2012/09/04

第125号

<コンテンツ>
日本に漂う「流浪の民」
「流浪の民」の票がなければ政治ビジネスはやっていけない。
今突然、「流浪の民」の戦意高揚を煽るマスコミ・TV
大切なのは、「流浪の民」から離別することである。
売上は固有価値が有る商品にあり、利は仕入れにある。
  1.商品開発(固有価値)と新時代の事業理念が第一歩。
  2.整理解雇は、経営再生方針があれば自由にできる。
  3.国内は通貨「円」の決済を避ける。
  4.部品納入は、大手のコストダウンに応じない。
  5.有形無形の帳簿外資産
高年齢者雇用安定法、その改正の意味するところ
個別企業の力量というものは、


§日本に漂う「流浪の民」
古今東西、時代の変換期に「流浪の民」が出るのは、ある面では仕方がない。およそ1990年からを「失われた10年」と評していたが、さらに2000年からは「失われた20年」、そして30年目に入った。この20年間の統計では、ぜいたく品が値下がりを続けているのに対して、生活必需品が値上がりを続けている。雑駁ではあるが、ぜいたく品と生活必需品を「どんぶり勘定」するカラクリから、物価の安定現象が生まれているのである。「流浪の民」は、それに気づく余裕もない。日本経済は世界から見限られ、国民の生活水準は貧困化しているのは明白だが、やはり「流浪の民」が故なのか、現実を認めたくない性格があらわである
昔から、「人民が貧困化すれば、ある時点で耐えかねて人民は立ち上がる」と主張した人がいたが、それは非科学的であり主観的である。最近は経営者側の中にも、「経済が立ち行かなくなれば、思い切った経営改革に経営者は立ち上がる」という人も現われているが、それも根拠はない。また、「30代以下の若者が甦るならば、日本経済は活気づく」と主張し、そのための税制改革、若年層への公的扶助、無能高齢者の整理解雇で、日本再生が図れるとしている。これが評論家に至ると、思いつきや聴きかじったことを経営再建の「伝家の宝刀」かのように紹介しているが、その中身たるや付和雷同そのものである、まるで受け狙いのように。


§「流浪の民」の票がなければ政治ビジネスはやっていけない。
だから政治家は、出来もしない経済支援策だとか経済政策の、「打ち上げ花火」を口にするのである。でも官僚は、その「打ち上げ花火」が上がったところで、実行段階ではやらせないし、骨抜きにするなどして政治家を説きふせる。所詮それは、「流浪の民」からの集票目的であるから「実務者協議」に名を借りて引っ込めている。だが、官僚は淡々と税金で自らが生き延びるための手段を講じている。あげく、「流浪の民」は、それに翻弄され続けているのである。
日本の経済復興にしろ経済再建にしろ、個別企業向けの経済政策は真剣に議論された例がない。それは、政府、官僚、政党も、また地方自治体の首長までもが同様である。例えば、数々の問題提起を、何個か拾いあげれば次の通りだ。現在の政府統計などを大まかに把握しただけでも、こういった実現可能な対策が、巷の学者その他から提案もされている。実にこれらの提言は納得のいくものである。
 イ)大手企業が日本を見捨てないようにするには、民間が主導権を持つ経済復興基金を造り、そこに向けて寄付控除で免税となるよう民間資金を集めれば、大手企業、中堅企業、中小企業は日本に地に足をつけて事業計画を立てることになるから、法人税や社会保障負担の小手先修正の議論に持ち込もうとすること自体が、「流浪の民」向けの話なのだ。
 ロ)年金問題の根本は、戦後に米ソ対立が激しくなった時代に日本を西側のヒロインに祭りあげるために、財源の見通しが全くないのに国民皆年金を推し進めた昭和34年前後にある。だから議論が不可欠なのは、国民年金と国民健康保険の保険料徴収と国庫負担であるはず(官僚OBまでも主張)なのに、そういった本質的課題を避けているのである。
 ハ)公務員制度改革ならば、公務員の給与を減らし行政の委託費を増加させている現状に知らん顔するのではなく、各々の行政改革の企画立案部門の設置と専門公務員養成を行ない、大臣や地方自治体の首長が「行政手続法」に基づいて、公務員の行政指導及び許認可業務の公平・透明性を確保すれば、大半の公務員制度改革は方がつく。これに抵抗するのは利権にまみれた官僚たちであり、意外や公務員の労働組合の幹部には官僚の友達が少なくないのである。
 ニ)個人消費を引き上げ経済を活性化させるには、「最低賃金引き上げ+絶対的能力評価による整理解雇+Wワークの一元把握(現労基法どおり)」を行って、Made in Japan 製品の復活を適正シンプルに行えば良いだけである。日本の労働市場における定年制も年功序列型能力育成も崩壊してしまった。
 ホ)社会保障制度の美名のもとに進められている財政再建、財政学(国の財政理論学)の専門家からすれば、「高齢者の保有財産&死亡時の国債払戻&相続対策の組み合わせ」でもって、危機的状況は回避できるとのことだ。国債を持っているのは民間銀行だから危機に脅かされるのであって、これを個人若しくはその相続人が保有するようにすれば極めて国家財政は安定的になるのだ。


§今突然、「流浪の民」の戦意高揚を煽るマスコミ・TV
そこに、意識的か無意識になのかは解らないが、「流浪の民」の戦意高揚でマスコミやTVが外交問題を焚きつけている。まるで社会的地位がネット社会で落ちたことを、ここでマスコミは挽回したいがためという風に。そもそも、中国共産党の先鋭と推測される尖閣諸島の動き、北朝鮮の中国下請方針を受けて東アジアでの地位挽回のための韓国大統領の竹島上陸、本人はさほど気にもしていなさそうな中国大使公用車の日の丸窃盗への外務省の狂気、これらがにわかに浮上してきた。現時点は日本の経済政策の岐路であるが、ここでの「政治的スタンドプレー」としか言いようがない。先日早朝TVの「森林を中国人が買う?」話にしても、筆者も目をこらして見ていたが、それは水資源や軍事基地隣接地の商談がまとまったとの話ではなく、その山林に植林された樹木もあるから買ってほしいとの所有者の声のみであったし、中国経済停滞と歩調を合わせたロシア&日本での商い中断にしか見えなかった。
例えば、中国国内で反日運動が起こったときには、「中国共産党政権の安定のためのガス抜きである」と論評し続けているマスコミやTVは、今突然、「流浪の民」の戦意高揚を煽る自身の行動をどのように論評するつもりなのだろうか?


§大切なのは、「流浪の民」から離別することである。
今ここで「流浪の民」となって共に一喜一憂しないように気をつける必要があるのだ。根拠を持っていえることは、「貧乏になれば怠惰になる」と江戸時代の二宮尊徳も説いていたように、貧乏を避けることである。それは、精神的にも、知的にも、物質的にも、金銭的にもなのだが、精神的に貧乏になると一挙に右へならえと金銭的にも貧乏になるという法則そのものだ。そして、個々人・個別企業の努力も大切だが、実際には個人では手におえない事柄もあるわけで、また知恵の回らない事もあるわけで、経済的に流浪しないように、「自らの腹固め」が決定的に大切である。あまりにも日本人の多くは、「流浪の民」との付き合いが深く、「流浪の民」との共同生活を善とする個人主義否定にまで至るなど、少なからぬ人たちが既に「流浪の民」となって漂っているのだ。特に、ゆとり世代より年上の年代から団塊の世代には至らないまでの年代の間《28歳から60歳》に、「流浪の民」は圧倒的に存在するようだ。何をやるにも中途半端、直ぐ弁解がましくなり、「自らの腹固め」が弱いがゆえに、生活態度から始まって「流浪の民」なのである。この世を支配する者は、「流浪の民」を手玉にとることはあっても、「流浪の民」を救済したとの歴史事実は存在しない。これは歴史の常識であり、それを踏まえて研究する経済・経営学でも前提条件となっていることは間違いない。


§売上は固有価値が有る商品にあり、利は仕入れにある。
とにもかくにも巷では、マイナーな感情的話題が多く、意味不明な経済政策や経営小話が漂っているわけだから、しっかりした「原理原則、基礎理論、それに加えて、どうしてそうなったのかの歴史背景」をみた上で、個別企業の経営には当たらなければならない。仮に誰かが経済政策や、あなたの企業向けの経営小話を投げかけてきた場合、この「原理原則、基礎理論、そして、なぜそうなるに至ったのかの歴史背景」を質問してみればよいのである。この三項目に答えられない人物は、たぶん、聴きかじり者と判断してよい。ただし、ここがあなたの知恵の見せどころで、「なぜ、その話を聴きかじってきたのだろうか?」と、あくまでも反発をせずに、その人物の心裡分析を行なえばよいのである。
まずは売上高を上げなければならない。そして、「利は仕入れ」を現代風に翻訳すれば、売り上げを見越して利益を出そうと思えば、いわゆる「サプライチェーンを考える」ということである。現代の仕入れというのはサプライチェーンの形態にまで発展している。ただし、現在の大手企業担当者の間で流行しているような、商品の固有価値を考慮せずに、あたかも「サプライチェーン」をコスト削減の道具として、あるいは何でもかんでも「サプライチェーン」に頼ってしまう傾向、こういった「流浪の民」的なサプライチェーン運用では、「利は仕入れ」にあることにはならない。さてそして、そういった固有価値の価格を形成する要素は次の三つである。未だ横行している「原価積み上方式」は、自ら若しくは先端営業マンがダンピングを行う自暴自棄の行為である。
 イ)地域文化に醸成された幼少からの熟練された労働能力。
 ロ)その職業に関わって鍛錬された労働力としての職業能力。…前項の労働能力と相まって具現化・商品化を成し遂げる
 ハ)地域や地場産業で有機的ネットワーク化されたイノベーション能力&体制。…需要者の企業への頼りがい、ブランド性、地場産業性といった現象である。
 http://www.soumubu.jp/documents/koyuukachi.doc

1.商品開発(固有価値)と新時代の事業理念が第一歩。
「高固有価値&高水準サービス」を提供することである。筆者も昔は「高付加価値」と推奨していた。だが、それでは営業販売の先端社員たちの動きが乱れて、クライアントに個別企業が提供をする商品の価値が伝わらない原因になっていることが判明したのである。すなわち高付加価値には、「どうせ詐欺的なもの」とか「ペテンに掛けて売っても良い」といった販売員の無理解が抜けきらないのである。固有価値の説明はこちらのURL。
 http://www.soumubu.jp/new.html
固有価値とは要するに、その商品やその会社の「取り得」と、従来から言われてきたものである。だがそれでは曖昧であるから、末端の商品開発の販売も注意散漫になり、成功率や歩留まりが極めて低いことに陥るので、学問としての固有価値論やその価格決定理論を確立させたものなのだ。イタリアに、ピエロ・スラッファという、後輩でありながらケインズ理論に大影響を与えた経済学者がいたが、イタリア企業の経営管理手法に少なからぬ影響を与えている、ただし理論は超極めて難解な表現なのだが、勘どころとしてイタリア企業の経営者は、中小企業が圧倒的に多いのだが、この固有価値をつかんでいるようだ。
ちなみにこの夏、大阪府外郭の産業支援NPO団体の紹介で、日本の高度経済成長を支え各社で活躍した技術者(年齢は既に70歳前後)を170人ほど組織している団体の主要幹部のみなさん、十数人と大論戦を行う機会を得た。商品の固有価値論を展開し、あまりにも大手各社の商品が機能や量といった使用価値論ばかりに目を向け、顧客の「意欲・感動・希望」にこたえる商品開発を行ってこなかった歴史の問題提起をしたのだ。この会合の参加者はその当事者である。それをしてこなかった技術者に直接問題提供した。その問題提起は、技術者といえども一挙に感情爆発する人物が何人も続出するなど、本質をついた大論戦となったのである。だが私が一言、「技術者のみなさんの、血のにじむ努力が、なぜ商品に活かされず、なぜ労働が報われなかったのか、その解答である問題提起だと、固有価値論をとらえてください」と語っただけで、さすが技術者であるからこそ納得が早かった。(後]■感情をあらわにした方の反省の弁が組織内であったとの報告)。要するに、日本経済を第一線で支えた技術者たちは、商品の固有価値論にもとづく、真のマーケティングや商品開発理論が、スンナリと浸透するぐらいに、当時も今も大手企業の商品開発方針に疑問を持ちつつも尽力を注いできた人たちなのだ。だが結果は、異口同音に、「このザマだから…」であった。

2.整理解雇は、経営再生方針があれば自由にできる。
だからといって、思慮の浅い整理解雇を推奨しているわけではない。現在の法体系や判例にもとづくのであれば、新時代に向けて「高固有価値&高水準サービス」を提供するための経営方針を確立し、これにもとづく整理解雇を裁判所は合理的であるとして、これを容認しているのである。その要件とは、
  第一位重要要件:新時代に向けての経営計画
  第二位重要要件:従業員への、代表を通しての誠実説明義務
  第三位重要要件:常用労働者の解雇回避努力、希望退職募集など
  第四位重要要件:解雇者の合理的人選=新しい時代の評価制度
むしろ、「解雇を自由にしろ!」と主張する人の少なからずの者は、目先の利益やコストダウンしか念頭にないから、口先では上手なことを言っても裁判官に見抜かれているから、会社の裁判敗訴率が81%となっているのである。私から言わせれば、真剣に経営再生を考え、次に知恵を借りて来れば、「整理解雇や解雇自由の法改正の元気な主張」など不要なのである。事実、多くの経営再生の相談を受けるが、経営方針すらも考えていない経営者や管理職に限って、「会社の解雇権自由」を力説しているし、タレント学者は悪知恵が働くから異文化の北欧その他の例を探し出してきているにすぎない(詳細は前メルマガ123号など)。
後で述べるが、高年齢者雇用安定法が改正され、満65歳までの雇用が義務づけられる法改正が行われても、日本の職業能力育成制度、そして定年制度は崩壊してしまっているのである。

3.国内は通貨「円」の決済を避ける。
現物報酬、地域通貨、商品券その他での決済をするということである。
中小企業には帳簿に載っていない資産がある、また、目に見えないように資産を溜め込んできたのが従来から経営方針であった。この資産を活用した場合には通貨「円」での決済をしないことだ。例えば手始めに、同業者でも異業種でも、会合を持って知恵を交換し合ったりするのは「現物報酬」の一種であり、ここでも通貨「円」での決済はしていない。販売促進や他社の知恵を借りるとかその他の場合に、「商品券でお礼をする」のは中小企業経営とっては当然のことであるが、これも通貨「円」での決済をしていない。良く成果をあげる社員に現物報酬(ガソリン、ビール券、会社の商品、社宅その他)も、課税対象外で通貨「円」での決済をしていない取引は数多くある。その他たくさん知恵を出せばいくらでもある、もちろん消費税も掛からない。
これらは中小企業では当たり前の行為であるが、大企業では実行出来ない。あえて具体例は避けるが、異常な日本の税額課税に対して、少しでも経営を防衛するためである。次々と財務省に利益を吸い上げられることはないのだ。近年は、「推譲」と言ってみたり「贈与経済」と言われたりするが、国家に「巾着(きんちゃく)」を握られない企業経営というのは、世界では自然なことなのである。
さらに、これを発展させれば、地方であれば信用金庫や信用組合が「地域通貨」を発行することもできる。日本では地域通貨の発行が自由である。とりわけ地方では、一度大都市を経由した商品が高額であるからこそ、人件費も含めサプライチェーンを地元でのより安価な商品に切り替えられる効果がある。それは海外から石油やメタンガスそして原発燃料処理代金を、国内の安価なエネルギーへと切り替えられる効果でもある。なによりも外国為替の変動による損を押しつけられることがないようにするためである。通貨発行権は財務省の大衆課税の手段として使われている。そればかりか、外国為替は国際貿易利益の黒字を削り赤字を減らす手段として使われ、常に損をするのが日本なのである。だから地域通貨発行は、日本民族運動となり得る。

4.部品納入は、大手のコストダウンに応じない。
そこは腹をくくって、商品提供が継続的に出来なくなる可能性をはらむダンピング(無謀なコストダウンの要求)であるから、出荷しなければ良い。その腹を固めなければ、過去に次々と「身売り」に陥っていった企業の二の舞である。大手企業側の内実は、中小企業からのサプライチェーン(=良い商品の仕入れ)が止まってしまえば、経営をやっていけないのが実態である。韓国の電気メーカーも同様である。だから無謀なコストダウンの要求には応じてはいけないし、個別企業の経営再生を考えて整理解雇手法も取り入れるなどして、「技術と人材」を守らなければ、それは数年のうちに元も子もなくなるのである。目先の資金に困るのであれば、それは別の解決方法があるのであって、何も「身売り」することは無い。当社も、「身売り」の危機を何度も救ったケースを持っているが、「身売りをすることは無い」の一言だ。今現在サプライチェーンの一員として生き残っている部品工場は、様々な手を尽くすことによって必ず生きていける。
特に、部品製造というものは芸術品と同じで、毎朝食べる味噌汁のようなものである。部品製造会社は、出汁を利かしているので、様々な味噌や合わせ味噌その他技術を行使して、買い手が満足するような商品を作っているのである。実にこれは美術品でも音楽でも同様なのだ。海外移転させられるような部品は、それは芸術ではなく工芸品であり、ただ味噌だけのようなもので、出汁が効いていないのである。だから直ぐ他人に真似をされるし、他の部品や商品への技術転用が効くだけの出汁も無いのである。その出汁の部分は、「人をケアするサービスの仕事のイノベーションと教育要点」(メルマガ123号:§固有価値重視からの、「サービス」手法)とも良く似ている。
 
http://soumubu1.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
また味噌の部分であっても、「ものづくりのイノベーション手法」(メルマガ123号:§固有価値重視からの、「ものづくり」手法)とまとめられる。
 
http://soumubu1.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
そしてこれらは、多くの現役の部品製造会社では、既にそれを実行しているのだ。言い方を変えれば、頭の使い方は能率的ではないかもしれないが、「合理的」な頭の使い方なので成功する確率が高いのである。(今から若者は、能率的な頭の使い方が良いと思っているから失敗が多い)。それが成功しない問題は何かといえば、総合的・徹底的に実行するテクニックが未だ導入されていないことに原因がある。
「事業経営は芸術である」と言われるのは、事業としての固有価値(意欲・感動・希望)をクライアントに提供しているからである。反面、「芸術」と言われはするがクラシック音楽の大半は、「他人に聞かせるための自慢が先立つ演奏=聞きに行く音楽」となっているから経済として成り立たない。主催者も音楽家も最低限の生活が成り立たず、やはり貧乏だから結局は堕落の道を歩んでいるのが現実だ。貧乏だから芸術性と引き換えにパトロンの世話にもならざるを得ない。だが、そんなクラシックでもその他の音楽の中でも、「クライアントを盛り上げ楽しませる=楽しみに行く音楽」は経済として成り立ちつつある、これが世界の流れだ。美術にしても音楽にしても、およそ500年前から芸術論議は盛んであったが、世界では経済として成り立つはずの美術や音楽が、成り立った地域と成り立たなかった地域とに分かれている。工業デザインは、19世紀、英国のモリスらが美術を庶民に普及する理論と行動から、現代に花開いている事例である。音楽でいえば、聞かせる音楽ではなく、「楽しみに行く音楽」とは次のURLのようなものだ。もちろん興行収入は高値安定している。
 http://www.youtube.com/watch?v=OFu91jzli6o&feature=related
 http://www.youtube.com/watch?v=YQJTuRJS8OI
AKB48が注目されるのも、その興行アイディアに、「楽しみに行く音楽」の要素が含まれているからだ。今日本の老人層に流行っているのが、「合唱の会」とか「うたごえサークル」などの参加型音楽であるが、ここでも主催者や参加者同士の、「歌の上手さ」が自慢され始めると翌月から一挙に衰退するらしい。

5.有形無形の帳簿外資産
これを、いわゆる生活必需商品、生活文化型商品へと投入することである。先ほどの通貨問題でも述べたが、日本の中堅中小企業では、目に見えないように資産を溜め込んできたのが従来から経営方針であった。何も在庫をガラス張りにすることの結果、取引先や従業員の豊かさを犠牲にすることはないのである。新日本製鉄が在庫管理に手をつけたのは昭和42年(1967年)の高度経済成長の先が見えてからである。1997年の職安法改正は、管理職や技術者の棚卸し、すなわち、賃金も安いが能力も悪い若年層の職業紹介を活発化させ、一方では合理的だとは思えないリストラ(早期退職制度)を進めたがために、Made in Japan の商品技術が低下した。二度目の[失われた10年]を職安法改正は準備したし、その後日本は人件費切り下げのコスト競争でしか外貨を稼がなくなり、あげく2008年からは家電・自動車の例のように外貨の柱をなくしたのである。だが、大手企業や政府機関には集約されていないが、中堅・中小の工場や事業所、大きな個人家屋の中には、物理的遊休資産が散在している。人間の頭の中には、個々人ばらばらにではあるが「知恵・知識」が国中に散在している。夕方には、お稽古ごとに励み、目先の金銭にもならないのに努力する文化が散在しており……これも日本特有(外国では滅多に例がない)の知的資産なのである。
固定資産や流動資産は税務署に提出する帳簿に記載されるが、減価償却の終わった設備その他の固定資産、知恵・技術・ノウハウ・ネットワークといた流動資産を、要するに棚卸しをしてみることである。そこから、有形無形の資産を転用して生活必需商品、生活文化型商品を開発することができるのである。出来るというよりは開発のきっかけ造りには着実な方法ということである。さきほどのメルマガ123号:§固有価値重視からの、「ものづくり」手法で紹介した、「ものづくりのイノベーション手法」の、経営学や企業経理の分野からの視点でもある。
 
http://soumubu1.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
現代は、起業・開業しても、雇用の増加にはつながらない。むしろ安易な開業は旧態依然の同業者の真似をするだけであるから、同業者が増えダンピングが横行することを招来するにすぎない。
なによりも、「流浪の民」に精神的にも物理的にも陥る前に。


§高年齢者雇用安定法、その改正の意味するところ
この法律の実態的目的は、厚生年金保険の支給開始年齢を65歳に引き上げたために、定年年齢が満60歳であるところ、満60歳から満65歳に到達する間の、「団塊の世代」の雇用を確保することに目的があった法律である。したがって、民法や労働契約法がストレートに適用される法律ではなかった。
平成18年4月1日から、満62歳までの雇用継続を求めたものが、現在の実態的目的の実質的な開始であった。その後平成19年4月1日から満63歳、平成22年4月1日から満64歳、そして平成25年4月1日以降は満65歳と段階的に年齢の引き上げを行っている。ところが、企業規模や労働組合の有無状況その他の様子に合わせて経過措置を設けていた。したがって、個別企業その他の「知恵や努力」によって、全員が雇用継続されていたわけではなかった。すなわち、その経過措置は労働組合との労働協約(契約行為)や就業規則に規定を定めることによって、民事法的・労働契約法(平成19年12月5日施行)の適用を受ける制度なのである。その結末は、一部で訴訟が提起はされはしたものの、「団塊の世代」の雇用を軟着陸させるには効果があったとされている。
そして今回、この経過措置が総て外されて、原則的に満65歳までの全員の雇用継続が措置されるものである。改正法の施行は平成25年4月1日である。それまでに就業規則の変更を行う必要があるが、それは単純な事務作業となる。実態的目的が、「団塊の世代」の雇用継続や厚生年金問題で混乱を避けることであったから、今回の改正で実態的目的も終息に向かっている。
現在の課題は、この法律の法改正の範囲を越えてしまっている。合理的理由が十分に認められれば整理解雇は容認される。=不合理な解雇事件(雇止めの形態をとったとしても)は、やはりリスクが伴う。また、「定年を過ぎた後の悠々自適の人生」は、実態としてそのほとんどは存在しない社会になってしまったことから、定年年齢や年金支給開始といった労働市場の節目は無くなっている。これに加えて、労働契約法の改正で労働市場は、
 (1)5年未満の期間を定める契約の者(絶対6年目に突入しない)
 (2)期間契約や終期契約の労働条件で65歳まで働く者
      (1988年ぐらいまでは、一般社員として採用していた層)
 (3)正社員としての人事・給与体系で働く者
      (非常に限られた人たちで、管理職や独自専門職に限定)
 (4)業務請負(定型作業の外注)若しくはアウトソーシング(専門家集団)
  …といった労働市場が形成されることになる。
労働契約法=解説ドキュメント
 http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou-kaisei-kaisetsu.doc
 http://www.soumubu.jp/documents/kaikonokenkyuu-seminar.doc
したがって、来年4月1日向けての個別企業の課題は、
 1.これからの時代に通用する経営方針での労働力確保
 2.同じく、その採用方法、能力評価方法、人材育成方法
 3.なかでも能力評価は、過去の評価制度が足を引っ張る。
…というものだ。本質的には、満65歳までの継続雇用制度を設けたところで、能力評価が伸びない場合は整理解雇の対象となる時代の到来であり、「終身雇用が着想した定年制度」とか、「義務教育修了者を初歩から育てた訓練制度」といったものから、早く抜け出した個別企業が主役になる時代なのである。


§個別企業の力量というものは、
新しい時代の商品の価値創造(固有価値)を担い得る「一人前の人材」を、何人集めるかによって決定されることになる。この能力は、筆者も研究途中ではあるが、たぶん、満18歳までに「能力の芽」は形作られており、これを価値創造ができる一人前に育てられるか、これこそが国家プロジェクトになるべきものであると考える。ではそれまでは、個々に「心尽くし、精神を尽くし、思索を尽くし、力を尽くし」て、それぞれが「流浪の民」から脱出するしか方法は無いのである。
工業デザイナーの概念を導いた、モリス(英国の学者・実践者)が、「人間は感情の起伏がなければ生きていけない」と主張し、美術面での芸術を工業デザイナーに取り入れた。同じように、人間が価値創造を行う活動と平行併設して、生活の中に様々な芸術を取り入れ、それもまた経済活動にまで育成させ、社会を構成する必要と需要を産み育てるしかない。その始まりは世界約1億人の富裕層に向けての商品開発でもある。確かに、それはなかなか無理だという話も分かるが、だからアジア新興国の中間層市場だという話も分かるが、それでは「流浪の民」が増えるばかりで堕落と刹那と滅亡がまん延する日本でしかない。極端な話:ルネッサンス以前に逆戻りしてしまうかもしれないのだ。日本での姥捨山、ヨーロッパでの魔女や魔女狩りによる人口調整、これによく似た話は大昔の話ではなくなりつつある。現に経済成長をしている中国大陸で筆者は正に、それをあの中国で目の当たりに見てきたからだ。欧米やロシアでは、社会不安の極致には、「この子だけはと、赤子を抱えた母親が、翌日になればその赤子を煮て食べていた!」との喩えを、子供の頃から肝に命じている、だからその意味で彼らははっきりしているのである。