2014/05/06

第145号

<コンテンツ>
日本経済は衰退どころか、崩壊しつつある!
財務官僚たちの資産食いつぶし手法
資産食いつぶす残業無賃金法案、解雇規制解除法案
戦前も然り、軍事・大蔵・内務官僚が国をつぶした!
情報とは…情報に誤魔化されない手法とは
   【インテリジェンス収集手法編
   【インフォメーション精度確認編
日本の重要なエネルギー源・森林を考える(事例研究)
   ☆彡そのうえで、新しい森林産業の起爆として、
次代の経済に通用する職業能力向上のヒント


§日本経済は衰退どころか、崩壊しつつある!
経済経営学の本質を学んだ人なら、日本経済の現状を察知することができる。本質をつかむ学習は大学の経済学を卒業する必要は無い。その分野の勘が鋭ければ17~18歳で察知できる。その後の学習というものは、その勘の鋭さの成功率を高める様なものである。日本経済新聞ばかり読んでいると経済経営の勘が鈍くなることは良く知られている。所詮景気判断は経済統計の発表を待つ必要もない。
今年の4月から小売店からは、一挙に客足が遠のいた。市街地の喫茶店も然り、多くの人がコンビニで100円コーヒーを買って出勤している。スーパーやデパ地下でも生鮮食料品の品数が少なくなり価格値上げ傾向は否めない。1人当たりの賃金も、正規社員の賃金改訂?にとどまり、非正規社員も含めれば、実際のところは21ヵ月以上減少し続けている。正規社員から非正規社員への労働力転換も益々加速している。日本はついこの間まで輸出大国だったが、今や一転して輸出は不振となり貿易赤字が急増している。この経済の衰退は、消費税が8%に増税されたことが一原因であるに留まらない。世界経済の構造転換で貧乏クジを引いてしまい経済崩壊にさしかかったと診るべきである。これは日本だけでなくアメリカも経済が衰退し各所で崩壊が始まっているからだ。
この期に及んで、個別企業がとるべき経営管理方針は、一気に不採算部門を整理してその他、負の連鎖を断ち切ることが必要である。それは、“コストカット”とは違う方法で、企業再構築の気構えで事業再構築をする必要がある。また、その事業再構築は資金投入に頼ると再び負の連鎖を拡大させる。日本人は今後、しばらくの間は衰退の中で生きることになるから、財務官僚始め魑魅魍魎とした周囲の、「資産食いつぶす手法」の罠にはめられないことが肝心である。あくまで会社形態は、ひとつの経済活動の手段にすぎないから、企業も個人もが連帯保障を避け、通貨による投資・資本投下は行わないことが肝要である。冷静な目で、「本来売れるものは、営業経費をかけずに売れる」と見極め、需要に応じた固有価値商品を提供する職業能力を、個別企業として磨くしかない。すなわち、現在の市場に対して、個別企業が組織している労働者の職業能力向上、新規職業能力の着眼点を広め、労働者を再組織することから始めるしかない。(参照:次代の経済に通用する職業能力向上のヒント)。


§財務官僚たちの資産食いつぶし手法
経済崩壊にさしかかったことから、アメリカの金融利回追求企業と日本の財務官僚たちは、過去から国内外に溜まっている資金・資産を目当てにして、新たに価値を生み出すのではなく不良債権を急増させている。すなわち、借金で官民の事業展開を進め、その事業展開に踊り狂う個別企業と拝金人間をかき集め、手っ取り早く資金を(回転させずに)流通させ、溜まっている資金・資産で補てん=不良債権処理させるといった、「資産食いつぶしの手法」である。その資金・資産とは、個別企業や個人が保有しているものを税金と社会保障費(=税金)の名目で財務官僚に集積させることである。低収入高齢者や母子家庭乳幼児には、ストレートな生命を脅かす選択が迫られるから、その周囲の人の個人資産までも脅かされる。
ここでの特徴は資金を回転させないことであり、経営分析の指標である資本回転率は限りなく1回転なのである。そのような資金を供給しようとするのは日銀なのだが、ここしばらくは日銀金融政策では間に合わないので、官僚たちは市中銀行に負担させる国債を使っての借金事業展開(公共事業などの形態をとる)とか、あげくは公的年金基金でもって最高価格水準にある株券(=値下がり気配株)の買いに入っている。
こういった手法は、資本主義の原則から逸脱している。資本主義経済を活発化させるには、広範な事業活動における経営者の、「自由と平等」が重要なのである。この経営者の自由と平等こそが社会の活気を生み出す源泉である。マイナンバー制も導入されることとなり、社会底辺の潤いまでもが税収となれば、封建時代のような重税による産業荒廃が引き起こされるばかりだ。
にも関わらず、この経済の衰退・崩壊過程にあって日本の政府や自治体の官僚たちの手法は、権力を背景にした不自由と不平等を経営者に押しつけるものとなっている。この場合の経営者の自由と平等は、労働者の自由・平等とは違う角度で分析する必要があるのだ。女性労働力問題も、女性が社会格差で活躍が阻害されているからこそ、女性の自由・平等も独自の角度で分析する必要がある。注意を要するのは、経営者の自由と平等だけが、単独で保障される社会は存在しないことである。むしろ経済的貧困、世界観(哲学)的貧困、文化芸術的貧困に落ちれば、「意欲・感動・希望」といった商品経済を支える要素に対して、人間は誰しも、経営者、労働者、女性の特質を超えて、「アキラメルこと」が蔓延する。
そこに宗教活動(宗教観ではない)が社会不安とともに活発化するのであるが、「アキラメ」の宗教も蔓延し、「希望」の宗教も芽を噴き出すことになるから、事態はややこしくなるのだ。加えて、大手マスコミは、その宗教活動めいた手段で売り上げ最優先の経営を行っていると言わざるを得ないのである。


§資産食いつぶす残業無賃金法案、解雇規制解除法案
さらに財務官僚たちは、
(A)それなりの経営手腕を持つ労働者に向けては残業無賃金法案を
(B)消耗品労働者の自発的増加に向けて解雇規制解除法案を
彼らは持ち出してきた。確かに現状は、正社員には残業無賃金が広がり、会議・報告・打ち合わせに要する時間が増えて労働力(労働ではない)価値が急速低下し、あげく正社員の時間単位当たりの賃金が低下していると診た方が妥当ではある。また、現代日本の社会制度のもとで解雇規制を外したならば、お局・イエスマン・ゴマすりといった者らが有能な人材の若芽を摘み取ることは間違いないのである。
だとすると、個別企業には教育や練習によって能力向上する人材はいなくなり、労働の固有価値を発揮する人材もいち早く退職することになる。それは既に、金融利回り追求型企業の内部運営定石パターンが証明しており、有能な若年経営者・労働者が海外脱出する事例の通りである。すなわち、事業ノウハウを蓄積した中堅・中小企業にとっては、財務官僚たちから利益源泉を恫喝されている事態なのである。
労働市場全体としては、一般正社員が棚卸しされて一般長期契約社員に変更することで、格差は広がると同時に、ここでも資産が食いつぶされる事態(配偶者、両親からの個人的援助の形で資産消耗)となる。事業・産業育成型の個別企業にとっては、職業能力とか固有価値労働の啓発、人材育成事業場援助、人材育成企業認定制度、そして雇用保険の失業金銭給付に変わり社会人職業教育現物給付の施策の方が重要なのである。ちなみに労働官僚たちには助成金が目的利用外消化されている実態が見えていないのだが…。
この法案には、労働官僚たちも大反発し、国会に提出される当座の法案は既に骨抜きをされている。だが将来的には、労働官僚といえども財務官僚から独立したグループではないから、徐々に財務官僚の締めあげを受ければ、労働官僚たちは財務官僚の言いなりになることも間違いない。残業無賃金法案、解雇規制解除法案というものは、筆者からから言わせれば、「稚拙な官僚機構社会づくり」としか映らないのである。
日本の個別企業は、おおまかには金融利回り追求型と事業・産業育成型のいずれかに軸足を置いている。中小企業ともなれば、この2つのいずれか一方に偏っているまでに至り、軸足を置くのではなく何れかに偏るものだから経営破たんするのも当然なのである。そういった中で、金融利回り追求型と事業・産業育成型との対決のように事態を語るものだから、いずれの選択肢を選ぶかの稚拙な二元論に陥りやすくなる。マスコミが持てはやす経済専門家も、この稚拙な二元論を振りまいて、本質のごまかしをかけようとしている。その本質とは、衰退・崩壊しつつあるアメリカ経済を資産食いつぶし手法でもって立て直そうとする手法、これそのものに群がる「財務官僚」と「お零れに潤う拝金人間」の傘下に入り、その手下になることである。それは当然の如く、「先着順」の者だけが潤う構造であり、その末端に群がる「貧乏人が新たな貧乏人を再生」するシステムであることは歴史が証明している。


§戦前も然り、軍事・大蔵・内務官僚が国をつぶした!
明治憲法(能力だけは平等に扱う建前だった)が制定されても、実態は能力を無視した官僚機構でもって国家運営を行ったものだから、美辞麗句を並べた結末は、経済・社会・文化に至るまで「大政翼賛会」にまとめていったのである。その手法は驚くことに、世界最高の官僚機構を形成した「社会主義のソ連」の真似をし、社会主義5ヵ年計画に類似したばかりでなく、日本人が好みそうな世界観や宗教観を背景にした用語や漢字を使って(スターリン時代のソ連のように)、個々人の思考や仕草への介入(特高警察)にまで至ったのである。スターリン式の計画経済や聖書連想語句(ロシア正教全般の教育土壌)の活用や、演説や論文に使う用語の頭に「革命の~」とか「人民の~」の語句を加えるとか、あるいは新しい簡略語を導入する(日本ではイニシャルではなく、多重複雑概念を持つ漢字のキャラクターを用いる手法)など、その見本は、「社会主義のソ連」に存在したのである。例えれば、「鬼畜米英」とか「凛(りん)」とか「決死」などで、言葉の意味ではなく、その言葉の使われ方で効果があるのだ。(元のソビエトの語彙とは反皇帝側のロシア正教同士の教会間連絡評議会の意味であった)。=官僚機構の運営手段に興味ある方は、『ソヴィエト文明の基礎』みすず書房、『ロシアとソ連 歴史に消された者たち-古儀式派が変えた超大国の歴史』河出書房新社などを参考に=
日本の官僚組織は、ある意味で現在もなお「ソ連官僚機構」の初期段階手法を活用することで維持されているようだ。それは財務官僚を筆頭に徐々に進められながらも地方行政官僚にまで至っている。また、日本の大手企業も官僚とともに蜜月を長年過ごして来たこともあり官僚機構が浸透していったし、大手企業の人事部門若手社員が厚生労働省通達を鵜呑みに活用する傾向が顕著である。労働組合の組織も政党もやはり、官僚機構の組織運営をまねることで終戦直後は大勢力を誇ったものの、ただし官僚的運営のため衰退の一途なのだが…。だから何かに付け素人は、この官僚機構の幻想に期待して、日本での物事を進める傾向が強い。いくら能力があっても、チヤホヤされた人物は、骨肉を削り貧乏を貫いても、当座は官僚機構に群がるものである。それは官僚機構とは異なる生活・運営手法を見たこともない無知に原因があるだけだが。


§情報とは…情報に誤魔化されない手法とは
ICTとは、インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーの省略であるが、現代的には情報にごまかされないことが重要となっている。「昔は情報源も少なかったことから、注目や監視にさらされて情報精度も高かった」といわれるが、そんな間の抜けた実態こそ昔から存在しなかった。情報という言葉自体が日本で作られた新語である。いちばん貴重な課題というのは、情報でもって大成果を成しえた人や集団の、「情報といった言葉の定義」である。
大成果を成しえた彼らを研究してみると、インテリジェンスとは、インフォメーションとは、とはっきりした区別をつけていることである。この2つを大そう混乱させて仕事をしている人たちは、今や文部官僚や文部科学省事業費になびく学者・研究者に多いのかもしれない。また、コミュニケーションとは、あくまでも「推論による意図理解」のことである。このように概念定義をすれば、余計な混同も防げる。
インテリジェンスとは、
ひとつの目的や理念を実現するのに有利なインフォメーションを取捨選択し、次に加工した解釈論理である。人間は3人以上で行動を共にするには、「哲学」さらには「世界観」が必要となるが、この目的・理念を実現するための解釈論理なのである。したがって、決して事実の羅列ではなく、事実関係がより明らかなのである。だから、主体的に収集する人にとっては、「面白い!」現象と要素とを含むことになるのである。
インフォメーションとは、
単なる事実の羅列であって、事実関係を表しているものではない。統計資料ひとつをとってみても、その統計の目的によって数値的事実が現われていたとしても、事実関係を表してはいない。あるひとつの目的・理念を実現するための解釈論理を筋道立てて証明(合理一貫性)した場合に、初めて事実一致性を裏付ける証拠としてしか、正式に使われることはないのだ。例えばアメリカ連銀は金融政策に雇用統計を重視するが、日本銀行は日本の失業率や有効求人倍率=雇用統計を金融政策に反映させない。過日、日本のマスコミ報道水準は先進国の中で最下位以下にランク付けされたとの発表があったが、それはこのインフォメーションが自由に流通しないことを意味しているにすぎない。すなわち、経営管理や人生設計その他に最も必要なインフォメーションは、現代社会にあっては数量に左右されないのである。

インテリジェンス収集手法編
手っ取り早い収集手法は、その人の思考や信条を把握した上で、学者やジャーナリストの研究成果を受け取ることである。だから今もって書籍による情報提供が重要な役割を果たすのが。とはいっても、殆どの場合に実際の事業展開や経営管理には役立たないから、専属の専門家やミニ・シンクタンクと顧問契約するしかない。自前で調査機関を作るほどの人材確保経費・調査費用を捻出するのは大手企業でも困難・不合理である。そこで、まずはインテリジェンス収集の「当たり」をつけるために、その方面の書籍を読みあさることが効果的である。統計資料、新聞記事などは殆ど役に立たない。WEBで探すものは、その方面にどんな書籍が存在するかを探すのである。すなわち、インテリジェンス収集の作業は、極めて主体的であり積極的な作業なのだ、決して情報に振り回されるような作業ではない。実際、「情報に振り回される」と自覚している人は職業能力に問題がある。加えて、例えばアメリカ連銀が金融政策に雇用統計を重視するが、日本の失業率や有効求人倍率を日銀は重要視しないといった理由を知ることも、目的・理念での合目的的なインテリジェンス収集作業には欠かせないことである。インテリジェンスとは昔の言葉で言えば「教養」といわれるものに似通っている。

インフォメーション精度確認編
イ)当たりをつけるためのインフォメーションを探す場合の精度確認は、その内容の「合理一貫性」ならびに「事実一致性」でフルイにかけて行く。
このフルイの要諦の例え話は、:ガリレオの地動説に対する天動説には比類なき合理一貫性が在ったが、地球が動いているという事実一致性がなかった:といった確認手法である。
ロ)もうひとつの要諦は、:事実確認を迫るときに、「そんな言い方はしていない」と逃げられる場合に、「あなたの意思表示のどことが異なりますか」又は「合理一貫性のある概念ならば同義語なのではないですか」と、確認を追求することで事実一致性の整理はつく。
少なからぬビジネス書や「他人からの持ち掛け話し」の多くは、こういった方法で即座に精度の低いことが判明する。官僚の話を、この「合理一貫性」ならびに「事実一致性」でフルイにかけてみると、有用性と誤魔化しは一目瞭然となる。
ハ)水際の手法としては、日常的に飛び込んで来る、断片的なインフォメーションは、独自の全く別のルート3本からのものが一致しない限り、すべての話は「話3分の1」と割り切って仕舞っておくことである。断片的インフォメーションを確認もせずに裏づけ証拠として使用すると、事実関係自体がひっくり返る。それは読者も冤罪事件報道でなじみ深いものだ。
ニ)様々な面談や会合に持ち出される話は、この「合理一貫性」ならびに「事実一致性」を整理した上でのペーパーを入手すれば、あなたの取捨選択の時間が省ける。相手方に促してもペーパーすらも出てこない様な話は、もとより検討の余地は希少だ。これが量的精度確認手法である。
……インフォメーションの活用と小田原評定に、圧倒的な正社員が会議・報告・打ち合わせに時間を費やしており、これが正社員の残業無賃金の原因にもなっている。またペーパーの取捨選択をアルバイトや末端社員にさせれば判断を誤る、官僚主義の第一歩だ。個別企業の経営者は、正社員のそういう働き方を嫌悪しているにも関わらず…。


§日本の重要なエネルギー源・森林を考える(事例研究)
日本は国土に占める森林の割合が非常に高い。ところが、この資源については全く活用されていないのが現状だ。なぜなら、おそらく、森林エネルギー活用は原発稼働問題を解決するかもしれないからだ。筆者の推論だが、終戦直後の農地改革でも山林は手をつけることが不能な要素をもつ程であったから、金融利回り追求型の資本や事業が食い込めなかった産業と考えられる。また特徴として、戦前までは炭や薪による生活熱エネルギー供給源であり、戦後復興期は住宅資材の供給源として、当時の生活文化産業の柱であったからだ。その後のエネルギー転換政策で、体よく産業政策から排除されていたことも否めない。また現状、ウワサとは異なり、国内の木材は大量乱伐しても外材よりも低価格で扱われている。そして今や、生息する森林や雑木林は超過密状態若しくは原生林化が進んでおり、山崩れ、保水力低下、鳥獣被害といった、「里山といわれる産業」の障害や破壊を引き起こしつつある。
ところがなぜか、学術界も住民意識も森林産業を農業とは別物のように受け止め、生活や経済の豊かさへの活用というよりも、もっぱら懐古趣味の対象として扱われている。政府の林業政策は、林業の事業規模集約化と東南アジア向け輸出といったテーマを掲げているが、あえて抵抗が多く座礁する着想を掲げることで政策を停滞させるといった、いつもの官僚たちの手法(彼らは素人ではない)にすぎない。唱えられている国土緑化政策も、環境意識の向上をかわすためのポピュリズム迎合に徹した、現実と相反する仮説や情報の洪水である。
筆者は、予期せず昨年末から森林経営をすることになった。
その役目は生まれながらであり、そのために教育投資のみ私自身には施されていたが、その経営に携わる時期は未定であった。このように経営を継承させる手法こそが、近江商人(武・農・商が一体)の真髄そのものの一端である。そこには一挙に新産業展開できる基盤も、近江商人(武・農・商が一体)の真髄なる流儀により整っている。そこで筆者は5ヵ月の調査研究を経て、滋賀県彦根市の市街地にある、「極めて珍しい木材家屋」を近江商人や地場の産業・環境研究の無料滞在施設にした。

☆彡そのうえで、新しい森林産業の起爆として、
鈴鹿山系北部に広がる山林は次のように産業開発をすることとした。
1.利回資本投下で事業展開するには、そぐわない資本回転型なので、需要側の資本投下に傾斜する。
2.森林産業を林業化してしまえば、木材その他資源は通貨価値を失うから、森林産業として展開する。
3.鳥獣被害は生態系バランスの歪みだから、森林産業として生態系バランスの起爆ポイントを実施する。
4.都市部への人口集中の激化で、緑化とICT機器による精神肉体安定事業は、都市の固有価値労働に不可欠である。
5.人間・化石・植物・自然のエネルギーバランス再編の創意工夫によりエネルギー費用が低下する。
6.その豊富なエネルギー効率供給により、固有価値労働を支え、「意欲・感動・希望」の商品生産基盤を作る。
7.需要からかけ離れた補助金漬の林業形態から、森林が生み出す固有価値商品への産業転換を強める。
8.新しい森林産業には、産業芸術家、学術研究家、需要側資本機能家、経世家たちの、職業能力と力量が必要である。
9.この産業開発の基地ともいうべき拠点は、ここである。
  http://www.youtube.com/watch?v=gB55xI-Yau4
……学術・技術・芸術から固有価値経営~固有価値労働に渡り、生活文化産業として固有価値商品の供給を、あらゆる人たちとの協力・提携を進めて行く戦略とした。協力・提携者を募っている。ピンと閃いた方は気軽にどうぞ。《連絡先:mail@soumubu.jp


§次代の経済に通用する職業能力向上のヒント
日本経済は、衰退過程どころか経済が崩壊しつつある。これはアメリカも同じことである。大半の人たちは、過去の遺物にしがみついて経済を維持しようと経済外の方策でもって現状維持しようとするのである。その経済とは、経済成長と経済の豊かさの両面に渡ってである。ところが、経済が崩壊過程に入ったとしても、社会の過去的又は将来的構造は維持されるから様々な矛盾が肌身で感じられるようになるのだ。衰退産業における個別企業は、同業他社が数多く廃業してくれれば、自社の売り上げが向上するから、目先の売り上げのため産業全体の構造改革は行わない。女性の社会進出といっても、現在の結婚制度の変更がなければ進展するはずもなく、ことに経済の豊かさを追求するには無理がある。
そこでは、次代の経済に通用する職業能力のメドを立てる必要が、個別企業も個人にも大切なってくるのだ。経済成長一本ヤリの着想だからこそ衰退→崩壊に向かうのは自明の理である。経済成長と経済豊かさは飛行機の左右の翼ではあるが、現在必要なのは経済の豊かさを良心として求める具体的行動の活発さなのである。ここに、経済活動の片肺飛行と失速の原因があるのだ。
次に、その研究のヒント例を示すが、こういった職業能力が普段に論理構成として学術展開されることが望まれる。それは、前回のメルマガでの「職業能力の練習による向上」の、次の分野に位置づけられるだろうが、もちろん個々の職業技能を早く習得した人材により、高い収益が得られるのは間違いない。(引用=中央公論新社:室井滋『玄人ですもの』(インタビュー集))
1.水戸岡鋭治(インダストリアルデザイナー)
 マンションの完成予想図:「人や花、木など、生活スタイルが見えてくること」
 電車のデザイン:「電車だけでなく、ホームにいる人がどんな動きをしてるか描き込むこと」
2.立川志の輔(落語家)
 「立ったり座ったり動いたりすると、感情が入りにくいんですよ」。
 「古典落語は無駄という無駄を削ぎ落として、人間のいちばん大事な感情だけで笑いを作っている」。
3.山口晃(画家:大和絵師)
 「得ることだけを念頭に描いた作品が、……その作品は全く売れない。描きたいものがあって一所懸命取り組んだものから売れて行きます」。
 「絵描きは100ヵ所を見に行くより、1ヵ所を百回見る方が才能か、と思うのです」。
4.金澤翔子(書家…障害があるため母親が代弁)
 「翔子は子どもの頃、右肩あがりという概念が理解できませんでした。楷書の基本中の基本のですが」。
 「書道で大事なのは形と線です。形は何年か鍛錬すればできますけれど、線は書く人の生き方や態度がそのままでます」。
 「翔子に指導してもらった子はすぐにわかります。言葉や理屈ではなく、体の重心移動で筆を運ぶことを覚えていますから」。
5.穂村弘(歌人)
 『雨だから迎えに来てって言ったのに傘もささずに裸足で来やがって:盛田志保子』
 …この解説として、「普通に傘をもって迎えにきたら、きっと3週間もすれば忘れる。でも。この体験をちょっと忘れない。……社会的な強制力の方が強いから、だんだんそういう思いを自ら消すようになる」。
 「女性は感覚が社会化されていないことがあって…。表情や間の取り方で、若者はすぐ見抜きます」。
6.日比野克彦(アーティスト)
 「美術が嫌いな子どもは、たいてい学校の図画工作や美術の授業で嫌いになる」。
 「リラックスというのは、けっして何もせずに居たりすることだけではないからね。いつもと違う時間の流れを、生活の中に入れることだと思います」。
 「絵を書くとき、人がこれを見てどう思うかという、相手の気持ちを思いやる感性がないと、独りよがりになってしまう」。
7.中島盛夫(銭湯絵師)
 「色は薄い色に濃い色を重ねて行くと、刷毛をあまり洗わなくて済む。使う絵具は赤、黄色、青、白の4色だけ」。
8.戸恒浩人(照明デザイナー)
 「ほの暗いなかでちょっと点いてる光が素敵に見えたり、建物が美しく見えたりする。今まで無駄な光がいっぱいあったということに、多くの人が気付いたんですね」。
9.戸島国雄(元警視庁鑑識課似顔絵捜査官)
 「まず(目撃者から)、どういう感じの人でしたか?どんな職業の人に見えましたか?と、見た瞬間の印象を伺います。……具体的な細部から聞く人(似顔絵師)もいますが、それだけではうまくいかない」。
 「だいたい描けて来ると、明るい雰囲気の人物か、暗いイメージかを必ず尋ねます。印象を大きく左右するので重要です。そのうち、描いている途中でワーッと泣き出す人(目撃者)がいる。そうなると、ほぼ完成です」。
 「鑑識撮影は、基本はフィルムです。というのも、デジタルカメラで撮影したものは、後でデータを変えられるため、証拠能力に乏しいのです」。
10.鎌田浩毅(火山学者)
 「火山灰は、タバコの灰とは違います。岩が細かく砕かれた、とげとげザラザラのガラスの粉のようなもので、目やのどに炎症を起こします。風で舞い上がり、雨が降れば固まってしまう。宝永の噴火では、江戸でも火山灰が積もって、1ヵ月以上住民を苦しめたと記録されています」。
 「最も恐れるのは、コンピューターがやられること。火山灰は静電気を帯びているので、冷却用の吸気口からコンピューター内部に入るといろんな場所に張り付く。その結果、軒並みダウン。……前回(宝永噴火)のような大噴火になったら東京ばかりか富士の風下にあたる関東全域で、そんな事態なる可能性を否定できません」。
 「(大噴火で避難する時は)、背広にグレーか紺のネクタイと決めていますよ。有事には信頼感安心感が大事ですから」。
11.本川達雄(生物学者)
 「小さなネズミの心臓の脈拍は速く、大きな象の心臓はゆっくりと打つ。拍動ではなく呼吸や一生の時間もサイズに関係しています。大きな動物は長生きで、小さな動物は早く死ぬ。ところが一生のうちに心臓を打つ回数は、ネズミも象もほぼ同じです」。
 「(沖縄の)居酒屋のおばちゃんが、今起きたことを即興で歌にして、歌いながら踊るんですよ。衝撃でした。これが本来の音楽だと思いまして…」。
12.遠藤秀紀(遺体科学者)
 「消防士は火事を選り好みしない。どんな火事でも消してこそプロなんだ。解剖学もそれと同じだと」。
13.原島博(コミュニケーション工学者)
 「3秒美人とは、街で見知らぬ人を一瞬見て、お、綺麗だという美しさ。3分美人は、いうなれば受付嬢や客室乗務員など職業的な笑顔を伴う美しさ。綺麗だと思っても、そこにはカウンターというバリアがある。それなりの距離を隔てて見る美しさです」。「30分美人、30分もコミュニケーションをとると、作り笑顔ではなくその人の素の表情が出てきて、そこに魅力を感じることができる。さらに3日話せばその人の人生観や価値観が見えて共感できる。それが3日美人。そして3年は、如何に素敵だと思って恋愛しても、3年持たせるのは大変なことです。3年一緒に過ごせるか否かで3年美人かどうかが決まる。俺も浮気はしたけれど、やっぱりおまえがいちばんだ、というのが30年美人」。
 「相手と自分との距離が近づけば、魅力としてみえる部分も変わる。だから、顔とは客観的に存在しているものではないのです」。
 「不安があると、美しかった過去にすがる生き方になりやすい。そんなつまらないですよ。将来こんな顔になりたいと未来に希望を持つ生き方の方が素敵です」。
14.大平貴之(プラネタリウム・クリエイター)
 「(プラネタリウムを)作る過程は理系、プレゼンテーションでは文系の世界に入って行く」。
 「最近は何事につけ、リスクを排除しますよね。子どもの頃色々と冒険していかないと、生きているという実感がどんどん乏しくなって行く。リスクに対する感覚も解らないまま大人になる人が増えて、発想力も育たない気がします」。
 「プラネタリウムがある科学館は大抵、官公庁や自治体が管理していて公共入札ですから、求められる仕様以上のものを作る必要がなかったのでしょう。僕はそんな事情を知らなかったから、作りたいものを作った」。
15.今尾恵介(地図エッセイスト)
 「昔の日本では市街地と農地がはっきり分かれており、町はコンパクトにまとまっているのは分かります。ところが最近は車で動くことが前提だから、住宅地がだらだらと郊外に広がっている」。「ヨーロッパでは、畑の真ん中に大型スーパーなどを建てられないように規制しているところもありますが、日本ではビジネス優先で、障害者や年配者には暮らしにくくなってきています」。
 「なぜ先祖様達が何度も津波の被害を受けながら、何百年、営々とそこに集落を作り続けて来たのか。そこがいちばん住むのに適していたからです」。「“川は昔の流れを覚えている”という言い方をします」。
……ここで注意が必要なことは、こういった人たちはバランス良く能力向上を図っていると思われる。決して、その方面の能力を闇雲に訓練練習して身に付けているのではない。すなわち、訓練練習した能力以上は身に付かず、むしろ劣化するのである、今の日本のように。

2014/04/08

第144号

<コンテンツ>
日本再生のための =基礎と実践の理論= 特集
  ・「夢と希望」こそが、正当な経済活動である。
  ・最新医学研究でも、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズム
  ・必ずしも通貨のみによって流通・交通・航路を行うわけではない
  ・「経済の成長」は、等価交換物としての通貨だけで計測される。
  ・そもそも公共事業その他は、良心の自由を柱に成り立つ
  ・現代日本女性への隷属的抑圧的社会システム
  ・実際に「経済の豊かさ」を創造生産している地場産業・新商品開発や地域

頭脳労働のメカニズムの解明
固有価値を生む労働の職業能力を育むための実験
実証=職業能力向上の「練習」、その方法の主旨
  1.質の高い練習方法は、正しい指導とフィードバックに集中する。
  2.集中せずに漫然と練習すれば、仕事も漫然となる。
  3.フィードバック反復練習の成功率で習得確認、計測、管理、項目設定を。
  4.習熟段階に併せ水準をアップ、可能な限り複雑なものを正しく。
  5.練習時間の80%を集中し、その人の得意な部分を桁外れに強くする。
  6.本番で、複雑さや不確実性の困難に直面しても余裕がでる方法。
  7.即刻!能力や才能を低下させる、危険行動と領域


§日本再生のための =基礎と実践の理論= 特集
日本経済が成長しているような雰囲気を醸し出すマスコミ報道は非常に多い。ところが、実態の景気は好転しているわけではない。ある瞬間の統計データだけを取り出して、さも全体を見通すかのような説明というのは、統計学に無知な人たちのすることである。実体経済や「経済の豊かさ」で日本の地位は転落の一途である。多くの評論家は、「番組視聴者の受け狙い」に走っているから、思い切った自分の考えを表すこともなく、奥歯に物をはさんだ表現ばかりである。そもそも、コミュニケーションとは「推論による意図理解」なのだが、奥歯に物をはさんだ表現でコミュニケーションは成り立たない。
そこで、今回のメルマガは、日本の経済と社会を再生するための、「基礎と実践の理論」の特集とした。「インフォメーション&通俗解釈」では、寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜにすぎない。大まかな結論は次の通りである。そして、その「基礎と実践の理論」に基づく、日常行動の具体策も提起している。
「現状を転換するには、創造性を柱においた経営方針が個別企業に必要である」
ということだ。多くの企業と人間が貧困に陥っても、浮かびあがっていることができる集団は、唯一このポイントに拠るのである。
創造性もなく、発展途上国と同様の水準で事業を回しているのであれば、日本が経済後退するのは当たり前のことである。メルマガを書きながら筆者が経験した、再生前企業体質そのままのJAL予約受付センターのようなものである。それは、国や地方の官僚たちが組織保身を前提とした政策をアレコレと打ち出し、あるいは民間企業の能力が無いゆえの「官僚手法の猿真似」に走る経営幹部・管理職たちが示す、経営管理(国家も基本は経営である)そのものである。すなわち、説明をきかなくても読んだだけで、「見るからに、空回り」といった経営方針や施策物ばかりである。この屁理屈自体をもっともらしく説明しようとするものだから、益々怪しげに陥るのだ。(大学でカントの哲学すら読まなかった似非秀才かな?) 経済政策全般から始まって、雇用分野の女性進出、保育士の確保といった、社会に影響を与えるような官僚の説明(政策?)もが、すべてが白々しいものである。社会保障や医療介護は予防や事業の創造性を募っていけば、消費税を増額し湯水の如くばらまく(交付による権力)必要など在りもしないのである。
似非なる秀才には、そういったことが解らない。第2次世界大戦前のドイツでは、ナチスが政権を維持するために、すべて前倒しの借金で失業者400万人の瞬間救済をした。労働者の福利厚生や娯楽にも、選挙の集票のために多額の国債を投入した、この事実は殆ど知られていない。その裏では、ナチス政策に異を唱える人物を、森や収用所でナチスは命を消していった。警察は殺人傷害を捜査せず全て見ぬ振りをした。すなわち何時の時代でも、似非秀才は、保身のために、実のところがバレないように、アレコレと何でもしてしまう種類でしかない。

「夢と希望」こそが、正当な経済活動である。
それが人間の生きる支えである。この生きる支えがあってこそ、「生命(いのち)を生きること」が社会擁護され、その基盤の上に個々人は尽力をするし、その組織は活気を帯びるのである。夢や希望が叶えられないような商品を、製造して売ろうとしても、そこに「心や気持ち」が注がれるわけがない。商品流通や小売り販売の歴史を見ても、良い?商品であっても、そこに「心や気持ち」が注がれているような行動がなされていたからこそ、成果をあげた例ばかりである。
固有価値が従来論じられてきた商品価値と大きく異なる点は、固有価値には「夢と希望」を含んでいることである。この「夢と希望」のために人類は自発的労働に携わることとなり、それが良心(内心)の自由と自覚されるときに、その固有価値商品の流通・交通・航路のために社会経済制度の変化もおこして来た。
注)商品価値の「固有価値」理論の果たす役割
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/149

従来の商品価値論では、その殆どが「ぼんやりした欲望全般」に基づいて経済活動が行われるとした曖昧なものであった。ところが、公共事業その他の経済外的強制の働く商品を除いた場合にあっては、そこには少なからずの、「意欲・感動・希望」の一体化した商品価値の3要件が含まれていたことは確かである。
注)固有価値の絵
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142

最新医学研究でも、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズム
が解明されつつある。この医学側面からも、人間は固有価値を商品その他に求め、あらゆる欲求全般のために活動するのではなく、唯一固有価値を創り満喫するために心身が動かなくなるまで活動し、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズムにより心身が自ずと長持ちすることが明らかにされて来た。それは各人のもつ宗教観をも変化させ、旧来宗教団体教義が問い直されつつある社会現象にも至っている。
医学的に
「意欲・感動・希望」の固有価値商品3要件ごとに説明すると、
☆ 意欲 =脊椎動物は総て意欲をもっている。その根源の例を挙げれば、血糖値が下がれば食欲が生まれ、血中ナトリウム(Na)が増加すれば水が欲しくなる、といった類いのものである。
☆ 感動 =人間はドーパミンの作用により、いわゆる大括りの快感を物理的に自覚・感じるのである。また、ノルアドレナリンの増加は脳内トップダウン思考や集中思考体調を促進させる。半面そのノルアドレナリン抑制は頭脳の創造的イノベーション作用に効果する。なお、覚せい剤やアルコールは、脳の思考停止をもたらすが、創造性や芸術性には全く何の関係もない、単なる依存物質である。
☆ 希望 =人が希望を持つということは、脳医学的にはおよその段階ではあるが、脳の左右の前頭葉部分の血流が促進される場合に希望が湧いて来る、左右が重要で、そのことが証明されている。
現在ここまで脳の作用について、最新の研究が進んでいる。そもそも、世間でよく話題とされる知能指数というものは、19世紀に発案されたものでしかない。その時の知能テストに対する環境や自覚気如何で、平均値を100とする上下20の、40点は誤差の範囲として判断される精度である。発案者によると、80点以上かそれとも未満かの判断でしかないとされている。それが現代では、ガードナーの「多重知能」(1985年)、言語、論理、数学、音楽、身体運動感覚、空間、人間関係の7つの能力が重なり合っているとされているのである。このガードナー自身も、さらに多くの能力(例えば、霊感的)を著して(1999年)いる。
注)「脳は創造する-そのメカニズムと育成法-」
新風書房:ケネス・エム・ハイルマン(2013年8月30日)

必ずしも通貨のみによって流通・交通・航路を行うわけではない。
そのときが、この固有価値が商品となる場合である。「意欲・感動・希望」の一体化した商品価値の3要件こそが固有価値を含む商品にほかならない。
とりわけ、「意欲・感動・希望」のなかでも、あえて「希望」の分野だけを取り出してみると、人間の体内物質によって反応するのではなく脳の前頭葉の働きが加わることによって形成されている。すなわち体内物質や薬物ではなく、人類が育んで来た「文化そのものによる価値」の形成がなされていることの裏付である。それが個人や集団の文化となって、文化資本として蓄積されることによって、通貨には置き換えられない固有価値の蓄積・創造生産が促進され、そのことによって、さらに経済活動の中での「経済の豊かさ」が形成されているのである。
それは、流通・交通・航路の過程において、その固有価値は商品を観た利用者に「足を止めてもらう程度の水準」を保っていなければならない。実際に計測され得る「経済の豊かさ」の尺度は、この「足を止めてもらう程度の水準」からが、第一歩は始まるのである。それは、いわゆる近代マーケティング手法の根本的な前提条件であり、これが無視されている市場(実態は市場とは言えない空間)では、経済外的強制を横行優先させるがために、労働者の職業能力劣化、市場流通量激減、不採算価格システムに陥っている。
「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」は固有価値が商品として流通・交通・航路していることの、人間関係における現象としての現われである。人間関係があってから、「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」が生まれるのではない、小売り販売の未熟者の陥る過ちである。ところが、芸術に名を借りた学芸会や品評会であれば流通・交通・航路が短絡的人間関係に左右されるばかりか、これに対して商品価格の「値がつく」わけがないのである。例えば、日本のクラシック音楽界は学芸会や品評会と言われる事例が圧倒的であり、アメリカの場合はそれを克服したとされている。
注)手法や装置ではなく、マーケティングの兆しの発見
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159
ヨーロッパも克服しつつある。
注)http://www.youtube.com/watch?v=xlODtMtTGOk
これら音楽界についての事例研究は、音楽業界の多くの方からインタビューした内容の、彼らの中で前向きな人物の代弁を筆者が行っているにすぎない。これに対して、地場産業や地域におけるヒット商品は、都市部や農村部の如何を問わず、流通・交通・航路している事例ばかりである。

「経済の成長」は、等価交換物としての通貨だけで計測される。
しかしながら、確かに計測され経済成長したとしても、同時に豊かさが保障されるわけではない。通貨という等価交換物の尺度は意欲と感動の2つの部分に限られている。「意欲・感動・希望」が一体化することによって生まれる「経済の豊かさ」は、今日までそれが数量に置き換えられて計測されたことはない。だが、数量計測出来ないからといって計測自体を拒絶(計測自体を批判する論理)する哲学や宗教団体概念も存在するが非科学そのものである。計測出来ないながらも「経済の豊かさ」自体を、通常の哲学や宗教観では価値として、通常の人間は認知している事実は存在している。そして、いずれは法則性を研究する学問として成り立つものである。
身近な医学話をすれば、LDLコレステロール値が低すぎるのは、すでに肝臓病になっていると診なければならず、飽和脂肪酸の摂取と治療が必要となる。ところが、数字と循環器疾患種類ばかりをデータ追跡するから、「コレステロールを食べなさい」とのマスコミ記事がたびたび出てしまうのである。医師の中にも、未だ「コレステロールを食べなさい」と話す者もいるそうである。寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜ、すなわち知識偏重になると、そのように解釈するものである。
また、確かにそれは公共事業その他にあっては、価値の計測はしていないものの固有価値が、社会通念として、「ぼんやり」認められているも場合も多い。ただし、その固有価値の合理一貫性を証明したところで、事実一致性を通貨によって計測しようとするものだから、固有価値の要件である「意欲・感動・希望」の一体化した価値の概念とは、証明手法(さらには存在有無と通貨置換では判定基準が違う)の選択間違いから、計測手段と方向の技法での対立(論理矛盾)をせざるを得ないだけである。合理一貫性と事実一致性で固有価値の有無を判定することと、事実一致性を通貨による計測ができたことでの存在量を判定しようとすることとは別の立証課題である。まして通貨による計測不能だからと言って存在を否定する論理は詭弁にすぎない。また、その対立(論理矛盾)を政治力や世間体の経済外的強制でもって、それを地場産業や地域住民に無理強いしようとする着想と曖昧表現が原因して、「経済の豊かさ」を幻想と錯覚し、それにまつわる抵抗運動の発生に至るのである。まして合理一貫性とは無縁な曖昧&権力依存症の論理のゆえに、ここでも寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜが行われている。

そもそも公共事業その他は、良心の自由を柱に成り立つ
議論を踏まえての、人類の「夢と希望」を促進させるための文化資本として扱われる必要がある。通貨に置き換えた予算措置を用いて、その免罪性を議会若しくは人頭数に求めてきた経済論理は、いまや世界経済を破たんに導いた手法の弁解弁明に利用されている。その経済理論(スラッファの経済理論を悪用)は、第2次世界大戦直後に、ソ連の官僚たちが真っ先に導入した。日本の官僚たち、総理大臣となった官僚もなおさら、この計画経済思考を高度経済成長政策にはめ込んだ。
加えて国民の自律意識が低いことを悪用し、経済が好循環しないばかりか危機を回避出来ない必要悪な対策として、隷属的消費者の増大・再生産が目的化されてしまえば、隷属的消費者の「意欲・感動」の欲望は(脳の作用で説明したように)コントロールされてしまう。それは、「紛争招来と人間抹殺」による解決の罪を招かざるを得ず、公共事業の空回りは著しくなり、紛争解決社会コストは厖大となる。それは多くの人が、うまく説明をできないけれど、肌身で感じていることである。またそれは、このメルマガの冒頭で述べたような、第2次世界大戦の教訓である、日本の戦中はドイツよりも酷かった。
解決策は、公共事業・施策の「視点の変更」だけでよい。
なけなしの公共事業に、今のような群がる隷属的事業者が寄りつくことも防げる。「意欲・感動・希望」の一体化した商品価値の3要件の固有価値の生産を促進する、公共投資の視点で良いのである。この3要件を尺度にすれば、「寄せ集め観察と生半可な屁理屈のごった混ぜ」であることを明確にさせることが出来る。先ずは、将来破綻するとわかっている方針は止めることである。止めた上で「夢と希望」が促進されることが「良心の自由」といった人間個々人の原動力を動かすこととなるのである。それは、EUの理念としても実証されている。

現代日本女性への隷属的抑圧的社会システム
における結婚や家族制度は、「心を尽くし、精神(気持ち)を尽くす」といった「良心の自由」概念との矛盾が限度に達しており、それが文化転換→経済発展→自由平等の社会共同体の妨げになっていることは、あらためて認識若しくは社会システムを問い直す必要がある。それは、個別企業の市場や、公共施策の空回りの現象には明確に現れている。それが判らないのは、説明する技法は必要無いけれど、社会生活で最も必要とされる洞察能力が似非秀才だからである、もっとも秀才とは洞察力は劣化した有能者との学説もあるが…。ことに、女性が肌身で感じ取っている事実すらも解からないのである、鈍感な女性が故に中途半端な管理職になれるとの説もあり…。
ただここで、隷属的抑圧的社会システムを克服し得る手段は、事態を認識する度合いでもなければ社会システム変革の学習でもない。解決策の一例をあげれば、様々な職業資格や能力検定を認定するカリキュラムの中に、個人事業や組織運営の「経営管理の基本課目」を必須とすることで、労働における自己の自律を促す経済施策である。カリキュラム例を挙げれば「契約とは申し込みと承諾の意思の両者の一致である」とか、「所得税・社会保障の仕組み」とか、「職場会合の方法」とか、「事業融資の仕組みと種類」などである。隷属的抑圧的社会システムから脱出するには、自己を見つめ自律するための「術(すべ)」が具体的克服には必要なのである。ただそれを成す原動力も、「意欲・感動・希望」が一体化した固有価値を個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為として、繰り返すが感動的な嬉しい経験により頭脳に蓄積される変化として、提供される場合にあってのみ、存在するのである。

実際に「経済の豊かさ」を創造生産している地場産業・新商品開発や地域
の事例を順次検討してみた場合、「議論を後回しにして、投下通貨資本を用いずに、文化資本の投下」でもって実践し、実践データでもって反省し、この実践と反省を繰り返す中で初めて成功している事例ばかりである。それは、都市部においても農村部においても同様であり、ICT技術によって益々同様化し農村と都市の格差は縮小している。
失敗事例の現象面で注目されることは、
議論ばかりして文化資本投下を先延ばしにしている実態、投資通貨資本に惑わされ不良債権を最終に抱える実態や予見不足、創造的生産を個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為として行わなかった実態とかの、失敗パターンが主要なものである。なお、経済成長を追求する計測方法を、唯一「名目通貨量」に頼っている人たち(行政関係者の予算措置)が少なくないが、その方法によって、「経済的豊かさ」の実測が曖昧にされるとか、隷属的消費者の増大・再生産が実態としてあげくに目的化され促進(公共事業の外注による官製貧困化現象)されてしまっている。


§頭脳労働のメカニズムの解明(再録)
1.新商品の開発とか、芸術的商品提供とか、複雑状況下での人心をまとめるとか、およそこういった作業が頭脳労働と呼ばれているのである。机に向かってパソコンを動かすなどは、あるいは基準に基づいて書面・文書を作成するといったものは、頭脳労働ではなく、「脳ミソ肉体労働」にすぎない。
(創造性(芸術性)の育成と鍛錬の資料)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

2.その頭脳労働と言われるものの、プロセスを順次説明して行くと
(1) 過去の記憶は、インテリジェンス、文化の発展・変遷の蓄積作業
(2) ある程度の蓄積のもとに、目前の事実関係(事実の羅列ではない)の掌握
(3) この過去蓄積と目前事実関係との結合connect作業(実存哲学分野では時空間を飛ぶという)
(4) とりわけ時間や時期を重要視するギリシャ的哲学発想の克服
(5) この克服訓練ができれば、結合によりイメージ(想像)の作業が容易になる
(6) イメージができれば、合理一貫性でもってクリエイト(創造)が出来る
(7) 実験を積み重ね、事実一致性でもってマニュアル的に現物が完成する
(8) 現物となれば、製造やサービスにかかる実行技術で効率を引き上げ量産できる、初めてノルアドレナリン物質の効果が認められる
 (参考)実存思想論集XXVIII『労働と実存』(2013年6月25日、理想社)

3.こういった頭脳労働のプロセスのみをもって、すなわち、このプロセスをたどっただけで出来上がった商品は、この論理構成だけで固有価値を含めている商品であることの証明には至らない。供給される側にとって、「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」となって、初めて受容されるところの証明がないからである。言い方を変えれば、供給される個々人の人生にとって、「希望」を与えられる商品にまで高まっているかどうかである。まして、日本の経済活動外領域で幻想流行しているような、前項(7)番目からスタートする「イノベーション?」もどきでは成功しないのは当然のことといえる。現在の多くの開発者の悩みは、こういった頭脳労働のプロセス並びに、初めて商品が利用される証明過程についての認識のないところに原因がある。

4.そこで、この実証実験を実際にしてみた。すなわち、「人々が継続的に殺到する商品は、『意欲・感動・希望』の3要件がセットでそろっている」ように、どのような労働過程を踏めばよいかとの疑問点が持ちあがっている。ある意味この実験は、世の中で専門家と言われる人が、何故か今ひとつのところで成功達成が出来ない原因を追求することに、逆説的に集中している。恐らく彼らには、次のような到達点に至っている人は少なくないと考えられる。それは、「売れない商品は提供する側の「意欲」にすぎず、一発物は、『意欲・感動』に留まって肝心の『希望』の要素が商品に含まれていない」といった到達点だ。ところが、この原稿を書き上げる直前にインタビューした関西の某音楽家は、多くの部分で論証は別として到達していた、課題は「音楽嫌いの人に説明する手法」が残っているだけであった。


§固有価値を生む労働の職業能力を育むための実験
この音楽会(実験)は参加した人みんなが楽しむためのものが第一義であって、たまたま実証実験として役立ったものである。それが可能となった最大の条件は、企画立案の中心となったプロデューサーが音楽家ではなかったことにある。その実験とは、2014年3月4日夜の「ジョイフル音楽会」開催における、商品開発ノウハウ蓄積である。また、実験となりえたのは理論に基づいて予め立てた計画を実行し、数値は無理としても実践を計測したからである。
http://www.soumubu.jp/image/20140304joyful.jpg
賃金価格は、その人物の持つ固有価値労働が、単位労働時間に投入され、固有価値商品に結果する度合いによって、その水準が向上する。その論証もなされている職業労働は、有能な経営管理者、科学技術者、臨床医師、芸術家、プロスポーツ、商社商人(オーガナイザー)といったような人たちであり、この職業に就いて継続している人たちは、そのすべてが固有価値商品に水準の高い結果を出している。資格や立場あるいは専門家の名乗りを上げるだけでは、全くもって結果は出ない。
日本では音楽の産業化・商品化がきわめて遅れ(感情的に商業化を嫌う人も多い)、そこに携わる人は他に比べ貧困化の極みである。その貧困化は経済的にも哲学的にも社会的にものである。他産業に比べて基本的技能(楽器演奏、歌唱、価格交渉)の教育練習構造が非常に未熟で、決して芸術であるからといっても、日本国内だけ未熟さが許されるものではない。音楽業界は通貨資金力が高まれば暴力団が間に介入しやすい業界でもある。そこで筆者は、この分野での固有価値商品の開発(音楽練習→演奏歌唱加工→「場」の設置・流通・航路)を研究すれば、他産業への波及容易な開発内容が固まると判断したのである。音楽はおよそ、「能動的で知的」部分と、「受動的感情的」部分の2つを含むが、そのバランス論議はさておいて、いずれにしても諸外国のように産業として日本では成り立っていないとされる。音楽評論家の中には、「国内は二流しか残っていない!」と揶揄されるほどに、楽器演奏、歌唱の狭い技能(技術ではない)範囲に落ち込んでいる労働者が多数存在することは否めない。
実験の過程は、「個人と集団の中に躍動と共感を生む(芸術性)行為」を理論的に整備して、出演者の既存能力範囲内での提供を受けて、頭脳労働のメカニズムにのっとって音楽会全体と各部分(楽曲選曲や間合い設定)にかかわる企画立案、そしてテーマ設定(今回は、ファンタスティック・ストーリー)である。あえてプロデュースには音楽関係者やイベント関係者を外して、筆者自身も提供を受ける側の要望をもってしてプロデュースを行ったのである。結果、楽器演奏者、歌唱者その他の、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面を一体として、実験は大成功を収めたものである。前座から始まり、21時の終演をフィナーレで締めくくっても、帰宅する人がなく、用意しなかったアンコールと出演者の感謝のあいさつで、ようやく終了することとなった。これにはプロデュース関係者も驚き、筆者も長い経験の中では「中締め」で全員いなくなる会合とか、終了と同時にそそくさと帰る人たちのイメージは開催前から不安はなかったものの、現状の日本では理論的論理的に実践するだけで手ごたえなることを確信した。


§実証=職業能力向上の「練習」、その方法の主旨
は次の通りである。音楽に興味のない方には、他の芸術や芸能に置き換えることができる。

1.質の高い練習方法は、正しい指導とフィードバックに集中する。
a.フィードバックとは、手本や手順の通りに行っても成功し得ない作業に必要な練習方法である。
b.フィードバックに関係する知識が整理されていない場合は、学ぶ行為はトレーナーの前だけでトレーニングすることの原則を実証したことである。
c.手順書(楽譜)があるからと言って、その手順書だけで練習してしまうと、自己流の質の低い練習となり結果は最悪である。
d.提供を受ける側の要望が解らないままに商品を提供して、プロはあげく押し付けようとすることになる。ここでいう、「正しい指導」というものは、提供される側の要望を叶えることに焦点を合わせた練習するというだけの簡単な原則であることも実証できた。
e.そして仕上げは、提供者の能力を見せ付けないことで、提供される側と一体感を作り上げる練習やフィードバックである。
f.きわめて基本的初歩的なフィードバック練習が欠落しているために、労働能力向上の頭打ちの原因となっている場合が多い。
g.それは、品物の利便性と品質が顧客ニーズに合致していることを説明する能力がないから、商品に需要がないと錯覚している事例が、誤った指導と議論に終始した結果として現われていた。
h.さまざまな職業能力評価も点数が高くても、コンクールに優勝していたとしても、フィードバック練習を受け入れない有能者は、音楽業界ではなくとも採用してはいけない。同僚がフィードバック練習をしなくなるばかりか、「過去の有能さ」にしがみついて固有価値商品を洗練させて行く方向の足を引っぱる者となることも実証した。
i.音楽業界外でも、例えば医療機関や研究機関等の少なからず現われている現象も同様に、「価値商品を洗練させる」組織的取り組みの足を引っぱる者の存在である、有能事例に対して必ず陰で悪口が流れるところに世間体の特徴がある。

2.集中せずに漫然と練習すれば、仕事も漫然となる。
(1) 仕事とは、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面を一体として考えながら行うことが原則である。前にも述べた通り、その人物の持つ固有価値労働が単位労働時間に投入され、固有価値商品に結果する度合いによって、賃金価格水準が向上する。
(2) 言われた通りといった姿勢も含め、漫然と練習すれば、漫然と仕事をする練習をしていることになる。集中して短期間で練習効果を体得することで、高い水準の固有価値商品が提供できるように余裕を持つ必要がある。
(3) その余裕でもって、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面を一体として考えるのである。加えて音楽会で、ひとつの曲目を変更することは、曲目の順番のみならず、音楽会の準備からの全体と各部分にかかわる企画立案、そしてテーマ設定にかかわるとの実証であった。
(4) 瞬間的決断は、それまでに人類が体得した専門分野外の知識も含め、作りあげる音楽会の事実関係各所にきめ細かく結合connectさせる5次元の作業である。
(5) 集中思考した6秒間でアイディアが出なければ、次のチャンスを持つ。6秒間でヒラメキが無ければ、現状の能力や才能では無理であることを悟る必要があることも実証できた。
(6) 6秒間アイディアも、「仕入れ労働→加工労働→流通・航路労働」の3方面各々でのフィードバック練習によって、固有価値が無意識のうちに現れることとなる。
(7) 反面、6秒間を超えて出てくるものは、せいぜい過去の遺物であることも実証し、提供される側はそんな代物を要望しているわけではない。
(8) 個別企業その他の会議を例にとっても、漫然とした議論の場合は顧客ニーズからはかけ離れ、物欲通貨欲・権力欲・名誉欲のいずれかが組織として保たれるようになる。だから、顧客はその個別企業を敬遠するに至る。

3.フィードバック反復練習の成功率で習得の確認、計測、管理、項目設定を。
(A) フィードバックとは、手本や手順の通りに行っても成功し得ない作業に必要な練習方法である。顧客の苦情を聞くに始まり、顧客と共感を作り上げるフィードバック練習。クライアントが興味を示す概念を把握し説明するフィードバック練習。こういった職業能力も対象となっている。
(B) 参加聴衆に安心感を与えるリズム=販売やプレゼンテーションには不可欠なフィードバック練習。表面の広い人物と、奥の深い人物の存在の両方を意識して集団をまとめるフィードバック練習。そういったことも含めて、ヨーロッパその他の成功率の高い音楽教育はマンツーマンのフィードバック練習が基本の実証ができた。
(C) そして、音楽分野ではYouTubeなどのICT機器の発達により、コツをつかめればフィードバック練習が充実拡散できるようにもなってきた。リズムの種類、楽器の音色、ハーモニーの種類といった基本フィードバック練習は、フィードバックに関係する知識が整理されていることを条件に、YouTubeでのフィードバック練習が可能になりつつある。今回の音楽会では1928年に作曲され、現在日本では演奏できない曲をYouTubeでのフィードバック練習により再現し、現代風にアレンジすることに成功した。
(D) なお、フィードバック反復練習を組織的に推進するにあたっては、フィードバックの手本を示す場合に、必ず「中くらいの上」とすることが重要であり、アドバイスではなく、能力向上を相手方に要求しない限り身に付くことはないことも実証した。
(E) 顧客に参加してもらい、顧客の目の前でフィードバック反復練習を行い、顧客に反復練習についての評価をしてもらうといった方法がある。すなわち、音楽会開催の例えであれば、参加聴衆と演者に一体感が生まれることによって、参加聴衆が「のっている」結果が出せるか否かの判断基準で、フィードバック反復練習をした。

4.習熟段階に併せ水準をアップ、可能な限り複雑なものを正しく。
理論に基づく実践(実験)の結果をまとめるにあたって、初歩的に間違いやすい概念が、この「習熟段階と水準を複雑なものに引き上げる」手法である。それは、知識人の多くが社会人からは、敬遠される現象となって原因している。
【まず理論の紹介】
国内音楽家の多くは理論的思考に縁遠く、「実践こそがすべてである」といったような曖昧さで心裏の整理を行っているようだ。重要なポイントをフィードバック反復練習によって身に付けるという効率的方法が普及していない。実は上手と言われる演者は、自ら重要ポイントのフィードバック練習を発見し自覚している。それは、音楽のリズムは2拍子、3拍子、4拍子、6拍子、8拍子などは有名ではあるが、5拍子や7拍子も存在し、音階も半音ずつ差があるだけではないことについても。ことに自らに音楽的関心がないと思っている人たちには、規範的リズムや音階だけでは感覚的体験が生じない。歌詞も日常用語でなければ感覚的体験は生じない。それは、有名なアーティストのコンサートに祇園バヤシや民謡のテンポを含ませている実例の通りである。また、20世紀の音楽の発展は、「踊ることとの関連リズムが強い」ともいわれている。
ところが、旧態とした音楽専門学校出身者中には基礎規範的ではないリズムがとれないとか、ピアノ技法のみが身に付いて他の楽器の基本的演奏音発音の出来ないとか、12音階(ピアノのDo~Siの半音階)の半音途中の音が取れないとか、そういった人たちが少なくない、そのような教育しか受けていないのである。例えば今回の実践(実験)でも、1拍子1秒で4秒とはならず=5秒となる4拍子が西洋音楽には存在(日本民謡にも数多い)し、メトロノームで測定すれば5拍子となってしまうが、一般的に上手と言われる熟練者でも相当なフィードバック反復練習を必要とする。楽譜や歌詞の割り付けにこだわる古い練習方法のみを熱心に繰り返すほど、熟練者と評価されている人は多いのであるが、実は出来ない熟練者は多い。ピアノや歌でリズムをリードしても、一部の某音楽専門家の規定する「5拍子?」に、その某専門家の人たちは演奏・歌唱が伴わず、フィードバック反復練習を避けようとした。
【今回の実践(実験)の結果は】
a.音楽会のテーマ設定(今回は、ファンタスティック・ストーリー)に基づいて、「5拍子?」のフィードバック反復練習を何度やっても、数少ないリハーサル練習では元に戻っていることも実証された。あとで演者本人も気がついたことは、楽譜や歌詞の割り付けを自宅練習していたから4拍子に戻っていたのである。
b.高水準技能があってもテーマ設定に合わせるまでの技能レベルではなかった。むしろ、テーマ設定自体が参加聴衆に受け入れられるかどうかが当日の勝負であるにも関わらず。
c.そこでプロデュースする場合には、演奏・歌唱の間合いに入る数分間のフリータイムの活用と最終フィナーレでの感覚的体験に向けての10分間休憩をとり、当日の可能な限りの演奏・歌唱技能を最大発揮・活用することとした。
d.そして、その音楽会までの改善プロセスに、テーマ設定に向けた練習+フィードバック練習を優先することで、チームの協調性は高まることも実証できた。フィードバック反復練習は、その場でやり直しをする手法が決定的に重要であった。ロールプレイの練習とかリハーサル練習は、チームで仕事をする直前打ち合わせ程度の効果でしかなかった。
e.いわゆる原理に対する工学といった関係での音楽会の実証実践(実験)を行ったものである。すなわち、2重の意味でのフィードバック練習である。すなわち、1つ目が演奏・歌唱のフィードバック練習であり、2つ目が失敗すれば次回は無いプロデュースのフィードバック練習の2つが重なっていたのである。
f.固有価値商品を取り扱う場合、「商品価値の増殖」と「価値認識の一回性」に重要性が求められる。売りっぱなし商品であったり、当初から買替需要を目論むといった投下通貨資本の無駄をできる限り削いでいるからである。その固有価値が交換(流通・交通・航路)するには、「仕入労働→加工労働→流通・交通・航路労働」の三段階の各々で能力習熟段階に併せ水準をアップし可能な限り提供する毎の価値を高くする労働(職業能力)を必要とするのである。
g.このフィードバック反復練習といった労働能力育成が未熟であれば、商品の売り逃げとか詐欺まがいの付加価値を追い求めるようになって、個人も個別企業も破綻する。現在日本で会社経営の名を借りるも、実は公共事業や公的助成金に群がるとか、人心不安と通貨を交換する詐欺に人間の能力が費やされることの解消には、この「習熟段階と水準を複雑なものに引き上げる」手法(フィードバック練習など)こそが重要となってくる。

5.練習時間の80%を集中し、その人の得意な部分を桁外れに強くする。
幾人もの研究者が、得意な部分の才能を伸ばせば有効であることに気がついている。固有価値商品の「仕入労働→加工労働→流通・交通・航路労働」の三段階プロセスにおいては、なおさら得意な分野の才能を伸ばした人物の配置が重要となる。それは固有価値商品の要素それぞれに価値を分散凝縮させることによって、商品価値を高めるといった固有価値商品の形成発展過程でもある。
不得意な分野をもっている人物で、才能があると言われる人たちは、得意な分野が他人と比べたときにダントツに優れている。今回も、音楽会のテーマ設定(今回は、ファンタスティック・ストーリー)に基づいて、それぞれの得意な分野のダントツな部分を組み合わせてプロデュースするかに成功がかかっていたし、そのプロデューサーは音楽家とは無縁な人物が、「場」(会場の人と全体部分)の「意欲・感動・希望」を創りあげる企画にかけていた、それだけのことである。そういったことが今回実証された。
また不得意な部分を殊更練習させる教育手法は、その人物の才能をつぶしてしまう、その例は目白押し、日常茶飯事である。また成熟から衰退に至るコンビネーション組織においては、不得意な部分を殊更に指摘することで、「気弱な才能の持ち主」から順に排除して行く手段ともなっている。いかなる理想や幸せを追い求める大義を抱えていたとしても、衰退に至ったコンビネーション組織での有能者の排除手段は共通している。コンビネーション組織の着想では、あらゆるアドバイスが排除の論理に染まってしまうことも実証した。

6.本番で、複雑さや不確実性の困難に直面しても余裕がでる方法。
(1) フィードバック反復練習とは、「現実をあえて変形した設定で意図的に磨く」といった方法で行われる。
(2) 感動的体験が人を変えることや、「心や気持ち」が無心(無意識)の「間」の瞬間に伝わることが、音楽外の学問分野では定石となっている。例えば、「言葉を合わせ、ポーズをあわせ、呼吸を合わせる」といった結果の現象が実践され、その奥底の本質には演者と参加聴衆者のそれぞれ個人に、その瞬間以前に伝承蓄積体得された文化が結合connect?といった作業がなされ、これを5次元で(自覚を問わず)とらえているといったプロセスである。
(3) この、「言葉を合わせ、ポーズをあわせ、呼吸を合わせる」技法が、きわめて有効であることも実証した。音楽会では、予定曲目を案内し、参加型である音楽会形式も案内し、当日は歌詞カードや日本語意味を全曲分配り、音楽会にテーマが隠されていることを告げ、盛り上がって行くスタイルを案内し、楽屋話も含めオープンな運営を進めた。
(4) プロデュースの専門家からは、痛烈な批判を浴びた。が、「言葉を合わせ、ポーズをあわせ、呼吸を合わせる」ことに、この技法で成功した。日本においても、十分にこのような技法が通じることを、音楽会でも実証した。
(5) したがって、参加聴衆者がそれぞれ体験した具体的経験ではなく、参加聴衆者に蓄積された抽象化された文化が具体的に演じられるから、「現実をあえて変形した設定で意図的に磨く」といった学習をしている演者こそが、その時点での有効な職業能力を見つけやすいのである。
(6) 評価の高い演者・芸術家の多くは、芸術理論を簡易な言葉で表現できることはもちろんのこと哲学、社会学、宗教学、自然科学その他の知識を幅広く会得している人が多いのもそのためである。

7.即刻!能力や才能を低下させる、危険行動と領域
日本経済の職業能力の組織化と育成後進性の理由が、音楽会を理論に基づく実践(実験)として成功させるプロセスで、如実に(実証も含め)発見された。冷ややかな結論めいたことをいえば、職業に関する能力開発や能力向上を、全く楽しくない方法で行ない、嬉しくもない現実を見せられ、嬉しく感覚的な経験のないことから頭脳には蓄積されもしない。
こういった社会的システムによる能力後退が決定的になったのが今の日本の姿である。「人材の能力を超える事業の経営システムはない」と昔から言われる。だが職業能力の開発や向上は、個別企業単位でも創造できるという容易さの裏返し理論でもあるのだ。すなわち、地場産業や地域経済にあって、個別事業で職業能力向上する習慣を創れば良いからである。
実際に音楽会を理論に基づき実践してみて、大成功したけれども創造作業の過程で改めて気づき、その過程のその瞬間に筆者に蓄積された情報と組み合わせて、その場で即座に排除した【危険行動】の項目は次の通りである。
もちろんこれにより、音楽会当日までの改善プロセスに、練習とフィードバックを優先することで、チームの協調性は高まることにもなった。その途中で険悪な雰囲気となっても、危険高度排除することで大成功を収めれば、それまでの体験がすべて感動的体験に変化をして、その後の芸術性発揮に資することになり、才能の停滞や後退の瞬間を自覚したきっかけになったことを実証している。
【その場で即刻排除すべき危険行動】
イ)「演ずることを見せつけよう」と思ったときに才能は低下する危険。(思索・作為作戦、物量とモーメントの減少)
ロ)演者と参加聴衆者及び演者相互の間に、誠実な関係を保たないから共感もできない危険。(経験や理屈による抑圧・支配)
ハ)演者とチームに不安・恐怖とか危機感が入り入り込む危険。(直ちに芸術才能が低下。参加聴衆者は嫌悪)
ニ)意見を出すときに曖昧な表現ばかりで、具体的解決策を教えない危険。(情熱とか綺麗とか悲しいといった曖昧な表現等)
ホ)専門的な議論討論ばかりで時間を費やし、技能フィードバック練習をしようともしないで、議論の末は殻に閉じこもる危険。
ヘ)「いつでも、最もフィードバック練習を受け入れる人」を歓迎しない、そんな練習好きな人を軽いと妬むことも危険。
ト)フィードバック練習で、教える技能を分解して教えない危険、実演の作業時間を、ゆっくり進めることから始めないで教えてしまう危険。
チ)フィードバック反復練習での教える側に、「心と気持ち」のサウンドがセットされていない危険。
リ)練習やフィードバックの目標を、相手の「能力や才能」に置いて表現する危険、行動目標の設定をしない危険。(例:「今の能力では10年早い」といった表現行為)
ヌ)他人の能力を誉め><行動を誉めていない危険。行動承認(感謝)と称賛(誉める)が区別できない表現の危険。
ル)物事を行う効果や経費の計算もしていない結果、練習やフィードバックをしていない状態と同様の結果が出てしまう危険。

(参考文献)
「成功する練習の法則」著者:ダグ・レモフ
2013年6月21日:日本経済新聞出版社

「人間重視:固有価値商品の提供と事業運営」http://netclerk.net/WebShomotsu/
筆者:村岡利幸(2013年4月8日)

2014/03/04

第143号

<コンテンツ>
労働者派遣業改正、その本質とは!
 ・法律改正で緩和されようとしている内容
 ・「どっちに転んでもの政策」その打開策とは、
 ・経営者とその作戦参謀(総務部門)は覚悟
肌で感じる経済構造の大転換、消費税増税前に
商品流通の歴史的な事実
固有価値を生む労働に職業能力を育む事例(続報)


§労働者派遣業改正、その本質とは!
政府の労働規制緩和の「目くらまし」として、労働者派遣法改正が行われようとしている。
来年4月1日施行を予定し、この3月上旬までに国会提出する見通し。
ところが実態は、良いか悪いかは別として、
1.現政府の規制緩和は既に官僚によって骨抜きにされている。
2.労働者派遣の雇用問題は、有期労働契約の一部分に過ぎない。
3.いわゆる非正規労働の大方は、業務請負の受注形態に移行。
4.経済的課題は、業務請負の労働者の職業能力開発体制がないこと。
………こういったところの現実が、いっさい議論のなされていないことである。

法律改正で緩和されようとしている内容
は、労働者派遣事業を行う個別企業からすれば、不採算を招く内容であることは歴然としている。
平成27年10月1日からの「労働契約申し込みみなし制度」も議論にはなっているが、結局のところは、どちらにどのように転がっても、形式や書面が変更されるだけで事業展開が変わるようなことにはなっていない。2月27日の審議会で了承された物はこれだ。
 http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000037743.html
もとより、1996年秋に、労働官僚の曰く、「派遣事業の優遇制度」が無くなってから、人材派遣のみのでは不採算経営とならざるを得ない基盤が出来上がっている。その上で、社会保険の適用や派遣会社の利益率低下が生じて来た背景を無視してはいけない。マスコミは、1999年の労働者派遣事業の法律第改正ばかりを取り上げるが、1997年に派遣事業の根幹である職業安定法改正を行っていたのである。
なぜ、いわゆる非正規労働の増加に向けて、多くの経営者が非正規労働者採用へと動いているのかの分析が必要である。それは、
1.社会保険料・介護保険料は、実質全額経営者負担となることを回避したい。
2.1996年11月末まで、社会保険の2ヵ月以内の有期契約繰り返しが合法的だった。
3.週30時間未満の短時間労働者であれば社会保険は適用されない。
4.週30時間以上の労働者は、行政機関の手が届かない中堅中小企業で抱える。
5.労働契約法改正で、形式的短期契約の繰り返しが既に出来なくなっている。
6.産業育成のカギとなる職業能力開発が出来ていないので新製品の開発が出来ない。
7.不採算事業=不良債権累積が、規模拡大に走った労働集約型事業の現実だ。
8.労働集約型事業のイノベーションが伴わないから=自動で事業縮小となる。
………個別事業も政府の政策も、こういったポイントを分析しないで論評したところで、それは時間と思考の無駄である。

「どっちに転んでもの政策」その打開策とは、
日本全体を一挙に救済しようとすることが無理なことは解っている。よって、打開のポイントは、時代や社会が需要する新商品を重点的提供できる個別企業の体制を、先ずはイノベーションするための人材を確保して、改めて職業能力開発・訓練(練習)を実際に展開して行くことである。過去の人材での着想や開発は、この数年に出来ていなければ、明日からは無理である。
経済体制において、いったん出来上がった金銭流通の流れを、いくら議論したところで変更されることは無い。これがあたかも変更される合意が形成される?かの如くの議論をしていても仕方がない。職業能力開発・訓練(練習)ひとつとってみても、改めて習得する必要性を自覚する労働者は、おそらく日本全体の2~3%程度と推測できる。個人的に、「改めて習得する必要性」を自覚して、自己啓発関連の書籍(昔から類似のものばかり)を読んでみても、この2~3%程度の労働者を、「いかに個別企業が確保するか」といったことすら研究されていないのである。その研究は、具体的にイノベーションされた事業プランに対して、具体的に必要な職業能力と習得練習方法の明示、を要件づけすることでなければものにならない。幸いにも、そういった有能労働者は非正規労働者の中に多く紛れ込んでいて、要は活用の方法と仕組みである。
もとより、労働者派遣事業の着想は民間:失業対策事業であった。当時労働省内で企画を行った信州大学の故高梨教授も、「この派遣業は本来労働組合が行うべきものである」と力説していたのであった。
その時期は昭和54年。昭和55年のオイルショック前の構造的不況を察知することから始まり、あくまで、その対策にしか過ぎなかった。だからこそ今は、長いスパンを見通して、日本の社会経済構造をいかに豊かにするか!のために、個別企業が活躍できるかにかかっているのである。現実を見れば診るほど、きわめて綿密に事業展開の戦略・戦術そして作戦を考えなければならない。並行して有能な労働者が「戦略・戦術そして作戦」を企画立案できるように能力開発もしなければならない。世界の経済状況にあっては、ジャパンな精神力だけでは全く太刀打ち出来ない。社内の知恵で乗り切れるなら、すでにあなたの会社は、静かな成長をしている。懸念されている金融危機や事業展開の時間的スパン差を考えれば、現在保有している通貨転換型資本が吹っ飛んでしまうかもしれない状況でもあるのだ。

経営者とその作戦参謀(総務部門)は覚悟して
その先端を切り開いてこそ、次代の個別事業経営を維持できる可能性があるのだ。大勢に流れて不良債権を抱えてしまっているのでは見通しがあるわけもない。今の社会経済状況は、大勢に流されるだけでも、自滅を待つしかないといった現実なのだ。だからこそ頭の良い大手企業の経営幹部たちもが、運に任せて生きるしか無く、身の危険をかえりみずに新規事業展開など出来る訳がない立場なのだ。高度経済成長の真っただ中に活躍した、ある元経営者はこう話す、「大手企業出身者は自分の過去を自慢したがり、中小企業の職人達は維持の話をするのが大好きだ」と。
また、労働組合の政策立案者にも問いかけをしたい。古今東西、労働組合の政策には、「社員化要求」であるとか「公務員待遇」といった言葉が散在する。これは世界的にも良く似た傾向が発展途上国などにみられる。ところが、こういった「社員化要求」が実現した例は無い。政権についた場合でも実現した例は無い。なにがしかの人数の労働者には受ける政策なのかもしれないが、実行されたことがないのである。賃金も然り、職業能力が向上して組織的に能力発揮されない限り、賃金が上昇したことは無い。現時点でパートタイマーの賃上げムードが高まっているが、パートの賃金原資は増えていない。むしろ賃金がより安いパートの求人募集が、いまや大流行・目白押しで、低下傾向にあるのが現実だ。


§肌で感じる経済構造の大転換、消費税増税前に
経済動向は、その方面の職業能力の熟練を積めば、統計数値よりも正確に行き先のリサーチができる。経営管理や総務部門の職業能力センスである。政府その他の統計資料は遅すぎること&税収と政策のための調査であることから、民間個別企業の経営管理に役立つ部分が非常に少ない。経済経営の学術論文においてさえ、都合の良い統計資料を並べているだけの学者もいるわけである。公務員も学者も、それが仕事であるから、所詮は民間個別企業の用をなすわけではない。
今年に入ってから如実に目立つことは、統計数値に出ない、二極分化である。大手マスコミに至っては、この経済や社会の直面した課題を避けて、スキャンダラスな番組に終始している、やはりそこにはスポンサーの宣伝料金激減が影響していると弁解ばかりするものの……。
年初から、小売業では全く物を売れていない。
全体総量として低価格商品しか売れず、野菜にしても値上がりすれば売れていない。高級品は販売好調というが、総量からすれば無に等しい売り上げである。消費税の駆け込み需要といっても低迷している。経営の原則からすれば不況の時は価格を据え置いて内容を増量することでの売り上げ維持が最初の対策第一歩の定石だが、苦肉の策として消費税きっかけに価格据え置きの減量商品も出始めている。
圧倒的多くの資本投入型経営管理の個別企業は、
高度複雑な事業運営を実行できる管理職を育ててこなかったことから、一斉に経費削減の道をひた走っている、社内には直走る人材しか存在せず、アイデアや知恵のある社員がリストラされてしまっているから対処が出来ない。パートタイマーの賃金も経費削減の対象とされており、そのテクニックが知恵?だとの錯覚までおこしている担当者が多い。某有名スーパーは、昨年来から賃金の安いパートタイマーへの切り替えを強行した途端に、地元買い物客とパートとの関係が分断されたことから売り上げ激減をおこしている。店舗立地変化の展開ではなく、それが原因し閉鎖した店舗も存在する。大手スーパー小売業までが合併をすることで、「喉元の熱さ」を解消しようと、後継者のいなくなった中堅・中規模スーパーの買収を進めている。
ところが、「コスト削減?経費節減?」を小手先のテクニック
でやっているものだから、危険極まりないのである。小手先テクニックがコストと経費の削減だと勘違いしている若年齢層管理職が多いのである。そういった場合、ことごとく仕入れ品質低下、需要確保の“し損ない”その他の悪循環に陥っている。上から目線で見れば、活発に営業しているように見えるが、対営業効率の収益性が落ちている。原則は、個別企業にとって収益性(売り上げ)が第一番目の課題である。その結果なくして、残りの経営要素すなわち、生産性、労働意欲、効率の改善の対策はあり無いのである。それが若年齢層管理職には肌で感じることが出来ず、投資損が数字の結果が出てからしか分からないのである。ことに日本の大手や中堅企業は、資本投入型経営のみを唯一の手法だと思っているから、有名どころの大学教授も投資型経営学説を説けば人気が上がるものだから、益々もって若年齢層管理職は資本投入型経営のみの手法に振り回されるのである。結果を弁解しなければならないことでは、経営管理能力ではない。


§商品流通の歴史的な事実
から言えばこうである。……商品経済社会における貧富の二極分化も、こういった事情によるものである。
1.およそ500年前に商品が経済活動に次々と侵入して来た。
2.商品とは、それまでの人間関係の枠を超えて、次々と広まるものである。
3.固有価値を持っていたからこそ、品物も事業も人材も商品となった。
4.税収によって物資を買いあされば、固有価値商品ではなくなる。
5.固有価値商品でなくなった商品は、不毛な廃棄物の運命をたどる。
6.不毛な廃棄物の製造や販売の事業は不良債権を残し潰れていった。
7.そんな事業に寄りかかったとたんに、その人は豊かさから無縁となった。
8.「労働力」のみの交換で、心身共に豊かさから無縁、病に倒れ寿命は縮んだ。
9.固有価値商品を生む労働に職業能力を育んだ人は豊かになった。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/149
国家単位の貧富の格差、個別事業単位の貧富の格差、個人単位の貧富の格差、これを是正(格差による弊害解消で経済の解決)するには、いまあげたような歴史的事実に注意する必要がある。歴史的事実を踏まえないで、財政、金融、事業、労働確保を行えば失敗することは明らかである。
そして、こういった商品流通の歴史的事実の中で忘れてはいけないことは、派手で表面的な技巧による商品に喝采を送る人が増え、その見世物のような感情的半製品の動きへの「隷属的顧客」集団が現われ、またそれをマーケットとするものの商品寿命の短い中途半端な事業を繰り返していることに注意することだ。もちろん、不良債権はふくれる。
話が横道にそれるが、日本で商品流通が始まったころの経済原則が、「狂言」となって今も残っている。「狂言」は元から、滑稽さを笑いながら鑑賞するものであり、「能」と同じく観客と一体になることを重要視している、それは一般住民の教育も兼ね備えていたのだ。
賢者はそういった失敗の分かっている事業には近寄らない。ただ集まるのは愚者ばかり、それは現代の流浪の民そのものである。


§固有価値を生む労働に職業能力を育む事例(続報)
賃金価格は、その人物の持つ固有価値労働が、単位労働時間に投入され、固有価値商品に結果する度合いによって、その水準が向上する。
有能な経営管理者、科学技術者、臨床医師、芸術家、プロスポーツ、商社商人(オーガナイザー)といったような、目につく職業に就くことができる人たちは、そのすべてが固有価値商品に水準の高い結果を出している。資格や立場あるいは名乗りを上げるだけでは、全くもって結果は出ない。
………この続きは、3月4日夜の「ジョイフル音楽」開催での商品開発ノウハウ蓄積の都合で、その音楽会の成果を踏まえて1週間程度の期間での、まとめる余裕をいただきたい。日本では音楽の産業化・商品化がきわめて遅れ(商業化を嫌う人も多い)、そこに携わる人は他に比べ貧困化している。その貧困化は経済的にも哲学的にも社会的にも、なのである。他に比べて基本的技能(楽器演奏、歌唱、価格交渉)の教育練習構造が非常に未熟である。そこでこの音楽会で筆者は、この分野での固有価値商品の開発(音楽練習→演奏歌唱加工→「場」の設置・流通・航路)を研究すれば、他産業への波及容易な開発内容が固まると判断したのである。音楽はおよそ、「能動的で知的」部分と、「受動的感情的」部分の2つを含むが、いずれにしても諸外国のように産業として日本では成り立っておらず、「国内は2流しか残っていない!」と揶揄されるほどに、楽器演奏、歌唱の狭い技能(技術ではない)範囲に落ち込んでいるのは否めない。
 http://www.soumubu.jp/image/20140304joyful.jpg
予め、御了承お願いします。

2014/02/10

第142号

<コンテンツ>
経済・社会の動きが情報遮断された日本
世界的金融危機の兆候(念の為)
案外と、日本経済が持ちこたえる道の存在
日本人の能力開発は、人を育て来た歴史
人を育てる場合の創造性教育は、芸術活動に限る
芸術家の名言、これにリンクする脳医学
最新の脳医学で未解明部分となっている教育
日本経済の職業能力の組織化と育成後進性の理由が、


§経済・社会の動きが情報遮断された日本
日本国内は、情報遮断や情報そのものの存在が分からない社会になりつつある。
オリンピックムード一色、ロシアにとっては絶好のPRチャンスであり、開会式も徹底してPRそのもの。そこには西欧とアメリカを除く世界各国の首脳の顔も映し出されていた。金融危機の兆し、シリアやイランの立ち回りの中東情勢は石油やエネルギー問題、中国の世界的動き動きその他、首脳会談がオリンピックの水面下で行われているのは当然のことである。今アメリカの立ち位置は大きく変わりつつある。一部で報道された「北方四島と尖閣諸島」説は目くらましであることは一目瞭然。
ここでも、日本のマスコミは、その中身を報道しない。
そのため、経営管理や事業運営について、情報の先取りをして
経営の指示を出したとしても、その指示を全う出来ない或は面従腹背の社員・労働者が急増しつつある。経営管理における目先の重要事項は、経営環境に合わせて、経営環境の高波に乗ってサーフィンを行う技能・技術が必要であることは言うまでもない。その高波の高さによって、事業規模や収益規模、その後の利益規模が決まるのである。
その高波に乗るために、経営者は指示を出さなければならないが、
 1.指示を出すための情報が掴めない、ネットで探し出す手法が分からない。
 2.情報根拠を示しても、部下やクライアントが理解出来ない。
 3.もとより目的と目標が不確かだから、情報収集→情報加工が出来ない。
ここでいう情報とは、インテリジェンス情報およびインフォメーション裏付け情報のことである。
ただ、翻って経営管理と情報について考えてみれば
 イ)現在の事業の継続見通しを判断する情報収集
 ロ)世界経済の大きなうねり、そこでの事業の需要情報
 ハ)どういった経営能力、必要な職業能力に関する情報収集
……これら三つの情報収集に、本当の意味での専念をしていれば、それほど情報収集機能と労力に時間を消化する必要は無い。
本当の情報の扱い方の大枠的例え話をすれば、
筆者も約10万坪ほどの山林(樹齢20年~70年)の経営に突然携わることとなり、室町時代から続くと思われる村の共同体(惣)の寄合にも参加することとなった。今年の年賀で大手企業役員経験者の方々から、「山林経営は有望である」と激励されたものの、実のところはこれからの創造性事業のやり方に掛かっている。既に先行投資は数千万ではあるが、木材そのものの価格に加え切り出し運搬費用を加えれば採算が合わない。山林知識の少ない小売業者からは、高級ストーヴ燃料の薪、長さ2メートルの間伐材の定量定期出荷、雑木などの燃料チップその他の引き合いが来るようだが、目先の採算が合わないばかりか、長期的には見通しのない話であることは明白なのだ。
そこで、山林を活用しての事業継続であるならば、木材を最終消費者に山まで取りに来てもらうしかないのである。幸いなことに、滋賀県の名神彦根インターチェンジから30分の距離にあり、林道開発で道幅もほぼ倍になった場所に所在する。この山林は、天智天皇と天武天皇が戦った壬申の乱の古戦場そのものであり、東山道など千数百年前からの山林経営の地であった。要するに、創造性、自然からの発見発明、都市集中する経済活動に対応した、「産業創造」なのである、だから、産業創造に資するインテリジェンスとインフォメーションのみが、情報であると考えれば効果的効率的に動けるのである。
TPP問題の情報も収集の無駄である、ましてアメリカは一歩引いている。秘密情報保護法の議論も集票問題に収斂されており、肝心の経済的情報の体をなしていない。その他スキャンダラスな話題は、今や電子通信機器生産の呼び水ともならず、経済停滞を逆説的に証明しているようなものである。このような情報の存在自体の有無、戦略目標を進めるための情報収集が大切なのである。大手企業になるほど、仕事をしている振りをしなければならないから、大勢よって集って無駄な情報ふくらませ、また記憶力だけは良い、「良い子」が多いものだから、あげくは情報の山積みでワケが分からなくなる傾向が強い。
では、情報キャッチしたとして次、
目先と将来に資することは何かと問われた場合の
具体的経営管理、これの基本戦略は、
「個別企業内外にわたる、いつもと異なる習慣の拡散が、ビジネスチャンスを生む」
となるのである。これを言い古された言葉と受け止めれば思考停止、それで貴方の創造性は消え失せる。


§世界的金融危機の兆候(念の為)
アベノミクスとは裏腹に、円安その他で金融商品への期待感が高まっている中、日本の輸出は$ベースで換算すれば、この約1年は25%の落ち込みである。それだけ日本の商品を買いに来ていないのだ。もとより日本は、販売力の貧弱な経済構造であったから、販売に好転する商品開発も間に合わない。それどころか、それを実行出来る熟達した労働は、各社リストラで手放してしまったものだから不可能に近い。
不動産とか金融商品に期待感が集まったけれど、筆者の目論み通り不動産は都市の一部に限り動きがあり、8月中旬を過ぎれば叩き売り値下げ状態である。昨年中に損切り覚悟で金融商品を処分しようとの決断の背景には、世界的金融危機の兆候を情報収集できた人たちだった。
中途半端な経済学や日経新聞などの経済紙誌の読みすぎで、金塊を買ったとしても、金塊証券と金塊現物とで価格差が出る寸前まで危機が近づいている。アメリカの連邦銀行に各国が預けた金塊を返してくれるよう要求しているが、存在するはずの金塊在庫が底をついているらしく、ドイツをはじめ変換要求に連銀は答えようとしていない。なお、日銀大阪支店の地下金庫の金塊は数十年前に空となっている。
よって、現在抱える借金は、日本の場合ほぼ確実に孫・子の代へのしわ寄せとなる。
筆者は、2008年のリーマンショクについても、この総務部メルマガの6月号で兆候を、香港上海銀行の動きを根拠に報じたが、ほぼ誰も信じることはなかったが、秋には金融危機が来た、ほぼ仕掛け通りに。


§案外と、日本経済が持ちこたえる道の存在
大手マスコミが流す情報は、日本経済総出で海外へ出稼ぎに行くこと、老人が所有している資産を浪費すること、昔からの蓄積資産を観光産業として使い果たすこと、そんな程度の話ばかりである。こういった話に浮かれて乗っている人たちも、全く創造性のない人たちが多く、まるで受験勉強の延長である手習い能力の産物でしかない。
★創造性(想像ではない)の欠落した経営とは、否応なく損害を受けなければならない事態の予見が出来ないばかりか、否応なく損害に甘んじる自体の存在すら無意識のうちに回避しているのである。ちなみに伝統のある商人群(近江商人など)は子供の頃から祖父や地域の中で、創造性のある教育を受けている。むしろ明治以降の学校教育制度には創造性教育が欠落していた。

【ちなみに、老人福祉や介護問題の創造性とは……】
たくさんの空き家が存在しているから、大きな家・マンションをシェアハウスにリフォームし、箱モノ老人介護施設を止めてしまえば良い。趣味の合う老人男女は、各人の個室とともに、大きなリビングで過ごし、外出の機会も増やせば、相互に痴呆に対処する介護教育を受け、物理的重作業は肉体労働者を共同で雇えば良い。これを促進するように行政機関が立ち回る。医療機関は毎日の体重測定(心臓病)、高齢者の足の爪切り、脳・心臓病の諸兆候チェック、加えてこういった医療知識を一般人向けに教育する。そこで老たちは負担を減少させて自立で生活する。高齢者ケアの、「ユマニチュード」もNHKで取り上げられ、「心と気持ち」を込めて運用はなされたならば、高固有価値のケア労働が充実する。
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/180378.html
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/pdf/3056.pdf
☆=考えただけでも、高齢者や老後に対する個人的費用・公的資金が少なくて済むのである。

【もとより国をはじめとする行財政危機に対する対処法は】
現在の金融機関に負担させている国債を、一挙に年金国債に切り替えて行き、その年金国際とは=利息は年払い元金死亡時相続財産とする法律を作れば済むことであり、こうすれば行財政には解消する。「借りたものを返すのは当たり前」といった、封建時代の因習臭さの釈明だとしても、国民がもっている余裕資金を国庫に賃貸するだけで、こんな理屈も消え失せる。さて、
☆=こういった官僚が嫌がる財政政策が実現するまでは、先ほど述べたシェアハウスをやりながら、大きな出費を抑え込むことである。このような国民自力の社会保障費軽減の動きこそ抜本的政策であり、個人の財布に直結している。そこに加えて日本のことわざの、「芸は身を助ける」は、現代日本経済の助け舟である。さまざまな芸術活動を高齢者と孫の世代が、嬉しみ楽しみながらすることで、他国に負けない立派な基礎的職業教育が進められるのである。ただし、家元制度や機械音楽(○○○音楽教室)といった芸術性から縁遠い曲芸物は、真っ白からやり直す必要があるが。

【モノは考えよう、及び、文化の変化を】
さっさと進める人たちは、毎日が結構楽しくなることは間違いない。それは、個別企業の経営管理においても同じことである。事業の借入金を返すために、あくせくと無理をして働くことは無い。借金で空回りの経営をしてもブラック企業に至るだけで、その経営者も労働者も人生における損害を抱えることになるだけだ。そもそもギリシャ哲学流に目標と期限を決めて人生を把握するものだから、これはもとより無駄があって費用のかかることが間違い、「不毛な生き方」なのである。目標と期限にこだわるから、家族・結婚・財産に関わる社会制度にも振り回されるのである。その点、いわゆる「ゆとり世代」の教育を受けた人たちは、振り回されることもなく、人生に対して度胸がある。夫が外で働き妻は家を守る、定年退職後は悠々自適の夫婦生活、親の介護は子供たちの義務、人生を通して家(本来は一族を盛り立てることで建築物ではない)を建てる、こういった有害無益な理屈や幻想が、そもそも現代社会の不幸の始まりである。不毛な悩みに巻き込まれる人が多いから、マスコミも評論家も出版社もが、そんな人たちをカモにして、痴呆症的論理構成を集金のネタにしている。
☆=創造性(或は分析力の基礎を含め)を養う助けには
  A.ズサンな言葉の使い方をしない、ズサンな言葉よりも気持ちを話す。
  B.考える物事の順番を決め、一つ一つを順に考え、最後に統括して考える。
  C.他人の話には、合理一貫性&事実一致性があるか否かをチェックする。
先ほど述べたような痴呆症的論理構成とか、その手の不幸が好きな時代錯誤マニアも多いが、読者の貴方自身の考え方と文化発展で、まずは個々の家庭が不幸から逃れられる。
☆=すなわち、個別企業の、
こういったクライアント要望に応える具体的経営管理の基本戦略が、
「個別企業内外にわたる、いつもと異なる習慣の拡散が、ビジネスチャンスを生む」
ことになるのである。およそ500年ほど前に生まれた商品経済、当時の社会でも商人たちは、これでよく似たような話をしていた。なので、従前のボッタクリ商法から逃れて商人は信頼を得たのである。


§日本人の能力開発は、人を育て来た歴史
数千年もの紀元前から陸続きの地方での経済は、確かに、略奪を繰り返した方が豊かであった。自然からも略奪して育てる手間を省いた場合が、一瞬は豊かさをもたらした。要するに、確かに、手っ取り早かったのである。なお、今も信仰対象の如くの、「狩猟民族、農耕民族、略奪民族」といった三つの経済文化論は、今や完全に確実否定されているから、念の為。
中国大陸の平野や砂漠は樹木を切り取った残がいであり、その生活文化はヨーロッパのルネサンスに追い越されてしまった。ドイツの森やフランスのブドウ畑の背景は略奪と殺りく連続の末の歴史である。北アメリカ大陸は、かつて新世界と言われたほどに森林伐採と草原・牧畜の西へ向けての開拓、そのまま太平洋超えて海外進出(フィリピン・中国)である。
☆=そこに不思議な国が二つあった。
一つはイギリスであり商品経済政治体制(名誉革命後)を経て産業革命を起こす。二つ目は日本、国という意識はないけれど山林増殖、農業新田開発、歴史的にも教育熱心、とにかく芸能好きといった特徴をもつ。おそらくそれは、島国であるからこそ、元来大陸諸民族に比べて戦闘的であったけれども、教育水準の高さから和議・和睦そして奉行の道を経て、近代へと進んだものと思われる。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/180
そこからの結論は、
日本経済の成長と豊かさの発展を見通した場合、人物・人材の選抜選別の歴史的文化的蓄積もないがゆえに、欧米の猿真似をすれば破綻することは間違いない事実が予見できるのだ。それは、気がついた個別企業経営管理、個別の家族単位にあっての、選抜選別を大黒柱から外し、創造性教育育成に入れ替えれば、明日からの収益・生産・効率を好転させる労働が効果を発揮するといったことである。何事に対しても泣き寝入りをすれば損となり、「心と気持ち」を込めて行動すれば希望が生まれると示唆した哲学者ニーチェの(意外にも)言う通りである。その場合の、頭脳労働のメカニズムは、この総務部メルマガ12月号の「§頭脳労働のメカニズムの解明」の通りである。
http://soumubu1.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html#09


§人を育てる場合の創造性教育は、芸術活動に限る
最新の医学の研究で、人物や企業の固有価値を創造する「意欲・感動・希望」の脳内メカニズムも解明されつつある。この医学側面からも、人間は固有価値を商品に求め、あらゆる欲求のために活動するのではなく、固有価値を創り満喫するために、心身が動かなくなるまで活動し、「意欲・感動・希望」の脳内メカニズムにより心身が長持ちすることが明らかにされて来た。それは、各人のもつ宗教観を変化させつつあり、旧来宗教団体教義が問い直されつつある事態に至った。医学的には、
☆意欲=
脊椎動物は総て意欲を持ち、その根源の例を挙げれば、血糖値が下がれば食欲が生まれ、血中ナトリウム(Na)が増加すれば水が欲しくなる、といったたぐいのものである。
☆感動=
ドーパミンの作用により、大括りの所謂快感を物理的に自覚・感じるのである。また、ノルアドレナリンの増加は脳内トップダウン思考や闘争思考体調を促進させ、その抑制は頭脳の創造的イノベーション作用に効果する。なお、覚せい剤やアルコールは、脳の思考停止をもたらすが、創造性や芸術性には全く何の関係もない、単なる依存物質である。
☆希望=
人が希望を持つということは、脳医学的にはおよその段階ではあるが、脳の前頭葉部分の血流が促進されると希望が湧いて来ることが証明されている。
………ここまで脳の作用について、最新の研究が進んでいるのである。
そもそも、世間でよく話題とされる知能指数というものは、19世紀に発案されたものでしかない。そのテストに対するやる気の如何で、平均値を100とする上下20の、40点は誤差の範囲として判断されるものである。発案者によると、80点以上それとも未満かの判断でしかないとされている。現在はガードナーの「多重知能」(1983年)、言語、論理、数学、音楽、身体運動感覚、空間、人間関係の7つの能力が重なり合っているとするのである。このガードナー自身も、さらに多くの能力(例えば、霊感的)を著している(1999年)。
【参考文献→これから研究に織り交ぜる】
医学ばかりか、社会学や哲学の把握が無ければ難解な著作段階ではあるが紹介。
『脳は創造する-そのメカニズムと育成法-』新風書房:ケネス・エム・ハイルマン(2013年8月30日)
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemgenre/zuiso/1575/


§芸術家の名言、これにリンクする脳医学
を整合、筆者らが研究中のその一部を紹介する。決して羅列作業の成果ではない。
(『』の部分が名言、ページ文章が参考文献引用)

¶才能を伸ばすA
・レオナルド・ダ・ヴィンチ
『作品を制作するときはあらゆる人の批評を拒んではならない』
P.81実際の創造性の多くのタイプは、いずれも非常に異なった型の知識の連合を要求する。
・W.A.モーツァルト
『私は人の賞賛や非難をまったく気に留めない。ただ自分の感じるままに行うんだ』『わずかの違いを大切に』『旅をしない音楽家は不幸だ』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)
『動植物のすがたを知り尽くすことよりその「神」に会う。そうして初めて手が動くのである』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。P.26創造的な科学者とは自然の多様性の中に複雑なものをきれいに整える人のことである。
・ロッシーニ
『現実を模倣することができないゆえに、音楽は崇高な芸術である』
P.29下 芸術的な美は変化の中の統一である。
P.120音楽の分野で最も創造的であるのは、作曲家である。
・クロード・モネ
『発見に至るにはしつこい観察と省察しかないのだから、いつも絵のことだけを考えていなければならない』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・ル・コルビュジェ
『個人的な能力は、幼少時から勤勉さと自制心によって常に自己を研ぎ澄ませ、鍛錬することで向上できる』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。
P.32芸術と同じように、科学は自然の模倣ではなくて、自然の再創造である。われわれは発見という行為によって自然を作り替える。
P.90アスリート、歌手、ダンサー~手続き記憶は実行とフィールドバックを要求する~、手続き記憶は子供時代にもっともよく習得される。
・パブロ・ピカソ
『芸術家とは何処からともなく現れるインスピーションをひたすらに受け入れる水がめのようだ』『優れた芸術家は借りる。偉大な芸術家は盗む』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。
P.235下ネットワーク内の神経細胞間の連絡の強さが変わることによって知識の蓄積が起こる。

¶発想法B
・フランシス・ベーコン
『私は教育なんて全く信じない。見て学ぶことだ。なすべきことはただひたすらに見ることだけなのだ』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・イサム・ノグチ
肝心なのは見る観点だ。どんな物をも、一個の古靴でさえも彫刻となるものはその見方と置き方である。
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・ブルーノ・ムナーリ
『デザイナーとは芸術的センスをもったプランナーである』。
P.108イメージする能力とイメージを変形する能力は、創造するイノベーションには重要な課程である。
・エットレ・ソットサス
『つまり、一つの機能をデザインするのであって単に(椅子という)機能に従ってデザインするわけではないのだ』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。
P.108イメージする能力とイメージを変形する能力は、創造するイノベーションには重要な課程である。

¶成功の秘訣C
・喜多川歌麿
『人真似は嫌いで今まで人の絵を写して描いたことがない』
P.208発散的思考=筆者は創造性のことを、新しい秩序ある関係を系統的なやり方で理解し、発展させ表現する能力であると定義した。
・ベートーベン
『たいていの人は何か良いものには感動します。しかしそれが芸術家たる資質ではありません』
『名声を得た芸術家は、そのことにより落ち着きを失う。それ故、処女作がしばしば最上の作となる』
『報酬への期待を行動のバネとする人にはなるな』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・アンリ・ルソー
『私はいつも部屋にこもり仕事をしていた』
P.242多くの創造的(彼ら)は、毎日多くの時間を一人で過ごすことが多い。創造的な傑作を物にするのは、こうした時間帯である。
・モホリ=ナジ・ラースロー
『すべての健全な人間は豊かな能力を持っている。誰もが無心の状態のときに最高の仕事をする』
P.214流動的知能とは基本的に知識を操作する能力である。
P.108イメージする能力と、イメージを変形する能力は、創造するイノベーションには重要な課程である。

¶道を極めるD
・千利休
『まず心がけるべきは「侘び数奇」というものでこれは日常ごく普通の心に宿るものである』
P.235人の脳の構成は感覚的経験によって変わりうる。
・ベートーベン
『芸術は長く、生命は短いというが、長いのは生命だけで、芸術は短い。神々の恩恵にすぎないから』
P.235人の脳の構成は感覚的経験によって変わりうる。
・歌川広重
『対象物のありのままの形を大切にしまず写生を重視せよ。そして自らの想いを筆致にのせて描きあげる』
P.224全ての物事を関連付けて、それらの存在に全てに効果を与えられるように、眼を見開き、耳を立てていなければならない。
・フランツ・リスト
『私を真似てはいけない。私のやり方で私は成功出来たが、あなたはきっと失敗するだろう』
P.208発散的思考=筆者は創造性のことを、新しい秩序ある関係を系統的なやり方で理解し、発展させ表現する能力であると定義した。
・バウル・クレー
『芸術の本質は見えるものをそのまま再現するのではなく見えるようにすることにある』
P.32芸術と同じように、科学は自然の模倣ではなくて、自然の再創造である。われわれは発見という行為によって自然を作り替える。
・トスカニーニ
『音に血を通わせろ!君たちの血管の中は水か! 』
P.235人の脳の構成は感覚的経験によって変わりうる。
・クラウディオ・アラウ
『自惚れほど恐いものはない。解釈の邪魔となります』
P.240謙虚さの実践こそが、創造的活動にきわめて重要な、間違いから学ぶことにつながる。
・淡谷のり子
『勉強するしか道は無い、苦しみ悩み努力が無い歌はインチキだ』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。

¶次代を拓くE
・速水御舟(ぎょしゅう)
『伝統を脱して」描く。「新しい内容と形式」を以て描く。でなければ新時代に生きる作家とは謂われない』
P.243上 新奇なものを楽しみ、手に入れることを学ぶことが決定的に必要である。
・ジャクソン・ポロック
『新たな要望には新たな技術が要ると私は思う。どの時代にもその時代に適した技術が見つかる』
P.29発見は例外に気づくことから始まると
P.208発散的思考=筆者は創造性のことを、新しい秩序ある関係を系統的なやり方で理解し、発展させ表現する能力であると定義した。

¶スタイルを見出すF
・フランシスコ・デ・ゴヤ
『それでも、私はまだひたすらに学び続ける』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。
・ジャコブ・カミーユ・ピサロ
『ただ表層的に見えているものについて考えてはいけない。内部にあるものに集中すべきだ』
P.70左の側頭葉はリズム、右の側頭葉はメロディー……をつかさどり極度の連動で現象を発する。
・ジョルジュ・デ・キリコ
『絵画における技術とは絵を描くという芸術への各々の知性のレベルを明白にあらわすものである』
P.76創造的であるためには、自ら選択した分野に関する知識を豊富に持っていなければならない。


§最新の脳医学で未解明部分となっている教育
とりわけ、親から子供へ、師匠から弟子へ、といったトレーニングやフィードバックの、いわゆる訓練部分については、多くの示唆も残しているものの、未だ脳医学的には未解明の部分が多い。
創造的教育ついて、現状もなお集約段階にあるのは次の通りである。この2月中に脳医学と職業訓練方法を織り交ぜてまとめる予定である。もちろん、これに関わる創造性育成実験も筆者と音楽好き仲間でやっている、まるでモーツァルトがハイドンのアイディアを真似て発展完成させたように。
(創造性(芸術性)の育成と鍛錬のポイント)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/246

【参考文献→これから研究に織り交ぜる】
この研究文献は、アメリカの特筆的実績を持つ学校教育者たちが技能経験を込めて執筆している。学校教育者という人たちの特徴は、「一方的に話をして、その制約のもとに理解をさせる」専門家である。とても読みやすく、読者が賛同しやすいように編集してあるが、研究実践をするには難解な書物である。
『成功する練習の法則』日本経済新聞出版社:ダグ・レモスほか2名(2013年6月22日)
「練習」について筆者なりに主旨をまとめると、
1.質の高い練習方法は、正しい指導とフィールドワークに集中。
2.集中せずに漫然と練習すれば、仕事も漫然となる。
3.反復練習の成功率で習得の確認、計測、管理、項目設定をする。
4.習熟段階に併せ水準をアップして行くが、可能な限り複雑なものを正しく。
5.その人の得意な部分を桁外れに強く、練習時間の80%を集中する。
6.反復練習により、複雑さや不確実性の困難に直面しても余裕がある。
7.反復練習とは:「現実をあえて変形した設定で意図的に磨く」としている。
8.ロールプレイの練習は、チームで仕事をする直前打ち合わせ程度の効果しかない。
………といった具合である。


§日本経済の職業能力の組織化と育成後進性の理由が、
如実に発見されつつある。冷ややかな結論めいたことをいえば、職業に関する能力開発や能力向上を、全く楽しくない方法で行ない、嬉しくもない現実を見せられ、嬉しく感覚的経験のないことから頭脳に蓄積されもしない。こういった社会的システムによる能力後退が決定的になったのが今の姿である。「人材の能力を超える事業のシステムはない」と昔から言われる。…だがそれは、個別企業単位で創造できるということでもあるのだ。
日本人は芸能好きであるから、楽しく嬉しければ芸ごとに励む。
☆:聞くだけの音楽から→
=未熟でも参加する音楽は楽しい、プレゼン能力が向上する。
☆:観るだけの絵画から→
=時間が掛かっても陰影で描いてみる、論理構成能力がつく。
☆:上手は関係なしに踊ってみると→
=様々な作業能力や空間把握力で、「もの作り」に役立つ。
☆:小説を読むだけから→
=書けば、表面の広い人物と、奥の深い人物の存在を考える。
……そしてこれら、芸ごとを演出する能力は、人をケアcareするサービス事業のイノベーションを起こすのである。それでこそ、経済の成長に留まらず、経済の豊かさが文化の変遷発展にも影響し、その渦中の人たちには幸福感が漂うカラクリ(仕組み)なのである。

2014/01/07

第141号

<コンテンツ>
経済岐路にある時代の着想方法とは
 ・何千年の人類の歴史を通して言えることは、
労働による価値生産に秀でた日本人
 ・すなわち、ICT産業革命の先端を走るにも、
 ・努力しても採算が合わない「からくり?」
大手企業の得意技は広い意味での「インフラ商品」
 ・大手企業はこれからどんな役割?
 ・現存する交通(流通)手段と農林水産基盤の再編成
実に歴史的に、商品経済が発生した500年ほど前は、


§経済岐路にある時代の着想方法とは
個別企業にとっての最重要関心事は、日本経済の構造や仕組みが、どのように変化するのかである。
ところが、それにまつわる報道やインテリジェンスは極めて少ない。どちらかといえば、政治や社会に関するスキャンダラスな話題を流出させることに、多くのマスコミ報道が流れている、それはマスコミ経営自体が逼迫のため、「流されている」といった事情ではない。現実には、景気回復の期待は高まるものの、消費税増税やTPPの余波で国内部分の経済が失速する懸念も残されている。アメリカの金融政策量的緩和は、FRBが政策責任を持つ失業率でもって、失業率6.5%以下に至るまで緩和縮小に転換されることはない。ところがここにきて、この失業率の目安を5.5%以下にもっていこうとする流れがある。すると、ドル安=円高に為替相場が動く要因となる。
総じていえば、日本経済のある程度の経営を「官僚たち」が握っているために、円安誘導のための投資によるアンバランス、消費者物価高騰、台風災害予防事業怠慢によって、経済の豊かさは低下し、通貨経済も成長したとはいえない。だが、官僚たちが握る経済分野を発展させようと思えば、すなわち1000兆円といわれる財政赤字を公共経済的に解消させようとするには、「年金国債」を発行すれば、一挙に財政問題が解決するのだ。例えば、余裕のある国民が少しずつでも将来のために年金国債を購入し、その利息は国から毎年受け取り、死亡(あるいは後見制度)した時点で払い戻す金融商品制度である。現在の国債は銀行がほぼ全部を保有しているから、それを国民の保有に転換すれば一挙に解決するのである。ところがここでの大問題は、その方法を取れば官僚たちの権益が無くなることである。
経団連も、勇気がないのかサラリーマン社長ばかりなのか、理由はよく分からないが日本経済政策に対して極めて弱腰である。如何なる業界団体であっても、時の政権には「ひれ伏す」のが世の常ではあるけれど、官僚に言われたからと言って「民間主導で経済好循環」といった[経団連会長新年メッセージ]を発表するのは、組織的能力の欠落と言わざるを得ない。「行動する経団連」と、かけ声に気合を入れる姿とは裏腹に、国内経済については創造力の欠落した身も蓋もない話である。
 http://www.keidanren.or.jp/speech/2014/0101.html
 1.未来都市プロジェクト(いわゆる都市への集中化)
 2.技術イノベーション(物理工学技術だけでは産業が出来ない)
 3.グローバル人材の育成(既存商品の海外売り込み出稼ぎ効果)
 4.女性の活躍支援(規格商品増産向け労働者の選別促進)
日本の大手企業は、受験勉強に励み成功した目標達成型人材を多数抱え込んでいるため、こういった子供だましのような戦略でなければ、自社の管理職や労働者に即理解されないのも現実であろう。ところが、日本内外を問わず巷で、それなりに楽しくやっている人たちからすれば、珍説の見え透いた戦略なのである。そういったふうに「大手企業の子ら」が従順に考えるのなら、中堅中小の個別企業経営者は、これに応じた商品を提供することを考える。さらに知恵のある個別企業ならば、大手企業の戦略の行き届かない分野での、豊かな経済活動・新規事業を進めるのである。仮に、そういった狭い視野から規制緩和を考えると言うのであれば、国や都道府県が「知恵ある個別企業」の経済活動や事業をEU並みに促進させることの方が重要であり真っ当なのである。

何千年の人類の歴史を通して言えることは、
豊かさや経済が発展する際には、
 (イ)他人がやってこなかった事業、
 (ロ)創造的な商品提供、
 (ハ)芸術的に文化的に希望を抱く
といったものが必ず現われていたのである。
グローバル世界の基準着想はICT産業革命である。EUが揺るぎないのは、「内心の自由」を文化として追及し、経済・国家・社会の変革を進めているからである。人間は何らかの共同体を創るからこそ自由の領域が拡大するのである。共同体には1本の筋の通った戦略が不可欠である。この共同体と戦略でもって、それが人間の原動力となり希望となり、豊かさと(結果)経済成長をもたらすのである。これが世界水準の識者たちが論議している、時代変化にあたっての論点なのだ。そういった議論から閉鎖された日本人ならば、それは流浪するしかない。


§労働による価値生産に秀でた日本人
前述の説明で、勘の早い人は察することが早いだろうけれど、大手企業の戦略は世界に向けての、「単なる出稼ぎ」である。「道具持ち・プラント持ち出稼ぎ」であり、Made in Japan でもって輸出・交易するわけではない。もちろん、特許やノウハウを持ち出すと必ず真似されてしまうのは自然であり、持たない国からすれば真似することは正義とされるのである、これは国際貿易や経済の自然な姿である。
そればかりか、今や生産費用は国内製造も海外製造も同様価格水準で、唯一異なるのは日本国内製造だと本社管理費を生産費用に加算せざるを得ないからコスト高になるだけといった現状である。ことに特許やノウハウを数年間でも持ち続けたいならば、軍事力と警察力が必要ではあるが、それを日本が世界に展開することは出来ない。もとより、憲法や法律を変えようとしても日本の周辺列強が認めるわけもなく、海上ホテルのような軍艦は撃沈標的になるばかり、海上交易に頼らざるを得ない日本経済には手の打ちようがない。これを軍事官僚やJapan熱病人は受け入れないのである。

すなわち、ICT産業革命の先端を走るにも、
個別企業単位での労働による価値生産が最も手堅い経済活動なのである。どんな個別企業でもICT技術を使えば、あるいはICTの使い方をイノベーションすれば、収益(売り上げ)、生産(コストや無駄の軽減)、労働意欲(無駄な会議や作業)、効率(創造性の発揮)によって、たとえ円高に相場を動かされようとも、現行通貨価値であっても豊かに経営や生活をすることが出来るのである。世論の不安材料である医療や介護であってもICT技術と使い道によって費用を大幅激減することが出来る。要するに、あまりにも収益と生産ばかりの理屈に、説明が凝り固まるものだから採算が合わないのである。

努力しても採算が合わない「からくり?」
の典型的固定概念が、「労働力=商品価値=商品価格」といった幻想による商品取引なのである。身近に耳にする言葉でいえば、「より良い物をより安く」と「世の中、得をする者がいれば損をする」といった、経済経営学とはかけ離れた、まるで古代や封建時代の理屈を、マスコミが受け狙いで持ち出すからである。
たとえ十分、現下の経済システムであっても、
 A.職業能力向上による労働価値の発揮
 B.商品価値を固有価値にまで引き上げ
 C.労働力価値を超える労働価値による価格設定
といった具合に、仕入れから労働や流通に至るまで、ものごとを整備していけば良いのである。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159
例えば、日本料理の世界は、既にその領域に入っており、日本発信の重要産品になっている。日本料理に携わっている人たちに経済経営学者が見当たらないものだから、現在の経営水準であるものの、先に述べたA~Cを整備すれば、「食材産地→店舗加工→集客航路」の整備までが、料理の品質を向上させながらの産業として確立するようになるのである。
これは、現在進められてようとしている観光産業推進?といった思いつき政策とは異なるものである。それは前回のメルマガ(2013年12月号)に述べた、買い手と直に接遇する人たちの、「頭脳労働のメカニズム」そのものである。
 http://soumubu1.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html#09
そしてそれは、他の産業でも適用出来る事柄である。
ちなみに、全国各地に特産品や「地域おこし」といった活動が行われているが、仕入れから労働や流通に至るまでの物事を、同じく先ほどのA~Cによる労働プロセスのように整備すれば、ICT産業革命の時代であるからこそ産業として成功し得るのである。具体的な決定的な現場の弱みを指摘すれば、「地域おこし」には特産品が必要であり、特産品には唯一労働が重要であるところの冷静な判断が解かっていること、加えて、その上での「金融機能」が無いものだから収益と生産が終息せざるを得ないのである。仕入れにおける金融機能は信用金庫その他の発行する「地域通貨」である。流通における金融機能は「専門商社」である。そうすれば、地場産業や地域おこしといった事業での、生産技能性や経営論理性の弱さ、一貫性の弱さへの努力も省力化出来るのである。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/57
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/22


§大手企業の得意技は広い意味での「インフラ商品」
大量生産・大量消費の時代は終わっている。これを無理して大手企業は、多品種少量生産→大量消費を推し進めた。だから、あげく破綻せざるを得なかった。経営維持を求めて「工場持ち海外出稼ぎ」さらには「特許とノウハウ」のたたき売りに走ったのである。その背景には「利回り資本」を唯一の商品とするノンバンク・金融事業との腐れ縁、創造性を排除して保身に回ったサラリーマン経営者たちの姿なのである。失われた日本の30年目に突入している現在、それとは違った人たちは大手企業から排除・出向されたか、あるいは花道を付けられ引退させられてしまっているのである。

大手企業はこれからどんな役割?
をすれば良いのか、これはその提言である。また、大手企業のサラリーマンにとっては辛いのかもしれないけれど、今から述べる提言以外の道はありそうにない。まして、新卒一括採用崩壊、社員間所得格差拡大、選別・リストラ対象の若年化といった動きは、「より良い物をより安く」といった幻想をもとにした経済経営戦略の「素直さ?」と合致しているのである。よって、広い意味での「インフラ商品」の生産と供給には適しているのである。
ここでいう「インフラ商品」とは、前述した“労働による価値生産”に用いるための原材料、半製品、流通交易手段のことである。石油精製品や関連プラスチック原材料は、産油国にプラントを造り、「より良い物をより安く」日本に小分け出荷すれば良い。メタンガスやレアメタルは国内生産となるであろうが、大手企業の技術でもって、「より良い物をより安く」提供すれば良い。家電や自動車にかかる横の部品は海外製による「インフラ商品」として輸入し、パフォーマンス(技巧)やArt(創造)の部分こそで国内グレードアップ再生産をして、固有価値商品として輸出すれば良いのである。(付加価値というずさんな言葉の表現をするから、「付加価値=手抜き」との誤魔化しを生む)。

現存する交通(流通)手段と農林水産基盤の再編成
の方向へ経済構造を切り替えることで、相当の日本沈没の危機は回避することも可能である。アメリカの都合で機能不全に陥ったTPP、そのTPPの中核である海外からの投資も期待薄となっているのが、じつは現状なのだ。そこで、老人介護事業も地域密着型グループホームに方向転換をすれば、街から農村~都市問題から治山治水に至るまで、高齢者の労働人口は確保出来る。金融機能は不可欠ではあるが、ICT産業革命を進めれば、単なる商品交換手段である通貨(円)に頼るだけの経営や生活から脱却出来る。それに比べ、大手企業の多くは、既に安定就職先ではなく、発展途上地域でのみ通用する画一生産事業者に変貌している企業が多い。大手企業に雇用増加は期待出来ず、それどころか雇用激減である。大手企業の発注に頼ればコストカットの地獄に落ちる。


§実に歴史的に、商品経済が発生した500年ほど前は、
通貨に頼る経営や生活ではなかったし、人々は少しでも自由を手にいれたいがために商品と商品経済システムを戦い取ったのである。
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/149
 (ア)その時代の商品は、その多くが労働による固有価値商品であり、現在のような労働力による効用価値商品に翻弄されることもなかった。
 (イ)効用価値商品より経済成長はしたものの、反比例して経済経営の豊かさは減少しつつある、豊かさが実感出来なくなった時点で経済成長が止まった、これが最新の経済学の成果である。
 (ウ)放置すれば理不尽さが横行する世界経済であるから、「安全と安心」が保たれる日本経済から、「意欲・感動・希望」が提供出来る固有価値商品や固有サービスを展開(創造性・芸術性)することは、経済的にも豊かさと成長を生み、「円」通貨に頼らない富を確保出来るのである。
 (エ)ICT産業革命は、その使い道により経済経営の豊かさをもたらすであろうが、それは「聞く耳を持つ人」及び、その人たちの集団に限られることも自然なことである。

2013/12/10

第140号

お断り:筆者村岡利幸の父親突然死により、原稿執筆時間が取れなかったとのことでした。そのため、インテリジェンスの裏付けや論理構成背景整理までが出来ず、詳しく説明論述するまでに至らなかったとのことです。よって、今月のメルマガで、お知らせを必ずしなければならない最低限の内容だけに限って執筆したとのことです。ご理解承りますようお願い申しあげます。(株式会社総務部)

<コンテンツ>
PM2.5 大気汚染による経済への影響
 ・いわゆるアレルギー反応である。
 ・大気汚染の防止方法、&治療法
 ・外出する場合のポイントは、
 ・大気汚染による健康被害

違法派遣・偽装請負の労働者直接雇用制度
 ・その内容が徐々に明らかになってきた。
 ・そこには、労働契約法とのカラクリがセット

頭脳労働のメカニズムの解明
 ・そのプロセスを順次説明して行くと
 ・要するに、人目を引く(感動)のではなく、
 ・それが理論的に明解なることにより、


§PM2.5 大気汚染による経済への影響
PM2.5の成分は硫酸塩である。昔、四日市喘息の公害事件があったが、同じ原因物質である。医師の間でも大気汚染による悪影響を認識している医師は多い。とにかく子供、老人に関わらず多発している。その症状は風邪やインフルエンザとは全く違う。

いわゆるアレルギー反応である。
突然鼻水が出る(花粉症とは別)、声がかすれる、なぜか息苦しい(咳を伴わない喘息)、結膜炎症状だけが発生、頭や顔の外気にさらされる(暴露・被曝)場所のかゆみ……などの症状である。最も特徴的な風邪との差異は、これらの症状がバラバラに出没するのである。風邪は鼻炎→咽喉炎→気管支炎症の順序を必ずたどる。インフルエンザも全く別の症状である。知識のない街医者はアレルギー反応自体を診断出来ない場合がある。
ところが、厚生労働省は何らの対策も行おうとしてない。一説には、あまりにも患者が多すぎて保険財政が急落悪化するからともいわれている。また、この大気汚染を防止するための最も効果的な対策グッズは医療保険の対象の製品にはないからである。アレルギー対策の投与が増加していることについて黙認状態である。少なくない医者は、それなりの機関に訴えてはいるものの、厚生労働省は全く動かない。環境省が情報提供している程度である。
http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/index-j.html
大手マスコミの一部は、この大気汚染をディーゼルエンジン排出物質だけかのような報道しているが、実態は硫酸塩である。鉛、カドミウム、ニッケルその他を含んでいる。

大気汚染の防止方法、&治療法
基本的には、放射能汚染対策と同じである。
密閉して空気清浄器を運転することで職場や自宅の内部での防止が出来る。(オゾン発生の空気清浄器は有害)。空気清浄器は、できれば吸着式の清浄器が良い。硫酸塩は水に溶けやすいので霧吹きで、汚染された室内を緩和することが出来る。ところが、ミスト状態で大陸から流れて来るPM2.5は、雨が降ったところで霧が晴れるわけではない、雨の日でも危険なので念の為。したがって外出を避けるべきなのである。

外出する場合のポイントは、
目からの侵入を防ぐために、おしゃれなゴーグルの眼鏡をかける。インフルエンザ対策もマスクよりゴーグルが重要である。外出する場合は、DS1規格のマスクでないと吸引は防げない。DS1規格のマスクは8時間から9時間の使用で目詰まりする。薬局等で販売しているからといっても、DS1規格でないものが多い。また、法外価格のようなものもある。筆者が使用しているのは、20個で1400円程度のものである。例えば、
http://www.monotaro.com/g/00210818/
少しでも横にすき間があると、その隙間からからPM2.5は侵入して来るから装着方法に注意が必要である。すなわち、よく見かけるマスクというのはインフルエンザや大気汚染にしろ、その感染や被曝防止には役立たないのである。
このPM2.5対策に効果のあるDS1規格のマスクは、そういった事情から値上がりをし続けている。(インフルエンザは別規格のマスク、むしろ防衛にはゴーグルやメガネ)。
筆者の経験からも、アレルギー物質(アレルゲン)の食物摂取を少なくするのは初期症状が現れたときだけで差支えなく、むしろ室内と外出時の暴露・被曝を防ぐのが重要なのである。

大気汚染による健康被害
鼻水や咳あるいは痒みといった症状は、大した問題ではない。労働に関係するものは、「咳のでない喘息」である。気管支の血管収縮が起こるため体全体が酸素供給不足になり日常的に疲労している事態である。もちろん、血管に支障が出ている循環器関連の病気(心不全、不整脈その他)の症状を悪化させる。これらは労働意欲減退どころか、労働能力を発揮すること自体に影響を及ぼしているのである。とりわけ頭脳を使うとか重要判断を行う労働には支障が出て来る。日本経済は今、豊かさと経済数値をセットで向上させなければならない岐路に、個別企業ごとが立たされているにも関わらず、である。
個人単位の自己防衛の時期は通り越して、今や個別企業ごとに大気汚染衛生課題にせざるを得ない事態である。


§違法派遣・偽装請負の労働者直接雇用制度
これは、昨年の10月1日から施行された労働者派遣法に定められたもので、平成27年10月1日から実施される。厚生労働省は労働者派遣事業の縮小政策を着々と進めている。のみならず経済界の中でも新しい時代を担うクリエイティブな企業は、労働者派遣システムによる事業運営には期待をしていない。単純な外注(真正なアウトソーシングを除く)、もちろん偽装請負も含めて、発注企業側は、自社の事業促進の足を引っ張られるとの認識が強い。
直接雇用制度とは、派遣先などが、一方的に、強制的に、労働者を直接採用させられる法制度のことである。
近年の厚生労働省は、昨年の8月10日の労働契約法施行の如くに、世論の高まりのないうちに法施行して、施行後に一斉大PR宣伝を行うといったものである。現在放送されている労働基準監督官のドラマもその一環である。厚生労働省の世論づくりには、NHK、フジサンケイ、読売といったところが使用されている。

その内容が徐々に明らかになってきた。
1.派遣禁止業務への派遣(建設作業、警備業、港湾荷受など)
2.派遣を禁止されている業者からの派遣(無許可無届、事業停止)
3.派遣可能期間を超えて受け入れた派遣
4.偽装請負を行って、実態は派遣となっているもの
……派遣をしているか否かは、実態で判断するから、契約書面の文言で左右されることはない。人物特定をしている場合は職業紹介だから、もとより禁止である。出向契約は教育訓練、経営指導、関連会社間の人事調整の三目的を除いて、労働者供給契約として禁止をされている。もちろん実態で判断される。職業紹介や労働者供給は職業安定法による両当事者個人への刑罰から始まっている。
平成27年10月1日からは、派遣先が派遣労働者に対して、派遣先事業所への採用を申し入れたことと扱われる。その採用申出を行っている期間は、「1年間は撤回出来ない」とされている。したがって、急きょ派遣契約その他を解約したとしても、派遣先への直接採用申し入れは、先ほどの四項目が発覚した以降は消滅しないのである。

そこには、労働契約法とのカラクリがセット
直接採用する場合の労働条件は、派遣労働者が従前働いていたときの賃金、業務、雇用期間とみなされる。ここで登場するのが労働契約法に定める有期労働契約の条項である。従前に意識的な雇用契約の短期繰り返しが行われていたとすれば、65歳までの雇用義務が派遣先に生じる。期間労働契約という理由で、社員との労働条件格差も許されないから、条件引き上げを迫られるケースが大半である。むしろ、有期労働契約を繰り返すよりも、無期労働契約に切り替えた方が、もしも個別企業が整理解雇を迫られた場合の現行判例によれば、会社の損害は少なくて済むようなカラクリが見込まれている。
すなわち、個別企業がリスクを回避しようとするならば、突然正社員が増えるといったことになる。派遣会社からすれば、突然に売り上げが激減する、大半の派遣会社が借金を抱えてダンピングに走っているさなかに。
さて、これをビジネスチャンスとみるか、損害額の縮小とみるか、この岐路により個別企業の運命は決まる。


§頭脳労働のメカニズムの解明
新商品を開発とか、芸術的商品提供とか、複雑状況下での人心掌握とか、およそこういった作業を頭脳労働と呼ぶのである。机に向かってパソコンを動かすなどは、あるいは基準に基づいて書面・文書を作成するといったものは、「脳ミソ肉体労働」にすぎない。英語の法律Lawの言葉の概念は、既に設定されて基準に基づいて判断をする程度の複雑性の薄い作業とされている、もとはラテン語から継承とのことである。

そのプロセスを順次説明して行くと
1.過去の記憶は、インテリジェンス、文化の発展・変遷の蓄積作業
2.ある程度の蓄積のもとに、目前の事実関係(事実の羅列ではない)の掌握
3.この過去と目前事実関係との結合(哲学分野では時空間を飛ぶという)
4.とりわけ時間や時期を重要視するギリシャ哲学的発想の克服
5.この訓練ができれば、結合によりイメージ(想像)の作業が容易になる
6.イメージができれば、合理一貫性でもってクリエイト(創造)が出来る
7.実験を積み重ね、事実一致性でもってマニュアル的に現物となる
8.現物となれば、製造やサービスにかかる実行技術で効率を引き上げる
……こういったプロセスでもって出来上がった商品は、供給される側にとっては、人生にとって「希望」を与えられる商品となる。日本のように、上記7番目からスタートするような「イノベーション?」もどきでは成功しないのが当たり前だ。
One 人々が継続的に殺到する商品は、「意欲・感動・希望」の要素がセットでそろっている
Two が、売れない商品は提供する側の「意欲」にすぎず、
Three 一発ものは、「意欲・感動」に留まって肝心の「希望」の要素が商品に含まれていない。

要するに、人目を引く(感動)のではなく、
「心をこめて供給した側に対して、提供された側が共感をもっている」
こういった事象は、ほぼ経営学や商品にかかるビジネス書からは読み取れるのである。この点がほぼ著作に共通しているところだ。ここで、「ほぼ」と説明したのは、詐欺や詐欺行為、脅迫やマインドコントロールにより売れる商品が現に存在しているという意味である。
……ここで重要なのは、実存主義哲学などがよく取り扱う時空間である。文化や宗教観(宗教ではない)といった過去から蓄積されて来たものを体得した場合、目前の実関係と結合させることが時空を飛ぶということである。三次元の世界が(X・Y・Z)だとすれば、時間による変化(t)が加わり、それがさらに結合connect?といった作業がなされ、これで五次元なのである。以上は、合理一貫性と事実一致性を持った論理構成であり、法則性を持った科学理論であるから、念のため。
……今回、私の家系の当主の突然死と騒動がなければ、もう少し踏み込んだ文章が書けたのであるが、出身の地元共同体の核である、私の家系の責務を再構築しなければならないから、少し時間をください。ここに述べたメカニズムを使用しての失敗は許されない。細部の細かい実験を終えて、発展的に論述説明して3月末には発表する。

それが理論的に明解なることにより、
(a)固有価値を抱える個別企業、
(b)固有価値商品提供事業、
(c)個人の固有価値を蓄積・発揮
といった場面での、失敗が一段と少なくなると考えられる。現状では、個々の方々が熾烈な努力を積み重ねている割には成果が上がらないのが実態である。ここ最近は、国内の魅力的商品が取り上げられ、日本料理も世界に打って出ることになるだろうが、その成果成功率を極端に引き上げる論理とシステムに、「頭脳労働のメカニズム」がなることは間違いがない。また、私が通う大学院の指導教授は、昨年の価格設定理論のように、また英語で国際学会に発表するようにと促すだろうけれど…。

2013/11/05

第139号

<コンテンツ>
教科書通りの売り上げ不振&経営不振が続出
 ・経営には選択ではなく、創造が問われている。
 ・「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」
 ・その社会経済のキーポイントを握る人たちは、
 ・「そもそも労働とは?」に関わる学問研究も旺盛。

ブラック企業の本質は、善悪ではなく、沈没するか否かの問題
 ・経営側が注目する本質とは何か。
 ・経営側の共通した本音は、「経営危機だから、ブラック!」
 ・ブラックとは、例えば次のような悪循環の現象
 ・現実離れした官僚の着想と失政根拠

過去は、世論を良識へと整理する事業に価値が認められたマスコミ、
 ・今、その実態は不採算・経営危機
 ・ところが、時代はICT産業革命の真っただ中、
 ・今読んでいただいている、この「総務部メルマガ」自体も、
 ・ここでも、「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」の課題


§教科書通りの売り上げ不振&経営不振が続出
今年の4月第3週から、如実に個人消費が落ち込んでいる。これは統計数値に現れることはない。足で稼いだ取材やインタビューでしか分からない。取材を怠る大手マスコミでは報道出来ないし、視聴率や媒体収益性に頭を奪われている人たちだから、ジャーナリズムからも益々遠ざかっている。
多くの個別企業に現れている、その教科書通りの実態とは、
 1.顧客の内心にまで届くような売れ筋商品を供給する意思がない。
 2.顧客ニーズをつかむマーケティングも統計は駆使するが形骸化している。
 3.顧客の内心(良心と思想)へのインタビューをタブーとするマスコミを頼りに経営を行う。
 4.よって当然のことながら、海外ともに売り上げが落ちる。
 5.在庫処分&旧来企画・旧態管理職の保身目的でダンピングをする。
 6.目前の解決を要する課題を、「内部調整」と称して隠ぺい先送りが常態化。
 7.労働では無く「労働力限定」で仕入れダンピングに走る。
 8.創造的労働とルーティン的労働に二極化する事で品質低下。
 9.ルーティン的労働の配置のズサンさと穴埋めのためコスト増加。
 10.あげくに、職業能力も意欲もない集団と化し不合理不採算=破綻。
 11.違法行為が続出して利益が賠償金に消えて行く。
 12.労働意欲に関わる労働事件への対応が一段と労働力の減少を進める。
……この大まかな順序に従って、銀行などの借金を消すためには破産申し立てが行われ、個別企業に蓄積された職業能力と労働は散々バラバラと化す。倒産を選ばない道は唯一、経営者は無能な労働者とともに個別企業と経営者心身の在庫処分だけである。

経営には選択ではなく、創造が問われている。
この夏以降は、瞬く間に経営環境が変化し、また再び変化している。アメリカの財政危機は自らTPPのあり方を根底から外してしまった。そのアメリカの財政危機は増幅されて来年2月に延期された。日本の税金と社会保険料を牛耳る官僚たちにとっての財政危機は増幅しているが、それとは違う別の道の存在をマスコミは報道しない。オリンピック歓迎の世論に押されて、全国の公共事業予算を福島原発に大量導入する方針が進められようとしている、だが放射能遮断の見通しはない。まして気候変動を迎え治山治水の公共事業の緊急性が訴えられている折でもある。
こればかりではないが、経営を取り巻く環境を整備してみると、
「それぞれの個別企業での、新時代への方向を形づくること」
……これこそが重要なのである。それは、あれかこれかの選択ではない、というより、そもそも選択する対象物がない現実なのである。
それは、選択することこそが、「人間の自由」と誤解している人たちにとっては、公私共に閉塞感そのものなのである。新時代への方向とは、=創造=することなのである。事業経営にとって創造というものへの姿勢を表現する言葉は簡単である。それは……、

「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」
の一言に尽きる。およその経営・経済学問、さらにはビジネス書に至るまで、この一言の、条件付き(制限付き)事例を執筆しているのである。この一言は、個別企業の経営を実践する人たちからすれば、意味内容を理解する助言にはなったとしても、=創造=することを手助けしてくれる水準にはない。むしろ、現実には実行が極めて難しいと思い込んでいる。
それは約500年ぶりの社会経済転換期にあって、今の段階では理論法則化されてない。だから、学校教育制度で育った人たちには応用出来ないのである。学校教育で育ったことは人類の幸福にとってはプラスではあるが、転換への妨げになることを学べなかった要素はマイナスである。日本では、地場地元や個別企業がトップエリートを育てることをしなくなった。中国でさえ地場地元がトップエリートを育て、帰郷して活躍してもらおうと未だ熱心である。ちなみに東西欧州に現存する貴族階級は、学歴は高卒以下に抑え、家庭・家族・社交の中で、いわゆる「帝王学」なるものを身に付けさせている、だから現在も社会経済のキーポイントを握っている。(ちなみに、ユダヤ人?が「牛耳っている」のではなく、これと類似した教育法なのである。)そして……、

その社会経済のキーポイントを握る人たちは、
その総てが、道を選択する行為は枝葉問題として処理し、根本と幹は=創造=することに専念をしている。その教育・自己啓発?と言われるものは、「誠の芸術教育」あるいは「楽しさの芸術のたしなみ」に依っている様子である。それは「芸術」の名を借りた現実生活からの逃避とは異なるものである。重ねてそれは、「経営とは芸術である」と思っている人たち、「人生とは芸術である(ゲーテ)」に励まされている人たち、角度を変えてみれば、産業復興と芸術の関わりを示唆したラスキンの、「人間たるには、勇敢さと愛が必要」といったふうな文学的表現が繰り返され、人々のいざというときの判断基準になり、(筆者の知るところ書物や録音録画放送が行き届き)成功体験として約150年は生き続けているのである。
生活に余裕がなくなり、すなわち、実生活の貧困、哲学の貧困、大金を回していても時間貧困、閉鎖的になり人間関係の貧困といった者たちには、今述べたような、「誠の芸術教育」あるいは「楽しさの芸術のたしなみ」に遭遇するチャンスはない。そういったチャンスに遭遇し水準が備わっているにも関わらず、差別され排除されたからこそ、自由平等や市民革命(近年の研究では社会主義革命の一部生まれ、シューペンターへの再注目)が繰り返されていると診るのが妥当なのである。
芸術(アート)は、人間の希望を芸術物を通して創造し他人に伝達するが、技巧・曲芸(パフォーマンス)は訓練そのものへの賞賛と感動にすぎないからである。技能(スキル)は、貧困状態に留まった場合の労働力(労働ではない)の個別事業ごとの職種訓練結果の範囲に留まらざるを得ない。どこの国でも個別事業を超越して通用する技能(スキル)は存在した事実はなく、技能(スキル)の評価による労働異動が政策的に成功した例はない。労働者の引き抜き、労働者を採用する判断は、“価値を作りだせそうな人物”だからである。労働組合などが基礎理論としているマルクスの見解も、技能(スキル)が労働の商品化ではないとしている。したがって、職業能力評価というのは、職業能力が向上するか否かを見極める客観的合理的資料でしかないといったことは、数百年前から肌で感じ採られてきた帝王学の一種でもあるのだ。それを筆者がICT産業革命の機器を通じて、具現化・可視化したにすぎない。(職業能力評価表の例)
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/254
なお加えて、断ってはおくけれど、このようなチャンスのない人たちに、自由平等や機会均等を保障している法律や制度を、筆者は見たことがないし、もしや「存在する」と主張する人は、どうぞ現物を持ってきてほしい。

「そもそも労働とは?」に関わる学問研究も旺盛。
新しい次代に向けて、学問研究も進みつつあり、経済・経営・社会事象・心理・大脳生理その他の垣根もなくなりつつある。数十年前の学術理論が、学問的に否定され、自ずと経営や職業ノウハウの転換が進んでいる。ただ、日本は全体的に極めて遅れており、「頭の良い子は多くても、使い道のよくない子」の蔓延が、高学歴者を中心に襲いかかっている。そういった学問研究の存在も、サービスや生産の現場に持ち込める職業能力を持つ人材が、現場から外されているのだ。その人材とは高賃金リストラ対象者であり、高学歴女性労働者である。
ある実存主義哲学(精神科医とケースワーカーの大論争)を解説すれば、
ギリシャ語で言うエロスの愛の要素が強い人は、家族や家庭(妾も含む)への愛を実現するためには、他人を踏み台にすることを悪とは考えてはいない。そのエロスの愛は、現実(を重視するから実存)を観てとっての、「本来的自我」ではなく、非現実的な「本来的自己」、すなわち、「自己中心・愛の対象者への独占欲」にすぎないといった批判にさらされているのである。善悪の思想を発明した人はユダヤ人の祖先であるが、珍しく善をエロスの愛と言い換え、独占欲が満たされない場合には、突如として悪を持ち出すといった具合でもある。
ギリシャ語のアガペーの愛、この解釈は難しく博愛との表現は誤訳であり、博愛とかアガペーはキリスト教の専売ではないが、こちらの愛の要素が強い人は、周囲の人たちへの愛を、さまざまな障害を乗り越えて現実のものとしようと努める。彼らのいう愛は、最初の日本語訳は「大事にする」(15~16世紀)といった表現であった。そこには、世間体との反発・阻害・孤独の体験を繰り返すのであるが、いわゆる先に述べたような芸術的思考が共通基盤となっている。ちなみに、童話には残酷な話が含まれているから子供は興味を示し大人への教育としては重要ではあるが、童話の根底部分には芸術的思考(例えば、戒はあっても「生きる希望」はない)を設定しないと考えられる。
エロスの愛を求める人は目的・目標の存在が人生・生命の柱となりやすい。その目的・目標に向けての自他ともへの幻想に影響されやすく、すなわち、このメルマガ読者向けの現代例を挙げれば、「給料が上がれば働く意欲を増す」あるいは、「地位が上がれば管理職の能力を発揮する」といったリアルからかけ離れた着想に乗せられやすく、そういった誤解が、労働意欲や事業欲の原動力にもなっているという現象である。
が、アガペーの愛の要素が強くなるほどに芸術的思考など通して、時期・時間的結末から離脱克服するように転向が進み、社会制約とは付き合うけれども創造性が伸びるとする思考である。ただしこれらは、あくまで、ひとりの人間にはどちらの要素が強いかを論じているだけで、この二つ以外の要素も存在することを考えておくのが前提である。いずれか一つの選択を迫ることはギリシャ哲学の特徴であるが、古今東西、選択を迫れば人間は「芸術?」や「宗教?」と称して現実から逃避する精神構造であると実存主義哲学系は論説する。だとすれば、現代人にとっては占い術と同列思考などなのである。
さて哲学とは、この後に読者の貴方が、今過ごしていること、今日あすの生活から着想すべきことである。


§ブラック企業の本質は、善悪ではなく、沈没するか否かの問題
である。ブラック企業という呼び方を、どういった意味あいで誰が呼び始めたかを調べてみても分からない。日本の世間や社会(共同体)の共に広まったからこそ、マスコミが取り上げて、収益性のネタにしているのは読者も承知の通りである。厚生労働省は、徹底してブラック企業に対するマスコミ対策(その先端はNHK国営放送)をこの10月から繰り返している。厚生官僚らのブラック企業定義は、「人の使い捨て企業」である。その議論によると、人の使い捨てによる労働力(労働ではない)の無駄が日本経済再生の妨げになっている、とするものである。よって、見せしめ的労働監督行政は行うものの、個別企業がその時点での対応を誤ることがなければ、即死に持ち込まれることはなく、抵抗さえしなければ個別企業は自然死を迎える程度に加減して監督するという訳である。

経営側が注目する本質とは何か。
「ブラック企業」といったマスコミから流される言葉に、一喜一憂する人たちは、経営者も労働者も、何れは時代の波に飲み込まれて消えて行く運命と見ておいたほうが自然である。霞や霧の如くにブラック企業を話題にしても、これに対する改善・改革の方向は見えてこない。さらに、マスコミ記者の使うブラックという言葉は、そのほとんどは受け狙いである。したがって、経営側が注目する本質とは、 労働法令その他の違反行為に裏付けされた企業が、
 One. 競合他社からの訴追による受注脱落、
 Two. 社会的非難による販売・生産・サービスの減少、
 Three.ブラック判定による労働意欲の低下、
 Four. ブラック企業に陥る原因となった事業効率性の低迷
……の四つである。この四つは、経営四分野である収益性、生産性、労働意欲、事業効率性の重要問題に関わるのである。
日頃から統計資料の少ない労働者側の受け止め方の調査が、この10月31日に発表された。大手企業労働組合の集合体色彩の強いナショナルセンター、「連合」が行ったインターネット調査である。その特徴は、今までのような「連合」傘下の組合に対してのアンケート調査ではないところに、重要な意味がある。そこには、いくつかの特徴が散在する。
 (A)20代の4人に1人がブラック企業で働いていると認識、
 (B)その後にかれらの取る行動を、年代別に集計、
 (C)3割の人が仕事で健康を害していると回答、
 (D)長時間労働の「やらされ感」、
 (E)時間外未払いありの回答は35%、
 (F)長時間時間外は上司の業務管理に原因とする回答は49%、
など、興味深い結果が並ぶ。上から目線の経営側からは見えない現象をとらえ、経営にとって有益な調査結果でもある。
 労働者側の調査(10月31日)連合総研、
 第26回「勤労者の仕事と暮らしについてのアンケート」
  http://bit.ly/HxuyEp
経営側が注目する必要のある事柄は、
この調査と従来の経営側調査を総合した上で、
 (a)長時間労働と無能管理職=低賃金×利益率低下
 (b)ヒット商品の空振りと不毛な労働の繰り返しでの労働毀損
 (c)借入金の連帯保障制度と「内部調整」と称する先送り
……といった状況が、誰の頭にも浮かんで来るといった本質に迫ることが重要なのである。それは、企業の下請け協力会社傘下に至るまでの範囲で見ておく必要があり、その理由は、「下請け根性」丸出しの外注業者によって個別事業の足を引っ張られるからにほかならない。あるいは、部門単位で当該状況の発生は、優秀稼ぎ手:部門から生み出された利益を賠償金その他の支払いに瞬時にあてられ、有能な労働者の賃金や賞与が減額される事態にほかならない。

経営側の共通した本音は、「経営危機だから、ブラック!」
ヒット商品や売れ筋商品を生み出してくれる有能な労働者を確保し、今や経営を安定させ、海外展開をもしてくれる有能人材と組みたいところである。これは、大手・中堅・中小企業に至るまでの共通本音である。
ところが、この経営側本質を阻害している人たちが、今やサラリーマン行動を起こす人たちなのである。現在のサラリーマン行動は、事業主や経営幹部が対策を持て余す事実関係で、日本の各地で企業の規模を問わず続出している事態でもある。そのサラリーマン的行動とは、組織の中での保身を図り、保身に都合のよい過去の事例を強調し、「内部調整」と称して保身のために先送りし、そういった論述構成(修辞学:レトリック)を駆使するといったものを、個別事業の経営や管理よりも優先する作為又は不作為なのである。だからこそ、本来の作戦参謀である総務人事部門が、実際の調査から読み取る論理結果が重要なのである。それは、顧客に対して能動的であるべきマーケティングでも然りである。サラリーマン的行動の背景にある、労働意欲を消失させる論理構成は総て、「幻想と作り話」にほかならない。何十年も前から、「大企業病」とサラリーマン的行動の問題点が指摘されていたが、現在に至っては問題点の指摘を超え、構造的欠陥として変質し、企業の危機に対する対処能力を喪失させている。すなわち、サラリーマン的行動が、事業の縮小や崩壊を促進させ、それが事件的発生が度重なり、経営四分野である収益性、生産性、労働意欲、事業効率性を直撃しているのである。

ブラックとは、例えば次のような悪循環の現象
こういったサラリーマンは、管理職が一つの職業であるという自覚がない。「幹部」という管理職の職業を現わした名称は日本で作られた。(中国は直ちに中国語に取り入れ、「幹部」という中国共産党の独特の職業として使用している)。この職業概念が日本では消滅しかけており、むしろ、管理職は出世や保身のための道具だと認識している労働者が多いのである。おそらく原因は、借金を抱えたために、その返済を迫る金融機関や金融機関に都合のよい労働者(職業よりも帳簿数値)が、第一優先された風潮(新自由主義)としか言いようがない。
 (1)事は有能な商社と商社マンが経済活動から排除され、
 (2)技術者が干され技能者は無視され=技能や学術が技術化されず、
 (3)コストカットしか頭脳にない「脳味噌筋肉労働」がもてはやされ、
……結果、正常な資本主義的経済活動を停滞させてしまったプロセスである。
 (イ)中途採用の労働市場に職業能力を有する労働者がダブつき、
 (ロ)それを観た両親が子供の生活を心配し就職支援会社の珍説に踊らされ、
 (ハ)新卒就職市場はキツネやタヌキの演技をする子供達であふれ、
 (ニ)「脳味噌筋肉労働」の愚かさを観た若者が「非正規労働者?」を選択する、
 (ホ)サラリーマン化した個別企業の採用担当者は直属上司の保身が図られる報告書のためにタヌキやキツネの卵を採用をする、
 (ヘ)それは、日本の高度経済成長時代に個別企業が確保に努力した金の卵ではない。
……むしろ、日本的サラリーマンの職業能力であった、「企画を実現するには=、絶対に自分の企画した意見を言わない、他人の意見を披露させ、他人の批判に晒させて、結果=自分の企画を実現する」といった職業能力テクニックですらも消滅しかけている。当然、管理職の、「様々の有能な労働者をコントロールして組織的にまとめて動かすことで課業や事業を成就する」といった、根本的な職業能力概念すら消えてしまったかのように見える。そればかりか、そういった根本的な職業能力の話題を持ち出せば、金融機関の息のかかった経営幹部からリストラ対象と決め付けられる危険がある。
===リーダーシップとか統率力と称されるが==
その中身は「脳味噌筋肉労働」にほかならず、まるで戦時中の日本陸軍の尉官(少尉、中尉、大尉)を消耗品と扱った過去が思い出される現在の状況である。中途半端な教育訓練のために日本の空軍パイロットは、次々と打ち落とされ、空母から飛び立つが着陸技能が貧弱、精神論では追いつかず覚せい剤を飲ませて特攻隊(無能なのに少尉に出世させ)で出撃させた軍部官僚たちと、やっていることは同じにしか見えない。リーダーシップとか統率力などを力説する企業経営に、ブラック企業が多いのはこのためである。
===出産育児に励む女性労働者には==
各個人ごとの私設保育所=両親に子供の面倒を見てもらう=を強いられている現実が増えつつある。公立保育園政策は民間への外注化が促され、許認可保育所は補助金づけにして官僚の言いなりにさせられている。厚生労働官僚の、「まるっきり託児に限っての政策」に不安を感じて、個人私設保育に安心安全を求める母親が増加し、その不安を身をもって体験した祖母は、保育知識が無能であったとしても保育を受け持ちたい回避策である。毒舌覚悟でいえば、この女性労働者は二流であり、二流の「脳味噌筋肉労働」にならなければ自らの職業と家庭維持の経済的担保が図れないような政策に陥っていることを、厚生労働官僚たちは気づかないのである。一流の女性労働者を確保したい個別企業であっても、採用に非常な政策障害が存在、すなわち、官僚たちの政策は女性労働者の人数増加に限るものだから、家庭や子育ての質の向上や将来希望を見えなくしており、これが女性労働者の絶望感を助長しているのである。

現実離れした官僚の着想と失政根拠
こういった現象が、厚生労働省における現官僚たちの政策が、的外れである根拠のポイントである。OECDが指摘する女性労働力の活用とは、全くもって裏腹・反面である根拠もここにある。余談ではあるが、先程紹介したブラック企業その他に関連するアンケートの公表とともに、この連休中に労組ナショナルセンターの「連合」は、サラリーマンの検定(資格)好きを狙ってか、「ワークルール検定」試験を実施した。だがこれとて、私からすれば単なる批判を増長させるだけの、彼ら労働組合の失政(政権参加の姿勢や政権能力資格要素に疑問)にしか受け取れない。
ことに、重要柱の女性&非正規労働の背景には、
専業主婦が急増したのは、団塊の世代の女性らが、女性差別実態や婦人論を学びながらも、社会の現実(結婚退職違法判決:1967年住友セメント事件)を目の当たりして、家庭維持と子育てのために専業主婦に緊急避難した、そういった定説となっている現実や研究を官僚たちは無視しているのである。無視していると言えるというのは結婚退職違法判決その他をネタに男女雇用機会均等法の法案要綱を作成したと官僚自身が周知していた事実が過去に存在したからである。機会均等法の以前の、男女雇用に関して労働省内に機関が設置される前の官僚(女性)と筆者は、当時の総理府の建物の中で女性の深夜労働について協議した結果、女性深夜労働合法化&深夜労働に女性を追いやる法改正に逃避した、自らが妊娠中の女性官僚の事実関係からである。
こういった現実離れの着想+失政の原因を官僚経験者に尋ねれば、「最初は真面目でも、出世のためには保身を図る。その取引が待っている」と指摘した人がいるが、筆者が、「現在の政府の各省庁は、まるで馬賊と同様で、各馬賊の集まりである」と冗談を言ってところ、戦前を知る超高齢の学者各位に大うけ(冗談とは核心を突く滑稽さ)したところである。


§過去は、世論を良識へと整理する事業に価値が認められたマスコミ、
今、その実態は不採算・経営危機
にさらされている旧来事業の業態のもとで、こういった本質や核心を突く記事を掲載するわけにはいかない。出版事業の経営は現代、借金やサラリーマンを抱えた個別経営を強いられているから、本質や核心を突く記事や論文を掲載しても、不採算を招くリスクばかりなのである。よって、筆者も相談を受ければ、「掲載禁止」とアドバイスするのが当然である。

ところが、時代はICT産業革命の真っただ中、
その道具を使えば、差し支えは次々と解消される。ただ彼らには、紙の仕入れ業者、配達運送業者との関係を切ることが出来ない。さらに、マスコミに限らず出版業界全般に言えることではあるが、業界労働者の職業能力向上に手を抜いて来たために、安易に不採算のシワ寄せが労働条件低下に流れてしまい、悪循環を知りながらも、ジャーナリストとして手をこまぬいていた一瞬の勇気の欠落に、経営危機の原因があることを気づいていても、知らないふりから脱却出来る創造性の貧困に原因がある。

今読んでいただいている、この「総務部メルマガ」自体も、
発行数は約5,000通、何の宣伝もしていないけれど2日にひとり読者の割合で増え続けているのが特徴。そこで注意が必要なのは、筆者自身が読者数増加や有料化の誘惑に乗ってしまえば、やはり馬賊やマスコミ関係者と同じ道を歩む危険である。日ごろから、ミニ:シンクタンクもしくはジャーナリストの職業能力を向上させているからこそ、身体障害があるから肉体労働が全く出来ない境遇にあっても、おかげで私生活は楽しく安定し、芸術を取り入れさらなる職業能力向上の実験も自ら行っている。

ここでも、「顧客の内心(良心と思想)にまで届く売れ筋商品」の課題
である。その理由も、今月号の初めの方で述べた通りである。は如何なる評論家が述べようと、如何なる人も様々な貧困化(生活水準、哲学、内心、文化その他)を避けようとすることは自然である。ところが今の日本では、世界の中でもダントツに、「貧困化を我慢せよ」との説得にさらされている国民と経営者の姿が存在する。それは今の政府や官僚だけの主張とは限らない。黄昏を迎えた高齢者たちは、いま最も有利な年金生活を過ごしているが、それが減額される危機感と相まって、後進に対して人生における窮乏生活を説き、孫の世代に対して金銭をわけ与えることで、若年層の自律性や職業能力習得の阻害を生み出そうとしている。たしかにそれは、個人的な優しさが起因するのではあるが、それでは単なる与える側だけの、内心の自己満足に留まらざるを得ない。孫に、「いわゆる帝王学」を体得させ、貧困から脱却させる方法は他にも存在している。
とりあえずは、労働者の職業能力向上と、職業能力の効率的育成のための向上素質評価から始めて、今日明日の売り上げを増加させる、「方向性・戦略」が不可欠なのである。
(資料:固有価値創造システムの人間発達と教育)
 http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/24
戦略とは原則性をもつということであり、原則がなければリアルな柔軟性は存在し得ない、これが人類としての定石である。

2013/10/08

第138号

<コンテンツ>
雑念・雑ニュースに、踊らないことが肝心
  ・個別企業において(この場合、個人の生活も同様だが)
  ・マネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)とは、
  ・個別企業の経営とは、
仕事の方式(業態)と、生活と幸せの仕組みを変える
経済経営の学問最先端でも、ジレンマ論に転落
PM2.5の健康被害の著しい現実
そのうち、官僚が「老人殺害計画」を言い出すかも
  ★民間治療薬?サプリメントは、医学知識がなければ危険!
  ★値段が安く仕組みも簡単な便利商品は、
  ★患者や保護者への医学知識の普及も重要である。
  ★現段階での、心臓、血管、高血圧に関する、自己措置


§雑念・雑ニュースに、踊らないことが肝心
世界規模で経済の混乱が続いている。「右肩あがりの経済成長理論」に慣れ親しんでいる人にとっては、「山の頂上に上る体力もなく、足元を踏み外し転落する」といった不安な心境と考えられる。

日本でも景況感が向上したと耳にするものの、実体経済の動きが景況感に応じていない現実を見て、恐怖感が漂っている状況だ。これを、経済経営学的に見れば、単なる「マネー経済と実物経済の相反」にすぎない。したがって、最低限、冷静に物事を観ることが重要なのである。
学問とは本来、冷静さと勇敢さを傾注する時期を判断するまでに身に付けるもの(教養素質)なのであるが、その教養を深めずに比較検討してみたり、手法や学説を並べてみたりするものだから、生かじり学問の癖が身に付いてしまえば、右往左往するしか仕様がないのである。例えば、日経新聞を読めば経済経営のことが解ったような気分になるのは自然ではあるが、個別企業や生活に役立つ冷静さや勇敢さを判断する素養は益々、先細り、しぼんでしまう。
これがマイケル・サンデル(ハーバード白熱教室)の言っていた、「言説の貧困」である。彼の解説によると、「言説の貧困化とは、ひとつのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら、スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになることだ」(“これからの正義の話をしよう”早川書房p344引用)としている。だとすると、

個別企業において(この場合、個人の生活も同様だが)
いま最も重要な事柄は、実体経済を軌道に乗せて、マネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)への備えをする、受注対策である。もとより、ICT産業革命の真っただ中であるから、実体経済を軌道に乗せるということは、次のコンテンツで述べる、「仕事の方式(業態)と、生活と幸せの仕組みを変える」といったことである。

マネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)とは、
センセーショナルに聞こえるかもしれないが、この10日後(10月18日)のアメリカ財政危機が引き金になる金融不安である。元からアメリカにとっては大した外交ではないのがTPP交渉妥結であるが、延期をしてまでの米国事情なのだ。この10月の金融不安懸念は、それを回避しようとする動きの見えないところに特徴がある。日本のマスコミは、いっさい報道しないから、国内では話題にはなっていないが、そういった懸念材料の海外ニュースばかりなのだ。
ただし、既に日本国内では「貨幣資本の停滞」が起きている状態で、不動産関係も年末に向けての契約と資金回収に動いているにすぎない。消費税引き上げによる需要はプラス・マイナス=ゼロの話題なのだが、これこそ些細な事柄にすぎないのだ。三流資本主義国家である。
2008年では、リーマンショックと言われるが、その年の6月に、イギリスの金融機関が投資の撤退を宣言する異例な海外ニュースが入り、それが実行された途端にリーマンショックが生じたのである。
あくまでも懸念ではあるが、懸念すら感じることなく個別企業の経営をしているとすれば、それは企業経営や参謀(総務部門)としては失格なのである。このメルマガは詳細説明を控えるが、リーマンショックを予言した実績を持っている。

個別企業の経営とは、
「どちらにどう転んでも失敗を避ける行為を進める方針」であり、こういった方針の役目を社内にも社外にも持たなかった個別企業が、そもそも設立3年以内に倒産するor借金ダルマとなり金融資本の奴隷と化して来たのである。
読者の察しの通り、倒産すればチャレンジの希望は(日本の法制度によって)残るが、金融資本の奴隷となれば連帯保障制度その他によって“命をささげ、身を削って、貧困に付きまとわれる”生活が待っている。その悪循環は、家族や知人友人にまで広がり、賭博的経営が常となり、あげく心身の挫折に至るのである。この分析自体は、現代の社会現象を論じているにすぎない。多くの人が近視眼的になるや、これ自体が見えなくなっているのだ。
結論づければ、要はそれだけのことである。


§仕事の方式(業態)と、生活と幸せの仕組みを変える
たとえ今月の金融危機がないとしても、じわじわとマネー経済の破たん(貨幣資本の停滞)が進行している。総務部メルマガ8月号(第136号、2013/08/06)で解説したように、“目先の利益が不可欠、プラス、「自らの日本文化圏と事業経済圏」”に向けて、たゆまぬ努力が肝心なのである。
http://soumubu1.blogspot.jp/2013/08/blog-post.html#07
例えが不適切かもしれないが、「体力+コツコツ努力=学力向上」は今や世界の定説となっている。所得による学力向上は眉唾物であり、この体力でさえICT機器の有効活用によって、「脳を含む肉体」消費は極端に減っているのだ。筆者の私も、長文原稿作成は音声入力だから手書きの10分の1以下の体力消耗であり、その余裕が生まれた体力でもって書籍(Webの何十倍もの情報量)を読むことが出来、十分な睡眠時間と「鍛錬」で、人生をエンジョイしているのである。
最も重要な視点は、マネー経済の破たん進行やショックを、そういった経済状況のもとで、
  イ)人々が社会に何を求め、
  ロ)いかなる人間関係を形成し、
  ハ)個別企業の経営に何を求めるか、といったことを見極め、
  ニ)その準備を個別企業が行うことなのである。
それは、手法や装置ではなく、マーケティングの兆しの発見でもある。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/159
「右肩あがりの経済成長理論」の時代に、教養もなく成功を収めた人たちの抵抗は、極めて激しくなる。その人の心の内は、時間や環境変化について行くことが出来なくなったことへの自覚と恐怖心が大いに作用している。そのため、非論理的・極度感情型の言動が目立つようになり、通常考えられないような自殺行為(不祥事その他)を職場で引き起こすのである。
その救いの手段は、個別企業ごとに、「仕事の方式(業態)と、その労働者の生活と幸せの仕組み」を変えるしか対策はないのである。ただし、残念ながら日本の社会構造にそれを期待することは出来ない。
私が読者に勧める方法は、「敗軍の将、兵を語らず」の裏側であり、もちろん「語らないこと」である。


§経済経営の学問最先端でも、ジレンマ論に転落
(ア)私たちは、ミニチュアであっても、シンクタンクの仕事柄、英米や東西欧州そして北欧といった、いわゆる経済や豊かさの先進国の動向のポイントはみている。日本のマスコミや大学程度では、イギリスとアメリカの経済や経営に関する考え方が大きく違うこと、北欧が経営学ではダントツにレベルの高いこと、イタリアという国は表に経済は出さないけれどアメリカと北欧の経営学は見逃していないことなどのことを、知る由もない、だから日本の政策も限りあるのが現状である。
(イ)そういった海外の“経営に直結した学問”においては、大量生産方式というのは遠い昔のことなのである。トヨタが着目した Just in time などの方式は、リーン(無駄なぜい肉がない意味)生産方式としてアメリカの経営理論として普及したけれども、もう古くなっている。今や、顧客参加によるMssカスタマイズによる精密化を発展させて、顧客と製品と会社の結合を図る製造等イノベーションの統合といった経営に移行しつつある。
(ウ)さらにはICT産業革命により個別企業のビジネスソースが、パソコンなどからいつでも取り出せるインフラ(民間の行う公共)をよりどころとして、プロセスや共同体を重視した商品構成に移行するだろうと考えられている。おそらく、このメルマガ読者の大半は、ICT産業革命以後の話となると、ワケが分からない方が多いと思われるが、それは全く自然かつ当然のことであり、何も恥ずかしいことでも何でもない。すんなり分かるのであれば、あなたも今の仕事を辞めてシンクタンクやコンサルタントに転職した方が現実的な判断だと私も思う。
(エ)現代社会あるいは社会共同体にあっては、何らかのチームでもって仕事を進めている。ところが、そういった仕事の成果がなぜ生まれるのかが、「使用価値と交換価値」の価値論の論理では解明が付かないのである。今も花形産業であろうテレビ番組制作、看護・介護・保育といった仕事、学校教育の仕事、あらゆるイノベーションの仕事、社内社外・顧客との調整の仕事といった物は、すべての経済学者が「使用価値と交換価値」の価値論では解明出来ないとしている。高校時代に習う、需要と供給の曲線の交わりが価格だとする有名な図表理論も、あくまで価格決定理論にすぎない。価値論の論理ではない。
(オ)過日は私自身が大学院のディスカッションで、「物を販売すれば自動的に集金できる」といった事実関係は、現実には無いと説明した。「自動的に集金できる」と思っているのはサラリーマンの習慣がそう思わせているだけだと説明した。すると、大学・大学院の教授・研究者のほとんどが、驚いていた状況だった。この現実が日本の最先端経済学なのだ。が、イタリアあたりでは誰もが知っていることだし、「近江商人」の系統であれば子供の時に教えられる経済理論なのだ。
(カ)固有価値という価値の存在は、商品経済で成功した人たちは、学術理論を分からなくても知っていた。それを学術理論として気づいたのがニコラス・バーボン(火災保険会社の立案者)であり、経済社会政策に導入したのがジョン・ロックであり、合理的一貫性でもって証明したのがラスキンであり、事実一致性により立証しつつあるのは池上惇(京大名誉教授)を筆頭とする私たち研究メンバーである。
(参考資料:今の不況原因は「使用価値論」に固持し続けることにある)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/30
(キ)現代経営の矛盾点を、フィンランド生まれのY・エンゲストロームが、「ノットワークする活動理論」(新曜社、2013/06/15)でもって最新分析をしている。分析というのは、今後どうすれば良いかまでは言及出来ない限界を持っているということである。先ほど述べたような「使用価値と交換価値」では全く解明が付かない経済活動が、経済分野の豊かさを受け持っていること、その解明の付かない経済活動=仕事方法は、いわゆる大量生産方式の工業経営に技術・技能移転ができておらず、むしろ豊かさからかけ離れ財政破たんの道を歩みつつあるとしているのだ。この分析の中では、技術・技能移転を図るために、有名大手各社(トヨタも分析)の工夫事例を紹介もしているが、結果的には成功していないとの分析結果なのだ。他にも、「内部調整」との名称を使っての経営矛盾の先送り、堂々巡りを繰りかえす経営にツールと方式、対外顧客への公約を日常化しないことによる「保身社員」の激増と業績低下など、世界各地の事例を挙げている。興味があり時間の余裕のある方は、この本を読めば巷の経営学を読む必要はなくなる。けれどあまりにも難しい。
(ク)ところが、固有価値商品論を踏まえて、この本を読んでみると、分析調査資料としては極めて有用な書籍であることは間違いない。話は飛躍するかもしれないが、大量生産ができて安価に供給できる商品という物は、交換価値比率が高い固有価値商品を創り出す上での「インフラ商品」という訳である。
(ケ)すなわち、経営者や管理職としての職業能力要素である、
 A.基礎技術を現場に落としこむ技能(多様性・一回性)。
 B.事業のプロセスを短期・効果的に進める技能。
 C.人材、立地、基礎技術その他を組み合わせる技能。
の業務を遂行する上での「インフラ商品」という訳である。「インフラ商品」というのは、聞き慣れない言葉ではあるが、例えば、労働集約型事業(生産技術というよりも大量労働力と職業訓練により成り立つ事業)において、その個別企業の最大インフラとは「就業規則その他規定」のことであり、専門家に作成してもらってこそ商品となる価値が生まれる、といったものである。労働集約型の請負事業とか人材派遣業は、このインフラが機能していなければ累積赤字の増加を招くことになる。各省庁の官僚たちからすれば、「インフラが整っていれば利益が出る」との理論(この理論に間違いない)によって、赤字企業は日本社会から消え去るべきとする政策を、社会正義を全うする義務として打ち出しているのである。
(コ)筆者は、昨年夏に、固有価値商品論を踏まえての商品価格決定論(価格決定のイニシアチブの取り方)についての研究レポートを、国際文化経済学会に提出した。現実に経営に成功している個別企業の事例をチョイスした理論にも関わらず、最先端の価格決定理論として評価された。過日の大学院でのディスカッションによれば、池上惇(京大名誉教授)編集共著として、商品価値・価格・豊かさの事業経営に関して、事実一致性により立証することが計画された。これは、日本経済復活に不可欠な経営手法の確立がなされると思われる。そうなれば、重税、都道府県民・市町村民税や社会保障費用の非効率高額負担に対抗して、個々に独立した個別企業ごとに経営基盤が確立できるインフラが整備される。
(サ)数千年の歴史の定石は、「文化が変わり → 経済活動が変わり → 最後に政治が変わる」のである。政治が変われば社会が変わるというのは、議員・代議士たち特有の詭弁といっても差し支えない。


§PM2.5の健康被害の著しい現実
今まで報道されなかったPM2.5の健康への影響が、マスコミでも取り上げられるようになった。風邪や花粉症のような症状をもたらすが、炎症の状態の目視、聴診器による雑音、炎症の部位によって違いははっきり診断できる。それが出来ない医師の方が、どうも日本には多いようである。
厚生官僚は、PM2.5の健康被害の政策をまとめて各地の保健所や医師会との共同対策を行うべきところ、何らの動きも取ろうとしていない。むしろ環境省に責任を押しつけているような様子であり、環境省は各都道府県が行っている大気環境測定でお茶を濁そうとしている感もある。
PM2.5の主要な毒性物質は、三重県の四日市公害と同様の「硫酸塩といわれる物質」のである。喘息、鼻炎、結膜炎、咽頭炎、声帯炎、喉頭炎などを、独立してアレルギー症状として発症する。ディーゼルエンジンの煤と同じく不整脈を誘発するし、場合によっては心筋梗塞症状を発症する可能性が高い。ところがどの症状も感染することは無い。なお、風邪の場合は必ず、鼻炎→咽頭炎→気管支炎の経路をたどる。「お腹風邪」といった意味不明な病名が出回っているが、これは細菌又はウイルスによる腹部の炎症である。
防御の方法は、放射能汚染とほぼ同様である。
 1.外出時には、
 市販のマスクではなく、粉塵を予防する“DS1”の規格品を使用すること。
 2.結膜炎には、
 製造工場用の簡易ゴーグル(数百円)を使用する。
 3.室内を密閉、換気扇使用禁止
 空気清浄器を使用すること。普通清浄器で十分(オゾンは有害)。
 4.卵、牛乳その他、アレルギーの元(アレルゲン)
 を一時的に遮断(食べない、触れない)すること。
 5.炎症を抑える薬はステロイド剤なので、
 そういった薬には、頼らないようにすることが無難である。
 6.ところが、具体的治療しなければ、
 花粉症+喘息状態となり、通常生活が出来ない。
PM2.5の被害は、子供と老人そして循環器疾患の人に集中している様子だ。様子というのは、保健所を通じて全国調査すればよいものを厚生官僚が怠慢なので統計調査ができてないからである。花粉症に罹患する人はPM2.5は大丈夫な人が多い様子、だがこれも実態は不明である。アレルギー全般を抑える薬の投薬効果も非常に不確かである。はっきり言えることは、環境省その他が毎日発表している飛散情報で、空気がきれいなときは、窓を開放していても症状がほとんど発症しないということである。
・「大気汚染とアレルギー」の参考URL
 http://www.waghs.net/allergy/ar48.html
PM2.5の飛散は、台風その他で吹き飛ばされない限り、中国大陸から偏西風に乗って3日後である。秋から来年の春にかけて大量に襲いかかってくるので、厚生官僚に頼らなくても、自己防衛をするしかない。
・大気汚染予報URL
 http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/index-j.html
ことに、福島原発被災地域そして関東圏は、放射性物質による活性酸素増加に加えて、今述べたような呼吸器や循環器系等の疾患を誘発するだろうから、経済や生活のインフラ危機そのものである。
・大気汚染によるアレルギー疾患(過去のメルマガ記事)
 http://soumubu1.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html#01


§そのうち、官僚が「老人殺害計画」を言い出すかも
(a)消費税3%引き上げが決まったが、この財源が社会福祉に回らないことは、法律の付則条項によって決まっている。このことは、個別企業の経営や個人の生活のインフラ水準が落ち込むことを示している。ことに、職業能力や頭脳によって勝負をしなければならない日本経済にとっては打撃である。
(b)その典型的な形は健康保険に現れる。労働者本人のみならず、家族が傷病にかかれば労働はそちらに費やされるからだ。怪我や病気というものは初期段階での治療が行われれば、費用も少なく長期にわたることも防げる。そこには家庭常備薬とは違ったビタミン剤や安価医薬品投与で直ちに解消できるものは数少なくない。例えば、炎症やコレステロールの類はビタミンB群、風邪(鼻炎→咽→気管支)はビタミンCで治る。体力低下や脱力感といったものはビタミンEが有効である。こういった医薬品は極めて安価であり、初期治療段階の医薬品と併せれば高い効果を表す。
(c)ところが、ビタミン類は健康保険の給付対象から外され、なるべく高価な医薬品が投与されるのが現実である。ジェネリックといっても極端に安価な訳でもなく、患者や保護者に医学知識がなければ、益々厚生官僚の言いなりになり、病院に行く費用も工面せざるを得なくなるのだ。
(d)日本の場合、65歳以上は非労働力人口と法律等で決めているから、煩わしい高齢者問題が形式として浮上してくることになる。この65歳の年齢によって、65歳から厚生行政、それまでは労働行政と区分けをしたのは、官僚たちがそうしているからにすぎない。マスコミのほとんども、無学なのか賛成しているのか知らないけれど、官僚のしり馬に乗った論調ばかりしている。高齢者は消費ばかりする人達だと考え、あるいはそこに追いやっているからこそ、煩わしさと世代間感情問題を拡大・拡散する原因となっているにすぎない。
(e)今でも、70歳以上の患者には大手術を行わないといった政策が実施されており、明らかに間引きとしか言いようがない。「後期高年齢者?」のように意味不明な造語でことを進めようとしているけれど、マスコミの世論操作を利用して官僚が「老人殺害計画?」なるものを言い出すかもしれないのだ。
(f)もとより高年齢者というものは、「健康維持と活躍の場を与える政策」を行えば、若年層に比べて極めて高い固有価値としての職業能力をもっている。すなわち、物理的力はなくとも、「無駄な動きはなく、目前と将来を予見する能力の蓄積」が存在するのだ。あるいは、残存能力として、そういった職業能力を部分活用できる。そのように陣立て(フォーメーション)をすれば、日本全体としての社会経済復活にとっては、この資源が重要であり、これを個別企業や地域ごとでも陣立てをして分散活用できれば、世界有数の経済・豊かさ大国になり得るのである。

民間治療薬?サプリメントは、医学知識がなければ危険!
こういった物が出回っている。確かに、誰でも健康に過ごして働きたいから、PRに乗ってしまう。しかしながら、こういった民間治療薬?やサプリメントこそ、医学知識がなければ危険なのである。もちろん販売業者は、危険な事態が起こらない程度の分量を1日の消費量として表示をしている。なので飲み続けても、ほとんど効果がないといっても過言ではないのだ。サプリメントを信じて飲んでいるうちにコレステロール値が高くなるとか、血液循環が良くなるからと言ってイチョウの葉を服用したために肝臓障害を起こすとか、心臓のキツケ薬を服用したために心臓自体が負傷するとか、良くある話である。
金にならない医療は、病院の不採算
それどころか、厚生官僚のやっていることと言えば、バカでかい医療機関を設置奨励するとか、大手術の実施を奨励するとか、予算の係る政策ばかりが目立って仕方がない。病気の予防や早期処置に重点をおけば、身近な地域の医療機関も経営が安定し、それこそ社会福祉が産業や経営のインフラとして役立つのである。そのような保険点数配分に言い換えればよいだけのことである。ドクターヘリとか高性能新薬ばかりに自治体や民間業者の動きを誘導することで、官僚の政策怠慢を続けているとしか考えられない。19世紀半ば、日本では江戸時代のころイギリスに「ラスキン」という人物がいて、「孤児院を作る前に、孤児が生まれないような政策を行なえ」と啓蒙していた。こういった考え方は日本の厚生官僚には見られず、彼らの特徴は、世論から批判されそうになって初めて予算をつけるといったやり方なのだ。ついでの話だが、この「ラスキン」の着想に賛同した人たちが20世紀初頭に、イギリス労働党を創設したのである。イギリス労働党の労働とは「人間の労働を最重視する」といった理念であり、社会主義とか自然保護といったイデオロギーとは無縁であるから、念のため。

値段が安く仕組みも簡単な便利商品は、
景気の良い時代には、生産者も供給者もこぞってそれを馬鹿にする。ところが実際は、高血圧・高コレステロールを安い薬で抑えることで心臓病での死亡率は激減した。初期の心臓病治療薬は激安商品(1日分数10円の全額負担)である。日本が開発した老化防止のコエンザイムQ10の酸化型と還元型のいずれも安価商品である。活性酸素を除去する水素(H2)気体そのものはさらに激安で入手でき、抗酸化サプリのような副作用は無い。数10ccの砂糖水を夕刻に飲むだけで、夕食の食欲が減退しダイエット効果は著しい。初期の糖尿病は、カロリーコントロールの長期忍耐作戦に比べ、数ヵ月間の糖分遮断作戦で短期に治る。心ある医師と医療機関は、傷病を予防する医療行為は民間医療保険会社も歓迎するようになった。例えば、高齢者予防医療に、室内段差の解消、毛足の長いカーペット排除、高齢者の足の爪きり、心疾患患者の体重を毎日把握などである。すなわち、問題が起きる前にそれを防ぐやり方だと、長い目で見ればとても医療費が安くつく。こういった考え方は、健康医療サービスにおける固有価値商品である。だから、資金・金銭的備えを縮小できるし、提供者も需要者も豊かさを招来できる。

患者や保護者への医学知識の普及も重要である。
アメリカのER(救急救命機関)の実際の調査によると、訴える症状の中で危険度の高いものは、息苦しさ、血栓、熱、感染症といったものである。とくに重要なのは息苦しさ、肩を使い全身で呼吸しているに言い換えれば極めて危険である。めまいで後ろに倒れる場合は脳梗塞か心疾患であるが、「つまずきもしないのに尻餅をついた」といって勘違いをする老人が多い。めまいとは起立性低血圧(貧血)がほとんどで、後に転倒する特徴のある脳梗塞や心疾患の発作はめまいが現象の症状ではない。めまいで倒れた場合、最低50秒以上は動かしてはいけない。脳出血する可能性があるからだ。にも関わらず体を起こそうとする無頓着な親切者が多い。吐き気の有無を調べることは、その知識が少し広まって来た。これに比べ、危険度の低いものは、「痛み、めまい、しびれ、精神科的症状」との結果である。医学的知識がないと、出血だけでパニックに陥り、静脈か動脈からの出血さえ分からない。急性期の初期段階の症状=息苦しさ、血栓、熱、感染症の症状(心疾患、高血圧、脳梗塞、細菌・ウイルス感染)についての知識と対処法を、患者や保護者に教育訓練することは、目の前の発作状況に対処できる。それだけで、うろたえ放置するよりも具体的に救命・安全と豊かさを実現することができるのである。狭心症による胸の痛みだけで死ぬことがない。

現段階での、心臓、血管、高血圧に関する、自己措置
筆者は、今から20数年前、心臓病で2年以内に死亡する難病と言われた。でもまだ生きている。その後に、病状改善薬が再発見され、一見元気のようにはなった。でもその初期症状の兆候は医学界では証明されていない。こういったこと自体も、厚生行政の関係で検討すらされていない。個人的範囲で知識のある医師も存在はするが、探し求めても宝くじ当選よりも難しい。
そこで、それをまとめた。
その当時の予防法、今も発作予防で通用するもの、それは次の通り。こんな細かい所まで、医師が研究していないし、多くの患者も無頓着だから学説に連なりにくい。4日前にも最新心臓治療の本を読んだが、あくまでも病院に運ばれてからの話ばかりである。現実は、病院に運ばれる前や搬送途中で死亡する患者が圧倒的に多いのである。ところが、予防することで大手術も長期入院も防げるし、なによりも家計も医療予算も経済効果は高い。なお、これらの自己措置は、何人もの医師とで研究をした成果である、念のため。

【1】まずは、発作が起きる前の冷静な時に、自分で出来ることをすること。
 イ)息苦しさや痛みが生じたときに、胸より上に苦しさや痛みに変化がなければ心臓を疑う。胸より上のほかにも、首、頭、歯、両腕を含めて、個人差の症状が出る。
 ロ)痛みよりも、息苦しさが危険である。狭心症の痛みは慣れてくるし、痛みのない人も女性に多い。痛いけど狭心症で直接死んでしまうことはない。が、そのまま何ヵ月もほっておけば心筋梗塞の症状も出る。
 ハ)今問題のPM2.5(噴霧状態の硫酸塩)も不整脈や心筋梗塞症状を起こす。
 ニ)心電図、ホルター心電図で発見されれば、中程度以上に心臓病は既に進展。
 ホ)息苦しさを感じれば、自分で、左手親指の付け根を右手でもむ。痛いと要注意である。同じく、左足の裏全体を、両手親指でもむ。痛いと要注意。右足関係なし。その自己措置でもって心臓に刺激を与え、心不全状態を緊急に脱出・緩和することである。

【2】間違ってはいけないのは運動療法である。
 イ)しんどいからと言って、気晴らしであるとか軽い運動するということはもってのほかである。
 ロ)健康にも関わらず毎日朝から晩まで寝て暮らしている人物は、運動不足により確かに心不全を起こすことはあり得る話である。ところが、健康となればだれもが起き上がって動き回っているのがいったいであるから、そのような非現実的な話をする医師たちは避ける必要がある。
 ハ)心不全状態が収まっているときに、徐々に徐々に、軽い~軽いことから行う必要があるのだ。例えば、歌が好きなら、鼻歌を歌う程度から始めるようにである。
 ニ)心不全の場合は睡眠中の無呼吸を併発している可能性も高く、呼吸器系統の治療(PM2.5による呼吸不全)その他も良く調査しながら、運動療法は行う必要がある。だから運動療法は、やたらにWebや本に執筆すべきことではない、それは、未だ患者は無知な人が多いからである。

【3】寒暖の差が、突然に危機に。
 イ)外出とか、トイレやお風呂場がよく言われるが、もちろん注意である。
 ロ)一番肝心で、もっと恐いのは、冷たい空気を吸い込むことである。心臓疾患になっていれば反射防衛が出来ず、マスクをするとかマフラーで防ぐといった程度では防げない。最低ホッカイロ(酸素が少ない)などで冷たい空気を吸わないようにする方がマシである。
 ハ)ことに、夏でも冬でも、体に風があたれば心不全も起こす。エアコン・扇風機それだけでも注意が必要であり、狭心症や心不全の症状が現れる。
 ニ)そのとき、風邪もひいていないのに、胸の奥から咳が出る。重度の場合は咳が出るだけでなく、薄い茶色のタンや唾が混じっていれば、血液逆流(心不全の特徴)の症状も現れる。
 ホ)循環器専門医でも、こういったことを予防チェック出来ない医師が大多数である、説明されて納得した顔をしているが。

【4】その予防には夏冬を問わず、首にはスカーフ、
 イ)手首、足首を冷やさないことである。
 ロ)異変を感じる前の、汗が出る程度が安全、足首はレッグウォーマー、寝るとき首にタオルを巻くなどである。
 ハ)最近のファッションで、夏でもスーツの上に夏用マフラーをしているのは、心臓疾患にとっては冷房の温度調節ができるから、非常に便利なのである。

【5】心臓が疲れてくると…
 イ)運動もしてないのに足のふくらはぎがはれて痛みを感じる。
 ロ)そこまでは循環器の医者なら誰でも知っているが、その前には手の甲がはれて、既に3本の筋が見えなくなっている。心臓だけでは全身の血流を全うできていないので、体がむくんでくるのである。
 ハ)この場合の応急措置は、なぜか理由が分からないが左足の太股を、ゆっくり強めにさするように、静脈の血液を太ももから心臓に向かって送り出す方法である。
 ニ)これは自分では出来ない、心不全状態はいつ起こるか分からないから、ひとりで寝るのは危険なのである。
 ホ)冬場はとくに、布団の中でも、足のふくらはぎが、夜中突然つってしまう。この場合、身動きが取れないし、声を出せるような状態でもなく、ほぼ気絶する。
 ヘ)心臓病は寝返りが出来ないから、フワフワした血流を阻害しないベッド・布団に寝て置くのは効果がある。
 ト)心不全状態を看護するには、「愛と倫理」によるしかない。

【6】心臓、血管、高血圧により食物の調理方法
 イ)ほとんど言われてないのが調理方法や食べやすさに関することである。だれもが嫌がるのは、おいしくもなければ食べにくい、だから続かないのである。
 ロ)心臓に疾患のある人は、体がいつもしんどい状態が関係しているせいなのか、意思や孤独に強い人が多い。でも、続かないのである。
 ハ)健康で食欲のある医療関係者が、ほとんど自分では食べないような食習慣指導をしても無意味である。典型的なのは心臓病の前段階のひとつである糖尿病の食事指導である。
 ニ)そこで具体的な話と、野菜は48度以上に加熱すると、心臓に効果のある酵素がなくなるとのこと。
 ホ)野菜はぶつ切りの方が食べやすい場合があるから、おいしさの工夫をしてみる。
 ヘ)少し値段が高い野菜は、多く食べなくとも繊維質や栄養が豊富であるから経済的である。
 ト)塩分の多い汁物は禁止である。それは喉が渇くから水を飲み、この血液量の増加によって心不全状態の心臓に、さらなる負担をかけるからである。もしも水分が欲しくなれば0.3%食塩水を飲むことによって、心臓には負担がかからず、直接細胞への吸収力を高める方法である。
 チ)コエンザイムQ10(還元型)は異常に効果がある。1日90mgを4日以上服用と言われて来たが、体重1kgに対して2mgの量が正解である。体重50kgの人であれば、数回に分けて100mg以上が必要である。この方法を4日以上服用しても効果の出ない人は心臓病の直接効果が弱い。ただし、お肌は絶対奇麗になります、細胞も元気になります、顔に塗っても無関係だから騙されないように。

【7】肉類の高タンパク質の部位は有効。
 イ)肉の脂身は禁止。焼肉の油は厳禁である。
 ロ)イカ・タコ・エビ・カニは表面を熱湯や油等で消毒する程度の生で食べること。それは、生の状態ならば、コレステロールを分解する酵素が生きているからである。
 ハ)卵の黄身、いくら・筋子などの卵は、必ず生だけを食べること、いっさい加熱は危険である。(煮付ける、焼くことは、コレステロールの塊の料理)
 ニ)テレビで良く宣伝しているところの、抗酸化サプリメントは体力低下を招く。その使用方法を医学的に知らなければ、症状悪化を招きかねないのである。
 ホ)また、活性酸素を除去したければ、目の前で水素を水に溶かして飲むことしか効果はない、それならば細胞・脳内(脳間で高酸化物を除去)にも水素が侵入して活性酸素を除去できる。水素水生成器とか水素水ボトルに効果のないのは、小学生の理科でも教えていることがらだ。
 ヘ)水素反応が初期のころは副作用が出る場合があるので、水素+活性酸素=H2O、の原理と、活性酸素が滞留している脳、眼球、首筋、肩などの痛みや鼻からの出血といった知識程度は学んで置く必要がある。
 ト)それが恐くて出来ない医師も少なくないから、日本の形骸化した医療政策には愕然とする。ちなみに、筆者にも副作用が出たが3日目で収まり毎日元気に水素水を作って呑んでいる。

【8】血糖値が上がり、糖尿病になれば、ほぼ確実心臓病に至る。
 イ)初期の段階で血糖値が上がれば、米・パン・ラーメン・スパゲティなど全面禁止すればよい。
 ロ)お腹がすくなら、赤身の肉、大量の野菜でお腹を膨らませる。
 ハ)昔から実験結果は出ているが、料理方法が難しいけれど、“こんにゃく”は余分なコレステロールを吸着させる効果もあるから、角切りにしてゆでた物を用意して置くと便利である。
 ニ)まんじゅう、ケーキ、砂糖菓子は、大量に糖分量が食べられないから、さほど気にしなくても差し支えない。
 ホ)ダイエットをしたい場合は、こういった砂糖の多い菓子類とお茶程度で、満腹感を味わって、夕食を食べなければ、直ちに成功する。
 ヘ)あまりにも糖分が不足する場合は、めまい症状を通り越して手が震えてくるから、そのときこそ米・パン・ラーメン・スパゲティを、いっぱい食べて満腹すればよいだけのことである。

【9】心臓病には様々な名称がつけられている
 イ)ところが、何故その心疾患に至るかの原因はほとんどわかっていない。ほとんどの病名は症状や形を示しているにすぎない。症状事態が同じでも、病名も変更されていることがある。原因解明からの治療ができるのは相当先のことである。
 ロ)ただ共通して言えるのは、心臓は頑張るからその時点は持続するが、ホッとした瞬間に発作・停止がおこるといった特質である。
 ハ)だから、「がんばろう!」と思ったら、すぐ横になって寝ること。道路であろうが、駅の階段であろうが、その場でうずくまって難を逃れることである。
 ニ)酒・ビール・ワインなど水分の多い酒類は心臓に負担が掛かるから禁止である。
 ホ)呑みたければ、アルコール50度以上の酒類をロック・ストレートで飲むこと。間違っても水割りに薄めることは禁止である。
 ヘ)喉が渇けば0.3%食塩水で水分補給すれば心臓に負担はない。
 ト)心臓にとっては、あくまで、リラックスするための効果を期待(ほとんどの場合交感神経の高ぶりを抑える)だけであり、純度100%のアルコールに換算して20ccまでは差し支えないとする学説がある。
 チ)ことに、高齢者のアルコール摂取は、アルコール分解酵素のない人(日本人の40%)でない限り、血流や思考活動抑制効果にとって良いとされている。

以上が、おそらく最先端の自宅・自己措置と考えられる。個別企業の職場には、こういったことで健康を回復する人が、かなり多く存在すると思われるが、現実はそういった人に限って医学的には無知であったり、体のしんどさから喫煙や清涼飲料水そして過度の飲酒(水分の多い酒・ビールがほとんど)に走る人たちがほとんどなのである。
あるいは、不健康な行いを自己抑制しなければならないと努力する努力家には、体がしんどいところに短気が重なり職場や家庭でトラブルを頻発している人も少なくない。
筆者の場合、職場での接客や同僚とのトラブルが発生した場合、最初に健康診断結果を診る。実際に治療してトラブル解消した事例は幾つもある。その場合は、個別企業の安全配慮義務を果たすとして医師への受診を業務命令として発する手法を使うのである。