2012/11/06

第127号

<コンテンツ>
大手企業のサラリーマン経営者
そういったサラリーマン経営者の姿勢が、
根低から生活文化に根ざす老舗は、ちょっと違う
さて、中堅・中小企業での方策は!
  【愛は眼差しと仕草、と言うけれど?】
  【顧客と接する社員みんなが出来るパターン化】
  【そこで、商品の価値=固有価値】
  【商品経済自体が、人類の発明したシステムである】
法改正に現場対処が出来ない人たち
  【労働関係法は商品や業務の品質に関わる!】
  【法律効果が無理解だから人件費増に!】
  【法令のみでは現場と対立を起こす!】
  【やっかいなのは中間管理職が抵抗するとき!】


§大手企業のサラリーマン経営者
の大半は、自社の技術開発を進め、「その技術を売却して保身を図ろう!」との作戦が、どうしても頭によぎっている。今のアメリカでは、確かに流行する手法でもあり、それを免罪符にする経営指南役も少なくない。その形態は、製品を得るのではないから、業務提携、M&Aをその他の形をとる。合併であれば、法的には存続会社に吸収されるのであり対等合併など存在しない。吸収合併されれば、取締役から社員に至るまでお払い箱である。だがそこで、サラリーマン経営トップだけは、「技術売却」の報酬としてポストが用意されるといったような仕組みである。大手企業の多くは、高度経済成長の先が見えてきた1960年代後半からは、合併に因って企業の存続を図ってきた。
いわゆる、こういったサラリーマン経営者は頭が良いけれど、頭の使い道が分からない。
どうも、大手企業では世界共通して、「旧態依然の成功体験が忘れられない」とか、銀行からの借入金で回しているような会社の取締役会では、「目の前の利益だ!」と叫んでいるようだ。日本は追い付くどころか、日系大手企業はおしなべて、欧米の勝ち組企業に太刀打ち出来なくなっている。日本の企業に技術力があるというのは昔の話、今や何らかの高い技術は存在するけれど、世界の市場が相手にしてくれないのである。日本の技術・技能の特徴は、他の商品に転用出来ない状況であり、その未熟さが未だ改善出来ないのである。それは、この失われた20年間に人件費コストを下げることばかり考え、技術・技能体系の未熟さからの脱出を図らなかったからである。「円高により不況になった」との大手企業の弁解は嘘で、その根拠は海外生産さえすれば円高の影響を受けなかったはずだからである。要するに、日本の技術・技能より劣るかも知れないとひいき目に見たとしても、欧米の勝ち組企業が、日本の大手企業の進出予定市場を、ことごとく取ってしまったということである。もはや、一部の素材産業を除いて大手企業が持ち直す見通しはなくなった。
これは何も、パナソニックその他の劇的なニュースが流れたからそう結論づけるのでは全くない。経団連も、私から言わせれば、「笛吹けど、会員の大手企業は踊らず」どころか、踊りたくとも、サラリーマン経営者やそれを支えてきた管理職や組織硬直が原因して、踊るつもりも体力もなくなっているとみた方が妥当なのだ。
(経団連:事業競争力を左右するビジネスモデルの変容と多様化で懇談)
 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2012/1018_05.html
(経団連:「『失われた20年』と成長戦略の評価」テーマに説明を聞く)
 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2012/1018_06.html
何年も前から破綻の兆候は現われているが、日本国内の大手企業でもほぼ共通して、「目の前の利益だ!」と役員会では怒号が飛び交っているという「ウワサ」である。(ただし、筆者は噂話を掲載しない。)


§そういったサラリーマン経営者の姿勢が、
「挙動・まなざし・仕草」ににじみ出て来るものだから、開発担当者は本気で技術開発をするわけがない。(まして技術系社員は、企業よりも学術団体への忠誠心が強い)。管理職の中でも部長クラスは、まだ将来展望が気にかかるから鋭意尽力をするがが、中間管理職のほとんどは、今や「言われたことをするだけ」の人物が圧倒的に多く、旧態依然にしがみついている。この失われた20年ほどの内に、彼らは人件費削減の手法に長けるようになり、肝心の自身や企業の技術・技能をないがしろにするばかりだった。だから彼らは、「何でも分かっているつもり(実は自己欺瞞)」だが、ウダツ(梲)は上がらない。うつ病・労働力毀損の蔓延、新型うつ病のレジスタンス運動もその結果である。むしろ、そうなる素養の人物を中間管理職に抜擢・確保してきたのが現実であって、彼らが「保身の塊」と抱き合わせの存在であることを見抜けなかった総務人事担当者の失策といっても過言ではない。(やがて、こういった労働に関わる課題を、EUや北欧の諸国は克服しつつある)。
だから、これが結論だ。
益々大手企業は、窮地に陥る道を進まざるを得ず、今さらどうしようもない。大手企業での改革や革新を進めようとしても、こういった中間管理職が抵抗勢力となって身動きがとれないし、中間管理職自身は転職しても使いものにならないことを良く知っているから、一段と社内抵抗を激しくしているのである。加えて、創造的労働・効率的労働の弊害となることが分っている学歴重視、無休(有休はマイナス考課)重視の人事体系も、紆余曲折の議論も生じず、大手企業では脈々と続けられている。さて、こういうふうに物事・組織を観るのは歪な思考ではなく、「帝王学」の定石であるから念のため。だから筆者は、そんな大手企業に就職したとしても、意思さえあれば、頭の使い方を良くして、大手企業を退職することを推奨しているのである。


§根底から生活文化に根ざす老舗は、ちょっと違う
例えば、資生堂のように、
顧客に接する社員の意識から改革を図って、抵抗勢力を抑えようとしている企業は稀である。
(経団連:企業価値の向上に向けて~リーダーの役割とは?経営改革を振り返る/資生堂の前田会長が講演)
 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2012/1011_10.html
資生堂は、筆者(むらおか)が在籍している大学院のスポンサー格の一つであるが、商品価値を使用価値論では論ぜず、現在解明されるに至った固有価値論を一貫して唱えてきた企業であった。にも関わらず、曖昧な経済論理に振り回されるなどして打撃を受けた時代もあったようだが、商品価値=固有価値論の顧客重視を柱に貫いたからこそ、方向転換の舵をとることができたのである。蛇足だが、筆者が中小企業政策ではなく、経済政策としての商品価値=固有価値論、そして価格決定メカニズムを解明できたのは、資生堂の経営者からの情報が大いに役立っている。
大阪ガスも、
天然ガスのエネルギー転換を具体化する事業へと舵を取ろうとしている。天然ガスに因って発電をする方向ではあるが、大規模施設の集積集中発電ではなく、「スマートグリッド&個別分散型」の発電である。ちなみに経済発展・産業革命の定石の話(論理)だが、18世紀の産業革命で、当時の蒸気機関は大型過ぎてエネルギー効率も悪かったものだから鉱山の排水程度にしか使われていなかった。これを、ギルド徒弟制度から放り出されたワット(蒸気機関自体は彼の発明ではない)が、グラスゴー大学に招かれ、そこでコンパクトな蒸気機関小型化に成功して、工場に分散設置、船舶や鉄道動力車に活用出来るようにして、これにより産業革命の基盤を作ったのである。ちなみに、経済学者のアダム・スミスもグラスゴー大学。そして今、ドイツの電力産業といえば、元来原発は輸出専門であったし、風力や太陽光は大規模事業化が可能な土地柄であったものであり、電力産業といえば中小農村の再生エネルギー産業なのである。ドイツはユーロ安の追い風で、さらに高収益をあげており、経済成長ばかりでなくゆたかさを追求しようという訳である。そのドイツの発電機メーカー世界第二位のシーメンスは、風力や太陽光発電の大規模発電機メーカーに成長した。大阪ガスは、時代の波に乗れるかどうかの岐路であるだろう。
ちなみに、東京電力は、
典型的な工業向け商品と工業文化一辺倒の企業であり、今そこでは、若手人材が流出し続けている事態に歯止めがかからず、残りの若手で何とか間に合わそうとの制度を導入せざるをえないほど窮地に陥っているようだ。
 http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/kigyo/20121031.htm


§さて、中堅・中小企業での方策は!
その参考になる、欧米の「勝ち組企業?」の例をいくつか紹介すると次のようになる。
(1)商圏を集中し密度をあげて便利さと使い道を増強(カーシェアリング)
(2)顧客の欲しがる情報を集中して提供(情報配信、携帯、健康ケアー)
(3)顧客が観たいと思っているうちの配送速度(DVDレンタル)
(4)流通の習慣や障害から脱出し顧客に直接販売(電子書籍)
(5)伝統的企業体質の影響を受けない事業展開(エスプレッソ)
(6)有能な「職人」の行動特性をパターン化・社内普及(教育事業)
(7)店の見た目、温かいもてなし、新鮮高品質(小売、飲食チェーン)
(8)平均的顧客重要の神話といった思い込みから脱却(交響楽団)
(9)顧客の利便、注文、親切、関連情報を先取り(旅客、小売)
こういったビジネスプランや事業転換についての切り口であれば、中堅・中小企業であれば切り替えることが出来るのである。業務改善のコツとして導入するだけでも売り上げは変わってくる。
そこで、「最も肝心なこと」は、
 A.これを進めるための理念確立と理念を現場で具現化する手法、
 B.人員と事業を推進する体制を造ること
である。要するに、中堅・中小企業では、この「最も肝心なこと」がやり易いということである。やりやすいけれど、やっていない現実があるならば、これを総務人事部門が責任をとって、組織的に推進すれば良いことである。キーポイントとなる人材がほしいならば、先ほど述べたような、(条件1)事業に意思や意欲をもち、(条件2)頭の使い方を良くした大手企業退職社員を採用すれば良いのである、中国、韓国その他の海外企業に取られないうちに。その責任セクションは総務人事部門である。別個に企画室とか推進本部などを作ったとしても、やはり総務人事部門のように足元が固まっているわけがない。
大手企業も、「最も肝心なこと」らしきものに挑戦をしているのだが、実行するための社内体制がとれないのが現実だ。その原因の解明は可能だが、責任を取らされるか貧乏くじを引かされるから、「原因解明が出来ない」形式をとって、「笛吹けど、踊らず」を自然現象の様に言いくるめているにすぎない。そして、大手企業のサラリーマン経営者は線が弱いから、イノベーションや技術の売却に走るのも無理もないことなのである。

【愛は眼差しと仕草、と言うけれど?】
その意味は、物事をやり遂げることはテクニックではない!ということだ。先ほど述べたような「勝ち組企業?」の例を、テクニックとして導入しようとするのは間違いである。諸事情が重なるので、その調整をすれば良いだけ!と考えるのもテクニックに走っているから間違いである。もっとひどくなれば、「営業トーク」とか「文章の書き方」といったテクニックよりも近視眼的な「手練手管」の種類を求めようとするが、こんな人物は責任者から外すしかない。創造性の芽が無いから、そういったセミナーや書籍が氾濫し、それを流行と勘違いまでしてしまうのである。テクニックに走る人材は、頭が良いのだろうけれど、頭の使い方は決定的に悪い。
中堅・中小企業では、ややもすれば、ここで、「愛」とか「情熱」といった言葉だけが飛び出すが、「愛情を持って!」といった業務命令など役には立たない。まして、日本において「愛」という概念は各自が千差万別、欧米のように愛を5~6種類にも分類しているわけではない(自己中心愛、博愛、友愛、自己犠牲愛、慈悲、Amoreなど)。だから、「愛」の言葉を業務命令に使えば、バラエティーに富んだバラバラの業務を実行しましょう!ということと同じなのだ。しかも、「愛」であるからバラエティーに富んだ方法も包容しなければならない。余談だが、「愛」の最初の日本語訳(室町時代)は「大事にする」であって、英語のLoveである。だから、日本人の「アイ、ラブ、ユー」は、I like you というのが妥当らしい。

【顧客と接する社員みんなが出来るパターン化】
を図り、全社員に定着させることが重要なのである。そうするから、生業や個人商店から→事業となるのだ。例えば、現代・今の瞬間に、日本社会で親切さを表現するには、
「お客様が世間話を持ち掛ければ、仕事の話を止めて、その世間話をする」
ことで、顧客は親切さを実感する実証法則がある。だが、これを社内に書面通達だけで指示したとしても実行不能である。朝のミーティングで徹底したとしても、やはり一部の社員は顔がこわばっている。まして、ウロウロして先延ばしにしていると、この実証法則も社会状況が変わって通用しなくなるのも事実だ。
また、「美しさを追求する」といったところで、先ほどの「愛」とか「情熱」の話と同じである。
ではどうすれば良いのかであるが、ここでもテクニックに走ってはいけないのだ。
人間の理解方法は、
 One  書面の理解が得意
 Two  論議の理解が得意
 Three ビジュアルの理解が得意
の大まかな3種に大別される。学校教育は書面理解が中心なので成功率は30%にも満たない。ゆとり世代(18歳~27歳の1200万人)には、議論やビジュアルが導入されている。一番効果が高いといわれているのは、演劇(ビジュアル)だとの学説は強い。
確かに、一般社員向けの教育効果の高い事例は世界的に見て、パターン化した題材での「社内外でのイベント」が重要視されている。社長が営業イベントで先陣を切るのも、社外講師の漫談セミナーも、店頭での実演販売も、社内での典型事例の実施(や演出)も、複雑な作法作業をパターン化して、「社内外でのイベント」を通じて教育しているのだ。
そして、「社内外でのイベント」を拡張・継続させる仕掛けが、事業では必要となる。

【そこで、商品の価値=固有価値】
に注目すれば、その拡張・継続させる仕掛けの論理的(答え)選択肢が見えて来るのである。社内でのノウハウ蓄積の術との共通項も多い。研究報告はこちら。
 http://www.soumubu.jp/new.html
 http://www.soumubu.jp/documents/innovation_121009.doc
きわめて簡単にいえば、商品の価値に、「意欲・感動・希望」を持たせることでもある。
今までの商品価値論の使用価値だけでは、「意欲・感動」しかなく、肝心の「希望」がなかったのである。商品に花火をつければ感動は巻き起こるが、顧客に商品を提供するor顧客が商品を手に入れたことでの、「希望」は出てこない。
そしてこの「希望を持たせる」といった価値は、経済成長だけでは実現せず、いわゆる「豊かさ」と併存していることが発見される。そして、この「豊かさ」を容易に醸し出すことが出来るのが芸術でもある。
 I. スキル Skill に接すれば、意欲 Desire, Will は出るものだ。
 II. パフォーマンス Performance があれば感動 Impression はするものだ。
 III.アート Art になれば、人に希望 Hope を抱かせる。
 IV. (注:ここで言う私の芸術とは、技巧の上手下手を問わず、人に希望を与えることができる術を重視しているもの。その決定的な特徴に、その術が無ければ希望といった感情作用が形成されえないところがある)。
仕事(作業)がこなせる人物だ!といっても、それが曲芸師であれば、何れ機械やICTに取って代わられるだけである。商品の価値に、「意欲・感動・希望」を持たせることは、小さいながらも芸術的要素である。曲芸は、あくまでも珍しい見世物だから、見せてしまえば真似をされ、いくら素晴らしくでも何れは見捨てられる。だが、芸術的仕事の代替は効かない。
☆3ヵ月ほど前に翻訳出版された、『ザ・ディマンド:爆発的ヒットを生む需要創出術』(日本経済新聞出版社、A・J・スライウォツキー著)でも、この20年を振り返り
 (イ)「提供する側と顧客側とに共通する感情」といった表現で、商品の価値=固有価値の最大重要要素である「希望」を同義語で紹介している。この本の著者は、機能性とは別の「感情的訴求力」という言葉を使っている。
 (ロ)提供側と顧客側の希望がずれた場合には、顧客側の「受容する希望」についてだけ交換がなされ、製品とサービスを一体としてとらえ、爆発的ヒット商品の検証を行っている。
 (ハ)提供する側が希望を持っていたとしても、提供側と顧客側の希望のずれを、摺り合わせることで、ヒットする商品ポイントがあると言っている。
 (ニ)そして、大きな事業展開を成しえた企業では、社員には顧客と一体感が生じるような「希望」が持てるように、かつ臨場感のある組織運営を行っていることを十数社に渡って紹介している。
 (ホ)まさに曲芸師の見世物ではなく、人に希望を持たせる芸術家たちと共通したビジネス作法を紹介しているのである。
 (ヘ)金銭、地位などに因って、社員の意欲を釣ろうという爆発的ヒット企業はないとも言っている。

【商品経済自体が、人類の発明したシステムである】
それは自然に出来たシステムではなかった。そして、商品の価値=固有価値であって、機能や物質(の使用価値)では無い。
ちなみに、中国は商品経済では無い。日本の公共事業発注も官僚の行政指導も商品経済では無い。だから、彼らは200年前のリカードの使用価値論に頼るし、その延長線上にあるパレートParetoやスラッファSraffaといった流行的な経済理論に頼ろうとする。資本投下を唯一の拠り所としてきた大手企業も、資本投下を得るために流行的な経済理論を信奉しているから、商品経済システムに沿うことが出来ない。だから、日本の商品は相手にされなくなった。円安になっても、もはやガラクタ品が売れるわけ無い。
生活文化の豊かさを追求する事業は、誰もが成長有望と見るようになったが、資本投下を得るために経営者が舵を切らざるを得なくなれば、商品経済システムから脱落するしかない。それを未然に防ぐには、最終末端販路を海外の富裕層に向ける方針だけでよいのだ。アジアの非富裕層地域や国内に市場を求めれば、日本の官僚が長年実行してきた社会主義▲計画経済を再び蔓延させることになる、それも、豊かさとは無縁かつ、今度は経済低成長の▲計画経済▲に抑圧されてである。
だから、みんな、頑張ろう!


§法改正に現場対処が出来ない人たち
それは、今般の労働契約法その他の法律(全般的に)の改正といった、経営管理で最も気をつけなければならない社会環境の変化についてもそうである。経営というのは、経営環境の変化に応じて如何にコントロールをして行くかといった技法でもある。だからそれに長けた人物が、経営者、営業部門、製造部門、総務部門、その他専門部署を担っているのである。だからと言って、各部門とも外部環境に翻弄されてしまえば経営は成り立たない。
大手企業のサラリーマン経営者は450年ぶりの経済変化に翻弄されている。営業部門も売り上げさえあげれば何とかなるとの過去の金融政策に翻弄された不毛な営業活動が多い。社会の後追いや政治目的による法改正を信奉して、「個別企業の経営環境まで迎合」させようとする総務部門も多い。間の悪いことに、専門家は社会的地位に惑わされて、翻弄されているにも関わらず、なぜか「私は正義だ!」と極度の勘違いすら起こしている。

【労働関係法は商品や業務の品質に関わる!】
ことなど、まったく考えたこともなく、法改正をそのまま社内規則に導入するようとする人たちがいる。現場や正当な経営方針と相容れるわけがないから周囲の反発が激しいと判断するやいなや、一挙に、「非合法な方法を秘密で行う」方策を求めるようになる。頭が良くても、頭の使い道が悪ければ、大概このようになってしまう。労働法改正を社内に順応させようとするには、品質にブレーキが掛かる事柄を明確にし、その上で品質にブレーキがかからない制度を創造する方法が定石である。それはこのメルマガで先ほど述べた概念であり、創造さえすれば理想と言うわけではない。創造をビジネスとする企業もあれば専門家も存在することだし。

【法律効果が無理解だから人件費増に!】
労働契約法の改正は人件費、すなわち人件費の対品質効果である。
(労働契約法=解説ドキュメント)
 http://www.soumubu.jp/documents/roudoukeiyakuhou-kaisei-kaisetsu.doc
労働者派遣法改正や高年齢者雇用安定法の改正は、大手企業若しくは大手企業の真似をしていたその他企業、並びに高齢者積極活用企業に限って重大な問題なのだ。
 11/2 厚労省審議会が妥当と答申した雇用確保措置指針(案)
 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002nhdh-att/2r9852000002nhi9.pdf
如何なる企業であっても、現行の採用雇用制度を、この労働契約法改正(一部は本年8月10日施行、あと来年4月1日施行予定)の文言だけを解釈して、とりあえず「労働契約法に抵触しない」との目標で採用システムや社内体制・規則を改定した場合、人件費の無駄遣い、教育訓練企業の重複、賃金債務(賃金トラブル)招来システムの形成となる。
むしろ、事業を縮小する個別企業であれば、労働契約法改正に伴う社内制度の改定を、行わない!方がベターである、といったことも理解不能なのである。数10人~数千人の従業員を抱えて(秩序立てて)動かすわけであるから、実施部隊であるライン幹部や中間管理職に説明出来ないのであれば、総務人事部門がごり押しすることは危険なのである。ただし、あくまでも事業を縮小する個別企業に限定していることなのだが。
一部の労働組合は、労働契約法の改正で有期雇用の制度が変わることに因って、従来からの正社員とは別に、B級社員が形成されると主張している。その論理からすれば、現在の有期労働契約を繰り返している労働者に加えて、現在のA級正社員をも順次B級社員に転落させられるとの説につながって行く。だが、そんなことをしてしまえば、個別企業の商品は売り上げ大幅ダウン、日本経済は世界の誰からも相手にされないことになっていく。彼らは、自分が何を言っているのか分からないのだろうが、経済の豊かさの後退を望んでいると、受け取られかねないのである。そういった理屈は、ほとんど無政府主義者のような論理展開なのだが、たとえ大学の法学部教授であっても事業経営に与える法律効果が理解出来ていないことによるものだ。

【法令のみでは現場と対立を起こす!】
誰しも、いくら経営方針に反対する社員であっても、法令をそのまま現場に持ち込まれては対立せざるを得ない。機械的に、事務的に、WEBなどでの情報の表面を社内に持ち込もうとすれば対立を起こすのは当たり前だ。その場合、多くの総務人事部門の監督職若しくは、監督職程度の能力しかない人物(男女問わず)は、そこで「強い権力」を欲しがり、総務人事部門の情報すら操って権力をもちたがる。そうすれば、周辺の人たちからは益々嫌がられ、面従腹背のお世辞にさらされるしかない。要は阿呆や馬鹿にされるのだ。もちろん現場のモラルは下がる一方、先ほど述べたような、「意欲・感動・希望」を与えられるヒット商品など、全社的に提供出来るわけがない。最近テレビで騒がれている大手企業もその類、筆者はそれを直接目の当りにもしてきた。
そこで多くのサラリーマンは、社内の多くの人の意見を聞いた振りをして、闇雲に「適当な合意点」をまとめて、お茶を濁すのである。やっぱり頭が良い?から、「話をまとめたような書面」の作成は上手ではある。でもそれは、合理的思考訓練を受けている外資系ビジネスマン、有能な弁護士、有能なコンサルタントには一目瞭然、見破られてしまう。でもお茶を濁すのは、中間管理職としてのサラリーマンであるから、社内での保身に役立つからなのである。そういった人ならば、社会人向け大学院、基礎理論の読書をして、ほんのちょっとでいいからビジネスでの創造性訓練をした方が良い。

【やっかいなのは中間管理職が抵抗するとき!】
いよいよ勘所である。新しい時代の経営戦略、業務改善とワンセットになった制度改革・規則変更は、あなたが有能であれば、たぶん経営トップは賛同もしてくれるし、「総論賛成!」である。そして、部長クラスは、あなたのプランに、にわかに賛成するかどうかは別として、抵抗はしない。…これはどの企業でも共通している。
問題は、中間管理職(課長)である。
 (ア)中間管理職が了承すれば、末端まで組織としてそれなりに動く。
 (イ)中間管理職の心を打つ方針であれば、中間管理職が末端まで方針を徹底する、それは中間管理職の希望にも適うからである。
 (ウ)反対に、中間管理職が(表情に表すことなく)反対をすれば、末端では非合法・方針と正反対の動きが、水面下で行われる。
 (エ)…これが組織運営・組織運営論の普通の姿なのである。
 (オ)中間管理職が無言の反対をすれば、部長クラスは手足が動かないから、部長も難色を示す。
 (カ)部長が納得したかでは無く、中間管理職の心を打つ話を部長が出来るようにする創造的な具体的手立てが必要である。
 (キ)難色は示しても部長は反対しない、だからといって押し通せば組織は分解する。
 (ク)必ず経営者は組織分解を阻止するから、押し通した貴方は追放(左遷)される。
ここでよく勘違いする事柄は、
「中間管理職その他の意見を聞いてまとめれば、間違ったとしても前に進む」といった、全く根拠のない甘い誘惑に乗ってしまうことである。未熟な総務人事部門の監督職たちは、「追放(左遷)される恐怖感」から、甘い誘惑にも乗りやすいのである。では、管理職はどうすれば良いのか!
 A.総務人事部門の担当者であっても、自社の顧客の需要観察をしっかりする。
 B.営業部門・製造(業務)部門などのライン中間管理職の奥底を良く推察する。
 C.今後のビジネスプランを邁進するための制度を、自社用に創造する。
 D.ライン中間管理職の教育は、総務人事部門が企画と責任を取って行う。
 E.決定的アプローチは、会社の最前線で顧客と接している人たちに行う。
……こういった項目、最初はどうしても深く取り組むことは出来ない。でも、業務改善のコツとして使うことは可能で、現在の状況から一挙に前進することは確かである。それは筆者が接している企業では何件も実証がされている。
しかしながら深く取り組むには、さらなる勉強が必要である。有給休暇が余っていれば毎週大学院に通うことも出来る。管理職であれば勉強の時間と質はコントロール出来る。欧米のヒット商品を生む企業のようになりたいのであれば、大学院レベルの経済・経営・社会制度・心理学などの勉学は欠かせない。(スウェーデンなどは管理職の博士号まで大学院に設置した)。
だがそこまでしなくても、今の危機的状況から一歩踏みだし、貴方の会社を浮かび上がらせることは可能なのだ。