2019/06/04

第206号:威勢のよさと悪口に走る:リーダー

<コンテンツ>
貧すれば鈍する、「影さえも消えた日本」
   ・現時点のような下降線を下る時代への転換点では、
   ・多くのインテリ層は“落胆に陥る”心地
   ・「いわゆる学歴」のある人からは

その典型が、緊縮反対論の松尾教授、財政拡大論のMMT論である。
    【全体主義に、対抗し崩壊させた東欧での方法を紹介】

日本的労使慣行への、経団連の微妙な動き
    ・その掲載記事での注目すべきポイントは次の通り。
    ★日本で終身雇用が定着した歴史の真相は

「働き方改革」、忍び寄る危険要因
  ・「働き方改革」、その主要政策ポイントは3つ。
  ・主要関係法律のチェックポイント(誤解や錯覚してませんか?)
  ・【労働基準法の根本的な施行体系】
  ・【有給休暇に係る主な用語の解説】
  ・【有給休暇の用語を定めるに当たって法制度の念頭に置いているもの】
  ・【労働時間把握義務に係る主な用語の解説】
  ・【労働時間の状況把握義務の用語を定める法制度の念頭に置いているもの】
  ・【時間外労働の上限に係る、最低基準の解説】
  ・【時間外労働の上限を定めるに当たって法制度の念頭に置いているもの】


§貧すれば鈍する、「影さえも消えた日本」
株価は日本銀行の徹底した買い支え空しく21,000円を割り込んでいる。
様々な経済指標は、次々マイナスへと転じている。
そこへ各種政府統計の大掛かりな疑惑が報じられた。
隣国の悪口、他人の悪口、反対されたら悪口、そうやって影の薄い自らの存在をアピール。
国際経済における日本は、影は薄くなるどころか、まるで「影さえも消えた日本」である。
大手マスコミの論調は他国の弱みを突くばかりで、真っ正面から日本の課題を取り扱おうとしない非良心的ジャーナリズムに転落してしまった。まるで、「ことさら他人の悪口をふれ回ることで、自らの存在を目立たせるだけ」といった姿である。それはマスコミのみならず、今日本の官僚や官民の官僚主義者も、口を開けば他人の悪口を放つばかりで、自らの存在を目立たせる手法による保身に走りきっている。

現時点のような下降線を下る時代への転換点では、
様々な事情や背景から様々な意見(憶測とか恫喝的な話)が噴出するのである。
彼らの多くは、立場や地位の保身から着想される、「理解ある風な話」とか「レトリック・修辞学・詭弁」あるいは抑圧をかき集めたものである。

多くのインテリ層は“落胆に陥る”心地
とともに刹那的な論評を流すこととなる。確かにそれは、過去の知識や不成功の人たちには“感情的感覚的受け”が高いかもしれない。また、あまり将来的なイノベーションを語ったとしても、多くの人は“自分の知っていること”からしか判断できないから、受けが悪かったり笑止されるだけのことでもある。どんな歌は好きですかと聞かれても、知っている歌を好き!と答えてしまうのが一般的なのと同様である。

「いわゆる学歴」のある人からは、
ゲーテ(1749年~1832年)の言葉に因れば、『学の在る方々は、必ず私の着想をまったく笑止である。……(略)……彼らはいうのです。自分はその分野には詳しくないと』といった状況に晒されているのだ。
だから、他人に優しい人物であるほど後ろ向きになってしまう。インテリでなくても今日のような「意欲・感動・希望」の見えにくい時代の転換点時期には、似非リーダーは大衆に理解してもらうために、既に大衆には馴染みある理解しやすい知識と論理構成でもって、「理解ある風な話」とか「レトリック・修辞学・詭弁」をかき集めて、その場の支持と応援を取り付けようと焦った行動をするのである。これは哲学者カントが当時のカトリックの神父たちの挙動と発言を厳重批判した内容と全く同じなのだ。(決してカントはキリスト教全般を批判したわけではない、そういった行動で解釈を間違って広めると指摘しただけである)。


§その典型が、緊縮反対論の松尾教授、財政拡大論のMMT論である。
①立命館大学の松尾教授もMMT論者も、貨幣と通貨の用語を混同して使っている。明確な概念区分ができていないのが特徴だ。
そもそも人類の経済活動は、貨幣を道具として“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法である。その貨幣蓄積の増殖増進の重要手段として「通貨」は用いられてきたとの経済学説を知らない人が多い。たぶん昔も今も、大学の講義には無いだろうし曖昧に触れられている程度だと思われる。そして人類は生存するための原点に経済活動を行っているのが定説で、多くの経済学者が言う経済合理性は二の次なのだ。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。そこでの発明品が「通貨」に過ぎないし、それ自身は“経済価値のない貨幣や電子マネーなどの器材”を用いることであったし、これも何千年と人類が用いてきた社会運営技術の方法や手段である。経済学の底流にある事柄は、「信用は貨幣を無用とする(ジンメル=「貨幣の哲学」)」であって、これが通説。それは聖書にも出てくるから欧米には馴染み深い考え方でもある。
★ところが日本では、大学の経済学では圧倒的に、貨幣と通貨に関する学説はケインズないしはマルクス(未完成)であったものだから、ほとんどの高学歴者は現代経済学の最前線は知らない現状に置かれている。だから聞いたこともないから、そもそも解りづらい、習ったことのない現象ばかりが目前にあるのだ。したがって、既に大衆には馴染みある理解しやすい知識と論理構成でもって、「理解ある風な話」とか「レトリック・修辞学・詭弁」をかき集めて、まくし立てられてしまうと弱い存在なのである。
★加えて、松尾教授もMMT論者も、彼らが妥協し選択した道とは=「→大衆人に理解してもらうために」とは、選挙に勝つために便法を使おうと、自らを割り切ったのではないのだろうか。ただしこれは、先ほども述べたように社会に悪影響を与えると哲学者カントは指摘しているのだ。
★三橋貴明氏とか西田昌司氏となれば、ますます一般受けする用語を曖昧に大量使用し知識豊富に見せかけ、けれども完璧に貨幣と通貨の役割を混同し→簿記や会計学といった事業運営技能面に話を脱線させてしまうとかで、一般人の理解を得ようとする話法が特徴なのである。なぜケインズが、「雇用」をトップにした一般理論を当時発表したのか! それが彼らの念頭には全くないようでもある。

②松尾教授には、「労働貨幣」といった、第一次世界大戦前のドイツあたりで流行した概念が根底にあるのではないか。
労働貨幣とは簡単に言えば、単位時間に提供した労働力を貨幣の基礎と考えるもの。金本位制であれば貨幣に一定割合の「金」含有量が存在して貨幣の役割を果たす。それが、「金」ではなく労働力の主に時間数を本位とするモノの様な抽象的考え方なのだ。労働者にとってはとても飛びつきやすい論理の現象ではある。だから現在もヨーロッパ各地や日本国内でも、「労働貨幣」の概念で地域通貨をやりだしているところも小規模かつ地域限定で存在している。労働通貨は、第一次世界大戦当時に、ドイツやその周辺で出来たソビエトでも構想され、ロシア革命でのソビエトでは数年間実施された。ところが統制経済と地域経済の整合性とに大失敗をした。その後は「労働貨幣」の理想を念頭に置きながらも、現実のソ連では計画経済が始まる。その際に、社会主義国風の通貨政策が同時進行をしてソ連崩壊まで続くこととなる。それは物資の共通の「配給切符」のイメージ、原理的に失敗しているから学説の組み立てようはないが。
★この計画経済や通貨政策は、ソ連の官僚らによって磨きあげられ、これを日本の全体主義には便利だからといって、戦前の満州国や戦中日本経済は、その制度や形を真似したわけなのだ、ことに戦前の商工省→現在の経産省には、その便利さが官僚には受け入れられているのではないかと見受けられる。「松尾教授もMMT論者も」、過去に似通った人は100数十年前から現れ、“淀みに浮かぶ泡”のようなもの、消えては泡立ち、経てば消える。だから「松尾教授の論理展開」と、戦前戦後現在の通産官僚の論理展開が、表面的には同一に見えるのだろう。だからこそ詳細な部分では財務省本省の論理展開とは若干異なるのも当然なのかも。


☆☆【全体主義に、対抗し崩壊させた東欧での方法を紹介】
旧ソ連の東欧での全体主義を崩壊させた歴史を実証研究した哲学者クロード・ルフォール(フランス)は、次のような内容を各国歴史の事実関係から発見している。
そこには旧ソ連の軍事力の脅威が停止したペレストロイカの瞬間に、各国が自力で崩壊させた「民主化の対抗政策」を紹介している。
確かに、日本軍ファシストやドイツ:ナチスに比べ、頑強で長期化した旧ソ連をはじめスターリン主義:左の全体主義は、西側諸国の支援を必要とせず崩壊したのは確かな事実関係である。
さて東欧での「民主化の対抗政策」とは次の通り
☆1.全体主義者の象徴的なものの秩序(幻想・妄想)を、現実的な物事の内側に落とし込んで行ったこと。
  (実現可能な幻想妄想であることが証明されていった)。
☆2.こういった現実的な物事の内側の解決には、全体主義の外部との連携を伴わざるを得なかった。
  (自由・平等に基づく様々な権利が全体主義の下でも実り、それは自ずと経済利益を確保されつつあった)。
☆3.全体主義権力の秩序は、「法の秩序」や「知の秩序」と合致しない。
  (秩序や権利行為は、①法定のもの、②契約行為、③不法行為、④その他の権利に及んでいる)。
☆4.結局は全体主義者は差配する者であったし、官僚は一枚岩ではなかった。
    権利や利害を守ろうとする頑強な社会層の抵抗に全体主義者は弱い。
    現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突する。
……といった考察を実証研究しているのである。

【物語風にもう一度これを繰り返すと】
1.先ずは生き延びて、全体主義に対抗し続けて、
2.幸せと権利の主張を行い、
3.自由と創造性の資源でもって、現実に具体的な経営や労働を行い、
4.新たな権利のチャンスの形を読み、
5.そのことで幸せと権利、実利利益も確保して、経済的な余裕も確保して、
6.自由の相互承認・行使の相互保障を柱に→民主主主義を広げることである。
7.「幸せの権利と利益満足」との区別を付け、
      「未来幻想と現実現在を交換できる」との誘惑に抵抗することである。
……このように、東欧では全体主義を崩壊をさせた、これが歴史の事実である。
(詳しくはこちらのURL) ☆ 全体主義に、対抗し崩壊させる方法の紹介。その解説付き ☆
http://soumubu1.blogspot.com/search?q=%E6%9D%B1%E6%AC%A7%E3%80%80%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9#181-06


§日本的労使慣行への、経団連の微妙な動き
“終身雇用”をはじめとした日本の長期雇用慣行、これが崩壊したとする論理に対し、その現状認識を否定する事実関係について、経団連:雇用政策委員会は2019年4月24日、一橋大学経済研究所の神林龍教授から「日本的雇用慣行の動向~これからの『正規の世界・非正規の世界』」をテーマに講演を聞いたとする記事を、経団連タイムスに掲載した。
http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2019/0530_06.html

これは経団連の雇用に対する中心的ブレーンの中では、「終身雇用」あるいは長期雇用の崩壊といった認識を持っていないとする意思表明とみなしてよい。

その掲載記事での注目すべきポイントは次の通り。
(ア)1982年から2012年の30年間を通じて数値としては、非正社員が増加しているが、この増加に伴い減少しているのは正社員ではなく自営業者などである。1982年と2007年の比較において、18歳から54歳の全人口に占める割合においては、無期正社員は1%から8%に増加していて、自営業者などが14%から7%減少にしていると分析。
(イ)日本での強固に正社員は残存してる背景には、労使の円満なコミュニケーションによる関係構築が、労働市場の基礎条件を形成し安定的な組織運用可能としてきたと分析。
(ウ)その中心的な原則は、解雇権濫用法理と就業規則の不利益変更合理だとしている。
ちなみに、これを筆者むらおかが解説すると、いわゆる日本型正社員の少ない欧米では、地方ごとの労使関係に行政が加わり、その場で賃金とか雇用を決定している様相だ。日本では賃金や雇用に関して会社と個人の間で決定するが、欧米では“労使団体間と行政の関わり”において決定(その地域での基準をベースに)をしているのだ。

日本で終身雇用が定着した歴史の真相は
終戦直後において日本側が占領軍のGHQと対決して導入した、電産型賃金(=これが後に年功序列賃金として銀行から一般企業へと一気に定着する)この賃金体系とともに、そこでの背景にあった正社員大量確保による組織的技術向上のための終身雇用制度であったのだ。仕事に関する技術を積めば、その経験を年功とみなしてベースである生活給に上積みをするといった概念だ。
その当時に表面に現れたのが、電産10月闘争と言われる「電力ストライキ」である。その背景には占領軍のGHQが日本経済弱体化政策のために職能給の賃金体系を押しつけたことに対する、電力業界の水力発電から火力発電への技術革新のために、有能な正社員の確保が必要であるとの対決だった。そのための手段が電産型賃金(=これが後の年功序列賃金)であり、当時の事情から労働組合が表立って行動をした。経営者が発言したり行動すると戦犯扱いされ逮捕される危険があった。労使打ち合わせによる日本を守るためのGHQとの政策対決だった。実に、電力を停止させるストライキの日時を決めたのは社長(日本発送電株式会社)であったし、こと細かい給電停止作業は「給電指令所」(会社の事業組織で出火その他安全安定を確保する給電機関で現在も同様)が動いて、表向きは労働者のストライキとしたのだ。(筆者むらおかの伯父が当時の人事部賃金課長兼全国労組の副委員長TKだったから、その内情をよく知る)。
これが、当時の財界その他から支持もされ応援された。電力ストと言いながらも、10数回にわたる停電ストライキの途中からは、給電停止はアメリカ軍施設(病院は除外)のみで一般家庭や企業には送電するといった細かく配慮をする給電指令所(現在も主な施設ごとに給電停止をして地域ごとには電気は止めないもの)であった。
https://www.youtube.com/watch?v=6Faf2TyFrdM

講演をした神林龍教授からは、そういった日本の労使自治の第三者介入を取り上げ、暗に政府の労使自治介入への警鐘を鳴らしている。


§「働き方改革」、忍び寄る危険要因
これにかかる労基法、労働安全衛生法、労働契約法などの改訂の解釈は、あまりにも不正解な解釈が多く、Netでも氾濫して流れ、そこには、一部の専門家や国家資格者及び関係団体でさえもが、間違った珍説を説明するなどである。それが原因で、個別企業方針がデタラメに落ちるとか、あえて無用な法違反を使用者は行っている事例が激増している。そこで、最も正確な法解釈、その法制度不備の部分の解釈を説明することとした。

この解説は、行政機関とか、「働き方改革」の政府思惑ではない。
ここでは、民間の個別企業が、如何に抜本的に労働価値生産を高め経営安定させ、
携わる方の安定した労働全般の根本的能力向上と開発のための視線でもって解説・説明する。
目先の脱法行為とか潜脱行為といった幼稚なアドバイスではない。もちろん「○○に刃物」でもない。
引いてはそれが個別企業や地域経済の国際競争力に結びつくものであり、
「現実と将来を観たうえで意味を理解すると、それは象徴になる」のである。Art域労働にしろ芸術にしろ、労働能力全般を用いての細かい所への配慮と注意が、「意欲・感動・希望」を提供するのである。スキルと言われる労働力といった労働能力全般のうちの一部を使うだけではない。
またこれは、昨今の大手企業に見られる事業崩壊を教訓にした解説でもある。
念頭には、
Made in Japanの「日本文化・国土リゾート・福祉」の事業であり、そこへの事業転換がある。
http://www.soumubu.jp/alliance/index2.html

「働き方改革」、その主要政策ポイントは3つ
端的に言えば
①年次有給休暇(有休)の、有休発生10日につき5日間の法定付与義務。
②労働時間状況把握義務(この状況把握が賃金計算根拠になるのではない)。
③時間外労働の上限規制。原則は月45時間・年360時間。
この表現だけでも、すでに誤解をしている人が多い。
それは、労働基準法に定める用語の概念が明確であるにもかかわらず、様々に内容を変質させて誤解しているものだから、さらなる誤解を生み続けているのである。むしろ国家資格を持っていることで、時代の転換点を読み込めずに、新たな誤解や珍説を産むケースも散在する。
また、誤解を引き継ぐままでであれば、低賃金・消費低迷・労働意欲減退・価値値生産低落を、益々招来するばかりである。それは巷の迷信と後退の経営を助長するばかりである。

主要関係法律のチェックポイント
(誤解や錯覚してませんか?)
それでは、まず用語の概念から説明をする。
合わせて労働契約法に定める用語の概念も比較しながら説明する。

【労働基準法の根本的な施行体系】
★1.労働基準法は日本国内の公務員を除いて、事業主の親族外の人物を使用したときに、その事業場全体に適用される。労基法の適用単位は、原則的に企業ではなく事業所でもなく、人数にかかわりなく事業場である。「事業場」とは、地理的に分離した就労場所で、事件発生場所のイメージである。社会保険や雇用保険で言う「事業所」とは異なる。
★2.この法律は、国内の最低基準を定めたもので、(社会主義国家とか全体主義国とは異なり)この法律の通りに働かせるというものではない。代わって労働契約法は、その法律の原則を守らなければ労働契約は成立しない。(申込みの意思表示と承諾の意思表示の合致)。
★3.労働基準法は国の刑事取締法であり、労働基準監督官は司法警察員である。代わって労働契約法は民事法であり、その仕組みというのは民法に→それを補強した労働契約法といった具合である。労働基準法違反は、各条文の構成要件に基づいて検討されるが、民法や労働契約法に基づく契約の有効性は、終戦直後からの裁判審理マニュアルとして用いられる「要件事実」といった思考パターンで判断される傾向だ。
★4.休暇とは“労働義務時間帯に休むこと一般”を指し特別な規定はない。労働基準法に言う「休日」とは、休む暦に基づく日(暦日れきじつ)の午前0時から午後24時は、労働から解放されなければならないといった厳格な定めがある。原則週1回の休日を最低取らせなければならないのだが、その暦日の零時から24時の間に労働が食い込んではいけないとする概念である。週1回を超えて休日を与えるかどうかは個々人との労働契約(それが集合した場合の就業規則)あるいは労働組合との労働協約で決めればよい。休日をいつどのように決めるかを労働基準監督官にあれこれ言われることはない。
★5.年間カレンダーと称して、あらかじめ年間休日の日数を決めるのは自由である。その場合、労働基準法概念の“その暦日を労働から解放する休日”であるのか、それとも週毎に定めた労働時間の空き時間なのかを明確にする必要がある。「年間休日日数は〇〇〇日間」とかの流行はしているが、その多くは労働組合との労働協約であり、格好の良さから中身を確かめずに導入を勧める国家資格者や偽専門家も存在するから要注意である。
★6.期間の計算は民法第143条(暦による期間の計算)で定められている。
  1.週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。
  2.週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、
    最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。
    ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、
    最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。
★7.使用者とは労働基準法で、労働者に対して、「事業主のために行為をするすべての者」とされている。これは兼務役員や管理監督者などといった役職や職制にかかわりなく、労働者に指図をする行為を行った者(その行為を時たま行う者を含む)のことである。誤解をしてはいけないのは、兼務役員や管理監督者なども労働者であり指図される者(管理監督者の選任労働契約が無ければ)だから、労働者には変わりない。

【有給休暇に係る主な用語の解説】
① 年次有給休暇は労基法の定めによる最低基準。主に関西を中心として「有休」と民間では呼ばれているが、文化が異なり「年休」と上から目線で言う人も存在する。
①の2 有給休暇は発生付与日から起算する。10日以上発生すれば1年以内に5日間の法定付与義務を消化させることとなる。法定付与だから翌年に繰り越すことはありえない。前年残りの繰り越し分を法定付与として消化しても法律違反には問われないが、結局のところは事業主が有休の賃金負担をさせられるだけのことである。
①の3 有休の消化方法は、あらかじめ計画された暦日に就労する労働時間を働いたものと見なして賃金決済する。その日の有休の賃金決済を平均賃金計算で行うのは日雇労働者(今日だけ働く契約)とか、有期の期間労働者(今日と明日の2日間で最短の期間労働者となる)を、→断続的に繰り返すことで有休発生要件が生まれる場合に限られている。時間パートとかアルバイトなどといった名称や賃金形態で以って有休の平均賃金計算の決済はできない。
①の4 有期の期間労働は断続しない限り、労働期間は通算されて有休発生要件となる。この場合の断続とは次の時期の契約が存在せず、次期の労働提供義務も雇用義務も存在しない場合に限る。労働基準法では、次の契約との空白期間は定められてはいないが、労働者派遣法や雇用保険法の考え方を準用することで、紛議を生じ誤ってしまうことが多い。例えば、定年後も引き続き働くとなれば、有休の算定年月は採用入社日から通算されることになる。
①の5 有休は休暇であって休日ではない。したがって労働者本人がリフレッシュするのであれば、リフレッシュの場所とか内容を指図することは出来ない。極端なケース=会社のソファーで、日がな一日を休むとかも会社の統治権のもとで容認して差し支えない。有休の消化につき、あらかじめ計画されていない就労時間、労働力提供不能状態の暦日(欠勤や休職)、就業規則で定めた休暇、退職日の後などに付与ないし持ち越した有休は消化出来ない。
①の6 有休の管理簿は事業場に備え付けなければならない。事業場でのパソコン等処理でもって有休管理簿の事務作業を行うとかの電子処理に限り、電算機の管理が認められている。事業場の管理簿の事務作業などを「事業所」などで行う事はありえない。なので事業所で可能な作業とは、事後集計と賃金計算に用いる結果数値の程度なのだ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/yobo/daichou.html

【有給休暇の用語を定めるに当たって法制度の念頭に置いているもの】
① 労働者をリフレッシュさせて働かせることを前提とし、数日間の連続付与を念頭においている。リフレッシュさせるわけであるから事業主の強い勧奨でもって休暇を消化させることができる。労働者の請求によって付与させるとは、有休を与えなかった使用者への、労働裁判における判決であり、それ以上の効力ではない。
①のb 労働基準法では、次の労働契約との空白期間に関する定めないが、「最低基準」に掛かる構成要件を監督官から追及された場合に、客観的合理的に説明できなければ労働期間が連続していると判断される。その判断を下すのは司法警察員である労働基準監督官であって、それが犯罪と問われれば書類送検され刑事裁判となる。
①のc 有休の買取は、有給消化を妨げるとの構成要件が整っていれば法違反である。また、退職日の後の有給休暇付与申請はありえない。
①のd 休暇というのは、事業主または労基法に定める管理監督者が与える権限を持っている。生理休暇、慶弔休暇、育児休暇、家事休暇その他、子供の塾送迎時間に至るまでを、そういった労働基準法を超える好条件を与える裁量権は、管理監督者に持たせていることを念頭に置いている。(なお生理休暇は生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求すると法改正されている)。
①のe 週の労働時間=40時間以内の時間配分は事業場で行っている。シフトを組む場合などに必要な事業場における有休管理を記録をした管理簿の備え付けなのである。なので有休の管理と管理簿は事業場で機能する訳だから、いわゆる事業所とか本社人事部にて有休管理をすることはありえない。就労結果の集計といった賃金計算を事業所や計算センターで行う事は認められているが、それはあくまでも管理結果の事後処理の計算に限られている。

【労働時間把握義務に係る主な用語の解説】
② これは、正しくは「労働時間の状況を把握」する義務であり、具体的には労働安全衛生法で定められた。監督指導は司法警察員である労働基準監督官が行う。
②の2 健康管理の観点から事業場において働いている者は、管理監督者及びみなし労働時間の者を除いて、裁量労働、フレックス労働、出来高制労働などの、いわゆる職位、役職、名称、契約形式には一切こだわらないから、全員が対象となる。労働時間の把握ではなく、「労働時間の状況を把握」する義務であるから、労働時間の克明な記録を行う対象者と、大まかな時間の状況把握の者とに分かれることもあり得る。すなわち、週の労働時間=40時間以内が厳格に求められる措置を講じている者は、この安全衛生法による「労働時間の状況の把握」の義務は存在しない。なお一切、使用者から指図されない兼務役員と管理監督者及びみなし労働時間の者については、使用者による労働時間管理の責務があるとしている。
②の3 「客観的な方法」とは、第三者が見て当事者の説明を受けなくても解る方法との意味である。
②の4 「その他適切な方法」とは、事業場の外から社内システムにアクセス出来る状況を除き、直行直帰などでの客観性合理性理由がある労働者の自己申告制との意味である。合理的とは、いわゆる道理と因果関係がある説明といったような概念である。会社が業務のために支給しているスマホのショートメールorEメールは、社内システムにアクセスできる状況であると判断される。
②の5 ここで把握された労働時間が、賃金計算の算定根拠になるわけではない。あくまで根拠となる労働時間は使用者が自ら現認することが原則である。この使用者の現認に代わって就業規則その他でタイムカード、ICカードなどの機器を用いるとした場合は、その客観的記録が著しい合理性を失っていない限り賃金計算算定根拠と扱われる。(未払い賃金訴訟の判例)
②の6 その他の労働基準監督官の指導内容の詳細は2019年1月20日に、きわめて具体的に書かれているガイドラインが出されている。
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000187488.pdf

【労働時間の状況把握義務の用語を定める法制度の念頭に置いているもの】
② この制度は労働基準法ではなく労働安全衛生法で定められた。過去から現在に至るも労働基準法での労働時間把握義務は無かったし、現在も無い。
②のb 端的に言えば、医師の面接指導を実施するために、労働者の「労働時間の状況の把握」の義務があるわけだ。
②のc 医師の面接指導実施には及ぶ可能性のない者だからといって、労働時間の「労働時間の状況を把握」する義務が免れるわけではない。長時間勤務が有りうるか否かといった状況把握で差し支えない兼務役員、と管理監督者、みなし労働時間労働者もいる。
②のd 現在も労働基準法で労働時間の把握義務は無い。労働時間管理の責務の概念があるだけだ。
②のe 各種情報から時間外と休日労働時間数が、月間45時間を超えていると考えられる事業場(36協定届その他)などは、監督指導を実施することになっている。
②のf なお、厚労省のガイドラインでは、兼務役員や管理監督者は労働者であるにもかかわらず、そのすべてが使用者であり指揮命令されることはないとする誤った概念が見受けられる。労働基準監督官の監督指導に於いてはガイドラインに基づいて行われるが、民事訴訟の裁判審理に於いて、「名ばかり管理職」とは認められなくとも、事業主からの指揮命令などがあったとされる場合がある。

【時間外労働の上限に係る、最低基準の解説】
③ 時間外労働とは、法定の休日を除く暦日の、週40時間の法定労働時間枠組みを超えた部分の時間数となる。原則は月45時間・年360時間。
③の2 週休2日制など法定休日とはならない暦日の労働時間も、厳格に定めた休日だとしても、これを時間外労働の時間に含めて賃金計算することとなる。祝日を休日とするかどうかは労働基準法の最低基準が関与するところではない。
③の3 この↑暦日を、休日(午前0時から午後24時を労働から解放)とする就業規則規定や労働組合との労働協約がない限り、休日とは名ばかりの“労働義務のない暦日”の、いわゆる休暇扱いである。
③の4 週40時間労働の各日の始業終業時刻を、あらかじめ定めた場合は、その枠を超えた時間が時間外労働25%割増賃金時間となる。法定休日となれば35%加算、深夜になれば更に20%加算となる。なお法定外休日は賃金の割増加算はないとの珍説は誤りである。
③の5 各週各日の労働時間数を計画しなければ、1日の労働時間は8時間と見なされる。この見なされた労働時間、すなわち8時間分の賃金請求権が労働者にはある。
③の6 例えば週に、朝9時から18時(休憩1時間)の5日出勤、法定休日(この日は23時間労働が限度)が1日、及び“労働義務のない暦日(休暇扱い)”が1日とで、1週間の所定労働時間が構成される。
③の7 法定休日(午前0時から午後24時を労働から解放)についてのみ、36協定での休日労働届出の対象となる。法定外休日を36協定の届け出項目とする珍説は誤り。
③の8 “特別条項”の規制は、=1ヵ月の時間外労働と法定休日労働を合算した数値は2009年4月以降は「直近6ヵ月平均80時間以内」などが詳細に規制されている。
③の9 法定休日を定めなかった場合は、賃金締切日と直前の暦日に、週1回案分の法定休日数(4~5日分)を満たすこととなる。この場合、事業主の割増負担賃金額は増加する結果になりやすい。
③の10 “特別条項の36協定”を締結することは可能。だが、各種情報から監督指導を実施することになっている。

【時間外労働の上限を定めるに当たって法制度の念頭に置いているもの】
③ 事業場ごとに定めた始業終業時刻の時間帯を超えた時間帯に限って時間外労働になるわけではない。副業などで他の事業場で働いていれば、主な事業場の所定労働時間を超えた部分には時間外割増賃金の支払い義務が、他の事業場にはある。法定休日労働も同様の割増賃金と支払い義務がある。
③のb 9時から17時労働の週休2日の場合、17時からの1時間と土曜出勤5時間分は、法律で言う時間外労働に該当しない。この場合、各日毎に時間と賃金の計算をすることで、狂いを生じさせないことが原則だ。“行列(マトリックス計算)”を要する。
③のc 「昔は1日労働時間8時間&法定休日1日」であったが、昭和63年4月から「週労働時間40時間&法定休日1日」と基本設計が変わった。
③のd 法定休日の割増賃金は35%。何はどうあれ、週40時間を超えれば25%割増賃金は、法定外休日(午前0時から午後24時を労働から解放)でも、“労働義務のない暦日(休暇扱い)”にあっても、割増加算をして賃金精算をしなければならない。有休その他休暇は、その休暇暦日やその休暇時間帯の労働を免除する制度であるから、その日時に労働しても加算された賃金とか割増賃金は生じる訳がない。
③のe 労働時間の計算は、数学でいう“行列(マトリックス計算)”であるから単純な加減乗除計算ではできない。そういった電算ソフト(マトリックス計算)で開発製造された電算機やパッケージソフトは、ほぼ存在しない現状である。
③のf 休日とは名ばかりの“労働義務のない暦日(休暇扱い)”が生じているのは、週休2日制の実施&実態を曖昧に扱った昭和63年法改正の不備によるものである。当時労働省の担当法律条文作成者は念頭に置かなかった。だがこれは、最低基準を定めた労基法としての結果にまで影響を及ぼすものではない。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/jinji/labortime.html