2017/06/06

第182号:個別企業の事業再生が図れる、そのポイントとは!

<コンテンツ>
「働き方改革」での 厚労省実行計画の 個別企業に及ぼす影響
「労働契約解消金」日本再興戦略を受けて厚生労働省:検討会報告書
そこは取り急ぎ、個別企業の事業経営を浮かび上がらせる
 1st)まずは経営のチェックポイント、価値と資産を生む労働(働き方)を整理
 2nd)今や、サラ金地獄に陥ったような経済状況(金融情報資本主義の限界)
 3rd)それは、商品の生産をスキルskill(技能)にばかり頼る経済・経営が限界
 4th)日本の官僚や大手企業は、100年以上の昔のごとく
この瞬間の中堅中小企業:経営チェックポイント。
 ☆資本主義の本来的姿による経営管理のチェック項目。
  これらポイントを経営管理の通例としなかった日本
 =経営技術水準が低く実力も実力無いと、見栄張りのガンコ者になる=

労働能力の三分野、それが解れば変わる育成法
 1A.アート Art と言われるもの
 2A.パフォーマンス performance というものは何?
 3A.スキル skill(技能)これが職業能力と思われているもの
 4A.では、アートの労働全般能力、あるいはパフォーマンスの熟練労働力は、
 5A.加えて、フォーマンスやスキル(技能)は、実のところ
 6A.アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル


§「働き方改革」での 厚労省実行計画の 個別企業に及ぼす影響
政府の最大の柱とは、同一労働同一賃金&長時間労働の上限規制だとの、厚労省の認識となっている。以下、実行する監督行政部隊の方針である。
【同一労働同一賃金】の、厚生労働省の実行計画は、従来のガイドライン案を法制化する程度以上のものはない。したがって、一部には現状維持の定修正のセミナーも開催されるようになっている。それは「同一価値労働」ではない宿命にすぎないのだが。
【長時間労働の規制】は、原則月45時間以内などの現行告示を法律に格上げ罰則規定も設置程度である。
★信頼筋によると、官邸筋は経済界には会合でも発言を抑え込み、有無を言わせない姿勢との情報だ。また、多くのレクチャーでは、「実質は従来と変わらない」といった話ばかりである。
★厚労省独自の監督行政の動きは、何と言っても今年1月に公表された、「労働時間の把握」についての通達である。都道府県労働局の説明レクチャーでは、「徹底的な労働時間の監督を行う(おそらく秋以降?)」、そこで、「今から各事業所で準備をするように」、といった内容になっている。個別企業にとっては、こちらの対策が重要であることは間違いない。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html


§「労働契約解消金」日本再興戦略を受けて厚生労働省:検討会報告書
厚生労働省は5月31日、「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」の報告書を公表。報告はとにかく長く、労働法専門知識と紛争実務経験があってこそ読み解ける内容である。ここしばらくの内閣官房に対する省庁官僚たちの態度の変化が現われているのかもしれない。昔に厚生労働省内で解雇の金銭解決制度が建議されたことがあるが、それに比べると、筆者が読む限り大きくトーンダウンしている。
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11201250-Roudoukijunkyoku-Roudoujoukenseisakuka/0000166365.pdf
★金銭救済解決は、マスコミ報道の閣議決定から連想できるような制度を作ることが、現行法規の理念からは技術的に難しいとしている。むしろ金銭解決額は予想よりも高額を要し、労働者本人に責任がある解雇でも少なくとも3ヵ月とし、妥当な金額幅は示さないもの労働審判や紛争調整委員会の和解金額を、はるかに上回る必要とのニュアンスも否めない。これでは中小企業の支払い能力に懸念があるといたような内容となっている。
★また、労働者には、そういった金銭救済解決のニーズは無いと、報告書は断言している。巷のマスコミの一部には、この制度が実施されれば労働者に有利な制度ではとの憶測も出ているが、報告書の内容を追っていくと、それは、詳細に渡り打ち消されている。


§そこは取り急ぎ、個別企業の事業経営を浮かび上がらせる

1st)まずは経営のチェックポイント、価値と資産を生む労働(働き方)を整理、そのための調査研究をしてみた。巷の経済学は金融・情報・希少価値といった、肝心の価値と資産に関する話が見当たらない。経営のノウハウ本も浮ついた出版やネット広告が目立ち、戦後の経済成長を世界的に支えた経済理論とかノウハウを、読んだこともなさそうな下世話な話ばかりである。
あまりにも呆れたので、今回のメルマガは、緊急応急策を中心にまとめてみた。次回は経済学の根拠でもって、どうすれば発展的計画的事業経営の指針についてまとめる予定である。じゃあそれまではとなると、将来のために我慢して事業縮小(資産をはがされないように)することある。それは、会社の資金繰りを超えて、従業員の方の生活保護とか各種公費の減免手続きまでも考えてもの個別企業の存続計画である。
とにかく倒産してしまえば、価値と資産を生むノウハウ自体が喪失してしまうのである。

2nd)今や、サラ金地獄に陥ったような経済状況(金融情報資本主義の限界)とも言われ、個別企業の事業経営が行き詰まりを見せている。最終消費となる個人消費の激減どころか、労働者の将来希望喪失による労働意欲激減は人材不足をきたしている。企業の有効求人倍率は数字は高いがパートや契約社員ばかりである。契約社員の求人では応募ゼロの個別企業も増え続けている、すなわち、「そこまでして働かない!」といった労働意欲激減が、何もしない生活といった貧困化に流れているのである。その一方で、増加するのが詐欺、脅迫、貧困に付けいる取引といった犯罪や「半グレ」主宰のズル賢い系ニュービジネス犯罪である。

3rd)それは、商品の生産をスキル skill(技能)にばかり頼る経済・経営が限界にきている現在、100年以上昔と同じように、「産業の機械化及び人間の家畜化」といった方法で乗り切ろうとするから、一気に衰退を迎える様相なのである。ブラック企業のさまざまな現象、長時間の無給労働、職場の仲間同士の足の引っ張りあい、事業効率の徹底した悪さの蔓延に現われているのである。
むしろ、100年以上昔に、各国が経済を研究し社会制度を改革したことによって、第二次世界大戦の前後から以降の経済成長をみたのである。短絡的表現ではあるが、「経済を研究し社会制度を改革」しなかった国は、資金を海外投資から受け入れたのだが、根本の経済政策を間違い経済後退してしまい、さらに政権にしがみついた首脳たちは全体主義の道を選んだ。
ナチス:ヒットラー、イタリア:ムッソリーニ、旧ソ連:スターリン主義、そして旧大日本帝国がそうである。例えば、日本は正金銀行(金塊取引)で、アメリカ本土から借り集めた資金でもって、満州事変の戦争費用に充てた。昭和大恐慌から立ち直るやさきの経済政策には投資しなかったことから、益々悪化していったのである。「贅沢は敵」と言い出したのはこのころからである。挙げ句に、国民は国債を買わされ、会社員のボーナスを全て国債購入に、町内会隣組では国債の割り当て、そして終戦の時には「ほぼ〇円の国債価格」となった、超インフレ政策であった。

4th)日本の官僚や大手企業は、100年以上の昔のごとく「産業の機械化及び人間の家畜化」との、「経済を研究し社会制度を改革」を放棄した状況と基本は同じく、それでは選挙で負けないようにと考えて耳ざわりよく、「イノベーションと働き方改革」と言っている。だがその中には、本来のイノベーション(筆者の原典紹介)の一部分に似せたような似非な機械化(IoT,BigData,ITなど)への機器投資にすぎない。
「働き方改革」は現在の機能不全状況を法律で追認する程度の話であって、これには大手をはじめ中堅中小企業に至るまで無視しており、厚生労働省とそのシンクタンクも面従腹背を決めこみ機能停止状態である。すなわち戦前日本と同じように、資金を海外投資から得て(ただし、現在の夢物語)、いわゆる彼らのいう「ソフトやノウハウ」には注ぎこまずに、というわけである。「誠に戦争中の官僚たち」と同じく全体主義に流れていってるのである。


§この瞬間の中堅中小企業:経営チェックポイント。
消費動向は益々低迷、海外輸出はまだまだ不振、進出したところで会社身売りの公算が高い。それは、高度経済成長以来の政府主導の計画経済産業政策とバブル崩壊以後の低減縮小に原因がある。だから、最終消費である個人消費を向上させることになっていない。金融政策の中小企業の金づる(金融借入金が銀行の株主化に変質してしまった)でもって、システムから経営思考習慣までが社会主義化してしまっている。

資本主義の本来的姿による経営管理のチェック項目。
〔1〕
個別企業の、
   ①人的物的技術力、
   ②優位な取引&貨幣転化手法、
   ③市場や銀行での信用創造
 を総合的に組織的に運用して資金回転率をあげること。
〔2〕
その動きを形成・展開・まとめ収めるイニシアチブと実行力を個別企業内外での安定確保する。個別企業で恒常的に実行ができるように、商品提供ネットワーク実行力も社内組織も独自で形成し、そのための人材(いわゆる管理職)を確保定着させること。
〔3〕
事業や資金への天才的投資チャンスの適時適宜性を磨くことに専念すること。及び日常的に個別企業独自の危険要因を探し出しておき、その危険事態(内部では分からない、だから外部の専門家)を予防すること。

……現実経済から出発すれば、こういったポイントなのだ。
海外の近代経済学と言われる研究は、不思議にも紹介されている例が少ない。じゃあ日本国内に、それが無かったかといえば、近江商人の商業資本主義には残存している。が、ほぼエピソード程度の表面的なものしか語られていない。
そして、最近の個別企業では、
前述の一項目を経営だと思いこみ、
二項目や三項目の弱さで崩壊する下請け企業が多い。
二項目が極めて特異な集団の一つにアウトソーシング会社がある、
   だが人材派遣会社には能力は全くない。
三項目に集中して仕事の受注はするけれど、丸投げ発注するブローカー的企業も少なくない。

これらポイントを経営管理の通例としなかった日本
その時代に、何が原因で、何があったのか、
 One. 日本の財務省や経済産業省の政策は、(社会主義と同様の)計画経済であるから、官公庁の官僚思考たちの政策にそぐわない。
 Two. 日本の学術は官公庁の官僚にそぐわなければ予算がつかない。日陰者はメジャーから相手にされないといった経済や経営学の学術界のシステムがある。だから学校や周辺では知り様がない。
 Three.あまりにも原因と結果に重きを置いた客観的合理的論理展開の学問でなければ、官僚の多くは理解し得ないからだ。
……大学受験のための勉学は、ひとえに「傾向と対策」であるから、客観性理性のない事象寄せ集めの断片知識による法則性や論理展開の無さに曝されてきたから、実社会では使い物にならない「飛びぬけた能力」だとしても、その「傾向と対策」能力では理解は出来ないと思われる。
おそらく多くの大学では、根本的なところからの科学思想史は教えてもらっていないだろう。所詮アカデミックな古代古典哲学の翻訳が目立つが、それでは社会経験の無いの学生には理解・思考・応用は出来ない。
……だが、現在から将来はグローバル時代であり、
実は官公庁が推薦する政策とは異なっている。
あれこれと官僚たちは独自解説をするが、彼らは官僚機構が在ってこその保身経済政策しか考えない。
……また、中堅中小企業だから、官公庁や都市銀行などに頼らなくても、前述のとおり、
【資金回転率】を引き上げることで効率的投資も叶うし、
【実行力】商品提供ネットワーク実行力も
     社内組織も独自で形成できるし、
【適宜適時力】機敏さもあり柔軟性もあり、
       機敏予防にも長けているのである。

経営技術水準が低く実力も実力無いと、見栄張りのガンコ者になる
★「おもてなし」といえども、
個々の客へのメニューや商品の微調整が出来なければ、回転率も実行力も適宜適時力適宜性も成り立つわけがない。
ここは最終消費財にかかわる個別企業の命取りである。
★伝統や文化あるいは緻密さにかかる職人技能だとしても、
外国客のニーズにこたえない、相手との意思疎通をしない、顧客に共感して工夫しない、といったことで売れないのである。
[もの作り]や[人をケアcareするサービス]のイノベーション
   の教育要点は次の通りだ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22

☆近代経済学を切り開いた学者たちは、
経済学研究をすることで、およそ口をそろえて、
経営陣が安易に「機械化と家畜化」によって利潤を得ようとすることでの事業衰退を防ぎ、あげく左右の全体主義政治に陥って崩壊しないようにと、当時からすでに研究目標を置いてきた。
よって、(肝心な経営理念は各々読者に任せるとしても)
【資金回転率】、【実行力】、【適宜適時力】がなければ、
経営者筆頭の個別企業そのもの自体の「機械化と家畜化!」
でも、それさえも論外であり、それどころか、もう経営管理の資格外なのである。
現実に、失われた10年の30年目突入、この悩みが経営者の内心に漂っている。


§労働能力の三分野、それが解れば変わる育成法
アート Art、パフォーマンス performance、スキル skill(技能)、
これが労働能力の三分野である。詳細な定義付けとか経済学的分析は、未だ今日まで行われていない。経済学者たちの中で、分析が行われていない理由を聞いても仕方がない。むしろ、必要がなかったのだと思われる。



1A.アート Artと言われるもの
固有文化価値商品の機械的には理解できない品質の良さを醸し出す、そこがアートArtの部位である。これが類似商品と比べて売れる根拠であり、価格水準を維持している根拠である。
微力ながら、部分的ながらも、いわゆる芸術性を商品に持たせる創造労働である。ただ世間で会話している芸術性は、猫も杓子も風変わりな有形無形のものをイメージしている場合が多いから、これでは役に立たない。だが、売れる商品には質量は別として必ず芸術性による部位が存在する。むしろ何気ない配慮と細かい部分から順に機能と表現が表装される傾向が一般的だ。
そのことで、意欲・感動に加えて社会生活や人間関係に希望を抱くことができる。また、全体&細かい部分の機能と表現の人的技術が決定的要素なのである。それを具現化するものが、①提供する人や集団の労働全般能力であり、②有形無形を問わず需要側の希望にかかる共感作用に対する共感精度が、③本人の自覚の有無とは別にアーティストの分野ごとに優秀強力な能力だと推測できる。④またその共感作用に対する共感精度は、労働能力全般を発揮する技巧に法則を持たせるための測定器の役割を果たしている。

2A.パフォーマンス performance というものは何?
パフォーマンスと言われるの労働能力の、アートArtとの決定的違いは「他人に希望」を抱かせないことである。その代わりに買い手の主観に理解されうる論理構成の装いが必要となる。では、パフォーマンスperformanceとは何かと定義するならば、「いわゆる曲芸の領域」である。審美追及主義の文字通り、美を追求するとの名目で、アレコレ理屈を並べることを要する。鑑定書めいた「折り紙」を必要とするのだが、あくまでそれは、提供される側の好奇心や希少性の一体混合作用が主な注目を引く源泉なのである。
くどいけれど繰り返すと、商品そのものには他人に希望は抱かせない、その代わりに提供される側の好奇心や希少性の一体混合作用で目を引く仕組みが必要となるのだ。これが経済学でいう希少性である。それは決して、生産量が少ないから、希少価値があるというカラクリではないのだ。
アートArtとは異なり、決して社会生活や人間関係の構成にかかわる希望には触れないようだ。どうしても個人の内在に陥ってしまうマーケティングでなければ、パフォーマンスと言われる労働能力によって造られた商品には買い手がつかないのである。要は。曲芸の類であるから、そんな商品は入手すれば飽きが来てしまう、それは商品入手後の価値創造や価値加算が行われないからである。やはりパフォーマンスは、いくら熟練を積んだといえども、労働力(それは労働全般能力の一部分)の一種にすぎない。
ピアノ演奏だとしても、パフォーマンス労働力に因るものであればBGMである。壁に大きな絵画があったとしても、パフォーマンス労働力に因るものであれば装飾壁紙の一種である。大工場で作った壁紙のだとしてもアートArtの労働全般能力に因るものであれば芸術性がある。工業デザインの元祖と言われる英国人:ウィリアム・モリスは、19世紀に壁紙などの製造から出発したが、工芸品は拒絶し芸術品を目指した、それが工業デザインに開花するわけである。そして、その当時の工芸品や民芸品、いわゆる食器類、家具、民生用住宅は、職人のパフォーマンスが造るものが圧倒的のである。
いわゆるアートArtとなる芸術性を商品に持たせる創造労働は、目的意識的に計画的にでなければ製造出来ないし、パフォーマンス労働力を開発したり、身につけたりすることとは方法が異なるのである。

3A.スキル skill(技能)これが職業能力と思われているもの
スキル(技能)、これは長寿の人生からすれば、初期技能の労働力である。例えば、「学卒者は作業マニュアルを理解する語学力を身に付けている、それも一種のスキル(技能)」とされている、これは厚生労働省シンクタンク機関の考え方の一例である。スキル(技能)とは、ある程度の作業を、ほぼ自前で判断しなくても実行完成することができるといった、労働全般能力の労働力の部分的能力のことである。
近年は労働者の自主性に考慮することが流行しているけれど、やはり、スキル(技能)の労働力は、「指示待ち」が基本スタイルである。作業工程を企画した後に集団で組織的に労働力を発揮させるからである。スキル労働力とパフォーマンス労働力を混在させると、事務であれ販売であれ作業効率は激減する。パフォーマンス労働力のレベルは、とにかく単独で作業を行わせることである。
そして、スキル労働力の中でも、低価格もしくは訓練中の労働力は=時間単位商品として取引される。高価格かつ訓練完成の労働力は出来高制商品で取引される。月給制社員なのか時間給社員なのかは、個別企業により決めれば良い。この労働力が不足していた時代には、名目は正社員:実質は時間給や日額賃金とした個別企業が圧倒的であった。労働力不足が緩和されると、直ちに低賃金の非正規労働者への雇用の切り替えが進行した、それが近年の2008年リーマンショックの実態というわけである。
スキル(技能)労働力に、同時にアートArtの芸術性を商品に持たせる創造労働を行うことが出来ない。すなわち、売れない商品は、せいぜい購買の「意欲と感動」しか商品化されていないか、意欲の部分をスキル労働力か、感動の部分をパフォーマンス労働力か、その製造や業務を担うのである。
最も売れる固有文化を持つ商品は、ありふれたように見えるのだが「意欲と感動」に加えてセットで、購買すれば「希望」がかなう品だから売れるのであり、そこにはアートArtの芸術性を商品に持たせる創造労働が関わっているのである、それはどうしても労働全般能力の発揮しかあり得ない。

4A.では、アートの労働全般能力、あるいはパフォーマンスの熟練労働力は、
旧来から、それなりの賃金価値として取引されたかといえば、それらは正当に行われなかった。それは明確な取引根拠がなかったからである。労働全般能力や熟練を長期雇用保障との代替取引、30歳半ばまでの生業的独立といった社会システムで、芸術性といった労働全般能力を発揮する権利、熟練性の単純労働力の発揮を上回る労働の権利は、およそ概念化されることがなかったのである。
貨幣収入が必要な場合は、その培った労働全般能力を横に置いておいて、経営者に転身するしかなかったのである。こういった社会慣習は、アートやパフォーマンスそれぞれの能力を曖昧にして、能力向上や開発を放置してきたから、よく売れるレベルの商品が製造されるにいたらず、それなりの賃金価値を支払うといった労働契約も成り立つにいたらなかったのである。賃金を引き上げれば、売れる商品が生み出されると言うのは、このことからも真実でないことは明らかになる。

5A.加えて、パフォーマンスやスキル(技能)は、実のところ
労働力が時間単位商品や出来高制商品としているが、取引相手である経営者との取引で、「その労働力の所有権を譲渡する契約」であることが明快になったのは、労使取引関係に対する裁判所の介入でもっての労働に関する司法の判断においてであった。これによって経営者が所有権を保持するが、所有権個人にかかわる労働力の安全その他の配慮義務が使用者に備わったのである。同じく、仕事内容を了解することがなければ場内立ち入り拒否といった、経営者の統治権(統治義務)の考え方も法的に確立することになった。
ところが、いわゆる古典的経済学では、労働力が(労働にしろ)一体何と交換をしたのかが解明出来なかった。よってその部分の安全配慮とか長時間労働禁止の社会的資産(文化的資産になりうる)に対する解明さに論理発展の遅延を生じているから、そういった古典的な経済学を持ち出せないことは否めない。だが、日本の現状は、古典的経済学もしくはそれ以前の論理が定着している社会だから、労働者にも、「労働力の所有権譲渡契約」がパフォーマンスやスキル(技能)を発揮する人たちの労働契約であることを教える必要がある。それを教えていないから、曖昧どころか、古代へ古代へと迷信のような労働感が蔓延してくることになる。
では、アートの労働全般能力が労働力の所有権を譲渡するものではないとすれば、いったい何なんだろうか、その詳細まで詰めたところの通貨でもって交換されるもの、それはもう少し解明に時間がかかる、間違いなく大発見である。

6A.アート、パフォーマンス、スキル(技能)、この三つの分野の仕事スタイル
は、初歩段階では重なり合う部分が存在するように見えるけれど、それは基本部分では重複していない。三つのスタイルそれぞれの基本部分は、はっきりと異なっている。なので、異なるそれぞれ毎に微妙に訓練蓄積方法が異なるようである。それを最初に判断させるように教育しておくことが重要である。むしろパフォーマンスやスキルといった能力は、本来の労働全般能力を矯正してしまった結果にすぎないと考えたほうが妥当である。
発達障害の子供は、通常の子供と違って、通常以上に発達する部位や能力が存在するから歪な現象が生まれ、それを普通の基準に出っ張りを抑え込む矯正をしようとするから、その無理によって病的障害が現れると見た方が妥当である。それとよく似たことが起こると覚悟している育成姿勢こそ好ましい。加えて発達障害の子供は8歳ぐらいまでに成長する普通の児童と異なり、12歳ぐらいまでかかって、ゆっくり成長するといった経過を踏むらしく、秀才型と天才型どころか、いまだ成長していないと認識して育成に取り組み、アート、パフォーマンス、スキル(技能)の教育を、各々別途に試みる研究も注目に値するのである。
すなわち、スキル技能を積み、→パフォーマンスに発展し、→アートに到達する…といったことは全くあり得ないのである。これは、当社が設立前からの業務部門での実験結果でもある。

幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
アート スキル パフォーマンス
創造する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
& 労使関係制度
特許権、著作権、版権、
「発明・時系列変化・組合せ」
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係での希望)
生命維持性
(意欲・感動)
希少性
(意欲・希少性や複雑な感動)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用価値
企画の法則性に限る
発明・曲芸の領域の希少性
審美追求主義の優位希少性
ビッグデータでの情報希少性
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元X・Y
もしくは 3次元X・Y・Z
3次元X・Y・Z
もしくは4次元X・Y・Z+time
アート
有形無形の完成品
スキル
企画による組織労働
パフォーマンス
単独で労働される