2016/02/09

第166号:極めて危険な経済状況で=どうやって選択と集中をするのか

<コンテンツ>
選択と集中は、知識ではなく、知恵と決断力だ
未だ中世の世間体を引きずる日本の構造
その「批判しない、ものを考えない」体質を定着させる手法とは
封建時代の世間体を温存して:女性進出など、所詮無理
すなわち、女性労働力を活用できれば、結果として
知能指数をアップする=話としては簡単なこと
いつの間にか、健康保険を国営生命保険に払い下げ?


§選択と集中は、知識ではなく、知恵と決断力だ
知識を求めWebや新聞を、さ迷い見ても無駄な時間だ。
さ迷う者の判断基準は、学歴を問わず、ほぼ小学生並の二元論でしかない。
およそ100年来の信用をベースにした経済構造は危機を迎えている。
マイナス金利まで現れる状況だが、マイナス金利に税金を投入するから、実際に実害を受ける金融機関は皆無である。だが、それだけ誰もが事業融資の資金を必要としない経済的危機状況だという現実だ。今年の年初、日銀の黒田総裁は「物価上昇2%は可能だ。が、相当の副作用が出る」と居直っていた。そこに、アメリカから頼まれたのか、マイナス金利を発表したため、今日2月9日は債券市場の長期金利までマイナスとなった。
日本の官僚たちは戦前戦後にわたり、
社会主義経済を真似て計画経済を進めてきた。だが、文明基礎商品一辺倒となってしまえば、日本製品の需要はなくなってしまうことは当然だ。個別企業は経営が空回りするだけでは、誰も投資はしない・借入金も減らす自衛策をとる。加えて余分な資産は換金して暴落損を防ごうとする。その国の社会政策とか社会保障が崩れてくれば、意味なく利益率の悪い事業に携わってきたとしても、これから個別企業は撤退する。これで信用経済の構造は一挙に足元から崩れる。
誰もが、そういった事態だとの認識が大切であり、それを、あなたの個別企業で具体的作業をしている全員に徹底することで、初めて個別企業としての個別企業や個人の、
「そこでのエネルギー投入先の選択と、限りあるエネルギーの集中投入」
となるのである。ことさら視野の狭い作業が毎日の仕事だと勘違いして、大局を見る視点を拒絶する人たちが大半ではあるが、その人たちが「お払い箱」となるのは間違いない。経営者も労働者も、共に心中して「お払い箱になる」といったこと、それ、は自殺行為・罪悪の典型である。
固有文化価値商品であれば、
&極力:日本円通貨に換金することを避けて経営を行えば、経済危機のショック状態(経済恐慌)が訪れても、個別企業は耐え得ることができるし、それまで準備した固有文化価値商品や円通貨外決済の経済関係を飛躍させるチャンスも到来するのである。大型投資→経営成長は、中国の様を見れば失敗や借金を招来することは誰にでもわかることだ。
経済の豊かさや成長があってこその社会なのにも関わらず、多くの人が不必要としているマイナンバーは、個別企業の収支や個人の家計を身近なマイナス方向に直撃する。規制緩和と言いながら、実に税収や国民管理は一段と規制をかける、その手段がマイナンバーである。国破れても官僚あり…←これに抵抗せずして、個別企業や個人生活の安全安心はあり得ない。
その決断力とは、「勇敢さと愛」である、これこそが“人が命を生きる”機動力だ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/26
その愛とは、大和言葉に概念がなかったから、その昔はラテン語のアモルを「お大事にすること」と翻訳した概念である。愛の漢字は当て字である。知識偏重に陥ると、「愛」が当て字なのに漢語や古代意味を持ち出す輩により、意味を混乱させられている。現在中国語の愛とは異なる概念だ。


§未だ中世の世間体を引きずる日本の構造
日本の社会構造の基盤は、江戸幕府の官僚が作り上げた物といって、ある意味では過言ではない。
その大方は徳川家康から始まり、封建制度の近代版(制度的しきたりを重んじるという手法)である。中世:戦国時代の重要な戦利品であった奴隷制度や捕虜の慣習を、世界に先駆けて廃止して奉公人制度を作ったのは江戸幕府である。ただし、そのきっかけは外様大名の奴隷労働力を剥ぎ取ることが目的だった。だから、実態には底辺貧困層には奴隷制度が内在した。
も一つは、士農工商のすべての身分に渡って、「批判をしない、ものを考えさせない」体質を定着させた。
★1:表向きの制度的しきたりと、その内部の実態での過去を温存
★2:すべての身分に渡って「批判をしない、ものを考えない」体質を定着
この二つは、明治政府においても、江戸幕府の大名家を華族身分に扱い、政権運営に抱え込むことによって、多くの学術で示される表現をすれば、“封建的風土を引き継ぐ”、根本的基盤の役割を果たした。
★1とは
法律の面でも、経済政策の面でも、表向きは欧米から取り入れた形をとりながらも、根幹部分で社会共同体とは縁遠いシステム(世間体)を組み入れた。当時の伊藤博文はじめとする官僚たちは、とりあえず制度を作った後で改善しようと本気で考えたようであるが、そこは欧米に比べて所詮素人であったから見事に失敗(改善できずに封建制や世間体が強まった結果)となっている。社会の語源はギリシャ語の戦時同盟であり、社会(共同体)とは、封建地代の世間体の縛りを外して、自由を得るための制度であり・そのために平等を併せて重んじた。自由平等を恒久的な制度とするために民主主義の手法を取り入れたのが17世紀以後の自由・平等・民主主義の理念である。その後、20世紀に入り、ヒトラー独裁やソ連や日本の全体主義を復活させない制度として登場したのが、人権の中でも多数決にかかわらず独立している基本的人権の制度と、時代は発展しているのである。
★2とは
物事を成し遂げたり創造する場合にあって、
一番最初のステップは、
良い意味でも悪い意味でも「批判をする」言動である。
第二のステップは、
不満や文句とは異なる方向に、どうしたら良いかを思索(思い)することである。
徳川家康は、かろうじて獲得した江戸幕府であったから、士農工商の政治経済全般に渡って、とにかく「批判しない、ものを考えない」人間を、各身分にそれぞれ造り上げて、徳川家と幕府の維持にエネルギーを集中したのである。お家とりつぶしとか、暗殺(テロ)や敵討ちを背景にした洗脳教育でもあった。
これによって日本は、それまでの戦国時代にあっては、大いにもてはやされたにもかかわらず、日本文化から、「内部からの自己改革とか実行力・創造力の基盤」が、欠落した歴史となったのだ。もちろん明治政府も、文明開化と言いながらも、この「批判をしない・ものを考えない」制度構造を変革することもせずに、政権延命を図ったため、いわゆる官僚たちに牛耳られ、官僚たちは、「批判しない、ものを考えない」体質を引き継いで利用することとした。


§その「批判しない、ものを考えない」体質を定着させる手法とは
足を引っ張る社会制度によって、日本の経済が先進国に差を付けられている。
すなわち、良い意味での批判をもせず、ものをも考えず、不満や文句程度をつぶやいている程度だから、世界的にも経済を牽引する能力が、さまざまな分野で育たないのである。
その「批判をしない、ものを考えない」体質を作り上げたのは、江戸幕府の官僚たちであり、徳川家康が三つの柱として徹底したものだ。その柱の三つとは、
1.生活は、貧しくさせておくこと。
  (貧品すれば鈍する、豊かさを実感させない、哲学の貧困、信仰の貧困も然り)
2.知性は、乏しくさせておくこと。
  (感覚により得られた素材を、整理・統一させず、認識には至らせない)
3.性は、制度的に抑圧しておくこと。
  (男女関係を制限、男女ではなく家に嫁ぐ、男女関係を出産子育に制限)
この三つの柱から、ハミ出した者とか集団は、経済・思想・宗教もろとも排除してしまったのである。
長い期間の鎖国制度と言われるが、文明や技術に関する情報は、江戸幕府は相当程度入手していた。鹿児島の島津、加賀藩の前田、仙台の伊達といった外様大名たちも、各々が海外情報を得ていたのである。
ところが、情報が入ったとしても、その活用ができない世間体であり、システムが世間体による運用だったから、物事を成し遂げたり創造する人たちは育成されず、早期にその芽を摘まれ、実行すれば空け者(うつけもの)扱いされたのである。
この傾向は、またもや日本の現代社会に、実態としてはびこっている。大手企業になるほど世間体による、その情報運用と空け者(うつけもの)扱いが激しくなっている。生半可なサラリーマン経営者では、これを阻止する能力も意欲もない。
ただし世間体を阻止する能力は、社会を制度的に変革する視点を保有しているだけで自ずと発揮できるし、足を引っ張られることは、中堅中小企業でも十分阻止できるのだが……。


§封建時代の世間体を温存して:女性進出など、所詮無理
官僚たちや大学などの学者で居続けたい人たちは、あまりにも女性の社会や労働分野での現実を見ずに知らなさすぎる。アメリカの格差社会にも及ばない:極東アジア地域の低生産性構造が残るだけである。
“人類の最も重要な再生産活動は、子供を産み育てることである”
現在日本の経済や社会政策は、偏った情報や施策の一方的PRばかりである。大手マスコミや新聞は、商売第一に、こういったPRを担う戦略=官僚主義的である。
A 官僚たちの着想は、現行制度と自らの保身を源に変質するばかり、
B 文明基礎商品の「スクラップ&リサイクル」の前例型着想力しか持ち合わせがない
ことに尽きる。先月号の“総務部メルマガ”で紹介したように、世界を見据えての社会や経済を打破することを考えもせず、固有文化価値商品が世界経済の先進国商品の主軸になっていることすら気が付かない。経済的豊かさと成長がなければ、多くの女性が社会進出することがない。戦前の日本やドイツのような、「産めよ増やせよ」のごとくの人口増加政策は、いくらなんでも採れない。
読者の多くがびっくりするだろうが、
少子化問題解決、女性の社会進出、労働市場進出、頭脳教育水準の向上といった、日本国内で難問とされている課題を、次々と解決方向にも使わせている先進国は、性について制度的抑圧を排除している。おそらく、無秩序無政府を好まない教育や人間関係の基盤の上に、性的関係を開花しようとするから、おのずと、行動が勇敢になるものと考えられる。よって、家族関係も抑圧的人間関係を排除し、正常な豊かさを求めるとの理念に落ち着くのであるようだ。
それは、女性経営者や議員数の何パーセントだとかの、ことさら結果論を強調するものではない。「女性らしさ」が直ちに経済の豊かさや成長を個別企業に与えてくれるわけではない。女性を登用したからといって=物事の成功には結びつかない。
反面、日本では、今でも多くの企業で、「お局(オツボネ)」が、重要ポストを仕切っており、部下の女性を恣意的に扱い、パワハラ&退職に追い込む行為は、日常茶飯事である。だから表面的な女性進出は、時代劇の“大奥”そのものの再来を個別企業に求めるようなものである。そして、根本的には、個別企業ごとに手を入れなければ解決しない、それは経営全般の課題なのである。


§すなわち、女性労働力を活用できれば、結果として
需要予測→商品開発→流通経路→販売回収=事業運営の整合性は、円滑にはかれるだろう。
だがそこには、性の制度的抑圧を排除+年齢差別排除を、個別企業ごとにも必要とする。
そういった個別企業の努力やハードルを、国や地域として下支えしたりハードルを下げることが、必要なのである。
経済先進国の多くは、婚姻制度で、事実上女性が縛られることを阻止している。
別姓選択・子育て・家庭形成・相続制度、何より18歳で子供が独立できる社会制度が基盤となっている。3年継続同居でもって家族として認められる。だからこそ、個別企業は自由に、有能な女性を確保するチャンスに恵まれるのである。女性の社会進出と称して、別姓選択、高年齢女性雇用の優先、育児休業保障=業務の整理透明度と分担、事業所内保育所設置といったことを進める方が、世界経済を相手にする対応力が個別企業内に蓄積されるからである。
夫婦別姓選択禁止、保育所設置、育児休業手当の不備、高年齢女性雇用の無関心といった、日本の政策の現状は、女性をさらに抑圧と貧困に追い込んで、それが企業経営?を成り立たせようとする方式に悪用される。“女性のしとやかさ”を強調するには、極東アジア地域の特徴である女性差別打破との、同一人物による両輪言動が必要なのである。現代は、感覚的に耳ざわりの良いことを話さない限りだれも相手にしない時代であり、その人物を見抜くには周辺人物と人間関係を診れば、直ちに人物判断される。
世界的に激動する時代:個別企業が、
事業の維持と豊かさを保つには、
ハ虫類的思考の社員は排除し、事業所内の思考習慣を一気に変化させてしまう方が簡単である。DV被害女性の保護施設を作ったところで、DV加害者の思考習慣(他人を、敵味方か上下関係にしか理解できないハ虫類的思考)を矯正する社会教育が必要なのである。
すなわち、日本の社会全体の変革を持っていれば、個別企業は経営や事業を収縮されるからである。


§知能指数をアップする=話としては簡単なこと
そもそも知能指数のテストとは、その同学年の中での偏差値であり、世界的には130以上が天才、75以下が問題児と、とりあえず意味もよくわからず決められている。これを開発した人に言わせれば、80未満を見抜くだけのテストであり、80以上の成績はその日その場の環境や本人の意欲で、10~20を超えて大変動するとのことである。アメリカでは概ね、70以下は障害児との扱いをするところが多いようだ。
だから、学年差や年齢差で比較をすれば、どこの国や地域でも若年層の方が知能指数が高いと言われている。
民族や家庭内とか、学校教育での思考習慣が指数を上昇させるとし
1.物事を分類すること、分析すること……区分・分析思考
2.論理を使って抽象概念を扱う……………論理的思考
3.仮定を真剣に受け止めること……………仮定や推論思考
の三つのポイントだと言われている。
(『なぜ人類のIQは上がり続けているのか』http://goo.gl/35RC75
しかし、決定的なことは、知能は向上したが、知性は低下したとの結果を防ぎきれないとのことである。すなわち、古い世代の人々は、常に自分の経験や自分の周囲の現実に即して考える習慣があり、仮定や推論=思考実験によって道徳を考えるといったような手法は不得意なのである。
「イノベーション能力のおかげで、暗記に頼らず、問題理解ができることとなり、自発的に勉強するようになる」と、フィンランドの家庭では、そう考えている人が多いといった研究も報告されている。確かに北欧全般やドイツあたりでは、先ほどの思考習慣を少年期の家庭において、身につけさせているケースがよく見られる。その上での学校教育を行っているので、子供の教育を学校に丸投げしたり、成績を塾に押しつけたりする無責任な親はいない。
労働時間が少なく=労働効率と生産性が高いことが北欧諸国やドイツ(フランスは似ているが異なる)での特徴であり……労働効率の悪い日本が人海戦術でGDPを維持している内実とは大違いなのである。
加えて、経済的家計的余裕ができたとしても、家庭内での思考習慣を身につけることができなければ、私学や有名塾、家庭教師を付けたところで無意味なのである。経済的貧困=教育の落ちこぼれだ!と短絡的に考える教育関係者は皆無なのであるが、事:社会運動家と言われる人たちの多くは、この短絡的(経済的貧困=教育の落ちこぼれ)解決策で、人目を引いて支持を得ようとするのである。


§いつの間にか、健康保険を国営生命保険に払い下げ?
厚生労働省は社会保障政策の柱となっている健康保険制度を、現在の法律に反して国営生命保険に変質させようとしている。法律では、日本国内で生活し働く人には、いかなる境遇にあろうとも健康保険を適用し、健康回復の具体的手段としてきた。にもかかわらず、1年前あたりから住民票に記載がなければ健康保険の資格を与えない。個人単位の保険ではなく日本国内の国民全体向けの、社会基盤確保のための社会保障の手段である保険制度を、変質させようとしている。
「法律違反だ」と年金事務所などに問い詰めると、あいまいな言い訳が帰ってくるだけで、決して合法的だとは回答しない。
こういった人たちを、画一的労働力ではないとして、社会保障の枠外に追いやってしまえば、生活保護予備軍が増加するだけである。母子家庭、DVやストーカー被害者、借金に追われる者、そのほか些細な理屈で差別された人たちである。人手不足の折に、あえて安定した雇用基盤を厚生労働省自体がなくしているのである。そもそも雑な労働者を国内に抱えておれば、個別企業の安定経営基盤となる安定労働の確保に手間暇と財源がかかることになる。
厚労省Webに掲載する、その理由の一つは、「宙に浮いた年金」をなくすると説明する。ところが、宙に浮いておれば年金給付は生じない、だから相当数の基礎年金番号は浮いているが、すべて支払い予定のない=プラス財源なのだ。
国民に分からないように健康保険を安値で民間に払い下げるとの危惧は、当然のこととなる。
“ゆうちょ銀行”や“ケンポ生命”ってな具合で、国の財産を特定民間に払いされる危惧だ。