2016/08/09

第172号:経済戦争で敗退し続ける日本、でも閉塞してはいない

<コンテンツ>
経済戦争で敗退し続ける日本
人物面での登用失敗が、経済の決定的失敗!
経済危機でも、衣食住にかかわる加工産業は旺盛
だぶついた金融資産が向かいつつある:太陽光発電への投資
   #そこには太陽光発電が広まらない主な原因が2つあった。
   #総じて、地域経済のエネルギーに関するインフラ整備には、
個別企業の経済崩壊を招く=危険な制度!
   ・ビッグデータの本質とは:
   ・マイナンバーの目標とは:
   ・安易なストレスチェック実施は、個別企業の組織崩壊に至る!


§経済戦争で敗退し続ける日本
今日ますます、日本の経済は落ち込み、民間経済は下降の一途である。
大手企業も海外進出をしたとしても好調であるはずがない。なので、利益確保のために、従来は中堅中小企業の分野であった産業や業種にまで進出せざるを得ず、大手企業の多くの事業開発といえば中堅中小企業の仕事を横取りするだけといった体たらく!である。
貧困層は増加しつづけ、生活のために売春などに走らざるを得ない青年男女は後を絶たない。シングルマザーの生活苦、大学生の奨学金返済、DVなどから避難の一人暮らしが、ブラック:バイトや売春を増加させている構造である。経済基盤である個々の家庭(時代の変遷とともに充実するべきでもの)が、それがまとまる社会共同体が、次々と破壊をされているのである。そう、経済の土台から崩れているのである。
昨年秋から官民ともに、民間の事業展開や内需経済発展を促そうとしない経済政策ばかりである。
次々と耳ざわりの良い「掛け声話」が、思いつきのように浮かび沈むだけである。持ち出す数字はカラクリばかりで具体策がなく、大きな話がすべて数年先着手の物語ばかりだ。だぶついている民間資金を誘発する仕組みにもなっていない。ただタックスイーター(税食い虫)が、その話に群がるばかりである。それもこれも選挙目当ての話ばかりで、とにかく実効性がない。加えてその中身は、ヒットラーや社会主義国の経済政策を真似したプロパガンダであって、万が一実現したならば、とてつもなく恐ろしい経済破壊体制なのである。
いわゆる地方は、小選挙区制議員の選出受け皿であるから、経済政策とは無縁にならざるを得ない。まして、経済政策の行政単位は都道府県である現行行政制度が存在するから、もとより国の政策システムと議員の活躍は、調和とか整合することにはならない。都市部では、本質がタックスイーター(税食い虫)である輩が、組織力とか掛声で国会議員になっている。そういった国会議員や業界団体や圧力団体の顔色をうかがって、持ち込まれた話に乗せられて、官民の官僚たちが政策を作っている姿が目白押しなのである。官僚主義者のいくら「頭脳明晰?」な頭を絞ってみたところで、官民ともに事業や政策が上滑りするのは当たり前である。
それをまた、狭視野の近視眼でもって政府発表するものだから、失敗の連続は必然なのである。論評する人たちも、それをネタに名前を売り込みたい一心であるから、どうしても論評の的がぼやけてしまう。これらに対しては、あまりにも非科学的であり非論理的であるから、まともな学者もアカデミックな学者も相手にはしない。とはいっても、しょせん学者に批判されても、彼らは無神経無学識だから理解できないのであるが、批判されなければ、ますます調子に乗る輩である。ただし、持ち上げてくれるマスコミやゴマすり記者(ジャーナリストではない)は大好きで、昼夜を問わず嫉妬深さを満喫し浸りきっている性格である。
要するに、巷のマスコミとかネットの情報を見たとしても、
個別企業の立て直しとか経済立て直しの論議が目的ではないから、惑わされることはあっても、役に立つことがないのである。例えば、戦後日本の株式市場を見るに、「日経新聞も読んでも儲からない」とのことわざと同じなのである。(日経新聞には実に文学部出身の記者が多い)。


§人物面での登用失敗が、経済の決定的失敗!
とにかく官民ともに官僚主義者たちは、「意見の合わない奴、肌の合わない奴」を徹底排除するものだから、経済活動は失敗するのが当然である。もとより経済活動は人間が行っていることであるから、それなりに適切な人間関係を形成することは当然のことであり、だからこそ参加者も多くなり英知も集まることになるのだ。それは、アカデミックな経済学者の固執する「経済合理性」であったとしても、「意見の合わない奴、肌の合わない奴」を徹底排除しておれば、もうそれはアカデミックな経済に至るまでもなく、もちろん略奪経済にも到達しない理念である。
民間や無名の人材、下野した逸材を登用しないばかりでなく、それが事実上の排除システムとなっているから、経済を動かす人物など離れていくばかりなのである。厚生労働省のストレスチェックは、今の代物では、それを加速させる制度である。官僚主義者のもとに寄ってくる輩は地位にあぐらをかきたい出世主義、姑息な拝金主義といったものばかりで、いつ何時に事業を潰されるか分からない下克上になっている。今時の学卒者は世間を見抜いて、次のような行動パターンが現われている。
#熱いだけのベンチャーに、有能人材は付いていかない。ことに女性は愛想をつかす。
#ブラック企業とは、ポエムで洗脳して、貧困の青年男女を働かせる。
#ヒラメに出世王、そいつ以上に有能な人物は育つわけがない、寄り付かない。
………いわゆる「ゆとり世代」は、このような見抜く力をもっている。
すなわち、物事を勘違いしているのが官僚主義であったり拝金主義というわけで、事業の成功はするわけがない。


§経済危機でも、衣食住にかかわる加工産業は旺盛
人間が“活きて”いく上では、「意欲・感動・希望」がセットになった商品を要する。
食欲などの意欲だけであれば人間は“生きる”だけで、感動による衝動買いをすれば空しさが残るだけだ。すなわち、その共同体ごとの固有文化に基づく価値としての希望の部分が内在されているからこそ、安定的に大きく売り上げを確保できるかどうかの商品のカギになるのである。そうでなければ投資損になり、不良債権が残る。
  http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142
17世紀末のフランス市民革命は、資本主義の基礎を築いた時期であるが、今日にいう経済破綻の真っただ中であった。ルイ16世の財務大臣の娘であったスタール夫人は、「思想(観念)の流通は、あらゆる商業のうち最も確実に利益を生む」と革命の後に述べている。彼女はナポレオンの喧嘩友達であり、当時も哲学や経済学で活躍した人物なのだが、アカデミックな学者の顔をつぶすダントツ才能と優秀な論理展開であったから、随筆家に祭りあげられていた。だがその根本的な着想は後のフランスに大きな影響を与え、ドイツをしのぐ哲学とともにフランスの社会的経済的底力の支えとなり、現代フランスの経済圏に(その経済思考はアメリカやカナダへも伝播して)引き継がれている。…これらは、今なお日本に伝播していない部分が多い。
すなわち、スタール夫人の、「思想(観念)の流通」は、各共同体の特有の固有文化の流通となり、固有文化のこだわりとして商品流通の形をとっている。例えば、“コタツにミカンの光景”“天井から吊り下がる電燈”“素麺や餅”というのは日本独特の物で、「思想(観念)の流通」のなのである。
さて、長文論述になるから割愛するが、衣食住の固有文化商品ヒント一例をあげると、
日本料理が世界で有名(ブーム)になる本質は、次の通りである。
  http://soumubu1.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html#08


§だぶついた金融資産が向かいつつある:太陽光発電への投資
先に述べた固有文化の商品を作り出す材料は、文明基礎商品といわれる原材料である。原材料に固有文化が内在されていくのである。
ただ、この文明基礎商品は、エネルギー、穀物などの食料品とその加工品、繊維素材、住宅建材といった物であるが、それはすべて「より良いものをより安く」との思想(観念)の基に社会的制約(売惜しみによる価格つり上げ)があるから、利潤率低下低減が正義とされるから利益は見込めないのである。それを無理をするから付加価値と称するも、その実は犯罪性や経済外的強制(=詐欺的行為・暴力・武力・洗脳など)を伴っているのである。
さて経済危機に至って、高い危険をはらむ株式投資、商品取引、マンション・不動産投資に替わって、太陽光発電への投資(利回り10%超え)が伸びている。国の電力政策での自然エネルギー買い取り制度に加え、発電設備機器の技術向上と製品輸入による値下がりによって、安全な投資対象となってきたのである。アベノミクスが破綻し続ける中で、すでに始まった円高基調から益々発電設備機器の値下がりが期待されるからでもある。確かに、金融商品よりも確実に安全である。原子力発電にかかる先行投資(税金)および通常発電コスト(電気料金)を合算し考えれば安価な太陽光電力であり、原発に比べ世論の下支えも確実だ。

#そこには太陽光発電が広まらない主な原因が2つあった。
①発電設備プラント設置の技術が未熟である。
太陽光発電設備の設置技術のほとんどが、平らもしくは傾斜20度までの土地に対する技術プランしか持ち合わせがない会社が圧倒的である。加えて、投資価格つり上げのためか、草木の根を抜いての宅地造成のようなものとなり、そうなると排水設備までを必要としてしまう。太陽光発電パネル自体は軽いものだが、架台まで軽くしてしまうものだから杭の引き抜き強度を増加させるとしてスクリュー型の杭まで使用する、だが引き抜き強度が激増するわけではない。山間部の傾斜地に設置する土木技術を持つ会社は希少である、加えて山頂などの岩盤がむき出した平地は日当も良いのだが、工事費は安いにもかかわらず岩盤基礎や架台設計の知識がないのである。とはいっても土木建築一般では、そういった土木技術や架台製造技術はすでに確立している、要するに業者の発見と技能者育成だけである。強いて障害となる課題は、大手施工業者の社員が陥る、即刻:設備増強・新型機材発注・安全率向上との名目で、太陽光発電機単体の価格つり上げを招いてしまうばかりのプロジェクトである。それは熟達した土木技術からすれば未熟そのもの、ちょっと困難があれば、まるで「絆創膏を張り、ギブスをはめて図体が膨張する」といった思考=技術史の欠落ばかりである。
②広大な遊休地が有っても、伝(つて)が無い。
コンパクトといえども低圧発電プラント(約1,000㎡)が1基では採算が合わない。遊休地が集合している地域で5~20基の見通しが立たなければ、事業として成り立たない。そこには、地元の名士:有力地主の地元の取りまとめがキーポイントになる。マンション・不動産投資のような一般消費者相手に網を打ったりネットを張ったりしても、投資家は探せたとしても、土地提供や設置場所の応募は無い。土地確保の切り札は金銭ではない。地元の名士:有力地主の家系が動くのは、地元の活性とか地元の再開発スケジュールである。具体的な地域経済のエネルギーに関するインフラ整備である。そこが欠けていれば、話すら聞いてくれない。そして、地域経済を支える名士:有力地主には数百年から千年以上の歴史があるから、金銭を積んだところで土地は売ってくれない。だから賃貸が無難となる。その昔は先々を考慮して、町や村の郵便局にしても、自動車販売会社にしても、地元の名士:有力地主の伝(つて)を頼ったのである。高圧送電線の直近用地の募集チラシを地元地権者は必ず見ている、だが見るだけで信用されていない。一般民家の高齢者を狙っての悪徳詐欺的商法が広まっているが、それでもって太陽光発電が敬遠されているわけではない。
……太陽光発電のブームというけれど、様々調査しインタビューしてみると①~②のところに、発展していない原因が存在する。発電プラント設置にかかる、プラン+プロジェクト+スケジュールに曖昧さが残っている形がはっきり見える。電力会社の意地悪だとか経済産業省の抑圧が、自然エネルギーの発展阻害だとうわさされているが、決してそうではないということは事実だった。

#総じて、地域経済のエネルギーに関するインフラ整備には、
低圧発電50kW未満のコンパクトなプラント(約1,000㎡)は、近隣さでもって有用と考えられる。50kW以上の高圧発電プラント(15,000㎡以上)は、広大な敷地ばかりか送電線まで電気を送る接続連継工事に億単位の費用がかかる。(長距離送電線は風圧や地震に対する安全係数が脅かされるから、危険性や事故を防ぐ補強工事を要するといった構図)。そう考えるとやはり、長距離送電は途中での送電ロスが大きいことから、コンパクトな発電設備が重要となってくる。さらに今後は都市ガスによる局所発電もコンパクト性からすれば可能性が期待もされる。ちなみに、発明家ワットが開発した蒸気機関とは、それまで鉱山採掘などで使用されていた大型蒸気機関を、町の工場にコンパクトに設置することができ、蒸気機関の船舶、蒸気機関車(軌道での牽引のための動力車)にまでのコンパクトさを追求したエネルギー商品だったのである。
そして、蒸気機関のエネルギー伝達の道具が、ベルト(#バンド:ベルトは有名な商品名)であった。電気は電線や諸設備とともに、エネルギーでもあり動力伝達道具でもある。電気は次々と分散化され電池に至り、小電力や送電ロス低減へと更に向かいつつある。
これと違って、住宅の屋根に取り付ける太陽光発電パネルは、「思想(観念)の流通」の文化商品としてとらえざるを得ず、投資利回りは期待できず、経済的採算さえも危ぶまれる。シカゴ大学の経済研究によると、アメリカでは太陽光パネルのほとんどは道路に面して設置をされており、日陰になっている設置パネルも多いとのことだ。それは、日当りや日陰などによる発電量を考慮していない物が多いと報告している、すなわち設置した個人の、「意欲・感動・希望」がセットになった商品満足なのである。


§個別企業の経済崩壊を招く=危険な制度!
マイナンバー/ストレスチェック/ビックデータの理念
この三つの制度に共通することは、いずれも民間の情報関連産業(複数企業)が推進し、IT産業の柱にもかかわらず、そのデータの収集・保管といった煩雑かつ経費のかかる部分は、利用する側の個別企業での負担を強いられているところである。先ほど述べた、「意欲・感動・希望」がセットになった固有文化価値を内在した商品、その定着の先駆的なフランス(その経済思考はアメリカやカナダへと伝播)と合わせての着想を、これら三つの「危険な制度!」の背景として考え合わせることを推奨する。

¶ビッグデータの本質とは:
短絡的に物事の方針を具体化する裏付け資料の領域を超えない情報にすぎない。
例えば、日本の土地登記の公図は所有権を表したものであり、市町村税務課の保有する公図とは固定資産税のためのものである。この2つは情報交換を行っているとはいえ、土地の広さ、土地の方位、隣接地その他が同一ではない。その理由は土地登記が明治になって字(あざ)を設定し、持主と持主居住屋敷を特定するだけの目的であったし、市町村税務課は固定資産税徴収のためだけであったからである。もちろん土地の広さも実測値とは異なっている。すなわち、目的別に客観的合理的データを収集する科学思想においては、いくらよく似たデータであっても整合して判断しえない結果となるのである。ここに導かれた結果に対する誤解や偏見が頻発する余地がある。また、十進法での数値が同じだとしても、その事実は事実関係を構成しない。だから、事実の有無で結論をつけるのは子供だましなのである。
本来的には、いくつかの客観的合理的データを集合させたところで情報断絶の姿でしかあり得ないこととなる。有機的はおろか無機的にも集合していないのである。ことさら事業営業では有機的結びつきが決定的な情報となるのは当然だから、これでは使い物にならない。
所詮、客観的合理的に物事を見る方法は、その方法を会得する人物を大量に教育育成することができるから、過去の物事を分析するに効果(裁判所の審理方式など)はあるが、それは創造性の分野とは異なる能力でしかない。むしろ、実際に個別科学史の展開においては、客観的合理的な論理構成の上に新発見が存在したわけではない。その個別科学技術史では人間の合理的思考の特徴や傾向をみるという作業の要素が強い。
そういった事だから、ビッグデータは、戦前のドイツや日本の、似非科学に名を借りた幻想程度の役割しか果たさないのである。医療における活用であれば、個々人の生活参加の障害(疾病概念)を取り除く、基本的かつ極めて安価な薬品・ビタミン・食品類の合理的思考の特徴や傾向を、症状段階的に観ていくことでの治療が重視されつつある中で、ビッグデータは単なる傷病名定義とか高価格特効薬の開発に偏重しているばかりである。従来からの安価な薬品・ビタミン・食品類の活用に向けたビックデータといったものに対して、薬品メーカーは気乗りしない様子だし、厚生労働省は一切予算を付けない。おそらくそういった薬品メーカーや厚生労働省の思惑はビックデータでは実現しないと思われる。
すなわち、マイナンバーも、民間のポイントカードも、免許証も、クレジットカードも、くっつければ便利?になるわけがないのである。むしろ、ICT技術が進化するほどに、「統合しない方が便利になる!」といった方向こそが、科学史からすれば真っ当な判断なのである。
よって、一見したところの客観的合理的な単独事実(物事を輪切りにしたような論理で四次元五次元展開しない)に騙されてはいけない。

¶マイナンバーの目標とは:
今述べたようなビックデータの本質にマイナンバーは一切触れない。すでに個々人には、税務に関する番号、社会保険に関する番号、雇用に関する番号(ただし事業主個人にはない)、その他民間の物も加えれば、ありとあらゆる番号がついている。それぞれの目的を遂行するには、現在ある番号だけで十分であり、社会保険や雇用保険はマイナンバーに非積極的である。
市町村にあっては各の財政状況があるから、各の市町村で対策を行っている。その肝とは、実際に居住している住民サービスと住民納税であり、かつ反面、住民税取り立てによる貧困の誘発を招いてはいけないのである。市町村は、あくまで地方自治体であり、いわゆる住民サービスに責任を持つ地方団体であるから、住民の所得情報を取りまとめて逐一税務署に通知しなければならない法律とは、根本的に矛盾をきたす。すなわち、年収500万円までの者の源泉徴収票は税務署には企業からは提出されないのだが、市町村が世帯ごとにまとめた収入情報が国税:所得税に関係すれば通報しなければならないとの仕事を法律で負わされているのである。すなわち、現在でも世帯ごとの収入把握とか副収入などを市町村は把握できるが、市町村は住民にとっては必要だと思っていないから、把握しない(非課税)としているのだ。
ちなみに、話題の生活保護の不正受給も、生活保護世帯数想定計算数の0.4%程度の不正受給者割合であるから、行政遂行上では極めて少ない不正受給件数なのである、他国と比べれば日本自慢の不正率の低さかもしれない。(ちなみに、ホームレスや生活保護者は大阪市などに集中させる政策を国が採り、大阪市などへの交付金で補てんしている)。
それを、国税:所得税の徴税漏れをなんとかしたい国税庁(税務署)だけが、マイナンバーに躍起になっているにすぎない。ここに、マイナンバーが進展しない制度的欠陥が存在する。市町村も圧倒的に面従腹背の姿勢をとっているのも当然である。もとより、不公平税制だと不満をもっている人、徴税作業に不公平があるのだから、国税庁(税務署)の徴収漏れに理解を示す人は少ない。
まして、所得税にかかるマイナンバーを扱う個別企業においては、安全管理措置の完遂に自信がなければ、マイナンバー収集は個人情報保護法違反となる。マイナンバーの提出は本人同意を必要とするが、認知症の扶養家族、扶養する16歳未満の子からは同意がとれない。だから法律上回収できない、法律上の義務でもないことを社員に強いれば、強要罪となる。加えて、マイナンバーの法律では、家族の個人番号を収集保管することは出来ても、他人に提供することはできない。家族間であっても窃盗罪は成立する!にもかかわらず、この疑問に国税庁は昨年9月から未だ答える素振りを見せていない。
すなわち、マイナンバーでもってビックデータの夢を語る人がいるが、そんなものはマイナンバーの目標には入っていない。

¶安易なストレスチェック実施は、個別企業の組織崩壊に至る!
安全衛生法の求めるところは、ストレスチェックの調査票だけを配って、ストレスに配慮する機運を盛り上げるだけでよい。調査票を回収することもなければ、集団分析をすることもない。
良きにつけ悪しきにつけ、現状の組織運営には集団の責任者が必要であるから、その責任者を単なるデータだけで排斥機運を高めては、その中間管理職の退職に結びつく。その中間管理職の問題点や業績の悪さはストレスチェックをするまでもなく、とっくに個別企業では把握していることであり、その改善や具体的措置も大方の認識はされている。(認識されているからこそ、配慮義務や措置義務が実行されなかったとして会社が裁判に負けるといった図式である)。
安全衛生法では、50人以上の事業場でのストレスチェック報告義務は定めているが、配布しただけの報告でもさしつかえない。厚生労働省もストレスチェックの報告でもって是正指導に入ることがないと言っている。「ストレスチェックは大変だから実施しなくては!」と力説するのは、実施業者と社会保険労務士の一部だけである。産業医の多くは、このような曖昧かつ安易な調査票で医学的判断を下すこと自体に煩わしさを感じている。すなわち、厚生労働省の示す調査票モデルは、それなりに確立された代物とはいえないからなのだ。厚生労働省も必ずしもこの調査票で実施せよとは言っていない。すなわち、国の官僚が決めるストレスの定義、ひょっとすれば公務員にのみ通用するストレス基準かもしれないのに、どうして民間の個別企業とか個人が、(不正確にも)精神疾患だとの噂の根拠を作らなければならないか?といった危険でもあるのだ。
①確かに、同僚や集団の仕事のじゃまをする、協調性のなさや規律性のなさは存在するが、それは正常な精神の持ち主でも在りうることで、個別企業は、それに対する対策をとればよいのである(協調性規律性チェック)。
  http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/kyochosei.html
②通常、ルーチンワーク(マニュアルや標準書)とか、定型的頭脳労働(仮称:脳みそ筋肉労働かも?)といったものは、質・量・スピードを調整すれば、精神疾患に陥ることは極めて少ないといわれている。だが、企画立案、営業販売、プロジェクト、プラント設置などといった仕事ではクリエイティブさを要する。クリエイティブな仕事に没頭している時点は「うつ状態」に陥っていると脳科学の世界では言われているが、その仕事から離れると正常に戻るから疾病や傷病ではないのである。そう、仕事中に、このストレスチェックすればうつ病の判定が出る!
……この①~②の基本的なことすら、日本の企業の中では認識されていないから、実施をすれば精神疾患の噂を助長するだけの弊害しか生まれそうにない。職場ごとのチームワークは乱れる基となり、能力であっても突然に中間管理職排斥されれば崩壊する。とりわけ、職業能力がないために保身を計る、「お局」とか「高齢男女」が、ストレスチェックによる有能者排斥を試みる可能性が広まる。
どうしても今の日本の現状では、風変わりな人物を排斥し続け、異文化異習慣を排斥するものだから、個別企業の経営は閉鎖的かつ沈滞し、業績に対する組織や人間関係の維持経費がかさむことにより、累積赤字増長を招くのである。ストレスチェックも、個別企業にとっては、短絡的ビックデータであるが、今日まで培ってきた有機的な、貴方の会社の人間集団を崩壊させることになるのだ。
ここでもまるで、ヒットラーや社会主義国の思想調査や気持ち(精神)の統制が行われることになる。今も昔も、官僚主義者は、いつも民間を支配したがる。