2024/10/08

第270号:経済失策の犠牲からの亡命

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
お客の困り事を聴き尋ねニーズをつかむ
一気に、前向き企業にする、最初の一手は
本当のイノベーション 何も新商品ではない
過去政府の経済・無政策に頼らず克服したポイント
流通取引物ごとの、概念的構成要件の整理
カオスの世界とか量子論を、身近に目前で試みてみる
能登半島地震、加えて洪水の悲劇の本質
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20241008】
  『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』



§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
 お客の困り事を尋ね、ニーズをつかむ⇒緊急行動
  即刻、商品と売り方を、時代の先頭に合わせる
   選挙政府に期待なし。④衝撃報道にも踊らない
§お客の困り事を聴き尋ねニーズをつかむ
同業他社・同業に見做される企業であっても、売り上げや利益率の伸びている企業は、俗に言えば、約:2割は在る。その2割企業との違いは、“客のニーズをつかんでいない”、或いはどこかの段階で“客の相談や困り事”を、跳ねつけているからである。(若者等“スマホ認知症”の)電話対応(決してそれは事務的ではないが、マニュアル外の話は無視する)事にしている実態が多い。その傾向は“発達障害”等ではない。
応接の見本は社長や営業販売幹部が、社員に見せ付けなければならない。ことにニーズをつかむためには、貴重なチャンスや手がかりが重要だ。【マーケティング調査はその多くはインチキだ】。経営管理者の知らないところで、チャンスを断ち切っている行為が、社内で横行しているかもしれない(有名大手家電会社でもよく在る)のだ。電話をかけていただいた人をアキラメさせるのだ。その態度では、最近話題のカスタマー:ハラスメントも、あえて招来する訳だ。
その最も効果的な、改善・改革は次のとおりだ。
問い合わせや顧客の相談にのる
かかってきた電話の、第一声は=
 「お困り事ですか、どうぞおっしゃってください。」だ。
  社長や営業販売幹部が、真っ先に電話を取る。
   あなたが、“物資配給業者”ではないならば
     ⇒お客の困り事を聴きニーズをつかむ。
社長や、営業トップの、顧客の誘引や応を、社員に見習ってもらうには、
①顧客との電話のやりとりは、社員が見聞きする前で、その会話方法や姿勢・態度を、社員に見習ってもらう。(社員における先輩や後輩間でも同様である。
②近年の若年中年層は、組織的動きといえば、“部活”や“サークル”のピンキリ練習?の学びや経験しかないから、大概は職業訓練には、至らない現状だ。)
③話はそれるが、若年層の多い、ITソフト開発企業では、その多くで“高校時代の部活の乗り”で業務を進めている。それは人事管理や労務管理には程遠い。無駄な労働時間とか&あえてストレスを招来し、うつ病等を多発するのは自業自得という状況なのだ、(うつ病なども、適切指導すれば、一気に激減したから)ご参考に。


§一気に、前向きな企業にする、最初の一手は
詳細は省略するが、働きに来てくれている人たちの、一番の不安を解消し、その道筋を示して(売り上げ向上とか事業安定の方向と方針)を、今どきの時代や世相を重視して、とにかく皆に意見や気持ちをオープンに話してもらいトップリーダー(社長とか)に結束してもらえれば、数ヵ月で一気(年内に)にガラッと変わる。そもそも筆者の仕事経験は、そういった対策を打ち軌道に乗せるものであり、もう半世紀ほどノンビリやってきた。たとえ賃金が払えなくなっても、「未払い賃金確保法」も在り、社員の一時的な雇用保険の“在籍失業給付“という国の制度もある。企業はダメでも事業を残す方法ならば何でも在る。
~(皮肉ひにく的だが)それぞれの中堅企業であれば、有能な人材を幹部に抱えているから、筆者が今日まで「緊急立て直し」の仕事に成功すれば、大概:そんなの会社の有能な幹部は、“筆者の私には「居てもらいたくない」”と言うのが、成功裏に建て直したときの常なのだ。その、あなたの会社の有能な幹部も、元気になり希望も湧いて、職業安定していった訳だ。

そこで、恐慌や、日本の危機が迫る、今日的な緊急例示が、これだ。
これからの時代の社員像
断られない限り、皆を社員に登用し、人手不足の渦から脱出する
社員とは、長期に、社員に安心を提供するだけの事だ。
(今や時代は、社員を束縛してはいけない)
営業効率の高い曜日のみ限定の、販売選任社員(副業可能)
(金・土・日の週3日だけとか、出来高制契約書と福利厚生)
長期雇用が柱と成れば、我が事のような、仕事姿勢と着想となる
週3日、1日3時間の=短時間就業社員は高学歴主婦に人気だ
(百貨店の高級商品売り場では、何十年も前から実施済み)
全社員で日々改善・改革方法を試し、受注のチャンスを増し探す


§本当のイノベーション 何も新商品ではない
イノベーションを行うに、先ず方法とは、とにかく真似をすることだ。同業種でもいいけれど、なるべく他業種のノウハウ、技能、技術をコピーしてきて、真似をすることに限る。アップルもノキアも新発明をして売り上げ急増をしたのではない。そして大概の商品には著作権が無いから、真似をしてみることだ。但し引用するならば研究論文の形をとり引用元をはっきりさせれば問題は出ない、それは引用される側にとってもPRしてもらえることほど喜ばしいことは無いからだ。一部の技術は特許権が存在するが、特許料を支払った方が良いのかor特許を採り直した方が良いのかを、マーケティングの視点から検討すればよい。なぜならば、利益率の高い売れる商品という物は、「意欲・感動・希望」の三つがセットになった固有文化価値(思想や観念の価値判断)の商業的取引=正当なマーケティングでも、売れる物だからである。下の黄色枠内を参照。(参考の、過去:総務部メルマガ記事)
細目に至るまで、すべての仕事のやり方を改めて考える。
(これが本当の意味でのイノベーション。何も新商品とかではない
ただし、もう時代は、
 “コンパクトにして、顧客にも、コンパクトに提供”
 “長生き・長持ち・健康”の商品や服務(サービス)
  “まともな”品物や服務(サービス)
     或は「お代は後でもいいですよ。」といった姿勢
それに加えて、地産地消をスタイルに、
 新しい商業文化で以って臨む開拓
  集客は、とにかく…“愛想良さ”
  極意は、意外にも、~社員側から世間話をしない。
   世間話が、お客から在ったときだけに、
  ……応じて応接するのが、更なる極意である。
専門性の高い事業ほど、この応接が信頼を産む(実証済み)


§過去政府の経済・無政策に頼らず克服したポイント
紙面の関係から、過去の政府の経済政策が成されない状況でも、民間が独自に、自力で行った克服のポイント(整理表)を、下の表のようにまとめてみた。
その前に、今からおよそ半世紀前、電気屋さんたちは
街中でも地方でも、量販店と対峙をしても、それなりの経営を行っていた。
それは、注文顧客の相談に乗り、屋内の家電や配線状況を見て、修理を行うばかりか、予算に応じて電化製品を提案することで、顧客の信頼を得て喜ばれていたのだ。むしろ、あえて大型量販店の近くに、電気店舗を構えて、量販店に訪れる顧客の不満も解決していた。そういった職業能力は今日こそ、活かせるヒントになる。
まして今どきは、電化製品その他は、悪徳生産メーカーなどの存在で、「ネット購入商品はすぐに壊れる。」とか、「安物のネット商品はマガイ物。」そして量販店でも詐欺マガイであったり、修理不可の商品が急増をしているような状況だ。ちなみに、その昔、松下電産は、発売当初、“電気炊飯釜”を米屋さんに置いて販路を開いた。
いわゆる“経済圏基本単位内=中学校区=”の高齢者は、若年層に比べ購買力はまだある。そして、家電店は、何も家電等に、こだわることなく、健康や長生きに関する食品・サプリなど、更には“高齢者の代わりに、良商品を“検索し仕入れるサービス。”と言った商売だって可能なのである。小売り店舗がメルカリ活用する・その逆もあり・訪問配達も得るのだ。“中学校区=の経済圏:基本単位内”であれば、“同一文化“だし“同一言語”だから、互いに考えていることは即⇒通じるわけだから、顧客の信頼を得ればこそ、買い物代行とか介護補助何だって出来るのである。新たな経済も次の時代も、そういった物や文化に変化していく。物資配給業態ではない。

民間が、独自に自力で行った、克服ポイント(整理表)
昭和大恐慌
1929年(昭和4年)~
1931年(昭和6年)
バーゲンセールを年中実行した
 安い商品を大量販売した
  服務(サービス)の強化をした
平成不況
1991年3月~2002年1月
昭和大恐慌の項目に加えて
 エンドユーザー(最終消費者)に
  喜んでもらえるモノを商品化した
情報革命
インターネット商用利用
1995年~2020年ころ
人力や馬や牛の力このエネルギーを⇒ことごとく
 蒸気タービン(発電)し、電気(動力伝達)へ転換
 流通(交通)方法を、⇒多品種に・小口に
  連絡や通信方法を⇒早く安価に便利にSNS
   日本文化の意思疎通(だらだら話)は、
 コロナ禍もあり⇒インターネットや携帯電話に切替え
直面する金融投資崩壊
後に恐慌2024年秋~
金融資本投資の崩壊⇒街も地方も単位経済圏
 (中学校区内)から改めての地産地消(地元産品)
猛暑と洪水の気候変動~衣食住の緊急対応
 地産地消へ
~衣食住:関連商品⇒変化の流れ。
今後の恐慌後の方向 新しい文化への⇒変化形成へ~新商品(服務)誕生
(注)IT機器業者、Net関連業者の、甘い誘引には乗せられないことだ。
“AI人工知能“だの、“チャットGPT(chat gpt)”だの、“量子コンピュータ”だの、それら全て、コンピュータソフト開発での「商品名(AIが典型)」に過ぎない。そういった仕組みも概念も解らず、コンピュータ電算機のまだ無い時代に考え付いた(凡そ全ては100年ほど前)物にもかかわらず、販売時の商品名で、暗闇のブラックボックスのままで、「便利だとかよく売れている」とかで乗せられ、騒がれているに過ぎないのだ。
ちなみに、読者のみなさんは、「ボグダーノフ、ウィーナー、アインシュタイン」の名前を聞いたことがありますか筆者も頑張って、100年ほど前の研究足跡を辿れば(そう専門的にあらず)、“ITや量子”といった根本の中身、人間の頭脳で活用できる限界(頭脳の方が大量で速い)、電算機を用いない活用法、IT業者の語らない欠落瑕疵やマイナス点、といったモノの、見当が付くのである。エピソードではあるがJRの列車運行図表(検索可)は、1986年以前は、サイバネティクス(サイバーの原語)であっても、大きな巻紙の模造紙に、定規と鉛筆で沢山の線を引いて作成(先々月の当メルマガに画像掲載を参照)をしていたのだ。
いま現在は、確かに、ICTの時代。且つ、そこへ
グローバル国際金融資本の自滅崩壊から
“縦型の組織経営”とか“単位高利益率”を前提とした、金融資本投下方式では、一気に廃れる事となった。企業や経営の形態は一気に変化し、それは地産地消といった、商業の最初の歴史の姿から
改めて構築していくこと、に成った。
それを経験体験することこそが、
改めて構築していく、着実で地に足の着いた方法である。
日本の基礎理念は、今も“近江商人の末裔“にだけ伝わる順序
世間よし、買い手よし、売り手よし。」といった、原則である。
但し、“利は仕入れに在る”原則。仕入の有効利便性は守ること。
なお、今月号の総務部メルマガで、
と題して、せいぜいPCのExcel程度で、それらが行える方法手法の紹介記事を掲載した。筆者は、芸術品(その服務)に係る“Art域労働“の、内容や中身を調べ法則化する研究として、当時(10年ほど前)は未だカオスとか量子論については無知だったが、不思議と同様の方法をExcelで、これが探求できた。今般は、先に述べた100年ほど前の研究足跡を辿って、当時の研究者とほぼ同様の物事であった足跡を、改めて正確に知ったわけだ。カオスや量子論は、数学の分野から入るよりも、社会学や一部哲学から入った方式が分かり易かった。(唯物論と観念論を混同して解説する“知識偏重主義”の工学系素人?が少なくないから、余計に理解し難い。)40年ほど前に筆者が、給与賃金体系の“職能資格制度(大阪市:国光製鋼が日本初)”を、瞬時に「数学の積分(面積)計算」であり、少なくとも給与支払い者数700人を超える企業でなければ、即刻;“年功序列型賃金”に歪曲されてしまう事を見抜いたことを、久々思い出した。


§流通取引物ごとの、概念的構成要件の整理
作業や行動の構成要件を、自覚して仕事に取り組めば、目指すところの段階への到達は、速いのである。(作業や行動の構成要件を自覚しないで行うものだから、空回りや無駄・後退が多発することとなる。)教育訓練も自己啓発も同じだ。

流通取引物ごとの、概念的構成要件(要注意)
量産品 工芸品 芸術品(や服務)
生命等の維持物資 ガラクタ商品だとしても 希望や願といった共感作用
原材料費・運搬費 固有文化価値を含み Art域労働での支え
労働力確保の費用 高度労働力能力の費用 感覚・知覚・表象の心理現象
事業の維持費用 文化や安定の精神的維持費 その視点・整理・蓄積にて
注)利益逓減の法則 売買各々の相互作用 高利益率の誕生に至る
工芸品とか芸術品(服務)の技術が、それなりに整っている水準であれば、それなりの“作業や行動の構成要件”を知っている。けれど自覚が形成していない。
それは、携わる人たちの努力や能力によるものではなく、ひとえに科学の発展を待つしかなかった。
「なぜルネサンス時期に巨匠が生まれなかったのか?」
この疑問に対し、答えは、「当時は科学的に物事を考えることが出来なかった。」からとのことである。これを考えるキッカケと成ったのは、芸術全般にわたる“アヴァンギャルド”の世界的動きの中で、量子力学”や“サイバネティックス”のヒントが生まれたことで、人間の「労働力から~労働能力全般の渡り」への、諸技術の解明が進みつつあるのである。(ところで、ここで言う科学的とは、根拠または証拠の裏付けを以って、「何時でも何処でも誰でも活用できる法則を発見する作業と結果を導くこと。」だ。


§カオスの世界とか量子論を、身近に目前で試みてみる
カオスの世界とか量子論は、世間体とは違う
_目に見えたり手にとったりすることが、出来ない分野だ。_
その意思決定の原則の具体的方法・手法
(それはアナログ機器でも可能な方法なのだった)
イ)言葉を書き出し(PCのExcelでも充分可能)から始める。
ロ)次に、法則化・概念化を進める。
ハ)過去のデータで以て実証をしていく。
ニ)何か見落としがないか、よく見直す。
ホ)(情報量が膨大になってから)その後適切なアルゴリズムに入力。
ヘ)サイバネティクス、列車運行表、相対性理論の時代に、電算機は無い。
ト)感覚・知覚・表象の心理現象でもって、明るく積極的に情報をとらえる。
チ)“暗く消極的”なモチベーションでは、それでは判断無能力者に陥る。
リ)いわゆる、その道のプロは、無意識の内に、こういった手法を活用。
ヌ)カオスや量子論は、失敗や成功体験⇒やってみないと解らない。
ル)「光は粒であり波である。」といった思考や応用は、体験し成功してみて、初めて解る。古典物理でもなく、教条でもない。企業の組織運営も然り。
例:光は粒(人材・行動)であり、波(戦略・戦術)である。
ヲ)カオスを相手にする場合は、丹念に「あのとき、ああしておれば良かった」との事柄を、言語ストーリー(お話)で“長期記憶(心理学用語)“として記録しておけば、そういった記録の蓄積で(既に組織的に行われ)徐々に、成功増加の確率が見込まれ、それを成果の柱とする企業がある。
ワ)経済その他の分野でも、“利益相反”状況の関係に在ったとしても、双方に“益“の出る方策での、成果や経験は存在する。経済学とは、もとより、「一方の利益ではなく相互の利益]を保ち得るため学問」なのである。
カ)そこには、クリエイティブであるところの、意思決定や行動が伴っている。
ヨ)必ず、裏付け根拠や証拠に基づくストーリー(話)が現場を左右する。
タ)従来の縦組織の習慣・機能とは、根本から徹底して異なる思考方法であり、現場対応型である。
レ)いわゆる、旧来のタテ型組織の、全体主義での“運用の問題”とする、もみ消しや「ごまかし解決」の余地を残す(不作為行為)手法は採らない。
ソ)“運用の問題”として対策対応して、お茶を濁せば、必然的に予見的に闇に陥る(不作為行為)となる。カオスや量子論は、目に見えないから、思わぬ大失敗や崩壊を招来する過失となる。金融資本投下の(目に視えない)不採算性どころの、今般の“失敗&崩壊”の程度ではないのだ。


§能登半島地震、加えて洪水の悲劇の本質

「悲劇的なものにおいては、

 外的には偶然であるものが、
 内的には必然である。

(社会学者:ゲオルク・ジンメル)」



筆者(むらおか)は、大学生のころ、学校の授業にも行かず、面白いから土木設計や災害事故調査のアルバイト仕事に(工業高校に通ったわけでもないのに)明け暮れていた時期があった。そのアルバイト先からの、就職スカウトの目的で、数年に渡り幾度となく、「土木学会とか地質(工学)学会」の学会に通わされ、その道の大学教授や院生とともに現場視察にも行き、楽しく青春を送っていた。なので、地震や洪水の映像を見れば、何が本質で、大概の災害事故原因の見当はつく。当時の同僚に聞いてみても、この半世紀前からの土木や治山治水の日本:技術水準は大して進展をしていないそうだ。すなわち、道路や“盛り土”の技術は“米軍滑走路”が基本。揚水や地下掘削はロシアの水力発電技術が基盤なのだ。その後の画期的な土木技術は未だ、世界的に研究開発されてはいない。拙者の携わった大規模土木工事等は、半世紀以上、今も基本的に基盤活躍している。
詳細な技術的説明は略して、技術知識のない皆さんに分かり易く言えば次のとおりだ。ここに示す画像は1964年の新潟地震、砂地盤の流動化が地震により起こり、大きな構造物でもひとたまりもない事が学術的に発見された状況、能登半島は其の物だ。そして学術的に十分な対策を行わなかった地震被害は後を絶たない。

いわゆる砂地の地盤に建築物を建てるならば⇒、地盤改良ではなく、地盤構造を根本から変えてしまわなければ、水流の多い少ないにかかわらず、地震や洪水が来れば液状化する。そうえなれば、傾くどころか転倒崩壊することは当然だ。地面から下は見えないからと言って、“大忘れや重過失”とか“手抜き隠蔽工事があれば、一気に大事故となる。家庭用水道管破損の漏水が起こるだけでも地盤は陥没する。

加えて、能登半島での、外見的には立派な道路のようだが、崩れた現場では、深度数メートルに渡り“道路下の基礎工事”が見当たらない。平地の立派な道路であれば、道路の“路盤”は、少なくとも深さ2メートルは土砂を入れ替える。砂地や玉砂利も撤去し、杭打ちもするし橋脚も施す。だが、TV映像を見渡す限り、残骸が全く見当たらない。液状化現象は~何故だ

重ねてTV報道を見ても、古く頑丈な建物は残り、近年築の住宅建物は、地盤の揺れや液状化に耐えるだけの強度が無さそうな破損崩壊具合である。使用材料も適していないように見える。柱ばかりか床下や屋根を支える材料の、弱さに因るもの如くに折れ引き裂かれた残骸が目につくのである。~何故だ
……本当にしっかりした住宅ならば、敢えて揺らせ、元に戻るよう屋根を重く施してある。柱などの躯体構造木材は、白蟻(シロアリ)が固くてカジられないよう(チェーンソーでも容易に切れない)に育成された杉の木とか檜(ひのき)が使われ、よって何百年も持つ構造だ。蛇足だが、100年前後も維持された日本家屋は、たとえ転倒しても組み立て直せば元通り使える。火災で丸焼けだとしても躯体構造は残るから、再び表をリフォームして、(&火災で害虫等駆除も出来たことだし)丈夫に使えるようにしてきた。~何故だ~建築許可は、確かに下りたのか

大雨による洪水のTV映像で流された“流木”を観ると、ほとんどが杉の木などと思われる針葉樹木である。地滑りや土砂崩れを起こした現場やその周囲は、杉の数十年程度の植林である。ところが、その斜面や周囲を視ても、ほとんど広葉樹木が植えられていない。ことに、杉の木は根が浅いから強風でなくとも、又、軽い流水でも、簡単に根っこから転倒してしまう。したがって、杉とかの植林地には、相当昔から“土留め”の目的で、木の根がよく根を張る低木の“広葉樹木”を植えた。下草では役立たない。また境界線では、高木の“広葉樹木”を植えた。ところが、被災地の土砂崩れ斜面では、全て樹木がことごとく流され、ほぼ広葉樹木は見つからない。極めて稀に数本の広葉樹木程度しか残っていない。確かに、低木の“広葉樹木”で以て治山(治水)を、徹底して施し始めたのは明治以降ではあるが、それにしても土留めを施した痕跡が無さ過ぎるのだ。低木の“広葉樹木”知恵は、“惣“という室町時代からの村の自治組織では培われていた。そうでない山林は、相当に荒れ果てて、はげ山が多かった。治山治水が本格的に始まったのは明治以降である。
(以上の私の話に、不安心配をお持ちなら、各大学の土木地質の専門研究機関に確かめてください。)これらは、一般住宅民家や庭でも、農地・山林・農道・林道でも同じだ。


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20241008】
『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』
2001/6/30 ヴィーリ・ミリマノフ(著) 桑野隆(翻訳)
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世界史における思想大転換は、歴史的大きな思想革命と言われるものがある。
日本においては、全体主義が明治以降の世相の形成を果たした役割は大きいと言われる。日本とソ連が、長期にわたって全体主義(縦型社会と縦型組織の型から始まり)が続いたことは、ここまで世相が似通るのかといった衝撃を、筆者は受け取らざるを得ない。これも将来には、思想革命の、「大実験」と称されるかもしれない。
現在、世界史における、思想革命の、「大実験」と称される出来事とは、ひとつは、1789年の事件から始まる、およそ40年間に及ぶ大転換と言われている。2つ目は、広義には1905年のロシア第一革命の前段から始まる長期の諸革命運動であり、ソ連がボリシェヴィキの単独政権となる、1922年までの思想大転換のことだ。(ただし、フランスもロシアも、革命の期間や思想大転換については様々な学説は存在するのも確かである)。
ただし、旧約聖書は、今から約8000年前の、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3大宗教の聖典とされる“聖なる記録”の文書ではあるが、その目的は歴史記録ではなく、その根拠や裏付けが乏しいことから、宗教的に重要意味はあるとしても、歴史や哲学的な“思想大転換”を扱うわけにはいかない。
ソ連が独裁政権となり全体主義がはびこり、ここに掲載した書籍の引用は、ペレストロイカ(正確な開始時期は未だに定かではない)の、その始まる以前の、フルシチョフ(当時の最高指導者)時代の世相を、この本の著者ヴィーリ・ミリマノフが著したものである。ソ連がボリシェヴィキの単独政権となり、スターリン主義が終わるまでの全体主義期間の世相だ。そして、ペレストロイカが、西側その他の他国の支援や干渉もなく進行(反:全体主義の映画が上映されるなど)し、ソ連崩壊に至ったここでのペレストロイカ思想への大転換だ。思想大転換の柱となった組織は、当時:ソ連共産党組織。その下部の青年組織(日本で言えば“民青”)、そしてKGBだ。(ついでに、東欧の民主化も柱となった組織は、各国共産党の下部:青年組織)。
ちなみに、スターリン:全体主義は、第二次世界大戦前から、世界の“全体主義者の理想願望”として日独伊その他が導入を望んだ体制であったのだ。しかし、イタリアは早々と断念、ナチスドイツは国内事情で断念。
そして日本は、そのスターリン主義の“計画経済方式”を初めとして、日本の商工省(現:経済産業省)の“岸信介”が導入し、戦時中の日本国内経済にも(商工省)導入。戦後も(通産省)導入へと引き継いでいた。すなわち、日本は、国民の生活面では非常によく似た社会や生活を強いられていた訳だ。
また、“岸信介”は、年金制度も、その同一分野の日本人材をスカウトし、世論の反対を押し切って(国民年金を柱に)導入した。日本は、「資本主義と称しながら、最先端の社会主義成功国だ。」と、世界の研究者から揶揄される所以は、偏に此処にある訳だ。
さて前置きは、この程度にして、読んだ感想である。今の日本あっては、そっくりな世相を、この引用部分は表現している。あたかも蜃気楼シンキロウが、目の前に浮かぶ。ちょっと、いくつかの言葉を差し替えれば…いやここは日本だ
この本の著者は、当時のソ連の意識を写実した著なのではあるが、たぶん日本の読者には、あまりにも日本の現状に似通った、神話小説を供されている。
いや、きょうは、2024年の秋のはずだ。
では、ロシアの社会主義時代の世相=それを紹介するロシアの研究を紹介
『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』
2001/6/30ヴィーリミリマノフ(著) 桑野隆(翻訳)60ページから引用

この本を通読し思えば、言えることは、著者はアヴァンギャルドとの芸術全般を題材にし、それを通して、たとえ、エリートの論理構成での「理想?」かもしれないが、全体主義が続くと、支配・規制・誘導がはびこり、この本の著者は、「『顔(個性)を失った』このような社会は、的確な美的公式を持てない。」という思想革命の、“「大実験」結果と復帰”を述べたいのだろう。そして、ペレストロイカでもって、100年程アヴァンギャルド術分野に広まったアヴァンギャルド本来の、20世紀の美的革命へと、元に戻り復帰したことを証明し、示しているのだ。
なお、この本の著者は、世界有数のソ連時代の官僚主義については、一言も触れていない。ソ連時代は実態として、科学とか哲学そして肝心の芸術を、世界一の官僚機構であるにもかかわらず、ないがしろにしたことへの意見が言いたいのであろう。
__ここから__
現在の造形芸術は、実際にはもはや人間に関わっていない。それが生み出しているのは、美的現象や美的モデル、美的構造であり、こうしたものは現代文明の外貌だけでなく内容自体も相当程度規定している。伝統的な信仰やイデオロギーの衰退によって、美が存在にとっての主要な基礎であることがはっきりとしてきた。完全さへの憧れは、あらゆる発展が目指しているものであるが、最高基準としての最終的には美的評価を前提としている。美的反応は、我々の判断に先んじ、そして最後に去っていく。
意識は、無宗教なものとなった後も、宗教的複合体の建設的・造形的、音楽的・詩的影響に対して開かれたままになっている。晴れやかな儀礼のエクスタシーも、古代や現代の現象体系の原初的な美的完璧さも、ずいぶんに影響を及ぼし得る。他方、わが国《注:ロシア》の社会主義の崩壊は、それが美的に完全に破綻していたことから見て明白であった(ちなみに、ソヴィエト政権は美的に許容できない、と言うシニャフスキイの言葉が思い起こされよう)。創造的(つまり美的)原理の抑圧、人民政権を装う事を余儀なくされた専制、富裕のイメージのなかの貧しさ、貧しさを装う豊かさ、「率直さを愚弄する虚偽」を、さらには、現状に対する60年代くらいからのほぼ全面的な嫌悪--「顔(個性)を失った」このような社会は、的確な美的公式を持てない。こうした社会は、建築物や車からネクタイ、壁紙に至るまで、新しい形態を模倣したり借用するほかなかった。ソヴィエトの製品を再認可能にしていていたのは、まさにそれが顔を欠いていることであった。美的破綻こそ根本的な要因であり、それでもって社会は診断されたり裁かれるのである。_(引用ここまで)_
この当時から100年の社会背景を合わせて、私が考えるに、科学の裏付け証拠を柱にした事こそ、本来のアヴァンギャルドは生き延び、ペレストロイカも自然の如くに沸き上がったのであろう。ソ連:全体主義に蔓延った“唯物論”は、「論理構成も根拠も科学的ではない。」と、最初から早々にボルシェビキNo2の理論家(ヴォグダーノフБогданов)は、レーニンの著作に対して指摘した。それが妥当であり、その指摘がソ連では、芸術全般のアヴァンギャルドに残り、国内自力でのペレストロイカアヴァンギャルド訳(著者の主張)なのだろう。そのことは、もうすぐすれば、世界の誰の目にも解かるようになりそうだ。更に、No2の理論家(ヴォグダーノフ)の著作は、アインシュタイン、サイバネティックス、システム理論といった、量子論系の理論着想のヒントになったとのことだ。★さて、No2の理論家(ヴォグダーノフ)は、縦社会ではなく、横社会文化の典型でもあったから、縦型:教条的な古典物理学とは違ったのだ。このあたりの文献も、ペレストロイカの後に現れ復活し、邦訳も出始めてきた。したがって、それを知らないまま、まだまだ気付かれてもないようだ。知識偏重で、目的の為には手段を択ばない人物にとっては、彼らの思想根底が崩れるから、こういった科学や哲学の足跡は、面子も併せて、古い文化に浸っているから拒絶をするだろうけれど、とりわけ、左派系や宗教系の全体主義者は一段と……。

2024/09/03

第269号:新経済に迷信は邪魔だ

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
心理学の最先端科学で、タテ型組織に横行する迷信を排除
  ・嗜好(しこう)癖(くせ)嗜(たしな)みの心理
  ・マズローの欲求段階説とは
  ・発達障害とか自閉症など
  ・パーソナリティ【personality】とは
  ・カスタマーハラスメントにしても
  ・熟練者の“暗黙知”や“結果予期コントロール”の形成
猛暑温暖へ、衣食住の対応は、緊急の地産地消の柱
  【緊急の地産地消の柱】 イ)~ホ)の、5つの事例
世界一安い賃金で働く(日本?の)家畜者(学問随筆)


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
危険危機は、注意するのではなく、予見予期してコントロールをする。
  情報とは、出所の異なる3つが一致すれば信じてよいもの。
    円ドル相場の、相場かけ引きに、振り回されないこと。
政治や選挙で、経営や生活が良くなったことは無い。新制度の実行だ


§心理学の最先端科学で、タテ型組織に横行する迷信を排除
¶嗜好(しこう)癖(くせ)嗜(たしな)みの心理
世界の心理学を整理してみた。そこには、一般的に様々な思考や文化的要素が語られるのであるが、実際には身も蓋もない、「結果予期(結果に望む物)」なのであった。
ギャンブル行動
金銭的な利益を得ることや報酬、依存症の柱でもある。
喫煙に関して
感情コントロール。手持ち無沙汰の解消。(若者は)自分をより魅力的に、より社会的に認められるよう。
飲酒に関して
周囲の人と親密になる。緊張緩和。自らの魅力向上(血中アルコール濃度)。一時的な不安定。性的な興奮その他社会的関係のコントロール。
カフェイン/コーヒーや入れ立て茶
集中力の向上。身体機能の向上。社交性の向上。飲食の抑制。(医薬系の興奮剤や鎮静剤を除く)。

¶マズローの欲求段階説とは、
前にも述べたが、この説で以て彼がノーベル賞を受賞した訳ではない。それが日本政府の扱いは、科学や学術界とは異なり、事実上の迷信である。それは、介護士の国家試験に、未だ出題されているのだ。事業の経営管理や人事部門でも、今もなお不勉強な講師が、この迷信を解説しているのである。
心理学術界の最新評価は次のとおりだ。
マズローの欲求段階説の問題点としては、実証的な検証が困難な点が挙げられます。この理論を支持する客観的なデータはまだ得られていません。しかし、この理論は心理学以外の分野でも欲求に関する研究の基礎として応用されています。
食欲は基本的で生理的なものであると捉えられています。食欲によって引き起こされる「食べる」という行動は、本能的行動あるいは生物的行動であると考えられていたため、…略…しかしながら、近年では、様々な分野からのアプローチよって、食行動が単なる本能的行動ではないことが明らかになってきています。
(『心理学概論アップデート』p.82から引用-ミネルヴァ書房:2024年4月30日発行)

¶発達障害とか自閉症など、
これらは近頃話題となっている。が、これら精神医学的病名とは、あくまで表面に現れた現象の分類をしただけである。まして、医学は学術界では科学(何時でも、何処でも、誰でも用いれ可能な法則)としては、扱われていない。
そういった事情や状況を無視して、全体主義者や「思想信条が一致しないと気に食わない」者らが、グループや人間関係から排除する為とか、差別を他人に誘引する為とかで、発達障害とか自閉症その他を乱用する、その要因には、とかく筆者の経験からからすれば、(紛争における、単なる権利や自由の主張にもかかわらず)、少なくない精神科医は様々な“病名”で判断したがる傾向(これは18世紀のフランス市民革命以前には“患者強制隔離推進”が存在した)が強いと思われる。

¶パーソナリティ【personality】とは、
ラテン語の仮面Personaから、精神科医のユング(哲学)が、要するに、「仮面をつけ演出する」概念のイメージとして導入した後に流行語として成している程度の現状だ。したがって百人百様のイメージで以て会話がなされているに過ぎない。だから、共通概念があるわけでもなく、相互に共感Empathy(ミラーニューロン)を生むものでもない。厳しく言えば、よく解析できないから誤魔化すために用いられる言語である。もちろん科学(何時でも・何処でも・誰でも)には至らないから、心理学上の定義も未だにない、と言うか“在り得ない”のだ。とにかく、事実一致性&合理一貫性が脆弱で、裏付けに足る統計とか実証研究が揃わないのである。

¶カスタマーハラスメントにしても、
その原因の多くが、接客教育訓練の不備による状況がほとんどだ。そういった現場で安易に、顧客や社員の発達障害とか自閉症などが原因といった、根拠のない思考や迷信が渦巻いている。とにかく販売営業の分野でも、全体主義者や「思想信条が一致しないと気に食わない」者(お局を含む)らがのさばっている訳だ。この真底を観ないで、教育訓練を受験勉強の如く表層実施するものだから、いわゆる長期記憶が形成されず、熟練が培われる訳がないのだ。カスタマーハラスメントも、鏡に映し出された経営者の姿であり未熟経営なのである。

心理学における語句の説明は、次のとおりだ。
 性格
性格とパーソナリティは同義に扱われがちだが、厳密には、これらは異なる概念である。性格は生まれつきの気質に様々な経験が加わって形成されるもので、日常この性格とほぼ同義である。パーソナリティは、正確にさらに知能といった知的能力に関する個人差が加わったより広い概念である。パーソナリティ研究において、性格とパーソナリティは同義に扱われるものである。
 気質
パーソナリティの基盤となる、情動反応に関する生まれつきの個人差を指す。遺伝的・生物学的・神経学的な基盤を有し、生化学的変化や新陳代謝に関係するものである。後天的に変化しない
(『心理学概論アップデート』p.118から引用-ミネルヴァ書房:2024年4月30日発行)

¶熟練者の“暗黙知”や“結果予期コントロール”の形成
これは、偏に“長期記憶の蓄積”と“結果予期コントロール”なの(注意をすることに非ず)である。試験のための学習では記憶に残らない。“発達障害だ”と差別される成人には、私筆者の経験でも、記憶に残らないことによる無知で以て、知識の連合どころか長期記憶が残っていないケースが目立つ。なお、脳内記憶の伝達部位に有効なアミノ酸とは、グルタミン酸ナトリウム(味の素=過剰毒性は1.5g/日)とのことだ。
(短期記憶から長期記憶に移行する)記憶の過程
短期記憶から長期記憶への移行に際しては、
イ)特定の刺激に注意を向けることが必要です。
ロ)これに加え、繰り返し唱えること(リハーサル:rehearsal)
ハ)いくつかの事柄にまとまりを見出すこと(体制化:organization)
ニ)より詳しく知ること(精微化:elaboration)
ホ)などの情報処理が積極的に行われ既存の知識と連合すると、
ヘ)情報が長期記憶として定着することに有効にはたらきます。
ト)また視覚的なイメージを利用することも記憶の定着に有効です。
(『心理学概論アップデート』p.35から引用-ミネルヴァ書房:2024年4月30日発行)


§猛暑温暖へ、衣食住の対応は、緊急の地産地消の柱
今年も来年も夏は暑い、それは少なくとも30年、そして50年はそれが続くとのことだ。その理由は、「大気中の“二酸化炭素CO2”の増加」とのことだ。ちなみにカオス(混沌とか無秩序)の言葉は、気象関係の解析から用いられ、今やコンピュータやSNSの世界に広がっている。それはともかく、このメルマガ筆者の私は、気象の専門家ではないので、この動画は極めて解りやすい(推薦)から、これを見て、前提となる知識を得て欲しい。①超大型コンピューター計算で、裏付けが取れたとのことである。②“CO2温室効果”であり、CO2は徐々にしか減らないとのことで、猛暑と水害が長引くとのことだ。なお気象専門家だから細かく具体的な話はない。
https://youtu.be/xzbUItBTwSw?si=7iJ5cnCIRXZDVaKB&t=87

緊急の地産地消の柱
イ)住居の断熱処置は、電気水道代より安い。住居の東西と南側に、先ずは遮光ネットを数メートルに渡り取り付けること(数千円)だ。壁とか屋根は、根本から断絶リフォームをするしか方法はない。そして費用がかかりすぎる。地方であれば、築70年超の瓦と土や土壁の“涼しさ重視の家屋”も空き家として残っており、転居した方が早い。或いは、手のひらサイズの葉が茂る成長の早い樹木(赤芽槲アカメガシワ)とか、急成長樹木(栴檀センダン)を南側に植えることだ。風通しをして概ねエアコン不要だ。










ロ)新しい温暖に合わせた、新しい農作物(品種改良では間に合わない)の供給が始まる。新しい料理方法も生まれ、それこそ地産地消ある。大量の農産物を一気に栽培し運び込む“配給方式”では、益々採算が合わなくなるのだ。

ハ)温暖に合わせた衣類も開発される。様々な天然繊維素材が見直される。この分野でも大量生産ではなく、再発見されることとなり、気候に合わせた衣類工夫が地産地消で現れる。長持ちする原材料はネットで取り寄せる方式も地産地消だ。何よりも、お金の流れは同調圧力ではなく、創造・クリエイティブと自由・平等と流れるからである。様々な絹織とか麻は、とても涼しい。

ニ)“猛暑と水害”は、地震対策等と同じだ。地震の場合でも、避難よりも先ず先に、(能登半島地震の教訓から=)違法建築の見極め、手抜き土木工事の洗い出しが先決なのである。今後長期にわたり、不動産中古物件は値下がり続け、優良高級な空き家も残り続ける、実はここにもチャンスがある。

ホ)ところで、カオスの世界に対応するには、「風が吹けば桶屋が儲かる」といった概念だから、古典的物理学(確率のみ)とか量子物理学(現実対応式)への経験だけの対応は難しい。ところが、過去に経験した失敗を蓄積し、ことに「やはりあの時、そうしとけばよかったのに~。」といった反省の蓄積による“成功確率の向上”が決め手だと言われている。今回は紹介しないが、現に経済学の一部では成功し、経済政策手法として用いられているものもあるのだ。


§世界一安い賃金で働く(日本?の)家畜者(学問随筆)
そういった家畜者の労働や労働力を柱にした自由市場経済は、そもそも成り立たない。自由市場の商品経済が芽吹きだしてからの、おおよそ500年を観れば、経済学の解明を待たずとも、一目瞭然であったから、経験知として一貫して避けたのである。日本でも江戸幕府は早々に、“奉公人制度”を実行し、(各大名の“奴隷所有に因る力量”を削ぐためとはいえ)、奴隷制度や奴隷輸出を禁止したのであった。そもそも、ヨーロッパでは自由平等の社会形成(文明Civilization)と共に、奴隷制ではなく、労働力の売買(賃労働)が定着したのである。そこでは、農奴や封建的下層職人の人達は、土地等に縛られた状態から解放(とはいっても当時は乱暴)され、(細やかながらも)都市の自由市場&自由を求めたのである。=このことは、様々な激動と重なったために評価は様々ではあるが、それなりの自由を求め都市に集まり、少なくとも土地などから解放され、少なくとも労働力を取引するとして、微々たるも自由を得たことには間違いは無い。
~近年では、奴隷とか“家畜者”の復活を目論見たのは、ナチス:ドイツの、「ポーランドの農民を拉致しドイツへ連行し、ドイツの農家で働かせる。」との選挙政策でヒトラーが政権を握ったことか、ユダヤ人らを拉致収容して(「労働すれば自由になる」と看板に掲げて)強制労働させるとか、そして日本軍が南方諸島に攻め入って農地等を占領し、経営者を本土から親戚を送り込んで利益を巻き上げた……といった“愚かの悪徳の極”の経済政策でしかない。
くどいようだが、くれぐれも、「仕事に携わる人達にも自由がなければ、人間関係の市場にあって、自由市場は成り立たない。」という歴史の事実だ。~だから、自由市場主義(現代はマルクスが名づけた“資本主義”が有名)の発展は、常に最先端現場や末端の自由さが、人事管理や組織統制の底流には、“大きくも繊細に流れる”わけだ。ことに、その繊細さを失えば、自ずと旧ソ連のレーニンやスターリン、あるいは満州国産業部次長:岸信介(行政運営は日本の商工省が)といった、統制?の失策に至るのだ。
https://youtu.be/FjskP6C9BY0?si=hglAsEr6-2jOxJmw&t=155
そのような“家畜者”の増加に、依拠しようとする経済政策が、
(ア)とんでもなく間違いなのである。巷のマスコミでは迷信がはびこり、今もなお「非正規社員とか労働者派遣法(1986年)が低賃金を招いた。」と言った論理不明な“間違い迷信”を流している。
(イ)だが、派遣法施行当初からの女性派遣労働者の賃金は、当時の“パートタイマーの2倍以上の相場”であり、あの時代に結婚やセクハラ退職に追いやられた女性の、“失業雇用対策”として機能し、男女雇用機会均等法と相まって、一気に女性の社会進出のきっかけに成った。『労働省と全国労組の対峙の末(その時に筆者は巻き込まれていたからよく知っている)』なのである。
(ウ)正解は、巷マスコミの言う在りもしない現象(迷信)というのは、1999年の、派遣業種の原則自由化=改正(改悪)に端を発している。労働省は、異様にも、「新しい派遣法」と称して、それまでの派遣法のイメージを消すための大PRを行った。その折は、当の派遣業界とか、“1986年施行”の際に派遣法制定に貢献した、政府側も含め、ほぼ全ての関与学者その他関係当事者の反対を押しきって、派遣業務自由化へ改悪をしたのだ。その時も、当時の社会・共産といった野党は改悪に反対する運動を繰り広げることはなく、無視をして、派遣法制定(1986年)のときの静観すらもしなかった。その時、筆者の私は、労働者派遣業界の依頼を受け、関連論文を執筆(全国主な工場などに、2万冊を2回に渡りに業界が配布)した。そのことで、1999年まで改悪法案を約2年間の先延ばしにはさせたが。

日本では主だった資源は、未だ開発されてない。
a.室町時代あたりから、惣(惣村)とか郷(惣郷)と言った、自治権を確保した村落を中心に、“いわゆる商品”の生産流通が活発になったと思われる。いろいろな仕事をする職人の数が増えるに連れて手工業の技術も進歩してきた。室町時代の京都には、琵琶湖周辺や播磨地方から、多くの衣食住に係る手工業商品が運び込まれるようになった。同時に、各地に手工業の中心地が出来、地方ごとに特産品がつくられるように成って行った。特産品は、その後、だんだん数が増え、「どこの国の名物は何。」と評判になるようになっていった。

b.この傾向の過程は、日本だけではなく欧州その他でも同様のようだ。それらは様々な経済学でも研究されてきた。自由市場経済が大々的に導入出来た、フランス市民革命とその後において、スタール夫人(1766年~1817年)=ルイ16世の財務大臣の娘で、ナポレオンの相談相手でもあった(Madamede Staël:百科全書派)が、ドイツの経済学者との論争で、「商品における利潤の高さは、言語や言語の違い。」だとはっきりと述べ、フランスやドイツの経済や政治に大きな影響を与えた。

c.そこではっきりと分かっているものは、単位経済圏を超えて流通する商品は、基本的に地方ごとの“少なくとも特産品”であった。その特産品との認識がなければ、「商品として(貨幣を基盤とした)通貨を用いての交換にまでは至らなかった。経済学の研究では、特産品だと認識されるような、固有の文化価値が含まれなければ成り立たないとされる。その固有文化価値がなければ、単なる品物であって、そうでなければ、単なる物資とか配給物資とか軍事物資であり、自由市場に持ち込まれることは無い。自由市場に出回る商品、ことに利潤率の高い商品ともなれば、原材料などの仕入れはともかく、その地域で培われた労働による生産や加工によって、総じて抽象的に言えば、「その地域の固有文化価値が込められて」、やっと商品となり特産品にも数えられるもなるのである。ここに、単なる物資とか配給品物だけでは、自由を伴う日常生活は出来ないといった、人類の発明開発した“商品生産”や“商品経済”といった科学技術や社会運営技術とともに、社会体制を経ているのである。

d.ここに挙げた、単位経済圏の固有文化の影響は、商品にまつわる事柄にとどまらず、今もなお地域社会全般の、子どもの基礎教育にも影響を与えている。最も重要な再生産は子どもであり子育てであり、その地域の方言に該当する言語の成り立ちや言葉遣いは、幼少や児童期に形成される世界観とか立ち居振る舞いを形成していることは否めない。いわゆる近江商人が、同郷の人物しか採用しなかったことは、戦後しばらく高度経済成長以前までは当たり前のことであって、その理由としては「話の調子(テンポ)や把握の広さ深さが合わない。」というものである。教育は共同体的なものであり、その一部は学校にゆだねられるが、人間は商品ではないけれども、その地域に育てば、その固有文化を体得して、近江商人などは出身地を離れ活躍するのである。(なお、西武グループ、平和堂は、近江商人ではない。日本通運は近江商人の専属運送業者であった。滋賀だからと言っても近江商人ではない。本来、武・農・商の一体である。)

e.筆者の私自信が大阪弁の源流の地(司馬遼太郎:説)出身、大坂も彦根もない時代の地の出身(近江商人)であるから如実に感じるわけだ。先ほどの「話の調子(テンポ)や把握の広さ深さが合わない。」で言えば、早くて情報通に、どの子も育つのである。とにかく、中世から惣(惣村)とか郷(惣郷)といった自治権を確保して、その基に寺子屋教育に何百年も熱心であり、日本中の商業を扱った関係の基に、引き継ぐ子孫の子育てをするわけであるから、家畜者には決して育っていないのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E6%9D%91


大金融資本投資とは、
第一節  世界的な動きとしての『安い賃金で働く“家畜者”の増加』を、表面だけを真似て、経済学の真髄を無視して、サプライチェーンとかグローバル展開を行った輩のモノだった。もとより経済活動の発展とは、最終消費者が、“貨幣を基盤とした通貨”の使用でもって、「平等であるからこそ、より広く自由を得たい。」との動機に支えられているところに真髄がある。ところが、邪心や悪徳が、企業運営の隠れた亀裂に入り込むこととなり、『最終消費者の欲望を煽ればこそ、“隠匿し易い金銭その他利益”が、濡れ手でツカめると、実のところで誤算をしただけなのだ。よって、大量消費を煽り大量生産を促進する“幻想の欲望”に踊ってしまい、破綻を重ねる不幸の綻を招く、=すなわち(事業専念に非ず)企業存続のために、企業合併(法的に対等合併は無い)を繰り返し延命&不採算事業・不良債権を山積し、あげく“不払い&帳消し&踏み倒し”に持ち込んできた歴史なのである。要は簡単なカラクリであって、=これだけのことだ。これが彼らの常識であるのだ。そのためには教養とか文化レベルの高い社員や労働者は、邪魔ということなのだ。
第二節  なお、当該カラクリを、“資本論”を著したマルクスは指摘してはいない。その時代に当該カラクリは無かった。マルクスの本業はジャーナリストだった。(とりあえず“資本論第3巻”を最終整理したしたのは“ジンメル(後の縁のないドイツの社会学者)”である。“エンゲルス”および“スターリン”がマルクスの学説の改ざんをしたことは、現在世界の経済学では定説となっている。なお、やっと数年前に日本共産党もこれを認めた。当該カラクリをマルクスは指摘しているかのように、或いは、当該カラクリがマルクスの理念に存在すると力説するのは、その研究者とか学者にとって都合の良い幻想に過ぎないから念のため。
第三節  加えて、安い賃金で働く“家畜者”の増加」を促すと、個人下請けとか、フリーターその他、名称の如何を問わず、“お独り自営業者”《日本で言えば労働基準法の適用を受けない。ただし労働契約法の適用はある》が、賃金ではなく、激烈に単価の安い外注業者として使用されるという訳だ。(だが、その闇は、戦前戦後の日本ばかりか、日本が海外進出した東南アジアとか中国でも全く同様なのだ。)その場合、経済や取引の原則として、成果品の内容は、「安かろう・悪かろうの仕事」が徹底して追求される訳だ。この点は、“お独り自営業者”を指図する正規社員も、これに巻き込まれている。「いわゆる“検査ミス”と称する事件とその起因」の経済学的な本質はここにある。=よって、東南アジアとかの海外であろうが日本国内であろうが、いわゆる“イノベーション”とかはされないこととなり、相まって、そればかりか、全く以って不都合な意識傾向の類ではなく、意識的に温存していることが大量生産&商品単位利潤の激減、さらに加えて、先に述べた最終消費者の購入意欲(貨幣で自由を得られる)を無くしてしまうばかりか、金融資本投資の隠れたカラクリに乗せられた企業・事業の不採算を、ここでも結果として招来して来たのである。こういった傾向は、第二次世界大戦の全体主義者(岸信介)とか軍国主義者(闇商人を含む)、そしてそれらに靡(ナビ)いたサラリーマンによって、今も続いているのだ。
第四節  こういった背景から、自由市場経済再生のためには、大手企業の枠内に“シガミツク家畜者”の集団も、縦型組織であろうが個々人のメンバーであろうが、使い道がないのである。加えて、いわゆる左や右だと揶揄される政治団体とか、宗教団体(≠宗教観とは別)らが、政治の世界で、“全体主義”を用いるに至ると、自ずと「戦争と軍事産業繁栄」といった、末路を招来することは、今日までの世界各地の歴史と事件が物語っている。“シガミツク家畜者”を、いとも簡単に、“軍事兵員という人間商品”に、祭りあげることも、生産や商業活動の裏で、闇の金銭のために正規社員が行う悪徳作業なのである。
第五節  そもそも、人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。狩猟・牧畜・農耕のいずれかひとつを選択して集団や民族が形成されたといった歴史の事実は無い。大まかには略奪経済、封建領地経済、自由市場(資本主義)経済といった社会体制を経てはいるが、科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される文明Civilization進展とともに変化を繰り返してきた。その変化の根幹底流と言われるものが文化であり、そのツカミどころを理解しようと試みる目的で、人々は表面的には思考を分割し分野別学問蓄積の形態を用いている。当時の日本は、壬申の乱までは「倭」との国であった、その後に「日本」との対外名称となり、日本列島で550万人の人口だったと推測され、北海道や九州は日本人ばかりで統治してきた訳ではなかった。太平洋戦争敗戦直後はアメリカ軍を主力としたGHQに完全占領されていた。(この、第五節の段落は、過去のメルマガ第200号から引用)
https://www.soumubu.jp/alliance/index2.html

______くどいようだが、繰り返せば______
大金融資本投資とは、世界的な動きとしての『安い賃金で働く“家畜者”の増加』を、表面だけを真似て、経済学の真髄を無視して、サプライチェーンとかグローバル展開を行った輩のモノだった。もとより経済活動の発展とは、最終消費者が、“貨幣を基盤とした通貨”の使用でもって、「平等であるからこそ、より広く自由を得たい。」との動機に支えられているところに真髄がある。ところが、邪心や悪徳が、企業運営の隠れた亀裂に入り込むこととなり、『最終消費者の欲望を煽ればこそ、“隠匿し易い金銭その他利益”が、濡れ手でツカめると、実のところで誤算をしただけなのだ。よって、大量消費を煽り大量生産を促進する“幻想の欲望”に踊ってしまい、→破綻を重ねる不幸の綻を招く、=すなわち(事業専念に非ず)企業存続のために、企業合併(法的に対等合併は無い)を繰り返し延命&不採算事業・不良債権を山積し、あげく“不払い&帳消し&踏み倒し”に持ち込んできた歴史なのである。要は簡単なカラクリであって、=これだけのことだ。これが彼らの常識だ。そのためには教養とか文化レベルの高い社員や労働者は、邪魔なのだ。


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20240903】
今月は、お勧めできる書籍は有りません。

2024/08/06

第268号:チャンスとばかりに準備する

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
地産地消の経済は、
  何も農業や食料品とか地方経済に限ったモノではない。

何? それ ディスラプティブ イノベーション
シェブロン法理の廃止は、日本への影響必至
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20240806】


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
直面は、お客のニーズに合わせた“販売手法”の有無が重要。
   (巷では、これを、“競争力”に引き包めて言っている)
 シェブロン法理の廃止は、イノベーション&ビジネスのチャンス。
  現実に地に足の着いた本物の地産地消で、事業と経済の構築。


§地産地消の経済は、何も農業や食料品とか地方経済に限ったモノではない。
自由市場経済(資本主義)の、その前から、地産地消の経済取引は、衣食住にとどまらず、あらゆる文化から芸術・芸能も含め、あらゆる人間の、「快楽や欲求そして生活や日常維持など」に関わるモノは、すべてが地産地消の対象物であった。そこに+最小単位経済圏の地産地消を超えて、“市が立つ”などすると、商品としての取引が行われるようになった、これは世界共通である。
地産地消と言っても、その地に在る原材料に拘るものではない。
加工して産出すれば地産の効果は出る、そして消費なのだ。少なくとも運送費に保管管理費は少なくって済む。サプライチェーンとの違いはここだ。
昔、官僚主導で、「一村一品運動」が全国的に有った。原料を村内産に拘るから、ことごとく失敗した。商品の歴史とか商業に、無知な政策だった。
その背景に存在したモノが貨幣(江戸時代の日本では、金地金とか米)である。その貨幣の代替え便利な道具として通貨や紙幣が産まれ様々発展した。そこには、封建時代にあっても生じた事態が、「貨幣は如何なる人々にも自由を労働にもたらしてくれる。」といった現象である。ここから、世界中で人々は、自由平等のために、社会という制度を創り、そういった概念を文明Civilizationとしたのである。明治の文明開花とはこのことで、江戸時代の昔の制度にしがみ付く勢力との矛盾を抱えているのも、日本独自の特徴というわけだ。こういった物事を踏まえて、具体的な、今般の経済崩壊後の経済構造を考える必要があるのだ。
当座のアイディアとして、中小の介護事業では、基本の業態は地域密着だから、“家庭の必需品や家事応援”の扱いや代行といった物品を→介護事業の副業として考えてみるとか。食料品、雑貨、燃料、洗濯業務その他で、共働き家族を応援する、→“副事業”を、職員と共に挙って考えてみるべきだ。これも地産地消の一種だ。(副業は、会社も社員も自由にできるからだ)。
ことに、ほぼ毎日の家庭訪問はビジネス:チャンスだ、その御近所家庭のニーズも“つかむ”と良い。すなわち、中小の事業規模では、効率的システム的な事業形態は望めないから、事業資金借入にも金利上昇から見込めない。
もとより、「行政機関は全てにおいて素人官僚集団だ」国の官僚が企画する介護事業見積もりなどは、(海外の介護事業先進国と比べ、ことごとく当初からボタンの掛け間違いであったから)不採算招来は当初から明らかだった。地域の固有文化や特性をよく調べ、町や地域に密着する工夫しかない。ここが介護先進国との基盤の差だ。副業化で改善すれば道は開ける。

また、喫緊のエピソードの話としては、自由市場経済からして、“コンパクトシティ構想”といっても、江戸時代からの長きに渡って、「城下町をコンパクトシティ」に構築してきた訳だから、そういった城下町の傘下に在る、最小経済単位(例えば中学校区)に於ける文化や経済の微妙な違いについても、企業とかの事業転換とか、さらに“まちづくり”も含め、各々の最小経済単位の事情を念頭に置くことが大切なのである。
ここで、勘違いしてはいけないことがある。
東京や大阪とは、“関東大震災の復興事業”とか“大・大阪計画事業”が戦前に行われ、そこには、当時の経済学者の蓄積した世界大都市の成功事例を、一気に都市政策に組み込んだからこそ、それなりに“江戸時代からの昔制度”の、“昔にしがみ付く勢力”の影響は、その時に、その基盤を壊してしまった。だから大都市の商業や経済イメージと、旧:城下町の傘下のイメージも、同じのはずと思い込むと、すべてを勘違いしてしまう。
さて、以下に、項目を挙げて説明する。そして、先ほど来述べた、昔制度に端を発する“自由平等”への弊害は、意外と簡単に崩すことが出来るのである。

町内会への誤った概念こそ余計なこと
町内会や自治会は、一見、不可欠で身近に便利そうな姿をしているが、実態は全く、そういった思い込みとは異なる。どこでも、よく“ゴミ収集”が話題に上るが、ゴミ収集を行っているのは“住民サービスの柱”である地方自治体であり、その直営事業である。だから町内会や自治会は「全く根本から無関係」だ。そもそも町内会や自治会は終戦直後、役員の住民公選制をGHQから求められたところ、当時の“旧:隣組”の役員らが反対し、現在も法律上は、単なる“希望者の任意のサークル”扱いに過ぎず、何らの公務に係る役割も権限も無い。町内会や自治会の行う事業は、税法上でも会長とか責任者の行う個人収益事業でしかない。法人であっても希望者だけだ。
“旧:隣組”の役員は、全国こぞって拒絶をしたのは何故か。その有力な説は、『戦時中に徴兵=赤紙を、誰から優先して渡すのかを決めていたのが、この“会長”だったのだ。』~とのことだ。“会長”の覚えが悪い者から戦争に行かされ、村から追い出されるとか、裏の利益誘導もあり得たことは想像されるが。また、町民は、戦時国債を、会長から無理やり買わされた→終戦と共に無価値に。それらは戦後の研究者の調査によっても否定されているものではない。
行政手続法35条の活用と利点
その条文解釈は、ここでは極めて読み込みにくいモノだから省略する。
ここでは、条文の趣旨と活用方法を説明する。今は行政機関が、法律や条例の条文では曖昧な部分の解釈を、勝手に解釈して法律の執行を無理矢理歪曲して行っているのが現状である。その有名処は例えば、日本のマイナンバー、その使用は個人個人の任意=自由(希望者のみ)と法律では定めている。にもかかわらず、アタカも個々人の義務であるかのように、国の官僚も地方公務員も、これを扱っている。こういった類のことが、まかり通っているのだ。
そこで、行政手続法35条で、公務員などが口頭で曖昧或いは事実関係にそぐわない行政指導をした場合には、“書面による行政指導”を、個人で請求することが出来る、というものだ。公務員らの「言ったような、言わなかったような」話で以て、一部の受益者とか公務員に有利な行政指導が、市町村や行政出先機関から行われることは未だ存在している。
アメリカでは、この手の“ジェブロン法理”が、この6月末に米国最高裁で廃止された。「特定業者の利権がらみ解釈」をする官僚や公務員らの横暴は、「“ジェブロン法理”が廃止」の伝播から、日本でもなくなることになる。それに先駆け、行政手続法35条の、行政指導の文書請求は、裁判所への訴訟提起を要しないから、急いでいたり細かい事柄であっても、手続きは(いつもの窓口)で簡単である。現在もなお、まだまだ公務員は、この35条の手続きから逃れたがる傾向だ。が、「行政手続法35条」と聞いただけで、少なくない公務員は、顔色を変え事を構える。でも、文書請求で、書面交付を即刻にさせ、公務員は逃げられなくなっている。これを、貴方が知っているだけで、ビジネスチャンスを逃す確率は激減する。すべての公務員は、「不作為行為」の裏付け証拠が現れるのを、極度に嫌がる。(国)地方の公務員法で、聞かれれば知っていることを言わなければならない義務を負っている。議員に「頼み込む。」必要も激減する。それでは、読者のみなさんのビジネスチャンスのために、念のため。

まず、事業の開始・開業は、副業から開始
どこかへ勤めながらの、最小経済単位内(中学校区)の商圏から始める。ある程度の時間を要し、信用を築き上げることから始まる。何をどう取捨選択しようと、ある日突然、一発で花が咲くことなど有り得ない。自らの夢にも、他人にもだまされてはいけない。自己欺瞞してもいけない。
食品でも物品でも何かを製造販売をするにしろ、最小経済単位内のお客さん(顧客)の必要と要望とニーズに応えることだ。とにかく何らかの部分で、本当のイノベーションを成すことだ。“お客さん(顧客)に応える”までには時間がかかるが、それをいかに短縮するかである。
開業する前に、休日や有給を、そのために使い込むことだ。大量仕入れをしてはいけない。今日に至るまでの、貴方の職歴や関係する知り合い、友人たち、Net通販やホームページ等に、一切期待してはいけない。
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最小経済単位内(中学校区)で、コツコツと準備し開始・開業することが、事業計画全ての基盤となっていく。そういったあなた自身の基盤も含めて、“単なる働き手を増やす代わりに、“IT機器を導入”することがコツだ。それまでは、身近に使い慣れたPCやFAX程度の設備でよい。一気に設備投資をしても、その年は無駄になる。それは、ほとんど使わないうちに、新機能機器が出るから、資金も時間も、すべてが無駄になる。
利益を出したいなら、無駄な仕事、やってはいけない仕事を決める。
その商圏距離範囲で、おおむねを地元で成り立たせる。品物や商品を確立して、次に、その商圏での地産地消の産品として、初めて他の経済単位との商品取引が成立するということだ。決して焦って、近隣商圏とか大都市に販路を築かないことだ。後で気付けば、面談時間や販売で採算が取れなくなっている原因の発見に至ることとなる。
昨日までの“金融資本投下(借金)”方式では、超大手企業であっても、戦後一貫して、企業合併を繰り返し(借金&返済先延ばし)で、残存してきただけだ。それが、昨日までの“昨今の経営実態”であり、挙げ句に経済崩壊&清算にいたる今日なのである。「事業を起こすには、まず投資資金から。」と考えるのは、世界的な金融資本に踊らされた、昔からの手法に過ぎない。
そうやって、あなたの開業を利用して、あなたにもヤッパリ“おだてられ甘い言葉”で詐欺られる危険。因みに、いわゆる「サラリーマン社長」というのは、所詮は役員就任中の役員報酬と退職金を生涯の当てにして、人生を割り切っている職業だ。例えば、その他の金銭や財物を入手すると、横領や窃盗その他で犯罪に関わることとなっている“日本の民事法と刑事法の体系”だ。
サブスクは危険、扱う商品の品質低下は避けられない。投資損のハイ:リスク。
これこそ、昨日までの金融資本投下方式であり、銀行(利息回収業)の下請けだ。
開業にあたり、法人を設立するとか、資金融資とか、
経営者の団結を前提にした事業は避けることだ。会社法人というのは、1789年からのフランス市民革命での、“経営者の団結権”を認めた制度の、株式会社や有限会社といったものを前提としている。
だから、銀行も取引先も働いてくれる人も、周囲は、“一人前の取引は当然”と、そして、「“法律や物事”を知らないあなたが悪い。」といった態度で、あなたに迫って来る。
あなたの会社法人の体裁が整えば。加えて“高利潤商品”、“高利幅商品”、“高文化価値商品”、といったいわゆる“高付加価値商品”の取り扱いを、容赦なく迫って来る。その迫ってくる人達の目的に流布は、偏に、「詰まるところ金融」なのである。品物や品質よりも、“金利の総額”であり、油断をしていると、家族(妻とか跡取り)を税理士や銀行ルートからの誘惑にかけるのが通例だ。乗せられてしまうと、多額の生命保険とか豪華な邸宅を、あなたの担保としてかけられるって末路だ。見栄とかメンツをそそのかされて、「会社としての体裁を整えましょう。」と、様々に必要でもない出費を持ちかけられるのである。昔の迷信や誘い言葉=「法人でなければ、相手方は信用せず取引をしてくれませんよ。」というものだ。その他付き合う相手とかの“見栄え”こそが、“この3年間”は、全く何の役にも立たない。豪華な置物とか絵画・掛軸といった物品も、商品経済が活発になる何百年も前からの、“裕福な姿を見せるための手段”でしかなかった。そういったものも、少なくともこの5年、長ければ10年は、全く何の必要性も存在しないだろう。
そもそも銀行というのは、「ご挨拶に。」と、突如、銀行から電話をかけてくるもので、あなたから融資を頼みに行く業者という類ではないのだ。

資金がないからと言って、法人を作るなんか、とんでもない。
それなりに事業が広まったとして、NPOを使っての取引構成会員とか協力者の恒久的集いだとしても、そこでは、“自由市場経済”で通用する商品を扱うには、“非商品の扱い”の存在といった弊害を確保しなければならない。世間では、『株式会社の後にNPOを設立するのは資金がないから。』と受け止める。NPOでは、“自由市場”の取引を疑う人が少なくない。「イノベーションは唯一、こういった課題を克服する。」と、経済学者シューペンターは、イノベーションを発見し考えた。
生活協同組合となれば、何らかのユートピアを共通とする集団と成らざるを得ない。それでは、自由市場が自ずと制限される。

実際にやってみて発展する現実から学ぶしかない物事の法則(チャンス
地域通貨と貨幣は、自由平等の生みの親といった発明と関係性は、人間:各々が持っている意欲との折り合いも重要だ。このテリトリーと地産地消は、どうやって好く組み合わさるのか
人間関係の自由平等と、地産地消のテリトリー。そしてグローバル?サプライチェーン?との比較において、産品の運送コスト、保管経費、その他の間接経費などを、如何に減らすのか。地産地消ともなれば、自然派とか地元派といった、個々人の思考や願望を問わず、また、さることながら、貨幣であっても、通貨であっても、所得税などの(過去の納税制度全般の)課税対象にならない仕組みは重要だ。
振り返れば、第二次世界大戦までの、各々の国家や民族主義での解決方法は、武力であった。=もっぱら左右や宗教の全体主義者らは、『武力で以て、商品扱いをする前に、略奪をする。』手前勝手な屁理屈手段に出た。それが、いわゆる軍事力であり、労働力を強制収容した訳だ。人間は邪魔になれば、殺すとか抹殺するとか安楽死も手前勝手な屁理屈だ。
ところで最大の商品利潤をもたらす、「その地域に根ざした芸術性(=はるか、ナポレオンの時代には認識されていた)。」であるとか、「単位経済圏の範囲を超えた商品流通の成り立ち(重商主義の短絡基盤の思考)。」といったモノは、グローバル基準?に因って●非効率な変質合理性、●不採算性という形式重視物を露呈した。
さてこれから、いかにAIとか量子物理学によって、効率的円滑化や価値の逓減防止、更には、反対に価値増殖機能を、科学的学問で、如何に確保するかの課題(イノベーションの一翼)でもある。大量機械生産から固有文化価値商品は、その典型である。
人材や職人育成は、日本では2つの流れが、商品流通が文化支配的になる前に形成されて来たようだ。
ローマ・ギリシャ方式は、
日本の工芸や邦楽職人養成の理念(世阿弥の時代?には)
4世紀のカトリック修道院の教育理念に固執する、
日本風の家元制度訓練(戦国時代の世に導入)
この2つは、あらゆる物事の発展と成長を願う思考と、
永続的に物事を支配する思考の2つに、ハッキリ大別される。
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これらは意識改革の課題ではない。支配のために、経済外的強制に晒された、異常な人物育成人材や職人の育成の部分や弊害は、ようやく過去の弊害を崩壊させる手段と実行が進むにつれ、各地から=「過去から引き継いだ方法では間尺に合わない。」ことをハッキリさせ、将来の課題として、ようやく世界各地で、“育成が意識”されるようになってきた。→→そこには、古典物理学から量子力学の利便性に多くの人が気が付き、→→併せて“自律”とか“哲学や認識”そして共感Empathyといった、人類の重要な柱が焦点になりつつあると観えるようになってきた。
もちろん、時代は大きく歴史的に変わって、地産地消の“自由平等社会や経済”で以って、花が咲くのであろう。

受注のコツこの枠最下のURLの、受注活動から引用
話が煮詰まるまでの日常での情報が大切 他業界の経営者との情報交換
返答を迅速にすると、それが信用になっていく
営業では論争しない間違いは即!認めること
相談されるようになれば大丈夫大胆さやハッタリは受注に効果的となる
接待はクツロギ、品質にはかなわない受注のコツ無くして次は無い
AIは、経営管理と人材活用を重点に、個々個別に導入
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§何? それ ディスラプティブ イノベーション
破壊的イノベーションDisruptive innovationでは、個人の作るガラクタ商品の増加も含まれ、そこに、Art域&芸術品の閃きと参入?などは有り得ない。もちろん、品質が低い商品が→、良いモノへの商品改良なんかも有り得ない。たとえ部品の改良は有ったとしても、商品改良にまでは行きつかない。こういった、経済学に真っ向から対決を挑む、“夢のような説”は、マーケティング業とかの販売営業マンの考えた代物で、その科学や学問とは程遠い根拠が目白押しなのである。確かに、経済や社会制度の落ち込みは激しく、沈黙し話題の乏しい職場にあっては、話題になる“仕事をしたとの快感”が湧く、マーケティング業社が提供する、無知な素人が喜び浮かれる寄合会議風といった、イベント商品ではありそうだ。ハッキリ言って、450年の商品経済史での、「あるある夢」の焼き直しだ。実行後の信頼低下の招来や、損失予想額とかは企画から外されている。成功体験の無い人、科学的な経済に無知な人こそ、乗せられ→喜び→落胆するといった「それも商品?」なのだ。それでは、人生や歴史の失敗の繰り返しで、何の成果にも学習にも役にも立たない。(本田宗一郎の名言。『世の中では、役に立たない物ほど、よく売れる』)。筆者が呼ばれ、手遅れで、「そんなコンサル?で、倒産を迎えた会社」は、この半世紀:幾つも観た。金融投資一辺倒経済の産みだす、(中世や江戸時代には無かった)現象だ。
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、今や、イノベーションの定義は40以上とか60とか在るとされている。で、そのうちのひとつが“破壊的イノベーション”だ。そして筆者の私が、これら定義を流し見したところ、知識偏重(主知)主義者が、言葉を拾い出して、現実の成功例とは異なる次元での、言葉概念内での空理空論を成しているに過ぎないのだ。
破壊的イノベーション Disruptive innovation
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E7%9A%84%E6%8A%80%E8%A1%93
ところで、「サイバー」といった、抽象的な用語は、サイバネティックスCybernetics(制御と通信の理論を基盤とする学問)から来ている。が、こちらは真正の量子物理学であり、そのノーバート・ウィーナーの構想は“現場の社会問題解決”から閃いたもの【世界は関係で出来ている美しくも過激な量子論=NHK出版p135】とされている。“5次元“そのものの思考であり論理構成だ。例えば、世界に名だたる、JRの列車運行時刻表は量子物理学だ。旧国鉄の列車運行システムは、コンピューターがなかったから、長い巻物:模造紙(ダイヤグラム列車運行図表)手作業で幾重もの線を描き、そのグラフ交差点を押さえて、電話やり取りで運営していた列車運行システムだった。

話を戻せば、イノベーションの名付け親:経済学者シューペンターの(最初の)定義が、これら40~60との学説を包括しているようだ。それは次の通りだ。
イノベーションは、経済学者シューペンターの定義した言葉である。
文字容量の都合で、詳細は省略するが、分かり易い概念をイメージするには、シューペンターが述べた新商品開発例が適切だ。
新商品とは、
1.新しい財貨、新しい原材料などの発見
2.新しい生産方式の開発・導入
3.新しい市場の開拓
4.新しい原材料とか半製品(いわゆる文明基礎商品)の発見
5.新しい事業組織を開発(社内・社内のネットワークに渡り)
……要するに、シューペンターは、収益性、生産性、労働意欲、効率性の経営管理:四分野にわたって考えていた。そして、「結合といった概念は、“5次元”そのものの思考であり論理構成だ。
要するに、筆者の私からコメントすれば、こういった“数十にも及ぶ定義”というのは、現実や現場の経済や商業を無知・無視した内容である。古典物理学などの馴染みある論理構成で以って、相手が理解しやすい内容(受験勉強思考脳)に合わせた積りの、コンサル業務の販売営業側思考(受験勉強思考脳)で以て、「資本投資一辺倒&縦社会」の資金と組織を背景(今でいう人工知能AIは、「単なる商品名で中身に関係なく使った」と同じく)にしている。だから、そこではシューペンターの定義を理解・応用が出来ないばかりか、発言者の販売受注を確保せんがための、旧態依然の“皆が慣れ親しんだ論理構成&内容”に変質させたモノに過ぎない、それは彼ら自らが自覚するからこそ、屁理屈やおとぎ話も並ぶのだ。
ところが現実の“第一線の現場”にあっては、現に目の前での、見事な職人芸に近い「仕事の収め方」とか、「Art域労働」といった、(近年科学の解明と裏付けでの)「5次元思考」とか、長年の成功習得技術から培った、「現場現実優先の量子物理学」に近い思考方法とかの哲学で成り立っていることが理解出来ない訳なのだ。現場現実の仕事に触れたことのない“インテリ志向者”にとっては、実に無理のない(幻想)事柄ではあるが、残念ながら、「資本投資一辺倒&縦社会」が彼らの背景に過ぎないから仕方がない。彼らには「互いに共有し(分かち)合って、少人数ながらも集団で事を成そう。」といったことには成らない。だから、読者のあなたが、「諸:定義類に巻き込まれれば、あなたが成そうとする物事は、周囲からの協力も理解も得られなくなるばかりで、広がりも無く失敗に至るのが自然の流れとなる訳だ。とにかく、「お客のニーズの有無」とか「あなたの慎重さ」は大切なのだ。破壊的イノベーションの例で有名な話が、「高級:レコード盤ステレオセット」から、ウォークマン、今や高品質イヤホンのお話」なのである。その当時、関西家電のP社は、N露漁業の船舶で“ウォークマン類似品”を大量にソ連の沖合に運び、ソ連産:ミンク毛皮と海上交換し財を成した。当時のソ連住民にとっても、この密輸は大々的イノベーションだった。当時の日本に一気にミンク毛皮も広まった、日本からすれば、これも安い原材料の発見というイノベーションだ。(これ、松下幸之助の重要側近から聞いた話だ:)密輸かどうかは、すでに時効が成立している。イノベーションの諸説を、読者に根底から見極めても
らうために、“日ソ:海上交易”の話をしてみただけだ。

“ウォークマンの類”、これが、スマホ認知症の始まりかもしれない。少なくとも、音曲や歌を通しての、深い共感Empathyといった総合的意味情報群の、“共有(分かち合い)&交換”が出来る頭脳能力が相互に劣化しているようだ。
それは、絵・音・詩・掌(たなごころ)等を以って構成する“芸術価値性の空洞化”を招かざるを得ないだろう。もちろん、買手購入後の価値増殖もあり得ない。これらについては、直ちに有能芸術家や神経科学者が、空洞化全般を更に裏付ける研究発表を繰り広げてくれるだろう。この空洞化に気付かない限り、量子とか量子物理学を口先で述べるにも、学歴が高くとも空回りするばかり、気付かなければ場末にタムロするばかりの存在は覚悟しなければならない。
ハードもソフトも何もかも、しばらく経てば或いは無謀な販売資金が枯渇した途端に、“ガラクタ”に扱われ、作り手も買い手も、ゴミ処理代を要するしかない。人間で言えば、労働力(他人の企画に従いする作業)までが、そうなってしまう(2025年4月からの雇用保険改正で気付いた懸念)かもしれないのだ。
イノベーションを度外視しても、次のことは、
それぞれの販売供給方式で、ありうることだ。
§これからも売れる商品には特色がある!
(昭和大恐慌&終戦直後の経済転落=の復興に共通して)
それらをここに挙げると、
(1)とにかく価格が安いこと
(2)とにかく機械的かつ合理的であること
(3)いわゆる本物、もしくは本物指向
(4)健康、遊びに関連していること
この4項目のうち、(1)と(2)は工業文化型が支配的な商品であった。(3)と(4)には、生活文化型が支配的になろうとする関係が存在する。生活文化型ではいずれも、その商品を入手して使用することで、以て人間関係を改めて充実させることにはなる物だ。加えて(3)と(4)は命と健康の維持範囲を超えて人間同士の意思疎通をより充実させる商品なのである。
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§シェブロン法理の廃止は、日本への影響必至
これは、公正公平&地道な経営にとって、イノベーション&ビジネスのチャンスだ。この法理の廃止を、アメリカでは生活経済へ移行の足掛かりとして受け止められている。この6月28日、40年ぶりに米連邦最高裁は、“シェブロン法理”を、廃止することとした。これは、1984年の、「連邦法には明記していなかったり曖昧だったりする問題は政府が解釈し、その解釈は合理的であれば司法は従う。」との原則であった。これが廃止(判決上は却下)されたのだ。日本で言えば、「法律で詳細が曖昧もしくは定まっていなければ、時の政府が解釈を定める。」といった現行法制度が、日本でも無くなるということ。とにかく近年日本の法律は、過半数与党で以て曖昧に法制定をし、特定業者などの利権がらみで解釈をしていると揶揄されることが多い。このことで個別企業には、チャンスも無くイノベーションも阻害をされている。
今回の米最高裁判決は「裁判所は政府機関がその権限の範囲内で行動しているかどうかについて独立して判断すべきだ。」とし「法律が曖昧だからという理由だけで政府機関の解釈に服従すべきではない。」と明言したものだ。すなわち、これからの日本での判決や判例が、「法律条文が曖昧だからという理由だけでは、政府の解釈の効力はない。」といったものや、「法令に解釈が明記されないのであれば、解釈は国会で定められるべきもの、政府が解釈を定め実行することはできない。」といったものに変化するという、法や社会制度の大変化な訳だ。
近年の、政府の利権がらみの解釈とか特定企業や勢力の優遇規制を廃止され或いは、そういった趣旨の訴訟提起する者や自治組織が、訴訟を提起することで政府解釈失効命令とか判決が下される訳だ。イノベーションの妨害とか特定企業や勢力の優遇となっている規制も同じく、今後日本政府は出来なくなる見通し。←ちょうどアメリカの製造業は日本上陸を目論んでいる状況にある。
★★【今から40年ほど前に法パラダイムの転換なるものが、米国から始まり、日本の裁判制度でも10年ほどで、裁判例や判例で以て定着してしまっている。このパラダイムとは、
いくら、その結果が良いものであっても
正当な手続きを踏まなければ、
手続きを踏まなかったことが、先ず悪とされ
その行為が認められなければ、悪とされる。
というものである。話題の“小林製薬の紅麹サプリ事件”は、正当な手続きをしなかったばかりに、小林製薬は非とされ、立ち入り調査の過程で、青カビ発生の隠滅も発覚し、悪徳企業姿勢も露になってしまった。そして被害者が訴訟提起すれば、小林製薬が極めて不利になることは予想される。よくある身近なケースで言えば、正当な手続きを踏まずに、“いわゆる問題社員”の解雇を会社は行ったとしても、解雇無効の判決とさかのぼる賃金支払いが裁判所から命じられるだけである。
ところで、小林製薬には、この程度のことにも暗い弁護士の顧問だったのだろうか?地元大阪で小林製薬は、いまどきの“新自由主義者”として有名である。
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§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240806】
①『H5N1:強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ』岡田晴恵(著)
  幻冬舎文庫 2009/07/01:第2版 2020/03/20
ウイルス学の岡田晴恵氏、10年前に書いた小説の中でパンデミックを予言!?
(むらおかコメント)
コロナ禍:発生直後、あたかも「ワクチンは万全」との誇大宣伝がなされた。それに流された人たちこそ、副作用他の犠牲者だった。そこには当初から、官僚の“無能さと保身”がはびこり、その手先となった専門家や学者は次々と現れた。これについて著者は、別の書籍(『秘闘私の「コロナ戦争」全記録』(新潮社)で、「『ワクチンの専門家の挙動が政治的なんです』」と、彼女は告発している。
この書籍は、コロナ禍前の2009年に初版が発行されている。その所以は、科学者でもない限り、いわゆる無体験では混乱と蔓延で以って大被害が生じるだけ、との懸念から書かれた。なので、小説を形取った(一般読者向けにと知恵を働かせた)感染対策の啓蒙の目的で以って執筆されている体裁なのである。
著者は、コロナ禍:第一報(2019の年末)時点の以前から、WHO世界保健機関のブレーン集団の連絡網に参加し常時連絡(主にメール)を取るなりして、世界最先端の情報を持っていた。直ちに各方面に連絡を取りテレビやマスコミにも情報を流して、事実上のWHOの学術面Branchであった。そして、厚生労働省に巣食う「無能と保身の柱」であった医系技官と対決していた、当時の厚労大臣とも毎日連絡を取り合い、彼女は戦っていたとのことだ。「無能と保身の柱」であった分科会OMI会長ら専門家からの学術的に幼稚な問い合わせにも答えていたとのことだ。(詳細は、“秘闘:私の「コロナ戦争」全記録”:新潮社を参照)
この著書を、私が推薦する理由は次のとおりだ。
 ①職場や家庭での汚染対策の基礎と具体的手法の啓蒙、
 ②そして如実な解説にそのまま使用可能な文言や描写が盛り沢山、
だからである。♯受験勉強のみ得意な人物とか、♯学術思考が強烈な人物では、共に“職場一般の監督職”とか“家庭を下支えする主婦”といった方たち向けに、感染学や公衆衛生学の理解出来る知識も、その会話も出来ないからである。
ただし、もとより残念なことには、この「無能さと保身」は、当初から決定的ミスを犯していた。それはコロナ:ウイルスの前身である2002年の“SARSウイルス-1”感染事件の際の対処策を教訓とせず、COVID-19の感染経路を間違った。それのみならず、無視し続けたとされている感染経路のようだ。すなわち、COVID-19は、人間の全ての粘膜へと感染し、最初に炎症を起こすのは腸内(腸管)であるにもかかわらず、人間の排泄物や汚物(ビルや家庭のトイレ)から伝染することを見誤ったこととのことだ。要するに感染し腸内(腸管)で炎症が発生した後に、上気道の炎症に至るわけで、インフルエンザや“風邪の類”とは異なる感染経路の、“クルーズ船汚染事件”時点からの(一部感染学者の)見誤りだ。すなわちトイレは、(肛門の)排泄物と粘膜(性器はじめ)、上気道などからの飛沫と眼球の粘膜との重要接触場所である。加えて、そこでの指先(媒体)による、ドアノブや蛇口の汚染、そして更に顔面や目・鼻・口の粘膜へのウイルス媒介汚染にも至るという有力説だ。そしてこの有力説は世界でも否定されている訳でもない。なお、医療関係者には、概ねその知識はあるが、一般人や感染学者の一部では別経路に固執し、“マサカの感染経路”であったのだ。コロナ禍の当初ばかりか、未だに排泄後の手洗いは男女ともに半数程度らしく、トイレそのものには窓自体が少なく=風通しを悪くしているのが実態で、超通気の不潔マスク着用(挙動が政治的)よりも重要な対策であったにも拘らず、なのである。

2024/07/09

第267号:円安($1=¥300)と物価高に備える

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
“1ドル300円!”の円安為替相場に向く
貨幣は、如何なる人々にも自由をもたらしてくれる
量子物理学って、意外に簡単、もうやってたりして
 原理を知り、便利に応用するヒント(巷の話はムダと暴利の誘因)

(再掲載)新しい世界観(哲学)が求められる、と言われ、それ確かだ。
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240709】

§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
手元の預金は、Netバンキングの瞬時出し入れ可能なドル預金にする。
政府・日銀は、1ドル300円への成り行き任せ始め、インフレ政策に突入。
原油不足は早速インバウンド旅客減少に影響はじめ、
その他の輸入食材とか金属の、輸入制限動向。
Appleのジョブズは、イノベーションを、「同じモノ(物)の“新しい使い道”の提示だ」と示している。その影には、新しい=財貨、その造り方、市場開拓、半製品、ネットワークに至る“細かな思考”をめぐらす訳である。そこは経営者層と一般人の差異だ。
 金地金とか株式は突然価格暴落するから危ない。確かに新NISA経由の約15兆円が米国株購入(年初来150%に近い上昇銘柄)は、今のアメリカ株高&円安の一因とのことだが。新NISAとか確定拠出年金では、日本のインフレ(国内:通貨供給量の水増)政策に因って、諸物価は急に跳ね上がり、事業主と個人の将来収入は帳消しとなるのである。
 大手企業はじめ機関投資家は“一気にドル買い円売り”を目論んでいる。現在の購買力平価の均衡値は“$1=¥100”前後だ。ここで円の価値が下落($1=¥300)ともなれば、日本の国民生活水準は急降下、それは途上国並みに落ち込む。賃金&物価の好循環も吹き飛ぶ。国民の実質所得が減少し続け貧困化が進む。一部の輸出企業は潤うが、イノベーションの投資資金が回らない。個別企業も個人も傍観していては、終戦直後来の困難に陥る。残念なことは、与野党政治家も、人気評論家や学者も、現状メディアも、これらが理解できない水準である。今や国家官僚は“我が身の保身”だけだ。


§“1ドル300円!”の円安為替相場に向く
いよいよ本格的に動きだした。とにかく、
個別企業も個人も、手元預金を、“ドル預金”に回す事が
緊急得策だ。政府や財務省は、インフレ(促進)政策を一段と進め、
物価高2倍とか食料・物資不足など、
何のその成り行きに任せる政策にしたいようだ。
インフレ政策の意味と実態
A)昔から経済学の定義では、インフレーションとは、国内に出回り流通する通貨量を増やす政策のことで、故意にインフレを起こすことだ。物価が上がるからインフレだと説明するのも本末転倒の嘘。よく観れば経済学者でもなければ、無知な無責任な人物の話だ。政府は国債を発行して、銀行その他に持たせ、その分の通貨(紙幣やコイン)を印刷などして、政府からの代金支払いとか国民への給付金に当てれば、難なく流通通貨は増える。
B)反対に、デフレーションとは、国内に出まわり流通する通貨量を減らす政策である。デフレの場合は、その反対をすればいいという考え方だ。が、戦後に流通する通貨量削減の実行をした事は無い。
C)すなわち、物価が上がる理由は、国内の商品やサービス量は、さほど一気に増減はしないから、その時の“価値量”に対する通貨供給量(=より詳しく知りたい検索は、マネーサプライ)を増やし→通貨価値を目減りさせるわけだから、単位当たりの商品を買う際には、価値の低くなった通貨だから量が多くなるのだ。昔は、年末に国債を放出したから、必ず年末に物価が上がった。それが「師走の物価高」と言われた現象の原因だった。
D)インフレを起こせば“景気が良くなる”とのことはない。高度経済成長とかバブル経済政策に併せて、インフレを起こした事はあるが、それを→「インフレになったから物価高になり景気が良くなくなった。」と、嘘を並べ立てた輩(御用学者など)たちが居たからだ。その思惑は、“インフレ”とは“大衆課税”(高校の教科書に載っている)であるから、“国民への課税”を誤魔化すために言い出したのだろうか?
E)“大衆課税(インフレを起こす)”とは、消費税の引き上げ前には、もっぱら行っていた増税だ。今は消費税とダブルだ。そこには、税金も貨幣たる財も国は集めることなく、(貨幣ではなく)通貨を発行し、税金を集めたかのように、或いは貨幣価値の裏付けがあるかのように見せて、政府の支払い給付に充てることから、通貨価値の目減り分の税収が生じた分の価値(=国民の持つ財産や賃金が目減り)が、課税されたこととなり、それを政府が税収のごとく使うから=大衆課税なのだ。日本では、税金を払ったことが無いという人も子供でも、この大衆課税と消費税は、法律上は払ってないが、実態は負担をさせられているのだ。
F)「インフレが起こっても景気が悪い、物価も下がっている。(=51年前から生じたスタグフレーション)」という現象は、政府が済政策で足を引っ張るからであって、デフレでもなんでもない。国・都道府県・市町村自治体のそれぞれで、“経済を回すこと”で自由平等な経済成長に資するとしているシステムが、現在の社会制度である。そのためには、様々な産業育成政策、商品流通(交通)等のインフラ制度と整備政策、職業能力や労働力人口の育成保護、労働力需給政策その他あらゆる方策で、自由市場経済(資本主義)や自由平等を下支えする社会制度を進めることになっている。
G)だが、そこの部分で、実は、隠れて政府その他が、政策の足を引っ張ってきたからに過ぎない。物価高にあって売れなければ値下げ販売をするのだから、下支えも無く今一つ劣等品が売れないのは当然の成り行き、配給物資じゃぁないのだから消費者が何でも買うって訳ではない。それなりの合意形成もなされず、新自由主義を名乗り(刑事事件が必ず潜む特徴を含め)、“全体主義&封建的密室縦社会”による不正や隠蔽(いんぺい)が、目白押しとなり、あげく嘘にゴマカシに至るというわけだ。
今の日本政府には、
何らかの経済対策を打つ“余力も資金”も無くなってしまった。
アメリカを始めとして、多額の貸付(米国債買い付け)ばかりで、つかの間の“円高誘導”へ向かう手元資金すら無さそうである。もとより、経済対策の英知さえ編み出す意思もない。加えて野党といえば、経済対策や“金を使わない政策”といった知恵は元から無く、議席と得票と組織維持に気をつかうに過ぎない。
すなわち、経済政策のリーダーたるべき人物や組織が、事実上崩壊してしまっているのが今の日本の姿なのだ。それは、縦型組織の強権力を振り回していた企業や団体こそが、「世界金融資本→金の切れ目→縁の切れ目」とばかりに、
衰退し事実上の崩壊をしている様相の多い事での現れなのだ。

そこへ2週間余り前、「アメリカ連銀が、“裏で帳簿外の資金を作って金融相場に注入している”との情報Intelligence」が信頼できる筋から入ってきた。だとすると、今のアメリカの株高・債券高は今後かなり続く、かつ帳簿外で見えないのだから、少なくともこの不正は、アメリカの新しい大統領就任までは続く。非米側(BRICSなど)の独自経済圏が、そんなに早く成長することもないことから。
だから悠々と、1ドル300円の為替相場に向かうとの方向が見える訳だ。

話は、歴史に飛んで。
第二次世界大戦の開始(勃発ではない)前夜まで、国際金融システムの発展していった、ドイツとフランス、その国境付近(アルザス=ロレーヌ)では、全財産を持ち、家財道具も荷車に積み、マルク(ドイツ通貨)とフラン(フランス通貨)の為替変動に合わせて、国境間を移動移住する家族たちが多くいた。安定した職業が無いばかりか、通貨の為替差益での生活防衛こそが、この国境付近では重要視をされていた。今の日本では、インフレ(大衆課税)政策の被害を受けるも、企業(経営者の団結権)に個々人では、金融や通貨政策における自律は認められてはおらず犠牲を強いられるばかりだから、唯一の、“他人や家族に迷惑がかからない”かつ正当な自己防衛は、為替差損取引程度しかないのである。
自ら自律して、自ら情報収集からNetバンキング作業にまで携わり、基本的な(社会科学)経済学(社会科学)を頼りに、自己防衛することが最も重要な柱である。証券取引とか、NISA(節税?)、FX(Foreign Exchange外国為替)にあっては、営利優先の手数料企業?を通してでは、それが始まった明治時代以降を通して、顧客の“身を守る”こと自体が成し遂げられたとは、そんな知識も経験も私にはない。

基本的な(社会科学)経済学に頼れば、
私も含め、一昨年の為替差益は、
春~秋の間、30%(放置)~+40%(細目な投資)
そして今年の1~6月で+10%(放置のままで)増益
~こういった“利益確定&入金済”体験者のアドバイスか否か
それとは違う輩は、手数料稼ぎとその手下だ。
政府のインフレ政策で、通貨価値を今から半分程度に落とす(物価は平均2倍)ことに対して、事業や生活の防衛には、焼け石に水かもしれない。成人の誰もが“通貨発行権”はあっても、誰も相手にしてくれないだろうから……。

§貨幣は、如何なる人々にも自由をもたらしてくれる
A)それは、大人から子供(子は親の所有物ではない)に至るまで関係なく平等に、それなりに与えてくれる。この場合の、それなりにとは、与えられるチャンスの多さ、与えられる貨幣数量、そして、その人の価値観や技術による合理的効率的な使い道である。
B)また、よく会話に使用される“自由”の言語(共に英語)は、開放Liberty、もしくは自由Freedom(何れの束縛も規制も受けない身近な概念)の、2つの意味を使い分けている。ところが日本では、この2つの言語を、日本の縦型封建制度を明治維新以後も引き継ぐために、「自由」と合わせて誤訳(福沢諭吉)たに過ぎない。いつも話す、“IntelligenceとInformation”も区別せずに、「情報」と誤訳(森鴎外=全くの無知無能とは考えられず)などと、曖昧で似通った誤訳(言語)なのだ。すなわち、こういった、“貨幣に係る自由平等”が重視され、その自由をも保つためにも“社会”といった制度を形成して、現代の文明Civilizationとされている訳だ。ちなみに、日本の今の法律概念では、「社会正義」と言えば「自由平等」を指すのである。
C)さて、デジタル通貨とか、そのマイナンバー関連となれば、この自由平等が果たせない物事に制度転換する。まず、“通貨”と名が付き、“体”となれば、それは、“通貨(紙幣、電子マネー、コイン、手形その他金券など)”は、
その使用方法を、“悪徳や怠惰”の可能性に敢えて晒すことで、
自由に係る枠をはめ、自由や幸せのチャンスや空間を破壊し、
社会制度下にあっても、
他人の支配や身分(ステータス)での区分けの道具と化す
“カラクリ(特例制度)”を意味しているのだ。
D)そういった社会制度下の特例だから、貨幣ではなく、“通貨”に関わる制度や契約は、必ず法律で、「その人の任意」あるいは、「担保された、“その人の自由意思”」といった枠組みと成っているのだ。★★要するに、“カラクリ制度側”は、相手の人の自由を制限するわけだから、誘引手段の“はした金銭”とか、同調圧力で以て、本人の自由(任意希望)であることを、十二分に“明言&周知”せずに、(今の日本政府の如く)“誘引行為”をするに至るわけだ。
E)そんな人たちは、明治維新以後も続く「縦型封建制」ばかりが頭から離れないわけだから、学問や学術界を敵にする。彼らは、明確に語る学者は、大学教授を始め、教育・育成界でも、チャンスがあれば排除をしようとする。さらに、津々浦々:町内会(日本の法令では、希望者のみが集まるサークル)に至るまで、明解な人物は、とにかく「縦型封建制」は排除しようとする。1789年からのフランス市民革命では、「迷信は聞くな」との呼びかけが、市民や農民ら向けになされた。
政府のマイナンバー関連ともなれば、
物品配給回数券とか、政府の配給切符の統制だ。
統制だから、便利ではない。開放Libertyが無いのだ。
表面はデジタル風でも、中身は配給切符並みだ。
開放Libertyがない状態は、他人が決めた道筋を走るだけだから、便利にも観えやすい。だが、実のところは目に見えない檻(おり)に囲われている。「“気がね”も慣れれば気にならず」、他人の決めたパターンでも、自らに向けて→、自己欺瞞(じこぎまん)をすれば、心底便利だと感じるように飼育された者に陥ってしまうのだ。ロボットは開発経費に多額の費用を要するが、人間の飼育や洗脳は、同調圧力や恐怖感で自己欺瞞(じこぎまん)を、最初の一歩にさせれば、極めて安価に“人間をおとしめること”が出来るのである。
檻(おり)に囲われていては、イノベーションは生まれない。
まして、人類の進歩など起きるわけがない。
そして、現代最先端の哲学では、「善悪の判断は、
「人類進歩に資するか否か。」だとされている。」


§量子物理学って、意外に簡単、もうやってたりして
 原理を知り、便利に応用するヒント(巷の話はムダと暴利の誘因)

イ)様々に成功を収める人物の着想は、当人の自覚なく、量子物理学に似た方法を繰り返している。「量子力学、量子論、量子物理学その他」類似名称が数多いのは、今もなお論争の真っ只中にあり、論争するために、特徴の異質性を強調したいがための、(当人は真剣だからしても)、ラベルとかレッテルの違い程度なのである。量子コンピューターの“御名前”も然り。更には、高額商品に仕立て上げて売りつけようとしたい動機から、崇高な物理論だとか、一般人には無用の長物の“難解な数式”等を、を引っ張り出すわけだ。(例えば)「同じ統計数値でも、小数点以下2桁を示す。」と、その手法で、勉強嫌いの人物を誤魔化せるとか、より正確に計測した幻想を持たせられるといった狙いと同じく、言語使用レトリック(ごまかし)に過ぎない。ちなみに“AI”との名称も、新商品概念として名付けたと、開発者本人が話している。
ロ)ところが、量子物理学の理論構築では、ほとんどの受賞者や学者の着想や認知は、実に、社会学とか社会習慣に社会動向、政治動向などの学術概念をヒントにしているとのことだ。けっして、その分野の物理学の中で閉鎖的に着想されたものではない。その理由は簡単で、全くの別世界に近い話を、学者も含め社会一般的に理解されるとか通じることが不可欠であるから、「認知方法は人間の心的生活における意味の世界」につなげて論議し話を進めたとの“手法・方法”に他ならないからだ。アインシュタインやノーバート・ウイナー(サイバネティックスCybernetics)は、そういった有名ところの人物だ。
【参考書籍:世界は関係で出来ている美しくも過激な量子論=NHK出版】
ハ)量子物理学は科学的(=何時でも、何処でも、誰にでも通用する法則)である。その着想の視点と方法は、現実・現場を観て気付くものであり、それに気付くのは人間の体験・共振・発見、或いは“アプリオリ”が伴っている。それは、相互依存関係なのか、それとも偶発的な出来事なのか、それら何れにしても、ここで初めての“存在確認”が成され、こういった情報とか思考が、他人と共にやり取りされ=共有(分けっこShare)することから、→文化として定着したわけだ。これらは、自然界の物事ではあるが、人間の心的生活における意味の世界とつながっている。その理由はここにある。そして、ここでは、
“事実”と“事実関係”の各々の区別とか、
IntelligenceとInformationの区別を、
ハッキリ付けた思考方法を人類は用いてきた訳だ。
(日本では“事実や情報”と誤訳が大弊害をもたらした。)
イノベーションも、政府の技術刷新の誤訳:大弊害だった。
ニ)「知識は経験と観察に基づくべきである。」と言う思考方法は、ジョン・ロックやニュートン以後の古典的物理学の柱である。だが古典力学における必然というのは、単なる確率の範囲であることが明らかになった。古い物理学が提供した世界像は、決して明瞭で確固としたものではなく、実は幻(まぼろし=観念)だったのだ。要するに、言語と論議といった観念では、物事を解すことが出来ない(知識偏重主義とかスマホ認知症など)のである。=これが最新の物理学の到達点である。例を挙げれば、量子物理学では、「光は粒であり波である。」となるのだが、これとて、その量子物理学の認識方法は、人間の目には見えないが、認知方法は人間の心的生活における意味の世界とつながっているもので解明できたのだ。
「粒であり波」とは、有能な人材の活用(粒)と、明確な理念と方向(波)こそが、事業経営ばかりか地方自治に町づくりといった、人間の動きの重要ポイントなのだ。
ホ)世界という物を、「関係論的な属性とか関係が織りなすもの(量子物理学的視点)」といった観点から観ると、古典的物理学と現実・現場で起こっている物事との隔たりも、それほど深刻な課題とは見えなくなる。無理矢理に「物質と運動」といった古典的観念に収めなくとも、相互作用が織りなす複雑構造から生じる“自然現象”と見て研究すれば良いというわけだ。
ヘ)そして、人間の脳は、大量の情報処理に関しても極めて有能であることが、神経科学の研究で発見された。それは、一般的な“思い込みや予測”とは大きく反していた(人間の洞察力の源)人間の視覚機能は、目前の光を受けて様々な色とか陰影の区切りの情報認識をし、→物体を認識すると思われていたが、そうではなかった。実際には、目の前に見えそうな物を脳が予測し、目に映るはずのモノを予測して、実はその予測(ある意味の幻覚)と違っていたモノだけが、脳に知らされる機能(現実・現場の職の技術技能…AI化は出来ない)になっていたのだ。実はこの方法こそが最も効果的効率的な方式であり、脳が既に知っている情報をいちいち送る(再送する)のは無駄ということが解っているのだ。(現AIの画像ファイル圧縮技術は既に、この神経科学の発見よりも以前に導入をしていた)すなわち、人間の“あたりを見回す”といった行動は、初動の“観察との方法”ではなかった。人間の予測や脳の幻覚の“修正の為”であるとのことだった。こういった脳の機能は量子物理学と極めてマッチし、そのものだった訳だ。~という事は、今流のAIによる“ビッグデータ収集”とか、“AIチャット”その他、“今風の様々なデジタル化”を煽る商品やシステムとか、“(似非)量子コンピューター名目”での、【現在の一般的概念水準】も、それは、飛んでもなく極めて非効率かつ幼稚で人間の脳を劣化させる代物という訳だ。そういった、マイナンバーなど日本政府が始めとする「デジタル化だ!」という【現在の一般的概念水準】であるか、らこそ、非効率&無駄システム(これは実にDX=Digital Transformationにも非ず)、【“旧来システム集積”&“そのムダ金見積り水増し”】だ、との真相への指摘は否めない。
ちなみに、雇用保険番号は、全国統一の過去7年に渡る就業事業所の記録が整っている。~それは、警察の指名手配での出社会社職場の特定に用いられている。
医療情報は、既に医療情報として病院や医師間で活用され、マイナンバーの紐づけは不要だ。診療報酬も健保番号で集計されている。
まして、マイナンバーは、希望者に限る任意(自由)の届け出・提出の法律の建付けだから、「不自由な檻(おり)に囲われたい」希望者だけのシステムだから、先ほど述べた“ビッグデータ収集”にも至らない、無駄なシステム事業費(誰が儲かる)でもあるのだ。

§(再掲載)新しい世界観(哲学)が求められる、と言われ、それ確かだ。
所詮、現在広く流布し用いられている世界観(=哲学)の多くは、日本の義務教育の開始、1686年(明治19年)の138年前の物事や経験内容を、今もなお引きずって(坂本龍馬の話の好きな人が多いように)いるのである。イギリス(1891年)とかフランス(1881年)の義務教育開始と肩を並べるものの、世界金融資本経済に基づき、かつ戦後日本も“富国強兵”の柱を残存させているから、「(殊に英米社会ルールに重きを置く)一般的科学的労働の担い手を育てる制度」としては不備・異質で、世界の時代動静動向に合わないのである。
戦後の教育改革といえども(GHQが軍国思想者は排除しても、具体的な術(すべ)や方式を導入せず、むしろ戦前慣習を温存し)、実際の義務教育現場では、(一部に今もなお)陸海軍方式や術が残って(これが、イジメやハラスメントを温存して)いる。この、教育現場の温存に目が向かなかった(隠された教育現場を知らない)限りは、左派革新野党であろうが右翼右派であろうが、“福祉や国家の“論”を説き、“教育の問題だ”との逃げ口上に走る。”ことにしかならないのである。
だが、それでは実際の経済や経営の現場に携わる、経営者や管理者にとっては、そんなことでは、実務教育としては役立たないし、済まされない。そこで、~
★★哲学を踏まえての、私なりに整理した“新しい世界観(哲学)の例示”を示すこととした。その及ぶ範囲は、経済経営、事業組織(経営者の団結権)、生産・流通(交通)、地方自治(住民サービス)、自由平等のための自律や社会制度、そして家庭内(子供は親の所有物ではない)にまで至る。この部分から、「チャンスを手につかむヒント」の“閃き”になるであろう。
★★まずは、試しに以下の、“新しい世界観(哲学)の例示”を読んでいただき、現在の最先端科学【自然科学・精神(人文)科学、社会科学】に触れて、過去の因縁に基づく思考や具体策から、或いは読者の心の中からの、→あなた個人・独自の“新しい哲学(例示)”を思考していただきたいと考える。
“新しい世界観(哲学)例示”20240604記
  貨幣(お金)、少なくとも細やかながらも自由を手に入れられる。
世間体や周囲からの不自由とかからの、自由な立場での自律(解放)を、さらに拡張し広げられる。
  幸せとは、好きな人と一緒に暮らすとか、一緒に仕事をできているとか、一緒に遊んで快楽を愉快に楽しむといった、様々な人間関係を、束の間であれ創っている事と言える。
  その基盤には、共感Empathyを基に、計画を立てて、自由平等のための社会制度を築き守るといったようなものが、現在の人権と到達点である。
だが、通貨は貨幣の融通や濫用を引き起こすための道具である。
  “通貨(紙幣、電子マネー、コイン、手形その他金券)”は、その使用方法を“悪徳や怠惰”に晒すことで、自由に係る枠をはめ、幸せのチャンスや空間を破壊し、社会制度が他人の支配や身分(ステータス)での区分けの道具と化す。
  そうなると、共感Empathyではなく、“同調”を互いに強いられることに陥る。それは、家庭内から自治体(住民サービス)、企業や職場、宗教団体その他、ありとあらゆる人間関係にまでに“同調”を互いに強いられ暗闇に及ぶ。
  “一神教(キリスト教、イスラム教、明治以後の浄土真宗など)”にあっても、何人であっても同様に平等であるから、貨幣が普及して→その通貨がモノを言い始めることに因って生まれ成長している宗教に他ならない。要するに、“貨幣支配(=物神)”が立ち遅れた状況の地域では、多神教は長らく生き残る。これらも経済学や商品論理を知る研究者にとっては周知のことである。
  そもそも人間は、二人だけの関係であれば、哲学は無い。赤ちゃんが生まれることを始めとして家族が三人以上となれば、そこに初めて哲学が持ち込まれることとなる。しかるに、“同調を強いたり”とか“親の子供所有権”を社会制度で防止しなければ、自由・平等・解放・幸せなどが崩壊することとなり、全てにおいて同調(家父長制化)を相互に、細かく求められる事態に陥る。
  「子供は親の所有物ではない。」とは、文明社会の先駆け名誉革命の際の国家の法の支配(自由平等のこと)を説いた、ジョン・ロック(英国)の、名言である。
(注)哲学とは、個人の気分感情を、各々が気ままに示すこととは違う。
その基本姿勢は、古代からの考え方を歴史的に並べ覚える事(受験勉強)なんかでもない。“自由平等&精神的解放”といったものを、科学的(何時でも・何処でも・誰でもが・使える法則=宗教とは異なる)に整理し、考え直す学問である。ちなみに“善悪”とは、古代ヘブライ人が発明した判断基準である。そして現代では、「人類進歩に資するか否か」が重要な柱として発展している。哲学や憲法で用いられる“良心Conscience(英仏語同じ)”とは、善悪(又は孟子の言う良心)とは関係ない。そもそもは、「(旧来からの宗教観としての)神に対する正直な心のあり方」を、自由平等のために“社会”という制度の活用した際に、文明Civilizationの精神的柱として用いたとの歴史を知れば理解しやすい。そして驚くことにCivilizationの語源はCivility(礼儀正しさ)であり先行使用(フランスでは迷信を聴くなの合言葉と共に)をされたのだ。なお、科学を「物理学と数学で解釈することだ。」と解するのはドイツ流の(戦時中のナチスらの)偏見であった。

「AIは、経営管理と人材活用を重点に、個々に導入」
目先で効果的なAI導入(前月号)に飛びます。
https://soumubu1.blogspot.com/2024/06/blog-post.html#266-08


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240709】
今月も、お勧めできる書籍は有りません。YouTube動画も然り。大阪市立図書館の新蔵書情報とか、出版物要約情報など流し見をしていますが、いわゆる、物事への批判とか、知識の羅列といった、ある意味“惰性的出版物”が、ここ最近目立つように感じます。なかなか、創造的かつ開拓的な出版物が減ってきているのでしょうか。