2021/04/06

第228号:前門の虎、後門の狼、更に刹那の波

<コンテンツ>
前門の虎=パンデミック、後門の狼=世界経済危機に対し、更に刹那の波
  ・現憲法の社会構成と行政法枠組を壊されている
  ・これに、中堅中小企業はどう、立ち向かうのか

GAFAに翻弄されない「ものづくり」=利潤利益率を確保
  ☆要するに、利潤利益率を確保する事業展開のポイント
  ・高度な固有価値製品の「ものづくり」
       =Art域労働版(2021年4月6日改訂)

  ・新型コロナ感染で崩壊後の、経済史的な打開策は
  ・消費財の固有文化価値商品「ものづくり」①~⑨の9個
 [コラム1]Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと
 [コラム2]物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という

「国民が働いて借金を返す」、それが“労働貨幣論”
  ・MMTへと、ワラをもつかむノメリ込み
 [コラム3]≪ゲオルク・ジンメル:Georg Simmel、1858年-1918年≫


§前門の虎=パンデミック、後門の狼=世界経済危機に対し、更に刹那の波
新型コロナ感染を何かにつけて、経験も無ければ実力もない輩の集団に任せるとか、“こんな輩”に牛耳ることを許したわけだから、今さら文句を云っても批判を繰り返しても、新型コロナ感染の打開の道は、開くわけでもない。

“こんな輩”にとっては、奇跡的に握った地位や権力の座、無能かつ、愚かな体面を晒すことなど苦とも思わない。彼らにとっては、生涯一度も出くわしそうにないチャンス。だから、その心理を順風満帆に育ったエリートや、誰かに依存しながら生きてきた一般大衆には理解ができない。むしろ彼の輩らは、騒ぎや混乱が拡大すれば、再びドサクサ紛れでのチャンスをつかもうと、必死で意気込むのだ。見ての通り“こんな輩”は利権と自己保身目的だ。

本来の帝王学においても、物事が上手くいかなければ、多くの人物の知恵を集め、より多くの人物の参画を組織し、肝心な微に入り細に至る部分での実績を蓄積する。それを通し全体の成功を収めるわけである。それは、“光は波であり粒である”といった人類数千年の経験則であって、現在は量子力学(アインシュタインが発端で2012年に証明)のイメージで語られるに至っている。ところが、無経験・無実力の“こんな輩”にとっては、それを聞いたこと無く、能力の幼稚さからも理解できず、まるっきり、(巷で読者もよく遭遇したことのある)詐欺行為で成り立つ経営者とか、高級サラリーマン層にも存在する“ちょい借り詐欺”師の類なのである。
日本の義務教育における、“社会科・公民科”教育の不十分さから、一般大衆は“こんな輩”を見抜けない、一般大衆のおぼこさが世間に蔓延していると見るのが正解だ。ひいては諸専門家も先頭に、おぼこい。大衆の無関心とか日本人の従順さではない。
だからこそ、公衆衛生(但し国立感染研は保身に走っている)の趣旨が理解できず、難しく表現すれば公衆衛生と臨床医学の、差異と共通点にも気がつかないのだ。たとえば、ワクチンは公衆衛生目的の手段にもかかわらず、感染しないとの誤った期待に騙される。そう、個々人の感染予防や重症化対策は、臨床医学実態として、結果としては感染も重症化も無防備状態と見るのが妥当だ。

現憲法の社会構成と行政法枠組を壊されている
それこそ、“こんな輩”の無血クーデターだ。
臨床医学は地方自治体(市町村や都道府県)を主体にした住民サービス促進体制に組み込まれている。だから厚労省&国立感染研は、地方自治体をバックアップする情報提供や治療指針掲示こそが重要なのだ。が、現状は情報隠蔽と治療等指針につき不作為(治療指針その他を示さない)である。その行政法枠組のもとであって東:世田谷区、和歌山県、広島県等での無症状者感染追跡が、おそらくは功を奏していると思われる。すなわち、新型コロナ対策の方向間違いとボタンのかけ違いは、相当の新型コロナ対策の無駄、根本的不毛と消耗を招いている。無経験無実力の“こんな輩”だから、建議をされても解らない、むしろ“こんな輩”は公衆衛生、臨床医学、地方自治といった舞台での有能有力者を敵扱いするわけだ。目立つためには、有能者の建議を絶対否定する。形勢が悪くなると口先だけ(野党や左派の言葉を盗み)、旧ソ連の語り口の如くに、違和感丸出しにだ。

すなわち、現憲法の許、国が交付金その他予算をちらつかせるのは行政手法体系の間違いだ。東京都庁や大阪府庁での地方自治や地方自治体を蔑ろにしての、知事が目立ちたいがための策略こそが間違いだ。それぞれの結果が感染増加なのである。地元有能専門家や各自治体足元の有能者の離反をも招来しているのでだ。“こんな輩”に媚びへつらい、協力してやっていけば、交付金とか予算等を沢山もらえると期待するのは、まるっきりの錯誤錯覚である。

これに、中堅中小企業はどう、立ち向かうのか
これに民間と圧倒的多数の中堅中小企業は、どう立ち向かうか。
①先ずは、“こんな輩”の話には乗らないこと、耳を傾けない。
②目先の職場と家庭は、飛沫消毒。その徹底を企業ごとに行う。
③感染ルートは、幼児&児童から両親や家族への感染が主流だ。
④飛沫感染予防の消毒、予防サプリや食料、重症化対策サプリ。
⑤Withコロナではなく、職場で安全衛生、家庭での食生活改善。
⑥もはや民間防衛、自治体、職場、自治会からの情報発信が柱。

この項目に沿った情報の具体化は、身近な医師とか産業医に話してみればよい。
新型コロナ感染は、幼児&児童の無症状者が先頭を切っている模様なのだ。
20201128HouseDisinfectionIllust.jpg(bp.blogspot.com)

発症しやすい体質とか生活習慣の情報も、厚労省からの発信ではなく、個別医師レベルに到達するようになった。新型コロナとその後の重症化に対応する特効薬や治療薬が、未だ無い段階でも、重症化=間質性肺炎に対する抗酸化物質(グルタチオン)とか、全身の血栓による臓器等多機能不全に対する抗血液凝固剤(ヘパリン、クエン酸トリナトリウム)といったサプリ域でも有効な情報も流れている。何も酸欠発見⇒酸素吸入といった病院対症療法に限らず、重症化の肺炎は発症9日目がピークだとか、全身の毛細血管の血栓による臓器多機能不全は発症早期に発生しているとかの、臨床先進治療医師の情報も、医師にも所属団体外からも個別に入るようにもなった。

私自身は、政治には飽き飽きして全く関心はない。
が、与党野党や無所属を問わず共に、せめて議員や首長に当選とかしたいのならば、あるいは民衆の支持を得たいならば、①~⑥といった中味を地道に、“どぶ板並みに”実践することだと思う(約半世紀の現職業センスから着想)。私自身は住民投票以外は政治には関心すら持っていない、けれど、保守×革新→与党×野党といった団体戦の時代は、とっくに終わった。


§GAFAに翻弄されない「ものづくり」=利潤利益率を確保
こういった4社など“プラットフォーム”に、“おんぶに抱っこ”になっていれば、いくら「高度な固有価値製品のモノづくり」だとしても、時間が経てば4社等に振り回されてしまう。
またそれは、この4社だけには限らず、同様の事業や機能、そして中国の“阿里巴巴Alibaba アリババ”その他であっても、“おんぶに抱っこ”であれば振り回される。
GAFAとは=グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェイスブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の4社のこと。世界中の多くのユーザーが4社のサービスをプラットフォームにしている。それは、商品やサービスとか情報を提供する基盤となる企業で、世界中の多くのユーザーが、4社の提供するサービスをプラットフォームとして利用しているわけだ。
そういった市場確保の業態は、当初は寡占・独占を打ち破る自由市場をうたって成長した経歴を持つのだが、創業経営者の変更や金融資本の投資そして国家が介入や結託をしてしまうと、見事に変質してしまう。

だから「高度な固有価値製品のモノづくり」を目指しても、“商品にタガをはめられ”=単なる労働力集積商品を強いられ、GAFAの仕入れで買い叩かれ、何の変哲もない商品水準に落とされたところで、あなたの会社とあなた自身が、彼らの歯車に変質されてしまうわけだ。当初は「高度な固有価値製品のモノづくり」として自由を求めたとしても、たとえ理想にしがみついたとしても、実態は変質させられてしまう。
歴史的に見ても、封建制度や土地から解放されて自由を求めたけれども、うかうかしてる間に事業そのものが“搾取と収奪”されるようになった歴史事実は、マルクスが資本論で証明した範囲においては正しいのだ。(ただし、後のエンゲルスの論理修正、ジンメルの論理確立、スターリンの捏造といったものが、今や学問的には発見確立されている)。近年のJustin Time生産システム(別名:リーン生産方式)も、トヨタ生産方式のカンバンと呼ばれる帳票(看板)を利用すること等から始められたが、当初の導入時には在庫を持たないから、「協力会社の金庫には現金がいっぱいになります」といった“口車を並べたてる事”からの促進が行われたのだ。(協力会社からすれば手形割引の慣習で不自由に晒され、トヨタ自体も手形割引事業を行っていたのが実態だ)。とにかく当時は、“口車や語り口を並べたてる事”で中堅中小企業経営者は“笑みの眉開く”だけで、良く知らずに導入した。
★ところが、コロナ感染で破綻した資本投資型の事業業態にしても、時折寸断する在庫を持たないサプライチェーンにしても、現代の自由市場経済(←資本主義経済の旧名)で向上したわけではない。
“いくつかに集積される金融資本”の総額は、集積されるから超多額には見えるが、その額は数えたり計算したりすることは不可能だけれど、全体の利潤利益率が低減をしていることは科学的論理としては間違いない。それは中国本土や北朝鮮の自由市場経済には現れない投資においても同様である。(中国などは資本主義経済理論の着想では分析できず、欧州などの貴族の投資先であることも、それを知る人自体が少ない)。

要するに、利潤利益率を確保する事業展開のポイント
地産地消=地元地域にしっかりと足をつけた「ものづくり」あるいは販売だ。
【解説】間違ってはいけないのは、原材料などの仕入れは地元外からやGAFAからでも良いが、最終完結する労働の投入の仕事場所が地元の地産地消であることだ。原材料が地元に有るからといって地産地消を組み立てた事業は、概ね失敗に至った。昔から、北海道昆布の地産地消は、富山、敦賀、大阪だ。辛子明太子の原材料は昔から北海道とか海外産で福岡製造の地産地消(が7割は北海道へ転送)だ。
すなわち、その地産地消の地域に集積した労働全般の能力が決め手なのだ。その法則は世界共通であり、単なる原材料調達先は世界をめまぐるしく変遷している。その変遷を支えるのがGAFAといった企業ではある。したがってGAFAなどの事業の行き着く先は、究極の市場拡大と利潤利益率の低減なのである。だから、市場拡大のためにGAFAなどは米中経済戦争の闇の主役になる必要もあり、併せて仕入れ価格の買い叩きは宿命であり、そうしなければ事業維持ができない。加えて管理体制とその維持費にも膨大な資金がかかるわけだ。石油会社にしろ、破綻に向かう新自由主義にしろ、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ(無意味な仕事、それにまとわる人物とは=次のURL)。


最も手堅い「ものづくり」、あるいは販売は、先ほどの意味での地産地消が原則なのである。衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるモノに限り伸びているのだ。広い意味の芸術性(Art域)を持つ“製品やサービス”は伸びている。これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”)に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神=人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになる。観光産業だとしても、それを支えるの「ものづくり」の原則は共通している。GAFAに翻弄されればインバウンドには低劣で低利潤利益率のセックス売春がはびこるばかりになるのだ。
老舗の観光立国での、「フィンランドには何もない?」の売り込みには、芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”を科学的に織り込み、観光客は人と自然に触れる体験に高い利潤利益率の「ものづくり」あるいは販売に触れるわけだ。「フィンランドの人の考え方はどんなもの?」とて、フィンランド観光担当局は意識していると言っている。地産地消とは、地元地域(最小単位は中学校区)から世界へ向けての多国籍展開を行う。これが今からの展開であり、それは世界的には常識的であり通例なのである。


高度な固有価値製品の「ものづくり」=Art域労働版(2021年4月6日改訂)
ちょうど今から8年前の、4月8日発行の当メルマガで、
リーマンショック後の日本経済破綻と「ものづくり」の打開策を書いた。
(総務部メルマガ2013/04/08号から引用)___
『日本は、今日の経済破たんを迎えた。政府の金融政策は効果がない、通貨貸出準備が整っているも個別企業に貸し出すだけの新商品がないのである。既存の商品は労働力商品も含め低下の一途をたどっている、この現象をデフレと称して「不況?」と呼んでいるにすぎない。そこで、固有価値商品に目を向け、且つ世界経済や世界市場に目を向けながら、日本国内のここ60年ほどの新商品開発の教訓を踏まえ、世界的成功している新商品開発をまとめたものが次の項に示したものである。そしてこれらは、もう既に導入した個別企業においての成功を繰り返しつつある』。
_____引用はココまで。

新型コロナ感染で崩壊後の、経済史的な打開策は
それは以下の通りだ。歴史の流れに逆らっていては、本当に労多く無駄な時間だ。
いわゆる封建時代は土地に縛られ自由も知らなかったが、都市に働きに出て、“賃金労働”といえども貨幣を道具として自由は増えた。自由平等を目指すことで経済活動は、貨幣を道具としての“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法(自由市場経済)である。
その際に、今日の話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」だ。そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であるとのことが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。
そして、☆「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明に達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではないのだ。
労働力の切り売りで厚生のみを得る“賃金労働”から、今後はArt域労働が幸せになる権利を拡充する。Art域労働の高利潤高利益率は、“賃金労働”の労働力での“煩わしい仕事をこなさなければならない場合に限られる”とは異なる。Art域労働で幸せを得て能力も伸びる志向は、ICT産業革命とともに進展させることが可能になった。その科学的学問的解明も次のURLの通りに示された。(専門学者によると、この“幸せになる権利”は、Art域労働の価格決定論とともに、世界的高水準の発見とのことだ)。


消費財の固有文化価値商品「ものづくり」①~⑨の9個
それは、地産地域の(地域の最小単位=中学校区単位の行政単位)、
地場経済圏、地方経済圏、民族文化その他に蓄積された、
「労働蓄積+労働能力+労働力発揮」といった労働価値に基づくところの、商品開発作業である。


製品の1ヵ所だけを変えて、現代の非凡(自然素材活用とか木製自動車その他の例)にしてみる。
(例=日本画と同じ手法でも異なるものに⇒)
絵画(美術)は色彩=心の鏡・表面の表象、彫刻には:手触り感のたなごころ(掌)。
音楽は空間把握、それは、Background MusicとかElaborately Produceとは違う。
詩Poemは時系列の思考パターンであり、その感情移入は、登場人物と自分あるいはリアルとバーチャルのプロセスである。
感情移入は、芸術(Art域)や道徳・理性力のトレーニングとなる。
ただし、非凡なだけの行為はイノベーションでも芸術(Art域)でもない。
https://soumubu1.blogspot.com/2021/03/blog-post.html


重要な改善の発見きっかけのツボは、「他社と違う、他地域と違う。」ところにある。ところが地産地域の商品開発作業は、各地域のオリジナルな中身である。
そもそも本来は地産地域を越えて交換されるから、物資が商品として成り立つのである。単なる違う機能を求めることはイノベーションではない。
単なる利便性とか単なる価格といった品物の背景には、必ず経済外要素の軍事力や安定交通ルートを要する。だがそれでは、自由市場経済の商品ではないのだ(配給物資とか計画経済物資)。


固有価値商品の新鮮さをアピールするイベントを行う。新鮮さとは自然を活用した生物だけのことではない。店先の実演販売、半製品を店先で完成する、その他の演出による買い手との意思疎通である。
要するにビジュアル映像では商品の新鮮さが伝わらない、匂いを醸し出すIT機器を備えても伝わらない。共感とコミュニケーションが決め手だ。テレワーク&リモートアクセスでは、限界があり空振りが多い、そして安物しか売れない。



←こんな配給物資は、もう売れない。
商品の容器や容量を変えてみる(土地柄、一人暮しや核家族向けの数量、保存法)。買い手の、「意欲・感動・希望」を探ることになる。
Art域労働の具現化には、受ける側に希望が呼び込まれる要件が必要となる。それには、容器や容量が重要ポイントとなる。
配給物資とか計画経済物資は、自由市場経済の商品とは異なった、大量輸送価格とかその荷造り運搬経費が前提となっている。


製品(家電、衣料、水、自動車、食品、住居など)の原材料とか成分を変えてみる。その地方特産品だからといって、その特産物を商品原材料に使うことでは、固有文化価値商品は生まれないのだ。カラシ明太子など水産加工品、昆布製品などすべて労働集約商品である。
繰り返すが、地産地域の商品開発のArt域労働やその作業は、地産地域のオリジナルであって、そういった物資が地産地域を越えて交換されるから商品として成り立っているのである。

GAFAなどによって流通する商品はArt域労働によるものではないから販売量や価格には限界がある。だから、Art域労働による固有文化価値商品は、地域を越えて高利潤利益率を保ちながら、仲介販売を介して、価値を具現化する仕組みとなっているのだ。
脳内の模倣Mimesisでもって、その固有の価値を共有するからこそ、
相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、その後の量的販売の道が開かれるわけだ。
こういった事は経営手法の基本であり、自由市場経済の商品の分析を成し得た経済学、および自由市場経済の仲介販売経験則を、科学的に分析した経営学が導く事柄である。


顧客が前に何を買い、途中は次に何を買い、また考え直して買った品物を調べてみるといった、「その商品を買うに至る顧客の旅」をよく見る。これも、自由市場経済の商品の仲介販売での経営手法である。配給物資とか計画経済物資とか、そしてGAFAに頼る仲介販売では、せいぜい購入履歴は残せても、「その商品を買うに至る顧客の旅」といった物事は集約できない。

そこは仲介販売においては、無駄な労力を省き高利潤高利益率を保つことを焦点に保つにもかかわらず。
仲介販売のArt域労働が、更に商品のストーリー(コンテクスト)を添える。それは⇒ホッ!とする効果であり、「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化をプロデュースしている。
長持ちとか丈夫さを、ことさら遮二無二持ち出す集団ではなく、仮に、「使い捨て商品」と名付けられるArt域労働による固有文化価値商品も、メリハリを持った商品ストーリーと「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化をプロデュースするのである。


真実を現す色にする。「独自の色彩:それとも:ぼんやり灰色か?」といったような色決めを行う。「絵画(美術)は色彩=心の鏡・表面の表象を加えることである。

脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)のである。
「真実を現す」とは、買い手の心の中にある事象であって、裁判所や研究機関といった団体の論理判断とか、地球自然現象の中にあるのではない。むしろ、そういった論理判断とか地球自然現象を話題とする話の内部には、配給物資とか計画経済物資とかの概念が、経済性という美名のもとに、真実を無視してしまった弊害商品として山のようにある。粗悪な部品や材料にこそ色を塗ることが然り。短命かつ安価な建築物を色彩でごまかしガラスなどの装飾物を用いて、[ひと目で凄いを追求する]ことも一種のPerformanceで、Art域ではない。


買い手が、経験をして知りたい、体験をして集めたいといった、「意欲・感動・希望」に基づく希望の具体化を、それが買い手の知識や認識に組み入れられるようにプロデュースされた商品であること。顧客の体験シリーズや旅(旅とはもとより「人生の旅」に近い概念で、決しては団体旅行パックなどではない)。加えてメソッドバッジ(技能章)といった如くのグッズも用意するところまで徹底することだ。
それは、Art域商品作り手の人物自身がArt域であり、その人の生き方がArt域だから、その固有文化価値を脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)というわけなのである。
GAFAが専ら扱う物品は、商品作り手の個を滅する⇒人間疎外の果てのスキルSkill(労働力技能)の品物である。人物自身のArt域ではなく、アイドル(偶像崇拝)の一形態を求める品物のPerformance(職人技巧)の提供に限定せざるを得ない。要するに、人間疎外のスキルの品物は原材料の意味でしかなく、アイドル(偶像崇拝)の一形態である品物(他人より有利な地位利益を得るための物資)では直ちに飽きが来てしまうのである。


[コラム1]Art域の能力が無いとは、物理的障害だけのこと

例えば自転車に乗れるといった相当後日でも思い出すような習慣は、努力で以って獲得されない。「出来るようになった!」とは、細々とした初歩的鍛錬が成功し→その段階が脳内で高度計算処理され→リズミカルに脳内構成されたた間に→初めて「習慣」として獲得される。

そこに辛苦を伴う努力は無い。最低限の時間経過と、各の段階を経る必要があり、これをシャニムニ精神や努力を積み重ねたところで、「習慣」として獲得されはしないということだ。
それは一夜漬けの記憶といったものは習慣になり得ないということでもある。
芸術や技能の鍛錬を、世間で人々が、「能力がない!」と錯覚していることは、そのほぼすべてが、物理的障害によるものと言われている。鍛錬が成功しない原因を、無知な者ほど非論理的に非科学的に説明している。この物理的障害を見抜き排除することが、いわゆる現代で言うクリエイティブな労働(典型的にはArt域労働)の基盤なのだ。

行動科学などの実証研究によると、
①鍛錬の序では、念頭に総合的なリズミカルさで好奇心を持ち、
②上手く描けない、上手く弾けない歌えないなど、細かな筋肉未発達にもよる。
③鍛錬は睡眠の前=内容を忘れないうちに寝ること、
④脳の機能は出力重視であるから、
 目覚めればヤッテみる&話してみる&マトメてみることが
 大切なフィードバック行為であり、
⑤その期間は、短くて済むものでも21日間、長きを要するものは66日間、
 これはどちらかいずれの期間だとの研究結果だ。
 その間に連続2日サボると習得は困難とされている。

戦後の経済成長では、こんな例がある。
=終戦後、松下電器産業はベルトコンベヤー(テーラーシステムの応用)を導入したが、同時に“民謡=ソーラン節”の踊りを従事者に教え、今日で言うリズミカルさを身につけさせた。その後関西では、その踊りが職場の飲み会などで流行した。それは当時の人事院や公務員関係機関でも紹介がされたが、やはりそこでは実らなかったようであった。
(総務部メルマガ 2018/11/06 から引用・加筆)


常に非凡な商品・製品を設計してみること。
「思考の地図」といったような、別々のアイディアの結合をすることは、イノベーションの前段階である。それに便利な5次元の思考X・Y・Z+Time+Connectは、Art域労働に特有なもので、その労働形態そのものが、幸せを得る・幸せになる権利の実行そのものなのだ。そこでは常に新技術・空間把握・アイディアの3つが一体に企画され、可能な限りその作業は分離も分業もなされ、伝統産業に値すればこそ、この3つは重視されている。自由平等を追求するための社会にあっては、職業団体の倫理とは、常に職業能力水準向上を重要な課題と位置づけている。
さらに、美と善(=進化に資すること)はどこかでつながっている。それは“仕事が出来る人物”ならば肌で感じている。このこと自体も、先ほどの脳内の模倣Mimesisでもって文化価値を共有するからこそ、相対して買い手は共感Empathyする(ミラーニューロンMirrorneuron)のである。「芸術性のない事業は廃れていく」といったことも科学的論理は証明されてている。
だが、これらに対抗して、この新技術・空間把握・アイディアの3つを重視もすることのない組織が物事を仕切って差配していることが主要原因となって、芸術や道徳・理性とは相反する行為に陥っているのが現状だ。
自由平等が形骸化しつつある現状日本では封建的差別的行為が横行して、職業能力は劣化しつつある。加えて職業能力劣化とともに、経済外的な支配が横行し、更に能力劣化は進む。そこまで落ちればArt域な労働や生活からも遊離し、反社会勢力に転落するのは人類の歴史の常なのである。


[コラム2]物事を理解実行するとか習得する方法を認識論という

認識とは知っただけではなく、実際に考えたり行ったり出来るという段階である。その実態は、最初からある程度のまとまりを帯びた全体像が一気に表れる目前の体験を、“認識するとか習得する”といった経過によって、「ワカッタ!」となり「デキタ!」となる。

要するに、浅い認識→深い認識→発展を促す認識といった発展経過である。いわゆる「守破離」が認識論の基本であることが哲学解明された。

学校で教えているような、過去の伝統的な認識論は、知覚の素材をバラバラの感覚で追い求め、それらの統合力を意味不明な精神?に依存して、またこれを主観的な形ある表象にまとめるという方法であった。
ところで、人口600万人のフィンランドでの基礎教育は、教師が国語の授業でも理科や社会や算数に話を飛ばすし、音楽や体育の授業に物理や国語の話を持ち出す。そういった教育方法で、人口比に対する有能能力者の比率を増加させている。イノベーション(その中心は物事の結合 Connect 思考)を意識的に論理的にフィンランドの文部省行政教育は行った。
さらにそれは、いわゆる“習い事”全般でも、芸術的基本要素である、“絵・音楽・詩”の3つを“殊にリズミカルに!“経験”することで、結合 Connect 充実させ、かつ広範囲・多人数が習得できるといったこととなる。ルネッサンスは学問的科学的な育成をしなかったがために巨匠を産まなかったというのが定説だ。
貨幣ばかりを優先させた金融資本主義ならでは、物事の認識過程を無視して、さらには分解作業過程を優先(例えばテーラーシステム)させたがために、労働成果物の劣化を招いたと考えられる。ポピュリズムが、その目的を実現するための手続き、過程、制度というものを無視するやり方に偏り、あらゆる制度、手続きというものを、むしろ目的の敵と錯誤して攻撃するといったことになるのも、貨幣ばかりを優先させた金融資本主義の産物といえるのだ。
(総務部メルマガ 2018/11/06 から引用・加筆)



§「国民が働いて借金を返す」、これが“労働貨幣論”
現在日本は、コロナ対策&経済危機対策と称して、借金を湯水を使うように積み上げる予算措置を行っている。財務省は説明する返済とは、全ては先送りだとし、すなわち生まれもしてない孫子の代まで借金を積み上げようというわけだ。

また、MMTを持ち出す人物らは、同じく湯水を使うように財政出動を口にするけれど、返済の話になれば、「国は倒産しない、財政は破綻しない」と叫ぶに過ぎず、答えない。たとえ叫ぶとしても、財政出動を国の会計で行えば、その穴埋めは必要だ。戦前日本の如く、米国その他から借金をして関東軍の中国侵略資金に、満州を拠点に麻薬ビジネスから略奪まで行って、国家財政に補填する」とも言わない。
いずれにしても、「国民が働いて借金を返す」ことになるのだ。
歴史的にも、“労働貨幣論”の幻想妄想を、本気に真に受けて制作導入したのが、正確に言えば各地のソビエトの中でも、ロシア領の旧ソ連だけであった。スターリンらは党内の経済学者を粛清して“労働貨幣論”を無理強いし政策破綻、その無茶苦茶をごまかすために“計画経済”なるものを、権力を背景に実行し、変質経済学まで組み立て輸出したのだ。ナチスのヒットラーは、スターリンの“計画経済”を真似したかったが諦めた。日本は、満州国での日本:商工省の連中が採用した。戦前戦後を通じて日本国内でも、その“計画経済”を真似て実施した。戦前は権力を使い、戦後はアメリカ資金を基にCIA手先が首相となり導入した(米ソ対立の反共防衛と称して)。なお、随伴結果として、国交のない中国や朝鮮半島との密貿易で、日本は関西地方を中心に潤いを得たことも確かだ。

★本来の話に戻れば、
貨幣は商品や資産その他の等価交換物であるとするのは、総ての経済学説に共通している。でも、現実には通貨コントロールによって相場を産み、あたかも価値量が変動したかのように見える。けれども為替相場やインフレ・デフレによって貨幣価値は等価交換の水準に、やはり近づく。そして、「国民が働いて借金を返す」となればそれは国民の労働を意味することとなる。借金返済を国民労働に限定しなければ、終戦後に日本政府が行ったような財産税(所有資産税率での通貨納税&現物納税)となるのが通例なのだ。日本政府は財産税の実施経験がある。ちなみにソ連崩壊のとき、全銀行預金はすべて国が没収した。そしてMMT論者もソ連の“計画経済”の如く無口だ。MMT論者が、話題にせず無口だからとしても、彼らの論理構成や理念に反駁しないわけにはいかない、噛み合わなくてもだ。
さて、そこで、以下徐々に詳しく、フィードバックを繰り返しながら見ていく。

MMTへと、ワラをもつかむノメリ込み
  1. MMTは現代貨幣理論Modern Monetary Theoryといった名称に概念付けられる場合が多い。が、その内情や理論の説明は、MMTを持ち出す人物によって異なる。それどころか、同一人物であっても途中から大変質している実態が通例だ。深くに渡って見識を持つ経済学者とか、科学的見識を持つ論者からのMMTに対する指摘や批判の度に、彼らは次々と内容変質する特徴がある。
  2. 科学とは、ひとことで簡単に試金石の如くに例えて説明すれば、「何時でも何処でも誰でも、法則性を持って説明ができ、聞いた他人も法則を活用できる」と自然・人文(精神)・社会の3分野を横断的に貫く類のモノの事である。
  3. YouTubeなどに流されるMMTの説明は、「これなら、聞いたことあるんだろう」と言わんばかりに、無知かつ愚か者をも誤魔化そうと目論むのか、複式簿記の帳簿概念あるいは会計学の一部の説明ばかりである。そして飛躍して、財政学(経済学の一分野)のつまみ食いに終始している。何千年も用いられる貨幣(江戸時代ならば:米が貨幣)の概念、貨幣と通貨の種類も役割も異なることなど、様々混同して説明している。
  4. 経済活動とは、貨幣を道具として“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とを交換する方法である。貨幣蓄積増進の重要手段として「通貨」は用いられ、「通貨」とはそれ自身は“経済価値のない紙幣・硬貨や電子マネーなどの器材”を用いることであったし、これも何千年と人類が用いてきた社会運営技術の方法や手段である。MMTを持ち出す人物にとっては、こういった歴史的経緯も含めた科学的視点それ自体を知らないようである。(仮に知っておれば、経済学とは異分野の会計や帳簿を話題にするより、無知な人の中途半端な誤理解こそが生じたかもしれない)。
  5. だから結果的に、深くに渡って見識を持つ経済学者とか、科学的見識を持つ論者からは、MMTが相手にされないのである。ただし、日本の権威主義的アカデミックな人からすれば、「無知かつ愚か者」の相手をしないことは、決して道徳的ないしは善(人類進化に資する行為)だとは、わたくし筆者は思わない。
  6. ところで、日本の巷で有名になった、MMTを押し出したであろう人物は彼だ。
    https://youtu.be/Tqo1yOR0AiM
  7. そして、経済史を専門とする某女性経済学者の著作によると、“百花繚乱”となった世界主要のMMTの数々を調べたそうだ。
     ★彼女は、次のように指摘している。
      「国家がどれだけ債務、つまり借金を増やしても大丈夫。
       (とは言うものの)実際は各国の事情を踏まえるべきなど、
        様々な条件をつけている。」。
     さらに、新自由主義について言及し、
      「(そもそもは)非営利がゆえに見過されてきた無駄を省き、
        自由な企業家精神を発揮させる」とし、
         あくまでも、倫理観を前提としたフリードリヒ・ハイエク
          などに示されるネオリベラリズムの範囲内で語られていると。
  8. ところが、日本における新自由主義者の特徴というものは、何のかんの言おうが、経済学の父アダム・スミスが「神の見えざる手」と言ったとの嘘(あのトヨタの社長)を思い出すが、結局は世界共通して、“政府公共部門事業を拡充し、その上で片っ端からオトモダチ業者に事業を分配する”ものでしかなかったということだ。日本の新自由主義者は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけの行為”であった。
  9. 新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれ、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実に視てよく知っている。
     ★そして、先程の某女性経済学者の指摘の通り、
      MMT入門と言いながらも現代貨幣理論は、
      続いて機能的財政論とか、今は責任ある積極財政論といった、
      戦前から使われている中味の政策に変化しているのだ。
      https://youtu.be/0QdKdlyrC1w
  10. MMTを持ち出す人物らは、経済学の父アダム・スミスが着想し、商品の価値尺度である労働時間を価値尺度としての貨幣概念(=労働貨幣論)を、無知無教養の人には分かりやすいと思ったのか、貨幣発生の根拠の無理解の上に生じた、社会にケチをつけたい批判者や、経済学者を粛清したソ連(スターリン計画経済前夜)と同じ乃至は同義語を語っているに過ぎないのだ。
  11. “労働貨幣論”は、ユートピアの象徴でありカール・マルクスによっても批判されけれど、現在MMTを持ち出す人物らは、経済学の中に“労働貨幣論”が存在したことすら無知のようだ。MMT現代的貨幣理論は、そこで、ことさら「難しいけれど銀行融資や帳簿や簿記はまだ馴染みがある」とでも錯覚したのだろうか、「銀行通帳の数字記載」をマネー貨幣だと強弁、そう錯覚させて、要するに国の借金、個人借金、“借金そのものは数字だ!後で国民が働いて返せば良い(納税の原資は労働)”といった、乱暴な見解に過ぎないのだ。
  12. この、「働いて返せば良い(納税の原資は労働)」が“労働貨幣論”そのものなのである。そして彼らは、返済の話になると、話題を変えて他のことを力説することに徹している。はっきり言って彼らが、どのように“労働貨幣論”ではないと否定しその証明を試みても、そんな主張をすれば単なる無法者でしかないという訳だ。“馴染みがある”として錯覚をするには、20世紀初頭のドイツと周辺で、当時の社会主義者から持ち出された“労働貨幣論”が、もっぱら身近な生活消費用商品と労働時間との関連で論議が語られ、その思考パターンと同列の水準なのだ。“労働貨幣論”が成り立たないことは、その当時に社会学者と称されているゲオルク・ジンメルが、「貨幣の哲学」の中で立証している。(ジンメルは、労働貨幣論批判で社会主義者から今でも攻撃をされているが、ドイツではジンメルが、マルクスの未完であった「資本論第3巻」の理論を整理完成させた経済学だと評価されている)。
  13. 最後に、総務部メルマガの過去記事(労働貨幣論を批判)も再掲載する。
    §その典型が、緊縮反対論の松尾教授、財政拡大論のMMT論である。(2019/06/04)
     総務部メルマガ第206号:威勢のよさと悪口に走る:リーダー
    §MMTは、歴史の歯車を逆転させる社会主義経済(2019/09/03)
     総務部メルマガ第209号:マスコミの話のすり替えに騙されない、その真実は

[コラム3]≪ゲオルク・ジンメル:Georg Simmel、1858年-1918年≫

ジンメルは社会学者ということにはなっているが、その学問を築くために極めて詳細な経済活動全般の研究を行っている。
ジンメルの研究スタイルは、あえて体系的な形式を用いることなく遂行していることから、英米をはじめとする“何らかの観念を仮設して、客観的合理的論理構成”を常とする学者たちからは受け入れられなかったようだ。当時の世界経済の中心はイギリスだったから、ことさらに必要以上に裏付け証拠をジンメルが持ち込まなかったスタイルが気に入られなかったようで、当時も経済学者とは認められなかった。むしろ心理学的な表現方法が著作に多かったせいかもしれない。

ところが、彼の著作物からは、今日で言う“行動経済学”に出てくるテーマやそのヒントが目白押しである。ジンメルの示したテーマやそのヒントの実証実験を、主にアメリカの大学で実施されたのではないかと憶測するくらいに共通類似している。行動経済学はダニエル・カーネマンらが切り開いた分野であるが、ダニエルは2002年のノーベル経済学賞の受賞者であっても、自らのことを心理学者だと言っている。

そして、行動経済学の成果は、細かい流れが目に見えて確実な効果を、古典派経済学に比べて生み出しつつある。(今月の総務部メルマガでも紹介)。行動経済学をあれこれとあさる前に、ジンメルの書籍は高価格だから図書館で借りるなどして読めば得るものは少なくない。ただし先ほど述べたが、英米方式の論理構成の形式ではないから、日本で「いわゆる受験勉強が得意だった人」には、体系的かつ文脈の底流に流れるジンメルの“合理一貫性&事実一致性”を取り入れることは、ちょっとばかり困難かもしれない。そういった研究スタイルもあり、歴史的にジンメルの学説は、ナチスドイツの右系全体主義(ハンス・フライヤー)とか欧州極左全体主義(ルカーチ・ジェルジュ)などに、“良いとこ取り&ツマミ食い”された形跡があるのだ。

ジンメルの「貨幣の哲学」は経済学の研究の彼の集大成である。
筆者がジンメルから感じ取るには、彼は物事を、「形式で固めた制度と、(上位目線から見た)傾向と対策によって、本来は自由な市場経済とか社会が歪められている」と言いたそうなのである。そのジンメルの著書「貨幣の哲学」なんかは、ジンメルの読者が、心の底から恋をしている人に向けて、読者のあなたが朗読した方が理解しやすい、とでも言いたそうな文体である。難しい用語は出てくるものの、話口調の論理構成の展開で成されている書籍だ。それは書籍や論文が体系や体裁を優先させるが故に、より真理に近い概念とか文脈や底流が伝達できないといった宿命に陥らないように為された、ジンメルの論理構成であるのだ。
(総務部メルマガ 2018/08/07 から引用・加筆)

2021/03/09

第227号:芸術性のない商品や事業は廃れる

<コンテンツ>
コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
芸術性のない商品や事業は廃れる=法則とは
 [コラム1]明治政府は維新直後から外貨を…
コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
 [コラム2]音楽の世界では、音声や弦楽器の…
現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
    ★それら人物の仕事とか職業とは、
    ★戦後日本の経営者(被害者)たちは、
人をケアするサービス 八策
      =Art域労働版に改訂(2021年3月9日)

 [コラム3]油絵具とキャンバスの発明…
アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
 [コラム4]芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激…
 [コラム5]20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術…
【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】


§コロナ禍も金融危機も、その経済情勢は二転三転
そこで、倒産を招きかねない事態を回避する王道が重要なのだ。
王道の思考すらなければ、犠牲者として世間に翻弄され倒産や廃業の道を選ぶこととなるのだ。あなたに犠牲を強いて、利権や保身に走る輩は、その選択を「あんたの自由」と、嘯く(うそぶく)。
だが、「奴隷は解放を思い立つだけで、もう奴隷ではなくなる」
との趣旨の帝王学は世界に数多くある。要は、「王道を知り歩み始めれば、もう翻弄はされず、廃れない」わけだ。

直面する最重要課題=コロナ恐慌に係る、公式発表された調査やデータでは、
感染第1位は 家庭内感染(児童が運込む) 50~60%
 (保育園や幼稚園から持ち帰るウイルスに両親が感染)
感染第2位は 高齢者施設や事業場や病院 30~40%
感染第3位が 20時までと制限される飲食店  5%
 (家族連れの20時までの駆け込み利用は常態化)
感染第4位に マスコミ話題とされるなっている接客飲食店  1%未満
といったことが、その結果の主な内容である。

だとすると、これに応じた対策は取られるべきところ、ほぼ故意に成されていない。その怠慢は、何を示唆するのだろうか。最も重要な感染対策は、家庭内にウイルスを持ち込まない具体的手法の徹底だというのに。
(例示)http://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post.html
ちなみに、「飲食店の営業許可」は、「手洗い器」および「手洗い器」の設置を義務としている。飲食店を感染源ターゲットにするであれば、ここでの手洗い消毒を入店者に徹底させることは重要だ。手に付着しているウイルス除去が「三密」よりもはるかに重要具体手法のであるにもかかわらずだ。その効果は、店舗入口のアルコール消毒の比にならない。
加えて、少なくとも、団塊の世代より高齢の人たちは、幼少の頃から飲食店等での食事前手洗いを徹底されていたことを経験している世代だ。そこまで昔の保健所は感染や伝染の徹底抑え込みをしていた。また、多くの家では入口や便所近くに簡易な「水手水(ちょうず)」器機を備えていた。

すなわち、極めて身近で効果的な感染対策を呼びかけない姿勢は、
今となれば疑念が持たれ、国民を翻弄させていると言わざるを得ない。
ウイルスは若年層無症状者がバラまいていると認めながらも、もう1年間も指摘されていたにもかかわらず、やっと話題にのせようとしている。国は、東京世田谷区とか広島県や栃木県が独自で行ってから、モニタリング調査(無症状者の感染検査)に手をつけようという有り様だ。どうして幅広く意見と知恵を拒絶し続け、挙げ句はコロナウイルス感染対策を怠ったのか。市中がコロナ感染し切ってからで、国は遅きに失した。使い果たした国の資金は、インフレ政策という大衆課税や財産税(ある時点の保有財産により課税)でもって納税者からコロナ禍の後に回収するのは必至である。

感染を食い止めている主体は、住民個々の民間防衛に因ることは間違いない。
コロナ禍でも翻弄されず、成長軌道に乗る個別企業や個人は存在している。
今月のメルマガでは、実際に「100年ぶりに変わる」、経済構造を切り開く柱とヒントを、読者のあなたに建議する。


§芸術性のない商品や事業は廃れる。
これがはっきりと科学的にも学問的にも証明された。その芸術性とは、“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるのである。
科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
希望とは、受け止める:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景に現れるもの。
偽の芸術家は、ひたすら言葉遊びや権威を駆使して芸術だとアピールし、芸術とは技巧だと言い換えているのである。まるで、伝統的家元とか世襲や師事こそが芸術の源だと言わんばかりである。もちろん、芸術家とは自覚の有無は別として科学的であり、新技術もアイディアもさっさと取り入れる。

このような“製品やサービス”を提供される側に向けて、それを提供する側からすると、“意欲・感動・希望”を、プロデュースする個人には留まらずに、組織的にネットワーク的に、固有文化価値として“製品やサービス”に組み込んでいるわけである。
【“製品やサービス”に、“希望が呼び込まれて”いるためには】
①“製品やサービス”の具現化過程において、必ず“意欲・感動・希望”
が伝わるように様々な技術(Art域労働)でもって、
②“製品やサービス”を受け止めた個々人それぞれが、
        表象を脳内だけでの模倣Mimesisを行い、
③“製品やサービス”に組み込まれた様々な“意欲・感動・希望”
        に共感Empathyするのである。
④“製品やサービス”の完成や完結に至るまでの原材料や半製品その他、
 次のURLに示すイノベーション5分野についても、“希望が呼び込まれて”いるための芸術的プロデュースと具現化の過程が組まれていなければならないのである。新自由主義者が持ち込んだ、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
 https://soumubu1.blogspot.com/2016/10/blog-post.html#174-04
(注意点)
・“意欲・感動・希望”の3つで1セットである。
 いずれか1つが欠ければ芸術性は成り立たない。2つ欠ければ市場流通しない。
・サービスや身体表現の表象を脳内だけで模倣Mimesisするからこそ、
 意思疎通し、意思共有(Share)をするのだ。
・脳内だけの模倣Mimesisでもって共有(Share)をするからこそ、
 相対して共感Empathyするに至る。(ミラーニューロン Mirror neuron)
・ここで使用される、共感Empathyは、1904年に発明された学術用語で、
 sympathyの(共に苦しむ)概念とは異なる。
・最新の科学発展の用語概念は、個々人で異なる、人それぞれの考えではない。
(次のURLを参照のこと)。
 https://soumubu1.blogspot.com/2020/10/#222-10

[コラム1]

明治政府は維新直後から外貨を獲得するために、陶器などの工芸品の輸出政策に力を入れた。いわゆる工芸産業に、維新で廃業となった刀職人や鎧職人を投入したのである。それらの製品は欧米の貴族に一躍人気となった美術品に成長した。
ところが、イギリスなどの工芸品を美術品の範囲から除外する当時の政策を日本も取り入れてしまったところ、一気に日本の美術工芸産業は廃れてしまったのである。
そういった背景を無視し、工芸品を民芸品とまで言い換えるとか、芸術や美術の概念から除外する動きとなった。職人たちはもっぱら技巧ばかりに走ることで、日本の工芸品が芸術性のない商品として劣化し廃れ現代に至るとの、美術に関わる有力な学説がある。例示=ビジネス教養としてのアート:岡田温司 京大名誉教監修 KADOKAWA

§コロナ禍で、芸術性不可欠は誰の目にも明らか
新型コロナウイルスの感染によって、原材料などを仕入れるサプライチェーンばかりか、“製品やサービス”を提供し売買を完結する流通(経済学説により交通ともいう)までが止まってしまった。

2008年リーマンショック以後の金融危機の始まりから、その危機の頂点を迎えようとした矢先からのコロナ恐慌開始である。もとより多額の“金融資本の投資と回収”は採算割れを既に起こしており、累積赤字→不良債権→企業合併→国家財政の投入を続けてきた経済である。新自由主義者は“金融資本の投資と回収”だけに目を向け、経済活動を通じての価値増殖などは行なってこなかったのだ。

にもかかわらず、2020年4月頃からの国家財政投入(QE)は、コロナ禍の収まりとともに通貨切り下げのインフレ政策、民間からの財産税徴収へと、道は目に見えているのだ。

【すなわち、要約すれば】
コロナ禍の以前から、“金融資本の投資と回収”だけを話題にした経済は、流通コスト・販売コスト・無益な流通販売組織への投資と運営費用や関係報酬・その制度維持費用といったもので、あらゆる場面での採算割れを起こしていたのである。採算割れ収支に加え金融機関への返済が上乗せされるのである。新自由主義者の経営というものは、こういった無益な実情を覆い隠して→その社内外にわたる枠組みを持ちこたえさせるための組織体制と、その策士たちの人員配置を行うばかりなのである。だから繰り返すが、“口先では技巧の集積、内実は嘘と理屈で固められた代物”(使用価値論に固執し表面だけ整えた商品)では、芸術性は成し遂げられず売れないのである。
経営や経営管理を行う人物からすれば、新自由主義者の経営の本質は見えている。だから、この3月末に向けての人員削減やリストラに、加速して至るのである。

だとしても、よく見てみれば
衣食住に関わる“製品やサービス”については、広い意味での芸術性に基づいて、“意欲・感動・希望”をプロデュースし、今時点で人々が意識をする“希望が呼び込まれて”いるものに限り伸びているのである。広い意味の芸術性を持つ“製品やサービス”は伸びている。
これを、科学的(“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”に見極め、IT機器に取り入れることが重要(ICT産業革命)なのである。科学性(自然、精神:人文、社会の3分野)と芸術性を組み合わせることで、それを目的意識的に行えば、極めて効率的な創造性を発揮した仕事ができるようになるのである。
なかなか天才(=カントの定義では“感性的構想力で輝く”)は出てこない。けれども、筆者が研究者の成果を調べたところ、
☆日本が諸外国と比べた優位性とは、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力があり、これらは中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)のである。なぜ、筆者が中国を引き合いに出すかと言えば、既に日本経済は中国傘下、日本の製造業は東南アジアの下請けへと完璧に組み込まれようとしている政策に至っているからだ。

[コラム2]

音楽の世界では、音声や弦楽器の音階&和音(純正律)と、ピアノやアコーディオンなどの音階&和音(平均律)には差異があって、日本の幕末ごろヨーロッパでは大論争となっていた。
レコードなどの録音技術が発明されるや、曲を端折って録音時間内に納め、長い期間にわたり高音収録しか出来なかった技術の歴史もあって、世間一般では、そういった録音によるものが音楽だと受け止められ、とりわけ日本では歌唱音声は録音発声を真似られ、それがのど自慢だと勘違いされるに至っている。ところが世界中のICT動画配信によって、特殊ではない歌の発声法の存在の認知と広まり、楽器演奏コンサート録画での「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」体験練習とかが可能になってきた。

近年の“音楽自体は聴くもの”
といった傾向への傾きがあったものの、
a.スタジオで作り上げるデジタル等音楽
b.歌手自身や演奏者講演のArt域労働
c.電気的な音響拡声の
 編集をPA装置でし直したもの
d.聞かせるのではなく
 素人参加する歌と楽器
 のおよそ商業利権を無視した4パターンに発展しつつある。

§現在、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たち
新自由主義者が国家や自治体の行政機関あるいは民間企業の経営を牛耳るためには、本来の経済活動をからすれば、“まったく無意味な仕事”に携わる人物を配置するのだ。その人物は、前向きに捉え政治的な立ち回りをするポーズだけれど、何らかの行政機関や企業の本来業務にプラスになる物事には携わっているだろうとの見方が強いのだけれど。
実態をよく見てみれば、比較的他人より有利な地位で以って、露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけに、彼らは配置されているに過ぎないのだ。この“まったく無意味な仕事”に携わる人物の配置は、官民を問わず事業規模を問わず、新自由主義の経営に走り突き進むことで急増してきた。当初は一見、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられたけれども、実のところ経済や個別企業経営の成長率は低下した。まずは、
それら人物の仕事とか職業とは、
 ①新自由主義者の取り巻き役=何らかの管理職的肩書きの専従職
 ②他人を恫喝し抑圧をかける役=代理人の仕事(但し法が禁じる利益相反のプロ)
 ③トラブルや不祥事の尻拭い役=国家資格とは裏腹に事件屋や示談屋のスタイル
 ④架空証拠の捏造役=エビデンス作成学者とか捏造ライター
 ⑤幻影プロデューサー役=いかなるプランも幻想あるいは相対仮説で誤魔化す
そんなプロパガンダや幻想の専門業者(いまや電通が有名)

戦後は、生産性と労働者の収入は伸びてきたところ、この40年ほどの間に生産性は飛躍的に上昇するけれど、労働者の収入は平行線ないしは、この10年は減ってしまった。
すなわち、経営者が呼びかけるなどして労働者たちは機械を改良するなどして生産性を上昇させ収益が増加した。1970年代までは、増加した利潤の一部は賃金として労働者に再分配をされた。
ところが1980年代中ごろ(昭和55年オイルショック)からは労働者への再配分率は低下することとなった。
その増加した利潤の行き先は、大半が“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちに流れていくようになった。

経済や経営の成長とか豊かさのための資金が、金融投資とか資金繰りとの美名のもとに官民から個人家計に至るまで、“金利とか利ザヤを獲得”に流され、経済的価値増殖とか人的資本投資に向けられなくなったのである。日本の金融機関はこぞって、地元企業への投資ではなく米国債などに走り、「足しげく貸付営業に回るよりも、金利収入の方が低コストで収益が多い」と大合唱したのである。
そのために、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちが配置され、事業閉鎖され、事業移転され、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちは養われたのであった。それ以前によく在った、従前の従業員たちが労働者に呼びかけて事業再生を成し遂げているところはまれである。

新自由主義者の話に乗って事業閉鎖その他に流れたオーナーたちは、金銭はもちろんのこと様々予想はずれで、人生に落ちぶれてしまったケースは多い。筆者は凡そ45年も携わっているから如実によく知っている。
新自由主義者とか新自由主義は、経済とか経営には全く関わりもセンスもない輩であり、やってきたことは比較的他人より有利な地位で以って、“露骨な性癖を持つ新自由主義者の権力構造を維持するためだけ”であった。
あながち、岩波書店邦訳の著者=デヴィッド・グレーバー(昨年逝去した大学教授=:アナキスト)のネオリベラリズム分析だけは的を射ている。

戦後日本の経営者(被害者)たちは、
アメリカなどからの多額投資が行われ、その経済政策に乗れた人たちだった。日本はアメリカ経済の生産工場となり、それが日本全国に産業や工場が展開されるとともに、そのインフラとか労働力供給のために“商工中金”などが地方の中小業者に資金融資を行い、その結果に全国の都市と地方の経済産業基盤を渡らしたのである。
1985年(昭和55年オイルショック)の少し前あたりから、新自由主義者のレトリックとして“市場開放と経済効率の価値”が唱えられはじめ、それは、資金繰りに苦労する中堅企業の経営者に対して、「会社の金庫の中を現金でいっぱい!にしてあげますよ」といった、Just in systemその他の経営手法を紹介するといった演技での誘惑から開始された。
当時の私:筆者も、まさか経済や個別企業経営の成長率の低下に道を開くとは思わなかった。経営の資金繰りが、会社の金庫に現金が貯まるとか銀行預金通帳に残高が増えるといった現象が生まれ、そこに拝金主義と金融投資の誘惑につけこまれるとは予想だにしなかったのである。
1986年(昭和61年)12月からのバブル景気にあたる時期、昭和54年から準備された労働者派遣法の施行により結婚後の女性職域が拡大され、同年の男女雇用機会均等法の施行で女性労働条件が改善される基盤が形成された時期でもある。(いわゆる格差拡大は、1997年の職安法改正、1999年の労働者派遣法解改悪に端を発するわけだから、念のため)。


§人をケアするサービス 八策=Art域労働版に改訂(2021年3月9日)
「人をケアcareする」(サービス業の飛躍的イノベーション)といった固有価値商品を完成させる、世界各地で成功している実例である。
それは,次の通りだ。
“芸術性のない商品や事業は廃れる。との学説は、広い分野の研究者の成果により科学的に証明された。今から8年弱前に筆者は芸術性の重要性をWebで公表し、その後学術論文などで、その商品価格決定論、Art域労働の理念、Art域労働などの労働等契約論に至ったのである。海外の経済学者の評価は高いが、日本では、博士号もない奴は相手にされない、18世紀級のアカデミックだ。
そこで今般、コロナ克服&コロナ後に当たって、日本の地域経済の飛躍的発展のために不可欠な、“人をケアcareする”ことに関係する業態や業務を、具体的方法について考察をした。ICT産業革命の本旨が裏打ちされれば、効果はさらに充実する。

【質の高い多くのArt域労働業務の集中集積に不可欠な飛躍には】
Art域労働においての労働契約方式は次のとおり。
委託料とかギャラといった曖昧さを残せば産業成長しない。
Art域労働成果物の一分野や一部に存在する
著作権等では、契約安定に至らない。
 ①取引には成果物に造形物理的要素や解釈要素を含み、
 ②「労働全般能力(労働力を切り売りではなく)発揮によって形成する、
 ③有形無形財産の貸与を約する契約(契約)」となる。
  この取引3要件で初めて、相互に契約が安定する。
  若しくは、Art域労働の結果物を約する場合に限れば
 ④「有形固定物に限っては、その所有権を譲渡する契約(請負)」である。

イ)___
ケアcareされる側の悩み解決の手助けならば、
その解決方法の選択をArt域労働は非常にうまく導いていくこと。悩みを解決することでケアする仕事の、一番最初の作業は、その悩みに応じた解決方法をいくつか組み合わせるとか、いくつかの解決要素を選択することである。Art域労働にあっては解決方法の組み合わせと解決要素の選択=ケアcareされる側自らが選択する行為を導くこととなる。そうすると意欲・感動・希望といった固有価値を認識するに至り、ケアcareされる側の価値の実現にも協力する。解決の答えを提示することでは間違いであり、その仕事を相手は望んでいない。

ロ)___
新たに固有価値商品を楽しむことを阻んで来たあらゆる障害を、
Art域労働にあっては細かいところまで見つけて取り除くことだ。その障害が、どこにどのような形で阻んでいるかが、買い手にも売り手にも分からないのが現実である。だから、ケアcareされる側の買い手にも、楽しむことすらが分からない。売り手は的外れにも機能や数量をアピールしがちであるが、これがArt域労働にあっては大きな間違いとなる。この間違いによる無駄な労働力消耗の繰り返しは、極めて低質で多量に繰り返されている。無駄な労働力の発揮を重ねて、あげく疲れ果てて消耗し、仕事をこなした気分になっている人も多い。が、そういった業態と業務は廃れていく。障害を取り除く過程で、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現にArt域労働は協力するスタイル形成することである。

ハ)___
ケアcareされる側の買い手となるクライアントの恐れる要因を、
Art域労働で以って一般的な多数順に排除あるいは軽減することである。
スキルやフォーマンスに偏った売り手では、買い手が興味を持つ段階での「恐れる要因」が全く解らない。この「恐れる要因」をArt域労働で外していけば、ケアcareされる側の買い手が次々と試してくれることになる。
だが、試そうとするきっかけは買い手にも分からない。だから、従来の労働力スキル発想に頼るマーケティングよりも、Art域労働の形成に含まれる独特のサンプルインタビューこそが重要となる。「恐れる要因」がなくなりつつあるからこそ、意欲・感動・希望の固有文化価値を認め、ケアcareされる側の価値の拡充実現に協力する。

ニ)___
例えば、医者(専門家)は治療するのではなく、
ケアcareされる側の病気を治そうとする人を、Art域労働で以って援助・手当(悪化予防・治療へのサポート)するといった方向に変えることである。
未開人や子供を納得させるには、医者や魔術師の奇跡や神話が手っ取り早い。だが無理に奇跡や神話で納得させて病気を直そうとすれば、ケアcareされる側のどんな大人も抵抗をする。病気の悪化予防や治療への、固有文化価値商品=意欲・感動・希望であればこそ、病人の大人は価値を認め、価値の実現に協力する。神話や呪いの類は科学的学問的ではなかった。科学的とは、“いつでも、どこでも、だれでも行うことができる法則性”のことである。
傷病(Illness)と疾病(概念としてはDisease)の中で、疾病については、極めて文化や文明の絡む価値観で票か判断される。因みに、花粉症はシーズン疾病(disease)だが、PM2.5は通年傷病(illness)である。

ホ)___
ケアcareされる側の買い手は自分の好みを知っている、
Art域労働にあっては、ケアcareされる側の「好みに合う品と使い道」ならば知っていると割切ること。それは、ケアcareされる側が固有価値商品の意欲・感動・希望といったArt域労働の価値を認め、ケアcareされる側の買い手もArt域労働の価値の実現に協力する、そしてなによりも、代金支払いまで完結させるのは買い手のケアcareされる側の納得だからである。代金支払いよりも、商品交換が先に為されることは、経済学の常識だ、これが職業経験の無いインテリには解らない。

ヘ)___
ケアcareされる側の買い手は、常に沢山を学びたい。
が、「教えられるのは嫌いだ」と、Art域労働にあっては割り切って接することだ。学びたいとは、意欲・感動・希望のArt域労働が産みだす固有文化価値を繰り返し実感するからである。学び手の意欲(やる気)が残っていても、ケアcareされる側の感動や希望が失せてしまえば「学び」に文化価値を見出せない。意欲と感動だけではケアcareされる側の心身消耗を招くだけである。だから労働力スキルでは、AI人工知能の機械や装置に取って代わられるのが自然の成り行きである。まして、その「学び」である固有文化価値商品の商品交換を完成させるのは買い手のケアcareされる側の納得である。

ト)___
Art域労働にあってはケアcareされる側に知識を押し付けるのではなく、重要ポイントをケアcareされる側と一緒に発見するスタイルに徹することだ。
「知識を得たい」とは、学び手の頭脳の中にある真理に向けての、意欲・感動・希望を伴って、ケアcareされる側の知識の蓄積を重ねる行為である。知識とは、=自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること。ちなみに、“「私」とは知の主体である場だ”となる。
真理に向けて智識を重ねるためには重要ポイントの、少なくとも“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業が不可欠なのである。でなければケアcareされる側の頭脳の中に蓄積され応用に至ることはない。蓄積され応用に至ることがなければ生産的ではなくなるから、ケアcareされる側から望まれる商品として購入される量やチャンスは逓減する。無理やりスキルやフォーマンスに偏った売り方での知識を押し付けようとするから経済外的な行為(圧力、脅迫、詐欺など)となり、無駄な労働とか違法犯罪行為の発揮を重ね、非効率非生産的だから経営破たんを招くのである。

チ)___
芸事を教える場合、Art域労働といった作業のコツを伝える場合、
相手の技能習得の焦りには、Art域労働にあっては相手に、「ゆっくり出ても大丈夫です、手元は遅くで」
と、ケアcareされる側の焦りを取り除くことに集中することだ。
そして、Art域労働にあってはゆっくり確実に技能を説明する。ここでも技能説明に限っては、「言ってみて、やってみせて、やらせて見せて、ほめること」が大事である。

すなわち、“模倣Mimesisと共感Empathy”の発見作業に加えて“直に面談しながらの体験学習”の、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、ケアcareされる側との一緒一体の作業行動が不可欠なのである。Elaborately‐Movement(複雑かつ速い動きの如く)といった意味のない曲芸は押し付けないことである。
有効な細かい配慮を要する芸術性(=モーツアルトの弁)は、ケアcareされる側が思いもつかない手元の複雑かつ速い動きその他への配慮だということを、ケアcareされる側が自らで発見するように、Art域労働の側から働きかけることなのである。その細かい芸術性をケアcareする過程を秘密にすること(秘伝扱い)は禁物である。ケアcareされる側がArt域労働からの働きかけで初めて気付き、固有文化価値を意欲・感動・希望を持ってArt域労働でもって習得することが可能となる。結果に至るプロセスを知ることが欠かせず、これが教養有無の決め手となり、教養や知の応用が出来る可否となる。
その後はケアcareされる側が自らが固有文化価値を実現あるいは増殖した上で、再び芸事を他へ伝え相互に共有(Share)し、固有文化価値を盛り上げることとなる。Communicateの各国いずれも言葉の原義は“他人と共有する”である、知っていることを共有(Share)するのである。
Art域労働=芸術性を持った芸事は、“狭い美術・音楽・文学”といった“Elaborately(日本語の概念が無い)なパフォーマンス”よりも宇宙規模で広大な経済=産業価値を産むこととなり、そこでは教える側と学ぶ側が、「言葉を合わせ・仕草を合わせ・呼吸を合わせる」、一緒一体の作業行動を行う体験となり、たとえ“個人レッスン風景”であったとしても、無限の広がりを持つ広い社会的作業であることは否定されない。

[コラム3]

油絵具とキャンバスの発明は、鏡などの透明な物とか、人肌の特徴を表現できる技術を実らせた。鏡の中に映る人影を描くことなど以前は考えられなかった。ところが、そういった写実に重点を置いた絵画も、写真の発明で写実表現から離れることができたのである。写実を伴わずに、脳内の模倣Mimesisでもって共有するからこそ、相対して共感Empathyする(ミラーニューロンMirror neuron)こととなり、当時は科学的なことは解明されなかったけれども、イギリスの画家ターナーはパトロンを持たずに絵画とかエッチングで工房を営み生計を維持するに至ったのである。(人々の人気となる絵画等の構図の研究はイギリスから開始確立され、その後の大量販売の道も開かれた)。
音楽の楽譜を印刷して流通させたことは、音楽家や関係者の携わる産業を形成し、更には音楽への多数参加を促した。機械印刷楽譜が作られ残されることで音楽技術が進展し、芸術性発展に寄与することが出来るようになった。兎に角、楽譜の無い時代のメロディーは、ほぼ分からないものだから、真似すら出来ず=芸術的発展も望めなかったのである。
バッハは教会付きなので、お葬式が無いと生活苦しいと嘆いた。ベートーベンは機械印刷屋の楽譜販売で生計を維持できた。リストは最新開発ピアノを各地へ運び込むことで演奏活動に忙しかった。そのピアノを最新開発したセバスチャン・エラールは、旧来ピアノ製造業者から命を狙われ、パリからイギリスへ亡命した。

以上の「人をケアcareする」サービス業の事柄は、昔から良く語られた商業における要領とかコツ(近江商人の地域の伝承)に類似している。ところが、旧来の要領とかコツでは、科学的学問的ではなかったから広がりが弱かったのである。科学的とは、“いつでも、どこでも、誰でも行うことができる法則性”のことである。
だから拝金主義者とか新自由主義者からの誘惑とか横槍が入れば、ひとたまりもなく各々の個別企業でも崩壊していったのである。日本の文化は、中国などのマルクス・レーニン主義の枠にはめられた文化よりも豊かな文化の可能性を秘めていると言われている(ドイツ人哲学者:マルクス・ガブリエルなど)。
日本の文化優位性として、美的感覚・人的資源・クリエイティブ性、美と善を関連して考え、日本語の外国を吸収する言語能力について、これらは中国や東南アジアその他の文化圏から日本への“製品やサービス”に対する需要についても、例えそれが日本への投資であっても、その意味では巨大な産業育成への可能性を秘めていると言うわけなのだ。「美しい日本」如きの幼児性では、挙句に空腹と防寒ためには媚びへつらう未文明Uncivilized体質では太刀打ちは出来ない。


§アートArt域労働の、仕事の法則、“製品やサービス”提供へ
すなわち、それを形成する芸術的要素は(従前のメルマガを加筆修正:2021年3月9日)
①美しく良いもの且つ、受ける側に希望を呼び込むもの、
②併せて、より共感Empathy性の高い疑似的再現を実行する
 といった法則性を使うことである。
③まさしくこれがパフォーマンスPerformance職人技とは異なる部分となる。
 技巧を凝らすElaborately Produce といった分野とArt域労働は別物である。
④その美しい良いものとは、人類の進化発展を通して安全安心の結果概念を
 感覚的に表しているものといえる。現代の善悪の善は“進化”に資するか否かである。
⑤Art域労働の分野は絵画や映像、メロディーラインを中心とした音楽、
 時系列の思考パターンを含む言語による詩Poemのといった文化を反映の3つが主である。
⑥そのうちの希望とは、美しいもの良いものを通して開ける方向性を指す感覚現象である。
:その人の成功パターン&安心パターンという心象風景が鏡に写し出される訳だ。
⑦意欲とは、事物に対して行動を起こす前のイメージであり、
 感動は行動を起こした結果に得られる感覚(意識の一部)に過ぎない。だから、発生する時間的経緯プロセスに注意が必要である。希望とは鏡に写し出された後だ。
⑧「意欲・感動・希望」の3つがセットになった「労働力全般能力」の発揮と、それにより産み出された固有文化価値が、Art域労働には重要なのである。

[コラム4]

◎芸術性やArt域労働の成果物とは、その刺激による反応としての、模倣Mimesisや共感Empathyによって生み出された内面の心象風景が、鏡に写し出されるというわけだ。
右の画家=奈良美智の有名な画風は、見る人の内面の心象風景が、鏡に写り、
★子供の様な鋭さや狂気か、
☆優しさかを模倣共感させる、
といった心理テストさながらに感覚(意識の一部)に現れてくる。
よって、「アートの解釈に正解は無い、人によって人ごとに様々であり、その人の自由だ」といった曖昧模糊な会話が、いかに非科学的であり、学者が用いれば、表現が如何に人を煙に巻くためのトリックに過ぎないことがよくわかる。

◎江戸時代の日本人は、日本画のように世界を見ていたとのことだ。日本画には影がない、影が描かれることはない。とはいっても、日本の印刷技術の活用は世界の最高峰であった。三越の前身である越後屋は、「現金掛け値なし」「店前売り」という新販売方法の手段として、18世紀初め、大坂に40万枚の石版印刷チラシを配布した。その町人・庶民目当て大量印刷の挿絵付きチラシの配布は、店内から「あまりにも下品な商法である」との批判に晒されたが、チラシ配布が三越のブランド信用力につながったのである。1837年、越後屋は大塩平八郎の乱での店舗襲撃直後に、70万枚の石版印刷チラシを大坂と大坂発全国向け船便でもって配布した。大坂には挿絵画師、作詩師、石販印刷の技術が揃っていたのである。

したがって、金銭や物質そして権利といったものは、
社会や経済が安定した上での物事であり、
金銭・物質・権利から得られる物的価値は文化価値で醸成される性質の代物ではなく
=経済外的要因(権力、武力、レトリックなど)によって強いられやすく、
その程度の単なる物的価値交換の結果にすぎない。
20世紀に最高潮に達した「労働力」の取引一辺倒の影響受けて芸術分野やArt域労働は、
スキルSkill(技能)パフォーマンスperformance(職人技巧)に制限をされ、
固有文化価値は貶められてしまっている。
日本における家元制度とか学術団体制度あるいは資格者団体システムなどが、
「無能と怠惰」に柱を置かざるを得なくなり、
結果、保身に走るのは自然に後退する成り行き
かもしれない。もしくは、“まったく無意味な仕事”に携わる人物たちの配置によって
成り立っているのかもしれない。
土地を所有し&当主を世襲と法定すれば、
封建制度に行きつくことは当然の自然の成り行きである、人間の意識に因るモノではない。

⑨次の表は、3つの労働分野を比較思考しやすいようにだけ、並べたものである。
幸せになる権利 私的利益・満足=厚生 他人より有利な地位利益
Art域労働 スキルSkill(技能) パフォーマンス
創造構想する権利
「創造・独創・時空・結合」
労働力商品
&労使関係システム
特許権、著作権、版権等
発明・時系列変化・組合せ
芸術性(意欲・感動さらに
人間関係を含む希望)
生命維持性、人間阻害
(意欲・感動の2つ)
技巧を凝らす希少性
(意欲・希少性や複雑技巧)
創造の主張を認める文化
=固有文化価値
技巧の中に法則性保持
人的機械的技術に依存
=効用(使用)価値の
企画法則性に限る
発明・曲芸の領域の技巧性
審美追求主義の希少性
BigDataでの予定調和情報
5次元の思考
X・Y・Z+time+Connect
2次元 X・Y
もしくは 3次元 X・Y・Z
3次元 X・Y・Z
偶に 4次元 X・Y・Z+time
広義の芸術性=Art
有形無形の完成品
スキルSkill(技能)
企画による組織労働
Performance(職人技巧)
単独で労働される
幸せを得る 伸びる志向 厚生に限られ廃れる指向 技巧で廃れ殻に閉じ籠る
幸せの、厚生との差異
美と善はどこかで
つながっている
挙句、清算とかリストラ
その対処><抵抗運動>
技巧を凝らす
[ひと目で凄いを追求する]
=希少価値でもない
絵画
(美術)
絵画は色彩=鏡・面の表象
彫刻には:たなごころ
固有文化価値の滅失
Intrinsicが無い
Elaborately Picture
Intrinsicが無い
音楽 音楽は空間把握 Background Music Elaborately Produce
詩Poem 時系列の思考パターン 感情移入が出来ない Elaborately Ceremony
感情移入 感情移入の末に、見終わり聴き終わると心温まる心象が受け手に残存する
<感情移入のプロセス>
①登場人物と自分
②リアルとバーチャル
感情移入は、芸術や道徳・理性力トレーニング
感情移入の思考はない

むしろ感情移入は
非科学だと排除

他人や現実との関係は
そのほぼすべてを無視
感情移入ではなく、
[ひと目で凄い]技巧優先

技巧を凝らす程に刹那感
残虐悲惨な記録に留まる
人物自身 その人の生き方がArts 個を滅する⇒人間疎外 アイドル(偶像崇拝)
分業 社会的な分業の成熟の素にArt域労働全般が開花 精神科学や心理学を無視して量的分離を強行 子方や弟子は設けても、親方は分業はしない
企画と作業の分離 新技術・空間把握・アイディアの、3つを一体に 質的な分離を無視し、
空間把握も構想しない
空間把握は親方が行うが
新技術やアイディア拒絶
注=Elaborately(日本語の概念が無い)
⑩Art域労働=芸術労働の要件要素、「労働力」とか「希少価値」とは異なる概念の存在
Art域労働の、定義、特徴、その現象 Art域 スキル パフォーマンス
無意識におけるパターンの認知作用により、
そして、Art域労働の行為は、目的意識的に計画的である。がしかし、無意識におけるドラスティックな進化でなく革命的な行為であって、他人に対し、それも個々人ひとり一人毎に、影響を与える。 ×計画的
 でない
その創造力、発明発見、創作とは、他人に対しその所見の表現が学問的科学的計画(希望に通ずる素)を生じさせるところの、共感Empathy→共鳴を与える。(by神経科学) ×秘匿
5次元思考~X・Y・Z+Time+Connect結合~で以て、脳科学や神経科学で解明されている共感=共感作用&共感精度であって × ×非共感
「音」による空間表現、「絵」などによる色彩等表現、「詩」などの時系列表現を、論理学では解明できない分野の構想方法を用いて
細かな物質的モノゴトの配慮を用い、形態とは意識され難い作用(共感や希望)をも、もっぱら多数の受け手個々人に対し多様に与える行為、その存在を認識しながら。 × ×専ら
 希少性
このArt域労働が、旧来は明瞭行為ではなかったし、この労働価値は貨幣に限られた交換には値しないとされてきた。
Art域労働は労働全般能力でり存在である。
労働力は
労働の
一部分
×自慢
 と金銭目的
世界経済の再生には、Art域労働が重要なカギを持つ。個別企業でも、先ずは幅広く薄く進めるだけでも事業業績が伸びる。
それは、スキームSchematicに最も作為されない中高年女性労働がカギになる。
× ×隠匿性
既に、人手不足解消とか、素早いフィードバックでの早期利益を確保する、そのノウハウは、行動の前に完璧な知識を求めず、新規商品開発に向かうこと。 × ×専ら
 希少性へ
10 市場主義・資本主義の要とは、次の3要件。
①自由平等思想、その手段の民主主義
②自由の基盤は、自由市場、基本的人権
③自由に移動や販売横行できる、
(個人番号で)捕捉されない貨幣制度が要
×非市場
11 遊休使用価値商品に、貨幣価値を超える交換価値を蘇らせる。交換価値の無い建造物にも、使用価値の蘇りを可能とする。 ×自慢
 と金銭目的
「―」は労働過程での考慮がない。「×」は、その該当する労働過程では否定をする。


[コラム5]

20世紀初頭からの印刷あるいはコピー技術の発展は、1枚物からが大量に扱えるようになった。そして現在ではインターネットの“検索の窓”に至った。
CG、VR、AIといった技術進歩は著しい。例えば、画家ゴッホの画風をAI機器に記せば、デジタル写真をゴッホ画風の写真に、瞬時転換させることも容易となった。歌い方も演奏も瞬時に転換。死んだ詩も造れる。
しかしながら人間の意欲・感動・希望に関わる部分を、Art域労働で最初のオリジナルを感覚的閃きで構想し、新技術・空間把握・アイディアの3つを一体に仕上げることを、機械にさせるメドは全く立っていない。

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210309】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。だが、この3月本号メルマガで紹介できるものは見つからなかった。
巷では、昨年から多様な“コロナ後”についての書籍が大量に出版されている。しかしながらそれらは、旧態依然に繰り広げられた学説とか経営知識といった代物を、上の目線から「皆さんよくご存知でしょ」と言わんばかりに繰り返し、少し組み替えて新説めいた面持ちで、「だから頑張ろう!」との精神論を展開するばかりだ。
そこには出版社の販売促進の思惑や目論みが背景にあり、受験戦争の落とし子にこそ、そういった書籍の購買能力を持つ個人が多いことから、“読者のすでに知っている情報や知識を羅列”すれば、そんな購買能力者は安心を求め過去の自らを再確認するために購入する消費、といった編集戦略というわけだ。そんな編集書籍の執筆者は、そこまで深く熟考する人は稀なので、出版社からすれば“著作者とその予備群”は腐るほど存在する。そして片や、書籍を購入する、そういった本の購買能力者たちは、職業経験のないインテリだから、貴重な新しい情報よりも、過去の自らを再確認させてくれ、安心安堵できるという、空しい需要者層なのである。
こういった人たちは、今月のメルマガで特集しているような、生き方から仕事そして作品に至るまでArt域労働を行い人生に余裕を持った層とは異なる。角度を変え説明すれば、せいぜい執筆者層はパフォーマンスの能力、需要者層はスキル程度の能力に過ぎないのである。肝心なのは、Art域労働とか労働力全般を磨こうとしないのだ。退職金や年金(賃金理論では“手切れ金”と見做す)生活の後に、余命生活に入る人が多い、例え読書家であっても。
《以下の段落は毎月同じ》
筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで毎月号と同じ)

2021/02/09

第226号:
春に向け、感染と恐慌の地獄絵巻の始まり

<コンテンツ>
2021年の2月~3月にかけ始まる“地獄絵巻”
  ・ワクチンへの根拠のない期待、これを煽る
  ・戦(いくさ)や争いを好むリーダー傘下では
  ・縦組織だからこそ“口コミ情報”の真実性が目立つ

先ず、事件(=感染実態)の注目実態。①~⑤

事件影響の波及から予見できる感染と恐慌“地獄絵巻”
  ◆敵と戦う神=権力が欲しい!=分野の地獄
  ◆拝金生活の神=厚生(物)と満足が欲しい=分野の地獄
  ◆嫉み生活の神=名誉が欲しい=分野の地獄
  【共感性&文化差異を、巡り廻り移ろう行動基準】
  ・権力欲のしい全体主義者は、スキに付け入る
  ・そうであっても、“地獄絵巻”の後に生き残る人達
  ・スターリン式全体主義から独立を果たした東欧諸国の人たちは
  ・現在の文明の起源、=17世紀:自由平等のための市民革命前夜からは
  ★幻想「崩壊と地獄を経て後に、希望が生まれ勇気に立ち上がる」
  ・現代社会では、とにかく自由に生きる
  ・そして、“人類の進化に資する行為”が善
  ◎パンデミック体験、コロナも完治して、筆者個人の感覚

コロナ感染地獄と、次代を切り開く、働き方と労災保障
  =空回りし無視され続ける“働き方改革”とは全く異質

  ・具体策はこれだ、①~⑩

【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210209】
  ①根拠のように、あたかも示される統計?数値の嘘を見破る


§2021年の2月~3月にかけ始まる“地獄絵巻”
事件(感染実態)は始まりに過ぎない。
歴史は受験勉強とは違う。
表向きの数値が少なくなっても、事件の波及結果でもって、コロナ恐慌と重なる地獄絵巻が描かれることとなる。第二次世界大戦後の危機は、太平洋戦争の終戦後に、経済混乱も食糧危機もが起こった。戦争中ではなかった。歴史上の危機とは、そういうものだ。

経済破綻や流通停止ばかりか、エネルギー危機も食糧危機も覚悟が必要だ。そして超インフレと増税、通貨切り下げ、最後には財産税の実施、歴史からの予見だ。

巷では、延命治療の美名に隠れる親殺し、親族内の遺産取り合い、闇では子殺しも繰り広げられる。それは、歴史上の何時ものことである。その犠牲者は知らないうちに自覚もなく消されていく。

【歴史に残る、複数記録】
紀元前のこと、戦乱のガレキに座る母親は、乳飲み子を抱える。もう母乳は出なくなっていた。「この子だけは何とか」と話していたが翌日、母は赤ん坊を茹でて食べていた。中世日本では、鴨長明は、「流浪の民は優しい人から死んでいく」と方丈記に記す。優しいから食料を分け合うのだと。そして現代、中国大陸の文化でも、母と子の何れを助けるかとなったとき、返答は即座に「母」となる。母親は話した、「子供はまた造ればいい」と、子供はまた産めるのだと。


ワクチンへの根拠のない期待、これを煽る
だが、現状では、何とも論評のしようが無い。
個人の接種可否判断情報が無いのだ。
現在のワクチン情報は唯一、製薬会社の説明書内容に限られている。世界の科学者が研究できる基礎となる情報は公開されていない状況だ。併せて殊に、厚労省の国立感染研は、現在までの感染情報やPCR検査情報を公開せず、世界各国とは真反対の隠蔽体質なのだ。

副反応の情報だけは届きつつある。が、肝心なのは副作用の情報だ。医療関係者や製薬会社があえて言い方を分けているだけでは済まない薬害訴訟や事件の争点や論点がある。
ちなみに、このワクチンは初の遺伝子組み換えワクチンである。
遺伝子組み換えは農産物食品で話題になっているが、未だよく分かっていない。加えて、virusを吸着しようと誘引するのは人間の側、人間はvirusと共にそうやって進化してきたのだ。人の進化に資する遺伝子への影響は解明されているのか? 過去には白血病の誘引事例もあった。
ヒトの遺伝子の中には今でも、母系遺伝で40過ぎで寿命を迎える疾病(ヒトの絶滅危惧種の存在)を発症させるものもある。遺伝子組み換えの長期にわたる影響は分からない。治療法の分からない難病は多い。
そして、とどの詰まりの話は、
接種しても感染をどの程度防げるかは分からないのが現状、家庭内の接触感染予防等は引き続き必要で、それは今の必要性も現状と変わらない。
ワクチンが効いても無症状でもウイルスをばらまく状況は残る。殆どの人がワクチン接種しても集団免疫のゴールは見通せておらず、この夏の感染第4波や年末の感染第5波に間に合いそうな状況では無い。


戦(いくさ)や争いを好むリーダー傘下では
それは国や政党から個別企業の代表までを問わず、傘下が“地獄の如く”に至ろうとも、多くの人の中で孤立しようが、身近の者同士とか家族内での、足の引っ張り合い、互いの裏切りと、事実上泥沼の暗黒死闘が傘下で繰り返されようが、そんなリーダーは途中で止めようとはしない。
そういった手法や、その見本は日本海の向いの諸国にも現存している。

全体主義者にとっては、国民や反対勢力を統制さえ出来ればよいのであるから、戦争中の実例でいけば、大日本帝国の旧商工省や軍部はスターリン全体主義を見習ったし、ナチスドイツもスターリン全体主義を高評価し見習い取り入れたのである。
すなわち、いずれの全体主義者の集団は、与野党の二極に対立しようが、体制維持のために野合しようが、宗教団体であろうが然り、衰退の道をたどる民間個別企業であろうが同じなのである。
★「知」が、最も安全を保障する、無ければ、最も危険だ。


縦組織だからこそ“口コミ情報”の真実性が目立つ
思いもかけない口コミ情報とか、YouTubeでの身分氏名映像で明かした情報が、各地から、入ってくる。まるでそれは言論統制を敷いていたソ連や、今も統制を続ける中国といった全体主義社会においての、“口コミ情報”こそが正確であった体制を連想させる。
その“口コミ情報”を耳にするのは、一般民衆はもちろんのこと、縦社会の各級党幹部も各級政府機関役職者にまで浸透していた。そして、日本の個別企業も縦社会であれば、同様に企業内“口コミ情報”が浸透し、これを重視し経営トップにも報告される。このシステムこそが縦社会運営の要であり、それを司るのは日本ならば総務人事部門である。日本ではそういうシステムを認識している人はごく少数だから、筆者も若い頃にアメリカから「インフォーマル」と教わったくらいだ。
すなわち、横型組織の運営では個別企業Member(構成員であり部品Partsではない)の全員が情報を共有するから主体性が生まれる仕組みであり、縦社会の運営は、縦組織の各所で流れる“口コミ情報”を知らされない人は、部品Partsもしくは動物や社畜として(カウンセリングやコーチングの対象といえども)扱われる。縦社会や縦組織は横型組織に比べ、組織概念が薄く、個人プレイや独善・独裁の運営が多い。


§先ず、事件(=感染実態)の注目すべき実態。①~⑤
①コロナ罹患重傷者(人工呼吸器装着以上など)の入院受容力(キャパシティー)を、国が限っているから直ちに医療崩壊は起こる。この様相は他国では見られない。東大病院などの大学系病院はコロナ患者をほとんど受け入れておらず、こんな事は欧米やスウェーデンでは起きていない。その東大病院エリート医師950人の存在は有名である。政府分科会の会長尾身茂氏が理事長を務める地域医療機構(旧:社会保険や厚生年金病院など病床数百の約60病院)は、法律が求める業務運営目標で、「公衆衛生の向上・増進や住民福祉の増進に寄与」と厚労大臣が定めている。にもかかわらず新型コロナ感染罹患重傷者を1人も受け入れていないとのことである。

②現状で!手指の正確な消毒方法の周知徹底、家庭内感染の徹底対策といった、全員の参加できる根本策が抜けているのだ。国営:NHKラジオの雪かき作業の注意情報や交通情報は頻繁ではあるが、コロナ感染は「三密を避ける」と抽象的呼びかけだ。
加えて、現在保健所に指示している、濃厚接触者の定義は、改訂後も未だに非現実的である。「顕著な症状を持つ発症者の1メートル以内で、マスク?を装着せずに、15分以上の会話を伴った者」というわけだ。まして、保健所職員は医師ではなく、なので医療上の判断ではなく、この定義で以って振り分けているに過ぎないのである。極めて杓子定規である。なので休業とか自粛を迫られないように、「マスクはしていた!」との嘘の強弁しさえすれば除外されることは、もはや常識だ。
満員電車は車中で会話をしていないから対象外(医学的意味の空気感染では発症しない)だ。
あげく、15分以上の会話といった定義から、狙い撃ちされたのが飲食店であることは否めない、それは、同様の接触感染をはるかに超える家族内感染の具体策を示さない現状との整合性もないのである。
なお、コロナ罹患発症した場合に、37.5℃以上の発熱者は3割に過ぎないと言われている。にもかかわらず、電話で37.5℃未満の発熱を訴えれば、それだけで保健所は、その訴えを相手にはしない。新型コロナ感染の知識を与えられていない者は必死であるから、あえてコロナ隠蔽を図って救急搬送に希望をつないでいる無惨な姿である。

③さらに、濃厚接触者の(クラスター:ぶどうなどの房のこと)追跡調査方式は、人員・手間・予算がかかるとの理由で省略し始めている。
もとより多くの医師が昨年来、地域や職場の集団検査を求めていたにもかかわらず、iコールセンターとか家電製品工場の周辺や沿線では蔓延したのである。
今や、蔓延して家庭内感染とか市中感染がハッキリ数字に表れても厚労省は手を打っていない。そこへ、濃厚接触者の追跡調査省略である。「新たな感染者」の発表数は、もう判断材料に値しない。

この事態を容易に招来させているのが、厚労省管轄:国立感染研が、全国保健所の調査データを公表していないことにある。もちろん医学研究者に対しても秘密である。厚生や公衆衛生行政は、保健所の末端で勝手にしろと言わんばかりである。憲法25条の公衆衛生の崩壊だ。これは全くの刑事犯罪(未必の故意)そのものであることは否めない。

④欧米各国と比べて、日本は国土全体に感染が広がっている唯一の国とのことだ。この新型コロナウイルスの感染は都市に集中するというのが世界の定説である。GoToキャンペーンが疑われているのは当然だ。
けれども、最も重要な事はキャンペーン疑惑にはとどまらない。無症状者の中に、1人で60人程度の他人へと感染させる無症状者の存在がハッキリしている。ところが、保健所は、先ほど述べたような定義の濃厚接触者を追跡調査する、いわゆる感染クラスター(感染の房)分析を、省略しながらも尚も終始している。とにかく無症状者は、PCR検査から全て除外している。他人に感染させている無症状者の捜索発見は一切行っていない。中国はじめ世界各国と比べ、日本は、感染クラスター(感染の房)のみだから、全く追跡効果が低いのだ。多くの医師がPCR検査数の拡大が必要と言っているのは、他国水準の追跡方法が必要と言っているのであって、「全員検査」などとは、誰一人の医師も言っていない訳なのに。

病気治療ための臨床医学からの見解(感染研や公衆衛生ではない)
【上昌広医師「東京五輪、第4波・緊急事態宣言下での開催になりかねない」】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#60
【ダイジェスト】郷原信郎氏:日本がまともなコロナ対策ができないわけ - YouTube

⑤この昨年末、大阪市の保健所に37.5℃以上の発熱を経過して、電話連絡した人物がいる。その人は、YouTubeで自らの身分氏名を映像で明かしている。保健所に連絡をして、PCR検査を頼んだところ、(手作業もあって)「ただいま混み合っていますから、10日間待ってください」とのことだった。さらに、自宅では待機とか療養はできないと訴えたところ、「入院待ちにしますか? ホテル隔離にしますか? どちらかを1つを選んで下さい」とのことだった。ホテルに滞在してその後入院するということは出来ないそうだ。
ホテルに滞在した間、医師が診察するわけでもない。熱などを訴えたけれどホテルでは薬の処方はできないとのことで、「薬は、ご自宅から持ってこられなかったのですか?」とのことだった。食事は弁当などが与えられるわけだが、1食1,500円の予算らしい。ところが、ある朝は菓子パンと牛乳1個ずつで、どう見ても合わせて200円程度としか考えられなかったそうだ。

ここから分かることは、毎日発表される感染者数は、感染状況を示す数値ではないということだ。これでは保健所の、“PCR検査の毎日作業報告”に過ぎないのである。確かに曜日の検査体制によって新たな感染者数が異なる報道はしている。けれど、これでは感染の状況を把握するのは無理だ。
毎日15時過ぎには発表される“今日の新たな感染者数”とは保健所作業の裏付けにはなっても、“新型コロナウイルスの感染状況の裏付けにはならない。さらにこれは、“通常の風邪と同じく季節変動を起こす”あるいは「この分なら2月にピークを迎えるだろう」といった、一般臨床医の経験則の裏付けにもなりはしない。

毎日何のために発表しているのか意味不明である。
すなわち、「感染者は減ってきている」との話が非科学的な見通しであることは否めない。重症者数や死亡者数が増えていることからすると、発表される新たな感染者数とは裏腹に、実際に感染者数は増加しているとの疑念を持たざるを得ない。
★表向きの数字を並べたてて、さも科学的な風に仕立てている、
そればかりか「一般人は小数点以下のコンマ○○の数字記載で、より正確であるかも知れないと錯覚を起こす癖の存在」を、あえて駆使して強弁しているのである。
人間は、自他共に事実や事実関係を真実だと承認し、そのための、もっともな理由を持っていること、そして根拠が形成されているからこそ恐怖から脱出するのである。自分の目で確かめることができない物事ならば、科学的に分析されていれば、おおむね根拠として信頼するのである。その科学的とは、自然・人文(精神)・社会の各分野と通じ結合し、≪何時でも何処でも誰でもが応用できる法則性を持った論理展開≫をすることだ。宗教観には、科学でいう「誰でも」が無い、なので「信じる者は救われる」との宗教観の論理構成になるのだ。

昨年のパンデミック当初は、何でもかんでも新型コロナ感染の死亡としてしまい。今は施設内のコロナ発症での感染クラスター分析を避ける意図から、コロナ外の死因とする「誤診」や疑惑さえ散在するようになった。病名はともかく、新型コロナの正確な死因は、免疫暴走による間質性肺炎、血液中ウイルス感染による免疫作用での微小血栓による全身に及ぶ多臓器不全だと言われている。腸や下気道(声帯の奥)でのVirus増殖場所が特徴との新発見が相次いでいる。
★科学的でもなく、宗教観の論理構成すらない話、だからこそ詐欺的なのである。


§事件影響の波及から予見できる感染と恐慌“地獄絵巻”
“地獄絵巻”は、「風が吹けば桶屋が儲かる」とのイメージのカオス理論(2008年証明済み)的な着想をすれば、その状況を科学的に予見できるのである。
ただそれは、現在の法律制度が三段論法や古典的力学とかの因果関係に、執拗に固執するものだから、容易に裁判所などの法制度では扱い切れない。けれど社会科学系の学問では次々と予見方法の開拓を済ませており、様々な共同体や行政機関では、そういった“地獄絵巻”を予見することが可能なのである。それは人々の日ごろから愛用している、(後述の)=移ろう行動基準あるいは思考パターンに基づいて整理され得る。

=移ろう行動基準あるいは思考パターンは、科学的であり・宗教観的であるところの、意識&意識の一部でもある感覚”に依る。
次に示す3分野ごとに、とりあえずは分類表記はするが、悲惨な行為の各々は密接に絡み合っている。だからこそ、あえて3分野ごとに表記することによって密接な絡み合いも、頭脳でイメージ把握できるようになるのである。それは、個別企業の企業経営においては元々が、各部門やセクションの横のつながりが複雑に絡み合っているからこそ、意識的に各部門やセクションに分別し各々促進させているといった=科学技術や社会運営技術と同様の方法なのだ。ちなみに、この科学技術や社会運営技術をイメージで以って把握する能力がない場合に陥る観念がセクショナリズムなのである、念のため。
ただし注意、→恐怖にさいなまれている場合は、この3分野を次々と移ろい、堂々巡りを繰り返す。その堂々巡りによって神経症となり、さらに恐怖が増し喰われるというわけだ。


敵と戦う神=権力が欲しい!=分野の地獄
戦(いくさ)のためには、自らの意に添わない他人の行動は許せず、自粛警察とかマスク警察を繰り広げる。注意や恫喝される方はたまったものではない。優生思想丸出しで病弱者、足手まといとなれば昨日の同志でも処分を図る。両親にしても老いを迎えれば処分を図る。処分ともなれば、美辞麗句としての意味合いを持つ安楽死、不要な延命治療拒絶、「早く楽にさせてあげたい(病弱者本人は苦痛を感じていないのが真実)」等との美辞麗句だ。新型コロナの事例で言えば、重症に至ったときに、「親の人工呼吸は不要です」と、本人に代わり書面にサインをする保護義務者が増えているが、医師に手渡す場合の、この“無情”も地獄の一つである。こういった地獄は全体主義者やその信奉者の周囲で多発する。


拝金生活の神=厚生(物)と満足が欲しい=分野の地獄
コロナ感染の最前線で活躍する医師や看護師その他医療関係者を、同じく社会インフラを支える人たちに危険を押し付け、最低賃金で働かせても、なんとも思わないから地獄を巻きおこす。彼らの手段は、常に他人へは誘惑をかけ=希望を呼びかける意思表示はしない。
言うことを聞かない相手には、パワハラやセクハラその他でさらに追い詰め、その上で再び誘惑にかけるという悪魔のような地獄を繰り返す。
身内に対して親切であったり溺愛をしていたとしても、いざとなれば隔離・監禁を行う。金を段取りして精神病院や老人施設に親兄弟を追い込むことは、大袈裟な理窟とともに、冷静に行なえる。


嫉み生活の神=名誉が欲しい=分野の地獄
今年3月末のリストラの嵐、狙い撃ちされるのは、この分野の行動基準の人たちである。首切りや出向追い出し専門のコンサルティング会社のPRが活発になってきている。その中身を見てみれば、彼らコンサルティングやその手足要員の思考パターンは、このネタミ分野に固まっており、首切り役と被解雇者の思考パターンがマッチングすれば、“名誉を一見満たす形”を大量に整えることが可能なのである。貧乏人は貧乏人が作る。女性差別を日々行うのは女性だ。
この仕組みの範囲内ならば、政党であれば支持者は減らない、宗教団体であれば信徒は減らない、むしろ諸団体ごとに親睦や親密さが増し加わるのである。雇用調整助成金の制度的毒饅頭は、ここのこのネタミ分野に猛毒がある。雇用保険の在籍失業給付の制度ならば、一気に社会保障の社会問題になる。
“嫉み”にさえ=惑わされていれば、生活が低迷しても、今年3月末のリストラの嵐に巻き込まれても、“他人への妬み”を煽られさえすれば、自らを反省することもなく、他へのウップン晴らしをする程度で、解決の一歩は踏み出せない。だから、他人から“嫉み”をかきたてられ、→今度は言いなりになりそうな人に対して、→“嫉み”をかきたてることとなる。その“嫉み”の繰り返しと連鎖の地獄である。
加えて格差社会とか貧富分離社会といった、実に異質人物の共存する共同体?で、犠牲を強いられていれば、→錯覚でもいいから、「同僚よりも立派だ」と思いがちな肩書き・名誉・実態を伴わない地位といったものを授けられた途端に、→この上ない安堵感を得るのである。それは、格差や貧富分離の犠牲者にとっては、“無秩序の中に水を得たり”の如く、根拠のないプライドが膨張拡大し、この上ない現世に実現可能な御利益(天国や極楽)なのである。

旧ソ連の指導者スターリンはキリスト教:ロシア正教の神学校出身、帝政ロシア正教の悪質利用を全体主義の中で行った。専門教育のない者&教養のない者+職業経験の少ないインテリ、クリスチャンを組織や担当の口先ばかりの行動の任務者(専従党幹部)に仕立て上げた。
戦前日本でも、新たな国家神道を練り上げて、昭和15年の段階でも各地方の神道伝承諸説を徹底抑圧して、旧ソ連の方式を真似た。(旧ソ連と大日本帝国の統治政策や経済政策が酷似していることはペレストロイカ後の近年の研究で判明した)。

残念なことに、今挙げたような方式で以って成功を収めた団体は様々ある。日本人にとっては初めての、団体運営に係る教育訓練が全体主義であったから、その中身を戦後に引き継ぎ成功体験を持つ人物が運営する団体は少なくない。そんなことでの“日本人の頑強さ?”を賛美するといった程度の文化が残存することは否めない(もしかすれば、これが“恥の文化”の実態なのかもしれない)。


【共感性&文化差異を、巡り廻り移ろう行動基準】
下記のURLをクリックすると、拡大図が開きます。
http://www.soumubu.jp/intelligence/20210103_koudoukijun.jpg
この図表は最新学説に基づく、誰もが持つ宗教観を含む学問的整理解明の道具である。
☆そうすれば、ニヒリズム(虚無)に陥ることはない。
科学者、インテリ、マネージャーは、ニヒリズム(虚無)に陥る前に、出される意見の真相を、その人の移ろう心の姿を分析しながら、探ってほしいのだ。
この図表の大半は、科学的な視点での整理だ。
その科学とは、自然・人文(精神)・社会の各分野と通じ結合し、≪何時でも何処でも誰でもが応用できる法則性を持った論理展開≫をすることだ。宗教観には、科学でいう「誰でも」が無い。けれど宗教観には、人類の経験的示唆を含んでいる(宗教観と宗教団体の教義とは異質のものである)。啓蒙思想始め、ニュートンやアインシュタインまでも、宗教観をヒントに業績を納めたことは有名である。
移ろう行動基準あるいは思考パターン、これらはICT機器で、出版物とIntelligenceの多種大量集積が可能となった時代だから整理づけられた。単なるInformationのDataのビッグデータ収集と解析では知識偏重になるばかりで、プロセス不在となり法則性がつかめない。


権力欲のしい全体主義者は、スキに付け入る
人々は、恐怖を煽られ過ぎると、反論批判を繰り返すが、虚無感に陥る。
論理や理屈で理想を追い求めるから、全体主義者の罠と「オトボケ」に消耗してしまい、挫折しやすくなり、自由よりも安心を求めるようになる。いくら学んだところで、学ぶだけでは、道は開かれない。あげく、ニヒリズム(虚無主義)が世間に漂う。


そうであっても、“地獄絵巻”の後に生き残る人達
すなわち“教養ある文化水準の高い者&その仲間たち”だけは、「希望へと、闘い開拓し、リッチ(豊かさ)と幸せ」を目指すことである。
ここでいう闘うとは=家族を始め、共同体や個別企業そして社会などの制度やシステムに及ぶ変化を目指すことなのである。
歴史を紐解いてみると、約60世紀にわたる様々な文献には、その滅亡せず現在に至る民族とか集団のことが記されている。これが社会科学系の研究で明らかになってきた。

“地獄絵巻”の彼らの狙いは、(この項目内の以降は前月号の写し)あと3~4年は続く。
経済後退政策、個人収入の剥ぎ取りだ。経済全体は個人消費が鍵となるから技術後退してダンピング輸出企業だけが好調となっても全体経済はますます落ち込む。
★現状の円安誘導でダンピング輸出が続けられ、そこに利権のカラクリが密着している。
華々しくマスコミ受けするような演出に走る、=その姑息な口先は綺麗事を持ち出すが、肝心の日本の経済政策は東南アジア製造業諸国の下請化へと、明確な舵を切った。中国については?もう日本は下請の立場となっており、日本の優秀な人材も中国へ引き抜かれるに任せる事態に陥ろうとしている。
「コロナ対策か、それとも経済対策か」といった風に、故意に二者選択を叫んで子供だましを図ろうとしている。そのように筆者がそう断言できる所以は、これだけ日本は学術分野が進展しているにもかかわらず、各分野の科学者の意見を無視して、単独独善の政策を押し切ろうとするからだ。彼らの狙いは、世界の歴史(古いものも含めれば6,000年余りの記録)を紐解けば一目瞭然。今頃になって日本学術会議の人選に対して、突如嫌がらせを行うのは意味があるから行っているに過ぎない、彼らの代表は、そんな策を弄して這い上がってきた人物だから。
☆「聴く耳(気持ち)のあるものは聞け」のことわざの通りである。


スターリン式全体主義から独立を果たした東欧諸国の人たちは
およそ4年前にもこのメルマガ181号でも書いたが、
(独立当時の研究によると)西側諸国の支援もなく幸せと権利の主張を行い、
自由と創造性の人的資源でもって、現実に具体的な企業経営や労働を行い、
新たな権利のチャンスの形を読み、単なる批判や不平不満にとどまらず、
そのことで幸せと権利、実利利益も確保し、経済と生活の余裕も確保し、
自由の相互承認・行使の相互保障を柱に→民主主主義を広げたのだ。
  「幸せの権利と、利益満足」との区別を付けて、(著作:民主主義の発明)
  全体主義者の「未来幻想の夢物語」の誘惑に、抵抗して成し遂げたのだ。
  そう古今東西、全体主義者は次のような言葉で、うそぶきタカをくくる。
  『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は、
   常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞=不景気に陥れることである。
    腹のへった者は、パンを約束する者の言うことを聞くのだから』。
        (民間防衛:スイス政府p.224)そして下記はメルマガ181号
   総務部メルマガ:全体主義の検索結果 (soumubu1.blogspot.com)


現在の文明の起源、=17世紀:自由平等のための市民革命前夜からは
中世暗黒時代のニヒリズム(虚無)を超えて、文明Civilizationが一気に進展した。百科全書派や啓蒙思想がきっかけだ。
そう、今につながる文明Civilization進展のキッカケとなった行動パターンは、文明Civilizationの語源が示す通り、“礼儀正しさCivility”であった。それまでの個人の徳や“人徳”といった、物質の追求での挫折(希望は実現せず我慢ばかり)から、自由平等の希望と精神的理念(理性)の許に、社会の運営技術に民主主義を取り入れた時代(英国:名誉革命や仏国:フランス市民革命)の如くであった。
現代グローバル世界での“野蛮化”しているとの表象概念とは、この“自由平等のための社会”を破壊する行為を指している。そして近年の科学全般の発展自体も文明Civilizationが一気に進展したことによって支えられた。
第二次世界大戦後、各国での反ファシズム制度の充実は、劇的な科学技術進展を招来し、その主なものは、抗生物質、プラスチック、食料価格の半減にまつわるものであった。ここでも、社会運営技術の柱は、自由平等のための民主主義(一定程度の社会主義)であったし、第二次世界大戦後に基本的人権が加わったことによる。日本国憲法25条の生存権は、GHQではなく日本側の独自提案だった。
こういった文明Civilizationの充実とともに経済活動は、貨幣を道具として“自由”の拡大を人々は求め、それは「モノやサービス(服務)」とに広く交換をする方法に至ったのである。さらに、戦後は貨幣蓄積増進の重要手段として「通貨」が用いられ、その「通貨」とはそれ自身は“経済価値のない紙幣にコインや電信や通帳・電子マネーなどの器材”を用いることであったが、これも何千年と人類が用いてきた社会運営技術の方法や手段には変わりは無いのである。新自由主義者は世界を、封建時代や古代に堕落・転落させるに至ってしまった。
☆「戦争や災害で消滅した都市は無い」
事実、5,000年の商業都市ベイルートは、7回の戦争で破壊され都度復活している。


幻想「崩壊と地獄を経て後に、希望が生まれ勇気に立ち上がる」
といった経過は、古今東西、約60世紀に渡る人類の記録には無い。いつも叫ばれたが、幻想にすぎなかった。

むしろそれは、まずは敵を作り戦って、自らの権力を満たしたい(極左や極右の)全体主義者たちが作り上げた幻想。
もしくは全体主義者が集団的に人々を““嫉み”生活”に閉じこもらせる“作為的教義”に他ならない。
歴史や書物を紐解けば、「恐怖におののく集団の中に、根拠のないプライドを個々人に肥大化させる」といった手段は、数え切れず幾らでもある。


現代社会では、とにかく自由に生きる
ところで、公務員・官僚や自治体職員ならば、本来は、その職業柄、住民全体のコンセンサスをとることが基本となる。しかし個人は、現代社会制度(憲法など)では、“とにかくまずは生きるといった基本的人権”があって、社会とは自由平等を追求し実らせるために維持している制度(その重要な武器が民主主義)である。あくまで個人には、個々人間ないしは他人との摩擦を防ごうとするためのルール(義務)が存在する。もちろん自由平等を追求するために、民主主義に基づく決議を経ての自由の制限や罰則が用いられるのである。今ここに示した概念は、グローバル世界の中でも保守思想の典型的なものであり、左派勢力のものでもなければ王政復古や封建性とか世間体を克服するところの、社会形成概念なのである。
その際、常に話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。
そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明を達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。


そして、“人類の進化に資する行為”が善
との思考が定着しつつある。
人類は、進化に資する生き方をする人間や家族ならびに民族が残ったのである。
今や、“人類の進化に資する行為が善”と認識されるようになり、進化の過程で有益であることがはっきりした価値を、善悪の判断基準とするようになった。
それは、宗教や統治制度ではなく、生存に役立つものが善だとの解釈なのだ。その一例として、
=何等かの立場に立つ男女比率を見比べたとしても、その理由を人間の身体に求めるのは馬鹿げた話だとも解ってきた。精神分析の発達に因り人文科学(精神科学)においては、男か女かの特定自体が、良心的自由の拡大を阻害する明確な要因だと結論付けられた。
☆そこには、文明Civilization進展の新発見が必要で、新時代を支える文化が要る。


パンデミックを体験、コロナも完治して、筆者個人の感覚
実に、筆者が様々幼少期から聞き及んだ太平洋戦争中の体験話に同類のものがあった。「まず生きて、抵抗して、仕事をして事業を行えば、悲惨な戦争体験は避けて暮らせた」と言う。筆者は、幸なのか不思議なのか、私の親族・姻族には戦死者・被災者はおらず、富裕とまでは行かなかったが、悲惨な戦争体験を回避して生きた行動の持ち主ばかりであった、たぶん先祖代々から。
私が調べた限り、最も悲惨な犠牲者の事実は、「無教養で貧しい生活環境にあって、全体主義者に騙され、彼ら官僚主義者の卑屈な昇進に利用された人たち」であった。そう古今東西、全体主義者は次のような言葉で、うそぶきタカをくくっている。『最も経済効率の高い戦法、つまり、最も安上がりのやり方は、常にあらゆる方法で、その国を経済的沈滞=不景気に陥れることである。腹のへった者は、パンを約束するものの言うことを聞くのだから』(民間防衛:スイス政府p.224)。
☆よって、教養の有無や貧窮に関わらず、
①公言せずとも全体主義の反対者であれば、個人も企業も活きられる!という結論なのである。
②最も大切なことは、自由・独立・民主主義でもって、全体主義者には歯が立たないように、今から予め豊かな地域を造っておく、で、幸せや暮らしを崩壊させられることがない。
③そして地域を基礎に、豊かで地に足のついた地産地消の事業は、その商品がグローバル展開をするように、新しい社会制度が組み立てられることに。それが大きく開花するまでには10年の見通し。


§コロナ感染地獄と、次代を切り開く、働き方と労災保障
 =空回りし無視され続ける“働き方改革”とは全く異質

全体主義者とその厚生官僚が繰り広げる事実上の“コロナウイルス蔓延策”が激化する。
そこでの、この2月から3月末にかけての、コロナ感染地獄の予見詳細は先ほど述べたとおりだ。
このままでは、社員食堂や無規律な会合やミーティングを繰り返す労働集約型事業での発症は蔓延する。
もちろん、そういった感染の危険を覚悟して労働する職業、すなわち医療機関・感染防止関連事業、スーパーその他小売業、個別消費者への配送業、などでは、ウイルス感染の労災が続出せざるを得ない。
ところが、
全体主義者と厚生官僚は、とんでもなく大きな間違いをしている。
それは多くの感染者が一通り発生すれば=いわゆる集団免疫ができ、それでコロナ感染は、終了すると思っていることだ。加えてよく注意しておかなければならないことは、この集団免疫解決説を、事業所内から自治体や町内会までに存在している“全体主義者や官僚主義者”とその信奉者が支えているといったことを、見逃してはならないのである。自らは一層の感染防止を考える立場にないと言い聞かせているから、ただおののくだけである。なお、中堅・中小企業にあっては“全体主義者や官僚主義者”の従業員に占める割合が少ないから、個別企業や家庭内でのコロナ感染地獄を防ぎやすい(=それは有利かつラッキーな条件)のである。


具体策はこれだ、①~⑩
①日本の産業利潤の源泉となる人的資源:創造性(経営や技術技能の集まり)と物的原資が柱だ。コロナ感染が収束するにつれ、激烈なインフレと通貨切り下げがやってくるから、資産は通貨ではなく、人的資源:創造性(経営や技術技能の集まり)と物的原資として、確保していくことが重要である。

②リモートワークやテレワークは、その利益源泉である創造性を破壊する。

③中国や東南アジア製造業の下請けとして生きる大企業なら、このリモートワークやテレワークは有効かもしれない。

④所詮、リモートワークやテレワークは、従来の科学的管理法(テーラーシステム)の業態に今後も固執する、取締役やその周辺の管理的職業には打って付けの働き方に過ぎない。それは約30年間の“失われた日本”よりも前の復古着想に過ぎない。また、多くの人が気がつかず、当時も政府もひた隠しにしたところの、2018年(平成30年)7月6日に施行の“働き方一括法”での旧雇用対策法改正において、★労働行政の雇用を「職務給」制度に視野狭窄(しやきょうさく)させてしまった論理構成とも関連している。要するに、「職務給」だから紆余曲折する創造性は期待してないし、創造性に係る労働は無報酬という考え方だ。(年功序列型賃金の原型は電算型賃金、経験給の中に創造性を大いに加味していた)。

⑤“工場制”の事業構造に、新型コロナ恐慌の本質が在る
“工場制”(一ヵ所に集める)がICT産業革命とともに、“不採算・投資損”を引き起こした。そのコロナ感染前の経済構造には戻り得ない。もう一度繰り返すと、新型コロナ恐慌の本質は“工場制”に固執し、未だ無理無謀な投資の不具合に目をつむり、それでも貨幣価値を通貨の操縦で膨張縮小利ザヤを産もう(金融工学?)と試み、あげくコロナ感染の引き金で無理がたたっていたところの、少しぐらいは予知できた失敗である。事実、無理のたたっていない商品開発に事業経営はコロナ恐慌でも安定成長だ。
コロナ感染によって、ありとあらゆる流通(交通)体系が崩壊しまった訳で、その崩壊はサプライチェーンに限られたことではない。ところが、人間のみが成し得る労働(その一部分の労働力ではない)は、何らかの形で共同体を組まなければ成果(労働全体の産む価値)を上げられず、労働全体の一部分である労働力でさえも、どこかの共同体(末端とか枝葉にでも)に組み込んでおかなければ(~人間疎外だとの指摘を受けても)、価値の一部を構成することすらできないのである。金融その他の投機による利益を出すとしても、それも労働全体が産む価値である。

⑥個別企業における、コロナ感染の場所と場合は、食堂とトイレが元凶
だから、もっぱら“工場制”の事業構造に所以を持つ社員食堂を止めて、唾液や飛沫の集積飛散を止めることだ。あえて食堂施設に、飛沫で汚れきった手指の集団を招き集めることはない。
併せて、トイレの構造と水回りを変更して、水道水での手洗いを徹底する。トイレに向かう途中の飛沫汚染された手で生殖器や尿道付近や下着を触らない。要するに「三密」といった概念ではない。飛沫さえ飛ばなければ、満員電車でもエレベーターやエスカレーターの混雑でも感染しない、いわゆる医学で言う空気感染であれば、億単位のウイルス数量に至らないから感染しない。(医学的には、PCR検査陽性=感染ではない)。

⑦非効率な集団での行動や行事といった仕事は避ける。
集団行動の前準備を自宅やリモート(離れて)で予め行う。→→要するに、会社施設内で食事をする機会をなくす。出先や就労先で昼食などを取れば問題は無い。
それに関連するのだが、集団行動での“気づき”はあっても、創造的労働のアウトプットはありえない。職業教育で重要な“OJT教育(仕事中その都度の上司からの教育)”は、集団教育では行なえない。コーチングの手法でもってOJT教育の代替えを行う際も個別教育である。ちなみに、「みんなが集まり知恵を出す?」とは、それは社員教育でもなく、ただの初歩的知恵着想の訓練に過ぎない。参加者からすれば、「あなた方は未熟だから、初歩的な知恵着想の訓練をする」と言ってしまわれると不愉快だから、単純に持ち上げているだけの詭弁なのであるから。もちろん、創造的労働のインプットも先ず期待できない。

⑧不要な出社&密に屯(たむろ)をさせない就業基盤
昼の休憩時間を90分~120分へと延長することで、一日当たりの労働時間を減らし週休は法定休日のみとすること等で、作業の質的向上と密集作業を防止する就業基盤の整備もできる。
フレックスタイムとか、みなし労働、あるいは裁量労働といった働き方のプラス面を充実させる。遅出や早帰りではなく、就業基盤の整備があれば、リモートワークやテレワークは利潤につながる。とにかく、事業所に出社出勤しさえすれば、他人の仕事の邪魔をしようが、サボっていようが、“立派に働いている”といった風潮や就業記録を止める。
はっきり言えば、毎週1回の法定休日さえ十分に取らせて、出勤は在宅でもリモートでも良いのである。
労働法の底流は、労働者が取引相手である経営者との、「労働力」の取引において、「その労働力の所有権を、使用者に譲渡する契約」を行っている、としている。具体的には次の3項目のすべてをクリアする必要がある。
1.労働の内容が、予め既に概ね、決められている。
2.仕事を実施する場所が、予め定められている。
3.予め、そういった内容を労働者は了解したうえで仕事をする。
この論理の上に現代労働法は形成されているから、労働契約でもってこの3項目を明白にさせれば、現行労働処方を改定する必要はない。あえて個人請負とか個人外注による品質低下や流通トラブルを招来して、品質低下やダンピングを蔓延させることもない。労働に関する社会インフラを整備して、品質向上や量産を可能にすることが出来、次代のICT産業革命を、戦前復古の制度へと逆戻りさせても、経済の成長や豊かさは実現しない。
【不毛な密を、→有効なリモートや意思疎通に切り替えるには】
都市部のオフィススペースを激減。
不毛な密の数字が表れる費用、その見直し項目の例=賃料、交際費、車両リース、旅費交通費、出張費などに。

⑨たとえ医療にしても保健衛生事業にしても、風俗または水商売にしても、あらゆる日本の産業では、古風な人海戦術(中国武漢式?)は行わないことだ。
ほぼその辺りは、新型コロナウイルスの集中的感染源になっている。とにかく予見と未然策を科学でもって備えることだ。
感染研や旧日本軍式の精神論や自己責任論は、2020年2月の横浜港クルーズ船ウイルス汚染の如く、不衛生を温存しウイルス汚染の拡大を招き、世界最大の悲惨な船舶の汚染結果しか招かなかった。そのクルーズ船での精神論は「マスクさえしていれば濃厚接触ではなく安全」といった厚労省の観念的方針(現在も変更なし)に現れ、それは怖ろしく生々しかった。自衛隊に見られた科学的学問的優位性に見られる対処は感染の集中を抑え込みに極めて有効であった。
要するに、利権を背景に集団の利益を第一に考える馬賊&軍閥のような事業は、日本ではさっさと止めた方が良いのである、どの大企業も。仮に、中堅・中小企業にあっては、明日から止められる。横型運営事業&働き手の“意欲・感動・希望”に、一歩組み込めば、いわゆる「3日で城は建つ」のである、心配はいらない。
古風な人海戦術(中国武漢式?)は、顧客接触や顧客の心理や感情から遊離するのが必然的だ。さらに妄想に走り、馬賊&軍閥の如き組織を作りたがり、その集団利益の利権を追い求める。その姿は、現在日本政府各省庁ごとの(画像も含めての)姿と、それに抱き着き延命&保身を図る大手企業の姿を見ればいい。

⑩コロナウイルス感染の放置と、そこでの就労指示は、労働災害を産む。
過失(通常やるべきだとされる行為をしないこと)や、重過失(わずかの注意…)刑事事件の構成要件の如くに、労働災害での業務起因性と業務遂行性を立証すれば、労災の構成要件も整う。もちろん同時に、民事法の契約違反や不法行為の要件事実も整うことになる。

#1 新型コロナウイルス感染の労災認定基準=厚労省通達より引用
「感染拡大のリスクがあるという特性に鑑みて、当分の間調査により感染経路が特定されなくても、業務により感染した蓋然性が高く、業務に起因したものと認められる場合は労災保険給付の対象とすること」
#2 感染症リスクが相対的に高いと考えられる業務とは、同じく厚労省通達より引用
「①複数の感染者が確認された労働環境下、②顧客等との近接や接触の機会が多い労働環境下。例示として小売販売業務、バスタクシーなどの運転、育児サービス業務など」
#3 労災保険はパートやアルバイトを含め名称の如何を問わず労働者を1人でも雇用していれば業種や規模にかかわらず加入する義務がある。これに該当する事業主が労働基準監督署への労災保険の届け出を怠っていたとしても、労災被災となった労働者は治療費や傷病手当を受給することができる。労災保険の申請は、個々の労働者が管轄する労働基準監督署長に行うものだ。会社は、あくまでその便宜を図っているに過ぎない。労災申請用紙の中にある事業主の証明欄が空白であっても、労働基準監督署は申請を受理する。


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210209】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。この2月号で紹介できるものは1冊だけ。
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)

根拠のように、あたかも示される統計?数値の嘘を見破る
今日、巷に流れる情報は、この本に紹介されている“4項目チェック”を成されずに流れている場合が多い。

“3つの問い”
 a.この統計を作り上げたのは誰か?
 b.なぜこの統計は作られたのか?
 c.どうやって、この統計は作られたのか
 → 嘘を見破る:4項目チェック
 
 “嘘を見破る:4項目チェック”
 (1)関心を引こうとして、当てずっぽうで大きな数字を持ち出している。
  (2)細かく限定的な物事でも、拡張してさも広く影響する課題だと定義する。
   (3)アンケートなどをする際、希望通りの回答をするような言い回しで質問する。
    (4)調査サンプル等が少なかったり偏っていて、不適切な統計の分母を作る。

情報を紹介するとか報道する立場にありながら、いい加減な“4項目をチェック”をして、その弁解のつもりなのか、「記者発表された資料を、そのまま提供しています」と、端から断りを入れているマスコミも少なくはない。その道の研究者やプロのジャーナリストでもなければ、世間の常識的な判断をしてしまうにもかかわらずだ。常識とは、みんながやっている事という意味である。だから常識というものは、正しいのか間違いなのか、まして論理構成が正当かどうかまでには無頓着なのだ。
例えば、今話題の「コロナ感染者」とは、PCR検査陽性者のことであり、ウイルス死骸片まで必要以上に培養し養成しているといった間違った内実を含むことも平気である。感染者数の量は、保健所にその日集まった実施分のごった返し数に過ぎない。先月の年末年始の保健所では、37.5℃を超える発熱その他で発症が疑わしくとも、都市部では混み合っているからといって、PCR検査を10日間も受けさせなかった事例が続発している。
こういった厚労省感染研への、右へならえの報道ではジャーナリストとしての価値は無い。統計を見る側の“3つの問い”ならびに、調査を行う側の“4項目チェック”は、あなただけではなく情報や報道を共有する人には共通して極めて重要なのだ。もっぱら受け身の側から考えたとしても、“知や知識”は、知を共有する私がいるからこそ=多くの人が同じことを知り得ると思考展開する概念である。

【紹介書籍】
『統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門』
ジョエル・ベスト(Joel Best)著、林 大 訳 2002年11月10日発行 白楊社