2011/03/08

第107号

<コンテンツ>
日本経済:救世主?との、話題のソーシャル・ビジネスとは
経済学で言えば、「イノベーション」がソーシャル・ビジネス
今や、日本にマネー投下をする者がいない現実
個別企業でのイノベーションができれば、経済発展
資本投下? 潜在在庫、根底の経済システムの見直しは
総務・人事部門で活躍している貴方は、
日本人の驚くべき、就業実態総合調査結果
この調査と併せて、この十数年の経済社会環境変化は、
この春の厚生労働行政の現状は
総務・人事の何が、目前の仕事課題と見えるのか?


日本経済:救世主?との、話題のソーシャル・ビジネスとは
本来、社会システム(制度)を劇的に変化させるような貢献をするビジネスを指す。少なくとも世界基準ではそうだ。
だが日本政府やマスコミでは、何かの社会福祉や社会問題を解決する奉仕的な小規模事業といったイメージ。介護・医療産業が成長すると政府がPRし、高齢者や女性の労働参加率の上昇が…と日銀総裁が発言することもあって、ソーシャルを「社会政策」と誤解する人が多い。
そもそも、社会政策の目的や傾向には二つの側面がある。
(1)個人の自由平等を追求するための社会共同体を形成する過程での立場の弱い者の保護
(2)人間の集団生活の中で弱者となった者への慈悲
である。
したがって、
前者は初めに権利の主張があり、後に社会ルール(義務)となり、
後者は名誉欲や体制維持と+少しばかりの愛に基づくとされている。
要するに、ソーシャル・ビジネスは社会政策とは無縁の理念であることが本質なのだ。そして社会権やその行使とは無縁であるほどに、実は、目指すビジネス規模は大きいのである。
そういった世界基準の本質からすると、
日本における明治維新とその後の産業革命はソーシャル・ビジネスそのものだったと言える。戦後の米ソ対立に因るアメリカの対日投資~高度経済成長~全国各地への工場建設と金融支援なども、その意味ではソーシャル・ビジネスなのだ。
環境・自然エネルギー産業、地産地消や産業分散化もソーシャル・ビジネスだ。
ところが、
現在の日本で論じられる「ソーシャル・ビジネス」説は、
今の経済社会から、これから引退する勢力と、
今から代替わりし経済社会に、これから進出する勢力間での力くらべ
を反映した「マスコミや行政機関の政治的思惑」に、どっぷり漬かった代物(論説)なのだ。だから、社会政策や社会権の一部かのような印象を一般人に持たせようといった思惑を持っている。
そう、こんなことを述べるジャーナリストもマスコミから排斥している。


経済学で言えば、「イノベーション」がソーシャル・ビジネス
である。それは、言葉の表現方法が異なるだけであり、およその概念は同一である。イノベーションとは、経済学者シューペンターが重厚長大産業を題材に発見した経済理論である。日本では、「技術革新」などとの不正確な用語に翻訳したものだから、半世紀に渡って誤解されているが、要するに「刷新」である。
=新商品開発の新商品の定義=
(1)新しい財貨、新しい物の発見
(2)新しい生産方式の導入
(3)新しい市場の開拓
(4)新しい原材料、新しい半製品の発見
(5)社内から社会に渡る、新しい事業組織の開発
と同様の事柄なのだ。
個別企業のイノベーション発展=新商品開発である。
このイノベーションが、ICT産業革命によって、重厚長大の大規模事業から中堅中企業や小零細企業・個人事業へと、イノベーションの受け皿が移行しつつあるのだ。
だから、大規模企業では情報の集積集中型管理によってイノベーションを取り仕切るから、多面的イノベーションの萌芽を踏みつけている事態も生まれているのだ。多くの高学歴研究者が、これにより浮かばれない境遇にもなっている。
そこで、個別企業は、
より影響力を持つ事業は「外部」にある資源やノウハウへの依存が進み、
影響力のある事業を進めるためには、
「開かれた企業、社会的責任を持つ企業への転換」
が必要となってくるのである。
だから、大手マスコミや評論家の類が持ち出すところの、社会的世論や時代の変化などとの社会的責任論などの根拠は的外れなのだ。
ここが、貴方が活躍する個別企業の経営管理やビジネスチャンスにつながるインテリジェンスのポイントなのである。


今や、日本にマネー投下をする者がいない現実
この十数年間の金融資本投下では、経済が成長したかもしれないが、経済の豊かさは落ちた。
成長を阻害していた規制制度と、
豊かさのためにブレーキを掛けていた社会規制が、
新自由主義(アダム・スミスの自由主義とは無縁)の名のもとに、乱暴に規制緩和されたのが日本の姿である。「規制が外れて日本国が空っぽ」になってしまったものだから、誰もマネーを投下するわけがない。この10年余も、戦時中と同じく、日本国民は大して異を唱えなかった。
法人税減税や外資誘致活動を
今更、昔の夢をもう一度とばかりに進めてみたところで、日本にマネーを投下する利便性など生まれて来るはずもない。
むしろ、使い勝手の良い日本労働者が
ある程度存在(受験と選別に慣れ親しんだサラリーマン化)するのだから、これに英語でもしゃべらせて発展途上国での多国籍企業展開で働かせた方が、効率が良い!という結論になっているのだ。国際社会の美名のもとに、出稼ぎのための英語教育、現地労働に欠かせない記憶力鍛錬の義務教育なんかは、旧来との政策変化が見られない。
アメリカはマネーが無いから
TPPをやろうという訳だ。オイル・マネーは日本に投資する意義など考えていないこともハッキリした。中国は幻想マネーであり、彼らと深く関係すれば日本企業は不良債権をつかまされる。そして、身近なはずの日本政府は、NHKテレビ日曜討論2月20日の放送で亀井議員が指摘した通り「今、財務省は財政危機と考えていない」と、金はあるのだが、経済対策にマネーを使う気は無い。だから経済産業省も仕方なく、「文化産業新興政策」などと言い始めている。
したがって、日本にマネーを投下する人や勢力がいないから、日本国内に事業基盤を置く限り、マネー投資による個別企業の経済成長はあり得ないのだ。


個別企業でのイノベーションができれば、経済発展
(豊かさ&成長)することが出来る。やはりそこには、経済学や経営学の人類の叡智に解決のヒントがある。
ただ冷静に見なければならない残念な事実もある。
それは、日本国内には産業資本のもとで産業を育成する能力を持つ管理職が、新自由主義とともに十数年前から冷や飯を食わされ、あげく定年などで第一線から退いていることだ。金融資本のもとでの模範的な経営者や管理職は、今意気消沈、もとより産業育成など出来る人材ではない。某電気メーカーでは、50歳過ぎの早期退職制度によって、中国に技術者がスカウトされている。本当に技術者の人たちは人が良いから、中国企業にだまされ、捨てられてもいるのだが…。


資本投下? 潜在在庫、根底の経済システムの見直しは
「100年に1度の経済危機」とか「450年ぶりの金融振幅危機」というほどには、物事がドラスティックには考えられていない。
だいたい、
過去にとらわれ、過去の経済システムでしか考えないからこそ、考えるほどに明日から将来にわたって気力は落ち込み、心も精神力も慣れて行く。これは自然の成り行きである。が、歴史や経済学(100ある経済学説のうち、巷で流れるのは3~4程なので)を紐とけば、次に何をすれば良いかが予見出来るのである。

…予見ステップ1
商品や物が取り引きされる市場が劇的に変化したので、旧来のような資本投下方法では生産された商品在庫が消化されない。ゆえに経済成長が見込めず、無理に成長を追い求めて金融・信用手段で経済を水ぶくれさせたものだから、これが破裂:リーマンショック前夜となったのである。

…予見ステップ2
ところで、(商品)在庫とは、日本人唯一のノーベル経済学賞受賞候補となったロンドン大学:森嶋通夫教授によれば、「貨幣や証券の形をとり、在庫の代替物として、企業の流動性選択活動に登場する」としている。
だとすると、個別企業が帳簿に載せない在庫(中小企業主が励む蓄財形態)だとか、個人が所有する在庫も、現在のところは如何なる市場でも商品としては流れていない。
また、貨幣や証券の形をとらない在庫として個人の職業能力はどうなっているのか?
すなわち、ここでも頭の中の能力在庫が多く蓄積されていれば多額貨幣の形をとる。だが、頭の中の在庫は労働市場に流れにくく、金融市場には流れてはいない。
今日まで経済学上は、簿外在庫、個人在庫、頭の中の在庫は、(商品)在庫とみなされなかったから、いわゆる潜在在庫である。

…予見ステップ3
こういった潜在在庫は、今まで何故?市場に登場しなかったのか。
それは今日までの資本投下システムでは、生産と消費の橋渡し役にセールスマンやトレーダー、マネージャーやブローカー、代理店や流通業者が主役となる事業展開の組織構造であったから、そこには潜在在庫を橋渡しさせる組織的目的はなかったし、潜在在庫を橋渡しさせれば、「取引コスト」が莫大にかかりすぎたからである。

…予見ステップ4
ある人は、この「取引コスト」をこう説明する
「例えばスーパーに行って食品を買うときにかかる費用には、その食品の値段だけでなく、買い物リストを創り、お店まで往復し、カートを運んで品物を選び、レジに並び、家に帰って買った物をしまうのに使うエネルギーと時間と労力が含まれる。だからトータルなコストはレシートにある値段よりも高くつく」(『シェア〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略』NHK出版、164ページから引用)。
こういった考え方は、近年のビジネス教育の中では教えられなかった。未開の地や未開の地方に産業資本投下をして、商品を供給し、生産価格なるものを回収し、次の産業資本投下を行うことを前提としていたからだ。
だが、日本の室町時代から江戸時代の国内経済には、これ以外のものもあった。
例えば「買い手よし、売り手よし、世間よし」といった類であり、木綿反物、呉服、蚊帳、鰊、昆布、酒、麹などの商品流通が支えられていた。「手形やクレジットよりも現金で払うから値引きしてくれ」といった発想は、この時代のものだ。

…予見ステップ5
市場の劇的変化と、
表向き在庫(貨幣・証券の形となる)
及び潜在在庫(簿外在庫&個人所有在庫)
の消費をめぐって、ICT産業革命が進行しているとの視点から、これからの個別企業の経済発展を模索して行くことができるのだ。

…予見ステップ6
なおそれでも、十分に流通していないのが、在庫としての職業能力である。
これを個別企業の潜在在庫に蓄積(正確にいえば企業と個人で分散蓄積)へと形成することが人事労務政策の柱となるのである。この「能力在庫」は、今や「職業能力の個人属性」もノウハウ蓄積の学問的研究も進み、ICT産業革命により流通し始めている。
困ったことに、現行の雇用調整助成金や職業訓練は、それとは逆行している。意味を見出せないから、不正や授業サボりは増加の一途だ。
=職業能力向上(頭の中の在庫)への投資と職業能力の流通=
でもって、ICT産業革命の受け皿となっている分野への、
1.あらゆるイノベーション能力と
2.イノベーションを管理コントロールする人材(ここは特筆を要す)
を投入する具体的行動が重要なのだ。個別企業内や知り合いの間で行うだけでも効果がある。

…予見ステップ7
この一連のステップが、個別企業で進めば経済は発展する、大枠の方向性である。
貴方が、
衰退する産業や業種とか、イノベーションをせずして廃業に軟着陸する個別企業と、残り7~8年を付き合うのであれば、予見しない方がましである。
将来、爪に火をともすような生活がしたいのであれば、(仕事と生命の)節約と財産整理に走るのが良い。
いずれにしても、大枠の方向性を間違えば、すぐに悲劇がやって来るしかない。


総務・人事部門で活躍している貴方は、
上記の解説で、もしや腐っていたかも知れないけれど、この経済社会激変の時点にあって、ひとつの希望の兆しを見ることができただろうか。
「ハット気づくだけ!」で、気づいただけで、あなたの道は開ける。
経済は、「根拠のないやる気」では回復しない。ましてJapanな精神力は論外である。
丸山眞男という哲学者は、人物の行動の基盤にある物の見方・考え方について、「事実によって事実を批判することは出来ない」とし、事実を批判出来るのは理念(根拠のある主観)であるとの人文科学の研究成果を残している。すなわち、貴方自身が、(あえて主観的に)個別企業における新経済システムのビジネスモデル理念を思索(思い)し、提示(行ない)することが重要だということになる。(これは、マーフィーの法則より時代の早い研究だ)。
戦略路線は、「高付加価値製品&高水準サービス」の商品提供
となるのだろうけれど、貴方自身が行う、この思索・提示こそが、個別企業や貴方自身の経済発展(豊かさ&成長)の原動力を保障するものだ。


日本人の驚くべき、就業実態総合調査結果
が発表された。労働者の意欲低下には意気消沈しそうだ!
http://www.jil.go.jp/press/documents/20101228.pdf
http://www.jil.go.jp/press/documents/20101228_siryo.pdf
この調査は厚生労働省のシンクタンクが昨年12月に第1回目として実施した。
マスコミや評論家の観測と大きく異なると思われる特徴点は次の通りである。
1.雇用者の平均勤続年数は11.3年、正社員でも14.5年だ
2.この2~3年、仕事の出来る人と出来ない人の差が目立ってきた
3.リーマンショック後、トップダウンで決まることが多くなった
4.だが半面、お互いに助けようという雰囲気が強くなり
5.仕事をめぐる職場内のトラブルは増えてはいない
6.会社との運命共同体意識は一段と減少傾向した
7.同じ仕事が正社員から契約社員に切り替わって行く
8.労組に雇用不安や賃金向上を期待するが、自分ではイヤ
9.若いうちの生きがいは、余暇・趣味、中年では家庭となる
だから、現在の就業者に、
日本経済発展の何だけが期待出来るかが、自ずと明らかになってきたという訳だ。
「格段に年収が高く、人の倍ほど働いている環境」になってから、
やっと「仕事が生きがい」との回答となる。高い年収を目指さないのである。まさに自律・自活出来ない就労者人口の増加である。この20年ほどで育ったこの者たちのツケは、もう解消出来ないかもしれない。


この調査と併せて、この十数年の経済社会環境変化は、
日本の経済発展障害要因であった古い因習や経済根拠のない「しきたり」を破壊もした。
同時に、基本的人間的なつながりも破壊した。
だとすると、この調査結果と考え合わせると、集団でも個人でも、次のことが言える。
1.「生活のための就労時間帯」と、「生きがいのための余暇や家庭といった時間帯」を設定した就業理念では、必ず日本は崩壊する。「自分の自由な時間が欲しいといって、自由時間が出来た者がいた例はない」。
2.また、若者の就労時間帯を、「生活部分」と「生きがい部分」の二つの時間帯に区分するといった、複線時間帯型就労理念だとしても、経済社会を維持するメドはなかなか難しい。
3.たぶん、「職業能力向上への投資と職業能力の流通」の中に、「生活と生きがいが一致する就業理念」が見いだされると思われる。
しかしながら、
それをどう経済社会の中で実現するのかが問題である。昨年の経団連調査でも、ワークライフバランスの阻害要因に、「ひとりひとりの働き方に対する意識の不足」をトップにあげているのだ。
「短時間で価値を生み出す自由人的労働」といった形態も考えられるが、今の日本の教育水準では、ほとんどの労働者に、そこまでの意識が備わっていないのが現実だ。


この春の厚生労働行政の現状は
マスコミ記者たちが取材しないから一般には報道されないのだから、実際には官僚たちのやりたい放題になっているのだ。官僚たちに豊富なアイデアを集める意思がないのは、政権交代前よりもひどくなった。それは、今話題となっている、国民年金の専業主婦扱いでの救済措置を厚生労働省が勝手にやっていた程度のものではない。
その現われとして、小宮山厚生労働副大臣は、今年1月12日の日本労働ペンクラブの総会で、(うっかりと)「政府としても政労使の戦略対話を通じて力を入れて取り組んで行きたい」とあいさつをしてしまった。
ここでいう政労使の「政」とは事実上官僚のことである。確かに、厚生労働省の官僚たちは大臣らの言うことを聞かない、それは前厚生労働大臣退任の例にもある。
「労」とは連合のことであり、幅広く労働界の叡智を集めようなどとの話ではない。
「使」とは経団連のことで、ここでも産業界の叡智を集めるわけでもない。
すなわち、政府は、この三者の調整をやっているに過ぎないのだ。今回の基礎年金第3号被保険者の事件も、もちろん自然な成り行きだ。…誰がリークした?
ここまで酷い状態のなかで、現厚生労働大臣は、求職者支援制度の法制化に、今、熱を入れている。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000011fns.html
ところが、この着想がどこから出てきたのか、生活保護への転落直通阻止策なのか?趣旨は未だ不明だ。
ちなみに、生活保護とは
憲法上の制度で、都市部では単身者月額15万円余の基準額。最賃フルタイム就業を上回る額だ。また、失業中の者よりも、基準額に満たない賃金収入でしかない者の生活を補てんする保護が、実は中心施策であるとのこと。子供3人の母子家庭であるならば、都市部の生活基準額は30万円余、基準額に不足前の額を補てんして生活保護する。極悪不正な事件を起こす者、生活保護に滞留する者も少なくない。
それでも、騒ぎにさえならなければ良いとの官僚たち特有の思考なのか。
あるいは、ハローワークの職員増強を必要とするので、その官僚機構の増殖目的なのか?
前回のメルマガで、就職のための職業訓練=「基金訓練」が官僚たちの予算消化の道具に使われ、公表される失業率低下の偽装手段とされ、就職にはほとんど役立たない訓練内容になっていることは述べた通りである。マスコミが「基金訓練」の受講サボりを取り上げているが、こんなことは官僚が野放しにしてきたからにすぎない。
労働者派遣法改正は国会上程のメドもなくなり、どこに行ったのか…激変緩和策を講ずれば、この方が救済対策となる。
大手企業に蔓延している長時間労働に手を打てば、ここでも救済対策となる。
しかし、本質は産業の後退、事業の後退で仕事がなくなっているところにある。何とか社会政策で対処しようと思っているところに間違いがあるのだ。
さて、この数日のスキャンダルが報道される裏には、何があるのか?


総務・人事の何が、目前の仕事課題と見えるのか?
個別企業の新時代ビジネスモデル、(表現を変えれば、日本の経済環境での生き残り)とは、
A.新時代に向けての、企業の機能目的と、
B.組織に所属する個人の名誉や模範性のまつわる目的、
この二つの目的が、職場で衝突することになるから、これの整合性を個別企業での組織運営の中で、いかに図るのかが課題となる。企業の機能目的を、頑固に押し付ければ、若者に敬遠され、若者がいなくなれば事業は縮小となる。
この「衝突の解決道筋」
が経営管理や人事管理の柱であり、トラブルとなれば社会の紛争解決制度(あっせん、訴訟など)をいかに駆使して早期解決するかが重要となるのである。
すなわち、
いくら企業の機能目的(A)を訴えたとしても、今日までの訓練がなされていない労働者にとっては、経営者の話よりも自らの名誉(B)が重要であり、
旧経済システムの元で模範(B)となって活躍した人の人格否定にまつわる話なので、一段と抵抗が激しいのである。
加えて、彼・彼女らは名誉や模範性によって賃金を確保していると錯覚しているのだ。本気で、労働力発揮の対償(労基法)と考えているならば、もめることは無い。
(ただし、賃金体系と賃金額は、労働再生産費用&地位&名誉で決まるのが現実)。
そこで貴方が、
社内外の抵抗を避けて経営管理をしようとすれば、
人件費と業務経費が増加(労働者の不満を金銭で代替・解消するから)の一途をたどる。また単純に、精神力だけで企業の機能目的を押しつけていけば失敗する。
優しく説明するとか、先送りして時間を掛けて行くことも失敗のリスクを激増させる。
経済激変や産業革命の時期における経営管理の基本は、
企業の機能目的に合わせた経営理念
→ 業務秩序・職場秩序理念
→ 業務運営理念(労働契約や経営方針など)
を確立することである。
その理念のもとに、基準や規則の全般的整備を進め
→ 基準や規則(就業規則など)を根拠に職場における善悪の判断(個人判断や常識に非ず)をさせ
そのもとに、客観的な合理的な事由でもって物事の決済を図ることである。
実際には、
紆余曲折、補正修正を繰り返しながら進むわけであるが
とりわけ貴方が、こういった展望と計画性(原則)を持っていればこそ、個別企業は持ちこたえることが出来るのだ。
「物事は原則があるから柔軟に対応出来る。
 原則がなければ存在手段は硬直しかない!」
たとえ、その尽力をした上にも事業が倒産・崩壊したとしても、
その貴方の姿勢は次のチャンスを呼び込み、新たな人物の出会いも生まれるのだ。