2024/10/08

第270号:経済失策の犠牲からの亡命

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
お客の困り事を聴き尋ねニーズをつかむ
一気に、前向き企業にする、最初の一手は
本当のイノベーション 何も新商品ではない
過去政府の経済・無政策に頼らず克服したポイント
流通取引物ごとの、概念的構成要件の整理
カオスの世界とか量子論を、身近に目前で試みてみる
能登半島地震、加えて洪水の悲劇の本質
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み20241008】
  『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』



§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
 お客の困り事を尋ね、ニーズをつかむ⇒緊急行動
  即刻、商品と売り方を、時代の先頭に合わせる
   選挙政府に期待なし。④衝撃報道にも踊らない
§お客の困り事を聴き尋ねニーズをつかむ
同業他社・同業に見做される企業であっても、売り上げや利益率の伸びている企業は、俗に言えば、約:2割は在る。その2割企業との違いは、“客のニーズをつかんでいない”、或いはどこかの段階で“客の相談や困り事”を、跳ねつけているからである。(若者等“スマホ認知症”の)電話対応(決してそれは事務的ではないが、マニュアル外の話は無視する)事にしている実態が多い。その傾向は“発達障害”等ではない。
応接の見本は社長や営業販売幹部が、社員に見せ付けなければならない。ことにニーズをつかむためには、貴重なチャンスや手がかりが重要だ。【マーケティング調査はその多くはインチキだ】。経営管理者の知らないところで、チャンスを断ち切っている行為が、社内で横行しているかもしれない(有名大手家電会社でもよく在る)のだ。電話をかけていただいた人をアキラメさせるのだ。その態度では、最近話題のカスタマー:ハラスメントも、あえて招来する訳だ。
その最も効果的な、改善・改革は次のとおりだ。
問い合わせや顧客の相談にのる
かかってきた電話の、第一声は=
 「お困り事ですか、どうぞおっしゃってください。」だ。
  社長や営業販売幹部が、真っ先に電話を取る。
   あなたが、“物資配給業者”ではないならば
     ⇒お客の困り事を聴きニーズをつかむ。
社長や、営業トップの、顧客の誘引や応を、社員に見習ってもらうには、
①顧客との電話のやりとりは、社員が見聞きする前で、その会話方法や姿勢・態度を、社員に見習ってもらう。(社員における先輩や後輩間でも同様である。
②近年の若年中年層は、組織的動きといえば、“部活”や“サークル”のピンキリ練習?の学びや経験しかないから、大概は職業訓練には、至らない現状だ。)
③話はそれるが、若年層の多い、ITソフト開発企業では、その多くで“高校時代の部活の乗り”で業務を進めている。それは人事管理や労務管理には程遠い。無駄な労働時間とか&あえてストレスを招来し、うつ病等を多発するのは自業自得という状況なのだ、(うつ病なども、適切指導すれば、一気に激減したから)ご参考に。


§一気に、前向きな企業にする、最初の一手は
詳細は省略するが、働きに来てくれている人たちの、一番の不安を解消し、その道筋を示して(売り上げ向上とか事業安定の方向と方針)を、今どきの時代や世相を重視して、とにかく皆に意見や気持ちをオープンに話してもらいトップリーダー(社長とか)に結束してもらえれば、数ヵ月で一気(年内に)にガラッと変わる。そもそも筆者の仕事経験は、そういった対策を打ち軌道に乗せるものであり、もう半世紀ほどノンビリやってきた。たとえ賃金が払えなくなっても、「未払い賃金確保法」も在り、社員の一時的な雇用保険の“在籍失業給付“という国の制度もある。企業はダメでも事業を残す方法ならば何でも在る。
~(皮肉ひにく的だが)それぞれの中堅企業であれば、有能な人材を幹部に抱えているから、筆者が今日まで「緊急立て直し」の仕事に成功すれば、大概:そんなの会社の有能な幹部は、“筆者の私には「居てもらいたくない」”と言うのが、成功裏に建て直したときの常なのだ。その、あなたの会社の有能な幹部も、元気になり希望も湧いて、職業安定していった訳だ。

そこで、恐慌や、日本の危機が迫る、今日的な緊急例示が、これだ。
これからの時代の社員像
断られない限り、皆を社員に登用し、人手不足の渦から脱出する
社員とは、長期に、社員に安心を提供するだけの事だ。
(今や時代は、社員を束縛してはいけない)
営業効率の高い曜日のみ限定の、販売選任社員(副業可能)
(金・土・日の週3日だけとか、出来高制契約書と福利厚生)
長期雇用が柱と成れば、我が事のような、仕事姿勢と着想となる
週3日、1日3時間の=短時間就業社員は高学歴主婦に人気だ
(百貨店の高級商品売り場では、何十年も前から実施済み)
全社員で日々改善・改革方法を試し、受注のチャンスを増し探す


§本当のイノベーション 何も新商品ではない
イノベーションを行うに、先ず方法とは、とにかく真似をすることだ。同業種でもいいけれど、なるべく他業種のノウハウ、技能、技術をコピーしてきて、真似をすることに限る。アップルもノキアも新発明をして売り上げ急増をしたのではない。そして大概の商品には著作権が無いから、真似をしてみることだ。但し引用するならば研究論文の形をとり引用元をはっきりさせれば問題は出ない、それは引用される側にとってもPRしてもらえることほど喜ばしいことは無いからだ。一部の技術は特許権が存在するが、特許料を支払った方が良いのかor特許を採り直した方が良いのかを、マーケティングの視点から検討すればよい。なぜならば、利益率の高い売れる商品という物は、「意欲・感動・希望」の三つがセットになった固有文化価値(思想や観念の価値判断)の商業的取引=正当なマーケティングでも、売れる物だからである。下の黄色枠内を参照。(参考の、過去:総務部メルマガ記事)
細目に至るまで、すべての仕事のやり方を改めて考える。
(これが本当の意味でのイノベーション。何も新商品とかではない
ただし、もう時代は、
 “コンパクトにして、顧客にも、コンパクトに提供”
 “長生き・長持ち・健康”の商品や服務(サービス)
  “まともな”品物や服務(サービス)
     或は「お代は後でもいいですよ。」といった姿勢
それに加えて、地産地消をスタイルに、
 新しい商業文化で以って臨む開拓
  集客は、とにかく…“愛想良さ”
  極意は、意外にも、~社員側から世間話をしない。
   世間話が、お客から在ったときだけに、
  ……応じて応接するのが、更なる極意である。
専門性の高い事業ほど、この応接が信頼を産む(実証済み)


§過去政府の経済・無政策に頼らず克服したポイント
紙面の関係から、過去の政府の経済政策が成されない状況でも、民間が独自に、自力で行った克服のポイント(整理表)を、下の表のようにまとめてみた。
その前に、今からおよそ半世紀前、電気屋さんたちは
街中でも地方でも、量販店と対峙をしても、それなりの経営を行っていた。
それは、注文顧客の相談に乗り、屋内の家電や配線状況を見て、修理を行うばかりか、予算に応じて電化製品を提案することで、顧客の信頼を得て喜ばれていたのだ。むしろ、あえて大型量販店の近くに、電気店舗を構えて、量販店に訪れる顧客の不満も解決していた。そういった職業能力は今日こそ、活かせるヒントになる。
まして今どきは、電化製品その他は、悪徳生産メーカーなどの存在で、「ネット購入商品はすぐに壊れる。」とか、「安物のネット商品はマガイ物。」そして量販店でも詐欺マガイであったり、修理不可の商品が急増をしているような状況だ。ちなみに、その昔、松下電産は、発売当初、“電気炊飯釜”を米屋さんに置いて販路を開いた。
いわゆる“経済圏基本単位内=中学校区=”の高齢者は、若年層に比べ購買力はまだある。そして、家電店は、何も家電等に、こだわることなく、健康や長生きに関する食品・サプリなど、更には“高齢者の代わりに、良商品を“検索し仕入れるサービス。”と言った商売だって可能なのである。小売り店舗がメルカリ活用する・その逆もあり・訪問配達も得るのだ。“中学校区=の経済圏:基本単位内”であれば、“同一文化“だし“同一言語”だから、互いに考えていることは即⇒通じるわけだから、顧客の信頼を得ればこそ、買い物代行とか介護補助何だって出来るのである。新たな経済も次の時代も、そういった物や文化に変化していく。物資配給業態ではない。

民間が、独自に自力で行った、克服ポイント(整理表)
昭和大恐慌
1929年(昭和4年)~
1931年(昭和6年)
バーゲンセールを年中実行した
 安い商品を大量販売した
  服務(サービス)の強化をした
平成不況
1991年3月~2002年1月
昭和大恐慌の項目に加えて
 エンドユーザー(最終消費者)に
  喜んでもらえるモノを商品化した
情報革命
インターネット商用利用
1995年~2020年ころ
人力や馬や牛の力このエネルギーを⇒ことごとく
 蒸気タービン(発電)し、電気(動力伝達)へ転換
 流通(交通)方法を、⇒多品種に・小口に
  連絡や通信方法を⇒早く安価に便利にSNS
   日本文化の意思疎通(だらだら話)は、
 コロナ禍もあり⇒インターネットや携帯電話に切替え
直面する金融投資崩壊
後に恐慌2024年秋~
金融資本投資の崩壊⇒街も地方も単位経済圏
 (中学校区内)から改めての地産地消(地元産品)
猛暑と洪水の気候変動~衣食住の緊急対応
 地産地消へ
~衣食住:関連商品⇒変化の流れ。
今後の恐慌後の方向 新しい文化への⇒変化形成へ~新商品(服務)誕生
(注)IT機器業者、Net関連業者の、甘い誘引には乗せられないことだ。
“AI人工知能“だの、“チャットGPT(chat gpt)”だの、“量子コンピュータ”だの、それら全て、コンピュータソフト開発での「商品名(AIが典型)」に過ぎない。そういった仕組みも概念も解らず、コンピュータ電算機のまだ無い時代に考え付いた(凡そ全ては100年ほど前)物にもかかわらず、販売時の商品名で、暗闇のブラックボックスのままで、「便利だとかよく売れている」とかで乗せられ、騒がれているに過ぎないのだ。
ちなみに、読者のみなさんは、「ボグダーノフ、ウィーナー、アインシュタイン」の名前を聞いたことがありますか筆者も頑張って、100年ほど前の研究足跡を辿れば(そう専門的にあらず)、“ITや量子”といった根本の中身、人間の頭脳で活用できる限界(頭脳の方が大量で速い)、電算機を用いない活用法、IT業者の語らない欠落瑕疵やマイナス点、といったモノの、見当が付くのである。エピソードではあるがJRの列車運行図表(検索可)は、1986年以前は、サイバネティクス(サイバーの原語)であっても、大きな巻紙の模造紙に、定規と鉛筆で沢山の線を引いて作成(先々月の当メルマガに画像掲載を参照)をしていたのだ。
いま現在は、確かに、ICTの時代。且つ、そこへ
グローバル国際金融資本の自滅崩壊から
“縦型の組織経営”とか“単位高利益率”を前提とした、金融資本投下方式では、一気に廃れる事となった。企業や経営の形態は一気に変化し、それは地産地消といった、商業の最初の歴史の姿から
改めて構築していくこと、に成った。
それを経験体験することこそが、
改めて構築していく、着実で地に足の着いた方法である。
日本の基礎理念は、今も“近江商人の末裔“にだけ伝わる順序
世間よし、買い手よし、売り手よし。」といった、原則である。
但し、“利は仕入れに在る”原則。仕入の有効利便性は守ること。
なお、今月号の総務部メルマガで、
と題して、せいぜいPCのExcel程度で、それらが行える方法手法の紹介記事を掲載した。筆者は、芸術品(その服務)に係る“Art域労働“の、内容や中身を調べ法則化する研究として、当時(10年ほど前)は未だカオスとか量子論については無知だったが、不思議と同様の方法をExcelで、これが探求できた。今般は、先に述べた100年ほど前の研究足跡を辿って、当時の研究者とほぼ同様の物事であった足跡を、改めて正確に知ったわけだ。カオスや量子論は、数学の分野から入るよりも、社会学や一部哲学から入った方式が分かり易かった。(唯物論と観念論を混同して解説する“知識偏重主義”の工学系素人?が少なくないから、余計に理解し難い。)40年ほど前に筆者が、給与賃金体系の“職能資格制度(大阪市:国光製鋼が日本初)”を、瞬時に「数学の積分(面積)計算」であり、少なくとも給与支払い者数700人を超える企業でなければ、即刻;“年功序列型賃金”に歪曲されてしまう事を見抜いたことを、久々思い出した。


§流通取引物ごとの、概念的構成要件の整理
作業や行動の構成要件を、自覚して仕事に取り組めば、目指すところの段階への到達は、速いのである。(作業や行動の構成要件を自覚しないで行うものだから、空回りや無駄・後退が多発することとなる。)教育訓練も自己啓発も同じだ。

流通取引物ごとの、概念的構成要件(要注意)
量産品 工芸品 芸術品(や服務)
生命等の維持物資 ガラクタ商品だとしても 希望や願といった共感作用
原材料費・運搬費 固有文化価値を含み Art域労働での支え
労働力確保の費用 高度労働力能力の費用 感覚・知覚・表象の心理現象
事業の維持費用 文化や安定の精神的維持費 その視点・整理・蓄積にて
注)利益逓減の法則 売買各々の相互作用 高利益率の誕生に至る
工芸品とか芸術品(服務)の技術が、それなりに整っている水準であれば、それなりの“作業や行動の構成要件”を知っている。けれど自覚が形成していない。
それは、携わる人たちの努力や能力によるものではなく、ひとえに科学の発展を待つしかなかった。
「なぜルネサンス時期に巨匠が生まれなかったのか?」
この疑問に対し、答えは、「当時は科学的に物事を考えることが出来なかった。」からとのことである。これを考えるキッカケと成ったのは、芸術全般にわたる“アヴァンギャルド”の世界的動きの中で、量子力学”や“サイバネティックス”のヒントが生まれたことで、人間の「労働力から~労働能力全般の渡り」への、諸技術の解明が進みつつあるのである。(ところで、ここで言う科学的とは、根拠または証拠の裏付けを以って、「何時でも何処でも誰でも活用できる法則を発見する作業と結果を導くこと。」だ。


§カオスの世界とか量子論を、身近に目前で試みてみる
カオスの世界とか量子論は、世間体とは違う
_目に見えたり手にとったりすることが、出来ない分野だ。_
その意思決定の原則の具体的方法・手法
(それはアナログ機器でも可能な方法なのだった)
イ)言葉を書き出し(PCのExcelでも充分可能)から始める。
ロ)次に、法則化・概念化を進める。
ハ)過去のデータで以て実証をしていく。
ニ)何か見落としがないか、よく見直す。
ホ)(情報量が膨大になってから)その後適切なアルゴリズムに入力。
ヘ)サイバネティクス、列車運行表、相対性理論の時代に、電算機は無い。
ト)感覚・知覚・表象の心理現象でもって、明るく積極的に情報をとらえる。
チ)“暗く消極的”なモチベーションでは、それでは判断無能力者に陥る。
リ)いわゆる、その道のプロは、無意識の内に、こういった手法を活用。
ヌ)カオスや量子論は、失敗や成功体験⇒やってみないと解らない。
ル)「光は粒であり波である。」といった思考や応用は、体験し成功してみて、初めて解る。古典物理でもなく、教条でもない。企業の組織運営も然り。
例:光は粒(人材・行動)であり、波(戦略・戦術)である。
ヲ)カオスを相手にする場合は、丹念に「あのとき、ああしておれば良かった」との事柄を、言語ストーリー(お話)で“長期記憶(心理学用語)“として記録しておけば、そういった記録の蓄積で(既に組織的に行われ)徐々に、成功増加の確率が見込まれ、それを成果の柱とする企業がある。
ワ)経済その他の分野でも、“利益相反”状況の関係に在ったとしても、双方に“益“の出る方策での、成果や経験は存在する。経済学とは、もとより、「一方の利益ではなく相互の利益]を保ち得るため学問」なのである。
カ)そこには、クリエイティブであるところの、意思決定や行動が伴っている。
ヨ)必ず、裏付け根拠や証拠に基づくストーリー(話)が現場を左右する。
タ)従来の縦組織の習慣・機能とは、根本から徹底して異なる思考方法であり、現場対応型である。
レ)いわゆる、旧来のタテ型組織の、全体主義での“運用の問題”とする、もみ消しや「ごまかし解決」の余地を残す(不作為行為)手法は採らない。
ソ)“運用の問題”として対策対応して、お茶を濁せば、必然的に予見的に闇に陥る(不作為行為)となる。カオスや量子論は、目に見えないから、思わぬ大失敗や崩壊を招来する過失となる。金融資本投下の(目に視えない)不採算性どころの、今般の“失敗&崩壊”の程度ではないのだ。


§能登半島地震、加えて洪水の悲劇の本質

「悲劇的なものにおいては、

 外的には偶然であるものが、
 内的には必然である。

(社会学者:ゲオルク・ジンメル)」



筆者(むらおか)は、大学生のころ、学校の授業にも行かず、面白いから土木設計や災害事故調査のアルバイト仕事に(工業高校に通ったわけでもないのに)明け暮れていた時期があった。そのアルバイト先からの、就職スカウトの目的で、数年に渡り幾度となく、「土木学会とか地質(工学)学会」の学会に通わされ、その道の大学教授や院生とともに現場視察にも行き、楽しく青春を送っていた。なので、地震や洪水の映像を見れば、何が本質で、大概の災害事故原因の見当はつく。当時の同僚に聞いてみても、この半世紀前からの土木や治山治水の日本:技術水準は大して進展をしていないそうだ。すなわち、道路や“盛り土”の技術は“米軍滑走路”が基本。揚水や地下掘削はロシアの水力発電技術が基盤なのだ。その後の画期的な土木技術は未だ、世界的に研究開発されてはいない。拙者の携わった大規模土木工事等は、半世紀以上、今も基本的に基盤活躍している。
詳細な技術的説明は略して、技術知識のない皆さんに分かり易く言えば次のとおりだ。ここに示す画像は1964年の新潟地震、砂地盤の流動化が地震により起こり、大きな構造物でもひとたまりもない事が学術的に発見された状況、能登半島は其の物だ。そして学術的に十分な対策を行わなかった地震被害は後を絶たない。

いわゆる砂地の地盤に建築物を建てるならば⇒、地盤改良ではなく、地盤構造を根本から変えてしまわなければ、水流の多い少ないにかかわらず、地震や洪水が来れば液状化する。そうえなれば、傾くどころか転倒崩壊することは当然だ。地面から下は見えないからと言って、“大忘れや重過失”とか“手抜き隠蔽工事があれば、一気に大事故となる。家庭用水道管破損の漏水が起こるだけでも地盤は陥没する。

加えて、能登半島での、外見的には立派な道路のようだが、崩れた現場では、深度数メートルに渡り“道路下の基礎工事”が見当たらない。平地の立派な道路であれば、道路の“路盤”は、少なくとも深さ2メートルは土砂を入れ替える。砂地や玉砂利も撤去し、杭打ちもするし橋脚も施す。だが、TV映像を見渡す限り、残骸が全く見当たらない。液状化現象は~何故だ

重ねてTV報道を見ても、古く頑丈な建物は残り、近年築の住宅建物は、地盤の揺れや液状化に耐えるだけの強度が無さそうな破損崩壊具合である。使用材料も適していないように見える。柱ばかりか床下や屋根を支える材料の、弱さに因るもの如くに折れ引き裂かれた残骸が目につくのである。~何故だ
……本当にしっかりした住宅ならば、敢えて揺らせ、元に戻るよう屋根を重く施してある。柱などの躯体構造木材は、白蟻(シロアリ)が固くてカジられないよう(チェーンソーでも容易に切れない)に育成された杉の木とか檜(ひのき)が使われ、よって何百年も持つ構造だ。蛇足だが、100年前後も維持された日本家屋は、たとえ転倒しても組み立て直せば元通り使える。火災で丸焼けだとしても躯体構造は残るから、再び表をリフォームして、(&火災で害虫等駆除も出来たことだし)丈夫に使えるようにしてきた。~何故だ~建築許可は、確かに下りたのか

大雨による洪水のTV映像で流された“流木”を観ると、ほとんどが杉の木などと思われる針葉樹木である。地滑りや土砂崩れを起こした現場やその周囲は、杉の数十年程度の植林である。ところが、その斜面や周囲を視ても、ほとんど広葉樹木が植えられていない。ことに、杉の木は根が浅いから強風でなくとも、又、軽い流水でも、簡単に根っこから転倒してしまう。したがって、杉とかの植林地には、相当昔から“土留め”の目的で、木の根がよく根を張る低木の“広葉樹木”を植えた。下草では役立たない。また境界線では、高木の“広葉樹木”を植えた。ところが、被災地の土砂崩れ斜面では、全て樹木がことごとく流され、ほぼ広葉樹木は見つからない。極めて稀に数本の広葉樹木程度しか残っていない。確かに、低木の“広葉樹木”で以て治山(治水)を、徹底して施し始めたのは明治以降ではあるが、それにしても土留めを施した痕跡が無さ過ぎるのだ。低木の“広葉樹木”知恵は、“惣“という室町時代からの村の自治組織では培われていた。そうでない山林は、相当に荒れ果てて、はげ山が多かった。治山治水が本格的に始まったのは明治以降である。
(以上の私の話に、不安心配をお持ちなら、各大学の土木地質の専門研究機関に確かめてください。)これらは、一般住宅民家や庭でも、農地・山林・農道・林道でも同じだ。


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20241008】
『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』
2001/6/30 ヴィーリ・ミリマノフ(著) 桑野隆(翻訳)
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世界史における思想大転換は、歴史的大きな思想革命と言われるものがある。
日本においては、全体主義が明治以降の世相の形成を果たした役割は大きいと言われる。日本とソ連が、長期にわたって全体主義(縦型社会と縦型組織の型から始まり)が続いたことは、ここまで世相が似通るのかといった衝撃を、筆者は受け取らざるを得ない。これも将来には、思想革命の、「大実験」と称されるかもしれない。
現在、世界史における、思想革命の、「大実験」と称される出来事とは、ひとつは、1789年の事件から始まる、およそ40年間に及ぶ大転換と言われている。2つ目は、広義には1905年のロシア第一革命の前段から始まる長期の諸革命運動であり、ソ連がボリシェヴィキの単独政権となる、1922年までの思想大転換のことだ。(ただし、フランスもロシアも、革命の期間や思想大転換については様々な学説は存在するのも確かである)。
ただし、旧約聖書は、今から約8000年前の、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3大宗教の聖典とされる“聖なる記録”の文書ではあるが、その目的は歴史記録ではなく、その根拠や裏付けが乏しいことから、宗教的に重要意味はあるとしても、歴史や哲学的な“思想大転換”を扱うわけにはいかない。
ソ連が独裁政権となり全体主義がはびこり、ここに掲載した書籍の引用は、ペレストロイカ(正確な開始時期は未だに定かではない)の、その始まる以前の、フルシチョフ(当時の最高指導者)時代の世相を、この本の著者ヴィーリ・ミリマノフが著したものである。ソ連がボリシェヴィキの単独政権となり、スターリン主義が終わるまでの全体主義期間の世相だ。そして、ペレストロイカが、西側その他の他国の支援や干渉もなく進行(反:全体主義の映画が上映されるなど)し、ソ連崩壊に至ったここでのペレストロイカ思想への大転換だ。思想大転換の柱となった組織は、当時:ソ連共産党組織。その下部の青年組織(日本で言えば“民青”)、そしてKGBだ。(ついでに、東欧の民主化も柱となった組織は、各国共産党の下部:青年組織)。
ちなみに、スターリン:全体主義は、第二次世界大戦前から、世界の“全体主義者の理想願望”として日独伊その他が導入を望んだ体制であったのだ。しかし、イタリアは早々と断念、ナチスドイツは国内事情で断念。
そして日本は、そのスターリン主義の“計画経済方式”を初めとして、日本の商工省(現:経済産業省)の“岸信介”が導入し、戦時中の日本国内経済にも(商工省)導入。戦後も(通産省)導入へと引き継いでいた。すなわち、日本は、国民の生活面では非常によく似た社会や生活を強いられていた訳だ。
また、“岸信介”は、年金制度も、その同一分野の日本人材をスカウトし、世論の反対を押し切って(国民年金を柱に)導入した。日本は、「資本主義と称しながら、最先端の社会主義成功国だ。」と、世界の研究者から揶揄される所以は、偏に此処にある訳だ。
さて前置きは、この程度にして、読んだ感想である。今の日本あっては、そっくりな世相を、この引用部分は表現している。あたかも蜃気楼シンキロウが、目の前に浮かぶ。ちょっと、いくつかの言葉を差し替えれば…いやここは日本だ
この本の著者は、当時のソ連の意識を写実した著なのではあるが、たぶん日本の読者には、あまりにも日本の現状に似通った、神話小説を供されている。
いや、きょうは、2024年の秋のはずだ。
では、ロシアの社会主義時代の世相=それを紹介するロシアの研究を紹介
『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』
2001/6/30ヴィーリミリマノフ(著) 桑野隆(翻訳)60ページから引用

この本を通読し思えば、言えることは、著者はアヴァンギャルドとの芸術全般を題材にし、それを通して、たとえ、エリートの論理構成での「理想?」かもしれないが、全体主義が続くと、支配・規制・誘導がはびこり、この本の著者は、「『顔(個性)を失った』このような社会は、的確な美的公式を持てない。」という思想革命の、“「大実験」結果と復帰”を述べたいのだろう。そして、ペレストロイカでもって、100年程アヴァンギャルド術分野に広まったアヴァンギャルド本来の、20世紀の美的革命へと、元に戻り復帰したことを証明し、示しているのだ。
なお、この本の著者は、世界有数のソ連時代の官僚主義については、一言も触れていない。ソ連時代は実態として、科学とか哲学そして肝心の芸術を、世界一の官僚機構であるにもかかわらず、ないがしろにしたことへの意見が言いたいのであろう。
__ここから__
現在の造形芸術は、実際にはもはや人間に関わっていない。それが生み出しているのは、美的現象や美的モデル、美的構造であり、こうしたものは現代文明の外貌だけでなく内容自体も相当程度規定している。伝統的な信仰やイデオロギーの衰退によって、美が存在にとっての主要な基礎であることがはっきりとしてきた。完全さへの憧れは、あらゆる発展が目指しているものであるが、最高基準としての最終的には美的評価を前提としている。美的反応は、我々の判断に先んじ、そして最後に去っていく。
意識は、無宗教なものとなった後も、宗教的複合体の建設的・造形的、音楽的・詩的影響に対して開かれたままになっている。晴れやかな儀礼のエクスタシーも、古代や現代の現象体系の原初的な美的完璧さも、ずいぶんに影響を及ぼし得る。他方、わが国《注:ロシア》の社会主義の崩壊は、それが美的に完全に破綻していたことから見て明白であった(ちなみに、ソヴィエト政権は美的に許容できない、と言うシニャフスキイの言葉が思い起こされよう)。創造的(つまり美的)原理の抑圧、人民政権を装う事を余儀なくされた専制、富裕のイメージのなかの貧しさ、貧しさを装う豊かさ、「率直さを愚弄する虚偽」を、さらには、現状に対する60年代くらいからのほぼ全面的な嫌悪--「顔(個性)を失った」このような社会は、的確な美的公式を持てない。こうした社会は、建築物や車からネクタイ、壁紙に至るまで、新しい形態を模倣したり借用するほかなかった。ソヴィエトの製品を再認可能にしていていたのは、まさにそれが顔を欠いていることであった。美的破綻こそ根本的な要因であり、それでもって社会は診断されたり裁かれるのである。_(引用ここまで)_
この当時から100年の社会背景を合わせて、私が考えるに、科学の裏付け証拠を柱にした事こそ、本来のアヴァンギャルドは生き延び、ペレストロイカも自然の如くに沸き上がったのであろう。ソ連:全体主義に蔓延った“唯物論”は、「論理構成も根拠も科学的ではない。」と、最初から早々にボルシェビキNo2の理論家(ヴォグダーノフБогданов)は、レーニンの著作に対して指摘した。それが妥当であり、その指摘がソ連では、芸術全般のアヴァンギャルドに残り、国内自力でのペレストロイカアヴァンギャルド訳(著者の主張)なのだろう。そのことは、もうすぐすれば、世界の誰の目にも解かるようになりそうだ。更に、No2の理論家(ヴォグダーノフ)の著作は、アインシュタイン、サイバネティックス、システム理論といった、量子論系の理論着想のヒントになったとのことだ。★さて、No2の理論家(ヴォグダーノフ)は、縦社会ではなく、横社会文化の典型でもあったから、縦型:教条的な古典物理学とは違ったのだ。このあたりの文献も、ペレストロイカの後に現れ復活し、邦訳も出始めてきた。したがって、それを知らないまま、まだまだ気付かれてもないようだ。知識偏重で、目的の為には手段を択ばない人物にとっては、彼らの思想根底が崩れるから、こういった科学や哲学の足跡は、面子も併せて、古い文化に浸っているから拒絶をするだろうけれど、とりわけ、左派系や宗教系の全体主義者は一段と……。