2014/01/07

第141号

<コンテンツ>
経済岐路にある時代の着想方法とは
 ・何千年の人類の歴史を通して言えることは、
労働による価値生産に秀でた日本人
 ・すなわち、ICT産業革命の先端を走るにも、
 ・努力しても採算が合わない「からくり?」
大手企業の得意技は広い意味での「インフラ商品」
 ・大手企業はこれからどんな役割?
 ・現存する交通(流通)手段と農林水産基盤の再編成
実に歴史的に、商品経済が発生した500年ほど前は、


§経済岐路にある時代の着想方法とは
個別企業にとっての最重要関心事は、日本経済の構造や仕組みが、どのように変化するのかである。
ところが、それにまつわる報道やインテリジェンスは極めて少ない。どちらかといえば、政治や社会に関するスキャンダラスな話題を流出させることに、多くのマスコミ報道が流れている、それはマスコミ経営自体が逼迫のため、「流されている」といった事情ではない。現実には、景気回復の期待は高まるものの、消費税増税やTPPの余波で国内部分の経済が失速する懸念も残されている。アメリカの金融政策量的緩和は、FRBが政策責任を持つ失業率でもって、失業率6.5%以下に至るまで緩和縮小に転換されることはない。ところがここにきて、この失業率の目安を5.5%以下にもっていこうとする流れがある。すると、ドル安=円高に為替相場が動く要因となる。
総じていえば、日本経済のある程度の経営を「官僚たち」が握っているために、円安誘導のための投資によるアンバランス、消費者物価高騰、台風災害予防事業怠慢によって、経済の豊かさは低下し、通貨経済も成長したとはいえない。だが、官僚たちが握る経済分野を発展させようと思えば、すなわち1000兆円といわれる財政赤字を公共経済的に解消させようとするには、「年金国債」を発行すれば、一挙に財政問題が解決するのだ。例えば、余裕のある国民が少しずつでも将来のために年金国債を購入し、その利息は国から毎年受け取り、死亡(あるいは後見制度)した時点で払い戻す金融商品制度である。現在の国債は銀行がほぼ全部を保有しているから、それを国民の保有に転換すれば一挙に解決するのである。ところがここでの大問題は、その方法を取れば官僚たちの権益が無くなることである。
経団連も、勇気がないのかサラリーマン社長ばかりなのか、理由はよく分からないが日本経済政策に対して極めて弱腰である。如何なる業界団体であっても、時の政権には「ひれ伏す」のが世の常ではあるけれど、官僚に言われたからと言って「民間主導で経済好循環」といった[経団連会長新年メッセージ]を発表するのは、組織的能力の欠落と言わざるを得ない。「行動する経団連」と、かけ声に気合を入れる姿とは裏腹に、国内経済については創造力の欠落した身も蓋もない話である。
 http://www.keidanren.or.jp/speech/2014/0101.html
 1.未来都市プロジェクト(いわゆる都市への集中化)
 2.技術イノベーション(物理工学技術だけでは産業が出来ない)
 3.グローバル人材の育成(既存商品の海外売り込み出稼ぎ効果)
 4.女性の活躍支援(規格商品増産向け労働者の選別促進)
日本の大手企業は、受験勉強に励み成功した目標達成型人材を多数抱え込んでいるため、こういった子供だましのような戦略でなければ、自社の管理職や労働者に即理解されないのも現実であろう。ところが、日本内外を問わず巷で、それなりに楽しくやっている人たちからすれば、珍説の見え透いた戦略なのである。そういったふうに「大手企業の子ら」が従順に考えるのなら、中堅中小の個別企業経営者は、これに応じた商品を提供することを考える。さらに知恵のある個別企業ならば、大手企業の戦略の行き届かない分野での、豊かな経済活動・新規事業を進めるのである。仮に、そういった狭い視野から規制緩和を考えると言うのであれば、国や都道府県が「知恵ある個別企業」の経済活動や事業をEU並みに促進させることの方が重要であり真っ当なのである。

何千年の人類の歴史を通して言えることは、
豊かさや経済が発展する際には、
 (イ)他人がやってこなかった事業、
 (ロ)創造的な商品提供、
 (ハ)芸術的に文化的に希望を抱く
といったものが必ず現われていたのである。
グローバル世界の基準着想はICT産業革命である。EUが揺るぎないのは、「内心の自由」を文化として追及し、経済・国家・社会の変革を進めているからである。人間は何らかの共同体を創るからこそ自由の領域が拡大するのである。共同体には1本の筋の通った戦略が不可欠である。この共同体と戦略でもって、それが人間の原動力となり希望となり、豊かさと(結果)経済成長をもたらすのである。これが世界水準の識者たちが論議している、時代変化にあたっての論点なのだ。そういった議論から閉鎖された日本人ならば、それは流浪するしかない。


§労働による価値生産に秀でた日本人
前述の説明で、勘の早い人は察することが早いだろうけれど、大手企業の戦略は世界に向けての、「単なる出稼ぎ」である。「道具持ち・プラント持ち出稼ぎ」であり、Made in Japan でもって輸出・交易するわけではない。もちろん、特許やノウハウを持ち出すと必ず真似されてしまうのは自然であり、持たない国からすれば真似することは正義とされるのである、これは国際貿易や経済の自然な姿である。
そればかりか、今や生産費用は国内製造も海外製造も同様価格水準で、唯一異なるのは日本国内製造だと本社管理費を生産費用に加算せざるを得ないからコスト高になるだけといった現状である。ことに特許やノウハウを数年間でも持ち続けたいならば、軍事力と警察力が必要ではあるが、それを日本が世界に展開することは出来ない。もとより、憲法や法律を変えようとしても日本の周辺列強が認めるわけもなく、海上ホテルのような軍艦は撃沈標的になるばかり、海上交易に頼らざるを得ない日本経済には手の打ちようがない。これを軍事官僚やJapan熱病人は受け入れないのである。

すなわち、ICT産業革命の先端を走るにも、
個別企業単位での労働による価値生産が最も手堅い経済活動なのである。どんな個別企業でもICT技術を使えば、あるいはICTの使い方をイノベーションすれば、収益(売り上げ)、生産(コストや無駄の軽減)、労働意欲(無駄な会議や作業)、効率(創造性の発揮)によって、たとえ円高に相場を動かされようとも、現行通貨価値であっても豊かに経営や生活をすることが出来るのである。世論の不安材料である医療や介護であってもICT技術と使い道によって費用を大幅激減することが出来る。要するに、あまりにも収益と生産ばかりの理屈に、説明が凝り固まるものだから採算が合わないのである。

努力しても採算が合わない「からくり?」
の典型的固定概念が、「労働力=商品価値=商品価格」といった幻想による商品取引なのである。身近に耳にする言葉でいえば、「より良い物をより安く」と「世の中、得をする者がいれば損をする」といった、経済経営学とはかけ離れた、まるで古代や封建時代の理屈を、マスコミが受け狙いで持ち出すからである。
たとえ十分、現下の経済システムであっても、
 A.職業能力向上による労働価値の発揮
 B.商品価値を固有価値にまで引き上げ
 C.労働力価値を超える労働価値による価格設定
といった具合に、仕入れから労働や流通に至るまで、ものごとを整備していけば良いのである。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159
例えば、日本料理の世界は、既にその領域に入っており、日本発信の重要産品になっている。日本料理に携わっている人たちに経済経営学者が見当たらないものだから、現在の経営水準であるものの、先に述べたA~Cを整備すれば、「食材産地→店舗加工→集客航路」の整備までが、料理の品質を向上させながらの産業として確立するようになるのである。
これは、現在進められてようとしている観光産業推進?といった思いつき政策とは異なるものである。それは前回のメルマガ(2013年12月号)に述べた、買い手と直に接遇する人たちの、「頭脳労働のメカニズム」そのものである。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html#09
そしてそれは、他の産業でも適用出来る事柄である。
ちなみに、全国各地に特産品や「地域おこし」といった活動が行われているが、仕入れから労働や流通に至るまでの物事を、同じく先ほどのA~Cによる労働プロセスのように整備すれば、ICT産業革命の時代であるからこそ産業として成功し得るのである。具体的な決定的な現場の弱みを指摘すれば、「地域おこし」には特産品が必要であり、特産品には唯一労働が重要であるところの冷静な判断が解かっていること、加えて、その上での「金融機能」が無いものだから収益と生産が終息せざるを得ないのである。仕入れにおける金融機能は信用金庫その他の発行する「地域通貨」である。流通における金融機能は「専門商社」である。そうすれば、地場産業や地域おこしといった事業での、生産技能性や経営論理性の弱さ、一貫性の弱さへの努力も省力化出来るのである。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/57
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22


§大手企業の得意技は広い意味での「インフラ商品」
大量生産・大量消費の時代は終わっている。これを無理して大手企業は、多品種少量生産→大量消費を推し進めた。だから、あげく破綻せざるを得なかった。経営維持を求めて「工場持ち海外出稼ぎ」さらには「特許とノウハウ」のたたき売りに走ったのである。その背景には「利回り資本」を唯一の商品とするノンバンク・金融事業との腐れ縁、創造性を排除して保身に回ったサラリーマン経営者たちの姿なのである。失われた日本の30年目に突入している現在、それとは違った人たちは大手企業から排除・出向されたか、あるいは花道を付けられ引退させられてしまっているのである。

大手企業はこれからどんな役割?
をすれば良いのか、これはその提言である。また、大手企業のサラリーマンにとっては辛いのかもしれないけれど、今から述べる提言以外の道はありそうにない。まして、新卒一括採用崩壊、社員間所得格差拡大、選別・リストラ対象の若年化といった動きは、「より良い物をより安く」といった幻想をもとにした経済経営戦略の「素直さ?」と合致しているのである。よって、広い意味での「インフラ商品」の生産と供給には適しているのである。
ここでいう「インフラ商品」とは、前述した“労働による価値生産”に用いるための原材料、半製品、流通交易手段のことである。石油精製品や関連プラスチック原材料は、産油国にプラントを造り、「より良い物をより安く」日本に小分け出荷すれば良い。メタンガスやレアメタルは国内生産となるであろうが、大手企業の技術でもって、「より良い物をより安く」提供すれば良い。家電や自動車にかかる横の部品は海外製による「インフラ商品」として輸入し、パフォーマンス(技巧)やArt(創造)の部分こそで国内グレードアップ再生産をして、固有価値商品として輸出すれば良いのである。(付加価値というずさんな言葉の表現をするから、「付加価値=手抜き」との誤魔化しを生む)。

現存する交通(流通)手段と農林水産基盤の再編成
の方向へ経済構造を切り替えることで、相当の日本沈没の危機は回避することも可能である。アメリカの都合で機能不全に陥ったTPP、そのTPPの中核である海外からの投資も期待薄となっているのが、じつは現状なのだ。そこで、老人介護事業も地域密着型グループホームに方向転換をすれば、街から農村~都市問題から治山治水に至るまで、高齢者の労働人口は確保出来る。金融機能は不可欠ではあるが、ICT産業革命を進めれば、単なる商品交換手段である通貨(円)に頼るだけの経営や生活から脱却出来る。それに比べ、大手企業の多くは、既に安定就職先ではなく、発展途上地域でのみ通用する画一生産事業者に変貌している企業が多い。大手企業に雇用増加は期待出来ず、それどころか雇用激減である。大手企業の発注に頼ればコストカットの地獄に落ちる。


§実に歴史的に、商品経済が発生した500年ほど前は、
通貨に頼る経営や生活ではなかったし、人々は少しでも自由を手にいれたいがために商品と商品経済システムを戦い取ったのである。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/149
 (ア)その時代の商品は、その多くが労働による固有価値商品であり、現在のような労働力による効用価値商品に翻弄されることもなかった。
 (イ)効用価値商品より経済成長はしたものの、反比例して経済経営の豊かさは減少しつつある、豊かさが実感出来なくなった時点で経済成長が止まった、これが最新の経済学の成果である。
 (ウ)放置すれば理不尽さが横行する世界経済であるから、「安全と安心」が保たれる日本経済から、「意欲・感動・希望」が提供出来る固有価値商品や固有サービスを展開(創造性・芸術性)することは、経済的にも豊かさと成長を生み、「円」通貨に頼らない富を確保出来るのである。
 (エ)ICT産業革命は、その使い道により経済経営の豊かさをもたらすであろうが、それは「聞く耳を持つ人」及び、その人たちの集団に限られることも自然なことである。