2012/08/07

第124号

<コンテンツ>
日本国内へアジア諸国並みの経済と生活水準を招来
政府の経済政策に至っては無能
大手企業軒並み海外脱出の方針
クール・ジャパン戦略(ボトルネック)が急浮上
新しい商品価値創造(固有価値)なら打開できる!
中堅・中小企業への期待と成長要因
労働契約法=改正特集=
 ・改正労働契約法で個別企業が、社会が変化
   ★その1:5年で期限のない契約に転換___
   ★その2:雇止め(期間満了=解雇)制限___
   ★その3:有期契約者の不合理労働条件禁止___
 ・改正事項と経営重点4分野との関係
 ・改正法の逐条解説の出版やセミナー
新時代の、「新能力評価表」の試用版を作成
厚生労働省、窓口の臨時職員の危険


§日本国内へアジア諸国並みの経済と生活水準を招来
事態は極めて深刻だ。既に、工業国としては孤立した島国、工場廃墟と放射能汚染。日本国民は、あまりにもお人好しが多すぎる。窮乏の末に摩擦を起こす、「貧すれば、鈍する」ことは目に見えている。
マスコミは刺激的なリストラや企業買収の話以外、オリンピックだ、消費税だ、政局だと言って取り上げられない中で、各所で日本経済の行方の討論会?が行われている。表向きはまるで、「高校生の弁論大会」の様相、すなわち、「主体的力&ベクトル」が存在しない話ばかりなのだ。このままでは、アジア諸国並みの経済水準・生活水準にまで落ちてしまう。それに反対する海外諸国も大手企業も見当たらないばかりか、事実上それを望む海外からの発言は目白押しである。「中国での経済進出は、中国一般庶民並みの生活の受け入れ!として跳ね返って来る!」と揶揄されたとしても、それが的外れな指摘とは言えないのである。インド、インドネシア、インドシナ半島といった経済進出先の国々が、自国だけのGDP増加を期待しての思惑を認識した上での議論が必要なのだ。日本のGDPは下がる、国内預金は流出する、労働力も流れる。これが日本を取り巻く関係諸国の思惑であることは、マスコミ関係者以外の議論を研究すれば直ぐ分かることである。なのに、こういったニュースがTVや新聞では報道もされなければ、議論もされない。
経団連は7月19日と20日に、「夏季フォーラム2012」を開くなどして方向性を打ち出している。政府も、「日本再生戦略」をまとめている。念のため、各政党の政策もチェックしたが、総てが共通の視点しか持ち合わせていない。私から言わせれば、日本経済が復興の道を歩み始めているのであれば、この人たちの議論を信頼もするが、現実は益々落ち込んできたのである。もちろん、この人たちは異なる意見を持つ有能な人の話を聞く姿勢がない。実は、ここが大問題なのだ。結果は若年層の無気力に現われている。
先ほど紹介した経団連「夏季フォーラム2012」の議長総括が、経団連タイムスに掲載されている。要点は、「海外から買いに来てくれることもなく、国内では売れないから、海外に売りに行きたいなあ~」。そして、「新しい日本を創る決定打もないので相場的にお茶を濁しておきましょうか」と、筆者には聞こえて来る。詳しく知りたい方は…と言いたいところだが、夏季フォーラム2012の内容を読む価値はない。経団連は講師を招き、「従来の先端技術への挑戦との常識が通用しない」こと、そこで「デジタル設計思想やデジタル製造工程に立ち遅れ」であることを指摘はしているものの、何故、大手企業が軒並み崩壊しつつあるのかの原因には踏み込めず、イノベーションのカギとなる「ビジネスモデルと知的マネジメント」の展望はないと講師は言っている。(講師も展望の話なると精神論に転換する)。
ちなみに、東京大学経営研究センターの議論を紹介した書籍でも、
日本の技術者の水準の低さ、すなわち
A.技術を現場に落としこむ技能(多様性・一回性)の弱さ。
B.開発のプロセスを短期・効果的に進める技能の弱さ。
C.原材料、素材、基礎技術を組み合わせる技能の弱さ。
が指摘されているが、そもそも、こういった技能の学術解明さえなされようとしないのが日本の技術水準なのであると指摘している。そしてここでも、「大手企業の組織硬直」を技術水準低下の原因としているが、ただやはり、その解決となると、その道の専門家ではないから仕方がないのだが、「気」だとか「教育」だとかの精神論に陥っている。


§政府の経済政策に至っては無能
(政治問題は語りたくないが、ワラをもつかむ気持ちの人のため解説)
もう言い古された、「国際競争力のある製品が日本で創出されるような税制や、中小企業の海外進出を支援する政策を進める」とか、「製造業だけでなくサービス業や農林水産業も考慮しなければならない」といった、今や時代錯誤のことを打ち出している。受け狙いでいうことがなければ、政府は経団連の会合などで、アジア経済基地として「例えば津波避難ビルの建設」だとか「新型インフルエンザの予防ワクチン事前接種対策」とか、話が飛べば「経済成長のための課題は政治とメディアだ」(仙谷)、「GDPが下降気味なのでGNIを考える」と、全く何を言い出しているか分からない。政府の、「日本再生戦略」も、読むだけ時間の無駄であり、その無駄が何かを取り繕うと資料を並べているにすぎない。
ちなみに、アジア新興国の中で増加している中間所得層は、日本が家電製品を輸出していることなど、既に「知らない!」といった実態なのに、この中間所得層に日本製品を売ろうというのだ。先ほどの東大経営研究センターの著書の中でも、「中国で、1台4万円の高級電動自転車を2台組み合わせれば、平らな中国では電気自動車が8万円で販売される。こうなれば日本の電気自動車は中国進出出来ない」と言い切っているのだ。認識不足も甚だしい。
また、海外進出のターゲットはアジア新興国としているが、中国、インドシナ諸国、インド、インドネシアなどの国々は、「共産党」を名乗る勢力の多い地域で、現に「共産党」市長が存在するなど行政機関を配下に抑えている地域も多い。そんな地域に日本人を進出させて、(日本の「ゆとり世代」の若者も扱えないのに)、予想するような企業活動ができると思っているのだろうか。


§大手企業軒並み海外脱出の方針
素材産業以外の大手企業は軒並み崩壊の一途をたどっている。
数多くの大手企業は、もはや組織のしがらみ、守旧的部下の怠慢によって改革が出来ない状態にある。改革のために投資する金融機関も投資家もいない。また、投資がなければ金がなければ動こうとしない管理職が圧倒的である。その意味で仕事ができる管理職は出向やリストラで社内を去っており、連れ戻すには、管理職の抵抗が激しい。だから技術部門のイノベーションすら難しい。だからトップの社長が力説しようが、経団連で決めようが、まして政府が戦略を決めようが、それを実行できる組織体系と意欲組織はもう既に存在しない現状だ。改革をやっていると主張する大企業でも、実は五十歩百歩である。残るは、「大手企業」の地位から「完全離脱」するしかない。
だから、大手企業は海外脱出しようとする。
日本の家電製品の関連企業は崩壊の一途である。故松下幸之助の経営理念を数年前に排除した家電メーカーは、その後一挙に身売りが始まり、惨憺たる末路である。日立の経営陣は、「このままでは破綻してしまう危険」を社外に訴えながらも、今一つ切り開くすべもない…と思われる講演をしている。
自動車のトヨタが販売台数を回復させたといっても、肝心の売上金額やどの国の所得なのかは発表されない。むしろトヨタは再びリコール問題である。世界的にはヨーロッパと中国に負けている。日本のリチウム電池は、現時点が花盛りで、もうすぐ中国に生産を奪われる見通しである。
大手企業は再生エネルギー分野から手を引いた。あげく日本の電力の高価格を理由に工場海外移転を進めている。(所詮、電力産業は地産地消の業態であるが…)
経団連「夏季フォーラム2012」の議長総括は、経団連タイムスにA4判1枚程度の記事が掲載されたが、そこから映し出されるものは、海外脱出=今の商品でも売れる国への実質移転である。移転をすれば日本のGDP(国内総生産)は増えない。移転先のGDPが増えるだけである。技術を持った大手企業の海外移転は、もう既に活発になっているのだが、生産現場の技術者の海外企業からの引き抜きを加速する。家電メーカーの生産技術者は、土日に海外出張してレクチャーするだけで30~50万円の報酬がもらえるようだ。リストラをされても、給与が上積みされて海外企業は採用する、ただし期間は短い。定年退職しても数百万円の年収を保障して海外企業が採用する。
海外脱出とは、闇の部分にこういう組織崩壊現象を含んでいるということだ。(…だから部品メーカーは、値引きして部品納入してはいけない、海外に工場移転してはいけない。→後段の「中小企業への期待と成長要因」を参照)。


§クール・ジャパン戦略(ボトルネック)が急浮上
自動車、家電など、一挙に外貨を稼げなくなった産業の代わりに、「クール・ジャパン」を経済産業省は急浮上させている。政府と言っても、決して一枚岩ではないし、経営の現実を知らないので限界はあるものの、着目すべきものがある。同じ経済産業省の中小企業庁が主張する海外進出一辺倒と比べれば、光り輝いている。
ところが、世界の消費者は、「金があっても買わない!」に変化しているから、これからの商品価値には、「意欲・感動・希望」の3要素(固有価値)が整っていなければ売れない。特に「クール・ジャパン」=(日本発ファッション、食、アニメ、ライフスタイル雑貨、伝統工芸品等)は世界で人気としている商品群である。その方向で政策の補強をしない限りは、「クール・ジャパン」といっても文化商品を買ってもらうのではなく、文化が販売促進材料になっているだけである。文化とは、出来上がった商品ではなく、そういう商品を作り出すコミュニティと教育(社会及び学校)と生活水準の有機的結合のことである。企業も報告されているが、まるで大手企業が工業製品の変わりにアジアに売りに行っているだけの哀れな姿しか見えてこない。
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seisan/cool_japan/pdf/012_02_00.pdf

そこで、円高対策の本質的議論を一言。
円高対策をするのであれば、1985年9月のプラザ合意時点の、1ドル240円を目標とすべきなのだ。日本の「失われた10年」×2=20年、これは、プラザ合意からの突然の円高により国内生産物が円高で売れなくなり外貨が稼げなくなった歴史である。加えて、これに対抗する具体策を国内では取ることが出来なかったし、禁じ手である人件費コスト削減で乗り切ろうとする大手企業が出てきたものだから、21世紀からはMade in Japanの技術力低下(技術ではなく人海戦術で乗り切る)及び購買力低下を招いてしまったのである。したがって、クール・ジャパン戦略そのものの弱点は先ほど述べた通りだが、外貨を稼ごうとするときに通貨問題は避けては通れないのである。夢ではあるかもしれないが、「1ドル240円」を目標とすべきなのである。本来、円高対策というのは、こういう政策のことを言うのである。


§新しい商品価値創造(固有価値)なら打開できる!
世界的に消費経済は、消費者に金銭余裕があっても買わない時代に入っている。もちろん中国市場もそうだ。これに対する答えは、筆者が繰り返し説明している、「意欲・感動・希望」の3要素(固有価値)の、商品価値が存在する商品である。それは政府に頼らずとも、民間企業自力で展開もできることとなる。あくまでもターゲットは、世界1億人の富裕層である。この商品価値創造が大手企業には出来ないのだ。むしろ、そうでない商品を、政府や金融機関の当時のもとに大規模な扱いをしてきたから、商品価値の転換をすること自体が、大手企業にとっては不自然な行為なのである。大手企業は全般的に、旧態依然の怠慢的な改革に終始している。また、社内コンセンサスの末就任した経営陣だから、社内抵抗される改革はやらないのだ。マーケティングと称して一瞬成功したかに見えても、いずれも長続きしていない。
確かに、大手企業の仲間でも、ほんの一握りの会社は、新しい商品価値創造(固有価値)の萌芽を迎えているが、【経済恐慌から「守りを固める体制づくり」】(総務部メルマガ昨年8月号で詳細に説明)である、
 1.財務基盤(在庫の流れを編成し直すことも含め)
 2.事業基盤(設備の大胆な削減、長期人件費削減)
 3.売り上げ基盤(総務部メルマガ7月号の「ものづくり」手法など)
の三つを整えることが重要なのであるが、結局大手企業はそれをしなかった。
さてその原因は、この新しい商品の価値、すなわち「固有価値-使用価値=の価値部分を、従来は無視」してきたから、一足飛びに価格に反映できないことにあったからだ。では彼らは何に価値があると説明したかといえば、200年ほど前の経済学者のアダム・スミスやリカードの「商品価値=使用価値論」だとか、100年ほど前に起源をもつ「効用価値学説」だった。
この商品の固有価値についての、固有価値の源泉、商品価格決定には、3要素がある。(この学説は6月21日に、国際文化経済学会に報告済み)。
 イ)地域文化に醸成された幼少からの熟練された労働能力。
 ロ)その職業に関わって鍛錬された労働力としての職業能力。
   …前項の労働能力と相まって具現化・商品化を成し遂げる
 ハ)地域や地場産業で有機的ネットワーク化されたイノベーション能力&体制。
   …需要者の企業への頼りがい、ブランド性、地場産業性といった現象である。
……固有価値論で考えれば、今までの原価積み上げ方式の見積もりではなく、市場での相場決定方式で、買い手に信用してもらえる見積書が用意できるのである。付加価値論では、抽象的で曖昧(だから価格が定まらないことに)になる。
先ほど述べた、東京大学経営研究センターの、日本の技術者の水準の低さ、A~Cも、この3要素の中で、(ロ)の項目を柱にするものの、(イ)とか(ハ)の項目で補強すれば、容易に水準をあげることが可能である。(事例として、「新能力評価表」を後段で紹介する)。すなわち、これが暗黙知、コンテクスト、キュレーションなどと呼ばれるものである。韓国のサムソンなどが導入している、「デジタル設定」とか「デジタル製造ライン」はこういったことからの発明である。


§中堅・中小企業への期待と成長要因
たとえ、アジア諸国並みの経済状態になったとしても、やはり優良企業や富裕層は存在する。
さてそこで今日、意外と有利な企業形態は、中堅・中小企業なのある。早速、最終消費財を扱う業種では、新しい商品価値創造(固有価値)を導入して、見積もりも行ない、販売努力をすれば、事実売り上げも生産性もが向上している。信用金庫や信用組合は、新しい商品価値創造(固有価値)企業に融資すれば間違いはない。
とにかく、今は海外に工場移転などしないことである。
中小企業庁の海外進出の呼びかけは相手にしないことである。技術力が自慢の個別企業であるならば、買いに来るまで待っていることが肝心要である。とりわけ中国には進出しないことである。地産地消を基盤に海外に売り込むことだ。環境を背景に地場商品を世界に売り込むことである、もちろん東北地震で被害を受けた江戸時代からの輸出海産物産品も有効である。部品メーカーは値引きをして納入してはいけない。合法的に不良債権を消す手だては存在する。国内では通貨「円」を使用しない取引や価値交換(地域通貨や商品券も)を増やすことだ。そういった外貨を稼げる商品は、あなたの身近な手の届くところにある。かの本田宗一郎は敗戦と同時に1年間仕事をせず無収入の中で考えをまとめた。
仮に対中国貿易ひとつをとってみても歴史は語っている。
日中に国交が無い時代、中国のことを「中共」と呼んでいたが、大阪は対「中共」の密貿易で朝鮮戦争以降に大儲けをした。「中共」から買いに来るわけで、国交回復以降は、中国は堂々と買いにきた。「中国のみなさん買ってください」と、現地に頭を下げて工場を造る必要もなかった。ところが、今はどうか。中国投資をしても利益が帰ってこない。「公司」の形をとれば中国人の参加が義務づけられるし、日本人は個人営業が出来ない仕組み、これがある限り日本は外貨を稼げない。
北朝鮮貿易でもこれに良く似たことであった。旧ソ連との貿易は、海上での物々交換が盛んであった。近隣各国は買いにやってきた、仕事をさせてくれとやってきた。海外に工場移転など「身売り」などしてはいけないのだ。


§労働契約法=改正特集=
日本的労務管理に終止符が打たれた。労働市場もグローバル基準となる枠組み。
この法改正の立法の効果は、日本の経済水準をアジア新興国並みに後退させようとしているから、法律改正の建前や理想とは反対の社会制度を生み出さざるを得ない。結論は、労働者の階層が4分割されることになる。筆者のように、現実問題に長年携わり研究していると、そういったことは容易に判断がつく。統治能力のない厚生労働省の、その戦後に何度も法改正の目論みが外れた歴史を見れば一目瞭然だ。それが日本における労働法や労働問題の本質といえばそれまでだが。
要するに、非正規労働者や格差や差別の解消であれば、労働契約法ではなく、本命は職業安定法での解決である。労働者派遣法改正も経済後退を加速させる時期だから本命ではなくなった。それは、「就労可能な生活保護の受給者を、自治体発注の委託事業に雇用吸収率を設けて就労させる」といった解決策のたとえ話のようなものだ。1986年の男女雇用機会均等法は女性の非正規労働の爆発的増大させたが、それは専門家からすれば自明の理であった。
2012年8月3日、労働契約法改正が参議院で可決成立した。改正事項は、期間の定めのある労働契約(法律では有期労働契約と言っている)に関連する三項目。有期労働契約をめぐっての、法律的に「不合理」と認められてきた社会問題に対して解決を図るというのが建前である。この場合の「合理的」とは特別用語であって、法秩序維持や社会正義(自由・平等)の立場による道理や筋道のような概念(詳細説明は略)を指すから、素人考えでは危険である。しかしながら、法律が制定されたからには社会制度であるから、知っておかなければ個別企業の経営管理も業務運営も出来ない。
☆施行は、
良く分からない政府の動きではあるが、どうも施行されるのは来年4月1日の見通しが強い。施行は、公布の日と公布から1年以内との二つに分かれている。


改正労働契約法で個別企業が、社会が変化
近年日本の労働市場の大変化は…
1986年:労働者派遣法と男女雇用機会均等法
1987年:労働基準法改正(週40時間労働制)
1997年:職業安定法改正(管理職の流動化)
1999年:労働者派遣法改正(非正規社員の増加)
2013年:改正労働契約法の施行(予定)
…といった節目で動いている。これを経営管理の視点から考えるにあたり、行政法だ、民事法だ、取締法だと区分けして考えるのは愚かである。
非正規労働者は今1500万人を超えているが1986年まで、パートなどは日本国内で約300万人程度であった。1986年から女性労働力の社会進出が一挙に増加(多くは非正規)した。次が1997年と1999年の職安法&派遣法の改正である。これはセットで効果が生じ、中高年管理職の若年層との入れ替え(リストラに注目が集まり表面化しなかった)&、非正規社員急増の引き金を引いたことである。そして今回は、2013年からの労働契約法改正と称する有期労働契約者の法的扱いの確定である。冒頭で述べた通り、日本経済を後退させようとする背景では、労働者の階層が4分割することになる。はっきりいえば、「格差は固定化し、格差社会への諦めが漂う」時期を迎える、その後はどうなるか分からないが…。
改正事項は三つ、
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-31.pdf
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-34.pdf
これを段ごとに簡単に述べる。なお、労働契約法では、「使用者」に対して「労働者」との用語を使用しているが、言葉の定義は、「使用者」とは労働基準法の事業主より広い意味であり、「労働者」とは事業場に就労しない者をも含む。したがって、労働者の専属制・指揮命令・実質的賃金といった視点で物事を押さえる注意が必要である。(改正法の詳細解説や逐条解説では、全容を誤解し易い)。

その1:5年で期限のない契約に転換___
5年を経過した期間契約(期間契約又は終期契約)は、自動的に期間の定めがない労働契約に転換することになった。ただし、これは当該労働者が6年目に突入した場合に、「契約期間を終身雇用に」と申し込んだ場合であり、申し込みがなければ終身雇用に転換することは無い。もちろん使用者が、6年目に突入した者の申し込みを放置しておけば、自動的に承諾したことになって賃金支払いも必要になる。「申し込みによって終身雇用に転換する日」とは、採用した日(採用通知した日、最初に就労した日の何れでもない)から5年後の応答日である。たとえていえば誕生日と同じで、その日は5年間と1日であるから、6年目に突入した日となる。労働基準法第14条第二項の「雇止めの予告」を30日前に行わなかったとか、採用日からの日にちの計算(民法で規定されている)を間違えば大変なことになる。そこで、地域のコミュニティーユニオン(個人加盟労働組合)が介在して来ることは大いに考えられる。空白期間を設けて雇用継続としない方法も可能だが、実務的にそれが可能なのは自治体などの臨時職員だけ、実際の民間ではそんな余裕も有用性もない。したがって、個別企業の雇用形態を抜本的に変えざるを得ないことになる。
すなわち、従業員の身分構成を
 (1)5年未満の期間を定める契約の者(絶対6年目に突入しない)
 (2)期間契約や終期契約の労働条件で65歳まで働く者
       (1988年ぐらいまでは、一般社員として採用していた層)
 (3)正社員としての人事・給与体系で働く者
       (非常に限られた人たちで、管理職や独自専門職に限定)
 (4)業務請負(定型作業の外注)若しくはアウトソーシング(専門家集団)
  …といった労働力市場が形成されることになる。
おそらく、(1)で採用された者の中から適切人物(有能とは限らない)を(2)に組み込んでいくことになる。それは、アルバイト等を数多く雇用する会社が今でも行っているが、アルバイト中の有能なものを社員にスカウトするのに良く似ている。
ところが、(3)の正社員と言われる者たちは、独自ルートで採用することになるだろう。決して江戸時代の商業の奉公人制度のように、丁稚~手代~番頭の順に出世する制度にはならない。「のれん分け」など全体の1%もなかった制度であったし、丁稚から手代に採用される率は半数程度であったという研究もある。ところが、不思議なことに現在の商法は「丁稚~手代~番頭」を念頭に置いているのだが。
(4)の業務請負はSOHOといった形から海外へのOEMのイメージだ。SOHOの類や個人請負は、専属制・指揮命令・実質的賃金といった視点で労働契約法の適用になるから注意が必要である。ところで、アウトソーシングは詳細専門的シンクタンクを併用する水準まで進むと思われる。いわゆるコンサルタントといった職業は、経験にもとづく量産化推進を受け持つ職業であるから、海外新興国では需要があるかもしれないが、国内ではミニ:シンクタンクにとってかわられるであろう。(ちなみに当社はミニ:シンクタンクである)。
読者のあなたには、唐突な解説に読めるだろうから、信じられない内容かもしれないが、世界経済状況や日本経済の後退からすれば想定範囲内である。むしろ、率先して個別企業の従業員構成を変えていかなければ企業経営は持たない時代に入る。ただし従業員構成を変えても時間切れになるかもしれない。
☆施行日は、
公布の日から1年以内の政令で定める日とされている。施行日が初日の有期労働契約から6年目に入ったかどうかが計算される。ただし、それ以前の期間契約は及び、労働者本人からの「申し込みの無いもの」は適用されない。

その2:雇止め(期間満了=解雇)制限___
いわゆる、ダラダラと満期がくれば雇用契約書を書き換える程度で契約を繰り返しておれば、ある満期の期日で契約終了(雇止め)することが出来なくなる。今日までは、裁判や事件に持ち込まれない限り継続雇用を否認することもできたが、これからは事業主に労働契約法で債務として負わされることになった。
すなわち、「期間満了=首」と言い渡した場合、通常の解雇と同様に、客観的合理的な理由の存在や社会通念上相当と認められなければ、「期間満了=首」には出来ないと法定となった。まして、継続的に雇用されるとの期待感を事業主側の誰か(管理職等)が持たせていたとすれば、なおさら「期間満了=首」は出来ないことも法定された。少なくない企業が、1ヵ年ごとの契約を自動的に更新しているケース、派遣会社が派遣契約解除を恐れて3ヵ月ことに契約を自動更新するケース、こういった期間契約の運用は出来なくなる。
ただし、これも契約満了期日の前後に、当該労働者が契約を申し込んだ場合だけであり、申し込みがなければ契約は終了する。ところが、労働基準法第14条第二項の規定により、使用者は「雇止めの予告」を30日前にしなければならないとの規定があるので、使用者側は無視を決め込むわけにはいかない仕組みになっている。したがって、ここでも地域のコミュニティーユニオン(個人加盟労働組合)が介在して来ることも大いに考えられる。
よって、
面接採用方法の改善、有能者の定着対策、能力評価といった具体策を迫られる。
 (A)このうち面接採用については、前号のメルマガ7月号で、
    「これからの面接技法 (商品価値の増量と販売)」にて説明した。
 (B)具体的な有能者の定着対策は、とりあえず次の対策が考えられる。
    1.毎日のミーティングを軸に業務推進、仕事第一の人間関係を維持
    2.OJT教育、ラインとは別の教育責任者が、採用14日内に採否する
    3.雇用契約、就業規則、信義則を重視していないと債務を負わされる
    ……これも固有価値での業務改善と一体でなければ、上滑を起こす。
 (C)能力評価について、
    このメルマガで後述する、新時代対応の「新能力評価表」の記事で一部を解説。
☆施行日は、
公布の日から1年以内とされている。施行日が初日の有期労働契約から「雇止め(期間満了=解雇)制限」が適用される。ただし、それ以前の「雇止め(期間満了=解雇)制限」及び、施行以後でも「申し込みの無いもの」は、従前の判例どおり4年目突入で期間の定めのない労働契約と類推適用されることは変わりない。

その3:有期契約者の不合理労働条件禁止___
期間を定めて契約している労働者の労働条件が、いわゆる不合理なものであってはいけないと法定した。「合理的」とか「不合理」は、辞書にでてくるような道理や筋道とは趣が違い、あくまでも現行の法秩序維持や社会正義(この場合、自由・平等)の立場による道理や筋道を指すから、注意が必要である。これは従来労働判例を法律で定めたものだ。いわゆる「社員と同じ仕事」をしているのに賃金の安い、という労働条件が禁止となる。ただし、つぎの理由による労働条件の差は差し支えないとした。
 (A)業務の内容に合理的差異のあること
 (B)業務内容の変更できる範囲に合理的差異があること
 (C)業務に伴う責任に合理的差異のあること
 (D)業務に責任の範囲に合理的差異のあること
 (E)配置転換のできる範囲に合理的差異があること
 (F)その他の事情を考慮した合理的な差異のあること
……すなわち、正規社員と非正規社員の違いがあるからには、こういった明確な仕事の差異が付いているはずだと法律は要請しているのだ。よって、非正規労働者に、正規社員と同じように仕事をさせた場合には、賃金・労働時間・福利厚生その他で差があれば賠償させられることになった。
ここには裁判や斡旋手続、労働組合が関与することになるであろうが、ひとたび事件が起こった場合は個別企業全体の労働条件是正が必要となってくる。したがって、非正規労働者には、業務内容限定、責任範囲に限定、就労場所限定の労働契約が不可欠であり、またその契約は変更の合意が出来ない限りは、従来の労働条件の総てを変更出来ないことと法定されたのだ。この契約合意を無視して曖昧不明確に働かせれば正規社員と同じ賃金を支払えという根拠を定めた法律なのである。
そうすると、早急な非正規労働者と正規社員の業務内容チェックが必要となる。
☆施行日は、
公布の日から1年以内の政令で定める日とされている。ただし、それ以前の期間契約者と期間の定めのない契約の者(社員等)との、労働条件の相違には適用されない。しかし、それ以前のケースでも裁判が起これば敗訴の確率は高い。


改正事項と経営重点4分野との関係
経営管理には4分野だけ(売り上げ、生産性、労働意欲、業務効率)の重点がある。
現下の経済危機の状況からすると、リストラも組み込んでおかないと、企業の存続自体が危ぶまれるから、抜本策を打っておかなければならない。労働契約法改正は、4つのうちの労働意欲、業務効率の2の改革と関連しているということだ。
だから仮に、おとなしい労働者、文句を言わない労働者の定着を望んだとすれば、より高度且つ固有価値をもつ労働が日本国内で求められる中、労働意欲や業務効率の改善に資することとは矛盾するから、「主体的力&ベクトル」が存在しないどっちつかずの人材を育成することとなって、現在の大手企業病の如く企業存続危機を招来してしまうことになる。
また、ただ単に改正労働契約法の各条項の表面だけを遵守しようとすること、それは経営管理において非現実的な行為でしかなく、そんなものはコンプライアンスという代物でもなんでもなくなる。(現実を知らない法律家や実務家の特徴は、「法令遵守がコンプライアンスだ!」と説明するところ)。


改正法の逐条解説の出版やセミナー
は、もうすぐ目白押しとなる。経営を取り巻く環境、特に今は経済危機の状況を良く把握した上で出版やセミナーを行う必要がある。国家資格を持っているだけの人、法令の専門家といううたい文句の人たちでは、経営者や管理職の間に大きな誤解を生む解説自体が想定出来ない。経営管理の視点から考えれば、民事法である労働契約法だけの逐条解説に終始すれば、真に愚かである。
確かに、聴講者が良く理解できる話に水準を落としテーマを絞ると集客人気は上昇する、これが出版・セミナー業界の定石である。だがここで、今の日本が新興国並みの経済水準に後退する時点では、「貧乏人が貧乏人を造る!」との有名な経済原則が当てはまるのである。残念ながら今の日本で労働問題に詳しい専門家は非常に少ない。
だから、出版やセミナーで改正労働契約法の内容を勉強するのはゴールではなく、個別企業ごとに改正労働契約法の内容を受けての業務遂行体制を研究する取り組みのほうが重要なのである。今回はそれだけ個別企業の経営管理に直結している法改正である。
素人資格者や素人専門家の話題が出たついでに、
労働組合運動の現実や実態に遭遇することの少ない人のために、次の映像を紹介する。
http://www.zenroren.gr.jp/jp/shokai/taikai/26taikai/index.html
「全労連」という労働組合の全国団体である。ほかにも全国団体は、「連合」と「全労協」の主なものが2団体ある。実に、この団体傘下にある労働組合が、裁判闘争によって労働判例を次々と生み出している。この団体参加の組合の役員には、自称「日本共産党員」が数多い。1980年の労働者派遣法成立の引き金を引いた労組も、「派遣切問題」の勢力も、旧労働省の労組=全労働も、文部省と戦う全教(旧日教組反主流派)も、この「全労連」の傘下だ。ただ単に、平和のうちに、労働判例や法令改正が行われていると思っていたら、それは大きな認識の間違いである。
ここでも、労働問題の実態を知らない弁護士や社会保険労務士の中には、的外れな仕事をする人も後を絶たないのだ。今やICT産業革命の時代、そういった労働組合の一端を映像で見てみよう。そこには社会保険事務所の職員、JAL乗務員、大阪の学校教員など、団体交渉で遭遇した労組幹部も映像に出て来るかも…。


§新時代の、「新能力評価表」の試用版を作成
一般社員、現業職を対象に作成した。これは商品の価値を固有価値論で分析することにより、「新能力評価表」とすることが可能となったものである。付加価値論、使用価値論、効用価値論からは開発不能である。
もう少し解説すると、従来の評価表には前提条件があった。昭和30年前後から大手企業中心に前近代的な社会教育や職業教育に代わって、「新入社員教育」その他が実施された。ほとんどの中小企業も、そういった「新入社員教育」を行うことを真似した、ただし具体的な中身には曖昧若しくは欠落項目が多すぎたが、大手企業を理想とはしていた。それが今や、日本ではほぼ完璧にそのシステムが崩壊しているのである。
それは、中学校や高校を卒業したものに対して、採用後に個別企業が「いわゆる社会人としての能力」を教育訓練することを含んでいた。ところが、そもそも、その従来評価の源流は、大手企業においては約150年前のロバート・オーエン(イギリスの空想的社会主義者)が実験的に設立した紡績工場での「生産性競争の評価概念」にあり、中小企業においては江戸時代の「奉公人制度の評価概念」にあるのだ。
これが、従来の評価表と、はっきり異なる点は、
 1.キラッと光る有能な人物なら、即発見できる。
    (経営者が、直に社員を選べる手段:シートである)
 2.上司を超える能力者を発見できる。
    (従来は上司評価なので、埋れてしまうのは必然な方式だった)
 3.採用前、実務に付く前でも、潜在能力の測定が出来る。
    (一般職や現業職は、潜在能力があれば、数週間で実績が出る)
【具体例を示すと】
 (ア)熟練技能力=作業プロセスを短期・効果的に進める技能もあり、更に高度な仕事を遂行しうる熟練をもっている。(5得点)
 (イ)理解判断力=教わったことを原理原則と基本の考え方に分類整理するとともに、何故そういうやり方になったのかの経験を聴くようにしている。(7得点)
 (ウ)処理力=仕事には優先順位と段取りとがあり、毎週、毎日の仕事準備は、この優先順位決めから始めることだ。(7得点)
……というように、各項目は5択、絶対評価の表現で回答(9項目)するのだ。能力は就職前でも測定に変わりはない。口先だけ、解かったような事をいう人物も見通せる。
さらに、能力評価9項目の合計点数に、
7,000円を乗じると、その人物の概ねの適正賃金総額の見当をつけることができるようになった。…上記の例なら、3項目で19点×7,000=133,000円/月額。適正人件費だ!
加えて、調査方法の原則は、
本人記入式だから、従来のような評価者訓練等の組織的導入時間も取らないのである。(仕事スタイルの「自分らしさ」を自らが選ぶ方式)。
とはいえ、形は従来と似通ったものではあるが、(「試用版」の実測テストによると)、自らで特定を進むにつれて、さらなる上位の能力概念、反対の下位の能力概念もイメージすることができるようになるなど、抜本的な違いが実感できるとのことだ。
なお、全社的な導入にあたっては、
(整理解雇の人選にも使用可能だが)、組織運営上の注意が必要であり、実施には独特の社内意思統一が重要である。従来型と同様であると勘違いして安易に実施をすると危険を招く、とりわけ、大企業病に陥っている企業は組織崩壊を起こす可能性は高い。
さてその「試用版」の導入要望については別途(すなわち、むやみな導入は危険なため)連絡をいただきたい。一般向けには、前述したように社会教育システムが崩壊していることから、「携帯ゲーム版」の作成準備をしているところだ。


§厚生労働省、窓口の臨時職員の危険
素人相談員による弊害は行政の怠慢である。
近年は、労働基準監督署や年金事務所(旧社会保険事務所)に、臨時職員が数多く配置されている。ところが、この臨時職員たちは準公務員の身分はあるが、各々の法律や制度を熟知しているわけではない。
労働基準監督署
の主な取扱事項は、最低基準となる労働条件がどういったものかである。ところが、まず最初に電話を取る者は相談員である。きわめて簡単なことを聞くのであれば事足りるかもしれないが、複雑な事案には全く対応する能力がないのだ。
WEBで様々調べたあげく、監督署に確認を取ろうといったような事案であれば、まず応えられない。この場合に困ったことは、「複雑な事案です」と質問する際に前置きをしたとしても、「どういったことでしょう」と言って内容を聞きたがる。電話をかけた方は、解っている人かなと思ったり、またはまずはこの人に話さないことには詳しい人には電話をつないでもらえないと錯覚してしまうので、複雑事案の内容を話していくことになる。そうするとこれに対する返答が、実は間違っている回答が相談員の自覚がなしに多発しているのだ。多くの人は間違ったことを聞いても、「そんなもんか」と返答内容を受け入れてしまう。質問する側も相談員も、回答の間違いの自覚がないから、その場は納得してしまい不具合は発覚しない。
「正確な内容が知りたいから監督官に電話を代わってほしい」と話しても、電話を代わらない相談員もいる。こういった相談員の対応には、数多くの元労働基準監督官や元労働基準監督署長が苦情を言っている。中には、「私は社会保険労務士です」とか「労働局の職員だ」と言って国家資格や準公務員身分を傘に、質問する側に圧力的対応をする者もいる。筆者も立て続けに実害に遭遇したので、労働局と霞が関の本省監督課に長々と苦情を申し立てたぐらいだ。(本省監督課は、「意見として聞いておきます」の一言、不具合発生の自覚は弱い)。
その原因は、経済構造が激変し、労働契約スタイルも変化に富んでいることから、終戦直後から積み重ねられた労働基準法の扱い(通達内容)を熟知していなければ、バラエティーに富んだ相談や質問内容には対応出来ないでいることである。電話番であれば単なる電話番に徹するとか、全国1本の集中相談センターにするとか、相談員が毎日の問い合わせ事例を持ち寄りディスカッションするなどの具体策が必要である。
社会保険の手続
においても、臨時職員が間違った対応をする。困ってしまうのは、その者が臨時職員であることを名乗らないし、平然と一般職員の仕草をしていることである。強いて言えば、臨時職員は書籍を見ながら対応するといった不自然さで発見するしかない。
事の原因だが、保険料の算定、給付の有無といった内容であっても、旧厚生省の「通ちょう」や「手引き」などの解説自体が、元々あえて曖昧に作ってあるので問題が大きくなる。何十年もの社会保険の歴史の中で、制度がめまぐるしく変わっているから、その変遷の歴史を知る者であれば間違いには気づくが、テキストやWEBの知識だけでは、「間違っている回答でも納得」をしてしまうのである。元はといえば社会保険の場合は、「制度が悪い」の一言に尽きる。昭和34年、財源見通しゼロにもかかわらず、皆年金制度の道を開く強行を行ったことに起因する。社会保険は全国各地で「適当に扱う運営」だから、国1本の集中相談センターを開設することも出来ない。「金なし、理論なし」だから酷い臨時職員が現れるのは自然かもしれない。ここでも、「私は社会保険労務士です」と名乗る者ほど、「通ちょう」や「手引き」の文言にこだわる傾向がある。

すなわち、とりあえずの企業リスク回避を、
監督署と年金事務所に限っていえば、電話口に出てきた人物の回答は正しいとは限らないから、まずは複数の監督署と事務所に聞いてみることである。何か腑に落ちない点があれば、とことん追求してみることである。行政機関は、誤りがあっても指摘しない限り自ら是正はしない。だから、国民が損をしていても還付請求が行政に出されない限り返金はしない。特に、旧厚生省機関の態度たるや、「法律を知らない者が悪い」との姿勢であったが、どうもそれは現在もひしひしと慇懃無礼(いんぎんぶれい)さを伴って感じるのである。
還付請求の時効は過去2年にさかのぼるから、個別企業での再度の点検チェックを推奨する。