2010/12/07

第104号

<コンテンツ>
10月からの需要の落ち込みは深刻
地道な経済:建て直しの基盤について
   ・建て直し:例えば=1
   ・建て直し:例えば=2
   ・建て直し:例えば=3
この低迷時期、個別企業で蓄積しなければならないもの
その次の段階として、企業発展法則
そこに、民法改正が事実上水面下で
 ……そもそも、債権債務とは、
 ……雇用関係については、
 ……ところが役務提供契約について
 ……そんなことよりも大変な役務提供契約
 ……その労働者供給基準が民法の側からも提起
 ……市場や経済の需要面からだけではなく
 ……実は、職業安定法の行きがかりで、請負事業


10月からの需要の落ち込みは深刻
である。来年春まで、回復する兆しも無いというのが、経済学者の見通しだ。
10月中は、7~9月期の経済指標が発表されていたから、景気の悪化は表面的な議論にならなかった。ところが、肌で感じる末端経済は、早ければ9月末から一挙に低迷しだしたのだ。エコポイントの効果が消えてしまえば、大きな反動がやってくることがないと言われているが、この政策が自動車や家電業界に対する「在庫一掃セール」政策であることの本質が見逃されていることには警戒が必要だ。
失業率も10月は悪化した。この失業率だが、雇用調整助成金の受給者、失業保険が切れた人たちへの職業訓練(基金訓練:3~6ヵ月、月額10万ないし12万円支給)の受講者急増はすさまじいようだ。
ハローワークの求人もピタッと止まった。
衰退産業延命策となっている雇用調整助成金、水準の低い知識訓練で職業能力の取得には縁のない職業訓練、こういった目に見えない失業対策事業を含めると、失業率は欧米並みに10%を超えていることは間違いない。とにかく、10月から企業の職安への求人は一挙に減ってきている。ということは相当の業績落ち込みと見て良い。


地道な経済:建て直しの基盤について
大方の識者の意見はまとまりつつあるようだ。それは、労働力の移動を図って個人消費を引き上げ、ノウハウ技術や観光立国を進めるための安定基盤を形成する方向性である。それは、「政府の空回り雇用掛け声対策」とは大違いである。ひょっとすれば、「戦艦ヤマトの雇用政策」は学識経験者から見放されてしまったのかもしれない。

建て直し:例えば=1
1週間に60時間以上働く労働者は、労働力調査によると、700万人程度の数値が出ている。月にすれば、80数時間の残業ということである。60時間以上の割増率1.5であるとか、高賃金男性正社員の時間外労働といったコストが、個別企業では問題になりつつある。サービス残業として賃金不払いというわけにはいかない時代にもなった。片や、深刻な不安定、非正規労働者は1000万人ほどと言われているが、その中には大卒・短大卒の高学歴女性とか主婦が圧倒的に多いのである。
仕事の標準化、
予見計画性を高くして業務遂行、
能力別業務分担といったものを、
ICT機器を駆使することで、
こういった女性パートタイム労働力を安定提供することで、
個別企業の全体の労働生産性を思い切って引き上げることは可能なのである。これを先駆けて行う個別企業は、自ずと付加価値率も高まる。そして、消費財の需要拡大により経済の良い循環が始まるのである。旧態依然のような金融資本投下政策や国家計画経済政策とは異なり、貴方の個別企業だけが浮かび上がるといった方式なのである。

建て直し:例えば=2
太陽光発電などの省エネ産業にも意外と発想が乏しい。建設業者の受注や雇用増加にもつながるのだが、アイディアよりも、旧態依然の「出来ない言い訳」が目立っている。ところが、
☆太陽熱温水器(エネルギー変換効率50%)を戸建住宅のみならず、マンション、ホテル、病院、福祉施設などの屋根にまで利用する発想は少ない。
☆太陽光発電も、学校・体育館、公共建物、工場、ビル、高速道路の路肩・中央分離帯、鉄道の路肩、海岸線、海面発電とまでの発想である。
☆風力発電も、発電機騒音が問題ならば陸上にこだわることなく、無人島や海洋に設置すれば良い。
☆波力発電とか潮流発電も有望なのである。
☆地中(海中)の地下熱は、地下数メートルでさえ表面温度との差は10度以上あることから、水道管で循環させることにより、冷暖房費を節約出来るといった発想だ。
こういったところまでの発想で考えれば、政府の掛け声政策など待つまでもなく、個別企業でも十分事業化出来るのである。本当に必要なのは、こういった省エネ産業を制度面で育成する方面での具体策ぐらいであり、民間から具体的な省エネ製品システムを持ち込まないと、行政は動くはずがないのだ。

建て直し:例えば=3
仕分け事業といったイベントで、お茶を濁している場合ではなく、生活に密接な公共施設の再活用アイディアがある。これも、その道での個別企業のビジネスチャンスである。小学校の空き教室に保育園ができれば、非常に安い経費で待機保育児問題はなくなり、もっと多くの有能な母親や父親が労働の場に進出することが出来る。マスコミなどが流す「子供手当の活用論議」といった愚策な論議ではない。事業主体として民間NPOが進出すればよく、利益率は民間営利の個別企業よりも十分に見込まれるものだ。民間営利企業だったとしても、役所主導の公共事業を待っているのではなく、街づくり・地元経済・観光リゾートといった視点から見れば、数多くの公共施設がビジネスチャンスを待っていると言えるのである。


この低迷時期、個別企業で蓄積しなければならないもの
それは、個別企業としての組織的能力向上と個々人の職業能力である。
筆者は、各企業の技術を披露するビジネスイベントに出かけて各々担当者にインタビューをするも、世界に通用する技術であっても、それを流通(経済学での交通も同じ)させる取り組みやノウハウが全くないのには驚かされた。高水準技術を持つ各社は、口をそろえて技術は自慢するけれど、
1.取引ルートにはどんな種類があるのかを調べたことがないとか、
2.見ればわかる結果が一目瞭然な製品を扱っていても言葉の壁があると不安が走り、
3.日本まで買いに来てもらえば良い製品にも関わらず現地まで集金に行く不安、
といったような、この三つの共通点があるようだ。
なるほど具体的に動く能力がないから、だから商社や大手企業の「お目にとまり」、召抱えられ、ひいきにされようとする受注活動展開しか知らないのかもしれない。これでは、まるで水商売や風俗の販売方法と同じ水準である。
旧来のように、資本投下を図って人海戦術で売り上げ向上→利益の確保といった時代ではないのである。ICT産業革命の真っただ中、従業員の能力向上を図り、一人当たりの労働生産性を引き上げ、今よりも一歩でいいから、ワンランク上の「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を図る以外に道はないのだ。個別企業としての組織的能力向上から手始めに進めることが定石であり、経営幹部から個人の能力向上を始めるといった方法が、極めて現実的な定石である。
例えば、人事総務部門の幹部養成とすれば、今必要な教育は次のようなもので、知識の習得ではない。書籍やウェブサイトを見れば見つけられる山のような知識情報から、
リサーチ→発見→応用→定着させる「器」である職業能力が今こそ必要なのである。
《新時代・新経済環境にむけ人事管理者の「素質」育成教育》
http://osakafu-hataraku.org/contents/personal/education.html


その次の段階として、企業発展法則
「競争力のある企業が、若い労働力を集め、新商品・新市場に進出して行く」
といった経済発展の法則が存在するのである。職業能力もなしに、旧態依然の惰性の毎日の中に現場を打開する道など存在するはずがない。
体得された知識がないと創造型経営は難しいと言われる。だから、個別企業の幹部の少なくとも30%は、高卒者にするべきだとの研究も、経済学の視点から進んでいる。日本の大学がサラリーマン養成機関になり下がり、個別企業が「高校生に頼り、経営者は創意工夫出来る人と組むことで活力回復をするのか、それとも既成の大学生に頼って没落するか、あるいは企業経営の自殺の道か」といった選択を迫る経済学者もいる。余談ではあるが、この経済学者に言わせれば、難関の末に伝統的大学に入学し卒業した者は義務教育などの教育機関で吸収すれば丁度良い(民間企業で働く能力に疑問)とまで言い切っている。
とりわけ、
その道のプロであるとか、その道の専門家にといったものに近づいて行くほど、よほどの注意をしていないと、「専門家の勘違い」を起こしやすい。すなわち、その方面の専門的知識でもって、何でも見通しを立て、解決が図れると勘違いしてしまうのだ。まるで、「善い道を探し歩もうとする」思考パターンの人に限って、独善的になり、神がかり的になるのと同じで、一般社会や経済社会では通用しなくなる。そこには、真実や正しさは善に優先するといったような思考パターンこそが個別企業の発展に寄与するのであり、経済発展や社会発展に500年間ほど寄与してきたのである。(ただし、この500年の中で、今が450年ぶりの信用・金融の危機だ)。
もっと平たく言えば、経理事務担当者や資格取得マニアとか典型的サラリーマンには、個別企業発展の牽引力はないということだ。


そこに、民法改正が事実上水面下で
進められているが、これは重要なインテリジェンスである。関係するビジネスモデルや業態で、消えてなくなるものが出て来るのだ。
明治時代の民法制定以来の大改正と言われ、商取引の根底にある債権債務の取り扱いが論議されている。政府は、平成24年の通常国会に改正法案提出を進めているが、そうなると、3~4年後には新しい裁判例や判決が出て来ることとなり、これにより集金出来る業務と代金支払いを拒絶される請負が発生して来るのである。知識ばかりを追い求める似非専門家には、たとえ弁護士資格があったとしても、これが何のことか解説が出来ないのである。
では、何が改正されようとしているのかは、あとで紹介するウェブサイトを見れば、詳しく分かるが、まずは、どんな論議になっているのか大まかな概略説明をする。これが、日本国内のビジネスモデルの在り様を定めるので、難しいも何も、企業経営や商業をするのであれば、認識することは不可欠である。

……そもそも、債権債務とは、
辞書を調べても意味不明である。この場合、歴史と発生源を見れば理解に役立つ。時はアヘン戦争、債権債務の言葉は元来中国語である。アヘンを中国にどれだけ持ち込んだのか分らないイギリスは、相手先からの「給付を実行させることを内容とする権利」を確定させて、売り上げを回収しようとしたのである。ちなみに、どんなアヘンを、どれだけの量で、確かに届けて、相手側も確認したのであれば、債権債務といった「カラクリ?」を考える必要すらなかったのである。すなわち、香港や上海に陸揚げしても、途中で中抜きされ、消えて無くなり、最終末端まで届いた物の内容など判らなかったという事なのだ。だから、現代中国人には、この「カラクリ?」は分からないし、「帝国主義者や資本家の理屈だ」と言って、中国共産党などは論陣を張って来るのだ。(これ以上の話の展開は、中国経済問題にハマってしまうので、ここで中止)。

……雇用関係については、
いわゆる民法の雇用と、労働基準法や労働契約法の条文条項との整合性について話し合われているが、それはそれで、既に裁判例や判例で動かしがたい現実があるので、読めばだいたい理解出来、目新しいものは無い。
労働契約法の解雇条文の、「その権利の濫用」とは、民法1条3項とは異なる解雇権濫用法理であることを明確にして、むしろ、民法にかぶれ気味の弁護士が労働法の通念を身につける効果を期待するものと思われる。

……ところが役務提供契約について
重大な改正案を提起している。現在の請負の中で、何らかの完成を伴わない無形な結果を目的とする場合は請負から外して、「役務提供契約」といったものを新設しようという、改正案の提起だ。
役務提供すなわち、「役務提供契約」というものが新たに設けられた場合、雇用されていないが役務提供をしている労働者という概念が生まれて来るのだ。個人請負…業務個人委託、軽貨便、学習塾講師、WEB製作とかいった人たちが労働者と法定法理とされると、現在の複雑な立証を伴わなくとも労働基準法や労働契約法の定めに従って労働者との法律適用を受けるのである。「個人事業主では?ならば労働者ではない」といった議論は一掃されることになる。

……そんなことよりも大変な役務提供契約
の新設がビジネスモデルに大影響するのである。役務提供=労務提供(労働者供給)といった要素を多分に含んでいるから、先に述べた個人請負か雇用かといった論議とは別に、集団的な役務提供契約として、請負契約から切り離す部分の(現行の)「請負」があることを指摘しているわけである。すなわち業務請負と言われる形態の中で、目的物が存在しないものは請負契約ではないから、労働者供給契約と判断されることになる。完成を目的とする目的物が無いとなれば、それは役務提供契約であり、そして労働者供給契約と見なされることになるのだ。すると、請負代金はもらえない。

……その労働者供給基準が民法の側からも提起
されて来ることになるのだ。職業安定法、労働者派遣法、そして請負と労働者派遣の区分基準(大臣告示)の解釈について、民法の側からも決定的な判断が下されることになる。告示改正や新しい通達が出されることになるのは予見出来る。もちろん、偽装請負なのか業務請負なのかの曖昧さは、民法の判断基準からすれば、そんなものは一掃されることにもなり得る。ビルメンテナンス業や警備業などの旧来からの業務請負、新しいサービス(服務)業態その他も、最初から洗い出されることになる。洗い出された後は、もちろん、個別企業の事業として継続することは不可能となる。

……市場や経済の需要面からだけではなく
ここでは民法の側面からも、「高付加価値&高水準サービス」の商品提供といった完成を目的とする目的物を備えた業務となるように、業務改善を迫られることになるのである。その現われ方は、代金を支払わないとの行動になるのだ。単なる人員供給や人海戦術ではないことが鮮明になっている事業であれば、完成を目的とする目的物を備えているので問題はない。もとより、時代に逆行して価値ある目的物を提供出来ない業務請負やサービス業態であれば、すなわち、単なる人員供給や人海戦術を続けているのであれば、民法改正どころか、今や延命の余地は経済的にもなくなって、それは経済的にも、職業紹介事業と見なされるかもしれないのだ。

……実は、職業安定法の行きがかりで、請負事業
と見なされているが故に、それが税法の成り行きから株式会社を形成、そこで事業代表者が社長となったものだから、本来的に経営者ではない者が社長となったがために、下請け外注構造が歪になっていることも事実なのだ。法律の形にとらわれ、税制の仕組みに惑わされていると、こういったことが見えなくなる。
法務省:民法の債権に関する規定改正を法制審議会に諮問
http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi04900044.html
(雇用契約 準委任契約 役務提供型契約)
さて、その民法改正の実効性といえば、金銭支払の有無が関わって来るので民間主導・生活目線の日常的営利行為となり、その実効力といえば税務署、労働基準監督署、職業安定所などの行政施策力どころではないのだ。

2010/11/09

第103号

<コンテンツ>
今この、内需経済の落ち込みは
日本の戦前戦後にわたる労働経済の研究で
「競争力の強い企業が
 若年労働者を集めて、
 新技術・新市場で
 発展するのが経済成長である」

そこで、有能な若年労働者を集めるには
 ★色々な求人手段の特徴
 ★求人の募集文面も工夫が必要だ。
 ★面接で人物を見抜くノウハウとは、
 ★女性労働力が狙い目だ!
 ★女性労働者が扶養家族の状態で
 ★実は、いわゆる賃金理論において、
留意点、中小企業の経営者の心とは

【映画評論】「武士の家計簿」


今この、内需経済の落ち込みは
激しさを増している。それは、円高による不況ではなく、いわゆるリーマンショク以来の、落ち込んだ内需部門の回復が遅れていることに原因があるようだ。円安になれば景気回復するかのように思わせるニュースが毎日流されているが、実態はそうではない。2008年6月、世界の主な金融機関が、金融資本を撤収させると発表して以来、世界の大手企業は徹底して現地生産の方向に向かった。日本の大手は半年余り遅れて現地生産の方針に切り替え、今や国内生産物を現地市場に運んで輸出する方法は最小限にとどめている。また、どうしても Made in Japan 製品の代替品のない製品は円高など関係がない。だから、円高による影響というのは意外と少なく、円高での不況といった結論には至らないのだ。
現在の国内経済や生活環境は、
1.新商品・新市場に向けての投資萎縮、
2.資金回収目的の安売り競争やダンピング、
3.個人や家計所得の低下による買い控え
といった状況である。本来の「デフレ」によく似た現象であるが、デフレ経済とは異なる。そもそも「デフレ」などと語句の定義によって現象を当てはめてみたところで、どうしようもないからだ。インフレと不況が重なる=スタグフレーションは、1970年代から時折発生したが、インフレでもデフレでもなく、今やこれがデフレのような表情を現しているにすぎないとするのが妥当である。
大胆な金融政策で切り抜けようとの議論も盛んではあるが、経済学の視点から身も蓋もない話をすると、日銀をはじめ銀行には通貨が蓄積されているのだが、資本として貸し出せる資金量が把握出来得ないのが、銀行業というものの本質なのである。


日本の戦前戦後にわたる労働経済の研究で
有名な、孫田良平氏は
「競争力の強い企業が 若年労働者を集めて、 新技術・新市場で 発展するのが経済成長である」
と今年の労働経済白書を書評している。加えて、「相対的に労働生産性が劣化して行く産業は、同時に労働者の老化を伴う」との指摘だ。さらに、労働者世帯の所得税は11%減となった家計調査や女性の3分の1が月収18万円以下といった現状からは、旧来の「デフレ対策」すら取られていないと指摘している。(日本労働ペンクラブ10/10)
平成21年度の労働力調査によると、女性パート労働者が961万人となり過去最高、男性パートも470万人となり、派遣労働者減少の中でのパート労働者が増加傾向である。
こういった背景から、9月に入り景気の足踏み、
そして今、肌で感じる所は将来不安と買い控えによる急速な落ち込みである。人を採用するどころか、如何に削減するかが課題となり、その整理解雇の失敗(四要件の欠如)からトラブルを起こし、賠償金を払わされている個別企業は増加傾向にある。筆者への相談も、人員削減や指名解雇(能力がない?との不満)といったものばかりである。
ただし、残念なことに、まだまだ職業能力やモチベーション向上、新しい労働力との入れ替えといった、今切に前向きな経営労務方針に至っていないのが現状だ。いわゆる放心状態である。
だからこそ、尖閣沖の漁船衝突事件ビデオとか、TPPとかの経済外交問題に多くの国民が目移りし、個別企業での目前の地道な積み重ねがおろそかになりかねない現象が出ているのだ。
ひとえに、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を行うしかないにも関わらず、…。


「競争力の強い企業が
 若年労働者を集めて、
 新技術・新市場で
 発展するのが経済成長である」

との戦後一貫して、調査活動(労働省ほか)を基にして雇用、賃金、労働生産性を研究してきた孫田良平氏の発言には重みがある。この言葉から離れて成長した個別企業は、統計調査その他、存在しなかったという訳である。
要するに、競争力の弱い企業はもとより駄目。
競争力があっても若年労働者を集められなかった企業も駄目。
種類はともかく新技術・新市場を開拓出来なかった企業は駄目
との、統計数値にもとづく指摘なのだ。
もう一言付け加えれば、今は、市場変化によるICT産業革命の真っただ中、市場のニーズにこたえられる新技術と人材と、実行する労働力部隊を組織する必要があるのだ。
厳しい話をすれば、旧来の働き方しか出来ない人物は、東南アジア、インド、アフリカへの進出とともに、家族ともども現地に溶け込み、適材適所で活躍することに幸せを生み出すしかないと言えるのだ。ところが、ここに中国は入っていない。それは、近いうちに軍閥経営に傾く中国の経済バブルは弾けるであろうし、現に日本からの中国進出企業は、そのほとんどが赤字転落を余儀なくされているのである。


そこで、有能な若年労働者を集めるには
  (11月5日開催=募集・直採用能力のセミナーの内容の公開)
色々な求人手段の特徴
公共職業安定所=ハローワークの信頼度はなんといっても、労使双方共に高い。労働者の定着割合は他の求人方法よりも良い。
個別企業の柱として人を求める場合に限って、紙面スペースの多い求人誌紙は有効である。求人誌紙は広告料金の効果が低すぎる。
WEB媒体は意外にもあてにならない。
本格的にパート・アルバイトを集めたいと思うのであれば、その地元での新聞折込やタウン誌である。
人数が少ないのであれば、店先の求人貼り紙で十分である。住宅地域の駅やバス停近くに求人の貼り紙を出し、市街地通勤者を狙うのも効果的だ。なぜなら、これからの時代は地元密着型の技能を有するパートが当たり前に必要となるからだ。ICT社会であるからこそ、地元の人が働いていない企業は信用されない。
新しい時代に向けて、高卒採用は重要であり、純粋な新卒ではなく、学校紹介の出戻り生徒も狙い目である。
厳しいようだが、中高年労働者にはセーフティーネットが少しは存在するから、若年労働者の確保に努める必要があるのだ。
ところで、大量採用もするための知人紹介制度にもとづく求人は別として、絶対に友人、フィアンセなどのコネ採用は厳禁、必ず事業の重荷になる。

求人の募集文面も工夫が必要だ。
業務請負(旧来からビルメンテナンス業、警備業、IT開発などがある)と定義づけられる業種は、労働者派遣業とは異なって成長過程にある。適正な業務請負であれば、厚生労働省は規制をかけることはない。こういった企業では、「真面目な人には残業が沢山あります」のようなキャッチが募集の成功ポイントとなる。
「賃金の日払い可能」といった文言は社員登録者募集とともに、有能な労働力を確保する手段でもある、それは消費者金融にも走らない生真面目な人物にとっては助かるからだ。
どんなことがあっても、「明るい職場です!」とか、「やる気のある人募集!」や「いっしょに働きませんか??」といった、若者から意味不明と判断される文言は書かないことである。
とにかく、職種と作業内容をより詳しく明確に、そして時間と賃金を書くだけで募集効果としては良いのだ。そのうえで、キャッチフレーズを考えるのが定石である。

面接で人物を見抜くノウハウとは、
それなりの特技があるわけではない。そういった特技があると自負する採用担当者こそが、実は怪しい。
履歴書とともに職務経歴書の二つを見て人選をすることから始める。一名の求人に対して何十人を人選しようとするには、ハローワークの求人票や求人誌に「履歴書と職務経歴書を送付、不採用の場合には返却いたします」と記載すれば良いことである。
面接票は必ず使う。個別企業の事業に適した面接票を使い、より精度の高い面接を行っている企業も意外と少ない。仕事が出来る人ほどよく知っておくことが重要なのだ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/jinji/mensetsu.html
個別企業の事業の柱になってもらおうとする人物には、何のテーマでも良いから400字以上の作文を提出してもらい、論理性があるかどうかを見極める必要がある。なぜなら、近代の仕事というものは、職制には論理で納得させ、作業者には監督者の人柄で納得してもらって、初めて実のあるものになるからだ。
面接の時は、履歴書の内容を空で説明してもらうことで、経歴詐称だけではなく、嘘をつく人物を排除することが出来る。
そして、指揮命令をする者(店長、課長など)との波長が合うかどうかをチェックし適材適所を図ることも重要である。
採用担当セクションの専業として、採用後3日目のチェック、10日目のチェックを現場に対して行うことで、試用期間14日以内(解雇予告手当不要期間)の労働契約解除も忘れないことである。
管理職の採用は、必ず社長が夜の食事をして見極める、これは社長の仕事である。
古今東西「平社員から将来は幹部に…」といったものは、励ましにすぎず、そういった人事政策を用いて成功した個別企業はひとつもない。
さらに、専門的業種の場合には、その業種の取扱商品の好きな人は採用してはいけない。人材派遣会社で成功した企業は、女性が特別好きな人物を排除、その手段としてスタッフとの恋愛禁止を倫理としたのだ。学習塾で子供が好きという人物は排除しないと、児童わいせつ事件を発生させる。子供が嫌いな保育士は有能な保育をすることが出来る。などなど、要するに組織的かつ専門的かつ高度な作業を行うためには、趣味・嗜好・興味に陥ることなく、なによりも事業として成り立たせるには、冷静・トラブル回避の指向を持った仕事集団を作り上げなければならないからだ。

女性労働力が狙い目だ!
女性就労人口が今より10%増えれば、それだけでも国内の個人購買力は大きく変化する。それよりも家計収入増加のために短時間働きたいとの女性が増加している。
週に3日であるとか、1日4時間であるとか、多忙な時間と曜日だけといった組み合わせである。
現時点で、人に困っている個別企業は、少々の工夫をしても有能な人材は来ないと推察されるから、そこは思い切って(安易・簡便に)、短時間女性労働者の採用を狙うと良いのである。
そこには、理想を追求する採用方針ではなく、同業他社よりも一歩先を行く方針で十分だからだ。そのために、12時間操業の工場であれば、三交替4時間労働にするとか、来客数にリンクした短時間採用もすれば良いのだ。
そのためのICT機器の活用である。そして、専業主婦などの中には、四大卒、短大卒の学歴の高い女性が多く含まれており、やはりその分の成果は認められるからだ。
女性労働力に反対する雰囲気を封じるには、保育所、子育てママ、女性障がい者の採用を手始めにやってみて、ICT在宅ワークなども導入して、女性に対する労働観を変化させれば、差支えはなくなる。
ここでの注意点は、女性が女性を差別するから、現在いる女性の労働観を変化させることがキーポイントである。

女性労働者が扶養家族の状態で
働き続けるには、年収103万円以下に維持することが現実的対処だ。
これを超えると世帯主の配偶者控除38万円が無くなることで、年収141万円を超えて働かないと、家計がプラスに転じない。
さらに、年収130万円を超えると、健康保険に入らざるを得なくなり保険料分を合わせると、本人の手取り&家計収入は少なくとも年収160万円を超えないと、家計収入がダウンすることになっている。
源泉徴収はしない、市民税も払わない、社会保険も免れる…といったことを受け入れる女性労働者は、その95%ほどが有能な人材であるはずがないことを考えると、103万円は課題なのである。
女性パートの人たちは、同僚、親戚、友達の間で、こんなことをいつも研究している、にも係わらず、シフトを編成する個別企業の監督者クラス(店長、係長、人事課員)が、企業規模の大小を問わず全国的に、これをよく認識していないのが現実だ。
こういった女性たちは、有能であるからこそ時間給も高く、仕事の効率は高く、労働時間も少なく、長期間働きたいという希望がある…この希望と事業のマッチングをICT機器を活用して成り立たせれば良いわけだ。

実は、いわゆる賃金理論において、
女性パートタイマーの時間給決定がなされている論理的根拠はここにあるのだ。世間相場だの、統計資料を追いかけても何も出てこない。
年収103万円を年間52週で割って、週の労働時間を30時間とすれば、660円という時間給が出て来る。実態は、この数値がすべての基本となっており、年間52×30=1560時間も働かないことや、最低賃金法での下限制限が織り込まれているにすぎないのだ。
労働者派遣業が解禁される昭和61年までは、この660円の時間給そのままがパート大量募集の時間給となっていた。そこに、当時13職種の技能パート労働が派遣として認められると、660円の倍近い千数百円の時間給パートの需要と供給が一致(派遣会社の仲介)して、技能女性フルタイムパートが現われてきたのである。
その労働政策は、それまで300万人程度のパートといった状況に押し込められていた女性労働力が、男女雇用機会均等法施行と相まって、当初の派遣法の趣旨通りに社会進出を果たすことになったのである。1997年の職安法改正、1999年の労働者派遣法改正により、技能・職業能力が低下する政策に政府が走ったのだが…。
派遣法を制定当時の背景には、当時の厚生省と大多数の国会議員との力関係による政治課題が存在したのだが、現在の法改正案に反対する大きな政治勢力は見受けられない。現実に派遣業者の経営は赤字転落ひっ迫状態、派遣労働者実数もみるみる減っており、さらに派遣元の不当利得を労働者から追求されているといった末期的症状なのだ。


留意点、中小企業の経営者の心とは
とりわけ、たたき上げの経営者の歩んできた人生に注目すると、実は起業に至る秘密の中には、企業組織に馴染んで生きることが出来なかったから、組織から飛び出して事業を興し、必至で頑張ったといった苦労が存在するのである。
そこで有能なのは、失敗にもめげず、叩けば埃が出る体であっても、意志を強く強くして会社を創り上げた逸材人物なのである。
この点をよく理解認識して、作戦参謀である総務人事部門は仕事をする必要があるのだ。
新しい時代、新しい経済成長へと開拓的講座や研修を実施中である。この事業では、株式会社総務部が講座や研修をプロデュースしている。すなわち口先だけの理論ではなく、実践の事例である。(大阪府=働く環境整備推進事業)
・使用者向け:なんでも相談
http://osakafu-hataraku.org/contents/personal/index.html
・募集・直採用能力の人事労務担当者教育
http://osakafu-hataraku.org/contents/training/index.html
・メンタルヘルス対策管理者育成講座
http://osakafu-hataraku.org/contents/mental/index.html
中小企業経営者に対する、その視点があるからこそ、こういったプロデュースが可能となるのだ。今回の募集・直採用能力のセミナーは、毎年5月と11月の半年ごとに実施予定である。それは、半年もすれば、刻々と変わる雇用情勢や採用ノウハウ、あるいは労働力適材適所に対応するためなのだ。セミナーの内容は足が速いので、11月5日に開かれた分のビデオも近日頒布することも予定している。すなわち、刻々と変わるシリーズもののノウハウ提供だからだ。


【映画評論】「武士の家計簿」12月4日(土)ロードショー
この映画は、168年前の武士(加賀藩)の家計簿をもとに、再現された時代考証豊かなコメディータッチのものである。この武士の仕事と株式会社総務部の仕事がよく似たものであるのではないかとのことで、映画配給会社の紹介により筆者は試写会を訪れたのである。
時代は幕末から明治維新にかけて、「家」を維持するために生き抜いた、三代にわたる武士の姿を、ただ単に現しているだけではなかった。安定的に出世をした祖父、機能不全を起こした加賀藩にあって内部告発により藩主直属となった父、官軍に敵対する徳川側として京都伏見まで派遣されたが、官軍側からのヘッドハンティングにより官軍のために働き、後に海軍のために働いた子らの、三代にわたる技能伝承と、時代と共に事務能力(パソコンの代わりに算盤)を発揮した活躍が源流に流れているストーリーなのである。
算盤が出来るから家族を守ったとの軽薄な筋書きではない。仕事が出来るとはどういうことか、仕事をやり遂げるとはどういうことか、「家」を守るとはどういうことかといったことを問い掛ける作品である。
それは、これからの時代の幹部社員と一般社員の明確な差異を、誠実な職業観の視点から呼び掛けていると思われる。家族を守るのか、「家」を守るのかのいずれかの目的性には、やや曖昧さを感じた所ではあるが、岐路に立つ現代人の人生を勇気づける芸術性も汲み取れる作品である。

2010/10/05

第102号

<コンテンツ>
労働者のやる気:モチベーションの激変
「会社に通いつつも…」目的や理念のない毎日の生活。
時代の混乱がメンタル疾患急増
就労適応不全:メンタル対策は社会的急務!
片や、ちっともメンタル疾患が発生しない職場
うつ病の原因は長時間労働とする珍説
メンタル疾患:増加阻止の水際作戦がある!
早期発見方法
早期発見の社内体制
医師への受診をさせる根拠
2週間の通院治療
経営管理の視点からのメンタルヘルス対策とはどれか?
抜本的経営対策の結論は
アカデミックのメンタルヘルス議論
アカデミック色の強い学習訓練手法だが


労働者のやる気:モチベーションの激変
が急速に進んでいる。企業の資金需要を、銀行を通じた(利回優先)金融資本に頼った時代は終わり、新しい経済環境のなかで、労働者の意欲の源泉は日本においても激変した。
1.活動自体から、もたらされる内的な満足感
2.仕事で成功を収め、
3.プライベートを充実
の3項目を一体とさせる為にやる気を出すとの研究(モチベーション3.0:ダニエル・ピンク著:講談社)成果は、日本でもこの数年で一挙に自然定着した。
「信賞必罰」(外的な名誉や金銭といった報酬を中心に構成)は、大規模生産を行うためのルーティンワーク(科学的管理法:テーラー)の仕事方式には有効であった。が、それは今やお題目となってしまった。アメとムチは短絡的思考、依存性、倫理観欠落を助長するばかりにもなった。かの有名な、「マズローの欲求五段階説」でさえも、現在のICT産業革命のもう一つ前の産業革命期(20世紀初頭)を基盤にしていたから、グレードアップした解説をしない限りは、老人が説いたところで、若者はフィクションと受け止めてしまっている。


「会社に通いつつも…」目的や理念のない毎日の生活。
戦前からの計画経済(日本政府:歴代の官僚たちが真似た旧ソ連の経済計画方式)に、どっぷり漬かって抜け出せないばかりか、「失われた10年×2回=20年」を過ごした現時点でも、大半の人たちが、政府をあてにしないとする、「自力更生」の経済や豊かさのあり方に挑戦出来ていないのが現実である。
だから、ほとんど関係無いはずの尖閣諸島の事件ショックが、経営者のモチベーション低下の口実にもなっている現象が出るほど、これが巷の現実なのだ。携帯の通話数量は極東地域が断トツに多く、メールでの意思伝達やKYへの気遣いは日本が最高とのことで……。これを日本人の自由意思の薄弱さと依存性の高さから来る現象とする学説もあるのだ。
そういった社会や経済の混沌とした中で、親や子供への優しさがあるのだから…日本の技術者や技能者は海外へ出稼ぎに行って仕送りをする経済対策!と、真面目に論説する某女性経済学者まで出現する始末である。それは、労働輸出と言って、昔の中国、北朝鮮、ベトナム、そしてフィリピンのお家芸。労働能力の違いはあっても、単にその後追いである。労働輸出を迫られる場合とは、個別企業にシステムとしての技術やノウハウ蓄積が行われておらず、システム販売(今話題なら、原子力発電、新幹線など、このメルマガ前101号で紹介)が出来ないことによるものだ。家電の技術者数百人、町工場の技能者数百人、金型技能者数百人と、今後も増加するであろうが、これは頭脳流出とは全く異次元の事柄である。
ついでの話だが、日本国内において、システム販売を苦境に立たせた政策こそが、1997年の職安法緩和、1999年の労働者派遣法緩和である。とにかく、官僚も学者も、それを報道する大手マスコミ記者も、どこまで依存心が強いのか、時代の混乱によって右往左往するのはインテリの「業&性」なのだろうか?


時代の混乱がメンタル疾患急増
の要因、これが最も妥当な話である。では、この時代の混乱とは何かといえば、様々な論説が混在しているが、経営管理の視点からすると、個別企業が「時代や経営環境に適した働き方」を運営&組織化することが出来ていないから、労働者に混乱が生じているところに根幹があると見ておく必要がある。すなわち、大局的に解説すると、20世紀初頭から開発され進められてきた、大規模生産を行うためのルーティンワーク(科学的管理法:テーラー)の仕事方式、これの変更を迫られている事態に、個別企業が対応出来ていない運営&組織で頻発しているのである。そんなことでは、日本経済が進むべき、「高付加価値製品&高水準サービス」を組織的に商品提供が出来ないと解っているにも関わらず、実態は(戦略や戦術、その準備を整えた上で)個人プレーの労働力に頼ってしまうから、有能な人材の労働力毀損続出となっているのだ。これがメンタル疾患急増の原因である。


就労適応不全:メンタル対策は社会的急務!
経済(市場)・経営環境の急激変化による「就労適応不全」が、各々の個別企業内で起こっていると見るべきであって、これは社会や経済構造に翻弄されて発生しているから、メンタルヘルス対策は社会的急務なのである。20世紀初頭のアメリカでの、農業労働者から工場労働者の労働力異動期に見られた、産業心理学の開発、禁酒法の社会実験、科学的管理法の発明、そういった時代を思い起こさせる。この時代に翻弄されている社会から浮かび上がったのが、フォード自動車(学説はフォーディズム)であった。小説:「怒り葡萄」にも、その心理描写が満載である。
これを世界的に見れば、戦前戦後を経て、浮かび上がった戦勝国・先進国と、結局は浮かび上がった敗戦国や発展途上国に区分けされたのも、このあたりの社会的急務の解決であったとも言えるるのだ。旧ソ連でも、革命家レーニンが、この科学的管理法を取り入れ、小集団活動と合わせて、「НОТ(ノット)」という生産労務管理システムを作って、農業から工業国にと奇跡の無理矢理:経済転換を図ったのだ。日本では、世界に類をみない寺子屋制度→戦前の学校制度、戦後は科学的管理法の論理に依拠したマニュアルの読解と改良に適した学校制度が、それなりの役割を果たし、官僚主導の計画経済(ソ連を真似た)を繰り広げてきた。が、そういった程度では敗戦国になり、戦後は先進国になれたところを、よく認識しておくべきなのだ。
現在のICT産業革命の真っただ中で、結果的に日本が何処へ向かって行くのかは、はなはだ不安といったところだ。
社会的急務であるから、アカデミック色の強い学習訓練手法に頼っていては解決出来るはずもない。その中身と理由はこのメルマガのインテリジェンス巻末で解説する。


片や、ちっともメンタル疾患が発生しない職場
が存在する。今述べた急増原因に基づけば、発生しない職場の説明も簡単に出来るのである。科学的管理法を大枠で徹底し、その実に良好な人間関係を保つための不合理な行為を織り交ぜている職場では、とりあえずのところ発生しない。たまに、業務上外に原因があるとしか考えられないメンタル疾患が、忘れた頃に発生するにすぎない。共感やルールに基づくチームワークでビジネスをこなしている職場も発生はわずかであり、北欧をはじめ欧米には数多い。各国に文化の差はあるとしても、このメルマガの冒頭で述べた、「一体となった3項目のやる気」が存在している。
メンタル疾患が特に多発しているのはICT業界と思われる。あふれる中堅・中小零細のICT個別企業にあっては、業務管理や人事管理など無為無策、現場は、まるで高校3年生が高校1年生に向かって熱狂的に叫んでいるに過ぎない実態である、納期を目指して「太陽に向かって進め!」と。
大手ICT企業を先頭に、協力会社の傘下に総動員してメンタル対策を進めているようである。ところが、参加者の評判といえば、「明日から、どうすれば良いのだ?」に対する解説は全くなく、単なる知識の披露にすぎないといった批判が大多数である。今時、WEBを見れば、様々な情報は流れ、それを加工してメンタル対策の報告書を製本するぐらい、いとも簡単である。確かに、対策のための勉強会などに参加しておれば、下世話な話ではあるが、裁判所に訴訟が提起されたときの安全配慮義務違反での自殺事件対策にはなり、労働基準監督官への顔を向けも多少はよくなる。


うつ病の原因は長時間労働とする珍説
は完全な論理の的外れと構成間違いであり、全くの噂話や迷信の類である。時間外休日労働の労使協定(36協定)の内容とか、就業規則整備などは、メンタルヘルス対策からすれば、関係がない。うつ病の原因が長時間労働にあるとか、衛生委員会でとかの対策などは、長時間労働を規制するための労働時間短縮政策の監督行政あたりから湧いて出た、単なるおとぎ話である。個人情報保護の重要性ともなれば、うつ状態などの疾患の疑いとなった者が、解雇その他排斥されないための防止策そのものである。労働局あたりから出ただろうと思われる、噂話や迷信に、アマチュアや若者たちが乗ってしまったと思われる。当の厚生労働省から発信される書面では、そんな類の話は言っていない。
厚生労働省はメンタルヘルス指針を出している。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/h0331-1.html
ところが、何が言いたくて、何がしたいのか、先月の本省の検討状況をみても、実際の対策にまで落とし込むには、意味不明としか言いようがない。公共職業安定所における自殺対策まで飛び出してきて、社会性トピックスに敏感な社会科学系の、個別企業のアマチュア人事担当者向けの政治的配慮なのかもしれない。だが、昭和50年代ごろからの、こういった労働省官僚たちの、「バランス&世論誘導」手法が、噂や迷信の発生要因になっていると言わざるを得ない。
そういったものの受け皿が、アマチュア人事担当者やアマチュア社会保険労務士である。彼らがWEB検索して、うつ病と長時間労働と安全衛生の文章検索=プリントアウトすれば、「よくぞ、ここまで研究したね」と誰からも褒められる数センチに及ぶ資料の製本ができあがる。この分厚さで勝負、他人を煙に巻く者が幾人も存在する現象が現れる程に、うつ病などを防ぐ実務ノウハウが定着していない現実があるのだ。


メンタル疾患:増加阻止の水際作戦がある!
今述べた急増原因を前提に、筆者が実行している作戦は次の通りだ。人を育てるには莫大な投資が必要であり、実戦配備にはその事業所なりの教育訓練と経費が欠かせないのだから、なおさら、メンタル疾患者の職場復帰は経営にとって必要なのだ。

早期発見方法
人間は生まれてから、軽いうつ病を繰り返し、その都度治っている。だが、要因が重なり重度に再発、医学的に薬物等で治療しなければならない。この一線に踏み入れた時点の発見方法が重要である。
朝4時半に目が覚め再び寝られない:早朝覚醒は顕著な再発現象、意外なことに、この時期は寝付きが良いのである。これを一つのポイントとして、仕事のパフォーマンス激減、周囲を歩き回るといったWEBによくでてくる一般的兆候を観察することである。
中間管理職や監督職が、雑談のうちに早朝覚醒に耳を傾けるだけで、水際作戦は相当成功している。

早期発見の社内体制
業務の工程管理を改善促進する中に、早期発見体制を組み込むことがコツである。そもそも、工程管理がズサンであるとか、工程管理のやりようがないと知識も持たないのに豪語しているとか、こういった管理職?や監督職のもとにメンタル疾患は発生しやすい。
知識ばかりのメンタルヘルスを提唱すると、経営者や管理職は、これを「工程管理:納期との矛盾」と勘違いするのが当然の帰結である。業務・効率・労働意欲の改善と一体になった対策を建議するまでに、メンタルヘルス対策は立案を落とし込まなければならない。「メンタル戦死者」の発生阻止方法こそを、経営者や管理職は、今知りたいのである。(メンタル負傷者が、現に非効率に働いているのだが…)

医師への受診をさせる根拠
メンタル疾患を個人的問題ととらえていると、受診させる根拠は見つけ出せない。事故原因はすべて個人の自己責任といった論調と同じだ。
ちょっと難解な話にはなるが、現在の社会共同体を維持するために、契約の自由が根幹となっている。その中には、私的自治の原則が存在するのだが、経営側には、個別企業の統治権並びに統治義務が存在する。これとともに労働者側には、労働契約に基づく正常な労働を提供する義務があるからこそ、賃金を支払ってもらう権利が存在するといったルールである。そうなると、期待された労働提供義務が履行できない場合は、経営側は履行催告をすることが出来るルールだが、これが受診をさせる根拠なのだ。労働契約がなければ、労働提供義務も受診催告の権利も存在しない。
もう一つの根拠は法律制度としてではあるが、労働契約法第5条に定められた安全配慮義務である。法定法理であるから、契約履行義務である。そもそもの考え方は私的所有権の権利に基づいており、すなわち提供された「労働力のみ」を所有する権利は存在しても、労働力の源である心身までを私的所有していないから、これを破壊・毀損させてはいけないとの注意義務である。言い換えれば、人間の心身まで所有するのではなく、心身から発生する労働力を提供され、この労働を所有する契約であるから、その範囲での私的所有権なのである。家族等の保護責任、公序良俗、信義則、権利の濫用などと比べ格段の違いが実務上も出るのである。
だから、労働提供義務不履行の疑いがあるから、医師の受診を業務命令することが出来、「受診しない場合は解雇になるかもしれない」との最後通牒も可能となるのだ。ただし受診は、会社の産業医とか精神科でなければならないといった医師の指定だと違法性があり、医療機関は本人に選ばせる必要がある。社員数名が付き添って受診に行くことに問題はない。数年前からメンタル疾患を内科でも受け付けており、心療内科と言われていても内科の一分野であるから、受診先はいくらでもある。

2週間の通院治療
多くの医師によると、こういった早期発見の段階であれば、仕事を離脱する必要もなく、早ければ2週間で医学的治療が一段落するとのことだ。ところがうつ病の場合は、本人が受診を拒絶することもあって、相当の段階を経てしまうことがある。ところで、「新型うつ」の場合は、ことさら自らがうつ症状であると主張するケースが目立ち、既に医師の受診を受けているといった特徴がある。
筆者が多種多様年中扱っているケースからすると、
うつ病・うつ状態により「診断書が1ヵ月」の自宅療養の場合、職場復帰プログラムを厳格に完備できたならば、半年程度で元来の労働生産性は回復可能だ。
「診断書が3ヵ月」ともなれば、残念ながら筆者の見てきたすべてが、ほぼ人生は台無し状態である。
「診断書2ヵ月」の場合は、やってみなければ分からない。3ヵ月に延長となると、それでおしまいである。微妙な2ヵ月からの復帰には、外部の専門家を張り付け、その厳格な指示のもとで職場復帰の成功を祈るしかない。その場合の職場復帰プログラムも特殊となり、1日3分間出勤、通用口のタイムカードを押すだけで帰宅させる程の行為から始めるのである。
親として、配偶者として何ら打つ手はないことから、家族は生き地獄の生活と不毛な争いに突入しやすい、もしかすれば突入するのが当たり前なのかもしれない。このきわめて微妙な時期に、労働紛争とか人権侵害事件に進展する要因となる、「怨念」が形成されるから注意が必要だ。
うつ病発生の一報を聞けば、親御さんに連絡をする…といった対策は30年前の学説、定年前の労働者の親御さんの年齢を考えるまでもない。障害年金、生活保護、労災保障、傷病手当金などのセーフティーネットに、経営管理の一環としてメンタル疾患者の保護を載せる必要がある。


経営管理の視点からのメンタルヘルス対策とはどれか?
豊かな日本の社会や経済を再生するには、「高付加価値製品&高水準サービス」を商品として、世界中に直接提供することでしかなし得ないことは、現代社会の共通認識だ。個別企業の再生も個人生活確保も、このポイントから外れれば、きわめてマニアックな道である。だが、共通認識があっても、的を絞って経営管理とか業務運営が進行しているわけではない。
ことに、労働者一人当たりが生み出す価値の質量が増加しつつあるものだから、これに対する労働者の育成投資も増加、そこに労働者の責任負担の気遣いが重圧となっている、さらには、空回りしていたとしても精神的気遣いで乗り越えようとしていることは確かである。
ところが、この責任負担の気遣いを軽減するためのシステムが、業務運営や作業に組み込まれていないから、きわめてストレスが掛かることになっているのだ。うつ病などになりやすい人物の性格が取り沙汰されているが、要するにこういった経営管理の不具合なのだ。またストレス解消法を個人習得したところで、それにも増して「気遣いの重圧」が、輪をかけて増えて来るのが現場の現実である。ストレス解消の極論は無責任、こうなれば、うつ病に陥る心配はないが、労働契約の意味もなくなる。悟りを開いて、「出家」でもされようものなら、個別企業としては、泣いて良いのか自慢して良いのか?……優秀さがゆえに変わった宗教?に走るケースも後を絶たない。


抜本的経営対策の結論は
気遣いを軽減するためのシステムとは、
工程管理であり、業務運営基準であり、合理性がある職場秩序であり、無駄な作業の排除といった諸施策である。業務推進が二の次となっている事が目白押しなのだ。コントロールの原則から外れて、空回りを起こすに留まらず、採算割れでもまだ走っている現実もある。
人間性回復だとか人間疎外論を持ち出す以前の無駄作業に無駄会合、成り行き作業、これらを中止して、「業務改善」を図ることから始めれば良いのだ。こういった諸施策のためにコンピューターをはじめとするICT機器を活用することが大切なのだ。ある学説だと、PCといえども十数年前のスーパーコンピューターの能力を超えている、にも関わらず、ソフトを含めた設備投資効果が最悪だと断言しているのだ(サービス産業生産性協議会会報)。個別企業の会議でも、間接部門であれば、「自由出席制度」を導入して、後で希望者に議事録をメール配信しておけば成り立つケースである。
なによりも、個別企業の経営管理にあたっては、
その企業、その事業所の目的や業務運営を円滑に進める上で、その事業所に応じたメンタルヘルス疾患を如何に食い止めて、労働力の毀損や損失を防いで、労働生産性を高めることなのである。極論すれば、軽度のメンタルヘルス疾患者の割合が多ければ、世の中には繁盛する事業もあるかもしれないのだ。A社でうつ病になったとしても、B社ではちょうどよく働いていることになのだ。要するに、その事業所の目的や業務運営によって線引きされた、メンタルヘルス対策が重要なのである。
メンタルヘルス水際作戦を成功させるコツは、
ひとえに、水際作戦の実務アプローチを、社内職場で納得させる中身の解説が出来ることである。出来なければ、上滑りを起こし理解されない。ちょっと知恵を使って、社内行事のセレモニーとして、外部の専門家を導入し個別企業内の認識を変えるといった手法も活用すべきである。旧来の人間関係だけで意識改革をしようとしても、社長の決断をもってしても不可能なのである。そのうち日が暮れてしまうのだ。
水際作戦のその後に
初めて、経営管理の視点からすれば、「収益・生産・効率・労働意欲の業務改善」を目的とした予防対策の計画実行の着手が可能となる。水際作戦も無しに予防対策などとは、アマチュアの空理空論もはなはだしいのである。


アカデミックのメンタルヘルス議論
は、経営管理の必要性若しくは視点からすれば、まるで的ハズレの対策、無為無策である。それどころか、水際作戦でメンタル疾患発生の防止から目をそらしてしまい、目前の「戦死者・負傷者」の続発、現場の第一線への復帰に時間的ロスを与えることにもなる。アカデミックの世界とは、時間との勝負のない世界のことである。個別企業の経営管理は、アカデミックとは次元が違うのである。アカデミックなストーリーを題材に精神医学系群、産業心理学系群、営利目的群といった縄張り争いを繰り広げているのが現状と言ってもさしつかえがない。巷の紙誌には、縄張りが重複する図面が描かれ、この重複こそに個別企業の責任を負わせるとの学説がはびこっているが、実態は縄張り争いが発生しないよう重複箇所には相互不可侵が行われ、無為無策の空白地帯が生まれているのだ(アカデミックの限界だ)。アカデミックな話を聞いても、益々、明日から何も出来ないことになって当然である。
精神医学系群は、
医科大学を先頭に百花繚乱の学説が繰り広げられているが、「ゆりかごから墓場まで」を対象にアプローチすることが前提で、その事業所の目的や運営と程遠く、合理性がある職場秩序の形成までを、治療の目的としているわけではない。増加傾向にある大手企業かつ若年層を中心とした「新型うつ」などには、職場秩序の混乱がもたらす要因は否めないのだが、精神科医や産業医では理解が出来ないようで、アカデミックの未熟かつ限界なのだ。
産業心理学系は、
産業心理カウンセラーと称しての活躍が期待されているが、所詮はカウンセリングといったメンタル疾患者や疑念者の事後処理であって、予防や集団的対策に至っていない実状である。せいぜいが、産業医や衛生管理者の選任、職場巡回?とか衛生委員会、挙げ句にはメンタルヘルス・マネジメント検定といった、成功している水際作戦と比較すれば、暗中模索の夢物語といった実状だ。巷の占師よりも、社会の施策としてカウンセラーの配置に意味がある。
営利目的ともなれば、
講演会の後に終身所得保障団体保険(うつ病で廃人に…?)の販促があるとか、「メンタル診断アンケート」などと大げさな品物を売りつけるとか、時流の「メンタルヘルス」と称して客寄せを図るとか、金銭が介在しなければ存在し得ない代物である。
どれもこれも個別企業の切望する水際作戦及び、予防対策を含めた業務・効率・労働意欲の改善にはつながっていないのが共通点だ。メンタル疾患の増加で潤う悪徳商売とまでは言わないが…。
アカデミックに乗せられてしまったのか、単に新知識を得て舞い上がったのか、理由はどうであれ経営管理や経営労務を進める上で、疑問視をされる手法も有る。あの対策から、この対策へと次々に新しい対策に目移りして、「対策の貧困」そのものである。それは、コミュニケーションスキル、メンタルスキルケア、ワークライフバランス、コーチングと言われるようなものだ。WEBを検索すれば、掲載されているものだけでも読みきるまでに数週間もかかるほど種類は豊富である。さすがにうつ病対策との案内はないが、ゴルフスクールのメンタル強化まで登場してきた。
ところが例えば、本来の「うつ病」ならば、こういった学習訓練の手法を集団で行った場合、強靭な者はより強靭に成長するが、強靭でなかった人物が対等な強靭精神を身に付けることなど考えられない。また、こういった手法によって、うつ病発生の病原と言われる中間管理職の動きを抑え込んでしまえば、目先の売り上げとか実績の低下に陥ることは確実である。どう考えても、業績向上の現実路線を可能とする根拠にもならない。あくまで、こういった学習訓練は、自由個人の単位で行われるから、手法の効果に期待出来る意味があるのだ。
加えて、「新型うつ病」に、これらの学習訓練手法は逆効果とさえ言われており、前号のメルマガで述べたように、WEBなどで流れている労働者レジスタンス(当メルマガ101号)のネタを人事部自ら提供するようなものだ。これでは益々、職場での不毛な刹那的な秩序混乱を醸成することになる。……「新型うつ病」の多発流行地域は、ほぼ大手企業に限られている。
これらの学習訓練手法は、豊かな学識経験を根拠に伴って紹介されるものだから、素人は一瞬立ち止まって耳を傾けるのだが、元来うつ状態発生後の代物なのだ。新型うつは、米国の診断基準(DMS-Ⅳ-TR)を用いることで、初期うつ状態の早期概念を比較的広く捕えることが出来る発見診療手法の功罪のうち、罪の部分だと指摘する主張も強い。とにかく、深刻度の高いメンタル疾患事例は、そのほとんどの相談が外部機関に寄せられ、社内にカウンセリングコーナーを設けても閑散としているのが現状のようだ。
こういった対策の現状は、人事労務の真の専門家からすれば、単純に納得の行く話なのである。


アカデミック色の強い学習訓練手法だが
どうしてもやりたいのであれば、国家の義務教育として、抜本からこういった学習訓練手法を、小学校1年生から導入して意思疎通能力の向上を図る道を選ぶべきだ。フィンランド:メソッドの事例は、当時35歳の文部大臣が、研究し尽くされた教育手法を突然導入したから、林業と造船業でしかやっていけなかった貧窮国を、携帯電話のノキア社をはじめよみがえらせたのだ。この事例は、スウェーデンに、デンマークに、現在はノルウェーに拡大し、500万人から1000万人の国がよみがえりつつあるのだ。
日本の一般社会人向けには、今更成年に達してからの全人格的な意思疎通能力の向上は困難を極めるから、営業販売、研究開発、スーパーバイザー、間接部門などの職種ごとに、意思疎通メソッド訓練であるとか、素質養成のケースメソッドを行ってみることが1丁目1番地だ。ライバル同士を一同に会してとか、マニュアルの型どおり実施すると効果は激減する。だから、外部機関・公的機関における社外労働者混在の学習訓練から進めるべきだ。これを、現場非正規労働者を対象に考えられた実施例を紹介すると、次の通りだ。
http://osakafu-hataraku.org/contents/training/communication.html
http://osakafu-hataraku.org/contents/training/talk.html

2010/09/07

第101号

<コンテンツ>
円高不況という、マスコミ大宣伝の嵐
「円高事態?」の本質的インテリジェンスをいくつか
総務人事部門は、収益性向上を支える部隊へ
労働者のレジスタンスが
知識習得の勉強では現代社会に通用しない


円高不況という、マスコミ大宣伝の嵐
の中で、日本経済社会の将来を見据えた、地に足の着いた論評は余りにも少ない。マスコミは断片的根拠で、日本経済の将来が危ぶまれると言っているのだ。100ある経済学理論のうち、三つ程度の論理展開で日経新聞は編集されていると揶揄する経済学者は多い。いくらなんでも、社会科学系はアマチュアリズムの傾向が強いとはいえである。事実、日経新聞の記者は文学部出身ばかりなのだ。
新聞・テレビなどマスコミの読みきり三文経済記事とか、インターネットに振り回されて、ニュースからニュースへとわたり歩きながら、もっぱらスキャンダラスでセンセーショナルな些細な事柄にとらわれていないか、すなわち、「言説の貧困化」(ハーバード大学:マイケル・サンデル教授)に陥っていないか、自問自答が重要なのだ。加えて、「言説の貧困化」をしている烏合の衆に感化されていていないかにも、よほどの厳重注意(心を離すこと)が必要である。


「円高事態?」の本質的インテリジェンスをいくつか

☆円通貨以外の主要通貨が切り下げられ円高
になっているのだ。が、日本と按分比較すると、内需拡大政策とか社会保障・雇用保障政策を進めたがために通貨価値が下がっていることが分かる。主要先進国で日本が、その意味で「置いてきぼり」となったから、日本は財力があると決めつけられたのだ。それがIMFの消費税導入干渉(本年7月14日)の口実である。

☆輸出主導で資金繰りや日本経済の金融
を支えてきた大手企業は、今や多国籍展開が華々しい。自動車、家電、半導体その他、現在では国内生産品を海外へ輸送することは少なく、従って円高為替変動の影響をまともには受けない企業体制である。

☆今回の円高をきっかけに受注減
となった中小企業は少なくない。だが、実のところは円高でなくとも受注減に至るのであって、問題は急激であったことに焦点があるのだ。だから、救済策は「急激な円高」対策の範囲であり、円高への軟着陸の範囲なら、どんな政府も対策を打つことはない。

☆従来型産業構造の個別事業は空洞化
するに任せざるを得ない。そこに働く労働者には、個人のもっている高度技能または技術を頼りに、「労働輸出」が始まっている。その意味では日本も、フィリピン、中国、韓国、北朝鮮、ベトナムなどと同じく、「国際的出稼ぎ産業」の流行(産業と言えるのか?)である。家電技術者、工作加工技能者、金型技能者など、国際的人材派遣だ。先日のNHKスペシャルでは、タイ資本に買収された関東の金型工場の技能者が紹介されたが、派遣代金は人材派遣料金形態とは限られない。

☆企業自体に技術・技能ノウハウの蓄積が
備わっていなければ、「労働輸出」は当然の経済原理だ。日本国内には、職業安定法が施行されているから、技能者を雇いさえすれば外形的には、小零細企業たり得た。……これが経済学の原則そのものである。

☆およそシステムとして、
すなわち、環境システム、道路交通システム、電車運行の電鉄システム、新幹線システム、宅配便システム、建築土木施工管理システム、水道システム、電力システム、訪日「観光」産業システム、素材産業システム、医療・介護・静養システム、(地場産業システム)のその他企業規模を問わず、個別企業にシステムとして技術・技能が蓄積されているからこそ、高付加価値製品や高水準サービス(服務)として輸出=需要拡大(含むFTAも)が出来るのである。システムを売るに、円高は悪影響が無いのだ。

☆一方では円高で利益をあげている、
(…円高還元セールの真相は別として)、個別企業は少なくない。将来日本で有望な素材産業は、その一例である。韓国のサムスンやLG製品の素材にも日本産が多い。個別企業のやることはハッキリしている(メルマガ前100号参照)。人気目当てや寄生思考から湧いて出ている円高対策手法に期待をして、個別企業の経営管理の怠慢には、明日の経済的豊かさすら無いのだ。

☆日銀の3月末の国内資金調査によると、
国内企業の手元資金(使う予定のないもの)は202兆円、銀行の預金-貸出等の差額滞留は149兆円、これを合わせると350兆円ほど資金が余っている。ところで、銀行の貸出等には、膨大な内外国債の買い付けを含んでおり、「失われた10年」時期の以前のように産業資本には資金が回っていない。……今の銀行は、利回り目的の金融資本から、国債買い付けと資金の使い道を変えているが、一般市中には高い利率のカードローン(高利貸)なら売るという訳だ。ここが新産業育成(産業資本への資金投入)にとって、極めつけの着眼ポイントとされているのである。

☆所詮、今日の政府の経済政策は、
経済構造転換期の緩和策でしかあり得ない。日本国内では、「重厚長大産業」に投資する意味がなくなり、重厚長大産業育成のための哲学や法制度も邪魔になるばかりか、新しい日本の経済成長には害となって来ている。労働問題等の最高裁の新時代向け判例も目白押しだ。日本のメガバンク全社参加型の「重厚長大産業」支援ファンド設立は、財務省主導であることはもちろんであるが、日本経済はそこまでも来ているのだ。その移行期の日本経済は、みるみるうちに転落し続け、昔に戻る可能性はゼロである。
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/100904/fnc1009040138000-n1.htm

☆大卒の就職率が60%程度
とマスコミも政府でも騒がれているが…。政府の的外れな雇用・経済政策(新卒対策)の出現である。
ちなみに、現代の大学進学率は50%前後。進学者のうち30%程度の卒業時就職率となる。そこでよく考えてみると、団塊の世代の大学進学率は20%弱であったところ、努力すれば卒業時就職は果たすことができた。「就職率30%>:<進学率20%」の数値に着目する必要があるのだ。まして、昔の大学は、学びの「学問の府」であったが、この15年ほどは、「学習の場」に変化しているのである。(だから、今の新卒は、「研究会」といったものを好むのである。…ここに改善ヒントがある)。

☆日本のセーフティーネットや社会保障は、
米ソ対立:冷戦時代が反映して、理念は結果平等を理想としていた。それが、近年の施策基準が機会均等に変わりつつあり、過日の厚生労働省と政府政策は、明確に機会均等の理念に踏み込んだ。政府の「雇用、雇用、雇用」も然りである。今年の4月~6月の労働力調査で、非正規雇用者が、被雇用者の約34%と、はっきり3分の1を超えた。労働者の非正規化は確実に進んでいる。
理念変更に伴い、セーフティーネットは貧困ビジネスに利用され、各老齢年金受給の詐欺事件、障害者passの不正売買が横行し始めている。(政策理念の変更により、自治体職員には、悪事に対処するすべもない)。
さて、こういったインテリジェンスからは………
今こそ、知恵を出して、新時代・新経済環境に応じた、事業と組織を固める時期なのである。それが出来なければ、産業革命や経済恐慌で没落していった個別事業と同じ運命が確実なのだ。
いや、純然たる経済側面ではそれ以上に、NHK大河ドラマの如く、変質をしていると見るべきなのだ。
この沈む日本にあって、浮かび上がる人たち、その社会経済規模は江戸幕府や江戸時代をはるかに超えている。


総務人事部門は、収益性向上を支える部隊へ
再編する必要がある。収益とは、要するに売り上げのことである。
高度経済成長時期、その後の金融資本投下事業において、とかく日本の間接部門は、生産性、効率性、かろうじて労働意欲の順に関わる程度であった。だから、総務人事部門などは、販売営業部門やライン部門から、「金食い虫=稼がない部門」と批判され続けてきたのである。どれだけ、「総務部門は、利益蓄積と企業の屋台骨に関わる部門です」と訴えても、社内で真剣に耳を貸してもらえるような土壌すら無かったのだ。
だから、間接部門の仕事は投下された資本を、
如何に効率よく回転させ、如何に節約して、如何に生産性(省力コスト)をあげるのかといった方向で組み立てられてきた。すなわち、業務運営機能、業務規則、決済伝票、業務日誌、出勤簿、シフト表などの書面を、
→ これからは収益性向上、顧客拡大、顧客ニーズ収集の目的のための書面や図表に組み換え・作り直し
→ これを制度として運用して行くことが重要となるのである。
この組み換え作業から始めないから、「意識改革の」だとか、「戦略的」などと、誰が何十年も言い続けて見ても、いっこうに変わらなかったのである。
決して、過去の成長過程で作りあげられてきた運営機能を、全部を全面否定するものではない。が、これから国内の個別事業が進める内外の需要拡大による収益増加方針には、過去の成長過程を乗り越え・克服した仕事をする間接部門が不可欠なのである。
その意味で、個別企業が従前にとらわれ、従前の仕事方法を習得する程度に、改善目標を設定することでは、要するに問題点を羅列し改善を促す程度であれば、それは個別企業の事業全体の日常運営を危うくしてしまうことになるのだ。そしてそこには、舵を切り、切り開く知恵を、経営者以上に必要とする。
個別企業の日常をつかさどる総務人事部門は、きわめて責任が重いのである。収益性向上、顧客ニーズ収集に向け、組織的に大量の人材集団の舵を取る役目だからである。
ちなみに、
アウトソーシングと言われる業態も、従前横行したコスト削減の手段ではなく、これからの時代は収益増加&社内には無い特殊チームとして発展する。品質・コスト・納期に重点をおくのであれば、「業務請負」の業態を活かすのが良い。ただし、ここでも業務請負企業の内部に技術・技能が蓄積されなければ、偽装請負として職業安定法や労働者派遣法の規制を受けるばかりか、事業の経済性も保てない。(なぜ、職安法違反などが厳罰なのかは、事業経済性がなくなると→暴力や精神的圧迫でもって事業利益確保を図るに至るから、これが理由である)。


労働者のレジスタンスが
現在の日本で、散発的に、自然発生的に、繰り返されていると診て良い。その主要なものは、若年層を中心とした、「現代型うつ」と呼ばれているものである。「新型うつ」とも呼ばれている。
これは、20~30代に多く見られ、従来型うつ病とは、明確な違いがあることが解明されてきた。一概に原因を決め付けるわけにはいかないが、「現代型うつ」の場合は、自らがうつであることを強く表明する。それに対して、従来型うつ病は、同僚や上司から、顕著な症状を指摘されても、突然のパフォーマンス低下が明らかでも、なおかつ医師の診察を受けようとはしない。したがって、人事担当者は、健康でない者の労働契約履行義務の催促とか、企業の安全配慮義務を、一生懸命に本人に説明し、それでも強要未遂ぎりぎりのところで、医師の診断を受けさせたのである。
「現代型うつ」の場合は、さっさと心療内科の診察を受け、診断書を提出して来るのだが、なかなか自分で治療しようという意思が見受けられない。「従来型うつ」の場合は、診断結果が出れば一転して、自ら治療しようと励むケースが多い。人事担当者個人が、いくつもの事例に遭遇して研究するわけにいかないのだが、筆者のような立場であれば、ほとんどのケースが前述した通りである。
それは、アカデミック?な専門紙誌に掲載されているような病状の種類と医学的な解説からは、想定することが出来ない現実である。従来型うつ病、統合失調症は、確かに症状がはっきり現われ、これは医学の賜物である。うつ病が増加傾向にあることは、様々な統計資料からうかがい知ることが出来る。厚生労働省や医師会などの取り組みもあって、産業医や内科医全般の初期受け入れ体制は出来上がっているが、心療内科医の増加により、内科医にうつ病疑いの患者が集中することは下火のようだ。
だが、症状が出てからの個別企業の対応が、圧倒的にお粗末でもある。某ケースでは、弁護士に相談したが、訴状が来るまで静観と言われたから、放置していたが…といったものもあった。しかしどうも、ここが、労働者のレジスタンスの発生源と思われるのだ。「うつ病」と報告すれば、直属上司や総務人事部門がうろたえる事(中間管理職の管理能力評価の減点対象となる)から、まして診断に戸惑う心療内科医や精神科医の足元を見て診断書入手、そのまま「現代型うつ」生活に入ろうとする。「現代型うつ」と言われるものは、本来人事管理が充実しているはずの大手企業に、「よく見られる」とささやかれている。その期間は、結果からすると、数ヵ月から3年程度に及ぶ。とにかく、一定の症状が2週間以上継続すれば、「うつ」と診断する基準が、今の医師の間では広く用いられているから、休職期間中に海外旅行に行く、土日の休日になると晴れ晴れするというのは一般的な序の口で、病院を抜け出し毎日、パチスロでフィーバーとの話も流れて来る。ところで、この診断基準、実は従来型うつ病の早期発見のためのもので、知的障害の早期発見に用いる知能指数の80未満の信頼域(それ以上は原則測定不能)といった代物なのだ。
本題の労働者のレジスタンスに話を戻すと
筆者の相談事例や取組みケースの解決からすると、次のような仮説が成り立つ。ただし、経営学&医学による精密研究ではないけれど、ほぼ百発的中である。
気が合わない上司、管理育成能力の無い上司、会社のことより実は我が身の上司、いじめ嫌がらせ常習の上司などのもとで、「現代型うつ」は発生するのではないか。それは…、仕事をしていても「無能な上司」のために、全く面白くなく、人生将来の見通しも立たず、顔を合わせるのが嫌になって落ち込んでいる姿である。
そこへ、いじめ嫌がらせとか、セクハラで労働事件に持ち込む程度でもなく、雇用情勢も悪いから、今の会社にしがみつく必要もあり、合法的に考えられた、合目的的に考えられた、家族や周囲も納得しやすい手法などである。
前述のように、少なくない企業においては、「うつ病」と報告すれば、直属上司や総務人事部門がうろたえるから、労働基準監督署、裁判所、個人加盟労働組合に比べれば、きわめて気軽な手段でもあるのだ。まして、毎日が憂鬱な者からすれば、わらをもつかむ気分である。
そう考えてみると
「現代型うつ」の疑いを強引に「強調」する者は、逆説的な意味では頭がよく、意思が強く、ある程度融通がきき、理想を追求する良さのある可能性が、本当に強い。同じく、会社側の人事や能力管理が、現場段階では不都合や不具合を起こしている現象として、これこそ早期発見のチェックポイントである。
「産業資本に、大量の資金が投下されると、労働組合運動が増強する」…これが、世界の研究到達点にある学術理論だ。多国籍企業が進出する東アジアも、今後も例外ではない。インドあたりは、労働運動を敬遠して、進出を敬遠する多国籍企業も多い。経済発展のブラジルは、この20年で労働組合が圧倒的強さにまで成長した。この日本では、そういった意味での労働組合運動が、大きくなる見通しは無い。
しかしながら、ここにきて日本は、こういった労働者レジスタンスに見舞われているのかもしれない。サボタージュ(サボるの語源)は、れっきとした労働争議の手段である。フランスのように、顕著な争議行為と認識されないのは、日本の企業内組合の特徴から、経営側も目くじらを立ててこなかったから、すなわち生産性よりも穏便な世間体を選んだからである。
ちなみに、産業心理学とは、アメリカで農業労働者を工場労働者に転用する際の、適応不全(アル中、二日酔いの現象)解消のために開発された学問である。当時、工場の規則的労働に適応させるため、真面目にアメリカでは禁酒法を施行した。経営者のフォードは、禁酒法を推進するだけでなく、生真面目な労働者を他社に比べ倍以上の賃金で採用し、生産性を飛躍的に向上させた。
さて、昔話には、ピーターパンシンドローム、新人類と若者批判のストーリーもあったが、今度ばかりはICT産業革命の進行中であり、一人当たりの労働生産性に期待する労働能力が高いことから、こういった労働者レジスタンスを単なる医学的話として静観するわけにはいかない。障害者のマイノリティー問題に飛びついて、事件を起こす障害者団体や労働組合は、身近に存在するし、誘いもかけて来る。医学の分野だ、個人のキャリア形成だ、経営管理の問題だと、解決を他に押しつけているどころではない。
現代社会に共通していることは、
=解決回避の姿勢からは、偽りの敬意が生じやすく、偽りの敬意は抑圧と受け止められ、そこから反感と反発が生じるのである。


知識習得の勉強では現代社会に通用しない
これは世界的経済再編時代の基本である。さらに、ICTによる産業革命時期であるから、知識よりも意思疎通の能力が欠かせないといった特徴もある。
そこでとりわけ、
重要なのは知恵の習得であり、知恵の発揮のための勉強が必要なのだ。
まして、受験勉強が得意とばかりに、知識偏重の勉学に励んでも、時間の無駄となるのが、今の時代である。戦後、日本の経済成長において、さほど知恵は必要なく、中途半端に知恵があれば出世の妨げにもなったのである。
だが、いまだに大概のところは、「戦略的〇〇〇」というだけで、具体的な戦術がない。コンサルタント系、企業教育系、銀行系のいずれものセミナーや講演が、旧態依然のテーマを取り上げているに過ぎず、それでは新時代・新経済環境に応じた知恵の分野に役立つことが出来ていないのだ。
そこで、筆者が蓄えてきた知恵の分野ための教育事業構想を、このほど大阪府の事業として開始することになった。その実例の手始めは次のものである。
http://osakafu-hataraku.org/kanrishaikusei.htm
まずこれは、メンタルヘルスの組織的対処と業務改善推進のセミナーである。メンタルヘルスの種類や知識の習得といった、従来よくあるものとは全く異なっている。ここまで話し込むことで企業は対策を立てられるのだ。訴訟や重篤になってからは、もっての外である。
http://osakafu-hataraku.org/boshu.htm
こちらは、労働力確保を人材派遣業に頼ったがために、個別企業の自力での募集・採用能力が廃れてしまったものを、復活再生しようというセミナーである。採用者の不都合を見破る法則や、有能な人物の受け入れと育てることの一体化にコツがあるのである。
いずれも、アカデミックとか、知識情報の提供といった、単なる「お話し」ではない。
知恵を提供し、企業体質を改革して知恵を発揮する技術とノウハウを提供するセミナーである。
とかく、「社長の決断」に負わせていた改革の成り行きを、これは「社長へ建議」するものだ。
この20年間ほどに、なおざりにされてきた「学び」を提供するのである。
手始めは、「大阪府=働く環境整備推進事業」ではあるが、
決して巷でよくありがちな就業規則整備、賃金改善、労働法令リスクといった、それも知識習得にとどまる時代遅れのセミナーではない。筆者が30年ほどに渡り、個別企業各社で進めてきた改善・改革の成果に基づく実践実行型なのである。もちろん、このセミナーはロングランを目指している。
さらに、
今日まで日本では、事業として手を付けられることがなかった人事管理者の、「素質育成」を、日本での全く初めての事業として、本年12月22日(来年2月までの7回シリーズ)の開講に向け、シラバスの詰めに入っている。すなわち、その事業コンテンツの大方は新時代・新経済環境に焦点を合わせた、創造的人事管理の素質を身に付けていただこうとするもので、これこそ行政機関の事業でしか困難(民間事業だと集客・採算面が合わない)なのである。
なので、それぞれが、全国から大阪出張していただいても価値があるセミナー等であり、他にも社会保険労務士、キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、経営指導員のみなさんにも推奨するセミナーなのである。……こうやって、個別企業に「息吹」を吹き込む、実践実行である。


★臨時インテリジェンス情報
北朝鮮の44年ぶり労働党代表者会議は、北朝鮮が中国の下請けとして、「改革開放路線」に大転換するかどうかが焦点との情報。転換に踏み切れば日朝貿易再開、在日朝鮮経営者の経営管理激変などへの影響は大きい。後継者問題は、その表向きに過ぎないとの観測で、注目に値するものは経済動向とのこと。

2010/08/03

第100号

<コンテンツ>
重大事件:IMF(国際通貨基金)が干渉…
「失われた10年」の30年目が…
国の財政再建? そこには大きなジレンマが…
民間の経営者センスを発揮して
大量資本投資と事業規模では、もう負けている
「お客様は神様」と念じても…
要領無視:自分流仕事の人物
(メルマガ100号記念・納涼記事)
 猛暑を涼しくする発想=パラダイム転換



重大事件:IMF(国際通貨基金)が干渉…、
7月14日、消費税を15%にせよとの外圧を、日本政府に対してかけてきた。
これこそ、この10年の国内経済を左右する重大事件だ。
IMFといえば、米国ドル通貨を基軸とする要の機関であり、文書で要請してきたものだ。こういった動きは、国民の知らないところで起こっていたから、先の参議院選挙で、「唐突な争点」になったのだ。過去、隣の韓国などは、IMFからの干渉を受け、一挙に経済構造の激変を行わざるを得なくなり、地方の農民などが一挙に都市部に流入するなどして、現在のいわゆる格差社会に至ったのだ。当時も今も、韓国経済は厚みがないので、経済は国際化する一方であるが、国内経済は貧困化、結婚平均年齢が10年弱上昇、少子化を起こすなどの歪みを抱えてしまったことは、生々しい記憶である。
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16293420100714
http://www.imf.org/external/japanese/np/sec/pn/2010/pn1087j.pdf


「失われた10年」の30年目が…
消費税の日本での論議は、誤解を覚悟で二元論的に言えば、「社会福祉に使うか、政府の一般会計に使うか」である。たとえ、公務員人件費20%ダウン、年金の高額部分支給延期(死亡時払い?)、累進課税、租税特別措置廃止などの政策がアイディアとして出されても、消費税を15%(10%アップ)は、現在の日本経済には重大事件、多大な悪影響を与える。
日本の景気は、伸びている海外取引が超極薄利益にも関わらず、回復の兆しと言われるほど弱々しいのが現実だ。国内景気は、どの個別企業も、社員を→契約社員へ、良くて人件費の安い新卒を採用、パートは時間給切り下げ、交通費支給は打ち切り…というほどに事業規模が収縮の一途をたどっている。ただし、正確にいえば、未だに旧態依然の感覚や論理で事業を行っている個別企業が、事実上の終息に向かっていると見た方が正確で、バブル崩壊直後は、中小企業庁曰く、=中小企業の倒産が経済調節弁=といっていたものが、今や大小を問わず調節弁となってきたのだ。
「失われた10年」と日本は評されるが、1991年からすれば、2001年は2回目の、2011年から3回目の、「失われた10年」を迎える見通しだ。


国の財政再建? そこには大きなジレンマが…
ところが、日本の場合、ヨーロッパ先進国のように、もとより年金水準が高く、労働者派遣業を早期に規制するなどで、庶民の生活水準を向上させた上での国家財政赤字とは、根本的に異なることを、新聞・マスコミは無知そのものなので、報道すら不可能なようだ。日本の場合は、産業や事業の最終消費である個人消費が、この20年の「失われた10年」×2回=20年によって、日本の経済規模に比較して疲弊し切っているから、その状況はEU諸国とは全く異なるのだ。
そもそも、人間の幸福感は主観的(奈良時代=干物と乾燥チーズは豪華グルメであった)な問題であるが、経済は発展度合いにおける安定したバランス配分の比較問題である。
≫個別企業で警戒が必要なことは、
どうあがいてみても消費税引き上げ分が、人件費勘定へのシワ寄せ、個人の可処分所得の減少となり、個人消費を極度に落ち込ませ、益々経済活動が低迷することである。個別企業が目先のコスト対策として取る行動は、人件費部分の外注化、契約社員やパートへの労働力の切り替えなどを進め、目先の人件費を削減する方向の対策ばかりが予想される。ところが、この目先の対策は即:焼け石に水となる。
≫そこには大きなジレンマがある。
確かに、消費税を導入しなければ、国の財政の破たんは目に見えている。
片や、政権が崩壊するので消費税を導入しないとなれば、それでも国の財政破たんは目に見えている。要するに、何れにしろ、破たんするのだ。
この類をマスコミは不安を煽るが、破たんすると分かっていれば、もう「安心出来る」のであって、何とか別の道を考えれば良いだけである。
≫個々人の生活でも同じこと。
光熱費まで切り詰めて生活費を節約する…それならば、デフレ時代の緊急対策として、住んでいる賃貸マンションの家賃の値下げを交渉しに不動産業者に電話した方が、よほど家計出費は浮いて来る。持ち家ならば処分して、収入と家計の流れを変えれば、生活は楽になる。踏み倒しは不道徳ではあるが、個人の豊かな生活(経済)を追及することなくして、新しい時代の経済構造は論じることは出来ない。
生活保護や雇用保険などのセーフティーネットを使わずに、労働者がひとえに、個別企業に頼られても困るのだ。


民間の経営者センスを発揮して
だとしても、日本経済回復処方箋の結論は、既に出されている。
今や、「高付加価値製品&高水準サービス」を商品提供する戦略は、
常識的となり、具体的な実行が待たれるのみである。
大手、中小、零細を問わず、海外出荷(直取引)に打ち出るとか、中国人富豪などの個人をターゲットにすれば良いのである。
素材産業や Made in Japan の物づくり、
新しい感覚の、外国人向けの観光産業
(雪や緑などの資源に限らず日本は清潔、礼儀正しく、親切のノウハウを持つ)、
アンチ・エイジ医療・介護・静養、
新食材・新料理・飲食その他の高水準の加工・供給サービスである。
こういった業種の人材育成にこそ、国や自治体が直接人件費補助(月10万円×3年間=詳細はメルマガ90号・下記URL記事の中ほど)するなどすれば、新時代の産業基盤が出来上がるのである。
http://soumubu1.blogspot.com/2009/10/blog-post.html
雇用調整助成金や中小企業融資のバラマキでお茶を濁していてはいけないのだ。セーフティーネットの拡充、高齢者の介護や医療、戦略なき経済政策といった「従来型の政府官僚の主導」には、先行き破たんしかない。


大量資本投資と事業規模では、もう負けている
日本は、オイルマネー、中国朝貢経済、シンガポールその他には、資本でも規模でも、もう負けている。日本企業が多国籍展開をするには、こういった海外巨大事業体に寄り添うしかなさそうだ。すでに、中途半端な個別企業は、中国等の外資に飲み込まれ、このままでは中堅企業は(手ごろに)乗っ取られてしまう。
たとえ国の財政破たんが起きようとも、個別企業が経営出来る道を真剣に考えなければならない。すなわち、明治以来の国家・政府というものにぶら下がって生きてきた経営方法から、ICT時代、別の方法に事業を切り替えることである。商人の旧家に伝わる家訓などが、なぜ勉強になるかといえば、滅亡した一族(民族)が、それ以外の哲学を用いたからに他ならないからである。
…………………………………………
日本で利益率の高い事業を行うには、
文化経済向上、
職業能力向上、
中堅企業育成、
安全都市・治安確保、
社会経済への男女参加、
日本独自文化育成などで、
「ブランドの島国:JAPAN」にするしかない。
…………………………………………
だから、このための人事施策・労働力確保が必要なのだ。
日本の労働力の中心は、猛烈に突っ走った団塊の世代以上の戦後年代ではない。
何をどう、おだてようが、その後の年代は、「既に敷かれたレールを、順調に歩くこと」しか知らないのである。学校を卒業し社会に出た途端、踊って狂って造花が咲いたバブル経済を経験した年代は、社会での生活力さえ失いかけている。「金融資本の活躍をもう一度」とばかりに、一攫千金の白昼夢を見ている者も、まだいる。
まるで、その人たちは、
会社の将来見通し、極貧生活脱出の見通し、片想いの恋愛見通しが立たないときに、占いに走るようなものである。


「お客様は神様」と念じても…
そういった精神論や宗教めいた意思統一で、業績向上するような、おめでたい時代ではない。お客様の発言の通りに何でも引き受けるのは、消費者目線ではない。
いわゆる「お客様」自身が、本来的には、「有益な新たな高付加価値製品や高水準サービスである新商品」、これを考えることは無理な話なのである。それは、近年の経営学では、常識的な理論となっている、今流行りのドラッガー経営学よりも後の学問発展段階でもある。
もとより、実態が消費者目線(=商品は文化経済でもある)に立っていないから、せいぜい、カユイところに手が届く程度のことで、ドラスティックな抜本的商品には至っていない。
▼商品が行き渡っていない地域
(過疎地販売、高齢者宅への配達、WEB販売)とか、
▼商品の販売形態
(小分で売る、色彩、簡易品、超高級品など)の程度なのである。
あなたの身近な例だと、
巷のコンサルタント会社が売り込んで来る社員教育のプログラムは、既にみんながよく知る代物ばかりであり、ちょっと毛色の違ったテーマが入っている程度で、新しい時代の戦略に対応しているとする代物は皆無だ。その理由は、みんながよく知る代物でないと、担当者が無難に飛びついてくれず、安定した売り上げが見込めないだけのことなのだ。
(実は、この新時代の社員教育に政府や自治体の支援が必要!)
消費者目線を持たない企画は、無い物ねだりの商品開発に等しい。
だからこそ、新しい時代の戦略にマッチした新事業を立ち上げることが出来ないのだ。このように分析するのが正解なのであって、今の時代、うかつに動こうとしない資産旧家や叩上げの商売人には、肌で感じるところの、失敗敬遠のブレーキがかかっているのである。
新事業とか起業などと念じるだけが、今流行の素人発想であるから、何も起こるはずがない。銀行を通じての資本投下がないからといって何も出来ないのは、実は旧態依然商品の販売促進事業に慣れっこになっている現状の証でもあるのだ。
ドラスティックな抜本的商品は、海外にも直販できる。


要領無視:自分流仕事の人物
こういった人たちは、先行き不安の時代になると目立って来る。
ここに、労働紛争のある程度の発生原因が存在する。一般的に、労働者の面子や人権に関わる事件は労働基準監督署に相談に行って、直属上司の鼻をあかしてやろうとなる。経営者や会社に対する怨みを持てば、労働組合の威力を借りて怨みを晴らそうとする。「他人に同調を求めるのは愚かだ」とゲーテが語るように、社会共同体の原則である、「統治権と統治義務」及び「私的所有と注意配慮義務」のルールでもって、未然に労働紛争を防ぎ、紛争が事件となれば、早期解決するしかないのだ。
そもそも、ある程度成功した個別企業には、
物事をうまく処理する手続きやコツである「要領」というものが存在する。それを表現する手法に、マニュアル、社内規則とか訓練カリキュラムなどが存在している。ところが、要領を無視して自分流の仕事の進め方を進める人物を生み出しているのも、明確な原因は不明だが、現代日本の学校教育や社内教育なのでもあるのだ。
知識偏重で仕事をする人物は、大学出身者の中にも数多く存在し、この自分流仕事の人たちの範囲に含まれている。大学教育が、ここ15年ほどは、過去の「学ぶ」場から、「学習トレーニング」の場に変わっているので、輪をかけているかもしれない。
そもそも、その会社の「要領」等というのを軽蔑して、人の話を聞こうとしない現象が現れる。あくまでも本人は自分流仕事であって、たまたま自分流仕事の8割程度が「要領」と一致しているだけのことである。だから、ある程度以上の仕事の発育は無い。
会社の「要領」等との不一致が多いと、業務に差し支え、普通解雇の対象にさえなる。本人が努力すればするほど、「要領」から遊離した作業を行うことになり、本人は正しいと思っているから他人を批判するに至り、さらに職場トラブルの原因を作り出す。
うつ病や統合失調症の精神疾患も生み出す。
これに中間管理職が対応する能力がなければ、職場の同僚同士の争いと見えてしまうのだ。同僚同士の一方が相手方を押さえつけようとすると、職場カルトにも発展する。
≫対処療法としては、
◎仕事全体を把握させ、そこでの作業境界設定と他作業との関連を認知させる。加えて、
◎仕事とは、過去の積み重ねのノウハウの上に、初めて成功することを叩き込むしかない。それでもダメなら、
◎個人行動が規律違反になることを理解(就業規則の禁止条項の整備が必要)させるといった応急措置しかない。
新しい時代の戦略に転換する場合は、残念ながら必ずと言ってよいほど、日本の終戦後にノイローゼが多発したように、適応不全のために精神疾患者は出て来る。
≫イギリスの老人介護施設の例
が、抜本対策として参考になる。何故か、その施設の介護士には、次々とうつ病などの精神疾患が現れ、職業柄、安全衛生上で対策を必要とした。それまでは、ケア・マネージャーが介護士に対して細かく仕事の指図をしていた。そこで、ケア・マネージャーの職務を、介護士が分からないことを質問して来た場合にのみ、アドバイスさせることにした。ケア・マネージャーから綿密な作業指示をするのではなく、介護士に現在の担当老人のケア計画を立てさせ、それを実行させたのだ。すると、精神疾患の発生が激減したのだ。ところが、介護士の労働密度は、およそ1.5倍と高くなった。業務改善の事前予測でも、労働密度の向上は介護士の不満を生み、労働紛争になるのではと懸念されたが、きわめて順調に良く安定しているとのレポートだ。これは大いに研究価値のあるケース、日本でも局所的には巷によくあるものである。


(メルマガ100号記念・納涼記事)
猛暑を涼しくする発想=パラダイム転換
個別企業が立ち上がるには、総務人事部門の刺激が決定的だ。
仕事の素質能力向上に役立つ、新時代の戦略を現場で考える上で、気付いたものを羅列してみた。消費税の有無、財政再建可否のマスコミが仕掛けたジレンマの相手はしていられない。
【もちろん、科学的学術的裏付けのあるものばかりだ】。
☆ジャスト・イン・タイムからジャスト・イン・ケースへと、市場が変化するとともに、新しい時代の戦略には有効とされている。産業革命は市場の変化から起こる、それが今の、ICT産業革命である。
☆生産性の高い会社の働き方を現象面でみると、フィンランドでは午後3時に子供の習い事の送迎のために父親が退社するのはよくある話。隣の韓国は、経済規模、人材の質、職業教育の質などは薄っぺらいが、サムスンでは、社員が午後4時に退社、その後は能力向上の自己啓発のために通い、帰宅は夕刻6時である。
☆教育研究者(ベンジャミン・ブルーム)の調査によると、達人を生み出す家庭環境は、子供の育成支援を重視していたのみならず、両親は、強い職業倫理の会話、遊びよりも義務を果たす、目標を立て追及する、そして、「他者より秀でる、全力を尽くす、懸命に努力する、時間を建設的に使う、ということが何度も何度も強調されていた」としている。
☆戦後日本の多くの子供たちは、受験勉強をやりすぎて、知識増殖の思考パターン(知識偏重)に矯正されてしまったようだ。だから、自らの力で職業能力を向上させることは、もはや難しい。世界の優良企業の若手新入社員に対する最大の不満は、話すこと、書くこと、聞くことなどの意思疎通能力が低いことにある。
☆何らかの才能を持つ人物は、やることを探しあてたのではなく、やることが何かを知ることに努めたから、その才能が直接訓練されたのである。また、「この程度で十分」と思った時点で、才能は水準を下降し始めて行く。
☆苦労を重ね習得した職業知識は、新しい業務として開発された仕事では無用となる。苦労を重ね習得した技能でも、消費者や買い手のニーズに適合して発展しなければ、無用となる。ところが、その技能基盤の上に発明された商品は少なくない。ただしその技能とは、「習うより、慣れろ」といったものではなく、具体化された鍛錬のことである。
☆社会で一人前に通用する才能は、およそ10年間の鍛錬が必要と言われ、「1万時間説」とも通じているようだ。この10年は、少し上のレベルの作業を毎回達成するまで追及し、紙を一枚ずつ積み重ねるようにノウハウを蓄積する過程と言われる。方向が独り善がりだと元も子もない。同レベルの作業を繰り返すことは鍛錬にならない。そして、通用するまでが、おもしろくないから、目移りする人も多い。一人前でなければ無である。
☆有能な経営者や経営幹部の才能は、経済的意思決定のミスが少ないことに尽きる。実家が事業家であるなど、幼少の頃から、自然と確率や統計の意味を教わり、実社会における非合理な意思決定を回避している。旧家の商売人、商売人の民族などに育った子供は、幼少期から商習慣、習わし、商道徳による成功の体験、戒めとしての失敗ストーリーを教わっているから、高い確率で経営の才能が開花する。だから、大学院クラスで、これらを学ばせたいとするニーズは世界中で根強いようだ。
☆伝統技能の教育訓練方式に、「守・破・離」というのがある。「守る」とは、師匠や先輩に教えられた通りに作業を行なえるという段階である。「破る」というのは、教えられた技能が出来るようになった後、これを破壊して教えられなかった作業まで自分で習得する段階である。出来もしないうちから破壊するものではない。そして、「離れる」とは、習い・破壊した作業の概念から離れて、一段上の創造的な仕事に進むことである。すなわち、師を超えることが重要なのである。これは、明治の産業革命以来、上からの資本投下で産業育成を行ってきた場合の、宛がい扶持(あてがいぶち)に基づく教育方式とは異なる。
☆発明やイノベーションに、「ひらめき」が役だった例がない。これらは、何時間もの思考と研究の結果に成されるもので、素人を説得する手段として「ひらめきの結果」とか、逸話に仕立てて、善意に説明しているにすぎない。ワットは蒸気機関をコンパクトに改良したのだが、これがすごかった。
☆ビジネススクールでの管理職博士号の学位(スウェーデンなど)は世界的新しい試みだ。ハーバードビジネススクールのMBAは過去のものになっている。イタリアの経営管理は、家内工業的なのか、なかなか表に学術理論として出てこない。
☆新しい物が発明され、それが次第に普及することによって売れなくなる物が出る。そのことで損害を受ける人たちが発生する。この人たちに対して、一定の保護を与えるといった考え方が成り立つはずだが、これが経済規制である。片や特許権は過去に発明をした企業の利益を保護することで、商品の安定供給をはかっている。世界経済で、この整合性が問い直されている。(中国市場を始め世界に商品を売るコツが…)
☆著作権法は、出版社の利害から生まれたものであり、著作者の保護が優先されていた時代には、著作権保護期間は(アメリカ独立の当初は13年間と)短かった。
☆擬似科学とは、本当の科学的権威をもっている人々へのアクセスを制限することによって、擬似科学者が、知識の権力的な性質を模倣・悪用するものである。これは科学とは著しく異なる。知識に関するあらゆる科学的な主張は、(少なくとも原理的には)、例えば、計算、測定、討論によって提供される公に理解可能な言葉に翻訳可能である。政府官僚やマスコミ論調の論理展開の誤りを発見するための一つの方法でもある。
☆事実との一致性が真理の定義を定めるもの、これに対して論理の一貫性が真理の基準を提供する。例えば、工学は物理学に「概念的に依存」しており、一方物理学は工学的な実践の成功を「潜在的に支配している」と言われている。これは仕事というものを論理的に組み立てる場合でも同じことだ。精神論は、ICT産業革命では失敗する。頭脳明晰と評価されていても、この一致性と一貫性でもって、知識偏重主義者の理屈かどうかを見破ることが出来る。
☆修辞学の近年の評価は:修辞的に効果があるスピーチ力は、聴衆を感動させる話し手の能力にあるといわれている。別の人が全く同じことをスピーチしても、聴衆を感動させることは出来ないから、修辞学とはそういうものである。修辞学とは、古代ギリシャ文化に基づく、人を誤魔化すための、詭弁学?と並ぶ弁舌法である。貴方の知り合いの、権威ある高学歴の年寄りたちは、修辞学に凝り固まっているかもしれない。
☆戦後アメリカの裁判での判断基準は変化しつづけて来た。1950年代は自由と民主主義、1960年代後半になると正義と公正が加わる。1980年代からは、正義や公正の前に判断や決定に至る「正当なプロセス」の有無が必要とされる。近年なれば、相互に配慮し合うことが民主主義の必須とされ、これからは、「積極的相互配慮の創造」を求められる。正義、道徳、結婚(同性愛)とかの判断を、中立的立場では論じ得ない(多面的正義論)と、さらなる変化は続く。

2010/07/06

第99号

<コンテンツ>
日本経済、益々の落ち込み、
従来と違う新事業の立ち上げ!
旧態依然の金融資本投下型の事業形態
政府や金融資本投下の事業が前提の教育訓練
緊急! 管理部門での能力養成の一例
育児休業法改正を取り巻く論理


日本経済、益々の落ち込み、
大手企業の景況判断は大幅プラスとなったが、中小企業は依然と低迷している。ところが、所詮、景況判断とは雰囲気的な景気見通しだから、現代では意味もない。意味があった時代とは、政府や金融資本が大量の資本を投下し続けていた時代の判断基準だった。景気が持ち直した状況を示す具体的ニュース報道には至っていない。海外向けの輸出が好調といっても利益が出ているわけではなく、話題の新規事業といっても未だ軌道に乗らず、海外向けや新規事業の利益が経済全体に波及し、豊かさを増すまでには、まだまだ遠い道のりなのである。
正社員の減少・解雇は進行し続けでおり、一向に歯止めがかかっていない。ハローワークでのパート求人も、時給は下がり続け、交通費もカットといったものが急増している。
たとえ利益が出たといっても、契約社員制度、常用パートなどでもって、即戦力の労働者を確保するとともに、人材育成段階の労働者の育成費用をカットして、総額人件費を抑えた結果である。先日、契約社員の活用目的のヒアリング記事が某専門誌に掲載されていたが、ヒアリング7社すべてが、前述のような目的を答えている(運輸、卸売、ホテル、百貨店、情報通信、書店、コールセンター)。また社員の「会社の命運」を掲げての、(非効率な)サービス残業による「会社決算の帳尻合わせ」も、未だ流行している。これでは、将来の日本経済を支える人材育成基盤が先細りしてしまい、ある日突然、契約社員・社員の年齢と共に、個別企業が収縮してしまう危険がある。


従来と違う新事業の立ち上げ!
これしか日本経済を豊かに再生する道はない。マーケティングの視点から解説すれば、世界に住む人々と、海外から来る人を相手に、Made in Japanの商品提供をするしかないのだ。あくまで対象は「人々」である。
中国経済のような現代版「朝貢貿易」とか、世界の開発途上地域経済であっても、商品提供はあくまでも個人消費者を焦点(個人買手への最終供給方式)に絞って取引をすることが重要だ。そのことで政治的な損を防ぐことができるのだ。数千年の歴史を持つイタリア地方とか、世界に漕ぎ出すバイキングの北欧のマーケティング視点を見習う必要がある。
その重要なポイントは、高付加価値製品と高水準サービスの商品提供だ。これを日本国内で活発にする体制を抜本的に再構築・再創造する必要があるのだ。アメリカ方式のマーケティングは、(最終的には)米軍の軍事力の縮小が=取引の縁の切れ目の論理展開であることを、よく認識しておく必要がある。(世界的な三大経営管理論は、アメリカ、北欧、イタリアの三つである)。東に萎縮し続けるアメリカ、西に現代版朝貢貿易の中国、その立ち位置で豊かになる方法を考えなければならないのだ。海賊などの無法者も国際的情報ICT機関を所持する時代である。


旧態依然の金融資本投下型の事業形態
を、まだまだ真似ているようなパターンが多い。すなわち、大量資本投下 → 多大物量投下 → 予定売り上げ向上 → コスト削減で予定利回り確保といた道をたどり、それが富の飽和状態に到達すれば、サービス(服務作業)はカットされることになるといったパターンだ。
その背景には、消費者の目線を無視して、「これなら売れる」との規格商品を、利回り優先のマーケティングにかけ、目標達成の需要を喚起し、流通方式・交通手段をコントロールし、生産・流通コストを抑えて、代金回収を安定させることで、借入金に対する利息利回りを確保し、再び金融資本投下を呼び起こすといったスタイルであったからだ。ついこの間までの経営に関するビジネス書や経営学の流行は、すべてがこういった話ばかりであった。
A.サービス業と言われる業態の真髄は、サービス・レス(省く)であると久しく言われ続けて来たのである。
B.消費者の商品需要喚起のために心理学、文学、芸術、アイドルまでも利用した。
C.宅配サービスは、旧来の同業者間の競争に加え、異業種企業との市場争奪を日常化させた発明だった。
D.クレジットカードは、信販会社を通じて百%代金回収をあきらめた未回収損金を分散する発明であった。
こういった本質に注目しておかないと、これからの時代で通用する新事業を企画することは出来ない。表向きの経営学では教えて来なかったものばかりだ。「戦略的」と口にするだけでは具体性はない。


政府や金融資本投下の事業が前提の教育訓練
が業務をこなすために労働者に施されて来たのであった。だから、根本的に消費者目線の需要を促進するとか、消費者目線での消費を促進するための、労働者の能力開発にはなっていない。
テーラーシステム(科学的管理法:作業計画と作業実施を分離したことが発明)やTWI監督者訓練(やって見せて、やらせて見せて、できたところを誉めて、出来ないところのコツを教える:戦前のハーバード大学)をはじめ、ドラッガーの経営学、アメリカのSQC(日本ではこれがTQCに改訂)、アメリカ発のICT系経営管理方式、最近流行の北欧方式、そのいずれであっても、「今や金融資本の大投資」が見込めなくなった時代を前提とせずに、ただ単に真似る(学ぶ)だけであれば、何をしようが失敗をするのは当然である。
例えば、
イントラネット依存で意思統一の不具合、
主軸のないコミュニケーション促進で職場の気まずさの増加、
部下への間違ったアドバイスと数値一辺倒チェックによる意欲喪失、
ノー残業Dayで非効率な風呂敷残業増加などである。
歴史的には、
空想的社会主義者の代表である英国のオーエンは、紡績業者であったが、当時の工場で働く女工たちに競争とか品質向上の意識を持たせるために、グループ内の優秀者には小旗を立てて、その作業ぶりを誉めて称えたのである。ソビエト革命後、テーラーシステムをヒントにして、レーニンが世界に先駆けて小集団管理「НОТ(ノット)」を導入、一挙に農業国から工業国への転換を図った。戦前日本では、満州国建国からスタートした戦時経済体制のために、ケインズ経済からヒントを得た社会主義計画経済を、(元総理大臣の)岸、大平らが導入、「日本は社会主義経済だ!」と実態評価される戦後経済の礎を築いた。
すなわち、「道具は使いよう」であり、時代環境に合わせた、手練手管なのである。


緊急! 管理部門での能力養成の一例
個別労働紛争向けの「あっせん代理人育成プログラム」の例であるが、貴方の知っている社員教育とは異なるから、各段階の養成項目に注目してほしい。
 1.知識習得:学習したことの記憶を助ける
    従業員代表の選出が必要な場合は、どんなときですか?
 2.理解能力養成:学習したこと理解を助ける
    懲戒解雇と普通解雇は、どこに差異がありますか?
 3.適応能力養成:ある情報を違う場面に応用する
    整理解雇の四要件は、恣意的解雇の排除に役立ちますか?
 4.分析能力養成:異なった事柄を明確に分離する
    あっせん機関での和解と、裁判所での訴訟上の和解はどう違いますか?
 5.統合能力養成:創造力が必要な問題を解決する
    部下に対するイジメの発見を向上させる方策は、業務システムの面では、どういった変更が考えられるか例示してみましょう。
 6.評価能力養成:複数の基準で適切な判断をする
    人事評価制度による労働条件の切り下げは、賃金、退職金、労働時間、労働意欲、労働密度、職場人間関係その他労働契約に、どのように関わりますか?
この例示は、
人事総務部門の最高級幹部クラスを養成する場合に効果があるもので、社員としてのスキル習得・能力向上訓練である。こういったものが、日本の社員教育で教えていなかった「帝王学?」に通じる教育訓練である。ただし、使い道を誤ると極めて危険だ。
内容習得には、ある程度は自己学習で、ある程度はグループ学習で、ところが大半はケースメソッド方式などの訓練が必要な代物である。ケースメソッド方式は、個別企業内部で行なえば、参加者の劣等感を増殖し、精神的イジメ教育と揶揄される危険が必至である。それほど効果があるのだ。だから、社外機関での実施を前提にしての教育訓練、それも日本で導入するなら、手始めに大学院とか公的機関から実施することが望ましい代物だ。
ところが、フィンランドでは、これに似通った方式を、意思疎通向上の名目のもとに、小学生から実施しているのだ(フィンランド・メソッド:英才教育を避けるグループ教育)。だから、残念ではあるが、生産性の高い労働者教育では、現在の日本では勝てるはずがないのだ。子供の時からの教育が必要で、今年から始めても15年後にしか実らない。
ただし、フィンランドの人口は530万人、北欧全体では約2000万人だから、今の日本でも、もう数年は余裕があるのだ。


育児休業法改正を取り巻く論理
6月30日から、改正法の施行であるが、堅苦しい法令の表向き遵守だと、とりわけ女性社員と矛盾を起こしてしまう。それほど今回の改正はインパクトが強い。
今まで、間に合わせ程度の労働力として女性社員を採用しているのであれば、有能な女性社員の実績、提供できるはずの商品供給が進まないばかりか、育児休業や6時間労働義務化がトラブルや解雇事件を引き起こしてしまうことになる。この種の労働事件は、個別企業側に勝ち目はない。裁判が起こされる前に、紛争調整委員会の調停に持ち込まれて出頭義務を課せられることが予想される。
時代は変わりつつあるが、日本社会の構造も一挙に転換するからと、本当に割り切ってしまうしかない。個別企業が費用を掛けて育児休業法改正に抵抗するのか、それとも時代の経営環境の波に早く乗ってしまうのかである。だとしても、個別企業で予備の人員増は無理である。派遣会社に頼んでも、適切な短期派遣スタッフがいる訳もない。
そこで抜本的に考えてみると、すなわち、産休、育休、時短などの育児によって職業能力の習得が中断されるとか、育児退職で能力習得・発揮までに中途半端に辞めてしまうところに原因があると思われるので、こういった不安定な立場を改善して女性社員にも能力向上してもらうしかない。どうしても能力向上したくない女性は、ほぼ出産退職するから、当面心配はいらない。
具体的には、その応急措置のために、残業が付きものの業務とか、締め切りを迫られる業務を、日頃から徐々にアウトソーシングをしておく方法がある。アウトソーシングをすれば、担当窓口の女性社員の能力と質が向上することは実証済みである。本質は、女性社員にいつまでも、同じ作業ばかりさせてでは、業務改善もなくでは、能力低下を起こしてしまうのである。その上で、職場の保育所、公営保育所の充実が、功を奏するのだ。

2010/06/08

第98号

<コンテンツ>
労働者派遣法改正は
「昔の夢よ、もう一度」と時代を読めない派遣会社
厚生労働省は「適正な請負化?」一辺倒
新しい時代の、有能労働力確保手段
例えば、「イケア」はスウェーデン系
日本でも、有能な労働力確保のために
労働力展開の情報収集や情報加工
梅雨を迎え、ちょっと一言


労働者派遣法改正は
総理大臣辞任の政変で6月2日の衆議院委員会強行採決予定がSTOP、今国会での成立を断念したとの情報が流れている。相反する論理を無理矢理合体させた感のある現法案だから成立が難しいとの憶測、社民党の協力がなければ成立しないとの憶測、そのあたりは政局である。個別企業にとっての目前の課題は、現実日本の労働力需給システムの変更で、派遣法改正内容や改正時期は重要ではない。
その注目すべき動きは、今年の5月26日だ。厚生労働省の官僚たちは、民間企業の手足をもぎ取りに入った。
実際の厚生労働省の路線変更は、
一昨年のリーマンショック後の、オバマ大統領当選の知らせを機に、一挙に派遣業界の規制に踏み切ったことからだ。それは、「新自由主義」の本家本元の経済方針が転換するとみたからだ。今年3月からは、一般労働者派遣業の許可要件を引き上げ、安易な新規参入を規制している。
本年3月から4月に掛けて厚生労働省は、
違法派遣の適正化集中指導監督を実施し、5月26日に結果を発表した。指導監督を行った891件のうちの約25%の227件に派遣法違反があるとしている。この集中指導監督は、外見の契約上は専門26業務と記載しつつも、実態は違法な労働者派遣の一掃に向けて実施したのだ。大手派遣会社をはじめ、専門26業務の労働者派遣の実績のある派遣元及び派遣先を訪問して指導監督した。現在の派遣元事業所(本年3月末速報値=一般労働者派遣事業所16,698事業所、特定労働者派遣事業所3,664事業所)の数からすれば、狙い撃ちと威力的立入検査であることには間違いない。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000006n5o.html

さらに続けて厚生労働省は、派遣労働者数等の速報値
(平成21年4月1日から平成22年3月末日まで)を、同じ5月26日に発表した。例年の派遣事業報告時期よりも前倒しで中間発表、特に昨年6月1日の派遣労働者就労基準日の数字を示し、製造派遣:58.9%減、専門26業務:37.7%減、その他派遣:41.6%減=全体で46.3%減との数値を示した。総理大臣辞任の政変さえなければ、労働者派遣法改正の国会審議直前の統計数値公表にも使われていたであろう速報値である。だが、厚生労働省は独自に、これを指導監督の追い風に、これからも使おうとしているようだ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000006njt.html

加えて厚生労働省は、「専門26業務に関する疑義応答集」を
5月28日には、集中指導監督の成果を踏まえ、専門26業務として取り扱われる業務の内容・範囲に関して判断具体例を示した。これにより、データ入力、書類整理、庶務系事務作業、接客応対、マンション管理人などの業務が、専門26業務から排除されることとなり、この影響は大きい。これからは派遣先が、この業務のパートタイマーを直接雇え(時節柄、個別企業は社員を雇えない)、という指導なのである。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/dl/haken-shoukai05.pdf


「昔の夢よ、もう一度」と時代を読めない派遣会社
は数多く存在する。利回り優先の金融資本を、銀行はもちろんのこと誰もが金融資本投資を利用した時代にあって、派遣先は予算管理や目標管理の名のもとに事業資金を回転させ、利回りを追求した時代だった。バブル崩壊以降は人件費抑制時代であったから、人件費を抑制し、外注費勘定となる労働者派遣を、すべての派遣先が一斉に受け入れたのである。外注費勘定の的を射た受注活動を行って派遣会社は急成長した。銀行も派遣会社に融資を行ない、派遣会社の売上金至上主義と不採算延命策を繰り広げたのである。この無茶が、日本の労働力需給システムの破壊と法令違反を招いた(貧すれば鈍する:そのもの)。
こういった時代背景が理解出来ない
派遣会社の営業幹部たちは、いまだに、「昔の夢よ、もう一度」とばかりに、「もうすぐ派遣会社の冬の時代は終わる?」と信じて、現在も強気の体育会系営業方針を貫こうとしている。最近は、単なる筋肉的営業トークでは見向きもされないので、「請負適正化のコンサル」であるとか、日雇い派遣の代わりに「日々紹介事業」と称するなど、良くて脱法行為、実は違法行為を派遣先に指南して、営業・受注拡大を復活させようとしている。「法違反がバレれば、それまでのことさ」といった具合であり、彼らは経済や法律の知識など持ち合わせていない。あたかも合法的指南を標榜する、元有能営業マン、偽装社会保険労務士(資格があるから贋物ではない)が全国的に湧き出してきている。むしろ彼らは、その道の「労働力需給システムの専門家」に至る経路に立ちはだかって、詐欺的営業を繰り広げているのである。その甘い誘い文句とは、「一挙に労働者派遣の需要が無くなるわけがないのだから…」である。まるでこれは、霊感商法に通じるところの営業手法だ。
ほぼすべての独立系派遣会社は、
確かに現在、資金繰りに四苦八苦である。6年前の平成16年の派遣法改正で、派遣会社の支店設立が、許可制から届出制に変更されたことで、独立系派遣会社の支店設立のための先行投資が無駄となってしまい、この時期から赤字転落に陥ったのだ。加えて、同時期からの製造業派遣の解禁で、タケノコのように派遣会社が乱立、ダンピングを繰り広げた。(厚生労働省の不適格業者の排除方針でもあった)。
無理をしてでも派遣の売上額を取ってと
派遣元は銀行融資を打ち切られないために緊急事態を迎えているのである。職業紹介の売上であれば、一件当たり賃金額の10数%である。こんな派遣業売上の10分の1程度では、銀行融資の打ち切りは必至なのである。それは今や社長の生活基盤や家族を抱えて、必至どころか死活問題となっている。派遣会社の多くが、事業経営に安易に参入した人たちも多いから、債務償却手法や事業再生の知識が無いのである。現在、全国で約16,000もの一般派遣事業所、これでは業者が多すぎて過当競争だ。その派遣元経営者は自殺予備軍かもしれないのだ。


厚生労働省は「適正な請負化?」一辺倒
を掲げ、指導監督をしているが、これでは「官制派遣切リ」と言われても仕方がない。
派遣業界は延命策の理屈づくりに東奔西走、完全な受身の守りに入っている。
一昨年までの派遣労働市場のピークは、再び来ることは無い。
グローバル経済と日本経済(高付加価値製品&高水準サービスでの経済再構築)を見据えた労働力需給システムであるからには、
1.業務請負(ポスト契約と事業者のKnow-How)への切り替え、
2.職業紹介事業への切り替え、
3.派遣会社の事業再生(顧客と労働者ネットワークの資源活用)
この三項目セット一体での、新しい有能な労働力の供給手段への切り替えの、ここにこそ、市場変化した後の社会的な事業としての役割があるのだ。
厚生労働省官僚の
頭脳明晰者の「なぞなぞ示唆?」では、派遣元事業者には意味不明、労組幹部は夢にも考えつかない。昭和23年の職安法施行規則第4条の大改正(請負と労働者供給の区分)によって、工場敷地内で事業を請け負う「構内下請」の業態が可能となったが、労働省官僚には想定外の出来事であった。昭和61年の大臣告示は、「業務請負」を公に認めたもの、労働省官僚はビルメンテナンス業の業態に限り、業務請負を想定していた。


新しい時代の、有能労働力確保手段
を作るには、過去の分析をしながらも、個別企業は過去にとらわれないドラスティックな手段が必要なのである。最近、日本料理の業界で流行し始めている、「守・破・離」と同じである。伝統を守り、伝統を破り、伝統から離れること、すなわちドラスティックである。お馴染みの例は「iPad」(ありふれた部品と技術で、PCと携帯の折衷機能を追求)である。
有能な人材に、大いに能力を発揮してもらって、
高付加価値製品&高水準サービスでの商品提供で日本本土の経済を立て直そうというのが、今の日本の経済戦略である。今や、この経済戦略が共通認識となり、新自由主義経済主義は海外に逃走、従来の低賃金+温情心的労務管理は国内で通用しなくなった。
そこで、米粒に満たない少数の高級エリート優先指向から、有能人材集団の育成指向に、労働力確保を求める例として、北欧型経営管理(世界三大経営管理とは、アメリカ、北欧、イタリア)が注目されているのである。


例えば、「イケア」はスウェーデン系
の家具小売りチェーン(25ヵ国店舗展開)である。ここでの労務管理のポイントは、NHK-TVでも紹介されたが、少し補強して説明すると
1.社内で敬語は使わない
2.社長の机がない
3.午前と午後のコーヒーブレイク(FIKA:フィーカ)
   (専用コーナーで、コーヒー&パン・チーズ)
の3ポイントを実行しているところにあるという。
携帯電話大手のノキア
(もともとは、国内林業の会社)この会社の事業を生み出したフィンランドの教育(フィンランド:メソッド)の特徴は、義務教育9年間の間に、教師が「どうして?その答えになるの?」との質問を浴びせかけ、児童達もお互いに「どうして?(ミクシ?=フィンランド語)」と次々質問する方法である。この方法で、児童の論理性と意思疎通能力を向上させる。加えて、日本の解説書では伝えられていないポイントがある。それは数人単位のグループ教育を徹底し、エリート教育をしないことだ。その理由は、「解る児童が、解らない児童に教えれば、それはエリート教育に勝る」と、エリートと一般人の意思疎通障壁を児童の頃から解消することで、高水準能力のチームワーク体制を大人になって築くことができる方式だ。この基礎教育方式は、林業と造船業しかなかったフィンランドが、産業構造不況から脱却して生き残る道を歩むために、欧米の教育手法を研究して新開発したものであった。そのために就任した文部大臣は当時35歳であった。
スウェーデンは人口約930万人、フィンランドは約530万人、いずれもヴァイキング精神を引き継ぐ地方ではあるが、それにもまして旧ソビエトの政権圧力や計画経済圏(革命直後、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーはソ連領内)から、名実共に脱却する必要に迫られていた。ノルウェーも一歩遅れて教育改革の真っ最中で、水産資源や北海油田資源の宝庫である。北欧型経営から導き出される、有能な労働力確保のKnow-Howのポイントである。


日本でも、有能な労働力確保のために、
改正育児休業法をこの6月30日から施行する。3歳未満の子を養育する労働者には、原則6時間勤務制度の導入を義務づけたが、趣旨は子育て中の有能な労働者の定着である。介護休業も、親の介護のための離職を防止したい趣旨である。保育所の増設も、子育てによる離職を防止するためである。すなわち、職業能力蓄積の中断防止とか、中途半端な能力者の対策を施し、男女問わず有能な労働力の確保・安定を図ろうという訳である。
今の個別企業に散在する、「成り行き管理」
のもとでの「間に合わせ程度の労働力」では、提供するはずの新規商品が供給出来ない。それに留まらず、その事業計画は頓挫してしまうばかりか、個別企業の設立理念まで否定されてしまうのである。過去、日本的労務管理と言われた時代でさえ、新入社員から40歳程度までの男性への教育スケジュールだけが、大手企業に限ってのみ存在した。40歳を超えれば、何れの企業も無為無策、これを称して自己啓発と名付けていたのだ。女性労働力に至っては、職業教育どころか、社会教育すら施されずにいた人たちも多いことから、今やパートタイマー職場の業務改善の足を引っ張る事態(例示=お局、カルト、小姑など)も引き起こしているのだ。
ましてこの10年ほどは、職業教育を中途で停止してしまった派遣労働者を大量に発生させたのである、特に意思疎通能力低下に起因する職業能力の向上停止として。個別企業の人材採用能力も、派遣業者への安易な依存で落ちてしまった。
これから始まる、
「新しい事業のためには、新しい労働力を展開する人事システム」
が必要となる。
1.その主力の労働力は、短時間労働力であることに間違いはない。
2.旧態依然の社会を築いた人たちの論理構成と、30代のそれは明らかに違う。
3.進学率50%の大学教育も、この15年間に、「学ぶ場」は否定され、「学習の場」に変質。
4.長時間働く労働力を求めても、その絶対量が確保出来ない。
5.市場変化のスピードに、まともに合わせて長時間働かせると、燃えつき:すり切れてしまい、「退職か精神疾患の2択」が待っているのだ。


労働力展開の情報収集や情報加工
は、個別企業でどの程度行われているのであろうか。まして、パートタイマー(時間給者)とか契約社員(1コマ~1期限給の者)ともなれば、販売上の説明トークはともかくとして、「間に合わせ程度」の労働力(能力者)としてしか、把握されていないのが現状である。
先にも述べたように、時代を先取りして、有能な短時間労働力(パートタイマーなど)を展開できるかどうかが、新しい時代の事業展開の基礎となる。社員としての身分を必要とするのは、マネジメント職やその候補者としての人材に限られる。グローバル経済において成長するには、こういった人事制度は不可欠なのである。
そこには、
労働力の展開を日常的に情報収集するシステムを必要とする。
今日までの日本では、社員としての人事管理、または、「間に合わせ程度」の労働力を基本に考えて来たので、こういった意味での情報収集や情報加工は、今でも未熟な段階である。
★最も基本的な労働力展開の情報である賃金計算は、「給与計算」と称する、PCソフトによる「どんぶり勘定」と言っても過言ではない。
★時間外割増賃金の計算機能を持たない、給与PCパッケージソフトのテレビ宣伝(日曜朝)が、に繰り返されているのが、日本の実状である。
★労働基準法の労働時間集計法すら知る由もないと、無秩序な賃金計算を行ない、このため従業員の不信が募るばかり、不満のはけ口としての予期せぬ賃金不払い事件も招いている。
★POSシステム、カード読み込み、指紋認証などの出退勤記録システムを導入すれば、必ずといっていいほど、空残業、架空人物、だらだら仕事の頻発、これに気付かない。
★気付いた時点でも、経営トップを先頭に素人がゆえに、「それは仕方がない」と無秩序・無法者に対して、売上のためには諦めるしかないと我慢(錯覚)しているのだ。
=最も重要な労働力展開の情報収集は、
出退勤記録の生データからの収集である。機械化しても限界がある。ここへ踏み込むには専門技能者の手作業によるデータ収集しか、現在のところ方法がない。機械とか素人集計では、生きた情報収集が出来ず、もちろん情報加工にまでは至らない。
=もっとも現状は、
機械化でも可能かつ(商品供給の要である)就労者の勤続年数平均、年代把握、平均年齢、通勤圏把握すらも情報加工されていないのだ。地元密着型事業に不可欠な地元のパートタイマー活用と言われて、既に数10年と久しいが、旧態依然の集計作業(これが給与計算の実態)に明け暮れている。
まして、パートタイマーその人のOJT記録、キャリア形成、卓越技能、特技の調査、地元影響力などの情報収集すらなされていない。情報加工して、これを業務に活かす手立てなど、全くもって取り組みようもない粗末さである。
パート賃金計算、これからは、
集計作業とともに情報収集と情報加工を合わせ持つことが重要である。
 = 新しい労働力展開には、新しい人事システム =
要するに、「iPadの開発」に象徴されるような、頭の良さによるイノベーションである。そのソフト開発も、エクセル程度のプログラムで十分である。
他社より一歩先んじておれば、東アジア経済圏?でも、立派に通用するのだ。


梅雨を迎え、ちょっと一言
やはり今年は異常気象であることを実感。昨年の今頃は、豚インフルエンザの対策に各企業とも追われていた。幸いにも病状は重篤ではないケースが多かった。今年は、これから夏に掛けて、1日の気温の上がり下がりが激しく、突然強い通り雨が多発するとのことである。既に、この4月から、湿度の変化による、室内でのカビの発生が取り沙汰されているようだ。もちろん、温暖化と湿度変化に対応する木製品建材(間伐材等)の活用や、施設の間取り工夫(風通し)は、昔の日本式家屋以上に工夫が必要となる。除湿剤、除湿機、換気扇では間に合わない。
室内のカビ菌は、鼻炎から始まり副鼻腔炎を起こす。体力が弱いと、そのまま肺炎となる(のどの炎症はなく、突然、気管支の痛み)。通常の風邪であれば、鼻炎→咽頭炎症→喉頭炎症→気管支炎症をたどるケースがほとんど。
貴方の企業では、この春から→湿度の変化→室内のカビ多発→鼻炎の発生、この現象に心当たりはないだろうか? その場合、予防的に個別企業として対策を打つ必要がある。カビ菌は高濃度エチルアルコールで色まで除去することができる。臭い物質(におい・かおり環境協会)なら水溶性だから、飛散防止のためには壁、机、ロッカー等の水拭きが最も効果的だ。空中浮遊のカビ菌対策(細菌やウィルスも)は、二酸化塩素ガスの空気中保存技術により殺菌することができる。どうも日本独自の世界特許技術らしい。
http://www.seirogan.co.jp/products/eisei/mechanism/patent.html
ところで、宮崎県の口蹄疫は、農林水産省の対応の遅れではなく、官僚のずさんな検疫処理によるものとの疑惑が出ている。昨年の厚生労働省の豚インフルエンザの対策には、はるかに劣る事件と学者の間では揶揄されている情報も入っている。奈良県:高松塚古墳の文部官僚不祥事による、カビ菌の壁画付着事件と同程度かもしれないのだ。
日本の医療制度は、豚インフルエンザも然り、厚生労働省が動くまでは、ほとんどの医師は組織的対応をしない特徴がある。豚インフルエンザを風邪と診断した医者がいた。だから、個別企業も家庭も、自前で防衛する必要があるのだ。日本政府の場合、疾病管理予防センターや自衛隊緊急配備されるわけでもない。東アジアの社会の特徴からすれば、自ら命を守らない限り、単なる犠牲者として葬られる。
この春から、煽っている訳ではないが、ここは大阪の中心、当社を取り巻く鼻炎多発状況は、確かに変なのである。

2010/05/06

第97号

<コンテンツ>
実体経済が低迷していることは
中国に頼って景気回復を見込んでも、
上海万博ならぬ上海パクリ博
個別企業の大局的戦略
新日本経済に合わせた個別企業の社内制度作り
時代に合わせ、賃金規定のどこを変えるか
 1.賃金の決定とは、
 2.計算・支払の方法とは、
 3.賃金の締め切り及び支払の時期とは、
 4.昇給に関する事項とは、
 5.勤続手当の目的は?
 6.住宅手当も経営側の自由
 7.家族手当にはどんな意味が?
 8.通勤手当も考え直す必要が
 9.役職手当と役職給は違う
 10.退職手当(金)は労基法上の賃金ではない
 ・それを処理する事務処理能力も


実体経済が低迷していることは
統計数値がどうであれ確かだ。男性の完全失業率は5.6%と異常だ。個別企業のほとんどは、概ね企業防衛に入ったままであり、かつ次の事業計画のリサーチ、シミュレーション、スタンバイといったところである。好調ともてはやされている業態だとしても、利益幅の薄い中で何とか資金回転をさせているにすぎない。5月1日からの上海万博に、世界中の経済が、この博覧会に期待を掛けているかのような報道が続いている。4月に入ってからの大手マスコミ報道に経済ニュースが少ないか、または断片的なものばかりに、上海万博のニュースが大きく見えてしまう。断片的な大手マスコミ報道などに惑わされていると、個別企業の対策は迷路に入ってしまう。インフォメーションに振り回されて分析に明け暮れるだけでは、道は切り開けない…ここにインテリジェンスが必要になるのだ。


中国に頼って景気回復を見込んでも、
数年前の二の舞、あのときに個別企業にとっては豊かさの方向に働いた訳ではない。むしろ、人件費削減、人材育成後退、新商品開発劣化と、将来の企業経営にはマイナス方向に動いた。貯蓄や利息は増えた?かもしれないが、日本の経済構造の長期的スパンでは低迷の期間であったのだ。
中国は、改革開放路線として低付加価値製品の組み立て加工でやってきた。いわゆる文化大革命で、高付加価値製品や通常サービスを実施するための人材教育が中断したから、この道しか出来なかったのである。すなわち、文化大革命の内戦(上海を除く地域での銃撃戦)と、下放(高学歴青少年の農村追放)の二つによって、この年代の高付加価値労働の基礎となる高等教育がすっぽり抜けてしまったからだ。
それは、組み立て加工産業で生計を立てる労働者が多いということは、高付加価値の産業革命を起こそうとしても、低付加価値労働に慣れ切った人たちの抵抗が、並大抵ではないことを意味する。その意味で、上海万博で高付加価値製品の世界工場を目指すとする意気込みは、30年ほど経ってから、やっと実現するとの見通ししか立たないのだ。
学校教育を含め、今から文化、教育、労働価値観の変更をなさせようとしても、新生児から進めなければならないからだ。Google事件の如く、知識の国家統制を行っていては、知識も知恵も広く積み上がることは出来ず、いつまでも低付加価値労働に頼るしかない。科学進歩の花火は打ち上げられても、高付加価値産業が燃え盛るには無理があるのだ。
科学・技術よりも国家の権力体制維持を優先した場合、経済が停滞するのは、当の中国歴史が物語っている。唐の時代までは世界唯一の先進国家であった。が、ヨーロッパに抜かれ(理性と科学重視の文化に因るとの学説がある)、欧州産業革命で衰退し、あげくに列強の植民地支配となり、そしてアメリカと国連の後押しで間隙を縫って独立できたといっても、過言ではない。広大な中国をひとつにまとめ、間隙を縫うことができた統率力と組織力、この種の主体的力量では、高付加価値製品や高水準サービスを生み出す経済環境を作り上げることは不可能なのである。近代の列強植民地支配の下での商習慣の衰退(騙し、抜け駆け、横槍、賄賂などの手法への堕落)を経て、戦後の経済外的強制である統率力・組織力(人民解放軍とヤクザ)が支配する中国構造が出来上がった、と説明すれば、誰もが容易に納得できる話である。(これが現地からの中国深層内部のインテリジェンスだ)。


上海万博ならぬ上海パクリ博
素人に中国投資とか取引は危ない。先ほど説明した中国構造と渡り合えるだけの人材は、日本の通常の個別企業には、ほとんどいない。生半可に台湾や香港を仲介したばかりに、輪をかけてハメられてしまった会社も少なくない。天安門事件(1989年)以降の現地からの中国深層内部のインテリジェンスを聞いたとしても、次々と自信過剰な日本人(中国から見下げられる者)は後を絶たないのが現実ではあるが。
日本人の既成概念からの万国博覧会を想定するから間違うわけで、上海万博に出展されたモノのコピーが世界中に出回ると覚悟しておいた方が良いのである。技術を盗まれるのではない。コピーされるという事態である。コピーされたくなければ、「中国に進出してきたらどうだ」といった、中国政府からの誘い?恫喝?も予想される。
その前に、汚職の分配システムで成り立つ中国構造であるとか、中国全土の富をピンポイント(オリンピックや上海万博など)にかき集めた反作用、低付加価値の組み立て加工産業の停滞が問題となる。俗に中国バブルの崩壊である。


個別企業の大局的戦略
を考えれば、それは高付加価値製品や高水準サービスの商品提供でもって、世界各地に Made in Japan を直接販売すれば良いだけの話である。それを支える日本国内の産業&文化経済に寄与する事業を行うことも大局的戦略につながっている。世界には、中間所得者層が8億人とも、中流階層が10億人ともいわれている。
金融資本に振り回され、次は中国に振り回されることはないのだ。中国には、1億円以上の貯金をもっている富豪が、数年前で4千万人いたから、この人たちに直接買い出しに来日してもらえば良い。そういったビジネスは経営としても賢い。日本の経済構造として世界を相手にしておれば、中国がどうなろうと、さほど影響はない。そういう意味では、政府や知事が日本製品を世界に売り込む、この政治の出番である。過去のような、個別企業や国民から富を吸い取ることしか考えていない官僚(株式会社日本)とか、民間個別企業を後押しない自由放任政治(新自由主義と金融資本)では、日本経済がやっていけないのは確かである。


新日本経済に合わせた個別企業の社内制度作り
が、日本の経済構造では、とても重要になる。個別企業の業務実態は、特に末端の事業オペレーションの現場では、旧態依然の運営がなされ、実際のビジネス成果との矛盾を起こし、事実上の組織崩壊とか受注低下を起こしているところが少なくない。とりわけ、社内規則が事業オペレーションを疎外しているか若しくは、社内規則を無視しなければ事業が進まないといった事態も引き起こしている。この事態が、個人プレー&無政府・無法経営を引き起こすに至ることもあり、事業実態が傾いているケースが目立つのである。資金繰りの行き詰まりに至るパターンは、過去の経営学で研究され尽くして来た通りである。研究された倒産パターンの道を阻止出来得ないのは、時代の事業に適合したオペレーションを行おうとする労働意識が形成されていないからである。
労働意識改革の形成、その中心的底流(労働意欲)に位置しているのが就業規則や賃金規定である。賃金体系も人事体系も、法的整備は就業規則や賃金規定でなされることになっているから、これらの整備不良は個別企業の組織的オペレーション自体が成されてないことになる。本来のコンプライアンス尊重というのは、事業オペレーションが反社会的なものではないとの証明である。個別企業と労働意識改革とが反目しないための証明をするための手段でもある。反社会的事業では、多人数を組織的にオペレーション出来ないから、すなわち事業が成り立たないから、反社会的でない証明が必要なのだ。賃金不払い、解雇無効、労災事件が発生し、それが経営側敗訴の裁判となったときに意味するところは、事業オペレーションが反社会的であると「認定」され、それにより意欲低下を含めての労働意識改革の中断する典型的ケースである。
中堅・中小企業の事業発展に、ブレーキがかかっているのは、いわゆる意識改革中断がはびこっており、これを経営陣の力量でカバー出来ていないからである。経済・経営・社会学的には、それだけのことで、こういった社会科学に関心のない個別企業であるからこそ、事業の発展とは無縁なだけである。労働意欲が出れば、意識改革がなされれば、…と経営側が念願するとしても、そのキーポイントになる、具体的仕掛けが重要なのだ、「愛とは眼差しと仕草」と言われる様に。これが就業規則&賃金規定(労働力の仕入れ規則)であるのだ。


時代に合わせ、賃金規定のどこを変えるか
とりわけ、労働契約の成立が、「労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する」と、労働契約法第6条が制定されたからには、賃金規定が極めて重要になる。
労働基準法では、労働時間の明示を前提に、賃金について、「…決定、計算及び支払の方法、賃金の締め切り及び支払の時期、並びに証拠に関する事項」を必ず記載した就業規則(この部分が賃金規定)を周知しなければならないとしている。労働時間の明示がなければ週40時間労働である。
これは、法律に定められているわけだから、公の秩序である。だから、これに反すると反社会的と非難を受けても、それは仕方がないのである。企業であるから、小さくとも社会的責任が在るから、何としても合法的でなければならない。ここに、知識不足や認識取り違えがあり、経営陣の主張の合理性のない事態も出没して、労働意欲の低下と惰性の労働姿勢が蔓延するのである。最低限の賃金規定について解説すると………

1.賃金の決定とは、
学歴、職歴、技術、役職、年齢、経験、資格、技能、素質、就労する職務、業務遂行手法その他の、賃金決定要素のうち、個別企業でどれを選択しているかの表示のことである。「総合的に勘案して決定する」と記載すれば、賃金は総合決定給となる。いくつかの決定要素を選び、職能資格としてランク付けすれば、職能資格給となる。ある能力水準以上の職種に就くのであれば職務給である。
労働基準法では、どの決定要素を取り入れ、どのように運用しようが、差別にならない限り、個別企業で勝手にやってくれと言っている。賃金表(給与表)などは、これらの決定要素を取りまとめ、昇給条件と合わせて一覧表にしたものである。賃金表などの書き換えを、ベースアップ(ペースダウン)という。昇格は職能資格が上がること、昇進は役職が上がること、昇給は制度的に給与が上がることをいう。渡し切りの時間外手当は、何時間分と賃金規定や労働契約書に記載がなければ、時間外手当にはならない。
「賃金とはこういうものだ。」とのぼんやりした概念は、幻想であり、事業目的に合わせた労働力の仕入れをしてないということだ。ぼんやり仕入れをしているということは、当然ぼんやりした仕事の成果しか期待出来ない。成果主義の賃金理論は、同一の職能資格内での評価判断方法であり、コンサルタントに騙されて単なる歩合給に変質しているようでは、ぼんやりしているのと結果は同じである。30年ほど前のぼんやりした時代に、今更戻ることはあり得ないのだ。

2.計算・支払の方法とは、
単位時間当りの賃金をいくらとする時間給、1日当たりであれば日給、一週間となれば週給、暦日数や出勤にするに拘らず一箇月いくらとする月給制、1年間が年俸制、出来高に応じると出来高払制である。
時間給や日給は、出勤日数を積み上げて計算することになる。週給や月給は、決まった額から欠勤した分を控除して計算することになる。一切控除しない月給は完全月給制、これは管理職に多い。月給といっても日給の積み上げ計算するのであれば日給月給(注:雇用保険の離職票は違う意味の計算方法に注意)である。年俸制も管理職が多いから、欠勤控除の運用は少ない。
時間外労働などの割増賃金は、労働基準法を上回る方法で割増率を定めることになるので、事実上、計算・支払方法の記載が必要である。「52週×40時間÷12月=173時間/月」でもって、割増賃金の基礎賃金時間単価を出した場合、わずかながらも労働基準法を上回ることになるからだ。賃金の端数計算処理も、わずかながら労働基準法を上回ることになるから、その記載も必要となる。
不備があるパソコンの某パッケージソフトがテレビで宣伝され、単純な計算間違いを起こしているにも関わらずトラブルが起こらないのは、仕事実績は二の次の給与方式だから、労働者にそれなりの納得があるからだ。だが、使用者からすれば、仕事二の次の労働者を必要とはしていないはずだが…。また、経営者のポケットマネーで雇った方が透明度の高くなる労働者も存在するのだ。(10人未満の事業所ならば、賃金の決定、計算、支払方法は、どうでも良い。ただ、法律の使用者保護はなくなるが)。

3.賃金の締め切り及び支払の時期とは、
賃金計算の期間の末日が締め切り、支給する日が支払の時期である。
締切日の設定は、毎月1回以上定期的に支払われることを前提にすれば、毎月何回締め切りにしようが自由である。要するに、作業ごとに、現場ごとに、その労働者ごとに締め切っても良い。
支払いも、事業ごとに、部門ごとに、役職ごとに、社員やパートの身分ごとに、支払日を変えても良い。定期的であれば、売掛金回収に合わせて支払っても良いのだ。ただし、一箇月以上先の支払いは、公序良俗の善良な風俗に反し問題はある。
口座振り込みは、あくまでも労働者の希望によるものとされ、その希望は銀行口座の届け出で希望があったと確認されるが、口座振り込み希望に応じるか否かは、事業主の自由である。
給与(サラリー)、賃金(wage)は、いずれであっても労働基準法上は賃金であるが、経済のグローバル化のなかでは、支払日が異なって来ることになる。

4.昇給に関する事項とは、
社会通念は制度的に給与が上がる条件のことを指す。ただし、実態は昇給とともに降給もあり得るから、降給の条件も記載が必要である。個人との労働契約において、制度外で個別に昇給する場合は、就業規則を上回る労働契約が成立したことになるので、就業規則に優先することとなる。
役職を解任されて給与総額が下がる場合は、労働基準法に定める「昇給に関する事項」には該当しないが、労働契約法の関連でその旨を規定する必要がある。
役職手当とは異なって、役職給を支給する場合には、現在の社会通念との相違を明確にして、経営側の予期しない、労働者の期待を防止するためは、具体的な記載が必要となる。

5.勤続手当の目的は?
仕事実績よりも年功序列意識を温存するか否かは、事業主の自由であるからだ。終戦直後当時の経験給(経験を積めば給料が上がる)とは意味が違う。電産型賃金体系も人材確保の目的のため経験給(勤続給ではない)であった。そして高度経済成長の準備に向けて年功序列意識を強化するために勤続給が導入された。現代は、一人前になるまでの半人前を個別企業がすべて育成する時代ではない。だから、これからの時代、勤続手当の制度は弊害となるのだ。

6.住宅手当も経営側の自由
終戦直後からしばらくの間の住宅事情に対応して導入・流行した手当である。欧米の如く、成年になれば親から独立する社会構造であれば、住宅手当などは発想する余地はない。まして、仕事の成果とは全く何の関係もない。半人前の子供を親から預かり、一人前になれば別居をするといった意識、すなわち親と同居の労働者の責任感を低下させる制度、と揶揄されても仕方がない、現場の新入社員の子供たちはそういう意識なのだ。

7.家族手当にはどんな意味が?
さすが、家族手当の実態がある賃金は割増賃金の計算基礎から外されている。家族手当の発祥は、戦時中の統制賃金しか払わなかった国家動員のさなか、家族の扶養義務と相まって考案されたものである。事業所によって、支給する自由ではあるが、それでもって仕事の成果を期待するのは見当違いである。将来の取締役や部長の候補として特別育成期間を10数年ほど設けて、目前の仕事の成果を期待しない特定社員のためであれば、家族手当は必要かもしれない。
だが、政権が変わって子ども手当が半永久的に支給されることになり、子供を育てる責任が家庭から社会に変わることや、男女の両方が働き・家事などを分担する社会に切り替わることからすれば、個別企業の負担は問われることとなる。

8.通勤手当も考え直す必要が
労働基準法では、実際の距離に応じて算定する場合は通勤手当、距離に関わらず一律に支給する場合の距離によらない部分は割増賃金の基礎となる。これも、戦時中の国家動員のさなかに無理矢理な工場配属をしたものだから通勤手当を支給したことが発祥である。
現代的に見れば、通勤時間は労働時間に計算されないから、その損失補てんの要素は存在するかもしれない。だが、仕事の成果とか、作業の実績からすれば、通勤手当を誰もに支給するとの概念に根拠はない。すると、別居手当も通勤手当には共通した支給根拠があるかもしれない。

9.役職手当と役職給は違う
いずれも、個別企業で自由に選択すれば良い賃金である。ところが、役職に昇進した苦労に対する手当を支払うことと、役職としての仕事の成果を期待する給与とは、根本から意味が違う。
高度経済成長期の役職手当の内訳は、時間外手当の補てん費用、部下を管理するための飲食茶の費用、管理職の自己啓発学習費用、営業職にあっては接待交際費使用などであった。
だが、多くの場合の役職手当は、実態として生活費に変質させられている。そこで、様々な費用の透明性と相まって仕事評価を優先することを目的とした役職給が導入されているのである。

10.退職手当(金)は労基法上の賃金ではない
退職金は、大正時代に工場間の職人の引き抜きを防止するために、5年ないし10年間さえ勤めれば支給するとした引き抜き防止策であった。戦後は、高度経済成長の準備のための終身雇用、その名のもとに給与(サラリー)を支払われていた者に対する、50歳(定年)時点での「手切れ金」に、その目的と金額が変化した。若年労働力を確保するためには、当時の平均寿命に合わせた高年齢者の卒業・排除が必要だったのである。厚生年金も然り、会社退職後の11年間の死亡年齢個人差による採算を想定した年金支給方式の手切れ金として、国家の大政策として導入したのである。もとより、仕事実績とか作業実績を重視する企業にあっては、社員であっても退職金の額は非常に低いのが実態なのだ。その場合は、老後の積み立て貯金にも至らない額にすぎず、賃金支払目的としては、確かに合理的ではある。
グローバルな経済展開が求められる今、個別企業の負担する退職金の意味は考え直さざるを得ない。国の年金政策、退職金引当優遇税制などは、東西冷戦の世界体制、持ち家政策、国家金融政策の手段として繰り返されて来たから…。

それを処理する事務処理能力も
賃金を賃金決定要素などに基づいて計算するとすれば必要となってくる。確かに、社員だけで1000人以上の企業規模がなければ、職能資格給など正常な運用が出来ないのだが、もちろんコンピューターによる賃金シミュレーションが不可欠なことからすれば、コンピューター設備投資もはなはだしい。まして、企業規模は1000人を超えたとしても、全員が社員である必要は全くない経済環境である。むしろ社員にこだわれば、賃金体系は矛盾と逆説だらけになってしまう。
パートタイマーの勤怠管理で、POSシステムを利用する、カードで出勤チェックをする、指紋認証制度でチェックする…これだけでは、現場でのパートの過剰採用の防止は出来ず、チェックさえすれば労働密度を低下させるベクトルが働いてしまうのだ。設備投資に費用がかかり、店舗や事業所ごとに過剰人員を抱え(過剰理由にきりはない)、本社人員がすっきりして喜んでいても、利益は減少しているケースはいくらでも目立つ。この場合に、反面して過剰人員を抑制すると、本人の意に沿わない短時間パートが増えることにより、全員の不満増加と意欲低下を招くのが通例だ。左右に振り子が極端に揺れないように、中間の中途半端な道を歩めば、設備投資の意味がなくなり、せっかくの勤怠管理設備の稼働が止まっているケースもある。だからこそ、振り子の揺れの課題ではなく、揺れる軸を引き上げる課題を解決するために、賃金問題専門家のひらめきは大切なのである。
そういった意味から、専門的に賃金計算をする部署は必要となり、それをアウトソーシングして社会的分業を進める必要も出て来るのだ。

2010/04/06

第96号

<コンテンツ>
新年度を迎え、いよいよ具体策の発揮が、
新規事業仕込み人とか、総務人事部門担当など
地代rent、賃金wage、利潤profit、の視点から、
これからの時代、現実に通用する賃金の考え方
日本国内で理想として来た賃金。
 【給与】とは、
 【賃金】とは、
 高度経済成長は再び望めない今、
労働者派遣契約の成立要件
 現場実務からすれば労働者派遣を行う前提は、
 労働者派遣だとすれば、労働者の労働提供義務は
 この受領権限を超えた権限を派遣先が
 新自由主義・規制緩和での実態


新年度を迎え、いよいよ具体策の発揮が、
100年に一度と言われる経済危機による市場の激変に対して、必要な時期に突入した。個別企業は、経費削減の領域をはるかに超えて、抜本的というか、企業を一から立ち上げる気概での経営方針、それも即実行を迫られている。比較的市場の変化が遅く出て来る、「住」に関わる業種(ビル管理、警備業、マンション管理)でも、この新年度からの受注は1割から2割程度減少した。一般的中堅中小企業だと、6割減少の程度との実感が、識者の多くの意見のようだ。もちろん、個別企業ごとには、ゼロになったところもある。
すなわち、旧態依然とした事業であれば、収益減少まっしぐらであり、新しい経営方針で望んでいる場合にのみ、成功の道も存在する、といった岐路に立たされている。
これが現状である。さて、どこに需要の拡大を求めるか?
それは、個別企業ごとに異なるし、諸説アイディアが成功するかどうかは、ひとえに新規事業を仕込む能力がある「新規事業仕込み人」の有無にかかっている。中流層と従来日本で概念化していた人たちは、世界で約10億人いると推定されている。数年前、日本で1億円以上の貯蓄を持つ人は100万人、中国では4000万人いると報じられていた。由緒ある某スイス系銀行は、貯蓄は2億円以上の人だけがクライアントだとして、日本では半身の構えになりつつある。
今や、本質は、
組織体制、国政方向、安価な労働力の追求といった、「パイの配分方法」をめぐっての方針どころではないのだ。一昨年6月までの如くの世界経済の形は、縮小に向かいつつあり、それまでとは違う世界経済成長が構築・創造されなければ、いわゆる繁栄は見込まれないのだ。だから、中国の上海万国博覧会と言っても、現代版紫禁城、万里の長城、ピラミッド、バベルの塔などと本質が同じで、資本主義自由経済の発展とは異質の産物なのだ。今日のメシを食わんがために、緊急避難として中国貿易をするとしても、抜本的需要拡大ではないのだ。(現に中国経済は、官製バブル:汚職蔓延:富の一極集中が加速している)。


新規事業仕込み人とか、総務人事部門担当など
そこで、いわゆる専門的能力を持った人材が、個別企業にとっては、その有無が重要である。ところが、経営者は、こういった人たちを、「使いづらい」と、共通して悩んでいるのも現実。また、専門的能力を持った人材は、「どうして会社は、分からず屋なのか」と、憤慨している。
実に、こういった悩みや憤慨を解決するために、費やしている時間=
○瞑想の時間、
○ストレス解消の時間、
○解決研究の時間、
などに多大なエネルギーを割いている。おそらく、日本の場合であれば、経営者や管理職の仕事の6割が、これに掛かっていると思われる。
「運営の問題!」とか、「能力の問題!」とか、こう表現されるものがそうで、今までからナオザリにされている。経営コンサルティングの会社は、これに付き合うと利益激減を招くので、「社長の決断!」と言ったり、「あの社長は馬鹿!」と言ったり、「無能な担当者を変えろ!」と言って、コンサルタントが責任転嫁して、会社を切り捨てるのだ。(加えて、責任転嫁されても、会社は納得している始末でもある。)。
さてさて、こういった鬱憤晴らし的方針では、古今東西、前向きに進んだ例はない。
「良い人材を使いこなす!」として、
「人間は社会的動物」と冷静に考え、
この二つを進めた個別企業(これは部下を使いこなすとは混同してはいけないのだが)、唯一こういった個別企業でしか成功にはたどり着いていないのだ。
テーラーシステム(科学的管理法)と言われるものは、
20世紀に経済の豊かさをもたらし、人類の富の増加に大きく寄与したことは間違いない。ところが、最近の研究からすると、あらゆる立場の専門的能力を持った人材から強力な反発・憤慨を招来したことが歴史的事実である。皮肉にも、心理学の人文科学者、社会学の社会科学者たちからは、非科学的と決め付けられ、事実、日本のような文化水準の高い労働者の労働意欲減退(人間性の疎外)を招いてしまったのである。そこに、1999年以降の規制緩和による非正規社員、派遣労働者らの人件費削減は、テーラーシステム、フォードシステムの条件基盤となっていた賃金構造、すなわち、職人の仕事方法ではないから大幅に給料を優遇するといった条件基盤とは、全く逆のこととなってしまったのだ。
○中軸であるべき正社員の拝金意識へ溺れ、
○専門家分野社員の憤慨を招来し、
○現場作業者の人間疎外とテーラーシステムの条件基盤の崩壊、
これを一挙に解決することも、新規事業の仕込みに含まれるのだ。


地代rent、賃金wage、利潤profit、の視点から、
個別人間の労働意欲が、どういった意識に影響されるのか、といった研究は注目に値する。生産の三要素(中高校生時代の教科書)と、合わせて考える研究がある。この古典的経済学であり、今も通用している生産の三要素は…専門的にはアダムスミスの分析から始まるのだが、彼はスコットランドの経済学者、当時の絶対君主制での社会経済活動に対抗した意味での、「自由主義」経済の元祖(現在の新自由主義の先祖ではない)である。中国政府関係者などを除いて、経済学の父と全世界の経済学者は認めている存在である。
さて、その研究内容は、詐欺、脅迫、略奪、戦争などの経済外的強制の行為を除いて、専門分野での能力を発揮する人たちが、地代rent、賃金wage、利潤profitといった奥底にある三つの所得源泉によって、「知識生産」の方法や成果が異なると、発表しているのである。誤解を覚悟して簡単要約すると

★地代 rent
とは、学術団体、政府機関、政府系経済アドバイザー、OB会と名の付く集団などに蓄積された知識の集合体から、知識を借りるために賃貸料を払う概念としている。知識を土地のような蓄積物ととらえる人たちだ。弁護士、司法書士、税理士、行政書士、社会保険労務士が、国家行政や裁判所の方角を向いて仕事をしている場合が、そういった専門知識を発揮する典型である。現代では確かに、こういった専門分野の人たちは、(国家その他の)資格を持たなければ仕事が出来ない仕組みとなっており、知識の水準を維持するには、社会的には必要である。
だが、仕事の姿勢は地主と同様の発想で、個別企業に対して、「注意しなさい。過去の知識の通りにしなさい」ばかりであり、新規事業に対してただの、「油断するな!」の一言で終わってしまうのである。
こういう人が、コンプライアンスを紐とくから、経営の足を引っ張る。実務に携わる専門家からすれば、放任されれば自由な経済環境を好むとして、彼らとは対立関係に陥らざるを得ない。……して、彼らは国家その他の権力に頼ることになり、ますます権力の発想に擦り寄り、「地主は賃借人を信用しない」との原則を貫くのである。

★賃金 wage
とは、遂行された労働力の総量に応じて払う概念とされている。労働力であるから、後日、商品が消費市場で売れた結果の価格には左右されないことになっている。また、その人個人の、それまで過去の実績でもって賃金額は決定されるが、無能な専門家と比べて、(所詮は賃金であるから)はるかに多くを稼ぐことはない。
時間の許す限り、専門知識の研究開発に携わることは出来るが、必ず花咲き実るとは限らない。だから、地主の仕事姿勢とは異なり、作物を育てる農民イメージであると言われる。個別企業の中とか業界における専門家となるのには、資格などの必要はない。
専門知識や知的技能には関心があるが、その使われ方には、関心もこだわりも持たない。それどころか、専門知識や知的技能が導くところなら、パラドックスや難問に情熱を感じる人たちとなる。

★利潤 profit
とは、伝統的には、土地と労働への投資に対する見返りである。その決定は消費市場での価格である。近年、ナレッジマネジメントと呼びかけられるものの目的は、この見返りの効率的回収である。が、現実は、地代rent及び賃金wageの所得を当てにしている人たちからの反発・憤慨を受け、「ナレッジマネジメント」のシステムと言っても、ただ単純な「共通データベース」の構築でお茶を濁さざるを得ないのが現実だ。産学協同とか特許権活用が、個別企業で遅れがちである理由も、この反発・憤慨にある。
研究によると、利潤profit追求の専門知識を発揮する人たちは、まず、地代rent(資格)追求の傾向示す。利潤profitは、はじめ外形的には、地代rent(資格)所得や賃金wage所得を得ているように見えるが、「万が一のとき(Just in cace)」ではなく、「必要なとき(Just in time)」なのである。Time is money ではなく、Timing is momey なのである。
知識が利潤profitの源泉である場合は、新規事業を切り開き、新市場を形成することになる。それは、この日本でも、耳にタコが出来るほど言われている論理である。歴史的にも、元来中国やインドは、ヨーロッパに比べ政治的、経済的に発展した社会だったが、ヨーロッパの「科学革命」によるイノベーションの風土が育つとか、社会(共同体)という制度が中国やインドに定着しなかった背景には、地代rent重視の権力構造があったとの研究も紹介されている。
だとすれば、(ここからが筆者の意見だが)、
戦後日本で高度経済成長が止まり、その後グローバル化するなかでも、いつまでたっても実現出来なかった原因を、すなわち、その主体的原動力がどこにあるかを研究・見定めていないから、バブル崩壊後もお題目に終わっているのである。筆者は、スウェーデンにおける学界と経済界の共同提案による管理職博士号(Executive Ph D)であるとか、アメリカのアウトソーシング(Outsourcing=専門家チーム)などが、大きな主体的原動力としての可能性をもっていると考えている。
いくら、個別企業の中だけで、あるいは日本国内だけで、専門知識や知的技能を駆使したところで、やはり外部からの専門的利潤追求の専門家アプローチがなければ(18世紀:自由経済発祥、19世紀:産業革命のときのように)、大きな変革を迎えることは出来ないのだ。
変革の第一歩は、いつの時代でも、あるひとつの個別企業から始まる。
そして、貴方の会社だけが再生復活する。


これからの時代、現実に通用する賃金の考え方
とは何なのだろうか。そもそも賃金とは何かといった概念を論議規定化したところで、労働者はそのように働いてくれるわけではない。特に専門家として働く労働者の多くの人でも、その論議規定に耳を傾けることもしない。親や地域から人生観を教わり、毎日を生きているとすれば、その周辺からの分析と考え方を探ることは必要である。


日本国内で理想として来た賃金。
終戦直後の混乱期に、GHQ政策に対抗して導入されて賃金体系が、「電産型賃金」と言われるものである。これは、日本の電力供給を水力発電から火力発電に転換するために必要な人材確保をするためのものであった。ここに目的があったから、当時のGHQや政府の職能給一辺倒の考え方と大きく対決したのだ。当時の電力会社(日本発送電)は、GHQと戦うために、「電源スト」(ストは労組)である送電停止(停止作業は会社オペレーション)を行ない、この賃金体系を導入したのだ。会社も労組も、GHQ本部との交渉、逮捕の危険、国内逃亡を繰り返し、電産型賃金は全国に定着した。それは現代人事総務部門の担当者の仕事からは想像も出来ない。その後、電力会社は九つの電力会社体制になった。この賃金体系が銀行業界に広まり、そして全企業に波及し、いわゆる年功序列型賃金体系となったのである。実は、私の伯父は日本発送電の人事部におり、当時は、賃金対策委員会で企画から導入の仕事を行っていたから、生前私にこの話を彼は伝授したのである。中央労働委員会や日本政府は、「蚊帳の外」であったから、この事情は知らない。賃金問題の学者や研究者と言っても、ここまでのことは知らずに、単なる統計や資料の分析で、年功序列型賃金などを話題にしているにすぎない。
この年功序列型賃金も制度疲労を起こし、若手社員が能力を思う存分発揮出来るようにしようとの考えから、大阪の国光製鋼で、日本で初めて職能資格制度が賃金体系に導入された。ここには全国金属の労組があった。コンピュータで、賃金総額の積分計算ができたから、体系を組むことも可能となったのである。最近流行した成果主義とは、この職能資格制度の、ひとつの資格内での成果を評価しようとの目的で、制度疲労を解消しようとしたものである。だから、職能資格を超えて成果を評価しようとは想定していない。そして、現在の世界的・歴史的経済危機の中、大々的な市場変化にあって、国内外の需要を拡大するために、有能なパートや短時間社員への期待が高まり、改めて賃金体系が見直されつつある。

§【給与】とは、
一般的にはサラリーSalayのことがイメージされる。会社のために就職し、本来の素質はあるが能力がない者に対し、会社が職業訓練を施し、一人前として成長させて行くが、会社は成長期待に応じて報酬を支払っているものである。会社への大きな忠誠を誓うから、全身全霊を捧げる関係が通例であるから、家族手当、住宅手当、通勤手当、退職金(賃金理論上は手切れ金)といった、実態として発揮した能力や労働力とは無関係な報酬が支払われるのである。これが、日本での扱いである。

§【賃金】とは、
実際に発揮された能力とか労働力に対して支払われる賃金Wageを指す。日本では、戦前戦後を通じてイメージが悪かった(労務者)ことから、「賃金ではなく、職員に出世して給与がほしい」といった意識から、会社も「実態は賃金=名称は給与」として形をつけたものである。ただ、パートタイマー、派遣社員、契約社員といった人たちには、賃金という名称が使われている。賃金は時間制であっても、出来高制であっても、計算の仕方が違うだけで、賃金の本質に変わりはない。契約Guarantyとは根本的に異なる。昭和大恐慌の時代は、賃金とは言わず労銀と言っていた。
労銀であっても当時から、週給や月給は存在していた。慶応義塾大学の「工場管理」の426ページによると、(原文)「1日欠勤する時は週給は七分の一乃至六分の一を減給させられ、月給にありては1箇月中三日以上の欠勤に対しては、その欠勤1日につき、月給の30分の一を引くもある。又た一箇月の連続欠勤は月給の三分の一乃至二分の一を支給するもあれども、週給又は月給における定規条件なるものには、緩厳差がはなはだ大きいのである。」(現物は旧漢字)とある。ただし、当時の休日は2週間に1日とか、10日に1日であったのだが。

§高度経済成長は再び望めない今、
農村から都市への大量の労働異動もなく、世界10億人にMade in Japan製品を供給するとなると、その製品のバックヤードを支える産業や衣食住関連事業においても、賃金体系を考え直さざるを得ないのだ。
個別企業には、幾つもの事業体があるが、そこには必ず責任者、副責任者、参謀役の三人が不可欠である。この三人には給与Salayとすることが原則である。ひとりの管理者に対して、現代は、10人弱の作業者を配置することに所詮無理があるのであって、ICT化を進めれば、実は配置作業者を減少させることが重要となる。
賃金Wageを所得とする労働者は、契約した作業を超えて仕事することはなく、
契約作業を行ったから賃金Wage支払いは当然だと思っている。
だから、それを超えて期待をすればトラブルの原因となるし、賃金労働者の側も、契約を越えた作業をすれば同僚とのトラブルを招くことも知っている。これは、有能なパート社員であるほどその意識が強く、契約した作業遂行には責任をもっている。ここは、短時間社員とは異なる点だ。
新しい市場変化と、新しい時代とに適合した労働力配置や賃金体系、これが客観的合理的なものであれば、管理職博士号(Executive Ph D)とか、アウトソーシング(Outsourcing=専門家チーム)の応援も得ながら、今まで社内では解決出来なかった障壁を乗り換えて、新規事業の仕込み・新制度の、展開・定着も容易となってくるのである。


労働者派遣契約の成立要件
をめぐって、法曹界では論理の真っ盛りである。これは、松下PDPの最高裁判決で、黙示の労働契約は成立していなとする最高裁判例に対して、全国で約60件あるとされる偽装請負や偽装派遣に関係する訴訟に関わる議論である。諸説氾濫はしているが、労働者派遣業の成立から、1997年まで事業の推進に尽力して来た筆者からすれば、労働者派遣契約成立要件について、法律家たちの議論が不十分だと思われる点がある。折しも、労働者派遣法改正案は、3月29日国会提出されている。

§現場実務からすれば労働者派遣を行う前提は、
具体的事柄として、就労場所、業務内容、指揮命令者、派遣契約の人数、時間外労働の時刻などの項目が、実態として、
→ 派遣契約が成立する前に明確となっており、
→ それに基づいて派遣先が労働者派遣の申し込みを行ない、
→ 派遣元が承諾する。
→ それから、人物を探す、募集する
といったプロセスである。
もちろん、派遣元の契約誘引活動(営業・受注開拓)は否定されるものではない。
さきほどの具体的事柄の主なものが、労働者派遣契約の法定記載事項とされているものである。
法定記載事項は、労働者派遣契約書に記載する必要は無い。
契約自体は、口頭契約で成立する。
法定事項の派遣契約書の記載は、契約成立の要件ではない。
だが、法定記載事項として、何かの書面に記載・保管しておく必要があるとしているのだ。法定記載事項は、派遣先と派遣元が、各々記載・保管しておればよく、その書面を突き合わせたり、摺り合わせたりすることまで、法律では要求されていない。
したがって、書面に記載し保管するという義務よりも、具体的事柄の有無が、労働者派遣を形成する要件となっているのだ。

§労働者派遣だとすれば、労働者の労働提供義務は
派遣先に対しては無い。派遣労働者は、派遣元に対してのみ労働提供義務、誠実勤務義務、職務専念義務などを負っているのだ。
従って、労働者派遣は、派遣元が、自己の所有する労働者のもっている労働力を、労働者派遣契約に従って、派遣先に提供する契約である。すなわち、労働者個人ではなく、派遣元に提供される労働力を賃貸するレンタル契約と解釈して差し支えないのだ。
だから派遣先は、派遣契約の範囲内で、派遣元からの労働力の受領権限のみをもっているのだ。
派遣先は、単に労働力の賃借人として指揮命令(使用・収益)するにすぎない。
これが、経営側や厚生労働省の定説と言っても過言ではない。

§この受領権限を超えた権限を派遣先が
行使すれば、派遣先と派遣労働者の間に雇用関係を成立させることになる。受領権限を超えた事柄の申し込みを派遣先が行ない、派遣元が承諾すれば、労働者派遣ではなく、雇用契約が成立する。この雇用契約にあたって、派遣元が介在するから、派遣元は結果的に、「他人の執行に介入」することになってしまい労働者供給に該当するのだ。とりわけ、偽装請負や偽装派遣の営業マンが個人として、派遣先と派遣労働者双方の使者・代理人として介在すれば、黙示ではなく明確な雇用契約成立となり、これが労働者供給事業である。
具体的に解説すると、
1.労働力のレンタルであるから、個人の履歴書は必要ないことになる。
  (業務料金を支払うのであるから、労働力の鑑定書類は差し支えない)
2.労働者を特定して、派遣元が派遣契約を誘引すれば、職業紹介である。
3.労働者の履歴書や面接結果の採用は、直接雇用契約の成立である。
4.派遣先が有給休暇の指図、労働者を指名解雇の指示をすれば、直接雇用の証明である。
5.派遣の前提である具体的業務(法定記載事項など)を度外視して、「良い人がいますよ」は職業紹介。
6.それを、派遣先が受け入れれば労働者供給となる。
7.労働者供給にも関わらず、派遣契約の名を借りれば偽装派遣、派遣先通知書は労働者紹介状となる。
8.労働者供給となると、賃金を派遣元が払うのは代理支払にすぎず、「派遣元が払っている」とは詭弁にすぎない。

§新自由主義・規制緩和での実態
労働者派遣の法律が緩和されたとか、派遣法の法定書類作成不備が横行したに留まらず、次のような実態が現われ、これを厚生労働省が見逃してしまったところに、問題の本質があったのだ。
営業マンが、派遣労働者の意向を受けて派遣先に雇用の申し込みをする、派遣先は履歴書や面接の上で採用を承諾し、この営業マンを使者として労働者に使わす。ここで雇用契約が成立するが、「他人の就業に介入」することになるので労働者供給となる。労働者供給事業は違法であるから、某派遣契約書もしくは架空契約書の存在といった方法を利用し、労働者派遣であると装う。御丁寧に、派遣先通知書として、この供給した労働者の紹介状を交付する。派遣先は、派遣契約では無いにも関わらず、派遣料金を支払う。ところが、支払金額は労働力レンタル料金ではなく、紹介料を上乗せした時間給(例:賃金1,000円、支払1,500円)を支払っている。これは、ノンフィクションなのである。
こういった明確な労働者供給のもとで、明確に雇用契約が代理人・使者を通じて行われた場合は、「黙示の労働契約成立」といった論述では支えきれない。派遣契約や請負契約の書類不備=黙示の労働契約成立ではないと、それだけを言っているのが松下PDPの最高裁判例である。先ほどの具体的な解説や規制緩和で見逃されたノンフィクション実態は、労働者供給事業そのものである。松下PDPの最高裁判例は関係ない。
経済構造の大転換を迎え、大転換法律改正を控え、労働者派遣契約の成立要件から、現場実務や法規対策を、もう一度見直さなければならない必要があるのだ。

2010/03/09

第95号

<コンテンツ>
トヨタ自動車→ アメリカ市場から撤退の見通し
1980年代からの日米自動車摩擦
ここで、豊田社長の有能さが発揮された!

日本のマスコミ論調は、物事を分析することに終始

人材派遣業者を弾圧! 予算不要の雇用安定策
監督指導の主要な点は、いわゆる26業務
S61年以来の変化が・・・・それ以上に市場激変

未払い賃金請求訴訟用のエクセル開発
訴訟用エクセル活用して、書証として提出しよう!
訴訟用エクセルは公開

社員が事件に巻き込まれたら…? 初動方法WEB開設

トヨタ自動車→ アメリカ市場から撤退の見通し
は、有識者の間では根強い判断である。豊田社長の、アメリカ議会公聴会での証言は、アメリカ社会に受け入れられるような論理ではなかった、というのがその主要な根拠だ。
苦情対応遅れなどの「不都合」について、アメリカ社会が最も嫌悪拒絶する論理と論述をしたからだ。例えば、「不都合な対応をした幹部数10名を解雇しました。神に誓って謝罪いたします」と弁明すれば、アメリカ社会は、謝罪があったとして、大いに受け入れ、トヨタ自動車を許すことになる。アメリカ社会というものを、少しでも研究した人ならば、これはすぐ解ることである。それにも関わらず、豊田社長は、アメリカ社会が排除(嫌悪拒絶)して来た世間体重視の弁明を行ったのだ。
ところが、電子部品の技術性能については、評価を守り切ったのかもしれない。「電子欠陥」の疑惑にも、3月8日にトヨタは異例の公開実験で反論、「トヨタ車の電子制御システムに欠陥を示す証拠はない」と改めて広報、技術面では徹底して論述展開した。
中国向けの記者会見における豊田社長の弁明内容、日本でのテレビ朝日(報道ステーション)での豊田社長の弁明内容、そしてこのアメリカ議会証言、これら各地の論理、その奥底から読み取れる趣旨は異なっていた。すなわち、これから伸ばそうとする中国市場と、撤退方向のアメリカ市場とでは、対応が異なるといったわけだ。


1980年代からの日米自動車摩擦
の問題が、その背景にある。それまで日本は、完成車を超大型輸送船に積み込み出荷していたものを、日米摩擦以後は現地の労働力と部品をアメリカ側から強制的に購入させられた経過がある。不本意ながらではあっても、労働力を受け入れ、(Kaizenn, Kiretuなどのアメリカ英語まで登場するぐらいにまで)教育訓練で何とか克服をした。ところが、部品については、今回問題になったように、現地の形状その他、完成車の性能レベルを発揮させるに十分さが不明な部品の購入を強制されているのだ。そこに追い討ち、アメリカ国内での個人需要見通しがリーマンショックを境にして超緊縮に突入して来た。ここから、アメリカ国内の状況は、トヨタ車の販売増加が見込める市場ではなくなったのだ。GMの株主であるアメリカ政府、このGM救済政策と対決しても、トヨタ自動車は売れない。


ここで、豊田社長の有能さが発揮された!
それまでの副社長クラスの、頑固とまでもいえる一本調子を豊田社長は切り替えたのだ。アメリカ市場から撤退する場合、トヨタ側からの意思表示を出せば、部品工場やアメリカ政府からの賠償金請求を招来することは間違いない。アメリカ文化というものは、海兵隊グアム島移転費の日本政府負担の如く、そういったものである。
もとより、トヨタ自動車の技術水準は非常に高いが、市場を制圧するのが技術力でないことは、トヨタが創業以来、身にしみて熟知しており、まして欧米の市場とはそういうもの(WTO協定理念)だからである。
→ トヨタが頑固な態度をとれば、訴訟がアメリカ全土で起こされる。
→ トヨタ自動車側の曖昧な態度は、アメリカ文化での違和感招来は必然。
→ GMはトヨタ車両下取りで販売促進、…米国政府政策を逆利用。
→ 曖昧な態度に徹すれば、文化的違和感のテーマとして客離れが発生。
と、あえて自然な装いでもって市場撤退策、といったシナリオである。
計算された円滑な戦略、「豊田家」ならではだ。
さて、自動車業界だけでなく、家電業界でも日米摩擦が発生する傾向である。
他山の石とし、貴方の携わる事業は、どういった教訓を得ただろうか。


日本のマスコミ論調は、物事を分析することに終始
ああだ!こうだ!と、不毛な論争をしている。
どうしても、国民はそれに流されて、「物事の分析めいた思考」、これに長けるようになってしまっている。そこに、あたかも一石を投じたように、100にひとつの事例を持ち出し、ペテン師めいた詭弁や修辞学が用いられる。これを現代日本の特徴と指摘する学者もいる。
古代ギリシャは、反対意見を認めない文化であったから、詭弁学や修辞学が、瞬く間に発展した。
ところが、反対意見を聞き、議論をし、多数行為で物事を進める文化を用いたローマ文化は、一挙にギリシャ文化を制圧した。
その後、現代実社会にあっては、物事分析(インフォメーション)は将来構想実現のための限定情報に限られ、将来構想に役立つ情報(インテリジェンス)こそ重要な役割を果たしているとして、(特にグローバル社会は)見識と決断力を、情報(インテリジェンス)に加えて重視する文化である。すなわち、「どうしたら良いのかを探るために情報を集める」といった情報の扱い方である。これがICT社会の流儀とされている。
その意味で、五大紙の新聞などが、
物事(インフォメーションは数値とは限らない)の分析に終始するのであれば、ますます無用の長物ならぬ、重たい紙の山、その「読者もが過去の遺物」とならざるを得ないであろう。加えて、正義か不正かは一先ずおいて、五大紙を中心に検察側に偏った報道の有様は、これに拍車をかけたのだ。
ところが現に、インテリジェンスを報道する地方紙や海外の新聞社は、健全経営、今もジャーナリズムの地位は確固としている。国内ジャーナリストも、このことに気が付き始めたのか、インテリジェンスを報道する視点からの経済政策論議も活発になってきたようである。
日本の社会経済で、ツイッター、2ch、携帯電話が幅を利かせている現象に通じているのかもしれない。


人材派遣業者を弾圧! 予算不要の雇用安定策
に厚生労働省が、火ぶたを切った。
このメルマガ号外で報じたように、派遣業の適正化として2月8日付で通達が出された。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000048f3.html
ところが、労働者派遣法施行の昭和61年(三協工業:偽装請負事件)以来と言っていいほどの、新たな動きが出て来た。この2月8日通達では、3月と4月に業界団体を通じて、監督指導を行うとしていた。
だが、3月1日になった途端、リクルート系のスタッフサービス(リクルートが1700億円で買収)などに改善命令が東京労働局から出された。
http://www.roudoukyoku.go.jp/news/index.html
この種の命令は、本省主幹課の指示や了解がなければ出せない仕組みがあり、東京労働局の独断ではない。また、各地の営業所に対する改善命令も含まれていることから、この日までに溜め込んでおいた事件であることも間違いない。加えて、スタッフサービスは人材派遣業界団体の理事長職、もう1社のヒューマンリソシアは副理事長職の立場にある業者なのである。
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030101000884.html
業界団体には厚生労働省のOBが送り込まれているのだが、業界団体内部のOBの手引きの上で、理事長職に改善命令を出すことは、極めて政治的かつ特異な監督指導なのである。
3月1日の改善命令は、極めて世論誘導の手法ではあるが、全国労働局の担当職員が、監督指導をするにあたっての意気込みに、強力な追い風となる効果である。


監督指導の主要な点は、いわゆる26業務、
とりわけ
=事務機器操作における単純入力作業の禁止、
=ファイリングでのマニュアル仕分作業の禁止、
=付帯業務が時間数で10%を超える作業の禁止、
=全く関係ない作業を含む対象業務の禁止
として、派遣対象26業務から排除するといった狙いである。26業務から外れた派遣業務の期間は3年内であるが、既に3年経過している。すなわち、この10年ほどの、緩和された実態を禁止するのである。
それも、3月から4月の新入社員受け入れと派遣契約始期に照準を合わせている。
厚生労働省の言い方の論述構成は
「期間制限を免れるため、ファイリング業務などと称している」といった方法であるが、26業務の範囲外であれば、3年以内の期間制限が法律で定められている。「免れた業務?」とされれば、既に3年が経過しているのがほとんど、即刻、「派遣先は派遣労働者に直接雇用の申し込みをしなければならない」との法律規定に従いなさい!といったカラクリになるのだ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000048f3-img/2r985200000048gl.pdf
こういった事態を、マスコミ関係者は理解出来ないから、記事にもしていない。
また、巷では、改正派遣法は国会で決まっていないのでは?と、その呟きが流れているのだが、改正法施行時点で改正内容を事前定着させておく作戦は、官僚の良識的責務として、行政機関の作為としては当然のこととされているから、社会問題にもなりそうにないのである。


S61年以来の変化が……それ以上に市場激変
26業務対象外の事務処理業務を派遣に頼っていた企業は、先々の情報を昨年の内からキャッチ、この4月1日から派遣社員を一斉にパートタイマーとして直雇用するとしていた。うっかり、マスコミ報道の論調に乗ってしまった人たちは、「派遣業を規制したら、雇用不安が再燃?まだまだ大丈夫!」と、高をくくっていた。しかし、監督指導を直撃されることとなった。
従前から、実態的には日雇派遣は弾圧され、採算面では合わなくなっている。
そこに、26業務の監督指導である。さらに、派遣の実態は、派遣スタッフを探すにも、一般求人募集に頼らざるを得ず、その分が派遣料金のコスト高要因となっているのが現状だ。
加えて、
労働者派遣業のそもそも論、これを振り返ると、
昭和55年オイルショック以来の、仕事の外注化・外注業者の活用で人件費削減といった長期戦略(背景には経済のグローバル化)の波に乗って、
昭和61年の派遣法施行は男女雇用機会均等法と共に派遣法が想定した女性雇用安定の側面をしのいで、
会社経理帳簿上の人件費を外注費に付け替えられるとの思惑で、いわゆる金融資本に翻弄されながらも、猫も杓子も積極活用した。
平成9年からは、規制の箍(タガ)が外れ、労働省の事業保護(社会保険適用の緩和)も無くなり、いわゆる自由化となって、悪徳業者の参入を許してしまったのである。
ここに至っては、労働者需給システムの柱であった、派遣労働者の業務・作業の水準や成果よりも、「派遣先担当者に従うか否か」の拝金主義思考が優先することとなり、これが刹那的な影響を社会問題に及ぼした。
それだけに留まらず、個別企業の「高付加価値製品や高水準サービス」の技術や技能に悪影響を及ぼし始めたのだ。
一時の風潮は、派遣労働者を正社員化すれば、悪影響を排除出来るとする意見が世論の主流ではあったが、今は薄れてしまっている。「中高年の発想」などと揶揄された末に、学識経験者・有識者には、正社員化による雇用安定論を支持する者はいなかったのである。「正社員化!」で踊ったのは、大手マスコミ関係者だけであった。当然、選挙戦でも正社員化?がマニフェストに、雰囲気利用されただけのことであった。むしろ、労働運動の研究家からすれば、「直接雇用を通しての労働条件の改善」といった、パート・期間雇用→雇用の安定改善が、現実的であると提唱されたのである。もちろん、これが世界の労働運動の潮流であるとしている。そこで、小さいながらも日本の労働組合運動は、この提唱に基づき、パートタイマーの組織化を進めているのである
したがって、社会・経済構造は変化する。
労働者派遣を取り巻く環境で、期間的には四半世紀、昭和61年以来の変化が来る。
100年に一度経済危機と市場激変に対応するため、ICTと相まって働き方の概念が変化する。


未払い賃金請求訴訟用のエクセル開発
したとの発表がなされた。京都の某弁護士が開発したとしている。
http://www.daiichi.gr.jp/syoukai/work/overtime.htm
このインテリジェンスの重要ポイントは、これを開発した弁護士が、自由法曹団の弁護士であるということだ。消費者金融の債務整理に奔走している弁護士たちが、将来の債務整理代理人の受注量激減を見越して、ビジネスのためにソフト開発したといった代物ではないことだ。
自由法曹団といえば、
高度経済成長以来、新たな労働判例を次々と導き出している労働者側の弁護士集団なのである。東大、京大などの法学部在学中に司法試験合格、あえて裁判官や法学者の道を歩まずに、労働運動などのために身を投じている人たち、といった人材の塊である。したがって、能力的には裁判官や一流大学教授の上を行く人物にも事欠かない。この弁護士たちの集団活動が、新しい労働判例を導くといった結果にもつながっているのだ。兎にも角にも、その方面の根性が入っているから、当然の如く、著しい能力が発揮されるという訳だ。


訴訟用エクセル活用して、書証として提出
しようとの呼びかけである。日本労働弁護団と自由法曹団所属の弁護士らの限定使用としている。ところが、彼らは一声かければ、数百人の志を同じくする弁護士が集まるつながりをもっている。自由法曹団は全国の都道府県全域に窓口をもっており、全労連系の組合への労働相談も、ここに流れている。松下PDPの労働者側弁護団は203名の弁護士とのことだが、これが1例である。
http://www.minpokyo.org/jihou/2010/1001.html
だから、この集団ガが動き出したとすれば、サービス残業・賃金未払い等の事件は、個別企業にとって脅威なのである。大量の訴訟を提起することにより、「量から質への転換」といった彼らの命題も実現、すなわち労働基準法や労働契約法の法改正を迎えることを目指すといったことなのだろう。


訴訟用エクセルは公開
されている範囲でしか判断出来ないが、賃金計算ソフトとしては、未熟さを含んでいるように思われる。それは「これからの研究課題」としている部分に、その課題は集中しているようである。始業終業時刻の定めがない場合、1ヵ月内変形労働(週休2日など)の場合、法定休日を定めない場合の計算方法など、巷で主流となっている事柄への対応は、今からのように思える。賃金計算の分野に、「専門的職業人の存在しない」のが、日本的労務管理の特徴なのである。だから、この訴訟用エクセルは、巷の計算ソフトに比べ勝ると誇ってはいるが、確かに優位だと見受けられるが、それはあくまでも巷の計算ソフトが、あまりにも、お粗末その物であるからにすぎないだけのことである。
「刑事事件は金の流れを追っかける」
「労働問題は絵図に書いてみる」これが原則である。
労働時間の集計は、加減乗除の計算ではなく、積分&マトリックス計算であることが根本となる。労働基準法に積分方程式やマトリックスが、どのように組み込まれているかは、賃金理論の専門家の分野である。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/jinji/labortime.html
とはいっても、この訴訟用未払い賃金計算エクセルは、裁判所に提出する書証であれば、十分満足出来るものであることには間違いない。
☆【要するに、
いい加減かつ、「業務改善や付加価値など何のその!」といった個別企業が、狙い撃ちにされることには間違いない。
「30時間以上の残業カット」といった個別企業は、有名企業であるほど、(彼らのいう)独占大企業であるほど、ファイト!ファイト!と、狙い撃ちされるのである。
☆【経営側弁護士にとって、
この分野は、ほぼ「お手上げ状態」などであり、権威高い有能な弁護士は引き受けたがらない。
未払い訴訟が発生すれば即決請求額支払で、弁護士費用節約を優先する個別企業も少なくない。
適切経営管理・高水準監督体制をもってして、会社側が優位に切り返せる裁判例(互光建物事件:大阪地裁。平成17・3・11)は、まだまだ少ないのである。
☆【反面、「残業禁止命令」といった手法
などで、会社から通達するなどして、抜本的業務改善を促進している個別企業は、狙い撃ちにされることもありえないのだ。


社員が事件に巻き込まれたら…? 初動方法WEB開設
社会や経済が激変期に入ると、必ず事件が多発する。市場の変化に合わせて事業改革を断行すれば、ここでも事件が多発する。それは、社会でも個別企業でも、変革するときには、一時的にせよ、それまでの秩序が崩壊するからである。だから事件が多発する。また、変化に対する注意が行き届かないとこから事件に巻き込まれる確率も高くなる。
社員が通勤中に痴漢で逮捕された。宴会の帰りに、喧嘩で逮捕された。飲酒運転で逮捕された。大麻や覚せい剤で、逮捕された。社員に対して、恐喝や横領の脅迫が来た。会社に脅迫状が届いた!
このとき、貴方は、総務部門の責任者として、どう対処しますか?
警察や逮捕された社員の家族から連絡があったときからの初動方法を公開しました。
専門家へのコンタクトルートも紹介
http://www.soumubu.jp/contact/free/f014.html

2010/02/09

第94号

<コンテンツ>
グローバル経済と言われ出してからの日本経済は、
個別企業戦略に関連した成長方針
政府の営業開拓力が不可欠な商品
「金融」というものが現れて550年ほど
さて、これで個別企業の歩み方は決まり、
 ・【リストラクチャリング】
 ・【新規事業の「仕込み人」の確保】
個別企業の経営管理、特に総務人事部門は

グローバル経済と言われ出してからの日本経済は、
80年代は消費と設備投資(投資は金融資本へ、外注化の時代へ)、
90年代は政府需要喚起(バブル崩壊で民間資金弱体化)、
2000年代は外需と設備投資(製造業、パート労働者までが、労働者派遣に)、
2010年代は、外需の落ち込みと消費低迷、
といった経緯を、おおまかにはたどっている。
近時、外需の落ち込みが反転していると報道されているが、未だ1番底にあることには変わりない。今から、外需がさらに落ち込む可能性も出ており、いつ何時に2番底に転落するかもわからない。そこに、政府の需要拡大政策いかんでは、2番底も抜けてしまうのだ。アメリカ経済が回復とのニュースだが、G7は復活せずG20の役割が広がりを見せていることは、回復の可能性が遠のいている証である。
エピソードではあるが、トヨタ自動車の国内のプリウスは3月の販売が好調予定のはずであった。ところが、マスコミ報道とは裏腹に、1月早々販売に陰りが生まれ、もとより不足人員(正社員のサービス残業)で製造していた工場が、今度は社員の人員がダブつくといったところであった。そこに、今回の世界的なトヨタ自動車のリコール事件である。


個別企業戦略に関連した成長方針
の具体的動きが民間から、曖昧模糊とした「新経済成長戦略」をしり目に、生まれつつある。それらは、すべてが、海外投資ではなく、国内での現物製造なのである。これ以上の経費削減では、持ちこたえられるはずもないのである。
☆彡 食品製造は、
地方であっても成長している。単位工場当たりの規模は数10人等と小さいが、それなりの利益幅がある。意外と地方経済にとっては、雇用吸収が見込める安定的な産業である。産直有機野菜、各地の名産品、地酒地ビール、特産魚介類、そしてその加工食品こそが有望である。ここに、市場動向の監視システムICTが事業運用に組み込まれれば、農産物加工品の需要(内需・アジア向け)は、利益率を確保しながらの飛躍成長となるのである。徳島県上勝町の葉っぱ(いろどり)とか、イタリア現地の安価なチーズ産業などは、その例である。一昨日も、下郷農協、馬路村農協がTV(サンプロ)で紹介された。一説には、こういった成長の先には食糧自給率も50%クリア、70%も夢ではないとのことだ。今までは、米づくり中心?の農業、市場動向を無視して農産品を生産、不採算を農協金融(国の財政信用)でごまかし、消費者は貧素な食生活を強いられできた。
☆彡 高齢化に伴う医療介護産業は、
アンチエイジングに向かう。老人養護や障害者介護といった「社会保障の金銭処理?」の着想からでは、財政が持つわけがない。健康サプリメントに留まらず、メタボ予防スポーツジム、ビタミン投与医療、超低原材料健康茶その他である。アンチエイジング指向の化粧品類も含まれるイメージである。これが、高齢化社会での、70歳を目標にした高技能労働力の可能性を開くということにもなる。またこれが、安全と健康が保証されることにより、中国人向けの消費財となって、需要拡大に役立つのである。今でも中国からの観光客が、健康サプリ、消化薬その他を背負って帰国している。(日本の都市部の量販店では、2月は旧正月だから販売が伸びている)。
☆彡 「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供は、G20各国にも有望である。日本国内製造の商品は、日本の文化経済に支えられ、アジアや東欧その他への、現物出荷商品として有望なのである。いわゆる、大田区周辺、川崎周辺、東大阪周辺の町工場集積地は、部品点数の多い量産品の加工組み立て産業(今までは自動車産業)を支える地場産地(地場産地としては、イタリアのアパレルや装飾品も同様)、此処での最先端企業は、その優位性を発揮して、(国のYS-11生産中止の失策から30年の遅れを抱えながらも)、航空機産業へと向かおうとしている。人工衛星がPRとなっている。
☆彡 アフリカ大陸向け、この市場は、
未だ商品流通による文化経済が発展途上であり、Made in Japan の良さを理解し、価値を認めて、購入するには至っていない様である。資本主義や自由主義の基盤である個人主義自体が未開であり、自我というもの自体が形成途中なのである。中国の[超個人主義]とかインドの[超自己主義]といったようなものではないのだ。中国のアフリカ進出の方針も、高付加価値商品の量産が困難な中国事情と相まって、それなりに整合するのだが。
☆彡 そこに、トヨタ自動車のプリウス:リコール、
確かに、三菱自動車よりも対応は早く、やる気のない役員を押しのけて、豊田社長が先陣を切っている。この事件処理で、Made in Japan の信頼は上向きもすれば:下向きもするといった微妙な状況である。


政府の営業開拓力が不可欠な商品
太陽光パネル、風力発電、地熱発電などの環境エネルギー産業は運用システムパッケージ商品でもある。
新幹線技術も無事故、商品としての運用システムパッケージ商品である。
電気自動車産業であっても、インフラを伴う運用システムパッケージ商品である。
東南アジアの軟弱地盤(日本も軟弱地盤)の土木工事も運用システムパッケージ商品とすることで安価な商品となる。
日本国内の社会構造を支えるインフラは、ICTと結合させることにより、何もかもが運用システムパッケージ商品となるのである。
この、運用システムパッケージ商品は、どうしても政府の営業開拓力が必要なのである。個別企業では無理があり、総合商社とか多国籍企業でも、障害が多すぎるのである。日本のグローバル展開の、「地に着けた足」は、一体どうなっているのか?


「金融」というものが現れて550年ほど
(今が、その450年ぶりの激震幅の金融不安なのだが)、
イギリス、アメリカ、オーストラリアを
軸とするアングロ・サクソン・トライアングルは、エシュロンという諜報国家機関を運用して経済活動を行っている。日本企業の海外進出を、CIAを先頭に情報戦で妨げている。国家的資源争いでは、イギリスに勝てる国はない。
スウェーデンは、
高度精密小型武器の製造販売で、社会福祉事業の財源を得ているが、これを突破口に、独自の経済経営理論にもとづいての、経済情報と独自の商品販売網を確立しているのだ。フィンランドは徹底した教育改革で有能な人材宝庫を作り、デンマークは製造技能ノウハウを積み上げ、輸出立国(食品や軽工業)となっている。北欧諸国は、人口規模が数百万人と小さいが、経済活動ダントツである。ヨーロッパで独占的地位を占めるノキアなどは、その一端と見ておく必要があるのだ。
イタリアは、
千数百年の交易の歴史がある。イタリア経済は、国家なんかどうでも良いと考えており、数百年以上にわたって地方産業を基軸としている。戦後の鉄のカーテン時代でも、ソヴィエトにキーボード技術を提供し、中国文化大革命の際には、ココムの取引禁止国際協定にも関わらず、ビニール製造品の輸出(シルクロード密輸)を行うなど、日本では予想もつかない交易ルートと、(イタリアの産業は家内工業中心で、企業と言えるものは数社しかない)独特の経済経営管理の理論を持っている。
日本の歴史、千数百年をみると、
草の道(現在のシベリア鉄道)、シルクロード(日明貿易・朝鮮半島経由)、東南アジア沿岸の3本が、財貨産品の主なルートである。江戸期の鎖国、世界大戦、日米同盟などの大きなうねりの中で江戸時代以前の交易ルートは、事実上途絶えた。この交易ルート復活の是非を含め、グローバルな海外進出網と、その経営管理理論が、真剣に問われることとなるのだ。3本の財貨産品ルートの集積地が日本であり、現代日本の文化経済として、日本の生産システム、労働力システム、消費傾向システムなどの面にわたって、この3本財貨ルートは、未だに影響を残しているのだ。(身近な、商売の方法、食品の好き嫌い、日常の世界観、先祖の民族などの地域差も)。
日本のグローバル経済政策展開の、「地に着けた足」は、100年に一度の経済危機、450年に一度の金融不安の中で、一体どう判断すれば良いのか?…である。


さて、これで個別企業の歩み方は決まり、
第一課題:直近をにらんでの、リストラクチャリング
第二課題:新規事業の「仕込み人」の確保
この二つの課題が基本となる。
目先の売り上げ確保に邁進していては、数年後に破たんが来るのは目に見えている。事業終息の軟着陸の道を…といった選択の余地など、今や残ってはいない。これ以上の経費削減では本業がやっていけなくなった。今のうちに無借金、資産売却、地金でも買って、運を天に任せて極貧生活…余命を生きながらえることも、ままならない。
ただでさえ、ICT機器への投資効率が悪い実態である。こちらが良くても、相手の乗りが悪ければ、低いレベルのICTに収斂してしまう。現在のICT技術レベルでは、無理やりメールやグループウェアを導入すると、収益・生産・効率・労働意欲レベルを落としてしまうから、個別企業が関わる文化経済に適合した電子ネットワークを越える設備投資も危険である。

【リストラクチャリング】
の最重要ポイントは人件費である。今まで経費削減でつないで来たとしても、これ以上は削減する経費もなくなっている。
昭和61年に開発された業務請負とは、今でいうところの、OEMとかEMSといったものであるが、平成9年の職安法規制緩和により、業務請負は偽装請負の代名詞となった。ここから順次、費用のかかる技術技能開発の教育育成をサボりにさぼって、安いからとかペイするからとして、資材部門の非熟練労働力(労働者派遣)の安価仕入れを容認した。そのため、この10年余はなおさら生産技術や生産技能の空洞化を招いてしまったのだ。金融資本に振り回されて、グローバルに売れる商品づくりに、日本は遅れをとった。いまだに、ほんの一部の経済学者(竹中系統?)は、偽装請負(製造業労働者派遣)をなくすと、国内工場が海外へ逃げると主張する。だけれども、適法な業務請負すらが、そもそもアウトソーシングとは全く関係のない代物なのである。
そこで、国内とグローバルの需要に応えるには、短時間労働力による技術技能の発揮による、高付加価値製品&高水準サービスの商品提供に切り替える必要があるのだ。数年後の経済社会を予測すれば、個別企業の事業に対して、忠誠心を持ったパートタイマー、この人たちの人員を確保することで、リストラクチャリングの成功・失敗が決まる。極端ではあるが、社員は管理職だけで十分である。最近流行している、個別企業にもたれかかりたい正社員が、ますます安定と保障のみを追求する同類の新卒新入社員を採用して、個別企業を構成して行くのであれば、運営機能分野で、事業目的からますます離れる実態が生じるだけである。
将棋やお絵描きのように、組織形態ばかりを考えていても、その原動力となる運営機能が強くなければ組織も稼働しないのである。事業目的と社員の人生目的の整合性(最近はディーセントワークという新語)が図れなければ、安定正社員思考の生真面目な性格の子は「うつ病(脳内物質セロトニン不足?)」に罹り、安定正社員思考の頭の回転の速い子は「統合失調症(脳内物質ドーパミン過多?)」に罹る、こういった現象は、まったく自然なことなのである。
今も昔も、短時間労働者や非正規社員の仕事への忠誠心が、社員よりも高いとする事例は山のように存在する。要は、短時間労働者などの「待遇を改善して主力戦力にすれば良い!」のだ。1970年代までの高度経済成長時期に、かの日本の家電産業の社員の忠誠心を国際比較した研究があったが、確か日本は意外にも十数位、当時のユーゴスラビアよりも下に位置していた。それぐらいに、仕事への忠誠心は、実は日本は低かったのである。
そして、リストラクチャリングの後の、運営機能ルールも旧来とは切り替わる。
1.自己顕示欲は捨てさせ、にじみ出る権威を持たせること
2.隙間に配慮する気構え、親切が隙間の入り口になる
3.仕事の動作自体が、軽快でスマートなこと
4.仕事や生活での、時間・時刻を厳守すること
5.物事には、念には、念を入れ、失敗や失念のリスク回避
6.ICT革命では、法則性や技術を身につける(技能をみがくことではない)
7.物事の受付・入り口や、作業の案内をよくすること
8.それぞれの段階での、受付体制がしっかりしていること
9.次の段階への移行や引継手続きを簡単にすること
10.どの人も、突っ張らないで、リラックスして仕事をする工夫
11.何事も明るく振る舞うこと、それが出来る措置を図ること
12.人に対して、(信用ではなく)心からの信頼感をもつ工夫をすること
といったところで、こういったことが現象として現われるようにする。工夫と、実現される組織と運営が経営管理の柱となるようにすることなのだ。TVのビジネス番組、書店のビジネス本のおおよそが、とどのつまりはこういった運用機能ルールのことを紹介しているにすぎないのだ。

【新規事業の「仕込み人」の確保】
ICTによる産業革命が進行している。18世紀の産業革命は、開始から凡そ100年間で一段落した。今のICT産業革命は数10年で一段落するとの観測が強い。一段落の後は、それまでの機能システムに頼っている事業は、少し位は残存するが、極端に利益率が悪くなり、補助や慈善でもない限り、成り立つものではない。その典型は、これから必然的に迎えるところの、例えば現状の医療・介護分野、現状の農業分野、現状対事業所サービス分野の事例である。このICT産業革命の進展を見越して、新規事業の仕込みが必要なのである。要は、市場の変化に合わせて、新商品を開発することである。それは、
シューペンターのいうところの新商品開発
1.新しい財貨、新しい物の発見
2.新しい生産方式の導入
3.新しい市場の開拓
4.新しい原材料、半製品の発見
5.新しい組織(事業内外のネットワーク)の実現
から始めることが定石となる。
ただし、その成功の可否は文化経済の視点である。なぜなら、新商品を、実際に購入する行動の動機は、文化であり、加減乗除の計算・理屈では買わないからである。また、行動経済学とかの、理屈の後づけ二番煎じでは、(条件一致の場合のみだから)法則性が弱く、マーケティングの成功確率が小さすぎる。まして、現場の先駆的な販売促進活動力に、行動経済学が活躍する場面は、販売促進の範疇でしかないからだ。特に、需要地域における、その地域での「規格競争」が求められるから、(よく似た商品を複数競合会社が販売すれば共倒れとなる)、なおさらである。他山の石ではあるが例えば、中国はグーグルを締め出し、twitter を禁止することによって、ICTはしばらく停止=中国イントラネットを形成しようとしており、これはG20での規格競争からの脱落を意味する。
規格競争を展開するには、類似関連商品を取り扱う事業者の間で、アライアンス(alliance=同盟関係)を進める必要がある。(ANAスターアライアンスなどのイメージ)ブランド戦略からアライアンスへの進化であり、リアルタイムの連係行動である。連携関係(究極はM&A)なるものではない。難しく学術的にいえば、外部性の縦横ネット=規格競争での陣地取りとなるのである。先ほどのリストラクチャリングに関わる、能力の高い短時間労働者による業務遂行の必要性も、こういった市場の変化からも要請されているのである。
アライアンスは、M&Aによる大型企業形成とは全く逆の形をとる。いわゆる、ONLY-ONE 企業などが同盟や協調をとるということである。それぞれが自律的個別企業であり、相互に特性を生かし、需要地域の市場を押さえることで、各々の個別企業の目的を達成しようとするものである。だから、必然的に産業や業種の枠を超えて進むことになる。サントリーとキリンの経営統合は流れ、それは、サントリーはアライアンスを求めたが、キリンは吸収型M&A(企業合併は、法的には必ず吸収会社と被吸収会社に区別され、対等合併などはあり得ない)を求めていたところ、この市場変化の認識のズレが統合解消(もとより無理?)に至ったと分析するのが筆者の診るところである。
アライアンスによる規格競争、この水準での新規事業の「仕込み人」の確保が大切なのである。その役割を経営者が果たすのか、総務部門の貴方が果たすのか、それとも誰か雇うのか…。
さて、その「新規事業:仕込み人」の人材の素質は、比喩的には、今まで失敗し続けている若者の中から、
1.いつも問題意識がある
2.市場テストや実験をよくする
3.統計的なものの考え方(話を数字を使って表現)
4.他人の話が理解出来る
5.その事業の仕事が大好きである
6.楽天的で、取り越し苦労がない
といったところがチェックポイントである。「新規事業:仕込み人」には、
ア.思いつめて考えさせる癖をつけること
イ.人の話を聞ききに行く癖をつけること
ウ.何事もまず書いてみる癖をつけること
だからこそ、今の瞬間は、中堅・中小企業こそ、ここに資金投資をして、「仕込み人」を確保する必要があるのだ。経営者自らを含め、総務部門担当者自らも含め、「新規事業:仕込み人」を、探し出し、育成し、冷静にチェックし、確実に確保するために…。


個別企業の経営管理、特に総務人事部門は、
4月1日からの労働基準法改正(時間外60時間以上の割増賃金率増加など)、改正育児休業法、雇用保険法改正、労働者派遣法改正、その他に、振り回されることになってはいけない。日本の経済社会と貴方の個別企業の立ち位置、次に将来を考え、ここで思い切った方針をとることが必要である。
ハツカネズミの如く仕事をしていないか?
賽の河原の石積み仕事になっていないか?
欧米:グローバル風にいえばバベルの塔になっていないか?
と真剣に見つめ直す必要がある。
今こそ、将来の事業基盤を見つめ、事業基軸を組み立てて行くことが大切で、そのための総務人事部門が必要とされているのだ。
ちなみに、私ども株式会社総務部も、
リストラクチャリング応援のために、「パート賃金計算センター」を
新規事業の「仕込み人」の確保の資金ために、「グリーンシート促進事業」を
私どもの職種や職業や常識の範囲を打ち破って、この4月からの開始に向けての準備を進めている。