」


§総務部メルマガ、11年目に踏み込み
今回で10年を突破、第121号となりました。
確かに、この分野では異質であり、総務人事部門のイノベーションを課題とするメルマガでは、唯一のものです。
1.営業や経営全般におよぼす総務関連の出来事を題材に
2.マスコミの書かない記事と解説に内容を絞り
3.経営全般のイノベーションに役立つインテリジェンス情報の提供を
4.(マスコミの読者向け文学的に反し)社会科学的裏づけのもと
5.パソコン通信を念頭に落ち着いて思考いただくようにしてきました。
さて、10年前と比べ、ICT技術革新が一段と進みつつあります。
ICT産業革命の中で、読者のみなさんの意識が変わり、かつ、今の日本のネット社会では、強気だけで抱えきれない現代リスクと、反面には無謀な期待感で惑わされそうです。
そこで、
これからの新時代に必要な、身近な目前の利益確保や、「あの時に…と悔やまないですむ」将来のリスク回避の工夫にも、Facebookでもって、様々試みようと思います。
名前を、≪総務の金星≫で検索ください。プライベートFacebookとは別です。
株式会社総務部、代表の村岡利幸が提供します。(その方法は後述)
http://www.Facebook.com/profile.php?id=100003821013379
「科学的学問的裏付けのある知恵」の発信をFacebookでも試みます。
コンピュータ原理を開発したウィーナーの力説する、「新しい通信には、新しい手段が必要」という訳です。だから、Facebookに蔓延している意味のない世間話ではありません。たぶん、日本人のFacebook世界では、リアリズム過ぎるでしょう。
何かと、混沌とした未来が見えてしまう昨今ですから、ひとつ、ご理解ご協力いただきたく、お願い申し上げます。        株式会社総務部 代表取締役 村岡利幸


§今日本は、「混沌とした社会」ではない
良くも悪くも世論に影響を与えるのはマスコミである。口を開けば「混沌とした社会」とばかり言っている。ところが、この状態にあって、次の時代をにらむ戦略家たちは、民間であろうが政府であろうが、まして霞ヶ関財務党の官僚たちまでもが、実際に目論んでいる内容を口にしようとはしないのである(個々の事例は省略)。これに合わせて保身を図るマスコミ関係者は、目の前にある特ダネやニュース解説を避けるのである。まるで中国のマスコミを観るようで、北朝鮮のピョンヤン放送になりはしないかと、感ずる所は冷や冷やものである。
昔から、ピラミッド型の組織の中でならば、
上から物事を実行しようとすれば、本当に目論んでいることは口に出さず、その本命以外のことをPRする方法が定石である。だから昔は、本命の話以外を議論に載せて話題にすれば、確かに組織は結束し、みんなが一丸となって組織的に行動した。その運営方法の具合が良かったから、55年体制と言われる、「保:革」が社会で機能をした。個別企業においても、人員が多くなれば不具合を生じることから、「労:使」が機能した。終身雇用・年功序列型賃金・企業別組合と言われた社員管理の三種の神器のことである。ところが、「本当に目論んでいることは口に出さず、その本命以外のことをPRする方法」は、エネルギーを持った人材たちに、いわゆる嫌気を与えたわけであるから、組織の活力も同時に消滅したわけである。すなわち、嫌気がさして組織では生きていけない人たちは、自ら事業を起こしたのである。
そして、現代になって時代が変わった。
だから今や、大手企業に、たとえ多額の投資(現実経済では実に夢物語だが)が行われたとしても、大手企業の社員の大半、あるいはその人たちが採用する新入社員の大半は、所詮は活力とは縁遠い者たちとなっているのである。仮に活力を目指せば村八分、せいぜい口先だけの不満分子に留まっておかないと、生活の糧まで閉ざされ(クビ)る。こういったレトリックである「労:使」の機能、これを必要としない中堅・中小企業だったから、そこでは大手企業と違って意識の差が生まれることとなった。だが、大手企業を見習って、「労:使」機能の真似をしようとした個別企業たちと、千差万別優劣付けがたい「夢を事業に吹き込んだ」個別企業家たちの二つに分かれた。世襲の二代目・三代目経営者たちで、どちらともはっきりしなかった個別企業は、真っ先に崩壊していったのが現実でもある。
このような歴史と学問的裏付けで観れば、
マスコミ流儀の政治ショーの如く、
口先だけで中身のないストーリーでは、暇潰しだとしとしても飽き飽きだ。世間でもてはやされる閉塞感、日本経済の転落・墜落感、奴隷でも受け取れる程度の報酬感、こういった人生や社会のとらえ方もレトリックだと気づけば、解消することができる。
実は、理論的にはどうでもいいことだが、こういった教養センスがイノベーションを起こす起動力であり、日本経済を「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供で復興することができるのである。
教養センスとはそういったもので、人生や社会共同体にはインテリジェンスが必要なのである。レトリックにとらわれないようになるには、インテリジェンス面での情報交換が必要ということなのだ。
ついでに解説すれば、
レトリックとは広辞苑でも調べれば死んだ情報ならば直ぐ見つけられる。が、レトリックのインテリジェンス情報ならば、「ギリシャは人の言うことを聞かない」からレトリック(修辞学)や詭弁学が発達し、「ローマは人の言うことを聞いたから合議制で発達した」歴史や法体系に進んだ…という具合になる。ちなみに日本文化はギリシャ風(伝来仏教もギリシャ風)だからレトリックの論理構成を受け入れやすい。だがグローバル展開はローマ風であり、「自由平等の社会共同体」の目指した市場経済がイニシアチブをもっているのだ。中国では儒教を信奉する者などは社会から抹殺され、中国経済の指導者は理学部系が多いとのこと。
ある面、無知や迷信に浸っている人たちには、
レトリックの手練手管を使ったときの効き目は絶大だ。マスコミも、レトリックが売れるから、そう書かなければ首……。だが、個別企業の発育も福祉の増進も、そのレトリックの時点から後退してしまう。自らも、無知や迷信に浸る危険をはらんでいる。フランスは大統領が代わり、ギリシャも与党が惨敗とのニュースが入ってきているが、EU統合や経済政策の前提として近代ヨーロッパの哲学が徹底的に研究され公表されているといったことを取り上げないマスコミ関係者も、レトリックを使って飯を食っている者が大半だ。


§だから夢が必要! だから無謀な夢が。
夢と白昼夢は違う。それが一緒だと言って、惑わすレトリックも前時代的だ。
例えば、大阪経済を復活させる夢には、
イ)「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供しかない↓
投下資金によって起こせる事業は避ける↓
世界の富豪に比べ日本企業に資金は無し、投資も無し↓
技術とか技能の切り売りを海外展開すれば自滅↓
ロ)大阪に経済拠点の復活、それには「場づくり」が必要↓
イノベーション、労働采配、契約采配、物流采配を握る必要↓
軍事力なくして人・物・金・情報の流通でカネは落ちない↓
情報プラットホームは、経済活動の動きにならない↓
ハ)Made in Japanの出荷先は、商習慣のある東ヨーロッパ↓
アジアは、商習慣が未発達だから金を回収できない↓
ニ)輸送は極東新幹線(大阪発~日本海フェリー~シベリア鉄道)↓
ホ)固有価値を持つ商品経済メッカ・大阪の象徴、ちんちん電車↓
路面電車は輸送手段ではなく経済活動復興象徴の手段↓
大阪を企画・投資・技術・販路の「楽市楽座:安心地帯」の象徴↓
へ)大阪の本町通2km、経済拠点たるべきオフィスを集中、その周辺に保育所。
……といった具合だ。レトリックではないからこそ、説明効果は抜群なのだ。
「ちんちん電車」は時速6キロ、飛び乗り飛び降り自由。こういった話を、この大阪で示したところ、みんなが大喜びしている。夢と分かっていても、経済復興の理屈は知らなくても、ああしようこうしようとのアイディアが続出して来るのである。
個別企業においても同じ、
たとえ守りを固める体制を固めようとしても、こういった夢が無ければ、社長も幹部も社員もパートも、「前向きの動き」にはならないのだ。…動きがとまれば、支払いと不良債権の波が押し寄せるばかりである。社長の強気で経営が持つ訳も無く、総務人事部門の参謀としての支えは欠かせない。


§夢を語り・実験してみればよい!
個別企業の中心・中核が意気消沈していては将来はない。
だから、貴方の企業でも、貴方の街でも、夢を語り・実験してみればよい。
街なら:皆が集まる場所でこそ、楽市楽座フリーマーケット
企業なら:楽市楽座のサークル活動(の雰囲気の仕事スタイル)
……前時代的(投下資金ありきの)マーケティング、人事制度、業務改善、販売活動、Web戦略などで事態は打開できない。せいぜい東南アジアに個別企業ごと出稼ぎに行って延命を図るだけである。その成功のコツは、語るだけではなく、実験してみることだ。すると、若者が付いて来る。
とにかくレトリックの好きな人は、
「労:使」も「保:革」も、口先ばかりで、実験が嫌いだ。実験が嫌いだから、もちろん本番の実行も出来ない。挙句に延命策の話ばかりだから、そんなことを見透かした若者は海外勤務の就職を嫌うのだ。そんな事実の確認はリクルート会社にアドバイスしてもらうよりも、直接インタビューすれば直ぐ分かること。だから、若者はチャンスを見てとると海外へ自費ででも飛ぶのである。
ちなみに、女性ばかりの店舗
を作る実験(西友)がなされているが、これがまさに、上記の「楽市楽座のサークル活動」の視点から分析すれば、新しい時代の人事・人材活用仕事スタイルである。男女平等というよりも、女性ばかりのほうが、夢を実験・実行する確率が高い組織コンビネーションという意味である。だから成功の秘訣は、女性の中にも部下の抑圧に気概を燃やす者が存在するから、「本当に目論んでいることは口に出さず、その本命以外のことをPRする方法」を、如何に当初から排除・阻止するかであるのだ。夢を語り・実験するというのは、この「当初から阻止」という所に、レトリックとは異なる具体的現象面な違いがある。最低限、昭和61年の雇用機会均等法施行の際に、日本生命某人事部長が言い放った、「男らしい女と、女らしい男を入れ替えるのだ」との前時代的発想(レトリック)とは、次元も世界も異なることをはっきり明言しないことには成功はおぼつかない。
実験して→実行してみて
要するに、あれこれ理屈を言っていないで、とにかく「楽しく自由に」やってみることである。(個別企業でも街づくりでも、この「楽しく自由に」という言葉を、無能な管理職から順番に忌み嫌う。有能な人は、もうそれなりにやっているのだが…)。
だがそれでも、比喩的にいえば、「国破れても、官僚は残る」と陰でコツコツ実行に走る、「優秀な官僚たち?」の仕事面だけは、他山の石として見習うべきなのである。
現代的楽市楽座、ICT産業革命中であるから、Webの世界でも中国流の統制・朝貢経済ではなく、自由・平等・資本主義の楽市楽座なのである。


§厚生年金基金の末路
AIJのニュースで厚生年金基金の将来が騒がれている。
筆者は、十数年前から今日の危機を予想して、心ある事業所に対して、厚生年金基金と健保組合の両方ともを脱退するコンサルティングを行った。だから言えることだ……。
実は十数年前から厚生年金基金の制度は破綻に陥っていたのだ。この制度の前提は右肩上がりの経済成長、ピラミッド型組織に次々と若者が就職して、最後までピラミッドの頂点に上り詰めた人たちを支える年金を予定した制度であった。こんな前提の制度に、何を錯覚したのか、中堅・中小企業までが参入をして行ったのだ。
もう十数年も前から
健保組合は協会健保(政管健保)よりも給付条件が落ちていたにも関わらず!だ。当時から厚生年金基金も原資に穴を開けていたので、仕方なく?投機(証券など金融商品)に手を出していたにも関わらず!だ。(健保組合と年金基金は原則共同歩調)。IT産業の厚生年金基金であっても、「若者が多い」と安心感を振りまいていたが、出入りの激しい業界だから実態は財務内容が良くなかった。とにかく、やばい事態に陥っている厚生年金基金は、新規事業所加入の意欲など全くなかった。もうすぐ危なくなる厚生年金基金は、様々な嘘を言って新規事業所の誘いを最後の最後まで行っていたし、そうしないと「やばい事態」になるからという理屈だ。最大の嘘は、「厚生年金基金加入は全会社ごとです」と口で言っていることだ。本当は、事業所ごとである。だから東京支店は健保組合と年金基金加入、大阪支店は協会健保と厚生年金と言う企業が現にあるにも関わらず。
さて、AIJニュースをリークしたのは厚生労働省に間違いない。
マスコミや国会で取り上げられた時点では、既に「やばい事態」に陥っている厚生年金基金では、
1.事業所の脱退阻止のための高いハードルの規約に改正
2.基金の加入員減少や偽装倒産等でも空保険料の回収制度
3.次に、保険料値上げや年金支給額の減額の検討に入っている。
この段取りと行政指導をした上で、厚生労働省がリークをしたのだ。
とにかくAIJは救いようが無い
くらい腐っているから、厚生労働省としては絶好の生贄にしたいのである。偶然にも、その甘い汁を吸ったのは、キリスト教系某大学(神戸市)の理事長である。その甘い汁は、旧約聖書(ユダヤ教・イスラム教)でも新約聖書(キリスト教)で禁止されている、「物作りに資することがない利息」=「利ザヤ稼ぎ」であった。おまけに、大学内で理事長は自称経済学者だから、「利ザヤ稼ぎ」と正当な利息とを混同したとの弁解はできない。だから、ここぞとばかりに、厚生労働省の「免罪符」としてAIJを叩き潰しても、世界の各国政権と投資家の賛同を受けられるといった思惑が出来上がっていた。
そして、そのリークの目的とは、
「やばい事態」に陥っている厚生年金基金がどのような社会評価を受けるかの問題だ。
今や基金の構成員は、社会保障という大義名分よりも、「自分たちだけが得したい」と思って基金に加入した履歴、バブル時代には欲が絡んで「取らぬ狸の皮算用」、次に失われた10年×2回の時代では穴が開いた原資に居直って「強欲が絡んで投機に走る」といった人たちの集団行動、もしくは「そうとは知らなかった」とは言えない欲張りたち、…といった評価である。したがって、(基金の不法行為は見出せず)自業自得だとして、救済の手を国から差し伸べるとは言語道断とか、せいぜい法改正によって厚生年金基金の連合体に連帯責任を負わせてしまおうとの、旧厚生官僚名演技である。
もはや手おくれ!
私どもに基金脱退のコンサルティングを依頼されても、社会制度に反して基金に残り続けた個別企業に対する不良債権の対策には、とてつもない困難さが付きまとうからである。その最大根拠は、脱退手続きの最中に、「オタクも元はといえば、甘い汁が吸いたかった仲間じゃないの」と年金基金側から誘惑されれば、それに乗ってしまう哲学だからだ。「自分たちだけが得したい」と思うのは自然ではあるが、基金の不良債権を免れる法的根拠の存在の仕様がないのだ。それは十数年前にリスク回避すべきであった所の失敗であるからだ。確かに前時代的レトリックに惑わされた犠牲者ではあるが、「他人の話を聞かなかったが故に」招かれた崩壊であるから仕方がない。
近代法の救済制度からいえば、「仕事を続けるために、会社解散」をしてチャレンジする道は残っている。確かに、「会社を残し、仕事を減らせば」、その方向の方法は無きにしも非ずだが、よほどの覚悟と費用がない限り不良債権を免れることはできない。


§Facebookには、懸念がある。
例えば、私の職業では、「人脈が可視化」されると支障が出る。
すなわち、封建時代など中世の経済制度の脱出基盤となった、「労働の配分によって価値を生む社会システム」が市場経済を支えているが、その中核的役割であるコンビネーションやアソシエーションをつかさどる職業では支障か出るのである。
すなわち、主に会社経営者、管理職、アウトソーシング、自由業といった、「人脈が可視化されない」から成り立つ職業の人たちである。この職業の人たち以外にもそういった要素を持つ人は多い。半面、肩書がそうであっても実態が「労働を配分されている人物」であれば、「人脈の可視化」はさしつかえなく、Facebookのイメージの、「御説」の通りである。ただし、Facebook発祥のアメリカ社会では、弁護士などの資格取得よりも、卒業した大学が重要な資格項目であり、卒業生OBも出身大学を精神的にも支え金銭的にも維持・寄付している仕組みである。だからアメリカのFacebookでは出身学校が重要となるのだ。
何人かのSNS専門家では、
☆1 会社の上司や局から友達申請されて拒めなかったり、
☆2 人間関係の相互監視で窮屈な事情でFacebook疲れが起こり、
☆3 仲間はずれを恐れ、当たり障りのない内容しか書けなくなったり、
☆4 誇れる仕事、学歴、人脈、容姿がないと劣等感を感じることになり、
★5 さらに日本では、戦時中の隣組と同じく社員監視に使われていると。
……こういったことが指摘されている。
http://www.cnn.co.jp/tech/30006492.html
さらに、Facebookを利用している事業者のほとんどが、個人もしくは個人事業を相手にしていたり、狭い事業領域で活動する人物(芸能界や政治家とか)といった者たちであると指摘している。要するに、同一商品を扱い販売先は親戚、知人友人から始まる職業(例=税理士、弁護士、行政書士、司法書士、社会保険労務士、保険代理店、美容師、小売販売などを指す)である。
だから、そうでない場合は、
日本でのFacebook使い方のイノベーションを起こさなければならない。相互情報の交換しやすさが、Facebookの利点であることは間違いなく、ICT産業革命の真っただ中にあることを忘れるわけにはいかない。Facebookブームに水をさす話だが、SNSとは携帯のメンテナンス機能を、「いつまでも噂話や無駄話に興じていたいティーンエイジャーのニーズに訴えた」アメリカの商品(『イノベーションの達人』p46)で、効率のよいコミュニケーション媒体とはいえない物だ。だが、この使い方をイノベーションすれば、有効な経済活動の基盤にもなる。
とりわけ、日本でFacebookを道具として使うには、
1.最低限ペンネームを使用(芸能界のように)すること、
2.組織的管理を行ってFacebookを編集(政治家のように)、
3.提供する情報や交流内容を、目的を定め限定すること。
4.Facebook内の「村社会」の人たちと摩擦しないことである。
私どもが今日まで一線を引いて来たFacebookに、
≪総務の金星≫を開始したのは、こういった意味である。
やはり、インテリジェンスな情報は交流を行わなければ伝達されないし、Facebookの個人ページ機能がアメリカのように活用されるのは良いことなのだ。(ちなみに、Facebookの友人は5,000人未満らしい)。よって、Facebookの開設するフィード購読では、また別の意味しか生じないのである。
要は目的的に使用すれば、市場経済を支えるコンビネーションやアソシエーションの道具にもなるし、ブームに乗せられただけならば、現在懸念されている人間関係相互監視の役割に使われて市場経済の阻害要因(販売活動のカモにされるだけとか)かもしれないのだ。また、次々とコミュニケーション?を図ったところで、濃度が薄くなるばかり、ましてインフォメーションや当たり障りのない内容であれば即座に利用されなくなるのだ。


§=書評=『イノベーションの達人!-発想する会社を作る10の人材』
トム・ケリー&ジョナサン・リットマン、早川書房、2006年6月
アメリカの有名なデザイン・ファームであるIDEOに集約されたイノベーション手法を披露している。IDEOは工業製品のデザインやイノベーションを扱っているものと誤解をされて、日本の経済や経営の分野では紹介されることがない。アメリカではれっきとした全般的なイノベーションとして経営学などにおいて紹介されている。シリコンバレーに本拠をおいたことや、当初はコンピュータ関連機器製品で成功させたのだが、メーカーから小売店、大学、病院に至るまで多種多様な業種において、高付加価値製品から高水準サービス(顧客集客改善など)までの商品を扱っているのが本当のところである。IDEOは、昨年の3・11東日本震災直後、復興に向けた東京オフィスを開設している。
この本には、イノベーションに必要な人材パターンを10種類あげている。その人材が行う具体的行動や考え方を具体的に示し、如何にイノベーションにかかわっているかを説明している。日本では、イノベーション業務に携わる者といえば、新商品開発担当といった限定的イメージにとらわれがちである。が、ここではビジネスの芽となるイノベーションの発見者(人類学者)から始まって、イノベーションされた商品や業務改善手法を企業文化や社会文化にまで定着させる人物(語り部)まで、10パターンの人材類型を取り上げている。産業育成における、地面の下の種の発見から社会経済に不可欠な大きな樹木までに至る、事業開発に欠かせない人材類型を説明している点で、経済学でもあり経営学でもあるのだ。(この人材・労働面での日本の学術はきわめて遅れている)。
1.人類学者
2.実験者
3.花粉の運び手
4.ハードル選手
5.コラボレーター
6.監督
7.経験デザイナー
8.舞台装置家
9.介護人
10.語り部
10パターンそれぞれの人材類型は、現在の日本語への翻訳が難しく、ひとつの言葉に概念をまとめられるものではない。だから直接読んでみて、それぞれの行動や考え方を具体的に知り、最後にそれを混ぜ合わせることが、この書物からの知恵の習得方法であり、この本自体がそのような編集を行っている。まるでヘーゲル哲学の手法が思い出される。イノベーションを話題にする本には、この本の二番煎じが多いから、オリジナルを読み解けば実力がつく。
したがって、イノベーションを管理しようとする者、イノベーションに携わる者共に必見の書物である。もちろん、今やイノベーションを抜きにして事業経営は成り立たないのであるから、総務人事部門に属する者は必読の書である。今日明日には必要ないのは事実だが、あさってからの仕事の的を外さないためには必読だ。