2024/05/07

第265号:大転換と崩壊へ 前向きの守りを

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
世界金融資本台頭は、いよいよ崩壊に(唐突だが事実だ!)
ほゞ、いつも世界トップの競争力 デンマーク、その内幕
潜在能力を躓(つまず)かせる、根拠の無い会話の具体例
ChatGPTの限界&IT業者の罠
発明とかイノベーションの触れ込みは、やってみないとわからない


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
混乱。日本への物資輸入制限へ→代替品の“国内自国生産需要”増。
 大手企業のリストラ社員は、年齢問わず“イノベーションの妨害者”だ
  タテ社会を悪用する=「マウント」者を、今のうち、周囲初め“整理排除” 社内外から、潜在能力を導き、現場から底辺から創意工夫をカキ集める
§世界金融資本台頭は、いよいよ崩壊(唐突だが事実だ!)
1980年代初頭から世界金融資本の台頭。この崩壊から次の経済体制が出来上がるまでの数年は、明治維新以来の大転換となる。そのピーク時は混乱が予想される。この世界金融資本の台頭を、“グローバリゼーション”という人もいれば、“DS:ディープステート”と言う人もいる。そして今の瞬間、この台頭は崩壊を歩んでいる。この台頭から崩壊までの研究や分析については、実のところ、経済学者とか日本政府やシンクタンクは軒並み、その内容につき触れては来なかった。学者は、せいぜい、日米自動車摩擦とか日米半導体摩擦といった現象指摘のみ、今もって現象をオウム返しに取り上げる程度に過ぎない。ところが昨今、様々なインテリジェンスIntelligenceや経済統計など(Information)で照らし合わせることで、その概要が明確になりつつある道に差しかかっている。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/09/blog-post_4.html#257-01

今回の混乱のピークが始まるや一斉に、日本への輸入制限が掛る。したがって、今まで輸入していた物資の代替品の、日本国内での自国生産を要することになる、その意味ではチャンスだ。その実際のイメージは、国内生産産業復興の姿(地元密着:地産地消)が妥当だ。
https://soumubu1.blogspot.com/2024/04/blog-post.html#264-05

日本は、戦前戦後を通じて多くの輸入を念頭にしてきたことから、チャンスを生かす“閃き”は、「良いものを少しずつ国内生産する。」といった、人々の哲学をも変えてしまうことも必要となる。“生産や経済活動”に関わる、日本のグローバル経済やサプライチェーンは、根本から仕切り直しである。外国資本とかディープステート?とかいったものとの関わりがない、国産の産業復興である。これを大手商社に期待はできない。日本人の技術力は低くはないし、労働力の個々人の質も低くはない。

問題は、
“日の丸”の“タテ社会”での経済・社会・産業構造が、
その能力発揮や進展を阻止しているのだ。
昨今の地震で露呈した土木建築の手抜き工事。
製造工程における“手抜き”を、
「検査ミス」と言い換える“タテ社会”の幹部や官僚の保身。
もう、これから、それらは存在しないと考えければならない時節だ。

大手企業などで所持保有する経営資源の“モノ”さえ良ければ、大手企業などは“外資に身売り”をすることとなる。→株主や経営者は入れ替わり、そこでのタテ社会にドップリ浸かっていた「タテ社会型人物(初対面で、先ず年齢を聞く失礼な態度者など)」は、真っ先に大量解雇だ。して、大手企業の“タテ社会:組織的ノウハウ”は、崩壊とともに、「何も残らなかった。」となる、社会の大転換だ。江戸時代のシキタリが明治以降に引き継がれなかった如くにだ。










§ほゞ、いつも世界トップの競争力 デンマーク、その内幕
 日本の中小企業には、世界中の経営での成功事例の“経験法則”を科学的にまとめた、いわゆる「経済・経営学」は、全くと言って良いほど“普及”していない。むしろ迷信であり、封建時代の“権力者の利益のための「都合の良い理屈(レトリック)」の話”ばかりである。加えて日本の戦後は、大手企業の系列あるいは傘下となることで夢が叶うような経営幻想も組み込まれた。そのために、科学的学術的な「経済・経営学」までもが都合よく“ツマミ食いされねじ曲げられ”て普及されたと言い切っても否めない。
 例えば、イノベーションの日本語訳を、通商産業省は、≠技術刷新≠と変質させ、とても似ても似つかぬ物に言い換えた。また現在でも、「マズローの欲求5段階説」が、国の資格試験(介護士などにも)出題するようだが、マズローは、その5段階説でノーベル賞を受賞した訳ではない。とにかく日本の“タテ組織”は、トップに都合よく従順に動くような“子分”育成のために、表で立派で有名な看板を上げていても、中身は“勝手に変質させた教育”と言っても過言ではない。
 実に、戦後の昭和と言われる時代では、中小企業経営者の間では、旧:陸軍式の“教育や組織運営”の講演が横行し、或いは、「旧:海軍式組織はインテリ風」だと受講する経営者も多かったのだ。筆者が現職をやりだした時代は、そんなものばかり。従業員を「兵隊」と、うちわでは経営者は言っていた。だから筆者は、“株式会社総務部”を、みんなで創立したのである。
 すなわち、筆者の私が言いたいことは、そういった縦社会とか、まるで高校や大学の体育会系部活(それしか真似が出来ない)を社内でイメージしていたのだ。更に、夜の接待水商売の悪知恵が、女性の“お局”らから持ち込まれ、「女性流:マウント」にも至った。ちょっとした日常的な教育訓練のあり方が、社員や若者の“嫌気の誘発”につながっているということだ。とにかく、迷信と非科学と“デタラメ話”が蔓延し、タテ社会を悪用する=「マウント」者が、会社や事業業務よりも保身を図っている事態が今現在だ。
 「退職代行」が流行しているが、数十人単位の若手職員集団離職も、今年になってアチコチで多発している。=それは、真実のところ現在日本は人手不足ではない=少なくない企業が時代に見放され、若手から捨てられている事態なのだ。“ゾンビ企業”とあざ笑われ、そんな企業には、援助など誰もがしたくない訳だ。“人手不足”の相談は、私のアドバイスと社内キーマンの英断で以って、さっさと解決解消は出来ている。「人手不足対策は、“事業の総合理念の課題“なのだ」。
そこで、デンマークでの、事例の紹介なのだ。社会ごと創り上げている。
社内外から、潜在能力を導き、現場から底辺から創意工夫をカキ集めている。
いくつもの書籍&研究にインタビュー。それを、日本の課題と併せ整理した。
 デンマークは、世界で最も競争力の強い国だ。
コロナ禍にあっても上位3位内のいずれか(スイスMID毎年調査など)である。北欧のバイキングゆかりの国、人口600万人弱(豚は500万頭強)、企業数は約52万社(そのうちグローバル企業は2,000社にも満たない)。それでいて、同じくコロナ禍にあっても国民一人当たりのGDPも世界で上位だ。
デンマークの中世頃は、バイキングの挨拶と礼儀は重んじるが、
こじれれば、“武力”を背景に決着をつけていた。
けれど、どこの国よりも最も早くに“東インド会社”を立ち上げ、船舶や航海の能力でもって、様々な交易を開拓していった歴史がある。世界に先駆けての奴隷貿易を始め、中世ヨーロッパの十字軍遠征の最中でも、数年間の停戦時期(バイキング出身のローマ教皇が就任)には、中東との交易も行っていた。
今述べた特徴ある当初の交易歴史を持ちながらも、

現代では大手企業も中小企業も、
賃金の高い社員を最小限に限って確保し、多くの成果を上げること。
その必要から、無駄を排除、適材適所、権限委譲でもって、具体的に徹底して社員に働きやすい環境を整備していること。
なので、社員も短い時間に多くの成果を上げるべく努力するカラクリなのだ。
こうやって、労働生産性が世界有数の水準に至る(日本は低い)のである。
報告によると、金曜日の午後、オフィスなどはサッサと仕事を片付け、皆が家路に着くから、オフィスはガランとしているとのこと。それでも会社は困らない。
話は飛ぶかのようだが、豚が増えたのは、イギリス人が、朝食でベーコンエッグを食べると聞き及び、一気に生産を増やしたとのことだ。それまでの名産はチーズだ。ナチス・ヒトラーが、デンマークの「チーズを鉄砲で採りに行こう!」と、侵略スローガンを挙げたくらいだった。
労働者の自律意識が高く、職業別労働組合が複数重複して各々で地域ごとに団体交渉をしていいて、労働協約改定交渉の行き詰まりとなると、(労組側は)ストライキ(経営者側は)ロックアウトの発生と応酬である。

大手企業の経営は、その概ねを、マトメルと次のとおりである。
売り上げの、80%から90%を海外で上げている。(日本の大手は平均50%)
40代の若くて優秀な人材を経営幹部に抜擢(ばってき)。
無駄を排除+合理的で柔軟な経営の徹底。生活保障制度の許にリストラも断行。
世界市場における、提供価値のポジションを巧みに確保する。
価格競争に巻き込まれないよう、高付加価値商品の巧みなブランド化を図る。
デンマーク政府は、内・外:共に自国企業を保護しない、自由市場競争で育てる。

中小企業の特徴には、次のようなものがある。
デンマークの企業52万社のうち、20万社の実態はフリーランス:個人事業主
(実態は労働者)であるから、以下の項は、残り32万社の内に見られる特徴。
(雇用者全体の64%を占め、付加価値率の60%程度を確保)
賃金支払いの大枠は、全国的労使交渉で決まるから、
企業や個人の保持している職業能力での企業経営勝負となる。
大手企業に頼る経営は無い。EU自由貿易圏=開放市場での競争力を持つ。
中小企業の売り上げの2割は製造業、次にファッションやデザイン、また、ICTといったサービス業の売上で輸出だ。いずれも「とんがった」商品の形態。
価格で競争できないから、“ニッチ戦略”に絞って売り込んでいる。
コンスタントに起業が行われるが、中小企業の寿命は短く、倒産や廃業は多い。
30年以上継続する企業割合は一気に減る。戦略的で柔軟=活発な新陳代謝。
デンマークには雇用保障は無い。が、いわゆる生活保障がある。それは、失業保険と充実した職業訓練制度が存在するからこそ、
こういった中小企業の思い切った経営も可能となるとのことだ。
失業保険と職業訓練の柱は職業別労働組合のイニシアティブだ。
ついでの話~日本では、政府の劣悪なベーシックインカム制度案を知って、
朝鮮半島の北半分を思い浮かべる人が多いとの状況が生じている。

【注意】目からウロコの、生活保障は日本との違い
ヨーロッパの失業保険は、職業別労働組合が、
組合員から保険料を集めて運営している。
日本の雇用保険における失業給付は、失業者が大量に出た場合を考え、国家の“治安維持”を柱に置いている。この柱は、一般外部には知らさず、社会保険労務士の資格試験の際にも出題しない。この事実は、担当する官僚の外には知らせてはいない。地震とかコロナ禍とかの際、直ちに国が動ける要因は、国の“治安維持”である。この点を踏まえて、筆者の私は本省担当の課長代理に、今まで電話をしてきた訳だ。(国家公務員も地方公務員も、誰に対しても聞かれた事はしているならば答えなければならないとの法律規則がある。兎に角、議員は役に立たない。この失業給付の柱や事実を知っていれば、電話で済む。政治献金も要らない。)勉強しない政党や労組も頼りにもされてない。
日本の年金制度は、厚労省の官僚は、いわゆる「江戸時代から引き継ぐ“手切れ金”」といった位置づけが年金政策の柱である。(ヨーロッパの場合、ここでも職業別労働組合が“共済制度”でカバーをしている。)これは官僚たちが賃金とか賃金制度を研究検討するにあたっての、彼らの基本的な柱である。“手切れ金”の財源の大半を、使用者と労働者とで折半負担をしているという訳だ。
~こういった事を知らずに、国会質問をしたとしても、個人などが電話で質問しても、「肩すかしを食らう」というわけだ。“手切れ金”の話も知らないでいるのだから、ちょっと程度で社会保険や年金の事務手続きを読書で学んだとしても、個別企業の制度に穴が開いていることすら(大手企業こそですら)気がつかないのだ。退職金は、後払いの賃金であって、こういった、“手切れ金”ではない。
この“手切れ金”の原資は、元はと言えば企業が負担させられ、国に投資とか何だかんだと使われてもいれば、大概の経営者は怒り心頭だ。事業主は、「知らぬが仏」さんなのである。

§潜在能力を躓(つまず)かせる、根拠の無い会話の具体例









イ)「何事も自信がある。」と答えた学生は、5年後の、追跡調査では、周囲から、“あいつは信頼が置けない”とか“あいつは嘘つきだ”などと思われる確率が高かった。高い自信は低い自信よりも悪影響が大きいとの結果だ。(イースノースタン大学)
ロ)タテ社会に溺れる。「マウント」を取り、相手を子分にする。初対面で、まず年齢を聞いてくる失礼な態度。親切そうなフリをするが、保身のためには嘘や作り話は平気。知り合いが多いとか、顔と名前の一致のみで“友達だよ“と吹聴する。でも実はデタラメ。
ハ)本人が選べない属性など=、性別、年齢、肌の色、出身地名、親の職業(世襲)、宗教と言った差別となる事項は、聞いてはいけない。潜在能力には関係ない事項だからだ。
ニ)「がんばり」にこだわる人ほど、不幸な感覚が増えていた。プライベートでも仕事でも世の中における問題の多くは、自分の力でコントロール出来ない。それにもかかわらずだ。「がんばり」を重視する人は、長く見れば体調の悪化につながる可能性が大きい。(ジョンズホプキンス大学)~「がんばり」を他人に押し付けてはいけない。
ホ)ミュージシャンの調査では、練習量が少ないにもかかわらず、一流に成れた人が大量に見つかっている。そういった練習の重要性はジャンルにより異なる。“ゲーム26%”、“音楽21%”、“勉強4%”、“専門職1%”の結果であった。(フロリダ州立大学)先輩づらしても、実は無能、もっともそうな話で「マウント」を取る。
ヘ)世の中で活躍するには、自己アピールは欠かせない。10万件を超える臨床論文を分析したところ、=「この研究はユニークだ」とか「この調査は前例がない」といった、強いアピールの記載が在る論文の方が10%も評判になった。(マンハイム大学)すなわち、“良い仕事さえすれば認められる”とするのは、実際には妥当ではない。
ト)「世の中には仕事が出来ないリーダーが多い。その理由とは?」との研究を行ったところ、男性のリーダーは、持ち前の自信によって社会で上位の地位に就きやすい。が、その傲慢(ごうまん)さと無能さによってチームを崩壊に導くことが多いといった事実を指摘する。(2013年:ハーバードビジネススクール)もちろん、人の潜在力を引き出さないのだ。
チ)「親の遺伝子」といった話は、全くのデタラメだ。親とか祖父母とかと言っても、後天的遺伝子は、それが身に付くには700年もかかる。では一体、遺伝子って何なのかといえば、様々な科学的研究をまとめてみると次の通りとなる。
先天的遺伝子に後天的遺伝子、それは共に生まれて以降の“初体験”によって、遺伝子のスイッチが入るか否かにのみ掛かっている。その遺伝子の存在ではない。
祖父母の孫に対するマンツーマン教育体験が極めて効果が高い説は有力だ。
ストレスは遺伝の大敵。良い友達やコミュニティーは、良方向に切り替スイッチを。
親の遺伝子だけでなく、安定安心した暮らしで、遺伝子の良いスイッチが入る。
「“生まれ”では人生は決まらない」親の育て方、教育、交友等の体験でオンオフ。
(筆者の経験法則では)生まれ育った地域での、幼少~児童期の初体験こそが、その地域住民の文化が支えとなり、遺伝子スイッチを左右するようだ。それは、思考パターンの細部にまで至り、空間把握力を初め、その地域独特の経済や商業、共同体そして、社会や共同体の運営などに至るまでの文化や行動の差異(例:純然たる近江商人の発祥地域:琵琶湖中東の文化や言語に伝承)にまで。


§ChatGPTの限界&IT業者の罠
「AIが自動的に情報を集め文書を作ってくれる?」~といった触れ込みやマスコミの、この手の話は、全くの嘘とは言えない。が、無駄や労力が多く、知的な判断や思考が出来ず、経済活動や社会や共同体においては全く何らの役にも立たない。



1st.そもそも、人間を介するコミュニケーションとは、“情報共有”のみならず“共感Empathy”の要素が存在して有効となっているのだ。またそこには、レポートや小論文ではあっても、起承転結などの、様々なリズムが存在しているのである。とりわけ、商品の流通や売買にあっては、この様々なリズムの存在効果は致命的である。学者・研究者の正規論文にしても、それなりのリズムの存在は否めない。=リズムがなければ、“豊富な思考や意思”は伝わらない。すなわち、行間であるとか、文章の奥底に存在する趣旨というもの、それの現われ予見すら出来ないのである。

2nd.そして、ここで取り交わされる情報とは、英語で言うインテリジェンスIntelligenceである。決してインフォメーションInformationではないのだ。(日本語の情報は、明治時代の翻訳当時、欧米での深い中身の存在であること自体を知らなかった。アメリカCIAの、Central Intelligence Agencyなのだ。)更に、近年の神経科学や脳神経科学により、共感Empathyの重要な役割が解明されてきた。
https://soumubu1.blogspot.com/2017/01/blog-post.html
古く辿れば約250年前、経済学の父と言われるアダム・スミスの著作に、この共感Empathyといった概念が記されている。共感=Empathyといった用語自体が、1904年に作られた造語でもある。それは、(上から目線の傾向を持つ)同情=Sympathyとは全く異なるものなのである。
https://soumubu1.blogspot.com/search?q=%E5%85%B1%E6%84%9F%E3%81%A8%E5%90%8C%E6%83%85%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84#240-12

3rd.筆者の私も、情報収集とか情報確認のためにChatGPTを使うことはある。だが、その現れ来る文言は、全く吟味の無い一方的発表を拾っている(他人から相手にされず)とか、他の研究成果を知りたいと“論説付き質問”を投げかけたとしても、驚くことに、「総務部メルマガ」からを参照とする回答(要するに私が過去に書いた執筆)範囲内のものが何件もある状況なわけだ。
4th.すなわち、私が今上に挙げた、2つのChatGPT操作結果の現象は、その限界が、「誰かの作った企画やマニュアルの範囲内」でしかない限界を本質としているということだ。はっきり言えば、“型にはまった縦社会”を微に入り細に入り踏襲(とうしゅう)しようという支配管理意図の道具にしか使えないということなのだ。

5th.これからの経済活動で重要なイノベーションとか新商品開発の役には立たない。=管理社会における管理をされる側の“賃金労働者”を、“人間(有機体)ロボット”に仕立て上げ、極めて限定的なスキルSkillの許に指図するといった、雇用にだけは好都合だ。それは、本当のロボット開発に比べれば、“人間(有機体)ロボット”は極めて投資費用が安上がりだ。人間(有機体)ロボットの指揮命令やコントロールは極めて簡単であり、いわゆるタテ社会の全体主義式運営をして、細やかに権力への恐怖を背景に洗脳しておけば、事足れりなのだ。~だが、それでは=組織や共同体での、極めて価値を産まない“利潤の無い事業”の範囲である。この程度では、投資の無駄だ。

6th.ところで、「新自由主義」を標榜する輩は、必ずや隠れた部分で、刑事法とか取締法の違反を犯さざるを得ない末路(ことわざ“貧すれば鈍する”の通り)なのである。彼らには、他人や若者の潜在能力を導き出して豊かに事業経営や社会共同体を運営するとの有能さが全く無いモノだから、世界金融資本のグローバル経済崩壊を機に、現在では次々と悪事の暴露をされるという訳なのだ。

7th.これからの時代は、他人や若者の未曽有の潜在能力を引き出し、横型組織で以て、新たな価値を醸成し産みだす、ICT産業革命が花開くわけだ。それが理解できない状況(セクトやカルト)の、タテ型組織にあぐらをかいた者たちは保守系・革新系を問わず、社会通念の道徳や宗教観とは裏腹に、彼らの如く、縦型組織内での、出世や保身を図る者たちは、“何れにしても貧困”と“刑事法とか取締法”を破ってしまうから、「他人や若者を抑圧」する(彼らの、初対面における常套手法は、先ずは幼稚に、年齢を聞くことから始まる。)訳だ。

8th.ちなみに弁護士。弁護士の場合は社会正義(日本では自由平等の意)の充実を図り、その制度の維持向上を社会的責務とするからこそ、それなりの報酬も成立するわけである。単なる手続き代行業だと、高い収入は厳しい。加えて、ChatGPT設備への投資および操作と運用経費での採算も割れる。ちなみに、単なる事務補助者では、その操作が出来ないから。

9th.また社会保険労務士、の場合では、憲法に基づく国内の社会権を充実させ維持向上を社会的責務としており、相当の収入や報酬が見込まれる。手続き書類作成といった事務作業代行であれば、行政機関の下請的存在価値しかない。だから、数量をこなさない限り、公務員よりも収入が低いのが当然の帰結だ。ここでもChatGPT設備への投資および操作や運用の採算は割れる、国家資格者の事務補助者が携わるにしても、売り上げに掛かる人件費は不採算だ。加えて、事務補助者では顧客が共感Empathyする書面は書けない。

10th.話題の医師の事務作業負担。医療のデジタル化は、当初のIT企業の売り込み話からすれば、すでにAIが引き継いでいた時期のはずだ。ところが、現実には、IBMは2022年にヘルスケア事業から撤退した。とにかく世界中で電子健康記録システムを導入すると、医師の仕事量が増え、更には患者診察時間が減っている事態なのだ。
まして、世界的に患者の個人情報をねらうハッカーの動きが著しいとのこと。今年の3月21日に初めて、「医師の10倍の速さで事務作業」との研究結果報告が、ウプサラ大学病院(スウェーデン)の整形外科医らから発表された。が、これが世界の医療機関でのニュースになっていることの意味は、研究は未だ初歩程度であることを示しているのだ。
日本における医療のデジタル化は、筆者の私が見たところ、具体性は表面づらだけで、行政官庁の“掛け声程度”しか見当たらない。それは、ChatGPTで検索をしても、見当たらないのである。
話題のマイナンバーカードともなれば、どうも、「IT業者にハメられ、政府は高値でガラクタを契約締結させられている。」としか、IT業界慣習を知る筆者の私には思えない。(筆者は40年弱、派遣法施行を初め、プログラマー派遣水準やSE技術者派遣水準の育成、そういった時流にも乗ってIT業界の人材育成やメンタルヘルスに関わった。うつ病や新型うつ病の抜本対策も然り、=厚労省は無策・無効果であった。)

11th.ChatGPTの末路の予見
これを筆者に言わせれば、こういった商品開発業者の罠・売り込み・幻想に惑わされて、相当なる時間の浪費と無駄な設備投資の資金を払わされるだけの、“ソフト代物”だ。それに留まらず、おまけに、乗せられる人たちは、再び“金融資本の罠”によって借金を重ねるだけである。
だがそれだけでは終わらない。
時代の大転換=ICT産業革命の渦の中で、貧乏クジを引く人たちを増やす(外的要因)ばかりか、「自ら貧乏クジを引く」思考劣化に陥れる危険が待っている。すなわち思考力が益々未熟となり、「短絡的な情報(インフォメーション)の濁流に飲まれてしまって、自律性は叶わず、思考作業は漂浪するばかりなのだ。
ちなみに、社会とか世間の違いも解らぬようだから、“自ら個人の立ち居振る舞い”も混乱する。そして、様々に、多様重複重層した各々の支配者に、無意識のうちに抑圧され、押さえつけられることとなる。挙句は、せいぜい“極めて自己中心的思考”(必死で防衛的に)しか持てなくなる。
更には、共同体の中で、“自由・平等”に暮らせているか否かのチェック道具でもある、科学(いつでも・何処でも・誰でも通用する法則)・道徳(相互行為の善悪判断基準)・倫理観(職業水準維持)の3分野からの評価が出来ないこととなり、周囲の同調圧力も含め、「自ら貧乏クジを引く」錯乱なのだ。加えて、「どれを選ぶかは、お前の自由だ」とゴマ化され自己欺瞞に逃亡する。それが自由ではなく、支配者の言いなりだとも解らずにだ。(自ら新自由主義者を標榜する者らも然り自己欺瞞。ないしは詐欺犯罪者だ。)~~要するに、こんな有様では、IT技術者としてのイノベーションが行い得ないのが末路だ。
12th.ChatGPTは、「自ら貧乏クジを引く」思考を蔓延させるための
“低思考力化の道具”に過ぎない。現在のIT機器による音声文字入力ソフトで以ってしても、未だ数千文字程度の論述も出来ないくらいに思考力が未熟化されるのだ。「会話なら出来る。」と、虚栄心で表面は息巻いて居ても、論理構成は実にバラバラの矛盾だらけ(ヘイト集団がその典型)に過ぎない。~「そんな労働力とか人物は役に立たない。」なので、技術者の報酬は逓減の一途をたどるのは当然(自らに因る貧乏くじ)だ。
すると、低思考力の官民共の官僚や支配者は、「消滅させてしまえ」との手段は、疫病を流行らせるとか、医療・福祉を打ち切る等の、“人間殺処分”を提案し、またそれを平気でやる。この日本で、官民の官僚には、既に実際に居る、2020年の疫病流行時のように。ChatGPTの末路には、出世や権力者に成る道具に、“人間殺処分”を持ち出す、功績など順番待ちの、左右の全体主義者や宗教集団幹部その他も含め、こんな低思考力化の危険を招来する社会に向けての、ChatGPTによる低思考・思考劣化=文化の全面堕落の危険が存在するのだ。
ここに社会の予防原則と措置は不可欠なのだ。
低思考力の人物だ、だから彼らは賛同する
そもそも、AIやIT機器には、知的な思考などは、出来ない。
だが、そんなことが可能なような話題や幻想が流されている。
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§発明とかイノベーションの触れ込みは、やってみないとわからない
今から60年ほど前、当初のガソリン燃料には、毒性のある鉛成分が混入されていた。それは自動車エンジンがノッキング(異常燃焼によるエンジンの不具合)を起こしにくくするためのものだった。ところが数十年後には、人体にも環境にも有害であるとの証拠が次々と出された。排気ガスには重金属も含まれ神経障害の原因となることも判明し、有鉛ガソリンの使用禁止となった。当時、日本でも少なからぬ青年は、「経済成長の匂い」と言って、排気ガスに鼻をかざしていた。

原子力発電の、当初の触れ込みは、21世紀までに、原発発電は市場独占すると予想されていた。しかし、2020年段階の割合は10%に過ぎなかった。また、原発は安全だとの強弁ではあったが、1986年のソ連チェルノブイリ原発事故、2011年の福島第一原発事故、これによりドイツは脱原発の政策転換をした。ちなみに、ドイツの科学に関する伝統の特徴は、「科学は物理学と数学で成り立つ。」と未だ少なくない人が、考えている国柄なのだ。

発明とかイノベーション、さらには軍事兵器の類といったものは、業者などの売り込みによって、「社会などを一変する」とか「斬新で革命的」とか「武器の威力は絶大」といった風な、本当に実現するかのような、「食わせ話」を持ち込んで来る。日本のデジタル化構想に出てくるIT機器システムも、専門家が言うには、IT先進国と比べれば、「極めて後進的であり、実際に作動するのに大きな懸念がある。」とのことだ。日本の国が発注した行政システムの不具合は目立つ。簡単なシステムであれば、地方自治体がネットで無料提供されているプログラム(自治体からの補助金なし)で効果をあげている。
もとより、発明とかイノベーションの類といったものは、
多くの人々が納得し、大いに賛同し、公私共にそれぞれ協力することで、
普及しかつ社会の発展に寄与するので単なる創意工夫ではない。

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240507】
今月、お勧めできる書籍は有りません。

2024/04/09

第264号:新しい次代の波に乗る

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
【新時代の波その1】
公平公正な手順が、結果や善悪より優先
【新時代の波その2】
スマホ情報を見ているようで、チャンスに気づかない
【新時代の波その3】
新価値観の戦略→戦術→アクション
【新時代の波その4】
地元密着:地産地消などのビジネス基盤の創り方
天才を見つける、又、潜在能力を発見するには?
音楽家:デヴィッド・バーンの、実践:芸術Artの、生涯作から抜き出し
(能力育成に資するための、メルマガ記事掲載に当たっての解説)
 ・経済経営の社会科学的視点から、著作より抜き出した部分へ
令和6年10月からの社会保険適用拡大


§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
NISAは、売り逃げる能力が無いならば、早く売り逃げること。
 さて、新経済の波、イノベーションの準備は進んでいるか。
  4月以後、為替や経済影響の多い事件が多発。罠には警戒。
「一時的に円高になっても、最後は円安に向かう」


【新時代の波その1】
公平公正な手順が、結果や善悪より優先

事業とか企業には、自ずと社会一般への職業倫理(遂行のための技術技能水準維持を含め)が求められる。
今般の製薬会社事件では、その職業倫理の欠落が露呈した。殊に、「原材料の品質とか危険性」、あるいは「隠蔽体質の停止機能の常備」、そして「事故が起こった時の初動や対処」、であり、それは一般的初歩の危機管理プログラム・メニューだ。戦後に食品や医療系で事件事故起こした企業はいくつもある。が、キューピーマヨネーズのように、自らの責任が明確ではないにもかかわらず、即刻全品回収を行い、歴史的にも絶大な信頼を得たのだ。この製薬会社は、30年余り前に筆者の私を本社に招いたことがある、だが、中堅幹部数十人の前で話をしたけれど、関係は私から断った。
ちなみに、近江商人の末裔に伝わる心得は、第一に「世間よし。」である。次に「買い手よし。」、最後に「売り手よし。」が倫理として確立されている。(有名な三方よしは、奉公人用マニュアル)
そして、危機をチャンスとばかりに、「災い転じて福となす。」その経営力は、いわゆる老舗であれば当然のことでもある。


【新時代の波その2】
スマホ情報を見ているようで、チャンスに気づかない

学歴や地位を問わず、目の前のチャンスに気がつかない人が多い。その理由は、科学的に物事や成功・失敗の事例を学ぶ視点が無いからだ。その視点を気付かせてくれるのが、経済学や経営学の良さである。それは、チャンスと技術を一気に拡張してくれる。
気分が良くなる話とか、“持ち上げてくれる話題”ばかりに乗せられていると、他人やインテリ詐欺師の罠にはまるばかりである。学者・識者・医者・大学教授であっても、「金銭欲」が出てくれば、“現代の太鼓持ち”を演じる、それは日本の江戸時代でも然り、であった。「猜疑心が強く自己中心」の人物ほど、インテリ詐欺師のカモにされている。
ここ数年目立つインテリ詐欺師の特徴は、
物事を色んな言語や言葉を駆使して
“物事を分解・分類”してごまかし煙に巻く手法だ。
未だ錯覚して、科学を「物理学と数学」で説明・煙に巻く輩、
「IT技術でマーケティング」とか「量子コンピューター」とかを持ち出して、
実のところは経済・経営に活用を出来そうにもない水準だとかである。
そして強調した特徴は、聞いたこともないような、
びっくり仰天する“名詞”の言語を並び出すことだ
(決して彼彼女らは簡単明瞭な説明ができない)。
【前月号総務部メルマガで、詳細な理論をどうぞ】
 科学的に扱えば手間暇が掛からない
 https://soumubu1.blogspot.com/2024/02/#262-04
【確かに、この本の動画解説は、社会科学や精神科学を生かしたもの、ではある。】
 https://youtu.be/DchgkmQJhzU?si=ZGjThsZzGOqH0zuw
(参考)田中宇の国際ニュース解説会員版 2024年3月31日から引用
ウクライナ戦争の構図が長期化し、欧州が自滅して米国が孤立主義(米州主義)に転換すると、欧米が世界から搾取しなくなり、露中イランなど多くの非米諸国はすごく発展しやすくなる。
(欧米の搾取に比べたら中国の搾取はずっと少ない。今後の多極型世界では小国がいろんな大国と取引でき、搾取する大国を忌避できる。多極型世界は、戦後の日本のような八方美人の平和主義国にこそ住みやすいのに全然気づいてない大馬鹿)。
プーチンを筆頭に、非米側は、表向きだけウクライナを早く和平させようとしつつ、実際は、欧米が和平を拒否しているのを見て「ずっとやってろ。さっさと自滅しな」と思っている。
https://www.rt.com/news/594515-austin-ukraine-danger-america/


【新時代の波その3】
新価値観の戦略→戦術→アクション
新しい次代の波に乗るには、新しい価値観が、不可欠である。
戦略=
経済の時代の波に乗る事を選択する。経済活動や経営とは、事業となれば、それはそれなりに戦略を立てる必要がある。気持ちや気分は、さて置いて。冷静に戦略を組む。もちろん、科学的に扱えば、手間暇が掛からない。AI&ITは科学的とは限らない。とっさの勘所は熟練した人間の方が未来も予見でき、何よりも人間の方が早い。)物理学と数学を、科学的だと信じる宗教観の人は、意外にも多い。↓
https://soumubu1.blogspot.com/2024/02/blog-post.html#262-04
戦術=
今や、世界金融資本主導経済(メディチ家的企業)が破綻し、崩壊をしてしまった。今日では、主に地域密着型経営&地産地消といったスタートから再開する選択が妥当である。なおさら地場産業であったとしても然りだ。有能・適切かつ地域文化に適合した人材の確保、→その衣食住を支える体制にしても、衣食住の地産地消が重要だからである。(“円”ではなく、地域通貨の利便性と萌芽はここ。)
確かに、これからなおも、相変わらず海外資本は、日本に投資をしてくる。が、その実は日本各地域や事業の植民地化である。その植民地の許に事業経営を行っても意味は無い。社会学的に言えば、「貧乏人が貧乏人を作る。」だけであり、成長の要に対抗して「女性が女性を差別する。」に過ぎない。格言=戦術の失敗は、戦略の崩壊に直結する。
アクション=
それは、チャンスをつかむ効率の高い行動アクションを、いかに低コストで効果的なものを、数多く行えるかが基本だ。これからは、社員やスタッフに至るまで共感Empathyとともに、率先して行動アクションをしてくれ、需要者にも共感Empathyを伝えてくれるかが、これからの新経済のカギとなる。そこにArt域労働は欠かせない。AIとかSNSや電話でのメカニックなものは、敬遠される。“芸術性には希望”が在る。
<よくある失敗の防止>
 戦略とアクションを、同時に一緒に論じてはいけない。
  戦術とも、アクションを、同時に一緒に論じてはいけない。
   戦略と戦術を激論して決めてから後、アクションを決める。
    社内で、戦略と戦術に共感Empathyを持たれていない場合、
         前線で動くアクション分野からの反論としての、物議に至る訳だ。
     “戦略・戦術・アクション・閃き”の組み直し。強いると損害激大だ。


【新時代の波その4】
地元密着:地産地消などのビジネス基盤の創り方

結局のところ、数百年に渡る“世界金融資本主導経済(メディチ家的企業)”は破綻し崩壊してしまった。日本で言えば、1880年代後半(明治20年ごろ)から始まった産業革命と共に導入された“金融資本主導(英国などからの多額の借金)から始まり”、そして今、崩壊したという訳だ。
ここに、「明治維新始まって以来の大転換」と言われる所以がある。そして次世代には、AIその他の新技術革新でもって、新しい自由市場経済に向けた、“商品”毎の固有文化価値を含めての、商品流通の原則地元密着:地産地消から、再スタートするという訳だ。

実にグローバル経済は不採算であったし、“金融資本主導”とは、彼らがマーケティングという手練手管を小手先に=累積赤字の山を盛った。~に過ぎなかったのだ。加えてなお且つ“官民の官僚主義者”は、旧来の習慣でしか生きて行けないから、“経済外的裏金”に頼る人生(新自由主義の本質)に固執(刑法犯罪)せざるを得ないだけのである。

これから価値観は異なる。金融資本の文化傘下のビジネスは崩壊した。よって、中堅中小企業の、経営の“イメージ&基盤”が変わるのである。過去の成功体験は通用しない(世論の話題の製薬会社に向かう対応)。
そこで、社会や経済の科学的根拠のある項目を掲載する。そして、各地各人で実行してみて、成功のコツを各自発見していく訳だ。闇雲は無駄どころか実害を産む。
地元経済最小単位で経済が回り、採算も向上する。“地産地消”は金融危機にさらされても強い。その経済単位からは外に利潤が出ていかない。“流出を減らそう”との動きも、地方自治体単位で多々には在るが、まだまだ功を奏してはいない。
ことに衣食住の物品交換経済は、主に“地域密着型経営&地産地消”が決定的に重要な収益方法となる。その名称や形態は、“無農薬”“地元産”“ビーガン”“自然派”“フリーマーケット”“NPO”と、何でもよい。「地産地消」と「生産者消費者」の合体であればよい。~不正や犯罪の思考が、鎌首(かまくび)をもたげるのは、もとより採算が合わないとか、功を奏していないと成っているからだ。スーパーマーケットなる業態は、“地域独占”を認められているからこそ、成り立っている訳で、農水産物等の“身近な食”に拘わる商品は、もとより“配給品”なので単独での採算は割れている業態なのだ。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-09
地場や地域の海外交易で成功する起点は、地元経済最小単位が担うこととなる。(大都市内に含む)経済最小単位での蓄積こそが、隣接経済最小単位や大都市、海外の都市や海外生産者や店舗への進出の、(細やかであっても)基盤なのである。だから、海外取引先も、相手方から来訪しやって来る、こちらから海外現地へ行かなくっても来るのだ。商社の役割はここに在る、なぜか近江商人は、室町時代前夜から、こういった商人役割を知っていた。
その、経済最小単位は、現在の全国1万ヵ所の“中学校区”だ、現実に、適切な商圏であり経済圏として符合するようだ。その起点や基盤からの、国内の需要地域との交易の実際は(海外地域であっても)、SNS等の直取引ばかりか、専門商社や総合商社が、“手間暇の効率”さえよければ、アウトソーシングも出来るから心配も無い。更に、これからの時代は、金融資本系や内外政府の邪魔者(横槍)が入りづらくなる時代になるからである。~そして、ついでに、地方自治体の役人と政治家は(官民の官僚主義者でなければ、商売人でなくても適切)、ここまでの各項目に則しての、“入れ替え”は要する。……自らの保身優先の論理を、地方公務員法を無視してまで吐露(とろ)して平然としている輩だから。
実際に、地場や地元経済単位の柱は、原材料ではない。その考え方は、昔も現在も変わらぬ:地元の労働全般の職業能力集積・育成である。半世紀前の昔、「一村一品運動」なる政策が、九州から全国的に流行った時期があったが、誤って地元の農林水産物を柱にしたため、ことごとく成功しなかった。ちなみに、各地の昆布加工商品、辛子明太子始め、いずれも原料は地元産の原材料ではない、北回り航路だ。その商品を創り上げる労働能力全般の地元力である。
経済単位毎の文化の存在地域活性主体は労働力の質量集積だ。そこでの文化がマトマッテいるからこそ、Art域の労働全般力も発揮され、“他地域・他国へ行き”の商品利益率や流通(交通)効率も高まるという訳だ。ちなみに、日本でも、バブル崩壊後の画一企画商品の大量軌道生産繁栄前までは、それこそ相当量の“IT機器投資”が付随間接費として予算投入が成されない限り、近江商人の“商取引理念と発祥地人材重視”は実効性が強いから続いた。江戸時代の二宮尊徳の経済思考基盤も近江商人だった。更に今も、実に、“近江商人発祥地(湖沿岸を除く琵琶湖東部)”と“大阪の谷町&船場(この隣接2ヵ所が言語と文化を継ぐ)”~で育った人材は、確かに老若男女問わず、現在に於いても商業的勘定と算段の判断は、IT機器やAIに比べ仕事が速い。(ユダヤ人ではないが、家庭だんらんの話題は、今もなお商売と仕事の会話だし。)
商品はその経済最小単位から隣接・他の経済単位に(江戸時代からチラシ、今はAIやNetの手助けを含め)流れる。経済最小単位の、全国1万ヵ所の“中学校区”は、適切な商圏であり経済圏である。その訳は、①ほぼ世界同時に商品経済が拡大し~支配的となる過程の、“市(朝市)”とか、②寺院や教会で“市(朝市)”が立ち始めた経緯とか、そういった世界各地の経済史から予見できる(アプリオリ)事柄である。後の項でも述べるが、Net始め巷の起業アドバイスとか金融関係者の“借入融資の誘引”の夢物語は、金融業者由来などの絵空理屈なのだ。実際に資金や資本金さえあれば、どんな事業でも成功すると錯覚する者は、高学歴から順に比率が多い。だが、“上手の金融資本”に乗せられて、累積赤字不良債権企業合併で延命政府(国税・国債)の後始末の末路なのだ。
“Art域労働・芸術労働”は何がしかの希望を価値として産みだす。だから、地元経済単位毎の経済分野のリーダーだ。「物事は、リーダーの言ったとおりに成った試しは無い。」だが、「リーダーが居なければ何も無かった。」そのコトワザの通りだ。……よく観れば、大概が地場産業のキッカケだ。また、いま流行りのインバウンドは、“文化と住民の人”を観に来るのだ。ちなみに、何もない観光立国のフィンランドは、観光産業の胆(きも)は、“居住している人”であることを発見して、大成功しているのだ。インバウンドは観光産業へのインフラ投資先を間違ってはいけない、“人”が生えるインフラ整備なのだ。
新しい時代の常識:対:古い時代の常識、その比較(3ヵ月前記事)はこちら
https://soumubu1.blogspot.com/2024/01/blog-post.html#261-06
ふるさと納税は、もしかすれば、そういった学習の場かもしれない。大都市に地方税を結束集中させるといった魅力が、一気に意味を成さないでいる。オリンピックやカジノの誘致(巨額の中抜き利権優先と経済効果の無さ)に対する世論の動向だと思われる。地方へのふるさと納税傾向への現れだ。
現在の「価格決定権方式」=これが、その決定要件の解説表。すなわち、スーパーの生鮮野菜とか、行政機関の厚生事業物資は、もとより“配給品”なので、そもそも採算が合わない構造になっている。全体主義=旧商工省の岸信介が戦前戦後に持ち込んだ、ソ連スターリン計画経済そのものだ。(この下のURLを観察参照)
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-09
現在やそれ以前からの、過去の価格決定方式は、まるっきり、“迷信に基づく”方式と何ら差は無い。だから、“商工会議所”の経営指導(中小企業診断士制度など)を始めとして、そもそも日本における経営管理とか利潤の確保といったものは成就できなかった。これが日本の商習慣なのである。なので、これらの現行:価格決定方式の、“改革と変更”を要するわけである。
https://soumubu1.blogspot.com/2023/03/blog-post.html#251-07
世界金融資本主導のグローバル経済(メディチ家的企業)が破綻し、崩壊をしてしまった今日では、主に地域密着型経営&地産地消といったスタートから再開する選択が妥当である。そこでは、自然(日本流Common law)と“商品”→商品流通へと成り立つ。(グローバル初め不自然な金融資本の融資傘下は不採算と累積赤字だ。)
日本が学ぶべきは、幸福追求のイタリア経済の姿から(5年余前の記事)
イタリアは人口6000万人余、約8000の市町村数である。全体主義者経済のオコボレでしかない日本経済よりも、具体的な動きとなり、抑圧ではなく実現の原動力がある。イタリアに実質的経済赤字は無い。それは、金融ショックの被害を受けにくい。そこで、日本経済再生を、幸福と厚生を異なる概念と意識して、5年ほど前に「イメージを描いてみた(メルマガ記事)」~は、次のURLへ
https://soumubu1.blogspot.com/2017/12/blog-post.html#188-02

§天才を見つける、又、潜在能力を発見するには?
巷の心理学とか哲学の、面白・おかしい本といった類では、世間の人気を話題に論議をするだけでは、留まっていても仕方がない。まずは、目の前の人物が、今やっていることで、その人物の現状を見ることだ。

①さて。あなたや、その人は、例えば現在、次の表の、どの場所や分野の職業をしていますか。まずは、その人の現状をつかんで、興味や好きかもしれない範囲を広げてみる。
Art域労働・芸術労働記憶力不要:思考力 パフォーマンスPerformance(経験法則の積み重ね) スキルSkill(他人が企画したマニュアル実行
事業経営者及びArt域労働・芸術労働イノベーション担当局 経営者の秘書総務部長
社内の専門職・専任職行政書士
製造・制作工房部門Art域労働・芸術労働の補助や、その作業者
弁護士 税理士 弁理士 司法書士 士業に定める事務補助
経営コンサルタント 経営諸分野の各種講師 資料収集整理作業者
特定社会保険労務士 他の社会保険労務士 士業の補助事務職
SE:システムエンジニア プログラマー Dataの整理や入力
学問法則と創造性 経験法則の確立担保教育 科学的管理法の教育
②ここに示した、思考力の3分野。これは、「守→破→離」の3段階を順次、階段を昇るようにクリアするものではない。スキルSkillとパフォーマンスPerformanceは、いわゆる労働力として、あくまで報酬は賃金によって支払われる者。場合によっては、だまされてタダ働きとなる者もいる。
Art域労働・芸術労働は、思考力を磨いた上にあって、次に新しいものを創造するところの、労働全般能力によるものである。記憶力や受験勉強のような訓練頭脳は関係ない。必要であれば記憶は勝手に着いて来るから。それが人間の脳であるから。そういった記憶力の手間暇はIT機器やAI人工知能(対象は過去の記憶のみに限定だから)で充分に役立つ。
④Art域労働・芸術労働とは、記憶力で以て、単に数字や言語そして記号といった物を覚えて、学校の試験の成績が良いとしても、それらは何の関係もない。むしろ、小学4年ごろから、受験勉強や部活で思考力が育まれなかったとすれば、Art域労働・芸術労働は無理である。(遊んでいた子なら、取りかえせる。)
スキルSkill(他人が企画したマニュアル実行)
パフォーマンス(経験法則の積み重ね)
(四次元X・Y・Z・Time+結合Connect)
Art域労働・芸術労働
(五次元X・Y・Z・Time+結合Connect)
⑤Art域労働・芸術労働の創る商品価値には、人間に光をさす“何らかの希望”が含まれている訳だからだ。これをパフォーマンス(経験法則の積み重ね)だと間違えれば“審美・耽美”の“刹那的:凄さ”の世界に落ちるかもしれない。ここに示す、サルバドール・ダリ(Salvador Dali 1904年5月11日~1989年1月23日)の、このような作品は、短なるパフォーマンス(経験法則の積み重ね)の“耽美”の“刹那的:凄さに過ぎない。
⑥天才に近い人物は、現状の日本においては、とにかく変わり者とみられている。いわゆる同調圧力といったものを、本人は感じないほどに、児童ながらも若年ながらも、好きな事とか思うところの事柄を実行している。決して、めげてしまって閉じこもってはいない、うつ症状やめげて閉じこもる場合は、精神疾患に近いわけだ。小学校高学年でもなれば、大人の言動の本質を見抜いている。ただそういった天才に近い人物は、思考の範囲の広さが大勢の人物とは異なるから、大人の方がコミュニケーションを取りづらいだけのことである。要するに、天才に近い子や人物は、いかに能力を導いて磨きあげるかに将来がかかっている。ただ、どうしても思考力が鋭いから、視野が狭くなりがちではある。だから、優しそうな詐欺師に結構騙されている。次の図は、天才に近い人材に育つ可能性の特徴を整理したものである。


§音楽家:デヴィッド・バーンの、実践:芸術Artの、生涯作から抜き出し
(能力育成に資するための、メルマガ記事掲載に当たっての解説)

ここに紹介するデヴィッド・バーンの著作は、いわゆるArtとか芸術(ともに正確な邦訳はなく、その言語さえも時代とともに意味が変わり、解釈する個々人によって意味が異なる)=と言われわれる状況にあっても、全般にわたって、個々の状況や現象を表現しようとした現時点での著者の最新力作である。デヴィッド・バーン著作からの抜き出し部分は、四角い枠の中に、邦訳本から引用した。
アメリカでは、いろいろ調べたところ、“固有文化価値”といった価値概念について、その研究が遅れており、その価値の価格決定メカニズムばかりか、固有文化価値に係る“労働の全般的能力”の把握を始めた労働価値自体が広く考慮されていない。そこで、私が考えるに、「金融投資」に係る具体的手法を中心に、マーケティングとか報酬決定が思考されているに過ぎないようだ。したがって、単なる通貨で以ての価値判断がなされる社会の様相が強く、シンパシーや物資や労力の寄与は、強調されるのであろうが実質とか効率は伴わないようだ。
そういった社会の共通価値判断が横行しているためか、労働の種類は、スキルSkill(他人が企画したマニュアルを実行する能力)乃至はパフォーマンスPerformance(経験法則の積み重ね)の範囲に、労働というものを整理して納め切らないとの概念が強いようだ。Art域労働とか芸術労働といった、スキルSkillやパフォーマンスPerformanceとは次元の異なる具体的要素(五次元X・Y・Z・Time+結合Connect)が、どうも科学的に自覚化されていないのである。したがって自ずと、Art域労働芸術労働が、審美(耽美)主義との区別がつかない“ぼんやりした概念”のようだ。すなわち共感Empathyといった、日本での世阿弥(離見の見その他)などでなじみのある芸術概念も、アメリカあたりでは無さそうだ。
近頃は音楽業界にもマーケティング思考が話題となっているが、そのマーケティングといった販売戦略は、この度の“世界金融資本体制の崩壊”とともに消え去ろう(マーケティングは不適切金融融資の隠れ蓑の道具)としているにもかかわらずだ。
過去アメリカでは、1937年あたりから芸術家教育を、失業対策事業として実施した。いわゆる芸術分野における体験教育を行ったことから、それは終戦後のアメリカの文化を一躍発展させることに寄与して、戦後アメリカの経済成長に重要な役割を果たした。デヴィッド・バーンは、その終戦後のアメリカにおける芸術文化の成長とともに実績を築き上げた人物だ。日本でもその影響を受けた人はとても多いと言われている。その社会の根幹となった失業対策事業、詳しくは次のURLをどうぞ。彼の成長の背景を知ることも深い理解をする上で有効だ。
https://www.artpedia.asia/federal-art-project/


デヴィッド・バーンDAVID BYRNE(出版社解説から引用)
1952年5月14日生まれ。1974年にニューヨークでトーキング・ヘッズ結成。1991年の解散までにオリジナルアルバム8枚、ライヴアルバム2枚を発表。ソロとしても活動し、ブライアン・イーノ、X-Press2、ファットボーイ・スリムらとの共作をはじめ、現在までに多くの作品をリリースしている。1987年には坂本龍一らと映画『ラストエンペラー』の音楽を手がけアカデミー賞作曲賞を受賞。2018年に発表した『アメリカン・ユートピア』はブロードウェイでもパフォーマンスされ、スパイク・リー監督により映画化された。また、レコードレーベル「ルアカ・ボップ」を創設する一方、フォトグラファー、映画監督としても活動し、世界各地でのインスタレーションなど数多くの視覚芸術作品を発表している。

¶経済経営の社会科学的視点から、著作より抜き出した部分へ
かつてツアーは、主にマーケティングの一種と考えられていた__記事になって人を集めオーディエンスを構築することで、大衆にもっとたくさんのレコードを買わせるための手段の一つだと。そういう効果もあるが、ツアーはそれ自体が収入源にもクリエイティブな試みにもなれるものだ。ぼくたちは「ツアーでお金を失ってもレコードの売り上げで埋め合わせできるから大丈夫」という昔からの嘘を聞かされてきたが、それはもはや誰にとっても楽しくない。ミュージシャンにとって演奏は心理的にも肉体的にも楽しいことだから、現金だけが魅力というわけではない。ただ悲しいことに、つまりそれは僕たちを比較的簡単に微々たる報酬で演奏するよう入学できるということだ。ミュージシャンはいい仕事だが、だからといってそれで破産していいわけがない。(前掲書籍221頁から引用)
音楽がどんなフォーマットで届けられようと、僕たちが大切にする体験、僕たちが価値を置くものは、やはりはかない無形のものなのだ。広告主たちは常に、音楽の快感や喜びや驚きを瓶に詰めたり、香水、靴、ジーンズ、車といった触れられる物体にくっつけたりできるかのように僕たちを誘惑してきた__しかしそんな事はあり得ないのだ。それは不安定な獣であり、そこも魅力のうちである。(前掲書籍268頁から引用)
アーティストは過去に生きるのをやめて新しい資金調達の形を探すべきだと言われることがある__要は企業による支援、ライブコンサート、キックスターター、コマーシャルへの楽曲ライセンス提供などだ。しかし、そこで見当たる選択肢のすべてが、芸術分野における自由で活気に満ちた長期的な生活の実現を促している訳ではない。ファンの支援を受けるキックスターターのキャンペーンは、継続的な音楽のキャリアではなく、ある1つのプロジェクトの資金を集めるように設計されている。僕は企業のライブに出演したりコンバースやマウンテンビューやレッドブルやBMWから資金提供を受けるアーティストたちを悪く思っている訳ではない。__人がしなければいけないことをするまでだ。しかし根本的には、メディチ家的企業スポンサーシップ方式は実際に作られている音楽とその人の人生に与える影響に対して…(前掲書籍271頁から引用)
……むらおかコメント=書籍筆者は、ここで今のマーケティングの本質を語っている。キックスターターとは“最初に資金を段取りする専任職”のこと。メディチ家的企業とは“資金を金融融資で賄う”特徴を述べている。
音楽はなんのために(前掲書籍298~303頁から引用)
ある音楽は本当に他の音楽より良いのだろうか?
誰が決めるのか?音楽は僕たちにどんな影響を与えるのだろうか?高級芸術への愛と経済的な成功や地位とを結びつけることを前提とした音楽の利用は、時に露骨に行われている。
この戦術は特定の人々に、自分たちは歓迎されていないと感じさせる一つの方法でもある。
「ここはあなた方の文化的空間ではないのだから」というメッセージを(彼らは)感じ取っているのだ。これを「音楽の虫よけスプレー」と呼ぶ人もいる。これは社会的空間を作り出し、管理するために音楽を利用するやり方の一つだ。
自分自身の楽しみや自己表現のために演奏を学ぼうというものではない__純粋にあなたやあなたの哀れな友人が作りそうないかなる音楽よりも、クラシックに高い価値を置くことを学習させるものだ。
高級芸術を好む人々に道徳的な鋭敏さが割り当てられているのは、一般に社会階級が基準になっているのだと結論づけている。
……むらおかコメント=前掲書籍の著者は、現場に極めて疑問を持ち、次に挙げるような文章を散在させている。この著者の真意や心を知るには、誤解のないよう、少なくとも邦訳には目を通す必要がある。ただ、著者の違法とする本質の見当は察することができるであろう。
ミラーニューロン(前掲書籍345頁ら引用)
UCLAの研究では、僕たちは音楽をいかに受け取り感じるかには、ミラーニューロンが深く関与していると当てられている。…(略)…UCLAの研究グループは、僕たちの全てのコミュニケーション手段___聴覚的、音楽的、言語的、視野的なもの___の根底には、運動や筋肉の活動があると主張している。こうした動きの背後にある意図を読み取ったり直感したりすることで、僕たちはその根底にある感情とつながる。僕たちの身体的状態と感情的状態は分離できない___片方を感知することによって、もう片方を推定することができるのだ。
……むらおかコメント=ここに引用した文章は、共感Empathy(この言葉自体は1901年に造語として使用開始)について、神経科学の作用を具体的に、音楽などの演奏者と聞き手の動きを記述している。デヴィッド・バーンは、このように共感Empathyとコミュニケーションを科学的に理解して演奏しているのだ。
認知科学者のダニエル・レヴィティンが指摘する通り、あまりにもたくさんその通りになりすぎると(以前と全く同じことが起こると)、僕たちは退屈してしまい気が逸(はず)れてしまう。小さな変化は僕たちの注意を引きつけるのと同時に、その語りにとって重要な音楽的瞬間に注意を集める役割を果たす。(前掲書籍346頁引用)
……むらおかコメント=これと同じことが、日本では世阿弥が、それを教えとしており、それは能や狂言に引き継がれている。加えて近年の脳科学などにおいて、有名芸術作品全般の、脳への刺激が定説となっている。不完全だと脳が補う習性=あるべきところのリズムやメロディーがない、不協和音が入るなど不完全さをあえて使うといった事で、ここに鑑賞する人毎に希望を創造する作用との事。作品のストーリーやコンテキストを先に知らせると、鑑賞したときに疑似体験をするという。脳は人の顔に敏感、観客や演奏家の顔を見て…微笑んで、涙が流れて、みつめ合って歌うと…その数秒の瞬間で、内は解き放たれる、…というわけだ。さらには、細かい空白は、=在るところに無さそうなのは、脳への小さなストレス…(規則的に、完全に、リズムやメロディーを入れず。又はハミングを入れて焦点をぼかせるとか。)…の脳は喜び、ここでも鑑賞する人毎に希望を創造するとのことだ。(なお、私むらおかは、講演、仕事での説明、私的な演奏趣味などで実験済みである)
音楽は社会的な接着剤である--それは家族、国家、文化、様々なコミュニティーをひとつにまとめている。しかし、音楽はそれ引き裂くこともできる。音楽は時に善の力のように見えるのと同じだけ、国粋主義的なプライドを膨らませ、けんか腰の戦争の挑発を煽るのに利用されることもある。このようにコミュニティーや国家に適応される他に、音楽は自分たちを超越した世界、霊や神々の目に見えない領域、さらにもしかしたら死者たちの世界とぼくたちを結びつける宇宙的電信でもあるのだ。それは僕たちを肉体的に健やかにもできるし、酷く病ませることもできる。それはぼくたちにあまりにもたくさんのことをするので、単純に「ああ、音楽ならどんな種類でも好きだよ」とは言えないのだ。(前掲書籍346~347頁引用)
……むらおかコメント=デヴィッド・バーンは、この書籍で、「音楽とは、いったい何のために使われ利用されてきたのか。」の問題提起をしている。一貫した彼の主張は、CDを初め音楽機器もそうだが、様々な消費財商品を買わせるために、音楽は利用された。」というものだ。音楽作家や演奏者は経済的に社会的に地位が低いばかりか、音楽家として、その創造性や創造力は、ことごとく無視されてきたと述べている。
また彼デヴィッド・バーンの述べる、「けんか腰の戦争の挑発を煽るのに利用され」とは、ナチスドイツに自らを売り込み、その地位に着いた=ヘルベルト・フォンカラヤン(1908年~1989年)が有名である。評論家からは“作品の芸術的内容を軽視”していると批判されるも、カラヤンは公私ともに芸術ではなく、“審美主義・耽美主義”の特有な美学(美意識)を貫いたとされる。
確かに芸術全般にわたっての歴史は、時の権力や金銭に物を言わせて、ことごとく芸術家は利用されてきたのも確かである。だが、私むらおかが思うに、作品に、「鑑賞する人毎に希望を創造する作用を」、価値として吹き込んだがための物が、“芸術性”あるいは“芸術作品”足りうるものとなり、今日に至っていると考えられるのだ。
ここに、拝金主義とは異なり、これからの新時代の“新しい価値観”として、経済成長や社会発展に資する根幹があると考える。単に労働力を、“質と量で計測”して価値を認める、この250年程前からの自由経済市場のではなくて。

§令和6年10月からの社会保険適用拡大
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大
現在、厚生年金保険の被保険者数が101人以上の企業等で週20時間以上働く短時間労働者(パート、アルバイトなど)は、厚生年金保険・健康保険(社会保険)の加入対象となっている。この短時間労働者の加入要件が拡大され、令和6年10月から51人以上の企業等で社会保険加入が義務化される。ただ、この春から夏にかけての世界経済の激変によって、金融恐慌・生活恐慌が生じた場合、適応拡大が延期される可能性がある。ないしは、個別企業でのパート雇用の形が変わるかもしれない。個別企業の防衛策として一斉に、主婦層に人気のある“1日3時間週3日”労働のパートとか、高齢者で中心の、1週20時間未満労働が増えるかもしれない。すると個別企業の具対策は変わってくることは否めない。そこで、今回の記事では、とても長年にわたり厚労省が蓄積した、複雑怪奇な制度の資料を次の下のとおり掲載する。

この社会保険の法制度(日本独自のもので、日本からGHQ占領軍に要望して憲法25条として根拠を設けたもの)を柱に、制度の枝葉にわたり関係制度を視ながら、理解することを要する難解ものだ。社労士試験に合格しても間違うし、ただ頭脳明晰と言うだけでの我流では、瑕疵(かし)が後を絶たない代物であるから注意を要する。

短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(令和6年10月施行分)
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.files/QA0610.pdf
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(その2)(令和4年10月施行分)
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.files/QA0410.pdf
(参考)日本年金機構:
短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大のご案内
https://www.nenkin.go.jp/oshirase/topics/2021/0219.html


§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240409】
今月、お勧めできる書籍は有りません。

2024/03/05

第263号:イノベーションの体勢造りを

<コンテンツ>
経済経営コンパス・ナビ
目前の経済危機、これをチャンスにする。
自由市場経済の根底を支える、アダム・スミスの発見と発明
経済外的強制に晒される、異常な人物育成は今も
人間の職業能力他:の発展経路と開発過程(解明)
統合失調症を始め、精神疾患多発とは、何なのだ?
  回復法の名称は「(当時)自己技法」と名付けていた

§経済経営コンパス・ナビ(総務部門は経営の情報収集参謀です)
【NISA】は高値売り逃げが肝。経済学に精通し自信と経験が無ければ近寄らないのが得策。日銀は今、上場企業の株を大量に保有しているから、ここで一気に売り逃げを狙う。その流れ先が素人NISAに偏るのは当然、株価が暴落する前に、同じく高く売り逃げることは投資家も狙っている。
事業行き詰まり。破産(借金踏み倒し)せず、腕とコネで続けられる。
その仕事を要する人が居るから。工夫とイノベーションでしのげる。
③価値観の変化共感・自由・快楽を文化の中に見出す長寿をEnjoy


§目前の経済危機、これをチャンスにする。
 たとえ、ゾンビ企業 Zombie company(世界共通語)だとしても、イノベーションをすれば、事業も会社も存続できる。その訳は、“何らかの社会での役割”、と“その仕事を要する人”が実際に居るからである。物事の視る角度を変えれば、公共事業や役所の現業部門は、ゾンビ企業と同様の運営なのだ。そう!!、切羽詰まれば役所流にやれば潰れないとの着想だ。中堅・大手企業も、要するにそういうことである。金融資本が、「もう貸す金がない。」とか、「貸付利息が目標に達しないなら融資止める。」と言っているだけ。破産手続き=要は“借金踏み倒し”、中小は続ければ良い。
 すなわち“価値観を切りかえれば良い”だけだ。ちなみに、先進国の鉄道や路面電車の交通公共機関は、近隣自治体の共同事業に切り替えることで、民営よりも、“結果の総事業費”が少なくなった。上水道事業も自治体運営だと安く、既存の民間払い下げ水道事業を、自治体が買い戻し運営している流れだ。
 ところが、これでは、個々の事業採算は合うかもしれないけれど、金融資本のイニシアチブによる経済牽引は出来なくなるから、途端に国内経済が落ち込む。昔からのコトワザの、「この世はリーダーの言った通りには成らないが、リーダーが居なければ、“もとから何も無い”。」と言うとおりだ。まして「新自由主義の隠れ蓑を口実」に、事業・融資・経済活動を、実のところは、汚職を始め手抜きの“刑事法犯罪塗(まみ)れ”にしてしまい、あげくは世界の金融資本体制を自滅崩壊させてしまった。だから、経済崩壊の危機は止まらない。そして、そこでの弱者&(自立ではなく)“自律Autonomy”の出来ない人たちの「死亡・病・貧乏・空腹」は免れないと地獄がやってくる。また、世界の社会主義国(日本の政策)の内実も実態も、さほど変わらないようである。
 さて、ラッキーにも、事業規模が、小さいとか、オーナー経営事業とか、とりわけ小零細企業であれば、価値観転換は即座だ。イノベーションも、工夫程度の小規模でも、即刻効果が現れる。それが、本号メルマガ:次のコンテンツの、経済学の父アダム・スミスの“発見”で、一気に成長した、現存の“自由市場経済”の過去からの歴史発展を見れば一目瞭然だ。それまでの封建時代の、“商業や職人”の経営手法や言い伝えでは、科学的な根拠に至らず、実践効果ばかりか併せて理解もされなかった。
何よりも、経済・経営危機を目前に、イノベーション体勢造りとは、
どういった“人物”を、経営者が抱えるか、場合によっては別会社
経営者と職場で以って、“人”を育てる。
  軽い精神疾患(汚名の人物は、キマジメだから、
   育てるには、意外と会社では好都合である。
    これからの時代、周囲の刺激になる異質人物なのだ。
工夫や細目なイノベーションは、
 ~社外社内へ広く行ない、習慣の如く繰り返すことが重要だ。
例えば、1日3時間・1週3日の、パート出勤時間。
さらに高学歴で子育てや介護を両立させたい女性は、
自律し自由を求めるから、大いにイノベーション戦力になる、
まして彼女らには、世間で人気ある働き方だ、これもイノベーション
残念だが、“守旧派”=イエスマンで、会社に抱きついて、「依存すれば何とかなる。」を“旨”とする、“怠惰な者”は、過去の経験しか知らないし、男女ともに“類”を呼び、“組やインフォーマル・ネット関係”を作る。“勤勉理念”は保身(=特徴は縦社会と知識偏重思考)に引っ張られ、今やそれは怠惰の新バージョンでしかない。そこに教育とか訓練、あるいは、様々にコミュニケーション(伝達・共有)を図っても、“怠惰な者”は価値観を変えようとしない。そして、この丸4年の感染症:経済停止その他を過ごしても、それでも価値観を時代に即応させなかった人は多い。やはり従来のように過去にしがみ付く心理が、メンタル面では強い。さらには物理的にも、何がしかの予防医療:副反応(旧来の“副作用”と同じ)?を被った人たちは、沈黙をしている。が、家庭生活と労働時間と体力の折り合いを、長寿のEnjoyを、いったいどう取り持つのだろうか。
価値観の変化 共感・自由・快楽(幸せ)を文化の中に見出す

話題?の人手不足とは、各社の実態は使用者の、“ごり押し・使い捨て”が、アリアリとしている職場だから人手不足を起こすのだ。たとえ誰か就職したとしても、現場の監督職が理不尽だとか、新人を子分に従えようとする“おつぼね”が、さらに弱い新人にむけ、“嘘・マウント・いじめで暗躍”している。これが離職多発の主原因だ。
賃金の低さは確かに、地元ハローワークでの最低水準を走っているかもしれないが、新人は低賃金を覚悟して応募するから、離職や拒絶原因ではない。さらに、日本にはストレートにものを言わない、世襲習慣があるから、言葉通りを受け取らないことだ。

「こんな低賃金でやってられるか」と話すケースは、
その人の職場での“自由・平等・同胞愛”が侵害されている場合だ。
そこに、賃金アップをすれば、逆効果となり、彼女・彼は、重ねて怒る。
「労働基準監督署に訴えてやる」と言う者は、
もう少し賃金を上げて欲しいと願う=表示表現方法だ。
だから賃上げ改善を行えば安定・定着して働いてくれる。


§自由市場経済の根底を支える、アダム・スミスの発見と発明
“労働という概念”は、経済学の父と言われるアダム・スミスによって、「その生産に用いた労働の質量によって捉える。」といった経済学的発見によって、人類が労働を効率的に扱えるようになった。それは、自由市場や資本主義といった制度の底流に不可欠な、“交換体系”という表象空間の内部の決して表面からは見えない商品の基底(もとぞこ)である、使用価値や需要その他に基礎付けられない”“絶対的計算単位”というわけだ。この、一見抽象的と思われる、“質または量”で計測できる労働だ。
このアダム・スミスの発見と発明によって、それまでの封建的な経済外的強制や略奪による経済構造にあっても、“人々の価値観”の変化の基盤を作った。

(ア)資本を、自由に大量に投資する有効性(自由市場経済)、
(イ)物資その他を“商品形態”で自由流通(交通)させる方式、
(ウ)衣食住に関わる物資の“再生産”と、消費財のコントロール、
(エ)人間の“労働力計画=(子供を産み育てる)再生産”、
(オ)産業や社会機能整備のための“インフラ再生産”へと導かれる訳だ。
(カ)併せて貨幣(通貨ではない)が、農民・市民・労働者の、“細やかで束の間の自由”を手に入れる道具手段となり、“生きる意欲“をわきたたせる基盤となり、一気に価値観の変化へと至ったわけだ。

それまでは、商品価値は“食物を中心として全商品を含めて、
a.の表面とか、その商品が占める立ち位置よって、極めて曖昧な幻想原理的めいた物々交換に基づき(現在も続く=1個が数千万円もする宝石ダイヤモンドの取引のごとく)、その交換自体が需要に基づいて生じると幻想的に考えられていた。
b.なお、古代や中世にあって横行していたのが、商品交換ではなくて、武力や王権等による略奪や窃盗である。自由・平等・同胞愛のための社会の制度形成(フランス市民革命など)の中で、窃盗とは他人の所有物ではなく、他人の占有物を盗み取ることだと法律で定められ、併せて経営者の団結権(株式会社や有限会社)も法定され認められるに至った。
c.同年代日本での馴染みある、“お話”にあるところの、江戸時代:元禄期の商人=紀伊国屋文左衛門の儲け話といった類なのだ。
d.現代からすれば、希少価値とか季節物その他=捏造・騙し混在の類(現在でも極めて小さい市場規模業界で通用)であった。ちなみに、日本国内の中小零細企業は、未だこの程度の商取引価値観に留まっているようだ。
e.また、スーパーマーケットの業界は、その産業成り立ちの経緯からしても、大手中小問わず、地域経済政治(大店法に併せて商圏の確定、野菜など採算品の取り扱い義務など)と共に存立する、“物資配給事業”の事業域に留まってしているとしか考えられない、全く以って“岸信介らが導入したソ連計画経済”の名残としか受け止められない。
現代の“貨幣(通貨ではない)経済活動分野”は
労働価値生産 投機 賭博 の3つだ
繰り返すがアダム・スミスの時代とは、食物が重要な最も基礎的な対象であり、食物を中心として全商品を含む、“交換(商取引に至らず)”を目の前にして、アダム・スミスは冒頭の、「その生産に用いた労働の質量によって捉える。」と経済学的発見を成した訳だ。時は、重商主義と重農主義の、王国経済政策の大論争だ。
それに比べ現代では、芸術やArt域労働が含まれた“固有文化価値商品”が流通している。固有文化価値商品とは、「マニュアルや企画書に基づく労働の“スキルSkill”とか」、「複雑重複した労働の“パフォーマンスPerformance”とは」次元は異なる。
②その“固有文化価値商品”なるものは、個々の人物が相互に表現し、相互に受け止める“共感Empathy”を盛り込んだ、物やサービスの表象空間の内部が決して表面からは見えない使用価値や、その需要その他に基礎付けられている商品なのだ。
③共感といった概念は、その道の専門家の研究によると、アダム・スミスも、それを持っていたことを、アダム・スミスの記録から読み取ったとしている。“Empathy”という概念の語句は、1904年に造語され、この時点で同情Sympathyとか“同調”との区分が明確にされた。筆者の私が思うに、日本の“世阿弥”も、「能=胡蝶の舞」とか「離見の見」の教えからすると、共感の概念を感じ取っていたようだ。“共感Empathy”とのことで、科学的に解明され→概念の型や習慣にと形成されることによって、芸術作品は浮かび立ち、耽美・審美との分離も明確になった。
④この“共感Empathy”を盛り込んだことにより、“芸術には不可欠な希望や意欲を湧き立たせる”Art域の労働が意識的に、(“単なる手作り”とか“写実”)とは異なり、組み込まれ増幅されたりする。
⑤自由市場経済を基盤にした商品が自由流通する以前の、殊に“自由・平等・同胞愛”のための社会の基盤形成(文明Civilization)が、充実していない時代、またはその基盤が崩壊してしまった状況(全体主義とかカルトやセクト集団の存在)にあっては、“固有文化価値商品”は、ナチスのように独裁者の意向には沿わないとして、“退廃”と決め付けられ、弾圧されるかゴミ扱いされる訳だ。その場合、「耽美物・審美物」が、“芸術だ!!”と言い変えられおだてられ言い包(くる)められ、“権威披露や同調誘引・販売促進”などに用いられているに過ぎないのだ。
⑥よって、その場合の労働能力全般は“骨抜きにされ”、賃労働とか請負代金といった、名称の如何を問わず買い叩かれる。ばかりか「芸術家は金銭価値のない代物だ。」へと、“囲いこまれ納得せざるを得ない風習”に、芸術家はハメ込まれてしまうわけだ。労働能力全般ではなく無視され、労働力の煩わしさのみで、“報酬は高くなる”との労働力法則のみで以て、不正不当な経済効果にさらされているに過ぎないのだ、Art域労働・芸術家は頑張ろう。

§経済外的強制に晒される、異常な人物育成は今も
日本の伝統的組織的教育訓練とか精神修練”の肝(きも)は、実は“4世紀ごろからのキリスト教:(今のカトリック)修道院”で発展定着した方式なのである。その古くは日本の戦国時代に、カトリック・イエズス会が日本に持ち込み、織田信長らが戦の戦闘技法、築城新方式、鉄砲隊三段撃ち技法等と共に、(おそらく当人は闇雲に便利だとの類で)取り入れた、“修道院や神学校”での“師弟の指導関係”である。それは絵画の装飾様式(狩野派の“城内ふすま絵”)、お茶会(千利休)方式、芸事全般や寺社での手洗い設備、神道その他にも、更には日本の伝統と錯覚もする“作法や思考の型”へとも広まっていった、その詳細は、師弟共々の当事者研究が待たれる。
さて鎖国は終わり、明治維新の折にはカトリックの病院運営方式等も、急ぎ“文明?開化”と勘違いさせられ、海軍病院・陸軍病院はじめ医療機関では見習っていった。=その組織運営機能は、“豪華な院長室の設置”でのカリスマ雰囲気醸成、“院長巡回”と称する礼拝式行列でカリスマを霊性錯覚させる手段として、今も残る。映画やテレビ番組の「白い巨塔(大阪大学医学部病院がモデル)」がイメージとしては身近だ。
それらは日本の様々な職人に伝わる、親方との師弟関係とは全く異質だ。ちなみに、哲学者ミシェル・フーコー(1926年~1984年)は、ギリシアローマの哲学その他教育に見るような、
・“教育の主体は自己自身に配慮”、
・“真理を体得し事実を得ることを重視”、
・“古代なりその時代の「自己の技法」の体得”、
・“指導関係の明確な第一特徴は目標設定”、
・“弟子は目標に照らし知識と能力を持った者を師と選び入門”、
・“弟子の生涯指針となる綿密な行動や振る舞いの規則”、
・“この規則を弟子が体得し終えたときの時点に指導関係は解消”、
・かくて、“この弟子は、師自身の「師」にまで成る”
・~と言った根本的違いを、(あたかも邦楽や踊りその他の日本伝統風に近似したもの感を)哲学者フーコーはギリシアローマの古代に発見していたのだ。

これとは対照的な別世界に、“当該4世紀来のキリスト教修道院”がある。
【次に引用した、各項目を読んで、
日本流の、西洋クラシックのピアノ等楽器や声楽の育成、
茶道その他芸事での修練との共通点、ハット思い浮かべた方は
多いと思う。それは、単に師範も気付いていないだけだ。】
こういった修道院方式には、指導関係における終着は無い。
イ)師に依存し服従すること自体を自己目的化させる、すなわち「自己放棄」。
ロ)師は能力によって選ばれるのではなく、いかに卑劣な師に対しても絶対服従することに意味があるとする。聖なる行いの時間、師は聖となる。
ハ)こうした依存状態を乗り越え、「脱却し得る」など思うのは傲慢とされる。
ニ)依存や服従状態は永遠に続く。この絶対服従関係の中で、師に対して絶えず自身の内面を包み隠さず告白せねばならない。
ホ)それは外的な行動原理の習得ではなく、師と霊性に縛り付けられる。
ヘ)(その余は略)
ト)哲学者デカルトは、「霊的修練で自己自身に働きかける必要は無い。認識の明証性を研ぎ澄ますことで世界の真理に到達する。」と、これらに終止符を打った。《イ)~ト)項はフーコーの研究書籍から抽出。》
チ)“窃盗・暴行・詐欺・淫乱・粗暴・悪徳が横行”する世間体(=社会ではない)にあっては、そんな修道院の役割が、確かに在ったのかもしれない。が、修道院での精神疾患を患う事例とか“フランス:カトリックの堕落や反旗”そしてカトリック聖職者の僻地(当時はイギリスなど、今はアフリカ)への“排除島流し“などは相当多くが記録されている。それらの根本的解決は、イギリス名誉革命、アメリカ独立戦争、フランス市民革命といった、自由・平等のための“社会という制度”の充実拡大=文明Civilizationを待たなければならなかった訳だ。


§人間の職業能力他:の発展経路と開発過程(解明)
これは、すでに哲学その他の分野で科学的に解明されている。巷で流される“幻想や言い訳的な説明”といったものは、個々人を何らかの目的組織の内に不合理に縛り付けるものでしかない。そこには“自由な経済活動”とか、“自由・平等・同胞愛”に基づく社会共同体といったものを、個人の自律Autonomyの基盤を実現させない思惑が存在するのである。そんな巷で言葉を発する個人は、それを良かれと思って話しかける場合であっても、その根拠とそれを教えた者の動機には“悪徳と怠惰”の高度テクニックがあるかもしれないのである。世の中には、“金銭と社会的地位”さえもらえれば、あらゆる手練手管を集積組み合わせる~経営コンサルタントと称する輩も存在するのだ。
能力や思考の発展経路と開発過程は次のとおりだ。
st=最初に現場の真理を把握
  nd=認識(知るのみならず実践に生かせる)ある。
    rd=科学的に思考する
      th=型や習慣にハメ込む
        ~といった体験・思考経路だ。
技芸(古代ギリシャ等でのArtの意味)の実践こそが、科学に先立ち、科学的認識の可能性の次元を条件づける。中世ルネッサンス期には巨匠が産まれなかった。その原因は、科学に基づく教育訓練が成されなかったとの学説は確定している。
科学は、それ自身では何も生み出さない。先ず初めに在るのは、多少とも盲目的な行為であって、その誤りを修正するところから“実際に定まった真理”が生じる。
自由とは、自ら実践・実行すべきもの。それは制度や法によって他人らが与えるモノではない。
ところで、「規律とか規格」といった思考が強いと、イノベーションを生み出さない。ここに極めて曖昧な概念の“本能”といった言語がコミュニケーションに持ち込まれてしまうと、“真理・認識・科学”といった思考力の根幹をなす概念が破壊されてしまう。“本能”(フランス語instinct)という概念の言葉は、哲学者ミシェル・フーコーの発見によれば、19世紀に入ってから以降、司法との関わりの中で、“個人の規律への介入”を目論む一部の精神医学が、「正常と異常の中間地帯」を本能として概念付けたものに過ぎない。司法や社会ではすでに死語になっている(Wikipediaでも混乱の様相は激しい)。脳科学や神経科学の分野でも、“本能”の論理構成はあまりにも矛盾し根拠が成り立っていないことから学説として相手にしていない。日本でも今や、マウントを採りたいから、知ったかぶりの学問を披露するための、“幻想や言い訳的な説明”のレトリックに使用されるにすぎない。

§統合失調症を始め、精神疾患多発とは、何なのだ?
哲学者ミシェル・フーコー(1926年~1984年)は、
「人間は個別化され、検索させられるに過ぎない。自然は調査される。」
と述べ、現代社会へのアプローチとか、先駆的哲学でもって心理学や精神医学に、大きな波紋を投げかけている。論理展開は、世界金融資本の崩壊地滑りが始まった頃から、このメルマガに210号(2019/10/08)で、“予定調和”を取り上げていた。経済崩壊初期の、個々人の気分障害への“目前具体策”などを取り上げ、その構造的社会劣化を起こしかけない、=“ポピュリズム”、“新自由主義”の裏での刑事犯罪や合わせて全体主義に傾くとか、筆者ながらに記事を書いた。この執筆当時“COVID-19ウイルス”が、カンボジア辺りで発症し、翌年2020年1月に中国武漢でウイルスは漏れ(らされ)、現在の劇場的な経済危機を迎えた訳だ。
https://soumubu1.blogspot.com/2019/10/blog-post.html#210-01
そこで、この4年半の間に顕著になった、精神疾患とか疾患めいた名称の流布についてまとめてみた(根拠となった研究や引用論文掲載は省略)。ADHD、アスペルガーその他、精神疾患の名称は50を超えている。うつ症状とか統合失調症は早期に治癒するとか、新型うつ病は人間関係改善で即座に消滅することも分かった。一方では、心理学?”辺りから生じた統計調査に端を発したと揶揄される様々な病状の懸念は、HSP(Highly Sensitive Person)その他が話題となっていることも否めない。また、「精神医学」と「心理学」を分ける垣根は法程度であることも否めない。資格や研究団体の異なり等の違いで学術には役立つ訳だ。
病状?の懸念は、HSP(Highly Sensitive Person:日本語訳は無い)、スマホ認知症(眼球の視野、脳や思考や視野狭窄)、発達障害ADHDなどに見られるケースでは、今の社会で人間は個別化され検索されることから、統計的分類で異なる人たちは、異常(何かの精神の病気の疑い)ではないかと偏見や勘違いする素人に引きずられ、レッテルを貼られ、集団から排除される傾向にある。病気を個性と勘違いして病院に行かない者もいる。統計?分類をして心理学の話題に載せようとする執筆本も少なくない。~結果、若年層を始め、区別・検索・分類するばかりで、具体策を考え出すための分析すら行っていないのが通例だ。無駄な論理構成も羅列され、思考エネルギーを消耗するばかり、心身ともに疲れる(統合失調、うつ状況、カンシャク等)要因だ。
「色々な人が居るから~」との、非科学的無知・無思考な言葉も、前掲の、“本能”の用語を使用する場合と同じく、“幻想や言い訳的な説明”のレトリックに使おうとする、そうやってその場のマウントを採りたい見え張り者も多い。それは、その場の会話の茶を濁すばかりか“自由・平等・同胞愛”の社会共同体志向の柱をも傾かせることになる。ある時、この手の者にインタビューしてみると、本人は権力志向で意欲を抑圧するというわけでもなく、安易に「これで、この場がまとまった。」と自慢している、すなわち、言語を記号のやりとりとしか把握できず、その場の“合意形成をバラバラに”していることに気がつかないのだ。~これでは事業経営を瓦解させる行為だ、この場合に、“イノベーションのチャンス”が到来していることも解らず、何のその見栄張りの“マウントを採り”なのだった。
若者や壮年層には現在、会話をしていても共感Empathy能力の弱い人が少なくない。言語で掲示されない限り悲しみや喜び等の心の動向を読み取り解せない人がいる。本人は、“会話とは質疑応答”の“形式と内容の中身”にある固執するものだと錯誤している。コミュニケーション(言葉の原義は“他人と共有”)で以って、相互に“ヒントの分かち合いShare・共有”をするものだとは思っていない。もちろん無思考で思考力は劣り、学歴が高い場合には虚栄心のためか、形而上学とか知識(量的)偏重に走る若者も多い。
統合失調症は、早期発見とか、施設入院が短いケースでは、意外にも早期に回復するようだ。これは筆者の人付き合いとか仕事の経験でもそう感じている。ところで、17世紀末には、現在日本の“施設入院治療”とは全く異なる方法で、当時は“理性回復”との考え方で、「医学哲学論第二版」をフィリップ・ピネル(1745年~1826年)フランスの精神科医が、共同生活実験を行い、その出版をもしていたのだ。ピネルは1789年からのフランス市民革命前夜の“百科全書派”との親交が深い。右の絵は患者を解放するピネル。
統合失調症を、少なめの投薬・入院保護せずして、治療回復を進める柱は、先ほど来から紹介する、ミシェル・フーコーが、その整理を行い方向性を発見している。で筆者私は、大阪市に現存の“ホームレス支援施設”との実践方向性と近似し、私も何故かいつの間にか仕事柄:実践していたことも痛感した。】
回復法の名称は「(当時)自己技法」と名付けていた(その病人を主体と表現)
①主体の行動習慣の確立を何よりも重視する。
②主体の心理の内在的理解に興味を示さない。
③主体自らが容認であると声に出して認めること。
④表面的にであっても規範に即した行動が取れるよう求める。
⑤可視的行動様式としての習慣の確立を何よりも追求。
⑥主体の自発性、自律性Autonomyが更に拡大するように試練を掛け導く。自律性とは自分の行動・欲望を自分で制御規範が出来る性質や特性の意味。
⑦自律Autonomyとは、自分を律する法(決まり)を自らの内に作り、そして実行。“自立Independence”あるいはself helpとは異なる。近代初期に、科学的理論の根底として形成された概念。社会共同体に在っての“相互依存関係”の中で主たるべく振舞う事の意味。
そもそも(筆者コメント)、“主体が生きていくため”ではなく、自由・平等・同胞愛から外れた規格化をされた社会化にあって、主体を規格化へと強いたことから、(情報の整理統合も出来ずに)精神疲労を多発し統合失調症を発症!!したのではないのか?精神分析とは精神疾患患者の管理手段としての道具。主体(個人)を個別化標準化して管理しようとする、そこに間違いがあるのではないか!?ところで昔から、精神保護施設では“遺産相続争い”の被害者とか配偶者の、“異常?”を口実に、隔離とか抹殺といった噂話が絶えない、筆者自身も危うく、その被害者に。また配偶者の精神疾患を理由とする離婚請求が出来るとする誤解も、未だ根強い。
“施設入院(保護)治療”の発祥とは19世紀後半の機械産業における無過失責任事故多発(労災が典型)を起しそうな懸念人物?を、医師が「何かをしかねない。」“異常と決めつけ”、精神科医師らが司法判断に先駆け“異常と決めつけ”隔離したことに端を発するとの説が有力なのだ。今の日本でも、会社に提出する診断書に精神科医は、そういった歴史との関係の有無は定かではないが、“うつ症状”としか書かない医師が多い。使用者が疾病の実態を知るには、“プライベート侵害”になるから、投与されている薬を知るしかない、うつ病治療の投薬とは違うから。ところが知ったところで、証拠不十分で解雇は不当と判決されるだけだ。

§【新しい経済社会で役立つ、本の拾い読み 20240305】
 今月、お勧めできる書籍は有りません。