2021/09/07

第233号:Afterコロナ禍へ人的資源の確保

<コンテンツ>
新型コロナで見捨てられる=民間防衛・安全な陣地帯を
 【WHO公式情報(マスク、ポスター)の日本語訳】
 【応急の医薬品、防護防護品、緊急の食糧応援】
 【風邪薬は超危険、解熱剤は素人では重症化、】
 【みんなのために行動しよう、これこそが効果的】
 【施設とか企業のトイレからの感染が懸念】
 【家庭内看病やウイルス吸引から守るには】

天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
 ①発見のきっかけ~から、⑥知恵の法則まで

書籍紹介・読書ノート
 『疫病と人類知
  (新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』


【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210908】


§新型コロナで見捨てられる=民間防衛・安全な陣地帯を
昨年の1月28日から発信している、世界各地からの医師や情報からまとめてみた。
…国:厚労省・保健所も医療も動かない! 掛け声外れ。そもそも行政機関崩壊!
自己防衛の実態は、個別企業や市町村自治体の民間防衛に依っている。先進例や具体例は、ようやくメディアも取り上げるようになってきた。国や与野政党は“患者遊離”で:具体性がない。


【WHO公式情報(マスク、ポスター)の日本語訳】
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)WHO公式情報特設ページ|WHO健康開発総合研究センター

一般向けアドバイス:予防や対策などに関する重要情報
・動画「自分に合ったマスクをつけよう」
 視聴はこちら
・(むらおかコメント)
マスクはみんなの為の物。自分を予防する安全性は少ないと。
周囲2mに人が居ないとか、一人で車に乗ってるときは不要、むしろ不健康です。換気(1.5m以上の風速)をしていなトイレや部屋は避けましょう。ウイルスを含む霧は、部屋の真ん中の高さに漂っています。閉め切った部屋での扇風機は、そのVirus霧が拡散されてもっと危険。今から冬に向けて、夏季の5倍の感染拡大が予想されるとのこと。飲食店や観光業などをイジメるのではなく、みんなの為の行動を。どうして、内閣府や厚労省は、これを徹底・みんなに周知しないのでしょう?
・ポスター「新型コロナウイルス感染症の自宅療養:感染者の家族や看病をする人に向けたガイダンス」
 閲覧はこちら
・(むらおかコメント)
感染は野放し状態、隔離もしない、自宅放置。
もちろんワクチンでは間に合わない、打った人でも発症する。
旧国立病院系や旧社会保険庁系等の、空きの[ベッドと職員]の数は、50,000床分を軽く超えている。それを内閣府も厚労省も言わない。病院では公衆衛生の為(名目)と銘打っており、既にコロナ補助金が投入されてる。
そこで、自宅での対処法。(心ある人は、みんなのために)
ポスターは[WHO公式情報の日本語訳]です。この際、みんなに配り、職場に家庭に色んな所にも張り出しましょう。軽症でも意識は遠のき、看護が無ければ重症化に突っ走ります。インフルエンザの死亡率は0.1%だけれど、COVID-19は初期の武漢型は看護された場合(収容)でも1%とされる。


【応急の医薬品、防護防護品、緊急の食糧応援】
保健所の管轄となれば最悪の事態が待っているようだ。みんなで新型コロナから自衛するネットワークを今からでも作ることだ。感染すれば金銭や自力では対処できない危険が押し寄せる。自宅放置は避ける。家族もろとも倒れることがあり得る。危険な場所は、家庭内、食卓、床、接触する職場、トイレ、汚物の浸水等。


【風邪薬は超危険、解熱剤は素人では重症化、】
…重症化に関わる懸念! 素人療法は危険極まりない。
45日間は民間薬を警戒。強力な咳止めで初動体力を保つ。
まずは、発熱でウイルスを殺すことだ。
発症時対処は一般感染と同じ→直ちに身体を温め寝る。解熱後には抗酸化物質。体温は42℃を超えるようなら、昔どの家でもやったように頭部を冷やす。(医療の体温低下法は素人では肺炎を起こす)。自力治療(コロナは2日ほど)で抗体確保。生涯、無発症か極軽症状で済む。そして、感染箇所の粘膜はイソジンでしか消毒できない。近寄る場合はフェイスシールドだ。


【みんなのために行動しよう、これこそが効果的】
…「あなたを守る」とか「個々人を守る」では、実際には上滑りを起こし漏れることが世界的にもわかっている。そして、空中浮遊のエアゾル感染(正確には空気感染とは異なる)は、目には見えない状態なのである。この新型コロナのデルタ株でも取りざたされているが、この前のイギリス:アルファ株もエアゾル感染で目に見えない感染だった。今年の春にアルファ株の流行があったが、マスコミも政府も無視をしていた、そして大感染した。デルタ株もエアゾル感染は同じだが、感染した場合の毒性が初期武漢型と比べて2倍と極めて強い、理屈で言えば半分のウイルス量で感染する。ワクチン2回接種者でも発病している。このあたりは、厚労省が一貫して情報公開をしないから、ゲノム解析(何れの株か判定)を始め国内研究機関での研究が進まない(専ら海外研究情報)のである。エアゾル感染の対策原理は、概ね次の通りだ。
総務部メルマガ:2021/05


【施設とか企業のトイレからの感染が懸念】
海外からはCOVID-19の特徴の一つとして腹部の炎症が報告されている。もとよりこの新型コロナウイルスは、目鼻口性器の粘膜へのウイルス付着から感染して、最初に下腹部腸が感染し、次に下気道(声帯より奥の気管)が感染する順路だ。そこで排便によるウイルスの流出、→トイレットペーパーを通過して指が汚染、→指で各部分取っ手を触れて、→必ずドアノブ等を触る。トイレ内部での乾燥が進むとウイルスは水分状態に含まれるのではなく、そのまま空中に粒状で舞い上がる(空気感染)。そのウイルス量は未だ研究されたことはないが、口からの飛沫汚染よりも相当倍数のウイルス量だと言われている。だから、「医者などは、トイレの前に手を洗う」というわけだ。このトイレなどからの排泄は、ウイルス感染状態でも発症していない未患者の排泄物からも出されていることが考えられる。ただし、尿からウイルスや細菌は排泄されない。
この排泄経路を考えると、トイレのドアノブをはじめ、便からの付着、エアゾル状の空中浮遊、乾燥によるウイルス粒の舞い上がり(空気感染)といった、極めて危険な場所であることが予測されるのである。日本の文化において、便や尿の排泄は密閉状態で行われ、その後も密閉されているから、通例を超える感染予防対策が必要となる。(冗談のようだが)どこも触らずにトイレに行って手を洗わずに出てくることが出来れば、ある意味で感染予防的であるかも知れない。が、無意識のうちにトイレ外とかエレベータボタン、そしてウイルスのエアゾルにさらされたマスク・顔面・髪毛から指や手に付着したウイルスを水道水(微量の次亜塩素酸ナトリウムを含む)で消毒洗い流すことを忘れてはいけないのだ。飲食店や小売店舗入口で手のひらで消毒液を受け手を擦り合わせているが、ハンドクリームではないから、それでは肝心の指消毒の効果は無い。むしろその行為はエチルアルコールなどにより肌の弱い部分への過度の手荒れを招いているだけだ。疫病といったものの感染対策などは、こういった生活習慣に関わる細かな行動によってなされているのである。日本人などが“おじぎ”をする習慣は7世紀ごろ(当時は天然痘)に中国から伝わり定着した。初対面の人の近接で臭いを嗅ぎ分けるのは感染症予防の遺伝子習慣だと判明している(人間は臭いだけは絶対間違わない)。実際、加齢臭の強い肥満老人は感染症に弱いとのことだ。
★なお患者の排泄物や唾液、痰や鼻汁といった物は強めの消毒液に浸した布等で覆いながらぬぐい去る。ティッシュペーパーやトイレットペーパーでは汚染される。スプレーをすれば、ウイルスの乾燥した粒は舞い上がり吸引することとなる。


【家庭内看病やウイルス吸引から守るには】
現在は、ほぼ家庭内感染ないしは町内ぐるみor事業所ぐるみでも、霧状態(エアゾル)危険と判断し用心すべきなのだ。よくある不織布マスクでの感染防止は期待できない。ゴーグル(300円程)で裸眼を守ることも必要。エアゾル感染とは、BeforeコロナのPM2.5と同じで筆者がそうだった。不織布もそうだが、N80(JIS規格はDS1=原発事故用)だとしても、顔面とにわずかな隙間があれば侵入する。一般的不織布マスクを隙間なく装着することは、実際には不可能だ。不織布マスクでは永遠に手で押さえていなければエアゾルは3mmの隙間でも直ぐに入り込む。「隙間なく」と言う人は、実際に装着したことが無いのだ。原発処理作業で使うこの形だ。(DS1で検索:1つ140円ほど、8時間有効)~筆者はBeforeコロナの中国などからの環境汚染の被害者であった。
日本医師会:健康の森「PM2.5」防ぐことはできるの?

一般的エアゾルはエアコンや扇風機の空回りでも、相当吸着できるようだ。が、ほとんどの家電メーカーでこれを研究している企業は無い。実際には、経験則でこういった除去も行なわれている。この方法は経験則なので、室内では換気(風速1.5~2m)が重要で、エアコン等の空回しは完璧な除去を保障されるわけではない。(感染とは、Virusの毒性と数量で決まる)。「暑いからエアコンかけてマスクしてます」は愚の骨頂である。むしろエアゾルとか微粒子の吸着式は安価で永久的効果的だ。エアゾルは霧なので雨が降っても全く除去できない。


§天才を見つける、天才の卵を見つけ育てる
個別企業が、コロナ禍を耐え忍び、
“Afterコロナ”の核と担い手となるのは天才の存在である。
そこから生まれる商品(Art域労働による固有文化価値を含むモノとコト)なのである。
もちろん、それは多品種少量で、ICT産業革命の波に乗っている、莫大な金融投資といった新型コロナ:パンデミックで崩壊してしまった産業構造ではない。出来上がった商品は、洗練され真髄を得たマーケティング(発注者に媚を売る捏造ではない)&販促方式ならば売れる。ここでいう商品とは、後述する⑤項目で示す“経済学の商品定義”のことであり、
a.民間個別企業が扱う“実態として生活必需品となっている物資”ではない、そこには流通交通に関わる利潤が利益を食い散らかしている(経済政策や商品政策の問題だ)。
b.はたまた、公共事業とか行政機関の物品購入に類する“入札見積には実態として[疑惑落札促進費]などが含まれている“調達品”といった、決して“経済学の商品”とは異なるところの、もっぱら新自由主義者(ハイエクの唱えた論理は弟子により歪曲された)を扱う“調達品”も含まれない(経済学の分野である財政学や詐欺的父性契約法の問題だ)。
c.かと言って、経済政策や商品政策の問題および、経済学の分野である財政学や詐欺的不正契約法の問題とすれば、その道の天才の能力を要する。実行するのは社会勢力であり、政治家であり、官僚である。
☆そして、この天才の発見ツール(道具)が開発された。
 その図表にまとめたものがこれだ。脳科学や神経科学よる裏付けが整ったことで。
 「天才に近い人材の定義論」(クリックすれば図表は拡大出来ます)
“いわゆる天才の卵”の発見のきっかけを知り、天才本人は自ずと気付くこととなり、よって容易に育てることを促進できるのだ。
国際連盟時代のユネスコ=国際教育局の提唱する“児童生徒教育”を日本は拒否しての、現在まで続けられている「詰め込み教育」ではない。
 総務部メルマガ:ピアジェの検索結果
それにより知識偏重主義の近視眼的インテリの大量生産はできた(中身のない側だけの学歴)。それは、経済構造大転換に基づく経済の立て直しにとっては、そればかりか個別企業における日常の売り上げ確保にとっては、全く役に立たない高卒・大卒・大学院卒の、“お受験国民大運動”で以って、保護者と本人は散財し果ててしまっている。

②読者の方々は気づいておられる通り
日本は、この30年間にじわじわと衰退させられ→経済危機を迎え、新型コロナ:パンデミックと無為無策で、日本経済は一気に転落してしまった。その底流には、“リーダー”といっても“言われたことしかできない者”の中からリーダーが選ばれるわけで、もちろんそんなリーダーの生き様による“労働力”のみの管理が行われるわけだ。そんな企業や世間で流行する教育訓練も、そんな生き様を“真似る子分”を生み出す。それは、あらゆる段階のリーダー、そこには経済的収入に恵まれない人の中での“リーダーになりたい願望”であっても、はたまた、あらゆる階層の底流においても、また然りである。
したがって日本での経済手法にもマルチ商法が流行し、道徳規範の心の支えとなるべき宗教集団も日本ではマルチ商法化している。(米国のKKKとか日本のヘイト集団は宗教団体ではなく、ここでも既にマルチ商法化しており、でなければ外部資金が入っている。Twitterの書き込みの87%はロボットが行っているとの米国での調査研究報告もある。今から10年前の“アラブの春”でもSNSの大半の書き込みが米国CIAによるものだったと判明しているが、これが世界の世論作りの見本となっている、どうも日本の“ネトウヨあたり?”は、こういった書き込みに未だロボットを使用する能力はなさそうだ、投入経費も安上がりのようだし。

③かの昔の、Made In Japan。
その代表格として風靡した日本の大手製造メーカーは、今やその当時の影や形もない程に転落している。かの昔に胡座をかき、イノベーションを冒険と勘違いするほどの教養の無さ、そして決定的なものが、前項で述べたところの“大量生産された日本流インテリ”である。そのことから、「知は力(哲学者ベーコン。アメリカ情報認知局)」といった格言のごとくに勇気も湧いてこない経営者の塊だ。
「いくら郵便馬車を見つめていても、汽車は生まれない」
とうの昔からそういった日本の財界経営者らは、欧米などとは違って、彼らは“コロナ禍”に入るやいな、や中国とか東南アジアの下請け(良くて部品納入業者)の道を選び、政治を動かしている。それがマスコミなどが取り上げるところも=表向きは、“米中対立・日本の国防最前線”となっているのであり、実にその裏でセットとなっている、“中国の下請け+非耐久消費財激安商品輸入”を生きる道としているのである。エネルギー政策も挙げ句は、原子力発電の耐久年限40年を60年と偽り、無理に20年間維持するために周辺部品(最も重要なバルブは日本製品が排除されている)の交換等で誤魔化そうとしている。とにかく、経産省官僚や財界経営者らに知識がなく、故意に「国民や労働者が理解できる程度の話にレベルダウン」してきた。「無知な愚民を騙す」ことを良しとして自らの保身を図る生き方、これを哲学者カントは偽善者だとして厳しく批判したのである。なお、そのもとで寄って生きる官僚や大手企業サラリーマンその他の有閑階層と言っても、予定調和(このメルマガの過去用語検索)に飲み込まれ、体面を築くだけの実質貧困生活・希望や生きがいのない毎日の暮らし・あらゆる人間関係の破綻しか知らない、無知と孤独と他人へのしわ寄せに喘ぐ役目しか見てもらえない人生なのだ。

有閑階層=ヴェブレン『有閑階級の理論』で言い尽くされる(次の如くの要約)
レジュメ ヴェブレン『有閑階級の理論』

④“新型コロナ禍”を堪え忍ぶ中での、現下に売り上げが伸びている商品はマーケティング手法による売り上げ付け替えでしかない。そしてその利益率といえば、原材料費を抑え労働力も手抜きによって支えられているから、決して、息の長い採算のとれた商品ではありえない。
そこで、“Afterコロナ”を支える、人々の身近な経済や生活の構造が、身近にどんなものなのかをイメージする必要があるのだ。今の個別企業とか人間関係の道は、いったん無くなってしまうものとイメージしてから考えるのが良い。今に依存したところで、依存されたところで、互いに迷惑で負担ばかりを強いることとなる。そもそも、

文化cultura文明Civilizationの関係とプロセス

人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。大まかには略奪経済、→封建領地経済、→自由市場(資本主義)経済といった共同体の体制を経てはいるが、科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される近代の文明Civilization進展とともに変化を繰り返してきた。
社会運営技術の柱は、自由平等の実現ための社会そのものの形成である。そのための道具として民主主義(一定程度の社会主義)を用いている。そして、戦後に基本的人権が加わった。
第二次世界大戦後の、劇的な科学技術進展の主なものは、抗生物質、プラスチック、食料価格の半減にまつわるものである。そして、今やICT産業が“Afterコロナ禍”に本格到来しようとしている。そして再び、文明Civilization進展とともに、文化を始めとして変化を繰り返す。“天然痘の感染拡大”により、日本では7世紀に中国から、挨拶の際の“お辞儀の習慣”を取り入れた。8世紀になると今度は、大盛りに盛られた料理を、“各々の小皿に盛る”こととした(聖武天皇=恭仁京(くにきょう:京都府木津川市)。人と対面した時の臭いを嗅ぐ習慣は世界中にあり、その起源は感染症の嗅ぎ分け(人は臭いを間違わない)とされる、肥満老人の加齢臭は新型コロナウイルスに感染しやすいとの文化(危険体調を判断)も残るだろう。

“幸せと満足”の概念は科学的に解明されている。
科学技術や社会というものの形成された過程の上に、その際に話題となっている概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(哲学者カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部において、他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが行動心理学で解明された。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された共同体関係内部にあっては満足をするかもしれないが、“厚生”自体は単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らが希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(社会学者ジンメル)といった文化culturaについての共通解明に至るまでに、人類の英知は達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は、さらさら自由ではない、個人や集団のただの選択なのである。
そして人間にとって、文化cultura、文明Civilizationを経ることで形成された概念(社会に応じた論理の出現)が、意欲や活力を産むのである。ただし、“活力”とはいっても、アインシュタインが“活力”自体を解明し、それは単なる「エネルギー交換だ」、との文明的科学技術的な発見をするまでの幻想概念に過ぎなかった。したがって、“活力”の用語も次第に使われなくなる運命にある概念の一つには変わりはなかった。

⑤利益の確保できる商品は、前述したことを総合すると、多品種少量生産の構造が最も有望であり、幸いなことにIT機器の極めて文化的有効な活用によるICT産業革命により、多品種少量生産なりが開花することになる。前③項で述べた「無知な愚民を騙す」ことを目的としたデジタル化&IT機器化(こういったものは文化的有効性がない)は、人間の“有機AIロボット化”を促すものである。実に無機メカニックのロボット製造は、極めて膨大な投資と時間を要するのである。だから、安直な全体主義者や自由市場競争(資本主義)を望まない経営者が、人間の有機AIロボットを望むのである。

●そもそも、ある経済学:財政学の研究によると、経済学者ケインズの学説を弟子が歪曲して、当時のソ連で実験した全体主義的インフレ政策&通貨価値順次切り下げ(期間が経つごとに通貨価値を10%ずつカット)を導入したとのことだ、貯蓄をせず消費するだろうと。
●ちなみに、ケインズが最重視した雇用(現在もアメリカの金利は雇用統計にリンク)を建議したのは経済学者スラッファである。スラッファの朋友が経済学者グラムシ(戦中のレジスタンス経済「自己統治:人民の家」の指導者・イタリア共産党幹部)であり、ソ連は革命直後に労働貨幣論に失敗し、併せてソ連内から経済学者を追放し、マルクスやレーニンの経済学を「いわゆる西側経済学説」に変質させ、「ソ連型計画経済?」を実行していた折である。(世界の社会主義政党は近年その変質を知り、今になって修正や変更を進めているようだ、日本でも)。
●ドイツのナチス:ヒットラーは、ポーランドの農民をドイツへ強制移住させ、デンマークのチーズ(ドイツ人好み)を銃で奪うが農業政策のスローガンであった。その手段としてスターリン全体主義を真似て導入したかったが断念した。一方、戦前の傀儡政権である満州国はその行政機構のすべてを代行していた日本の商工省が、岸信介を先頭にスターリン全体主義を真似て導入、その後戦前の日本に計画経済を導入、さらに戦後、戦犯岸信介がアメリカCIAのメンバーとなり、多額のアメリカからの資金援助とCIA工作のおかげで、スターリン方式を様々導入、現在まで計画経済のその面影を官僚機構は強く残している。(スターリン全体主義を各国で導入したかった風潮は、ナチス経済研究などに記されている)。
★こういった経済理論の成り立ち等をよく考えた上で、素人のウケ狙いとか社会経済の実情よりもイデオロギー(=総務部メルマガで検索)を優先させるとか、耳あたりの良い慰め言葉の使い方(レトリック=修辞学)には注意しなければならない。

【そこで、こういう着想が成り立つこととなる】

☆☆もとより、経済学の商品定義は、
地域循環経済単位を超えた流通交通での商品として成り立つとの分析だ。単なる地理的概念の定義ではない、地域固有文化的である。
その最小経済(地域循環)単位が、現在の日本で言えば約10,000存在する中学校区(行政機能)となるようだ。地域循環経済で有名なイタリアは人口6千万人余に約8,200の自治体だ。
この古典経済学の学説は未だ修正をされるとか発展もしていない。非科学的にビジネスなどに走りすぎる御用学者たちは、商品の地域経済単位を超える有効性を無視している。

○地域循環経済単位で取引される、衣食住の最低生活必需品とか最低の医療介護福祉事業は、商品として成りたたないと考え直す必要がある。ただ、いわゆる配給物資は商品ではない。ところで、実質的な配給物資が量販小売店とかに並ぶが、どうしても“似非商品”として売られると不当利益まで、一般庶民は通貨は払わされている、←でもこれは、経済政策の失敗で、失敗を善意の事業主が配給の肩代わり&負担をしているのだ。

○地域循環事業に必要な資金は、地域経済の地元で用立てすることはできる。資金ばかりか、ボランティア活動も投資となる。

○地方自治体の地方債を、介護や医療への投資資金としての自治体基金で運用できる。昔イギリスでは、利息毎年払いで相続税のかからない国債を大量発行して、国の赤字経済を解消した事例がある、日本の財務省官僚は、これを教えてもらって知ってはいるが交付金権限がなくなるからといって国は採用しない。これを生活に密着した自治体単位で行ったならば、まず間違いなく、多額の資産資金が地域経済の表に出現してくる。数年後に予定されている“渋沢栄一”などの新札(新券)交換は、“新円切替による旧紙幣廃止“に変質させられれば、直ちに財産税として徴税されるであろう。地域循環経済が落ち着いたところで、地域循環品を扱う地域通貨も考えてみればよい、そうなってから、地元雇用の多い事業所は労働報酬を地域通貨で賄えるかもしれない。

○すなわち、イタリアやヨーロッパ各地のように、いわゆる“広い意味での生活必需品”を課税対象や消費税対象ではないところに位置させることも、ひとつの工夫として大切だ。無償ボランティアや奉仕活動に税金はかからない。

○次世代の地域経済とか地域循環経済を担う“天才の卵“を育てることだ。年齢も男女も問わない、天才を抱えた個別企業や自治体などの集団やグループには未来が来る。

⑥いわゆる“哲学”を、あなたにとって都合の良い言い方をすれば、
“便利で長期安全安定を担保する知恵の法則”なのである。

だから、“合理一貫性と事実一致性”が不可欠となるのだ。ところで、哲学を世界観や人生観と混同して捉えている人もいるが、そんな場合は便利でもないようなマイナスの宿命のような刹那や諦めを混ぜこんでいるわけだ。また、他人を騙して生きる、人を踏み台にして生きる、“合理一貫性と事実一致性”など関係なしに口からでまかせで生きることなどは、世界観や人生観の範疇に含まれるもの、ならず者や無法者の判断要素なのである。

いま述べた、“合理一貫性と事実一致性”の裏付けである“根拠や証拠”として、脳科学や神経科学における発見、が近年さまざまな証明がなされることとなっているのだ。2016年にほぼ確立された、英国のカール・プレストンの「自由エネルギー原理」によって、その脳科学は定説が完成された。そして今回、
“行動経済学に行動心理学”&“脳科学に神経科学”の“結合connect”を、過去からの経験則その他も含めて主なものを、筆者が2021年8月17日に結合connectしたわけである(図表)。
a.直ちに周辺の“天才の素質”を持つ人物に見せたところ、本人の自覚や行動パターンからすれば、的は立っているとの好評を受けた。ちなみに、b.秀才型人物には言葉とその組み合わせの意味が若干の説明を加えてもつかめなかった。c.根っからの職人型人物(パフォーマンス)は、例のごとく、自らの意見とは異なる内容と判明した途端、「喧嘩を売られた!」と誤解するに至ったのである。その意味では、“天才の素質”を持つ人物が、「なんだ、それは当たり前だ、分る解かる」と述べたことで、学問的にも成功なのである。
もっと具体的な結論までを言えば、“天才の素質”を持つ人物は「天才の卵」であるから、何歳なっても中高年でも育てられるというわけだ。そこは、子どもの脳の発達段階で用いられる「ピアジェの発達段階説」とか、「全くの未発達状態」の如くの、事実上の成長期限の存在は見受けられない。要するに「天才の卵」であるから、死んでしまうまで頭脳の能力は成長し伸びるわけだ。
→そして、“天才の素質”を持つ人物は、高齢にかかわらず、より高齢の方が、とにかくはっきりして、みんなの役に立つのだ。

☆今一度、角度を変えて繰り返すと、行動経済学に行動心理学そして神経科学の学説や有力な仮説の裏付けを、脳科学の定説は裏付けているのだ。ただどうしても、超一流の研究者は自らの専門分野が長けていることがあっても横の分野とのつながりが弱い傾向があるのは否めない。大学や大学院の教授や教員たちは、今の文科省の政策や交付される研究資金に操られることもあり、横の分野とのつながりは、本当に作る機会がなくなっている、学術学会その他でもマトモな議論が成り立たず、聞き流してお茶を濁す場合が多い。(巷の天才の卵たちはそんな、お茶を濁すことにはならないが)。

★加えて彼らは、実態現場と遊離的であるから、突如として非科学的な人たちの「物珍しさ」も相まって注目をあびる。そこで注意しなければならない重要ポイントは、証拠とはやはりそれは裏付けに過ぎず、TVバラエティー番組の如くの裏付け第一主義=証拠第一主義(社会課題の存在関係すらを、「こういった(架空)事態も在るのでは?ないか!」と証拠もなく事実をでっち上げること事態なども、真理や本質を見間違える事態を招来するのであるから、口先だけといえども注意が必要だ。(ちなみに)ここは哲学として成り立つ要件として、証拠第一主義は“合理一貫性と事実一致性”の原理を崩壊させるものであり、戦前のナチスヒットラー協力者や日本の軍国主義者が大いに用いて、人心操作や犯罪に手を染めた歴史(ニュルンベルク裁判~東京裁判)から導かれているのだ。

☆アダム・スミス(経済学の父)は世界で初めて、現在の共感Empathyの概念を用いた。このEmpathyの用語は1904年に発明され、それ以前の(共感とか同情)Sympathyとは、日本国内でも(心理学者たちの怠慢で)やっとここ数年のうちに明確に区別されるようになった。その効果は、さまざま説明したところの科学3分野(自然科学、精神[人文]科学、社会科学)においても、さまざまに役立ったである。とりわけ、“天才の素質”といったものを見極めるとか“物を与える(福利厚生)を幸せと錯覚させる”物質主義者の詭弁を見破るのに役立つこととなった。
科学とは簡単に言えば、「何時でも何処でも誰でも、その法則に基づけば繰り返して実行できる」というものである。もちろん、先程示した科学分野(自然科学、精神[人文]科学、社会科学)にもこれは貫かれている。(貫かれていないのが、学問とかイデオロギーの類だ)=すなわち、新しい発見が出てくると、右往左往するとか変質する学説は科学ではない。科学者は、新しい発見をしたならば、従来の法則性についても指摘をする。科学者でない学者は、唯一発見するだけである、物珍しくあたかも過ごそうに。
したがって時節柄、医者とか医学者全員が=科学者ではないことに注意しておかなければならず、多くの人が錯覚に陥るのはこの医者=科学者の混同が原因しているからなのだ。学者はせいぜい、ただ発見するだけである。

☆まだ研究段階だが、天才は体験や研究量の少ないこともあって、科学者的テクニックは未熟でも“合理一貫性と事実一致性”は持っているようだ。

【用語 DATAベース】
天才に近い人材の定義論
行動経済学に行動心理学&脳科学に神経科学の結合connect
(それが社会的だと、有能が役立つ)最新の脳科学などで裏付け
・頭のてっぺん(脳天)に集中する脳の部位
・楽しく生きながらドーパミンを出してニューロンを活発化
・能動的推論を数多く繰り返す!ことに、【合理一貫性&事実一致性】
 受け身ではなく積極的に推論する仕組み
・視線(眼球)を動かしてかつ物を回転させるが如く観ている
・感覚と行為で知る外部状況及び脳内の知覚による内部状況の2つを
  区別することによって血圧や体温を一定に保つこととなり
  進化や人類の英知の基盤作用となる自己が形成(個人)される
・自律・自由は不可欠であり
  ×モラハラ⇒飼育・調教  ×外圧を加え⇒洗脳・隷属
  ×詭弁やレトリック(修辞学)は他人の抑圧のために成され
   そこに希望は無い。
  ○個性が在ってこそ自律するそして、自由となり創造的芸術的に!
   希望が湧かないところには
   美も芸術もない   ×綺麗(キレイ)は希望は無い
・他者の行動を理解する(共感Empathy)
  ミラーニューロンは他者と自分との間で鏡のように反応する。
    意識的な2秒未満か それとも3秒以上か
・未来に資する意思を求めて脳は動く
  話す相手の言葉を先読みし~円滑な意思疎通を成し
  その意識は血圧や体温と合わせて一定に保たれる
  かなり先まで予測しながら、眼球を動かしている
・好奇心を求め
  その結果、新たな観測を行い⇒新たな発見と学習を行う。
・正確さ⇒説明力……シンプル is Best!
  睡眠中に脳内で単純化を行い
  そして覚醒時にも単純化できる=洞察力
   ⇒「なるほど体験」とか「あっそうか体験」
・カオス(混沌)の世界「“風が吹けば桶屋が儲かる”」
  好奇心&洞察力のもとに、~“一生懸命やったが失敗”その人生の、
  あの日あの時の失敗が、脳に体験記録され蓄積されている程に
 カオス(混沌)の渦の中でも仕分けがつく。
    (成功への、ベクトルやモーメントを着想)
・好奇心や洞察力で世の中を見て眺め
 すると、限られた脳容量や時間でも活躍できる
   =脳も気力も、疲れにくいこととなる
         ↓   ↓
 脳が疲れる重複行動が、挙句うつ病の招来へ
2021年8月17日 記

§書籍紹介・読書ノート
『疫病と人類知
 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』

『疫病と人類知 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』
 ニコラス・クリスタキス著、庭田よう子訳

「彼は、2024年までパンデミックが続くと予見する」
_気づきのあった文章の拾い読み、
 その10ヵ所を、この記事の後半に引用のノート_

…読者のあなたの、新コロナその他、将来予見能力の、訓練の向上に資するものである。
新型コロナウイルスとかそのパンデミックの行方を想像するには、過去の疫病の歴史やウイルス感染の基本的医学知識を把握するとともに、新たなウイルスや諸国の社会構造や世界とのつながりといった、混沌(カオス)とした状況から、その新たな混沌状況の底流に流れる、“客観的合理的な法則性を持った底流”の把握に努めながら想像して予見する必要がある。

それには、ここに紹介する「疫病と人類知」は、著者のニコラス・クリスタキスが世界中から集めたIntelligence と Informationをふんだんに『ネイチャー』誌に昨年数ヵ月にわたり掲載し、この著者ならではの論理や結論を展開するものである。この著者の論述手法は、新型コロナを問わず、読者の方でこれからの行方を想像する一助であり且つ将来予見訓練に資するものである。(いわゆる、AIが不能なカオス理論活用の一部である)。

マスコミや政府発表の色眼鏡を通した代物を、限りなく集めたところで、限りなく混乱し限りなく精神疾患に近づくのは間違いない。そして、多くの人は思考訓練をしているわけではないから、混沌(カオス)とした状況から精神疾患を避けるには“恐怖に陥る選択肢”を自己防衛に取り込むのである。だがそうすることでは、限りない恐怖の世界に陥り、あげく、その人にとって“耳障りよく無知なりに思いつく概念”に飛びつくのである。他人依存構造の世間体共同体の中で育ってきた人は、“依存症を操る言葉”に操られ安心感さえ得られれば、自らの命さえ投げ出す結末であっても、レトリックに100%頼り続けるのである。そして、その醜態のリードに輪をかけるのが、日本においては厚労省が一切のIntelligence と Informationを公表しないから、関係する科学者その他が、研究することを阻止され、様々な国難打開策を建議する道をも閉ざされていることである。

明治維新後日本国内に導入され文科省が今も一般的に進めている「英米型科学哲学」は、既存の観念的仮説を客観的合理的に[裏付け立証]することに重きを置かれることから、「だれもが参加できる客観的証拠という形」に知識が収斂して行く弱点がある。よって、「混沌(カオス)とした状況から、その新たな混沌状況の底流に流れる、“客観的合理的な法則性を持った底流”を把握する」といった能力とか訓練は極めて貧しいことになるのだ。
ただし、英米とはいうものの、筆者(むらおか)の知る限りでは、イギリスではCommon lawが存在し、アメリカでは混沌(カオス)状況の底流に流れる客観的合理的な法則性を把握する法律家養成教育(Ratio decidendi)がなされている。フランスでは戦後になって、先ほど来紹介している混沌(カオス)とした状況の底流に流れる“客観的合理的な法則性の把握”の科学哲学が一般に普及している。

すなわち、日本の教育方式での混沌(カオス)とした状況の対処は、不能であり極めて閉鎖的であり、世界からすれば偏った[文科省の進めてきた客観的合理的教育?]の上に、胡坐(あぐら)をかくインテリ思考(解りやすく教えるとの詭弁で以って、結局は間違いを教える弁解)によって、似非科学に騙されやすく、知識偏重主義(合理一貫性又は事実一致性の欠落)の人物が蔓延するに至っているのだ。ないしは、そういった似非インテリ思考の連鎖によって、膨大な“学びや学習嫌い”の人たちを再生産しているのである。まるで日本は頭脳未成長の子を産み出し、未:文明civilizationの地日本に固執するとも言えるのだ。
以上のような予備知識を持って、次の本を読んでいただければ、冷静かつ今後の行方を想像する能力や予見力を得る一助となるから、これを推奨する。

【訳者あとがき 402頁から引用】
『2020年1月、長年共同研究をしている中国の研究者から連絡を受けたクリスタキスは、携帯電話のデータを用いて、新型コロナウイルスのアウトブレイクにおける中国国内の人々の動きを追跡することにした。
彼らは共同で3週間不眠不休の研究を行い、それをまとめた論文を2月に『ネイチャー』誌に投稿し、4月に掲載された。クリスタキスは2月の時点で、深刻なパンデミックになることを予測していたが、それに対して国が準備をしていないことに失望していた。そこで、疫学の基礎知識をツイッターで世間の人々が発信し始めた。すると、ビジネス界のリーダーたちが彼に連絡してくるようになり、それに関する本を書くことを思いついたという。2020年3月中旬から数ヵ月をかけて書き上げたのが、本書『疫病と人類知』(原題“Apollos Arrow”)だ』。
なお、著者のニコラス・クリスタキスは、2020年7月現在のアメリカ政府による検査状況にまで至る資料を示し、日本語訳でA5判;450ページにわたり医学と社会学の方面の論述を行っている。(むらおかコメント)

__気づきのあった文章の拾い読み__
p.46
CDCはコロナウイルス感染者の濃厚接触者を「患者の発症48時間前から隔離されるまでの間、患者のおよそ2メートル以内に少なくとも15分間いた者」と定義している。ウイルスは2メートルをはるかに超えていっても広まる可能性を考えると、これはやや恣意的な基準だ。とは言え、感染が起きるほとんどの状況をとらえている。

p.149
こうした抗体が検出された場合は、その人が以前病原体に染していたことを示している。抗体検査で陽性の人は、通常その時点でウイルスが体内から消えているため他人に感染させる事は無い。

p.169
ニューヨーク市はアメリカにおけるパンデミックの震源地となり、……この危機に必ず対応できると考えていた。病院の幹部も自信をのぞかせていた。ところが3月18日には、イタリアと同じように、ボランティアを頼みたいという前述の呼びかけに対し、退職した市内の医療従事者が1,000人以上も答えてくれたと、デブラシオ市長は報告した。「再配置」された皮膚科医、眼科医、神経科医で、救急部と集中治療室はあふれていた。

p.172
富裕層の居住者のほとんどは、ニューヨーク州北部やコネティカット州といった近隣へ逃げたが、その他多くの人たちはアリゾナ、ミシガン、南カリフォルニアへと向かった。

p.196
過去30年の間に、医師は、独立した専門家として見られるのではなく、臨床医療をほとんど理解していない者が率いる大きな組織の従業員として見られるようになってきた。今回のパンデミックは、この緊迫した状態をはっきりと浮き彫りにした。マサチューセッツ州のある家庭には「ここ10年から20年の間、自律の喪失と軽視が進行している」とし、コロナウイルスの流行が「それを噴出させている」と述べた。医師や看護師が患者のケアに必要な設備を入手するどころか、管理者が病院の効率化を模索し、不都合な情報を検閲あるいは抑圧してコロナウイルスの流行に対処しようとする実態が、全米各地で起きていた。

p.208
ウイルスの治療法とされるものに関しても、偽りの情報が氾濫した。まるでタイミングを見計らったかのように、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生した直後から、ありとあらゆる金目当ての売り手が、効かない、または効くはずがない、いかがわしい秘薬を世に出すようになった。彼らの多くは影響力のある現代のメディアツールを利用して、何百万人もの人々に売り込めるようになった。

p.242
低所得者の仕事のほとんどは、リモートワークができない。調理師、看護助手、食料品店のレジ係、建設作業員、清掃員、保育士、トラック運転手などは、在宅で働くことができない。景気低迷で職を失わなかったこうした職種の人々は、感染リスクが高い環境に置かれていることが分かった。また、このような職種の多くには十分な健康保険がないため、病気になっても簡単に医療を受けることが(あるいは病欠をとることも)できなかった。そのため、多くの労働者階級の人々は病気になっても仕事を続け、治療を受けようとしなかった。そして、病気でも働いていた人々が、このエビデミックepidemicを悪化させることになった。

p.260
現実面での問題としては、共有する脆弱性ではなく集団間の発病率の違いを強調する限り、問題をほかの誰かのものだとみなし、自分たちの苦境を人のせいにしがちになる。最も有益な事は共通の人間性を強調することではないだろうか。パンデミックに立ち向かうために必要なのは、団結と疾病をコントロールしようとする全体の意思なのだ。

p.267
マスクをつける事は1つには親切心からの行為であり、その思いやりが必ず報われるという保証は無い。その上、国内の一部の地域では、マスク着用は被害妄想や自由に反対する反米的態度を示すという誤った考えにより、店舗やレストランから入店を拒否されることもある。「[客には]ビクビクしてほしくない」と、ある酒場の店主は言った。しかし、第3章で述べたように、マスク着用者はマスクで自分の身を守ることには(ほとんどの場合)限界があるため、マスクの着用は利他主義を反映した行為なのだ。

p.274
それがひとえに他人を助けるためだと理解すれば、人は物理的な距離を取ることに関して、ルールに従うことが多かった。つまるところ、人間は利己心を超越できる道徳的な行為者なのだ。ある研究では、公衆衛生のメッセージをどうすれば効果的に伝えられるか評価した。
「コロナウイルスに感染しないようにするにはこの手順に従ってください」と伝えるのと、
「コロナウイルスを広めないようにするにはこの手順に従ってください」と伝えるのとでは、どちらの方が効果的だろうか? コロナウイルスの公共への脅威を強調することは、少なくとも個人への脅威を強調することと同じくらい、ときにはそれ以上に効果があることが判明している。これは、予防接種を受ける動機が、利己心だけでなく、公共の利益への配慮からであることを示すその他の研究とも一致している。

p.356
過去に深刻なepidemicを経験したあと、芸術は新しい方向に進んできた。例えば、1918年以降、アーティストやファッションデザイナー、建築家が、世紀の変わり目の過剰さを「脱却」しようとしたことで、ロマン主義は衰退し古典主義が復活した。1918年以降の10年間というのは、芸術家たちに「結局のところ、私たちは古代人にはかなわなかった」と言わしめた時代だった。私たちは古代人と同じように破局と死に陥りやすかった。

___(ここまで、この本の日本語訳から引用)___

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210908】
コロナ禍後のICT産業革命に役立つ経営のヒントになりそうなものを紹介することにした。この9月号で紹介できるものは1冊だけ。
(この段落は先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで先月号と同じ)
①『疫病と人類知
 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』
『疫病と人類知 新型コロナウイルスが私たちにもたらした深遠かつ永続的な影響』
 ニコラス・クリスタキス著、庭田よう子訳

2021/08/03

第232号:情勢は!感染地からの緊急避難だ

<コンテンツ>
!!コロナ感染=緊急事態対策の建議(個別企業が牽引を)
  【緊急事態対策①~⑨】


今、日本の経済実態は、実質:1985年9月の~
  【さて、コロナ禍の東京では何が起こっているのか】
  【政権の実質崩壊そして、さらに経済は墜落】
  【テレワークとかリモートワーク推進、その結果】
  【国のデジタル化 それは今や? 経済転落へ】

Afterオリンピックでは、さらなる猛威を振るう心理状況

こういった世相での、
   個別企業の人事(人間関係管理)



 ①協調性・規律性に問題ないか、チェック(不都合な現象のチェック表)
 ②頭脳部位の未発達=性格や悪意とは異なるチェック
   __インプットが苦手な「見えない脳」__
   __アウトプットが苦手な「見えない脳」__
   ____現代社会では、「見る力」が衰えやすい__

新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み(20210803)
 ①(紹介書籍)「女の子は「脳の見る力」を育てなさい」
 ②(紹介書籍)AI時代に自分の才能を伸ばすということ


§!!コロナ感染=緊急事態対策の建議(個別企業が牽引を)

(医療情報に限らず、首相官邸の方針も見通した上で)
東京の感染は対策を怠って、診察に訪れる人のコロナ発症診断率が、都心の病院では50%とか、都の中心地の病院では70%とのことだ。
これから東京は蔓延をしきるとの見通しであり、ピークを過ぎても、来年3月手前までは終息しそうな要因が、ワクチンはじめ無いと覚悟しておくことが、信頼筋の見通とのことだ。

【緊急事態対策①~⑨】
①さっさと首都圏や五輪開催地から、一刻も早く緊急避難し転居する。
(日経新聞2021年07月30日 主要287市区の順位はこちら)↓
 多様な働き方「10万人都市」に潜在力 首位は石川・小松|日経転職版(nikkei.com)
 
②東京の感染ピークは2週間以上先、大混乱してからの避難では遅い。

③田舎で安い食費等生活費を工夫し生きる、子の転校に住民票は不要。

④先ずは生きる、基本的人権を掲げ、自治体に様々な保護を求める。

⑤激甚災害を被ったときのように、雇用保険(失業給付)の受給手続を。
 http://soumubu1.blogspot.com/2020/04/blog-post.html#216-16

⑥国・厚労省・保健所に依存する姿勢や“ヤケクソ”では命を落とす。

⑦大都市(自宅放置)も地方も、いずれも治療不能な医療状態に陥っている。

⑧基礎疾患者の自然免疫力にグルタチオンを勧める医師は多い。
 https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/presscenter/press/detail/2013_06_19.html

⑨家庭で充分に出来る、費用をかけない感染対処法はこれ。
 http://soumubu1.blogspot.com/2020/12/blog-post_8.html#224-17


§今、日本の経済実態は、実質:1985年9月の~
プラザ合意が引き金の1985年9月のバブル景気以前にまで戻った。世界経済での日本順位も、それ以前にまで転落しているようだ。
それは、高度経済成長が行き詰まり、スタグフレーション(この時代に、この新語が誕生=経済がデフレに陥るもインフレ政策をあえて実施すること)が世界で初めて日本で現れた時期である。

現在も、そのスタグフレーション、闇雲の政府財政投入によってインフレ物価は20%ほど一気に上昇している。それはガソリンそして電気ガスにまで連なろうとしている。衣食の物資ともに物価が下げ止まらないか、或いは原料や包装などの減量でコストダウンを図っている。コロナ危機による輸入が滞る製品もある。これらは、2008年のリーマンショックから始まる経済危機のショック発生が、一昨年秋に一旦回避され、次にコロナが引き金となって開始された昨年4月からの闇雲の政府財政の青天井投入が、もう全く以って支えきれなくなってきた訳だ。およそ20世紀当初から始まった“金融先行投資型の自由市場(資本)主義方式”(昭和生まれ以後は、他の方式を知らない)の終焉であり、世界中が押し並べて、“その方式転換であり”&“真似は有っても引き継ぐ者は居なくなった”という事態なのである。またそれは、中国や北朝鮮に欧州あたりの貴族の投資、ただ相手が社会主義国であるから内々にも自由市場(資本)主義とは異なる投資なのだが、これも止めるに至った。

★以前の自由市場(資本)主義方式の投資を行えば、総て累積赤字となる訳だ。
~経済や経済学を、方式とか手法やシステムばかりで論じていては、無知だから、こういった深い動きは察知できない。若しくは、言葉や用語を並べたてて他人を煙に巻く役目を負わされている者は、解かっていたとしても、首になるから言えないし、自己欺瞞するしかない。

輪をかけて、18世紀~19世紀並の資本主義者となれば、カール・マルクス顔負けの(実は彼の本業はジャーナリスト、根っからの経済学者ではない)、横領・強奪・収奪を他人に分からないようにする輩(いわゆる搾取すら思いつかない)ともなれば、税収や国家予算を“利権増殖&身内と子分への分配”にしか気配りしないこととなる。例えば、「読売新聞社と吉本興業へワクチン優先配給する」といったウワサまでが流れるわけだ。そして、そんな輩彼らは、道徳とか人類英知の持ち合わせがないから、ソ連スターリンが編み出した全体主義とか計画経済を、便利だからと手練手管とし使うわけだ。戦前の満州から日本国内に導入されたソ連スターリンの真似を、再び真似した。昨年秋からは、ナチスのヒトラーのようにドサクサで「総統?」になり上がれば、ナチス並の全体主義の色合いを強めている。ヒトラーは民主主義で政権を取ったとされるが、基本的人権のない時代、反対派リーダーをドイツの暗い森へ連れ込み殺害し、警察には捜査をさせないことでの選挙戦が真実である。現在の輩は、戦中のヒトラーと同じ思考パターン、側近も同じ様で固めている。

【さて、コロナ禍の東京では何が起こっているのか】
全国の空きベッド数は全床87万床のうち30万床、東京も全床8万床に空きは約3万床。その上で7月末現在、医師の初診にも至らずに、救急車で搬送などもされず、意識がモウロウとし自力呼吸も何時まで出来るか分からない状況等で、食事も摂れず看護を要するというのに、「入院搬送先病院が無い」とのことで自宅療養(自宅放置)が、東京では1万人を超えているという発表だ。兎に角、関西医科大学病院のように一旦、CTスキャンで肺炎の(重症化)程度を確認することさえ行わずに、そんな自宅放置となるようだ。
これに対して、全国30万床も有りながら、「とにかく空きベッドが無い、有っても医師に看護師がいない」との弁解を言う。だが、別枠のオリンピックのための医師が230人程度、看護師が310人程度の常時待機に触れられることはないのだ。この空きベッドと医療要員確保済みは、1年以上前から指摘されても、知らぬ顔をしている、だから、医療崩壊は局所的かつ厚労省医系技官らの演出だと言われても仕方がないのだ。

【政権の実質崩壊そして、さらに経済は墜落】
この政権の下、官僚も地方(国の官僚が重要職に出向)組織も、言うことを聞かない。ヒトラーの末期と同じ、少なくとも「今協力して、責任を取らされたくない」って訳だ。
唯一国の、ヒトラーもどきの、“ワクチン頼みとするお話”も、製薬会社の説明のオウム(鸚鵡)返し一辺倒から、ワクチンの実態が把握され科学的分析が行われると共に、だんだん怪しくなってきた。ワクチン接種による公衆衛生目的である“全体の感染予防”といった説を裏付けるデータは未だ各国とも出て来ないのである。あげく、変異株には対応できないとか、製薬会社のファイザーは3回打てば大丈夫と言い出す始末だ。加えて、接種後6ヵ月程度しかワクチンの効力は無いとも言い出した。更に、公衆衛生目的であれば、日本で製造するゼネカのワクチンは、血栓危険があるから国内接種を避け、外国輸出向けとしていたところ、「リスクはあってもメリットが高い」として、日本国内での接種も始めようとしている。だとすると、ゼネカでなくとも臨床医学的には数百人の副作用(日本では副反応という)&死者を出しているような危険事態である。人材や労働力の確保の視点としては、余りにも軽々しい。ドイツより酷い、戦前の帝国陸軍並の扱いだ。
国の公衆衛生目的の「全体のため」だとすれば、そのためには死亡に至る副作用は許されるとする戦前から引き継いだ生命軽視は、憲法第25条の“社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進”に反する不都合を、厚労省の医系技官たちは釈明をしていない。(なお、野党らは憲法25条を生存権条項と狭窄視していて、感染症はじめ公衆衛生の国の具体策経済負担の視点がない)。そして、「ゼネカのワクチンは、高齢者が一度目を打ち、2度目はファイザーだと、予防効果は高い」と、TVで長崎大の医師が答える(8月2日)、その真偽はつかめない。

【テレワークとかリモートワーク推進、その結果は、】
「密集・密接・密閉」といった「3密」と共に行われてきた、工場制手工業から初め事業場制へと。これらの経済活動の自由=自由市場の原理を崩している。すなわち、「3密」は、経済活動や再生産活動(最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返し)におけるひとつの根幹である。この形式的な「3密」では、“情報とか知識を創造して交換する”、特に現代の創造して交換する作業(閃きや精神労働)を抑制して、商品における価値量を著しく低減させている。“情報とか知識を創造して交換する”といった行為は、物流とかロジテックとは異なるのである。いわゆる利益の源泉であり、殊に仕入れとの関係が深遠なのである。

自由市場原理とかその運営の企業経営に無知だから、真言密教の三密など知る由もなく、単なる語呂合わせ程度のダジャレ、人類の英知を否定するものである。先進各国のロックダウンでのマスクや距離等の方法は、もっと具体的で経済活動や家庭生活にきめ細かい配慮をしている。古来、「針とか鍬(クワ)を造る技能が無かった民族や集団は、他からの略奪に走った」そのものである。事実、損保業界あたりでは、「生産性は下がるけれど、始業終業時刻を(5時から22時の間で)家では変更可能として自宅でのサービス残業増と思えば良い」という管理職の受け止め方なのである。在宅勤務のPC画面を「小学生の子供にも見せてはいけない」との念の入れた在宅勤務の指揮命令を出している。これでは、事業場制から内職への生産性の貧困と墜落だ。

【国のデジタル化 それは今や? 経済転落へ】
国の話を総じてまとめれば、マイナンバーやマイナンバーカードさえ使えば、コストも時間も、そして肝心の煩わしさも、どうでも良いという訳だ。本人自身が知らないうちに、様々なデータにマイナンバーが使われているが、マイナンバーカードとなれば、国民の反発は著しい。なので、カードの普及も、あの手この手の“金銭バラマキ”をしたところで、国民の3分の1すら達成される見通しが無い。まして認知症を患えば家庭裁判所の成年後見人審判を要する、16歳未満の子であれば家庭裁判所の特別代理人の審判手続きを要し、肉親といえども子の意思表示の代理はできない。こういった法律の規制を考慮していない。因みに、税務署は満16歳未満のマイナンバー提出の扱いを、現在はやめている。地方自治体その他でも、マイナンバーの扱いを止めているところは多い。
そればかりか、日本流のデジタル化の特徴とは、様々な概念、イメージ、あげくにはビジュアルまでを、狭い言語の概念に組み替えて情報を流そうとする(結果情報は狭くなる)ものだから、デジタル化の効果はダントツに薄くなっている。その典型は、昔ながらの書面に限定して観念的情報を流そうとする=形式ばった事務連絡とか通達を、手書きではなく単にwordに入力しているに過ぎない。加えて、過度の受験勉強が原因なのか、“想定される回答を知っている教師に向けた説明文章の類を描くことしかできない高学歴者が多い、それも概念が狭くなっている言語しか使えない、デジタル化不適格の思考パターンが多い。ICT産業革命の足を引っ張る存在なのだ。
総務部メルマガ:第229号:巷の愚かな尽力は、その全てが累積赤字となる(soumubu1.blogspot.com)

ちなみに、北欧その他のデジタル化といえば、とても身近な情報の共有に使われることで、それに携わる人たちの労力を減らすとか、画像や録画を提供する利便性の高い物が進んでいる。
例えば、学校やクラス担任の「お知らせ」などはデジタルで以って“父兄?”に配信されている。発達障害その他の障害のある子を優先して学校はデジタル端末を配布、その子のハンディキャップを優先フォローしている。すなわち、デジタル化に成功している中身とは、人類の進化に資する方向で、日常的労力が減るなどが進められており、一方的国家管理であるとか一方的行政効率向上といった偏りは見られないのである。こういったデジタル化が、経済の基盤を支えるのである。郵便等の郵政事業、電話等の通信事業は経済にとって馴染みである。

そう、首相官邸も日本政府も各省庁も、先進各国のようなデジタル化による経済成長を説いてはいないのである。唯一、「経済的?」という場合は、韓国のラインをはじめ、アメリカなどの海外コンピューターを借りる(クラウドシステム)契約でもって、人件費削減の話ばかりだ。省庁内のITやAIシステムの開発は、比較的高額の契約金で発注するものだから、追求されない限り公表を避けている。facebook、Instagram、Twitterなどの様な便利なICT機能を、国が支えることになれば、日本でのICT産業革命は一気に進むだろう。


§After オリンピックでは、さらなる猛威を振るう心理状況
世間や人間関係そして、、その深層を理解できずに、自棄のヤンパチの感情むき出しで
“脳みそ筋肉”=暴れて突っ走るが勝ちといった輩が、男女問わず年齢問わず、上位下層に関係なく、ウジ虫の如くに巷に世間に湧いて出てくる、理由はともかくとして。
★その発端は個人から始まり、
“暴れて突っ走る者”に対しての、そのヤケクソに同情することから始まる。
だが、“暴れて突っ走る者”は、自己中心主義で他人を顧みない顛末(てんまつ)であることは歴史が証明している。
すなわち“一匹狼”が結局のところは独りで流離(さすら)う顛末と同じなのである。
★肝心なことは、こういった輩が、あなたが働く個別企業でも、世間の巷でも、
あなたの家族の中でも、多発するということだ。
それを格好良く言えば、「ジャパンなオリンピック精神」と“心裏合理化”したいところだが、正しくは自己欺瞞に過ぎない。
★“暴れて突っ走る者”は、そうすることが許されるとばかりに、名誉を賭けて、目立って現れる。ところが、誰かに取り入りたい、誰かに拾われたいから、“暴れて突っ走る者”を演じているだけである。実質に責任を持つ人物とか経営トップから、こういった人物は生まれ出ない。

ある意味、“暴れて突っ走る者”の傾向は、“パラリンピックは軽視”、或は“障害者の逆差別の祭典”であると捉える。キリスト教国の富裕層には、戦争孤児を自らの養子に迎える偽善者は少なくない。この、“暴れて突っ走る者”らは、自己欺瞞が得意だから、「障害者でなくて良かった。“あぁ無情”して踏み越えるしかない」といった、“心裏合理化”を自らにも他人にも持ちかけ、唆(そそのか)すのである。
こういった悪(現代の善悪基準は人類進化に資するか否かである)しか思いつかない民族とか文化の持ち合わせでは、“経済の豊かさ・経済発展・自由の拡大・幸せの確保”などとは、まるっきり無縁であり、そういった輩の「頑張り」は破壊の道なのである。
近代文明Civilizationから、“経済の豊かさ・経済発展・自由の拡大・幸せの確保”といったものが開拓された。東京2020オリンピックの組織委員会の中枢には、こういった全体主義者が少なからず採用されている、そのうち何人かが反社会行動や経歴で解任されてはいるものの。ナチスのヒトラーも戦前にベルリンオリンピックを利用した。
http://soumubu1.blogspot.com/2021/07/blog-post.html#231-10


§こういった世相での、個別企業の人事(人間関係管理)
こういった者に企業戦略や経営方針を振り回され、Afterコロナの成長の芽をもぎとられてしまうわけである。世界への多国籍展開(顧客の来日、海外出張のいずれも問わず)ともなれば、“暴れて突っ走る者”には、見せ掛けの側だけの商品しかなく、信頼関係も築くことが出来ず(もとより築く気もないが)、挙句の果ては、現ナマ(金地金や貨幣)を無駄に次ぎこむ結末の用意しかない。(詳細なる説明は後回しとして)“暴れて突っ走る者”を、改心しない限りは、見付け次第に排除するしかない。要諦は、「その罪を憎んで、人を憎まず」である。

①協調性・規律性に問題ないか、チェックをする。
・職業能力を向上させようとしない人物は、他人を子分にしたがり、陰で仕切ろうと、その口八丁手八丁(くちはっちょうてはっちょう)に、仕事以上の時間と労力を注ぐ。
・モラハラとは=他人を子分に、家畜に、ペットに飼い馴らすことである。をして、共通してモラハラに失敗するとDVとかパワハラに走るのだ。なお、パワハラ(イジメ嫌がらせ)とは、「性的な言動行為を含めて、他人の権利及び尊厳を侵害し、身体的若しくは精神的な健康を害し、又は職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、或いはそのような効果を及ぼすような反復的行為」である。
・今回もチェックリストを改定したが、労働裁判判例その他で、労働契約法や労働基準法の趣旨と条文をクリアしたものだ。
http://www.soumubu.jp/download/template/template2/sonota/kyochosei.html

■協調性・規律性の不都合な現象チェック表■
  2021年7月31日 Afterコロナ用改訂版

協調性・規律性の不都合な現象チェック表
(労働関係法的に、客観的に合理的な評価項目:例)
不都合
不適格
その着眼点 不都合な現象の例示 有無
(協力等)

協働作業
の状況





モラハラの意思とは=他人を子分や、家畜、ペットにすることである。
原則として、個人の性格を評価の対象としない。

上司は部下に対しチームの仕事を円滑に進めること、及び協働作業をする場合の協働の意義を理解させること。

その結果、なおも業務遂行で支障が生じるようなことがあれば、初めて評価の対象とする。
1.すぐ感情的になる。同僚との折り合いが悪く、仕事の決定や進行を阻害している。
2.他人の仕事にはケチをつけることばかり。
3.常日頃から、予定外の突発的な処理に対し、すべてが非協力である。
(不慣れなことに消極的なのではない)
4.見るからに身近な同僚が困っていても、傍観していることが多く、自己ペースのみ守って協力的でない。
5.自己中心の言動が多く、他人のひんしゅくを買うこともあり、チームワークを乱していた。
6.自己中心に計画を進め、関係者に対しては協調や協力を強要することがしばしばある。
7.清掃、整理等に一応は協力するが、しばしば途中で止めてしまい、非協力的であった。
モラハラに失敗すると
DVとかパワハラに走る。その手法での他人の育成では、ロボットより実りは小さく、掛る費用と時間の、かなりの無駄と量が多すぎる。
8.後輩とか子分に出来なかった同僚には、ことさら自己の意見を押し付けようとする。

「あうんの呼吸」などの持ち出しを強要し、自発性や自主性を抑圧する一連の行為“モラル・ハラスメント”を繰り返す。
(規律)


手待ち時間や待機中の態度
手待時間、待機時間が、休憩時間ではないことを充分に認識させることは上司の責務である。

→手待時間も待機時間も作業時間であることを、対話を通じて指導することが大切である。


職場慣行によって対応の仕方を確立し、そのことを通じてルール化する。

→確立したルールに反し、加えて大多数の同僚からひんしゅくを買うような行動につき、初めて評価の対象とすること。
1.手待や待機時間中、業務に関係のない或は優先度の低いスマホ画面や書物雑誌等を注視し、注意しても改めない。
(休憩時間中を合わせ1日に90分を超える)
2.手待や待機時間中、私物(趣味品)の手入れ等に費やし、同僚や後輩の不評を買う。
3.手待や待機時間中、他作業又は業関係のない同僚の作業に進んで応援に行っていた。上司でも無い者の指図や誘引があれば、いつも応援に行っている。
4.手待や待機時間中、上司から指示されても同僚や他の作業者の応援をせず、無関心な態度や姿勢が多い。
(周りよりワンテンポが遅いわけではない)
5.他人の迷惑になるほどの雑談が多い。
それを上司から指摘されても改めない。
6.自分の課業以外はやらないと拒否する。
(けっして超専門家的業務ではない)
7.手待や待機時間が生じた場合、あえて前向きな姿勢を装い表し、執拗に上司の指示を仰ぎ、その指示に従う姿を周囲に披露する。
8.みだりに、優先順位の低いパソコン作業、書類整理そして段取りや作業の点検、あるときは職場の清掃を行う。
(2021/07/31 ICT産業革命時期に適用出来るよう改訂)

②頭脳部位の未発達=性格や悪意とは異なるチェック
・口からでまかせ、粗暴だし&言われたことができない、「やる気がない」といった誤解を受けやすいが、性格や悪意ではなく頭脳の部位の未発達ではないかと疑い見極める。
・脳神経科学のおかげで、中高年未満ならば“医学治療”出来る治療可能性は大である。
・医学治療の方針は、自主性自発性に基づく快適な育成(発達障害とは捉えない)である。
・次に示す「インプット・アウトプットは苦手な脳の9つのタイプ」に原因がある。(とても解りやすい医学解説から引用した)。

そもそも、ICT産業革命は、こういった分野での、自然科学・精神(人文)科学・社会科学の3分野の科学を用いての組み立てである。決して、一人歩きし且つ非科学的なデジタル化とか、ビッグデータと代り映えしないAI人工知能の類ではない。


インプット・アウトプットは苦手な脳の9つのタイプ
医師:加藤俊徳 著「女の子は「脳の見る力」を育てなさい」から引用
脳の見る力は気づかないうちにどんどん弱くなる!p.55~
(「見えていないかどうか」は、判断しづらい
 ;しっかりしている子ほど「見えない脳」が隠れている)

__インプットが苦手な「見えない脳」5つのタイプ p.62~__

①「見えていない」脳タイプ=視覚系脳番地が未発達
【主な特徴】視力が弱い、近くばかり見ている、見える範囲が狭い
このタイプは、見ること自体が苦手で、視覚系脳番地が発達していない。

②「イメージできない」脳タイプ=視覚系・理解系脳番地が未発達
【主な特徴】物事の理解が進みにくい、地図が読めない、算数が苦手、片付けは苦手
このタイプは、周りからは「見えているように見える」のに物事の理解が進まない子に多く、両親も、なぜ子供が理解できないのか悩んでいることが多い。

③「頭に残らない」脳タイプ=視覚系・記憶系脳番地が未発達
【主な特徴】写生や黒板の書き写しが苦手、忘れ物が多い、人の顔が覚えられない
このタイプの子は、視覚系記憶系脳番地をつなぐ腹側視覚ルートが弱い。

④「見ながら聞けない」脳タイプ=視覚系・聴覚系脳番地のつながり・バランスが悪い
【主な特徴】言葉が遅い、コミュニケーション下手、友達ができにくい
言葉の背景や本当の意味をきちんと把握できずに、自分の中でどんどん勝手な思いが膨らんでいく……思い込みが強く、周りが見えない子はこの脳のタイプ。聞くことが得意なために、見ることがおろそかになり、脳の見る力が育ちにくくなる典型的なタイプ。

⑤「状況や雰囲気を見ない」脳タイプ=視覚系・感情系脳番地が未発達
【主な特徴】空気が読めない、他人の気持ちがわからない
このタイプの子も、人とのコミュニケーションが苦手だ。会話の最中に「この人、空気が読めないかも……」と感じる。その見る力が育ち、さらに感情系と連携して働けるようになると、相手の表情やしぐさから気持ちを読み取ることができたり、周囲の状況や雰囲気を観察できるようになる。逆に見る力が弱く、感情系との連帯も良くないと、相手の発言など聴覚からしか情報を得られなくなる。そのため、見て感じ取れる場の雰囲気や言葉の奥にある相手の気持ちをそのまま受け取ることも、察することも苦手になる。目で場を見て、感情系を使って気持ちを感じ取るのではなく、耳で言葉を聞き分けているので、言葉にならない相手の気持ちは見えていない。視覚系と感情系を使わないこのようなコミュニケーションを繰り返すことで、「見て感じとる機会」が減って、見る力はどんどん弱くなる。

__アウトプットが苦手な「見えない脳」4つのタイプ p.76~__

①「見て動かない」脳タイプ=視覚系・運動系脳番地が未発達
【主な特徴】ぐずぐずして直ぐに動かない、運動やダンスが苦手、見て真似できない
このタイプは、人の後についていくことが出来ても、率先して動くことができない。体を動かすというアウトプット(行動)が苦手なために、「目で状況を判断し自分から動く」ということができない。動かないことが、自分の中で普通になると、そのために「見よう」と思わなくなり、視覚系脳番地を使う機会が減っていく。

②「見たものから判断しない」脳タイプ=視覚系・思考系脳番地が未発達
【主な特徴】状況判断が出来ず、どこか危なっかしい
このタイプは、どこか行動が危なっかしかったり、「危ない目」に逢いやすい。これは、「見て瞬間に判断が出来ない」、さらには「判断するときに目を使わない」から。また、弱い視覚系脳番地使わずに、耳からの情報に頼って判断することが普通になると、「見なくてもわかる」と考えるようになるので、ますます視覚系脳番地の出番がなくなり、見る力が弱くなる。小さな頃は「親や先生の言うことを何でも聞くいい子」かもしれないが、このまま育つと、自分から発信できないどころか、仕事などでも全て言葉で指示されないと何をしていいのかわからない、というマニュアル人間になってしまうことも。

③「見て伝えない」脳タイプ=視覚系・伝達系脳番地が未発達
【主な特徴】自分から何かを発信するのが苦手、言葉数が少ない、説明が苦手
このタイプは、自分で考えたことを人に伝えることや、上手に状況説明することが苦手。「何かを伝える」のが苦手な子は、伝えるために必要な情報を取ってくることもしなくなる。そのため、アウトプット力はおろか、見る力、聞く力というインプット力も下がる。

④「見て考えられず、すぐにクヨクヨする」脳タイプ=視覚系・感情系脳番地が未発達
【主な特徴】自分の気持ちが分からない、不安になりやすい、気持ちの浮き沈みが頻発。
このタイプは、他人の気持ちを受け取るだけでなく、「嬉しい」「悲しい」など、自分の気持ちをつくる(=アウトプットする)のも感情系脳番地の働き。そこで、この感情系脳番地と、視覚系脳番地が弱いと、自分の気持ちが決まらず、ぐるぐると同じことで悩みがちになる。つまり、考えているようで考えていない。同じ情報が思考系脳番地と感情系脳番地をぐるぐると空回りする状態になる。実は、「よく見る」ことで、クヨクヨ悩むことを防げる。目の前の新しい情報が目から入ることにより、感情系が暴走することを予防できる。目から他の情報を入れる、視点を変える、ということをすると、クヨクヨ回路から抜け出し、新たな気持ちをつくりだすことが出来る。

__現代社会では、「見る力」が衰えやすい p.93~__

・睡眠不足が見る力を低下させる(脳の覚醒度が低下)
・スマホやゲームが、見る力に与える影響(眼球運動低下で視野狭窄)
・見る力を伸ばすには、外遊びが欠かせない(空間把握)
・人と接する時間が減ると、脳の見る力は弱くなる


§新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20210803

(この段落は毎月の掲載先月号と同じ)筆者の仕事は、読者の解決手助けのために、あなたの正確な選択へと導くことである。なので記事分量は少なく、あなたの判断材料となるように書いていく。(購入して読む必要もなく、あなたの秘書に代読する必要もない)。それは、学術系書籍などは学者が同業学者に向けての論理構成だから、学者以外に正確な理解が出来る訳はないのだからである。
一般ビジネス書というものは、厳しい出版業界の状況から、多数の読者が、さも喜んで買うような内容に編集しているから、買った人が喜ぶように出版する。そんな出版物から、役立つ部分のみを理解することは、時間をかけても無理である。とかく、近年の学校教育は、“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、プロセスを踏まえないから応用できないばかりか、誤読の頻発も招いてきた。(ここまで掲載号と同じ)

①(紹介書籍)『女の子は「脳の見る力」を育てなさい』
むらおかコメント
本のタイトルがすごい。だが、私の半世紀弱の調査研究&成果からすると、いわゆる“草食系男子”にも当てはまる、すなわち男女や年齢にかかわらず通用する内容と考えられる。アカデミックな学術論文では盛り込みが難しい内容が豊富で、かつ著者は現在のところ「アカデミック」とは離れていることから、活躍研究者として表舞台に出るのを妨害されるかもしれないけれど。(私はもっと活躍して欲しいと期待しているが)。
この出版社=青春出版社からすれば、このような内容から切り込めば売れる!と診たのだろう。実際にこの著者は調査研究ばかりではなく、26歳で小児科医師となり、MRI画像診断の新しい分野(脳の活性化を計測するエフニルスfNIRSの発見)を開拓し、「脳画像から、その人の個性が人生を読み取ることにも成功しました」と語っている(p.192)。そして、現実の診断治療に著者自身が役立てている(株式会社脳の学校)のである。
例えば紹介 加藤俊徳医師の勧める、脳機能8つの潜在パワーと強化法は↓
https://youtu.be/CxWSDGMpcnk

この私も、うつ症状その他の森田式治療法と併せ、近年の学校教育=“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といった、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であるが故に、神経不安症やそのうつ症状陥ったところの根本的回復に効果的であること、実際にアドバイスする個別企業で役立っている。
ことに、受験勉強やスマホによって、この本の著者も語る“空間認識の不能”=思考パターンも視野もが表面にのみ偏り狭窄をしてしまい、他人の指摘すら受け入れられない人たちが増加蔓延する中で、この本の研究成果によって、またもや日本から森田式治療法に続く一筋の光が指し込まれたようだ。

内容紹介 参照:https://www.books.or.jp/books/detail/2389558
女の子は男の子より成長が早く、しっかりしているように見える。だからこそ子育てもラクに思えるが、実はそんなことはない。同性の娘のことは私がよくわかっているという母親の思い込みに基づいて、子育てをしていると、人間関係などでトラブルを抱えたり、自己肯定感が育たず自信のない子になったり、危機管理能力が低く危険な目にあったり…など、深刻な問題が生まれることが多い。実は、女の子は男の子に比べて、脳内の「見る力(視覚系脳番地)」の働きが弱いのが特徴。視覚系の脳を育てれば、さまざまなことに臨機応変に対応できるようになり、悩みがちな人間関係も成績も大きく変わる。女の子が、自己肯定感を持って、優しく賢い女性に育ち、幸せな人生を歩めるようになるための具体的な方法を紹介。

著者略歴 著:加藤俊徳
新潟県生まれ。医師、医学博士、株式会社「脳の学校」代表、加藤プラチナクリニック院長。昭和大学医学部大学院卒業後、国立精神・神経センター、米国ミネソ大学放射線科MR研究センター、慶應義塾大学、東京大学等で脳の研究に従事。脳画像の鑑定では屈指の読影技術を持ち、胎児から超高齢者まで1万人以上の脳を分析。脳の活性化を計測するfNIRS原理の発見など、研究分野は多方面に渡る。

②(紹介書籍)『AI時代に自分の才能を伸ばすということ』
むらおかコメント
この著作の研究成果は、Art域労働の純粋クリエイティブな範疇ではなく、スキルSkill(技能)ないしは、せいぜいパフォーマンスPerformance(職人技巧)といった単独で労働される範囲に限られている。どう見ても、この研究成果は関連する社会学とか精神科学の分野を無理矢理にでも切り捨てた論理構成となっている。
それはArt域労働、スキルSkill(技能)、及びパフォーマンスPerformance(職人技巧)の3つの労働パターンが、はっきりと異なるものであることを、すなわち労働能力全般発揮なのか、労働能力の一部である労働力発揮なのかに、制限されているものなのかの、この2つの最後証明するものとなっている。社会学とか精神科学の分野とか幅広い芸術や芸術の歴史とも関連思考を安易に捨象(関連を捨て去って抽象化)することで曖昧な論述が現存散在している。要するに、誰かから指揮命令をされている労働する上での通用する内容であることは否めない。
ICT産業革命とは、そんな程度の内容ではなく、偏りかつ部分的なAIの世界ではない。この著者の専門とする音楽の流行歌分野では、「日本であれば現存する日本人の好みのメロディーを併せ組み込む」(ニューミュージックのバックに祇園囃子を組み込む)とか、その音楽曲を30回視聴すれば飽きが来る(たまに間違って飽きのこない名曲が出る)とか、ここ100年ほどに、そういったパフォーマンスPerformance(職人技巧)は確立されつつあり、今やビッグデータの機械化を待つばかりである。
したがって、この著作の研究成果は、1つの哲学的思考モデルを披露しているのである。“その意味内容が解らなくても覚えるだけ”といったAI頭脳教育に陥っているから、頭脳明晰であっても知識偏重主義(主知主義)であれば、とても喜びにふける内容だ。けれどもプロセスを踏まえないから応用できない。ばかりか、誤読の頻発も招くから注意をする必要があるのだ。知識偏重主義(主知主義)は、この100年ほどの資本主義社会が用いた、金融(通貨)投資型方式の事業では役に立つけれど、Afterコロナの創造性と科学性の資本主義方式では効率が悪い、そういったことを明らかにしてくれる人の成果である。

内容紹介(「BOOK」データベースより)
楽天ブックス:『AI時代に自分の才能を伸ばすということ』大黒達也 9784023319509(rakuten.co.jp)

AIよりも人間に得意なことは何か?オックスフォード大、マックス・プランク研究所、ケンブリッジ大で脳神経科学を研究してきた著者が考える「人間の可能性」について。

目次(「BOOK」データベースより)
第1章 脳の統計学習とは何か?(安心して効率よく生きるための脳のシステム/脳は「遷移確率」と「不確実性」を学習する ほか)/第2章 個性や創造性は“ゆらぎ”から生まれる(潜在記憶と顕在記憶/脳は「知らなかったことを知る瞬間」が好き ほか)/第3章 本質を知ること、意欲をもつこと(「ズレ」を「ズレ」として認識する力が重要/意欲や知的好奇心を活用する ほか)/第4章 収束的思考と拡散的思考の共創(2つの思考と不確実性の「ゆらぎ」/どのようにして「ひらめき」は生まれるのか ほか)/第5章 人間を生かす、個性を生かす(AIが得意なこと、人間が得意なこと/「収束的思考」だけに偏らない ほか)

著者情報(「BOOK」データベースより)
大黒達也(ダイコクタツヤ)
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構特任助教。医学博士。1986年青森県八戸市生まれ。オックスフォード大学、マックス・プランク研究所(独)、ケンブリッジ大学などを経て、現職。専門は音楽の脳神経科学。現在は、神経生理データから脳の創造性をモデル化し、創造性の起源とその発達的過程を探る。

以上、今月は2冊の本を紹介する。
私自身には、「Art域労働・パフォーマンス」
であるとか、製品やサービスなどの、
「美しい 或は 綺麗」といった商品研究の論理構成
に係る“裏付け証拠”として、それぞれが
それなりの役に立つ、「美しいを創る と 綺麗を造る」の中味と作業の違いをハッキリさせることができる、とのものである。

2021/07/06

第231号:巷は転落、あなたの指針を持つこと

<コンテンツ>
今や、東京オリンピックに向け感染爆発

端的に。経済の庶民に至るまでの、悩みと課題とは

Afterコロナ、経済や社会は、何処へどうなって?

事業&実務に、直に役立つ科学法則、“美”を整理
  ・<実行に役立たない、巷の美に関する情報>
  ・巷の同調圧力を考慮し、敢えて心のデリカシーにまで踏み込み
     【共感性&文化差異を、巡り廻り、移ろう行動基準】

「人間の愚かさは繰り返される」式の愚かな論調
好機をつかんだら、毅然と実行するための参考事項
   1.文化cultura文明Civilizationの関係とプロセス
   2.“幸せと満足”
   3.自律Autonomyとは、
   4.社会学者ゲオルク・ジンメル 過去の哲学について


§今や、東京オリンピックに向け感染爆発
開催に向け=新型コロナウイルス感染状況の隠蔽、そして開催に突入した場合=ウイルス感染爆発は必至となった。海外選手の先行受け入れをもキャンセルする地方自治体が相次ぎ、メールで受け入れ拒否通知を送る切羽詰まった事態も出てきた。住民サービスに係る法的責任(住民の安全と健康)を持つ自治体からすれば当然の民間防衛の姿である。

突然始まった職域のワクチン接種は、国の打算と裏腹に、個別企業が自らを民間防衛する行動となり、国のワクチン接種スケジュールを頓挫させる事態にも及んだ。国のワクチン接種担当官僚の公衆衛生政策の杜撰さがはっきりし、国と全身全霊一致協力をして新型コロナウイルス感染対策をしようとする人は、ほぼ日本には誰も居ないことが露呈している。
首相官邸は孤立してしまい口先だけ、かつ空振り対策に、首相自ら知っていながら走るということは、社会学からすれば(まだ社会学が形成される前の20世紀初頭から)、為政者のそんな行動に走る様は見通され、愚か者でない限りマスコミニュースにすら成らない。


§端的に。経済の庶民に至るまでの、悩みと課題とは
を説明すれば次の通りのである。
①自由市場主義(資本主義)の中でも、ここ100年ほどの金融資本投資方式での成長スタイルが2008年から、そもそも不安定の極みに至り(一昨年秋以来)に水面下で危機に突入していたところ、重なった新型コロナウイルス蔓延によって、グローバル経済のその重要根幹であった、世界にまたがるサプライチェーン(最安値で仕入れるルート)が崩壊してしまって、さらに昨年4月からの「金融を湯水のごとく使い漁る量的金融緩和(QE)」で辛うじて、庶民も政府も息をつないでいるだけのことに過ぎない。
②先ほど述べた、この“100年ほどの成長スタイル”を引き継ぐ後継者が居なくなるといった、内部崩壊を自由市場主義(資本主義)が起こしてしまっただけのことでもある。大げさな陰謀論とか世界の裏で糸を引くとかの、大それたおとぎ話ではない。
要するに端的に言えばこの2つだけのことなのだ。
それをいつものごとく“目新しそうな用語”あるいはその用語の歪曲で、
 ・新封建主義(能力があれば金持ちになれる社会=新しい封建社会)とか、
 ・オリガーキーOligarchy(=寡頭制、=少数者が国家の支配権を握る政治形態)とか、
 ・メリトクラシーMeritocracy(個人の持っている能力によってその地位が決まり、
               能力の高い者が統治する社会)とか、
仰々しい、一般人が聞いたこともないような“目新しそうな用語”を持ち出す必要もない。かつ、敢えて仰々しく持ち出す理由は、“解ったような分からないような話の修辞学(レトリック)”で以って旧来からの用語の意味(プロセスとともにハッキリしている)を変質させようとする姿でしかないのである。現代貨幣理論(MMT)が社会主義の「労働貨幣論」焼き直しであるような話ばかりだ。ちなみに、「新自由主義」と言っても、経済学者ハイエクHayekが考えた学説を、弟子たちその他が都合よく歪曲した代物ばかりだ。
☆直面する日本の緊急経済政策は、総務部メルマガ6月号に示したとおりである。
   (経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、)
    総務部メルマガ6月号

★これから長々と述べた歴史的な展開を知っていればこそ、こういった“目新しそうな用語”が、即座に誤魔化しであることが直ぐ解る。そう、ごまかす人たちは用語の紹介はしてもその歴史的解説とかプロセスに触れることはない。科学に疎いあるいは愚者ともなれば、誰が紹介しているかによって、「人間の愚かさは繰り返される」式イデオロギー(=科学的根拠も裏付けもない特徴を持つ)に乗せられてしまうのであるから。


§Afterコロナ、経済や社会は、何処へどうなって?
当座は、それに耐えうる個々人の生き方と個別企業のあり方について、
的確なAfterコロナに的が絞れるのか、それとも流されてしまうのかによって、
個別企業や個人の将来が、大きく左右する時期が来た。くどいようだがBeforeコロナの従来経験した姿にはならない。従来経験した姿を追っかけたならば、全てが累積赤字となる。
加えて、【考える指針】を持つことは、とても重要となる。
そこで、事業&実務に役立つ科学法則として整理を作成した。「図表1」がそれだ。
自由市場主義(資本主義)の発展は、近世(フランス市民革命前後)の文明Civilization定着とともに進んできた。それを通して歴史的に、“労働全般の取りまとめと十分な能力発揮”は、芸術性といった概念よりは広い範囲のArt域な労働全般能力がもたらすことが分かった。(Civilizationの語源は、礼儀正しさCivilityであり、Civilといった言葉の関係は興味深い)。

☆1 すなわちそれは、商品づくりにおいて、
“労働全般能力の一部である労働力で以って、「品物の綺麗を整え、労働全般能力で以って美しさを創ること」で、より高い利潤を得ることができる。”
☆2 更にそれが最小経済圏を超えて
“最小経済圏とは、数100年前の中世であるならば「市」の立つ範囲。=現代日本の社会制度であるならば中学校区単位。その範囲を超えて商品が流通(交通)することで、他地域の固有文化が流入することによって、更に、「綺麗な品物が、他地域の固有文化が地域の労働全般能力によって美しくなった固有文化価値商品に仕上がってこそ、「典型的な商品」として採算の取れる高利潤を得ることができるのである。”

・自由市場(資本主義)における「商品」は他地域に送られることで成り立つ。
・最小経済圏内と、その経済圏を超えることとでは価格決定方式は異なる。
・いわゆる、近年グローバル経済のサプライチェーンは、
 ここの価格決定を(似非原価積上げと)間違っていた。
 経済の流通構造を間違え累積赤字を招来した。
・日本の中学校区は、10,000校区ほど
  イタリアの最小経済圏は8,000程(=地方自治体数)だ。
☆3 ところが、自由市場主義に背き、闇で悪を行う輩が湧いてくる。
=彼らの特徴は粗暴乱暴で、ことごとく経済~能力~思考に至るまでを、向上させることを忌み嫌う特徴を持つ訳だ、人格とは関係なく。文明Civilizationからすれば未開である。

・労働力のみで商品を作る、
    それでは売れないから、安値で粗悪品を段取りする。
      (これがカール・マルクスの言う「搾取」であり、正当な経済経営から外れる)
  ・帝国主義の侵略戦争で以って、商品から労働力から財貨まで実態は略奪する。
  ・社会の内向きに閉鎖枠Zoneを設け、女性差別や奴隷労働で闇の財を蓄積すめる。
★前述の“闇で悪行を行う輩”、いわゆる未開に係る対応策は。
今日までの人類の英知、経済力や経済システムの創造、これらの支えとなる現在の“自然・人文(精神)・社会の3分野にわたる科学技術でもって克服することができる。
今の日本は、「いわゆる先進国から未開国へと転落した」その姿である。

☆あれこれ原因を論うにとどまらず、闇で糸を引く者の悪口を言うのではなく、
 好機をつかんで身の回りから改善し組み換えれば、
  →ほんの身近から好転換・好循環となる。
☆「品物の綺麗さを整え、労働全般能力で以って美しさを創ること」では、
  経済学的には商品が流通経済には至らない(地産地消)だが、
   たとえ「地産地消」の範囲であっても好転換・好循環を産み出し、
    →社会や経済の、実力ある基盤を構築することになり、蓄積が出来るのである。

☆そもそも日本には、それなりの実力ある基盤が地域に備わっていた。
  が、“それをペテンにかけられ、根こそぎ持ち去られ、基盤の残骸にさせられた。”
   これを、経済成長の過程で、組み込まれてしまっただけと
    認識するのが妥当なのだ、決して日本の習慣や風土といった物事ではない。


§事業&実務に、直に役立つ科学法則、“美”を整理
人間集団や人間関係が事業&実務を下支えしている。この仕組みが汚濁していれば、効率良い組織の動きにならない。
そして実に、この(図表1)に示した法則を裏付ける証拠となる事例は幾つでもある。
が、それは誰でも直ぐに見つけられることもあって、ここでは省略をする。

☆科学とは「何時でも何処でも誰でも使える法則性」のことで、
紆余曲折があるにしろ、現在から遡れる8,000年前からの記録の積み重ねの時系列を持っている。もちろん人類の遺伝子分野も含めて。
なお、19世紀までは、美の意味を完璧さや道徳的だと制限した時代もあった。その著名人は、
 ・社会学者マックス・ヴェーバー(1864年4月21日~1920年6月14日)、
 ・政治経済学者ジョン・スチュアート・ミル(1806年5月20日~1873年5月8日)
  お馴染み日本の渋沢栄一(1840年3月16日~1931年11月11日)等が該当する。
現代からすれば、それらは美の概念の発展段階で、現代では予想できない過去の概念だ。


【図表1】
現代の哲学・社会学を始めとした精神(人文)科学の分野(=美しい)、及び実際の経済や生活そして商取引に関わる経済や経営学の分野(=美しいと混同されがちな綺麗)を中心に整理した。

Art域 意欲・感動・希望

この3つがセット
になって
需要者側の受容
にハッキリ構築
されている。
美がArt域となるには、その美を増幅させ、感情移入と自己意識とのせめぎ合いの末に(コンテキストなどで)希望へと導かれ、心温まる心象が受け手の深層に残存させる。
そこには、作品にしろ商品にしろ、細かいところを大切にすることでの、芸術家の芸術を超える全人格が表現される。
綺麗という無機質なハードウェアではなく、敢えて不完全なソフトウェア部分の集合による、美しいとの、完全な全体に組み立て(広い意味での芸術性)られている。
美しい

(美)
ソフトウェアの評価

昔から、美と善はどこかでつながっている。
善悪の判断流れは、人類の進化に資するは善、進化阻害は悪だ。
美とは、人類の進化にプラスとなる遺伝子レベルでの、表象や事象による認識で、それは他人と共有し得る概念である。すなわち、共感Empathyをして感じ取るのだ。
ことに、後天的遺伝子の形成には700年程かかると言われ、則ち親の遺伝子ではなく祖先の遺伝子なのである。
美の美しい概念は言葉(記号)では把握ができない。
共感Empathyは=共感作用&共感精度で計測される。
きれい

(綺麗)
ハードウェアの評価

綺麗は無機質である

【各々の物理的把握】
・絵画は色彩
  =鏡・面の表象
 彫刻には
  +たなごころ掌

・音楽は空間把握

・詩は時系列の思考
水平垂直の軸を前提にしての、ユークリッド幾何学(距離:長さ、角度:面積、体積などの三次元概念)とか、黄金比とか、1/fの複雑系その他、人類が発見や発明をした、いわゆる物理的な範疇に根拠を置く。近々、古典的物理にとどまらず、カオス理論(2008年証明)や、量子力学(2012年証明)への多数の人間の理解とともに、綺麗の物理的な範疇は広がるであろう。
綺麗の形成は、パフォーマンスPerformance(職人技巧)であり、感情移入ではない。技巧を凝らすところの[ひと目で凄い]といった作業を優先する。それは、技巧を凝らす程に、刹那感とか残虐悲惨な記録に留まる持必然性を持つ。
社会学者ジンメル Georg Simmel は、従来の芸術の単なる技巧家について、「技巧がアルファでありオメガであるならば、その技にかけては最高の名手においてであれ、それは完全なものとは成り得ないのである。歴史的事実がこの定式をさらに原理的に保証している」との西欧文化的分析をしている。
可愛い
かなりのイメージ性
Mental-image

美しいとか綺麗の曖昧的表現ばかりか、妬みその他の自己認識から逃げるための、自己欺瞞の典型的手段にも使われるようだ。
イメージとは、感覚的印象が処理される、またはその処理された印象が想像の力を借りて呼び起こされる、その場合に進行するところの、心理的エピソードといったもの。
ある一部分は話せたとしても、知とか知識のように他人とは共有することができない。共感Empathyをして感じ取ることもできない。したがって“分かち合いShare”も“意思疎通やCommunicate”も出来ない。
イメージは、個々人の意識の内に於いて見ているだけ!のことである。その中身を精神Mind的に、どれだけ説明しようが、他人と共有できないのだから、伝達もできない訳だ。個々バラバラの妄想、かつ記号キャラクター妄想である。


___芸術等の仕組みを研究した 特記すべき参考文献___

・構想力の芸術思想(美の固有価値の復権) ジョン・ラスキン 2003/12/01 法蔵館
・橋と扉(ゲオルク・ジンメルの遺稿集) ゲオルク・ジンメル 1998/06/25 白水社
・芸術の哲学(芸術のための芸術=1914年著) ゲオルク・ジンメル 1999/06/25 白水社


<実行に役立たない、巷の美に関する情報>
★そもそも科学から、その道を反らす手法が、単純羅列&単純整理である。
それは学問ではあるが、AIやBigDataで単なる分析をしたとすれば科学の道から反らせる角速度が大きくなる。AIやBigDataでは、まだまだ、科学の方法技術である=演繹法・帰納法・客観的合理的論理構成その他に至るまで、加えて科学的には8,000年前からの記録の積み重ねすら抱えられていない。増して、カオス理論2008年証明や量子力学2012年証明の身近なプログラムさえ組めないAIやBigDataのプログラム水準の現状だ。それら現在のその方法(AIやBigDataの加減乗除+α程度)では、コロナ恐慌前の従前たる金融投資一辺倒如くの世界でならば通用したかもしれないだけだ。

①哲学における美?______
 (筆者コメント=科学的分析は無く、非科学に惑わる愚者の人気取り分析だ)
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2021/04/05 14:13 UTC 版)
美とは、価値観念、価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化や個人の主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。

②綺麗とは(https://dic.pixiv.net/a/綺麗)___
(筆者コメント=これでは、当たり障りのない、話の羅列に過ぎない)
 目に見て美しく心地よいさま。
 耳に聞いて美しく心地よいさま。
 よごれがなくさっぱりしているさま。清潔。
 やましい点のないさま。けがれのないさま。潔白。
 男女間の肉体的交渉がないさま。清純。純潔。
 きちんと整っているさま。整然。
 数式などにおいて、シンプルでスマートで無駄が無い様子。簡潔。

③可愛いとは_______
 (筆者コメント=これでは解説にもならず、人間の愚かさに使い道を任せている)
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2021/04/15 13:58 UTC 版)
可愛い(かわいい)は、日本語の形容詞で、いとおしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし」と感じられる場合に用いられる。また、「かわいそう」と関連するという考え方もある。派生語にはやや意味を強めた「可愛らしい」、動詞の「可愛がる」がある。


巷の同調圧力を考慮し、敢えて心のデリカシーにまで踏み込み
これには2つ理由と厳重注意事項、妬みで生きている人の存在、の4つがある。
【1つ目の理由】
時代が大きく転換する時期においては、使われる用語とか言葉の、論理構成の“合理一貫性&事実一致性”の揺らぐ時代がやってくる。
★古くは1789年のフランス市民革命前夜、ディドロ初め既成の知的権威を否定し、自由な精神による進歩と共有を信じる『百科全書派』が戦った時代である。
★あるいは、第二次世界大戦におけるドイツや日本のファシズムが用いた、“支離滅裂さと似非科学”による言い逃れである。ちなみに、“合理一貫性&事実一致性”が確立されたのはナチスドイツを裁いたニュルンベルク裁判であり、その確立された趣旨は東京裁判にも引き継がれた。
★そして、ソ連スターリン時代に編み出された“言葉の概念のすり替え手法”、及びすり替え言葉の形容詞による思考統制(人民的○○、革命的○○、美しい日本などといった代物)である。総理大臣経験者Aの、2021年7月3日頃報道された「五輪に反対する人は反日的」との対談発言は、さすが祖父の代からスターリン独裁などを研究した手法(筆者もその手法の出版物のひとつを読んだ記憶がある)に基づいて、確信犯的に実行されたものと、筆者は受け止めざるを得ない。

【2つ目の理由】
現在、日本の行政機関を先頭に、大手マスコミ(ジャーナリズムから逸脱実態)に至るまで、第二次世界大戦時のファシズム乃至その後のソ連スターリン独裁における使用手法、さらには前述のような用語とか言葉が、時を追うごとに変質し腐敗あるいは退廃、しつつある。そこには、悪意や犯罪目的であることを知りながら、その擁護とか言葉を用いていることがハッキリしていても、“行政機関の長”も使っているとか、大手マスコミも逃げ口上や無責任な記事で溢れているとかを引き合いに出し、そういった使用例や、「みんなもやっている式」のモノを引き合いにすれば、悪意や犯罪の告発を免れる手段に使えるといった、無法者・ならず者を助長している側面は否めない。
はっきり言えば、“美しい”とか“きれい”の使い方は、次の3種類(部分的に重複)がはびこっているのである。
①成金とか富裕層の息子に娘を誘引し詐欺る場合に連発する使い方。
②自律せず無自覚がゆえに、“美しい”と“きれい”を中身も目的も解らない愚かさ。
③用語を、妬みや名誉権力等の自己認識を隠すための、自己欺瞞の典型的手段。
といったものにも使われる、最も頻繁使われるのは、かなりイメージ性の強い“可愛い”である。

【厳重注意事項!】
思考水準の低く浅い者は、学歴を問わず自分とは異なる意見を聞いただけで、『喧嘩を売られた』と認識し、敵対行動を脳裏に身構える。さらに職業能力も無い者となれば、精神圧迫・暴行・パワハラ等の経済外的手段に走り不正な自己防衛に走る。こういったことが、精神科学の行動心理学で証明されている。そういった彼彼女らは近視眼的二者択一思考であり、記憶力が秀でていれば知識偏重(思考)主義に凝り固まっている。Art域とか“美しい”に係る議論の相手には、彼彼女らを相手にしないことである。その人らの対策は、専ら行政やメディアに任せることである。

「綺麗に整え:美しく創りあげる技術」を妬む人たち。
「この技術を学ぶ。
    これの出来ない人物が、
      詐欺的不正→改ざんといった経済外取引に走るのである」

そもそも、人間は自律(autonomy)して生きる上にあっては、何等かの指針は不可欠であって、人間の多くは“美しい”を念頭に置いている。ただし、自律(自立とは異なる)ができていなければ、妬みや名誉権力に惑わされ行動基準が移ろうことになるのである。
増して、そういった行動基準にしがみ付き、収入を得て保身に走る人物も存在する。

【共感性&文化差異を、巡り廻り、移ろう行動基準】
http://www.soumubu.jp/intelligence/20210103_koudoukijun.jpg

そこで、実力を持って物事を実行し、いわゆる“成功と幸せ”を歩みつつある人たちが、その念頭に置いてきた“美しい”といった風な概念について、

①実際の経済や商取引そして生活に関わる
 経済や経営学の分(=美しいと
         混同されがちな“綺麗”)

②現代の哲学や社会学を始め芸術に至る
 までの、実力ある芸術家と社会学者らの
 精神科学(人文科学)の分野(=“美しい”)

の、二つの科学分野を中心として、
  決して単なる羅列整理ではないように、
    以上、美について分析した。


§「人間の愚かさは繰り返される」式の愚かな論調
それは、自然・人文(精神)・社会の各科学分野がなかった3000年弱前から繰り返してきて出てきた、“解ったような分からないような話の修辞学(レトリック)”である。科学に疎いあるいは愚者ともなれば、いつまでたっても、この、「人間の愚かさは繰り返される」式イデオロギー(=科学的根拠も裏付けもない特徴を持つ)に感化され支配されしまうのである。確かにイデオロギーの自由は重要な権利ではあるが、それは良心Conscienceの自由(1688年:名誉革命で確立)を全うした上での話であり、良心の歪曲悪用(内心にすり替え)をすればタダの嘘である。
歴史を振り返れば、1789年:フランス市民革命で以って、それまでの王様や領主そしてカトリックの乱れ誤魔化しと暴力で支配されていた共同体を、自由平等のために社会を形成し、文明Civilizationを築き、そのための武器として民主主義を用いた。その過程で自由平等&科学性&理性が貫かれ、今日の自由平等(=イギリスでは法の支配、日本では社会正義と言う)の社会に至っているわけである。

☆このフランス市民革命を通して、(自由を保証する制度の例)
・事業経営者の団結権(株式会社や有限会社)とか、
・民事の契約(一方の申し込みと相手方の承諾)概念とか、
・結果責任と原因責任を廃し、本来頼やるべきことに限った過失責任に限定、
・赤の他人に迷惑をかけた場合、金銭賠償で自由を担保する(不法行為)とか、
・“盗む”を、他人の(所有権ではなく)、占有している物を盗む行為と定めたことで、
……それまでの支配者の乱れ誤魔化しによる財物の独占を禁止したのである。

その17世紀から18世紀にかけての自由とは、「欠陥を持った自由」とブルジョワの自由だと一蹴する人もいるが、それは近代から見た過去を誤って認識する手法で正確ではない。ブルジョワジー(仏:Bourgeoisie)とは中産階級のことで、20世紀前半に極左主義者が扇動のために意味をすり替えたようだ。その17~18世紀の研究を行った社会学者ゲオルク・ジンメル(1858年3月1日~1918年9月28日)は次のように記した。

『すなわち個人の平等は、自由を正当とはしたが、現実にはなおまさしく不完全にしか存在せず、しかも、個人が妨げられることなき自由を獲得した瞬時に、結局はまごうかたなき不平等がたちまち新しい抑圧となろう。
すなわち 賢者による愚者の、
     強者による愚者の、
     好機をつかんだ者による臆病者の抑圧である。
そして、これに対する本能によって、自由と平等の要請になお友愛の要請が付加されることになったものと私には思われる。それというのも、友愛の概念が示しているような道徳的な自発的断念によってのみ、自由が平等の完全な逆を伴うということが避けられるからである。とはいえ、個性の平等と個性の自由とのあいだのこの矛盾は、個性の本質に関する当時の一般的な意識には依然として隠されたものであり、初めて19世紀がそれをいくらか……[遺稿の草稿欠落]』
引用=「橋と扉(ゲオルク・ジンメル 1917年著:遺稿集p.311)」

このジンメルが問題提起をした、個性の平等に関しては、インドの経済学者、哲学者であるアマルティア・センAmartya Sen(1933年11月3日~)が提唱したケイパビリティ(Capability)によって科学的に立証されるまで待たざるを得なかった。たぶん筆者が思うに、アマルティア・センは、ここまでのジンメルの存在を知らなかったようだ…。
歴史発展は途中で後退したり巻き返されたりするが、それはアカデミック特有の排他閉鎖性がひとつの原因と筆者には思慮される。が、今真っ只中のICT産業革命によってその閉鎖性も解消されるだろう。かの哲学者スピノザはレンズ磨き職人であったし、詩人ハイネはジャーナリストであり哲学者でもあった。

今挙げた社会学者ゲオルク・ジンメル(1858年3月1日~1918年9月28日)についても、当時ドイツでの評価でジンメルは、当時ドイツでのエリートたちの中心人物とも言われていたとのことだ。ただしジンメルが、哲学的流れに組み入れにくい存在であり且つ、いかなる学派にも所属していないという点に、学者としては列挙されずにいた、その奇怪さ(アカデミック特有の排他閉鎖性)を暗示している。現在、カール・マルクスの資本論第三部を完成させたのはジンメルであるとドイツの経済学は評価をしているが、肝心の社会主義国や社会主義系政党でそれを認めているところは未だに無い。(日本共産党は最近、カール・マルクス著作の一部をエンゲルスが書き換えたとその情報も入ってきてはいるが)。
ジンメルの同僚にはマックス・ウェーバーMax Weber(1864年4月21日~1920年6月14日)らの著名人は多い。ジンメルの教え子たちには、ナチスドイツの理論家とか、国際共産主義運動の左派理論家(ルカーチ)まで幅広いとのことだ。すなわち、教え子たちのそれなりの社会への影響力は、ジンメルが望んだものとは思われないけれど、第一次世界大戦後のドイツにしろ戦前戦後の国際共産主義運動にしろ、そういった勢力に関係している人たちへの教え子たちの影響力には、ジンメルから引き継がれた格別な洞察力や分析力そして論理構成があったのであろうと推測できる。
とはいっても、ナチスやソ連ボルシェビキの段階であっても、「人間の愚かさは繰り返される」式の論調であったことは間違いなさそうである。そして、ジンメルはナチスではないし、多くの左派系学者からは非難をされたようだ。どうも筆者が調べるところでは、ナチスも左派系も共通して、「運動を進める上で都合悪い事は採用しない」といった、筆者から言わせれば非科学的かつ、礼儀正しさCivilityの無い非文明的な態度は共通して伺える。加えて彼らが物事の裏付けとなる証拠は書面を残していないところを見ると、彼らの特徴は粗暴乱暴に至らざるを得ない。


§好機をつかんだら、毅然と実行するための参考事項
1.文化cultura文明Civilizationの関係とプロセス
人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。
巷で間違って例えられる、民族は狩猟・牧畜・農耕のいずれかひとつを選択して集団や民族が形成されたといった歴史の事実は無い。
大まかには略奪経済、→封建領地経済、右向き→自由市場(資本主義)経済といった共同体の体制を経てはいるが、科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される近代の文明Civilization進展とともに変化を繰り返してきた。
その変化の根幹底流と言われるものが文化cultura(ラテン語)であり、そのツカミどころを理解しようと試みる目的で、人々は表面的には思考を分割し分野別学問蓄積の形態を用いている。
社会運営技術の柱は、自由平等の実現ための社会そのものの形成である。
そのための道具として民主主義(一定程度の社会主義)を陥っている。そして、戦後に基本的人権が加わった。
第二次世界大戦後の、劇的な科学技術進展の主なものは、抗生物質、プラスチック、食料価格の半減にまつわるものである。そして、今やICT産業が“afterコロナ禍”に本格到来しようとしている。

2.“幸せと満足”
それらの概念は科学的に解明されている。
科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される社会というものの形成された過程の上に、そこでの文明Civilization進展と共に変化を繰り返してきた。その変化の根幹底流と言われるものが文化であり、そのツカミどころを理解しようと試みる目的で、人々は表面的には思考を分割し、互いに絡み合っているからこそ分野別に学問蓄積の形態を用いている。
その際に話題となっている概念が、“幸せと満足”である。
近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部において、他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが行動心理学で解明された。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された共同体関係内部にあっては満足をするかもしれないが、“厚生”自体は単なる“幸せ”を追求するひとつの道具に過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らが希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化culturaについての共通解明にまでに、人類の英知は達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。
そして人間にとって、文化cultura文明Civilizationを経ることで形成された概念(社会に応じた論理の出現)が、意欲や活力を産むのである。ただし、“活力”とはいっても、アインシュタインが“活力”自体を解明し、それは単なる「エネルギー交換だ」、との文明的科学技術的な発見をするまでの幻想概念に過ぎなかった。したがって、“活力”の用語も次第に使われなくなる運命にあった概念の一つには変わりはなかった。

3.自律Autonomyとは、
自分で自分を律する法(決まり)を自らのうちに作る、そして実行する。近代初期には、科学的理論の根底として形成された。

欧米での自律とは、AutonomyとかIndependenceなどとの、様々な状況を表すことが仕様となる。直接・間接を問わず他人には依存せずに、自分で行為をするAutoの汎用といった概念だ。

4.社会学者ゲオルク・ジンメル 過去の哲学について
彼は、次のように述べている。(1858年3月1日~1918年9月28日)

・『事実。美とは何か、芸術とは何かを原理的に追求した大思想家たちが、美しいものに対する感覚を持っていたかどうかは、すこぶる疑わしい。カントもそうなら、ヘーゲルもそうである。そこから不感症の人間だけが感覚の問題について熱心に語りたがると、冷笑的な結論を描き出すこともおそらく可能だろう』。

・『ただ賢いだけの人間は、完全に賢いとすら言えないのである。偉大な芸術家とは常に、偉大な芸術家以上の存在だったと言って良いのだから。彼らの生の全精力が芸術活動に余すところなく集中され、そのうちに溶け込み、……我々は、そこに存在する生全体の法外な振幅と緊張を感じることができる』。

・『芸術家の純粋に芸術家として完全性は、彼が芸術家以上の存在であるということと不可分である。完全に自律化した作品にまで高まる本質表現の個性的な強さが、全人格という小宇宙に手足のように結びつき、そこから養分を得ているということと不可分なのである』。

(この3項目は、「芸術のための芸術」1914年著より引用)
【注意:(著者:村岡から)】
ジンメルの生とか生全体として用いられている「生」は、日本語の漢字の意味とは程遠い。著者の私から解説すると誤った内容になるであろうから、興味ある方は直に遺稿集手に取っていただくことを推奨する。橋と扉(ゲオルク・ジンメルの遺稿集) ゲオルク・ジンメル 1998/06/25 白水社であれば、p.35~60にわたる、1904年~1910年ごろに書かれた、「生と哲学」の部分である。他は、Netで、「ジンメル 生とか生全体」の検索をどうぞ。

2021/06/08

第230号:
“ガセネタ”に乗らず、深く考える正攻法のヒント

<コンテンツ>
この混乱時のガセネタに乗せられないための、インテリジェンス
  ・東京オリパラ、強行しようが中止しようが感染爆発
  ・経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、
  ・ロンドンの金地金相場引き下げの機能が消失
  ・政府の借金は積み上がれば、憲法25条で定められた
  ・大阪の感染爆発の原因は、維新の議員が騒ぎ、知事が…
ICT産業革命に欠かせない認知心理学は確立していた
この国の感染防疫体制を潰したのは誰か、そのヤリ口とは
  ・国の感染防疫体制を潰したのは、この輩だ。
  ・ヤリ口を支える、医師の地位をめぐる背景
  ・異なる者たちの支配には“聖なるもの”が便利
  ・医療の危機の中心には、3つの価値観の錯綜がある
  ・医療関連に携わる人たちのほとんど共通点は
  【感染研と医系技官に寄生する輩にごまかされない】


§この混乱時のガセネタに乗せられないための、インテリジェンス

東京オリパラ、強行しようが中止しようが感染爆発
とにかく今までに予算を消化してしまったから、国民1人当たり3万円・平均世帯4人家族だと12万円の投資が実ることはなくなっている。主催者や周辺は冷静さを失い投下資金の切り替えも考慮しなかった。経済や社会を冷静に見る力を持たない輩に任せばこうなる。感染は東京オリパラに向け爆発する見通しだ。新型コロナのデルタ(インド)株は既に各地に散らばり、これから空中浮遊の霧で以って蔓延する。

厚労省は標本検査も追跡調査も行うつもりは無いから、自治体(幼稚園や学校)か個別企業で早期発見と隔離をするしかない。ワクチンは期待出来ず、むしろ大規模接種では、針の使い回しとか調剤ミスが多発(厚労省や医療機関には、製造や運輸業のような防止ノウハウが無い)している。
“他人を妬み、卑怯かつ姑息な輩”に、そもそも託したのが間違いだ。開催強行だと躍起になっている状況は、戦時中の日本陸軍で行われたような、参謀の反対意見や現場将校の直言を無視するばかりか、解任してまで作戦を遂行したことと同様の内実があるようだ。だから戦時中の陸軍と例えるジャーナリストも多い。ガダルカナル島での無補給での餓死者は多い。インパール作戦(1944年)は殆ど死亡、戦死者よりも餓死者だ。そのガダルカナル作戦(1942年8月)でも、海軍の輸送部隊は、(当時現役の海軍将校からインタビュー)最低速度で現地に向かい、陸軍のガダルカナル敗北の一報受けるや否や、米海軍潜水艦を避けながら最高速で日本に戻った。その時の海軍の危機内部への説明は、「海軍の艦船に輸送船を攻撃から防ぎ守るためである」であった。(海軍は同年6月のミッドウェー海戦で航空母艦4隻&航空機289機を喪失)。
尾身茂氏の、「今の感染状況で開催は普通はない」との分科会会長の東京オリパラに関する発言を額面の通りにとってはいけない。医系官僚システムに寄生する輩の延命策の下心。例えば、彼ら寄生する輩の“居場所の恒久保障”と、“その毎年の収益事業の見返り等の要求”があると見るのが妥当だ。尾身氏の経験だけは確かで、「病院を直接運営する機構の立ち上げのために、医師である私に白羽の矢が立ちました」と自ら述べるだけあり、国会映像のように関係者を恫喝する。医系官僚から天下りしただけあって、世間一般の国民やジャーナリストとは構想規模には格段の差がある。決して、情報受け手の観念で物事を理解判断してはいけない。

経済恐慌の動向&個人消費(経済の下支え部分)は、
コロナ感染によるサプライチェーンの寸断による輸入価格不安定の状況から、源流にある政府の円安誘導による輸入品物価高政策となっている。輪をかけて、いよいよ、経済危機の前触れである穀物や原油の値上がりが始まり、異常気象の天候不順による実商品高も目立ってきた。経済恐慌の姿は、金融 → 産業 → 個人消費や生活と変遷をする。
外国と比べ日本は、地産地消の経済基盤の上に輸入品が流通していないから、産業から個人の生活に至るまでの打撃は大きい。本年1月~3月のGDPの数値でも、アメリカとか中国はプラスに転じた。が、日本はマイナスである、経済とのバランスとは口先だけである。Go Toキャンペーンもワクチン大規模摂取も、特定業界利権もしくは富の(微々たる)再分配だ。
これだけ経済の根本的な部分にテコ入れをせず、“自粛とGo Toキャンペーン”で人心を惑わすだけだから、経済転落するのは当然なのだ。経済や経営のことを判るはずもなく、“他人を妬み、卑怯かつ姑息な輩”だから、「もっと貧乏になれば、金と警察の言うことを聞く」と、全体主義者を真似しているのだろう。日本はギリシャのような観光立国には未だほど遠い、インバウンド収益は観光産業全体の17%に過ぎない。にもかかわらず昨年の年頭に、国境封鎖のコロナ対策をしなかったわけだ。

すなわち、円高誘導に切り替えて個人消費を増やす政策でもって、回復の兆しを開くことができる。Afterコロナの前から地方地域ごとの地元に根ざした経済や社会を切り開くわけである。中小企業の圧迫、企業の合併吸収、フルタイム社員の大量解雇が一気に進む。そういった中でも、まずは生きることが基本的人権が憲法に記された日本であるから、それを柱と基盤にしてチャンスを掴むわけだ。
日銀による大手企業株価の買い支えは政府の借金である。コロナ感染対策の緊急予算もすべて政府の借金である。Afterコロナとなれば、この政府借金返済の増税が始まる。増税とともに財産税(保有財産の10%~納付)も実行されると見てよい。MMT近代化論者も、“国家はつぶれない”だけは前提だから、政府借金解消のための増税その他を否定はしていない、政府財務省や経済の財政学者は、歴史上当たり前のこととして驚きもしない。すなわち、コロナ前の状況に戻ることはありえないから、各自で資産対策を図ることだ。インフレで通貨価値はなくなる。資産は動かせる限り人物育成と人材発見に回すことだ。

ロンドンの金地金相場引き下げの機能が消失
この夏から秋にかけて、意外な展開や新策略開始がない限り、これから金地金の相場は、年末にかけて上昇もしくは年末まで価格抑止が続いた後に急騰すると予測するのが自然だ。「バーゼル3のNSFR(紐付けなしの金地金の先物売りが事実上禁止)が予定通り適用される方向。そもそもドル・円の両方共への為替相場に安値圧力が強烈なため、この金地金の急騰へと直結している。中国政府は最近、中国国内の金融機関は金地金を購入することを許可し、これにより金地金相場は高くなる気配だ。ロシアも米ドルの弱体化を見越して金地金を買い込んでいる。

MMT論者は、こぞって借金や通貨(通貨と貨幣は異なる物)の増量で国家はつぶれないとは言っている、確かにそれは正しい。が、潰れない(保障を持つ)国家の国民が、いっそう積み重ねて働くことでもって経済の質量低下を補うこととなる。現在日本は、コロナ対策&経済危機対策と称して、借金を湯水を使うように積み上げる予算措置を行っている。財務省が説明する返済とは、全ては先送りだとし、すなわち生まれもしていない孫子の代まで借金を積み上げようというわけだ。

政府の借金は積み上がれば、憲法25条で定められた
具体的な社会福祉、社会保障及び公衆衛生の制度といった物事が削減される。厚生と携わる人の予算削減だ。憲法25条の文面は終戦直後に欧米よりも条文としては先駆的(日本側の要求)だが、それは85年ほど前に起きたことで、実物は戦後に積み上げられて行き、新自由主義で崩されつつある歴史なのである。
このAfterコロナでの、今度の経済転換は、ほとんどの人が体験したことのない1945年の終戦以来である。先ほど述べたように、回復の兆しを開く経済政策は、本当の意味でのICT産業革命を伴っている。“デジタル庁”とか“こども庁”は、今の政権の出入り業者に高額発注するだけの代物である、その方面の専門家の意見を聞くことなく知恵も集めないのはその証である
すでに、厚労省は国民の意識を試しているのか、

★1:国民皆保険のシステムは、新型コロナウイルス感染の疑いはあっても、体温が37.5℃以上の熱がなければ診察もなく保健所は医療を打ち切ることで、これを一部崩壊させた。
★2:臨床医療と公衆衛生は別物の制度であり指揮系統も敢えて異ならせているが、だとしてもウイルスを拡散する無症状感染者の追跡をしないとして、公衆衛生のイロハも故意に止めてしまった。
★3:おそらくワクチン接種も、集団免疫の70%が市町村ごとに斑マダラが出来てしまうのも当然のことである。自衛隊の大規模接種方式では、自治体によって斑マダラが出来ることは行政官僚なら誰もが知っている。沖縄県や北海道に自衛隊の大規模接種部隊を送らないことも、大規模摂取が口先キャンペーンであることを証している、大量の自衛隊が両県に駐屯しているにもかかわらず。
くどいようだけれど、ワクチンによる集団免疫は、70%をくまなく達成させなければならない。斑マダラがクラスター(ぶどうの房の如くの小規模感染)に至ってしまうからだ。
……だとしても、まずは生きることが基本的人権が憲法に記された日本であるから、それを柱と基盤にしてチャンスを手に入れる訳だ。「何よりも人目より人の意見よりも、第一に生きる権利」が、基本的人権なのだ。通貨はアテにならない。身近な地産地消のネットワーク(最小単位は、約9,300余効率の中学校区)である。

大阪の感染爆発の原因は、維新の議員が騒ぎ、知事が…
無症状感染者の追跡をしなかったことによる結果だ。一時はインドの死亡率を超えた。知事は他県の如く無症状者について、保育所を始め新型コロナ感染の主要ルートの感染検査を行わなかったからだ。無症状であれば検査をしないとしたことで、早期発見が出来ずに(1人は60人へと)感染行為を放置してしまった。沖縄と北海道は、観光客が訪れて感染を引き起こしてしまった。観光客はレンタカーその他で縦横無尽に出没するから、追跡調査は極めて困難なのだ。その国内旅行者の中心は中高年代層であり、分科会長の尾身発言は、政治の持つ嘘である。
大阪南港での、大規模ワクチン接種が6月7日から始まった。が、観光バスに定員いっぱいの高齢者を乗車させてピストン輸送を行っているローカルニュースのTV映像だ。同じく大阪の自衛隊の大規模接種も、のエスカレーター密着搭乗とか、1m間隔入り口の長蛇の列である。京都から大阪へ送迎する観光バスが紹介されていた。
新型コロナのアルファ(イギリス)株もデルタ(インド)株も、無症状感染者から出される息、そのマスクの隙間から出される目に見えない霧の中にウイルスが含まれているのだ。それは空気感染ではなく、空中浮遊をしている飛沫の霧だ。ちょうど大人の高さに漂うであろう、目に見えない無臭のタバコの煙や香水の如くにである。映像を見る限り、それを拡散させるだけの工業用換気扇や大型サーキュレーターは見られなかった。イギリス株のホテル同一階の別室感染がオーストラリアから報告されている。大規模接種会場には、国内の温度や風の流体力学の専門家を、1日1時間でいいから配置をする必要がある。
変異株ウイルスの知識のない高齢者が会場各所に詰め寄る、哀れ悲惨な光景だ。
ワクチン接種後数週間を経ないと、1回目も2回目も効果は生まれない。新型コロナの潜伏期間は5日と言われている。
そして、厚労省が発表したワクチン接種後の死亡例では、脳心疾患の病名が数多く並んでいる。すなわち、血液凝固の疑いがあるのだ。それは、日本では使わなくなって台湾に送ったアストラゼネカのワクチンと同一の不具合状況のようなのだ。さらに驚くことは、死因不明な場合の病理解剖もしていないようだ。ワクチン接種は、本人の法律で言う“自由意志による申し込みが重要であり、“大げさに見て懸念”があれば接種は先送りを要する。そのうち、“死亡に至ったことによる損害の請求事件”の訴訟提起も必至である。(国の支給は、一時金として4420万円を遺族に支給、後遺症で重度障害が発生した場合、年間で505万6800円の障害年金としている)。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784439.pdf


§ICT産業革命に欠かせない認知心理学は確立していた

20世紀を代表する心理学者ジャン・ピアジェ Jean Piaget(スイスの心理学者)を紹介する。ジャン・ピアジェは、1929年の国際連盟の時代から、現ユネスコ国際教育局長を1967年まで務めた。次に掲載したジャン・ピアジェの理念と柱は、世界各国で浸透したとされている。
ところが実際には、各国の心理学大先生に改ざんされたり、類似の柱を表現であっても似ても似つかぬ理念(理念のないことも含め)に書き換えられているのである。

IT Information technologyとか、AIとかDX 略称Digital Transformationと手を変え品を変え商業ベースで乱売されるシステム商品を使いこなせない人たちばかりなのだ。それは、他律的システムばかりで、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズの唱えている自律的システムにはなっていないのだ。他律的システムは現在中国が進める代物をイメージをすればよい。結論を話せば、、今から紹介するジャン・ピアジェの認知心理といった理念は全て抜け落ちているのである。

☆ここに紹介するジャン・ピアジェの理念と柱の如くに育った子供たちは、自律的システムを習得していることは間違いがない。たぶんアメリカで話題となっているギフテッド"Gifted"チルドレンはこの可能性が高い。また人事や労働能力の分野で有能と言われる人材も、ほぼこの理念と柱の如くの内容だけと、筆者は肌で感じる。

いわゆる大人は、_____
思考の社会化すなわち=社会に応じた論理の出現をさせている。そして混乱に対する活動の修正を行う。さらに良い均衡へと向かうには=特殊な抽象化そして一般化への傾向を強めていく。
ところが子供は、_____
観察と模倣によって学習をする。多くの学習は、その基本的価値について、遊ぶことと大人の仕事の分担によって学習を実行する。
「子供を自由のままにし、彼を自分で切り抜けるままにしなさい」そうすれば彼はひとりでよく学ぶだろう。子供の自律性(autonomie=autonomy)
最もよい計画を持つ人は最も富を得るだろう。最もよく人から認められるならば、その人は指導者になるだろう。

未熟とは観察の欠如または誤った学習の帰結ではない_____
【第一の原理】
個人が現実から作り出す表象が、我々が知覚することや心的に創り出すことを秩序立てる。ここで論理的手段に依存することを主張している。
【第二の原理】
それぞれの人間にとって、その段階的理論は、人類によって計画されたものでも、我々の周囲の人々によってそれらを課せられたたものでもなく、我々の固有な活動に基づく個人の構成の産物であるということだ。
【第三の原理】
この構成が、物質的でまた人間的な我々の環境との相互作用を通じてなされる、一つの永続的な再構成の産物と言う仮説を擁護する。
★それゆえ、どんな認識も、この原理に従って考察される。知的な働きによる当然の帰結である。

認識の4つの領域_____
①保存=
  表象の中に確かな安定性を保つ、論理思考を生み出す。
②因果的説明=
  理解しようという我々の意志による。説明は“なぜ?”という問いへの応答。
③数の構成=
  科学的論理構成に必要な、ひとつの要素を構成する。
④空間の構成=
  我々の行動のための根本的ひとつの次元
  空間の組織は事物の表象化を要しない。空間の中の自分の位置だ。
  この幾何は水平垂直の軸を前提にして、ユークリッド幾何学(距離:長さ、角度:面積、体積などの三次元概念)

★この“認識の4つの領域”については、各国の心理学大先生達が自己流に膨らませ様々な表現に書いている。思考発達段階説とかピアジェの発達段階説(認知発達段階説)とか、ジャン・ピアジェの理念と柱を解説するのではなく、各国の教育制度とか社会制度を織り交ぜて、新段階の学説を繰り広げてきたようだ。それは、ジャン・ピアジェの理念と柱に背いたものであって、“受け取る側の狭い思考に、解り良いからといって迎合させることは、真理を歪曲することだ”と哲学者カントが指摘したものと同じなのである。

さて、ここまで目を通した後に、_______
次に示す文部科学省の“子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題”をチェックしていただければ、認知心理学どころかジャン・ピアジェの理念と柱とは似ても似つかないことがわかる。先ほど述べた、学習にかかる第一から第三の原理、および認識の4つの領域とは大きくずれている。
これを現場の教員が無知無理解のままに、既存の教育指導要領の如くマニュアルとして用いたとすれば、それは不幸かつ“大人への成長が止まった”教育を招いた現実を深く把握理解できる。「義務教育は学校に通わせろとは言っていない、学校に行かせると害がある」と、今どき叫ぶ人には、根拠があるのだろう。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/053/shiryo/attach/1282789.htm


§この国の感染防疫体制を潰したのは誰か、そのヤリ口とは

新型コロナ感染は、経済危機に陥る寸前の状況に、その引き金を引いてしまった。
だからといって、引き金を引いただけで大した感染症ではないとするのは暴論だ。人類の歴史の中で、天災や戦争で都市や国家が崩壊した例は無いのは事実である。都市や国家が崩壊するには、その被害の復旧や救済の国家国民の意志意欲を“まとめ上げて組織化”できなかったことが原因となったことは間違いない。だから、具体的な防疫体制の復旧は経済の危機からの脱却と立て直しには不可欠である。新型コロナ感染対策をやり遂げたとする国々でも、イギリスやインドとかの変異株の発生で右往左往や浮き沈みをせざるを得ない。けれど、経済危機の脱却と立て直しは進みつつある。だが日本は転落の一途をたどっている。
一部の地方自治体は、まだ少ないけれど住民サービスの法的義務もあることから具体的に立ち向かいつつある。個別企業でも経済危機の中でも長期希望が持てる展開を進みつつあるところが増えてきた。地方も職域も“民間防衛”である。
★“潰したのは誰か、そのヤリ口”をハッキリ言わずに、単なる愚痴に近い批判、集票目的に感情を煽る批判、総理大臣はじめ元から無能な人物の追求ポーズといったものでは、発言した人物は目立つだけで、そんな水準では新型コロナ感染対策も経済危機の脱却と立て直しにも何ら効果は無い。むしろ、解決や進歩を進める道程を惑わす価値観やその対立を激化させる材料を振りまいているだけだ。ことわざ風に言えば、「正しくない人間に、材料を与え知恵を施せば、悪が復活する」ということだ。

国の感染防疫体制を潰したのは、この輩だ。
国立感染研とその系統の保健所の系統、及び厚労省の医系技官(臨床に関心の無い者も多い)の系統の二つである。彼らは、自分たちの地位とか存続のために、彼ら自身がなりふり構わず、国民とか最前線の臨床医師を犠牲にする姿に現れ、それすら省みない人物達だ。
その状況で彼らは、事実上医師免許しか頼りがなく、現場での臨床医療での能力もなく、臨床には関心もなく、学業成績の良さで医系技官に就職した輩ともなれば、厚労省内部での地位は激落しているからこそ、ここで彼らは象徴面で何とか維持し旧態依然からの組織を守ろうと画策しているからだ。能力もなく地位が激落していれば、科学的見地とか感染防疫をそっちのけで、しがらみに頼りのさばる道(戦略)を選ぶわけだ。
明治からの体質を温存し続ける寄生する彼ら輩は、本来的なエリートではなさそうであるから、科学的知見でもって他に比べての優秀さを誇るとか、国の感染防疫や医療のイニシアチブを持たされなかった。したがって、戦後も憲法25条の欧米よりも条文としては先駆的な、具体的に社会福祉、社会保障及び公衆衛生を制度として憲法に設けるといった、公務や責任からは外されたと推測する。筆者の経験と知るところでは、旧厚生省の政策は、「余計な事はするな」と言い聞かされてきた感がある。したがって、ことごとくが現状追認の姿勢を取らされ、寄生する彼ら輩は責任を逃れるような行動パターンとなっているのだ。政策立案には現場の動きをリードする課題も含まれるのだが、そのための科学的知見(自然科学、人文「精神Mind」科学、社会科学」の見識を持たされていない。現場サイドの話し方でいけば、建物や電算機を作ってもソフトが不備、体制におけるソフト(医療従事者の教育育成:生涯教育、最新医療と人員配置、様々なトラブル策)といったものが考えられないのである。このコロナ禍にあっても、医師の長時間労働追認の一方で法律や規則でガンジガラメとか、看護師資格者の離職や資格潜在化への無策など。次々と医療や感染防疫の総合科学的な進展が著しいにもかかわらず。
そもそも、そんな寄生する彼ら輩は、対立する勢力の間で行われる象徴的闘争では、価値観の解釈をめぐる対立の形をとる。自らの勢力に有利に働くように価値観を解釈するし、そこでの個人的立場は関係がなくなる。なにせ官僚の世界では、特定の“支配的価値観”をうまく操る能力が幅をきかせるのだ。彼らには、総理大臣に担当大臣を手玉に取ることは、あっさりできる。

ヤリ口を支える、医師の地位をめぐる背景
今世界的に見て、医師の地位は、医療の有する科学力に由来はしていない。
医療技術の進歩は、そのほとんどが科学者によるものだ。したがって現在の医療は、医師の手仕事から科学へと変化してしまっている。そして医師は、複合的な近代医療の歯車に過ぎない技能者と化している。
そこで医師たちは、実のところの技術面でその手を離れてしまった独占的医療体制を、象徴面で何とか維持しようとしているのだ。加えて、TVやNetには民間治療薬?が溢れかえり、その説明はほとんどを、“ヤブ医者”が行っている。あの街この街で開業する、“ヤブ医者”は、ほぼ居なくなってしまった。
国立感染研(保健所)と医系技官に寄生する彼ら輩は、昔とは変わり果てた医師の地位を手玉にとって、混乱する医師や医療集団に対して、ここぞとばかりに、彼らの象徴的支配体制を無理強いするわけだ。尾身茂の今の出身母体である地域医療機能推進機構の傘下には、昔で言う厚生年金病院、社会保険病院、船員病院など全国57病院を持つが、新型コロナ感染患者は今年になっても、ほぼずっと受け入れず、やっと今全病床の1割程(計150床程度)である。

異なる者たちの支配には“聖なるもの”が便利
彼らの実態が、そこまで落ちぶれると、世間体の世界では、“異なる者たちを統治するには聖なるものが不可欠”だとする中世暗黒の手法を見出してくる。だが、それは彼らが有能だったわけではない。
日本の病院システムはキリスト教のカトリックと共にやってきたが、ここでは神父たちが聖域活用手法を持ち込み、そのテクニックとして医師達を一般人から別世界へ分離・交流禁止し、実際に聖域場所を設け、象徴や祝祭事を介した行事をおこなった。その名残で、聖域を創るため、“医師の従者が検査技師や看護師であり事務員は召使”の扱い、民間企業とは別格の院長室の設置、TVでも馴染の院長回診(神父の行列と同じ)というわけだ。社会科学の視点からすれば、「事業に係る資産を世襲とするシステムで、自ずと封建制度が都合良いものとなる」カラクリと同じ訳だ。
中世カトリックの病院は神父が取り仕切っており、そこへ医師たちが徐々に浸透していったものだ。そもそも原始的病院は、悪臭が立ち込める疫病の巣窟であった。19世紀の病院での出産は病気感染を伴った。それらは医師は神父や聖職者と同じだから手とか器具を洗わないため=医師からの感染であった。とにかく病院は中世カトリック流に、社会不適格者を閉じ込める目的であったから、精神異常・身体障害者・感染症の恐れから防疫隔離する場所となったのだ。すなわち、彼ら医師たちは“海外伝来のカトリック病院”の実態から、自分たちに都合の良い物事を選びつまみ食いをしたわけだ。戦前の陸軍病院とて同じで、古来からの神道とは別物の国家神道まで編み出し聖域を設けた。
さらに、今年の総理大臣をはじめ、元より無能な人物を操るとか、言うことを聞かなくても首にはされない手法とか、対立する勢力の間を象徴的にうまく立ち回るとかの技法も、カトリックの神父たちから学びとったと考えるのが妥当なのだ。一方で傘下・支配下の医系技官や医療機関では、中途半端な学業成績者のプライドを操り、事務員や修道女(召使や神の奴隷?)如くの非効率的労務といったマネジメント以前の扱いを維持するのである。
(特徴的だと感じることがある)ギリシャ哲学は、人の言うことを聴かない政治体系でのものだから、人を誤魔化す修辞学やレトリックが発達した。あげくにギリシャはローマに負けるわけだが、ローマは合議制だから、良心Conscienceに基づくものであれば誰の意見でも聞こう(ローマ法の理念)となるのだ。そこでも、ローマカトリックは、ローマにあってギリシャ哲学を継続し普及し、カトリック独自の修辞学やレトリックをさらに発達させ、あげく中世暗黒時代に理屈・屁理屈(聖書の書き換えもなんのその)に磨きを掛けたのだ。1965年までカトリックの儀式はラテン語だった。日本には明治時代になると西洋修辞学として入ってきた。なお、日本でのキリスト教はローマカトリックの情報と論理構成ばかりで、カトリックと戦った国及びカトリック内部での論理構成は知られていない。

医療の危機の中心には、3つの価値観の錯綜がある
【第一 伝統的価値観(戦前の軍事防疫など)】
どの国家でも、様々な宗教団体と協力して、医学の名の許に卑しい身体でもっての人体実験を行い、ひいてはそれが他の人々の生命維持のためと表向きの大義名分を語る。戦前の大日本帝国陸軍等の医療は、国家神道?天皇の神と協調して、負傷兵員等の修理に処分(自決という殺人ほう助)に携わった。パイロット、航海士、機関士は墜落や沈没等で海に投げ出されても救助はしない大日本独自路線だ。
2020年1月からの新型コロナ感染対策で保健所は、体温37.5度以上の患者のみに限り入院隔離せしめるが、治療を怠り(薬が無いと偽り、実際に人体実験も)、感染把握に必須のPCRでの標本検査をせず感染蔓延を放置し、ワクチン接種に至るまで輸入手配などを怠っている。
伝統的価値観の厚労省生医系技官や医師からすれば、“夜の街”とか不注意の輩は卑しいといった戦前如くの観念で、的外れの対策を怠った事は否めない。(ちなみに今、日本のコロナ感染の防疫中心部隊は国立感染研だ。旧陸軍・関東軍731部隊(細菌兵器と生体実験)を管轄していた関東軍防疫給水部の東京拠点施設に現在も城?を構える。)
★新型コロナ感染で、この価値観で取り仕切ってきた医療機関が、まっ先に崩壊したのだ。新型コロナ感染受け入れ大病院のTV映像を見れば、異様である。潜在看護師(約7万人とも言われる)の活用なんかは眼中にない価値観が心中の実態のようだ。

【第二 産業優先・産業社会的価値観(唯物論的)】
安全重視の価値観である。欧米と比べ日本は戦後になって病院が厚生行政に定着をした。治療の内容は、痛みの根絶、病気治療、臓器不全の修復、寿命延長、病院産業発展というわけだ。これは現在日本の中高年以上の方の病院に対するイメージだ。しかしながら、病院の政策運営は戦前からのものを引き継いだことから、表象と金銭が産業優先に変わっただけである。
また、日本国中、いつでもどこでも同じ治療が行われる実態上=旧厚生省フランチャイズチェーン方式と揶揄される保険医制度と治療指針といったケースが多く見受けられるのだ。町の一般開業医などは、保険医療機関の制度によって充実安定することとなった。
ところが、こういった第二の価値観に
相対する“個人世界主義”が世界的にも広まっている、日本でも圧倒的だ。
半世紀前に叫ばれた唯物論は廃れてしまった。個人世界主義者は、自分自身の自己の充実感とか苦悩、自由に自己陶酔的に没頭する場合、「自分は大いなる世界のために務めを果たしているのだ」と感じるようだ。どこかに所属するとは考えないし、誰かに依存して生きることは、無意識の実態は在ったとしても、所属や依存の自覚は無い。彼らは新鮮な経験や活力の源泉を求め資するためだから。
★“個人世界主義”のエピソードを次に紹介すると。
・「社会保障のサービスを受けたらいいでしょ」は、口先とは矛盾するけれど彼ら“個人世界主義”の本音なのである。
・大いに親睦はするけれど、親睦だけで窮地に手は差し伸べない。
・友愛が求められる反面、快楽的祝祭的友愛のみが発展する。
・住民交流イベントは成功するが、高齢者の孤独死は増えている。
・本物の伝統を求めるが、伝統の併せ持つ面倒なしがらみが無い限りだ。
・世界や人道や環境の大義に取り組む本音は、自分という作品のためだ。

【第三 全人医療その他の医療産業へ】
この段階での健康政策方針は、総合的に見て「生命に充実を与える」といった用語に集落されている。それは、「健康でなければならない」とか、「充実して生きられるように保障する義務が医師にはある」といったこととなり、病院は病気を治すことに本質が在るといった範疇を越えつつあるのだ。傷病治療を超えて、幸福に向かって奉仕する科学技術を標榜する。
キリスト教でなくとも「身体と心と魂が一体である人間(全人)にキリストの愛をもって仕える全人医療の理念」には留まらず、言葉巧みに患者の心理や社会的側面なども含めて幅広く考慮しながら、個々人に合った総合的な疾病予防や診断・治療を行う医療へと医療産業が向かっている。
平均寿命の伸びる主な要因は、衛生状況の改善からである。
個人所得の向上は居住暖房の充実を促し、重ねて疾病率の低下を促す。すなわち、高度経済成長末期のイギリスの調査によると、死亡率とアルコール消費量は連動している。同じくイギリスの調査によると、管理職の呼吸器や消化器の癌は、他の職業と比べて10分の1との階層社会ならではの結果も存在している。
そういったことで傷病治療は、以前の患者個々人の価値観に左右されてきたの状態から、経済効率よりも充実感を大切にする医療へと傾斜し、全人医療と称して、従来イメージと比べて代替医療とか類似療法あるいは緩和医療や鍼療法というわけだ。戦前の伝統的価値観からすれば、“医師の従者が検査技師や看護師であり事務員は召使”の扱いだが、ここでは付き添い看護を高く評価し幸福に向かって奉仕?するようになり、その奉仕でさえ科学技術を用いようとしている。保養所のイメージ、高級介護施設のイメージ、家族その他との同棲静養までも全人医療案として出されている。ここには、現行の保険医制度が適用できない部分が、現状の疾病(概念としてはdisease)なのか傷病(illness)なのかの概念を超えて、全人といったような幅をきかせる。だから、新たな医療産業に向けての権力闘争を生じさせている。

医療関連に携わる人たちのほとんど共通点は
自らの職業を魅力的なもの乃至は聖職と考えて従事している男女である。そして宗教とは異なる信仰めいた考えを持っている。それは、今述べた3つの価値観の錯綜においても引き継がれている。だがこういった常識的な共通点も、感染研や医系技官に寄生する輩は操ろうとする。
①健康、延命、知識、教育は望ましいこと、絶対に達成すべき目標との思い込み信仰。
②医療や学校は、望ましいことを実現する、唯一の道筋だとの思い込み信仰。
③医療関連に従事する人々は信頼に足る人物で、医師や教師は有能で道徳的な人物との思い込み信仰。

そして多くの人たちが思い込もうとしている医療とは、小さな傷病から美容不具合まであらゆる問題を「科学的?」に解決できる、とされている。医療は、神経症、恐怖症、精神不調に至るまで、この権利を尊重させる正義の味方になっている。正義の味方ばかりか具体的に幸福を導くと拡大解釈もされている。

ところが現状の医学を厳しく詳しく見てみれば、科学が世界を説明する知識のプロジェクトとしての信憑性を既に失している。少なくとも医学によって充実感を増大させるには、ある程度役立つものの、残念ながら不完全で改良の余地を大きく残した道具になり果てている状況は否めない。間違ってはいけないのは医学が信憑性を失い、改良の余地を残した道具である状況から、医師の手仕事の濫用や類似治療を未然防止する意味から、医師や看護師は書類や法律でガンジガラメにされているのだ。すなわち医療の汎用化の動きに対抗して、医療の逆への運動まで生じている。

医師たちの中に、“患者との対人関係を独占”してしまおうとする行為とは、科学的実力が伴わないから、医師は立場とか地位に依存しなければならず、あげく「私の患者、他の方の患者ではない」と言い出して、電子カルテ化などに反対する価値観を持ち出し披露するわけだ。
また、看護師の「患者により添う」という口先の美辞麗句となった言説は、その実は業務の体裁を取り繕うことであるが、これは世界中の先進国での病院の中で発生している共通事項のようだ。看護師の地位や待遇が安定していない、あるいは不安定な医師からのシワ寄せを受けて看護師たちがいじめられている場合は、当たり前に「患者により添う」という口先の美辞麗句は浸透してくる現象だ。ここでも、表面的建前と実際実務との間に矛盾を生じている。

【感染研と医系技官に寄生する輩にごまかされない】
◎第三の全人医療その他の医療産業に向かっての流れの充実を図ることが、寄生する輩に再びごまかされない基盤である。
★「今の感染状況で開催は普通はない」との尾身茂分科会長の東京オリパラに関する発言を額面どおりとってはいけない。寄生する輩の延命策の下心、例えば、彼ら寄生する輩の居場所の恒久保障と毎年の収益事業の見返り等の要求があると見るのが妥当だ。さっそく、6月4日朝に厚労大臣は、これを公式意見として受け入れないと反駁している。
第一の伝統的価値観での医療機関は、新型コロナ感染によって崩壊した。
第二の産業優先・産業社会的価値観の医療機関は、Afterコロナに顕わとなる経済危機と共に崩壊する。

①第三の“全人医療その他の医療産業”に向かって、住民要望に応える全人医療経営。
②医師たちの、“患者との対人関係独占”では操られる。自治体や町での分かち合いShareである。知っていることを共有するのである。患者の秘密を守りながら、開業医も病院も、分かち合いShareは単独から開始できる。
③「患者により添う」という建前と実際実務を、ひとつずつ具体的一致させる障害を除いていくことだ。障害を取り除くことで、能力は向上し効率は良くなり、医師も看護師も共に地位や待遇が安定する。安定してからの改善では一向に進まない。意識改革の教育や議論を行っている時間は無いのだ。

その際に話題となる概念が、“幸せと満足”である。近代以後の学問的解明で、「“幸せ”とは=社会や集団の中で自由拡大を認識する状況(カント)」そして、「“満足”とは=様々な集団の内部で他人と比較して平均以上であると認識する状況(ダニエル・カーン)」であることが解ってきた。したがって、“厚生”を充足するだけでは、閉鎖された社会関係内部にあっては満足するかもしれないが、“厚生”自体も単なる“幸せ”を追求する道具のひとつに過ぎず、自由をもたらす一助に過ぎないということだ。そして、「“自由”とは=生活全般にわたり、自らの希望する他人に対する特定の人間関係を、労働生産や消費その他の行為を通じて自由を感じ取ること。その場合には義務も自由として感じられる(ジンメル)」にまでに、文化についての共通解明に達したのである。すなわち、いくつかの選択肢から、そのいずれかを選ぶといった行為は自由ではない。