2008/09/09

第77号

<コンテンツ>
二人続けて、内閣総理大臣突然の辞任、政変続きのイタリアもびっくり!?
個別企業をとりまく、経済・経営・労働市場の筆者の「占い」は次のとおりだ。
解説・労働契約法:労働契約の成立(第6条・第7条)と終了(退職)


¶二人続けて、内閣総理大臣突然の辞任、政変続きのイタリアもびっくり!?
 この背景にある経済や社会状況を、よく検討しておく必要がある。すなわち、目前に迫った世界的金融危機と経済不況期間の到来、日本社会はグローバル化=社会共同体のあり方も、「法手続主義」(何事も正当な手続きを必要とする法概念)を超えての変化が、この秋から巷にあふれることは間違いない。ところが誰しも、どういった具体的事象となって現れるかを確証できるシミュレーションを持ち得ないのである。ただひとついえることは、この数年間のコンプライアンス無視も含めた規制緩和や違法事業の横行といった状況の惰性では、個別企業は経営環境適応不全を起こしてしまうということである。アメリカ経済は金融危機、中国経済は(バブル崩壊ではなく)支払い遅延の不良債権化が問題となるのである。

¶個別企業をとりまく、経済・経営・労働市場の筆者の「占い」は次のとおりだ。
1.すでに、金融庁は無担保不良債権を、毎年度3月31日の年度末までに処分せよと言っている。その価格は何十億の債権でも、一律たったの壱千円だ。不良債権の絶対総額の多い銀行は、吸収・解散対象銀行となる。……こういったことを知らないで、いつまでも借金返済に苦しむ個別企業は、さほど生き残る必要がないと、これは誰もが思う時代が到来するのではないだろうか。これがマスコミの言う、焦げ付き担保の流動化、焦げ付き資産の流動化政策である。

2.日本政府がどのような政策を立てようと、日本経済は、「高付加価値製品&高水準サービス」商品の提供でしか、世界で生き残る道は無い。それも、国外の富裕層に直接販売をする方式が必要となる。商品を直送するか:訪日外国人販売となるかは販売テクニックの問題でしかない。(昔は韓国人が樋屋奇応丸を自国へ直送、今や中国人は正露丸やパンシロンを一杯詰めて帰国)。5億円以上の金融資産を持つ日本人は百数十万人程度と言われるが、同じ富裕層が、中国はその10倍と言われ、アジア・東欧・中東・南アメリカとなれば、その数は無限である。その多くが made in Japan を追い求めているのである。

3.日本は世界の金融経済で太刀打ちできる能力・実力はない。まして、金融経済に国籍は無いのである。ブルドックソース事件は、年間経常利益ほどの7億円を弁護士事務所に支払ってでも、企業防衛を果たそうとする日本文化の姿勢を世界に知らせた。これが、日本企業に対する投資にブレーキがかかり、東京はじめ日本への金融投資市場は、当分の間、活性化することもなくなった。日本の金融業界は海外へ進出することになるが、金融資金総額も小さく、まして軍事的背景のない金融資金など、世界で誰も相手にするわけがないからである。

4.「高付加価値製品&高水準サービス」商品の提供の目的に向けた、個別企業での人材確保(ただし、正社員採用ばかりが定石ではない)、人材育成(現行日本の教育では限界)、が重要となってくる。そういった意味での、「非正規労働者問題」である…方向は、「常用労働者」がキーポイントであり、(社員ではない)「常用労働者」とすることで、職人芸的技能と技術者を育てる施策が本命である。忠誠心や非効率温存のための正社員化を押し付けると、労働者は拒絶することに注意をする必要がある。

5.社会が変わり、文化が変わることから、それに適した自社の商品を、新商品に転換させることは定石である。新しい財貨やものの発見、新しい生産方式、新しい市場の開拓、新しい原材料・半製品の発見、新しい事業組織といった、経済理論の原点に立ち返る必要がある。究極的なものの考え方をすると、グローバル時代の到来とは、国内販売は国際販売のためのモニター市場の役割となるのでもある。

6.企業間競争が激しくなり、それまで蓄積した資金力を、(米国社会と同様)コンプライアンスに疎い会社は、労働者の公益通報や消費者の商品排斥によって、一挙に損害賠償や補償に回さざるを得なくなる。泣き寝入りは罪悪、正当な損害賠償請求!その基礎となる法律知識の宣伝・啓蒙や解決期間は、経済産業省や厚生労働省から、盛んに行われつつある。

7.「ひとつの大企業を育て、その組織力で事業を安定させる?」ことはできない。「大きな組織に所属すれば?」…、労働者の能力開発は頭打ち、自ずと年収も頭打ち、果ては年々収入が低下する法則が待っているのみだ。こういった社会経済環境に歯向かえば、個別企業は倒産、労働者はいずれ解雇となる。その時代の社会や経済の要望に合わせるためには、適切な事業転換と地域をひとまとめにした労働力移動が必要となる。そのための事業転換に関わる法整備、労働市場に関する法整備、労働紛争解決に関わる法整備などの基盤は、着々と整いつつある。その方向性世論づくりも経済産業省や厚生労働省あたりでは盛んである。

8.おそらく、政府や現社会制度からすれば、「セーフティーネットの網を張るから…」、これを活用することができない無能力者は救済されなくても良いといった発想になるであろう。社会制度や経済に無関心であれば、もちろん網目の間から落ちてしまうといったわけだ。日本人の数は救済される人数だけで十分とするとする「救済人数制限論」まで現れるかもしれない。「経済格差が学歴格差を生み、階級格差を作る」といった短絡思考は、救済人数制限論の裏返しでもある。アマルティア・センのケイパビリティーに似ているが、究極のセーフティーネットは北欧のような超高水準教育(デンマークやフィンランドを過去のメルマガで紹介)を施し、個人ごとの生産能力を高める教育をすることだとの考え方は、経済発展&豊かな日本を合わせて考える人たちの主流となるだろう。中国やインドの技術者1000人に匹敵する日本の技術者1人を育成できるかだ。

9.ところで、こういった新商品開発、企業間競争、事業転換、労働力移動、高水準教育は、時の政府や社会制度の変化を待つまでもなく、個別企業の中から、個別企業だけでも、十分に行なえることである。こういった個別企業の蓄積が、初めて政治に影響を与えることを歴史は物語っている。さて問題は、こういったことを成し遂げる逸材である人物を、逸材を、如何にして個別企業ごとに確保・育成するかである。高水準教育というものは、個々の事業所で来週からでも実施できるものだ。

10.社会の変化に伴い、民間経営者だけが事業の担い手になるとは限らない。今は世間の中に潜んでいるが、社会起業家と言われる逸材たちも、いよいよ日本でも活躍する時代が来る。NPO法人の流行とは異なり、「Everyone a chengemaker」との声が出て来るだろう。とはいえ、日本の中小・中堅企業は、事実上社会起業家と同様の役割を果たしていたり、経営者の報酬は社会起業家程度の収入かもしれないのである。

個別企業の作戦参謀である読者のあなたは、どのように「占い」ますか?時代を見据える力は、「まず、自らの考えを持つことから…」と言われる由縁である。



¶解説・労働契約法:労働契約の成立(第6条・第7条)と終了(退職)

 この第6条は、日本で初めて労働契約の成立について定めた法律条文である。労働契約法成立までは民法第623条に雇用契約の成立を定め、労働基準法13条、15条及び93条で、いわゆる公共の利益のために制限をかけているといった状況であったため、雇用契約と労働契約の区別も曖昧となっていた。そもそも、民法の規定だけであれば、「雇用に関する、申し込みの意思表示と承諾の意思表示の合致によって契約が成立する」との想定しかしておらず、労働の現場に適応しないものであった。
すなわち、(労働)契約締結においては、就職インタビュー、面接、採用に至るまでの交渉過程で、だんだんに合意が形成されて行くのは現実である。意思表示の合致の時点以前には、何らの債権債務も存在せず、合致時点以降は債権債務関係が存在するというような単純なものでもない。また退職をしても、秘密保持義務であるとか、競業禁止義務などは雇用関係が終了したからといって、こういった義務が消滅するものではない。したがって、契約締結前の段階から移行完了後に至る連続的な一連のプロセスを念頭において、この第6条が定められることになったのである。

第6条条文は、裁判官が判決を作成する際に用いる要件事実という手法(労働基準法の場合は構成要件)の通説を導入した。すなわち、
 「使用者に使用されて労働者が労働」すること、
 「これに対して使用者が賃金を支払うこと」、このことに関して、
 「労働者と使用者が合意すること」
が要件事実である。この3つの要件事実のうち、ひとつでも欠ければ労働契約が成立したことにはならない。たとえば、労働はするがお金を払わないとか、労働しなくてもお金を払うとか、労働者の代わりに友人が合意するとか、使用者の代わりに単なる従業員が合意したケースなどは、労働契約が成立したことにならない。

したがって、解雇や雇止めの紛争が生じたときには、最初に必ず、この3つの要件事実を確認して労働契約が成立しているかどうかを確かめなければならないのである。労働契約が成立していないのに、労働契約の解除である解雇あるいは退職は存在し得ないからだ。反対に労働契約が成立しておれば、使用者の都合で労働者が働けない場合は、その賃金を支払わなければならない(民法536条の危険負担の法理)ことになるのである。

解雇と言われるには、先ほどの雇用契約成立のための3つの要件事実にあって、
 「使用者が労働契約終了と主張した事実」があり、
 契約終了の合意がされていないこと
が補足される必要がある。解雇とは労働契約を将来に向かって解約する使用者側の一方的意思表示であるから、労働者及び使用者の合意がなされるとか、労働者からの一方的意思表示は解雇とはならない。

解雇権濫用とならないのは、今述べた一連の解雇に関する要件事実に加えて、労働契約法第16条に定める要件事実、すなわち
 解雇理由の客観性を基礎づける事実、
 解雇理由の合理性を基礎づける事実、
 解雇は社会通念上相当であること
の3つの要件事実が、使用者側から立証されなければならないことになるのである。

もとより労働契約の期間が定められている場合は、その契約満了期日が到来することによって契約が終了するから、解雇の要件事実が存在し得ることはない。すなわち、雇止めが有効となる要件事実が整わない場合は、形式は雇止めでもその実態によっては解雇同様に取り扱われて、解雇無効との判断が下される。雇止めが有効となる要件事実は、労働契約が成立の3つの要件事実に加えて、およそ
 「臨時的又は補助的業務を基礎づける事実」
 「労働契約の更新回数が少ないこと」
 「労働契約が通算して3年を超えていないこと」
 「更新手続の実態が存在したことを基礎づける事実」
 「労働者の継続雇用期待を排除したことを基礎づける事実」
 「労働者の継続雇用期待の防止をしたことを基礎づける事実」
といったことになる。
労働契約に関して紛争が生じた場合には、その7割方を要件事実でもって、今述べたような論理展開で判断して行くことになる。

ところで、注意しなければならないのは、労働基準法の適用範囲は事業所に使用される者を念頭においているが、労働契約法の適用範囲は第2条で、使用者に使用され賃金を支払われる労働者と使用する労働者に対して賃金を支払う者を念頭においているため、業務委託、外注、請負労働、インデペンデントなどの名称の如何に関わらず、第2条の定義に該当すれば、労働契約法の適用となる。就労場所も何所でもかまわない。
(第2条の適用範囲や定義については、後日のメルマガで解説)

第7条は、労働契約に際しての労働条件の提示についての規定である。就業規則が、労働契約の内容になるための、2つの要件が定められている。
 ひとつは、「合理的な労働条件が定められている就業規則」、
 2つ目は、「労働者に周知させていた場合」である。

合理的な:とは、労働契約法の9条から13条の内容である。また、これとは別に就業規則の変更にあたって注意しなければならない事柄は、労働者に対して誠実説明義務、合意納得努力義務の内容程度である。加えて、従業員代表者選出に不備がある場合は、誠実説明義務などと相まって、原則的には合理的と判定されないこととなる。

周知させていた:とは、既に、書面、パソコンで公開するとか、就業場所にいつでも張り付けまたは吊り下げられて何時でも見られる状態にあることをいう。こういったことが使用者から立証されなければならないことになっている。

第7条の但し書きは、就業規則よりも、労働者にとって良い条件は有効とする規定である。第12条は、就業規則よりも低い労働条件の労働契約内容は無効として、就業規則を適応させることを言っている。就業規則を上回る労働条件が、優先されるべきことは、労働契約施行前どおりの取り扱いとなる。

2008/08/05

第76号

<コンテンツ>
今年秋からの金融危機は、
フィンランドの基礎教育システムを研究
フィンランド教育の研究(社員教育の視点)
フィンランド国語教育=児童生徒の評価方法
解説・労働契約法:労働契約の原則(第3条)


かんぽの宿:偽装請負の公然

¶今年秋からの金融危機は、
今より一層の物価上昇と賃金引下げを招くこととなる。賃金引下げの理由や手続きをめぐって、個別企業との個別労働者の間では、トラブルが誘発される社会状況を生み出すこととなる。銀行の個別企業への融資が激減されている中で、従来の金銭解決というわけにはいかなくなって来た。
最低賃金をめぐる動きは、数年間で800円に近づき、1,000円を目指すことは間違いのない状況、労働市場が大きな変化を起こすことは間違いない。

最近の社会状況は、「泣き寝入りをすれば損をする」との契約思考が定着して来た現象に見られるように、解雇・条件変更の理由や手続きをめぐって、労働者が勉強していることも間違いない。解雇事件になれば、組合が介入すると正社員400万円、パート100万円との、ざっくりとした相場に変わりはない。紛争調整委員会などでは、対組合相場の半額程度が現在の相場であるようだが、労働者側の代理人や労働審判制度を背景にして、その額はセリ上がりつつある。とりわけ、労働集約型産業においては、労働力の仕入れ(採用・条件変更・退職)に際して、事件が多発しており、労働組合、紛争調整委員会に持ち込まれる割合が、この春から急増している。

そういった事件が発生したとき、会社側が法律やコンプライアンスに反するとなると、会社の主張に合理性(道理その他)は認められなくなり、誰もが会社の主張を信用しないといった社会状況なのである。とりわけ偽装請負は使用者側にとって分が悪い、会社の主張を受け入れてもらえない根拠の典型でもある。したがって、ある財閥系で、「お上の、お達しには全面服従」を営業方針に掲げる資本グループは、この初夏から、期間制限を超える派遣を直雇用に、偽装請負を派遣に一斉切り替え、これを一挙に経費をかけてでも行うとしている。大手メーカー関係も、この傾向にあるのだ。よって、それなりの賃金コスト切り下げも、もちろん行われるのである。



¶フィンランドの基礎教育システムを研究
銀行の融資激減によって、労働力の量に対しても資金投入ができなくなった場合は、労働力の質を向上するしかない。経済のグローバル化に伴って、「高付加価値製品」&「高水準サービス」の商品提供を生み出す経済構造が不可欠とされるなかで、日本の労働市場は、個々の労働者の、一層の労働能力水準向上が必要となっているのだ。はっきりいえば、今までの学校教育、小学校・中学・高校・大学、この学校教育の延長線上の社内教育はやめてしまって、目的意識的に、個別企業内で社員教育を行う必要があるのだ。独自教育でもって、画期的優秀な事業を維持している個別企業は事実存在するのだが、まだまだ、「芽」の状態にすぎない。
そもそも、会社の仕事というのは、個人戦ではなく団体戦である。有能なエリートがいたところで、組織は動かず、詰まるところは水準の低さにエリートも迎合しなければ、民間企業の仕事は進まないのである。民間企業は、あくまで自由契約思考で運営されており、公務員の支配:服従思考を持ちこむことはできないのだ。エリートが分かっていても、実際に仕事をする人たちが消化不良では、底辺に合わせざるを得ない。公務員の例であってさえ、戦時下の日本陸軍がそのものであり、海軍でも、その影響は一部に存在した。
現在、中国やインドが全土にエリートを養成・配置をしても、ゆがめない事実として、「労働者の手に職が付かない」といった非エリートの実状が原因して、資金投資=経済成長の構造範囲でしかなく、投資がなくなれば経済崩壊が必至との経済構造は、十数年たっても未だに存在しているのだ。日本の個別企業の中でも、短絡的に、「資金とエリートの人数」によって会社経営ができると考えている、エリートが少なからず存在するが、経済学や経営学をまともに教えてこなかった所に、こういった不幸なエリート?の原因があるのかもしれない。

フィンランドは、PISA(OECD学習到達度調査)で、おおむね学力世界一である。ビジネスに不可欠となる読解力、日本は15位(2006年の統計では57ヵ国・地域の15歳を対象)である。
フィンランドの基礎教育は、生徒間の比較や競争をさせない。
「底上げ手法」と「物事の関連性教育」の2つを、基本中の基礎においているようだ。この2つは、個別企業の団体戦において、「高付加価値製品」&「高水準サービス」の商品提供を生み出す上では、不可欠な能力を養うのは間違いなさそうだ。

昔の産業といえば、「資源があってそれを売る→売るためには加工する→窮乏のため選択の余地なく売れる」の前提に立っていた。経営資源は「人、物、金」と言われた時代だ。今現在は、世界中どこへ行っても、アフリカの奥地でさえ、こういった前提の経済は存在しない。ところが日本の教育といえば、昔の産業を想定して、そこでの職業生活を念頭においての教育が議論されている。個別企業内の教育でも、学校教育でも、こういった想定や念頭には大差がない。
フィンランドの基礎教育が注目されるのは、いろいろな理由があげられそうである。たとえば、
・細部にわたる「気遣い」は労働者の自発性に頼るしかない。
・商品を買う個人消費者は、労働者であり、労働者の文化内容に合わせなければならない。
・商品の信頼性のための規格やブランドは最低条件であり、買ってもらうには詳細な使用価値の情報交換が必要である。
・日本や日本人は、頑張ったところで利回り資金や投資(交換価値)には縁が薄く、その分野で舞台に上がれるわけがない、
といったところである。ただし、あとの理由づけは研究者や学者に任すしかない。

「図解フィンランド・メソッド入門」(経済界:税込1,500円)の入門解説本が出されているが、「底上げ手法」と「物事の関連性教育」の2つが、徹底してグループ内で行われていることを想定して、読んで行くことによって、フィンランド・メソッドの誤解は取り除かれ、個別企業への活用にもつながって行く。日本の教育界では、企業や学校を問わず、手法だけに目が向いている場合も多い。(学校教育界では、フィンランド・ブームとのことらしい)。手法だけをみて居れば、法科大学院の論述教育であったり、中間管理職の自己啓発セミナーに似通った版に見えてしまったりする。ところが、「底上げ手法」と「物事の関連性教育」の2つを基盤においているのだから、実物は、そうではないのである。

産業革命が起こったとき以来、規格品を生産することが目標であった。
この目標を大きく前進させたのがテーラーシステム(科学的管理法)の発明であった。そのために、ハーバード大学で開発された訓練方式が大いにもてはやされ、その基本となる、「やってみせて、やらせてみて、ホメた上で、教え込む」は、あくまでも、規格品を維持するための最低基準でしかないのだ。
フィンランドの基礎教育では、「混合教育」、すなわち、理科の授業の時に国語の話をする、数学の授業のときに音楽の話をする、国語の時間に数学の話をする、といったように、常に物事を関連させて考えるための教育訓練を子供の時から行うのだ。大人になってから想定外の事態に対応できるように小学生から教育をする。それも、「分らない生徒」のレベルを底上げすることに重点をおいている。フィンランドでは、エリート少人数教育は効果がないと踏んで、頭の良い子は集団グループ活動のなかで、ほっておくことで自ら、より成長するとしている。



¶フィンランド教育の研究(社員教育の視点)
とりわけ国語教育においては、団体戦の仕事に不可欠な、(1)発想力、(2)論理力、(3)表現力、(4)批判的思考力、(5)コミュニケーション力の5つを教え訓練している。5つの事柄が自由にできる能力を養うために、具体的な型や技も、教えているのだ。日本では、作文を教えても、物語、説明その他目的別の作成方法を教えることはない。そして、グループディスカッションすることで、グループ全体を底上げする能力を生徒自身が養っている。

(1)発想力
…人間の脳の機能に沿った思考法に基づいて、真ん中にテーマをおき、発想した事柄をカードに記しつなげて行く。ひとりで行っても発想力の訓練にはならないから、これをグループで行う。半面、分析力を養うためにもカードを使用する。これが創造の全体構想を練る力にもつながるという訳だ。携帯電話で有名なノキアの事業展開も、こういった発想力と同様らしい。「目標に向かって物事を達成する訓練ばかり」をして来た日本の受験勉強などとは、根本的に異なる能力分野を訓練している。

(2)論理力
…ディスカッションでの意見には、必ず理由を求められる。理由のない意見は相手にされない。
訓練にあっては、3つ以上の理由を問われ、3つ目の理由を考えることこそが客観的な論理力を向上させることにつながるとしている。ディスカッションの訓練では、相手が納得しないことを実感することを通して教育訓練するのだ。「雰囲気」や「味わい」とか「常識」といったものが、他人には通用しないとして、意思表示を明確に行う職務遂行能力を向上させようというわけだ。

(3)表現力
…言葉を巧みに使いこなす技術を習得させる教育である。
日本のような作文の書きっぱなしではない。まず最初に、言いたいことの重要な語句、いくつかを指定し、これを関連させて作文を作らせる技法だ。小説にしろ説明文にしろ作文技法は存在するのだが、日本では大学教育に至っても、まったく作文技法は教えていない。文章を不要とする職業とみなされれば、生涯、作文技法に出会うこともない。何かの職業に就いてから、その職種分野の作文技法を教わることになっているのが日本の原状。その理由は、仕事とは「言われたことだけ」をやるもので、自分で考え進んで行うものではないと、日本の昔は、そうして来たからだ。

(4)批判的思考力
…日本の学校教育ではこれを教えない。授業では合理的な物事しか教えていない。
だから、社会に出てから合理性と不合理性との区別がつかないのだ。思い込みを排除し、自分の発想・論理・表現の不完全さを気付く訓練でもある。「本当にそうなのかな?」と見直す訓練で、大量の情報から必要な情報だけを取り出し見極めるといったコミュニケーションの基本を身につけさせる。インターネットの情報洪水に巻き込まれて取捨選択判断ができない人が、日本に多いのは、ここに原因がある。取捨選択判断ができない人に限って、「情報制限」を主張しがちなのである。
他人の書いた作文を、設定を変えたり、同義語を使って書き直すなどの訓練もする。批判的思考力を養うことで、目的に沿った理由を考え、相手の意見の理由に応じて自分の意見の理由を調整する能力を身につけさせるのだ。

(5)コミュニケーション力
…ディスカッションの際に、ふざけた意見でもさえぎったりすること、怒ったり、泣いたりは禁物とのことである。不必要に前提をくつがえすための、「議論の蒸し返しも禁止」である。大人びた子供ほど、ディスカッションの、こういった「いわゆるルール」違反をやりたがるらしく、ここだけは先生の出番とのこと。
「自分が言われて嫌なことは、相手にも言わない」といった日本の世間体(&相手の内面や内心干渉)特有の発想は存在しない。「自分の意見を論理構成する前に、相手の意見を論理構成してみる」といった技法が、相手の立場になって考えるという意味である。相手の論理構成を踏まえた上で、自分の論理構成を調整するといったディスカッション方式である。フィンランドでは、「あまり特殊な例は挙げない方がいいんじゃないかな?」とか、「直感的な意見もいいけど、もう少し論理的に行った方がいいと思うよ?」といったアドバイスが、小学生から大人に対しても出されるのは、日常当然のことのようだ。
まさしく、ディスカッションの際に「物事の関連性教育」そのものを行っている。企業組織の一員であればコミュニケーションなどは不要であった時代から、コミュニケーション力を養い、組織を超えて物事の関連性をネットワークして行くことで、業務を進めて行く仕事スタイルに沿った教育訓練をしているのだ。



¶フィンランド国語教育=児童生徒の評価方法
フィンランドでは、国際社会において、自分ひとりで生きて行くことのできる人間を育てるために、コミュニケーション能力を身につけさせ、その訓練として、質問に答える場合は必ず理由を答えさせ、その理由の論述能力を評価の対象にしている。プロセス重視の教育における評価方法だ。
フィンランド国語教育における児童生徒の答えは、「児童生徒の示した意見」としてとらえられ、正解はない。生徒の示した意見の評価は、「意見そのものを評価するのではなく、根拠との関連において、あるいは根拠として挙げた事実の正当性について、評価すべきものだということです。意見そのものが正しいかどうかなど、誰にも評価できない--これが基本的な考え方です」(フィンランド国語教科書:小学5年生p.107)としている。さらに、「先生は、児童生徒の挙げた理由が適切かどうか、理由と意見がうまく関連付けされているかどうか、根拠として挙げた事実に間違いがないかどうかを重点的にチェックするのです」(同p.107~108)という具合だ。
ところで日本では、唯一、これとよく似た論述能力の教育訓練を教育機関として行っているのは、法科大学院であり司法研修所だけのようだ。たとえば人事総務部門での、「事件の事実があった。理由の事実が真実(合理的に道理をもって証明)である。その裏付証明の証拠がある」といった、解雇や懲戒処分における客観的合理的理由の論述構成がそうである。司法研修所での国語力は公立高校程度以上は求めないとのことであるが、最終的な一人前としての仕上げは、これを就職先弁護士事務所などの職人的教育訓練に託しているのが原状でもある。そういった論述能力をフィンランドでは、それなりに児童生徒の段階で、コミュニケーション能力の手法として身につけさせているのだ。

グローバル経済、もしかすれば日本が沈没するかもしれない瀬戸際に、個別企業だけでも浮かび上がるためには、こういった目的意識的な社員教育が、そこは重要なのである。フィンランドは、人口500万人強程度、この国が自前で国際的に活躍しようとすれば、こういった教育を徹底して行っているところの理由が解る。授業時間は日本より少ないうえに、遅刻やサボりも日本の2~3倍と、フィンランドの子供は学校嫌いなのかもしれないのだ。
学校嫌いの高卒ばかりを抱えていても、団体戦で勝負している個別企業であれば、フィンランド手法を参考にすると、明るく開けて来るのだ。そのきっかけづくりは、総務人事部門のあなたにかかっている。



¶解説・労働契約法:労働契約の原則(第3条)
この第3条について解説している書籍はほとんどない。解説できる人もほとんどいない。それは、法律学の視点に立ってしまうと、関連する判例が見当たらず、明確な自信を持った解説の仕様がないからである。したがって、法律家と自称すればするほど、解説するのが不可能となってくる。学術的姿勢、客観的視点の保持、強い良心による論述は難しくなってくるのが当たり前である。
ところが、労働や経営労務の最前線現場の担当者にとっては、現場の視点からの解説が必要なのである。そこで、この法律の成立をめぐっての数々の情報の中から取捨選択して、本当の所は何を念頭においているのかのヒントを、(あくまで著者の推測との建前で)提供する。
第3条は、政府案は3項目であったが、政府案の前の段階では、それ以上の項目が存在した。その後政府案3項目に民主党から2項目の修正が提案される形で、現在の合計5項目になったものである。

第1項は、
労使対等の原則での契約の締結解除である。これはもとより存在した。民法の自由契約の原則を引きついでいるもので、現在の憲法になって以来は、これに異議を唱える者は極めて数少ない。唱えたとすれば、社会的排除は覚悟しなければならない。

第2項は、
修正案が示されて加えられたもので、「実態に応じて均衡の考慮」である。実態に応じてとは、形式的な「申し込みと承諾の意思の合致」といった契約にとらわれず、実態を重視することにより、民法の雇用契約といった狭い範囲ではなく、いわゆる「労働契約」として広い範囲で取り扱うことを意味する。均衡考慮するということの念頭に置かれていたものは、パート労働法の内容である。要するに、パートや契約社員その他が、正社員との格差が実態として存在する場合について、この条文の内容(要件事実など)が重要になるのである。現在までに、目立った判例が出ていないことから、解説が少ないだけで、決してお飾りや基本理念の原則を述べた条項ではない。考慮しなかったとは、検討した事実が証明及び裏づけ証拠がないと想定する。

第3項は、
これも修正案により追加されたもの、「仕事と生活の調和」の配慮義務である。念頭においていたものは、たとえ労働基準法で、事業主が自由な労働時間設定ができるとしても、その時の社会に受け入れられないようなシフトやローテーションを組まないようにしなければならないとしているのである。例をあげると、〔始業時刻8時~終業時刻22時、休憩が12時から18時まで〕とか、〔当日の労働日の終業時刻が23時55分、翌日の労働日の始業時刻は午前零時5分〕といったようなものである。配慮しなかったとは、何らかの措置をしようとの努力もなかった状況を想定する。
現在、内閣府や厚生労働省で提案されている、「仕事と生活の調和」は、この労働契約法の話ではない。同一の語句を使ってはいるが、労働契約法を根拠とする表現はない。基準法、均等法、パート法などの名称は出ていても、労働契約法の名称は見当たらない。労働契約法の「仕事と生活の調和」を変質させ、「ワーク・ライフ・バランス」としているのだとの批判まで沸いている。
仮に労働契約法が行政関係の法令ではないとの言い分が出たとしても、現に、労働基準監督官は労働契約法の範囲であれば労働局のあっせん等を紹介し、都道府県労働局の紛争調整委員会、府県の労働委員会では労働契約法を取り扱い、紛争調整委員会では判例ならぬ合議あっせん案を提示する機能と権限を備えているのだ。あっせんや司法の現場では、労働契約が念頭においている仕事と生活の調和なのだ。

第4項は、
労働契約を遵守して、「信義に従い誠実に」権利と義務の行使を定めている。政府案の第2項が第4項に項目が繰り下げられたもの。信義に従いとは、いわゆるペテンにかけてはいけないということ。誠実にとは、聞かれたことはすべて説明する誠実義務とか、協議で一致した意思を守る義務とか、就業規則に定められた利益はくまなく適用する義務がある、などのことである。たとえば、有給休暇の存在に気が付いた者に限定して付与する実態、退職金規定の存在を知った者に限り退職金を支給する実態が、その他、労働条件の制度の存在を知られなければ情報公開しないといった手法と結果が、この第4項に反するのである。

第5項は、
労働者と使用者が、契約を超えての権利を、それぞれ超えて行使してはいけない、権利濫用は、定まった権利以上にあふれて用いることであり、職権濫用とは、職務権限以上の権利をあふれて用いることである。乱用とは、みだれることであり、あふれることではない。乱心・狂乱のみだれるのが乱用であり、その場合は、第3条第1項と第4項、第9条、第14条~第16条などが、主に用いられることとなる。第5項があることで、職権濫用が、不法行為として取り扱われるとか、民法第1条第3項の権利の濫用として裁判官の判断を待たなければならないなどのことを防止し、契約不履行として労使双方の不利益を早期に救済する効果をもつものとなった。

労働契約法は、労使が紛争したとしても、社会共同体の秩序を維持するためのルールを定めたものであるから、使用者側にとっても有利な側面をもっているのである。グローバル経済とか社会共同体に反する会社経営を行ないたい場合には、確かに、都合の悪い法律である。
労働契約法では賃金に関して、あまり触れず、第3条に象徴されるように、権利義務に力点をおいているのである。


¶かんぽの宿:偽装請負の公然
日本郵政が経営するかんぽの宿では、夜の10時ごろから朝の8時頃まで、職員を誰ひとりとしておいていない。すべてを警備会社に外注して、効率化を図っているというのだ。ところが、ここで事故が発生し、それをめぐって偽装請負の実態が判明した。
7月13日夜、ある宿泊客が、深夜11時頃にポットに入った飲料氷水を求めたところ、トイレの汚物入れポットに氷水を入れて、警備員が部屋に届けたのだ。翌14日の朝7時過ぎ、誰か職員が居るだろうとの期待から、氷水ポットを再び求めた。今度は、プラスチックの水差しを厨房から持ってきたと言って部屋に届けた。

そこで騒ぎになった。
これに対して、ルームサービスを警備員にさせること自体が、警備業法や労働者派遣法に反する行為であるとなったのだ。そこには、深夜以外は食堂もフロントも、たとえ夏休みシーズンを迎え、予備人員を配置しているとしても、人員が多すぎることは一目瞭然。
だとしても、なぜ深夜には「かんぽの宿」の職員が、誰ひとりとして常駐してないのか?といったことになった。エレベーターには、時給900円の契約社員の募集広告が張られているが、深夜時間帯の募集がない。見るからに業務効率は低いようで、まさに「お役所仕事」、民間宿泊施設のような、従業員の自主性に期待して業務効率を上げようといった優秀性は、まったく感じられない。

さて、ルームサービスといえば、客からの、何が出て来るか分からないような要望に対処する業務である。警備会社に外注することができたとしても、それをこなせる警備会社は存在するはずがない。こなす能力がある会社であれば、ホテル業務請負業となり警備業ではなくなる。そういったニュービジネスが生まれれば、ホテル業界の人材不足や業務改善の苦労は一挙に解決する。
まして、警備業は人の生命・安全や財産など守る業務であり、ルームサービスと併合して行うことは矛盾が生じ、業務遂行は不可能なのである。
そうすると、多種多様なルームサービスが分からない警備員が、派遣先である「かんぽの宿」の職員に聞くとか教育を受けることとなる→これが頻繁に発生する+サービス向上を図ろうとすると、職員が警備員に事実上指揮命令するといった実体なることは、十分に予見できることなのである。日本郵政の宿泊事業部責任者は、あっさりこのことを認めた。

確かに、全国を統括する宿泊事業部責任者が言うには、日本郵政の職員などが、外注先の警備員にルームサービスなどをするようになどとの、直接な指揮命令は行わないことにしたとのことであった。教育についても、直接教育することがないように、「かんぽの宿」ごとに警備員のリーダー格に教育を行うとしている。だとしても、ルームサービスのノウハウを持つ外注業者に依頼するのならともかく、ノウハウがないことを認識しているから教育を行うとしているであり、やはり、「かんぽの宿」の職員が、直接指揮命令することに何ら変わりがないと判断されるのは目に見えている。
宿泊事業部責任者は、いろいろな意見は聞いてくれるが、最後に一言、重要な話をした。
郵政が民営化になって5年以内に、個々の「かんぽの宿」の施設自体が他人に譲渡されるか廃止されるかとなっているので、(今更)改善も遵法も計画にはないというのだ。
これに対し、「かんぽの宿」を経営する日本郵政の本社を管轄する東京労働局は、警備員にルームサービスなど行わせ、派遣労働者として扱っている情報提供(7月16日)を受け付けたものの、その後の行政指導内容までは申し上げられないとしたようだ。官公庁とか外郭団体に対する派遣や偽装請負に関する行政指導は、昭和61年の派遣法成立以前から、厚生労働省は弱腰と言われているが、現在もそうなのだろうか?

民営化された後の、日本郵政本社からの意欲の低下と、将来失望による投げやり的偽装請負の継続、これでは公共宿泊施設の役割である、日本の観光産業の下支えは、一体、どのようになるのであろうか。もとより、簡易保険の余ったカネを使いたかっただけの話だったのだろうか。
「かんぽの宿」は、高齢者や庶民には人気の場所であったが、安かろう悪かろうの、あと5年の寿命を待つだけとなったのであろうか?
そこまでひどいサービス内容の施設であれば、誰が買い取っても、華やかに再生したように見せかけることができるかもしれないのだ。

2008/07/08

第75号

個別的労働関係の紛争が急増
5月から6月にかけて、解雇、労働条件切り下げ、就業態度などをめぐっての個別企業と労働者の紛争が急増している。労働組合関係のうわさをきいても、労働協約に関するトラブルではなく、個別的な労働者の相談や団体交渉が増加しつつあるとのことである。
紛争の真っただ中で、会社側のあっせん代理人or団体交渉員の視点から分析をしてみた。
いわゆる格差社会のワーキングプア転落への恐怖感から、労働者は反応している。
1.そのきっかけは、上司の強圧的態度、信義則違反の態度に起因する感情問題である。
2.理不尽・不利益条件変更や解雇問題でも、事件に結びつくことは少なく、金銭で落ち着く。
3.感情問題の深刻さの程度により、労働審判 → 紛争調査委員会 → 労組団交へ進化する。
4.「労基署に行く!」の発言の裏には金銭、労基署に行くのは比較的少ない。
5.精神的損害の金銭要求!の奥底には、上司や会社との感情問題が粘着している。
6.偽装食品表示、偽装請負などのニュースは追い風! 法律条文は口実事由となっている。
7.当事者の納得する和解解決には時間がかかり、労働者ひとりの問題域を超えることになる。
8.和睦、和議、示談、裁判での取引の手段は、中間管理職の企業精神を腐らせている。

最近取り沙汰されている労働者派遣業界においては、厚生労働省が日雇派遣を中心に弾圧を行っていることから、この系統の業者は「貧すれば鈍する」、トラブルを抱え込みやすい。その余波は発注企業にまで及んでおり、これが残念なことに、人事や総務部門には聞こえてこない現実でもある。
派遣業者でも、いくつかの業態パターンに分かれる。
いちばんトラブルを起こしやすいのは、アメリカ系発想の派遣会社である。その昔、ニューヨーク港に到着した移民に対して、架空の職業を1~2ドルで紹介し、汽車や馬車を乗り継ぎ現地に辿り着けば、何百人と騙された人の集まりだけ、といったような人身売買が、業界の始まりだった。これを州政府が賃金を支払わせるよう規制したのが、アメリカ系派遣会社である。したがって、派遣労働者のスキルとか能力にはおかまいなしであるから、トラブルが続出するのは当然のことである。日本的人事管理や日本的労働市場から生まれた純日本系派遣会社、ヨーロッパ系派遣会社などにあっては、格段にトラブルは少ないようだ。



ネットカフェやホームレス問題を取材!
大阪西成には、釜ヶ崎支援機構というNPO法人がある。
事実上、政府や自治体のホームレス支援、ネットカフェ難民問題を現場の最先端で取り組んでいる非営利民間団体である。
西成「三角公園」の隣にある、元職業安定所の労働出張所跡二階で、この団体の本年度総会が6月21日開かれた。
大阪市西成区の、「釜ヶ崎」といえば、
「釜ヶ崎にいけば、物も安いし、何とかなる!」
と、全国のホームレスに陥った人たちに、うわさされている地域だ。
一概にすべて「何とかなる」と言うわけでもないのだが、確かに自動販売機の缶ジュースは50円程度、三角公園周辺のキリスト教団体に行けば、1日1食は無料で食べられる。今時、炊き出しは流行していない。近所にあるスーパー:イズミヤも食料品は驚くほどに安い。

ところが、関西のほとんどの人であってもが、釜ヶ崎の名前は知っているものの、ほとんど、この周辺にすら足を踏み入れたことがない。
昔から、「ネクタイをしていると襲われる!」と言われるが、実際は、金持ち風:鼻高々とかオドオド:ビクビクしている人物が危ないだけである。
とくに雨の日は危険ではあるが、決して無法地帯ではない。アニメの「じゃりン子チエ」の舞台は、釜ヶ崎と南海電車の線路で隔てられた高架をくぐったところの街である。
釜ヶ崎に存在するホームレスなどの支援組織、関係団体、労働組合などは、様々な思惑なども絡み合い奇奇怪怪! ここに、南北朝鮮・日中台湾問題の国際情勢末端での悲劇も絡んで来る。
夜の9時半ともなれば、繁華街とは異なり、ほぼ通行人もいない、静かな状況。ただし、一旦事件が起こると、寝床から起きて来て、野次馬、投石、放火などの騒ぎになるのである。

さて、NPO釜ヶ崎支援機構総会での特徴的な話を取材。
昨年秋から、政府予算でネットカフェ難民と言われる100人に、インタビュー調査を行って、本年度末に結果発表に至ったとのこと。
数値で表せないインテリジェンス情報が、確かによく集められている。
この調査から、ネットカフェ難民主流の解明ができたとしている。
それは、
地方などから工場派遣などに働きに来た人が寮付の派遣に就職したが、高収入とは裏腹の過酷な労働と賃金、短期雇用契約による解雇の繰り返し、離職前の寮付住込派遣仕事から次の寮付住込派遣仕事の間の、「つなぎの瞬間」に、一時的なネットカフェ生活と思って、ネットカフェ、深夜のファミレス、お金がなければ路上生活をしているといった状況とのこと。
体が健康であれば、収入は概ね1ヵ月17~18万円の手取りはあるようだが、段ボールやブルーシートを手に入れる知恵すらなく、その方法も知らないとしている。

こんな話も。
釜ヶ崎とその周辺での支援対象となる人たちは、この1年余りに急激な変化しており、あまりにも社会で生きて行く知識が少なく、「ボクだけの話を聞いてくれ!」に象徴される若者が多く、社会での共同生活が出来ない人が増えていると分析。
人間関係構築能力欠如、→ 社会参加訓練欠如の末、→ 孤独志向に至っていると話していた。
現象としては、「もっと早く、声をかけて欲しかった」との感想を述べる30代の人が増えている様子だそうだ。半面、他人からの「ほどこし」は絶対受けないとする人たちも目立つとしている。
そういったことから、統合失調症などの精神疾患に陥っている人が急増とのことである。
強調されていた事柄は、
最近急速に30~40代の若年者にとっては、「ただ単に仕事、ただ単に援助金、ただ単に食事、ただ単に生活保護」といったような、旧来の標準パターンの流れで支援ケアすることは不可能で、何らかでも「心のケア」とか、「心の支え」に結びつくような支援が必要であるとの話。

釜ヶ崎に集まる人たちの取材と合わせて考えると、人手不足!人材不足!外国人労働力の輸入を!と言うより先に、釜ヶ崎を訪ねて来る、「まだしも日本文化を理解している」若者たちに、デンマークやスウェーデンのような、再教育や再訓練といった労働力確保施策の考え方も、ひとつの方法とヒラメいた。
その理由は、日本製品の背景には、日本文化があり、この文化を外国人が理解するには並大抵ではなく、ここのネットカフェには、「極めて日本文化にこだわっている」人たちが、窮乏しながらも生きているからである。



労働契約法の解説 (第5条:安全配慮義務)
「第5条 使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」
労働契約法に関する書籍や解説が数多く出されているが、この安全配慮義務を定めた条項の解説は少ないようだ。そもそもの事件は、安全配慮義務の概念が存在しなかった当時、昭和50年2月25日最高裁判決が出された。それは、自衛隊八戸駐屯地車両整備工場で起こった事故をめぐって、国が公務遂行の設置場所、施設・器具などの設置管理、上司の指示のもとにする公務管理にあたって、生命、健康などを危険から保護・配慮する義務(安全配慮義務)を負っているとしたものである。この判例には、通常表面に現れない考え方ではあるが、「法の支配」とは何か!との社会共同体の原則ともいえるべき思索概念が含まれていたのだ。
安全配慮の概念を信義則上に負う義務として認めたものの、不法行為責任損害賠償ではなく、契約不履行責任損害賠償を当てはめることで、消滅時効を10年間として延長し、不法行為の消滅時効3年を排除して、救済することを優先させた判例である。すなわち、時効についての条文を丸暗記した程度では、最高裁のこの判例が理解ができないのである。この判例によって、その後、雇用・労働関係に限らず、医療、学校、請負事業その他多方面に安全配慮義務の考え方が広まった。
労働契約法を制定した主要な立法目的は、労働関係に関する判例を整理して、法律に成文化し法廷法理となし、法律の基準として国内に周知することで、未然に労使間の紛争発生を防止し、不毛な判例解釈を排除することにあった。したがって、ことさら労働契約法の解説・学習に過去の判例を持ち出すも必要なく、法律家にあっては、如何に法的な解釈行うかが役割となってくるのである。個別企業の実務担当者やあっせん代理人にあっては、紛争発生を防止し、発生のときには当事者の納得が得られるような和解を促進し、そのために労働契約法を駆使することになるのである。労使対決を招くための口実たるべき法律構成になっていないのがこの労働契約法である。個別企業の担当者は、一部の法律家と称する者たちに、対決を促され、惑わされ、煽られてはいけないのである。
「労働契約に伴い、」…とは新たに契約を結ぶ段階から契約が終了する間のことを指す。
「労働者」…とはこの法律によれば、使用者に使用されて労働し賃金を支払われる者であり、正社員、契約社員、パートなどの名称や身分を問わず、サラリーマン以外に独立一匹狼(インディペンデント?)などの外注も専属性や時間拘束性があれば、該当することになる。
「生命、身体等の安全」…とは肉体的、精神的いずれもの安全を指し、負傷、疾病、被爆、第三者からの危険を問わず、予見できる状態も含むことを指す。
「必要な配慮をする」…のは使用者であって、労働者から指摘をされた上に配慮を怠れば、安全配慮義務とは別に不法行為責任を問われることにもなる。使用者が安全の指示をしたが、労働者が従わない場合でも、責任が使用者に負わされることになる。
安全配慮義務の条項は、訴訟での対決ばかりを念頭においてしまうと、条文を読んだ通りを超えての発想が浮かばず、今述べた程度の貧困な解釈内容になってしまう。今や事故やうつ病が発生したときに、その損害賠償をめぐって多額の金銭出費を強いられる現代において、会社方針に反して危険作業を繰り返す労働者を抑制する根拠となるのだ。個別企業の実務担当者からすれば、安全配慮を無視しがちな現場労働者とか中間管理職を業務現場から排除する法律根拠となるのだ。「それは安全配慮義務違反となるから、業務停止!」といった具合だ。安全配慮義務違反の指揮命令をしたとして中間管理職を懲戒処分にすることもできる。
そこには、これからの「日本経済を高付加価値製品or高水準サービスの商品提供」でもって、世界各地の富裕層に絞って輸出進出して行くなどの戦略上にあたっては、労働者の安全配慮を軽視するような企業内労働態様は害悪となり、ひとえに人材育成とノウハウ蓄積によらなければ企業の経済展開が成り立たない!といった背景根拠が存在するからである。ひいては、労働者の安全や消費者の安全を重視することになれば、ますます日本が得意とする技術開発・ソフト開発が進展することにもなるのだ。
人命軽視の文化を持つ中国・インド・ロシアにあっては、いくら投資したところで、こういった技術開発や経済発展は国家としての経済政策目標にはなりえないのだ。貧すれば鈍する!では、企業経営は成り立たない。暴力団の世界でも、貧すれば「覚せい剤や売春」に手を出し、鈍して「警察に弾圧」されるのだ。
専門的な話ではあるが、数10年前に労働組合運動あたりから、「就労拒否権」なる概念が持ち出されたが、時代の流れは「新たな権利の確立」よりも、自由平等のための「法の支配」に至ることになったのだ。



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2008/06/10

第74号

 <コンテンツ>
 今年の年末に向けて経済が一挙に
 とにかく世界も日本も変わる。
 個別企業で確保しなければならないこと
 人材を育て、→産業を創造し、普遍的展開をするところには、
 テーラーシステム(科学的管理法)は
 ちなみに、訓練もしくは訓練の過程において
 封建時代の産業構造に近い中国経済の根本的大問題
 自主性自発性を重視する教育は、ひとえに文化である。
 過日、デンマークの小学校教師から話をインタビューした。
 フィンランド教育方法の情報も入って来た。
 ある文化経済学者の、知識を学ばせるとは、
 ある宇宙物理学者は、本当の科学者の見分け方
 世の中には「一風変わった」ソフト開発会社がある。
 さて、こう見てくると、
 (労働契約法の解説は休ませていただきます。)


¶今年の年末に向けて経済が一挙に
落ち込み、年末には社会不安が激しくなるとの見通しが、共通の認識となってきた。先行き不安が世界に漂っている。はたして、「21世紀の産業革命」の起爆剤と云われる低炭素エネルギー転換、IT情報活用、流通・交通などに期待はかかるが、不安解消とまでは至らない。

¶とにかく世界も日本も変わる。
さて、これに対し個別企業にあっては、如何に対応するかが重要な課題である。
その方向は、「高付加価値製品or高水準サービス」の商品提供がカギとなる。
それも、中国、ロシア、ブラジルなどのブリクス諸国の“お金持ち”、あるいはEUの中間富裕層向けが、どうもマーケティングの標的なのである。アメリカ経済への、現在までの大量製品の大量消費マーケットは、転換を図らざるを得ないようである。

¶個別企業で確保しなければならないこと
は、「高付加価値製品or高水準サービス」の商品を提供するための人材確保である。このような人手が少ないのであれば、まずは自前で育成するしかない!のである。幸いなことに、日本の文化が背景となって、こういった人材育成や確保の土壌は、未だ存在している。ただし、ハッキリ、注意しなければならないのは、今の学校教育を受けた高校生や大学生は、知識偏重・記憶偏重者が多く、受験予備校などで「考える能力」の芽を摘まれてしまっているから、抜本的に能力修正をしなければならない作業である。

あなたの個別企業でも、業務改善や危機管理を行ない、マーケティングの向上、品質サービス向上が図られれば経営が改善すると分かってはいても、この知識偏重・記憶偏重者が多いところに足を引っ張られ、目先のことさえできない原因があるのだ。彼等の、「教えてもらえば、出来ます!」といった答えは、意欲のなさというよりは、やり方を考える能力の未熟さの現れなのである。このメルマガを書いている私も、これを読んでいるあなた自身も、このことをよく考えてみる必要に迫られているのだ。


¶人材を育て、→産業を創造し、普遍的展開をするところには、
どうもひとつの共通点が存在するようである。封建時代には、お殿様が経済発展や豊かさの追及を抑え込んでまで地位を守った。それが市民革命を経て資本主義を形成するとともに、先進国人類は社会共同体というものを作り上げた。社会共同体を通して自由と民主主義を担保し、自由な経済活動を展開して来た。おそらくここまでは、誰しもが否定しない事実である。
こういった社会共同体の共通したものに、「自発性自主性に重点をおいた教育」の存在がある。日本の高度経済成長を支えた人材育成は、TWI訓練とかOJTの真髄である、「やって見せて、やらせて見せて、ほめなければ、人は動かじ。(旧海軍:山本五十六)」、これも当時の海軍としては、「自発性自主性」なのである。

¶テーラーシステム(科学的管理法)は
アメリカで開発され、ヨーロッパに広がり、当時のソ連のレーニンが導入し、いまの北欧にも広まった。(だが中国は外れた)。この管理法の真髄は、生産作業をする際に、
作業計画を企画・設計・計画する人物と、
もっぱら考えることなく作業に勤しむ人物とに
はっきりと分離をしたことである。(職人:これらを統合して順次考え順次作業する作業方式) この管理方式を支える教育訓練が、アメリカのハーバード大学で開発され、その開発初期過程で留学していたのが、旧海軍の山本五十六であった。当時海軍は石炭で動く小型戦艦から、大型重油戦艦を動かすために、有能な技能者を大量に人材開発し、近代化したのであった。とはいえ、海軍基地ごとの艦隊派閥争いの解消までは、できなかったようではあるが。
(この艦隊ごとの派閥は、呉海軍基地に舞鶴艦隊が居れば、横須賀艦隊は入港拒絶といったような類、この解消法が連合艦隊として同一行動を取らせることだったが、所詮は海軍内での自慢話にすぎなかった)。


¶ちなみに、訓練もしくは訓練の過程において
自主性自発性を重点におくことは無い。だからといって、プレッシャーを加えながらの教育は、目先の効果も期待できない。たとえば、JR西日本の日勤教育は有名であるが、プレッシャー管理や同じ文章を何度も何度も書きうつさせても、効果はないのである。マニュアルなどの決まりは守るかもしれないが、想定外事態での対応とか、新規・創造的な仕事はできず、「やることはやってます!」と、すなわち最小限の決まりごと以上のことはしない、いや決まりごとさえもできない!となるのが関の山なのである。おそらく、封建時代の産業構造とか、職人の世界であれば、結構これは大規模に組織的に行うことができるのかも知れない。しかしながら、これではグローバル社会や、ブリクス諸国に負けてしまうという。と云うだけに留まらず、個別企業でそれを目指したとしても、産業資本の絶対額や労働力人口絶対数で、事業展開競争のスタートラインに立つ資格要件すら、日本系では整わないのである。

¶封建時代の産業構造に近い中国経済の根本的大問題
は、改革解放政策を行っても、大半の中国労働者には技能向上が見られなかったのである。その理由は共産党員の家庭に生まれなければ、最高教育は受けられず出世の道も閉ざされるという、人材育成制度前提の社会構造に問題があるのだ。だから、海外資本の投資総額に限ってしか経済成長できないのだ。インドもよく似たことが言える。カースト制度がある限り、いくら教育を受けたとしても、重要ポストに就くことには限界があるといった身分制度、これでは意欲がわくことはない。


¶自主性自発性を重視する教育は、ひとえに文化である。
抜け駆け、詐欺、暴力、強迫、差別などが横行するといった文化水準の国家では、豊かなところは存在しないのが事実である。また、世間体の義理人情に浸り、豊かさから離れ悲劇に埋没するなかで、センチメンタルな感動に酔いしれて、つつましい生活を美徳とするのも、それも確かに文化である。
そして、社会不安が激しくなると必ず、「物質的豊かさは精神的豊かさを破壊する!」という輩が現れるが、経済学的にみると、「精神的豊かさの保障は物質的豊かさをリードする!」のが正しいのである。
それなりの高度な教育を行ない、理性をはぐくむことによる文化なのである。いくつかの具体例を紹介しよう。

¶過日、デンマークの小学校教師から話をインタビューした。
「デンマークのエンジニアひとりは中国の1,000人、インドの1,000人に等しい。これがデンマークの教育です」。
これが開口一番の第一声であった。続けて、
「人口は540万人の小さな国だから、農業、畜産、ハイテク、ノウハウを輸出。小学年の期間、試験は無い、1学級20人程度、一方通行授業はなく課題を解く方式、教師と生徒は同じ目線でニックネームで呼び合う」。
すなわち、デンマークでは、基礎的な能力を徹底して磨きあげることを重視している。
「デンマークでは、18歳になれば大人であり、親元からも追い出す。民主主義は実行するもの。大人になるまでに、できるようにする!」と最後に力説したのは特徴的であった。

¶フィンランド教育方法の情報も入って来た。
その方法は「混合教育」、すなわち、理科の授業の時に国語の話をする、数学の授業のときに音楽の話をする、国語の時間に数学の話をする、といったように、物事を関連させて常に考えるようにさせる教育訓練を子供の時から行うのだ。大人になってから想定外の事態に対応できるように小学年から教育をする。それも、生徒全体のレベルを上げることに重点をおいている。エリート少人数教育は効果がないと踏んでいる。

¶ある文化経済学者の、知識を学ばせるとは、
「『真似をさせる』とか『暗記させる』ことだと、かつて錯覚していたとして、覚えさせるのは試験対策などにはそれなりに有効であるが、言葉の意味や文脈を考えないで暗記してみても実際には直ぐに忘れ、加えて、考えない癖がついて、柔軟な思考力や的確な判断力の育成を妨げる。当たり前のことで、学校秀才が役に立たない理由」。
だと説明している。たとえば効果的な方法として、情報やまとまった考え方などは、
「意味を自分なりに解釈した上で、誰かと(例えば、友人や知り合いと)対話をしてこそ、より深く理解できる。人に話しかけ、理解を求めて、言葉やスピーチの意味を相手に分かるように説明するのだ。相手に意味が通じれば、その言葉やスピーチをめぐって両者が情報を共有することが出来る。情報の共有によって、話しかけた自分の‘意味を理解する力量’は深まるだけではない。さらには、聞き手である相手の「意味を理解する能力」にも影響する。相手の潜在的な能力が開発されて、この言葉やスピーチに関係した、さまざまな領域での会話をはずませる前提がきり拓かれるのだ」。
と解説している。いわゆるケースメソッド方式の学習方法は、知識を学ぶにも応用できるというわけだ。

¶ある宇宙物理学者は、本当の科学者の見分け方
を示した。次のような話題が見てとれるかどうかとのことだ。「科学は100%ではない。科学には限界がある」と、科学ではわからない要素を話す人とのことである。加えて、いざとなれば弱者味方も必要要件とのことである。


¶世の中には「一風変わった」ソフト開発会社がある。
一般IT系企業をスピンアウトした技術者ばかりを、友達ルートで採用している。その会社には、理工学系一流国立大学といわれる出身者ばかりだ。経営者は経済学部出身で、「一風変わり者」をうまく活用している。現在、株式会社総務部で開発中の「有給休暇管理ソフト」も、この会社にプログラム分野を任せている。多くのソフト開発企業といえば、実に主力はIT系技能者であって、技術者ではないところに特徴がある。残念ながら多くの企業が体力勝負で、管理職も若年層が多く、その多くが「太陽に向かって走れ!」式の未熟さ管理で蔓延しているのである。だから、技術系の有能な者ほど、嫌気をさして離脱するといった構造だ。ここに、これから将来の利益の源泉が見えてきている。


¶さて、こう見てくると、
おぼろげながらにも、人材育成の方向性が見えてくる。
標準型作業を行なうための労働者であっても、いかに想定外に対応できるかは重要なのである。
労働力人口が少なければ、個々全員の基礎的な能力を磨きあげることが大切である。
議論やスピーチが、知識を習得する上では重要な学習技術である。
確かに、ひとつの産業等を起こす人物は数万人に1人、数百人の陣容を動かす人物は500人に1人などと、昔からよく言われる。ところが、これらの人物は産業界だけでなく政治、芸術、社会貢献などのそれぞれの分野からも、人材確保として取りあっているのだ。20歳代の社会貢献とか社会実業家も、結果現象であり、人材育成方法ではない。
☆想定外対応教育、☆磨きあげられた基礎能力、☆知識習得技術の教育基盤の上に、
数万人に1人~500人に1人といった人材を抱えられるかどうかが、個別企業の勝負となる。
ブリクス諸国で通用する人材を、今さらエリート教育として養成しても仕方がないのである。


(労働契約法の解説は休ませていただきます。)


有給休暇の管理ソフト開発
労働基準法バージョン、一般常用社員もパートも個人ごとにひと目で分かるもの
 ☆ミ 入力・出力の最終テスト中
 ☆彡 全日休、半日休の対応を追加

2008/05/06

第73号

<コンテンツ>
 松下電産の子会社との偽装請負関係者の労働者
 突然、外国人を労働力として受入れるとの動き
 中国と日本の経済関係はどうなる?
 解説・労働契約法:就業規則不利益変更(第10条)
 有給休暇の管理ソフト開発(日本初バージョン)


¶松下電産の子会社との偽装請負関係者の労働者
について、大阪高裁は4月25日、子会社との直接雇用が成立しているとの認定の判断を示した。
これは、一昨年来のクリスタルグループ偽装請負事件に関連するものであるが、今後の労働力調達方法に大きな影響を及ぼすことは間違いない。偽装請負を勧誘していたクリスタルグループの受注活動は、工場の資材課長等に対する利益供与とその弱みを握るといったうわさが絶えなかったが、そのクリスタルグループの悪質性ばかりではなく、違法契約の結果に対する判断が示されたものとして重要なのである。
判決内容は省略するが、
「業務請負でなく違法派遣労働だったことから当初から無効と認定」していることは、民法の雇用契約についての極めてオーソドックスな判断であり、基本的人権とか社会権よりも以前の判断基準(いわゆる社会契約論)なのである。
そのうえで、「無効にもかかわらず松下子会社で勤務し続け、派遣先から指揮命令を受けていた状況を踏まえると、法的に根拠づけるのは労働契約以外ない」としているところだ。これは、事態を重視する労働契約成立の判断として、従前からの労働基準法の解釈を踏まえたものであり、定着している判例法理である。要するに、
違法な契約は無効であり作業進捗管理を行っているものが直接の雇い主であるとの判断だ。
これは、厚生労働省の曖昧と言わざるを得ない行政指導を真っ向から否定したものとなった。厚生労働省の行政指導は聴き様によって、雇用が3年超えれば、その後に派遣先が新たに雇用を申し込み、それを受けて労働者が承諾の意思表示を表して、そこで初めて契約が成立するとの代物であるが、大阪高裁はこうした手続きとは無関係に実態としての契約が成立するとの考えを示したものだ。
会社は最高裁に28日付け上告したが、その場合、すぐさま棄却される場合は3ヵ月程度、判例が出されるには数年後となるが、こういった民法の契約法の原則が最高裁でも貫かれることについては間違いない。
したがって、その準備と覚悟は今から必要となる。
その理由は、派遣であれば社会保険料の費用負担が発生するが、業務請負の名称であれば社会保険事務所が保険加入の調査に入ることは稀である実態から、派遣法関連一体のものとしての実情がある。1999年まで派遣業務の専門性が強化されていたものの、これが原則解禁となり、一般単純労働までもが派遣の対象となったのである。そこでの単純労働力の安値乱売は、業務請負であれば社会保険の実態コストは不要なものだから、業務請負の装いなのだが、派遣先指揮命令(進捗管理)により派遣労働となっているのだ。この実態に対する大阪高裁の判断だったのだ。
ひいては日雇派遣は禁止となっても、業務請負の日雇は温存されているが、影響を受けざるを得ない。
なお、今回示された判断は、偽装出向(出向に名を借りた労働者供給)、偽装派遣(派遣に名を借りた労働者供給)についても同じで、違法性が明らかになれば直接雇用が命じられることとなる。
つい1年ほど前までの世論は、
経済成長・コスト削減のためには派遣やフリーター(業務請負に集中)の労働力も必要といったものが強かった。ところが、食品偽装がきっかけとなってコンプライアンス・違法性に対する関心が高まり、そこへ戦後最大の世界経済危機、スタグフレーション対策、中国オリンピック後の不良債権の大波などを期に、日本経済成長のためには個人所得増が不可欠との世論に変わって来たのだ。年収2百万円以下が3分の1程度に迫ったことは、社会経済の足をひっぱることが目に見え、社会不安の到来が懸念される世論と変わった。もとより、政治の世界も各党おしなべて内心は個人所得増加を決意している。
こういった経済背景や社会の動きが、司法判断に影響するだけでなく、労働者派遣法や労働契約法の運用にも影響してくるのである。



¶突然、外国人を労働力として受入れるとの動き
が表面化して来た。4月20日のサンデープロジェクト(テレビ朝日)に出演した自民党中川元幹事長の構想によると、日本国籍を最終的には取得(帰化)する意思があることを前提に、日本語をマスターしておれば、労働力として認めるというもの。「日本や日本文化が好きだという人を、日本人として受け入れても良い」といった主旨のようである。総理大臣も了承済とのことだ。外国人労働者受け入れを、この時期、自民党の大物が言い出したことに、「まさかあの人が?」との大きな反響が出ているようだ。この裏にはアメリカからの外圧、「中国人研修とは名ばかり。労働でありその実態は人身売買に等しい!」に反応したからとしか考えられない。厚生労働省は、これに真正面から反対の姿勢とも言われる。
国の富を作るのは人間の数であることは17世紀からの定石である。それも広い土地にではなく、高い人口密度が重要でもあるのだ。その場合唯一の問題は日本国籍を取得する外国人の日本語であるが、結果的には子供の代には問題がなくなるのである。日本国籍取得は外国人を誘うが、特定一民族の集団生活が形成され日本人に馴染まなければ問題が残る。ドイツの移民政策によるトルコ人集団の形成といった失敗例もある。また、外国人といえば東アジアの国々の人ともなりがちであるが、今や、ジャポニカに共感するフランス人、東ヨーロッパ人などのバランスを持った国籍取得政策も重要なのである。ブルーの瞳に金髪の日本人といったところだが、仏教の般若心経はブルーの瞳の僧侶が説いたことを知れば、受け入れ抵抗感も消滅するというもの。ある社会学者は、世間体や家父長制家族が日本社会の豊かさや経済発展の阻害となっているとして、一挙に価値の多様性を認め合う社会とするために、外国人労働力の自由化が必要と述べる。
国籍取得を視野に入れた外国人労働力の自由化は、個別企業のグローバル展開の追い風となるかもしれない。



¶中国と日本の経済関係はどうなる?
中国経済の話題までもがオリンピックに終始しているが、戦後初の世界金融危機を迎え、いま判明しているだけでもサブプライム関連だけでも95兆円の不良債権(IMF集計:日本のバブル崩壊は85兆円程度)の影響がどのように現れるかのシミュレーションがない。今や多くのマスコミ論調は、「日本は中国から大変な量の輸入をしており、輸入超過ともなっていて、中国には日本経済は語れない」などと言われている。
ところが、何事も決めつければ、社会科学は無縁の分析になってしまうので、いくつかの指摘をして正確な分析のために一石を投じる。
(1)中国に進出している外資企業には、
ある程度の海外輸出が事実上強制されていること。日本から進出した企業が、日本へ利益を送金するためには、生産物の日本への輸出が必要とされるからくりとなっているのだ。
(2)日本が輸入超過であるといっても、
日本から香港への輸出額を合算して判断しなければならない。それは、香港へ荷揚げされた日本の輸出品はトラックに積まれ、大陸をめがけて出荷されているからだ。
(3)中国経済は海外からの投資によってのみ成長
していると注意してみておく必要がある。中国自体の生産技術ノウハウ、効率的経済システム、技術開発力などの蓄積は弱く、「投資がなければ成長もできない!」といった統制経済特有の短絡的様相である。中国模造品、官僚の汚職、食品・衛生・社会不安といったエピソードは、これらの現象面であることを知っておく必要がある。「改革開放」の合言葉を隠れみのに、官僚が経済を牛耳って私腹を肥やし、反社会的行為を繰り返している実態に対して中国上層部に解決の道筋がないといったところだ。チベット問題しかり、毒練り込み餃子しかりである。
中国の改革開放は、天安門事件で政権が危うくなった途端に統制経済で以って改革開放の規模を収縮させた歴史がある。天安門事件は、学生以上に中堅一般市民が参加、ストライキや鉄道線路への座り込みが行われた一大政治危機、大手マスコミなどの報道した「学生運動」などではなかった。その後再び官僚主導の統制的成長を進めたが、数年前からは中国上層部は成長にブレーキをかける統制を実行している。オリンピック閉幕後をにらんでのことである。上海万博は、盛り上がっていないようだ。
そこに降って湧いて来たように、基軸通貨ドル経済圏の金融危機である。早速中国政府は、金(Gold地金)の確保に動き出したとのことである。金融危機で、アメリカの投資が減少することは、=中国経済のマイナス成長となるので、中国は、おそらく外資系企業に輸出増加を強制するであろう。中国系企業には、統制経済下のドップリ官僚体質、商品力で輸出する気力も能力もないからである。そうすると、日本国内でも、中国進出企業が中国製品を日本国内で売らんがため、中国ブームが益々あおられることになるかもしれない。(中国食料品の輸入減少は、ひとえに中国政府の輸出ストップによる)。
ところが、もとより中国経済はオリンピックに向けての「水ぶくれ経済」、何時バブルがはじけて、代金支払停止や延期が起こっても不思議はないのである。今でも官僚による数字水増し虚偽報告の経済指標、その時には不良債権の額は計算できない見通しなのだ。オリンピックに向けて、中国政府がことさら威信をかけているのは、こういった中国が「腹に一物、背中に荷物」に陥っており、自らだけのことに必死なのかもしれない。
さて、これを日本経済の輸出のチャンスとみるか、どうかである。日本政府の計画経済政策に慣れ親しい人にはチャンスの有無すらが、判らないのだが。こういった動きを既に織り込んで、関西や福岡の経済復興を目指して動き出している人たちも出て来た。ちなみに、この人たちの共通しているところは、投資=成長といった短絡的発想ではなく、グローバル水準からみれば、日本の高品質高水準を多国籍展開できる人材の育成・確保から始めようと計画している戦略である。官僚支配と武力行使(解放軍や地元ヤクザ)の中国統制経済に対する戦略として、的を射ているかもしれないのだ。もちろん、中国富裕層の絶対量増加と豊かさの水準引き上げを対中国経済の底流におくことは欧米各国の視点と異なるものではない。ただし日本の選択にあっては、日本国内から発送する「高付加価値製品と高水準サービスの商品展開」、すなわち、日本よりも絶対数の多い富裕層に向けてのmade in Japanの耐久高品質製品の直接出荷であるとかアニメ・グルメ・景観・文化といった癒しの観光などなどの高水準サービス商品なのである。これらは対中国一国経済に限られるものではないが、資本輸出総額の絶対量が少ない日本であり、覇権争いの大国に翻弄され続ける「利回り資本投資」に比べれば、日本の文化経済活用や豊かさへのはね返りに極めて安全で効果的な経済路線となるのである。政府官僚に依存することもなく、小零細企業の個別企業であっても即刻・身の丈サイズ・自力で展開できるから、この経済路線は「イケる」のである。
今や、個別企業は、直接的にも間接的にもグローバル世界経済につながっている戦略に焦点を当てて、その実現のための人事政策や賃金体系のバックアップを必要としている。
それが人事総務部門の最優先課題なのである。



¶解説・労働契約法:就業規則不利益変更(第10条)
今年3月1日施行の労働契約法によると、
(1)労働者への周知
(2)不利益の程度
(3)変更の必要性
(4)内容の相当性
(5)労働組合などの交渉状況
(6)その他変更に係る事情の内容
が、就業規則を不利益変更する場合においては、これらを問われることとなっている。不利益とは、あくまで個々の労働者にとって不利益かどうかが判断され、平均すれば不利益ではないといった内容や経営者の不利益は労働者の労働条件に跳ね返るといった論述は、一切想定されていない。「合理的なもの」の意味内容は、法曹界の特別用語で、道理にかなっているとの意味が強いものではあるが、未だ法科大学院や司法研修所で適切に解説されたものが存在しないようで、「経営の合理化」などで使用する場合の語意とは異なる。これら6つの要件には従来の判例から、不利益の内容についての誠実説明義務ではなく、不利益と利益の関係について、労働者の合意納得性が重要であることは、これからも変わりがない。注意が必要なのは、このポイントだ。
就業規則でもって労働者との契約を、代わりに行おうといった考え方を、「就業規則法理」と専門家の間では呼ばれている。その口火を切ったのは、秋北バス事件の最高裁判例。昭和32年4月1日の新就業規則55歳定年をめぐって、当初、仮処分や秋田地裁は、「同意のない就業規則変更は無効」とし。これが日本で初めての判断であったため、多くの労働組合が、この地裁判決を活用して闘争を行った。当時、数多くの労働組合用学習文献がこの内容で出版された。その後、最高裁判決で逆転、その理由として初めて就業規則法理の考え方が打ち出されたのである。ところが、昭和43年から平成20年までの間の40年間にわたり労働紛争の現場や労働裁判の場において、いわゆる労働側からの巻き返しである法的論理構成が展開され、その末に労働契約法の成立に盛り込まれたものである。ここに、労働者の合意納得性が重要であることのプロセスがある。
厚生労働省労働基準局長の通達(平成20年1月23日 基発第0123004号)によると、就業規則の変更手続の際に労働基準法の「…遵守の状況は、合理性判断に際して考慮され得るものであること」としていることから、きわめて注意が必要な事柄となっている。秋北バス事件の如く、労働組合に対して、2日後の午前10時までに意見書の提出を求めるなどの方式が、仮処分において、「甚だ形式的で所謂意見を聴く態をなしていない」(昭和32年6月27日仮処分決定)といった考え方を踏襲しているものと思われる。ところで、最高裁の判決には、原告らの「中堅幹部をもって組織する『輪心会』の会の多くは、本件就業規則条項の設定後、同条項は、後進に譲るためのやむを得ないものであるとして、これを認めている、というのである」と言ったくだりが存在するが、ここで「決して不合理なものということはできず、」とする、こういった後から付け足したかのような論述は、現在では認められないことに注意する必要がある。こういった解説を読んで会社で実行すれば経営側は、法手続主義のパラダイムの視点から、それだけでまず負ける。
ところで、秋北バス事件は、当時の地元新聞では「芳川事件」と報道された。事情があって、個人名称を使った方が地元では良く理解できたのかもしれない。一般の労働事件にあっては、労働組合は事件に何らかの絡みがあるのだが、この事件においては形跡がつかめない。せいぜい、秋北バス労働組合は、就業規則変更に、意見書の提出を拒否(当時流行の反対戦術)するなどの積極的反対姿勢をとり続けた程度であった。この就業規則変更で解雇された芳川さんは、元大館営業所長だった。本人は、「私は役員待遇であったはずだ!」と主張するほどの経営側人物であったようで、労働組合員ではなかった。この事件はもしかすると、秋北バス内部での経営陣争いが主だった問題点であったかもしれないのだ。それは、昭和18年の戦時下、地元の13社が統合させられた時代にまでさかのぼる。
秋北バスは秋田県北東部の主要な公共交通機関、秋田犬や比内鶏、キリタンポで有名な「大館市」に本社がある。筆者は2回に渡って現地調査をした。秋北バス事件の判例そのものは、労使対立や労働運動に利用され、元々の事件は時代の要請に翻弄された感も有り、当時の関係者のインタビューが取れないことで調査が困難につきあたったものの、この事件が労働契約法の第10条の解釈を、より有効に行うことができるのであろうと実感を得ている。
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2008/04/08

第72号

世界が経験する戦後初の金融危機
が、とうとうやってきた。日本だけの戦後ではバブル経済崩壊であったのだが、バブル経済を作り出し大蔵官僚が後始末から逃げたところに、中堅中小企業にとっては、平成恐慌となってしまったのであった。発振元のアメリカも、サブプライムローンに手を出さざるを得なかった経済戦略が存在したからと、冷静に見ておく必要がある。サブプライムローンが緑豊かな樹木の葉っぱと考えられていたところ、実は、黄色く枯れ虫食いでもあったのだ。このようなまがいものの葉っぱは、幹が腐っていたのである。
回復がどのように、何時頃なされるのかは、専門家の間でも分からない。
ところが、経済学からすれば、「アメリカドルの基軸通貨が揺らいで、信用不安が起きてしまった」と、幹に問題があったそれだけのことである。
では、今後の世界経済はどうなるのか、これもよくよく歴史を踏まえて考えれば、そうむずかしい予測でもない。

アメリカ経済圏…
アメリカドルの基軸通貨の役割を必死で守り、世界で生産される商品を為替レートでコントロールして、国際貿易を通じることでの経済を成り立たせようとする。そのためには、軍事力と大手多国籍資本の展開が必要となってくる。トヨタ、キヤノン、ソニーも、どうぞアメリカ国籍にいらっしゃいという訳だ。

ユーロ経済圏…
生活と生産の中心として、健全な経済発展をユーロ圏内でつくりあげようとする。ヨーロッパで戦争破壊がなければ経済は順調に進み、環境を経済に取りいれれば、さらなる経済資源となり、生活と生産が豊かに向上するというもの。アメリカ系多国籍企業に比べれば、きわめて知的レベルの高い事業展開を行うと自信をもっており、社会から非難されるような無謀なことはしない。世界中の経営管理手法を研究し、徹底して人材育成教育を行っている。ちなみに、トルコのように人種差別を行っている国を、人種差別がユーロ内経済秩序を破壊するとしてEUには加盟させないのだ。

ブリックスなど発展途上国…
中国、ロシア、インド、ブラジルなど農業、工業を発展させようとする戦略である。もう数10年すればアフリカ諸国がブリックスに入って来る。見ての通り、アメリカ経済圏やユーロ経済圏から続々と、資本や製品が投入され、これからの経済発展が見込まれるといったところだ。

さて、日本経済は、この三つのそれぞれに、
いろいろな業態でもって進出することになる。多国籍展開をしなければならない大手企業となれば、アメリカあたりに本社を移転させて、為替レートのコントロールのもとに世界中に事業展開することになる。高付加価値製品を武器にするならばブリックスに工場進出するか、Made in Japan の超高付加価値商品を日本から直接販売することとなる。
高水準サービスの提供をするならば、世界の金持ちを日本に呼び寄せ、さながら東のジパングとか、東の彼方の蓬莱島といったところだ。(スキーツアー、日本食、雪景色、緑や紅葉はサービスの重要資源、ギャンブルでは集客力がない)。ちなみに、EUの交流自由化は、ヒト、モノ、カネに加えて、サービスの四分野としている。
そこで、日本経済発展の方向性を裏付けるもの
これが、日本文化に基盤を持つ文化経済なのだ。日本独自の文化であるがゆえに、世界には類を見ない高水準の商品を供給することができるのだ。
とりわけ、企画・製造をした後、
日本の厳しい消費者(日本文化)に認知されて育成されるという訳だ。
その底流には、教養に重きをおいた(社会での)教育が行われて来たことであり、
こういった日本の文化経済の水準がある限り、日本国内の豊かさといったものは、ほぼ後退するどころか、前に進んでいくことは間違いなさそうなのである。生産価格が安いからとか、見た目は同じといった商品哲学で、なんでも海外で生産するとすれば、日本の技術や技能を衰退し、社会教育の基盤さえ衰退し、世界に進出する重要ポイントとなる文化経済も衰退しかねない。
一説には、日本の国民総生産は500兆円、これが今から始まる金融危機を経て10数年後には、300兆円まで落ち込むとのことである。300兆円というのは、パリ、ベルリンとまでは行かないが、今のヨーロッパなみの生活水準である。200兆円というのは、一般庶民や中堅中小企業には、さほど関係無い国民所得とみて良い。すなわち多国籍展開をしている大手の売り上げが国外に出てしまうことと、大型公共建設事業が無くなるといったところなのである。
とはいっても、中堅中小企業といえども、多国籍に向けて直接間接に展開をすることは間違いない。昔は、海外赴任といえばエリート管理職、今や海外単身赴任が管理職どころか監督職にまでおよび、経営能力水準の低い企業であれば、「名ばかり管理職?」にまで波及することも間違いない。たぶん、技術者は世界を行脚するが、技能者は国内にとどまる。日本の大手多国籍企業…もとより中東オイルマネー資本には及びもつかないことを忘れてはならない。
この金融危機の後の国内の事業展開?
に向けて、総務人事部門は今から準備をしておく必要があるのだ。とりわけ日本独自の文化に育まれた職務遂行能力や労働能力を、如何に標準化しノウハウ蓄積をするかが重要となって来る。(文化経済学の研究から)属人的といわれているノウハウ蓄積も科学的に解明されたことから後輩に伝達教授することも容易となり、IT技術を使えば膨大な質量も可能となる。これを日本社会全体で如何に実行・完成させるかが重要となるのだ。スウェーデン(実は精密武器の輸出国)は40歳過ぎの工作機械技能者に数年かけてSE教育を職業安定所が行っているが、これは大いに参考になりそうだ。今日本で騒ぎとなっている、子供の頃から英語を習って国際人(海外赴任で働く?)になりましょうといった珍奇・非現実的な教育論議とは、まるっきり次元が違う。
では、何からはじめるのか?
つい先日の発表によると、日本の労働者は約5000万人、そのうちの33.5%が非正規労働者とのことである。非正規労働者の中の77%が年収200万円未満とのことである。こういう統計数値だからという訳ではないのだが、日本の文化経済を支えるには、結果論として無理があることも事実だ。これを聞くと、一般素人は個別企業の管理職も労働組合も政府官僚も、「正社員を増加させれば何とかなる!」との発想するのだが、世界や日本の歴史の中で、そういったことはまったくない。むしろ、正社員!正社員!と主張することで思考停止を招いてしまい倒産・脱落となってしまうのが社会の現実である。まずは、今おろそかにされているOJTの基本、「やってみせて、言ってみて、やらせてみせて、出来たところをほめて、人を育てる!」に尽きるのである。
この土台のうえに、今流行の教育訓練が行われて初めて効果が発生して来たのが歴史である。これは自由経済のみならず社会主義経済でも共通であったし、差別や人権に問題のあった国では失敗をしたのが歴史であった。中国(人権無視)、インド(差別制度)の事例は、人口量の割には経済成長しない典型事例である。歴史が証明していることは、一般素人の思考とは正反対に、労働力の教育訓練から始めることが大切で、個別企業から独自に行ない、社会がそれを支えてくれる文化が必要であるということだ。
金融危機を克服し発展する、この順序は文化が変わり→経済が変わり→政治が変わるのであって、これが科学的法則なのである。
これは個別企業の事業展開においても同じことで、総務人事部門が活躍して文化が変わることに一役を買うことが大切なのである。
3月31日夜のNHK特集、「名ばかり管理職」を見て、ビジュアルに発見したことは、出演していた経営者の経営管理能力水準は、単なる監督職、すなわち経営者の能力も無ければ管理職能力もない事業主であったのだ。たぶん、学問的科学的裏付けのないビジネスコンサルタントや社会保険労務士が、この事業主の周りをうろついているとの憶測をしてしまうのは、果たして無謀な判断なのだろうか?


労働契約法の解説(出向)
労働契約法第14条には、「使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向命令が、その必要性、対象労働者の選定にかかる事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする。」とされている。
さて、非常に誤解の多い部分は、
「出向を命ずることができる場合」の内容解釈。出向とは、在籍出向であっても移籍出向であっても、現在の雇用契約に加えて、新たに出向先との雇用契約が結ばれることには変わりがないことから、やはり、「申し込みと承諾の意思の合致」が新たな出向先との間で必要になるのである。したがって、出向元、出向先、労働者本人の三者での、出向期間、出向中の地位、人や労働条件の協定が不可欠なのだ。とりわけ労働者本人の同意が存在して初めて、「出向を命ずることができる場合」となるわけである。三者協定書などで、こういった三者契約の裏付けがなされていない場合には、職安法第44条に違反する労働者供給に該当すると判断されても仕方がない。それは、三者がそろわず、個々に三つの契約がかわされたとすると、支配従属関係の存在が疑われるからだ。
本人同意のいらない出向を命じる場合には、
新日鉄事件(最高裁第二小法廷、平成15年4月18日)の判例によると、グループ会社の間でもって、いわゆる同一労働条件などの就業規則が整備されている場合であれば、グループ人事本部などが設けられており、この部署から出向を命じることができるとの解釈になる。すなわち、グループ会社間で、そのような就業規則などの整備とか出向規定を完備している場合であれば、本人の同意を得る必要はない。ただし、社会通念の人事異動の如く、グループの各会社を渡り歩く実態は、出向制度(規定)とは関係ないものとみなされる。
そもそも出向というのは、
資本関係のある関連会社での雇用安定のための人事調整、
関係会社への経営指導・技術指導、
関係会社での教育訓練をする・されることが目的、
これらのいずれかに該当しなければ、職業安定法第44条の労働者供給に該当し、契約交渉に当たった個人が会社を差し置いて、優先して罰することになっている。
とりわけ、労働契約法に出向が定められたからといって、この文面さえ守っておれば合法的であるといった認識は誤りなのである。知識偏重であり形式主義なのである。
なお、「権利を濫用したもの」とは、民法の一般規定とは異なり裁判官が独自判断するとの意味ではない。必要性、選定事情、その他事情について個々に要件事実の正否の判断を行うことで、権利の濫用を結論付けるという意味であって、労働契約法独自の解釈を行うことになっている。そして、「無効」とは、もとより無かったものとして取り扱うとの意味であり、雇用継続や賃金支払いはそのまま維持されるという解釈となっているのだ。

2008/03/04

第71号

労働契約法をめぐる宙に浮いた様な話は、役に立たない。
多くの弁護士さんたちの感想は、「従来からの判例が法律に定められただけのことで、今までと同じこと」といったものがかなり多く聞かれる。労働契約法についての出版物もまだまだ少なく、専門雑誌の記事を書き込めるだけの人物もほとんどいないといった状況である。施行直前になって出版される物いずれもが、せいぜい判例法理を交えた法律解説にとどまっている。苦心惨憺執筆してもマニアやオタクの類が、あまりにも多すぎる。個別企業が求めているものは、法律の施行で、何がどう変わるかの着想・予想・発想であり、経営管理の軌道修正を如何にどこまで行えば良いのかである。
そういった中で、
経団連あたりは、この労働契約法を重要視しているようだ。
そのポイントは
(1)労働契約法において、労働者と使用者の合意によって労働契約が成立するとの合意原則が明確化されたこと
(2)仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)という理念が盛り込まれ、いろいろな場面に影響し得ること
(3)法律は労使トップが反対しない理念的なものが盛り込まれ、これでは抜本的な改革は期待できない
(4)紛争に発展する前に、紛争の隙間を埋める経営者の努力が必要であること
といったところのようで、これからの人事制度や労務管理における貴重な示唆をしている。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoukeiyaku01/index.html
厚生労働省も、1月23日に労働契約法の解釈のための労働基準局長通達を出している。都道府県労働局の総合労働相談コーナーとか、紛争調整委員会における、いわゆる労働省職員の考え方を意思統一するものである。確かに、通達の執筆者は司法試験にも合格し、退官すれば即日弁護士登録のできるだろうと思われる有能な事務官による執筆であることは間違いない。とはいってもやはり行政機関からの文書、いくつかの点では裁判所の見解、法律家の見解、現場の合理性とは解釈を異にするものが含まれる。
あくまでも「厚生労働省さん」の考え方にしかすぎないのだ。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoukeiyaku01/dl/04.pdf



パート労働法は4月1日から施行される。
多くのセミナーやパンフレットなどが出されている。しかしながら、これらマニュアルめいた?受験参考書めいた?ものを読んでいるうちに、混乱して来ることは、否めない事実だ。
そこで、極めて本質的な要点を解説することにした。
(1)法律の対象者は、パートという名称にこだわらない。名称は異なっても、いわゆるパートと見なされる。契約社員、嘱託、アルバイト、臨時社員、準社員などであっても、「通常の労働者と同視する要件」に該当すれば、社員と見なされる。これがパート等の「等」の意味である。
(2)認識方法の視点を変えれば明確となる。社員と同じ仕事をさせておいて、身分をパート等にすることによって、賃金、賞与、退職金を値切っていることを、差別的取扱いとしているのだ。改正の趣旨はこの一点にすぎない。
(3)名称などで差別的取扱いをすることが制度として行われることがないための歯止めとして、教育や転換促進措置などの手段が設けられている。
(4)差別的取扱いとして紛争となれば、都道府県労働局の紛争調整委員会において調停がなされる。この調停は出席を拒むことができない。
これだけである。
なぜに、施行直前になって話題になっているのか?
どうやら、この答えは次のようなストーリーが推測される。
審議会メンバーを始め、政策や法律立案段階において、大手企業では社員と同じ仕事をさせるパートの存在がまれなことから、とりあえずの差別的取扱い改善の対象者数は、日本国全体では少ないのではないかとの誤算があった?のではないか。
中小の企業においては、社員もパートも混在常態、社員の定義・パートの定義など考えたこともない。
社員の給与は年齢給・パートの給与を仕事給などの賃金体系の発想も少ない。
たとえば、社員には愛社精神を求め、パートにはマニュアル通りの仕事を求めるといった概念を考えていることさえ少ないのである。いざ、ふたを開けてみれば、こういった大変な事態が浮かび上がって来た…といったところが実状のようだ。
政府側に近い学者の多くは、こんなことが分からない企業は、日本経済に不要だと思っているのである。
もとより、国会審議に関心の薄い中小零細の事業主、最近は国家に対する抵抗意識も縮小していることから関心もないせいか、それとも「どうせ」と言って、自棄のヤンバチなのか、今更あわててしまったのも否めない事実だ。
総務人事部門の企画立案が、これからの経営戦略や経営管理の考え方を整理していくうえで、極めて大切になってくるであろう。



中国に進出(予定)企業の基礎知識
毒入り冷凍食品の話題が渦巻く中、現代中国の組織や統治の論理構成が、日本とあまりにも異なることから理解不能・戸惑いの続発が起きている。こういったことを解決するためのインテリジェンスを提供。中国の改革解放直後、現地で500日強にわたって観光や視察では不可能な深層調査・体験した中国慣習に基づく解説である。日本と中国、大きく文化が違うとの認識は当然のこととして、その程度のことでは、中国からの冷凍食品の捜査発信情報は理解ができなくなるのである。
さてさて、ここからの文章は、憶測推測、そしてフィクションストーリーであるから、念のため。
毒入り餃子(現地では焼餃子を食べないので仕様が違う!)が報道されてから、中国政府担当局は
「日中友好に反対する者の可能性」との発表を行った。これを現地慣習から分析すると、
「既に実行犯は身柄を拘束したので、統治者としての責任は果たしたのだから、これ以上、日本は何を騒ぐのか!?」を意味する。警告発言を行ったことになるのである。中国政府担当局は既に話は解決モード。
したがって、「これ以上、日本が騒ぐのであれば、内政干渉である。中国側は役割を果たしたのだ!」という意思表示である。これに対し、もしも、国民の不満が湧き上がっていると日本政府が説明すれば、中国側から返ってくる答えは、「国民の声を抑えるのが、そちらの政府の仕事だろ!」となるだけなのだ。もとより、立法・行政・司法の三権分立の発想などない国であり、行政一本槍だから、組織の責任者だから抑え込んで統治するのが当たり前と本気で思っているのだ。三権分立など、日本人がいつも使う逃げ口上と真剣に思っている。現地ではこれが正義である。こういう慣習を理解すれば、その後の日本政府の対応と符合する。
もうひとつ忘れてはならない慣習がある。
いざとなれば、極めて強力強権的な情報収集を行う中国情報機関の存在、これも中国国内の慣習である。
おそらく、実行犯は知人友人親族の目前には二度と現われ出て来ることはないであろう。
地元警察が旧正月明けに捜査に入っても、もぬけの殻。まったく何も出て来ることもなく、その後の日本と中国の警察協議を重ねたところで、犯人不明・証拠不十分の道筋しか残されていない。こういった筋書き、これが中国の慣習なのだ。
ところが、日本国内は沈静化させられるどころではなく、問題は深刻化した。
すると、「日系企業で起こったことである!!」
と次に中国側は言い出して来たのである。すなわち、労務管理は日本が行っていた!仕入れ管理は日本が行っていた!危機管理は日本が行っていたのだから中国側の責任がない!との意思を示し、責任は日系企業と言っているのである。
これを言っている本人たちは、ここまで説明させるか?との気持ちで、自分達は日本に対して親切で言ってやっていると思っている。
もちろん、日系企業の敷地内は中国で治外法権ではないのだが、中国の慣習では法治国家という意識がなく、法律そのものは支配のための道具と思っているから、こういった発想が正しいとなるのである。これが中国での個別企業や人民政府の統治にまつわる経営環境なのだ。
ところで、中国食料品に関する恒常的協議会を日本と中国の両政府は持つこととしたのである。良く考えてみれば…原因究明と防止対策を中国側が行えば良いだけのことではないか?
と考える方は日本側に多い。が、そういった事実関係をはっきりさせて正常な社会を形成するといった慣習は中国には一切存在しないのである。世間体を利用して支配体制を築くのが正義とされるである。その優先順位は人民解放軍、地元闇集団、共産党組織、人民政府と言われている。
2月27日になって、「残留農薬ではない」こと、「毒物投入は中国国内では行われていない」などの主張を中国政府公安省(日本でいえば警察庁)は記者会見で示した。
現代中国の慣習は、政治的経済的な、統治のための結論が先にあって、それを国内外に如何に納得させるかが政府の責任であるといった論理なのである。今回の毒入り中国食料品に関わる断片的発言は、日本国内の教育基準の判断基準で理解することは出来ない。しかしながら、現代中国の慣習が、日本国内で表沙汰になった意味は大きい。本質が暴露されたといった具合だ。中国の慣習を理解せずに、中国進出や中国取引を行った個別企業はかなりの数にのぼる。そこでは、品質不良、製品未納、資産回収不能などの大きな火傷を負うしかなかった。これに反発したところで、中国外交部に集金と示談を持ち込まれるだけである。
これが中国に関わる経営、人間関係、労務管理を理解するポイントなのである。
この中国の慣習は彼らの表面では分からないが、面子で隠されている。彼らが決して見せたがらない最底辺の人々に発見のカギがある。



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2008/02/05

第70号

労働分野における、規制緩和のリバウンド

ガソリン税、年金問題、サブプライムに端を発する銀行融資減少、そこへ中国冷凍食品への対応と、政治課題が目白押しの中で、意外と労働分野における政策転換に関心が寄せられていない。
昨年11月28日に成立した労働契約法は3月1日の施行に向けて、ひたひたと準備が進められている。グローバル経済基準にあっての労働分野の契約思想を、法律と法定法理でもって、定着させようとするものだ。
ホワイトカラー・エグゼンプション制で話題になった労働基準法の改正は、今も継続審議となっており、月の時間外労働が80時間を超えた場合の割増率引き上げが成立する可能性もあり、早ければ、10月1日施行となるかもしれないのだ。
最低賃金法も改正され、徐々にではあるが、1時間1000円に限りなく引き上げられていく見通しである。日本経済の浮上のためには、賃金引き上げが不可欠といった主張は、実は与野党共通して認識されているのであって、要するにマニフェストに記載すると選挙で票が少なくなるだけの話の程度に過ぎないのだ。すなわち、最低賃金引き上げ反対を口にしなくとも、引き上げ反対運動をするわけでもないといった政治家の態度なのだ。最賃引き上げに反対のまともな学者は誰もいない。
したがって、数年後にかけて段階的に1000円に近づくことを想定して経営する必要があり、これは2年半後の銀行貸し出し金利の3%引き上げ(これに向けて銀行の貸し出しは昨年度対比-1.2%)の時期と重なると見て良い。

ところで、経団連の御手洗会長は、年末にリーダーのあるべき姿を
第一に、使命や役割を果たすためには、経営は基本的にトップダウンであるべきだ
第二に、「優れた決断力」を発揮することである
第三に、「私心がないこと」である
最後に、先見性をもつことである
とした一方で、この先10年を構想して、その目標を達成するには競争力一辺倒、成果主義偏重の姿勢を改める必要があるとしたのである。2007年度版の経営労働政策委員会報告においては、個別企業を支える正規従業員の確保と勤労意欲引き上げのための企業風土・公正・公平の処遇への道を選択するに至ったのだ。
これは労働分野を取り巻く理念としては、大転換なのでもある。
事実マスコミも、『日経ビジネス』オンラインが実施した世論調査は、「成果主義が仕事への意欲を低めている」との回答が41.4%、「高めている」(18.0%)の2倍以上に達したと報じている(「このままでは成果主義で会社がつぶれる」NBonline、2007年12月10日)。



日雇派遣労働者は競争力確保のための限りない労働力確保と賃金コスト削減のきっかけとなっていた。
日雇派遣は、引っ越し業界や梱包業界その他を支えつつあったのだが、フルキャストとグッドウィルは業務停止処分が行われ、厚生労働省は日雇派遣の業態をつぶしてしまうことにしたのには間違いがない。この2社ともに、労働局の指導のためか、現在あまりにも型にはまった業務改善を続けているのではあるが、手間がかかりすぎて、ほぼ採算面では赤字となっているのは間違いない。
そこへ、本年4月1日施行予定の厚生労働省令の告示が刻々と準備されており、グッドウィルについては主要事業所が1月18日から4ヵ月間の業務停止命令を受けているのだが、停止命令が解除された5月には、手足をがんじがらめにされ、業態は再起不能とされるのである。
準備されつつある省令は、読んでいるうちに惑わされそうになるが、日雇派遣が赤字転落するポイントは次の三つである。
第一は、集合場所からマイクロバスなどで工場へ移動する時間も賃金支払いが必要になること
第二は、日雇雇用保険、日雇健康保険の適用が義務づけられること
第三は、派遣先が1日1回以上、派遣契約書通りであるかどうかの巡回が義務づけられ、罰則適用がされること
そしてきわめて重要なのは、
日雇派遣労働者の定義がされ、日々又は30日以内の期間を定めて雇用される者としたことである。
日々とは毎日ごとに仕事の有無を確認し雇用契約されるものを指し、例えば、「今日明日の2日間きてくれ」とした場合は2日間の雇用契約である期間雇用となるのだ。そして、1ヵ月単位の事務系派遣であっても日雇派遣労働者となるケースが生まれるのだ。
製造派遣でトラブルを頻発させている派遣元業者も1ヵ月単位の派遣が多い。
イベント系はすべてがそうだ。したがって、その影響はきわめて広いのである。
ここから分析できることは、
グッドウィルなどの日雇派遣に名を借りて、細切れの派遣スタッフを導入するとして来た日本の労働分野の実態に対して、「規制緩和がリバウンド」することになるのだ。経団連が大きく方向転換したことも重要だが、個別企業において、グッドウィルが吸収したクリスタルグループに、苦々し思いをさせられ、煮え湯を飲まされた大手の経営者も少なくない。なので、グッドウィルの名が出て来ると、「大賛成」に回ってしまうといった状況だ。人材派遣業者団体も、いち早くフルキャストとグッドウィルを処分し態度を明らかにした。(ただし、一般マスコミの洞察力の甘いところは、この団体にも主要ポストに労働省OBが就職していることは書かないことなのだが)。
まさに、ホリエモン、村上ファンド、そして労働分野では「ジュリアナ東京」発祥のコムソン・グッドウィルなのである。
日雇派遣労働者の劣悪な労働条件の労働問題を超えて、社会問題として広く認知されてしまったのだ。



併せて、注目すべきが、ナショナルセンターの連合の動きである。
今年の春闘で連合は大手派遣会社に対して、組合員が存在しなくとも要求書を提出する動きに出るとのことである。組合員が存在しなくとも?といっても、組合員名簿を出していないケースも含まれるのは当然のことである。
また、連合本部は、傘下の連合加盟組合に対して、企業グループ内の派遣会社に対して団体交渉を申し入れるよう呼びかけている。この場合、親会社から組合員が出向しているわけであるから、団体交渉を拒否することは労働組合法上できないことになるのである。
昭和61年労働者派遣法の際には、ただ反対といっていたナショナルセンターだが、約20年を経て、この労働者の劣悪な実態をきっかけに、「業界交渉」に足がかりをつけることになった。
これには、労働組合運動の大ヒットの可能性をはらんでいると専門家筋は見ている。労働分野というのは、労使の物理的圧力と政策能力の対立構図そのものであることから、やはりここでも、「規制緩和のリバウンド」が生まれる可能性が大きいである。



そこに注目すべきことに、1月28日東京地裁の、
日本マクドナルドの店長を管理職扱いにして残業代を未払いしたのは違法であるとの判決のニュースが、日本国中を飛び交った。
マクドナルドだけで、その直営店店長は全国で約1,700人である。チェーン店展開で同じような業態をとるファストフード店やコンビニ、それ以外にも影響が出る。マスコミも気付かないからくりは、ここにもある。それは、アメリカ国籍企業が日本で事業展開する上で、日本政府にきわめて強くホワイトカラー・エグゼンプション実施要求を突き付けていることとの動向関係にも注目を要する。
東京地裁は訴訟を提起した直営店店長について
(1)アルバイトの採用権限はあるが、将来、店長などに昇格する社員を採用する権限がない
(2)一部の店長の年収は、部下よりも低額
(3)労働時間に自由がない
といったことを判決で指摘している。こういった事から、「経営方針などの決定に関与せず、経営者と一体的立場とは言えない」とし、
加えて、「店長の職務、権限は店舗内の事項に限られており、労働基準法の労働時間の枠を超えて事業活動することを要請されてもやむを得ないとは認められない」とのことを証明し、時間外労働の支払いを命じる判決の理由づけをした。
原告の高野さんは東京管理職ユニオンの組合員である。セメダイン管理職組合のときも東京管理職ユニオンであった。
おそらくセメダイン事件のときのように、この判決を受けて厚生労働省が一斉に動くことは間違いない。
さてそうなると、労働基準監督署の監督指導の対象となる事例を予想してみると、
・始業終業の時刻を超えて勤務を命じられ、金銭決裁権限を持たされていない事例
・昇進後も管理職手当の分を調整給から減らされるなどで給与総額がほぼ変わらない事例
・事業所の中で、管理監督をする者とした員数が半数を超えているとの事例
・もとよりサービス残業が多く、管理職に昇進した後も職務内容や労働時間が同様の事例
・早退遅刻の自由もなければ、部下の人事や評価の関与を禁止するとなっている事例
・派遣スタッフの採用配置は行うが、そのマニュアルに従うことを命じられている派遣会社の事例
・営業課長手当は付くが、契約締結や部下への指揮命令の権限が制限されている事例
・秘書とはいうものの、もっぱら庶務や経営者の身の回りの用務で早出残業する事例
・店長とはいうものの、採用・解雇・仕入・販売価格その他店舗管理はマニュアル通りとされている事例
・課長や次長の名刺であっても、実際の部下数名で管理監督する対象者がいない事例
などである。
1月29日、経団連の労働問題担当、草刈隆郎副会長(日本郵船会長)は、マクドナルドの東京地裁判決を受けて、
「名前(役職名)だけ与え、給料は安く、管理職の評価をしていないとすれば、モラルの問題だ」と、公然とマクドナルドを批判した。
労働基準監督署での申告か!紛争調整委員会の斡旋か!といった個別企業の事件のみならず、これが社会問題化することは間違いない。
ここにも、労働分野の、「規制緩和のリバウンド」が待ち構えているのである。



人事・総務部門に関わる関心事としては、
たしかに、ベンチャー企業が生き残るにも大変な日本社会であり、政府行政がほとんどベンチャーを応援しそうにない環境ではあるが、
天然資源の少ない日本経済にとって一番大切なのは労働力人口の増減問題よりも、
中小企業とて世界に売り出す高付加価値製品と高水準サービスの商品提供を支えるための
日本文化と文化経済を背景にした人材の育成・人材の集積を念頭におくことが重要課題なのである。
だから、競争力一辺倒、成果主義一辺倒の未熟な経営管理感覚では先行きが不安であり、
「企業発展や出世意欲」には関心のない人たち向けの賃金人事体系が必要とされ
半年後に迫る30年ぶりの、それもハイパワーのスタグフレーションとの予測だからである。



有給休暇の管理ソフト開発、長年にわたってお待たせいたしました。
もちろん、個人ごとの残日数が一目で分かるようになります。年度がわりに有休を発生する制度に適応させるなどのオプションもあります。梅雨明けに完成予定で、開発は最終段階に入っていますが、皆様の些細なるご要望やニーズも含めて寄せていただければ幸いに存じます。
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2008/01/08

第69号

2008年のスタート、今年は良いことがありますように。

多くのマスコミは一斉に、2008年を“閉塞感”漂うとした論調で、この年始の論評をした。
OECD全加盟国30ヵ国中、日本人ひとり当たりの国民所得の順位は、平成12年は第2位だったものが、平成18年には18位に転落したと報道された。労働者派遣法と男女雇用機会均等法が施行された昭和61年当時、パートタイマー300万人と言われていたが、今や派遣労働者は321万人となり、パートタイマーなどは1500万人ほどに膨れ上がった。NHKによると、「貧困研究会」という名称の民間の政策研究会までが、大学教授らによって設立されたとのことである。社会は“閉塞感”が、ますます強くなると、記者たちは言いたいのだろうけれど、よくよく考えてみれば、社会はそうでは無い。
結論!:他人に寄り添ってこの世で生きている人間にとっては、もとより寄り添っているから、自力で何かしようという積極姿勢もなければ、もちろん打開した結果も存在しえないものだから、“閉塞感”が漂うだけは当然のことなのである。ほとんどが自己防衛本能に基づく発想にとらわれる。よく話題にされる終戦直後やバブル時代に、この人たちはどうだったかといえば、当時も他人に寄り添っていたのだから、時代の波に乗ったわけでもなければ、恩恵も受けなかったのである。そういえば、アメリカの労働経済学に、サラリーマン生活が長くなれば、他人への依存心が強まり、思い切った着想が弱くなるという学説があった。
1月1日、日本経団連(御手洗会長)は、多くのマスコミの閉塞感を横目に、近年になく、「成長創造 躍動の10年へ」のスローガンを打ち出し、同じOECDの国民所得転落の資料を使いながらも、“閉塞感”などのカケラもないのである。
仮にも、マスコミからすると、読者に迎合し、波風の立たない、読者視聴者の人気取りの編集戦略であったとすれば、極めて人気の高い、“閉塞感”論議なのである。ところが、“閉塞感”はそれだけではない。京都清水寺の平成19年の漢字、「偽」と真っ向から相矛盾する構図ではないだろうか。果たして、毎日流れるマスコミの“閉塞感”の信憑性は、いかがなものなのだろうか?


労働契約法は今年の3月1日に施行される予定で動いている。
何十年後には、労働問題の大きな転機として歴史に評価されることは間違いない。ただし、その転機の渦中にいる人たちはなかなか気付かないものである。
労働基準法が施行された昭和22年、当時は専門家を除いて、法律の存在にすら気がつかず、8時間労働や解雇に制限があるなどとは思いもよらなかった。
昭和63年、労働時間が1日8時間から、1週40時間へと労働基準法が変更されたが、これによって、スーパーや百貨店をはじめその他の営業時間が延長され、産業構造は変わった。今や1日8時間労働で物事を着想すれば、日常生活ですら適合できない社会になった。
そして、今年の労働契約法施行による変化は、会社や労働者の権利義務の白黒が、法律によって判定されることになり、契約による社会共同体(私的自治権と統治義務)が充実されようとしているのだ。もちろん、法律の条文通りに守ったからと言っても、信義則、権利濫用、公序良俗(公の秩序と善良の風俗)の民法の原則に反するのであれば、もとより通用することはなく、その手段方法が自由・平等(法曹界では、社会正義という)の目的性がなければ、誰も取り合うことは無いのである。このことを踏まえずに、自らの主張を行ったとしても、個別企業も労働者個人も共に認められることはなくなるのだ。裁判のみならず、あっせん機関および官公庁の対応も順次変化をしていく。
さてそこで、個別企業の現場から生まれる、いくつかの疑問を整理してみた。

「罰則なし」だから、
罰則がないから労働契約法の効果は無いと説明する学説がある。しかしながら、労働契約法は職場でのトラブルを未然に防止するための基準として立法されたものであるから、もとより罰則でもってどうこうするといった刑事・警察機能を持たせた法律ではないのである。そんなことより実際には、あっせん機関や裁判所などに持ち込まれて、未払い賃金や損害賠償を一挙に支払わされる方が、個別企業にとっては罰金よりもショックなのである。また、そこでの結果は従業員の労働意欲のさじ加減となって現れるのである。
多くの弁護士の論評は、「労働契約法が出来たからといって、何も変わることがない!」といったものが大半。しかしながら、この論理は訴訟が提起されてから、初めて裁判所で通用する代物であって、職場でのトラブル未然防止の着想はない。法案のたたき台を論じた審議会からの風の便りによると、「弁護士から、それも労働側も経営側も、トラブル未然防止の視点がなかった」とのことである。
加えて、労働契約法の条文に載っている、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」と、ここまでは具体的な判断基準として法律家であれば取り違えることはないのだが、その次の「その権利を濫用したもの」は、法律家でも間違いやすい内容なのである。すなわち、民法第1条の権利の濫用は、平たくいえば、濫用かどうかを裁判官が決めるというもの、これに対して、労働契約法に出て来る「その権利の濫用」の判断基準とは、裁判官の受け止め方で決めるのではなく、それぞれの条文に規定している具体的判断基準となる。
出向であれば、必要性、選定事情、その他事情に照らし合わせる具体性が求められ、そうなると裁判官の判断作業は過去の判例に従うことといったプロセスを踏ませる。
懲戒であれば、労働者の行為に対して、客観性・合理性・社会相当性を裁判官がチェックするように求めており、裁判官の裁量は極めて少ない。
解雇も同じく客観性・合理性・社会相当性をチェックすることで、権利の濫用の有無を判断するようになっている。
数ある法律の中でも、これらは独自累計を設定しているため、事業主が街の弁護士に相談した場合には、民法第1条の観念による間違ったアドバイスが予想され、それを受けて会社敗訴に陥ってしまうケースが続出しそうなのだ。あげくに、会社側弁護士が裁判官に説得されて、事業主に和解を強いることも、従来にも増して出没するかも知れず、よくよく洞察してみれば、それは当該弁護士の判断ミスということなのだ。

「就業規則優先か?労働契約優先か?」
少し専門的な解説をすれば、就業規則に記載してある規範や秩序でもって、職場内を統制することに重きをおく考え方が就業規則優先(就業規則法理)、これに対して自由対等な立場で労働契約を結んでいることが前提であることから、本人の同意がなければ、ことごとく拒否できるとするのが労働契約法理。これのどちらが理想ですかと何十年間も議論し、裁判所でも争われ続けているところだが、なかなか結論が出ないところに、今回の労働契約法はひとつの具体的仲裁的な法理を提起したのだ。
すなわち、一例をあげると、自分が知らないうちに、就業規則変更によって退職金規定がダウンされた場合、知らなかったし、期待をしていたことから、退職金ダウンを無効とするが労働契約法理である。では、説明してあれば良かったのか、払えない事情があれば良かったのか、就業規則変更に問題があったのか、などなどの疑問や会社の手抜かりが労働事件として訴訟が提起されている。こういったことをクリアすれば、職場内秩序の維持のためには就業規則を優先させることが必要ではないかとするのが就業規則法理である。
これを踏まえて、とりあえず労働契約法では具体的に定めた。不利益の程度、必要性、就業規則の相当性、交渉状況、就業規則変更事情をチェックしてみて、道理が通っている(これを法律用語で合理性という)のであれば、就業規則を優先させようとの決着をみたのである。したがって、チェック項目の欠落とか意味不明な説明であれば、不利益変更は無効とされる。無効とはもとより無かったこととする意味で、元通りの退職金や賃金などを支払わなければならないことになる。
さて、そうすると、個別企業の側からすれば、安易な思いつきではなく、代替措置や将来措置が具体的であり、従業員またはその代表らとの交渉を行ない、誠実な対応に徹底して、就業規則改訂を実施さえすれば、不利益変更は十分可能であるということである。ただし、これらに事業計画、敗者復活や努力実現の可能性、独断偏向の排除などの措置が付随し、交渉経過については、誠実説明義務ではなく、合意納得性が要求されることから、(専門家の力を借りるなどして)大規模に実施すれば良いということになる。
ただし、形式主義に陥らないように注意しなければならない。信義則、権利濫用、公序良俗のポイントが欠落するからだ。信義則の原則とは、簡単にいえば、ウソ、だまし、抜け駆け、ペテンにかけることを指し、一般的に形式主義を見破るポイントは、この信義則と言われている。(ちなみに公務員には民法の信義則は通用しませんから、真似をしないでください)。
不利益変更危険リスク:チェックポイントは、これらの具体的措置が整わなかった場合に、原状や原状であった就業規則に基づく損害賠償が必至、訴訟ともなれば6%の利息加算となることであり、ひとりに支払わされれば、全員に払わなくてはならなくなることである。


「均衡を考慮&仕事と生活の調和にも配慮」
とは、今時のワークライフバランスのことを言っている。信義則を守り労働契約を締結したとしても、その時代の時流のワークライフバランスに相反することは善くないという考え方のことである。したがって、訴訟が提起されれば、時代の潮流までも審理の対象として可能ということになり、労働裁判や薬害訴訟などでおなじみの、裁判所外圧力として機能する世論の力の類を、訴状や準備書面に持ち込む道を開いたことになるのだ。いわゆる、法律条文解釈に限定した血が通わない冷たい判決は駄目という法律の規定なのだ。国会の駆け引きの話でいけば、民主党による政府案復活である。
一例をあげると、
労使が望んだからと言っても、終業時刻午後11時50分、翌日の始業時刻午前零時10分の設定をし、2労働日だから問題ないとするのは、「いかがなもの?」としたのである。イギリスなどでは、次の労働日の始業時刻までに12時間程度の労働からの解放を義務づけているが、厚生労働省関係がこういった事例を紹介しているのである。厚生労働省には、こういった目論みが存在するのだ。あるいは、昼夜ニ交替勤務ともなれば、夜間に仮眠時間を与えないのは安全衛生のみならず、仕事と生活の調和の上でいかがなものかとなるのである。日雇い派遣は合法的に、たしかに行われているが、労働者派遣法による事業停止命令を行う背景も、こういったところに存在することを見ておかなければならない。
格差是正との関連での例え話をいくつか。
1週間や1日の労働時間を定めずに労働契約を結んだ場合は、1週40時間・1日8時間が原則となり、会社には労働者を働かせる権利があり、働かせなかった場合には賃金保障の義務がある。ところが、職務評価などが低いことを理由に、本人の同意を得た?として、1週間の労働時間をどんどん減らして行って、終いには1週間のうち4時間程度の労働契約としてしまい、退職に追い込むといった方法、この手の類が存在していることに、終止符を打つことになるのだ。
有期の雇用契約を結んでおきながら、仕事がある日だけ出勤させ、出勤しない日は賃金不払いとすることに、労働基準監督官が問題なしと指導した事例があるが、もとより契約不履行なのだが、これを一目瞭然でダメと判断できるようにした。
忙しい曜日と暇な曜日の差が激しいことから、労働者が時間外の改善を求めたところ、「暇な日は早く帰ってもいいけれど、その分の賃金は差し引く」などとの不正な対応も存在することから、民法536条の危険負担の法理が熟知されていないことも考慮し、ダメと判断できるようにもした。
こういった事例の際には、「本人の同意を得ています!」といった形式主義が使用者側から主張?されるが、だいたいの関係者は詭弁とは判っていても、あまりにも詭弁が反復継続されることから、信義則に反すると証明を繰り返し行うとなると一般素人には無理なこととなることから、均衡・仕事と生活調和としたのである。
いわゆるアンフェア・トリートメント(不公正な取扱い)、グローバル社会の負の部分に対抗するためである。また、現代の紛争解決潮流のひとつである、「手続主義の法パラダイム」(公正や正義というよりも、変更手続のプロセスを重視する時代潮流)を逆手にとって、「手続きを踏んでいますから!」を理由に不正を強制する行為に対しても、規制をかけることとなったのだ。

「足して二で割る:調停の偏重」
ところで、労働審判でもあっせん機関(紛争調整委員会や労働委員会)においては、日本における和解作業の未経験さから、裁判官その他が率先して、和議・和睦、その他取引を和解と勘違いしているきらいがあり、いわゆる双方の要求を足して二で割るといった機械論が横行しているのである。例えば、サービス残業の賃金不払いを、早期解決のために、この際200万要求したところ、会社は100万にしてくれと値切りに入る、ここに裁判官が200万と100万を足して300万とし、二で割って150万の調停案を押し付けるといった事例である。
労働審判において、経営側審判員や労働側審判員の発言などどこ吹く風で、労働問題には素人の裁判官が調停を振りかざしている事例の中には、こういったものが多いと言われている。紛争調整委員会では、熟練度の浅さに比して、足して二で割るが横行しているという。足して二で割ることを一貫して否定して来た労働委員会でも、最近はやったことがない公益委員も数多く存在し、斡旋制度の立法趣旨など聞いたことがなさそうな勉強不足である。
労働契約法は職場トラブルの未然防止に重点が置かれているが、おそらく紛争解決のひとつの基準として用いられることも間違いないから、足して二で割るような調停を出される前に、個別企業側から、あるいはその代理人側から、労働契約法各条項の立法趣旨の陳述や主張が、有利な展開を導くためのきわめて重要な根拠に用いられることは間違いない。ただし、裁判官やあっせん委員を「諭す」勢いの論述は、能力というよりも代理人という立場でなければ、なかなか実行できないことも、たしかな事実であるので、念の為。
さてこれは、社外に持ち出されたときの話であるが、これと同じことは社内でも発生する。社内では、中間管理職が調停めいた作業を行って来たところだが、「足して二で割る」手法も中間管理職としては使用不能であったところに、労働契約法の内容が持ち込まれて来ることも予想すると、トラブル未然予防が、唯一順調な企業発展の手法となるのだ。社会共同体の秩序破壊するような経営、例えば、堀江モン、村上ファンド、グッドウィル、フルキャスト、スタッフサービスなどなど、成り金思考など通用しないのだ。


ところで、この労働契約法、それほど世論は関心を持たず、大したニュースにもなっていない。
個別企業に、いかように影響するかの解説も行政側からは行われることはないと思われる。ここで述べたような、詳細な影響を行政側が話題にすれば、おそらく、世間の反発を買い、法案は流れてしまったことも予想される。ホワイトカラーの時間外賃金除外の法案部分などは、一斉にサービス残業請求運動が巻き起こったために、あっけなく流れた。賃金6ヵ月分程度の解雇問題解決、たしかに相場はその程度だけれども、労使反発で、その法案部分も流れた。労働側からすれば、今までの戦いを蓄積した内容も盛り込まれていたにも関わらず、労働側は成立自体に反対をし、表向きは徹底した批判姿勢を貫いた。
だがなぜ、経営側や政府側は、ここまで法律成立に努力したのか。
その背景や意図には何があるのか、そこはひとつ、考えておかなければならないポイントである。
昭和63年の労働基準法改正は、1日8時間労働の原則から1週40時間労働の原則へと変更することによって、産業構造の大転換が行われた。現在、日本経済の目指すところは技術立国。すなわち、「高付加価値製品と高水準サービス」の商品提供は、ほぼ誰もが認めるまでに至っている。そして、そのツガイとしての文化的生活やゆとりある豊かさが追及され、古代の自給自足生活に逆戻りしようという概念は否定された。日本の文化を守ること、文化経済学、教育への関心の高さといったことは、こういった世界の中での日本経済を安定させ、日本社会共同体の私的自治と統治義務が議論されることとなったのだ。
「一方が儲かり、他方が損をする」のは経済学の目指すところではなく、「双方ともに儲かるなどして豊かさが追及できるようにすることが、本来の経済学!」といった考え方も復活をして来た。OECDで国民所得第2位のうちは、勝者の論理として非経済学的な夢物語が信じられたとしても、第18位まで転落ともなれば、誰もが目を覚ます。
ところで、会社人間からすればショックとも思える、ひとつの視点が存在する。
会社人間が多いのは事実だが、果たして会社のために法律違反をして来た人を、あなたの会社でも守れるのか?といった現実問題だ。昔から、この人を会社は守って来た。が反面、守らなかった会社も存在し、そこでは下克上・裏切り・腐敗が横行し、企業としての将来や発展などは論外であった。大量の仕事を受注してはいても、社内では利益の食い合いといった地獄絵図である。これは経営・帝王学の定石であった。そして今や、日本で個別企業が、この人を守ることは、経済的にも社会的にも不可能になった。まして一連の偽装表示などの事件に関われば、連帯して職を失うこともあるのだ。そこで、着想の大転換!職場トラブルの未然防止が、個別企業の経営管理の下支えとして必要となり、これを国家戦略として用いなければならないほど、日本経済は技術立国へ向けての大転換を迫られているという観点なのである。
時代についていけない企業と人物は、いつの時代でも社会から排除される。
時代の先端を走る個別企業は、社会をリードしているし、社会共同体の秩序に相反するビジネスを展開することも、あり得ないのだ。
加えて、人件費の高い国は、技術が発達し機械化が進展するという経済理論は揺るぎのない事実なのだ。

2007/12/04

第68号

☆☆☆☆☆「労働契約法の解説速報」☆☆☆☆☆
を巻末に掲載しています。


日本経済は、成長!成長!
と浮かれているわけには行かなくなってきた。
中小企業は平成恐慌の当時から浮かび上がるともなかったが、世界経済がここにきて、アメリカの住宅ローン金融商品がマガイモノであったことが発覚したことで、来年は金融危機を迎えることが必至の状況となってきた。北京オリンピックをはじめとした中国特需も来年8月で終息気味であり、上海万博などは影も薄くなりつつある。そういった金融経済や中国特需の話に浮かれているさなかに、実は日本の国民一人当たりのGDPは急降下転落をしてしまっていることに、マスコミ関係者も目を向けようとしない。
要するに、日本の経済を実質的に支えている中小企業が疲れ果ててしまっていては、経済成長に結びつかないのだ。都市と地方の格差是正のための公共投資の話題も、「貧乏人のむなしい争奪戦の話」にしか聞こえない。そんな程度のニュースをマスコミが追い求めていること自体にもむなしさを感じる。
経済を豊かにするには、その戦略方向性は「高付加価値商品&高水準サービス」の商品提供なのであるが、ここに最も力を発揮するのは優秀な中小企業などである。ところが、行政のセーフティーネットが極めて中途半端であることから、優秀な中小企業ではセーフティーネットの恩恵を受けることがないのである。それは、優秀な中小企業にとっては最低賃金が引き上げられても、その程度の経営環境変化には順応する能力があり、むしろダンピングで生きのびようとする前近代的中小企業には致命傷となる市場の存在が、そういった優秀な中小企業には市場拡大のプラスに働くのである。
「経済構造改革を進めると言いながら格差是正や規制強化!」といった中途半端にならざるを得ない、経済政策の裏には、優秀な民間企業を育成して、日本経済を豊かにし立て直そうとする意思が見受けられないところに原因がありそうである。例えば、トルコ共和国がEUに加入したいと申し込んでも、国内の差別人権制度を解消できない政府には入る資格がないと断られている有様と似たところがあるのだ。
構造改革や格差是正を、どういった人たちが誰と手を結んで行えば良いのかを、良く観察しておかないと語句や漢字に振り回されてしまうのだ。世界的に経済が金融分野に偏ったから、必然的に金融危機が訪れるのだが、そんなことは経済学のイロハであって、経済を豊かにするには、人間の衣・食・住・情報・ノウハウに関わる国民的基礎力を養うことが必要なのである。

さて、いわゆる内部告発の力を借りて、
今、日本社会は経済にはびこる、「ペテンやウソ」を排除しようとしている。人々が安定した生活を送るために必要な金銭、これを逆手とって、「金!金!金!」と人々の不安をあおり、そのもとに拝金主義が社会に定着したのだが、これが是正されようとしている。端的な例え話をすれば、「会社経営のためなら、違法行為も仕方がない!」といったような切羽詰まった経営をしている個別企業は、コンプライアンスをめぐる同業者間のチクリ(内部告発)でもって、経営危機を迎えるということになるのだ。
そうすると、金融商品に手を出さずに、かつ正直に真面目に次世代経営を目指して来た個別企業が、ここは資本力(日本の銀行融資は増資と同じ効果)を増強して大きく網を広げれば、仕事を受け止めることが可能といったマーケティング戦略になるということなのだ。折しも、来年の金融危機に向けて、日本国内の内需を増強する経済政策が打たれるから、これもプラス効果として働くことはもちろんである。
そこで、格差是正?労働市場?の方面の話になると、厚生労働省も派遣法の改正法案は見送ったものの、日雇派遣は極端に不安定な働き方を招き、賃金の違法な天引きや二重派遣など不法行為に至ることから、行政指導でもって規制を強化することとなった。引っ越しと倉庫内での商品仕分け・袋詰め・ラベル付けなどの軽作業などに影響が出る。加えて、派遣会社の粗利益が分かるように派遣料金を公開させる動きに出て来た。必要経費以上にマージンをとる会社が選別されるようになり、賃金向上につなげたいとの思惑だ。厚労省の調査(05年度)では、派遣料金は労働者1人につき1日(8時間)平均1万5257円だが、派遣労働者の賃金は平均1万518円、粗利益+マージンの率は31%と旧来より高くなっているとのことだ。
最低賃金法改正案と労働契約法が28日午前の参院本会議で賛成多数で可決成立した。
最低賃金法は、「生活保護に係る施策との整合性に配慮する」ことを明記することで生活保護以下の収入解消を目指し、「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」との文言でもって、一時間当たり千円に限りなく近づけるための基盤を整えた。罰則も「2万円以下」から労働者一人当たり「50万円以下」に引き上げとなった。
労働契約法は採用や解雇などのルールを明確にするものだが、これまで判例に頼っていたために労使の間に見解の相違といった論争を発生させていたが、これからは法に定められた要件事実をめぐる決着が進められることとなり、経営管理の重点は紛争の未然防止にシフトすることとなった。
法律違反となれば、個別企業は敗北するしかない。
非正社員の待遇を改善するため労働契約を「就業の実態に応じて均衡を考慮しつつ締結する」との原則が加えられたため、合理性(道理があり、社会共同体秩序に資すること)のない労働時間の設定や賃金決定方法あるいは短期間雇用契約の繰り返しなどが制限される方向に向かうこととなる。パート労働法と相まって、社員と同様の仕事をさせながら、身分をパート、契約社員、アルバイトなどとして労働条件の低下を狙うといったことは極めて難しくなるのだ。(パート労働法にいう、「パート等労働者」とはパート、嘱託、臨時社員など正社員以外の労働者を指すことに注意が必要)。
ところで、新しく労働契約法が施行されたとしても、専門的な知識や総務人事の実務に精通した専門家(特定社会保険労務士とか労働専門弁護士の中の一部の者)からアドバイスや指導を受けていたのであれば、差し当たり、あわてて採用システムや就業規則内容を見直す必要は無い。
反面、政府としては、労働契約法施行に伴い、大幅な見直しや制度改善を図る意思や能力のない個別企業は、これからの経済社会においては政府の保護対象から除外された扱いにされるという、グローバル経済の厳しい嵐の中での経営環境の悪化を織り込まなければならないことなのだ。



「労働契約法の解説速報」

11月28日に成立した労働契約法が、直面する人事管理にどのように影響を及ぼすかの解説。

旧来の、いわゆる日本企業の企業論理や企業内自治といったものは、客観的に合理的かつ社会通念上相当であると認められない場合は通用しないこととなった。例えば、「おれとこの会社は、こういうやり方だ!」と強がりをいったとしても、紛争調整委員会や裁判所に持ち込まれたときには効力を失い、この法律の施行前と比べれば、いとも簡単に個別企業は損害賠償・代替措置・将来措置の責任を取らされることになった。解雇事件の解決となると、パートで100万、社員で300万の金銭が必要であり、それも着手金70万を弁護士のために用意して弁護士に依頼する条件の場合の相場なのだ。

労働契約や就業規則あるいは労働協約の優先順位(第12条・第13条関係)
ややもすると従来は諸説氾濫によって
→間違った判断が社会保険労務士や弁護士の一部で流布されていたが、これに終止符を打つことになった。すなわち、
(1)労働基準法や労働契約法などの法律に反する条件は無効
(2)就業規則の条件を下回る労働契約は無効
(3)就業規則の条件を上回る労働契約は有効
(4)就業規則や労働契約よりも労働協約(労働組合との契約)が優先
といった具合だ。

ただし、この就業規則なるものが効力を発するための条件(第11条関係)
が今回定められることになった。
(1)労働基準法に定める必要事項の記載
(2)合法的に選出された労働者の過半数代表者の意見聴取
(3)労働基準監督署への届出
の三つが済まされていない限りは、事実上就業規則としての体をなさなくなった。
とりわけ、従来は周知さえすれば、労働基準監督署への届出を遅滞していても、就業規則の効力そのものに影響はないとされる扱いの判例法理が存在したが、労働条件に関わる部分については、適正な手続が欠落していれば、就業規則としては使い物にならないと定め(法定法理)られた。いわゆる近年時代を反映した「手続主義の法のパラダイム」を定着させることとなった。

労働者の定義が拡大された。労働基準法では、「事業又は事業所に使用される者で、賃金を払われる者」が適用対象者なるが、労働契約法では、「使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者」となっていることから、いわゆる「1匹労働者」とか「独立自営労働者」あるいは「自由業労働者(社会保険労務士や弁護士などの資格者の一部)」に対しても適用される。

労働契約を締結するにあたって、いくつかの注意事項が設けられた。(第3条関係)
(1)対等に合意されたと言っても、一方的に著しい労働条件の低下の変更を迫る申し込みとか、1日労働時間が8時間だからと言って深夜24時を境に、前後8時間ずつ(休憩を含め連続18時間の拘束)の労働時間に変更を迫るなどのことに制限がかけられることとなった。
(2)労働契約は仕事と生活の調和に配慮することが必要とされた。一方では上司の好みによって週40時間労働が保障され、他方では上司の嫌悪によって労働時間数が減らされていくといった労働契約は制限される。労働契約書に一週間の労働時間数を明示していなければ週40時間労働の賃金を支払うことになるのだが、時間数が減り得ることを明示したとしても生活の調和に反することはできないのだ。労働時間が長時間となる場合も生活の調和にも配慮を求められることとなった。
(3)近年、派遣業や業務請負業において横行する、労働者をペテンにかけたり、契約の抜け駆け、ダマシ、ウソなどについては、従来は民法の信義則違反として扱われて来た。ところが、これではその濫用の程度が裁判官の判断にゆだねられるばかりであったために、紛争過激化や泣き寝入りが発生し社会混乱を招くに至っていたことから、「信義に従い誠実に」との信義則の原則でもって、一般の認識や紛争調整委員会での解決を促進する項目として加えられた。

労働契約の内容の理解の促進(第4条関係)
とは、単に明示するだけでは不十分であると言っているのである。労働条件について、書面を作成し、書面を手渡したから、「それを見てないあなたが悪い!」といった乱暴な人事管理の取り扱いを禁止することになった。就業規則を手渡したから、それで事が足りるといった認識は改めなければならない。期間契約を結ぶ際にも、内容を通知したから、それで事が足りるといった認識も危機を招く。最低限、採用や労働契約の変更を行う際には、就業規則の説明会や対面方式で内容を読み合わせるなどの説明行為が必要となるのだ。これを怠って、労働者から、「聞いていない!」と言われれば、その労働者の言い分が通用することになるのだ。

安全配慮義務(第5条関係)
生命・身体の安全を確保するといったことは、総務人事担当者では当たり前のように考えられているが、実は法律的裏付けがなかったのである。昭和50年に、自衛隊八戸駐屯地車両整備工場での事故をきっかけに、最高裁で安全配慮義務という概念が生まれ(法律の専門的には:不法行為→契約行為との判例法理)、これが、医療機関や学校その他社会一般に広まったものとなり、いわば常識となっているもの。
長時間労働者を拘束する就業方式の場合(例えば深夜を挟む24時間交替勤務や13時間夜勤など)の仮眠時間の設定や、2交替や3交替勤務のあり方も、第3条2項の「仕事と生活の調和」と相まって必要な措置を図らなければならない。
これが、この際、法律(法定法理)となったのだ。これにより、近年続発している過労自殺やうつ病に対する対策を充実せざるを得ないことは間違いない。

労働条件の不利益変更(第7条~第101条関係)
には、さまざまな変更条件が明記されることとなった。
(1)就業規則の改訂による不利益変更は、就業規則の周知が前提
(2)就業規則を上回っていた労働契約条件は、新就業規則の改訂で変更不可
(3)就業規則を改訂して不利益変更をする場合には、
 6項目(周知、不利益程度、必要性、相当性、交渉経過、合理性)の「合意納得義務」が課せられた。
ただし、労働組合との労働協約の締結行為があれば、不利益変更だとしても、社会通念上相当とされる範囲内であれば容易であり、労働協約のオールマイティ性の原則を貫いている。

懲戒や解雇(第15条・第16条関係)
懲戒とは口頭注意や始末書の提出から予告なしの解雇までさまざまな種類を、使用者が自由に定め、見せしめとダメージを与えることで著しく不都合な人物に限定して、個別企業内の秩序維持の目的を果たすための手段である。
解雇とは、使用者が、労働者の同意を得ることなく一方的に労働契約を将来に向かって解約する使用者側意思表示のことである。
この懲戒と解雇について、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」については、「その権利を濫用したものとして」、こういった懲戒や解雇を法律でもって「無効」の扱いにしてしまうこととしたのだ。
客観的とは:外部の第三者が認められる事実証明できるとのことであり、合理的とは:理由の事実が、真実で、正当な事実を証明できることであり、その裏付けとなる証拠物があるにこしたことはないとのことである。社会通念の概念は非常に難しいものであるが、要するに常識とは異なり、企業外の社会共同体秩序維持の視点から不都合とされるといったような事柄を指す。
権利を濫用とは、数ある法律の中でも独特のもので、民法1条3項の権利濫用とは一致しておらず、合理性・客観性・社会通念性の欠如を権利濫用の要件として法律で定めたことが特徴で、法律家と言われる人たちの中でも間違いを起こしやすい注意項目である。
無効とするとは、懲戒解雇の通告の後であってもその効力や効果が発生しないことを意味し、賃金不払いや降格その他に対しては、損害賠償や代替措置をしなければならなくなるのだ。

出向の濫用も無効(第14条関係)
出向については転勤や配置転換などの判例法理(東亜ペイント事件など)が労働契約法で法定法理となって定められ、
(1)業務上の必要性が無い
(2)対象労働者の選定に道理が無い
(3)使用者の不当な動機目的や著しい不利益の存在
といったこととなると、懲戒や解雇と同じく権利を濫用したものとして無効となることになった。

期間を定めた労働契約(第17条関係)
労働者の期間契約は、本来中途で解雇すれば、現行の労働基準法においても残った期間の賃金を100%保障をしなければならないのだが、実務としては空文化していて、訴訟にでもならなければ、30日の予告手当で済ませていたのが実態であった。全国の労働基準監督官の多くが、「期間雇用でも30日分を払えば、問題ない」と説明していたために、それを真に受けて信じてしまった経営者がひどい目にあったことも、数多く発生していた。平成16年1月の労働基準法改正による、労働契約期間制限の延長をきっかけに、労働基準監督官には、すでに今回の労働契約法の趣旨が徹底されている。そして、今回の法律制定に至ったことで、期間雇用の中途解約によって、損害賠償が定着することになる。ただし、期間を定めて契約を結ぶから損害賠償などの問題が発生するのであって、1年とか3年のちの、「雇用の終期」を定めることは、まったく持って差支えがない。もちろん、こういった短期定年を更新することも、正当適切な判断基準を用いるなどすることにより可能なのである。
ただし、必要以上に短い期間契約を反復更新することには特段かつ特別の事情その他を必要とすることとなるので、パート労働法の「パート等労働者」と相まって制度の見直しをしなければならなくなる。
いずれにしても、形式的には1ヵ月程度の労働契約を反復更新する制度だと主張しても、1ヵ月単位で解雇する目的であると判断されれば、何らかの損害賠償・代替措置を迫られることとなる。
それが賃金であれば過去2年にさかのぼることになり、
退職金であれば入社時から退職日までの分を退職の後から5年間は請求できることになるのだ。

最後に、労働契約法にかかわって、出向や懲戒は別として、労働者の生命、身体、財産その他の利益の保護に、関わることとなれば、公益通報保護法(内部告発)の対象となったことにも注意をしなければならない。労働契約法は、労働基準法のように取締法規ではないからとして根拠のない安心感を振りまいた法律家やマスコミが存在するが、実質的には内部告発の対象となれば、個別企業にとっての影響は、何ら変わることがないのである。

   (日本労働ペンクラブ会員 特定社会保険労務士 村岡利幸)
                        (著作権放棄)

2007/11/06

第67号

食品の安全に関わる事件が相次いでいることから、内部告発は、いよいよ日本でも、好感を持たれ認知をされるようになった。今や、コンプライアンスや社会的責任の話題をリードしているものは、食肉のミートホープ、北海道土産の白い恋人、三重県伊勢の3種類の餅&まんじゅう、秋田の鶏薫製、料亭吉兆、自衛隊資材購入と接待、耐火建材など様々である。これらはすべてが内部告発、これを受けた行政側も敏感に反応する社会となった。この秋までの、メルヘン?とジャパンな幻想に浸った政権リーダーが交代したことと関連も強い。現在の、こういった話題の焦点は、偽証や信義則に反して経済活動をすることの是非が、いわゆる現代における公序良俗が問われているといったところにありそうだ。

こういった社会の動きに対して、まだまだ世間体に浸りきっている人たちからは、様々な負け惜しみも出て来る。たとえば、「肉屋はそういうものだ、商店街の魚屋の店先で、おろし終わっている刺身は、背骨が曲がるなどのクズ肴をただで買ってきて作っている!」といった名誉毀損(確かにそういう店もある)の類だ。話題の本質を探求しようと、「赤福餅は伊勢と言っているが大阪に製造工場がある!」とか、「赤福餅の形は波形!といっているが、ついこの春まで指の形の手作り!といっていた。(数10年前は指形もなかった)」といった、ひとつの意思を持ったインテリジェンス情報提供も出されている。

一方では内部告発による会社恥部の発覚に恐怖を抱き、隠ぺい工作と事なかれ施策を徹底するがために、これが個別企業の弱体化を招くのだ。有能で自立した個人に代表される人材の量と質によって企業経営が左右される今日、これは極めて致命的である。
他方では、企業間競争をにらみ、「片や法律遵守・他方では違法温存」の業界内事情から、短絡的な「公正競争排除!」の名目による同業者による行政へのチクリの繰り返しである。内部告発合戦のたとえ話は、「街の小売商店が相互に争いを繰り返していて、コンビニや量販店に客をとられてしまった!」という風な、結果を見て理由を見ない論調である。公益通報者保護法でも、この類の内部告発は相手にしないことにしているが、安全・人命に関わるとの形式を踏んでいれば、実のところはチクリであっても公益通報と見なさざるを得ない。

さて、個別の企業経営にとって冷静に判断しなければならないのは、連日マスコミで流されるコンプライアンスや社会責任に関連する話題の背景である。日本では、強力な政府から小さな政府に転換する過程で、社会に残存するルーズ(loose)な経営を戒めセーフティーネットを確立しなければならないといった、世界から、日本国内からの要請があることを見ておかなければならない。
加えて背景を考えるうえで、重視しなければならないのは、日本に経済的社会的影響を与えているアメリカにおいて、多国籍企業のうちの大寡占独占企業と言われる企業体が、「多国籍企業禍」と言われる弊害を繰り返す中で、旧来のアメリカ連邦議会による大寡占独占企業分割を議会決議による政策が功を奏すること無く、アメリカ社会で公正が保たれなくなったことから、内部告発をはじめとしたコンプライアンスが動き始めることとなった歴史である。モルガン、カーネギーといったところは分割で功を奏したが、マイクロソフトに効果は出なかった。アメリカではこういった潮流が、「内部統制」の動きも生み出した。日本も右へならえ、それに加えてヨーロッパ育ちの、「社会的責任」も日本風に導入されようとしている。

そこで、「コンプライアンス」とは、そもそもどうして社会に根付いているのか認識を、より深めておかなければならない。コンプライアンスを好き嫌いの感情で判断すれば、社会から相手にされなくなる。コンプライアンスを「法令の遵守」と解釈していても、実務に役立つ程度の理解とはいえない。
そもそも近代に至る前の封建時代、世間体が横行していたため(現代感覚から見れば)無秩序であった経済社会状態を近代革命と称し、自由・平等・民主主義といた理念や手法でもって、社会共同体の秩序を形成しているのである。ここに導入された、「法」という概念には、社会共同体の秩序を維持する目的を兼ね備えた、「法律の立法趣旨」が存在し、この趣旨を現実のものとする行為努力とコンプライアンスが、同義語といっても過言ではないのである。したがって、(法律用語にいう)合理性、すなわち社会共同体秩序を一段と充実するための道理が通っていることが重要である。それは決して表面的な法律や規則の文言解釈といった封建的あるいは抑圧手段では排除されるのだ。そこには必然的に、客観的な説明とか証明が求められ、その裏付けとなる証拠の情報開示が必要であり、これが今日でいう「説明責任」なのである。加えて、現代の公序良俗であるところの「決定や周知に至るプロセスとプロセス参加意識」が重要となって来るのだ。こういったコンプライアンス概念の説明もまた、認識を深めることとなり、そうすると、そもそもの内部告発への対処方法や活用方法も、見いだせるといったことになるのだ。それぞれの国の文化や社会共同体のありようによって、日本では公益通報者保護(406本の法律を対象とする通報の擁護)であり、アメリカ語で、Whistle‐blowing(これは「口笛を吹くことで危険を知らせるもの」ということ)、イギリス語では、Public interest disclosure である。コンプライアンスについて認識を深めたうえで、内部告発の用いられ方を熟知しなければ、個別企業と社会経済にとって、それは諸刃の刃となる。


最近耳にするようになった、「社会的責任」と言われるものも、発言する人によって意味内容がさまざまといった曖昧性が目立つ。が、これはヨーロッパにおける社会共同体での秩序と経済活動のあり方にかかわって生まれて来た概念である。日本国内であまり披露されていないところのヨーロッパにおける背景がある。それは財界と政府との交渉に重きをおいている労働組合側から社会的責任を提唱し、その労働組合とは、たとえばドイツ全国でも50個ほどに組織された労働組合(ドイツでは連合体や上部団体ではなく、日本でいう単組、最小はキリスト教労働者同盟の組合員30万人)といった社会共同体制度から発想されたといった背景制度だ。日本では、20~30年前に、経営者側から「企業の社会的責任」といった理念がよく持ち出されたが、それとの区別もつかないようでは、実務に役立つものではない。

生半可なコンプライアンスや社会的責任を口にしているだけでは、世の中に翻弄され、マスコミに流され、政治に利用され、グローバル経済の中で露と消える個別企業の道を歩まざるを得ないのだ。



社会保険事務所の機能不全
旧厚生省のコンプライアンスとは程遠い体質によって、社会保険の資格取得喪失に関係する事務処理が機能不全をおこしている。
現在社会保険の資格を取得する時の年金手帳の確認?は省略され、扶養家族の在学証明も学生証の写し?でもって簡略、その他をはじめとして、資格取得時点での賃金台帳の確認までもがおろそか?にされている実態。
自己都合等によって雇用保険の失業給付が3ヵ月間給付されない間は、健康保険の扶養家族となれるが、失業給付を受給しだしてからも、そのままの扶養家族にしている事例が山のようにあり、社会保険事務所はチェック?しているのであろうか…といった実態。
所得がある妻などが扶養家族となっていないかを調査し、2年に遡って被扶養者から外すこととなっているが、今のところ、その調査の実行?は伴わないとの事態。所詮、過去に遡って被扶養者から外したところで、すぐさま国民健康保険に遡って加入しさえすれば、2年に遡った医療費は一時立て替えることで国民健康保険から支払われる制度であるにもかかわらず、であるのだ。健康保険から国民健康保険に、医療費を付け替えるだけのこと、旧厚生省官僚が考えそうなことで、そのツケを地方自治体に回しただけなのだ。
従来から社会保険事務所の事務処理間違いは、知識のない臨時職員を数多く事務処理にあてているのだから間違いが多いのが実態。最近は、間違えたことを他言しないでくれと社会保険事務所から電話がかかってくる始末である。
1年に1度標準報酬月額を定めるために、被保険者の3ヵ月分の賃金を報告する制度があるが、賃金台帳を確認?することもない実態。加えて、固定的賃金が下がった場合は3ヵ月たってから月額変更を提出するのだが、低下した後の賃金額を記載?すれば、それだけでよいことになっているようだ。従前は、賃金低下をさせた場合は、理由などを記載した書面の提出と賃金台帳の確認が必要であったのだ。
ひょっとすれば、定期的に行っている社会保険の事業所調査?も、する気があるのだろうかと疑いたくなる。内部告発がなければ、社会保険事務所は手間をかけたくないのかもしれない。
さてここまでくれば、
中小企業にとっては社会保険料の負担が大きくのしかかっている現在、これから不適切な届出などが横行するのは目に見えている。
それは、あまりにも目に見えていることなので、このメルマガでは、そういった事実を詳細に伝えるわけにも行かなくなっているといったところ、実はそこまで陥っているのだ。
ではなぜ、ここまでの機能不全となっているのか、その理由は、
 1.電子申請促進による添付書類などを省略
 2.年金記録問題修復のツケのために職員をそちらに回している
といったところようである。とここまでは普通のマスコミと変わらない論調であるが、これをつっこんでみた場合には次のようになるのである。
 1…電子申請といっても、ヨーロッパ型のように緻密さ綿密さを追求するための手段として用いるのではなく、効率的回転を優先させるための手段として導入するアメリカ型であるので、欠損を見込んで(通常欠損は5%とされる例が多い)いるため、旧厚生省官僚の表ヅラだけ合わせる体質とあいまって、目に見えないところの欠損多発となっている。
 2…年金問題のツケのために職員をそちらに回しているといっても、保険料収入と給付を考えれば、職員の人件費をセーブしているどころではない。年金記録の問い合わせに答えるため人材派遣会社に臨時人員を依頼しているが、専門的知識を持った社会保険労務士(主婦をはじめ潜在的失業者は少なくない)を動員しようといった姿勢は、今もってまったくない。
もとより、その場しのぎの、ご都合主義に長けている旧厚生省であるから、仮にコンプライアンスと叫んでも担保がないから、ひとたまりもないのである。それともいっそのこと、虫食い状態でも発生させて社会保険制度を崩壊でもさせてしまいたいのであろうか。
 あとは国民健康保険があるさ!
 消費税で年金保険料を集めれば良いさ!
 どうせ我々は民営化、仕事がしんどくなることは嫌なのさ!?

2007/10/09

第66号

安倍政権の政策行き詰まりは、
前代未聞の突然劇に目を奪われがちであるが、個別企業の人事・総務分野に与える影響には様々のものが予想される。自民党が政権を引き継ぐには民主党の政策を取り入れねばならず、安倍の引継ぎでは民主党が政権を取ることになるとの政治状況は、誰もが認めるところである。そこで、いくつかの政府の政策転換を予想し、個別企業の対策を考えてみる。

年金問題は、
年金の支払いにとどまらず、社会保険のあり方にまで言及が及ぶことは必至である。個別企業における社会保険被保険者適用のあり方、派遣会社や業務請負会社での適用漏れが浮かび上がって来ることは必至だ。とりわけ、偽装請負の経済的温床が、この社会保険の個々の労働者が未適用にあることだ。これは不公正競争にあたることはもちろんである。こういった議論に、厚生労働省はメスを入れざるを得ない。
個別企業が、外注業者のコンプライアンスまで関与しないといった姿勢では、これからは立ち行かなくなってくる。

格差社会の中でも
ワーキングプアーをはじめとした低賃金構造を生み出したきっかけとなったのは、職業安定法や労働者派遣法の規制緩和による結果であることは、よく知られることとなった。規制緩和の内容とは、職業安定行政が規制をかけられないほどに、行政システムを表面形式的な手続制度にまで骨抜きにされてしまった規制緩和によって、際限のない就職ルールの無秩序やり放題とか、人間性を無視するまでの日額あたりの収入激減、これらが告発されなければ「やり得」といった風潮が野放しにされる結果の予測に、他ならなかったのである。
早速、一部の派遣や業務請負の安定所求人に規制がかけられることとなり、日雇い派遣は禁止となる方向が打ちだされ、「一般労働者派遣禁止?」との駆け引きを狙う議論さえ浮かび?上がっている。(今の時代、政策当局が無視をする場合、大手のマスコミには話は流れないもの)。格差社会を作る目的のために、労働者派遣制度などを導入し定着させることに心血を注いだのではないとする人たちの動きは、一段と活発となって来た。現行の労働者派遣制度に反対する統一戦線は事実上形作られている。
ということは、個別企業において、人件費削減を第一目的とした労働者派遣を将来にわたって続けようとする姿勢では、日本国内では経営存立基盤が難しくなるといったところ、一早く舵を切れるかが肝要。

労働生産性や技能蓄積
の論議がいっそう盛んになってきた。今や、話題のキヤノンにとどまらず、多くの企業が技能労働力において、協力会社に頼らざるを得なくなってきているのだ。二昔ほど前は、東芝の下請である池貝鉄鋼が東芝の技術を上回ったとか、トヨタの下請である日本電装はトヨタ以上の技術を持つに至ったなどと、「下請ではあっても、将来は…!」と、当時は美談を形づくっていたのであった。しかしながら、昨今の日本の現実を見、数々の調査や提言を検討するに、共通している議論の底流には、
1.個々の労働者に属人的技能は蓄積されるものの、
2.その技能は企業の組織だった技能にはなっておらず、
3.業務請負会社をはじめとしての外部に集積されず、
4.技能から技術に質的発展する分野は閉ざされたままとなっている
といった認識なのである。そこで、日本自体の労働生産性や技能蓄積ひいては技術立国が、足元から崩れていくのではといった危惧が、政府や連合の報告書などに訴えられているのである。ところが、現場に根ざしている個別企業の担当者からは、「ふん!」としか言われようがない代物で、労働省が長年にわたって取り組んで来た建設業の雇用改善事業の教訓すら踏まえていない。
ここは、技術立国へ向けての政策的失敗をふっ飛ばすような、個別企業での労働生産性や技能蓄積の具体的構造改革事例が、個別企業から必要とされるのである。筆者も現在取り組み中といったところ、そのメドがつけば発表します。

最低賃金
限りなく1,000円に近づくのは必至。安倍政権下の、「のらりくらり=美しい日本」のもとに事実上実施された今年秋の最低賃金引き上げですら、中小企業のみならず個別企業の給与体系の見直しに一石を投じたのだ。これからの最賃引き上げは、日本の賃金と人事体系のみならず、労働力需給構成にまで変化を及ぼすものとなる。
ところで、賃金問題の権威であるは孫田良平氏が、最近の厚労省発表ついて「最賃違反の発表に、業種別違反率があって府県別がない。県内一律最賃という現行方式の欠陥が面倒な論議を起こす、その回避策ととれる」と指摘している。
こういった専門家からの指摘の末に、日本がグローバル経済社会で活躍するには、最賃1,000円は避けて通れないといった方向は益々定着しそうだ。さて、あなたが関わる個別企業においては、この最賃問題、「高付加価値製品・高水準サービスの提供」といった商品構成とともに、どのようにプラスに転じる答えは出ていますか?



雇用拡大の議論は、正規社員は増えず、派遣やパートなどの非正規社員の増加
といったところで停滞している。さて、議論停滞の原因はひとえに、政府、政党、労組、マスコミ、学者など、メジャーなところのいずれもが、労働現場の実態にまで踏み込めていないからだ。そこには、ここ数年の政策の落とし穴がある。
最も統計数値に表れない現象をひとつ。
老齢年金をもらいながら支給額の減額なしで働き続ける人は意外に多い。在職してある程度の収入(平成19年は月にして28万程度)があれば年金の一部が支給停止となるのだが、この年金カットの道をすり抜けているのだ。老齢年金受給者が年金カットを免れる方法は、ひとえに在職手続きをしない形態を認めてくれる会社への就職の道を目指すのだ。比較的高額の老齢年金を受給する者がこの道を目指している。在職すれば社会保険料などで12%ほどが自らの給与から控除されるのだが、年金カットの金額はそれどころの額ではないのだ。この道を目指す労働者を雇う事業主側も、本人給与の13%ほどを会社が別に負担し、本人分と合わせて給与の25%ほどを納付しなければならないから、下世話好きな事業主たちとの利害が一致するのだ。
ところが実は、社会保険の調査が入ればたちどころに破滅するのを忘れているのだ。
労働者本人が確認申請手続きをしたとすれば、会社負担分をともどもさかのぼって2年分請求される。
「この手があったか!」と早合点して有頂天になった事業主たちは、年金受給者のみならず、扶養家族の高齢者、失業給付を受けている若者、母子家庭手当を受給している母などに、公的には「わからないように働ける」といって口コミで人集めをしているのだ。もちろん、発注者に対しては、「受注額は格段に安いですよ」とか、「すぐに格安で段取りしますよ」さらには、「お客様は誰でも安い方がいいですよね?」といった美味しいささやきを繰り返すのだ。この美味しい話の相手先は、人手不足に悩む企業の世間に無知な担当者、公式採用が硬直化して経営の足を引っ張っている企業のライン管理職といった具合で、マーケティングの的を絞っているのだ。冷静な判断をする人物、世の中をよく知っている人物は避けて通る、キャッチセールスのようなものだ。
人事総務部門担当者からすれば、信じがたい話ではあるが、一見、外注請負形態であったりするので、表面に見えることがないのである。そして、何かの事件が起こってから、現実に気が付いた時には、協力会社内の問題では納まりきらず、こういった有頂天事業主の策略に企業の相当部分が身動きを取れなくさせられてしまっているのだ。いざ、対策を打てばラインの管理者から山のように苦情が寄せられるのは必至の状況。こうやってズルズルと尾を引いて、マスコミに騒がれ労働局の槍玉となったひとつが、クリスタル偽装請負事件なのだ。これでは会社が衰退に向かっているのは判っていても、危機管理対策の位置づけがなければ恐ろしくて手をつけられないのが心情。職業安定法や労働者派遣法は労働力需給の経済政策の要、こういった不公正競争を招いたのは、ここ数年の規制緩和に因り、国のあちらこちらで生み出された現象なのだ。個別企業の全身がぬるま湯に浸かり、立つに立てず、風呂桶の栓が抜けたように利益が洩れ、業務停止や倒産に追い込まれる寸前の個別企業も少なくない。
厚労省の現場に携わる行政職員は、ここまで職安法や派遣法の規制を緩くすれば書面チェックに終始せざるを得ず、書面も出さない業者ともなれば野放し状態といった嘆きを発しているが、一連の抜け道を模索する労働者と事業主が不公正を企んでいることと合わせて考えれば、社会共同体の秩序の崩壊が本格的に始まっていると判断せざるを得ないのだ。無秩序・無政府状態は弱肉強食社会すらも否定するもので、グローバル経済社会の原則である公正競争が崩壊するも同然なのだ。
有頂天事業主の労働者に対する甘い囁きはいろいろと続く。
「年金をもらっていても、いくらでも安心して働ける」。おまけに、「請負代金の支払いは2ヵ月後だが、その前には給与を払っているのだぞ」と真面目な顔して話すのだ。「働けるのに、なんで年金カットされなければならない?」とか、「今さら、年金保険料掛け捨ての人もいるのだ」とことさらイレギュラーな事例を強調している。失業給付や母子手当に至っては、「彼個人の生活が苦しいから」とか、「子供を抱えて、お母さんを助けてやってくれ」とまで、まことしやかに説明するのだ。他人から詳細な解説を求められれば自滅する論理構成なのだ、だからこそ次に彼らは支配従属関係に持ち込む手段を手に入れるなどして、有頂天を押し通そうとする。挙げ句には法違反の片棒担いだとして、発注担当者個人に、惜しげもなく恫喝をかけ続けるのだ。
まるで、戦前日本の非近代的労務管理を思い出させ、戦後の職業安定法施行の重大性を思い起させるような話ばかりである。
さてこの夏、ある企業グループは関連会社を含めて、社会保険未加入の60歳を超えたアルバイト百数十人に加入か退職の選択を迫った。大方の事前予想は、生活もあるから社会保険加入であれば退職して、他社のアルバイトにでも転職するだろうとの見通しであったが、実際は、8割方が週30時間未満固定労働制になることを希望、残った人たちは目一杯働く必要があるため社会保険に無条件加入、過去の保険料負担も了承することとなったのである。一挙に、ぬるま湯から立ち上がり、風呂桶の栓をしたのだ。

2007/09/04

第65号

内部告発は、ここにきて活発になりそうな様相である。
そもそもの内部告発は、裏切り者や労使紛争の謀略手段とは趣を異にする。だからこそ、公益通報者保護法も、経済活動における重要意味をもつものとして、406本の法律を対象とする通報の擁護を定めて、平成18年4月から施行されたのである。アメリカ語で、Whistle‐blowing といわれるが、これは「口笛を吹くことで危険を知らせるもの」ということなのである。イギリス語では、Public interest disclosure となる。とはいっても、通報するとなれば法令詳細などはどこ吹く風で、通報が実行されるのである。
こういった意味では、内部告発は、マスコミに取り上げられた食肉のミートホープ、北海道土産の白い恋人などの、企業にとどまるものではない。日本社会では、経済活動にとどまらず、今回の参議院選挙において、政権与党内部から、次々と大臣クラスの金銭問題がリーク(leak)されたと言われているが、これが「党内支持率10%強の総裁」と皮肉られる状況が的を射ているならば、こういったリークも、いわゆる内部告発と言えることになるのだ。

ある学者に言わせると、内部告発を次のように整理している。
(1)組織の了解を得ないで
(2)組織ぐるみ、組織の一部、あるいはトップによる
(3)違法行為を中心とした不正行為について
(4)社員等の内部関係者が
(5)公共の利益の擁護のために
(6)情報提供や資料提供によって
(7)行政機関やマスコミ等の部外者への、不正の暴露
としている。今現在では、行政機関などに持ち込まれないだけ、「幸運?ラッキー?」であったとされるのである。
確かに、数年前内部告発が話題になった際には、何人かの大学教授が、「内部告発者は裏切り者だ!」との著作を出版した。変に社会遊離した勇気があったのか、学問よりも観念が優先したのか、学者生命が消えてしまったらしい。今どき専門家が、余りに無知無能な学説を発表すれば、アホ・馬鹿・間抜けと論評されても、名誉棄損の判決は出ない。

このグローバル経済社会では、世界同時に様々な物事が共通した課題として発生している。昔は、資本主義・自由主義といえば、イギリスやアメリカがリードして、その後にフランスやドイツが後を追って行くといったパターンが存在もした。経済成長などおぼつかないと思われていた発展途上国において、資本主義を無理矢理動員した場合には、その反発で社会主義政権が登場し社会主義経済が採用されたのであった。また、その当時先進資本主義国になることを阻まれていた、例えば日本が戦争期に社会主義計画経済:経済〇ヵ年計画を戦前戦後に採用したのは有名な話(日本経済は社会主義国といわれる由縁)であり、もうひとつ例を挙げればドイツではヒットラーをはじめとするナチス=日本名:国民社会主義ドイツ労働者党が失業対策や戦時経済を行ったのである。戦後、これらの世界の経済秩序が国連から始まってWTOなどへと整備されていたのである。

こういった世界の経済秩序に、ピッタリ当てハマったのが、いわゆる「ピラミッド型組織」なのであった。「ピラミッド型組織」が経済活動や軍事活動の主な手法として導入されたことによって、戦後の経済秩序を形成することができたのかも知れない。特異な例かもしれないが、中国やインドでは、実のところ、このピラミッド型組織が形成し切れない途上の段階なのである。名称や図面ではそうであっても、実態は別のところにある。そして今や、このピラミッド型組織による経済活動の弊害や悪用が蔓延するに至ったのである。その原因はインターネットなどのIT技術発展と社会共同体のあり方(倫理や社会思想)の変化によるものと考えられている。すなわち、ピラミッド型組織を維持するための利益追求に異議が唱えられ、社会共同体にあっては弊害や悪用を蔓延させる世間体は排除されるのである。異議を唱え排除を行うのは、今や経営者であり人生を明日に託す人たちなのである。もっと簡単いえば、後進国並みの食肉偽造販売とか、金融機関が迫る在庫調整の賞味期間変更は、日本経済が、「高付加価値製品や高水準サービス商品の提供」の道を進む上では、「足を引っ張るもの」といった発想となるのである。折しも、韓国・中国・台湾などの製品と熾烈なツバ競り合いを繰り返す日本の個別企業としては、きわめて切迫した経済問題となるのである。究極には、経済活動において、「公正な事業間競争を維持するための役割を果たす!」といった社会通念に至るのは時間の問題なのである、実にアメリカがそうであるように。

3年後の銀行貸付金利上昇(年5%メド)もあり、日本経済の生きる道である、「高付加価値製品または高水準サービス」の商品提供を考えたときに、業務改革を進める個別企業にとって内部告発は、災い転じて福となすところの、Whistle‐blowing(口笛で危険を知らせる)そのものなのである。



ホームレス?ネットカフェ難民?の労働力としての事情
経済回復基調?デフレ続行といわれる中、失業率も低下してきているとの発表がなされている。ところが、この失業率の評価をめぐっては、従来の概念では計り知れないものがある。パートや非正規社員への就労も含まれているため、昔ながらの就業率アップ=生活の安定といったイメージとはかけ離れているのだ。その中でも、極めつけは、ホームレスなどといわれる人たちをめぐる状況は、ほとんど把握されていないのが実状で、マスコミの報道もほとんどない。
ホームレスといえば、野宿生活者のイメージが出てきそうなのであるが、まだ気づかれてない実態がある。ネットカフェ難民は姿からは判断出来ない。Yシャツにネクタイの背広姿も数多く存在する。深夜のアーケード街で横たわっている都市部でのホームレスは有名ではあるが、実は衛星都市や地方都市にも存在し、無理矢理これを住民も行政も認めようとしないといった姿もうかがえる。加えて、もとは自宅であった競売物件での生活者も含め、もうすぐホームレスとなる人々は相当存在しそうだ。大阪の釜ヶ崎といわれる一帯(行政用語ではあいりん(愛隣)地域という)の中心部には、アパートや一晩1000円の宿住いの人たちがたむろしており、野宿生活者は意外と釜ヶ崎の周囲の場所に居るといったことも、現地に行ってみないとわからない。昼間から夕方は強気な様相の人たちや、ヤクザでも目つきの飛んでいる者がたむろしているから、深夜の野宿生活者の実態には気がつきにくい。確かに、深夜と雨の日は釜ヶ崎に近づくと危険極まりないのは事実である。が、それ以外の日にネクタイを締めて行っても危険を伴うものではない。にもかかわらず、ここを訪れるマスコミ関係者は少ないのである。ここでは敢えて、ホームレスあるいはホームレスになりかけている人たちをまとめて、求職状況をレポートする。

まず、一昔前であれば、ホームレスになるのは特徴的な個性の持ち主といった見方が強かったが、今日では、誰もがふとした失敗からホームレスに転落しているといった変化である。ホームレスの自立支援対策に携わる人たちへのインタビューからすると、借金や借りっ放しなどの芸当が出来ない生真面目な人が多いとか、極めて内気で自分を責めるタイプが多いといった話が出て来る。

最大のネックは、就職にあたっての身元保証人のようだ。形式的に書面提出を求める企業が多いのであるが、これがかなりの心理的圧力となって、就職をあきらめる原因となっている。フトしたことから切羽詰まった状況に陥ったことにより、身元保証人を頼める知人がなくなるとか、恥ずかしくて頼めない心理になっているのだ。もとより、個別企業からすれば、事故が起きても身元保証を拒否するケースがほとんどの紙きれだけの身元保証人が実態であるのだが、なぜか形式にとらわれて求人の障害になっていることが気づかれていない。今の日本社会において、「ほんとうに身元保証をするのは、暴力団だけだ」と断言する人もいるが、それが本当だろう。実際には、社員寮に入居させて、人事部門が生活のケアをして、様子に注意している方法こそ、実効のある身元保証対策と言えるのだ。

警備員の職業(警備員は懲役・禁錮刑の執行から5年を経過している身分証明と本籍の記録が必要)を除けば、誰も本籍をいう必要はない。もちろん住民票は会社が用意する社宅や寮の所在地で取得可能である。住民票の有無は、生活保護申請にとっては極めて重要ではあるが、就職して自立するだけなら、ほとんどどうでも良いと言える。本名だろうが、ペンネームだろうが、労働力の提供だけであれば名前なんかどうでも良い。

生活基盤のベースに欠かせないのが健康保険である。住民票がなくても政管健保などの保険に入れる。→保険証のカードがあれば預金口座が持てる。→預金口座があれば、少しずつでも貯金をすることがたやすくなる。→そうすると、自らの努力で自立の道が歩めるといった具合だ。

ビッグイシューという雑誌を路上で販売しているAさんにインタビューすると、1日仕事であるならば日雇いの建設現場の方が1万5千円から2万円になると話す。それでは安定した生活はどうなるの?と質すと将来不安があるという。健康保険や雇用保険の話をすると非常な関心がある。だが、今日明日の金が必要なことから、金額の高い日雇いに目がいってしまうらしい。別のBさんに聞けば、日雇いでは雨の日が休みとなるから、収入があったり無かったりで不安も多いらしい。インタビューを続けていると、どうも不安定な職種ばかりの求人が来ているので、そういった日雇い仕事などを前提に、何事もあきらめざるを得ない就職イメージとなっているようだ。

女性のホームレスを収容する施設は比較的多数存在することから、ホームレスで女性が少ないのはそのためだと、事情通は語っている。夫婦で、ホームレスになる人も急増して、今や珍しいものではなくなった。

大阪の釜ヶ崎では精神疾患や傷病疾患による救護施設は、法的な支援もあるので、比較的整っているようだ。道で倒れている患者をすぐさま入院させるといった外来診療受付の無い民間医療機関も存在する。住民票は病院内で生活保護申請をして医療費に充てるのだ。ホームレス生活で体力を失い、いっそのこと病気で収容されたいと願う考えまでが、当たり前となっているかもしれないのだ。

釜ヶ崎周辺では、キリスト教と称するグループがそれぞれの思惑をもっての、施設や活動が乱立しており、どこかのキリスト教の「集会」に出席などして「主イエス・キリストを信じます。アーメン」と言いさえすれば1日1食を食べることは確実に出来る。その弁当や炊き出しを拒絶さえしなければ、餓死することはない。したがって、生きようとする人が最後のよりどころとして、一度はより集まって来ることにもなっている。

ホームレスの人たちは内気であるから、個別企業の人事労務管理の不手際による職場の人間関係や摩擦によって、離職を繰り返して来た人も多い。ホームレス対策に関わる大手企業はほとんどない。その多くが中小零細企業であり、行政機関入札受注条件としてホームレスの不本意な受け入れを強制されている場合も多いので、職場の人間関係を円滑に保つ人事労務管理の方法を知らず、就職者の定着にまでいたっていない実態がほとんどなのだ。労働力の定着のために、偽装請負業者や労務供給業者に労働力を頼る個別企業が存在することからすれば、一考してみる価値は大いにあるのだ。

ホームレスの自立支援対策に携わる人たちの間でも、実際にホームレスになる前と、なってから1ヵ月以内の対策に効果があるとのことである。野宿生活などをした人は、ひと冬越すと意識が変わるという。2年〜3年にわたってホームレスを続ける順応性の持ち主は、川辺や公園のブルーテント生活にも順応しているという。公園の水、自家発電の電気、卓上コンロが整えられ、エアコン完備のテントまである。したがって、労働力として有効なのは、事前か初期の手当てのチャンスを逃すと、難しいということである。ホームレスになりきってしまったのであれば、本人の意思によって通常の就職への障害が極めて強いのである。

いよいよ次の研究課題は、実際の求人開拓、募集、面接、求職誘引、雇用契約、就労相談、生活ケア相談その他の付帯する業務にまつわる受け皿と運営ノウハウとなる。これからの労働集約型産業は、こういったノウハウの蓄積によって、個別企業の成長と崩壊の見通しが立つことになるであろうことは間違いない。

2007/08/08

第64号

<もくじ>
外部労働市場を活用するには
請負と非請負を時代別に追跡すると
昭和27年、職業安定法施行規則改正
昭和61年、労働者派遣法施行
そもそも、業務請負は
 A.法令の定義をクリア
 B.長期にわたる経済性の確保
 C.事業の社会貢献性
業務請負の拡大期
なぜ、業務請負に比べ、偽装請負が拡大したのか
偽装請負、彼らの営業手法は
偽装請負によって立ち行かなくなった工場
社会保険事務所は調査しない?
ところで一転、資金面からは
地に足のついた労働力需給

¶外部労働市場を活用するには、
工場をはじめ大量生産や大量業務処理を行う場合での生産管理などの上で、注意しなければならないことがある。どうしても、現場担当者では適切なコントロール措置が行ない得ないことから、総務人事部門の役割は重要となる。日本の経済展望である、「高付加価値製品と高水準サービスの商品」の提供を、個別企業においても社会においても、下支えができるかどうかの視点が重要なのだ。何れの産業も人海戦術では世界に勝てず、外部労働力活用といえども、それでは赤字転落は必至の事態だ。
外注の業態ひとつとってみても、請負、構内下請、業務請負、アウトソーシングといった具合となってしまう。賃貸の業態をとるものもあり、労働者派遣は人材レンタルで賃貸契約、物品レンタルにオペレーターの労働力が付随して来るものもある。こういった経済性に基づく実状は、すべてが法律で定義できるものではない。かつて、ローマ時代においては、労働、請負、貸借の三つの契約関係を、別々の概念と区別が出来無かった。
所詮、法律や政府の政策課題(製造業請負事業の適正化に向けてガイドライン/厚労省6月29日など)は、せいぜい自由平等原則や社会共同体ルールの侵害を防ぐ手段としてでしかないのだ。そして、現在日本の法体系では、請負か、それとも派遣や労務供給であるのかの判断は、一貫して「作業工程の進捗管理」を発注側が行っておれば、請負とはならないとする定義に変わりはない。

¶請負と非請負を時代別に追跡すると、
昭和27年の職安法施行規則改正は、それ以前の同一工場敷地内であれば発注側が進捗管理を行ない、支配しかねないと念頭においていた懸念を、請負業者が、工場の構内であっても別途、設備や建屋を別に設置するとの条件であれば、発注側は進捗管理を行ない得ないとの概念を形成し、構内下請なるものが開発・始業した。
昭和61年の大臣告示は、工場内で建屋を別にしなくとも、機械設備や材料・光熱費を自前で「調達」する又は専門的な技術や経験が存在するとの条件ならば、定員契約(定員1名=労働者約1.2人)による業務請負を可能にし、これが工場でも開発・始業したのである。(従前から、ビルメンテナンス業、警備業では通例であったが)

¶昭和27年、職業安定法施行規則改正
により、請負と労務供給事業の区分、昭和23年のものが現行に改められた。これによって、当時の政策担当者の誰もが予想していなかった「構内下請」が開発され始業した。それ以前は、発注者の工場敷地内での外注業者により製品が製造された場合は、とにかく偽装請負と判断された。必ず工場敷地内で製品を完成させ、製品個数を数えた上での現物納入でなければ請負と見なされなかったのである。ところが、この施行規則改正により、発注者の工場敷地内であっても、外注業者が別棟の建屋であれば、問題がなくなったのだ。いまだ昭和27年当時の施行規則で、請負区分をする行政職員や専門家と称する者も存在する。

¶昭和61年、労働者派遣法施行
により、派遣と請負の区分が大臣告示された。昭和27年から構内下請は合法とされていたが、これとは別に当時、いわゆる「業務委任契約」と称されていたものが偽装請負であった。これが、61年の派遣法施行で労働者派遣と定義されると同時に、昭和61年当時は13業務以外(生産ライン等)の労働者派遣が禁止されたのである。禁止に併せて、派遣と請負区分大臣告示が出され、これが工場現場の現状と刷り合された後、研究を重ねた結果、「業務請負」の業態を完成したのである。(事務系労働者派遣は業務処理請負と呼ばれ、派遣法によって合法化された)。

¶そもそも、業務請負は、
土木設計技術者、ビル維持管理技術者、警備員を念頭において考えられていた。これらは派遣業構想当時に労働事件問題として取り上げられ、当時の労働組合は、一足飛びに個別企業との交渉は行わずに、制度の根幹に位置する建設省や労働省あるいは都道府県との団体交渉を繰り広げていたのである。官公庁のビル物件管理の発注において、落札業者が変更しても同一のビル維持管理技術者や清掃員を雇用しなければならないルールが、労働組合との交渉により成り立っていた時代であった。
確かに、当時の厚生省は工場内でのことは念頭に考えられていなかった。従前からの構内下請に限って念頭においたものだから、単なる肉体的な労働力を提供の領域を超えた業態は想定をしていなかった。ところが、次のA~Cの条件を満たすことで、社会に受け入れられる業務請負の業態が開発されたのである。

A.法令の定義をクリア:
告示条項の上では、大臣告示の内容を満たし、とりわけ業務ごとに定員を定め、その定員を充足するために約1.2倍(有給、欠勤その他)の労働者を配置したうえで、マニュアル書を用い工程進捗管理を進めれば、業務請負の業態開発の見通しが立ったのである。

B.長期にわたる経済性の確保:
業務請負業者として事業の継続性や採算性などの長期にわたる経済性が問題となった。賃金との利ザヤが稼げる発注価格だけでは事業としての将来性は無かったのである。初めて業務請負の業態で、受注がなされたのは、大阪市と京都市の中間に位置する大阪府茨木職業安定所管内であった。M電器テレビ事業部の常用パート一斉解雇とM電器系列の掃除機組立の常用パート一斉募集がきっかけで、労働力の需給がマッチングしたのを皮切りに、京阪北部:名神高速沿いの工場地帯周辺での労働力需給調整を担うようになった。

C.事業の社会貢献性:
職業安定法や労働者派遣法の法律趣旨を満たすためには、一般労働者の常用雇用やパートなどの短時間安定雇用の期待や願いを充実させるところの、「事業制度設計と事業維持の担保」をする社会貢献性が必要なのであった。ただ単に労働者を雇用し、各作業所に配属するだけでは、事業規模が大きくなればなるほどに、社会からは非難されることになるのは想定されていたのである。すなわち、昨年事件となったクリスタルグループの如くである。

¶業務請負の拡大期
昭和61年から平成10年ごろまでは、業務請負が全国に拡大し定着していった。安定所も偽装請負業者を徹底してあぶり出し、請負要件を最低限は満たすようにとの行政指導を行ない、指導に従わない業者系列の、事務系を含む労働者派遣業をも許可ストップしていった。こういった動きは業務請負の拡大を促進させ、偽装請負業者は業務請負業者や発注者からも、その反社会性が批判されていたのであった。偽装請負とされるものは、大臣告示の条項上の請負要件を満たすことがない。そればかりか、偽装請負個別企業の長期経済性や社会貢献性にいたっては、そのカケラもない。偽装請負として摘発される根拠は、この部分に他ならないのだ。偽装請負のとりえとは、一般人が手を出さない非合法なだけなのである。

¶なぜ、業務請負に比べ、偽装請負が拡大したのか
平成9年11月30日から、それまで労働者派遣事業における社会保険適用優遇?措置が廃止されたのである。それまでは、社会保険の適用は、2ヵ月以内の雇用の繰り返しを行う雇用契約においては、被保険者適用除外とされており、派遣スタッフが希望して2ヵ月を超える雇用契約を結ばない限りは、社会保険に加入する必要がなかった(正確には適用除外)のである。当時の官僚の中には、これを派遣業界への育成援助措置と明言する者もいた。この措置は業務請負業者も一般個別企業も同様であった。そこに事件がおきた。当時の厚生省と労働省は、行政手続法に基づいて大阪の天満社会保険事務所長宛に請求された、「社会保険の被保険者資格にかかる行政指導の趣旨及び内容の書面交付」をきっかけに、この年の夏に両省が協議を行ない、2ヵ月以内の雇用繰り返しの最大業界である派遣業界(併せて業務請負)での社会保険適用方針を変更したのである。(平成9年春の会計検査院調査において、派遣社員の被保険者適用基準が大問題となり、1社で数億円・大阪府下で100億円規模の保険料支払の攻防が行われていた)。
偶然にも、同じ平成9年に職業紹介と労働者派遣にかかる法律が、現在の労働力流動化を促す端緒となるための改正がなされた。この流動化方向を見てとった偽装請負業者たちは、「将来、社会保険に未加入であっても、業務停止処分をされることはない!」とタカをくくり、営業(発注勧誘)活動を展開した。今日に至るまで社会保険事務所は、「業務請負」と称する看板をあげている業者には、社会保険の被保険者適用調査に立ち入ることは無いのである。

¶偽装請負、彼らの営業手法は
とはいっても、社会に受け入れられる業務請負とは異なり、反社会性を以って事業を維持する偽装請負である宿命から、彼らの営業手法は、発注担当者(工場であれば資材課長など)に対する飲食・旅行・講師料その他で当人と家族を接待・誘惑、発注企業での背任・横領が立件されないスレスレの偽装請負契約を締結させるといった具合なのである。コンプライアンスの中心である総務や人事部門に、こういった接待はしない。大阪労働局の事件となったクリスタルグループでも、このような噂は絶えなかったのである。

¶偽装請負によって立ち行かなくなった工場
さて、よくよく考えてみれば、発注工場などは、偽装請負業者によって、
技能者育成の熱意に水をかけられ、
水増しの労働者数を派遣され、
発注担当者は骨抜きにされ、
偽装請負に頼らなければ工場は動かなくさせられ、
ところによっては労務・教育部門の生血を抜かれてしまった
工場まで出て来たのである。事実、M電器とかSグループを除けば、クリスタルに対する嫌悪感や反発は、あちらこちらの経営トップの口から、幾度も出されていたのであった。

¶社会保険事務所は調査しない?
それにしても、社会保険事務所が、業務請負の看板をあげている業者の、社会保険被保険者適用調査に、何故立ち入らないのだろうか。それは、低賃金の労働者が集積している事業所であることから、社会保険の適用をさせると採算が合わなくなると考えているからのようだ。折しも平成10年以降は、社会保険加入事業所率が低下し続けているのである。今日、年金記録問題が起きているが、「年金に加入しているのに、会社が保険料を払っていない」といった言い分の真相は、こういった偽装請負業者の個々労働者の社会保険適用における信義則違反(だまし、裏、ペテン)にまつわる事案ではないかと、社会保険労務士などの専門家の間では噂されているようだ。

¶ところで一転、資金面からは
平成9年以降のメガバンクなどの偽装請負会社への融資の実態である。この当時は平成恐慌・日本初の金融危機か?と言われ、銀行はプライドを捨てて利回り第一の貸付先探しに血眼になったのである。大和銀行が突然、数ヵ月前の方針を転換、9月連休に地方銀行転落との発表したのも、この年の秋であった。そこでメガバンクの銀行員は、偽装請負業者に甘くささやかれ融資させられたのである。偽装請負業者からすれば、資金をつぎ込んで資本と派遣労働者の回転率を引き上げ、そのための銀行からの借り入れには、坊ちゃん育ちの銀行員をハメてしまう事ぐらい、コップ一杯の水を飲むようなものである。ほとんどの偽装請負業者の社長は、倒産や破産をしたとしても、「坊主になれば鐘をつくさ」といった具合であった。(だが、もう今は老齢を感じて、クリスタルグループの社長のようにグッドウィルに事業を売却する者もいれば、夢くずれ50半ばにして老後の年金生活ばかりを毎日考えている社長もいる)。もちろん、暴力団とのつながりも強くなってきている。
だが、ここで考えなければならないことは、経済のグローバル展開によって、今からおよそ3年後には、メガバンクをはじめ多くの金融機関が、貸付利率3%以上を確保するために国内融資資金を回収→海外投資に回す動きが確定していることである。アメリカ国債は利率5%で大売り出し中だ。だとすると、この3年の間が、請負、業務請負、偽装派遣をめぐる方針転換の正念場とならざるを得ない。

¶地に足のついた労働力需給
しかしながら、残念なことに、厚生労働省の6月29日の研究会報告、ナショナルセンター連合の報告などには、こういった歴史的文化的背景や経済社会の将来を見据えた視点が、極めて不十分であることが伺える。ひとえに、民間現場から遊離しているせいか、抜本的に研究強化せざるを得ないものばかりである。高級官僚の立場から物事を分析しがちになると、表面の統計やマスコミで報道された現象が頭に残り、どうしても施策や方針は甘くに流れる論理建てとなってしまいがちなのである。
実際の経営管理や地に足のついた労働力需給業務といったものは、歴史的変遷と現場実態のインテリジェンスから着想・発想された参画が実態を動かしているのである。

2007/07/10

第63号

うつ病対策、現場からのインテリジェンス
うつ病の頻発は、日本の経済や産業が、「高付加価値製品や高水準サービス」の商品提供の事業戦略の足を引っ張り、その実態を示すバロメーターともなっている。このように結論付ける理由と、目前のうつ病対策を含めてのインテリジェンスを提供。
(うつ病早期発見・緊急措置シート:次のURLの左下からダウンロード可能)
http://www.soumubu.jp/download/

近頃は、職場の「うつ病」について一般マスコミでも取り上げられるようになった。
しかしながら、経営管理面からの、うつ病発見、未然防止とか、復帰プログラムといったものは、まだ皆無といった状況だ。
人事労務の専門紙誌のほとんどが、
「成果主義的な人事賃金制度や個人業績や部門の業績」を流行の枕言葉に、原因究明をしていないと言っても過言ではない。確かに、一般素人には受けが良いから、素人的発想をまかり通らせたほうが雑誌としては安泰なのである。
では、専門家であれば、何に気付かなければならないのか。
まずひとつは、産業心理学が発生した背景、すなわち、20世紀初め、当時のアメリカでは農業労働者が北部の工業地帯に移動して、工場で働くようになった時 代の歴史的経験である。始業時刻に出勤して分業・流れ作業などの慣れない仕事のため、多くの労働者がノイローゼを多発して、労働力の確保と品質の水準確保 (歩留まり)に極端な支障をきたしたのである。この時代の経済社会の抜本的発展は、科学的管理法(テーラーシステム)とか、フォーディズム(フォード生産 方式)が開発され定着したことにある。これを補完するために、産業心理学が生まれ、禁酒法(13年間で終わり)が試されたのである。
もうひとつの歴史が示すものは、旧ソヴィエトの経済発展である。農業国で工業後進国であったロシアとその周辺を、それなりの先進工業国にまで引き上げた実 績の基盤には、革命直後の戦時共産制脱却のために、レーニンがテーラーの開発した科学的管理法を導入し「ボルシェビキ小集団活動」を加味したところの НОТ(ノット)方式を開発定着させ、経済七ヵ年計画とか五ヵ年計画を実施したことにある。ここでの補完は、「ウォッカによる二日酔い」の徹底した対策で あった。余談ではあるが、日本国官僚が推し進めた、昭和大恐慌後の経済政策、満州国経済政策(岸信介、大平正芳)、戦後高度経済成長政策は、「ソヴィエト の経済〇ヵ年計画」の実績ノウハウと教訓が取り入れられたものである。(日本が資本主義国の中の社会主義経済といわれる由縁のひとつはここにある)。

さて、世間一般のうつ病対策といえば医師の話ばかり。ところが、ほとんどの医師というのは、一般の企業や職場の中でどのような実態になっているのかを、全 くもって知らないと言わざるを得ない。精神科ともなれば、医者も患者もまるで別世界の人たちと思えてしまう。これを、産業心理学と心理学の差異の如く分類 すれば、現在の医師の治療は「心理学」の手法といったようなもので、アカデミック?で現場無視なのである。加えて、大阪地方であれば、(小説)白い巨塔の ナニワ大学?の調子の治療手法や「医者は復帰支援など知ったことか!」のような悪夢を肌で、ヒシヒシ感じざるを得ない。

私どもは、昨年の春あたりからのうつ病頻発の事態から、うつ病関連の仕事をしているが、うつ病発生現場では、次のような共通点が存在するように考える。
(1)人海戦術単純労働で、まるで高校3年生が監督、高校1年生が作業といった職業教育ゼロの状態
(2)管理職は、OJTで育成されていない為、部下や新入社員を育成する術を知らない
  「言ってみて、やって見せて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
  -日本帝国海軍 元帥 山本五十六- も、OJTの導入事例。
(3)Plan・Do・Check の積み重ねで仕事をしないから、工程管理は無きが如く、反省も向上も闇雲
(4)ミーティング、朝礼を行っていないから、組織的運営はなく、部下は業務より人目を気にするばかり
こういった組織的事業経営基盤が崩れていることから、相当多くの収益・生産・意欲・効率が空回りしており、そこへ意味も分からずに、成果主義?やコンピテンシー(流行終わり)が導入されて大混乱しているといったところだ。
なので、「高付加価値製品や高水準サービス」の商品提供の事業戦略の足を引っ張り、その実態を示すバロメーターともなっているとの結論に至ったのだ。

ここから、私どもは、うつ病対策と業務改善を併せ持った、センセーショナルな対策の実績を築いた。
導入基盤もないのに、ZD、TQC、Aタイム、コンピテンシーを流行のように追いかけ、経営が左前になった事例は山のようにあった。そこで、先ほど述べた20世紀初頭の成功事例他をもとに考案したのだ。
管理職の「うつ病発見チェックシート」作成=
(うつ病早期発見・緊急措置シート)http://www.soumubu.jp/download/
=発病2週間以内の早期発見
+本人への「うつ病疑い」通告と強い受診勧奨
+2週間以内の治療を産業医に要請
を進めた。1年半で、うつ病休職率6%が1.5%までダウンしてしまった企業も現れた。
ところが、この対策の狙いの本質は、うつ病発見をきっかけに、業務の計画的工程管理定着にあったのである。「発見チェック」に狙いは無かった。幸い、当該 企業は人件費に若干余裕が持てたので、OJT手法の定着は後日に回すことができたのであるが、全対策構想の片肺飛行でも、大きな実績が生まれた事例だ。

今や、日本国中、仕事が空回り、人生も空回り、努力や能力は成果に結びつかず、といったことも見られる(本質は現代社会共同体への適応不全)ことから、 「うつ病」がまん延しているのではないかと思われる。職場でも家庭でも、人目に振り回されて、うつ病やパニック症候群に陥っていると言えるのでもある。短 絡的対処で、人目を気にすることに現される日本的世間体になじんだとしても、世間体を拒否したとしても、グローバルに発展する未来社会での生存(社会共同 体への参加)は困難なのである。
だからこそ、先ほど述べたような人類の英知が歴史の中から生み出したところの、組織的事業基盤を、徹底して定着させることから始める必要があるのである。
現代の社会制度では、いわゆる「職人」は育成されることは無い。そのままでは、単純作業労働者ばかりを生み出し、この人たちが、個別企業や社会経済の足をひっぱるのである。
個別企業で、ノウハウ蓄積をしたいと思えば、組織的事業基盤を定着させたうえで、「知的所有権と経済活動にかかる文化経済学者たちの研究」から理論解明さ れたところの、ノウハウ蓄積プロセスの工学的実用化を目指すべきなのである。これこそ、近年、IT環境が整ったからこそ技術的に工学的実用化が可能になっ たのである。昔なら、大量印刷機とPaperと電話のセットで現代までが支えられていた如くである。
(ノウハウ蓄積プロセスに関するご質問はfree@soumubu.jpまで)

日本の発展過程を振り返ってみれば、
「昔の労災は怪我や死亡、今や労働不能や廃人!」という時代の変化。
人間はミスを犯すが、間違うから発見発明をする。
新たな事業を展開すれば、非効率な部分で、うつ病発生を覚悟しなければならない。「落ち目の会社に、うつ病は無関係!」の逆もまた真なりかもしれないのだ。
ところが、こういった視点まで掘り下げて自覚することが、うつ病発生・自殺防止をはかることが可能となり、その結果、誠の人道的立場も、初めて維持できるのである。
こう考えて創意工夫することこそが、個別企業と日本の経済や社会制度の壁を打ち破る発展に資することになるのである。



年金記録の「雇用主の証明?」
第三者委員会の基準が固まったが、これから、旧厚生官僚の巻き返しが出てくるのは当然で、具体的な巻き返しによる空洞化は、(筆者の30年余の経験から)
1.基準自体を「雇用主の証明」の意味を悪用(今から解説)
2.個々の水際での不支給決定では「人柄、態度」を捏造
といった方法で、巻き返しの突破口を開くものと、予想される。
このメルマガの先月号で、
≪社会保険法令の強制適用方針からすれば、話題となっている「領収書に代わるもの」とは何を指すのかを考えてみると、次のようなものが提題される。事業所 の雇用記録、健保組合の記録、雇用保険被保険者記録、給与明細、離職票(職安の公文書)、社員証、名刺、同僚の証言(報告書)、技能検定受検資格、児童手 当受給書類、厚生年金基金書類、給与振込み銀行通帳、源泉徴収票、社員旅行の写真、官公庁への技術者届などが考えられ、これらを総合的に判断するといった ものが考えられる≫と「雇用主の証明」以外、すなわち、被保険者資格有無を裏付ける証拠となる物を、著者は例示した。要は、従来から社会保険審査会で使わ れていた、「事実が真実であるとの論拠があり、その裏付けがあること」程度でよいのだ。
ところが、社会保険庁?あたりから、「雇用主の証明」といった言葉の表現句が、ことさら躍り出て来ていた。そもそも、厚生年金は保険料納付の有無にかかわ らず、加入期間と月例給与総額で支給されることになっており、これが米ソ対立を背景に、当時、日本政府が国民に約束したところの厚生年金保険法令に定める 強制適用という意味なのである。決して保険料強制徴収とは意味が違う。
したがって、「雇用主の証明」を強調する、その意味するところはこうなるのだ。
まず、「あの頭脳明晰な厚生官僚」が、事業主の中には、本人の給与から保険料を控除し、社会保険の加入手続きをせずにポケットに入れてしまった現場の事例 を、本当に?本当に?長期にわたって、想定出来なかったとでも言うのだろうか、といった疑問だ。現場の社会保険事務所は、今もなお、保険料未納企業の預金 等の調査発見能力は税務署より上位だと位置づけられている状態において。
たとえば、昭和61年当時は、都市部のある県では、常用パートタイマーは社会保険に加入させるなと、法令を無視した行政指導で厳格に排除していたから、事業主が届けても、社会保険事務所から拒否をされた。
一昔前は、保険料が払えない事業主に対して、被保険者の「社会保険脱退同意の連判状」を用意させ、国民健保・国民年金への切り替え、社会保険を脱退させる指導を、全国の社会保険事務所は行った。
社会保険事務所の調査においては調査官が、パートなど給料の安い労働者一人ひとりを個々に保険適用から排除をした歴史は、最近まで続いている。
偽装請負を繰り返す業務請負会社には、圧倒的に所得水準の低い労働者が集中しているせいか、社会保険事務所が、常用労働者の届出漏れ調査に入ることは皆無の現実だ。
こういった「さじ加減適用?」を全国の社会保険事務所でやっていたのだから、相当数の事業主が保険料の「さじ加減?」をしてもらったと、社会保険事務所調査官や専門家に「感謝の気持ち?」をしていた時代もあったのだ。
「強制適用の法律建前」の下であっても、それとは違う行政実態に、「雇用主の証明」といった表現句が相まると、それは、「口止めの為の、会社経営者への恫喝ではないか!」との受け止め方も出ているのだ。
さらに、歴代の社会保険審査官や審査会が「個人の虚偽請求を見破る能力」を、十分に培っていることからすれば、社会保険庁の上に立つ厚生官僚たちが、徹底 して、「年金記録が存在する人に限って救済!」といったことにこだわる理由が、年金支給額を少なくしようとする抵抗だと決めつけられても仕方がない。その 本音には、官僚たちが年金資金を不良債権化させてしまったとか、使い込んだといった釈明?でもしたいのだろうか? 年金記録事件の不備の大半を占める厚生 年金の穴あき部分は、本当に、厚生官僚たちは隠したいようだ。
いずれにしろ、総務・人事部門は、物事を様々な角度から、観察することが必要なのである。

2007/06/05

第62号

5000万人年金納付記録
ここ数日早速、社会保険庁は年金振り込み通知書に、国会答弁の内容を増刷して、加入記録の問い合わせ先を案内している。
時効対策が実施されたとしても、救済されるのは数割で、半数以上は無理だとする社会保険庁内部からの話も報道されている。そこで、何十年にわたって、多くの事業所の事務取扱をしている当社の経験から、総務部門担当者にとって不可欠の関連インテリジェンス情報を、この際提供する。
厚生年金に限っていえば、年金記録はズサンとしか言いようがないが、その発端は、厚生省官僚の怠慢?から始まっている。昨年6月1日現在、基礎年金番号への未統合件数は約5095万件、そのうち厚生年金と船員保険が77.8%をしめる。その事業所名は、概ね確認できるようだ。全件の年齢別は55歳から59歳が約15%、年齢不詳は0.6%(約30万件)にすぎない。
そもそも、社会保険は強制適用であるから、会社の常用の被用者、すなわち社長からアルバイトまで全員が加入しなければならないものである。強制適用とは社会保険事務所が被保険者資格を決定・確認すれば保険料納付の有無は問わないとの意味である。さらに、強制適用によって厚生年金機関は加入期間が重要(基礎年金には保険料免除でも年金給付)となっており、過去の賃金額は報酬比例部分に反映する仕組みとなっている。昔はサービス業などで強制適用の除外事業所も多数存在したが、現行は除外されるものは少なく、強制適用の実施年月日は法令の改正なので明確である。これが基本方針なのである。
厚生年金保険は、米ソ対立の世界情勢を背景に国民の将来保障と安心の支えとして、営利の民間保険事業ではなく社会保障として、紆余曲折の大論議の末に国会で強制適用とされたのである。ところが、厚生省官僚は厚生省内部で、「保険事業には採算が取れなければならない」といった理屈を陰で言い続けたのである。もちろん、この「採算優先」のことは公にされず、公となる事件が発生すれば、厚生省は個別の採算は無視してでも法律通りの回復措置を行って来たのである。そこで、厚生省行政方針の大半が、「大きなトラブルには対処するが、国民の泣き寝入り大歓迎!」との噂どおりの対応となっているのだ。また、被保険者に保険料納付義務をなくして(強制適用には納付の権利義務は無い)、保険料の追加徴収(徴収期限は時効2年)が発生すれば事業主に労使双方分保険料を負担させているが、この「採算優先」の厚生省官僚の姿勢が、本人から年金給付請求(裁定請求という方式)が行われた場合に限り、年金を払えば良いという間違った解釈をも蔓延させた。
加えて、旧来は厚生年金の年金番号は初めて厚生年金に加入した所在地の社会保険事務所に原簿をそろえる方式(戸籍とよく似たもの)でもって本人請求方式(就職した会社の住所と名称情報で調査可能)に耐え得る記録保存方法を行っていたのであるが、基礎年金番号に切り替える際に、ズサンさを見逃す方式を招いたのである。まさか、社会保険庁が非熟練事務員ではあるまいし、ズサンな事務処理が末端で発生することを予想出来なかったとは言えないのである。社会保険料徴収技法は、国税庁に比べはるかに優秀である。原因は、保険者である政府と被保険者が相互にチェックしあって年金保険を成り立たせるといった社会保障の発想に基づく制度改革ではなく、官僚が押し付ける一方的事務管理であったことにある。そして、今回の社会保険改革をめぐっても、厚生官僚はコンピュータシステムをことさら強調、システム完成時期に合わせて改革スケジュールを進めているのである。事務のズサン発生懸念部分を事前に指摘する、現場の社会保険事務所からの声も無視し続けて来たのである。
要するに、「記載・入力ミスで、年金の払いが少なくなれば、ラッキー!」と言わんばかりの姿勢と言われても仕方がないのだ。その証に、建設業界では健保組合や政管健保ではなく、国民健康保険組合であったことから、厚生年金と連動した扱いとなっていなかったことで、厚生年金にも国民年金にも加入していないのに、保険料だけ給与から天引きされていた事例に対しても弱腰だったこともあった。社会保険適用にかかる調査も、賃金水準の低い事業所は何年でも放置し、賃金の高い事業所は普通に調査をする実態も、このような姿勢の結果であると思わざるを得ない。
社会保険法令の強制適用方針からすれば、話題となっている「領収書に代わるもの」とは何を指すのかを考えてみると、次のようなものが提題される。事業所の雇用記録、健保組合の記録、雇用保険被保険者記録、給与明細、離職票(職安の公文書)、社員証、名刺、同僚の証言(報告書)、技能検定受検資格、児童手当受給書類、厚生年金基金書類、給与振込み銀行通帳、源泉徴収票、社員旅行の写真、官公庁への技術者届などが考えられ、これらを総合的に判断するといったものが考えられる。受付事務に当たっては、本人申告制として、弁護士などの事実把握能力に長けた者が仲介(話題の第三者機関とは異なる制度)に当たることとすれば円滑さを増すであろう。その理由は、過去の社会保険事務所適用課長の証拠隠ぺい事例などからすれば、社会保険事務所が「責任をもって調査出来ます」といった言葉では、受付事務自体でトラブルを増加させる懸念があるからだ。あるいは現在、社会保険審査官・審査会の制度の体制も在るが、事実解明機関とは程遠い制度運用である。この際、年金を払いたくない一心から嫌々受け付ける方策と、法令遵守の立場から個人の年金受給権を受け付ける方策の両面から物事を考えておく必要がある。
何れの道が選択されるのかは別として、日本の個別企業が政府の社会保障制度によりかかって終身雇用制度を進めて来たことからすれば、総務部門担当者は、事業所内の事務を進めるに当たって、これらの手法に至るまでのインフォメーションを頭に叩きこんでおく必要がある。



雇用保険の失業給付支給条件が
今年の10月1日から変更となる。最大の関心事は、自己都合退職で暦日6ヵ月間さえ働いておれば、最低90日分の日額手当が支給されたが、10月1日以降の退職の場合は、過去2年間に暦日で12ヵ月が必要となる。倒産や解雇の場合は暦日6ヵ月間のままである。失業する者の感覚を推測してみると、「就職先をミスったけれども、6ヵ月間さえ我慢さえすれば、3ヵ月待てば90日分の失業保険がある」といった安心感(理屈?)は職場トラブル回避に役立っていた。この6ヵ月が12ヵ月となると、「就職先をミスった!」場合などは、瞬時に退職といったことになり、会社側としても、意欲のない労働者の整理につながるとして、退職が試用期間の14日以内であれば法的な根拠も存在し、トラブル防止の具体的な効果も考えられる。
ところが、労働者が、「6ヵ月の我慢期間が、1年となる!」との感覚を持った場合が問題なのだ。ただ単に仕事がいやだ!といった程度でも、「6ヵ月の我慢」はトラブルの心理的ブレーキの理屈となっていたのだ。それが1年間の我慢ともなれば、セクハラ、いじめ嫌がらせ、上司とのソリが合わないなどの場合には、解雇されない限り失業給付がもらえないと考え、それだったら「紛争を起こして、保障をもらおう」となるのが、失業する者の当然の感覚である。まして、セクハラ、いじめ嫌がらせ、労働基準法違反などが存在すれば、それは、労働者の権利として認められるので、労働基準監督署などが味方になってくれると、労働者は考えるのだ。
こういった傾向は非正規労働者の間で、よく見られるものである。今回の法律改正の政府の思惑は、失業給付の正規労働者と非正規労働者の差異をなくそうとするものと考えられる。個別企業としては、職場での紛争の火種を、理由のない紛争と労働者に権利がある紛争とに適正に処理することができる社内システム(手始めに就業規則の具体的解雇条項を羅列するなど=当社サイトのダウンロードを参照)などを整備しておかない限り、紛争ぼっ発時には、ひとえに会社側が弁済を強いられることとなる。“だらだら仕事で時間にルーズ”であった労働者が、一転、労働基準法違反の時間外賃金請求にくら替えする事件は珍しくもなく、訴訟となれば会社は負ける。こういったことがグローバル基準であるから、会社経営の上での認識が必要となっている。特に、労働集約型事業では、紛争や事件が、累積赤字の根源となっていることには注意しなければならない。



経営分析の新たな視点
固定負債に対応する自己資本比率は、国税庁の発表によると、中小企業の固定資産に対する自己資本は20~30%で、残りは銀行からの長期借入金が中心とのこと。2005年になって商工中金理事長は、「(商工中金は)出資相当分を出していることを考える時代」と表明するようになった。勘定科目の仕分けの形式にとらわれることなく、経営分析をすると、銀行の貸付金は企業の資本金と判断した方が合理的なのである。利息を払っているから借入金と見るのは形式にこだわる本末転倒な解釈で、本来は増資であるにもかかわらず配当ではなく利息を払う約束をしてしまったと判断した方が、物事の本質的な見方なのである。したがって、実態として「銀行は大株主様」として応対しているのは、とても道理にかなっていることなのである。
これを、図表で考えてみれば、もっと分かりやすい。貸借対照表(バランスシート)というのは、一枚の紙を四分割して作っている。左上には流動資産、左下には固定資産。右上には流動負債、右下は資本となっている。左側が資産、右側が負債。上半分が流動、下半分が固定。そして、固定負債に対して資本金が相対するようになるのが本来の姿である。ところが、日本では資本の部が少ない企業の多いのが特徴。(固定負債に対する資本の充足率を自己資本比率と名付けている)。固定負債相当を資本の部で充足されていない資金のカバーをしているものの内、多くが銀行からの借入金となっているのだ。(あまり社債などには頼っていない)。今話題の「会計基準」は、こういった考え方を徹底していることに注目しておく必要がある。
その昔、高度経済成長政策の初期は、日本の産業を都市部に集中、集団就職も華やかであった。しばらくすると、今度は大手企業が地方に進出する工場誘致政策を実施したのである。大手企業の工場が地方に建設されれば、同時に中小企業の事業所も合わせて必要になることから、例えば、「高度化資金」と称して商工中金が3分の2、地元銀行が3分の1といった具合に貸付を行ったのであった。地方の中小企業は、工場受け入れに合わせて、商店街を作り、賃貸アパートを建てていったのであるが、これらの資金も地方銀行が貸し付けたのであった。そこには、銀行が貸付先の経営方針を見極めたうえでの融資とは異なり、政府の政策融資が引き金の「護送船団貸付」であったから、土地や建物・追加担保あるいは地元の連帯保証人(個人保証)を押さえておく必要があったのだ。
ところで、金融面でのアメリカの動機は、郵便貯金の如くすさまじいものがある。アメリカの銀行は、いわゆる「投資銀行」で、日本の銀行とは業態が異なる。したがって、不良債権を処理させた後にアメリカの金融業界が日本に進出するためには、日本政府に音頭をとらせ、事実上元金を返済させない貸付業態(長期にわたって利息を稼ぐ)の元凶となっている、「日本的担保物件」は売却させてしまって、その後、アメリカの金融業界は、元金回収業態の貸付方式を、日本の金融業界に定着しようと考えているようだ。先ほど述べた連帯保証人(個人保証)の制度は、アメリカなどの金融先進国では80年ほど前に廃止をされた制度で、まさか野蛮人の金融制度が存続しているとは思っていない様だ。これが外圧の中身であって、金融庁が、「担保物件の整理」とだけ限定して、言葉巧みに語るのは、こういった背景が存在するからだ。
そうすると、銀行には社会的責任があるといえども営利企業だ。不良債権を損金勘定(銀行救済策)に回すこと+利益率向上につながるのであれば、不良債権の担保物件を処理して、貸付金一覧帳簿から融資そのものを消してしまうことが、銀行経営にとっては得策となるのだ。ほとんど読者は、この意味が理解出来ないかもしれないが、要は、銀行から追加担保や金利引き上げなどの要請があれば、「状況と対策によっては、銀行が融資帳簿から削除に暗黙の了解をする」ということなのだ。そこで今から、3年から5年の間に、優良中堅企業などからの、メガバンクの貸付資金の回収が始まる。そのことから企業経営は、一方では利益率を5%以上向上させることが必要となり、他方では利益率5%未満しか見込めない個別企業であれば、こういった「日本的担保物件」対策が、ますます重要となるのである。一挙に「日本的担保物件」を処理して無借金経営に転換させる戦略展開で切り抜けることを要する個別企業は数多く、その事例は増加傾向にある。
そこにチャンスとばかり、この機に乗じて甘いささやきを用いて、“経営コンサルタント業の○○総研と称する(その実)不動産紹介業”や、“大手冷凍食品会社の知名度で貸付話を持ちかけて、寸前に株式増資に切り替え会社を乗っ取る七人の集団”まで出没しているから、財務を食い物にする悪徳業者には注意しなければならない。ここでは経済学・経営学の真髄を見極めての対策が必要となるのだ。(なお、株式会社総務部が情報交換する、当該分野の経営コンサルタント業は元金融関係職員が中心で構成するもので、合法的であり、不法行為性の危険のある指導は行わないので、念のため)。