2015/04/21

号外:大阪春の陣 真っただ中…経済戦争の様相に

今後の大阪市の在り方をめぐって、5月17日の住民投票に向け激烈な戦いが繰り広げられている。
ここにきて、橋下大阪市長(維新)の経済政策の
無知・無為・無策であることの内容が次々露呈されている。

住民説明会が毎日、朝昼晩と大阪市によって行われているが、
昨日午後の説明会では、将来の大阪経済の方向めぐって、経済政策の大論戦があった。
大阪市長が「大阪市と維新の会の考えは違う」とまでの言い逃れをするまでに会場からは迫られた。
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橋下大阪市長が大阪府全体や京阪神の経済つながり、大阪駅~関空間の新鉄道の説明したことに対して、
会場からは、視野が狭いとの指摘で、
「大阪は朝鮮特需の後、中国やソ連との密貿易で発展し、それが高度経済成長政策を受け入れる基盤づくりになったのだ」
「フランスのパリまでつながる高速鉄道に通じる様、なぜ大阪と敦賀への北陸新幹線を政策に盛り込まないのか」
と、大阪の国際交易についての追及だ。
質問は維新の会の怒号でかき消されながらも、橋下市長が迫られることになったのである。

大阪維新の会のメンバーたちが、
その発言のさなかに、説明会の会場に動員されていて、
大阪経済政策の質問に対して何もが大声でヤジ飛ばし、怒号の中でマイクの声でも聞こえない騒然とした状態。
(怒号やヤジの殆どは録画録音に入らないので臨場感出ませんが)
会場の大怒号に対して、なぜか、大阪市側の司会者の課長は怒号を止める様子はない。
それでも、質問は続けられた。
(4月19日午後の録画01:57:19)

大阪市長の言い分は、
既に市内は事業所も住民も空洞化しているから、それが大阪を分割する理由だとしている。
大阪市を5つの特別区に分割する(分割後大阪府に編入→大阪都)ことを理由としてるのだ。ただし、未だ大阪府が大阪都となる見通しはない。
この市長の発言に対して、ことに経営者層からの反発が強まっていたのである。
大阪港の沿岸開発も、大阪市長は理想に挙げているが、
従来から、大阪港は、15フィートコンテナ陸揚げが中心、国際的には見捨てられ、神戸港(15フィートコンテナ)でさえ国際的にはランク落ち、大阪市長の港湾計画は無理とは誰もが知るところである。
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このに質問者は、もっと身近な事業の経営基盤を聞きたかったとしている。
☆彡 本町通の、世界4,000万人(日本:100万)富裕層向けの
   産業・産物・取引・情報の経済拠点を構築する「場づくり」
☆彡 Made in Japanの高級文化商品の
   ショールーム国際バイヤー拠点
☆彡 ちんちん電車、シャンデリア町並みの観光目玉
   乗り降り自由なチンチン電車なら、
   高いビルの不便なエレベーターも要らず、
   新建造物費コストも不要と言われている。
そのあたりまで、なぜすぐ出来る事柄でも手を付けないのかとの追及をしたかったとのことだ。
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大阪市長への追及は、相当の激論となった。
☆彡 どうして、いいと思ったら、すぐさま手を付けないのか? 待てないじゃないか?
☆彡 何で維新は3年前に、私らに経済政策立案を頼んできておきながら、結局は経済政策の建議を、窓口となっていた某社長がバツ悪そうに断って来たのか?
☆彡 橋下市長がいう、5つの特別行政区が平成29年4月、だとすると実質に動くのは今から3年後、それでは遅い。
☆彡 行政手続法35条を使えば、明日でも市長が書いて貼り出せば大阪市職員の透明性は解消するじゃないか。3年たってもなぜ実行しないのか?
(大阪市窓口の職員の透明性は、会社経営をされておれば、今までに煮え湯を飲まされた経験をお持ちのはず)
……なぜ今、経済への手を打てないで、都構想なのか?、
質問者は橋下市長の問題意識、その変質経過を聞きたかったとのこと。
それを通して、橋下市長の実行力(裸の王様との疑念)を確かめる質問をしたかったそうだ。
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「皆さんの方に負担がかかるんですよ」
これは毎回の、大阪市長が説明会の終わりがけに恫喝する、シナリオである。
大阪市をやめて、5つの特別行政区と法律改正による大阪都、これができなければと、(録画の02:07:49)念押しの恫喝を、毎回毎回、市長は参加者に迫る始末なのである。

「経済復興基金なら、そんな(負担)金いらない!」
と会場(経済政策の質問をした人)から指摘され、これには市長の表情は反応した。
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橋下市長らは、二重行政とか何とかかんとか現状を批判しているが、
要するに市長らの財政策には問題があるとのことは表情からわかる。
5つの特別行政区の財源は公平に配分するとしているが、平等にするとは一度も話したことはない。
すなわち、事業所の所在特別行政区により会社が冷遇される場合があるのだ。市長はこれに対し、よくも悪くも特別行政区内で決めてくれと言って対策責任回避を宣言している。
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ところで、経済政策での「経済復興基金」
これの内容(3年ほど前に提出されたときの理念)とは、
大手企業から町内会までの者で、そこから基金を集めることで土地建物の利権調整は短時間で済む。だから、基金事業実施は10年もかからない。橋下市長の都構想では、橋下市長本人も自ら30~50年の長期にしかできないと言っている。復興基金なら至急出来ることから、目先にも配慮した大阪復興が大切だから、こういった復興基金がの方法が必要とのことだ。さらに土地建物の現物を基金出資で受け入れれば、本町通り沿線の空きビルや空き店舗もなどの対策も早く解消できるアイディア(地元の利権調整)とのこと。市長は現在の大型建築構造物を壊して次の……とPRするが、近年の構造物の解体費用は建築費用を上回ることをマスコミには説明しない。経済復興基金は、第2次世界大戦直後に各国でも行われ、日本でも各地で行われていた。
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この質問者の経済政策についての質問意味は、
およそ3年前、維新の会が質問者らに依頼したことから企画された内容に基づくもの。
当時から国交省が全く知らない話ではないのである。 最近話題の藤井聡京大教授の新幹線網の企画とも若干異なるものだが、3年前には企画立案されていたところに意味があった。
すなわち、大阪維新の会は、そういった経済政策や経済復興プランを採用せずにいたのである。

数年前に橋本市長らは大阪都構想を打ち出したのだが、これとてその当時の構想(大阪市の5つの特別区分割案)とも大違いである。加えて、大阪市長や大阪維新の会は、大阪都構想反対派には経済政策がないと非難して来た。
ところが、今回の会場において、大阪都構想反対者から反対派から直に出されている。
質問者に聴いてみると、その「経済復興計画」は、市長や維新の会よりもスケールは大きい。
都構想では少なくとも3年は待てと市長は言っているが、これならすぐ着手することができ、かつて実現性が高い具体的内容だそうだ。経済復興の基金と事業募集となれば、大阪の会社はこぞって申し込む(先行投資)感触を把握した上で企画立案したと言っている。

「橋下はこの内容を知っている」
と、この質問者は激論と橋下の表情でこの日も橋下が、知っていることが解ったと言っている。

平成27年4月19日 午後、大阪北御堂の大阪会館で行われた説明会(録音録画)
(当社代表の質問は、1時間55分16秒あたりから)

なお、この、「経済復興計画」は、大阪市の公務員改革案(行政職員の企画能力給与を新設するなどが柱)も同時に検討されたが、そのアイディアや方針の中心となったのは、当社の代表である村岡利幸だ。そして、会場で質問をして大阪市長と激論も行った。
「大阪都になれば、大阪市内は経済沈没するから、とてつもない覚悟が必要となる」と語っている。

2015/04/07

第156号:経営経済転換期の始動

今月のテーマ:「経営経済転換期の始動」
<コンテンツ>
・経営や経済の話となると、答えられない人たち
  ・第1の基盤:市場価格が正義…
  ・第2の基盤:労働の分配と指揮で価値を生む…
・商品の固有価値は、平等に付与される価値とは違う!
・法則性で図れる商品の固有価値
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・ビジネス書や教科書に無い、歴史に裏打ちされた経営手法
 表面づらの経営通に惑わされてはいけない!

  【外注化の陰で、表面化しない経営の前提条件】
  【労働力の転換又は確保が成功する仕掛け】
  【業務や作業の専門化&専任化=業務改善】
  【新規事業会社、あるいは事業清算会社の、勘所】
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(新しいコーナー)
=みなさんから寄せられた感想や質問への回答=
  【自信ある人の3つの行動パターン】
  【日本には、本船ごと浸水してる個別企業が多い】
  【マズローの欲求階層説、その真偽は?】
  【個性を伸ばすには、その子を釣り上げる。】
  【円安政策はアメリカのためにやってる!】
  【法人税減税の勘違い】
  【今の日本の技術と、頭の使い方が決め手】
  【何を見つめて、経営を行うか!】
  【コミュニケーション、あるいは相互理解とは?】


§経営や経済の話となると、答えられない人たち
彼らは、必ずアレコレとだらだら説明する。
経営の秘訣は、「予想される失敗をしないことで、後は何でもやってみる」である。
その理由は、
市場価格が正義、労働の分配と指揮で価値を生む、この二つを基盤としている現代の社会経済は、これに反すれば失敗するってことなのである。これが資本主義のベースだ。これが分からないから、闇雲にならざるを得ず、身近な人物の誘惑に乗せられてしまうのである。
第1の基盤:市場価格が正義…
もしも、市場外で価格が決まれば商品は変質するか、生産が持たない。商品の大半は、労働して生きている人が大口需要であるから、その人たちが、「意欲・感動・希望」を以って働く結果としての生活に向け、その実現財として各人に商品価値(固有価値)が提供できるかにかかっている。需要を探るとはこのことを見定めることであり、流通(交通)や提供効率といったものがICT産業革命の真っ只中にあるということなのだ。
第2の基盤:労働の分配と指揮で価値を生む…
商品の固有価値は、買手の希望に適うものである。なので常に希望を実現するものを商品化する企業システムが重要となるのだ。このシステムの着想から~製造加工完成から~提供販売~そして集金に至るまでには、労働の分配と指揮命令が不可欠であり、機械では不可能な価値が生まれるのである。それには買手とのキャッチボールの如くに、効果的な意思疎通が必要となる。「付加価値」という言葉には、この買手の希望とは異なる部分(詐欺まがい、法外価格)が含まれているので、商品開発が法則化できず、付加価値を追い求めてるうちは白昼夢を見ているようなものだから事業化できないのだ。商品の固有価値であれば、一回性商品であっても事業化できる。とくに高級生活文化商品がそうである。やはり法則化しないと買手には伝わらないし、事業化できないと経済は循環することがないのである。
そして、産業革命とはコンパクト化のことであり、例えば蒸気機関は鉱山設備だったが、都市の工場にコンパクトに設置できたから産業革命の柱になったって訳である。電気は、動力の伝達道具とみればよくわかる。
…この様に物事を見定めれば、知恵も出しやすいのだ。
詐欺的資金や非道徳的事業が早晩潰れるのも当然なのである。


§商品の固有価値は、平等に付与される価値とは違う!
商品価値は平等だと誤って解釈して公共事業を発注するから、すべてが狂うのである。平等だと誤って解釈するから、マイナンバー制の画一さ恐ろしさも、見抜けなくなる。…「どうして?私とおなじはずなのに?」と、根底に平等だと誤って解釈しているからこそ、本当に個性とその職業が確立できない個人が多くなる結果を生んでいる。
ついでの話だが、日本人の職業能力も低下してきている、暗黙知といわれているようなノウハウ蓄積だ。それは事業活動の商品開発と販売と集金にかかわる。換言すれば、「仕事しなくていい、給与も下げる」って社会経済システムって訳だ。そこに日本人は労働密度が(ヨーロッパに比べ)濃いのは避ける民族なので、製品価値が向上しなかった。これでは、国際的に商品地位が落ちるのが当然なのだ。社会に価値ある仕事してる人は、召使のように長時間働かなくても単位賃金は高いのだが…、今の世の中では変わり者と決め付けられる。これらはインフォメーション統計では見えてこない状況です。


§法則性で図れる商品の固有価値
さて、その商品の固有価値はどこにあるのか。…世界で最初に無形といわれる固有価値に気付いたのは、15世紀に「能」を広めた世阿弥であろう。次に、商品の固有価値らしきものを念頭において社会経済構造を立案したのは英国のジョン・ロックのようである。経済学の父=アダム・スミスは、その成功を分析し、重農主義や重商主義に対抗して自由の大切さを訴えた。…さて経済学は、何処で誰が、「売れる商品」の解釈を間違えたのだろうか。

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・ビジネス書や教科書に無い、歴史に裏打ちされた経営手法
 表面づらの経営通に惑わされてはいけない!


【外注化の陰で、表面化しない経営の前提条件】
なにがしかの事業部門を外注化してコストを下げるといったストーリー
この場合は、外注化する事業部門のノウハウを自社で持っていることが前提であり、外注業者を管理・統治出来る人材の存在が不可欠である。事業を外注化するにあたり、地域別、業種別、商品別となれば、それは各々に適切な人材が配置出来るかどうかで成否が決まるのである。その人材は自社で育てておかなければならない。これを間違うと、表面的には円滑な外注化に見えるが、自社には適切な利益はのこらず、あげく事業そのものを外注業者にとられてしまう。自社が発注者と下請けの間に挟まっていたつもりが、いわゆる「ババ抜き」となり、発注者と下請け業者はつながってしまう。社内で育った人材を外注担当者に充てた場合は、その人材が経営者になることは覚悟をしなければならない。例えば大型建設工事を扱うゼネコンは、100を超える職種の外注業者を組織しながら土木建築物などを完成させるわけであるが、企業の重要なノウハウは外注業者を管理・統治出来る人材を自社で組織していることなのである。
自社の事業部門にノウハウがない場合は、狭義のアウトソーシングを行うこととなる。
ノウハウを蓄積するのに何十年も掛かるから、その分をアウトソーシング企業(チーム集団)に依頼するわけである。自社の中心的事業(利益の源泉)は、アウトソーシングによって補完しない限り、中心的事業そのものは成り立たないケースは通常であるから、そういった位置づけで導入するわけである。したがって、アウトソーシング企業の水準は自社よりのハイレベルでなければ意味がない。自社の社員が指導監督しているようでは無意識のうちに利益を持ち出されている。企業統括する場合、組織の形からすれば直接雇用労働者、外注業者、アウトソーシング、コンサルティングと大きく4つに分かれる。これらは決して、金銭面だけから判断する、「外注」という訳ではないのである。
とりわけ、世間を知らない金融機関は、こういった区別をつけることができないから、すべてを投資と利息の物差しで図るものだから、形式的には事業全体の統括はするように見えても、みるみるうちに企業に集約していったノウハウが片隅に思いやられることとなり、それが次代への商品開発、イノベーションなどを萎えさせてしまうのである。

【労働力の転換又は確保が成功する仕掛け】
ひと味工夫した商品開発やイノベーションを組み込んだ事業は、現在から次代には不可欠なものとなっている。これを行う場合には、根本的な労働力確保手段の変更をしなければ労働力の確保はできない。労働力とはよく似たものと錯覚し、教育訓練すれば何とかなると考えて、旧態依然の方法で労働力を確保するものだから、商品開発のイノベーションも、全社の労働者には理解されずにとん挫してしまうのである。表面現象的には、多くの経営者が悟りを開いたかのように、「理想と現実は違う、馬鹿な労働者しか集まらないから、新規事業は無理なのだ」とあきらめが先に立っている。すなわち、新規事業の展開のための労働力の概念は、専門家的知識と分析で独自ルートを発見する必要があるのだ。その結果として、職業安定所や求人誌などの既存ルートを部分的に活用するだけのことである。それは、決して旧態依然の労働力確保にたけている「彼らの事業展開」に頼っているわけでもなく、頼ったとすれば元も子もなくなるのである。とっかかりは、とにかく費用もかからない方法で、あの表現&このイメージと細かく変えてみて、働いてくれる人たちの要望と結節する部分を探しあてて行くことである、当たった場所が事業成功のカギとなり、それは偶然の積み重ねでは見つからない。

【業務や作業の専門化&専任化=業務改善】
現代社会に主流となっている、労働の分配と指揮によって商品価値を生み出す経済制度においては、今や科学的管理法(テーラーシステムなど)に限り事業の成り立ちが可能となっている。専門家とともに作業分析と実験の繰り返しを進め、次の段階では調整を進めることが科学的管理法を進める上での必須条件である。
日本の場合には、個別企業内に専門家がいないことから、すなわち、外部からの人材を求めるといったことに閉鎖的であるから、いつまでたっても生産効率の悪い業種が続出している。それは、医療健康分野、介護福祉分野、生活関連分野といった産業では著しく水準が低い。だといっても、戦後資本投下が行われなかったから、生産効率の悪さが温存されているといっているわけではない。
ひとえに、「労働の分配と指揮によって商品価値を生み出している」といった認識が曖昧だから、携わる人たちの親切が裏目に出て無駄や無理、そして中途半端が横行して、ひと区切りつくところまで実行しないものだから反省しようもないのである。難しく言えば、古代に流行した略奪経済を夢みたり、重商主義とか重農主義を織り交ぜ市場経済を妨害しようとか、明治以降から始まった男女差別に乗っかって価値創造をおとしめている場合が多いから、企業の収益性、生産性、労働意欲、効率性が高まらないのである。よって、様々な曖昧な社内システムを徹底チェックして解消するだけでも経営は改善するのである、その目的のためのICT産業革命であり、IT機器の活用なのである。

【新規事業会社、あるいは事業清算会社の、勘所】
新規事業><事業清算のいずれにしろ、このような目的を持って会社を設立するとしても、実体がペーパーカンパニーでは有害無益である。その会社の設立目的を「けん引」する機関車的人物の存在が前提である。何もそれは個別企業内から配置しなければならないという訳ではなく、個別企業内の人材に固執すれば、全体の企業目的すらが崩壊してしまう恐れもあるのだ。当然のことながら、会社名称、所在地、代表取締役、会計などは設立目的に合わせる必要があるが、現在の経営環境を重視するならば、経営数値の判断基準、設立会社の戦略に適合した戦術や行動、設立目的に適合した企業道徳が必要となり、これらの項目内容は本体企業から乖離させ乖離するところに目的がある。本体企業を官僚的ピラミッド型にまとめ上げ、それを補完するための会社設立を行うことは、高度経済成長政策のなごりであり、今やそれは有害無益となる。
では、こういった新規事業><事業清算といった別会社も何のために作るのか、その社会的道徳性とは、その事業で培った職業能力を、そのことに生涯をかけた労働者に、活きる機会を与えることである、活きる機会があれば社会にはその需要が存在することは、歴史的に裏打ちされた事実である。事業再生を果たした企業ばかりでなく、破たんした地域の地場産業復活、下請けリストラ会社の成長物語などが証している。
すなわち、表面づらの経営通が持ち出して来る「不採算部門切り捨て」とは全く意味が違い、少なくとも事業再生のチャンスを生み出そうというものである。労働者は金さえ渡せば働くというものではない=人はパンのみにて活きるにあらず、である。まして、見捨てられ潰されようとする元利益集団(不採算部門の管理職以下の者たち)は、仕事が出来るからこそ命を懸けて対決して来るのは自然の成り行きなのであるから。

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(新しいコーナー)
=みなさんから寄せられた感想や質問への回答=

【自信ある人の3つの行動パターン】
「自信」とは行動するなかで生まれて来る認識なのです。それは成功体験の源です。
自信のある人々には、次の3つの行動パターンが共通していると研究されています。
1.他者の必要や欲求に敏感、あるいは敏感となろうとするパターン(好奇心に類するかも)
2.他者の様々な状況を向上させようとするパターン(愛情のひとつの形かも)
3.逆境でも屈しない行動パターン(気まぐれ気分を仮にも制御する鍛練かも)
……加えて当座は、自らを運命に甘んじさせない具体的方法が必要といわれます。
さらには、他者を誉めて道徳的世界をちょっぴりイメージする行動、これならFacebookやTwitterでも出来るのではないでしょうか。社会の人間関係の中でこそ自己創造も可能となるわけですから、それが自律を果たし他者の自信ある行動を支えることになるのですね、哲学・論理的には。“自信ある行動とは”とは、“自信ある行動を支える数量”に比例することも、およそ理論経済学では立証されていいます、「数多くの失敗から学ぶ」といった歴史に裏打ちされた事実です。
半面、他人を批判するばかりで自己の存在をアッピールしている人物は、「あげくは野蛮となり各種能力低下に陥り、刹那と落胆に陥る」これも歴史に裏打ちされた事実でしょう。


【日本には、本船ごと浸水してる個別企業が多い】
本船はドロ舟と化し、ドロ舟内の騒ぎを収束できず、一人で(力)りきんでるうちに、本船ごと浸水している。
ドロ舟にはジリ貧と化す市場が残っており、本船には前途洋洋たる広大な市場があるにも関わらず。
だからこそ本船からドロ舟を切り離す、といった哲学や道徳が無ければ、間違いなく本船も一緒に流されて沈没する、…そこでの経営管理理論が未熟なんでしょうね、ことに高度経済成長時代での理屈では…。
経営トップは、どの乗組員も生死をかけて真剣なので、どの人の話も理解できるのです…。ところが切り捨てたり、見極めたり、見捨てたり出来ないし…。そもそも、心を鬼にすることなんかできないのが経営トップ、心が鬼ならば社員がついて来るわけがない。そうこうしてるうちに、巷の空しい紛争に明け暮れ、後悔するのが落ちじゃないでしょうか。
だからこそ、次元を上げる哲学や道徳の創造が必要だと思うのです。
リーダーは、周囲をまとめて、希望を創って、新しい集団道徳を作る、それが仕事。
決して金融資本の利ざやのために、見捨て切捨てのCutter‐manが仕事じゃないのです!


【マズローの欲求階層説、その真偽は?】
マズローの欲求階層説は有名ですが、数十年前から国際的学術界では2つの欠点が指摘されています。
 欠点1.その人間の時間的変化の順序を考慮していない。
 欠点2.衝動や動機付けが、人間には無い作用と決めつけている。
…人の考えは時間とともに変わること、衝動や動機で人生の決定をすること、これらは皆さんにも心当たりがあると思います。昔から、「事業と家は、腹で建てる!」といいますが、マズローの欲求階層説からすれば、そんな決断はもっての外なんでしょう。
そうですね、ある種の収容所生活とか、概念的情緒的に奴隷状態にある人には、自らの自律というものが希少ですから、マズローの欲求階層説は当てはまるかも知れません。


【個性を伸ばすには、その子を釣り上げる。】
共通した教育を施すと個性を伸ばすことは無理だと、世界的には考えられています。これは成績優秀な子供を、1~2学年特進させる事とは全く違います。教育を施すこととは違って、その子を釣り上げるといった概念です。創業期にある多くの経営者は、事業発展させるために、より有能な子供を釣り上げる努力をしていることはみなさんもご存知の通りです。江戸時代の近江商人は琵琶湖湖東の山間部や平野一帯で、より有能な子供を釣り上げる社会制度を作っていました。その基盤には集落ごとの寺子屋が存在し、それは日本一の規模でした。ICT産業革命といわれる現代でも、これをリード出来る有能な子供を釣り上げるシステムが必要なのでしょう。日本の産業育成、地域活性化には、地域外の情報やネットワークに疎い人物やさっぱり売れない独りよがりの特産品開発者ではなく、個性を持った人物が不可欠となるからです。
「個性を伸ばすには、その子を釣り上げる」。どうでしょう日本では聞かれたことの無いものでしょ。如何に日本は画一的なのでしょう。


【円安政策はアメリカのためにやってる!】
円安政策は今の政府が円安を決めた訳でも無いしアメリカに言われてやっています。むしろ、本来の経済政策であれば、為替レートに極端に左右されないような経済構造を政府は目指すことが公共の課題です。ドイツのようにマルクは超高値でもユーロはギリシャ・イタリア・スペインなどのおかげでユーロ安、貿易はユーロ決済なのでドイツは大もうけしています。
一気に日本は商品価値力・技術力・開発力が落ちた、その多くは各社のリストラされた人が日本から離れたことにも原因があるのです。また銀行から、収支バランス健全化と言われて、サッサとリストラする会社で、いったい誰が自己成長しようとするものでしょうか。


【法人税減税の勘違い】
法人税論議は国際的には、法人税自体と従業員の社会労働保険料が合算されて議論されています。ところが、日本は社会保険料を法人税とは別立てとしてPRしています。まして、その社会保険料が日本では値上がりするばかりなのです。(社会保険料は法律上は税金扱い)。
これを踏まえ国際基準で、法人税減税を熟考すると、企業負担の結論はどうなるか分からないのです。来年10月からは、保険料の集金目当てで、週労働20時間を超える雇用の者からも社会保険料を取ることになっていますが、それは将来の年金給付には焼け石に水なのです。
年金国債として、相続税なし、毎年利息払いとして、財源を集めれば、財政赤字だと大々的にPRしている1000兆円はすぐ集まります。高齢者が先頭になって年金国債を買ってくれるでしょう。むかしイギリスでもやったことあり大成功しています。同じように、介護福祉予算も、介護福祉地方債で集めれば、税や社会保険料一体化の課題は、いっぺんに心配が拭き切れるでしょう。年金国債や地方債を国民が買うことになると、現在主流の治療医療一辺倒ではなく、健康医療の充実、安価安全な医薬品による予防医療が充実します。これだけ日本では、ニセ医者(通販健康業者)が横行しているわけですから、医学科学的に社会改革が進められれば、国全体の健康医療の家庭負担も激減するでしょう。抗生物質でなくとも活性炭で細菌やウィルスが治療出来るし、炭酸水素ナトリウムは花粉症やPM2.5治療に使えるのです。
財務省も厚生労働省も、これを知っているのですが、本省の官僚権力(予算編成権や交付金配分権)が無くなるから嫌がってます。ある学者が本省キャリアたちに説くのですが、今のように、身内筋=官僚と業界の娘の結婚は多いし、現在のキャリア運営制度の方が安泰ってこと!とのことらしいのです。


【今の日本の技術と、頭の使い方が決め手】
国内石炭、国内間伐林、で燃焼効率を上げることが、安価政策である。山林は急斜面だから、水力電源もあるし。太陽電池も風力も限定的にコンパクトに作ればよい。町の発明家はいくらでもそんな発電機を作り上げる。巨大な省エネ製品は、実に初期投資が高すぎて家庭や産業性が無いにも関わらず、投資目的のために大規模事業を進めようとしています。そうした全体像を見れば、自動車とか電気とかのエネルギー効率利用も、事業単位をもっと小さくしていけば促進することは可能です。
産業革命でのエネルギーは、蒸気機関からして鉱山で運転されていた大型機関が、街の工場用にコンパクト化されることによって、発展してきたんです。子供の教科書に紹介されていたような大規模な新発明ではないんです。それは現代エネルギーも、すべてが何かで何かを回転させてる物ばかりです。電気は動力の伝達手段だから伝動効率が重要なのです。手に負えないような大型のものは、例えば福島に造ってしまった自然原子炉ですが、その利用見通しは無いのです。
自動車の長距離運送で、商品流通を図る交通経済が、ICT産業革命で次代の社会に必要なのかどうかも、考えものなのです。
ついでに地域通貨も発行すれば、地方経済を底上げすると思います。日本円通貨の融資は、お金が何処へ逃げていくか行方不明になりそうですから、地元の支持は得れそうに無いと思います。グローバル展開する国際企業も、日本の地元での経済や労働に頼ることが不可欠ですから、その支払いだけでも地域通貨にして、円相場とは別世界の地元経済を回せば、個別企業も住民も豊かに暮らせることになるでしょう。それは地方に住んでれば肌身に感じます、住宅、野菜、肉、水、地元加工食品なんかでは特に…、身近なところから如何にコンパクトに、地域単位(先ずは中学校ぐらいの単位)でまとめて行くか、知恵の出しところでしょう。


【何を見つめて、経営を行うか!】
★ちなみに、NPO法人の多くは株式会社での経営が不調に終り、次に資金が無くなった経営者が多いといいます。あげく資金や効率不良で補助金をせがむことになるとの現実が蔓延していることになるのです。それは、交付金や補助金で、権力の保身を図りたい官僚主義者にとっては必要不可欠。反対に生命線を断たれないための工夫が、個別企業には必要って訳なのです。
ある現役哲学の老人が言ってました、シェイクスピアの、生きるべきか、死ぬべきかは、
「活きるべきか、死ぬべきか」と翻訳すべきだと。それがシェイクスピアらのストーリーの背景にあるから、感銘を受けるとのことです。フランス市民革命より後の時代は、世間体や表面的人徳の欺瞞を克服して、社会経済面での自由・平等・同胞愛が幸せの道だと信じて闘う人が多いから、フランス人の経済感覚というのは日本とは大違いです。
確かにNPO法人であれば、仮に詐欺的な手法であっても営利企業の運営はできません。1億円以上の脱税や賃金不払いは、税務署や労働基準監督署に逮捕されます。だとすれば、そのNPO法人の個別企業は、いったいどんな豊かさの価値を求めて経営を進めて行くのでしょうか。


【コミュニケーション、あるいは相互理解とは?】
決定的ポイントは、「言語言説力と理解法則性」です、単に国語力だけでは、聴いてる側に詳細な理解は期待できません。言語言説力と理解法則性さえもっていれば、どこの国の言葉にも、友人知人のだれかが文化も含め翻訳してくれます。「言語言説力と理解法則性」を未だ持って無い段階の人が多いので、お茶を濁してるだけと、現場の世間を見なした方が現実的です。もっぱら昔は、言語や活字が伝達主流道具であったため、コミュニケーションや相互理解といった行為においては、相当な誤解や思い違いや擦れ違いがあったのです。これがICT産業革命により、事実関係をIT機器などで示すことが出来るようになり、「言語言説力と理解法則性」をベースに心や感情を込めた詩的表現の水準に、コミュニケーションや相互理解が進展すると言われています。そんな領域に踏み込んだ個人は、「自己とは何か、自分とは何か?」を見つめるよりも、「自己を如何に創造するか?」に関心が向けられることでしょう。
哲学者カントが言ってます、「ここでお茶を濁すから、初期の人や未熟な人は誤魔化され、レトリックや下世話に留まり、不幸を招く」と。
そこでは、現代人が「偶然」と認識をしている物事との出会い、この出会いを楽しめる余裕思考の方法が進展するでしょう、もちろん「言語言説力と理解法則性」のベースの上に、ICT産業革命とそのIT機器の活用によって可能となるのです。このベースがなければ、単なる国語力だけでは、何事も始まりません。これは知識の問題ではなく知恵の問題、そして様々な手法の問題ではなく豊かな社会道徳の問題でしょう。なにせ次代に通用する社会的道徳の創造を必要とするからです。その上で、
★3次元だと、偶然を楽しめない。
     X × Y × Z
☆4次元だと、偶然を楽しめる可能性が出て来る。
     X × Y × Z × time = 時間変化
☆彡5次元だと、偶然の出会いと出来事を活用して楽しめる?
     X × Y × Z × time × そして結合(connect)
近年の実存哲学は、ここまでの研究を発表しています。これも便利な話なのですね。
ただし、多くの出版社は、部数が出なければ商売にならないとして、世間一般人が持っている常識の範囲に内容を留めてしまうから、「1000に3つ(千3つ)」かもしれないが、IT機器が必要となるのです。

2015/03/10

第155号:時代の転換点、如何に翻弄されない様にするか!

今月のテーマ:「時代の転換点、如何に翻弄されない様にするか!」
<コンテンツ>
・流通通貨増量で株価上昇、インフレ傾向だが実態は不景気
・その不景気に対抗する個人と個別企業の経営対策は、
・利益事業が不採算事業に変質=
   隠れていた第3番目のケース(発見とその対策理論)

・経済の厳しい現実への妥協の末は=
   不道徳・精神的物質的貧困の姿

・中国が源の大気汚染は=
   経済戦争さながら…にも関わらず……



§流通通貨増量で株価上昇、インフレ傾向だが実態は不景気
世界経済は、世界を駆け巡る金融資本が破たんに向かっていることを前提に、いかに金融危機を先送りするかが焦点となっている。この金融危機先送りの経済対策が世界規模で効果を果たしているが、必ず金融危機が来る。何度か金融危機を繰り返し、今後30~35年間は金融資本の破たんによる、彼らの言う不況が続くのである。
この3月から経済の主力となっている先進国すべてが、流通通貨数量の増加政策に転じたから、株価上昇などの名目経済は放っておいても数字だけ成長するのである。水ぶくれの運動不足で足腰が弱るようなものである。この先週末からも円安に傾いている。
巷や素人は、こんな事態だからこそ余裕資金を株などの金融商品に投資して、今のうちに資産増を図ろうと…勘違いするのである。だが、よほどの理論経済学に通じてもない限り暴落前に売り逃げることはできず、金融危機不良債権の穴埋めに浪費されるだけのことである。ところが、金融商品や投機的不動産などの商品に関わっている人にとっては金融危機なのであるが、ここはよく考えて、暴落した後に活躍する物事や商品などに投資しておくことが正解なのであり、これを説くことこそ本来の経済学なのである。


§その不景気に対抗する個人と個別企業の経営対策は、
【まず個人的なところから、】
イ)身体的健康と精神的健康を維持する社会人間関係、
ロ)暴落後に発揮出来る労働能力の受け皿を作る、
ハ)より長持ちする耐久消費財の確保、
ニ)衣食住関連商品は蓄積、
ホ)住宅ローンは住宅ごとなどの借金返済といったことである。
近代から現代に至り経済を成長させた原動力は労働能力であり、その労働能力の分配と指揮命令が具体的な価値創造源泉であるからだ。
その意味で個人の健康は生活に参加出来ることを基準に予防的健康手段に重点を置き、治療的健康手段は緊急時限定的な方向に持って行くとか、現在の企業運営や産業構造を前提とした労働能力や資格は取りやめて、如何なる事業形態にも応用出来る労働能力の分配と指揮命令システムをイメージしておくことである。とりわけ次世代教育は切迫している。
【次に、個別企業にあっては、】
組織的に労働能力の束(個別の単位事業)を運営するわけだから、
1.不採算部門は終息のレールに乗せること、
2.自社の強みが発揮出来る商品や事業に絞り込むこと、
3.そして、この自社の強みに意義を感じない顧客との取引をやめること、
4.業界の常識(皆やっていること)と自社の習慣を批判的に見てみること、
5.やらねばならない事は、中途半端にならないよう、確実な範囲でやり遂げること、
6.その上で、個別企業としての資産(人・もの・カネ・情報・ノウハウ)を残して行くことである。
……こういった個人や個別企業の自衛と希望の対策を、本来は国家機関や地方自治体が応援することこそが重要である。すなわち行政機関は、その情報提供やノウハウ教授することの方が効果的なのである。
その姿勢も必ず、(誰が見ても明快に分かる形として)
A.「当事者たるNPO」とか「当事者たるNGO」に対して、
B.長々しい趣旨説明とか思惑の説明は一切やめて、
C.助成制度と債権発行程度にとどめるべきなのだ。
★★★だが現実は、
口を出したがり保身を図る影をちらつかせるから、行政は敬遠され、特定人物だけが行政に擦り寄って行く結果を生み出しているのである。
社会保険の適用拡大、マイナンバー制、労働基準法の運用、ハローワークの求人不受理(労基法など違反指導)、保育所増設といった政策のベクトルは、そのすべてが官僚と官僚的行政機構の温存に向かっている。だからこそ、民間は心底協力していないし、結果、これら大概の行政施策は末端で空回りを起こしている。
★福祉国家といわれる国の経験に、(北欧諸国は既に改革している)
・法令規則と適法性を優先強力実施したがために、
・福祉受け手の体験や許容から政府の政策施策が分離してしまい、
・家族関係・老いることの定義、教育にまで(自殺者問題も含め)
悪い影響を及ぼした、との教訓があるのだ。ところが、日本の厚生官僚たちはどこ吹く風で、もっぱら財源蓄積に猪突猛進しているのだ。


§利益事業が不採算事業に変質=
  隠れていた第3番目のケース(発見とその対策理論
)
これから述べる第1と第2のケースは、巷の経営理論や素人の思いつき若しくは金融機関が安易に口にする経営や業務の改善策である。ところが、いまの日本に必要なのは第3番目のケースである。それは日本の経済社会が、米ソ対立とか米中対立のために国際的に経済成長が支えられて来た時代には、思いもつかない経営手法の分野なのだから。

【第1のケース…】
単位事業が惰性で運営されたために費用がかかっている。
最初の受注時点では、粗利益や見込み経常利益が存在したが、徐々に徐々に何かと理由をつけて経費が増加するばかりで、業務改善による効率化や機械化が進まなかった。そのため知らないうちに単位売り上げを超える費用を抱え込むきっかけに気がつかなかったため、現実が不採算となっている。
☆彡改善=仕入方法や業務の流れを変える、あるいは労働力構成を変えることで無駄な経費を削減し、その無駄と判断されたものはオプションの新商品として販売を試みる。こういった手法は、巷のビジネス書に掲載されているし、そのまま実行しても、抵抗勢力が少ないから問題はない。むしろ、若手の管理職候補の社員に切り盛りさせておいても差支えはない。

【第2のケース…】
受注計算の設計が間違っていたから目論見が外れている。
もとより赤字覚悟で受注したものだが、現在もその理由が必要なのかどうかが判明していない。そのため、月単位の赤字額などを吸収する先の持って行きようがなく目論みが外れている。
☆彡改善=相手方から契約を打ち切ってもらうように働きかける営業誘引を徹底する。人材の配置転換を進め運営費用を抑えの中で取引量を縮小する。それなりの受注能力があっての受注ではなかったから、とにかく撤退するしかないのである。ただし、レベルの高い管理職ともなれば、発注者の道徳的責任の有無を確かめた上で、第1のケースの手法も織り込んで黒字転換させるケースは少なくない。

【第3番目のケース…】
事業主と運営部門との利益が相反している。
その不採算部門に係る社内の利益代表者(その部門の管理職)と事業主との利益計画が相反してしまっている。
その部門の売上金の分配目的が、客先のためというよりも部門運営となっていることが見え隠れしている。
「部門の組織維持が客先の利益である!」といったような論理が展開され、低い労働水準並びに労働力の浪費が目立っている。
……「企業経営にあってはならない事態だ!」と、硬直した受け止め方をしてしまうと、その重荷に事業主は耐えかねて、強硬な実力行使に至ってしまうケースが多い。そこで総務部門が中身を紐(ヒモ)解き改善手法を提起することが重要なのだ。
☆彡改善=その事業部門を分社もしくは、その利益代表者への暖簾(のれん)分けを行い、全体事業から切り離す。その部門の人員入れ替えとか労働力構成の変更を行うと派閥争いが起こり、場合によっては労働争議を装う社内挙げての抵抗運動となる。労働組合法を準用して公的機関に問題を持ち込まれることも自然の成り行きだ。
こういった事態を、欧米流の経営管理にあっては予想すらしない論理で成り立っているから、対処を失敗する企業が続出している、異口同音に「理論や理屈に間違いはないはず!」と語っているが、所詮話は感情論ばかり…。
ことに30年不況を迎え
経営や事業システムを切り替える場合、この第3のケースに気がつかず旧来からの、削減といった通り一遍の手法しか知らないわけだから、事件や混乱が社内で起きるのは当然である。それは経営者家族、それまでの利害関係者、株主や出資者といった人間関係をも崩壊させる。且つ、社内利益代表者らの過去の成功体験に基づく自律を抑圧する形となれば、彼らの生活基盤をかけて集団的に事業主に立ち向かう事を構える。それは、人類の歴史的裏打ちされた自然の成り行き(日本の伝統的経営手法が指摘していること)なのである。
一方(話の飛んでいない経営環境のこと)、
今通常国会に提出予定しているマイナンバー法の改正により、2018年から預金情報とか社会保障制度の資力調査といった名目で個人情報までを把握し、それをもとに個別企業の人件費にまで官僚行政が介入して来ることが予定されている。例えば、「企業ぐるみの空出張や空残業」の利点は活用することが難しくなる。この第3番目のケースに対応する改善には、こういった要素が、皮肉的な話だが社員の賛同を呼ぶことになるかもしれない、こういった倫理観論議を呼びそうなテーマ自体は、あくまで官僚たちの保身と権力基盤優先の政策が生み出したものである。
★貧乏人を作るのは貧乏人である、
★女性を差別するのは女性である、
★管理社会を作るのは管理職である
…実体制度はこのようにして形成されている。世間体と人目をすべての人間関係の判断基準とした中世社会から脱却するために、自由平等(いわゆる社会正義)を主張した「百科全書派(近世フランス)」たちの思想基盤は、ICT産業革命の時代にも通用するのかもしれない。「百科全書派」のディドロの問答型小説、「運命論者ジャックとその主人」の細かい描写は面白い。
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02758


§経済の厳しい現実への妥協の末は=
  不道徳・精神的物質的貧困の姿

経済学者のアマルティア・センが興味深いことを生々しく表現している、それを箇条書きするとこうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3

センは、貧困と不景気にさらされたインドの現状分析が潜在的意識にあるのかもしれないが、現在日本が歩もうとしている社会を投影しているようだ。このような不道徳と精神的物質的貧困に対して、個別企業が飲み込まれて崩壊して行くのか、それとも個別企業が地獄から脱出するかのイメージは、あなたの経営管理の念頭から避けて事業を運営出来るものではない。(カッコ内は日本での状況…)
★★★最下層
極貧によって施しを求める境遇に転落する人。(生活保護に滞留)
★★下層一般
何らの財も持たず、生活ギリギリの地点で、かろうじて命をつなぐ労働者。(ワーキングプアへの道)
★中間層に見えるが…
昼夜にわたり暇なく働き詰めで過労に陥っている召使い状態。(身動きの採れないサラリーマン人生)
★★★★貧困を支える極貧女性群
抑圧と隷属に馴れ、その役割と運命に妥協している妻。(社会参加できない中高年女性)
そしてセンは、“アキラメから、自らを運命に甘んじさせるために、人々が自らの欲望をあきらめてしまう。”と、運命論者に行き着くことになると指摘している。
だとすると(ここからは筆者の意見)、
こういった不道徳と精神的物質的貧困が広がれば、個別企業の経営は足を引っ張られ、それが経済や社会の改革や進展に真っ向から対立することにもなるのだ。たとえ、そうなりたくない人たち=いわゆる人徳の持ち主であっても、自らを甘んじさせる(不毛な精神論)だけでは、どうしても「人徳を捨てきれないが故に穏健的態度や順応的態度」に、不本意ながらも陥る。ところが、精神論はそこそこに、自他共に不道徳と精神的物質的貧困に陥らないための具体策!を手掛ける方法があるのだ。
………それは、“自信ある行動”をすることであり、
自他共に“自信ある行動を支える”ことから始まる。
そもそも、「自信」とは行動するなかで生まれて来る認識であるが、それが成功体験の源でもある。
次の3つの行動パターンは自信のある人々には共通している。
(1)他者の必要や欲求に敏感、あるいは敏感となろうとするパターン(好奇心に類するかも)
(2)他者の様々な状況を向上させようとするパターン(愛情のひとつの形かも)
(3)逆境でも屈しない行動パターン(気まぐれ気分を制御する鍛練、それとも変り者かも)
………加えて当座は、
自らを運命に甘んじさせない具体的方法とか、他者を誉めて道徳的世界をちょっぴりイメージする行動が、こういったことならばICT機器のおかげで=FacebookやTwitter=でも出来る。人間とは、社会の人間関係でこそ自己創造も可能となるから、あなたは自律を果たし→他者の自信ある行動を支えることになるのである。(他人の批判ばかりで自己の存在をアッピールする人物は、野蛮となり様々な能力低下に陥り、刹那と落胆に陥るとのことは、哲学的に証明されている)。
☆☆その結果、
“自信ある行動”と“自信ある行動を支える”数量に比例することも、およそ理論経済学では立証されている。
(『必要の論理』p.78~、2014年翻訳、剄草書房、…は難解な書籍だが企業実務に有効)
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b183255.html


§中国が源の大気汚染は=
  経済戦争さながら…にも関わらず……

PM2.5等の大気汚染による日本の労働能力と経済損失は大変な事態である。
日本は中国との経済戦争で毒ガスをまかれているも同じ、
あまりにも量が多いから毒ガス兵器と直感できないだけのことである。
ここでも官僚たちは国民の健康被害を防衛するよりも、とりわけ軍事官僚の地位と兵器パフォーマンスに予算を集中させている。(戦争中日本はアヘンを満州で大量栽培、中国全土にアヘンを大量供給して中国軍や民間の健康を疲弊させた上で、陸軍部隊を投入した歴史がある)。
★汚染物質排出源への道徳的責任をはっきりさせないことには、
あげく中国は日本に対して、「汚染除去:脱硫装置その他を無償で提供せよ」との経済的妥協を迫って来るだろう。これに対し、日本の官僚たちは金銭的解決でもって自らの保身を図るといった本末転倒な政策になりかねない。両国の道徳的責任のなさである。アメリカ経済は中国製粗雑商品の輸入で経済救済されている事実関係があるから、太平洋対岸の火事の如くに、極東の汚染物質被害国への支援見通しはない。
★PM2.5の健康への影響留意点は…、
呼吸器不全や心臓疾患に既往症のある人に影響が多いと、未だ官僚たちは過少な言説を繰り返しているが、子供と高齢者だけでなく一般成人にも影響が甚大であることが分かってきている。エイズ然り、豚インフルエンザ然りであった。
a.緑の野山も見た目とは違って汚染されている。
b.花粉症はシーズン疾病(disease)だが、PM2.5は通年傷病(illness)である。
c.PM2.5は、いわゆるミスト状態、雨が降ってもキリが晴れないのと同様。
d.根本的なPM2.5の空気清浄は特殊な取り消し除去方法を要する。
e.だがミスト状態だから、エアコンの空回しでも効果があるとの説がある。
f.外出時にはDS1規格のマスクで密閉しないと入り込む。
g.花粉症などとは症状は異なり、症状は重篤である。
h.粒子が細かいため、咳が出ない喘息を発症する。
i.放置すれば呼吸器から皮膚、そして呼吸器から動脈血管へと障害は広まる。
……その主要なPM2.5原因は中国大陸から偏西風にのって来る大気汚染である。
http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/so4_gpv.html
★ところが、やっと環境省が国内の汚染排出規制の掛け声だけは言い出し始めたが、いっこうに中国大陸の主要原因への道徳的責任には言及しない。
★治療法は花粉症などのアレルギー疾患も有効ではあるが、あまりにも大量な汚染であるから予防的健康政策が必要であるにも関わらず、インフルエンザ対策に比べればまだまだ低レベルである。
★ことにPM2.5の喘息は自覚症状が出ないから、
全身疲労感が広がり労働意欲の喪失となる。血管への影響は硫酸塩の化合物ともいわれているが医学的にはっきり分からない。いずれにしても、“PM2.5”の傷病(illness)に焦点を絞っての対応を避けるものだから、予防や治療が進まないのである。確かに、一部の医学会や一部の測定データは流れているが、最大データ情報量を持つ国や自治体が、健康予防や治療システムを促進していないことには問題があり、これは国の重過失である。
筆者もわずかながらも、“PM2.5インテリジェンス”をFacebookで集中しつつある。
https://www.facebook.com/groups/1538949383052476/?fref=ts
★「貧乏と病気は同時にやって来る」。
といった歴史的に打ち立てられた概念は、あくまでも、まだ大気汚染のない時代のことである。昨年末に予防的健康の視点から文明が生み出した危険度の高い「12のリスク因子」をハーバードの医学大学院準教授が発表したが、そこでは一般的な病気の概念を覆した。その因子は=
…高血圧、喫煙、アルコール、家庭の空気汚染、果物をあまり食べない、肥満、高血糖、低体重、大気汚染、運動不足、塩分とりすぎ、ナッツをあまり食べない…である。ここにも空気汚染が2つ含まれているのである。(書籍紹介WEB)
http://ashita-seikatsu.jp/blogs/39462
ややもすると文化水準の低い国では、道徳的権利は、理性よりも個人的問題だ!とか、文化的選好だ!と決めつけられやすい。だが、大気汚染や家庭の空気汚染(シックハウスや調理器具)は汚染物質を排出する者の道徳的責任であることは、ここでも一目瞭然である。

2015/02/10

第154号:これから世界経済は、30~35年にわたり不況である

今月のテーマ:「これから世界経済は、30~35年にわたり不況である」
<コンテンツ>
・不都合じゃない人との同胞関係を築くための経済活動
・経済社会が堕落の極みに達する時代の人間関係の要領
・テロ集団、カルト集団、ブラック集団(企業)の特徴
・「イスラム国?」人質事件と国内外取引の余波


■不都合じゃない人との同胞関係を築くための経済活動
§1 誰とでも均等に経済取引を行おうとすることは危険である。
日本の経済活動の顕著な特徴は、
官僚主義的な経済や社会の機構が強いものだから、事業活動、行政機構、家庭生活に至るまで、形式や手続きが優先されることとなって、実態としては経済の豊かさや可処分所得が少なくなっている。行政官僚は予算と行政法規で事をすすめ、大手企業をはじめとする民間官僚は借入金とマニュアルで経営しようとする。そこには理念や目的のための路線(Way)はなく、「手段と選択」による不毛な予算消化行事が並べて充てられているだけである。だから経済的豊かさと可処分所得増加のためには、個人も企業も、理念や目的のための路線(Way)にかなう人たちと適宜に同胞関係を築くことでの安泰を図ることになるのだ、それは人間関係構築や教育啓蒙を先行させるのではなく、なによりも(固有)価値ある経済活動を通じてに、他ならない。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/154

§2 これから世界経済は、30~35年にわたり不況である。
それは誰もが認識しており、それをめぐっての個々人にとって有利な国家の経済政策・社会基盤政策が論議されているのだ。無理矢理さまざまな思惑や作為的な行動を進めようとする官僚(主義者)たちの場合には、こういった30年不況といった事実を覆い隠して、口先やスローガンで他人を巻き込むことを旨とする。およそ70年前、「400万人失業者を解消し、享楽的娯楽を労働者に与える」として戦前ドイツのヒットラーは公約を実現したが、その裏では未曾有の赤字国債を発行し国民にそのツケを回した。そして日本の現実は、官僚が生き延びるために公共事業を何でもかんでも実行するが、その結果は現地での矛盾を起こし赤字となる、今そのひとつは原発事故:放射能除染の“化け物公共事業”と化している。戦争の後には不況が来る=にも関わらず不況を避けると言って赤字国債で戦争をするのが官僚の常套手段である。

§3 より広範囲に、より深いところまで、
不都合じゃない人との同胞関係を築くための経済活動通じて、経済の豊かさと可処分所得の向上を目指す事業活動が、個別企業や個人ごとに行われることが重要な時代になってきたのだ。政府の発表する経済成長の指標は、間違いなく名目成長実質下降線となる見通しだ。しかしながら民間の個別企業や個人の家計は、政府に引きまわされて貧困化するグループと、路線(Way)を定め「経済の豊かさと可処分所得の向上」を歩むグループとに、この30年間余は二分されていくのである、それは実際の経済統計に現れることは少ないのではあるが。貧困化するグループを相手にする経済循環は過去の幻想であり今や見通しすら立たない。だからこそ、「経済の豊かさと可処分所得の向上」を歩む人たちの同胞関係が大切なのだ。「卵が先か鶏が先か?」のストーリーではなく、経営の管理や制御にあっては、コントロール(管理や制御)を充実して、「余裕を生むこと」で切り開くのである。


■経済社会が堕落の極みに達する時代の人間関係の要領
この数年間は、個別企業も個人ものいずれもが、誰と付き合い・誰との関係を切っていくのかの選択が重要となる。詐欺師を見分けるといった生活防衛程度の話ではなく、経済取引活動・経済外関係を問わず、関係先の事業後退に引きずりこまれる経済リスクは多大なものとなるからである。
(A)直取引にかかわる与信にとどまらず、
(B)コンプライアンスやブラックは人手不足をきたし事業停滞、
(C)保険商品の充実による損保会社の求償多発(生保であれば過剰医療を否応なく迫られ)による利益損失、
(D)事業目的や企業理念と対峙する社内従業者の面従腹背行動と利益配分、
(E)その他ありとあらゆるところに非経済的・理不尽な利益の再分配が出没する
のである。だからこそ確かに、個別企業の経営者は事業を展開するよりも「金融利ザヤによる収益にでも走ろうか?」といった誘惑にかられるのである。経営者、管理職そして経営学者は、経済学者ではないから失敗の確率が高いと解っていながらも、嫌気を差した心理と伴に金融利ザヤに手を出してしまう…。

☆彡 経済社会が硬直し堕落の極みに達すると_「不都合関係の現象」
が現われてくるのかを研究した。ただし、逐一説明をすると膨大な量の文章となり、その分量の割には説明効果が上がらないといった事柄なので、結論めいた箇条書きによって表現することとした。その真偽のほどは従前の筆者メルマガとその他の著作物で、これら箇条書きの合理一貫性と事実一致性を貴方で確認してもらえば、よく理解できることである。
まして、インテリジェンス情報とは、貴方や貴方の個別企業がこれからの「進む道(the way)」にとって、良くも悪くも必要な事柄以外は、無視若しくは収集不可として扱っても差し支えないからだ。すなわち、「進む道(the way)」にとって、嵐のように舞い込んでくる雑多情報の使い道はなく、ましてインフォメーション情報とは「進む道」の事実一致性を裏付けるための証拠物の限りでしかないからだ。要するに、事業経営や経営管理にとっても重要なのは“当たりをつけること”であり、これは技術・技能の法則的基礎となる学術においても同様なのである。
ところで、読者の中には“当たりをつけること”、あるいは“法則的基礎”になじみがなく、社会制度と人間関係のかかわりが感覚的には今ひとつ把握できない方もいるだろう。そこで、次の書籍を推奨する、『運命論者ジャックとその主人』(白水社)が2006年に日本語版が出ている。著者のドニ・ディドロは、「自由・平等・同胞愛」で有名なフランス革命の思想基盤をつくったとする哲学者である。男女の出会いとすれ違いを入り口にして一種メロドラマの繰り返しのような表層ではあるが、社会制度・経済取引・民法・刑法・家庭制度その他の身近な人間関係の理不尽さや矛盾を目の前に再現させる問答?小説である。社会制度や習慣の矛盾を→メロドラマや理不尽な人間関係で書き綴ったフランス革命の思想基盤なのである。それは現代日本の硬直した社会にも通用する話題が満載なのだが、何故にフランスの人々が革命を起こし=表現の自由を最重要視し、自由平等を正義としたかの由縁を物語るものである。
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02758

☆彡 では本題、いよいよその、「不都合の現象」の箇条書きである。
(1)物事の理念や目的をおざなりにする。その手法=間違った戦術を実行し戦略を崩す。
(2)手続きや形式を優先させる、そのことで本来の理念や目的をうしろへ追いやる。
(3)まず起こりえないようなケースを持ち出し、その事実も無いのに、さも決め付ける。
(4)事実を並べても(事件)その脈絡が存在しない、事実関係は成り立たず飛躍と逸脱の繰り返し。
(5)説明する立場によって内容を変える、併せて相手方に分かりにくい説明をする。
(6)表向きのルールや協議などを取りつくろうよう誘惑するが、その誘惑した罪の責任は負わない。
(7)何かにつけて想定範囲を示し、想定範囲外の責任を免れようと逃げる。
(8)能力の如何とは別に、本質的に物事を理解している人物を、不愉快だとして排除する。


■テロ集団、カルト集団、ブラック集団(企業)の特徴
ちなみに時節柄、「イスラム国?」といったテロ集団、カルト集団、ブラック集団の手法の特徴も研究してみた。
ア)他人を勧誘するからもちろん言葉巧みだ、加えて、「仲間が助けるよ」と人間の依存心を煽る。
イ)“許さない”“やっつけるぞ”“手に入れるぞ”と叫ぶだけ、もとより具体的地道な行動はしない。
ウ)高校や大学の教員などのインテリや学識者を排斥する、おおむね世界的に共通である。
エ)とにもかくにも成果がない、過激な行動を駆り立てるのみ、誰もが出来る行動を呼びかけない。
オ)資金を吸い上げたり、利益を隠匿して、管理幹部に金銭が潤うシステムが在る。
カ)洗脳とかマインドコントロールの技法を目的意識的に優先悪用するのである。
★洗脳とは、身近な恐怖心を継続的に持たせることで思考を思いどおりに偏らせることである。
★マインドコントロールとは、悲愴的感覚の増長を演出することで感情を引き立たせ思考停止させることである。

☆彡 したがって、悦び、明るさ、希望を語らず、そこから生じる感情をも弾圧非難するのである。
……このようなカラクリだから、あらゆる価値を吸い上げ・人間価値を破壊までしている。
アメリカのシカゴ大学ではクー・クラックス・クラン(KKK)の研究が進んでいるが、これによく似た研究結果を挙げている。
さて、ここに列挙した事柄はあくまでも現象にすぎないことは言うまでもない。
ところがこの現象が出てくること自体に、
その人物の背景にあっては、社会にとっては不都合な意図が含まれているものである。
…読者の貴方も、誰と付き合うかを、しっかり考えていただきたいが…、
イ)意図の不都合さを認知できない人物では、責任者になりえないし相手にもできない。
ロ)不都合な現象を繰り返すのに、「意図している・意図させられている」の結果に差異はない。
ハ)意思疎通やコミュニケーションが成り立たないのは、「話を聞かないか・他のことを考えている」からだ。
……すなわち、
社会的変動の中で激変する経済社会環境を乗り越えて行くには、
ニ)不都合な人たちに、貴方自身が巻き込まれないようにし、
ホ)その意味:不都合じゃない人とは同胞関係をICT機器も駆使して、より広範囲により深いところまで築いて、
ヘ)必ずや、経済的に固有価値のある商品流通を通じての人間関係を巨大化させることによりhttp://netclerk.net/WebShomotsu/archives/11
ト)次々と前向きに、積極的に経済・社会を形成していくしかないのである。


■「イスラム国?」人質事件と国内外取引の余波
もとより政治問題には口出しをしないのであるが、今回の“イスラム人質事件”となると、若干触れざるを得なくなる。
事件の概要は大手マスコミから流される“一方的な政府発表と大衆が喜び嘆き踊る様を喚起する論評”に明け暮れていた。肝心なことは流されず、口を開けば政府が、「言語道断。許されない」というだけで、劇場の人気取りに終始する様である。そこで、大手マスコミが回避するインテリジェンスを提供する。
(1)歴代日本政府は様々な救出チャンネルを持っていないし、
またチャンネルを持つようなことをしなかった。今回もそうであったし、本格的マネジメント経験者であれば、何もしなかったことは一目瞭然!、それは手に取るように分かる。ことに、表向きに正々堂々と人質を救出することは不可能であるから、特殊部隊投入で成功させるにしても裏道は使う、むしろ人質救出に裏表の道の区別はない。決して身代金解決を優先するわけではないが、堅苦しいことを言っていれば人質が殺害されるか、あるいは救出時の戦闘行為で死傷するのが普通である。歴史的に、18世紀末から19世紀初頭は世界的な政治的テロの頻発した時代である。それらを克服した歴史的教訓的手法を無視して、素人が好みそうなスキャンダラスな議論をマスコミが流すことこそ危険である。
(2)日本政府あるいは外務省が、
日本国民の一般民間人を救出してくれると思ったら大間違いである。まして外国人ともなれば日本の在外大使館に逃げ込んでも初動の人権保護すらも行わない、これは日本人&外国人を問わず人権保護をないがしろにする官僚の姿勢である。北朝鮮に拉致された“横田めぐみさん”も父親が日本銀行関係者であるからこそ政府も重い腰をあげたとウワサされており、このウワサを取り除く言動を日本政府は行うことすらしない。筆者も長年にわたり労働問題にかかわり、その背景にうごめく政治結社の動きに翻弄されそうになったが、公安警察(警察署警備課)、法務省公安調査庁(破壊活動防止法担当)などのいずれもが、「情報を提供してほしい」と寄り付いてくるけれども、「何かお助けしましょうか」と来たこともなければ民間を助けてくれた例がない。まして官僚的諜報機関であることは否めないから、組織も公務員個人も保身的であり保有情報の水準は余りも低い。
(3)政府の情報機関:部門といっても要するに、
会計検査院や公正取引委員会の如く、政府や外務省の官僚機構とは異なる「独立インテリジェンス部隊」でなければ、国際水準はおろか役には立たない。政府は資金だけ出してNGOを作り、商社をはじめ民間企業その他が協力すれば、相当ハイレベルな情報機関を創設することが可能である。今日まで多くの民間企業が政府の諜報活動や諜報員教育に協力して来たが、今ではその多くが“はっきり裏目”に出るといった事情が、現在の政府外務省である。
(4)そこで昔から、海外に進出する民間企業、
NPOなどは独自に自衛をせざるを得ないのである。その場合の重点は、現地での人間関係を築きあげ、現地での習慣や習わしに溶け込んで行くことである。海外進出の民間企業は日本の在外大使館とは、「付かず離れず」である。今話題のイスラム圏でも、教典となっている旧約聖書(キリスト、ユダヤ、イスラムに共通)で、旅人や寄留者をもてなすことを教えている。事実、社員を人質に取られた企業は、独自ルートに依頼して救出を成し遂げたが、日本政府は何もしない。昔イラクでNPOメンバーが人質となったが、自ら1万枚のチラシを作りバグダッドその他都市で配布し宗教指導者の理解の元、日本人メンバーは救出されたが、そのときも日本政府は何もしなかった。今回の「イスラム国?」人質事件でも、日本政府は何もしなかったと言わざるを得ない。トルコに仲介役を依頼すれば救出されたとの説も存在している。一方海外メディアでは、昨年から身代金要求をされ安倍総理のカイロ演説以後の展開を見て、イスラエル(モサド)あたりの裏の動きを指摘する報道も少なくないのである。
(5)いずれにしても、日本国内は国際習慣に慣れていないから、
いざ海外で事件に直面すると現地担当者には能力がなく、個別企業の本社が頑張ったとしても手の打ちようがないのである。とりわけ大手企業は、世界に向けて売れるような商品提供ができないのだけれど、技術を売り人材を売り資金を取られてまでして海外進出するわけだから、その姿を見ただけでも危険きわまりなく、犠牲となる個人の人生は金銭解決が関の山である。すなわち、「売らんがために技術や人材を持ち込む」といった海外進出の様相は、現地の人からすれば、「人質の売り買い」との差異が分からなくて当然なのである。それは江戸時代に近江商人が北関東の庄屋に、若い娘用の生地(反物)を翌年決済の掛売りで売って回ったところ、現地では泥棒扱い(代金回収)されたものだ、それを海外進出でも踏まえられていないからだ。
(6)加えて、日本の子どもが受験勉強のやり過ぎのためなのか、画一的サラリーマン教育を受けすぎたのか、物事を金銭や損得計算で処理しようとする大学生を見かけるが、寛大なる日本国内で許されても海外現地では、そんな人物がテロ対象となっても、“助けてあげよう”と現地の人にも思ってもらえない輩がいる。この私も上海で昔、どれだけ手助けしてもアドバイスしても、ムカつく日本人大学生に遭遇したことか…。

2015/01/06

第153号:空回りする社会経済に翻弄されないこと!

今月のテーマ:「空回りする社会経済に翻弄されないこと!」
<コンテンツ>
・正解を導く方法は、誤った人が実行すれば、不正解となってしまう。
・国家官僚や大手企業官僚が進める、「敷かれたレール」
・2016年以降の制度改革で大転換する社会経済構造と経営変化
・ICT産業革命の初期段階の弊害から抜け出すためには、
・これから数年の激動にあたり、我々は覚悟が必要だ。
・あくまでも筆者の本質的ドラスティック直感!


§正解を導く方法は、誤った人が実行すれば、不正解となってしまう。
intelligenceとは、この誤った人が実行しないようにするための情報が有益である、ただし「罪を憎んで人をにくまず!」がこの場合の人類の英知である。不正解にマトワリつく弁解や理屈は、そのすべてがinformationを切り出した形を論う(あげつらう)ものであり、intelligenceの内容はおろか説明形式すら整えられていない。誤った人どころか正解を導く方法でも、悪意を持った人によって実行されるからブラック企業やダンピング事業に至るのである。ちなみに、善悪という考え方は、古代ヘブライ人が発明したものである。“善とは何か悪とは何か”と考えるのは言語に翻弄されているだけである。むしろここでいう、「正解を導く方法」という単なる道具・武器?について熟慮することこそ大切である。あなたが、こういったことを18歳までに肌で感じていれば天才、25歳までに理解すれば秀才といわれる、ただしそれは地域・家庭教育に因るとされるが。


§国家官僚や大手企業官僚が進める、「敷かれたレール」
の上をスムーズに走るための経済政策や事業方針では、豊かさを伴う経済成長はあり得ない。彼らが達成・目標とする経済成長では、個別企業は「借金づけ」を招くこととなり、個人は生活単位で貧困化するばかり、人生の或瞬間に「盛り上がるか?」の虚栄でしかない。それは世界的なICT産業革命の初期の未熟段階と同時並行しており、そこでは、「敷かれたレール」を走るだけでは目標達成に限度があると評論家ブルといった現象ではなく、むしろ、「敷かれたレール」の上を必死に走り続けたがための脱落の繰り返しであり、結果はICT産業革命初期段階としての豊かさのマイナスと貧困化を助長しただけであることが証されている。ただ、学問的法則性をもって解明されていないから、社会一般で応用できない現状である。むしろこの「敷かれたレール」は、世間体を通じて意味不明な着想による恐怖感を人々にあおっている。その恐怖感も官僚思考のものは、「予算と規制」のワンパターンばかりのパソコンinformationにすぎない。よって、そういったことを含み前提としている彼らが達成・目標とする経済成長はリスクは高く、彼ら流の海外進出は危ないのである。
それを裏付ける証拠は、
先進国では法人税金扱いとされる社会保険料、これを値上げする日本の事実、
医療・福祉財源と言いながら社会保障ではなく、行政機構維持費に費やす日本の事実、
外国資本の国内投資障害を、具体的ポイントで温存する日本政府・官僚の事実、
地方や高齢者の持つ資産の社会循環を促そうとしない行政官僚や企業官僚の日本の事実、
労働力扱いされる若年女性の過酷な就労条件のシワ寄せを、クリエイティブな専業主婦や高齢女性に、炊事、洗濯、子育て、掃除といった「シワ寄せ」で押しつける政策事実
……といったところである。


§2016年以降の制度改革で大転換する社会経済構造と経営変化
今年は、その準備の1年となる。マイナンバー制、社会保険適用拡大、医療費の抑制その他、日本での経済活動・生活様式・労働スタイルの変更が始まろうとしている。それは、「敷かれたレール」の上をスムーズに走るための制度改革とされるが、読者が見抜いている通りそれは、「形と虚栄」に満ちているから、その活用と拒絶は個別企業と個人にとって重大な影響を及ぼすこととなる。

1.マイナンバー制
個人の情報を、国家収入である収税の観点と、社会福祉・社会保障の基軸となりつつある住民票観点からの管理である。同時に法人団体にも公開番号をフルのである。これにより、商品取引の習慣、労働時間の習慣、社会保険全員加入を新たに組み立てることになる、すなわち、架空取引撲滅、非課税労働撲滅、交際費・会議費の透明化、架空支払撲滅その他を進めようという訳である。これによる国の収益を誰も試算しようとしないから、以前筆者が試算したところ、高校生や主婦のアルバイトで3兆円及び架空取引などでも3兆円、合計6兆円となった。
ところが、これを日本国内すべての人間に適応できない闇の部分を国家官僚たちは想定できない。そもそも社会というものは支配的な部分と闇の部分で成り立っている=このことは経済の現場で仕事をしている人はよく知っている。経済活動や事業活動といったものは、最終末端では人手を要することになるのだが、ここには住民票のない人たちの存在、インフォーマルで働く中高生、賃金ではなく小遣い銭で働く女性労働が存在しているのである。この部分でのマイナンバー制のほころびは即現われ、この部分を国家官僚たちが表経済から切り捨てることは目に見えている。

2.週20時間以上労働する者への社会保険適用拡大
この適用拡大の主目的は保険料の回収にすぎない。企業単位500人以上の事業所から適用するのも集金しやすいためである。健康保険と厚生年金の保険料を回収したとしても、医療や年金に還元する道筋とかメドは存在しない。現時点で社会保険は強制適用と法律で定めておきながら、その実態は強制適用させない行政運用を年金事務所が行っている。強制適用を推進すれば非加入事業所の闇が増えるばかりと彼らの言う通りなのである。現に賃金水準の低い中小事業所に対しては保険料の点検調査が行われることがない。すなわち、社会保険を取れる事業所から回収して国営保険事業を維持しているにすぎない。
2016年10月1日から、週20時間以上の労働者に適用拡大しようとしているが、その適用状況の見通しは立っていない。適用を逃れるために大手企業から中小に至るまでの全産業でさまざまな対策が打たれつつある。コンプライアンスの清いイメージが必要な部分では、週20時間以下の労働力への切り替えが進みつつあるが、それは全体のパートタイマーに及ぶ見通しは全くない。そういう意味で、この適用拡大の主目的は保険料の回収にすぎないのであり、正解を導くポーズを取っても、ここで国家官僚は誤っているから、結果は不正解となるのは当然だ。この社会保険適用拡大は、労働市場関係の下支え政策を伴わないことから、今の労働市場のバランスを失わせる。それは、パート労働者の意欲低下を招き→品質低下や新商品・新事業開発に対するマイナス意識を社会で助長することとなる。

3.医療費の抑制
厚生労働省は昨年12月29日、地域ごとの1人当たりの医療費を比較することによって、水準の高い地域の医療費を抑制するといった形で以て削減を図る方針を打ち出した。既に個人のマイナンバーとの医療費チェックも構想として打ち出している。日本の医療費の特徴は、社会保険や国民健康保険による保険医制度(まるで厚労省フランチャイズチェーンの如く)である。病気になった人の個々人の医療費もさることながら、パートに拡大した保険適用の見返り給付が大きく影響してくることを国家官僚たちは議論しようとしない。将来的には当然に不採算となり→財政不足による給付制限といった思考パターンを国家官僚は押し付けてくる。
むしろ、予防医学事業をICTシステムで普及して発病や病状悪化を防ぎ、医薬品消費も抑制することで日本の医療は大きく改善される。反対に、医療費の高額負担は、嫁と姑の紛争、家族の人間関係紛争、相続財産争いその他の引き金を引くことは証されており、日本全体の産業構造が豊かさを伴う経済成長との関わりではきわめて重要な基盤にかかわる問題なのである。


§ICT産業革命の初期段階の弊害から抜け出すためには、
やはりその動機となる社会に暮らす個々人の心理を本格的に研究することが必要となる。一方では、統制や規制を地の果てまでの無限状態に、ICT機器を使って国家官僚や大手企業官僚たちが掛けていこうとする。そのことによって、人間の心理面が外向性の面から破壊
(外向性を無限の極限に向けて追及することでの神経をすり減らす損失の増加)
される懸念があるからだ。それは現時点でも精神疾患続発あるいは精神疾患レジスタンス(新型うつ病?)として世界的なメンタルヘルス問題になっているからだ。特に日本には、メンタルヘルスで重要となるところの、「外向性の面からの逃げ場」といったものがインフォーマルであっても存在しないといった特徴がうかがわれる。
すなわち自らを律することに長けた有能な人物にありがちな、いわゆる「私の立場」に立った上で地位や名誉を無理に貫こうとすると、職場でも家庭でもネット環境でも神経をすり減らしてしまい精神疾患に陥る。反面、内向的であれば、他者の批判や周囲の制度批判に埋没して社会を拒絶し、さらにそれは社会から見放されることとなり、やはり精神疾患に陥る。これを心理学者のユングは、「意識と無意識」などの用語概念で以て説明しようとしているが、この外向と内向を一体のものとして均衡を図ることが治療のコツと述べているわけだ。
(C・G・ユング他「黄金の華の秘密」人文書院←神秘的な題名の科学的難解文献)
近年流行りの行動経済学とか「ビッグDATA」といっても、あくまでもこれらの方法は単なる道具や武器でしかない。道具や武器が、先ほど述べたに外向性や内向性のいずれかに持ち込まれバランスを欠くことになれば、心理学者ユングは「分裂症になる」といっている。心理学者ユングの話を要約すれば、“未開人と同じように呪術を必要とする”、すなわち=酒に走る、精神薬に頼る、空虚な言説を好む、スローガンに頼る、宗教過度依存といったところのようだ。これは、個人の心理といったものに限らず、個別企業や事業部や各部署でも続発するようだ。筆者も約40年にわたり実施社会での組織運営に携わって来たけれど、単なる道具や武器で多人数の心理を扱う際には、重要な実践ポイントなのである。
(とりわけ大切なことは)
個人でも企業でも、外向性と内向性の「隙間にある結節点」に位置することが大切で、外向性と内向性のバランスをいかに保つかである。一方が強ければ空回りをする。一方が弱ければ崩壊しかねない。すなわち、多くの個別企業を例にとれば、
A.社外への営業販売が強くても、社内の受注体制が取れなければ空回りする。受注できる主体的能動的体制が必要となる、受動的であってはならない。
B.社内の創造・製作・処理体制が強くても、社外のクライアントとの取引関係を能動的に作ることができなければ、事業は崩壊する、要するに売れないのだ。
C.バランスを欠くのであればアウトソーシング(実行チーム)と契約すればよいのだが、日本ではそこまでの専門性をもつ集団がきわめて少ない。誤って外注に頼ってしまうと、外向性や内向性は個人でも企業でも外注・代替できないのであるから、空回りするか若しくは崩壊に進むのである。「利回り金融資本」は、担保があって利息さえ払えば融資をするだろうが、この融資が個人でも経営者でも「仇(あだ)」=ごまかしとなってアンバランスの危険が見えなくなってしまうのである。
よって、外向性と内向性のバランスを洞察して、今年はおとなしくすることが大切、あるいは防衛することが第一なのである。


§これから数年の激動にあたり、我々は覚悟が必要だ。
国家官僚や大手企業官僚が進める「敷かれたレール」とは、施策のキーマンの「私の立場」に基づく機械的思考パターンの集大成であり、キーマン個々人が責任を持っている代物ではない。これが日本の特徴である。金融機関の官僚は利益目標数値を達成のみのため、政治家は次期選挙のスポンサーのため、といった動機と行動パターンである。加えて、有能な官僚を抜てきするにあたっての最重要素質とは、「上司の論理構成や判断が様々異変転換したとしても、直ちに疑問なく信奉受容する特異性格」と言われる。したがってこの「直ちに疑問なく信奉受容する特異性格」を維持するための制度と資金を人事面でつぎ込んでいるわけである。これは世界的に共通した手法であり、欧米では公務員や官僚に対して、「自律的意思を持たないから=奴隷である」と評する、ここが欧米人が金銭を使って官僚を奴隷化する由縁なのである。
ところが、こういった官僚をはじめとした「私の立場」に立った上で地位や名誉を無理に貫こうとする労働力(自ずと労働といったクリエイティブ性はない)は、官民いずれの事業であっても究極的価値を生む固有価値商品を生み出すことがないから、併せて官僚機構は本来社会にあっては潤滑油程度の役割であるから、そういった側面からも人員定員削減が社会から求められる。よって彼らは官僚機構の財源確保と体制維持を地下で推進しようとするが、結局彼らは自ら相互に競争選別される運命にあるのだ。その職業の所詮は妻や子どもの犠牲を要するから、実際にはスポンサーを必要とせざるを得ないのが官僚である。スポンサーの付かない官僚は、公務員であれ民間企業であれみじめである。そのジレンマは、心理学者ユング流に言えば、「意識と無意識」の均衡を崩して心身いずれか脱落するというわけである。
だからこそ、読者のあなたにも、私は今ここでの覚悟を推奨するのである。
時代について行かなければと「敷かれたレール」や「公共事業のこぼれ」にしがみついたところで、彼らのいう税収財源には限りがあるから、“成長戦略”といった景気刺激策に期待したところで、救われるのは少数である。この文章を読んで心動いたあなたは、先ず官僚ではない、奴隷は自らの身分に疑問を抱いたときから奴隷ではなくなる。
官僚の職業手法というものは簡単に身に付く能力であるが、世界的大手企業の中心的関係者でもなければ官僚主義は社会経済商圏では通用しない。また、「形と虚栄」を追い求めれば、益々金融機関の官僚たちの甘い言葉の餌食になるしかない。近世の如く未開の地や人々に文明がもたらされたものではなく、周囲の現象は今や進歩も習慣も復古もが、「妬みと嫉妬の渦巻く環境」である。彼らにはただ予算の流れに沿って計算づくの人生に毎日を過ごし、愛情や悦びと希望は禁物である。もちろん、他人の役に立って収入を得るとか、役に立つ新商品とか、日々を豊かに周囲と暮らす毎日とは相反するのである。


§あくまでも筆者の本質的ドラスティック直感!
外向面と内向面を一体のものとしてのバランスが、何らかの衝撃や過労で崩れたときに、併せて外向面か内向面のいずれかに尽力を注いだ場合は、脳血管や心疾患を発症するか、さもなければ統合失調症や「大うつ病」に陥ってしまうようである。これら医学的に原因が分からない心身の病気は、私だけでなく多くの人が因果関係もなく目前にしているし、なぜか確かに創造性のある経営者や技能者とは異なる芸術家は、心理学者ユング流に言えば、「象徴を実現」しているようである。
おそらく解決策である、「象徴を実現」できる法則性は解明されるだろうし、それは前近代的な「休憩とか時間による回避行動的解決」とは異なり、ICTを活用した世界観・文化水準の発展として現れる。ただそのヒントは、(11月メルマガの続きも兼ねて)考えの割り切り方として、
1.ICT機器に流れる言語は詩的創造(心の気持ちの交流)を貫き、事実関係の説明はDataに任せる。
2.自分とは、豊かさとは、幸せとは、それは自己創造を貫くこと、保護や依存を求めれば本来的に自由はなくなる。ただし、ピンチのときの保護は必要で基本的人権である。
3.だからこそ、社会というものは自己創造を貫くための偶然のチャンスを保障することが重要事項となるのである。すなわち、不毛な物資の直接供給比率が逓減する現象ともなる。
それは読者のみなさんの周りの、個別企業や家族その他の小さな社会から世界観・文化水準の発展として現れ、そのことで事業活動が成功し家族・人間関係が豊かとなり、けれどもよく見てみれば、前期近代的社会経済を脱却した歴史パターンの繰り返しではあるのだけれども……。

2014/11/04

第151号

intelligence情報が整理でき切れていなくて、1週間お持ちいただきたく存じます。
日頃から、文章が長く込みいっていると、ご意見をいただいていますが、現在の段階ではあまりにも膨大且つ複雑怪奇な文章になります。どうしても、普遍的且つ読者の目の前が豊かになるインテリジェンスにまとめきれていません。一生懸命整理・分かりやすく致します。

そこで少し触りを述べますと、
現代社会の市場・マーケットは、ICT機器ネットワークで動いています。小売りや末端サービスだとしても、バックヤードにはICTネットワークが働くからこそ売り上げも利益率も確保できるといった経済構造が行き渡っています。
個人も企業も、円錐形の肉声メガホンの原理でICT機器を利用して、販売営業、組織運営、知人友人づくりをネットワークとして作っているのが現況です。家族関係はこのネットワークに侵されコミュニティーが成り立たないことが多々あり、そこに「家族とは」といった形骸化した固定概念とのジレンマで癒しの場が崩れつつあります。癒しの場が機能しなくなれば労働意欲や創造性が失われることは脳科学で既に証明されています。
確かに円錐形の様々乱立するICTネットワーク、
これを限りなく追求しても結果は無限です。それは人間ならば1/3の計算ができるのに、ICTではいつまでたっても計算をしている例えです。すなわち人間が判断する論理構成からみ出しているから、末端細部になれば管理や制御ができなくなるといった、合理性の基本が崩れていって、混乱繁雑が起こっている(=売り上げ、利益、豊かさにつながらない)訳です。この円錐形ICTネットワークが縦向けに乱立しているところを、
1.輪切りにすれば、今まで気付かなかった価値を見つけることはできます。
2.輪切りの仕方によっては、通貨流通と相まって金銭をかすめ盗ることができます。
この2つを区別するのは紙一重、自由平等原理と公序良俗(次々と変貌する概念)に触れれば、どれかの法律違反に該当するから警察・検察が弾圧することになるわけです。あのホリエモンを評して某法律学教授は一言、「あの人は法律を違反していないが、現代社会の原則である嘘をついてはいけないということを知らなかった」としたのです。もちろん、「今まで気付かなかった価値」を見つけたとしても、ICTネットワークを駆使したほどには利益はありません。
その解決策の実践は
次のことを分析して、個人も企業も根本から論理構成を切り替えれば、利益構造につながり利益率と利益絶対額は見込めます。それは、個人も企業もICTネットワークを使っていなかった時代の経営哲学や商人道に数多くありました。
もう少し具体的に説明しますと…
現在、ICTネットワークで流れているのは、情報といわれる中のインフォメーションが殆どを占めます。このインフォメーションをICT機器で取捨選択する場合には、インテリジェンスといわれる情報で行います。すなわち、インテリジェンスが入手出来なければ、ほぼすべてのインフォメーション情報は個別企業にも個人にも役立つことがありません。アナログ式intelligence情報でもってICTネットワークで流れているインフォメーションを整理するのは、体力消耗:精神疾患を招く確率が高いのです。部下とか社内に任せれば、益々intelligence蓄財が元より無いわけですから整理処理はできません。
……このintelligenceをICT機器でネットワークとして流し、言い方を変えればintelligenceのICTネットワークを個別企業ごと・個人ごとに造り上げて行くだけで目に見えて効果はあります。そういえば、当社の業務遂行方法、筆者の思考方法には少なからずintelligenceのICTネットワークが存在しています。

以上、このあたりの内容を具体的に分かりやすく整理し、みなさんのお役に立てたいと思います。もちろん、勘の鋭い方はピンとこられたでしょう、今述べましたように法則性を見いだし社会科学論文として通用する段階まで売り上げます。今しばらく余裕がなくとも、無駄な空回りは避けていただいて、「事業経営のネットワークとintelligenceネットワーク」を検討いただければと存じます。筆者が国際論文を出してフランス、イタリアで好評を受けた、無理をせずに余裕で売れる商品とは=「意欲・感動に加えて希望」を買い手が確信する物といったふうな法則性のことです。

2014/10/07

第150号

<コンテンツ>
・利権の食い合い錯綜で「漁夫の利」しか稼げない勢力
・年末に向けて増加するとみられる労働事件
 ☆労働事件の激化要素は3つある。
 ☆企業の就業規則不備を労働側弁護士が突く手口
 ☆増加傾向にあるのがハラスメント関係事件
・個々人の労働能力を陳腐化させない、個別企業の決定打とは何か
 ・共通具体策1
  専門性、創造性、信頼性の能力を個々人の身に付けさせる方法である。
 ・共通具体策2
  何のために働くのか、何のために生きているのかとの課題提起
 ・共通具体策3
  労働意欲、労働効率、アイディア創造性のコントロール(制御と管理)
 ・共通具体策4
  刻々と変化する現代社会に内在する、変化の波を読み取ること


§利権の食い合い錯綜で「漁夫の利」しか稼げない勢力
なぜ、日本経済や個別企業の多くが衰退傾向に向かっているのか、その答えは簡単である。すなわち、日本国内の労働者の労働能力が陳腐化若しくは能力低下を起こしているためである。それは、ものづくりの能力から世界の隅々に売り込みに出かける能力すべてにわたってである。
当座の経済成長のために通貨の大量発行その他の金融政策を進めたものの、円安が進行しすぎて輸入価格が高騰、株価を買い支えしても、全くもって結果は冴えず、いよいよ金融政策の行き詰まりが見えてきた。ここにきて霞が関財務党は大手マスコミでもって、消費税引き上げ問題の世論を浮揚させている。イノベーションだの観光立国だの農林水産資源だの、まるで思いつきのように次々と様々な話題をマスコミが提供するものの、肝心な国内労働者の労働力が陳腐化していることで、その金融政策の効果は空回りすらしていない実態なのである。他の先進諸国と比べて、インドやウクライナといった「与信管理不透明国」に向けてばかりの日本売り込み報道が目立っている。くどいようだけれども、日本企業の中国撤退に因縁を付けられて賠償請求されている日本企業の保護はされてもいない。
挙げ句には、昨夜もNHKスペシャルで放映していたが、防衛省が武器の売り込みを世界展開しているという。その放送からはアメリカとの武器交易の促進目的がうかがえたのだが、実は積極的に日本に接近して来たのはフランスとイスラエルとのこと。この2国は武器製造技術については超世界レベルであることから、日本から日本製武器を幾つか見本として購入すれば即刻分解して、フランス産やイスラエル産の武器新製品を売り出すことは当たり前のことである。
大手マスコミその他の記事にある、「デフレ脱却」とか「日本再興」といった枕詞を額面通りに受け取るようでは、今や経営者や管理者としては失格である。耳障りの善し悪しに関係なく、陳腐化した労働能力の持ち主の労働者にとって、「デフレ脱却」とか「日本再興」の言葉は、単なる安心感と言い訳をもたらす号令にしかすぎないのである。政府系シンクタンクですら、「大手企業の新卒採用者は実行力があっても想像力がない」とか、「日本の全要素生産性が伸びていないのは教育訓練の機会に恵まれない労働者増加が一因だ」とまで、はっきり指摘されているのが日本の事態なのだ。
だからこそ、
IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルドは、9月12日に経団連主催・日本政府共催のフォーラムの基調講演で、日本政府が進めようとしている女性対策について、事実上の痛烈批判を行った。その内容は、「課税単位を世帯から個人に変えるなど経済政策や法制度の改革、企業文化の転換」が必要な取り組みと提案したことである。日本政府首相の冒頭あいさつに対して、真っ向から異なる政策ポイントを示したのだ。もちろん、厚生労働省が進めようとしている出産育児・介護医療・年金制度といった事柄では「経済政策や法制度の改革、企業文化の転換」には及びもつかないという内容のものだ。
こういったことがテレビやマスコミで報道されないのは、
今の利権に「あぐらをかきたい」人物にとっては、マスコミ関係者も含めて様々な報道がなされることで利権を失うからといったことが単純な理由である。現在日本で、それなりに研究された信条やイデオロギーで報道がなされているケースが少ないのも、また然りである。


§年末に向けて増加するとみられる労働事件
経済成長低迷と経済豊かさの後退が進んだとしても、きわめて多くの国民は、せいぜい文句をつぶやく程度である。霞が関財務党は、そのことを良く知っているから民間個別企業の経営実態を無視して短時間労働者への社会保険適応を進めるばかりか、いよいよマイナンバー制度を社会保障給付の効率化と称して介護医療費の削減政策も打ち出して来た。日本円通貨での決済を続ければ益々個人消費が落ち込むことは目に見えている。財政赤字と言っても、年金国債(相続税対象外:利息年1回支払いのようなもの)を発行推進(ただ霞が関財務党の基盤が崩壊)すれば1,000兆円の借金は解消できる、公共事業政府とはそういうものである。にも関わらず、ことさら通貨金銭にかかわる経済政策ばかりを進めていれば、それは社会も個別企業内も、「金、金、金!」の思考パターンに止めのないことは間違いない。まして、社会システムで解決可能にも関わらず、必要もない財政赤字の借金返済という恫喝を国民にかけ続け解決を放棄すれは、一般人は希望や意欲など削がれてしまうのが当然である。

☆労働事件の激化要素は3つある。
1.政府の賃上げ放言に、それとは無関係な有期労働契約者が反発するレジスタンス
2.労災事故の危険予見性論(新しい法定法理)による、非効率事業への法的直撃
3.トラブルを悪用して特技・国家資格を活かそうとする弁護士や労組役員の存在
である。そしてこの3つの要素共に経済・金銭とは別の根源的理由が影響している。
それを巷では感情・人格・人権・意思疎通・人間関係といった現象面を見ただけの種類に名称をつけて、あれこれ議論しているにすぎない。挙げ句、(あまりにも名称や分別種類が多くなってしまったことから)、どんぶり勘定で、「個人のコミュニケーション能力の有無」と曲解しようとする人も多い。事件化を受ける会社側は、「なぜ大した利益もないのに事件を起こすのだろう?」と経済的視点で考えがちであるが、労働者は金銭の持ち出しさえなければ経済的利益のために、あえて事件化しようとするわけではない。
陳腐化した労働能力で事業を回そうとする企業(=ブラック企業の要因)の多くは、昨年の労働契約法改正に伴う社内制度変更が進められていないのが現状である。ここでの非正規労働者のレジスタンスに狙いを定めて、労働系に限らず少なくない弁護士(弁護士の生活の収入低下&借金増)が仕事と生活の場を求める傾向にあることだ。とりあえず貧困ビジネスとしての動向は、消費者金融利息過払といった誘惑フレーズでの弁護士・司法書士の手続き報酬荒稼ぎである。それは次々とCMが流されているところを診ると「顧客?」に不足はないようである。

☆企業の就業規則不備を労働側弁護士が突く手口
だが確実に、労働事件の激化といった動向は厚生労働省主催のパネルディスカッションでも大きな話題となっている。ところが、一般的に言って労働側の弁護士たちは、経営側の弁護士に比べて学問的にも立証技術的にも有能であることから、労働契約法を持ち出されると敗訴若しくは和解金支払いの道しか残らない使用者側の実態なのである。就業規則を作成していても十分に周知していなければ無効となる。また、協調性や規律性のチェックフォーマット欠如といった曖昧な(好き嫌い)判断をはじめ、普通解雇規定が具体的に整備され、労働契約ともに労働者に周知されていなければ敗訴する確率は極めて高くなる。
もちろん厚生労働省も労働政策として非効率企業やダンピング企業を国内から排斥したいわけだから、労働事件の増加を見越して労働契約法の周知を進めるのである。コミュニティーユニオンと言われる労働組合は、その多くが法理論に弱いから勢力数や事件確率からすればトラブルは少ないものの、当たれば企業の損害賠償額は少なくない。5年ほど前までは、労働者が受け取る賠償額が50万円程度を超えなければ事件化しないとする若者も多かったが、今や十数万円をめぐるトラブルも増えている。加えて最悪なのは、会社側がビジネス手数料優先の経営側弁護士の餌食になって、事件の長期化、決着の先延ばし、裁判官と共に会社へ和解を強迫的に迫るなどして「弁護士労働時間」を削減し弁護士業務利益率向上を図る傾向にあることだ。
加えて最悪なのは労働事件を引き受けている殆どの弁護士が、ペーパーライセンスに毛が生えている程度か、経営側弁護士はビジネス優先に目がたくらんでいる実態が殆どである。国家基盤の政策的見地からすれば、それほどに弁護士という職業が、「司法制度の担い手であり、司法の質と維持につき特別の責任を職業」とは成っていない現実であるから、事業主や労働者の自由平等を擁護するといった理念が、弁護士業務の柱にしていないところからくる現実(巷で弁護士職業のビジネス化と表現)なのである。
弁護士や労組役員たちに、トラブルを悪用しようとする者が後を絶たないのは、近年新設された労働審判制度の運営実態も関係している。労働裁判の迅速化を大義名分としたこととは裏腹に、この制度の実態は、解雇問題ともなれば、「6ヵ月程度の解決金」が相場であるとの意味不明な和解を労使双方に持ちかけるなどして裁判所決着をつけようとするところにある。実に、使用者側には敗訴の可能性があると脅かしをかけ、労働者側には専門用語と自己責任を使って本人にあきらめさせようとする裁判官が後をたたないことである。会社側弁護士は裁判官に盾突くわけにはいかないし、労働者はあきらめながらも半年分の賃金で手を打たされるのである。ただし、労働者側に労働事件専門弁護士が付いた場合には、弁護士報酬は別として、解決金での和解だとしても常用雇用であれば1千万円は超えるし、非正規であっても100万円を下回ることは無い。こういった労働事件の決着情報すら流れない訳だから、トラブルを悪用しようとする者にとって国家資格の有無を問わず、言い放題かつやり放題の荒稼ぎ市場となっており、特に企業が狙われることになるのだ。

☆増加傾向にあるのがハラスメント関係事件
労災事故に至らないまでものパワーハラスメントその他の様々なハラスメント事件増加である。この場合、ハラスメントの立証方法としてメンタルヘルス不調の診断書の有無が決定的に重要な意味を持つ。
ところが最近、労働契約法の安全配慮義務の解釈は事業主の配慮義務が前提であって、使用者側がメンタルヘルス不調を見逃したことでは弁解はできないとする判例(最高裁26/3/24東芝事件)が出され、その「新しい法定法理法」である。もちろん、この判例前後には各地の裁判所では、労働契約法の安全配慮義務の管理を怠った企業側が次々と敗訴している。加えて、労働問題は学術学問論理と異なっていることもあって、労働基準法や労働契約法の脱法行為に対する判例や裁判例が重なり合って相次いでいるのである。
そういった裁判官の判断に共通している事柄は、個別企業の非効率事業における管理システム形骸化&制御装置・措置の欠落といった企業側不備を指摘している点である。とにかくハラスメントにまつわる事件が続発していること、労災事件や労災事故でもハラスメントが関連する精神疾患が急増していることは確かである。


§個々人の労働能力を陳腐化させない、個別企業の決定打とは何か
(雇用者数や受け皿、個別企業の打開策決定打は前回メルマガ参照)
現代社会の実態からすれば、労働者というものの存在を曖昧にして制度やシステムは語れない。ひとつの企業への専属制を問うことなく労働契約法が適用されることは、世間ではあまり知られていない。労働基準法は企業に専属している労働者を対象としているが、見落とされがちな問題=理不尽・ダンピング・公序良俗に反する事行為といった事業行為を行う事業主の規制をしている点の存在だ。要するに、労働者を雇うということは、使用者と労働者が「何らかの労働成果と定められた報酬」について契約することに尽きるのである。それをアレコレと論じていても、社会構造は労働契約として扱われるのが今の経営環境なのである。なのに、日本においては、管理者も現業労働者もサラリーマン化してしまえば行政機関や専門業者を信用し切ってしまい、その言葉巧みさが見抜けなくなってしまう程度に労働能力が陳腐化していることにある。
それは、経団連の行った新卒採用アンケート(660社回答)の結果を見ても、採用選考にあたって重視した要素がコミュニケーション能力82.8%、主体性61.1%、チャレンジ精神52.9%が、全体の50%を上回っている実態なのだ。そもそもの経営幹部やイノベーション牽引者に不可欠な能力は次の3つだが、専門性13.1%、創造性12.6%、信頼性12.3%となっており、このアンケート結果には、その先行きの絶望さが現われている。
このアンケートひとつ見ても、大手企業の労働者が「上意下達」型に偏り切っていることが示されており、
イ)確かに実行力はあるが予算が付かない限り働かない、
ロ)創造性とは無縁な仕事しか思いつかない、
ハ)限りなく重箱の隅をつつくような作業に費やす業態に大手企業が陥る。
といったことは歴然としている。
では、先ほどのアンケート項目の専門性、創造性、信頼性の能力が高い労働者は、もともと大手企業にいたにも関わらず、現在どうなっているのかと言えば、およそ20年前から大手企業の多くでは窓際に追いやられるかリストラ対象とされたのである。そしてその多くは未だ活躍のステージには戻れていないのが現実である。

共通具体策1
専門性、創造性、信頼性の能力を個々人の身に付けさせる方法である。
コミュニケーション能力と称する曖昧かつ不安を煽るような話は、この3つの能力の無さを表すものである。日本の「能」とい伝統芸術を編み出した世阿弥は(原文解説はさておいて)、
「悩み事があったら、まずよく寝る。困ったことがあったら、1週間はほっておく」
そして、「ことを決断したら、一晩よく眠って、もう一度起きてから考える」
という意味のことを言っている。そう、これだけで、この3つの能力を醸成・熟成させる訓練ができる。うつ病や人格障害系精神疾患も相当防げることになる。ICT機器を使うがICT機器を活用できない人物には、専門性、創造性、信頼性が極めて欠けている。増して欠落したこの3つの能力をインターネットに頼る性癖だから、実行力・指導力・統率力といった企業活動に必要な能力がことごとく衰退して行くシナリオなである。
さて、その後に初めて経営幹部候補者には、書籍・文献を読ませることである。ただし、受験勉強の訓練ばかり受けていると、他人の話を鵜呑みにしてしまうので、個別企業に群がってくる「言葉巧みな人材」に引っかかる若者ばかりである。あるいは自己啓発の意味理解を錯覚して本屋に通い、巷で流行させるがための目的で執筆された「自己啓発本」を買いあさり、自己満足に陥って協調性や論理性を益々欠落させてしまう。
あらゆる書籍・文献から「物事を学ぶ」ノウハウとは、
それが書かれた時代背景や必要性を把握した上で、筆者の「言いたかったこと」&「その証明技術技能」を見て行くことである。このノウハウを備えていれば何かを学び、無駄な学びは避けることができるのだが、無いものだから何を勉強しても評論家ぶって仕事の邪魔にしかならない。ついでの話であるが、宗教は異なっても道徳は同じであるから如何なる宗教系書籍もよいことが書いてあるので、その時代背景や必要性を把握しながら読み進まないと、およそが「カルト宗教集団」の手先と化すのである。
現在の日本で、現代世間で有能と言われている人物は、「文章を要約することに長けている」との自信をもっているが、それこそが専門性、創造性、信頼性の能力を萎えさせていることに気づけないのである。学校のテストの答案の様にしか報告書の書けない人物であっても、まだマシな従業員といったほどの実態なのだ。それは、ゆとり世代前の30~40歳代に集中している。
これらのノウハウは、直に物事の体得者からインタビューする場合でも同様のことがいえる。
(参考資料…脳科学の知見から働き方を考える「読む、書く、話す。」の重要性)
http://www.nira.or.jp/outgoing/vision/entry/n131218_720.html

共通具体策2
何のために働くのか、何のために生きているのかとの課題提起
を個別企業ごとに説くことである。個別企業は公共機関ではないから、「人それぞれには考え方や目標がバラバラである。」……なんてなことを言っていれば、=会社の経営戦略・戦術・アクションプランまで、「人それぞれである」と説明しているようなものだ。社是社訓は、そのほぼすべてが企業創業時のものであるから、これからの日本が置かれる経済環境に適応するわけがない。
特に、日本で根本的に誤解されている事柄を2つ挙げて置く。
ひとつ目の誤解は:
ヨーロッパでは、自由平等の概念が成立する以前の時代に、個人の人徳の確立が前提となっていた。その人徳とは=自らの生活の豊かさを確保=した上での事柄(人徳)とされていた。だから、自由平等とは生活豊かさ概念なのである。…といったことが日本では研究されていないのだ。そんなこともあってか、ばかげた宗教や道徳論を商売のネタにする輩が発生する。論語に至っては古事記や日本書紀よりも未熟な哲学(生き方・宗教観)であることすら知る人は少ない。
2つ目の誤解は:
フランス市民革命に出てくるスローガン、「自由、平等、博愛」の概念である。自由・平等を考えるときの前提は先ほど述べたが、博愛との日本語への翻訳が間違っていた。欧米の「愛する」という概念は日本には存在しなかったから、中世当時は「大事にする」という日本の言葉をポルトガルの宣教師たちは戦国時代に使用した。ところが、「愛する」という概念と形態は世界各地に多種多様にある。すなわち、「愛」という図形キャラクターを個々ばらばらに連想するから混乱するだけであり、その時代や国の現行社会制度の1歩先の良心から連想すれば混乱は防げるし、より多種多様な「愛」を理解できるのである。
よって、話を本題に戻して、博愛とは「同胞愛」とか「目的を共にする友情愛」と、その当時でも翻訳されるべきものであった。ここから先は、「本当にそうなの?」という貴方自身が確かめる方が納得するだろう。
話を進めて、だからフランス流の考え方は、「植民地差別が厳しい」のは当然、「法律を知らない貴方が悪い」といった理屈にもなるのである。で、当のフランスは現行結婚制度が、生活の豊かさを阻害し少子化も招くとして、別枠結婚制度を新設したと考えるのは妥当だ。カトリックの国だからとかロマンスの国だとか、ほぼ揶揄と同等な議論は日本独特の下世話な会話であることがわかる。
すなわち、日本のように、「自由平等の正義をとるか、自分自身の生活を守るか、そのいずれかを悩む?」といった、そのような愚問はグローバルな基準では考えないのだ。
(筆者「=人が生命を生きるとは何か=」…人間は金銭や生活のために生きてはいない)
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/26

共通具体策3
労働意欲、労働効率、アイディア創造性のコントロール(制御と管理)
脳の働きや脳科学の研究によって、いわゆる「やる気」というものが簡単な仕組みであることが解明されてきた(詳しくは今年の春のメルマガにも掲載)。例えば、人間の行動をつかさどる「意欲・感動・希望」、これは個別企業の商品開発の柱(固有価値商品論)でもあるのだが。
意欲=
脊椎動物に共通する頭脳の働きで、血液中の糖分が低下すれば食欲が起こり、血液中のナトリウムNa濃度が高くなれば水が欲しくなる。
◇1.空腹感を覚えたときに高濃度ブドウ糖液を少量ずつ飲めばダイエットができる。
◇2.高い塩分食事をして水を大量に飲めば血圧が上がって元気な感覚を覚えるが病気になる。その反対のことが、夕方に疲労感を覚えるのは血圧低下が原因であるから0.3%食塩水をコップに1~2杯飲めば元気になって栄養ドリンクの必要はなくなる。0.3%食塩水は貧血現象?にも有効であるが、そもそも貧血という病気はない。
◇3.空腹や疲労は意思決定者の寛大さを損なう(コロンビア大学研究より)
◇4.労働意欲について言えば、気晴らしの感動や将来の希望よりも、就労直後の食欲や清涼飲料(ビールなども含め)に期待する行動の方が、当座意欲への影響が強い。
◇5.風邪といわれる病気は存在しないのだが、医師などが風邪と称するのは鼻炎→咽喉炎→気管支炎といったもの、その初動治療は鼻炎の段階で0.45%食塩水で鼻の中を洗えば痛くないので、雑菌ともども排出され風邪を防ぐことができる。
◇6、大気汚染のPM2.5は風邪の病状進行順番とは異なり、それぞれの個所を直撃するのが特徴である。PM2.5の除去は、エアコンの空回しだけでも清浄効果はある。とにかく、元気に働いてくれる意欲が肝心なのである。
感動=
人間が感動するという気持ちの認識は脳内のドーパミン分泌作用である。
◇1.太陽の光を浴びることで分泌は促進される。太陽でなくとも室内が明るい状況を保つだけでも人間は感動を覚えて仕事をするのである。感動を覚えれば楽しくなってくるから、当座の仕事もそれなりに促進されるわけである。お肌が気になる人の紫外線対策の決定打は透明UVサングラスであることもあまり知られていない。ドーパミンが大量異常に分泌されると統合失調症となるが、太陽光が原因で統合失調症になることはない。
◇2.節電といって蛍光灯を減らすのは感動的仕事をストップさせるものである。消費財の小売販売は照明が決定的な要素を持つ。夜の公園も水銀灯が輝けば少年防犯対策になっている。薄暗い場所で仕事をさせるのは賃金コスト効率の不採算である。
希望=
人間は希望があるから様々な行動を活発に行おうとする。「この会社にいても将来がない」と思えば働くわけがない。現実に若者を採用する場合、「楽しい異性が居なさそう」となれば求人採用活動に影響が出るのは何十年も前からの定石である。そこで人間が持つ希望というのは多種多様であり次々進化していくから、いかに頭脳において希望をつかさどる左右の前頭葉の血流を活発にさせるかが決定的となるのである。巷では右脳とか左脳とかの話題が多いが、右脳や左脳がそれぞれ単独で働くのではなく左右の血流が活発化して相互総合的に働くことが解明されている。さて、いくつかの方法は解明されてはいるが、まだまだ希望についての決定打となるものは、脳の働きや脳科学の研究分かっていない。個別企業でとりあえず着手できることと言えば…。
◇1.音楽を聴くと、集中力や意味処理、運動機能、感情処理関連する左脳と右脳の領域が活発化される(ヘルシンキ大学研究から)
◇2.音楽の好みの一部は性格の特徴を反映している可能性が高く、その影響は支持する政党の選択にも影響(アメリカの音楽データ会社から)……だとすれば、比較的単純な事務作業や定型的事務作業に従事する場合は、各自がヘッドホンを掛け、自ら用意した好きな曲を聞きながら作業すれば効率がよくなるという訳であり、室内全域に流すBGMは作業の非効率を誘発していることとなる。
◇3.事業の経営方針を説明して、様々に場所を変え方法を変えてディスカッションすることは専門性、創造性、信頼性を柱としている固有価値商品を扱う企業では不可欠となる。事実、そういった方法で活躍し利益率が高い企業の事例は数多い。午後の喫茶コーナーまで作る会社もある。
◇4.日本の大手企業の多くでは今更、専門性、創造性、信頼性を柱とする土壌が崩壊しているから、経営方針を説明しても効果が期待できない。むしろ大手企業では労働時間大幅削減による家庭その他の個人的ストレス発散でもって定型業務を進め、むしろ労働者の希望に頼って業務を進めることは避けた方が良いのだ。よって、そこでの労使紛議は必要コストと割り切るしかない。
◇5.不満を発散させる対策(気晴らし)はストレスを伴うから希望にはつながらない、むしろ癒される行事に積極的に取り組むことで希望をつかさどる左右の前頭葉と血流を活発にさせるようだ。その意味で、誠にボランティアが好きな人には、癒される行動となるわけだ。……ただ、それにまつわる具体的行為や品物は世界中の人が探し回っているけれど、そんな大発見そのものの存在に、今は夢をかけるしかない。
◇6.とはいっても、とりあえずは経営環境を分析して、他企業よりも他国よりもドラスチックに打ち出せば…希望は叶うのである。
(筆者が楽しみながら研究する……脳の活性と癒しの文化(体験型)芸術産業事例)
http://www.youtube.com/watch?v=xB5QrOfxTRQ
(そのチラシも簡単、お客様の個性を引き出せるのがプロの仕事と割り切って)。
http://www.projectcinq.com/blog_musicsalon20141030/

共通具体策4
刻々と変化する現代社会に内在する、変化の波を読み取ること
決定的変化の流れを作り出しているのが、インターネットやICT機器を用いることでの、ICT産業革命である。古代・中世=材木、石材、梃子(てこ)の原理と車輪程度の機械しかなかった時代は略奪経済であった。金属、蒸気機関、時計などが投下資本経済(資本主義)であり、そして今やコンピュータは資源エネルギーや人間の能率・能力・技術に劇的変化を与えている。例え話を挙げてICT産業革命の真っただ中の激変時期を説明するとすれば…。それは、人間関係の在り方、結婚の在り方、出産の在り方、家族の在り方、高年齢生活の在り方その他の全般にわたって、つい先日の常識(みんながしていること)とは異なる事態が、インターネットやICT機器によってひき起こされている現実=世界産業革命である。そこでその具体策とは……。

1.会社の経営方針や経営計画を策定するにしても、
当初はコンピュータ活用により、諸効率の無駄を排除する利点が認識されたが、現在では個別企業の製造・サービス・販売現場に経営方針を適合させると、限りなく「解」のない事態に陥るジレンマとなっている。ICT機器を使いこなせないと一面では目移りする情報の取捨選択能力が退化して実行力・想像力共に消滅してしまう、いわゆる口先人間となる。他面では部下の実行力・想像力の消滅をまのあたりにしてICT機器の使用拒絶が生じ、こちらでは時代的な退化と「お払い箱」を生じてしまうのである。実行力・想像力の消滅は30~40代の男性労働者に多い(誰も統計を取らない)ことは、労働問題の専門家としては肌で感じられる。「1/3」とか「1/0」の計算が、コンピュータや電卓ではできない。すなわち経営とは想像・創造・構想といった一連の作業を伴うが、ICT機器から飛び出してくるインフォメーションをいくら積み重ねて見ても役には立たない。
まだまだ圧倒的多くのインテリジェンスは未だ書籍や体得者の長話の中に有益なものが存在し、せいぜいインタビュー先がICT機器で調べることができる程度なのである。それでも昔に比べればICT機器によって効率が比較的に高くなったのだが、取捨選択能力の持ち合わせ自体がなければ、実行力・想像力共に消滅の一途である。だからこそ先ほど述べた、「悩み事があったら、まずよく寝る。困ったことがあったら、1週間はほっておく」といった訓練から始めさせるしかないのだ。

2.商品開発、経営組織運営、マーケット調査その他に至っては、
従来からのでも末端従業員や顧客との関係が繰り広げられる現場では、さらに限りなく「解」のない事態に陥っていると見た方が妥当なのである。昔流の方針や通達を出せば出すほどジレンマに陥る。そのせいか昔流の基本原則を踏まえないものだから尚更末端現場では混乱が起こっている。またその基本原則である商業やマーケットの組織化(オルガナイズ)の現役が数少ないから学ぶことすらが難しいのである。挙げ句、この現象を見て従来の経営学をことごとく否定することをセールストークにしているコンサルタントまでが現れる混乱ぶりである。解決の要諦は基本原則を踏まえた経営学手法に向けて次々とICT機器による分析から出て来た(事実の羅列ではない)事実関係を理論化して組み入れることである。どうもそれは、歴史が繰り返している通り、商品・経営・市場の次世代理論はアカデミック学者には着想がなさそうだ。

3.日常的に流れる、「その背景に何らの意図や意味を持たない」言語やフレーズ
これが、ICT機器から飛び出して来た瞬間の我流解釈で物事を判断させないようにする訓練が重要である。メディア制作者からすれば、読者や視聴者がどのような受け止め方をするのかを操作することはきわめて簡単なことである。それがICT機器により大量安価で行えるから、「1匹のカモが引っ掛かった!」だけで成り立つといった邪心が随所に生まれるのである。専門性、創造性、信頼性とは無縁な環境に育った人物が、ICT機器の奥底にある邪心を見抜けるわけがない。だからといって、こういった邪心を規制しようとしても、ICT機器を遮断するわけにはいかないから、これを誰ひとりとして規制することはできないのである。むしろ、規制が出来たとしても規制範囲内の労働者はICT産業革命の中で、生命自体が消え去る集団でしかない。
電話取引が主流だった時代には、思わぬ勘違いや行き違いに対応する手段として、大型取引をする際は電話での無駄話をあえて話し込む方法を使っていた。ところが、現在ではほぼ通用しない。構想企画書やミーティングでの説明といったことも、専門性、創造性、信頼性とは無縁な環境に育った人物は聴いてもいない。そこで、「相手方がどのように受け止めるかを考慮する必要がある?」といった論理が湧いてくるのだが、これこそ専門性、創造性、信頼性を益々能力劣化させることになる。その結果現在は、新たな形骸の「思わぬ勘違いや行き違い」が続出していて、非効率不経済な事態が各所で続出している。
……ここでの「解」は、文化芸術と経済活動や豊かさの結合した水準をICT機器が媒介して解決するとしか言えないであろう。(これでは、読者の貴方にはいったい著者が何を言っているのか分からない)。ところで、そういった「解」は具体的に社会に目に見えるものとして出回らなければ理解されることはない。
(ICT機器があったからこそ、可能性がでてきたレストランや音楽芸術産業)
http://www.youtube.com/watch?v=xB5QrOfxTRQ
……そう、便利なもの&生産者本位の物が売れる時代は過ぎ去っているのだ。

2014/09/09

第149号

<コンテンツ>
・霞が関財務党主導の経済対策で、
・経済政策の、「負の巻き添え」を喰わない!
・ICT産業革命の真っただ中で、何が旧式経営だとして衰退するのか
・無料滞在研究施設=「近江経世塾」の開設案内


§霞が関財務党主導の経済対策で、
明けても暮れても退屈な話ばかりである。
それぞれの立場のある人からが、それぞれのネットワークとか組織を運営しながら、物事を進めようとする観点から経済対策を診るだけで、現在の経済政策が空理空論で見通しのないことは一目瞭然である。マスコミネタとか何処にいても万年野党タイプの人にとっては議論が花盛りである。「どう考えても不可解な経済対策だ!」と肌で感じる方が正常な感覚なのである。ただ、残念ながら正常であることをある種論理的に説明できないだけのことである。この4月以降の経済の落ち込みが数字として出てきた。マスコミは、「リーマンショック以来の落ち込み」だと報道したが、この報道すら予測済みなのである。“霞が関財務党”は、空理空論が見抜けない人たち、万年野党タイプの人、経済経営に無知な人といったところの政策誘導に重点をおいているようだ、すなわち、内閣改造といったマスコミ向け演出も含め、口先だけ美辞麗句を並べタイミング良くマスコミネタの演出をさせることである。
まして、支払い能力に疑問のあるインドへの進出、貧乏且つ政情不安なウクライナ進出では代金回収ができない。なによりも中国撤退企業に襲いかかる賠償金請求への対応こそ外務省や経済産業省の仕事であるはずだ。実に日本は、先進各国が非積極的な地域にしか海外進出できないくらいに、日本製品の需要は劣化し減少しているから仕方がない。多くの情報も、グローバルに通じない経済談義や唯一国内向けの自慢話の目白押しである。…これは現状把握として正しいが、霞が関財務党の如くに刹那的に保身目的での現状把握では経済の成長も豊かさも無縁な話になる。そういった「民間企業が開拓した後に政府が後押しする」といった官僚的政策態度だから、益々一般国民や公務員末端への刹那的感覚をむき出しにしてしまうばかりである。
第2次世界大戦前夜から終戦にいたるまで、日本の少なくない経営者は日本軍の占領・庇護のもとに、「ただ偉そうにしたいだけ」のビジネスマンをアジア各地に送り込んだ。当時の第一線ビジネスマンを何人もインタビューをしたことがあるが、ビジネスというよりも、本当に「ただ偉そうにしただけ」で商業や経営といった感覚ではなかった。またぞろ、海外に送り込むためのビジネスマンで使い勝手が良い人物は、そういった種類の人材なのだろう。「ぐちぐちと文句ばかりを言いながら組織の安定を図る」に長けていたビジネスマンには、文句さえ言わせておけば、しばらくすれば貧乏に耐えて消え去ると言うわけであろう。そういったことを念頭において経済政策を進めているのではないかとの仮説を立てたとすると、見事に次から次へと並べ建てられる不毛な経済政策における、一貫した理屈は成り立つのである。「人のうわさも75日」だから、年齢に関係なく余生を浮き草のように世論の中で漂っていれば何とかなると思っているのであろう。それを見習って個別企業でも同様に、浮き草のように漂って経営管理をすればよいか?との、悪影響を受ける人が増えているが、それでは貧乏に耐えて消え去る道しか残ってないのである。だから、現代の流浪の民なのである。


§経済政策の、「負の巻き添え」を喰わない!
では具体的にどうすれば、その話が聞きたい!その答えのいくつかは次のとおりだ。ただし、「ただ偉そうにしたいだけ」に人生の生きがいを求め、万年野党で自らの存在感を保ちたい人、すなわち浮き草のように漂って目先に生きる場合は、いずれにしても事業経営の実行力の持ち合わせがないのだから、「答え」を殆ど理解できないはずである、読者のあなたは理解できると思うけど…。
1.金銭の決済は、霞が関財務党に翻弄されるから、少しでも日本円を使わないようにして、ビジネス意識を変える。
2.いかなるビジネス手法、テクニック、思索・作戦にしても、「諸刃の刃(やいば)」にすぎないから、組織やネットワークを束ねる要素を念頭に置くこと。(例えば、「心と気持ちも込める」とか、「愛と勇敢さが生きる原動力」とか、「すべての行動は心の持ち方から起こる」といった事例である。社是社訓は創業期のものが多いから注意である)。
3.自他共に、個別企業内外での、労働力(労働ではない)の無駄遣いとか、「気晴らし」を要する作業や個人生活を徹底して減らすこと。
4.復古主義じゃあるまいし、ドラッガー経営学その他の耳ざわりは良いが根拠の薄い人生訓や哲学を他人に押し付けないこと。
5.いわゆるダンピング取引の誘惑に陥らないこと。アメリカではコンプライアンスがダンピング阻止の手段となっていること。
6.物事を白黒判断すると心理負荷は軽いが、ICT産業革命では取り残される。白黒判断を、思い余って「相手に抱きつくように意思疎通」を図ろうとするからこそ、相手から敬遠されることを自覚する必要がある。白黒判断が好きな性格人物が中道・是々非々を口にした場合は、その変化に注意すること。
………読者の中には、この1~6までの各項目とまとまりに疑問を持つ人もいることだろう。
この項目を選び、この“まとまり”をつけた基準は、霞が関財務党の餌食になっている人たちとは、霞が関財務党の理念に溺れている人や個別企業ばかりだという基準からだ。
溺れている人や個別企業は、みるみるうちに貧乏になって行く場合もある。「ただ偉そうにしたいだけ」に人生の生きがいを求める人は運が良くでも徹底して使い捨てられ挙げ句、やはり貧困としか言いようがない。万年野党で自らの存在感を保ちたい人は、霞が関財務党のおかげで発言ネタを獲得できるというチャンスを与えられるが、経済の成長や恩恵とは無縁な立場を強いられる。現代社会では物事の白黒判断をつけたい人は現実離れの危険行動(それは社会現象ともなり、ストーカー、DV、高齢男性旧恋愛観など)を生み出している。
個別企業の経営管理、それはやはり、「小さいながらも政権与党!」である。
総務人事部門のあなたには、やはり政権与党としての気構えが重要だと思う。決して貴方のそれは霞が関財務党のような税源に群がる影の存在(日本国憲法により公務員は表に出れない)といった代物ではないのだ。間の抜けた経済論議に労働力の無駄遣いをしても、ただただ時間の人生は過ぎて行く…。


§ICT産業革命の真っただ中で、何が旧式経営だとして衰退するのか
経済がグローバル展開するなかで、また、ICT産業革命と言われて久しいが、個別企業での具体的事業手法で、何がふさわしい経営管理手法として重視され、何が旧式経営として排除・衰退して行くのかは、まだまだ解明されていない。国内の地方企業であってもグローバル展開との関連がなければ衰退することは確かで、ICT機器が導入されなければ時代に遅れに話されるとか、そういったマイナス方向の議論や恫喝はやはり主流である。
日本的経営の労働生産性は世界有数の低水準であり、個人の幸福を差し出して表面安定を望む生活行動も強い。海外進出やICT機器導入といっても、結局は企業や労働者の身売りであったり、ICT機器は単なる高価格道具としか理解利用できず、経済的恩恵(経済の成長や豊かさ)を受けるまでに至っていない。OECDその他のシンクタンクが日本の内需拡大を呼びかけるのは、その経済的恩恵を国内に広げることで、初めて日本が世界の経済を牽引することが分かっているからこその理由である。今時の先進各国は、後進国が海外進出をして経済植民地を拡大させることを許さない。
そこで、ICT産業革命ともいえる経営管理の具体的事業手法を一部紹介する。
こういった手法の成否を決める学術理論は、今日までの経済・経営理論の前提には、人間が合理的理念(これは今や、道理に近似したグローバル概念と見た方が妥当)に基づき、実施段階や恩恵を受ける人たちにも合理的理念が存在することを前提とした、「単なる手続手法」との意味合いである。だが現実には、本来、世の中で正義とされて来た合理的理念ではあるが、このグローバルな商品流通は正義の成否にかかわりなく需要を満たす動きとなっている状況だ。これをいち早く指摘してICT産業革命での意識変化をとらえようとしたひとつの著作が、「これからの正義の話をしよう」(マイケル・サンデル)なのである。(注:日本と世界では正義の基準が違う)。
すなわち、内容のいかんを問わず合理的理念で物事を進めようとしても、運用や需要に合理的理念の外の手法が横行し、それが経済活動のプラス&マイナスを形づくっているということなのだ。これに我慢ならない人は(世界的にも)、昔の形式ばった社会の理想を復古したがり(とは言え:裏で不正を必要悪として取り入れるから)心情的信用を失うことになっている。どちらか言えば、日本での復古に興味を示す傾向は、単純なグローバル追随の内心での色合いが多く、実態は「日本を語るが、日本文化を知らない」といった現状、これは左右いずれかの思想傾向を自負する人におしなべてあてはまる。加えて、「単なる手続手法」ばかりを追求してしまえば、事業経営の長期的破たんを無意識のうちに招来し、経営者や管理職は招来した負のシガラミから抜け出せず、ことに日本の信用保障制度の現行(封建的経営感覚)法体系も影響して、個人生活までが破壊滅亡させられてしまう。だから、ここにいくつかの事例を示すが、実施においてきわめて慎重になる必要があり、勇み足の無責任労働者が事業の顛末を考えずに、ICTの「単なる手続手法」を起案してくれば警戒をする必要があるのだ。
(A)対消費者サイトでの文章表現では、
初回のメッセージは陳腐な表現を避けた方が反応効率が高く、また、平均的に良く似た人物であれば魅力的な人気者よりも評価や外見対する感想に多様なばらつきがある人物にメッセージがくる確率が高い。アメリカなどでは出合い系サイト事業者が、最初のメッセージで返事が来やすい表現を徹底研究している。
(B)人間関係の継続要素は、
人口統計的な特徴よりも、「振る舞い」の特徴に基づく要素が的確に予測している。また遺伝的要因が五感の組み合わせ判断(仕草物腰の身体的特徴、体臭による判断、笑顔や強調による判断その他)によって人間関係の継続に影響を与えているとの説が有力だ。
(C)一般消費者の多くが物事を言語に置き換えて概念を考える傾向が強い。
そのことから、ネットその他で使用される言語の使用頻度分析を行うことで、顧客の需要を研究している。それによって販売小売効率とか誘引人件費効率の向上が一挙に図られている。それは、ダイレクトメール総量を減らすも増収を図り、顧客再来店率を予測し、顧客の競合会社へのくら替え率をも予測し、定期購読の更新率を予測し、売り上げ確定タイミングを予測し、見込客面談率を向上させ、ヒットや流行する商品の予測を図り…という効果を挙げている。
(D)リスク回避にかかわる業種では、
保険会社が高齢保険加入者の18ヵ月以内死亡を予測、患者の早期死亡原因の薬飲み忘れをする人物を特定したり、保険対象車両の特徴をもとに人身障害保障を予測、集団健康診断から保険金や福利厚生費が高額になる病状を予測、殺人事件と被害者の特徴を分析して解決予測…といった具合である。
(E)ほかには、
大統領選挙のオバマ陣営は選挙運動の働きかけ(電話、戸別訪問、チラシ、テレビ広告)に前向きの影響を受ける有権者と、逆効果になる有権者を予測していたとか、いくつかの申請書にあるキーワードをもとに返済滞納も予測したり、受験用学習ツール企業は答を間違えそうな問題を分析しで勉強する分野を絞り込む予測をしたり、目の動きだけで嘘を82%の制度で見破るシステムを開発するとか、患者の描き起こした文章から使う代名詞の頻度と質問に対する個体の短さをもとに統合失調症の診断システムを開発したとか、好奇心、誠実さ、愛想の良さから仕事でのパフォーマンスを予想できるとか、高度なスキルや知識を訓練させる候補者はIQよりも根性を目安に判断する…といったようなものである。
確かに、こういった成功事例は、
旧来の演繹法や帰納法といった論理手法の枠をはずれ、定説の因果関係までも否定しているものが多い。
ちなみに典型的な例えは、「喫煙タバコ成分に健康被害原因があるのではなく、不健康要因を即座に回避できない習慣に、病気の原因がある」とするものだ。健康な喫煙者の存在を認識する説ではあるが旧来の因果関係説を否定しているのである。アルゴリズムとか行動経済学といった新種のツールを持ち出して、こういった事例をまたまた定式化(旧来論理手法と着想が同じ)しようと流行しているが、これもある意味で出版社あたりの一般消費者向けツールにすぎない。本が売れるとなると学者も乗る傾向にあるのだから。要するに、先ほど来使用している「合理的理念」の世界的解釈を日本人では知る人はきわめて少ないことを逆手に取った、新種ツールの紹介手法にすぎない。「合理的理念」を日本の学校では教えないから、また日本語辞典には解説すらないことから仕方がないのではあるが、「合理的理念」をある程度熟知(後で述べるが近江商人は世襲教育)していれば、アルゴリズムとか行動経済学といった代物は企業の経営管理に勉強の必要はない。(現状でICTを道具器具以上に使えない人には、上述した成功事例の理解が難しく、そのために、これまた錯誤して道具器具としてアルゴリズムとか行動経済学を使おうとしてしまうのであるが…)。
また違う角度から言えば、
いわゆるネットビジネスと言われるものの多くが、こういった事例に似通ったビジネスであるのだ。
その中で、各国の法制度やグローバルな合理性による「自由平等法体系」に挑戦・破壊を試みるビジネスは、社会制度によって一挙に弾圧されるにすぎない。この弾圧されるネットビジネスは規制改革とは無縁のものである。その無縁な有名どころが脱法ハーブであったり、ホリエモン(目立っても浮かばれることもない)式ビジネスなのである。


§無料滞在研究施設=「近江経世塾」の開設案内
「事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図ること」
のための、経済経営の学問を国民レベルで創造普及するため、2014年8月18日に施設整備を完了した。

経済という言葉は、そもそも、
「経国済民(=良い政治を行って、人々の苦しみを救うこと)」を略してできた言葉であることは、おおむね明らかになっている。ところが、世界初とされる経済学はイタリアのナポリ大学での講義とされているが、これはナポリ王国の王様のための学問であった。そして西欧東欧では現在も、もっぱら時の政府の政策を裏付けようとする傾向にあることは否めない事実である。世界各国における政府の成り立ちは当該国によってさまざまな実態を呈しているが、学問の中立性や完全自由は幻想に近く、「経国済民」といった概念とは程遠いものが主流を占めている。それは、学問・学術というものの分野に少しでも立ち入った人物であれば真理や学問の自由が何処かに浮いているものではないことを肌で感じ理解をしているものである。ことに日本国内での自由については、官僚・公務員からの国民の自由を日本国憲法で定めているのである。
この経済学が現代日本になると、
時の政府の政策を裏付ける経済学がマスコミにもてはやされているのも確かであって、たとえれば「100ある経済学説の中で3つほどのスキャンダラスな諸説」がもてはやされる現象として、現在日本では株価、ドル換算外為、経済政策説明などが氾濫しているのである。大学の経済学部を卒業した程度では、こうした氾濫する諸説を見抜けないばかりか、諸説氾濫を流行のように採り入れないと自分自身の存在が危うくなると誤算するエリートも大量に存在しているのである。経済新聞記事の記者も決して経済学を学んだ人物とは限らない。報道ではなく読み物になっている新聞記事も非常に多いのだ。本質的アプローチをすれば、「経国済民」の理念に則り、事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図る諸説は様々考えられる。ところが、下世話かつスキャンダラスな話(誰かがもうければ誰かが損をする=といった迷信など)が蔓延してしまうと、世間で流れる話そのものが学問から乖離してしまうのである。
日本の官僚たちの無頓着さに注意すること
も重要である。もとより、多くの経済活動や業務遂行手続は、合理的(=道理に近似した概念)理念を前提としている。ところがその実行過程で下世話かつスキャンダラスな話の影響を受けてしまうと、その合理性は欠落し結果は裏目に出てしまうのである。殆どの省庁では多くの官僚が日本経済新聞を無頓着に読んでいる、経済に関する読み物記事を読むばかりか読者の判断能力も訓練されていないのが実状だ。そういった実状の解明は、現代までに確立された哲学・社会学で立証もされつつある。すなわち、学問研究に対する補助金や助成金に官僚たちが無頓着にかかわることで、合理的理念の前提が事務手続き段階で崩れている現象である。とりわけ社会科学や人文科学のような数値による説明が実証されにくい分野では、スキャンダラスな現象事例でもって合理的理念が侵害されて、たとえ政府の経済政策の範囲内であっても重要な経済研究にも手が付けられていないことは少なくない。いわゆる哲学の貧困や学問の貧困が蔓延すると、今話題?の朝日新聞「原発退避報道?」とか「慰安婦時報道?」の如く、もとより合理性の薄い新聞記事だけを、ことさらに取り上げて、新聞報道を批判するばかりか、その事実関係に踏み込まない論調(刹那的・万年野党的思考)を、非学問的に話題にしようとする風潮…になるのである。
そういった世間体にはびこる論議をすればするほど、
経済は落ち込み、豊かさは失われ、事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図ることは不可能となるのである。ある程度に「経国済民」といった経済学を認識している場合には、そういった下世話・スキャンダラスな話が好きな人たちから富や財産を剥がして行き、結果に当人たちは刹那的・万年野党的思考でもって社会の主人公から納得しながら脱落させ生かせる戦略のひとつ!と見なすこともできるのである。しかし、考えなければならないのは、あまりにも多くの国民が主人公から脱落してしまう道を歩けば、生活意欲・労働意欲・幸福追求意欲が萎えてゆき、経済圏の崩壊を招くかもしれないとの懸念である。そこで筆者が考えたアイデアと実験が、「経世塾」である。
「近江経世塾」として設置整備した理由は、
筆者が近江商人の末裔であるばかりでなく、日本の歴史の中で戦乱から低成長(室町時代から明治初期に至る)の500年余にわたって産業育成と流通に携わり、経済情報収集システムを確立させていた近江商人を中心とした中世経済からヒントを得ようというものである。またそれは、現代日本にあって経済界と庶民に脈々と流れる、「生活感あふれる」合理的経済活動の「ことわざやシステム」でもある。ちなみに、先ほど述べた下世話・スキャンダラスな話に翻弄されない教養・能力育成も存在するのである。さて、こういった合理的経済活動が国民に浸透しないことで、素人がゆえに何度も何度も騙され失敗するところの原因は、学問的に議論が確立されず引いては教育や訓練も施されないところにあると、筆者は見たのである。いわゆる近江や近江商人の地域や家庭では、これが幼少の頃から後継者試験に合格するに至るまでの「口伝え」による啓発に任されて来た、そこに弱さがあったのである。
そしてこの際、るる前述したように「合理的理念の前提が事務手続き段階で崩れる」ことなく、ICT活用による解釈学的哲学も大幅導入して、現代に「事業経営や地域活性化あるいは救民による経済の成長や豊かさを図ること」ができるように、原則として無料滞在研究施設を設置したものである。施設構造自体も、経済活動と生活行為が分離していない時代の木造建築物に電化など新エネルギーを調和させようとする試みの建物(昭和2年建造)でもあり、ひとつの復古生活趣味とは異なる実験場ともいえるのである。その概要は以下の通り

<無料滞在研究施設の概要>
〔所在地〕〒522-0083 滋賀県彦根市河原3丁目
江戸初期に伊井家が彦根に城下町(国際都市)を築いた時期に産業開発され、現在は繁華街地域の北側に所在しています。元来の近江商人(農・商・武が一体)の各地を結ぶ通い拠点に位置します。
JR彦根駅から徒歩15分、新幹線JR米原駅からタクシー20分。湖東地域各所に通じる近江鉄道の芹川駅まで徒歩10分。
〔施設名称〕「近江経世塾」~研究道場~
中世以後の近江商業と国内外の経済ネット(商品経済網と商業方式)
〔使用できる研究対象〕
近江商人の商業と周囲の環境全般に資するものであれば、現在の学術分野学科を問わない全般科学研究(科学範囲とは、合理一貫性と事実一性を踏まえ、“誰でも何時でも実証”に資する内容としています)。
施設の運営につきましては、近江商人の慣わしにより、行政機関の補助金・助成金等はいただきません。行政機関としての運営参加は遠慮いただきます。
〔無料滞在の申し込み方法〕
宛先:村岡利幸(大阪市中央区糸屋町)
研究内容と大まかな滞在期間などをメールしてください。メール到着後、こちらから連絡をさしあげます。メールアドレス:mail@soumubu.jp
〔施設概要〕
宿泊滞在可能人数20名(次の(1)~(3)等の合部屋での宿泊滞在)
(1)日本間14畳(2階の書院造、3方向廊下付、ふすま区分可)
(2)日本間10畳(縁側4畳分はフローリング:浄土式枯山水庭園併設)
(3)西洋間:ケヤキフローリング8畳弱相当(浄土式枯山水庭園併設)
(4)書庫資料室:1階:書庫資料室6畳相当、2階に資料倉庫
(5)重要資料の耐火書庫を設備、机、ソファーや椅子その他施設維持家具
(6)厨房6畳相当、厨房には食器・什器備品も完備
(7)浴室、トイレ2箇所、駐車場(大型車1台分)ほか駐輪可能

2014/08/05

第148号

「すぐに始められる個別企業の立て直しのアイディア」
といった形式で、今回はインテリジェンスを提供する。

・すぐに始められるとなれば、事業には制限がある。
・日本経済、現場は極めて深刻である。
・政府が失敗を認めた「骨太方針」
・具体的な、個別企業の立て直しアイディア
 1.最も簡単で効率的な個別企業立て直しは、内需である。
 2.客の具体的要望を知れば、売り上げが上がる。
 3.老人介護と保育を見直せば、資産と資金が内需に回る。

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§すぐに始められるとなれば、事業には制限がある。
日本には海洋資源とか山林資源があっても開発を抑圧されている。もちろん金融資産もなく、経済学の信用論から分析すれば紙切れしかもっていない。よって、すぐに始められることは、日本人の創意工夫による労働&正当価格評価経済システムを作り上げることからの商品開発&流通システムでしかない。もちろん、目先の小さな利益のためにアイディアをつぶす輩もウジ虫のように経済社会には湧いてくる。この、「ウジ虫退治」を官僚に委ねると事業効率が悪くなるから、アイディアをつぶされないシステムも流通に含まなければならない。
すなわち、新技術は旧来技能者の失業を招き、専門技能者を常用化すれば初歩基本的技能を秘密にする性癖は、世界の先進商品開発国でも共通するからこそ、「ウジ虫退治」を官僚に任せるわけにはいかないのである。商品開発の通貨投資効率が高い北欧・西欧・南欧では、それぞれ特徴を持った「ウジ虫退治」の社会システムが組まれているのである。アメリカでは、草の根民主主義(運動)、お茶会(ティーパーティー)とかは、いわゆる「地の塩」(社会の腐敗を防ぐ教理)は名誉とされ、富を持つ者が非公式労働により社会の貧富を縮小させることは務めとされ、通貨で済ませる(寄付・献金を)することは「卑怯だけれども仕方がない」といった概念なのである。個別企業の立て直しを見据えたときに、経済社会におけるウジ虫の存在に配慮しない構成を着想することは愚か者でしかなく、家庭や社会を築けない者としての思考が底流にあるのだ。
今の日本における特徴だが、
「政治が変われば経済や生活も変わる」…と政治団体や(政治にかかわりたい)宗教団体は力説(して幹部が保身を)するが、そのスローガンは、富の再分配が課題であった昔に通用したもので、今の世界経済状況にあっては、嘘!そのものである。


§日本経済、現場は極めて深刻である。
輸出も内需も低下する一方である。かろうじて海外金融投資による利潤が伸びているだけにすぎない。海外進出と称する投資は赤字には計上されないから陰に隠れているものの、海外現地で製造した日本商品の売れ行きも暗雲がたちこめている。すなわち、旧態依然とした日本商品を、いくら焼きなおしてみても、国内外市場に持ち込んでも、売れていないのである。現地(国内外市場)からあがってくる報告は、殆どが「売れない理由」ばかりである。それを受け止める経営幹部は、事実上サラリーマン社長になっている。中小中間企業の経営者も、借入金や投資損を抱えて、事実上サラリーマン社長になっているケースもみられる。「売れない理由」に惑わされて、外交政策ごときで日本商品進出を諮ったところで、日本人出稼ぎや日本企業身売りになってしまうのがオチである。


§政府が失敗を認めた「骨太方針」
政府は、「骨太方針と日本最高戦略」改訂2014が閣議決定されたと話す。要するに、骨太方針は失敗したから改訂すると言っているにすぎない。ところが、政府が経団連で説明した主な内容を見てみると、上滑りする政策であることは経営者なら誰でもわかるものであった。要するに、官僚の保身に満ちた着想では、「経営の盛り上がり」は生まれないのである。まして、官僚によって労働者派遣法改正法案が骨抜きにされたから、政府も国会での改正案を廃案にしているのが事実である。与野党・財界労働界の発言をつまみ食いしただけの政策づくりは、官僚の手続き主義に名を借りた骨抜き法案と変質していることすら、誰もが指摘できないでいる。さらに大手マスコミ報道は、この手続き主義に名を借りた骨抜き手法に乗せられてしまって、報道の意味をなさないばかりか官僚たちの思うツボとなっている。


§具体的な、個別企業の立て直しアイディア
1.最も簡単で効率的な個別企業立て直しは、内需である。
国内の都市や地方を問わず、遊休資産の活用(リニューアル・リフォーム)は、実体経済を回復させる。すべてを通貨に頼らなくとも「粗利益」を挙げることができる。個別企業がこの遊休資産と直結することである。
寂れた街にはスーパーや生協を誘致すれば、直ちに旧市街地は活性化を生み、老人の街も解消される。食住が旧市街地では満たされないから軽4輪車社会(車社会ではない)となっている。職業は自転車や電気軌道で通勤は確保され・企業も交通費予算が削減できる。道路の通行量は減れば補修予算も減り、流通時間総量も減らすことができる。
すなわち、「予算もなく売れもしない投資」事業を当てにするのではなく、遊休資産の活用(リニューアル・リフォーム)に向けての事業展開に的を絞ることである。
こういった遊休資産活用に公共事業が関与することは内需拡大効率が高い。ところが、口を開けば「予算がない。財政赤字」と思い込んでいる地方自治体や職員ではあるが、遊休資産の活用の基礎・基調のプロジェクトその他の予算は、地方債(相続税非課税・利息通年支払い)を発行すれば、最初の第一歩も手をつけることができる。地方には、その目的に期待して地方債を購入する金銭資産が残っている。ただそれ以前に、既に役目を果たしたはずの事業に執着している企業などへの助成金を支給することが経済対策と思っている地方公共団体も少なくないのだが。

2.客の具体的要望を知れば、売り上げが上がる。
ひとことで言えば、客先の要望を理解するといった労働が、個別企業に組織されていないから立て直しができない。客先最前での労働を単純簡素化すれば人件費をカットして利益が上がると考えたのかもしれないが、そんな素人話は経済経営学において存在したことも無い。客先の要望を聞いて、それが量産できれば事業拡大につながることは確かである。ところが、発展途上国の如く「何もない」から「何でも良い」といった市場にあってのみ、そんな事業拡大でも通用する話なのである。「客先の要望を知る」ことを事業化するには、固有価値商品の売れる3要素(意欲・感動・希望)を分析できるシステムを個別企業に抱えなければならないのだ。このシステムがないから、労働者は昔の市場の幻想を持ったまま働くし、管理職は固執した考えを部下に押しつけるし、先輩は後輩を子分にしたがり、個別企業をそのものの「意欲・感動・希望」が剥がされてしまっていると見た方が妥当だ。
http://netclerk.net/WebShomotsu/archives/142
だから、労働者は働く訳がないし、希望がなければ言われたこともやる気がないし、口先だけで自己防衛もするようになる。これは別に日本の特徴や貴個別企業の特徴でもなければなんでもなく、何千年も昔の書物にも書いてあることにすぎない。賃金体系を変えて金銭で人間の意欲をつり上げようとすると、不良商品や集金不能商品の続出につながる。評価システムを変えれば、客先の要望を知ることよりも、その評価の点数が高くなるような立居振舞い上手の労働者が残るだけである。これが非正規労働者にまで広がれば、無駄な労働への賃金支払額が加速するだけで、いわゆる、「客が買いたくない商品の山」の生産に、人件費を毎日投入していることになっているのだ。
ある外食チェーンは、店員の化粧を自由にしたところ人手不足を解消し、売り上げも伸びた。一歩進んで服装まで自由にした某販売チェーンもある。それは、販売員の自由さや労働意欲を重視したことによって、客先との「意欲・感動・希望」に関する「心や気持ちの入ったコミュニケーション」が成り立つことによって、客先の要望を理解するといったことなのである。固有価値商品の売れる3要素(意欲・感動・希望)が理論化されたことを除いては、経営学では30年以上も前からの常識(みんながやっていた考え方)であった。ところが日本では、個別企業の安楽死を行政が推し進めたものだから、常識(みんながやっていた考え方)を無視して、企業の安楽死が今も流行している。
客や受注があってはじめて、事業は成り立つ経営にも関わらず、理屈で飾りたてた手続を客に強いるとか、労働意欲を無くす社内システムを客に押しつけるとか、これにより次々と客離れを起こしていることにすら気づいていない個別企業は多い。ことに大学受験型思考では、相手(お客)の意見を聞く能力が否定され且つ物事を記号のように分類判断する訓練しか受けていないから、客先との「意欲・感動・希望」に関する「心や気持ちの入ったコミュニケーション」が成り立たないのである。これを「記号主義哲学」というが、管理職がそうだとすれば、企業内には記号主義的哲学に従う労働者しか残りはしない。相手(お客)の意見を聞く能力こそが重要であるとする「解釈主義哲学」の持ち主は、年齢を問わず管理職よりも有能さを発揮し、経営者とのノリも良いのだが、その有能(変人)さから妬みを招くので組織から排除されるのが常識(みんながやっていた考え方)である。だが、「解釈主義哲学」の持ち主は常識(みんながやっていた考え方)とは異なるが、近似の経済動向や経営手法、そして法規制から正当に身をかわす上で欠かせない、客観的合理的思考も「解釈の一部分」として認識しているので、事業規模が拡大したところで行政規制や刑事処分の招来を防ぐこともできるのである、早い話要領はよい。
今の日本の社会経済状況からすれば、安易な労働者の「社員化」を進めれば「記号主義哲学」の集団を作ってしまう。労働者の常用雇用化と「社員化」とは全く別の話である。先ほど述べた「解釈主義哲学」の持ち主が組織から排除されないための、解釈主義哲学者の雇用安定策を個別企業が取れるかどうかがカギである。すなわち、大手・中堅・中小企業を問わず、この一見変人と思えるような「解釈主義哲学」者の活躍の場を作るかどうかがカギであり、戦後一貫して日本の経済成長を支えて来た歴史は、「解釈主義哲学」者を個別企業が確保する率に左右されていたと言える。
ここで説明したアイディアは個別企業立て直しをしようと思うなら、するか否かの選択であり、それは経営の初歩的素質でもある。

3.老人介護と保育を見直せば、資産と資金が内需に回る。
特に60歳以上の女性労働を老人介護と保育に投入する。その手法は、町内密着&パートタイムによる労働方式である。フルタイム労働にしようとするから施設・集中設備に資金が回され、さらに人手不足が起こり悪循環を生じるのである。ことに老人介護は未然措置や予防をするには個々在宅の短時間労働による介護である。介護労働者の都合で仕事を分散させれば未然措置や介護予防ができない。早朝とか夕方の一時期に大量の人手を要するのである。介護や孫の育児時間を住民税や所得税の非課税扱い(課税控除申告制度)とすることで、非公式労働の非効率や人間関係毀損原因からの解放第一歩となる。
家族や近所の人の介護労働を集中させることで経済効率が非常に高くなる。そのためのICT技術である。老人介護と保育を旧市街地の空き家で行えば、若者も戻ってくるし子どもも増える。あくまで家族の希望により「同居家族の介護」への「内容×時間給賃金」の支払いを制度化(今のフィンランド)すれば、益々費用は削減される。賃金を払うのだから教育と訓練を同居介護労働にも厳格に適応させる。在宅介護を痴呆症未然段階からのシェアハウス(趣味を中心)に設ければ即効性は都市部から発生してくる。この場合の同居家族とは、諸外国のように血統ではなく、「3年以上の同居履歴」と考えれば社会問題も沈静化することができる。地方自治体の予算も、町内会や自治会を経由しての地方債(相続税非課税・利息通年支払い)でもって確保することができる。
すなわち、両親介護や保育育児への時間と金銭出費を抑制することで、新商品開発は衣食住部門での資金と購買力を得ることになるのである。これは、地方公共団体の条例が制定されるのを待つまでもなく、地元密着の中小零細企業ならでは事業化を直ちに進めることができる。ここで開発された衣食住関連新商品は、その殆どが固有価値商品として通用するものだから、この商品を海外へ向けてのマーケティングと市場化を進めることで、イタリア・フランスや北欧のようなブランドにもなる。地元密着していない地元ブランドは存在せず、昔を懐かしむ回帰商品では市場化も伝統化もできない。
地方公共団体の福祉部門が、町内の老人たちに行政の仕事を押しつけて、福祉事業をやったことにしているのが現状である。成果は上がっていないばかりか、住民からは敬遠されているのが実態だ。そもそも日本で福祉事業とは、民間が行い始めたものであり、地方公共団体よりも古い歴史をもっている。ここに個別企業立て直しの具体的仕事が盛りだくさん存在するのである。

2014/07/08

第147号

<いくつかのインテリジェンスの視点>
(取材不足なのでラフの内容です、悪しからず。)
(1)NYダウ平均が7月3日、ダウ17,000ドルの最高値を付けた。同時に金地金取引も価格が上昇している。これは世界的に、産業一般への投資が滞って、いわゆる「カネ余り」状況にあることを物語っている。経済に関する世界情勢を見れば、世界各地で紛争めいた動きが続出し、経済・産業構造の変化の起こっていることがうかがえる。その証として、投機筋に流れた資金の動き=「カネ余り」が現われているものだ。決して景気が良くなった訳ではない。
世界の経済情勢を重要度合を無視して身近なところから説明すれば、日中経済の停滞、中東での米英仏の経済権益異変、ウクライナでのロシアとEUの関係異変、中国経済の頭打ちなど、そのすべてが絡んでいる。世界動向を無視して海外進出を目論むのは、個別企業としては無意味だ。今や日本の経済力や軍事力などをカウントする国などあり得ない。

(2)政府の経済政策(巷ではアべノミクス第3の矢)の空振りがはっきりして来た。空振りの上に消費税8%増は、日本経済好転に欠かせない内需を一気に後退させてしまった。貿易収支は連続赤字、内需低迷、経済成長率は実質も名目も1%以下の期待外れである。あえてマスコミは経済報道を避けているようだ。
ここには、誰しもが見誤った判断があった。それは、日本経済のメジャー若しくはメジャーに関係する人材の劣悪さの誤算といわれる。すなわち、日本政府の官僚は今や二流ばかり、大手企業のサラリーマン経営者は仕事ができない(金融・資金ぐりには強い)者が台頭しているからだ。もう少し、「笛を吹けばおどる!」とでも、実にアべノミクス関係者は錯覚をしていたきらいがある。何もこれは、「現代の潮流」などというマスコミ流の無頓着な論説に原因があるのではない。実業に携わっていた者なら錯覚などするわけがない、要するに、「実業のモーメント」を見たこともないのである。
官僚機構においては「仕事よりも出世」のためなら何でもする人物を登用してきたからの結果である。大手企業の場合でも、実業の立役者をバブルの時期以降に子会社への出向やリストラを進めたために、実業のプロデューサーやディレクターが社内や関係者にいなくなっているからだ。もとよりプロデュースといったものは創業や新商品開発とは異なるものであり、プロデュースがなければ新産業や新商品が育成することはあり得ないのである。中国の兵法書に「呉子」がある。そこには、「気・地・事・機」と記された組織運営の基本がある。気とは気力のこと、地とは現在いう条件、事とは作戦を指し、機とは物量モーメントのことである。「呉子」の兵法の特徴は組織がための方法を説いている。欧米・中東では、「心を尽くし、精神(気持ち)を尽くし、思い(思索)を尽くし、力(物理力)を尽くし」といった、物事を行う際の心構えが宗教教育として幼少の頃から教えられている。現代日本の特徴は、これらの気力・心・気持ち等について、あまりにも無頓着であり、勢い拝金主義の論理を行政も民間も学者もが、ぶちまけてしまうところにある。
ベンチャー資金さえ投入すれば、新事業が成功するとの愚かな考え方を力説する人たち(官僚やマスコミの素人その他)もいるが、ベンチャーとは「経済興隆(こうりゅう)」という日本語にある概念で、戦前・終戦直後でも法律条文にも現われ、「経済興隆」(ベンチャー)によって日本経済は、終戦直後の傾斜生産然り、安保体制での高度経済成長然り、東西冷戦後のハイテク産業然り、といった経済変遷を続けて来たのである。
殆どの有能な人材が、今現在は「下野(げや)」しているのが現状だと思われる。現代にいう下野とは、イニシアティブのある有能人材が排除され一般人の中に仮に埋もれる状況を指す。さらに、有能な人材の弟子も、社会で芽が出る前に「下野」しているのが実状であろう。先ほど述べたプロデューサーとは、有能な人物を組織して経済実態あるもの(経済ステージ)に創り上げる人材であるが、このプロデューサー自体も「下野」してしまっているのである。何十年たっても巷のニュースには、(バブルから)類似の創業や新商品開発ばかりの、繰り返しの様相である。経済の視点から長いスパンで取材できないマスコミの経済記者からすれば、それが次々と目新しいものに映るのであろう。それが新聞記事となり、二流官僚たちは新聞を読み、世間を知ったフリをするのである。

(3)話は飛躍するが、消費者一般のゆとり(豊かさでも経済成長でもない)とは、おおむね現金決済によってもたらされる。何に使っても誰にも分からないといった現金決済にこそ、「ゆとり」といった主観が生まれるのである。世界各国の経済は現金決済縮小の方向に向かっている。すべてが記録に残り、プライベートのない電子マネーだとすれば、隷属的消費者だとしても画一さに対する不満は解消しない。日本でのマイナンバー制も財務省の仕組んだ統制経済の一環であることは間違いない。私の試算(他に誰も計算しない不可思議)では、年間約6兆円の所得税・法人税の増収である。ただし統制経済が進んだところで、電子決済による投機マネーがなくなるわけではない。もうひとつは紙幣が誕生する前の主流であった金地金取引もなくなるわけではない。皮肉な話、消費者金融から現金が受け取れなくなった場合、消費者の多くは、何をもって「ゆとり?」を実感するのであろうか。
そもそも、商品というものには固有価値が存在するから、大ヒットし永続商品群と成り得るのである。経済豊かさとは、こういった「ゆとり」が充実し社会制度が自由を縛らない実態に存在し得るのである。仮に、経済成長一辺倒の経済政策だとしても、息抜きや不満解消には「ゆとり」が必要であり、ある意味経済の成長力となる場合がある、それは高度経済成長と言われた「社会主義計画経済」時代においてでも、である。

2014/06/10

第146号

<コンテンツ>
・労働市場が構造規模から再編される変化
・終戦直後に組み替えられた労働市場
・学者とか官僚、それぞれの狭い世界では理解できない現場
・経済学、中でも労働経済学の分野での労働の対価とは

【特別分析】通貨に交換されない労働市場の在り方と行方
 ・通貨に交換されない労働の分野とは
 ・通貨に交換されない労働の分野での特徴的なことは
 ・個人消費に直接提供される労働での注意点は、
 ・まして、マイナンバー制によって女性や高校生は、
 ・女性の社会進出化を促進、とりわけ高年齢老齢女性の労働対策を、
 ・こういった従来の労働が、労働集約型ビジネスに転換するチャンスが、

【特集】労働関係法律改正=個別企業での具体的な、9つの現象


§労働市場が構造規模から再編される変化
労働市場とは労働の配置と指揮による価値を生み出すインフラのことである。
歴史的には奴隷市場とか農業市場に代わるものとして、商品経済に於いて労働も商品として扱うことにより「発明」されたインフラ制度である。すなわち、通貨価値を生み出す主要な経済制度システムとして、現代社会経済には不可欠なものである。それによる経済成長と豊かさの享受は人類にとってかけがえないものとなっている。
世界経済の激変は、日本経済の成長をにぶらせ、経済や社会の豊かさを転落に向かわせている。このままでは、日本自体が世界から忘れ去られるのは、誰の目からも明らかな事態である。その日本に足場を置く個別企業も同様である。だが、その危機感を感じて海外進出したところで、資本力や人海戦術力において、日本の個別企業は比べものにならないこと貧弱なのだ。
ここにきて厚生労働省の官僚たちは、日本的労働市場の形成に躍起になっているようだ。
(参照:労働関係法律改正での個別企業での具体的な、9つの現象)


§終戦直後に組み替えられた労働市場
日本の経済成長は、米ソ対立の中での日本向けの巨額資本投下によりなされたとされている。だがそこには、労働市場の組み替えが存在したことを忘れてはならない。極東アジアにおいては、韓国、フィリピン、台湾にも直接間接的にアメリカからの巨額資本投下がなされているが、その結果の経済成長や経済豊かさは、日本に比べ貧弱軽薄であることは否めない。すなわち、日本には、労働の配置と指揮による価値を生み出すインフラ=適切な労働市場が成立したのである。この終戦後から高度成長までの労働市場形成には、アメリカの政府・民間資本の直接介入が数多くあった。それが、日本の労使関係・経済技術発展の基盤とされる労働市場、=終身雇用+年功序列型賃金+企業内労働組合といった図式なのだ。ただし、この労働市場はあくまでも理想であり夢にとどまり、大手企業の末端現場とか中小企業にまで普及したわけではない。
年功序列型の社員&賃金体系は、GHQと戦った末の「電産型賃金」が金融機関に波及し、一般企業に普及していって労働市場の受け皿制度を形成したのである。労働組合法は憲法改正に先駆けて占領の下で施行されたが、労働基準法は占領下にあっても日本独自の法律として労働経済の下支えをしている。
戦前の一部大手企業に存在した厚生年金は、日本の主要な労働者の退職金を国家として保障する制度である。ただし、米ソ対立の世界状況のなかで、採算を考えずに無理矢理創設したもの、昭和55年には厚生白書で年金の繰り延べ支給や支給率30%が提言されている代物なのである。同じく当時の必要性から健康保険も終身雇用の一環として形成された国家政策である。国民皆年金の制度も、当時の米ソ対立の世界経済状況を維持するための採算を度外視した社会制度そのものである。国民健康保険は戦前の富国強兵の兵力と労働力確保のための保険制度であったところ、ここでも米ソ対立の必要性から国民生活の引き上げを、保険料と保険給付の採算に関係なく実施している制度である。これらが日本の労働市場を支え、国民一般の人たちの就職概念とか幸福概念を形成しているのである。
さて、今ここで、こうした労働市場にまつわる制度一体が、終戦直後以来、抜本的に組み替えられようとしているのである。
こういった日本的労務管理と言われるものは、「日本的」と称される事で保守系や民族主義思考の人たちに歓迎されているが、ただし、それは全くの誤認であって、ジャパンな精神論一辺倒の非科学的人物の、「安住の地」として提供されているにすぎないのだ。もちろん、戦前の労働市場(とりわけ5年間の奉公人的労働契約)及び、それを悪用した悲惨な実態は当時の警察が取り締まる領域をはるかに超えていたから、そういった社会経済の一端を担った家族制度に“逆戻りしたい”とは、内心を突き詰めれば誰しもが望んではいない実態なのである。かといって、現状打破や改革系と称する人たちであっても、戦後新たに形成された労働市場の概念に思考が制約されたままの、「革新的理念?」でしかあり得ないのだ。事実、年金制度や社会保障あるいは福祉といった分野には、当時の「革新系」と言われる人たちの構想が主流を占めているのは否めない。
ところで、筆者の理論からすれば、
あくまでも人間の労働や経済の原動力は、「個々の夢や希望を、伝統(良いものだから)と習慣を駆使するエネルギー」にのみ、成功裏に存在するのである。個人的見解からすれば、この原動力が日本においては他の先進諸国と比べて希薄がゆえに、制度が官僚的硬直化を起こすと考えられる。結果、個人の原動力を活発化させる社会制度も弱いがゆえに、成長の原動力は劣化せざるを得ないといった労働市場なのだ。


§学者とか官僚、それぞれの狭い世界では理解できない現場
ところで、筆者の情報収集や論理の組み立てが、なぜ世間一般と異なり、なぜ本質を押さえるからこそ経営管理に有効なのか。
(注:ジャーナリストの文献、その人の思考パターンや立場を知った上で読む必要がある)。
それは幸いにも筆者の親戚筋には年功型賃金の基となった「電産型賃金」を作った旧:日本発送電と各配電会社(今の電力会社)人事部賃金担当記者(伯父)が存在し、書籍文献には現われていない賃金制度実施の要諦を聞きおよんでいるからであった。それは例えば、「電産型賃金」の実施目的とは、電力供給を水力発電から火力発電に転換させるために優秀な労働者を全国的に確保するための賃金制度であった。加えて、この賃金体系導入をめぐって、当時は日本経済を後退させようとしたGHQ占領政策と対峙したことから、労使協調してGHQに対する電力停止ストライキを繰り返したのである。現在もそうであるが、電力ストライキで電気を止める場合、給電指令所の指図のもとに工場間や細かい地域ごとに電力スイッチを「遮断&通電」の作業を行わなければ、給電設備がどこでどのように破損するか分からない実務なのである。社長以下経営幹部が管理職に命じて具体的に停電指令を出していたのである。これが学者とか官僚などには認識できない歴史における真実なのである。
また加えて筆者は、少なからずの末端現場での現象を把握する手法としての、「どこでも誰にでもインタビュー」する個性(職業能力)を親戚と地元(近江商業)で培われていることである。とにかく筆者は世間一般のいう立場をいったん横に置いて、どこでも誰でもインタビューするのである。先月の総務部メルマガで労働者派遣法(事業法ではない)の本質を書いたが、そういったインタビューからのインテリジェンスである。それは形を変えて言えば、サラリーマン一般や労働者一般が、苦労と感じる物事を苦労と感じないように育てられているからにすぎない。それは困難な事態を回避する術・並びに「物事積上思考ではなく先見把握思考」の術といったもので、幼少の頃から徹底しての教育を受けていたからである。現在筆者が日本の財政学の重鎮その他に師事して、次々と経済学や社会文化学における諸説を発表できることも、それが個別企業の経営に直接効果的利益をもたらすことが出来ている由縁は、ここに存在するのである。
とかく、「物事積み上げ思考」に馴らされていると、「個々の夢や希望を、伝統と習慣を駆使して実現」することなく、「波風を立てないトレンド」の陰で自他共に苦労を黙認せざるを得ない我慢強さの選択肢を、学者や官僚たちは経営方針や管理とか政策に持ち込んでしまうのである。もちろん本人の性格もそのように順応していくのである。それは一般社会でも同じだが、個人が官僚的組織の中でいくら努力をしたとしても、こういった本質が掴めないうちは、
1.あなたに権力があるうちは周囲は静かだが政策は空回りとなり、
2.あなたの権力が揺らげば収拾がつかず、あなたは政策を引っ込めなくてはならない
といった具合なのだ。社会(共同体)でも個別企業の経営組織でも、根っからの無政府主義者(秩序崩壊にのみ喜びを感じる)を抱え込んでいることはまれであるから…。そういう無政府主義たちの妨害にあって政策が進まないのではない。
ちなみに、現在の官僚たちの世論誘導トレンドは、
数個の選択肢を提起することで責任回避する方式である。こういった二元論的的思考は、受験勉強に染められた人たちの思考にとっては極めて馴染みが良く、ゲーム感覚で議論に花が咲いて、今日も仕事をした!と錯覚するのである。それを官僚たちは利用しているのかもしれないし、ここしばらくは一流エリートが民間企業に流れ込んでいるから、受験勉強タイプの官僚みずからもゲーム感覚に花を咲かせて仕事をした気分になっているのかもしれない。国の補助金などが欲しくてたまらない大学教員や学者たちは、こういった官僚の喜ぶ手法と学説が不可欠であることを良く知っているから、学問自体が官僚にコントロールされた内容に傾かざるを得ないのである。良く似たことは芸術の世界でも存在しており、「美しければとにかく良い」式の芸術論を語る有名人、その人の背景を見れば、その多くは無能芸術家の類であり且つ資金の出所は特定されているのである。


§経済学、中でも労働経済学の分野での労働の対価とは
対価を報酬として支払うにあたって近年指摘されている学説とは、
1.労働価値の中で、唯一、労働力として時間単位計算が可能なものだけが対価の支払をされていること。
2.規模の大小は問わず、メジャーとされなかった労働と対価支払システムにあっては、法則性も公正性も度外視された報酬取引が行われたこと。
の2つである。これらの意味する所は、
メジャーな労働集団(企業の業務遂行集団)を形成した場合には、例えば企業組織内部におけるそれぞれの利益集団、企業内労働組合とか親睦会などの企業内利益集団といった形態はとるのだが、時間単位計算の労働力以外の部分は、法則的な対価支払の対象にはならず、交際費勘定とか、カラ出張から残業とか、福利厚生といった別建ての報酬として、いわゆる「景気の良い時だけの潤い分配」として支給をされてきたのである。メジャーに組み込まれなかった労働にあっては、ジェンダー、人種、民族(ロマ、部落、朝鮮など)その他での、ありとあらゆる区別・差別や身分が持ち込まれることによって、ダンピングが行われているとされる学説なのである。期間契約や有期雇用といった形式も利用されるとしている。
労働経済学や労働・労務問題に携わる者は、
マルクスの「搾取・収奪」理論を知ることが初歩的条件であるが、この「搾取・収奪」のマルクス学説は、先に述べた対価の支払が、「景気の良い時だけの潤い分配」との宮廷制度とか家父長制度など、法則性も公正性も度外視された日本独自の奉公人制度とか、あるいは著作:資本論のずさんな解釈による憶測その他が入り交じって、学問的にも先に述べた2項目が混同重複した論理展開となっていることがうかがえる。あげく感情論や宗教的推論に至るケースが多いのであるが、その原因は現場の現実を十分に観察・洞察しないことと、あえて改善改革の具体策を学説提起しない姿勢によるのだ。そして、厚生労働省の官僚たちも、労働経済の古典的概念として、こういった「マルクス学説?」を念頭に置いていることは確かである。その理由と言えば、これに代わる有力な学説が未だ存在せず、あのケインズ理論にしても「雇用」のテーマを最優先にしているといったトレントだからである。
なぜ今ごろ、こういった学説の萌芽が生まれて来るかと言えば、
2度の世界大戦を経たとしても労働市場と労働集団の形成が理想とされて来たことに対して、現代においては矛盾や不都合が構造的となったからこそ、学問的に指摘され始めたと診ることが妥当である。「全体を大ざっぱな基本的考え方で集団をまとめあげることができず、ICTの深化によって産業革命が進行している真っただ中である」ところに、理由があると言える。まさにルネッサンス期にヨーロッパがイスラム圏や中国圏を構造的に社会経済で追い越した瞬間、そこでは旧来からあった印刷技術を紙媒体で拡張させる具体的行為が存在した。さらに、17世紀から世界各地で商品経済が主流になるための市民革命が起こり王制の社会経済を追い越した時機、そこでは貨幣が通貨の形をとるといった使用目的変化の具体的行為が存在した。さまざまな詳細研究が待たれるのも、現在はこれらと似通った側面をもつのである。


§通貨に交換されない労働市場の在り方と行方
経済学にあっては、通貨に交換されない労働市場の研究は、長きにわたって行われてこなかった。
結論から言えば、経済学と言うのは所詮、様々な経済実験を繰り返した末の成功事例を法則的に整理しその裏付けを立証した学問がトレンドなだけ、だからである。ナポリ大学での講義が世界初の経済学ではあるが、当時は通貨の概念がなかったことから、アカデミックになればなるほど通貨とかICTが大学内で議論されない傾向も残っているのだ。その通貨に交換されない労働は、通貨という測定基準がない労働であり、専念した時間として数えられない労働であり、労働需給市場に参入しない非公式労働である。だから、ただ単に研究者の法則性や証明手法が困難であったからこそ、研究の取り扱いが遅れていたからにすぎない。だがそれは近年見直されており、そこではきわめて個人が豊かさとか富を実感する生活などの部分に個々密着している労働なのである。とにかく従前は、純粋労働力ではないから労働として把握できない(確かにその通り困難さを伴う)として、学問から排除して来た労働なのである。経済政策や財政学からすれば、掌握する範疇に存在していない労働であるから、政策実施にかかわる理論から排除して来た。

通貨に交換されない労働の分野とは
家事一般労働、家庭育児労働、高齢者介護労働、障害者介護労働、個人感情充足労働といったものである。確かに経済の成長は、こういった分野の労働にも踏み込んで商品を生産して来たことは事実である。それも、「生活が豊かになりたい」とする夢や希望を少しだけ叶える商品としてなのである。洗濯作業から解放する洗濯機、飲食加工作業を軽減する炊飯器・電子レンジ・ガス機器、暖房作業を軽減する暖房設備機器、買物や流通に画期的変化をもたらした冷蔵庫や冷凍冷蔵技術その他である。こういった什器備品商品が、通貨に交換されない労働の分野に入り込んで、経済のサービス化が進んで来たのである。すなわち、単なる機能商品を提供するのではなくサービス化商品を提供したからこそ、什器備品商品が売れたのである。さらに都市化が進めば、コンビニエンス・ストアは、街中の冷蔵・冷蔵庫の役割を果たし、都市中心部に移住する高齢単身者の住宅事情と相まって、家事一般や高齢者介護の分野に広まってきている。

通貨に交換されない労働の分野での特徴的なことは
もっとも注意しなければならない要点は、この商品化されたサービスとか物資だけでは豊かさや富を実感する生活は実現しないポイントにある。先ほどあげた通貨に交換されない労働との組み合わせがなければ、有効な消費がなされないのである。そこには、通貨に交換されない労働こそが、世界的に見て女性が非公式労働者として役割を果たしていることである。世界的に見ても、いわゆるキャリアウーマンはこれらの労働に携わっていない。むしろ、キャリアウーマンの母親や親戚とか近所の女性が非公式な報酬を得ることで、キャリアウーマンを支えているのである。経済のサービス産業化の中には、こういった非公式労働から公式労働が関与する商品化が含まれているのである。
加えて、こういった通貨に交換されない労働市場にあっては、その労働の取引関係に、前近代的結婚制度や家族制度、唯物欲求幸福感制度といった慣習による抑圧的人間関係が介在している。むしろ、抑圧的人間関係のもとに非公式労働が存在する、すなわち非正規非公式な労働の取引を強いられる立場にあるからこそ、世間体若しくは家庭内の抑圧のもとで労働が行われる実態にある。ここに紹介するイギリスの事例では、非正規非公式な労働は低収入家庭の主婦に集中しており、高収入家庭の夫婦の如く家事分担すら行われていないとされる、注目すべき研究である。低収入家庭の主婦こそが、女性地位向上の意識は低く、パートなどの非正規労働と非公式な家事労働などで、男性に比べ長時間労働が常態化し、それが普通のことだと受け止めている実態が報告されている。
今年はじめに、社会学としてイギリスの実態を研究した、貴重な本が翻訳出版された。
(『「労働」の社会分析-時間・空間・ジェンダー』法政大学出版局 2014/02/10)
http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-67517-1.html

個人消費に直接提供される労働での注意点は、
俗っぽく言えば、「いわゆる愛情が感じられない」場合にあっては、人間疎外(空虚さが同居する)労働として顕著に現れることである。個人消費財を自ら提供(自分で何でもする)には限度があり、家庭内分業を促進するとしても限界があり、なによりも「家庭」そのものの形成が崩壊するのである。そもそも「愛」といった言葉の概念は日本になく、最初の日本語訳は「お大事に」とか「大事にする」との、室町時代の外来概念である。日本に古くから存在したのは慈悲であるが、その慈悲では家庭は成立しない。「いわゆる愛情が感じられない」場合とは、単純機械的に分析定義できるものではない。ただそれは、家庭内離婚とか親子断絶あるいは介護放棄の原因とならざるを得ず、それを法律や世間体でもって強要するわけにいかない。筆者の着想は、ここに女性労働や女性地位における日本の後進性を解決する着眼点があると考えている。ここでの社会制度の新たな発明がなければ、官僚の政策が進むほどに新たな人間疎外(空虚さが同居する)がはびこるだけで、いっこうに日本経済の成長・豊かさはやってこないと断言する。

まして、マイナンバー制によって女性や高校生は、
所得税や社会保険料の直撃を受けることとなる事態である。あれこれ理由をつけても経済の豊かさが後退することは間違いない。筆者の試算では所得税だけでも女性や高校生から年間3兆円の増税であり、社会保険料(実態は税金)の増額なのである。
先ほどの人間疎外(空虚さが同居する)であるが、それを引き起こす医療・介護・保健衛生に係る商品構成を改善するだけで、医療費や介護費用は激減することを忘れてはならない。すなわち、成人病の多くは予防医学で医療費を大幅削減できるし、シェアハウスなどの相互介護と介護行政の組み合わせでも介護費用は削減可能だ。日本国内でも30年前、乳児と老人の外来自己負担無料化の実験を行った村があり国会にも取り上げられたが、嫁と姑が相手を憎んで罵りあっていた争い、これが肌で感じて激減したとの報告だ。また、医療費負担で気兼ねしての老人自殺も減ったとのことである。なお、所得税の配偶者控除廃止の動きは、増税が目的でであって、女性の社会進出と称してもその効果の期待できる根拠が薄い。

女性の社会進出化を促進、とりわけ高年齢老齢女性の労働対策を、
「より正規の公式労働」の内側に向けて進めることは、通貨に交換されない労働市場の在り方と行方に決定的役割を果たす。高年齢男性は年金やその他でそれなりの収入をもつものも多いから後回しでも良いが、とかく話題になるのは高齢者男性ばかりである。高年齢老齢女性の「より正規の公式労働」、それは別に頭の固い官僚に任せる必要もなく、その手法は民間企業が行っても差し支えがない。折しも有期労働法制の政府議論の中で、清掃に携わる高年齢女性の労働契約問題が話題となっている。すなわち、法律的扱いの狭間に資するのが高年齢老齢女性なのである。
以前の総務部メルマガでも紹介したが、フィンランドでは家族の行う高齢者介護労働に対し正規賃金を家族に支払うこととして、同時に家族労働者に介護技能の教育を施す制度を実施している。イギリスの地域密着型介護制度も、ほぼこれに該当する。子どもの家庭教師紹介ビジネスが成功して久しく、学習塾ビジネスも固有価値商品理論に基づく企業では成功している。ここにも高年齢老齢女性の労働のヒントがある。
勘の鋭い読者ならピンと来るのであろうけれど、

こういった従来の労働が、労働集約型ビジネスに転換するチャンスが、
ここに存在するのである。それはあくまで、社会的認知のもとに「生活が豊かになりたい」とする夢や希望を、「いわゆる愛情が感じられる(それは共感作用の形をとる)」労働の提供を、労働力ではなく、固有価値労働として行えるか否かに成否がかかっている。従来のような「労働力」として扱おうとすれば、自ずと投資損となって失敗するのは当然である、投資損となることを知らないから詐欺行為にはならないが…。現象的には、提供先の人間関係トラブルとか事業所内労使トラブルの続発となって現われ、それに費やす時間と経費で経営破たんする。この固有価値とは、価値の消費や創造の段階で、関係者の「意欲・感動・希望」の3要素が一体となって作用している状況存在を指す。またそれは、「労働力」の交換を前提とした、労働基準法や職業安定法の概念にとらわれる事業である必要はない。ただし、労働契約法は近年成立したこともあって、いかなる労働集約型ビジネスも包括している。すなわち、労働時間で計測するのではなく出来高によること+賃金で報酬を支払わないことその他の労働概念である。労働基準法の適用枠外に、合法的に公序良俗延長線上に存在する事業であることが重要なのだ。
優秀な人物は、「一万人にひとりの割合」で育つと言われる。ちなみに、経済活動を含め事業というものをリードする人材は500人にひとりの割合ともいわれている。これは世界の共通した言い伝えであるようだ。事は、この優秀な人物を何れの分野の誰が確保するかである。経済界、学術界、政界、官僚、芸術界、経済興隆(ベンチャーのこと)、NPO・NGO界その他での優秀な人材を取り合いなのである。その優秀さは読者のあなたに潜んでいるかもしれないし、所詮、優秀な人物を確保する「何れの分野の誰」とは、読者のあなたに筆者は期待するところである。言い方を変えれば、一万人でひとりの優秀な人物を支えることなのである。


§労働関係法律改正=個別企業での具体的な、9つの現象
決定的に労働市場の構造的変化をもたらす事柄は、有期労働契約の無期契約への転換である、労働契約法第18条である。これをめぐっての厚生労働省の世論操作とPRには、近年に無くすさまじいものがある。
いわゆる、
通算契約期間が5年を超える場合は労働者の申し込みにより無期限の労働契約が成立すると法律で定めたことである。また、その場合の労働条件は、従前の労働条件が適用されることである。この場合の、「別段の定め」とは、立法主旨から不利益変更となれば法違反とされる。それは公序良俗に反するとの裁判例や判例法理を待つまでもなく、労働契約法第19条並びに同法第20条あるいはパート労働法により、その不利益変更部分は違反と即座に判定される構造となっている。巷には、「別段の定め」とか「5年以内労働契約終了」の契約を自由契約として締結すれば問題ない、とする詭弁が、利己的売上第一に走る社会保険労務士や弁護士に多くみられる。そういった誘惑に乗ると、訴訟が起これば企業が敗訴するのはもちろんではある。ところが彼らは、それを横目で見ている労働者の労働意欲が激減することでの経営要素(収益性・生産性・労働意欲・効率性)のエネルギーが激減する事態を度外視しているのである。
この無期契約への転換によって
1.企業組織内部の利益集団としての労働者(戦前制度で言うところの社員とか職員)と、それ以外の労働者であって無期契約の地位を保つ者の、二極の労働者概念に分かれることである。これをめぐって、就職意識は「就社なのか就職なのか」の2つに分割されることとなる。個別の企業に入社して出世と生活の安定を目指そうとの目標を捨て去ることが、国民的になされることとなる。過去の現実には、出世も安定も入社した時の夢とは別課題であり、むしろ出世しない人の肩書や収入の幻想にすぎなかった。とはいえ、いわゆる「ゆとり世代」と老人たちの評する年代(今年で28歳以下の者)の殆どは、そういった目標から既に脱却しているのだが…。
2.非正規労働者の多くは、無期契約の地位を保つ労働者となっていくが、業種や職種によっては限りなく非正規労働者であった者の労働条件に近づくことが予想される。厚生労働省は「ヨーロッパ:タイプ?」などと思わせぶりな紹介をするけれど、「job型社員」といっても具体性に欠けるものである。おざなりのように、最低賃金の確保とかセーフティーネットの整備といった選挙目当てに政策が並べ建てられるが、それが効果的であるとの異論もなければ実証経験も存在しないのである。まして、西欧や北欧のように労働組合が主導で労働者の職業教育訓練を行っている背景などは、日本に存在しない実状なのである。
3.労働者の大半を占める無期契約労働者の、この抜本的職業能力向上が不可欠であるにも関わらず、そこでの政策的施策を厚生労働省は何ら考えていないも同然である。したがって、新たな概念での職種ごとに、新商品開発の地域ごとに、世界の商品経済市場と互角に取引できるシステムを念頭においての、抜本的職業能力向上の教育が重要となるのである。決してそれは学歴高水準である必要はなく、頭脳の良さではなく、頭の使い方といった文化水準の問題である。頭の使い方が悪ければ、自然科学面でのイノベーションを追求したがるが、それでは世界経済での武器にはならない。
4.もちろん賃金体系も、「企業内利益集団メンバー」の賃金は年功序列型及び賞与や特段の福利厚生付のサラリーマン賃金に向かわざるを得ず、
それ以外の無期契約労働者は職務給とか専任給といった労働価値提供に応じた対価に対する報酬賃金に向かうこととなる。ただその途中経過では、サラリーマン賃金はゼネラリスト対応のものであるために修正が繰り返されるが、これが大手企業を中心とした企業内労働組合と経営者の論点となる。だがこの論点は社会一般では異質であり通用する論理ではない。労働価値提供対価型の報酬賃金は、ややもすると労働力(労働ではない)売買取引型賃金としてダンピングの対象とされることから、労働意欲の減退とか労働紛争の火種(=日本の場合は紛争の理屈付け)となって現れる。無期契約:労働価値提供対価型の労働者は、国内や先進各国の事例を見た場合、職業能力向上による労働価値提供内容の向上、それが商品単価の引き上げとなる循環の中で、「労働者の職業能力向上への期待」の存在によって、個別企業でのプラス方向のベクトルが働くこととなる、これは実証されている。引き上げられた商品こそ消費者が求める商品となることがマーケティングの柱となる。
5.非正規労働の悪根源と言われている労働者派遣は、無期契約労働者の職業紹介ショップとして有能な職人職能労働者をプールしておく事業に転換せざるを得ない。転換しなければ、現状でも累積赤字で経営が困難な状態に加え、様々な不都合が舞い込んで来る毎日といったビジネスを覚悟しなければならない。効率の悪さによる採算割れの事態である。日本経済のメジャーに位置する人物は誰しもが、現状の派遣が益々もって使いにくくなると判断しており、そこに無期契約労働者の大量形成といった厚生労働省の世論操作にさらされていると判断してよい。そして、メジャーに位置しない従来型の派遣業ビジネスで利益を得ようとするのは愚かそのものなのである。大半の経営側と労働側の弁護士でさえ、直に派遣業へのかかわりがなくとも、来年10月からの派遣と偽装請負関係法改正での訴訟の激増を予想しているのである。
6.個別企業の、無期契約労働者の人事労務管理において、労働価値提供といえども労働力だけを売買取引しようとのことでダンピング、すなわち人海戦術型業種(簡単なマニュアル以内での業務遂行完了)の事業所内での、未熟練労働者の大量採用と長期労働者の排除といった経営手法が存在する。まるで、マルクスが著書:資本論に示したイギリス産業革命後の劣悪な労働者状況に似たところがあるのだが。これに対して厚生労働省は国家権力による世論の納得ないしは押さえつけを進めるだろう行政が考えられる。それは、終戦直後に日本経済から軍国主義者を一斉排除するために憲法改正に先駆けて労働組合法を施行し、労働組合運動の活発化を容認する手法のようにである。ただし今回は、いずれの労働組合幹部たちも頼りにならないから、それを推進させる勢力を労働側弁護士たちに求めるきらいがある。それは、労働組合の交渉力に頼るのではなく、労働側弁護士たちが活用しやすい法律や法令の改正を繰り返していることにうかがえる。「日本が法治国家」であるなどとは事実関係からしても、おとぎ話なのであって、個別企業経営は地域経済の伝統や習慣に基づかざるを得ず、法律や裁判は紛争の後始末機関でしかないのである。
7.「雇用期間満了」といった雇止め(基本的には解雇概念)が正当とされるには、細かい契約ごとの労働者の承諾を証明するような契約書と契約交渉経過、雇止め時点の有給休暇単数相当分などの「今回限りの特例退職金」(いくら今回限りとしても頻度が高ければ通常退職金扱い)、期間満了報奨金制度、といったものを整備する必要がある。それもことごとく書証や証人が必要となる。ところが、こういった事は現場では無頓着極まりなく、見識ある人事担当者の言うことを聞かないのが大手企業始め現場の実態なのでもある。したがって、会社が敗訴する原因の一端もここにある。雇用保険の失業給付の需給の事実、解雇予告手当支払いの事実、振り込み退職金への意思表示の無い事実その他労働契約に直接関係のない事実関係といったものは、労働者の退職意思を示す証拠には採用されない。世の中には、期間を記入していないパンフレットのような労働条件通知書を配布する事業所現場も存在するようであるが、この場合はパンフレットを渡した時点で無期労働契約の成立と法律で判断される。もちろん、最初の1年の労働契約書を渡しただけで3度目の期間に突入すれば、これも無期労働契約の成立となってしまう。要は、本当の臨時雇いでない限り、雇用期間設定はきわめて難しいことになったのだ。
8.頭の「おめでたい」社会保険労務士や大手企業人事担当者の作成した就業規則には、社員の定年は定めていても、それ以外の労働者の定年を定めていない個別企業が数多くある。従来からも法律的には、有期労働契約の繰り返しをすれば、就業規則に「期間契約の就業規則は別に定める」であるとか、もとより適用される就業規則が存在しない場合には、労働者本人が死亡するまで労働契約は継続されるのである。事実そういった手抜かりによる会社の「終身」雇用は存在したのだが、事件数が少ないことにより社会一般では気がつかれていない。そういった「おめでたい」人たちの多くは頭が良いから、労働基準監督署の甘い囁きに乗せられて、社員以外にもいくつものパターンの就業規則を作ってしまって、あげく訳が分からなくなってしまったのである。良く似たことは昔、「パートには退職金は無い」と就業規則に記載しなかったことから、退職金を支払った企業が少なくなかったが、それと同じからくりである。今回は、「無期労働契約の労働者には退職金は無い」と記載すれば免れると錯覚する人も多く発生するだろうが、こういった労働契約法違反になることに気づかない「おめでたい」人たちは後を絶たないであろう。
9.厚生労働省の官僚たちは、先ほどいくつか示した個別労働関係の紛争を、当事者同士で決着させようとしている。それは、分かっていても現状でそこまで行政が介入するとなれば、「下世話な経営者」とか「無政府主義者」に対応する手間暇が生じて来るから、裁判所に役割分担させようとの政策判断をしたと思われる。だとしても、行政としての当事者責任から逃避する官僚たちの姿勢は、日本社会を維持する行政の職務怠慢としか言いようがない。社会秩序を維持するための社会コストは国庫金で賄うから納税するのであって、民間の紛争当事者に負担を負わせるのは基本的間違いである。端的に官僚たちの言い分を代弁すれば、「事件になって判決が出れば、面と向かって国家に歯向かわないから、説得の手間が省ける、といったテクニック」となるのだ。もとより、社会というものは理論やテクニックを持ち出せば論争を招来するのであって、社会(共同体)自体こそが自由平等を実現するための手段にすぎない、のであるから。

2014/05/06

第145号

<コンテンツ>
・日本経済は衰退どころか、崩壊しつつある!
・財務官僚たちの資産食いつぶし手法
・資産食いつぶす残業無賃金法案、解雇規制解除法案
・戦前も然り、軍事・大蔵・内務官僚が国をつぶした!
・情報とは…情報に誤魔化されない手法とは
   【インテリジェンス収集手法編】
   【インフォメーション精度確認編】
・日本の重要なエネルギー源・森林を考える(事例研究)
   ☆彡そのうえで、新しい森林産業の起爆として、
・次代の経済に通用する職業能力向上のヒント


§日本経済は衰退どころか、崩壊しつつある!
経済経営学の本質を学んだ人なら、日本経済の現状を察知することができる。本質をつかむ学習は大学の経済学を卒業する必要は無い。その分野の勘が鋭ければ17~18歳で察知できる。その後の学習というものは、その勘の鋭さの成功率を高める様なものである。日本経済新聞ばかり読んでいると経済経営の勘が鈍くなることは良く知られている。所詮景気判断は経済統計の発表を待つ必要もない。
今年の4月から小売店からは、一挙に客足が遠のいた。市街地の喫茶店も然り、多くの人がコンビニで100円コーヒーを買って出勤している。スーパーやデパ地下でも生鮮食料品の品数が少なくなり価格値上げ傾向は否めない。1人当たりの賃金も、正規社員の賃金改訂?にとどまり、非正規社員も含めれば、実際のところは21ヵ月以上減少し続けている。正規社員から非正規社員への労働力転換も益々加速している。日本はついこの間まで輸出大国だったが、今や一転して輸出は不振となり貿易赤字が急増している。この経済の衰退は、消費税が8%に増税されたことが一原因であるに留まらない。世界経済の構造転換で貧乏クジを引いてしまい経済崩壊にさしかかったと診るべきである。これは日本だけでなくアメリカも経済が衰退し各所で崩壊が始まっているからだ。
この期に及んで、個別企業がとるべき経営管理方針は、一気に不採算部門を整理してその他、負の連鎖を断ち切ることが必要である。それは、“コストカット”とは違う方法で、企業再構築の気構えで事業再構築をする必要がある。また、その事業再構築は資金投入に頼ると再び負の連鎖を拡大させる。日本人は今後、しばらくの間は衰退の中で生きることになるから、財務官僚始め魑魅魍魎とした周囲の、「資産食いつぶす手法」の罠にはめられないことが肝心である。あくまで会社形態は、ひとつの経済活動の手段にすぎないから、企業も個人もが連帯保障を避け、通貨による投資・資本投下は行わないことが肝要である。冷静な目で、「本来売れるものは、営業経費をかけずに売れる」と見極め、需要に応じた固有価値商品を提供する職業能力を、個別企業として磨くしかない。すなわち、現在の市場に対して、個別企業が組織している労働者の職業能力向上、新規職業能力の着眼点を広め、労働者を再組織することから始めるしかない。(参照:次代の経済に通用する職業能力向上のヒント)。


§財務官僚たちの資産食いつぶし手法
経済崩壊にさしかかったことから、アメリカの金融利回追求企業と日本の財務官僚たちは、過去から国内外に溜まっている資金・資産を目当てにして、新たに価値を生み出すのではなく不良債権を急増させている。すなわち、借金で官民の事業展開を進め、その事業展開に踊り狂う個別企業と拝金人間をかき集め、手っ取り早く資金を(回転させずに)流通させ、溜まっている資金・資産で補てん=不良債権処理させるといった、「資産食いつぶしの手法」である。その資金・資産とは、個別企業や個人が保有しているものを税金と社会保障費(=税金)の名目で財務官僚に集積させることである。低収入高齢者や母子家庭乳幼児には、ストレートな生命を脅かす選択が迫られるから、その周囲の人の個人資産までも脅かされる。
ここでの特徴は資金を回転させないことであり、経営分析の指標である資本回転率は限りなく1回転なのである。そのような資金を供給しようとするのは日銀なのだが、ここしばらくは日銀金融政策では間に合わないので、官僚たちは市中銀行に負担させる国債を使っての借金事業展開(公共事業などの形態をとる)とか、あげくは公的年金基金でもって最高価格水準にある株券(=値下がり気配株)の買いに入っている。
こういった手法は、資本主義の原則から逸脱している。資本主義経済を活発化させるには、広範な事業活動における経営者の、「自由と平等」が重要なのである。この経営者の自由と平等こそが社会の活気を生み出す源泉である。マイナンバー制も導入されることとなり、社会底辺の潤いまでもが税収となれば、封建時代のような重税による産業荒廃が引き起こされるばかりだ。
にも関わらず、この経済の衰退・崩壊過程にあって日本の政府や自治体の官僚たちの手法は、権力を背景にした不自由と不平等を経営者に押しつけるものとなっている。この場合の経営者の自由と平等は、労働者の自由・平等とは違う角度で分析する必要があるのだ。女性労働力問題も、女性が社会格差で活躍が阻害されているからこそ、女性の自由・平等も独自の角度で分析する必要がある。注意を要するのは、経営者の自由と平等だけが、単独で保障される社会は存在しないことである。むしろ経済的貧困、世界観(哲学)的貧困、文化芸術的貧困に落ちれば、「意欲・感動・希望」といった商品経済を支える要素に対して、人間は誰しも、経営者、労働者、女性の特質を超えて、「アキラメルこと」が蔓延する。
そこに宗教活動(宗教観ではない)が社会不安とともに活発化するのであるが、「アキラメ」の宗教も蔓延し、「希望」の宗教も芽を噴き出すことになるから、事態はややこしくなるのだ。加えて、大手マスコミは、その宗教活動めいた手段で売り上げ最優先の経営を行っていると言わざるを得ないのである。


§資産食いつぶす残業無賃金法案、解雇規制解除法案
さらに財務官僚たちは、
(A)それなりの経営手腕を持つ労働者に向けては残業無賃金法案を
(B)消耗品労働者の自発的増加に向けて解雇規制解除法案を
彼らは持ち出してきた。確かに現状は、正社員には残業無賃金が広がり、会議・報告・打ち合わせに要する時間が増えて労働力(労働ではない)価値が急速低下し、あげく正社員の時間単位当たりの賃金が低下していると診た方が妥当ではある。また、現代日本の社会制度のもとで解雇規制を外したならば、お局・イエスマン・ゴマすりといった者らが有能な人材の若芽を摘み取ることは間違いないのである。
だとすると、個別企業には教育や練習によって能力向上する人材はいなくなり、労働の固有価値を発揮する人材もいち早く退職することになる。それは既に、金融利回り追求型企業の内部運営定石パターンが証明しており、有能な若年経営者・労働者が海外脱出する事例の通りである。すなわち、事業ノウハウを蓄積した中堅・中小企業にとっては、財務官僚たちから利益源泉を恫喝されている事態なのである。
労働市場全体としては、一般正社員が棚卸しされて一般長期契約社員に変更することで、格差は広がると同時に、ここでも資産が食いつぶされる事態(配偶者、両親からの個人的援助の形で資産消耗)となる。事業・産業育成型の個別企業にとっては、職業能力とか固有価値労働の啓発、人材育成事業場援助、人材育成企業認定制度、そして雇用保険の失業金銭給付に変わり社会人職業教育現物給付の施策の方が重要なのである。ちなみに労働官僚たちには助成金が目的利用外消化されている実態が見えていないのだが…。
この法案には、労働官僚たちも大反発し、国会に提出される当座の法案は既に骨抜きをされている。だが将来的には、労働官僚といえども財務官僚から独立したグループではないから、徐々に財務官僚の締めあげを受ければ、労働官僚たちは財務官僚の言いなりになることも間違いない。残業無賃金法案、解雇規制解除法案というものは、筆者からから言わせれば、「稚拙な官僚機構社会づくり」としか映らないのである。
日本の個別企業は、おおまかには金融利回り追求型と事業・産業育成型のいずれかに軸足を置いている。中小企業ともなれば、この2つのいずれか一方に偏っているまでに至り、軸足を置くのではなく何れかに偏るものだから経営破たんするのも当然なのである。そういった中で、金融利回り追求型と事業・産業育成型との対決のように事態を語るものだから、いずれの選択肢を選ぶかの稚拙な二元論に陥りやすくなる。マスコミが持てはやす経済専門家も、この稚拙な二元論を振りまいて、本質のごまかしをかけようとしている。その本質とは、衰退・崩壊しつつあるアメリカ経済を資産食いつぶし手法でもって立て直そうとする手法、これそのものに群がる「財務官僚」と「お零れに潤う拝金人間」の傘下に入り、その手下になることである。それは当然の如く、「先着順」の者だけが潤う構造であり、その末端に群がる「貧乏人が新たな貧乏人を再生」するシステムであることは歴史が証明している。


§戦前も然り、軍事・大蔵・内務官僚が国をつぶした!
明治憲法(能力だけは平等に扱う建前だった)が制定されても、実態は能力を無視した官僚機構でもって国家運営を行ったものだから、美辞麗句を並べた結末は、経済・社会・文化に至るまで「大政翼賛会」にまとめていったのである。その手法は驚くことに、世界最高の官僚機構を形成した「社会主義のソ連」の真似をし、社会主義5ヵ年計画に類似したばかりでなく、日本人が好みそうな世界観や宗教観を背景にした用語や漢字を使って(スターリン時代のソ連のように)、個々人の思考や仕草への介入(特高警察)にまで至ったのである。スターリン式の計画経済や聖書連想語句(ロシア正教全般の教育土壌)の活用や、演説や論文に使う用語の頭に「革命の~」とか「人民の~」の語句を加えるとか、あるいは新しい簡略語を導入する(日本ではイニシャルではなく、多重複雑概念を持つ漢字のキャラクターを用いる手法)など、その見本は、「社会主義のソ連」に存在したのである。例えれば、「鬼畜米英」とか「凛(りん)」とか「決死」などで、言葉の意味ではなく、その言葉の使われ方で効果があるのだ。(元のソビエトの語彙とは反皇帝側のロシア正教同士の教会間連絡評議会の意味であった)。=官僚機構の運営手段に興味ある方は、『ソヴィエト文明の基礎』みすず書房、『ロシアとソ連 歴史に消された者たち-古儀式派が変えた超大国の歴史』河出書房新社などを参考に=
日本の官僚組織は、ある意味で現在もなお「ソ連官僚機構」の初期段階手法を活用することで維持されているようだ。それは財務官僚を筆頭に徐々に進められながらも地方行政官僚にまで至っている。また、日本の大手企業も官僚とともに蜜月を長年過ごして来たこともあり官僚機構が浸透していったし、大手企業の人事部門若手社員が厚生労働省通達を鵜呑みに活用する傾向が顕著である。労働組合の組織も政党もやはり、官僚機構の組織運営をまねることで終戦直後は大勢力を誇ったものの、ただし官僚的運営のため衰退の一途なのだが…。だから何かに付け素人は、この官僚機構の幻想に期待して、日本での物事を進める傾向が強い。いくら能力があっても、チヤホヤされた人物は、骨肉を削り貧乏を貫いても、当座は官僚機構に群がるものである。それは官僚機構とは異なる生活・運営手法を見たこともない無知に原因があるだけだが。


§情報とは…情報に誤魔化されない手法とは
ICTとは、インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーの省略であるが、現代的には情報にごまかされないことが重要となっている。「昔は情報源も少なかったことから、注目や監視にさらされて情報精度も高かった」といわれるが、そんな間の抜けた実態こそ昔から存在しなかった。情報という言葉自体が日本で作られた新語である。いちばん貴重な課題というのは、情報でもって大成果を成しえた人や集団の、「情報といった言葉の定義」である。
大成果を成しえた彼らを研究してみると、インテリジェンスとは、インフォメーションとは、とはっきりした区別をつけていることである。この2つを大そう混乱させて仕事をしている人たちは、今や文部官僚や文部科学省事業費になびく学者・研究者に多いのかもしれない。また、コミュニケーションとは、あくまでも「推論による意図理解」のことである。このように概念定義をすれば、余計な混同も防げる。
インテリジェンスとは、
ひとつの目的や理念を実現するのに有利なインフォメーションを取捨選択し、次に加工した解釈論理である。人間は3人以上で行動を共にするには、「哲学」さらには「世界観」が必要となるが、この目的・理念を実現するための解釈論理なのである。したがって、決して事実の羅列ではなく、事実関係がより明らかなのである。だから、主体的に収集する人にとっては、「面白い!」現象と要素とを含むことになるのである。
インフォメーションとは、
単なる事実の羅列であって、事実関係を表しているものではない。統計資料ひとつをとってみても、その統計の目的によって数値的事実が現われていたとしても、事実関係を表してはいない。あるひとつの目的・理念を実現するための解釈論理を筋道立てて証明(合理一貫性)した場合に、初めて事実一致性を裏付ける証拠としてしか、正式に使われることはないのだ。例えばアメリカ連銀は金融政策に雇用統計を重視するが、日本銀行は日本の失業率や有効求人倍率=雇用統計を金融政策に反映させない。過日、日本のマスコミ報道水準は先進国の中で最下位以下にランク付けされたとの発表があったが、それはこのインフォメーションが自由に流通しないことを意味しているにすぎない。すなわち、経営管理や人生設計その他に最も必要なインフォメーションは、現代社会にあっては数量に左右されないのである。

【インテリジェンス収集手法編】
手っ取り早い収集手法は、その人の思考や信条を把握した上で、学者やジャーナリストの研究成果を受け取ることである。だから今もって書籍による情報提供が重要な役割を果たすのが。とはいっても、殆どの場合に実際の事業展開や経営管理には役立たないから、専属の専門家やミニ・シンクタンクと顧問契約するしかない。自前で調査機関を作るほどの人材確保経費・調査費用を捻出するのは大手企業でも困難・不合理である。そこで、まずはインテリジェンス収集の「当たり」をつけるために、その方面の書籍を読みあさることが効果的である。統計資料、新聞記事などは殆ど役に立たない。WEBで探すものは、その方面にどんな書籍が存在するかを探すのである。すなわち、インテリジェンス収集の作業は、極めて主体的であり積極的な作業なのだ、決して情報に振り回されるような作業ではない。実際、「情報に振り回される」と自覚している人は職業能力に問題がある。加えて、例えばアメリカ連銀が金融政策に雇用統計を重視するが、日本の失業率や有効求人倍率を日銀は重要視しないといった理由を知ることも、目的・理念での合目的的なインテリジェンス収集作業には欠かせないことである。インテリジェンスとは昔の言葉で言えば「教養」といわれるものに似通っている。

【インフォメーション精度確認編】
イ)当たりをつけるためのインフォメーションを探す場合の精度確認は、その内容の「合理一貫性」ならびに「事実一致性」でフルイにかけて行く。
このフルイの要諦の例え話は、:ガリレオの地動説に対する天動説には比類なき合理一貫性が在ったが、地球が動いているという事実一致性がなかった:といった確認手法である。
ロ)もうひとつの要諦は、:事実確認を迫るときに、「そんな言い方はしていない」と逃げられる場合に、「あなたの意思表示のどことが異なりますか」又は「合理一貫性のある概念ならば同義語なのではないですか」と、確認を追求することで事実一致性の整理はつく。
少なからぬビジネス書や「他人からの持ち掛け話し」の多くは、こういった方法で即座に精度の低いことが判明する。官僚の話を、この「合理一貫性」ならびに「事実一致性」でフルイにかけてみると、有用性と誤魔化しは一目瞭然となる。
ハ)水際の手法としては、日常的に飛び込んで来る、断片的なインフォメーションは、独自の全く別のルート3本からのものが一致しない限り、すべての話は「話3分の1」と割り切って仕舞っておくことである。断片的インフォメーションを確認もせずに裏づけ証拠として使用すると、事実関係自体がひっくり返る。それは読者も冤罪事件報道でなじみ深いものだ。
ニ)様々な面談や会合に持ち出される話は、この「合理一貫性」ならびに「事実一致性」を整理した上でのペーパーを入手すれば、あなたの取捨選択の時間が省ける。相手方に促してもペーパーすらも出てこない様な話は、もとより検討の余地は希少だ。これが量的精度確認手法である。
……インフォメーションの活用と小田原評定に、圧倒的な正社員が会議・報告・打ち合わせに時間を費やしており、これが正社員の残業無賃金の原因にもなっている。またペーパーの取捨選択をアルバイトや末端社員にさせれば判断を誤る、官僚主義の第一歩だ。個別企業の経営者は、正社員のそういう働き方を嫌悪しているにも関わらず…。


§日本の重要なエネルギー源・森林を考える(事例研究)
日本は国土に占める森林の割合が非常に高い。ところが、この資源については全く活用されていないのが現状だ。なぜなら、おそらく、森林エネルギー活用は原発稼働問題を解決するかもしれないからだ。筆者の推論だが、終戦直後の農地改革でも山林は手をつけることが不能な要素をもつ程であったから、金融利回り追求型の資本や事業が食い込めなかった産業と考えられる。また特徴として、戦前までは炭や薪による生活熱エネルギー供給源であり、戦後復興期は住宅資材の供給源として、当時の生活文化産業の柱であったからだ。その後のエネルギー転換政策で、体よく産業政策から排除されていたことも否めない。また現状、ウワサとは異なり、国内の木材は大量乱伐しても外材よりも低価格で扱われている。そして今や、生息する森林や雑木林は超過密状態若しくは原生林化が進んでおり、山崩れ、保水力低下、鳥獣被害といった、「里山といわれる産業」の障害や破壊を引き起こしつつある。
ところがなぜか、学術界も住民意識も森林産業を農業とは別物のように受け止め、生活や経済の豊かさへの活用というよりも、もっぱら懐古趣味の対象として扱われている。政府の林業政策は、林業の事業規模集約化と東南アジア向け輸出といったテーマを掲げているが、あえて抵抗が多く座礁する着想を掲げることで政策を停滞させるといった、いつもの官僚たちの手法(彼らは素人ではない)にすぎない。唱えられている国土緑化政策も、環境意識の向上をかわすためのポピュリズム迎合に徹した、現実と相反する仮説や情報の洪水である。
筆者は、予期せず昨年末から森林経営をすることになった。
その役目は生まれながらであり、そのために教育投資のみ私自身には施されていたが、その経営に携わる時期は未定であった。このように経営を継承させる手法こそが、近江商人(武・農・商が一体)の真髄そのものの一端である。そこには一挙に新産業展開できる基盤も、近江商人(武・農・商が一体)の真髄なる流儀により整っている。そこで筆者は5ヵ月の調査研究を経て、滋賀県彦根市の市街地にある、「極めて珍しい木材家屋」を近江商人や地場の産業・環境研究の無料滞在施設にした。

☆彡そのうえで、新しい森林産業の起爆として、
鈴鹿山系北部に広がる山林は次のように産業開発をすることとした。
1.利回資本投下で事業展開するには、そぐわない資本回転型なので、需要側の資本投下に傾斜する。
2.森林産業を林業化してしまえば、木材その他資源は通貨価値を失うから、森林産業として展開する。
3.鳥獣被害は生態系バランスの歪みだから、森林産業として生態系バランスの起爆ポイントを実施する。
4.都市部への人口集中の激化で、緑化とICT機器による精神肉体安定事業は、都市の固有価値労働に不可欠である。
5.人間・化石・植物・自然のエネルギーバランス再編の創意工夫によりエネルギー費用が低下する。
6.その豊富なエネルギー効率供給により、固有価値労働を支え、「意欲・感動・希望」の商品生産基盤を作る。
7.需要からかけ離れた補助金漬の林業形態から、森林が生み出す固有価値商品への産業転換を強める。
8.新しい森林産業には、産業芸術家、学術研究家、需要側資本機能家、経世家たちの、職業能力と力量が必要である。
9.この産業開発の基地ともいうべき拠点は、ここである。
  http://www.youtube.com/watch?v=gB55xI-Yau4
……学術・技術・芸術から固有価値経営~固有価値労働に渡り、生活文化産業として固有価値商品の供給を、あらゆる人たちとの協力・提携を進めて行く戦略とした。協力・提携者を募っている。ピンと閃いた方は気軽にどうぞ。《連絡先:mail@soumubu.jp》


§次代の経済に通用する職業能力向上のヒント
日本経済は、衰退過程どころか経済が崩壊しつつある。これはアメリカも同じことである。大半の人たちは、過去の遺物にしがみついて経済を維持しようと経済外の方策でもって現状維持しようとするのである。その経済とは、経済成長と経済の豊かさの両面に渡ってである。ところが、経済が崩壊過程に入ったとしても、社会の過去的又は将来的構造は維持されるから様々な矛盾が肌身で感じられるようになるのだ。衰退産業における個別企業は、同業他社が数多く廃業してくれれば、自社の売り上げが向上するから、目先の売り上げのため産業全体の構造改革は行わない。女性の社会進出といっても、現在の結婚制度の変更がなければ進展するはずもなく、ことに経済の豊かさを追求するには無理がある。
そこでは、次代の経済に通用する職業能力のメドを立てる必要が、個別企業も個人にも大切なってくるのだ。経済成長一本ヤリの着想だからこそ衰退→崩壊に向かうのは自明の理である。経済成長と経済豊かさは飛行機の左右の翼ではあるが、現在必要なのは経済の豊かさを良心として求める具体的行動の活発さなのである。ここに、経済活動の片肺飛行と失速の原因があるのだ。
次に、その研究のヒント例を示すが、こういった職業能力が普段に論理構成として学術展開されることが望まれる。それは、前回のメルマガでの「職業能力の練習による向上」の、次の分野に位置づけられるだろうが、もちろん個々の職業技能を早く習得した人材により、高い収益が得られるのは間違いない。(引用=中央公論新社:室井滋『玄人ですもの』(インタビュー集))
1.水戸岡鋭治(インダストリアルデザイナー)
 マンションの完成予想図:「人や花、木など、生活スタイルが見えてくること」
 電車のデザイン:「電車だけでなく、ホームにいる人がどんな動きをしてるか描き込むこと」
2.立川志の輔(落語家)
 「立ったり座ったり動いたりすると、感情が入りにくいんですよ」。
 「古典落語は無駄という無駄を削ぎ落として、人間のいちばん大事な感情だけで笑いを作っている」。
3.山口晃(画家:大和絵師)
 「得ることだけを念頭に描いた作品が、……その作品は全く売れない。描きたいものがあって一所懸命取り組んだものから売れて行きます」。
 「絵描きは100ヵ所を見に行くより、1ヵ所を百回見る方が才能か、と思うのです」。
4.金澤翔子(書家…障害があるため母親が代弁)
 「翔子は子どもの頃、右肩あがりという概念が理解できませんでした。楷書の基本中の基本のですが」。
 「書道で大事なのは形と線です。形は何年か鍛錬すればできますけれど、線は書く人の生き方や態度がそのままでます」。
 「翔子に指導してもらった子はすぐにわかります。言葉や理屈ではなく、体の重心移動で筆を運ぶことを覚えていますから」。
5.穂村弘(歌人)
 『雨だから迎えに来てって言ったのに傘もささずに裸足で来やがって:盛田志保子』
 …この解説として、「普通に傘をもって迎えにきたら、きっと3週間もすれば忘れる。でも。この体験をちょっと忘れない。……社会的な強制力の方が強いから、だんだんそういう思いを自ら消すようになる」。
 「女性は感覚が社会化されていないことがあって…。表情や間の取り方で、若者はすぐ見抜きます」。
6.日比野克彦(アーティスト)
 「美術が嫌いな子どもは、たいてい学校の図画工作や美術の授業で嫌いになる」。
 「リラックスというのは、けっして何もせずに居たりすることだけではないからね。いつもと違う時間の流れを、生活の中に入れることだと思います」。
 「絵を書くとき、人がこれを見てどう思うかという、相手の気持ちを思いやる感性がないと、独りよがりになってしまう」。
7.中島盛夫(銭湯絵師)
 「色は薄い色に濃い色を重ねて行くと、刷毛をあまり洗わなくて済む。使う絵具は赤、黄色、青、白の4色だけ」。
8.戸恒浩人(照明デザイナー)
 「ほの暗いなかでちょっと点いてる光が素敵に見えたり、建物が美しく見えたりする。今まで無駄な光がいっぱいあったということに、多くの人が気付いたんですね」。
9.戸島国雄(元警視庁鑑識課似顔絵捜査官)
 「まず(目撃者から)、どういう感じの人でしたか?どんな職業の人に見えましたか?と、見た瞬間の印象を伺います。……具体的な細部から聞く人(似顔絵師)もいますが、それだけではうまくいかない」。
 「だいたい描けて来ると、明るい雰囲気の人物か、暗いイメージかを必ず尋ねます。印象を大きく左右するので重要です。そのうち、描いている途中でワーッと泣き出す人(目撃者)がいる。そうなると、ほぼ完成です」。
 「鑑識撮影は、基本はフィルムです。というのも、デジタルカメラで撮影したものは、後でデータを変えられるため、証拠能力に乏しいのです」。
10.鎌田浩毅(火山学者)
 「火山灰は、タバコの灰とは違います。岩が細かく砕かれた、とげとげザラザラのガラスの粉のようなもので、目やのどに炎症を起こします。風で舞い上がり、雨が降れば固まってしまう。宝永の噴火では、江戸でも火山灰が積もって、1ヵ月以上住民を苦しめたと記録されています」。
 「最も恐れるのは、コンピューターがやられること。火山灰は静電気を帯びているので、冷却用の吸気口からコンピューター内部に入るといろんな場所に張り付く。その結果、軒並みダウン。……前回(宝永噴火)のような大噴火になったら東京ばかりか富士の風下にあたる関東全域で、そんな事態なる可能性を否定できません」。
 「(大噴火で避難する時は)、背広にグレーか紺のネクタイと決めていますよ。有事には信頼感安心感が大事ですから」。
11.本川達雄(生物学者)
 「小さなネズミの心臓の脈拍は速く、大きな象の心臓はゆっくりと打つ。拍動ではなく呼吸や一生の時間もサイズに関係しています。大きな動物は長生きで、小さな動物は早く死ぬ。ところが一生のうちに心臓を打つ回数は、ネズミも象もほぼ同じです」。
 「(沖縄の)居酒屋のおばちゃんが、今起きたことを即興で歌にして、歌いながら踊るんですよ。衝撃でした。これが本来の音楽だと思いまして…」。
12.遠藤秀紀(遺体科学者)
 「消防士は火事を選り好みしない。どんな火事でも消してこそプロなんだ。解剖学もそれと同じだと」。
13.原島博(コミュニケーション工学者)
 「3秒美人とは、街で見知らぬ人を一瞬見て、お、綺麗だという美しさ。3分美人は、いうなれば受付嬢や客室乗務員など職業的な笑顔を伴う美しさ。綺麗だと思っても、そこにはカウンターというバリアがある。それなりの距離を隔てて見る美しさです」。「30分美人、30分もコミュニケーションをとると、作り笑顔ではなくその人の素の表情が出てきて、そこに魅力を感じることができる。さらに3日話せばその人の人生観や価値観が見えて共感できる。それが3日美人。そして3年は、如何に素敵だと思って恋愛しても、3年持たせるのは大変なことです。3年一緒に過ごせるか否かで3年美人かどうかが決まる。俺も浮気はしたけれど、やっぱりおまえがいちばんだ、というのが30年美人」。
 「相手と自分との距離が近づけば、魅力としてみえる部分も変わる。だから、顔とは客観的に存在しているものではないのです」。
 「不安があると、美しかった過去にすがる生き方になりやすい。そんなつまらないですよ。将来こんな顔になりたいと未来に希望を持つ生き方の方が素敵です」。
14.大平貴之(プラネタリウム・クリエイター)
 「(プラネタリウムを)作る過程は理系、プレゼンテーションでは文系の世界に入って行く」。
 「最近は何事につけ、リスクを排除しますよね。子どもの頃色々と冒険していかないと、生きているという実感がどんどん乏しくなって行く。リスクに対する感覚も解らないまま大人になる人が増えて、発想力も育たない気がします」。
 「プラネタリウムがある科学館は大抵、官公庁や自治体が管理していて公共入札ですから、求められる仕様以上のものを作る必要がなかったのでしょう。僕はそんな事情を知らなかったから、作りたいものを作った」。
15.今尾恵介(地図エッセイスト)
 「昔の日本では市街地と農地がはっきり分かれており、町はコンパクトにまとまっているのは分かります。ところが最近は車で動くことが前提だから、住宅地がだらだらと郊外に広がっている」。「ヨーロッパでは、畑の真ん中に大型スーパーなどを建てられないように規制しているところもありますが、日本ではビジネス優先で、障害者や年配者には暮らしにくくなってきています」。
 「なぜ先祖様達が何度も津波の被害を受けながら、何百年、営々とそこに集落を作り続けて来たのか。そこがいちばん住むのに適していたからです」。「“川は昔の流れを覚えている”という言い方をします」。
……ここで注意が必要なことは、こういった人たちはバランス良く能力向上を図っていると思われる。決して、その方面の能力を闇雲に訓練練習して身に付けているのではない。すなわち、訓練練習した能力以上は身に付かず、むしろ劣化するのである、今の日本のように。