2016/12/06

第176号:経済経営の足を引っ張る=身近の無駄作業

<コンテンツ>
超過労働は、PCメール作成時間が元凶!
 ・近畿の小中学校の教員が集まっていたので、
 ・ズバリ!「責任逃れのメールは横行してますか?」の問い
 ・意思疎通やコミュニケーションは、メールの投げ合いでは不能
 ・数10年昔の学歴や大手企業在籍とのエリート意識ばかりでは
 ・スマホを使う意思疎通は、感情表現だと考えられる

大手企業の総務部門、その近年機能しない理由とは
 ・総務部門を設けるのは日本企業の特徴である。
 ・バブル崩壊と期を同じくして、大手企業の総務部門の変質が始まる
 ・アウトソーシングとは、「専門知識と運営執行の特殊チーム」
 ・ことに大手企業の思考理念から劣化していった。
 ・この思考も労働効率も劣化したサラリーマンが長時間労働
 ・大手企業が合併を繰り返すから、社員に外注業者は刹那的になる
 ・仕事のできる総務部門などの人材は

マイナンバー:便乗商法は年末に向け繁盛!
 ・マイナ法とその土台の個人情報保護法の正確解説をすると
 ・電子情報漏洩の実態・原因を、情報業界の専門家に聞くと、
 ・初の逮捕者が出た、マイナンバーの不正取得で

<巻頭言>

いっこうに日本経済は上向かない。長時間労働をかけるほどにマイナスの結果が生まれている。それを大手企業の総務部門機能不全を例にとって、個別企業の現状分析をした。経営管理の中枢とか、作戦参謀であるはずの総務部門が空回りしているのであるから、現場の対顧客部門やライン生産部門が大混乱を起こすのである。さらに、中途半端な理屈でもって点検チェックばかりするものだから、益々無駄な作業が増え・大混乱は極みに達する。これらに対する着実な効果を生み出せる経営・業務とは何かを、経済学の真髄から探ってみた。 日本経済衰退の挙げ句、期待のTPPはとん挫する見通し。カジノもオリンピックも経済押し上げ効果が期待できたのは、遠い昔の経済成長期での物語にすぎない。


§超過労働は、PCメール作成時間が元凶!
唐突だが、そうである事態とはほぼ間違いなさそうだ。電通の女性自殺事件に関連して、筆者も少なからず長時間対策の仕事を行っている。そこで浮き彫りになってきたことが、いずれの個別企業も無駄な時間まで割増賃金を払いたくないとの意向である(電通の女性自殺は別原因とのようだ)。ところが、どれが無駄な労働なのかを、本人自身が把握出来ていない、また部下や管理職から報告が上がってこないのが現状である。ちなみに、筆者は何処にでも首を突っ込んでインタビューする癖が向けないものだから、すると一つの事例が出てきた。

近畿の小中学校の教員が集まっていたので、
早速聞いてみたところ、「メール作成が原因だ」と口をそろえて説明してくれた。そこで筆者は、「ひょっとして、今はやりの責任逃れでメールを書こうとするから、それこそ時間がかかるということですか?」と質した。みなさん日頃の仲間うちで、筆者は教育関係者ではないからズバリ返答してくれた。
「その通りです」と。
加えて筆者が、「確かに、校長(学校内の唯一経営者)に責任ない、市教委に責任ない、もちろん教員責任ない、としか書けないなら時間かかって仕方ないですね、責任のない理屈が必要ですね」と話せば、みなさんウナズク! 別の日に、大阪市教育委員会のある職員にインタビューすると、「メールを使って報告せよとの傾向は益々強くなっている」とのことである。「子供が8万円を自主的に持って来たから、いじめではない」とした横浜市の理屈はヤクザそのもの、憲法教育を受けている教員が正常であれば、そういった論理は並大抵では出てこない。だが、自主的8万円の理屈を考え出すプロセスは、刑事事件の犯罪者によく似ている。

ズバリ!「責任逃れのメールは横行してますか?」の問い
といくつかの個別企業でも聞いてみたところ、記録には残せないものの、いずれの個別企業も否定することはなかった。さまざま突っ込んで議論をしたところ、次のことが推論できた。
1.先ほどの教員たちのごとく、誰にも責任が回らない報告作成
2.客観的合理的に論理構成する報告には解決目的の創造性は無理
3.企業経営は明日からのクリエイティブが利益の源泉にもかかわらず
4.利潤率の高い商品は、「アラスカで氷を売る」といった着想ばかり
5.過去の分析では、今までの採りこぼし利益回収にすぎない
6.採りこぼし利益回収は同業他社との競合激化を招来=利益率低下
7.客観的合理的に考える人材の大量育成は可能、だが対収益効果は不採算
8.証拠がなければ蓄積知識としない収集形式では、知識収斂と間違いを招く
……といった具合である。じっくり考えれば考えるほど、「責任逃れのメール」では意味のないことであるとの結論になる。

意思疎通やコミュニケーションは、メールの投げ合いでは不能
まして、「責任逃れのメール」では無意味な仕事の蔓延を招くばかりである。そんな社内に浸りきっている人は、ジックリ考えない人に退化していき、体力消耗に浮かれて、脱力感で仕事をした気になって、その後に自ら挫折に招き至るレトリックにも気がつかない。もちろん経営者は、そんなジックリ考えない人間に労働力の時間換算対価以上の賃金は払いたくない。とりわけ大手企業の株主からすれば、意味なく社内にタムロするホワイトカラーには労働力時間換算対価額自体を値引きさせたいのである。近頃、大手企業のホワイトカラーほど業務効率が悪いと指摘されるのは、この人材退化の部分が蔓延しているからである。加えて、人材退化した人間の考えることなんか、予想もつくし影響力もないし価値はうまないし、誰も相手なんかするわけがない。

数10年昔の学歴や大手企業在籍とのエリート意識ばかりでは、
イノベーション能力は皆無に近く、起業すれば労働力時間換算額を削ることにしか思考が傾かない。まして、学歴が高くとも知性が弱ければ、「客観的合理的思考の底流(米英式)」といった方法を探し当てることは出来ても、 「プロセスから合理性を読解く(仏式)方法」などは経験知といった言葉にすり替えを行って思考停止してしまう者が、サラリーマン学者も含め大半なのである。
分業することによって労働生産行為から産業化が可能となることを発見したのは、経済学の父:アダム・スミスである。だが、分業したことを、いとも簡単に専門家の類などと煽っておだてられ、その気になる幻想に浸ること(広範な知識を持つ専門家論も含め)を、アダム・スミスは、「社会崩壊の原因となる」と主張している。アダム・スミスは、当時の王族や権力支配者(重農主義経済と重商主義経済)からの自由を経済にもとめたのであって、勝手気ままの規制緩和を訴えたのではない。
「頭が良くても、使い道が悪い人物」というのは知性や教養が欠落していることに原因がある。「安定思考や出世思考」で育った人間は何とでも操るのが経営者である。だとしても、「責任逃れのメール」にしても出来栄えは悪いし、度胸もないから新しい価値を創造して仕事をすることすら出来ないから、そんな人間は経営者からすれば話し合いにもならない存在なのだ。

スマホを使う意思疎通は、感情表現だと考えられる
ルソーの著した『言語起源論』によると、そもそも言語は感情表現のために生まれたものであり、最初の人間の作った制度だと、ルソーは言っている。また、論理的に言語を用いるには独特の訓練が必要であると示唆し、論理的文章になればなるほど感情が表現されなくなり、どうしても意思疎通が阻まれるとしている。
https://goo.gl/9d4Otj
だとすれば、スマホを使う意思疎通こそが人間本来の感情表現であるとなれば、PCメールの如くは論理構成の展開とは縁遠い日常業務の意思疎通報告には不適切かもしれないのだ。例えば、スマホ絵文字の使用も象形文字もが大いに感情表現なのである。スマホ世代は上手く使いこなしているにもかかわらず、論理構成万能と洗脳された人物にとっては思いもつかないことなのかもしれない。するとICT機器の発達によるICT産業革命は、スマホのような道具により、人間行動の不合理な要素と考えられている感情でもって、素早く的確な意思疎通が実現するかもしれないのだ。ところが、上手にメールを使う人は、短い文言で的を射た感情表現でもって、意思を伝えているのである。
また、ルソーの旋律と音楽的模倣も確かに、歌詞付き音楽(歌)とかコンテクスト付きメロディーは、感情を伝えるのにとても有効な手段であるとなる。それは音楽が紀元前から使われていることからでもあり、みんなと歌を歌う又は心で歌を歌うことは意思疎通会話の一種であることは世界共通の、あえて自覚するまでもない空気のような自然行為との認識となっているのである。要するに、ICT産業革命は人間の意思疎通方法を大変革する可能性があるのだ。
ルソーは音楽学者でもあり、言語と歌との関連についても書いている。彼が思想家として扱われ(学者から排除され)たのは、他の哲学者と同様に大学教授に雇われなかったからであり、天才的有能さであったからと随筆家として敬遠され排除された、今も昔も変わらない学者世界の習わしによるものだ。音楽については当時は音楽学者(日本は今でも芸大では認知過少)が存在しなかったからであり、彼の著作『言語起源論-旋律と音楽的模倣について-』も、日本語版が今年夏に出版されたのである。保育園や幼稚園とかで習う「結んで開いて、手を打って…」のメロディーはルソーの作曲である。


§大手企業の総務部門、その近年機能しない理由とは
26年前、株式会社総務部の理論背景と設立に携わったのが筆者である。このほど某ビジネス誌記者の取材を受けて、総務部門が近年機能しない理由をさまざま考えてみた。

総務部門を設けるのは日本企業の特徴である。
基本的に欧米先進国含め、日本人の概念する総務部門は存在しない。また、日本の官僚機構や公務員組織には、国家にも地方自治体にも、民間企業のような総務部門のような機能組織は存在しない。
事業ラインとは別個に、総務部門を設置することは、一つの経営管理技術である。その起源を研究した学術論文自体が見当たらないのだが、おそらく研究に値しないとの学者的偏見から、未だ解明されていないものと考えられる。個別企業での総務部門が一気に設置されだしたのは戦後になってからである。
アメリカ占領軍が導入した経営管理CCS方式、中間管理職教育MTP、そして職業訓練TWI方式を消化するには、専門的頭脳集団を個別企業が要したことから、現在の総務部門の実態が形成されたと考えられる。加えて、少なからずの民間企業はこぞって、アメリカの体験型教育(1913年ごろから~日本のゆとり教育理念)基盤と、その基盤の下でのアメリカ型経営の理論(経営学者ドラッガーなどを含む)その他を学ばせようと、各社がエリートをアメリカ留学させたのである。この影響の下に高度経済成長路線に基づく地方都市での工場設立(長銀や興業銀行が投資を担当)と周辺企業整備(商工中金が投資を担当)に伴い、新しい経営方式を急遽導入する担当部門として総務部が設けられた。
もちろん、法人税制と会計基準、所得税徴収、社会保険制度、当時の失業保険、職業安定法の労働需給、労働基準法の賃金制度の施行といった戦後の新制度も、この総務部門に専任化させたのである。ここに、当時の人たちの感覚的受け止め方には、「経理、給与計算、社会保険をする所」との表面現象イメージが存在したのである。取締役会に提出する経営方針案の策定、投資資金の受け入れ窓口といった財務といった業務は、事業規模の拡大と共に、社長秘書から総務部門に移行したと考えられる。すなわち、戦後の経済発展の要素となった経営ノウハウ&情報収集加工を一手に集中させて、全社と外注先に徹底をさせた経営管理技術なのであった。

バブル崩壊と期を同じくして、大手企業の総務部門の変質が始まる
高度経済成長は頂点に達し、バブル経済を促進したものの政策失敗。そこから日本経済の「失われた10年」の始まりであり、それは今や30年目を迎えている。株式会社総務部は1990年に設立、それはバブル経済政策中止とん挫の直前であった。ただし、我々設立者は、既に陰りを見せた大手企業をマーケットとはしていなかった。あくまでも成長企業対象の個別企業:作戦参謀(社長を含む)を支援することが企業理念であったし今もそうである。
その理念ヒント&我々の事業母体はアメリカの一般的弁護士事務所経営である。徹底してエリートや知識人に頼らないルーティング作業を組み立てたことにより、高品質、納期、低コスト費用を実現したのである。加えて、発注元の注文をこなすという下請け形態では「高品質、納期、低コスト費用」は実現せず、そんな利潤率の低い業務では意味がないとした。もちろん当時に解禁された労働者派遣業の方式も、指揮命令を受ける形だから、あえて拒絶した、理由は利益率低下の法則の存在によるものである。
当時、数多くの大手企業は、NHK、朝日新聞や日経新聞の報道を見て、洞察力なく流行に乗り「総務部門」の別会社を設立した。我々は学術専門的に理念&事業を開始したから、旧態依然の職業職種にあって注目を浴びたのである。そして日経新聞の報道を契機に代理店制度を導入したところ、個人名義でもって大手企業の別働隊人物が数多く参入してきた。面談も何社もの大手企業が申し込み、筆者もマスコミPRと割り切って、一所懸命にアウトソーシングを説明した。筆者からすれば基本ノウハウは簡単であるし秘密にする必要もないから、問い合わせを前提に代理店中心に様々なノウハウを提供したのである。ところがである。大手企業の多くは、表面を似せる形式だけを取り入れ、総務部門の人員転籍・外注社員化の道具にしてしまった。どうも、このあたりから大手企業の総務部門劣化が始まっていたように思われる。

アウトソーシングとは、「専門知識と運営執行の特殊チーム」
大手企業の総務部門の劣化は、我々設立者らの知恵の導入によるものではなく、転籍・外注社員化の決定権者がアウトソーシングを曲解したことによる。人材派遣会社までがアウトソーシングと称しPRをし始めた。要するに、経済の「失われた10年」の同時並行と共に、大手企業のイノベーションや新製品新商品・新サービスを、各社総務部門が段取りしなくなった状況と呼応している。そもそも、企画部門や商品開発部門を独立組織とし、個人の力量に依存させる体制を導入したことが、新規事業への組織的劣化を招いたのである。行動経済学では、個人に比べ組織体制の方が判断の仕方をうまく改善できる可能性が高いことは定石であると、その当時から知っているにもかかわらずである。すなわちそこまで、東西冷戦の恩恵としての日本への投資資金が、ベルリンの壁崩壊とともに投資削減とか為替相場操作・対米輸出減量化が根本となって、大手企業の総務部門の役割低減が進んだのである。各社総務部門が組織的段取をしないから、イノベーションや新製品新商品・新サービスに引きつづく利潤確保が出来なくなるのは当然である。だから大手企業も短絡的に金融利ザヤ稼ぎに走ったのである。

ことに大手企業の思考理念から劣化していった。
もとより組織は、相当な注意を払わない限り官僚化する。それは中小零細企業でも同様、要するに思考停止をするのだ。その組織を劣化させる思考理念の方法とは、
「誰もが参加出来そうな客観的証拠という形に知識が収斂していくこと」
を流行させたことによる。その誰もがの「誰も」とは、知性や教養のない拝金主義者や出世主義者を、大手企業の重要ポストに登用したことに尽きる。「証拠が!証拠だ!」といって、本来は合理一貫性や事実一知性の単なる裏付けにすぎない証拠という代物を、封建時代さながらの世間体を悪用して「証拠第一主義」を掲げ、社内の知識を更に収斂させたことによる。イスラム世界では証人が重視されたが、その世間体では人間関係の安定、食事の接待、現金の手渡しなどと引き換えに偽証を迫る行為が横行していると歴史の証明する通りである。この劣化思考は、本当のことを触れない人間を増員増加するには、日本の戦時中の社会主義計画経済の導入、高度経済成長政策そのものの社会主義計画経済の導入により、極めて馴染みやすい風俗が背景に存在するからなのである。すなわち個々人の、①最初に経済的豊かさ、②次に哲学や人生観、③挙げ句には宗教観(宗教団体教義には非ず)は貧困化していったのである。突如始まった大手企業サラリーマンの労働効率劣化である。

この思考も労働効率も劣化したサラリーマンが長時間労働
を行い、経営改善といえば低賃金労働の悪用しか思いつかない如くの能力劣化なのである。また彼らは手短な、非正規高賃金労働である弁護士、税理士、社労士を敬遠するのである。社内の国家資格の保有者を勧奨退職のリストに掲載する大手企業は多い。有能女性社員には弁護士を始めとした国家資格の取得援助を行い、資格取得の喜びと同時に独立起業をそそのかし退職を誘導するのは、昔の大手企業が結婚退職を強いたシチュエーションを思い出させるのである。
フランス市民革命とかアメリカ独立戦争といったものは、経済的豊かさを念頭に置いた「自由・平等」の社会共同体を創設する理念を採用したものである。だが、経済成長をあきらめ、経済の豊かさをあきらめ、知性や教養を捨てて通貨を選んだ途端に、能力劣化リーダーを選んだ個人も選ばれた能力劣化リーダーも、突然のごとく、更に能力劣化したのである。

大手企業が合併を繰り返すから、社員に外注業者は刹那的になる
大手中小を問わず、イノベーションを避けて通る個別企業が行き詰まるのは時間の問題である。大手企業の場合は、いまだに、このイノベーションに関しては軒並み、理工学系の分野に絞られている。前回10月のメルマガで述べたように経済産業省が、その理工学系分野に絞り込んでの技術革新を掲げていることもあるが、経済産業省の動きがない限り、イノベーションを行おうという自主性の存在すらが大手企業には疑われているのだ。
http://soumubu1.blogspot.jp/2016_10_01_archive.html#174-02
労働効率、生産性、労働意欲といってものは、理工系技術革新に頼らなくても、様々にイノベーション行うことができる。にもかかわらず、大手企業はそこへ手を打つことをこまぬいている、あれこれ議論するに止まって先送りである。思考理念から劣化していきサラリーマン化した大手企業の経営者、その彼らの下に同類がそばに引き寄せられているのが現実である。サラリーマン経営者は完全判然と任期期間を過ごし、その間にイノベーションなどといった大胆なことをする気はないし、やろうと思っても後進の者たちが大胆な行動を阻止してしまうのである。それは大手企業の今に始まった事ではない。高度経済成長が終わるや否や、大手企業は生き残りと称して合併を繰り返してきた。合併にあっては法的な対等合併は存在せず、必ず吸収する側と吸収される側が存在する。吸収される側は特殊事情でもない限り、吸収される側の社員は時間をかけるとしても排除されてしまうのである。

仕事のできる総務部門などの人材は、
既にバブル崩壊とともに整理清算され、残った者たちの思考理念も劣化してしまっている。大手企業の多くのサラリーマンは労働効率の劣化した分の長時間労働をこなし、何が劣化しているかも気が付かないほどに能力低下も起こし、今や意味のない頭脳肉体労働にまで転落している者も多い。M&Aといえば聞こえは良いが、金融機関その他の株主・投資家が、業績を見るたびに吸収合併の話を持ちこんでくるなかで、企業延命とか海外進出といった「既に敗れた夢」のような見通しのない事業計画を進めているのが現状である。否、有能な人物からすれば、事業計画を進めているフリをしているだけなのである。
昔から、「自宅(家庭)と事業は、腹で建てる!」と言われている。だが、彼らには、そういった「腹」に例えられる労働全般能力は育成所持されておらず、ただ持っているのは労働力を時間で切り売りする程度、あるいは他人に依存するしか生きられない術の程度なのである。よって、大手企業社員は、将来に経済的豊かさのある生活をのぞむならば、早い段階での人生ステージの切り替えが必要となるのである。


§マイナンバー:便乗商法は年末に向け繁盛!
会社はマイナンバーを集める義務もなければ権利もない。まして、安全管理措置に不備があれば、集めること自体が個人情報保護法で禁止をされている。これを、大口上手に話して便乗商法を行おうというPCソフト、会計事務所、社労士事務所が存在する。年末調整や源泉徴収票発行にかかる費用は、一人当たり1,000円が相場であったが、2,000から3,000円、首都圏では5,000円で受注する便乗商法も現れた。ところが、安全管理措置の突っ込んだ内容、会社に義務も権利もない、便乗商法業者の監督責任などを問いただすと、二度と現れないのが彼ら便乗商法の特徴である。二度と現れない側面をとれば、詐欺師の行為との差は無い。電話で問い質すと途中で電話が切れる。

マイナ法とその土台の個人情報保護法の正確解説をすると、
「マイナンバーは個人の任意提出、個人意思の同意が必要だ」
「会社に持ち込まれたのマイナンバーを本人確認したうえで、会社が受け取った場合は、諸届用紙の記載欄に記入する行政への協力をするにすぎない」
そして、「会社が協力するからには安全管理措置を行なえ、違反すれば刑罰を処す」
との構成にすぎない。
個人情報保護法の土台の上に、いわゆるマイナンバー法が乗っている。従って、会社が社内の安全管理措置に不備があると認識した場合は、土台である個人情報保護法で集めること自体が禁止されているから、よって会社が回収することは法律違反となるわけだ。子供や認知症といった人の同意はとれない。
市町村は最近になって、「安全管理が出来ないので、個人情報保護法により、マイナンバーを回収しない」とメモ書きしておいてもらえれば、市町村への届け出は必要ありませんと答えている、あくまでも電話のみ返答するが、要するに、投資して苦労して気を使って集めて、それから届出る必要がないということだ。なお、市町村からは、来年5月ごろに個々人の地方税を会社に知らせてくる書面が届く。そこにはマイナンバーが記載されている。だがこれを会社がマイナンバーとして扱うことを、本人確認が出来ていないとして、諸届用紙への記載は慎むように国税庁その他もネットで呼びかけている。すなわち、地方税通知書面には、会社が使用してはいけないマイナンバーが記載されている。マイナンバーが勝手に送り付けられてきたとしても保管をするか廃棄処分をするかを、会社は迫られている。おそらく漏洩した場合は法律違反を問われるだろうから、地方税額を入力したならば、ただちにシュレッダーや焼却処分することが安全管理の道である、個人情報保護法に基づいて。

電子情報漏洩の実態・原因を、情報業界の専門家に聞くと、
情報漏洩のかなりの部分は、人間が手で持ち出しているケースだと言っている。情報会社その他は、「この際、ハッカーに持ち出された」とヌレ衣を着せておくのが無難で、そうすれば会社が刑事訴追を受けないとのことで責任逃れをするのは、世界の流行だそうである。アメリカ国家安全保障局(スノーデン氏の持ち出し)もパナマ文書も、人間が持ち出しているケースである。
マイナンバーは、早ければ3年後に所得税還付請求とか医療保険とかに連結されたときが悪用危険だと言われている。現在のところ所得税の確定申告を電子申請すれば医療費領収書は不要である。ハッカーが各銀行口座を作成することは容易だとされており、そのための画像データは簡単に入手できるとのことだ。そして、そして、金融機関から人間が持ち出しをすれば、情報窃盗は確実そのもの、実に銀行の着服事件は日常茶飯事であるから。現在なおも、ロシア地方からの2,000円弱の不正クレジット引き落としは後を絶たない。米国式クレジット理論では、およそ5%内の未収は全体額からすれば必要悪経費と認識(EU圏内は異なる)されているようだから、その程度の窃盗は警察の捜査範囲外となるのだ。

初の逮捕者が出た、マイナンバーの不正取得で
新聞報道は次のURLの通りである。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20161202-OYT1T50061.html
いとも簡単に何らの犯罪意識もなく、マイナンバーを収集して、他人の秘密も公開してしまおうという倫理感のなさである。それにもまして、このIT関連企業の会社役員の女がマイナンバーカードの画像をインターネット保管していたという、あまりにも安全管理措置に無頓着な態度が問題なのである。この倫理感の無さそのものはマイナンバー政策が生み出した落とし子でもある。IT関連企業の会社役員の立場であるならば情報漏洩防止意識が欠落していたとは弁明出来出来ない。この役員の「不作為」(やるべきことをやっていない)であり、重過失そのものである。こんな意識がIT企業に存在するのであれば、来年5月ごろの事業所に対する住民税の通知書は明らかに狙われる。犯罪者から誘いをかけられれば、人事部や経理の机に転がっている市町村からの通知書、そこに住所・氏名・マイナンバーがセットで印字されている書面だから、コピーやFAX持ち出し、社外持ち出しの末の落とし物、などなど、ヨダレを垂らした犯罪者が蟻の如く群がってくることは目に見えている。今回の逮捕者で、とりあえずはマイナンバーを集めておいて、しばらく寝かせてから海外で売却しようと考える人間は山のように増えるだろう。今現在も、秘密や不正に絡む情報を専門に取り扱っているSNSは幾つも存在している。

2016/11/08

第175号:はびこる崩壊と失敗。片やICT産業革命

<コンテンツ>
電通事件は日本の、「労働需給崩壊&商品の品質崩壊」の現れ
マイナンバーを集める意味がなくなった、新たな事態
  ・会社が集める意味がなくなった、その根拠は
  ・ここにきて、国税庁(税務署)が焦っている姿
  ・会社の1番やっかいな懸念は、損害賠償
  ・今日時点での会社のマイナンバー危険排除策はこれだ!
YouTube で解説 話題のマイナンバー 便利な書式など


§電通事件は日本の、「労働需給崩壊&商品の品質崩壊」の現れ
電通の刑事事件捜査が11月7日に、この労働問題の世論は持ちきりである。だが、自殺した女性は「手込め」にされたストレスの上での過重労働、といった情報は否定されていない。25年前の過労自殺認定の電通自殺事件も、革靴にウイスキーを注いで飲ませるなどパワハラ上での過重労働である。「記録に残る労働時間」の話の題材は労災認定の話である。
これに対し電通は「鬼十則」の主旨を見直して労働時間を減らすと言い出した。これが社員や世論からの信頼失墜の引き金になっている。電通は口先だけで元状態へ戻ると揶揄されている。それはなぜか、筆者は広告業界を知らないわけでもなく、事件の本質に迫るべく観察したところ、そこには電通社員にはびこる“職業能力欠落=職業倫理崩壊”の姿である。決して時代環境の変化ではない、「脳ミソまでが肉体労働」だから、そもそも仕事の品質が悪いのである。輪を掛けての長時間拘束だから事件・事故・自殺を誘発するようなものだ。~労働の時間換算を観察切り口から一旦外してみれば、残るは無法者の烏合の集にすぎないことが浮かび上がってくる。
すなわち、ここにメスを入れて、仕事の品質向上・労働全般能力発揮を進めれば、おのずと“善循環”が始まり、「鬼十則」も電通の経営技術として活きて来る。このメスを入れる事に経営者には極度の恐怖感が襲ってくる。たじろがない様に、「心と気持ちと思索と行動」を社内に築き上げるための、整理と戦術を組むことが総務部門の肝心な仕事である。それを事業のライン部門で組むことは不可能なのだ。
(そこに筆者の職業能力も存在する、なので忙殺の毎日に巻き込まれている)。
電通の事を細かく言えば、労働需給と商品論を専門とする筆者の判断は、社長が「鬼十則」見直しの旨を言い出した時点で、これは電通経営者を交替させたところで、仕事の品質向上の可能性はゼロと観た。


§マイナンバーを集める意味がなくなった、新たな事態
11月4日、会社がマイナンバーを集めなくても、来年5月になれば市町村から送付してくる市民税の通知書に、個人のマイナンバーが記載されることになっている。これは総務省の指示のもと、着々と準備が進められていたとの情報である。これを報道したのは、“赤旗”新聞だけだ。はじめ筆者も目を疑った、赤旗の視点は意味不明。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-11-04/2016110415_01_1.html

そこで手分けして確認したところ、全国的に通知書に記載されるようだ、ただ平成29年度所得用だとも市町村住民税担当は言っている。そこで、「本人確認の出来ない番号は勝手に書くなという法律である」ならびに、「安全管理措置が出来ないから会社は集めない」の2点に絞って各市役所に問い合わせると
市町村への給与支払報告書の、
「総括表に安全管理措置が出来ないから会社は集めていないと添え書きしておけば記載がなくてよい」。
との即答なのである。だとすると、この9月メルマガでお知らせした事態(↓)
http://soumubu1.blogspot.jp/2016_09_01_archive.html#173-01
これまでのマイナンバーの危険な要約は、YuyTube でも解説
https://www.youtube.com/watch?v=fxz8zLU43Xs


会社が集める意味がなくなった、その根拠は
★それ以上に、異変がマイナンバー制度に起こった!ことになる。
要するに、手間暇かけて投資をしてまで、会社が集める意味がなくなったのだ。(以下詳細説明)
1.会社は義務もなければ、権利もないのに、民法上の不法行為を起こすこともない。
2.市民税の通知書によってマイナンバーを知ったところで、それは会社独自の本人確認作業(受け取る場合に限っての法的義務)の場合をしていないことから、他の書類などに転記は出来ない。(国税庁は殊更に本人確認を要求するnetを今月4日にも公表している)。
3.雇用保険はマイナンバーがなくても手続き可能である。年金事務所はすでにコンピュータで市町村とつながっている。健保組合や年金基金では、会社が安全管理措置の不備を犯してまでマイナンバーを提出(個人情報保護法違反の罪)しなくてよいという返答を示すところが急増している。(ただし、一旦出したマイナンバーは削除してくれないようだ)。
4.国税庁(税務署)は、総務省の動きに焦ったのかもしれないが、本人確認の上の回収を呼びかけている。ただし、国税庁は本人同意の手続きを、未だあえて沈黙をしたままだ。そして、16歳未満の者は端から記載除外している。ただ、500万円未満の所得者の源泉徴収票は税務署に提出されない、扶養控除申告書も税務署には提出しない、これらは会社保管である。
5.世帯当たりの年収の把握は、国税庁が市町村に地方事務として押し付けている。市町村で把握した場合に限り、本人や世帯当たり年収を税務署に報告するといった制度だ。ところが、100%税務署に報告しているかと言えばそうではなく、市町村の責務で重要なのは住民福祉であるから、それに反してまで片っ端から税務署に報告するといった、矛盾するような事態になることを市町村はしない。
6.こういった根拠から、会社がマイナンバーを集める意味が、事実上も実態上も存在しなくなったといえる。
7.おりしも人手不足、嫌がることを強要してまで採用募集を断絶することはない。それは直ちに経営の足を引っ張る。DVやストーカー、訳ありで住民票のない人は、個人情報保護法でマイナンバー等を集めてはいけない。そうすると会社は、ダブルやトリプルで複数職場に働く人のマイナンバーを回収するにすぎない。(税務署は会社に違法をしてほしいようだ)。だがこれでは、近代社会共同体の善は、個人の第一義行為は生きることであるから、会社は意地悪をしているにすぎない、それも違法である。まして社員に家族分を回収させる行為は、会社に権利も義務もない上に窃盗を強要する罪になる。加えて民法の不法行為(迷惑行為)になるから損害賠償の対象になる、会社の経理担当個人も損害賠償の対象となる。


ここにきて、国税庁(税務署)が焦っている姿
本人同意がなければ、マイナンバーを集められないことは、法律の基本的なことである。だから税務署はこの点には一切触れない。すなわち、少なくとも16歳未満の子は家庭裁判所で特別代理人の審判、高齢者などの認知症の人は家庭裁判所での成年後見人の審判が必要である。
これに比べ、社会保険(同居していない親族)や雇用保険は会社に義務でもないことを強要しようという意思はなさそうだ。
だが、ここにきて税務署だけは、あえて本人同意手続には触れずに、会社の代理人としての世帯主(社員)が、ドサクサまぎれに扶養家族のマイナンバーを集めてほしいようだから、PRを強化してきたようだ。
【注意!】だがその方法と責任は、あくまで会社内で勝手にどうぞと言っているのであり、会社と世帯主(社員)との代理人契約が必要であるとのことにも沈黙している。だから、下手をすると、会社や経理担当者が窃盗を強要する罪になるのだ。
では事件が起きれば、その場合の危険はどうなるのとか言えば、「会社が勝手に義務も権利ないのに集めたのだから、損害賠償は会社の責任である」と、税務署が言い逃れすることは目に見えている、法律上もそうだ。
マイナンバーコールセンターは、「民間どうし内のことは、国は関与出来ません」と明言している。
そもそも法律では、「世帯主は番号を受け取り、保管する」とだけされており、本人同意なく持ち出すことを禁じている。従業員が会社での立場や事情を並べたところで、持ち出して他人に渡せば、逮捕されることはないが窃盗罪に間違いない。家族分を回収してこなければ不安と従業員が感じた段階で、会社と経理担当者は刑法の強要未遂罪、回収してくれば強要罪に問われる。さて、これが、この11月4日に出された国税庁のnetだ。
http://www.jcci.or.jp/news/trend-box/2016/1102142035.html


会社の1番やっかいな懸念は、損害賠償
会社にとっては、それは経理事務担当が勝手に集めていたとしても、会社の個人情報保護法違反は免れない。損害賠償は(経理担当にも)会社にも責めを問われることになる。およそ事件になれば少なくとも、一人当たり2~3万円、一家族四人とすれば10万円前後の支払いが裁判所の判決だろうと予見されている。多くの似非専門家は、この事実に触れない。
まして、就業規則にマイナンバーに関する記載条項などを改正実施していたとすれば、直ちに契約不履行との損害賠償請求は、いとも簡単に裁判所が認めることになる。理屈としては就業規則に記載がない場合の、不法行為の原告立証の方が若干の困難さを伴うのは事実である。社会保険労務士の一部は、これをひた隠しにして就業規則を作成・届け出を済ませている。(後で述べるが、この改正の取り消しは可能、その社会保険労務士に賠償金も請求できる)。
常日頃から教育訓練をしていたのかといった程度で会社が敗訴するのは初歩的な低レベルで、委託した業者の安全管理が不備であれば会社の監督責任を問われて敗訴、委託業者がシスコシステムズのようにウィルス侵入されても会社敗訴、といった具合である。ついでであるが、頭の良い“番号回収代行会社”は、回収の際に本人同意の署名をとるようにして損害賠償請求の危険を回避している、だが回収率は50%程度だと思われる。説明をきちっとすればマイナンバーを提出する人は激減する、だから、国税庁や総務省は曖昧な行為を繰り返すのである。
社会保険労務士は社会権充実が責務の仕事、よって、(あっせん代理人は除く)すべての依頼を断れないとの法律条文があるから、社会保険労務士が安全措置の不備懸念を持てば、会社からマイナンバーは受け取ったとしても、留保して届出書面などに記載しない方法が取れることになっている。疑念を持っても届出手続きを行う社会保険労務士は罪に問われ、会社は罪を問われるものの、その社会保険労務士に損害賠償を請求する権利を持つ、その結果までは知らないが…。


今日時点での会社のマイナンバー危険排除策はこれだ!
[1]就業規則に記載したマイナンバー条項を削除(契約不履行の損害賠償回避)
   削除するには、直ちにマイナンバー条項廃止する通達で十分
[2]安全管理措置の達成は無理、不法行為による損害賠償の回避の手段をとる。
   個人情報保護法違反をしてまでマイナンバーを集めないこと
   マイナンバー法の違反刑罰はなくとも、経理担当の軽率行為の賠償責任あり
[3]パソコンには一切マイナンバーを入れない。会計ソフトにも入力しない。
   ネット回線、変換ソフト、CD、メール、どこからウィルスが入るか分からない。
   例えば一部の行政機関は画像読み取りで安全対処をしようとしているが、
   画像ファイルはテキストファイルより少し手間がかかるだけで、
   ハッカーにとって画像内容を読みとることは時間の問題である。
[4]集めてしまったマイナンバーは、シュレッダーその他で焼却処分する。
   安全措置不備(番号法ではなく個人情報保護法違反)での保管は危険、
   本人確認に要した物は返却すると、再び漏洩危険行為が生じる。
   その廃棄処分を通知しないと、漏洩事件に至らなくても訴訟はあり得る
[5]それでも、マイナンバーを集めたいのであれば、次のようなアンケートは必要
   ただし、安全 管理措置の不備があれば、法的には訴訟はゼロ%ではない。
   http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/mynum.html
[6]平成28年度所得の支払調書などのマイナンバーは使用されない、念の為。
   なお、市町村のシステム変更は来年7月以降の予定としている。
   今年の分も記載して出しても意味はなく、ただし一旦届け出たとなると、
   半永久的に安全管理措置義務の罠に落ちる。

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§YouTube で解説 話題のマイナンバー 便利な書式など

これから順次時間を作って YouTube を作成していきます。

>>「年次有給休暇台帳 PCより速い便利で簡単」
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=yH74Q1OhRjE
>>「協調性・規律性のチェック そして合法的とは」
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=4PWkPrLJNXI
>>「マイナンバーには注意する。」:最新動向
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=fxz8zLU43Xs
>>「高齢者でも元気に長く働くチェックシート 人手不足対策」
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=JcBs6X1u2A4
>>「はじめまして、総務部です。」:ごあいさつ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=QR5Di0gtpQQ

ただし今月は、電通事件に端を発した会社PC22時ログオフの流行で、
その対応に巻き込まれ激務。思うように製作本数が出品できませんでした。
私どもの YouTube は、
a.日頃お目にかかれない方が多いことを思い起こし、
b.世界中どこでも、私ども株式会社総務部の話を聞いていただけるように
c.また、ダウンロードだけでは、深いところの使い方が伝わらないことから
YouTube で発信することにしました。
さまざまな書式を無料でダウンロードする=世間では未だ画期的。
今回の YouTube も画期的とのことですが、
実は本を執筆するよりも手間と経費が格段節約、でも内容が充実します。
論理構成をきめ細かく整理すると明快となる事柄は、やはり文章なんです。
あなたの会社の社長への説明、会議での説明にも便利に使っていただけます。
YouTube チャンネルに蓄積していきます。よろしく、お願い申しあげます。

2016/10/04

第174号:個別企業の経済浮上は、規制緩和ではなく、イノベーションが正解!

<コンテンツ>
個々の個別企業のイノベーションこそが経済浮上をさせる
イノベーション、その足を引っ張る者とは?
イノベーションを行うに方法とは、とにかく真似をすること!
イノベーションは、経済学者シューペンターの定義した言葉である。
イノベーションといった概念を、今風に簡単にまとめたとすれば
 ①現代、「コピーする!」と言われる概念
 ②インテリジェンスといった種類の情報とは
 ③インフォメーションだけでは、事業や生活には役立たない。
イノベーション概念に直結している医薬品と文化、古典経済学~シカゴ学派
=書評=『イノベーションの達人!-発想する会社を作る中の人材』
=書籍紹介=『幸福の世界経済史』(明石書店)


§個々の個別企業のイノベーションこそが経済浮上をさせる
津々浦々、個々の個別企業のイノベーションこそが、企業も日本国も経済浮上をさせるのである。イノベーションに対する海外からの外圧は無い、同業者からの外圧も無い。一時もはやされた規制緩和の経済対策は、最近声をひそめているが、TPPその他からの外圧対象となる経済政策なのである。ICT産業革命は国境の枠を取り払っていきつつあるが、そこでの勝負はイノベーションであって、海外進出や資本輸出ではない。
今世界経済全体は、日に日に悪化の一途をたどっている。金融クライシス危機の到来は時間の問題となっている。こういった状況のなかで、せめて日本だけでも危機被害を回避し、経済の浮上(成長や豊かさ)を目指す話が、やはり出てこない。個別企業の経済浮上の話題は絶えないが、所詮はおざなりにお茶を濁した対策程度に劣化させられている、劣化させられるという意味は、たとえ地に足のついた事業計画であったとしても、金融機関や企業内保守層が保身のために、抜本策の足を引っ張るとのことである。ICT産業革命の真っただ中において保守・守旧といっても、経営管理の根拠もなく意味不明に保身を貫こうとすれば、その事業部門の崩壊は時間の問題となる。
日本国中の誰もが、「世界的不況だから、会社も苦しい」といった言葉を軽々と吐いてしまう。さて、問題は、「だからこそ、新しい事業展開をしよう」といった具体策が必要なのだが、官民問わず官僚主義に心理逃避しきっているものだから、商品の需要者、個別企業の第一線、企画立案部門などでも、肝心要の流通販売分野での湧きあがるような展開を考えられなくなっている。すなわち、点検だ! チェックだ! 目標だ予算だ! あげく検証だ! と言うばかりで、物を売って→集金して→利益を確保して→各々に還元するといった資本主義社会の根本的基本的回転サイクルを組んでいないのである。例えば資金があれば使うことばかりの経営計画となるばかりで、実態はその資金がもとより無い。税金があれば「景気が良くなる!」とでも言いたいのか?.官僚たちは増税ばかりを考えている、そこに群がる者は、Tax‐eater(タックス・イーター=税金食い)達ばかりである。


§イノベーション、その足を引っ張る者とは?
イ) 商品開発技術劣化した大手企業が海外展開を口実に新商品開発の足を引っ張り、
ロ) すでに金融不況にさらされている銀行も産業投資から利ザヤ稼ぎに走り、足を引っ張り、
ハ) 通産省(現:経産省)の官僚が1958年:経済白書で技術革新と誤訳、それが現在にも至る模様
ニ) それに因りイノベーションといえばICT関連企業か、自動車などの一部の事と錯覚させられている。
___これは何かがおかしい? のだが、その結論から言えば、
何もかもが旧態依然のままでイノベーションの停滞どころか、個別企業や地域によっては後退している実態だからである。
イノベーションは、広辞苑によると:刷新。新機軸。と表現しているが、元来はICT産業とか、技術革新というものではない。PCを使わない仕事でも、伝統工芸産業でも、芸術感性産業でも、人をケアcareの仕事でも、「仕事のやり方を刷新すること、従来とは異なったこと」なのである。イノベーションを最初に定義したのは経済学者のシューペンター(オーストリア)であって、イノベーションを実行する人をアントレプレナー(フランス語:entrepreneur)と呼んでいた。すなわち、日本に輸入された段階で、イノベーション概念は、元来のものとは似ても似つかない間違った翻訳だったのである。
日本は、失われた10年を三度目に突入、1991年説からすれば25年も日本だけが不況! なのである。
そして、元来のイノベーション概念を広報しない経済産業省の官僚たち、
元来のイノベーションの意味を十分説明しようとしない経済学者や経営学者、彼らも経済浮上の足を引っ張っていることになる!
(イノベーションは技術革新にあらず)
 http://www.jcer.or.jp/column/kojima/index628.html


§イノベーションを行うに方法とは、とにかく真似をすること!
同業種でもいいけれど、なるべく他業種のノウハウ、技能、技術をコピーしてきて、真似をすることに限る。アップルもノキアも新発明をして売り上げ急増をしたのではない。そして大概の商品には著作権がないから真似をしてみることだ。但し引用するならば研究論文の形をとり引用元をはっきりさせれば問題は出ない、それは引用される側にとってPRしてもらえることほど喜ばしいことはないからだ。一部の技術は特許権が存在するが、特許料を支払った方が良いのかor特許を採り直した方がよいのかを、マーケティングの視点から検討すればよいだけのことである。なぜならば、利益率の高い売れる商品という物は、「意欲・感動・希望」の三つがセットになった固有文化価値(思想や観念の価値判断)の商業的取引=正当なマーケティングによく売れるものだからである。
そう、その物を生産するために費やした労働時間×労働力ではない、だから文明基礎商品は利益率が低く、「より良いものをより安く」といった倫理観から利益率は刻々と低減するのである。文明基礎商品の売惜しみや価格協定で利潤を稼ごうとしても、ネット社会では、どこかで価格破壊が必ず起こる。
先ず真似をしてイノベーションを進展させるにあたっての課題の、現代的キーワードは、
 ①コピー、
 ②インテリジェンス、
 ③インフォメーション
……の三つだ、このキーワードの概念内容を知ることが、イノベーション促進課題と密接にかかわるキッカケである。


§イノベーションは、経済学者シューペンターの定義した言葉である。
文字容量の都合で、詳細は省略するが、分かり易い概念をイメージするには、シューペンターが述べた新商品開発の例が適切である。
新商品とは、
 1.新しい財貨、新しい原材料などの発見
 2.新しい生産方式の開発・導入
 3.新しい市場の開拓
 4.新しい原材料、新しい半製品(いわゆる文明基礎商品)の発見
 5.新しい事業組織を開発形成(社内・社内・ネットワークにわたり)
……要するに、シューペンターは、収益性、生産性、労働意欲性、効率性の四分野にわたって考えているのである。
なお著者の、今から3年前の著作ではあるが、イノベーションを念頭に置かない使用価値商品が、いかに破綻したのかを、ここでも説明した。それは現在も当てはまり、それは今日の Made in Japan と言われる物品機器の衰退が証明している。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/30
しかしながら、イノベーションといった用語が、一番最初に日本に誤訳されて紹介された際、工場などの生産技術関連の「技術革新」と、当時の経産官僚が誤訳したために、未だ「機械や設備などの技術革新」と思っている人も少なくない。また、誤訳により「イノベーションと発明」を混同してしまっている経営者や技術者も少なくないのだ。今もなお経済産業省の書面とか政府関係大臣の会話を見聞きしていると、やはり頭の中は旧来の「技術革新」の枠内ではないか?と疑わざるを得ない。だから、海外諸国で行われているイノベーションが、日本では理解されていない現実があるし、イノベーションについて、流通・販売、クリエイティブ作業、人をケアcareする作業、知恵知識職業、新商品開発職業、芸術職といった数多くの産業職業分野では第三次産業では無縁のものだと思っている人が相当数存在する。その傾向は、昔ながらの職人気質で仕事を行っている人たちには、また大学教授や教育者といえども、イノベーションに無関心な人たちが少なくないのが実態である。販売や流通の先端労働者はイノベーションの意味すら知らない。
先ほどの経済産業省の官僚たちが、イノベーションが誤訳であったことを広報しないと記したのは、この日本の経済低落にあっても、正確なイノベーション概念(また発明とは異なること)を徹底してPRしていない実態が、その根拠である。いまだに筆者は、経済産業省(旧通商産業省を含め)がイノベーションの概念を説明した書面を見たことがない。
ところで総務省の、平成25年情報経済白書の抜粋では、それなりに説明している。(こちら)
 http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h25/html/nc133100.html


§イノベーションといった概念を、今風に簡単にまとめたとすれば
#1.イノベーションで進展し続けない限りは一瞬にして、価値商品のレベルから転落する。
#2.イノベーションは、「費用と便益」の産物なのである。
#3.容易にイノベーションが行なえる分野、例えば歌、物語、詩といったもの、これらはイノベーションの費用が少ない。
#4.その費用が少ないことに応じコンテキストを併せ持たなければ価値商品レベルに達する実態は稀である。
#5.著作権と特許権は異なる。著作権の中に出版社の版権ものもある。その著作権のない世界や業界でこそ、次々とイノベーションが進展している。コピーが自由な産業は創造性が活発である。イミテーションもブランド品の販売増加に一役買っている。
……といった具合に、あれやこれやのイノベーション概念を、ICT産業革命の真っ最中であるがために、「まとめる」作業は不可能なのだが、それは、「イノベーション」の用語概念自体も、経済学者によって後の世に用語がイノベーションされるからでもある。イノベーションという用語概念の発展は、科学の発展そのものの現れでもある、

☆★☆ すなわち、_______
<外側(もしくは外部性)からの基準で以って>
個々の商品や個々の事業のイノベーションは行えそうなのだが、そのように行なおうとしても、そんな基準(まして客観的合理的なもの)は存在しえないのである。外側基準で以っての客観的合理的な思考パターンを貫くばかりでは、リアルな事実関係との齟齬を起こしてしまうことは確かである、制度的間違いも犯す。そもそも客観的合理的な思考パターン自体に、物事の分析や真理的事実関係の探求目的の手法を越えての役割は期待できず、そういった手法会得者を教育で大量生産できるから社会的に有用なだけに過ぎない。
……そこには誤って、何らかの基準が存在するかのように錯覚してしまい、過去現在や世間一般の通念が無自覚にも身に付いてしまい、某架空基準となってしまい、その某架空基準で以って“一辺倒に”イノベーションを促進しようとすること(一見誤解されている英米系科学思想)、そういった方法一辺倒、これこそが間違いや非リアルの元凶である。そこで、彼らは某架空基準の誤りを招かないために、「イノベーションの物事底流」を探る方法または思考訓練で一辺倒による誤りを避けようと試みる。

☆★☆ それに比べ、_______
<内側の経緯の中に内在する客観的合理的な思考基準の探求をする方法>
が決定的に重要となる。それは次の通りである。それは実際に数多くの企業での商品開発の、理屈ではないノウハウとして用いられている。
 ①個々の商品や個々の事業の開発プロセスの内側の内在経緯の中に存在するイノベーションの思考基準を、
 ②いかに、費用をかけずに、便益を追及しながら
 ③そのために、その内側の内在経緯(プロセス)から客観的合理的な開発思考の素養で以って進められるかどうかである。
 ④ただそれは、内側の内在経緯(プロセス)を見詰めるためには、幅広く奥深くのイノベーションに掛かるインテリジェンスの豊富さ、そのインテリジェンス個々を理解習得するためのインフォメーションの裏付が、イノベーション促進の創造力&構想力を形成する。
 ⑤プロセスの割愛や結果のみを覚えることは、認識を空洞化してしまう。イノベーションに対する感覚の発達するチャンスが無くなる。プロセスや認識の道のりが、創造&構想の未来を予測したり予定したりする。結果の知識だけで仕事は出来ない。
 ⑥その創造&構想の作業に費用をかけないために、新しいイメージでの「コピー作業」が重要となるといったことだ。ここで初めてICT機器が役立つのだ。
……これらは現代フランス系科学思想史に目立つようになって来た。ちなみに、そのフランス系科学思想の例え話を挙げれば=物理学の法則において、ニュートン力学、アインシュタイン、量子力学との経過の間に、何らかの関連性や連結性が存在して学術発展した経緯はなく、ある場合はドラスチックなものとして現れた事実を直視している新発見とのことなのである。これに対し英米系科学思想は、どうしても関連して連結して継続した段階を含むものと考えがち(観念的)なのである、だから「新たなもの」が現れると、ドラスチック! だと感動してしまう思考パターンなのでもある。

☆★☆ 具体的なイノベーションのイメージとは、こういったものでもある!___
固有価値の質量増強イノベーションの進め方【固有価値商品の開発・提供】
1.高度な固有価値製品の「ものづくり」イノベーション
   http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/240
2.「人をケアcareする」サービスのイノベーション
   http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
3.サービス(服務)行動を提供する「13ルール」
   http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/244


①現代、「コピーする!」と言われる概念
あまりにも前置きが長いけれど、これらを念頭に置いて整理すれば分かり易い。
コピーするといった概念は、手作業で書き写す、複写機で物を写す段階から、大きく複写方法が変化(デジタルなど)して拡大活用され、数量が急増するに従い質的変化への影響が発生し、最も画期的なことは=より多くの人々が創造性や構想性の方法やチャンスに触れる機会が多くなったことである。デジカメの連写やムービー、メモ代わりの携帯といったものも「コピー作業」ととらえると分かりやすい。ユーチューブも労働内容とか熟練仕草のコピーの役割を果たしている。そのおかげで、他人から提案されるとか指示されるのみならず、人生を自律して過ごす傾向が強まってきている。
すなわち、単なる生存意欲に人生を留めるのではなく、感動による人生の楽しみを覚え、自らが創造・構想して自由と希望を持とうとすることに費やす時間が短くなりつつある=が人生のたしなみとなってきている。よって、いわゆる芸術性というものも意欲中心から、感動への世界をいくつかのパターンに振り分けられる段階に入り、いまや各自毎に希望を創造・構想する世界に踏み込んで来つつある。それは、音楽、物語、詩といった領域から、様々な日常商品に対して「ぼんやりとした芸術性を求める」といった、人々が抽象概念的要素を求めるといった傾向に現われている。
ここでも、イノベーションは、費用と便益の産物であることが念頭にある。

【その創造性作業に費用をかけないために】
新しいイメージでの「コピー作業」が重要となるのだ。またそれは、複写機の領域を超えてデジタル化されるだけでなく、今まで再生できなかったアナログ方式もデジタル技術で再生する領域が増しつつあるのだ。見聞きすることから体感し、叫ぶことまでをも含む事態になって来た。「創造行為は愛や衝動とともに生まれる」との経済学説も理解できないことではない時代なりつつある。

【また、その創造性の便益には】
様々な、金銭では計り知れない、お金以上のもの、お金を超越するものが津々浦々日常に現われるのである。そして、著作権のない世界、あるいは業界では、次々とイノベーションが進展する。
……何百年も前から、イノベーションが定着するまでは、他者が容易にイノベーションが出来ないようにと、著作権が打ち出されてきた。その著作権の中に出版社の版権というもの、人格権というものもある。ただそれは、国や地域によって言語や文化の違いほどに様々な考え方(法律規定)があるようだ。著作権と特許権が異なるようになってきたのは、法律が別々であるといった単純短絡な論理展開ではなく、特許が周辺特許まで抑えをかけないことには、微小な違いとか特許活用の技術特許といった申請で以って、特許権の様相が変化してきたからである。
☆便益性が飛躍的に格段に良くなれば、それまでの製品や方式は一挙に陳腐化する、それは労働力商品(労働全般ではない)とか、従前の文明基礎商品とかをもスクラップ化させることにもなる。
だとしても、そういった著作権と特許権の事情をことごとく角に追いやっているのが、「コピーする!」といった行為なのである。今やコピーすることを規制するために著作権や特許権の罰則規定を振りかざしてみたところで、まったくもって規制に必要な費用が無駄になるといった時代が到来しているのだ。むしろ、偽物やコピー商品が出回ることによって、オリジナルの品質の良さが見直されて、挙げ句はオリジナルブランド商品のPR宣伝効果を生み、ブランド販売量上昇も見込めるようになった様相が、ICT産業革命:真っただ中の結末である。


②インテリジェンスといった種類の情報とは
日本では、インテリジェンス(intelligence)の概念は無きに等しい。例えば、インテリジェンスの有名どころは、米国CIAであるが、これはセントラル・インテリジェンス・エージェンシーである。インテリジェンスは広辞苑によると、「知能、理知、英知」あるいは「情報」とされている。要するに、極めて信憑性または裏付けのある「ウワサ話」とか「○○が○○ということのようですよ」といった物語情報なのである。だから、インフォメーションと言われる情報とは格段に異なる概念で、含まれる内容は質量共に豊富だから有用情報となりうるのである。個別企業や政府機関のみならず、戦略なのか戦術なのかアクションのかを問わずインテリジェンスが、意思決定の重要な要素となっているのである。
昔から、仕事をしたふりを重要視している官僚主義者たちは分厚いインフォメーションを用意し、インフォメーションを他人にも要求しているにもかかわらず、やはり意思決定はインテリジェンスで行っている。行政機関の官僚にしろ、民間企業での官僚主義者にしろ、古今東西インフォメーションは=その方針を具現化するための裏付け資料の情報域を超えていない、そのインフォメーション数量が大量に増えればビッグデータと言っているだけである。
企業体に付けられた社名は長年使用しているうちに商品劣化の口実となるが、情報とかインフォメーションといった用語が含まれる企業では、単なる物もしくはゴミとも区別がつかない代物の収集加工と蓄積保管を超える仕事をしなくなっている場合が多い。そうでなくなれば、ほとんどの企業体は社名を変更している。設立当初とか事業開始時点では、インテリジェンスで以って新規のインフォメーションを収集加工するとか、インテリジェンスの裏付けとしてインフォメーションを併せて提供するとか、必ずインテリジェンスが筋金となることで、インテリジェンスとインフォメーションがセットの有用が行われていた。ところが今や、ひどい情報産業の企業には、単なる情報倉庫管理業の役割しか果たせず、労働者派遣事業とかIT機器操作事業にくら替えしている。ちなみに、そういった企業の人事管理は、昔からある運送業、倉庫業、人材レンタル業などと全く同じノウハウなのである、それは扱う物が変化しただけで労働力(労働全般ではない)の質は変わらないからである。
インテリジェンスとは、そういった種類の情報であるが、今日でも解明がされているわけではない。むしろ、インテリジェンスが情報の種類であること自体を認識してない人の方が圧倒的に多いのである。
インテリジェンスとは=(まだまだ研究段階ではあるが)
(A)インフォメーションをつなぎ合わせる情報の種類と言える。
(B)X,Y,Zの立体的情報であり、時間timeと共に変化する様相を表し、何かと結合connectする要素を持った、5次元(X,Y,Z+time+connect)的情報である。
(C)だから、質量共に豊富が必要となり、物語として説明されて、その理解・活用の頭脳訓練が不可欠な情報体型と言える。


③インフォメーションだけでは、事業や生活には役立たない。
インフォメーションは、今や大量になればなるほどの「ビッグデータとしての役割が生まれてくる?」との幻想が言われている。なぜそれが幻想なのかといえば、その前提は、何らかの目的のために収集されたのがインフォメーションであるから、その目的が異なればデータ同士を結合させるには無理があり、参考以上の有用性は存在しないからである。また、ビックデータとは短絡的に方針を具現化するための裏付け資料の情報域を超えない代物であることは間違いない(総務部メルマガ第172号、2016/08/09)。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2016_08_01_archive.html#172-08
要するに、日本国内で概念されるインフォメーションとは、それだけでは単なる物もしくはゴミとも区別がつかない代物であるから、
注1)少なくともその道のインテリジェンスで組換えない限り有用な情報になりうることはない、すなわち解説が必要ということだ。
注2)新しいイノベーションのもとで、ビッグデータの倉庫の中からインフォメーションをピックアップし、組み立て直さなければ使えない。
……ということでもある、すなわち、新しいイノベーション構想自体が存在しなければ、インフォメーションの使用は無理ということになる。
例えば、医薬品開発情報だとか医療臨床情報といったものは、
よほどの博識・生命文化に造詣の深い者を除けば、
日本文化を含め日本語などへの翻訳をしてもらう過程(アウトソーシング)を経ない限り、
巨額の開発費を投入して様々な効用が見込めるといっても、
いつの日にか、日の目を見るインフォメーション知識なのかもしれないが、
医薬品製造イノベーション商品とか生活参加に役立つ医薬品や食材への道のりは遠いのである。そもそも、病気の自覚とは、その病気の人の「心身がおかしくなっている!」といった価値判断をしているのであって、客観的合理的な記述的判断ではない。だから正常と病気の境目を全てにわたり客観的に判断できない。
ここでもやはり、イノベーションは、費用と便益の産物なのである。
……方向を変えて説明すれば、数多くの医薬品や食材などが世界各地に存在するが、それを生活参加に疾病・傷病の症状段階に適切な使用をするためには、インテリジェンスといった有機的一体型の5次元情報が不可欠なのである。


§イノベーション概念に直結している医薬品と文化、古典経済学~シカゴ学派
筆者もこの「総務部メルマガ」などで繰り返し述べているが、各種濃度の食塩水、炭酸水素ナトリウム溶液などは、脱水症状の腹痛、心臓負担軽減:水分制限、貧血:血圧コントロール、気道洗浄などに有用かつ安価なのだが、日本ではそういった疾病予防の文化が根付いていないものだから、健康管理に結びついていないという事例が物語っている。いわゆる炭=活性炭は安価で製造できるが、これで以ってウイルスや細菌を吸着させることで、抗生物質を使わない治療が北欧やドイツ北部では行われている。人間の女性が出産した後の胎盤が闇で流通し、それを焼いたり生のままで食することに因り(おそらくプラセンタ)、離乳期幼児の栄養補給とか、大人の滋養強壮としての食材が中国大陸には存在する。
比較言語学のマックミューラーが、彼は比較宗教学者でもあるから、「言語の数だけ宗教がある」といった直訳英語の表現(英国ではキリスト教を宗教と考えない傾向がある)なのだが、これは言語の違いで人々が大切にするものや考え方が異なるといったような日本語概念に翻訳できる=これが文化と価値についての有名な学説である。すなわち、それぞれの共同体での観念(思想)が異なることから、異なった商品が開発・発明されており、それはその地方の共同体の文化価値ではあるのだが、他の地方の共同体に持ち込まれたときには、異なる文化がゆえに固有文化価値が認識されて、それをプロデュース&具現化そして運搬流通した費用についても価格形成(価格の上乗せ)が、その固有文化価値商品に対する「意欲・感動・希望」の3セット概念に合わせて流通する(何らの強制もなく売れる)のである。
これも歴史的には、フランス19世紀初め、この商品取引関係に気がついたルイ16世の財務大臣の娘:スタールが、次のように述べている。彼女はナポレオンの喧嘩友達ともいわれてはいるが、ただしそれは彼女が経済学者でなかったがゆえに、歴史的にも最初の発見であったにもかかわらず、アカデミーでは取り上げられなかった。彼女に対しては、奇抜だということで、本人の意向は不明だが、随筆家としての地位に納められている。
 https://goo.gl/NcGmFe
しかしながら、その商品取引関係は現代フランスの社会や文化に、そしてフランス流の商品開発に根付いている。商品流通やイノベーションに感慨深いことを言っているので、伊東道生(哲学者)の日本語訳を紹介しておくと、
「どんなジャンルであれ天才の出現はきわめて稀な現象であるので、現代の国民それぞれに、もし自国の財宝だけしか与えられないとすれば、その国民は貧乏から抜けきれないだろう。さらに思想(観念)の流通は、あらゆる商業のうち、最も確実に利益を生む」。
「人間への貢献のために目指すべきは、普遍性である。さらに言いたいが、外国語をよく知っているとしても、自国語への優れた翻訳で読むと、より身近な、より親密な喜び思って味わう(gouter)ことができる。このようにして自然になって同化した(naturalise)外国語の美しさは、自国語の文体に新しい言い回し、独創的な表現を加えてくれる。外国の詩の翻訳によって、どんな方法よりも効果的に、一国の文学が陳腐な言い回しによって衰退していくのを防ぐことができる。しかし、この仕事から本当の利益を引き出すためには、フランス人がするように翻訳しているものすべてに自国語の色合いを加えてはならない。仮にそうすることによって手に触れるものすべてを金に変えることが出来たとしても、そのために栄養が少なくなってしまうという結果を招くことは避けられないだろう。自分の思考にとって新鮮な感じの食物の見いだすことはできないだろう」。
(『哲学史の変奏曲』p.146、伊東道生、2015年、晃洋書房)
  http://www.koyoshobo.co.jp/booklist/11116/

次に、『ヤバすぎる経済学』を書いたスティーヴン・D・レヴィット(シカゴ大学経済学部教授)は、その著書の中で経済学の探究者を紹介している。行動経済学の分野を切り開いたダニエル・カーネマンは、そもそもが心理学者であったと紹介する。イノベーションが進まない心理的要因と解決糸口も紹介されている。また、飢餓や貧困メカニズムの経済学で有名なアマーティア・センは、自分が経済学者だと言わず、哲学者が、自己紹介した」と書いている。そして、この彼の著作は、10年前に出版している『ヤバい経済学』『超ヤバい経済学』とともに、善悪を差し置いてその文化を背景に、イノベーションといった語句は使ってはいないが、経済・経営・流通・販売についてのリアルな事例を紹介:研究している。経済合理性一辺倒であったり、金融経済の話題ばかりでなく、個別企業の一般社員が行う身近なイノベーションなのである。
今現在日本の労働能力は劣化の一途をたどっている。以前から著者が紹介(総務部メルマガ)している事例は、現在でも通用するイノベーションのヒントでもあるのだ。
 https://store.toyokeizai.net/books/9784492314777/


=書評=『イノベーションの達人!-発想する会社を作る中の人材』
 (この書評は、2012年5月8日発行の総務部メールマガジン121号の再掲載)
     トム・ケリー&ジョナサン・リットマン、早川書房、2006年6月
アメリカの有名なデザイン・ファームであるIDEOに集約されたイノベーション手法を披露している。IDEOは工業製品のデザインやイノベーションを扱っているものと誤解をされて、日本の経済や経営の分野では紹介されることがない。アメリカではれっきとした全般的なイノベーションとして経営学などにおいて紹介されている。シリコンバレーに本拠をおいたことや、当初はコンピュータ関連機器製品で成功させたのだが、メーカーから小売店、大学、病院に至るまで多種多様な業種において、高付加価値製品から高水準サービス(顧客集客改善など)までの商品を扱っているのが本当のところである。IDEOは、昨年の3・11東日本震災直後、復興に向けた東京オフィスを開設している。
この本には、イノベーションに必要な人材パターンを10種類あげている。その人材が行う具体的行動や考え方を具体的に示し、如何にイノベーションにかかわっているかを説明している。日本では、イノベーション業務に携わる者といえば、新商品開発担当といった限定的イメージにとらわれがちである。が、ここではビジネスの芽となるイノベーションの発見者(人類学者)から始まって、イノベーションされた商品や業務改善手法を企業文化や社会文化にまで定着させる人物(語り部)まで、10パターンの人材類型を取り上げている。産業育成における、地面の下の種の発見から社会経済に不可欠な大きな樹木までに至る、事業開発に欠かせない人材類型を説明している点で、経済学でもあり経営学でもあるのだ。(この人材・労働面での日本の学術はきわめて遅れている)。
  1.人類学者
  2.実験者
  3.花粉の運び手
  4.ハードル選手
  5.コラボレーター
  6.監督
  7.経験デザイナー
  8.舞台装置家
  9.介護人
  10.語り部
10パターンそれぞれの人材類型は、現在の日本語への翻訳が難しく、ひとつの言葉に概念をまとめられるものではない。だから直接読んでみて、それぞれの行動や考え方を具体的に知り、最後にそれを混ぜ合わせることが、この書物からの知恵の習得方法であり、この本自体がそのような編集を行っている。まるでヘーゲル哲学の手法が思い出される。イノベーションを話題にする本には、この本の二番煎じが多いから、オリジナルを読み解けば実力がつく。
したがって、イノベーションを管理しようとする者、イノベーションに携わる者共に必見の書物である。もちろん、今やイノベーションを抜きにして事業経営は成り立たないのであるから、総務人事部門に属する者は必読の書である。今日明日には必要ないのは事実だが、あさってからの仕事の的を外さないためには必読だ。
 https://goo.gl/Kxs3xU


=書籍紹介=『幸福の世界経済史』(明石書店)
この書籍は、いくつかの幸福にかかわる事柄を、1820年以後の産業革命から現代までの寿命、殺人や大気汚染などを、主要国別の統計資料を比較しているものである。人々が、幸福というものをどのように考え、どのように整理してきたかを示しており、今後の経済活動や社会変化の将来を予測する上で貴重かつ不可欠な資料である。貧富というものは、「事実上占有(所有ではない)する財物の格差」といった定義と合せて考えると、深く洞察する視野が開ける。ちなみに、1789年のフランス革命で初めて、人類社会での「占有と所有」の概念区別の混同が解消されて、それにより近代経済制度が成り立ち、商業の発展が国家により飛躍的に保障されたのである。(窃盗罪とは、他人の占有財物を窃取する犯罪で、所有物ではない)。またここでも、経済活動や商品というものには、その国や地域の固有文化による価値観が反映していることを見落としてはならない。
 http://www.akashi.co.jp/book/b239748.html

2016/09/06

第173号:病気と貧乏は一緒にやってくる。それを戦争が回り道して突き刺す!

<コンテンツ>
ここにきて、マイナンバーの様子に暗雲が?
《一つ目は、会社の届出がなくても独自収集》
《二つ目は、年金事務所も独自収集可能?》
《三つ目は、「無理してPC購入する必要なし」その他:便乗商法に注意喚起》
《四つ目は、市町村の「情報提供ネットワークシステム」の暗雲》
《五つ目は、決定的ダメージかも! シスコSystems製ルーターが無防備状態に》
【便乗商法じゃない視点から、対策も考えた】

「労働力」のみを確保する、労働3法の国家政策
★1.実際に裁判例も出だした、労働契約法20条(期間労働契約の条件差別禁止)
★2.労働者派遣法の派遣事業許可の厳格運用が開始
★3.経済成長と経済の豊かさは現実のものにできる(経済学論文草稿)
   ・日本には、その労働市場素養があったからこそ、
   ・「選択と消費の美学」を、これこそが自由だと勘違い
   ・現代社会の人類到達点としての思考は、
   ・さて、勘の鋭いあなたは気づいたと思うが、
   ・あなたの個別企業や事業活動を伸ばす方法

メンタルヘルスには、職場での疑い兆候発見が第一!
中高年の、元気で長く働くチェックシート

<巻頭言>

病気と貧乏は一緒にやってくる。個性や個人主義に制限をかけられると、いくら努力しても幸福は来ない。いまや、結婚期を迎えようとする者の平均的人物像は、非正規の年収250万円といった貧乏さである。高齢者が盗りすぎではなく、若年者が虐げられているのである。お恵み依存症なのか、要領依存症による貧乏なのか。病でなくとも(社会的でも)障害があると、どうしても衣食住が精一杯だから、助けてもらいたいから、何故でも活きて生きたいから、いつも我慢してお恵みをもらおうとする。世間の風潮は、「個」を優先すると、ヘイトから反日とか言われそう…だから助けて! とはいえない。周囲から反日か? みたいなことをと言われないためには、目立ってはいけない、実力を発揮してはいけない、ひたすら法令解釈や社会制度の恵みでコッソリと暮らすしかない。


§ここにきて、マイナンバーの様子に暗雲が?
《一つ目は、会社の届出がなくても独自収集》
少なくない健保組合は、会社を通じてマイナンバーの届け出がなくても、独自で個人番号の収集をしようとしている。それは、市町村から直にマイナンバーを収集する方法であって、法律的に可能なのである。その背景には、会社が個人からマイナンバーを回収する権利も義務もないとの法律の存在である。現在、健保組合のマイナンバー収集方法は、CD-ROMへの入力やネット送信が主なものであるが、要するに、わざわざ資金投資までして会社が従業員からマイナンバーを集める必要がないという結末である。まして会社は、安全管理措置の不備による(番号法ではなく根幹の)個人情報保護法違反を心配する必要もなくなるのだ。さらに番号回収業者に発注しても回収率は半分との結果ばかりが業者からは公表されている。個別企業が番号収集寸前での行政協力に留めておく(番号収集する義務は会社にない)ならば、届出同意か拒否かの調査票記入の必要がなくなることにもなる。あわてる乞食!である。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/mynum.html

《二つ目は、年金事務所も独自収集可能?》
協会健保や厚生年金の年金事務所は、今も市町村(昨年までは住基ネット)とつながっており、年金事務所のパソコンから住民票の中身を見ることができるようになっている。したがって健保組合と同様に、マイナンバー制度の全国をつなぐ設備が整えば、会社を通じたマイナンバーの届け出がなくても、独自でマイナンバー収集が可能なのである。ただ現在のところ、「基礎年金番号があればマイナンバーは必要ない」(~健康保険や厚生年金の法律条文もそのようになっている)からと返答している。ことに年金財政の内部に、財務省の手を突っ込まれたくない防御が本音のところ考えられるが…。

《三つ目は、「無理してPC購入する必要なし」その他:便乗商法に注意喚起》
マイナンバー制度の取りまとめをしている内閣府が、「無理をしてまでパソコンを購入する必要はありません」と、中小企業に対して注意喚起を促していることである、加えてパソコン操作による手続きの煩わしさまでも説明している。そして、企業の行政機関へのマイナンバー協力(権利も義務もない)といっても、制度の掲示板への張り紙程度で有ることを内閣府が示唆し、民事事件に政府は関係ないと釘を刺している。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/download/checklist.pdf
すなわち、労使協定締結とか就業規則の訂正など、内閣府は全く求めていない。さらに、マイナンバーの法のみの違反について内閣府は言及するが、就業規則記載事項にかかる民事の契約不履行(安全管理不行き届きの賠償責任)だとか不法行為責任(情報漏えい金銭賠償)といった民事関与には、民間同士のことだからとして一切の言及を厳密に避けている。要するに、個人情報漏えい事件と同時に損害賠償事件が生じても、国としては関係ないとの見解を内閣府が示しているのである。すなわち、国は民間個別企業の味方をしてくれない、いずれを問わず、権利を主張する側の方を持つ。

《四つ目は、市町村の「情報提供ネットワークシステム」の暗雲》
来年、2017年7月から始動を計画している、市町村の「情報提供ネットワークシステム」に暗雲がたちこめている状況だ。日本年金機構の情報漏えい事件がなければ、このシステムはインターネットを介して運用するはずであった。だが脆弱な状況が露呈したため急きょ対策を図っている最中だ。この対策期間は2017年7月前まで。(このことで市町村に提出する16年支払分の支払調書(17年1月末締め切り)にはマイナンバーを記載する意味が無いことになっている)。
ところが、これが更に延期されそうな状況が現われてきているのだ。
①都道府県を起点に、インターネットにつながらないシステムを新たに構築することとなり
②市町村の担当者には、インターネットを介するパソコンとは別に新たに併設、2台PC操作とし
③インターネットで送られてきたデータの新構築システムへの変換プログラムを今から作る。
といった計画を、各市町村の来年7月まで完成の「情報提供ネットワークシステム」としているのだ。大幅な設備投資とシステムプログラムを、今から開発するのである。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/082300645/?rt=nocnt

《五つ目は、決定的ダメージかも! シスコSystems製ルーターが無防備状態に》
そこに加えて、アメリカ安全保障局(NSA)がハッカー被害にあい、NTT東日本はじめ日本の大手中堅企業も使用しているソフト(シスコSystems製ルーター)の、その脆弱性が公開され、すでに無防備状態になっている。米国家安全保障局(NSA)が政府や企業に次々とサイバー攻撃を仕掛けるための、ハッキングに使う攻撃ソフトやコンピューターウィルスの情報を、「シャドーブローカーズ」というハッカーが盗んだのだ。その一部のNSAハッキングツールをハッカーが公開し、その他の価値のあるツールはオークションに掛けると言っている。シスコシステムズとは世界最大級の通信機器メーカーで、日本の大手企業だけでなく中堅でも圧倒的に使用されている。
そんな圧倒的に導入されているシスコシステムズのルーターに入り込まれれば、既存のウイルスソフトなんかは効果がないとのことだ。あらゆる企業、自治体、健保組合とかの団体が、インターネトにつながっているから、すでに情報は吸い取られている可能性がある。企業情報の流出危機である。そう、マイナンバーも、金になる大手企業の分は、既に流出していてもおかしくない。給料の安い中小企業のマイナンバーも時間の問題かも、その訳は諸外国に比べれば高給…だからDATAは価値があると。
世界トップを走る日本のセキュリティの弱さ(人の善さ?) シスコシステムズのルーターのハッキングツール、これで侵入されれば、国や市町村のセキュリティどころではない。大手企業を先頭に漏れてしまう、いや、時間的には既にハッキングされてハッカー、外国の軍隊、諜報機関などのUSBチップに収まっているかも。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/nsa-1_1.php
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/327461

【便乗商法じゃない視点から、対策も考えた】
インターネトにつながるPCは危険だ。それだけでなく購入したPCの立ち上げにネットを使えないのでは、PCを増設できない。USBチップでさえインターネットにつながるPCで共有すれば、DATAは流出する。その独立PC設置とソフト設定には、OSを導入するのにグループ単位で30万円程の費用が必要だ、それもマイナンバーの為だけに使う設備であり、インターネットには接続厳禁の代物である。健保組合、社労士事務所、会計事務所などの民間がシスコシステムズを使っている。そうするとマイナンバーは、現状では安全管理措置ができない。
シスコは対策ソフトが出来たとは言っていない。むしろ既に漏れた後なので、対策ソフトは今更必要ないかもしれないのだ。ハッカーのオークションと言っても、既に流出済みDATA確保がハッカーによって終わっているとして、販売すれば盗品だと言われるから、そう、オークションと言っておかないと、善意の第3者は装えないとの意思だ。新しいルーターを導入と言っても、費用がかかる。それも数ヵ月後には、また誰かにハッキングされるかもしれないのだ。
要するに、これの見通しが技術的に立たない。ハッキングされようが民事責任は会社が負わされる法体系だ。よって、個別事業所がPC保管する意味もなくなり再び延期の色合いが強い。個別企業向けマイナンバーの便乗商法は、IT業者、社会保険労務士(就業規則作成など)ともに、ピタッと止まっている。マイナンバーが機能しないにもかかわらず、税理士だけは意味も示さず番号記載を呼び掛けている。
内閣府は、こういった安全性が構築できない限り、マイナンバー照会に対する市町村の対応は出来ない制度だとしている。なお、国税庁(税務署)自体は、原則としてマイナンバーを回収しない。その訳とは、マイナンバーが会社に届けられたとしても、源泉徴収票が税務署に提出されるのは年収500万以上の者に限られ、所得税の扶養控除申告書も税務署に提出されずに社内保管が通例だからである。もちろん内閣府の今回の注意喚起は、IT企業や社会保険労務士の便乗商法にブレーキをかける効果を果たしている。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/download/checklist.pdf
そもそも、
中心となるべき市町村の地方自治の目的とは=「住民サービスや福祉の向上」との定めがある。それとの矛盾をマイナンバー制度が抱えている限り、暗雲が晴れる見通しが立たないのである。さて話は飛躍するけれど、この矛盾を解消するには滋賀県野洲市のような条例は、地方自治を考える一つのヒントになる。野洲市の条例はまるで地元民間企業が運営する「お客様第一思考」である。しかしながら、この条例は財務官僚や国税庁職員の保身にとっては決定的マイナス効果を生じるのである。
http://sp.kahoku.co.jp/editorial/20160822_01.html
さて、あなたならば、お解かりのように、
今回のマイナンバーは、「個」と総称する個性や個人主義を否定する。「貧乏の俺には関係ない!」とか、「別に害は無いから良いんじゃない!」と表装する気持ちは、個性や個人で日常を送れない彼彼女の実力の無さの現れである。その昔、視聴覚障害の人は、障害学校に通って最初に教えられる事は、「あなた方は慈悲でしか生きられないのだ、普通の人に絶対に歯向かってはいけない!」なのであった。これは障害学校初期での世界共通項目で、各国はいかに早く、慈悲一辺倒から脱出したかの優秀さだったのだ。病でなくとも障害があると、どうしても衣食住が精一杯だから、助けてもらいたい!から、なぜか活きて生きたい!から、自発してお恵みをもらおうとする、いつも我慢して。


§「労働力」のみを確保する、労働3法の国家政策
この労働3法とは、「非正規労働者対策の労働3法」と言われる労働契約法、派遣法、パート労働法のことである。経済学の切口からすれば、労働時間数で計算できるところの規格品:マニュアル労働力の商品仕入にほかならない。この労働力商品は、何らかの固有の文化価値を持った商品ではないことから、運用如何によっては労働能力の枯渇を生じる。それは、社会主義国のノルマ、ドイツヒットラーの労働者使い捨て、戦中日本の国民奉仕徴用のケースである。労働力商品ばかの着想は、経営者や労働者の労働能力発揮の自主規制を招き、経済成長マイナス&豊かさ幸福感の閉塞につながる。労働力だけでは、価値は生まない! それだけでは売り上げがたたないことで、経営者・経営管理者なら肌で知っている。それでも、経済学では未だ確立していない。(このセクションの★3は経済学論文草稿)。
良くも悪くも階級対立二元論の短絡思考!
に陥った評論家(経営現場に地に足の着いていない者)からすれば、これから始める論述は意味不明にしか読めないだろう。加えて、「本当のことに触れない」官僚主義やヒラメ人生の人にとっては、敵対的な話かもしれない。そして相も変わらず、固有文化価値を持った「労働(全般)商品」に関しては、労働基準法ならびに労働3法、さらには官僚の許容する労働諸法令案では取り扱いが難しいままなのである、それは官僚らの着想には「労働力」概念の非現実的な理屈しか存在しないからである。
「1億総活躍」と言い出して、
この労働3法の改正が突然!持ち出されてきた。今の首相は祖父であった総理大臣の影響が強いと言われているが、祖父である人物は元経産官僚:満州国建国にあたり社会主義計画経済を導入、その後の戦時経済として、戦後の高度経済成長への社会主義計画経済の導入での裏を支えた人物である。すなわち、官僚にとってみれば、民主主義を度外視できるものだから、極めて指図しやすい政策手法なのである。そして、例のごとく、「1億総活躍」の労働3法も内容は今から考えると言っている。野党や民主主義者の主張している「同一労働:同一賃金」自体をパクリ、選挙目当てで持ち出したけれど、中身の構想は全くない。むしろ祖父の常套手段である「日本的抜け道」を法律条文の随所に組み込むのではないかと、経営者団体に労働団体ともに揃って揶揄されている。


★1.実際に裁判例も出だした、労働契約法20条(期間労働契約の条件差別禁止)
行政機関の官僚的運営の弱点は、「地ならしと根回し」に時間がかかることである。立法機関はあれこれ議論の末ではあるが期日がせまれば多数決で決まる。そして裁判所は1個人の問題提起であっても、判決が出され、原則的に行政機関や立法機関に波及する。そして、労働契約法20条(期間労働契約の条件差別禁止)に係る判決が、平成28年5月13日に東京地裁から出された。これは相当影響をもつばかりか最高裁として不毛不要な訴訟提起の激減を狙ったどの説もある。
http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/hanrei/20160518.html
東京地方裁判所の労働部は、実態として労働裁判の裁判例を示す役割を持っている特徴がある。裁判官の独立性といえども最高裁判所は人事を駆使して、それを果たそうとさせている。今回判決を出した佐々木宗啓裁判官も最高裁判所が選任した司法研修所の主任教官の経歴を持っている。判決要旨の論理構成は学術的な趣きがあり、判断の論理構成は全国の裁判官のテキストにもなりかねない内容である。ただし、裁判官の独立性があるから、この5月13日判決をしのぐ論理構成があれば、全国の裁判官のテキストにはなりえないのはもちろんのことである。
すなわち、労働契約法第20条の条文では読み込めないところ、或は本事件のように高齢法の高年齢者雇用確保措置ための労働条件低下は労契法第20条が緩和されるのではないかといった、民間企業でもよくある着想に対する判断のための論理構成を提供したものである。おそらく、あなたの個別企業内とか周辺の経営者&部下からもよく似た着想が発生する。しかしながら、行政機関や裁判所に於いての無意味な議論か否かの決着は、この裁判例で着けられているのである。
【個別企業向けの簡単な論理構成の解説】
1.まず労働契約法20条の条文は次の通りである。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO128.html
2.その中の「その他の事情」の扱いについて判決が述べている。それを、「職務の内容」ならびに「職務の内容及び配置の変更の範囲」に準ずるような事情とした。そして、この事件では正社員と比べてそれらが同一であると裁判所は認めた。
3.定年後の継続雇用者の賃金引き下げについては、この運送会社の財務状況や経営状況から必要性は認められないとした。加えて、新卒採用正社員よりも賃金水準を低く設定したのは不当であるとした。
4.ゆえに裁判所は、高年齢者雇用確保だとしても、これでは「その他の事情」に当たらないと判断した。裁判所は会社側の主張を詳細に検討しているが、無意味な論理構成と事実羅列は判断材料として排除した様である。
……端的に言えば、これだけのことである。
なお、専門的にはなるが、裁判官がどのような判断をするかについては、日本の場合は圧倒的に「要件事実」を用いる、一種のマニュアルのような手法だ。それに対して、要件事実論(条文にどのような要件を加えるべきの論)は裁判審理では関係ない。とかく経営側も労働側も耳ざわりを良くし(経営側の気分を持ち上げたり、労働運動の励みになるような表現を書きたて)ようとする弁護士が多いが、個別企業内の担当者であるあなたは、惑わされず「要件事実」を明確に判断しておかなければならない。リーマンショックの時に、「整理解雇4要件」を四要素として経営側の人気を得たが、裁判や仮処分で大手企業含めすべて経営側は敗訴した。(もとより以前から、東京地裁労働は4要件:四要素の語句使用いかんにかかわらず、4要件説とすることを明確にしていた)。また労働側も、偽装請負&偽装派遣における、誰が採用責任者かの要件事実について、発注元や派遣先の採用行為が明白であるにもかかわらず、訴状や準備書面に於いて「労働者派遣法の不当性の要件事実論」を論述するばかりの労働側弁護士Mが一躍有名であった。が今はこの名前をきかない。(会社側弁護士は、Mに救われた?)


★2.労働者派遣法の派遣事業許可の厳格運用が開始
労働者派遣を個別企業の事業として行うことについて、今回の法改正も含めて、一挙に市場の限定的終息の方向に向かっている。それは法改正の前から方も向性が現われていた。だが、国会を含め政党や労働団体での議論にはならなかった。筆者自身も派遣法は昭和54年ごろから携わった労働市場制度であったが、平成9年ごろからの基本理念の変質を経過して、今回の派遣法改正後は直接携わることは無くした。
派遣事業者が提出しなければならない事業報告制度は、年に一度の確定申告のように様変わりをし、派遣労働市場の趨勢分析資料としての意味が薄れてしまった=ある意味で何を出しても問題にされない。
派遣事業の許可は一段と厳しくなった。不安定労働者を派遣しない条件で認められていた事業届出も廃止され許可制とされた。ただし、派遣は「業」(反復継続の意思が在る)としていなければ、人数や期間などの規制対象外であり、これからも派遣法の適用を受けるが、派遣事業許可も不要である、ここに誤解が多いのも確かではあるが…。
1.昭和60年の派遣法(土壇場で成立させたのは派遣事業法ではない)制定の時から、むやみやたらの派遣を防ぐために教育訓練の項目が定められていた。それは法制30年の中で、労働市場を行政がさじ加減するときに教育訓練の計画と実施状況でもって、派遣事業廃止届の提出を強力に促す手段として用いられてきた。事実廃止に追い込まれた事業所もあった。
2.改正後のキャリアアップの大臣告示は法律と同等の実効性を持たせている、すなわち許可基準である。改正前とは違い強力な指導が入る。国の安定所に代わる許可事業なので採算ではない。
3.すなわち許可申請の段階で、キャリアアップの教育訓練計画を提出させ、これが実行出来ない若しくは、実行出来ていないこととなれば、許可を取り消すことになった。
4.これを実際に実行するとなれば、相当の希少性のある専門業務であって、それなりの労働能力発揮がされたうえでなければ、採算性のある派遣料金が設定出来なくなるのは当然である。昭和60年当時の最初に13業務が指定されたが、その多くの派遣時間単価は3,000円~8,000円であった。2,000円程度の一般事務やファイリングは排除と質向上の追っかけっこだった。
5.要するに、採算性のある経営とするならば、今現在の事業形態はやめない限り、事業継続性はない。特定派遣事業の届出業者も、今後は許可申請となる。その許可の期間は3年であり、そのつど許可基準が厳しく問いただされる。専門性での規模縮小か不採算経営かのハードルが付きまとう。そうでない派遣業者は国内では不要としたのだ。
6.派遣労働者の雇用契約についても、派遣先との契約が満期でも中途でも、契約が終了したことを理由に解雇できないように、その労働契約の書面等のチェックを受けることとなった。この点も法改正で厳格化された雇用管理の大臣告示内容であるから、派遣契約にかかわりなく労働契約の期日までの契約履行を求められる。中途解約の場合の残った期間は何ヵ月だろうがすべて休業保障(100%保障が妥当)が必要となる。特に期間契約であれば30日前の予告や予告手当の制度自体の対象外(労契法)であるから、横暴な派遣先への有期労働契約の派遣労働者は派遣できない、それは一気に受注営業の足を引っ張ることとなる。
7.それは理屈の上では、終身雇用の派遣労働者の採用を強化しなければならないことになるが、キャリアアップ大臣告示と相まって、そういった技能や職種の長期的キャリア形成が必要としている。ところが、この長期的キャリア形成は至難の技、これを具体的に行う方法を実現することができれば、それは世紀発明! ニュービジネスでしかない。


★3.経済成長と経済の豊かさは現実のものにできる(経済学論文草稿)
日本には商品価値を生み出すための資産、公共インフラは、それなりに充実している。さまざまな理屈をつけて、取り壊しと建設をくり返さなくとも、メンテナンスやリニューアルで快適な環境のもとで、元の資産と公共インフラの活用を行うことができる。そのための労働能力の活用(投入)に切り替えれば、昨今の労働者のスクラップを進めなくとも、インバウンドや個人需要喚起による国内需要でもって、経済成長と経済の豊かさは現実のものにできる。例として=もう手遅れだが、国産材を使った純日本建築も、大工職人の枯渇と外材に比べて、国産材の「安かろう悪かろうの品質低下」に具体策が打てなかったがために絶滅危機状態ではある。元より品質は、建築にかかる労働能力の活用(投入)により100年単位の長期使用と快適住環境を確保できる商品である。この失敗に経済再生論理のヒントもある。労働能力の活用(投入)とは、全体の労働能力のうちの一部しか活用しない、「労働力」部分しか商品として流通(労働需給)させないことを止めて、各々の固有文化価値を商品化できるような労働能力全般を流通(労働需給)させるようにすれば良いのである。

¶日本には、その労働市場素養があったからこそ、
戦後経済構造には、ある程度の「科学的管理」を行うことによって、大工業化の高度経済成長及びその成長を周辺で支えた地域経済活性(地元中小企業)を果たすことができた。ところがそれが、1997年以後の非正規労働者の使用解禁により、労働能力の一部=「労働力」しか商品として扱わない=画一的規格品の生産増産を追求したものだから、利潤を生み出す労働(需要に応じた文化価値を生み出す労働)の投入を止めてしまって、=「安かろう悪かろう」の売れない商品の山を作ってしまったのである。
注1)ここでいう固有文化価値とは、高級な形式ばった芸術作品とかマニアックな芸当民芸品ではない。需要する人々が共同体で心身とも培った、「意欲、感動、希望」の三つがセットになった生産財・消費財のことである。その思想(観念)を物理的物質で具現的表現を行ったことで、最も確実に利潤を労働能力全般でもって創り出し、かつ商業流通させたからである。すなわち、意欲=スキル、感動=パフォーマンス、希望=アートの三つをセットにして、基盤となる生産財・日常生活消費財といった商品を創り出し~かつ流通させたのである。一芸に秀でなくとも需要者の思想(観念)に希望を与える物理的物質で具現的表現なのである。
注2)そして産業革命とは、こういった商品を大量に造り出すことを目指したが、同時に、希望=アートの抜けた紛い物:商品を、需要者に大量供給したのも事実である。→これが、マルクスが「資本論」などで分析した、「労働力投入のみによる商品」の説明となったわけである。だから、「労働力投入のみによる商品」は、文明基礎商品として、商品市場の中で大きな位置を占めてはいる。
注3)ところが、であるが、
  1.それ(衣食住の意欲)そのものは売惜しみでもしない限り利潤は見込めず、
  2.感動的装いで国家が買い取るとか国家政策に頼らなければ大量需要は見込めず、
  3.希望を抱いて需要者が貯蓄をしてまで買おうという品質は見込めないのは当然なのだ。
注4)そして、労働力のみを商品として流通させるには、労働密度や労働強度による価格(賃金)は異なるとしても、あくまで、「時間で計算」してしまう商品でしかないのである。それは
  イ)衣食住の生存意欲:程度を満たすための労働力商品であり、
  ロ)感動的装いを理屈で装飾した画一規格の労働力商品であり、
  ハ)最も自然に売れる利益率の高い商品(希望を抱かせる)は労働力のみでは創れないのである。
注5)そしてよく観てみると、「労働力」以上の労働全般によって商品が流通する」ことは、商品という経済形態が発明(550年程前)されて以来~今日までの基本原理なのである。日本では戦中戦後を通じて社会主義計画経済が官僚によって、公共事業や金融の護送船団方式によって進められたものだから、自由平等社会での商品や労働全般を誤解してしまったのである。そして今は、その日本経済の機構も、失われた10年の三度目の突入で崩壊してしまったのだ。

¶「選択と消費の美学」を、これこそが自由だと勘違い
している風潮である。人間の豊かさの根本にある思想(観念)の創造や構想、それを物理的物質で具現的表現した物、各々の異なった固有文化(思想:観念)価値の商業流通といった事柄にかかる自由が、眼中にない人が多い。選択したり消費したりの喜びばかりで、自主規制的枠内でアクセク過ごし歪みあい、積上げ蓄積して創造構想する喜びを知らない。そこには、本来の市場交換を担保する商業流通の動機や牽引力(希望を抱かせる商品要件)が抜け落ちる結果となっている。
そのため需要者は、時間的余裕、資金的余裕、知的余裕などを持っていない者が大半を占め、だからチャンス・金銭・生き方が貧困になるのである。貧困とは、いつの時代でもどんな時代でも、富裕との比較で貧しい状態を示す概念である、口先だけの理屈屋に惑わされてはならない。
非正規労働にしろ、労働条件が非正規に近づいていく正社員にしろ、労働力商品だけを買って貰おうとするから、
   A.昼夜働き、
   B.賃金単価は低く、
   C.生き方に知恵が無くなり、
おのずと余裕が持てなくなって貧困になるのである。A・B・C~の状態のままでは、高学歴でも、資格が在っても、結婚できでも、貧困から抜け出せるわけがない。
A~Cからの脱出を、具体的にはC→B→Aの順序で試みしかないのである、これは学術根拠のある経済学なのだ。貨幣蓄積で全面富裕になることは一生涯あり得ないことは守銭奴と資本投資家の実態事実から判明している経済学だ。ケイパビリティもそういう経済学説の一つなのである。
また、
   C.は知恵がないから富を騙し取られる、
   B.は学歴や資格は買いたたかれる、
   A.は時間の使い方が全般的に悪いから毎日が疲れ果ててしまう、
といった意味であり、これも経済学なのだ。
ICTの時代であり、ICT産業革命の真っただ中にある現代ならばこそ、非正規労働者の大多数の心情とは正反対の思考パターンを試してみることで、C→B→A順の脱出ヒントが与えられる、これは科学思想史であり認識論である(→宗教系を除く)。自己啓発本のほとんどが、素は科学思想史であり認識論であったが、ただのパクリの読みごこちのよい美辞麗句を加えたものだ。なおも気づかず目先に走り生きるだけでは、いわゆる哀れな「犬死」でしかない。

¶現代社会の人類到達点としての思考は、
「人徳を得て鬼畜にならずに済むには、先ず富を得なければならない。だがそれは、この世で叶うわけがなく、よって自由・平等の社会共同体を造り、それを維持するための法や民主主義制度を形成しよう」。
というものなのである。この基本を踏まえずに、「選択と消費の美学」ばかりに埋没するから、やはり何時までたっても這い上がれない。加えて、学歴が在ってもc生き方に知恵がなければ、感情を煽られ通常は、「世の中の大多数ルールを無視し同時に消費だけは人並みに実行する」といったアンダークラスの人に対して不正常感を抱き、その感情を他人にも煽ることとなるから、益々貧困であっても社会福祉が受けられる知恵も無くなりチャンスも遠ざかる。アンダークラスの人たちのことを、生活保護不正受給者、ニート、閉じこもり、心身障害などとの、表面的マスコミ言動を信用してしまって、自らが貧困にもかかわらず、アンダークラス攻撃する始末である、そういったことは飢餓、社会混乱、社会腐敗の歴史ですでに繰り返されるのであるが…。そして、その貧困なる「正常感覚!」信仰の持ち主は、「選択と消費の大多数ルールを守る者」として、行政機関からは、「問題をするに値しない感覚の持ち主」と見なされ、社会保障や社会福祉から排除されてしまうのである。生活保護以下の母子世帯、同じく老人の一人暮らしで排除されている人は多い。ただし、排除状態と言っても、貧困者本人の自発的意思による自主的結果としての排除であることは言うまでもない。市町村が収入面のみで把握する生活保護対象者のうち、不正受給者は0.4%(日本は極低の不正受給率)、生活保護受給者は2割程度が現状と言われている。

¶さて、勘の鋭いあなたは気づいたと思うが、
今の、あなたの個別企業とあなたの人間関係において、いったいどんな人が経済成長や経済豊かさをもたらしてくれるかに気づいただろう。そして、貧困問題が! 環境問題が! 自給自足農業生活! などと主張しても、創造性や構想力のない人物では他人を貧困に引きずりこむだけの要素が強いことも理解できただろう。すなわちあなたが、個別企業の経営者や上級幹部であったとしても、A・B・C:貧困から脱出するには、
   1段階 C→B→A順の脱出を試みられるステージに立つこと、
   2段階 そのステージの規模に関係なく社会ネットワーク的に活躍すること、
   3段階 よくよく注意し、無駄なエネルギーは使わないことなのである。
ことにステージを確保するには、大手企業や大手組織に所属するよりも、鶏口牛後=社会ネットワークが極めて重要である。集団で徒党を組もうとか・人目を優先させてしまうと、ICT産業革命の中ではカルト・セクトに自閉的に陥り、彼彼女らは排除されてしまう。集団化するには哲学が必要となり、旧来に流行した「労働力のみ商品を扱う労働政策論」とか「月並みな労働力学説」といった非現実的(イデオロギー化した)哲学に振り回されることが失敗を招き・多大なエネルギー損失をこむことになる。高齢者に年金生活者は、カルト・セクトに自閉的(高齢者ばかりの同士の付き合いなど)の陥らないような注意が必要だ。

¶あなたの個別企業や事業活動を伸ばす方法
1.労働集約型の個別企業では、アンダークラスに配慮する姿勢が人手不足解消を成功に導く。~それは貧困層男女に限らず、エリート層男女にも安心を与え、事業を安定させる。
2.世界経済環境を考慮すれば、30歳までの「ゆとり教育世代」が、1番の育成狙目である。
3.ゆとり教育とは、戦前アメリカで導入、戦後の米:経済成長を支えた「体験型教育」が元祖。
4.見下さない、本当のことに触れる、現実の話をする、との三姿勢で彼らは即戦力になる。
5.会議の思考習慣に、①物事を分類、②論理で説明、③仮説設定、これが知能を上げる。
………なぜ私が、ストレスチェック、派遣事業、同一労働同一賃金に興味がないのかは、これまでに述べた通りである。


・メンタルヘルスには、職場での疑い兆候発見が第一!
うつ病に代表される精神疾患の疑いは、次のシートで発見に努めることが先決である。初期症状の知識がないとか、「医者ではない!」といった不親切の雰囲気(安全配慮義務の不履行)が、精神疾患の多発や重篤を招いている。★合法不法問わず薬物中毒の発見にも役立っている。
厚生労働省が薦めるストレスチェックは、本省が示すとおり、あくまでもストレスに係るメンタルヘルス防止の機運を高めるためのムード作りである。また、調査票についても同じ趣旨のものであれば、内容についてこだわらないといっている。筆者は、このストレスチェックは単なる「感情を占い」程度の無意味なものとの認識であり、職場環境や人事の専門家からすれば、「オツボネ」に悪用されかねない代物と考えている。なお、ストレスチェックの監督署への実施報告は、50人以上の事業場となっており、調査票を配布したとの事柄だけ(回収不良で)差し支えない、そのことで、監督署が監督指導行うことは無いと本省は明言している。
当社のこのシートは、今日まで多くの企業で、「精神疾患の疑い」を発見してきた。それは、二週間以内の罹患でも効果があり、「何もなくてちょうどよかった!」の原則を徹底して、早期発見に効果があった。使い方は簡単で、管理職や監督職の関心が高い内容であることから、会議のときなどに当該シートを配布して、内容を読みあげておけば、直ちに使用できるものである。平成19年からの早期発見ツール。“発症2週間内発見”と“2週間内治癒”に効果があると好評。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/utsu.html


・中高年の、元気で長く働くチェックシート
今年6月に発表、疾病手前の脳虚血や心疾患などの兆候を発見、老化と勘違いした情報を医師に訴えるツール。高齢者の活用策として発表から一気に個別企業の関心が高い。もちろん働く本人にとっても、元気に長く働けることである。中高年のうつ症状は体調不良や脳虚血が原因で、その治療とともに消え去るケースも少なくない。
とりわけ、労働全般の能力を発揮して円滑に物事を進めること(これも、その地の文化的要素が強い労働)も、「労働力」程度しか発揮できない若年層に比べれば、やはり多くの高齢者は失敗や間違いが少ないのである。今や多くの個別企業が、教育や訓練をする余裕や資金を持ちえない中、元気な中高年の存在は貴重なのである。
そこでの関心事と合わせて、傷病の前段階である疾病の前触れ兆候をチェックできるものが当該シートである。なぜか未だに、疾病の前触れ兆候に医者や医学の関心が薄い、理由は官僚により保険医制度が厚労省フランチャイズ店舗に、変質させられてしまっているからだ。
このシートの使い方は、体調不良の訴えが多いシーズンごとに(できれば年4回)、一斉配布をして、職場の話題を巻き起こし、チェックシートを会社も管理監督者のだれもが回収しないことにコツがある。男女ともに更年期障害は1ヵ月余りで進行する。脳虚血による歩行障害や認知障害・言語障害は2ヵ月程度で顕著になる。だがこれらは早期発見することで1ヵ月以内に回復し、場合によっては兆候発見前よりも、精神・身体機能が改善するケースも数多く見られる。
当社で作成発表して2ヵ月余り、宣伝広告など全く行ってないが、活用企業からの連絡を集計すると5万人以上に配布され、重傷に至らず回復したとか、難病の早期発見で進行を食い止めているとの連絡が入っている。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/genki.html

2016/08/09

第172号:経済戦争で敗退し続ける日本、でも閉塞してはいない

<コンテンツ>
経済戦争で敗退し続ける日本
人物面での登用失敗が、経済の決定的失敗!
経済危機でも、衣食住にかかわる加工産業は旺盛
だぶついた金融資産が向かいつつある:太陽光発電への投資
   #そこには太陽光発電が広まらない主な原因が2つあった。
   #総じて、地域経済のエネルギーに関するインフラ整備には、
個別企業の経済崩壊を招く=危険な制度!
   ・ビッグデータの本質とは:
   ・マイナンバーの目標とは:
   ・安易なストレスチェック実施は、個別企業の組織崩壊に至る!


§経済戦争で敗退し続ける日本
今日ますます、日本の経済は落ち込み、民間経済は下降の一途である。
大手企業も海外進出をしたとしても好調であるはずがない。なので、利益確保のために、従来は中堅中小企業の分野であった産業や業種にまで進出せざるを得ず、大手企業の多くの事業開発といえば中堅中小企業の仕事を横取りするだけといった体たらく!である。
貧困層は増加しつづけ、生活のために売春などに走らざるを得ない青年男女は後を絶たない。シングルマザーの生活苦、大学生の奨学金返済、DVなどから避難の一人暮らしが、ブラック:バイトや売春を増加させている構造である。経済基盤である個々の家庭(時代の変遷とともに充実するべきでもの)が、それがまとまる社会共同体が、次々と破壊をされているのである。そう、経済の土台から崩れているのである。
昨年秋から官民ともに、民間の事業展開や内需経済発展を促そうとしない経済政策ばかりである。
次々と耳ざわりの良い「掛け声話」が、思いつきのように浮かび沈むだけである。持ち出す数字はカラクリばかりで具体策がなく、大きな話がすべて数年先着手の物語ばかりだ。だぶついている民間資金を誘発する仕組みにもなっていない。ただタックスイーター(税食い虫)が、その話に群がるばかりである。それもこれも選挙目当ての話ばかりで、とにかく実効性がない。加えてその中身は、ヒットラーや社会主義国の経済政策を真似したプロパガンダであって、万が一実現したならば、とてつもなく恐ろしい経済破壊体制なのである。
いわゆる地方は、小選挙区制議員の選出受け皿であるから、経済政策とは無縁にならざるを得ない。まして、経済政策の行政単位は都道府県である現行行政制度が存在するから、もとより国の政策システムと議員の活躍は、調和とか整合することにはならない。都市部では、本質がタックスイーター(税食い虫)である輩が、組織力とか掛声で国会議員になっている。そういった国会議員や業界団体や圧力団体の顔色をうかがって、持ち込まれた話に乗せられて、官民の官僚たちが政策を作っている姿が目白押しなのである。官僚主義者のいくら「頭脳明晰?」な頭を絞ってみたところで、官民ともに事業や政策が上滑りするのは当たり前である。
それをまた、狭視野の近視眼でもって政府発表するものだから、失敗の連続は必然なのである。論評する人たちも、それをネタに名前を売り込みたい一心であるから、どうしても論評の的がぼやけてしまう。これらに対しては、あまりにも非科学的であり非論理的であるから、まともな学者もアカデミックな学者も相手にはしない。とはいっても、しょせん学者に批判されても、彼らは無神経無学識だから理解できないのであるが、批判されなければ、ますます調子に乗る輩である。ただし、持ち上げてくれるマスコミやゴマすり記者(ジャーナリストではない)は大好きで、昼夜を問わず嫉妬深さを満喫し浸りきっている性格である。
要するに、巷のマスコミとかネットの情報を見たとしても、
個別企業の立て直しとか経済立て直しの論議が目的ではないから、惑わされることはあっても、役に立つことがないのである。例えば、戦後日本の株式市場を見るに、「日経新聞も読んでも儲からない」とのことわざと同じなのである。(日経新聞には実に文学部出身の記者が多い)。


§人物面での登用失敗が、経済の決定的失敗!
とにかく官民ともに官僚主義者たちは、「意見の合わない奴、肌の合わない奴」を徹底排除するものだから、経済活動は失敗するのが当然である。もとより経済活動は人間が行っていることであるから、それなりに適切な人間関係を形成することは当然のことであり、だからこそ参加者も多くなり英知も集まることになるのだ。それは、アカデミックな経済学者の固執する「経済合理性」であったとしても、「意見の合わない奴、肌の合わない奴」を徹底排除しておれば、もうそれはアカデミックな経済に至るまでもなく、もちろん略奪経済にも到達しない理念である。
民間や無名の人材、下野した逸材を登用しないばかりでなく、それが事実上の排除システムとなっているから、経済を動かす人物など離れていくばかりなのである。厚生労働省のストレスチェックは、今の代物では、それを加速させる制度である。官僚主義者のもとに寄ってくる輩は地位にあぐらをかきたい出世主義、姑息な拝金主義といったものばかりで、いつ何時に事業を潰されるか分からない下克上になっている。今時の学卒者は世間を見抜いて、次のような行動パターンが現われている。
#熱いだけのベンチャーに、有能人材は付いていかない。ことに女性は愛想をつかす。
#ブラック企業とは、ポエムで洗脳して、貧困の青年男女を働かせる。
#ヒラメに出世王、そいつ以上に有能な人物は育つわけがない、寄り付かない。
………いわゆる「ゆとり世代」は、このような見抜く力をもっている。
すなわち、物事を勘違いしているのが官僚主義であったり拝金主義というわけで、事業の成功はするわけがない。


§経済危機でも、衣食住にかかわる加工産業は旺盛
人間が“活きて”いく上では、「意欲・感動・希望」がセットになった商品を要する。
食欲などの意欲だけであれば人間は“生きる”だけで、感動による衝動買いをすれば空しさが残るだけだ。すなわち、その共同体ごとの固有文化に基づく価値としての希望の部分が内在されているからこそ、安定的に大きく売り上げを確保できるかどうかの商品のカギになるのである。そうでなければ投資損になり、不良債権が残る。
  http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142
17世紀末のフランス市民革命は、資本主義の基礎を築いた時期であるが、今日にいう経済破綻の真っただ中であった。ルイ16世の財務大臣の娘であったスタール夫人は、「思想(観念)の流通は、あらゆる商業のうち最も確実に利益を生む」と革命の後に述べている。彼女はナポレオンの喧嘩友達であり、当時も哲学や経済学で活躍した人物なのだが、アカデミックな学者の顔をつぶすダントツ才能と優秀な論理展開であったから、随筆家に祭りあげられていた。だがその根本的な着想は後のフランスに大きな影響を与え、ドイツをしのぐ哲学とともにフランスの社会的経済的底力の支えとなり、現代フランスの経済圏に(その経済思考はアメリカやカナダへも伝播して)引き継がれている。…これらは、今なお日本に伝播していない部分が多い。
すなわち、スタール夫人の、「思想(観念)の流通」は、各共同体の特有の固有文化の流通となり、固有文化のこだわりとして商品流通の形をとっている。例えば、“コタツにミカンの光景”“天井から吊り下がる電燈”“素麺や餅”というのは日本独特の物で、「思想(観念)の流通」のなのである。
さて、長文論述になるから割愛するが、衣食住の固有文化商品ヒント一例をあげると、
日本料理が世界で有名(ブーム)になる本質は、次の通りである。
  http://soumubu1.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html#08


§だぶついた金融資産が向かいつつある:太陽光発電への投資
先に述べた固有文化の商品を作り出す材料は、文明基礎商品といわれる原材料である。原材料に固有文化が内在されていくのである。
ただ、この文明基礎商品は、エネルギー、穀物などの食料品とその加工品、繊維素材、住宅建材といった物であるが、それはすべて「より良いものをより安く」との思想(観念)の基に社会的制約(売惜しみによる価格つり上げ)があるから、利潤率低下低減が正義とされるから利益は見込めないのである。それを無理をするから付加価値と称するも、その実は犯罪性や経済外的強制(=詐欺的行為・暴力・武力・洗脳など)を伴っているのである。
さて経済危機に至って、高い危険をはらむ株式投資、商品取引、マンション・不動産投資に替わって、太陽光発電への投資(利回り10%超え)が伸びている。国の電力政策での自然エネルギー買い取り制度に加え、発電設備機器の技術向上と製品輸入による値下がりによって、安全な投資対象となってきたのである。アベノミクスが破綻し続ける中で、すでに始まった円高基調から益々発電設備機器の値下がりが期待されるからでもある。確かに、金融商品よりも確実に安全である。原子力発電にかかる先行投資(税金)および通常発電コスト(電気料金)を合算し考えれば安価な太陽光電力であり、原発に比べ世論の下支えも確実だ。

#そこには太陽光発電が広まらない主な原因が2つあった。
①発電設備プラント設置の技術が未熟である。
太陽光発電設備の設置技術のほとんどが、平らもしくは傾斜20度までの土地に対する技術プランしか持ち合わせがない会社が圧倒的である。加えて、投資価格つり上げのためか、草木の根を抜いての宅地造成のようなものとなり、そうなると排水設備までを必要としてしまう。太陽光発電パネル自体は軽いものだが、架台まで軽くしてしまうものだから杭の引き抜き強度を増加させるとしてスクリュー型の杭まで使用する、だが引き抜き強度が激増するわけではない。山間部の傾斜地に設置する土木技術を持つ会社は希少である、加えて山頂などの岩盤がむき出した平地は日当も良いのだが、工事費は安いにもかかわらず岩盤基礎や架台設計の知識がないのである。とはいっても土木建築一般では、そういった土木技術や架台製造技術はすでに確立している、要するに業者の発見と技能者育成だけである。強いて障害となる課題は、大手施工業者の社員が陥る、即刻:設備増強・新型機材発注・安全率向上との名目で、太陽光発電機単体の価格つり上げを招いてしまうばかりのプロジェクトである。それは熟達した土木技術からすれば未熟そのもの、ちょっと困難があれば、まるで「絆創膏を張り、ギブスをはめて図体が膨張する」といった思考=技術史の欠落ばかりである。
②広大な遊休地が有っても、伝(つて)が無い。
コンパクトといえども低圧発電プラント(約1,000㎡)が1基では採算が合わない。遊休地が集合している地域で5~20基の見通しが立たなければ、事業として成り立たない。そこには、地元の名士:有力地主の地元の取りまとめがキーポイントになる。マンション・不動産投資のような一般消費者相手に網を打ったりネットを張ったりしても、投資家は探せたとしても、土地提供や設置場所の応募は無い。土地確保の切り札は金銭ではない。地元の名士:有力地主の家系が動くのは、地元の活性とか地元の再開発スケジュールである。具体的な地域経済のエネルギーに関するインフラ整備である。そこが欠けていれば、話すら聞いてくれない。そして、地域経済を支える名士:有力地主には数百年から千年以上の歴史があるから、金銭を積んだところで土地は売ってくれない。だから賃貸が無難となる。その昔は先々を考慮して、町や村の郵便局にしても、自動車販売会社にしても、地元の名士:有力地主の伝(つて)を頼ったのである。高圧送電線の直近用地の募集チラシを地元地権者は必ず見ている、だが見るだけで信用されていない。一般民家の高齢者を狙っての悪徳詐欺的商法が広まっているが、それでもって太陽光発電が敬遠されているわけではない。
……太陽光発電のブームというけれど、様々調査しインタビューしてみると①~②のところに、発展していない原因が存在する。発電プラント設置にかかる、プラン+プロジェクト+スケジュールに曖昧さが残っている形がはっきり見える。電力会社の意地悪だとか経済産業省の抑圧が、自然エネルギーの発展阻害だとうわさされているが、決してそうではないということは事実だった。

#総じて、地域経済のエネルギーに関するインフラ整備には、
低圧発電50kW未満のコンパクトなプラント(約1,000㎡)は、近隣さでもって有用と考えられる。50kW以上の高圧発電プラント(15,000㎡以上)は、広大な敷地ばかりか送電線まで電気を送る接続連継工事に億単位の費用がかかる。(長距離送電線は風圧や地震に対する安全係数が脅かされるから、危険性や事故を防ぐ補強工事を要するといった構図)。そう考えるとやはり、長距離送電は途中での送電ロスが大きいことから、コンパクトな発電設備が重要となってくる。さらに今後は都市ガスによる局所発電もコンパクト性からすれば可能性が期待もされる。ちなみに、発明家ワットが開発した蒸気機関とは、それまで鉱山採掘などで使用されていた大型蒸気機関を、町の工場にコンパクトに設置することができ、蒸気機関の船舶、蒸気機関車(軌道での牽引のための動力車)にまでのコンパクトさを追求したエネルギー商品だったのである。
そして、蒸気機関のエネルギー伝達の道具が、ベルト(#バンド:ベルトは有名な商品名)であった。電気は電線や諸設備とともに、エネルギーでもあり動力伝達道具でもある。電気は次々と分散化され電池に至り、小電力や送電ロス低減へと更に向かいつつある。
これと違って、住宅の屋根に取り付ける太陽光発電パネルは、「思想(観念)の流通」の文化商品としてとらえざるを得ず、投資利回りは期待できず、経済的採算さえも危ぶまれる。シカゴ大学の経済研究によると、アメリカでは太陽光パネルのほとんどは道路に面して設置をされており、日陰になっている設置パネルも多いとのことだ。それは、日当りや日陰などによる発電量を考慮していない物が多いと報告している、すなわち設置した個人の、「意欲・感動・希望」がセットになった商品満足なのである。


§個別企業の経済崩壊を招く=危険な制度!
マイナンバー/ストレスチェック/ビックデータの理念
この三つの制度に共通することは、いずれも民間の情報関連産業(複数企業)が推進し、IT産業の柱にもかかわらず、そのデータの収集・保管といった煩雑かつ経費のかかる部分は、利用する側の個別企業での負担を強いられているところである。先ほど述べた、「意欲・感動・希望」がセットになった固有文化価値を内在した商品、その定着の先駆的なフランス(その経済思考はアメリカやカナダへと伝播)と合わせての着想を、これら三つの「危険な制度!」の背景として考え合わせることを推奨する。

¶ビッグデータの本質とは:
短絡的に物事の方針を具体化する裏付け資料の領域を超えない情報にすぎない。
例えば、日本の土地登記の公図は所有権を表したものであり、市町村税務課の保有する公図とは固定資産税のためのものである。この2つは情報交換を行っているとはいえ、土地の広さ、土地の方位、隣接地その他が同一ではない。その理由は土地登記が明治になって字(あざ)を設定し、持主と持主居住屋敷を特定するだけの目的であったし、市町村税務課は固定資産税徴収のためだけであったからである。もちろん土地の広さも実測値とは異なっている。すなわち、目的別に客観的合理的データを収集する科学思想においては、いくらよく似たデータであっても整合して判断しえない結果となるのである。ここに導かれた結果に対する誤解や偏見が頻発する余地がある。また、十進法での数値が同じだとしても、その事実は事実関係を構成しない。だから、事実の有無で結論をつけるのは子供だましなのである。
本来的には、いくつかの客観的合理的データを集合させたところで情報断絶の姿でしかあり得ないこととなる。有機的はおろか無機的にも集合していないのである。ことさら事業営業では有機的結びつきが決定的な情報となるのは当然だから、これでは使い物にならない。
所詮、客観的合理的に物事を見る方法は、その方法を会得する人物を大量に教育育成することができるから、過去の物事を分析するに効果(裁判所の審理方式など)はあるが、それは創造性の分野とは異なる能力でしかない。むしろ、実際に個別科学史の展開においては、客観的合理的な論理構成の上に新発見が存在したわけではない。その個別科学技術史では人間の合理的思考の特徴や傾向をみるという作業の要素が強い。
そういった事だから、ビッグデータは、戦前のドイツや日本の、似非科学に名を借りた幻想程度の役割しか果たさないのである。医療における活用であれば、個々人の生活参加の障害(疾病概念)を取り除く、基本的かつ極めて安価な薬品・ビタミン・食品類の合理的思考の特徴や傾向を、症状段階的に観ていくことでの治療が重視されつつある中で、ビッグデータは単なる傷病名定義とか高価格特効薬の開発に偏重しているばかりである。従来からの安価な薬品・ビタミン・食品類の活用に向けたビックデータといったものに対して、薬品メーカーは気乗りしない様子だし、厚生労働省は一切予算を付けない。おそらくそういった薬品メーカーや厚生労働省の思惑はビックデータでは実現しないと思われる。
すなわち、マイナンバーも、民間のポイントカードも、免許証も、クレジットカードも、くっつければ便利?になるわけがないのである。むしろ、ICT技術が進化するほどに、「統合しない方が便利になる!」といった方向こそが、科学史からすれば真っ当な判断なのである。
よって、一見したところの客観的合理的な単独事実(物事を輪切りにしたような論理で四次元五次元展開しない)に騙されてはいけない。

¶マイナンバーの目標とは:
今述べたようなビックデータの本質にマイナンバーは一切触れない。すでに個々人には、税務に関する番号、社会保険に関する番号、雇用に関する番号(ただし事業主個人にはない)、その他民間の物も加えれば、ありとあらゆる番号がついている。それぞれの目的を遂行するには、現在ある番号だけで十分であり、社会保険や雇用保険はマイナンバーに非積極的である。
市町村にあっては各の財政状況があるから、各の市町村で対策を行っている。その肝とは、実際に居住している住民サービスと住民納税であり、かつ反面、住民税取り立てによる貧困の誘発を招いてはいけないのである。市町村は、あくまで地方自治体であり、いわゆる住民サービスに責任を持つ地方団体であるから、住民の所得情報を取りまとめて逐一税務署に通知しなければならない法律とは、根本的に矛盾をきたす。すなわち、年収500万円までの者の源泉徴収票は税務署には企業からは提出されないのだが、市町村が世帯ごとにまとめた収入情報が国税:所得税に関係すれば通報しなければならないとの仕事を法律で負わされているのである。すなわち、現在でも世帯ごとの収入把握とか副収入などを市町村は把握できるが、市町村は住民にとっては必要だと思っていないから、把握しない(非課税)としているのだ。
ちなみに、話題の生活保護の不正受給も、生活保護世帯数想定計算数の0.4%程度の不正受給者割合であるから、行政遂行上では極めて少ない不正受給件数なのである、他国と比べれば日本自慢の不正率の低さかもしれない。(ちなみに、ホームレスや生活保護者は大阪市などに集中させる政策を国が採り、大阪市などへの交付金で補てんしている)。
それを、国税:所得税の徴税漏れをなんとかしたい国税庁(税務署)だけが、マイナンバーに躍起になっているにすぎない。ここに、マイナンバーが進展しない制度的欠陥が存在する。市町村も圧倒的に面従腹背の姿勢をとっているのも当然である。もとより、不公平税制だと不満をもっている人、徴税作業に不公平があるのだから、国税庁(税務署)の徴収漏れに理解を示す人は少ない。
まして、所得税にかかるマイナンバーを扱う個別企業においては、安全管理措置の完遂に自信がなければ、マイナンバー収集は個人情報保護法違反となる。マイナンバーの提出は本人同意を必要とするが、認知症の扶養家族、扶養する16歳未満の子からは同意がとれない。だから法律上回収できない、法律上の義務でもないことを社員に強いれば、強要罪となる。加えて、マイナンバーの法律では、家族の個人番号を収集保管することは出来ても、他人に提供することはできない。家族間であっても窃盗罪は成立する!にもかかわらず、この疑問に国税庁は昨年9月から未だ答える素振りを見せていない。
すなわち、マイナンバーでもってビックデータの夢を語る人がいるが、そんなものはマイナンバーの目標には入っていない。

¶安易なストレスチェック実施は、個別企業の組織崩壊に至る!
安全衛生法の求めるところは、ストレスチェックの調査票だけを配って、ストレスに配慮する機運を盛り上げるだけでよい。調査票を回収することもなければ、集団分析をすることもない。
良きにつけ悪しきにつけ、現状の組織運営には集団の責任者が必要であるから、その責任者を単なるデータだけで排斥機運を高めては、その中間管理職の退職に結びつく。その中間管理職の問題点や業績の悪さはストレスチェックをするまでもなく、とっくに個別企業では把握していることであり、その改善や具体的措置も大方の認識はされている。(認識されているからこそ、配慮義務や措置義務が実行されなかったとして会社が裁判に負けるといった図式である)。
安全衛生法では、50人以上の事業場でのストレスチェック報告義務は定めているが、配布しただけの報告でもさしつかえない。厚生労働省もストレスチェックの報告でもって是正指導に入ることがないと言っている。「ストレスチェックは大変だから実施しなくては!」と力説するのは、実施業者と社会保険労務士の一部だけである。産業医の多くは、このような曖昧かつ安易な調査票で医学的判断を下すこと自体に煩わしさを感じている。すなわち、厚生労働省の示す調査票モデルは、それなりに確立された代物とはいえないからなのだ。厚生労働省も必ずしもこの調査票で実施せよとは言っていない。すなわち、国の官僚が決めるストレスの定義、ひょっとすれば公務員にのみ通用するストレス基準かもしれないのに、どうして民間の個別企業とか個人が、(不正確にも)精神疾患だとの噂の根拠を作らなければならないか?といった危険でもあるのだ。
①確かに、同僚や集団の仕事のじゃまをする、協調性のなさや規律性のなさは存在するが、それは正常な精神の持ち主でも在りうることで、個別企業は、それに対する対策をとればよいのである(協調性規律性チェック)。
  http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/kyochosei.html
②通常、ルーチンワーク(マニュアルや標準書)とか、定型的頭脳労働(仮称:脳みそ筋肉労働かも?)といったものは、質・量・スピードを調整すれば、精神疾患に陥ることは極めて少ないといわれている。だが、企画立案、営業販売、プロジェクト、プラント設置などといった仕事ではクリエイティブさを要する。クリエイティブな仕事に没頭している時点は「うつ状態」に陥っていると脳科学の世界では言われているが、その仕事から離れると正常に戻るから疾病や傷病ではないのである。そう、仕事中に、このストレスチェックすればうつ病の判定が出る!
……この①~②の基本的なことすら、日本の企業の中では認識されていないから、実施をすれば精神疾患の噂を助長するだけの弊害しか生まれそうにない。職場ごとのチームワークは乱れる基となり、能力であっても突然に中間管理職排斥されれば崩壊する。とりわけ、職業能力がないために保身を計る、「お局」とか「高齢男女」が、ストレスチェックによる有能者排斥を試みる可能性が広まる。
どうしても今の日本の現状では、風変わりな人物を排斥し続け、異文化異習慣を排斥するものだから、個別企業の経営は閉鎖的かつ沈滞し、業績に対する組織や人間関係の維持経費がかさむことにより、累積赤字増長を招くのである。ストレスチェックも、個別企業にとっては、短絡的ビックデータであるが、今日まで培ってきた有機的な、貴方の会社の人間集団を崩壊させることになるのだ。
ここでもまるで、ヒットラーや社会主義国の思想調査や気持ち(精神)の統制が行われることになる。今も昔も、官僚主義者は、いつも民間を支配したがる。

2016/07/05

第171号:グロテスク!の火の粉を掃う

<コンテンツ>
「グロテスクの火の粉」を掃う!
EU=離脱や危機の本質を見抜く要素とは!
【その本質】そんなに便利なら、誰でも見られるマイナンバーとかに!
高齢でも、元気に長く働くチェックシート(中高年雇用対策)
=書籍紹介=『ヤバすぎる経済学』スティーブン・D・レビット他著 東洋経済新報社


§「グロテスクの火の粉」を掃う!
尊厳ある生き方、誇りを持てる経営と管理。その有無は自由社会か監視社会かのいずれかで分岐路のごとく別れる。アレコレと理屈をならべたとしても、物質で飼育され、そのコントロールの意思の範囲のままに動かされる。そこに、人類の英知は活かされようとはしない、むしろ無自覚に無意識のうちに日々年月を過ごしている人たち。人類の英知の源は、ひとえに「勇気と愛」であり、「意欲・感動・希望」を持って生きる道に因るものなのである。ある意味=人目を気にするのは監視社会であり、今や「自由の拡大」を望んで参加したSNSは、官僚主義者の監視や誘導の道具にされそうである。監視が激しくなるとグロテスクばかりがもてはやされ、商品や労働までが希望を捨て、グロテスクを代替にして、生活・経済・社会までが誤魔化されそうになっていく。だが、やはりグロテスクの需要は本質的に希薄だ。
グロテスクは抑圧、疎外、刹那、劣悪などにさいなまれた末に着想される精神作用と言われている。一生を骨折り仕事で雇われ、心身のエネルギーを出し尽くすことを要求された末の生き方にグロテスクがはびこるのである。グロテスクによりチャンスを活かす力量は萎えて行き、予め希望が失われていることも少なくない。さらに物事は、グロテスクの火の粉によって、「意欲・感動・希望」ではなく、「意欲・感動・グロテスク」へと汚染をされている。下品愚劣な冗談は物事の核心を覆い隠す。アイディアや企画が狡猾さで満ちている。戯れや芸事を自らの優位さを見せつける目的に使い、愛情に水を差すオヤジギャグは生涯絶えない。……だからこそ、周囲は義理で嘲笑?して場を取り繕うが、誰もが身を引いてしまうのである。監視されながらの資金(報酬)を積まれても、労働能力を発揮したくなくなるとの結果は経営の定石である。一流能力のある人物だからこそグロテスクには協力しないし、無能な者ほど官僚主義の中でグロテスクを用いて「出世」しようとする。

★1 経済活動や経済政策が金融化に走るのは、実体経済の停滞によって通貨が現実資本の動きを喪失した結果、新たな収益を有価証券その他の金融資産に求めることに起因した現象にすぎない。すなわち、金融の役割を「意欲・感動・希望」の道で果たしてきたところを、「意欲・感動・グロテスク」と価値を食いつぶす道筋となっているのだ。それは産業一般の萎縮を引き起こし、今や金融業界のリストラ的崩壊までも招こうとしている。一方、日本の第三次産業は「意欲・感動・希望」の道であれば、まだまだ経営手腕を発揮できるのであり、円高経済になればサービス業の株価は上昇する、だが大手金融の官僚たちはその道を歩むことはない。

★2 日本国民:約5500万世帯のうち2400万(住民税非課税)世帯が「臨時福祉給付金」を受給していても、日本人の9割は自らを中間層だと錯覚している。この現象にも現れているように、多くの日本人は、周囲と比べて平凡な境遇のみの満足にしか夢を持てないでいる。貧困・無知な人物にメリット:デメリットを説いたとしても、さらに選択等決断を迫ればグロテスクに至るだけである。「今朝の意欲、ほっとしたときの感動、明日への希望」を仕事や日常生活に織り込むことで、誰もが価値生産に寄与し実体経済を(立て直すのではなく)一気に伸ばすことができる。それは、まず個人の尽力、個別企業での尽力により、「希望を求める・手に入れる活動から!」である。
それこそが自由そのものであり、自由が在るから努力が実る。商品価値でのグロテスクは命取りになる。今、日本に蔓延しかかっている物はナショナリズムでもなく、ファシズムでもなく、ただ単にグロテスクである。
だから誰もが、心や気持・身体に降りかかる「グロテスクの火の粉」を掃う!掃わなければ燃え尽きている。


§EU=離脱や危機の本質を見抜く要素とは!
日本のマスコミの報道しないEU要素、研究が未熟なEUの歴史などについて、少しでも把握が出来ていれば、連日報道されるEU離脱問題やEU危機との名目で、そこまで煽られるコトは無い。すなわち、経済のみならず社会学や経営学問の裏付けでもって、不安をあおられることがないのである。そのいくつかの要素を披露すると…。
1.現在のEUの成り立ちをひも解くと、「反ファシズム」の社会体制が原点である。
2.ヒットラーらの借金経済に対抗した交易経済の1930年代の構想が基本である。
3.反ファシズムのレジスタンス運動だったから、命がけで実践する個人や家族である。
4.キリスト教の原点精神思考の個人や家族が主体だから、移民や人種の差別を禁じる。
5.EU統合時に、上記のような大論争をヨーロッパは済ませている(日本国内では皆無)。
6.英国が手引して、米英金融の負債膨張でEUが経済発展しないとの認識が強い。
7.27ヵ国のうち、結束が弱いとか貧富格差の激しい国を引き入れたのは英国である。
……読んでいただいて、EUについての認識は変化しましたか?
わざと作られた移民問題、EU債務や不良債権、残留派を支持する中高年の親世代は反ファシズムのレジスタンス運動の世代であることなどを考えると、日本マスコミ報道に右往左往することはなくなるのである。ひょっとすれば、「米英金融と連れ立って、ヨーロッパに進出しようと姑息に考えた人たちが、根っからのEU主要国からパージされた!そんな演出にも気づいていない」といったところかもしれないのだ。
マスコミなどの世論誘導は激しい。そのなかで数百年の伝統に培われた人物や企業は、EU問題でも中国問題でも、見事にヘマを打つことはなかった。


§【その本質】そんなに便利なら、誰でも見られるマイナンバーとかに!
(本質に迫るために、この記事はイロニー問答の形式で表現しています)
マイナンバーが、そんなに便利ならば、政府が推薦するエストニア(人口130万人の国)のように、姓名と同じくマイナンバーをオープンにして、誰もが個人情報を相互に監視できるようにすれば良い。自己紹介も省略でき、収入・納税、病歴や生活習慣までもが、相互に誰でも見られるから「便利!」である。ストーカー、詐欺師、販売営業マンにとっては魅力的な規制緩和制度である。
ICTにまで発展したインターネットは、最初、「自由と発展」の道具の筈だった。それが、何時の間にやら、他人の監視と行為誘導の道具に使われている。ソーシャルメディアでは「自由の拡大」を広げるばかりだった筈が、相互監視と支配者権力の監視に使われている。そう、自由と民主主義を望んでも、暴露されたNSA(アメリカ国家安全保障局)の実態からすれば、PCやスマホを通して個人データは企業と政府機関の間を往来するようになった。マイナンバーやスマホでの個人情報を追跡集積することで、内心の自由(内心で考えていることを言わなくてもよい権利)は脅かされ、結果化データで貴方への誤解や偏見がはびこり、人間の尊厳は脅かされる。(「表現の自由」の原型は「内心の自由」である)。
さてさて、こうして自由社会から監視社会の第一歩に足を踏み入れた貴方は、周囲に保護される立場となり自由は縮む。だがしかし、その人生はビックデータなどの平凡な目標尺度で評価されるから、満足度を味わうことが出来る人は増加するという訳だ。人生の夢や希望も、それに付き物の落胆や挫折も、お恵み深い親切な人たちが監視していてくれるから、そんなにリスクを背負わなくても生きていける。そう、そんな人生を送りたいキーポイントは、やはりマイナンバーが誰にでも(次々流出もして)知られることである。
税金徴収と社会保障付与の為のマイナンバーでは、恵みを授かる監視社会は醸成されないのだ。
(注意!)
マイナンバー法には、会社が扱う義務や権利はない。マイナンバー任意制度だから同意が必要、なので届出拒否者、16歳未満、認知症の人から合法的には回収する方法はない。社内の安全管理体制が不備と知りながら回収すれば、こちらは個人情報保護法違反となり、マイナンバー法違反にもなる。恐いのは漏れたときの高額の損害賠償の方だ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/mynum.html


§高齢でも、元気に長く働くチェックシート(中高年雇用対策)
中高年でも活躍したい!ことを望むのは誰しもである。男性も女性も、職場でも家庭でも、健康かつ意欲的に活動したいとの希望があり、とりわけ日本経済の再構築のためには不可欠である。個別企業でも、高年齢女性や男性を戦力としたサービス業は発展し、日本ではまだまだ成長する余地が残っている。ほぼ未熟練労働力を若いからとの理由で集め→マニュアルとかで“通りいっぺん”の商品を作っていても、誰も・どこの国も買ってくれるわけがない。それは家族でも“通りいっぺん”では形成できるわけがないし、家庭生活と労働が有機的に両立してこそ労働能力が向上発揮される社会システムに移行しつつある。
ところが、体調不良や気がかり、その病気の前兆&そのまたサインをチェックするシートを誰も作らなかったのが現状だ。そこで、我々はその「元気に長く働くチェックシート」を作成した。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/genki.html
見ていただいたとおり、早ければ50歳を過ぎたあたりからの、男性・女性の変調の前兆サインを並べたものである。脳や心臓に関係する“虚血・血管疾患”とか、男女ともの更年期障害、そしてチェックシートをもとに医療機関を「探し求める」と有効な予防治療が向けられるわけだ。こういった症状に対しての治療や投薬のメドはついている。その、「探し求める」という意味は、町や村の研究熱心な医師を通じて、患者と医師が共同研究:追跡をするという方向である。ラッキーな場合は、発見困難な“すい臓がん”、重篤な“肺がん”“脳腫瘍”までも気づく可能性があるのだ。
にもかかわらず、大病院や救急病院の脳外科や神経内科では、血栓、脳出血、誤診の余地がない典型症状が確認出来ない限り、予備的な物も含めて治療を行わないのが現実だ。心臓疾患においても、ほぼ同様の現状であり、エビデンスと称する検査結果がない限り、緊急救急救命を除いて治療を希望するのは難しい。厚生労働省の医療保険フランチャイズチェーン化してしまった日本の医療体制・システムは、今やそのように変質してしまっている。有名だからと言って大病院が対応治療すると期待するのは幻想である。個々の医師が努力をしてもメジャーな治療方法に加えられることがないほどに厚生行政も官僚が仕切っているのである。
だから、患者と医師が努力をして共同研究:追跡~、すなわち患者の立場からすれば、「私が病気を予防や治療をする方向に導いてくれる医師」が重要のである。したがって、このシートの結果でもって、近所の町医者をあたってみるしかない。意外なところは、
☆脳梗塞や脳虚血は“めまい専門の耳鼻科”、
☆心臓などといった循環器は総合内科、
☆更年期障害の男は泌尿器科、女は産婦人科といったところである。
すなわち、医師養成の診療科目ごとの研究が進んでいても、疾病現象の横断的研究が手つかずである。これこそが、「患者が一刻も早く生活に参加できるように!」との患者の立場に立った医療ではない行政方針による弊害である。とにかく、先ず病名確定(元来、疾病は病名で区分出来ない)し→高額医療保険治療をし→病院の建物・設備と薬剤特権に寄り添っている間は、厚生官僚の定めた老いや病名で以って、お恵み深く保護されるしかない。だから、そんな厚生官僚システムに沿っての自由診療制度などもっての外である。それは、歯科医師が口腔周辺の癌とか全身の感染症を発見している事例も少なくないことに現れている。また、「痛風を味わった医師でなければ、痛風と骨折の区別がつかない」と揶揄されているのである。

★ついでに、ヤブ医者についての説明!
現代の圧倒的多数の「ヤブ医者」とは、サプリメント系悪徳業者、祈祷系啓発系サークルなどといった物である。医療機関とは別名称を使っているから見破りにくい。確かに厚生労働省がビタミン剤などの保険適用を厳しく制限していることから、市販薬とかサプリメントを活用すれば治療効果は進むのは事実だ。一部の医師はビタミン剤の直接販売もしているが、そういった事例は少ない。したがって、我々はサプリメントを活用するのであるが、医学・医療の知識(予防段階、発病段階、慢性段階の見極め)ならびに医薬品ごとの効果と相殺作用そして薬品使用方法(服用時間帯、水や湯などの溶解方法、食材適合など)は不可欠のである。要するに、個々人ごとに生活状況に合わせ、サプリメントの効果を確かめながら、個々に活用ノウハウを蓄積することが重要なのだ。ところが、要するに「ヤブ医者」概念という輩は、売りつけるための誇大説明、必要以上の大量投与、より効果のあるサプリメントの否定、治療よりも人間関係とか“しがらみ”を優先といった目的なのである。残念ながら、個別企業:総務人事部門とか保健所その他医療福祉機関で対策を実施しない限り、精神(フィーリング、スピリッツ)のせいだとか、同僚とのしがらみ薬服用、といったような「ヤブ医者」概念が蔓延してしまうのである、それは近代の歴史から現在においても、一般人や未開人の無知に乗じて繰り返されている。
これは、以前に作成している、物「うつ病:早期発見・緊急措置シート」と同様に、
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/utsu.html
多くの企業の要望により作成したものである。うつ病対策では、本当に多数の企業において、メンタルヘルスの初動とか安全配慮を具体的に実行する道具として活用されるようになった。だが、未だ、こういったチェックシートが医療や福祉部門からは提供されていない。一説によると、圧倒的多くの医師が臨床といって、病院などに訪れた者だけを患者として扱って、実際の労働現場に踏み入れることがないので、専門家医師といっても把握のしようがないという説だ。だが真相は違う、法的責任、医療責任、人事管理責任の狭間に無為無策の三角地帯のできていることに、(各々専門家の意地が邪魔をして)対策が打てていないだけのことである。最近の厚生労働省は、医療費削減を目的に公衆衛生に力を入れ始めたのだが、そこでの枝葉の方策として、「医療機関は地域周辺全体の健康に目を向けること。来院する患者ばかりに焦点を当てない」ことを、やっと医療関係者セミナーで講演し始めたくらいである。したがって、今回の「元気に長く働くチェックシート」も、筆者周辺では急速に個別企業や一般家庭で広まりつつあるが、しばらくの間は首を長くして、医療や福祉部門からの#お気軽チェックシート#の開発を祈るだけである。
なおこの「元気に長く働くチェックシート」は、少なくない典型事例~病気の前兆&そのまたサイン、その後の発病や回復、治療不能で改善のみと宣告、その他(労働末端や生活現場から)の疾病状況を収集し、それなりに医師やWEBサイトで確認を進めた作業からのチェック項目である。「何かおかしい!」と自覚する間は、「通常の生活」参加を求めて行動し続けることが健康には重要だ。「通常の生活」と言うのは、子供の頃からとか長年の症状が他人にも共通する物だと誤認しているだけで、明らかに狭心症や脳虚血の自覚ができない生活は、異常であるという意味である。「年齢のせいかと思っていても、同僚や年上の人の症状出ていない?」といったことを、職場で自覚してもらうことが大切なのである。
狭心症の痛みは歯、頭痛、腕にも現れるし、加齢により頭がボーっとしたり急激な記憶低下は発生しないのである。


=書籍紹介=『ヤバすぎる経済学』スティーブン・D・レビット他著 東洋経済新報社
著者は、さもシカゴ大学に多そうな経済学者であり、共和主義的視点である。個別企業の経営にも視野を置いた経済を論じ、評論家タイプではなく、リアルな参加型学説を展開する。筆者が選ぶ、そのいくつかの要点は次の通り。
1.著者がつかんだ、行動経済学の立役者:ダニエル・カールマン(心理学者)インタビューの記述。行動経済学が何たるか焦点を当てた分析として。
イ)スキャンダル公表を先延ばしにすると、結果は悲惨となるが、先の話は思い浮かばない。
ロ)お金をかけずに人の行動を変えるには、文脈にちょっとひねりを加え、「他の人たちがちゃんと税金を払っていると思わせることができれば、人がちゃんと税金を払うようになりやすい」という風に。
ハ)「人が幸せを感じる可能性がとても高いのは、自分の好きな人と長い時間を過ごしているとき」
ニ)一方、「人が満足だと感じる可能性がとても高いのは、平凡な目標を成し遂げたとき」、例えば安定した結婚生活。
ホ)他人に物事を説明するには、「考えの中身と、考える仕組みを分けて、考える」方法を用いる。
ヘ)自己意識が強ければ、周りの人の態度に差別を感じる。安定した環境で、よく知っている人達とやりとりしていると自己意識は弱まる。
2.地産地消とか自家製よりも、食事内容を赤身肉や乳製品から鳥、魚、卵、野菜中心の食事に変更するだけで、温暖化ガスを大幅に削減できる。専門化した方が効率が上がる。ビニール包装や包装を工夫することで、食事の腐敗:廃棄が激減する。
3.銀行が破産したほどの横領事件の犯人は、刑務所釈放後に、銀行の監督官庁に勤め、使い込みを見破る手助けをした。単純で効果が大きい方法は、休みを取っていない従業員を探すことだった。(日本でもよく似た事件が最近ありました)。
4.貧しいお客が多い店は、だいたいサービスが酷いことになっている。
5.飛行機便で、アマルティア・センという経済学者と隣り合わせになったが、彼は自分を哲学者だと自己紹介した。
6.「小さいサカナを捕えるのばかりやってると、時間がなくなって-あるいは技を磨いたりしのぐことを学んだり出来なくて-大きなサカナはついぞ捕まえられなくなる。健闘を祈ってるよ」
……といった具合だ。ただし、ここに短く表現出来ない物が数多いので、是非とも購読を。公立図書館に問い合わせても、この本は貸し出し予約が詰まっているそうだ。
『ヤバすぎる経済学』
http://store.toyokeizai.net/books/9784492314777/

2016/06/07

第170号:日本経済の、描かれた危機的様相とは何!

<コンテンツ>
唯一日本だけが経済危機の様相!
信用経済の「からくり」から脱却した経営管理
固有文化価値商品を作る労働の視点
固有文化の価値に鋭いのは女、鈍いのが男
   ・したがって、女性の活用に成功を
   ・その女性の社会進出を阻害する要因
   ・悪い例示は、これだ!(官僚が好みそうな稚拙報告)
   ・固有文化の価値商品を提供する個別企業では


§唯一日本だけが経済危機の様相!
G7伊勢志摩サミットにおいて、「リーマンショック前夜?」と日本政府は訴えたが、議長国にもかかわらず、採択されなかった。議長国の威厳が無視されるほどに、日本は没落しているのである。これについて、マスコミは、“消費税の先延ばし”と報道しているが、日本の経済危機の実態への目くらましである。日本の経済危機と日本政府(官僚)流の打開策に、各国が協力しない!となった決議が本質である。次々と金融機関は経営難に陥っており、投資銀行は大幅な人員削減に入っている。金融ショックを避けるための名目経済成長は金融施策のカラクリで高値雰囲気を描いているが、実態経済はマイナス・経済豊かさは極度に貧している。
あれだけ騒がれたTPPも関連法案が国会で先送りとなり、主要加盟国?の各国議会での批准も危うくなっている。世界経済の今年に入ってからの急展開と各国経済政策の急旋回に付いて行けないのが官僚主義者たちの姿である。マイナンバー制度も世界の過去事例に固執するばかりの官僚主義者たちの常套策であり、民間経済の足を引っ張る。参議院選挙に向けて官僚主義者らは彼らは無策である。
そう!その、官僚主義者とは公務員ばかりでなく、大手企業のサラリーマン経営者と子飼いたちが含まれる。しかしながら、少なからずの個別企業や個人生活には、明るい兆しと新たな経済秩序への一歩が始まっている。
そういった個別企業と共に明るく! あなたも歩もう! 人生は1回だ!


§信用経済の「からくり」から脱却した経営管理
を進めている個別企業や個人に共通するものは、前述した明るい兆しと新たな経済秩序への対応が存在していることである。すなわち、銀行借入金や利回り資本に依存しないでの商品開発や経営管理の体制なのである。やはり、
1.よりよい物をより安く、といった幻のような固定観念は無い。
2.文明基礎商品といわれる製品を労働力で作ることに固執しない。
3.「物」を売るのではなく、希望ある「コト」を売っている。
…そこには、働く上での空しさや、労働による疎外感の発生する度合いが極めて少ないのである。
これを新しいビジネスモデルと称する評論家や学者が存在するが、信用経済が支配的になる以前は、これが経済活動の主流であった。そういった評論家や学者たちが知らないだけである。
すなわち、戦後の信用経済を成長させたことで、
「借金をして物を手に入れ、買った物に飽きがきて、空しく返済の日々を送る」
といった様相が一般的結末であった。幻をあおられ、通貨で価値を計られるものだから、発展途上や衣食住欠乏状態からの脱出をすれば、空しさがまとわりつく傾向の商品価値ばかりある。
これら(1~3)を、固有文化価値商品というのである。
経済学の歴史において、社会学の歴史において、これら固有文化価値商品といった概念は、19世紀から現れている。筆者の知る限り、フランスのナポレオンの時代にスタール夫人が、「思想(観念)の流通は、あらゆる商業のうち、最も確実に利益を生む」と述べている。しかしながら固有文化価値の論理は、各国の官僚主導型学術研究においては、官僚の保身につながらないために徹底して排除されていたのも事実だ。これら固有文化価値商品は、科学技術の下支えで大きく成長する性格をもっているが、銀行借入金や利回り資本を排除してでも供給・販売・流通するものだから、信用経済に寄生して利ざやを当てにしている人にとっては、はなはだ不機嫌・危険なビジネスモデルなのである。
信用経済が崩壊し、新たな経済システムが約100年ぶりに構築される時代には、何が新しいビジネスモデルで、何が浮ついたビジネス幻想なのかを見極める必要がある。


§固有文化価値商品を作る労働の視点
経営または経営管理において、労働に対する視点は極めて重要である。文明基礎商品や信用経済の枠に思考がはめられていると、労働力(労働と労働力は異なる)の安値買い取りばかりに目が注がれてしまって、肝心の商品づくりや商品供給に失敗を引き起こす。徹底して失敗の連続を重ねたのは、日本の高度経済成長が破綻した後に繰り返された経済経験や経済学の塗り直しであった。
もの作りに関するイノベーションと教育の視点はこれである。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/240
流通販売も含め、人をケアCareするサービスのイノベーションと教育の視点。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242
そもそも個別企業というものは、こういった商品群を取り扱うところの:人間労働集団なのである。金融や労働力の集積ではない。「企業財務なり」だとか「企業は労働力の上に成り立つ」などと錯覚をしている人たちは、見事!金融危機のなかで破綻し(実は、犯罪に手を染め、借金の膨張を繰り返し)ているのである。バブル経済崩壊とともに、「社長、お宅の金庫を現金でいっぱいにしてあげます!」と言われて、いわゆる「トヨタ看板方式」の末端下請けに組み入れられた中堅中小企業も少なくなかった。


§固有文化の価値に鋭いのは女、鈍いのが男
決定的なのは、人材である。
それは、古今東西にわたり、生活の衣食住に携わっているのが女性であり、もっぱら男は労働や労働力の売買に固執していたからこそ、そういった、「固有文化の価値に鋭いのは女、鈍いのが男」となってしまった近代以後の歴史の産物と考えるのが妥当である。「亭主関白」の傾向は貧困層の家庭に強いのが世界各地の通例である。決して日本の文化ではない。DVや児童虐待は、富を問わず生活文化価値の貧困化に起因する傾向があり、やはり殺伐とした経済貧困層の生活環境などの生活文化価値に余裕のない家庭で多発しやすいと考えられている。ことわざでいえば、「貧すれば、鈍する」の一形態である。

☆したがって、女性の活用に成功を
しつつある国や経済圏が、経済成長、殊に経済的豊かさを入手しつつあるのは納得のいく話だ。ことに、経済の豊かさを追求する場面においては、経済成長の数値は横に置いておいて、「生活しやすさや出生率」が回復・安定してきている。人類が再生産する最も貴重なものは、子供である。女性の社会進出は、そういった意味でも固有文化価値商品の質量増大を促すのである。女性の社会進出は、今や経済危機を救うといっても過言ではない、それは、個別企業の身近な経営安定も言えることだ。

★その女性の社会進出を阻害する要因
それはひとえに性的役割分業や女性差別の構造である。実力も稼ぎもが無いにもかかわらず、「大黒柱の亭主」を前提とした社会構造を温存させているからこそ、日本などは経済成長の足を引っ張られ、極めて深刻な経済構造に陥っている。すなわち、土地を基盤とした農業などの経済的に貧しかった時代の集団維持システム(家父長制、嫁入り制、大黒柱亭主のみ結婚制)といった、前時代的幻想の名残に固執するから経済が後退するのである。経済的自立のない男は結婚できなかった=あくまで経済的自立をなした者の亭主関白が真実である。女性は働いていたが、経済の表舞台に立たされず、女性労働や労働力の売買が止められていただけである。男女を問わず共に、ありもしなかった幻想に固執するからこそ、甘えが生まれ、男女ともに自立できない要因となっている。
日本の現状に相対する、女性の社会進出の具体的事例を列挙すると…。
1.家庭概念は共働きモデルが主流で、女性就業継続率!は高い。
2.子供の養育責任は、地域・社会が担い、シングルマザーに押し付けない。
3.異性同性を問わず、継続3年の同居同棲には、家族としての権利を認める。
4.社会保障、税制などすべてが、世帯主の単位ではなく、個人ごとである。
5.母子世帯の子供の養育費は、父親からの強制徴収制度を導入している。
……要するに、これらから各国ともに見えてくるものは、学歴や経済格差に物事をすり替えない着想である。もちろんそれは、子供の成長や将来にかかわる課題でも同様である。どうしても、殊に日本の官僚主義者が考えてしまうと本末転倒が起こってしまう。

★悪い例示は、これだ!(官僚が好みそうな稚拙報告)
母子自立に携わる某行政支援員の発表(2016.03.16)によると、
http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20160316/resume/03_houkoku_tanaka.pdf
#formal# 自立している母親の得点数の多いものは、
①職業資格を持っている
②具体的な計画を立てている
③一つの仕事を長く経験している
④独立心が強い
⑤車の免許を持っている
⑥身だしなみが整っている
⑦書類を書くときに誤字が少ない
⑧物事を論理的に話せる
⑨漢字の間違いが少ない
⑩家族以外のネットワークがある」
#clear# 自立していない側の特徴的で、マイナス方向の開きのあるものは
①面接に普段着で行ってしまう
②情緒不安定にみえる
③決断が鈍い
④仕事内容よりも目先の賃金を優先
⑤細かいことを気にしすぎる
だそうである。そう、読者がお気づきのように“性的役割分業や女性差別の構造”を如実に表現しかねないものの列挙であり、なぜそうなっているかの分析が欠落しているのである。官僚は型にはめたがる:それもformal表面的に。
だから、現象の羅列にすぎず分析が欠落しているから、民間個別企業で応用できるような代物ではない。すなわち、官僚であるがゆえに彼女・彼らには、「性的役割分業や女性差別の構造」を問題だと口にしても、具体的な施策の着想すらなら出来ないのである。せいぜい、マイナス方向の人物をclear排除すれば何とかなるとの幻想を抱く。
あなたの企業でも、心や気持ちとは裏腹に、こういった幼稚な色眼鏡をかけている採用担当者や管理職・監督職が存在しないか、もう一度考えてみる必要がある。
そう、官僚は似非客観的な事例を以ってして国民を誘導したがる!

¶固有文化の価値商品を提供する個別企業では
さまざまな工夫や現実的な対応によって、相当の社会進出を図っていることは確かである。
A.夕刻5時に帰宅し子育てをしながら会社を経営する女性
B.某行政支援員とは、まったく異なる視点で女性を採用する企業
C.女性の地域密着と地域文化を生かす労働態様
D.そもそも固有文化価値商品に携わる企業には男女区別や差別は念頭にない
厚生労働省などが述べる、“男のように働く女性のための保育所づくり”といった施策の様相の背景に、ことさら差別選別を引き合いに出すような官僚主義的思考に解決を先送りがあるのだ。個別企業は決して、他人ごとの国家予算や税収を頼りに、助成金誘導ばかりを手段とする策に乗ってはいけないのだ。
『自立して、社会(事業)共同体で、共立・活きるスタイルが基本である』

2016/05/10

第169号:競合他社より、一歩リードする中堅中小企業の経営ポイント

<コンテンツ>
技術や品質一辺倒は売れない!Made in Japan
中堅・中小企業の、同業他社の競争ポイント
固有文化価値の商品は、確実に強い
組織の上にあぐらをかく官僚の考える経済とは


§技術や品質一辺倒は売れない!Made in Japan
今の世界経済状況では、文明基礎商品一本ヤリでは経済転落する。
日本のオーストラリアへの潜水艦:輸出は、事実上本決まりであったものがキャンセルされた。インドネシアの新幹線も受注できなかった。海外の原子力発電も日本政府の事故保障付(日本の税金投入)でなければ見向きもされていない。確かに品質・外交・軍事にわたる微妙な問題が絡むのだが、受注できなければ負け犬である。負け惜しみの論理構成は、競合する他国においても互いに持っている弁解にしかならないし、日本は反省がない。
やはり決定的なのは、「品質と売り込み方」である。高品質・技術一辺倒では売れるわけがないのは、現場の誰もがよく認識するところである。ところが日本では、「技術立国」の夢物語(過去は製品輸出をOECDなどで政府が買い支え)を、未だにマスコミや官僚などは、意識的に振りまいている。
日増しに目立つ、国内向け商品の劣化。
一般国民向けの小売は、すなわち、スーパー、生協、コンビニ、家電小売などに並ぶ商品は、おしなべて、取扱商品の粗悪が目立ち、偽物商品までが出回るようになった。驚くことに、ここには高品質・技術一辺の裏目が出ている。現代の若者が手に入れることの衣食住にかかわる商品は、団塊世代や一歩後の世代に比べると、手を変え品を変えカラフルではあるけれど、商品(価値)が劣化しているのである。


§中堅・中小企業の、同業他社の競争ポイント。
すべての会社が、技術とか高水準サービスでもって「オンリーワン企業」になれるわけではない。そこで、世界的な信用経済危機のなかで、当座の手法が課題となってくる。
1.同業他社よりも人件費対策で入っていく。
2.採用募集は、変に金をかけずに社員や、近親者へ働きかける。
3.同業他社よりも良い人を採る。夜間・土日・深夜の専門パートの展開。
4.マインバー(個人番号)は扱わない、個々人に任せ、企業のリスク回避をする。
5.価値の低い仕事と時間を減らす。経営者や管理職にはアシスタントをつける。
6.新採用の狙いは、大手企業をやめる人。(大手はドングリの集り:将来不安が)
7.小さい企業のネットワークは小さい、かつ低レベルの人との付き合いばかり。
8.仕事内容の重要性を理解させないから品質が低い。(基礎の無い者ほど反発)
9.現場の末端に至るまで、「管理データ作り」をさせること。
10.管理しないから時間がない。今もなければ:今後も時間はない。
11.目先では将来がない。ところが、言い訳ばかりで実行しない企業が普通だから、多少やれば優位に立てる。
……さて、同業他社に勝つための、こういった競争ポイントは、固有文化価値商品の製造や高水準サービスでなければ、実際の売上額や利益率が伴っては来ない。その理由は簡単である、文明基礎商品と言われるものは、その理念が、「より良いものをより安く」であるから、勝つための項目との矛盾をきたしてしまうのである。まして今時、滅私奉公などを唱えても誰も働きに来てくれない、もとより滅私奉公と言っても江戸時代から、その人の生活保障は行うのが前提であった、にもかかわらず、である。
まして、世界的経済の変動で、バブル経済期以前のような仕事が転がり込んでくる時代は、再来しないのである。生きてきた過去の経験ばかりが自然なことと勘違いをしていると、自我は否定されるばかりである、すなわち不幸しか来ない。


§固有文化価値の商品は、確実に強い。
こういった商品像は着実に増加してきており、それを供給する個別企業は安定をしている。反面、技術一辺倒:文明基礎商品の、新商品開発や新規事業の拡散を、資金融資(信用経済システム)に頼りきった途端に、個別企業の経営破たんが始まっている。その典型は、シャープの事業展開の顛末である。
One. 文明基礎商品(より良い物をより安く)は大いに活用して、提供先の固有文化の価値に合わせた製品や高水準サービスを提供。海外販路も同じだ。
Two. 文明基礎商品(~どこでも売っている商品)に、いくら:どのように=付加価値をつけようとも、経費倒れ若しくは、反社会(詐欺・欠陥品・危険物)の品質になるだけである。それは、経営者の気づかないところで、あなたの部下が計画しているかもしれない。中小企業であっても官僚のマネをして、必ず「ズル」をしている者は存在する。韓国での加湿器の水に毒物を混入させるオキシー・サクサク事件。そこには、甚だしい文化教養水準の低さ、防カビ剤を室内噴霧させる危険が認知できない程の理科学教育水準なのである。確かに、韓国では合法的のようだが、反社会的品質には変わりがない。
Three.文明基礎商品の製造には、労働契約というよりも雇用契約といった概念が強い。多くの企業では習慣的に「雇用」の言葉を使っているが、「雇」の解字とは籠の中の鳥の表現である。さて、労働能力のうち「主に労働力」のみを期待されている雇い方とは、まさに籠の中に閉じこめられた鳥そのものである。「労」の解字は、元は勞で、火を燃やすように力を出すことで、「働」は日本製漢字で人間の動きに意味を限定したもの。
(ア)その商品を需要する人たち(それは国内や海外のいずれの地であっても)の持っている、固有文化の価値に合わせた製品や高水準サービスを創造するのは、全般的な労働能力であり、能力未熟ならば無理である。
(イ)そういった固有文化の価値を読み取り、それを創り上げる労働能力の全般的育成と引き上げ。それは技術であって技能ではないことを間違えてはいけない。日本にとっては労働能力の全般的育成と引き上げ、さらには高齢者には労働能力の組直しが重要なのだ。
Four. 文明基礎商品は、もっぱら使用価値で成り立つだけである。流通や交換(売買)は、もっぱら通貨価値を基準としている。観念(思想)などといった労働全般の価値は評価されない。幸福概念などの文化価値が、通貨価値で表現されないと嘆くのではなく、事実は通貨交換が支配的な中で無視しているだけにすぎない。

http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/57



§組織の上にあぐらをかく官僚の考える経済とは、
そのほとんどが略奪経済を頭に描いている。もちろん官僚とは公務員のみならず大手企業のサラリーマン経営者や官僚主義者にも巣食っている。これらに振り回された途端、利益先食いの白昼夢→負債地獄の悪夢にうなされる。それはサラリーマンが、出世を餌に、家庭生活が振り回される場合も同様である。
・第二次世界大戦に至るドイツのヒトラー政権は略奪経済の典型である。(以下、日本の現在や過去を頭に描いてどうぞ?)
・ヒトラーは開戦から直ちにポーランド、ロシア、フランスなどから1000万人を超えるユダヤ人その他の強制労働をさせる(経済外的)体制を行った、挙げ句にユダヤ人の働けない男女子供の収容所(抹殺処分)送りであった。
・それらの財源は、占領国の国庫支出の26.8%程度をドイツに上納させていた。日本の軍事官僚たちも、研究が少ないながらも同様のことではある。
・ドイツ労働者を大喜びさせた400万人:失業対策(およそアウトバーン工事など)はすべて借金。「毎週5マルク」で4年後に自家用車が持てる!とのフォルクスワーゲン計画は戦後になって、やっと行き渡る大失策。
・町中では、空き家にさせたユダヤ人の衣服・家財・金品を強奪し「公売会」と称し、それをドイツ市民に安値販売した。強奪を知りながらもこれに大喜びしたドイツ人は多かった。そういったドイツ経済は略奪と国家借金では、まかない切れなかった白昼夢だった。ただ、戦時中日本の場合は、その白昼のさえも無かっただけである。
・それはまた、生活・経営・経済活動その他にかかわる基本的人権が保障されなかった時代=ドイツのワイマール憲法下での事態であった。ヒトラーは、基本的人権の無い時代を好いことに、泥棒・強奪・ある夜の森の変死体を捜査しない警察などとで組み合わされた、「単純な多数決」の民主主義?制度を使って、ドイツに略奪と借金踏み倒しの白昼夢を持ち込んだのだった。


[お詫び]
今月の発行にかけて体調不良のため十分な取材ができませんでした。抜本的戦略を見据えるインテリジェンスは、これからも提供いたします。医学や医療思想の発展で体調回復の目処は立ちつつあります。いましばらく、猶予をいただきたく存じます。

2016/04/05

第168号:金融危機ショック、その引き金への備え

<コンテンツ>
誰かが金融危機ショックの引き金を引く
金融危機のショックは時間の問題!
金融危機ショックを知った時点の対策
今からでも、金融危機ショックでも、通用する事業方式
   ①「人をケアcareする」サービスのイノベーション
   ②高度な固有文化価値製品の「ものづくり」イノベーション
   ③サービス(服務)行動を提供する「13ルール」
   (参考:研究)手法や装置ではなく、マーケティングの兆しの発見
マイナンバー制度の関連情報


§誰かが金融危機ショックの引き金を引く
それは必ず誰かが引いている。リーマンショック(2008年9月15日)の折も、その約2ヵ月前に香港上海銀行が金融投資の回収に入ったとの情報が第一報であった。確か、昭和恐慌(1929年)にしても事前の動きがあったようだ、「確か」と言うのは学術面からの記録がないだけとの意味である。リーマンショックでは、その年の6月初めにnetニュースに飛び込んできたので、筆者も鮮明に覚えているのである。
ほかにも筆者には昭和恐慌とかの記憶はあるのだが、概ね2ヵ月前との概念的な経験則しかない。もちろん、Webにも載っていないし、単なるインテリジェンス情報の類であるから分析もされていない。そして、その2ヵ月の間に、トランプゲームで言うところの「ばばぬき」が行われるのである。今日この頃も、株価低迷にもかかわらず、少なからずの証券会社営業マンは、「人気がありますぅ!」を連発している。商品先物も同様の動きだ。
ところで、その2ヵ月前と言うのは、「概ね発表をしてから対策が完了するまでの期間」と見るのが妥当である。それなりの大型組織を意思統一するには、その程度の時間がかかり、緊急性の対策には「公表する方式」しかないからである。「2ヵ月前」との方針伝達のノウハウは、経験者でなければわからないものだし、ネット社会になってもその方針完結に至るスピードは同じなのである。(方針発表がずれこめば、「時間切れ」を招来する期間だ)。


§金融危機のショックは時間の問題!
と言われている。景気の状況は、マスコミすらが、「リーマンショック、バブル崩壊、それに次ぐ今の景気」と解説しているとおりだ。現段階の世界金融の状況は、ショックを先延ばししようという動きと、「ばばぬき」で不良債権を手放そうとする動きの入り乱れである。昨日からも金地金の先物取引から、久々に大安値を付けている。すなわち、金地金に向けて株や債券からの資金引き上げを、躍起になってストップをかけようとする事態とみてよい。
しかしながら、一般の個別企業とか、一般人にとっては、金融危機ショックの日時自体は、経営や生活には大した関係はない。むしろ、日本国内の景気低迷が、世界的な金融危機ショックの影響を受けて、いつ何時、混乱に陥っても当たり前との状況に手を打つ必要があるということなのだ。客観的証拠の有無にかかわらず科学的論証は地震予知よりも可能であるが、第一報をつかむ優秀なジャーナリストは、記事にはできないものである。
仮に、ガセネタ(今年3月8日とか5月24日の如く)が入ったところで、周囲は誰も信用してくれないのと同じく、たとえニュースが入ったとしても周囲は誰も動かない、また、たった2ヵ月では動きようもない。その道の専門家や評論家は、「それは自分で見るしかない」と、本当に親切心あって解説してくれるのではあるが、そもそも受け入れ側に金融投機の敏感さがなければ誰も信用しない。そう、筆者が思い出すのは、ある大阪でのセミナーで、当時の「大和銀行危機」のニュースを7月に話したところ、公演中に大抗議を受けたが、やはり9月下旬の「大和銀行記者会見」は突然開かれた。
だから、金融危機ショックについて、今はどうかといえば、筆者は何もわからない。


§金融危機ショックを知った時点の対策
「そんなものあるのか?」と考えがちだが、それは、“マスコミずれ”をしているからである。マスコミとかネットニュースに頼っていては、後の祭りである。
戦前戦後と、日本でも景気の浮き沈みを経験しているから、その対策のいくつかを並べてみると……
1.延滞金の支払いを約してでも、仕入れの支払いを延期する。
2.川上と川下の人材が散り散りバラバラにならないよう、下請企業の人件費は援助。
3.仕入れの在庫、出荷の在庫、どちらも共に抱える。
4.事業の生産財、個人の衣食住は、丈夫で長持ちする物に切り替える。
5.社員は、賃金を下げてでも、現物支給をしてでも、解雇しない。
6.一般管理費や福利厚生、場合によって社会保険料などの延滞期限を調べておく。
+筆者個人としては、今もっている金融資産は損切りをする。市街地マンションなどは今のうちに売る。
…などであるが、私の個人意見については、相当の賛否両論が出てくることは間違いない。
多くの識者が予測するように、金融危機ショックが数字的に立ち直るのには、少なくとも5年は必要である。ただし立ち直るのは、事実上の新規事業を成功させた場合に限られるのだが…。


§今からでも、金融危機ショックでも通用する事業方式
端的に三つの柱を紹介する。ことに内需と地球規模の民生品が有望だ。金融危機ショックの到来でも、顧客に選んでもらえる個別企業の、小規模末端といえども「組織づくり」が大切なのだ。
「人をケアcareする」サービスのイノベーション
固有文化の価値商品は、買い手の「意欲・感動・希望」を満たす形態で、その価値を実現する。したがって、前時代的な「サービスの経済化」といった程度では、商品価値が売り手と買い手の間に成立しない。またそれは、前時代的な「接客業務の改善・改革」といった概念をはるかに超えるものである。 「人をケアcareする」(サービス業の飛躍的イノベーション)といった固有文化の価値商品を完成させるは、世界各地で成功している実例でもある。それは次の通りにまとめられる。イ)~チ)も各人バラバラに進める方が、すべてを一気に導入するよりも、事業進展は速い。顧客探しは、まずは国内外からの「お客」を集め、需要を喚起することを念頭に置く。続きは、こちらのURL
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/242


高度な固有文化価値製品の「ものづくり」イノベーション
今日の経済破たんを迎えた金融政策は効果がない。通貨貸出準備が整っているも個別企業に貸し出すだけの新商品がないのである。既存の商品価値は労働力商品も含め低下の一途をたどっている、この現象をデフレと称して「不況?」と呼んでいるにすぎない。そこで、固有文化の価値商品に目を向け、且つ世界経済や世界市場に目を向けながら、日本国内のここ60年ほどの新商品開発の教訓を踏まえ、世界的に成功している新商品開発をまとめたものが次の項に示したものである。そしてこれらは、もう既に導入した個別企業においての成功を繰り返しつつある。固有文化の価値商品の「ものづくり(消費財の固有価値)のイノベーション手法」は、中学校区単位(行政単位)、地場経済圏、地方経済圏、民族文化その他に蓄積された「労働蓄積+労働能力+労働力発揮」といった労働価値に基づくところの、商品開発作業である。続きは、こちらのURL
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/240


サービス(服務)行動を提供する「13ルール」
1.自己顕示欲は捨てること、権威のあること。買い手に接する従業員教育をするから、仕事に笑顔が生まれる。
2.スキ間に配慮(親切がスキ間の入り口になる)。音楽家モーツァルトや、建築家の多くが述べる、『わずかの違いを大切に』である。
3.動作が軽快でスマートであること。それは、重要ポイントを顧客と一緒に発見するスタイルである。
4.時間を厳守すること、時間を守らない人物は信用されない時代になった。
5.念には念を入れること。お客の「意欲・ 感動・希望」に、念入りに耳を傾ける。そうすれば、それに対する固有文化の価値が提供できる。
6.技術を組織として身につけること。それは技能=職人技や曲芸・芸当の類を磨くことではない。
7.案内の良いこと。機能や数量の説明ではない。決してお客の「意欲・ 感動・希望」を決めつけないこと。
8.お客様の世間話には、仕事を差し置いて直ぐ応対、就業時間中は、こちらからの世間話は禁止。
9.受付が、しっかりしていること。買い手の好みを知って、「好みに合う品と使い道」を案内する準備をする。
10.依頼手続きが簡単なこと。依頼の邪魔くささや障害をなくすこと。
11.突っ張らないで、リラックスして仕事すること。お客の悩みに応じた解決方法をいくつか組み合わせるとか、いくつかの解決要素を選択できるように準備すること。
12.何事も明るくふるまうことで、お客の「意欲・感動・希望」を受け入れる姿勢を、組織として保つこと。
13.人間に対して、(信用は異なる)心からの信頼感を持つこと。買い手の焦りを取り除くことに集中すること。
ここに示した13個のルールは、「失われた10年×2回」の時期には、およそは確立されていた。ところが当時は、商品の固有価値といった概念が確立されていなかったために、残念ながらこれらのルールは曖昧なものであった。しかしながら、曖昧ながらも導入した個別企業では、とても販売(収益性)向上につながっていたのである。だが当時その一方で、いわゆる「サービス産業?」として華やかに紹介されていた、スーパーマーケット、外食チェーンなどの実態といえば、「サービスレス(serviceless)」であった。すなわち、商品を選抜・運搬するサービスは客自らが行う、低価格の飲料は客自らが取りに行くといったわけで、店舗側のサービスが省かれたのである。小分けやパック詰めは商店街でも行われていたし、むしろ数量や販売量におけるサービスレスであった。さらに、ICT機器の普及で、ますます製造・提供者側の「サービスレス(service-less)」は進行している。
詳しくは、こちらのURL
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/244


(参考:研究)手法や装置ではなく、マーケティングの兆しの発見
詳しくは、こちらのURL
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159


§マイナンバー制度の関連情報
具体的なニュースは、なぜか本当に入ってこない。だが、当社(関西方面)その他を集約してみると次の通りとなる。
1.極めて相当の中小企業は、実際にはマイナンバーを集めていない。
2.大手企業にしても、集めたところで、保管するにすぎない現状のようだ。
3.税や雇用保険は、マイナンバーがなくとも、従来通り受け付けをしている。
4.マイナンバーの紛失は、相当の企業で発生しているとみてよい。
5.書留郵送しても、受け取っていないという会社まで発生しているとの報道。
6.個人情報保護委員会は、漏洩しても連絡義務はないから、実態不明と説明。
7.管轄の内閣府は、不正使用が明確でない限り、番号変更はないと説明。
8.個人番号カードは、発行元のコンピュータートラブルで、発行に大幅遅れ。(約1019万枚申請のうち227枚の交付)
9.同じくトラブルで、そのうちカードのICチップにデータ無効が続出。
10.その他の情報は、次のFacebookにも集計されています。
https://www.facebook.com/groups/1427689764203835/

2016/03/08

第167号:実践現実に裏打ちされた個別企業の豊かさの道

<コンテンツ>
100年来の世界的信用経済の崩壊の後には
次の経済危機には、重層下請による危機対策は逆効果!
調査とか統計などは、本来変革者の、御箱であった。
次代の経済で、イニシアチブを発揮するには
スクラップとリサイクルの経済から脱却経営
単に文明基礎商品をスクラップ&リサイクルする毎日がために、
衰退する事業、その理由の的をついてみる!
やはりポジティブに、ポジティブに生きる法則は見つかっている
変質した科学を、最も好む人達は
マイナンバーの関連情報


§100年来の世界的信用経済の崩壊の後には
実際には、誰が、どのような経済手法の持ち主がイニシアチブをとるだろうか。
そのイニシアチブを発揮する人物たちが、個別企業の経営に携われば、毎日の周囲が豊かに幸せになることはもちろん、経営収支は満たされるのである。それは理想ではなく実践現実であることが今月のテーマである。そのイニシアチブを発揮する人物は、経済崩壊の後に湧いて出てくるのではなく、崩壊する前に存在している人物なのである。
大手マスコミや官僚主義者たちは、烏合の衆が在っての地位と権力と名誉であるから、烏合の衆が納得しやすい信用経済(投資、借入金、マーケティング?)から、烏合の衆が忌み嫌う通貨危機や公定歩合(マイナス金利?)などの話を持ち出すのである。近年は、世界的信用経済を操ろうと、各国は統計データを歪めて発表し始めた。とりわけ中国は元より統計数値や経済成長率の根拠が疑わしい。このように持ち出された理屈やDATAは、必ずと言っていいほど、真実の「良いトコ取り」であり、論理構成は「変質した科学」である。大手マスコミに翻弄され、官僚の政策に汚染されて、誘引された挙げ句、弄ばれ、「いい様に扱われる」だけである。
さて、それを順次に説明することとする。混乱の時期であるから、インフォメーションよりもインテリジェンスが極めて重要なのである。個別企業の豊かさや成長の法則にも触れる。


§次の経済危機には、重層下請による危機対策は逆効果!
信用経済の崩壊とは、企業や個人が借り入れをして投資をしたところで実りはないといった現象である。2008年:リーマンショックのような危機となれば、一挙に金融機能が止まることから、製造停止・下請発注停止・非正規労働者解雇に走り出す。何とかそれを、ゆっくりと・目減りさせるか?のように・社会問題化しない範囲でショックを避けようとするけれど、それでは経済や個別企業の経営は上向くはずはない。
厚生労働省は、現在=労働市場政策全体を見直すプランを作成中で、本年5~6月までに数年間を見越した政策を打ち出そうとしている。そして、労働時間の正確な把握、割増賃金の格差是正、有給休暇取得などの課題で「働き方の見直し」につながるような動きを、旧労働省手法=法施行前の実態形成の方法で着手している。
早速出された、厚生労働省大臣官房審議官(労災・賃金担当)は平成28年2月12日 労災発0212第1号「労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について」は、大臣官房審議官(労災・賃金担当)として、労働行政全般・労働基準行政も含め、労働基準監督官との連携で労働時間把握の徹底、マイナンバーは請求人任意の扱い(個人番号なし、住民票なし)など、下請業者や非正規労働者を意識しての問題点と対応策を全国に指示した。
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T160303K0060.pdf
社会保険は、昨年10月以降から、およそ100人未満の中小企業に対する、事実上の社会保険加入猶予措置政策を取りやめて、税務情報と連携するなどして、今年の1月から一斉に該当事業所の調査を始めている。下請業者の非正規労働者は、フルタイムで働いていたとしても社会保険に加入していない実態が多いのだが、年金事務所の調査で、氏名の名指しなどして、次々と社会保険の加入を促進させている。国税庁の徴税施行官との連携や事業主の刑事告訴も進めようとしている。下請発注することにより成し遂げていた製造元の社会保険料の実質負担軽減を、困難な状況にしようと行政機関は動いている。労働者派遣法の改正で、偽装請負業に流れるところへ、この社会保険加入調査でもって、偽装請負業者の利益源泉が次々と無くなっているのである。すなわち、戦前からの日本経済慣習かのように思われてきた、重層下請による経営危機対策では効果が期待できないということである。
2008年、リーマンショックの際に行われた整理解雇の訴訟事件は、次々と大手企業側の敗北に終わった。それは、裁判所の判例法理が事実上は整理解雇の「四要件」説が確立しているにもかかわらず、ほんの一部の経営側弁護士事務所の主張した「四要素」説に、耳ざわりよく飛びついたから企業側が敗北したという結果だ。ある弁護士事務所所長の口癖は、「裁判をやってみなければわからない」であったが、これに誘引された人事担当者の末路でもあったのだ。とりわけ、期間労働者(有期雇用)の場合は、正社員労働者に対する臨時採用であるから、30日前の解雇通知は無効であり、「期間満了まで雇用する義務がある」とした仮処分決定が続出した。その後に、労働契約法が改正され、形式的に期間雇用が繰り返されれば無期雇用に扱われることなった。それは、リーマンショックの時と同様のリストラ方法は、法律上には無理があり、強行すれば損害賠償事件の続出につながるということである。
要するに、重層下請とかリーマンショックの経験から、「学んだつもり?」程度であれば、考えることも成すこともが、個別企業の墓穴を掘っているだけなのである。その程度では、墓穴を掘るスピードが速いか遅いかのテクニックだけである。そんな程度に対する経営環境は、すでに、労働市場政策、社会保険政策、そして労働法制まで変更されているのである。
ではどうすれば良いかを、順次に解説していく。


§調査とか統計などは、本来変革者の、御箱であった。
一握りの王族や皇帝のための国家や支配地域の内側では、真理や真実を隠すために官僚たちが手練手管をもって活躍した。このような政治や経済システムを打破するために変革者は、独自調査を始め、より広範囲で正確な統計を集めて、その当時の腐敗に立ち向かったのである。そして、彼らは政権の座につくと、ますます調査をもとに或は統計をもとに政策を実行していたのである。
アメリカは雇用統計の数値により、
連邦銀行の公定歩合を変動させると定め、それは現在も継続されている。だがここにきて、この雇用統計の取り方の疑惑が大いに取り沙汰されているのである。日本の雇用統計は失業率であるが、この数字をそのまま欧米の数字に使うわけにはいかず(一説には4倍化して比較する)、日銀の公定歩合には何らの関係もない。
中国の統計数値は、
近代国家としての統計である根拠が薄い。筆者からすれば、国際的な金融資産を中国国内に誘引投資させるための偽造成長率としか思えない。特に欧米の貴族たちが保有する裏金融資本向けの成長率としか思えなかった。これに対して、投機資本や大手マスコミは詐欺被害者のように当初は中国成長率に取り込まれ、今や騙されたと困惑しているとの見方が筆者の見解だ。中国経済に期待する論理は、現に上海市内の下町や工場を天安門事件前後に歩き回った経験からして、統計基盤の無い国の全く裏付けのない話だったのである。変質した科学?による偽造成長率は明らかだった。
日本政府の景気に関する調査、
例えば物価上昇率の統計ではあるが、その調査品目自体が理由をつけて入れ替えられている。大手と中小企業ともに給与は上昇傾向にあると発表されたが、非正規労働者の賃金額や総額については有効な調査がされていない。株式価格を経済指標と錯覚する人が多いものだから、政府は様々な国庫金をつぎ込んで買い支えをしている、本当は12,000台だとの説もある。そんなことよりも、日頃の食料品などの買い物、百貨店の閑散状況、地方と市街地の物価の格差などを見れば、相当に経済が落ち込み委縮していることは肌で感じることができ、豊かさも成長も見えない。実感と数値が異なるのは、それらも変質した科学?だからである。


§次代の経済で、イニシアチブを発揮するには
ほとんどの人が、徹頭徹尾に信用経済(投資、借入金、マーケティング?)の考え方や論理に、はまり込んでいる。いつしか、中学高校の学校教員までもが無意識のうちに信用経済の論理にはまり込んでいるである。なので、世間一般が、せいぜい反発心からの理屈的経済論とか経済へのグチしか着想:生み出せないのである。それも、日常の経済活動や個々人の生活にとって全く無意味な話ばかりである。こんな無意味な話を大手マスコミが取り上げるのである、視聴率や読書部数が増えると勘違いして…。
その信用経済の論理、或は豊かさをもたらしたとする論理は、歴史や実生活から見れば、極めて異様なもので人生や歴史の一瞬間でしかないのである。それは2016年1月号のメルマガで説明したとおりである。
http://soumubu1.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html#06


§スクラップとリサイクルの経済から脱却経営
これは、商品も人間も共にではあるが、労働力による文明基礎商品に生産が傾いてきた結果、経済とはスクラップとリサイクルと錯覚しているのである。およそ世界的に550年ほど前から「商品の機能や形態」で物資が流通するようになり現在に至っている。その歴史の中での、今回は信用経済衰退であり、個別企業の経営からすれば利益率低下に直結しているのである。
あなたが活躍する企業は?=スクラップ&リサイクル商品から抜け出ているのか? 
そして、企業に余力のあるうちに貴方に余力のあるうちに、
①固有文化価値商品への転換とか
②文明基礎商品を固有文化価値商品へ造り替えること
は行われるか、といった課題である。
=このポイントが、信用経済崩壊後の次代でイニシアチブ(安定成長・利益確保を伴い)を握る経営になるのである。
すなわち、
固有文化価値商品の奥底にある思想や観念(感覚を起源として)を商品に組み込めれば、どの企業でも商店でも売れ行きが好調となる。これが取り沙汰されている「売れる商品」の本質である。そのためには、そんな企業は労働全般を抱え込み投入している。決して労働の切り売りである労働力に頼る生産は行っていない。
巷に流れる信用経済の遺物としての経済論理は、多くの読者たちが確かに慣れ親しんでいるから、マスコミや新聞・週刊誌の絶好の読み物となるのである。だが、それに浸っているうちは、一喜一憂するけれど、根本的な個人生活や個別企業の豊かさ成長には何の役にも立たない。むしろ、刹那が走り=人生や経営のアキラメを助長するばかりである。


§単に文明基礎商品をスクラップ&リサイクルする毎日がために、
・限りないコストダウンによる商品劣化を起こしている事例。
・転じて海外進出をすれば商品劣化のジレンマから抜け出せると錯覚。
・経営者を先頭にアキラメが走り、唯一の楽しみが退職金や年金生活。
といった、信用経済崩壊の現代世相に漂っている状況が大半なのである。なるべく金銭的上位階層に、何とかしがみつくべく、勇気ある行動には挑戦しないで我が身を守ろうとするけれど、世界的な信用経済崩壊と日本国内の社会制度変更により、そういった身を守る術はひとたまりもない、そんな不安は付きまとうばかりである。もちろん、自律する人の少ない日本であるから、リーダーから言われない限り「危機感」など持ち合わせは全くない。
スクラップ&リサイクル商品ばかりに携わる個別企業の行き先は、スクラップであることは間違いない。
ところで、“子供”の再生産は人類史のなかで最も、
その生産に重点を置いたものである。戦後日本での子供:再生産ベビーブーム世代である団塊の世代は、学校教育の学年的には、平成28年4月1日で65歳となり、日本社会からの引退世代にカウントされている。→この部分は、スクラップの政策がとられている。
だが、今となっては考えられない過去に、信用経済システムのイメージは、借入金や投資による将来の安心を買えるとばかりに、子供の生産についても歪んだ形を取ったことがある。その一つは戦前日本での、隣組組織を行政機関に組み入れ、「産めよ増やせよ」の町内や村をあげての人口増加であった。ドイツのヒットラーユーゲントは、一大行事であった野外キャンプから帰ってきた少女の妊娠が続発、それは血統主義のなかで問題視されることはなかった。
https://goo.gl/ZQi2nR
そして現在、労働力だけを必要とするから外国人を移民させてでも、文明基礎商品の増産にあてるのであれば良いという奇抜策も官僚には根強いのである。
こういった刹那的な世相の引き金を引いているのが、あとで述べる、人目・出世・保身のために官僚が用いる「変質した科学」であり、その利害を奥に秘めている人たちなのである。


§衰退する事業、その理由の的をついてみる!
大手企業の経営とか、公共事業の経営などは、典型的に借入金や将来の利益を当てにして投資を行うから、「売れる商品」のための労働全般を抱え込み投入していない。例えば、中堅企業が起死回生を狙って、金融機関からの投資で新規事業を始めると、必ずと言っていいほど不調に終わり、借金が残るばかりであるのは、このような理由からである。国の経済成長の施策として日本でも、住宅ローンによる持ち家制度が発展をしたけれども、家を購入した庶民の現実はウサギ小屋であり転売不能の代物ばかりである。
それに比べ、固有文化価値商品は
文明基礎商品を活用はするが、そこに労働全般を投入して奥底にある思想や観念(感覚を起源として)を商品として造り変えているのである。決して何かを付加するのではなく、その意味で付加価値をつけているのではない、あくまでも、その地方の需要者なりの固有文化に合わせて生産している。そういった固有文化価値商品は、需要者に「意欲・感動・希望」を与える仕組みを奥底に秘めて(思想や観念)いるから、人々に愛(大事にする)&勇敢さを与えることで、個人・家庭・地域・国家の活力を生んでいるのである。加えて、固有文化価値商品は、買い手に育まれて価値が増殖する(文明基礎商品は価値が低減する)。
それを政府の政策として邁進させてきたのが、いわゆる北欧圏諸国である。それなりの余力のある国は、そういった固有文化価値商品の育成を文化芸術活動として促進させていると見るのが妥当だ。今の日本の場合、事実上、労働力による文明基礎商品との世論形成がされており、労働全般の投入による固有文化価値商品が日の目を見ていないのである。それは、戦前戦後を通じてアメリカをはじめとする諸外国の下請工場を担ってきたものだから、下請根性と文明基礎商品が同一概念の中に存在する。したがって、文化芸術活動の育成自体が、日本国内では違和感をもたれ、あまりにも未熟な原因である。
中小企業が元気になる!とか、地域再生・活性化!とか、こういった議論は何十年も前から行われている。その大概のものは選挙目当ての、単なるアンチ政権政策でしかない。中には学問的科学的なものも存在するのだが、経済経営理論としての法則性が成り立っていないから、経営者や経営管理部門では使い物にならないのである。


§やはりポジティブに、ポジティブに生きる法則は見つかっている
それは、心理学の上では不動の法則となっている。あとは、ポジティブになるためにどう実践するかである。およそ筆者が調べ知る限り、ポジティブに行動すれば、必然的に攻撃を受けて、自分の力だけに頼った人は沈没している、でも誰もがポジティブになってみたいとするのである。
ポジティブに生きて成功した人のケースが、次の法則なのである。
その行動パターンとは
1.物事を4~5分間は、何とかならないか!と考えている。
  粘り強く根気があるということは他人の評価、本人に自覚はない。
  瞬間的に結果を出して成功するのは、その積み重ねとの恩恵。
2.実は、物事をコツコツと考えている癖がついている。
  そこで、状況は何時か何所かで現実的に好転するチャンスを広める
3.情緒的経験の蓄積が多いから、感情コントロールの術を熟知。
  笑顔をくれる人がいたり、何でも打ち明けられる人が居たりする。
~要するに、ポジティブに言動できる癖と、それの周囲やネットワークが形成され、それらが拡大する環境を目的意識的に、その人は作り出していたのである。
人々が、持って生まれた性格だとか、その国の文化だとか、その民族の習慣とかいったものが、科学的に学問的に解明され、ICT機器により一気に世界中に広まり、科学的法則に基づき実践すると成功するものだから、さらに拡散していくというものである。
それは、何のために生きるか、誰のため生きるかといった設問に対する「幸せ実感」の進捗過程とも共通するのだ。現代では、「誰しも人間は自分のために生きる」との回答が自律させないための論理(レトリック)ではないかとの疑いを肌で解っている時代なのである。
= 「幸せ実感」の進捗過程とは =(総務部メルマガ 2016年1月号)
1st.まるで思想や観念による希望が叶ったかのように、次々と可能である言動を振る舞うことで、個々人で幸せを感じ取ることである。
2nd.その幸せを感じ取る言動は、「心mind と 気持ちspirit 」の観念を帯びながらも、周囲の状況を整えてゆくこととなる。
3rd.但し、物理的に不可能なはずの言動や投資に走る者には、再び未成年教育が必要となる。
4th.その個人の人生が芸術的なのではなく、人は芸術作品に登場する人物のように生きると言う方が正解である。
5th.そこでは、自由・個人・民主主義の伝統文化が発展して、「共通目的の交際associate 創始authority 社会共同体society を根底にした、観念や感覚分野の固有文化価値を見いだす秩序の志向でもある。
加えて、こういったポジティブ行動とか幸せの実感といった分野にも、最新の科学は数々のアプローチを行なっている。頭脳のどの部分が作用しているのか、どういった成分が作用しているのかが解明されているのだ。意欲向上には血中ナトリウム濃度と血圧の関係、感動は中脳のドーパミン作動、希望は前頭葉の血流と代謝といった、研究が次々と発表されつつあるのだ。
『脳は創造する』新風書房 2013/08/30
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemgenre/zuiso/1575/


§変質した科学を、最も好む人達は
人目を引いて→出世をして→保身にこだわる=官僚主義者たちに多いのである。官僚とは本来奴隷身分であって古代から存在しているが、様相を一変したのは第一世界大戦後から、人目・出世・保身のために都合のよい政治家や政府に協力し、後先考えずに幻想を振りまき、挙げ句は失敗するが、保身で生きようとする一種の奴隷思考の持ち主である。それは、ドイツの人のヒットラー政権、日本の軍国主義官僚などが果たした役割の学問的研究で明らかにされている。
そういった「変質した科学」を官僚たちが用い始めると、大学などの教授採用やポストをめぐって、変質した科学を売り込む学者が急増したのであった。烏合の衆は、大学名と教授ポストを盲信するから、これを大手マスコミは大いに利用して部数や視聴率を高めようとするのである。
さて、その特徴を検討してみれば、あなたの周囲の人材が、実力者か否かが判る。
(1)変質した科学は知識偏重になっている、科学で解明できるものは限られているにもかかわらず、解明できていない“心の作用”とか“もっと広い感情認識”といった「知」の存在を彼らは無視するから、実践的でなく、理屈的なのである。その原因は、彼らが、知識や知恵を客観的証拠にのみに頼り収斂するものだから、知識固定化を導くことになるのである。
(2)実に彼らは、二流の学者、二流の官僚主義であるから、その学習研究歴や科学的センスをさておいたとしても、人目を引いて→出世をして→保身にこだわるための実力だけは=人一倍である。だから普通の人は口では勝てず、心理的に負けてしまうのである。だから彼らは、江戸時代からの伝統ある日本の官僚主義に寄り添って生きようとするのである。さらに彼らは、知識偏重であるばかりでなく、物事を敵か見方か、上か下か、右か左かといった二元論でしか、実は論理を組み立てられないのである。学問的な文献の奥底は理解できない且つ中高年になれば記憶力や読解力の衰退・喪失とともに、我が身の保身に邁進する傾向が強い。そのためパワハラ、セクハラ、DV加害者に行きつく者も少なくない。経済学で有名な、ジョン・スチュアート・ミルは、その著書(『ミル自伝』1873年)の中で、物事は分析・論証・推論ばかりでは成り立っていないと説明しているのだが、今のマスコミや官僚にもてはやされている学者たちは、ジョン・スチュアート・ミルを本当に学んだのであろうかと疑問を抱かざるを得ない。
http://www.msz.co.jp/book/detail/08078.html
(3)確かに、近代裁判制度は客観的事実や事実関係に裏付けのある合理的論理構成を形成することで、過去に起こった犯罪や紛争を決着する手法としてはきわめて有効である。しかし、知識偏重主義者には、事実を持ち出しても、事実関係を論じようとしない傾向が強い。また、論理構成の裏付けであるはずの証拠が、いつの間にか理屈(理由めいたスキャンダル)に躍り出ていて、肝心の「合理一貫性&事実一致性」が形成されていない。これは、“証拠だ!証拠だ!”と騒いで、事を押し切るろうとする人たちである。


§マイナンバーの関連情報
1.裁判所する書類には、マイナンバーを記載しないこと、記載がある場合にはマスキングすることを指示した。マイナンバーの番号自体が争点となるのは極めて異例なケースであり、裁判所はマイナンバーの記載を全面的に止めたことになる。
裁判所の手続における個人番号(マイナンバー)の取扱い
http://www.courts.go.jp/saiban/mynunber_ryuuiten/index.html

2.厚生労働省は、医療や介護の分野では、今のマイナンバーを使用しないこととした。別途に本人には分からない番号を振ることで医療分野の情報の利便性を高めようとしているとのこと。医療保険、医療・ 介護現場での方向がハッキリし、事実上のマイナンバー制度からの離脱を開始。マイナンバー制度で導入された通信機器は活用するとしたが、マイナンバーそのものは使わないとした。(ところが、別個の独自情報システムを組み立て設置するとしている)。 なお、年金制度 は、マイナンバーがなくとも運営されており、健康保険についてもマイナンバー自体が不要となるから、個別企業での個人番号取得は、同じく無意味となるだろう。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/021500485/?ST=govtech&P=1&rt=nocnt

3.厚生労働省大臣官房審議官(労災・賃金担当)は平成28年2月12日労災発0212第1号「労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について」を示した。これは、担当する主幹セクションではなく、官房審議官(労災・賃金担当)としての、労働行政全般・労働基準行政も含めたものである。
労働基準監督官との連携や労働時間把握の徹底、マイナンバーは請求人任意の扱いとし個人番号がなくとも補償や年金併給調整も行うこととしている。
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T160303K0060.pdf

4.雇用保険手続きでの マイナンバー状況。
個人番号を空白で届けても、安定所窓口は何も言わない。新規の適用事業所を届けても、個人番号空白でも何も無く受け付ける。後で届けられる用紙はくれるが、出せとも何時までにとも指示はない。改めて、記載出来ない・しない場合の書き方を公表するが使うこともない状況。
念のために、「個人番号登録・変更届出書」の様式への記載例。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/mynum-touroku.html

5.本年1月1日からのマイナンバー施行がされてはいるが…。
次々と個人番号がなくとも手続きを済ませる任意制度として扱われている。ただ、これが法律本来の姿であり、国税庁など一部の行政機関が、「(所得税に)必要」と言っているにすぎない。法律上は、まったく誰にも、権利義務がないのである。
”社会保障と税のため”のマイナンバーだとの触れ込みだったが、国民個々人の拒否権行使より先に、厚生労働省は現実対応としてマイナンバー不要と踏み切った。特に医療や介護では、今回のマイナンバーを使用しないこととなった。認知症患者の個人番号が必要な場合は、市町村担当部署が記入することで、本人や周辺介護者も取り扱わないことになっている。
雇用保険の手続き、労災保険の手続きなど、労働関係においてもマイナンバーの必要性がないとして、個人番号の無記載届出や請求を受け付けることにするとの通達が改めて出されている。
個別企業においても、マイナンバーを集めなくても、いずれの行政機関も従前どおりの扱いをしてくれるから、何の為に安全管理措置をとり、個人番号の厳重保管をしているのが無意味な状況に陥っている。ことに、従業員の扶養家族の場合、認知症や16歳未満の場合に、本人からの個人番号提供の同意が取れないとか任意提供はされないのだから、来年からの所得税源泉徴収事務や健康保険扶養家族の事務は慎重に行わなければならない。