・「新型女性労働」 とはどんな働き方?
・今の世界経済で、未来不安 とされているもの
・今や「笛吹けど踊らず」 それが日本の経営者の姿。
・日本の企業組織は、ほぼ軍隊の兵站を真似た物
・オランダ女性の社会進出と経済成長の成功事例とは
・(研究)「一人前の労働者論」の裏に、妻の隷属を内在する虚構
・「一人前の労働者論」の裏側
・奴隷制判断基準(C.ペイトマンの研究を基礎に解説)
・奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド
・日本での奴隷制の実態を直視
・女性労働の損失、個別企業こそ一転して経済再生
・芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働
・(近況報告) マイナンバー またもや本格運用遅れ
§「新型女性労働」 とはどんな働き方?
「新型女性労働」の例示。
- 明確な労働契約、その内にも労働時間を日々調整する権利を認める。
- 仕事の出来仕舞い方式、職種によれば自宅で働く習慣の権利を認める。
- 同僚や管理職との意思疎通のeメールはやめチャットやインカムを使う。
- 自らの行動基準と目標を持たせ、その規範を自ら作り出す権利を認める。
- 年間や月決めの手当に、(後述する)アートArt域労働の貸借契約を含める。
- パートも管理職や専門職に登用し、管理職給や専門職給の賃金を支払う。
- 他人や社会への共感作用と共感精度の程度を正当な労働能力として認める。
- どんな仕事もアートArt域労働が欠ければ品質低下、売れない結末を説明する。
- スキルは後で身に付く、パフォーマンスは練習すればよいことを認識させる。
- アートArt域労働の基本を知ること、その能力を向上させる施策を行う。
(例)服装は絵画、アクセサリーはアクセント装飾、それらはデザイン向上力
音楽リズムは話し上手、リズムと拍子は異なり、歌が仕事の品質を決める
詩は共感作用の物語、それは品物の意味を語る。
(地味に、地味に、最後はあでやかにまとめる、それが基本)
その奥行きには深いものがあるが、それが商品価値を高め価格にも影響をする。アートArt域労働となると、芸術芸能界や美術や文学の大作品を思い浮べるが、どんな仕事もアートArt域労働によっては品質が定まり、販売や制作を通しての共感作用と共感精度に基づいて、アートArt域労働で品物もサービスも流通することを徹底し、これが重要となる。
こういった事例は固有文化価値とかアートArt域労働が発見されなかった時代でも、なぜか有益な効果が現れたから、科学的な根拠があるわけでもなく、教育や訓練ができたわけでもないけれど、文化価値商品は好評販売され流通していた。その当時、有能な経営者、有能なコンサルタントたちが意識したのは、仕事にかかる義務ではなく明日への希望であり、その商品を買う顧客に、「意欲・感動・希望」を共感してもらい認識してもらい、購入していただくプロセスでもあった。そして購入した客は、さらに文化価値を増殖させていったのである。過去の経済学は、人間が本来持っているアートArt域に及ぶ労働全般能力から、「労働力」のみを切り離し、労働者からの「労働力」抽出を、使用者が駆使するばかりの論理構成を克服(止揚)出来なかったのである。
§今の世界経済で、未来不安 とされているもの
- ①個人化が進み社会共同体の形成が出来ないのではないか。
- ②人口や若年層の仕事や生活を支える生産量と経済構造が成り立つのか。
- ③社会共同体や経済構造の崩壊で正当な取引や賃金確保が形成できるのか。
時を同じくして、国際労働機関(ILO)の事務局長G.ライダーは(2017年5月12日東京)、「仕事の未来を考える論点」を、a.仕事の個人化と社会影響、b.全世界の仕事量、c.商業的請負化へのシフトか否かと、3点を基調講演で示している。だが、これが「すべてを労働力」といったスキルの交換方式の枠内にはまり込んだ論理構成であることを見破れば、世界の苦悩する問題ではないことに気がつく。また歴史に記された奴隷時代の労働権や経営者団結権の如くに、アートArt芸術域の労働全般を明確にすることが未来のヒントであることを気づかせる。経済や豊かさ再生には、これを法則性のある論理で持って、労働価値交換を目的意識的に推進する思考習慣(システム)にすることである。
ところが、全体主義者(歴史的には、ヒットラー、スターリン、東条英機ら)は、生半可な知識を持つ若者と無知な老人を操って、日頃見向きもされない自らの能力や教養にも関わらず、似非賢人を演じて政界進出や出世の道を走ろうとする。第一次世界大戦後の世界の世相は、やはり自己中心的な思考が持ち出された。だがよく見れば、その者たちに資金を出すのは、やはり先に述べた自己中心的な資産家にすぎない。
数百年も地域に根ざす資産家、社会共同体を維持しようとする経済や商人集団の末裔、そのもとに幸せを満喫する通常の人たちは、どこの国でも自己中心的な思考に翻弄されることはなかった。20世紀初頭のアメリカは、そのとき民主主義をベースに経済政策を進め、1913年「体験型教育」(ゆとり教育の原型)、ニューディールでの職業訓練教育(ドイツの失業対策は職業訓練をせず、重機を使わずスコップで道路建設)、失業中の芸術家への仕事供給政策、農業政策や雇用労働政策と金融政策(雇用統計により連邦銀行の金利を決める)を進めていった。それが、第二次世界大戦後にアメリカが経済的にも文化的にも華を開かせる原動力になったのである。(戦前、アメリカ人からの横浜正金銀行を通じた投資を、日本政府の満州事変戦費につぎ込んだ日本とは大違いである。同じくナチス:ドイツも、米国フォードからフォルクスワーゲンへの投資をさせていた)。
§今や「笛吹けど踊らず」 それが日本の経営者の姿。
ICT産業革命の進行による職業能力ごとの労働概念の変化は、厚生労働省シンクタンクの5万人Web調査(2015年「職務構造に関する研究」データ)にも現われている。固有文化価値を考えるうえで、官民の同官僚や金融資本増殖の経済政策傾向を表している。
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2015/0176.html
日本の労働者が主要国の中で「労働意欲」が飛びぬけて低いこと、「仕事のやりがい」も調査対象国の中で最下位といったアメリカから発の調査データとも合わせると、日本の経済や豊かさの没落要因として、巷には何が蔓延る思考習慣(システム)なのかを批判的思考からでも直感できると言える。要点を整理すると、次の通りだ。
- 研究者、技術者、専門的職種では、高度な知識やスキルを必要とする、仕事の高等化が進む一方、同一職種者のチームワークが重要との意識。
- 事務(判断や情報加工整理)の職種では、仕事は高度化していない、機械化は進んでいて、顧客や同業者との関係は重要ではないとされる。
- 販売の職種では成果主義が進んでいるが、それは同時に顧客や同業者との関係を強くしている。チームワークが重要とは考えられていない。
- サービス職種は、顧客の関係は横ばい。知識もスキルも高度化は大きくマイナス、成果主義もマイナス、チームワークも大きく薄れている。
- 生産工程の職種の多くが、知識もスキルも高度化はしておらず、チームワークも薄れ、外国語、顧客や同業者との関係は無視に近く関心が薄い。
研究企画部門はさておいて、日本の産業における現業部門では、
- 仕事の高度化が墜落的低下を起こしかつその自覚があること、
- 一部の専門職や販売部門を除き顧客ニーズを無視していること、
- 営業販売担当者が顧客情報を会社にも同僚にも知らせない実態、
- 現業部門は先進諸国への販売や海外進出を考えているわけではなく、
- 機械的事務作業を優先して柔軟な販売や製品開発を抑制している事態、
さまざまな経営者の方針、ビジネス書の美辞麗句、素人である官僚の作りあげる経済政策、ITソフト開発業者の虚しい販売戦略、いわゆる現代日本のリーダーが、「笛吹けど踊らず。」の事態に陥っている。よって、これを解決するには、このメルマガで説明するような商品価値と労働価値を見直すことが不可欠なのである。そして今月のテーマのごとく、「新型の女性労働は、ICT産業革命のカギ」が、その主体的な原動力であり、その牽引力が「アートArt芸術域の労働」なのである。
§日本の企業組織は、ほぼ軍隊の兵站を真似た物
近年日本の経営学や経済学で目立つものは、ほぼ軍隊の兵站(へいたん=作戦軍のために、後方にあって連絡・交通を確保し、車両・原料や生産品の前方輸送・補給・修理にあたるロジスティクス)を真似たものである。それは、昭和4年の昭和大恐慌から立ち直る矢先に、全体主義者が戦争による略奪経済を行い、戦後のアメリカ占領軍によるアメリカ経済下請日本、ソ連全体主義の計画経済論理による高度経済成長政策、そして、金融為替操作のバブル経済と崩壊、こういった国民に自主性のない経済構造が続く中、兵站の事しか連想出来なかったのは確かだ。したがって、庶民に理解可能な構想ばかりを追いかけるものだから、軍隊の兵站をまねた組織論に行き着いてしまうのである。そして、その上層に当時のアメリカ式組織管理論を載せたのである。これが日本の独善的に受け止められている企業組織の特徴である。
だがもう一つ、経済の成長や豊かさでの先進諸国の社会構造を考えた場合、現代女性の果たす役割が日本と世界の女性では大違いである。たとえていえば次の通りだ。
- 1st)日本では、男女平等の名のもとに、男らしい女と、女らしい男を入れ替え、男を管理職から交替させるものではない。
- 2nd)男性上司への隷属から一部女性を解放するけれど、派遣社員での自由は与えたが、彼女らの生涯の隷属と保護はやめてしまった。
- 3rd)近年では、有能ならば弁護士はじめ国家資格受験を社内で促し、その彼女が合格すれば独立起業を徹底して煽り排除する。
(なお、大手企業の管理職経験女性は、一切中小企業では採用しない)。
こうして益々、軍隊の兵站を見本にした企業や社会団体から、女性特有の能力が労働全般に発揮される女性から順に排除されるのである。同じような能力を発揮しそうな男性はもとより新卒採用しない。その彼女がシングルマザーなのか、パートで働く主婦なのか、いずれにしろ、その女性が挫折し希望を失いかけているには変わりがない。日本の会社人間は、欧米からすれば同性愛者と揶揄されるが、そういった感情論議ではなく、女性の隷属という経済構造によるものなのである。
こういったことから、先に例示した、「新型女性労働」が、ICT産業革命のカギとなるのである。すなわち、世間の巷に流されて、人手不足のだからと言って漂っているような経営ではなく、切り替えの早い中小企業は有能な女性を確保(小論文を書いてもらえば判る)、とにかく採用した女性全員に、「新型女性労働」を適用して、男女を混ぜて前向きに仕事を話し合ってもらって、現場を任せるに越したことはないのである。ただし、次のチェックにひっかかる人物は、ことに中小企業では採用はしないことだ、仕事よりも名誉に見栄を優先し、「お局」になる厄介者だからだ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/kyochosei.html
§オランダ女性の社会進出と経済成長の成功事例とは
オランダの政労使「ワッセナー合意1982年」の成功は、近年日本に比べ一人当たりのGDP倍増といった表面結果を超えて、同一価値労働同一条件(注意:今の日本では同一価値と言っていない)による、労働者の自律を促す制度であるが、その諸制度(ワークシェアリングとの翻訳は間違い)は注目に値する。だが初期においてオランダは、労働組合の労働協約闘争とストライキの洗礼に見舞われた。それは、「労働者は労働力を売り、使用者はそれを安く買おうとする。」といった、古典的経済学が人々の間にはびこっていたと考えられるからである。当時オランダの経営者も労働者も、労働能力全般を、「まな板の上」に乗せることが出来なかったようである。それは、ヨーロッパ全域が現在も奴隷制度の名残を持つ労働に対する価値観の影響し激烈だったと思われる、それは日本とは微妙に異なり、曲がりなりにも400年続いた無権利ながらも雇用制度(雇:の意味はカゴの中の鳥)との差異である。
この制度が一挙に充実したきっかけは、労働時間調整法である。労働時間制度はフォーマルには、フルタイムか、様々なパートタイム時間帯かを契約するが、インフォーマルには、日々様々に同僚との労働時間調整が行われる。さらには、法律の改正があったわけではないが、同一価値労働同一賃金が、→同一価値労働同一労働条件に発展したことによって、
- (A)無駄に会社に出勤するよりも自宅で仕事を完成させるとか、
- (B)チャットなどを利用して社内の意思疎通を図るとか、
- (C)仕事が明確になっていないことでの効率の悪さは解消するとか、
- (D)会社にデスクの無い状況とか、
- (E)人が密集するオランダの通勤交通費や事務所維持費の節約
同僚みんなで作業をやりあげるとの意識のもとに、同僚の事情を考慮して相互に助け合うとか居残りを引き受けたりする。熱を出したりダダをこねたりする子供の保育園送迎での遅れ、家族の介護による遅れや早退、小学生の子供の迎え(親が迎えにくる習慣)などは全て労働時間調整で納めるとのことだ。そういった日常習慣から、仲間同士の長期的な視野での能力向上や長期雇用での仕事関係が優先される文化に変わったとの報告である。
オランダは哲学者スピノザ(1677年没)の活躍地、彼の説く奴隷の姿を要約すれば、「他に認められたい欲求は名誉となり、名誉に恵まれなければ恵まれた人をねたみ、怒りを吐き出しつつもなお、自分が賢明であるかのように見せかけようと自己を卑下する。その卑下は高慢の裏返しにしかすぎない。そういう人間は他人との比較しか頭にない奴隷である。自由人は自己以外の何人にも従わず、自分が最も大事で最も欲することのみをよしとし、あれこれ非難する前に直接良いことに赴く。完全に自由な人間は悪という概念を持たず、無邪気な状態である。」こういった思考習慣がオランダには根付いていると見た方が妥当なのである。「自立とは自ら意思決定でき自ら働くことで、自律は自らの行動基準と目標を明確に持ち、自ら規範を作り出すこと。」である。
日本にあっては、労働条件決定が、日本は世界のなかでは独自方式(企業と個人の交渉であり、自治体や政府が介入しない)であるから、可能な企業からさっさと実施できるといった、身近に実現される話である。
そして、シェアリングsharingの概念のない日本では、「分かち合い共有する」の用語では意味が通じない。オランダの数百年の伝統から解説すれば、①諸他人に主観を押し付けない、②マインドコントロールはしないさせない、③カルトやセクトでの洗脳はしないさせない、といった民主主義の原則の上に、良心conscienceに基づく意思疎通で成り立つ、仕事の共有と分かち合い(ワークシェアリング)なのである。
このオランダの働き方は、官民官僚や金融資本の労務管理技術では、その労働時間のカウントの術を持たないから、彼らは忌避している。が、曲がりなりにも400年続いた無権利ながらも雇用制度を持続して来た日本では、権利問題に注意しさえすれば職場での運用にはたけている。既に現実の工夫とともに導入している中小企業は多い。
§(研究) 「一人前の労働者論」の裏に、妻の隷属を内在する虚構
現代日本は奴隷制禁止、社会の表に現れない。だが此処に、労働能力全般が発揮されず、疎外による家庭破壊、消費財の新商品開発の重大な原因が発見された。
¶「一人前の労働者論」の裏側
歴史的変遷やプロセスはさておき、大手企業のサラリーマン社長や管理職の妻は隷属的であり、その妻の労働も含めて、会社での地位と報酬が保障されていることは否めない。大手の社内結婚はそれを念頭に置いていた。現在でも、IT機器での業務処理、日報や出張等経費計算、車で送迎その他を家庭の妻に業務配分している。妻は(無能力)秘書その他代替に無給で使われている。中小企業の管理職にはあり得ない。ここに、労働者の報酬や地位を考えるにあたっての重要要素がある。
現在日本で奴隷制に近似した状況は既婚女性に多いDV被害者でもある。主要先進国におけるDV被害は、低所得夫婦関係に多いことが分かっている。だが企業規模の大きさにとか地位や報酬にかかわりなく、社会構造として既婚女性が奴隷扱いをされている。これは夫婦揃って一人前の慣習概念から、その主人の「労働力」という使用価値から抽出される労働価値は低いものと判断される。
確かに、労働の価値は、①時間をかけて発達し、②人格と関連していることから、その発達実績又は人格形成の過程は、奴隷扱いされるDV被害者と一体となっていることから、そうでない男性労働者と比べて訓練啓発又は社会適応能力が低くならざるを得ない現実が多い。とにかく妻は制度に縛られ、生涯を家庭に縛られやすい、これが雇用や労働契約とは異なる基盤である。そこに労働能力向上の意欲はない、
とりわけ、意思疎通能力や集団統制能力における欠陥が見受けられる。端的に言えば、ICT産業革命の時代には、そういった労働者は事業運営に差し支えるのである。端的に言えば、市民革命で、「国王や家長個人よりも、国民や兄弟が集団になった方が強くなりうる。」ことを発見した、これ自体が全く認識出来ないので、正常なチームワークが形成出来ない人格なのである。むしろ夫婦とも人格が死んだ状態だ。
未婚女性や男性のDV被害者は、社会規範や婚姻制度を悪用して隷属状態に陥れられる根拠がないので、隷属の程度差と考えられるケースが稀にはある。ところが、婚姻関係を誓い届け出る段になると、「奴隷女に子供を産ませれば、女性は子供を守るために服従する。」といった奴隷再生産、「食事など保護をあてがわれるのだから、服従は当然のことである。」といった理念を、未だ公言する男性やその親世代が存在する。「家族代表は戸主(男)の役目、妻は主張出来ない。」といった虚偽意識(世間に共有されている出来合いの観念)も、廃止された旧民法の「家制度」や長子相続といった家族統制時代(100年に満たない期間)の名残にすぎない慣習である。
¶奴隷制判断基準(C.ペイトマンの研究を基礎に解説)
次のような特徴が見られれば、感情や感覚は別として奴隷制と判断できる。もちろん、刑法その他の違反であるし、民事法上は奴隷契約も成立していないのである。
- ①身体から精神に至る人格や権利の所属は、生涯に渡って主人に在る。
- ②奴隷を納得する意思が在り得ないから、奴隷契約自体が成立しない。
- ③精神的物理的に強制された事態で、さらに事態を貶められ続ける。
- ④無能力だと刻印され、原則的に刻印され続け、人格は死んだ状態である。
- ⑤主人と奴隷の隷属関係は、契約の如き時間差なく瞬間同時に成立する。
(契約とは、一方の申し込み相手方の承諾で成立との時間差が必ず存在する)
https://www.iwanami.co.jp/book/?book_no=281701
¶奴隷から雇用契約に転換したプロセス:ガイド
各国徐々に形成されていった「雇用主の4基準」の共通点は次の通りである。
Ⅰ.19世紀末に当時の先進国と言われる国で確立された様相。
- 王政や家長制度ではない使用者との契約で、雇用主に絶対権力はない。
- 雇用契約期間を短く、制度上も事実上も、奴隷のような生涯契約はない。
- 労働の使用に関する契約で、雇用主に人格や労働占有の権利はない。
- 奴隷のように保護や生存は保障せず、主として通貨で賃金を支払う。
Ⅲ.それでも、雇用契約が形骸化して奴隷制が内在される事態も生まれた。奉公人制度、英国の(主人と召使いの)職人法などである。そのため、近年の労使関係は司法決着を各国が図った。ここに掲げたイ~ホは、順に大まか歴史的な各国の経済的司法的な過程である。
- (1)雇用契約の前提には、当事者相互が人格を持ち、財産所有者であることの認識を要する。(契約は、①一方の申し込み②相手方の承諾で③時間差を持って成立すること。)
- (2)雇用契約で、労働と何が交換されるのかの印(しるし)を明示した。「労働力の所有権を、就労の時間と場所と内容(職種など)の雇用期間」
- (3)高賃金であるとして、スコットランド炭鉱労働者に雇用主の名入り首輪を着けさせていたが、そういった様々な奴隷制の名残が違法とされた。
- (4)雇用契約は、主人と召使の如くの「主人の人格所有権」は認めない。
- (5)人格に関わる売却契約は不能、それは必然的に隷属を形成するとした。
(近世まで、夫が妻の肉体と能力を一体財産として保有すると考えた)
¶日本での奴隷制の実態を直視
ブラック企業で働けば、奴隷なのか奴隷を監督する者なのか、といった姿である。ではその何が問題なのか、それは正義感や感情論ではなく、疑似奴隷は職業能力がなく、それは企業にとっても、経営マイナスにしかならないからである。はっきり言って、ブラック企業は利益率が低く、長期安定など無理である。だけども、冷静に物事を見極め、改善を図れば、この環境でも好転する。根本的な奴隷制ではない。
女性の社会進出は、マルクスやエンゲルスが主張した、「家庭外へ働きに出る」ことで解消といった論説は、女性が主人に隷属の状況であれば、社会進出に役立ってはいなかったことが、日本の典型例を見ればはっきりしている。女性の社会進出は、スキル(労働力)の提供といった普通の方式ではなく、根底に固有文化価値を牽引するアートArt域の能力が、日常業務に少しでもいいから反映をさせることで、その商品価値(販売価格を)は跳ね上がり、労働価値の報酬確保できる。とりわけ女性の場合は、日本独自の「企業と個人の賃金決定方式」の危険性から、雇用といった労働力の社会進出にこだわる必要はない。それは、ICT産業革命とも相まって、意味ある仕事で短時間高収入が期待できる。(総務部メルマガ7月号参照)ただし、請負契約の完成品名目でスキル(労働力)を買いたたかれる懸念=極度のダンピングがあるから併せて警戒と注意が必要となる。いわゆるテレビその他の「芸能界」の例である。
よって保育所が増えれば良い、夫婦共に労働時間が減れば良い、出産やLGBTに優しい職場環境といった風な、「傾向と対策」により導いたとする知恵のない政策に乗っても、相当の時間と労力の無駄が出るということだ。女性にしてみたら出産と育児が終わってから実施する様なものだ。過去から何十年たっても、同じことを言ってるだけで、この30年間変化はない。この30年とは、派遣業でもって一部の女性労働者の時間給が倍増し、かつ男性上司の隷属から脱出できたことである。だが、男女雇用機会均等法と派遣法で女性のパート化を(4倍)に増やしと厚生労働省も認めている。
社会のなかで、隷属状態に置かれているのか、法的にいう労働者に当たるのか、これを分析することによって、男女個々人と家族のあり方の変化の見通しが見えてきた。とはいっても、世の中にはそうでない人もいて、全体主義者は、自己中心的手法で、地位と報酬を一人占めしようとする、そんな人物の集団にすぎない。おのずと過去の美しい象徴を口にして、不意打ちとは罠で策を実行する。いつの時代のどこの国の実態なのかは知らないが、合理一貫性と事実一致性のない話ばかりである。しかしそれは、労働価値の発揮が抑圧され、具体的に発揮がプロデュースされないから、人々のエネルギーが有り余っている状況で
§女性労働の損失、個別企業こそ一転して経済再生
都市部も地方も、地域経済単位(中学校区程度)での活発化により、個人や家庭の経済再生が図れるだろう。事実、地域経済単位の活発化は、ICT機器によって促されている。一ヵ所から全国津々浦々の小売りまで差配するとして、世界各地の安価な原材料を回収するばかりでは、意味のない仕事であることは歴然としている。
この地域経済単位での活発化がポイントとなる。最終消費財が消費されて、原材料からの商品とその変遷が初めて完結することから、それは重要である。決して地方経済と都市一極集中の二元論をイメージでは解決出来ない。身近にもっと家庭内でも、とりわけアートArt芸術域の労働全般の貸与契約等が下支えとなり、各自の職業能力目標や希望が明確になることで、司法判断も得られ易く、日本社会での経済や豊かさは広がる科学的根拠である。それは理論化されていなかっただけの事で、日本に現在点存する固有文化価値の地域社会土壌が、その証明をしている。①一極集中の官民官僚や金融資本の促進に遭遇しても、各地固有文化は未だ根付き:地元産品が開発され続ける事実を見れば、そこに誰も議論をはさまない。②ICT産業革命の進展は、地元の経済外的強制組織(ヤクザ等)に労働利権を守ってもらう必要がなくなった。
そこで、ICT機器を有効活用し、
「より良いものを安く」との有形製品を仕入れ、固有文化価値を意識的に創造できる人物育成を(生後から24時間青年期までを)地域単位で進め、この元にプロデューサー型経営を組み立てる。ただし、その原動力となるのは、
- 1st)私有財産&私有財産を持つ権利を担保する経済手法。
- 2nd)及び幸せになる人権確保を経済的に担保する経済手法。
- 3rd)物質や生活水準の私的満足(厚生政策)とは区別することができる経済手法。
ちなみに、地方経済の起死回生には、固有文化各々の測定作業が必要である。
その項目(草案)は、
- 地域思考性の特徴を測定
- 知識及び知恵の質量を測定
- 共感作用Enpatyにたいする共感精度を測定(社会心理学&脳科学)
- 個人の自律性について測定(基本的人権と民主主義の度合い)
さらに地域の慣習、慣習法、経営や行動指針、振幅幅巾のある個人の存在などによる加重平均や趨勢分析を考慮に入れていけば、地域の郷土史を科学的に有効に活用することができるようになる。ことに経済や事業経営の歴史の曲解を取り除いて、より正確に地域経済を見つめることができる。反面、地元の末裔や郷土史家からのインタビューを軽視して、証拠たる古文書や地図のみから判断して商業の歴史を決めつけると、「近江商人の天秤棒」のごとく、少なくとも北海道から琉球までを商圏としていた商業団の研究も歪曲されてしまう。
加えて、日本国内各地の商習慣でも、奈良は古代律令制のような雰囲気を無視するわけにいかず、九州は比較的に実力自力救済的であり、大阪の商業水準の高さには世界の港町のような事例が散在する、京都は階層によって異なり商習慣の共通性が弱いといった特徴が例示できる。こういった地域ごとの商習慣の差異を見詰める訓練は、プロデューサー型経営者育成には、非常に意味がある物と考えられる。
§芸術業界を超えて地域産業一般に至るまで、「アートArt域労働、
その担い手となる新型女性労働の人々」といった人格は、意味のない仕事に携わることでは望みはない。それは、大手企業官僚よりも、地域集団になった経済活動が強くなり得るとの、今の経済背景だからである。日本女性の隷属からの解放と相まって、労働参加の主体的実態が認められるから、その展望や展開が夢物語ではないことが解明できた。
OECDは日本経済再生の勧告として女性労働を、先ほど論述した日本女性の隷属からの解放を含めて、改革する必要があるとしている。勧告書をみたところOECDは少子化にこだわっていない。社会から引退する老年女性労働者対策は年金カテゴリーとの考え方も、直に一昨年OECD担当者に質問してみて解った。
個々の中小企業単位での利益率の高い固有文化価値の供給が実現出来、それは世界経済展開への連携による経済再生と豊かさの伴う成長となる。その連携とは、今の外国人訪日とは異なる現象、そのイメージとしては「G7諸国の人たちが観光に来る。」のような情景の経済再生という現象結果にも現れる。個々の企業は、アートArt域労働と新型女性労働を、その目的と意識を明言して、労働契約&話し合い&登用を繰り返せば時代の波に一気に乗れることは間違いない。今月のメルマガ等に紹介した専門的アドバイスは、実際に筆者の長年の仕事の成功パターンが含まれているからである。
§(近況報告) マイナンバー またもや本格運用遅れ
連携システムの不備で、この秋の本格運用が来年7月までの遅れが続出している。従前の流通問題での年金機構の情報連携の開始も現時点でも決まっていない。所得税も住民税も雇用保険手続きも、どれをとっても個人番号届出不要の実態である。企業などのマイナンバー回収も、70%程度との民間調査報告は出ているが、従業員の半数も集まっていない企業とか形ばかりの回収とか、実際にどの程度の個人番号が回収され、行政機関に届けられたのかは見当もつかないほどに不明である。まして、市町村自治体は住民の個人番号を把握しており、副業や学生アルバイトその他の個人情報把握も市町村は熱を入れていないのが実態のようである。事マイナンバーに関して、政府省庁に地方自治体そして民間企業に至るまで、意味を見いだせないから「やる気」のない部署が続出しているのである。
マイナンバー情報連の要は市町村だが、個人番号の活用見通しが延期が繰り返され、またしてもシステムの不備にセキュリティ対策と、追加ソフト開発の費用がかさむばかりとなっている。マイナンバー活用案は幾つも発表されるが、だとしてもマイナンバー制度目的の情報連携稼働の目途は立っていないのだ。そこに、証券会社や金融機関が新商品売り込みのためには、マイナンバーが営業販売の障害になっているとして、業界も苦言を申し立てている。そういえば、医療情報とマイナンバーの連携は、医学的見地から一昨年のうちに、連携しないことが決定している。
民間では、安全対策の見極めを重視した企業は、個人情報保護法に違反する懸念があるとして、個人番号を集めるわけにはいかないところも数多く存在する。それは数10人規模の企業だけではなく数千人規模の企業までにわたっている。現在まで、何らの安全設備投資も番号回収経費もかけることなく、マイナンバーのわずらわしさどころか、未だ全く何もしなくてすんでいるのである。そもそも民間の個別企業には、個人番号に関する仕事の権利義務は全くない、単なる行政協力と努力にすぎない。それを錯覚したりあわてたりした企業だけが動いたわけだ。
過去からの長い期間、国の税収などの制度実施計画には、一部予算執行をしたけれども立ち消えとなった制度は幾つでもある。冷静賢明あるいは老舗の経営管理のノウハウを持つ企業は、それなりに知識もスキルも高いことから翻弄されることは無いのである。
https://mainichi.jp/articles/20170727/k00/00m/040/037000c