2021/09/07

第233号:Afterコロナ禍へ人的資源の確保

<コンテンツ>
新型コロナで見捨てられる=民間防衛・安全な陣地帯を
 【WHO公式情報(マスク、ポスター)の日本語訳】
 【応急の医薬品、防護防護品、緊急の食糧応援】
 【風邪薬は超危険、解熱剤は素人では重症化、】
 【みんなのために行動しよう、これこそが効果的】
 【施設とか企業のトイレからの感染が懸念】
 【家庭内看病やウイルス吸引から守るには】

天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
 ①発見のきっかけ~から、⑥知恵の法則まで

書籍紹介・読書ノート
 『疫病と人類知
  (新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210908】


§新型コロナで見捨てられる=民間防衛・安全な陣地帯を
昨年の1月28日から発信している、世界各地からの医師や情報からまとめてみた。
…国:厚労省・保健所も医療も動かない! 掛け声外れ。そもそも行政機関崩壊!
自己防衛の実態は、個別企業や市町村自治体の民間防衛に依っている。先進例や具体例は、ようやくメディアも取り上げるようになってきた。国や与野政党は“患者遊離”で:具体性がない。


【WHO公式情報(マスク、ポスター)の日本語訳】
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)WHO公式情報特設ページ|WHO健康開発総合研究センター

一般向けアドバイス:予防や対策などに関する重要情報
・動画「自分に合ったマスクをつけよう」
 視聴はこちら
・(むらおかコメント)
マスクはみんなの為の物。自分を予防する安全性は少ないと。
周囲2mに人が居ないとか、一人で車に乗ってるときは不要、むしろ不健康です。換気(1.5m以上の風速)をしていなトイレや部屋は避けましょう。ウイルスを含む霧は、部屋の真ん中の高さに漂っています。閉め切った部屋での扇風機は、そのVirus霧が拡散されてもっと危険。今から冬に向けて、夏季の5倍の感染拡大が予想されるとのこと。飲食店や観光業などをイジメるのではなく、みんなの為の行動を。どうして、内閣府や厚労省は、これを徹底・みんなに周知しないのでしょう?
・ポスター「新型コロナウイルス感染症の自宅療養:感染者の家族や看病をする人に向けたガイダンス」
 閲覧はこちら
・(むらおかコメント)
感染は野放し状態、隔離もしない、自宅放置。
もちろんワクチンでは間に合わない、打った人でも発症する。
旧国立病院系や旧社会保険庁系等の、空きの[ベッドと職員]の数は、50,000床分を軽く超えている。それを内閣府も厚労省も言わない。病院では公衆衛生の為(名目)と銘打っており、既にコロナ補助金が投入されてる。
そこで、自宅での対処法。(心ある人は、みんなのために)
ポスターは[WHO公式情報の日本語訳]です。この際、みんなに配り、職場に家庭に色んな所にも張り出しましょう。軽症でも意識は遠のき、看護が無ければ重症化に突っ走ります。インフルエンザの死亡率は0.1%だけれど、COVID-19は初期の武漢型は看護された場合(収容)でも1%とされる。


【応急の医薬品、防護防護品、緊急の食糧応援】
保健所の管轄となれば最悪の事態が待っているようだ。みんなで新型コロナから自衛するネットワークを今からでも作ることだ。感染すれば金銭や自力では対処できない危険が押し寄せる。自宅放置は避ける。家族もろとも倒れることがあり得る。危険な場所は、家庭内、食卓、床、接触する職場、トイレ、汚物の浸水等。


【風邪薬は超危険、解熱剤は素人では重症化、】
…重症化に関わる懸念! 素人療法は危険極まりない。
45日間は民間薬を警戒。強力な咳止めで初動体力を保つ。
まずは、発熱でウイルスを殺すことだ。
発症時対処は一般感染と同じ→直ちに身体を温め寝る。解熱後には抗酸化物質。体温は42℃を超えるようなら、昔どの家でもやったように頭部を冷やす。(医療の体温低下法は素人では肺炎を起こす)。自力治療(コロナは2日ほど)で抗体確保。生涯、無発症か極軽症状で済む。そして、感染箇所の粘膜はイソジンでしか消毒できない。近寄る場合はフェイスシールドだ。


【みんなのために行動しよう、これこそが効果的】
…「あなたを守る」とか「個々人を守る」では、実際には上滑りを起こし漏れることが世界的にもわかっている。そして、空中浮遊のエアゾル感染(正確には空気感染とは異なる)は、目には見えない状態なのである。この新型コロナのデルタ株でも取りざたされているが、この前のイギリス:アルファ株もエアゾル感染で目に見えない感染だった。今年の春にアルファ株の流行があったが、マスコミも政府も無視をしていた、そして大感染した。デルタ株もエアゾル感染は同じだが、感染した場合の毒性が初期武漢型と比べて2倍と極めて強い、理屈で言えば半分のウイルス量で感染する。ワクチン2回接種者でも発病している。このあたりは、厚労省が一貫して情報公開をしないから、ゲノム解析(何れの株か判定)を始め国内研究機関での研究が進まない(専ら海外研究情報)のである。エアゾル感染の対策原理は、概ね次の通りだ。
総務部メルマガ:2021/05


【施設とか企業のトイレからの感染が懸念】
海外からはCOVID-19の特徴の一つとして腹部の炎症が報告されている。もとよりこの新型コロナウイルスは、目鼻口性器の粘膜へのウイルス付着から感染して、最初に下腹部腸が感染し、次に下気道(声帯より奥の気管)が感染する順路だ。そこで排便によるウイルスの流出、→トイレットペーパーを通過して指が汚染、→指で各部分取っ手を触れて、→必ずドアノブ等を触る。トイレ内部での乾燥が進むとウイルスは水分状態に含まれるのではなく、そのまま空中に粒状で舞い上がる(空気感染)。そのウイルス量は未だ研究されたことはないが、口からの飛沫汚染よりも相当倍数のウイルス量だと言われている。だから、「医者などは、トイレの前に手を洗う」というわけだ。このトイレなどからの排泄は、ウイルス感染状態でも発症していない未患者の排泄物からも出されていることが考えられる。ただし、尿からウイルスや細菌は排泄されない。
この排泄経路を考えると、トイレのドアノブをはじめ、便からの付着、エアゾル状の空中浮遊、乾燥によるウイルス粒の舞い上がり(空気感染)といった、極めて危険な場所であることが予測されるのである。日本の文化において、便や尿の排泄は密閉状態で行われ、その後も密閉されているから、通例を超える感染予防対策が必要となる。(冗談のようだが)どこも触らずにトイレに行って手を洗わずに出てくることが出来れば、ある意味で感染予防的であるかも知れない。が、無意識のうちにトイレ外とかエレベータボタン、そしてウイルスのエアゾルにさらされたマスク・顔面・髪毛から指や手に付着したウイルスを水道水(微量の次亜塩素酸ナトリウムを含む)で消毒洗い流すことを忘れてはいけないのだ。飲食店や小売店舗入口で手のひらで消毒液を受け手を擦り合わせているが、ハンドクリームではないから、それでは肝心の指消毒の効果は無い。むしろその行為はエチルアルコールなどにより肌の弱い部分への過度の手荒れを招いているだけだ。疫病といったものの感染対策などは、こういった生活習慣に関わる細かな行動によってなされているのである。日本人などが“おじぎ”をする習慣は7世紀ごろ(当時は天然痘)に中国から伝わり定着した。初対面の人の近接で臭いを嗅ぎ分けるのは感染症予防の遺伝子習慣だと判明している(人間は臭いだけは絶対間違わない)。実際、加齢臭の強い肥満老人は感染症に弱いとのことだ。
★なお患者の排泄物や唾液、痰や鼻汁といった物は強めの消毒液に浸した布等で覆いながらぬぐい去る。ティッシュペーパーやトイレットペーパーでは汚染される。スプレーをすれば、ウイルスの乾燥した粒は舞い上がり吸引することとなる。


【家庭内看病やウイルス吸引から守るには】
現在は、ほぼ家庭内感染ないしは町内ぐるみor事業所ぐるみでも、霧状態(エアゾル)危険と判断し用心すべきなのだ。よくある不織布マスクでの感染防止は期待できない。ゴーグル(300円程)で裸眼を守ることも必要。エアゾル感染とは、BeforeコロナのPM2.5と同じで筆者がそうだった。不織布もそうだが、N80(JIS規格はDS1=原発事故用)だとしても、顔面とにわずかな隙間があれば侵入する。一般的不織布マスクを隙間なく装着することは、実際には不可能だ。不織布マスクでは永遠に手で押さえていなければエアゾルは3mmの隙間でも直ぐに入り込む。「隙間なく」と言う人は、実際に装着したことが無いのだ。原発処理作業で使うこの形だ。(DS1で検索:1つ140円ほど、8時間有効)~筆者はBeforeコロナの中国などからの環境汚染の被害者であった。
日本医師会:健康の森「PM2.5」防ぐことはできるの?

一般的エアゾルはエアコンや扇風機の空回りでも、相当吸着できるようだ。が、ほとんどの家電メーカーでこれを研究している企業は無い。実際には、経験則でこういった除去も行なわれている。この方法は経験則なので、室内では換気(風速1.5~2m)が重要で、エアコン等の空回しは完璧な除去を保障されるわけではない。(感染とは、Virusの毒性と数量で決まる)。「暑いからエアコンかけてマスクしてます」は愚の骨頂である。むしろエアゾルとか微粒子の吸着式は安価で永久的効果的だ。エアゾルは霧なので雨が降っても全く除去できない。


§天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
個別企業が、コロナ禍を耐え忍び、
“Afterコロナ”の核と担い手となるのは天才の存在である。
そこから生まれる商品(Art域労働による固有文化価値を含むモノとコト)なのである。
もちろん、それは多品種少量で、ICT産業革命の波に乗っている、莫大な金融投資といった新型コロナ:パンデミックで崩壊してしまった産業構造ではない。出来上がった商品は、洗練され真髄を得たマーケティング(発注者に媚を売る捏造ではない)&販促方式ならば売れる。ここでいう商品とは、後述する⑤項目で示す“経済学の商品定義”のことであり、
a.民間個別企業が扱う“実態として生活必需品となっている物資”ではない、そこには流通交通に関わる利潤が利益を食い散らかしている(経済政策や商品政策の問題だ)。
b.はたまた、公共事業とか行政機関の物品購入に類する“入札見積には実態として[疑惑落札促進費]などが含まれている“調達品”といった、決して“経済学の商品”とは異なるところの、もっぱら新自由主義者(ハイエクの唱えた論理は弟子により歪曲された)を扱う“調達品”も含まれない(経済学の分野である財政学や詐欺的父性契約法の問題だ)。
c.かと言って、経済政策や商品政策の問題および、経済学の分野である財政学や詐欺的不正契約法の問題とすれば、その道の天才の能力を要する。実行するのは社会勢力であり、政治家であり、官僚である。
☆そして、この天才の発見ツール(道具)が開発された。
 その図表にまとめたものがこれだ。脳科学や神経科学よる裏付けが整ったことで。
 「天才に近い人材の定義論」(クリックすれば図表は拡大出来ます)
“いわゆる天才の卵”の発見のきっかけを知り、天才本人は自ずと気付くこととなり、よって容易に育てることを促進できるのだ。
国際連盟時代のユネスコ=国際教育局の提唱する“児童生徒教育”を日本は拒否しての、現在まで続けられている「詰め込み教育」ではない。
 総務部メルマガ:ピアジェの検索結果
それにより知識偏重主義の近視眼的インテリの大量生産はできた(中身のない側だけの学歴)。それは、経済構造大転換に基づく経済の立て直しにとっては、そればかりか個別企業における日常の売り上げ確保にとっては、全く役に立たない高卒・大卒・大学院卒の、“お受験国民大運動”で以って、保護者と本人は散財し果ててしまっている。

②読者の方々は気づいておられる通り
日本は、この30年間にじわじわと衰退させられ→経済危機を迎え、新型コロナ:パンデミックと無為無策で、日本経済は一気に転落してしまった。その底流には、“リーダー”といっても“言われたことしかできない者”の中からリーダーが選ばれるわけで、もちろんそんなリーダーの生き様による“労働力”のみの管理が行われるわけだ。そんな企業や世間で流行する教育訓練も、そんな生き様を“真似る子分”を生み出す。それは、あらゆる段階のリーダー、そこには経済的収入に恵まれない人の中での“リーダーになりたい願望”であっても、はたまた、あらゆる階層の底流においても、また然りである。
したがって日本での経済手法にもマルチ商法が流行し、道徳規範の心の支えとなるべき宗教集団も日本ではマルチ商法化している。(米国のKKKとか日本のヘイト集団は宗教団体ではなく、ここでも既にマルチ商法化しており、でなければ外部資金が入っている。Twitterの書き込みの87%はロボットが行っているとの米国での調査研究報告もある。今から10年前の“アラブの春”でもSNSの大半の書き込みが米国CIAによるものだったと判明しているが、これが世界の世論作りの見本となっている、どうも日本の“ネトウヨあたり?”は、こういった書き込みに未だロボットを使用する能力はなさそうだ、投入経費も安上がりのようだし。

③かの昔の、Made In Japan。
その代表格として風靡した日本の大手製造メーカーは、今やその当時の影や形もない程に転落している。かの昔に胡座をかき、イノベーションを冒険と勘違いするほどの教養の無さ、そして決定的なものが、前項で述べたところの“大量生産された日本流インテリ”である。そのことから、「知は力(哲学者ベーコン。アメリカ情報認知局)」といった格言のごとくに勇気も湧いてこない経営者の塊だ。
「いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない」
とうの昔からそういった日本の財界経営者らは、欧米などとは違って、彼らは“コロナ禍”に入るやいな、や中国とか東南アジアの下請け(良くて部品納入業者)の道を選び、政治を動かしている。それがマスコミなどが取り上げるところも=表向きは、“米中対立・日本の国防最前線”となっているのであり、実にその裏でセットとなっている、“中国の下請け+非耐久消費財激安商品輸入”を生きる道としているのである。エネルギー政策も挙げ句は、原子力発電の耐久年限40年を60年と偽り、無理に20年間維持するために周辺部品(最も重要なバルブは日本製品が排除されている)の交換等で誤魔化そうとしている。とにかく、経産省官僚や財界経営者らに知識がなく、故意に「国民や労働者が理解できる程度の話にレベルダウン」してきた。「無知な愚民を騙す」ことを良しとして自らの保身を図る生き方、これを哲学者カントは偽善者だとして厳しく批判したのである。なお、そのもとで寄って生きる官僚や大手企業サラリーマンその他の有閑階層と言っても、予定調和(このメルマガの過去用語検索)に飲み込まれ、体面を築くだけの実質貧困生活・希望や生きがいのない毎日の暮らし・あらゆる人間関係の破綻しか知らない、無知と孤独と他人へのしわ寄せに喘ぐ役目しか見てもらえない人生なのだ。

有閑階層=ヴェブレン『有閑階級の理論』で言い尽くされる(次の如くの要約)
レジュメ ヴェブレン『有閑階級の理論』

④“新型コロナ禍”を堪え忍ぶ中での、現下に売り上げが伸びている商品はマーケティング手法による売り上げ付け替えでしかない。そしてその利益率といえば、原材料費を抑え労働力も手抜きによって支えられているから、決して、息の長い採算のとれた商品ではありえない。
そこで、“Afterコロナ”を支える、人々の身近な経済や生活の構造が、身近にどんなものなのかをイメージする必要があるのだ。今の個別企業とか人間関係の道は、いったん無くなってしまうものとイメージしてから考えるのが良い。今に依存したところで、依存されたところで、互いに迷惑で負担ばかりを強いることとなる。そもそも、

文化cultura文明Civilizationの関係とプロセス

人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。大まかには略奪経済、→封建領地経済、→自由市場(資本主義)経済といった共同体の体制を経てはいるが、科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される近代の文明Civilization進展とともに変化を繰り返してきた。
社会運営技術の柱は、自由平等の実現ための社会そのものの形成である。そのための道具として民主主義(一定程度の社会主義)を用いている。そして、戦後に基本的人権が加わった。
第二次世界大戦後の、劇的な科学技術進展の主なものは、抗生物質、プラスチック、食料価格の半減にまつわるものである。そして、今やICT産業が“Afterコロナ禍”に本格到来しようとしている。そして再び、文明Civilization進展とともに、文化を始めとして変化を繰り返す。“天然痘の感染拡大”により、日本では7世紀に中国から、挨拶の際の“お辞儀の習慣”を取り入れた。8世紀になると今度は、大盛りに盛られた料理を、“各々の小皿に盛る”こととした(聖武天皇=恭仁京(くにきょう:京都府木津川市)。人と対面した時の臭いを嗅ぐ習慣は世界中にあり、その起源は感染症の嗅ぎ分け(人は臭いを間違わない)とされる、肥満老人の加齢臭は新型コロナウイルスに感染しやすいとの文化(危険体調を判断)も残るだろう。

“幸せと満足”の概念は科学的に解明されている。
科学技術や社会というものの形成された過程の上に、その際に話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(哲学者カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部において、他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが行動心理学で解明された。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された共同体関係内部にあっては満足をするかもしれないが、“厚生”自体は単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らが希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(社会学者ジンメル)といった文化culturaについての共通解明に至るまでに、人類の英知は達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は、さらさら自由ではない、個人や集団のただの選択なのである。
そして人間にとって、文化cultura、文明Civilizationを経ることで形成された概念(社会に応じた論理の出現)が、意欲や活力を産むのである。ただし、“活力”とはいっても、アインシュタインが“活力”自体を解明し、それは単なる「エネルギー交換だ」、との文明的科学技術的な発見をするまでの幻想概念に過ぎなかった。したがって、“活力”の用語も次第に使われなくなる運命にある概念の一つには変わりはなかった。

⑤利益の確保できる商品は、前述したことを総合すると、多品種少量生産の構造が最も有望であり、幸いなことにIT機器の極めて文化的有効な活用によるICT産業革命により、多品種少量生産なりが開花することになる。前③項で述べた「無知な愚民を騙す」ことを目的としたデジタル化&IT機器化(こういったものは文化的有効性がない)は、人間の“有機AIロボット化”を促すものである。実に無機メカニックのロボット製造は、極めて膨大な投資と時間を要するのである。だから、安直な全体主義者や自由市場競争(資本主義)を望まない経営者が、人間の有機AIロボットを望むのである。

●そもそも、ある経済学:財政学の研究によると、経済学者ケインズの学説を弟子が歪曲して、当時のソ連で実験した全体主義的インフレ政策&通貨価値順次切り下げ(期間が経つごとに通貨価値を10%ずつカット)を導入したとのことだ、貯蓄をせず消費するだろうと。
●ちなみに、ケインズが最重視した雇用(現在もアメリカの金利は雇用統計にリンク)を建議したのは経済学者スラッファである。スラッファの朋友が経済学者グラムシ(戦中のレジスタンス経済「自己統治:人民の家」の指導者・イタリア共産党幹部)であり、ソ連は革命直後に労働貨幣論に失敗し、併せてソ連内から経済学者を追放し、マルクスやレーニンの経済学を「いわゆる西側経済学説」に変質させ、「ソ連型計画経済?」を実行していた折である。(世界の社会主義政党は近年その変質を知り、今になって修正や変更を進めているようだ、日本でも)。
●ドイツのナチス:ヒットラーは、ポーランドの農民をドイツへ強制移住させ、デンマークのチーズ(ドイツ人好み)を銃で奪うが農業政策のスローガンであった。その手段としてスターリン全体主義を真似て導入したかったが断念した。一方、戦前の傀儡政権である満州国はその行政機構のすべてを代行していた日本の商工省が、岸信介を先頭にスターリン全体主義を真似て導入、その後戦前の日本に計画経済を導入、さらに戦後、戦犯岸信介がアメリカCIAのメンバーとなり、多額のアメリカからの資金援助とCIA工作のおかげで、スターリン方式を様々導入、現在まで計画経済のその面影を官僚機構は強く残している。(スターリン全体主義を各国で導入したかった風潮は、ナチス経済研究などに記されている)。
★こういった経済理論の成り立ち等をよく考えた上で、素人のウケ狙いとか社会経済の実情よりもイデオロギー(=総務部メルマガで検索)を優先させるとか、耳あたりの良い慰め言葉の使い方(レトリック=修辞学)には注意しなければならない。

【そこで、こういう着想が成り立つこととなる】

☆☆もとより、経済学の商品定義は、
地域循環経済単位を超えた流通交通での商品として成り立つとの分析だ。単なる地理的概念の定義ではない、地域固有文化的である。
その最小経済(地域循環)単位が、現在の日本で言えば約10,000存在する中学校区(行政機能)となるようだ。地域循環経済で有名なイタリアは人口6千万人余に約8,200の自治体だ。
この古典経済学の学説は未だ修正をされるとか発展もしていない。非科学的にビジネスなどに走りすぎる御用学者たちは、商品の地域経済単位を超える有効性を無視している。

○地域循環経済単位で取引される、衣食住の最低生活必需品とか最低の医療介護福祉事業は、商品として成りたたないと考え直す必要がある。ただ、いわゆる配給物資は商品ではない。ところで、実質的な配給物資が量販小売店とかに並ぶが、どうしても“似非商品”として売られると不当利益まで、一般庶民は通貨は払わされている、←でもこれは、経済政策の失敗で、失敗を善意の事業主が配給の肩代わり&負担をしているのだ。

○地域循環事業に必要な資金は、地域経済の地元で用立てすることはできる。資金ばかりか、ボランティア活動も投資となる。

○地方自治体の地方債を、介護や医療への投資資金としての自治体基金で運用できる。昔イギリスでは、利息毎年払いで相続税のかからない国債を大量発行して、国の赤字経済を解消した事例がある、日本の財務省官僚は、これを教えてもらって知ってはいるが交付金権限がなくなるからといって国は採用しない。これを生活に密着した自治体単位で行ったならば、まず間違いなく、多額の資産資金が地域経済の表に出現してくる。数年後に予定されている“渋沢栄一”などの新札(新券)交換は、“新円切替による旧紙幣廃止“に変質させられれば、直ちに財産税として徴税されるであろう。地域循環経済が落ち着いたところで、地域循環品を扱う地域通貨も考えてみればよい、そうなってから、地元雇用の多い事業所は労働報酬を地域通貨で賄えるかもしれない。

○すなわち、イタリアやヨーロッパ各地のように、いわゆる“広い意味での生活必需品”を課税対象や消費税対象ではないところに位置させることも、ひとつの工夫として大切だ。無償ボランティアや奉仕活動に税金はかからない。

○次世代の地域経済とか地域循環経済を担う“天才の卵“を育てることだ。年齢も男女も問わない、天才を抱えた個別企業や自治体などの集団やグループには未来が来る。

⑥いわゆる“哲学”を、あなたにとって都合の良い言い方をすれば、
“便利で長期安全安定を担保する知恵の法則”なのである。

だから、“合理一貫性と事実一致性”が不可欠となるのだ。ところで、哲学を世界観や人生観と混同して捉えている人もいるが、そんな場合は便利でもないようなマイナスの宿命のような刹那や諦めを混ぜこんでいるわけだ。また、他人を騙して生きる、人を踏み台にして生きる、“合理一貫性と事実一致性”など関係なしに口からでまかせで生きることなどは、世界観や人生観の範疇に含まれるもの、ならず者や無法者の判断要素なのである。

いま述べた、“合理一貫性と事実一致性”の裏付けである“根拠や証拠”として、脳科学や神経科学における発見、が近年さまざまな証明がなされることとなっているのだ。2016年にほぼ確立された、英国のカール・プレストンの「自由エネルギー原理」によって、その脳科学は定説が完成された。そして今回、
“行動経済学に行動心理学”&“脳科学に神経科学”の“結合connect”を、過去からの経験則その他も含めて主なものを、筆者が2021年8月17日に結合connectしたわけである(図表)。
a.直ちに周辺の“天才の素質”を持つ人物に見せたところ、本人の自覚や行動パターンからすれば、的は立っているとの好評を受けた。ちなみに、b.秀才型人物には言葉とその組み合わせの意味が若干の説明を加えてもつかめなかった。c.根っからの職人型人物(パフォーマンス)は、例のごとく、自らの意見とは異なる内容と判明した途端、「喧嘩を売られた!」と誤解するに至ったのである。その意味では、“天才の素質”を持つ人物が、「なんだ、それは当たり前だ、分る解かる」と述べたことで、学問的にも成功なのである。
もっと具体的な結論までを言えば、“天才の素質”を持つ人物は「天才の卵」であるから、何歳なっても中高年でも育てられるというわけだ。そこは、子どもの脳の発達段階で用いられる「ピアジェの発達段階説」とか、「全くの未発達状態」の如くの、事実上の成長期限の存在は見受けられない。要するに「天才の卵」であるから、死んでしまうまで頭脳の能力は成長し伸びるわけだ。
→そして、“天才の素質”を持つ人物は、高齢にかかわらず、より高齢の方が、とにかくはっきりして、みんなの役に立つのだ。

☆今一度、角度を変えて繰り返すと、行動経済学に行動心理学そして神経科学の学説や有力な仮説の裏付けを、脳科学の定説は裏付けているのだ。ただどうしても、超一流の研究者は自らの専門分野が長けていることがあっても横の分野とのつながりが弱い傾向があるのは否めない。大学や大学院の教授や教員たちは、今の文科省の政策や交付される研究資金に操られることもあり、横の分野とのつながりは、本当に作る機会がなくなっている、学術学会その他でもマトモな議論が成り立たず、聞き流してお茶を濁す場合が多い。(巷の天才の卵たちはそんな、お茶を濁すことにはならないが)。

★加えて彼らは、実態現場と遊離的であるから、突如として非科学的な人たちの「物珍しさ」も相まって注目をあびる。そこで注意しなければならない重要ポイントは、証拠とはやはりそれは裏付けに過ぎず、TVバラエティー番組の如くの裏付け第一主義=証拠第一主義(社会課題の存在関係すらを、「こういった(架空)事態も在るのでは?ないか!」と証拠もなく事実をでっち上げること事態なども、真理や本質を見間違える事態を招来するのであるから、口先だけといえども注意が必要だ。(ちなみに)ここは哲学として成り立つ要件として、証拠第一主義は“合理一貫性と事実一致性”の原理を崩壊させるものであり、戦前のナチスヒットラー協力者や日本の軍国主義者が大いに用いて、人心操作や犯罪に手を染めた歴史(ニュルンベルク裁判~東京裁判)から導かれているのだ。

☆アダム・スミス(経済学の父)は世界で初めて、現在の共感Empathyの概念を用いた。このEmpathyの用語は1904年に発明され、それ以前の(共感とか同情)Sympathyとは、日本国内でも(心理学者たちの怠慢で)やっとここ数年のうちに明確に区別されるようになった。その効果は、さまざま説明したところの科学3分野(自然科学、精神[人文]科学、社会科学)においても、さまざまに役立ったである。とりわけ、“天才の素質”といったものを見極めるとか“物を与える(福利厚生)を幸せと錯覚させる”物質主義者の詭弁を見破るのに役立つこととなった。
科学とは簡単に言えば、「何時でも何処でも誰でも、その法則に基づけば繰り返して実行できる」というものである。もちろん、先程示した科学分野(自然科学、精神[人文]科学、社会科学)にもこれは貫かれている。(貫かれていないのが、学問とかイデオロギーの類だ)=すなわち、新しい発見が出てくると、右往左往するとか変質する学説は科学ではない。科学者は、新しい発見をしたならば、従来の法則性についても指摘をする。科学者でない学者は、唯一発見するだけである、物珍しくあたかも過ごそうに。
したがって時節柄、医者とか医学者全員が=科学者ではないことに注意しておかなければならず、多くの人が錯覚に陥るのはこの医者=科学者の混同が原因しているからなのだ。学者はせいぜい、ただ発見するだけである。

☆まだ研究段階だが、天才は体験や研究量の少ないこともあって、科学者的テクニックは未熟でも“合理一貫性と事実一致性”は持っているようだ。

【用語 DATAベース】
天才に近い人材の定義論
行動経済学に行動心理学&脳科学に神経科学の結合connect
(それが社会的だと、有能が役立つ)最新の脳科学などで裏付け
・頭のてっぺん(脳天)に集中する脳の部位
・楽しく生きながらドーパミンを出してニューロンを活発化
・能動的推論を数多く繰り返す!ことに、【合理一貫性&事実一致性】
 受け身ではなく積極的に推論する仕組み
・視線(眼球)を動かしてかつ物を回転させるが如く観ている
・感覚と行為で知る外部状況及び脳内の知覚による内部状況の2つを
  区別することによって血圧や体温を一定に保つこととなり
  進化や人類の英知の基盤作用となる自己が形成(個人)される
・自律・自由は不可欠であり
  ×モラハラ⇒飼育・調教  ×外圧を加え⇒洗脳・隷属
  ×詭弁やレトリック(修辞学)は他人の抑圧のために成され
   そこに希望は無い。
  ○個性が在ってこそ自律するそして、自由となり創造的芸術的に!
   希望が湧かないところには
   美も芸術もない   ×綺麗(キレイ)は希望は無い
・他者の行動を理解する(共感Empathy)
  ミラーニューロンは他者と自分との間で鏡のように反応する。
    意識的な2秒未満か それとも3秒以上か
・未来に資する意思を求めて脳は動く
  話す相手の言葉を先読みし~円滑な意思疎通を成し
  その意識は血圧や体温と合わせて一定に保たれる
  かなり先まで予測しながら、眼球を動かしている
・好奇心を求め
  その結果、新たな観測を行い⇒新たな発見と学習を行う。
・正確さ⇒説明力……シンプル is Best!
  睡眠中に脳内で単純化を行い
  そして覚醒時にも単純化できる=洞察力
   ⇒「なるほど体験」とか「あっそうか体験」
・カオス(混沌)の世界「“風が吹けば桶屋が儲かる”」
  好奇心&洞察力のもとに、~“一生懸命やったが失敗”その人生の、
  あの日あの時の失敗が、脳に体験記録され蓄積されている程に
 カオス(混沌)の渦の中でも仕分けがつく。
    (成功への、ベクトルやモーメントを着想)
・好奇心や洞察力で世の中を見て眺め
 すると、限られた脳容量や時間でも活躍できる
   =脳も気力も、疲れにくいこととなる
         ↓   ↓
 脳が疲れる重複行動が、挙句うつ病の招来へ
2021年8月17日 記

§書籍紹介・読書ノート
『疫病と人類知
 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』

『疫病と人類知 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』
 ニコラス・クリスタキス著、庭田よう子訳

「彼は、2024年までパンデミックが続くと予見する」
_気づきのあった文章の拾い読み、
 その10ヵ所を、この記事の後半に引用のノート_

…読者のあなたの、新コロナその他、将来予見能力の、訓練の向上に資するものである。
新型コロナウイルスとかそのパンデミックの行方を想像するには、過去の疫病の歴史やウイルス感染の基本的医学知識を把握するとともに、新たなウイルスや諸国の社会構造や世界とのつながりといった、混沌(カオス)とした状況から、その新たな混沌状況の底流に流れる、“客観的合理的な法則性を持った底流”の把握に努めながら想像して予見する必要がある。

それには、ここに紹介する「疫病と人類知」は、著者のニコラス・クリスタキスが世界中から集めたIntelligence と Informationをふんだんに『ネイチャー』誌に昨年数ヵ月にわたり掲載し、この著者ならではの論理や結論を展開するものである。この著者の論述手法は、新型コロナを問わず、読者の方でこれからの行方を想像する一助であり且つ将来予見訓練に資するものである。(いわゆる、AIが不能なカオス理論活用の一部である)。

マスコミや政府発表の色眼鏡を通した代物を、限りなく集めたところで、限りなく混乱し限りなく精神疾患に近づくのは間違いない。そして、多くの人は思考訓練をしているわけではないから、混沌(カオス)とした状況から精神疾患を避けるには“恐怖に陥る選択肢”を自己防衛に取り込むのである。だがそうすることでは、限りない恐怖の世界に陥り、あげく、その人にとって“耳障りよく無知なりに思いつく概念”に飛びつくのである。他人依存構造の世間体共同体の中で育ってきた人は、“依存症を操る言葉”に操られ安心感さえ得られれば、自らの命さえ投げ出す結末であっても、レトリックに100%頼り続けるのである。そして、その醜態のリードに輪をかけるのが、日本においては厚労省が一切のIntelligence と Informationを公表しないから、関係する科学者その他が、研究することを阻止され、様々な国難打開策を建議する道をも閉ざされていることである。

明治維新後日本国内に導入され文科省が今も一般的に進めている「英米型科学哲学」は、既存の観念的仮説を客観的合理的に[裏付け立証]することに重きを置かれることから、「だれもが参加できる客観的証拠という形」に知識が収斂して行く弱点がある。よって、「混沌(カオス)とした状況から、その新たな混沌状況の底流に流れる、“客観的合理的な法則性を持った底流”を把握する」といった能力とか訓練は極めて貧しいことになるのだ。
ただし、英米とはいうものの、筆者(むらおか)の知る限りでは、イギリスではCommon lawが存在し、アメリカでは混沌(カオス)状況の底流に流れる客観的合理的な法則性を把握する法律家養成教育(Ratio decidendi)がなされている。フランスでは戦後になって、先ほど来紹介している混沌(カオス)とした状況の底流に流れる“客観的合理的な法則性の把握”の科学哲学が一般に普及している。

すなわち、日本の教育方式での混沌(カオス)とした状況の対処は、不能であり極めて閉鎖的であり、世界からすれば偏った[文科省の進めてきた客観的合理的教育?]の上に、胡坐(あぐら)をかくインテリ思考(解りやすく教えるとの詭弁で以って、結局は間違いを教える弁解)によって、似非科学に騙されやすく、知識偏重主義(合理一貫性又は事実一致性の欠落)の人物が蔓延するに至っているのだ。ないしは、そういった似非インテリ思考の連鎖によって、膨大な“学びや学習嫌い”の人たちを再生産しているのである。まるで日本は頭脳未成長の子を産み出し、未:文明civilizationの地日本に固執するとも言えるのだ。
以上のような予備知識を持って、次の本を読んでいただければ、冷静かつ今後の行方を想像する能力や予見力を得る一助となるから、これを推奨する。

【訳者あとがき 402頁から引用】
『2020年1月、長年共同研究をしている中国の研究者から連絡を受けたクリスタキスは、携帯電話のデータを用いて、新型コロナウイルスのアウトブレイクにおける中国国内の人々の動きを追跡することにした。
彼らは共同で3週間不眠不休の研究を行い、それをまとめた論文を2月に『ネイチャー』誌に投稿し、4月に掲載された。クリスタキスは2月の時点で、深刻なパンデミックになることを予測していたが、それに対して国が準備をしていないことに失望していた。そこで、疫学の基礎知識をツイッターで世間の人々が発信し始めた。すると、ビジネス界のリーダーたちが彼に連絡してくるようになり、それに関する本を書くことを思いついたという。2020年3月中旬から数ヵ月をかけて書き上げたのが、本書『疫病と人類知』(原題“Apollos Arrow”)だ』。
なお、著者のニコラス・クリスタキスは、2020年7月現在のアメリカ政府による検査状況にまで至る資料を示し、日本語訳でA5判;450ページにわたり医学と社会学の方面の論述を行っている。(むらおかコメント)

__気づきのあった文章の拾い読み__
p.46
CDCはコロナウイルス感染者の濃厚接触者を「患者の発症48時間前から隔離されるまでの間、患者のおよそ2メートル以内に少なくとも15分間いた者」と定義している。ウイルスは2メートルをはるかに超えていっても広まる可能性を考えると、これはやや恣意的な基準だ。とは言え、感染が起きるほとんどの状況をとらえている。

p.149
こうした抗体が検出された場合は、その人が以前病原体に染していたことを示している。抗体検査で陽性の人は、通常その時点でウイルスが体内から消えているため他人に感染させる事は無い。

p.169
ニューヨーク市はアメリカにおけるパンデミックの震源地となり、……この危機に必ず対応できると考えていた。病院の幹部も自信をのぞかせていた。ところが3月18日には、イタリアと同じように、ボランティアを頼みたいという前述の呼びかけに対し、退職した市内の医療従事者が1,000人以上も答えてくれたと、デブラシオ市長は報告した。「再配置」された皮膚科医、眼科医、神経科医で、救急部と集中治療室はあふれていた。

p.172
富裕層の居住者のほとんどは、ニューヨーク州北部やコネティカット州といった近隣へ逃げたが、その他多くの人たちはアリゾナ、ミシガン、南カリフォルニアへと向かった。

p.196
過去30年の間に、医師は、独立した専門家として見られるのではなく、臨床医療をほとんど理解していない者が率いる大きな組織の従業員として見られるようになってきた。今回のパンデミックは、この緊迫した状態をはっきりと浮き彫りにした。マサチューセッツ州のある家庭には「ここ10年から20年の間、自律の喪失と軽視が進行している」とし、コロナウイルスの流行が「それを噴出させている」と述べた。医師や看護師が患者のケアに必要な設備を入手するどころか、管理者が病院の効率化を模索し、不都合な情報を検閲あるいは抑圧してコロナウイルスの流行に対処しようとする実態が、全米各地で起きていた。

p.208
ウイルスの治療法とされるものに関しても、偽りの情報が氾濫した。まるでタイミングを見計らったかのように、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生した直後から、ありとあらゆる金目当ての売り手が、効かない、または効くはずがない、いかがわしい秘薬を世に出すようになった。彼らの多くは影響力のある現代のメディアツールを利用して、何百万人もの人々に売り込めるようになった。

p.242
低所得者の仕事のほとんどは、リモートワークができない。調理師、看護助手、食料品店のレジ係、建設作業員、清掃員、保育士、トラック運転手などは、在宅で働くことができない。景気低迷で職を失わなかったこうした職種の人々は、感染リスクが高い環境に置かれていることが分かった。また、このような職種の多くには十分な健康保険がないため、病気になっても簡単に医療を受けることが(あるいは病欠をとることも)できなかった。そのため、多くの労働者階級の人々は病気になっても仕事を続け、治療を受けようとしなかった。そして、病気でも働いていた人々が、このエビデミックepidemicを悪化させることになった。

p.260
現実面での問題としては、共有する脆弱性ではなく集団間の発病率の違いを強調する限り、問題をほかの誰かのものだとみなし、自分たちの苦境を人のせいにしがちになる。最も有益な事は共通の人間性を強調することではないだろうか。パンデミックに立ち向かうために必要なのは、団結と疾病をコントロールしようとする全体の意思なのだ。

p.267
マスクをつける事は1つには親切心からの行為であり、その思いやりが必ず報われるという保証は無い。その上、国内の一部の地域では、マスク着用は被害妄想や自由に反対する反米的態度を示すという誤った考えにより、店舗やレストランから入店を拒否されることもある。「[客には]ビクビクしてほしくない」と、ある酒場の店主は言った。しかし、第3章で述べたように、マスク着用者はマスクで自分の身を守ることには(ほとんどの場合)限界があるため、マスクの着用は利他主義を反映した行為なのだ。

p.274
それがひとえに他人を助けるためだと理解すれば、人は物理的な距離を取ることに関して、ルールに従うことが多かった。つまるところ、人間は利己心を超越できる道徳的な行為者なのだ。ある研究では、公衆衛生のメッセージをどうすれば効果的に伝えられるか評価した。
「コロナウイルスに感染しないようにするにはこの手順に従ってください」と伝えるのと、
「コロナウイルスを広めないようにするにはこの手順に従ってください」と伝えるのとでは、どちらの方が効果的だろうか? コロナウイルスの公共への脅威を強調することは、少なくとも個人への脅威を強調することと同じくらい、ときにはそれ以上に効果があることが判明している。これは、予防接種を受ける動機が、利己心だけでなく、公共の利益への配慮からであることを示すその他の研究とも一致している。

p.356
過去に深刻なepidemicを経験したあと、芸術は新しい方向に進んできた。例えば、1918年以降、アーティストやファッションデザイナー、建築家が、世紀の変わり目の過剰さを「脱却」しようとしたことで、ロマン主義は衰退し古典主義が復活した。1918年以降の10年間というのは、芸術家たちに「結局のところ、私たちは古代人にはかなわなかった」と言わしめた時代だった。私たちは古代人と同じように破局と死に陥りやすかった。

___(ここまで、この本の日本語訳から引用)___

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210908】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。この9月号で紹介できるものは1冊だけ。
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)
①『疫病と人類知
 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』
『疫病と人類知 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』
 ニコラス・クリスタキス著、庭田よう子訳

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