2012/10/09

第126号

<コンテンツ>
2015年(平成27年)は「社会転換」の節目である。
そもそも、「国民の支え」のない経済や社会の改革とは
その上での、「政府の経済政策だ!」
したがって、表の経済は、劇的に経営環境が変わる!
改正労働契約法と効率的労働力確保
  【募集・面接・採用から】
  【能力の絶対評価システム】
  【労働契約書(雇用契約書)の交換】
  【就業規則の整備は来年3月31日までに】
  【業務改善…固有価値による商品価値の増殖】


§2015年(平成27年)は「社会転換」の節目である。
大手マスコミのニュースは、消費税論議や外交問題に人気取りの話題を集中させているが、経済社会を下支えする社会保障(年金その他)、消費税・所得税徴収の基盤となるマイナンバー制度の動き、その他の報道が少ない。社会保障・税一体改革関連では次のようなものが8月22日に公布された。
平成26年4月からの消費税8%(国6.3%、地方1.7%)
平成27年10月から消費税10%(国7.8%、地方2.2%)
平成27年10月に厚生年金・共済の一元化
平成28年10月から短時間労働者への社会保険拡大
  …週労働時間20時間、標準報酬7.8万円、1年以上の雇用見込者
こういった政府の施策に連なって、民間経済その他も2015年前後に「転換の焦点」を設定する動きが増えている。
同じく、経営管理の四分野
(収益、生産、労働意欲、効率)に影響を及ぼす改正労働契約法(有期雇用の縮小政策)は、1999年の労働者派遣法による非正規労働者拡大政策の大転換を促すものだが、ほとんど報道されない。期間契約をコマ切れに結ぶ雇い方は今年8月10日に法律で禁止となり、3回目以降の期間契約は自動更新され、一方的契約解除は無効となって賃金支払の義務が生じる。来年4月1日には、期間契約という理由で賃金・通勤手当その他福利厚生などで差別することが禁止されることになる。また、来年4月1日の労働契約成立からカウントして6年目に突入(平成30年4月1日超過)する期間契約は、無期契約(定年若しくは65歳前日、定年の定めが無ければ死亡の日まで)に自動的変更が法律でなされる。(これには、来年の4月1日までにパート就業規則などの変更をしないと何らかのリスクが発生する)。


§そもそも、「国民の支え」のない経済や社会の改革とは、
すなわち、上からの改革は「上滑り」を押すのが、歴史的に見て通例である。そういった上からの改革を充実させるためには、資金・投資が必要であって、要するに改革をする人たち(勢力)を金銭で組織しない限り、「上滑り」(=掛け声だけで終わるか&財力を持つ勢力に振り回される)を起こしてしまうのである。それは、個別企業内の改革も同じことで、社員の支えが無ければ「上滑り」することは定石である。そのことを、経営者や経営者の参謀部門が踏まえておれば、およその改革は成功する。
500年ぶりの経済危機と言われる中で、歴史上の産業革命は重要ポイントである。そして、現在はICT産業革命の真っただ中である。さて、時代を現代社会に塗り替えた産業革命(発展途上国には今からの国もある)を歴史分析しても、産業発展・新商品増産とともに弊害も生じている。それは、その多くが上からの改革を必要としたようだが、「国民の支え」が生かされない場合の多くが、その産業発展などのバランスを失って、経済破綻を招く危険性の高いことが研究されてきている。
端的な例は日本の産業革命である。
日清戦争前後か始まり日露戦争後に完了し、その後の経済発展につながったとされるが、政府や官僚の一面的経済展開によって国際経済のバランスを失速させ、国際経済から袋叩きにされたのが太平洋戦争であった。そこには、「国民の支え」がなかったので、軍部と官僚が融合してしまったために、経済活動の多面的展開が出来なかったとする説である。戦後も、アメリカによる産業再編が進められたが、「アメリカ様になびく官僚」の一面的経済展開によって、現代日本の加工工業立国は破綻してしまった現状を迎えているとの説である。
その説によれば、イギリス、アメリカ、西ヨーロッパ大陸(EU)では、産業革命による大工業制と併せ職人工業制が「国民の支え」のもとに育成されているとするのである。それらの職人工業制も現代ではICTに裏打ちされた利益率の高い産業としての存在である。したがって、アメリカのドル通貨の価値下落、EUの経済危機が、金融危機として取り沙汰されるが、結構それなりに経済は豊かなのである。
確かに、イギリスの産業革命の基盤的思考は、コモン・センスである。
(ただしコモン・センスは、研究者の間では、日本語訳となった「常識」が翻訳間違いとされている)。
そのコモン・センスの概念を産業や経済的側面から理論整理をしたケイムズ卿(1696~1782)によると、「富と徳が二つ併せて実現され得るとの理念のもとに奢侈(しゃし)・貧困(ひんこん)・怠惰(たいだ)・隷属(れいぞく)を排除し、産業振興のために、勤勉な産業の担い手を生み出し、国民各層が勤労の精神と技術を持ち、社会制度の改革と人間主体の形成が必要である」との趣旨である。併せてケイムズ卿のコモン・センスに関わり、「しかも商業が発展し富裕になるにつれて、人間が奢侈と快楽に溺れ、公共精神を失うとすれば、人間主体の産業教育による形成だけでは不十分であり、公共精神を回復させる何らかの手段が必要となるであろう。」との解説(田中秀夫『文明社会と公共精神』51p)がされているのである。決して、「裕福になれば、人間は堕落する」とする幼稚な倫理観ではない。「禁欲は霊的向上を促す」とするのは、もう遠い昔の話というのだ。
アメリカ独立と産業成長の基盤的思考も、
これこそが『コモン・センス』(en:Common Sense)という本を書いたトマス・ペイン(1737年~1809年)に代表されるものである。1775年のアメリカ独立戦争のさなかの1776年にこの本は出版され、3ヵ月で12万部が普及しアメリカ独立戦争の「国民の支え」としての理論支柱となった。その理論の経済面は、「イギリス経済から離脱し独立、アメリカが自由貿易をすれば合衆国経済は発展する」と説いたものである。それは、先に示したスコットランドのケイムズ卿の理論整理を継承したものである。ちなみにアメリカという国は、イギリスの哲学が現在の共和党を中心に根強い状況なのではあるが、実に独立や経済発展に関わる哲学はスコットランドやピューリタンに起源をもつ傾向(例えば草の根民主主義、ボランティア精神、NPO活動がそれ)を「意識的に温存」しているのである。この、「意識的に温存」がアメリカの民主主義や経済政策の特異な本質である。それは巷で流布されている「ユダヤ資本」とは比較にならないほどに影響力がある。そこには、アメリカの歴史的には、イギリスのジョン・ロックの社会契約論よりも約半世紀ほど以前に、「マイノリティーに注目する社会観」が定着していたとされる。
実際の先進国の経済活動というものは、
正確にいえば、国民が時の政権を支持し、その支持のもとに経済活動を支えたという形ではない。それは、経済活動の先駆的な人や個人や個別企業が、国家政策とは別の旺盛な経済活動を行ない、一般人とは先行して「富と徳」を手に入れ、財や資産を築いていった歴史であった。だから、先進国と言われる国のほとんどでは、「文化が変わり→経済活動が変わり→政治が変わる(革命)」といったパターンになっているのだ。さて、日本の場合、そのようにはなっていない。強いて研究してみても、せいぜい江戸時代末期までの兆候である。とにかく現代日本では、批判をするか落胆するか、あげく無気力・無関心となって、本格的な経済活動(事業経営や改革)を行おうとする人物が少なすぎる。とりわけ団塊の世代以降に、そういった人物の少ない傾向が強く、個別企業の内部でも同様の現象が起きているからこそ、経営や事業発展の弊害ですらあるのだ。経済活動を、ささやかな「身の回りの収入額」や「会社経営=生業」のことだと思っている人も、若年層を中心に圧倒的である。それはどういった因果なのかは不明であるが、現在日本の反政府勢力(国民のほとんど)は、人情的:無政府主義者を抱え込んでいる姿と関連づけざるを得ない。いわゆる、「批判はするが、自分ではしない」といったもので、それも左派と名乗る人たちに根強い。だから、どうしたら幸せになるかの政策も考えない。見た目に政策が有るような政党でも現場実践は皆無に近いのだ。さらに、この人たちの貧困が進み、「貧すれば、鈍する」ことになり、「これこそが、今の大阪で起こっている(維新の)ことだ!」と分析する学者も現れた。
だから、今の日本社会では、
努力すれば実現するにも関わらず、国民の間でも、掛け声だけを口をする人が多い。したがって、一般人より先に「富と徳」を手に入れることが可能にも関わらず、その道を選択しない人が多い。結論をいえば、有能であるならば、大手企業を離脱して能力を発揮出来る。中堅中小企業であるならば、「少々の能力と度胸」で、社長と仲間になって、事業を伸ばすことが出来る。実にそういった世界は、マスコミもたまに取り上げているように、日本にも存在するのだ。


§その上での、「政府の経済政策だ!」
と、我々は深読をみして物事を考えなければ、個別企業の経営はおぼつかないのも事実だ。冒頭に示した2015年の節目とした「社会転換」に対応出来なければ、残る道は個別企業の終息に向けて軟着陸(会社整理・解散)するしかない。おしなべて、事業や経営というものは、その国の経済・政治・文化にまたがる経営環境に適合させる、「腕前と体制」ともいえる。そういう能力を持った人物こそが、管理職と言われる人たちだ。
=インフレ政策と所得増加=
が話題になっているが、注意が必要である。高度経済成長時代やバブル経済時代のインフレ政策は、政府と労働団体の暗黙の了解のもとに、「(おもに年末に)通貨供給量を増やせば、翌年の春闘で賃金相場を引き上げる」ことでバランスを保ちながら、成長させてきた政策だった。だが今回政府が、インフレ政策と言っている代物は、インフレ政策ではなくて、単なる「通貨量の増加」であって、「円:通貨」を水ぶくれさせるだけのことである。だから、政府にだまされてはいけない。加えて、ほんの一部の政治家や学者を除いて、口をそろえて、「今、市場に資金を流しても、貯蓄をするだけで、産業への投資や消費に回るはずがない」と力説していたところが、この数日に、9年半ぶりの日銀政策決定会合に大臣の出席や、「インフレ+所得増加」発言が出てきた、その変わり身の早さなのだ。
もちろん、その発言には、その実現の可能性や実行力が見えないのだ。その本質は、アメリカからの圧力で、アメリカが通貨を市場にダブつかせる「量的緩和」に足並みをそろえていると観ざるを得ない。所得増加と言っても、大手企業:お抱えの労働組合では賃金相場引き上げの能力は無い。だとすると、この政府が経済政策を実行したとすれば、実行直後の混乱時期を過ぎたその後は、住宅関連の値上がり、食糧などの基礎生活消費財の値上がり、所得の横ばい(実質目減り)を招くばかりである。個人消費は低迷するから、またもや経済失速である。金融機関その他には資金がダブつき、海外の投機資金に流れる。名目的に値上がりするのは、「金の地金」に限られる。円高から円安に向かったとしても、技術で立ち遅れた自動車や家電が復活することは見込めない。むしろ安く買えていた海外商品の価格が高くなる。
さて、その実行時期は、通例から考えると、今年の年末前後である。


§したがって、表の経済は、劇的に経営環境が変わる!
1.ビジネスモデル…収益性
2.サプライチェーン(昔で言う「仕入れ」)…生産性
3.変化に対応出来る社内体制…労働意欲
4.変化に対応する労働力の確保…効率性
といった経済四分野での対応が、個別企業では急を要するのだ。社会や法律改正の前に、経済・仕入れ・取引関係が変化する。内心で良いのだから薄々にでも、「劇的変化」の感じられないような管理職ならば、次代の個別企業には余剰人員である。

☆第一に重要なのは、
「変化に対応出来る社内体制…労働意欲」に関わる対応である。
すなわち、時代に応じて改革・改善をする人材と対応策実行である。人材が社内に存在しなければ外部導入であり、実行を妨げる要素を徹底排除することである。その勘所とコツは、「社員の支え」を形成することにある。「社員の支え」が形成されなければ、体制固めに膨大な資金が掛かるか、社内改革は滑りを起こすだけである。

☆第二に重要なのは、
改善改革の実行で、「変化に対応する労働力の確保…効率性」に関わるものである。
さし迫る課題は、改正労働契約法も踏まえた労働力確保をどうするかである。何を置いても、経済活動に占める商品の役割は圧倒的で、その商品の価値は労働によって生み出される。労働集約型の個別企業では、労働力の確保ノウハウに掛かる重要課題である。
労働を軽視する経済学者や新自由主義と言われる経済学者は、近代経済学であっても労働により価値が生み出されていることを発見していない。当メルマガ8月号でも、個別企業の労働力についての解説を行った。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2012_08_01_archive.html
そして、今月のメルマガでは、就業規則等(社内規則)や労働契約を後に解説する。

☆第三に重要なのは、
「ビジネスモデル…収益性」である。
それは、まずは売り上げにつながる商品開発と販売・流通の体制である。それも、ICT産業革命に沿う必要がある。商品が売れなくなるとか、経済が行き詰まると、その原因の矛先を生産性に求めようとするが、これは経済学を学ばなかった素人の自然な流れである。日本経済であれば、自動車も家電製品もが、売れなくなった原因を究明することなく、生産性による人件費のコストダウン(偽装請負=労働者派遣、外国人労働者等)や Just in time やカンバン方式に、一面的依存をしてしまった幼児性である。先進国の経済体制は、人類が目的意識的に創造してきた成果なのである。なすがままに、自然現象に左右されていては実現しなかったのである。それは、世界有数の災害多発列島であるにも関わらず、経済社会を築いた日本であるからこそ、(東北地震や原発事故を念頭に)、今なお一層に意識して考えなければならないことなのだ。
この分野の改革改善には、社内人材の労働意欲と労働力の効率性も不可欠である。

☆第四に重要なのが、
「サプライチェーン(昔で言う「仕入れ」)…生産性」である。
ところが、ICT産業革命や、世界的な経済構造の変化により、産業を国内に止めておく時代ではなくなったのだ。だがそれは、必ずしも本社や工場を海外に移転させなければならないということではなく、世界に目を向ける視点で展望が開ける時代になったということだ。本社さえ日本国内に置いておけば、どこの国に工場を設立しようが差し障りはない。ついての話だが、日本国の法人税額は海外工場を展開したとしても税額変化はなく、巷の話は事実ではない。消費税は、海外との流通では、輸出収入ともに不必要である。もっと踏み込めば、国内仕入れを「円:通貨」以外の地域通貨(現在の法律では自由に発行出来る)や商品券で行えば生産性は向上、その仕入れ経費額は少なくない。そして、あなたも気づいているように、日本国内の労働市場環境は、「安い労働力と言うのは、労働の質も悪い」時代に変換せざるを得ないから、人件費の一方的コスト削減の買い手市場は閉ざされたのである。


§改正労働契約法と効率的労働力確保
有能かつ価値を生む労働・労働力によって、価値増殖した商品を扱うことこそが、個別企業が発展する定石である。たとえ取引する商品が日本国民向けに販売していたとしても、現在国際化しつつある日本では、規模の大小を問わず自ずとグローバル展開するのである。その商品の表現方法を変えれば、「高固有価値製品&高水準サービス」商品の提供である。高付加価値製品では、顧客目線からすれば曖昧さが残るから、「高固有価値製品」なのである。確かに日本には技術があるが、しかし技術があっても、具体的に取引される商品に転用する能力が少ないから、イコール売れないといった事態も自然なのである。
こういった定石が今日を含め、労働契約の期間契約形式が、民法や労働契約法の趣旨とは裏腹に人件費コストダウンの手段として利用されたことは否めない事実であった。とりわけ大手企業は、それによって得た資金を新商品開発や技術開発に振り向けなかった点に、今日の経営破綻の原因がある。そこで、改正労働契約法は、元来の法律の趣旨(私的自治&所有権)とは裏腹であった人件費コストダウンの道を、日本国内においては閉ざしたのである。すなわち、「期間契約の繰り返しで、契約期日満了を契機に解雇がしやすかった実態」及び、「期間契約を理由に不合理な労働条件格差」を、客観的合理的実態に沿って抑制することになったのである。
これに対する課題と対策の方向を、私ども株式会社総務部は、次の通り提言した。
 http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou_120928.doc
これに伴い、個別企業の具体的課題は、

【募集・面接・採用から】
変更する必要がある。期間契約であるとしても、解雇は非常に難しい法制度になったのだから、将来「お荷物」となる労働者はいらない。むしろ、個別企業ごとで予定している、「高固有価値製品&高水準サービス」に資する労働者かどうかを、採用時点で判断する必要がある。それを判断する手法は、既に開発されている。今までは、期間契約の労働者は、コスト削減かもしれないが、価値増殖をする労働者かどうかが優先選考基準とならざるを得ない。
期間契約にしろ、無期契約にしろ、改正労働契約法や社会保険関係法令の改正により、社員と比べて人件費コストに差をつけることが出来なくなるからだ。加えて、個別企業ごとに統一的基準でもって、効率的な面接をするために、新時代に適した「面接票」を活用する効果は大きい。なによりも、「数打ち当たれば良い」といった認識は改める必要がある。1970年代まで、大手企業の採用方法は、「何人か残ればよい」としてきたが、もうそれは昔の悪習慣である。
仮に、この20年ほどの習慣から人材派遣会社に、人件費削減目的で労働者派遣を依頼したとする。しかしながら、派遣社員に対しても期間契約の法制度が適用されるわけだから、コスト削減の方法として従来のような期待は持てない。また、「業務請負」の形態をとるとしても、実態が偽装請負であれば同じことである。あるいは、本来の「業務請負」であるとしても、その目的に合致した人材派遣会社の存在は稀なのが、日本の産業構造の現実態である。

【能力の絶対評価システム】
を導入することは、一挙に労働力の効率性を見直すことになる。またその適切な「能力絶対評価システム」の活用方法は、個々人の能力向上の具体的きっかけにもなる。それは採用時点、定期的、昇進昇格、定年延長時点で既に必要とされるものである。
従来のシステムは、能力の相対評価システムであった。この相対評価が役割を果たした前提は、「中卒・高卒の者が、有能な中間管理職によって能力評価をされる」といった戦前の前近代的社会背景を予定していたのである。ところが戦後67年、今や若手や部下に有能な能力またはその萌芽を持つ者が多数存在する場合には、絶対評価を柱にしない限り組織が崩壊するのである。それはただ単に、「同一能力であれば若者に仕事させれば給料が安上がりだ」と行ったリストラ策ではない。
とりわけ、熾烈な企業間競争を行う業界にあっては、能力絶対評価システムを導入して、有能かつ効率的な仕事の推進体制を形成する必要がある。カルテル、トラストその他独占禁止法に違反する行為であっても、行政が企業を保護(護送船団方式、指名競争入札)してくれる時代は終わったのである。業界団体を形成して、行政や社会に影響を及ぼすことを企む時代は終わった。

【労働契約書(雇用契約書)の交換】
労働契約も民法上の契約であるから、「申し込みの意思と、承諾の意思、この二つの合致によって契約が成立する」ことに変わりはない。ところが、通例、契約時点の契約内容を当事者が忘れてしまうのであるから、これをはっきりさせて置く必要がある。それは一方的通知ではなく、労働者の確認を得ておくためには「労働契約書」の形式が効果的なのである。民法上は、書面があるから契約が成立するといった根拠にはならないが、書面が作成されて当事者の署名などがあるといった当時の意思表示の証拠として有効である。契約解除(自己都合退職、解雇)であったり、仕事内容の変更や労働条件の変更の場合には、手続きの重要な材料となる。
煩雑だからとの理由で口頭で十分に対応が出来ると考えたとしても、個別企業の末端部においては、そこまで契約手続きをこなせる管理職は少ないのが現状である。トラブルになれば、その当時どういったやりとりがなされていたのかを、客観的合理的に説明するのには無駄な時間がかかりすぎる。なによりも、客観的合理性がなければ、紛議紛争解決としては立場がきわめて弱い。むしろ現代の管理職には、もっと重要な仕事が待っているのだ。加えて今時は、正社員であっても仕事内容を正確に押さえるために「社員労働契約書」なるものも作成する中堅・中企業が増加している。
 http://www.soumubu.jp/download/template/template2/yobo/rodokeiyaku.html

【就業規則の整備は来年3月31日までに】
期間契約の労働者用に作成している就業規則(パート、期間雇用、嘱託など)は、全面的見直しが必要となる。退職金の有無を明示している企業は多いが、その他の労働条件、例えば、
1.定年を定めていない就業規則はきわめて多い。
2.賃金規則は、改正労働契約法に基づいて整備を急がなければならない。
3.通勤手当その他の労働条件の差が問題なのである。
4.とくに重要なのは、「ダラダラ正社員と期間契約社員の比較」
がチェックポイントである。
ダラダラ正社員を基準に、期間契約者の労働条件を合わせると言うわけであるから、法律にもとづく合理的格差となっているかのチェックが必要である。来年の4月1日までにパート就業規則などの変更をしないと何らかのリスクが発生する。
★国家資格を持っている人物が作成した就業規則だからと言って安心は出来ない。その道の専門家のチェックは重要である。
★企業を終息に向かわせる個別企業では、残った営業権や財産の労使による「食い合い」であるから、とにかく穏便さを優先する作戦も必要とされ、その場合は就業規則を、無闇に変更する必要はない。

【業務改善…固有価値による商品価値の増殖】
期間契約の労働者を採用する場合だとしても、個別企業の、
 イ)企業業としての固有価値、
 ロ)商品の固有価値、
 ハ)人材・労働者の固有価値
を明確にして採用する必要がある。これを、明確にして採用しないということは、当初から余剰人員を抱えることを意味する。もちろん、配置もその必要があり、いまや裁判所でさえも、客観的合理的理由が存在すれば、整理解雇も容認する時代なのである。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2012_09_01_archive.html(参照:整理解雇の項)
これが2015年以降の日本の経済社会転換である。
その固有価値(絵図面)とは
 http://www.soumubu.jp/documents/koyuukachi_ezu.doc
☆併せて、高固有価値製品のものづくり、高水準サービス(人のcare)への、
そういった仕事をこなせるかどうか、教育訓練の成果が見込めるかどうか、の見極めが大切なのである。人柄や人物が良いとの判断だけでは無理である。少しばかり能力が劣っていても、まじめな人物の方が成長をすることは解明されているが、見極めの基準があれば、よりはっきり判断できるのである。それは、面接時点でも同様である。
★とかく、長い目で教育をする=目的意識的に能力開発をしないことであるから、そのほとんどが後日のトラブル原因になっている。部下を抱えた中間管理職の中には、会社の経費で「自分の子分」を持ちたがるものが少なくないから、何かと能力開発を差し置いて、新採用者を矯正しようとする。だが、これからの日本では、これが余剰人員となる経済システムになるのだ。要するに、「上司の言う事を聞くだけの従業員」は経営の余剰になっている。
個別企業の経営目的にあった、事実と一貫性に基づいた合理的な労働・労働力の確保が必要となるのだ。この、「合理的」といった概念は、金銭的な概念や機械的な概念ではないので、念の為。
巷では、出世目的や収入増加目的をそそり、能力自己改造を図るとの期待にあふれた、ノウハウ本やアプリが流行している。だがそのほとんどは、耳ざわりの良い叱咤激励に終始する程度で、具体的な能力開発が図れるような代物ではない。なんといっても、実際の業績につながる職業能力の開発は、実際の業務を目の前にして、その成功率を伸ばして行く勘所とコツを伝授するしかない。個人の内面を対象にした程度の、知識や空虚な熱意ではないのだ。実際に、企業としての動きにまで形作り、「当たる商品」(マーケティングに限定できない)まで仕上げる必要があるのだ。それも、如何に小さな企業といえども、将来をにらんで組織的に、イノベーションを推進する体制を造るしかないのだ。そのイノベーションとはこれだ。
 http://www.soumubu.jp/documents/innovation_121009.doc