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2019/08/06

第208号:激動とは=踏み外せば転落とのこと!

<コンテンツ>
7月21日の参院選結果は、歴史上の経済ターニングポイント
益々“口先だけの実行伴わない政策”は頓挫
 ①世界経済に国民経済の根幹が左右されることのない、有効な地域経済が主流となりつつある。
 ②首相官邸側の経済政策は妄想のITデジタルシステム
 ③しかし“文化とは不合理なもの
 ④全体主義者の傘下で軍事産業を営むとか生活配給物資を納入するとかいった事業は
 ⑤没落中間層が急速に増え、大阪では一大政治勢力にもなっている。

【3つの労働分野=労働分野 Art域 スキル技能 パフォーマンス職人技】
VR(Virtual Reality)バーチャル・リアリティ=その職業教育に役立つこと
 ・身近に可能なVRによる職業教育を検討する
 ・“VR技術の入り口”は神経科学・脳科学・心理学の発展
 ・たとえそれを技術的側面にのみ限って歴史を振り返ったとしても
  *1.スキル(技能)に該当するVR教育
  *2.パフォーマンス(職人技)の次元を高めるVRソフト
  *3.VRで有機物人間ロボット化が早い?産業のロボット
    ★人間有機物ロボット___
    ★加えてそこでのストレス解消メカニズムも整う
    ☆ちなみにVRでは叶わない“幸せ”とは…他
  *4.Art域の労働全般能力はVRで飛躍する
Art域労働の要件要素は「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念


§7月21日の参院選結果は、歴史上の経済ターニングポイント
世界的な経済変化はさておき、
参院選後も金地金は値上がりを続け、1ヵ月弱で20%高、最高値は1g当り5,437円だ。株価暴落は、買い支え不能だけのことである。G20の直前で米中経済対立は一旦休憩が、注目は直ちに米朝会談に移った。
◆5Gのファーウェイ・テクノロジーズ(華為)
をめぐる動きも一気に沈静化。ところが、米中貿易戦争の再開へ。これが香港のゼネストと米中貿易戦争は表裏一体となっている。
◆日米経済交渉の内容発表は8月中に行われる。
表向きは軍事製品、自動車、農産物が中心項目だが、ITネット産業も事実上の軍事産業にカウントされると見てよい。
◆そこに日韓の半導体部品の事件化である。
韓国の半導体部品市場に米国が一気に乗り出すための画策をアメリカ発で行っているとの情報がある。それは北朝鮮の資源争奪戦に発展し、これを日か米か、何れが射止めるかの、一帯一路の中央アジア経済網から、日本が“はみご”にされかねない動きに持ち込まれている。
★A.こういった予兆の中での選挙イベントは、
日本の浮き沈みを決めるものであった。結果は、野党+αが政党の存続を賭けての戦いに、“9条改憲勢力”が敗北した。すなわち3分の2に至らない3年間となったわけだ。
これで軍事産業と国家予算増大への「軍産企業ぬか歓びの期待」は無期延期にはなった。ついでの話だが、純粋な防衛課題としても、日本が大量購入しようとする最新F35ジェット戦闘機は、ロシア製のS400遊撃ミサイル(ウクライナが配備)には撃墜は一溜まりもないそうだ。
★B.対米日本の対外経済政策も軌道修正せざるを得ないわけだ。あくまでも首相官邸側の参院選での投票率投票数の誘導策は効果を示したけれど、“9条改憲勢力敗北”の結果は、省庁政策や地方経済までをも、首相官邸政策が誘導することはできないことになった。たぶん筆者個人の観測だが、アメリカ仕込みの選挙作戦方式は、首相官邸側の大敗北を免れた程度だけだ、=だから「勝った」と言っている。
★C.結局は経済と豊かさを確保しなければ、個人も国も、経営や運営が“見栄張り”に,“強がり”み、“内弁慶”では、利ザヤ稼ぎの輩からは、足元を見られるだけだ。


§益々“口先だけの実行伴わない政策”は頓挫
これからは“口先だけの実行伴わない政策”は益々頓挫し、首相官邸側からすれば経済混乱=全体主義者の経済政策の頓挫となる。
権利や利害を守ろうとする頑強な保守層や社会層の抵抗に全体主義者は弱い。現実的物事や世論の反対にあうと、官僚業務の技術的基準が、全体主義者の政治的基準と衝突することとなるからだ。
☆1.これが、中堅中小企業にとってはビジネスチャンス、地域経済の再生の手立てにつながる訳である。配給物資はいざ知らず、地域経済から外へ持ち出されるから商品となる。
☆2.円安→原因その他の輸入品価格値上がり、これに対抗する地域経済は中小企業が担っている。
☆3.一極集中の物流管理の無駄・ロス・利権かすめ取りといった、市場一極集中原理の矛盾による商品価格値上りと対抗物流。大手企業の資金需要を満たしても矛盾は解決しない。
☆4.軍事産業と国家予算増大への「ぬか喜びの期待」、“9条改憲勢力の敗北”で3年間は軍事産業予算の増加は3年間遠のく、3年は事業経営には痛い長さだ。
☆5.次のごとくの「日本文化・国土リゾート・福祉の極東国」は経済再生の一例だ。
http://www.soumubu.jp/alliance/index2.html


世界経済に国民経済の根幹が左右されることのない、有効な地域経済が主流となりつつある。
筆者も世界先進国の実例を調査研究している。中でも、国際経済に対抗する国内資本による原油や原油価格に翻弄されないエネルギー確保。輸入農産物や抱き合わせの有害農薬の輸入品縮小。公共施設や公共機関の民営化と利用料金値上げ阻止といった具合である。


首相官邸側の経済政策は妄想のITデジタルシステム
によって成り立つといった無知で組み立てられている。
行政コストのデジタル化による削減といっても、
★よく見てみれば外注予算でもって公務員の人件費を減らしたかのように見せても、実のところは膨大な設備投資と外注維持費を抱えているのである。
★マイナンバーカードの保有者は2019年4月で1657万人、国民の13%でしかない。マイナンバー制度に期待された相続に関する戸籍謄本の入手が便利になると言っていたが、実際にはとんでもない煩雑さで、2015年までに死亡した親族はマイナンバーの扱いがない、そればかりか相続人の子の人数を確定するには、明治時代の(例えば父母の)原戸籍(〇番屋敷と記載されたもの)まで遡ることとなり、その写しは数部十数ページにわたる物まである。また、政府のデジタル化法といっても、
★“実印の制度”は残すこととなり、その実印の使用は近頃拡大傾向にある。実印を押し印鑑証明を添付するという制度方式は、契約行為の事実関係を正確綿密に立証させない民事裁判制度の後進性と相まって、詐欺事件や不当取引などの温床となっている前近代的な経済システムだ。デジタル制度に反対した印鑑製造業者の産業保護?とは口実で、前近代的な金融事業とか不良債権はたまた“スルガ銀行のような不正融資”の道具となっている。
もとより、AI人工知能とは、
★「我々コンピューター科学者がずっと昔に研究資金を手に入れるために考え出した作り話だ」と、研究当事者のJaron Lanier(『人間はガジェットではない』の著者)は語っている。続けて「実利目的の作り話はAI物語として試作者の手を離れている」そして、「AIには何が成功かを測る客観的基準がないのだから。どのプログラムを人工知能と呼ぶのかを一体誰が決めるのか?」とのことだ。
さらにアルゴリズムはカオス理論に基づく“想定枠外に踏み込むための方式にもかかわらず、
★単なるBig Dataの計算方式なのにアルゴリズムと装う者まで出てきた。
★首相官邸側のITデジタルシステムとは、“完璧な合理的出来事を前提として、文明Civilizationの進展を取り入れない”といった代物だから、作っても作っても不都合(官僚業務の技術的基準との矛盾)が生じてくるから、目まぐるしくプログラムを根本から作り直さなければならないのである。それは全体主義者(低技術水準)を手玉に取るIT企業にとっては至極甘い蜜に他ならない。
★さらに、SNSといった産業はGoogle Mapを始めGAFAは軍事産業化してしまっており、その中心はいずれもアメリカ国防省筋である。とは言っても、著者はたくさんGoogleにFBとか使っているが。

しかし“文化とは不合理なもの
その不合理は自ら招いているもの”なのである。自由市場(資本主義)経済の商品とは、この文化の上に成り立っている産物(方式)であって、人民公社や配給ではない。個別企業の経営者は、その地域やその時代の文化を見極め、文明Civilizationを取り入れ進展に頼ってこそ事業に成功してきたのが歴史なのである。確かに、“自ら招いた不合理な文化”を基盤にした商品であるから、所詮は不完全な方法で解決するための商品を創造するのであるが、それは文明Civilizationを取り入れ進展した文化水準に支持されなければ、新商品として普及することは考えられないのだ。極めて科学的技術的で合理的な商品といったことだけでは売れる訳がない。いわゆるイノベーションで成功する経営者は、商品だけでなく文明Civilizationに裏打ちされた先駆的先進的仕事の仕方を導入している。

全体主義者の傘下で軍事産業を営むとか生活配給物資を納入するとかいった事業は
先に述べたような文明Civilizationを取り入れ進展した文化水準に支持されてもいないから、自由市場(資本主義)経済では存在する意味すらない。だから当然の結末として、経済の仕組みや様々な商品は、固有価値を失い、自由や希望に資する価値も失い、人々の意欲を失わせる結果を招くのである。いくら年金・医療その他物資といった、“厚生事業”を充実させるとする夢物語を語ったとしても、日本の年金制度のように白昼夢でしかないのである。希望を失えば意欲は減退、様々な意味で貧困となれば様々な犯罪や秩序の裏をかく行為が横行する。全体主義者は、なんとかこれをコントロールしようと、現代ならばICT機器やスマホを使って誘導しようとする(戦争中なら覚醒剤)。けれど、全体主義者自らの秩序というものの裏側末端での無秩序とか健全な道徳や身体の例え話に対する堕落が目立つから、所詮無理があるのである。もちろん、軍事産業を営むとか生活配給物資を納入するといった事業者個人の能力とは、国が集めた税金とか集められた投資資金を、ただ単に円滑に消化する職業能力しか持ち合わせがない。ちなみに大阪中心部の“谷町界隈”は、明治時代に大阪城の陸軍に隣接していたため、軍服関係の衣類繊維産業の地であったけれど、終戦とともにそういった職業能力の経営者は一気に姿を消し産業の中心も船場へと移り、いまはマンションが林立する住宅街だ。

没落中間層が急速に増え、大阪では一大政治勢力にもなっている。
日本の没落中間層の特徴は、例えばアメリカと比べれば保守的秩序といったものは全くない。したがって、ほぼ完璧にICT機器やスマホを使って誘導されている。ことに大阪市内は一極集中の政策によって「大阪市内」は周辺衛星都市と比べ経済陥没した。そこに登場した政治勢力は新風でも政治結社でも何でもない、利権集団の過激派で構成されているに過ぎない。
表向きの政策の裏に“身内の幹部やスポンサーの利権”が一体となって付きまとっている。この過激利権集団の道具が、“議会制度であり民主主義であり地方自治制度”なのである。筆者も何年も前に保守系からの依頼があって、経済政策立案に協力したけれど、結局彼らは“身内の幹部やスポンサーの利権”といった本性を現したのだ。そのときに協力した保守系の人たちは、完全に元の鞘(保守)に収まっている。「清廉潔白・品行方正な保守」の色彩が一段と強くなった。
それに対して、この過激利権集団は、
「“スキあらば抜け駆けする、寝れば寝首を掻く”」
といった人物の集まりである。支持者とか運動員のターゲットを「没落中間層&自律心が弱く依存症が強い者」に絞っている。生活自体から焦りが見られるからICT機器やスマホを使っての誘導に乗せられやすい。彼らの話題はもっぱら経済政策に関係して、実際に筆者は聞かされた内容は、他人の批判や文句ばかり&意気込みと称して日露戦争の軍事作戦の解説まで聞かされた。

【3つの労働分野=労働分野 Art域 スキル技能 パフォーマンス職人技】
幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
アートArt域(技術) スキル(技能) パフォーマンス(職人技)
想像・創造する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
&労使関係制度
特許権、著作権、版権、
「発明・時系列変化・組合せ」
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係での希望)
生命維持性
(意欲・感動)
虚偽意識内の希少性
(意欲・希少性や複雑な感動)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用価値
企画の法則性に限る
発明・曲芸の領域の希少性
審美追求主義の優位希少性
ビッグデータでの情報希少性
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元X・Y
もしくは3次元X・Y・Z
3次元X・Y・Z
もしくは4次元X・Y・Z+time
アート
有形無形の完成品
スキル
企画による組織労働
パフォーマンス
単独で労働される


§VR(Virtual Reality)バーチャル・リアリティ=その職業教育に役立つこと
VRの技術は1962年に開発されたとされている。
それはオリジナルな現物・実物ではないが、機能としての本質は同じであるような環境を、五感を含む諸感覚に対して、理工学的に刺激することにより造りだす、技術およびその体系であった。当初は軍事関係のパイロットや降下部隊その他の訓練に使われた。それが神経科学・脳科学・心理学を含めた研究の進展と開発で、「没入感」ととともに強い心理効果で脳細胞部分に知識と記憶を刻みこむに成功したのである。そのことで脳卒中の後遺症とか義手義足のリハビリ、PTSD患者とか鎮痛剤の代用品といった医療関係などにも応用され始めている。VRと(有機的無機的を問わず)ロボットとの結合も実証実験が進んでいる。

身近に可能なVRによる職業教育を検討する
「AI人工知能に大半の仕事や職業が取られる」といった幻想よりもVR教育の方が、直近の身近で現実だからだ。
とりあえず、身近に出回っている機器により、可能な分野、VRの限界その他について具体的に提示する、ここでは論理構成に集中してしまうと、VRのような新技術を使っての着想は、「スキルやパフォーマンスといった労働力」に固執している人にとっては難解だからだ。

さて、少しだけ前置きの説明をすれば、
ギリシャ時代のArtとは“まるで鏡のような実物の写実”といった概念であった。それはルネサンスまで続く。その後は少しずつ変化はするものの、写実から離れる傾向はあった。突然に「写真photo」の発明でArtの概念は大激変する。また例えば、絵と音楽と詩が重なりあえば小説から歌劇が登場し、映写機の発明で映画が登場した。その映画もカメラ位置固定から→レールの上の移動カメラ→重機の先に取り付けたアングルや焦点を変化させるカメラへと変わる。ここでは20世紀以降に登場した様々なコンパクト化技術(発明品)があらゆる場所で活用されるに至った。戦後になれば芸術家やArt域労働によって商業・サービスその他に広まり現在のICT産業革命を迎えている。ところでパフォーマンスの範疇である技能や芸能といったものは、現代の技術水準に比べ古い伝統様式のものである。


“VR技術の入り口”は神経科学・脳科学・心理学の発展
によって無機物的な技術が有機物技術に浸透することとなったわけだ。
かといっても、今のところ人間しか持ち得ない能力として“文化なるものは不合理性を含むもの”だから現存をしている。
すなわち、新たな着想などの能力といった、5次元思考(X・Y・Z+time+Connect)に見られるような思考パターン。それは、異なる角度からVR技術を説明すれば、
 ①「絵」などによる色彩表現、
   ②「音」による空間表現、
     ③「詩」などの時系列表現
といった表現・脳内模倣・共感(共感作用&共感精度)に関わる表象の重要な三要素については、今から当分の間は“人類の普遍的能力”という未知の物事として扱うしかないのである。この①から③はVRでは出来ない、人間が有能な労働能力でもってプログラムするしかないのだ。ちなみに、新商品開発、組織や技術イノベーション、真実の芸術的労働は、(5次元思考&表象の重要な三要素」よって行われている。こういった有能な労働能力の醸成基盤は、せいぜい「高い天井の広い部屋」に住まわせ、日ごろから瞬時に周辺までを見て全体を把握する練習程度の人類経験則でしか解明されていない。むしろ世間一般では迷信も神業も混同して思考停止に等しい。
したがって、要するに、既存の労働能力醸成基盤の限度の範囲で、
スキルやパフォーマンスといった労働力(労働能力全般の中の一部分)は、徒弟制度、OJT、off-JTといった煩雑で長時間を要する職業教育に比べて、VR教育は早くて充実しているというわけだ。ただ個々人の持つ能力醸成基盤をはみ出してしまっているようなArt域労働における“5次元思考”の訓練を、受け皿もないのに無理強いしたとすれば精神疾患を引き起こしてしまうかもしれない。それは、中毒症状とか共同体生活の文化からハミ出す個人行動によって引き起こされる社会的コスト増大となって現れると専門家は指摘している。その指摘はあたかも、文明Civilization進展を肌感覚で認知できない個人がフェイクニュースや反社会行動に陥るようなITネット弊害と同様のものでもある。それは、新しいコミュニケーションのための道具が登場するたびに悪用されるとか、現代というフェイク情報とか詐欺の道具に使われるという懸念が繰り返された経過と同様である。
歴史は、自由平等のための社会共同体の形成とその充実=文明Civilizationよって、そういった経過を消滅させてきた。

たとえそれを技術的側面にのみ限って歴史を振り返ったとしても
・同じ人類文明でも“過去・現在・未来”を区別できる言語を持つ集団(インド・ヨーロッパ語族など)は、道具や農耕牧畜の技術を磨き上げ、その末裔は世界に浸透した。
・ソクラテスは文字の普及によって読み書きができるようになると、人々の記憶力が低下すると恐れた。
・中世の絵画では、はしゃぐとか微笑む(モナリザの微笑)とか、非写実空想的な物はグロテスクとされた。カトリック教会の陰に隠れ“グロッタ”という庭施設で造られた。
・イギリス名誉革命におけるジョン・ロックは、大量枚数を印刷する印刷機が登場すると、そういった印刷物で迷信や悪事が広がると恐れた。
・19世紀には、小説を読むと現実と作り話を見分ける能力は劣化すると考えられていた。
・映画館の画面から、向かってくる電車が映し出されると、ひかれる瞬間?に人々は椅子からのけぞった。つい70年ほど前の白黒映画館での、“いつもの出し物”だった。
・白黒テレビが普及すれば青少年の白痴化が進むと懸念されたのは、つい60年ほど前の日本の姿であった。


*1.スキル(技能)に該当するVR教育
マニュアル教育と比べ格段のVRソフトが誕生し、それは集団教育から→個別教育への転換が図れることから中途採用者教育に向いている。VRによって、その「没入感」ととともに強い心理効果で脳細胞部分に知識と記憶を刻みこむことが最も効果的である。
しかしながらVRソフトでは相対反応は期待できず一方的であるにすぎない。Art域労働の能力を持つ人物がVRソフトの作成プロデュースをすればスキル教育には有用なVRソフトを作ることができる。
そしてVRソフトによる学習の時間帯は、深夜時間帯の短時間に海馬から大脳皮質に組み込むことであるである。一般に普及しているヘッドセットでは装着感も悪く目の前数センチの画面に焦点を合わせるために、眼精疲労を起こしやすい。
ちなみに、幼少の頃からのスキル(技能)教育は殆ど無駄ばかりであり、それよりも能力醸成基盤限度の広さと深さの範囲内で、VRによるスキル(技能)組み込み質量は定まる。
子供の頃や青年期には「高い天井の広い部屋」に住まわせることのほうが重要で、地方での暮らしの方がよっぽど可能性を持たせられる。地方であれば、デジタル世界を歩き回り真の没入感を味わえる“ひと部屋サイズ”のVRが設置できるからだ。


*2.パフォーマンス(職人技)の次元を高めるVRソフト
とりわけ、その「没入感」ととともに強い心理効果で脳細胞部分に知識と記憶を刻みこむことが最も効果的である。パフォーマンスの技量は、およそは複雑な順序や段取りといったものであり物理的な課題である。今の世間では、これを才能の無さと錯覚する人が多いのである。
技能の動きを習得するには21日間の継続(途中1日のサボりは可能)練習を少なくとも必要としている、高度なものは66日間の継続練習を要するとの実験データが主流である。習得技能の種類によって練習時間は異なるけれど、1日1回を必ず行うことが重要となる。“とりあえずは”と言って、むやみヤタラに練習を重ねることは精神的肉体的疲労の蓄積ばかりである。これをやめて、VRソフトから受け取る感覚と動作を発見することが(職人技)技能習得の最初のコツである。
ここから目的を明確にした意識的な練習の展開が始まる。例えば楽器の練習は極めて高度であるが、世界一流の人物がプロデュースするVRは極めて効果が高いと予想される。それは現在でもYouTubeなどによっても、「超一流の演奏家のフォームと艶のある音色」を読み取る以上でもだ。
加えて素人の機能障害も防ぐことから、VRソフトの五感を含む感覚の教育には目覚ましいものが期待される。そもそもパフォーマンス(職人技)技量の習得は、絵画・音楽・詩とその複合物を使った芸術(「意欲感動希望」のレベルに達する)の技術面を組み込むには不可欠だからである。
そこで、意外な例として取り上げるが、アバターを使ったSexVRの技術的見本はこれだ。
(この分野は、経済学者ならば実は避けて通れない学問分野であるが)
=現場は劣化の極みであるポルノ産業は、だが最も資本投下が少ない業種であるけれど。
https://youtu.be/y9TJLBAKnLM
https://www.bing.com/videos/search?q=VR
このVRように、顔の表情とか身体の仕草といったものをアバターに組み込んでも五感を含む感覚を伝えることができる。下手な人間演技表情よりもアバターは有能であるとの学術研究結果の応用だ。そのうちに、肉体生理機能を伴う顔の赤らみ或いは心拍数が組み込まれるのも間近だ。このアバターの細かな表象を習得すれば“売春技能”は自宅でも習得できポルノ労働者の技能は成長することは明らかだ。だとしても本気のオーガニズム体験は得られないから所詮はVRソフトでしかない。
そのことを、映画監督の佐々木正は、“目合い(まぐあい=思考を落とし、見つめあい、気持ちを言葉にして、自らを明け渡すセックス体験、生殖行為は重要では無い)”といったような、“つながり合うこと”が体験できなければ、快感の刺激を求めていつまでも不倫し続けていることになる。」と語っている。

そして、実物でないと得られない最も重要な要素は共感作用&共感精度であり、
  1.言葉を合わせ
          2.仕草を合わせ
                  3.呼吸を合わせる。
といった行動が、行為の前段階から行われること(友達なるときも同様)が、心理学では定説法則になっている、それは人類経験則しかない。
【Loveliness in a friendly manner(日本語翻訳不能)】といった西洋キリスト教概念は、実物でないと得られない最も重要な要素の範疇と考えられる。


*3.VRで有機物人間ロボット化が早い?産業のロボット
とにかく、無機物の機械を使ってのロボット化は開発投資が異常に高くなる。
だから、異なる文化だから固有商品の価値は劣り低いものの、どの国も安上がりの外国人労働力を導入しようとする。

人間有機物ロボット___
人々でも個人でも彼彼女らを、スマホその他のオンラインに、もっともっと縛り付けることで操縦可能になる。
これに感覚的な反発をする彼彼女らでも、人間は自分自身の社会的知覚を頼りに来ているから、この知覚をコントロールすれば操縦できるであるのだ。
★(それが錯覚にせよ)哲学者ゲーテは、
「自発的な依存こそは、最もうるわしき状態である」と見通している。
依存症の人は苛立ちやすく、自分が置かれた状況に於ける夢を募らせる。自分は恵まれていないと感じ他者から認められたくて仕方がない。人は依存が深まると、現実の世界や生身の人間とのつながりを徐々に失っていく。そして更にスマホその他のオンラインに依存するようになる。あげくに客観性で物事を見ることができなくなり事実関係性も解らなくなる、そして彼らは有機物人間のロボットと化すのである。「半グレ集団」のボスが操る末端売人や受け子といったような者もその典型である。彼彼女らがDV加害者や反社会勢力の被害者と異なるのは、彼彼女らは精神的圧迫や暴力による洗脳ではなく、自発的な依存でもって有機ロボットに育成していることである。

加えてそこでのストレス解消メカニズムも整う
例えば、うつ病患者は自分自身に極めて厳しい。他人に対しては発揮できる忍耐や寛容を、自分に対しては出来ないケースが多い。そこでVR世界での“仮想の子供”を体験させたところ、自分自身への思いやりが極めて大幅に増大した、こうすれば益々依存症は強まり、彼彼女らは有機ロボット化する。
★日本企業のNECは
スタンフォード大学に資金提供して、身体の左腕と右腕に加えてVRによる第3の腕を出現させて生産性を向上したという実験を済ませている。
★一般的に育った人間有機ロボットは、
未来のパフォーマンス(職人技)の労働者として、行動経済学でいう満足を味わう。その満足とは周囲の他人と比較して得られる、“つながり合うこと”が存在しない孤独な感覚である。

ちなみにVRでは叶わない“幸せ”とは…他
=社会や集団の中で自由拡大を他人と“つながり合うこと”を通して認識する状況である。ここで言う“自由”とは=生活全般にわたり、自らが希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他生活行為を通じて自由を感じ取ること、その場合には義務(ルール)も自由として感じられる概念である(ジンメルが発見)。それはアドラー心理学や行動経済学に引き継がれている論理展開でもある。「恋とは自由の拡大であり、愛とはその充実である」とされており、自由が保障されていない恋愛は虐待とされている概念だ。


*4.Art域の労働全般能力はVRで飛躍する
Art域の労働が作り出す商品には、体験でしか理解できない要素が圧倒的支配的に含まれている。それは言語や言葉で説明すれば錯誤を犯す。もとより言語や言葉で説明できるのものでは無い。体験が重要な基本パターンは
 ①「絵」などによる色彩表現、
  (服装は絵画、それはデザイン向上力。アクセサリーはアクセント装飾技)
 ②「音」による空間表現、
  (リズムと拍子は異なりリズムは話し上手。メロディが品質を決める。小節の間合いで伝達)
 ③「詩」などの時系列表現、共感作用の物語、
  (それは品物の意味を語る。地味に、地味に、最後はあでやかにまとめる、それが基本)
__といった表現・脳内模倣・共感(共感作用&共感精度)に関わる表象の重要な三要素についてである。①~③の具体的な手法は、中堅中小企業で導入されている事例が多い。それはともかく、
「真の芸術性の要件である“意欲・感動・希望”のセットが存在するから活き活きとしてくる」
__のである。
「本物の芸術に触れれば、人は計画的な行動を起こす、そのために学びもする」
__とされる。Art域の労働あるいは本物の芸術的労働と「スキルやパフォーマンスといった労働力」産物との見極めは、未だこういった人類の経験則しか存在しかなかった。が、しかしながら、受け止めている表現=表象は、脳内模倣・共感(共感作用&共感精度)のプロセスを経ていることは神経科学や脳科学で解明された。

イ)Art域の労働全般能力の発揮は、VR技術により、守→破→離の各段階を踏むのではなく、守→破→離の各々をVR教育によって行うことができる。ところが詳しく深く見てみると、天才とか芸術家とかイノベーション事業家は、守→破→離とは異なるプロセスで、その能力に到達していることが分かった。むしろ、スキル技能、パフォーマンス職人技、Art域の労働全般能力が全く別々のものとして取り組まれているのであった。では必要な技量はいつ身に付けたのかというと、守→破→離の順序ではなく、必要と思ったときに各々が身につけていたのだ。それは、仕事の分量とか作業の分解といった思考パターンが定着するにつれて、自由平等の社会共同体を基盤とした文明Civilization進展とともに、守、破、離は独自成長したことが歴史から読み取れる。

ロ)Art域の労働、スキル技能、パフォーマンス職人技、これらは別分野の能力だ。段階を置くのではない、Art域の労働は直に飛び込むと上達が早い、段階を念頭におけば粗悪な品質でしかない。それが国家資格などでも力量の差に表れる。

ハ)ことに、Art域の労働全般能力を発揮する場合の技量を見つけるには、VR学習を使っての、こういった重要な表象の三要素の身体化認知は有効とされている。それも動きで認知するだけでなく改めて、出来る限り口頭で説明する訓練が重要であることもわかった。

ニ)Art域の労働には時間の量にかかわりなく、質のよいコミュニケーションを必要とする。そこでの作業には、需要側との“相互同期性の質の高さ”が非常に重要となる。その質の良いコミュニケーションとは非言語行動による相互同期性のあるコミュニケーションであることが1970年に心理学者コンドンにより発見された。
「話し手は身体の発する言葉に合わせて踊る、さらに聴き手の身体も話し手のリズムに合わせて踊るのだ」(=心理学でいう模倣)とコンドンは記した。その後、ここでのリズムの遅れる人たちは、行動や作業にミスが多いことも発見された。(ちなみに、戦後しばらくして松下電器産業=パナソニックは、ベルトコンベヤー労働者に“北海道民謡のソーラン節”を踊らせてリズムをとった)。

ホ)アーティストあるいは熟練者に至らずとも、Art域の労働全般能力を発揮しようとする人であれば、VR収録は“黙々と語りながら行い”、それは決して説明にはあらず。なぜならVR収録の撮影側の“Artstカメラ位置”こそが遥かに説明語学力を超越しているからである。これがVR技術による“共感Empathy(共感作用&共感精度)の力を高めるための方法である「視点交換」なのである。

ヘ)筆者は実際に自分でやってみた“Art域の労働全般能力”の自己育成
 (練習や研究に費やす根気も体力もないが、高質結果の習得効率は高い)
   熟練を要する技量練習はリズミカルにし、21日間の練習を継続する。
   物理的に神経科学も含め解明できる、練習量や才能ではない。
   記憶に刻む物事は、睡眠前にリズミカルに暗記する。無暗に練習研究しない
   頭脳は出力重視の癖があるから、体でも口でもリズミカルに表現する。
   好奇心を持つことは、頭脳での高速計算処理を可能とする。
   音楽のリズムrhythmと拍子timeは違う、小節ごとに間を入れリズミカルに。
       早いリズムは、貧乏ゆすりをヤッてリズムを安定させる。
   VR技術やIT機器の使用では運動機能が委縮し、物理的動作フォームが出来ず、
    頭痛・腰痛・肘や手首痛を生じる。投薬や鍼灸ではない医療範囲だ。
    ストレッチ体操では改善を図れない。障害部位に集中するストレッチだ。
    整形外科医と連携して個々人にあった手法を探すことだ(骨に痛みはない)。
    頭痛個所や小指第一関節にまで行き渡らせるポーズを自ら発見することだ。
    (動画例)
    https://youtu.be/2FbLP9mQRI4


§Art域労働=芸術労働の要件要素には、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
Art域労働の、定義、特徴、その現象 Art域 スキル パフォーマンス
無意識におけるパターンの認知作用により、
そして、Art域労働の行為は、目的意識的に計画的である。がしかし 無意識におけるドラスティックな進化でなく革命的な行為であって、 他人に対し、それも個々人ひとり一人ごとに、影響を与える。 ×有意識
その創造力、発明発見、創作とは、他人に対し その所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を 生じさせるところの、共感Empathy →共鳴を与える。(神経科学) ×秘匿性
五次元思考~X・Y・Z+Time+Connect結合~で以て、 脳科学や神経科学で解明されている共感作用&共感精度であって × ×非共感
「音」による空間表現、「絵」などによる色彩表現、「詩」など時系列表現を、論理学では解明できない分野の方法を用いて
細かな物質的モノゴトの配慮を用い、形態とは意識され難い作用を、 もっぱら個々人に対して大量に与えている行為、その存在を認識。 × ×希少性
このArt域労働が、従前は明瞭行為ではなかったし、この労働価値は貨幣に限られた交換には値しないとされてきた労働能力であった。 ×銭目的
世界経済の再生には、Art域労働が重要なカギを持つ。 個別企業では先ず幅広く薄く進めるだけでも事業業績が伸びる。 それは、スキーマに最も作為されない中高年女性労働がカギになる。 × ×隠匿性
既に、人手不足解消とか、素早いフィードバックでの早期利益を確保 それは、行動の前に完璧な知識を求めず、新規商品開発に向かう。 × ×希少性
10 市場主義・資本主義の要とは、次の3要件となる。 ①自由平等思想、 ②自由の基盤である自由市場、 ③自由に横行できる、(個人番号等で)捕捉されない貨幣制度。 × ×非市場
11 遊休使用価値商品に、貨幣価値を超える交換価値を蘇らせる。 交換価値の無い建造物にも、使用価値の蘇りを可能とする。 ×銭目的
「―」は労働過程で考慮がない。 「×」は、その該当する労働過程では否定をする。

2021/03/09

第227号:芸術性のない商品や事業は廃れる

<コンテンツ>
コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
芸術性のない商品や事業は廃れる=法則とは
 [コラム1]明治政府は維新直後から外貨を…
コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
 [コラム2]音楽の世界では、音声や弦楽器の…
現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
    ★それら人物の仕事とか職業とは、
    ★戦後日本の経営者(被害者)たちは、
人をケアするサービス 八策
      =Art域労働版に改訂(2021年3月9日)

 [コラム3]油絵具とキャンバスの発明…
アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
 [コラム4]芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激…
 [コラム5]20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術…
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】


§コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
そこで、倒産を招きかねない事態を回避する王道が重要なのだ。
王道の思考すらなければ、犠牲者として世間に翻弄され倒産や廃業の道を選ぶこととなるのだ。あなたに犠牲を強いて、利権や保身に走る輩は、その選択を「あんたの自由」と、嘯く(うそぶく)。
だが、「奴隷は解放を思い立つだけで、もう奴隷ではなくなる」
との趣旨の帝王学は世界に数多くある。要は、「王道を知り歩み始めれば、もう翻弄はされず、廃れない」わけだ。

直面する最重要課題=コロナ恐慌に係る、公式発表された調査やデータでは、
感染第1位は 家庭内感染(児童が運込む) 50~60%
 (保育園や幼稚園から持ち帰るウイルスに両親が感染)
感染第2位は 高齢者施設や事業場や病院 30~40%
感染第3位が 20時までと制限される飲食店  5%
 (家族連れの20時までの駆け込み利用は常態化)
感染第4位に マスコミ話題とされるなっている接客飲食店  1%未満
といったことが、その結果の主な内容である。

だとすると、これに応じた対策は取られるべきところ、ほぼ故意に成されていない。その怠慢は、何を示唆するのだろうか。最も重要な感染対策は、家庭内にウイルスを持ち込まない具体的手法の徹底だというのに。
(例示)http://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post.html
ちなみに、「飲食店の営業許可」は、「手洗い器」および「手洗い器」の設置を義務としている。飲食店を感染源ターゲットにするであれば、ここでの手洗い消毒を入店者に徹底させることは重要だ。手に付着しているウイルス除去が「三密」よりもはるかに重要具体手法のであるにもかかわらずだ。その効果は、店舗入口のアルコール消毒の比にならない。
加えて、少なくとも、団塊の世代より高齢の人たちは、幼少の頃から飲食店等での食事前手洗いを徹底されていたことを経験している世代だ。そこまで昔の保健所は感染や伝染の徹底抑え込みをしていた。また、多くの家では入口や便所近くに簡易な「水手水(ちょうず)」器機を備えていた。

すなわち、極めて身近で効果的な感染対策を呼びかけない姿勢は、
今となれば疑念が持たれ、国民を翻弄させていると言わざるを得ない。
ウイルスは若年層無症状者がバラまいていると認めながらも、もう1年間も指摘されていたにもかかわらず、やっと話題にのせようとしている。国は、東京世田谷区とか広島県や栃木県が独自で行ってから、モニタリング調査(無症状者の感染検査)に手をつけようという有り様だ。どうして幅広く意見と知恵を拒絶し続け、挙げ句はコロナウイルス感染対策を怠ったのか。市中がコロナ感染し切ってからで、国は遅きに失した。使い果たした国の資金は、インフレ政策という大衆課税や財産税(ある時点の保有財産により課税)でもって納税者からコロナ禍の後に回収するのは必至である。

感染を食い止めている主体は、住民個々の民間防衛に因ることは間違いない。
コロナ禍でも翻弄されず、成長軌道に乗る個別企業や個人は存在している。
今月のメルマガでは、実際に「100年ぶりに変わる」、経済構造を切り開く柱とヒントを、読者のあなたに建議する。


§芸術性のない商品や事業は廃れる。
これがはっきりと科学的にも学問的にも証明された。その芸術性とは、“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるのである。
科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
希望とは、受け止める:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景に現れるもの。
偽の芸術家は、ひたすら言葉遊びや権威を駆使して芸術だとアピールし、芸術とは技巧だと言い換えているのである。まるで、伝統的家元とか世襲や師事こそが芸術の源だと言わんばかりである。もちろん、芸術家とは自覚の有無は別として科学的であり、新技術もアイディアもさっさと取り入れる。

このような“製品やサービス”を提供される側に向けて、それを提供する側からすると、“意欲・感動・希望”を、プロデュースする個人には留まらずに、組織的にネットワーク的に、固有文化価値として“製品やサービス”に組み込んでいるわけである。
【“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるためには】
①“製品やサービス”の具現化過程において、必ず“意欲・感動・希望”
が伝わるように様々な技術(Art域労働)でもって、
②“製品やサービス”を受け止めた個々人それぞれが、
        表象を脳内だけでの模倣Mimesisを行い、
③“製品やサービス”に組み込まれた様々な“意欲・感動・希望”
        に共感Empathyするのである。
④“製品やサービス”の完成や完結に至るまでの原材料や半製品その他、
 次のURLに示すイノベーション5分野についても、“希望が呼び込まれて”いるための芸術的プロデュースと具現化の過程が組まれていなければならないのである。新自由主義者が持ち込んだ、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
 https://soumubu1.blogspot.com/2016/10/blog-post.html#174-04
(注意点)
・“意欲・感動・希望”の3つで1セットである。
 いずれか1つが欠ければ芸術性は成り立たない。2つ欠ければ市場流通しない。
・サービスや身体表現の表象を脳内だけで模倣Mimesisするからこそ、
 意思疎通し、意思共有(Share)をするのだ。
・脳内だけの模倣Mimesisでもって共有(Share)をするからこそ、
 相対して共感Empathyするに至る。(ミラーニューロン Mirror neuron)
・ここで使用される、共感Empathyは、1904年に発明された学術用語で、
 sympathyの(共に苦しむ)概念とは異なる。
・最新の科学発展の用語概念は、個々人で異なる、人それぞれの考えではない。
(次のURLを参照のこと)。
 https://soumubu1.blogspot.com/2020/10/#222-10

[コラム1]

明治政府は維新直後から外貨を獲得するために、陶器などの工芸品の輸出政策に力を入れた。いわゆる工芸産業に、維新で廃業となった刀職人や鎧職人を投入したのである。それらの製品は欧米の貴族に一躍人気となった美術品に成長した。
ところが、イギリスなどの工芸品を美術品の範囲から除外する当時の政策を日本も取り入れてしまったところ、一気に日本の美術工芸産業は廃れてしまったのである。
そういった背景を無視し、工芸品を民芸品とまで言い換えるとか、芸術や美術の概念から除外する動きとなった。職人たちはもっぱら技巧ばかりに走ることで、日本の工芸品が芸術性のない商品として劣化し廃れ現代に至るとの、美術に関わる有力な学説がある。例示=ビジネス教養としてのアート:岡田温司 京大名誉教監修 KADOKAWA

§コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
新型コロナウイルスの感染によって、原材料などを仕入れるサプライチェーンばかりか、“製品やサービス”を提供し売買を完結する流通(経済学説により交通ともいう)までが止まってしまった。

2008年リーマンショック以後の金融危機の始まりから、その危機の頂点を迎えようとした矢先からのコロナ恐慌開始である。もとより多額の“金融資本の投資と回収”は採算割れを既に起こしており、累積赤字→不良債権→企業合併→国家財政の投入を続けてきた経済である。新自由主義者は“金融資本の投資と回収”だけに目を向け、経済活動を通じての価値増殖などは行なってこなかったのだ。

にもかかわらず、2020年4月頃からの国家財政投入(QE)は、コロナ禍の収まりとともに通貨切り下げのインフレ政策、民間からの財産税徴収へと、道は目に見えているのだ。

【すなわち、要約すれば】
コロナ禍の以前から、“金融資本の投資と回収”だけを話題にした経済は、流通コスト・販売コスト・無益な流通販売組織への投資と運営費用や関係報酬・その制度維持費用といったもので、あらゆる場面での採算割れを起こしていたのである。採算割れ収支に加え金融機関への返済が上乗せされるのである。新自由主義者の経営というものは、こういった無益な実情を覆い隠して→その社内外にわたる枠組みを持ちこたえさせるための組織体制と、その策士たちの人員配置を行うばかりなのである。だから繰り返すが、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
経営や経営管理を行う人物からすれば、新自由主義者の経営の本質は見えている。だから、この3月末に向けての人員削減やリストラに、加速して至るのである。

だとしても、よく見てみれば
衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるものに限り伸びているのである。広い意味の芸術性を持つ“製品やサービス”は伸びている。
これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神:人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになるのである。
なかなか天才(=カントの定義では“感性的構想力で輝く”)は出てこない。けれども、筆者が研究者の成果を調べたところ、
☆日本が諸外国と比べた優位性とは、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力があり、これらは中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)のである。なぜ、筆者が中国を引き合いに出すかと言えば、既に日本経済は中国傘下、日本の製造業は東南アジアの下請けへと完璧に組み込まれようとしている政策に至っているからだ。

[コラム2]

音楽の世界では、音声や弦楽器の音階&和音(純正律)と、ピアノやアコーディオンなどの音階&和音(平均律)には差異があって、日本の幕末ごろヨーロッパでは大論争となっていた。
レコードなどの録音技術が発明されるや、曲を端折って録音時間内に納め、長い期間にわたり高音収録しか出来なかった技術の歴史もあって、世間一般では、そういった録音によるものが音楽だと受け止められ、とりわけ日本では歌唱音声は録音発声を真似られ、それがのど自慢だと勘違いされるに至っている。ところが世界中のICT動画配信によって、特殊ではない歌の発声法の存在の認知と広まり、楽器演奏コンサート録画での「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」体験練習とかが可能になってきた。

近年の“音楽自体は聴くもの”
といった傾向への傾きがあったものの、
a.スタジオで作り上げるデジタル等音楽
b.歌手自身や演奏者講演のArt域労働
c.電気的な音響拡声の
 編集をPA装置でし直したもの
d.聞かせるのではなく
 素人参加する歌と楽器
 のおよそ商業利権を無視した4パターンに発展しつつある。

§現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
新自由主義者が国家や自治体の行政機関あるいは民間企業の経営を牛耳るためには、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ。その人物は、前向きに捉え政治的な立ち回りをするポーズだけれど、何らかの行政機関や企業の本来業務にプラスになる物事には携わっているだろうとの見方が強いのだけれど。
実態をよく見てみれば、比較的他人より有利な地位で以って、露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけに、彼らは配置されているに過ぎないのだ。この“まったく無意味な仕事”に携わる人物の配置は、官民を問わず事業規模を問わず、新自由主義の経営に走り突き進むことで急増してきた。当初は一見、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられたけれども、実のところ経済や個別企業経営の成長率は低下した。まずは、
それら人物の仕事とか職業とは、
 ①新自由主義者の取り巻き役=何らかの管理職的肩書きの専従職
 ②他人を恫喝し抑圧をかける役=代理人の仕事(但し法が禁じる利益相反のプロ)
 ③トラブルや不祥事の尻拭い役=国家資格とは裏腹に事件屋や示談屋のスタイル
 ④架空証拠の捏造役=エビデンス作成学者とか捏造ライター
 ⑤幻影プロデューサー役=いかなるプランも幻想あるいは相対仮説で誤魔化す
そんなプロパガンダや幻想の専門業者(いまや電通が有名)

戦後は、生産性と労働者の収入は伸びてきたところ、この40年ほどの間に生産性は飛躍的に上昇するけれど、労働者の収入は平行線ないしは、この10年は減ってしまった。
すなわち、経営者が呼びかけるなどして労働者たちは機械を改良するなどして生産性を上昇させ収益が増加した。1970年代までは、増加した利潤の一部は賃金として労働者に再分配をされた。
ところが1980年代中ごろ(昭和55年オイルショック)からは労働者への再配分率は低下することとなった。
その増加した利潤の行き先は、大半が“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちに流れていくようになった。

経済や経営の成長とか豊かさのための資金が、金融投資とか資金繰りとの美名のもとに官民から個人家計に至るまで、“金利とか利ザヤを獲得”に流され、経済的価値増殖とか人的資本投資に向けられなくなったのである。日本の金融機関はこぞって、地元企業への投資ではなく米国債などに走り、「足しげく貸付営業に回るよりも、金利収入の方が低コストで収益が多い」と大合唱したのである。
そのために、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちが配置され、事業閉鎖され、事業移転され、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちは養われたのであった。それ以前によく在った、従前の従業員たちが労働者に呼びかけて事業再生を成し遂げているところはまれである。

新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれで、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実によく知っている。
新自由主義者とか新自由主義は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけ”であった。
あながち、岩波書店邦訳の著者=デヴィッド・グレーバー(昨年逝去した大学教授=:アナキスト)のネオリベラリズム分析だけは的を射ている。

戦後日本の経営者(被害者)たちは、
アメリカなどからの多額投資が行われ、その経済政策に乗れた人たちだった。日本はアメリカ経済の生産工場となり、それが日本全国に産業や工場が展開されるとともに、そのインフラとか労働力供給のために“商工中金”などが地方の中小業者に資金融資を行い、その結果に全国の都市と地方の経済産業基盤を渡らしたのである。
1985年(昭和55年オイルショック)の少し前あたりから、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられはじめ、それは、資金繰りに苦労する中堅企業の経営者に対して、「会社の金庫の中を現金でいっぱい!にしてあげますよ」といった、Just in systemその他の経営手法を紹介するといった演技での誘惑から開始された。
当時の私:筆者も、まさか経済や個別企業経営の成長率の低下に道を開くとは思わなかった。経営の資金繰りが、会社の金庫に現金が貯まるとか銀行預金通帳に残高が増えるといった現象が生まれ、そこに拝金主義と金融投資の誘惑につけこまれるとは予想だにしなかったのである。
1986年(昭和61年)12月からのバブル景気にあたる時期、昭和54年から準備された労働者派遣法の施行により結婚後の女性職域が拡大され、同年の男女雇用機会均等法の施行で女性労働条件が改善される基盤が形成された時期でもある。(いわゆる格差拡大は、1997年の職安法改正、1999年の労働者派遣法解改悪に端を発するわけだから、念のため)。


§人をケアするサービス 八策=Art域労働版に改訂(2021年3月9日)
「人をケアcareする」(サービス業の飛躍的イノベーション)といった固有価値商品を完成させる、世界各地で成功している実例である。
それは,次の通りだ。
“芸術性のない商品や事業は廃れる。との学説は、広い分野の研究者の成果により科学的に証明された。今から8年弱前に筆者は芸術性の重要性をWebで公表し、その後学術論文などで、その商品価格決定論、Art域労働の理念、Art域労働などの労働等契約論に至ったのである。海外の経済学者の評価は高いが、日本では、博士号もない奴は相手にされない、18世紀級のアカデミックだ。
そこで今般、コロナ克服&コロナ後に当たって、日本の地域経済の飛躍的発展のために不可欠な、“人をケアcareする”ことに関係する業態や業務を、具体的方法について考察をした。ICT産業革命の本旨が裏打ちされれば、効果はさらに充実する。

【質の高い多くのArt域労働業務の集中集積に不可欠な飛躍には】
Art域労働においての労働契約方式は次のとおり。
委託料とかギャラといった曖昧さを残せば産業成長しない。
Art域労働成果物の一分野や一部に存在する
著作権等では、契約安定に至らない。
 ①取引には成果物に造形物理的要素や解釈要素を含み、
 ②「労働全般能力(労働力を切り売りではなく)発揮によって形成する、
 ③有形無形財産の貸与を約する契約(契約)」となる。
  この取引3要件で初めて、相互に契約が安定する。
  若しくは、Art域労働の結果物を約する場合に限れば
 ④「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約(請負)」である。

イ)___
ケアcareされる側の悩み解決の手助けならば、
その解決方法の選択をArt域労働は非常にうまく導いていくこと。悩みを解決することでケアする仕事の、一番最初の作業は、その悩みに応じた解決方法をいくつか組み合わせるとか、いくつかの解決要素を選択することである。Art域労働にあっては解決方法の組み合わせと解決要素の選択=ケアcareされる側自らが選択する行為を導くこととなる。そうすると意欲・感動・希望といった固有価値を認識するに至り、ケアcareされる側の価値の実現にも協力する。解決の答えを提示することでは間違いであり、その仕事を相手は望んでいない。

ロ)___
新たに固有価値商品を楽しむことを阻んで来たあらゆる障害を、
Art域労働にあっては細かいところまで見つけて取り除くことだ。その障害が、どこにどのような形で阻んでいるかが、買い手にも売り手にも分からないのが現実である。だから、ケアcareされる側の買い手にも、楽しむことすらが分からない。売り手は的外れにも機能や数量をアピールしがちであるが、これがArt域労働にあっては大きな間違いとなる。この間違いによる無駄な労働力消耗の繰り返しは、極めて低質で多量に繰り返されている。無駄な労働力の発揮を重ねて、あげく疲れ果てて消耗し、仕事をこなした気分になっている人も多い。が、そういった業態と業務は廃れていく。障害を取り除く過程で、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現にArt域労働は協力するスタイル形成することである。

ハ)___
ケアcareされる側の買い手となるクライアントの恐れる要因を、
Art域労働で以って一般的な多数順に排除あるいは軽減することである。
スキルやフォーマンスに偏った売り手では、買い手が興味を持つ段階での「恐れる要因」が全く解らない。この「恐れる要因」をArt域労働で外していけば、ケアcareされる側の買い手が次々と試してくれることになる。
だが、試そうとするきっかけは買い手にも分からない。だから、従来の労働力スキル発想に頼るマーケティングよりも、Art域労働の形成に含まれる独特のサンプルインタビューこそが重要となる。「恐れる要因」がなくなりつつあるからこそ、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現に協力する。

ニ)___
例えば、医者(専門家)は治療するのではなく、
ケアcareされる側の病気を治そうとする人を、Art域労働で以って援助・手当(悪化予防・治療へのサポート)するといった方向に変えることである。
未開人や子供を納得させるには、医者や魔術師の奇跡や神話が手っ取り早い。だが無理に奇跡や神話で納得させて病気を直そうとすれば、ケアcareされる側のどんな大人も抵抗をする。病気の悪化予防や治療への、固有文化価値商品=意欲・感動・希望であればこそ、病人の大人は価値を認め、価値の実現に協力する。神話や呪いの類は科学的学問的ではなかった。科学的とは、“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”のことである。
傷病(Illness)と疾病(概念としてはDisease)の中で、疾病については、極めて文化や文明の絡む価値観で票か判断される。因みに、花粉症はシーズン疾病(disease)だが、PM2.5は通年傷病(illness)である。

ホ)___
ケアcareされる側の買い手は自分の好みを知っている、
Art域労働にあっては、ケアcareされる側の「好みに合う品と使い道」ならば知っていると割切ること。それは、ケアcareされる側が固有価値商品の意欲・感動・希望といったArt域労働の価値を認め、ケアcareされる側の買い手もArt域労働の価値の実現に協力する、そしてなによりも、代金支払いまで完結させるのは買い手のケアcareされる側の納得だからである。代金支払いよりも、商品交換が先に為されることは、経済学の常識だ、これが職業経験の無いインテリには解らない。

ヘ)___
ケアcareされる側の買い手は、常に沢山を学びたい。
が、「教えられるのは嫌いだ」と、Art域労働にあっては割り切って接することだ。学びたいとは、意欲・感動・希望のArt域労働が産みだす固有文化価値を繰り返し実感するからである。学び手の意欲(やる気)が残っていても、ケアcareされる側の感動や希望が失せてしまえば「学び」に文化価値を見出せない。意欲と感動だけではケアcareされる側の心身消耗を招くだけである。だから労働力スキルでは、AI人工知能の機械や装置に取って代わられるのが自然の成り行きである。まして、その「学び」である固有文化価値商品の商品交換を完成させるのは買い手のケアcareされる側の納得である。

ト)___
Art域労働にあってはケアcareされる側に知識を押し付けるのではなく、重要ポイントをケアcareされる側と一緒に発見するスタイルに徹することだ。
「知識を得たい」とは、学び手の頭脳の中にある真理に向けての、意欲・感動・希望を伴って、ケアcareされる側の知識の蓄積を重ねる行為である。知識とは、=自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること。ちなみに、“「私」とは知の主体である場だ”となる。
真理に向けて智識を重ねるためには重要ポイントの、少なくとも“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業が不可欠なのである。でなければケアcareされる側の頭脳の中に蓄積され応用に至ることはない。蓄積され応用に至ることがなければ生産的ではなくなるから、ケアcareされる側から望まれる商品として購入される量やチャンスは逓減する。無理やりスキルやフォーマンスに偏った売り方での知識を押し付けようとするから経済外的な行為(圧力、脅迫、詐欺など)となり、無駄な労働とか違法犯罪行為の発揮を重ね、非効率非生産的だから経営破たんを招くのである。

チ)___
芸事を教える場合、Art域労働といった作業のコツを伝える場合、
相手の技能習得の焦りには、Art域労働にあっては相手に、「ゆっくり出ても大丈夫です、手元は遅くで」
と、ケアcareされる側の焦りを取り除くことに集中することだ。
そして、Art域労働にあってはゆっくり確実に技能を説明する。ここでも技能説明に限っては、「言ってみて、やってみせて、やらせて見せて、ほめること」が大事である。

すなわち、“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業に加えて“直に面談しながらの体験学習”の、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、ケアcareされる側との一緒一体の作業行動が不可欠なのである。Elaborately‐Movement(複雑かつ速い動きの如く)といった意味のない曲芸は押し付けないことである。
有効な細かい配慮を要する芸術性(=モーツアルトの弁)は、ケアcareされる側が思いもつかない手元の複雑かつ速い動きその他への配慮だということを、ケアcareされる側が自らで発見するように、Art域労働の側から働きかけることなのである。その細かい芸術性をケアcareする過程を秘密にすること(秘伝扱い)は禁物である。ケアcareされる側がArt域労働からの働きかけで初めて気付き、固有文化価値を意欲・感動・希望を持ってArt域労働でもって習得することが可能となる。結果に至るプロセスを知ることが欠かせず、これが教養有無の決め手となり、教養や知の応用が出来る可否となる。
その後はケアcareされる側が自らが固有文化価値を実現あるいは増殖した上で、再び芸事を他へ伝え相互に共有(Share)し、固有文化価値を盛り上げることとなる。Communicateの各国いずれも言葉の原義は“他人と共有する”である、知っていることを共有(Share)するのである。
Art域労働=芸術性を持った芸事は、“狭い美術・音楽・文学”といった“Elaborately(日本語の概念が無い)なパフォーマンス”よりも宇宙規模で広大な経済=産業価値を産むこととなり、そこでは教える側と学ぶ側が、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、一緒一体の作業行動を行う体験となり、たとえ“個人レッスン風景”であったとしても、無限の広がりを持つ広い社会的作業であることは否定されない。

[コラム3]

油絵具とキャンバスの発明は、鏡などの透明な物とか、人肌の特徴を表現できる技術を実らせた。鏡の中に映る人影を描くことなど以前は考えられなかった。ところが、そういった写実に重点を置いた絵画も、写真の発明で写実表現から離れることができたのである。写実を伴わずに、脳内の模倣Mimesisでもって共有するからこそ、相対して共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、当時は科学的なことは解明されなかったけれども、イギリスの画家ターナーはパトロンを持たずに絵画とかエッチングで工房を営み生計を維持するに至ったのである。(人々の人気となる絵画等の構図の研究はイギリスから開始確立され、その後の大量販売の道も開かれた)。
音楽の楽譜を印刷して流通させたことは、音楽家や関係者の携わる産業を形成し、更には音楽への多数参加を促した。機械印刷楽譜が作られ残されることで音楽技術が進展し、芸術性発展に寄与することが出来るようになった。兎に角、楽譜の無い時代のメロディーは、ほぼ分からないものだから、真似すら出来ず=芸術的発展も望めなかったのである。
バッハは教会付きなので、お葬式が無いと生活苦しいと嘆いた。ベートーベンは機械印刷屋の楽譜販売で生計を維持できた。リストは最新開発ピアノを各地へ運び込むことで演奏活動に忙しかった。そのピアノを最新開発したセバスチャン・エラールは、旧来ピアノ製造業者から命を狙われ、パリからイギリスへ亡命した。

以上の「人をケアcareする」サービス業の事柄は、昔から良く語られた商業における要領とかコツ(近江商人の地域の伝承)に類似している。ところが、旧来の要領とかコツでは、科学的学問的ではなかったから広がりが弱かったのである。科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
だから拝金主義者とか新自由主義者からの誘惑とか横槍が入れば、ひとたまりもなく各々の個別企業でも崩壊していったのである。日本の文化は、中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)。
日本の文化優位性として、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力について、これらは中国や東南アジアその他の文化圏から日本への“製品やサービス”に対する需要についても、例えそれが日本への投資であっても、その意味では巨大な産業育成への可能性を秘めていると言うわけなのだ。「美しい日本」如きの幼児性では、挙句に空腹と防寒ためには媚びへつらう未文明Uncivilized体質では太刀打ちは出来ない。


§アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
すなわち、それを形成する芸術的要素は(従前のメルマガを加筆修正:2021年3月9日)
①美しく良いもの且つ、受ける側に希望を呼び込むもの、
②併せて、より共感Empathy性の高い疑似的再現を実行する
 といった法則性を使うことである。
③まさしくこれがパフォーマンスPerformance職人技とは異なる部分となる。
 技巧を凝らすElaborately Produce といった分野とArt域労働は別物である。
④その美しい良いものとは、人類の進化発展を通して安全安心の結果概念を
 感覚的に表しているものといえる。現代の善悪の善は“進化”に資するか否かである。
⑤Art域労働の分野は絵画や映像、メロディーラインを中心とした音楽、
 時系列の思考パターンを含む言語による詩Poemのといった文化を反映の3つが主である。
⑥そのうちの希望とは、美しいもの良いものを通して開ける方向性を指す感覚現象である。
:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景が鏡に写し出される訳だ。
⑦意欲とは、事物に対して行動を起こす前のイメージであり、
 感動は行動を起こした結果に得られる感覚(意識の一部)に過ぎない。だから、発生する時間的経緯プロセスに注意が必要である。希望とは鏡に写し出された後だ。
⑧「意欲・感動・希望」の3つがセットになった「労働力全般能力」の発揮と、それにより産み出された固有文化価値が、Art域労働には重要なのである。

[コラム4]

◎芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激による反応としての、模倣Mimesisや共感Empathyによって生み出された内面の心象風景が、鏡に写し出されるというわけだ。
右の画家=奈良美智の有名な画風は、見る人の内面の心象風景が、鏡に写り、
★子供の様な鋭さや狂気か、
☆優しさかを模倣共感させる、
といった心理テストさながらに感覚(意識の一部)に現れてくる。
よって、「アートの解釈に正解は無い、人によって人ごとに様々であり、その人の自由だ」といった曖昧模糊な会話が、いかに非科学的であり、学者が用いれば、表現が如何に人を煙に巻くためのトリックに過ぎないことがよくわかる。

◎江戸時代の日本人は、日本画のように世界を見ていたとのことだ。日本画には影がない、影が描かれることはない。とはいっても、日本の印刷技術の活用は世界の最高峰であった。三越の前身である越後屋は、「現金掛け値なし」「店前売り」という新販売方法の手段として、18世紀初め、大坂に40万枚の石版印刷チラシを配布した。その町人・庶民目当て大量印刷の挿絵付きチラシの配布は、店内から「あまりにも下品な商法である」との批判に晒されたが、チラシ配布が三越のブランド信用力につながったのである。1837年、越後屋は大塩平八郎の乱での店舗襲撃直後に、70万枚の石版印刷チラシを大坂と大坂発全国向け船便でもって配布した。大坂には挿絵画師、作詩師、石販印刷の技術が揃っていたのである。

したがって、金銭や物質そして権利といったものは、
社会や経済が安定した上での物事であり、
金銭・物質・権利から得られる物的価値は文化価値で醸成される性質の代物ではなく
=経済外的要因(権力、武力、レトリックなど)によって強いられやすく、
その程度の単なる物的価値交換の結果にすぎない。
20世紀に最高潮に達した「労働力」の取引一辺倒の影響受けて芸術分野やArt域労働は、
スキルSkill(技能)パフォーマンスperformance(職人技巧)に制限をされ、
固有文化価値は貶められてしまっている。
日本における家元制度とか学術団体制度あるいは資格者団体システムなどが、
「無能と怠惰」に柱を置かざるを得なくなり、
結果、保身に走るのは自然に後退する成り行き
かもしれない。もしくは、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちの配置によって
成り立っているのかもしれない。
土地を所有し&当主を世襲と法定すれば、
封建制度に行きつくことは当然の自然の成り行きである、人間の意識に因るモノではない。

⑨次の表は、3つの労働分野を比較思考しやすいようにだけ、並べたものである。
幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
Art域労働 スキルSkill(技能) パフォーマンス
創造構想する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
&労使関係システム
特許権、著作権、版権等
発明・時系列変化・組合せ
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係を含む希望)
生命維持性、人間阻害
(意欲・感動の2つ)
技巧を凝らす希少性
(意欲・希少性や複雑技巧)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用(使用)価値の
企画法則性に限る
発明・曲芸の領域の技巧性
審美追求主義の希少性
BigDataでの予定調和情報
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元 X・Y
もしくは 3次元 X・Y・Z
3次元 X・Y・Z
偶に 4次元 X・Y・Z+time
広義の芸術性=Art
有形無形の完成品
スキルSkill(技能)
企画による組織労働
Performance(職人技巧)
単独で労働される
幸せを得る 伸びる志向 厚生に限られ廃れる指向 技巧で廃れ殻に閉じ籠る
幸せの、厚生との差異
美と善はどこかで
つながっている
挙句、清算とかリストラ
その対処><抵抗運動>
技巧を凝らす
[ひと目で凄いを追求する]
=希少価値でもない
絵画
(美術)
絵画は色彩=鏡・面の表象
彫刻には:たなごころ
固有文化価値の滅失
Intrinsicが無い
Elaborately Picture
Intrinsicが無い
音楽 音楽は空間把握 Background Music Elaborately Produce
詩Poem 時系列の思考パターン 感情移入が出来ない Elaborately Ceremony
感情移入 感情移入の末に、見終わり聴き終わると心温まる心象が受け手に残存する
<感情移入のプロセス>
①登場人物と自分
②リアルとバーチャル
感情移入は、芸術や道徳・理性力トレーニング
感情移入の思考はない

むしろ感情移入は
非科学だと排除

他人や現実との関係は
そのほぼすべてを無視
感情移入ではなく、
[ひと目で凄い]技巧優先

技巧を凝らす程に刹那感
残虐悲惨な記録に留まる
人物自身 その人の生き方がArts 個を滅する⇒人間疎外 アイドル(偶像崇拝)
分業 社会的な分業の成熟の素にArt域労働全般が開花 精神科学や心理学を無視して量的分離を強行 子方や弟子は設けても、親方は分業はしない
企画と作業の分離 新技術・空間把握・アイディアの、3つを一体に 質的な分離を無視し、
空間把握も構想しない
空間把握は親方が行うが
新技術やアイディア拒絶
注=Elaborately(日本語の概念が無い)
⑩Art域労働=芸術労働の要件要素、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
Art域労働の、定義、特徴、その現象 Art域 スキル パフォーマンス
無意識におけるパターンの認知作用により、
そして、Art域労働の行為は、目的意識的に計画的である。がしかし、無意識におけるドラスティックな進化でなく革命的な行為であって、他人に対し、それも個々人ひとり一人毎に、影響を与える。 ×計画的
 でない
その創造力、発明発見、創作とは、他人に対しその所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を生じさせるところの、共感Empathy→共鳴を与える。(by神経科学) ×秘匿
5次元思考~X・Y・Z+Time+Connect結合~で以て、脳科学や神経科学で解明されている共感=共感作用&共感精度であって × ×非共感
「音」による空間表現、「絵」などによる色彩等表現、「詩」などの時系列表現を、論理学では解明できない分野の構想方法を用いて
細かな物質的モノゴトの配慮を用い、形態とは意識され難い作用(共感や希望)をも、もっぱら多数の受け手個々人に対し多様に与える行為、その存在を認識しながら。 × ×専ら
 希少性
このArt域労働が、旧来は明瞭行為ではなかったし、この労働価値は貨幣に限られた交換には値しないとされてきた。
Art域労働は労働全般能力でり存在である。
労働力は
労働の
一部分
×自慢
 と金銭目的
世界経済の再生には、Art域労働が重要なカギを持つ。個別企業でも、先ずは幅広く薄く進めるだけでも事業業績が伸びる。
それは、スキームSchematicに最も作為されない中高年女性労働がカギになる。
× ×隠匿性
既に、人手不足解消とか、素早いフィードバックでの早期利益を確保する、そのノウハウは、行動の前に完璧な知識を求めず、新規商品開発に向かうこと。 × ×専ら
 希少性へ
10 市場主義・資本主義の要とは、次の3要件。
①自由平等思想、その手段の民主主義
②自由の基盤は、自由市場、基本的人権
③自由に移動や販売横行できる、
(個人番号で)捕捉されない貨幣制度が要
×非市場
11 遊休使用価値商品に、貨幣価値を超える交換価値を蘇らせる。交換価値の無い建造物にも、使用価値の蘇りを可能とする。 ×自慢
 と金銭目的
「―」は労働過程での考慮がない。「×」は、その該当する労働過程では否定をする。


[コラム5]

20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術の発展は、1枚物からが大量に扱えるようになった。そして現在ではインターネットの“検索の窓”に至った。
CG、VR、AIといった技術進歩は著しい。例えば、画家ゴッホの画風をAI機器に記せば、デジタル写真をゴッホ画風の写真に、瞬時転換させることも容易となった。歌い方も演奏も瞬時に転換。死んだ詩も造れる。
しかしながら人間の意欲・感動・希望に関わる部分を、Art域労働で最初のオリジナルを感覚的閃きで構想し、新技術・空間把握・アイディアの3つを一体に仕上げることを、機械にさせるメドは全く立っていない。

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。だが、この3月本号メルマガで紹介できるものは見つからなかった。
巷では、昨年から多様な“コロナ後”についての書籍が大量に出版されている。しかしながらそれらは、旧態依然に繰り広げられた学説とか経営知識といった代物を、上の目線から「皆さんよくご存知でしょ」と言わんばかりに繰り返し、少し組み替えて新説めいた面持ちで、「だから頑張ろう!」との精神論を展開するばかりだ。
そこには出版社の販売促進の思惑や目論みが背景にあり、受験戦争の落とし子にこそ、そういった書籍の購買能力を持つ個人が多いことから、“読者のすでに知っている情報や知識を羅列”すれば、そんな購買能力者は安心を求め過去の自らを再確認するために購入する消費、といった編集戦略というわけだ。そんな編集書籍の執筆者は、そこまで深く熟考する人は稀なので、出版社からすれば“著作者とその予備群”は腐るほど存在する。そして片や、書籍を購入する、そういった本の購買能力者たちは、職業経験のないインテリだから、貴重な新しい情報よりも、過去の自らを再確認させてくれ、安心安堵できるという、空しい需要者層なのである。
こういった人たちは、今月のメルマガで特集しているような、生き方から仕事そして作品に至るまでArt域労働を行い人生に余裕を持った層とは異なる。角度を変え説明すれば、せいぜい執筆者層はパフォーマンスの能力、需要者層はスキル程度の能力に過ぎないのである。肝心なのは、Art域労働とか労働力全般を磨こうとしないのだ。退職金や年金(賃金理論では“手切れ金”と見做す)生活の後に、余命生活に入る人が多い、例え読書家であっても。
《以下の段落は毎月同じ》
筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで毎月号と同じ)

2021/04/06

第228号:前門の虎、後門の狼、更に刹那の波

<コンテンツ>
前門の虎=パンデミック、後門の狼=世界経済危機に対し、更に刹那の波
  ・現憲法の社会構成と行政法枠組を壊されている
  ・これに、中堅中小企業はどう、立ち向かうのか

GAFAに翻弄されない「ものづくり」=利潤利益率を確保
  ☆要するに、利潤利益率を確保する事業展開のポイント
  ・高度な固有価値製品の「ものづくり」
       =Art域労働版(2021年4月6日改訂)

  ・新型コロナ感染で崩壊後の、経済史的な打開策は
  ・消費財の固有文化価値商品「ものづくり」①~⑨の9個
 [コラム1]Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと
 [コラム2]物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という

「国民が働いて借金を返す」、それが“労働貨幣論”
  ・MMTへと、ワラをもつかむノメリ込み
 [コラム3]≪ゲオルク・ジンメル:Georg Simmel、1858年-1918年≫


§前門の虎=パンデミック、後門の狼=世界経済危機に対し、更に刹那の波
新型コロナ感染を何かにつけて、経験も無ければ実力もない輩の集団に任せるとか、“こんな輩”に牛耳ることを許したわけだから、今さら文句を云っても批判を繰り返しても、新型コロナ感染の打開の道は、開くわけでもない。

“こんな輩”にとっては、奇跡的に握った地位や権力の座、無能かつ、愚かな体面を晒すことなど苦とも思わない。彼らにとっては、生涯一度も出くわしそうにないチャンス。だから、その心理を順風満帆に育ったエリートや、誰かに依存しながら生きてきた一般大衆には理解ができない。むしろ彼の輩らは、騒ぎや混乱が拡大すれば、再びドサクサ紛れでのチャンスをつかもうと、必死で意気込むのだ。見ての通り“こんな輩”は利権と自己保身目的だ。

本来の帝王学においても、物事が上手くいかなければ、多くの人物の知恵を集め、より多くの人物の参画を組織し、肝心な微に入り細に至る部分での実績を蓄積する。それを通し全体の成功を収めるわけである。それは、“光は波であり粒である”といった人類数千年の経験則であって、現在は量子力学(アインシュタインが発端で2012年に証明)のイメージで語られるに至っている。ところが、無経験・無実力の“こんな輩”にとっては、それを聞いたこと無く、能力の幼稚さからも理解できず、まるっきり、(巷で読者もよく遭遇したことのある)詐欺行為で成り立つ経営者とか、高級サラリーマン層にも存在する“ちょい借り詐欺”師の類なのである。
日本の義務教育における、“社会科・公民科”教育の不十分さから、一般大衆は“こんな輩”を見抜けない、一般大衆のおぼこさが世間に蔓延していると見るのが正解だ。ひいては諸専門家も先頭に、おぼこい。大衆の無関心とか日本人の従順さではない。
だからこそ、公衆衛生(但し国立感染研は保身に走っている)の趣旨が理解できず、難しく表現すれば公衆衛生と臨床医学の、差異と共通点にも気がつかないのだ。たとえば、ワクチンは公衆衛生目的の手段にもかかわらず、感染しないとの誤った期待に騙される。そう、個々人の感染予防や重症化対策は、臨床医学実態として、結果としては感染も重症化も無防備状態と見るのが妥当だ。

現憲法の社会構成と行政法枠組を壊されている
それこそ、“こんな輩”の無血クーデターだ。
臨床医学は地方自治体(市町村や都道府県)を主体にした住民サービス促進体制に組み込まれている。だから厚労省&国立感染研は、地方自治体をバックアップする情報提供や治療指針掲示こそが重要なのだ。が、現状は情報隠蔽と治療等指針につき不作為(治療指針その他を示さない)である。その行政法枠組のもとであって東:世田谷区、和歌山県、広島県等での無症状者感染追跡が、おそらくは功を奏していると思われる。すなわち、新型コロナ対策の方向間違いとボタンのかけ違いは、相当の新型コロナ対策の無駄、根本的不毛と消耗を招いている。無経験無実力の“こんな輩”だから、建議をされても解らない、むしろ“こんな輩”は公衆衛生、臨床医学、地方自治といった舞台での有能有力者を敵扱いするわけだ。目立つためには、有能者の建議を絶対否定する。形勢が悪くなると口先だけ(野党や左派の言葉を盗み)、旧ソ連の語り口の如くに、違和感丸出しにだ。

すなわち、現憲法の許、国が交付金その他予算をちらつかせるのは行政手法体系の間違いだ。東京都庁や大阪府庁での地方自治や地方自治体を蔑ろにしての、知事が目立ちたいがための策略こそが間違いだ。それぞれの結果が感染増加なのである。地元有能専門家や各自治体足元の有能者の離反をも招来しているのでだ。“こんな輩”に媚びへつらい、協力してやっていけば、交付金とか予算等を沢山もらえると期待するのは、まるっきりの錯誤錯覚である。

これに、中堅中小企業はどう、立ち向かうのか
これに民間と圧倒的多数の中堅中小企業は、どう立ち向かうか。
①先ずは、“こんな輩”の話には乗らないこと、耳を傾けない。
②目先の職場と家庭は、飛沫消毒。その徹底を企業ごとに行う。
③感染ルートは、幼児&児童から両親や家族への感染が主流だ。
④飛沫感染予防の消毒、予防サプリや食料、重症化対策サプリ。
⑤Withコロナではなく、職場で安全衛生、家庭での食生活改善。
⑥もはや民間防衛、自治体、職場、自治会からの情報発信が柱。

この項目に沿った情報の具体化は、身近な医師とか産業医に話してみればよい。
新型コロナ感染は、幼児&児童の無症状者が先頭を切っている模様なのだ。
20201128HouseDisinfectionIllust.jpg(bp.blogspot.com)

発症しやすい体質とか生活習慣の情報も、厚労省からの発信ではなく、個別医師レベルに到達するようになった。新型コロナとその後の重症化に対応する特効薬や治療薬が、未だ無い段階でも、重症化=間質性肺炎に対する抗酸化物質(グルタチオン)とか、全身の血栓による臓器等多機能不全に対する抗血液凝固剤(ヘパリン、クエン酸トリナトリウム)といったサプリ域でも有効な情報も流れている。何も酸欠発見⇒酸素吸入といった病院対症療法に限らず、重症化の肺炎は発症9日目がピークだとか、全身の毛細血管の血栓による臓器多機能不全は発症早期に発生しているとかの、臨床先進治療医師の情報も、医師にも所属団体外からも個別に入るようにもなった。

私自身は、政治には飽き飽きして全く関心はない。
が、与党野党や無所属を問わず共に、せめて議員や首長に当選とかしたいのならば、あるいは民衆の支持を得たいならば、①~⑥といった中味を地道に、“どぶ板並みに”実践することだと思う(約半世紀の現職業センスから着想)。私自身は住民投票以外は政治には関心すら持っていない、けれど、保守×革新→与党×野党といった団体戦の時代は、とっくに終わった。


§GAFAに翻弄されない「ものづくり」=利潤利益率を確保
こういった4社など“プラットフォーム”に、“おんぶに抱っこ”になっていれば、いくら「高度な固有価値製品のモノづくり」だとしても、時間が経てば4社等に振り回されてしまう。
またそれは、この4社だけには限らず、同様の事業や機能、そして中国の“阿里巴巴Alibaba アリババ”その他であっても、“おんぶに抱っこ”であれば振り回される。
GAFAとは=グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェイスブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の4社のこと。世界中の多くのユーザーが4社のサービスをプラットフォームにしている。それは、商品やサービスとか情報を提供する基盤となる企業で、世界中の多くのユーザーが、4社の提供するサービスをプラットフォームとして利用しているわけだ。
そういった市場確保の業態は、当初は寡占・独占を打ち破る自由市場をうたって成長した経歴を持つのだが、創業経営者の変更や金融資本の投資そして国家が介入や結託をしてしまうと、見事に変質してしまう。

だから「高度な固有価値製品のモノづくり」を目指しても、“商品にタガをはめられ”=単なる労働力集積商品を強いられ、GAFAの仕入れで買い叩かれ、何の変哲もない商品水準に落とされたところで、あなたの会社とあなた自身が、彼らの歯車に変質されてしまうわけだ。当初は「高度な固有価値製品のモノづくり」として自由を求めたとしても、たとえ理想にしがみついたとしても、実態は変質させられてしまう。
歴史的に見ても、封建制度や土地から解放されて自由を求めたけれども、うかうかしてる間に事業そのものが“搾取と収奪”されるようになった歴史事実は、マルクスが資本論で証明した範囲においては正しいのだ。(ただし、後のエンゲルスの論理修正、ジンメルの論理確立、スターリンの捏造といったものが、今や学問的には発見確立されている)。近年のJustin Time生産システム(別名:リーン生産方式)も、トヨタ生産方式のカンバンと呼ばれる帳票(看板)を利用すること等から始められたが、当初の導入時には在庫を持たないから、「協力会社の金庫には現金がいっぱいになります」といった“口車を並べたてる事”からの促進が行われたのだ。(協力会社からすれば手形割引の慣習で不自由に晒され、トヨタ自体も手形割引事業を行っていたのが実態だ)。とにかく当時は、“口車や語り口を並べたてる事”で中堅中小企業経営者は“笑みの眉開く”だけで、良く知らずに導入した。
★ところが、コロナ感染で破綻した資本投資型の事業業態にしても、時折寸断する在庫を持たないサプライチェーンにしても、現代の自由市場経済(←資本主義経済の旧名)で向上したわけではない。
“いくつかに集積される金融資本”の総額は、集積されるから超多額には見えるが、その額は数えたり計算したりすることは不可能だけれど、全体の利潤利益率が低減をしていることは科学的論理としては間違いない。それは中国本土や北朝鮮の自由市場経済には現れない投資においても同様である。(中国などは資本主義経済理論の着想では分析できず、欧州などの貴族の投資先であることも、それを知る人自体が少ない)。

要するに、利潤利益率を確保する事業展開のポイント
地産地消=地元地域にしっかりと足をつけた「ものづくり」あるいは販売だ。
【解説】間違ってはいけないのは、原材料などの仕入れは地元外からやGAFAからでも良いが、最終完結する労働の投入の仕事場所が地元の地産地消であることだ。原材料が地元に有るからといって地産地消を組み立てた事業は、概ね失敗に至った。昔から、北海道昆布の地産地消は、富山、敦賀、大阪だ。辛子明太子の原材料は昔から北海道とか海外産で福岡製造の地産地消(が7割は北海道へ転送)だ。
すなわち、その地産地消の地域に集積した労働全般の能力が決め手なのだ。その法則は世界共通であり、単なる原材料調達先は世界をめまぐるしく変遷している。その変遷を支えるのがGAFAといった企業ではある。したがってGAFAなどの事業の行き着く先は、究極の市場拡大と利潤利益率の低減なのである。だから、市場拡大のためにGAFAなどは米中経済戦争の闇の主役になる必要もあり、併せて仕入れ価格の買い叩きは宿命であり、そうしなければ事業維持ができない。加えて管理体制とその維持費にも膨大な資金がかかるわけだ。石油会社にしろ、破綻に向かう新自由主義にしろ、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ(無意味な仕事、それにまとわる人物とは=次のURL)。


最も手堅い「ものづくり」、あるいは販売は、先ほどの意味での地産地消が原則なのである。衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるモノに限り伸びているのだ。広い意味の芸術性(Art域)を持つ“製品やサービス”は伸びている。これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”)に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神=人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになる。観光産業だとしても、それを支えるの「ものづくり」の原則は共通している。GAFAに翻弄されればインバウンドには低劣で低利潤利益率のセックス売春がはびこるばかりになるのだ。
老舗の観光立国での、「フィンランドには何もない?」の売り込みには、芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”を科学的に織り込み、観光客は人と自然に触れる体験に高い利潤利益率の「ものづくり」あるいは販売に触れるわけだ。「フィンランドの人の考え方はどんなもの?」とて、フィンランド観光担当局は意識していると言っている。地産地消とは、地元地域(最小単位は中学校区)から世界へ向けての多国籍展開を行う。これが今からの展開であり、それは世界的には常識的であり通例なのである。


高度な固有価値製品の「ものづくり」=Art域労働版(2021年4月6日改訂)
ちょうど今から8年前の、4月8日発行の当メルマガで、
リーマンショック後の日本経済破綻と「ものづくり」の打開策を書いた。
(総務部メルマガ2013/04/08号から引用)___
『日本は、今日の経済破たんを迎えた。政府の金融政策は効果がない、通貨貸出準備が整っているも個別企業に貸し出すだけの新商品がないのである。既存の商品は労働力商品も含め低下の一途をたどっている、この現象をデフレと称して「不況?」と呼んでいるにすぎない。そこで、固有価値商品に目を向け、且つ世界経済や世界市場に目を向けながら、日本国内のここ60年ほどの新商品開発の教訓を踏まえ、世界的成功している新商品開発をまとめたものが次の項に示したものである。そしてこれらは、もう既に導入した個別企業においての成功を繰り返しつつある』。
_____引用はココまで。

新型コロナ感染で崩壊後の、経済史的な打開策は
それは以下の通りだ。歴史の流れに逆らっていては、本当に労多く無駄な時間だ。
いわゆる封建時代は土地に縛られ自由も知らなかったが、都市に働きに出て、“賃金労働”といえども貨幣を道具として自由は増えた。自由平等を目指すことで経済活動は、貨幣を道具としての“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法(自由市場経済)である。
その際に、今日の話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」だ。そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であるとのことが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。
そして、☆「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明に達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではないのだ。
労働力の切り売りで厚生のみを得る“賃金労働”から、今後はArt域労働が幸せになる権利を拡充する。Art域労働の高利潤高利益率は、“賃金労働”の労働力での“煩わしい仕事をこなさなければならない場合に限られる”とは異なる。Art域労働で幸せを得て能力も伸びる志向は、ICT産業革命とともに進展させることが可能になった。その科学的学問的解明も次のURLの通りに示された。(専門学者によると、この“幸せになる権利”は、Art域労働の価格決定論とともに、世界的高水準の発見とのことだ)。


消費財の固有文化価値商品「ものづくり」①~⑨の9個
それは、地産地域の(地域の最小単位=中学校区単位の行政単位)、
地場経済圏、地方経済圏、民族文化その他に蓄積された、
「労働蓄積+労働能力+労働力発揮」といった労働価値に基づくところの、商品開発作業である。


製品の1ヵ所だけを変えて、現代の非凡(自然素材活用とか木製自動車その他の例)にしてみる。
(例=日本画と同じ手法でも異なるものに⇒)
絵画(美術)は色彩=心の鏡・表面の表象、彫刻には:手触り感のたなごころ(掌)。
音楽は空間把握、それは、Background MusicとかElaborately Produceとは違う。
詩Poemは時系列の思考パターンであり、その感情移入は、登場人物と自分あるいはリアルとバーチャルのプロセスである。
感情移入は、芸術(Art域)や道徳・理性力のトレーニングとなる。
ただし、非凡なだけの行為はイノベーションでも芸術(Art域)でもない。
https://soumubu1.blogspot.com/2021/03/blog-post.html


重要な改善の発見きっかけのツボは、「他社と違う、他地域と違う。」ところにある。ところが地産地域の商品開発作業は、各地域のオリジナルな中身である。
そもそも本来は地産地域を越えて交換されるから、物資が商品として成り立つのである。単なる違う機能を求めることはイノベーションではない。
単なる利便性とか単なる価格といった品物の背景には、必ず経済外要素の軍事力や安定交通ルートを要する。だがそれでは、自由市場経済の商品ではないのだ(配給物資とか計画経済物資)。


固有価値商品の新鮮さをアピールするイベントを行う。新鮮さとは自然を活用した生物だけのことではない。店先の実演販売、半製品を店先で完成する、その他の演出による買い手との意思疎通である。
要するにビジュアル映像では商品の新鮮さが伝わらない、匂いを醸し出すIT機器を備えても伝わらない。共感とコミュニケーションが決め手だ。テレワーク&リモートアクセスでは、限界があり空振りが多い、そして安物しか売れない。



←こんな配給物資は、もう売れない。
商品の容器や容量を変えてみる(土地柄、一人暮しや核家族向けの数量、保存法)。買い手の、「意欲・感動・希望」を探ることになる。
Art域労働の具現化には、受ける側に希望が呼び込まれる要件が必要となる。それには、容器や容量が重要ポイントとなる。
配給物資とか計画経済物資は、自由市場経済の商品とは異なった、大量輸送価格とかその荷造り運搬経費が前提となっている。


製品(家電、衣料、水、自動車、食品、住居など)の原材料とか成分を変えてみる。その地方特産品だからといって、その特産物を商品原材料に使うことでは、固有文化価値商品は生まれないのだ。カラシ明太子など水産加工品、昆布製品などすべて労働集約商品である。
繰り返すが、地産地域の商品開発のArt域労働やその作業は、地産地域のオリジナルであって、そういった物資が地産地域を越えて交換されるから商品として成り立っているのである。

GAFAなどによって流通する商品はArt域労働によるものではないから販売量や価格には限界がある。だから、Art域労働による固有文化価値商品は、地域を越えて高利潤利益率を保ちながら、仲介販売を介して、価値を具現化する仕組みとなっているのだ。
脳内の模倣Mimesisでもって、その固有の価値を共有するからこそ、
相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、その後の量的販売の道が開かれるわけだ。
こういった事は経営手法の基本であり、自由市場経済の商品の分析を成し得た経済学、および自由市場経済の仲介販売経験則を、科学的に分析した経営学が導く事柄である。


顧客が前に何を買い、途中は次に何を買い、また考え直して買った品物を調べてみるといった、「その商品を買うに至る顧客の旅」をよく見る。これも、自由市場経済の商品の仲介販売での経営手法である。配給物資とか計画経済物資とか、そしてGAFAに頼る仲介販売では、せいぜい購入履歴は残せても、「その商品を買うに至る顧客の旅」といった物事は集約できない。

そこは仲介販売においては、無駄な労力を省き高利潤高利益率を保つことを焦点に保つにもかかわらず。
仲介販売のArt域労働が、更に商品のストーリー(コンテクスト)を添える。それは⇒ホッ!とする効果であり、「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化をプロデュースしている。
長持ちとか丈夫さを、ことさら遮二無二持ち出す集団ではなく、仮に、「使い捨て商品」と名付けられるArt域労働による固有文化価値商品も、メリハリを持った商品ストーリーと「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化をプロデュースするのである。


真実を現す色にする。「独自の色彩:それとも:ぼんやり灰色か?」といったような色決めを行う。「絵画(美術)は色彩=心の鏡・表面の表象を加えることである。

脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)のである。
「真実を現す」とは、買い手の心の中にある事象であって、裁判所や研究機関といった団体の論理判断とか、地球自然現象の中にあるのではない。むしろ、そういった論理判断とか地球自然現象を話題とする話の内部には、配給物資とか計画経済物資とかの概念が、経済性という美名のもとに、真実を無視してしまった弊害商品として山のようにある。粗悪な部品や材料にこそ色を塗ることが然り。短命かつ安価な建築物を色彩でごまかしガラスなどの装飾物を用いて、[ひと目で凄いを追求する]ことも一種のPerformanceで、Art域ではない。


買い手が、経験をして知りたい、体験をして集めたいといった、「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化を、それが買い手の知識や認識に組み入れられるようにプロデュースされた商品であること。顧客の体験シリーズや旅(旅とはもとより「人生の旅」に近い概念で、決しては団体旅行パックなどではない)。加えてメソッドバッジ(技能章)といった如くのグッズも用意するところまで徹底することだ。
それは、Art域商品作り手の人物自身がArt域であり、その人の生き方がArt域だから、その固有文化価値を脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)というわけなのである。
GAFAが専ら扱う物品は、商品作り手の個を滅する⇒人間疎外の果てのスキルSkill(労働力技能)の品物である。人物自身のArt域ではなく、アイドル(偶像崇拝)の一形態を求める品物のPerformance(職人技巧)の提供に限定せざるを得ない。要するに、人間疎外のスキルの品物は原材料の意味でしかなく、アイドル(偶像崇拝)の一形態である品物(他人より有利な地位利益を得るための物資)では直ちに飽きが来てしまうのである。


[コラム1]Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと

例えば自転車に乗れるといった相当後日でも思い出すような習慣は、努力で以って獲得されない。「出来るようになった!」とは、細々とした初歩的鍛錬が成功し→その段階が脳内で高度計算処理され→リズミカルに脳内構成されたた間に→初めて「習慣」として獲得される。

そこに辛苦を伴う努力は無い。最低限の時間経過と、各の段階を経る必要があり、これをシャニムニ精神や努力を積み重ねたところで、「習慣」として獲得されはしないということだ。
それは一夜漬けの記憶といったものは習慣になり得ないということでもある。
芸術や技能の鍛錬を、世間で人々が、「能力がない!」と錯覚していることは、そのほぼすべてが、物理的障害によるものと言われている。鍛錬が成功しない原因を、無知な者ほど非論理的に非科学的に説明している。この物理的障害を見抜き排除することが、いわゆる現代で言うクリエイティブな労働(典型的にはArt域労働)の基盤なのだ。

行動科学などの実証研究によると、
①鍛錬の序では、念頭に総合的なリズミカルさで好奇心を持ち、
②上手く描けない、上手く弾けない歌えないなど、細かな筋肉未発達にもよる。
③鍛錬は睡眠の前=内容を忘れないうちに寝ること、
④脳の機能は出力重視であるから、
 目覚めればヤッテみる&話してみる&マトメてみることが
 大切なフィードバック行為であり、
⑤その期間は、短くて済むものでも21日間、長きを要するものは66日間、
 これはどちらかいずれの期間だとの研究結果だ。
 その間に連続2日サボると習得は困難とされている。

戦後の経済成長では、こんな例がある。
=終戦後、松下電器産業はベルトコンベヤー(テーラーシステムの応用)を導入したが、同時に“民謡=ソーラン節”の踊りを従事者に教え、今日で言うリズミカルさを身につけさせた。その後関西では、その踊りが職場の飲み会などで流行した。それは当時の人事院や公務員関係機関でも紹介がされたが、やはりそこでは実らなかったようであった。
(総務部メルマガ 2018/11/06 から引用・加筆)


常に非凡な商品・製品を設計してみること。
「思考の地図」といったような、別々のアイディアの結合をすることは、イノベーションの前段階である。それに便利な5次元の思考X・Y・Z+Time+Connectは、Art域労働に特有なもので、その労働形態そのものが、幸せを得る・幸せになる権利の実行そのものなのだ。そこでは常に新技術・空間把握・アイディアの3つが一体に企画され、可能な限りその作業は分離も分業もなされ、伝統産業に値すればこそ、この3つは重視されている。自由平等を追求するための社会にあっては、職業団体の倫理とは、常に職業能力水準向上を重要な課題と位置づけている。
さらに、美と善(=進化に資すること)はどこかでつながっている。それは“仕事が出来る人物”ならば肌で感じている。このこと自体も、先ほどの脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)のである。「芸術性のない事業は廃れていく」といったことも科学的論理は証明されてている。
だが、これらに対抗して、この新技術・空間把握・アイディアの3つを重視もすることのない組織が物事を仕切って差配していることが主要原因となって、芸術や道徳・理性とは相反する行為に陥っているのが現状だ。
自由平等が形骸化しつつある現状日本では封建的差別的行為が横行して、職業能力は劣化しつつある。加えて職業能力劣化とともに、経済外的な支配が横行し、更に能力劣化は進む。そこまで落ちればArt域な労働や生活からも遊離し、反社会勢力に転落するのは人類の歴史の常なのである。


[コラム2]物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という

認識とは知っただけではなく、実際に考えたり行ったり出来るという段階である。その実態は、最初からある程度のまとまりを帯びた全体像が一気に表れる目前の体験を、“認識するとか習得する”といった経過によって、「ワカッタ!」となり「デキタ!」となる。

要するに、浅い認識→深い認識→発展を促す認識といった発展経過である。いわゆる「守破離」が認識論の基本であることが哲学解明された。

学校で教えているような、過去の伝統的な認識論は、知覚の素材をバラバラの感覚で追い求め、それらの統合力を意味不明な精神?に依存して、またこれを主観的な形ある表象にまとめるという方法であった。
ところで、人口600万人のフィンランドでの基礎教育は、教師が国語の授業でも理科や社会や算数に話を飛ばすし、音楽や体育の授業に物理や国語の話を持ち出す。そういった教育方法で、人口比に対する有能能力者の比率を増加させている。イノベーション(その中心は物事の結合 Connect 思考)を意識的に論理的にフィンランドの文部省行政教育は行った。
さらにそれは、いわゆる“習い事”全般でも、芸術的基本要素である、“絵・音楽・詩”の3つを“殊にリズミカルに!“経験”することで、結合 Connect 充実させ、かつ広範囲・多人数が習得できるといったこととなる。ルネッサンスは学問的科学的な育成をしなかったがために巨匠を産まなかったというのが定説だ。
貨幣ばかりを優先させた金融資本主義ならでは、物事の認識過程を無視して、さらには分解作業過程を優先(例えばテーラーシステム)させたがために、労働成果物の劣化を招いたと考えられる。ポピュリズムが、その目的を実現するための手続き、過程、制度というものを無視するやり方に偏り、あらゆる制度、手続きというものを、むしろ目的の敵と錯誤して攻撃するといったことになるのも、貨幣ばかりを優先させた金融資本主義の産物といえるのだ。
(総務部メルマガ 2018/11/06 から引用・加筆)



§「国民が働いて借金を返す」、これが“労働貨幣論”
現在日本は、コロナ対策&経済危機対策と称して、借金を湯水を使うように積み上げる予算措置を行っている。財務省は説明する返済とは、全ては先送りだとし、すなわち生まれもしてない孫子の代まで借金を積み上げようというわけだ。

また、MMTを持ち出す人物らは、同じく湯水を使うように財政出動を口にするけれど、返済の話になれば、「国は倒産しない、財政は破綻しない」と叫ぶに過ぎず、答えない。たとえ叫ぶとしても、財政出動を国の会計で行えば、その穴埋めは必要だ。戦前日本の如く、米国その他から借金をして関東軍の中国侵略資金に、満州を拠点に麻薬ビジネスから略奪まで行って、国家財政に補填する」とも言わない。
いずれにしても、「国民が働いて借金を返す」ことになるのだ。
歴史的にも、“労働貨幣論”の幻想妄想を、本気に真に受けて制作導入したのが、正確に言えば各地のソビエトの中でも、ロシア領の旧ソ連だけであった。スターリンらは党内の経済学者を粛清して“労働貨幣論”を無理強いし政策破綻、その無茶苦茶をごまかすために“計画経済”なるものを、権力を背景に実行し、変質経済学まで組み立て輸出したのだ。ナチスのヒットラーは、スターリンの“計画経済”を真似したかったが諦めた。日本は、満州国での日本:商工省の連中が採用した。戦前戦後を通じて日本国内でも、その“計画経済”を真似て実施した。戦前は権力を使い、戦後はアメリカ資金を基にCIA手先が首相となり導入した(米ソ対立の反共防衛と称して)。なお、随伴結果として、国交のない中国や朝鮮半島との密貿易で、日本は関西地方を中心に潤いを得たことも確かだ。

★本来の話に戻れば、
貨幣は商品や資産その他の等価交換物であるとするのは、総ての経済学説に共通している。でも、現実には通貨コントロールによって相場を産み、あたかも価値量が変動したかのように見える。けれども為替相場やインフレ・デフレによって貨幣価値は等価交換の水準に、やはり近づく。そして、「国民が働いて借金を返す」となればそれは国民の労働を意味することとなる。借金返済を国民労働に限定しなければ、終戦後に日本政府が行ったような財産税(所有資産税率での通貨納税&現物納税)となるのが通例なのだ。日本政府は財産税の実施経験がある。ちなみにソ連崩壊のとき、全銀行預金はすべて国が没収した。そしてMMT論者もソ連の“計画経済”の如く無口だ。MMT論者が、話題にせず無口だからとしても、彼らの論理構成や理念に反駁しないわけにはいかない、噛み合わなくてもだ。
さて、そこで、以下徐々に詳しく、フィードバックを繰り返しながら見ていく。

MMTへと、ワラをもつかむノメリ込み
  1. MMTは現代貨幣理論Modern Monetary Theoryといった名称に概念付けられる場合が多い。が、その内情や理論の説明は、MMTを持ち出す人物によって異なる。それどころか、同一人物であっても途中から大変質している実態が通例だ。深くに渡って見識を持つ経済学者とか、科学的見識を持つ論者からのMMTに対する指摘や批判の度に、彼らは次々と内容変質する特徴がある。
  2. 科学とは、ひとことで簡単に試金石の如くに例えて説明すれば、「何時でも何処でも誰でも、法則性を持って説明ができ、聞いた他人も法則を活用できる」と自然・人文(精神)・社会の3分野を横断的に貫く類のモノの事である。
  3. YouTubeなどに流されるMMTの説明は、「これなら、聞いたことあるんだろう」と言わんばかりに、無知かつ愚か者をも誤魔化そうと目論むのか、複式簿記の帳簿概念あるいは会計学の一部の説明ばかりである。そして飛躍して、財政学(経済学の一分野)のつまみ食いに終始している。何千年も用いられる貨幣(江戸時代ならば:米が貨幣)の概念、貨幣と通貨の種類も役割も異なることなど、様々混同して説明している。
  4. 経済活動とは、貨幣を道具として“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法である。貨幣蓄積増進の重要手段として「通貨」は用いられ、「通貨」とはそれ自身は“経済価値のない紙幣・硬貨や電子マネーなどの器材”を用いることであったし、これも何千年と人類が用いてきた社会運営技術の方法や手段である。MMTを持ち出す人物にとっては、こういった歴史的経緯も含めた科学的視点それ自体を知らないようである。(仮に知っておれば、経済学とは異分野の会計や帳簿を話題にするより、無知な人の中途半端な誤理解こそが生じたかもしれない)。
  5. だから結果的に、深くに渡って見識を持つ経済学者とか、科学的見識を持つ論者からは、MMTが相手にされないのである。ただし、日本の権威主義的アカデミックな人からすれば、「無知かつ愚か者」の相手をしないことは、決して道徳的ないしは善(人類進化に資する行為)だとは、わたくし筆者は思わない。
  6. ところで、日本の巷で有名になった、MMTを押し出したであろう人物は彼だ。
    https://youtu.be/Tqo1yOR0AiM
  7. そして、経済史を専門とする某女性経済学者の著作によると、“百花繚乱”となった世界主要のMMTの数々を調べたそうだ。
     ★彼女は、次のように指摘している。
      「国家がどれだけ債務、つまり借金を増やしても大丈夫。
       (とは言うものの)実際は各国の事情を踏まえるべきなど、
        様々な条件をつけている。」。
     さらに、新自由主義について言及し、
      「(そもそもは)非営利がゆえに見過されてきた無駄を省き、
        自由な企業家精神を発揮させる」とし、
         あくまでも、倫理観を前提としたフリードリヒ・ハイエク
          などに示されるネオリベラリズムの範囲内で語られていると。
  8. ところが、日本における新自由主義者の特徴というものは、何のかんの言おうが、経済学の父アダム・スミスが「神の見えざる手」と言ったとの嘘(あのトヨタの社長)を思い出すが、結局は世界共通して、“政府公共部門事業を拡充し、その上で片っ端からオトモダチ業者に事業を分配する”ものでしかなかったということだ。日本の新自由主義者は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけの行為”であった。
  9. 新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれ、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実に視てよく知っている。
     ★そして、先程の某女性経済学者の指摘の通り、
      MMT入門と言いながらも現代貨幣理論は、
      続いて機能的財政論とか、今は責任ある積極財政論といった、
      戦前から使われている中味の政策に変化しているのだ。
      https://youtu.be/0QdKdlyrC1w
  10. MMTを持ち出す人物らは、経済学の父アダム・スミスが着想し、商品の価値尺度である労働時間を価値尺度としての貨幣概念(=労働貨幣論)を、無知無教養の人には分かりやすいと思ったのか、貨幣発生の根拠の無理解の上に生じた、社会にケチをつけたい批判者や、経済学者を粛清したソ連(スターリン計画経済前夜)と同じ乃至は同義語を語っているに過ぎないのだ。
  11. “労働貨幣論”は、ユートピアの象徴でありカール・マルクスによっても批判されけれど、現在MMTを持ち出す人物らは、経済学の中に“労働貨幣論”が存在したことすら無知のようだ。MMT現代的貨幣理論は、そこで、ことさら「難しいけれど銀行融資や帳簿や簿記はまだ馴染みがある」とでも錯覚したのだろうか、「銀行通帳の数字記載」をマネー貨幣だと強弁、そう錯覚させて、要するに国の借金、個人借金、“借金そのものは数字だ!後で国民が働いて返せば良い(納税の原資は労働)”といった、乱暴な見解に過ぎないのだ。
  12. この、「働いて返せば良い(納税の原資は労働)」が“労働貨幣論”そのものなのである。そして彼らは、返済の話になると、話題を変えて他のことを力説することに徹している。はっきり言って彼らが、どのように“労働貨幣論”ではないと否定しその証明を試みても、そんな主張をすれば単なる無法者でしかないという訳だ。“馴染みがある”として錯覚をするには、20世紀初頭のドイツと周辺で、当時の社会主義者から持ち出された“労働貨幣論”が、もっぱら身近な生活消費用商品と労働時間との関連で論議が語られ、その思考パターンと同列の水準なのだ。“労働貨幣論”が成り立たないことは、その当時に社会学者と称されているゲオルク・ジンメルが、「貨幣の哲学」の中で立証している。(ジンメルは、労働貨幣論批判で社会主義者から今でも攻撃をされているが、ドイツではジンメルが、マルクスの未完であった「資本論第3巻」の理論を整理完成させた経済学だと評価されている)。
  13. 最後に、総務部メルマガの過去記事(労働貨幣論を批判)も再掲載する。
    §その典型が、緊縮反対論の松尾教授、財政拡大論のMMT論である。(2019/06/04)
     総務部メルマガ第206号:威勢のよさと悪口に走る:リーダー
    §MMTは、歴史の歯車を逆転させる社会主義経済(2019/09/03)
     総務部メルマガ第209号:マスコミの話のすり替えに騙されない、その真実は

[コラム3]≪ゲオルク・ジンメル:Georg Simmel、1858年-1918年≫

ジンメルは社会学者ということにはなっているが、その学問を築くために極めて詳細な経済活動全般の研究を行っている。
ジンメルの研究スタイルは、あえて体系的な形式を用いることなく遂行していることから、英米をはじめとする“何らかの観念を仮設して、客観的合理的論理構成”を常とする学者たちからは受け入れられなかったようだ。当時の世界経済の中心はイギリスだったから、ことさらに必要以上に裏付け証拠をジンメルが持ち込まなかったスタイルが気に入られなかったようで、当時も経済学者とは認められなかった。むしろ心理学的な表現方法が著作に多かったせいかもしれない。

ところが、彼の著作物からは、今日で言う“行動経済学”に出てくるテーマやそのヒントが目白押しである。ジンメルの示したテーマやそのヒントの実証実験を、主にアメリカの大学で実施されたのではないかと憶測するくらいに共通類似している。行動経済学はダニエル・カーネマンらが切り開いた分野であるが、ダニエルは2002年のノーベル経済学賞の受賞者であっても、自らのことを心理学者だと言っている。

そして、行動経済学の成果は、細かい流れが目に見えて確実な効果を、古典派経済学に比べて生み出しつつある。(今月の総務部メルマガでも紹介)。行動経済学をあれこれとあさる前に、ジンメルの書籍は高価格だから図書館で借りるなどして読めば得るものは少なくない。ただし先ほど述べたが、英米方式の論理構成の形式ではないから、日本で「いわゆる受験勉強が得意だった人」には、体系的かつ文脈の底流に流れるジンメルの“合理一貫性&事実一致性”を取り入れることは、ちょっとばかり困難かもしれない。そういった研究スタイルもあり、歴史的にジンメルの学説は、ナチスドイツの右系全体主義(ハンス・フライヤー)とか欧州極左全体主義(ルカーチ・ジェルジュ)などに、“良いとこ取り&ツマミ食い”された形跡があるのだ。

ジンメルの「貨幣の哲学」は経済学の研究の彼の集大成である。
筆者がジンメルから感じ取るには、彼は物事を、「形式で固めた制度と、(上位目線から見た)傾向と対策によって、本来は自由な市場経済とか社会が歪められている」と言いたそうなのである。そのジンメルの著書「貨幣の哲学」なんかは、ジンメルの読者が、心の底から恋をしている人に向けて、読者のあなたが朗読した方が理解しやすい、とでも言いたそうな文体である。難しい用語は出てくるものの、話口調の論理構成の展開で成されている書籍だ。それは書籍や論文が体系や体裁を優先させるが故に、より真理に近い概念とか文脈や底流が伝達できないといった宿命に陥らないように為された、ジンメルの論理構成であるのだ。
(総務部メルマガ 2018/08/07 から引用・加筆)