2011/12/06

第116号

<コンテンツ>
急浮上!新エネルギーとして、シェールガス
大阪ダブル選挙結果の経済学
労働者派遣法改正、規制強化を見送った法案審議の裏側
混沌とした社会では、経営哲学の変換が第一課題
   ☆使用価値とか効用価値さえあれば?
   ☆そこで、使用価値などに加えて固有価値を付加する必要
   ☆商品の使用価値ばかり目を向けていれば、
   ☆商品の効用価値ばかりに目を向けていれば、
   ☆固有価値とは、定義をすれば:納得される見積もりも
     ☆☆ハンバーガーを例にとれば☆☆
     ☆☆自動車を例にとれば☆☆
   ☆固有価値の具現化は、繁盛店や有能営業マンならば、
この世は変わる、だから経営哲学の教育が必要!
【書評】『日本人の9割に英語はいらない』


§急浮上!新エネルギーとして、シェールガス
頁岩(ケツガン)層に含まれる天然ガスがシェールガスと言われるものだ。けっこう昔から知られてはいたが、10年ほど前にアメリカのベンチャー企業が大量の水を使っての採掘技術を確立したことから、石油メジャーがこの企業を買い取り、アメリカで一挙に生産が開始されたのである。その価格は、今年春に従来の天然ガスの3分の1程度のであったものが、この秋には4分の1程度にまで下がり、まだ少しは値下がりを続けるとの見通しである。バイオマスエタノールのように話だけは数10年前からだが、いざ実用化と思えば一過性に過ぎたといったような代物ではない。
シェールガスが一挙に急浮上した背景には
アメリカの中東地域における立場が弱くなるにつれて、この20年間で原油価格は3倍に値上がりしている。現在の中東情勢は、アメリカの立場が益々なくなりつつあることで、石油メジャーがシェールガスに切り替えるといった動きなのだ。アメリカでは、オバマ大統領のグリーンニューディール政策による国の補助金が、米国財政ひっ迫(米国議会の今年8月と引き続く11月23日の動向)により、相当額の打ち切りが明らかになったことから、再生可能エネルギー分野のベンチャー企業の倒産(撤退して損得確定)も相次いでいる。加えて、従来からアメリカでは原子力発電所の新設が無理なこともあり、原料のウランとその後の鉱物をアメリカが確保できない事情があることを忘れてはならない。
こういった理由からアメリカでは、石油メジャーが一挙にシェールガスに進出しているのだ。経済産業省のブレインとなっている識者T氏は、「アメリカは石油エネルギーをもとに自動車工業を発展させた国だから、シェールガスに切り替えとなると産業構造が一変する可能性がある」としている。
ロシア政府までも、自国のシェールガスを日本に輸出したいと狙っており、今日まで日本政府を無視し続けていたが、最近は親睦的コンタクトを取ってきている。中国は、頁岩自体の埋蔵量が世界最大ではあるが、水資源がないためにシェールガスが採掘・産出できず、新たな生産イノベーションを待つしかない。
ところで、日本近海にはメタンガスが氷となって海底に眠っている。
1996年調査では、太平洋の静岡県沖から南南東へ紀伊半島、そして四国沖から九州の東沖に掛けて、少なく見積もっても日本の天然ガス消費量に換算すると96年分を超えて、確実に埋蔵されているとのことだ。今年の4月から実用化に向けての採掘調査が始まり、早ければ来年から一部商品化にこぎつける見通しだ。
そうなれば、益々日本のエネルギー事情は変化する。原発による発電も、政治的思惑と利権で促進してきたものだが、一挙に原発の高コストが問題となる。中部電力が原発停止をする際に、急きょカタールに天然ガスを買い付けに入ったが、こういった日本の天然ガス事情も、自動車産業の将来も変化が予想される。エネルギーが変化するから衣食住関連商品やその設備、自動車その他に新商品が現れることとなる。その新商品の波に乗って個別企業が経営改革を行ない、その商品の供給や流通をつかさどることが、これからの営業課題となってくる。だからこそ、理工系技術と並行して経営管理部門の創造的技術開発も要求されることとなるのだ。
薪、柴、炭、練炭といったエネルギーから、電気やガスに転換が進むことで、台所が土間から屋内、そしてリビングに中央移転するだけでなく、戸建て住宅からマンションなどの集合住宅に変化が図られた。そればかりか、集合住宅のおかげで大量の労働力を都市に集中させることができたのである。
大手や中小の企業規模を問わず、こういった見通しを知っていた個別企業は、成長をしたのだ。成功するには経営アイディアだけでは無理だ。それは経営管理部門の創造的技術開発を支える具体策を尽くした個別企業だったのである。今やそれは、ICT産業革命そのものであることは確かだ。


§大阪ダブル選挙結果の経済学
全国のマスコミは、意外な結果として社会的政治的な話題として取り上げている。筆者は政治は専門外であることから何とも言えないが、大阪市長選挙の投票率が60%を超えたことは、社会問題として認める必要はある。この高投票率に、マスコミに登場する目端の利く人たちは発言を変化させいった。大阪にいるから解るのだが、それは勝った側の応援勝手連の人までが微妙に開票日前までの発言を変化させているのだ。
最後まで、「大阪都構想」の中身は公表されず、二重行政克服ばかり、都構想にかかる経済政策は争点から外れていた。当選した人たちは、「だから大阪経済は再生する!」と一言もいわなかった。もちろん経済学分野から問題提起をした声も聞こえてこない。財政学の経済学的基本アプローチである、「府県というのは産業政策を担い、市町村は地元住民サービスをになう仕組み、これが現在の自治制度」といったことに関連する話も出なかった。とりわけ、大阪府の選挙争点に経済政策が、今まで持ち込まれないことは無かっただけに…、大阪は経済問題が関心事なのにも関わらず、である。
確かに、大阪都構想の経済政策かのようなHPも勝利者側WEBには公開されてはいるが、何ら従来と変わる理念や経済政策は見当たらず、大阪府と大阪市の二重行政さえ解消されれば、従来の政策が成功するとしているだけだ。現状の数字をあげて痛烈に批判は行うものの、実に選挙争点として出てきた経済政策は、大阪市交通局の民営化のほかに何もなかったのだ。さすがに選挙後、大阪都構想が実現する前でも、大阪府議会と大阪市議会&堺市議会のねじれ現象はあっても、経済特区、直通高速道路、府商工労働行政の市町村密着は何時でもできると、さっそく注文が付いている。
ところが、選挙が終わった途端の先週末、
大阪都構想に概要書の存在することが公表されたのだ。選挙前には、一切発表も報道もされずにいた構想だが、12月3日午前8時半ごろ(読売テレビ生中継)、作家の堺屋太一(元経済企画庁長官)から、「電話帳にして4冊分のページ数がある。中身は分厚いので、ここでは説明でききれない!」と発表されたのだ。
以前から筆者は不思議に思っていた。新しい大阪府知事M氏と大阪市長H氏の取り巻きや与党を見渡しても、いったいどこに経済政策通の人物が存在するのか、それが不思議でならなかった。選挙中に最も熱心に応援したのは「みんなの党」であったばかりか、11月27日夜の開票時点になってその渡辺党首や堺屋太一は、選挙事務所で当選の喜びを共にしていたのだ。開票日翌日の記者会見では、新大阪府M知事が府庁移転問題で前H知事と異なる発言をするなど、新大阪市長となった前H知事が客寄せパンダであるとの見方も裏付けられた。
そもそも、大阪都構想は、このH前知事の前任である元大阪府知事:太田房江が初めて提唱したものである。この太田房江は、当時の通産省本省の経済政策を大阪に持ち込もうとして知事に就任した通産官僚であった。しかし、当初は国の後押しによる経済再生を大阪府民は期待したのだが、府財政など公私共の金銭スキャンダルを追及され、大阪府財政の借入金急増と地元経済からの反発などで退任したとされる人物である。(大阪は官僚嫌い、官僚に対して評価は一段と厳しい)。
すなわち、今後の経済政策は堺屋太一が電話帳4冊と発表した、経済産業省本省の官僚でも躊躇するような経済政策を、大阪を中心に関西で劇的に推し進めようとする方針に間違いはなさそうだ。だが、これとて一般に公表されているものではない。少なくとも、経済産業省本省のありきたり官僚の経済政策も、彼らはすり寄るしか歩めない。大阪ダブル選挙が、現政権に隷属する本省官僚:>対決<:と野に下った元官僚たちとの代理戦争となった感も否めない。
そもそも、いまどきの政治家が、「経済政策コンペ」(優秀な経済政策を競う協議)を行えばとの意見もあるが、それでは政治家自らの命取りである。アメリカの経済学者コーエン(自称オーストリア学派:興味のある人は辞典を!)は、著書の『大停滞』(NTT出版)のなかで今のアメリカを述べている。「政治家がありのままに訴えれば選挙に勝つのは不可能に等しい」(p93)「アメリカの政治を単純化すると、“利益団体が経済のパイの大部分を奪おうとして政治に働きかけ、それを黙らせて政治の秩序を保つために、政府が何らかの形で補助金の類を与える”という構図になる」(p93)そして、2008年大統領選挙の共和党副大統領候補のサラ・ペインが、今は(著作は2010年)「急進派黒人解放組織ブラックパンサーや共産主義政治指導者さながらに過激な現状変革を訴えている」(p102)ことを紹介している。すなわち、コーエンは、経済成長が行き詰まった場合の政治家たちのとる行動を経済現象として説明しているのだ。
こういった意味で大阪ダブル選挙結果が、経済学的には、極めて財政学上奇異な現象を現し始めたと言える。


§労働者派遣法改正、規制強化を見送った法案審議の裏側
この臨時国会で、改正労働者派遣法の審議が開始された。2008年リーマンショック現象直後の「派遣切り」から、実に3年間の迷走ぶりだ。当初、その内容は派遣業を規制するものであったが、この臨時国会では殆どが骨抜き状態の法案審議となっていることから、社民党をはじめ労組側勢力は猛反発している。
ところが、当の厚生労働省は意外に平然としている。マスコミは、政府がその後の厚生労働省関係の法案成立に差し障りがあるとして自民党・公明党に譲歩したと報道しているが、それは素人の見方である。厚生労働省の本命は、今や期間雇用者(法律的には有期雇用という)をめぐっての争いである。
(判例法理の判断)。
広く用いられている期間契約(終期契約は異なる)は、いくら期間を短くしても、契約更新期間を概ね通算して4年目に突入すると終身雇用の契約成立(行政法である雇用保険も同様の考え方)となる。これが裁判所や紛争調整委員会の公機関に持ち込まれた場合は、自動的に就業規則に定める社員の雇用契約が形成されるわけではないが、定年もしくは65歳までの雇用延長が自動的に適用される。最も経営側寄りの弁護士だとしても、いくら事情があるとしても7年目に突入すれば常用雇用の契約成立は否定できないとしている。
……これが裏側に潜む動きで、この4年目に突入した期間雇用の終身雇用化を、厚生労働省は立法化しようと狙っていているのだ。
大手企業はきめ細かい対策
「派遣切り」の労働紛争で散々な目にあったことから、きめ細かい対策を打っている。それは、
イ)期間雇用の満了日前に解雇した場合は、最低でも契約期間満了までの賃金を遺失利益の賠償として支払う義務があるとの裁判例が定着したこと。それまでは、似非専門家から「30日分さえ払えば解雇可能」と間違った解釈を教えられていたが、いざ裁判を受けて立てば、期間雇用者の30日前解雇は違法と敗訴続きとなった。
ロ)整理解雇は、「四要素説」といえども、「四要件」をそろえなければ認められないといった判例を改めて理解したこと。これも似非専門家(一部の弁護士と社会保険労務士)に、四つの要件とも揃わなくても差し支えないケースもあると、「いい加減」な営業をされてしまって、酷い目にあっていた。似非専門家も次々と主張を変えてしまった。すなわち、期間雇用とは、業務用の波を緩和するために認められるもので、せいぜい通算は4年未満とされる扱い(雇用保険も同様の考え方)を知らされていなかった。あげく、似非専門家から、「期間雇用だったら、希望退職募集の前に解雇できる」と適当なことを言われ、大手企業の法規部あたりは踊らされてしまったのだ。
ハ)通算して4年未満の期間雇用者の契約解除であれば、合意書のペーパーさえあれば大丈夫といった絵空事に気がついたこと。通算して2年11ヵ月以内の期間契約で雇用し、満了する時には100~200万円の退職金を支給するとか、有給休暇を期間満了前にすべて消化させるとかの手立てを得た上で、自由意志にもとづく合意解約もしくは期間満了を迎えるようにするなど、訴訟に万全を期するようにした。
ニ)日雇い派遣その他の弊害は、都道府県労働局の権力行使的圧力でもって、ほぼ沈静化されているから、大手企業の経営に中小企業が市場侵食する危険性はなくなっていること。
さて、そこで厚生労働省は
こういった対策を打っていない企業、すなわち、中小企業の派遣先とか、偽装請負で労働者派遣を行っている企業とか、こういった中小企業の事業基盤実態をこの際無視して、厚生労働省は立法化しようと狙っていているのだ。だから今は、対策を打っていない中小企業の意見を反映したであろう自民党・公明党の、派遣業規制緩和の要求を受け入れたとしても、大枠では厚生労働省の目的が達成されるから、今臨時国会への規制を見送った法案提出となったのだ。対策を打っていない中小企業の兵糧を断とうというのだ。
裁判ともなれば事実、対策を打っていない場合では、訴えが起こされれば労働者側は必ず勝つ。まして、この1~2年の裁判所の動きは、不安定雇用労働者には理屈なく寛大で、常用労働者であれば年収3年分程度の和解金、パートであれば100万円程度の和解金を裁判官は迫って来る。経営側の弁護士の中には、この裁判官に対して迎合、誰の味方か分からないケースの弁護士もいて、解雇が事件化してしまえば多大な損害を招来するのが、現在の事件解決実状でもあるのだ。
【そもそも、労働力需給に関わる事業とは】
労働力需給は古代から行われている事業で、資本主義から生まれた事業ではない。民間企業経営者からすれば流れに任せ揺られながら経営することが定石であり、流れが変わる場合には船を岸に寄せて(借金をなくして)しばし停留することが鉄則なのだ。産業とは言いがたい事業に由縁するから、素人考えでは赤字を招きやすいのだ。結局のところ、派遣業規制反対の生半可な政治活動も、予想通り見事に厚生労働官僚に逆手を取られてしまった。素人ながらに、華々しく政治陳情を行ってカッコ良かったかもしれないが、自らの墓穴(赤字垂れ流しと借入金増)を負ってしまったという結果になりそうだ。


§混沌とした社会では、経営哲学の変換が第一課題
「金のために働く、売り上げ確保や、採算がPay出来さえすれば、生活のためにといっても要は金!」
……こういった経営哲学の変換が迫られているのである。これが、経済社会大変化の真っ只中にある、最大の経営課題である。担当は総務人事部門であり、大手では社長任せで逃げ腰と、担当部門がお茶を濁しているから、後退の一手でしかないのだ。
今の日本経済が立つ位置や経済動向からすれば、ただ単に金銭に交換できる商品を作っていれば流通するといった経済状況ではない。何をさておいても、日本には投資資金がないのだから、無いものねだりの経営哲学は通用しない。経営哲学を間違っていれば、経済理論も経営理論も間違ってしまう。精神論はさておいて、たとえば、「最終消費者向け製品や商品やサービスの重視」といった経営哲学ならば、次のような経済理論と経営展開になる。
使用価値とか効用価値さえあれば?
未だ、使用価値とか効用価値さえあれば製品として通用すると思っているから、国内では売れず、海外に行っても売れなくなり、新興国に真似され追い越され、軒並み売れない事態に陥っていると言えるのだ。経済学的にはこうなる。より少ない財の消費に向けての費用価格や生産価格認識といった概念は、基礎産品とか素材商品における供給管理費(粗利益率)の低い商品として低価格が形成されることも自然な成り行きとなっているのである。
そこで、使用価値などに加えて固有価値を付加する必要
が(経済経営学問上も)あるのだ。今日までの「付加価値を加える」といった発想は、使用価値・効用価値に毛が生えたような概念で、まだまだ主観的観念的、論理的には甘かった。科学的に解明されなかったから、商品を作る者や販売を担当する者たちに伝承されなかったのだ。固有価値を付加すれば、海外の富裕層1億人(世界で1億円以上の貯蓄を持つ人は1億人、そのうち日本には100万人居住)へ日本商品の展開も容易になる。固有価値を高めた商品の欧米圏への展開となると、経済・経営学的には、人の心を尽くし、精神を尽くし、日本文化を込めて商品を作れば、外国人は自国流文化で商品に理解を示し、日本から商品を取り寄せ、外国人顧客の要望を日本に伝え、あとは日本製商品を要望に応じて創れば、世界展開はできるといった具合である。この「外国人は自国流文化で商品に理解を示し」という部分は、資生堂:福原義春名誉会長の研究成果であり、日本流を押しつけてしまう場合は、文化的商品が売れない現実に通じるものである。
商品の使用価値ばかり目を向けていれば、
「より少ない財の消費」を追及する商品を多種多様に生産・販売し、結果的には安値を強いられる経済循環に陥らざるを得なかった。そして経済循環が出来なくなり、今や、「お金」がないから買えませんといった結末を迎えた。「より少ない財の消費」は、個人の消費購買力まで抑えることとなった。
商品の効用価値ばかりに目を向けていれば、
人間の心身に対する刺激に訴える付加価値に走る類のことしか思い付かず、結果は、継続的に生産・販売となる安定商品も作れず、(当然の帰結として)不採算商品出荷の連続を招いて、個別企業経営全体としては経営難に陥るしかなかったのだ。そして、本業で利益が出ないと考え、投機に手を出す企業も多くなった。そういう意味で、経済学を機械的に理解した似非専門家の罪は大きい。
固有価値とは、定義をすれば:納得される見積もりも
「需要者の購買・使用・保存の過程に具現化されるところの、購買意欲・受容感動・将来希望といった行動を生じさせる、商品に組み込まれたこの三つの要素を併せ持つ価値」
である。固有価値は、使用価値をベースにして、使用価値に上積みされる供給・需要が開花期である。受容感動とは購買者ごとに感動の微妙な受け入れ内容が違うことである。将来希望とは理に適った目的につながるものである。固有価値は、最終消費者が認識している生活文化に基づいて、その質量が判断され、流通に携わる商業従事者(供給者側代理人あるいは需要者側代理人)によって、(購買意欲・受容感動・将来希望の)定量定質化も可能となり得るのである。(効用価値、使用価値、そこに加える固有価値における価格決定メカニズムは、後日:学術発表)。
……このポイントで、成功する安定商品の要素、業務改善の要素が判明し、今までボンヤリしていた価値部分の見積もりが計算できるようになった。すなわち、
☆☆ハンバーガーを例にとれば☆☆
従来の工業文化型商品(価値論からいえば、効用価値あるいは使用価値)に重点が置かれているハンバーガーは、現在の多店舗展開販売に見られる商品型(マクドナルド等が典型)となり、まるで現在の民営配給制度である。食欲及び食欲をそそる+α程度の価値形成である。
これが固有価値に重点を置く生活文化型となれば、地域ごとの食材や味付けを活かし(単なる地産地消と異なるが)、顧客が中身を自ら選んで作るなどのハンバーガーとなる。生活文化的意欲は、単なる食欲などの意欲とは異なる。家族や友人との人間関係を通してこそ生まれる価値をハンバーガーで“意欲的”に求めるから、食材や味付けが話題や課題となり人間関係を通して“個人ごとに受容される感動”、改めて人間関係を新たに形成することでの“将来希望”を形成する価値を手に入れるためにハンバーガーを買うのである。利用者が固有価値を重視して買いに来た場合は、工業文化型ハンバーガーチェーンの利益源泉であるコーラとポテチの抱き合わせ販売作戦とは異なるのだ。
☆☆自動車を例にとれば☆☆
工業文化型重視であれば、バスやトラックが典型的で、輸送手段として自動車の機能や性能といった使用価値が重要な要因であり、「より少ない財の消費」法則が働くこととなる。これが、生活文化型重視となれば、購入目的に「家族で旅行する」とか「彼女と出かける」ためといった購買意欲・受容感動・将来希望の三つが重要な要因となる。だから、有能な販売員は、乗用車の機能を説明するのではなく、自動車を用いて人間関係を充実させる様を購買者に連想させて販売するのである
固有価値の具現化は、繁盛店や有能営業マンならば、
すでに行っていることなのだが、固有価値といった経済学上論理的な位置づけを行っていなかったから、業務遂行で甘さが起こり、教育訓練に落とし込めず、成功確率が低下する原因となっていたのである。もしくは、文化経済という視点がなかったから、固有価値を売り上げに結びつける属人的能力(意味不明)として、人事評価のお茶を濁さざるを得なかったのである。
工業文化型商品(効用価値あるいは使用価値の価値論を重視)から脱却しようとする人たちが多い国、すなわち、イタリア、フランス、デンマーク、スウェーデン、フィンランドといった地方では、表面的には芸術的雰囲気が強い人達と見えがちだが、実はこれらの国の経営学・経営管理学では、商品の持つ価値について極めて深い研究(有名どころは、ボローニア大学、ストックホルム経済大学など)がなされている。固有価値を交換価値に転換(売買成立)する成功率が高いということなのだ。


§この世は変わる、だから経営哲学の教育が必要!
こういった経営哲学の変換ができれば、要するに、利益体質の事業変換をさせることができる。だから大事を、一から個別企業で行う必要はないのだ。競合他社より一歩リードするだけで結果は直ぐに出る。
そして、
そのためには、教育から始めなければならないのだ。
会社の言うことを聞くように、事細かく「形」ばかりを教えるのは訓練であり、それは教育ではない。教育とは、言い換えれば、こういった「経営哲学を変換」する能力を身につけさせることでもあるのだ。前のメルマガにも述べたが、日本企業の社是・社訓というのは、創業時のものばかりであって、事業を継続するとか、時代環境に事業を合わせるといったものがないのである。おまけに、過去の経済環境時代のものばかりだ。
訓練しか受けてない人物に、一生懸命に勉強して仕事をしろといえば、益々訓練の成果は上がるかもしれない、ただし、それとて不安定不確実な話だが。ところが、その訓練を自ずと規定した経営哲学が未変換だとすれば、その訓練を重ねた末の賜物は業績不振を拡大するばかりだ。その現象をチェックする項目としては、手間の割には売り上げがないといった、作業単位当たりの人件費コストの増大である。この現象に経営者が気付かなければ、倒産を招くようなことになるのである。
とりわけ、対人サービスを行う労働者は、部門の長を先頭にお門違いの訓練を徹底している場合が多く、経営不振を自ら招いてしまうようなことは、日常茶飯事なのだ。倒産した後に自然淘汰だったと悔やむのは、まだ少しは経済感覚の残っている人だ。だから総務人事部門の仕事はここで重要なのだ。
今の経済状況に適合した経営哲学から導かれる教育の柱は、
1.接客方法
 (親切行為を現すには、客からの世間話に応じる方法その他)
2.商品知識の活用
 (客の生活意欲・受容感動・将来希望の三つを同時に叶える)
3.提供する価値
 (効用価値や使用価値に、どんな固有価値をプラスしたか)
4.直接間接のリピート
 (再来してくれる客だけでなく、廻り回って経済循環するか)
といた具合になるのである。
先ほど紹介した、アメリカの経済学者コーエン(自称オーストリア学派)でさえ、著書の『大停滞』(NTT出版)のなかで、「科学的なマネジメント手法」(p98)並びに「(教育にもとづく)科学者の重要性」(p125)を訴えている。コーエンは自称オーストリア学派なので、経済学でいうところの、「効用価値により消費財の価値は証明できる」とする学者である。人間の労働や努力に価値を見出さない学者だから、さほど固有価値を議論したがらないのだが、その彼であっても、経営の科学的手法と全学問分野の科学者の重要性を説いている。このコーエンの説は、本当の意味での経営哲学の変換と社員教育を、貴方が社内でアッピールするときも、個別企業再生の定石と言える根拠になるものである。貴方の職場では、手間の割に売上があがっているのか、「仕事がない!」と云ってブラブラさせていないで、メリハリをつけて今の仕事は効率的に片付け、あえて時間を作って、経営哲学を変換する教育を始めるべきなのである。


§【書評】『日本人の9割に英語はいらない』
こういった題名の本が出版(祥伝社)されている。著者は、2000年までマイクロソフト日本法人の社長をしていた成毛眞氏である。
著者は、20代~30代は仕事で覚えなければならないことが山ほどあるという。その大切な時期に英語の勉強に気をとられたら、肝心の仕事に集中できず、将来業績を左右する能力が取得できないと主張している。著者は、楽天の社内で日本人同士がつたない英語で話し合っているといったことでは活発な議論など望めない状況、ユニクロの英語重視とその反面では事業内外の調整手法、市場動向、販売・PRテクニック、企画力を軽視する状況について、冷ややかな視線を送っている。確かに、ネイティブな英語は、外資系企業のトップ3%には求められるが、TOEICの点数などあてにはならず、体当たりでコミュニケーション力を駆使して交渉を乗り切り、そこから学ぶしかないとしている。
それにもまして、欧米で知識人として認められ対等となるには、シェイクスピアと聖書を読み、その内容(日本人的理解ではなく)をつかんでいることが基本であり、歴史、芸術その他幅広い教養を身につけていることが普通であると推奨している。要するに、著者は人間性を高め教養を身につけることが仕事の基本だと言いたいようだ。
さらに第一章で著者は、「創造力のない人ほど英語を勉強する」と解説している。無意味で単調な作業を、如何に黙々と続けられるか。英単語や英文を暗記するのも仕事でルーティンワークをこなすのも根本的には同じだとし、求められるのは如何に効率よくこなすかであり、それは何かを生み出すクリエイティブな作業ではない。単調な作業を黙ってこなすのは、組織の命令に対して服従的な人だ。組織にとっては、ありがたい存在である、との、はっきりした主張だ。著者は、元外資系企業の社長経験者として、さまざま指摘している。
【筆者(むらおか)のコメント】
ちなみに、欧米流の努力プロセスとは、「心を尽くし、精神を尽くし、思い(思索)を尽くし、力を尽くし…」となる。だとすると、日本人ビジネスマンの主流である、「会社のため、金銭のため…」あるいは「日本製品で市場確保を…」などとは異なった人間性と教養こそが英語能力よりも重要だということとなる。
先ほども論じた、固有価値を高めた商品の欧米圏への展開は、さほど人間性や教養が身につかなくとも、日本人は、心を尽くし、精神を尽くし、日本文化を込めて商品を作れば、欧米人は自国流文化で商品に理解を示し、日本から商品を取り寄せ、欧米人顧客の要望を日本に伝え、あとは日本製商品を要望に応じて創れば、欧米に展開はできるのだから……といった具合になるのである。

2011/11/08

第115号

<コンテンツ>
世界経済の混乱ぶりをよく見てみると
   ★歴史的円高水準……
   ★タイの洪水……
   ★EUギリシャ危機……
   ★オイル産油国の内紛……
   ★TPP加盟問題……
今から来年まで不況に向う!
労働力・人材の棚卸し…一風変わった産業分類
精神疾患急増は、日本経済の機能不全が原因か?
  《メンタル対策義務化へ安衛法改正》
   【労働安全衛生法改正のポイント】
   【訴訟その他での法的効果】
   【唐突な法改正の裏にある背景】
   【公共機関の図るべき積極的対策の視点】

§世界経済の混乱ぶりをよく見てみると
その底流に流れているものが見えて来る。今日、明日の個別企業経営にとっても、この激動する数年間は、世界経済の行方が決着するまで、嵐の風向きや波の高さに注意する必要があるのだ。風向きは顧客動向であり、波は取引先や銀行の動きである。これらは、各人が一生をかけている個別企業の経営戦略も、一瞬にして吹き飛ばされることもあるのだ。
だが、マスコミは次々と話題を追いかけるばかりで、底流や本質を見ようとしない。所詮、日本のマスコミの多くは読者数や視聴率を追いかけて成長した産業であるから、「大衆の受け」さえよければ、底流や本質はどうでも良いのである。だから、日本のマスコミ産業は新聞配達網、総務省許認可制度、文学部出身などの記者、及びそれを補完する人たちから成り立っているのである。学者級の専門分野ジャーナリストが育たないのも無理は無い。
世界経済の課題と報じられる事件は、歴史的円高水準、タイの洪水、EUギリシャ危機、オイル産油国の内紛、TPP加盟問題など、次々と報じられるが、その底流にはドル経済基盤の崩壊が進行しているからこそ発生している混乱であると視れば、さほど驚くことは無い。
歴史的円高水準……
リーマンショックの後、この8月のアメリカ国債デフォルト懸念の後処理を診れば、円高は当然の成り行きである。局面でいえば、円高を迎え内需拡大であるとか、輸入産業のテコ入れが無策だったので、大影響を受けたのだ。この切り替えが出来ている個別企業の影響は軽微で済んでいる。ただし、個別企業の大半は手を打っていなかったから仕方がない。次の円高局面は、年末に向けてのアメリカ国債格下げの動きである。
タイの洪水……
先月末に入手した現地からの情報によると、まだ1ヵ月は十分に水没状態とのことである。その後10月31日夜には、現地上流に住む農民たちが水門を破壊して、下流に流す水量を増加させたとの事件が報道された。もとよりタイは常時洪水に見舞われ、10年に一度は大水没に見舞われる土地である。なのに、タイ工業団地の土地は非常に安かったので、「安かろう、悪かろう」といったことも忘れて進出したのである。洪水直前も、「タイに来れば何とかなる」と、日本の中小企業経営者が現地日本商工会議所を訪問、安易な進出を諌められていた始末である。
ところで、日本各地にも洪水被害の地域があり、そこでは1~2mの盛り土の上に家屋(輪中などが有名)などを立てているが、進出した日本人担当者は、そういった中学校の地理を忘れていたのだろうか。日本人サラリーマンは公私共に、すなわち社屋や工場そして自宅の購入についても、不動産屋に騙される特徴がある。とにかく、タイでは盛り土どころか設備の嵩上げすらなかったようだ。タイの人たちにサプライチェーンといった概念がないことも、これまた、日本人サラリーマンは忘れていたのである。どこまで幼いのか!
EUギリシャ危機……
マスコミはデフォルトとか目新しい用語を使って注目を得ようとしている。そもそもユーロ経済圏の金融危機は、ドル経済圏のリーマンショックなどを受けて事件化してきたものであり、戦前から模索されてきたEU(ヨーロッパ連合構想)の、第2次大戦すらも乗り越えた紆余曲折からすれば、日常的な経済課題なのである。ドル経済圏とユーロ経済圏との市場圏争いのなかで発生しているギリシャ危機といった視点で見れば、何も一喜一憂することは無い。もとより、ギリシャがそういった国家であることは百も承知。ギリシャの次はイタリア、そういえばスペインやポルトガルも名前を出されたことがある。
並々ならぬヨーロッパ連合構想があり、これに無知な日本国内だけがEU通貨統合とかEU加盟問題の見識が甘いだけで、マスコミ報道で踊らされるような代物でもない。まして、ギリシャの国民投票といった話題は、もとよりパフォーマンスであることは最初から分かっている。ギクッと肝を冷やしたのは日本素人記者(事実上の通信員)だけで、日本国内で流行した報道とは別のところに本質的意味がある。すなわち、EUは各国の財政統合に向けて、これで半歩道を進めたと観るのが妥当なのだ。要は、EUの赤字結束であっても戦前からのヨーロッパ連合構想に適う概念という欧州思考と欧州文化なのだ。
オイル産油国の内紛……
これだけの円高水準にも関わらず、灯油など石油製品の値段は上がり続けている。エジプト、リビア、シリア、カタールなどの政変は原油の供給体制にまつわる物事である。アメリカのクリントン国務長官が動くところに資源問題は付きまとっている。カザフィー、ビンラディン、アフガンの名前が話題となるばかりでなく、パレスチナの動きはイスラエル弱体化の象徴となっているが、その原因に石油やウラン鉱物などがかかわっているとのニュースも、一般日本人には遮断された状態である。
日本国内では原発・電力のことばかりの話題である。だから、こう見てみると、自然・再生エネルギーと日本国内の個別企業とのビジネス的関わりが、如何にも密にならざるを得なくなるのである。石油だ!放射性燃料だ!とマスコミによって視野狭窄的に振り回されると、ビジネスチャンスと利権を、他社にもっていかれるだけのことなのだ。テレビは連日、太陽光発電のパネル設置業者の宣伝を行っている…。
TPP加盟問題……
この経済連携協定を結んだことによる想定を、一方は追求し、他方は分からない!といった論議になっている。いわゆる議論がかみ合わないのではなく、「この議論をしてはいけない!」ところに本質があるのだ。
TPPで話題になるのは関税問題ばかりで、経済協定の主要課題であるはずの為替安定は、誰からも相手にしてもらえない。すなわち、ドル経済圏の崩壊に替わり、仕方なしにアメリカはTPP新経済圏を形成しようという試みである。今、アメリカと日本がTPPを形作れば、アジアにおけるアングロサクソン・トライアングル(アメリカ、イギリス、オーストラリア)は安泰となり、エシュロンこそが立派に機能することとなるのだ。
だから、中国に対する「安全保障」といった突飛な話が出ているのも当然なのだ。もちろん韓国その他へのTPP加盟は後回しになっている。韓国は現在、アメリカからの自動車・牛肉輸入急増をもくろむ米韓FTA変更批准問題で大騒動とのこと。さらに引き続いて米中韓FTAの協議に移行するとのことだ。
TPP論議で農業問題ばかりを話題にするのは、この真相を覆い隠すためともいわれている。当のアメリカにとっては、東のEU経済圏への対抗、西への中国経済圏への対抗と、ドル経済圏防衛に忙しいといった具合である。ここに、TPPの加盟か延期かの選択ポイントがあるのだ。


§今から来年まで不況に向う!
ドル経済圏、中国経済圏、やはり遠くのEU経済圏と、世界経済体制にまつわる激変・新形成が行われることから、従来型にしがみつく体制では衰退を迎えることになる。
しがみつかない個別企業や個人にとっては、新しい需要とビジネスチャンスを迎えることとなる。
要は、個別企業の臨機応変体制である。
だとしても、激変・新形成の期間は誰もが、「成功の実感」を味わうことはなく、ひたすら未来と希望に向かって走る感覚だけを自覚する時期を過ごさざるを得ないのが歴史的事実である。反面、「未来も希望もなければ、店をたたんで」でも未来につなげる……しかないのである。幸いなことに、未来につなげるためにイザ!店を畳むなら、法制度的にも商道徳的にも、今のうちなら各種の現実的システムと条件整備はなされている。
そういった意味でいえば、繁栄していたとされた大手企業は、軒並み日本国内での経営が困難となり海外進出(海外逃亡)をせざるを得ない事態に至り、挙句進出したところでクローバル多国籍企業との企業間競争にさらされ、果敢に戦ったとしても外資に吸収される道を歩むしかない。投資資金の数量でいけば、日本の大手企業は勝てるはずもないのだが、ほとんどの大手企業はそれしか出来ない能力の人材ばかりの集まりであるから、自らが没落すると結論づけたのだ。(ロンドン大学:故森嶋通夫「何故日本は没落するのか」も参照を)。大手企業も経団連も連合も、徹底して覇気が無く脱力している根拠はここにある。大手企業の進出に伴い協力会社として成長した企業も海外進出を迫られ、海外での新規取引先を確保しない限り先行きがないといった、ほぼ身売り状態での海外進出(海外逃亡・海外出稼ぎ)でもある。
この時節柄のそういった姿は、太平洋戦争初期に、日本が海外市場を武力制圧して海外進出した、「つかの間の戦略」と雰囲気が酷似すると思えるほど、その手法は無能そのものなのだ。だから、早晩に破綻・崩壊する海外進出の流れは、当分は止まることがないかもしれないが、それでも、なおかつ未来も希望も見いだせない。
であるから、日本の資源(文化を含め)を活用して、世界の富裕層1億人への生活文化型商品の産業市場開拓をすることの戦略の方が、現実的であるのだ。日本の高級電化製品、生活文化型商品(アニメ、ファッション、農産畜産物)そして環境(雪、緑、風光など)に世界の富裕層は興味を示している。ここに販路を生み出し、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を行えば、日本の国内企業は間接・直接にクローバル多国籍展開するのである。生活文化型商品であれば、海外に向け発信さえしておけば、取り立てて「海外進出」とか海外出張する必要などない。
富裕層1億人が相手だから、今までのような供給サイドからのマーケットの着想はやめて、需要サイドからマーケットを発想すれば良いことである。この方法ならば、純国内産業だとしてもTPP経済連携協定締結においても個別企業には有利に働くことになる。要するに、出荷先民族の富裕層が欲しがるような、特注の日本製品を作れば良いのであって、国内の技術者や技能者は頭をちょっと柔らかくして作れば良いだけのことである。そして都合の良いことに、生活文化型商品は大量資本投資スタイルの多国籍企業では産業化できないのでもある。


§労働力・人材の棚卸し…一風変わった産業分類
経済学とは、みんなが経済的に豊かになるための学問であり、ひとつの経済パターンともいうべき経済方針たるものを、目的意識をもって理論化することである。この経済学に異論を唱える人たちは、単なる学術情報収集家、学術論文翻訳家、経済学教師に安住している人たちと言っても過言ではない。事実、歴史的に著名な経済学者には、こういった職業にしがみ付いていた人物は皆無に近い、すなわち、実務家でもあったのだ。
そこで、日本経済の最大資源といえるものは有能な労働力・人材であることは確かだから、今までとは異なる考え方の仮説を用いれば、発想も開けるというものである。ここで一風変わった産業分類を行うことは、労働力・人材のストック集計分析ではなく、いわゆる労働力・人材の棚卸しである。これは、個別企業でもあてはまることである。
多くの方が習った産業分類とは、第一次産業、第二次産業、第三産業といった分類である。最近ではこれを串刺しに足した「第六次産業」なる用語も流行している。この産業分類は1941年にイギリスの経済学者コーリン・クラークが提唱したものである。ところが今や、時代も異なれば、日本は資源大国でもなければ、イギリスのような植民地大国でもなかったのであるが…。さて、この一風変わった産業分類を、百年に一度の経済危機を乗り越えるために異なる仮説を提起してみるのである。
(1)事業を営み・流通させ・人々を組織化する産業
  (役務提供、職安法上の請負はここに分類)
(2)創造性や創意工夫でもって商品をイノベーションする産業
(3)標準化された規格品の量産と低価格をイノベーションする産業
  (アウトソーシングはここに分類)
(4)環境、保健衛生、生命安全の基盤を守る産業
筆者の仮説とは、こういった産業概念の分類方法である。
この一風変わった産業分類をもとに、貴方が活躍しようとする個別企業を分析してみればよいのである。
例1:昔は繊維織物、次は電気製品組立、今は介護福祉に進出している経営者が入る。この人は、規格量産でイノベーションを行った経験はない。もっぱら中高年女性労働力を取りまとめる才能をもっている。
例2:日本の医療制度である保険医制度は、民間用語流に説明すれば、保険点数や薬価による全国フランチャイズチェーンである。おかげで、ほぼ全国網羅のためのコスト増はあるとしても、全国標準化された規格医療が実施されている。
ここに二つの事例を挙げたが、従来の工業文化型産業イメージから、「企業というものは標準化された規格品の量産」であるといったドグマや固定観念に、われわれ自身が浸っているから、よくよく社内の人材を分析する必要がある。
すなわち、古代ローマ帝国では略奪経済であったから、賃貸、労働、請負は同一概念で、その区別はつけられなかった。ところが、もうすぐ日本の民法は、役務提供が賃貸、労働、請負、委任に追加されようとしている。役務提供契約とは完成を伴わない無形結果を目的とする請負契約のことである。また、完成を伴う有形結果を目的とする請負契約だとしても、発注者に標準化の作業マニュアルを指図され工程の進捗管理を受けておれば、それは職業安定法で法定されているからこそ認められる請負にすぎない。ただし、人材派遣業や偽装請負といったものは、産業ではなくて労働力需給システムであるから、念のため。
だとすると、
この四つの一風変わった産業分類に合わせて経営戦略と人材確保の企画立案をしてみることは、頭の体操に留まらず、総務人事部門の企画担当者としての重要な仕事でもあるのだ。
これは民間事業や公共事業を問わずに考えられる仮説だ。旧来、公共事業とは、民間企業では採算が合わないから、民意によって国や自治体が行うものと考えてきた。しかし、この延長線上に利権と非効率による税金の増加が起こり、その解決策として今や公共事業はNPOや企業が行えば良く、国や自治体はその「公共の場」を提供すれば良いといった考え方に流れつつある。日本標準産業分類:公務と他産業の関係や公共事業のプラットホーム(事業外注化を含む)は、「公共の場」とは異なり、利権・非効率並びに増税を温存するものと考えられている。


§精神疾患急増は、日本経済の機能不全が原因か?
《メンタル対策義務化へ安衛法改正》
厚生労働省は、10月24日、突如として職場メンタルヘルス対策義務化への労働安全衛生法改正を打ち出した。早ければ来年度から実施したいとしている。この24日に審議会に法案要綱が示され、その日のうちに審議会が妥当との結論を出したことは異例中の異例である。それもいまの臨時国会に提出するというのだ。官僚主導となっている現在の厚生労働省であるとしても、あまりにも唐突だ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001slsj.html
報道発表も、NHK総合テレビで優先的に行われた。それによるとメンタルヘルス関連でも労災申請が急増しているなかで、何らかの対策をとっている企業が非常に少ないことを説明している。そこで、メンタル不調に陥る労働者増加に歯止めをかけるといった考えのようだ。この調査の出所はここだ。
http://www.jil.go.jp/press/documents/20110623.pdf
【労働安全衛生法改正のポイント】
1.精神的健康状況の把握のための検査を義務
2.労働者にも検査を受けることを義務付け
3.事業主への検査結果の通知義務、及び労働者の同意
4.健康保持要件での申し出があれば医師面接指導の義務
5.事業主の面接指導結果の記録
6.面接指導の結果に基づき、医師から措置の意見聴取
7.医師の意見を勘案し、配転時間短縮その他措置の義務
【訴訟その他での法的効果】
精神的状況を把握する検査と、精神的疾患を治療するための受診とは、はっきり区別されている。
この改正事項は、労働契約法第五条の、「労働者の安全配慮」にある必要な配慮についての具体的な合意を義務づけたものとなる。安全配慮義務は、労働契約上の契約履行義務であり、今回の改正内容をひとつの配慮基準に考えることとなる。
労働者にも検査を受けさせることを義務づけたことは、「検査を本人が拒否しているから仕方がない」といった言い訳が、事業主としては出来ないこととなる。その面では、社員の定期健康診断の扱いとは格段に厳格な法令である。また、検査を受けさせない行為とか、労働者本人の検査を受けることの拒否を理由としての検査の不作為行為は、事業主の不法行為を形成するから金銭的損害賠償の対象となる。
通知義務は労働者の同意を前提としている概念ではなく、労働者に同意をさせて通知するという趣旨と考えられる。もし仮に、同意を前提とするならば、法案は「労働者の同意の上で通知されるもの」といったような表現となるはずだ。労働者が同意しなかったとすれば、事業主にはなおさら問題視しなければならない公序義務が問われかねない。事業主の安全配慮義務からすれば、受診勧奨を行う必要も生じる。
面接指導結果の記録は、事業主の義務を履行したことの証拠となるものである。
医師からの意見聴取を、必要な手続き行為として具体化しているから、検査結果を記録した直後の行為を、事業主が形骸化するとか曖昧にさせることを防止する担保となっている。
そして、実状を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数減少その他措置を義務付けている。今後出される指針が問題である。さらに医師が組織的に勧告できるようにしている。
【唐突な法改正の裏にある背景】
この法改正を如何様に考えても、厚生労働省は社会の合意形成の上でメンタルヘルス対策を行うとしているようには思えない。ある筋に言わせると、「新型うつ病といったものの流行は企業の人事管理に問題があるようだが、それを企業が改善しようとしないから、行政が手を下した」といったたぐいのものだ。
確かに、筆者の経験などからすれば、企業の人事管理に対する国家権力の発動そのものにほかならないと考えられる。新型うつ病は大手企業に流行していることとか、中小企業の従来型うつ病の対策からすれば、自殺防止などの社会的効果とか労働市場の経済的効果を考えれば、労働安全衛生法改正で一挙にやってしまえと官僚たちは考えたのではなかろうか。反対する議員に対しては、労働保険財政をネタに抑え込めると踏んで、同時に「無為無策」の企業と議員の間を遮断してしまう効果も狙っているのだろう。とりわけ、メンタルヘルスに関連しての労働紛争多発の抑制、日本の労働力の能力維持を図ることを念頭に置いているとしても、これをうがった見方とはいえないだろう。まさか、うつ病患者120万人時代を迎え、投薬治療などで労働市場をコントロールしようとは、官僚たちが考えていることは無いだろうが。
この10月31日に大阪で行われた、専門家たちのメンタルヘルス対策研究座談会でも、
http://ohsakafu-hataraku.org/contents/mental/index.html
「医師や保健師の内で、誰が検査をするのだ、それが出来る者がいない」との発言その他が専門家などから相次いだ。状況からすれば、新たに「おせっかい」を生む、初歩的ケースも懸念される。だから、今回のメンタルヘルス対策の義務化は、時代錯誤的な官僚主義としか言いようがない。
こんなことを民間現場で無理強いをすれば、形骸化した対策に陥ることが促進されることで、個々人が精神的な管理までされていると受けとめてしまうことでメンタル疾患増加を助長させる結果になりかねないのだ、特に大手企業では。ひょっとすれば官僚たちは、この安衛法の改正で新たな政府予算措置と実施組織の膨張を狙い、疾患の多発している情報通信や医療福祉事業の労災保険料率引き上げを念頭に置いているのかもしれない。
【公共機関の図るべき積極的対策の視点】
ところが、現在の社会共同体(社会)というものは、当事者の要望がないのに施策を行えば、不平不満ばかりか対立や制度不具合を生じさせるのが自然の成り行きなのである。これが哲学や社会学での現代的科学的分析の到達点である。良かれと思ってする行為も、当事者が尊重されなかったと受け止めるケースは、障害者や女性その他の差別事件で良くある話である。すなわち、一方が親切を行っていると思っても、相手方からの救済を求めるサインを確認していない場合は、「おせっかい」と言われても仕方がないのである。要は、自己決定権の課題である。
積極的な対策とは、救済を求めるサインを、より受け止めやすくする措置のことを指すと筆者は考えるのである。例えば、対策を打つのであれば、監督署ごとに地元主体のメンタルNPO団体の活動を形成促進することで、実施組織や措置の形骸化を防ぎ、初めて地元や企業の賛同も得られた上での、発生源の実態に合わせた産業・福祉・経済に資すると思われる。

2011/10/04

第114号

<コンテンツ>
アウトソーシングが、さらに本格化
この30年、日本への資金投資は見込まれない!
大手企業には身動きが取れない…!
今の瞬間、具体的な人事労務の管理ポイント
生活文化型商品とはいかなる概念なのか。
これからも売れる商品には特色がある!
生活文化型商品における価格決定権
ところで、誰が人材を育成し、誰が雇用責任をとるか

【お知らせ】日本初企画 メンタルヘルスの研究座談会


§アウトソーシングが、さらに本格化
内外の経済危機を受けて、いわゆる「競争力を持つ企業」は、事業基盤の整備に向けて、いち早くアウトソーシングを行ない不得意分野の長期コスト削減、非専門的業務社員の削減、設備の削減その他に踏み切り始めた。早いところは10月から、遅くとも来年4月1日からという動きだ。これは、経済危機(恐慌)状態で企業の守りを固める体制づくりの一環であり、以前のメルマガで解説したように、財務基盤強化と売上基盤強化に先行して、全国各地で進められようとしている。
これはよく見てみると、大手企業の危機的状況からの工場閉鎖やリストラとは、意味が異なっている。今や、工業型大規模生産方式に没頭していた大手企業とその系列は、突然の如く競争力を失ってしまった。かろうじて、市場規模の大きさで競争力を保っていた感に見えたが、一挙に新興国の企業に市場を奪われ、市場規模での競争力が消えたのだ。加えて、技術力においても、大手企業や系列企業がリストラを行ったところの技術者や技能者が、新興国の企業に就職していることから、それなりの高付加価値製品とか高度工業製品の競争力は、技術面において同水準のスタートラインに立ってしまったのだ。大手企業は、人材と人材の組織化において技術力を低下させてしまった上に、技術者にめしを食わせることが出来ないほどに企業力が落ちてしまったのだ。
とりわけ日系大手企業は産業を育成するといったビジネスの根本基盤を前提にしていないケースが多く、すなわち未だ内部留保を投資に回すことが出来ない事情(利回り金融投資に依存)があるためか、ことごとくイノベーションやマーケティングが減退・形骸化している。模倣型工業製品産業(おもに空洞化と懸念される家電、IT機器や自動車など)の技術者に対する海外からの引き抜きは激しく、日本から三ケタ以上の技術者が流出したかもしれないのだ。系列企業と言われる中には、海外進出と称して企業ごと身売りをした企業も続出である。系列企業の定年を迎えた技能者が海外に就職することも珍しくない。
ただし、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を、世界の富裕層約1億人に対して、地場産業や地域の個別企業が進めることにはさしたる影響が出ていない、大手企業によくある図体が大きく点滴治療(利回り金融依存)で永らえているわけではないから。
こういった事から政府や大規模自治体の経済政策は、今回の世界経済の大変動によって、ことごとく破綻状態に陥っている。この大変動後の事態を想定する学者や評論家は多数いたにも関わらず、官僚たちが意識的に無視を決め込んだところに原因がある。今や、日本を技術立国とする経済方針は崩れ去ろうとしている。


§この30年、日本への資金投資は見込まれない!
金融機関の投資に頼りきりで事業を運営してきた大手企業などにとっては、少々のマーケティングに励んだところで、競争力の回復にはつながらない。だから、経団連が9月16日に公表した「経団連成長戦略2011」も、色あせている内容であることは否めない。その柱も経費削減と目新しい典型事業プラン程度であって、根本的対策に踏み込めない内容と言わざるを得ないのだ。とにかく、急激な変化によって、競争力を支える人材の欠乏(有能ではあるが、ゼネラリストという素人では太刀打ち不能)、技術・技能及び資産の「含み蓄積」とか帳簿外資産と言われる物がないのだ。Just in timeとかカンバン方式は、ことごとく事業内部の余裕を企業の帳簿計上資産とか通貨に転換させたものだから、経営資産と言われる物の余裕がなくなってしまっている。大手企業のほとんどは、交換価値としての資産ばかりが増え、競争力低下で使用価値は下がり、人材欠乏で固有価値も失いつつある事態と評価判断をせざるを得ない。よって、投資の対象から外され、日本国内に存立する価値も疑われることになるのだ。……「海外進出」論議?
これに対して、地場産業や地域の個別企業には、未だ通貨(交換価値)に換金していない物的資産、知的資産(固有価値)が豊富にあり、ここには「利回り金融資本」から独立した基盤(資産→商品化→交換可能な使用価値)が、工夫次第でまだまだ存在している。世界の富裕層1億人(そのうち日本が100万人)に向けての、地場産業や生活に密着した生活文化型商品を供給すること、国内では地元経済と密着した経済循環システムの中に生活文化型商品を供給することで、マーケットを開発することが可能である。固有価値は富裕層に対する使用価値に転換することが出来る。ここで有効に作用する能力こそが、地場産業や地域の個別企業には、まだまだ保持されている。それは、商品開発意欲であり、地域共同体意識と誇りであり、長年にわたる技能と技術であり、働き手のプライベートと一体となった経済活動力なのである。


§大手企業には身動きが取れない…!
昔から巷の話に出て来る「大手企業のサラリーマンは潰しがきかない!」といった現象に表現されている通り、こういった能力が大手企業とその系列に無いことが、大手企業危機の根本原因である。大手企業では、何事も投資資金頼み、労働意欲も人事評価や労働条件向上頼み、場合によれば「生活安定」の将来幻想といった、人間の労働意欲とは一線引かれた位置にあるモチベーションばかりを重視していた(これは学者の責任が重い)ために、喫緊に必要な対策に有効に作用する能力が、ほぼ完全に萎えている。無難な道を歩むサラリーマン経営者を先頭に、大手企業での労働意欲の減退と新型うつ病の流行、(仮に意欲を持ったとしても)大手銀行や怠惰なサラリーマンによる仕事の妨害…といったことで、大手企業の内部からの即時改革や労働意欲醸造に可能性があるとは思えない状況である。
テレビでお馴染みの経済学的に無知な人とか官僚ポストにぶら下がっている人は、「大手企業が駄目なら、日本全部が駄目…」と結論づけたがるが、それは短絡的であり、心身が疲れるとついそう思ってしまいやすい。だがそれは、大手企業の現下の状況では出来ないだけのことである。
確かに、ボストンコンサルティングの人たちが主張する
1.イノベーション(革新)に注力する。
2.外部環境の変化を利用する。
3.マーケティングと広告の力を利用する。
4.競争相手と向かい合う。
5.事業売却やM&A(企業の合併・買収)によって、将来に投資する。
6.ゲームを一変させる戦略を採用する。
(『BCG流 競争戦略』朝日新聞出版 2010年発行 p152から引用)
こういったビジネス優先策が、組織優先思考が邪魔をして大手と言われる企業では実行出来ないのだ。その内部で孤軍奮闘して個人的に実行しようとしても、その人は次々と大手企業組織から排除されている。……だから、現実に大手の企業経営は海外進出と空洞化の路線を選ばざるを得なくなっているのだ。旧カネボウの某経営者は、「命が危ない」から手を打つのに躊躇したと過去を振り返ったが、そこに至らずとも孤軍奮闘する個人を擁護することすらしていないのが、ほとんどの大手企業の現状ではないのか!!
ところが、地場産業や地域の企業
と言われる個別企業には、こういった攻勢に転ずる余地は、条件的にも必要な力量的にも能力は残っている。図体が大きく点滴治療(利回り金融依存)で永らえているわけではないから。(経済学の真の学者や経世家が論説通り)ビジネス優先の意識を貫き、孤軍奮闘の後、大手から排除された有能な人材たちが、地場産業や地域企業からのアウトソーシングを引き受けている。(京都には、地場産業や地域企業からのアウトソーシングを受託する人材育成の大学院も開校され、筆者も通っている)。
結論及び結果は、
何らかの要因でもって、ほんの一部の大手企業と競争力のある個別企業は、不得意部門を課業単位で、有能人材とその集団にアウトソーシングし、さらなる競争力をつけていこうとしているのが、この10月からの動きなのである。


§今の瞬間、具体的な人事労務の管理ポイント
巷には、過去の市場原理と生産工程を前提とした人事労務管理に関する書籍や理論が溢れかえっている。基本的なポイントが分からない素人は、目新しいものすべてがバラ色の解決を呼び寄せると感動・錯覚する。しかし、筆者をはじめ実績で勝負している場合とは違って、10冊の書籍を読めば10回の感動を経験し、とかくサラリーマン生活に没頭すると、この感動自体を仕事のやりがい(矛盾&パラドックス研究の没頭も含め)と思い込んでしまう場合も多い……(こんな人物の注意点は)経済団体主催の勉強会に寄り集まるが、実行力に欠け専門的会話のポイントから外れているのが特徴である。
個別企業の管理職と中核社員は、緊急導入順に、
A.人事評価や報奨(インセンティブ)の導入は、複数年の業績目標の設定、並びに受給期間を長期に設計することで、目先の実績や(架空ともいえる)その場しのぎの業績を防止する。
B.人事評価は、個別企業内においては絶対評価方式、業界や同業他社人材との相対評価方式の二つを併用することで、同業他社より一歩リードする身近な目標設定で企業内活力を組織する。とりわけ商品の品質水準にばらつきがある業界では有効である。
C.全社的な業績に対する影響が限られている者、すなわち事業部長、部長、課長クラスの査定対象は、財務と業務の二面的業績から人事評価を行うことで、管理職クラスが組織力量の蓄積に関心を持つようにする。
D.損益とか売上額だけではなく、その人に託した設備や人件費の投資に対して、どういった価値(企業の固有価値、商品の使用価値、商品の交換価値など)を創造したかを人事評価の対象とすることで、事業育成といった個別企業の基盤への関心を養う。
E.投資に対する成功のインセンティブとともに、失敗に対するリスクを負わせる人事評価とすることで、組織にあぐらをかく安直な管理職の意識を変化させる。ここが利回りや金融がからむ財務部門では命綱となる。
そして、この元に一般職、専門職、専任職の労働者に対しては
1.仕事そのものが楽しいこと(共同体意識とかやりがいある仕事意識)
2.仕事の達成感があること(自己計画性と自己コントロール)
3.プライベートが充実していること……となるポイントである。
また、A~Eは、管理職の棚卸しあり、新型うつ病の抑制にも通じる。
ことに、国内市場から世界の富裕層約1億人への販売を目指す、現在の第一次産業から第三次産業と分類されている業種すべてが、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を通して行動することである。
この後は、
もう一度振り返って、有能な人材が活躍するステージがあるのかの解説へと続く…


§生活文化型商品とはいかなる概念なのか。
「文化的な生活の型に資する商品として取引されるもの」といった定義になる。だが、理念や性格についてはつかみづらいのが現実である。文化的生活とは、とりあえず命と健康を維持する状況から超えて、過去に蓄積された能力を発揮して主観的幸福を個々人が追求して将来設計を形づくりながら生きていることと考えられる。これは、厚生労働大臣の裁量とされる生活保護法の憲法論議とは異なる概念である。これに資するとは、個人差や多様性のもとに意欲が生まれ感動が生まれ、希望を実感しながら行う作業と考えられ、工業文化型商品との重要差異である。さらに「型」といった物が重要であるが、はっきり目に見えて具現化されなければならないし、型を変化させることによって発展を促すということである。
すなわち、無感動のうちに命と健康を維持するものでもなく、単なる五感を刺激するだけのものでもないのである。とかく工業文化型商品は、欲望を満たすことはあっても無感動であったし、せいぜい五感を刺激することが商品に組みこまれはしたが、意欲を生じさせることは無かった。例えば、半世紀以上前の若者の中にはガソリンの匂いを嗅いで自動車商品の刺激に酔いしれる者もいた程度であった。購入して消化した瞬間で意欲、感動、希望は完結した。要は、商品を入手するまでのことで、入手した翌日には飽きがきた。
ここに登場する意欲・感動・希望といった価値(固有価値の存在)を取引内容とするには、どうしても工業文化型の流通形態では無理が存在せざるを得ない。半製品を販売しながら価値を提供する料理のトッピングとか、半製品を購入してきて自宅でアレンジするとか、工業文化型商品やその流通形態を維持するには、こういった小さな創造的作業すら排除せざるを得なかったのである。自宅を建築する際に基礎と骨格と屋根は専門家に頼むとして、その後は半製品キットやリフォーム材料などで創造的に内装や外装を完成させるとの発想自体も、工業文化が支配的なときは非常識な発想とされたのであった。


§これからも売れる商品には特色がある!
それをここに挙げると、
(1)とにかく価格が安いこと
(2)とにかく機械的かつ合理的であること
(3)いわゆる本物、もしくは本物指向
(4)健康、遊びに関連していること
この4項目のうち、(1)と(2)は工業文化型が支配的な商品であった。(3)と(4)には、生活文化型が支配的になろうとする関係が存在する。生活文化型はいずれも、その商品を入手して使用することでもって人間関係を改めて充実させることにはなるのだが、(3)と(4)は命と健康の維持範囲を超えて人間同士の意思疎通をより充実させる商品なのである。したがって、こういった商品の販売が上手な営業マンたちの手法等は、常に人間関係を題材にした内容であった。例えば、ステーキ用の牛肉を売るときは、肉の栄養価よりも、「鉄板でジュージュー音がする」ことを連想させる言葉を使用したのである。自動車を売るときは、自動車の機能よりも、「彼女と出かける」様子だとか、「家族で旅行する」様子を連想する言葉を使用したのである。要するに、給食とか運輸会社のから購入といった工業文化型とは異なっている。
また、今日では誰もが固定概念としてもっている、第1次産業、第2次産業、第3次産業それを串刺したとする第6次産業といった、1941年にイギリスの経済学者コーリン・クラークが提唱した産業分類方式も、発展的に考察し直すことで、生活文化型商品の産業を育成していくことに焦点を当てる必要がでてくる。
例えば、ハンバーガーをたとえれば、
《工業文化型》であれば、
現在の多店舗展開販売にみられる商品型(マクドナルドなど)となり、まるで現代の配給制民営化のようなものである。
《生活文化型》となれば、
地域ごとの食材や味を生かし、(単なる地産地消とは異なるが)顧客が中身を自ら選んで作るなどのハンバーガーとなる。
《感性文化型》であれば、
顧客がハンバーガーに抱くイメージを店主が聞き取り、専門的創造性でもって見映え、味覚、雰囲気を、食材の店でもって醸し出すことになる。
だとすると、これから展開される生活文化型商品を開発する或いは産業として育成するには、法則性や論理の基盤に立つことは重要であることは言うまでもないが、それだけでは予測・予見することができない具体的な創造性作業が必要となる。あるロボット工学者によると、芸術には法則性や論理では説明のつかない作業でもって物事を具現化することが出来るとのことだ。生活文化型商品の開発には、大いに芸術的コンテクストの展開が不可欠となるだろう。


§生活文化型商品における価格決定権
これを、いったい誰が握るかが重要な問題となる。工業文化型商品の価格決定方式は、およそ原価積み上げ方式であり、その原価合計に企業の粗利益を積み上げるものである。土木建築の公共事業も同じ方式である。この価格を安定的に保つために独占的地位を確保するとか、競合相手方を弱体化させる謀略とか、安売り乱売を厳禁するといったマーケティングが工業文化型商品では不可欠となる。まして、工業文化型商品の生産は金融資金の先行投資で支えられていることが美徳(資金投資で資材や半製品が優先的に早く入手出来る)であったから、何としても死守しなければならない原価積み上げ価格決定方式となっている。さらに、生産価格や費用価格その他の経済学説概念が、原価積み上げ方式の裏付け根拠に悪用されているきらいがある。
これに対して、生活文化型商品は相場決定方式で交換が行われる。仕入れる資材半製品は金銭的価値一辺倒で入手されるプロセスを踏むことはなく、販売・交換の際には製造工程で生み出された使用価値のみならず、地場産業や地域に蓄積された固有価値も販売・交換の対象となるのである。加えて、生活文化型商品を入手した後に、購買者が商品使用作業を続けることでもって意欲・感動・希望が生み出されるわけだから、これも販売・交換の対象にその一部が加わることになる。こういった概念での価格は相場決定方式となる。したがって、価格決定権は生産者と購買者の双方に分散されることにはなるが、製造原価を割り込むような相場は基本的にはあり得ない。工業文化型商品のように倒産廃業による激安商品の発生といったことも生活文化型商品では考えられず、とりわけ地場産業として地域と関わる企業形態である場合には正当な評価が保全された価格決定が持続されることとなる。もちろん、工業文化型の原材料を使用して生活文化型商品を製造するのではあるが、原材料相場が値崩れしても、工業文化型商品のように直接打撃を受けることも緩和されるとか、専門的技能者の知恵でもって原材料を変更して生活文化型商品を提供することも出来るのである。
現在のような、商品の交換価値と使用価値の二つの価値評価に留まらず、また商品の、交換価値と使用価値の分離(倒産企業の商品は交換価値が激減、M&Aの売買には使用価値を除外)も抑制され、生活文化型商品では交換価値・使用価値・企業にまつわる固有価値が一体化する傾向が強まり、無駄な労働による無駄な消費行動の削減といった、現代社会の経済ロスの激減に資すると考えられるのだ。よって、生活文化型商品の産業規模が数値的に小さい結果になるとしても、この産業に関わる企業や人々の豊かさが縮小されるという訳ではないことになる。……税務署や今の財務官僚は怒るだろうけれど。


§ところで、誰が人材を育成し、誰が雇用責任をとるか
ここが人事や総務での、最も大切なことなのである。この責任を取ろうとしなかったがために、
1.大手企業が大量の技術者(本来、技術職は有能・無能の区分が出来ない)をリストラし、その技術者たちが新興国の企業に再就職していること。
2.会社収益を「資金の利回り」で追求した人たちが、技能職の労働者を育成することをやめて、作業単純化と労働者派遣でお茶を濁したこと。
3.業務請負業とは雇用責任を取って成り立つビジネスモデル(昭和61年構想)であるが、平成9年からの規制緩和で労働者派遣の偽装請負業者化を許し、労働者派遣の労働者供給業者化を許し、企業の雇用責任を曖昧にさせたこと。(これが現在の、労働者派遣関係の相次ぐ提訴の原因)。
4.国内の技術者確保や技能者育成を、(先進国では労働組合が技能育成する例が多い)厚生労働省が放棄、今もなお次世代産業の人材育成を放棄(具体的提案も無視し続け)していること。
5.失業手当給付と生活保護費給付の中間に位置する、(生活費10万円と授業料の)求職者支援制度では、経済政策や産業政策あるいは創造的人材育成に資する内容にしていないこと。手当や保護費給付を縮小して失業対策事業の就労、次世代産業の職業訓練受講を義務化していないこと。
……といった事態を引き起こしてきたのだ。それは、他人に依存してばかりの金銭経済に限った発想に故意に固執し、いろんな意味で貧困化を促進させる姿にすぎないのである。


【お知らせ】日本初企画 メンタルヘルスの研究座談会
http://ohsakafu-hataraku.org/contents/mental/index.html
一般参加者には専門家レベルの実務家も来て、現在定員増も考えているとのこと。
何が初企画かといえば、最先端でメンタルヘルスに関わる専門家と言われる人たちの論戦である。奥歯にものが挟まれたような講演では、現場のメンタルヘルスにあって、どうすれば良いのかが分からない。結局、社内の素人的判断では無難な線との結論になるから、行きがかりも含めて担当者が困ってしまうのである。責任を取るのは企業であり現場である。そこで、従来の発言しっぱなしのシンポジウムとか、質問程度で終わるセミナーから、一歩踏み込んだものが今回の研究座談会である。今までは企画しようにも、専門家団体の影や流儀が邪魔をして、異なる立場からの同時論戦は難しかった。さらに今回は、未然の質問や意見集約をして、当日は参加者にも発言してもらえる時間をふんだんに設けている。主催者の意向や結論ありきの研究座談会ではないから、日本初企画なのである。
・平成23年10月31日(月曜日)13時から17時まで
・大阪市中央区本町橋 マイドームおおさか(新大阪駅から30分余)
・主催:大阪府産業支援型NPO協議会(一般社団法人)

2011/09/06

第113号

<コンテンツ>
ほとんどの中小企業も海外進出を迫られるのか?
個別企業にとって役立つ、時代の経過
労働コスト削減が、有能幹部も人材も削減、結果、競争力減退
海外進出、その実態は奈落の底がほとんど
だから、生活文化型商品産業ならば、
王制復古や熱狂思想は癒し系と同じ

未来を担う若者たちの意識変遷
今の若者は洗脳、マインドコントロール、カルトを拒絶
おそらく、ここが「新型うつ病」の発生原因
学卒求人に対しても、今年から変化が

・筆者が取材を受けた。(9月1日朝 読売TV放映)
 http://www.youtube.com/watch?v=CiX6ENU-i2M


§ほとんどの中小企業も海外進出を迫られるのか?
といった空洞化リスクの経済論議が浮上してきた。それはこの8月2日、アメリカの国債がデフォルトをやっとのことで回避したかに見えた直後の円高や金地金が高騰によって、大規模投資型産業や模倣型工業製品産業しか視野にない経済評論家や経済学者が、マスコミで言い始めたからだ。マスコミや金融会社から贔屓にされてきたこの人たちは、まるで自らのTVや新聞での出演を守り通すのが、第一目的のような姿に映ってしまう。政府もこれにのってしまったようだ。
生活文化型商品産業や地場産業と結合した量産体制&流通体制でもって、世界の1億人富裕層を相手に、日本経済を組み立てるといった方向性があることすら、考えることが出来ないのかもしれない。リーマンショックの直後に、TVで有名なN教授は、それまでの自らの経済学的考えを反省して退いたのであるが、どちらかといえば、N教授の学んだ経済理論が狭すぎたと言っても過言ではなかったのだ。このN教授の態度は立派だが、筆者も驚き・他山の石と考えて、この4月から大学院に通い始めたのだ。世の中、政策の貧困、哲学の貧困、生活の貧困といったところ、貧すれば鈍するそのものだ。
円はドルに対して、76円台に突入したが、それよりも驚くべきことは金地金が1グラム5,000円を突破しそうになったことだ。1944年ブレトンウッズ協定でドルが世界の基軸通貨となった。1971年のニクソン・ショックとはドルと金地金の交換が停止され、ドルの大量印刷や米国債大量発行の開始である。2008年リーマンショックに続く今年8月5日は、初めての米国債格下げとなったことだ。世界経済基盤の大変化であり、個別企業の経営管理や、個人の家庭生活にまで変化が現れることは、従前の歴史から想定できる。
地震・津波・原発事故が来ることは想定出来なかったというけれども、不測の事態が起こったとしても社会や経済を立て直すためにも経済学や経営学が存在している。数千年の昔から、「災害で潰れた都市はない、政治がしっかりしていないところに災害がきたから潰れた」と伝えられ、それは世界各地の教訓となっている。


§個別企業にとって役立つ、時代の経過
昭和20年は終戦、
ファシズム終焉・米ソ対立での構造転換による経済発展。とりわけ戦前の労働意欲減退、労働生産性低迷を解決するために、労働市場改革と科学的管理法や近代教育が導入された。
昭和47年には、
田中角栄の『日本列島改造論』が出され、国内・地方への経済インフラ充実が急速に図られた。高度経済成長の完成が最終的に行われた。48年オイルショック、55年オイルショックにより、拡大一辺倒から合理的・効率的生産も導入されるに至った。48年は土光臨調の行政改革を官僚に突きつけたものの失敗に終わっている。
昭和61年に前川リポート、
不況とインフレが同時進行するスタグフレーションを終息させる経済政策は常に先送りをされていた。そこで内需拡大の経済政策、新興国からの輸入急増を進めることが始められた。意識的にバブル経済を引き起こし、平成2年(1990年)に終息させたのもこの時期。失われた10年の第1回の始まりである。
平成9年は、
職安法改正と2年後の労働者派遣法改正での、労働コスト削減が始まった。
といったことが歴史年表的には節目が付けられる。だが、個別企業の経営管理役立つのは、その歴史的経過である。ここでも、歴史の波に乗った企業は成功し、乗れなかった企業は消滅した。
平成20年と23年、
リーマンショックと、引き続く米経済債券金融システムの崩壊が始まって、グローバル経済の中で日本が転落している。金融主導の米国市場の需要増が世界経済を主導してきたが、米金融が危機になって世界経済が大打撃を受けることとなった。
昭和61年からの内需拡大政策は、すそ野の中小企業から広範に行っていた半製品調達を、海外の新興国からの輸入に切り替えた。このため採算性の低い下請けから脱出する中小企業が増えてきた。これは新興国からの輸入急増による中小企業単位の削減でもあった。下請協力会も異業種交流会と名称を一新して技術開発を目指すこととなった。女性の社会進出を労働者派遣業システムが支えた。平成2年には、総務部門のアウトソーシング企業が初めて創設(株式会社総務部)され、NHKは特別番組で平成4年に金型製造、IBM人事制度とともに紹介、アウトソーシング業態が一挙に広まった。こういった経過から、中小企業=採算性の低い下請け企業といったイメージから脱却する中小企業が増え、事業規模の大きさ=優良企業といった個別企業のイメージも変化していった。
平成9年からは、大手企業の人件費削減が進められた。これは、昭和55年オイルショックから外注管理が徹底していた中小企業には影響はなかった。当時ほとんどニュースにならなかった職安法改正と労働者派遣法改正は、大手企業のホワイトカラー中高年の人件費削減を職安法の職業紹介システムが、製造部門の人件費削減が派遣社員導入によって、それぞれ一挙に進んだ。ところが、ここには大きな落とし穴があった。


§労働コスト削減が、有能幹部も人材も削減、結果、競争力減退
そもそも労働者派遣業の構想(昭和54年)にしても熟練労働者や女性労働者の就労機会確保が政策の狙いであった。業務請負(昭和61年誕生)も熟練技能者集団が仕事の完成を目的にして受注することにより単純パート労働の生産工程での弊害と雇用不安を解消することが構想であった。ところが、平成9年(1997年)からの労働力需給の規制緩和政策(その始まりは職安法改正、そして2年後の労働者派遣法改悪)は、利回り優先の金融資金の横行(新自由主義)に利用され、日本の製造業現場から技能や技術を排除する労働形態を蔓延させた。それが日本製品の品質低下と高水準サービス排除を引き起こし、日本企業の没落と個人消費の購買力低下の悪循環を蔓延させるに至ったのである。これは格差社会や不安定雇用労働者の増大に留まっている論議どころの事態ではなかった。実に、規制緩和とは法令を甘くするに留まらず、現場での法令違反を取り締まらなかったことが実態であった。したがって、高付加価値製品や高水準サービスを行ってきた企業自身が窮地に陥ってしまったのだ。
はっきり言えることは、日本企業の国際競争力が低下し空洞化を起こしたために日本経済が没落の一途を辿ったのではない。利回り優先の金融資金によって、高付加価値製品や高水準サービスといった経営の、その企業の柱となっていた経営幹部が、大手企業や中堅企業を問わず隅に追いやられ企業外に出された。これによって日本の企業経営管理ノウハウや人材育成ノウハウが日陰ものとされたのだから、イノベーション、経営の倫理的合理性、技術革新が無視されるようになって、日本企業の国際競争力が一挙に失われてしまったところに原因があって、その結果、日本企業の国際的役割低下といった現象が現れているのだ。


§海外進出、その実態は奈落の底がほとんど
したがって、今までのような海外進出を行ったとしても、既に国際競争力を失っている企業であれば、投資の見返りどころか無駄になる。まして海外進出した途端に技術を売り渡してしまう者も出て来る始末で、今日明日の生活の糧すら失ってしまう。「同じ日本人より先に売って金にする」といった退廃的精神の持ち主は、大概が新興国に弄ばれて、捨てられているのが現実だ。投資した資材や資金は現地への無償プレゼント、残ったものを回収することすら出来ないのだ。日本政府も外交が下手だけど、こういった日本人は自らを奴隷として売っているのと同じだ。
だが、これを冷静に科学的にみた場合、大手企業が、こういった奴隷的日本人を養う力量すら失った状態、そこまで大手企業が疲弊したと観るべきなのである。その疲弊ぶりは、国内でのイメージとは裏腹に、海外では多国籍巨大企業の傘下に入るとか、合併の名のもとに吸収されるとかの事例が相次いでいることからもうかがえる。
海外赴任や海外就職の労働者は現地に移民する姿勢がなければ、チヤホヤされたか舞い上がったかは知らないが、こういった時代には相手にされない。それこそ、アメリカに移民してきた多くの人たちのように、先祖はヨーロッパの○○○○出身ですといった具合だ。イギリス人は大英帝国を築く際に多くの植民地を取得していったが、実に権威と名誉をぶら下げて植民地に住みついて、原住民の自治組織を作っていったのだ。フランス人も目立たないように植民地に住みつき、徹底して資源・物資をかき集めフランス本土に送った。アメリカ人は、目立って植民地を確保出来なかったから、資金と軍事力にものを言わせて多国籍企業展開を図った。さて、日本人は今更ながら海外に行って、一体何ができると思っているのだろうか?
空洞化リスクには、こういったものも含まれている、閉鎖的日本人のポピュリズムでは、予想だに出来ないのだ。


§だから、生活文化型商品産業ならば、
地場産業と結合した量産体制&流通体制でもって、世界の1億人富裕層を相手に、日本経済を組み立てるといった方向性が有望であるのだ。経済産業省の官僚が経済政策として打ち出しているのも、そういった方向からである。
もちろん、今後の日本の人口減少や経済構造の変化を考えた上のことである。日本国内に対する投資であるとか経済インフラの整備充実が、今後見込まれないことははっきりしている。生活文化型商品産業で事業を展開するには、生活や感性の文化は欠かせないが、利回り優先の金融資金に依存して経営を行ってきた大手企業の多くは、この生活や感性の文化をほとんど持ち合わせてないのが現実である。だから、そんな大手企業と系列下請中小企業は、自らを奴隷として海外に身売りするしか、事実上経営を続ける道は残っていないのである。
ことに、生活文化型商品産業は地場産業と結合が重要である。まして、地場産業に敵対的態度をとってきた大手企業であれば、なおさら産業転換は難しい。いくら生活だと唱えてみても、単なる食品供給では生活文化型産業とはいえない。昔の配給制度や食糧事務所は、現在のMcハンバーガーとかY牛丼に民営化され、衣替えされている過ぎないことに気づく必要がある。
地場産業と結合その他の条件がそろわないとしても、各類型のアウトソーシング業態で事業を展開することも可能である。専門家集団としての特殊チームが、非科学的水準の低い分野を引き受けて、各地の生活文化型商品産業の量産体制&流通体制を作り上げることなどは、直ぐにでも行なえることのひとつだ。生活文化型商品の萌芽は各地で出ているから、広範囲に集め→広範囲に還元すれば良いことでもある。
生活文化型商品にも、高付加価値製品&高水準サービスは重要であり、生活文化という姿勢がポイントなのである。サービス(含む)を提供する際に、金子みすゞ、相田みつを、オノ・ヨーコとかを朗読することは感性を組み入れることとなり、コンテクスト(Context)は生活文化を組み入れることになるのだ。
筆者が取材を受けた。(9月1日朝 読売TV放映)
http://www.youtube.com/watch?v=CiX6ENU-i2M
「変わった社名特集」の放映を見て、時代を感じた。それは社名とその由来だ。
株式会社 総務部……機能(工業文化)系の社名
株式会社 △□○(みよまる)……生活文化系
株式会社 ギュギュギュギュギュイーン……感性文化系、であると。
(前号メルマガで生活文化型商品を解説)


§王制復古や熱狂思想は癒し系と同じ
だが、日本の現状を憂慮してかも知れないが、古典的思考の真髄や本質を勝手に解釈、ただ短絡的に昔の日本的経営を賛美するとか、古来日本の思想にもとづく経営姿勢の論議であるとか、「維新?」の熱病的イメージを持ち出すとか、創業者や創業当時の社是社訓を引き出すとか、その他根拠のない事柄を心のよりどころにするといった傾向が、経済界では大流行になりつつある。まるで新自由主義者が10数年前に、アダム・スミスの思考を都合よく歪曲して崇拝した思索と方法は同じである。思索には一貫性と事実一致性の両視点が不可欠であるが、この両視点も歴史背景も無視して、古典的語句を断片的に利用するにすぎない。
これは、イノベーション、技術革新、経営の倫理的合理性を忘れてしまったか、あるいは無視を決め込んでいる現在主流の経営幹部に対する、「受けを良くするため」の現代的ポピュリズム(視聴者読者への迎合)と診るべきである。仮にも、無難な線を選択した学説なのかもしれないが、それは人類の英知である科学的分析とは無縁であり、迷信や世間体で人心を惑わす手法と言っても過言ではない。
とりわけ、グローバル展開と言われる時代にあっては、その曲がりなりにも社会共同体(自由平等を現世のものとするための手段)を形成する思索が主流となっている。これと相反する世間体であるとか個人を集団にひれ伏させる組織優先生活などを選択するわけにはいかない。グローバル基準のイノベーションには、社会共同体形成を妨害する勢力への徹底抗戦といった大義名分も含まれているとの認識が必要である。


§未来を担う若者たちの意識変遷
(1)戦争世代の青年たちは、高度経済成長を迎え邁進した時期に物質経済的な豊かさを渇望し、怒涛のごとき集団行動が正義であると考えていたと言える。
(2)その後団塊の世代が青年の頃は貪欲で物質優先の社会経済に不合理を見いだし、矛盾解消や不正防止あるいは企業活動の社会合理性を主張する中での、生活の豊かさや生きざまを集団として追求することを正義として主張したと言える。
(3)そして今の中若年層たちは、企業組織を守るためと称して個人の基本的人権や自由が侵害され、様々な美名や大義名分の虚構に対する刹那と貧困化と病を抱えているようなもの、もちろんそこに正義を実感しているとは思えないと言えるのである。
注目を要するのは、正社員における、産業別にメンタルヘルスに問題を抱えている存在率が高いのは、医療福祉が76.6%、次いで情報通信業の73.0%、製造業の67.9%といった事態である。情報通信産業は対策をとっているにも関わらず正社員の1ヵ月以上休職が圧倒的に多い。


§今の若者は洗脳、マインドコントロール、カルトを拒絶
文化的背景や労働意欲の向上には、規則や社内納得性よりもリーダーシップが大きな影響を及ぼす。ここをシビアに分析してみると、幸いなことに、過去に何気なく受け入れられてきた洗脳、マインドコントロール、カルトといった、これら世間体の上に立脚した手法が、中若年層は見破り拒絶するに至っている。
洗脳とは:精神的物理的に脅迫して、その状況で新しい思想を納得したかのように植えつけること。「友達がなくなるぞ」とか「皆のひんしゅくをかうぞ!」と繰り返す程度でも洗脳は成り立ち、職場内でもリーダーシップと称して相当横行している。
マインドコントロールとは:様々な感情の揺さぶり行為を用いて、感情が揺さぶられたところで、特異な記憶や思想を生じさせること。日本では広く何気なく行われている。
カルトとは:道理も合理的な理由もなく、他人を精神的物理的に抑圧すること。洗脳、マインドコントロールがカルト集団の構成員末端にまで浸透しているとは限らない。(これがカルトとの境界線を曖昧にしている)社会一般であれば避難をすることで自己防衛できるのだが、職場内での権力欲的「仕切り」のグループ、陰湿な宗教活動、経営者の宗教的支配などに遭遇し、多数の被害を受けているのが現代若年層の特徴でもある。
幸いなことに日本の教育水準の高さのおかげで若年層に至るほど、文化や意欲を崩壊させる、こういった手練手管のチェックも出来つつある。真実を追求するための、「論理構成の一貫性及び事実との一致性」を意識してのものの見方も訓練養成されつつある。


§おそらく、ここが「新型うつ病」の発生原因
洗脳、マインドコントロール、カルトといった手法は、大なり小なり、従来から理想とされた工業文化型商品産業を前提とした、人事労務管理手法の中に含まれていたのである。洗脳というイメージは、広辞苑に「新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること」と掲載されているほどに、日本では非難をされるものではなかった。企業でも労働組合その他でも、昔は良くやっていたのだ。マインドコントロールは、体育会系企業の主要な管理手法である。カルトは、企業が官僚化すれば、事実上の監督職(職場ボスを含む)が保身のために(猿でも)使う手口である。
上意下達による人事労務管理の論理は崩壊、工業文化型商品産業の経営管理論は全面見直しを迫られている。いくら従業員の声に耳を傾けるとして論理構成の組み換えを行ったとしても、肝心の若者たちにその応対意思がないのである。終戦直後あたりの社是社訓に表されているような古典的経営哲学をいくら力説しても、それでは若者が働かなくなるから、労働意欲の面から一挙に事業縮小せざるを得なくなる。王政復古そのものの様にファンダメンタル的教条主義を愛好することも、事実、経営者の間で流行している。が、これこそカルトや洗脳と受け止められ、これではイノベーションに頭打ちを招くことは明らかである。
事態はそればかりではない。新型うつ病の特徴は、若年層に発生、自分自身への愛着、回避と他人非難、うつ病診断に超協力的、治療薬は部分的効果である、とされている。その他現象面としては、人事異動をすれば治るケースが多い。週末には元気になる人も多い。正社員に発症が多い。うつ病の知識が豊富といったものである。
すなわち、墜落しつつある工業文化型商品産業に、内部から精神的に抵抗して、「医学的なうつ病」と称してサボタージュやレジスタンスが、山猫ストの様に発生していると見た方が妥当なのだ。
1.筆者も、いくつもの個別企業の現象面を見ていると、
2.従来型の業務遂行をだらだら行っている職場に、
3.まず最初に返事や賛成はするがサボるものが出始める、
4.サボりが蔓延する中で中間管理職がムキになる、
5.賢そうな若者から順にうつ病の診断書を持ってくる、
6.人事部門としては診断書が出れば対応するしかない、
7.ラインの業務改善が進むと急に新型うつ病がなくなる、
といったステップが一般的のようだ。辞めたらしまいといった意識の強い派遣や非正規社員に、新型うつ病はめったにない。


§学卒求人に対しても、今年から変化が
筆者は、30年以上も労働力需給、いわゆる募集採用から退職までの個別企業のシステムにかかる仕事をしてきた。ところが、この春からに限っては急激な変化が生まれている。求人側は、良い学生を採用しようと、この際躍起になっている。ところが、大学3回生あたりから就職活動を始めるにあたって、“学生が企業を選ぶ”傾向が圧倒的である。
昔から、就職がいやで大学院に進学・逃避した者はいるのだが、有名無名の大学を問わず、自分にマイナスになる会社への就職はしない、生活のためであれば派遣社員や非正規で十分と考えているのだ。学生の側から、採用担当者をチェック、企業の将来性をチェック、コンプライアンスに反する仕事のチェック、職場の精神的圧迫の存在をチェックしているとのことだ。洗脳、マインドコントロール、カルトを拒絶する新鮮な感覚でこれを行っている。
これに対して企業側は、生活のために就職するだろうと、根拠もなくタカをくくっている。それが採用担当者の表情に現れるから、益々有能な学生から敬遠される。昔バブルの頃は、ゼミの学生をひとり捕まえ、1万円の交通費でゼミごと学生を説明会に釣ってきた。就職応募者数で人事採用部門は誉められた。今は、有能な学生をと命じられても集められないのが現実だ。学生のランクを下げて集めはするが、そこに会社の将来を確信して仕事をしている人事採用部門は存在しない。…大学進学率は約50%だから、カッコはなんとでもつけられる。
マスコミも厚生労働省も、こういった変化に気づいていない。
それは、若者は苦労してない、ハングリーにかける、生活が豊かになった、といった現代的ポピュリズムに安住しているから、こういった数千年前からのレトリックを使い続けているのだ。地位を保つには大衆の評判がなによりも最優先であるから、彼らなりの保身という就活に必死なのだ。

2011/08/09

第112号

<コンテンツ>
形を変えて、新たな世界経済危機の波
経済恐慌から「守りを固める体制づくり」
この三つの守りを固める実行ポイントは、
現時点、日本ならではの経済環境
生活文化型商品産業へのシフト・育成の促進
緊急対策:適格退職年金制度の廃止(財務基盤)
【書評】『「新しい働き方」が出来る人の時代』(三笠書房)


§形を変えて、新たな世界経済危機の波
がやってきた。2008年のリーマンショック以来のものだ。報道はアメリカの国債がデフォルトと流すが、要するに米国債の一部が払い戻されない(不渡り)危機が8月2日に迫っていたのだ。リーマンショック(4ヵ月前に金融筋から投資引揚情報のみ)と異なり、2ヵ月前から危機の予測情報が流れ(日本の大手マスコミは無報道)たことと、その舞台がアメリカ議会であったことが、世界的に対策をとる余裕がほんの少しあったといえる。日本でも報道されたようにショックやクライシスは、かろうじて回避されたものの、やはり、経済分析数値の下落は如実に現われている。アメリカ政府もそうだが、経済悪化の時代には統計指標改善の名目で経済を良く見せようとするのは常套手段である。米国の失業率は9.2%程度と発表されるが、1993年の計算方法だと約20%前後のようだ。金融相場に良い影響が出るように金融界や政府は経済分析を行っていると疑われているが、にも関わらずこの経済分析数値だ。
株価や為替レートはそれなりに相場操作性があるから参考程度にしかならないが、相場操作性の低い金価格は急上昇、金先物も史上最高値だ。日本の金地金価格は1グラム当たり、リーマンショック半年前の3,400円程から、この1ヵ月ほどでも434円値上がり、8月9日現在は4,545円程に達している。ショックにならなかったからマスコミは今になって記事にはしているが、経済問題としては深刻な方向に転落しているのだ。
一説に、日本の地震・津波・原発がなかったとすれば、ドルの下落はさらに激しく、円相場1ドル60円程度になっていたとの予測がある。1ドル76円台までになった円相場を1ドル80円まで、史上最大資金での買い支えを日本単独ででも行わざるを得ないほど、日本経済へのボディブローは深刻なのだ。
リーマンショックの時点でさえ、2007年の経済数値水準に回復するのに、20~30年を要すると言われていたところへ、このアメリカ国債の債務問題である。ちなみに、有名な投機筋であったジョージ・ソロスは、これまでにも投機額を大幅に減らしてきたが、先月、自分のヘッジファンドをたたむとの情報だ。ところが、日本の大手も地銀もが、中堅・中小企業への貸付業務での営業マンの手間と煩わしい作業を「合理化?」したつもりで、多額のアメリカ国債を、そのまま保有しているのだ、貸出利息が手間いらずに稼げたといった理由で。
よって、「資金調達→資本投下→事業計画→資本回収」といった一辺倒な企業経営しか知らない人たちにとっては、顔を青ざめる事態となっているのだ。だが、黙々と上意下達・官僚的企業運営を行ってきた人たちにとっては、青ざめる事態に気づく由もない。


§経済恐慌から「守りを固める体制づくり」
ここに人事・総務部門の大仕事がある。日本経済は、間違いなく縮小均衡に向かって行く。ただしそれは、大手企業とその連携関係にある企業が主である。それは、大手以外の個別企業や圧倒的多くの個人は、既に縮小均衡を行っているからだ、自律的か他律的かを問わないが。それはミクロ経済を持ち出して合理的判断に基づいたとして行動を起こすことが予想される。すなわち、何とか販路拡大、海外進出、コスト削減、震災復興さえすれば持ちこたえられると夢みていた大手企業が、一斉にリストラ(本来的な意味で首切りだけではない)を行うということだ。現に、大手企業では工場閉鎖の時期をいつにするかの検討を水面下で入っているところも多い。
だから、この状況に対応する大仕事があるのだ。そのポイントは三つ。
1.財務基盤
 昔の人は銀行との付き合いしか思い浮かばないが、いま必要なのは現金を守る具体策である。在庫整理に留まらず現金を節約出来る大枠的な在庫の流れを編成し直すことである。新しい仕入と在庫編成を行うことが出来る人事と人員の配置である。負債を圧縮するのはもちろんであり、必要に迫られる程度では危機を脱することにはならないから積極性が発揮出来る人事を先取りすることである。
2.事業基盤
 設備を削減することである。それも大胆に行わなければ効果がないから、本社移転とか本社ビルの貸出は重要な検討課題である。工場移転や閉鎖も、いつ何時のことを考えておかなければならない。不得手な仕事を個別企業内で行うことも基盤を揺るがすから、いち早くアウトソーシングを行って効率を高めるとともに不毛消耗的な労働事件を未然防止する必要がある。すなわち、長期コストを削減することだ。
 ただし、アウトソーシングは、そもそも不得手な課業に関わることであるから、品質・納期・コストについて外部専門家(当社も人事業務専門であるから良く知っているのだが)に診断してもらわないと、外注業者に騙され乗せられているケースが後をたたない。とりわけ、給与計算などの場合は表面化していない不都合なケース(素人業者だから気づかない)が目立っており、社会保険労務士でも事業主責任をとらない者も実在をする。(当社の業務であるから良く知っているのだが)。
3.売り上げ基盤
 開発の根底に、人事総務部門もひと役買う必要がある。難しくいえば、「社会合理性との整合性を保った商品開発」である。すなわち、商品を小分けにすることによって小家族向けの商品開発をするが、単位当たりの利益率は向上しており、だとしても顧客から喜ばれている売り方である。少量販売のシステムを作って、単位当たりの利益率を向上させ売り上げを伸ばす方法である。「顧客ニーズに応じて」とは大義名分で、そこまで顧客は新商品を考えてくれるものではない。サービスや作業仕様書の業務改善を図り、顧客との連携で良い実績を残す姿勢である。こういった事は、右肩上がりの時代には金銭解決でごまかせたから必要なかった。
 だが、それが出来なくなった今、営業販売部門や渉外担当者の課題だとの発想になるのだが(ここまでは素人でも考える)、元来こういった方法は手間がかかるから営業部門等からの根強い抵抗とサボりが繰り返される現実が待っている。研修や教育を施したところで、営業販売部門は部門長を先頭に無関心を貫くから、そういって先送りしているうちに販売実績がダウンして倒産するのだ。営業販売部門に任せれば、単なる安売りに陥ってしまうだけでもある。そういった戦略での教育・訓練・採用に人事総務部門が主役となるわけだ。1929年の世界大恐慌の際、IBMは人材確保の人事制度を先行させ事務機器業界で優位に躍り出た。GEは、工業用大型発電機からミキサーや洗濯機などの小型家電の量産に入った。クライスラーは高速道路が整備されるのを見越してスポーツカーの生産を始めた。当時これらの商品すべて、顧客のニーズはなかったどころか、顧客は思いつきもしなかったのだ。だから、上からの経営方針を実施するためなので人事総務部門の役割なのだ。


§この三つの守りを固める実行ポイントは、
1929年の世界大恐慌から脱出した企業が、当時とった作戦の集大成である。
もちろん、従業員の賛同を得なければならない時代であるから、労働基準法、労働契約法に照らして合法的であるように人員配置や制度を駆使しなければならない。法律の条文にとらわれていると、時代変化についていけない硬直した考え方になってしまう。まして、「常識?」をもとに実は法律に書いていないような事柄を連想して法律だと錯覚するのは、専門家でも失敗するところであるから注意が必要だ。要するに、法律とは、立法趣旨をよく踏まえてから解釈するものであり、国側の秩序形成の道具であるから、字面を読んでいるだけでは個別企業の守りを固めるためには、資することがないのである。
まずは守りを固めるためにイノベーションを考え、将来の方向性も念頭に置きながらイノベーションを考え、中途半端な妥協や支出を伴う経過措置を根拠のない恐怖感から行動せず、成功のコツである明確なイノベーションの旗色を鮮明にして実行することである。
また、若干景気が伸びるときは回復基調のコントロール、減退するときは低成長のコントロール→との早い切り替えが出来る体制と能力養成も、人事総務部門が段取りと準備をしなければならない。これらは、社長ひとりの出来る仕事ではないからだ。この経済危機においては、個別企業の古い慣習が命取りになる。
こういった守りを固める方法は十分実施可能であり、それが出来ないような人材能力と組織的制約が存在する企業ようであれば、それは今の時代に耐えられないから、それこそ本来の意味でのリストラが必要である。銀行が事実上の株主となっている個別企業であっても、それなりの負債圧縮方法はあるから、もう銀行融資を恐れることは無い。
場違いや的外れな情報や学説は経済条件が異なるので注意が必要だ。筆者もさまざま調べてみたが以上の研究がいちばん高水準であった。今話題のドラッガー経営理論は1946年発表、これは端的にいえば、第二次大戦直後のアメリカで、「官僚的企業が上意下達一辺倒により立ち直れなかった企業が、上からマネジメントに関して官僚的意識を排除し近代経営を図ろう」というものだ。いまや官僚的事業経営が根本から問われているのだ。ICT産業革命の基盤であるサイバネティックス=コンピューター理論発明(ウィーナー)は1948年である。何れも世界経済恐慌から脱出してからのことであり、ここに現在の恐慌状態から脱出する理論はない。また、震災直後、日銀、経団連をはじめ、イノベーションという言葉が目立つようになったが、これは経済学者シューペンターの発見したものであり、いわゆる「起業家」という現代用語のベースにある経済理論である。まして、コーポレートガバナンスなどといった経営論は、株主・労働者・顧客の三者の間に仲介役として調停作業を行う経営者にすぎない!といった経営学からの痛烈有力な批判にさらされており、リーマンショックの後は突如として流行しなくなっている。日本でも昭和大恐慌のあと従来の発想による改善程度に終始し個別企業は、当時の文献や経営雑誌を見るに、今は忘れ去られ消滅していった


§現時点、日本ならではの経済環境
には、個別企業が自力で立ち向かうしか残されていない!といった状況である。震災・津波・原発の危機を克服するためには、再生の観点が重要であるにも関わらず、現実は官僚主導によるこれまでの路線が継続するところの、「復旧」に向けた政策が優先されている。日本の官僚は国民を見捨てる伝統をもっているから暗雲が漂っている。経済界も、「復旧ではなく再生だ」としているものの具体策に乏しい。「ものづくり大国日本は、環境・エネルギー・安全・安心が成長に向けたキーワード。民間が企業家精神とイノベーションを促進し成長実現して行く」という決意ではあるものの、政府や官僚に注文をつけるが現実は具体策がない。第三次空洞化を覚悟した、こういった論評は経済界から発信されている。だから、企業や個人などはミクロ経済の視点での合理的判断として、とりわけ大手企業とその系列は縮小均衡に陥らざるを得ないのだ。
思い余って、海外生産シフトは当たり前→、公的年金の基礎部分を消費税20%で賄い+報酬比例部分は民営化→法人税率を10年間で10%引き上げ。そうすれば民間設備投資と民間消費は拡大→失業率低下→貯蓄率向上といった、「社会保険料負担金部分を企業経営投資に回せば良い」とする経済政策案まで、某財界新聞に掲載される始末だ。(そこまで切羽詰まったのか!)
某地方公共団体の産業支援担当幹部も、大手には技術開発力がないと明言している。新産業や地場産業活性化などについても、「今までやってきて、成功すると思っているものはない」と。そして、経済政策・公共政策として何かをする予算もなく、枝葉どころかは「葉っぱ」を見せて、その世話役人件費に予算を浪費する程度になっている!と憂いているのだ。「上は予算ありきというが、私たちは金で動いてはいない!」と情熱を傾けているのだが……。


§生活文化型商品産業へのシフト・育成の促進
先月のメルマガでも述べているが、生活文化型商品産業への期待は非常に高い。経済理論的背景もさることながら、そういった経済発展を説く人にもそれを聞いた人たちにも、今の日本には珍しく元気がみなぎり意欲的である。
今の段階で、生活文化型商品の産業化の理屈を考えてみると
1.工業型商品産業への投資は、今後日本にはやって来ない。
2.日本では模倣型商品が工業化されており、即海外企業に取られる。
3.日本人の文化水準、教育水準などは他国に比べ極めて高い。
4.技能者、技術者、経営者、管理者はある程度そろっている。
5.この人材を生活文化のベクトルに組織し、ブラッシュアップ出来る。
6.創造性を育むのは実験、日本人は私財を投じても実験が好きだ。
7.典型事例が生まれれば、日本人の学ぶ真似る能力は抜群である。
8.生活文化型商品の原材料は帳簿非計上だが随所に眠っている。
といったところである。これからの研究と実験が、細部までの理屈を穴埋めしてくれるであろう。
現実には、生活文化型商品の職人芸は手作りでしかないとか、とにかく量産化は品質を低下させるなどの、工業型商品産業の弊害としか言いようのない反機械化論・反量産化論がまだまだ根強い中であったとしても。迷信や人目にとらわれていない限り、経済的豊かさは保障されることは間違いないのだ。


§緊急対策:適格退職年金制度の廃止(財務基盤)
平成24年3月31日で、この制度がなくなる。その額は中堅・中小企業で数千万から数10億円、これは先ほど述べた経済恐慌での守りを固める体制:財務基盤で、重要な作戦となる。この対策に失敗(移行先の保険料急増、解約返戻金で給付激減)している例が多く、ここでの問題点は2点ある。
1.現実は、退職金の減額を強いられる経済状況なのに、保険金不足発生や要資金対策が必要な事態。
2.保険会社を解約した解約返戻金だけでは、退職金は未払い状況。合併の際には労働債務として計上。
この意味を解説するとこうである。
(一)中小企業を除けば、新年金制度に移行するには保険料の増額を覚悟しなければならないのが一般的である。これを十分に保険会社は説明しないで記名押印を迫るケースが多く、総務担当者も分かっていない場合が多い。退職金減額には、経営幹部を中心に反対が多く、相談相手である保険会社の担当は保険金の多額回収が営業目的だからであり、いくら社長といえども追い詰められている。
(二)保険会社に支払った保険料は、企業に返還されることなく、その解約返戻金の受給者は労働者であることを条件に、適格退職年金が国会で成立し、優遇税制が適用されている。ところが、退職金制度は、個別企業が独自の裁量で定め、就業規則の一部として形成(周知届出)しているから、ここで定めた退職金額は労働者の退職する時点で労働債権、会社の労働債務となる。退職金規定を労働基準監督署に届けた記憶がなくとも、適格退職年金制度の場合は保険会社が届出事務を完了してくれている。ところが解約返戻金は、この退職金規定にもとづく退職金ではなく、単なる一時所得となり税制優遇にもならない。どういうことかというと、保険を解約しただけでは従業員が金銭を受け取るだけで、この金銭を退職金の一部又は全額に充当することに法律上は出来ないのだ。「そんな馬鹿な!」と言っても、そういったことを踏まえて国会決議をしているから、いまさら仕方がないわけで、この事実を保険会社の営業から知らされていない個別企業も多いのだ。とりわけ、旧Y生命の営業傘下でのトラブル発生が目立っている。トラブルが起きた事例では、保険会社の営業担当は、「大丈夫です!」とゴリ押しするが、保険会社の支店担当者クラスが来て、契約が成立しているのだから後の祭りだと説明をする態度が多い。結局、解約返戻金は、保険料を支払った個別企業からのプレゼントという訳だ。
要するに、労働者が退職する時には、解約返戻金を含めずに、退職金全額を支払わなければならないのが法律であり、時効は退職の日から5年間、訴訟を起こされれば会社は必ず敗訴する。
〓〓では、その対策は〓〓
まずは、労働契約法第9条に基づいて、納得説明義務を果たし、納得する筋道と手続きを行って退職金規定を変更するしかない。この場合、個々の労働者から同意書を取り付けても、労働契約法上は無効である。それもこの経済状況では、不利益変更を伴うのが自然かつ通常であって、とにかく難しいのだが「合法的・客観的・合理的」に退職金規定を変更するしかない。
次に支払われた解約返戻金は、労働者にお願いして、将来発生する退職金額の前渡金とする方法がある。これも前述の退職金規定変更と合わせて行わなければならない。加えて、労働者の自由意思による、会社との自由対等契約による同意が必要である。労働者個人の金銭(不当利得かもしれないが会社に返還請求する権利はない)だから、自由意思や自由対等であることの証拠となるような同意書が必要である。一筆取ったような代物では、後日訴訟になったときに、「無理矢理書かされた!」と原告から主張される可能性が高い、それは退職金請求の時効は5年間もあり職場での人間関係も切れるからだ。
〓〓実行力のある専門家に頼むこと〓〓
こういった芸当は、保険会社では無理、税理士は専門外、社会保険労務士は大半が実力を備えていない。ここでの重要課題は、従業員である労働者全般と納得説明義務を果たす協議を行うことである。大半の中堅中小企業では行ったことのない手法である。不利益変更と言っても、納得説明義務の果たされた協議→その結果としての納得した筋道と法的手続きであれば、現在の法体系では許容されることであり、これが欠けておれば企業側は敗訴する。弁護士に依頼したとしても、書類を作ってくれるが納得説明義務を果たす協議とその証拠書類までは作ってくれない。この話し合いをしなくてはならない、だから難しいのである。
どうしても専門家による協議の仕方の指導は不可欠で、紛争調整委員会にあっせん申請してでも協議を治める必要があるのだ。
確かに、訴えを起こした労働者にのみ退職金債務を履行すれば良いかもしれないが、そういった話は全従業員に漏れるので、その時点で労働意欲の激減を覚悟しなければならない窮地に陥る。さらに、訴訟となった場合は、不利益変更の従業員代表選出選挙まで蒸し返さされるのが通例だから……たとえ1名であったとしても、納得説明義務と法的手続き及び書証の不備を追及されることになるのだ。


§【書評】『「新しい働き方」が出来る人の時代』(三笠書房)
元Yahoo!の副社長セス・ゴーディンの著。ちなみに、ドラッガーの発明は筆者なりに端的にいえば、第二次大戦直後のアメリカで、「官僚的企業が上意下達一辺倒により立ち直れなかった企業が、上からマネジメントに関して官僚的意識を排除し近代経営を図ろう」というものだ。だから、戦後の社会に大いに受け入れられた。だが、現代のアメリカでは、ドラッガー理論が浸透してもなお、大量資本投下というものは官僚的要素とか、投資側の思惑がものをいうことに対する批判が続出している。この著作は、ドラッガーとは発想を異にしているベストセラーである。随所にサイバネティックス=コンピューター理論を発明したウィーナーの影響を受けていると思われる節がある。ウィーナーの職業は数学者であるが、自然科学者系に与えた社会学的影響は強いとされ、ウィーナーの「人間の社会が学習に基づいたものである」とか、「他人を行動に転換する通信文は人間だけが作れる」と分析し、さらには人間社会の将来について、「猿とタイプライター」という比喩で、コンピューターという言葉が出来る前に、「いつの日か、猿は一生懸命働いてシェイクスピアを作るだろうが、それまでに膨大なゴミの山が出来あがる」とか、「社会の福祉に不可欠なコミュニケーションが益々複雑化しその費用はかかるようになり…知的創造性が切り捨てられる」と60年前に言い当てていた。
この著作は、現代アメリカのICT産業革命が進行しつつある中、どういった働き方と事業組織がこれからの経済社会をけん引するかの示唆を与えている。そして、監訳者が、「(行動が自然に始まったときからが、)本当に恐い。特に、この日本の組織で働く者にとってみれば、大いなる冒険が始まる」と警告する本なのだ。

2011/07/05

第111号

<コンテンツ>
最大のマーケティング手段:次世代のイニシアチブ
経営管理は、まるで心理戦争の真っただ中の様相
日本経済の先行き議論は尽くされた
日本の工業製品型産業に対する大量の資本投下は
生活文化商品型の産業へシフトの道
くどいけれども、失敗しない、重要ポイント
経営管理論は、世界に三つの流れがある
似非ICT革命を予言していた発明者
生活文化商品型産業の事業者の姿勢


§最大のマーケティング手段:次世代のイニシアチブ
毎日氾濫する断片的なマスコミ情報は、どこもかしこも社会がまるで混乱しているような様相を植え付けている。ところが意外にも、国家行政の官僚機構は、実は思い通り着実に事を進めている。官僚がどんどん社会問題に取り組む、とは言っても保身と自己増殖は念頭に置いていたが。次々と政策提言も目白押しである。ここにきて、経済団体なども政策提言をし始めている。すなわち、政府、経済団体、個別企業の何れもが、次世代のイニシアチブをとるために内部を固め、外部にアピールしているということなのだ。
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2011/110624a.html
だからここは、たとえ小さくとも個別企業も、イニシアチブをとるためのビジョンを具体化しなければ、この局面は消滅するのが自然である。昭和大恐慌の時期も、ビジョンを持てずに、時代に流された企業は消滅、残った個別企業は極少であった。残れたから戦後に成長のチャンスをつかむことが可能となり、現在に至っている企業は多い。
中堅・中小企業にとって、今や大恐慌の真っ最中である。ビジョンを具体化して果敢に会社経営が出来なければ、昭和大恐慌の時代と同じように消滅する。当時、曖昧な判断や勇敢に経営しなかったこと自体が致命傷を招いた。社員やクライアントの話を、そのまま鵜呑みにしてしまえば致命傷であった。その結果、消滅してから自慢話や昔話をする人が、その時代の人には多かった。当時の経済雑誌を紐といても、そういった話ばかりであり、今は聞いたこともない会社の山のような強気の記事ばかりである。
総務人事部門は、個別企業の経営者を強力に支えて、社内で経営者のイニシアチブを確保・キープすることが、切迫状態での最重要業務だ。イニシアチブ確保とは、多数のリーダーを配置するということで、何をするにも仕切りたがるBOSS猿を野放しにすることではない。


§経営管理は、まるで心理戦争の真っただ中の様相
経営者であっても、物の見方考え方、自身の生き方(=すなわち自らの哲学)が、その人なりにはっきりしていなければ、誰でも人生を振り回される。経済学や経営学の学術分野では、何事も合理性(=筋道?)を前提として理論が組み立てられているが、近年の論議は、不合理な行動パターンも研究しようではないか!となっている。これは、何かに振り回されて判断(生き方)している現象を分析しようとの現われでもあるのだ。
はっきりいえば、
資本が投下され→初めて会社経営をするといった経営管理の経験しかない人物
であれば、金がなくなれば
→やる気をなくし
→生活力は減退し
→時代にあった職業能力は身に付かず
→あげく職業能力消滅といったパターンに至るのだ。
まして、個別企業にもたれかかっていた、「おんぶにだっこ」の労働者の労働意欲激減は、全国的にはなはだしく、特に首都圏はすさまじい様相だ。これは、マスコミが情報操作する政治混乱が原因とは考えられない。(終戦直後の政治大混乱時期こそ経済興隆が盛んであった)。 むしろ依存症、強いていえば人間関係依存症に原因があるようだ。依存症が強いから、政治の混乱を自らの労働意欲減退の原因と、他人事のように思っている。職場のメンタルヘルス問題自体も、主要な根幹は依存症かもしれない。
社会の底辺セーフティーネットである生活保護も、ここ数年に予算増加し若干の改善が見られたにも関わらず、現実には生活保護を拒絶しホームレスを選択する人が目立っているとの調査結果だ。併せて、人間関係依存症の増加も報告されている。とにかく、詳細な論述は後にして、それ位に日本の、特に若者の労働意欲減退、生活意欲減退がはなはだしくなっているのだ。
これを、残酷な歴史学的な側面から視てみると、そこから導き出される予想は、
→意欲のない人物、
→希望が持てない人物、
→具体策を組み立てない人物、
→積極的行動が取れなかった人物、
→意見の違う人とも協力出来なかった人物
→といった順序で、篩(ふるい)にかけられて、
→生物的に消滅する結論にたどりつくばかりなのだ。
補足すれば、意欲のない従業員、意欲のない組織・集団に巻き込まれれば致命傷なのだ。
まるで現在は、心理戦争、真っただ中の様相である。


§日本経済の先行き議論は尽くされた
そういった社会動向にあっても、日本経済の方向性の議論は尽くされ、次は実行と選択を個々人単位で迫られているようだ。その先行き方向性とは、個別企業の経営方針が、最終消費者に向けての生活文化型商品産業の育成をすることにほかならない。
今、日本で流通しているほとんどの商品は、生活を重視して量産されていない。製造しやすさ優先の工業製品と変わりないのだ。最終消費者の生活や感性の消費にむけた直接商品に焦点を当てて商品生産、また量産化をすることから、従来の標準型・画一型・模倣型とならざるを得なかった工業製品型とは異なる物である。たとえば、百円ショップに見られる商品は工業製品型であり、作成キットや半製品組立家具などは、典型的生活文化商品といえる。
大手企業の工業製品型商品では、いくら顧客のニーズをつかむとか、生活や感性にマッチした物を考案したとしても、必然的にそれは失敗する。なぜなら、超高度工業製品だとしても、最後は最終消費者が購入することにならなければ経済が回らないからである。軍事製品は大量生産大量消費をしたとしても、最終消費者が購入しないから必ず財政危機を招き、戦後に超インフレ政策をとることで大衆に課税をして帳尻を合わせたにすぎない。
だから、いくら工業製品型商品の可能性を力説しても、社内のプレゼンでのごまかし程度でしかない。内心でも、この現象に気づかない担当者なのであれば、その者には基礎能力がない。


§日本の工業製品型産業に対する大量の資本投下は
もちろん見込めない。震災後4月の帝国ホテルの客室稼働率は35%、ホテルオークラも48%とのことだ。これは、採算稼働率ラインの70%を割り込んだというよりも、外資系や大使館関係の投資関係の外国人激減=日本への投資減少(震災復興が大規模ならば来日者は上向く)の兆候である。
米国のシンクタンクCSISのアーミテージは6月21日の経団連との懇談会で、日本への全面支援について、
1.日本が国際社会で必要な範囲で
2.世界経済にとって必要な程度の日本経済再生
3.中国台頭に対し、平和的に抗する程度の日本復活
……これが理由だったと明言している。1990年からの失われた10年の3回目を迎えて、世界での存在感の薄れている今の日本は、この程度なのである。経団連の「復興創生に向けた緊急アピール」(24日)も、意欲的な話ではない。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/066.html
もちろん、地震・津波・原発の復興財源など「在りもしないでしょ!」というのが「復興への提言」(25日)の言っているところだ。(経済学は銭金ではない、筆者は、銭金第一の復興イメージだからこそ無理と挫折しかないと思うが…。)
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/#12
むしろ、多国籍展開をする大手企業は海外に拠点を移し、海外の工業製品型産業に投資が行われるといった姿が、グローバル経済の現状である。震災後、東北などのサプライチェーンの被災地外への移転がうわさになったが、現実は震災直後からの海外サプライ対策であった。「資金・財源さえあれば…」と釈明する輩は基礎能力がない若しくは無責任でしかない。
とりわけ、従来から日本の工業製品を支えてきた模倣型商品は、相次いで発展途上国に即時模倣され続け、日本の世界ランキングは下降する一途である。労働集約型の工業製品型産業は空洞化し続け、海外移転せざるを得ないが、そうなると日本の企業が工業製品型産業を担う必要性もなくなるというわけだ。
こういった行方を昔から見越していた、大英帝国、フランス共和国など歴史的に工業製品型産業を発展させたヨーロッパ先進諸国の経済は、過去に蓄積した産業インフラ基盤の上に「生活や感性」に焦点を絞った感性文化や生活文化商品型産業を発展させている。同じく、他山の石として見越していたアメリカにおいは、1935年に芸術家4万人の雇用政策を実施、現代につながるアメリカ文化型産業を発展させ、単なるアメリカ$と軍事力支配を避けた歴史もあるのだ。(日本人の、アメリカ大好き・イギリスイマイチの由縁でもある)。


§生活文化商品型の産業へシフトの道
だとすると、日本国内の産業育成の柱は、生活文化商品型の産業に傾かざるを得ない。再生エネルギーや地産地消に見られるような流通スタイルに向かうことと合わせてのグローバル経済への展開、これを進める方向には希望が見いだせる。経済同友会をはじめ多くの消費財系企業のほとんどが、生活文化商品型(生活+感性)へのシフトを力説している。
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2011/pdf/110624a_03.pdf
生産財系企業では、しきりに政府の財政政策次第と力説するのが目立つばかりである。感性の価値を含む日本文化型も育成されつつあり、「かわいい」の概念(フランス語にもなった)、フィギュア、アニメ、マンガといったものは世界に発信されつつある感性商品である。また、忘れてならないことは、高付加価値製品あるいは高水準サービスの商品を提供する次世代産業においても、日本文化に内在してきた伝統工芸や伝統芸能などの技術・技能・ノウハウが高度素材製品開発の裏付けとなっている事例も多く、今後日本の高度工業の方向性を示している。


§くどいけれども、失敗しない、重要ポイント
がある。生活文化型商品産業は、各地の地場産業と密着融合しなければ、最終消費者との経済循環が図れないことが条件なのである。経済循環を考えずして継続的商品生産は不可能である。顧客のニーズや生活や感性にマッチした物を売り続けることができたとしても、それは最終消費者の富を吸収するだけで、あげくは吸収する富が無くなるだけのことである。伝統工芸や伝統技能が、超高度工業製品や超高度サービスの基盤になっている事実からすると、日本の文化資本がイノベーションを支えている能力背景にあることは見て取れる。だとすると、地場産業の技能と大手工業の技術の融合がポイントとなり、その方法は技能と技術の情報伝達と意思疎通における「翻訳作業」による融合開発が決め手となるのである。
ところが、技能労働をないがしろにしがちであった模倣型工業製品を生産主力としていた大手企業にあっては、ここでいう「翻訳作業」を否定した訓練教育(標準化:マニュアル訓練)を続けてきたために、技能と技術の融合に反抗する労働者のたまり場となっている実態が存在するのだ。これを解消するための、大手企業存亡をかけた方針転換が具体的に現われないかぎり、いくら顧客の生活、文化、感性だと言ってみても、転換する術がないのである、例えば「ことづくり」といった言葉に象徴されるような生活文化型商品産業モドキであっては。
さらに、今までは、技術・ノウハウさえ「伝達すれば」とのことで人材マッチングとか一方通行的指導が中小企業向けに行われてきたにすぎないから、技術者と技能者の双方受入側からすれば拒絶反応を生じさせていたのである。「大手の硬直頭の技術者」対「中小の空っぽ頭の技能者」といったように。そこで、双方受入側の希望するニーズを調査するプロセス(型)を踏むことで、相互に情報伝達と意思疎通の「翻訳作業」を行ない、生活文化型商品群の発掘と量産化の展開を念頭に置いた手法が大切である。とにかく、この型が重要ポイント、多くの人間は(後述:コンピューター発明のウィーナー理論)、体得した能力を得れば型を生み、新たに学習したときは型を変更してノウハウを積むとのことだ。
これらは地道であるが、発展途上国に即時模倣され、新規事業を一夜でつぶされることはない。生活文化商品型産業が空洞化するとは考えられないので、有効な支援の蓄積も見込まれるものである。文化をもとに、地場産業と密着融合、最終消費者との経済循環がコツとなるのだ。循環を考えなければ、貧困化するのだ。「不幸は転勤の後に来て…」では、無責任官僚と同類だ。


§経営管理論は、世界に三つの流れがある
経営管理論は経営の失敗を防ぎ、成功を体得した積み重ねを体系化したものである。
第一は、米(英)のもので、日本の議論はこれ一辺倒といった危険と裏腹だったところの、よく知られた理論である。
第二は、北欧のもの、フィンランド、スウェーデン、デンマークといった人口数量をあてにしない、もっぱら教育と能力向上で勝負している地域の理論である。
第三は、アメリカや北欧の最先端経営管理を大学で学び、これを何千年の歴史のあるイタリア方面ノウハウに上乗せした理論である。それぞれの経営管理論には、哲学的背景もありハッキリした特徴がある。このメルマガでこれを解説しても、それほど意味はないから省略する。が、経営といえばアメリカ流だけ、経済といえば金融だけといった浅墓な経営管理能力では、この大恐慌の渦の中で消滅没落する。日本的経営方式なんかは、日はまた昇るときのエピソード程度で、日はまだ下がるときには話題にもならなかった代物である。東南アジアで取り上げられるのは、日本が進出しているからこそ、日本人が話題にしている程度にすぎない。だから早急に、こういった世界最先端の経営管理論も吸収していかなければならない。なぜならアメリカ流の経営管理論は、生活文化とは似ても似つかない工業製品型産業育成に焦点を当てた理論だったからである。
他に例えば、トヨタグループの生産・労務管理というのは、いわゆるテーラーシステムは最終的には個々人裁量(個人主義)に依拠するといったものを、トヨタの人事担当者が小集団裁量(全体主義)に差替えたところに特徴がある。これを人事担当者自身が自覚していたかどうかは知らないが、まるでレーニンがソビエト連邦にテーラーシステムを導入した、НОТ(ノット=ロシア語)と同一様相なのである。全体主義では、経営の理想よりも世間体が重視されるから、結果そんな製品が量産され、それにまつわる特異な労働事件頻発なのだ。トヨタグループは中部地方の地元地場産業を抱え込んで成長、この点は関西のような大手企業と地場産業が基本的に分離した経済圏とは異なっていると分析されているのではあるが、根本が全体主義であるとすれば、地元地場産業との包括密着した関係も特異な関係であるわけだから、北欧やイタリア方面流の生産体制とか商品構成を取り入れたイノベーションとの折衷にも限界がある。…すなわち、中国製品が30~40年かかっても技術技能革新は出来ない(だから模造品)ところの理由と同じような根拠だ。
日本経済や社会の将来は、経営全般からのイノベーションを達成しない限り、産業発展が望まれないことは確かである。行政の財政政策では限度のあることは周知された事実である。さらに、このイノベーションは、生活文化型商品=生活や感性と相まっていることから、日本から海外流出することもない。日本文化資本をベースにした、海外直販商品といった業態が主流となり得る。それは、日本の伝統工芸や伝統技能を念頭に置いて、輸出先地域別に、その地域の人たちが好み愛する商品を、日本で作って直販する業態も含むのである。これを地域経済から立ち上げ、創造的人間の大量育成を図る必要があるということなのだ。


§似非ICT革命を予言していた発明者
コンピューター発明・開発の理論を確立したのはウィーナー(超幅広い知識を持つ学者で1950年に理論を発表=人間機械論:人間の人間的な利用)である。彼の著作で、ICT社会や必要機器が発明される以前から、必然的とする予測を明言している。その一つを要約すれば、「よく熟慮した上でなければ、猿とタイプライターとなる」といった趣旨である。コンピューターという用語が未開発な時点で、このウィーナーは人間の労働を、「猿とタイプライター」と警鐘しているのである。また、こんな趣旨のことも言っている、「猿が発する情報は無味乾燥で機械で代用出来、人間たるがゆえの通信文は行動の引き金として役立つ情報の質である。ただし、情報に壁を作るのは私の理解に必要な知覚と訓練である」。
ICT革命と言われている現代、新しい時代に合わせた経営管理を開発考案する必要から、著者も研究の真っ最中である、…おそらく経営学に重要な波紋がでそうだ。例えば、専制支配は人間の能力を何分の一以下に低下させるなど…。(注:難解な自然科学や哲学・宗教学が織り交ぜてあるので時間がかかる)。なぜ日本人の開発したOSが世界では不人気なのかの答えもありそうだ。
さらには、ICTソフト開発、パソコン周辺機器の開発担当者にとっては、いくら努力をしても無用の長物を開発している非効率性を除去することが出来る。そもそも商品というものは、その市場の文化水準、社会制度、哲学・宗教的要素によって、開発・生産量・製造規制が左右されるものである。日本に長く住んでいれば、どうしても日本的な商品しか浮かばないし、国内、海外に目を向ける場合には、硬直した日本的発想だけでは、開発段階はよくても販売段階で大失敗を招くこともあるのだ。ことに、キリスト教の影響が強い市場への海外進出には、この理論研究は不可欠だ。
ウィーナーのコンピューター発見理論は、コンピューター機器を実現したに留まらず、多くの自然科学者に対して、哲学や社会学の考え方を広めたとのことである。それは、人文社会学系の有識者の業績ではなかったということだ。確かに、哲学や社会学について造詣の深い人たちの中で、文系と理系は差があることは間違いないのであるが…。


§生活文化商品型産業の事業者の姿勢
日本航空:整理解雇の公判で、日本の民間パイロットの95%が加入する日本乗員組合連絡会議(日乗連)の山﨑秀樹議長(58)が意見陳述し、日航ではトラブルを報告すれば事情聴取で乗務を外され賃下げに、病欠すれば解雇対象となる恐怖から自己申告出来ない状況を指摘した。これに先立つ今年の2月、日航の稲盛会長は、「(解雇した)160人を残すことが経営上不可能かと言えばそうではないのはみなさんもお分かりになると思います」と記者会見。
http://blog.goo.ne.jp/hitorasiku/e/f13480334ba15dc3d9c518adf6bfb59f
こういった姿勢は、生活文化商品としての飛行機として相応しいかどうかだ。残った日航社員が顧客対応をどのようにしようとも、それはマヤカシといわれるしかないのだ。
もう一つは漆器……
生活に密着した商品である。古来から自然素材として安全・無害を強調して、今や強気で売られている。さらには、漆器は Japan ware として、日本産品の代表格である。ところが、この漆器が近年コストダウンや技能低下により、品物が危うくなっているというのだ。漆を塗るときの溶剤に問題があるらしく、低品質の物は口にするごとに塗料を口にしているという。漆専門店の話では、漆器の塗料は紙にこすり付けるぐらいでは本来色落ちしないとのことだ。漆器の口にする部分を紙の上でこすった場合、色落ちする度合いが危険さだと警鐘を鳴らしているわけである。確かに筆者の実験でも、全く色落ちしない漆器から、フリーマーケットの安売り漆器のすさまじい色落ちまで、それが試した結果であった。
色落ちする塗料自体の安全性は、それぞれの調査結果にもよるであろうが、「漆塗」と標榜するからには、生活文化商品として相応しいかどうかの人々の判断を惑わすことになる。もとより「漆まがい物」と明示するなら別であるが、どんな商品を選ぶか、よく調べるか否かを考える、これは買う人の判断であるとか自由であるとするのは、「羊頭をかかげて狗肉を売る」=詐欺商法と同じなのである。大量の資本投下を行ない→予定売り上げが達成出来ないとき→工業商品型経営では詐欺的商法が行われるのは自然なことである。
二つの事例を挙げたが、実はこういった事態を防ぐ制度を考案することが、「日本製品の安全安心水準」をブランドとして維持することになる。口にするだけで具体策がない、批判するだけで終わらせるとなれば、工業商品型産業と同じく先行きは暗い。
制度的な企画立案をしてみると:
地場産業や生活と密着した経済循環システムの上に生活文化型商品を供給することで、日本のみんなが世界に向けて、日本製品を自慢することで、世界からの信頼を得る高品質ブランドを維持する。
……こういった戦略は重要だろう。

2011/06/07

第110号

<コンテンツ>
世の中に蔓延するニヒリズムと無気力
いよいよ日銀もイノベーションを呼びかけ
必要な人材、衣食住の商品変遷、業態も変化、働く意識
だとしても、イノベーションが軌道に乗るまでは
混乱のときにこそ、目に見える経営の「型」が大切
この夏の節電対策と就業規則上の扱い
1935年、アメリカのイノベーションには…
人事管理者の「素質育成」勉強会(8月開始)お知らせ


§世の中に蔓延するニヒリズムと無気力
震災・津波・原発対策、この夏の電力対策、第二次補正予算をいつ組むのか、こういった話題を新聞TVのマスコミが、つまみ食いのように面白おかしく、とりわけ読者拡大や視聴率向上を第一念頭において報道するものだから、加えて内閣不信任案提出から否決までの異常な報道合戦は、ニヒリズムと無気力を振りまいたことは確かだ。今や、国民生活に直結する社会経済の話題や、個別企業の経営にプラス材料となるような報道とまでは元から期待しないまでも、新聞TVのマスコミは物事の本質を報道・追及する姿勢に立っているとは思えない。
震災・津波の一大復興事業を誰が手中に収めるかは焦点である。
仮設住宅建設の遅れは、誰かが資材を買い溜めしているからとの情報だ。
8月初旬にも、アメリカ国債がデフォルト(債務不履行)する可能性が強まっている。
財務官僚はマスコミがそうした事実関係を報道しないようにすることで、第二次補正予算や内閣不信任案提出の背景を知られないように躍起になっているとの情報もある。
ドル(米連銀)が破綻すれば、日銀が連銀と無理心中させられて、日本は震災復興予算や原発事故保障費用とは比べものにならない巨額の損失を負うことになる。リーマンショックのときでさえ郵政民営化が遅れていたおかげで、日本の損失が軽くなったとも言われている、にも関わらずだ。
原油産出国の政情不安によるエネルギー見通しも、ほとんど報道されることもなく7月の電力値上げも実施される。
こういった真相に立ち向かわない新聞TVのマスコミに振り回されて、個別企業にとっては、経営者への心理的不安を助長、労働者のニヒリズムと無気力を蔓延させることとなり、大いに迷惑なことなのである。


§いよいよ日銀もイノベーションを呼びかけ
日本銀行といえば、金融政策でもって不況を乗り越える政策イメージが強いのであるが、5月25日、ここにきて日銀総裁はイノベーションを呼びかけた。もちろん、このイノベーションはグローバル展開のもとに国内経済、大手から中小零細企業に至るまで、民間や官庁そして公共事業を問わず「刷新」を呼びかけたのである。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2011/ko110525a.htm/
日本ではイノベーションを、技術革新と誤って翻訳された時代が長かったので、生産技術の革新と思っている経営者は多い。経済学関係者のイノベーションといえば、シューペンターという学者が提唱したものである。すなわち、ケインズ経済学での金融政策では、どうしても日本経済は難局を乗り越えられないとの判断を示すにいたったのだ。地震・津波・原発の3.11以来、金融政策で日本経済を立て直そうとする発言がめっきり減ったのも然りである。
イノベーションのポイントは5つの刷新(新商品)なのである。
1.新しい財貨、新しいものの発見(例:再生可能エネルギー)
2.新しい生産方式の導入(例:地域発電、地産地消)
3.新しい市場の開拓(例:グローバル、ICT流通市場)
4.新しい原材料、半製品の発見(例:断熱材、超伝導、新家電)
5.新しい経営組織(社内外にわたる)の実行(例:小規模自立経営)
である。カッコ内に示したものは、国内経済の柱となり得る話題の一例に過ぎない。とりわけ、再生可能エネルギーへの転換は緊急課題となっており、この成否が日本経済の将来を決めると言っても過言ではない。
OECDから、日本を世界経済から孤立させるぞ!と直に圧力をかけられた(4月20日事務総長来日)官僚と官僚の下請け達は、それまでとは一変して、「面従腹背」の政策転換、3.11以来の隠蔽方策も軌道修正、掛け声だけはイノベーションに向かっているのだ。


§必要な人材、衣食住の商品変遷、業態も変化、働く意識
だとすると、話が一挙に飛ぶのだが、個別企業で必要な人材は、ただ単に能力が高い労働者ではなく、こういった新しい時代(社会需要)に具体的に貢献出来る労働者に、個別企業の人材確保が変わって行くのが自然なのである。すなわち、人材の評価も能力主義から社会需要貢献主義へと変化をするというわけだ。
産業革命以来、主要エネルギーが石炭から石油に変化して、石炭を基本としていた経済構造から、戦後は石油を基本とした経済構造や幾多の商品に変化してきたが、今後は多様なエネルギーとエネルギー効率上昇によって、大きく経済構造が変化し商品構成も変化、すなわち衣料、食品、住居に至るまで商品変遷して行くのであるから、これに対応する個別企業の役割が大切になってくるわけだ。レンタル型住居の増加。国内での工業製品は売り上げ不振、生活文化商品や感性に訴える商品しか売れなくなるとの見通しだ。
経済構造による業態も変化をして来る。小規模自立産業=ブランド=の割合が増える。大型店舗などは終焉に向かい、商店街は散策型に変化せざるを得ないとも言われる。
そこに働く人たちの意識も、提供する商品に最も適した思索(思い)が濃厚となり、官僚公務員のような均等発想の集団では経営は出来なくなる。すなわち、サービスを行う人材もブランド性なのだ。


§だとしても、イノベーションが軌道に乗るまでは
この間のツナギ(繋ぎ)としての個別企業の対策が必要だ。
それが、このメルマガ前号でも述べた、恐慌の中を企業が残るための守り
 A.在庫編成、負債圧縮、肝心なのは現金を守る具体策
 B.設備削減、アウトソーシングで長期コスト削減
 C.社会整合性のある業務改善や低価格イメージ
すなわち、財務基盤強化、事業基盤強化、売り上げ基盤強化を行うことなのである。
マクロ経済は、少々時間がかかってでも再生可能エネルギー転換による経済構造変化と新商品構成をグローバル展開(直接・間接を問わず)することは間違いない。ところが、圧倒的多くの個別企業が、この間のツナギ(繋ぎ)の移行期間に消滅する可能性が大きいのである。
それはひとえに、個別企業の経営陣の多くが、時代が読めずに、社内で過去を引き継がせ、右往左往による社内混乱、未来方向性のないリストラによる秩序崩壊などを繰り返しているからである。リーマンショック、震災・津波・原発といた節目以降の動きを見ても、政府・官僚に頼っては、個別企業の見通しが立たないことがはっきりしているにも関わらずだ。
個別企業の経営幹部は、「競争力のある企業が、若い労働力を集め、新商品・新市場に進出して行くこと」を経営発展の基礎ベースと見ていない場合が多い。競争力のない企業は、残念ながら早く整理した方が得策である。
また、若者の現代的モチベーションである
 ア.仕事そのものが楽しいこと
 イ.仕事の達成感がある(それなりの計画性)
 ウ.プライベートが充実している
にしても、この間のツナギ(繋ぎ)としての個別企業の対策を行わずに、若者に対する気弱な姿勢と勘違いしている経営幹部が見受けられる。特に、未来方向性のないリストラと相まってしまえば、社内秩序は崩壊=若者からすれば会社の将来を疑惑視=拝金主義と労働紛争が付きまとうのがオチである。


§混乱のときにこそ、目に見える型が大切
個別企業が現在の恐慌を乗り切り、イノベーションを進めるには、現代的には経営の「型」が必要である。昔であれば、理念や精神を学べば、数少ない指導者がこれを具体化し多人数を動かすことができた。しかし現代は、とりわけ日本では、そういった旧来方法で労働者管理(コントロール)することは出来ないのである。
残念ながら、多くの現代的人間は、体得した知識を型でしか表現出来ない。また、型の変更でしか学習することが出来ないでいる。これはコンピューター理論を発見したN・ウィナーの説である。これにより現在のコンピューターが工業化され、飛躍的に社会の効率は高まったが、多くの人間は、いわゆる「型」によっての思考・思索(思い)しか出来得ないまで、型に振り回されているのが現実ではあるが。
したがって、現時点の転機を迎えるにあたっては、
筆者の長年にわたる研究体験からも見えてきたが、
1.経営方針書を簡単に示して、個別企業の内外労働者の将来を導くこと。むやみに目標管理や計画書を労働者に提出させても、空回りをするばかりである。
2.就業規則、労働契約書、社員雇用契約書などで、より具体的に人の動きをコントロールすること。社員雇用契約書の中に職務内容を具体的(プラン、プロジェクト、スケジュール等)に盛り込む必要がある。
3.創業時の社是社訓は通用しないから、個別企業の理念を型にすること。
といった対策である。
加えて、先ほど述べたように、個別企業の提供する商品に最も適した思索(思い)が濃厚となってこそ、服務(サービス)を行う人材のブランド化が進み、よって社会に適応する個別企業が形成するわけであるから、ややもすると社員などの均等化・均一化を支えるような就業規則は、一刻も早く改正する必要があるのだ。総務・人事担当者としては、少なくとも論議の議題にあげて、経済構造変化に合わせた意識改革を手掛ける必要がある。
日本全体の経済政策が、これだけほったらかしにして、後手に回り、日を追って日本の世界ランクが下がりつつある状態であるから、貴方の個別企業だけでもいち早く浮かび上がるしかないのだ。
日本国の官僚たちは、見ての通り地震・津波・原発に対しも「見捨てた政策」なのだから。


§この夏の節電対策と就業規則上の扱い
もちろん、総務・人事担当者は、これをチャンスに次期時代の経済構造や商品構成(高付加価値商品&高水準サービス)を視野に入れた具体的な労働者管理(コントロール)の型を盛り込むことが重要である、もう従来や現行に戻ることもないから。
◎休日の変更は、
土日→木金、土日→月火といったパターンが多いようである。が、実際は変更日の十分な検討が必要である。就業規則などの規定で、1ヵ月間の変形労働制などを定めているのであれば、いわゆるシフト表でもって休日の変更をするだけで良い。変形労働を定めていない場合、あるいは就業規則本体を変更しないのであれば、夏場数ヵ月間の休日振替を行うしかない。振替えが出来なければ休日出勤、代休を与えても割増賃金の支払い義務があるから、早期あらかじめに振替えることである。
◎時差出勤は、
これも、変形労働制を定めておれば、シフト表でもって始業時刻と終業時刻を変更することで可能である。就業規則で固定的に始業終業時刻を定めている場合は、就業規則の変更と監督署への届出が必要となる。就業規則の変更をする場合は、従業員代表の意見を書面でもって聞いて置く必要があり、単なる会社からの発表だけでは法律的効果が生まれない。すなわち、新しい始業時刻に遅刻をしたとしても、遅刻として扱うことは出来ず、賃金カットも不可能となる。
これからの経済構造や生活スタイルのことを考えれば、時差出勤や休日の変更については、1ヵ月間若しくは3ヵ月以上の変形労働制を導入することが理にかなったこととなる。
◎クールビズは、
これを一段と奨励促進するために、クールビズ奨励金を支給して、社内のクールビズに対するブレーキをはずそうとする場合、全員に支給する場合は賃金規定の変更が必要である。積極的にクールビズを行った者に対してだけ奨励金を支給する場合は、クールビズ奨励の個別的労働契約として扱うことが出来るから、賃金規定の変更は必要ない。
◎行き過ぎのクールビズ
が心配な場合は、就業規則の服務規定その他で詳細に決めておく必要がある。既に服装等について概略を定めている場合には、その具体的基準を示す方法もある。いずれにしても最低限の基準としての定めを設定するのであるから、就業規則と見なされるから監督署の届出が必要となる。内容は、個別企業の業種柄、当事者の職業によってクールビズの限度範囲が定められることとなる。クールビズがセクハラとなる場合は、職場の不快感や業務支障のケース、セクハラ被害に遭遇することが予見される業務指示のケース(極端クールビズなのに痴漢多発地帯へ出張指示など)の二通りがあり、いずれも管理者責任を問われる。
◎エアコン温度や風量
安全衛生法上の温度、湿度、換気その他の基準はあるものの、個人差に左右される程度の環境については、法令上の定めは無い。室温が上昇したために仕事の成果が阻害され、労働条件が影響を受けたとされる訴訟などは滅多に無い。むしろパワハラによって室温や風量あるいは煙が問題になったことは従来からも存在はしている。
クールビズといえども、未来方向性を示し将来を実感できる制度がキーなのだ。


§1935年、アメリカのイノベーションには…
その一例として、「フェデラル・ワン」という政策があった。これは、非建設事業のひとつとして、大規模な芸術家救済プログラムを実施したものだ。有名なオーソン・ウエルズ、バート・ランカスターなどは、このときに芸術家として雇用救済された人材なのだ。1935年の第二次ニューディールにおいて実施された人的投資=仕事を与え対価として給与を支払う形式であった。その中のひとつに、「フェデラル・ワン」と呼ばれる芸術家雇用政策が行われた。具体的には美術、音楽、演劇、作家、歴史的記録調査の各プログラムを実施、約4万人の芸術家を雇用した。これにより、ハリウッドをはじめアメリカの芸術文化産業が新たに開花、戦後世界市場に広まることとなったのである。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/001/010602.htm
過去、日本政府内でも検討されていたようであるが、今こそこれを促進すべきである。芸術文化はプロパガンダではないから、人に生きる勇気と感動を与える。無駄の多い雇用調整助成金や基金訓練の予算を多少振り向けるだけで済む。アニメ、漫画、フィギア(スペインで流行)、かわいい(今やフランス語に)ファッションといった文化商品が世界で流行しているが、これにプラス日本人の「技」(こつこつ仕事や習い事は日本独特とのこと)が加わり洗練されれば、グローバルな芸術文化産業に発展するのである。
官僚には、間違いなくこういった事は考えられない、日本はどうなるのか。


人事管理者の「素質育成」勉強会(8月開始)お知らせ
本年度の実施日程 新時代・新経済環境に応じ得る人事施策の創造力や立案能力を養成プログラムに基づいて、人事管理者としての素質育成をはかります。民間では実施不可能な事業を、大阪府の「働く環境整備推進事業」として実現しました。
http://osakafu-hataraku.org/contents/personal/education.html

2011/05/10

第109号

<コンテンツ>
原発事故の「レベル7」と発表させられた思惑
OECDが政府や経団連に要求した内容
「日本を世界経済から孤立させるぞ」の外圧
社会や経済の崩壊の中で個別企業が
原発事故による電力不足、その他の追い打ち
モノマネの模倣商品は限界
岐路に立たされた時代、個別企業での
とりわけ、若い労働力が確保されなければ、
労働者性は実態優先で判断する、最高裁判決の波紋
人事管理者の「素質」育成教育プログラム 日程を決定


§原発事故の「レベル7」と発表させられた思惑
原子力安全・保安院が4月12日、「レベル7」発表、その時点から日本政府の態度は一変した。アメリカ政府は日本に対して、「レベル7」と発表するよう相当の圧力を加えたとされている。一説によると、東芝や日立の原発輸出を封じ込め米国製原子炉輸出の目的があるとさえ言われている。給水バルブは全品がアメリカ製、日本の原発システム技術には不具合があると言いたいのだ。
この「レベル7」の発表に乗る形で、世界各国が日本の工業製品の放射能汚染を口実に、自国の産業保護政策に転じる姿勢を示している。日本が放射線量測定値を詳細に公開しなかったばかりに、競争相手国に隙を突かれた形だ。
これに慌てた政府は、それまで故意に隠していた放射線量の情報公開、被災産業や被災地への謝罪とテコ入れ、エネルギー政策転換へと政策の舵を切り替えている。そもそも、情報公開、地場産業育成、エネルギー転換といった政策の哲学を持って政権に就いたにも関わらず、座についても一向に実行する気配なく、今回の地震・津波・原発事故が起こっても、「淀みに浮かぶ泡沫ならぬ、浮草の如く」日々を過ごす毎日から、アメリカをはじめ外圧が掛かるや否や、日本政府は「レベル7」の発表を機に一転している。マスコミの多くは、政権の延命策と報じているが、実際はグローバルな展開をもとに、「世界から孤立する日本」を突き付けられたゆえの「恐怖心」が原因で、政策転換を行ないつつあると見た方が妥当だ。世論が政府を動かしたわけでもない。


§OECDが政府や経団連に要求した内容
OECD(経済協力開発機構=自称:民主主義を原則とする34ヵ国の先進諸国が集まる唯一の国際機関)は、4月下旬にOECDのグリア事務総長を日本に送り、復興国債、一時的増税、消費税引き上げ、法人税引き下げなどの政策提言を示し、「日本は短期間で回復を告げると確信している」との強力なグローバル世界との協調を日本に求めてきたのだ。これには「恐怖心」が原因の政策転換だけでなく、財務省をはじめとした官僚たちも完全に面従腹背した。(戦後、日本の官僚は外圧を利用して生き延びたとの説がある)。
OECDが求めている骨子は、他の資料を合わせて考察すると、次のように日本経済に対して決断を求めたことがうかがえるのである。
□新成長戦略の推進
グリーン・イノベーション(エネルギー転換など含む)、
ヘルスケア(単なる医療介護ではない)、
アジアとの経済連携、地域活性化などをあげている。
□労働市場の改革
日本の労働市場に圧力がかけられたのは、50数年前にアメリカが行って以来である。
二極化の是正(非正規労働者のセーフティーネットや安定的雇用の労働市場など)、
職業訓練の充実(雇用調整助成金の規模縮小、職業能力標準化と訓練システムなど)、
女性の社会進出(税制、給付制度、保育施設などで有能な労働力)を重要課題として、
これを企業行動に求めている。
□教育分野の改革
幼児教育の充実(端的にいえば、マニュアル習得・改良に重点をおいた教育の変更)、
研究開発での大学の役割向上(要するに、大学を「学習の場」としてきた約15年来を改め「研究開発の場」に変更)を求めている。


§「日本を世界経済から孤立させるぞ」の外圧
を受けて、日本が世界の中で「いないふり」を続けようとした政策から突如転換、OECDのお導きに従い進路変更しようとしている。さて、OECDの動きをマスコミはどの程度報道したのか? グリアOECD事務総長は、4月20日から24日までの日程で訪日している。4月21日:経団連、夕刻:外務大臣、22日:総理大臣と面談。マスコミは報道もせず、何かを隠したいのだろうか?
筆者は、OECDの回し者でもなければ、これといったファンでもない。あまりにも日本が官僚に支配され続け、民間の有効な建議やアイディアが踏みつけられた歴史から、OECDは一つの問題提起をしているにすぎないと、筆者は見ている。とにかく日本は、OECD34ヵ国の諸指標でも下から数える方が早いのが現実なのである。
こういったOECDの政策提言を日本が進めない限り、日本を世界経済から孤立させるという訳だ。これに対して現政権は迎合した。前政権であれば自発的に迎合ポーズだけ取ったであろうことは間違いない。
(4月21日発表のOECD対日審査報告書2011年版)
http://www.oecd.emb-japan.go.jp/Overview%20Japan%202011_JAP.pdf
だとすると、これを踏まえて、賛成であろうが反対であろうが、個別企業はOECDからの要求への対応を、何かの方策で迫られることになるのである。とりわけ、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供を、直接間接にもグローバル展開する必要があるのだから、思い切って「隗より始めよ」なのである。


§社会や経済の崩壊の中で個別企業が
如何に成長して行くかが、このメルマガを読んでいる貴方の「ミッション」という訳である。
ちなみに、焼肉屋チェーンと食肉業界の大腸菌O111食中毒事件のみならず、地方での大事業所である地方公共団体の財政破たん、中堅中小企業の資産枯渇と疲弊、労働者個人の購買力激減といったことがデフレ脱却を阻害する要因とする経済学説がある。近年、カール・マルクスの「資本論」がブームになり、漫画本が出され、2007年リーマンショック後の米英では評価が高まった。こういった学説に対抗する、一時期華やかだった経済学者たちは、全くの反論が出来ないでいる。その人たちは、「資本論」は労働者階級が戦うための理論としてまとめられた学説であるといった目的論にすら気がつかず、アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミルの論理を誤借用した新自由主義の経済学者でもあった。そればかりか、今ほぼ三十六計で影を潜めてしまっている。経済学説が100あるとして、そのうち3つほどの金融論に限定して弁舌を振っていた者たちの末路であった。
頼みの個人消費は、地震・津波・原発事故後、「買いだめ?」があったにもかかわらず3月は8%ほど激減した。一気に他の経済指標もダウンしている。売掛金名とか債権といった語句に惑わされず、売れて入金して初めて経済が成り立つ=これが原則=を踏まえることである。社会や経済の崩壊を肌で感じ取ったから、一時実態は、流通経済からストック経済(封建時代の主流)に変化している。資本主義経済に戻る転機がいつなのかが問題なのである。


§原発事故による電力不足、その他の追い打ち
これに加えて、原発事故による重要な課題は工業地帯電力不足(東電・中電の料金値上げ)が影響して来るのだ。地元の原発反対運動が強かった原発では比較的安全設備が充実しているとのことからすると、原発の発送電コストは高くついていたのだ。また、電力会社の官僚的体質は、原発など元来重視していなかった電力会社が、「意欲のない原発運転」を今も進めているようで、(例えば、この3月末は下請け業者への支払延期や賃金ダウン)、エネルギー供給を担っている責任企業とは考えられない。
戦前の水力発電から戦後の火力発電に電力源転換を図るため、終戦直後は政府官僚を蚊帳の外に出して、GHQと対峙して戦った電力会社(日本発送電と9配電会社)の歴史があるが、今は忘れさられている。このときGHQは、労働者の賃金は職務給で良いとして「技能や年功」を無視せよと言ってきたのだ。これに対しで労使が協力して(裏で一体となり)、火力発電の技術・技能者を育成獲得するために電産型賃金(後に銀行業界に導入され、年功序列型賃金となり日本に広まる)導入のため、電力スト(停電作業)を繰り返し(占領軍基地のみ停電させるストライキも)、こうやって労使がGHQと体を張って戦い、火力発電の事業体制を作ったのである。闘いの矢面は、日本電気産業労働組合であり、送電停止は会社の「送電指令所」が指示を出して、きめ細かく配電を停止してストライキを行った。したがって、病院は停電させず占領軍基地は集中して電力配電を止めた。さて、今の発送電・配電事業に携わる者に、頭だけは明晰であることは間違いないが、体を張って経済産業を支える気概があるのだろうか?
冒頭に述べた通り、官僚は自らが生き延びることを目的としているから、今回のOECDの要求に対しても面従腹背(欧米の発想=公務労働は奴隷の仕事だとしても)は常であるから、個別企業にとっての、いわゆる東日本復興需要は来年以降の話である。阪神大震災を引き合いに出しても仕方がないが、あの時は規模が小さいながらも、「復興事業と公共事業は予算保障する」と言い切ったものだから、供給基地である大阪から瞬時一斉に業者は出かけた。ところが、今はそういった経済状況とは、全く異なっているのだ。
したがって、
ある意味では、日本の経済政策は、「株式会社ニッポン!」を辞めてしまったことでもあるのだから、個別に民間の個別企業がガンバルしかないのである。企業が集まってとか、事業を共同して等の話が湧いて出るが、「リーダー&作戦家」に事をゆだねない限り、成功した例はない。ただ集まっているだけでは、調整を繰り返すだけにすぎない。大手企業のサラリーマン出身の経営者が、株主・顧客・労働者の間に立って調整役(コーポレートガバナンスの実態?)として濁してきた事実が、これを物語っている。


§モノマネの模倣商品は限界
大阪の某大手電気メーカーで、中心的に商品開発を行ってきたN氏によると、日本の工業は、世界の先駆者の真似をして模倣品を、日本流にマーケティングをしてできただけだと、過去の反省を語っている。そして、市場ニーズの変化で一転して瞬時に模倣商品は終焉するのであり、地震・津波・原発事故の後は、日本国内産業の役割は模倣の工業製品にはないと断言している。
まして、技術技能を頼りに部品供給をしてきた個別企業の復活を急がなければ、海外の非精密部品に市場をとられてしまう。東北や北関東の部品供給地域に限定して復興を考えてしてしまうと、日本国内を通り越して海外から供給に頼ってしまうことになるのだ。まして、偽装請負や製造業派遣労働が茨城・福島に、時間給870円止まりと高速道路に近い立地を理由に集中していた形態の部品供給事業の復興には実りがない。日本の高級精密部品を敬遠して、アジア各地に散在する普及部品を使用して、ソフト面を充実させ、低価格の便利な商品を提供しようという商品戦略に、輸出相手国が切り替えることになるのは当然である。だとしても日本のことだから、「国破れて、官僚は太って行く」ことは当面続きそうである。


§岐路に立たされた時代、個別企業での
総務部門の役割はこうなる。労働者の待遇向上などが労働意欲を向上させた事例はない。出世も労働意欲を向上させた事例はない。世界経済での日本の位置を考えれば、ありとあらゆる個別企業の新しい経営スタイルへの変更対策は、次の3つが柱となる。
■その産業に応じた労働者の標準的職業教育を開発し、訓練を施し、
 (その手段は:競争相手をよく観る&日本一になる幹部の気概)
 このことで、企業の発展法則である
  1.競争力のある企業が
  2.若い労働力を集め
  3.新商品・新市場に進出して行くことが出来るようになる。
■いち早く女性の社会進出の受け入れ、
 社内作戦的には母子家庭の母に焦点を当てた雇用やキャリアモデルと、その情報提供と助言に人材育成の議論と試みを実行することである。(OECDの労働市場改革2010年版でも母子家庭の母への支援を特別掲載)。
 このことは、現代的モチベーションである
  ア.仕事そのものが楽しいこと
  イ.仕事の達成感がある(それなりの計画性)
  ウ.プライベートが充実している
 といった若年層の労働意欲と合致する、最も近道である。
■その上で、恐慌の中を企業が残るための守りが
  A.在庫編成、負債圧縮、肝心なのは現金を守る具体策
  B.設備削減、アウトソーシングで長期コスト削減
  C.社会整合性のある業務改善や低価格イメージ
 すなわち、財務基盤強化、事業基盤強化、売り上げ基盤強化を行うことなのである。要するに、それをやりとげる素質と能力のある労働者を育成確保することが肝要だと言うのである。
旧来からの経営スタイルをとりたいのであれば、
それは経営者の自由ではあるが、旧来型であることの事前説明を採用前に行う必要があり、時代の経営環境に合わせないことによる多大な出費を覚悟する必要がある、といっただけの話ではある。この■3つの柱を経営者に提言し、こういった細かいチェックを的に行うのが、総務部門本来の役割、社長ではなく貴方の仕事なのである。
ちなみに、最近の筆者が携わっている労使トラブルのあっせん代理人業務は、もっぱら会社側であるが、この新しい経営スタイルへの変更に伴う前向き解決のものが多くなってきた。


§とりわけ、若い労働力が確保されなければ、
個別企業にとっては致命的である。今から深刻になる恐慌においては、住宅ローンを抱える50代の男性とその妻の負債返済欲が高まることから、ややもすれば若年労働者を職場から追い出す動きが出ても当然なのである。この動きはストレートに現れるものではないから注意が必要であるのだが、経営者が高齢者の誘惑にはめられてしまえば、「報われない苦労の連続」経営に陥ってしまうのは間違いないのだ。
とにかく、大卒・短大卒、高学歴女性を、とりあえずは非正規で良いから採用して、
 ◇業務改善としての仕事標準化
 ◇予見計画性を高くして業務を遂行
 ◇個別性を分析して能力別業務分担をする方法
を進める必要があるのだ。採用面接の事前提出用職業経歴書(簡易職務経歴書)もこのほど開発、事業所ごとに加筆でき、ジョブカードよりも汎用性と利便性を重視した物だ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/jinji/skeireki.html
現在の生活保護は、1ヵ月の生活保護費が定められ、ここから前3ヵ月の平均額を算出して手取りの収入を差し引かれた額が支給される。大都市圏なら住宅扶助を合わせ、20~40歳の単身者は月額125,700円である。だとするとフルタイムのパートが、生活保護を受給すれば、最低賃金+生活保護=1,100円程度の時給となる仕組みだ。また、母子家庭で子供3人の母であれば他の社会保障を合わせれば月額手取30万円程度であり、最低賃金で月に20時間残業した場合の3倍弱となる。ただし、貯金を使い果たし、必要不可欠でない家財道具を売り払うまでは、生活保護の認定をされないから、仕事に対する意欲さえ持っていればという条件付きではあるが…。個別企業がそういった方法で、職業能力素質を持っている母子家庭の母を確保する方法(これこそが現行制度の趣旨に沿うもの、不正受給排除対策だ)があるのだ。
非正規労働者であっても、勤務時間短縮、短時間労働力、育児中労働力を導入することで、個別企業全体の労働生産性を思い切って引き上げることは可能である。
こういった思索(思い)を繰り返すことで、時代に適合した個別企業に急速接近することが出来るのだ。他人依存では何事も進まない時代である。


§労働者性は実態優先で判断する、最高裁判決の波紋
個人請負とか業務委託といった契約を結んで仕事をしていても、業務実態を優先して労働組合法上の労働者に当たるとする判例が、平成23年4月12日最高裁第3小法廷から出された。直接に契約を結んでいる場合はともかく、派遣会社や業務請負会社が間に入っていた場合に業務実態が労働者と判断されれば、職安法の労働者供給に該当する「二重派遣」と見なされることとなる。
・住宅設備大手INAX(現在LIXIL)の子会社の製品修理の業務委託契約個人事業主の事件。
INAX事業運営に不可欠な労働力として組み入れ、委託契約内容は一方的に決定、子会社の指揮監督を受け個別の修理業務に応じる実態だったと認定した。この個人事業主とされていた人たちが待遇改善を求めた団体交渉に応じないのは不当労働行為としたもの。
▽平成21(行ヒ)473 不当労働行為救済命令取消請求事件/裁判判例情報
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81243&hanreiKbn=02
・新国立劇場運営団(東京)のオペラ合唱団女性メンバーとの契約更新事件。
合唱団メンバーは決まった公演に従い、財団の指揮監督下で歌唱の労務を提供しており、劇場に通った回数も年間230日に上り、時間や場所的にも一定の拘束があったと認定した。メンバーらが加入する労働組合との団体交渉拒否が不当労働行為に当たるとしたもの。
▽平成21(行ヒ)226 不当労働行為救済命令取消請求事件/裁判判例情報
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81241&hanreiKbn=02
これらの事件をめぐって、経営側と労働側の激しい対立や戦いが行われていた。経営側が主張していた個人事業主との契約が書面でなされている点を、最高裁は否定して、「業務実態を優先」としたものだ。出来高制労働者をはじめとして業務委託の名目で個人事業主の名目で契約すれば労働者ではないとの奇策で、個人に対して発注がなされているケースは非常に多い。とくに昭和61年の労働者派遣業法施行と同時に労働者派遣となることを回避するために個人事業主として業務委託したケースも多い。
その導入理由は、労働法上の責任が回避されると誤解したことと、国民健保&国民年金の適用で社会保険料負担を免れる目的とか、確定申告による所得税節税につながるといった金銭的利害が労使双方に存在したからだ。
ところが、今回の最高裁判決で事態が変わった。
従来から業務実態を重視して、労働基準法、労働者災害保険法などが適用されていた。
労働契約法においては、第2条で、「この法律において労働者とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われるものをいう。」とし、第2項で「この法律において使用者とはその使用する労働者に対して賃金を支払う者をいう。」と定められ、厚生労働省 労働基準局長の施行通達 (平成21年1月23日)の、法第2条(定義)の解説において、「名称のいかんを問わず労働の対償として支払われる全てのもの」として、使用者に使用されて報酬を受けた場合は実態として労働契約に定め労働者としている。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoukeiyaku01/dl/11.pdf
これで労働基準法、労働契約法、労働組合法の3つの法律解釈が出そろったとなるが、
労働組合法に基づく団体交渉権が、現代社会においてオールマイティの実行力を持つことから、大きな波紋が生まれているのだ。
もとより労働法の基本概念からすれば実態優先は当然のことだったところ、似非法律家に乗せられて業務委託名目の契約を結んだ可能性が高い。実際、目先の各種保険料金の負担回避を理由に、そういった奇策を着想する事例は後を絶たず、長期的リスクを考えて改善していった個別企業も多かったのである。とりわけ、現在の経済状況からすると、労働力管理=有能な労働力を確保し、労働意欲を引き上げ、業務改善を進めることが至上命令である段階であって、経営側が労働者の良識を真っ向から否定するような行為は取れないのである。
労働団体の連合もが早速談話を発表した。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2011/20110412_1302608852.html
全労連は、早速メール配信を行い
【労働実態に基づく労働者性を認めた最高裁判決を活かそう】と呼びかけをしている。
http://www.zenroren.gr.jp/jp/opinion/2011/opinion110413_01.html

加えて、
有期契約雇用の更新手続をめぐって、労働側弁護団では、「日立メディコ事件」の判旨を取り上げて、論理的攻勢をかけようとしている。
その主な攻勢ポイントは、次の日立メディコの場合での4点としている。
(1)採用が簡易な手続で行われた
(学科試験・技能試験がなく、家族構成、健康状態、趣味等を尋ねるのみだった)、
(2)同じ時期に採用された90名の臨時工のうち約1年後の本件雇止めの時点で雇用継続していたのは14名のみだった、
(3)臨時工は前作業的要素の作業、単純な作業、精度がさほど重要視されていない作業等に従事させる方針がとられていた、
(4)上告人自身も比較的簡易な作業に従事していた、等の事実が認定
今回の最高裁の判例と相まって、正規労働者と非正規労働者の、いわゆる「二極化」にブレーキがかかることになる。


§人事管理者の「素質」育成教育プログラム 日程を決定
新時代・新経済環境に応じえる人事施策の創造力や立案能力を次の養成プログラムに基づいて、人事管理者としての素質育成をはかります。
http://osakafu-hataraku.org/contents/personal/education.html
前回(昨年末から本年2月24日、全7回)の参加者のアンケートです。
◆法律・経済・コンプライアンス等々、抽象的ではなく、具体的な内容で分かりやすかった。
◆ある課題の答えを導き出すために、全く別の題材を用いてディスカッションするといった手法を取り入れることで、発想力、創造性が培われる内容となっていた。世間にありがちなセミナーでは経験できない深みのある内容であった。
◆新時代の人事・総務の担うべき業務の重要性について、目からうろこが落ちる思いだった。
◆将来の経済を見据えた人事管理社内システム全般の方向性が見えた。
◆ディスカッションに積極的に入り込めなかった場合であっても、やりとりを聞くだけでも勉強になった。
◆講師の進行が巧みであるため、ディスカッションが充実したと思う。
◆激変する社会で生き残るために、このセミナーは必見である。
◆受講料は、世間にあるうわべだけのセミナーの場合、2、3回でこのプログラム費用以上の金額が必要なものもあるのに、これだけの内容でこの金額は安いと思った。
◆部下にも今回の研修を受けさせたい。
◆配布された資料についても、非常に参考になるものであった。
◆最後に近づくにつれてだんだん難しく感じてきました。しかし、労働紛争を経験するうえで疑問に感じていたことが、何点か答えが見出せました。資料は今後役立つものだと思います。
◆旧来の凝り固まった考え方から、新時代に向け、発想の転換、着想のポイントなどが新たな視点で見ることができるようになったと思う。
◆「新時代・新経済環境に向け人事管理者の「素質」育成教育」セミナーは、「訓練型」であると思うので、この教育プログラムは重ねて受講するほど、スキルアップが図れると思う。

2011/04/05

第108号

津波、地震、原発により
被災された皆様に 心よりお見舞い申し上げます。

がんばれ日本 転じて、発がん大国&、このままでは東日本転落!?

<コンテンツ>
4月からの事業計画が一転した個別企業!
情報を正しく分析する基礎ポイント
アメリカが80キロ圏内から脱出した訳
「誰のために、貴方は危険にさらされるのか?」
東日本転落は、必至かもしれない。
災い転じて福となす= 豊かな経済の基盤
経済基盤を固める為の、個別企業からの動きは
自然災害で滅亡した国は太古の昔からない。


4月からの事業計画が一転した個別企業!
その最大の焦点は、東京一極集中となっていた多くの企業が、一転して今年度計画を見直し、日本国中の個別企業も見直す必要が出てきたことだ。その重要なポイントは、放射能汚染と計画停電である。事業推進にあたって、一番肝心なことを誰も言わないといった、この姿勢こそが危機的なのである。
個別企業も、場合によっては安全配慮義務を問われることになり、なによりも、「発がん大国」では、日本の豊かな経済活動の経済基盤(長期にわたる職業ノウハウ)が形作られるわけがないのである。発がんしても病気ではない…といった生命保険の保険料不払い再発をも招きたいのであろうか、ただし放射能による発がん率は若者が高い。
関東地方の放射能汚染で、経済活動への資本投下をするキーマンの多くが東京を去っている。日本の大手企業はサラリーマン出身の役員で固められ、その投資家たちは東京にもういない。残るは、将軍ばかりで、王様は残っていないのだ。
取り残された部隊、これは戦争の常識ではあるが、最後まで前面突破で戦う以外に生き残る道はなく、今や心理的にはその様相である。その現象とは、放射能に対する強気、交通・電気などのインフラ激減への諦めと納得、理由のない復興期待感などである。
そもそも、放射能汚染に対しては、正確な情報を知り、正確な人材と財産の配置がなによりも大切なのである。それは、個別企業や個々人が、自らのことを自分で決めるためである。


情報を正しく分析する基礎ポイント
そもそも情報とは、目的があって、それを達成するための事実関係であり、一貫性のあるストーリー&事実一致性の両方が必要なのである。すなわち、「生きて行くためのものが情報」である。一貫性のない事実の羅列は誤魔化しと虚偽につながる。これ以外は必要ない。これをマスコミは伝えようとしていない。マスコミなどから流れる話のほとんどは、「パニックを防ぐ」との合言葉で、正確な情報を伝えないことになっている、世論誘導だ。ちなみに筆者は、幸いなことに高校3年の物理の試験が、原爆と水爆の爆発理論であった。
1.放射能を発する物は、気体(ヨウ素など)と粒子(セシウム、プルトニウムなど)。
2.放射能を帯びた気体は、しばらくの間、塊となって空をマダラに飛んでいる。
3.粒子は風などで飛び散り、人や動物の体毛でも運ばれる。
  海では、カキ、ヒラメ、カレイの体内に蓄積、海流などで薄まることはない。
4.放射線量の計算方式(瞬間の放射線量は無意味)
   単位シーベルト/時間 × 24時間 × 経過日数 = 被ばく量
   これが、労働者の生涯被ばく量基準(がん発症急増):100mSvである。
    (11.5μSv/h × 24h ×365日 = 100.7mSv)
5.プルトニウムは、主に厄介な肺がんを発症
   0.02g(2mg)の微粒子(黄砂と同程度の大きさ)の吸引で、1ヵ月以内に死亡。
6.シーベルト…人体の被ばく程度を表す単位。
 100mSv(積算)は白血球の急激な減少や脱毛などの急性障害が生じ始める基準値。放射線は自然に存在、人体は日常から年間2.4mSvを浴びている。福島第一原発から漏れる放射能は自然量に上乗せ。
7.「国際放射線防護委員会(ICRP)」の見解:
 被ばくの健康被害は1mSv/時(1000μSv)でも起こる1mSv/hを浴びると、数年から10数年後に1万人中1人が発ガンすることは明らか。2mSv/hなら2人、10mSv/h は10人と放射線量の上昇に正比例してリスクは高まる。
8.放射線で発ガンするメカニズム:
 放射線を浴びると細胞核に1本の放射線が貫かれる。細胞の化学結合は放射線エネルギーよりもはるかに弱いから細胞は破壊。これを体が修復するときにミスが生じ発ガンする。そこで、育ち盛りの10代、胎児に危険が集中する。子供の生涯被ばく量基準は:30mSv(積算)とされている。
東京電力から、5億円の研究費をもらっている東京大学をはじめ、東京工大などの専門家が、やたらテレビに登場するのも、コッケイな物語である。少しくらいの原発反対学者を出せないほどに余裕のない事態なのか!
専門家のコメントよりも、最も恐い放射性微粒子の飛散に対して、花粉や地震と同じように飛散情報を毎日随時に報道すべきなのである。光化学スモッグでは出来て、放射性微粒子では行っていないのだ。ドイツ大使館が大阪に移転したのは、放射線分布シミュレーションに基づいていた判断だった。
http://www.spiegel.de/images/image-191816-galleryV9-nhjp.gif
情報から安全を判断するのは、住民や個別企業である。


アメリカが80キロ圏内から脱出した訳
の真髄ともなれば、全く報道もされていない。アメリカは、イラク戦争で活躍した無人偵察機を飛ばして、すぐさま放射線量を測定した。日本政府の発表する数値と、あまりにも食い違うために、まずは日本政府を問い詰めた。これは、外国の政府(日本政府の自決権)への干渉とならないように内々で行ったのだが、日本政府は無視して返答をしなかった。そこで、アメリカは、日本政府に統治能力がないとして自国の判断として50マイルとしたのだ。
アメリカをはじめ欧米政府の発想は、統治能力などである。統治能力、すなわち統治権と統治義務を有効に発揮しない人物や団体とは、双務・片務を問わず契約行為をすることがないのである。したがって、そこから先は自国の利益を考えながらの行動となり、せいぜい、チャリティーであるにすぎなくなる。その後、アメリカは、東京の大使館、名古屋領事館の家族の帰国を許可(許可とは=旅費は政府負担)、本州の在日米軍の家族の帰国も認めている。少なくとも欧米各国や欧米企業は、自らの安全配慮義務を履行しているのである。
……首都圏の安全バロメーターは、今や欧米各国の動きをみるしかない。
4月4日、米海兵隊専門部隊155人が来日、大規模放射能漏れに備え横田基地で待機に入った。


「誰のために、貴方は危険にさらされるのか?」
このテーマが極めて重要なのだ。これが解決されない限り、個人も、個別企業も、行政機関も力が入らない。ちなみに、現在の放射線量なら安全だと、国営放送?を筆頭にPRをしているが、大きな疑問は一向に解決されていない。
……放射能被害に遭うかもしれない、それを承知した人はいない。
ベストセラーとなっている、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の、『これからの「正義」の話をしよう』の中にある、暴走した路面電車を誰が止めるかという話がある。端的にいえば、暴走した電車を人の少ない方に向けるか、多人数の方に向けるか。極めつけは、陸橋の上から、「太っちょ」を暴走電車の前に落とせば止まるのであれば、本人の承諾をえてから落とすのか、それとも、「太っちょ」が気付かぬうちに、みんなで抱えて一瞬のうちに落としてしまうのかである。これが、東京電力や政府に対する、関東地域に住む人や企業の納得し得ない論理、すなわち不法行為なのだ。
頭脳明晰な東京電力や国は、その結論を急いで、不法行為は「細かい被害」と言っているのだ。
気体の形をとるヨウ素131の甲状腺:発がんは、早ければ7~8年、多くは10年前後。セシウムやプルトニウムの微粒子を吸ってしまった体内被曝は、もっと早いようだ。
……だから、発がん大国は、日本の唯一資産である、文化水準の高い人材の蓄積を直撃するのである。「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供に悪影響が出ないように、10代の子供や胎児を先頭に民族移動が始まっているのである。小中学校の転校に、親も不要だし、住民票もいらないのだ。


東日本転落は、必至かもしれない。
現行の経済対策見通しを見ていると、「東日本切り捨て」に見えてしまう。
よく見なければならないことは、地震・津波などの救援対策は、
 第1期、初動の遭難対策:救急救命、水・光・熱と食料、連絡ルートなど
 第2期、その後の支援対策:収容施設、支援物資輸送、財産保全、治安など
の二つを明確に分類しなければならない。
この初動であるべき遭難対策で、連絡ルートが確立されてないから滞りが出ている。全国からの物資が家庭単位で届けられるような連絡ルートの確立は、600キロ弱の被災地への物資輸送には欠かせない方法なのに、まるで阪神大震災(被災地は10キロほど、40キロ離れた大阪が物資供給基地で、当日から通信・通行可能)と間違えたようだ。だから、多くの支援物資が集積地に滞留し行き渡っていない。義援金は未だ蓄積されたままだ。この遭難対策こそ、自衛隊、消防の仕事であり、ボランティアの待機は当然のことだった、にも関わらず。
だから、その後の支援対策に大きな支障をきたしているのだ。所詮、官僚は役に立たなかった。


災い転じて福となす=豊かな経済の基盤
とは、将来の豊かな経済に向けて、個々人、個別企業が知恵を出してこそ、経済の基盤は整うのだ。そこには構想力がものをいう。戦略的な構想力と、戦術的作業の構想力がある。戦略的な構想力がなければ、官僚や行政機関が戦術的作業ばかりを、「復興対策やっています」と弁解出来るように資金を浪費してしまう。このままであれば、「画一的?な掛け声」だけで、バラックが立ち並び、生活保護世帯が急増するにすぎない。そこで再び津波がやって来れば、また、流されるだけだ。
就労中の被災労働者の労災保険適用、雇用調整助成金、社会保険の給付と保険料延納、失業保険の支給基準緩和、未払い賃金立替払、こういった措置は経済対策ではない。多くの立法趣旨の通り、あくまで紛議紛争回避制度であり、治安対策にすぎない。個々人や個別企業は、一斉に給付申請に走ることが、豊かな経済基盤づくりの理にかなっている。
日本政府や官僚は、この失われた20年間、経済を豊かにすることをしなかったし、今日の時点でも有効かつ中身のある具体策の募集、採用、取りまとめ等を停止したままでいるのだ。官僚や元官僚(大臣や県知事)と民間の考える発想は大違いだ。
では、戦略的な構想力と戦術的作業の構想力を例示すれば

1.東日本災害支援:義援消費税1%の1年間時限立法
 被災地を除けば、賛同者は多い。約2兆円は通貨レートに影響なし。

2.被災地の部品工場は、一挙に元請け工場の敷地に、住居ごと移転
 復旧に時間的な猶予はなく、時間がかかれば注文は来ない。特に、福島県臨海部の工業団地等は、民間企業をリードする特例緊急対策を。

3.被災地の失職者を吸収(職安)して、インフラ整備の緊急就労事業
 流通業にお願いして雇用吸収率を定め、日雇い現金払いで、連絡ルートや水・光・熱・食料→支援物資輸送事業で、ボランティアよりも現地失業者の失業対策。

4.一極集中の解消、東日本の労働力と物資の移動、「経済産業再立地安定本部」
 終戦直後の経済安定本部、高度経済成長前夜のエネルギー転換政策など、日本は経験済み。労働力大移動と物資移動ルートの再編で、効率的経済と効率的エネルギー消費に切り替え、産業構造高度化する。在宅勤務、時間外労働削減で労働生産性を引き上げる。

5.漁業・水産業・農業構造の高度化=海外輸出産業への転換
 ワカメ、帆立、フカヒレ、椎茸など、中国等への海外輸出産品に。漁船の高度化で輸出産業の育成へ。
 ノルウェーは日本に鯖を大量に輸出しているが、船員の年収は800万円、船長は1500万円、自然保護のために乱獲制限までしている。例年なら、6月からはカツオ漁が始まる。鮪、鮭、鰹、秋刀魚などの漁業が日本の貧困層の巣窟であってはならない。

6.漁業、水産業、農業、工業の高度化育成の転機
 基本は、「高付加価値製品&高水準サービス」商品を下支えする産業立地基盤である。絶対に、津波や地震に強い町づくりではない。だとすれば、漁港の近くには6階建て鉄筋コンクリート、1~2階は吹き抜け、3~4階は加工工場、5~6階を住居とし、屋上にはヘリポートを作る…といった施設となる。

7.東北地方の、最大のイノベーションのカギは労働力
 明治以来、経済構造の改革を幾度も実施できた地域である。昔のような人身売買、日本陸軍の主力部隊、出稼ぎ労働者の根拠地といったものではなく、適切な労働力の移動を目指す需給関係と産業構造。極めて厳しいかもしれないが、経済的理由もなく東北地方にしがみつくことは苦境と不幸を招く。
戦略的な構想力が抜けた融資は、この地方にあっては不良債権どころか惨禍を招来する。官僚や元官僚が考える、「増税→復興対策費→経済成長低下・消費低迷…」といった道とは大違いである。事実、この40年間は官僚の着想した「産業の育成」で、労働力の衰退を招き、離散を繰り返した。

8.緊急就労事業、失業対策事業、生活保護による下支えである。
 富国強兵にもとづく、昭和13年の国民健康保険は、東北の農山漁村の労働資源育成であった。現代日本においては、学歴と文化水準の高い労働者を必要とする。これは、外国人労働力では賄うことが出来ない。
 とりわけ生活保護での下支えは、親子4人ならば月額十数万円となる。この十数万円の基準金額から、その月ごとに入金した給与、休業手当、労災、年金、傷病手当、失業手当、未払い賃金立替払などが差し引かれ残りの額を支給される仕組みだ。生活保護の支給決定は平時でも2週間内である。分配に不公平があるという訳で義援金が滞留しているならば、この生活保護予算に寄付をすれば良い。
 東北経済は事情が違うから、こうやって元気を出して生活費を確保しよう。

9.前項の事業を職安に既設のワンストップ・サービスで促進。
製造、漁業、水産、農業その他の当面の仕事の全国広域紹介と雇用促進住居でもって、日本全体の生産力と労働力を、「前向き維持」すれば良いのだ。


経済基盤を固める為の、個別企業からの動きは
貴方が活躍する会社からも始めることが出来る。大量の資本投下が見込まれない日本経済であれば、こういった処から経済発展の可能性を追及して、個別企業の事業展開が存在しうることを肝に銘じるしかない。被災地で、これから育成されるべき産業は、全国との関連が強い。
東日本の地震と津波、原発崩壊は、個別企業のビジネスチャンスである。
あなたも、上記のような事柄を考えてみて構想力を養い、以って東北被災地と呼応した、個別企業の事業計画の修正アイデアを発見することから開始だ。もちろん、ビジネスは火事場泥棒ではない。ここでの構想力が沸いてこないのであれば、経営や経営管理の職業は捨てた方が良い、貴方が何かの錯覚に陥っているかもしれないから。
明るく、意思が強く、他人を説得して職業を全うする気力があれば、現代社会で幸せになることが出来る。これは、経済学的にも裏づけされた理論である。それは、現行の家族関係や会社単位の人間関係を転換させるかもしれないが、
反対に無気力に陥ってしまった人が、人間として相手にされない時代が来ることも、経済学的・歴史学的にも間違がいない。
明るく意思が強ければ、「新しい人間関係のつながり」を形成することにもなるだろうけれど……。
(たとえば資源活用サイト)
http://www.soumubu.jp/reuse/index.html


自然災害で滅亡した国は太古の昔からない。
その国の制度が疲弊しきって、そこに、地震や津波などの自然災害をきっかけに、その国の滅亡過程に終止符が打たれるというのが真実だ。それは人類の歴史で数千年前から言い伝えられている。津波については、そういった記述はなさそうだ。
それは今回の津波被害も阪神大震災の沿岸部の被災でも、経済学の見地からすれば、そもそも人間が手におえない自然に無理矢理に挑戦、経済的失敗をした結果にすぎない。
このうち、原発は法律学では明らかに天災とは認められず、不法行為となるから損害賠償責任が生じる。
その意味でも、人間が制御出来ない原子力に利権が密集、その結果が示すように、
福島原発の放射能遮断、これは素人の発想と対処だ。土質工学・土木・建築の技術者が協力できないのは、東電の排他・隠蔽・独善姿勢の大原因は明らかだ。
空には、水蒸気シュッポシュッポと風で飛び散る放射性物質が飛散、
海に(防ぐ技術がありながら)放射性物質汚染水をドッと、東電は独断排出。
ここ数日の、汚染水排出と粒子飛散は、日本経済の「高付加価値製品&高水準サービス」イメージに、致命的打撃をあたえる。
___災い転じて福となす。 それとも  国敗れて山河あり。___
個別企業のビジネスチャンスが、この災いだからこそ大胆奇抜な事業が出来るのだと考えれば、そこに生まれている。だが、「なぜ日本は没落するのか」(経済学者の故森嶋通夫)が1999年に指摘した「無気力」の暗雲がたちこめ、官僚依存と幼稚な政治感覚で日本を駄目にするかもしれないのだ。この国の制度の疲弊を嘆いたとして、その立て直しを官僚に頼んだとすれば、またもや第二次世界大戦の二の舞である。

2011/03/08

第107号

<コンテンツ>
日本経済:救世主?との、話題のソーシャル・ビジネスとは
経済学で言えば、「イノベーション」がソーシャル・ビジネス
今や、日本にマネー投下をする者がいない現実
個別企業でのイノベーションができれば、経済発展
資本投下? 潜在在庫、根底の経済システムの見直しは
総務・人事部門で活躍している貴方は、
日本人の驚くべき、就業実態総合調査結果
この調査と併せて、この十数年の経済社会環境変化は、
この春の厚生労働行政の現状は
総務・人事の何が、目前の仕事課題と見えるのか?


日本経済:救世主?との、話題のソーシャル・ビジネスとは
本来、社会システム(制度)を劇的に変化させるような貢献をするビジネスを指す。少なくとも世界基準ではそうだ。
だが日本政府やマスコミでは、何かの社会福祉や社会問題を解決する奉仕的な小規模事業といったイメージ。介護・医療産業が成長すると政府がPRし、高齢者や女性の労働参加率の上昇が…と日銀総裁が発言することもあって、ソーシャルを「社会政策」と誤解する人が多い。
そもそも、社会政策の目的や傾向には二つの側面がある。
(1)個人の自由平等を追求するための社会共同体を形成する過程での立場の弱い者の保護
(2)人間の集団生活の中で弱者となった者への慈悲
である。
したがって、
前者は初めに権利の主張があり、後に社会ルール(義務)となり、
後者は名誉欲や体制維持と+少しばかりの愛に基づくとされている。
要するに、ソーシャル・ビジネスは社会政策とは無縁の理念であることが本質なのだ。そして社会権やその行使とは無縁であるほどに、実は、目指すビジネス規模は大きいのである。
そういった世界基準の本質からすると、
日本における明治維新とその後の産業革命はソーシャル・ビジネスそのものだったと言える。戦後の米ソ対立に因るアメリカの対日投資~高度経済成長~全国各地への工場建設と金融支援なども、その意味ではソーシャル・ビジネスなのだ。
環境・自然エネルギー産業、地産地消や産業分散化もソーシャル・ビジネスだ。
ところが、
現在の日本で論じられる「ソーシャル・ビジネス」説は、
今の経済社会から、これから引退する勢力と、
今から代替わりし経済社会に、これから進出する勢力間での力くらべ
を反映した「マスコミや行政機関の政治的思惑」に、どっぷり漬かった代物(論説)なのだ。だから、社会政策や社会権の一部かのような印象を一般人に持たせようといった思惑を持っている。
そう、こんなことを述べるジャーナリストもマスコミから排斥している。


経済学で言えば、「イノベーション」がソーシャル・ビジネス
である。それは、言葉の表現方法が異なるだけであり、およその概念は同一である。イノベーションとは、経済学者シューペンターが重厚長大産業を題材に発見した経済理論である。日本では、「技術革新」などとの不正確な用語に翻訳したものだから、半世紀に渡って誤解されているが、要するに「刷新」である。
=新商品開発の新商品の定義=
(1)新しい財貨、新しい物の発見
(2)新しい生産方式の導入
(3)新しい市場の開拓
(4)新しい原材料、新しい半製品の発見
(5)社内から社会に渡る、新しい事業組織の開発
と同様の事柄なのだ。
個別企業のイノベーション発展=新商品開発である。
このイノベーションが、ICT産業革命によって、重厚長大の大規模事業から中堅中企業や小零細企業・個人事業へと、イノベーションの受け皿が移行しつつあるのだ。
だから、大規模企業では情報の集積集中型管理によってイノベーションを取り仕切るから、多面的イノベーションの萌芽を踏みつけている事態も生まれているのだ。多くの高学歴研究者が、これにより浮かばれない境遇にもなっている。
そこで、個別企業は、
より影響力を持つ事業は「外部」にある資源やノウハウへの依存が進み、
影響力のある事業を進めるためには、
「開かれた企業、社会的責任を持つ企業への転換」
が必要となってくるのである。
だから、大手マスコミや評論家の類が持ち出すところの、社会的世論や時代の変化などとの社会的責任論などの根拠は的外れなのだ。
ここが、貴方が活躍する個別企業の経営管理やビジネスチャンスにつながるインテリジェンスのポイントなのである。


今や、日本にマネー投下をする者がいない現実
この十数年間の金融資本投下では、経済が成長したかもしれないが、経済の豊かさは落ちた。
成長を阻害していた規制制度と、
豊かさのためにブレーキを掛けていた社会規制が、
新自由主義(アダム・スミスの自由主義とは無縁)の名のもとに、乱暴に規制緩和されたのが日本の姿である。「規制が外れて日本国が空っぽ」になってしまったものだから、誰もマネーを投下するわけがない。この10年余も、戦時中と同じく、日本国民は大して異を唱えなかった。
法人税減税や外資誘致活動を
今更、昔の夢をもう一度とばかりに進めてみたところで、日本にマネーを投下する利便性など生まれて来るはずもない。
むしろ、使い勝手の良い日本労働者が
ある程度存在(受験と選別に慣れ親しんだサラリーマン化)するのだから、これに英語でもしゃべらせて発展途上国での多国籍企業展開で働かせた方が、効率が良い!という結論になっているのだ。国際社会の美名のもとに、出稼ぎのための英語教育、現地労働に欠かせない記憶力鍛錬の義務教育なんかは、旧来との政策変化が見られない。
アメリカはマネーが無いから
TPPをやろうという訳だ。オイル・マネーは日本に投資する意義など考えていないこともハッキリした。中国は幻想マネーであり、彼らと深く関係すれば日本企業は不良債権をつかまされる。そして、身近なはずの日本政府は、NHKテレビ日曜討論2月20日の放送で亀井議員が指摘した通り「今、財務省は財政危機と考えていない」と、金はあるのだが、経済対策にマネーを使う気は無い。だから経済産業省も仕方なく、「文化産業新興政策」などと言い始めている。
したがって、日本にマネーを投下する人や勢力がいないから、日本国内に事業基盤を置く限り、マネー投資による個別企業の経済成長はあり得ないのだ。


個別企業でのイノベーションができれば、経済発展
(豊かさ&成長)することが出来る。やはりそこには、経済学や経営学の人類の叡智に解決のヒントがある。
ただ冷静に見なければならない残念な事実もある。
それは、日本国内には産業資本のもとで産業を育成する能力を持つ管理職が、新自由主義とともに十数年前から冷や飯を食わされ、あげく定年などで第一線から退いていることだ。金融資本のもとでの模範的な経営者や管理職は、今意気消沈、もとより産業育成など出来る人材ではない。某電気メーカーでは、50歳過ぎの早期退職制度によって、中国に技術者がスカウトされている。本当に技術者の人たちは人が良いから、中国企業にだまされ、捨てられてもいるのだが…。


資本投下? 潜在在庫、根底の経済システムの見直しは
「100年に1度の経済危機」とか「450年ぶりの金融振幅危機」というほどには、物事がドラスティックには考えられていない。
だいたい、
過去にとらわれ、過去の経済システムでしか考えないからこそ、考えるほどに明日から将来にわたって気力は落ち込み、心も精神力も慣れて行く。これは自然の成り行きである。が、歴史や経済学(100ある経済学説のうち、巷で流れるのは3~4程なので)を紐とけば、次に何をすれば良いかが予見出来るのである。

…予見ステップ1
商品や物が取り引きされる市場が劇的に変化したので、旧来のような資本投下方法では生産された商品在庫が消化されない。ゆえに経済成長が見込めず、無理に成長を追い求めて金融・信用手段で経済を水ぶくれさせたものだから、これが破裂:リーマンショック前夜となったのである。

…予見ステップ2
ところで、(商品)在庫とは、日本人唯一のノーベル経済学賞受賞候補となったロンドン大学:森嶋通夫教授によれば、「貨幣や証券の形をとり、在庫の代替物として、企業の流動性選択活動に登場する」としている。
だとすると、個別企業が帳簿に載せない在庫(中小企業主が励む蓄財形態)だとか、個人が所有する在庫も、現在のところは如何なる市場でも商品としては流れていない。
また、貨幣や証券の形をとらない在庫として個人の職業能力はどうなっているのか?
すなわち、ここでも頭の中の能力在庫が多く蓄積されていれば多額貨幣の形をとる。だが、頭の中の在庫は労働市場に流れにくく、金融市場には流れてはいない。
今日まで経済学上は、簿外在庫、個人在庫、頭の中の在庫は、(商品)在庫とみなされなかったから、いわゆる潜在在庫である。

…予見ステップ3
こういった潜在在庫は、今まで何故?市場に登場しなかったのか。
それは今日までの資本投下システムでは、生産と消費の橋渡し役にセールスマンやトレーダー、マネージャーやブローカー、代理店や流通業者が主役となる事業展開の組織構造であったから、そこには潜在在庫を橋渡しさせる組織的目的はなかったし、潜在在庫を橋渡しさせれば、「取引コスト」が莫大にかかりすぎたからである。

…予見ステップ4
ある人は、この「取引コスト」をこう説明する
「例えばスーパーに行って食品を買うときにかかる費用には、その食品の値段だけでなく、買い物リストを創り、お店まで往復し、カートを運んで品物を選び、レジに並び、家に帰って買った物をしまうのに使うエネルギーと時間と労力が含まれる。だからトータルなコストはレシートにある値段よりも高くつく」(『シェア〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略』NHK出版、164ページから引用)。
こういった考え方は、近年のビジネス教育の中では教えられなかった。未開の地や未開の地方に産業資本投下をして、商品を供給し、生産価格なるものを回収し、次の産業資本投下を行うことを前提としていたからだ。
だが、日本の室町時代から江戸時代の国内経済には、これ以外のものもあった。
例えば「買い手よし、売り手よし、世間よし」といった類であり、木綿反物、呉服、蚊帳、鰊、昆布、酒、麹などの商品流通が支えられていた。「手形やクレジットよりも現金で払うから値引きしてくれ」といった発想は、この時代のものだ。

…予見ステップ5
市場の劇的変化と、
表向き在庫(貨幣・証券の形となる)
及び潜在在庫(簿外在庫&個人所有在庫)
の消費をめぐって、ICT産業革命が進行しているとの視点から、これからの個別企業の経済発展を模索して行くことができるのだ。

…予見ステップ6
なおそれでも、十分に流通していないのが、在庫としての職業能力である。
これを個別企業の潜在在庫に蓄積(正確にいえば企業と個人で分散蓄積)へと形成することが人事労務政策の柱となるのである。この「能力在庫」は、今や「職業能力の個人属性」もノウハウ蓄積の学問的研究も進み、ICT産業革命により流通し始めている。
困ったことに、現行の雇用調整助成金や職業訓練は、それとは逆行している。意味を見出せないから、不正や授業サボりは増加の一途だ。
=職業能力向上(頭の中の在庫)への投資と職業能力の流通=
でもって、ICT産業革命の受け皿となっている分野への、
1.あらゆるイノベーション能力と
2.イノベーションを管理コントロールする人材(ここは特筆を要す)
を投入する具体的行動が重要なのだ。個別企業内や知り合いの間で行うだけでも効果がある。

…予見ステップ7
この一連のステップが、個別企業で進めば経済は発展する、大枠の方向性である。
貴方が、
衰退する産業や業種とか、イノベーションをせずして廃業に軟着陸する個別企業と、残り7~8年を付き合うのであれば、予見しない方がましである。
将来、爪に火をともすような生活がしたいのであれば、(仕事と生命の)節約と財産整理に走るのが良い。
いずれにしても、大枠の方向性を間違えば、すぐに悲劇がやって来るしかない。


総務・人事部門で活躍している貴方は、
上記の解説で、もしや腐っていたかも知れないけれど、この経済社会激変の時点にあって、ひとつの希望の兆しを見ることができただろうか。
「ハット気づくだけ!」で、気づいただけで、あなたの道は開ける。
経済は、「根拠のないやる気」では回復しない。ましてJapanな精神力は論外である。
丸山眞男という哲学者は、人物の行動の基盤にある物の見方・考え方について、「事実によって事実を批判することは出来ない」とし、事実を批判出来るのは理念(根拠のある主観)であるとの人文科学の研究成果を残している。すなわち、貴方自身が、(あえて主観的に)個別企業における新経済システムのビジネスモデル理念を思索(思い)し、提示(行ない)することが重要だということになる。(これは、マーフィーの法則より時代の早い研究だ)。
戦略路線は、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供
となるのだろうけれど、貴方自身が行う、この思索・提示こそが、個別企業や貴方自身の経済発展(豊かさ&成長)の原動力を保障するものだ。


日本人の驚くべき、就業実態総合調査結果
が発表された。労働者の意欲低下には意気消沈しそうだ!
http://www.jil.go.jp/press/documents/20101228.pdf
http://www.jil.go.jp/press/documents/20101228_siryo.pdf
この調査は厚生労働省のシンクタンクが昨年12月に第1回目として実施した。
マスコミや評論家の観測と大きく異なると思われる特徴点は次の通りである。
1.雇用者の平均勤続年数は11.3年、正社員でも14.5年だ
2.この2~3年、仕事の出来る人と出来ない人の差が目立ってきた
3.リーマンショック後、トップダウンで決まることが多くなった
4.だが半面、お互いに助けようという雰囲気が強くなり
5.仕事をめぐる職場内のトラブルは増えてはいない
6.会社との運命共同体意識は一段と減少傾向した
7.同じ仕事が正社員から契約社員に切り替わって行く
8.労組に雇用不安や賃金向上を期待するが、自分ではイヤ
9.若いうちの生きがいは、余暇・趣味、中年では家庭となる
だから、現在の就業者に、
日本経済発展の何だけが期待出来るかが、自ずと明らかになってきたという訳だ。
「格段に年収が高く、人の倍ほど働いている環境」になってから、
やっと「仕事が生きがい」との回答となる。高い年収を目指さないのである。まさに自律・自活出来ない就労者人口の増加である。この20年ほどで育ったこの者たちのツケは、もう解消出来ないかもしれない。


この調査と併せて、この十数年の経済社会環境変化は、
日本の経済発展障害要因であった古い因習や経済根拠のない「しきたり」を破壊もした。
同時に、基本的人間的なつながりも破壊した。
だとすると、この調査結果と考え合わせると、集団でも個人でも、次のことが言える。
1.「生活のための就労時間帯」と、「生きがいのための余暇や家庭といった時間帯」を設定した就業理念では、必ず日本は崩壊する。「自分の自由な時間が欲しいといって、自由時間が出来た者がいた例はない」。
2.また、若者の就労時間帯を、「生活部分」と「生きがい部分」の二つの時間帯に区分するといった、複線時間帯型就労理念だとしても、経済社会を維持するメドはなかなか難しい。
3.たぶん、「職業能力向上への投資と職業能力の流通」の中に、「生活と生きがいが一致する就業理念」が見いだされると思われる。
しかしながら、
それをどう経済社会の中で実現するのかが問題である。昨年の経団連調査でも、ワークライフバランスの阻害要因に、「ひとりひとりの働き方に対する意識の不足」をトップにあげているのだ。
「短時間で価値を生み出す自由人的労働」といった形態も考えられるが、今の日本の教育水準では、ほとんどの労働者に、そこまでの意識が備わっていないのが現実だ。


この春の厚生労働行政の現状は
マスコミ記者たちが取材しないから一般には報道されないのだから、実際には官僚たちのやりたい放題になっているのだ。官僚たちに豊富なアイデアを集める意思がないのは、政権交代前よりもひどくなった。それは、今話題となっている、国民年金の専業主婦扱いでの救済措置を厚生労働省が勝手にやっていた程度のものではない。
その現われとして、小宮山厚生労働副大臣は、今年1月12日の日本労働ペンクラブの総会で、(うっかりと)「政府としても政労使の戦略対話を通じて力を入れて取り組んで行きたい」とあいさつをしてしまった。
ここでいう政労使の「政」とは事実上官僚のことである。確かに、厚生労働省の官僚たちは大臣らの言うことを聞かない、それは前厚生労働大臣退任の例にもある。
「労」とは連合のことであり、幅広く労働界の叡智を集めようなどとの話ではない。
「使」とは経団連のことで、ここでも産業界の叡智を集めるわけでもない。
すなわち、政府は、この三者の調整をやっているに過ぎないのだ。今回の基礎年金第3号被保険者の事件も、もちろん自然な成り行きだ。…誰がリークした?
ここまで酷い状態のなかで、現厚生労働大臣は、求職者支援制度の法制化に、今、熱を入れている。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000011fns.html
ところが、この着想がどこから出てきたのか、生活保護への転落直通阻止策なのか?趣旨は未だ不明だ。
ちなみに、生活保護とは
憲法上の制度で、都市部では単身者月額15万円余の基準額。最賃フルタイム就業を上回る額だ。また、失業中の者よりも、基準額に満たない賃金収入でしかない者の生活を補てんする保護が、実は中心施策であるとのこと。子供3人の母子家庭であるならば、都市部の生活基準額は30万円余、基準額に不足前の額を補てんして生活保護する。極悪不正な事件を起こす者、生活保護に滞留する者も少なくない。
それでも、騒ぎにさえならなければ良いとの官僚たち特有の思考なのか。
あるいは、ハローワークの職員増強を必要とするので、その官僚機構の増殖目的なのか?
前回のメルマガで、就職のための職業訓練=「基金訓練」が官僚たちの予算消化の道具に使われ、公表される失業率低下の偽装手段とされ、就職にはほとんど役立たない訓練内容になっていることは述べた通りである。マスコミが「基金訓練」の受講サボりを取り上げているが、こんなことは官僚が野放しにしてきたからにすぎない。
労働者派遣法改正は国会上程のメドもなくなり、どこに行ったのか…激変緩和策を講ずれば、この方が救済対策となる。
大手企業に蔓延している長時間労働に手を打てば、ここでも救済対策となる。
しかし、本質は産業の後退、事業の後退で仕事がなくなっているところにある。何とか社会政策で対処しようと思っているところに間違いがあるのだ。
さて、この数日のスキャンダルが報道される裏には、何があるのか?


総務・人事の何が、目前の仕事課題と見えるのか?
個別企業の新時代ビジネスモデル、(表現を変えれば、日本の経済環境での生き残り)とは、
A.新時代に向けての、企業の機能目的と、
B.組織に所属する個人の名誉や模範性のまつわる目的、
この二つの目的が、職場で衝突することになるから、これの整合性を個別企業での組織運営の中で、いかに図るのかが課題となる。企業の機能目的を、頑固に押し付ければ、若者に敬遠され、若者がいなくなれば事業は縮小となる。
この「衝突の解決道筋」
が経営管理や人事管理の柱であり、トラブルとなれば社会の紛争解決制度(あっせん、訴訟など)をいかに駆使して早期解決するかが重要となるのである。
すなわち、
いくら企業の機能目的(A)を訴えたとしても、今日までの訓練がなされていない労働者にとっては、経営者の話よりも自らの名誉(B)が重要であり、
旧経済システムの元で模範(B)となって活躍した人の人格否定にまつわる話なので、一段と抵抗が激しいのである。
加えて、彼・彼女らは名誉や模範性によって賃金を確保していると錯覚しているのだ。本気で、労働力発揮の対償(労基法)と考えているならば、もめることは無い。
(ただし、賃金体系と賃金額は、労働再生産費用&地位&名誉で決まるのが現実)。
そこで貴方が、
社内外の抵抗を避けて経営管理をしようとすれば、
人件費と業務経費が増加(労働者の不満を金銭で代替・解消するから)の一途をたどる。また単純に、精神力だけで企業の機能目的を押しつけていけば失敗する。
優しく説明するとか、先送りして時間を掛けて行くことも失敗のリスクを激増させる。
経済激変や産業革命の時期における経営管理の基本は、
企業の機能目的に合わせた経営理念
→ 業務秩序・職場秩序理念
→ 業務運営理念(労働契約や経営方針など)
を確立することである。
その理念のもとに、基準や規則の全般的整備を進め
→ 基準や規則(就業規則など)を根拠に職場における善悪の判断(個人判断や常識に非ず)をさせ
そのもとに、客観的な合理的な事由でもって物事の決済を図ることである。
実際には、
紆余曲折、補正修正を繰り返しながら進むわけであるが
とりわけ貴方が、こういった展望と計画性(原則)を持っていればこそ、個別企業は持ちこたえることが出来るのだ。
「物事は原則があるから柔軟に対応出来る。
 原則がなければ存在手段は硬直しかない!」
たとえ、その尽力をした上にも事業が倒産・崩壊したとしても、
その貴方の姿勢は次のチャンスを呼び込み、新たな人物の出会いも生まれるのだ。