☆☆☆☆☆「労働契約法の解説速報」☆☆☆☆☆
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日本経済は、成長!成長!
と浮かれているわけには行かなくなってきた。
中小企業は平成恐慌の当時から浮かび上がるともなかったが、世界経済がここにきて、アメリカの住宅ローン金融商品がマガイモノであったことが発覚したことで、来年は金融危機を迎えることが必至の状況となってきた。北京オリンピックをはじめとした中国特需も来年8月で終息気味であり、上海万博などは影も薄くなりつつある。そういった金融経済や中国特需の話に浮かれているさなかに、実は日本の国民一人当たりのGDPは急降下転落をしてしまっていることに、マスコミ関係者も目を向けようとしない。
要するに、日本の経済を実質的に支えている中小企業が疲れ果ててしまっていては、経済成長に結びつかないのだ。都市と地方の格差是正のための公共投資の話題も、「貧乏人のむなしい争奪戦の話」にしか聞こえない。そんな程度のニュースをマスコミが追い求めていること自体にもむなしさを感じる。
経済を豊かにするには、その戦略方向性は「高付加価値商品&高水準サービス」の商品提供なのであるが、ここに最も力を発揮するのは優秀な中小企業などである。ところが、行政のセーフティーネットが極めて中途半端であることから、優秀な中小企業ではセーフティーネットの恩恵を受けることがないのである。それは、優秀な中小企業にとっては最低賃金が引き上げられても、その程度の経営環境変化には順応する能力があり、むしろダンピングで生きのびようとする前近代的中小企業には致命傷となる市場の存在が、そういった優秀な中小企業には市場拡大のプラスに働くのである。
「経済構造改革を進めると言いながら格差是正や規制強化!」といった中途半端にならざるを得ない、経済政策の裏には、優秀な民間企業を育成して、日本経済を豊かにし立て直そうとする意思が見受けられないところに原因がありそうである。例えば、トルコ共和国がEUに加入したいと申し込んでも、国内の差別人権制度を解消できない政府には入る資格がないと断られている有様と似たところがあるのだ。
構造改革や格差是正を、どういった人たちが誰と手を結んで行えば良いのかを、良く観察しておかないと語句や漢字に振り回されてしまうのだ。世界的に経済が金融分野に偏ったから、必然的に金融危機が訪れるのだが、そんなことは経済学のイロハであって、経済を豊かにするには、人間の衣・食・住・情報・ノウハウに関わる国民的基礎力を養うことが必要なのである。
さて、いわゆる内部告発の力を借りて、
今、日本社会は経済にはびこる、「ペテンやウソ」を排除しようとしている。人々が安定した生活を送るために必要な金銭、これを逆手とって、「金!金!金!」と人々の不安をあおり、そのもとに拝金主義が社会に定着したのだが、これが是正されようとしている。端的な例え話をすれば、「会社経営のためなら、違法行為も仕方がない!」といったような切羽詰まった経営をしている個別企業は、コンプライアンスをめぐる同業者間のチクリ(内部告発)でもって、経営危機を迎えるということになるのだ。
そうすると、金融商品に手を出さずに、かつ正直に真面目に次世代経営を目指して来た個別企業が、ここは資本力(日本の銀行融資は増資と同じ効果)を増強して大きく網を広げれば、仕事を受け止めることが可能といったマーケティング戦略になるということなのだ。折しも、来年の金融危機に向けて、日本国内の内需を増強する経済政策が打たれるから、これもプラス効果として働くことはもちろんである。
そこで、格差是正?労働市場?の方面の話になると、厚生労働省も派遣法の改正法案は見送ったものの、日雇派遣は極端に不安定な働き方を招き、賃金の違法な天引きや二重派遣など不法行為に至ることから、行政指導でもって規制を強化することとなった。引っ越しと倉庫内での商品仕分け・袋詰め・ラベル付けなどの軽作業などに影響が出る。加えて、派遣会社の粗利益が分かるように派遣料金を公開させる動きに出て来た。必要経費以上にマージンをとる会社が選別されるようになり、賃金向上につなげたいとの思惑だ。厚労省の調査(05年度)では、派遣料金は労働者1人につき1日(8時間)平均1万5257円だが、派遣労働者の賃金は平均1万518円、粗利益+マージンの率は31%と旧来より高くなっているとのことだ。
最低賃金法改正案と労働契約法が28日午前の参院本会議で賛成多数で可決成立した。
最低賃金法は、「生活保護に係る施策との整合性に配慮する」ことを明記することで生活保護以下の収入解消を目指し、「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」との文言でもって、一時間当たり千円に限りなく近づけるための基盤を整えた。罰則も「2万円以下」から労働者一人当たり「50万円以下」に引き上げとなった。
労働契約法は採用や解雇などのルールを明確にするものだが、これまで判例に頼っていたために労使の間に見解の相違といった論争を発生させていたが、これからは法に定められた要件事実をめぐる決着が進められることとなり、経営管理の重点は紛争の未然防止にシフトすることとなった。
法律違反となれば、個別企業は敗北するしかない。
非正社員の待遇を改善するため労働契約を「就業の実態に応じて均衡を考慮しつつ締結する」との原則が加えられたため、合理性(道理があり、社会共同体秩序に資すること)のない労働時間の設定や賃金決定方法あるいは短期間雇用契約の繰り返しなどが制限される方向に向かうこととなる。パート労働法と相まって、社員と同様の仕事をさせながら、身分をパート、契約社員、アルバイトなどとして労働条件の低下を狙うといったことは極めて難しくなるのだ。(パート労働法にいう、「パート等労働者」とはパート、嘱託、臨時社員など正社員以外の労働者を指すことに注意が必要)。
ところで、新しく労働契約法が施行されたとしても、専門的な知識や総務人事の実務に精通した専門家(特定社会保険労務士とか労働専門弁護士の中の一部の者)からアドバイスや指導を受けていたのであれば、差し当たり、あわてて採用システムや就業規則内容を見直す必要は無い。
反面、政府としては、労働契約法施行に伴い、大幅な見直しや制度改善を図る意思や能力のない個別企業は、これからの経済社会においては政府の保護対象から除外された扱いにされるという、グローバル経済の厳しい嵐の中での経営環境の悪化を織り込まなければならないことなのだ。
「労働契約法の解説速報」
11月28日に成立した労働契約法が、直面する人事管理にどのように影響を及ぼすかの解説。
旧来の、いわゆる日本企業の企業論理や企業内自治といったものは、客観的に合理的かつ社会通念上相当であると認められない場合は通用しないこととなった。例えば、「おれとこの会社は、こういうやり方だ!」と強がりをいったとしても、紛争調整委員会や裁判所に持ち込まれたときには効力を失い、この法律の施行前と比べれば、いとも簡単に個別企業は損害賠償・代替措置・将来措置の責任を取らされることになった。解雇事件の解決となると、パートで100万、社員で300万の金銭が必要であり、それも着手金70万を弁護士のために用意して弁護士に依頼する条件の場合の相場なのだ。
労働契約や就業規則あるいは労働協約の優先順位(第12条・第13条関係)
ややもすると従来は諸説氾濫によって
→間違った判断が社会保険労務士や弁護士の一部で流布されていたが、これに終止符を打つことになった。すなわち、
(1)労働基準法や労働契約法などの法律に反する条件は無効
(2)就業規則の条件を下回る労働契約は無効
(3)就業規則の条件を上回る労働契約は有効
(4)就業規則や労働契約よりも労働協約(労働組合との契約)が優先
といった具合だ。
ただし、この就業規則なるものが効力を発するための条件(第11条関係)
が今回定められることになった。
(1)労働基準法に定める必要事項の記載
(2)合法的に選出された労働者の過半数代表者の意見聴取
(3)労働基準監督署への届出
の三つが済まされていない限りは、事実上就業規則としての体をなさなくなった。
とりわけ、従来は周知さえすれば、労働基準監督署への届出を遅滞していても、就業規則の効力そのものに影響はないとされる扱いの判例法理が存在したが、労働条件に関わる部分については、適正な手続が欠落していれば、就業規則としては使い物にならないと定め(法定法理)られた。いわゆる近年時代を反映した「手続主義の法のパラダイム」を定着させることとなった。
労働者の定義が拡大された。労働基準法では、「事業又は事業所に使用される者で、賃金を払われる者」が適用対象者なるが、労働契約法では、「使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者」となっていることから、いわゆる「1匹労働者」とか「独立自営労働者」あるいは「自由業労働者(社会保険労務士や弁護士などの資格者の一部)」に対しても適用される。
労働契約を締結するにあたって、いくつかの注意事項が設けられた。(第3条関係)
(1)対等に合意されたと言っても、一方的に著しい労働条件の低下の変更を迫る申し込みとか、1日労働時間が8時間だからと言って深夜24時を境に、前後8時間ずつ(休憩を含め連続18時間の拘束)の労働時間に変更を迫るなどのことに制限がかけられることとなった。
(2)労働契約は仕事と生活の調和に配慮することが必要とされた。一方では上司の好みによって週40時間労働が保障され、他方では上司の嫌悪によって労働時間数が減らされていくといった労働契約は制限される。労働契約書に一週間の労働時間数を明示していなければ週40時間労働の賃金を支払うことになるのだが、時間数が減り得ることを明示したとしても生活の調和に反することはできないのだ。労働時間が長時間となる場合も生活の調和にも配慮を求められることとなった。
(3)近年、派遣業や業務請負業において横行する、労働者をペテンにかけたり、契約の抜け駆け、ダマシ、ウソなどについては、従来は民法の信義則違反として扱われて来た。ところが、これではその濫用の程度が裁判官の判断にゆだねられるばかりであったために、紛争過激化や泣き寝入りが発生し社会混乱を招くに至っていたことから、「信義に従い誠実に」との信義則の原則でもって、一般の認識や紛争調整委員会での解決を促進する項目として加えられた。
労働契約の内容の理解の促進(第4条関係)
とは、単に明示するだけでは不十分であると言っているのである。労働条件について、書面を作成し、書面を手渡したから、「それを見てないあなたが悪い!」といった乱暴な人事管理の取り扱いを禁止することになった。就業規則を手渡したから、それで事が足りるといった認識は改めなければならない。期間契約を結ぶ際にも、内容を通知したから、それで事が足りるといった認識も危機を招く。最低限、採用や労働契約の変更を行う際には、就業規則の説明会や対面方式で内容を読み合わせるなどの説明行為が必要となるのだ。これを怠って、労働者から、「聞いていない!」と言われれば、その労働者の言い分が通用することになるのだ。
安全配慮義務(第5条関係)
生命・身体の安全を確保するといったことは、総務人事担当者では当たり前のように考えられているが、実は法律的裏付けがなかったのである。昭和50年に、自衛隊八戸駐屯地車両整備工場での事故をきっかけに、最高裁で安全配慮義務という概念が生まれ(法律の専門的には:不法行為→契約行為との判例法理)、これが、医療機関や学校その他社会一般に広まったものとなり、いわば常識となっているもの。
長時間労働者を拘束する就業方式の場合(例えば深夜を挟む24時間交替勤務や13時間夜勤など)の仮眠時間の設定や、2交替や3交替勤務のあり方も、第3条2項の「仕事と生活の調和」と相まって必要な措置を図らなければならない。
これが、この際、法律(法定法理)となったのだ。これにより、近年続発している過労自殺やうつ病に対する対策を充実せざるを得ないことは間違いない。
労働条件の不利益変更(第7条~第101条関係)
には、さまざまな変更条件が明記されることとなった。
(1)就業規則の改訂による不利益変更は、就業規則の周知が前提
(2)就業規則を上回っていた労働契約条件は、新就業規則の改訂で変更不可
(3)就業規則を改訂して不利益変更をする場合には、
6項目(周知、不利益程度、必要性、相当性、交渉経過、合理性)の「合意納得義務」が課せられた。
ただし、労働組合との労働協約の締結行為があれば、不利益変更だとしても、社会通念上相当とされる範囲内であれば容易であり、労働協約のオールマイティ性の原則を貫いている。
懲戒や解雇(第15条・第16条関係)
懲戒とは口頭注意や始末書の提出から予告なしの解雇までさまざまな種類を、使用者が自由に定め、見せしめとダメージを与えることで著しく不都合な人物に限定して、個別企業内の秩序維持の目的を果たすための手段である。
解雇とは、使用者が、労働者の同意を得ることなく一方的に労働契約を将来に向かって解約する使用者側意思表示のことである。
この懲戒と解雇について、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」については、「その権利を濫用したものとして」、こういった懲戒や解雇を法律でもって「無効」の扱いにしてしまうこととしたのだ。
客観的とは:外部の第三者が認められる事実証明できるとのことであり、合理的とは:理由の事実が、真実で、正当な事実を証明できることであり、その裏付けとなる証拠物があるにこしたことはないとのことである。社会通念の概念は非常に難しいものであるが、要するに常識とは異なり、企業外の社会共同体秩序維持の視点から不都合とされるといったような事柄を指す。
権利を濫用とは、数ある法律の中でも独特のもので、民法1条3項の権利濫用とは一致しておらず、合理性・客観性・社会通念性の欠如を権利濫用の要件として法律で定めたことが特徴で、法律家と言われる人たちの中でも間違いを起こしやすい注意項目である。
無効とするとは、懲戒解雇の通告の後であってもその効力や効果が発生しないことを意味し、賃金不払いや降格その他に対しては、損害賠償や代替措置をしなければならなくなるのだ。
出向の濫用も無効(第14条関係)
出向については転勤や配置転換などの判例法理(東亜ペイント事件など)が労働契約法で法定法理となって定められ、
(1)業務上の必要性が無い
(2)対象労働者の選定に道理が無い
(3)使用者の不当な動機目的や著しい不利益の存在
といったこととなると、懲戒や解雇と同じく権利を濫用したものとして無効となることになった。
期間を定めた労働契約(第17条関係)
労働者の期間契約は、本来中途で解雇すれば、現行の労働基準法においても残った期間の賃金を100%保障をしなければならないのだが、実務としては空文化していて、訴訟にでもならなければ、30日の予告手当で済ませていたのが実態であった。全国の労働基準監督官の多くが、「期間雇用でも30日分を払えば、問題ない」と説明していたために、それを真に受けて信じてしまった経営者がひどい目にあったことも、数多く発生していた。平成16年1月の労働基準法改正による、労働契約期間制限の延長をきっかけに、労働基準監督官には、すでに今回の労働契約法の趣旨が徹底されている。そして、今回の法律制定に至ったことで、期間雇用の中途解約によって、損害賠償が定着することになる。ただし、期間を定めて契約を結ぶから損害賠償などの問題が発生するのであって、1年とか3年のちの、「雇用の終期」を定めることは、まったく持って差支えがない。もちろん、こういった短期定年を更新することも、正当適切な判断基準を用いるなどすることにより可能なのである。
ただし、必要以上に短い期間契約を反復更新することには特段かつ特別の事情その他を必要とすることとなるので、パート労働法の「パート等労働者」と相まって制度の見直しをしなければならなくなる。
いずれにしても、形式的には1ヵ月程度の労働契約を反復更新する制度だと主張しても、1ヵ月単位で解雇する目的であると判断されれば、何らかの損害賠償・代替措置を迫られることとなる。
それが賃金であれば過去2年にさかのぼることになり、
退職金であれば入社時から退職日までの分を退職の後から5年間は請求できることになるのだ。
最後に、労働契約法にかかわって、出向や懲戒は別として、労働者の生命、身体、財産その他の利益の保護に、関わることとなれば、公益通報保護法(内部告発)の対象となったことにも注意をしなければならない。労働契約法は、労働基準法のように取締法規ではないからとして根拠のない安心感を振りまいた法律家やマスコミが存在するが、実質的には内部告発の対象となれば、個別企業にとっての影響は、何ら変わることがないのである。
(日本労働ペンクラブ会員 特定社会保険労務士 村岡利幸)
(著作権放棄)
2007/12/04
2007/11/06
第67号
食品の安全に関わる事件が相次いでいることから、内部告発は、いよいよ日本でも、好感を持たれ認知をされるようになった。今や、コンプライアンスや社会的責任の話題をリードしているものは、食肉のミートホープ、北海道土産の白い恋人、三重県伊勢の3種類の餅&まんじゅう、秋田の鶏薫製、料亭吉兆、自衛隊資材購入と接待、耐火建材など様々である。これらはすべてが内部告発、これを受けた行政側も敏感に反応する社会となった。この秋までの、メルヘン?とジャパンな幻想に浸った政権リーダーが交代したことと関連も強い。現在の、こういった話題の焦点は、偽証や信義則に反して経済活動をすることの是非が、いわゆる現代における公序良俗が問われているといったところにありそうだ。
こういった社会の動きに対して、まだまだ世間体に浸りきっている人たちからは、様々な負け惜しみも出て来る。たとえば、「肉屋はそういうものだ、商店街の魚屋の店先で、おろし終わっている刺身は、背骨が曲がるなどのクズ肴をただで買ってきて作っている!」といった名誉毀損(確かにそういう店もある)の類だ。話題の本質を探求しようと、「赤福餅は伊勢と言っているが大阪に製造工場がある!」とか、「赤福餅の形は波形!といっているが、ついこの春まで指の形の手作り!といっていた。(数10年前は指形もなかった)」といった、ひとつの意思を持ったインテリジェンス情報提供も出されている。
一方では内部告発による会社恥部の発覚に恐怖を抱き、隠ぺい工作と事なかれ施策を徹底するがために、これが個別企業の弱体化を招くのだ。有能で自立した個人に代表される人材の量と質によって企業経営が左右される今日、これは極めて致命的である。
他方では、企業間競争をにらみ、「片や法律遵守・他方では違法温存」の業界内事情から、短絡的な「公正競争排除!」の名目による同業者による行政へのチクリの繰り返しである。内部告発合戦のたとえ話は、「街の小売商店が相互に争いを繰り返していて、コンビニや量販店に客をとられてしまった!」という風な、結果を見て理由を見ない論調である。公益通報者保護法でも、この類の内部告発は相手にしないことにしているが、安全・人命に関わるとの形式を踏んでいれば、実のところはチクリであっても公益通報と見なさざるを得ない。
さて、個別の企業経営にとって冷静に判断しなければならないのは、連日マスコミで流されるコンプライアンスや社会責任に関連する話題の背景である。日本では、強力な政府から小さな政府に転換する過程で、社会に残存するルーズ(loose)な経営を戒めセーフティーネットを確立しなければならないといった、世界から、日本国内からの要請があることを見ておかなければならない。
加えて背景を考えるうえで、重視しなければならないのは、日本に経済的社会的影響を与えているアメリカにおいて、多国籍企業のうちの大寡占独占企業と言われる企業体が、「多国籍企業禍」と言われる弊害を繰り返す中で、旧来のアメリカ連邦議会による大寡占独占企業分割を議会決議による政策が功を奏すること無く、アメリカ社会で公正が保たれなくなったことから、内部告発をはじめとしたコンプライアンスが動き始めることとなった歴史である。モルガン、カーネギーといったところは分割で功を奏したが、マイクロソフトに効果は出なかった。アメリカではこういった潮流が、「内部統制」の動きも生み出した。日本も右へならえ、それに加えてヨーロッパ育ちの、「社会的責任」も日本風に導入されようとしている。
そこで、「コンプライアンス」とは、そもそもどうして社会に根付いているのか認識を、より深めておかなければならない。コンプライアンスを好き嫌いの感情で判断すれば、社会から相手にされなくなる。コンプライアンスを「法令の遵守」と解釈していても、実務に役立つ程度の理解とはいえない。
そもそも近代に至る前の封建時代、世間体が横行していたため(現代感覚から見れば)無秩序であった経済社会状態を近代革命と称し、自由・平等・民主主義といた理念や手法でもって、社会共同体の秩序を形成しているのである。ここに導入された、「法」という概念には、社会共同体の秩序を維持する目的を兼ね備えた、「法律の立法趣旨」が存在し、この趣旨を現実のものとする行為努力とコンプライアンスが、同義語といっても過言ではないのである。したがって、(法律用語にいう)合理性、すなわち社会共同体秩序を一段と充実するための道理が通っていることが重要である。それは決して表面的な法律や規則の文言解釈といった封建的あるいは抑圧手段では排除されるのだ。そこには必然的に、客観的な説明とか証明が求められ、その裏付けとなる証拠の情報開示が必要であり、これが今日でいう「説明責任」なのである。加えて、現代の公序良俗であるところの「決定や周知に至るプロセスとプロセス参加意識」が重要となって来るのだ。こういったコンプライアンス概念の説明もまた、認識を深めることとなり、そうすると、そもそもの内部告発への対処方法や活用方法も、見いだせるといったことになるのだ。それぞれの国の文化や社会共同体のありようによって、日本では公益通報者保護(406本の法律を対象とする通報の擁護)であり、アメリカ語で、Whistle‐blowing(これは「口笛を吹くことで危険を知らせるもの」ということ)、イギリス語では、Public interest disclosure である。コンプライアンスについて認識を深めたうえで、内部告発の用いられ方を熟知しなければ、個別企業と社会経済にとって、それは諸刃の刃となる。
最近耳にするようになった、「社会的責任」と言われるものも、発言する人によって意味内容がさまざまといった曖昧性が目立つ。が、これはヨーロッパにおける社会共同体での秩序と経済活動のあり方にかかわって生まれて来た概念である。日本国内であまり披露されていないところのヨーロッパにおける背景がある。それは財界と政府との交渉に重きをおいている労働組合側から社会的責任を提唱し、その労働組合とは、たとえばドイツ全国でも50個ほどに組織された労働組合(ドイツでは連合体や上部団体ではなく、日本でいう単組、最小はキリスト教労働者同盟の組合員30万人)といった社会共同体制度から発想されたといった背景制度だ。日本では、20~30年前に、経営者側から「企業の社会的責任」といった理念がよく持ち出されたが、それとの区別もつかないようでは、実務に役立つものではない。
生半可なコンプライアンスや社会的責任を口にしているだけでは、世の中に翻弄され、マスコミに流され、政治に利用され、グローバル経済の中で露と消える個別企業の道を歩まざるを得ないのだ。
社会保険事務所の機能不全
旧厚生省のコンプライアンスとは程遠い体質によって、社会保険の資格取得喪失に関係する事務処理が機能不全をおこしている。
現在社会保険の資格を取得する時の年金手帳の確認?は省略され、扶養家族の在学証明も学生証の写し?でもって簡略、その他をはじめとして、資格取得時点での賃金台帳の確認までもがおろそか?にされている実態。
自己都合等によって雇用保険の失業給付が3ヵ月間給付されない間は、健康保険の扶養家族となれるが、失業給付を受給しだしてからも、そのままの扶養家族にしている事例が山のようにあり、社会保険事務所はチェック?しているのであろうか…といった実態。
所得がある妻などが扶養家族となっていないかを調査し、2年に遡って被扶養者から外すこととなっているが、今のところ、その調査の実行?は伴わないとの事態。所詮、過去に遡って被扶養者から外したところで、すぐさま国民健康保険に遡って加入しさえすれば、2年に遡った医療費は一時立て替えることで国民健康保険から支払われる制度であるにもかかわらず、であるのだ。健康保険から国民健康保険に、医療費を付け替えるだけのこと、旧厚生省官僚が考えそうなことで、そのツケを地方自治体に回しただけなのだ。
従来から社会保険事務所の事務処理間違いは、知識のない臨時職員を数多く事務処理にあてているのだから間違いが多いのが実態。最近は、間違えたことを他言しないでくれと社会保険事務所から電話がかかってくる始末である。
1年に1度標準報酬月額を定めるために、被保険者の3ヵ月分の賃金を報告する制度があるが、賃金台帳を確認?することもない実態。加えて、固定的賃金が下がった場合は3ヵ月たってから月額変更を提出するのだが、低下した後の賃金額を記載?すれば、それだけでよいことになっているようだ。従前は、賃金低下をさせた場合は、理由などを記載した書面の提出と賃金台帳の確認が必要であったのだ。
ひょっとすれば、定期的に行っている社会保険の事業所調査?も、する気があるのだろうかと疑いたくなる。内部告発がなければ、社会保険事務所は手間をかけたくないのかもしれない。
さてここまでくれば、
中小企業にとっては社会保険料の負担が大きくのしかかっている現在、これから不適切な届出などが横行するのは目に見えている。
それは、あまりにも目に見えていることなので、このメルマガでは、そういった事実を詳細に伝えるわけにも行かなくなっているといったところ、実はそこまで陥っているのだ。
ではなぜ、ここまでの機能不全となっているのか、その理由は、
1.電子申請促進による添付書類などを省略
2.年金記録問題修復のツケのために職員をそちらに回している
といったところようである。とここまでは普通のマスコミと変わらない論調であるが、これをつっこんでみた場合には次のようになるのである。
1…電子申請といっても、ヨーロッパ型のように緻密さ綿密さを追求するための手段として用いるのではなく、効率的回転を優先させるための手段として導入するアメリカ型であるので、欠損を見込んで(通常欠損は5%とされる例が多い)いるため、旧厚生省官僚の表ヅラだけ合わせる体質とあいまって、目に見えないところの欠損多発となっている。
2…年金問題のツケのために職員をそちらに回しているといっても、保険料収入と給付を考えれば、職員の人件費をセーブしているどころではない。年金記録の問い合わせに答えるため人材派遣会社に臨時人員を依頼しているが、専門的知識を持った社会保険労務士(主婦をはじめ潜在的失業者は少なくない)を動員しようといった姿勢は、今もってまったくない。
もとより、その場しのぎの、ご都合主義に長けている旧厚生省であるから、仮にコンプライアンスと叫んでも担保がないから、ひとたまりもないのである。それともいっそのこと、虫食い状態でも発生させて社会保険制度を崩壊でもさせてしまいたいのであろうか。
あとは国民健康保険があるさ!
消費税で年金保険料を集めれば良いさ!
どうせ我々は民営化、仕事がしんどくなることは嫌なのさ!?
こういった社会の動きに対して、まだまだ世間体に浸りきっている人たちからは、様々な負け惜しみも出て来る。たとえば、「肉屋はそういうものだ、商店街の魚屋の店先で、おろし終わっている刺身は、背骨が曲がるなどのクズ肴をただで買ってきて作っている!」といった名誉毀損(確かにそういう店もある)の類だ。話題の本質を探求しようと、「赤福餅は伊勢と言っているが大阪に製造工場がある!」とか、「赤福餅の形は波形!といっているが、ついこの春まで指の形の手作り!といっていた。(数10年前は指形もなかった)」といった、ひとつの意思を持ったインテリジェンス情報提供も出されている。
一方では内部告発による会社恥部の発覚に恐怖を抱き、隠ぺい工作と事なかれ施策を徹底するがために、これが個別企業の弱体化を招くのだ。有能で自立した個人に代表される人材の量と質によって企業経営が左右される今日、これは極めて致命的である。
他方では、企業間競争をにらみ、「片や法律遵守・他方では違法温存」の業界内事情から、短絡的な「公正競争排除!」の名目による同業者による行政へのチクリの繰り返しである。内部告発合戦のたとえ話は、「街の小売商店が相互に争いを繰り返していて、コンビニや量販店に客をとられてしまった!」という風な、結果を見て理由を見ない論調である。公益通報者保護法でも、この類の内部告発は相手にしないことにしているが、安全・人命に関わるとの形式を踏んでいれば、実のところはチクリであっても公益通報と見なさざるを得ない。
さて、個別の企業経営にとって冷静に判断しなければならないのは、連日マスコミで流されるコンプライアンスや社会責任に関連する話題の背景である。日本では、強力な政府から小さな政府に転換する過程で、社会に残存するルーズ(loose)な経営を戒めセーフティーネットを確立しなければならないといった、世界から、日本国内からの要請があることを見ておかなければならない。
加えて背景を考えるうえで、重視しなければならないのは、日本に経済的社会的影響を与えているアメリカにおいて、多国籍企業のうちの大寡占独占企業と言われる企業体が、「多国籍企業禍」と言われる弊害を繰り返す中で、旧来のアメリカ連邦議会による大寡占独占企業分割を議会決議による政策が功を奏すること無く、アメリカ社会で公正が保たれなくなったことから、内部告発をはじめとしたコンプライアンスが動き始めることとなった歴史である。モルガン、カーネギーといったところは分割で功を奏したが、マイクロソフトに効果は出なかった。アメリカではこういった潮流が、「内部統制」の動きも生み出した。日本も右へならえ、それに加えてヨーロッパ育ちの、「社会的責任」も日本風に導入されようとしている。
そこで、「コンプライアンス」とは、そもそもどうして社会に根付いているのか認識を、より深めておかなければならない。コンプライアンスを好き嫌いの感情で判断すれば、社会から相手にされなくなる。コンプライアンスを「法令の遵守」と解釈していても、実務に役立つ程度の理解とはいえない。
そもそも近代に至る前の封建時代、世間体が横行していたため(現代感覚から見れば)無秩序であった経済社会状態を近代革命と称し、自由・平等・民主主義といた理念や手法でもって、社会共同体の秩序を形成しているのである。ここに導入された、「法」という概念には、社会共同体の秩序を維持する目的を兼ね備えた、「法律の立法趣旨」が存在し、この趣旨を現実のものとする行為努力とコンプライアンスが、同義語といっても過言ではないのである。したがって、(法律用語にいう)合理性、すなわち社会共同体秩序を一段と充実するための道理が通っていることが重要である。それは決して表面的な法律や規則の文言解釈といった封建的あるいは抑圧手段では排除されるのだ。そこには必然的に、客観的な説明とか証明が求められ、その裏付けとなる証拠の情報開示が必要であり、これが今日でいう「説明責任」なのである。加えて、現代の公序良俗であるところの「決定や周知に至るプロセスとプロセス参加意識」が重要となって来るのだ。こういったコンプライアンス概念の説明もまた、認識を深めることとなり、そうすると、そもそもの内部告発への対処方法や活用方法も、見いだせるといったことになるのだ。それぞれの国の文化や社会共同体のありようによって、日本では公益通報者保護(406本の法律を対象とする通報の擁護)であり、アメリカ語で、Whistle‐blowing(これは「口笛を吹くことで危険を知らせるもの」ということ)、イギリス語では、Public interest disclosure である。コンプライアンスについて認識を深めたうえで、内部告発の用いられ方を熟知しなければ、個別企業と社会経済にとって、それは諸刃の刃となる。
最近耳にするようになった、「社会的責任」と言われるものも、発言する人によって意味内容がさまざまといった曖昧性が目立つ。が、これはヨーロッパにおける社会共同体での秩序と経済活動のあり方にかかわって生まれて来た概念である。日本国内であまり披露されていないところのヨーロッパにおける背景がある。それは財界と政府との交渉に重きをおいている労働組合側から社会的責任を提唱し、その労働組合とは、たとえばドイツ全国でも50個ほどに組織された労働組合(ドイツでは連合体や上部団体ではなく、日本でいう単組、最小はキリスト教労働者同盟の組合員30万人)といった社会共同体制度から発想されたといった背景制度だ。日本では、20~30年前に、経営者側から「企業の社会的責任」といった理念がよく持ち出されたが、それとの区別もつかないようでは、実務に役立つものではない。
生半可なコンプライアンスや社会的責任を口にしているだけでは、世の中に翻弄され、マスコミに流され、政治に利用され、グローバル経済の中で露と消える個別企業の道を歩まざるを得ないのだ。
社会保険事務所の機能不全
旧厚生省のコンプライアンスとは程遠い体質によって、社会保険の資格取得喪失に関係する事務処理が機能不全をおこしている。
現在社会保険の資格を取得する時の年金手帳の確認?は省略され、扶養家族の在学証明も学生証の写し?でもって簡略、その他をはじめとして、資格取得時点での賃金台帳の確認までもがおろそか?にされている実態。
自己都合等によって雇用保険の失業給付が3ヵ月間給付されない間は、健康保険の扶養家族となれるが、失業給付を受給しだしてからも、そのままの扶養家族にしている事例が山のようにあり、社会保険事務所はチェック?しているのであろうか…といった実態。
所得がある妻などが扶養家族となっていないかを調査し、2年に遡って被扶養者から外すこととなっているが、今のところ、その調査の実行?は伴わないとの事態。所詮、過去に遡って被扶養者から外したところで、すぐさま国民健康保険に遡って加入しさえすれば、2年に遡った医療費は一時立て替えることで国民健康保険から支払われる制度であるにもかかわらず、であるのだ。健康保険から国民健康保険に、医療費を付け替えるだけのこと、旧厚生省官僚が考えそうなことで、そのツケを地方自治体に回しただけなのだ。
従来から社会保険事務所の事務処理間違いは、知識のない臨時職員を数多く事務処理にあてているのだから間違いが多いのが実態。最近は、間違えたことを他言しないでくれと社会保険事務所から電話がかかってくる始末である。
1年に1度標準報酬月額を定めるために、被保険者の3ヵ月分の賃金を報告する制度があるが、賃金台帳を確認?することもない実態。加えて、固定的賃金が下がった場合は3ヵ月たってから月額変更を提出するのだが、低下した後の賃金額を記載?すれば、それだけでよいことになっているようだ。従前は、賃金低下をさせた場合は、理由などを記載した書面の提出と賃金台帳の確認が必要であったのだ。
ひょっとすれば、定期的に行っている社会保険の事業所調査?も、する気があるのだろうかと疑いたくなる。内部告発がなければ、社会保険事務所は手間をかけたくないのかもしれない。
さてここまでくれば、
中小企業にとっては社会保険料の負担が大きくのしかかっている現在、これから不適切な届出などが横行するのは目に見えている。
それは、あまりにも目に見えていることなので、このメルマガでは、そういった事実を詳細に伝えるわけにも行かなくなっているといったところ、実はそこまで陥っているのだ。
ではなぜ、ここまでの機能不全となっているのか、その理由は、
1.電子申請促進による添付書類などを省略
2.年金記録問題修復のツケのために職員をそちらに回している
といったところようである。とここまでは普通のマスコミと変わらない論調であるが、これをつっこんでみた場合には次のようになるのである。
1…電子申請といっても、ヨーロッパ型のように緻密さ綿密さを追求するための手段として用いるのではなく、効率的回転を優先させるための手段として導入するアメリカ型であるので、欠損を見込んで(通常欠損は5%とされる例が多い)いるため、旧厚生省官僚の表ヅラだけ合わせる体質とあいまって、目に見えないところの欠損多発となっている。
2…年金問題のツケのために職員をそちらに回しているといっても、保険料収入と給付を考えれば、職員の人件費をセーブしているどころではない。年金記録の問い合わせに答えるため人材派遣会社に臨時人員を依頼しているが、専門的知識を持った社会保険労務士(主婦をはじめ潜在的失業者は少なくない)を動員しようといった姿勢は、今もってまったくない。
もとより、その場しのぎの、ご都合主義に長けている旧厚生省であるから、仮にコンプライアンスと叫んでも担保がないから、ひとたまりもないのである。それともいっそのこと、虫食い状態でも発生させて社会保険制度を崩壊でもさせてしまいたいのであろうか。
あとは国民健康保険があるさ!
消費税で年金保険料を集めれば良いさ!
どうせ我々は民営化、仕事がしんどくなることは嫌なのさ!?
2007/10/09
第66号
安倍政権の政策行き詰まりは、
前代未聞の突然劇に目を奪われがちであるが、個別企業の人事・総務分野に与える影響には様々のものが予想される。自民党が政権を引き継ぐには民主党の政策を取り入れねばならず、安倍の引継ぎでは民主党が政権を取ることになるとの政治状況は、誰もが認めるところである。そこで、いくつかの政府の政策転換を予想し、個別企業の対策を考えてみる。
年金問題は、
年金の支払いにとどまらず、社会保険のあり方にまで言及が及ぶことは必至である。個別企業における社会保険被保険者適用のあり方、派遣会社や業務請負会社での適用漏れが浮かび上がって来ることは必至だ。とりわけ、偽装請負の経済的温床が、この社会保険の個々の労働者が未適用にあることだ。これは不公正競争にあたることはもちろんである。こういった議論に、厚生労働省はメスを入れざるを得ない。
個別企業が、外注業者のコンプライアンスまで関与しないといった姿勢では、これからは立ち行かなくなってくる。
格差社会の中でも
ワーキングプアーをはじめとした低賃金構造を生み出したきっかけとなったのは、職業安定法や労働者派遣法の規制緩和による結果であることは、よく知られることとなった。規制緩和の内容とは、職業安定行政が規制をかけられないほどに、行政システムを表面形式的な手続制度にまで骨抜きにされてしまった規制緩和によって、際限のない就職ルールの無秩序やり放題とか、人間性を無視するまでの日額あたりの収入激減、これらが告発されなければ「やり得」といった風潮が野放しにされる結果の予測に、他ならなかったのである。
早速、一部の派遣や業務請負の安定所求人に規制がかけられることとなり、日雇い派遣は禁止となる方向が打ちだされ、「一般労働者派遣禁止?」との駆け引きを狙う議論さえ浮かび?上がっている。(今の時代、政策当局が無視をする場合、大手のマスコミには話は流れないもの)。格差社会を作る目的のために、労働者派遣制度などを導入し定着させることに心血を注いだのではないとする人たちの動きは、一段と活発となって来た。現行の労働者派遣制度に反対する統一戦線は事実上形作られている。
ということは、個別企業において、人件費削減を第一目的とした労働者派遣を将来にわたって続けようとする姿勢では、日本国内では経営存立基盤が難しくなるといったところ、一早く舵を切れるかが肝要。
労働生産性や技能蓄積
の論議がいっそう盛んになってきた。今や、話題のキヤノンにとどまらず、多くの企業が技能労働力において、協力会社に頼らざるを得なくなってきているのだ。二昔ほど前は、東芝の下請である池貝鉄鋼が東芝の技術を上回ったとか、トヨタの下請である日本電装はトヨタ以上の技術を持つに至ったなどと、「下請ではあっても、将来は…!」と、当時は美談を形づくっていたのであった。しかしながら、昨今の日本の現実を見、数々の調査や提言を検討するに、共通している議論の底流には、
1.個々の労働者に属人的技能は蓄積されるものの、
2.その技能は企業の組織だった技能にはなっておらず、
3.業務請負会社をはじめとしての外部に集積されず、
4.技能から技術に質的発展する分野は閉ざされたままとなっている
といった認識なのである。そこで、日本自体の労働生産性や技能蓄積ひいては技術立国が、足元から崩れていくのではといった危惧が、政府や連合の報告書などに訴えられているのである。ところが、現場に根ざしている個別企業の担当者からは、「ふん!」としか言われようがない代物で、労働省が長年にわたって取り組んで来た建設業の雇用改善事業の教訓すら踏まえていない。
ここは、技術立国へ向けての政策的失敗をふっ飛ばすような、個別企業での労働生産性や技能蓄積の具体的構造改革事例が、個別企業から必要とされるのである。筆者も現在取り組み中といったところ、そのメドがつけば発表します。
最低賃金
限りなく1,000円に近づくのは必至。安倍政権下の、「のらりくらり=美しい日本」のもとに事実上実施された今年秋の最低賃金引き上げですら、中小企業のみならず個別企業の給与体系の見直しに一石を投じたのだ。これからの最賃引き上げは、日本の賃金と人事体系のみならず、労働力需給構成にまで変化を及ぼすものとなる。
ところで、賃金問題の権威であるは孫田良平氏が、最近の厚労省発表ついて「最賃違反の発表に、業種別違反率があって府県別がない。県内一律最賃という現行方式の欠陥が面倒な論議を起こす、その回避策ととれる」と指摘している。
こういった専門家からの指摘の末に、日本がグローバル経済社会で活躍するには、最賃1,000円は避けて通れないといった方向は益々定着しそうだ。さて、あなたが関わる個別企業においては、この最賃問題、「高付加価値製品・高水準サービスの提供」といった商品構成とともに、どのようにプラスに転じる答えは出ていますか?
雇用拡大の議論は、正規社員は増えず、派遣やパートなどの非正規社員の増加
といったところで停滞している。さて、議論停滞の原因はひとえに、政府、政党、労組、マスコミ、学者など、メジャーなところのいずれもが、労働現場の実態にまで踏み込めていないからだ。そこには、ここ数年の政策の落とし穴がある。
最も統計数値に表れない現象をひとつ。
老齢年金をもらいながら支給額の減額なしで働き続ける人は意外に多い。在職してある程度の収入(平成19年は月にして28万程度)があれば年金の一部が支給停止となるのだが、この年金カットの道をすり抜けているのだ。老齢年金受給者が年金カットを免れる方法は、ひとえに在職手続きをしない形態を認めてくれる会社への就職の道を目指すのだ。比較的高額の老齢年金を受給する者がこの道を目指している。在職すれば社会保険料などで12%ほどが自らの給与から控除されるのだが、年金カットの金額はそれどころの額ではないのだ。この道を目指す労働者を雇う事業主側も、本人給与の13%ほどを会社が別に負担し、本人分と合わせて給与の25%ほどを納付しなければならないから、下世話好きな事業主たちとの利害が一致するのだ。
ところが実は、社会保険の調査が入ればたちどころに破滅するのを忘れているのだ。
労働者本人が確認申請手続きをしたとすれば、会社負担分をともどもさかのぼって2年分請求される。
「この手があったか!」と早合点して有頂天になった事業主たちは、年金受給者のみならず、扶養家族の高齢者、失業給付を受けている若者、母子家庭手当を受給している母などに、公的には「わからないように働ける」といって口コミで人集めをしているのだ。もちろん、発注者に対しては、「受注額は格段に安いですよ」とか、「すぐに格安で段取りしますよ」さらには、「お客様は誰でも安い方がいいですよね?」といった美味しいささやきを繰り返すのだ。この美味しい話の相手先は、人手不足に悩む企業の世間に無知な担当者、公式採用が硬直化して経営の足を引っ張っている企業のライン管理職といった具合で、マーケティングの的を絞っているのだ。冷静な判断をする人物、世の中をよく知っている人物は避けて通る、キャッチセールスのようなものだ。
人事総務部門担当者からすれば、信じがたい話ではあるが、一見、外注請負形態であったりするので、表面に見えることがないのである。そして、何かの事件が起こってから、現実に気が付いた時には、協力会社内の問題では納まりきらず、こういった有頂天事業主の策略に企業の相当部分が身動きを取れなくさせられてしまっているのだ。いざ、対策を打てばラインの管理者から山のように苦情が寄せられるのは必至の状況。こうやってズルズルと尾を引いて、マスコミに騒がれ労働局の槍玉となったひとつが、クリスタル偽装請負事件なのだ。これでは会社が衰退に向かっているのは判っていても、危機管理対策の位置づけがなければ恐ろしくて手をつけられないのが心情。職業安定法や労働者派遣法は労働力需給の経済政策の要、こういった不公正競争を招いたのは、ここ数年の規制緩和に因り、国のあちらこちらで生み出された現象なのだ。個別企業の全身がぬるま湯に浸かり、立つに立てず、風呂桶の栓が抜けたように利益が洩れ、業務停止や倒産に追い込まれる寸前の個別企業も少なくない。
厚労省の現場に携わる行政職員は、ここまで職安法や派遣法の規制を緩くすれば書面チェックに終始せざるを得ず、書面も出さない業者ともなれば野放し状態といった嘆きを発しているが、一連の抜け道を模索する労働者と事業主が不公正を企んでいることと合わせて考えれば、社会共同体の秩序の崩壊が本格的に始まっていると判断せざるを得ないのだ。無秩序・無政府状態は弱肉強食社会すらも否定するもので、グローバル経済社会の原則である公正競争が崩壊するも同然なのだ。
有頂天事業主の労働者に対する甘い囁きはいろいろと続く。
「年金をもらっていても、いくらでも安心して働ける」。おまけに、「請負代金の支払いは2ヵ月後だが、その前には給与を払っているのだぞ」と真面目な顔して話すのだ。「働けるのに、なんで年金カットされなければならない?」とか、「今さら、年金保険料掛け捨ての人もいるのだ」とことさらイレギュラーな事例を強調している。失業給付や母子手当に至っては、「彼個人の生活が苦しいから」とか、「子供を抱えて、お母さんを助けてやってくれ」とまで、まことしやかに説明するのだ。他人から詳細な解説を求められれば自滅する論理構成なのだ、だからこそ次に彼らは支配従属関係に持ち込む手段を手に入れるなどして、有頂天を押し通そうとする。挙げ句には法違反の片棒担いだとして、発注担当者個人に、惜しげもなく恫喝をかけ続けるのだ。
まるで、戦前日本の非近代的労務管理を思い出させ、戦後の職業安定法施行の重大性を思い起させるような話ばかりである。
さてこの夏、ある企業グループは関連会社を含めて、社会保険未加入の60歳を超えたアルバイト百数十人に加入か退職の選択を迫った。大方の事前予想は、生活もあるから社会保険加入であれば退職して、他社のアルバイトにでも転職するだろうとの見通しであったが、実際は、8割方が週30時間未満固定労働制になることを希望、残った人たちは目一杯働く必要があるため社会保険に無条件加入、過去の保険料負担も了承することとなったのである。一挙に、ぬるま湯から立ち上がり、風呂桶の栓をしたのだ。
前代未聞の突然劇に目を奪われがちであるが、個別企業の人事・総務分野に与える影響には様々のものが予想される。自民党が政権を引き継ぐには民主党の政策を取り入れねばならず、安倍の引継ぎでは民主党が政権を取ることになるとの政治状況は、誰もが認めるところである。そこで、いくつかの政府の政策転換を予想し、個別企業の対策を考えてみる。
年金問題は、
年金の支払いにとどまらず、社会保険のあり方にまで言及が及ぶことは必至である。個別企業における社会保険被保険者適用のあり方、派遣会社や業務請負会社での適用漏れが浮かび上がって来ることは必至だ。とりわけ、偽装請負の経済的温床が、この社会保険の個々の労働者が未適用にあることだ。これは不公正競争にあたることはもちろんである。こういった議論に、厚生労働省はメスを入れざるを得ない。
個別企業が、外注業者のコンプライアンスまで関与しないといった姿勢では、これからは立ち行かなくなってくる。
格差社会の中でも
ワーキングプアーをはじめとした低賃金構造を生み出したきっかけとなったのは、職業安定法や労働者派遣法の規制緩和による結果であることは、よく知られることとなった。規制緩和の内容とは、職業安定行政が規制をかけられないほどに、行政システムを表面形式的な手続制度にまで骨抜きにされてしまった規制緩和によって、際限のない就職ルールの無秩序やり放題とか、人間性を無視するまでの日額あたりの収入激減、これらが告発されなければ「やり得」といった風潮が野放しにされる結果の予測に、他ならなかったのである。
早速、一部の派遣や業務請負の安定所求人に規制がかけられることとなり、日雇い派遣は禁止となる方向が打ちだされ、「一般労働者派遣禁止?」との駆け引きを狙う議論さえ浮かび?上がっている。(今の時代、政策当局が無視をする場合、大手のマスコミには話は流れないもの)。格差社会を作る目的のために、労働者派遣制度などを導入し定着させることに心血を注いだのではないとする人たちの動きは、一段と活発となって来た。現行の労働者派遣制度に反対する統一戦線は事実上形作られている。
ということは、個別企業において、人件費削減を第一目的とした労働者派遣を将来にわたって続けようとする姿勢では、日本国内では経営存立基盤が難しくなるといったところ、一早く舵を切れるかが肝要。
労働生産性や技能蓄積
の論議がいっそう盛んになってきた。今や、話題のキヤノンにとどまらず、多くの企業が技能労働力において、協力会社に頼らざるを得なくなってきているのだ。二昔ほど前は、東芝の下請である池貝鉄鋼が東芝の技術を上回ったとか、トヨタの下請である日本電装はトヨタ以上の技術を持つに至ったなどと、「下請ではあっても、将来は…!」と、当時は美談を形づくっていたのであった。しかしながら、昨今の日本の現実を見、数々の調査や提言を検討するに、共通している議論の底流には、
1.個々の労働者に属人的技能は蓄積されるものの、
2.その技能は企業の組織だった技能にはなっておらず、
3.業務請負会社をはじめとしての外部に集積されず、
4.技能から技術に質的発展する分野は閉ざされたままとなっている
といった認識なのである。そこで、日本自体の労働生産性や技能蓄積ひいては技術立国が、足元から崩れていくのではといった危惧が、政府や連合の報告書などに訴えられているのである。ところが、現場に根ざしている個別企業の担当者からは、「ふん!」としか言われようがない代物で、労働省が長年にわたって取り組んで来た建設業の雇用改善事業の教訓すら踏まえていない。
ここは、技術立国へ向けての政策的失敗をふっ飛ばすような、個別企業での労働生産性や技能蓄積の具体的構造改革事例が、個別企業から必要とされるのである。筆者も現在取り組み中といったところ、そのメドがつけば発表します。
最低賃金
限りなく1,000円に近づくのは必至。安倍政権下の、「のらりくらり=美しい日本」のもとに事実上実施された今年秋の最低賃金引き上げですら、中小企業のみならず個別企業の給与体系の見直しに一石を投じたのだ。これからの最賃引き上げは、日本の賃金と人事体系のみならず、労働力需給構成にまで変化を及ぼすものとなる。
ところで、賃金問題の権威であるは孫田良平氏が、最近の厚労省発表ついて「最賃違反の発表に、業種別違反率があって府県別がない。県内一律最賃という現行方式の欠陥が面倒な論議を起こす、その回避策ととれる」と指摘している。
こういった専門家からの指摘の末に、日本がグローバル経済社会で活躍するには、最賃1,000円は避けて通れないといった方向は益々定着しそうだ。さて、あなたが関わる個別企業においては、この最賃問題、「高付加価値製品・高水準サービスの提供」といった商品構成とともに、どのようにプラスに転じる答えは出ていますか?
雇用拡大の議論は、正規社員は増えず、派遣やパートなどの非正規社員の増加
といったところで停滞している。さて、議論停滞の原因はひとえに、政府、政党、労組、マスコミ、学者など、メジャーなところのいずれもが、労働現場の実態にまで踏み込めていないからだ。そこには、ここ数年の政策の落とし穴がある。
最も統計数値に表れない現象をひとつ。
老齢年金をもらいながら支給額の減額なしで働き続ける人は意外に多い。在職してある程度の収入(平成19年は月にして28万程度)があれば年金の一部が支給停止となるのだが、この年金カットの道をすり抜けているのだ。老齢年金受給者が年金カットを免れる方法は、ひとえに在職手続きをしない形態を認めてくれる会社への就職の道を目指すのだ。比較的高額の老齢年金を受給する者がこの道を目指している。在職すれば社会保険料などで12%ほどが自らの給与から控除されるのだが、年金カットの金額はそれどころの額ではないのだ。この道を目指す労働者を雇う事業主側も、本人給与の13%ほどを会社が別に負担し、本人分と合わせて給与の25%ほどを納付しなければならないから、下世話好きな事業主たちとの利害が一致するのだ。
ところが実は、社会保険の調査が入ればたちどころに破滅するのを忘れているのだ。
労働者本人が確認申請手続きをしたとすれば、会社負担分をともどもさかのぼって2年分請求される。
「この手があったか!」と早合点して有頂天になった事業主たちは、年金受給者のみならず、扶養家族の高齢者、失業給付を受けている若者、母子家庭手当を受給している母などに、公的には「わからないように働ける」といって口コミで人集めをしているのだ。もちろん、発注者に対しては、「受注額は格段に安いですよ」とか、「すぐに格安で段取りしますよ」さらには、「お客様は誰でも安い方がいいですよね?」といった美味しいささやきを繰り返すのだ。この美味しい話の相手先は、人手不足に悩む企業の世間に無知な担当者、公式採用が硬直化して経営の足を引っ張っている企業のライン管理職といった具合で、マーケティングの的を絞っているのだ。冷静な判断をする人物、世の中をよく知っている人物は避けて通る、キャッチセールスのようなものだ。
人事総務部門担当者からすれば、信じがたい話ではあるが、一見、外注請負形態であったりするので、表面に見えることがないのである。そして、何かの事件が起こってから、現実に気が付いた時には、協力会社内の問題では納まりきらず、こういった有頂天事業主の策略に企業の相当部分が身動きを取れなくさせられてしまっているのだ。いざ、対策を打てばラインの管理者から山のように苦情が寄せられるのは必至の状況。こうやってズルズルと尾を引いて、マスコミに騒がれ労働局の槍玉となったひとつが、クリスタル偽装請負事件なのだ。これでは会社が衰退に向かっているのは判っていても、危機管理対策の位置づけがなければ恐ろしくて手をつけられないのが心情。職業安定法や労働者派遣法は労働力需給の経済政策の要、こういった不公正競争を招いたのは、ここ数年の規制緩和に因り、国のあちらこちらで生み出された現象なのだ。個別企業の全身がぬるま湯に浸かり、立つに立てず、風呂桶の栓が抜けたように利益が洩れ、業務停止や倒産に追い込まれる寸前の個別企業も少なくない。
厚労省の現場に携わる行政職員は、ここまで職安法や派遣法の規制を緩くすれば書面チェックに終始せざるを得ず、書面も出さない業者ともなれば野放し状態といった嘆きを発しているが、一連の抜け道を模索する労働者と事業主が不公正を企んでいることと合わせて考えれば、社会共同体の秩序の崩壊が本格的に始まっていると判断せざるを得ないのだ。無秩序・無政府状態は弱肉強食社会すらも否定するもので、グローバル経済社会の原則である公正競争が崩壊するも同然なのだ。
有頂天事業主の労働者に対する甘い囁きはいろいろと続く。
「年金をもらっていても、いくらでも安心して働ける」。おまけに、「請負代金の支払いは2ヵ月後だが、その前には給与を払っているのだぞ」と真面目な顔して話すのだ。「働けるのに、なんで年金カットされなければならない?」とか、「今さら、年金保険料掛け捨ての人もいるのだ」とことさらイレギュラーな事例を強調している。失業給付や母子手当に至っては、「彼個人の生活が苦しいから」とか、「子供を抱えて、お母さんを助けてやってくれ」とまで、まことしやかに説明するのだ。他人から詳細な解説を求められれば自滅する論理構成なのだ、だからこそ次に彼らは支配従属関係に持ち込む手段を手に入れるなどして、有頂天を押し通そうとする。挙げ句には法違反の片棒担いだとして、発注担当者個人に、惜しげもなく恫喝をかけ続けるのだ。
まるで、戦前日本の非近代的労務管理を思い出させ、戦後の職業安定法施行の重大性を思い起させるような話ばかりである。
さてこの夏、ある企業グループは関連会社を含めて、社会保険未加入の60歳を超えたアルバイト百数十人に加入か退職の選択を迫った。大方の事前予想は、生活もあるから社会保険加入であれば退職して、他社のアルバイトにでも転職するだろうとの見通しであったが、実際は、8割方が週30時間未満固定労働制になることを希望、残った人たちは目一杯働く必要があるため社会保険に無条件加入、過去の保険料負担も了承することとなったのである。一挙に、ぬるま湯から立ち上がり、風呂桶の栓をしたのだ。
2007/09/04
第65号
内部告発は、ここにきて活発になりそうな様相である。
そもそもの内部告発は、裏切り者や労使紛争の謀略手段とは趣を異にする。だからこそ、公益通報者保護法も、経済活動における重要意味をもつものとして、406本の法律を対象とする通報の擁護を定めて、平成18年4月から施行されたのである。アメリカ語で、Whistle‐blowing といわれるが、これは「口笛を吹くことで危険を知らせるもの」ということなのである。イギリス語では、Public interest disclosure となる。とはいっても、通報するとなれば法令詳細などはどこ吹く風で、通報が実行されるのである。
こういった意味では、内部告発は、マスコミに取り上げられた食肉のミートホープ、北海道土産の白い恋人などの、企業にとどまるものではない。日本社会では、経済活動にとどまらず、今回の参議院選挙において、政権与党内部から、次々と大臣クラスの金銭問題がリーク(leak)されたと言われているが、これが「党内支持率10%強の総裁」と皮肉られる状況が的を射ているならば、こういったリークも、いわゆる内部告発と言えることになるのだ。
ある学者に言わせると、内部告発を次のように整理している。
(1)組織の了解を得ないで
(2)組織ぐるみ、組織の一部、あるいはトップによる
(3)違法行為を中心とした不正行為について
(4)社員等の内部関係者が
(5)公共の利益の擁護のために
(6)情報提供や資料提供によって
(7)行政機関やマスコミ等の部外者への、不正の暴露
としている。今現在では、行政機関などに持ち込まれないだけ、「幸運?ラッキー?」であったとされるのである。
確かに、数年前内部告発が話題になった際には、何人かの大学教授が、「内部告発者は裏切り者だ!」との著作を出版した。変に社会遊離した勇気があったのか、学問よりも観念が優先したのか、学者生命が消えてしまったらしい。今どき専門家が、余りに無知無能な学説を発表すれば、アホ・馬鹿・間抜けと論評されても、名誉棄損の判決は出ない。
このグローバル経済社会では、世界同時に様々な物事が共通した課題として発生している。昔は、資本主義・自由主義といえば、イギリスやアメリカがリードして、その後にフランスやドイツが後を追って行くといったパターンが存在もした。経済成長などおぼつかないと思われていた発展途上国において、資本主義を無理矢理動員した場合には、その反発で社会主義政権が登場し社会主義経済が採用されたのであった。また、その当時先進資本主義国になることを阻まれていた、例えば日本が戦争期に社会主義計画経済:経済〇ヵ年計画を戦前戦後に採用したのは有名な話(日本経済は社会主義国といわれる由縁)であり、もうひとつ例を挙げればドイツではヒットラーをはじめとするナチス=日本名:国民社会主義ドイツ労働者党が失業対策や戦時経済を行ったのである。戦後、これらの世界の経済秩序が国連から始まってWTOなどへと整備されていたのである。
こういった世界の経済秩序に、ピッタリ当てハマったのが、いわゆる「ピラミッド型組織」なのであった。「ピラミッド型組織」が経済活動や軍事活動の主な手法として導入されたことによって、戦後の経済秩序を形成することができたのかも知れない。特異な例かもしれないが、中国やインドでは、実のところ、このピラミッド型組織が形成し切れない途上の段階なのである。名称や図面ではそうであっても、実態は別のところにある。そして今や、このピラミッド型組織による経済活動の弊害や悪用が蔓延するに至ったのである。その原因はインターネットなどのIT技術発展と社会共同体のあり方(倫理や社会思想)の変化によるものと考えられている。すなわち、ピラミッド型組織を維持するための利益追求に異議が唱えられ、社会共同体にあっては弊害や悪用を蔓延させる世間体は排除されるのである。異議を唱え排除を行うのは、今や経営者であり人生を明日に託す人たちなのである。もっと簡単いえば、後進国並みの食肉偽造販売とか、金融機関が迫る在庫調整の賞味期間変更は、日本経済が、「高付加価値製品や高水準サービス商品の提供」の道を進む上では、「足を引っ張るもの」といった発想となるのである。折しも、韓国・中国・台湾などの製品と熾烈なツバ競り合いを繰り返す日本の個別企業としては、きわめて切迫した経済問題となるのである。究極には、経済活動において、「公正な事業間競争を維持するための役割を果たす!」といった社会通念に至るのは時間の問題なのである、実にアメリカがそうであるように。
3年後の銀行貸付金利上昇(年5%メド)もあり、日本経済の生きる道である、「高付加価値製品または高水準サービス」の商品提供を考えたときに、業務改革を進める個別企業にとって内部告発は、災い転じて福となすところの、Whistle‐blowing(口笛で危険を知らせる)そのものなのである。
ホームレス?ネットカフェ難民?の労働力としての事情
経済回復基調?デフレ続行といわれる中、失業率も低下してきているとの発表がなされている。ところが、この失業率の評価をめぐっては、従来の概念では計り知れないものがある。パートや非正規社員への就労も含まれているため、昔ながらの就業率アップ=生活の安定といったイメージとはかけ離れているのだ。その中でも、極めつけは、ホームレスなどといわれる人たちをめぐる状況は、ほとんど把握されていないのが実状で、マスコミの報道もほとんどない。
ホームレスといえば、野宿生活者のイメージが出てきそうなのであるが、まだ気づかれてない実態がある。ネットカフェ難民は姿からは判断出来ない。Yシャツにネクタイの背広姿も数多く存在する。深夜のアーケード街で横たわっている都市部でのホームレスは有名ではあるが、実は衛星都市や地方都市にも存在し、無理矢理これを住民も行政も認めようとしないといった姿もうかがえる。加えて、もとは自宅であった競売物件での生活者も含め、もうすぐホームレスとなる人々は相当存在しそうだ。大阪の釜ヶ崎といわれる一帯(行政用語ではあいりん(愛隣)地域という)の中心部には、アパートや一晩1000円の宿住いの人たちがたむろしており、野宿生活者は意外と釜ヶ崎の周囲の場所に居るといったことも、現地に行ってみないとわからない。昼間から夕方は強気な様相の人たちや、ヤクザでも目つきの飛んでいる者がたむろしているから、深夜の野宿生活者の実態には気がつきにくい。確かに、深夜と雨の日は釜ヶ崎に近づくと危険極まりないのは事実である。が、それ以外の日にネクタイを締めて行っても危険を伴うものではない。にもかかわらず、ここを訪れるマスコミ関係者は少ないのである。ここでは敢えて、ホームレスあるいはホームレスになりかけている人たちをまとめて、求職状況をレポートする。
まず、一昔前であれば、ホームレスになるのは特徴的な個性の持ち主といった見方が強かったが、今日では、誰もがふとした失敗からホームレスに転落しているといった変化である。ホームレスの自立支援対策に携わる人たちへのインタビューからすると、借金や借りっ放しなどの芸当が出来ない生真面目な人が多いとか、極めて内気で自分を責めるタイプが多いといった話が出て来る。
最大のネックは、就職にあたっての身元保証人のようだ。形式的に書面提出を求める企業が多いのであるが、これがかなりの心理的圧力となって、就職をあきらめる原因となっている。フトしたことから切羽詰まった状況に陥ったことにより、身元保証人を頼める知人がなくなるとか、恥ずかしくて頼めない心理になっているのだ。もとより、個別企業からすれば、事故が起きても身元保証を拒否するケースがほとんどの紙きれだけの身元保証人が実態であるのだが、なぜか形式にとらわれて求人の障害になっていることが気づかれていない。今の日本社会において、「ほんとうに身元保証をするのは、暴力団だけだ」と断言する人もいるが、それが本当だろう。実際には、社員寮に入居させて、人事部門が生活のケアをして、様子に注意している方法こそ、実効のある身元保証対策と言えるのだ。
警備員の職業(警備員は懲役・禁錮刑の執行から5年を経過している身分証明と本籍の記録が必要)を除けば、誰も本籍をいう必要はない。もちろん住民票は会社が用意する社宅や寮の所在地で取得可能である。住民票の有無は、生活保護申請にとっては極めて重要ではあるが、就職して自立するだけなら、ほとんどどうでも良いと言える。本名だろうが、ペンネームだろうが、労働力の提供だけであれば名前なんかどうでも良い。
生活基盤のベースに欠かせないのが健康保険である。住民票がなくても政管健保などの保険に入れる。→保険証のカードがあれば預金口座が持てる。→預金口座があれば、少しずつでも貯金をすることがたやすくなる。→そうすると、自らの努力で自立の道が歩めるといった具合だ。
ビッグイシューという雑誌を路上で販売しているAさんにインタビューすると、1日仕事であるならば日雇いの建設現場の方が1万5千円から2万円になると話す。それでは安定した生活はどうなるの?と質すと将来不安があるという。健康保険や雇用保険の話をすると非常な関心がある。だが、今日明日の金が必要なことから、金額の高い日雇いに目がいってしまうらしい。別のBさんに聞けば、日雇いでは雨の日が休みとなるから、収入があったり無かったりで不安も多いらしい。インタビューを続けていると、どうも不安定な職種ばかりの求人が来ているので、そういった日雇い仕事などを前提に、何事もあきらめざるを得ない就職イメージとなっているようだ。
女性のホームレスを収容する施設は比較的多数存在することから、ホームレスで女性が少ないのはそのためだと、事情通は語っている。夫婦で、ホームレスになる人も急増して、今や珍しいものではなくなった。
大阪の釜ヶ崎では精神疾患や傷病疾患による救護施設は、法的な支援もあるので、比較的整っているようだ。道で倒れている患者をすぐさま入院させるといった外来診療受付の無い民間医療機関も存在する。住民票は病院内で生活保護申請をして医療費に充てるのだ。ホームレス生活で体力を失い、いっそのこと病気で収容されたいと願う考えまでが、当たり前となっているかもしれないのだ。
釜ヶ崎周辺では、キリスト教と称するグループがそれぞれの思惑をもっての、施設や活動が乱立しており、どこかのキリスト教の「集会」に出席などして「主イエス・キリストを信じます。アーメン」と言いさえすれば1日1食を食べることは確実に出来る。その弁当や炊き出しを拒絶さえしなければ、餓死することはない。したがって、生きようとする人が最後のよりどころとして、一度はより集まって来ることにもなっている。
ホームレスの人たちは内気であるから、個別企業の人事労務管理の不手際による職場の人間関係や摩擦によって、離職を繰り返して来た人も多い。ホームレス対策に関わる大手企業はほとんどない。その多くが中小零細企業であり、行政機関入札受注条件としてホームレスの不本意な受け入れを強制されている場合も多いので、職場の人間関係を円滑に保つ人事労務管理の方法を知らず、就職者の定着にまでいたっていない実態がほとんどなのだ。労働力の定着のために、偽装請負業者や労務供給業者に労働力を頼る個別企業が存在することからすれば、一考してみる価値は大いにあるのだ。
ホームレスの自立支援対策に携わる人たちの間でも、実際にホームレスになる前と、なってから1ヵ月以内の対策に効果があるとのことである。野宿生活などをした人は、ひと冬越すと意識が変わるという。2年〜3年にわたってホームレスを続ける順応性の持ち主は、川辺や公園のブルーテント生活にも順応しているという。公園の水、自家発電の電気、卓上コンロが整えられ、エアコン完備のテントまである。したがって、労働力として有効なのは、事前か初期の手当てのチャンスを逃すと、難しいということである。ホームレスになりきってしまったのであれば、本人の意思によって通常の就職への障害が極めて強いのである。
いよいよ次の研究課題は、実際の求人開拓、募集、面接、求職誘引、雇用契約、就労相談、生活ケア相談その他の付帯する業務にまつわる受け皿と運営ノウハウとなる。これからの労働集約型産業は、こういったノウハウの蓄積によって、個別企業の成長と崩壊の見通しが立つことになるであろうことは間違いない。
そもそもの内部告発は、裏切り者や労使紛争の謀略手段とは趣を異にする。だからこそ、公益通報者保護法も、経済活動における重要意味をもつものとして、406本の法律を対象とする通報の擁護を定めて、平成18年4月から施行されたのである。アメリカ語で、Whistle‐blowing といわれるが、これは「口笛を吹くことで危険を知らせるもの」ということなのである。イギリス語では、Public interest disclosure となる。とはいっても、通報するとなれば法令詳細などはどこ吹く風で、通報が実行されるのである。
こういった意味では、内部告発は、マスコミに取り上げられた食肉のミートホープ、北海道土産の白い恋人などの、企業にとどまるものではない。日本社会では、経済活動にとどまらず、今回の参議院選挙において、政権与党内部から、次々と大臣クラスの金銭問題がリーク(leak)されたと言われているが、これが「党内支持率10%強の総裁」と皮肉られる状況が的を射ているならば、こういったリークも、いわゆる内部告発と言えることになるのだ。
ある学者に言わせると、内部告発を次のように整理している。
(1)組織の了解を得ないで
(2)組織ぐるみ、組織の一部、あるいはトップによる
(3)違法行為を中心とした不正行為について
(4)社員等の内部関係者が
(5)公共の利益の擁護のために
(6)情報提供や資料提供によって
(7)行政機関やマスコミ等の部外者への、不正の暴露
としている。今現在では、行政機関などに持ち込まれないだけ、「幸運?ラッキー?」であったとされるのである。
確かに、数年前内部告発が話題になった際には、何人かの大学教授が、「内部告発者は裏切り者だ!」との著作を出版した。変に社会遊離した勇気があったのか、学問よりも観念が優先したのか、学者生命が消えてしまったらしい。今どき専門家が、余りに無知無能な学説を発表すれば、アホ・馬鹿・間抜けと論評されても、名誉棄損の判決は出ない。
このグローバル経済社会では、世界同時に様々な物事が共通した課題として発生している。昔は、資本主義・自由主義といえば、イギリスやアメリカがリードして、その後にフランスやドイツが後を追って行くといったパターンが存在もした。経済成長などおぼつかないと思われていた発展途上国において、資本主義を無理矢理動員した場合には、その反発で社会主義政権が登場し社会主義経済が採用されたのであった。また、その当時先進資本主義国になることを阻まれていた、例えば日本が戦争期に社会主義計画経済:経済〇ヵ年計画を戦前戦後に採用したのは有名な話(日本経済は社会主義国といわれる由縁)であり、もうひとつ例を挙げればドイツではヒットラーをはじめとするナチス=日本名:国民社会主義ドイツ労働者党が失業対策や戦時経済を行ったのである。戦後、これらの世界の経済秩序が国連から始まってWTOなどへと整備されていたのである。
こういった世界の経済秩序に、ピッタリ当てハマったのが、いわゆる「ピラミッド型組織」なのであった。「ピラミッド型組織」が経済活動や軍事活動の主な手法として導入されたことによって、戦後の経済秩序を形成することができたのかも知れない。特異な例かもしれないが、中国やインドでは、実のところ、このピラミッド型組織が形成し切れない途上の段階なのである。名称や図面ではそうであっても、実態は別のところにある。そして今や、このピラミッド型組織による経済活動の弊害や悪用が蔓延するに至ったのである。その原因はインターネットなどのIT技術発展と社会共同体のあり方(倫理や社会思想)の変化によるものと考えられている。すなわち、ピラミッド型組織を維持するための利益追求に異議が唱えられ、社会共同体にあっては弊害や悪用を蔓延させる世間体は排除されるのである。異議を唱え排除を行うのは、今や経営者であり人生を明日に託す人たちなのである。もっと簡単いえば、後進国並みの食肉偽造販売とか、金融機関が迫る在庫調整の賞味期間変更は、日本経済が、「高付加価値製品や高水準サービス商品の提供」の道を進む上では、「足を引っ張るもの」といった発想となるのである。折しも、韓国・中国・台湾などの製品と熾烈なツバ競り合いを繰り返す日本の個別企業としては、きわめて切迫した経済問題となるのである。究極には、経済活動において、「公正な事業間競争を維持するための役割を果たす!」といった社会通念に至るのは時間の問題なのである、実にアメリカがそうであるように。
3年後の銀行貸付金利上昇(年5%メド)もあり、日本経済の生きる道である、「高付加価値製品または高水準サービス」の商品提供を考えたときに、業務改革を進める個別企業にとって内部告発は、災い転じて福となすところの、Whistle‐blowing(口笛で危険を知らせる)そのものなのである。
ホームレス?ネットカフェ難民?の労働力としての事情
経済回復基調?デフレ続行といわれる中、失業率も低下してきているとの発表がなされている。ところが、この失業率の評価をめぐっては、従来の概念では計り知れないものがある。パートや非正規社員への就労も含まれているため、昔ながらの就業率アップ=生活の安定といったイメージとはかけ離れているのだ。その中でも、極めつけは、ホームレスなどといわれる人たちをめぐる状況は、ほとんど把握されていないのが実状で、マスコミの報道もほとんどない。
ホームレスといえば、野宿生活者のイメージが出てきそうなのであるが、まだ気づかれてない実態がある。ネットカフェ難民は姿からは判断出来ない。Yシャツにネクタイの背広姿も数多く存在する。深夜のアーケード街で横たわっている都市部でのホームレスは有名ではあるが、実は衛星都市や地方都市にも存在し、無理矢理これを住民も行政も認めようとしないといった姿もうかがえる。加えて、もとは自宅であった競売物件での生活者も含め、もうすぐホームレスとなる人々は相当存在しそうだ。大阪の釜ヶ崎といわれる一帯(行政用語ではあいりん(愛隣)地域という)の中心部には、アパートや一晩1000円の宿住いの人たちがたむろしており、野宿生活者は意外と釜ヶ崎の周囲の場所に居るといったことも、現地に行ってみないとわからない。昼間から夕方は強気な様相の人たちや、ヤクザでも目つきの飛んでいる者がたむろしているから、深夜の野宿生活者の実態には気がつきにくい。確かに、深夜と雨の日は釜ヶ崎に近づくと危険極まりないのは事実である。が、それ以外の日にネクタイを締めて行っても危険を伴うものではない。にもかかわらず、ここを訪れるマスコミ関係者は少ないのである。ここでは敢えて、ホームレスあるいはホームレスになりかけている人たちをまとめて、求職状況をレポートする。
まず、一昔前であれば、ホームレスになるのは特徴的な個性の持ち主といった見方が強かったが、今日では、誰もがふとした失敗からホームレスに転落しているといった変化である。ホームレスの自立支援対策に携わる人たちへのインタビューからすると、借金や借りっ放しなどの芸当が出来ない生真面目な人が多いとか、極めて内気で自分を責めるタイプが多いといった話が出て来る。
最大のネックは、就職にあたっての身元保証人のようだ。形式的に書面提出を求める企業が多いのであるが、これがかなりの心理的圧力となって、就職をあきらめる原因となっている。フトしたことから切羽詰まった状況に陥ったことにより、身元保証人を頼める知人がなくなるとか、恥ずかしくて頼めない心理になっているのだ。もとより、個別企業からすれば、事故が起きても身元保証を拒否するケースがほとんどの紙きれだけの身元保証人が実態であるのだが、なぜか形式にとらわれて求人の障害になっていることが気づかれていない。今の日本社会において、「ほんとうに身元保証をするのは、暴力団だけだ」と断言する人もいるが、それが本当だろう。実際には、社員寮に入居させて、人事部門が生活のケアをして、様子に注意している方法こそ、実効のある身元保証対策と言えるのだ。
警備員の職業(警備員は懲役・禁錮刑の執行から5年を経過している身分証明と本籍の記録が必要)を除けば、誰も本籍をいう必要はない。もちろん住民票は会社が用意する社宅や寮の所在地で取得可能である。住民票の有無は、生活保護申請にとっては極めて重要ではあるが、就職して自立するだけなら、ほとんどどうでも良いと言える。本名だろうが、ペンネームだろうが、労働力の提供だけであれば名前なんかどうでも良い。
生活基盤のベースに欠かせないのが健康保険である。住民票がなくても政管健保などの保険に入れる。→保険証のカードがあれば預金口座が持てる。→預金口座があれば、少しずつでも貯金をすることがたやすくなる。→そうすると、自らの努力で自立の道が歩めるといった具合だ。
ビッグイシューという雑誌を路上で販売しているAさんにインタビューすると、1日仕事であるならば日雇いの建設現場の方が1万5千円から2万円になると話す。それでは安定した生活はどうなるの?と質すと将来不安があるという。健康保険や雇用保険の話をすると非常な関心がある。だが、今日明日の金が必要なことから、金額の高い日雇いに目がいってしまうらしい。別のBさんに聞けば、日雇いでは雨の日が休みとなるから、収入があったり無かったりで不安も多いらしい。インタビューを続けていると、どうも不安定な職種ばかりの求人が来ているので、そういった日雇い仕事などを前提に、何事もあきらめざるを得ない就職イメージとなっているようだ。
女性のホームレスを収容する施設は比較的多数存在することから、ホームレスで女性が少ないのはそのためだと、事情通は語っている。夫婦で、ホームレスになる人も急増して、今や珍しいものではなくなった。
大阪の釜ヶ崎では精神疾患や傷病疾患による救護施設は、法的な支援もあるので、比較的整っているようだ。道で倒れている患者をすぐさま入院させるといった外来診療受付の無い民間医療機関も存在する。住民票は病院内で生活保護申請をして医療費に充てるのだ。ホームレス生活で体力を失い、いっそのこと病気で収容されたいと願う考えまでが、当たり前となっているかもしれないのだ。
釜ヶ崎周辺では、キリスト教と称するグループがそれぞれの思惑をもっての、施設や活動が乱立しており、どこかのキリスト教の「集会」に出席などして「主イエス・キリストを信じます。アーメン」と言いさえすれば1日1食を食べることは確実に出来る。その弁当や炊き出しを拒絶さえしなければ、餓死することはない。したがって、生きようとする人が最後のよりどころとして、一度はより集まって来ることにもなっている。
ホームレスの人たちは内気であるから、個別企業の人事労務管理の不手際による職場の人間関係や摩擦によって、離職を繰り返して来た人も多い。ホームレス対策に関わる大手企業はほとんどない。その多くが中小零細企業であり、行政機関入札受注条件としてホームレスの不本意な受け入れを強制されている場合も多いので、職場の人間関係を円滑に保つ人事労務管理の方法を知らず、就職者の定着にまでいたっていない実態がほとんどなのだ。労働力の定着のために、偽装請負業者や労務供給業者に労働力を頼る個別企業が存在することからすれば、一考してみる価値は大いにあるのだ。
ホームレスの自立支援対策に携わる人たちの間でも、実際にホームレスになる前と、なってから1ヵ月以内の対策に効果があるとのことである。野宿生活などをした人は、ひと冬越すと意識が変わるという。2年〜3年にわたってホームレスを続ける順応性の持ち主は、川辺や公園のブルーテント生活にも順応しているという。公園の水、自家発電の電気、卓上コンロが整えられ、エアコン完備のテントまである。したがって、労働力として有効なのは、事前か初期の手当てのチャンスを逃すと、難しいということである。ホームレスになりきってしまったのであれば、本人の意思によって通常の就職への障害が極めて強いのである。
いよいよ次の研究課題は、実際の求人開拓、募集、面接、求職誘引、雇用契約、就労相談、生活ケア相談その他の付帯する業務にまつわる受け皿と運営ノウハウとなる。これからの労働集約型産業は、こういったノウハウの蓄積によって、個別企業の成長と崩壊の見通しが立つことになるであろうことは間違いない。
2007/08/08
第64号
<もくじ>
外部労働市場を活用するには
請負と非請負を時代別に追跡すると
昭和27年、職業安定法施行規則改正
昭和61年、労働者派遣法施行
そもそも、業務請負は
A.法令の定義をクリア
B.長期にわたる経済性の確保
C.事業の社会貢献性
業務請負の拡大期
なぜ、業務請負に比べ、偽装請負が拡大したのか
偽装請負、彼らの営業手法は
偽装請負によって立ち行かなくなった工場
社会保険事務所は調査しない?
ところで一転、資金面からは
地に足のついた労働力需給
¶外部労働市場を活用するには、
工場をはじめ大量生産や大量業務処理を行う場合での生産管理などの上で、注意しなければならないことがある。どうしても、現場担当者では適切なコントロール措置が行ない得ないことから、総務人事部門の役割は重要となる。日本の経済展望である、「高付加価値製品と高水準サービスの商品」の提供を、個別企業においても社会においても、下支えができるかどうかの視点が重要なのだ。何れの産業も人海戦術では世界に勝てず、外部労働力活用といえども、それでは赤字転落は必至の事態だ。
外注の業態ひとつとってみても、請負、構内下請、業務請負、アウトソーシングといった具合となってしまう。賃貸の業態をとるものもあり、労働者派遣は人材レンタルで賃貸契約、物品レンタルにオペレーターの労働力が付随して来るものもある。こういった経済性に基づく実状は、すべてが法律で定義できるものではない。かつて、ローマ時代においては、労働、請負、貸借の三つの契約関係を、別々の概念と区別が出来無かった。
所詮、法律や政府の政策課題(製造業請負事業の適正化に向けてガイドライン/厚労省6月29日など)は、せいぜい自由平等原則や社会共同体ルールの侵害を防ぐ手段としてでしかないのだ。そして、現在日本の法体系では、請負か、それとも派遣や労務供給であるのかの判断は、一貫して「作業工程の進捗管理」を発注側が行っておれば、請負とはならないとする定義に変わりはない。
¶請負と非請負を時代別に追跡すると、
昭和27年の職安法施行規則改正は、それ以前の同一工場敷地内であれば発注側が進捗管理を行ない、支配しかねないと念頭においていた懸念を、請負業者が、工場の構内であっても別途、設備や建屋を別に設置するとの条件であれば、発注側は進捗管理を行ない得ないとの概念を形成し、構内下請なるものが開発・始業した。
昭和61年の大臣告示は、工場内で建屋を別にしなくとも、機械設備や材料・光熱費を自前で「調達」する又は専門的な技術や経験が存在するとの条件ならば、定員契約(定員1名=労働者約1.2人)による業務請負を可能にし、これが工場でも開発・始業したのである。(従前から、ビルメンテナンス業、警備業では通例であったが)
¶昭和27年、職業安定法施行規則改正
により、請負と労務供給事業の区分、昭和23年のものが現行に改められた。これによって、当時の政策担当者の誰もが予想していなかった「構内下請」が開発され始業した。それ以前は、発注者の工場敷地内での外注業者により製品が製造された場合は、とにかく偽装請負と判断された。必ず工場敷地内で製品を完成させ、製品個数を数えた上での現物納入でなければ請負と見なされなかったのである。ところが、この施行規則改正により、発注者の工場敷地内であっても、外注業者が別棟の建屋であれば、問題がなくなったのだ。いまだ昭和27年当時の施行規則で、請負区分をする行政職員や専門家と称する者も存在する。
¶昭和61年、労働者派遣法施行
により、派遣と請負の区分が大臣告示された。昭和27年から構内下請は合法とされていたが、これとは別に当時、いわゆる「業務委任契約」と称されていたものが偽装請負であった。これが、61年の派遣法施行で労働者派遣と定義されると同時に、昭和61年当時は13業務以外(生産ライン等)の労働者派遣が禁止されたのである。禁止に併せて、派遣と請負区分大臣告示が出され、これが工場現場の現状と刷り合された後、研究を重ねた結果、「業務請負」の業態を完成したのである。(事務系労働者派遣は業務処理請負と呼ばれ、派遣法によって合法化された)。
¶そもそも、業務請負は、
土木設計技術者、ビル維持管理技術者、警備員を念頭において考えられていた。これらは派遣業構想当時に労働事件問題として取り上げられ、当時の労働組合は、一足飛びに個別企業との交渉は行わずに、制度の根幹に位置する建設省や労働省あるいは都道府県との団体交渉を繰り広げていたのである。官公庁のビル物件管理の発注において、落札業者が変更しても同一のビル維持管理技術者や清掃員を雇用しなければならないルールが、労働組合との交渉により成り立っていた時代であった。
確かに、当時の厚生省は工場内でのことは念頭に考えられていなかった。従前からの構内下請に限って念頭においたものだから、単なる肉体的な労働力を提供の領域を超えた業態は想定をしていなかった。ところが、次のA~Cの条件を満たすことで、社会に受け入れられる業務請負の業態が開発されたのである。
A.法令の定義をクリア:
告示条項の上では、大臣告示の内容を満たし、とりわけ業務ごとに定員を定め、その定員を充足するために約1.2倍(有給、欠勤その他)の労働者を配置したうえで、マニュアル書を用い工程進捗管理を進めれば、業務請負の業態開発の見通しが立ったのである。
B.長期にわたる経済性の確保:
業務請負業者として事業の継続性や採算性などの長期にわたる経済性が問題となった。賃金との利ザヤが稼げる発注価格だけでは事業としての将来性は無かったのである。初めて業務請負の業態で、受注がなされたのは、大阪市と京都市の中間に位置する大阪府茨木職業安定所管内であった。M電器テレビ事業部の常用パート一斉解雇とM電器系列の掃除機組立の常用パート一斉募集がきっかけで、労働力の需給がマッチングしたのを皮切りに、京阪北部:名神高速沿いの工場地帯周辺での労働力需給調整を担うようになった。
C.事業の社会貢献性:
職業安定法や労働者派遣法の法律趣旨を満たすためには、一般労働者の常用雇用やパートなどの短時間安定雇用の期待や願いを充実させるところの、「事業制度設計と事業維持の担保」をする社会貢献性が必要なのであった。ただ単に労働者を雇用し、各作業所に配属するだけでは、事業規模が大きくなればなるほどに、社会からは非難されることになるのは想定されていたのである。すなわち、昨年事件となったクリスタルグループの如くである。
¶業務請負の拡大期
昭和61年から平成10年ごろまでは、業務請負が全国に拡大し定着していった。安定所も偽装請負業者を徹底してあぶり出し、請負要件を最低限は満たすようにとの行政指導を行ない、指導に従わない業者系列の、事務系を含む労働者派遣業をも許可ストップしていった。こういった動きは業務請負の拡大を促進させ、偽装請負業者は業務請負業者や発注者からも、その反社会性が批判されていたのであった。偽装請負とされるものは、大臣告示の条項上の請負要件を満たすことがない。そればかりか、偽装請負個別企業の長期経済性や社会貢献性にいたっては、そのカケラもない。偽装請負として摘発される根拠は、この部分に他ならないのだ。偽装請負のとりえとは、一般人が手を出さない非合法なだけなのである。
¶なぜ、業務請負に比べ、偽装請負が拡大したのか
平成9年11月30日から、それまで労働者派遣事業における社会保険適用優遇?措置が廃止されたのである。それまでは、社会保険の適用は、2ヵ月以内の雇用の繰り返しを行う雇用契約においては、被保険者適用除外とされており、派遣スタッフが希望して2ヵ月を超える雇用契約を結ばない限りは、社会保険に加入する必要がなかった(正確には適用除外)のである。当時の官僚の中には、これを派遣業界への育成援助措置と明言する者もいた。この措置は業務請負業者も一般個別企業も同様であった。そこに事件がおきた。当時の厚生省と労働省は、行政手続法に基づいて大阪の天満社会保険事務所長宛に請求された、「社会保険の被保険者資格にかかる行政指導の趣旨及び内容の書面交付」をきっかけに、この年の夏に両省が協議を行ない、2ヵ月以内の雇用繰り返しの最大業界である派遣業界(併せて業務請負)での社会保険適用方針を変更したのである。(平成9年春の会計検査院調査において、派遣社員の被保険者適用基準が大問題となり、1社で数億円・大阪府下で100億円規模の保険料支払の攻防が行われていた)。
偶然にも、同じ平成9年に職業紹介と労働者派遣にかかる法律が、現在の労働力流動化を促す端緒となるための改正がなされた。この流動化方向を見てとった偽装請負業者たちは、「将来、社会保険に未加入であっても、業務停止処分をされることはない!」とタカをくくり、営業(発注勧誘)活動を展開した。今日に至るまで社会保険事務所は、「業務請負」と称する看板をあげている業者には、社会保険の被保険者適用調査に立ち入ることは無いのである。
¶偽装請負、彼らの営業手法は
とはいっても、社会に受け入れられる業務請負とは異なり、反社会性を以って事業を維持する偽装請負である宿命から、彼らの営業手法は、発注担当者(工場であれば資材課長など)に対する飲食・旅行・講師料その他で当人と家族を接待・誘惑、発注企業での背任・横領が立件されないスレスレの偽装請負契約を締結させるといった具合なのである。コンプライアンスの中心である総務や人事部門に、こういった接待はしない。大阪労働局の事件となったクリスタルグループでも、このような噂は絶えなかったのである。
¶偽装請負によって立ち行かなくなった工場
さて、よくよく考えてみれば、発注工場などは、偽装請負業者によって、
技能者育成の熱意に水をかけられ、
水増しの労働者数を派遣され、
発注担当者は骨抜きにされ、
偽装請負に頼らなければ工場は動かなくさせられ、
ところによっては労務・教育部門の生血を抜かれてしまった
工場まで出て来たのである。事実、M電器とかSグループを除けば、クリスタルに対する嫌悪感や反発は、あちらこちらの経営トップの口から、幾度も出されていたのであった。
¶社会保険事務所は調査しない?
それにしても、社会保険事務所が、業務請負の看板をあげている業者の、社会保険被保険者適用調査に、何故立ち入らないのだろうか。それは、低賃金の労働者が集積している事業所であることから、社会保険の適用をさせると採算が合わなくなると考えているからのようだ。折しも平成10年以降は、社会保険加入事業所率が低下し続けているのである。今日、年金記録問題が起きているが、「年金に加入しているのに、会社が保険料を払っていない」といった言い分の真相は、こういった偽装請負業者の個々労働者の社会保険適用における信義則違反(だまし、裏、ペテン)にまつわる事案ではないかと、社会保険労務士などの専門家の間では噂されているようだ。
¶ところで一転、資金面からは
平成9年以降のメガバンクなどの偽装請負会社への融資の実態である。この当時は平成恐慌・日本初の金融危機か?と言われ、銀行はプライドを捨てて利回り第一の貸付先探しに血眼になったのである。大和銀行が突然、数ヵ月前の方針を転換、9月連休に地方銀行転落との発表したのも、この年の秋であった。そこでメガバンクの銀行員は、偽装請負業者に甘くささやかれ融資させられたのである。偽装請負業者からすれば、資金をつぎ込んで資本と派遣労働者の回転率を引き上げ、そのための銀行からの借り入れには、坊ちゃん育ちの銀行員をハメてしまう事ぐらい、コップ一杯の水を飲むようなものである。ほとんどの偽装請負業者の社長は、倒産や破産をしたとしても、「坊主になれば鐘をつくさ」といった具合であった。(だが、もう今は老齢を感じて、クリスタルグループの社長のようにグッドウィルに事業を売却する者もいれば、夢くずれ50半ばにして老後の年金生活ばかりを毎日考えている社長もいる)。もちろん、暴力団とのつながりも強くなってきている。
だが、ここで考えなければならないことは、経済のグローバル展開によって、今からおよそ3年後には、メガバンクをはじめ多くの金融機関が、貸付利率3%以上を確保するために国内融資資金を回収→海外投資に回す動きが確定していることである。アメリカ国債は利率5%で大売り出し中だ。だとすると、この3年の間が、請負、業務請負、偽装派遣をめぐる方針転換の正念場とならざるを得ない。
¶地に足のついた労働力需給
しかしながら、残念なことに、厚生労働省の6月29日の研究会報告、ナショナルセンター連合の報告などには、こういった歴史的文化的背景や経済社会の将来を見据えた視点が、極めて不十分であることが伺える。ひとえに、民間現場から遊離しているせいか、抜本的に研究強化せざるを得ないものばかりである。高級官僚の立場から物事を分析しがちになると、表面の統計やマスコミで報道された現象が頭に残り、どうしても施策や方針は甘くに流れる論理建てとなってしまいがちなのである。
実際の経営管理や地に足のついた労働力需給業務といったものは、歴史的変遷と現場実態のインテリジェンスから着想・発想された参画が実態を動かしているのである。
外部労働市場を活用するには
請負と非請負を時代別に追跡すると
昭和27年、職業安定法施行規則改正
昭和61年、労働者派遣法施行
そもそも、業務請負は
A.法令の定義をクリア
B.長期にわたる経済性の確保
C.事業の社会貢献性
業務請負の拡大期
なぜ、業務請負に比べ、偽装請負が拡大したのか
偽装請負、彼らの営業手法は
偽装請負によって立ち行かなくなった工場
社会保険事務所は調査しない?
ところで一転、資金面からは
地に足のついた労働力需給
¶外部労働市場を活用するには、
工場をはじめ大量生産や大量業務処理を行う場合での生産管理などの上で、注意しなければならないことがある。どうしても、現場担当者では適切なコントロール措置が行ない得ないことから、総務人事部門の役割は重要となる。日本の経済展望である、「高付加価値製品と高水準サービスの商品」の提供を、個別企業においても社会においても、下支えができるかどうかの視点が重要なのだ。何れの産業も人海戦術では世界に勝てず、外部労働力活用といえども、それでは赤字転落は必至の事態だ。
外注の業態ひとつとってみても、請負、構内下請、業務請負、アウトソーシングといった具合となってしまう。賃貸の業態をとるものもあり、労働者派遣は人材レンタルで賃貸契約、物品レンタルにオペレーターの労働力が付随して来るものもある。こういった経済性に基づく実状は、すべてが法律で定義できるものではない。かつて、ローマ時代においては、労働、請負、貸借の三つの契約関係を、別々の概念と区別が出来無かった。
所詮、法律や政府の政策課題(製造業請負事業の適正化に向けてガイドライン/厚労省6月29日など)は、せいぜい自由平等原則や社会共同体ルールの侵害を防ぐ手段としてでしかないのだ。そして、現在日本の法体系では、請負か、それとも派遣や労務供給であるのかの判断は、一貫して「作業工程の進捗管理」を発注側が行っておれば、請負とはならないとする定義に変わりはない。
¶請負と非請負を時代別に追跡すると、
昭和27年の職安法施行規則改正は、それ以前の同一工場敷地内であれば発注側が進捗管理を行ない、支配しかねないと念頭においていた懸念を、請負業者が、工場の構内であっても別途、設備や建屋を別に設置するとの条件であれば、発注側は進捗管理を行ない得ないとの概念を形成し、構内下請なるものが開発・始業した。
昭和61年の大臣告示は、工場内で建屋を別にしなくとも、機械設備や材料・光熱費を自前で「調達」する又は専門的な技術や経験が存在するとの条件ならば、定員契約(定員1名=労働者約1.2人)による業務請負を可能にし、これが工場でも開発・始業したのである。(従前から、ビルメンテナンス業、警備業では通例であったが)
¶昭和27年、職業安定法施行規則改正
により、請負と労務供給事業の区分、昭和23年のものが現行に改められた。これによって、当時の政策担当者の誰もが予想していなかった「構内下請」が開発され始業した。それ以前は、発注者の工場敷地内での外注業者により製品が製造された場合は、とにかく偽装請負と判断された。必ず工場敷地内で製品を完成させ、製品個数を数えた上での現物納入でなければ請負と見なされなかったのである。ところが、この施行規則改正により、発注者の工場敷地内であっても、外注業者が別棟の建屋であれば、問題がなくなったのだ。いまだ昭和27年当時の施行規則で、請負区分をする行政職員や専門家と称する者も存在する。
¶昭和61年、労働者派遣法施行
により、派遣と請負の区分が大臣告示された。昭和27年から構内下請は合法とされていたが、これとは別に当時、いわゆる「業務委任契約」と称されていたものが偽装請負であった。これが、61年の派遣法施行で労働者派遣と定義されると同時に、昭和61年当時は13業務以外(生産ライン等)の労働者派遣が禁止されたのである。禁止に併せて、派遣と請負区分大臣告示が出され、これが工場現場の現状と刷り合された後、研究を重ねた結果、「業務請負」の業態を完成したのである。(事務系労働者派遣は業務処理請負と呼ばれ、派遣法によって合法化された)。
¶そもそも、業務請負は、
土木設計技術者、ビル維持管理技術者、警備員を念頭において考えられていた。これらは派遣業構想当時に労働事件問題として取り上げられ、当時の労働組合は、一足飛びに個別企業との交渉は行わずに、制度の根幹に位置する建設省や労働省あるいは都道府県との団体交渉を繰り広げていたのである。官公庁のビル物件管理の発注において、落札業者が変更しても同一のビル維持管理技術者や清掃員を雇用しなければならないルールが、労働組合との交渉により成り立っていた時代であった。
確かに、当時の厚生省は工場内でのことは念頭に考えられていなかった。従前からの構内下請に限って念頭においたものだから、単なる肉体的な労働力を提供の領域を超えた業態は想定をしていなかった。ところが、次のA~Cの条件を満たすことで、社会に受け入れられる業務請負の業態が開発されたのである。
A.法令の定義をクリア:
告示条項の上では、大臣告示の内容を満たし、とりわけ業務ごとに定員を定め、その定員を充足するために約1.2倍(有給、欠勤その他)の労働者を配置したうえで、マニュアル書を用い工程進捗管理を進めれば、業務請負の業態開発の見通しが立ったのである。
B.長期にわたる経済性の確保:
業務請負業者として事業の継続性や採算性などの長期にわたる経済性が問題となった。賃金との利ザヤが稼げる発注価格だけでは事業としての将来性は無かったのである。初めて業務請負の業態で、受注がなされたのは、大阪市と京都市の中間に位置する大阪府茨木職業安定所管内であった。M電器テレビ事業部の常用パート一斉解雇とM電器系列の掃除機組立の常用パート一斉募集がきっかけで、労働力の需給がマッチングしたのを皮切りに、京阪北部:名神高速沿いの工場地帯周辺での労働力需給調整を担うようになった。
C.事業の社会貢献性:
職業安定法や労働者派遣法の法律趣旨を満たすためには、一般労働者の常用雇用やパートなどの短時間安定雇用の期待や願いを充実させるところの、「事業制度設計と事業維持の担保」をする社会貢献性が必要なのであった。ただ単に労働者を雇用し、各作業所に配属するだけでは、事業規模が大きくなればなるほどに、社会からは非難されることになるのは想定されていたのである。すなわち、昨年事件となったクリスタルグループの如くである。
¶業務請負の拡大期
昭和61年から平成10年ごろまでは、業務請負が全国に拡大し定着していった。安定所も偽装請負業者を徹底してあぶり出し、請負要件を最低限は満たすようにとの行政指導を行ない、指導に従わない業者系列の、事務系を含む労働者派遣業をも許可ストップしていった。こういった動きは業務請負の拡大を促進させ、偽装請負業者は業務請負業者や発注者からも、その反社会性が批判されていたのであった。偽装請負とされるものは、大臣告示の条項上の請負要件を満たすことがない。そればかりか、偽装請負個別企業の長期経済性や社会貢献性にいたっては、そのカケラもない。偽装請負として摘発される根拠は、この部分に他ならないのだ。偽装請負のとりえとは、一般人が手を出さない非合法なだけなのである。
¶なぜ、業務請負に比べ、偽装請負が拡大したのか
平成9年11月30日から、それまで労働者派遣事業における社会保険適用優遇?措置が廃止されたのである。それまでは、社会保険の適用は、2ヵ月以内の雇用の繰り返しを行う雇用契約においては、被保険者適用除外とされており、派遣スタッフが希望して2ヵ月を超える雇用契約を結ばない限りは、社会保険に加入する必要がなかった(正確には適用除外)のである。当時の官僚の中には、これを派遣業界への育成援助措置と明言する者もいた。この措置は業務請負業者も一般個別企業も同様であった。そこに事件がおきた。当時の厚生省と労働省は、行政手続法に基づいて大阪の天満社会保険事務所長宛に請求された、「社会保険の被保険者資格にかかる行政指導の趣旨及び内容の書面交付」をきっかけに、この年の夏に両省が協議を行ない、2ヵ月以内の雇用繰り返しの最大業界である派遣業界(併せて業務請負)での社会保険適用方針を変更したのである。(平成9年春の会計検査院調査において、派遣社員の被保険者適用基準が大問題となり、1社で数億円・大阪府下で100億円規模の保険料支払の攻防が行われていた)。
偶然にも、同じ平成9年に職業紹介と労働者派遣にかかる法律が、現在の労働力流動化を促す端緒となるための改正がなされた。この流動化方向を見てとった偽装請負業者たちは、「将来、社会保険に未加入であっても、業務停止処分をされることはない!」とタカをくくり、営業(発注勧誘)活動を展開した。今日に至るまで社会保険事務所は、「業務請負」と称する看板をあげている業者には、社会保険の被保険者適用調査に立ち入ることは無いのである。
¶偽装請負、彼らの営業手法は
とはいっても、社会に受け入れられる業務請負とは異なり、反社会性を以って事業を維持する偽装請負である宿命から、彼らの営業手法は、発注担当者(工場であれば資材課長など)に対する飲食・旅行・講師料その他で当人と家族を接待・誘惑、発注企業での背任・横領が立件されないスレスレの偽装請負契約を締結させるといった具合なのである。コンプライアンスの中心である総務や人事部門に、こういった接待はしない。大阪労働局の事件となったクリスタルグループでも、このような噂は絶えなかったのである。
¶偽装請負によって立ち行かなくなった工場
さて、よくよく考えてみれば、発注工場などは、偽装請負業者によって、
技能者育成の熱意に水をかけられ、
水増しの労働者数を派遣され、
発注担当者は骨抜きにされ、
偽装請負に頼らなければ工場は動かなくさせられ、
ところによっては労務・教育部門の生血を抜かれてしまった
工場まで出て来たのである。事実、M電器とかSグループを除けば、クリスタルに対する嫌悪感や反発は、あちらこちらの経営トップの口から、幾度も出されていたのであった。
¶社会保険事務所は調査しない?
それにしても、社会保険事務所が、業務請負の看板をあげている業者の、社会保険被保険者適用調査に、何故立ち入らないのだろうか。それは、低賃金の労働者が集積している事業所であることから、社会保険の適用をさせると採算が合わなくなると考えているからのようだ。折しも平成10年以降は、社会保険加入事業所率が低下し続けているのである。今日、年金記録問題が起きているが、「年金に加入しているのに、会社が保険料を払っていない」といった言い分の真相は、こういった偽装請負業者の個々労働者の社会保険適用における信義則違反(だまし、裏、ペテン)にまつわる事案ではないかと、社会保険労務士などの専門家の間では噂されているようだ。
¶ところで一転、資金面からは
平成9年以降のメガバンクなどの偽装請負会社への融資の実態である。この当時は平成恐慌・日本初の金融危機か?と言われ、銀行はプライドを捨てて利回り第一の貸付先探しに血眼になったのである。大和銀行が突然、数ヵ月前の方針を転換、9月連休に地方銀行転落との発表したのも、この年の秋であった。そこでメガバンクの銀行員は、偽装請負業者に甘くささやかれ融資させられたのである。偽装請負業者からすれば、資金をつぎ込んで資本と派遣労働者の回転率を引き上げ、そのための銀行からの借り入れには、坊ちゃん育ちの銀行員をハメてしまう事ぐらい、コップ一杯の水を飲むようなものである。ほとんどの偽装請負業者の社長は、倒産や破産をしたとしても、「坊主になれば鐘をつくさ」といった具合であった。(だが、もう今は老齢を感じて、クリスタルグループの社長のようにグッドウィルに事業を売却する者もいれば、夢くずれ50半ばにして老後の年金生活ばかりを毎日考えている社長もいる)。もちろん、暴力団とのつながりも強くなってきている。
だが、ここで考えなければならないことは、経済のグローバル展開によって、今からおよそ3年後には、メガバンクをはじめ多くの金融機関が、貸付利率3%以上を確保するために国内融資資金を回収→海外投資に回す動きが確定していることである。アメリカ国債は利率5%で大売り出し中だ。だとすると、この3年の間が、請負、業務請負、偽装派遣をめぐる方針転換の正念場とならざるを得ない。
¶地に足のついた労働力需給
しかしながら、残念なことに、厚生労働省の6月29日の研究会報告、ナショナルセンター連合の報告などには、こういった歴史的文化的背景や経済社会の将来を見据えた視点が、極めて不十分であることが伺える。ひとえに、民間現場から遊離しているせいか、抜本的に研究強化せざるを得ないものばかりである。高級官僚の立場から物事を分析しがちになると、表面の統計やマスコミで報道された現象が頭に残り、どうしても施策や方針は甘くに流れる論理建てとなってしまいがちなのである。
実際の経営管理や地に足のついた労働力需給業務といったものは、歴史的変遷と現場実態のインテリジェンスから着想・発想された参画が実態を動かしているのである。
2007/07/10
第63号
うつ病対策、現場からのインテリジェンス
うつ病の頻発は、日本の経済や産業が、「高付加価値製品や高水準サービス」の商品提供の事業戦略の足を引っ張り、その実態を示すバロメーターともなっている。このように結論付ける理由と、目前のうつ病対策を含めてのインテリジェンスを提供。
(うつ病早期発見・緊急措置シート:次のURLの左下からダウンロード可能)
http://www.soumubu.jp/download/
近頃は、職場の「うつ病」について一般マスコミでも取り上げられるようになった。
しかしながら、経営管理面からの、うつ病発見、未然防止とか、復帰プログラムといったものは、まだ皆無といった状況だ。
人事労務の専門紙誌のほとんどが、
「成果主義的な人事賃金制度や個人業績や部門の業績」を流行の枕言葉に、原因究明をしていないと言っても過言ではない。確かに、一般素人には受けが良いから、素人的発想をまかり通らせたほうが雑誌としては安泰なのである。
では、専門家であれば、何に気付かなければならないのか。
まずひとつは、産業心理学が発生した背景、すなわち、20世紀初め、当時のアメリカでは農業労働者が北部の工業地帯に移動して、工場で働くようになった時 代の歴史的経験である。始業時刻に出勤して分業・流れ作業などの慣れない仕事のため、多くの労働者がノイローゼを多発して、労働力の確保と品質の水準確保 (歩留まり)に極端な支障をきたしたのである。この時代の経済社会の抜本的発展は、科学的管理法(テーラーシステム)とか、フォーディズム(フォード生産 方式)が開発され定着したことにある。これを補完するために、産業心理学が生まれ、禁酒法(13年間で終わり)が試されたのである。
もうひとつの歴史が示すものは、旧ソヴィエトの経済発展である。農業国で工業後進国であったロシアとその周辺を、それなりの先進工業国にまで引き上げた実 績の基盤には、革命直後の戦時共産制脱却のために、レーニンがテーラーの開発した科学的管理法を導入し「ボルシェビキ小集団活動」を加味したところの НОТ(ノット)方式を開発定着させ、経済七ヵ年計画とか五ヵ年計画を実施したことにある。ここでの補完は、「ウォッカによる二日酔い」の徹底した対策で あった。余談ではあるが、日本国官僚が推し進めた、昭和大恐慌後の経済政策、満州国経済政策(岸信介、大平正芳)、戦後高度経済成長政策は、「ソヴィエト の経済〇ヵ年計画」の実績ノウハウと教訓が取り入れられたものである。(日本が資本主義国の中の社会主義経済といわれる由縁のひとつはここにある)。
さて、世間一般のうつ病対策といえば医師の話ばかり。ところが、ほとんどの医師というのは、一般の企業や職場の中でどのような実態になっているのかを、全 くもって知らないと言わざるを得ない。精神科ともなれば、医者も患者もまるで別世界の人たちと思えてしまう。これを、産業心理学と心理学の差異の如く分類 すれば、現在の医師の治療は「心理学」の手法といったようなもので、アカデミック?で現場無視なのである。加えて、大阪地方であれば、(小説)白い巨塔の ナニワ大学?の調子の治療手法や「医者は復帰支援など知ったことか!」のような悪夢を肌で、ヒシヒシ感じざるを得ない。
私どもは、昨年の春あたりからのうつ病頻発の事態から、うつ病関連の仕事をしているが、うつ病発生現場では、次のような共通点が存在するように考える。
(1)人海戦術単純労働で、まるで高校3年生が監督、高校1年生が作業といった職業教育ゼロの状態
(2)管理職は、OJTで育成されていない為、部下や新入社員を育成する術を知らない
「言ってみて、やって見せて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
-日本帝国海軍 元帥 山本五十六- も、OJTの導入事例。
(3)Plan・Do・Check の積み重ねで仕事をしないから、工程管理は無きが如く、反省も向上も闇雲
(4)ミーティング、朝礼を行っていないから、組織的運営はなく、部下は業務より人目を気にするばかり
こういった組織的事業経営基盤が崩れていることから、相当多くの収益・生産・意欲・効率が空回りしており、そこへ意味も分からずに、成果主義?やコンピテンシー(流行終わり)が導入されて大混乱しているといったところだ。
なので、「高付加価値製品や高水準サービス」の商品提供の事業戦略の足を引っ張り、その実態を示すバロメーターともなっているとの結論に至ったのだ。
ここから、私どもは、うつ病対策と業務改善を併せ持った、センセーショナルな対策の実績を築いた。
導入基盤もないのに、ZD、TQC、Aタイム、コンピテンシーを流行のように追いかけ、経営が左前になった事例は山のようにあった。そこで、先ほど述べた20世紀初頭の成功事例他をもとに考案したのだ。
管理職の「うつ病発見チェックシート」作成=
(うつ病早期発見・緊急措置シート)http://www.soumubu.jp/download/
=発病2週間以内の早期発見
+本人への「うつ病疑い」通告と強い受診勧奨
+2週間以内の治療を産業医に要請
を進めた。1年半で、うつ病休職率6%が1.5%までダウンしてしまった企業も現れた。
ところが、この対策の狙いの本質は、うつ病発見をきっかけに、業務の計画的工程管理定着にあったのである。「発見チェック」に狙いは無かった。幸い、当該 企業は人件費に若干余裕が持てたので、OJT手法の定着は後日に回すことができたのであるが、全対策構想の片肺飛行でも、大きな実績が生まれた事例だ。
今や、日本国中、仕事が空回り、人生も空回り、努力や能力は成果に結びつかず、といったことも見られる(本質は現代社会共同体への適応不全)ことから、 「うつ病」がまん延しているのではないかと思われる。職場でも家庭でも、人目に振り回されて、うつ病やパニック症候群に陥っていると言えるのでもある。短 絡的対処で、人目を気にすることに現される日本的世間体になじんだとしても、世間体を拒否したとしても、グローバルに発展する未来社会での生存(社会共同 体への参加)は困難なのである。
だからこそ、先ほど述べたような人類の英知が歴史の中から生み出したところの、組織的事業基盤を、徹底して定着させることから始める必要があるのである。
現代の社会制度では、いわゆる「職人」は育成されることは無い。そのままでは、単純作業労働者ばかりを生み出し、この人たちが、個別企業や社会経済の足をひっぱるのである。
個別企業で、ノウハウ蓄積をしたいと思えば、組織的事業基盤を定着させたうえで、「知的所有権と経済活動にかかる文化経済学者たちの研究」から理論解明さ れたところの、ノウハウ蓄積プロセスの工学的実用化を目指すべきなのである。これこそ、近年、IT環境が整ったからこそ技術的に工学的実用化が可能になっ たのである。昔なら、大量印刷機とPaperと電話のセットで現代までが支えられていた如くである。
(ノウハウ蓄積プロセスに関するご質問はfree@soumubu.jpまで)
日本の発展過程を振り返ってみれば、
「昔の労災は怪我や死亡、今や労働不能や廃人!」という時代の変化。
人間はミスを犯すが、間違うから発見発明をする。
新たな事業を展開すれば、非効率な部分で、うつ病発生を覚悟しなければならない。「落ち目の会社に、うつ病は無関係!」の逆もまた真なりかもしれないのだ。
ところが、こういった視点まで掘り下げて自覚することが、うつ病発生・自殺防止をはかることが可能となり、その結果、誠の人道的立場も、初めて維持できるのである。
こう考えて創意工夫することこそが、個別企業と日本の経済や社会制度の壁を打ち破る発展に資することになるのである。
年金記録の「雇用主の証明?」
第三者委員会の基準が固まったが、これから、旧厚生官僚の巻き返しが出てくるのは当然で、具体的な巻き返しによる空洞化は、(筆者の30年余の経験から)
1.基準自体を「雇用主の証明」の意味を悪用(今から解説)
2.個々の水際での不支給決定では「人柄、態度」を捏造
といった方法で、巻き返しの突破口を開くものと、予想される。
このメルマガの先月号で、
≪社会保険法令の強制適用方針からすれば、話題となっている「領収書に代わるもの」とは何を指すのかを考えてみると、次のようなものが提題される。事業所 の雇用記録、健保組合の記録、雇用保険被保険者記録、給与明細、離職票(職安の公文書)、社員証、名刺、同僚の証言(報告書)、技能検定受検資格、児童手 当受給書類、厚生年金基金書類、給与振込み銀行通帳、源泉徴収票、社員旅行の写真、官公庁への技術者届などが考えられ、これらを総合的に判断するといった ものが考えられる≫と「雇用主の証明」以外、すなわち、被保険者資格有無を裏付ける証拠となる物を、著者は例示した。要は、従来から社会保険審査会で使わ れていた、「事実が真実であるとの論拠があり、その裏付けがあること」程度でよいのだ。
ところが、社会保険庁?あたりから、「雇用主の証明」といった言葉の表現句が、ことさら躍り出て来ていた。そもそも、厚生年金は保険料納付の有無にかかわ らず、加入期間と月例給与総額で支給されることになっており、これが米ソ対立を背景に、当時、日本政府が国民に約束したところの厚生年金保険法令に定める 強制適用という意味なのである。決して保険料強制徴収とは意味が違う。
したがって、「雇用主の証明」を強調する、その意味するところはこうなるのだ。
まず、「あの頭脳明晰な厚生官僚」が、事業主の中には、本人の給与から保険料を控除し、社会保険の加入手続きをせずにポケットに入れてしまった現場の事例 を、本当に?本当に?長期にわたって、想定出来なかったとでも言うのだろうか、といった疑問だ。現場の社会保険事務所は、今もなお、保険料未納企業の預金 等の調査発見能力は税務署より上位だと位置づけられている状態において。
たとえば、昭和61年当時は、都市部のある県では、常用パートタイマーは社会保険に加入させるなと、法令を無視した行政指導で厳格に排除していたから、事業主が届けても、社会保険事務所から拒否をされた。
一昔前は、保険料が払えない事業主に対して、被保険者の「社会保険脱退同意の連判状」を用意させ、国民健保・国民年金への切り替え、社会保険を脱退させる指導を、全国の社会保険事務所は行った。
社会保険事務所の調査においては調査官が、パートなど給料の安い労働者一人ひとりを個々に保険適用から排除をした歴史は、最近まで続いている。
偽装請負を繰り返す業務請負会社には、圧倒的に所得水準の低い労働者が集中しているせいか、社会保険事務所が、常用労働者の届出漏れ調査に入ることは皆無の現実だ。
こういった「さじ加減適用?」を全国の社会保険事務所でやっていたのだから、相当数の事業主が保険料の「さじ加減?」をしてもらったと、社会保険事務所調査官や専門家に「感謝の気持ち?」をしていた時代もあったのだ。
「強制適用の法律建前」の下であっても、それとは違う行政実態に、「雇用主の証明」といった表現句が相まると、それは、「口止めの為の、会社経営者への恫喝ではないか!」との受け止め方も出ているのだ。
さらに、歴代の社会保険審査官や審査会が「個人の虚偽請求を見破る能力」を、十分に培っていることからすれば、社会保険庁の上に立つ厚生官僚たちが、徹底 して、「年金記録が存在する人に限って救済!」といったことにこだわる理由が、年金支給額を少なくしようとする抵抗だと決めつけられても仕方がない。その 本音には、官僚たちが年金資金を不良債権化させてしまったとか、使い込んだといった釈明?でもしたいのだろうか? 年金記録事件の不備の大半を占める厚生 年金の穴あき部分は、本当に、厚生官僚たちは隠したいようだ。
いずれにしろ、総務・人事部門は、物事を様々な角度から、観察することが必要なのである。
うつ病の頻発は、日本の経済や産業が、「高付加価値製品や高水準サービス」の商品提供の事業戦略の足を引っ張り、その実態を示すバロメーターともなっている。このように結論付ける理由と、目前のうつ病対策を含めてのインテリジェンスを提供。
(うつ病早期発見・緊急措置シート:次のURLの左下からダウンロード可能)
http://www.soumubu.jp/download/
近頃は、職場の「うつ病」について一般マスコミでも取り上げられるようになった。
しかしながら、経営管理面からの、うつ病発見、未然防止とか、復帰プログラムといったものは、まだ皆無といった状況だ。
人事労務の専門紙誌のほとんどが、
「成果主義的な人事賃金制度や個人業績や部門の業績」を流行の枕言葉に、原因究明をしていないと言っても過言ではない。確かに、一般素人には受けが良いから、素人的発想をまかり通らせたほうが雑誌としては安泰なのである。
では、専門家であれば、何に気付かなければならないのか。
まずひとつは、産業心理学が発生した背景、すなわち、20世紀初め、当時のアメリカでは農業労働者が北部の工業地帯に移動して、工場で働くようになった時 代の歴史的経験である。始業時刻に出勤して分業・流れ作業などの慣れない仕事のため、多くの労働者がノイローゼを多発して、労働力の確保と品質の水準確保 (歩留まり)に極端な支障をきたしたのである。この時代の経済社会の抜本的発展は、科学的管理法(テーラーシステム)とか、フォーディズム(フォード生産 方式)が開発され定着したことにある。これを補完するために、産業心理学が生まれ、禁酒法(13年間で終わり)が試されたのである。
もうひとつの歴史が示すものは、旧ソヴィエトの経済発展である。農業国で工業後進国であったロシアとその周辺を、それなりの先進工業国にまで引き上げた実 績の基盤には、革命直後の戦時共産制脱却のために、レーニンがテーラーの開発した科学的管理法を導入し「ボルシェビキ小集団活動」を加味したところの НОТ(ノット)方式を開発定着させ、経済七ヵ年計画とか五ヵ年計画を実施したことにある。ここでの補完は、「ウォッカによる二日酔い」の徹底した対策で あった。余談ではあるが、日本国官僚が推し進めた、昭和大恐慌後の経済政策、満州国経済政策(岸信介、大平正芳)、戦後高度経済成長政策は、「ソヴィエト の経済〇ヵ年計画」の実績ノウハウと教訓が取り入れられたものである。(日本が資本主義国の中の社会主義経済といわれる由縁のひとつはここにある)。
さて、世間一般のうつ病対策といえば医師の話ばかり。ところが、ほとんどの医師というのは、一般の企業や職場の中でどのような実態になっているのかを、全 くもって知らないと言わざるを得ない。精神科ともなれば、医者も患者もまるで別世界の人たちと思えてしまう。これを、産業心理学と心理学の差異の如く分類 すれば、現在の医師の治療は「心理学」の手法といったようなもので、アカデミック?で現場無視なのである。加えて、大阪地方であれば、(小説)白い巨塔の ナニワ大学?の調子の治療手法や「医者は復帰支援など知ったことか!」のような悪夢を肌で、ヒシヒシ感じざるを得ない。
私どもは、昨年の春あたりからのうつ病頻発の事態から、うつ病関連の仕事をしているが、うつ病発生現場では、次のような共通点が存在するように考える。
(1)人海戦術単純労働で、まるで高校3年生が監督、高校1年生が作業といった職業教育ゼロの状態
(2)管理職は、OJTで育成されていない為、部下や新入社員を育成する術を知らない
「言ってみて、やって見せて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
-日本帝国海軍 元帥 山本五十六- も、OJTの導入事例。
(3)Plan・Do・Check の積み重ねで仕事をしないから、工程管理は無きが如く、反省も向上も闇雲
(4)ミーティング、朝礼を行っていないから、組織的運営はなく、部下は業務より人目を気にするばかり
こういった組織的事業経営基盤が崩れていることから、相当多くの収益・生産・意欲・効率が空回りしており、そこへ意味も分からずに、成果主義?やコンピテンシー(流行終わり)が導入されて大混乱しているといったところだ。
なので、「高付加価値製品や高水準サービス」の商品提供の事業戦略の足を引っ張り、その実態を示すバロメーターともなっているとの結論に至ったのだ。
ここから、私どもは、うつ病対策と業務改善を併せ持った、センセーショナルな対策の実績を築いた。
導入基盤もないのに、ZD、TQC、Aタイム、コンピテンシーを流行のように追いかけ、経営が左前になった事例は山のようにあった。そこで、先ほど述べた20世紀初頭の成功事例他をもとに考案したのだ。
管理職の「うつ病発見チェックシート」作成=
(うつ病早期発見・緊急措置シート)http://www.soumubu.jp/download/
=発病2週間以内の早期発見
+本人への「うつ病疑い」通告と強い受診勧奨
+2週間以内の治療を産業医に要請
を進めた。1年半で、うつ病休職率6%が1.5%までダウンしてしまった企業も現れた。
ところが、この対策の狙いの本質は、うつ病発見をきっかけに、業務の計画的工程管理定着にあったのである。「発見チェック」に狙いは無かった。幸い、当該 企業は人件費に若干余裕が持てたので、OJT手法の定着は後日に回すことができたのであるが、全対策構想の片肺飛行でも、大きな実績が生まれた事例だ。
今や、日本国中、仕事が空回り、人生も空回り、努力や能力は成果に結びつかず、といったことも見られる(本質は現代社会共同体への適応不全)ことから、 「うつ病」がまん延しているのではないかと思われる。職場でも家庭でも、人目に振り回されて、うつ病やパニック症候群に陥っていると言えるのでもある。短 絡的対処で、人目を気にすることに現される日本的世間体になじんだとしても、世間体を拒否したとしても、グローバルに発展する未来社会での生存(社会共同 体への参加)は困難なのである。
だからこそ、先ほど述べたような人類の英知が歴史の中から生み出したところの、組織的事業基盤を、徹底して定着させることから始める必要があるのである。
現代の社会制度では、いわゆる「職人」は育成されることは無い。そのままでは、単純作業労働者ばかりを生み出し、この人たちが、個別企業や社会経済の足をひっぱるのである。
個別企業で、ノウハウ蓄積をしたいと思えば、組織的事業基盤を定着させたうえで、「知的所有権と経済活動にかかる文化経済学者たちの研究」から理論解明さ れたところの、ノウハウ蓄積プロセスの工学的実用化を目指すべきなのである。これこそ、近年、IT環境が整ったからこそ技術的に工学的実用化が可能になっ たのである。昔なら、大量印刷機とPaperと電話のセットで現代までが支えられていた如くである。
(ノウハウ蓄積プロセスに関するご質問はfree@soumubu.jpまで)
日本の発展過程を振り返ってみれば、
「昔の労災は怪我や死亡、今や労働不能や廃人!」という時代の変化。
人間はミスを犯すが、間違うから発見発明をする。
新たな事業を展開すれば、非効率な部分で、うつ病発生を覚悟しなければならない。「落ち目の会社に、うつ病は無関係!」の逆もまた真なりかもしれないのだ。
ところが、こういった視点まで掘り下げて自覚することが、うつ病発生・自殺防止をはかることが可能となり、その結果、誠の人道的立場も、初めて維持できるのである。
こう考えて創意工夫することこそが、個別企業と日本の経済や社会制度の壁を打ち破る発展に資することになるのである。
年金記録の「雇用主の証明?」
第三者委員会の基準が固まったが、これから、旧厚生官僚の巻き返しが出てくるのは当然で、具体的な巻き返しによる空洞化は、(筆者の30年余の経験から)
1.基準自体を「雇用主の証明」の意味を悪用(今から解説)
2.個々の水際での不支給決定では「人柄、態度」を捏造
といった方法で、巻き返しの突破口を開くものと、予想される。
このメルマガの先月号で、
≪社会保険法令の強制適用方針からすれば、話題となっている「領収書に代わるもの」とは何を指すのかを考えてみると、次のようなものが提題される。事業所 の雇用記録、健保組合の記録、雇用保険被保険者記録、給与明細、離職票(職安の公文書)、社員証、名刺、同僚の証言(報告書)、技能検定受検資格、児童手 当受給書類、厚生年金基金書類、給与振込み銀行通帳、源泉徴収票、社員旅行の写真、官公庁への技術者届などが考えられ、これらを総合的に判断するといった ものが考えられる≫と「雇用主の証明」以外、すなわち、被保険者資格有無を裏付ける証拠となる物を、著者は例示した。要は、従来から社会保険審査会で使わ れていた、「事実が真実であるとの論拠があり、その裏付けがあること」程度でよいのだ。
ところが、社会保険庁?あたりから、「雇用主の証明」といった言葉の表現句が、ことさら躍り出て来ていた。そもそも、厚生年金は保険料納付の有無にかかわ らず、加入期間と月例給与総額で支給されることになっており、これが米ソ対立を背景に、当時、日本政府が国民に約束したところの厚生年金保険法令に定める 強制適用という意味なのである。決して保険料強制徴収とは意味が違う。
したがって、「雇用主の証明」を強調する、その意味するところはこうなるのだ。
まず、「あの頭脳明晰な厚生官僚」が、事業主の中には、本人の給与から保険料を控除し、社会保険の加入手続きをせずにポケットに入れてしまった現場の事例 を、本当に?本当に?長期にわたって、想定出来なかったとでも言うのだろうか、といった疑問だ。現場の社会保険事務所は、今もなお、保険料未納企業の預金 等の調査発見能力は税務署より上位だと位置づけられている状態において。
たとえば、昭和61年当時は、都市部のある県では、常用パートタイマーは社会保険に加入させるなと、法令を無視した行政指導で厳格に排除していたから、事業主が届けても、社会保険事務所から拒否をされた。
一昔前は、保険料が払えない事業主に対して、被保険者の「社会保険脱退同意の連判状」を用意させ、国民健保・国民年金への切り替え、社会保険を脱退させる指導を、全国の社会保険事務所は行った。
社会保険事務所の調査においては調査官が、パートなど給料の安い労働者一人ひとりを個々に保険適用から排除をした歴史は、最近まで続いている。
偽装請負を繰り返す業務請負会社には、圧倒的に所得水準の低い労働者が集中しているせいか、社会保険事務所が、常用労働者の届出漏れ調査に入ることは皆無の現実だ。
こういった「さじ加減適用?」を全国の社会保険事務所でやっていたのだから、相当数の事業主が保険料の「さじ加減?」をしてもらったと、社会保険事務所調査官や専門家に「感謝の気持ち?」をしていた時代もあったのだ。
「強制適用の法律建前」の下であっても、それとは違う行政実態に、「雇用主の証明」といった表現句が相まると、それは、「口止めの為の、会社経営者への恫喝ではないか!」との受け止め方も出ているのだ。
さらに、歴代の社会保険審査官や審査会が「個人の虚偽請求を見破る能力」を、十分に培っていることからすれば、社会保険庁の上に立つ厚生官僚たちが、徹底 して、「年金記録が存在する人に限って救済!」といったことにこだわる理由が、年金支給額を少なくしようとする抵抗だと決めつけられても仕方がない。その 本音には、官僚たちが年金資金を不良債権化させてしまったとか、使い込んだといった釈明?でもしたいのだろうか? 年金記録事件の不備の大半を占める厚生 年金の穴あき部分は、本当に、厚生官僚たちは隠したいようだ。
いずれにしろ、総務・人事部門は、物事を様々な角度から、観察することが必要なのである。
2007/06/05
第62号
5000万人年金納付記録
ここ数日早速、社会保険庁は年金振り込み通知書に、国会答弁の内容を増刷して、加入記録の問い合わせ先を案内している。
時効対策が実施されたとしても、救済されるのは数割で、半数以上は無理だとする社会保険庁内部からの話も報道されている。そこで、何十年にわたって、多くの事業所の事務取扱をしている当社の経験から、総務部門担当者にとって不可欠の関連インテリジェンス情報を、この際提供する。
厚生年金に限っていえば、年金記録はズサンとしか言いようがないが、その発端は、厚生省官僚の怠慢?から始まっている。昨年6月1日現在、基礎年金番号への未統合件数は約5095万件、そのうち厚生年金と船員保険が77.8%をしめる。その事業所名は、概ね確認できるようだ。全件の年齢別は55歳から59歳が約15%、年齢不詳は0.6%(約30万件)にすぎない。
そもそも、社会保険は強制適用であるから、会社の常用の被用者、すなわち社長からアルバイトまで全員が加入しなければならないものである。強制適用とは社会保険事務所が被保険者資格を決定・確認すれば保険料納付の有無は問わないとの意味である。さらに、強制適用によって厚生年金機関は加入期間が重要(基礎年金には保険料免除でも年金給付)となっており、過去の賃金額は報酬比例部分に反映する仕組みとなっている。昔はサービス業などで強制適用の除外事業所も多数存在したが、現行は除外されるものは少なく、強制適用の実施年月日は法令の改正なので明確である。これが基本方針なのである。
厚生年金保険は、米ソ対立の世界情勢を背景に国民の将来保障と安心の支えとして、営利の民間保険事業ではなく社会保障として、紆余曲折の大論議の末に国会で強制適用とされたのである。ところが、厚生省官僚は厚生省内部で、「保険事業には採算が取れなければならない」といった理屈を陰で言い続けたのである。もちろん、この「採算優先」のことは公にされず、公となる事件が発生すれば、厚生省は個別の採算は無視してでも法律通りの回復措置を行って来たのである。そこで、厚生省行政方針の大半が、「大きなトラブルには対処するが、国民の泣き寝入り大歓迎!」との噂どおりの対応となっているのだ。また、被保険者に保険料納付義務をなくして(強制適用には納付の権利義務は無い)、保険料の追加徴収(徴収期限は時効2年)が発生すれば事業主に労使双方分保険料を負担させているが、この「採算優先」の厚生省官僚の姿勢が、本人から年金給付請求(裁定請求という方式)が行われた場合に限り、年金を払えば良いという間違った解釈をも蔓延させた。
加えて、旧来は厚生年金の年金番号は初めて厚生年金に加入した所在地の社会保険事務所に原簿をそろえる方式(戸籍とよく似たもの)でもって本人請求方式(就職した会社の住所と名称情報で調査可能)に耐え得る記録保存方法を行っていたのであるが、基礎年金番号に切り替える際に、ズサンさを見逃す方式を招いたのである。まさか、社会保険庁が非熟練事務員ではあるまいし、ズサンな事務処理が末端で発生することを予想出来なかったとは言えないのである。社会保険料徴収技法は、国税庁に比べはるかに優秀である。原因は、保険者である政府と被保険者が相互にチェックしあって年金保険を成り立たせるといった社会保障の発想に基づく制度改革ではなく、官僚が押し付ける一方的事務管理であったことにある。そして、今回の社会保険改革をめぐっても、厚生官僚はコンピュータシステムをことさら強調、システム完成時期に合わせて改革スケジュールを進めているのである。事務のズサン発生懸念部分を事前に指摘する、現場の社会保険事務所からの声も無視し続けて来たのである。
要するに、「記載・入力ミスで、年金の払いが少なくなれば、ラッキー!」と言わんばかりの姿勢と言われても仕方がないのだ。その証に、建設業界では健保組合や政管健保ではなく、国民健康保険組合であったことから、厚生年金と連動した扱いとなっていなかったことで、厚生年金にも国民年金にも加入していないのに、保険料だけ給与から天引きされていた事例に対しても弱腰だったこともあった。社会保険適用にかかる調査も、賃金水準の低い事業所は何年でも放置し、賃金の高い事業所は普通に調査をする実態も、このような姿勢の結果であると思わざるを得ない。
社会保険法令の強制適用方針からすれば、話題となっている「領収書に代わるもの」とは何を指すのかを考えてみると、次のようなものが提題される。事業所の雇用記録、健保組合の記録、雇用保険被保険者記録、給与明細、離職票(職安の公文書)、社員証、名刺、同僚の証言(報告書)、技能検定受検資格、児童手当受給書類、厚生年金基金書類、給与振込み銀行通帳、源泉徴収票、社員旅行の写真、官公庁への技術者届などが考えられ、これらを総合的に判断するといったものが考えられる。受付事務に当たっては、本人申告制として、弁護士などの事実把握能力に長けた者が仲介(話題の第三者機関とは異なる制度)に当たることとすれば円滑さを増すであろう。その理由は、過去の社会保険事務所適用課長の証拠隠ぺい事例などからすれば、社会保険事務所が「責任をもって調査出来ます」といった言葉では、受付事務自体でトラブルを増加させる懸念があるからだ。あるいは現在、社会保険審査官・審査会の制度の体制も在るが、事実解明機関とは程遠い制度運用である。この際、年金を払いたくない一心から嫌々受け付ける方策と、法令遵守の立場から個人の年金受給権を受け付ける方策の両面から物事を考えておく必要がある。
何れの道が選択されるのかは別として、日本の個別企業が政府の社会保障制度によりかかって終身雇用制度を進めて来たことからすれば、総務部門担当者は、事業所内の事務を進めるに当たって、これらの手法に至るまでのインフォメーションを頭に叩きこんでおく必要がある。
雇用保険の失業給付支給条件が
今年の10月1日から変更となる。最大の関心事は、自己都合退職で暦日6ヵ月間さえ働いておれば、最低90日分の日額手当が支給されたが、10月1日以降の退職の場合は、過去2年間に暦日で12ヵ月が必要となる。倒産や解雇の場合は暦日6ヵ月間のままである。失業する者の感覚を推測してみると、「就職先をミスったけれども、6ヵ月間さえ我慢さえすれば、3ヵ月待てば90日分の失業保険がある」といった安心感(理屈?)は職場トラブル回避に役立っていた。この6ヵ月が12ヵ月となると、「就職先をミスった!」場合などは、瞬時に退職といったことになり、会社側としても、意欲のない労働者の整理につながるとして、退職が試用期間の14日以内であれば法的な根拠も存在し、トラブル防止の具体的な効果も考えられる。
ところが、労働者が、「6ヵ月の我慢期間が、1年となる!」との感覚を持った場合が問題なのだ。ただ単に仕事がいやだ!といった程度でも、「6ヵ月の我慢」はトラブルの心理的ブレーキの理屈となっていたのだ。それが1年間の我慢ともなれば、セクハラ、いじめ嫌がらせ、上司とのソリが合わないなどの場合には、解雇されない限り失業給付がもらえないと考え、それだったら「紛争を起こして、保障をもらおう」となるのが、失業する者の当然の感覚である。まして、セクハラ、いじめ嫌がらせ、労働基準法違反などが存在すれば、それは、労働者の権利として認められるので、労働基準監督署などが味方になってくれると、労働者は考えるのだ。
こういった傾向は非正規労働者の間で、よく見られるものである。今回の法律改正の政府の思惑は、失業給付の正規労働者と非正規労働者の差異をなくそうとするものと考えられる。個別企業としては、職場での紛争の火種を、理由のない紛争と労働者に権利がある紛争とに適正に処理することができる社内システム(手始めに就業規則の具体的解雇条項を羅列するなど=当社サイトのダウンロードを参照)などを整備しておかない限り、紛争ぼっ発時には、ひとえに会社側が弁済を強いられることとなる。“だらだら仕事で時間にルーズ”であった労働者が、一転、労働基準法違反の時間外賃金請求にくら替えする事件は珍しくもなく、訴訟となれば会社は負ける。こういったことがグローバル基準であるから、会社経営の上での認識が必要となっている。特に、労働集約型事業では、紛争や事件が、累積赤字の根源となっていることには注意しなければならない。
経営分析の新たな視点
固定負債に対応する自己資本比率は、国税庁の発表によると、中小企業の固定資産に対する自己資本は20~30%で、残りは銀行からの長期借入金が中心とのこと。2005年になって商工中金理事長は、「(商工中金は)出資相当分を出していることを考える時代」と表明するようになった。勘定科目の仕分けの形式にとらわれることなく、経営分析をすると、銀行の貸付金は企業の資本金と判断した方が合理的なのである。利息を払っているから借入金と見るのは形式にこだわる本末転倒な解釈で、本来は増資であるにもかかわらず配当ではなく利息を払う約束をしてしまったと判断した方が、物事の本質的な見方なのである。したがって、実態として「銀行は大株主様」として応対しているのは、とても道理にかなっていることなのである。
これを、図表で考えてみれば、もっと分かりやすい。貸借対照表(バランスシート)というのは、一枚の紙を四分割して作っている。左上には流動資産、左下には固定資産。右上には流動負債、右下は資本となっている。左側が資産、右側が負債。上半分が流動、下半分が固定。そして、固定負債に対して資本金が相対するようになるのが本来の姿である。ところが、日本では資本の部が少ない企業の多いのが特徴。(固定負債に対する資本の充足率を自己資本比率と名付けている)。固定負債相当を資本の部で充足されていない資金のカバーをしているものの内、多くが銀行からの借入金となっているのだ。(あまり社債などには頼っていない)。今話題の「会計基準」は、こういった考え方を徹底していることに注目しておく必要がある。
その昔、高度経済成長政策の初期は、日本の産業を都市部に集中、集団就職も華やかであった。しばらくすると、今度は大手企業が地方に進出する工場誘致政策を実施したのである。大手企業の工場が地方に建設されれば、同時に中小企業の事業所も合わせて必要になることから、例えば、「高度化資金」と称して商工中金が3分の2、地元銀行が3分の1といった具合に貸付を行ったのであった。地方の中小企業は、工場受け入れに合わせて、商店街を作り、賃貸アパートを建てていったのであるが、これらの資金も地方銀行が貸し付けたのであった。そこには、銀行が貸付先の経営方針を見極めたうえでの融資とは異なり、政府の政策融資が引き金の「護送船団貸付」であったから、土地や建物・追加担保あるいは地元の連帯保証人(個人保証)を押さえておく必要があったのだ。
ところで、金融面でのアメリカの動機は、郵便貯金の如くすさまじいものがある。アメリカの銀行は、いわゆる「投資銀行」で、日本の銀行とは業態が異なる。したがって、不良債権を処理させた後にアメリカの金融業界が日本に進出するためには、日本政府に音頭をとらせ、事実上元金を返済させない貸付業態(長期にわたって利息を稼ぐ)の元凶となっている、「日本的担保物件」は売却させてしまって、その後、アメリカの金融業界は、元金回収業態の貸付方式を、日本の金融業界に定着しようと考えているようだ。先ほど述べた連帯保証人(個人保証)の制度は、アメリカなどの金融先進国では80年ほど前に廃止をされた制度で、まさか野蛮人の金融制度が存続しているとは思っていない様だ。これが外圧の中身であって、金融庁が、「担保物件の整理」とだけ限定して、言葉巧みに語るのは、こういった背景が存在するからだ。
そうすると、銀行には社会的責任があるといえども営利企業だ。不良債権を損金勘定(銀行救済策)に回すこと+利益率向上につながるのであれば、不良債権の担保物件を処理して、貸付金一覧帳簿から融資そのものを消してしまうことが、銀行経営にとっては得策となるのだ。ほとんど読者は、この意味が理解出来ないかもしれないが、要は、銀行から追加担保や金利引き上げなどの要請があれば、「状況と対策によっては、銀行が融資帳簿から削除に暗黙の了解をする」ということなのだ。そこで今から、3年から5年の間に、優良中堅企業などからの、メガバンクの貸付資金の回収が始まる。そのことから企業経営は、一方では利益率を5%以上向上させることが必要となり、他方では利益率5%未満しか見込めない個別企業であれば、こういった「日本的担保物件」対策が、ますます重要となるのである。一挙に「日本的担保物件」を処理して無借金経営に転換させる戦略展開で切り抜けることを要する個別企業は数多く、その事例は増加傾向にある。
そこにチャンスとばかり、この機に乗じて甘いささやきを用いて、“経営コンサルタント業の○○総研と称する(その実)不動産紹介業”や、“大手冷凍食品会社の知名度で貸付話を持ちかけて、寸前に株式増資に切り替え会社を乗っ取る七人の集団”まで出没しているから、財務を食い物にする悪徳業者には注意しなければならない。ここでは経済学・経営学の真髄を見極めての対策が必要となるのだ。(なお、株式会社総務部が情報交換する、当該分野の経営コンサルタント業は元金融関係職員が中心で構成するもので、合法的であり、不法行為性の危険のある指導は行わないので、念のため)。
ここ数日早速、社会保険庁は年金振り込み通知書に、国会答弁の内容を増刷して、加入記録の問い合わせ先を案内している。
時効対策が実施されたとしても、救済されるのは数割で、半数以上は無理だとする社会保険庁内部からの話も報道されている。そこで、何十年にわたって、多くの事業所の事務取扱をしている当社の経験から、総務部門担当者にとって不可欠の関連インテリジェンス情報を、この際提供する。
厚生年金に限っていえば、年金記録はズサンとしか言いようがないが、その発端は、厚生省官僚の怠慢?から始まっている。昨年6月1日現在、基礎年金番号への未統合件数は約5095万件、そのうち厚生年金と船員保険が77.8%をしめる。その事業所名は、概ね確認できるようだ。全件の年齢別は55歳から59歳が約15%、年齢不詳は0.6%(約30万件)にすぎない。
そもそも、社会保険は強制適用であるから、会社の常用の被用者、すなわち社長からアルバイトまで全員が加入しなければならないものである。強制適用とは社会保険事務所が被保険者資格を決定・確認すれば保険料納付の有無は問わないとの意味である。さらに、強制適用によって厚生年金機関は加入期間が重要(基礎年金には保険料免除でも年金給付)となっており、過去の賃金額は報酬比例部分に反映する仕組みとなっている。昔はサービス業などで強制適用の除外事業所も多数存在したが、現行は除外されるものは少なく、強制適用の実施年月日は法令の改正なので明確である。これが基本方針なのである。
厚生年金保険は、米ソ対立の世界情勢を背景に国民の将来保障と安心の支えとして、営利の民間保険事業ではなく社会保障として、紆余曲折の大論議の末に国会で強制適用とされたのである。ところが、厚生省官僚は厚生省内部で、「保険事業には採算が取れなければならない」といった理屈を陰で言い続けたのである。もちろん、この「採算優先」のことは公にされず、公となる事件が発生すれば、厚生省は個別の採算は無視してでも法律通りの回復措置を行って来たのである。そこで、厚生省行政方針の大半が、「大きなトラブルには対処するが、国民の泣き寝入り大歓迎!」との噂どおりの対応となっているのだ。また、被保険者に保険料納付義務をなくして(強制適用には納付の権利義務は無い)、保険料の追加徴収(徴収期限は時効2年)が発生すれば事業主に労使双方分保険料を負担させているが、この「採算優先」の厚生省官僚の姿勢が、本人から年金給付請求(裁定請求という方式)が行われた場合に限り、年金を払えば良いという間違った解釈をも蔓延させた。
加えて、旧来は厚生年金の年金番号は初めて厚生年金に加入した所在地の社会保険事務所に原簿をそろえる方式(戸籍とよく似たもの)でもって本人請求方式(就職した会社の住所と名称情報で調査可能)に耐え得る記録保存方法を行っていたのであるが、基礎年金番号に切り替える際に、ズサンさを見逃す方式を招いたのである。まさか、社会保険庁が非熟練事務員ではあるまいし、ズサンな事務処理が末端で発生することを予想出来なかったとは言えないのである。社会保険料徴収技法は、国税庁に比べはるかに優秀である。原因は、保険者である政府と被保険者が相互にチェックしあって年金保険を成り立たせるといった社会保障の発想に基づく制度改革ではなく、官僚が押し付ける一方的事務管理であったことにある。そして、今回の社会保険改革をめぐっても、厚生官僚はコンピュータシステムをことさら強調、システム完成時期に合わせて改革スケジュールを進めているのである。事務のズサン発生懸念部分を事前に指摘する、現場の社会保険事務所からの声も無視し続けて来たのである。
要するに、「記載・入力ミスで、年金の払いが少なくなれば、ラッキー!」と言わんばかりの姿勢と言われても仕方がないのだ。その証に、建設業界では健保組合や政管健保ではなく、国民健康保険組合であったことから、厚生年金と連動した扱いとなっていなかったことで、厚生年金にも国民年金にも加入していないのに、保険料だけ給与から天引きされていた事例に対しても弱腰だったこともあった。社会保険適用にかかる調査も、賃金水準の低い事業所は何年でも放置し、賃金の高い事業所は普通に調査をする実態も、このような姿勢の結果であると思わざるを得ない。
社会保険法令の強制適用方針からすれば、話題となっている「領収書に代わるもの」とは何を指すのかを考えてみると、次のようなものが提題される。事業所の雇用記録、健保組合の記録、雇用保険被保険者記録、給与明細、離職票(職安の公文書)、社員証、名刺、同僚の証言(報告書)、技能検定受検資格、児童手当受給書類、厚生年金基金書類、給与振込み銀行通帳、源泉徴収票、社員旅行の写真、官公庁への技術者届などが考えられ、これらを総合的に判断するといったものが考えられる。受付事務に当たっては、本人申告制として、弁護士などの事実把握能力に長けた者が仲介(話題の第三者機関とは異なる制度)に当たることとすれば円滑さを増すであろう。その理由は、過去の社会保険事務所適用課長の証拠隠ぺい事例などからすれば、社会保険事務所が「責任をもって調査出来ます」といった言葉では、受付事務自体でトラブルを増加させる懸念があるからだ。あるいは現在、社会保険審査官・審査会の制度の体制も在るが、事実解明機関とは程遠い制度運用である。この際、年金を払いたくない一心から嫌々受け付ける方策と、法令遵守の立場から個人の年金受給権を受け付ける方策の両面から物事を考えておく必要がある。
何れの道が選択されるのかは別として、日本の個別企業が政府の社会保障制度によりかかって終身雇用制度を進めて来たことからすれば、総務部門担当者は、事業所内の事務を進めるに当たって、これらの手法に至るまでのインフォメーションを頭に叩きこんでおく必要がある。
雇用保険の失業給付支給条件が
今年の10月1日から変更となる。最大の関心事は、自己都合退職で暦日6ヵ月間さえ働いておれば、最低90日分の日額手当が支給されたが、10月1日以降の退職の場合は、過去2年間に暦日で12ヵ月が必要となる。倒産や解雇の場合は暦日6ヵ月間のままである。失業する者の感覚を推測してみると、「就職先をミスったけれども、6ヵ月間さえ我慢さえすれば、3ヵ月待てば90日分の失業保険がある」といった安心感(理屈?)は職場トラブル回避に役立っていた。この6ヵ月が12ヵ月となると、「就職先をミスった!」場合などは、瞬時に退職といったことになり、会社側としても、意欲のない労働者の整理につながるとして、退職が試用期間の14日以内であれば法的な根拠も存在し、トラブル防止の具体的な効果も考えられる。
ところが、労働者が、「6ヵ月の我慢期間が、1年となる!」との感覚を持った場合が問題なのだ。ただ単に仕事がいやだ!といった程度でも、「6ヵ月の我慢」はトラブルの心理的ブレーキの理屈となっていたのだ。それが1年間の我慢ともなれば、セクハラ、いじめ嫌がらせ、上司とのソリが合わないなどの場合には、解雇されない限り失業給付がもらえないと考え、それだったら「紛争を起こして、保障をもらおう」となるのが、失業する者の当然の感覚である。まして、セクハラ、いじめ嫌がらせ、労働基準法違反などが存在すれば、それは、労働者の権利として認められるので、労働基準監督署などが味方になってくれると、労働者は考えるのだ。
こういった傾向は非正規労働者の間で、よく見られるものである。今回の法律改正の政府の思惑は、失業給付の正規労働者と非正規労働者の差異をなくそうとするものと考えられる。個別企業としては、職場での紛争の火種を、理由のない紛争と労働者に権利がある紛争とに適正に処理することができる社内システム(手始めに就業規則の具体的解雇条項を羅列するなど=当社サイトのダウンロードを参照)などを整備しておかない限り、紛争ぼっ発時には、ひとえに会社側が弁済を強いられることとなる。“だらだら仕事で時間にルーズ”であった労働者が、一転、労働基準法違反の時間外賃金請求にくら替えする事件は珍しくもなく、訴訟となれば会社は負ける。こういったことがグローバル基準であるから、会社経営の上での認識が必要となっている。特に、労働集約型事業では、紛争や事件が、累積赤字の根源となっていることには注意しなければならない。
経営分析の新たな視点
固定負債に対応する自己資本比率は、国税庁の発表によると、中小企業の固定資産に対する自己資本は20~30%で、残りは銀行からの長期借入金が中心とのこと。2005年になって商工中金理事長は、「(商工中金は)出資相当分を出していることを考える時代」と表明するようになった。勘定科目の仕分けの形式にとらわれることなく、経営分析をすると、銀行の貸付金は企業の資本金と判断した方が合理的なのである。利息を払っているから借入金と見るのは形式にこだわる本末転倒な解釈で、本来は増資であるにもかかわらず配当ではなく利息を払う約束をしてしまったと判断した方が、物事の本質的な見方なのである。したがって、実態として「銀行は大株主様」として応対しているのは、とても道理にかなっていることなのである。
これを、図表で考えてみれば、もっと分かりやすい。貸借対照表(バランスシート)というのは、一枚の紙を四分割して作っている。左上には流動資産、左下には固定資産。右上には流動負債、右下は資本となっている。左側が資産、右側が負債。上半分が流動、下半分が固定。そして、固定負債に対して資本金が相対するようになるのが本来の姿である。ところが、日本では資本の部が少ない企業の多いのが特徴。(固定負債に対する資本の充足率を自己資本比率と名付けている)。固定負債相当を資本の部で充足されていない資金のカバーをしているものの内、多くが銀行からの借入金となっているのだ。(あまり社債などには頼っていない)。今話題の「会計基準」は、こういった考え方を徹底していることに注目しておく必要がある。
その昔、高度経済成長政策の初期は、日本の産業を都市部に集中、集団就職も華やかであった。しばらくすると、今度は大手企業が地方に進出する工場誘致政策を実施したのである。大手企業の工場が地方に建設されれば、同時に中小企業の事業所も合わせて必要になることから、例えば、「高度化資金」と称して商工中金が3分の2、地元銀行が3分の1といった具合に貸付を行ったのであった。地方の中小企業は、工場受け入れに合わせて、商店街を作り、賃貸アパートを建てていったのであるが、これらの資金も地方銀行が貸し付けたのであった。そこには、銀行が貸付先の経営方針を見極めたうえでの融資とは異なり、政府の政策融資が引き金の「護送船団貸付」であったから、土地や建物・追加担保あるいは地元の連帯保証人(個人保証)を押さえておく必要があったのだ。
ところで、金融面でのアメリカの動機は、郵便貯金の如くすさまじいものがある。アメリカの銀行は、いわゆる「投資銀行」で、日本の銀行とは業態が異なる。したがって、不良債権を処理させた後にアメリカの金融業界が日本に進出するためには、日本政府に音頭をとらせ、事実上元金を返済させない貸付業態(長期にわたって利息を稼ぐ)の元凶となっている、「日本的担保物件」は売却させてしまって、その後、アメリカの金融業界は、元金回収業態の貸付方式を、日本の金融業界に定着しようと考えているようだ。先ほど述べた連帯保証人(個人保証)の制度は、アメリカなどの金融先進国では80年ほど前に廃止をされた制度で、まさか野蛮人の金融制度が存続しているとは思っていない様だ。これが外圧の中身であって、金融庁が、「担保物件の整理」とだけ限定して、言葉巧みに語るのは、こういった背景が存在するからだ。
そうすると、銀行には社会的責任があるといえども営利企業だ。不良債権を損金勘定(銀行救済策)に回すこと+利益率向上につながるのであれば、不良債権の担保物件を処理して、貸付金一覧帳簿から融資そのものを消してしまうことが、銀行経営にとっては得策となるのだ。ほとんど読者は、この意味が理解出来ないかもしれないが、要は、銀行から追加担保や金利引き上げなどの要請があれば、「状況と対策によっては、銀行が融資帳簿から削除に暗黙の了解をする」ということなのだ。そこで今から、3年から5年の間に、優良中堅企業などからの、メガバンクの貸付資金の回収が始まる。そのことから企業経営は、一方では利益率を5%以上向上させることが必要となり、他方では利益率5%未満しか見込めない個別企業であれば、こういった「日本的担保物件」対策が、ますます重要となるのである。一挙に「日本的担保物件」を処理して無借金経営に転換させる戦略展開で切り抜けることを要する個別企業は数多く、その事例は増加傾向にある。
そこにチャンスとばかり、この機に乗じて甘いささやきを用いて、“経営コンサルタント業の○○総研と称する(その実)不動産紹介業”や、“大手冷凍食品会社の知名度で貸付話を持ちかけて、寸前に株式増資に切り替え会社を乗っ取る七人の集団”まで出没しているから、財務を食い物にする悪徳業者には注意しなければならない。ここでは経済学・経営学の真髄を見極めての対策が必要となるのだ。(なお、株式会社総務部が情報交換する、当該分野の経営コンサルタント業は元金融関係職員が中心で構成するもので、合法的であり、不法行為性の危険のある指導は行わないので、念のため)。
2007/05/08
第61号
グローバル経済のインテリジェンス
日本の経済や社会のあり方をめぐって、個別企業の経営のあり方や総務部門の企画内容が揺れ動いている。そこへ、憲法論議も加わり混迷は度をましている。そこで、日頃、マスコミには登場しない、きわめて重要なインテリジェンスを提供する。
東南アジア経済圏の通貨統合をめぐる条件は、ユーロが導入された場合と比べ、今や整っていると言われている。
ところが、日本は東南アジア友好条約(TAC)をめぐっての憲法第九条論議が急浮上したものだから、東南アジアから日本は孤立化するかもしれない岐路に立たされた。日本の水先案内を必要とするアメリカ(ASEAN諸国はアメリカが大嫌い)は東南アジア経済圏からアメリカが追い出されることを恐れ、日本政府に徹底的な政治的圧力を加えているとのことだ。この事態には日本の経済界は、こぞって気が動転! また、日本経済の中国進出は、きわめて不安定要素を含んでいることから日本政府は、アメリカが中国内陸部経済に食い込む作戦を進めているなかで、その2番手として進出することも視野に入れ出した。
この春、日本経済は将来の経済市場をめぐって、きわめて微妙な立場に陥ってしまった。今現在、個別企業の総務部門といえども、グローバル経済社会のなか、自社製品の売り先に気が気ではないのだ。
北朝鮮の経済は、多くの日本マスコミの報道にかかわらず、概ね市場経済への転換を図り、回復を歩んでいるとの情報だ。現地や北朝鮮周辺からの直接取材は、多くの日本の新聞やテレビとは、まるで大違いだ。
電力は、日本と比べれば貧弱なものだが、着実に電力供給は増加しており、北朝鮮庶民は喜んでいるという。飢えている人々の絶対量は減少しているとの情報。反北朝鮮の韓国人大学教授も、北朝鮮の食糧事情は豊作と評価しており、援助を引き出すため、北朝鮮政府はサバを読んで発表しているとのこと。
船舶、トラック、長距離バス(最近、外資系が運行)などは、必要な支払いを差し引いた残りの利益の一部を国家に納入さえすれば、相当自由に運営ができるとのレポートが、北朝鮮の政府外から報告されているとのこと。北朝鮮の現職教員が家庭教師に励み、欠勤したとしても党幹部は黙殺。北朝鮮の富裕層は家政婦を自由に雇うことができる。平壌で、ベンツを乗り回して「消費者金融?」を営む者も出現、との在日朝鮮人の目撃者も現れた。
極めつけ情報はこれだ。
今年の正月前、中国の丹東(一説に北朝鮮対外貿易の8割が集中と言われる)トラック・ヤードには、北朝鮮では贅沢品のバナナ、メロン、スイカが大量に積まれていた。この丹東こそ、テレビでお馴染みの中国から北朝鮮へ向けてのトラック輸送の基地である。で、外国人カメラマンの撮影が見つかれば中国公安に逮捕・没収されている。日本政府が北朝鮮経済封鎖と叫んでいる真っ最中に、中国政府は極秘裏に中朝貿易を拡大させ、中国外交もこれを認めているとのこと。アメリカや日本を排除した交易ルート(韓国もこのルートに乗っていることは間違いない)が確立されつつあり、グローバル経済とは何かについての実態が、よく現われているのだ。
さて、話が国内に。その昔、
大阪を中心として、大和銀行が活躍していた。大和はメガバンクへの再編に向けて、まっさきに巻き込まれた銀行。1996年夏に大和銀行の危機が、信頼できる消息筋から流れていたが、その時、当の大和銀行支店単位では将来に向けての夢が有力顧客に語られ、有力顧客向けの会合まで行われていたそうだ。その年の9月22日からの連休に、大和銀行から、事実上地方銀行への転落を認める記者会見が行われた。その衝撃後、全国の中でも落とし穴のように大阪の経済が落ち込んだのは、この大和銀行の融資が継続されなかったことによる痛手が大きいのだ。すなわち、新規事業を起こそうにも、関西経済ことだからアイディアと企画はでき上がるのだが、資金繰りの段取りがつかないといったことになってしまったのだ。
日本は、今から3年から5年の間にわたって、優良中堅企業などからの、メガバンクなどの貸し付け資金の回収が始まる。これは、つい数年前の「不良債権処理」の3倍以上の規模が想定されている。この貸し付け資金回収は、かつての大和銀行で大阪で優良中堅中小企業が次々とダメージを受けたような影響も含め、図られるとみて良いのだ。あなたの企業のメインバンクはいずれの銀行なのか? メガバンクとは、三菱東京UFJ、三井住友、みずほ、加えて地銀上位の広島銀行、静岡銀行、七十七銀行(仙台市)なども含めて考えておく必要がある。小零細事業では、消費者ローンが事業資金となっている現状からすれば、個別企業の血液である資金供給環境の激変が到来することになる。
メガバンクの貸し付け資金回収の根拠は、ひとえに、5%以上の金利が見込めないので、メガバンクなどが投資先を変更するだけのことである。時を同じくして、財政赤字のアメリカ政府は、将来にわたり利息5%以上の国債を売り出し中である。もう少しメガバンクの言い分から解説するならば、5%以上の金利が払えないような、非効率的な経営、将来性のない経営の企業が、資金回収の対象になるということだ。
緊急避難の対抗策として、「メガバンクの担保を捨て、資金は借りっぱなし。同時に地銀や信金からの借入」といった方法がある。緊急避難であるから、公序良俗・社会正義の側面から認められることは間違いない。緊急避難の悪用は許されないので、グローバル社会における優良中堅中小企業の克服課題は次のとおりとなる。
☆高付加価値製品の生産性向上
☆高水準サービスの開発体制
☆労働力効率化による販売流通をはじめとした業務改善
☆労働意欲向上施策で上記三つの恒常的体制づくり
などが求められることになるのだ。
政府・金融庁は、高度経済成長政策の内側には大手企業の放漫経営改革が存在したように、今回の貸し付け資金回収の内側政策には、中小中堅企業が体質を一挙に強化させるために、
・子育て期間だとしても有能な女性労働力を確保しておくとか、
・熟練技能労働者にIT・ソフト開発手法の技能をつけさせるとか、
・TWI訓練やPlan・Do・Check方式を非正規労働者に導入するとか、
さまざまな業務改革を進める必要があるとしているようだ。
もっとも、衣・食・住などに関わる産業は壊滅することはないことは確かだ。が、個別企業は身売り(吸収合併・買収)や倒産をするかもしれない。そこには、中小企業の景気回復の「白昼夢」を見ているどころではなく、具体的に改革を完成させてしまわなければならない必要性があるのだ。
経済変動による人事労務分野の摩擦が避けられないときに、ここが肝心なのだが、人員削減整理解雇、退職金などの削減、その他労働条件変更を、従業員に対し無理を通してトラブルを誘発させないように、和解や調停で収めることが、リスク管理としては極めて重要なのだ。
仮に、法的問題となっても、「手続主義の法パラダイム」がクリアされていなければ、訴訟となったとき、企業側は多大な損害賠償が必要となる。まして、労使衝突による不信感と、その後の労働意欲激減は、個別企業の将来に向けての致命傷となる。その理由は、もはや中小企業といえども日本国内市場は、先ほどから述べているグローバル経済の荒波にさらされているからだ。
社会保障のアンフェアトリートメント(不公正な取り扱い)
政管健保に比べて、健康保険組合の給付条件は劣悪といっても過言ではない。扶養家族の届け出や出産給付に対して、様々な添付書類の提出が完了するまで引き伸ばされるなどの制限を加えているような実態は以前からあった。それが、ここ最近は医師の処方する投薬についても規制をしてきている。ある胃腸薬は胃かいようであれば3日分、胃炎であれば1日分。同じ薬でも、気管支炎なら10日、それ以前の傷病名なら5日といった具合だ。患者の容体は無視することになっている。多くの健保組合は、容体=病名との医療界では考えられない理屈を押し付け、医療機関への診療報酬支払を問答無用で一方的にカットして来るとのことだ。
そもそも健康保険は、生命保険とは異なり、「いくつかの、病名の1つの病気に対して給付する」といったものではなく、病名に関係なく健康回復の最終手段としての包括保険なのである。政管健保や国民健康保険は、その精神を今でも貫いている。
従来から、ある健保組合は、「老人保健負担金が大きい」というような理由を説明するようだが、それとてよく考えてみれば、道理の無い言い訳でもって、給付を渋っているだけにすぎない。
最近の事案では、社外からの余分な収入があるとして、常勤取締役の健保組合加入を妨害する始末で、厚生年金加入手続きを済ませた社会保険事務所職員からの説得によって、渋々、健保加入を認めたという事件もあった。このような状況に対しても、厚生労働省や都道府県社会保険事務局に健保組合への指導権限はないのである。
その昔は、健保組合加入の事業所といえば、保険料の会社負担が多いなど、「好待遇」と言われた時代もあったが、今や、不公正な取り扱いの被害事業所そのものとなっているのだ。
これはあまり知られていない話なのだが、1960年前後、岸総理大臣の政権のもと、財政赤字を招くことを覚悟してまでの国民皆保険・国民皆年金の制度が整備された。加えて、最低賃金法を成立させ、失業対策事業が担っていた最低水準(職安が日額240円の失対賃金を支給したことが、「にこよん」の語源)確保の制度を、民間企業にまで広めた。こんどは、その孫が、「戦後レジームからの脱却?」と称して、祖父の功績の幕引きを行おうとしているのは、結構皮肉な話だ。
改正パート労働法案が19日の衆院本会議で与党の賛成多数で可決、国会で成立する見通しとなった。いろいろな批判が集中しているのだが、よくよく分析をする必要がある。一時期マスコミが話題とした、格差社会解消の一環といったメディアの刷り込みが、頭の片隅に働いてしまっていると、どうしてこんな法律条文が、何を言おうとしているのか理解することは出来ない。
端的にいえば、今回の改正は、いわゆる「短時間正社員」といわれる人たちの労働条件を正社員と同様の待遇にまで引き上げることによって、フルタイムorパートタイムにこだわることなく、正社員としての有能な労働力を確保させようとする基盤政策と見れば、政府の法改正の狙いを合理的に理解できるのである。
政策理念担当者は
採用する側からすれば、朝から晩まで体力勝負で働く者ばかりを採用しなくてもより社会づくり、になるはずだと言い
朝から晩までフルタイムで働くばかりが脳ではないと言い
強いていえば、短時間で有能な労働力を発揮してくれる正社員の生産性に期待しよう、と言いたいようだ。
加えて、ここにも、雇用機会均等法と同様に、紛争が生じたときには調停制度が設けられており、参加を拒否すればペナルティーをかけることとなっている。
日本の経済や社会のあり方をめぐって、個別企業の経営のあり方や総務部門の企画内容が揺れ動いている。そこへ、憲法論議も加わり混迷は度をましている。そこで、日頃、マスコミには登場しない、きわめて重要なインテリジェンスを提供する。
東南アジア経済圏の通貨統合をめぐる条件は、ユーロが導入された場合と比べ、今や整っていると言われている。
ところが、日本は東南アジア友好条約(TAC)をめぐっての憲法第九条論議が急浮上したものだから、東南アジアから日本は孤立化するかもしれない岐路に立たされた。日本の水先案内を必要とするアメリカ(ASEAN諸国はアメリカが大嫌い)は東南アジア経済圏からアメリカが追い出されることを恐れ、日本政府に徹底的な政治的圧力を加えているとのことだ。この事態には日本の経済界は、こぞって気が動転! また、日本経済の中国進出は、きわめて不安定要素を含んでいることから日本政府は、アメリカが中国内陸部経済に食い込む作戦を進めているなかで、その2番手として進出することも視野に入れ出した。
この春、日本経済は将来の経済市場をめぐって、きわめて微妙な立場に陥ってしまった。今現在、個別企業の総務部門といえども、グローバル経済社会のなか、自社製品の売り先に気が気ではないのだ。
北朝鮮の経済は、多くの日本マスコミの報道にかかわらず、概ね市場経済への転換を図り、回復を歩んでいるとの情報だ。現地や北朝鮮周辺からの直接取材は、多くの日本の新聞やテレビとは、まるで大違いだ。
電力は、日本と比べれば貧弱なものだが、着実に電力供給は増加しており、北朝鮮庶民は喜んでいるという。飢えている人々の絶対量は減少しているとの情報。反北朝鮮の韓国人大学教授も、北朝鮮の食糧事情は豊作と評価しており、援助を引き出すため、北朝鮮政府はサバを読んで発表しているとのこと。
船舶、トラック、長距離バス(最近、外資系が運行)などは、必要な支払いを差し引いた残りの利益の一部を国家に納入さえすれば、相当自由に運営ができるとのレポートが、北朝鮮の政府外から報告されているとのこと。北朝鮮の現職教員が家庭教師に励み、欠勤したとしても党幹部は黙殺。北朝鮮の富裕層は家政婦を自由に雇うことができる。平壌で、ベンツを乗り回して「消費者金融?」を営む者も出現、との在日朝鮮人の目撃者も現れた。
極めつけ情報はこれだ。
今年の正月前、中国の丹東(一説に北朝鮮対外貿易の8割が集中と言われる)トラック・ヤードには、北朝鮮では贅沢品のバナナ、メロン、スイカが大量に積まれていた。この丹東こそ、テレビでお馴染みの中国から北朝鮮へ向けてのトラック輸送の基地である。で、外国人カメラマンの撮影が見つかれば中国公安に逮捕・没収されている。日本政府が北朝鮮経済封鎖と叫んでいる真っ最中に、中国政府は極秘裏に中朝貿易を拡大させ、中国外交もこれを認めているとのこと。アメリカや日本を排除した交易ルート(韓国もこのルートに乗っていることは間違いない)が確立されつつあり、グローバル経済とは何かについての実態が、よく現われているのだ。
さて、話が国内に。その昔、
大阪を中心として、大和銀行が活躍していた。大和はメガバンクへの再編に向けて、まっさきに巻き込まれた銀行。1996年夏に大和銀行の危機が、信頼できる消息筋から流れていたが、その時、当の大和銀行支店単位では将来に向けての夢が有力顧客に語られ、有力顧客向けの会合まで行われていたそうだ。その年の9月22日からの連休に、大和銀行から、事実上地方銀行への転落を認める記者会見が行われた。その衝撃後、全国の中でも落とし穴のように大阪の経済が落ち込んだのは、この大和銀行の融資が継続されなかったことによる痛手が大きいのだ。すなわち、新規事業を起こそうにも、関西経済ことだからアイディアと企画はでき上がるのだが、資金繰りの段取りがつかないといったことになってしまったのだ。
日本は、今から3年から5年の間にわたって、優良中堅企業などからの、メガバンクなどの貸し付け資金の回収が始まる。これは、つい数年前の「不良債権処理」の3倍以上の規模が想定されている。この貸し付け資金回収は、かつての大和銀行で大阪で優良中堅中小企業が次々とダメージを受けたような影響も含め、図られるとみて良いのだ。あなたの企業のメインバンクはいずれの銀行なのか? メガバンクとは、三菱東京UFJ、三井住友、みずほ、加えて地銀上位の広島銀行、静岡銀行、七十七銀行(仙台市)なども含めて考えておく必要がある。小零細事業では、消費者ローンが事業資金となっている現状からすれば、個別企業の血液である資金供給環境の激変が到来することになる。
メガバンクの貸し付け資金回収の根拠は、ひとえに、5%以上の金利が見込めないので、メガバンクなどが投資先を変更するだけのことである。時を同じくして、財政赤字のアメリカ政府は、将来にわたり利息5%以上の国債を売り出し中である。もう少しメガバンクの言い分から解説するならば、5%以上の金利が払えないような、非効率的な経営、将来性のない経営の企業が、資金回収の対象になるということだ。
緊急避難の対抗策として、「メガバンクの担保を捨て、資金は借りっぱなし。同時に地銀や信金からの借入」といった方法がある。緊急避難であるから、公序良俗・社会正義の側面から認められることは間違いない。緊急避難の悪用は許されないので、グローバル社会における優良中堅中小企業の克服課題は次のとおりとなる。
☆高付加価値製品の生産性向上
☆高水準サービスの開発体制
☆労働力効率化による販売流通をはじめとした業務改善
☆労働意欲向上施策で上記三つの恒常的体制づくり
などが求められることになるのだ。
政府・金融庁は、高度経済成長政策の内側には大手企業の放漫経営改革が存在したように、今回の貸し付け資金回収の内側政策には、中小中堅企業が体質を一挙に強化させるために、
・子育て期間だとしても有能な女性労働力を確保しておくとか、
・熟練技能労働者にIT・ソフト開発手法の技能をつけさせるとか、
・TWI訓練やPlan・Do・Check方式を非正規労働者に導入するとか、
さまざまな業務改革を進める必要があるとしているようだ。
もっとも、衣・食・住などに関わる産業は壊滅することはないことは確かだ。が、個別企業は身売り(吸収合併・買収)や倒産をするかもしれない。そこには、中小企業の景気回復の「白昼夢」を見ているどころではなく、具体的に改革を完成させてしまわなければならない必要性があるのだ。
経済変動による人事労務分野の摩擦が避けられないときに、ここが肝心なのだが、人員削減整理解雇、退職金などの削減、その他労働条件変更を、従業員に対し無理を通してトラブルを誘発させないように、和解や調停で収めることが、リスク管理としては極めて重要なのだ。
仮に、法的問題となっても、「手続主義の法パラダイム」がクリアされていなければ、訴訟となったとき、企業側は多大な損害賠償が必要となる。まして、労使衝突による不信感と、その後の労働意欲激減は、個別企業の将来に向けての致命傷となる。その理由は、もはや中小企業といえども日本国内市場は、先ほどから述べているグローバル経済の荒波にさらされているからだ。
社会保障のアンフェアトリートメント(不公正な取り扱い)
政管健保に比べて、健康保険組合の給付条件は劣悪といっても過言ではない。扶養家族の届け出や出産給付に対して、様々な添付書類の提出が完了するまで引き伸ばされるなどの制限を加えているような実態は以前からあった。それが、ここ最近は医師の処方する投薬についても規制をしてきている。ある胃腸薬は胃かいようであれば3日分、胃炎であれば1日分。同じ薬でも、気管支炎なら10日、それ以前の傷病名なら5日といった具合だ。患者の容体は無視することになっている。多くの健保組合は、容体=病名との医療界では考えられない理屈を押し付け、医療機関への診療報酬支払を問答無用で一方的にカットして来るとのことだ。
そもそも健康保険は、生命保険とは異なり、「いくつかの、病名の1つの病気に対して給付する」といったものではなく、病名に関係なく健康回復の最終手段としての包括保険なのである。政管健保や国民健康保険は、その精神を今でも貫いている。
従来から、ある健保組合は、「老人保健負担金が大きい」というような理由を説明するようだが、それとてよく考えてみれば、道理の無い言い訳でもって、給付を渋っているだけにすぎない。
最近の事案では、社外からの余分な収入があるとして、常勤取締役の健保組合加入を妨害する始末で、厚生年金加入手続きを済ませた社会保険事務所職員からの説得によって、渋々、健保加入を認めたという事件もあった。このような状況に対しても、厚生労働省や都道府県社会保険事務局に健保組合への指導権限はないのである。
その昔は、健保組合加入の事業所といえば、保険料の会社負担が多いなど、「好待遇」と言われた時代もあったが、今や、不公正な取り扱いの被害事業所そのものとなっているのだ。
これはあまり知られていない話なのだが、1960年前後、岸総理大臣の政権のもと、財政赤字を招くことを覚悟してまでの国民皆保険・国民皆年金の制度が整備された。加えて、最低賃金法を成立させ、失業対策事業が担っていた最低水準(職安が日額240円の失対賃金を支給したことが、「にこよん」の語源)確保の制度を、民間企業にまで広めた。こんどは、その孫が、「戦後レジームからの脱却?」と称して、祖父の功績の幕引きを行おうとしているのは、結構皮肉な話だ。
改正パート労働法案が19日の衆院本会議で与党の賛成多数で可決、国会で成立する見通しとなった。いろいろな批判が集中しているのだが、よくよく分析をする必要がある。一時期マスコミが話題とした、格差社会解消の一環といったメディアの刷り込みが、頭の片隅に働いてしまっていると、どうしてこんな法律条文が、何を言おうとしているのか理解することは出来ない。
端的にいえば、今回の改正は、いわゆる「短時間正社員」といわれる人たちの労働条件を正社員と同様の待遇にまで引き上げることによって、フルタイムorパートタイムにこだわることなく、正社員としての有能な労働力を確保させようとする基盤政策と見れば、政府の法改正の狙いを合理的に理解できるのである。
政策理念担当者は
採用する側からすれば、朝から晩まで体力勝負で働く者ばかりを採用しなくてもより社会づくり、になるはずだと言い
朝から晩までフルタイムで働くばかりが脳ではないと言い
強いていえば、短時間で有能な労働力を発揮してくれる正社員の生産性に期待しよう、と言いたいようだ。
加えて、ここにも、雇用機会均等法と同様に、紛争が生じたときには調停制度が設けられており、参加を拒否すればペナルティーをかけることとなっている。
2007/04/10
第60号
職場秩序や社会を変化させる兆しのインテリジェンス:あれこれ
「労働力の仕入れ」ともいえる労働契約、これを締結する際において、勤務地を限定するのかしないのか、職種を限定するのかしないのか、労働時間を何時間とするのかなどを、明確にすることが、とても重要となり、合法性を確保する上で必要不可欠となって来た。これは昨年からの個々人と会社との労働紛争の増加とともに、何れの個別企業も対応せざるを得なくなった課題である。おりしも国会では、労働関係法案が6本、60年ぶりの大法制改革となっている。限定勤務制を導入しない限り、企業倒産させる以外に整理解雇は難しい。限定職種制を導入しない限り、不採算分野であっても雇用の責任は残る。労働時間を明記しなければ、週40時間分の賃金保障は当然のこととなる。使用者側の都合だけで労働条件を変化させたいのであれば、ほとんどのケース、その想定される行き先は、「逝去するまでの終身雇用」にならざるを得ない。ところが、このようなことは、個別企業でも日本経済でもありえないのはもちろんのことだ。ところが、多くの労働判例が逝去するまでの終身雇用を後押しするために利用可能となっており、そのいくつかは労働契約法として法制化される予定だ。とりわけ労働集約型の事業においては、これが人件費を直撃することになる。個別企業の雇用システムをグローバル時代に適したものに替えない限り、机上の採算は黒字でもトラブルにより累積赤字を抱え込んでしまう。個別企業が事業を組織的に運営しようと思えば、限定勤務地や限定職種でもって労働契約を明確にでもしておかない限り、いくら優秀な中間管理職を配置したとしても、トラブルの続発防止は不可能な時代になったのである。理論上はともかく実務上はそうならざるを得ない。トラブルが発生すれば、営業利益から損害賠償などを捻出するしかない。そんな社会制度に変化してきているので、個別企業が単独で社会に抵抗しても無駄なのである。さて、こうした矛盾事態を続けるのであれば、個別企業は、売り上げや営業利益の企業内争奪をめぐっての泥池地獄と化してしまう。とりわけこの数年間は、この矛盾解決に投入する総務人事部門担当者の能力が必要とされるのである。
4月1日から、改正雇用機会均等法で、男性にも同性同士にもセクハラが適用されることとなった。女性が男性に対して行うセクハラは、「目つきが嫌らしい、仕草がエロい、そばにいるだけで気持ち悪い」といったものが典型的で、女性が男性に抱き付いたりするようなセクハラは少ないのである。男性が女性に対して行う、「お前の仕草やその胸がエロいんだよなぁ」といったもの、の逆バージョンである。同性同士のセクハラは意外に認知されていない。女性が女性に対して、「お前の胸がエロいのよ」とか、「あんたの胸はぺちゃんこ!」といったものもセクハラである。男性が男性に対して、「真ん中の息子が、でかい」とか、「おかまホルぞ~」(同性愛者を揶揄するものではありません)も完全なセクハラである。もちろん、環境型セクハラでは、同性同士であっても腰、胸、お尻などに触り苦痛を感じさせる行為、同性同士の性的内容の情報を意図的継続的に流布すること、「ゲイやレズビアン」(概念を説明するための表現で差別目的はありません。ホモ&レズは差別用語として用いられる場合が通例とのこと)のヌードの図画や写真の意図的開示も含まれるのである。セクハラ加害者が、たとえ、「愛情に基づくものだ」と言い逃れようとしても、調査において LOVE、PORNO、HARASSMENT の三つが全く異なることをわきまえておれば、事件の解明は簡単である。要するに、自らの無能力さを補完するために、性的な言動を用いて、相手方を支配・服従させる意思表示を禁止したのである。そして、セクハラを防止する環境整備義務が事業主に課せられたのだ。それは、高付加価値製品や高水準サービスの日本経済を作り上げるためには必要不可欠となっているといった具合だ。また、セクハラで被害者に損害が生ずれば事業主が賠償しなければならない法律制度が定められたわけだ。このことは、単なる女性保護から質的に転換する制度に発展、すなわち、セクハラは労働問題を遥かに超えて社会問題と位置付ける方がよさそうだ。ところで、セクハラに関する調停制度が設けられたが、これを拒めば、その後に訴訟が提起されたとき、極めて不利な立場に立たされることは間違いない。セクハラ調停制度には、時効の中断で賃金請求権その他を保障し、目新しく訴訟手続の途中で訴訟をにらみながらの交渉の道も開いている。セクハラ行為者にも出頭を求めていることも、注目点である。
「全労連」関係者の偽装請負の追及トークや追及理論の内容が手にはいった。偽装請負については、「請負といいながら、実際には派遣先企業が労働者に対する業務指示をおこない、派遣先企業の労働者と混在して仕事をする状態」としている。使用する機械や材料も偽装請負業者が責任をもって調達することなどはないとして、「リース契約でやっている」、「材料は支給する」などの口実ですりぬける行為をしていることに対して、「それでは機械を動かす電気代は誰が払っているのか」とのトークで鋭く追及するとしている。ひとりあたりの時間単価を決めた契約の証拠や請求資料を入手すれば、それだけでも「偽装請負」との証明が容易だとしている。極めつけは、「ごまかしにくい問題として、業務指示を誰がおこなっているかがポイント」と現場からの告発を重視している。徳島県の光洋シーリングテクノの例では、面接の際に、「がんばれば正社員になれる」というような話をされた仲間もいたとして、こういうなかで、「ぐち」や「怒り」をまとめた仲間(オルグ=organizer)がいたとのことである。そして、「いくら怒りや要求があっても、それをまとめる人がいなければ闘いは組織できない」としている。インターネットでJMIU徳島地本にたどり着いて、組織化と闘いが準備されたと報告している。また、徳島労働局や徳島県に通報する方法で、光洋シーリングテクノに是正の圧力をかけた作戦の目的は、偽装請負会社と光洋シーリングテクノの契約が、ひとりあたり1時間1,700円であることから、「経費等を考えればボーナスや退職金は実現できない」といった由縁から、行政から圧力をかけ直雇いにさせ、賃金源資を確保をするためであったとのこと。法律違反の告発に重点はなかった。この作戦は、同じ徳島県の発光ダイオードで有名な日亜化学でも成功したとのことである。彼ら全労連は、合法か非合法かの判断をしたのではなく、驚くべきことに、「生産性や労働力調達の根幹からのアプローチ」を行っていたのである。彼らの論理展開は、単なる野党やレジスタンスではなかったのだ。このことは、我々総務人事部門からすれば、大いに教訓とすべき事柄を含んでいる。
特定社会保険労務士とは何?労使のあっせん制度(紛争調整委員会、労働委員会)や均等法の調停制度の代理人となることを可能とする、社会保険労務士向けの試験合格者が出そろった。社会保険労務士の試験合格者は10万人程ではないかと推測されるが、そのうち昨年度末までに5,000人ほどがこの試験に合格した。とはいっても、これは現代社会の権利義務関係が理解出来ているかどうかに重点が置かれ、けっして和解や調停の技術・技能を保有しているかどうかまでのチェックをする試験ではなかった。実際に、あっせん代理人として活躍できるには、ある程度の技術や技能と実務経験があって、特定社会保険労務士として登録を済ませておかなければならないのではあるが。これで、社会共同体の合理性を支える基盤となっている私的自治(契約の自由、統治の自由や義務など)、私的所有、過失責任主義の三つの考え方から著しく的がはずれた人物は不合格となり、紛争の表舞台から排除されるに至ったのだ。たとえ、社会保険労務士会の都道府県幹部、地元に接する支部会長、全国を束ねる連合会の幹部などであっても、容赦なく落第させられた。すなわち、旧来の世間体を重視する人物に資格が与えられなかったのである。この試験の実施で、社会保険労務士が人事労務管理の職業能力を持つ者と、保険事務手続き能力を持つ者とに区別が出来上がったのも、否めない事実だ。厚生労働省は、特定社会保険労務士の資格を持たない社会保険労務士を、紛争調整委員会のあっせんや調停の手続きなどから完全排除する行政方針を3月26日の通達で示した。労使紛争解決において、示談屋、事件屋、世間体や浪花節の解決を得意とした者たちは、社会保険労務士から基本的に排除され、いよいよ無資格の「闇の仕事人?」でしかなくなった。
ホリエモンの実刑判決は、コンプライアンスの試金石となった。有識者といわれる人であっても、コンプライアンスについて企業倫理とか法令遵守といった程度の理解であれば、この事件での判断を迷ったのだ。その点、弁護士などの法律家はブレる事が無かった。要するに、社会共同体の合理性(この場合の合理性とは道理のこと)に与える秩序破壊が問題となったのだ。一口に経済事件と言っても、カネボウや日興とは著しく内容が異なっているのだ。社会共同体の秩序破壊に対しては、極めて厳しく対処されるべきであって、これは個別企業内の秩序破壊に対する懲戒処分と同様なのである。千円を着服したとしても、業務上「着服」したことに重点が置かれ、処分がされなければならない、といった具合だ。
大手メガバンクは今後3~5年の間に中堅中小企業との取引を中止し貸付金の回収に入るとの信頼筋からの情報。回収の対象となる中堅中小企業は優良企業と言われている150万社とのことで、不良債権処理の時代に対象となった中小零細企業ではない。その金額は、あの不良債権処理の規模を大きく上回るとのこと。大手メガバンクからの金利引き上げ要求、元金返済要求、私募債発行による資金調達の誘惑、M&Aを勧誘などは、貸付金回収の兆候とのことだ。大手メガバンクの回収動機は、現在、中堅中小企業の貸付利率は2.0%~2.5%だが、大手メガバンクの収益目標は5%以上であるので、貸付金を回収して、アメリカの国債を買って5%の収益にしようといった具合だ。この経営課題を切り抜ける手法の成功と失敗は、人事管理にも大きな影響を及ぼす。資金さえ回れば企業組織の運営も、何とか回せるといった経営管理も、いよいよ終焉に近づいて来た。
「労働力の仕入れ」ともいえる労働契約、これを締結する際において、勤務地を限定するのかしないのか、職種を限定するのかしないのか、労働時間を何時間とするのかなどを、明確にすることが、とても重要となり、合法性を確保する上で必要不可欠となって来た。これは昨年からの個々人と会社との労働紛争の増加とともに、何れの個別企業も対応せざるを得なくなった課題である。おりしも国会では、労働関係法案が6本、60年ぶりの大法制改革となっている。限定勤務制を導入しない限り、企業倒産させる以外に整理解雇は難しい。限定職種制を導入しない限り、不採算分野であっても雇用の責任は残る。労働時間を明記しなければ、週40時間分の賃金保障は当然のこととなる。使用者側の都合だけで労働条件を変化させたいのであれば、ほとんどのケース、その想定される行き先は、「逝去するまでの終身雇用」にならざるを得ない。ところが、このようなことは、個別企業でも日本経済でもありえないのはもちろんのことだ。ところが、多くの労働判例が逝去するまでの終身雇用を後押しするために利用可能となっており、そのいくつかは労働契約法として法制化される予定だ。とりわけ労働集約型の事業においては、これが人件費を直撃することになる。個別企業の雇用システムをグローバル時代に適したものに替えない限り、机上の採算は黒字でもトラブルにより累積赤字を抱え込んでしまう。個別企業が事業を組織的に運営しようと思えば、限定勤務地や限定職種でもって労働契約を明確にでもしておかない限り、いくら優秀な中間管理職を配置したとしても、トラブルの続発防止は不可能な時代になったのである。理論上はともかく実務上はそうならざるを得ない。トラブルが発生すれば、営業利益から損害賠償などを捻出するしかない。そんな社会制度に変化してきているので、個別企業が単独で社会に抵抗しても無駄なのである。さて、こうした矛盾事態を続けるのであれば、個別企業は、売り上げや営業利益の企業内争奪をめぐっての泥池地獄と化してしまう。とりわけこの数年間は、この矛盾解決に投入する総務人事部門担当者の能力が必要とされるのである。
4月1日から、改正雇用機会均等法で、男性にも同性同士にもセクハラが適用されることとなった。女性が男性に対して行うセクハラは、「目つきが嫌らしい、仕草がエロい、そばにいるだけで気持ち悪い」といったものが典型的で、女性が男性に抱き付いたりするようなセクハラは少ないのである。男性が女性に対して行う、「お前の仕草やその胸がエロいんだよなぁ」といったもの、の逆バージョンである。同性同士のセクハラは意外に認知されていない。女性が女性に対して、「お前の胸がエロいのよ」とか、「あんたの胸はぺちゃんこ!」といったものもセクハラである。男性が男性に対して、「真ん中の息子が、でかい」とか、「おかまホルぞ~」(同性愛者を揶揄するものではありません)も完全なセクハラである。もちろん、環境型セクハラでは、同性同士であっても腰、胸、お尻などに触り苦痛を感じさせる行為、同性同士の性的内容の情報を意図的継続的に流布すること、「ゲイやレズビアン」(概念を説明するための表現で差別目的はありません。ホモ&レズは差別用語として用いられる場合が通例とのこと)のヌードの図画や写真の意図的開示も含まれるのである。セクハラ加害者が、たとえ、「愛情に基づくものだ」と言い逃れようとしても、調査において LOVE、PORNO、HARASSMENT の三つが全く異なることをわきまえておれば、事件の解明は簡単である。要するに、自らの無能力さを補完するために、性的な言動を用いて、相手方を支配・服従させる意思表示を禁止したのである。そして、セクハラを防止する環境整備義務が事業主に課せられたのだ。それは、高付加価値製品や高水準サービスの日本経済を作り上げるためには必要不可欠となっているといった具合だ。また、セクハラで被害者に損害が生ずれば事業主が賠償しなければならない法律制度が定められたわけだ。このことは、単なる女性保護から質的に転換する制度に発展、すなわち、セクハラは労働問題を遥かに超えて社会問題と位置付ける方がよさそうだ。ところで、セクハラに関する調停制度が設けられたが、これを拒めば、その後に訴訟が提起されたとき、極めて不利な立場に立たされることは間違いない。セクハラ調停制度には、時効の中断で賃金請求権その他を保障し、目新しく訴訟手続の途中で訴訟をにらみながらの交渉の道も開いている。セクハラ行為者にも出頭を求めていることも、注目点である。
「全労連」関係者の偽装請負の追及トークや追及理論の内容が手にはいった。偽装請負については、「請負といいながら、実際には派遣先企業が労働者に対する業務指示をおこない、派遣先企業の労働者と混在して仕事をする状態」としている。使用する機械や材料も偽装請負業者が責任をもって調達することなどはないとして、「リース契約でやっている」、「材料は支給する」などの口実ですりぬける行為をしていることに対して、「それでは機械を動かす電気代は誰が払っているのか」とのトークで鋭く追及するとしている。ひとりあたりの時間単価を決めた契約の証拠や請求資料を入手すれば、それだけでも「偽装請負」との証明が容易だとしている。極めつけは、「ごまかしにくい問題として、業務指示を誰がおこなっているかがポイント」と現場からの告発を重視している。徳島県の光洋シーリングテクノの例では、面接の際に、「がんばれば正社員になれる」というような話をされた仲間もいたとして、こういうなかで、「ぐち」や「怒り」をまとめた仲間(オルグ=organizer)がいたとのことである。そして、「いくら怒りや要求があっても、それをまとめる人がいなければ闘いは組織できない」としている。インターネットでJMIU徳島地本にたどり着いて、組織化と闘いが準備されたと報告している。また、徳島労働局や徳島県に通報する方法で、光洋シーリングテクノに是正の圧力をかけた作戦の目的は、偽装請負会社と光洋シーリングテクノの契約が、ひとりあたり1時間1,700円であることから、「経費等を考えればボーナスや退職金は実現できない」といった由縁から、行政から圧力をかけ直雇いにさせ、賃金源資を確保をするためであったとのこと。法律違反の告発に重点はなかった。この作戦は、同じ徳島県の発光ダイオードで有名な日亜化学でも成功したとのことである。彼ら全労連は、合法か非合法かの判断をしたのではなく、驚くべきことに、「生産性や労働力調達の根幹からのアプローチ」を行っていたのである。彼らの論理展開は、単なる野党やレジスタンスではなかったのだ。このことは、我々総務人事部門からすれば、大いに教訓とすべき事柄を含んでいる。
特定社会保険労務士とは何?労使のあっせん制度(紛争調整委員会、労働委員会)や均等法の調停制度の代理人となることを可能とする、社会保険労務士向けの試験合格者が出そろった。社会保険労務士の試験合格者は10万人程ではないかと推測されるが、そのうち昨年度末までに5,000人ほどがこの試験に合格した。とはいっても、これは現代社会の権利義務関係が理解出来ているかどうかに重点が置かれ、けっして和解や調停の技術・技能を保有しているかどうかまでのチェックをする試験ではなかった。実際に、あっせん代理人として活躍できるには、ある程度の技術や技能と実務経験があって、特定社会保険労務士として登録を済ませておかなければならないのではあるが。これで、社会共同体の合理性を支える基盤となっている私的自治(契約の自由、統治の自由や義務など)、私的所有、過失責任主義の三つの考え方から著しく的がはずれた人物は不合格となり、紛争の表舞台から排除されるに至ったのだ。たとえ、社会保険労務士会の都道府県幹部、地元に接する支部会長、全国を束ねる連合会の幹部などであっても、容赦なく落第させられた。すなわち、旧来の世間体を重視する人物に資格が与えられなかったのである。この試験の実施で、社会保険労務士が人事労務管理の職業能力を持つ者と、保険事務手続き能力を持つ者とに区別が出来上がったのも、否めない事実だ。厚生労働省は、特定社会保険労務士の資格を持たない社会保険労務士を、紛争調整委員会のあっせんや調停の手続きなどから完全排除する行政方針を3月26日の通達で示した。労使紛争解決において、示談屋、事件屋、世間体や浪花節の解決を得意とした者たちは、社会保険労務士から基本的に排除され、いよいよ無資格の「闇の仕事人?」でしかなくなった。
ホリエモンの実刑判決は、コンプライアンスの試金石となった。有識者といわれる人であっても、コンプライアンスについて企業倫理とか法令遵守といった程度の理解であれば、この事件での判断を迷ったのだ。その点、弁護士などの法律家はブレる事が無かった。要するに、社会共同体の合理性(この場合の合理性とは道理のこと)に与える秩序破壊が問題となったのだ。一口に経済事件と言っても、カネボウや日興とは著しく内容が異なっているのだ。社会共同体の秩序破壊に対しては、極めて厳しく対処されるべきであって、これは個別企業内の秩序破壊に対する懲戒処分と同様なのである。千円を着服したとしても、業務上「着服」したことに重点が置かれ、処分がされなければならない、といった具合だ。
大手メガバンクは今後3~5年の間に中堅中小企業との取引を中止し貸付金の回収に入るとの信頼筋からの情報。回収の対象となる中堅中小企業は優良企業と言われている150万社とのことで、不良債権処理の時代に対象となった中小零細企業ではない。その金額は、あの不良債権処理の規模を大きく上回るとのこと。大手メガバンクからの金利引き上げ要求、元金返済要求、私募債発行による資金調達の誘惑、M&Aを勧誘などは、貸付金回収の兆候とのことだ。大手メガバンクの回収動機は、現在、中堅中小企業の貸付利率は2.0%~2.5%だが、大手メガバンクの収益目標は5%以上であるので、貸付金を回収して、アメリカの国債を買って5%の収益にしようといった具合だ。この経営課題を切り抜ける手法の成功と失敗は、人事管理にも大きな影響を及ぼす。資金さえ回れば企業組織の運営も、何とか回せるといった経営管理も、いよいよ終焉に近づいて来た。
2007/03/07
第59号
<改正男女雇用均等法についての解説特集>
マスコミや一般的な解説は施行が近づけば目白押しとなってくることから、気がつきにくい視点からの重要課題を、いくつかあげてみる。
○平成19年4月1日からの改正が不備だとする人達の主張は、
(1)問題とされる間接差別は、募集採用などに限られていて、肝心の賃金についての規定がないから骨抜きだ。
(2)間接差別として禁止されるのは、厚生労働省令に定める三項目例に限定されるものだけではないか。
(3)事業主に課せられている、合理性の立証の要件が緩やかすぎるではないか。
といったところだ。
ということは、裁判紛争となった場合は、このポイントをめぐって争われるということになる。
○男女双方の差別禁止
公務員と同様に民間企業においても男女双方禁止されることになった。
したがって、「男の子だけのグループ」とか「女の子だけのグループ」を組んでしまう行為だけで、差別発生の基盤が形作られることとなった。「男らしい女性を雇い、女らしい男性を排除」するといった旧来思考パターンは死滅する。旧来通りを押し通せば「柳沢のお爺さん!」と言われるかも知れないのだ。
○差別的取扱い禁止項目の増加
改正後は、募集・採用、役職配置、部門配置、配置転換一般、権限付与、義務の配分、配置→昇進→教育訓練、福利厚生、定年・解雇、降格、雇用形態変更、労働契約の更新、退職勧奨、雇止めとなった。ここにおいて、賃金差が明確にされていないことは不備だとの批判意見がある。したがって、これからの研究・人事施策課題は、禁止項目と賃金差が、如何にリンクするのか、しないのかに焦点があてられることにもなった。
○間接差別の禁止
が盛り込まれたが、内容は厚生労働省令に定めるとなっている。
…とのことは、5年後の法改正を待たずして、より厳しい禁止内容に途中で変更される可能性があるということだ。
だとすれば、非人道的な間接差別の形態の事例が表沙汰にでもなれば、その類の間接差別が非人道的でなくとも、禁止内容に盛り込まれた省令が発表される可能性があるのだ。グローバル社会になった現在、事例の暴露合戦を誘発するかもしれない。
今回具体的に間接差別とされる場合(省令)は、
(1)募集・採用に当たって、身長、体重、体力を要件とするとき、合理的な理由がない場合
(2)転勤を条件とする総合職を採用するときに、合理的な理由のない場合
(3)昇進にあたり転勤経験があるとするときに、合理的な理由のない場合
の三つが男女ともに禁止されるのである。
合理的とは理由の事実が真実で筋道立てた論拠をもって証明できるかどうかの意味を差し、必要な社内規定も整備されているといった意味である。いくら形式を踏んだとしても、実態が伴わなければならないから、社内システムが実効的に動いていなければ責任を問われることになる。
「男女混在する応募者の中から背の高いものだけを選んだ」であるとか、
「支店もないのに、転勤可能な者に限る」であるとか、
「本社管理部門内の昇進に支店業務経験が必要」といったものは、
「それは形式ばかりだ!」と主張されれば、これに対する合理的理由をそろえるのは極めて難しくなる、といった具合だ。
○妊娠・出産・産前産後休業取得での不利益扱い
が禁止となった。加えて、産後1年以内は妊娠中・出産などを理由とする解雇でないことを、事業主が証明出来ない限りは解雇無効とされる。無効とは、初めから解雇がなかったものと取り扱われるという意味で、働いたものと見なす賃金を支払わなければ、労働基準法上の賃金不払いとなる。
ところで、典型的な想定事例はこうだ。
契約期間1年の雇用契約を繰り返している女性が中途で妊娠をして、期間満了時点を産後休暇8週の間に迎えることとなった場合、次期1年間の契約更新を会社が拒否した場合は不利益扱いとされる。よって、育児休業申し出による就労のない「から期間」を含める1年契約を更新しなければならない。また、産後1年以内は解雇禁止の制限がかけられる。気をつけなければならないことは、妊娠・出産・育児休業中は人事評価をすることが出来ないから、出産など以外の解雇理由は立証出来ないことだ。加えて、短期期間契約を繰り返していたとしても4年目に突入した場合は常用労働の扱いとされるのが一般的で、そこに労働契約法が施行されれば、理由のない雇用期間の細分化は継続しているものと扱われる。
これらを考えると、女性にかかる雇用制度全般をチェックし直さなければならなくなった。
○セクシャルハラスメント
についての就業環境配慮義務が→「措置義務」となった。
具体的な措置が無ければ、すぐさま義務違反を問われることになったのだ。
具体的な措置とは、事業主の男女双方に対するセクハラ防止基準、相談窓口、防止教育訓練などが不備となる。不備となれば、配慮義務とは取扱いが違って、すぐさまセクハラ被害損害賠償の根拠となるのだ。
「責任追及はセクハラ加害者にしてくれ」などとは言っていられなくなる。
場合によってはセクハラ防止の張り紙、セクハラ禁止社内放送、イエローカード、不利益回復、加害者の排除、加害者の懲戒などを怠ったことが措置義務違反に問われかねない。
○雇用均等に関わるトラブル発生
は、労働局の調停に持ち込むことができるようになった。
労働局の紛争調整委員会で扱われることになるが、調停の場合は参加拒否が出来ない。
調停の参加を拒否した場合は裁判を提起されたときに、あっせんに比べ一挙に極めて不利に陥るといった具合だ。
一方、労働者側からは、雇用均等法に絡めて事件を紛争調整委員会で持ち込むという戦術も生まれて来るが、これも自然の成り行きとして覚悟しておかなければならない。
この調停制度に、マスコミなどが気づいていないから、事は重大。なお、代理人は弁護士の訴訟代理人ではなく、あっせん代理人の方が経験豊富なこともあって、調停には適切である。
○労働局への報告
を、雇用均等法に関して、事業主は求められることになった。
今回の改正では、報告しない場合と虚偽の報告をした場合には、20万円以下の過料がかけられることになった。
この過料は刑事事件とは異なり、短期に容易に処分が下される。
<最低賃金の論議が、ますます盛んになってきた>
ちなみに、デンマークは28ドル/時間、日本円に直すと 月額約34万円で、最高額のようだが税率は50%、ただし税金は自己申告制とのこと。2005年数値の比較研究によると、日本が一時間あたり5.19ドル、米国5.15ドル、フランスが8.05ドル、イギリスが8.91ドルとのことだ。最低賃金はその国の社会制度とリンクしているものであるから、一概に高い安いと判断できるものではない。終戦後しばらく日本では失業対策事業の賃金が最低として重要視された。ニコヨンという日雇労働者の呼び名は、日額賃金が204円であった時代の社会運動・労働組合運動から言われだしたものだ。生活保護と最低賃金の比較も話題になっているが、労働基準法11条の賃金の定義には「労働の対償」といった辞書にも出てこない言葉が出て来るが、これは生活保護よりも金額が多いことを想定して法律条文化した歴史的事実を見落としてはならないのだ。
<教育再生の話題>
がぼんやりしているのだが、日本人の能力開発、高文化水準の維持を考えると、将来の日本経済を支える主要な柱であることは間違いない。江戸時代まで日本の流通経済を支えていた近江商人の地方では、室町時代には読み書き教育を行っていた形跡があり、江戸時代初期には奥深い山村集落に至るまで「寺子屋」のような組織的教育を行ない、子供達の職業能力を養っていた。
ところで、ある調査によると、私立学校の子供一人当たりの学費の平均は年間85万円程度で、公立学校の場合は年間160万円程度の計算になるとのことである。そこまでの費用をかける積算見積もりが不明なのである。これを分析して、林省之助(関西大学)という教育者は、生徒数20人の街の民間小学校を認可して、そこに就学する子供に対し保護者を通じた年間100万円ほどの就学援助金を国が使用目的を限定して援助すればどうかという構想を披露している。高付加価値製品とか高水準サービスの商品を提供することに活路を見いだす日本の経済を担う子供たちに、その基礎力をつける教育方針を、如何に見いだすかとの議論に、一石を投じている。
マスコミや一般的な解説は施行が近づけば目白押しとなってくることから、気がつきにくい視点からの重要課題を、いくつかあげてみる。
○平成19年4月1日からの改正が不備だとする人達の主張は、
(1)問題とされる間接差別は、募集採用などに限られていて、肝心の賃金についての規定がないから骨抜きだ。
(2)間接差別として禁止されるのは、厚生労働省令に定める三項目例に限定されるものだけではないか。
(3)事業主に課せられている、合理性の立証の要件が緩やかすぎるではないか。
といったところだ。
ということは、裁判紛争となった場合は、このポイントをめぐって争われるということになる。
○男女双方の差別禁止
公務員と同様に民間企業においても男女双方禁止されることになった。
したがって、「男の子だけのグループ」とか「女の子だけのグループ」を組んでしまう行為だけで、差別発生の基盤が形作られることとなった。「男らしい女性を雇い、女らしい男性を排除」するといった旧来思考パターンは死滅する。旧来通りを押し通せば「柳沢のお爺さん!」と言われるかも知れないのだ。
○差別的取扱い禁止項目の増加
改正後は、募集・採用、役職配置、部門配置、配置転換一般、権限付与、義務の配分、配置→昇進→教育訓練、福利厚生、定年・解雇、降格、雇用形態変更、労働契約の更新、退職勧奨、雇止めとなった。ここにおいて、賃金差が明確にされていないことは不備だとの批判意見がある。したがって、これからの研究・人事施策課題は、禁止項目と賃金差が、如何にリンクするのか、しないのかに焦点があてられることにもなった。
○間接差別の禁止
が盛り込まれたが、内容は厚生労働省令に定めるとなっている。
…とのことは、5年後の法改正を待たずして、より厳しい禁止内容に途中で変更される可能性があるということだ。
だとすれば、非人道的な間接差別の形態の事例が表沙汰にでもなれば、その類の間接差別が非人道的でなくとも、禁止内容に盛り込まれた省令が発表される可能性があるのだ。グローバル社会になった現在、事例の暴露合戦を誘発するかもしれない。
今回具体的に間接差別とされる場合(省令)は、
(1)募集・採用に当たって、身長、体重、体力を要件とするとき、合理的な理由がない場合
(2)転勤を条件とする総合職を採用するときに、合理的な理由のない場合
(3)昇進にあたり転勤経験があるとするときに、合理的な理由のない場合
の三つが男女ともに禁止されるのである。
合理的とは理由の事実が真実で筋道立てた論拠をもって証明できるかどうかの意味を差し、必要な社内規定も整備されているといった意味である。いくら形式を踏んだとしても、実態が伴わなければならないから、社内システムが実効的に動いていなければ責任を問われることになる。
「男女混在する応募者の中から背の高いものだけを選んだ」であるとか、
「支店もないのに、転勤可能な者に限る」であるとか、
「本社管理部門内の昇進に支店業務経験が必要」といったものは、
「それは形式ばかりだ!」と主張されれば、これに対する合理的理由をそろえるのは極めて難しくなる、といった具合だ。
○妊娠・出産・産前産後休業取得での不利益扱い
が禁止となった。加えて、産後1年以内は妊娠中・出産などを理由とする解雇でないことを、事業主が証明出来ない限りは解雇無効とされる。無効とは、初めから解雇がなかったものと取り扱われるという意味で、働いたものと見なす賃金を支払わなければ、労働基準法上の賃金不払いとなる。
ところで、典型的な想定事例はこうだ。
契約期間1年の雇用契約を繰り返している女性が中途で妊娠をして、期間満了時点を産後休暇8週の間に迎えることとなった場合、次期1年間の契約更新を会社が拒否した場合は不利益扱いとされる。よって、育児休業申し出による就労のない「から期間」を含める1年契約を更新しなければならない。また、産後1年以内は解雇禁止の制限がかけられる。気をつけなければならないことは、妊娠・出産・育児休業中は人事評価をすることが出来ないから、出産など以外の解雇理由は立証出来ないことだ。加えて、短期期間契約を繰り返していたとしても4年目に突入した場合は常用労働の扱いとされるのが一般的で、そこに労働契約法が施行されれば、理由のない雇用期間の細分化は継続しているものと扱われる。
これらを考えると、女性にかかる雇用制度全般をチェックし直さなければならなくなった。
○セクシャルハラスメント
についての就業環境配慮義務が→「措置義務」となった。
具体的な措置が無ければ、すぐさま義務違反を問われることになったのだ。
具体的な措置とは、事業主の男女双方に対するセクハラ防止基準、相談窓口、防止教育訓練などが不備となる。不備となれば、配慮義務とは取扱いが違って、すぐさまセクハラ被害損害賠償の根拠となるのだ。
「責任追及はセクハラ加害者にしてくれ」などとは言っていられなくなる。
場合によってはセクハラ防止の張り紙、セクハラ禁止社内放送、イエローカード、不利益回復、加害者の排除、加害者の懲戒などを怠ったことが措置義務違反に問われかねない。
○雇用均等に関わるトラブル発生
は、労働局の調停に持ち込むことができるようになった。
労働局の紛争調整委員会で扱われることになるが、調停の場合は参加拒否が出来ない。
調停の参加を拒否した場合は裁判を提起されたときに、あっせんに比べ一挙に極めて不利に陥るといった具合だ。
一方、労働者側からは、雇用均等法に絡めて事件を紛争調整委員会で持ち込むという戦術も生まれて来るが、これも自然の成り行きとして覚悟しておかなければならない。
この調停制度に、マスコミなどが気づいていないから、事は重大。なお、代理人は弁護士の訴訟代理人ではなく、あっせん代理人の方が経験豊富なこともあって、調停には適切である。
○労働局への報告
を、雇用均等法に関して、事業主は求められることになった。
今回の改正では、報告しない場合と虚偽の報告をした場合には、20万円以下の過料がかけられることになった。
この過料は刑事事件とは異なり、短期に容易に処分が下される。
<最低賃金の論議が、ますます盛んになってきた>
ちなみに、デンマークは28ドル/時間、日本円に直すと 月額約34万円で、最高額のようだが税率は50%、ただし税金は自己申告制とのこと。2005年数値の比較研究によると、日本が一時間あたり5.19ドル、米国5.15ドル、フランスが8.05ドル、イギリスが8.91ドルとのことだ。最低賃金はその国の社会制度とリンクしているものであるから、一概に高い安いと判断できるものではない。終戦後しばらく日本では失業対策事業の賃金が最低として重要視された。ニコヨンという日雇労働者の呼び名は、日額賃金が204円であった時代の社会運動・労働組合運動から言われだしたものだ。生活保護と最低賃金の比較も話題になっているが、労働基準法11条の賃金の定義には「労働の対償」といった辞書にも出てこない言葉が出て来るが、これは生活保護よりも金額が多いことを想定して法律条文化した歴史的事実を見落としてはならないのだ。
<教育再生の話題>
がぼんやりしているのだが、日本人の能力開発、高文化水準の維持を考えると、将来の日本経済を支える主要な柱であることは間違いない。江戸時代まで日本の流通経済を支えていた近江商人の地方では、室町時代には読み書き教育を行っていた形跡があり、江戸時代初期には奥深い山村集落に至るまで「寺子屋」のような組織的教育を行ない、子供達の職業能力を養っていた。
ところで、ある調査によると、私立学校の子供一人当たりの学費の平均は年間85万円程度で、公立学校の場合は年間160万円程度の計算になるとのことである。そこまでの費用をかける積算見積もりが不明なのである。これを分析して、林省之助(関西大学)という教育者は、生徒数20人の街の民間小学校を認可して、そこに就学する子供に対し保護者を通じた年間100万円ほどの就学援助金を国が使用目的を限定して援助すればどうかという構想を披露している。高付加価値製品とか高水準サービスの商品を提供することに活路を見いだす日本の経済を担う子供たちに、その基礎力をつける教育方針を、如何に見いだすかとの議論に、一石を投じている。
2007/02/05
第58号
<IntelligenceやKnow-Howの収集>
経営管理において、とりわけ総務部門でのIntelligenceやKnow-Howの有無は、利益の源泉を左右するどころか、経営の基盤や母体、を良い意味でも悪い意味でも揺るがす程の価値がある。Informationといわれるものは、早い話、税理士や社会保険労務士といった専門家に問い合わせれば容易に入手できる。それも今日では、インターネットのWebを検索すれば、入手できるたぐいのものである。したがって、Informationはインターネットを操作できる人であれば、すぐさま収集できる程度のものだから、付加価値は少ないのである。
その道の資格者とか、アウトソーシング業には、それなりに蓄積されているので、Informationは記憶や記録の範囲で安価に提供してもらえる。この前提に基づいて、当社(株式会社総務部)も、100余の総務部門書式を無料でダウンロードできるようにホームページを開設し、施策の羅針盤となるようなInformationやIntelligenceなどをメルマガにして発信しているのである。これらは、あくまでInformation程度の内容であるから、クライアントへの無料サービスというよりは、クライアントからの問い合わせに対して逐一対応する手間と労力を削減するために提供しているといったところが本音なのである。
よくあることだが、Informationのついでに、IntelligenceやKnow-Howの提供を求めても、そこには危険をはらんでいる。
IntelligenceやKnow-Howには、
‐提供内容を信じて経営管理に適用するものであるから、
‐提供するときにはクライアント側の瑕疵を未然予測したうえで提供する義務(提供物責任)があり、
‐所要の労働力や経費と心理的努力・依頼者利益の確保
などが含まれているのである。
こういったこと考える意思も能力もなく、「利用するかどうかは、クライアントの自己責任」だとして、危険なものまでをも、聴き心地の良い話に編集して提供するといった姿勢は、コンサルティング業の職業倫理に反するものなのである。世間話や詐欺話との差異は、ここにある。
よって、漠然と情報?と考えるのではなく、Intelligence、Know-How、Informationのいずれが必要なのかをよく考えて、相手方がその提供元かを見極め、提供を求めて行くことが必要なのだ。外注業者やアウトソーシング業は、IntelligenceやKnow-Howの提供元ではないのである。とりわけ、IntelligenceやKnow-Howは、提供する側の裁量でもって供給してもらわない限り、入手出来ないものであるから、提供してくれることが当然の如くの姿勢では供給してもらえないのである。例えば、学校の教師に対して、「雇っているのだから教えろ!」といった姿勢では、理解できるように教えてもらえない場合と同様である。
IntelligenceやKnow-Howを入手する場合、労働者や外注業者扱いの姿勢では、企業を育てる本物のコンサルタント業者からは、相手にもしてもらえない。
‐「契約の意思もないのに、面談を求める」(社員の採用や業者の選抜程度の需要)とか、
‐「杓子定規に報酬支払いは、翌翌月以降に延ばす」(日頃から、Salary、Wage、Feeといった区別分析力が無い)とか、
‐「報酬から支払い手数料を減額する」(通常、商品代金の内訳重要さを理解出来ない)
といった行為はチェックされており、コンサルティング業者から、貴方は下心を見透かされ、
仮に契約に至ったとしても、赤子の手をひねるように貴方は利用されるだけなのである。
「オレは!大丈夫」
と思う貴方は、サラ金の多重債務者の「今度こそは大丈夫!」といった心理と同様、なので、悪徳コンサルタント業者のターゲットにされるのである。「社員扱い」なら、言われる通りするだけで企画を立てなくても売り上げ計上。「杓子定規」であれば、いくらでも話をごまかす。内訳が理解出来ないなら、Blackboxに引きずり込める。といった具合だ。
この話は、執筆者のこの私がコンサルタントであるから、提供できるIntelligenceなのだ。
<企業機密の漏洩の実状>
「Winny」をはじめとした、ファイル共有ソフトとかファイル交換ソフトの利用がますます流行している。
ファイル共有ソフトには「WinMX」「Gnutella」「Kazaa」「Share」など数多くの物があり、いつでもネット上で無料ダウンロードできる。「Winny」でダウンロードしたファイルに隠れているウイルス(代表的なものはAntinnyアンティニー)がパソコンに感染して情報が流出した事案がマスコミで有名になった。確かに、変わったウイルスでは、個人のパソコンのデスクトップ画面が定期的に2chに投稿されるものもある。
ところが、
「Winny」といってもウイルスに感染しさえしなければ大丈夫と過信して、情報流出を起こしてしまい、ウイルス感染もしていないのに、ウイルスの仕業にしてしまっているケースもなきにしもあらずだ。USBをつないだままネットを行ったために、情報が流れてしまったケースもある。
そして、
ファイル共有ソフトなどは、あまりにも便利なために流行の域を出て、グローバル社会における重要な情報伝達手段となりつつある。たとえば、耐震偽装マンションの問題の際に、Eホームズの藤田社長は、マスコミ関係者の受け狙い的な報道に対抗して、 「YouTube」 で自らの見解を発表するという手段をとった。この 「YouTube」 は動画系のファイル共通ネットなのだ。
だから、新聞記者は文学部出身ばかりとその専門性を不安視される事態であることから、今後は、不十分なマスコミに変わって、それらは情報を得るため&情報発信するための重要な手段となるかもしれないのだ。そんなこともあって、「Winny」などの利用者も増え続けているようだ。
情報漏洩事件の主要な原因と対策は次の通り。
ただ、多くの大手マスコミ論調は、ファイル共有ソフトに関する実態・事実の報道を避けている、というよりも、「口止め」させられているのかもしれない。
第1に、
情報漏洩は、「洩れること」が罪となった社会・経済の背景があるから、漏洩側の責任が問われる。情報を洩らした側は著作権侵害の違法行為を働いていたのであるから、これを被害者としてマスコミが報道しているのは本末転倒な話である。この違法行為を事実上後押しし続けて漏洩を起こした場合に、事業主の損害賠償も当然の義務となる。それでは、事業所内で違法行為を実行した従業員に対して、損害賠償の求償程度の(情報漏洩保険契約の場合、その求償権も損保会社が譲渡を条件とする)罪しか問えないことになるので、情報漏洩防止の具体的手立てが重要となるのだ。
第2に、
現代社会共同体の私的所有原則からすれば、機密にしろ個人情報にしろ、個別企業が従業員に取り扱わせる場合には、個別企業がそのすべての責任を負う必要がある。それは、「どれが機密情報で、どれが個人情報であるか」を定義することから始まる。漏洩の可能性を知れば施設や機器の対策をとることが当たり前のこととなり、従業員が自宅に持ち帰っての情報漏洩であれば、その責任は唯一事業主にある。その従業員が故意または重過失にて情報漏洩対策に従わなかったのでない限り、「あの従業員が悪いのだ」という弁解も通用しない。そもそも情報漏洩対策自体を実施していない個別企業が多いものだから、事業主にすべてが被さってくることとなる。ホリエモンのライブドアのように、自前のパソコンを社業に使わせておれば、情報漏洩は全面的にホリエモンの責任となる。自宅パソコンに持ち帰ってのサービス残業を黙認していたのだから、情報漏洩の損害賠償は事業主がとるしか仕方がない。「洩れること」が罪なのだから、「守秘誓約書」(機密と個人情報を併せたもので、総務部HPの無料ダウンロード版程度で初めて有効)を提出させていないのであれば、漏洩は当たり前、賠償当たり前との社会通念となっているのだ。
第3に、
大々的に報道された事件は、民事法の通用しない公務員(公法が適用)の情報漏れの場合であった。警察官、教師による情報漏れが頻発した背景には、公務を自前のパソコンで行わせていた行政方針に問題があったのだ。送検の供述調書を作成するパソコンまで自分で買わされていた捜査員の刑事さんには同情するとしても、組織的にそれを指示していた官僚が存在しており、このことをマスコミは恐くて書けないのだろう。民間企業と比べて、行政政策として十分な漏洩防止対策がとられているとは思えないような現状では、行政機関に機密や個人情報を近づけないことが、企業防衛の第一歩となる。巷では社会保険事務所に被保険者データをフロッピーで渡すような事務担当者も存在するが、果たして事業経営のことを考えて、データを提供しているのであろうか?
第4に、
ファイル共有ソフトの発見対策は、「Winny」検出削除ツールだけでは「Winny」一種類だけの対策となるので、各種の共通ファイルソフトが存在する状況では、それだけでは無駄と抜け道が多い。視点を変えてみて、「Winny」などの愛好者は、ほぼ動画愛好者に発展するとの実態分析からすれば、その方法ではなく、パソコン内の動画ファイルや動画系ソフトの有無の発見に努め、著作権対策の大網から見通しを立てて行く作戦の方が実務・効率的なのである。いっそのこと、外部の「ファイル共有ソフト愛好者」にチェックしてもらうのも効果的だ。
ただし、個人所有のパソコンは、事業主に所有権や占有権がないので、会社は「他人のパソコンの中身のぞく」ことは出来ないということになる。
第5に、
前向きの漏洩対策として、インターネットカフェなどで、所定労働時間内にファイル共有ソフトに触れる業務をさせるのも、結果的には極めて有効である。この場合は著作権にだけ注意すればよく、最近では「著作権放棄」のファイルも多数出回るようになってきたから、効率的情報収集が可能となる。パソコンに慣れていない者がファイル共有ソフトを使い、操作時間の無駄と、過信による情報漏洩を起こしてしまっては、事業経営としてはたまったものではない。経営の効率化の視点からは、こんな角度からの対策もある。paper‐baseでは記憶出来得ないほどの大量インテリジェンスやインフォメーションを扱わせる業務にこそ初めて便利活用できるパソコン操作との性格を見据えた場合に、そのような担当者にはパソコン用音声入力装置(1個6000円程度・マイク付きで十分)を買い与えて、「他人の著作を盗むよりも自分で喋って入力」させるようにする癖をつけることも現実的な方法(高付加価値作業)ではないだろうか。
中国大陸発の品物を筆頭に、
ビジネス系の海賊版ソフトやデータベースの海外経由物に手を出せば、相手方の国家や競争相手の企業に、注文者の住所が記録され、注文者の興味関心有りとの履歴が、確実に蓄積される。経済戦争の実態はここまで来ている。中国は何千年来の記録の名人。企業の電子メールはもちろんのこと、個人メールアドレスだとしても、安心と思っていると、それは素人の浅知恵でしかない。まして、貴方が既に、どのような事業に携わり、過去にもどのような実績をもっているかが、マークされておれば、貴方の情報は自動蓄積されるのだ。工場の生産能力・出荷台数、発売日、これらの情報こそが欲しがられているのだ。大手企業や研究者でなくとも、ある程度の教養をインターネットのみならず、電子電波系で発信しておれば、エシュロン(アングロサクソン・トライアングルの盗聴機関)に内容が傍受されていることは有名な話。それなりの事業展開の元となる研究者や企画担当者のもとに、知人や取引先を装って「人」が寄って来るのは必然のことなのである。トムクルーズのミッションインポッシブルはアメリカのCIA(central intelligence agency)を、007はイギリスのMI6(military intelligence division 6 )を想定しているが、いずれもが経済取引がらみのテーマなのである。
職業安定所の雇用保険
で取り扱う、フリガナと生年月日は個人動向調査の重要なデータベース。警察の逮捕令状執行の際には利用されている。そこで一言、人事労務系職域団体である、全国社会保険労務士会連合会での個々の社会保険労務士のデータ管理も、「情報管理規定を定めた」だけで、施設、機器並びにネットワーク環境等については無防備状態(昨年4月の対策の問い合わせに対して何ら返事が現在までないとのこと)のようだ。これでは、社会保険労務士に人事データや保険の手続、給与計算業務などを依頼するのに、不安が残って仕方がないのである。だから、大量の手続を取扱う事務所ほど、インターネットや電子申請を拒絶しているとの観測もあるくらいだ。弊社においても、個人情報などは外部との通信が未接続の機器のみを使用し、自宅へのデータ持出持帰リ厳禁、まして危険な電子申請に手をつける予定もさせていない。
データ守秘の重要さは、盗聴や漏洩の実態を理解することからはじまり、慣れているからといって過信したところに、情報漏れが起こっているようだ。古今東西、情報漏洩防止(手紙やpaperの時代の対策、IT時代の対策)に関心のない取引先とは、契約を打ち切る!のが、一般的な商習慣である。
<タレントの菊川怜を起用し>
社会保険労務士会がラジオCMで、全国一斉に20秒のスポットを流す。2月は1日1回、3月になれば1日4回を月曜日から金曜日の午後に流すことになっている。そのナレーションは、
「こんにちは。菊川怜です。リストラ、労働条件、セクハラなど職場でのお悩みは、社会保険労務士にご相談ください。貴方の身近に、頼れる存在。社会保険労務士で検索してね」
を2月から3月の中旬まで。その後3月30日までは、
「こんにちは。菊川怜です。4月から特定社会保険労務士制度がスタートします。これからも職場でのお悩みは、社会保険労務士にご相談ください。貴方の身近に、頼れる存在。社会保険労務士で検索してね」
といった内容だ。このラジオを聞くのは、ほとんどが労働者であり、これを聞いた場合の社会保険労務士に対するイメージは、自明の理である。今まで多くの人たちが、社会保険労務士に対しては、「経営者の側」との印象を持っていたのだが、そのイメージを転換するようなCMになりそうだ。
ところで、当の社会保険労務士の一般では、自らを労働者の側と自覚して仕事をしている人たちが極めて少ないのだ。社会保険労務士の業務範囲だけで生計を立てている人は、5%も居ないかも知れないと言われており、そのほとんどが事業主からの報酬に頼る人たちである。そのような状況では、このラジオCMに対し、多くの社会保険労務士は賛同を寄せることなどありえない。一般の社会保険労務士には、ラジオCM開始の10日ほど前に告知されるなど電撃的な会員通知であった。菊川怜との契約は2月1日から4月30日までだが、3月には週刊文春や週刊新潮への1ページカラー広告、全国的に投入するリーフレット35万部やクリアファイル40万部も社会保険労務士会としてはダントツの数量なのだ。このような菊川怜のラジオCMに踏み切った事情は、さまざま説明が行われるかもしれないが、結果的に、
「水面下の労使紛争を表面化させるための厚生労働省の政策の宣伝に、社会保険労務士を利用したのではないか!」
と指摘する意見が出ても仕方がないのである。
さて、このCM、少なからず、労務管理に不備を抱える個別企業には影響が出るかもしれない。
舞台は紛争調整委員会でのあっせん申請に持ち込まれることになるが、拒否すれば訴訟では不利となる。有能な労働者側のあっせん代理人(特定社会保険労務士)は少数であるから、会社側が有能な会社側あっせん代理人を投入すれば、さほど問題がこじれることは考えられない。あっせん代理人を熟知・手慣れた弁護士は極めて少ない。
しかしながら、物事には、「量から質への変化(量が増えれば質が変化する法則)」が存在するのであるから、それが厚生労働省の狙いかもしれない。
経営管理において、とりわけ総務部門でのIntelligenceやKnow-Howの有無は、利益の源泉を左右するどころか、経営の基盤や母体、を良い意味でも悪い意味でも揺るがす程の価値がある。Informationといわれるものは、早い話、税理士や社会保険労務士といった専門家に問い合わせれば容易に入手できる。それも今日では、インターネットのWebを検索すれば、入手できるたぐいのものである。したがって、Informationはインターネットを操作できる人であれば、すぐさま収集できる程度のものだから、付加価値は少ないのである。
その道の資格者とか、アウトソーシング業には、それなりに蓄積されているので、Informationは記憶や記録の範囲で安価に提供してもらえる。この前提に基づいて、当社(株式会社総務部)も、100余の総務部門書式を無料でダウンロードできるようにホームページを開設し、施策の羅針盤となるようなInformationやIntelligenceなどをメルマガにして発信しているのである。これらは、あくまでInformation程度の内容であるから、クライアントへの無料サービスというよりは、クライアントからの問い合わせに対して逐一対応する手間と労力を削減するために提供しているといったところが本音なのである。
よくあることだが、Informationのついでに、IntelligenceやKnow-Howの提供を求めても、そこには危険をはらんでいる。
IntelligenceやKnow-Howには、
‐提供内容を信じて経営管理に適用するものであるから、
‐提供するときにはクライアント側の瑕疵を未然予測したうえで提供する義務(提供物責任)があり、
‐所要の労働力や経費と心理的努力・依頼者利益の確保
などが含まれているのである。
こういったこと考える意思も能力もなく、「利用するかどうかは、クライアントの自己責任」だとして、危険なものまでをも、聴き心地の良い話に編集して提供するといった姿勢は、コンサルティング業の職業倫理に反するものなのである。世間話や詐欺話との差異は、ここにある。
よって、漠然と情報?と考えるのではなく、Intelligence、Know-How、Informationのいずれが必要なのかをよく考えて、相手方がその提供元かを見極め、提供を求めて行くことが必要なのだ。外注業者やアウトソーシング業は、IntelligenceやKnow-Howの提供元ではないのである。とりわけ、IntelligenceやKnow-Howは、提供する側の裁量でもって供給してもらわない限り、入手出来ないものであるから、提供してくれることが当然の如くの姿勢では供給してもらえないのである。例えば、学校の教師に対して、「雇っているのだから教えろ!」といった姿勢では、理解できるように教えてもらえない場合と同様である。
IntelligenceやKnow-Howを入手する場合、労働者や外注業者扱いの姿勢では、企業を育てる本物のコンサルタント業者からは、相手にもしてもらえない。
‐「契約の意思もないのに、面談を求める」(社員の採用や業者の選抜程度の需要)とか、
‐「杓子定規に報酬支払いは、翌翌月以降に延ばす」(日頃から、Salary、Wage、Feeといった区別分析力が無い)とか、
‐「報酬から支払い手数料を減額する」(通常、商品代金の内訳重要さを理解出来ない)
といった行為はチェックされており、コンサルティング業者から、貴方は下心を見透かされ、
仮に契約に至ったとしても、赤子の手をひねるように貴方は利用されるだけなのである。
「オレは!大丈夫」
と思う貴方は、サラ金の多重債務者の「今度こそは大丈夫!」といった心理と同様、なので、悪徳コンサルタント業者のターゲットにされるのである。「社員扱い」なら、言われる通りするだけで企画を立てなくても売り上げ計上。「杓子定規」であれば、いくらでも話をごまかす。内訳が理解出来ないなら、Blackboxに引きずり込める。といった具合だ。
この話は、執筆者のこの私がコンサルタントであるから、提供できるIntelligenceなのだ。
<企業機密の漏洩の実状>
「Winny」をはじめとした、ファイル共有ソフトとかファイル交換ソフトの利用がますます流行している。
ファイル共有ソフトには「WinMX」「Gnutella」「Kazaa」「Share」など数多くの物があり、いつでもネット上で無料ダウンロードできる。「Winny」でダウンロードしたファイルに隠れているウイルス(代表的なものはAntinnyアンティニー)がパソコンに感染して情報が流出した事案がマスコミで有名になった。確かに、変わったウイルスでは、個人のパソコンのデスクトップ画面が定期的に2chに投稿されるものもある。
ところが、
「Winny」といってもウイルスに感染しさえしなければ大丈夫と過信して、情報流出を起こしてしまい、ウイルス感染もしていないのに、ウイルスの仕業にしてしまっているケースもなきにしもあらずだ。USBをつないだままネットを行ったために、情報が流れてしまったケースもある。
そして、
ファイル共有ソフトなどは、あまりにも便利なために流行の域を出て、グローバル社会における重要な情報伝達手段となりつつある。たとえば、耐震偽装マンションの問題の際に、Eホームズの藤田社長は、マスコミ関係者の受け狙い的な報道に対抗して、 「YouTube」 で自らの見解を発表するという手段をとった。この 「YouTube」 は動画系のファイル共通ネットなのだ。
だから、新聞記者は文学部出身ばかりとその専門性を不安視される事態であることから、今後は、不十分なマスコミに変わって、それらは情報を得るため&情報発信するための重要な手段となるかもしれないのだ。そんなこともあって、「Winny」などの利用者も増え続けているようだ。
情報漏洩事件の主要な原因と対策は次の通り。
ただ、多くの大手マスコミ論調は、ファイル共有ソフトに関する実態・事実の報道を避けている、というよりも、「口止め」させられているのかもしれない。
第1に、
情報漏洩は、「洩れること」が罪となった社会・経済の背景があるから、漏洩側の責任が問われる。情報を洩らした側は著作権侵害の違法行為を働いていたのであるから、これを被害者としてマスコミが報道しているのは本末転倒な話である。この違法行為を事実上後押しし続けて漏洩を起こした場合に、事業主の損害賠償も当然の義務となる。それでは、事業所内で違法行為を実行した従業員に対して、損害賠償の求償程度の(情報漏洩保険契約の場合、その求償権も損保会社が譲渡を条件とする)罪しか問えないことになるので、情報漏洩防止の具体的手立てが重要となるのだ。
第2に、
現代社会共同体の私的所有原則からすれば、機密にしろ個人情報にしろ、個別企業が従業員に取り扱わせる場合には、個別企業がそのすべての責任を負う必要がある。それは、「どれが機密情報で、どれが個人情報であるか」を定義することから始まる。漏洩の可能性を知れば施設や機器の対策をとることが当たり前のこととなり、従業員が自宅に持ち帰っての情報漏洩であれば、その責任は唯一事業主にある。その従業員が故意または重過失にて情報漏洩対策に従わなかったのでない限り、「あの従業員が悪いのだ」という弁解も通用しない。そもそも情報漏洩対策自体を実施していない個別企業が多いものだから、事業主にすべてが被さってくることとなる。ホリエモンのライブドアのように、自前のパソコンを社業に使わせておれば、情報漏洩は全面的にホリエモンの責任となる。自宅パソコンに持ち帰ってのサービス残業を黙認していたのだから、情報漏洩の損害賠償は事業主がとるしか仕方がない。「洩れること」が罪なのだから、「守秘誓約書」(機密と個人情報を併せたもので、総務部HPの無料ダウンロード版程度で初めて有効)を提出させていないのであれば、漏洩は当たり前、賠償当たり前との社会通念となっているのだ。
第3に、
大々的に報道された事件は、民事法の通用しない公務員(公法が適用)の情報漏れの場合であった。警察官、教師による情報漏れが頻発した背景には、公務を自前のパソコンで行わせていた行政方針に問題があったのだ。送検の供述調書を作成するパソコンまで自分で買わされていた捜査員の刑事さんには同情するとしても、組織的にそれを指示していた官僚が存在しており、このことをマスコミは恐くて書けないのだろう。民間企業と比べて、行政政策として十分な漏洩防止対策がとられているとは思えないような現状では、行政機関に機密や個人情報を近づけないことが、企業防衛の第一歩となる。巷では社会保険事務所に被保険者データをフロッピーで渡すような事務担当者も存在するが、果たして事業経営のことを考えて、データを提供しているのであろうか?
第4に、
ファイル共有ソフトの発見対策は、「Winny」検出削除ツールだけでは「Winny」一種類だけの対策となるので、各種の共通ファイルソフトが存在する状況では、それだけでは無駄と抜け道が多い。視点を変えてみて、「Winny」などの愛好者は、ほぼ動画愛好者に発展するとの実態分析からすれば、その方法ではなく、パソコン内の動画ファイルや動画系ソフトの有無の発見に努め、著作権対策の大網から見通しを立てて行く作戦の方が実務・効率的なのである。いっそのこと、外部の「ファイル共有ソフト愛好者」にチェックしてもらうのも効果的だ。
ただし、個人所有のパソコンは、事業主に所有権や占有権がないので、会社は「他人のパソコンの中身のぞく」ことは出来ないということになる。
第5に、
前向きの漏洩対策として、インターネットカフェなどで、所定労働時間内にファイル共有ソフトに触れる業務をさせるのも、結果的には極めて有効である。この場合は著作権にだけ注意すればよく、最近では「著作権放棄」のファイルも多数出回るようになってきたから、効率的情報収集が可能となる。パソコンに慣れていない者がファイル共有ソフトを使い、操作時間の無駄と、過信による情報漏洩を起こしてしまっては、事業経営としてはたまったものではない。経営の効率化の視点からは、こんな角度からの対策もある。paper‐baseでは記憶出来得ないほどの大量インテリジェンスやインフォメーションを扱わせる業務にこそ初めて便利活用できるパソコン操作との性格を見据えた場合に、そのような担当者にはパソコン用音声入力装置(1個6000円程度・マイク付きで十分)を買い与えて、「他人の著作を盗むよりも自分で喋って入力」させるようにする癖をつけることも現実的な方法(高付加価値作業)ではないだろうか。
中国大陸発の品物を筆頭に、
ビジネス系の海賊版ソフトやデータベースの海外経由物に手を出せば、相手方の国家や競争相手の企業に、注文者の住所が記録され、注文者の興味関心有りとの履歴が、確実に蓄積される。経済戦争の実態はここまで来ている。中国は何千年来の記録の名人。企業の電子メールはもちろんのこと、個人メールアドレスだとしても、安心と思っていると、それは素人の浅知恵でしかない。まして、貴方が既に、どのような事業に携わり、過去にもどのような実績をもっているかが、マークされておれば、貴方の情報は自動蓄積されるのだ。工場の生産能力・出荷台数、発売日、これらの情報こそが欲しがられているのだ。大手企業や研究者でなくとも、ある程度の教養をインターネットのみならず、電子電波系で発信しておれば、エシュロン(アングロサクソン・トライアングルの盗聴機関)に内容が傍受されていることは有名な話。それなりの事業展開の元となる研究者や企画担当者のもとに、知人や取引先を装って「人」が寄って来るのは必然のことなのである。トムクルーズのミッションインポッシブルはアメリカのCIA(central intelligence agency)を、007はイギリスのMI6(military intelligence division 6 )を想定しているが、いずれもが経済取引がらみのテーマなのである。
職業安定所の雇用保険
で取り扱う、フリガナと生年月日は個人動向調査の重要なデータベース。警察の逮捕令状執行の際には利用されている。そこで一言、人事労務系職域団体である、全国社会保険労務士会連合会での個々の社会保険労務士のデータ管理も、「情報管理規定を定めた」だけで、施設、機器並びにネットワーク環境等については無防備状態(昨年4月の対策の問い合わせに対して何ら返事が現在までないとのこと)のようだ。これでは、社会保険労務士に人事データや保険の手続、給与計算業務などを依頼するのに、不安が残って仕方がないのである。だから、大量の手続を取扱う事務所ほど、インターネットや電子申請を拒絶しているとの観測もあるくらいだ。弊社においても、個人情報などは外部との通信が未接続の機器のみを使用し、自宅へのデータ持出持帰リ厳禁、まして危険な電子申請に手をつける予定もさせていない。
データ守秘の重要さは、盗聴や漏洩の実態を理解することからはじまり、慣れているからといって過信したところに、情報漏れが起こっているようだ。古今東西、情報漏洩防止(手紙やpaperの時代の対策、IT時代の対策)に関心のない取引先とは、契約を打ち切る!のが、一般的な商習慣である。
<タレントの菊川怜を起用し>
社会保険労務士会がラジオCMで、全国一斉に20秒のスポットを流す。2月は1日1回、3月になれば1日4回を月曜日から金曜日の午後に流すことになっている。そのナレーションは、
「こんにちは。菊川怜です。リストラ、労働条件、セクハラなど職場でのお悩みは、社会保険労務士にご相談ください。貴方の身近に、頼れる存在。社会保険労務士で検索してね」
を2月から3月の中旬まで。その後3月30日までは、
「こんにちは。菊川怜です。4月から特定社会保険労務士制度がスタートします。これからも職場でのお悩みは、社会保険労務士にご相談ください。貴方の身近に、頼れる存在。社会保険労務士で検索してね」
といった内容だ。このラジオを聞くのは、ほとんどが労働者であり、これを聞いた場合の社会保険労務士に対するイメージは、自明の理である。今まで多くの人たちが、社会保険労務士に対しては、「経営者の側」との印象を持っていたのだが、そのイメージを転換するようなCMになりそうだ。
ところで、当の社会保険労務士の一般では、自らを労働者の側と自覚して仕事をしている人たちが極めて少ないのだ。社会保険労務士の業務範囲だけで生計を立てている人は、5%も居ないかも知れないと言われており、そのほとんどが事業主からの報酬に頼る人たちである。そのような状況では、このラジオCMに対し、多くの社会保険労務士は賛同を寄せることなどありえない。一般の社会保険労務士には、ラジオCM開始の10日ほど前に告知されるなど電撃的な会員通知であった。菊川怜との契約は2月1日から4月30日までだが、3月には週刊文春や週刊新潮への1ページカラー広告、全国的に投入するリーフレット35万部やクリアファイル40万部も社会保険労務士会としてはダントツの数量なのだ。このような菊川怜のラジオCMに踏み切った事情は、さまざま説明が行われるかもしれないが、結果的に、
「水面下の労使紛争を表面化させるための厚生労働省の政策の宣伝に、社会保険労務士を利用したのではないか!」
と指摘する意見が出ても仕方がないのである。
さて、このCM、少なからず、労務管理に不備を抱える個別企業には影響が出るかもしれない。
舞台は紛争調整委員会でのあっせん申請に持ち込まれることになるが、拒否すれば訴訟では不利となる。有能な労働者側のあっせん代理人(特定社会保険労務士)は少数であるから、会社側が有能な会社側あっせん代理人を投入すれば、さほど問題がこじれることは考えられない。あっせん代理人を熟知・手慣れた弁護士は極めて少ない。
しかしながら、物事には、「量から質への変化(量が増えれば質が変化する法則)」が存在するのであるから、それが厚生労働省の狙いかもしれない。
2007/01/09
第57号
white-collar exemption?が、年明け早々の話題となって現れました。新年あけましておめでとうございます。今年も総務人事・経営労務のインテリジェンスをお届けします。
<労働条件の中途変更とか雇用期間の短縮>
経済背景から、今やこのことを考えずに過ごすわけにはいかず、これをめぐって諸説氾濫・収拾のつかない雰囲気が日本国中に漂っている。
・退職金規定は本人同意さえあれば払わなくても済む?との錯誤
・本人同意さえあれば来月からでも賃金カット?ができるとの錯誤
・雇用期間の途中でも解雇予告手当さえ払えば合法?との錯誤
・会社の配置転換命令がいやなら退職すべき?との錯誤
・いざとなれば、背に腹は替えられないので、少々のことができるとの錯誤
個別企業経営が貧すれば鈍するのか、鈍感だから貧乏経営なのか、何れにしても愚かな話である。
それとも、大手企業の利益の源泉が人件費カットにあるので、この期に及んで、今さらそれを真似でもしようとでも言うのだろうか?
現実には、過去一時期流行したことのある、
・リストラでの退職強要や配転強要
・整理解雇四要件の要素化(要素は欠けても可、要件は一つでも欠ければ不可)
・変更解約告知(労働条件低下に同意しなければ解雇をするとの告知)
などは今や通じる代物ではない。そのような「甘い学説」では、会社側は敗訴と損害賠償+遅延損害金6%を覚悟しなければならない。それをいまだに、「やってみなければ判らない!」などと、労務担当弁護士を引き受ける輩も目立つが、この輩、立場が悪くなれば、紛争現場から逃げるのは常なのである。仮に、会社側が裁判などに引っ張り出されることがなかったとしても、高付加価値作業が至上命令とされる現代、職場の労働意欲低下による能率低下を招いてしまって、本業に差し障るケースが続出しているのだ。
とりわけ労働集約型事業となれば、不渡り手形をつかまされる事がないので気づくのが遅れがちで、最終は代表取締役の個人債務に圧し掛かる。それというのも、労働意欲の低下や事件の賠償による費用の出費は知らず知らずのうちに累積し、資金借り入れ金となってジワジワと個人保障をさせられるという風に…。解雇事件のトラブルとなれば、パートは100万円、正社員は400万円が経常利益から消えて行く勘定となる。
ホリエモンのライブドアでは、「年俸800万円で採用、2〜3ヵ月後には因縁?をつけて400万円程度に年収変更。パソコンも自前で用意せよ!」といった話は、余りにも有名である。ホリエモンの口癖は、「いやならやめろ!募集すれば次が来る!」と言っていたとのことだが、挙げ句の果て、誰もホリエモンに味方する人物はいなくなったのである。
white-collar exemptionの議論
が、にわかに急上昇して来たのは、ここでの労働者がもっている将来不安が焦点となってきたことのみならず、良識ある経営者が、その合理性や経済性を無視したカラクリに気がついたと見るのが妥当である。なので、これをいち早く政権の危機?と察知した政治家は、1月4日white-collar exemptionの慎重論?を口にしたのである。
本来の手順方法からすれば、労働条件変更とか雇用期間短縮は、
その1-
私的自治や私的所有の原則(これらは現代社会共同体の基本原則の一部)によって、就業規則などの改定作業から始められなければならないものであり(就業規則法理)、
その2-
就業規則が変更されたなら、何でもが可能となるのではなく、底流には労働者との自由な意思の合致(契約法理)を必要としているのである。
このような手順方法を無視して、「当事者同士で納得さえすれば、一旦納得させさえすれば、有効になる」と思っている素人の錯誤だから、いざ反撃をされれば、そんな会社側の主張はひとたまりもないのである。
要するに、
・契約不履行にはならないか?の検討
・相手に迷惑をかけて賠償の必要が出る不法行為となるか?の検討
を合わせて行ない、仮に訴訟を提起された場合の、訴訟物の積算見積もりをしてみなければならないとのことである。
1980年代から、主要先進国においては、「何れが正義か、公正か?」の発想よりも、余りにも「正義や公正」の中身が立場や状況によって転変する現実を踏まえて、物事の「変更手続を重視」する固定概念が定着して来たのだが、この正義・公正の転変(社会に対する不信感要素でもある)の部分を学習・認識せずに、表面現象の「変更手続」のみに走るものだから、素人の無知・錯誤となってしまうのである。その道のビジネス書を読めば、周囲からは一見物知りのように評価されるのだが、実のところは、「中身は空っぽ、口先だけ」と、真の実行力はないとされる由縁である。何処の誰もが言ってもいないのに、素人の錯誤を振りかざし素人ながらに意地を張るものだから、こじれた事件となっても、損害賠償などの後始末をしなければならなくなるのは、ひとえに会社側なのである。中間管理職の発言であっても責任をとらなければならないのは会社である。
いわゆる、「法律の条文文言さえ守っておれば、問題ない」とするのは、(これは団塊の世代に多い考え方で)大きな見当違いなのである。いわゆる法律というものは、表面的な文言の奥にある「趣旨や制度の概念」を指すものといったように理解しておれば、分かりやすいのであって、この趣旨や制度の概念に反すれば「当座は切りぬけた!」と思っても、明日には通用しないことになり、裁判に負けてしまう。そこで、「裁判になりさえしなければ、やり得」と考える人もいるが、これも浅墓で、「条文文言さえ守っておけば…」との表面的姿勢が、相手方労働者や味方をしてくれそうな関係者からの猛反発を受ける主要な原因となることも忘れてはならない。その表面的姿勢から労働者に怨念を抱かれて、自己中心主義者だ!と決めつけられた事件となり、相手方はありとあらゆる法律と理由・非難をかき集めるのである。ここに、あっせん作業とか和解作業などが、まずこの怨念を解くことから始められる由縁である。法律、理由・非難の論戦では解決糸口を探ることすら難しく、当事者の意向をよそに、会社対労働者の対決(訴訟とか労組闘争)をせざるを得なくなるのである。
実は、「法律の条文文言を守ってさえおれば…」との考え方が通用した背景には、労働者の納得を得るための前提条件があった。そこには、「モノの道理(合理性)と利益(経済性)」が前提として横たわっていた。そのような社会・経済の時代であったのだ。それが当事者間で十分説明され、意思が合致していたから、納得され、表向きは「文言を守った形」となったのである。個別企業において、このことは就業規則や業務命令通達でも然りであった。そう、団塊の世代の人達が華々しかった時代の発想にほかならないのだ。この合理性と経済性を無視して、条文文言を理屈に使っても、納得されることがないのは自明の理である。
労使当事者各々の合理性・経済性及び関係法律の合法性が保たれれば、それは確かに有効に機能するのだが、これらが保てる社会・経済の時代背景があるかどうかを判断出来ない素人が、新方式とかニュービジネスとかの名称を使い発案するものだから、これまた素人が錯誤してしまい、会社側の後始末が大変となるのである。「世の中、役に立たない物ほどよく売れる」(本田宗一郎)なのである。過去の例で例えると、「短期雇用契約の繰り返し」とか「偽装請負」導入で利益をかすめとられた経営者も少なくないのである。労働基準法18条の2が改正される直前までは、結構多くの労働基準監督官までが、「30日分さえ払えば解雇できる!」などと事業主に説明していたものだから、それを信じたがため、後から賠償金を払わされた事業主も多かったのである。
通常国会に提出されるであろう、話題の労働契約法案は、white-collar exemptionだけではない。
A.労働契約は、労働者及び使用者の対等の立場における合意に基づいて締結
B.労働契約は、信義に従い誠実に権利を行使し、義務を履行
C.生命・安全配慮義務の法制化(現在は最高裁の判例法理)
などの注目ヵ所も含まれようとしている。
ただし、この労働契約法制の話題を聴くときに注意をしなければならないのは、今述べたような注目ヵ所の背景に、
・道理にかなった(合理的)就業規則
・就業規則は周知されてこそ有効
・雇用契約の期間中解約は原則禁止
・短期契約の反復更新を排除
などの前提条件が存在しているということである。すなわち、この前提条件を無視した場合、いくら表面が合法的に見えても、あっせんや訴訟となった場合には、すべて会社側に後始末を負わされるという意味なのである。
マスコミと同じように、格差社会だ、規制緩和だ、と評論家ぶっているとか、諸説氾濫・収拾のつかない雰囲気に漂っておれば、個別企業もろとも、社会の底辺に落とされてしまうのである。
「頭の良い人だけ」が残ればよい、ニートやフリーターは「社会のクズ」と言わんばかりの行政政策であることには間違いない。
よって、総務人事担当者の役割は、きわめて重要となってくるのだ。
<労働条件の中途変更とか雇用期間の短縮>
経済背景から、今やこのことを考えずに過ごすわけにはいかず、これをめぐって諸説氾濫・収拾のつかない雰囲気が日本国中に漂っている。
・退職金規定は本人同意さえあれば払わなくても済む?との錯誤
・本人同意さえあれば来月からでも賃金カット?ができるとの錯誤
・雇用期間の途中でも解雇予告手当さえ払えば合法?との錯誤
・会社の配置転換命令がいやなら退職すべき?との錯誤
・いざとなれば、背に腹は替えられないので、少々のことができるとの錯誤
個別企業経営が貧すれば鈍するのか、鈍感だから貧乏経営なのか、何れにしても愚かな話である。
それとも、大手企業の利益の源泉が人件費カットにあるので、この期に及んで、今さらそれを真似でもしようとでも言うのだろうか?
現実には、過去一時期流行したことのある、
・リストラでの退職強要や配転強要
・整理解雇四要件の要素化(要素は欠けても可、要件は一つでも欠ければ不可)
・変更解約告知(労働条件低下に同意しなければ解雇をするとの告知)
などは今や通じる代物ではない。そのような「甘い学説」では、会社側は敗訴と損害賠償+遅延損害金6%を覚悟しなければならない。それをいまだに、「やってみなければ判らない!」などと、労務担当弁護士を引き受ける輩も目立つが、この輩、立場が悪くなれば、紛争現場から逃げるのは常なのである。仮に、会社側が裁判などに引っ張り出されることがなかったとしても、高付加価値作業が至上命令とされる現代、職場の労働意欲低下による能率低下を招いてしまって、本業に差し障るケースが続出しているのだ。
とりわけ労働集約型事業となれば、不渡り手形をつかまされる事がないので気づくのが遅れがちで、最終は代表取締役の個人債務に圧し掛かる。それというのも、労働意欲の低下や事件の賠償による費用の出費は知らず知らずのうちに累積し、資金借り入れ金となってジワジワと個人保障をさせられるという風に…。解雇事件のトラブルとなれば、パートは100万円、正社員は400万円が経常利益から消えて行く勘定となる。
ホリエモンのライブドアでは、「年俸800万円で採用、2〜3ヵ月後には因縁?をつけて400万円程度に年収変更。パソコンも自前で用意せよ!」といった話は、余りにも有名である。ホリエモンの口癖は、「いやならやめろ!募集すれば次が来る!」と言っていたとのことだが、挙げ句の果て、誰もホリエモンに味方する人物はいなくなったのである。
white-collar exemptionの議論
が、にわかに急上昇して来たのは、ここでの労働者がもっている将来不安が焦点となってきたことのみならず、良識ある経営者が、その合理性や経済性を無視したカラクリに気がついたと見るのが妥当である。なので、これをいち早く政権の危機?と察知した政治家は、1月4日white-collar exemptionの慎重論?を口にしたのである。
本来の手順方法からすれば、労働条件変更とか雇用期間短縮は、
その1-
私的自治や私的所有の原則(これらは現代社会共同体の基本原則の一部)によって、就業規則などの改定作業から始められなければならないものであり(就業規則法理)、
その2-
就業規則が変更されたなら、何でもが可能となるのではなく、底流には労働者との自由な意思の合致(契約法理)を必要としているのである。
このような手順方法を無視して、「当事者同士で納得さえすれば、一旦納得させさえすれば、有効になる」と思っている素人の錯誤だから、いざ反撃をされれば、そんな会社側の主張はひとたまりもないのである。
要するに、
・契約不履行にはならないか?の検討
・相手に迷惑をかけて賠償の必要が出る不法行為となるか?の検討
を合わせて行ない、仮に訴訟を提起された場合の、訴訟物の積算見積もりをしてみなければならないとのことである。
1980年代から、主要先進国においては、「何れが正義か、公正か?」の発想よりも、余りにも「正義や公正」の中身が立場や状況によって転変する現実を踏まえて、物事の「変更手続を重視」する固定概念が定着して来たのだが、この正義・公正の転変(社会に対する不信感要素でもある)の部分を学習・認識せずに、表面現象の「変更手続」のみに走るものだから、素人の無知・錯誤となってしまうのである。その道のビジネス書を読めば、周囲からは一見物知りのように評価されるのだが、実のところは、「中身は空っぽ、口先だけ」と、真の実行力はないとされる由縁である。何処の誰もが言ってもいないのに、素人の錯誤を振りかざし素人ながらに意地を張るものだから、こじれた事件となっても、損害賠償などの後始末をしなければならなくなるのは、ひとえに会社側なのである。中間管理職の発言であっても責任をとらなければならないのは会社である。
いわゆる、「法律の条文文言さえ守っておれば、問題ない」とするのは、(これは団塊の世代に多い考え方で)大きな見当違いなのである。いわゆる法律というものは、表面的な文言の奥にある「趣旨や制度の概念」を指すものといったように理解しておれば、分かりやすいのであって、この趣旨や制度の概念に反すれば「当座は切りぬけた!」と思っても、明日には通用しないことになり、裁判に負けてしまう。そこで、「裁判になりさえしなければ、やり得」と考える人もいるが、これも浅墓で、「条文文言さえ守っておけば…」との表面的姿勢が、相手方労働者や味方をしてくれそうな関係者からの猛反発を受ける主要な原因となることも忘れてはならない。その表面的姿勢から労働者に怨念を抱かれて、自己中心主義者だ!と決めつけられた事件となり、相手方はありとあらゆる法律と理由・非難をかき集めるのである。ここに、あっせん作業とか和解作業などが、まずこの怨念を解くことから始められる由縁である。法律、理由・非難の論戦では解決糸口を探ることすら難しく、当事者の意向をよそに、会社対労働者の対決(訴訟とか労組闘争)をせざるを得なくなるのである。
実は、「法律の条文文言を守ってさえおれば…」との考え方が通用した背景には、労働者の納得を得るための前提条件があった。そこには、「モノの道理(合理性)と利益(経済性)」が前提として横たわっていた。そのような社会・経済の時代であったのだ。それが当事者間で十分説明され、意思が合致していたから、納得され、表向きは「文言を守った形」となったのである。個別企業において、このことは就業規則や業務命令通達でも然りであった。そう、団塊の世代の人達が華々しかった時代の発想にほかならないのだ。この合理性と経済性を無視して、条文文言を理屈に使っても、納得されることがないのは自明の理である。
労使当事者各々の合理性・経済性及び関係法律の合法性が保たれれば、それは確かに有効に機能するのだが、これらが保てる社会・経済の時代背景があるかどうかを判断出来ない素人が、新方式とかニュービジネスとかの名称を使い発案するものだから、これまた素人が錯誤してしまい、会社側の後始末が大変となるのである。「世の中、役に立たない物ほどよく売れる」(本田宗一郎)なのである。過去の例で例えると、「短期雇用契約の繰り返し」とか「偽装請負」導入で利益をかすめとられた経営者も少なくないのである。労働基準法18条の2が改正される直前までは、結構多くの労働基準監督官までが、「30日分さえ払えば解雇できる!」などと事業主に説明していたものだから、それを信じたがため、後から賠償金を払わされた事業主も多かったのである。
通常国会に提出されるであろう、話題の労働契約法案は、white-collar exemptionだけではない。
A.労働契約は、労働者及び使用者の対等の立場における合意に基づいて締結
B.労働契約は、信義に従い誠実に権利を行使し、義務を履行
C.生命・安全配慮義務の法制化(現在は最高裁の判例法理)
などの注目ヵ所も含まれようとしている。
ただし、この労働契約法制の話題を聴くときに注意をしなければならないのは、今述べたような注目ヵ所の背景に、
・道理にかなった(合理的)就業規則
・就業規則は周知されてこそ有効
・雇用契約の期間中解約は原則禁止
・短期契約の反復更新を排除
などの前提条件が存在しているということである。すなわち、この前提条件を無視した場合、いくら表面が合法的に見えても、あっせんや訴訟となった場合には、すべて会社側に後始末を負わされるという意味なのである。
マスコミと同じように、格差社会だ、規制緩和だ、と評論家ぶっているとか、諸説氾濫・収拾のつかない雰囲気に漂っておれば、個別企業もろとも、社会の底辺に落とされてしまうのである。
「頭の良い人だけ」が残ればよい、ニートやフリーターは「社会のクズ」と言わんばかりの行政政策であることには間違いない。
よって、総務人事担当者の役割は、きわめて重要となってくるのだ。
2006/12/04
第56号
<セクハラの労働関係紛争>
は、平成19年4月1日から労働局の調停制度の対象となる。男女雇用機会均等法の改正によるものだが、ほとんど報道されていない事柄だ。当事者の一方からの申請で調停が開始される。平成19年3月31日までの制度では、申請の相手方当事者が同意しないことには、あっせんが開始されることはない。一方の当事者が同意・出席しなくとも調停案が作成され受諾を勧告されることになる。いずれかが受諾を拒否した場合には調停を打ち切ることになる。ただし、その後に訴訟が提起された場合、調停案受諾拒否はかなりの影響を受けることは間違いない。
セクハラに対する社会の目が厳しくなるとともに、男女ともに就業環境整備や労働能力育成の障害を排除することが社会の要請となってきたことで、あっせん制度から調停制度へと移行されたものと思われる。また、裁判制度では迅速・現実的な解決に時間を要することから、都道府県労働局雇用均等室が受け付け、紛争調整委員会で調停をすることとなっている。今回の改正では、虚偽の報告を行った場合などで過料(20万円以下)も創設された。話のついでだが、来年の通常国会でパートタイム労働法を改正し、パートの紛争解決にも調停制度や過料の行政罰を導入しようとの動きも出てきている。
<パートの厚生年金案>
が突然降って湧いて飛び出して来た。流通業界とか中小企業、その他パートを抱える業界経済団体などから反発の声が出されたが、政府が経済政策の上で期待している個別企業たちは、その時代やその時の制度に合わせて七変化する能力を養っていることも事実なのだ。
例を挙げれば、バブル経済の人手不足の時代に、主婦を中心としたパートの活用事例が開発された。典型的なものは、10時から16時までの時間にパートを集めようとしても人手不足、片や設備投資を行ったために操業時間増加に迫られた工場において、4時間パート三交替で12時間操業を実現した事例があった。朝夕のパートは時間単価を引き上げ応募者に魅力を持たせ、かつ主婦の年収で扶養範囲内を確保した。人間は1日4時間以上働くと能力が落ちると言い切る外食チェーン企業も存在したくらいで、この事例の工場は生産性と収益性が一挙に跳ね上がった。
パートの時間単価は、年間130万円問題に左右される。すなわち年間52週×週5日×1日6時間という計算から大きくはみ出すことのない範囲で、賃金相場が決まるという背景も追い風にしたのだ。現象面で有名となっているパートタイマーの管理職制度も活用事例のひとつだ。弁当やサンドウィッチ製造の女性深夜労働解禁も然り、それは当時の中高年女性の社会進出でもあったのだ。
今回のパートの厚生年金政府案だとすれば、1日4時間×5日の1週間平均20時間未満は厚生年金対象外となるから、「高付加価値製品や高水準サービスの商品」の提供を裏付ける能力の高い労働力等を促進・育成する個別企業も増加することだろう。高付加価値産業育成には賢明な政策ではあるが、ただしそれを政策目的とした痕跡は政府案にはない。それどころか、時間単価の安いパート人件費から合計1万円前後の保険料負担などが生じるとなれば、それだけでは正直者が馬鹿をみるだけのことである。1年未満の短期雇用は除外となれば、シーズンごとの生産調整や9ヵ月単位の雇用を回転させる事業所もあるかも知れない。
今から約20年前、関西のある超大手飲食系食品メーカーは6ヵ月雇用と、その合間に雇用保険失業給付90日の受給をセットにしたパート採用の繰り返しを組織的に行っていた事案があった。これに対し、安定所は求人募集などを盾に圧力をかけて表沙汰になることを抑え込んだのだが、果たして現在は、そのようなことを抑え込める自信があるのだろうか?
ところで、厚生年金保険も労働基準も共に、法律の上では特定された事業所で1日何時間働いたか?を念頭においているわけではない。すなわち、当該労働者が1暦日において何時間働いたか?当該労働者が何日出勤したか?となっているのだ。午前中はA事業所+午後はB事業所とであれば、1日の労働時間や出勤日数は通算されるのである。個別事業所がA+Bで働いていることを知らなかったとしても紛議となれば、契約不履行または不法行為で何らかの損害を賠償しなければならないのは必至である。そのような事件がそのうち発生するのは間違いない。
年金支給額の削減+低賃金労働者の厚生年金から排除+株価の上昇=厚生年金収支黒字化と、社会保険庁の「努力?」が実を結んだと思った矢先に、目先に走った政府の年金案?。これはジレンマではなく、国家の年金制度を必要とする社会政策理念、年金制度成立の前提条件、年金制度維持の基本要件、ある程度の年金制度経緯の知識などを語れる専門家を、旧厚生省や政府が排斥して来た結果でもあるのだ。
ところで、総務人事部門が企業での対応策を考えるにあたり、「悪法も法なり」として「遵守が脱法か」の両極端な想定しか出来ない混迷は、コンプライアンス理念とは無縁な発想であるので、念のため。社会保険料などのコスト減として称して、偽装請負業者の口車にのってしまうのも、知恵と工夫と将来性のない話なのだ。
一方、着々と実施に向かって、2008年10月に全国単位の公法人「全国健康保険協会」を設立する準備が進められている。14日には全国健康保険協会設立に向けた初会合も行われた。その後は同協会の支部が都道府県単位で新しい健康保険を運営することになるのだ。現在、政管健保は約3,600万人加入の最大健康保険組織(健保組合に相当)で社会保険庁が財政運営をしている。法改正実施によって、現行は全国一律の保険料率(8.2%の労使折半)は、都道府県ごとに地域の医療費を反映した保険料率といった具合に変更される。厚生労働省が2003年度の医療給付費等実績をもとに各都道府県ごとに保険料率を試算したところ、最高保険料率は北海道の8.7%、最低保険料率は長野県の7.6%とのことだ。
<労働審判制度>
なるものは、厚生労働省があっせん制度などを整備するなかで、司法関係者があわてて個別労働関係紛争解決の司法システムを2006年4月1日からスタートさせたといっても過言ではない。ところが、早くも立法趣旨とは裏腹に形骸化が始まっているようだ。労働審判の「調停手続き」において、従来からの裁判所の和解?を押しつける姿勢を引き継いでしまったようだ。
審判員は労働委員会などの斡旋委員とは異なり、労使の委員はそれぞれの当事者の味方をしてはいけないことになっている。裁判機能であるから、労使何れであっても中立公正を維持しなければならないとの制度設計。ところが、この制度に悪ノリをして適当に迅速に進行させようとするものだから、3回の審判日の日程のうち2回目で、無理矢理「調停成立」を図ろうとする審判の傾向が色濃く出ている。
どういうことかというと、例えば、使用者出身の審判員は会社側に対して、「なんという違法状態だ。なんという経営姿勢なのか!」などと詰めより厳しく迫る。例えば、労組出身の審判員も労働者に対して、「調停をまとめるならこの程度。君にも非があるんじゃないの!」といった具合があるようだ。
労働審判制度に至るまでには、労働裁判所構想、労働参審制、訴訟手続き見直しなどの議論の経緯が存在した上でのことであるから、決して、「労働審判の制度が始まったばかりで理想通りにいかない」との見解も通用するものではない。最も重要なことは、現実に紛争当事者がこのように受け取っているとのインテリジェンスが次々と聞こえてくること自体が問題であり、制度的問題があるのは間違いないと見て差し支えないのだ。従って、当事者が審判代理人(弁護士などの職業専門家)を立てて審判申し立てを行ったとしても、対決的感情の発生や対決的解決とならざるを得ないのだ。
また少なからず、このように無理矢理合意を急ぐあまりの「調停姿勢」であるから、「調停合意の調書」が作成されたとしても、会社としては労働者を職場復帰させるのは難しい。労働者も職場に戻りにくい状態に陥るケースが多いようである。いくら「調停」と言っても、「いわゆる取引」がそこに持ち込まれれば、人事労務管理を踏まえた上での、「前向き解決」は難しくなるのである。だからこそ、厚生労働省は紛争調整委員会のあっせん制度を平成13年に設置して、このような労働分野の裁判制度の形骸を改善するひとつの制度として個別紛解法のあっせん制度を設けたのである。そもそも、司法関係者の多くは、実態の後追いが目立ち、労働紛争現場から遊離しているのではないかとも感じざるを得ないのである。ところで、私が厚生労働省の肩を持つと思われたとしても、私は厚生労働省の回し者ではないので、念の為。
<「労働契約法」>
は壮大な新時代に見合った社会制度として、厚生労働省が来年の通常国会に向けて、個別的労働関係ないし労働契約に関する主要な問題点(いわゆる判例法理)を整備しようとしている。要するに、当事者の合意に基づく労働契約の成立基準・ルールを設定し、当事者の自己決定と契約履行を促し、それでも対決に至った場合には司法救済を控えさせるという制度的流れではあるが、この中途に、紛争調整委員会のあっせん制度などを設置して紛争の解決をしようとする、一連の枠組み作りなのだ。とりわけ、労働者の流動が激しく、加えてそのための中間管理職を配置することが難しい経営組織にとっては、紛争解決システムとして非常に活用しやすい。経営者の後継者問題に絡む人事紛議に対しても大いに効果を発揮している。これらの法整備と制度設計は、一層のグローバル経済・社会を控えて、社会秩序を安定させる紛争解決制度としての壮大な計画でもあるのだ。国際比較においても、諸外国でも例を見ない立法制度となることも間違いない。
ところで、日本の人事労務管理方式や労働条件決定システムは、世界の先進諸国が導入したいと願っているくらいに、一流なのだ。それは話が逆さまで、「世界の先進国の制度を日本に導入しよう?」ではないのかと認識されている方が居られるのかもしれないが、そうではない。日本の社会制度などは、確かに多くの先進国の中で下位だったり先進国の埒外だったりするが、人事労務管理については、世界では超一流なのである。この現状において、「自律的労働時間制度」の論議の持つ意味とは、white-collar exemption(ホワイトカラー時間外賃金支払免除・2004年6月施行)の実例とされるアメリカでは時間外割増賃金が150%をはじめとして他にも日本とは著しく制度が大きく異なる国の事例である。議論となっている年収基準は、400万円基準は早くから認められず、情報によると700万円基準、1075万円基準が浮かび上がっているのである。ちなみに日本の平均給与は、1997年が467万円、2005年が437万円、この数値(内実を含む)との整合性が、今や労働分野の研究者・学者の間で取りざたされているのである。また、「金銭解決制度」を導入しているのはドイツだけ、その適用事例もほんのわずかとのこと、もちろんドイツの労働制度は「賃金決定権を産別労組がもっており企業にはない」など、日本とは極端に異なる社会制度なのだ。
は、平成19年4月1日から労働局の調停制度の対象となる。男女雇用機会均等法の改正によるものだが、ほとんど報道されていない事柄だ。当事者の一方からの申請で調停が開始される。平成19年3月31日までの制度では、申請の相手方当事者が同意しないことには、あっせんが開始されることはない。一方の当事者が同意・出席しなくとも調停案が作成され受諾を勧告されることになる。いずれかが受諾を拒否した場合には調停を打ち切ることになる。ただし、その後に訴訟が提起された場合、調停案受諾拒否はかなりの影響を受けることは間違いない。
セクハラに対する社会の目が厳しくなるとともに、男女ともに就業環境整備や労働能力育成の障害を排除することが社会の要請となってきたことで、あっせん制度から調停制度へと移行されたものと思われる。また、裁判制度では迅速・現実的な解決に時間を要することから、都道府県労働局雇用均等室が受け付け、紛争調整委員会で調停をすることとなっている。今回の改正では、虚偽の報告を行った場合などで過料(20万円以下)も創設された。話のついでだが、来年の通常国会でパートタイム労働法を改正し、パートの紛争解決にも調停制度や過料の行政罰を導入しようとの動きも出てきている。
<パートの厚生年金案>
が突然降って湧いて飛び出して来た。流通業界とか中小企業、その他パートを抱える業界経済団体などから反発の声が出されたが、政府が経済政策の上で期待している個別企業たちは、その時代やその時の制度に合わせて七変化する能力を養っていることも事実なのだ。
例を挙げれば、バブル経済の人手不足の時代に、主婦を中心としたパートの活用事例が開発された。典型的なものは、10時から16時までの時間にパートを集めようとしても人手不足、片や設備投資を行ったために操業時間増加に迫られた工場において、4時間パート三交替で12時間操業を実現した事例があった。朝夕のパートは時間単価を引き上げ応募者に魅力を持たせ、かつ主婦の年収で扶養範囲内を確保した。人間は1日4時間以上働くと能力が落ちると言い切る外食チェーン企業も存在したくらいで、この事例の工場は生産性と収益性が一挙に跳ね上がった。
パートの時間単価は、年間130万円問題に左右される。すなわち年間52週×週5日×1日6時間という計算から大きくはみ出すことのない範囲で、賃金相場が決まるという背景も追い風にしたのだ。現象面で有名となっているパートタイマーの管理職制度も活用事例のひとつだ。弁当やサンドウィッチ製造の女性深夜労働解禁も然り、それは当時の中高年女性の社会進出でもあったのだ。
今回のパートの厚生年金政府案だとすれば、1日4時間×5日の1週間平均20時間未満は厚生年金対象外となるから、「高付加価値製品や高水準サービスの商品」の提供を裏付ける能力の高い労働力等を促進・育成する個別企業も増加することだろう。高付加価値産業育成には賢明な政策ではあるが、ただしそれを政策目的とした痕跡は政府案にはない。それどころか、時間単価の安いパート人件費から合計1万円前後の保険料負担などが生じるとなれば、それだけでは正直者が馬鹿をみるだけのことである。1年未満の短期雇用は除外となれば、シーズンごとの生産調整や9ヵ月単位の雇用を回転させる事業所もあるかも知れない。
今から約20年前、関西のある超大手飲食系食品メーカーは6ヵ月雇用と、その合間に雇用保険失業給付90日の受給をセットにしたパート採用の繰り返しを組織的に行っていた事案があった。これに対し、安定所は求人募集などを盾に圧力をかけて表沙汰になることを抑え込んだのだが、果たして現在は、そのようなことを抑え込める自信があるのだろうか?
ところで、厚生年金保険も労働基準も共に、法律の上では特定された事業所で1日何時間働いたか?を念頭においているわけではない。すなわち、当該労働者が1暦日において何時間働いたか?当該労働者が何日出勤したか?となっているのだ。午前中はA事業所+午後はB事業所とであれば、1日の労働時間や出勤日数は通算されるのである。個別事業所がA+Bで働いていることを知らなかったとしても紛議となれば、契約不履行または不法行為で何らかの損害を賠償しなければならないのは必至である。そのような事件がそのうち発生するのは間違いない。
年金支給額の削減+低賃金労働者の厚生年金から排除+株価の上昇=厚生年金収支黒字化と、社会保険庁の「努力?」が実を結んだと思った矢先に、目先に走った政府の年金案?。これはジレンマではなく、国家の年金制度を必要とする社会政策理念、年金制度成立の前提条件、年金制度維持の基本要件、ある程度の年金制度経緯の知識などを語れる専門家を、旧厚生省や政府が排斥して来た結果でもあるのだ。
ところで、総務人事部門が企業での対応策を考えるにあたり、「悪法も法なり」として「遵守が脱法か」の両極端な想定しか出来ない混迷は、コンプライアンス理念とは無縁な発想であるので、念のため。社会保険料などのコスト減として称して、偽装請負業者の口車にのってしまうのも、知恵と工夫と将来性のない話なのだ。
一方、着々と実施に向かって、2008年10月に全国単位の公法人「全国健康保険協会」を設立する準備が進められている。14日には全国健康保険協会設立に向けた初会合も行われた。その後は同協会の支部が都道府県単位で新しい健康保険を運営することになるのだ。現在、政管健保は約3,600万人加入の最大健康保険組織(健保組合に相当)で社会保険庁が財政運営をしている。法改正実施によって、現行は全国一律の保険料率(8.2%の労使折半)は、都道府県ごとに地域の医療費を反映した保険料率といった具合に変更される。厚生労働省が2003年度の医療給付費等実績をもとに各都道府県ごとに保険料率を試算したところ、最高保険料率は北海道の8.7%、最低保険料率は長野県の7.6%とのことだ。
<労働審判制度>
なるものは、厚生労働省があっせん制度などを整備するなかで、司法関係者があわてて個別労働関係紛争解決の司法システムを2006年4月1日からスタートさせたといっても過言ではない。ところが、早くも立法趣旨とは裏腹に形骸化が始まっているようだ。労働審判の「調停手続き」において、従来からの裁判所の和解?を押しつける姿勢を引き継いでしまったようだ。
審判員は労働委員会などの斡旋委員とは異なり、労使の委員はそれぞれの当事者の味方をしてはいけないことになっている。裁判機能であるから、労使何れであっても中立公正を維持しなければならないとの制度設計。ところが、この制度に悪ノリをして適当に迅速に進行させようとするものだから、3回の審判日の日程のうち2回目で、無理矢理「調停成立」を図ろうとする審判の傾向が色濃く出ている。
どういうことかというと、例えば、使用者出身の審判員は会社側に対して、「なんという違法状態だ。なんという経営姿勢なのか!」などと詰めより厳しく迫る。例えば、労組出身の審判員も労働者に対して、「調停をまとめるならこの程度。君にも非があるんじゃないの!」といった具合があるようだ。
労働審判制度に至るまでには、労働裁判所構想、労働参審制、訴訟手続き見直しなどの議論の経緯が存在した上でのことであるから、決して、「労働審判の制度が始まったばかりで理想通りにいかない」との見解も通用するものではない。最も重要なことは、現実に紛争当事者がこのように受け取っているとのインテリジェンスが次々と聞こえてくること自体が問題であり、制度的問題があるのは間違いないと見て差し支えないのだ。従って、当事者が審判代理人(弁護士などの職業専門家)を立てて審判申し立てを行ったとしても、対決的感情の発生や対決的解決とならざるを得ないのだ。
また少なからず、このように無理矢理合意を急ぐあまりの「調停姿勢」であるから、「調停合意の調書」が作成されたとしても、会社としては労働者を職場復帰させるのは難しい。労働者も職場に戻りにくい状態に陥るケースが多いようである。いくら「調停」と言っても、「いわゆる取引」がそこに持ち込まれれば、人事労務管理を踏まえた上での、「前向き解決」は難しくなるのである。だからこそ、厚生労働省は紛争調整委員会のあっせん制度を平成13年に設置して、このような労働分野の裁判制度の形骸を改善するひとつの制度として個別紛解法のあっせん制度を設けたのである。そもそも、司法関係者の多くは、実態の後追いが目立ち、労働紛争現場から遊離しているのではないかとも感じざるを得ないのである。ところで、私が厚生労働省の肩を持つと思われたとしても、私は厚生労働省の回し者ではないので、念の為。
<「労働契約法」>
は壮大な新時代に見合った社会制度として、厚生労働省が来年の通常国会に向けて、個別的労働関係ないし労働契約に関する主要な問題点(いわゆる判例法理)を整備しようとしている。要するに、当事者の合意に基づく労働契約の成立基準・ルールを設定し、当事者の自己決定と契約履行を促し、それでも対決に至った場合には司法救済を控えさせるという制度的流れではあるが、この中途に、紛争調整委員会のあっせん制度などを設置して紛争の解決をしようとする、一連の枠組み作りなのだ。とりわけ、労働者の流動が激しく、加えてそのための中間管理職を配置することが難しい経営組織にとっては、紛争解決システムとして非常に活用しやすい。経営者の後継者問題に絡む人事紛議に対しても大いに効果を発揮している。これらの法整備と制度設計は、一層のグローバル経済・社会を控えて、社会秩序を安定させる紛争解決制度としての壮大な計画でもあるのだ。国際比較においても、諸外国でも例を見ない立法制度となることも間違いない。
ところで、日本の人事労務管理方式や労働条件決定システムは、世界の先進諸国が導入したいと願っているくらいに、一流なのだ。それは話が逆さまで、「世界の先進国の制度を日本に導入しよう?」ではないのかと認識されている方が居られるのかもしれないが、そうではない。日本の社会制度などは、確かに多くの先進国の中で下位だったり先進国の埒外だったりするが、人事労務管理については、世界では超一流なのである。この現状において、「自律的労働時間制度」の論議の持つ意味とは、white-collar exemption(ホワイトカラー時間外賃金支払免除・2004年6月施行)の実例とされるアメリカでは時間外割増賃金が150%をはじめとして他にも日本とは著しく制度が大きく異なる国の事例である。議論となっている年収基準は、400万円基準は早くから認められず、情報によると700万円基準、1075万円基準が浮かび上がっているのである。ちなみに日本の平均給与は、1997年が467万円、2005年が437万円、この数値(内実を含む)との整合性が、今や労働分野の研究者・学者の間で取りざたされているのである。また、「金銭解決制度」を導入しているのはドイツだけ、その適用事例もほんのわずかとのこと、もちろんドイツの労働制度は「賃金決定権を産別労組がもっており企業にはない」など、日本とは極端に異なる社会制度なのだ。
2006/11/06
第55号
いよいよ、2007年を迎えるに当たって、いわゆる「2007年問題」にどう対応するかが、課題となってきた。
ところが、識者によって、2007年問題の見通しがバラバラであるから、どのような具体的対策をとれば良いのかの方針が策定出来ないのである。
そこで、先ず、いくつかの2007年問題に対する要因あるいは仮説を紹介してみる。
そもそも2007年問題とは、CSK社長の有賀氏が持ち出した言葉で、その当時は、
(1)団塊の世代の60歳定年によるマーケティング変化
(2)日本の人口が2007年から(ただし、2005年から)減少に向かう
(3)大学全員入学時代
(4)新築ビル完成
などのマーケティングに関するものであった。団塊世代の主力商品、スーツ、ネクタイ、雑誌、飲み屋の消費が減少するとのエピソードまで出て来た。それは無理もないことで、日本の消費経済の全てのマーケティングは団塊の世代の消費傾向、ベビーブーム、小学校入学とともに学校設備、受験とともに大学増設、「中教審答申」、団塊世代の就職、ブライダルと出産、住宅建設、団塊の第二次ベビーブーム、そして60歳定年を迎えた人たちの退職金目当てというように、社会と共に変化できたからだ。
労働市場においては、
・昭和22年から24年生まれの団塊の世代人口680万人
・そのうちの520万人が被雇用者で
・次々と定年を迎えるのは214万人
というふうに見られるのだ。見ようによっては、たいした数ではない。また、年間退職者数は130?140万人であるが、実際にはプラス10万人程度の影響ではないかと見ているシンクタンクもある。
しかしながら、当初は、2007年問題を単なる労働人口減少と見てしまい、大して技術開発もせず、大して工場の機械化をしてこなかった個別企業にとっては、顔を青ざめさせるような話と映ったようだ。だが、このような「戦前の満州進出」と同程度の人海戦術経営の発想は、経済学的な分析によって、短期間のうちに消滅して行った。日本経済が大まかながらも、高付加価値製品&高水準サービス商品の提供に進んだのも、日本の文化水準が(経済学習得者も含め)、高いからであった。
ところで、原点に返っての当事者の意識はどうなっているのだろうか。多くの経営者からすれば、団塊の世代は2007年からは定年で自然退職することになるから、退職金の財源措置さえしておけば、「待ちに待った2007年問題」であったのだ。
労働者からすれば、モーレツ社員と言われながら精神力と強気を保ってできた後の、いよいよ60歳定年であったのだ。そこに年金問題が水を差した。団塊の世代にとって年金は、「老後のための蓄えの役割」と厚生省から説明されて来たから、社会保険のある正社員にとどまり保険料が高くとも支払いを続け、そろそろリタイア設計を考え始めた時点での年金減額改正であった。
そして、企業が必要とする人材については、実のところ、とりたてて政府に継続雇用などの措置を取ってもらわなくとも、日本で定年制度を導入した昭和30年代から、必要な人材は定年後も雇っていたのだ。
次に、年金財源ひっ迫のために、政府主導で高齢者雇用継続の措置がとられた。継続雇用措置年齢が
・平成19年3月31日までは62歳
・平成22年3月31日までは63歳
・平成25年3月31日までは64歳
・そして4月以降は65歳
となっている。ただし、ほとんどの企業で、2006年4月1日から3年すなわち2009年3月31日まで(中小企業は5年、すなわち2011年)の間は、事実上の緩和措置となっている。突然降ってわいたような政策に対して、継続雇用制度で年齢延長を派手に謳っていても、運用でゼロを追求する企業も多い。継続措置をとる者は、ABCDEの五段階評価のうちABCに限るとか、直近三ヵ年の健康診断で異常が認められなかった者に限るとかで、定年退職しても年金支給開始年齢までに(雇用保険失業給付の穴埋めを考慮しても)一定期間の空白が生じる手法となっている。はたして訴訟を提起された場合、このような手法を裁判所が違法とするかもしれない危険もはらんでいるようであるが、結構、さほど研究もせずに継続措置をしている企業も多い。
何れにしろ、技能者といわれる人たちを中心に、相当多くの定年退職者が発生することは間違いなさそうだ。だが、年金受給開始までの収入見通しや、年金政策の不安から、何らかの形で働く団塊の世代は多いものとみられる。
主婦の立場であっては収入を補うためにパートに出たいと希望する人も多いであろう。
妻の年金分割権が始まるとはいえ、熟年離婚の増える見通しもない。
働く事しか知らない世代であるから、メンタルヘルスの必要性からも、働き続けるしか生きがいを見いだせないのではないかとの観測もある。
団塊状態であっても、
何れの方向性にしろ組織性の弱い者から退職していること、
比較的技能が低い者から退職して行くこと、
とは言っても保有能力には企業間格差が見られるのである。
最も大きく重要な変化は、
団塊の世代における非正規雇用への切り替えを引き金に、一挙に非正規雇用がどの世代にも浸透して、日本の雇用形態が一転して様変わりする第一歩になることである。今年の労働白書でも、パート・アルバイト、契約社員、派遣社員などの非正規雇用が拡大傾向にあると報告している。団塊の世代の賃金原資が減少することから、「団塊の世代一人分の賃金で、二人の雇用して、人手不足解消?」との、計画を練りに練っている個別企業も現れているのである。団塊の世代を受け皿として、新たなビジネスチャンスも生じるが、社会基盤の大変化として、十分研究して、事に取り掛かる必要がある。
いわゆる「暗黙知」とか、ノウハウの属人的蓄積問題がある。
団塊の世代が退職してしまうと、このような技能発揮システムが消滅してしまうので、生産維持、技能継承が出来なくなるのではないかとの危惧である。しかしながら、「暗黙知」や「技能継承」問題は、長期的な別要因から生じているとするのが、もっぱらの分析結果である。すなわち、これらの問題を分析しなかったが故に、生産技術開発が遅れ、商品開発に生かされず、比較的には付加価値・利益率の少ない事業にしがみついていたとする研究結果なのである。したがって、このような低水準の経営管理は、日本経済のこれからの主力となる経営管理システム方式から除外されたといったところなのだ。
◇◇◇ コンプライアンスに関するインテリジェンス ◇◇◇
グローバル経済・社会への転換、社会変化に対する意識変化などで、日本の社会のあり方、個別企業運営のあり方、身近な社会共同体のあり方が、様々な混乱を引き起こしている。その現象が、勝ち負け格差構造、ニート、いじめ自殺、世界史不履修、飲酒運転といったような混乱・事件ではないかと見た方が妥当だ。これに対して、良識ある人たちは、コンプライアンスでもって新しい時代への秩序を切り開こうとしているといったところだ。だが半面、社会激変が進行する中での、高学歴エリートたちに刹那的・無気力さが蔓延し、ホリエモン、村上ファンドなどの経済犯+倫理事件のような「爆竹炸裂現象」ともなっている。エピソードをあげればキリがないくらいに、政府省庁、裁判所、個別企業、町内会自治会に至るまでが、旧来組織が形骸化・運営かじ取りの失敗を引き起こしているのが現状である。社会(社会共同体)の新しい適正なあり方への再編成が進んでいるなかで、再編成されずに淀みが生じているところに世間体が持ち込まれ、数々の倫理観欠如事件に陥ったと見ても良いのではないだろうか。加えて、生半可にコンプライアンスを、「法令遵守」とか、「法令等遵守」あるいは、「法令・倫理遵守」などのように文字通り解釈し、実務上意味不明な綺麗事で済まそうとするものだから、統治能力欠落、形骸組織優先、世間体優先、自浄作用喪失と、ますます裏目に出て混乱を招いているようだ。
そもそもの、コンプライアンスの底流基本理念とは?
大雑把な話になるが、1950年前後、第二世界大戦の教訓から「自由と民主主義」の理念に「基本的人権が不可欠」であることが確立した。1960年代のアメリカでの公民権運動やベトナム反戦運動の影響を受けて、日本でも1960年代後半から70年代にかけて「社会共同体のあるべき姿(社会合理性)」が論じられ団塊の世代以降に定着した。「公正としての正義」とか、ゲーム理論や合理的選択理論の手法による「新社会契約論」とかいわれるようなものである。1980年代に至ると、いわゆる「手続主義の法パラダイム」が取り入れられるようになり、自由平等や権利に関する手続の正当性・相当性が重要視されるようになった。このような一連の社会共同体の理念構造がコンプライアンスの底流に流れている。
ところが、これを無視して法令文言などを杓子定規に進めるものだから、形式は装う(面従腹背も含む)が、倫理的な間違いを起こしてしてしまうのである。法律家の人たちが使用するリーガルマインド(残念ながら素人には説明してくれない)は、コンプライアンスと、ほぼ同義語なのである。
とりわけアメリカでは、訴訟社会(日本と違い訴訟は弁護士を通じて行う制度)となってしまった現場から、法律を知らない状況に置かれることは少ないとして、手続を取らなかった者に法的責任を負わせるまで進んでしまっている。日本においては従来、社会合理性などの判断はもっぱら司法の独占分野とされ、少数精鋭の裁判官・検事・弁護士でもって維持(日本では一般人も訴訟ができる制度)する仕組みが戦後続けられて来たが、「手続主義の法パラダイム」とか法律の周知徹底の流れを汲んで、現在の司法改革に至っている。すなわち、一般国民を社会合理性などの判断について社会参加させるかどうかが、司法改革の重要論点であったものであり、一定程度参加の方向となったのである。行政における、経済活動分野についても然り、社会合理性の適否について一般国民に参加(公正取引委員会など)を促している。公益通報者保護法(内部告発)もそのひとつの手段だ。人事労務分野においても、就業規則の合理・合法性と周知徹底を図ることと同時に、労働契約法を制定して社会合理性と手続相当性の下支えをして、コンプライアンスを徹底させようというねらいなのである。すでに紛争調査委員会も機能しており、労働契約法制定とともに、機能強化が図られる予定だ。
そもそも、コンプライアンス自体を社会制度の運用に取り入れる考え方は、経済活動において競争をすることによって人々のエネルギーを集中することが経済発展につながると理念づけ、その競争が正当に公正に行われるためには、コンプライアンスに基づいて法律や倫理観が機能することで保たれると、コンプライアンスを機能づけているのである。たとえ競争によって、「物事の比較行為が始まると紛争も増加する」といった社会傾向も覚悟の上なのである。WTOその他の国際経済活動の正当性や公正性といわれるところには、コンプライアンスが基盤となって働いているから、日本国内と言わず、個別企業の経済活動において重要視しなければ、たとえ優秀な技術開発や製品であっても経済から排除されることになる、といった具合だ。
よって、コンプライアンス → コーポレートガバナンス → CRSの順序での取り組みが行われる論理展開となる。さて、その後はじめて、具体的な規則・規律、法令等の手法を使用するといった具合になるのだ。個別企業といえども社会や経済を扱うには、外来語の流行を追うばかりでは混迷を極め、コンプライアンスの底流理念の理解に至っては、話は戻って高校時代の世界史履修が不可欠なのである。
ところが、識者によって、2007年問題の見通しがバラバラであるから、どのような具体的対策をとれば良いのかの方針が策定出来ないのである。
そこで、先ず、いくつかの2007年問題に対する要因あるいは仮説を紹介してみる。
そもそも2007年問題とは、CSK社長の有賀氏が持ち出した言葉で、その当時は、
(1)団塊の世代の60歳定年によるマーケティング変化
(2)日本の人口が2007年から(ただし、2005年から)減少に向かう
(3)大学全員入学時代
(4)新築ビル完成
などのマーケティングに関するものであった。団塊世代の主力商品、スーツ、ネクタイ、雑誌、飲み屋の消費が減少するとのエピソードまで出て来た。それは無理もないことで、日本の消費経済の全てのマーケティングは団塊の世代の消費傾向、ベビーブーム、小学校入学とともに学校設備、受験とともに大学増設、「中教審答申」、団塊世代の就職、ブライダルと出産、住宅建設、団塊の第二次ベビーブーム、そして60歳定年を迎えた人たちの退職金目当てというように、社会と共に変化できたからだ。
労働市場においては、
・昭和22年から24年生まれの団塊の世代人口680万人
・そのうちの520万人が被雇用者で
・次々と定年を迎えるのは214万人
というふうに見られるのだ。見ようによっては、たいした数ではない。また、年間退職者数は130?140万人であるが、実際にはプラス10万人程度の影響ではないかと見ているシンクタンクもある。
しかしながら、当初は、2007年問題を単なる労働人口減少と見てしまい、大して技術開発もせず、大して工場の機械化をしてこなかった個別企業にとっては、顔を青ざめさせるような話と映ったようだ。だが、このような「戦前の満州進出」と同程度の人海戦術経営の発想は、経済学的な分析によって、短期間のうちに消滅して行った。日本経済が大まかながらも、高付加価値製品&高水準サービス商品の提供に進んだのも、日本の文化水準が(経済学習得者も含め)、高いからであった。
ところで、原点に返っての当事者の意識はどうなっているのだろうか。多くの経営者からすれば、団塊の世代は2007年からは定年で自然退職することになるから、退職金の財源措置さえしておけば、「待ちに待った2007年問題」であったのだ。
労働者からすれば、モーレツ社員と言われながら精神力と強気を保ってできた後の、いよいよ60歳定年であったのだ。そこに年金問題が水を差した。団塊の世代にとって年金は、「老後のための蓄えの役割」と厚生省から説明されて来たから、社会保険のある正社員にとどまり保険料が高くとも支払いを続け、そろそろリタイア設計を考え始めた時点での年金減額改正であった。
そして、企業が必要とする人材については、実のところ、とりたてて政府に継続雇用などの措置を取ってもらわなくとも、日本で定年制度を導入した昭和30年代から、必要な人材は定年後も雇っていたのだ。
次に、年金財源ひっ迫のために、政府主導で高齢者雇用継続の措置がとられた。継続雇用措置年齢が
・平成19年3月31日までは62歳
・平成22年3月31日までは63歳
・平成25年3月31日までは64歳
・そして4月以降は65歳
となっている。ただし、ほとんどの企業で、2006年4月1日から3年すなわち2009年3月31日まで(中小企業は5年、すなわち2011年)の間は、事実上の緩和措置となっている。突然降ってわいたような政策に対して、継続雇用制度で年齢延長を派手に謳っていても、運用でゼロを追求する企業も多い。継続措置をとる者は、ABCDEの五段階評価のうちABCに限るとか、直近三ヵ年の健康診断で異常が認められなかった者に限るとかで、定年退職しても年金支給開始年齢までに(雇用保険失業給付の穴埋めを考慮しても)一定期間の空白が生じる手法となっている。はたして訴訟を提起された場合、このような手法を裁判所が違法とするかもしれない危険もはらんでいるようであるが、結構、さほど研究もせずに継続措置をしている企業も多い。
何れにしろ、技能者といわれる人たちを中心に、相当多くの定年退職者が発生することは間違いなさそうだ。だが、年金受給開始までの収入見通しや、年金政策の不安から、何らかの形で働く団塊の世代は多いものとみられる。
主婦の立場であっては収入を補うためにパートに出たいと希望する人も多いであろう。
妻の年金分割権が始まるとはいえ、熟年離婚の増える見通しもない。
働く事しか知らない世代であるから、メンタルヘルスの必要性からも、働き続けるしか生きがいを見いだせないのではないかとの観測もある。
団塊状態であっても、
何れの方向性にしろ組織性の弱い者から退職していること、
比較的技能が低い者から退職して行くこと、
とは言っても保有能力には企業間格差が見られるのである。
最も大きく重要な変化は、
団塊の世代における非正規雇用への切り替えを引き金に、一挙に非正規雇用がどの世代にも浸透して、日本の雇用形態が一転して様変わりする第一歩になることである。今年の労働白書でも、パート・アルバイト、契約社員、派遣社員などの非正規雇用が拡大傾向にあると報告している。団塊の世代の賃金原資が減少することから、「団塊の世代一人分の賃金で、二人の雇用して、人手不足解消?」との、計画を練りに練っている個別企業も現れているのである。団塊の世代を受け皿として、新たなビジネスチャンスも生じるが、社会基盤の大変化として、十分研究して、事に取り掛かる必要がある。
いわゆる「暗黙知」とか、ノウハウの属人的蓄積問題がある。
団塊の世代が退職してしまうと、このような技能発揮システムが消滅してしまうので、生産維持、技能継承が出来なくなるのではないかとの危惧である。しかしながら、「暗黙知」や「技能継承」問題は、長期的な別要因から生じているとするのが、もっぱらの分析結果である。すなわち、これらの問題を分析しなかったが故に、生産技術開発が遅れ、商品開発に生かされず、比較的には付加価値・利益率の少ない事業にしがみついていたとする研究結果なのである。したがって、このような低水準の経営管理は、日本経済のこれからの主力となる経営管理システム方式から除外されたといったところなのだ。
◇◇◇ コンプライアンスに関するインテリジェンス ◇◇◇
グローバル経済・社会への転換、社会変化に対する意識変化などで、日本の社会のあり方、個別企業運営のあり方、身近な社会共同体のあり方が、様々な混乱を引き起こしている。その現象が、勝ち負け格差構造、ニート、いじめ自殺、世界史不履修、飲酒運転といったような混乱・事件ではないかと見た方が妥当だ。これに対して、良識ある人たちは、コンプライアンスでもって新しい時代への秩序を切り開こうとしているといったところだ。だが半面、社会激変が進行する中での、高学歴エリートたちに刹那的・無気力さが蔓延し、ホリエモン、村上ファンドなどの経済犯+倫理事件のような「爆竹炸裂現象」ともなっている。エピソードをあげればキリがないくらいに、政府省庁、裁判所、個別企業、町内会自治会に至るまでが、旧来組織が形骸化・運営かじ取りの失敗を引き起こしているのが現状である。社会(社会共同体)の新しい適正なあり方への再編成が進んでいるなかで、再編成されずに淀みが生じているところに世間体が持ち込まれ、数々の倫理観欠如事件に陥ったと見ても良いのではないだろうか。加えて、生半可にコンプライアンスを、「法令遵守」とか、「法令等遵守」あるいは、「法令・倫理遵守」などのように文字通り解釈し、実務上意味不明な綺麗事で済まそうとするものだから、統治能力欠落、形骸組織優先、世間体優先、自浄作用喪失と、ますます裏目に出て混乱を招いているようだ。
そもそもの、コンプライアンスの底流基本理念とは?
大雑把な話になるが、1950年前後、第二世界大戦の教訓から「自由と民主主義」の理念に「基本的人権が不可欠」であることが確立した。1960年代のアメリカでの公民権運動やベトナム反戦運動の影響を受けて、日本でも1960年代後半から70年代にかけて「社会共同体のあるべき姿(社会合理性)」が論じられ団塊の世代以降に定着した。「公正としての正義」とか、ゲーム理論や合理的選択理論の手法による「新社会契約論」とかいわれるようなものである。1980年代に至ると、いわゆる「手続主義の法パラダイム」が取り入れられるようになり、自由平等や権利に関する手続の正当性・相当性が重要視されるようになった。このような一連の社会共同体の理念構造がコンプライアンスの底流に流れている。
ところが、これを無視して法令文言などを杓子定規に進めるものだから、形式は装う(面従腹背も含む)が、倫理的な間違いを起こしてしてしまうのである。法律家の人たちが使用するリーガルマインド(残念ながら素人には説明してくれない)は、コンプライアンスと、ほぼ同義語なのである。
とりわけアメリカでは、訴訟社会(日本と違い訴訟は弁護士を通じて行う制度)となってしまった現場から、法律を知らない状況に置かれることは少ないとして、手続を取らなかった者に法的責任を負わせるまで進んでしまっている。日本においては従来、社会合理性などの判断はもっぱら司法の独占分野とされ、少数精鋭の裁判官・検事・弁護士でもって維持(日本では一般人も訴訟ができる制度)する仕組みが戦後続けられて来たが、「手続主義の法パラダイム」とか法律の周知徹底の流れを汲んで、現在の司法改革に至っている。すなわち、一般国民を社会合理性などの判断について社会参加させるかどうかが、司法改革の重要論点であったものであり、一定程度参加の方向となったのである。行政における、経済活動分野についても然り、社会合理性の適否について一般国民に参加(公正取引委員会など)を促している。公益通報者保護法(内部告発)もそのひとつの手段だ。人事労務分野においても、就業規則の合理・合法性と周知徹底を図ることと同時に、労働契約法を制定して社会合理性と手続相当性の下支えをして、コンプライアンスを徹底させようというねらいなのである。すでに紛争調査委員会も機能しており、労働契約法制定とともに、機能強化が図られる予定だ。
そもそも、コンプライアンス自体を社会制度の運用に取り入れる考え方は、経済活動において競争をすることによって人々のエネルギーを集中することが経済発展につながると理念づけ、その競争が正当に公正に行われるためには、コンプライアンスに基づいて法律や倫理観が機能することで保たれると、コンプライアンスを機能づけているのである。たとえ競争によって、「物事の比較行為が始まると紛争も増加する」といった社会傾向も覚悟の上なのである。WTOその他の国際経済活動の正当性や公正性といわれるところには、コンプライアンスが基盤となって働いているから、日本国内と言わず、個別企業の経済活動において重要視しなければ、たとえ優秀な技術開発や製品であっても経済から排除されることになる、といった具合だ。
よって、コンプライアンス → コーポレートガバナンス → CRSの順序での取り組みが行われる論理展開となる。さて、その後はじめて、具体的な規則・規律、法令等の手法を使用するといった具合になるのだ。個別企業といえども社会や経済を扱うには、外来語の流行を追うばかりでは混迷を極め、コンプライアンスの底流理念の理解に至っては、話は戻って高校時代の世界史履修が不可欠なのである。
2006/10/10
第54号
偽装請負事件が、ほぼ連日報道され、ここにきて大きな話題となっている。新聞などのマスコミ報道が踏み込んでいない、人事総務部門の専門領域インテリジェンスを提供する。
今回、一挙に表舞台に出て来た「クリスタルグループ」とは、昭和61年当時は「綜合サービス」という名前の京都市南区で営業していた会社が、事実、七変化している企業体なのである。昭和61年労働者派遣法施行の際に、派遣事業許可手続きの依頼方が私にあったが、その仕事を断った企業である。当時から京都七条職業安定所管内でも内偵が進んでおり問題視されていた企業。オーナーのH氏は滋賀県の長者番付で一番である。ただし、滋賀県や京都だからと言っても近江商人とは関係がないようだ。昨年3月東京地裁判決で、ニコン熊谷事件、ネクスターという会社とニコン両方の業務請負や労働者派遣での安全配慮義務の責任が言い渡され、衝撃の走った事件の、このネクスターもクリスタルグループである。
クリスタルグループに限らず、この類の業務請負業者の受注トークは、「ややこしいことは、ウチがやります」と言って、発注責任者にすりよってくるので、ついつい誘惑に乗ってしまい、腐れ縁ができてしまうといったところだ。昭和48年、昭和55年、バブル崩壊を通じての生産部門における重要な経営課題は、如何に下請け企業との縁を断ち切るかであった。工場閉鎖をしてまでも腐れ縁を断ち切るリストラが相次いだ。このような日本経済の教訓が、発注企業の資材課あたりの現場末端では、教訓として生かされていないことも、今回の偽装請負事件は表している。業務請負会社に発注企業から社員を出向させる手法も昭和61年当時から誰もが知っていたものであるが、出向目的が経営管理や教育訓練に限定されることのみならず、業務請負会社の経営戦略に丸々乗ってしまって腐れ縁ができることを懸念して、産業構造の合理性から発注側が敬遠した対策でもあった。
ところで、今回一連の偽装請負事件の背景を見るときには、平成16年3月に製造業の労働者派遣が部分解禁になった時点から約2年半の出来事であることを見落としてはならない。厚生労働省の計画としては、平成19年3月から製造業の労働者派遣を全面解禁するに当たって、それまでにどうしても悪質業者を叩いておく必要があったとみた方が良い。平成16年の部分解禁に伴う法改正を研究した専門家の間では、3年以内にいずれかの企業が「血祭り」にあげられることは予測されていた。こういった場合に、最も悪質な発注企業と受注企業が、その対象にされやすいのだが、やはり社会で納得性の高い企業が選ばれたと言える。
確かに、民間大手企業や国交省までに調査が入っていることからしても、全労連系の大掛かりな内部告発運動が起こされているようだ。しかしながら、その人たちが言うような格差反対闘争の影響を受けて、この時期に厚生労働省が動いたわけではない。全労連系の民間労組は、次々と職場の目前の身近な事件を大々的に取り上げて行く方針に、昨年から闘争方針大転換を打ち出しているので、今後もこの傾向は続くと見た方が良い。
労働法の専門分野からの検討も必要だ。マスコミのニュース記事だけでは、企業内対策に具体性が持てない。製造部門に限らず、今回取りざたされる業態は、労働者派遣事業許可、業務請負、偽装請負(実態は労働者派遣)、偽装派遣(実態は労務供給、偽装請負と間違う人もいる)、業とする出向(労務供給に該当)に分類される。人事総務部門はこの違いを現場に徹底しておく必要がある。無知が故に「御社に迷惑がかからないようにしますから」とささやかれ持ち上げられ、いざとなれば法的責任を取らされたといったところも、今回の事件の特徴である。業としない労働者派遣であれば、たとえ数千人規模だろうと事業許可を受ける必要は無い。業としない出向だと確信しても多人数となれば違法性は免れない。請負派遣の区分の大臣告示を研究すれば、相当の専門家でない限りますます複雑怪奇になってくるのが当然なのだ。労働分野扱い可能の弁護士は、労使合わせて100人程度と推定されるが、その中で職業安定分野となれば滅多と存在しないのも現実である。が、キーポイントは「進捗管理をどの会社の社員が行っているか?」のチェック項目に尽きるのだ。このキーポイントは厚生労働省もわかっているが、政策的に表だって表明していない。
脱法行為と違法行為は異なる。脱法行為とは表面や外形的には禁止行為に当たらないが、禁止を免れる目的で行われ実質的な内容は、違反している行為である。違法行為とは法秩序からみて是認されない行為で、法律上の制裁を課せられる行為が典型である。とりわけ脱法行為として、問題とされるのは社会合理性(その一部に違法性阻却事由も含む)の有無である。すなわち、労働力需給に関わる事業においては、その地方において事実上の労働力需給機能を運営することで、労働者と企業の双方に雇用不安解消や適材適所の能力配置に資するなどの効果を与えているかどうかである。いくら雇用機会や労働力需給に関わる美辞麗句を並べたとしても、その実結果が、コストダウンや格差構造にしか現れてなければ、その業務請負会社の社会合理性を誰もが認めるわけがない。「発注側資材担当者」も業務請負側営業担当者も、胸を張って、良心に基づいて、「社会の役に立っている。」と言えない事情がある限りは、脱法行為と判断されるのは時間の問題なのである。平成9年の職安法と労働者派遣法の改正より後は、「行き着くところまで脱法行為を繰り返すさ!」と豪語する業務請負会社が急増したが、今回一連の偽装請負事件に巻き込まれた人たちは、この類の業務請負会社にからまれていた結果である。この類の「魔の手」が現業現場に襲いかかってきても、赤ちょうちんで一杯でも飲まされようものなら現場の資材担当者たちには気付きようがないので、人事総務部門の役割はきわめて重要なのだ。
社会保険庁解体後の新組織の形態について、民間会社とする方針を自民党が固めたとの報道が10月1日に走った。同日から、社会保険(健康保険と厚生年金セットの同時手続き)の加入・喪失、新規適用、諸給付に関係する添付書類の種類が全国統一された。
そもそも各々の社会保険事務所によって異なる添付書類が存在していたこと自体が、制度としての不思議であった。地元地域の雇用不安を解消するための保険である雇用保険とは目的が違う社会保険であるので、社会保険事務所ごとの適用運営に差異のあることは不合理な話である。十数年前までは使用する用紙が東京と大阪で異なっていたぐらいであった。さらに健康保険組合に至っては都道府県管轄かつ運営独自色も強いので、健保組合となれば、事実上別方式となっているのである。本質は添付書類や届け出用紙が異なっているのではなく、社会保険の運用自体が微妙に異なっているという法治国家ではあるまじき実態であり、結局は個々の事業所が程よく振り回され被害も受けているのだ。
社会保険事務所は、何かにつけ末端職員に至るまで、法治国家という意識やコンプライアンス感覚が非常に薄い。昔から社会保険運営族?の方針が、著しく法律に違反さえしなければ問題がないと認識しているのではないかと考えられる事例が次々と発生し続けているのだ。社会保険は強制適用となっているが、保険加入・新規適用に手を抜いているのは行政監察の指摘のとおりである。給付もまたしかりで、再審査請求に持ち込まれ社会保険事務所が正され解決するケースも後を絶たない。
このような社会保険の体質は戦前から引き継がれているものだから、民間の感覚からすれば、なぜ書類ひとつ統一出来ないのかといったところである。社会保険業務のコンピューター処理も民間の感覚からすれば、極めてずさん状態と思わざるを得ない状態だ。ところが、ここにきての添付書類の種類統一は、いよいよ社会保険庁解体?が動く兆しと判断できるのだ。
これだけのことでもマスコミ報道からは予想すらも出来ないのだが、引き続くどんでん返しが待っている。社会保険の職員の中には、「社会保険に都合の悪いことを書けばニュースソースを流さない」と強気の発言をする者も存在するくらいにマスコミが蚊帳の外に置かれているのは間違いない。そこで、信頼できる消息筋からのインテリジェンス。現在の社会保険改革の走行実態は、社会保険運営族?の論理パターンを借りると、民営化しようが解体しようが、政府が保険者として手放さないものは、(1)保険料の調定、(2)保険料の徴収、(3)保険給付請求の受理、(4)保険給付の決定であり、その手段として被保険者の権利義務確定業務に、引き続き社会保険運営族が直接携わるというものだ。すでに、このような方針は言葉を変えて、社会保険庁の関係団体には、お知らせ済みなのである。…したがって、民営化とか解体といっても、要はルーティンワークをただアウトソーシングするにしかすぎないのだ。加えて、規制改革・民営化と称する動きから判るように、官僚や公務員が民間に出向いて株式会社を作る手法が、その実主流なのだから、幾度ものどんでん返しが仕掛けられているのだ。現役の社会保険官僚にとっては、ちょっと痛かゆい程度の民営化・解体!ではあるものの、社会保険労務士という子飼いの制度すら蚊帳の外扱いにしてまでもの右往左往には、社会保険官僚の並々ならぬ決意がうかがえる。
今回、一挙に表舞台に出て来た「クリスタルグループ」とは、昭和61年当時は「綜合サービス」という名前の京都市南区で営業していた会社が、事実、七変化している企業体なのである。昭和61年労働者派遣法施行の際に、派遣事業許可手続きの依頼方が私にあったが、その仕事を断った企業である。当時から京都七条職業安定所管内でも内偵が進んでおり問題視されていた企業。オーナーのH氏は滋賀県の長者番付で一番である。ただし、滋賀県や京都だからと言っても近江商人とは関係がないようだ。昨年3月東京地裁判決で、ニコン熊谷事件、ネクスターという会社とニコン両方の業務請負や労働者派遣での安全配慮義務の責任が言い渡され、衝撃の走った事件の、このネクスターもクリスタルグループである。
クリスタルグループに限らず、この類の業務請負業者の受注トークは、「ややこしいことは、ウチがやります」と言って、発注責任者にすりよってくるので、ついつい誘惑に乗ってしまい、腐れ縁ができてしまうといったところだ。昭和48年、昭和55年、バブル崩壊を通じての生産部門における重要な経営課題は、如何に下請け企業との縁を断ち切るかであった。工場閉鎖をしてまでも腐れ縁を断ち切るリストラが相次いだ。このような日本経済の教訓が、発注企業の資材課あたりの現場末端では、教訓として生かされていないことも、今回の偽装請負事件は表している。業務請負会社に発注企業から社員を出向させる手法も昭和61年当時から誰もが知っていたものであるが、出向目的が経営管理や教育訓練に限定されることのみならず、業務請負会社の経営戦略に丸々乗ってしまって腐れ縁ができることを懸念して、産業構造の合理性から発注側が敬遠した対策でもあった。
ところで、今回一連の偽装請負事件の背景を見るときには、平成16年3月に製造業の労働者派遣が部分解禁になった時点から約2年半の出来事であることを見落としてはならない。厚生労働省の計画としては、平成19年3月から製造業の労働者派遣を全面解禁するに当たって、それまでにどうしても悪質業者を叩いておく必要があったとみた方が良い。平成16年の部分解禁に伴う法改正を研究した専門家の間では、3年以内にいずれかの企業が「血祭り」にあげられることは予測されていた。こういった場合に、最も悪質な発注企業と受注企業が、その対象にされやすいのだが、やはり社会で納得性の高い企業が選ばれたと言える。
確かに、民間大手企業や国交省までに調査が入っていることからしても、全労連系の大掛かりな内部告発運動が起こされているようだ。しかしながら、その人たちが言うような格差反対闘争の影響を受けて、この時期に厚生労働省が動いたわけではない。全労連系の民間労組は、次々と職場の目前の身近な事件を大々的に取り上げて行く方針に、昨年から闘争方針大転換を打ち出しているので、今後もこの傾向は続くと見た方が良い。
労働法の専門分野からの検討も必要だ。マスコミのニュース記事だけでは、企業内対策に具体性が持てない。製造部門に限らず、今回取りざたされる業態は、労働者派遣事業許可、業務請負、偽装請負(実態は労働者派遣)、偽装派遣(実態は労務供給、偽装請負と間違う人もいる)、業とする出向(労務供給に該当)に分類される。人事総務部門はこの違いを現場に徹底しておく必要がある。無知が故に「御社に迷惑がかからないようにしますから」とささやかれ持ち上げられ、いざとなれば法的責任を取らされたといったところも、今回の事件の特徴である。業としない労働者派遣であれば、たとえ数千人規模だろうと事業許可を受ける必要は無い。業としない出向だと確信しても多人数となれば違法性は免れない。請負派遣の区分の大臣告示を研究すれば、相当の専門家でない限りますます複雑怪奇になってくるのが当然なのだ。労働分野扱い可能の弁護士は、労使合わせて100人程度と推定されるが、その中で職業安定分野となれば滅多と存在しないのも現実である。が、キーポイントは「進捗管理をどの会社の社員が行っているか?」のチェック項目に尽きるのだ。このキーポイントは厚生労働省もわかっているが、政策的に表だって表明していない。
脱法行為と違法行為は異なる。脱法行為とは表面や外形的には禁止行為に当たらないが、禁止を免れる目的で行われ実質的な内容は、違反している行為である。違法行為とは法秩序からみて是認されない行為で、法律上の制裁を課せられる行為が典型である。とりわけ脱法行為として、問題とされるのは社会合理性(その一部に違法性阻却事由も含む)の有無である。すなわち、労働力需給に関わる事業においては、その地方において事実上の労働力需給機能を運営することで、労働者と企業の双方に雇用不安解消や適材適所の能力配置に資するなどの効果を与えているかどうかである。いくら雇用機会や労働力需給に関わる美辞麗句を並べたとしても、その実結果が、コストダウンや格差構造にしか現れてなければ、その業務請負会社の社会合理性を誰もが認めるわけがない。「発注側資材担当者」も業務請負側営業担当者も、胸を張って、良心に基づいて、「社会の役に立っている。」と言えない事情がある限りは、脱法行為と判断されるのは時間の問題なのである。平成9年の職安法と労働者派遣法の改正より後は、「行き着くところまで脱法行為を繰り返すさ!」と豪語する業務請負会社が急増したが、今回一連の偽装請負事件に巻き込まれた人たちは、この類の業務請負会社にからまれていた結果である。この類の「魔の手」が現業現場に襲いかかってきても、赤ちょうちんで一杯でも飲まされようものなら現場の資材担当者たちには気付きようがないので、人事総務部門の役割はきわめて重要なのだ。
社会保険庁解体後の新組織の形態について、民間会社とする方針を自民党が固めたとの報道が10月1日に走った。同日から、社会保険(健康保険と厚生年金セットの同時手続き)の加入・喪失、新規適用、諸給付に関係する添付書類の種類が全国統一された。
そもそも各々の社会保険事務所によって異なる添付書類が存在していたこと自体が、制度としての不思議であった。地元地域の雇用不安を解消するための保険である雇用保険とは目的が違う社会保険であるので、社会保険事務所ごとの適用運営に差異のあることは不合理な話である。十数年前までは使用する用紙が東京と大阪で異なっていたぐらいであった。さらに健康保険組合に至っては都道府県管轄かつ運営独自色も強いので、健保組合となれば、事実上別方式となっているのである。本質は添付書類や届け出用紙が異なっているのではなく、社会保険の運用自体が微妙に異なっているという法治国家ではあるまじき実態であり、結局は個々の事業所が程よく振り回され被害も受けているのだ。
社会保険事務所は、何かにつけ末端職員に至るまで、法治国家という意識やコンプライアンス感覚が非常に薄い。昔から社会保険運営族?の方針が、著しく法律に違反さえしなければ問題がないと認識しているのではないかと考えられる事例が次々と発生し続けているのだ。社会保険は強制適用となっているが、保険加入・新規適用に手を抜いているのは行政監察の指摘のとおりである。給付もまたしかりで、再審査請求に持ち込まれ社会保険事務所が正され解決するケースも後を絶たない。
このような社会保険の体質は戦前から引き継がれているものだから、民間の感覚からすれば、なぜ書類ひとつ統一出来ないのかといったところである。社会保険業務のコンピューター処理も民間の感覚からすれば、極めてずさん状態と思わざるを得ない状態だ。ところが、ここにきての添付書類の種類統一は、いよいよ社会保険庁解体?が動く兆しと判断できるのだ。
これだけのことでもマスコミ報道からは予想すらも出来ないのだが、引き続くどんでん返しが待っている。社会保険の職員の中には、「社会保険に都合の悪いことを書けばニュースソースを流さない」と強気の発言をする者も存在するくらいにマスコミが蚊帳の外に置かれているのは間違いない。そこで、信頼できる消息筋からのインテリジェンス。現在の社会保険改革の走行実態は、社会保険運営族?の論理パターンを借りると、民営化しようが解体しようが、政府が保険者として手放さないものは、(1)保険料の調定、(2)保険料の徴収、(3)保険給付請求の受理、(4)保険給付の決定であり、その手段として被保険者の権利義務確定業務に、引き続き社会保険運営族が直接携わるというものだ。すでに、このような方針は言葉を変えて、社会保険庁の関係団体には、お知らせ済みなのである。…したがって、民営化とか解体といっても、要はルーティンワークをただアウトソーシングするにしかすぎないのだ。加えて、規制改革・民営化と称する動きから判るように、官僚や公務員が民間に出向いて株式会社を作る手法が、その実主流なのだから、幾度ものどんでん返しが仕掛けられているのだ。現役の社会保険官僚にとっては、ちょっと痛かゆい程度の民営化・解体!ではあるものの、社会保険労務士という子飼いの制度すら蚊帳の外扱いにしてまでもの右往左往には、社会保険官僚の並々ならぬ決意がうかがえる。
2006/09/04
第53号
「景気回復か?」と世論誘導されているかもしれない中、社会で個別企業で、「何を信じ?何に向かって?…」と表現されるような不安がたちこめている。
毎日マスコミで流される事件ニュース。社会問題として、社会の秩序は如何に、社会の基盤が成り立つのだろうかと不安が募るばかりである。個人も家庭も、社会不安からひいては温暖化現象に至るまで、現行社会共同体のあり方で対処対応できるのかどうかの疑問なのである。「どちらが正しいか、如何に調整するか、どちらに重点を置くか?」のような二元論を基礎に考察すること自体に疑問がもたれ、すなわち新しい社会共同体の創造形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程が適切に進行しているかどうかに対する疑問であり、これが人間関係日々再構築の現象として表われているのである。
この社会不安が個別企業の日常業務運営や職場人間関係に影響を及ぼしているから、これに対する解決の糸口や不安解消に役立つインテリジェンスが、今最も求められるのである。
いくつかのインテリジェンスを拾い上げてみた。
《社会合理性と(社会・人文・自然)科学のインテリジェンス》
ここ数ヵ月間、トラブル発生の増加が肌で感じられる。「景気回復?」に伴う企業の事業活動が活発になって来るからこそ摩擦も多くなる。「犬も歩けば棒に当る」から、対処方法を現代風の柱に置き換えなければ、トラブル増加を招く。「さあこれから頑張ろう」という矢先に、職場トラブルで出鼻をくじかれたと、地団駄を踏むことになるのである。
それには、個別企業の中であって、豊かに発展するための筋道としての合理性(社会性を帯びるから社会合理性であるが)に光を見出して追求することが大切で、それを基盤にした科学的創意工夫が重要となる。にもかかわらず、「豊かさかor効率か」とか「金銭かor失業か」「あの方針かorこの方針か」などの二者択一の二元論が、自他共に納得しやすいものだから、二元論の範囲の中でのみ知恵を働かせるものだから、社会合理性に反する結果になっていることにも気がつかず、個別企業内の誰からも「そっぽを向かれる」ことになる現象がはびこっている。(ただし、それを客観的に見れば、実は「そっぽを向かれる」ことで企業は安定しているが、ただし日本経済とともに沈没)。これは、「高付加価値製品や高水準サービス」商品の開発にも同様に言えることで、グローバル社会においては社会合理性がきわめて重要なのである。
手練手管で解決できる事柄ではないからこそ、やはりここは、高い学歴・教養を誇る日本であるからこそ、現実を科学的に分析すれば打開の糸口が見えてくる。例えばここに身近な科学的研究例がある。労働者が「給料が安い」などと不平・不満を発言するとき、本質は上司との人間関係や業務運営トラブルなのである。これを、その言葉通りに真に受けて給料を引き上げようものなら、「札束で顔のほうを叩くな!」と労働者は激怒することになる。もうひとつ、「労働基準監督署に訴えてやる!」との発言の裏に、実は給料引き上げの金銭要求があるのだ。これは日本全国共通の労働者意識であり、ここにプロならではの判断がある。素人では労働分野で科学的ではないために初動から失敗するのである。まして、「規則違反で処分だ!」と権限を振り回せば、それはアフガンや北朝鮮に通じるものがある。さらに進むと、「戦後日本の教育が悪いから=教育改革だ!」などと、足が地から離れた経営管理放棄の議論までが持ち出される始末である。
《社員や若者の意識把握のインテリジェンス》
このほど、「日本人の働き方調査」が発表された。厚生労働省の外郭団体が行った調査であるが、この手の調査は初めて。そこで浮かび上がって来たことを平たく述べるとこうだ。
自らを押し殺して安定を求めるのが正社員。
確かに正社員は安定しているが労働時間は長く休みもない。仕事の不安や悩みが多い割には仕事内容や収入の満足度は少ない。職業能力として、in-servant が秀でることを特に要求される。
派遣社員や契約社員は、意外にも仕事内容や収入に満足し、労働時間や休日もエンジョイできる。それなりに豊かな人生をおくっている。割り切っているだけ?と思いきや、職業技能が意外と高水準であることも事実。
だから、この調査から分かることは、
旧来の正社員を中心とした社内秩序を押し付けると、正社員は切れやすくなり、派遣や契約社員は労働意欲低下となることである。昔の職場を思い出し頭に浮かぶ理想をいだけば結果は最悪となり、加えて、「トラブル発生+労働生産性低下」がダブルで個別企業に襲いかかってくる。この種の社内基盤崩壊が起こる。それに対する対策のつもりで、成果主義とか労働契約をトレンドのように導入するものだから、必然的にトラブル発生+労働生産性低下のダブルパンチに、またもや見舞われることになるのだ。ちなみに、生活保護は四人家族で月額20万円弱である。フリーターやニートが金銭収入課題的には「無理して働いても仕方がない!」と思っているのではないかと判断しがちであるが、どうもそこには団塊の世代や「我慢強い正社員」からの一方的感情論および偏見が大いに存在していそうだ。
よって、ここから個別企業が一刻も早く脱出し、社内基盤や社内秩序(社会合理性)を形成することが成長戦略となる。本来、改善制度の導入のコツは正社員や派遣・契約社員の意識把握から始まり、個別企業の中で社会合理性を形成することにある。ここに焦点を当てるために社会・人文科学や教養が動員されるのである。いくらお猿が「数値や書面」の衣装を着ても、お猿に変わりはない。
《グローバル時代の個別企業内社会秩序基盤のインテリジェンス》
近代法律制度のもとにある民間企業においては、(1)約束を守ること、(2)仕事は良心に基づくこと、(3)良心に基づく自由保障の三つの柱が、個別企業内社会基盤となっている。これを逸脱する場合に国家権力が発動されることとなる。それは、警察の捜査かもしれないし、労働者の内部告発かもしれない。
公務員の場合は、法律や通達で仕事を行うことが原則。公務員間の約束、公務員の良心(良心を表明しなくても良い自由に限定)、良心に基づく自由の保障などは無い。だから、「支配権と、それに対する注意義務」で、すべてを解決しようとするのである。公務労働は、公務員個人の良心を否定してまでも遂行させるから、初年度有給休暇20日等の高水準労働条件を保障するという理屈である。
日本において、この公務員方式の概念を盲目的に導入、若しくは世間体を守るために真似をして来たところに、それは確かに、昭和大恐慌からの60年余にわたる右肩上がり経済成長(戦時中も経済成長)を成し遂げる社会基盤になったのではあるが、その導入・真似を平成恐慌が終結しようとしている今日もなお引きずっているところにトラブル増加企業の企業内部原因がある。日本の社会・経済は、グローバルの真っただ中に、存在しているのだ。
《個別企業内の職場トラブル解決のためのインテリジェンス》
あらゆる企業で中間管理職が削減され、職場トラブル解決業務能力が持たされない中で、これからも職場トラブルが多発し、それが職場で解決出来ないときには社会事件やテロとなって勃発することは避けられない。そこで、職場内トラブルにも焦点を当てた紛争調整委員会なる公共事業が始められているのだ。
そこで、
「話し合い解決方法に至るステップ及び順序」
あっせん、職場内自主解決、団体交渉など、いずれにしろ合意調整に至るステップ及びその順序をどのように踏めば、合意調整の道が開かれるのかをまとめてみた。解雇事案ではなく、労働条件変更、成果・評価をめぐるトラブル、業務分担混乱がその中心的議題である。
1.合意調整に乗る意思が、双方にあるのかどうか(合意調整の小さな芽は育つか?)
2.論点・争点についての大よその整理が、労使双方暗黙のうちに存在するかどうか
3.妥協の条件となる「忌憚のない双方の意見表明」を交渉過程で経過したこと
4.「調停」可能な事項は整理されているか(代替措置を含む現行意思共通点)
5.わざと対決的思考に揺れ戻るなどの交渉リバウンドを体験したか
6.和解に向けた「共同行為や共同作業」の提案が双方から出されたか(将来措置中心)
7.合意内容をまとめる作業にあたり、関係者らを納得させる理由や大義をかき集めたか
8.「必要ならまたどうぞ」とのことで、合意調整を強制することのなかったこと
さて、注意ポイントとしては、妥協の最中に取引を持ち込むと合意は成り立たない。持ち込めば、「ほんなら、裁判に行こか!(関西弁)」となってしまう。
あるいは、交渉過程で、闇雲に事件に関する出来事を並べたてることは、目先の現象に振り回されることになり、ひいては感情的議論を呼ぶことになる。だからそのようなことを言い立てる人物には発言をさせないことが重要。
合意を破壊するような言葉が、交渉過程で出たときの対処法は、初心の合意調整に乗る意思が現れたときのエピソードを、すかさず話題とすること。決して、この瞬間に議論を吹きかけるとか、事実確認作業を行ってはならない。この瞬間の沈黙も嵐を呼ぶ。
個別企業内、職場内での合意調整テクニックが求められている昨今であるが、日本ではこの分野の研究開発が皆無であることも現実。これらの著者の約30年余にわたる経験・学習・研究成果を、ぜひとも多くの方に試していただき、研究を積み上げ発展させていただければと考える。
なお、あっせん機関(紛争調整委員会など)とは、職場内での話し合いが当事者のみでは、今述べたが促進されないから、第三者たるあっせん員やあっせん代理人を介在させて、合意調整を促進させようとする制度であるから、念のため。
《解決実績の高い「あっせんや和解」のインテリジェンス》
労働分野や労働法で用いられる Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米から導入されたものである。もともとはラテン語から来たもので、あっせんは「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくもので、とりわけ戦後導入された概念は、この意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質(公務員用や世間体向き)したものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は労働分野での意味とは異なって使われている。とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることに至っては、「和睦や和議」(本来持っていない概念)にも用いるようになったのである。もともと日本に Reconciliation(和解)の概念はなかったのである。
Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解には加えて将来措置をどうするかを含むものであるが、将来措置の有無に調停と和解との差異がある。Reconciliation を Conciliation でもって Consult(とりなす)のであって、Mediation のときには Conciliationでもって Mediate(とりなす)ということになるのである。このような概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
ところで、日本において、ひとたび職場のトラブルが裁判所に持ち込まれれば、法律の「裁判規範」の側面が使われる。しかしながら、個別企業内やあっせん機関(紛争調整委員会)においては、同じ法律の「行為規範」の側面が使われる。遠山信一郎中央大学教授の月刊社会保険労務士7月号の表現を借りれば、「行為規範は、いわば『主人公の行為規範』ともいうべきもので、労働者が主人公となって自分の裁判を行使する場面、使用者が主人公となって労務管理をする場面、行政機関が主人公となって労働行政を行う場面で、それぞれ行動・活動する規範として働きます」となる。例をあげると、ある労働者が解雇されたとしても、事業主が労働基準法18条の2の規定に反していることに気がついた段階で、当該解雇を事業主が無効にする場面、これが「行為規範」の作用しているケースである。もちろんのこと、事業主が無効とするために裁判を待つ必要はない。解雇した労働者との和解も不要。事業主が無効とすれば、元から何も無かった事になるのだ。これは、考えてみれば当たり前のことなのだが、一般人の無知や労働裁判形骸化を良いことに、専門弁護士でもないのに一角の「法律家?」と称して「裁判規範風理屈」を振りまく素人がいるから混乱を招くのだ。
裁判制度なのかあっせん制度か、対決的解決なのか合意調整解決かの二者択一の二元論とは異なり、その両方を兼ね備える新社会共同体の形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程、とりわけ、その変更プロセスが可視範囲となれば、新社会共同体が形成段階であっても安定することになる。「あっせん代理人」の活用による、Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の解決も、ひとつの新社会共同体安定へのプロセスなのである。ついでだが、現在のような Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念を先駆的に導入したアメリカが典型的なのであるが、労働紛争は、「労使関係」だけに限定せず「労働者間の紛争」も含める法体系となっており、日本のように事業主に間接責任を負わせるのではなく、直接責任を事業主に負わせることをも、社会合理性としている。
国民年金をめぐる社会保障制度のニュースが駆けめぐっている。社会保険庁が事実上、時間給労働者大半の厚生年金からの排除方針を実施していることから、厚生年金も崩壊し続けているのである。雇用制度を絡めて年金制度を社会合理性の視点から見直してみることも、これからの研究課題となる。何が言いたいかと言えば、
どんな国を作りたいのかと考えるのではなく、「どんな社会(共同体)が重要か」の視点が、社会共同体の変更プロセスを可視範囲とする手法提案なのである。もちろん目の前の個別企業内・職場での動きが最優先なのである。
毎日マスコミで流される事件ニュース。社会問題として、社会の秩序は如何に、社会の基盤が成り立つのだろうかと不安が募るばかりである。個人も家庭も、社会不安からひいては温暖化現象に至るまで、現行社会共同体のあり方で対処対応できるのかどうかの疑問なのである。「どちらが正しいか、如何に調整するか、どちらに重点を置くか?」のような二元論を基礎に考察すること自体に疑問がもたれ、すなわち新しい社会共同体の創造形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程が適切に進行しているかどうかに対する疑問であり、これが人間関係日々再構築の現象として表われているのである。
この社会不安が個別企業の日常業務運営や職場人間関係に影響を及ぼしているから、これに対する解決の糸口や不安解消に役立つインテリジェンスが、今最も求められるのである。
いくつかのインテリジェンスを拾い上げてみた。
《社会合理性と(社会・人文・自然)科学のインテリジェンス》
ここ数ヵ月間、トラブル発生の増加が肌で感じられる。「景気回復?」に伴う企業の事業活動が活発になって来るからこそ摩擦も多くなる。「犬も歩けば棒に当る」から、対処方法を現代風の柱に置き換えなければ、トラブル増加を招く。「さあこれから頑張ろう」という矢先に、職場トラブルで出鼻をくじかれたと、地団駄を踏むことになるのである。
それには、個別企業の中であって、豊かに発展するための筋道としての合理性(社会性を帯びるから社会合理性であるが)に光を見出して追求することが大切で、それを基盤にした科学的創意工夫が重要となる。にもかかわらず、「豊かさかor効率か」とか「金銭かor失業か」「あの方針かorこの方針か」などの二者択一の二元論が、自他共に納得しやすいものだから、二元論の範囲の中でのみ知恵を働かせるものだから、社会合理性に反する結果になっていることにも気がつかず、個別企業内の誰からも「そっぽを向かれる」ことになる現象がはびこっている。(ただし、それを客観的に見れば、実は「そっぽを向かれる」ことで企業は安定しているが、ただし日本経済とともに沈没)。これは、「高付加価値製品や高水準サービス」商品の開発にも同様に言えることで、グローバル社会においては社会合理性がきわめて重要なのである。
手練手管で解決できる事柄ではないからこそ、やはりここは、高い学歴・教養を誇る日本であるからこそ、現実を科学的に分析すれば打開の糸口が見えてくる。例えばここに身近な科学的研究例がある。労働者が「給料が安い」などと不平・不満を発言するとき、本質は上司との人間関係や業務運営トラブルなのである。これを、その言葉通りに真に受けて給料を引き上げようものなら、「札束で顔のほうを叩くな!」と労働者は激怒することになる。もうひとつ、「労働基準監督署に訴えてやる!」との発言の裏に、実は給料引き上げの金銭要求があるのだ。これは日本全国共通の労働者意識であり、ここにプロならではの判断がある。素人では労働分野で科学的ではないために初動から失敗するのである。まして、「規則違反で処分だ!」と権限を振り回せば、それはアフガンや北朝鮮に通じるものがある。さらに進むと、「戦後日本の教育が悪いから=教育改革だ!」などと、足が地から離れた経営管理放棄の議論までが持ち出される始末である。
《社員や若者の意識把握のインテリジェンス》
このほど、「日本人の働き方調査」が発表された。厚生労働省の外郭団体が行った調査であるが、この手の調査は初めて。そこで浮かび上がって来たことを平たく述べるとこうだ。
自らを押し殺して安定を求めるのが正社員。
確かに正社員は安定しているが労働時間は長く休みもない。仕事の不安や悩みが多い割には仕事内容や収入の満足度は少ない。職業能力として、in-servant が秀でることを特に要求される。
派遣社員や契約社員は、意外にも仕事内容や収入に満足し、労働時間や休日もエンジョイできる。それなりに豊かな人生をおくっている。割り切っているだけ?と思いきや、職業技能が意外と高水準であることも事実。
だから、この調査から分かることは、
旧来の正社員を中心とした社内秩序を押し付けると、正社員は切れやすくなり、派遣や契約社員は労働意欲低下となることである。昔の職場を思い出し頭に浮かぶ理想をいだけば結果は最悪となり、加えて、「トラブル発生+労働生産性低下」がダブルで個別企業に襲いかかってくる。この種の社内基盤崩壊が起こる。それに対する対策のつもりで、成果主義とか労働契約をトレンドのように導入するものだから、必然的にトラブル発生+労働生産性低下のダブルパンチに、またもや見舞われることになるのだ。ちなみに、生活保護は四人家族で月額20万円弱である。フリーターやニートが金銭収入課題的には「無理して働いても仕方がない!」と思っているのではないかと判断しがちであるが、どうもそこには団塊の世代や「我慢強い正社員」からの一方的感情論および偏見が大いに存在していそうだ。
よって、ここから個別企業が一刻も早く脱出し、社内基盤や社内秩序(社会合理性)を形成することが成長戦略となる。本来、改善制度の導入のコツは正社員や派遣・契約社員の意識把握から始まり、個別企業の中で社会合理性を形成することにある。ここに焦点を当てるために社会・人文科学や教養が動員されるのである。いくらお猿が「数値や書面」の衣装を着ても、お猿に変わりはない。
《グローバル時代の個別企業内社会秩序基盤のインテリジェンス》
近代法律制度のもとにある民間企業においては、(1)約束を守ること、(2)仕事は良心に基づくこと、(3)良心に基づく自由保障の三つの柱が、個別企業内社会基盤となっている。これを逸脱する場合に国家権力が発動されることとなる。それは、警察の捜査かもしれないし、労働者の内部告発かもしれない。
公務員の場合は、法律や通達で仕事を行うことが原則。公務員間の約束、公務員の良心(良心を表明しなくても良い自由に限定)、良心に基づく自由の保障などは無い。だから、「支配権と、それに対する注意義務」で、すべてを解決しようとするのである。公務労働は、公務員個人の良心を否定してまでも遂行させるから、初年度有給休暇20日等の高水準労働条件を保障するという理屈である。
日本において、この公務員方式の概念を盲目的に導入、若しくは世間体を守るために真似をして来たところに、それは確かに、昭和大恐慌からの60年余にわたる右肩上がり経済成長(戦時中も経済成長)を成し遂げる社会基盤になったのではあるが、その導入・真似を平成恐慌が終結しようとしている今日もなお引きずっているところにトラブル増加企業の企業内部原因がある。日本の社会・経済は、グローバルの真っただ中に、存在しているのだ。
《個別企業内の職場トラブル解決のためのインテリジェンス》
あらゆる企業で中間管理職が削減され、職場トラブル解決業務能力が持たされない中で、これからも職場トラブルが多発し、それが職場で解決出来ないときには社会事件やテロとなって勃発することは避けられない。そこで、職場内トラブルにも焦点を当てた紛争調整委員会なる公共事業が始められているのだ。
そこで、
「話し合い解決方法に至るステップ及び順序」
あっせん、職場内自主解決、団体交渉など、いずれにしろ合意調整に至るステップ及びその順序をどのように踏めば、合意調整の道が開かれるのかをまとめてみた。解雇事案ではなく、労働条件変更、成果・評価をめぐるトラブル、業務分担混乱がその中心的議題である。
1.合意調整に乗る意思が、双方にあるのかどうか(合意調整の小さな芽は育つか?)
2.論点・争点についての大よその整理が、労使双方暗黙のうちに存在するかどうか
3.妥協の条件となる「忌憚のない双方の意見表明」を交渉過程で経過したこと
4.「調停」可能な事項は整理されているか(代替措置を含む現行意思共通点)
5.わざと対決的思考に揺れ戻るなどの交渉リバウンドを体験したか
6.和解に向けた「共同行為や共同作業」の提案が双方から出されたか(将来措置中心)
7.合意内容をまとめる作業にあたり、関係者らを納得させる理由や大義をかき集めたか
8.「必要ならまたどうぞ」とのことで、合意調整を強制することのなかったこと
さて、注意ポイントとしては、妥協の最中に取引を持ち込むと合意は成り立たない。持ち込めば、「ほんなら、裁判に行こか!(関西弁)」となってしまう。
あるいは、交渉過程で、闇雲に事件に関する出来事を並べたてることは、目先の現象に振り回されることになり、ひいては感情的議論を呼ぶことになる。だからそのようなことを言い立てる人物には発言をさせないことが重要。
合意を破壊するような言葉が、交渉過程で出たときの対処法は、初心の合意調整に乗る意思が現れたときのエピソードを、すかさず話題とすること。決して、この瞬間に議論を吹きかけるとか、事実確認作業を行ってはならない。この瞬間の沈黙も嵐を呼ぶ。
個別企業内、職場内での合意調整テクニックが求められている昨今であるが、日本ではこの分野の研究開発が皆無であることも現実。これらの著者の約30年余にわたる経験・学習・研究成果を、ぜひとも多くの方に試していただき、研究を積み上げ発展させていただければと考える。
なお、あっせん機関(紛争調整委員会など)とは、職場内での話し合いが当事者のみでは、今述べたが促進されないから、第三者たるあっせん員やあっせん代理人を介在させて、合意調整を促進させようとする制度であるから、念のため。
《解決実績の高い「あっせんや和解」のインテリジェンス》
労働分野や労働法で用いられる Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米から導入されたものである。もともとはラテン語から来たもので、あっせんは「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくもので、とりわけ戦後導入された概念は、この意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質(公務員用や世間体向き)したものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は労働分野での意味とは異なって使われている。とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることに至っては、「和睦や和議」(本来持っていない概念)にも用いるようになったのである。もともと日本に Reconciliation(和解)の概念はなかったのである。
Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解には加えて将来措置をどうするかを含むものであるが、将来措置の有無に調停と和解との差異がある。Reconciliation を Conciliation でもって Consult(とりなす)のであって、Mediation のときには Conciliationでもって Mediate(とりなす)ということになるのである。このような概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
ところで、日本において、ひとたび職場のトラブルが裁判所に持ち込まれれば、法律の「裁判規範」の側面が使われる。しかしながら、個別企業内やあっせん機関(紛争調整委員会)においては、同じ法律の「行為規範」の側面が使われる。遠山信一郎中央大学教授の月刊社会保険労務士7月号の表現を借りれば、「行為規範は、いわば『主人公の行為規範』ともいうべきもので、労働者が主人公となって自分の裁判を行使する場面、使用者が主人公となって労務管理をする場面、行政機関が主人公となって労働行政を行う場面で、それぞれ行動・活動する規範として働きます」となる。例をあげると、ある労働者が解雇されたとしても、事業主が労働基準法18条の2の規定に反していることに気がついた段階で、当該解雇を事業主が無効にする場面、これが「行為規範」の作用しているケースである。もちろんのこと、事業主が無効とするために裁判を待つ必要はない。解雇した労働者との和解も不要。事業主が無効とすれば、元から何も無かった事になるのだ。これは、考えてみれば当たり前のことなのだが、一般人の無知や労働裁判形骸化を良いことに、専門弁護士でもないのに一角の「法律家?」と称して「裁判規範風理屈」を振りまく素人がいるから混乱を招くのだ。
裁判制度なのかあっせん制度か、対決的解決なのか合意調整解決かの二者択一の二元論とは異なり、その両方を兼ね備える新社会共同体の形成、若しくは社会合理性のある社会共同体のへの変更過程、とりわけ、その変更プロセスが可視範囲となれば、新社会共同体が形成段階であっても安定することになる。「あっせん代理人」の活用による、Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の解決も、ひとつの新社会共同体安定へのプロセスなのである。ついでだが、現在のような Conciliation(斡旋)とか Reconciliation(和解)の概念を先駆的に導入したアメリカが典型的なのであるが、労働紛争は、「労使関係」だけに限定せず「労働者間の紛争」も含める法体系となっており、日本のように事業主に間接責任を負わせるのではなく、直接責任を事業主に負わせることをも、社会合理性としている。
国民年金をめぐる社会保障制度のニュースが駆けめぐっている。社会保険庁が事実上、時間給労働者大半の厚生年金からの排除方針を実施していることから、厚生年金も崩壊し続けているのである。雇用制度を絡めて年金制度を社会合理性の視点から見直してみることも、これからの研究課題となる。何が言いたいかと言えば、
どんな国を作りたいのかと考えるのではなく、「どんな社会(共同体)が重要か」の視点が、社会共同体の変更プロセスを可視範囲とする手法提案なのである。もちろん目の前の個別企業内・職場での動きが最優先なのである。
2006/08/07
第52号
社会保険事務局・社会保険事務所の国民年金にかかる指揮命令系統を使っての組織的不祥事には、「新人事評価不良職員」とか、「業務命令違反者」とかのレッテルを貼られれば、将来発足する「ねんきん事業機構」と「全国健康保険協会」などへの採用がされないのではないかとの職員の不安が背景にあったものと思われる。すなわち、国会議員の年金情報をマスコミにリークしたのは社会保険職員であると決めつけ、「閲覧で処分を受けた職員は辞めさせろ」の圧力をかけて、「業務目的外閲覧による処分を重視しつつ勤務成績等に基づき公正な任用・採用を行う」などとする採用方向が固まりつつある中での「不良職員は採用拒否されるぞ!」との脅しの暗示が併用された組織的不祥事の疑い。国民年金の不正事務に関する「2000人懲戒処分」がなされれば、今や、社会保険庁内は、「不採用に脅かされ不正を行ったうえでの懲戒処分なのか?」をはじめとした、切った張ったの殺伐とした状況になることには間違いない。
社会保険庁の適用怠慢は、約3年前に当メルマガ(2003/09/09)に掲載した通りにその後も継続しており、例えば、いまだ非正規労働者を主力とする業務請負業者への適用促進は方針として出されていない。その数は全国で100万人強と推定される。この業務請負業界は、ほぼ全員が低賃金労働者であり、責任感のない事業主も多いことから、社会保険庁としては保険料回収に魅力がない!と、社会保険庁がこの30年ほど行って来た裏技行政から、そう判断せざるを得ない。パートタイマーは適当に書類審査、そこで今回の事件である。であるから、国民年金の事務不祥事で有名になった大阪社会保険事務局管内における職員のモラル&モラール低下のはなはだしさは肌で感じられていた。春からの被保険者加入状況調査は、大阪の主力社会保険事務所では単なる形式だけといった様子。
・源泉徴収納付書と人数を合わせるだけで、昔のような踏み込んだ調査なし。
・パートは居ないと言えば、それで調査は終わり。
・事業主が社会保険庁批判の抗議をすれば、調査時間短縮?
・調査期日を3回程度先送りの申し立てをすれば調査自体が消滅。
・「調査に来るな!捜査令状を持ってこい!」と暴言をはいた事業所にも調査消滅。
・VTRや写真撮影に逃げ惑う調査官、定時刻になれば調査終了。
・手土産を、労働保険の調査は必ず拒否するが、社会保険は持って帰る。
・未加入者は事業主届出をさせるので、届出保留しておき、そのうち退職。
このような大阪での腐敗混乱は、「大阪の長期不適切温床」の存在に関係することでもあるが、このままでは全国に波及・増加することになるかもしれない。「悪貨は良貨を駆逐する」。
ところで、厚生労働省本省が関与する労働者派遣事業のスタッフには加入促進を義務づけ、労働局も調査対象としている(「注目DATA」に関連記事)。この例が示すとおり、社会保険庁には、今や政策能力もなく実行する職員も居なくなった程度は通り越し、「倫理感を当該行政組織が破壊し続ける」と言わざるを得ない。
中坊公平の住専整理回収機構のときのように、約20,000人弱の職員のうち、トップから300人程度を裁判官、検察、弁護士、民間人、警察官などに入れ替えることでもすれば、社会保険庁や「ねんきん事業機構」の倫理感を回復することができるのかもしれない。
離職票発行手続きにおける退職労働者本人欄の署名押印については、本人との連絡が取れない場合は、事業所の代表者印鑑を押すことで運用されて来た。ほぼ全国的にこのような基準で行われている。ところが、この7月から大阪の安定所では本人記載欄への本人署名押印を義務づけ、連絡が取れないなどの場合は詳細な報告を求めることとなった。その理由として不適正な事件の急増が挙げられている。たとえば、本人の知らぬ間に自己都合退職の離職票が届けられるとか、退職届の偽造、退職していないのに離職票が届いたとの極端な事例もあるとのこと。従来からこのような問題が指摘されており、この動きは全国に波及する可能性が高い。7月26日現在、厚生労働省雇用保険課は、原則は「本人欄は本人が記載」との認識を示しており、間違いがあった場合は失業手当受給段階で本人が異議申し立てをすれば、ことは足りるとしている。
なお、退職届の偽造は有印私文書偽造となり、一度安定所に提出すれば公文書となるので返却はされない。離職票に本人署名押印欄があるので、これに手を加えると有印公文書偽造となる。失業給付の段階で、失業者本人からの失業給付を受給する安定所に対する「異議申し立て」によって、離職票発行を安定所の適用課が事業所に対して調査を行うこととなっている。この手の事件は単純な偽造程度から複雑な労使主張対立のものまで多岐にわたるが、単純な段階で違法アドバイスを行っている者は、意外にも社会保険労務士(不正には専門的知識が必要)の中に存在する。平成15年の、大阪西安定所管轄の事件で、ある社会保険労務士Aが会社の犯意に応じ偽造を教唆、訴訟になれば会社は一転して社会保険労務士Aの単独犯を主張、民事裁判は労使の和解が成立したが、有印公文書偽造の刑事訴追とAに対する損害賠償は未だ残っている。
この大阪でのニュースは、個別企業の現場では、いよいよトラブルが続出している現実を示すものだ。
国際労働機関(ILO)の報告によると、職場での暴力は欠勤や病欠、生産性の低下につながるとしている。威張り散らすことやセクシャルハラスメントも含まれる。欧州、開発途上国などでは増加傾向にあるとのことだが、一方、アメリカ、イギリスでは、物理的暴力が減少傾向にあるとしており、アメリカでは職場での殺人件数が93年の1000件から10年後の03年には630件に減少、イギリスでも、職場の暴力発生件数が、95年の130万件から03年の85万件に減少。増加傾向と減少傾向の差がどこにあるかは、最終的には研究を待たなければならないが、アメリカにはADR(労働問題の裁判外調整機関)、イギリスには仲裁局(労働問題の合意調整機関)の存在に注目しても良いのではないかと思われる。また、アメリカ、イギリスでは解決が必要とされる労働紛争には労使紛争に加え労働者間紛争も含まれている。これに対してフランスやドイツでは労働裁判所の制度が主流であり、発展途上国では労使紛争解決への理解や意識がまだまだ弱いのが現実である。
日本経済は内需・豊かさ・個人消費の脆弱さに加え、まだまだ「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供(日本沈没での、唯一個別企業の浮き輪)に、力を注ぎきれていない為に、景気回復とはいいながら危険な側面が現れてきている。景気回復論調とは異なる点をいくつか挙げてみると、
(1)アメリカの経済先行き不安で輸出の伸び低迷
(2)外資資金引揚げで株安により設備投資に陰り
(3)石油高騰で消費者物価上昇、医療費、介護料などの負担増で、個人消費の減退
(4)日本企業の外資系多国籍企業への転換、財界総理の経団連会長までが外資系(御手洗氏)
(5)世界中がアメリカ経済やドルの先行き不安を予想、日本経済への打撃の可能性
といったところである。これらを見据えて、小企業といえども個別企業の戦略を組み立てなければ、大手企業や時代に翻弄されるばかりなのである。「聞き心地の良い話」には注意が必要であるし、経済指標数値や金融は結果であり、豊かさの反映でもないのである。
とりわけ、内需・豊かさ・個人消費による抜本的な景気回復の立ち遅れは、格差や貧困の問題に現れ出ている。6月30日に発表した労働力調査によると、1953年の調査以来初めて、雇用者数は、5500万台に乗った、にもかかわらずである。
(1)OECDの05年2月公表、日本の貧困率は15.3%、先進国ではアメリカ17.1%に次ぐとのこと。
(2)国民生活基礎調査04年、世論調査でも「生活が苦しい」と答えた世帯は55.8%。
(3)日本銀行調査05年、貯蓄ゼロの世帯比率は23.8%
(4)生活保護世帯100万戸突破、年収が生活保護未満の収入者は最近のNHK調査400万人と推定
(5)総務省統計局の可処分所得の対前年比は、05年平均はマイナス0.8、だが06年1?4月はマイナス4.0、2.7、5.9、4.6と減少率が急増
加えて、職場や現場での現象は、熟練技能継承の停止、技術者養成の遅れ、職場での士気低下、指揮命令系統の崩壊、業務上精神疾患の増加、商品の品質低下、リコール激増、基本的安全管理の欠如が、特に大手企業でこれらが目立っている。
このような現象は、確かに世界的に起こっているものである。だからと言って、個別企業で、仕方がないとか身を任せて漂うのでは無為無策である。これでは経済学や歴史学を学び研究することを否定するもので、振り返ってみると、
(1)産業革命と機械打ち壊し運動、
(2)19世紀イギリスで工場法が制定、
(3)第一次大戦後アメリカのニューディール政策、
(4)第二次大戦後の連合国(国連)の枠組みなど、
(5)今、歴史構造が変わる動きが起こっていることは間違いがない。
物事を見据える必要のある個別企業の人事総務担当者は、研究者とまではいかないまでも、これを見過ごすことは致命的落度となる。そこで、物事を冷静に判断するための比喩的情報提供。…最低賃金引上運動(英国、ドイツ、スイス、スウェーデン、エストニア、リトアニア、スロバキア、ポーランド、韓国、タイ、ベトナム、ニュージーランド)、クールビズ要求(英国の労組)、新雇用法反対(フランス)、不安定雇用規制(イタリア)、日曜労働拡大反対(スイス)、労働条件をサービス労働者の出身国に合わせることを反対(EU諸国)、解雇自由・スト禁止などの労働法制改悪反対(オーストラリア)、労働時間弾力化反対(EU諸国)、労働法制改悪反対(EU諸国)、委託・外注化反対闘争(カナダ、メキシコ)、労働法改悪反対闘争(メキシコ)、契約社員制度廃止(フィリピン)、医療制度改悪反対(タイ)、年金改悪反対闘争(英国、ベルギー、ポルトガル)、社会保険制度改悪反対闘争(ギリシャ)、民営化反対闘争(インド)、郵政事業民営化反対闘争(EU諸国)など。
ところで、経済のグローバル化と言いながら、見落とされがちなのが実際の社会制度の内容である。グローバル化の先頭を走っているアメリカの場合、契約書など法的効力を持つ文書とか法令の中に、曖昧な文言が用いられていると、憲法上の自由の行使を抑制する傾向を生じることもあるとして、社会制度だけではなく社会習慣として、曖昧な部分が「文面上違憲無効」とされる。用語として使われるのは、Vagueness=法令の文言が「あまりにも一般的・抽象的なため、その命じる又は禁止する内容を一般人が読んで判断しえない」との概念である。本来の契約書や法令は効率的合理的なものであると考えられており、それにもかかわらず契約や法制度の制定に曖昧な文言が存在するため、一層の混乱や当事者関係の複雑性を生じる場合には、解釈の違いとか事情変化の問題と位置づけずに、もとより無効と考えてしまう概念である。
したがって、日本の個別企業の、経済商習慣、就業規則、その他社内規定においても、グローバルな社会制度への対応と人材育成が必要となってくる。旧態依然の意識や感覚では、物事は通用せず、いわゆる「曖昧さ」は、いくら日本的経営とか、日本の社会風土とかの弁明を付け加えたとしても、個別企業の経済の足を引っ張り、個別企業を社会不適合に陥らせることは間違いない。
社会保険庁の適用怠慢は、約3年前に当メルマガ(2003/09/09)に掲載した通りにその後も継続しており、例えば、いまだ非正規労働者を主力とする業務請負業者への適用促進は方針として出されていない。その数は全国で100万人強と推定される。この業務請負業界は、ほぼ全員が低賃金労働者であり、責任感のない事業主も多いことから、社会保険庁としては保険料回収に魅力がない!と、社会保険庁がこの30年ほど行って来た裏技行政から、そう判断せざるを得ない。パートタイマーは適当に書類審査、そこで今回の事件である。であるから、国民年金の事務不祥事で有名になった大阪社会保険事務局管内における職員のモラル&モラール低下のはなはだしさは肌で感じられていた。春からの被保険者加入状況調査は、大阪の主力社会保険事務所では単なる形式だけといった様子。
・源泉徴収納付書と人数を合わせるだけで、昔のような踏み込んだ調査なし。
・パートは居ないと言えば、それで調査は終わり。
・事業主が社会保険庁批判の抗議をすれば、調査時間短縮?
・調査期日を3回程度先送りの申し立てをすれば調査自体が消滅。
・「調査に来るな!捜査令状を持ってこい!」と暴言をはいた事業所にも調査消滅。
・VTRや写真撮影に逃げ惑う調査官、定時刻になれば調査終了。
・手土産を、労働保険の調査は必ず拒否するが、社会保険は持って帰る。
・未加入者は事業主届出をさせるので、届出保留しておき、そのうち退職。
このような大阪での腐敗混乱は、「大阪の長期不適切温床」の存在に関係することでもあるが、このままでは全国に波及・増加することになるかもしれない。「悪貨は良貨を駆逐する」。
ところで、厚生労働省本省が関与する労働者派遣事業のスタッフには加入促進を義務づけ、労働局も調査対象としている(「注目DATA」に関連記事)。この例が示すとおり、社会保険庁には、今や政策能力もなく実行する職員も居なくなった程度は通り越し、「倫理感を当該行政組織が破壊し続ける」と言わざるを得ない。
中坊公平の住専整理回収機構のときのように、約20,000人弱の職員のうち、トップから300人程度を裁判官、検察、弁護士、民間人、警察官などに入れ替えることでもすれば、社会保険庁や「ねんきん事業機構」の倫理感を回復することができるのかもしれない。
離職票発行手続きにおける退職労働者本人欄の署名押印については、本人との連絡が取れない場合は、事業所の代表者印鑑を押すことで運用されて来た。ほぼ全国的にこのような基準で行われている。ところが、この7月から大阪の安定所では本人記載欄への本人署名押印を義務づけ、連絡が取れないなどの場合は詳細な報告を求めることとなった。その理由として不適正な事件の急増が挙げられている。たとえば、本人の知らぬ間に自己都合退職の離職票が届けられるとか、退職届の偽造、退職していないのに離職票が届いたとの極端な事例もあるとのこと。従来からこのような問題が指摘されており、この動きは全国に波及する可能性が高い。7月26日現在、厚生労働省雇用保険課は、原則は「本人欄は本人が記載」との認識を示しており、間違いがあった場合は失業手当受給段階で本人が異議申し立てをすれば、ことは足りるとしている。
なお、退職届の偽造は有印私文書偽造となり、一度安定所に提出すれば公文書となるので返却はされない。離職票に本人署名押印欄があるので、これに手を加えると有印公文書偽造となる。失業給付の段階で、失業者本人からの失業給付を受給する安定所に対する「異議申し立て」によって、離職票発行を安定所の適用課が事業所に対して調査を行うこととなっている。この手の事件は単純な偽造程度から複雑な労使主張対立のものまで多岐にわたるが、単純な段階で違法アドバイスを行っている者は、意外にも社会保険労務士(不正には専門的知識が必要)の中に存在する。平成15年の、大阪西安定所管轄の事件で、ある社会保険労務士Aが会社の犯意に応じ偽造を教唆、訴訟になれば会社は一転して社会保険労務士Aの単独犯を主張、民事裁判は労使の和解が成立したが、有印公文書偽造の刑事訴追とAに対する損害賠償は未だ残っている。
この大阪でのニュースは、個別企業の現場では、いよいよトラブルが続出している現実を示すものだ。
国際労働機関(ILO)の報告によると、職場での暴力は欠勤や病欠、生産性の低下につながるとしている。威張り散らすことやセクシャルハラスメントも含まれる。欧州、開発途上国などでは増加傾向にあるとのことだが、一方、アメリカ、イギリスでは、物理的暴力が減少傾向にあるとしており、アメリカでは職場での殺人件数が93年の1000件から10年後の03年には630件に減少、イギリスでも、職場の暴力発生件数が、95年の130万件から03年の85万件に減少。増加傾向と減少傾向の差がどこにあるかは、最終的には研究を待たなければならないが、アメリカにはADR(労働問題の裁判外調整機関)、イギリスには仲裁局(労働問題の合意調整機関)の存在に注目しても良いのではないかと思われる。また、アメリカ、イギリスでは解決が必要とされる労働紛争には労使紛争に加え労働者間紛争も含まれている。これに対してフランスやドイツでは労働裁判所の制度が主流であり、発展途上国では労使紛争解決への理解や意識がまだまだ弱いのが現実である。
日本経済は内需・豊かさ・個人消費の脆弱さに加え、まだまだ「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供(日本沈没での、唯一個別企業の浮き輪)に、力を注ぎきれていない為に、景気回復とはいいながら危険な側面が現れてきている。景気回復論調とは異なる点をいくつか挙げてみると、
(1)アメリカの経済先行き不安で輸出の伸び低迷
(2)外資資金引揚げで株安により設備投資に陰り
(3)石油高騰で消費者物価上昇、医療費、介護料などの負担増で、個人消費の減退
(4)日本企業の外資系多国籍企業への転換、財界総理の経団連会長までが外資系(御手洗氏)
(5)世界中がアメリカ経済やドルの先行き不安を予想、日本経済への打撃の可能性
といったところである。これらを見据えて、小企業といえども個別企業の戦略を組み立てなければ、大手企業や時代に翻弄されるばかりなのである。「聞き心地の良い話」には注意が必要であるし、経済指標数値や金融は結果であり、豊かさの反映でもないのである。
とりわけ、内需・豊かさ・個人消費による抜本的な景気回復の立ち遅れは、格差や貧困の問題に現れ出ている。6月30日に発表した労働力調査によると、1953年の調査以来初めて、雇用者数は、5500万台に乗った、にもかかわらずである。
(1)OECDの05年2月公表、日本の貧困率は15.3%、先進国ではアメリカ17.1%に次ぐとのこと。
(2)国民生活基礎調査04年、世論調査でも「生活が苦しい」と答えた世帯は55.8%。
(3)日本銀行調査05年、貯蓄ゼロの世帯比率は23.8%
(4)生活保護世帯100万戸突破、年収が生活保護未満の収入者は最近のNHK調査400万人と推定
(5)総務省統計局の可処分所得の対前年比は、05年平均はマイナス0.8、だが06年1?4月はマイナス4.0、2.7、5.9、4.6と減少率が急増
加えて、職場や現場での現象は、熟練技能継承の停止、技術者養成の遅れ、職場での士気低下、指揮命令系統の崩壊、業務上精神疾患の増加、商品の品質低下、リコール激増、基本的安全管理の欠如が、特に大手企業でこれらが目立っている。
このような現象は、確かに世界的に起こっているものである。だからと言って、個別企業で、仕方がないとか身を任せて漂うのでは無為無策である。これでは経済学や歴史学を学び研究することを否定するもので、振り返ってみると、
(1)産業革命と機械打ち壊し運動、
(2)19世紀イギリスで工場法が制定、
(3)第一次大戦後アメリカのニューディール政策、
(4)第二次大戦後の連合国(国連)の枠組みなど、
(5)今、歴史構造が変わる動きが起こっていることは間違いがない。
物事を見据える必要のある個別企業の人事総務担当者は、研究者とまではいかないまでも、これを見過ごすことは致命的落度となる。そこで、物事を冷静に判断するための比喩的情報提供。…最低賃金引上運動(英国、ドイツ、スイス、スウェーデン、エストニア、リトアニア、スロバキア、ポーランド、韓国、タイ、ベトナム、ニュージーランド)、クールビズ要求(英国の労組)、新雇用法反対(フランス)、不安定雇用規制(イタリア)、日曜労働拡大反対(スイス)、労働条件をサービス労働者の出身国に合わせることを反対(EU諸国)、解雇自由・スト禁止などの労働法制改悪反対(オーストラリア)、労働時間弾力化反対(EU諸国)、労働法制改悪反対(EU諸国)、委託・外注化反対闘争(カナダ、メキシコ)、労働法改悪反対闘争(メキシコ)、契約社員制度廃止(フィリピン)、医療制度改悪反対(タイ)、年金改悪反対闘争(英国、ベルギー、ポルトガル)、社会保険制度改悪反対闘争(ギリシャ)、民営化反対闘争(インド)、郵政事業民営化反対闘争(EU諸国)など。
ところで、経済のグローバル化と言いながら、見落とされがちなのが実際の社会制度の内容である。グローバル化の先頭を走っているアメリカの場合、契約書など法的効力を持つ文書とか法令の中に、曖昧な文言が用いられていると、憲法上の自由の行使を抑制する傾向を生じることもあるとして、社会制度だけではなく社会習慣として、曖昧な部分が「文面上違憲無効」とされる。用語として使われるのは、Vagueness=法令の文言が「あまりにも一般的・抽象的なため、その命じる又は禁止する内容を一般人が読んで判断しえない」との概念である。本来の契約書や法令は効率的合理的なものであると考えられており、それにもかかわらず契約や法制度の制定に曖昧な文言が存在するため、一層の混乱や当事者関係の複雑性を生じる場合には、解釈の違いとか事情変化の問題と位置づけずに、もとより無効と考えてしまう概念である。
したがって、日本の個別企業の、経済商習慣、就業規則、その他社内規定においても、グローバルな社会制度への対応と人材育成が必要となってくる。旧態依然の意識や感覚では、物事は通用せず、いわゆる「曖昧さ」は、いくら日本的経営とか、日本の社会風土とかの弁明を付け加えたとしても、個別企業の経済の足を引っ張り、個別企業を社会不適合に陥らせることは間違いない。
2006/07/03
第51号
このメルマガをブログにまとめました。読者の方には今までと同じように、毎月1回メールも配信します。
ブログ画面上の検索用の小窓がありますので、ここに探したい単語を入力すると、一挙に検索できるようになりました。
また、現在、引き続き読者が増加しつつあることから、総務部メルマガに対するコメントもブログで受け付けることが出来るようにいたしました。貴重なご意見をいただき改善を図っていきたいと思います。何れの執筆者もジャーナリスト団体に所属はしておりますが、取材力量に限度がありますから、いただいたコメント全てに応対することが出来ないことを、ご了承いただきたく存じます。
→ http://www.soumubu.jp/blog1/blogger.html
今や日本の「大手企業+多国籍企業」といわれる人たちを除けば、経営者も労働者も、自らの利益や権利を守るためには、誰もが国家に頼らざるを得ない時代になっている。
この理屈を盾に、日本政府の官僚は力を蓄えつつあるようだ。しかしながら、国家公務員については、行政機関深部に影響力を持つ国公労
連(省庁別労働組合の連合体)が存在しており、この労働組合が人員削減どころか、先進国水準並みの公務員増員を掲げており、旧来の行政改革とは趣に大差のあることに注意が必要だ。政策課題が一致をすれば、高級官僚と国公労連は、労使協調どころか労使一丸となって進めている。高級官僚と国公労連幹部には、自民党後援会もあれば共産党後援会もあり、大学の同窓生も多い。現在の高級官僚が退いたとしても、場合によっては今以上に優秀な人材を国公労連幹部から補充することもできるのだ。この特殊事情が国鉄労働組合、全電通労働組合、全逓信労働組合などとは根本的に異なる。ちなみに、旧社会党・民主党後援会も存在するようだが、市民権はほぼなさそうだ。
「官僚の力が増している」とか、「国家公務員削減問題」のマスコミや識者論評の奥底にある、このような事情を見落とすと大きな勘違いとなるのだ。毎日のようにマスコミから流される社会不安の話題に同情してばかりはいられない。「大手企業+多国籍企業」などは、ニューヨークやシンガポールなどと日本を脱出した方が、極端に考えれば、利益や権利を守ることができる。
それにもまして、グローバル社会では、「ジャップ」が一番、信用されない。
日本経済、はてさて、果たして安心できるのだろうか。
いわゆる踊り場は過ぎたようだが、良い話ばかりでもなく、何処に危険があるのかとの話もない。経済成長との実感は未だ薄く、「豊かさ」まで行きつけるかとの見通しもない。そこで、ほとんどのマスコミ記者は飛び付かないが、実績には定評のある人たちで交わされているインテリジェンスをまとめてみた。
(1)日本国内の浮遊マネーからすれば、「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品は、世界的に売れることは分かっている。ところが投資先がない。だから、村上ファンド然り、マネーゲームや株式に回らざるを得ない。だとしても、2008年まで、新経済への設備投資は続くこととなり、その意味では好景気との見方が強い。
(2)例えば、スウェーデンは高品質の武器輸出国。日本製機関銃のように打てばビスが緩んでくるようなことはない。日本としては、日本文化に根ざした「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品生産を経済活動の主力としたい。しかしながら、その新経済を支える良質労働力が不足なのだ。その意味から、国を挙げての2007年問題であり、必死のフリーターやニート解消施策なのである。新経済を支える労働力が余っていれば、高齢者とフリーターといっても、ほったらかしにしておくのが経済の常識。「年寄りと役立たずは不要」との政策は完全にはずれた。皮肉にも橋本元総理は静かに逝った(7月1日)。
(3)「大手企業+多国籍企業」は日本を脱出した方が利益や権利が拡大する。かといって、made in japan を売り物にするしかないので、日本文化に根ざした優秀な労働力でもって、世界に通用する商品をつくらざるを得ない。だから、その効率を考えて日本に拠点をおくのだ。適当に売れる商品であれば、中国、インド、その後はアフリカ諸国が販売するからだ。中国や海外進出だ!と踊らされた個別企業は、やっぱり馬鹿を見た。
(4)製造・サービス・流通などの実物経済への投資と、「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品を、世界各地へ販売したいところだ。だが、これが低迷すれば、国内マネーはマネーゲームや株式に回る。現在、世界的には経済低迷傾向だから、オイルマネーもマネーゲームや株式に回る。そこで要注意は、アメリカ経済がクラッシュ(現在が危険状態)、加えて、北京オリンピック特需後の中国経済縮小は、一挙に日本へのマネー流入となる。その時期は2008年がポイントとなる。
(5)マネー流入のひとつの形は、大型ファンドによる、日本の有能な労働力を企業ごとM&Aする方法。一挙に escalation する。
(6)もうひとつの形だが、実物経済の上向きが期待出来ないと判断すれば、意外にも再びバブルの発生。その判断はオイルマネーが行ない、バブルの引き金を引く。今度ばかりは日本政府にコントロール出来ないかもしれない。それには宮沢元総理もびっくりとか。もちろんその後に、不良債権が山積みされる。
これらのインテリジェンスは意外なようだが、良くみれば現実味がある。事実、国際的な市場の厳しさとは、こういうものだ。ある意味、日本政府やマスコミに登場する人たちが、これらをハッキリと言わないことも、納得ができる。
だから、個別企業では2008年をメドに、新経済に向けた資産(特に企業としての、ヒト・情報・ノウハウ・モノ)蓄積を図ることと、次に、その後の異変を迎える準備が必要となるのである。新経済で重要な位置をしめる情報やノウハウの蓄積対策においては、「高学歴(判断力・分析力)者さえ雇えれば…」と考えていては、よほどの素人発想で、投資先は有能な人材を育成する「具体的人事管理の手立て」である。それも、北欧の能力開発先進国を大いに見習うことが急務である。とりわけ、海外投資や不良債権は、個別企業が新経済のもとで安定するまでは、極めて危険である。
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今や日本の「大手企業+多国籍企業」といわれる人たちを除けば、経営者も労働者も、自らの利益や権利を守るためには、誰もが国家に頼らざるを得ない時代になっている。
この理屈を盾に、日本政府の官僚は力を蓄えつつあるようだ。しかしながら、国家公務員については、行政機関深部に影響力を持つ国公労
連(省庁別労働組合の連合体)が存在しており、この労働組合が人員削減どころか、先進国水準並みの公務員増員を掲げており、旧来の行政改革とは趣に大差のあることに注意が必要だ。政策課題が一致をすれば、高級官僚と国公労連は、労使協調どころか労使一丸となって進めている。高級官僚と国公労連幹部には、自民党後援会もあれば共産党後援会もあり、大学の同窓生も多い。現在の高級官僚が退いたとしても、場合によっては今以上に優秀な人材を国公労連幹部から補充することもできるのだ。この特殊事情が国鉄労働組合、全電通労働組合、全逓信労働組合などとは根本的に異なる。ちなみに、旧社会党・民主党後援会も存在するようだが、市民権はほぼなさそうだ。
「官僚の力が増している」とか、「国家公務員削減問題」のマスコミや識者論評の奥底にある、このような事情を見落とすと大きな勘違いとなるのだ。毎日のようにマスコミから流される社会不安の話題に同情してばかりはいられない。「大手企業+多国籍企業」などは、ニューヨークやシンガポールなどと日本を脱出した方が、極端に考えれば、利益や権利を守ることができる。
それにもまして、グローバル社会では、「ジャップ」が一番、信用されない。
日本経済、はてさて、果たして安心できるのだろうか。
いわゆる踊り場は過ぎたようだが、良い話ばかりでもなく、何処に危険があるのかとの話もない。経済成長との実感は未だ薄く、「豊かさ」まで行きつけるかとの見通しもない。そこで、ほとんどのマスコミ記者は飛び付かないが、実績には定評のある人たちで交わされているインテリジェンスをまとめてみた。
(1)日本国内の浮遊マネーからすれば、「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品は、世界的に売れることは分かっている。ところが投資先がない。だから、村上ファンド然り、マネーゲームや株式に回らざるを得ない。だとしても、2008年まで、新経済への設備投資は続くこととなり、その意味では好景気との見方が強い。
(2)例えば、スウェーデンは高品質の武器輸出国。日本製機関銃のように打てばビスが緩んでくるようなことはない。日本としては、日本文化に根ざした「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品生産を経済活動の主力としたい。しかしながら、その新経済を支える良質労働力が不足なのだ。その意味から、国を挙げての2007年問題であり、必死のフリーターやニート解消施策なのである。新経済を支える労働力が余っていれば、高齢者とフリーターといっても、ほったらかしにしておくのが経済の常識。「年寄りと役立たずは不要」との政策は完全にはずれた。皮肉にも橋本元総理は静かに逝った(7月1日)。
(3)「大手企業+多国籍企業」は日本を脱出した方が利益や権利が拡大する。かといって、made in japan を売り物にするしかないので、日本文化に根ざした優秀な労働力でもって、世界に通用する商品をつくらざるを得ない。だから、その効率を考えて日本に拠点をおくのだ。適当に売れる商品であれば、中国、インド、その後はアフリカ諸国が販売するからだ。中国や海外進出だ!と踊らされた個別企業は、やっぱり馬鹿を見た。
(4)製造・サービス・流通などの実物経済への投資と、「高付加価値製品」とか「高水準サービス提供」の商品を、世界各地へ販売したいところだ。だが、これが低迷すれば、国内マネーはマネーゲームや株式に回る。現在、世界的には経済低迷傾向だから、オイルマネーもマネーゲームや株式に回る。そこで要注意は、アメリカ経済がクラッシュ(現在が危険状態)、加えて、北京オリンピック特需後の中国経済縮小は、一挙に日本へのマネー流入となる。その時期は2008年がポイントとなる。
(5)マネー流入のひとつの形は、大型ファンドによる、日本の有能な労働力を企業ごとM&Aする方法。一挙に escalation する。
(6)もうひとつの形だが、実物経済の上向きが期待出来ないと判断すれば、意外にも再びバブルの発生。その判断はオイルマネーが行ない、バブルの引き金を引く。今度ばかりは日本政府にコントロール出来ないかもしれない。それには宮沢元総理もびっくりとか。もちろんその後に、不良債権が山積みされる。
これらのインテリジェンスは意外なようだが、良くみれば現実味がある。事実、国際的な市場の厳しさとは、こういうものだ。ある意味、日本政府やマスコミに登場する人たちが、これらをハッキリと言わないことも、納得ができる。
だから、個別企業では2008年をメドに、新経済に向けた資産(特に企業としての、ヒト・情報・ノウハウ・モノ)蓄積を図ることと、次に、その後の異変を迎える準備が必要となるのである。新経済で重要な位置をしめる情報やノウハウの蓄積対策においては、「高学歴(判断力・分析力)者さえ雇えれば…」と考えていては、よほどの素人発想で、投資先は有能な人材を育成する「具体的人事管理の手立て」である。それも、北欧の能力開発先進国を大いに見習うことが急務である。とりわけ、海外投資や不良債権は、個別企業が新経済のもとで安定するまでは、極めて危険である。
2006/06/05
第50号
この4月から急激に、個別企業内における、事件、業務事故、うつ病、いじめ、いやがらせ事件が多発している。景気回復といわれる中での仕事の増加と言いたいところであるが、もう少し鋭く分析する必要がある。それは、新しい業態もしくはシステムによる仕事が増加したために発生していると見ることが妥当である。要するに、新業態・新システムを企画立案して実施したが、
(1)実施側には、業務遂行とか事故防止などのノウハウがまだまだ蓄積されておらず、
(2)実施に当たっての労働者の能力水準が担保されていないから高学歴者に仕事が偏る、
(3)新業態・新システムに投入する労働者の教育訓練が見切り発車の状態で、原因はここから来ている。
原因が分かったとしても、事故などが起こったときの契約上の損害、不測の事故への損害は、賠償しなければならず、前述の三つのポイントへの根本対策をとらない限り、その経済的時間的負担は大きくのしかかる。せっかくの新業態・新システムも、ただでさえ保守的な意見にさらされている状態であるから、とん挫せざるを得ない。「時期の早い遅いの問題だ」との意見にごまかされてはならない。
それは、今から50年前の高度経済成長の走りの時代にも、当時の新業態・新システムを導入して、次々と労災事故が多発した。事故を起こしたためにトラブル発生→損害の賠償→資金ショート倒産を多くの企業で招いた。当時は労働組合の実力行使が行われた。対策の遅れた事業所は無くなっていった。そして、現代では、信用失墜情報、公的機関への通報、目に見えない損失増などがパソコンや携帯電話によってもたらされることとなっている。
ところが、素人の担当者は、「規則の整備」であるとか、「コミュニケーション充実」などが防止・改善の本命と、すぐさま、錯覚してしまうのだが、そこには根本的な解決と事業の発展はない。素人の典型事例は、日本の身近に存在する安全性が世界で50位以下の航空会社、20年前から整備不良と言われて、知る人は乗らない国策航空会社を見れば良く分かる。昭和34年国会成立当初より資金破綻を覚悟してスタートした国民皆年金を運営している国営生命保険も、また然りである。
パソコン、POS、携帯などのIT機器を駆使して、新業態や新事業を進める場合には、従来の時間管理に加えて、従事者のスキル向上管理が重要となってきた。これから個別企業を豊かに且つ経済成長に導くには、人事部門が当該スキル向上管理を強化することが重要となった。従来から人事部門は労働基準法の労働時間に関する趣が強かったために時間管理にほとんどのエネルギーを費やし、新入社員教育を除いてはスキル管理を現場やラインに任せきりであった。ところが、新業態・新システムでは現場やラインでのスキル管理の容量が膨大となり手に負えなくなるとともに、業務との「衝突・摩擦」が続出し、結果、スキル未熟が業務遂行の足を引っ張ることとなっているのだ。だからこそ、人事総務部門が業務従事者のスキル向上のための管理(コントロール)を行って、新業態や新事業にマッチした体制を推進する必要があるのだ。
とりわけ、IT産業といわれる事業所で著しいのだが、やがてほとんどの業種に広がる。IT技術活用選択での、「広げるか低成長か」の豊かさや経済成長の選択となるからだ。IT機器を使って大量の情報を集積しての新業態や新事業においては、それぞれの職種や業種方面ごとの「判断力と分析力」が必要となる。ところが、まだまだ人事総務部門で、これに手が付けられることはなく、そのしわ寄せ理屈として、ただ単なる「高学歴者依存」に持ち込まれている。確かに、理論としては、「判断力と分析力」は高度な経済経営理論に基づく経験とノウハウには及ばないのは確かだが、それを持ち合わせる人材が極めて少ないものだから、これまたIT機器に依存しようとする悪循環が生まれているのが現実なのである。
さて、スキル向上管理のイメージが出てこなければ、具体的な方策が生まれてこない。現在成功して共通している項目をいくつかあげると、
(1)WEB掲示板を使い、部署やセクションを超えたOJTを促進
(2)正解のない未知分野に最新事例のケースメソッド
(3)能力開発やスキル向上の個別データ管理グループの存在
(4)技術革新に対応する外部教育やセミナー
(5)独自の社内資格認定グループミーティングを行っている
(6)上司の育成指導が(1)のデータ管理と相まって実施
といったところである。この6つの項目全体をマネジメントするのが人事総務部門という具合だ。
このような具体策を実施しないとか、形骸化しているにもかかわらず、単に「Knowledge Managementなんてなこと」を会社から強調し過ぎると、あるナショナルセンターの主張する「労働契約法と労働時間法制改悪のねらいは、8時間労働制を掘り崩し、“労使自治”を打ち出のコヅチにして、首切り・賃下げを自由化し、これまで勝ちとってきた判例の水準を崩壊させ、労働組合の組織化を妨害し、社会的地位を低下させるものだ」といった社会制度の呼びかけに、労働者は心情的賛同を持つのである。この組合が想定しているのは、「労働者は長時間で、コキ使え」であるとか、「労働者に浮かび上がるチャンスは不要、再起不能は運が悪いとアキラメロ!」といった経営者の姿勢。これを地で行くような個別企業であれば、一昔前のように集団的労使関係を形成してドンパチ戦うことが企業経営の安定?に寄与?するのかもしれない。ただし、これからの日本の経済社会においては、そんな個別企業は害悪というのが一般的な認識であるから、誰も味方をしてくれない。四菱自動車然り、外資系ハゲタカファンド、日系ハイエナファンドが短命な理由もここにある。表面的には合法でも、Hも逮捕、Mも逮捕と、社会はまだまだ真実を見抜き、良識的である。
話は飛んで、こう考えてみれば、日本は経済環境の大転換や変化の真っ最中。にもかかわらず、マスコミでのニュースが少ないところにも、取材能力の著しい低下が原因しているではないだろうか。それとも、(ある程度曖昧さが当然な)優良情報の速攻提供に対する、「まだ確定してない」とのクレームに、記者たちはビビッているのだろうか。行政機関のスポークスマンに成り下がったとの評価もある。仮に、人事総務担当者の目線を鋭くしたところで、個別企業の事業を進めるためのインテリジェンス:ニュースが、なんといっても少なすぎる。もしかすれば、ニュース配信事業自体が、新業態・新システムを待っているのかもしれない。ところで、筆者は、過去の話ばかりにとらわれないための具体策として、この数十年間、新聞を購読しない。
個別的労働関係紛争の増加に伴って、都道府県労働局に紛争調整委員会が設置された。これは、個別の企業内において、従来のように紛争解決能力を持ち合わせる余裕がないことや、労働裁判が形骸化していることから、政府の公共事業として行われているのだ。近年、世界の先進諸国では、集団的労使関係よりも個別的労使関係のトラブルが問題となっており、様々な解決方法がある中で、アメリカ・イギリスは日本と同じような方式での解決を図ろうとしているのだ。ADRといわれるが、国によってその趣旨は様々であるが、合意調整を図れるものなら裁判に持ち込まれ対決状態になる前に解決しようという目的は共通している。労働分野や労働法で用いられるConciliation(斡旋)とかReconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米とも共通のものである。もともとはラテン語から来たもので、斡旋は(何と何か別として)「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくものであるから、戦後導入されたものは、ほぼこの意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質してしまったものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は意味が異なって使われており、とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることとなり、いわゆる和解とは別概念である「和睦や和議」にも用いるように変質してしまっているのである。Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解にもっぱら必要な将来措置を含まないところに差異がある。ReconciliationをConciliationでもってConsult(とりなす)のであって、MediationのときにはConciliationでもってMediate(とりなす)ということになるのである。この概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
来年4月からの司法制度改革にあわせて、労働分野において、個別的労働紛争の和解を促進するために、あっせん代理人制度が充実される。いよいよ、そのための国家試験が6月17日の午後に行われる。社会保険労務士であることが受験資格であるが、訴訟代理人とは仕事の内容が異なり、法律家との位置付けでもない。第2回目は11月末の予定だが、本年度の受験申込者は2回合わせて9000人弱となっている。今のところ、合格率は、せいぜい20?25%の見通し(筆者)ではあるが、来年4月からの紛争解決制度充実のために、関係者一同は(筆者も含めて)50%合格のために、能力強化の万策を尽くしている最中である。ただし、主催者の厚生労働省は、「合格者が1000人でもかまわない」と明言しており、巷で横行する俗説のような最初の試験を易しくすることはあり得ず、会社に現在勤務中の有能な人材(将来あっせん代理人として活躍)にも期待する態度を表しているのだ。焦点の労働法制は、現在論議中の「労働契約法」であり、労働基準法の使用従属の関係にとどまらず、経済的従属関係の個別的労使関係も含めての、いわゆる公共事業としての労働安定政策を進めようとしている。この4月から実施の労働審判が今ひとつ関心を呼ばないのとは対照的だ。数千人のあっせん代理人を配置しての個別労働紛争解決制度強化は世界に類を見ない高水準政策で、文化経済学の面から、「高付加価値製品と高水準サービス商品」提供の経済政策基盤をつくる政策として、ますます重要になってくると思われる。
(1)実施側には、業務遂行とか事故防止などのノウハウがまだまだ蓄積されておらず、
(2)実施に当たっての労働者の能力水準が担保されていないから高学歴者に仕事が偏る、
(3)新業態・新システムに投入する労働者の教育訓練が見切り発車の状態で、原因はここから来ている。
原因が分かったとしても、事故などが起こったときの契約上の損害、不測の事故への損害は、賠償しなければならず、前述の三つのポイントへの根本対策をとらない限り、その経済的時間的負担は大きくのしかかる。せっかくの新業態・新システムも、ただでさえ保守的な意見にさらされている状態であるから、とん挫せざるを得ない。「時期の早い遅いの問題だ」との意見にごまかされてはならない。
それは、今から50年前の高度経済成長の走りの時代にも、当時の新業態・新システムを導入して、次々と労災事故が多発した。事故を起こしたためにトラブル発生→損害の賠償→資金ショート倒産を多くの企業で招いた。当時は労働組合の実力行使が行われた。対策の遅れた事業所は無くなっていった。そして、現代では、信用失墜情報、公的機関への通報、目に見えない損失増などがパソコンや携帯電話によってもたらされることとなっている。
ところが、素人の担当者は、「規則の整備」であるとか、「コミュニケーション充実」などが防止・改善の本命と、すぐさま、錯覚してしまうのだが、そこには根本的な解決と事業の発展はない。素人の典型事例は、日本の身近に存在する安全性が世界で50位以下の航空会社、20年前から整備不良と言われて、知る人は乗らない国策航空会社を見れば良く分かる。昭和34年国会成立当初より資金破綻を覚悟してスタートした国民皆年金を運営している国営生命保険も、また然りである。
パソコン、POS、携帯などのIT機器を駆使して、新業態や新事業を進める場合には、従来の時間管理に加えて、従事者のスキル向上管理が重要となってきた。これから個別企業を豊かに且つ経済成長に導くには、人事部門が当該スキル向上管理を強化することが重要となった。従来から人事部門は労働基準法の労働時間に関する趣が強かったために時間管理にほとんどのエネルギーを費やし、新入社員教育を除いてはスキル管理を現場やラインに任せきりであった。ところが、新業態・新システムでは現場やラインでのスキル管理の容量が膨大となり手に負えなくなるとともに、業務との「衝突・摩擦」が続出し、結果、スキル未熟が業務遂行の足を引っ張ることとなっているのだ。だからこそ、人事総務部門が業務従事者のスキル向上のための管理(コントロール)を行って、新業態や新事業にマッチした体制を推進する必要があるのだ。
とりわけ、IT産業といわれる事業所で著しいのだが、やがてほとんどの業種に広がる。IT技術活用選択での、「広げるか低成長か」の豊かさや経済成長の選択となるからだ。IT機器を使って大量の情報を集積しての新業態や新事業においては、それぞれの職種や業種方面ごとの「判断力と分析力」が必要となる。ところが、まだまだ人事総務部門で、これに手が付けられることはなく、そのしわ寄せ理屈として、ただ単なる「高学歴者依存」に持ち込まれている。確かに、理論としては、「判断力と分析力」は高度な経済経営理論に基づく経験とノウハウには及ばないのは確かだが、それを持ち合わせる人材が極めて少ないものだから、これまたIT機器に依存しようとする悪循環が生まれているのが現実なのである。
さて、スキル向上管理のイメージが出てこなければ、具体的な方策が生まれてこない。現在成功して共通している項目をいくつかあげると、
(1)WEB掲示板を使い、部署やセクションを超えたOJTを促進
(2)正解のない未知分野に最新事例のケースメソッド
(3)能力開発やスキル向上の個別データ管理グループの存在
(4)技術革新に対応する外部教育やセミナー
(5)独自の社内資格認定グループミーティングを行っている
(6)上司の育成指導が(1)のデータ管理と相まって実施
といったところである。この6つの項目全体をマネジメントするのが人事総務部門という具合だ。
このような具体策を実施しないとか、形骸化しているにもかかわらず、単に「Knowledge Managementなんてなこと」を会社から強調し過ぎると、あるナショナルセンターの主張する「労働契約法と労働時間法制改悪のねらいは、8時間労働制を掘り崩し、“労使自治”を打ち出のコヅチにして、首切り・賃下げを自由化し、これまで勝ちとってきた判例の水準を崩壊させ、労働組合の組織化を妨害し、社会的地位を低下させるものだ」といった社会制度の呼びかけに、労働者は心情的賛同を持つのである。この組合が想定しているのは、「労働者は長時間で、コキ使え」であるとか、「労働者に浮かび上がるチャンスは不要、再起不能は運が悪いとアキラメロ!」といった経営者の姿勢。これを地で行くような個別企業であれば、一昔前のように集団的労使関係を形成してドンパチ戦うことが企業経営の安定?に寄与?するのかもしれない。ただし、これからの日本の経済社会においては、そんな個別企業は害悪というのが一般的な認識であるから、誰も味方をしてくれない。四菱自動車然り、外資系ハゲタカファンド、日系ハイエナファンドが短命な理由もここにある。表面的には合法でも、Hも逮捕、Mも逮捕と、社会はまだまだ真実を見抜き、良識的である。
話は飛んで、こう考えてみれば、日本は経済環境の大転換や変化の真っ最中。にもかかわらず、マスコミでのニュースが少ないところにも、取材能力の著しい低下が原因しているではないだろうか。それとも、(ある程度曖昧さが当然な)優良情報の速攻提供に対する、「まだ確定してない」とのクレームに、記者たちはビビッているのだろうか。行政機関のスポークスマンに成り下がったとの評価もある。仮に、人事総務担当者の目線を鋭くしたところで、個別企業の事業を進めるためのインテリジェンス:ニュースが、なんといっても少なすぎる。もしかすれば、ニュース配信事業自体が、新業態・新システムを待っているのかもしれない。ところで、筆者は、過去の話ばかりにとらわれないための具体策として、この数十年間、新聞を購読しない。
個別的労働関係紛争の増加に伴って、都道府県労働局に紛争調整委員会が設置された。これは、個別の企業内において、従来のように紛争解決能力を持ち合わせる余裕がないことや、労働裁判が形骸化していることから、政府の公共事業として行われているのだ。近年、世界の先進諸国では、集団的労使関係よりも個別的労使関係のトラブルが問題となっており、様々な解決方法がある中で、アメリカ・イギリスは日本と同じような方式での解決を図ろうとしているのだ。ADRといわれるが、国によってその趣旨は様々であるが、合意調整を図れるものなら裁判に持ち込まれ対決状態になる前に解決しようという目的は共通している。労働分野や労働法で用いられるConciliation(斡旋)とかReconciliation(和解)の概念は、近代自由主義思想として欧米とも共通のものである。もともとはラテン語から来たもので、斡旋は(何と何か別として)「つなぐ」という意味で、和解はReだから、もう一度つなぐという意味が含まれているのである。日本の法律も然り、近代自由主義(憲法)に基づくものであるから、戦後導入されたものは、ほぼこの意味と理解する必要がある。明治維新にも近代自由主義思想が導入されたことにはなっているが、途中で変質してしまったものだから、民法や裁判所で用いられる斡旋や和解は意味が異なって使われており、とりわけ和解には「示談や取引」も含むと解釈されることとなり、いわゆる和解とは別概念である「和睦や和議」にも用いるように変質してしまっているのである。Mediation(調停)は、両当事者の共通点や代替措置を見つけ出してつなぐ(Conciliation)ことであり、もう一度つなぐ(Reconciliation)和解にもっぱら必要な将来措置を含まないところに差異がある。ReconciliationをConciliationでもってConsult(とりなす)のであって、MediationのときにはConciliationでもってMediate(とりなす)ということになるのである。この概念でもって、近代自由主義の法令が作られていることを見過ごしてはいけない。
来年4月からの司法制度改革にあわせて、労働分野において、個別的労働紛争の和解を促進するために、あっせん代理人制度が充実される。いよいよ、そのための国家試験が6月17日の午後に行われる。社会保険労務士であることが受験資格であるが、訴訟代理人とは仕事の内容が異なり、法律家との位置付けでもない。第2回目は11月末の予定だが、本年度の受験申込者は2回合わせて9000人弱となっている。今のところ、合格率は、せいぜい20?25%の見通し(筆者)ではあるが、来年4月からの紛争解決制度充実のために、関係者一同は(筆者も含めて)50%合格のために、能力強化の万策を尽くしている最中である。ただし、主催者の厚生労働省は、「合格者が1000人でもかまわない」と明言しており、巷で横行する俗説のような最初の試験を易しくすることはあり得ず、会社に現在勤務中の有能な人材(将来あっせん代理人として活躍)にも期待する態度を表しているのだ。焦点の労働法制は、現在論議中の「労働契約法」であり、労働基準法の使用従属の関係にとどまらず、経済的従属関係の個別的労使関係も含めての、いわゆる公共事業としての労働安定政策を進めようとしている。この4月から実施の労働審判が今ひとつ関心を呼ばないのとは対照的だ。数千人のあっせん代理人を配置しての個別労働紛争解決制度強化は世界に類を見ない高水準政策で、文化経済学の面から、「高付加価値製品と高水準サービス商品」提供の経済政策基盤をつくる政策として、ますます重要になってくると思われる。
2006/05/08
第49号
ところで、6月いっぱいは、各省庁や自治体への陳情のシーズン。
陳情と言っても、とりたてて政治団体が陳情書を作って持って行くような、形式的パフォーマンスではない。個別企業その他の新規事業が、自らの事業が世の中(特に社会共同体にプラス)の役に立つ部分があるのなら、行政に意見をいえば、結構聞いてくれるということなのだ。国でも市でも、個別企業の事業規模や影響力に応じて、意見交換程度であっても、結構有効である。全て我が事のために行っている事業は論外で、反対に各省庁や自治体の政策と一致すれば話がまとまる。
誰に話に行くのかといえば、役所の建物の中の行政職員であり政策構想担当者である。その人は役所に入って聞けば分かる。役人は国家公務員法と地方公務員法によって秘密事項と定められているもの以外は、聞かれれば答えなければならない義務もあるのだ。決して議員ではなく議員を通せば成り立つ話も政治的影響でつぶれる場合がある。あくまでも行政官は政策構想の立場から話を聞くことになっているから、世の中の役に立つことや大義名分が必要なのである。
6月いっぱいということは、8月末ごろまでに来年度の政策構想を行政内部の担当者が決めて、これに基づき9月からヒアリング作業を開始するスケジュールをとっていることが多いためだ。来年度構想に間に合わせるためには、遅くとも6月中ということなのだ。
どんなものがあるかといえば、助成金の多くが、このような陳情から出発している。(TVでおなじみの国会議員の汚職は、利権が絡んでからの不正をしているときの話)。たとえば、人事総務の分野でいえば、変形労働、事業場外みなし労働、女子深夜労働解禁などの法律の不合理を対処して来た法改正も、もとはといえば、6月までの陳情(意見交換)からなのだ。世のため人のためになっていると自負しているだけではなく、いっそのことその部分は行政と一体となって事業を進めるのも、今の時代社会の要請なのである。社会共同体の発展に資するのはNPOやNGOだけに限られないのだ。
「高付加価値製品&高水準サービス」の二つの商品提供が、日本経済を再び盛り上げるとのことが、社会に広まって行くにつれ、日本が花形商品流行の世界的最先端であることが認識されるようになった。このため、海外移転ブームは収まることとなり、真の意味での国際分業体制が整いつつある。海外移転ブームに一喜一憂した企業は、今度は、これまた「コンサルタント先生」の国内立地メリット論を鵜呑みにすることとなっている。今では、「中国台頭・日本空洞化」の話は消えてなくなった。そのとき銀行からの根拠のない経済話に乗ってしまって、不良債権を積み増しした個別企業も少なくない。それがまたぞろ、財務省の景気回復の「掛け声」(数字のからくり)ムードに流されて、設備投資をしている企業も少なくない。日本経済の豊かさが目に見えて失われて行くにもかかわらず、数字のマジックによって投資を繰り返す人たちが後を絶たないのだが、経営者としては素人なので、本人は没落させられて行く対象である自覚がないようである。「お人好し経営者」には、バブルだ→中国進出だ→次はインドだ!(インドは日本を相手にしていない)→その後アフリカ(国連常任理事国必要論)だ!などと、次々と白昼夢の上映が続いている。
ところで、景気回復の掛け声とともに先行投資ブームの先頭に立っている花形産業がいくつかあるが、急激な人手不足を発生させている。IT産業といわれる企業では、ソフト開発者不足により、技能者の長時間不規則労働がこの春から続出しているようだ。1日4時間、1ヵ月100時間を突破しているのが通常となっている。この業界は技術者・技能者養成手法が未熟であるところに特徴があるので、仕事のできる人に業務が集中してしまっている。「人に任せるより、自分でやった方がよい!」、こうやって職人的に仕事を抱えるのだが、育成途中の労働者には業務を回すすべを知らないのも実情である。今や、IT関連の個別企業では、社員の2%の精神疾患休職者を抱えることを、経営者は覚悟するようだ。自殺者が出ると企業イメージがダウンするから、これは避けようと心がける。しかしながら、SEやプログラマーは純真な人が多いから、「なんとか仕事を消化しよう」とか、「なんとか自分で解決しよう」と心理的内面処理するものだから、精神疾患を多発する。ストレス障害、パニック障害は上司が見ても発見できない。表向き平静を装っているので、彼らの精神疾患は専門家でなければ、そのサインを発見できない。ときとして、その上司がすでに精神疾患になっているケースも数多い。目先が気になり、他人が気になり、計画が立てられず、やる気がなくなり、納期や上役に恐怖を感じ、職場内は異様な雰囲気である。このような現象は中小のソフト開発会社ではなく、大手企業で多発と思われる。綿密さを追求するがゆえに方向違いは酷い状況を招いているようだ。末端現場は共通して、仕事の振り分けや人事管理が未熟であるから、ほとんど中高生なみの精神論でもって、管理が行われているのが実態。精神疾患の回復は3年とも言われる。「一人前に育った技能者が、次々と討ち死に!」している。このままでは、「ある日突然欠勤する」のはラッキー、「なんで欠勤するのか!と怒ってマンションにいけば、自殺!」という恐怖がよぎる時代がやってくる。
ところで、旧来の人事管理哲学では弊害を生む時代になった。個別企業内で、「これが良いことだ」と決め事をすると、文書や規則に縛られてしまう錯覚が先走り、中間管理職を含めて中高生なみなものだから、そう受け取ってしまうのである。旧来の人事労務管理方式が通用しないことに気がついていないのである。この傾向は、IT産業に限ったことではない。花形企業でチヤホヤされている企業にも数多く発生している。IT産業に顕著に事例が出現するのは、IT産業に集中して資本が投下されているからであって、技術機器を数多く使用する、現代に応じた業務や人事管理が行われている個別企業には共通しているのである。上司より部下が優秀、上司は部下の仕事を把握できない、部下の意欲により業績が左右、このような特徴をもつ業種での業務管理は、現場でのディスカッション、強制を排して共感と自由による意思統一、業務計画・分担と改善活動の繰り返しがポイントとなってくる。旧来の社会適合性とか「しつけ」でもって業務管理を進めると、末端現場では中高生なみの管理に陥ってしまい、これでは上手くいかないものだから精神論が出たりハラスメントが続出することとなるのである。末端現場の作業に個別企業の将来の命運がかかっている業種なので、ここは早急に研究・改善をしなければならない、ということだ。
こんなおかげで、個別労働紛争のあっせん事件は、この春から急増中である。個別企業の管理者としても、いっそのこと「あっせん申請」でもって、それを契機に個別企業内に良いショックをもたらし、業務改善を行ないたいところなのである。その理由は(言っては悪いのだが)、「正直、中高生なみの管理監督者に、説明するのも疲れた」といったところ、だからである。個別企業内の具体的解決の期待をよそに、白黒はっきりつけようという裁判や労働審判は好まれない。「労働者側は、白黒はっきりつけたいはずだ!」と、そう思うかもしれないが、この4月から開始の労働審判の件数は、さほど伸びているように思われないのだ。
陳情と言っても、とりたてて政治団体が陳情書を作って持って行くような、形式的パフォーマンスではない。個別企業その他の新規事業が、自らの事業が世の中(特に社会共同体にプラス)の役に立つ部分があるのなら、行政に意見をいえば、結構聞いてくれるということなのだ。国でも市でも、個別企業の事業規模や影響力に応じて、意見交換程度であっても、結構有効である。全て我が事のために行っている事業は論外で、反対に各省庁や自治体の政策と一致すれば話がまとまる。
誰に話に行くのかといえば、役所の建物の中の行政職員であり政策構想担当者である。その人は役所に入って聞けば分かる。役人は国家公務員法と地方公務員法によって秘密事項と定められているもの以外は、聞かれれば答えなければならない義務もあるのだ。決して議員ではなく議員を通せば成り立つ話も政治的影響でつぶれる場合がある。あくまでも行政官は政策構想の立場から話を聞くことになっているから、世の中の役に立つことや大義名分が必要なのである。
6月いっぱいということは、8月末ごろまでに来年度の政策構想を行政内部の担当者が決めて、これに基づき9月からヒアリング作業を開始するスケジュールをとっていることが多いためだ。来年度構想に間に合わせるためには、遅くとも6月中ということなのだ。
どんなものがあるかといえば、助成金の多くが、このような陳情から出発している。(TVでおなじみの国会議員の汚職は、利権が絡んでからの不正をしているときの話)。たとえば、人事総務の分野でいえば、変形労働、事業場外みなし労働、女子深夜労働解禁などの法律の不合理を対処して来た法改正も、もとはといえば、6月までの陳情(意見交換)からなのだ。世のため人のためになっていると自負しているだけではなく、いっそのことその部分は行政と一体となって事業を進めるのも、今の時代社会の要請なのである。社会共同体の発展に資するのはNPOやNGOだけに限られないのだ。
「高付加価値製品&高水準サービス」の二つの商品提供が、日本経済を再び盛り上げるとのことが、社会に広まって行くにつれ、日本が花形商品流行の世界的最先端であることが認識されるようになった。このため、海外移転ブームは収まることとなり、真の意味での国際分業体制が整いつつある。海外移転ブームに一喜一憂した企業は、今度は、これまた「コンサルタント先生」の国内立地メリット論を鵜呑みにすることとなっている。今では、「中国台頭・日本空洞化」の話は消えてなくなった。そのとき銀行からの根拠のない経済話に乗ってしまって、不良債権を積み増しした個別企業も少なくない。それがまたぞろ、財務省の景気回復の「掛け声」(数字のからくり)ムードに流されて、設備投資をしている企業も少なくない。日本経済の豊かさが目に見えて失われて行くにもかかわらず、数字のマジックによって投資を繰り返す人たちが後を絶たないのだが、経営者としては素人なので、本人は没落させられて行く対象である自覚がないようである。「お人好し経営者」には、バブルだ→中国進出だ→次はインドだ!(インドは日本を相手にしていない)→その後アフリカ(国連常任理事国必要論)だ!などと、次々と白昼夢の上映が続いている。
ところで、景気回復の掛け声とともに先行投資ブームの先頭に立っている花形産業がいくつかあるが、急激な人手不足を発生させている。IT産業といわれる企業では、ソフト開発者不足により、技能者の長時間不規則労働がこの春から続出しているようだ。1日4時間、1ヵ月100時間を突破しているのが通常となっている。この業界は技術者・技能者養成手法が未熟であるところに特徴があるので、仕事のできる人に業務が集中してしまっている。「人に任せるより、自分でやった方がよい!」、こうやって職人的に仕事を抱えるのだが、育成途中の労働者には業務を回すすべを知らないのも実情である。今や、IT関連の個別企業では、社員の2%の精神疾患休職者を抱えることを、経営者は覚悟するようだ。自殺者が出ると企業イメージがダウンするから、これは避けようと心がける。しかしながら、SEやプログラマーは純真な人が多いから、「なんとか仕事を消化しよう」とか、「なんとか自分で解決しよう」と心理的内面処理するものだから、精神疾患を多発する。ストレス障害、パニック障害は上司が見ても発見できない。表向き平静を装っているので、彼らの精神疾患は専門家でなければ、そのサインを発見できない。ときとして、その上司がすでに精神疾患になっているケースも数多い。目先が気になり、他人が気になり、計画が立てられず、やる気がなくなり、納期や上役に恐怖を感じ、職場内は異様な雰囲気である。このような現象は中小のソフト開発会社ではなく、大手企業で多発と思われる。綿密さを追求するがゆえに方向違いは酷い状況を招いているようだ。末端現場は共通して、仕事の振り分けや人事管理が未熟であるから、ほとんど中高生なみの精神論でもって、管理が行われているのが実態。精神疾患の回復は3年とも言われる。「一人前に育った技能者が、次々と討ち死に!」している。このままでは、「ある日突然欠勤する」のはラッキー、「なんで欠勤するのか!と怒ってマンションにいけば、自殺!」という恐怖がよぎる時代がやってくる。
ところで、旧来の人事管理哲学では弊害を生む時代になった。個別企業内で、「これが良いことだ」と決め事をすると、文書や規則に縛られてしまう錯覚が先走り、中間管理職を含めて中高生なみなものだから、そう受け取ってしまうのである。旧来の人事労務管理方式が通用しないことに気がついていないのである。この傾向は、IT産業に限ったことではない。花形企業でチヤホヤされている企業にも数多く発生している。IT産業に顕著に事例が出現するのは、IT産業に集中して資本が投下されているからであって、技術機器を数多く使用する、現代に応じた業務や人事管理が行われている個別企業には共通しているのである。上司より部下が優秀、上司は部下の仕事を把握できない、部下の意欲により業績が左右、このような特徴をもつ業種での業務管理は、現場でのディスカッション、強制を排して共感と自由による意思統一、業務計画・分担と改善活動の繰り返しがポイントとなってくる。旧来の社会適合性とか「しつけ」でもって業務管理を進めると、末端現場では中高生なみの管理に陥ってしまい、これでは上手くいかないものだから精神論が出たりハラスメントが続出することとなるのである。末端現場の作業に個別企業の将来の命運がかかっている業種なので、ここは早急に研究・改善をしなければならない、ということだ。
こんなおかげで、個別労働紛争のあっせん事件は、この春から急増中である。個別企業の管理者としても、いっそのこと「あっせん申請」でもって、それを契機に個別企業内に良いショックをもたらし、業務改善を行ないたいところなのである。その理由は(言っては悪いのだが)、「正直、中高生なみの管理監督者に、説明するのも疲れた」といったところ、だからである。個別企業内の具体的解決の期待をよそに、白黒はっきりつけようという裁判や労働審判は好まれない。「労働者側は、白黒はっきりつけたいはずだ!」と、そう思うかもしれないが、この4月から開始の労働審判の件数は、さほど伸びているように思われないのだ。
2006/04/03
第48号
公益通報者保護法、労働審判法、新会社法、総合法律支援法(司法支援センター)など、社会の仕組みを変える制度が相次いで実施される。
ウィニーをはじめ情報漏洩事件において、その他の情報漏洩事件の対策に直接かかわっている経験からすると、ここには、いくつかの致命的共通点が見られる。
・情報をCDなどに取り込み事業場から手で持ち出していること。
・手で持ち出すことに対して、それを感知・防止する出入り口設備などがないこと。
・機密情報であること自体を理解していないので、気軽に持ち出すこと。
・個人情報の、開示可能先と漏洩開示禁止先の区分が周知されていないため、善意で開示。
・パソコン熟練者の、ウィニーなどを使いこなせると過信している重大な過失事故であること。
である。
パソコンを使えない者は情報漏洩に手を染めていないのは確かである。問題はパソコンの熟練者に対して、パソコンの技能・熟練より以前の、ごく初歩的基本的情報取扱の教育訓練がされていないところにある。一部のパソコン熟練者は「情報取扱訓練を免除されている」と錯覚している者さえいた。パソコンの使えない者も熟練者も次のような初歩
的基本的教育訓練が必要である。
1.いわゆる業務を遂行する過程で知り得る一切の情報につき、機密資料としての区分、機密資料名の具体的列記及び機密資料の守秘期 間などの機密若しくは秘密である旨を明示するなどして漏洩又は不当開示をしてはならない物を示し教育訓練すること。
2.いわゆる個人情報につき、これを取り扱う者に対して漏洩又は不当開示をしないための措置を、具体的に示し教育訓練すること。
3.法律上、個人情報を開示しても良い相手とその方法を明確にするなどの措置を示し教育訓練すること。
4.機密情報若しくは個人情報が漏洩又は不当開示がなされないように、これらの情報を取り扱う者(この場合、派遣労働者や外注業者の従事者も含む)に対して、就業規則整備、誓約書提出、その他契約などの方法で、担保措置をとり、その具体的内容を教育訓練すること。
5.施設、設備、機器並びにネットワーク環境等についての漏洩又は不当開示防止の措置を示し、それらの具体的な取扱を教育訓練すること。
以上のことの教育訓練後に、ここで初めて、誓約書など(例:無料ダウンロードHP)を提出させることが効果を生む。また、単に短い文章の「情報は漏らしません」とする程度の誓約書では、何れが機密情報や個人情報であることを、「知らなければ漏らしても構わない」ことを意味するものとなるのである。
得てしてパソコン熟練者ほど、内容を読まずに署名をしている。とりわけ、弁護士や経営コンサルタントの作成した規定には、漏洩や開示に関わる施設、設備、機器並びにネットワーク環境等について定められているものはほとんどなく、この部分を事故原因とする漏洩が大半を占めているのである。
近ごろ、製造現場などでは、業務請負や人材派遣が、品質悪化等を顕在化させているとして見直しが迫られている。made in Japan を支える技術の伝承とか安全性確保がなされなくなっている現場の実情を踏まえると安定した正社員の雇用を増やすことに傾きつつある。政府も2004年11月10日の参議院の「経済・産業・雇用に関する調査会」で経済産業省経済産業政策局長が、「コストだけで派遣を増やしたというのは、…強い製造業を作るという意味ではマイナスだ…強い競争力を持つためには終身雇用に戻した方がいい」と答弁していて、今もその考えに変わりは無い。業務請負よりも定年延長が、出荷製品には有効なのだ。(ただし、新卒正社員採用増加の動きとは別物)。
1986年に、初めて業務請負という形態が開発されたが、品質と地域密着の労働力需給に基盤をおいていたところに急成長の理由があった。それが一転して1997年ごろ(橋本内閣の時代の政策で終身雇用に終止符を打つための政策材料に派遣業界が話のダシにされた)から業務請負会社はコストと人工(にんく)の頭数に終始(=人材派遣と変わらない低品質)ばかりを追求したがために、「安かろう悪かろう」との社会評価を受けてしまったのだ。その結果の矛盾とホコロビだらけの業務請負と派遣業界は、果たして社会のニーズにこたえられるだろうか?
個別的労使紛争をどう解決するかの潮流は変わってきている。昔のように労働組合が関与する傾向(企業別組合方式と中間管理職の活躍)はますます低下傾向にある。
アメリカやイギリスでは、個別的労使紛争に対する制度的充実がADR方式で図られているが、このほど日本のADRの主力をなす紛争調整委員会のあっせん代理人の「研修(その後の国家試験=特定社会保険労務士)」に本年度分約9300人の応募があった。あっせん代理人の能力水準や試験合格率はともかくとして人口比率での研修応募者の人数は多い。人口は、アメリカ:2億8000万人、イギリス:6000万人だが、あっせん専門の代理人制度は両国ともに無い。これは、世界に先駆けての人事労務最先進国の日本における大実験である。一挙に数千人の代理人が出現し制度が充実することとなる。来年度以降は個別企業の人事・総務担当者に広がることが予想される。司法の場では労働審判も始まっている。
最近アメリカでは、人事労務に関するMBA取得者が急増しているようだ。個別的労使紛争激増に対して需要が急増しているのだ。じつは、ペンシルバニア大学、ダートマス・カレッジ、ミシガン大学が、アメリカMBAのトップ3とのこと(ハーバード、MIT、スタンフォードは研究重視型)だが、研究科によると、ペンシルバニアとミシガンで人事労務MBAが置かれているとのこと。就労先は大手企業、公務員、労働組合にわたり、女性の比率が多いとのこと。カリキュラムの内容、労使関係(labor relations or collective bargaining)や人事労務(human resource management or personnel)の重要性は、彼らなりに日本のものを学んだことは間違いないとのことである。
日本においても、昨年あたりから個人加盟の労働組合(コミュニティーユニオン)が、個別労使紛争を取り扱う発想が出て来た。それまでは、「組合員を増やす目的に沿って個別労使紛争のトラブルを扱う」としていたのだが、一転、「組合員増加よりも個々の要求実現が重要」との着想が発生し、 それまでの企業内組合一辺倒とか、 それまでの「企業内組合を階級的組合に変える方針」に対する理論的な徹底批判がされてきているのである。ここまでなら昔からあった話だが、47都道府県に組織があり政党までが絡んでいるから、注目に値するのだ。折しも、この4月1日から内部告発者保護法が施行されているが、この法律のきっかけとなった勢力と個別労使紛争への進出勢力は重なっていることを忘れてはならない。加えてこの動きは、先進国での潮流でもあるのだ。
ウィニーをはじめ情報漏洩事件において、その他の情報漏洩事件の対策に直接かかわっている経験からすると、ここには、いくつかの致命的共通点が見られる。
・情報をCDなどに取り込み事業場から手で持ち出していること。
・手で持ち出すことに対して、それを感知・防止する出入り口設備などがないこと。
・機密情報であること自体を理解していないので、気軽に持ち出すこと。
・個人情報の、開示可能先と漏洩開示禁止先の区分が周知されていないため、善意で開示。
・パソコン熟練者の、ウィニーなどを使いこなせると過信している重大な過失事故であること。
である。
パソコンを使えない者は情報漏洩に手を染めていないのは確かである。問題はパソコンの熟練者に対して、パソコンの技能・熟練より以前の、ごく初歩的基本的情報取扱の教育訓練がされていないところにある。一部のパソコン熟練者は「情報取扱訓練を免除されている」と錯覚している者さえいた。パソコンの使えない者も熟練者も次のような初歩
的基本的教育訓練が必要である。
1.いわゆる業務を遂行する過程で知り得る一切の情報につき、機密資料としての区分、機密資料名の具体的列記及び機密資料の守秘期 間などの機密若しくは秘密である旨を明示するなどして漏洩又は不当開示をしてはならない物を示し教育訓練すること。
2.いわゆる個人情報につき、これを取り扱う者に対して漏洩又は不当開示をしないための措置を、具体的に示し教育訓練すること。
3.法律上、個人情報を開示しても良い相手とその方法を明確にするなどの措置を示し教育訓練すること。
4.機密情報若しくは個人情報が漏洩又は不当開示がなされないように、これらの情報を取り扱う者(この場合、派遣労働者や外注業者の従事者も含む)に対して、就業規則整備、誓約書提出、その他契約などの方法で、担保措置をとり、その具体的内容を教育訓練すること。
5.施設、設備、機器並びにネットワーク環境等についての漏洩又は不当開示防止の措置を示し、それらの具体的な取扱を教育訓練すること。
以上のことの教育訓練後に、ここで初めて、誓約書など(例:無料ダウンロードHP)を提出させることが効果を生む。また、単に短い文章の「情報は漏らしません」とする程度の誓約書では、何れが機密情報や個人情報であることを、「知らなければ漏らしても構わない」ことを意味するものとなるのである。
得てしてパソコン熟練者ほど、内容を読まずに署名をしている。とりわけ、弁護士や経営コンサルタントの作成した規定には、漏洩や開示に関わる施設、設備、機器並びにネットワーク環境等について定められているものはほとんどなく、この部分を事故原因とする漏洩が大半を占めているのである。
近ごろ、製造現場などでは、業務請負や人材派遣が、品質悪化等を顕在化させているとして見直しが迫られている。made in Japan を支える技術の伝承とか安全性確保がなされなくなっている現場の実情を踏まえると安定した正社員の雇用を増やすことに傾きつつある。政府も2004年11月10日の参議院の「経済・産業・雇用に関する調査会」で経済産業省経済産業政策局長が、「コストだけで派遣を増やしたというのは、…強い製造業を作るという意味ではマイナスだ…強い競争力を持つためには終身雇用に戻した方がいい」と答弁していて、今もその考えに変わりは無い。業務請負よりも定年延長が、出荷製品には有効なのだ。(ただし、新卒正社員採用増加の動きとは別物)。
1986年に、初めて業務請負という形態が開発されたが、品質と地域密着の労働力需給に基盤をおいていたところに急成長の理由があった。それが一転して1997年ごろ(橋本内閣の時代の政策で終身雇用に終止符を打つための政策材料に派遣業界が話のダシにされた)から業務請負会社はコストと人工(にんく)の頭数に終始(=人材派遣と変わらない低品質)ばかりを追求したがために、「安かろう悪かろう」との社会評価を受けてしまったのだ。その結果の矛盾とホコロビだらけの業務請負と派遣業界は、果たして社会のニーズにこたえられるだろうか?
個別的労使紛争をどう解決するかの潮流は変わってきている。昔のように労働組合が関与する傾向(企業別組合方式と中間管理職の活躍)はますます低下傾向にある。
アメリカやイギリスでは、個別的労使紛争に対する制度的充実がADR方式で図られているが、このほど日本のADRの主力をなす紛争調整委員会のあっせん代理人の「研修(その後の国家試験=特定社会保険労務士)」に本年度分約9300人の応募があった。あっせん代理人の能力水準や試験合格率はともかくとして人口比率での研修応募者の人数は多い。人口は、アメリカ:2億8000万人、イギリス:6000万人だが、あっせん専門の代理人制度は両国ともに無い。これは、世界に先駆けての人事労務最先進国の日本における大実験である。一挙に数千人の代理人が出現し制度が充実することとなる。来年度以降は個別企業の人事・総務担当者に広がることが予想される。司法の場では労働審判も始まっている。
最近アメリカでは、人事労務に関するMBA取得者が急増しているようだ。個別的労使紛争激増に対して需要が急増しているのだ。じつは、ペンシルバニア大学、ダートマス・カレッジ、ミシガン大学が、アメリカMBAのトップ3とのこと(ハーバード、MIT、スタンフォードは研究重視型)だが、研究科によると、ペンシルバニアとミシガンで人事労務MBAが置かれているとのこと。就労先は大手企業、公務員、労働組合にわたり、女性の比率が多いとのこと。カリキュラムの内容、労使関係(labor relations or collective bargaining)や人事労務(human resource management or personnel)の重要性は、彼らなりに日本のものを学んだことは間違いないとのことである。
日本においても、昨年あたりから個人加盟の労働組合(コミュニティーユニオン)が、個別労使紛争を取り扱う発想が出て来た。それまでは、「組合員を増やす目的に沿って個別労使紛争のトラブルを扱う」としていたのだが、一転、「組合員増加よりも個々の要求実現が重要」との着想が発生し、 それまでの企業内組合一辺倒とか、 それまでの「企業内組合を階級的組合に変える方針」に対する理論的な徹底批判がされてきているのである。ここまでなら昔からあった話だが、47都道府県に組織があり政党までが絡んでいるから、注目に値するのだ。折しも、この4月1日から内部告発者保護法が施行されているが、この法律のきっかけとなった勢力と個別労使紛争への進出勢力は重なっていることを忘れてはならない。加えてこの動きは、先進国での潮流でもあるのだ。
2006/03/06
第47号
職業用語にはノウハウがある。今は、時代と経済の大きな変わり目であるから、使用する用語の概念に注目が集まってきている。
同じ漢字(チャイニーズキャラクター)であっても、時代や用いる目的によって意味が異なる。とりわけ、業界用語とその持つ意味は、その業界の専門的な職業ノウハウを凝縮した概念である。便利ではあるが使い道を間違うと大失敗を引き起こしてしまう。人事総務部門にも、相当多くのノウハウが含められている。
例えば…役所に提出する書類も、申請、申立、届出と、意味も作業内容も異なる。「申請」とは、法令に基づき行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。「申立」とは項目を明示して申出て、その項目についての認否、可否、有無などの対応や行政処分をすることを予想してのものをいう。「届出」とは、一定の事項の通知をする行為(申請を除く)で、法令により直接に当該通知が義務づけられているものをいう。
また、労働紛争分野における「和解」の考え方は、戦後日本に制度導入されたもので(Reconciliation)の概念が強く、もっぱら妥協の前提となる紛争当事者双方の主張・意見・意思などを、取り成す者が聞き取る等し→その過程において、代替措置からはじまり将来措置に及ぶまでの、当事者間の自発自覚的妥協形成をすることを意味する。同じ労働紛争分野の「調停」(導入された概念=Mediation)は、もっぱらとりなす(調停)者が聞き取り→共通点を発見して取り成し妥協を図るシステムで、調停成立にはある程度の「取引の要素」も含まれるので和解とは性格を異にする。和議、和睦は調停の段階である。法律面では、「民法上の和解」に和解や調停に加え示談も含まれる。裁判での和解は「訴訟上の和解」であるから、民法上の和解とは意味が異なる。だから、それぞれ和解と言っても、それに至る方法からもが、異なるのである。
あるいは、賃金体系の用語であれば、次の通りとなる。日給月給(出勤日数X日額)の賃金形態は、1日単位の仕事で、ほぼ毎日出勤して作業をする労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。月給制(月額?欠勤分を控除)は、出勤するのは当然だが、それにもまして、1日単位ではなく、1年、5年、10年とノウハウの蓄積をして熟練度を発揮してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。完全月給制(欠勤控除無し)は、出勤や時間にとらわれず、社会科学・人文科学・自然科学での技術の向上を期待し、ノウハウの蓄積と発揮を繰り返してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。時間給(就労時間X時間給)は、出勤が日によっても週によっても異なり、またシフトも異なり、反面さまざまな融通をきかせざるを得ないところの人たちのために使用される賃金体系とその呼び名ある。業務の態様や遂行体制から、時間給制の導入が必要にもかかわらず、賃金制度選択ミスで月給制をベースに賃金計算を行えば、日々の不合理が積み重なる(所定時間外?)だけでなく、賃金締め切り日には矛盾(法定休日?)が集積、それは労働基準法上の時間外割増賃金支払い義務(2年に遡る賃金不払い)となる。素人の選択ミスが、自覚のない労基法違反を積み重ねることとなり、さらに事業方針との不合理を生むのである。もちろん、ひとつの事業所に、時間給制、日給月給制、月給制、完全月給制の人たちが混ざり合っていても、今どきは、その方が効率的なのである。総務人事部門は、「餅屋は餅屋」、その専門家なのである。
戦後ずっと日本の経済は、供給が需要を上回っていたので、問題は供給サイドではなく需要サイドにある。この基盤に不良債権が積み上がったので、これが平成恐慌の原因であった。不良債権処理が一段落ついたとしても、そういった状態で供給側重視の規制緩和を進めれば、需要サイドがそのままなので景気は良くならない。むしろ、今の政策はデフレ圧力を強め景気を悪化させている。供給側が物を作っても売れないから、ますます価格破壊せざるを得ない。
事実、今までの構造改革とは「口先」だけだったから、日本経済のデフレは強まり平成恐慌は尾を引いている。ちなみに、昭和大恐慌の当時には、供給と需要のバランスを変える経済政策が行われた。科学的管理法(テーラーシステム)の大々的導入や大正ロマン時代に庶民があこがれた商品の普及、これにより恐慌から8年後の昭和12年には恐慌から完全脱出した。(ただし、日中戦争と戦争継続のため、贅沢禁止令もこの年に施行)。
おまけに、今の政府の経済政策が金融や株にばかり目を向けたために、肝心の経済の豊かさ分野に手をつけようとしないから、需要サイドがそのままなのだ。政府の経済中枢が、「改革の旗手?」は株式分割と粉飾決算の「金融詐欺師」だったことすらが、見抜けなかった。実はライブドアのホリエモンの手法がアメリカでは20年間で75件もの合併を繰り返し業界大手になったワールドコムの手法と酷似していたのだ。それは経済金融担当学者大臣の恐慌脱出作戦?に振り回されていたからだ。なぜ、こんなにお粗末なのかの原因のひとつに、在日アメリカ商工会議所の影が見え隠れしているとのストーリーも浮かび上がってきている。
さらにくわえて、日本経済も回復しつつあるかに見えるが、これも、政府が超緊縮政策と名のる財政支出と増税を同時に行いたいがための、「口から出まかせ」の色合い(統計の取り方)が見えてきた。ここが日銀の動向を見るポイントである。多くのエコノミストが指摘するように景気は本格的な回復にはほど遠い。雇用情勢改善?有効求人倍率が1.00になったというが、内実はパートなど非正規労働者に対する求人増によるものである。しかもこれが著しい地域格差の拡大を伴い北海道、東北、四国、九州、沖縄には地域社会の崩壊をもたらす厳しい失業情勢とのこと。厚生労働省は、全国7つの失業多発地域に、特別の失業対策を行うとの意向を、最近、持たざるを得なくなった。
確かに、日本政府の無力をよそに、海外市場のおかげで、それなりに回復できた部分もあった。ところが、国際経済環境も激変してきており、今まで日本の景気回復を支えてきたアジア経済が、最近は日本を素通りするようになった。日本の貿易収支の黒字は急速に縮小に向かっている。これまでのような輸出拡大によって国内景気が支えるという状況ではない。すでに多くの外資系金融機関はアジアの拠点を、治安の悪化した東京から香港・シンガポールに移している。日本の大手多国籍企業もニューヨークの本社移転を常に念頭においているのである。
だとすると、個別企業が地に足のついた事業を行うには、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供、これを世界に向けて多国籍展開することが大切との結論になる。幸いなことに、そのための基盤となる文化や労働力は、日本国内に存在するので、この成長路線に乗るための人材確保とノウハウ確立が、人事総務部門の重要な仕事となるのである。
人間関係動向調査のいくつかを見てみると、最近の職場内における、それなりの特徴が見受けられる。
仕事をする上では、小グループながらも「仲間思考で和気あいあいと進めたい」との職業観念が強く、それなりに職場の人間関係形成には成功している人が多い。これが満足感を高めている要因となっている。その背景には、日本での高校・大学の教育は、そのほとんどが一般従業員教育で、専門職業教育をしてこなかったところにある。したがって、学校とほぼ同様に、良好な職場人間関係形成を阻害する人(能力は無視)たちは排除される。表面に見える現象はゆるやかな仲間意識の強さだが、本質はそこにはない。
そして、この職場人間関係重視だから、多数の人たちは個別企業の事業活動の基盤にはなりえず、事業活動強化の経営方針を打ち出したとしても、この職場人間関係の土台の上にしか成り立たないのである。だから、もともと「新商品を思いついても事業展開ノウハウがなければ事業は成功しない」のであるが、この職場人間関係と衝突する確率の高くなるものが「利益率の高い新商品や事業展開」であるから、総務人事部門の尽力を必要とするのである。
さらにまた、お題目を唱える程度の年俸制や成果主義も、このような職場人間関係の土台に乗る内容部分は有効だが、有能なフロンティアははじき出される。とくに経営管理、商品開発、研究開発の部門の中枢人材には特別対策をとらなければ、見た目「こぼれ落ち」ている。だから、どのような名称の人事政策を流行させるかはともかく、個別企業内での職場人間関係の程度によって事業展開は制限され、中枢人材の特別対策の度合いには、厳重注視が必要となるのだ。
ところで、多くの人が職場人間関係を重視するのだが、統計の上からの判断では、一部の中枢を除き、賃金や処遇などでは満足感をもっていない労働者が多い。このため、土壌としてはハングリー精神を発揮しやすい。が、人間関係を重視なので根気強く仕事をする傾向は薄い。ところが、いわゆる「家庭生活」は全般に満足度が高いので、根気のないところに加え、ハングリー精神もやわらいで、これがまた職場での「波風も立たない程の無風の業務成績」に結びついていると思われる。だから小規模一発主義の行動パターンが目立つことになる。
日本の個別企業は、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供を至上命令として、この体制を個別企業で作り上げるしかないので、ここにも、人事総務部門の大きな役割が待っている。仲間意識の強い現象が表面に漂っているので錯覚しやすいが、くれぐれも、集団主義や組織主義の時代の手法は、そのすべてがマイナス効果となる。
同じ漢字(チャイニーズキャラクター)であっても、時代や用いる目的によって意味が異なる。とりわけ、業界用語とその持つ意味は、その業界の専門的な職業ノウハウを凝縮した概念である。便利ではあるが使い道を間違うと大失敗を引き起こしてしまう。人事総務部門にも、相当多くのノウハウが含められている。
例えば…役所に提出する書類も、申請、申立、届出と、意味も作業内容も異なる。「申請」とは、法令に基づき行政庁の許可、認可、免許その他の自己に対し何らかの利益を付与する処分を求める行為であって、当該行為に対して行政庁が諾否の応答をすべきこととされているものをいう。「申立」とは項目を明示して申出て、その項目についての認否、可否、有無などの対応や行政処分をすることを予想してのものをいう。「届出」とは、一定の事項の通知をする行為(申請を除く)で、法令により直接に当該通知が義務づけられているものをいう。
また、労働紛争分野における「和解」の考え方は、戦後日本に制度導入されたもので(Reconciliation)の概念が強く、もっぱら妥協の前提となる紛争当事者双方の主張・意見・意思などを、取り成す者が聞き取る等し→その過程において、代替措置からはじまり将来措置に及ぶまでの、当事者間の自発自覚的妥協形成をすることを意味する。同じ労働紛争分野の「調停」(導入された概念=Mediation)は、もっぱらとりなす(調停)者が聞き取り→共通点を発見して取り成し妥協を図るシステムで、調停成立にはある程度の「取引の要素」も含まれるので和解とは性格を異にする。和議、和睦は調停の段階である。法律面では、「民法上の和解」に和解や調停に加え示談も含まれる。裁判での和解は「訴訟上の和解」であるから、民法上の和解とは意味が異なる。だから、それぞれ和解と言っても、それに至る方法からもが、異なるのである。
あるいは、賃金体系の用語であれば、次の通りとなる。日給月給(出勤日数X日額)の賃金形態は、1日単位の仕事で、ほぼ毎日出勤して作業をする労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。月給制(月額?欠勤分を控除)は、出勤するのは当然だが、それにもまして、1日単位ではなく、1年、5年、10年とノウハウの蓄積をして熟練度を発揮してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。完全月給制(欠勤控除無し)は、出勤や時間にとらわれず、社会科学・人文科学・自然科学での技術の向上を期待し、ノウハウの蓄積と発揮を繰り返してもらいたい労働者のために使用される賃金体系とその呼び名である。時間給(就労時間X時間給)は、出勤が日によっても週によっても異なり、またシフトも異なり、反面さまざまな融通をきかせざるを得ないところの人たちのために使用される賃金体系とその呼び名ある。業務の態様や遂行体制から、時間給制の導入が必要にもかかわらず、賃金制度選択ミスで月給制をベースに賃金計算を行えば、日々の不合理が積み重なる(所定時間外?)だけでなく、賃金締め切り日には矛盾(法定休日?)が集積、それは労働基準法上の時間外割増賃金支払い義務(2年に遡る賃金不払い)となる。素人の選択ミスが、自覚のない労基法違反を積み重ねることとなり、さらに事業方針との不合理を生むのである。もちろん、ひとつの事業所に、時間給制、日給月給制、月給制、完全月給制の人たちが混ざり合っていても、今どきは、その方が効率的なのである。総務人事部門は、「餅屋は餅屋」、その専門家なのである。
戦後ずっと日本の経済は、供給が需要を上回っていたので、問題は供給サイドではなく需要サイドにある。この基盤に不良債権が積み上がったので、これが平成恐慌の原因であった。不良債権処理が一段落ついたとしても、そういった状態で供給側重視の規制緩和を進めれば、需要サイドがそのままなので景気は良くならない。むしろ、今の政策はデフレ圧力を強め景気を悪化させている。供給側が物を作っても売れないから、ますます価格破壊せざるを得ない。
事実、今までの構造改革とは「口先」だけだったから、日本経済のデフレは強まり平成恐慌は尾を引いている。ちなみに、昭和大恐慌の当時には、供給と需要のバランスを変える経済政策が行われた。科学的管理法(テーラーシステム)の大々的導入や大正ロマン時代に庶民があこがれた商品の普及、これにより恐慌から8年後の昭和12年には恐慌から完全脱出した。(ただし、日中戦争と戦争継続のため、贅沢禁止令もこの年に施行)。
おまけに、今の政府の経済政策が金融や株にばかり目を向けたために、肝心の経済の豊かさ分野に手をつけようとしないから、需要サイドがそのままなのだ。政府の経済中枢が、「改革の旗手?」は株式分割と粉飾決算の「金融詐欺師」だったことすらが、見抜けなかった。実はライブドアのホリエモンの手法がアメリカでは20年間で75件もの合併を繰り返し業界大手になったワールドコムの手法と酷似していたのだ。それは経済金融担当学者大臣の恐慌脱出作戦?に振り回されていたからだ。なぜ、こんなにお粗末なのかの原因のひとつに、在日アメリカ商工会議所の影が見え隠れしているとのストーリーも浮かび上がってきている。
さらにくわえて、日本経済も回復しつつあるかに見えるが、これも、政府が超緊縮政策と名のる財政支出と増税を同時に行いたいがための、「口から出まかせ」の色合い(統計の取り方)が見えてきた。ここが日銀の動向を見るポイントである。多くのエコノミストが指摘するように景気は本格的な回復にはほど遠い。雇用情勢改善?有効求人倍率が1.00になったというが、内実はパートなど非正規労働者に対する求人増によるものである。しかもこれが著しい地域格差の拡大を伴い北海道、東北、四国、九州、沖縄には地域社会の崩壊をもたらす厳しい失業情勢とのこと。厚生労働省は、全国7つの失業多発地域に、特別の失業対策を行うとの意向を、最近、持たざるを得なくなった。
確かに、日本政府の無力をよそに、海外市場のおかげで、それなりに回復できた部分もあった。ところが、国際経済環境も激変してきており、今まで日本の景気回復を支えてきたアジア経済が、最近は日本を素通りするようになった。日本の貿易収支の黒字は急速に縮小に向かっている。これまでのような輸出拡大によって国内景気が支えるという状況ではない。すでに多くの外資系金融機関はアジアの拠点を、治安の悪化した東京から香港・シンガポールに移している。日本の大手多国籍企業もニューヨークの本社移転を常に念頭においているのである。
だとすると、個別企業が地に足のついた事業を行うには、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供、これを世界に向けて多国籍展開することが大切との結論になる。幸いなことに、そのための基盤となる文化や労働力は、日本国内に存在するので、この成長路線に乗るための人材確保とノウハウ確立が、人事総務部門の重要な仕事となるのである。
人間関係動向調査のいくつかを見てみると、最近の職場内における、それなりの特徴が見受けられる。
仕事をする上では、小グループながらも「仲間思考で和気あいあいと進めたい」との職業観念が強く、それなりに職場の人間関係形成には成功している人が多い。これが満足感を高めている要因となっている。その背景には、日本での高校・大学の教育は、そのほとんどが一般従業員教育で、専門職業教育をしてこなかったところにある。したがって、学校とほぼ同様に、良好な職場人間関係形成を阻害する人(能力は無視)たちは排除される。表面に見える現象はゆるやかな仲間意識の強さだが、本質はそこにはない。
そして、この職場人間関係重視だから、多数の人たちは個別企業の事業活動の基盤にはなりえず、事業活動強化の経営方針を打ち出したとしても、この職場人間関係の土台の上にしか成り立たないのである。だから、もともと「新商品を思いついても事業展開ノウハウがなければ事業は成功しない」のであるが、この職場人間関係と衝突する確率の高くなるものが「利益率の高い新商品や事業展開」であるから、総務人事部門の尽力を必要とするのである。
さらにまた、お題目を唱える程度の年俸制や成果主義も、このような職場人間関係の土台に乗る内容部分は有効だが、有能なフロンティアははじき出される。とくに経営管理、商品開発、研究開発の部門の中枢人材には特別対策をとらなければ、見た目「こぼれ落ち」ている。だから、どのような名称の人事政策を流行させるかはともかく、個別企業内での職場人間関係の程度によって事業展開は制限され、中枢人材の特別対策の度合いには、厳重注視が必要となるのだ。
ところで、多くの人が職場人間関係を重視するのだが、統計の上からの判断では、一部の中枢を除き、賃金や処遇などでは満足感をもっていない労働者が多い。このため、土壌としてはハングリー精神を発揮しやすい。が、人間関係を重視なので根気強く仕事をする傾向は薄い。ところが、いわゆる「家庭生活」は全般に満足度が高いので、根気のないところに加え、ハングリー精神もやわらいで、これがまた職場での「波風も立たない程の無風の業務成績」に結びついていると思われる。だから小規模一発主義の行動パターンが目立つことになる。
日本の個別企業は、「高付加価値製品と高水準サービス」商品の提供を至上命令として、この体制を個別企業で作り上げるしかないので、ここにも、人事総務部門の大きな役割が待っている。仲間意識の強い現象が表面に漂っているので錯覚しやすいが、くれぐれも、集団主義や組織主義の時代の手法は、そのすべてがマイナス効果となる。
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