2013/09/10

第137号

<コンテンツ>
オリンピック開催のニュース効果
開催するのは東京都である。
世界各地の人々への奉仕が好きな日本人
ここで個別企業は、180度ひるがえって、
オリンピック開催は7年後である。
ちなみに、今のデフレ経済が延々と続く原因は、
まして、福島原発で、手形を切ってしまった。
まぼろしを追いかけるような経済政策と、その夢に期待する人たち

「いじめ嫌がらせ」の定義で、その有効なポイント
  A.その定義とは
  B.それを証明するには
  C.いくつかの有効ポイント項目
  D.浮かび上がろうとする企業にとって、叡知を集める重要な柱
9月1日から、厚労省がブラック企業摘発

【特集】価値増殖につながる職業能力の人間発達の方向と育成見通し
  ☆1.日本の学問や学校教育が効果を果たしていない。
  ☆2.“努力した人(努力原理)が望ましい”への若者意識の変化
  ☆3.自信がある職業スキル、そして、自信がある生活スキル
  ☆4.年収六百万円以上の個人が持っている、特徴的スキル
  ☆5.若年層意識の表面的トレンド(流行)
  ☆6.ICT産業革命での職業能力向上:具体的建議
  ☆7.日陰にされて来た、3つの職業能力
  ☆8.職業能力は商品価値に、どのように現れるか
  ☆9.個別企業での「共感性→希望」形成が、成功法則


§オリンピック開催のニュース効果
7年後のオリンピックは、おそらく世界における日本の地位を変える。だが、個別企業にとってオリンピック開催は売上げ集金タイムtimeにすぎない。オリンピック開催までに、個人消費や世界に通用する商品での基盤固めをしなければならない。オリンピック開催を、まともに本気にビジネスとして組み立てるには、今から7年間の投資・準備期間の末、イチカバチカで、開催前後の集金に賭けるしかない。
加えて条件は借金が前提となる
ので、世間が夢見るような事業計画は、具体的になればなるほど考えられないことになる。むしろ、目の前の国内外の需要に応えて、人をケアcareするノウハウを蓄積しておき、開催の半年前までに臨機応変にビジネス変化させるほうが、確実に利益が確保できる。
巷でこれから論議となる観光産業
だが、世界の富裕層を先頭にオリンピック前後に来日する外国人観光客を、いかに日本各地の観光開発された地域に迎え入れる文化がキーポイントである。筆者の診るところ今、着想や論議はきわめて未熟であって、日本が稼げるような受入姿勢とは言い難い。例えば、中国人観光客は増えるだろうが、今現実に起こっていることは、中古マンションを中国人が買いあさり、ホテル代わりにしようとしている。これに対する対策を考えなければ、訪米各地(シニアハウス本家本元)の外国人にまで広がってしまう。
世界先進の20ヵ国経済動向
からすれば、受け入れ箱物を撃ったところで、オリンピック開催前後は、「閑古鳥」となることが十分予見できる。そこでまた、利回り資本(金融機関とは言ってない)の餌食にされる「浮かれ者」も続出するのである。


§開催するのは東京都である。
「浮かれ者」は、いつの世も目立つものだから、日本全体が祝福されたと勘違いしている人が多い。確かに同僚や仲間に、絶好のチャンスが回って来たことは祝福である。ところが、東京都行政機関、東京都民にしても、まして他府県の個別企業や個人にとっては、そのままチャンスになるわけがない。
本質は=東京オリンピックは、
商売受けの良い「口実にすぎない」といったことなのだ。実際その具体策が考えられなければ、関西でいうアホ(関東や標準語のバカに相当)である。このアホの意味には愛嬌や可愛さが含まれているから、商売相手のカモ・ネタといった内容を指している、すなわち個別企業が具体策を実施できるかどうかなのだ。
まず、人をケアcareする提供事業のイノベーション
が必要である。人のケアcare、はるかに高度なサービスなくして訪日外国人向け商品が売れない。その評判も、オリンピック開催前に、世界に定着させる必要がある。
(参照)http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242

§世界各地の人々への奉仕が好きな日本人
の良いところかもしれないが、新幹線システム、水道システム、原子力発電運転?システムなど、これを売り込むのはオリンピックといったスポーツ指向とは関係ない。こういったプラントは、短くても十数年のスパンで建設→運転→保守維持点検のプロセスをたどり、これを日本人技能者が行った末は、必然的に日本企業も日本人技能者も、「お払い箱」になることに気付いてないのである。売り込んで稼働させた次に、売り込むものがないのだ。これも関西いうアホである。あまりにも世界経済に対する無知である。米英・西欧・北欧は何らかの制度的抑えをかけ、東欧の人のたちの文化は、東欧圏(国境線とは微妙に異なる)から外へは技術を出さないというスタンスである。


§ここで個別企業は、180度ひるがえって、
450年前の交易経済方式に学び、日本文化を前面に押し出して、固有価値商品を作って成長するしかない。固有価値商品には、内需&外需(輸出産品)の供給を区別するラインはもとより存在しない。日本の約800年もかけて培われた日本文化的発想は変更や修正しようもない。110年ほど、日本の官僚制度形成から今日まで、この間に日本の借金が増え続けたという反省がないのである。
例えば、日本でもイタリアでも、
分散した地元単位(藩や自治行政)の経済を、世界大戦(日露戦争を第零世界大戦という学説もある)の以前は、当たり前であった。韓国の評判を口にする人もいるが、日本の原発技術のカスタマイズする目標だけの、もとより短期目先収益に徹する目的、だから、自動車、半導体のように疲弊を繰り返す歴史なのだ。


§オリンピック開催は7年後である。
読者のあなたは、その時7歳も年老いている。
ところが、今から数年のオリンピック開催までが、日本や地方が沈没するかどうかの瀬戸際である。今の経済状況を、「五輪を起爆剤に(デフレを)払拭したい」などといった人物がいるらしいが、経済再生政策の無策が、ポロリと心境を漏らしてしまったのかもしれない。(官僚や公務員組織に手足をモガレて、実に哀れである)。
個別企業にとっては、
7年後は日本の社会経済の地位向上に役立てるか否かだ。だが重要なのは、たった今の、個別企業の繁栄なくして社会経済、生活・個人消費の基盤も考えられないことの方だ。


§ちなみに、今のデフレ経済が延々と続く原因は、
「個人消費(内需)の回復→世界に通用する商品(日本の文化水準に基づく固有価値イノベーション商品の欠落」…が原因であることは、社会通念になりつつある。また現実は、早くそれに気がつき、体制固めができた個別企業だけが救われる、この事実である。
こういった事実関係と経済法則性を嫌がるのは、唯一保身と地位確保のための、官僚たちと(お神酒・徳利)のマスコミ関係者だけである。官僚とマスコミに持ちあげられて、「御神輿」役を徹底すれば政権は安泰であるし、政権も取ることもできる。見方を変えれば、消費税、マイナンバー制、不良債権処理の貸しはがし等は、時代遅れの業態や個別企業を、官僚たちの生き残り対策の一環として、個別企業を清算する施策とも言えるのだ、ただし、生存権や基本的人権には踏み込めないことから、憲法問題も浮上しかかっているのだが…。


§まして、福島原発で、手形を切ってしまった。
政府は(結論)は、相当の政府予算を直に投入するしかない。すなわち、一般公共事業予算や復興予算がそちらに回るから、住民サービスや地元建設業には回らないということなのだ。
その理由を列挙してみるが、
世界最大の放射能汚染地域が関東・太平洋側東北地域である。汚染実態はチェルノブイリよりも格段に深刻である。青年に達する前の甲状腺癌が続出するのは予想されている。汚染物質流出を止めると首相宣言をしても実施はこれからだ。風評被害対策=無策というのが日本行政の定番で、汚染されていない黒潮に乗った魚類の販売網整備といった単純なことすら官僚にその気がない。ここまでの事態になっても、官僚たちは民間の力を頼ろうとしない、常に下請け扱いである。また、意見が違えば現役学者を排除するし、下野(げや)した人材(学者・官僚・経世家)など、官僚の保身にとってはもってのほかと考えている。
空手形を切れば、
オリンピック開催決定といえども、第1次世界大戦中のように中止もあり得るのだ。近年では、参加を拒否する国の続出といった事態もあった。環境問題に敏感な国・国家政策をとっていなければ、大幅予算投入&客観的合理的証明ができていなければ不参加となる事態も予想される。筆者もPM2.5で健康を害しているが、まして東京の放射能微量粒子を吸い込んで活性酸素が増加してしまえば、自身の仕事その他の責任が果たせなくなるのだ。(放射能粒子、重金属粒子の吸引は、循環器障害となり、初期症状は「息苦しさ」〈息苦しさとは救急救命の重要チェックポイントのひとつ〉ある)。


§まぼろしを追いかけるような経済政策と、その夢に期待する人たち
アベノミクスの第3の矢をめぐって、ブレーンといわれる人たちの、官僚への熾烈な経済政策売り込み合戦がたけなわである。あんなイノベーション、こんなイノベーションその他、イノベーションをめぐって、学者、元官僚、経済界ブレーンが売り込みをかけている。集まってくる?税収の使い道をめぐっての論文や単行本出版がたけなわである。8月末に集計された予算希望枠は99兆円を超えた。ところが、直近税収見込みである消費税は3兆円、マイナンバー制による税金かき集めは6兆円(筆者試算)なのである。
何とか官僚の政策に取り入ろうと
上昇思考と生活安定思考にどっちつかずの、「ほとんどのブレーン」は、なりふり構わずといった様相だ。むしろ彼らの使うイノベーションという用語は、ほとんどの官僚の頭脳が硬直していることから、金銭投資又は自然科学のみを想定する限定矮小化された意味にすぎないし、官僚の受け入れ範囲での思考だからアイディアも乏しい限りである。
そんなようなことを肌で感じ、
頼りのなさを見透かす日本人が多いことから、マスコミが報道しようが、政府のPR作戦であろうが、一向に日本人は乗り気になれないのだ。カラ元気を出している個別企業は、「腹に一物、背中に荷物」じゃないけれど、多額の借金でも抱えているから、そういう境遇にあるのであろうか?
ここに来て、オリンピック夢に期待する人たち、これも哀れである。


§「いじめ嫌がらせ」の定義で、その有効なポイント
A.その定義とは
「いかなる労働者も、その権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、又は職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為を受けてはならない」
である。
B.それを証明するには
「ハラスメントとは関係ない客観的な要素によって正当化される行為であったこと」
を求める手続きを進める方法だ。
C.いくつかの有効ポイント項目
この定義に基づく方法を実際にいくつかの業種で導入してみた。すると、有効なポイント項目が明確になったのである。
(1)「いじめ嫌がらせ」を、被害を受けた者の感覚を重視せずとも判断ができること
(2)こういった行為の奥に内在している、「いじめ嫌がらせ」の意思の有無が判断しやすいこと。
(3)「OJTその他で教育をする上で不可欠」といった錯誤や詭弁(罪逃れ)の封じ込めになること。
(4)使用者と同僚ともに、「いじめ嫌がらせ」の制御したかどうかを問うことになっていること。
(5)なによりも、防止をすることで、徹底した職業能力向上へのベクトルが働くこと。
……いじめ嫌がらせ問題は、
女性問題と同様に、労使対決の範囲ではない。したがって、有効な定義と客観的合理的な解明手続は、労使双方に受け入れられる。中には、刑法に定める犯罪行為と、こういったハラスメント(いじめ嫌がらせ)の区別が付かない加害者も存在する。例えば、わいせつ行為とセクハラ行為を同一内容と考えているケースである。
もともと、この定義の開発・制定はフランスの労働法典、刑法典、公務員規定を、厚生労働省シンクタンクが翻訳したものである(Business Laber Trend6/2013)。
「いじめ嫌がらせ」の対策といったものは、後退・衰退のライフサイクルにある企業では、さほど、こういった対策の使い道はなく、与えられて損害賠償を払いたくないといった目的に行われるにすぎない。
D.浮かび上がろうとする企業にとって、叡知を集める重要な柱
ところが、まだまだ日本の先が明るくない経済環境のもとで、競合他社のやっていない作戦で、切り開いて受注獲得を進めるには、個々人の職業能力の向上が不可欠のであるが、その社内土壌を個別事業内に形成する主要な対策なのである。声が大きいことや体力あるといった社員が職場を仕切る傾向にあれば、安定成長する堅実経営は望めず、そういった社員の損害額を周囲の者が負担しなければならなくなる。そこでの摩擦、すなわち業務改善・改革に向かおうとするときに、この、「いじめ嫌がらせ」が発生するのである。会社の金を食い潰して、楽に金銭収入を得ようとする管理職や労働者の間にあっては、実に、「いじめ嫌がらせ」の事件は発生しないのである。


§9月1日から、厚労省がブラック企業摘発
その特徴は、(調査し、経験から推定できること)
1.36協定、サービス残業、うつ病多発、パワハラ多発の監督署記録を柱に摘発。
2.件数は、とにかく4000事業所を摘発、都道府県割り当て、悪質DATAの程度差を問わず。
3.雇用人員増加、未払い賃金支払い、長時間労働の非集中化(即ち、財源のかからない個人消費増・内需拡大=厚労省官僚の労働経済政策でもある)。
4.主体は労働基準監督。4000摘発準備は8月中に概ね終わっており、最終確定の訪問も8月中におこなった模様。
5.全国一斉無料相談とは、労働者向けのみならず、事業所への配慮(改善・是正するなら今のうち、チャンスを与える)の意味も有る。
6.マスコミのニュースむけの会見は、「若者の使い捨て」を、キャッチコピーとしているが、これは度外視したほうが妥当(マスコミ対策)であり、本命は、経済対策や景気対策を優先する世論に対して、先手を打って労働基準法の徹底を促すことが狙いだ。
△▼厚生労働省▼△
若者の「使い捨て」が疑われる企業等への取組を強化
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=189997


【特集】価値増殖につながる職業能力の人間発達の方向と育成見通し
1.日本の学問や学校教育が効果を果たしていない。
職業能力あるいは生活能力に、現時点日本の学問や学校教育が効果を果たしていない。調査結果が厚生労働省のシンクタンク(労働政策研究研修機構)から提供されている。なお、効果を果たしていない原因は、教育ツール(理論と方式)の未熟さと、教員の個々の生徒に対応できる職業能力の未熟さにあると思われる。
このシンクタンクは2年前、「第6回勤労生活に関する調査」を行った。また、ほぼ同時期に重ねて厚生労働省能力開発局は、職業や生活のスキル・職業意識についての調査を行った。それによると、どのような人が社会的地位や経済的豊かさを得るのが望ましいかという分配の原理について、10年ほど前から意識変化が起こっている。なお、(労働政策研究機構:2013年7月号ビジネスデーバートレンドに掲載。ここでのスキルといった用語は、技能とも言えない曖昧概念と思われる)。※しかしながら、このシンクタンクは、ジョブ(job)型社員制度を提唱し、厚労省の政策理念展開をしているのか、この調査結果は、その裏付けでもない。

2.“努力した人(努力原理)が望ましい”への若者意識の変化
“実績をあげた人(実績原理)”から“努力した人(努力原理)が望ましい”への変化である。
ことに20代は2008年のリーマンショック後に努力原理の支持率が高まっている。また、目指すべき社会のあり方も、貧富差が少ない平等社会への支持は減り、意欲や能力に応じた自由競争社会の支持率が増えつつある。
ここでも2008年のリーマンショック以降20代男性の自由競争の意識変化が現われている。同じく、失業に対する恐怖感が高まり、「賃金やヤリガイ」は二の次とする傾向が強くなっている。

3.自信がある職業スキル、そして、自信がある生活スキル
一方、自信がある職業スキルは、「人の話を聞くこと」、「書類を読むこと」、「人と共同で作業すること」が上位である。
自信がある生活スキルになると、「人との約束を守る」、「社会人としての約束を守る」、「あいさつをする」となっている。
厚労省らは、何を考えているのか知らないが、こんなものは、スキルでもなんでもない。義務教育の範囲である。ひょっとすれば、職業や生活の基盤となる基礎力の水準が落ち込むとか、抜け落ち人物の多発を物語っているのかもしれない。

4.年収六百万円以上の個人が持っている、特徴的スキル
この生活スキルを個人の年収との関係で情報加工しているが、年収六百万円以上になると、急激に、「困難にあってもあきらめない」、「ビジネスマナーを理解している」、「自分の能力を正確に把握する」、「人と交渉する」といった項目の回答率が急上昇しているのである。
加えて、学校で学んだことや学生時代の習得が職業生活やキャリアには、役に立っていないとの明瞭な回答結果だ。

5.若年層意識の表面的トレンド(流行)
この調査結果から一概に断定することは極めて危険ではあるが、表面的トレンド(流行)としては、「職業能力を向上させるとか生活基盤を固める」といった意識が若年層になること極めて弱い、あるいは否定する意識が強い傾向にあると思われる。
もとより職業能力向上や生活基盤といったものは、
イ)心に目的(内心)をもち、
ロ)精神的に気持ちを維持し、
ハ)技能テクニックの腕(手仕事)が磨かれることにより、
ニ)この順序で以て、共同体関係の中で育成されるしかない。
それは歴史的・文化的事実であって、たとえ芸術性領域の仕事においても孤独と手練手管で成功した者は存在しないのだ。
とりわけ、規模の大小を問わず共同体関係における「共感」する作用(いわゆる、「心がこもる」など)は、経済や社会に根本的影響を与えている。それは、共鳴(指導者が鐘をたたくと鳴り響くといった概念)ではない。
論理構成(いわゆる理屈)や通貨金銭尺度(いわゆる拝金主義)は促進要件とブレーキ要件にはなるが、経済や社会の発展要件は共同体関係における「共感」のみである。もちろん、「職業能力を向上するとか生活基盤を固めること」への基本的な具体性動機となっている。確かに、二流の人材は、収入さえ手に入るのなら職業は選ばないし、家族の支えで初めて力が発揮できるのは事実であり、究極は(子育てを親にさせるなどの)女性労働者に近年増え続けている。
要するに、職業能力向上・生活基盤無しに、商品の価値増殖による、「共感」作用の無い所に、社会・経済の発展的活動は無い。好評な商品(固有価値商品)は、「意欲・感動・希望」の3つがセットになった「共感」がにじみ出るのであって、そういった商品価値が無ければ債務累積(借金返済不能)に走るのは自然の成り行きなのだ。

6.ICT産業革命での職業能力向上:具体的建議
公共教育機関も民間教育機関も、学校や資格制度における「起業教育」が、職業能力向上心の気持ち、いわゆる精神力を維持するには不可欠である。ことに、投下資本をもとにした机上経営計画においては分業を念頭においているから、個人に対する「起業教育」を排除する。むしろ、職業的自律を、個人のリスクや恐怖として「感動的・感情的」に認識させることに偏らざるを得ない。この偏りが原因して能力低下が発生し、能力低下の末の依存心を上昇をさせて来たことは間違いがない。それが江戸時代以来の日本での職業教育の事実である。それは、日本のみならず大手企業になるほどに、経営管理方針がリスク回避に大きく偏るとか、「生き残り」とか「存続」の概念のもとでの思索(いわゆる、「思い」など)へと集中されることとなった。もちろん、それは技術的職業能力の柱となっている「洞察・学術・法則性」といった能力を否定する、端的に言えば、生命維持意欲とリスクや恐怖の感動的・感情的回避でしかない。たとえば、コダック社は、自前の大学を持っていたにも関わらず、商品判断を誤り、かつ軌道修正も出来なかった。

7.日陰にされて来た、3つの職業能力
職人や社員等いかなる呼称を与えようが、今までの学校・企業教育においては、職業能力として全般的には次の3つが欠落している。
イ)技術を現場に落とし込む技能(多様性・一回生)、それを後進に理解させる技能
ロ)開発のプロセスを短期・効果的に進める技能、時間調整する技能
ハ)原材料、素材、基礎技術を組み合わせる技能、それを時間変化に柔軟対処する技能
これらは学術解明されると技術になる、解明されていないから、「属人的」と片づけられたり、教育プロセスからはずされて来た。
加えて、こういった職業能力を経営に落とし込むには、イ)~ハ)を一体的に扱わないとイノベーション効果が現われない。

8.職業能力は商品価値に、どのように現れるか
表面やプロセスの現象から見れば、この3つの職業能力の実績は、時として、従来の使用価値商品に新しく価値増殖(付加価値)されたように見える。それは、暗黙知、コンテクスト、キュレーションなどと呼ばれて来た。ところが、価値増殖したかに見えても価値は商品価格に転換出来なかった。むしろ、利回り目的資本が投下されていることが引き金となって、「小難しい論理すら紛らわしい」と短絡的になり、価格転換出来ていないこと自身が(借金や不良債権と言い換えられ)隠蔽されている。また、実態として商品付加価値論の範疇には、詐欺行為や事故隠し(化粧品や自動車など)を含むこととなり、利益の蓄積が出来ない実態である。
要するに、付加価値論といった意味不明な価値ではなく、価値増殖するには固有価値商品として共同体関係(ICTネットワークを含む)での「共感性→希望」の形成が不可欠なのである。この結論も、さまざまな発芽として紹介される優良商品やその事業に含まれる事実からである。しかしながら、発芽的な事実が学術的に解明されていないから、その多くは世間話に終わってしまっている。よって、次の課題は、組織的に広範囲に多様に、共同体関係(ICTネットワークを含む)での「共感性→希望」の形成が、あらゆる現場で成されるのかの一点に絞られる。
ただし、今日まで、その課題の解決策を、「公共=行政が担う」と主張する意見があるが、そういった判断は学問的ミスである。さらに、「啓蒙された優秀な購買者の存在」を、固有価値商品の需要尺度だとする主張も、事実に反し学問的ミスである。
今や、有名な某大手スーパーでも、そういった「学問的ミス」に気がつかずに、売れ行きが急落し経営が傾きつつある時代なのだ。

9.個別企業での「共感性→希望」形成が、成功法則
今述べた、組織的に広範囲に多様に展開・形成する実例は、世界的に現われ、そこには商品交換がサービス(服務)を伴うことが理論認識されている。それはテレビ等でも実例紹介されている。筆者も教育産業、保育産業、介護産業、住居産業その他で、実際手掛けている。繰り返すが、学術的な解明がないから、やはり発芽とか世間話の領域にすぎない。
そこで提起する。
(ア)誰でも、常に沢山を学びたいけれど、教えられるのは嫌いなのだ。
(イ)現場の毎日ミーティング、作業計画の事前発表
が作業現場では不可欠である。あくまで「共感性→希望」の形成が不可欠である。現実は、労働の最前線であるポジション=労働力切り売りの下請化や非正規労働では実施されていない。むしろ、素人は仕切りたがり、素人が仕切ると商品劣化させているのが実態だ。大手企業始め投資資本をもとにした投資型事業の没落原因のひとつがこれである。これを抜きに、「イノベーション」を競っても、結末はやはり借金や不良債権なのである。そんな結末の仕事に携わる者の生活も、借金や不良債権でしかない。
(ウ)職場や職場周辺の出来事分析を実施する。
これにより職業向上心の気持ち・精神力が養われる。学者、インテリ、理論家といえども職業能力向上の精神力は、既に現場と新事例に向き合っていなければ養えるものではない。とりわけ、人をケアcareするサービス事業にあっては、その刻々変化するサービス源泉を供給側全員が共有しなければならない。事業方針を説明され→それを理解し→商品に結びつけた(マニュアル方式)で持って、今日の個別企業経営が成り立つものではない。需要と供給の間には、提供と受容のサービスが欠かせなくなっている時代であり、これを円滑に進めるには出来事分析の繰り返し(場合によっては蒸し返し)によらなければ、商品交換(販売現象)の成り立たない時代なのだ。精密さを競ってカスタマイズする時代は、遠い昔のことである。
(エ)ユーモア(冗談は厳禁)を啓発・活発化させる
ことにより共感作用(心をこめて)が展開・形成する。冗談は物事の核心をずらせてしまう。ユーモアは、内心(良心と思想)に関わる表現である。需要と供給の間には、「共感性→希望」の形成が不可欠であるから、職業の現場では、「その眼差しと仕草」が可決なのである。(注意:縦型組織であるコンビネーションと、横型ネットワークのアソシエーションでは方法が異なる)。
(オ)本人分析による職業能力の絶対評価表
の実施とか、同僚や受益者からの信頼を明確にする作業、この地道な作業は個人や組織に蓄積される、とりわけ高度な職業能力向上に欠かせない。そういった労働意欲の根源は、名誉、権力、物欲を充足させることではない。又、そのための金銭欲でもない。やはり「共感性→希望」の形成なのであり、有能な人物ほど仕事にユーモアと笑顔が生まれるのである。
(参照)創造性(芸術性)の育成と鍛錬のポイント
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246
この(ア)~(オ)の順序を維持しての実施が原則である。通常、組織が劣化すると順序正反対のモーメントによる支配が横行する。すなわち上位下達に力はいるのだが、実態はそれすらが頓挫する。だが、どれかひとつを職場の共感と共に部分実施することさえ忘れなければ、一過性変化は現れるのも事実だ。